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大空に月と日が姿を現してこのかた 紅の美酒にまさるものは無かった
腑に落ちないのは酒を売る人々のこと このよきものを売って何に替えようとか
Omar Khayyam

 2005.0430(土) この程度の運動

4時に目を覚まし、「Shall we ダンス? アメリカを行く」 を読み終えて4時30分に起床する。その15分後に事務室へ降りれば、いつものよしなしごとの他にも店舗のレイアウト替えなどいろいろなことができる。

朝飯は、ジャコ、「はれま」 の 「やさい」、ふきのとうのたまり漬、蕪と胡瓜のぬか漬によるお茶漬け。僕はお茶漬けとなれば大振りの茶碗でメシ3杯を食べるため、途中からなめこのたまり漬も追加する。

テニス部の練習を見学したいと言う次男と自転車で松原公園へ行く。八重桜はいまだ満開を過ぎたばかりだった。聞き違いでもしたか、テニスコートには中学生しかいない。公園前の 「市本サイクル」 で訊いてみると、このちかくに別のテニスコートはないという。大谷川に沿ったのどかなサイクリングロードを戻り、次男の要請にしたがって 「ブックオフ」 へ至る。そこから旧市街へ戻りつつ "TSUTAYA" へ寄り、マンガ1冊を買わされる。

自転車で走った距離は10キロほどだっただろうか。しかしこの程度の運動では大したカロリーは費消しない。その証拠に、帰宅するまで汗もかかなければ腹も満杯のままである。

連休のあいだだけ閉店時間を1時間延長することにした。この体制を実際に経験してみると、時間に尻を叩かれないため気分はとても楽だ。連休には、渋滞により帰り足の遅れた夕刻以降のお客様が多い。7時に事務室を閉じて居間へ戻る。

レタスとアスパラガスとブロッコリーとツナのサラダカレーライスを晩飯として飲酒は避けるイチゴは1粒だけ食べて残りは次男に渡す

入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.0429(金) もっと美味い酒

目を覚ましたのは4時だから、これは自分としては常識的な目覚めの時間だろう。「常識」 ということばを用いるとき、そこには 「自分としては」 とか 「自分にとって」 と添えることが肝要だ。100人のひとがいれば100の常識がそこにはある。そして 「常識」 をいうことばを好んで用いながら自らは常識から外れたひとが世の中には多い。

そういえば 「是々非々」 ということばもこの場合の 「常識」 に似ている。これを多く発する者に限って、その是々非々はみずからの都合に拠っているところが目立つ。

枕頭のメモにただ 「P235」 とある。これはきのう寝る前に読んだ 「Shall we ダンス? アメリカを行く」 のこのペイジに何か面白いこととか、あるいは示唆に富んだことが書いてあるということだろう。そしてその235ペイジを開いて入念に読むが、特に思い当たる個所は無かった。酔っていたり寝ぼけていたりしたときのメモはほとんど暗号である。

5時に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、ピーマンの油炒め、三つ葉のおひたし、納豆、胡瓜と蕪のぬか漬、なめこのたまり漬、メシ、大根と万能ネギの味噌汁

今日から連休の入りだが、店舗に接する国道119号線も121号線も、だからといってそう混み合っているわけではない。ゴールデンウイークの繁忙の頂点は、ことしは5月3日か4日になるだろう。

初更、オリーヴの実を肴に "Pisco Capel Especial" を生で飲む。強い酒は得てして舌を麻痺させるが、これの原材料はマスカット系の葡萄だからその心配はない。トマトとモツァレラチーズのカプレーゼ玉ネギとパルミジャーノレッジャーノのスープフランスパンこれのどこが美味いのか子供のころから理解できない茹でたブロッコリーの茎生ハム玉子のグラタン。ワインは昨年のボジョレヌーボー。ウチに遊びに来て、これの在庫をガーッと飲んで空にしてくれる若い人はいないだろうか。齢も50に近くなれば、自分はもっと美味い酒が飲みたい。

"Cantuccini" を皿へ盛り、ふたたび注いだ "Pisco" の肴とする"LE RUSTIQU" のチーズにて締める

入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.0428(木) 悪くない写真

きのうと同じく未明に目を覚まし、「Shall we ダンス? アメリカを行く」 を読んだり二度寝をしたりして6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、納豆、胡瓜のぬか漬、ほうれん草の油炒め黒酢がけ、生のトマト、きのうのカニ玉、ナメコのたまり漬、メシ、ワカメと万能ネギの味噌汁

荒木経惟の 「東京慕情」 を 「家族の本棚」 という古書店に発見し、ついでに商品目録を見るうち池田弥三郎の 「私の食物誌」 にも目が留まった。これもあわせて発注したところ店主から返信があって、2冊とも在庫の確認がとれたが 「私の食物誌」 は文春文庫ではなく新潮文庫の勘違いだった、それでもよければ発送する、とある。

エビスビールを頼んでアサヒしか在庫がなかったと言われればしばし躊躇もするが、文春だろうが新潮だろうが中身は同じだろう。かまわないので即、出荷してくれるよう返事をする。

月曜日にコンタクトプリントを頼んだ 「かみじょうカメラ」 へ電話をし、それが上がっていることを確かめて自転車に乗る。帰社してルーペの中にそれを見れば、1934年製のライカ?に同時代のエルマーを組み合わせ、勘による露出で撮ったにしてはなかなか良いものが含まれている。終業後にふたたび 「かみじょうカメラ」 へ行き、悪くないもののみを選んで紙焼きの注文をする。

昼間、鎌倉の食材屋から生ハムなどが届いたため、てっきり今夜はそれ系のメシかと思い、半分だけ飲んでバキュバンで栓をしておいた "Vin Mousseux Brut Pierre Legendre" をシャンペングラスに注いで飲みはじめたところに、おかずは生姜焼きだと知らされる

茗荷を薬味にした冷や奴マカロニサラダ、豚の生姜焼き、刻みキャベツにてその白ワインを飲む。よほど胡瓜と蕪のぬか漬にてメシを食おうかと考えたが、いまより腹が出ては困るので止めておく

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.0427(水) トマトをおかずに

3時30分に目を覚まし、「Shall we ダンス? アメリカを行く」 を読んだり二度寝をしたりして6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、つまみ菜の胡麻和え、鰯の味噌煮、ふきのとうのたまり漬、なめこのたまり漬によるなめこおろし、胡瓜のぬか漬、タケノコご飯、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁

このところ雑務が多く、22日に行われた本酒会の会報を書いている時間がなかった。否、時間はあったが書く気分が起きなかった。「時間が無い」 と言い訳をする人の大半は、時間がないのではなく、その行為をしたくないのである。とにかく夕刻これを仕上げてメイル版を同報で送付し、またウェブペイジ版を作成する。最後に一等面倒な郵便版を印刷し、封筒に詰めて代金別納の紙幣と共に輪ゴムでまとめる

初更、次男の算数の宿題を督励する。晩飯の前から白菜キムチにて焼酎 「無月」 のお湯割りを飲む

むかし、よその家で昼飯どきになると、塩をふりかけたトマトをおかずにメシを食べる風景が見られ、子供心にも奇異なものとして眺めた記憶がある。しかしそれは畑から収穫してきたばかりのトマトとカマドで炊いたホカホカのメシだったから、現代の常識に照らせば非常に贅沢なものになる。この思い出を農家のサイトウトシコさんに伝えたら 「トマトにソースかける人もいるんだわ」 とのことにて、しかし僕は、それについては試す気はしない。

そして今夜のトマトにはイチゴのそれに似た快い酸味があった蝦、イカ、豚肉などの入ったチャンポン麺の具のような炒め物カニ玉にて更に焼酎のお湯割りを飲む

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.0426(火) すり切れない服

新宿の紀伊國屋から伊勢丹へ向かってすこし歩くと、表通りに面しているとはいえ間口1間半ほどのステーキ屋があって、僕はそこのカウンターに座っている。オヤジが大きな肉のかたまりから4枚の分厚いサーロインを切り出して 「どちらにしますか?」 と訊く。僕はそのうちできるだけ歯ごたえのありそうな、そして最も脂分の少なそうな1枚を選んで 「これでお願いします」 と答える。

ここで覚めてしまうのだからつまらない夢である。枕頭の灯りを点けて時計を見ると3時30分だった。「ロシアカメラがむせぶ夜は」 の破綻した美文調ははじめの数十ペイジほどで、以降は幾分かまともな日本語になった。しかしひとつのセンテンスに主語が重複する長徳節はそのままに最後のペイジを迎える。

6時に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。今にも降り出しそうな空は暗く、日光の山はまったく見えない。朝飯は、きのうの夜からの蕪と油揚げの炊き物、同じく鶏肉と水菜のサラダ、生のトマト、胡瓜のぬか漬、納豆、メシ、大根と万能ネギの味噌汁

牧童が着るのか墓掘り人夫が着るのかは知らないが、ウェールズ製のスモックがある。これを十数年のあいだ使ううちに袖の取り付け部分が裂けてきた。裏返してみると縫い代のところまで糸がほつれているから無理に直すと不自然な引きつれが起きるだろう。いっそのこと大きなつぎあてをしてしまったらどうかと考え、次男が履き古したズボンと共にそれを "JUSCO" のリフォーム店に持参してオバサンに縷々説明をする。

"Altitude" のクライミングジャケットとか "Belstaff" のライダーズジャケットとかの、いわゆるすり切れない服が僕は好きだ。これらにはあちらこちらにあて布があって、いわば新品のときからつぎあてが為されているようなものである。紺色のスモックも履き古したズボンの生地を重ねられて、よりすり切れづらい服になるだろう。

昼過ぎにあった雷と驟雨はその矛先を収めて空は晴れた。燈刻に次男の漢字練習の宿題を督励する

サイトウトシコさんちのタケノコの炊き物とウチの玄関前から採取した木の芽同じくサイトウトシコさんちのつまみ菜の胡麻和え冷や奴と胡瓜のぬか漬タケノコご飯、つぎあてを依頼した後に "JUSCO" の食料品売り場で買った焼き鳥。これらを食べつつ焼酎 「無月」 のお湯割りを飲む。

入浴して牛乳を飲み、9時30分に寝室へ入るが眠れない。"amazon" からリンクした古書店にて1円で入手した

「Shall we ダンス? アメリカを行く」  周防正行著  太田出版  \1,890

を開き、結局はこれを0時30分まで読んでしまう。論理的かつ平易な文章にも助けられて、遅読の僕としては珍しく129ペイジまでこなす。この本は実は、出版されたばかりの同じ著者による 「アメリカ人が作った Shall we dance?」 を買おうとして、しかし 「1円」 に惹かれて注文ボタンをクリックした7年前の本である。

「アメリカ人が作った Shall we dance?」 に興味のある人は、オリジナル判 「Shall we ダンス?」 をアメリカへ売り込んでいくときの苦労を監督自身が綴ったこの本を、それよりも先に読むと面白いと思う。

1時ちかくに就寝する。


 2005.0425(月) 好きな仕事

目を覚まし、枕頭の灯りを点けて時計を見ると2時30分だった。とりあえずは二度寝をしようと灯りを落とし、すこしは眠れたのかどうかは明確でないが、1時間後にふたたびライトのスイッチをひねって 「ロシアカメラがむせぶ夜は」 を読む。暗くして休んだり、また明るくして本を開いてということを繰り返して6時30分に起床する。

事務室へ降りても大したことはせず7時に居間へ戻る。朝飯はお茶漬けにしてくれるよう頼んだが、食卓へ着いてみれば今朝のメシは炊きたてだという。40年ちかく前にお茶漬けを食べていたら、妹の、ちょうど遊びに来ていた友達がそれを見て 「ウチでは新しいゴハンでお茶漬けはしない」 と言い、それ以来、僕は炊きたてのメシでお茶漬けをすることはしなくなった。

というわけで、ジャコ、胡瓜と蕪のぬか漬、「はれま」 の 「やさい」、なめこのたまり漬、味噌をまぶした鰹の角煮、焼き海苔といったお茶漬けの具をおかずにしてメシを食う。

始業直後、数日前より準備をしておいた文章によるメイルマガジンを送付する。有り難いことに、いくらもたたないうちから、そのメイルマガジンをお読みになってのものと思われるご注文が相次いで入る。後は受注係コマバカナエさんの仕事である。ひと息ついて、「古本スカラベ」 から届いたばかりの

「パリ開放」  赤瀬川原平、秋山祐徳太子、高梨豊  アルファベータ  \3,400

を閲覧する。写真集のつまらない点は、何千円何万円を投じても、すぐに最後のペイジへ行き着いてしまうところにある。ところでこの本のあとがきで赤瀬川原平は、この写真集の元になる写真を撮るにあたって、パリで1日に2万歩を歩いたと書いている。僕が 「侘助たちの午後」 を撮ったときも、やはりこなした歩数は2万歩だった。そのくらい歩けば、いくらかは面白い写真がフィルムに残るものである。「写真家にもっとも必要なのは丈夫な靴」 と言ったのは誰だっただろうか。

店舗駐車場北側にある植え込みの土には、これを敷いたときからだろうか、瓦礫が混じって見た目が悪かった。この場所から石ころだけを拾ってくれるよう、ことし入社した販売係のアキザワアツシ君に頼み、数時間後に確認に行ったらまるで見違えていてビックリする。近づくと土には禅寺の庭のような箒目まで入っているから本人に訊けば、このような仕事が好きなのだという。何ごとも、好きな人には敵わない。

燈刻、うずら豆、冷や奴鮪の刺身なめこのたまり漬入りスクランブルドエッグ鶏肉と水菜のサラダ蕪と油揚げの炊き物胡瓜のぬか漬をおかずにメシ1杯を食べ、飲酒は避ける。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、10時に就寝する。


 2005.0424(日) 近々うなぎも

目覚めると、明かりをつけなくても時計の針が読めるくらいの光が部屋の中にはあった。春ももうお終いのころに差しかかっている。そういうわけで5時15分に目を覚まし、しかし活字を判読するにはいまだ電灯の力を借りる必要がある。「ロシアカメラがむせぶ夜は」 を30分だけ読んで起床し、お湯を沸かしてプーアル茶を飲む。

家内が時間を気にするため、いつもより10分はやい6時25分に甘木庵を出る。このまま普通に行けば浅草へは7時前に達し、そうするといずれ切符売り場のシャッターは閉まっているから馬鹿ばかしい。ショルダーバッグからライカ?を取り出し、裏道の風景を撮るなどの時間調整をしつつ上野広小路まで歩く

浅草で下り特急スペーシアの切符を確保した後、「スターバックスコーヒー」 へ行く家内と別れて地下への階段を降りる。朝定食のメニュには 「7時より10時半」 と書いてあるのに7時に行くと店はまだ掃除中というのが豚かつ屋 「会津」 のマズイ点である。入店から10分を経て目玉焼き定食にウインナーソーセージを加えたものにありつく。定食には幅の狭い袋入りの海苔が付くが、僕はこれは食べないからいつも返却をする

9時すぎに下今市駅へ着いて歩き出そうとすると家内が 「何よ?!」 と言う。「歩いて帰ろうとは何ごとか」 という意味なのだろう。僅々800メートルの距離をタクシーにて帰社する。

午後、店に立っていると、うっすらと見覚えのある方が商品をお買い上げになりながら僕に 「ホイールキャップ、そのままになっててスミマセン、必ずお持ちしますから」 と言う。数秒の後 「ひょっとしてこの人は、僕に "Giulia Sprint GT" を売ったヨシモトさんだろうか」 と考え、ようやく昔の顔と今の顔とが合致する。それにしても、僕がヨシモトさんからアルファロメオの 「段付き」 を買ったのは1990年のことで、指折り数えるまでもなく爾来15年が経っている。そのクルマにホイールキャップがあったかどうかの記憶などはとうに無い。明日にでも車庫へ行って確かめてみようと考える。

夕刻に何が食べたいかと問われ 「フランスパンにチーズとジュレを載せたやつ」 と答える。そのとき頭にある飲みものはシャンペン以外の何物でもない。次男の日記の宿題を督励した後、2階のワイン蔵へ降りるとシャンペンではないが "Vin Mousseux Brut Pierre Legendre" という 「成城石井」 が輸入元のワインが見つかったため、これを居間へ運んで抜栓するベビーリーフと茹で蝦のサラダ鮭とほうれん草のグラタン鶏肉のオリーヴオイル焼きバルサミコソースと茹でたグリーンアスパラガス

金谷ホテルのバゲットを軽く炙り、ここに薄切りのチーズを並べる。オフクロがフランスのどこかのオバサンからもらってきた2本のビンのうち先ずリンゴの方を開いて中身をそのチーズに載せる。こういうものを食べると 「ケーキなんかいんねぇや」 という気分になるが、家内が "Chez Akabane" で買ってきたケーキはケーキでまた食べる

入浴して冷たい牛乳を300CCほども飲んだところで今朝みた夢のことを思い出す。飯山の 「本多」 かどこかは知らないが、ふっくらと焼かれたうなぎの蒲焼きを、その下の温かいメシと共に箸で上手に取り、それを持ち上げようとしたところで目が覚めた。目が覚めたとき、僕の口は夢の中だけではなく、現実においてもぽっかりと開いていた。その、口をぽっかりと開いた瞬間に僕は覚醒したのである。

「近々うなぎも食いてぇなぁ」 と考えながら9時30分に就寝する。


 2005.0423(土) 友達の家で食べるメシ

目を覚まし、枕頭の灯りを点けて時計を見ると3時だった。「ロシアカメラがむせぶ夜は」 を1時間ほど読んで二度寝に入り、6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、今朝はしかしいつもの7時ではなく8時に居間へ戻る。

朝飯は、モヤシのナムル、つまみ菜のナムル、メカブの酢の物、胡瓜と蕪のぬか漬、生のトマト、納豆、メシ、アサリと長ネギの味噌汁

昨年より同級生を撮ったうち出来の良いネガフィルムを選んで数日前に 「かみじょうカメラ」 へ持参してあったが、朝、郵便局へ行くついでにその紙焼きを受け取って帰る。飲み屋の平板な照明の下で撮ったツナシマショウゾウ君の写真は普通だが、明日館の食堂で撮ったイリヤノブオ君とコモトリケイ君の写真には 「やっぱズミクロンだよねー」 という陰影があった

家内と共に14:36発の上り特急スペーシアに乗る。北千住、西日暮里、池袋と経由してひばりが丘へ至る。オギノヒロツグ君の家での同窓会に出席をする

ほうれん草のおひたし里芋の煮物この家の庭で採れたタケノコの煮物茄子の煮びたし2種の生麩の山椒味噌平目の薄造り鰹のたたき鶏肉団子ローストビーフ小胡瓜の浅漬け小なすの浅漬け、らっきょうのたまり漬、ふきのとうのたまり漬、ごはん。どれをとっても美味いこれらを肴に、ビールもワインも日本酒もあるが、僕は生の芋焼酎を飲む。

クラス委員のツナシマショウゾウ君とノリマツヒサト君が我々のクラスの会計報告をし、新たな会費を募る。また必要事項の報告をする。遠方のヨネイテツロウ君より電話が入る。皆が楽しみ談笑をする。

パンナコッタはいまだ台所にあるうち真っ先にスプーンを突っ込んでこれを自分の皿へ盛るチョコレートケーキダ・ルチアーノのアイスクリーム巨大なデロンギのコーヒーメーカーから注ぐエスプレッソ

オギノ君の奥さんやその妹さん、お手伝いの奥さん方にはずいぶんと面倒をおかけしてしたが、お陰様で楽しい夜だった。11時になりかかるころにようやく学園町のオギノ邸を辞去し、ひばりが丘から池袋、本郷三丁目と辿って甘木庵に帰着する。入浴して冷たいお茶を200CCほども飲み、1時ちかくに就寝する。


 2005.0422(金) 一汁二菜

5時30分に起床し、多少ぐずぐずしたのち事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻れば、南西の山を覆う雲の流れが速い。とここまで書いて 「果たしてあれは雲なのだろうか、それとも霧なのだろうか」 と考える。このような疑問を専門家に質したとき、もしも当方が幸運であれば、相手は面白くも無さそうな顔で明快直截なひとことを発するのみだが、ややもすると先方は嬉々として長広舌をふるい、結局は何を言っているのかさっぱり分からないということになる。

朝飯は、納豆、胡瓜と蕪のぬか漬、メシ、きのうの肉団子と水菜の味噌汁。朝飯のおかずは3品が理想だと家内に頼んだがまたいつのまにかその数が増えてしまった。今朝の納豆はきのうの朝に手を着けなかったもので、すこし物足りなくはあるが、今朝の一汁二菜も悪くはない。

町内にある市縁ひろばに 「かたくり亭」 という料理屋がこの20日にオープンしたとのことにて、12時前に家内と出かけてみる。店内は満員の盛況で、正午を過ぎてはとてもではないが、いまのところ空席にありつくことはできないだろう。この店の売りものらしい定食を注文し、これを写真に収める。

ふと家内の前に置かれたそれを見ると、僕のお盆には湯波の刺身が足りない。開店して間もない上に繁忙が重なって、いろいろと作業上の齟齬があるのだろう。そこのところは、働いているオバサンの愛嬌でカヴァーである。食べた中では特に、ものすごく正直に、真面目に作った蕎麦が僕には最も美味かった。次は開店直後に来て、この蕎麦だけを食べてみようと思う。

初更、自転車に乗って日光街道を下り、第143回目の本酒会が開かれる 「市之蔵」 へ行く。本日のテーマは、能代の 「天洋酒店」 に頼んで実現した 「喜久水特集」 である。1本目のにごり酒 「一時」 をイチモトケンイチ会長が開けようとして、その栓を天井まで吹き飛ばす。「一時」 の泡の勢いは、よく振ったジェロボームのシャンペンどころの騒ぎではない

8種の酒肴がある八寸盆鰹の刺身サザエの壺焼きと鯨のジャーキーミニグラタン蝦と手羽先のフライ。「3,000円でこんなに出して大丈夫か、市之蔵」 と心配になる。テイブル上は多くの皿小鉢が延々と連なっている。夜遅くにこれらを片付ける店の人を気の毒に思い、奥から手渡しで徐々にそれらを厨房の方面へ移動させる

ジャコのおにぎりあさりの味噌汁にて締める

9時40分に帰宅をすると、次男はいまだ起きていた。入浴して牛乳を300CCほども飲み、10時30分に就寝する。


 2005.0421(木) 上澄み

目を覚まし、20分か30分が過ぎてから枕頭の灯りを点け、時計を見ると2時20分だった。「ロシアカメラがむせぶ夜は」 を床から拾い上げて、これを開く。

今月17日の日記に、この本について 「早くも巻頭のグラビアにテニヲハのおかしな文章が顔を出す。編集者が助言を遠慮するような大先生でもねぇだろうになぁ」 と書いたが、今朝はじめて読んだ 「まえがき」 の最後尾には 「私の日本語を逸脱したテキストを正しい標準語に校正してくださった、グリーンアロー出版社の戸村さんに感謝します」 の一節があった。

古典的な美文を書こうとして破綻するのがチョートク節の特徴のひとつだが、鴎外、漱石、荷風たちの文章は、和漢洋に通じた末の上澄みである。出版社の人に逐一修正されながらなお意味不明というこの本の文章は、田中長徳が書いた中でも出色の悪文と確信する。文章は、つい数年前に言葉を覚えたばかりの小学生が書く作文を参考にすれば、まず間違いがない。

と、このようなことを連ねながらも、僕は田中長徳の本や写真集には既にして結構な金額を投じているのだから、めでたいと言えばめでたい。

ワケの分からない文章を読めば眠気は増し、しかし灯りを落とすと目が冴える。そのようなことを繰り返すうち6時30分になったので起床し、事務室へ降りていつものよしなしごとをする。朝飯は、納豆、ほうれん草の油炒め黒酢がけ、茄子のぬか漬、メカブの酢の物、味噌をまぶした鰹の角煮、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と長ネギの味噌汁

隠居の入口に敷いてある薄い石が冬の寒さに凍て上がって浮いてきたのは何年前のことだっただろうか。先日、思い切って左官屋に石の張り替えを頼んだ現場を見るため、昼飯の前に外へ出る。「ガキのころから遊んでて気がつかなかったのか」 と自分自身に呆れたが、庭の奥の山桜には、それに寄り添うようにしてもう1本の桜があった。隠居の桜は3本とばかり思っていたが、正しくは4本だった。

「季がさなり」 という言葉はあるが 「花がさなり」 とは聞いたことがない。それでも本日の庭には散りかけた梅と桃の花にしだれ桜が重なって、そこには遅い春の賑わいがある。夏にはまるで人の背丈ほどの雑草に覆われる場所には、ことしも約束をしたように黄水仙が咲いているそしてせせらぎの水面には無数の桜の花びらがあった。北山左官のオジサンに言葉をかけて会社に戻る。

西の空が暮れていく。"POMMEAU NORMAND" を飲みつつ朝に続いてチョートクの本を読む

家内が 「晩ご飯、何にしようかなぁ」 と言うので 「肉団子と春雨の鍋」 と提案をすると 「きのうもお鍋だったのよ」 と返すので 「相撲取りなんて、まいんち鍋、食ってんだぜ」 と更に返した。そのような経緯があって、肉団子と春雨と椎茸と豆腐をだしで炊きこれへつまみ菜を投入する。それらを3種のたれで食べつつ白花豆、キムチ、三種のぬか漬にもときどき箸を伸ばし焼酎 「無月」 のお湯割りを飲む

入浴して9時30分に就寝する。


 2005.0420(水) 「プアマンズなにがし」

5時30分に目を覚ます。6時に 「ライカ百景」 を読み終えて起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。久方ぶりの雨が降っている。朝飯のおかずは頼んでおいたとおりにきのうの晩飯の残りもので、ハム、レタス、蛍烏賊の素揚げ、トマト入りスクランブルドエッグ、メシ、シジミと長ネギの味噌汁

どこかのウェブペイジに、自分があと30年生きるとすれば、一生のうちに見られる桜は残り30回で、だから真面目に桜の写真を撮りたい、というようなことが書いてあった。そういう命の限度を考えたり、あるいは未来から現在までの逆算をしないところが僕のダメなところである。桜など、見ようとすればいつでも見られるような気になっている。その桜も今日の雨で、多くの花を散らすだろう。

燈刻、自らの事務机を見てその写真を1枚撮る。数ヶ月に1度しか使わないスキャナーがここにはあって、その上に更に、読もうとして読めない新聞や資料のたぐいが積み重なっている。その紙の集積をどうにかするにはどのような行動をとればよいか? 長く列車に乗るときになど、これらをザックへ入れることがある。その結果、紙の集積はスキャナーの上ではなくザックに未読のままで溜まっていく。そしてスキャナーの上には新たな印刷物が増えていく。要は、すべて捨ててしまえば良いだけのことである

本日の酒を断とうとは、大抵その日の朝に決める。そうして迎えた晩飯は鍋だった。「ホトトギス季寄せ」 によれば、花冷えとはやはり春4月の季語だった。2種のキノコとタシロケンボウんちのお徳用湯波をダシで炊き豚肉水菜を投入する。高島屋東京店の地下1階にある 「春帆楼」 のフグの値段には 「オオッ」 と目を見張るがポン酢だけなら心理的な負担を伴わずに買うことができる。そしてそのポン酢はやはり美味い。

「プアマンズなにがし」 という物言いや考え方が好きだ。"Vanden Plas Princess" が "Poorman's Rolls Royce" と呼ばれた例が最も有名かも知れないが、こんど上出来の白身魚が手に入ったら、それを薄切りにしてシャブシャブにしてみたい。そしてそれを 「春帆楼」 のポン酢で食うのである。

茄子のぬか漬でメシ1杯を食べ、白花豆にて締める

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.0419(火) 「正統のみを知れ」

4時間30分ほど眠って5時に目を覚ます。枕頭の灯りを点け、きのうレモン社で購った

「ライカ百景」  佐々木悟郎  枻文庫  \650

を読む。中古ライカの相場はずいぶんと落ち着いてきたが、書籍においてはいまだその題名に 「ライカ」 の文字を入れるものが多く、しかしいざ読み始めてみればライカ以外のカメラについての記述が多かった、などということも少なくない。この本についてはどうだろうか。起きだして熱いプーアル茶を飲みつつきのうの日記を作成し、それをサーヴァーへ転送する。

6時30分に甘木庵の玄関を出て薄日の差す道を歩く。切通坂を下る途中、湯島ハイタウンの前にポルシェの "914" が停まっている。このボディに6気筒のエンジンを積んだ "916" を褒めて、自動車構造画家の猪本義弘さんに 「どうして "911" ではないんですか?」 と返されたことがある。もう四半世紀ほども前のことだ。イノモトさんは 「常に正統のみを知れ」 と言いたかったに違いない。

いつもの 「会津」 がお休みだったため浅草の駅裏へまわり、24時間営業の蕎麦屋で天ぷらそばとボソボソのメシを食う

燈刻、オフクロがノルマンディより持ち帰った "POMMEAU NORMAND" を飲み、また 「ライカ百景」 を読む。レタスとハムのサラダトマトのオリーヴオイル和え蛍烏賊の素揚げとベビーリーフのサラダ鯛とエリンギとズッキーニのオリーヴオイル焼き金谷ホテルの田舎パンチーズ各種にて、その後が情けないけれど、おととしのボジョレヌーボーを飲む。

パンにバターを塗り、オフクロがどこかのオバサンにもらって帰った手作りのジャムというよりはジュレを塗って、これも酒肴とする。イチゴにて締める

入浴して牛乳を300CCほども飲み、眠くて本は読めず、9時に就寝する。


 2005.0418(月) オフライン

5時に目を覚まし、「中古カメラの愉しみ 金属人類学入門」 を読んで6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、茄子の油炒め、まだあるジャガイモのオムレツ、「はれま」 の 「やさい」、鰯の醤油煮、納豆、メシ、きのう残った刻みキャベツによる味噌汁

「とにかくギャラなんて誰もくれなくても仕事というのはいっぱいある」
「要約するとプロとかノンプロの違いではなくて、意味のない写真を撮るのが趣味で、意味のある写真が仕事だということ」

とは赤瀬川原平が 「中古カメラの愉しみ 金属人類学入門」 に書いていることだが、その、ギャラなんて誰もくれない仕事がこのところの僕には多い。そしてそのような仕事をしたり、あるいは多少は会社の売上げに貢献しそうな仕事をして午後になる。

下今市駅15:03発の上り特急スペーシアに乗る。エムサンの正面下部にグッタペルカの剥離を見つけたのはつい数日前のことだ。点検をしてみると裏蓋のグッタペルカにも浮きがある。浅草から銀座へ至り、銀座教会8階の 「レモン社」 にてこの張り替えを依頼する。ついでにエムサン用沈胴ズミクロンのフィルターを買う。

昨年の秋ごろの日記に、ライカの蒐集はこれにて打ち止めとする、というようなことを書いた記憶がある。しかし膨大な数の中古ライカをこの店のショウウインドウに見るうち 「?cか?cと沈胴ズミクロンの組み合わせ、それを手に入れたら本当の打ち止めにしよう」 と考えを変える。

そのショウウインドウの中に、馬鹿に安い?cがある。50ミリの沈胴ズマールが付いて62,000円である。係員に頼んでそれを出してもらい、カウンターに敷かれた柔らかいビニールの上で吟味する。明らかに外国人の筆跡による、鋭い突起で削ったらしい数字の羅列が底板にある。安さの原因はこれのみではないだろう。頭の両側を極端に刈り上げたハードモヒカンでありながら英国風のスーツと洒落たメガネを身につけた、先ほどとは別の店員に、このカメラの価格について質問をする。

髪型に似合わない、まるで洋服の仕立屋か宝石屋のような柔らかな言葉づかいと共に係員はその?cを点検し、低速シャッターが粘るから、少なくともこの部分だけはオーヴァーホールの必要があるだろうと述べた。僕が先ほどから気づいていたのはレンズの絞りリングの渋さで、これを左に回すとレンズ本体もそれに連れて回ってしまうから、どうにも使いづらい。安い品物にはやはり、それなりの理由があるものだ。

銀座教会を出て目と鼻の先の階段を地下へ下る。丸ノ内線にて池袋へ達し、この1時間、まるで高校生のような頻繁さでメイルのやりとりをしてきたゴールドロベルト君の待つ南池袋の 「山ちゃん」 へ入る。やがてヤマダジュンジ君も来て、ようやく次年度の、自由学園同学会ホームページ運営室の3人が揃う。本日の集まりはゴールド君による、顔を知らない人とオンラインのみで仕事をするのは不安だ、というしごくまっとうな意見により実現した

僕よりも8歳年少のゴールド君と、同じく19歳年少の山田君からは、我々に科せられた仕事についてのアイディアが次々と湧き続け、その中にはまるで瓢箪から駒のようなものも少なからずあった。僕はそれを次々とメモしていくが、明朝以降にその内容を判読できるかどうかは知らない。

手羽先を肴に延々と酒を飲み続け、気がつけば4時間が経っている。3人で池袋駅まで歩き、僕は丸ノ内線のプラットフォームに立つ。現在停車中の車両が荻窪行き最終である旨を駅員が伝えている。「これが茗荷谷行きの最終じゃなくて助かったぜ」 とひと安心をする。

甘木庵に帰着するが、酒を飲み過ぎているための怠惰さからシャワーを浴びる気が起こらない。時刻は0時を過ぎている。パジャマに着替えて即、就寝する。


 2005.0417(日) アサメシ

目を覚ますと障子からの光には既にして朝の色があった。枕頭の灯りを点けてきのうの夕刊を眺め、しばらく後に起床してお湯を沸かす。熱いプーアル茶を飲みながらきのうの日記を完成させつつあるとき、ようやく外に朝刊配達の足音がする。

玄関を出ながら腕の時計を見たら6時36分だった。甘木庵から切通坂へ出る裏道には、江戸川乱歩がですます調で書いた少年探偵団シリーズに頻出する 「寂しいお屋敷町」 ということばの風が濃い。上野広小路から地下への階段を降りていくと、浅草行きの銀座線が発車する旨のアナウンスが聞こえてくる。ここへ来るまでのあいだに写真など撮らなければ、この6時49分発に間に合ったに違いない。

その6分後の車両に乗って浅草へ達し、7:30発の座席指定券を買う。地下街の豚かつ屋 「会津」 へ行って納豆朝食に生玉子を追加する。熱々のメシと熱々の味噌汁がすぐそこにありながらチェーン系のコーヒーショップへ入る人の気が知れないが、まぁ、好みはそれぞれである。「会津」 のメシは納豆と生卵を投入しても、いまだなお熱かった

晴れた空の下を列車はするすると隅田川を渡る。9時すぎより会社にて仕事に復帰する。

午後遅く、メイル便にて

「ロシアカメラがむせぶ夜は」  田中長徳著  グリーンアロー出版社  \2,200

が届く。これを封筒から取り出しペイジを開くと、早くも巻頭のグラビアにテニヲハのおかしな文章が顔を出す。「編集者が助言を遠慮するような大先生でもねぇだろうになぁ」 と不思議に思う。

初更、胡瓜とレタスとトマトとハムのサラダサツマイモの甘煮ジャガイモのオムレツ肉を詰めた椎茸のフライ、刻みキャベツにて焼酎 「無月」 のお湯割りを飲む

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.0416(土) 「本屋に行くんだよ」

5時に目を覚まし、しばらく後に起床する。

ノコギリ鎌と踏み台を持って6時に町内の公民館へ行くと、タノベタカオさんが缶コーヒーを飲みながらタバコを吸っていた。ふたりで日光街道へ出て、家々の軒先に張られたお祭りの縄飾りを外していく。30分後に総延長500メートルほどの縄を回収し、それをタケダショージさん宅の玄関前へ置く。ゴミ出しの日が来れば、タケダさんはこれをその集積所に置いてくれるだろう。

公民館ではイワモトミツトシ区長が祭壇の片づけをしていた。集まった数人にて瀧尾神社のお札を10枚ずつの束にし、自分が担当する区域の戸数分だけそれをもらって帰宅する。

いつも通りの7時に居間へ戻る。朝飯は、納豆、メカブの酢の物、しょうがのたまり漬とふきのとうのたまり漬、茄子とピーマンの油炒め、焼きハンペン、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁

下今市駅13:36発の上り特急スペーシアに乗るべく会社を出て1分後に、読むべき本を持ってこなかったことに気づく。時間の余裕はあるが、わざわざ戻る気分ではない。そのまま駅まで歩き続ける。

このところどうも、これなら "WORKS" に載せても良いと判断のできる写真が撮れない。それはなぜか? むかしのような一写入魂の姿勢を忘れているからではないか、広角レンズの被写界深度を生かしてやたらにシャッターを切っても所詮は下手な鉄砲以下の結果しか得られないのではないか、こういうときには逆に、機動性の低いカメラを使った方が良い結果が出せるのではないかと、今日はライカの?を持参した。

読むべき本も無いところから、列車の席について即、テイブルに布を広げてカメラの底蓋を外す。エムニまでのライカにおいてはフィルムを装填する際、その先端の10センチを細く切る必要がある。会社を出る前にこのことを忘れていたからフィルムをそのままの形でカメラに挿入すると、やはり正常な巻き上げができない。仕方なく取り出したフィルムは、パーフォレイションのあちらこちらが破損していた。

むかしのライカにフィルムを入れる方法としては他に、テレフォンカードなどでフィルムと巻き戻し用スプロケットとを一時不干渉にする手もあるが、そのような非正統的なことはしたくない。ビュッフェへ行って不審そうな顔をするウェイトレスに 「この場で使ってすぐに返しますから」 と説明しつつハサミを借り、ようやく事なきを得る。

カメラの底蓋をはめてしまえば他にすることもない。コンピュータを起動し、眠気に逆らいながら数十分ほども仕事をする。

北千住を経由して池袋に至る。自由学園明日館まで歩いて次年度本部委員の顔合わせ会に参加をし、所信を述べる。その後はホームページ運営室長としての取材活動を1時間ほど行う。ホールでの懇親会にてワインを赤白あわせて5杯ほども飲み、「さて、本屋へ行こう」 と考えているところを帰りがけの数人に捕まってしまう。

僕は本来、独行型の人間である。集団で何ごとかを行った後はひとりで本を読み飲酒を為したい。だから 「いや、これから北口の本屋に行くんだよ」 と言うが誰も信用しない。南口の飲み屋へ計9名でおもむき、ここで数時間を過ごす。甘木庵のある本郷三丁目までは地下鉄で8分だから僕は良いとしても、横浜や湘南に家のある人たちはこれからどうするつもりだろう?

甘木庵に着いて牛乳を300CCほども飲み、シャワーを浴びて0時すぎに就寝する。


 2005.0415(金) 応札の中止

目を覚まし、枕頭に置いた携帯電話を開いて時間を確かめると5時だった。ゆるゆると起きだして水を入れた薬缶を火にかけ、"DJANGOLOGY" のCDを回す。熱いプーアル茶を飲みながらきのうの日記を完成させ、サーヴァーへ転送する。先日、甘木庵からインターネットへのアクセスが不能になり、"Computer Lib" に復旧を要請していたが、今朝の試験によれば、その大方は可能になったものの、メイルのアップロードだけは相変わらずできない。

長男が6時に起きて朝飯の準備を始める。6時35分に玄関を出て岩崎の屋敷裏から切通坂の途中へと出る。上野広小路から地下鉄銀座線に乗り、7時前に浅草へ達する。7:30発の始発の座席指定券を買い、地下街の 「会津」 にて卵焼き定食にウインナーソーセージを追加してこれを朝飯とする

墨堤の桜のほとんどは既にして花びらを落としていた。初夏が目の前まで迫っている。1時間数十分後に下今市駅へ着き、会社までの道を歩く。金棒引きに先導された仲町の花屋台が日光街道を遡上していく。瀧尾神社の例大祭は今日が最終日である

午後、学校から帰った次男と瀧尾神社へ行く。次男は子供相撲に参加をして大学ノートをもらい、がらまきで幾袋かのお菓子を拾い、僕の財布をあてにしていたずら書き煎餅、鶏の唐揚げ、ポテトフライ、ラムネに800円を費消した。

燈刻、その鶏の唐揚げとポテトフライカレーライスを晩飯として飲酒は避ける

普段、入浴の後に1階へ降りることはないが、今夜は自由学園同学会の仕事もあって、コンピュータによるあれこれを事務室にてした。そのついでにきのうよりYahoo!オークションで目を付けておいた、ジュピター12(35mm/F2.8)、ジュピター3(50mm/F1.5)、それにフォクトレンダーの外付けファインダー(35mm)の3点セットで3万円という出品を見に行く。

これらの品々に興味を持った理由は以下の5点。

1.自分が最も好きなカメラは "Leica Ic" である。
2.それに用いる35ミリのレンズが欲しい。
3.同じく "Ic" に用いる、少なくともF値が2以下の明るいレンズが欲しい。
4."Ic" に外付けファインダーは必須である。
5.どう考えても安い。

自分が31,500円の入札をすればこれらは間違いなく自分の手に落ちると分かっていたが、制限時間が残り10秒を切るまで以下の3点により大いに迷い、結局は入札ボタンをクリックしなかった。

1.ジュピター12はカールツァイス社のレンズ・ビオゴンのコピー商品である。
2.ジュピター3は同じくカールツァイス社のレンズ・ゾナーのコピー商品である。
3.35ミリのレンズはMマウントではあるけれど、既にしてズミクロン、そしてフォクトレンダーの2本を所有している。

応札を止めた理由3点のうち大きいのはもちろん1と2である。他人の研究開発を丸ごと頂戴して恥じないソビエトの姿勢はどう考えても浅ましい。そしてそのような行為に及ぶ会社の商品は、いくら安くてもやはり使いたくはない。

「じゃぁ結局はライカかフォクトレンダーか、高くつくよなぁ」 と考えつつ居間へ戻り、牛乳を400CCほども飲んで10時に就寝する。


 2005.0414(木) 長生きの秘訣

6時前に目を覚まし、起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に4階へ戻り、洗面所の窓を開けると日曜日に勤労奉仕をして立てた瀧尾神社の大竿にのぼりがはためいている。「晴れて良かったね」 と思う。南西に目を転じると、そこにはずいぶんと色を濃くした隠居の山桜が見える

朝飯は、ほうれん草の油炒め、納豆、茹でたブロッコリーとマカロニサラダ、焼きハンペン、メカブの酢の物、メシ、豆腐とワカメと三つ葉の味噌汁

ロシア語で書けば "CMEHA"、英語では "SMENA" と表記するつまりスメナの "8M" をひょんなことから9時前に入手し、これを手にとってためつすがめつ観察する。ISO感度により固定される絞り値と、光量に従って露出を調整するためのお天気アイコンがシャッター速度に連動する様を眺める。シャッターチャージレヴァーを下げ、シャッターボタンを押す。ピント目測のカメラだけにキリル文字の説明書は1枚の紙を折りたたんだ簡単なもので、しかし僕にその文字は読めないから、日本語による別紙に目を走らせる。

9時前に春日町1丁目の会所へ行き、あたりにいる町内の役員と世間話をする。例大祭の一行を自分の町内で待ち受けるとき、我々はいつも十年一日のごとき回覧板に従って集まり、そして路上で1時間もぶらぶらしたあげくにようやく当番町の行列を迎える。本日の僕の仕事は、そのぶらぶらしている人の数を数え、これに長老の数を加えて昼飯を発注するという重要なものだ。

退屈をしている最中に 「そうだ、あのスメナに、同梱のアグファのフィルムを詰めて試し撮りをしてみようか」 という考えが浮かび、事務室へ戻る。フィルムを詰めたスメナを持って今度は瀧尾神社へ行き、様々な装束の人たちや、あるいは一眼レフに巨大なオートフォーカスのズームレンズを付けてお祭り風景を撮っている写真愛好家の写真を撮ったりする。

焦点距離の長いズームレンズで遠くの人物を狙い撃ちしている写真愛好家を1メートルの距離からプラスティックのソビエト製カメラでパチンと撮影したら、それに気づいた写真愛好家が僕を見てムッとした顔をする。僕はなぜか、写真を撮っている人の写真を撮ることが好きだ。

昼に春日町1丁目の公民館へ行き、朝の1時間ほどを路上でぶらぶら過ごした人たち、長老、それに金棒を引いたオノグチショーちゃんたちと 「みとや」 の上生鮨を食べる。アイザワヒロシさんが長老のひとりに 「長生きの秘訣は何ですか?」 と訊く。答えは 「そら寿命だよ、なーんにもしないでおとなしくしてたってー早死にする人はいるんだから」 というもので、なるほどそれはその通りだろう。

「だって、俺らんときの酒の飲み方なんてのは、今の人たちとはぜーんぜん違うんだから。美味いも不味いもないんだから。もうムキんなって、馬鹿みたいに飲むんだから。そんでも俺らは、こうやって生きてんだから」 と、長老は更に続けた。僕は写真を撮っている人の写真を撮ることを好むが、老人の話に耳を傾けることもまた大いに嫌いではない。

下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗り、北千住を経由して池袋へ出る。自由学園明日館へ行き1ヶ月に1度の本部委員会議へ出席をする

地下鉄丸ノ内線にて本郷三丁目へ戻ると、「三原堂」 のショウウインドウには菖蒲の節句の飾りつけがあった。10時前に甘木庵へ帰着し、シャワーを浴びて牛乳を200CCほども飲む。「中古カメラの愉しみ 金属人類学入門」 をすこし読んで0時に就寝する。


 2005.0413(水) 夜の音

深夜0時30分に目を覚まし、このときにはそそくさと二度寝に入るべく努力をしたが、3時30分に2度目の目覚めをしたときには 「ソビエトカメラ党宣言」 を開き、これを読み終えてまたまた眠る。6時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。

朝飯は、なめこのたまり漬、ふきのとうのたまり漬、納豆、鰯の醤油煮、メカブの酢の物、メシ、椎茸と三つ葉の味噌汁

今年のはじめころより計画をし、手を着ける直前までいきながらなぜか遅延していたコンピュータの入れ替えその他について、午前より "FSE" のシバタサトシさんが来社してこれを始める。あちらこちらのコンピュータを開き、このハードディスクの内容を他のコンピュータへ移し、あるいはウンヌンという仕事を数時間こなす。今日のうちに完了しなかった後半部分は来週の水曜日に行うこととした。

燈刻、と時間は早くも数時間後に飛ぶわけだが、マカロニサラダポトフポテトグラタンをこなしながらきのうに続いて酒を断つ自分を褒めてやりたい。「はれま」 のやさい、しょうがのたまり漬にてメシ1杯をこなしイチゴにて締める

外を、鉦や太鼓の音とともに人の声が流れていく。既にして閉じておいたカーテンを開けると、瀧尾神社の宵祭りに繰り出した、当番町にあたる仲町の屋台が過ぎていくところだった

入浴して牛乳を300CCほども飲む。

「中古カメラの愉しみ 金属人類学入門」  赤瀬川原平著  知恵の森文庫  \620

を長々と読み、僕としては珍しく0時に就寝する。


 2005.0412(火) 砂掃除

3時に目を覚まし、「ソビエトカメラ党宣言」 を読んで何時かは不明だが二度寝に入る。6時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。明け方からのことだろうか、街には霧が深い。

朝飯は、ほうれん草の油炒め、ベーコン、スクランブルドエッグ、生のトマト、ふきのとうのたまり漬、メカブの酢の物、納豆、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁

地面がしっとりと濡れているところから、今春2度目となる車道脇の砂掃除を、花粉症の社員も参加して行う。会社の敷地が接している国道121号線からは、1回にミカン箱にして5つほどの砂が取れる。この砂は以前は隠居の庭に捨てていたが、現在は会社の舗装していない土地に撒いて踏み固めている。

むかし永六輔がテレビで曲尺鯨尺を売り歩きながら、尺貫法の廃止に逆らってこれを売る自分は法律違反を犯しているのだから逮捕してくれと言い続けたが、遂に捕まることはなかった。地面の凍結を防ぐため路上へ撒いた砂は産業廃棄物の範疇に入るだろう。これを家の庭や会社の敷地に捨てるという不法投棄を犯したオレを逮捕してくれと警察署へ出頭したらどうなるだろう? 「そんなことにいちいちか関わっちゃいられねぇ」 とは言えないだろうから 「いちど行政と相談してみてください」 と、たらい回しが始まるかも知れない。

初更、菜の花の辛子和え、うずら豆、茶碗蒸し、小田原 「みのもと」 の鯵の干物肉じゃがにてメシ1杯を食べ、飲酒は避ける。

入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.0411(月) 「ソビエトカメラ党宣言」

3時に目を覚ます。読みかけだった 「棋士」 を紛失して次に読む本はまだ決めていない。何度か目覚め、それと同じ回数だけ眠ってまた目覚める。6時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。

朝飯は、ほうれん草の油炒め、ふきのとうのたまり漬、納豆、丸干し、九州だか四国では天ぷらと呼ばれる練り物のおでん風、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と大根の味噌汁。丸干しの載った皿に脂がたっぷりと落ちている。訊けばこれはよそからの頂き物だという。「丸干しも、これだけ脂がのってりゃ良いねぇ」 と思う。

すいぶんと以前にブックマークをしたウェブサイトに "Fantastic Camera Gallery" というものがある。ペイジのデザインはいかにも素人くさいが正鵠を射ながら馬鹿ばかしい文章がなんとも良く、特に 「とても適当なスナップショット講座」 は素晴らしい。このサイトにおいていまだ踏み入っていないペイジが多いのは、まるで森林のようなトップペイジも影響してのものだが、先日ここに 「拙著の紹介です」 という文字を発見し、早速にそれを "amazon" からリンクしている古書店へ発注した。

本日の昼過ぎに届いたこの

「ソビエトカメラ党宣言」  中村陸雄著  原書房  \1,680

を開きつつ燈刻、"Mouton Cadet Blanc Baron Philippe Rothschild 2002" のバキュバンを外してこれを飲む。

タコ、トマト、ベビーリーフ、ゆで玉子のサラダグリーンアスパラガスの豚肉巻き、鶏肉、マカロニ、マッシュルームのグラタン。白ワインが無くなって、やはりバキュバンで栓をした一昨年のボジョレヌーヴォーを飲み、それも無くなって、同じ赤ワインを抜栓する。いちご"LE PATISSIER TAKAGI" のパウンドケーキにて締める

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2005.0410(日) 本の紛失

3時に目を覚まし、きのう東京へ持参した 「棋士」 を読もうとしてこれのないことに気づく。どこへ置き忘れたのだろう? 記憶の糸をたぐっていけば、下り特急スペーシアの車内がもっとも怪しい。ペイジはまさに 「陣屋事件」 へ差しかかろうとしていただけに、この紛失は惜しい。仕方なしにあたりの活字を拾い読みし、4時30分に起床して事務室へ降りる。

今年の旧市街のお祭りを仕切る仲町からの要請を受け、8時30分より春の例大祭の準備のため瀧尾神社へ行く。仕事の内容はテント張り、子供相撲の土俵作り、倉庫からの御輿出し、大のぼりのための高さ30メートルに近い竿立てなどだった。10時30分に会社から呼び戻しの電話が入り、本来の仕事へ復帰する。

昼に冷や飯を温めこれをお茶漬けにしているところに、洋食屋 「金長」 のメンチカツ弁当が仲町から届いたとの館内電話が入る。当方の腹は既にして茶漬けで満杯である。結局その弁当は幸運にも、遅番の販売係トチギチカさんが食べることになった。

午後3時より、今度は春日町1丁目の軒先へ縄を張っていく仕事に従事する。その後は役員が公民館へ集まって、この縄から下げる幣束の数を数え、各組の戸数に従ってこれを袋詰めしていく。5時すぎ、役員には晩飯の場が提供されることを知らされたが、自分は家でメシを食うこととして会社へ戻る。

終業後、東武日光線の下今市駅へ出向いて遺失物の調査を頼むと、終点の日光駅にも本の届け出はないという。二上達也の 「棋士」 は、いったいどこへ行ってしまったのか。ハードカヴァーにしては文字数の少ない本だっただけに、改めて買う気はしない。「北千住の大はしでは、本は読まなかったしなぁ」 と、頭の中の霧を手探りする。

初更、バキュバンで栓をしておいた "Mouton Cadet Blanc Baron Philippe Rothschild 2002" を八酌の角グラスに注ぐレタスとポテトとサーモンのサラダで飲むこれが思いのほか進捗し、ステーキと、同じくバキュバンで栓をしておいた一昨年のボジョレヌーヴォーの画像は撮り忘れる。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。


 2005.0409(土) モモカワ

ずいぶんと眠ったという満足感と共に目を覚ます。しかし枕頭の時計を見れば今日もまたその針は午前2時を差している。午後9時前後に就寝して午前2時に目を覚まし、その覚醒が早すぎるとなれば就寝時間を3時間ほども遅らせればちょうど良い勘定になるが、しかし僕には夜9時以降に起きている理由がない。

「棋士」 を読んで4時に二度寝に入り、6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、ほうれん草の油炒め黒酢がけ、トマト入りスクランブルドエッグ、納豆、ふきのとうのたまり漬、メシ、豆腐と蕪の葉の味噌汁

下今市駅13:36発の上り特急スペーシアに乗る。今日は日帰りの予定だからコンピュータは持たない。持参するカメラはデジタルの "Minolta DiMAGE X21" と銀塩の "RICOH GR1v" で、これら2台を合わせてもライカのエムロクよりは軽いだろう。そのこともあって、電車の中で読む本にはためらうことなくハードカヴァーの 「棋士」 を入れた。

明日館の桜は満開を過ぎたところだったが、婦人之友社側の低い大谷石の垣には、これに座って静かに花見をする人たちの姿があった。同学会本部委員会で本年度の室長を務める者の会議に出席をする。話し合いは6時すぎに完了した

池袋から西日暮里を経由して北千住へ至る。西口のロータリーから更に西へ歩いて旧日光街道を右折する。「どこ行く? 大はしだろ、やっぱ」 である。その 「大はし」 には幸いなことに空席があった。近づいてきたオヤジに 「焼酎、生で」 と頼むと 「ボトルあったっけ?」 と訊かれ、「いや、無い」 と答えると更に早口で矢継ぎばやに 「ボトル?」 「ソーダ?」 「氷?」 と続けるので 「いや」 「あ」 「はい」 などと口を開いているうち、目の前にドンと亀甲宮の4合ビンが置かれる。

「参ったなぁ、百川の百兵衛じゃねぇか、言葉がぜんぜん通じねぇよ、北千住にボトル入れてもなぁ」 と思うが時は既にして遅い。芽昆布、煮込みとうふ、鰹のたたき、オムレツ、生野菜ときて煮込み豆腐をお代わりし、ビンの中身をようやく半分まで減らして勘定を頼む。ボトルの期限は常連でなくてはこなせない1ヶ月である。

来た道を戻り、北千住駅20:11発の下り特急スペーシアに乗って10時前に帰宅する。入浴して牛乳を300CCほども飲み、11時に就寝する。


 2005.0408(金) ジャズと植草甚一

きのうに引き続き2時に目を覚ます。「世界を食いつくせ!」 を3時に読み終えて二度寝に入り、6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。

朝飯は、納豆、生のトマト、ハムエッグ、ふきのとうのたまり漬、タシロケンボウんちのお徳用湯波と蕪の葉の炊き物、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と長ネギの味噌汁

仕事をしている最中に、ふときのう見た夢のことを思い出す。商売の役に立つふたつの重要な示唆が、第1番目の夢の中にはあった。第2番目の夢の中で 「あの大切なアイディアは、決して忘れるわけにはいかない」 と、そのひとつひとつを反芻し、そして第3番目の夢の中でも突然、その夢の脈絡から逸れて 「そういえばさっきのこと、まだ覚えているよな」 と苦労して第1番目の夢の内容を確認した。

ところが目覚めてみれば 「重要な示唆」 などはそのかけらもなく、愚にもつかない枝葉末節が残るばかりである。

三寒四温の時期はとうに過ぎ、朝から夕刻まで気温はおしなべて高い。初更、レタス、キャベツ、玉ネギ、セロリ、トマトのサラダ、次男の好む、サイトウトシコさんのカレーライスを晩飯とし、飲酒は避ける。ヤーコンのぬか漬に添えられたにんにくのたまり漬にて、カレーの少ない塩分を補う

入浴して牛乳を300CCほども飲む。ベッドにて

「棋士」  二上達也著  晶文社  \1,680

を開くとペイジのあいだから読書カードがこぼれ落ちたが、床から拾い上げたそれに晶文社の犀のマークがあって、すこし意外の念を覚えた。僕にとっての晶文社はジャズと植草甚一で、だから将棋とは結びつかない。

この本のさわりだけを読んで9時30分に就寝する。


 2005.0407(木) 3本の桜

目覚めて 「4時くらいにはなっているかな」 と枕頭の灯りを点け時計を見ると2時だった。「世界を食いつくせ!」 を読み終えたわけではないが、他の本を床から拾い上げてこれを4時まで読む。

起床して事務室へ降り、自分の席の背後に積み重なっている複数の本を社員休憩室の本棚へ運ぶ。それでもいまだ、整理しなくてはいけない本は大量にある。「ものを整理するときには、いちいち考えずに行動することが肝要」 とは至言にて、残る本をすべて捨てても別段、誰が死ぬわけでもないのである。

先週の土曜日に店舗へ飾った花が、近ごろの陽気もあって大きく開いた。本日になって、この花の名前がフリージアだと知る

猟師が空中へ散弾を放ち落ちてきた鴨を差して 「この鴨の名前を知ってるか?」 と訊かれても僕には分からない。同じように撃たれて草むらに四肢を伸ばしているウサギについて 「このウサギの名前を知っているか?」 と訊ねられても、肉屋のようにその種別を特定することはできない。それと同じく、僕は花についても無知である。

そして隠居の桜は今朝になってようやく、そのつぼみに赤みを見せ始めた。いくら無知でも桜と梅の区別くらいはつく。しかしながら窓から見えている3本のうちの1本が亡くなった叔父により50年前に植えられたものでその種類が山桜だとは本日、叔母から教えられて初めて知ったことだ。

朝に甘木庵を出た家内と次男を下今市駅まで迎えに行く。昼飯は、担仔麺のバーソーを具にしたようなスープのたきたきうどん

燈刻に芋焼酎 「無月」 の甕をのぞき込むと、その残量はいまだ充分にて大いに安心をする。「これ、ぜんぶ食べられる人が本当にいるんですか?」 というグアム島のアメリカ料理に辟易して戻った家内による白花豆、蕪と胡瓜の浅漬け、タシロケンボウんちのお徳用湯波と蕪の葉の炊き物にてこの焼酎のお湯割りを飲む。だし巻き玉子と大根おろし、鮪の刺身と茹でた蛍烏賊にて、計3杯のお湯割りをこなす

入浴して牛乳を400CCほども飲み、9時に就寝する。


 2005.0406(水) 紆余曲折

目覚まし時計を用いなくても問題の発生しない時間に目を覚ますようになったのは、いつの頃からだろうか。闇の中に目を開いて枕頭の灯りを点けると4時だった。何ヶ月も中断をしていた「世界を食いつくせ!」 も、ふたたび読み始めてみれば著者の第1作 「キッチンコンフィデンシャル」 の興奮は無いが、しかし随所に本職としての骨を感じさせて興味深い。

5時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。7時すぎに外へ出ると、交通安全週間に際してのビラ配りをする市役所や交通安全協会の人たちが店舗駐車場に集まりつつあるところだった。このビラは小さなノヴェルティと共に赤信号で停止したクルマの運転者に手渡されるが、本日は生憎とクルマの量が少ない。ヴォランティアの人たちの仕事は30分ほどで終わった。

燈刻、といきなり昼を端折ると 「仕事はどうした?」 と訊かれそうだが別段、仕事をしていないわけではない。

このところ、牛やら豚やらは問わないが、角切りにしたレヴァに串を打ち塩をふって表面のみをカリッと焼いたものが食べたくて仕方がない。しかしそういうものを食わせる店が我が町にあるだろうか? とにかく、いつも本酒会のお任せばかりだからどのようなメニュがあるのかは知らないが、自転車に乗って会津西街道の坂を下り、その勢いで道路右側にある 「ニュー和加奈」 へ弧を描いてUターンする。

縄のれんが出ているのだから営業中だろうと近づくと、引き戸の脇に 「準備中」 の札が出ていた。構わず店内へ顔を突き入れ声をかけると 「まぁ、大丈夫です」 と返事があって、カウンターに座る。

隠居の桜はいまだそのつぼみも色づかないが、家からここまで来る道には春を通り越して夏の匂いがあった。「チューハイなんてのは・・・」 をあたりを見まわして 「ねぇよなぁ」 と勝手に結論づけ、「焼酎のボトルをお願いします」 などと言ってしまう。「そういえば長男がこのまえ、そんな題名の本を読んでいた」 と思い出し、店にある4種の中から麦焼酎 「それから」 を選ぶ。ボトルの裏側の能書きには、なぜか古いカメラの絵が添えてあった。低速シャッターのダイヤルが見えるところから、これはバルナックライカで?以降の機種だろう付き出しはホタルイカの沖漬けだった

この店のメニュは壁の木札のほか、カウンターに面した鏡にもチョークの粉で筆書きされている。そこにはレヴァではないものの 「やきとりハート」 などというものがあって、初手から素直にこういう焼き物や冷やしトマトなどを注文すれば良さそうなものを、ついこねくりまわしてオカミに 「魚で何か、おすすめ、ありますか?」 などと訊いてしまう。

慣れない店においては 「言ってしまう」 「訊いてしまう」 「頼んでしまう」 の 「しまう」 が連発される。話せば長くなるが紆余曲折があって、なぜか魚ではなく馬刺しを食う羽目になる。この馬刺しはしっとりとした脂が舌にじんわりと溶け出して悪くなかった。しかし大振りの切り身が11枚もあるから、ここからは登山用語になるが、独行を好む僕としてはかなりのアルバイトを強いられる。茄子2.5本分の焼き茄子には多めの酢と少なめの醤油を差す

量の多い酒肴にて腹に余裕は無くなった。締めのつけ麺を頼んだところで、ここ数年その姿を見かけなかった、有名な大酒飲みが来店する。その大酒飲みと会話をするうち本日2度目の紆余曲折があり、つけ麺がけんちんラーメンに変更される。つけ麺においては 「ゴマだれと酸っぱい醤油のタレ、どちらにします?」 と訊かれ、それがけんちんラーメンに変わった際には 「細い麺と太い麺、どちらがいいですか?」 などとまたまた選択を迫られるのも、店主の凝り性ぶりによるものだろう。

思いのほか安い勘定を支払って店を出る。「本酒会」 の帰りにはペダルをこいで上がれた坂を、今日は自転車から降り、これを押して上がる。本酒会のような利き酒会よりも、ひとりで飲む方が飲酒の能率は上がるのだろう。

7時20分に帰宅する。外出前に準備しておいた風呂へ入り、牛乳を400CCほども飲んで8時30分に就寝する。9時、今しがた甘木庵に着いたとの電話が家内よりあって目を覚ます。受話器を置いて即、二度寝に入る。


 2005.0405(火) マユツバな話

3時前に目を覚まし、「世界を食いつくせ!」 を読んで4時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをしつつ5時に外へ出ると、新聞受けには朝日新聞のみがある。この新聞を持ってくる人とは今までに何度も顔を合わせているが、これよりも後に届く日本経済新聞の人とは、ついぞ挨拶を交わしたことがない。

昼前に町内の 「塚田屋」 へ行き、売り切れる前に金谷ホテルのバゲット1本を買う。店主のツガゴシさんが 「袋に入れとくと柔らかくなっちゃうんで、ちょっと待ってください、これから袋に入れます」 と言う。日本ではむき出しのまま 「はいよ」 というわけにはいかないのだろう。

同級生のコバヤシヒロシ君によれば、買ったバゲットを家に持ち帰る際、これを杖の代わりにする老人がフランスにはいるとのことだが、大いに眉唾な話である。

午後、ウェブショップの管理ファイルを開く。ここには手直しをしなければいけない個所とその内容なども箇条書きされているが、本日メインテナンス中に見つけた齟齬を新たに加えて上書きする。顧客の誤操作をできるだけ回避するために、より買物のしやすい店にするために、あるいは当方の受注作業の手間を可能な限り軽減するためにも、小さな修正は日々おこなう必要がある。当方でできない作業については、そろそろ "Computer Lib" を頼ることになるだろう。

初更、買い置いたバゲットを新聞紙の上で縦割りにし、オーヴンで焼く。これを熱い皿に載せてオリーヴオイルをかけまわし、牛乳500CCと共に晩飯とする。生ハムとチーズがあったら更に美味そうだが、この、原価200円に満たない "poorman's dinner" でも充分に美味い

入浴して更に牛乳を250CCほども飲み、「世界を食いつくせ!」 をすこし読んで9時30分に就寝する。


 2005.0404(月) 100/8,000

「やべっ」 と飛び起きるほどの揺れを感じ、居間へ行ってテレビのスイッチを入れると、ややあってその地震の状況がテロップで流れ始めた。地震の発生は2時57分、我が今市市の震度は2とのことだが、その値よりも大きく揺れたように感じたのは、就寝中をいきなりたたき起こされたためだろうか。

久しぶりに熱いお茶を飲み、4時前に事務室へ降りる。いつものよしなしごとをし、きのうの会議の結果を30枚の回覧板にする。回覧板の文章は年を入れない月日を先頭に置いたファイル名で保存しソートしてあるから、前年のものが残っていればその作成は簡単だ。この町内の用事を終えて、すこしのあいだブラウジングをする。

「チョートクのカメラ温故知新」 を開くと、その最新版に 「エプソンRD-1で遊ぶライカLマウントレンズの温故知新」 という文章がある。ここで田中長徳は、昨年ローマ、ウイーン、プラハなどにおいてエプソンRD-1で撮り溜めた写真が "CHOTOKU X R-D1" という写真集になって出版されることを知らせているが、僕はその中の 「約8,000カットほどの中から、100カットほどを厳選して写真集にまとめました」 という一節を読んで目を剥いた。

田中長徳ほどのスナップショットの達人でも、写真集のために選ばれる写真は全撮影数のうちの僅々1.25パーセントだというのだ。この歩留まりを僕の "WORKS" に当てはめれば、1回分12枚の写真のためには実に960枚の写真を撮らなくてはいけないことになる。ご隠居さんにでもならない限り、これは到底、不可能な数字だ。

7時30分に4階へ上がる。おばあちゃんの応接間のカーテンを開き、暖房のスイッチを入れる。仏壇に明かりを灯し、水を供え、線香を上げる。

昼間のことは端折って、夕刻5時45分に4階へ上がる。仏壇の水を下げその茶碗を洗い、灯りを落とす。応接間のカーテンを閉めて洗面所へ移動すると、日は今しがた西の空へ没したところだった。と書くと理科系の人から訂正を促すメイルが入るかも知れない。正確に言えば日が没したのではなく、地球がすこしばかり回ったのである。

今日は晴れてはいたが寒い一日だった。ウインドブレイカーのポケットに財布や鍵やカメラを突っ込み、自転車に乗って日光街道を下る。250メートルほど走って左へ折れ、「市之蔵」 を目指す

ガラガラッとその引き戸を開けると、店の人が賄いを食べているその横で、きのう春日町の会議で同席したカトーサダオさんが燗酒を飲んでいる。その風景に思わずうれしさを覚え 「あー、しょうがねぇな、酒飲みは」 という言葉が口をついて出る。「しょうがねぇな、酒飲みは」 の半分は、僕自身に向けた言葉である。すぐ後に続いて "Finbec Naoto" の店主兼料理長の父親オーイデさんもカウンターに着く。

店主のナガモリさんが 「いつもこういうお客さんばっかりだと気が楽だわ」 と言う。実際に、酒を供する商売には苦労が付きものだと、はた迷惑な、あるいは不気味な、あるいはセクシャルハラスメント系の、あるいはシャレにならない酔っぱらいを好かない僕は強く思う。

あずけてある 「黒霧島」 をお湯割りにする。本日の 「頼まなくても出てくるもの」 はタケノコと身欠き鰊の炊き物7種の野菜の素揚げ。「ふんじゃ、そろそろ行ってみっかな」 と席を立とうとするカトーサダオさんの前にある素揚げを見て 「あ、お残ししてる」 と注意をすると、カトーさんは 「やっから」 とその皿を僕に回してよこした。幼稚園のころには昼休みが終わっても弁当を食べ終えることのできなかった僕が、それから40余年を経過をすれば、人のお残しでも喜んで食ってしまうような人間になるのである。

脂が沸騰している小さなグラタンを食べ梅胡瓜で舌を冷やすこれまた頼まなくても出てきたグリーンアスパラガスとエリンギの油炒めを最後の酒肴とし、夜の日光街道を遡上する。

7時20分に帰宅する。外出の前に準備をしておいた風呂に入り、牛乳を400CCほども飲む。「世界を食いつくせ!」 をすこし読んで9時に就寝する。


 2005.0403(日) 何気なく選んだパン

闇の中で目を覚ます。枕頭の灯りを点け時計を見て 「まだ2時半かよ」 と、ため息の出る思いをする。もっとも昨夕は9時に就寝をしているから、既にして5時間30分は眠った勘定になる。居間へ行って牛乳を200CCほども飲み、寝室へ戻って 「世界を食いつくせ!」 を開く。

この時間にはままあることだが、本を読み始めると眠気を覚え、だから灯りを落として眠ろうとすると今度は目が冴える。4時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。

しっかりした会社はYahoo!のなんとかに登録をするのが主流となりつつある、という営業の電話がきのうの夕刻にあった。費用を訊くと年間で6万円だというので話題を変えて、何年も前にYahoo!の検索エンジンにウチのウェブショップを登録しようとして何度も無言のままにはねられ続けたが、ウチが無視されて、しかしたくさんのエロサイトが審査を通ったのはどういうわけか? と質問をしてみる。

電話の向こうからは、そのあたりの基準が曖昧でして、というような曖昧な答えが戻ったが、もとより納得のいく説明は期待していない。その、なんとかへの登録についての説明書をメイルで送るように言うと、これはファクシミリで送付することになっていると答えるので 「どうしてIT企業が資料をわざわざファクシミリで送るんですか?」 と訊くと、ファクシミリなら紙を手で持って読むことができると返す。「メイルなら遠くにいる社員やSEにもすぐに転送して相談ができますでしょう」 と意見を述べたら 「分かりました、メールで送ります」 と了承してその電話は切れた。

ショッピングモールへのお誘いだのインターネットを使った警備保障システムだのと、ITがらみの商品を売ろうとする電話をよく受け取るが、それらのほとんどが 「それでは資料のほう、ファックスさせていただきます」 というのはどういうことか。営業係の前にはひとり1台あての電話機のみがあって、その営業係から伝えられたファクシミリ番号を、こんどは別の係が次から次へとファクシミリに打ち込むのだろうか。

そしてYahoo!からの資料は今朝になっても届いていない。多分、永遠に届かないだろう。

閉店後に社員とミーティングをして自宅へ戻る。風呂のお湯を満たしつつ、この2日間に溜まった衣類を洗濯機に投入する。洗濯場の蛍光灯が寿命を過ぎて明滅していることに気づき、脚立に乗ってとりあえずはこれを外す。

直径1尺2寸ほどの益子焼きの皿をお湯で温める。町内の 「塚田屋」 で買った金谷ホテルのパン3種をオーヴンで焼き、これを熱い皿へ載せる。何気なく選んだパンをあらためて眺めてみれば、それらのすべてにはチーズやマヨネーズがコッテリと載っていて 「ちと脂の摂りすぎだわな」 と反省をする。3個のパンと共に牛乳を500CCほども飲む。

止まった洗濯機から洗濯物を取り出して乾燥機へ入れる。7時より町内の公民館へ行き、今月14日から始まる春の例大祭についての話し合いに参加をする。8時に帰宅し、入浴して牛乳を500CCほども飲む。「世界を食いつくせ!」 をすこし読んで9時に就寝する。


 2005.0402(土) 花の名前

2時に目を覚まして3時まで枕頭の活字をあさる。二度寝に入って5時に起床し、事務室へ降りていつものよしなしごとをする。そのよしなしごとの最中に、今朝みた夢を思い出す。その夢には映像はなくただ会話のみがあった。「これは何?」 「それはまぁ、それっぽいモノだよ」 という意味不明の短い英語の会話があってプツリと途切れた夢。

僕の夢はほとんどが色つきで、たまに白黒のことがあると、まるで大昔のニュース映画をかいま見たように新鮮だから却って記憶に強く残る。匂いのある夢もあったが、さすがに味を感じた夢は見たことがない。今回の、会話のみの夢というのもしごく珍しい。

朝飯は、トマト入りスクランブルドエッグ、鯵の開き、アスパラガスの胡麻マヨネーズ和え、メシ、玉ネギとワカメの味噌汁

朝一番の宅急便でたくさんの花をいただいたため、家内が家の中の扉をあちらこちら開いてちょうど良い大きさの花器を探す。ようやく見つけた緑の器は、かつては水差しとして使われていたものだろうか。中学生の時分に油彩でこの器と果物の絵を描いた記憶がよみがえる。その花を店舗へ運び、すこし良い画質にて写真を撮る。花の名前は知らない

午前中に 「成文社印刷」 へ渡した3枚の原稿が、校正を終えて夕刻に届けられる。こういうものをひとりで検分すると、小さなところに見逃しが発生したりする。先ず事務係のコマバカナエさんとイリエチヒロさんに熟読吟味してもらい、終業後に自分でも確認をする。

初更、自転車に乗って日光街道を下り、先日は満員だった 「和光」 の扉を開けてカウンターに着く。しばらく無沙汰をしていたためとうに流れてしまっただろうと思っていた 「吉四六」 のボトルを棚の高いところに発見する。セロリの炒め煮びたしと芥子菜のおひたしの付き出しにて、この焼酎のお湯割りを飲む。

「でかい鉢でふたつも付き出しもらっちゃって申し訳ないなぁ、この分も請求してくれればいいなぁ」 と考えつつ鯖の塩焼きを注文し、これまたしばらく離れていたアンソニー・ボーディンの 「世界を食いつくせ!」 を読む。顔に覚えはあるが名前までは知らない常連客が、どこそこの山に群生するなんとかが一斉に花を咲かせてそれは綺麗だ、という話を店の人にしている。午前中に届いたいただき物の花の名も知らなければ、いま隣のオジサンの口から出た 「なんとか」 についても聞いたそばから忘れていく。つくづく僕は教養のない人間である。

砂利の路地を抜けて同級生タイマサヒコ君の店 「さっぽろ屋」 へ入ると、カウンターのテレビがきのう開幕したばかりのプロ野球を中継している。巨人は今日も広島に負けるのだろうか。ワンタン入りの塩ラーメンを食べる。

実家の父、長男、次男と共に家内は明朝よりグアム島へ行くため、今夜は4人で成田のホテル泊まりだ。その留守番が5夜におよぶため、1日に600CCとして計3リットルの牛乳を帰途、スーパーマーケット 「かましん」 にて購う。帰宅して冷蔵庫を開けると、そこには既に2リットルの牛乳が買い置いてあった。

入浴して、冷蔵庫より 「10%引き」 のシールのある方から先に牛乳パックを取り出す。これを400CCほども飲んで9時に就寝する。


 2005.0401(金) 口のききかた

4時に目を覚まして床の活字をあさる。いまだ読んでいない本が家中のあちらこちらにあふれているが、それらにはなかなか手をつけることができない。5時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は納豆、メカブの酢の物、マヨネーズ入りスクランブルドエッグとブロッコリーの油炒め、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と大根の味噌汁。

電話、ファクシミリ、eメイル、ウェブショップ。通信の手段は異なっても、ウチではご注文をいただくと同時に担当者が机上の10キーを叩く。ご注文主がリピーターであれば、この指の運動によりその過去帳がディスプレイに現れる。ウェブペイジを作って後の特徴のひとつに、10年ちかくも接触の途切れていたお客様が、ウェブショップを通じて久方ぶりのご注文を下さる、というものがある。ただし、注意をしなくてはいけない。

「ウェブペイジを作ったとたんに過去のお客様から続々とご注文が」 などという一節は、いかにも新聞の見出しやセミナーの勧誘、あるいはウェブペイジ作成業者の宣伝にありがちなものだ。しかし 「ウェブペイジ作成以前からご無沙汰だったお客様」 の 「ウェブペイジを経由してのリピート率が何パーセントで」 「そのご注文によって上げることのできた営業利益が幾らだったか」 という数字を目にした人がいるだろうか?

「ウェブペイジを作ったからとたんに商売がどうこうなる、という説には毛の先ほどの根拠もない」 と、こういう物言いをすると人には好かれないだろう。「だから後は、僕たちの努力次第なのです」 と書けば 「なるほど気持ちの良い意見だ」 となるのが世の常である。

初更、長男が自動車の免許を取得したお祝いという名目にて、オヤジから次男までの6人が揃って料理屋 「ばん」 へ行く。

サヨリの鮨、唐墨を詰めたイカ、蕗のとうの天ぷらクルミ味噌。生麩、茹でたホタルイカと海老、たらの芽、ウド、タケノコの山椒味噌ゴマ豆腐と生ウニのお椀鯛の刺身焼き穴子入り餅米団子の桜蒸し鴨のローストと菜の花アイナメのしんじょうお茶漬け葛きり。これらにて冷酒を2合ほども飲む。

帰宅して入浴し、牛乳が切れていたため冷たいお茶を飲んで9時30分に就寝する。