おばあちゃんはおととい99歳になった。本来であれば当日にお祝いを述べるべきだが、ここ数日のあいだ時間のやりくりがつかなかった。そして本日ようやく、家内と次男との3人で、おばあちゃんのいる「森の家」へ行く。
ホールでテレビを視ているおばあちゃんは、大勢の中にあってもその後ろ姿ですぐに分かった。おばあちゃんの髪の毛に鼻先をくっつけ、耳に口を近づけて「誕生日、おめでとうございます」と言う。そして、持参したチョコレートを食べてもらう。
「あっという間に年とっちゃうんだからね、好きなことしなさい」と、おばあちゃんが家内に言う。家内には言って僕には言わないところが不思議である。
晩飯の後にうたた寝をしていて、紺色のトヨタ"iQ"でどこかに味噌を届けに行く夢を見る。僕は、クルマは小さければ小さいほど好きだ。トヨタのクルマが欲しくなったことなど生まれてこの方なかったが、"iQ"にだけは、ちと乗ってみたい。
今朝、今井アレクサンドルの絵を2枚、買う。1枚は事務室用、もう1枚は店用と考えてのことだ。現代の絵は裸のまま壁に掛けられることも多いが、僕はこれを好まない。表面にほこりのたかることを考えれば、額の前面にはガラスが欲しい。
僕が絵を額装しようとするときには、いつも宇都宮の「たまき」へ絵を持ち込み、店主のタマキヒデキさんにすべてを任せてしまう。よって前述の2枚の絵と、家内が持つ島村達彦のスケッチ1枚を持参して午後に「たまき」へ行く。額装はおよそ2週間で完成するという。大いに楽しみである。
子供とする楽しいことを挙げれば、僕の場合には同じ布団で寝ることと、食卓を共にすることのふたつが先ず思い浮かぶ。次男は今月25日に寮より帰宅していたが、そしてこれは本当に珍しいことだが、僕はその日からきのうまで、ただの一度も家で晩飯を食うことができなかった。
よって本日は次男と同じ齢の、そう高くないワインを蔵から引き出し、初更に抜栓する。同じ布団で寝ることは小学校の途中で止めるにしても、一緒にメシを食べることは、当方がかなりの老齢にならないかぎり、随時可能と思われる。
"MG"では、ゲームにおいて第一手目を打つ「親」決めのジャンケンをしただけで脳が酸素欠乏を起こす。たかがゲームになぜそれほどの気合いを込めるか、それを考えてもよく分からない。
きのうの日記に「明日の捲土重来を期す」と書いた。そして本日午前の第4期を終えたところで、僕は損益分岐点比率64の成績を上げた。とはいえこれはそれほど競争の厳しくないC卓でのものだから、大きな顔はできない。それに"MG"は別段、勝負に勝つためにするものでもない。
マネジメントゲームは、参加者ひとりひとりが2日間に5期分の経営を盤上に展開する研修だ。2日目の終了時間はおおむね夕刻の5時ごろになる。しかし春日町1丁目の会計係をしている僕は、今夜の臨時総会にて会計報告をしなくてはならない。
よって昼食後のビジネスパワー分析を済ませたところで早退することとする。帰り際、第5期の運転資金を調達しようとしてカンダヒロトさんが会場を回っていたため、僕の第4期終了時の現金残高177円すべてを貸す。カンダさんにはその借りを、9月2日からの「日光MG」で返してもらうつもりである。
4時すぎに帰社して5時30分に町内の公民館へ行く。平成20年度の会計報告を僕がした後、子供関係の予算を削り、それをそのまま老人関係の予算に充当した平成21年度の予算案を、副会計係のシバザキトシカズさんが読み上げる。
子供が減り、老人が増える。その老人もいずれは減っていく。町内会はそのまま、日本という国の縮図である。町内も国も、そのやりくりには工夫を凝らす必要がある。
公民館から事務室へ戻り、"MG"の感想文800文字ほどを書き上げて西研究所にファクシミリで送信する。
開発者の西順一郎先生が直接に指導するマネジメントゲームのうち、ウチから最も近いところで行われるのは「古河MG」だ。主催者のスズキケンジさんからは、これについてのお知らせを年明け早々にいただいていたにも関わらず、当方の悪いクセにて、出席を決めたのはつい10日ほど前のことだった。
JR今市駅7:36発の日光線に乗り、宇都宮を経由して古河には9時10分に着いた。そしてその30分後に会場のネーブルパーク研修センター平成館に入る。
マネジメントゲームは、参加者ひとりひとりが2日間に5期分の経営を盤上に展開する研修だ。10時よりその概要説明、第1期を利用してのルール説明、昼食を経て午後から第2期のゲームが始まる。
僕は、経験こそ長いがゲームは下手だ。第3期終了時の、margin15.5を確保しながら損益分岐点比率174などは、僕のMGの典型である。明日の捲土重来を期すこととする。
夜の交流会では、チバヒトシさんの正面に座ることとなった。そのチバさんが「MG数え歌というのがあっても良いと思う」とおっしゃるので、5分ほどで半分まで作る。
ひとつとせ、1期に寝ているあんぽんたん
ふたつとせ、2期は材料確保せよ
みっつとせ、3期の借り入れ慎重に
よっつとせ、4期で目論む大逆転
いつつとせ、5期でとうとう逆分社
"MG"は5期で研修終了となることもあり、「むっつ」以降が難物である。
きのうの昼飯は須田町の「勝漫」でかつ丼を食べた。夜、蕎麦の「やぶ定」へ行くと串カツが出た。そして今夜の僕のメシは、1週間も前から決めておいた牡蠣フライである。
「ウワサワさん、腹、出てませんね」とか「ウワサワさん、基本的に菜食でしょ?」と言われることがある。この日記を下へたどれば確かに、今月は肉を食べていない日が9日もある。よって2日間に脂の衣を3回食べても、どうということはないのではないかと自己診断をする。
念のため書き添えれば、本日「とんかつあづま」の座敷へ上がったのは、名残の牡蠣フライを食べるためではない。それは今月21日に販売係として入社したコバヤシカナさんを歓迎するためであり、また今月21日で勤続10年となったタノイチカさんに感謝の意を表すためである。
「あづま」の宴会解散後は、午後から「いちもとサイクル」のバーベキューに参加させてもらっていた次男とクボ君を迎えに行き、それに家内を加えた4人で東照温泉へ回る。
おととし生まれて初めて韓国へ行った。驚いたことは3つあって、ひとつはロッテ百貨店地下食料品売り場にいるほとんどの店員が日本語を話すこと、2つ目は食べ物の美味さ、3つ目はマッコリの美味さだ。
マッコリの美質を挙げれば「店ごとの個性が際だって実に面白い」「飲んでも飲んでも酔わない」「しかし酒を飲んだという満足感は得られる」「翌日に残らない」と、とにかく良いことづくめだ。
しかしこの経験に味をしめて、たとえば銀座あたりの焼肉屋でこれを注文すると、大きな工場で作られたらしい瓶詰めのものを出され、それらは大抵、そう大した味ではない。ところがきのうの「故郷味」のマッコリはカメになみなみあり、味も韓国並みとまではいかないが、日本で飲むものとしてはかなり美味かった。
1リットル飲んでもきのうは夜の寒さが身に染みた。よって、このくらいの量では酔わないということが分かる。当方は酔うために酒を飲むわけではないから、飲んでも飲んでも酔わない酒とは有り難い。「故郷味」には、次回は複数で行こうと思う。複数で行けば鍋が食べられる。
神保町、麹町、青山と回って夕刻に帰社する。閉店後は、きのう帰宅した次男と、その同級生のクボ君を連れて長久温泉へ行く。
夜は「第189回本酒会」に出席をするため、会場の「やぶ定」へ行く。年明けから春にかけての「本酒会」では、にごり酒を飲む機会が多い。これは「喜久水酒造」の「一時」という優れた日本酒と出会えたことが大きい。本日はそれに加えて「浅舞酒造」の「シュワトロ」、「白瀑酒造」の「ど」「どピンク」と、計4種のにごり酒を飲む。
「本酒会」は日本酒の利き酒をする会だ。よってその親睦旅行では、日本酒の醸される地域にしか行かない。しかし「本酒会」の会員で韓国へ行き、マッコリを飲みたいと強く思う。今夜飲んだ4種のにごり酒とマッコリの間に、大した味の相違はないのだ。
東武日光線下今市駅9:02発の上り特急スペーシアに乗れば、取引先のある駅には11:07に着く。着いたらあれをしてこれをしてと、夕刻までにすべきことは何日も前から打ち合わせてあった。
そうしたところ9時38分に武里駅で事故があり、そのあおりを受けて当方は杉戸高野台駅で結局45分間の停車を余儀なくされた。ようやく発車した後も事故に影響されてのダイヤの乱れがあり、目的地に着いたのは予定のちょうど1時間後のことだった。僕はスケデュールのバグを嫌うが、たまにはどうしてもこのようなことが発生する。
仕事に妥協をしなかったため、いや、妥協しなければ夜が明けてしまうから少しは妥協もしたが、とにかく取引先から引き上げたのは予想よりも3時間30分遅い夜の8時30分だった。東京の東から西へ向かう道すがらには上質の飲み屋が密集している。しかし僕はこの地域には詳しくない。よって御徒町まで至り、マッコリ1リットルを飲む。
御徒町から甘木庵までの1.5キロは徒歩の範囲内だが今夜は馬鹿に冷える。ダウンベストを着ていても上半身に震えが来る。渋滞の中でタクシーを拾うのも馬鹿ばかしいと歩き続けるが、上野広小路にて遂にタクシーに乗る。
「シティカードジャパンと"amazon"が提携してカードができた。これは便利だよ」と、"amazon"で買い物をするたび宣伝されたのは2007年初夏のことだった。どこで利用してもそのポイントが"amazon"で使えるところから、僕はこのカードを同年7月7日に作った。
そうしたところ翌2008年10月3日にシティカードジャパンからメイルが届き、諸般の事情により"amazon"との提携を解消する、よって普通のシティカードへの移行手続きを取ってくれと伝えられた。"amazon"でポイントの使えないカードなど必要ないから無視していると、やがてシティカードジャパンから「会費は無料なんだし」と営業の電話があって、結局はこのカードを持ち続けることにした。
一方、それまで使ってきた"AMEX"のカードは、"amazon"のカードを作って以降、一切これを用いなくなった。
僕の"AMEX"の切り替えは3月20日だそうで、昨年のこの時期に解約を申し出たところ、電話の向こうのオネーサンに引き留められた。よって先方の言い分を聞き、更にこれを持ち続けたが、この1年間もやはり1度も使わなかった。だから本日またまた"AMEX"に電話をし、解約を申し出る。
今年のオネーサンは、ここに書くことがはばかられるような好条件を申し出てくれたが、どのみち緑色でない、すこし光った色の"AMEX"が用意する分厚いサーヴィスは、僕の使わないものばかりだ。また、ポイントと交換可能な数百にもおよぶ品物の中にも、僕の欲しいものはない。
よって貯まっているポイントすべてを「世界の医療団」がどこかの国で使うらしいマラリアの治療薬とポリオワクチンに換え、18年のあいだ持ち続けたカードとおさらばをする。今は会費無料のシティカードも、これが年会費をよこせなどと言ってくれば即、別のカードに乗り換えるつもりだ。
買い物のほとんどをウェブショップでする僕にカードは必須である。あるいはカードはほとんどウェブショップでしか使わない。「どこで利用してもそのポイントは"amazon"で使えます、Yahoo!ショッピングで使えます、楽天で使えます」というカードが出てこないものかと、僕は考えている。品物と交換するタイプのポイントは、僕は、要らない。
Yahoo!オークションの入札終了時間は大抵、夜の9時30分から11時あたりに分布している。その時間に商品を登録する人が多いから、必然的に締め切りもおなじ時間に集中するのだろうと、いつかこの日記に書いた。
そうしたところ「そうではなくて、オークションの終了がその時間に集中するのは、これこれの理由によるものだ」と、詳しい方がメイルで教えてくださった。そのときには「なるほど」と得心したが、得心した割に「これこれの理由」の内容は忘れてしまった。
とにかくここ数日のあいだ欲しかった品物の締め切りも本日の夜10時22分にて、何が迷惑かといえば、僕は普段、この時間には既にして寝ているのだ。
「ここまでなら出しても構わない」という価格を寝る前に設定しておく手はある。しかしたとえば「3万円までなら出せるが、しかしそれが1万円で買えれば嬉しい」というのが人情である。
また、入札者のひとりも無い商品と、ひとりでも入札者のある商品とでは、その商品の価値が異なってくる。人気のない商品でも、当方が指し値で入札をすれば、それを見た誰かが「なるほど、これは価値のあるものかも知れない」と参入し、結果として競合相手の増える恐れがある。
よって今夜も、この1週間だれにも見向きされなかった商品に、入札終了の1分前に値を入れ、開始価格のまま落札する。そして「こういう不要不急の品を懲りもせず買っているから、オレのフトコロはいつも寂しいんだ」と思う。
インターネットのあちらこちらを逍遙するうち「新ハイスピード・ドライビング」という書名が目に付いた。「ハイスピード・ドライビング」ならポール・フレールの著作で30年ほども前に読んだことがある。しかし「新」については知らない。
よって"amazon"で検索をしてみれば、これはポール・フレールが著し、小林彰太郎と武田秀夫が訳した同じ本だった。「新」とは、どこが新しいのだろう。とにかくクルマを速く走らせたい人、安全に走らせたい人はこの本を読むべきだ。
世は迷信に満ちている。クルマの操縦方法についてもハナから迷信を信じている人がいる。ポール・フレールの「ハイスピード・ドライビング」はクルマを科学的に操縦することを説いた、自動車運転技術書の金字塔である。
荷物が少ないのは良いことだ。はじめは上着のポケットだけで足りると考えたが、"999.9"製の遠近両用メガネがかさばることから、これを含む文庫本、カメラ、携帯電話、メモ帳、ボールペンなどは"Gregory"のウェストポーチに格納された。
午後2時すこし前に竹橋のパレスサイドビルに達し、最上階の"Alaska"における自由学園同学会臨時総会および新卒業生歓迎会に出席をする。1月の総会と3月のこの会には、長男が生まれて以来の20数年間ほとんど出ている。
僕が自由学園を卒業した1979年には、場所こそ今とおなじだったが食事は着席をしていただくもので、参加する"OB"の数も今ほど多くはなかった。しかし本日のバンケットルームは出席者の発する熱気で冷房が欲しいくらいだ。
白ワインを飲み、上級生や同級生や下級生と何ごとか話し、夕刻5時前に散会する。用意しておいた切符は浅草駅21:00発のものだったが、これを18:00発に変更し、8時前に帰宅する。
このところの不景気で外食産業が打撃を受けている、節約志向の消費者は家庭内の食事を増やし、乾燥パスタの売上数量は急上昇と、どこかのニュースが伝えている。
「なるほどなぁ」と思っていると、そのニュースは更に「パスタに伴ってレトルトのパスタソースも良く売れている」と続けたから「それは少しおかしいんじゃねぇか」と、僕の脳は先ほどまでのぬるい海から岸辺に上がった感じになった。
「オレ、カネ、無ぇからさ、せめて調味料にだけは凝ってんの」と言った先輩がいる。なかなか洒落たことを言うものだと、僕は大いに感心した。いくら高い味噌でも味噌汁1杯分に換算すれば、そう大した金額にはならない。バルサミコ酢の価格は上限知らずだが、これはそこそこのものでも充分に美味い。
節約志向の消費者であれば、出来合いのパスタソースなど買わない。麺を茹で、上出来のオリーヴオイルと上出来の塩に、そこそこのバルサミコ酢。青森県田子町産のニンニクと栃木県大田原産の唐辛子を奢っても、原材料費はたかが知れている。
これらをサッと和えて大鉢に盛り「さぁ、みんなで食おうぜ」と、ゴッホの「馬鈴薯を食べる人々」のような顔つきでフォークを握れば、ここに足りないものは冷えたムスカデくらいのものだ。
「レトルトのパスタソースが売れている」とは、これまでそれほど品揃えのなかったところに、急に各社の新製品が投入されたゆえの、いわば「新車効果」のようなものではないのか。
ユーラシア大陸の小国に、日本はなぜサッカーで勝てないか。人口は少なく経済力においては比べるべくもない小国に、なぜ日本はサッカーで勝てないか。そういう疑問を常々持っていた。しかしこれが野球となれば、日本がキューバに勝てなくても何とも思わない。
こういう理屈の通らない感覚を自分が持っているのは、サッカーに疎く、しかし野球については幾分その雰囲気を理解していることによるのだろう。
そして本日の"WBC"において、日本はキューバに勝利した。明日はこの10年間の対戦成績において大きく負け越している韓国と戦う。
日本のプロ野球から引退したチャン・ミョンブは1983年に韓国へ渡り、ここでシーズン30勝という驚異的な数字を上げる。そして「こちらの人たちはプライドばかり高いようだが、日本から来たポンコツにいきなり30勝させてしまう、自国の現状を知るべきだ」と言った。
その韓国が、今では野球で日本に勝ち越し、サッカーではそれ以前から日本よりも強い。こと運動能力においては、日本人は韓国人に勝てないのではないかと僕は感じている。ユーラシア大陸の小国に、サッカーで勝てないように。
日光市轟地区にある「メルシャン」の工場を見学に行く。「メルシャン」は全国に存在する工業団地のうち300ヶ所の水質を調査し、日光市のそれにとどめを刺したという。"ANMAR"のブランドで知られる沖縄の食品会社「ホクガン」が同じ工業団地に進出したのも、やはり水の良さに着目してのことと聞いた。
日光市の水は質が高いだけでなく量も豊富で、これはひとえに日光の山々のお陰である。
「ブルゴーニュの古い白はドンドン飲んじゃおうぜ作戦」は長男の帰宅に合わせて決行していたが、この春休みに長男は家に帰らず、「ブルゴーニュの古い白」の在庫も最後の1本となった。よって本日これをやっつけてしまうこととして初更にワイン蔵へ入る。
「それほど頭に血ぃ昇らせることでもあんめぇに」というような小さなことについてさえ、たとえば傘の先で地面をガツガツと突きながら怒鳴り散らす人がいる。そういう、ウンザリするような場面に遭遇すると、僕は「まぁ、いいじゃねぇか」と腹の中で言う。
最後の1本をステンレスの棚から引き出しつつ「スパゲティに合わせるようなワインじゃねぇんだけどな」との思いもちらりと頭をかすめたが「まぁ、いいじゃねぇか」と腹の中で言う。
そして1986年のシャサーニュモンラッシェは、23年前の白ワインとは思えないほどの力をいまだ満々と湛えて僕をクラクラさせた。
僕が白和えやぬたを好まないのは、それが甘いからだ。ところが京都で食べるこれらはまったく甘くないから、意外の念に打たれながら「美味い、美味い」と食べてしまう。太巻き寿司やばら寿司も甘いから僕は好きでなく、しかしきのう「和光」で帰り際に手渡された、おかみ手製と思われる太巻きはまったく甘くなくて僕の好みだった。
朝の開店からしばらくすると、強風にあおられた小雨が外の暖簾に打ち付けてこれを濡らす。よって暖簾は屋内に格納されたが、1時間ほどすると風は止み晴れ間も見えてきた。よってふたたびこれを外に出す。
外出着を選ぶに際して、今ほど困る季節はない。先日も薄手のダウンベストを用意し、しかし出かけてから帰るまで、結局のところは手提げの中に入れっぱなしだった。
1979年の1月、トレドで直径40センチの皿を買った。買ったとはいえ持ち合わせが足りなかったため内金だけ支払い、残金を取りにホテルへ帰った。陶器屋へ戻ってみると既にして入り口は閉じられていたから「これが噂に聞くスペインのシエスタか」と納得した。
自分も昼飯を済ませ、三たび陶器屋を訪ねれば、いまだ鍵がかかっている。それを2度ほど繰り返して午後4時すぎにようやく皿は自分のものとなった。昼休みが4時間とは豪勢なものである。
相手が上司なのか取引先なのかは知らないが、昼飯の最中に携帯電話が鳴り、箸を持つ手を止めてしきりに頭を下げている人を目にするたび切なくなる。「いま食事の途中ですので、後ほど折り返しご連絡します」などと言ったら果たしてどうなるか。たとえ相手が部下であっても「この人は仕事に対する情熱に欠けている」と、軽蔑されるに違いない。
「ものを食べている最中の犬にはちょっかいを出すな」とは、子供のころ大人に教えられたことだ。たとえ相手が犬であっても、メシの邪魔をしてはいけない。というか、それをすると手を噛まれたりする。
食事を大切にするほど叱られたり軽蔑されたりするのが、日本という国の現状である。
"amazon"では通常、品代が1,500円を超えると送料がタダになる。1,500円未満の本が欲しい場合、送料をタダにするため他の本も抱き合わせで注文し、しかしそちらの方はついぞ読まなかったり、人にやってしまったりすることがままある。
1,490円の本を"amazon"で買う場合、おなじ物が1,150円の古書で出ていれば、僕は新品よりもそちらの方を買う。"amazon"における古書の送料は340円だから、この場合の品代と送料の合計は1,490円で、これはつまり1,490円の新品を送料抜きで購入することと、金額の面においては等しくなる。
本日もそのような古書を見つけ、しかし出品者の評価レベルは「50パーセント」と異様に低い。心配になってその内容を見てみると、客から受けた評価に返信を付けられる部分で、この出品者は「二度とウチを利用しないでください」などと相手を挑発している。
客の言い分はといえば「出荷から配達まで2日もかかるのはフツーじゃないです」というものだから、こちらの方もいささか常軌を逸しているのだ。メイル便で2日後の配達であれば、これはごく普通の納期である。
インターネット上にあふれる、料理屋その他に対する利用者の批評批判を見ていると、客の方にこそ問題りと思われるものが少なくない。
そして「こういう、客に喧嘩を吹っかけるような出品者も面白れぇじゃねぇか」と、その、異様に評価の低い偏屈者に対して僕は本を注文した。相手がどんな商売をしてくるか、しばし見物である。
日本が第二次世界大戦に敗れたことにより、中国大陸に居住していた日本の一般人は、引き揚げ船に乗るべく厳しい大移動を強いられた。このとき先ず斃れたのは質の低い履き物を身につけていた人たちだった、ということをどこかで読んだことがある。
東南アジアの炎天下に、登山靴を履いて旅する人がいた。ゴム草履の当方はその姿を不審に思い理由を訊ねたところ、前回の旅行でつま先を怪我し、気づかぬうちそこにハエが卵を産んだ、なぜそのことを理解したかといえば、やがて傷口に蛆が湧いたからだと、その人は答えた。
ことしの6月、僕はシェムリアップとバンコックへ行く。バンコックだけなら"trippen"の革靴を履いていくところだが、カンボジアの土埃であれを汚す気はしない。「だったらやはり"RED WING"のブーツか」と考える。
坊主頭で迷彩服とブーツを身につけていると、海外では時として面倒なことに巻き込まれる。迷彩服は持ち合わせないが、僕の頭は坊主である。「だったら下半身には腰巻きでも巻くか」と考える。
腰巻きはインドではルンギー、スリランカではサロン、タイではパコマと呼ばれる。しかしカンボジアでの呼称については知らない。
きのう水上紅に手渡された「私のすばる」110号を朝の事務室で読む。「目ん霊(たま)」という詩の中の擬音に金子光晴の匂いを感じ、ふと視野を広くすると、開いている左のペイジには若いころの著者と金子光晴との記念写真があった。
金子光晴は、還暦まではいったいどうやって飯を食べていたのだろう。「どくろ杯」を出したときには80歳が近かったのではないか。そのころ僕は高校生で、金子の書いたものでは詩よりもむしろ紀行文や随筆をよく読んだ。「マレー蘭印紀行」の無茶苦茶ぶりはすさまじい。
そして僕にとっての無茶苦茶の二大聖像は、この金子光晴と、もうひとりは「青春を山に賭けて」の植村直己である。無茶苦茶も行き着くところまで行けば、それは畏敬の対象となるのだ。
所用にて午後一番に有楽町へ行き、そこから神保町へと移動する。"Computer Lib"での作業はすぐに終わるものと予想しての午後からの作業だったが、そこに付帯する業務が発生し、午後6時になってようやく同社のある三宅ビルを出る。
ちょうど1ヶ月前に入れた「多幸八」のボトルは既に飲み干されていたから、白山通りと靖国通りを渡り、ヒラダテマサヤさんとふたりで「もう満員かなぁ」と、恐る恐る「兵六」の引き戸を開けてみれば、カウンターにはちょうどふたり分の隙間があった。よってここに座り、焼売や炒豆腐にて焼酎のお湯割りを飲む。
帰り際に常連の水上紅から彼女の詩誌「私のすばる」110号をいただく。「水上紅」と呼び捨てにして敬称を付けないのは、普段よりその謦咳に接していない人に「さん」や「先生」を付けて呼ぶ趣味を僕が持たないことによる。
「私のすばる」は、酔って読んでは失礼にあたるから、有り難く拝受した後は"Gregory"のザックに丁寧に格納し、明日の朝あらためて読むこととする。
北千住21:11発の下り最終スペーシアに乗り、11時前に帰宅する。
「今日はお出かけですか」
「午前中、病院に送ってくれと言われたものですから送ってやって、本人は今ひとりで帰ってきたところなんです」
「そのシャツ、なかなかかっこいいロゴが付いてますね」
「長袖を着てこないと虫に食われて大変だよ、と言われたんですけれど、今日は暑いから半袖にしました」
このふたつの会話の前半部分は、人が僕に問いかけた、あるいは話しかけたもので、それぞれの後半部分は、それに対する僕の答えだ。読めば分かるとおり、話が全然かみ合っていない。
僕は非常に高い音、低い音、小さな音を聞く能力は持っている。しかし悲しいかな耳の解像度が低い。相手の発音がすこしでも明瞭さを欠くと中々聞き取れず、結果として会話の内容がトンチンカンになる。
「富十郎のセリフは良く聞こえるけど、團十郎は相変わらずネロネロで」と言っていた、80歳当時のおばあちゃんの耳と現在の僕の耳の性能は、ほぼ拮抗しているものと思われる。
ついこのあいだ雪かきをした、ついこのあいだまでは寒さのため夜には出歩く気がしなかった、そういう季節だったのが、いつのまにか春になっている。
歩道から一段下りたところ、つまり車道の端には特に冬に砂が溜まる。それを社員たちが集め、国道121号線向かいの駐車場の低いところへ埋める手伝いをする。
終業後、オフクロと家内と僕と、きのう帰宅した長男との4人で"Finbec Naoto"へ行く。長男と僕は酔って、いろいろな話をする。酔って話したほとんどのことは、その場かぎりで忘れてしまう。覚えているのは内田百閒が牛肉を評価する際に用いた6つの定点のこと、もうひとつは同じレシピで作るカクテルが、なぜそれを作るバーテンダーにより味を激変させるか、ということだけだ。
長男は先日、神保町では三省堂地下のビヤホールでビールを飲み、連雀町の「まつや」に移動したらこれが夜なのに行列の盛況だったため、その裏の「藪」に入って蕎麦味噌で菊正宗の燗酒を飲んだ。何本飲んだかは知らないが何となく閉店の近づいた気配が見え始めたため、かけ蕎麦を注文した。小川町から今度は聖橋を経由して湯島天神下まで歩き、締めに"EST"でドライマーティニを飲んだという。
僕の好きなロブロイはオールドパーベースのオンザロックスでレッドチェリーを1発、というものだ。"LUPIN"にむかしいたメガネのバーテンダーによるその味は、レシピを同じくしても他の店では出せない。他の店はおろか"LUPIN"の今のバーテンダーにも出せない。
長男によれば、"EST"のドライマーティニはなぜか美味いという。あの店では僕はいまだドライマーティニを飲んだことがない。よって近いうちに行ってこれを飲もうと思う。
きのう朝日新聞の「天声人語」を読んでいて、思わず「あ、カワカミカンちゃん」と声が出た。
アメリカ初のスポーツカーとして"GM"が1954年に発表した"Chevrolet Corvette"について、川上完が「名車たちの伝記」に「間違いなくアメリカの青春そのものであったのだ」と書いた一節を担当者は引用し、これを以て、半世紀前のアメリカ経済の若々しさを表現していた。
10歳も年上の人を捕まえて「ちゃん付け」は失礼と思うが、川上完ちゃんは僕の好きな人のひとりだ。売れていないわけではないが門外漢にはちっとも有名でない自動車評論家の名を出すあたり、今の「天声人語」の担当者はかなりのクルマ好きと思われる。
僕の記憶が確かであれば、川上完ちゃんはむかし栗色の"SAAB 96"に乗っていた。助手席にはラリー用の「クルタ計算機」が装備されていた。
その"SAAB"はこの2月、"GM"の傘下にあって初の破綻会社となった。世の中に余裕がなければ、面白いクルマは生き延びられないのだ。
アンザイさんの山小屋に呼ばれると嬉しい。そこは適度に狭く、暖かく、炭火の香りに満ち、囲炉裏では深山の川魚や鳥の肉が焼かれ、貴重な骨董品がさりげなくあり、カラオケはしっかり作動するという、つまりコンラン卿による写真集"small spaces"に掲載されても一向におかしくない、素晴らしい空間だ。
今夜はその山小屋に春日町1丁目の役員が集まり、先日の飛騨高山旅行の反省会をする。あれこれの食べ物は美味く、酒は温かく、土手のすぐ下を東武日光線の列車が通れば線路の音が郷愁を誘って、この上なく楽しい。
「アンザイさん、ここ、アンザイさんだけの飲み場所にしてたら勿体ないですよね」
「酒を1杯350円にすれば、客は確実に来るべな」
「で、食べ物はなにをいくら食べても700円とかね」
「だけど食べ物つくるのは大変だぁ、今日もオレは真剣だったかんな」
「このうどんだって、ホンットに美味いですもんね」
「うまかんびゃー、粉の配合によ、だいぶ工夫してっかんな」
「でも、飲み屋にするには営業許可証が要るか」
「そんなの、名義だけ借りてくりゃいいんだ」
「保健所の検査が入るでしょう」
「へーきだ」
山小屋の外に設けられた、とても「へーき」とは思えない厨房に目を遣りながら、しかし今夜の飲み会はしみじみと楽しい。
「人はよ、たーだ働いて、たーだ死ぬだけじゃ、つまんねぇかんな。やっぱり楽しく生きねぇとよ」というアンザイさんの言葉を耳の奥へ残しながら、随分と暖かくなった夜気の中を帰宅する。
首から携帯用の灰皿を提げている人を見るにつけ「赤ん坊のオシャブリじゃあんめぇし」と、その姿をからかう気持ちが腹の内に起きる。
それでは首から携帯電話を提げた人についてはどうか。こちらについては、1本の電話も取り逃すことのできない重大な任務帯びた人、緊急を要する状況に四六時中ある人かも知れず、だから「ケータイ依存症」と一概に嗤うことはできない。
先日、千代田線の大手町駅プラットフォームで、首からハードカヴァーの本をぶら下げた人を目にしたときは心底うらやましかった。「そ、そんなストラップ、どこに行けば売ってるんですか」と訊きたかったが、人の通勤の邪魔をするわけにはいかないから、そのトレンチコートのオジサンを、僕は羨望のまなざしで見送るしかなかった。
それから1ヶ月、僕はとうとうウェブ上に、それらしいもの売るサイトを発見した。買うか買わないかは、よく考えて決めようと思う。
"amazon"は過去の買い物の傾向から推測して、あれやこれやの営業メイルを送って寄こす。
その薦めるところのものが「"Lee Morgan THOSE DIZZY DAYS"が出ました」とか「"Sony Stitt PEN OF QUINCY"」が出ました」とか「"Blue Mitchell BLUE SOUL+3"が出ました」というあたりであれば充分に理解もできる。しかし本日とどいた
「以前に大本幸子の『北島亭のフランス料理』をチェックされた方に、北村慶の『投資銀行が邦銀に屈した日、キャピタルゲイン時代の次に来るもの』のご案内をお送りしています」
については、何が何だか分からなかった。フランス料理屋と投資銀行のあいだに、何の関係があるというのか。
"amazon"の採用しているプログラムにこのような「揺れ」があるのは面白い。しかしよくよく考えてみれば、これは「揺れ」あるいは「齟齬」あるいは「誤差」ではなく、かなり精密に考えられた「マーケティング」なのかも知れないと考えるに至った。
その人となりからは想像もつかない趣味の持ち主が世には多く存在するというようなことを、実のところ"amazon"の「仕組み」は良く理解しているのではないか。
工場では水路の補修と高圧変電施設の検査がされている。店舗駐車場では舗装の補修が行われている。電気関係の検査に停電は付きもので、事務室ではNTTの人が、電話の交換機に発電機で電力を供給している。コンピュータのサーヴァーは停電を知らせるビープを発し続けていたが、それも30分ほどで途切れた。
窓から差し込む外光のみの薄暗い事務室に座っていると、ときおりお客様のクルマが駐車場に見え隠れする。そのたび外へ出て行って、真っ暗な店内でよろしければ買い物をしていただける旨をお伝えする。
それにしても、懐中電灯の明かりだけを頼りに8人のお客様の相手をしたときには、いくらか戸惑った。停電では無論レジも動かない。
すべての工事、すべての検査が午後3時に終えたため、戸締まりをして4階の居間へ上がる。新聞を読み、本を読み、3時間後に製造現場へ行って明日の準備をする。
社員旅行の面々は予定よりも1時間早く7時に帰社した。帰宅する彼らを見送り、ふたたび居間へ戻る。
きのうの夕刻より降り始めた雪は夜半には止み、積雪は5センチほどで収まった。
今日と明日の2日間を休業日とし、工場と店舗の清掃および設備改善工事、同時に社員旅行に充てたのは正解だった。道路に雪の残る状況では、お客様の出足にも期待はできない。
社員旅行の付き添いを僕がつとめたことは多くあるが、これについては家内の方が適任である。
僕は、旅行先がサイパンであれば、ひとりで海に行って真っ先に珊瑚で足を切ったり、ひとりでスカイダイヴィングをしたり、ひとりでプールサイドで本を読んだりしている。行き先が香港であれば、ひとりで九龍半島から香港島へ移動し、ハッピーヴァレー競馬場の先までトラムに乗って、酒を飲んでいたりする。あるいは持参したカードが期限切れで使えず、若い社員に金を借りたりする。
それに比しての家内は、バスの中で配るお菓子にくじの当たり券を仕込んだり、行った先で集合をかけ全員で遊んだり、とにかくすべての人が楽しめるよう心を配る。
というわけで今後の社員旅行においても、僕が同伴をつとめる可能性は極めて低いものと予想される。
節分ではなく雛祭りの日だったと記憶するが、僕が自由学園の東天寮にいた1970年代には毎年、高等科と中等科の住む東天寮と、高等科のみが住む新寮とのあいだで夜間に戦争ごっこがあった。
敵を叩くための刀は、新聞紙を丸めてガムテープで補強したものまでは容認されたが、僕が竹刀を持ち出したら「それはマズイ」と、上級生に止められた。
普段は念入りにワックスをかけている玄関や廊下は、池からバケツで汲み出しぶちまけた水で滑り、うっかり転倒しようものなら、それこそ滅多打ちにされた。あの、黒澤映画の撮影現場を再現したような掃討作戦は一体全体、いつごろ始まっていつごろ無くなったのだろう。
高等科3年の寮長は毎年この時期が来ると「今年もお騒がせいたしますが」と近隣の家に知らせて回り、各家々も「一年って、早いものですね」などと笑ってくれていたのだから、思えば良い時代だった。
「そのくらい、シャレの範囲内だろうが」ということが今ではなかなか通じず、世知辛い世の中になったものである。
本日は初午にて、瀧尾神社のタナカ宮司が午前10時に来てくれ、赤飯、しもつかり、清酒を供えたお稲荷さんに祝詞を奏上してくれる。水神祭、初午と、季節の神事を毎年おこなえることを有り難く思う。
「今日はチーズとワインだよね」と、きのうは3回口に出し、そのたび「今日はスズキ先生にお呼ばれでしょ」と、家内には呆れられた。僕はものごとを聞いたそばから忘れてしまうため、いちいち危なくて仕方がない。
そういうわけで今夜こそワインを飲み、しかし早々に酔っぱらって、チーズまでは手が出なかった。
今夜のスパゲティはすこし太めのため、田舎の野蛮な蕎麦をモグモグ噛んだときのような美味さがある。しかしこの麺はいただきもので、いくら気に入っても「イタリアの南の方をクルマでブワーッと走ってるとき、どこだか知らねぇ村の雑貨屋で買ったんすよ」などと言われては、2度とこれに遭遇することはできないのだ。
ウチの顧問税理士スズキトール先生の令息ハルキさんが20歳代で司法試験に合格し、今般、若干30歳にして日光市に「日光総合法律事務所」を開設した。そのお祝いが本日午後5時より行われる。
よって白いシャツに"Dominique France"の銀色のネクタイを締め、黒いスーツを着て定刻の20分前に料理屋の「三彩」へ行く。
トール先生は大きなことが好きだがハルキさんは父親に似ず大げさなことを嫌う。それが、出席者20数名のこぢんまりとした集まりとして反映されたのだろう。
日光市は栃木県の4分の1の面積を占めながら、これまで弁護士は不在の地域だった。有り難いことに事務所は開業以来、かなりの忙しさだという。
「日光総合法律事務所」の、益々の発展を祈らずにはいられない。