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こころよい日和 寒くなく 暑くない  空に雲 花の面の埃を流し
薔薇に浮かれた鶯はパハラヴィ語で  酒のめと聲ふりしぼることしきり
Omar Khayyam

 2012.0331(土) 春嵐

本郷三丁目交差点角にある「三原堂」のショーウインドウは桜一色だった。1990年代はじめの春のあるとき、今はもうないフェアモントホテルの前を何度か歩いたことがある。あの年の千鳥ヶ淵には3月のうちから桜が咲いていたように記憶する。今年の東京ではきのうだか今日にようやく桜の開花宣言が出たらしい

朝の8時ごろから風が強くなる。昼が近づくに連れて、そこに雨が混じり始める。午後より新橋に出る。駅構内のそこここに、強風により壊れた傘が捨ててある。

人と待ち合わせて午後2時より鮨を食べる。今日の鮨はいつにも増して美味い。様々な条件が、精巧な組木細工のように嵌まった結果のことだろう。

おとといの、おばあちゃんの102歳の誕生日には千葉や東京にいて、おばあちゃんに挨拶をすることができなかった。おばあちゃんの好物の、ちょっとしたチョコレート22個を日本橋で買う。そして夕刻に帰社する。

次男は春休みで家にいる。中国から今週火曜日に帰国した長男は今朝のうちに帰宅していた。若い者ふたりの揃った食卓では、鍋の中身が瞬く間に少なくなる。2種の日本酒を飲み、早々に寝る。


朝飯 「上島珈琲店」のクロックムッシュ、コーヒー

昼飯 「鮨よしき」のあれこれ

晩飯 鶏肉団子鍋、餅、イチゴ、「片山酒造」の大吟醸「ほほえみ」、同生原酒「素顔」


 2012.0330(金) "Bespoke"

神保町の"COMPUTER LIB"に朝から詰める。そしてヒラダテマサヤさんのコーディングの速度と競い合うようにして文章をつくる。文章などあらかじめ用意しておけば良いようなものを、切羽詰まったところでやうやく動き始める悪癖はどうしても治らない。

午後一番で「片山酒造」のカタヤマタカユキさんが、律儀にもスーツにネクタイの姿で現れる。片山さんは自社に蓄積した、エクセルによる膨大なデータを一気にマイツール化しようとしている。その作業は僕がやってできないこともない。しかし万一、元データを壊すようなことになっては取り返しがつかない。というわけでナカジママヒマヒ社長の出番である。

マヒマヒ社長は先ず、カタヤマさんの欲する「形」について詳細な聞き取りをした。その後は質疑応答を繰り返しながらフォーマットを整えていく。それは正にデータベースの"Bespoke"だ。今後の体制を固めたカタヤマさんは"COMPUTER LIB"への次の来訪日を決めて帰社の途に就いた。

その傍らで、僕の仕事の能率も随分と上がった。しかしいかんせん作業量は多く、また作業の最中に他のことも思いつき、よって全体の2割ほどの仕事は後日に持ち越しとなった。

池袋でのカウンター活動を経て甘木庵に戻る。今度こそ本当に春の来そうな、宵の暖かさである。


朝飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦ワカメトッピング、ライス

昼飯 「丸幸」のワカメうどん、無料の揚げ玉トッピング

晩飯 「男体山」のあれこれ、チューハイ


 2012.0329(木) 春の燗酒

東京から鉄道で東へ東へと進む。鉄橋で川を何度も渡る。どこかでヒバリが啼いていそうな気のするほど空は青い。

仕事を済ませて今度は同じ鉄路を西へ西へとたどる。2度ほど乗り換えて甘木庵に入り、コンピュータを開いて仕事の続きをする。夜の行動に支障を来さないためには、ここで能率を上げておく必要がある。

夕刻に日本橋に出る。人に頼まれていた三寸半の皿を買う。6客を買うこととしていたが、生憎と在庫は1枚しかなかった。その店の土橋ちかくの本店にまわって同じ皿を求めようとするが、当該の皿は1枚も残っていなかった。

土橋から新橋は目と鼻の先だ。ガード下にて燗酒を4杯ほども飲む。新橋で、特に春に燗酒を飲むと高橋義孝を思い出す。新橋駅前の安直な酒場で自身が春そのものになったような気がしたとは、高橋のどの著作にあった一節だったろう。

"Gregory"のザックは甘木庵に残置して、荷物といえばサイフ、カメラ、メガネ、文庫本、それに1枚の小皿しか持っていないから身は軽い。

歩いて4丁目まで来ると、三越の3階から最上階まで達する壁に大きな宣伝が出ている。それに目を凝らすと、丸に越のマークと並んで"ISETAN"の文字も見える。その夜の景色を眺めつつ「三越と資本提携をしてから、伊勢丹の宣伝コピーの尖り具合が鈍り始めた」と言ったのは誰だったかなぁ、というようなことを考える

高橋義孝のことも伊勢丹のことも、普段から記憶力の悪いところにもってきて、今夜は酒気を帯びているから余計に思い出せない。そして甘木庵に戻って早々に寝る。


朝飯 牛丼、すぐき、他社のフリーズドライ味噌汁

昼飯 サンドイッチ、牛乳

晩飯 「羅生門」のあれこれ両関(燗)


 2012.0328(水) 若いうちの旅行

長男が子供のころにはふたりでよく小さな旅行をした。旅行とはいえ観光ではない。それはたとえば西新井の、今はない東京マリンでプール遊びをした晩には僕の行きつけの店で飲み食いをし、翌朝から西研究所のマネジメントゲームに参加をする、というようなものだった。

目黒の映画館で北野武の二本立ての、しかし時間の関係から"HANA-BI"のみを観て権之助坂を下り、目黒川ちかくの「仁平」で鮨を食べたりもした。世田谷美術館の「魯山人展」へ行ったり、あるいは西武美術館で催された"GILBERT and GEORGE"の回顧展を訪ねたりもした。

僕が楽しいと感じるものを、砂地が雨を吸い込むようにして長男は自らに取り入れた。しかし長男よりも10歳下の次男は僕とは多くの趣味を異にするため、長男としたような小旅行の経験がない。

それを埋め合わせるべく、と言えばすこし意味が違ってくる、何しろ次男は既にして高校生だ。どう説明をしたら適切か、まぁ遅ればせながらの「刷り込み」のような行為としての旅行を、次男とは昨年からすることにした。

大震災からいくらも経たない3月下旬にはフーコック島で魚醤の蔵を訪ねた。8月下旬にはチェンライの奥地でトレッキングをした。あの山歩きはきつかった。とにかく若いうちの旅行は楽なものであってはいけない

そのトレッキングの最終日にはチェンライからバンコクへ下り、僕の同級生コモトリケー君と晩飯を共にした。そのとき「君は春にはヴェトナムへ行ったということだけれど、ヴェトナムとタイとでは、どちらが気に入ったかね」との、コモトリ君の質問に「タイです」と次男が答えたのは、タイに駐在している39歳年長の先輩への処世による言葉ではない。

「ヴェトナムよりもタイが気に入った、その理由は何かね」との重ねての質問に「食べ物です」と次男は断言した。

ヴェトナムとタイのメシをくらべれば、地理的にはより日本にちかいヴェトナムのメシの方が、タイのそれよりも日本人には食べやすいように感じられる。しかし次男によれば食べ物においては断然タイだ、というのだ。

そしてその、次男の食べ物についての嗜好におもねるわけではないが本日、8月下旬の、成田バンコクの往復航空券を旅行社に注文する。若いうちの旅行が楽なものであってはいけない。これからゆっくり計画を練ろうと思う。


朝飯 すぐき、冷や奴、ベーコンエッグ、キャベツのソテー、あれこれのつみれの淡味煮、納豆、ひじきと揚げ湯波の炊き物、メシ、ワカメと揚げ湯波と万能葱の味噌汁

昼飯 バターとたまり漬「鬼おろしにんにく」を乗せて食べる焼き餅

晩飯 「魚登久」の本酒会用あれこれ、6種の日本酒(冷や)


 2012.0327(火) ころもがへ

慣性の法則とは物理学上のものだけでもない。

"UNIQLO"のヒートテックのシャツに同じく"UNIQLO"フリースのセーターを重ね、更に"montbell"の綿入れベストを着ている。数日を経れば4月だから、とにかくベストだけはクリーニングに出してしまおうと考えつつ、なかなかこれを脱ぐことができない。

夏が去って秋が来る。その秋が徐々に深まり、気温が本日3月27日のそれを下まわっても、しかしヒートテックのシャツにフリースのセーター、更に綿入れベストを着る必要は、すぐには感じないだろう。

春が梅の花を開かせても人は冬の記憶を引きづり、秋が木々の葉を紅くしても人はしばらくのあいだ夏を忘れない。

「4月の声を聞きながら綿入れベストもねぇだろう」とは考えるが、風はいまだ冷たい。「そろそろ木綿の服に替えてぇよなぁ」と思うがどうだろう。1日の平均気温が20℃を超えてくる日を待つばかりだ。


朝飯 参鶏湯の雑炊、すぐき、焼き海苔

昼飯 焼きうどん

晩飯 ひじきと揚げ湯波の炊き物、キャベツのおひたし、あれこれのつみれの淡味煮、鯖の粕漬け、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)


 2012.0326(月) 会計の単純化

列島は三寒四温から脱しつつあるのではないか。週末に雪の吹きつけたことの信じられないような青空が、全天に広がっている。僕は春日町1丁目の会計係につき、きのうおとといの旅行の精算を朝より始める。

旅行に必要と思われる金額をあらかじめ積立金から仮払いしておき、余った分を後日また積立金に戻す、そういう面倒は得意でないから、今回の費用については旅行社への支払いも含め、すべて僕が立て替え払いをした。その立替分を本日、自分のサイフに戻す。

町内の会計については、期末と期初の交錯する今の時期がもっとも面倒だ。3月の町会費が3月31日までにすべて集まることはない。そして4月のお祭に関わるお金は3月のうちからどんどん出て行く。この、来年度の金銭出納帳に記されるべき諸々についても、僕は立て替えている。

町内会計に対しては、個人による立て替え払いなどせずに済ませる方法もある。しかしそれでは現金の動きが複雑になる。昨年の例に照らしてみれば、すべての立替金が僕のサイフに戻るのは4月の中旬になるだろう。それまでは飲むにしても、細々といきたいと思う。


朝飯 スクランブルドエッグ、トマトとベーコンのソテー、納豆、すぐき、メシ、豆腐と揚げ湯波と小松菜の味噌汁

昼飯 「ふじや」の野菜麺

晩飯 トマトとレタスのサラダマッシュドポテトを添えた肉団子の煮込み"Blagny 1er Cru Sous Le Dos d'Ane Domaine Leflaive 1994"


 2012.0325(日) 石和・日光

目を覚ましてしばらくのあいだは布団の中で静かにしている。そのうち二度寝のできそうもないことを悟って枕元の携帯電話に手を伸ばす。時刻は3時05分だった。同じく枕頭に用意した小さなトートバッグを提げて部屋を出る。

3階から1階に降りてひと気のない館内を歩いて行く。男湯と女湯は夜のうちに入れ替わったらしい。錦鯉の泳ぐ池の縁を歩いて今朝の男湯に達する。水面にぶくぶくとジャグジーの泡立つ大浴場に、客は僕ひとりだった。からだを充分に温めて浴場を出ると、ピンク色の絨毯を敷き詰めた廊下にライティングデスクがある。トートバッグから増田俊也の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を取り出し、1時間ほどもこれを読む。

足が冷えてきたのでふたたび入浴をする。いまだ午前4時を過ぎたばかりとあって、やはり僕のほかに客はいない。もう一度温まって部屋に戻り、今度は携帯用の読書灯にて更に先ほどの本を読む。

ホテルの朝食ブッフェに「朝カレー」の文字を発見したときには、すでに3杯目のメシを食べていたのでカレーライスは諦める。きのう大浴場で量った体重は63.8キロだった。63キロちょうどくらいまでは減らさないといけない。

08:55 「ホテルふじ」を関東バスにて出発
09:05 「桔梗屋本社工場」にて見学包装体験、買い物
10:52 忍野八海では自由行動時間が45分あったが10分でバスに戻る

山梨県の名物「ほうとう」を初めて口にしたのは1994年のことだ。小麦粉とカボチャの汁に溶け出してドロドロと甘いそれは、僕の好みではなかった。そして本日、生涯で2度目の「ほうとう」を経験してみると、幅数ミリの麺は歯ごたえもあり、汁は甘くなくて食べやすかった。しかしこれが本当の「ほうとう」と言えるものかどうかは知らない。

14:28 富士山駅より富士急行ローカル線に乗る。車窓から巨大な富士山を望む。
14:53 都留文科大学前駅にて富士急行ローカル線から下車する。
16:32 関越自動車道・高坂SA着
17:52 北関東自動車道・出流原PA着
19:40 上澤梅太郎商店駐車場着

今回の旅行の参加者たちとは声をかけ合い礼を言い合い解散をする。旅の途中で買ったあれこれを両手に提げつつ難しい姿勢で玄関の鍵を解く。そして"KEEN"のサンダルを脱ぐ。

きのうの出発時から読み始めた「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」は310ページまで至って、しかしいまだその半ばには達していない


朝飯 「ホテルふじ」の朝食ブッフェ

昼飯 「ほうとう屋敷みさか路」の「信玄カニほうとう鍋」、ほかあれこれ、日本酒(燗)

晩飯 2種のおむすび、お茶


 2012.0324(土) 日光・石和

春日町1丁目役員の親睦旅行は、旅行社の募集するツアーによその人と相乗りをしていく。昨年は気仙沼を目的地としていたが、不幸な大震災により中止を余儀なくされた。このことにより積立金は2年分が貯まっている。

申し込みが最低催行人数に達しなくてもツアーは中止をされる。今回の「感動の大パノラマ!、富士山展望列車と北アルプスの眺望、安曇野、忍野八海」には何とか人が集まったらしい。そしてその出発は今日である。

朝食を用意してくれるタケダミッちゃんには朝5時に確認の電話を入れる。そしてその30分後にミッちゃんの家を訪ね、人数分のおむすびやら乾き物のつまみやらワンカップの酒を受け取る。参加者のすべては集合即出発として設定された5時40分に集まった。地面は濡れているが雨は上がったらしい。

05:40 日光市「市縁ひろば」を関東バスにて出発
08:05 北関東自動車道・佐野田沼ICを通過
08:20 上信越自動車道・横川SAにて休憩
10:17 長野県埴科郡坂城町「新田醸造」にて見学と買い物

参加者が少なければ行く先々でのバスの乗り降りに要する時間も短縮され、また集合時間を守れない人の発生する確率も低くなる。よって本日の昼食場所には予定より25分も早い11時5分に入ることができた。中高年のオヤヂ連中8人による旅行は、そこはかとなく楽しい

13:03 長野県安曇野市穂高「大王わさび農場」にて散策と買い物
14:00 長野自動車道・豊科ICを通過
15:25 山梨県東山梨郡勝沼町「シャトー勝沼」にて見学と買い物

日光には雪が吹きかけているらしいが、山梨県の上空には青空が広がっている。石和温泉の「ホテルふじ」には16時15分に着いた。夜の宴会まではいまだ2時間以上もあるため、大浴場へ行く。

日本人によるツアーは多く、できるだけ遠くまで足を延ばそうとしたり、あるいはできるだけたくさんの場所に足跡を印そうとして、結局は駆け足になる。僕は今回のような、ゆるい日程の方がよほど好きだ。

宴会については、それが始まったころこそ皆おとなしかったが、やがてカラオケ大会になる。老いも若きも、いやこのツアーに「若き」はいない、それなりの年齢の人たちが互いにマニアックな曲を繰り出し、ステージの下からは相の手や口笛が盛んに飛ぶ

そして僕は他の参加者に先んじて21時ころに就寝をする。


朝飯 2種のおむすび、お茶

昼飯 「きのこむら深山」の「蕎麦ほうとう鴨汁鍋」、ほかあれこれ、日本酒(燗)

晩飯 「ホテルふじ」の宴会料理、日本酒(燗)


 2012.0323(金) はるさめ

本を欠いてはひとりで酒を飲むことができない。夜に池袋の街へ出て行くときには必ず、駅の中央コンコースから北口へ抜ける通路左側にある、壁を鑿で削ったような、奥行きのない本屋に立ち寄る。ここで出会った大傑作が小林紀晴の「写真学生」だった。

「なにか読む本ねぇかな」と先日、階段室の本棚を検分していると、この小林紀晴による、いまだ読んでいない1冊が見つかった。その「ハノイの犬、バンコクの象、ガンガーの火、」をザックに入れて数日が経つ

夕刻に浜松町の歩道を歩く。いまだダウンパーカを着た人が目立つ。この雨さえ上がれば春が来るに違いない

円錐の、上の尖った部分を水平に切り落とした形が何と呼ばれるかは知らない。とにかくその形の、手の平に載るほどのブリキの型を日本の升のように使い、乾燥大麻を量り売りする少年が1980年のボドナートだかスワヤンブナートにいた。

その少年からマリファナを買った、僕とおなじドミトリーに泊まっていた大学生は、その乾いた草をタバコ代わりに吸引して数時間ほども眠った。そしてその酩酊からようやく覚めてターメルの雑踏に足を踏み出し、自分を追い越していった自転車に向かって「タイヤと地面のあいだから聞こえてくる音が堪らねぇ」と頬を緩めた。

マリファナと音との関係はそういう次第だが、酒と文章とのあいだにも、そのようなもののある気がする。浜松町の歩道に溢れる傘を眺めながら燗酒を飲み、ヴァラナシのガートから太陽を眺めて小林が胸を高鳴らすところを追いつつ「そうなんだよなぁ」と共感したりする。


朝飯 スクランブルドエッグ、焼きトマト、ベーコンのソテー、トーストイチゴ、コーヒー

昼飯 "at EASE"のカレーライス、コーヒー

晩飯 「秋田屋」のあれこれ、「秋田酒類製造」の「高清水」(燗)


 2012.0322(木) サービスセンターの場所

昨年の今ごろに買った"RICOH CX4"の、バッテリーのサインが残り30パーセントほどのところを指すようになったため、充電をする。数時間を経て、床ちかくのコンセントに差し込まれた充電器を見ると、薄緑色のランプが点滅している。

「点滅ってのは初めて見たな」とマニュアルを読んでみると、これはバッテリーあるいは充電器の異常を報せるものだという。マニュアルに輪ゴムで留められたウェブショップの納品書を見ると、購入したのは昨年の3月20日となっている。保証期間は購入から1年。

今回の症状が本当に故障ならば、2日の差でメーカーの保証が受けられない、ということになる。取りあえずは今月の末にでも、現物を銀座のサービスセンターに持ち込んでみようと思う

有名な会社であるにもかかわらず、経費を節減するためなのか、消費者にとっては必ずしも便利とは思えない場所にサービスセンターを置く例がある。リコーにはその点において大いに感心をしている。

高校1年の3学期を完了した次男が夕刻に帰宅する。晩飯はカレー南蛮鍋にするよう家内には頼んでおいた。居間でその鍋を前にして「食べたいどんぴしゃりのものが出たよ」と次男が言う。

今朝は3時30分に目を覚ましたせいか早い時間から眠い。よっていまだ早い時間に就寝をする。


朝飯 「小諸蕎麦」のたぬきわかめ蕎麦、ライス

昼飯 「大貫屋」のタンメン

晩飯 カレー南蛮鍋、"Chez Akabane"のイチゴのショートケーキ、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)


 2012.0321(水) アラスカのスモークトサーモン

毎年おなじ時期に行われる行事についてここに書くときには、昨年のその日の日記を見に行くことがある。3月20日に自由学園を卒業した人たちの「新卒業生歓迎会」についても、その例に倣って昨年3月21日の日記を探そうとして、しかしそこに当該の文章はなかった。日本全国、特に東日本では同年3月11日の大震災を受け、広い範囲で多くの行事が中止されたのだ。

長男の大学院の卒業式も中止を余儀なくされた。そういう次第にて、そこに着ていこうとして大震災の7日前に買った"UNIQLO"の990円のジャケットは、袖を通す間もなく箪笥に仕舞われた。

その、1年を経ても新品のジャケットを着て下今市駅16:04発の上り特急スペーシアに乗る。竹橋の「アラスカ」には18時すこし過ぎに着いた。そして主には男子部70回生と女子部90回生をOB、OGに迎え入れる歓迎会に出席をする

いつもはあまり見かけない男子部の教師たち、多くは僕の後輩だが、その姿が今日は目立つ。寮を持ち、また生徒による自労自治を標榜する自由学園の教師は、普通の学校の教師よりも長い時間を生徒のために尽くす。そのためこのような集まりにはなかなか出てこられないのだろう。それが今日に限ってはなぜか出席率が高い。良いことだと思う。

そういう先生方、また知った顔の先輩や後輩を話すうち、銀盆や保温容器に盛られた料理が、主に新卒業生の食欲により高い速度で減っていく。それを横目で眺めながら、なおたくさんの人たちと会話をする。

「アラスカ」のスモークトサーモンは今夜も美味かった。そして20時40分にパレスサイドビルの最上階から地下まで降り、東西線に乗る。


朝飯 すぐき、冷や奴、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、メシ、大根と揚げ湯波とワカメと万能葱の味噌汁

昼飯 "Parrot"のクラブハウスサンドイッチ、コーヒー

晩飯 「アラスカパレスサイド店」のあれこれ、白ワイン、赤ワイン


 2012.0320(火) 色模様

デジタル技術によって色調とコントラストを強調した画像こそ天然の色と感じている節が現代人にはあると藤原新也がむかしどこかに書いていた。そのこと思い出しながら、寒帯よりも温帯、温帯よりも熱帯に棲む人ほど鮮やかな色を当たり前のものとして受容していのではないか、と考えた。熱帯の鳥や植物の色からの、これは連想である。

昨年のいまだ寒いころ、南の国に住む日本人が里帰りをした折に「日本人には叱られるかも知れねぇけど、日本の街は暗くていけねぇ。南に帰ると風景も人の服も明るくてホッとするよ」と、小声で僕に告げた。

この日記に載せる画像のほとんどは、昨年の今ごろに買った"RICOH CX4"で撮っている。今朝このカメラを何気なくいじくり回して、これまでの「スタンダード」から「ビビッド」に画像設定を変えた。そしてそのまま今日のメシを記録し続け、夜に至ってその画像をコンピュータで確認したところ、それはビビッドどころではない、見るに堪えない毒々しいものになっていた。

仕方がないので本日限りでその画像を使うこととする。僕の朝や昼のメシ、また日光市では"Finbec Naoto"と並ぶ名店を僕が考えている「ばん」の春の料理が、まるで東映任侠映画のポスターのような色模様になってしまった。画像の設定については、明日からはまた「スタンダード」に戻したい。


朝飯 ほうれん草のソテー、ツナとトマトのサラダ、すぐき、納豆、メシ、ワカメと玉葱と万能葱の味噌汁

昼飯 スパゲティナポリタン

晩飯 「ばん」の其の一其の二其の三其の四其の五其の六其の七其の八日本酒(燗)


 2012.0319(月) 今後の課題

実家の農業を継ぐため、またその農業において減農薬や無農薬による作物の育成収穫を目指すため、包装係のアキザワアツシ君は明日を以て退職をする。アキザワ君にはこれまでいろいろな仕事をしてきてもらった。「本物のワインで漬けた本物のワインらっきょう rubis d'or」の瓶詰めも、そのうちのひとつだ。

充分に熟成した"rubis d'or"が現在、冷蔵庫に大瓶ひとつ分ある。これを販売用のビンに詰める仕事を15時30分よりアキザワ君とふたりで始める。そして1時間ほどでこれを完了する。

"rubis d'or"は、四つ葉のクローバのような形のビンに詰めて販売をしている。このような特殊なビンを商品に使おうとするときの苦労のひとつに「ビンの製造元が倒産」とか、専門用語では「終売」といわれる生産終了がある。ウチの"rubis d'or"用のビンは、そのようなことにここ数年で2度も遭い、来年はいよいよ3代目のビンを使うことになりそうだ。

原材料にしても用度品にしても「数がまとまれば安くなる」という誘惑に負けてはいけない。それはゴールドラットの制約理論が証明するところのものだ。しかし"rubis d'or"のビンについてのみはその理論を無視して数年分を確保するようにしている。

3代目の候補として上がっているビンは、これまでのものにくらべて28パーセントも容量が大きい。そこのところをどうするかが、今後の課題である


朝飯 茄子のソテー、焼き海苔、納豆、すぐき、桜大根、メシ、豆腐と揚げ湯波とワカメと三つ葉の味噌汁

昼飯 「麺屋ききょう」の塩葱ラーメン

晩飯 ブロッコリーのニンニク焼き2種のキノコのオリーヴオイル焼きスパゲッティボロネーゼイチゴ"Blagny 1er Cru Sous Le Dos d'Ane Domaine Leflaive 1994"


 2012.0318(日) 健康のためにすること

ほうれん草の根本の赤いところには特に栄養があるからと、子供のころからこれを随分と食べさせられてきた。ところが最近、あの部分にはからだに悪い成分が含まれているから切り落として食べるべきではないという意見を耳にした。そんなここと言われても、もう遅いとは、むかし團伊玖磨が自身の随筆「パイプの煙」に書いていたことだ。

からだに良かれと思ってしたことが却ってからだに悪かった、という話が僕は大好きだ。

京都御所のまわりでジョギングする人たちを京都大学医学部の学生たちがヴォランティアで診察したところ、その8割に、からだのためには走らない方が賢明という結果が出たとは、僕が30年ほど前にどこかで読んだか聞いたかしたことだ。ウソか本当かは知らない。

家内がどこかで聞いてきたところによれば、このところのウォーキングばやりで膝を痛める中高年が増えているという。僕の好きな話題の典型である。

もっとも、ジョギングやウォーキングについては、からだに良かれと考えてこれをしている人ばかりではない、健康のためではなく、それをすることが自分の生活の一部になっている、という例も多いだろう。

むかしの職人は朝飯を抜く人間を極端に嫌った。更に昔の職人は一膳飯を忌んで必ずおかわりをした。

つい最近、健康のためのミニ新聞のようなものが、あるところから届いた。そこには、朝は小便やクソといった老廃物を体外に排出するいわばデトックスのための時間帯で、だからこのタイミングで食事をすることは時宜に叶わず、よって厳に慎むべき、というようなことが書いてあった。

心臓が停止する危険を顧みずジョギングをする人、膝を痛めることを顧みずウォーキングをする人と同様、いくらからだに悪いと言われても、僕は朝飯は食べたい。マカロニサラダにとんかつソースをかけて炊きたてのメシのおかずにする、そういう庶民としての喜びを失ってまで健康を保って何になる。

それにしても、朝飯を摂ると健康を損ねるとは本当だろうか。そのようなことをミニ新聞に書いて啓蒙のため送りつけてきた人が健康を損ねたら面白いと思う。


朝飯 目玉焼き、マカロニサラダ、納豆、大根の鉈漬け、桜大根、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 肉まん

晩飯 ちらし寿司煮豚桜大根、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)


 2012.0317(土) 要らないけれども興味はある

次男の通う自由学園の男子部に通信簿は無い。ただし学期末ごとに開かれる成績報告会で、今学期あるいは今年度の勉強の内容、クラスの様子、個々の生徒の状況や成績などを各教科の教師が順に述べ、一堂に集まった生徒と親がそれを聴く。

この成績報告会に来るのは長男の在学中から僕の役目のようなもので、家内はたいてい留守番をしている。僕が在学中には、親が忙しいときには伯父が代わりに来てくれたこともあった。

今日のそれは学年末ということもあるのだろうか、各教師とも生徒各人の成績についてはあまり述べず、クラス全体への感想、批評、希望の多かったような気がする。

氷雨の降る学園を去り、ひばりヶ丘から池袋、西日暮里を経て北千住に着くと、しかし数分後の11:40発も、またその次の12:12発も、下り特急スペーシアは満席だった。

「パスポート入れって、要ると思う?」と家内に訊かれて「要らない」と力強く答えると「そうだよね」と、家内は我が意を得たりという顔つきをした。細かい説明は省くけれど、安宿に長逗留などしなくなった今となってはパスポート専用の入れ物は要らない。

とにかく空いた1時間をやり過ごすため、駅に直結した丸井の上階にある東急ハンズへ行き、"SOLO-TOURIST"などのパスポートケースを検分する。「要らない」と言いながら興味はあるのだ。

下今市駅でスペーシアを降りると、今にも雪に変わりそうな雨の降っていた東京よりも日光の方が気温は高く感じられた。そして14時25分に帰社して仕事に復帰する。


朝飯 「ドトールコーヒー」のジャーマンドッグ、エスプレッソ(大きい方)

昼飯 「小諸蕎麦」のたぬきわかめ蕎麦

晩飯 マカロニサラダハンバーグステーキ大根の鉈漬け桜大根、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)


 2012.0316(金) 人を恃んで

15日から16日へと日付の変わったころに目を覚ます。そして「あのオッサンはヘミングウェイの『日はまた昇る』について、どんな風に書いたんだろう」と考える。考えてはみたが当該のオッサンの名前が思い出せない。「村だか松だかが付かなかったか?」と推して「村松 千夜」と検索エンジンに入れてみる。

果たしてヒットしたのは村松友視が水原弘について綴った「黒い花びら」を松岡正剛が論じている「千夜千冊」だったから「そうそう松岡正剛。そう、千夜千冊。それにしても水原弘? 松岡のオッサンもいろいろ読むんだねぇ」と、すこし感心をする。

というわけで自分の目指すページに行き着くことができたから、ここに設けられた検索窓に「日はまた昇る」と入れて脇のボタンをクリックすると、しかしこの本に松岡が直に言及した場所は無かった。「エエッ? 村松友視の『黒い花びら』のことは書いて、でも『日はまた昇る』には触れないつもりー?」と、いささか驚きながら、同じ検索窓に「ケルアック 路上」と入れてみると、こちらについても松岡は論じていない。

「なんだよー、オッサン」と嘆息しても仕方がない。そもそもなぜ僕は人の寝静まった夜に松岡正剛のページを探したか。

僕は多く文体のみを追って文章を読まない。だから「日はまた昇る」についても「過去に読んだ中でもっともかっこいい小説」という印象のみがあって、しかしその内容を問われれば、まったく詳しくはない。だからこの小説についての、稀代の読書家としての松岡正剛の感想が読みたかったのだ。

ブレットはいかした女だ。ジェイクの存在は更に僕の神経を痺れさす。ブレットを乗せたクルマがボディの外側を沈めながらハンドルを切って去って行く…そんな、読み手に強い余韻を残す場面が物語の最後のころになかったか。僕の印象では、ブレットとジェイクのあいだにあったのは恋愛ではなく友情だったような気がする。

先にも書いたが僕はこの物語に詳しくない。しかし詳しくないまままで終わりたくはない。よって「千夜千冊」から"amazon"へ移動し、ヘミングウェイが亡くなる4年前に「原作に忠実に映画化」されたという「陽はまた昇る」のDVDを注文する。

夜中に目を覚ますと1日が長い。下今市駅17:33発の上り特急スペーシアに乗る。甘木庵へ行き着くあいだに自分の知っている店で飲むとすれば、経路からして最も合理的なのは湯島天神下の「シンスケ」だ。しかしB級の吸引力恐るべし。北千住駅から外へ出て路地へ、更に路地へと入り込む。そして「加賀屋北千住店」の、入口のビニールをかき分け店に一歩を踏み込み「ひとり」を示す人差し指1本を、店のオニーチャンに向けて上げる。

地下鉄千代田線の湯島駅から地上に出る。そして本郷を目指しながら切り通し坂の左側を登っていく。と、そこにはまるで突然のように湯島天神の白い梅が夜目にも鮮やかに開いていたから「アッ」と思わず声を発する


朝飯 ほうれん草のソテー、冷や奴、すぐき、ツナのたまり漬「刻みザクザクしょうが」和え、納豆、メシ、白菜と豚三枚肉と万能葱の味噌汁

昼飯 「ふじや」の野菜麺

晩飯 「加賀屋北千住店」のあれこれ、芋焼酎あれこれ(お湯割り)


 2012.0315(木) 集中撮影

ウチのパンフレットについて、以前は何年おきに内容を更新していたかの記憶はない。とにかくここ数年は初夏に改版をしている。今年もその時期をにらみつつ、本日午前より、職業写真家による資料の撮影を事務室にて行う。

パンフレットの表紙には今井アレクサンドルの絵を用いることとし、手持ちの10枚ほどを撮ってもらう。その中には昨年の大震災の直後に今井がくれた50号の大作もあるが、今初夏のパンフレットにどの絵を充てるかはいまだ決めていない

パンフレットにも使うが別途、独立した媒体にも用いる「たまり漬と使ったレシピ」「日光味噌を使ったレシピ」「ひしおを使ったレシピ」のための料理写真も撮る。午前から昼食を挟んで午後までに家内の作った料理は30点ほどになるかも知れない

これらの画像は、来週早々にはウチに届く。レシピの画像に調理手順を添えるのは僕の仕事だから、その後の2、3日は忙しいだろう。画像は紙の媒体にだけではなくウェブショップにも載せる。これは再来週後半の仕事になるだろう。

来週と再来週のあいだには一昨日の日記に書いた町内役員旅行をはじめセミナーへの参加、初彼岸のお宅へのお線香上げなど外せない用事がある。獏が夢を食べるように、僕は繁忙をムシャリムシャリと食べながら栄養にしていこうと思う。


朝飯 たまり漬「鬼おろしにんにく」、すぐき、納豆、くみ上げ湯波、目玉焼き、焼きトマト、焼き海苔、メシ、揚げ湯波と小松菜の味噌汁

昼飯 3種のおむすび

晩飯 「松葉屋」の刺身湯波「長畑庵三たて蕎麦」の盛り蕎麦ゆで豚のひしお添え、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)


 2012.0314(水) 大丈夫

空は晴れて、山の姿は2ヶ月前のそれに戻った

「おたくの『梅太郎』という味噌を番組で使わせていただきたいんですが」と先日、テレビ番組の制作会社から電話があった。「でしたら商品をお送りしましょうか」と提案すると「いえ、実はきのう注文しました」との返事があった。調べてみると確かにきのう、それらしきところからウェブを通じての受注があったから「大したもんだね、ちゃんとお金を払って」と腹の中で感心した。

当該の番組は日本テレビで14日に放送される「ヒルナンデス」の「和食料理人に聞いた自宅で使っているみそは何?」というコーナーと知らされた。僕は仕事の関係上、昼にテレビは観られないから今朝のうちにビデオをセットしておいた。そのビデオを夜に再生する。

「梅太郎」をテレビに紹介してくれたのは西五番街8丁目の優れた鮨屋「鮨よしき」のニシヅカヨシキさんだった。「鮨よしき」は店ではお吸い物しか出さないから「梅太郎」は確かに自宅で使っていてくれたのだろう

それにしてもニシヅカさんは一体どのようなところからテレビ局とのつながりができたのか。ヨシキさんについては「いま以上に神経と肉体をすり減らして倒れなければ良いが」とも考えるし、あるいは「金春小路のちかくに隠れ家のようにしてある今の店が有名になって、予約が取れないようなことになったらイヤだなぁ」とも思う。

もっとも今日の昼の放送と共に「梅太郎」の注文がどっと入ったというようなことはない。「鮨よしき」も多分、大丈夫だろう。ここで「大丈夫」という言葉を使うのも何だが


朝飯 3種のパン、コーヒー

昼飯 「つけ汁うどんあくつ」の相盛りの大盛り、きのこ汁、黒糖ミルクプリン

晩飯 筍と蕗の淡味煮、白和え、鰯の甘辛煮、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)


 2012.0313(火) バス旅行の愉悦

朝4時に目を覚ます。本を読んだりブラウジングをしたりするうち6時になる。天気が良いのは何日ぶりのことだろう。屋根に雪をのせた味噌蔵の上には青い空があり、その空には月さえ見える

自分の予定は早くから決めることができる。しかしそこに他者の予定が接近あるいは被ってくることが想定されるときには自分の予定も確定することができない。

春日町1丁目役員による親睦旅行は地元のバス会社が募集するツアーに相乗りをしていく。ツアーへの申し込みが最低催行人数に達しないときには、バス会社はツアーを中止する。この措置によって我が町内の親睦旅行はたびたび空中分解し、積立金は2年分が貯まっている。

今回の旅行も、何ヶ月も前から申し込みながら本当に行けるかどうか危ぶまれてきた。「行くかも知れないし、オジャンになるかも知れない」という中途半端な旅行計画がある限り、その近辺の自分の予定は立てづらい。そうしたところ本日ようやく町内自治会長より「行けます」の返事があった。

バス旅行の醍醐味は「何処へ行くか」でも「誰と行くか」でもない、朝から晩までバスに閉じ込められてひたすら移動をする、そのヒマさ加減にこそある。今回の「感動の大パノラマ!、富士山展望列車と北アルプスの眺望、安曇野、忍野八海」は1泊2日ながら、全行程に占める移動時間は2日間で14時間ほどになるのではないか。

加えて同行の長老たちは夕食を済ませて20時前に床に就く。僕もそれに倣うと午前1時には目が覚める。それからはホテルの中を、灯りと暖かさを探してさまよい歩くことになる。大浴場が24時間営業で、しかもここに無料の電気按摩椅子があればしめたものだ。2日間で20時間ちかくは本が読める。

よって早速"amazon"へ行き、分厚い本の物色を始める。バス旅行は楽しい。


朝飯 牛丼

昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン

晩飯 「和光」の突き出しの砂肝と胡瓜の酢の物頼まなくても出てきたアサリの味噌汁鰹の刺身のたたき風モツ煮、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)


 2012.0312(月) 星と嵐

今週は金曜日まで晴れの予報が出ていた。それで安心をしていると、午後に入って雪がちらつきだし、やがてその雪は勢いを増して、見る間に街の風景を冬のそれへと逆戻りさせた。「いやいやいや」と呆れても、音を立てるようにして落ちてくる牡丹雪は止まない。

製造係が、ウチの人気ランキングでは第2位にあたる「だんらん」を仕込んでいる。窓は外の雪を映して白い。そして工場内の空気は澄んでいる。

関根正二の絵はがきを使い、学校の寮で生活する次男に手紙を書く。先月に送った手紙もまた関根の絵はがきだった。これら2枚をどこで手に入れたかの記憶が僕にはない。

夕方が夜に変わるころにようやく天気が落ち着く。すると今度は風が出てくる。ガストン・レビュファが書いたのは「星と月」だったか、それとも「星と嵐」だったか。飲酒は避けて早々に寝る。


朝飯 昆布巻き蒲鉾、プティトマト、白菜漬け、生湯波、すぐき、メシ、大根と三つ葉の味噌汁

昼飯 焼き餅、バター、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」

晩飯 「ユタの店」の焼き餃子、しそ餃子、葱ワンタン、ライス


 2012.0311(日) 満足の度合い

いつもと変わらず今朝も、仏壇に水とお茶と花を供える。琉球のガラス器に活けられた今回の花は随分と保っている。しかしまぁ、そろそろ替えどきだろう。線香を上げ、仏壇の鐘を鳴らし手を合わせるたび「この鐘ってやつは、その音の余韻と共に心を調えるためにあるんだわな、きっと」と考えるが、本当のところは分からない。

「安いよなぁ」と、僕がいつも感心する飲み屋の最右翼は「加賀屋北千住店」だ。北千住は庶民的な飲み屋の宝庫だけれど、その北千住の中でも僕はほぼこの店にしか行かない。

それに対して「いかにも高けぇよなぁ」と常に感じるのが東京の老舗蕎麦屋の酒である。この「高い」とは支払う金額の多寡ではない、僕の対費用満足度が低い、ということだ。ところがおなじ蕎麦屋でも日光の「玄蕎麦河童」で飲む酒については、これを経験するたび「安いよなぁ」と感心をする。

「玄蕎麦河童」は日によっては夜の営業をしない。よって終業後に電話を入れ、店の開いていることを確認してから外へ出る。

今夜は料理5種に盛り蕎麦、そして麦焼酎の蕎麦湯割り3杯を飲んだ。この蕎麦湯割りは焼酎の配合比が高く、隣の家内にまで焼酎の香りが強く届いたという。そして勘定を頼めば「あぁ、今日もまた」と思える請求の額だった。

そして帰宅してきのうの日記を作成し、入浴して即、就寝をする。


朝飯 昆布巻き蒲鉾、トマトのスクランブルドエッグ、すぐき、納豆、白菜漬け、メシ、温泉玉子、豆腐と三つ葉の味噌汁

昼飯 「麺屋ききょう」の塩葱ラーメン

晩飯 山芋磯辺揚げ自家製豆腐の「温かい方」厚焼き玉子鶏手羽先焼き季節の天ぷら盛り合わせ盛り蕎麦(田舎)「藤居酒造」の麦焼酎「ふしぎ屋」(蕎麦湯湯割り)


 2012.0310(土) 信憑性

渋谷に降る雪をNHKの朝のテレビニュースが伝えていた。文京区の南東部を歩く僕の傘にも、ボトボトと音を立てて雪が落ちている。北千住に達したところで家に電話を入れると、日光では雪になりきれないみぞれの降るのみで、積雪の心配はまったくないという。ことしの雪はどうも、今朝のものもふくめて多くは里雪のようである。

9時すぎに帰社して仕事に復帰する。日光市塩野室産の大豆、おなじくお米、純国産米による日光味噌「梅太郎」を原材料とする2種のフリーズドライ味噌汁が、これまでの小さな木の器から大きなカゴに盛り替えられて店の一角にある。大きな変化はないものの、社内の各部署は春に向けて、あるいはその先の夏に向けて動き続けている

終業後、夕食ともいえないメシをそそくさと摂って春日町1丁目の公民館に赴く。そしてつい先日に作成した来年度の予算案を役員間に配布し、その説明をする。

このところの日本、いや日本全国ではない、僕の活動範囲は日光と東京の中心部に限られる。そこには春の暖かさと冬の寒さが交互に訪れている。しかしその寒さとは、もはや厳冬期のそれではない。「暑さ寒さも彼岸まで」のことばは、今年もまたその信憑性を実証するのだろうか。


朝飯 「小諸蕎麦」のたぬきワカメ蕎麦、ライス

昼飯 カレーライス

晩飯 海老グマカロニグラタン、"Cono Sur Merlot 2008"


 2012.0309(金) 買って良かったもの

日本テレビの朝の番組が今日の寒さに触れ、出勤する際には襟巻きや手袋を携帯するよう伝えている。僕の感想は「それを我々のような寒いところの人間が鵜呑みにすると、行った先で汗だくになるんだよな」というものだ。

ハイネックのヒートテック、同じくハイネックの木綿のセーターの上に"patagonia"の、カゲロウの羽のように薄いパーカを着る。そして下今市駅07:04発の上り特急スペーシアに乗る。

スペーシアと地下鉄千代田線がそれぞれ3分遅れたから計6分遅れて神保町に着く。"COMPUTER LIB"にて"amazon"の、先月の13日と14日には不可能だった一部の商品登録をするそのついでに自社ショップの「当店が紹介されました」ページを更新したりもする

昼休みに「ICI登山本店」を訪ね、旅行の際に飛行機の中で使うメモ帳、ボールペン、カメラ、メガネ、常備薬を納めるための半透明のスタッフバッグを物色する。これについては帯に短したすきに長しだったため、店の奥にあるウェアのコーナーに移動をする。

昨年の秋に目を付けた"MESCALITO"の綿入りジャケットが、先月13日には25パーセントほど値引きをされていた。それがどうなったかを見に行くと、思い当たる場所にそれは提げられていなかった。よって「あぁ、売り切れか、色もデザインも良かったしな、25パーセント引きなら誰でも飛びついただろう」と、出費をせずに済んだ安堵感と、欲しかった物の失われた残念さが胸に交錯した。

出口へ向かおうとして踵を返すと"MESCALITO"の、記憶に強く残る赤いジャケットが2着、棚に綺麗に畳まれている。そのうちの1着は"XL"、そして残りの1着は"M"だった。この"M"を試着してみると、まるで誂えたかのように僕の上半身をぴったりと添う。しばし考えてからレジへ向かい「このまま着ていくので値札を外してください」と店員に告げる。

本日の作業は16時30分に完了した。以降の時間で僕の新旧の"iPhone"を同期させる。"Viber"を設定しようとするとコードを訊いてくる。「そんなの知らねぇ」と"NO CODE"をタップすると「これから音声で報せるから言語を選べ」と英文で出てくる。日本語は探しても無かったため英語を選ぶ。

するといくらも待たないうちに呼び出し音が鳴り、アメリカ人らしいオジサンが電話の向こうでしゃべりを交えながら4桁の数字を言う。それをキーボードからタップすると、"Viber"はただちに立ち上がった。

冷たい風雨の中を銀座へ向かいつつ「朝の天気予報は当たったなぁ、綿入れジャケットが買えて良かったぜ」と、今日だけは腹の底から思う。そして海の精髄が口の中にピチュピチュと飛び散るような鮨を肴に燗酒を飲む。


朝飯 3種のおむすび

昼飯 「大戸屋」の鰆の西京焼き定食

晩飯 「鮨よしき」のあれこれ「斉禰酒造」の「雪の茅舎山廃純米」(燗)


 2012.0308(木) 強揉み強圧し

自分は肩こりには縁の無い人間と、昨年の11月までは思っていた。ところが師走のころより首が左右に回りづらくなり、年が明けるとその傾向は益々強くなった。そして先月遂に、まぁ「遂に」というほど大げさなものでもないが、普段であれば一発で治してくれる鍼治療を受け、しかし今回は一発というわけにはいかず裏を返した。

その、2度目のとき右肩に施されたテーピングを一昨日の夜に外したところ、翌日つまり今日からすればきのうの朝を迎えたところで、それまでの右肩ではなく今度は左肩が異常に凝りだした。よって整体の"mana"に電話を入れるも定休日らしく応答は無い。

「manaの先生は、facebook活動にはコンピュータとスマートフォンのどちらを使っているのだろう、スマートフォンであれば休日でもメッセージを読んでくれるかも知れない」と考え、しかし念のためもう一度、診療所に電話をすると、そこからの転送を受けたらしい先生が折り返し電話をしてくださって、休日明けの施術を予約することができた。

そして本日遂に、まぁ「遂に」というほど大げさなものでもないが"mana"の先生の強揉み強圧しを上半身に集中して受け、症状を随分と軽減させて仕事に復帰する。


朝飯 牛蒡と豚肉と糸こんにゃくの田舎煮、コールスロー、ひじきの煮付け、白菜漬け、銀ダラの西京焼き、メシ、ワカメと長葱の味噌汁

昼飯 クロックマダム、コーヒー

晩飯 ひじきの煮付け、ほうれん草の胡麻和え、コールスロー、昆布巻き蒲鉾、冷や奴、白菜漬け、銀鱈の西京焼きわらび餅かりんとう、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)


 2012.0307(水) 次期繰り越し

正式の社名は「エフエム栃木」ながら現在は"RADIO BERRY"の方が通りの良い地元の放送局から取材の依頼があったのは先週のことだった。僕は覚えたばかりのことも三歩を歩けば忘れる質だから相手に迷惑をかけてはいけない、「3/07(水)11:30 レディオベリー取材」と紙に書き、これを事務机と店舗レジ近くにセロテープで貼った。

先輩のシノトーイズミ君がテレビに初めて出た際には、質問を振られたとき「そうですね」を連発するシロート特有の癖を事前に徹底的に直したという。「まぁ、オレはそこまですることもねぇだろう」と待ち受けるうち、取材のふたりは約束の時間に来社した。

レポーターの質問を受けながら自社のいち押し商品、もうひとつは極めて特徴のある商品、それに絡めて自社の歴史や「たまり漬とは」を語る取材、相手にすべてを任せながら30分もかからず完了した。放送は今月22日15時50分から55分までの5分間に行われるという。

今週土曜日に開かれる春日町1丁目の役員会に備え、来年度の予算案を会計係として作成する。昨年のことは忘れているからその作業には結構な手間がかかるものと考えていたが、実際にはあっという間に終わった。

町内の会計係にはコンピュータの使える者を充てるべきだ。金銭出納帳に平行して費目ごとの記帳とその都度の小計算出をしておけば決算時の面倒はかなり軽減されるが、それでもコンピュータには諸々の点でまったく敵わない。

町内の会計も、特に当番町会計においては、せいぜい40歳代、百歩譲っても50歳代の人を指名する必要がある。総鎮守瀧尾神社の1年間の祭礼を仕切る当番町が次に巡ってくるのは十数年後のことだ。だから、この役に老人を充てると次の機会には生きていない、あるいは頭脳が明晰に保たれていない可能性が高く、それでは次代への引き継ぎができない。梅原龍三郎のような怪物は、そうは存在しないのだ。


朝飯 カレーライス、たまり漬「らっきょう」、同「おばあちゃんのホロホロふりかけ」

昼飯 「大貫屋」の五目そば

晩飯 マカロニサラダ、コールスロー、ポテトグラタンハンバーグステーキバウムクーヘン"Blagny 1er Cru Sous Le Dos d'Ane Domaine Leflaive 1994"


 2012.0306(火) 後塵

正月以来、湿り気を忘れてしまったような空の様子だった。しかしここ10日間ほどは雪と雨が日替わりに訪れて気温も低かった。街を歩けばこの天気のせいで商売は上がったりという愚痴を何度も耳にした。しかしまぁ、それまでの晴れ続きがちと異常だったのではないか、という気もする。

その不安定な天気が絵本のページをめくるように、午前より好転し始める。気温は急速に上がり、瓦屋根に残った雪が見る間に融けて雨樋に吸い込まれていく。山々に目を転じれば、まさか数時間のうちに風景の変わるわけもないが、雪の白さを背にして、森の深緑が面積を増したように思われる。

店舗内の温度計をふと見ると23度まで上がっていたので即、暖房機の電源を落とす。外へ出るときには必須だった長袖の厚い上着も、午後からはまったく要らなくなった。

この日記を遡上してみれば、2010年以来ずっと、この時期の家内の不在期間には、僕は家に籠もりがちになった。そして今夜は8日ぶりに外へ出る。啓蟄から一日遅れての、昆虫の後塵を拝しての外出である。


朝飯 しもつかり、きのう町内の塚田屋にいただいた沢庵の油炒め、メシ、豚汁

昼飯 「ふじや」のタンメン

晩飯 「和光」の突き出しの鶏肉と姫筍の油炒めとアンキモ鰹の刺身のたたき風、頼まないでも出てきた真鱈の卵の煮付け、常連の差し入れによる鶏の足の青唐辛子風味巻き湯波の炊き物、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)


 2012.0305(月) 最強システム

この1週間の晩飯を列挙してみれば

2/28(火) ポテトサラダ、おでん、焼酎(お湯割り)
2/29(水) しもつかり、前夜のおでんの汁で煮た雑炊、焼酎(お湯割り)
3/01(木) しもつかり、マカロニサラダ、おむすび、焼酎(お湯割り)
3/02(金) 親子丼、たまり漬、焼酎(お湯割り)
3/03(土) 鍋焼きうどん
3/04(日) 葡萄パン、チーズ、ウイスキー(お湯割り)

と、まるで独居老人のそれである。家内が留守であれば毎晩のように外食をしても良さそうなものだが、ひとつは低気温に追い打ちをかけるような悪天候、もうひとつは行きつけの店がちかくてもウチから数百メートルは離れているという理由により、夜はずっと蟄居を続けてきた。

そして今夜も、2.3ミリ厚の食パンをオーブンで焼き、バターとチーズを載せてオーブンの余熱でそれらを柔らかくして表面に塗りたくり、それを肴にウィスキーのお湯割りを飲むという、およそひとりでなくては摂りえない類いの晩飯を食べる。

録画による「吉田類の酒場放浪記」の中から選んだ今夜の分が、新潟古町の「喜ぐち」を紹介している。それを観ながら「メニュにラーメンを備えた飲み屋は強いよなぁ、しかし近所のラーメン屋は困るだろうなぁ」というようなことを考える。

そして「他の店からも手数料無料であれこれ取り寄せられて、使いっ走りに小遣いを渡せば酒まで買ってきてくれる東南アジアの屋台こそ最強だよなぁ」というようなことも考える。


朝飯 トースト、コーヒー

昼飯 「麺屋ききょう」の塩葱ラーメン

晩飯 バターと"Gorgonzola Piccante"のトースト、"Macallan 12 Years old"(お湯割り)


 2012.0304(日) 名著復活

「豪華客船シンドローム」と題された小林和男による文章を、本日の下野新聞朝刊第1面に読む。今年1月にイタリアのジリオ島沖で座礁したコスタ・コンコルディア号は豪華客船でもなんでもない大衆大型船だ、それを豪華客船と伝えてしてしまうところに今のメディアの持つ深刻な問題が現れていると小林は言う。

地中海を航行する大きな客船なら豪華客船としても間違いあるまいとは、メディアが得意とする、否、我々もあちらこちらでやらかしているに違いない慣用的表現のひとつだ。慣用的表現をするとは「観察せずに書く」つまり「筆に任せてウソを書く」こととも言える。

「地を這う熱球」だの「スタンドは白一色」というような例を「日本語の作文技術」に挙げて、本多勝一は問題視していた。この本が書かれたのは1970年代なかば。それからほぼ40年を経ての「豪華客船シンドローム」である。小林和男がいくら警鐘を鳴らしても、この手の表現がメディアから消えることはないだろう。

そもそも人は慣用的表現が好きなのではないか。だからメディアはいつまでも慣用的表現を使い続ける。人に好かれるような表現や文言を伝えていかなければ部数、視聴率、聴取率は伸びない。あるいはそれらの数字は落ちていく。朝のNHKニュースのアナウンサー同士のかけ合いなどは正に、慣用的表現の連続である。

おとといの日記にナカオキミツルさんのことを書いたら何だか気になって、"amazon"にナカオキさんの名前を検索してみた。そうしたところ僕の愛蔵している

「力道山のロールスロイス」 中沖満著 グランプリ出版 \1,890

が、何とこの2月28日に新装版初版で出ている。出版社も商売だ、売れる見込みがなければ絶版のまま捨て置くだろう。とにかくナカオキさんの没後ふたたび日の目を見ることとなった著書には乾杯を捧げたい。

「乾杯を捧げたい」だけでは口先のみのことになるから、今日は1982年の初版を読み返してみた。そして30年前とおなじく1日で読み切った。ナカオキさんの「力道山のロールスロイス」は、歴史に残るべき名著である


朝飯 ミニ親子丼、きのうの鍋焼きうどんの残ったつゆによる雑炊

昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン

晩飯 葡萄パン、"Fromage de chevre SOIGNON"、"Macallan 12 Years old"(お湯割り)


 2012.0303(土) 読み返してなお面白い本

今年の夏の初めにはかなり高い確率でシンガポールへ行く。シンガポールには友達のテシマヨーちゃんがいる。「夜に何時間か空けていただければ」と先日"facebook"でメッセージを送ったところ「1日、空けますよ」と返事があった。シンガポールという国名に触れるたび頭に浮かぶ2冊の本がある。そのうちの1冊

「思い出の昭南博物館」 E.J.H.コーナー著 石井美樹子訳 中公新書 \450

を、きのうから読み返している。そして20年前とおなじく2日間でこれを読み切る。僕は本は、テニヲハや句読点の位置、ひとつひとつの完結文における品詞の配列などを確認しながら読んでいく。したがってページを繰る速度は随分と低い。その僕が全208ページを2日間で読み終えるのだから、この本はやはり面白いに違いない

2冊のうちのもう1冊は

「なんだか・おかしな・人たち」 文藝春秋編 文春文庫 \509

だ。ここに納められている、フランスに渡航中の東郷青児がシンガポールで目にしたものごとについては到底、忘れられるものではない。

既に絶版となったこれら2冊をヨーちゃんへの土産にすべく本日"amazon"に発注をする。「なんだか・おかしな・人たち」は"amazon"から直送される形の古書で代金は250円、送料は無料だった。しかし「思い出の昭南博物館」には定価の倍以上の価格かついていて代金は送料込みの1,250円。まぁ、仕方がない。

これらの本を偶然にも買う気になったら思いとどまるよう、ヨーちゃんにはまたメッセージを送ろうと思う。


朝飯 カレーライス、たまり漬「らっきょう」、同「おばあちゃんのホロホロふりかけ」

昼飯 「やぶ定」のたぬき蕎麦、ライス

晩飯 鍋焼きうどん


 2012.0302(金) 日本で売ってくれ

「クルマは簡素なほど良いですよねー」
「あれもいらない、これも外してくれとディーラーに頼むと『それだとタクシー仕様になります』なんて言われますからね」
とは、千代田区隼町にあった「わたびき自動車工業」のナカオキミツルさんと僕が交わした何十年も前の会話である。

「日産、50万円車」「現地仕様、機能絞る」「新興国ブランドダットサン」の文字を本日の日本経済新聞朝刊第1面に見て「新興国なんて言わねぇで、日本で売ってくれよー」と思う

中古で買った"FIAT 850"の、ドアを開けるなり思いがけず室内灯が点灯したから「あ、ランプが点く」と叫んで「ウワサワさんはクルマに対する要求が低すぎる」と、そばにいた人に嗤われたことがある。僕にとってクルマは走って曲がって止まりさえすればそれで良し、且つ見た目が美しく、運転して楽しければ儲けもの、くらいのところである。

テレビだの電気按摩だのを装備したクルマを見るにつけ「よくもまぁこんなの作るよなぁ」と驚きを禁じ得ない。しかし考えてみれば「そんなの作る」のは「そんなの欲しがる人」がいるからに違いない。

僕は多分、死ぬまで自分のクルマは買わないだろう。伝統の狭角V型4気筒を積んだ右ハンドルのクーペがランチアから新車で出れば気持ちはかなり揺らぐだろうが、そんなものを買ってはただでさえ楽でない懐が益々苦しくなる。持たない限り、お金は出て行かないのだ


朝飯 3種のおむすび、豆腐とワカメと長葱の味噌汁

昼飯 「ききょう」の葱塩ラーメン

晩飯 親子丼の頭、メシ、たまり漬「らっきょう」、同「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)


 2012.0301(木) むかし通った店

きのうの夕闇も迫るころ、ハセガワタツヤ君とアキザワアツシ君が雪かきをしてくれたのは、店舗駐車場の中央付近だった。今朝は駐車場北側に残った雪を、きのうのふたりに事務係のカワタユキさんを加えた3人が綺麗にしてくれる

正月以来、雨の少ないことを不審に感じてきたが、ここに来て、栃木弁で言えば「とっかえしをとられた」、そんな気分である。

日本橋の高島屋東京店で先月29日から今月6日まで催されている「老舗名店の味特選会」に出張をして、家内が留守にしている。「こんな酔っぱらいを見て何が楽しいの」とか「もう、この服の趣味、許せない」などと家内には不評の「吉田類の酒場放浪記」を、この機会に観る。自動録画したものがたくさん溜まっているのだ。

今夜リモコンを操作しながら選んだ回では、たまたま所沢の「百味」が紹介されていた。僕が学生だったころ「百味」はいまだひばりヶ丘の、今でいえば「おでんのてるちゃん」のあたりにあった。店は狭く、敷地は矩形ではなく台形に近かったような気がする。それが今では堂々の大店である。「立派だよなぁ」と、テレビの画面を注視しつつ腹の中で言う。

僕が通っていたころの「百味」では、豚足が30円だった。今の「百味」にも豚足はあるのだろうか。もっとも場所が所沢では、僕はもう、行けない


朝飯 カレーライス、たまり漬「らっきょう」、同「おばあちゃんのホロホロふりかけ」

昼飯 「大貫屋」のチャーハン(大盛り)

晩飯 しもつかり、マカロニサラダ、2種のおむすび、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)