2時に目を覚まし、「新対局日誌 第一集 二人の天才棋士」 を読んで2時45分に起床する。3時前に事務室へ降り、本を読んでいるときに 「そうだ、あれ、やろう」 と思いついたことをする。そしてその結果をぺんてるサインペンの青で便せんに箇条書きし、資料と共にコピーする。そしてそれをファクシミリにて送信する。
ファクシミリの奥の方からチャイムの音が聞こえ、「この電話番号は現在、使われておりません」 のアナウンスが流れる。プッシュボタンを押す指にミスがあったらしい。あらためて正しい数字を打ち込む。僕の押し間違えた番号が 「現在、使われている」 ものだったら、午前4時にどこかの知らない人をたたき起こしていただろう。
いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、胡瓜のぬか漬、きのうのポテトサラダ、カレーライス。
「あした届く注文してて計算書もいただいてるんだけど、送り先をもう1件、増やして欲しいのよ」
「ちょっと私、自分で頼んだ到着日、忘れちゃったんだけど調べてくれる?」
「オレが去年、どんなとこにどんなもの贈ったか分かるかな?」
という、普段はあまり発生しない性質の電話がギフトのシーズンには多くかかるが、ことしはいまだその兆候が見えないと思っていたところ、今日になってザワザワと忙しくなってくる。荷造りの現場へ発送伝票を運んでいた事務係のコマバカナエさんが、地方発送の納期を延ばしてくれるよう言われて戻る。即、店舗にその旨の報せを垂らす。
街で、あるいは気軽なメシ屋で若い人を見ていると、彼らの多くは冬でも温かい飲みものは飲まない。逆に僕などは、3月に香港で張美霞さんに 「冷たくしたらねー、中国のお茶、飲んでも美容、健康、関係ありません」 と言われたからというわけでもないけれど、夏でもほとんど熱いお茶しか飲まない。油麻地の古い茶楼で飲茶をしているジイサンのように、時代遅れの蓋椀で熱いポーレイ茶を飲む。午前中に降ったりやんだりして濡れた地面を午後になって顔を出した太陽が乾かしはじめ、地表から立ち上った湯気が 「どこへ行こうか」 という風情でしばし、留まっている。
社員たちとの繁忙期前の食事会のため、閉店後に 「とんかつあづま」 へ行く。本日は隠忍自重をし、焼酎はオンザロックスではなくウーロン茶割りとする。しかしながら1対1で割ったその薄さに辟易し、すこし飲んでは焼酎を足すことを繰り返す。結局のところは自重にならない。
「乃木希典三十五歳初老のみぎり」 という一節を子供のころ目にした記憶があると、吉行淳之介がむかしどこかに書いていた。僕はその初老をはるかに過ぎた48歳だから、この店でもっとも安い串カツを食べる。若い社員とメシを共にして驚くのは、特にその摂取する炭水化物の量である。焼肉屋で大量の肉と共にどんぶり飯を食べ、最後の最後でこんどはユッケビビンバを追加するなどは日常のことにて、いったいどういう腹をしているのかと不思議に感じることもしばしばだ。
そういう腹減らしのひとりサイトウシンイチ君の注文品は 「ヒレの大」 で、火が通るまでに時間がかかっているのだろうか、僕が串カツを食い終えるころになってもいまだ席へ運ばれてこない。サイトウ君は酒も飲まないから、徹頭徹尾の隠忍自重である。
社員たちに先立ち店を出て7時30分に帰宅する。入浴して満腹にようやく牛乳200CCを飲み、8時30分に就寝する。
4時に目を覚まし、「将棋王手飛車読本」 を読み終えて5時30分に起床する。夜半からのものと思われる雨は既にして上がり、道を往くクルマの、タイヤが水を切る音のみが聞こえる。空梅雨はまずいが雨降りも好きではない。今朝のように夜だけ降ってくれれば、これは好都合である。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、大根と胡瓜のぬか漬、納豆、生のトマト、メカブの酢の物、塩鮭、メシ、ズッキーニと玉ネギの味噌汁。
久しぶりに原田俊太郎のウェブペイジへ行くと新設したウェブログへのリンクが見えて、それを辿ると6月28日の日記に 「村上春樹の辺境・近境を読んでいる」 という一節がある。その村上春樹の紀行文は "amazon" に99円の古本が出品されていた。一瞬トラックポイントを操作し、「でもなぁ」 と思い直して購入ボタンはクリックしなかった。村上春樹はあの文体がどうも自分には合わず、本屋で立ち読みをしても数行を追うのが精一杯である。
ところでハラダシュンタロウと呼び捨てにして敬称をつけないのは、何度か一緒にメシを食った程度の、あるいは会ったこともない有名人に 「さん」 や 「先生」 をつけて呼ぶ趣味が僕には無いためで、埴谷雄高や鶴見俊輔に 「先生」 をつけないこととわけは同じである。そういえば15年ほども前、1956年生まれの僕よりずっと年少にもかかわらず力道山に 「先生」 をつけて呼ぶ人と遭遇をしたことがある。しかしこのあたりまで至れば、そのクセは嫌味や気障ではなく愛嬌の部類に入るだろう。彼の言の葉には何やら、力道山に、思想的に私淑しているおもむきがあった。
と、ここまで書いて 「いったいハラダシュンタロウは有名人だろうか?」 と考える。ビリー・コブハムほどは有名でないかも知れない。
初更、次男のローマ字の宿題を督励する。教科書にはいわゆる小学校で教える表記の他にヘボン式のそれがカッコでくくってあり、どちらを使ってもかまわない旨の説明が添えてある。どうしてはじめからヘボン式一本で教育しないのか、その理由は知らない。
タコブツ、焼きピーマンの鰹節かけ、肉豆腐、モロッコ隠元のバター炒め、ポテトサラダ、ラタトゥイユにて泡盛 「時雨」 を生で2杯のみ飲む。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、
目を覚まし、「将棋王手飛車読本」 をかなり読んでから時計を見たらいまだ0時20分だった。そのうち徐々に眠気が訪れはじめたのだろう、同じ本を3行読んでは眠り、気がついて灯りを落とし、そうするとこんどは眠れずに居間の冷蔵庫から牛乳を出して飲みと、そういうことを繰り返していつの間にか二度寝に入る。5時に目を覚まして30分後に起床する。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、胡瓜と大根のぬか漬、メカブの酢の物、ラタトゥイユ、納豆、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
「作ったの、いったいいつよ?」 と訊きたくなるようなストロングスタイルの古色蒼然とした作りだけれど、その内容と書き手の上品さが偲ばれ、しばしば訪れていたウェブペイジがあった。それがウェブログになったとたん、どうも読みづらくなり、だから訪れる足も遠のきがちになったのは、やはりそのデザインに原因があるのだろう。改装したとたんに入りづらくなる店とはあるもので、これは対象がウェブペイジでも同じことである。
午後、メイルで助けを求めたところすぐに外注SEのカトーノさんがあらわれ、"Excel" や "Word"、その他からのPDFへの出力の仕方を教えてくれる。「ふんふん、なるほど」 などと先方の言うままに作業を進めるだけでは、自分はなにも覚えられないことを僕は知っている。事務机右の本棚から大学ノートを取り出し、自分用のマニュアルに新しいペイジを加える。
今夜は飲酒を為さない。7時ちかくになって、いつごろのものだろうか、高台の高さ、縁の角度ともに 「今じゃこんなの、どこにも売ってねぇぜ」 という姿の、しかし大したこともない欠け茶碗にメシを盛り、カレーライスにする。その合いの手に、胡瓜と大根のぬか漬けを食べる。合いの手といえば、会話にもっとも大切なのは合いの手あるいは相づちで、これの上手な人は、いかにも人の話を良く聴いているよう、はた目には見える。しかし、その話の内容をよく理解しているかどうかは、また別の問題である。
牛乳を200CCほども飲む。晩飯を終えてもなお西の空は明るい。7時40分、次男をホンダフィットに乗せ、東京から戻った家内を下今市駅へ迎えて帰宅する。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、「将棋王手飛車読本」 をすこし読んで9時30分に就寝する。
0時30分に目を覚まし、「純粋なるもの」 を開いて2時30分にこれを読み終える。二度寝をして6時に起床し、事務室へ降りていつものよしなしごとをする。シャッターを上げれば空には晴れの気配もないが雨を予感させる暗さもない。ことしは空梅雨だろうか、四国の方ではもう取水制限が始まったと聞く。それに反して沖縄の降水量は多かったらしい。地上20メートルほどのところにツバメが群れていくつもの螺旋模様を作っている。
7時に居間へ戻る。朝飯は、茄子とほうれん草の油炒め、メカブの酢の物、胡瓜のぬか漬、納豆、メシ、茄子と万能ネギの味噌汁。
燈刻7時より、春日町1丁目青年会の数人と連れだって町内を歩く。7月の第2週より始まる八坂祭について、回覧板の参加欄に 「出られたら出る」 などとあやふやな解答をした人、いまだその回覧板が回収できていない家を訪問し、できるだけの協力を要請する。また、本人以外でお祭りに参加できそうな人がいたら紹介して欲しい旨の案内をする。
この集団を7時25分に離れ、第145回本酒会の開かれる相生町の蕎麦屋 「やぶ定」 へ行く。
本酒会では、準備された日本酒を僕が恣意的に定めた順番により、各自が自分の器に注いで飲んでいく。すべてのお酒が一巡した後は、その中の飲みたいものを好きなだけ飲むことができる。僕が 「なんだかなぁ」 と思ったお酒でも 「いや、これが今日の1番です」 と、自らの席へ運んでもっぱら楽しむ者もいる。僕はここで 「宜皆味百」 という、おばあちゃんの居間にある篆刻の額を思い出す。
原料米が何々だとか、その精米歩合が何パーセントだとか、日本酒度がいくつだとか、酵母は何を使っているとか、杜氏が誰だとか、アミノ酸の数値がいくつだとか、酸度がどうだとか、日本酒のそういう教養部分には、僕は 「本酒会」 という長く続く利き酒会の書記を務めながら一切の関心がない。同じ容量で複数のお酒があったとき、その中でもっとも美味いお酒とは畢竟、真っ先に飲み干されてしまうお酒である。今夜のそれは 「斉藤酒造 井筒屋伊兵衛純米大吟醸 京都市伏見区横大路三栖山城屋敷町」 だった。
冷たいなめこおろし蕎麦で締め、9時前に帰宅する。入浴して牛乳を300CCほども飲み、
暗闇に目を覚まし、無為に時間をやりすごすことにも飽きたころ枕頭の灯りを点けると1時だった。「純粋なるもの」 を読み、疲れて灯りを落として休み、また灯りを点けてこれを読み、ペイジを繰る途中で眠りに落ちるということを繰り返す。3時に二度寝に入って6時に起床する。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、23日の鍋から引き上げて保存しておいたベーコン、目玉焼き、ほうれん草の油炒め、胡瓜のぬか漬、納豆、松前漬け、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。寧楽共働学舎のペーコンは、だしがらになっても美味い。
豊岡運動公園のテニスコートへ9時前に次男を送り、すぐに会社へ戻る。
夕刻6時ちかくに仕事を終え、外へ行き、6時30分に帰宅し、電子レンジで温めた餃子や、冷たい鶏の唐揚げを刻んで作ったサラダなどにてそそくさと晩飯を食う。たいしたことのないおかずでも、米のメシさえ美味ければ救われるのは僕が米食いのせいである。
7時に春日町1丁目の公民館へ行き、7月の八坂祭についての話し合いに参加をする。
帰り際、オノグチショーイチ頭担当、タノベタカオ育成会会計担当とゆるゆる歩いていると、三輪オートバイに乗るシバザキトシカズ育成会長が近づいてきて 「オレを帰さないって、そういうわけ?」 と言う。その意味するところは 「オレもみんなと一緒に飲みに行くよ」 ということだろう。会合の後などに、周囲よりも速度を落として歩く群れがあれば、それはほとんどの場合、集団から離脱して二次会へ行こうと画策している連中である。しかし僕は家に直行するつもりでいる。
「シバザキさん、今日はオレ、酒を飲まない日なんですよ」
「まーた、そんなこと」
というような会話があって、8時に帰宅する。
入浴して牛乳を1リットルほども飲み、9時に就寝する。
6時がちかくなってようやく目を覚ます。ベッドの上に薄がけもかけず素っ裸で寝ている。「目覚めが遅いのは酒のせいだろうか、あるいは疲れのせいかだろうか」 ととりあえずは考えてみるが、疲れるようなことは何もしていない。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、納豆、白菜キムチ、ピーマンと茄子の油炒め、生のトマト、松前漬け、メシ、キャベツと万能ネギの味噌汁。
きのうの夜のはなしをしているなかで 「でもオレ、風呂、入ったぜ」 と答えたら、裸でベッドへ潜り込み起こしても目を覚まさないので、はじめ家内と次男が入浴し、僕はその後に風呂へ行ったのだと教わる。
「記憶力が衰えてるんじゃない? 『脳を鍛える大人のDSトレーニング』 、やった方がいいよ」 と、次男はちゃっかり、このところ自分が欲しいゲイムソフトの名をあげて僕に注意を促す。だから 「オレはね、記憶力が衰えているんじゃないんです」 と答え、更に 「お酒は別名、きちがい水といいます。これを飲むと、人はきちがいになったり物忘れをしたりします。だから、おとなになってもお酒は飲まない方がいいですよ」 と言う。
その次男を9時前に丸山公園のテニスコートへ送り、取り急ぎ会社へ戻る。
午後、この地方に特有の激しい雷雨がある。駐車場に入ったクルマへ販売係が傘を持参し、店内へ迎え入れることをいっときのあいだ繰り返す。事務室のルーターと主なコンピュータの電源を切って歩く。ほんの数十秒だけ大きな雹が降り、しかし15分後に雨は上がった。
夕刻、南西の窓に面した次男の勉強机にて "Mouton Cadet Blanc Baron Philippe Rothschild 2002" を飲み、「純粋なるもの」 を読む。現役の棋士が同年代の棋士について述べたものとは思われないほど、島朗の文章には蒸留された客観性があって、まるで若いころの沢木耕太郎を読む気分だ。
晩飯は、ベーコンと、このちかくの農家で収穫されたズッキーニのオリーヴオイル焼き、唐辛子のスパゲティ、やはりちかくの農家から収穫されたイタリアンパセリなどと牛挽肉をトマトに詰めて煮たもの。このトマトのファルシーが本当に美味い。白ワインはボトル半分のところまで飲んでバキュバンで栓をする。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。
2時30分に目を覚まし、次は5時30分に目を覚まして起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、きのうの鍋の残り汁による玉子雑炊、白菜キムチ、キャベツと玉ネギのザワークラウト風。朝飯の後、今日のテストに備えて次男はうろ覚えだった漢字を紙へ書き、その確認をする。
午前中、所用にて宇都宮へ行き、ついでに器屋の 「たまき」 を訪ねる。クルマがいよいよ今市市の旧市街へ近づいて、印刷屋の 「成文社」 にも寄る。
いまだ明るい夕刻、あしたまでの営業になる 「市之蔵」 へ、家内と次男との3人で行く。古い土蔵を改造して10年前にできた 「市之蔵」 は飲み屋というよりも板前家庭料理というような業態で市民に愛されてきたが、店主の引退によって店を閉めると聞いて次男は 「あそこの唐揚げと鮪が美味かったんだよー」 と嘆息をした。栃木県今市市で食う鮪の刺身が美味いとは、江戸時代の目黒区鷹番で秋刀魚を食ったら美味かったというようなもので、大人の笑いを誘う言動である。
その 「市之蔵」 で次男は鶏の唐揚げとポテトチップ、鮪の刺身という、いつもと変わらない注文をする。本日の 「頼まなくても出てくるもの」 は百合根のたらこ和えだった。僕は本日の蒸し暑さにより、滅多に飲まない生ビールを背の高いグラスで1杯だけ飲み、2杯目からは預けてある芋焼酎 「黒霧島」 のオンザロックスにする。
冷やしトマト、メニュにはないプレーンオムレツ、身欠き鰊、豆腐ステーキ。次男は店主が気を遣って子供ポーションにした唐揚げとポテトチップではものたりず、更にそのおとな1人前を追加注文する。
ボトルの中身が無くなったとみて燗酒1合を求め、しかしボトルにはまだ残りがあると家内に教えられ、その双方を飲むから今夜の酒は適正な量を易々と超える。次男は1年以上もキープしていたガーリックパウダーのボトルを返却してもらい、半ズボンのポケットへ格納した。
7時45分に帰宅し、入浴して9時に就寝する。
何時に目を覚ましたのかは知らないが、しばらくして枕頭の灯りを点け時計を見ると2時40分だった。二度寝ができたのかどうかも知れないような浅い眠りを経て4時に起床する。
口が上手いのも文章が上手いのもどちらも才能と思うが口が達者な人はなぜか文に優れる人よりも低く見られる。これは論語の影響だろうか、あるいは前者の姿が後者のそれよりも軽薄に見えるせいだろうか。それと同じく、夜遅くまで仕事をする人と朝早くから仕事をする人のあいだにどのような違いがあるのかは知らないが、前者よりも後者の方が世間からは褒められることが多い。先日どこかの新聞に、朝4時に起きてウンヌンというビジネス書の宣伝があったが、新橋駅頭に終電車を求めて走っているような人は別として、僕は夜9時に寝ているのだから朝4時に起きてもこれは寝過ぎである。
いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、ほうれん草のおひたし、茄子の炒りつけ胡麻和え、胡瓜のぬか漬、納豆、メカブの酢の物、メシ、胡瓜の味噌汁。
「東天寮じゃ胡瓜の味噌汁なんか食ったからね」 というのは第二次世界大戦中に自由学園の生徒だったオヤジによる、悪い思い出のひとつだ。それを聞いているから僕も胡瓜の味噌汁などは飲めたもんじゃねぇだろうと考えて数十年が過ぎた。ところが昨年、育ちすぎの胡瓜の皮をピーラーで縞状に剥き、1ミリよりも薄い輪切りで味噌汁の具にすると美味いと町内のカミムラヒロシさんから教えられ、試してみたところこれは確かに美味かった。胡瓜の青い香りが涼を呼ぶわけだが、また味噌の美味さが引き立つという副次的な効果もあって、ウチの夏の味噌汁の、いまやこれは定番である。
朝飯のおかずのうち納豆にはネギが無く、訊くと切らしているというので代わりに玉ネギを刻んでもらう。納豆でもラーメンでも、長ネギの代わりに玉ネギを使うと、また別の美味さがあって大いに悪くない。
いきなり 「初更」 と、昼の出来事は省く。これは本来メシの日記であって仕事の日記ではないからどうということはない。先日フルートグラスを倒して割ったとき、家内に 「もう代えはない」 と言われたけれど、食器棚を覗いたらいまだ奥に3客の細長いグラスがあった。それを引き出しバキュバンで栓をしておいた、瓶の底に少しばかり残った先日のシャンペンを飲む。
寧楽共働学舎のベーコンをぶつ切りにし、ダシはそれだけでは足りないからコンソメ味の顆粒も投入した鍋でタシロケンボウんちのお徳用湯波、エノキダケ、つぶしたトマトを煮る。ここで豚の薄切り肉をしゃぶしゃぶにする。これまたバキュバンで栓をしておいた白ワインが控えていたが、なぜか 「ワインなんかやってる場合じゃねぇ」 と感じ、コンクリートに叩きつけでもしないかぎり割れないだろう酌グラスにて泡盛 「時雨」 を生で飲む。それにしてもこの鍋は美味い。
1978年のマカオグランプリの最中、セナド広場に面した中華料理屋で、蓋付きの大きな器のスープに沈みひっそりと目を閉じていた鶏の首をもぎ取り、その周辺の肉を食べたら自動車構造画のイノモトヨシヒロさんに 「それはダシですから食べない方が粋なんです」 と言われた。イノモトさんは気さくな人だから 「無粋をあえて通すと、その先に粋さが光ってきたりもするんです」 などと生意気な返答がえしをして、更に僕はその鶏肉を食べた。
そしてこの挿話は、ダシにしたベーコンを鍋の底から拾い上げ、明日のメシに備えて保存をする、その言い訳のようなものである。
極く少量の白菜キムチと塩鮭にて小さな茶碗に2杯のメシを食べる。家内と次男はサクランボを食べたが僕は見るだけで手はつけなかった。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時に就寝する。
5時15分に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、揚げた茄子とピーマン、松前漬け、生のトマト、胡瓜のぬか漬、アサリの炊き込みご飯、豆腐とオクラの味噌汁。炊き込みご飯は好きだ。しかしこれはおかずのない状況で食べてこそ美味い。揚げ茄子、揚げピーマン、こういう好物はやはり白いメシで食べたい。
きのうに続いて写真の話をすれば、いや今日は写真ではなくカメラの話で、僕は "RICOH GR1v" を持っている。生産終了後に値を上げた人気の機種で、なんとかこれを新品で買うことができて僕は良かったと思っている。しかしながらこのカメラで写真を撮って楽しいかと問われれば、別に楽しくはない。僕が "RICOH GR1v" を持っていてうれしさを感じるのは、蒐集の領域によるうれしさである。
それでは写真を撮って楽しいカメラとは何か? 僕にとってのそれは "Leica ?c" である。1949年から1950年という、第二次世界大戦による疲弊からドイツがいまだ立ち直る前に作られたこれは、メッキの質が悪く多くの部分で真鍮の下地が露出している。距離計も、もちろん露出計もなく、外付けファインダーを付けたボディはしごく軽快である。フィルムの巻き上げノブと共にチャージされたシャッター幕がレリーズボタンを押すと同時に右から左へ走る小さな振動を手に感じつつ街を歩く気分には名状しがたいものがある。
もしも未開の地にただ1台のカメラを携行するとしたら、僕はこの "Leica ?c" を選ぶだろう。
今日も郵便が届く。封筒を開けると中には
「ウワサワが週のうちサケ飲まねぇ日、作ってるみてぇによ、オレはニク食わねぇ日、作ってるんだよ」 とは2年ちかく前に同級生のサカイマサキ君から聞かされたことだ。僕はいよいよ 「サケ飲まねぇ日」 だけではなく 「ホン買わねぇ日」 も設ける必要があるかも知れない。稀覯本でもない古本だから経済的には大したこともないが、来る日も来る日も本が増え続ければ、家はそのうち古本屋のようになってしまうだろう。
初更、飲酒を為さないことを決めて食卓に着く。胡瓜とワカメの酢の物、うずら豆、キャベツと玉ネギのザワークラウト風、生のトマト、茄子の炒りつけ胡麻和え、肉じゃが、揚げ茄子、白菜キムチ、胡瓜のぬか漬、メシ。食後に生のパイナップル。
8時より事務室へ降り、Yahoo!オークションにて
目を覚ましたのは3時のころだっただろうか、とにかく4時に起床して事務室へ降りる。
銀塩カメラで撮った写真はデイタベイスに記録をする。これに検索をかけると、昨年の10月から今年の6月までに自由学園と明日館で撮った写真は249枚に上った。この249枚とは、何とか "WORKS" へ出せると思われる12枚が揃うまでに要した数字で、ずいぶんと時間を食ったものである。
明日館はフランクロイド・ライトの設計、それに隣接する講堂は弟子の遠藤新の設計、自由学園は遠藤新とその息子の遠藤楽による建物が多く、これを普通に撮ると建築写真になる。また自由学園の構内は卑近な表現を用いれば公園あるいは美術館のように美しく、だからこれを普通に撮れば 「美術品を写した写真」 になって、なにが言いたいかといえば、僕にはいわゆる 「古寺巡礼」 のような写真は撮れない。
建物をただ撮す。ひとけの無い、あるいは人がいてもまるで幻影のように存在の薄い人が建物や通りにうっすらと浮かんでいる、そういう風景をただ撮して古典になり得たのはアジェだけだろう。しかし果たしてアジェの写真が面白いか? 僕は多少なりとも面白い写真を撮りたいから、あるいはアジェのような脱力した念力は持ち合わせないから建物をただ撮すということはできない。
そんなこんなで8ヶ月を費やし249枚の写真を撮り、そこからようやくの12枚を得て "WORKS" がひとつ更新される。まったく 「馬鹿みたい」 である。
その12枚の写真をフィルムスキャナにより吸い上げ加工するのに2時間ちかくを要する。しかしここまでしておけば後はペイジの作成があるばかりで、これはキーボードと計算機のみでできるからどうということはない。そしてこれは来月の1日にサーヴァーへと転送される。
7時に居間へ上がる。朝飯は、胡瓜のぬか漬、松前漬け、メカブの酢の物、青唐辛子の炒りつけ、納豆、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
あれやこれやして燈刻、いや今日は夏至だからいまだ明るい夕刻に至る。その明るさの中で泡盛 「時雨」 のお湯割りを飲む。夏に飲む温かいお酒は大いに悪くない。蟹と胡瓜の酢の物、冷や奴、揚げ茄子、ほうれん草のおひたしにてそのお湯割りを飲む。別途、焼き鳥も食べる。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
胃の中身がいつになっても消化しない不快さを覚えて目を覚ます。閉めきった寝室の中で息苦しさを感じる。居間へ移動して窓を開け、廊下に通じるふすまも開け、その先にある洗面所の窓も開けて部屋へ風が通るようにする。その居間で横になり5時まで眠って起床する。
日光街道沿いの集積所にゴミを置きに行くと、向かいのハガエイスケさんが乳母車を押しながら玄関を出るところだった。
「それは孫ですか」
「そう。(あなたの朝の目覚めは)だいぶ早いね」
「楽しくて良いですね」
「7月のジュウシチンチまでうちにいるんだよ」
「ピシャーッとした顔して、はっきりした良い子供じゃないですか」
「いや、これでなかなかきかないんだぜ」
ハガさんの長女が南米のどこかに赴任中の人と結婚をしたことは知っていたが、子供を産んで里帰りをしたのだろう。器を持たず山にいるとき、せせらぎの水を飲もうとすれば人は自然に自分の両手で椀型を作り、ここへ水を受けようとする。赤ん坊とは、人類が両の手で作った椀型の上に眠るまさに珠玉のようなもので、僕などはそれに傷を付けてしまうことを恐れるあまり、手を触れることさえできない。息を潜め、ただ見つめるばかりである。
7時に居間へ戻る。朝飯の画像を撮ろうとして、しかし "Minolta DiMAGE X21" はバッテリー切れを起こして動かない。"DiMAGE X" も同じだったが、ミノルタの小型カメラはバッテリーの残量を示すアイコンのデザインがどうも分かりづらい。珍しくポケットに入っていた携帯電話にて朝飯の内容を記録する。
その画像とそれを元に書いた朝飯のメモは、いつの間にか紛失をしてしまった。
閉店後、社員通用門から春日町1丁目の青年会長ユザワクニヒロさんが顔を出し、夏のお祭りについての印刷物を届けてくれる。その際、当日の写真撮影を僕は頼まれたが、"Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" を故障で欠いている今、手持ちのカメラは "Minolta DiMAGE X21" のみである。
この、マップカメラの中古品に附いてきたSDカードはたかだか8メガバイトのものだから、これでは対処のしようがない。「新しいデジカメ買う気もしねぇし、容量のでけぇカード買って今回はしのぐかぁ」 と考える。"RICOH GR1" のデジタル版が出るという噂のある中で、それ以外のカメラはいかにも買いづらい。
西の空に、セザンヌの作るピンクに似た雲が出る、などと生意気なことは、セザンヌの絵を生で見たことのない僕には言う資格がない。
生のトマト、ソーセージとズッキーニのオリーヴオイル焼きがあって白ワインが飲めないのは辛い、キーマカレーとメシを食べ、ナンは見るだけで食べない。ブラックチェリーを1粒だけつまむ。
入浴して 「純粋なるもの」 をすこし読み、9時30分に就寝する。
きのうあった2度の会合で疲れたせいか、6時30分になってようやく目を覚ます。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをする間もなく居間へ戻る。朝飯は、蕪のぬか漬、唐辛子の炒りつけ、キャベツの油炒め、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能ネギの味噌汁。
きのう 「市之蔵」 での集まりに際し、店の人に飲みものを訊かれて一瞬の間をおいたら、既に飲み始めていたアイザワヒロシさんが 「ナマにしたら?」 と言葉を添えてくれた。しかしながら僕は年間を通じ、ビールよりもはるかに多くのシャンペンを飲む。と、これはいささか俗物的なレトリックで正確には、僕は年間を通じ、ビールはシャンペンよりもはるかに少ない量しか飲まない。その理由をつらつら考えれば、ビールのアルコール度数の低さを僕の舌が嫌うのだろう。
というわけで終業後、2階のワイン蔵より "A.forest et fils Brut 1987" を引き出し、居間へ運んで抜栓する。窓に面した次男の勉強机の傍らには籐椅子のような意匠の、実は紙紐を編んだ椅子があり、これに座って
鮪の刺身とベビーリーフのサラダ、ベーコンと唐辛子のスパゲティ、ラスク、ブラックチェリー。酔ってグラスを倒し、これを割る。壊したフルートグラスはふたつめで、もう代えはないと家内に言われる。
縁に付いた脂をナプキンで拭いてフランス料理屋の大きなワイングラスを割り、バーのカウンターに倒してカクテルグラスを割り、そうして僕はこれまでにたくさんのグラスをぶち割ってきたが、それらは不思議なことにどちらかといえば高級な店でのことで、やはり大衆的な店では壊れづらいガラス器を使っているのだろうか。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
5時前に目を覚まし、5時をすこし過ぎて起床する。外には濃い霧がたちこめ、街はいまだ群青色の湿り気の中に沈んでいる。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、一昨日の夕方、塩が強いためおぎりからほじくり出し別途保存しておいた塩鮭、ほうれん草の油炒め、納豆、昨夕のポテトサラダ、青唐辛子の炒りつけ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能ネギの味噌汁。
自由学園の同学会本部委員会でホームページ運営室員を務めるゴールドロベルト君は、打ち合わせのため今日は我が町へ来つつあったが、春日部から乗った東武日光線の車両がいつの間にか北千住へ着いていた、という電話が10時を過ぎたころにある。ゴールド君はつまり春日部から日光を目指すのではなく浅草へ向かってしまったわけで、しかしアイン・シュタインもこういうことはしばしばやらかしたから、恥じるほどのことではない。
11時38分にゴールド君を下今市駅頭へ迎え、とりあえずは混み合う前に昼飯をと 「報徳庵」 へ行く。アメリカの学生たちで埋まる入れ込みには、 幸いにして5分待ちで上がることができた。5合盛りの蕎麦、天ぷら、なめこおろしなどを注文し、ゴールド君には生ビールを追加する。20分後、アメリカの学生たちを引率する責任者に声をかけられ、そのウスイクニヤスさんが、ゴールド君が高等科3年生のときの普通科1年生だったとは、奇遇という他はない。
次の店で僕はドリンクバー、ゴールド君は2杯の生ビールとポテトフライをこなし、同学会ホームページにおける直近の、あるいは少なくとも1年後までの懸案についての話し合いを終える。ゴールド君は15:03発の上り特急スペーシアにて帰宅の途についた。
初更の食卓に生のトマト、ポテトと人参のチップ、ステーキとブロッコリー炒めが並ぶ。しかし夏のお祭りに関する諸々についての決めごとを春日町1丁目青年会の人たちと行うため、僕は 「市之蔵」 へ行かなくてはならない。そしてその会合は9時をすぎて無事にお開きとなった。今月23日を以て引退する店主のナガモリさんへ、我々を代表してシバザキトシカズさんが寄せ書きと感謝の札束を手渡す。
9時30分に帰宅する。入浴してなにも飲まず、10時に就寝する。
5時に目を覚まし、30分後に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、胡瓜と蕪のぬか漬、水菜の炊き物、青唐辛子の炒りつけ、昨夕、塩が強いためおぎりからほじくり出し別途保存しておいた塩鮭、メシ、ポークビーンズの最後のところ。
登校前の次男に、きのう覚えたはずの漢字を書かせてみる。とりあえずは大丈夫なようだが、学校へ行って後もこれを覚えているかどうかは分からない。
"Netscape Communicator" は、送ろうとしているメイルに添付ファイルがついているかどうかを 簡単に確認できない構造を今でも引きずっているのだろうか、このメイラーによるものかどうかは不明だが、先日、添付ファイルを伴った英文のメイルが届き、こういうものは読まずに即、削除する。
ところが今朝は、先日ちらりと目にしたと同じセンテンスを文中にいくつか含む、しかし今度は添付ファイルのないメイルが届き、それは、当方アメリカで料理雑誌を編集している者だが、おたくのウェブペイジに "WASABI" の美しい画像があり、よろしければこれを紙面に使わせていただきたい、との許諾請求だった。
僕もお人好しだから 「そりゃ構いません、それからこっちの画像は頭と尻尾を切り落として洗ったワサビだけれど、せせらぎの苔むした岩の上に置いたものでサイズも大きいから、これも使ったらどうですか?」 と返信を書く。
本は、目指す特定のものを検索して購入を決めるウェブショップでよりも、そぞろ歩きのできる実店舗で買う方がずっと面白い、という意味のことを僕は6年前にこの 「清閑PERSONAL」 へ書いた。ところが現在、ウェブ上を逍遙することは神保町の靖国通り、あるいはそこから街の細部へと向かう路地を徘徊することと同じく、あちらこちらであれこれが結びつき、そこここで意外な出会いがあって、 いまや僕はアナログの本屋へは行かなくなった。
神保町を歩いてあちらこちらの本屋へ足を踏み入れると同じことを行えば当然、購入する本は増えていく。あるいは自分の手で持ち帰ることのない分、ウェブ上での本の購入は気楽である。そして今日も、"amazon" に店を出している古書店あるいは個人に発注した本がメイル便や書籍小包で次々に届く。いまだ読まない本が、事務机背後の棚を非常な速度で侵食していく。
朝にメシ2杯を食べたら12時になっても腹が減らないため、昼飯は抜くこととする。起き抜けにお茶を飲むのみにて朝飯は食べない。昼が近づいたところで朝昼兼用のかなり大量のメシを食い、夜にまたメシを食うから、つまり自分たちは1日2食で生活をしている、とはカトマンドゥで地元の人から聞いたことだ。「朝飯を抜くのは好きじゃねぇけど、腹をへこますために昼飯を抜く、という手はあるなぁ」 と考える。
ウチのウェブショップに 「買い物かご」 という文言がある。ところが買い物を始めると、別のペイジではこれが 「買物かご」 となっている。トップペイジには 「買物」 を抜いた 「かごを確認」 という文字がある。こういう文言の不一致には気づかない人がほとんどだろうけれど、そして僕も何年も気づかずにこのショップを運営してきたわけだが、いざ見つけてみるとどうにも気持ちが悪い。
そういう齟齬を午後はいちいち探し、次のメインテナンスのためのデイタベイスとして保存することを夕方まで続けて疲れ果てる。もっとも、よく利用する "amazon" においても、あるところでは 「カート」、またあるところでは 「ショッピングカート」 としてあって、しかしこれにも僕は気づかず今日まできたのだから、そう神経質になるべきではないのだろう。しかしこの手のことは、いったん気にしだすときりがない。
終業後にワイン蔵を整理していてシェリーを見つけ 「知らなかったよー」 と早速これを居間へ運んで抜栓する。1週間ほど前に撮った写真の紙焼きを見ながらこの "DRY SAC" をウイスキーのショットグラスで2杯だけ飲む。
ポテトサラダ、キャベツ巻きにするはずが時間がなかったためのキャベツ重ね、玉子とブロッコリーのグラタンにて、バキュバンで栓をしておいた "Mouton Cadet Blanc Baron Philippe Rothschild 2002" を飲む。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
目を覚ますとあたりは真っ暗で、だからいまだ3時30分よりも前だということが分かる。しばらくして枕頭の灯りを点けると予想より1時間も早い2時20分だった。後書きへと差しかかった「私の食物誌」 を読むと、そこに
「今、おびただしい書物が出版されているが、中でも、日本語に関する本と、たべものに関する本が特に多いように思う」
という一節がある。「2005年の今と同じじゃねぇか」 と思う。池田弥三郎が 「私の食物誌」 を東京新聞に連載したのは東京オリンピックのあった1964年、4度目の改版になる新潮文庫へのこの後書きの書かれたのが1980年。少なくとも1980年と2005年の本の売れ方には非常に似通った事実がある、ということになる。
枕頭の活字をあさって眠れず、4時前に事務室へ降りる。きのうの終業後から今朝にかけてのウェブショップの受注状況を見る。
"Computer Lib" で今月1日に行ったウェブショップのメインテナンスでは、ペイジのリニューアルのひとつとして、発注ボタンをクリックする直前にメイルマガジンの要不要を入力するラジオを設けた。きのう送付したメイルマガジンに呼応するようにして入った既存のお客様によるご注文に、ちらほら 「今後のメイルマガジンは不要」 のラジオをクリックしたものが混じるのは、どのような理由によるものか。
メイルマガジンの要不要を問われたとき、いわば決めごととして 「不要」 を選択する例がウェブショップを利用する人に多そうなことは理解できるが、諸方の優良店によるまるで雲霞のように飛来するメイルマガジンからすれば、1年に12回ほどしか発行しないウチのそれは野の花のようなもので、だからこれを忌避することはないだろうと考えるのは、僕がこれを書いている張本人だからに過ぎない。
いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、昨夕の鍋の残りによるテグタンクッパ。次男と家内の朝飯は、寧楽共働学舎のソーセージによるホットドッグ。次男が 「ホットドッグにこのソーセージはもったいないよ」 などと聞いた風な口をきく。
始業して間もなく届いたeメイルによるご注文により、きのうのメイルマガジンに載せた新商品の 「焼き味噌猪口」 がいきなり10客も売れる。それを販売係のオオシマヒサコさんに伝えると 「やだっ、無くなる前に私も買っとかないと」 とこれを5客、もちろん定価の現金払いにて買い上げる。
僕の齢がいまだひと桁のころ、おじいちゃんが隠居に同級生を集めた席で、この 「日光みそ」 の文字のある猪口で焼いた味噌を酒肴としていたことを、僕はその日の台所の情景と共に覚えている。その猪口が紙の箱に入って倉庫の奥まったあたりにうずくまっているのを見つけたのは2年ほど前のことだっただろうか。
発見されなければこれは永遠に倉庫の底へ沈んだままだったのだから、いわば原価はゼロ円である。原価がタダなら価格イクォール粗利でこれは良い商売かといえば、そこは間抜けな僕のすることだから実は全然もうからない。「焼き味噌猪口」 の在庫をすべて売ってもその粗利総額は、ウェブショップへの商品追加により "Computer Lib" へ支払った固定費に達しないのである。
つまり、50年ちかく前に益子の薄暗い作業場のろくろでひかれ、赤松の炎と灰を浴びつつ登り窯で焼かれたこの小さく懐かしい調理器具をウェブショップで売るとは僕の完全な遊び、ということになる。
燈刻、次男の漢字練習を督励する。南西の山はウチの窓から何キロほど先にあるのだろう、その針葉樹林が霧の中で無数の濃淡を見せている。
トマトと玉ネギのサラダ、うずら豆と水菜の炊き物、青唐辛子の炒りつけ、胡瓜のぬか漬、おとといのポークビーンズ、おにぎり。これらを食べて飲酒は避ける。なお水菜の炊き物とポークビーンズは明朝のおかずとして残置する。青唐辛子の炒りつけについてはもちろん、その辛さからしてこれをすべて食べることはできない。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、そこいらへんの活字をあさって11時前に就寝する。
5時に目を覚まして30分後に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時が近くなってから館内電話で家内に電話をして、きのうのポークビーンズとメシとぬか漬の三点セットを朝飯にしてくれるよう頼む。
夏のギフトのダイレクトメイルは去月の末に送付した。その効果がいまだ続いているため事務係はその日の受注をその日のうちに伝票化することが間に合わず、このところは常に、前日にし残した仕事を処理することから一日が始まる。今朝もヤマトの荷札を印刷するシステムにはイリエチヒロさんが張り付いていて、だからそのちかくにあるルーターに僕は近づくことができない。
ウチのメイルマガジンはシマンテック社のウィルスチェックを透過させて顧客へ送付する。このウイルスチェックの網目に大量のメイルを押し込むと押し合いへし合いで数百通の滞留が発生し、無線LANの環境下では無通信タイムアウトで回線が切れてしまう。よってイリエチヒロさんがとりあえずの荷札を作成して後、コンピュータとルーターをLANケイブルで結び、有線の状態で6月のメイルマガジンを30分ほどかけて発行する。
よほど校正が得意な人にしか見つけられないような文言の不統一とか、赤は赤でもフォントカラーの異なる赤が同じペイジに混在しているなどの 「誰も気づかないかも知れないけど、オレにはちょっと、我慢ができないんだよねぇ」 という齟齬がいまだウチのウェブショップにはあって、自分の手で可能なところは別として、それ以外のところについては発見をするたびにメモの形でノートへ蓄積してきた。
この 「それ以外のところ」 の修正は "Computer Lib" へ外注することになり、そうすればやはり、紙に書かれた作業手順はつぶしが利かない。書き換えるべきペイジの、"Https" から始まるURLと共に具体的な修正案をエディターへ打ち込み保存する仕事にはなかなか腰が上がらなかったが、始めてみれば1時間ほどで完了した。
むかしよく一緒に勉強をしていたカワハラセイジさんが、外資系の保険会社に身を転じたのでいちど会いたいと電話をしてきたのは一昨日のことだった。そのカワハラさんが午後1時に来社をして、1時間ほど話をする。「こんど、保険の仕事を始めたんですよ」 という人の訪問は僕の場合、あるいは多くの人にとってもそうかも知れないが、何とはなしに気の重いものだ。ところがカワハラさんは最初からお終いまで 「保険に入ってくれ」 とはひとことも言わず、爽やかな印象を残したまま 「それではまた」 と席を立った。
中央区日本橋本町の会社まで帰るカワハラさんを下今市駅へ送りながら 「いまの保険が満期を迎えたら、ことによると次の仕事はカワハラさんに頼むかも知れない」 ということを感じる。とはいえ 「保険に入ってくれ」 とはひとことも言わない保険会社の人がこれから相次いで僕に面談を申し入れてきたら、それもちと困る。
先週の土曜日に預けたフィルムのベタ焼きが上がったことを電話で確認し、かみじょうカメラでそれを受けとって戻る。僕の露出計はアクセサリーシューに付く形のフォクトレンダー製のもので、しかし手荷物はできるだけ減らしたいから、いくら小さいとはいえ最近はこれを持ち歩かない。そして机上に広げたベタ焼きは露出計を欠いてもほとんど光が揃っていて 「いいじゃないですかー」 と嬉しく思う。
もっとも、適正な露出を与えられた写真が即、出来の良い写真かといえば、学校の成績の良し悪しと頭の善し悪しが必ずしも等号で結ばれないことと同じく、あてにはならない。
次男は漢字練習の宿題を、涙を流しながら7時30分すぎにようやく終えた。しかし終えてしまえば早くも元の元気を取り戻し、あれを買ってくれだのこれを買ってくれだのと、よくもまぁ毎日、次から次へと物欲がわき起こるものだと当方を感心させる。
うずら豆、蕪と茄子のぬか漬にて泡盛 「時雨」 のお湯割りを飲む。このお酒のレッテルにある 「浜までは、海女も蓑きる時雨かな」 という文字を見て初めは 「つまんねぇ句だな」 と思ったが、しかしこれには含蓄に富んだ教えがあるらしい。きのうから次男が家内に注文をしておいた 「味噌スープの辛い鍋」 にて更に泡盛を飲み進む。
入浴して今夜はなにも飲まず、9時30分に就寝する。
4時に目を覚ます。床から 「水のように笑う」 を拾って開き、これを昨夜のうちに読み終えていたことに気づく。他の活字を拾い集めて読み、5時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、生のトマト、ほうれん草のおひたし、蕪のぬか漬、メカブの酢の物、納豆、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
「腑に落ちないのは酒を売る人々のこと。このよきものを売って何に替えようとか」 とオマル・ハイヤームは詠んだ。僕の腑に落ちないのは、こういうメシを僕に作りながら自らはホットドッグを食べる家内のこと、である。
ウチから見て春日町交差点の対角には、同級生オーハシタダオ君が経営する "JOMO" のガソリンスタンドがある。毎朝この角には、登校する小学生の安全のため区長のイワモトミツヒロさんが黄色い旗を持って立つ。イワモトさんの都合がつかない日には代わりに学校の先生が立つ。
今朝の立ち番はイワモトさんではなく先生で、先生は歩道にクルマの片輪を乗り上げハザードランプを点滅させて現場へ向かった。黄色い旗を持つ先生の足許にスーパーマーケットの白い袋が落ちている。やがて登校時間が過ぎ、先生は自分のクルマへ乗り込みその場を去った。白い袋はいまだ地面の上にある。横断歩道を2回渡って向かいの角へ達し、スーパーマーケットの白い袋を拾う。ホースで水を撒いていたタダオ君とついでに世間話をしてまた横断歩道を2回渡る。
「水のように笑う」 の中で関川夏央が愛情を込めて激賞した 「ソウルの大観覧車」 という本の名に覚えがあったため 「ひょっとしてウチにあるんじゃねぇか?」 と昼飯の後、階段室に散乱するあれこれを手探りして 「ウッギャー」 と思う。
きのう長男にベーコンとソーセージを送る際、「これと一緒になにか入れるもんねぇかな」 と考えつつ荷造りをした。階段室からは 「ソウルの大観覧車」 のほか、関川夏央による韓国本が忘れていたものも含めて次々と発掘され、「なんだよ」 と後悔をする。
とりあえずそれらを出版年の順に並べ、事務室へ降ろす。
初更、次男の漢字練習の宿題を督励する。「10ページもあるんだよ」 と嘆息をする次男の口へ、本来は晩飯のデザートであるブラックチェリーを含ませて 「高い山に登るときはね、上を見るとイヤになるけど、足元を見て一歩一歩進めばいつの間にか頂上に着いているんだよ」 と、聞いた風なことを言って次のペイジへと進ませる。
寧楽共働学舎のベーコンをぶつ切りにし、同じく厚いぶつ切りにした豚の三枚肉、それに白花豆を加えて煮たら美味かろうとは僕の考えたことだ。考えはするが自分で作ることはしない。初更、その超級ポークビーンズ、タコと3種の葉のサラダ、ナンを口へ運びつつ 「識名酒造」 の泡盛 「時雨」 のお湯割りを飲む。ブラックチェリーは見るだけで食べなかった。
入浴して本日はなにも飲まず、9時30分に就寝する。
5時に目を覚まし、5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、水菜の炊き物、茹でソーセージ、ほうれん草の油炒め、メカブの酢の物、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と大根と万能ネギの味噌汁。
"Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" が壊れて以降、すべての画像は "Minolta DiMAGE X21" に頼っているが、このカメラが測光やピント合わせに際して画面上のどの範囲を使っているのか分からず、だから朝飯の画像はこのところいつもメシだけが露光過多で白く飛んでしまう。生来マニュアルというものの読めない性格にて、だから白く飛んだメシは "Photoshop" で補正し、幾分かその明るさとコントラストを落とす。
「"Photoshop" はマニュアルを読まなくても使えるのか?」 と問われれば、こちらの使用法は外注SEのカトーノさんに口伝えで教えてもらったから問題はない。
自由学園で僕より10歳年長のフクザワカズオ君が責任者を務める寧楽共働学舎は先月の6日に火災に遭い、生活のための3棟を焼いてしまった。しかしながらフクザワ君は不屈の人だし家畜舎と肉の加工場は無事だったから、僕より7歳年長のオノヨーイチ君によるストロングスタイルのウェブショップを通じて商品の注文はできる。
そうして本日の午前中に届いたベーコンとソーセージを甘木庵の長男にも分けるべく荷造りしつつ 「他になにか入れるもんねぇかな、これだけじゃ送料、もったいねぇからな」 と考え、同級生のイリヤノブオ君が送ってくれた、1975年の同学会報 「羽仁吉一没後50年記念号」 のコピーを同梱する。
燈刻、とはいえ夏至を来週に控えていまだずいぶんと明るいが、南西の山を見晴るかす次男の勉強机にて "MACALLAN 12 YEARS OLD" のお湯割りを飲みつつ 「水のように笑う」 を読む。この本は素晴らしい。しかしどのあたりが素晴らしいのかと訊かれても困る。読書感想文を書くことは子供のころから好きではなかった。感想を述べることを前提として本を読むと、それは遊びではなく仕事か勉強になってしまう。仕事や勉強で本を読むことは避けたい。
小さなトマトのオリーヴオイル和え、ふかしジャガイモ、寧楽共働学舎のソーセージ、ホワイトアスパラガスのオリーヴオイル炒め、ズワイガニと胡瓜の酢の物、ほうれん草のおひたし。酢の物には更にお酢を加え、ほうれん草のおひたしには少量の醤油と大量のお酢をかける。
子供のころ、どうしてもトコロテンというものが食べたくなったため、店に勤めていたカワカミウサヤンの奥さんがやり繰りをしていた駄菓子屋でトコロテンの持ち帰りを頼み、その際 「お酢は入れないで」 と注文して 「酢ぅ入れなかったらトコロテンじゃなかんべ」 と笑われたほどの僕はお酢嫌いだったが、長じてはなぜか、これが大好きになってしまった。
僕が酢と醤油をかける横でしかし次男は 「ほうれん草は胡麻和えが好きなんだよ」 と渋いことを言い、家内に胡麻を振ってもらう。家内が残したジャガイモの皮を、トマトの鉢に残るオリーヴオイルに和えて食べたらこれがまた美味い。次男もそれを競って食べる。「どれもこれも美味いですねー」 と言いつつ泡盛 「残波」 の瓶を空にする。
入浴して牛乳を300ほども飲み、9時30分に就寝する。
「寝過ごしたらマズイよな」 「寝過ごすわけねぇよ」 というようなことを考えつつ昨夜は寝たが、今朝うっすらと目覚めながら 「まさか寝過ごしてねぇよな」 と、枕頭の携帯電話を見たら6時5分だった。ゆるゆると起きあがって顔を洗い歯を磨き、今朝は熱いお茶ではなく水を飲む。
6時25分に甘木庵の玄関を出て岩崎の屋敷裏から切通公園を歩く。首から下げた "Leica?c" のシャッターボタンをときおり押しながら切通坂を下り、カラスと猫の跋扈する湯島の繁華街を抜けて上野広小路へ至る。
24時間営業の牛飯屋や蕎麦屋は先ず、米飯の状態が良くない。別段、不味い米が食えないほど神経質ではないが、安くてまともなメシを食わせる店があれば、やはりそちらを選ぶ。これだけが問題の汚い地下街へ降りて、いつもの豚かつ屋 「会津」 にて納豆朝食にしらすおろしを追加する。例によって袋詰めの味つけ海苔には手を着けず、これを返却する。
浅草駅7:30発の下り特急スペーシアに乗り、9時すぎに帰社する。テニスの練習を終えた次男を12時に今市小学校へ迎えに行き、カレーライスの昼飯を食べ、仕事をし、夕刻を迎える。
春日町一丁目の区長イワモトミツヒロさんに作成を頼まれたプリントを持ち、来年に迫った当番町についての話し合いがある公民館へ行く。今日は晴れて暑い一日だったが、この時間になって雲行きが怪しくなってくる。会議は1時間ほどで終わった。ちかくのレストランに酒と晩飯が準備してあるのでそちらへ回ってくれと区長からは伝えられたが、残務整理のため僕は会社へ戻ることとする。
レストランへ向かう人たちとそぞろ歩きの最中にカミムラヒロシさんが右手の親指と人差し指でゆるい円を作り、それを口元へ引き寄せながら 「そっちの分も飲んどくから」 と笑う。「よろしくお願いします」 と返事をする。
30分後に事務室から居間へ上がり、牛カルビとピーマンの丼、白菜キムチ、水菜の炊き物、蕪のぬか漬を晩飯とする。飲酒は避けて温かい煎茶を飲む。
7時がちかくなって、午後からサイトウトシコさんの家へ遊びに行き、晩飯までごちそうになった次男がサイトウさんに送られて帰宅する。ひとつだけ残った宿題である日記を書く次男の脇で、本日のウェブ日記を作成する。酒も飲まず子供と同じ作業に励み、一時的にせよなにやら模範的な父親になったような錯覚を覚える。
入浴して牛乳を400CCほども飲み、9時30分に就寝する。
5時前に目を覚ます。「水のように笑う」 を、「上手いなぁ、こんな文章、オレには絶対に書けねぇや」 と感心しながら読む。関川夏央はこの本の中で、女の人や女の子と寝たときの話をいくつか披瀝しているが、そのようなところでは必ず関川のあの特徴ある鼻と一重まぶたの目と噛む力の強そうなアゴが思い出され 「君の場合、女と寝る話は、あえてしなくてもいいわな」 と思う。
6時に起床して事務室へは降りず、きのう居間へ持ち帰ったコンピュータを起動する。
日記はどうということもないが、毎月1回1日に更新している文章についてはこれを書くことがつらくなってきたため、昨年の秋からはその代わりに12枚の組写真をアップしてきた。ところが3回目あたりからはそれも容易ではなくなり、以降はまた多く文章を更新するようになった。
写真を撮ることは文章を書くことよりもよほど簡単だろうと高を括っていたが、文章は何ごとかが頭にあればどこにいても形になることに比して、写真は撮されるべきもの、撮されるべき偶然を探して逍遙あるいは徘徊しなければならず、迂闊にも僕はそこのところに気がついていなかった。今月も12枚の写真は完成しない可能性があり、だから7月1日分の文章を7時までかかって書く。
腹をへこませるため朝飯は抜き、熱いポーレイ茶を何杯か飲む。始業前からの1時間のみ仕事をし、下今市駅9:36発の上り特急スペーシアに乗る。きのうから甘木庵に泊まっていた家内との待ち合わせ場所は、今朝の電話により当初の池袋から銀座に変更をしてあった。更に昼飯も、僕が行こうとしていた丼物屋から、家内の希望を容れてプランタン銀座裏の "KIHACHI" へと変更をする。
ガスパチョ仕立てのスパゲティ、2種の魚のフリットにて2杯のスパークリングワインを飲む。2種のデザートとエスプレッソにて締める。すぐちかくの駅から乗り込んだ有楽町線の車両は、運良く西武池袋線に乗り入れているものだった。
2時より自由学園の父母会に出席をし、4時30分に僕のみ中座して池袋へと戻る。サンシャイン通りの "DINING CAFE COCO BLANCA" に同学会の担当副委員長、広報室から3人、我がホームページ運営室からふたりが参集し、「同学会報とホームページの役割分担について」 の題目にて長く話し合いを行う。
10時30分に甘木庵へ帰着する。シャワーを浴びて牛乳を300CCほども飲み、「私の食物誌」 を読んで0時ちかくに就寝する。
目を覚ますと窓の外は充分に明るかった。枕頭の時計を見ると4時45分で、眠気は無いからすぐに 「私の食物誌」 を開いてこれを読み始める。30分ほどして起床し、お湯を沸かして熱いポーレイ茶を飲む。
いつもよりもすこし早く甘木庵を出ると、霧雨が降っていた。いまだ残る数枚のフィルムを消化すべく湯島天神下の細い道へ入り込み、ビルの壁から突き出した看板がジグザグに切り取る空と電線に向けて "Leica?c" を構えたら、ファインダーに傘を差したおばあさんが差しかかって、脳から指令を受けとる前に人差し指がシャッターボタンを押す。
地下鉄銀座線で浅草へ達し、いつものメシ屋で納豆と生卵の朝飯を食べる。
何年か前この日記に、朝飯のおかずは酒の肴にもよく似合うと高橋義孝がどこかで言っていた、というようなことを書いたところ、それは池田弥三郎が書いたことを高橋義孝が紹介したものだ、という主旨のメイルを未知の方から戴いた。その方は池田弥三郎にも高橋義孝にも 「先生」 をつけていたから、昭和30年代以前の生まれで、慶應義塾大学出身の可能性が高い。そして池田弥三郎は国文科で高橋義孝は独文科だったから、あるいはそのふたつの科を横断して授業を受けたことがあるのかも知れない。
朝の寝床に続き、下り特急スペーシアの中でも 「私の食物誌」 を開いて、すると4月25日の 「たらこ」 と題する文章に 「一体、朝の食ぜんにのぼせて、あったかいご飯でたべてうまいものは、同時に、酒のさかなにしてもいいものが多い」 とある。未知の方に指摘を受けた通り、この説の出どころは池田弥三郎だということがここで証明された。
ところで僕が羽仁吉一や羽仁もと子と呼び捨てにして 「先生」 をつけないのは、直にその謦咳に接していないことによる。
きのう明日館での会議の席上、「那須農場のキャンプ大会のことは同学会報に書いたから、ホームページの方もよろしく」 とイベント室長のシゲマツアキラ君が言った。その同学会報がいつ出るのかと思ったら 「いつ出るんじゃなくて、もうみんなの手元に届くころ」 とのことにて帰社して即、参加申し込みのフォームを備えたペイジを作成する。
6月はいまだ1度しか断酒をしていないため、今夕をその2度目と決めて燈刻、カレーライスと胡瓜のぬか漬けを晩飯として飲酒は避け、食後に温かい煎茶を飲む。
入浴して今度は牛乳を300CCほども飲む。なかなか睡眠欲を覚えず、「水のように笑う」 を10時30分まで読んでようやく就寝する。
5時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は昨夕のあまり物や、次男が学校へ持参する弁当のおかず、胡瓜のぬか漬、メシ、ジュンサイの味噌汁、イチゴ。
空は久しぶりに晴れ上がった。そして次男は 「やったー、今日は社会科見学だ」 と言ってはしゃいでいる。登校する次男をちかくの交差点まで送り、学校の行事の最中に死ぬ子供もいるのだから決してフラフラせず、先生や保護者の言うことをよく聞くよう注意を与える。
10時をすぎて消防署から電話が入る。今市消防署は今市小学校の今日の行き先に含まれている。「見学中に事故にでも巻き込まれたか」 と肝を冷やすが署員の説明では、どこかの親が代表して119番通報をし、それを消防署が受け取る実験をするに当たって希望者はいるかと訊いたところ、次男が手を挙げ自分の家の電話番号を伝えたとのことだった。
とりあえずは安心し、置いたばかりの受話器をすぐに持ち上げ119番を回すと、先方は 「ウワサワさんですね、イマイチシイマイチヨンハチナナ、これで完了です、お忙しいところ申し訳ありませんでした」 と言って電話は切れた。いつでもどこにいても 「お宅のお子さんが」 とかかってくる電話は心臓に悪い。
下今市駅13:36発の上り特急スペーシアに乗る。北千住より銀座へ至り、いにしえの建物から取り外したステンドグラスや十字架などを陳列した銀座教会の薄暗い通路を往く。この清廉な教会の最上階に物欲の殿堂のあることを、果たしてどれだけの人が知っているだろうか。その物欲の殿堂 「レモン社」 にてグッタペルカの張り替えを終えたエムサンを受け取り、なお係の人とあれやこれやの話しをして結構な時間が経過する。
地下鉄丸ノ内線で池袋へ移動し、毎月第2木曜日に開かれる自由学園の本部委員会へ出席をするため、明日館へ向かう。定例の会議は9時をすぎてようやく終わった。広報室と僕が室長を務めるホームページ運営室のみは、あさっても会議を行う。その場所を決めるため、いつもみなで晩飯を食べる中華料理屋 「楼蘭」 へは寄らず広報室長のイリヤノブオ君と歩き出すが、じきに 「いいよ、場所はオレが探しておくよ」 とイリヤ君が言う。僕の脚には勢いがついているから通り過ぎた中華料理屋には戻らず、そのまま駅へ降りて地下鉄丸ノ内線に乗る。
本郷三丁目の交差点、「三原堂」 の前の道路工事現場に巨大なボンボリがあるので子細に眺めれば、それは新しい意匠の夜間照明だった。本富士警察はす向かいの 「神勢。」 で2種のつけ麺のうちの油の濃い方を選び、これを肴にウーロンハイを飲む。手をかけた自家製麺を大盛りや特盛りにしても値段を変えないのは客を増やすためのサーヴィスだろう。しかし盛りつけの美しいここのラーメンはかなり美味いし接客も気持ちがよい。
「カミセがヒマなのは風水のせいだろうか」 などと考えつつ10時20分に甘木庵へ帰着し、シャワーを浴びているところに長男が戻る。多分、何十年も前に僕が買ったものだろう、チック・コリアの "NOW HE SINGS, NOW HE SOBS" を聴きながら牛乳を300CCほども飲み、11時30分に就寝する。
はじめに目を覚ますとあたりは真っ暗で、次に目を覚ますと部屋の中のものが青色の中に薄く見えて、その次にまた目を覚ますと今度はもう完全な朝で、だから起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、メカブの酢の物、納豆、生のトマト、キャベツの油炒め、白菜キムチ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と絹さやの味噌汁。
始業して間もなく、ヤマトが 「天洋酒店」 の品物を配達してくる。中身は目の下1尺の男鹿産天然真鯛1尾、生ジュンサイ、姫竹、水菜、そして 「それに合いそうなお酒4合」 で、これで送料込み6,000円は安い。
「天洋酒店」 は1999年に 「本酒会」 の親睦旅行で能代へ行った際になにかと世話をしてくれた酒屋さんで、当時は手書きをコピーした形の便りが封書でよく届いた。現在ではこれがメイルマガジンになり、そこではお酒だけではなく、地元の色々な人を横に繋いだ品物を提案してくれている。
店長が各部長の尻を叩き、食品部長がフロアの尻を叩き、酒売り場のマネージャーが売り場の尻を叩く。こうしてすこしでも前年度の売上げを凌ごうとするわけだけれども、そういう売り場は 「天洋酒店」 の戦術を勉強すると、ずいぶんと成績が上がるように思われるがどうだろう。百貨店であれば、自分の売り場から一歩足を踏み出せば、美味い酒肴はよりどりみどりだ。また、売る者の息づかいの伝わる手紙を送れば 「それじゃぁひとつ、つきあってみるか」 という気も起きるだろう。
そして 「天洋酒店」 のアサノサダヒロさんの強みは、自分の仕事を楽しみながらしているところにある。メイルマガジンなど、とてもではないが、嫌々ながら書けるものではない。
鯛と一緒に入っていたお酒は 「山本合名社」 の純米吟醸無濾過原酒 「白神の鼓動」 だった。初更、2階のワイン蔵へ寄って、届くなりここへ収めたこのお酒を取り出し4階の居間へ向かう。
鯛の刺身、ジュンサイの酢の物を肴にとりあえずこの 「白神の鼓動」 を茶碗へ注ぎ飲んでみれば、それはいかにも強くそして甘いがその甘さは嫌みなものではない。水菜の炊き物、姫竹と鶏肉の炊き物、鯛の酒蒸し、鯛のあら煮と、アサノサダヒロさんから届いた諸々はみな美味い。あら煮から発生した大量の骨を大きなお椀へ入れ、ここへ熱湯を注いで即席のあら汁を作る。もちろんこれも美味い。
アルコール分17パーセント以上18パーセント以下の原酒に酔っているうち、サッカーのワールドカップ予選である日本対北朝鮮戦が始まる。奇態なことにサッカーの国際戦では、僕が見ているうちは日本に点が入らない。だから家内は僕に、早く風呂へ入ってくれと言う。しかし風呂へ入っているあいだに日本のゴールはなかった。腰へバスタオルを巻き、もう1枚のバスタオルはインドの車夫のように首へ巻いて牛乳を300CCほども飲む。
池袋へ行くときには、特急スペーシアを降りた北千住から地下鉄千代田線に乗り、西日暮里のプラットフォームで地下鉄とJRの運賃をまとめて精算する。そのための窓口はいつも4つか5つは開いているが、僕が選ぶ列はなぜか常に、窓口へ達するまでの時間が最も長い。たまには並んだ列の動きが速く 「今日はいいぞ」 と思うこともある。しかしそのようなときに限って僕のすぐ前にいるポンツクが通学定期について長々と説明を求めたりするからやはり列の進みは周囲にくらべて最も遅くなり、このマーフィーの法則は決して破綻しない。
僕はそういう損な法則の持ち主だから、やはり牛乳を飲みつつサッカーを見ていては、日本に点は入らない。よって家内は僕に、早く寝てくれと言う。9時に就寝する。
目を覚まして枕頭の時計を見ると5時前だった。「水のように笑う」 を読み、居間へ行くと6時を報せる街のオルゴールが鳴る。ただしこのオルゴールはいつの間にか6時を2分すぎてから鳴るようになった。タイマーの調整は誰の仕事なのだろう。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、なめこのたまり漬、メカブの酢の物、胡瓜のぬか漬、ソーセージと絹さやの油炒め、納豆、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
会社を離れて電車で移動しどこかへ泊まるなどのとき、以前であればコンピュータとデジタルカメラを持参して、それはそれほどの負担にならなかった。ところが昨年の初秋よりはここに銀塩カメラが加わって、そうするとどうにも自分の荷物を疎ましく感じるようになった。コンパクトカメラ以外の銀塩カメラのパッキング上の不具合は、レンズがボディよりも突出しているところにあり、これを限られたスペイスへ収めると、無理な圧力がかかってカメラが傷むのではないかと心に引っかかりが生じる。
そのため最近は、コンピュータはできるだけ外では使わないこととし、行った先でコンピュータを使わざるを得ないときには逆に銀塩カメラは持たない。ただし活字についてはなかば中毒だから本は必ず持参する。
先日どこかへ行く際、そのとき家で読んでいたのはハードカヴァーだったが、外出先用としては文庫本の
「蕎麦とジャズは短い方が良い」 と、いソノてルヲは言った。「私の食物誌」 のひとつひとつはもの足りないながら、しかし短いなりの粋さや寂寞感はあって、だからこれはそう悪いものでもないのかも知れない。「粋って、どういうことだよ?」 「すこしばっかりもの足りねぇってことだよ」 と考えればなにやらこれは箴言めく。
「オレの日記も短くしなきゃいけねぇなぁ」 と思う。
先日結婚をした社員ミズヌマセイコさんの、これはなんというのだろう、若い女性社員だけのお祝いの会とでも呼ぶべきだろうか、その集まりがフランス料理屋 "Finbec Naoto" で開かれるが、「男はミズヌマさんの旦那だけで気の毒だから」 という理由にて僕もそこへ参加をすることになる。
裸足にデッキシューズを履いてヨタ話を飛ばしながら食えばフランス料理も悪くないのだが、橋爪功のような顔つき態度のウェイターに嗤われないような格好をして行かなければならないとか、なにやらその集まりが儀式めいたものだと僕の腰はとたんに引ける。
店主兼料理長が今市市消防団第一分団第一部のシバザキトシカズさん、ギャルソンは同級生スッタカカッタカ君のお父さん、"ZINC" でアルマニャックとエスプレッソを交互に飲んでいるのがアンザイ畳屋のオヤジ、レジで煙草を売っているのは小倉町にあった 「養老乃瀧」 の亡くなった奥さんで、いずれ高級な話をしているわけではないだろう、ヘラヘラ笑っている客が本酒会のヤギサワカツミ会員とコバヤシハルオ会員、そういうロベール・ドアノーの写真のようなフランス料理屋があれば、僕は雪駄を履いて毎日でも行きたい。
「どうなんだろうねぇ、今夜は」 と心配しつつモリカゲの白いシャツに袖を通し、リーヴァイスの黒い501のボタンを留め、"HAROLD'S GEAR" のベルトを締め、"trippen" の靴を穿いて "Finbec Naoto" へ行く。
その集まりは気楽で和やかで、杞憂に値するものではなかった。赤ピーマンのジュレ、蛍烏賊とホッキ貝のマリネをクスクスに載せた香草のサラダ、板谷貝と小海老のポアレをカリフラワーのナージュに沈めたひと皿、イベリコ豚のロースト赤ワインソース、アイスクリーム、エスプレッソに "Patrice Marc Grand Cuvee Brut" を合わせ、8時30分に帰宅する。
玄関の外で "Davidoff Mini Cigarillos" を先から2.5センチだけ吸う。居間へ上がって "MACALLAN 12 YEARS OLD" のお湯割りを飲み、入浴して10時前に就寝する。
夜中に目を覚まして 「水のように笑う」 をすこし読み、二度寝をして6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
既に着替えていた次男にきのう2度も3度も練習して覚えられなかった文字を書かせれば、今朝は滞りなく鉛筆を動かして事なきを得る。それにしても 「女優」 などという難しい文字を僕は小学4年生のときに習っただろうか。この調子で行くと来年は 「憂鬱」 だの 「林檎」 だの 「躊躇」 などという文字まで教科書に出てくるのではないか。自分の小学校時代を振り返れば、なんだか算数もそのときよりははるかに高級になっているような気がするけれどもどうだろう。
朝飯は、胡瓜のぬか漬、なめこのたまり漬、セロリの浅漬け、油揚げと蕪の葉の炒め煮、雑炊。
始業前よりウェブショップのローカル側に手を入れ、秋田県のお客様より送られた 「なめこ雑炊」 のレシピを早速、今朝の画像を用いて 「たまり漬を使ったメニュ」 に登録する。また、メイルマガジンを推敲し続けて7番目のそれを自分の "nifty" のアドレスへ送り、字面を眺めたり、文中からのリンクに齟齬がないかを点検する。
夏のギフト注文が増えてきたとき、この発送伝票の置き場を確保すべく、事務係のコマバカナエさんが事務室の棚を整理する。そこからは以前なんの気なしに置いた "ThinkPad 530CS" も出てきて大いに懐かしく思う。当時の "ThinkPad" にはネイムプレイトが貼り付けられるようになっていて、僕はこれに自分の名前ではなく "THE EAGLE HAS LANDED" と入れていたことを思い出す。
終業後30分ほど経ってからメイラーを回すと、既にして出荷された商品につき、これを 「あしたの午前中までに届けて欲しい」 とのメイルが入っている。取り急ぎヤマトの日光営業所へ電話をしてその旨を伝え、念のため配達の地域を担当するヤマトの営業所を特定して、お客様へメイルにてお知らせをする。
居間へ戻って泡盛 「残波」 のお湯割りを作る。4合瓶の中身は少なくなってきたけれど、しかしワイン蔵には先日購入した芋焼酎と泡盛の1升瓶が各1本ずつあるから心は穏やかである。松前漬け、鮪の山かけ、ほうれん草の胡麻和えにてそのお湯割りを飲み、豆腐と豚肉とキムチの麻婆豆腐風、胡瓜のぬか漬でメシ1杯を食べるあいだも同じくそれを飲む。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、10時に就寝する。
朝4時に目を覚まし、5時に起床して事務室へ降りる。昨晩、Yahoo!オークションに札を入れておいた写真集は、僕よりも10円だけ高値をつけた誰かが落としていた。夜は酒を飲んで寝るものと決めている人間には、やはりウェブオークションでの落札の機会は少ない。
店舗駐車場の、どこかから飛んできた種が育ちやがて木になった山椒を剪定するなどのよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、胡瓜のぬか漬、油揚げと蕪の葉の炒め煮、納豆、生卵、メカブの酢の物、メシ、アサリと万能ネギの味噌汁。
週間の天気予報によれば日曜日は雨とのことだったが、朝から晴れてひと安心をする。店舗での販売を手伝いつつ次のメイルマガジンの文章を書き直しては送り、送っては自分のメイラーで読み直すことを4回繰り返す。
終業後、メイル版は既にして発行し、ウェブペイジ版もサーヴァーへ転送してある 「第144回本酒会報」 の手紙版を終業後にようやく印刷し、綴じ、折りたたみ、封筒詰めのみを明朝のよしなしごととして残す。
この写真を撮ろうとして "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" のスイッチを入れれば、このところ具合の悪さをだましだまし使っていたけれど遂に、終わりの時が近づいているように思われる。スマートメディアを格納するところの蓋はとうに閉まらなくなっているが、それはさておき背部のコントロールスイッチが接触不良を起こして突然ファインダーが暗くなったり、あるいはまた復旧したりで、この2日はまともに使うことができない。
日記を検索してみれば、これは2001年4月23日に 「中村理科工業」 のJOKER氏から買ったものにて、既にして5年以上もほぼ毎日のように使い続けてきたことになる。その間、飲み屋などへ行く際には薄い袋に入れたまま自転車のカゴへ載せ持ち歩いたりしたにもかかわらず故障は皆無で、これは本当に大当たりの道具だった。
外出専用としていた小振りの "Minolta DiMAGE X" は今年の3月に香港で紛失をした。その後継として中古で入手した "Minolta DiMAGE X21" には、乾電池を入れたまま1ヶ月も放置すれば完全に放電してしまう欠点がある。しかし5年前のキャメディアに安くない経費をかけて修理をするつもりはないから、今後は小さなミノルタ1台で日々を送ることになるだろう。"RICOH GR1" のデジタル版が今秋に発売されるという噂の確度は知らないが、それがあるためとにかく今、デジタルカメラの新規購入はしたくない。
初更、次男がずっと口にしていたファミリーレストラン "Flying Garden" 俗称 「爆弾ハンバーグ」 へ行く。今日は断酒日と決めたのでワインは飲まない。席へ運ばれた熱い鉄板の上で生焼けのハンバーグをウェイトレスが調理する式の 「爆弾ハンバーグ」 をおかずにメシ1人前半を食べ、その合間にグリーンサラダをバリバリと咀嚼する。
細密なコスト計算の元に動いている店なのだろう、お運びの人は全員、客席の間を歩くのではなく走っているし、バックヤードからは皿を床へ落とす音が頻繁に聞こえてくる。人件費よりは壊す食器代の方がよほど安いということだろうか。
巨大なクリームソーダを平らげ眠くなった次男を励まして帰宅後、あしたのテストに出る範囲内の漢字を練習させる。2度も3度も繰り返して覚えられないそれについては翌朝、もう1度書かせなくてはいけないだろう。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、「水のように笑う」 を0時ちかくまで読んで就寝する。
関川夏央の本は1980年代の後半によく読み、しかし途中から興味を無くして2冊だけが未読のまま残ったが、先日これらを手に取り開いたら目が離せなくなって、そのうちの1冊 「水のように笑う」 を、3時30分に目を覚ましたのを幸いとして今朝も読む。本は何十年も忍耐強く、自らの読まれるのを本棚の中で待っているのだ。
4時30分に起きて居間へ行き、テレビの電源を入れるとちょうどワールドカップ予選の、今しがた終わったばかりの日本対バーレーン戦の模様を放送しているところだった。むかし「普段は見向きもしないのに、こと世界戦に限ってはテレビのチャンネルを合わせるにわかボクシングファン」 と嗤ったのは北野武だ。僕はその、北野武に嗤われたボクシングファンのサッカー版なのだろうか。いや、考えてみれば僕がけさテレビの電源を入れたのは、地球の裏側で起きた隕石落下のニュースを見るほどの興味に過ぎない。
自分は投票所へ行かないにもかかわらず、選挙速報だけは好きな団塊の世代、と書いたのは先ほどの関川夏央だっただろうか。新聞を眺め、週刊誌を眺め、電車の中では雑誌の吊り広告を眺め、そして本は寝床でなかば眠りながら読んでいるから、僕にはなにをどこで読んだかの記憶のないことが多い。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、炊きたてのメシにきのうのキムチ鍋の底に残ったドロドロの汁。このとりあわせが常になく美味い。よく煮えた椎茸などはとりわけ絶品である。
空はいまにも降り出しそうな塩梅だが、テニス部の回し電話は中止の案内を知らせてこない。だから所野のテニスコートに次男を送れば、頭上の雲はにわかに薄くなった。
夕刻まで仕事をし、「やっぱり今日も酒、飲みてぇなぁ」 と思っているところに 「市之蔵」 のオカミより電話があり、今月の25日で店を閉めるという。
「どうして?」 と驚いて訊けば 「カレー」 というので、カレー屋で再出発かと思いきや 「私もトシだから」 と笑う。「カレー」 は 「加齢」 とようやく気づいて 「そんなこたぁねぇだろう」 と言うと 「子供がご飯、食べさせてくれるっていうから」 と追って説明があったため 「あ、それはそれで良いことだね」 と、とりあえずは祝福をする。
連絡をしてきたのは 「ボトルをお預かりしているから」 とのことにて 「だったら空にしなくちゃいけねぇ」 とその残量を勘案し、「ひとりじゃ無理だな」 と、だれかれの顔を頭に思い浮かべるが、みなそれぞれに予定はあるだろう。どこかにひま人はいないものか?
初更、居間へ上がって "MACALLAN 12 YEARS OLD" のお湯割りを飲む。晩飯の前にすこし読むつもりで寝室から持ち出した 「水のように笑う」 のカヴァー内側の表紙は雨の中央通り、日本橋付近をただ静かに撮したもので、これがとても良い。
胡瓜と蟹の酢の物、冷や奴、キヌサヤの胡麻和え、鮪の刺身、春巻きにてこんどは泡盛 「残波」 のお湯割りを飲む。油揚げと蕪の葉の炒め煮、セロリの浅漬けにてメシを軽く1杯のみ食べる。
8時13分が締め切りのYahoo!オークションで写真集1冊を落札しようと事務室へ降り、しかしコンピュータを立ち上げているうちにその時間が過ぎる。30分後が締め切りの別の写真集に札を入れてコンピュータの電源を落とす。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
0時に目を覚まし、次は3時30分に目を覚まし、6時に目を覚ましたところで起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、レタスとツナとグリーンアスパラガスのサラダ、松前漬け、納豆、胡瓜のぬか漬、メシ、大根と万能ネギの味噌汁。
おととい "Computer Lib" へ行ったとき、そろそろ社内会議を終えようとしていた中島マヒマヒ社長はプロジェクタに 「清閑日記」 の5月31日版を投影し、その表題 "patio、webpage、weblog" を見て 「私のブログもきのうはこの話題でしたよ」 と言った。
ふと思い出してマヒマヒ社長のその日記を読んでみれば、同じ "nifty" の "patio" について述べながらそれは過去への感謝と未来への決意があって、僕には到底、書くことのできないたぐいの文章だった。しかし会社のウェブペイジからリンクさせるものとしては自己韜晦的な日記よりも、マヒマヒ社長の青く爽やかなそれの方がふさわしいことは確かだ。
きのうの晩飯の残り一切合切に生ハムを加えて挟み込んだ田舎パンのサンドウィッチふたつを示して家内が 「幾らだったら売れる?」 と訊くので 「800円、いや1,200円」 と答える。ただしこれを1,200円で売るには、それなりの装置が必要だろう。学生のころ、ヒルサイドテラスの 「トムスサンドウィッチ」 へうっかり入り、その値段の高さに仰天したことを思い出す。1970年代の後期、あそこのホットコンビーフと炒めキャベツのサンドウィッチは確か800円ほどではなかったか。
巨大なサンドウィッチふたつ、それにまだある豚のクリームシチューを昼飯にして 「いくら美味そうだったとはいえ、サンドウィッチはやはりひとつにしておけば良かった」 といささか後悔をする。
晩飯を存分に食えるよう、終業後にキャベジン1包を飲む。きのう次男の注文品 「たまごっちプラス」 と共に届いた
6時30分に居間へ上がり、結婚して姓の変わった社員ミズヌマセイコさんから新婚旅行のお土産としてもらった比嘉酒造の泡盛 「残波」 をお湯割りにする。ミズヌマさんに 「美味しかった」 と報告をする関係上、今夕は家内のお湯割りも作る。そして白菜キムチ、2種のキノコ、厚揚げ豆腐、タシロケンボウんちのお徳用湯波、ニラ、豆モヤシ、牛肉を投入した鍋をその肴とする。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
朝6時に目を覚まし、30分後に起床して事務室へ降りると、僕宛に届いた茶封筒が開封してある。
"amazon" に 「たまごっちプラス」 を注文した次男はその翌日以降、学校から帰るたびその到着を確かめ、ブラウザから配送状況を調べるよう言いつのってきた。きのう僕の留守中に荷物が届き、これが自分の注文品かも知れないと考えた次男は、まわりが 「それは違う」 と言うのも聞かずとにかく開けてくれとオヤジに頼んだとは、既に家内から聞いていたことだ。
封筒の中身は先日、Yahoo!オークションにて落札をした
7時に居間へ戻る。朝飯は、納豆、目玉焼き、ピーマンの油炒め、胡瓜のぬか漬、納豆、松前漬け、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
夏のギフトのダイレクトメイルは今週の月曜日に投函した。そのため地方発送の注文が朝から多く、事務係のイリエチヒロさんは今日は休みだから、コマバカナエさんがそれらの処理をひとりで受け持ち、夕方になっても仕事は終わらなかった。始業から9時までは割合にひまなところから、残りは明日の朝にしようと言って残業は避ける。
初更、次男の漢字練習を督励する。次男はその後、ようやく "amazon" から届いた 「たまごっちプラス」 の代金725円を小遣い帳へ記入した。僕はいそいそとグラスにお湯を注ぎ、"MACALLAN 12 YEARS OLD" のお湯割りを作りにかかる。
生のトマト、茹でたグリーンアスパラガス、3種のキノコのオリーヴオイル炒め、砂肝の同じくオリーヴオイル炒めバルサミコソース、焼いたチョリソー、田舎パン、レヴァーペイスト、バター、チーズ。そのチーズを薄く切ってパンに載せこれを食べる。ここへ至るまで、飲みものはきのう残した白ワインではなく一貫してウイスキーのお湯割りで、これは僕が野蛮人になってしまったのか、あるいは "MACALLAN 12 YEARS OLD" のお湯割りがよほど美味いのか。
食後のイチゴはあってもなくても良いものにて、僕は鉢の中から2粒のみをもらう。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
4時50分に目を覚まし、洗面所へ行って窓を開けると空も山も街も既に朝日を浴びて明るかった。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時前に居間へ戻る。朝飯は、茄子の炒りつけ、胡瓜のぬか漬、松前漬け、焼きたらこ、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能ネギの味噌汁。
登校する次男よりも早くに玄関を出る。下今市駅7:46発の上り特急スペーシアに乗り、コンピュータを起動する。先日の本酒会の会報をいまだ書いていない。利き酒の投票のみをフォーマットへ入れて順位決定のマクロまでは回すが文章は書けない。清閑日記の5月分を "new" のフォルダから "2005.05" のフォルダへ移し、インデックスを書き直す。
北千住から新御茶ノ水を経て神保町へ至る。ウェブショップに新しい商品2点を増設する件についてはその説明文、画像、ペイジの新しい設計図を "Computer Lib" へ送ってあった。システムはきのうの晩までに組み上がっているはずだから、今日はその現場合わせと動作試験ということになる。僕はウェブペイジや印刷物の出来についてはいささかパラノイアの気があるため 「任せるからテキトーに頼むよ」 というわけにはいかない。
"Computer Lib" の担当者マハルジャン・プラニッシュさんからはきのうの夜9時すぎに質問のメイルが入っていたが、コンピュータは事務室へ置いたまま、僕はこれを自室へは持ち帰らない。よってこの質問への返信は今朝の5時52分に送付した。マハルジャンさんはこれを出社してすぐに読むだろう。質問の内容は、僕が到着するまでに解決しているだろうか。
9時55分に 「鶴八」 のある路地から "Computer Lib" への階段を上る。会議中のテイブルから担当者のみが外れ、ウチのウェブショップの作業に入る。
「ウワサワさーん、お昼、なに食べたいですか?」 と、いまだ11時30分にもかかわらず突然、中島マヒマヒ社長が遠くから声を張り上げる。「カレー、かなぁ」
「カレー? ちょどいいっすよー、いま神保町のカレーマップ、作ってるんです」
「いや、神保町のカレーマップなんて、もうあっちこっちにあるでしょう」
「いや、ウチのはちょっと、違うんすよー」
どこが違うのかは知らないが、マヒマヒ社長が 「おととしインドに行ったナカジマが保証しますけど、ここのカレーが神保町で一番、インドっぽいんすよ」 という "SHANTY" の行列に並び、10分後に席へ着いた僕は昼の定食からダルカレーの "medium hot" とライス、ラッシーを選ぶ。マヒマヒ社長は同じ組み合わせにてライスではなくローティを注文した。
口へ運んでみればなるほど、25年前と23年前にインドへ行ったウワサワも保証するけれど、これはインドっぽいカレーだ。僕はラッシーの上に別料金のマサラチャイまで飲んで締めくくる。「たまにはごちそうさせてくださいよー」 というマヒマヒ社長により昼飯代はタダになった。
ウェブショップの商品をふたつ増やすだけ、とはいえそこには複雑な手続きが必要だ。"Computer Lib" のマハルジャンさんがこの作業に入った昨夜9時から本日午前中までの受注をブラウザとメイラーの双方から監視していると、そのあいだにすこしく乖離する部分があるため、それをマハルジャンさんに伝えつつ、メイラーでは追えるがブラウザに反映されない注文について、これを弊社の受注係コマバカナエさんにメイルで転送し続ける。
そのようなことと、永遠に続くかと思われるテスト発注を繰り返しているうち3時になり4時になり、やがて5時になる。家で晩飯を食うためには遅くも北千住18:11発の下り特急スペーシアに乗らなければいけない。取り急ぎシステムのあちらこちらを最終確認し、神保町から小川町、新御茶ノ水を経て北千住へ至る。北上する列車の左手に見える大きな夕日をデジタルカメラへ収めようとして、それはみるみるうちに遠くの家並みへ没した。
8時前に帰宅して4階の居間へ向かう途中、2階のワイン蔵から "Mouton Cadet Blanc Baron Philippe Rothschild 2002" を引き出す。レタスとトマトと絹さやのサラダを肴にこの白ワインを飲み、昨夕に続いてクリームシチューと米のメシを食べる。豚のクリームシチューは好物だから、何日続いてもこれを食べ飽きることはない。
ウェブショップはその細部に目をやれば、いま一度の手直しが必要だろう。入浴して牛乳を200CCほども飲み、10時に就寝する。