朝4時に起床し、事務室へ降りる。
ウェブショップ の受注を確認する。顧客へメイルを書く。きのうの日記を作成し、niftermの自動巡回を回す。
朝飯は、レタスとゆで卵のサラダ、納豆、サケの昆布巻き、叩いたハスを油揚げに包んで炊いたもの、ヒジキとニンジンの煮物、ジャコと大根おろし、メシ、豚汁。
10時すぎ、今市小学校3年生の小グループが、会社見学に来る。最深奥部の味噌蔵から店舗までを、順を追って案内する。子どもたちは、20ほどの質問を用意してきていた。その優れた内容に驚く、大抵の小学校3年生は、僕よりも頭が良いのではないかと思われる。すべての質問に答える。
年度末に必要な複数の書類を、平行して作成する。すべては、作業途中でコンピュータへ保存される。
下今市駅16:03の、上り特急スペーシアに乗る。昨年の11月から読み始めた 「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を、ようやく3分の1ほどのところまで既読とする。
北千住からの千代田線を、表参道にて半蔵門線に乗り換える。6時すぎに渋谷へ到着する。
道玄坂を上る途中に、「お仏壇のはせがわ」 がある。店の奥に、白木の神棚がいくつか置いてある。「仏壇だけじゃなくて、神様のものも売るのか」 と思い、店へ入って女店員に賽銭箱の有無を訊ねる。
ウチのお稲荷さんの賽銭箱が、一昨年の暮れに盗まれたままになっている。ちょうど良い大きさのものを選び、宅急便にて送ってくれるよう頼む。
副店長が、3階の展示室へ案内してくれる。なかなか趣味の良い作家物の仏壇があって、これが割合に安い。また、無垢の屋久杉で作った、3,000万円の仏壇なども見せてもらう。副店長の、丁寧な態度に感心をする。
更に道玄坂を上がり、交番の角を右折する。「こんな悪相では、かえって逆宣伝だろう」 と思われる選挙ポスターの貼られた建物の角を、更に右へ入る。「オレの行くべきところは、円山町じゃぁなかったよな?」 と、しばし考える。
同級生のコモトリケイ君から電話が入る。
「オレ、いまラヴホテルの真ん中にいるよ」
「オレもだよ」
「百軒店から上にあがっちゃってよー」
「いや、とりあえず道玄坂に出なくちゃダメだよ。交番の角で待ってるから」
交番にて、ハーヴェストビルの所在を訊ねる。ホテル街の細い道を、20年前とは見まがうばかりの大勢の人が歩いている。
むかし渋谷の寂しい路地がスペイン坂などと呼ばれるようになる以前、この坂の上には、「オリエント」 というラヴホテルがあった。人通りが増えるに従ってホテルは左前になったのだろう、同じ場所には、今は映画館がある。円山町の風景も、もう少し後には、まるで変わったものになるだろうか。
ナカムラサカエ君の店 "souls" にて、自由学園男子部35回生の新年会を兼ねた会議を行う。2年後に同学会本部委員を出すクラスとして、今から準備すべきことは多い。
今月9日に慈恵医大へ見舞ったハセガワヒデオ君が無事に退院し、この会へ参加できたことは慶賀の至りだ。
スパゲティのチェーン店 「ポポラマーマ」 の社長アケミツシ君は、今年の上海進出をにらみつつ、スーツの裏地に 五星紅旗と同じ色を選んでいる。
「博報堂」 のカゲヤマカズノリ君が、古いローレックスの時計をしている。それが1分遅れていることを、僕の数千円の電波時計は示している。
それにしても、高等科のころ、サッカー小僧で女の子によくもてたサカイマサキ君の腹は出すぎだ。運動か食事制限、あるいはその双方をする必要がある。「オレ、酒は飲めねぇし、メシもあんまり食わねぇんだよ」 と言いながら、ウェイトレスにコカコーラを頼んでいる。それがいけない。
金曜日の夜とあって、ナカムラサカエ君のダーツバーは、いよいよ賑わってきた。10時に散会する。
ここでまっすぐに帰れば良いようなものを、ついコモトリケイ君とタクシーに乗ってしまう。六本木の、"FIAT500" に似た名前のバーへ行く。チンコチエンテ? チンコチャンタ? 何度来ても、この店の名前を覚えることができない。
壁に、古い映画が幻灯のように映し出される。
「太陽がいっぱい?」
「そうです」
店の女の人が教えてくれる。この映画を見たことはない。それにもかかわらず言い当てられたのは、何か既視感のようなものがあったからだ。いつもの通りに、ネグロニを飲む。
やがて渋谷から、ナカムラサカエ君が来る。1時まで飲んで店を出る。
「おー、もう1軒、行こうか」
「いやぁ、オレは帰るよ」
1時まで飲んで、更に飲み続けようとする神経が分からない。
階段状の路地を抜け、溜池へ向かって坂を下る。停まっているタクシーの運転手に合図をする。ドアが開く。
「本郷、春日通り、本富士警察署」
「どうやって行くんですか?」
「とりあえず、皇居へ向かってください」
「わかりました」
最近、道を知らないタクシーの運転手が増えたように思えるが、それは気のせいだろうか。
「この先は、右ですか? 左ですか?」 目を開けると、クルマは霞ヶ関へ達している。
「右へ行ってください」
どこをどう走ったのか、ふたたび運転手に起こされると、フロントウインドウの正面に本郷消防署が見える。
「あぁ、そこを右折。次の信号を左折。東大病院へは入らずに右折。そこで結構です」
甘木庵へ帰着したのは、1時30分だった。15分後にシャワーを浴び、更にその15分後に就寝する。
朝5時に起床する。
「29日の晩から雪が降る」 という天気予報が当たったのか外れたのかを確かめるため、洗面所の窓を開ける。凍って凹凸のできた路上に、新しくフワフワの雪が積もっている。
事務室へ降り、朝のよしなしごとをする。明るくなり始めるころを見計らって外へ出る。27日の雪のような水分を多く含んだものではなく、とても軽いアスピリンスノウが、駐車場やクルマを覆っている。
雪かきという労働さえなければ、たとえ晴れていようが吹雪いていようが、白に閉ざされた冬の情景は大好きだ。タヒティへ渡る前の、ゴーギャンの暗鬱な絵を思い出す。
青い空が見える。しかしながら、山は雪雲に覆われている。雪の日は更に、続くのだろうか。
朝飯は、納豆、ツボダイの干物、サケの昆布巻き、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とヒジキとニンジンの炊き物、レタスとハムのサラダ、メシ、豆腐とミツバの味噌汁。
始業前から、雪かきを始める。仕事の準備を終えた社員も、続々と外へ出てくる。ホウキで易々と除雪のできる部分もあれば、既にして凍り付き、スコップで叩いても地面が見えてこないやっかいな場所もある。
およそ1時間を経過して、雪かきを完了する。
日中は、いろいろなところから電話がかかってくる。いろいろなところからファクシミリが入ってくる。自分のウェブペイジに、毎月1日に掲載する文章を、作成する。
「第1回・CPLユーザーカンファレンス2003」 での僕の事例発表について、メイルでその感想を送って下さった方が、複数いらっしゃる。今日は、ハガキによる感想も届いた。有り難いことだと思う。
幸いなことに、閉店まで雪のちらつくことはなかった。
明日は渋谷で飲酒の機会がある。それに備えて今夜は禁酒とし、カスピ海ヨーグルトとイチゴとバナナを摂取する。
8時30分に入浴して床に就くが、なかなか眠れない。枕元の活字を読み散らかして、10時30分ごろにようやく就寝する。
気がつくと、素っ裸でベッドの中にいる。起きて時計を見ると6時だ。僕にしては、大いなる寝過ごしということになる。服を着て事務室へ降りる。
素っ裸で寝てしまう理由のひとつは、風呂上がりに汗の引かないままパジャマを着たくないためだ。もうひとつは、しかしながら、風呂から上がったらすぐに眠りたいという欲求のためだ。
6時の起床では、朝飯前にそれほど多くの仕事はできかねる。ウェブショップの注文を確認し、メイルのチェックをする。僕のメイルアドレスに直接ご注文をくださる顧客もあれば、質問や要望のたぐいも少なくない。先般の新潟旅行のときのような、メイルがサクサク繋がらない状況はとても困る。
2、3のメイルを書き、事務室を離れる。
朝飯は、牛肉と豆モヤシとニラの油炒め、サケの昆布巻き、納豆、生のトマト、タシロケンボウんちのお徳用湯波とひじきの煮物、ブロッコリーのオリーヴオイル炒め、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
テレビの天気予報では午後からの雪を伝えているが、日光の山は晴れている。山の奥の、いまは小さな雲が、そのうち空全体に広がるのだろうか。
2月19日から始まる日本橋高島屋での販売について、懸案のことがらを解決すべく、担当のオカダシゲキさんに電話を入れる。また社内の特定部署に資料を渡し、昨年と異なるところを説明する。
公の機関から、あれをしろこれをしろ○月○日までに書類を提出しろという要請が届いている。「君が驚くような資料をバッチリ整えて持参するから、安心して待っててね」 と伝えたいが、それも面倒なので、気持ちの中にのみ留めておく。
今月は後半に至って、本酒会の旅行など、飲酒の機会が多かった。晩飯の代わりに、カスピ海ヨーグルトとイチゴを摂取する。ちなみに明日も、僕は酒は飲まない。
8時30分に入浴し、「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を読みつつ、9時すぎに就寝する。
4時45分に目が覚める。5時に起床する。洗面を済ませ、コンピュータを起動する。
メイラーを回し、ウェブショップの注文を確認する。顧客からの問い合わせについては、会社のpatioへ指示書を掲載する。きのうの日記を作成し、2、3のメイルを書く。
新潟では、DoCoMoのカードや公衆電話からの通信が渋く、大いに困るところがあった。甘木庵のアナログ回線からは、日記は問題なくサーヴァーに転送された。2月下旬の長い出張に備えて、外からのアクセスには万全を期したい。
熱いシャワーを浴び、6時40分に玄関を出る。いまだ空は薄暗く、ライトを点灯したクルマが行き交っている。丸の内線の、本郷三丁目駅まで歩く。
7時40分に、自由学園 の正門を入る。冬の朝日が、ケヤキの大木を真横から照らしている。
自由学園では、女子部の昼食は生徒が作る。男子部の昼食は、生徒あるいは父母が作る。今日は僕の当番の日だ。男子部体操館前の霜が、少しずつ溶けていく。
白衣に着替えてミーティングを行い、8時に調理室へ入る。今日の人員は、栄養士の先生も含めて8名だ。
先ず、ホウレンソウを4センチに切るという仕事を引き受ける。4センチだか6センチだか10センチだか知らないが、これを刻んで洗い槽へ入れていく。その後は誰かが、これに適切な処理を施す。
次に、長ネギの先端と根を切る。緑の部分は別に残し、股のところは捨てる。緑の部分をみじん切りにする。どのくらいの大きさに刻んだものをみじん切りと分類するのかは知らない。
ステインレスのカゴへ山盛りにしたホウレンソウを、大鍋の熱湯に沈ませる。瞬く間に、その緑が鮮やかさを増す。これを取り出して流水で洗う。その後は誰かが、これに適切な処理を施す。
他の係によって綺麗に刻まれたニンジンを、ティルティングパンで炒める。ダイダイ色のニンジンが、徐々に透き通っていく。そこへ豆モヤシを投入する。豆モヤシの豆が、薄黄色から濃い黄色に変わっていく。
塩や砂糖、醤油や豆板醤で味付けしたニンジンと豆モヤシを、バットに取り分ける。空になったティルティングパンにごま油を敷き、今度は牛肉を投入する。やはり同じように味を付け、やはりバットに盛る。
昼までの4時間が、あっという間に過ぎる。調理室に係の生徒がなだれ込んでくる。配膳台におひつやスープ鍋やおかずを乗せ、羽仁吉一記念ホールへと運んでいく。
白衣を脱いで、当番のテイブルへ着く。生徒が盛りつけたいささか見栄えの悪いビビンバ丼を箸にて修正し、写真を撮る。家内から預かった手紙を、高等科2年の長男に渡す。
種々の報告があって、昼食が終わる。冷蔵庫の内部を消毒液で拭き、調理用のゴム長靴を洗う。
1時30分に正門を出る。西武池袋線ひばりが丘駅のプラットフォームへ降りると、僕の目の前5メートルで、池袋行き準急のドアが閉まる。8分後に来た急行へ乗る。
2時30分に、東武日光線の浅草駅へ達する。浅草駅15:00発の下り特急スペーシアに乗ろうとしていたところ、閑散期の運行はなかった。14:30発のスペーシアは出たばかりで、次の特急が出るまでには、1時間30分もの間がある。
浅草松屋5階の本売り場へ行く。新潟で買おうとして買えなかった本が、棚に5、6冊ほどもある。あればあったで、「なにもいま買わなくても」 と思い、再びエレヴェイターに乗る。
15:20発の、下りの快速に乗る。「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を読んだり眠ったりする。5時25分に帰社する。
初更7時30分に、本酒会1月例会 のため、会場の 「やぶ定」 へ行く。
準備されたお酒の中からどれを最初に飲むかを決めることは、なかなかに楽しい作業だ。今夜は盛岡のササキタガシさんから送っていただいた、「1年寝かせた喜久水酒造の
一時
」 がある。これが第1番目に飲むお酒であることに、間違いはない。
コバヤシハルオ会員が、この世界に冠たる生酒を慎重に抜栓する。ふたたび栓をして、イチモトケンイチ会長の前にトンッと置く。2003年の本酒会における最初のお酒が、この 「一時」 だ。
会長が、うやうやしく栓を抜く。激しく中身が吹き出し始める。慌てたイチモト会長が、バンドエイドを巻いた汚い指で、その噴流を押しとどめる。
本酒会では、酒飲み用の器として、猪口とコップが支給される。ほとんどの会員が、いじきたなくもコップの方へ、なみなみと 「一時」 を注ぐ。
「良い酒とは、真っ先になくなる酒だ」 とは、僕が唱えた箴言だ。村上の 「江戸庄」 にて7合の〆張鶴を消化したサイトウマサキ会員が、「一時」 の最後の一滴を集めている。
全員が記入した採点表をたずさえ、9時30分に 「やぶ定」 を出る。1ヶ月に数回は歩いている通りの奥に、未知の路地を発見する。
帰宅して入浴し、10時すぎにに就寝する。
目が覚めても暖かい布団の中にいる。どれくらいのあいだ、じっとしていたかは分からない。ゆるゆると起き出して時計を見ると、いまだ4時前だった。
事務室へ降りて、コンピュータを起動する。メイラーを回して ウェブショップの注文を確認する。きのうの日記を作成した後、諸方のpatioへ2、3の返信を書く。
クルマのたてる音が、降雨を思わせる。シャッターを開けて外へ出てみると、雪が降っている。「またか」 と、少しウンザリする。この冬は雪の日がことのほか多い。
朝飯は、ホウレンソウのおひたし、タイの干物、サケの昆布巻き、ダイズとヒジキの煮物、納豆、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
開店前から雪かきを始める。そこに社員も加わる。45分ほどで、顧客用の駐車場がおおむね綺麗になる。
事務机の箱に積み重ねられた、僕の不在時に溜まった郵便物や書類に目を通す。郵便物のほとんどは、開封して中を確かめ、即、捨てる。封を開ける前に捨てるものも、少なくはない。必要な電話をし、必要なメイルを書く。
本酒会 のクワカドシュウコウ会員より、村上の 「工藤酒店」 から荷物が届いている旨の連絡が入る。自分の酒2本と、同梱してもらった 「喜っ川」 の塩引きその他を取りに行く。
空の暗さはそのままに、降り続いていた雪が雨に変わる。
家内の運転するクルマで、下今市駅まで送ってもらう。16:03の上り特急スペーシアに乗る。キヨスクで買ったトマトジュースを飲みながら、30分ほどのあいだ、届いて4週間ちかくなる年賀状に返事を書く。
あした開かれる本酒会のために、出品される日本酒9本の名前や蔵元の住所、価格と容量などを、マイツールへ打ち込む。それが済んで後に、「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を読む。
北千住から地下鉄日比谷線に乗り換え、恵比寿で地上へ出る。雨が降っている。昨年、自由学園の同級生コモトリケイ君からもらった、高そうに見えて実は安い傘を開く。タバコの火による穴が開いている。
恵比寿南2丁目の 「
軍鶏丸
」 へ入る。しばらく後に、年長の友人ハラダシュンタロウさんが来る。数十秒後に、年少の友人ハットリキョウコさんが来る。3人で会食を為す。
オンザロックスの焼酎で舌を洗う。コースの1本目はレヴァだった。その美味さに驚く。焼き鳥がひととおり出されると、次は鶏のシャブシャブとなる。皿に盛られたレヴァのうち半分ほどは、塩を振り生で食べてしまう。長ネギや焼き豆腐、肉のミンチも鍋に投入する。
上出来の料理に、開栓したばかりの焼酎が空になる。
「軍鶏丸」 を出たのは、何時ごろのことだっただろうか。カジュアルなバーへ流れ、レッドアイを2杯飲む。
ふたりの友人とは、恵比寿の駅にて別れた。銀座で丸の内線に乗り換えようと考えていたが、気がつくと築地まで乗り越している。仲御徒町で降りればそれほど傷も深くないと思い直すが、次に気がつくと、列車は入谷まで達している。2駅戻って仲御徒町にて下車する。
上野広小路、湯島天神下、湯島天神入口と歩き、0時30分に甘木庵の玄関を開ける。
シャワーを浴びる気力がない。暖房をかけパジャマを着て、そのままベッドへ入る。「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を読もうとして枕元にこれを運ぶが、即、眠りに落ちる。
覚醒して時計を見ると、いまだ3時30分だった。しばらくそのままじっとしているが、それほどの眠気はない。
バスルームの明かりを点ける。それを頼りに、サイトウマサキ会員の顔と読書灯とのあいだに、余っている枕やバスタオルを積み重ねる。「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を読み始める。
ややあって、サイトウマサキ会員が目を覚ます。
「なんだ、まだ4時にもなってねぇじゃねぇか」
「そうですね」
「明かり、消しましょうか?」 とは、言わないでおく。
1時間ほど経って少し眠くなったため、二度寝に入る。次に起きると、6時になっている。窓のカーテンを開ける。古いホテルは調度品に色の濃い木を多用しているせいか、あまり明るさは感じられない。室内灯を点ける。
きのうの日記は、きのうのうちに完成させてあった。新潟に来てから、DoCoMoのDATA/FAX CARD 9600 でも公衆電話でも、日記をサーヴァーに転送することは叶わなかった。メイルとpatioだけは読む必要があるため、DoCoMo のカードをコンピュータにセットする。
patioはNiftermの自動巡回がサクサク利いたが、メイラーのBecky!については、画像やらなにやらを貼付した重いメイルマガジンが2通も届いているため、これに阻まれて、20分も繋ぎっぱなしにしているにもかかわらず、会社アドレスあてのメイルが取り込めない。
「カンベンしてくれよ」 と思いつつ、途中で接続を切る。旅行へ出て3日目にして、ようやく空が晴れる。
引き出しからフォルダーを出して調べると、このホテルの大陸式朝飯に、2,200円の価格が付いている。昨夜 「鳥福」 から帰る途中、"Diamond Hotel" の前に、「朝食600円」 の表示があったことを思い出す。
誘い合わせて、8時に4人で外へ出る。古町の近くまで歩き、目をつけておいた600円のホットサンドとジュースとコーフィーを腹へ入れる。
チェックアウトは11時とのことだったが、10時に精算を済ませる。タクシーで新潟駅へ行き、ロッカーに荷物を預ける。各自が自由行動に移る。
僕はバスに乗って、いま来たばかりの道を引き返す。本町通り6番町のあたりを散策する。表通りへ出て、本屋で立ち読みをする。欲しい本が無いわけではないが、荷物になることを嫌って、購入を断念する。
12時に、ザックを納めたロッカー前へ集合する。駅前の、店子が虫食いのように抜けている雑居ビルの2階へ上がる。「小嶋屋」 にて、へぎ蕎麦4人前と、朝日山の生酒2本を注文する。
1時前にこれを食べ終えても、乗るべき新幹線が出るまでは、いまだ2時間ちかくの余裕がある。
再度、解散をする。僕は駅ビルの本屋へ入り、先ほど、古町の本屋で買おうとした本を探す。それが、より大きなこの店には見あたらない。よくあることだ。
レコード屋で、中古のヴィデオを売っている。金子正次主演、脚本の 「竜二」 がある。好きな映画だが、買っても見ることはしないだろう。第一、僕はヴィデオデッキの使い方を知らない。
「加島屋」 にて、鮭のトマト煮と鮭の昆布巻き、それに車麩を買う。
新潟駅14:49発の 「とき322号」 に乗る。燕三条、長岡、浦佐と、晴天を背景にして白い山々が続く。高崎へ達するまでに、年賀状の返事を23通、書く。
大宮にていったん下車し、東口の 「いづみや本店」 へ行く。ここが、今回の旅行で最後の店となる。
泡盛、ホッピー、瓶ビール、にごり酒など、各人が好みのお酒を注文する。泡盛は200円、モツ煮は150円。プレスハムの目玉焼きについては特注品のため、その価格は不明だ。
ホッピーから泡盛に替えたたコバヤシハルオ会員が、自分のコップに注がれる透明な液体を、ジーッと見ている。
「オバチャン、表面張力! もうちょっとイケルでしょう?」
「ちゃーんと入れてるよ。そう細かいこと、言いなさんな」
酒飲みは、いつどこにいても意地が汚い。それにしても、どうしてオトコは、こういう店が好きなのだろう? ヨタ話は次から次へと発生して連続し、途切れることがない。
酒の肴にもなる濃い味のラーメンにて締め、満足して店を出る。
大宮駅18:10発の 「なすの245号」 にて、18:45に宇都宮駅へ着く。宇都宮駅19:16発のJR日光線にて、19:49にJR今市駅へ着く。クワカドシュウコウ会員の奥さんが運転するクルマにて帰宅する。
8歳の次男が、「おとなの歯が1本、生えたんだよ」 と、喜んで僕に口を開けて見せる。「すごいなー、良かったねー」 と、それを褒める。
8時30分に入浴し、9時に就寝する。
同室のクワカドシュウコウ会員が、トイレに立つ音で目覚める。
「クワカドさん、今、何時ですか?」
「4時・・・5分ですね」
「起きて電気つけて、コンピュータ、バチバチいじって良いですか?」
「うーん、どうでしょうねぇ・・・」
もう一度、寝直すことにする。
眠ったり覚めたりが何度かあった後に、しっかり覚醒したため、ベッドから降りてデスクの上の時計を見に行く。6時になっている。もう起床しても大丈夫だろう。
「クワカドさん、6時です。もう起きても、大丈夫ですよね?」
「あぁ、もう大丈夫です」
きのうの日記の後半部分を仕上げる。DoCoMoのDATA/FAX CARD 9600 にて、サーヴァーにアクセスする。メイラーを回し、Niftermの自動巡回を行う。次に日記を転送しようとして、しかしこちらは失敗する。失敗の原因は、分からない。
ロビーの公衆電話にて同じく日記の更新を試みるが、こちらでも結果は芳しくない。4人で決めた朝食の時間が迫っている。接続を諦めて、コンピュータを片づける。
ヴァイキングによる朝飯は、納豆、温泉玉子、冷や奴、メンタイコ、肉団子、塩鮭、ダイコンとキュウリとニンジンの酢漬け、モヤシのおひたし、春雨サラダ、レタス、トマト、ソーセージ、メシ、何とかという海草の味噌汁。メシと味噌汁をそれぞれ1回ずつお代わりし、仕上げにコーフィーを飲む。
瀬波温泉に来て、2度目の入浴をする。きのうの午後よりも、体重が800グラム増えている。
10時にチェックアウトをする。この内容でひとり6,000円の支払いは、本当に安い。ホテルのバスにて村上駅まで送ってもらう。ロッカーに荷物を預ける。雪が激しく降っている。
タクシーにて、昨夕、再訪を約束した 「喜っ川」 へ行く。座敷の奥の作業場までを一巡し、塩引きと 「めふん」 を買う。
「喜っ川」 から小町の交差点へ向かい、右に折れる。横殴りの風雪に耐えて、ほとんど人通りのない道を南下する。1.5Kmほどを歩いて、「江戸庄」 のムロハシタダシさんに教えてもらった 「工藤酒店」 の引き戸を開ける。
店主の工藤達朗さんが我々に試飲させた酒は、およそ20種にも上っただろうか。
僕はこの店のオリジナル 「道・大吟醸」 と 「〆張鶴生絞り」 を、それぞれ1升ずつ買う。これは4人の中では最も少ない量にて、総購入額は4万5千円を超えた。これらすべてを、クワカドシュウコウ会員の家へ送る手はずを整える。
工藤酒店の若い女店員さんが、我々を工藤達朗さんお奨めのラーメン屋 「ちくに」 まで、ワゴン車にて連れて行ってくれる。
「ちくに」 には、ラーメン、大盛りラーメン、肉ラーメン、大盛り肉ラーメンの、4つのメニュしかない。僕はメニュの多い店も好きだが、メニュの少ない店は、もっと好きだ。
工藤酒店の支払いは各自が為したが、昼飯、晩飯、交通費のたぐいは、すべてコバヤシハルオ会員の持つ布袋から拠出される。大盛り肉ラーメンを注文するのが最も得ではあるが、僕は今夜の宴会を考慮し、普通のラーメンを食べる。もちろん、美味い。
寺町、小国町と歩きつつ、左右の家を見て歩く。材木屋を営むコバヤシハルオ会員が、指物師の資材置き場にて、この町の山車 「おしゃぎり」 の車輪についてのウンチクを語る。僕は、味噌醤油の 「てんや」 に積まれた醤油瓶に見入る。
村上駅に着いたのは、1時30分だった。荷物をロッカーから出しているところに、工藤酒店の "tiny" な女店員が飛び込んでくる。クワカドシュウコウ会員が4本頼んだお酒の金額を、1本分しか計算していなかったとのことで、残り3本分の代金を、詫びつつ集金して帰る。
その若い後ろ姿を見て、思わず僕の口から 「大したもんだ、しっかりして」 という言葉が漏れる。
「世の中のすべてのオンナは、オレよりもちゃんとしてるよね」 と言うと、コバヤシハルオ会員に、「ウワサワさん、自分を基準にしちゃダメですよ」 と、返される。
何年か前、ある会社の社長に 「ウチの長男は、僕よりもずっと真面目ですよ」 と言ったところが、「君よりダメでどうする?」 と、返されたことを思い出す。
村上駅13:48発の、「いなほ8号」 に乗る。「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を読むこともなく、14:35に新潟駅へ着く。
むかし本酒会の旅行では、たとえどのような経路を辿っても、最後の晩はかならず、万代口の銘酒割烹 「藤正」 にて宴を張った。ここへ来たことのないクワカドシュウコウ会員とコバヤシハルオ会員を、店の前まで案内する。
本酒会が 「藤正」 へ行かなくなった理由は、僕からすれば取るに足らない、人と人との軋轢だった。僕の基本線は 「どうでもいいじゃねぇか」 だが、そうはいかない人も、世の中には多く存在する。
タクシーにて長い万代橋を渡り、オークラホテル新潟に着く。コバヤシハルオ会員の用意したアミダクジによって、サイトウマサキ会員との同室が決まる。
クワカドシュウコウ会員は、この地に住む親戚と会うため外出をした。サイトウマサキ会員とコバヤシハルオ会員も、どこかへ消えた。僕はひとり部屋へこもり、今日の日記の前半部分を作成する。
信濃川の面に、雪が降ったり止んだりしている。
6時10分にロビーへ集合する。宴会の予約が入れてある本町通り6番町の 「鳥福」 については、サイトウマサキ会員とコバヤシハルオ会員が、散歩の途次にその場所を確認していた。
狭い階段を上がって2階の座敷へ席を占める。本酒会員から 「とりあえずビール」 の声を聞いたことは、いまだかつて無い。麒麟山 「ときかぜ」 と雪中梅の普通酒を、冷やにて注文する。
ヒラメ、フナベタ、タイ、ブリ、ニシバイガイの刺身。ギンナンのほうろく煎り、ノドグロの塩焼き、ブリ大根。最初の2種の酒を飲み干し、麒麟山 「でんから」 に変える。牛タン塩焼き、比内鶏の串焼き、初取りタケノコのつけ焼き。
「もう、食えませんよね」
「ちょっとねぇ」
「もう充分、食ったよ」
「食ったね、美味かったね」
「勘定、頼みましょうか?」
「そうだね」
4人で計1升の酒だから、きのうほどは飲んでいない。ほとんど正気のままに店を出る。古町を少し歩き、鍋茶屋の巨大な木造3階の建物などを見物して、ホテルへ帰る。
サイトウマサキ会員に続いて入浴し、10時30分に就寝する。
気がつくと、布団に潜って素っ裸で寝ている。居間の明かりが点けっぱなしになっている。自分の傍らにバスタオルのあるところから、どうにかシャワーは浴びたらしい。コンピュータの電源が入ったままになっている。メイルを取り込んだ形跡はない。
時計は5時を指している。
メイラーを回し、ウェブショップの注文を確認する。きのうの日記を作成し、諸方のpatioに少しの返信を書く。
9時すぎに甘木庵の玄関を出る。岩崎の屋敷の裏手を抜け、無縁坂を下る。強い北風にあおられて、不忍池には大きな波が立っている。池を突っ切る形で弁天堂へ通じる細い道を歩き、上野の山のふもとに達する。
JR上野駅の構内に入る。9時25分に改札口を通る。弁当売り場にて、小さなオニギリの3個セットを300円で買う。その値段の高さに驚く。こんなことなら、駅に入ったところのデリカテッセンにて、気の利いたサンドウィッチでも買えば良かったと思う。
地下深い、東北新幹線のプラットフォームへ降りる。9:42発の、「つばさ107号」 に乗る。車両が地上に出る。快晴の青い空が見える。飛鳥山の手前に、あんばいの良さそうな坂がある。こんど地図で調べてみようと考える。
宇都宮駅から、本酒会の クワカドシュウコウ会員とサイトウマサキ会員、それに コバヤシハルオ会員が乗り込んでくる。僕以外の3人は、エビスの缶ビールに続いて、八海山の生しぼり原酒を飲む。僕は旅先においては、昼酒はあまり飲まない。
車内で、ひとりあたり64,000円の旅行費用を集める。そこに、急に来られなくなったイチモトケンイチ会長の迷惑料と餞別1万数千なにがしかを加える。20数万円の大金から、僕の立て替えた切符代を取る。残金を布の袋へ入れ、今回はコバヤシハルオ会員が会計係をするよう言って渡す。
11:49に、米沢へ到着する。プラットフォームの弁当屋で、昼食を調達する。今後の支払いはすべて 「布の袋」 から支払われるため、できるだけ高い弁当を買った者勝ちとも思われるが、僕は晩飯に備え、最も少量で最も安い、すき焼き弁当を選ぶ。ちなみに米沢駅の弁当屋は、ほとんど、米沢牛をうたったもののみを置いている。
12:16発の、米坂線に乗る。2両連結のディーゼルカーだ。「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を取り出して読む。面白くないわけではないのだが、5分で眠くなる。窓外には横殴りの吹雪があり、ほとんど、眺望は利かない。
「こんなところで放り出されたら死んでしまう」 というような無人駅に、こまめに停車する。それらにくらべたらかなり大きく見える小国駅にて、3分の停車となる。列車の屋根に、雪が厚く凍りついている。
終点の坂町駅には、定刻の14:32に到着した。14:35発の羽越本線に乗り換える。「財界にいがた」 の、中吊り広告を見る。これは死に絶えた日本語における赤新聞、英語で言うところのイエロウペイパーだろうか。
14:48に、村上駅へ到着する。瀬波温泉の 「汐美荘」 から、迎えのマイクロバスが来ている。10分ほどで、日本海の怒濤を望む新しく清潔な宿に着く。
我々はここで、朝食のみを食べるビジネスプランという宿泊形態を採った。アミダクジにて、クワカドシュウコウ会員との同室が決まる。こぢんまりとしたツインの部屋へ入り、机上を片づけて、今朝から現在までの日記を作成する。
同行の3人に遅れること90分にして、露天風呂に入る。日本海の激しい風の音が、止むことなく聞こえる。
タクシーは、夕刻5時に頼んであった。これに乗り、村上市の肴町交差点にて降りる。古い商家の町並みを眺めつつ宴会の場所へおもむこうとのもくろみだったが、既にして通りは暗く、道は雪で滑り、強い風が吹きつけている。
肴町、鍛冶町、小国町、安良町、上町と、約1.5Kmを歩いて大町へ入る。
味匠 「喜っ川」 は建物も素晴らしいが、案内された奥にある、居間に面した作業場のサケにも圧倒される。閉店の6時も間近いため、明日の再訪を約して店を出る。
「喜っ川」 から小町へ向かって最初の辻を右に折れると、ムロハシタダシさんの店 「江戸庄」 は、すぐに見つかった。何年か前に見た、昭和30年代はじめのこの店の写真には、その看板に 「一寸一パイ」 とあって僕は嬉しくなったが、今ではその代わりに 「食堂」 との文字があり、これもまた潔くすがすがしい。
ムロハシタダシさんはそのむかし、ラジオ小僧だった。修業先は、秋葉原の名店 「赤津加」 だ。ムロハシタダシさんは、僕が1995年にパソコン通信を始めたときの、先生のひとりだった。僕は彼から、いろいろなことを教わった。
その人の店に、今日はようやく来ることができた。
メガニ、タラコとダイコンの和え物、クワイの素揚げとナノハナ。村上牛の刺身、クジラのハリハリ鍋。名前は忘れたが、歯ごたえの楽しい海草、タイの酒蒸し、村上牛のステーキ。
サイトウマサキ会員が、〆張鶴 「雪」 の、最後の一滴を絞り出す。以降も種類を変えて、少なくない〆張鶴を消化する。
僕はこの齢になるまで、塩引きと塩鮭を、同じものと思い込んでいた。その塩引きによる茶漬けを食べる。パリパリの鮭も美味いが、ミツバと白ゴマの風味が堪えられない。
ここで終了の予定が、ニワトリを丸ごと炊き込んだスープの中華麺になだれ込む。
僕は酒が好きだ。何種類も飲んだ〆張鶴も、それぞれが大いに好もしかった。しかしながら今夜は、料理を食べることに忙しく、酒量はおそらく3合に満たなかっただろう。
最後に、ムロハシタダシさんと記念写真を撮り、呼んでもらったタクシーにて宿へ帰る。
現在の時刻が何時かも分からないまま、手早く浴衣を着てベッドへ潜り込む。即、眠りに入る。
朝1時に起床する。早く目が覚めるということは良いことだ。着替えて即、事務室へ降りる。
今朝は忙しくなるだろうことを見越して、きのうの日記は昨夕までにかなり仕上げてあった。これを完成させる。「たまり漬を使ったメニュ」 のペイジに、顧客から送られたレシピをひとつ掲載し、日記とともにサーヴァーへ転送する。
夜中に入ったウェブショップの注文を、ざっと調べる。ブラウザから送信する 「ご注文御礼」 にひとこと付け加える必要があるものについては、これをメモにして、事務係のコマバカナエさんの机上へ置く。
ここまでの仕事を終えて時計を見ると、いまだ3時だ。
朝5時に起床する。
事務室へ降り、数日前に社会保険労務士のキミジマチョウゴさんに示唆された、辞令のフォーマットを作成する。辞令は社員ひとりひとりに手渡すもので、となれば社員の数だけ、作成と印刷を重ねることになる。できるだけ作業を楽にするため、そのフォーマットに簡単なマクロを仕込む。
山は今日も晴れている。飛行機雲を引きながら、ジェット機が北北東へ飛んでいく。
先日の日光MGで、製造係のマキシマトモカズさんに、カップ麺をもらった。マキシマトモカズさんは、社員旅行先のサイパンで金を使い果たした僕に、小銭を貸してくれたこともある。マキシマトモカズさんは、僕より20歳も年少だ。
8歳の次男が、このカップ麺を食べたがって仕方がない。今日の朝飯は、サケ、牛肉のそぼろ煮、しその実のたまり漬のおにぎりおよびこのカップ麺と定め、これを次男と分けて食べる。
カップ麺を最後に食べたのは、いつのことだろうか。あるいは10年以上も、この手のものには縁がなかったかも知れない。
朝飯の最中に、本酒会 のイチモトケンイチ会長から電話が入る。声の調子がおかしいため、会の誰かが不慮の事故で死にでもしたのかと、少し心配をする。話の内容は
「昨夕、めまいがするので病院で点滴を受けた。原因は調査中だが、医者には旅行へ行くなと言われた」
というものだった。
交通機関の切符のキャンセル、1日目と2日目の料理屋と宿の予約変更を、今日中に行う必要が生じる。それよりもなによりも、耳から勝手に入ってくるそのヨタ話を聞くともなしに聞いているだけで、面白すぎて読書が一向に進まなくなるイチモトケンイチ会長の不参加は痛い。
この旅行には必ず、いまだ6分の5ほどが未読のままになっている
朝5時に起床する。事務室へ降り、コンピュータを起動する。
ウェブショップの受注作業は、ブラウザ上で行うことが最も簡便だが、僕は、夜中に入った注文の数とその金額を調べるのみにて、それならメイラーを回し、専用のフォルダを開くだけでこと足りる。
問い合わせの届いている顧客へ返信を書く。会社のpatioにアップされた、社員たちの休暇予定を日付順に並べ、同じpatioへ送り返す。きのうの日記を作成する。
暗いうちに起き出したため、また事務室のシャッターを開けなかったため気づかなかったが、昨夜半に雪が降ったらしい。味噌蔵の向こうに、雪に覆われ、日の光を浴びた山々が見える。
朝飯は、牛肉のそぼろ煮、塩鮭、塩もみキュウリとしその実のたまり漬、叩きゴボウのゴマ和え、ポテトサラダ、ジャコと大根おろし、納豆、中華ちまき、ダイコンとミツバの味噌汁。
開店前から、店舗駐車場の雪かきを始める。雪かきとはいえ、表面が凍っただけの薄い積雪にて、社員の半数が参加したそれは、45分ほどで完了した。
しかしながら、朝の雪は大いに客足を鈍らせる。寒中見舞いの大口の発送伝票を製造現場へ回した以外は、静かな1日を送る。
初更、ブロッコリーとエリンギのオリーヴオイル焼き、チョリソーの網焼き、サケとホタテ貝とマッシュルームのスパゲティにて、"Domaine Leflaive Bourgogne Blanc 1998" を飲む。
入浴して、1982年にカルカッタの雑踏で買った1ルピーのホウロウカップに2杯の牛乳を飲み、9時に就寝する。
いまだ寝ていない家内の立てる物音で目覚める。それ以降、すこしは眠れたのか、あるいは眠れなかったかは憶えていない。起き出して時計を見ると、深夜の1時30分だった。好機到来とばかりに、そのまま服を着る。
事務室へ降り、暖房と湯沸かしとコンピュータの電源を入れる。
顧客名簿に新しい顧客を加え、重複しているものは削除し、また入力間違については極力これを発見して修正する。
この仕事は1年に4回ほど行うことにしているが、1度でも操作を誤れば、また振り出しに戻ってやり直さなくてはいけないたぐいのものだ。突然の来客や電話に作業を中断される日中に、できるものではない。
これを済ませた後に、きのうの日記を作成し、ごく短いメイルを書いて送る。いつまでも返信できないでいる長いメイルについては、これを読み直して、しかし今日もまた返信はできない。
空も明るくなり始めたころ、昨夕、「市之蔵」 にて見たウメのつぼみを思い出す。外へ出て隠居に向かう。
アスファルトに降ったミゾレは降るそばからとけたが、芝には昨夜のなごりが凍って、しばしの時を止めている。
それにしても、雪がとけるの 「とける」 には、どのような文字をあてるべきだろうか。「雪解け」 ということばもあれば、「融雪」 というものもあり、しかし固形物が液状になるときに用いられる漢字としては、「溶ける」 が正答のような気もする。
僕には、「履く」 と 「穿く」 の違いもまた、分からない。これらはいずれひとつの漢字に収斂されるか、あるいは、ひらがなでの表記にかわっていくと思われる。ここでもまた僕は 「かわる」 を変換しながら、「変わる」 にしたら良いのか、あるいは 「代わる」 なのか、それとも 「替わる」 が正しいのかと悩み、、結局は、ひらがなのままにする。
ウチの庭でも、既にしてウメは、小さなつぼみを付けていた。
広瀬淡窓の漢詩 「
桂林荘雑詠示諸生
」 にある 「
柴扉
」 のような味のあるものではなく、アルミニウムの戸を開いて、ふたたびアスファルトの地面を踏む。家々の向こうから日が昇る。
朝飯は、ダイズとシイタケとニンジンと昆布の煮物、塩もみキュウリとしその実のたまり漬、塩鮭、豆モヤシのごま油和え、納豆、叩きゴボウのゴマ和え、メシ、豆腐とミツバの味噌汁。
日中、仕事に必要な画像をコンピュータからSDカードへ移し、"JUSCO" の中にある写真屋へ現像を頼みに行く。往復5Kmの道のりだから、出来上がった写真を取りに行くときに、ふたたび5Kmを走ることになる。たかが写真の現像に10Kmの運転とはバカバカしい。
歩いて行ける商店街にも、デジタル画像の紙焼きを請け負う写真屋が開店準備中だ。早く商売を始めて欲しいと思う。
午後、「コジマ」 にて修理の終わった "FinePix 4500"、読み終えた山口瞳著 「血涙十番勝負」、日光MGの成績表、図書券、手紙などを、自由学園 の寮で暮らす長男へ宅急便で送る。
初更、卓上にて、タラやカニやホタテ貝の鍋を煮る。タラについては、ことさらにベロベロの部位のみを選び、これをポン酢ではなく、豆板醤にて食べる。田崎酒造の焼酎 「黒七夕」 と 「鬼火」 を、それぞれ生で1杯ずつ飲む。
寝入りばなに、長男から電話が入る。なかば眠っている僕では話にならない。家内が、その応対をする。
「4月はじめに行われる 婦人之友社 開業100周年祝賀コンサートへ向けて、オーケストラは合宿を行う。そのため、春休みは家に帰れないかも知れない」
というのが、その内容だった。これにて、3月に長男とパリへ行こうとしていたオフクロの計画が頓挫する。
9時に就寝する。
朝4時に起床する。
事務室へ降り、ウェブショップからの受注確認、会社のpatioへの、自分のスケデュールのアップ、短いメイルの送受信、きのうの日記の作成など、仕事というか、よしなしごとというか、そのようなことをする。
明け切らない冬の朝、山はいまだ薄暗く、家々の屋根は霜で覆われている。
朝飯は、しその実のたまり漬を混ぜ込んだ、おにぎり。この画像は後々、「たまり漬を使ったメニュ」 のペイジへ使うことになるだろう。
終業後、2月19日から始まる日本橋高島屋での販売について、出張者たちにメンバー表を手渡す。今年の会場設営は、定休日の午後にではなく、火曜日の閉店後に行われる。前半を担当する社員にとっては、長い1日になるだろう。
6時を過ぎて、「市之蔵」 へ行く。
「焼酎のお湯割り」 と伝えたはずが、届いたポットには、ウーロン茶が入っていた。これを少し注いでしまった後に、お湯を適量まで満たす。
本日の「頼まなくても出てくるもの」 の初っぱなは、舌をやけどしそうなコロッケと、ミツバのおひたしだった。「コロッケも、これくらい小さければ、晩飯のおかずにも良いな」 と思う。
ほとんど空のボトルを空け、新しい 「吉四六」 を追加する。
カウンターに、ツバキの花がある。
「これ、ツバキだっけ? 去年オレ、ツバキと何かを間違えたんだよね」
「それ、お客様が 『お正月だから松竹梅だ』 て、くださったのよ」
店主のナガモリユミコさんが説明をする。
「松竹梅? タケとウメはあるけれど、マツの代わりにツバキか」
「そう、その方、酔ってらしたし」
いくら酔ってはいても、マツとツバキの違いには気づくだろう。
頼まなくても出てきた次のものは、アサリの酒蒸し。ここで、マグロの刺身を注文する。メシ代わりの豆腐ステーキ の後は、チゲ味噌キュウリ にて、ひと息入れる。
オンザロックスよりもお湯割りの方が、飲む焼酎の量を抑えられるような気がする。それでも、何杯お代わりをしたかは憶えていない。
「オレ、もう食い物、いいからね」
「あら、いまお味噌汁、作ってるんだけど」
味噌汁くらいなら、大丈夫だ。それにしても、子どものころに 「おみおつけ」 と呼んでいたものを、今では 「お味噌汁」 と言っている。子どものころに 「おむすび」 と呼んでいたものを、今では 「おにぎり」 と言っている。家の中で使う言葉も、時の流れとともに変わっていく。
破砕米ではなく、しっかりとした全粒米による麹を使った、シジミの味噌汁を飲む。
引き戸を開けて外へ出ると、ごく弱いミゾレが降っている。そのミゾレが、街灯の電球に照らされて、キラキラと光りながら落ちてくる。そのような夜の景色を見ながら帰宅する。
入浴して、9時に就寝する。
朝4時30分に起床する。この時間に起きることができれば、後顧の憂いはない。
居間へ行くと寒い。昨夜、床暖房のスイッチを入れ忘れたようだ。これと同時に温風暖房機のスイッチを入れる。すぐには温風が出てこないことを知る。
コンピュータを起動する。メイラーを回し、ウェブショップからの受注を確認する。きのうの日記を作成し、これをサーヴァーに転送する。
浅草駅7:30発の下り特急スペーシアに乗ることも可能だが、それほど無理をすることはせず、7時すぎに甘木庵を出る。東大病院のレンガ色の壁を見上げながら、「今日は天皇の手術の日だな、無事に済めば良いな」 と思う。
いまだ光の満ちない、湯島の切り通し坂を降りる。天神下の交差点に至る手前の左側に、ラーメン 「大喜」 がある。ここは、毎年、どこかのテレビ局が行うアンケートで、東京のラーメン屋中、1位、2位の票を集める店だという。
僕がこの店に感心するのは、夜の営業を終えても、11時すぎまでは明かりが灯り、また朝7時には、既にしてスープの仕込みをする店主の姿が見られることだ。
昼時には50人ほどが行列をしているけれど、初更にはすんなりと座ることができる。ここで、求道者のような客を後目に、競馬新聞に赤鉛筆で印をつけながらラーメンを食べていたのが、本酒会のイチモトケンイチ会長だ。
浅草駅の地下道にあるとんかつ屋 「会津」 に入る。「納豆定食にポテトサラダを追加したら、健康的な朝飯になるだろうな」 と考えつつも、ベイコンエッグ定食を注文してしまう。
10時前に帰社する。
第1回・CPLユーザーカンファレンス2003 で話をするためのレジュメを、"Computer Lib" のモリアスカさんに送るべく、メイラー上で編集をする。この手のものを提出した後になって、何度も変更を申し出る悪い癖が、僕にはある。出来上がってもすぐには送信せず、2日ほどは寝かせておこうと考える。
終業後、「市之蔵」 にて、「第5回・日光MG」 の打ち上げを行う。10名用の席に21名を詰め込んで、シシャモやら鶏の唐揚げやらポテトフライやらサラダやら 刺身やら春巻きやら 牛肉のたたきやら グラタンやら 2種の鍋やら焼きおにぎりやら漬物やらフルーツやらなにやらを食べる。
1991年6月の初MGにおいて、僕の計数力は、63人中の61位だった。あとのふたりは、尻を割って途中から消えた人だ。僕はその後2年ほどを経て、ようやく数十人の中で計数力第1位を獲得するまでに至った。
それだけに、僕のこの「ことがら表彰」 への思い入れは強い。宴たけなわのころ、販売係のサイトウエリコさんに、計数力第1位の賞品を渡す。賞品は、痩せ薬だろうか?
8時前に帰宅し、入浴して9時前に就寝する。
朝6時に起床する。
事務室へ降りて、きのうの昼から夜にかけて入った、ウェブショップの注文を確認する。メイルの受信をし、きのう撮りためた画像を、"Minolta DiMAGE X" からコンピュータに取り込む。
自宅へ戻って洗面所の窓を開けると、きのうまで2泊3日を過ごした、霧降スキー場直下の 「メルモンテ日光」 が良く見える。子どものころ、家からこのスキー場までは20分で行けた気もするが、多分、記憶違いだろう。
朝飯は、ダイコンの麹漬け、炒り卵、生のトマト、グリーンアスパラガスとソーセージの油炒め、釘煮、納豆、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。
始業後、トラックから MG(マネジメントゲーム) に使った道具を降ろし、現地に置き忘れがなかったかの確認をする。マイクだけはトラックに積んだまま、レンタルしてくれた 「山栄無線」 へ返しに行く。
午後、ことし新たに組んだスケデュール管理用のマクロが上手く走らなかったところにつき、これの修正をする。12月の繁忙期に飛び込みで営業に来たため、話もできなかったコンピュータのシステム会社にメイルを送り、2月の商談を提案する。
下今市駅16:03分発の、上り特急スペーシアに乗る。車内にて、この数日間、山の上で斜め読みしていたメイルを熟読し、書けなかった返信を作成する。
今月の25日で閉店になるイタリア料理屋 "ERBA" にて、ナスと赤ピーマンのラタトゥイユ、松の実を仕込んだ豚のテリーヌ、鶏の赤ワイン煮、ペペロンチーノにて、白ワインを2杯と赤ワインを1杯、それにグラッパを1杯飲む。
7時に神保町の矢野ビルへ入り、自由学園卒業生のためのメイリングリスト "pdn"(Primary Dougakunotomo Network)の運営者会議に出席をする。
9時30分に会議を終え、神保町から駿河台下を目指して、靖国通りを歩く。知らないうちに、"Bantown Congee & Noodles" という、香港風粥麺の店ができている。「いいじゃん」 と思う。「店を出すなら、オレに言ってよ」 と思う。
香港の、玉子を練り込んだ細いシコシコ麺に感動した、製造係のフクダナオブミさんを連れてきたい気分だ。しかしながら食券販売機に貼られたラーメンの写真は、どうも日本のものと、そう変わりなくも見える。いずれにしても、1度は試してみようと考える。
駿河台下までは至らずに、狭い富士見坂を上る。中ほどで左折し、更に細い道へ踏み込む。広い道よりも路地を好むのは、日本人の習性だという。マンガの 「サザエさん」 に出てくるような昔の日本家屋を再現した、「金寿司」 がある。ここも、僕が来たい店のひとつだ。
明治大学に突き当たったところで右折し、なだらかな坂を上がる。このあたりの路地の風情には何とも言えないものがあり、僕は大好きだ。
やがて、御茶ノ水駅前に達する。ここまで来れば、甘木庵も、もう近い。そのまま歩き続ければ良いようなものを、中央線で2駅移動し、神楽坂へ至る。
東京理科大の学生が、気味の悪い色のカクテルを飲みながら騒いでいるような雑ぱくなバーへ入る。このバーを、僕は嫌いではない。オールドパーベイスのロブロイをオンザロックスで飲みながら、山口瞳著 「血涙十番勝負」 を読む。
大江戸線を使い、0時に甘木庵へ帰着する。メイルのチェックをし、シャワーを浴びて、1時ちかくに就寝する。
目が覚める。首を回して窓の方を見る。カーテンの隙間から光が漏れてくる。朝の寒さを避けるために、昨夜はカーテンをしっかりと閉めたらしい。
枕元の時計が、7時直前を指している。間もなく、セットしたアラームがなり始める。
起床して、暖房と湯沸かしとコンピュータの電源を入れる。ホテルに備え付けの 「とうがらし梅茶」 を飲みながら、きのうの日記を作成する。
MG会場へは、9時までに行くことになっている。間近に見える女峰山の写真を撮りながら、8時にレストランのある1階へ降りる。公衆電話から、メイルの送受信と日記のサーヴァーへの転送を行う。
空は青く、外には雪景色がある。レストランの天井はすべてガラス張りで、窓も広い。この施設はどこもかしこも、空の色を映す青い光に満ちている。
朝飯は、ベイコン、スクランブルドエッグ、アジの干物、ダイコンとレタスとニンジンとキャベツとキュウリとプティトマトのサラダ、納豆、メシ、ワカメとお麩とミツバの味噌汁。
MGは、研究開発の切り札が強烈に効くよう設計されている。そのため初心者ほど、研究開発の青いチップで勝負しがちになる。僕はその流れに逆らい、研究開発を持たない販売能力に特化した会社にて、第4期初をA卓で迎える。
販売係のケンモクマリさんが、C卓のそばを通りかっかった僕を呼び止める。
「会社、ここまで持ってきました」
「おー、すげぇじゃん、オレの会社より凄いよ。第5期には、A卓すか?」
どんどん育っていく人を見ることは楽しい。
育つのは、なにも若い人だけではない。製造係のアオキフミオさんも、また フクダナオブミさんもセオヨウコさんも、どんどんと実力をつけてきている。
目に見えるMGは、経理計数経営の研修だ。しかしMGは、実は人を育てる勉強だ。
僕は第4期の後半で大きなキャッシュを得、正常心を失った。持ちつけないものを持つと、人間、ろくなことはない。ついに大型機械を買う。このため、期末の資金がショートする。少なくない長期借り入れを起こしているにもかかわらず、大量の短期借り入れをする。
「日光MGの1日半を経過して、どうだったか?」 のスピーチをしながら、サンドウィッチによる昼食をとる。
自分の会社につき、自己評価と衆目評価を比較検討する、「ビジネスパワー分析」 を行った後、いよいよ最終の第5期に突入する。
A卓に居残った僕は、それまでの高価格少数販売から低価格大量販売に、戦術を切り替える。結果、参加者中で最高の売上げ1,636円を記録するが、これは、表彰につながるものではない。
最後の講義を経て、表彰式に移る。最優秀経営者賞は、自己資本496を達成したタカハシアツコさん、優秀者経営者賞は、自己資本338を達成した家内が獲得した。
第5回日光MGは、5時に終了した。みな、撤収には慣れている。またたく間に片づけを終え、5時30分にロビーへ集合する。
バスや会社のトラックにて帰宅する社員たちに先立ち、西先生ご夫妻、オカノトミエさんを三菱シャリオにお乗せして、山を下る。日光宇都宮道路を走り、6時に我が町の 「つちや支店」 へ滑り込む。
鴨せいろや蕎麦がきぜんざいなどによる夕食を済ませ、6時40分に東武日光線下今市駅へ移動する。6時52分に、無事、社外からの3人様を、プラットフォームからお見送りする。
鴨せいろを食べたとはいえ、飲み屋へ行きたい気分だ。それをこらえ、家で飲むことも我慢して、8時すぎに入浴する。
山口瞳著 「血涙十番勝負」 を読みつつ、10時ちかくになってようやく就寝する。
布団を頭からかぶった状態で目が覚める。自分がどこにいるのか分からない。よくよく考え、ここが霧降高原にある 「メルモンテ日光」 の客室であることに気づく。
枕元の時計を見ると、青い数字が4時30分を示している。大きな窓のカーテンは閉めず、暖房についても思い至らずに寝たため、部屋は寒い。
起き出して暖房のスイッチを入れ、お湯を沸かす。このホテルに備え付けの、「とうがらし梅茶」 が好きだ。それを飲みつつコンピュータを起動し、きのうの日記を作成する。
18歳で三重県海山の植林演習に参加したとき、山小屋の番人は、自由学園で10年先輩のフクザワカズオさんだった。そのフクザワさんが北海道の寧楽農場で作るベイコンの注文書をメイルにして、送信箱へ保存する。
このベイコンを炒めたときに出る肉汁を上出来のパンにダラダラッとかけて食うと、それはそれは美味い。また、このベイコンを使ったポトフも、それはそれは美味い。
そうこうするうちに、雑木林の向こうから朝日が上がる。
白いTシャツを着ると、昨年11月に行ったビンタン島のマッサージで使ったアロマオイルの香りが、まだ残っている。
モバイルデイタカードを持参できなかったため、ロビーのある3階へ行き、通信ポートを備える公衆電話にて、日記をサーヴァーへ転送し、メイルの送受信をする。
ヴァイキングによる朝飯は、カマスの干物、ベイコン、スクランブルドエッグ、ダイコンとレタスとニンジンとキャベツとキュウリとプティトマトのサラダ、納豆、メシ、ナメコとミツバの味噌汁。
やがて、第5回目の日光MGが始まる。
第1期の決算において、頭を使いすぎて鼻血を出したタカハシアキヒコ君が、鳥取県から参加してくださったオカノトミエさんの指導を受ける。会場内のあちらこちらで、教え合いの風景が見られる。教えるのは大抵が女で、教わるのは大抵が男だ。
昼飯は、高菜チャーハンと杏仁豆腐。杏仁豆腐は、昨夜の酒が過ぎてメシがのどを通らない、マキシマトモカズ君に上げる。
午後、MGは第2期、3期と、遅滞なく進む。みなの実力が上がってきているため、決算も早く終わる。
昼飯と同じく、晩飯も予定の時間を繰り上げて、会場へ運んでもらう。晩飯は、「これを肴に、燗酒飲みたいよねー」 という感じの弁当だった。
西順一郎先生による "strategy accounting" の講義を終え、第4期の経営計画を立てる。
8時前に1階のMG会場を撤収し、6階の大きな和室へ移動をする。簡単な飲み物と食べ物による交流会では、各自の近況を報告しあう。
その後、昨夜も使ったメゾネットで、交流会の二次会を行う。
既にして11時を過ぎていただろうか、今夜は風もなく穏やかな露天風呂へ入り、時計を確かめないままに就寝する。
今朝も、朝6時になってようやく目が覚める。この時間の起床では、できる仕事はたかが知れている。事務室へ降りても、ほとんどなにもしないまま7時になる。
洗面所の窓から、霧降高原を望遠する。 "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" のズームを10倍に伸ばして、今夜から2泊3日を過ごす、「メルモンテ日光」 を見る。
朝飯は、ダイコンの麹漬け、ホウレンソウのゴマ和え、大根おろしと納豆、鶏肉のテリヤキとブロッコリーのバター炒め、くぎ煮、目玉焼き、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。
午前中、昇給についての会議に出席する。これが、昼を過ぎてようやく終わる。
日光MGの後には、いつも先生やゲストの方々と、どこかで蕎麦を食べてから駅までお送りする。日光では 「魚要」 へ寄ることが多いが、当方が営業を確かめた木曜日は、あいにくと休みだという。
日光から通勤している袋詰め部門のサイトウヨシコさんに、他の蕎麦屋について訊ねると、「魚要」 の上つまり東照宮寄りに、古ぼけてくすんだ蕎麦屋があるという。その店の名前は知らない。
ホンダフィットのCDプレイヤーに、年が明けても "TAKE6" の "We wish your Merry Cristmas" を入れて回す。日光街道を北上する。
日光市役所の駐車場に車を停めて、その古ぼけてくすんだ蕎麦屋を探す。大きな四軒長屋の右端に、永年の風雨にさらされた引き戸を持つ、枯れた感じの店を発見する。看板には 「後藤」 とある。
引き戸を開ける。左に入れ込み。ふたつの座卓と、1番奥にこたつ。コンクリートの叩きに4人がけのテイブルが6卓ほど。店の中心に、太いケヤキの大黒柱。辰巳の方角を向いて、いぶしたように黒い大きな神棚。角のすり減った朱塗りの箸箱。ラーメンからカレーライスまである壁の品書き。
太田和彦の喜びそうな店だ。何を頼もうか? それはもう、カレー南蛮蕎麦をおいて、他にないだろう。
結果として、このすがれた風情の、美味い不味いを超越した名店は、やはり木曜日が定休だった。
ふたたび "We wish your Merry Cristmas" を聴きながら、日光街道を6Kmを南下して会社へ帰る。
日光MGに際して、自分の持ち物を用意する。ThinkPadのACコネクター、携帯電話にて通信をするモバイルデイタカードは、今月下旬に控えた本酒会の旅行にそなえて、既にして甘木庵へ送付済みであることに気づく。
僕には、直近のことを忘れて、それよりも先のことを行うクセがある。
夕刻5時40分、東武日光線下今市駅のプラットフォームに、西順一郎先生をお迎えする。霧降高原へ向かう途中、会社の駐車場に目をやると、誰も立ってはいない。みな既に、バスで現地へ向かったようだ。
6時15分に、メルモンテ日光へ到着する。待機していた社員たちが、僕の乗る三菱シャリオから荷物を降ろす。
6時30分から、みなでヴァイキングによる夕食をとる。7時45分から、何人が寝られるのか知らないが大きな部屋で、交流会が始まる。
MGに感応した経営者の多くは、これを自社全体にて行いたいと望むだろう。そこまでの道のりは、その会社によって近かったり、あるいは遠かったりする。日光MGも、今回で第5回目を迎える。「よくもここまで来たものだ」 と思う。
西順一郎先生が退室をされた後も、交流会は続く。サイパンで買ったホイヤーの腕時計をギラギラ光らせている製造部門のマキシマトモカズさんに時間を訊ねると、10時を過ぎたとの答えが戻る。
みなにいとまを告げ、エレヴェイターに乗って屋上の露天風呂へ行く。
日光の原野に素っ裸で放り出されたと同じことにて、とても寒い。台風並みの風で、風呂の水面に三角波が立つ。空には星が光っている。風に熱を奪われるのか、お湯の温度は低い。屋内の浴槽に入り直して、自室へ戻る。
11時に就寝する。
朝6時になって、ようやく起床する。
「バー・フロリディータ」 のフローズン・ダイキリについて、ヘミングウェイはその著書 「海流のなかの島々」 で、「飲むほどに、粉雪を蹴散らしながら氷河をスキーで滑降する心地」 と言った。
MG(マネジメントゲーム) を終えて帰宅すると、ハンターマウンテンスキー場 のてっぺんからふもとまでを、6本ほどもこなした気分になる。
朝飯は、パン、サラダ菜とトマトとブロッコリー、ノイフランクのソーセージとコーンビーフ、ミルクティー。
数日のあいだ会社を空けると、事務机にいろいろと面倒なものが積み重なっている。それらを片づけるのに半日を要する。また、持ち帰った書類を整理するにも半日かかり、夕刻になる。
7歳の次男は、今日まで3日連休だったという。きのうは我が町の沢又地区へ、正月のお飾りを田んぼで焼く 「どんどん焼き」 の見物に行ったとのことで、その日記が、宿題として机上に完成している。
一読して、そのハードボイルドさに驚く。子どもとはみな、このような文章が書けるものなのだろうか。
「凄いなぁ、おとうさんなんて、小学校1年のときには、作文、2行しか書けなかったよ」
「そう?」
「こういう日記が書ける人って、ひょっとして、天才じゃないですか?」
「まぁね」
あるいはよその子は、もっと出来の良い日記を書いているのかも知れない。
晩飯のかわりに、カスピ海ヨーグルトとバナナを摂取する。
入浴して牛乳を飲み、枕元の本を読み散らかしながら、10時に就寝する。
目が覚めてしばらくは、暖かい布団の中にいる。どれくらい時間が経ったかは知らないが、寝過ごしてもいけないと時計を見ると、5時30分になっている。
起きて洗顔をし、コンピュータを起動する。メイルのチェックをし、既にして完成しているきのうの日記をサーヴァーへ転送する。また、この数時間以内にすべきことをメモする。
木曜日からここに泊まり続けて出た洗濯物やなにやらを整理し、ひとつのザックとひとつの手提げ袋にまとめる。「時間に余裕があるため、浅草まで行ってこれらの荷物をロッカーへ格納しようか」 とも考えるが、「自身の荷物嫌いのために、無駄金を使うのはいかがなものか」 と、思いとどまる。
川本三郎著 「私の東京町歩き」 の、あとがきまでを読み終える。
8時15分に甘木庵を出る。あたりのマンションの塀に休むカラスを間近に見ながら、切り通し坂の途中に出る。
日曜日らしく、御徒町駅のプラットフォームに、人の姿はほとんどない。
山手線外回りの車内にて、3日前に買った山口瞳著 「血涙十番勝負」 を読む。「第一番 八段 二上達也」 は、団鬼六の編んだ将棋の随筆集で既に一読しているが、何度読んでも 「上手いなぁ」 と感心をする。また、書き手の、矜持と義理とのあいだで揺れる心、屈託から生まれる諧謔には、他の誰をしても表すことのできない、悲しいおかしみがある。
山本周五郎が将棋に負けると、「将棋の強いヤツに、ろくな小説書きはいない」 と言ったらしい。これを逆手にとって、すこしおかしな僕の論理で変換すれば、「MG会場へ向かいつつ山口瞳の文章を読むようなヤツに、MGの強かろうはずはない」 ということになる。
9時30分から、第4期のゲイムが始まる。きのうの第3期に最も実力のあるA卓にいた僕は、本日はB卓へ陥落してのスタートだ。後半戦でどうにか陣容を整えようとするが、次期繰り越しに懸念を残しつつ、ゲイムを終える。
「マダム石島」 の弁当を食べる。「マダム石島」 の弁当は美味い。
僕はこのままB卓へ居残りかと思っていたが、第5期では予想に反して、ふたたびA卓へ返り咲く。生き馬の目を抜く東京MGのA卓にて、何とか周囲に追随しつつ、ゲイムを終える。
MGでは、勝ち負けは問題とされないが、それでもゲイムである以上、表彰式というものがある。
2日間で5年分の経営を盤上に展開し、自己資本423を記録したイトウノゾムさんが、最優秀経営者賞の栄冠に輝く。自己資本413で惜しくも第2位になったのは、ウエキマサトさん。リスクカードの嵐をかいくぐって自己資本311を確保した カワグチヒロシさんが、第3位の表彰を受ける。
僕は、「計数力第1位」 に執念を燃やしたウエキマサトさんの後塵を拝しながら、ようやく 「ことがら表彰」 に名を連ねる。
MGでは、自己資本が高く、次期への体力を残した上位3名までが、表彰状を得る。いくら高い売上げを記録しても、いくら早く決算を完成させても、それらは表彰状の対象にはならない。
感想文を書き上げ、5時30分にMG会場を去る。大崎から山手線に乗る。きのうまでの3日間に着た、"SAINT JAMES" の木綿のセーター、"SCHIATTI" の白いシャツ、"BARBARIAN" のラグビージャージーが入った手提げ袋を、網棚に乗せる。席へ座って、ThinkPadやポケットコンピュータを入れたエディバウアーの3ウェイパックを膝に乗せる。
ポケットから 「血涙十番勝負」 を取り出して開く。
二上達也八段に負けた山口瞳は、その夜、延々と飲んで、酒場の女3人を連れて外へ出る。千葉に住む最後の女をタクシーで送り届け、運転手に 「次は国立まで」 と言って 「旦那、もう勘弁してください」 と、断られる。山口瞳はクルマを降り、千葉街道を30分歩いて、ようやく次のタクシーを拾う。
気がつくと、素っ裸でベッドに寝ている。胸にタオルを乗せているところからして、シャワーは浴びたらしい。隣室の明かりと温風暖房機が、点けっぱなしになっている。
時計の針が5時を指している。即、起床する。
洗顔をし、冷たいお茶を飲みながらコンピュータを起動する。メイルのチェックをした後、途中まで作成してあったきのうの日記を完成させる。
8時45分に甘木庵を出る。湯島の切り通し坂を下り、御徒町駅へ達する。プラットフォームに外回りの山手線が入ってくるが、大崎へ行こうとしているにもかかわらず、なぜかこれをやりすごして、次に来た京浜東北線の車両に乗り込む。
品川を過ぎたところで、次の駅が大井町であることに気づく。大井町から品川まで戻り、山手線に乗り換えて、ようやく大崎に到着する。
東京MGの会場へ入ったのは、セミナー開始の数分前だった。やがて、本年最初のMGが始まる。
本日の睡眠は4時間ほどだったが、眠くて眠くて仕方がない。眠気を飛ばそうと、第1期の決算を、可能な限り早く行ってみる。ところがこの決算のあいだにも、ナルコレプシーの患者のように、突然、眠りに落ちる。眠りながらも正しく決算のできるあたりが、このマトリックス表の優れたところだ。
第2期を無事に終了し、「マダム石島」 の弁当を食べる。「マダム石島」 の弁当は美味い。
午後、MGは第3期に突入する。44分間のゲイムを終えて、決算に入る。早々に決算書を提出し、会場内をプラプラしているところで、「小野寺税理士事務所」 のオノデラタケシさんに、助けを求められる。
資本金300円にて行うゲイムの資金繰り表にて、100円もの誤差が出ている。「大きなミスを見つけるのは簡単なんですよ」 と言う間もなく、西順一郎先生からの声が飛ぶ。
「ウワサワさん、ササキトモちゃんの決算を見てあげてください」
「あの、いま、オノデラさんの間違い探しをしているところで」
「税理士は、放っておいてもかまわん!」
会場内に、ドッと笑い声が上がる。
夕食後の 「第4期経営計画」 の前に、第3期終了時の会社盤を整える。同じ条件で始まり、同じ時間だけ経営を行っても、強い人と と 弱い人とのあいだには、その現状に、大きな乖離が発生していく。
講義は8時に終了した。その後の1時間を、会場での質素な交流会にあてる。この夜、僕にとって最も興味深いスピーチは、大学の学部長として、生徒の数を一挙に3割も増やした、クツザワタカシさんのものだった。
9時すぎにMG会場を出て、「3.5期」 と呼ばれる、居酒屋での2次会へ出席する。「今日は酒を抜こう」 と考えた僕は、フグのアラ鍋にてウーロン茶を飲むという荒技を展開する。
この近くのホテルへ泊まる人たちを残して、早めに店を出る。御徒町から湯島の切り通し坂を上がり、岩崎の屋敷裏を抜けて甘木庵に帰着する。
コンピュータを起動してメイラーを回すと、本日の夜10時43分にウェブショップへ入った注文の備考欄に、「明日、配達せよ」 との文字がある。取り急ぎ、「最も早い配達は、来週の火曜日になる」 旨の返信を送付する。
本日の日記を完成させ、シャワーを浴びて、0時30分に就寝する。
闇の中で枕元の時計を見る。4時になっている。ベッドの下に床暖房が仕込んであるため、布団の中はとても暖かい。即、起床する。
ウェブショップ からの注文調べ、メイルの送受信、きのう撮りためた画像の処理など、いつもの朝の用事を行う。
ふと気づいて、止まっている洗濯機の中を覗きに行く。シーツがクシャクシャになっている。「タオルはともかく、シーツはクリーニングに出した方が良いのだろうか?」 と考える。
定食の 「たつみ屋」 へ行く。
選んだものは、ナノハナのおひたし、ハムエッグス、ポテトサラダ、並盛りの飯、油揚げとワカメとタマネギの味噌汁。
9時を過ぎたため、ワイドスプレッドの白いシャツを着て、ハウンドトゥースのパンツを履く。赤と白の太めのニットタイを締め、紺色のブレイザーを身につける。
書類を確認して大きな封筒へ納める。こまごまとしたものは、"Eagle Creek" の袋へ入れる。
9時25分に、"ALDEN" のVチップを履いて、甘木庵を出る。岩崎の屋敷の裏を抜け、15分後に上野広小路へ至る。日本橋へは、9時50分に着いた。
高島屋での商談は、10時からの約束だ。気の短い僕が、なにもせずに10分をつぶすことは難しい。高島屋東京店のまわりを1周する。1周しても、3分しかかからない。2周する気はしない。正面入り口にそのまま立って、開店の10時を待つ。
やがて10時になる。ここで店内に入ると、あちらこちらで社員に深々と頭を下げられ、だから当方も、目的の味百選売り場へ着くまでに、30回ほども頭を下げるハメになる。10時2分まで待ってから、店の中へ足を踏み入れる。
高島屋さん側のご協力により、2月19日からの催しについては、遅滞なく打ち合わせが進み、そして終わった。心配なこともあるが、それはこれからの5週間にて、徐々に解決がなされていくだろう。
「たつみ屋」 の朝飯が効いて、昼になっても腹が減らない。甘木庵へ戻り、服を着替えて軽く掃除などをする。軽い掃除をしたくらいでは夕刻が近づかないため、明朝の繁忙を予測して、今日の日記を途中まで作成する。
3時になっても腹は満ちている。昼飯は取らないことにする。
自由学園の同学会総会の開かれる 「アラスカ」 へ向かうため、ふたたびワイドスプレッドの白いシャツを着て、ハウンドトゥースのパンツを履く。赤と白の太めのニットタイを締め、紺色のブレイザーを身につける。"ALDEN" のVチップを履いて、甘木庵を出る。
大江戸線ができる以前は、本郷三丁目から大手町を経由して竹橋に出ていた。現在の竹橋までの最も合理的な経路は、飯田橋を経由するものだ。
「アラスカ」へは、ずいぶんと早く着いた。1年先輩のウチダヒトシ君が、「ウワサワ、こっちへ来いよ」 と、皇居とは反対側の小さなスペイスに案内してくれる。パーティの酒が入らなくなることを懸念して、卓上のビールをグラスに注ぐことはしなかった。
100人強の出席者を以て、2003年の自由学園同学会総会が、9年先輩のヤノヤスヒロ先生による礼拝から始まる。その後、5つのプログラムをこなして、8時すぎから新年会に移る。
宴もたけなわのころ、長男の同級生フジオカゴウ君の父親にして9年先輩のフジオカタカミチさんが
「おー、ウワサワなら買えるだろう、奥さんの分と2枚な。昼と夜、どっちが良い?」
と、声をかけてくる。自由学園の明日館で、2月15日に開かれる 「アレクセイと泉」 の鑑賞券を買え、ということだ。この売上げ金は、自由学園に寄付される。
「フジオカさんに言われちゃしょうがねぇ」 という感じで、しかもはじめから 「2枚な」 と言われてしまえば、2枚買うしかないだろう。夜の部の券を2枚購入し、この映画の監督を務めた、16年先輩のモトハシセイイチさんと、記念写真を撮る。
「アラスカ」 のメシは美味い。東天寮で飢えた経験のあるOBは、オードブルなどには目もくれず、最初から炭水化物系の料理を皿に取る。その間隙を突いて、手長エビのオーヴン焼きやスモークトサーモンを大量に食う。
9時を回って、本日の集まりが終わる。1年先輩のイダフミオ君が、「ウワサワ、銀座に移動だ」 と言う。毎日新聞社ビルから内堀通りへ出たところで、人間が5人いることに気づく。タクシーに乗れるのは、最大で4人までだろう。
集団の最年少者として、「僕はこのまま帰ります」 と言う。イダフミオ君が 「ウラギリモノ!」 と返す。しかしながら、ひとりで銀座へ行くのは気が重い。
東西線で飯田橋へ戻る。ここで素直に大江戸線へ乗り換えれば良いものを、地上に出てしまうのが、僕のダメなところだ。
鳴子坂下からギンレイホールの裏を抜けて、神楽坂へ達する。若い人で賑わう大きめのバーに入る。賑わいの中では、ひとりひとりは目立たない。目立たないとは、遊びにおける大切な要素だ。オールドパーベイスのロブロイを、オンザロックスで2杯飲む。飲みながら、川本三郎の 「私の東京町歩き」 を読む。
「荒川を渡って路地の町へ」 の章には、重複することばが目立つ。締め切りに追われて、急いで書いたものだろうか。それでも、荒川放水路を漠然と眺める川本三郎の視線には、荷風のそれと同じものがある。
0時をすこし過ぎて、甘木庵へ帰着する。シャワーを浴び、メイルのチェックをして、1時ちかくに就寝する。
朝2時30分に起床する。
事務室へ降り、本日、"Computer Lib" にて行う ウェブショップ のメインテナンスにつき、既にして整えられた書類を読み返すなど、最後の確認をする。
メイラーを回す。顧客より届いた資料送付の要請を、会社のpatioへ転送する。ウェブショップからの注文の中で、特に助言が必要なものについては、受注係であるコマバカナエさんの机上にメモを置く。
きのうの日記を作成し、2、3の必要なメイルを書く。普段はネオプレインの袋に入れてある "Minolta DiMAGE X" を、よそ行きの 「丑や」 製皮ケイスへ納める。
家内に駅までクルマで送ってもらい、下今市駅7:03発の、上り特急スペーシアに乗る。
11月13日にシンガポールへ向かう機内で読み始め、いまだ5分の1ほどのところまでしか進んでいない 「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を開くが、すぐに眠くなる。
気がつくと、利根川の鉄橋を渡っている。次に気がつくと、北千住が迫っている。本を閉じ、下車の用意をする。
神保町の "Computer Lib" には、9時10分に到着した。手早く、あらかじめ社長のナカジママヒマヒ氏へ昨年のうちに送っておいた作業内容と、その後に僕が気づいたことのメモを元に、ウェブショップのメインテナンスを始める。
ひといき入れているときに、つい先日、"Computer Lib" から届いた社外報の内容を思い出す。
「ナカジマさん、新しいザウルスの "SL-C700"、面白いって書いてたよね?」
「凄いよ。OSがLINUXだからさー、○が○で○という風に、見え方もぜんぜん違うし」
いきなりパーパー言われても、分からないことばかりだ。
「ウワサワさん、1台在庫あるんだー。買わない?」
「ザウルス教室やってくれれば買うよ。オレ、マニュアル読むの、嫌いだからさー」
「ホームページでなにかやろうって人にはさ、これ最高だよ、やっぱ」
「うん、オレもそういう気がする」
マヒマヒ氏の "SL-C700" を借り、あちらこちらのペイジを巡回してみる。ディスプレイの解像度が高いので、小さくなった文字も、はっきりと読むことができる。このマシンの操作を習得するということで、春先の楽しみがひとつ増える。
ひととおりの作業を終え、また、改良に時間を要するものは、それが完了したときにメイルで報告を受けるということを確認し、本日の仕事を終える。
神保町の駅へ向かう道すがら、歩道へ古い文庫本を出している店がある。ふと
朝4時に起床する。
事務室へ降りてコンピュータを起動し、メイラーを回す。新春の懸賞企画 「厳冬期特別仕込み・漬け上がり感謝プレゼント」 への応募者数は、1晩でまだ数十名に留まっている。
この懸賞企画の応募フォームには、通信欄が設けられている。記されて届くさまざまな質問の中で、特に必要と思われるものについては、返信を送る。
10時すぎに瀧尾神社へ行き、タナカキヨシ宮司を迎える。10時30分より、蔵で水神祭を行う。醸造をなりわいとする家が、「良い水が得られるように」 と祈る水神祭も、いまではずいぶんとこれを省く例が多いと聞く。
家の中に、守るべき文化は多い。
冬休みで帰省した長男が、暮に木版の年賀状を作った。その余りが10枚ある。これをあした東武日光線の車内に持ち込んで、届いた年賀状への返信を書こうと考えていたが、「たかだか10枚なら、いま片づけてしまえ」 と、思い直す。
15分ほどで、その作業を終える。しかし僕あてに届いた年賀状は、全部で50通ほどはある。残りの40通については、どのようなハガキで返信すべきか、そこのところが問題だ。まさか、数年前に通天閣で買った、フグ屋のちょうちんの絵はがきでもまずかろうと考える。
旅行や移動に際して、自ら大荷物を運ぶことを厭わない人は多い。しかし僕は稀代の荷物嫌いだ。1月中に行くあちらこちらについては、その必需品をリストにしておいた。これを見ながら、甘木庵へ送るべきものの荷造りを始める。
ふと、オフクロが1990年にワールドカップの開催国だったイタリアから買ってきてくれた、ピンバッジが見あたらないことに気づく。僕はいつもこれをブレイザーの襟に付けていたし、ピンバッジの収集が趣味の、"Computer Lib" のナカジママヒマヒ社長に見せびらかして自慢をしようとも考えていたため、大いに焦燥する。
きのう、これが事務机の上にあったことは、明瞭に憶えている。すべての引き出しと、荷造り中の箱の中を調べる。どこにも無い。最後に、床へはいつくばって、キャスター付きフォルダーボックスの下に目をやる。果たしてそこに、僕の小さな愛玩品は落ちていた。
ほこりを払い、モバイルデイタカードなどを入れたネオプレインの袋へ格納してから、ブレイザーと共に荷物へ納める。
終業後、大谷川河畔の 「みとや寿司」 にて、会社の新年会を行う。乾杯の後、食べるものを食べて、飲むものを飲んで、ビンゴ大会へ進む。
ビンゴの面白さはひとえに、賞品の豪華さに依存する。"Casa Lingo" の食事券を引き当てたのは、誰だっただろうか。
カラオケの途中で中座する。僕はカラオケが好きではない。カラオケとパチンコが、長く廃れず世に存在している理由が理解できない。とはいえ、一度カラオケのマイクを握ったら離さないという性癖も、僕にはある。
人間とは、何がなんだか分からない存在だ。
8時30分に帰宅する。入浴して、9時すぎに就寝する。
朝3時30分に起床する。
事務室へ降りて、ウェブショップ のトップを書き換える。
先ず、2月下旬の高島屋東京店におけるイヴェントへのリンクを設ける。次に、新春の懸賞企画 「厳冬期特別仕込み・漬け上がり感謝プレゼント」 の情報を掲載する。
あとは、外注SEのカトーノさんと懸賞ペイジへの登録作業を行った直後に、これを更新すればよい。
7時過ぎに居間へ戻る。長男が書いた書き初め 「先憂後楽」 の向こうに、晴れた山が見える。
アリは夏の暑い日にも、冬に備えて、せっせと仕事をしました。その横でキリギリスは、歌を歌って遊んでいました。
やがて厳しい冬が来ました。アリは夏に蓄えたたくさんのごちそうを食べて、楽しく暮らしていました。
キリギリスはそのころ、ハワイで遊んでいました。
これは僕の好きな落語のまくらで、笑わせてくれたのは三遊亭楽太郎だ。
朝飯は、納豆、刺身湯波とミズナの炊き物、煮玉子、カキの佃煮、釘煮、メシ、アサリと長ネギの味噌汁。
昨年、会社がいただいたお中元の中の保存の利く物と、お歳暮にいただいたものを、できるだけ均等に分けて袋へ入れる。朝がたに、その福引きを行う。酒好きに限って、決して酒を引き当てられないあたりが面白い。
9時30分にカトーノさんが来る。懸賞企画をあちらこちらの懸賞サイトへ登録する仕事は、昨年の1月までは自分たちで行っていた。ところが、この単純な作業のあいだに僕がキーボードを操作しながら眠ってしまうため、昨秋からは 「さぶみっと」 に、これを代行してもらうようにした。
わずかな金額で、自分がすれば1時間以上もかかる入力を肩代わりしてくれる他に、上々の応募者数が約束されるこのサーヴィスを使うウェブショップは、どれくらいの数になるだろう。
登録申し込みと同時に 「公募ガイド社」 へ電話をし、「月刊プレゼントfan」 への掲載を要請する。
午後、11月と12月の繁忙期に届いたDMの中で、捨てずに乱れ箱へ置いたものを確認していく。そこにあった、自由学園で3年後輩のウメツマサノリ君が経営する 「梅津酒造」 の封筒から、「らっきょうのたまり漬」 の注文書を発見する。
大いに驚き、「今でも買ってくれる気持ちがあれば、即、出荷する」 旨の詫び状を、メイルにて送付する。
終業後、昼過ぎから宇都宮へ 「ハリーポッター」 の映画を見に行っている家内とふたりの子どもを、クルマで迎えに行く。「迎えに行く」 といえば聞こえは良いが、要は 「グリル富士のステーキが食いたい」 ということだ。
会社を出て45分後に、上野百貨店は倒産し西武百貨店は撤退した、あまり明るくもない宇都宮の中心部へクルマを乗り入れる。"PARCO" の駐車場にクルマを停め、20分後に家族と落ち合う。
「グリル富士」 よりも高いステーキ屋はたくさん知っているが、ここのステーキよりも美味いステーキを、僕は知らない。
トウモロコシとブロッコリーのバター炒め、トマトとレタスのサラダ、ボルドー産の安いワイン360cc、米の飯と共に、ミディアムレアに焼いた250gのサーロインをぺろりと平らげる。
帰途、ちかくの 「ハーゲンダッツ」 にて、週に2度の晩飯抜きが無意味になるような、アイスクリームとクレープ、それに生クリームとイチゴの盛り合わせを食べる。
帰宅して9時に入浴し、9時30分に就寝する。
今日は寝過ごして、朝6時に起床する。
遅く起きた朝には、事務室へ降りてもできることはせいぜい、ウェブショップ の受注確認と、夜中に同級生などから入った同報メイルに、短い返信を送るくらいのものだ。
朝飯は、生ワサビ、釘煮、納豆、炒り卵、津軽漬け、タシロケンボウんちの刺身湯波とミズナのおひたし、しそ巻き唐辛子、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。
むかしは新年の賑わいも15日の成人の日までは続いたが、今では繁忙も、きのうの日曜日でおしまいだろう。これから春の彼岸まで、店舗と事務室には静かな時が流れ、製造現場では厳冬期ならではの仕込みが続く。
ずいぶんと先のことや、毎年忘れずに行うべきことは、コンピュータのスケデュール管理にデイタベイス化されている。そうではない直近の義務については、机上の紙にメモをする。
そのメモに従って、あれやこれやと仕事をする。
1週間に2度酒を抜き、同時にその日の晩飯をごく軽いものにするようになったのは、昨年の5月26日からのことだろうか。同じく昨年の8月3日に、同級生のホウジョウノリコさんからカスピ海ヨーグルトの種をもらって以来、酒を抜く日の晩には、このヨーグルトを食べ続けてきた。
それもこれも、岡村病院に2週間に1度来る、いかにも栄養制限をした方が良さそうな体つきの内科の医師から、「1週間に7日間も酒を飲むってのは、立派なアル中ですよ」 と、言われたからだ。
しかし僕はいま、この太った医師に感謝をしている。「お酒ねぇ、美味しいですもんねぇ。なるべく量を減らすように、努力してみてください」 というような手ぬるい指導だったら、僕はいまでも、毎日酒を飲み続けていただろう。
酒を抜く晩にカスピ海ヨーグルトを食べるのは、ごく単純な理由によるものだ。食卓へ運ばれるものがヨーグルトではなしに、「下仁田ネギの素焼き、岩塩とオリーヴオイルかけ」 とか 「ヒラメのポアレ、ゴボウのクリームソース仕立て」 とか 「アイナメの昆布締め」 などというものだったら、どうしても酒を飲まないわけにはいかなくなる。
今夜もカスピ海ヨーグルトとフルーツにて断酒をしようとしていたところ、家内が 「きょうはもう準備をしたから、これを食べて」 と、マグロの刺身 と 比内鶏とセリの鍋 を僕に示す。
だからといって、「ふんじゃぁ今日は、酒、飲んじゃえ」 というわけにはいかない。かくして、マグロの刺身と鶏鍋を酒抜きで食べるという、いわば荒技を敢行する。
8時30分に入浴し、9時に就寝する。
朝3時に起床し、事務室へ降りる。
このところ、目の覚める時間においては、好調を保っている。好調を保っていないのが、アカギレだ。薬を塗ってバンドエイドを貼る。それが治りかかるころ、また別のところへアカギレが発生する。まるでモグラ叩きを見ているようだ。
左手の親指の爪が、先のところで肉と剥離しかかっている。これもアカギレの一種だろう。
左手の親指にバンドエイドを貼ると、"alt + tub" で頻繁にアプリケイションを切り替える操作に支障を来す。そのためずっと放置をしてきたが、爪と肉の間にカミソリを差し込んだようなキズは広がるばかりだ。
不便は承知で、ここにリップクリームを練り込み、バンドエイドを巻く。アカギレにリップクリームが効くとは、僕が発見したことだ。ただし、カカトのアカギレに使ったリップクリームに対しては、その後、唇へ用いるときに、ちょっとした逡巡が起きることは否めない。
いつもの朝の仕事をこなし、きのうの日記を作成する。
朝飯は、お雑煮。こどものころから慣れ親しんできた関東の雑煮よりも好きな、西方のスタイルのこれを食べるのも、今年はこれが最後になるだろうか。
午前中、出初め式を終えた消防の面々が、雪の舞う中を、式典会場へと移動していく。
終業後、春日町一丁目の役員と組長を集めた新年会へ出席するため、公民館へ行く。
昼過ぎからたっぷりと水を含ませた魯山人の備前大鉢に松葉を飾り、甘鯛のパリパリ焼きが盛られている。
「オレ、頭、取った!」
「オレもアタマ!」
「あ、ずるい、じゃぁ、オレはボディ」
「オレも腹んとこ、食うよ」
「ぼ、ぼ、僕、し、し、尻尾っすか?」
「甘鯛はな、尻尾んとこが、1番、うめぇんだよ」
「じゃ、じゃぁ、ど、どうして自分は、あ、頭んとこ、取ったんすか?」
「うるせぇな、てめぇは黙ってろ」
という新年会も楽しいが、発泡スティロールの皿の刺身と、夏のお祭りの残り酒による新年会も、それはそれで悪くない。
アンザイ畳屋のオヤジの挨拶により、会が始まる。
「卓ちゃん、ケータイにタケダ線香屋の番号、入ってるぅ?」
と、カミムラヒロシさんが訊く。
「うーん、入ってないですね。タケダさんなら、ダンナが来てるでしょ?」
「ちがーよ、ハクサイくらい、食いたかんべぇ」
そうこうするうちに、タケダ線香屋のミッちゃんが、ダイコンとハクサイの漬物と、甘い煮豆を差し入れに来る。
「いやっ、どうも! 噂をすれば」
「なんでぇ、どうせろくでもねぇこと、言ってたんだべ」
同じくタケダミッちゃんの手になる、コンニャクとシイタケの甘辛煮も美味い。
30分後、「満を持して」 というようなタイミングにて、鮨の大桶が運ばれてくる。
「佐渡の鮨は美味いよ。佐渡の朝鮮側。1年に3回は行くかんな。タイだけで何種類もあってよー」
と言いながらカミムラヒロシさんが、コハダを2個、キープしている。
「寿司政のシンコを食べないと、私の夏が終わらない」 と言ったのは、山口瞳だった。はしりのシンコにくらべれば、今夜のコハダは、まるでウチワのように大きい。
アンザイ畳屋のオヤジが、酌をしながら僕の隣へ座る。
「アンザイさん、腕輪の写真、撮らせてください」
「なんだ、コノヤロー、こっちも撮るか?」
ズボンのチャックを下げようとするその手を止め、丸ごと燗をつけられた一升瓶にて酌をする。
タケダミッちゃんが皮を剥いたリンゴを、際限なく食べる。今日のこの席にて、僕は1年分のリンゴを食べてしまったのではないか。
9時前に帰宅し、入浴して9時30分に就寝する。
朝3時に起床して事務室へ降りる。
3時30分から、今月の10日に日本橋高島屋の食料品部にて行うプレゼンテイション用の資料を作り始める。「ここまでするヤツはいねぇよ」 といえるだけのものを、 マイツール を使って、ごく短い時間で完成させる。
これを、イヴェントの責任者と現場担当者、それに僕の分も含めて、計3部のファイルに整える。
別途、昨年の同イヴェントにて気のついた点、顧客からの要望、社員による提案、成功したこと、失敗したことなどをまとめたデイタベイスを眺め、ことしの対策を立てる。
6時30分に息抜きのため外へ出ると、雪の後に降った雨が凍結し、地面は硬い氷で覆われていた。交差点を曲がるすべてのクルマが、歩くような速度で過ぎていく。
転倒に注意しながら歩いてみると、水たまりに氷の張った場所がいくつもできている。その上に乗ると、まるで焼きプリンのように、表面の一部だけがガサリと崩れる。
山は晴れた。10時になれば、道の氷も溶けるだろう。
午前中、タシロケンボウの父親のタシロマナブ君から、刺身湯波を16本も、いただいてしまう。家の中のあちらこちらに、これを配って歩く。
午後、6日が仕事始めの銀座のお得意さまへお送りするため、日光の 「晃麓わさび園」 に、生ワサビとわさび漬けを買いに行く。帰途、タシロケンボウの家へ寄り、巻き湯波を買う。
僕が最も好きなのは、巻き湯波を作る課程で規格落ちになるらしい不揃いな 「お徳用湯波」 だが、まさか銀座の料理屋に、これを上げるわけにもいかない。
湯波は寒いところへ置き、生ワサビは半紙で巻いた後に濡れた新聞紙で包み、あしたの出荷まで保存する。
夕刻、自宅へ戻る。自由学園へ通っているころに買って、今はすり切れ放題の、赤と青のタッターソールのボタンダウンシャツを着る。生成のリーヴァイスとグレイの靴下を履き、紺色のティロリアンジャケットを着る。
オフクロが、エールフランスの客室乗務員からもらった、あるいは借りっぱなしになっている、機内用の赤いブランケットを首に巻く。薄茶色のスウェイドのブーツを履く。白のホンダフィットに乗る。
鬼怒川温泉駅まで走り、鎌倉の家内の実家から下今市駅を乗り越して帰ってきた家族を迎える。
昼前に予約を済ませておいたイタリア料理屋 "Trattoria CAMINO" へ行く。
ブリのカルパッチョ、ピッツァマルゲリータ、モツァレラチーズとチコリのサラダ、ヤリイカのフリット、玉子入りニンニクスープ。ジャコとホウレンソウのスパゲティを食べた後のソースに、パンをひたして食べる。
僕は、牛と羊、タマネギとピーマンを交互に串刺しにしたブロシェットとグラッパにて締める。家内と長男と次男は、なにかお菓子を食べる。
この店は山の中にあるにもかかわらず、海の魚も十分に美味い。瑕僅は、1年以上も更新しないウェブペイジだ。
ホテルハーヴェスト鬼怒川における、「原田俊太郎五重奏団」 の新年ライヴに、かろうじて滑り込む。
大いに気に入って、CD "tiny pocket" を1ヶ月も聴き続けた次男が、このアルバムのリーダー堤智恵子を目の前にして緊張している。
気合いの入った演奏を5曲ほども聴き、原田さんのリーダーアルバム
朝、3時30分に起床する。
事務室へ降り、ウェブショップ の受注を確認する。メイルによる年賀状をよこしている人がいる。それに返信を送る。きのうの日記を作成し、サーヴァーに転送する。
初売り2日目としては上々の天気の下に、店を開ける。
2月下旬の高島屋東京店における仕事については、いまから入念に準備をする必要がある。あるいは、その必要はないのかも知れないが、根が段取り好きのため、いそいそと過去3年間のミックス表を、コンピュータのディスプレイに呼び出す。
段取り好きにしては、ほんの数分にて、強気のアイテム別販売予想数量を算出する。
毎日、当方の蔵から送り出す商品については、納品予定数量の累計から販売予想数量の累計を減算し、在庫切れを避けつつ、できるだけ新鮮な商品を販売できるよう、その数を予測する。
初荷は1月4日だが、「どうしてもそれ以前に商品が必要だ」 という顧客のために、午後、荷造りをする。
店舗へ行き、包装現場へ行き、駐車場を回り、製造現場へ行く。
夕刻、暗くなった空から雪が落ちてくる。今日は横浜でも東京でも雪がちらついている。日光地方に降雪がなかったら、それは不自然というものだ。
初更、雪の量は見る間に増して、店舗の大屋根や街を白く埋め尽くしていく。
牛乳を1リットルばかり温める。3種類のお菓子を食べながら、それを飲む。
8時30分に入浴する。飲酒を為さなくても、時が至れば眠くなるのは有り難い。9時に就寝する。
朝4時に起床する。
外を走るクルマの音から、積雪の気配を感じる。洗面所の窓を開けて、街灯に照らされた地面を見る。きのうの朝よりも少し多めの雪が積もっている。
事務室へ降り、ウェブショップ の受注確認、2、3のメイルへの返信、きのうの日記の作成を行う。
6時すぎにシャッターを開けると、これからスキーへ行く人が、店舗の駐車場でタイヤにチェインをつけている。
「どちらでスキーをされるんですか?」
「ハンターマウンテンです」
「あぁ、良いスキー場ですね。これから10キロくらい行くと、雪がガサッと増えますよ」
「えっ? このチェーンで、大丈夫でしょうか?」
雪道から転落しているクルマの多くは、性能を過信した四輪駆動車だ。おっかなびっくり雪道を走る人は、そう大した事故は起こさない。
7時前に自宅へ戻る。里ちかくの山は晴れているが、日光の山は雪雲の中にある。
おせち料理の重箱からなにやかやとつまみだし、「千福」 の大吟醸を飲む。雑煮を食べつつ、更に千福を飲み進む。あまり飲むと仕事に差し障りが出るため、適当なところで切り上げる。
7時45分に、オートバイに乗ったカワムラコウセン先生が来る。師走の30日に下準備をした生け花にユリを投げ込んで、最後の仕上げとする。
出勤した社員から順に、外へ雪をかきに出ていく。2003年の仕事が除雪から始まるとは、予想もしなかったことだ。
今年の最初のお客様は、「いいかな?」 と慣れた風情で僕に声をおかけになった、男性の二人組だった。「脇からすいません」 と答えつつ事務室から店へ請じ入れ、かなり多くのお買い上げをいただく。
決められた時間の10分前に店を開ける。やがて気温も上がり、10時を過ぎるころには、ずいぶんと客足が繁くなる。
昨年の11月、一緒にシンガポールMGへ参加したナカニシショウイチロウさんから、速達が届く。
「1月の日光MGはちと無理だが、第1回・CPLユーザーカンファレンス2003 には行ける」 との手紙と共に、ラウパサ・フェスティヴァル・マーケットの入り口で、馬鹿げたアロハシャツを着た僕の写真が同封してある。
この大屋台街でコーリャン酒に酔い、「夜の講義には皆さん、間に合いません」 と、西順一郎先生に電話を入れたあげく、その先生の部屋で朝まで眠ってしまったのだから、僕も結構、愛嬌のある人間だ。
午後、2月下旬の高島屋東京店における出張販売に備えて、早くも準備を始める。毎日のミックス表を自動作成するマクロ、過去3年間の売れ筋から今年のアイテム別売れ数量を予想するマクロなどを、今年の販売日数にあわせて作り替える。
こういうデジタル職人的な仕事は、すべての業務の中で、僕が最も好むところのひとつだ。
終業後、タシロケンボウんちのつまみ湯波、津軽漬け、豚の角煮、タコのマリネにて、焼酎 「鬼火」 を飲む。すこし寒さを覚えたため、途中から燗をつけた「千福」 に切り替える。
8時30分に入浴し、9時に就寝する。
朝4時に起床する。洗面所の窓を開けて外を見ると、お菓子に振りかけられたパウダーシュガーほどの積雪がある。
事務室へ降り、"Think Pad s30" のトラックポイントを新品に換える。メイラーを回す。元旦の1時13分に、ウェブショップ へ注文をくださっている方がいる。
ウチは発注から24時間以内に、お客様へ、納期や合計金額、ヤマト運輸の荷札の番号をお知らせすることにしている。4時44分に、その 「ご注文御礼」 を送付する。
前々から、新年第1番目のお客様には地酒をプレゼントしようと考えてきた。「ご注文御礼」 には、それについてのひとことも添える。
それにしても、このような企画をするなら、遅くも12月のなかばまでにはトップペイジで告知をすべきだっただろう。しかしそのころはそのころで、なぜか腰が上がらなかった。
「ウェブショップに元旦プレゼントを告知」 として、スケデュール管理の12月15日に、これを入力する。
薄い雪を踏みしめ、8時すぎに家族6人で、本酒会のクワカドシュウコウ会員が住職を勤める 「如来寺」 へ墓参りに行く。
花と線香を供える。湯のみの口元までせり上がった氷を溶かして水を満たす。今のお墓、昔のお墓、親戚のお墓を巡って同じことを繰り返すため、割合に時間がかかる。
本酒会の旅行にて、列車に小さな "Vaio" を持ち込んだクワカドシュウコウ会員が、なぜかトラックポイントは使わず、ふとももの上でマウスを操作する行為をヘラヘラ眺めているのは楽だが、元旦の墓参は、それほどにも楽なものではない。
帰宅し、オフクロが作った精進のお雑煮を、仏壇、神棚、お稲荷さん、水神、地神 と上げていく。
人間が雑煮にありつけるのは、ようやく10時も近づいたころだ。
ブリ、鶏肉、京ニンジン、ドンコシイタケ、ダイコン、ゴボウ、ミズナ、丸モチなどの、アゴでダシを取った、広島か博多か、とにかくそちらの方の流れをくむ雑煮と共に、「千福」 の大吟醸を飲む。
僕はそれほどにもおせち料理を好まないが、雑煮だけでは酒肴に足りない。重箱からめぼしいものを選んで、更に 「千福」 を飲み進む。
昼ちかくなって、日光街道旧市街の東端にある、「追分地蔵尊」 へ初詣に行く。続いて、日光街道旧市街の西端にある、「瀧尾神社」 に昇殿する。最前列へ座ったにもかかわらず、祝詞奏上のあいだは、ずっと眠っている。
僕の特技のひとつは、いつでもどこでも最前列で眠れることだ。
午後、誰もいない蔵に明かりを点け、キックボードで遊ぶ次男の監督をする。更に遅い午後、長男とあした売る 「らっきょうのたまり漬」 の手入れをする。
7時に至り、本日、親戚からもらった宇都宮のフランス料理屋 「オーベルジュ」 のおせち料理を、自分の皿へ盛りつける。これがとても美味い。"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1999" を飲む。
入浴は、晩飯の前に済ませていた。枕元の本を読みつつ、9時に就寝する。