僕の知る限り、「年内に相手に届くよう、早く出荷せよ」 と言われたお年賀!の品が、今年の暮には2件ある。年内に相手先に年賀を届けて、どうしようというのだろう?
暮も正月も区別のつかない人たちが、日本を覆う日も近いのではないか。
しかし僕も人のことは言えない。朝9時に郵便局へ行き、我が家あての年賀状を持ち帰った。
僕のオフクロは、「そもそも年賀状とは正月二日に書くものだ」 という。理由は 「書き初めが二日だから」 「年も明けぬうちから 『明けましておめでとうございます』 など噴飯ものだ」 と。
それでは僕のオフクロが正月二日に年賀状を書くかといえば、書かない。ずるずると正月五日になり六日になり、やがて鏡開きの日を迎え・・・結局、年賀状は書かない。
僕のオヤジは更に凄い。小賢しい理屈は口にしない。届いた年賀状は手にも取らない。目もくれない。不義理もこれだけ徹底すると立派なものだ。もちろん年賀状などは書かない。
僕は小心者ゆえ、年賀状を下さった方には、年賀状を送る。年賀状を下さらない方には、年賀状は送らない。こうしているうちに、自分あての年賀状は確実に減っていく。
人間、毎年こういう遠き落日を眺めるような行為を繰り返してはイケナイ。年が明けたら早速、2002年の年賀状へ向けて名簿を整備することにしよう。
午前5時30分
本酒会 の会計係である我妻さんから、手書きの会計報告書が届いていた。その数字をマイツールに入れる。今朝は午前1時に起床したため、なかば眠りながら入力をする。マクロを走らせると、次期繰越金が手書きのものと6000円も食い違っている。
寝ぼけながらの仕事なので自分のミスと思い、最初から見直していく。間違いは我妻さんによるものだった。千の位の7を1と誤記してある。本職のソバ屋の帳簿は大丈夫なのだろうか?
午前8時30分
きのう水洗いをしたお稲荷さんの
社
を覗くと、すっかり乾いている。事務室に取り置いた諸々を、
社
の中へ戻す。赤い幣束(ヘイソク)を2本セットし、瀬戸物製のキツネを10頭、ジャンダルムのように配備する。年に1度の お稲荷さん メインテナンスは、これにて完了する。
午前9時00分
きのう掃除をしておいた事務室の 神棚 に、お札、縄飾り、サカキ、白い幣束、三方、酒器などを配置する。製造現場の 水神 と 地神 は、製造担当の人たちがタワシで洗っている。神様関係の掃除は、朝のうちにすべて終わるだろう。
午前10時00分
紙の手紙を5通書く。
午後13時00分
種々の仕事を、ゆっくりとこなす。割合にヒマなので、社内の神様を巡って画像を作成することにする。僕にとって画像処理は面倒な仕事だ。来年はこれをサクサク行いたい。
午後15時30分
ようやく店頭に 鏡餅 の準備が整う。
午後6時30分
秋田から 「きりたんぽ鍋セット」 を送ってくださった方がいる。今夜はこれを食べようとしていたところ、本酒会長の市本賢ちゃんが自家製のピッツァを持ってきてくれた。
というわけで、夕食はペパロニのピッツァとトマトのサラダ、数日前から次男が食べたがっていたタラコのスパゲティに変更。1998年のシャブリ・レ・ヴァイヨンを飲む。
朝8時30分より、お稲荷さんの掃除にとりかかる。
社
の入り口にある瀬戸物のキツネと、内部の古色蒼然とした諸々を取り出す。
この
社
には、修理のたびにその内容と日付を墨書したケヤキの板が何枚も入っている。最古のものは、明治41年2月初午に屋根と金具を新調した記録だ。明治41年といえば1908年だろうか。今から93年ちかく前のことになる。
社
そのものは、100年以上前の物件だろう。
掃除をしながらふと、賽銭箱が無いことに気づく。いつの間にか盗まれたらしい。町内に住む指物師の上吉原さんが作った、ケヤキ製の特注品だった。
「繁盛している家のお稲荷さんを拝むと御利益がある」 という話は耳にしたことがある。
「繁盛している家のお稲荷さんから賽銭箱を盗むと御利益がある」 という話は聞いたことがない。
この賽銭箱は、引き出しを開けるとすぐに、中の現金が取り出せる構造になっていた。中身が目的の盗みではないだろう。ちょっとした悪戯のつもりだったのだろうか。
「賽銭箱はむかし、貧民を救済するためのシステムだった」 と言う友人がいる。困ったときには賽銭箱から金子を拝借し、余裕が出来たら返済しておくという無利子の無人バンク。
「だから賽銭泥棒ってのは、泥棒じゃぁねぇんだよ」
いずれにしても賽銭箱は、また上吉原さんに頼んで作ってもらえば済むことだ。
年の瀬に面白い出来事が発生して、ちょっと得をした気分になった。
朝、店の横にあるお稲荷さんを掃除しようとしたら、水道が凍り付いて水が出ない。ホースに熱湯をかけたくらいでは復旧しない。掃除は明日以降の仕事とする。
地方発送を受けるテイブルの上に、納期をしめすボードがある。今朝、ようやくこのボードを外すことができた。これは、その日の発送受注が、おおむねその日に出荷されることを意味する。
夕刻、家族はふた手に別れて、それぞれの場所で食事をする。
乾燥明朗派の家内と次男は、社員休憩室で社員有志との忘年会。メニュは焼き肉。大きめのテレビにカラオケやゲイムをつないで楽しむらしい。
湿潤叙情派の僕と長男は、徒歩で料理屋に出かける。
ギンナンのほうろく煎り、茹でタラバガニ、マグロの山かけ、イカ納豆、サバの焼いたの、柳ガレイの焼いたの、ヒレカツ、揚げニンニク。僕は焼酎のオンザロックス。長男は冷たいお茶。
長男から学校での生活や、来年の3月に高等科へ進んで後のこと、3年後、学部へ上がってからの楽しみなどについて話を聴く。
これでもかとばかりに注文をした料理屋の勘定は、僕の予想を下回った。
帰宅後に入浴。社員休憩室の忘年会に参加するよう、内線電話が入ったらしい。僕は風呂に入っているため、それはままならない。長男だけが階下に降りていった。
7年ほども前に紛失したとばかり思っていたサレワ社のヘルメットが、物置で発見された。サレワはドイツにある登山用品の老舗だ。
僕はこれほど姿の良い登山用ヘルメットを、他に知らない。素材はカーボンファイバー、色はシルヴァーメタリック。ベンチレイションの穴が4個、設けてある。
濡らした布で磨き上げ、ゴムの部分に吹き出た白い粉を入念に拭きとる。
今日は次男の5歳の誕生日。タラコのスパゲティが食べたいという。午後、タラが届く。1ヶ月に1度、北陸のどこかの港から届く、箱を開くまで中身の分からない魚の定期便だ。次男の意見は却下し、夕食はタラ鍋にする。
ニワトリの肝臓に較べて10倍ほども大きいキモを薄い塩味のダシから引き上げ、塩とコショウを振る。家内、長男、僕との3人で分ける。タラのキモは、かなり美味い食べ物だ。
軽く煮たシラコは、塩とワサビで食べる。この方法も、なかなか悪くない。エラ近くの胃袋を長男に渡し、僕は頭を丸ごと胃に収めて、本日の夕食は終了する。
ロウソクが5本立った、上面にいくつものシュークリームを載せたショートケーキを食べる。
スポンジよりもホワイトクリームの糖分がずいぶんと低い。そのためにケーキが、とても好もしい淡泊さを保っている。プロには常識のレシピなのだろう。僕にとっては新しい発見だった。
僕はなにごとにも、否、預金残高以外のことについてはギリギリを好む。その最たるものが、列車の乗り換え時間だ。
名古屋駅で新幹線から南紀鉄道に、2分で乗り換えたことがある。東武日光線浅草駅で列車を降りてから20分後に、東京駅から新幹線に乗っていたこともある。
来年の1月に、仙台に住む友人が日光へ来る。宇都宮駅での乗り換え時間が5分しかないという。こういうことの下調べは、僕のもっとも好むところだ。夕方、今市駅からJR日光線に乗り、36分後に宇都宮駅へ着く。
新幹線の乗り場へは、ローカル線の乗車券では入れない決まりらしい。新たに入場券を買い、東北新幹線のホームに上がる。
友人は仙台18:20発のMAXやまびこ8両編成に乗る。ホームの表示を見ると、5号車の後ろか6号車の前のデッキから下車すれば、目の前にエスカレイターがある。ここからローカル線への連絡改札口まで、ゆっくり歩いて50秒。
そこからJR日光線のホームまで、ゆっくり歩いて50秒。双方あわせて100秒。5分といえば300秒だから、乗り換えは楽勝ということになる。
念のため、付近の状況をスケッチにして残す。
絶妙のタイミングで長男から 「栃木県庁前を、クルマで通過中」 との電話が入る。5分後に宇都宮駅前にで家族と合流し、雑ぱくな店で 極上のステーキ を食べた。
12月22日、コジマ電気にThinkPad1124とVAIOのPCG-C1VJを注文した。昨日、入荷の電話があった。納期わずか2日。
コジマの店員が 「この時期ですので、工場からではなく、弊社の流通経路から商品を見つけることになります。なんとか年内に間に合わせます」 と言うので
「いやぁ、来年の納品でも良いですよ」 と答えたいきさつがあった。
春先にThinkPad1124を5台購入したときには、1ヶ月近くも待たされた。それがこの暮に来てこの短い納期とは。コンピュータの在庫がだぶついているのだろうか。
ThinkPad1124は、今年の春に高校卒で入社した販売の社員が使う。これで販売の社員7名のうち、自前のコンピュータを持つ者が6人になった。気がつかないうちに、ずいぶんと増えたものだ。
VAIOは、ThinkPad1459の1台では仕事に支障をきたす25歳の女子事務員が、サブ機として使う。このサイズなら、女の人が出先で利用するにも便利だろう。
先日、秋葉原のT-ZONEで、VAIOを納めるバッグのパンフレットをもらってきた。なんとVAIO-C1専用の、吉田カバン製のショルダーバッグがある。これがなかなかカッコ良い。吉田カバンとのダブルネイムで専用バッグを作ってしまうあたりが、ソニーの真骨頂だろう。
大きな通りの通行量は、ずいぶんと少なくなってきた。店も既にして、長時間にわたって混雑するということはない。年の瀬はいつも、静かに収束していく。
夜、鶏の丸焼きをさばく。
焼き上がった鶏の体は奥行きが深い。短いナイフは役に立たない。ガーバーのアーモンドナイフの中で最長のものを食器棚から取り出す。本来は、大きな鮭を三枚に下ろすナイフだ。僕がアメ横のマルキン商会で買った数年後に、日本での販売が禁止された。
トマトのサラダ、ポテトのグラタンと、ガチョウのパテを載せたシュトーレンを食べる。
ワインはアルザスのリースリング。ドメーヌ ・ ビネールの1993年もの。僕の好みからすると、ブドウの味が甘く、生々しすぎる。フランスのリースリングというよりは、ドイツのリースリングという感じだ。
クリスマスの食事は普段と同じく、人の声やらなにやらで、実際には賑やかだ。しかし食事を終えて深更に強い酒を飲みながら振り返ると、なにかとても静かな食卓だったように思い出される。
4歳の次男に 「サンタクロースより」 という、短い英文の手紙を書く。
自由学園 の寮で暮らす中学校3年生の長男が帰省した。下級生から東武鉄道の株主優待切符をもらい、浅草から快速に乗って、終点の日光駅で下車したという。
終点よりひとつ手前の下今市駅で降りれば、家までは徒歩で10分もかからない。長男は日光駅から我が町まで5Km強の道のりを、2時間かかって歩いてきた。
制帽をかぶり、制服の上にエディバウアーの緑のマウンテンパーカを着て、グレゴリーの黒い30リットルのザックを背負っている。手にはウクレレ。
5Kmに2時間とは長すぎるが、日光街道から外れて大谷川河畔へ近づいたりと、ジグザグの経路をとったらしい。
「道草のない人生はつまらない」 と言った友人がいる。
銀座通りから旧電通通りを越えて数寄屋通りまで、路地だけを抜けて移動する僕の徘徊も、道草のようなものだろうか。
僕の人生は 「道草のある人生」 ではなく 「道草をしたまま帰ってこない人生」 ではないか? と、ふと思った。
朝6時、目覚まし時計のベルが鳴る。ベッドの上で20分間、もうろうとして過ごす。浅草発7時00分発の特急で帰らなくてはいけない。メイルの受信もままならず、6時30分に玄関を出る。白茶けてほとんど人の姿の認められない湯島の街を歩く。
浅草駅へ行くと、東武日光線の下り特急は7時30分が始発と表示されている。30分の損をする。マクドナルドへ入り、カフェラテを持って席へ着く。
携帯電話をThinkPadにつないで、サーヴァーへアクセスをする。注文書、卒業した学校のメイリングリスト、友人たちからのメイルが、それぞれのフォルダに吸い込まれていく。
今朝のメイルで最も僕の興味を惹いたのは、清閑PERSONAL を巡回している、いまだ会ったことのない人からのものだった。
1982年に僕が自費出版した 「鏡の中の自画像」 を、町田市の古本屋 「高原書店」 で発見したという。その人はその日まで、この本の存在を知らなかった。
「どこかで目にした名前だな」 から 「同姓同名の人?」 になり、次に本を手に取って、ハードカヴァーにある僕のイラストを見て 「もしかしたら」 と思ったという。
この 「鏡の中の自画像」 は、僕が南の国で2ヶ月を過ごしたときの紀行文だ。原稿用紙500枚の量がある。僕の結婚式の引き出物にした。もちろん残余は、その後も友人知人たちに配った。
その未知の人は、この 「鏡の中の自画像」 を購入したという。中を調べると、鉛筆で文章が校正してあるという。裏表紙の内側には、持ち主の住所と名前が記してあるという。
ウェブの世界とは、まことに面白い。そのうちに、僕がこの本を目にする機会もあるだろう。
夕方、秋葉原へ行く。T-ZONEで、ThinkPad用英語キーボード交換サーヴィスを行っている。僕の240Xで19,800円。エンターキーがとても小さい。少し考え、交換は保留する。
6時に 西研究所の忘年会へ行く。場所は大崎。出席者は30数名。
僕は "Chateau Bouscaut 1963" の少しもろくなったコルクに、慎重にオープナーの螺旋を差し込む。抜いた直後の栓からは、明瞭なカべルネソーヴィニョンの香り。色は薄目の朱色で、エッジはもちろん強くない。いぶしたような焦げ臭もあったが、明らかに未だ生きているワインだった。
モノを知るためには数をこなす必要がある。ワインも同じ。僕ひとりで300ccほどを飲んだ。
ちなみにこの古いワインは、トンボ繊維 の板東さんが レゾネイトクラブくじゅう の柴曳さんからいただいたものだという。
ワインが空いた後は、浪花ろばた八角 のゲンチャンが持参した黒木本店の焼酎 「中中」 を、オンザロックスにて数杯、飲む。料理の仕出しも、八角新宿支店からのものだ。ご飯に白ゴマを混ぜた鯖の棒ずしが美味い。
全員のスピーチも済み、9時前に中締め。15人ほどで近くの居酒屋へ席を移す。ここで2時間ほども過ごしただろうか。普通の勉強会では、研修が終わればみな挨拶も交わさずに別れていく。西研究所の交流は、勉強以外のところでも長く続く。焼酎のオンザロックスを3杯。
3次会はゲンチャンとふたりで銀座の 「おぐ羅」 へ。僕は燗酒1杯と焼酎のオンザロックスを2杯。びんちょうマグロの刺身とくさや、それにオデンのイイダコ。他にも何か食べたが憶えていない。
タクシーに乗り、ゲンチャンの定宿である飯田橋のホテル経由で本郷へ。本富士警察署前で運転手に起こされる。午前1時30分に甘木庵へ帰着。今日はほぼ25時間、起き続けていた。入浴をパスして就寝する。
昨年の3月に銀座5丁目の "KEYAKI" という行きつけのバーで、そのとき店の中に流れていたCDのケイスを見せてくれるよう頼んだ。
ときどき僕は 「自分は胃袋と下半身のみの人間ではないか?」 という思いにとらわれる。新聞は読まない、テレビは見ない、高級な雑誌は読まない、メシを喰って排泄をしているだけ。
夕食に、サンマのオリーヴオイル焼きを食べる。味付けはバルサミコとコショウと塩湖の塩。非常に美味い。付け合わせはホワイトアスパラガスのバターソテー。まるでウドのようにシャキシャキした食感。僕は明らかに食感オタクだ。
スパゲティにアワビが入っているのかと思ってよく見ると、エリンギだった。トマトとベイコンとタマネギの、ビアンコのスパゲティ。タマネギを入れることで、いわゆるイタリアっぽさからは遠ざかったが、それにしても美味い。
ロックケイキに中沢のクロテッドクリームを塗り、サンダルフォーのフォーフルーツジャムを載せて食べる。下手な洋菓子などは裸足で逃げ出す美味さ。
最初から最後まで、ムスカデを飲む。
僕にとって外食とは、美味い物を食べる行為ではない。家にいても、美味い物は食べられる。僕にとって外食とは 「みんなでどこかへ行こうか」 という、ピクニックのようなものだろうか。
宮城県から届いたカキをフライにする。味は淡く、サックリと揚がってとても美味い。神亀酒造の初亀生酒を飲む。今日は 本酒会(ほんしゅかい)。飲み会へ行く前に、既にして上出来の酒と肴を摂取している。
本酒会では、東京都東村山市にある豊島屋酒造の「美意延年」に感心した。その香りから、福井のとびきりの酒 「石田屋」 を思い出した。
もうひとつは大阪府羽曳野市にあるオキナ酒造 「近つ飛鳥」。大阪で、これだけのレベルの酒が醸されていることに驚いた。
「街場の酒よりも、人の少ない山懐に分け入った場所の酒が優れるに違いない」
という先入観は、捨てるべきだろう。
毎年12月の本酒会例会には、会員が賞品を持ち寄るくじ引きがある。僕は鹿児島県の西酒造による焼酎 「ちびちび初留取り」 を供出した。僕が引き当てたものは、2000円分の図書券と、関東電気保安協会の携帯電話ストラップ。悪くないバーターだった。
来年1月21日から2泊で行われる、金沢旅行のスケデュ-ルがほぼ決まった。
1日目の夜は、魯山人が長く逗留した料理旅館 「山乃尾」 で宴会。
2日目は、近江町市場で購入した魚を持ち込み 「しゃもじ屋」 での地酒大会。
日中は少々の団体行動と、近江町市場での昼食。残りの時間はすべて自由。
旅行の最大の目的とは、目的地へ行くことだろう。しかし僕の楽しみの多くは移動にある。越後湯沢での、新幹線から在来線への乗り換えも、興味深いところだ。
奥飛騨に住んでいる上宏一さんのpatioで、エラ・フィッツジェラルドの歌うクリスマスソングを教わった。
朝6時前、家内をJR今市駅まで送っていく。今日は15歳の長男が通う自由学園で、学業報告会がある。未だ夜は明けていない。
8時30分に、4歳の次男と朝食をとる。次男は、幼稚園へはクルマではなしに、徒歩で行きたいと言う。次男と手をつなぎ、家を出る。
幼児は道のいたるところで立ち止まる。著しく歩行速度が落ちる。
ツバメの巣を見上げて 「どうして鳥がいないのか?」 と訊く。写真屋の看板を見上げて 「何と書いてあるのか?」 と訊く。舗装道路に接する他人の敷地へ入って 「どうしてここは草だらけなのか?」 と訊く。そのつど、その問いに答える。
移動速度の高い旅は、すなわち貧しい旅だ。毒蛇は急がない。しかしながらこれは、怠け者の言い訳だろうか?
夕食は次男とふたりで、家内が作り置いたカレーを食べた。僕は次男がカレーライスを食べているあいだ、生のウイスキーを飲んでいた。次男が食後のリンゴにとりかかるころ、僕は自分用のカレーライスを皿に盛った。ウイスキーは、飲み続けた。
1980年、ヴァラナシ郊外のコテイジで、シーク教徒たちと食べた晩飯を思い出した。あの晩、チャパティにカレーと青唐辛子のペイストを盛って食べている僕のグラスに、シークのオヤジはインド製のウイスキーをなみなみと注いでくれた。
シーク教徒のオヤジたちは夜遅くまでウイスキーを飲み続け、ヒンドゥー教徒のオヤジたちはビンロウタバコの赤い唾を吐き続けた。室内の蛍光灯に照らされた庭の溶樹に、リスの目が光っていた。
本酒会では毎年1月に、オヤジ連中が集まってチャランポランな旅行を行う。今回の参加者は7名。資金は毎月の積立金による。
この旅行へ行きたい本酒会員は、毎月7,000円の積み立てを行う。12ヶ月で84,000円になる。海外ツアーの料金が理解の限度を超える安値になっている現在では、アメリカへだろうがオーストラリアへだろうが行ける金額だ。
84,000円から、今回なら往復の交通費31,000円がJRに先払いされ、2日分の宿泊費11,000円がホテルに支払われる。残余は会計係の分厚いサイフに収まる。
{84,000-(31,000+11,000)}×7=294,000
このサイフの中身は公金だ。ここから集団の使う経費が出ていく。たとえば食費、酒代、交通費、図書通信費。
旅行のスケデュールは、僕の計画によるものが多い。僕の計画とはすなわち、自由時間だらけということだ。朝昼晩の食事以外がすべて自由行動になることも、ままある。
何が面白いのか、雪深い東北の地方都市 まで行って、「リング」 などという映画を見ているヤツがいる。大阪の繁華街 まで行って、古本の天牛書店に埋没しているヤツもいる。ひとりローカル線に乗って、少し離れた町 へ散歩に行くヤツもいる。
たとえば自由行動中、会計係をふくむ数人が、この公金で寿司を食べたとする。集団から離れる癖のあるヤツは、寿司を食べることができない。しかしその場にいなかったヤツは、文句を言わないルールだ。本酒会の旅行は、常に会計係の近くにいないと損をする。
食事へ行けば、高い料理をたくさん食べたヤツの勝ち。飲み屋では、高い酒をたくさん飲んだヤツの勝ちとなる。しかし世の中よくできたもので、大食漢ほど安いメニュを好んだりする。
今夜はこの旅行へ行くメンバーが集まって、スケデュール表の確認をした。行き先は金沢。出発は来春の1月21日だ。
ひと息つきたいときには、生のウイスキーが飲みたくなる。ひと息つきたいという思いは大抵、夕刻に訪れる。昼間にもそういう気分になることはあるが、仕事中にウイスキーを飲むわけにはいかない。
問題は、強い酒を飲むと、その後のメシが不味くなるということだ。今日の午後6時にもウイスキーを飲みたくなったが、我慢をした。
12月12日、学校の寮で暮らす長男が15歳になった。家内は図書券を送った。それが間違いなく届いたかかどうかを確認するため、昨日から寮に電話をしているが、なかなか本人がつかまらない。今日の夜になって、やっとつながった。
「あなた、冬休みは22日からでしょ? 22日に帰って来るんでしょ?」
「いや、その日は泊まって翌日に帰る」
「どこに泊まるの?」
「クロサワの家」
寮のメシと家のメシとの間に、クロサワ家の上出来の晩飯を挿入するつもりらしい。
「次の日は、ヒッチハイクでもしながら帰るよ」
「なに言ってるの、ちゃんと電車で帰りなさい。切符、送って上げようか?」
「いやいらない。だったら鈍行で帰るからいいよ」
「ちゃんと、店が開いている時間に帰って来なさいよ」
既に夕食は済んでいる。青いガラスの馬上杯に、僕はオールドパーを注いで飲んだ。
午後6時45分、ボウルに大量の、クレソンのサラダができていた。細かく刻んだ、これまた大量の炒めたベイコンが載っている。ベイコンのためにクレソンの緑がよけいに濃く感じられ、深い森を思わせる。
ムスカデを飲みながら大量のクレソンを咀嚼し、嚥下していく。トマトを輪切りにした、オリーヴオイルの香り高いサラダも同時に、食べ進む。
僕は果物をあまり食べない。野菜は大量に食べる。理由は、果物は甘く、野菜は甘くないからだ。
バンコックのオリエンタルホテルに数日、ひとりで滞在したことがある。廊下からドアを開けると、短い階段を降りて部屋へ入る、ちょっとしたメゾネットのような普請だった。
目の前には夜のチャオプラヤ川が広がっていた。ブドウや珍しい柑橘類をロココ調に盛り上げたウェルカムフルーツが届いていた。ベルボーイが去った後、僕は廊下の奥にいるボーイを呼んで 「皆さんで食べて下さい」 と、そのフルーツを渡した。
「お気に召しませんか?」 「いえ、僕は果物は、食べないんです」
そんなことをしたにもかかわらず、翌日には市場でドリアンを買い、部屋へ持ち込んでむしゃむしゃペロペロと、このガスを発しつつあるチーズのような果物を大量に食べた。ドリアンは、強い甘さを持ちあわせない。
またムスカデを飲む。ポトフを食べる。骨付きの豚肉から豚の匂いが立ち上る。ガーリックトーストをポトフに投入し、スープを吸わせる。これを肴に、またムスカデを飲む。
美味いメシとワインは、僕にとっての自動就寝装置だ。
明け方、溜まっていたメイルに返信を書き、巡回チェックを行う。このとき、ウェブショップ のサーヴァーから10件もの注文が届いたりすると、 「これはちょっと大変だ」 と思う。頭の中で朝の予定を整える。仕事の順番を考える。
メイラーBecky!に設定した uwasawa@tamarizuke.co.jp のフォルダを開き、届いている注文を順次クリックしながら受注作業を始める。
暗号のような注文をコピーし、エディタ秀丸にペイストする。秀丸のマクロを走らせて、暗号を誰にでも読める形に整形する。この段階ではいまだ、顧客が入力した情報が整理されただけの、無機質なフォーマットだ。
これを更にコピーし、マイツールにペイストする。マイツールのオートを走らせ、受注フォーマットをはさむ形で、上部に挨拶文を挿入し、下部に納期や金額を記入する枠や注意事項をドッキングする。
これをコピーして再びBecky!にペイストし、顧客へ 「ご注文御礼」 という表題の受注確認書を送る。
ウェブショップに入った注文を処理するために、いったいいくつのアプリケイションの間で、いったい何回のコピー&ペイストを繰り返していることか。馬鹿馬鹿しい作業だ。
コンピュータとは、手抜きをしつつ高い結果を得るための道具だ。
せめてマイツールのオートに頼っている部分だけでも、秀丸のオートかBecky!のテンプレイトに代行させたい。
ところで仕事の順番を考えたにもかかわらず、受注作業は後回しにして、niftyにある自分のpatio(電子会議室)へ、せっせと返信を書いていたりする。果たして自分は怠惰なのか、勤勉なのか。
果たしてカルロス・ゴーンは、2001年の元旦に出社をするだろうか?
今年のはじめ、社長に 「来年は元旦から店を開けよう」 と提案をしたところ 「お客さんなんて来ないよ」 と却下された。果たしてそうだろうか?
今市市の中心 春日町交差点 の角に、ウチの店はある。はす向かいのガソリンスタンドに長く勤める山越さんは 「1月1日? お客さん多いよ。いまは正月は家でノンビリなんて時代じゃないから」 と言う。
元旦は店を開けて、日時決算の経常利益を社員と山分けにするというアイディアは、どうだろう?
それはさておき、いまのうちに新年会の日取りを決めておく必要がある。年が明けてからでは、予約が取りにくい。我が社は年末の繁忙により、忘年会は無い。ただ新年会が、あるばかりだ。
僕は電話が、どうも苦手だ。今年の新年会で料理やサーヴィスの良かった 「みとや寿司」 へ行く。生ガキやタラコの昆布醤油漬を肴に燗酒を飲み、サヨリやヤリイカやサバの握りを食べながら、来年の座敷の空き具合を、オカミに訊ねる。
全社員が揃う1月4日に、いきなり新年会というのは、どうだろう? この日の座敷には、まだ余裕があるという。というわけで、来年の新年会の日取りはこれで決まり。
電話代を大きく上回る金額を支払って、店を出た。食べた内容を考えれば、安いと感じた。
朝7時すぎに湯島天神下から上野広小路へ向かって歩く。冬になってからは、カラスの狼藉もそう多くは目立たない。
夏によく使っていたドトールコーヒーが、内装はそのままに荒れ果てている。小さな張り紙が、ビル管理会社の倒産を伝えている。
湯島の繁華街は、小さな飲み屋を立ち退かせた土地に巨大なパーキングビルが建つなど、新旧の交代が激しい。「韓国人が経営する、韓国人のための中華料理屋」 などという、入れ子構造のような店も、数年前から急に増えた。
上野広小路から、地下鉄銀座線に乗る。
地下鉄銀座線の浅草駅にある地下道には、数件の飲食店と本屋や靴屋がある。この地下道の臭気と見た目の悪さは尋常でない。どこが管理しているものなのか?
この地下道にある、若い美男美女の夫婦が営むトンカツ屋で、ベイコンエッグ定食を食べる。時間はいまだ、朝の7時30分になったばかりだ。
東武日光線浅草駅の、正面の大階段を上る。観光のシーズンも過ぎ、朝の特急もずいぶんと空席が目立ってきた。本を開くまもなく、僕は眠りに落ちた。
朝、印刷屋から日光MGの宣伝用ちらしが500部、納められた。夕方、下今市駅17:01発のスペーシアに載り、東京の MG(マネジメントゲーム) 会場まで、これを届けに行く。
今日はコンピュータを持参していないため、北千住から大崎までの合理的な経路を 「乗換案内」 で調べることが出来ない。あてずっぽうで日比谷線に乗り、秋葉原から山手線に乗り換える。このときの時間は6時45分。
MG第1日目の講義が終わるのは、夜8時くらいだろう。自分の地元で開催されるMGの宣伝ごときで、講義の邪魔をしてはいけない。途中で夕食をとり、時間調整をした。
大崎のMG会場ではちょうど講義が終わり、交流会という名の飲み会が始まったばかりだった。早速、沖縄の浦添市から参加している下地さん持参の泡盛が、僕の持つ茶碗に注がれる。
今回のMGで配っていただく日光MGのちらし50部を、西順一郎先生に手渡す。MGでは宣伝広告のことを赤チップと呼ぶ。先生は 「赤チップは明日の講義のとき、皆さんにお渡しします」 と、おっしゃってくださる。
MGの交流会では、参加者全員がなにかしらのスピーチを行う。僕もMGを初めてから日光MGを開催するまでの9年間のことを、短くまとめて話す。
「日光MGですか、僕も行きたいなぁ」 「ウチの若い者を行かせましょう」 嬉しい言葉をいくつか、参加者の方からいただいた。
午後9時にMG会場を出ると、多くの参加者は 「3.5期」 という飲み会を持つ。これはMGの1日目に、第3期までのビジネスゲイムを行うことからきた呼び名だ。1日目の第3期と、2日目の第4期のあいだにある飲み会だから「3.5期」。
僕はあした早朝の特急で帰宅することもあり、「3.5期」 へ向かう皆と別れて甘木庵へ直行した。
むかし川崎の町をトラックで走っていると突然、ラジオから女のアナウンサーの涙声が聞こえてきた。その涙声は、ジョン・レノンの暗殺を報じるものだった。いま運転しているクルマのラジオは、今日がジョン・レノンの20回目の命日だと言っている。
あの薄ら寒い川崎上空の曇り空が、1980年12月8日のものだったことを初めて知った。
僕はビートルズを聴かなかった。かといって別段、ローリングストーンズのファンでもなかった。僕はロックは聴かなかった。中学生のときから4拍子のジャズばかり聴いていた。
今日のラジオやテレビでは、ジョン・レノンの話題が格好のトピックスとして重宝されていた。55年前の12月8日に起きた大事件、パールハーバーについての報道は、ほとんど目立たなかった。
そのうちに 「レノン忌」 という季語も、できるだろう。
午前中は机の上の仕事をこなし、午後は現場でギフトの荷造りをする。毎年12月になると、1日にまったく異なるふたつの仕事を半分ずつこなす日常が始まる。
机の上の仕事は、主にギフトの受注作業。ファクシミリで届いた1枚の受注を伝票化する前に、次の注文がまたファクシミリから吐き出される。「いまファックスを送った。返事がないけれど、ちゃんと届いているか?」 という確認の電話が入る。
受注の電話を切ったとたんにふたたび電話が鳴り、次の注文が入る。
「○日に注文した者だが、送り先から何の返答もない。相手に品物が届いているか、調べてくれ」
という問い合わせの処理は、コンピュータによる顧客管理と現場作業のデイタベイス化、それにヤマト運輸のウェブペイジが持つ検索機能によって、これまでの10分の1の時間で、顧客への解答が可能になった。「速い」 ということは 「楽」 ということと同義だ。
毎日の受注から作成した発送伝票は日別に箱へまとめ、受注日を明確にする。箱の中の発送伝票は、余裕のある早い時間には複雑な荷造りを、夕方になるにつれ簡単な作業が行えるように、上から順にソートされている。
そのほかに、顧客から到着日を指定された発送伝票は、出荷日別に箱に入れられ、出荷日を大書したメモをつけて、現場に整えられている。
荷造りの作業は僕も含めた4人のヴェテランで、合理的に遅滞なく進められる。電話ともファクシミリとも無縁の、海の底のように穏やかな場所での作業が続く。
子供のころ 「ブルーカラーとホワイトカラーを比較すると、ブルーカラーの方が長生きをする」 ということを、何かの本で読んだことがある。なんとなく、そのことが実感できる師走の1日だ。
夜、家内や次男といっしょに、吉原君の店 "Casa Lingo" へ行く。
吉原君はこのイタリア料理屋をつくる直前の1年間、なにもしないで遊んでいた。この店ができる2週間前は、イタリアでピッツァ職人選手権に出場していた。
自分の店を持つということは、起業をするということだ。吉原君のこういう脳天気な性癖を、僕はとてもうらやましく思う。
ワインは北ヴェローナの赤で "Valpolicella"。
サツマイモのバルサミコ焼き、カリフラワーのマスタードソース、そば粉とビールのパンケイキ生ハム巻き、タコとアサリのサラダ、鯛のカルパッツィオ。
ワタリガニのブカティーニ。ブカティーニは穴あきのスパゲティ。柔らかい食感だが、これはこれで悪くない。ポロネギとアンチョビのスパゲティ。ポロネギは細かく刻んであったが、大ぶりに縦割りにした方が面白そうだ。
エルタデラのピッツァ。エルタデラとは大きめのイタリアハム。子供のころに食べた安物のハムに似た香りが懐かしく、モツァレラチーズとの相性も良い。
とどめに羊のロースト。固まりのまま炭窯で焼いて欲しいところだが、値段も安いので多くは望めない。
デザートに柿のシャーベット。たいへんに上品で淡い味。
「吉原さん、これはイタリア人にはウケないでしょうね。ワビサビっつー感じですよ」
勝手なことを言っている。
ワインはボトルの半分以上を飲んで、あとは持ち帰り。グラッパはパスしてエスプレッソを頼む。ピッツァ用の石釜からは、インドやネパールの路上を思い出させる薪の良い匂いが漂う。
イタリア料理屋を出ると、強い北風が吹きつけている。日光の山には今夜、降雪があるだろう。
宇都宮まで商品の配達。配達はふだんは若い人の仕事だが、現場の繁忙にともなって、僕が肩代わりをしている。
帰途、10時すこし過ぎに たまき へ寄る。
ちょっとした暇つぶしのつもりだったが、黒檀の色紙立てと、来年の干支である巳の色紙に目がとまる。また、色とりどりの縮緬によるおせち料理の盛られた、2団重ねの重箱の前で足が止まる。
奥の部屋で茶菓をごちそうになりながら、店主の田巻さんと雑談。
「田巻さん、あの黒檀の色紙立て、安いですよね?」 「安いでしょう?」
というわけで、色紙も含めて購入決定。新年、店舗のどこかへ置くことにする。
「あの重箱のおせち料理、良いですね。あれもいただきます」 「有り難うございます」
暇つぶしでこの店へ寄るのは良いのだが、いつもなにかしら金を使ってしまう。
しかし、この富裕な家の幼女がままごとに使うような縮緬のおせち料理は、一体どこへ飾るべきか? 飾っておける期間も、極く短いものになるだろう。
ユニクロ は11時の開店直後から、駐車場に空きスペイスが無い。どうにか場所を見つけて、クルマを停める。
11月22日に注文をしておいた、現場の作業着が届いている。裏起毛のハイネックシャツが45着と、同じく裏起毛のスエットシャツが30着。レジがポスシステムためか、店員は75着すべてのバーコードを、読みとり機でチェックした。消費税込みで149,625円を支払う。
作業着の入った大きな3個の段ボール箱をクルマへ積み、環状線をはさんではす向かいの XEBIO へ行く。ここでは 会社のロゴ である図案化した陽明門を、すべてのシャツへマーキングすることになっている。
昼すこし過ぎに帰社したら、事務所は大量の注文で活況を呈していた。僕は午後1時30分より荷造りのため現場へ入る。
事務職は1時間の残業をしたが、ファクシミリによる注文は途切れない。未処理分は明日回しとして、退社することとした。
首尾良く夜中の2時30分ころに目が覚める。eメイルを使った仕事がはかどる。
ギフトシーズンということもあり、ウェブショップからの注文も多い。アナログ時代からの顧客と新規顧客の割合は、半々といったところだろうか。仕事関係のメイルを完了し、個人間のやりとりやniftyのpatioで10数通のメイルを書く。
5時30分ころに、仕事をしている事務室のシャッターを開ける。新聞は既に届いていた。空は未だ明けていない。
11月18日に行った 自由学園の美術工芸展 では、羽仁吉一記念ホールにお茶やお菓子、ミルクやクッキーの用意があった。家内、中等科3年生の長男、次男と4人でお茶を飲んだ。何十年も前から味の変わらない、懐かしいブドウジュースも飲んだ。
その記念ホールに4拍子のジャズが流れている。「ジャズか、自由学園も変わったな」 と言うと、長男が 「ブルー・ミッチェルだよ。お父さんが持ってるのと同じ」 と答える。
ブルー・ミッチェルと言われても、その曲に記憶はなかった。ただしジャケットのデザインだけは、うっすらと覚えていた。
今朝はそのブルー・ミッチェルをCDの棚から引き出した。アルバムの名前は "BLUE'S MOODS" だった。夜明けの事務室でかけてみた。これがめっぼう良い。
ブルー・ミッチェルはクリフォード・ブラウンに似て、上品なトランペッターだ。しかし彼よりも少しモダンなハード・パッパーだ。ウイントン・ケリーとの相性も最高。どうしてこのアルバムの良さに、いままで気づかずに来てしまったのか。
朝食までにこのアルバムを4回、聴いた。
夕方6時から、我が春日町一丁目役員会の忘年会。僕は最年少。ほとんどのメンバーは60歳を超えている。
「夕方4時からやるべぇ」 の意見もあったそうだが、開始時間は常識的な線に決まったようだ。場所は市之蔵。会費は1000円。
ケチくさくも酒は持ち込み。お祭りのとき、おみこしに供えられた日本酒を持ち込み、店の燗つけ器に逆さに立てる。卓上には寄せ鍋が煮えつつあり、珍味、刺身、焼き鳥など、飲み屋の定番が並ぶ。
少し遅れてアンザイ畳屋のオヤジが、鹿の肉と肝臓を持参して入ってくる。酒だけではなく、肴の一部も持ち込みだ。凍った鹿肉は、少しずつ皿の上で溶けていく。これはワサビ醤油。生の肝臓は、スライスしてごま油を添え、岩塩を振りかける。
僕の前に座ったウカジPTA会長が、ひとりおいて隣のイワモト染物屋のオヤジにシュピーレンがどうのこうのと言っている。
「シュピーレン? ドイツの何かですか?」 と訊ねると 「シピーレン、市P連。市とPTAの連合だよ」
僕の耳は、小さい音は聞き取るけれど、解像力に劣る。英語のリエゾンは苦手だし、それ以前に "this taste" と "distaste" の区別さえ聞き取れない。
夏のお祭りから会所に取りおいてあった黄桜のお燗を飲んで、僕の耳も普段以上に怪しくなってきた。
別の会合で午後3時から飲んでいたというアンザイ畳屋のオヤジは、卓上の食べ物に手をつけるいとまもなく、畳の上でいびきをかき始めた。鹿を配達しただけで、既に轟沈である。
大きく年の離れた人たちと酒を飲む会も悪くない。
街にクリスマスソングのあふれる季節になった。
35年前にリリースされた、スプリームスの "Merry Christmas" と、その2年後、ヘンリー・コスビーがプロデュースした、スティーヴィー・ワンダーの "Someday At Christmas" というアルバムがある。
これをひとつにまとめたのが "2 All Times Great Classic Albums" だ。
これは今でも R40M-1007 というコードをレコード屋に知らせれば、手に入れることができる。
僕がこの中で特に好きなのが、スティーヴィー・ワンダーの "Bedtime For Toys" だ。
sometimes , just sometimes , he doesn't have enough time to see every little boy and girl because The world is so big , So maybe we should sing a song for all the children that Santa didn't visit.
「時たま、ごく時たまだけれど、サンタクロースに来てもらえない子供もいる。サンタクロースだって忙しいし、世界は広い。そんな子供たちのために、俺たちは歌うんだ」
またこのCDを、棚の奥から探し出す季節が来た。
昨年の暮も押し詰まったある晩、僕は浅草のあるバーである絵に出会い、「アーッ」 と思った。驚いた。これは凄い、これは良い。お酒を飲んでいる間も、ずっとこの絵を見ていた。この絵が気になってしかたがなかった。
翌日の夜、もう1度このバーへ行き、ふたたびこの絵を眺めた。どうしても自分のものにしたくなった。そして結局、この絵は今、僕の家にある。このサイトの "MY FAVORITE" に 今井アレクサンドルの十字架 という文章も書いた。
数日前に突然、この絵を描いた今井アレクサンドルさんからメイルが届いた。 「あなたにそんなに喜んでもらって、さぞかしこの絵も喜んでいると思う」 という文面だった。
未知の描き手と未知の購入者が、検索エンジンを仲立ちにして、お互いの気持ちをやりとりする。不思議な気持ちもしたし、ごく当たり前の感じもした。これがインターネットというものだろう。
今井アレクサンドルさんは今年、制作のためベルリンに3ヶ月滞在していたという。かなり良いものが描けたという。そして墨田区亀沢に新しくできた彼の画廊 「ギャラリーアンフォルメル」 は今、そのような絵で埋め尽くされているという。
年が明けたらぜひ、ここを訪ねてみよう。