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こころよい日和 寒くなく暑くない 空に雲 花の面の埃を流し
薔薇に浮かれた鶯はパハラヴィ語で 酒のめと聲ふりしぼることしきり
Omar Khayyam

 2009.0228(土) 梅花淡々

自由学園の男子部、女子部、学部の保護者が集う三部合同父母会は、礼拝を以て始まったと記憶している。そこで「オレだけ遅れて、男子部の父母会に夕方から参加してもいいかな」と家内に訊けば「親の姿勢が子供にあらわれるのよ」と叱られ、よって午後1時30分に正門から学園内に入る。

講堂では、まぁ、大した話ではないが、家内のおかげで自分の意見も述べることができて良かった。

いま満開の白い梅、そこにすこし混じる紅梅の淡い香りを聞きつつ4時30分に男子部中等科1年の教室へ移動し、担任の教師からお話を伺ったり、あるいは父母との懇談をする。

下り最終スペーシアに最終に間に合うべく7時30分に中座をし、11時前に帰宅する。


朝飯 ほうれん草の油炒め、冷や奴、メカブの酢の物、納豆、すぐき、メシ、徳用湯波と長葱の味噌汁

昼飯 サンドイッチ、牛乳

晩飯 「父母会」のお弁当


 2009.0227(金) "Last Updated:Yesterday or Today"

朝、コンピュータを前にして、先ず何を考えるかといえば、それはその日によって違う。そしてすこしはこの日記のことも考える。

ところが今朝は8時30分に九州からの来客があり、9時30分からは神奈川からの来客があり、彼らの応対やその商談の内容に気を取られて日記のことはすっかり失念していた。

終業後にふとブラウザを立ち上げ、いまだきのうの日記の書かれていないことを知る。

この日記には、書くべきことを思いつかない日のための文章をいくつか在庫してある。しかし今夕にはそれらのうちのどれかを使うことはせず、更新は明日の朝に持ち越すこととする。

そして「それでも、トップペイジの"Last Updated:Yesterday or Today"には違反してねぇわな」と、それを置いた場所へと行ってみれば、その表示はこのペイジのデザインを一新した一昨年の夏にでも外されたのか、どこにも見当たらなかった。


朝飯 がんも、茹でたブロッコリー、メカブの酢の物、すぐき、納豆、メシ、乾燥湯波と長葱の味噌汁

昼飯 「コスモス」の豚の生姜焼きランチ

晩飯 油揚げの葱味噌はさみ焼き、ひじきとレタスとプティトマトのサラダ、稚鮎の甘露煮、温泉玉子入りとろろ芋、豚キムチ、芋焼酎「いも美」(お湯割り)


 2009.0226(木) すぐに忘れるから直ぐに書く。

為すべきこと、すべきことを一度にまとめて思いついたときにはそれらを大きめのポストイットにフェルトペンで書く。その為すべきこと、すべきことが次々と減っていき、最後のひとつになると、それを小さなポストイットに転記して目立つところに貼る。

あちらこちらに電話をして、明日の仕事についての確認をする。その合間に「晩飯は赤ワインとチーズだ」などと考え、しかし今夜は集まりがあったことを思い出し、また忘れて「晩飯は赤ワインとチーズだ」と、ふたたび考える。

第189回本酒会へ出席をするため、夜7時25分に蕎麦屋の「やぶ定」へ行く。入れ込みに落ち着いて、いつもより多い8種の日本酒を飲む。良く冷えた盛りの茶そばを締めに食べ、もう1枚食べたかったが我慢して9時に帰宅する。


朝飯 がんも、冷や奴、稚鮎の甘露煮、すぐき、メシ、油揚げと長葱の味噌汁

昼飯 スパムとキムチとブロッコリーのチャーハン

晩飯 「やぶ定」のあれこれ、8種の日本酒(冷や)


 2009.0225(水) ブルーカラー系

昼前11時30分ごろ高島屋東京店の地下鉄口を入ると、家内とハセガワタツヤ君とカワタユキさんがいて「どんな格好をしてくるか、賭をしていたんだよ」と家内が言う。「担当者にこの1週間のお礼を述べに来たからこその、ネクタイとジャケット着用でしょう」と答えると「去年はダウンベストだったよ」と返される。

僕の普段の仕事はホワイトカラー系というよりもブルーカラー系にちかく、だから背広型の上着やネクタイを身につけると神経が疲れて仕方がない。昨年は「どうせ挨拶は一瞬だ」と考えての普段着だったのだろう。そういうところが僕は甘い。そして本日も名刺は持ち合わせていない。

ハセガワタツヤ君が三菱デリカを運転し、当方は助手席に収まって午後3時20分に帰社する。

おととい先おとといと2日つづけて断酒をしたため、本日夜は余裕綽々にて焼酎を飲む。


朝飯 カレーライス

昼飯 「天一」の昼の定食

晩飯 クーブイリチー、白菜キムチ、油揚げの葱味噌はさみ焼き「伊勢廣」の焼き鳥、芋焼酎「いも美」(お湯割り)


 2009.0224(火) 余録

2003年2月に買った"TRIPPEN"の革靴は、僕が生まれて以降の半世紀中に購入したうち最良の靴だ。その目的が仕事であれ遊びであれ、すこしまともなものを履いて出かけようとするときには必ず選んでしまう優れた道具である。

それだけ頻繁に使っていれば各部もそれなりに消耗し、靴紐はおよそ3年で断裂する。2006年2月には純正の靴紐が得られなかったため仕方なく他社製のものを買った。それも今年になっていよいよ切れそうになってきたため靴の購入元に確認すると、今回は純正品が揃うという。よって「この際だ」と2組を発注し、それらはいま僕の目の前にある

1組の靴紐が3年保つなら2組で6年は保つ。その頃には僕の"TRIPPEN"も10年以上愛用された靴としてウチの玄関にあるのだ。靴は結局のところ、良い物を買った方が安くつく。安いばかりか歩いて疲れず身体のためにも良い。

ところで晴れの日にも雨の日にも僕はおしなべてこのトリッペンの靴を履いている。そしてそれが靴の傷みを早くするすることは重々、承知をしている。だから「いっそのこと、同じ靴をもう1足、買っちまうか」とも考えている。

同じズボンやシャツやジャケットを複数まとめて買うことが、僕にはままある。そうすれば「いつも同じ格好して、質素で感心ね」などと褒めてもらえる余録もあるというものだ。


朝飯 ミネストローネ

昼飯 3種のおむすび、メカブの味噌汁

晩飯 しもつかり、、おでん、生ハムのセロリ巻き、芋焼酎「いも美」(お湯割り)


 2009.0223(月) 飲酒欲

酒は朝からでも飲みたいという人がいる。僕にそのような欲求はない。しかし昼飯の卓にそれなりのものがあれば、飲みたくならないということは決してない。

季節と時間の組み合わせからして最も飲酒欲の高まるのは僕の場合夏の夕刻だ。街には午後2時とほとんど変わらない明るさがあり、しかし時刻は午後5時、手に提げた袋の中には極上の本、というときには心が黄昏の一杯を求めて焦燥する。

日常においては、夕刻をやり過ごすとストンと飲酒欲が落ちる。そして本日は、事務室で明日の準備をするうち夜の8時になってしまい、すると「もう酒はいいや」という気分になったから、これ幸いとアルコールを遠ざけ、今月7度目の断酒日とする。


朝飯 赤飯、具だくさんのスープ

昼飯 "Parrot"のミックスグリルランチ

晩飯 しもつかり生ハムのセロリ巻き、たらこ、お多福豆、メシ


 2009.0222(日) 体重軽減法

食べたものをすべて記録する、という方法で数ヶ月間に体重を十数キロ落とした人と先日、一緒に飯を食べた。

日記にしても、あるいは万歩計による1日の歩数を記録するにしても、そういうことの続く人と続かない人がいる。続く続かないは、その人がマメであるマメでないに関係なく、その行為に興味を以て取り組んでいる人は続くし、義務感からしている人は続かないのだと思う。レコードダイエットも同じくことだ。

その人とは鮨を食べた。その人が言うに、食べたものとそのカロリー値を記録していくうち、いくら好きでもマグロのトロなどは毒物のように感じられて食べたくなくなるのだという。そして鮨は白身や青魚の中でも脂肪の少ないものを選ぶようになり、遂にはメシ抜きで刺身ばかりを食べるようになる、締めのお椀も栄養価の高い味噌汁は避けて吸い物を選ぶようになるのだという。

この人は更に、そうして食べるものを記録していくうち興味は美味いものではなく健康に良さそうなものでもなく、ひたすら低カロリーのものへ向き、しまいには食欲そのものが減退していくらしい。自分の好きなものが毒に思われてくるのだから、それはそうだろう。

僕が「これは良さそうだ」と思った体重軽減法は、食事の時間が来たから食べるのではなく、腹が減ったときにのみ食べるというもので、確かに我々は、腹も減らないのにメシの時間になればメシを食うということを繰り返している。

本日は割と遅い時間に朝飯を食べ、すると昼にはいまだ腹は空いていないから午後2時30分に昼飯を食べ、すると初更には腹が減らず、おまけに今日は春日町1丁目と2丁目の合同会議があったからこれに出席して晩飯は食べなかった。

「空腹を覚えたときにだけ飯を食べる」というダイエット法は確かに有効と思われるが、家族あるいは仲間と共に飯を食べる楽しみを阻害する点において、やはり僕には無理のように思われる。


朝飯 3種のおむすび、豆腐とワカメの味噌汁

昼飯 「ふじや」の味噌ラーメン


 2009.0221(土) 嫌い日記

"Computer Lib"で共同作業をすることの多いハットリヒロシさんは、ある"SNS"に「嫌い日記」というようなものを書いている。それぞれの表題を挙げれば「日記嫌い」とか「仕事嫌い」とか「あいさつ嫌い」とかいうものだ。

ところで、個人のものとして僕が過去に乗ったクルマを指折り数えてみれば9台になる。このうちオートマティックの変速機を持つものは1台きりで、残りの8台はいわゆるマニュアルシフトのクルマである。

全自動の機械には自分の工夫を反映することができず、痒いところに手が届かない。というか全自動の機械は痒い部分を無数に発生させて、使い手の精神を疲れさせる。

本日、ここ数日の洗濯物を全自動の洗濯機で洗ってみれば、その前半部分において3枚のシャツの袖が互いに絡まり団子のようになってしまう。その状態ですすぎの行程に入っても洗剤はよく落ちないだろうからそこで機械を止め、絡まり合ったそれぞれの服を引き離す。

しばらくして見に行くと、脱水を前にして全自動の筈の洗濯機が停まっている。手動で脱水を行おうとしても、なぜかまたすすぎのための水が出始めて一向に先へ進まない。

よってその濡れた服をバケツに入れオフクロの洗濯機のあるところまで運び、そこでとりあえず一件落着をする。そしてしみじみ「オレが嫌いな随一は、いわゆる全自動というやつだ」と思い知る。


朝飯 3種のおむすび、なめこの味噌汁

昼飯 サンドウィッチ、ミネストローネ

晩飯 「和光」の突き出しの大根の甘辛煮空豆鱈の白子と豆腐の炊き物焼き鯖、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)


 2009.0220(金) 雪の降る日

小学生のころオフクロとゴーギャンの展覧会に行った。絵の展覧会では大抵、その画家の画集や複製画を出口ちかくで売っている。僕はゴーギャンの、特徴的とも言える赤や黄色を多用した絵ではなく、白と黒と灰色ばかりの雪の街の絵を買ってもらった。

僕はなぜ、誰もが思わず手を出しそうな、色どり豊かな絵ではなく、暗鬱な雪の景色を選んだか。まぁ、そちらの方がそのときの自分の気分に合っていた、ということなのだろう。

明け方に目覚めると濡れた道を走るクルマの音が聞こえ、雨とばかり思っていたが、起きて窓を開けるとあたりは雪に包まれていた。雪のある暗い景色を見るたび、僕は子供のころに買ってもらった、あのゴーギャンの絵を思い出す。

本日出勤した社員のうちの10名と始業前より雪かきを始め、有り難いことにその作業は早くも35分後に終わった。空は昼前から晴れ、そしてまた曇って元の暗い色を取り戻した。雪に閉ざされた暗い街、というものが僕は案外、嫌いでない。


朝飯 きのう「和光」でもらった八目おこわ、2種のおむすび、豚汁

昼飯 スパムとブロッコリーの油炒め、たらこ、すぐき、メシ、豚汁

晩飯 クーブイリチーポテトサラダ、マカロニグラタン、芋焼酎「いも美」(お湯割り)


 2009.0219(木) ホトケの気持ち

4時30分に目を覚ましても、なにやかやして服を着ればもう5時になっている。お茶を飲みながら本を読みたいと考え、しかし仏壇にお茶を上げる前に自分がお茶を飲む気はしない。

冬、いまだ日の出の遅いころの仏壇にはいつも、部屋が真っ暗なうちにお茶や花や線香を供える。そんなことで仏は喜ぶのだろうかとしばしば立ち止まるが、翻ってみれば24時間あるいは1,000年以上も線香の煙や供物の一時も絶えない寺があり、それを考えれば闇の中の線香も、決まりに反したことではないように思われる。

そして5時15分より居間にてお茶を飲みながら「ウォズニアック自伝」を読む。


朝飯 カレーライス

昼飯 「大貫屋」のキムチタンメン

晩飯 「和光」の突き出しの菜の花と揚げ湯波と鱈の白子の炊き物焼きホッキ貝ししゃも常連のアキモッちゃんから手渡された何かの乾き物烏賊納豆、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)


 2009.0218(水) 繁忙

瀧尾神社の当番町は、神社で催されるお祭りや行事につき1年のあいだ責任を持ち、これを執行する。昨年の大谷向町から今年の川原町への当番町引継ぎ式は今月6日に行われた。本日の午後には、その川原町が全町内の自治会総代を集めての初会議が開かれるため、僕も神社の責任役員としてこれに出席をする。

直会については他に業務もあるためお清めに唇を付けた程度で切り上げ、4時前に帰社する。

高島屋東京店地下1階にて開催中の「老舗・名店の味特選会」に出張している家内からは夕刻に電話があり、初日の今日は昼食の時間を変更せざるを得ない繁忙との報告を受ける。

きのうの夜は家にいたが、いつまで引きこもっていてもいけないと考え、、終業後は日光街道を徒歩で下って飲み屋の「和光」へ行く。カウンターで読む「ウォズニアック自伝」は317ページから俄然、コクを増してきた。


朝飯 納豆、温泉玉子、すぐき、たらこ、メシ、豚汁

昼飯 たらこ、牡蠣の佃煮、すぐきによるお茶漬け

晩飯 「和光」の突き出しの三つ葉のおひたし、茹で蛍烏賊、生牡蠣ポテトサラダ、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)


 2009.0217(火) 気温と花粉

きのうの暖かさとは打って変わって今朝は家の中にいても分かる寒さだ。7時20分に事務室のシャッターを上げ、軒先に暖簾を出しながら犬走りの手水に目を遣ると、置かれたひしゃくが氷に覆われている。このところの気温は三寒四温のようなものではない、1日ごとに乱高下を繰り返している。

明日18日から24日の火曜日まで、日本橋の高島屋東京店地下1階にて「老舗・名店の味特選会」が催され、ここにはウチも出店をする。準備は数週間前から怠りなく、本日午前には長大なリストを元に販売係のハセガワタツヤ君が用度品を三菱デリカに積み込んだ。

その三菱デリカにハセガワ君と、今夜の会場準備要員としてのアキザワアツシ君が乗り込み、午後1時に会社を出発する。その30分後に、今度は販売係のカワタユリエさんと家内が上り特急スペーシアに乗る。僕は来週まで会社で留守番である。

自宅から飲み屋へ行くのは家内が留守のときに限られ、しかし今夕は寒さと花粉のため外へ出る気がしない。よって冷蔵庫の中のものを肴として燗酒を飲む。


朝飯 水菜とプティトマトのサラダ、納豆、メカブの酢の物、メシ、豚汁

昼飯 スパムとブロッコリーの丼

晩飯 クーブイリチー牡蠣の佃煮、たらこ、かまぼこ、メシ、「王禄酒造」の「王禄超辛純米無濾過本生」(燗)


 2009.0216(月) 「ああはなりたくない」

夜に風の強かった翌朝は、店舗駐車場の掃除にいつもの数倍の時間がかかる。吹き寄せられた落ち葉や紙くずには多量の砂も混じっていて、これを集めるには大きな竹箒が必要だ。

竹箒を握っての掃除を済ませ、事務室に戻ると決まって手が小刻みに震えている。製造現場の機械をタワシで洗っても、その直後には手が震えている。

「キーボードってのは大した道具だな」と感心するのはこのようなときで、震える手でペンを握ってもまともな字は書けないが、キーボードであれば楽々と仕事ができ、そのうち手の震えも止まる。

浅草の「神谷バー」で、当時は小学生だった次男とメシを食べたことがある。同じテーブルには、串カツのカツをどうしても串から外せないでいる、ろれつの回らない酔っぱらいがいた。その様子を見て次男は「ああはなりたくない」と言った。

酒を飲むと手の震えの止まる人がいる。「そうはなりたくねぇな」と僕は思う。


朝飯 3種のパン、生のトマト、ヨーグルト、コーヒー

昼飯 鍋焼きうどん

晩飯 「栄児家庭料理」でハットリヒロシさんが店長のリーさんに頼んでテイクアウトさせてもらった辣油で食べる水餃子春雨サラダ、メシ


 2009.0215(日) 夢

ダグラス"DC3"を、船に乗って南の国へ取りに行く夢を見る。この古い飛行機は現在、辛うじて飛ぶだけの力は残っているが、このまま置くと確実にただのゴミになる。その状況から救い出そうというのが我々の意図だ。

帰りの航海中"DC3"のエンジンオイルを調べてみると、ギヤの破片が無数に混在してジャリジャリしている。そのスラッジのようなオイルを抜き取り、新しいオイルと交換しようとするが、なぜかタンクは1時間に200?しかオイルを飲み込んでくれない。

その南の国とは夢の中では特定されなかったが多分フィリピンだ。夢に出てくる4人はすべては顔見知りで、むかし一緒に南の国へクルマを走らせに行った人もそこには含まれていた。

25年以上も前に行った南の国のことや、10年以上も前に読んだ本や、つい最近のいくつかの経験が、この夢を僕に見させたらしい。時空を超えた諸々が突然ひとつにまとまって現れてくるあたりが夢の面白さである。

初更、"Finbec Naoto"へ行く


朝飯 椎茸と湯波と三つ葉の雑炊、すぐき、牡蠣と昆布の佃煮、たらこ

昼飯 カレーうどん

晩飯 "Finbec Naoto"のフォアグラのコンソメジュレ仕立て、自家製パン平目のカルパッチョのサラダ、ラングスティーヌとつぶ貝のエチュベ浅蜊のスープ、イベリコ豚のグリル小さなカレーライスキンカンのコンポートクレームブリュレ、コーヒー、"Muscadet S&M Sur Lie V.V."


 2009.0214(土) エキゾチシズム

きのうの「ひとつの店に30分以上はいられねぇ」について、僕のオヤジは生前しばしば香港と台北とソウルにそれぞれ1泊ずつして帰るような旅行をしていた。「香港なんてひと晩で飽きる」とはオヤジの言葉だが、一晩で飽きても数ヶ月後にはまた出かけていくのだから、これは行きつけの店をはしごして歩くようなものだったのだろう。

僕は香港なら1年いても飽きない自信がある。それでは台北はどうかといえば、あそこは万事のんびりしているところが自分の気の短さに合わず、ソウルは街の感じが日本のそれに酷似していてエキゾチシズムの点で不満がある。

「日本から飛行機でたかだか4時間の香港に、お前は異国情緒を感じるのか」と問われれば僕は否定をしない。僕は多分、ハン・スーイン原作の映画「慕情」を観る西洋人と同じ視線で香港を見ているのだ。

そして自分の普段いる環境とあまりに異なる土地に、僕はエキゾチシズムを感じない。たとえば道の両側に人がぎっしり寝ていて、バスで何キロ走ってもその寝ている人の途切れないカルカッタとか。


朝飯 メカブの酢の物、湯波とひじきの炊き物、ほうれん草の油炒め、すぐき、納豆、メシ、徳用湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 醤油ラーメン

晩飯 「栄児家庭料理」でハットリヒロシさんが店長のリーさんに頼んでテイクアウトさせてもらった辣油で食べる湯波とキノコの鍋、牡蠣の佃煮、クーブイリチー、千枚漬け、芋焼酎「いも美」(お湯割り)


 2009.0213(金) 白子鍋

朝から神保町で仕事をする。

先日「丸善」で間違った買い物をしてしまったため、これを正しいものと交換すべく11時30分より大急ぎで昼飯を食べ、神保町と「丸善」のある日本橋を往復する。「間違った買い物」とは、自分の目的に合った地図を見つけ、平積みになったそれの上から5冊目あたりを抜き出してレジでお金を払い、しかし家に帰ってよく見たら別の地図だった、というものである。

夕刻5時30分より"Computer Lib"至近の飲み屋「多幸八」に計5人であつまり飲み会をする。何年か前に友人paopaoさんのウェブ日記でこの店の鱈の白子鍋を目にして以来、これが食べたくて仕方がなかったのだ

「ハットリ、白子から入れちゃえ」
「いえ、こういうものは野菜から入れないと」
「待ちきれねぇんだよ、早く白子が食いてぇんだよ」

「ひとつの店に30分以上はいられねぇ」という、はしご酒の好きなマヒマヒ社長は超速で肴を食べ常温の日本酒を飲むと、お金を置いてひとりで去った。僕はひと晩にせいぜい2軒しか回らない「ひとつの店でゆっくりする派」だが帰宅をする関係上、残った人たちには7時30分にいとまを告げ、外へ出る


朝飯 4種のおむすび

昼飯 「ボーイズ」の野菜カレー

晩飯 「多幸八」のセロリ煮こごり菜の花のおひたし鱈子煮タコ刺しモツ焼き各種鶏の唐揚げ、鱈の親子鍋、麦焼酎「いいちこシルエット」(お湯割り)


 2009.0212(木) 暗算

今朝、ワイシャツ3枚を含む洗濯物をちかくの「紅葉屋」さんへ持って行くと、シャツはハンガーに掛けての状態と畳んだ状態のどちらでの仕上げを希望するかと訊かれた。

タンスへの収納を考え折りたたんだ状態での仕上げを望むと、ハンガーの方は170円で、畳んだ方は220円だというので、だったらハンガーの方にして欲しいと、先ほどの注文を変更した。そして僕はここで何年か前に、古河市でクリーニング業を営むマモちゃんと交わした会話を思い出した。

マモちゃんによれば、ワイシャツのクリーニングにおいてはハンガーの代金よりもシャツを折りたたんで袋に収める人件費の方が圧倒的に高いのだという。そして、人件費は経費に違いないが、この場合のハンガーの代金は経費だろうか、あるいは変動費だろうか、と僕に質問をした。僕の仲間内ではこのような会話がしばしば交わされる。

いま自分のコンピュータに検索をかけ、それは10年前のことと特定できたがある日、神保町の中華料理屋で昼日中から盛大に飲み食いをし、やはり同じような話で盛り上がったところで食後、店のオヤジに「スイマセン、ワリカンにするので電卓、貸してください」と頼んだら「あんたら、頭、良いんだろ」と、言外に「そんな簡単な暗算もできねぇのか」と馬鹿にされたことがあった。

世間からみて小難しそうな話は酔ってもできるが暗算は酔ってはできないということを、僕はそのとき初めて知った次第である。


朝飯 すぐき、納豆、湯波とひじきの炊き物、ブロッコリーのオリーヴオイル炒め、たらこ、メシ、徳用湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 味噌ラーメン

晩飯 湯波とひじきの炊き物、牡蠣と昆布の佃煮、かまぼこ、千枚漬け鰤大根プリン、芋焼酎「いも美」(お湯割り)、"MACALLAN 15Years"(生)


 2009.0211(水) 絹のパジャマ

2000年の3月に社員旅行で香港へ行った。香港國際機場から街へ出る前に、旅行社の顔を立てて絹屋と宝石屋に寄った。絹屋の社長は阪神タイガースの帽子をかぶったインド人だった。この店で僕は絹のパジャマを、旅行に参加しなかった社員への土産も含めて4、5着ほど買った。

絹のパジャマというものは、いちど着ると肌触りの良さ、特に冬の暖かさから手放せなくなる。このときのパジャマは随分と長持ちをしたが、さすがにボロボロになって今年の正月に処分した。

次のパジャマはぬかりなく、おととし中国へ行ったときに手に入れておいた。香港で買ったものも中国製ならば、中国で購うそれも品質に大した違いはないと考えての購入だった。

ところがこの、2代目のパジャマは使い始めて数日でボロボロになった。文字通りの襤褸である。というわけで僕はいまネット上に、3代目となる絹のパジャマを探している。パンダとか毛沢東の模様があれば即、飛びつくのだが。


朝飯 納豆、ほうれん草の油炒め、生の小さなトマト、たらこ、すぐき、メシ、豆腐と椎茸と長葱の味噌汁

昼飯 塩ラーメン

晩飯 鰤の塩焼きブロッコリーのオリーヴオイル炒め鰤大根湯波とひじきの炊き物、メシ


 2009.0210(火) リコーのカメラ

リコーのカメラが壊れて壊れてどうしようもない。

"GRD"は今月4日に鏡胴が繰り出される途中で停まったままになり、"R8"はそのCCDに、目視できるものに限っても4ヶ所にゴミが付着してしまった。よって午後、所用のついでに「リコー銀座カメラサービスセンター」へ寄り、この2台の修理を依頼する。

日本橋で用を足し、指定の時間にサービスセンターへ戻ってみると、"GRD"は鏡胴ユニットをCCDもろとも交換され、また"R8"は光学ユニットをCCDもろとも交換されていた。これはどういうことかといえば、2台ともレンズと、それに付属のCCDを交換されたということだ。

購入以来"GRD"に何度の修理を施したかは、この日記を遡れば分かるが多分4回ほどになるのではないか。今回"GRD"の修理には18,900円を要し、"R8"はいまだ保証期間内のため無料で済んだ。

この日のサービスセンターは3つのブースがすべて埋まり、かつ待ち客が数人いる混みようで、しかも修理依頼者のすべては「はい、分かりました」「有り難うございます」などと至極もの分かりが良く、自分の道具の壊れたことに怒っている人はただのひとりもいなかった。

リコーのデジタルカメラを使いつけている人々には、電気系統の故障くらいでは一向に動じない英国車ファン、雨漏りなど一顧だにしないイタリア車ファンと同じ匂いがする。そして僕もリコーのデジタルカメラについては、その性能と使いやすさからすれば、1年に1度くらいの故障は許容の範囲内と考えている。

なお、これは以前の日記にも書いたことだが、僕に売った"GRD"と"R8"によってリコーが上げた利益は明らかにマイナスである。光学ユニットを無償交換せざるを得ないようなカメラを作り続けて、その部門に利益の出るはずはないのだ。


朝飯 納豆、ウインナーソーセージとピーマンの油炒め、すぐき、たらこ、メシ、徳用湯波と長葱の味噌汁

昼飯 「寛文五年堂」の生ざるうどん

晩飯 「六ちゃん」の焼売鶏のはさみ焼きと砂肝茄子の味噌田楽、皮と軟骨と手羽、鶉の卵の笹身巻きとつくねとレヴァ大根と胡瓜のぬか漬け、ビール、芋焼酎(お湯割り)


 2009.0209(月) 理想の団体旅行

きのうまでの1泊2日の旅行について振り返ってみれば、出発してから帰るまでの合計時間は43時間。睡眠時間を8時間とすれば起きていた時間は35時間。途中で高速道路閉鎖という事故に遭遇したせいもあるが、バスに乗っていた時間はおよそ18時間だった。

18を35で除すればすなわち0.51だから、起きていた時間の実に半分以上は移動に費やしたことになる。日本人は、こういうアクセクした旅行が大好きだ。そしてこうした旅行の好きな国民は日本人だけかと周りを見わたせば、日本に来ている中華人民共和国の人たちも、おしなべて同じように見える。

経済成長の途上にある国の民ならいざ知らず、日本人はもうアクセクしなくても良いのではないかと思ったり、あるいは旅先においてもアクセクしなくては気の済まない活力がいまだ国民から失われていないのは素晴らしいことと思い直したりする。

自分の理想の団体旅行とはどのようなものか。

上野の西郷隆盛像の前に集まって「みんなとにかくモンテヴィデオまで行け、行き方の条件として飛行機の使用は1回かぎりだ、それでは解散」なんてのが好みだが、齢52になっての体力勝負はつらい。「サハラ砂漠横断90日の旅。ただし成田空港に集合した直後に解散、後は自由行動で3ヶ月後にふたたび成田集合」なんてのは悪くない。しかしこれでは旅行社は金を取れないか。


朝飯 3種のおむすび、なめこの味噌汁

昼飯 「ふじや」のタンメン

晩飯 牡蠣と昆布の佃煮、クーブイリチー、かまぼこ、稲荷寿司わらびもち「王禄酒造」の「王禄超辛純米無濾過本生」(燗)


 2009.0208(日) 高山・日光

暗闇に携帯電話を手探りしてディスプレイを見ると深夜1時50分だった。僕の頭の方に人の動く気配がしたため「アンザイさん、1時50分です」と声をかけると「知ってるよ」と、はっきりした声で返事がある。畳屋のアンザイカツイチさんは日常、午後4時か4時30分から飲酒を始め、8時に就寝して午前1時に起床する、そのことを知っていたから不思議には感じない。

次は3時30分にいちど目を覚まし、4時30分に3度目覚めて携帯用の読書灯で本を読み始める。アンザイさんは4時50分に風呂へ向かった。

温泉旅館に着くといつも、照明と適温の確保できる公共の場所を調べておく。自分が同室者の寝静まっているうちに目を覚ますことは必定で、朝はこの明るく、暖かい場所にコンピュータを持ち出して日記を書く。

6時に部屋へ戻るとアンザイさんは窓際の椅子で自製の数の子を肴にワンカップの日本酒を飲んでいた。そして「やるか?」と僕に訊く。ひとりで飲むのは寂しいというアンザイさんの気持ちを、人の気持ちの分からない僕は勘案できず「いえ、結構です」と答えてしまう。いずれにしても、僕は旅先では昼酒を飲まない。ましてアンザイさんのは昼酒でもない朝酒である。

8時にロビーへ集合してバスに乗り、重厚な日本建築である旧高山町役場ちかくでそれを降りる。そして上三之町の古い町並みを散策する。僕の歩幅で500歩つまり350メートルほどのあいだに味噌醤油酒の醸造元が10軒か11軒もある。味噌は小さな設備でも作れるが醤油や酒はその限りでない。この密度の濃さは何ゆえか。

それにしても底冷えがする。襟巻きはバスの中に置いてきてしまった。手袋をしていない指先が瞬く間に冷えていく。温かい飲み物が欲しいがそれは望めない。指定された時間の30分も前にバスへ戻る。

「熱いコーヒーを飲ませる店なんて、あったんですか」
「あったよ、タクチャン、待ってても来ねぇんだもん」

団体旅行において、すこしでも自由の利く時間があれば僕は常にひとりでどこかへ行ってしまう。人と一緒に行動するなどは思いもよらない。このクセは幼稚園以来、今に至るまで変わらない。

「喫茶店のオカミ、いいオンナだったぜ、タクチャン好みだったよ」
「タケダさん、オレのオンナの好み、知ってるんですか?」
線香屋のタケダショージさんの軽口に気色ばむと「いいか悪いかは知らねぇけど、とにかく女だったよ」と、誰かが混ぜ返す。町内の役員が10人も揃って、会話の内容といえばこの程度のものである。

団体旅行は嫌いだという人がいる。僕の感覚からすると、ひとり旅以外はすべて団体旅行だ。ひとり旅にはひとりでお酒を飲むと同じ楽しさがあり、団体旅行には集団でお酒を飲むと同じ楽しさがある。つまり双方にはそれぞれの楽しさがある。

09:50 一般道から東海北陸道に上がる
10:30 白川郷合掌集落を見物する
11:35 ツアーの参加者全42名中の1名が合掌集落で行方不明になり、出発が30分遅れる
11:52 富山県に入る
12:40 予定に30分遅れて氷見漁港に着く
15:00 「源」の「ますのすし」工場見学にて、この包装紙が中川一政の筆になることを知る

バスによる長距離移動のため、スティーヴ・ウォズニアック著「ウォズニアック自伝」が100ページほどもはかどる

17:18 上信越道の黒姫野尻湖パーキングエリアを通過
17:55 事故による渋滞に、須坂長野東インターチェンジから巻き込まれる
18:57 事故による道路閉鎖にて長野インターチェンジから一般道に降りる
20:25 大渋滞の一般道を抜けて更埴インターチェンジから上信越道へ上がる
20:47 東部湯の丸サービスエリアで夕食の弁当を積み込む
22:23 北関東自動車道の太田桐生インターチェンジを出る
23:17 関東バス佐野営業所で送りのバスに乗り換える
01:00 日光市春日町「市縁ひろば」着

1日目は栃木県日光市から岐阜県高山市まで行き、2日目は日本海まわりで帰ってくるという大旅行はこうして終わった。午前2時に就寝する。


朝飯 「高山グリーンホテル」の朝食膳

昼飯 氷見漁港の「日本海冬のもてなし膳」

晩飯 「おぎのや」の「峠の釜飯」


 2009.0207(土) 日光・高山

春日町1丁目役員会の親睦旅行にはこれまで、僕自身が時宜を得なかったり、あるいは「これにしよう」と決めたバスツアーの申込人数が定員に達せず流れたりして、これまで参加をしたことはなかった。しかし今年はそのふたつの点に問題が無く、午前3時45分に目を覚まして5時30分に町内の「市縁ひろば」へ行く。

僕以外のすべての人は既に集まっていたが、ここで僕はデジタルカメラを持参し忘れたことに気づき、家へ引き返して1階の事務室と4階の居間を探すが見つからない。仕方なしに集合場所へ戻り、到着したばかりの迎えのバスに乗る。

06:00 栃木県日光市春日町「市縁ひろば」を出発
07:12 佐野プレミアムアウトレット前通過
07:52 関東バス佐野営業所に待ち受けたツアーのバスに乗り込み出発
09:55 数日前の噴火により白い雪肌を黒い火山灰に覆われた浅間山を遠望する
11:00 長野道横川サービスエリアから北アルプス連峰を遠望する
12:23 上高地への釜トンネルちかくに掘削された安房トンネルに入る
12:30 安房トンネルを抜けて早くも岐阜県高山市に入る
12:40 昼食
14:50 高山市街に入る
15:05 「まつりの森」にて祭屋台を見物する
15:55 「高山グリーンホテル」着
17:60 夕食
19:45 「飛騨民族村」にて白川郷合掌集落を見物する
22:00 就寝

クルマによる長距離移動を決してしない僕にとって、バスで行く飛騨高山への1泊旅行は正気の沙汰と思えなかった。しかし長野県と岐阜県をつなぐ4,370メートルの安房トンネルの開通により、その所要時間は劇的に短縮された。

夜、荷物整理のため"ZERO POINT"のサブアタックザックの中身を座卓にザラザラ出すと、今朝には見つからなかった"RICOH R8"がコロリと出てきた。"NOKIA"の携帯電話で撮った本日各所における画像がどれほどの出来かは、今の段階では分からない。


朝飯 2種のおむすび

昼飯 「赤かぶの里」の「あ~ったか飛騨和牛づくし御膳」

晩飯  「高山グリーンホテル」の夕食膳、日本酒(燗)


 2009.0206(金) 神社の仕事

これまで禰宜だったタナカノリフミさんを宮司とするための宮司任命具申書に責任役員として署名捺印をするため午後、瀧尾神社へ行く。神社では同時に、大谷向町から川原町への当番町引き継ぎ式があり、こちらにも出席をする。

会議が終了して後は「ブライダルパレスあさの」へ移動し、直会が行われる。

責任役員の先輩であるワタナベマモルさんには、同氏が経営する「渡邊佐平商店」のお酒が靖国神社に奉納されていることを先日、仕事の合間に立ち寄った同所で偶然に知ったことを報告し、それをきっかけとして色々と有意義なお話をうかがう。

明朝は町内役員たちと5時30分集合で飛騨高山へ出かけるため、いつもより早く就寝する。


朝飯 しもつかり、ピーマンの油炒め、納豆、メシ、徳用湯波と豆腐と長葱の味噌汁

昼飯 しもつかり、ツナとキャベツのサラダ、目玉焼き、茹でたソーセージ、メシ、徳用湯波と豆腐と長葱の味噌汁

晩飯 「ブライダルパレスあさの」のあれこれ、日本酒(冷や)


 2009.0205(木) 「ロンアール家庭料理」

僕の要請に応えて"Computer Lib"まで出張してきてくれている編集者のハットリヒロシさんが「なに読んでるんですか」と訊くので「こういった、時流を意識したような読書は恥ずかしいんですけれど」と

「キング牧師とマルコムX」 上坂昇著 講談社現代新書 \756

を見せると「公民権運動ですね、恥ずかしくないじゃないですか、ハーレクインロマンス読んでるってんじゃないんですから」と言ってくれたため「確かにハーレクインロマンスは読みませんし、セカチューも読みません」と答える。まぁ、そういうヨタ話ばかりをしていては仕事も進捗しないため、午前9時10分以降はきのうの続きに没頭する。

夕刻、ハットリさんとキクチユミさんとの3人で駿河台坂を上がり、順天堂医院の脇を抜けて晩飯を食べに行く。「キクチさんは1,000円会費でいいですよ、オレはちょっと多めに払いますね。で、ハットリさんはどれくらい出せますか?」との質問を投げかけると「ジ、地味に行きましょう」と、自分が常連である店に僕を連れて行こうとしているハットリさんの気分的高揚は幾分か下落したように感じられた。

本郷通りを渡りながら東すなわち秋葉原の方角を眺めれば夜の空があり、西すなわち東京ドームの方角を眺めればこちらにはいまだ夕刻の空がある。

「ロンアールでいちばん美味いものは何ですか?」と訊くと、この店の女主人と親しいハットリさんは言下に「ラー油です」と言い放った。日本人の味覚に媚びない四川料理屋「ロンアール」は漢字で書けば「栄児家庭料理」で、上質のフランス料理屋だった"sasao"の跡にできた店だ。

「山椒も相当に効いたこの店に来て、名物だからって、やたら辛いものばかりを頼んで、それで辛くて食べられなかったなんて人が多いけど、お金を使って美味しいものを食べられずに残してしまうなんて、本当に勿体ない話ですよ」と速射砲のようにしゃべり続けながらハットリさんは店長のリーさんに先ず、ラー油だけを別に持ってくるよう頼んだ

引き続き「料理の辛さは落としてくれって頼むんです。で、ラー油は各自の好みで使えば良いんです」と、この店におけるツウのやりかたをハットリさんは教えてくれた。

結局のところ3人での今夜の食事は、ハットリさんによる膨大なウンチク語りを除けばとても静かで、そしてしみじみと楽しく、もちろんとても美味かった。

ひとりで蔵前橋通りをだらだらと下り、清水坂下、妻恋坂下、三組坂下と歩いて湯島から千代田線に乗る。11時すこし前に帰宅する。


朝飯 「豊ちゃん」の生かきのあたま、メシ、豆腐とワカメの味噌汁

昼飯 "Pianta"の漁師風ペペロンチーノ

晩飯 「栄児家庭料理」の皮蛋、凉拌猪心水餃子炒土豆絲蝦仁炒鶏蛋鹵猪足粉蒸鶏肉酸辣湯汁なし担々麺濾州老窖二曲酒(生)


 2009.0204(水) "Majuro Atoll"

"Computer Lib"は一昨日、これまでとおなじ神保町の中で引っ越しをした。そのようなわけでいまだその環境は整備されていないから、午前中はヒラダテマサヤさん、ハットリヒロシさんとの3人で近くの貸座敷へ移動し、仕事をする。

とにかく夕刻までは脳が酸欠を起こすほど悪戦苦闘し、以降は失われた酸素を脳に取り戻すべく銀座へ移動する。少々脱線をすれば、"RICOH GRD"は銀座における第1枚目を撮った次の起動において、購入後何度目かになる不具合を発生させた。こんどの故障は、このカメラには良くあることだが鏡胴が繰り出されない、というものだ。

「三州屋銀座店」の2階でいきなり「なに?」と、オバサンの洗礼を受けたのは6日前のことだった。その6日前の帰り際に本日の席を予約しておいた。本日ふたたびここの2階へ、さきほど数寄屋橋で落ち合ったまじゅろさんと上がってみれば、オバサンの第一声は「満員だよ」だった。「予約してあるんだよ」と返すと「だれ?」と、6日前とおなじ手順を踏む。

まじゅろさんとは、パソコン通信でその発言を目にしてから実際に会うまでに数年を要したと記憶している。いま僕のコンピュータの奥底を探ると"majuro-book"というフォルダがあり、そこにはまじゅろさんが代表を務めた12人の集団が1997年の秋からパソコン通信を介して造り上げシェアウェアとした、西順一郎の著作「21世紀は感受性の時代だ」のhtml版が格納されている。

まじゅろさんは同じくパソコン通信で仲間を繋ぎ、Ted-Nelson著、西順一郎訳の「ホームコンピュータ革命」をデジタル化してインターネットで配信しようとしたこともある。「ホームコンピュータ革命」はコンピュータの技術書、というよりはパーソナルコンピュータを通じて社会が民主化されることを予言した驚くべき思想書で、1970年代、サンフランシスコの本屋でこれをパラパラとめくっただけで何ごとかを脳にひらめかせた西順一郎の炯眼こそ恐ろしい。

まじゅろさんは1990年代の中頃からマッキントッシュのコンピュータでマイツールを動かしていた。そのハードのうちの特に"PowerBook 2400c"はまじゅろさんによって「マジョリカちゃん」と命名され、我々はこぞってそのディスプレイをのぞき込んだものだ。

まじゅろさんは環礁を愛し、カクテルはほとんど"Gulf Stream"つまり「メキシコ湾流」しか飲まない。"Majuro Atoll"は中部太平洋にあり、"Gulf Stream"は北大西洋を巡っている。パソコン通信のハンドルが「まじゅろ」であるにも関わらず、なぜ"Gulf Stream"を好んで飲むかについて訊けば、海流の名を冠したカクテルはほかにないからとのことだった。今夜の僕は、まじゅろさんに質問ばかりしている。

まじゅろさんと僕は「三州屋銀座店」のある路地を出て並木通りから西五番街へと鉤の手に歩き、やはり6日前にも来た"MOD"のカウンター前に立つ。そしてまじゅろさんはもちろんいつものように"Gulf Stream"を飲むと踏んだが案に相違して注文したのはテキーラのお湯割りだった。僕は発泡性の赤ワインに続いてビール少なめのレッドアイを飲み、まじゅろさんは2杯目として「竹鶴17年」の加水を飲み、そこで今夜の飲み会をお開きとする。


朝飯 2種のおむすび

昼飯 「丸香」の温かいかけうどん、かしわ天

晩飯 「三州屋銀座店」の三つ葉のおひたし、ウドの酢味噌和え、銀杏、刺身盛り合わせ、貝刺身盛り合わせ、牡蠣塩焼き、金目鯛のあら煮、鳥豆腐、「白鶴」(お燗)


 2009.0203(火) 節分に思い出すこと

いったんクルマを運転しはじめると慣性のようなものが働いて、ちょっとやそっと眠くなっても小休止することが厭わしくなる、と言った人がいた。本日、朝から根を詰めて仕事をしていて夕刻にいたり、しかし僕にも前述の人のような慣性が働いているのか、席を立つ気がしない。

そんなところに包装係のサイトーヨシコさんが来て「ちょっと、今日は豆まき、しないの」と訊く。よって「夜にしようかと思って」と答えると「えー、いつも明るいうちにやってたじゃん」と言うので「じゃぁ今、やるか」と、重い腰を上げる。

店舗、包装部門、製造部門、原料倉庫と、日光街道から遠ざかるようにして会社の深部に達し、今度は外へ出て隠居、そこから自宅へ引き返して、そのすべての場所に「フクハウチ」と豆をまき、あるいは「オニハソト」と窓から豆をまく。

豆まきの日には決まって「サブロー」という名の、昭和12年生まれの叔父を思い出す。この人が今市高等学校の文集に載せた節分についての随筆を、自分もおなじ十代のころに読んで「文章では到底、この人には敵わない」と感じた。

この「サブローさん」は東京から帰省すると家よりも先ず社員の休憩所に顔を出し、そこで面白い話のひとつふたつを聞かせてから玄関に靴を脱ぐような人だったらしい。この人の高等学校の同級生によれば、誰もが「サブローさん」のことを好きだったという。

この叔父は惜しくも心臓に病を得て、青山学院大学に在学中、亡くなった。そのとき僕は3歳で、うっすらこの叔父のことを覚えている。

叔父の文章は静かで懐かしく、叙情にあふれたものだった。モノクロ写真の中でオカリナを吹いている叔父は、どことなく、宮沢賢治に似ている。


朝飯 生卵、納豆、メシ、徳用湯波と長葱の味噌汁、イチゴ

昼飯 「ふじや」のタンメン

晩飯 アオキマチコさんにもらったしもつかり、メシ、徳用湯波と長葱の味噌汁、イチゴ


 2009.0202(月) 美酒の設計

商品の名前について、平凡すぎてつまらないものもあれば、その陳腐さにより却って成功するものもある。不自然だったり過激だったりする商品名はもちろん最初から目立つが、消費者の感覚から著しく乖離して忘れ去られることもあるだろう。

それが商品名として採用される以前には「日本語の常識にもとる」などと反対派に否定をされても、いったん売れ出してしまえば消費者に受け入れられ、はじめは反対した人たちも、いつの間にか自分が反対したことなど忘れてしまうとは、いかにもありそうなことだ。

僕がもっとも好きな名前の日本酒は「聴雪」で、2番目に好きなのは「美酒の設計」である。そしてしばらくのあいだ気づかずにいたが、このふたつのお酒はどちらも秋田県にある「斎彌酒造店」のものだ。

「美酒の設計」の名をお酒に付けるにあたっては「設計ってのは主に、建物とか機械に対して使われる言葉でしょ、お酒にはそぐわないんじゃないですか」というような意見があったかも知れない。

暇ができたら秋田県まで出かけ、斎彌酒造の関係者にはぜひ、このあたりについて訊ねてみたいと考えている。


朝飯 ハムとレタスのサラダ、おとといから残っているキッシュ、白菜漬け、納豆、メシ、ワカメと玉葱の味噌汁

昼飯 「報徳庵」の金次郎蕎麦

晩飯 ツナとレタスのサラダ「金長」のメンチカツサンドスパゲティナポリタンイチゴ、"Chez Akabane"の杏仁豆腐


 2009.0201(日) 温め酒は秋十月の季語だけれど

雨が降るとしごく暖かい。晴れて風が吹くとしごく寒い。この数日間は、その繰り返しである。雨は商売には有り難くないが、インフルエンザの菌を水滴で包んで地面に落とし、やがて側溝へ流し去るのだという。風の強かった夜が明けると、店舗の駐車場には砂や枯れ葉が溜まり、その様は秋の吹き寄せのようには美しくない。

朝飯の、ジャガイモと玉葱の味噌汁を食べながら、先日「三州屋」でマハルジャン・プラニッシュさんの言った「一番好きなおかずは納豆、一番好きな味噌汁の具はジャガイモ」ということばを思い出す。

「ジャガイモの味噌汁はさぁ、具のジャガイモが食いてぇってわけじゃねぇんだよ、ジャガイモから出るダシが美味いんだよな」と返事をすると「そうそう」と、マハルジャンさんは嬉しそうに同意をした。

夜、顧問税理士スズキトール先生の招待により、料理屋でご馳走になる。酔って外へ出ると日光の山は月に照らされ、藍色の空に白く浮かんでいた。


朝飯 ポテトとほうれん草のキッシュ、ほうれん草の油炒め、たくあん、納豆、メカブの酢の物、メシ、ジャガイモと玉葱の味噌汁

昼飯 カレーうどん

晩飯 「三彩」の先付け(蟹クリーム寄せ)、前菜(長芋雲丹焼きなど)、お椀(合わせ味噌仕立て海老芋なめこ鴨)、お造り(鮪、鯛)、揚げ物(芹と白魚のかき揚げなど)、小鉢(たぐり湯波あんかけ)、焼き物(銀鱈西京焼)、強肴(フォアグラ鍬焼き)、飯物(たらこ茶漬け)、水菓子(マンゴー)、氷菓(シャーベット)、日本酒(燗)