「元日の朝は家族揃ってすき焼きを」とは日光市霧降地区にあるステーキ屋「グルマンズ和牛」のオヤジさんの提唱するところのもので、この黒毛和牛によるすき焼き肉を予約すると封書が届き、そこには大晦日のこれこれの時間に取りに来てくれと書いてある。
今年は朝7時から7時30分のあいだが先方の指定する時間だったため、長男と次男をホンダフィットに乗せて6時40分に家を出る。
日光市内から霧降のペンション街へ至る長い坂を上がっていくと、「グルマンズ和牛」のちかくにはクルマが多く停まっていた。
大晦日にすき焼き肉を取りに行った人は、その数に関係なくレストランに隣接の暖かい「グルマンズ和牛ヴィールクラブ」に請じ入れられ、ミートパティの載ったパンと、年によりコーヒーあるいはスープが振る舞われる。
1セット15,000円のすき焼き肉を大晦日の朝にわざわざ日光の山の上まで取りに行く人がたくさんいる。それは値段に比しての肉の良さもさることながら、オヤジさんの人柄、良く教育された社員さんたち、年末のイヴェントに参加する愉しさ、日光の冷たくて綺麗な空気、その諸々の価値を認める人が大勢いるということだ。
「グルマンズ和牛」は上質のステーキを食べさせるペンションから始まって、今では牧場を持つまでに至っている。そのこつこつとした歩みには大いに見習うべきものがある。
7時30分に帰社して店を開ける。午後は製造係のマキシマトモカズ君と店に沿った国道121号線の掃除をし、夕刻にかけては包装係のアキザワアツシ君と"rubis d'or"88本をビンに詰める。
所用にて朝、日光市日光地区へ行く。東照宮、二荒山神社、輪王寺への参道には植木屋さんが出て、初詣客を迎える清掃作業に余念がなかった。
すべてのお店は日光市にあって自分はいつも食べているから特別に意識はしないけれど、よくよく考えてみればこれらはつくづく美味いよね、という品ばかりを聚めた「日光の美味七選・年越しセット」のあれこれが各々のお店から届き、あるいはお店まで受け取りに行く。そして午後よりこの荷造りにかかる。
「荷造りにかかる」とはいえ実際に作業をするのは製造係のアオキフミオさんとフクダナオブミさんのふたりで、僕は間違いがないかそばで見ている、あるいは非常時の連絡要員としてそこに立っているだけだ。そしてこの荷造りの完了したのは、夕刻もずいぶんと遅くなってからのことだった。
師走の28日には大掃除、そして30日には正月の飾り付け、というのが我が社の年の瀬の不文律にはあり、それに従って、社員の洗った「水神」の石碑に鏡餅や新しい榊を置いたり、あるいは社内の各所に幣束を取り付けたりする。
日中は目の回るような忙しさだったが、夜はクーブイリチーで泡盛のお湯割りを静かに飲み、また比内地鶏の鍋を食べる。
年賀状は長男と次男が整えた。僕は年賀状については、自ら出すことをしない。義理以外で送ってくれた人にはなるべく返信をしたいと考えているが、年によりできたりできなかったりを繰り返している。
部屋のカーテンを開くと、眼下の駐車場にはきのう自走してきた愛車に近づく幾人かの人が、そして頭上には青い空があった。
午前8時すぎにコントロールタワーの下へ行くと、「阪納誠一メモリアル走行会」に参加をするクルマが三々五々集まって来る。あたりには古いクルマの排気音とギアノイズが満ち、落ち着いた気分で冷たい空気を吸う。
「ウチのクルマは百戦に参じてやつれた風情に仕上げよう」とは、"EB-Engineering"のタシロジュンイチさんとの一貫した取り決めだった。しかし我が"BUGATTI 35T"は年初からタシロさんが小まめに手を入れ続けた上に全塗装も施され、パドックに並びいる同類の中で最も綺麗なマシンになってしまった。
いよいよ「ツインリンクもてぎ」の西コースへ出て行く。エンジンと冷たいタイヤを慮ってはじめの2周だけはおとなしく走り、3週目から徐々に速度を上げていく。
昨年は、自ら定めた限界の3,700回転までエンジンを回した。今年はバックストレッチとメインストレートで、3速の4,000回転までエンジンを回してみる。問題は何も無い。直列8気筒2,300ccの排気音が、ティンパニィの連打のように耳を打つ。
昨年よりもどの部分が良くなり、更にどの部分に手を入れればより良い状態になるかを突き詰めるため、ときおりはパドックに戻ってオーエナガシさんとタシロさんにエンジンの微調整をしてもらう。走行中の状態を知ってもらうため、タシロさんを助手席に乗せて走ることもする。
午後のひととき、ふたたび"BUGATTI 35T"をひとりで走らせながら、昨夜だれかから「古いブガッティを操縦する楽しみはどこにあるか」との質問を受けて「幻想、あるいは歴史の共有」と答えたことを思い出した。82年前のレーシングカーを操縦しながら僕は、分厚い文献やモノクロの写真の中に浸透していくのだ。
午後3時30分にパドックを出て5時に帰社する。
"BUGATTI 35T"を積載したタシロジュンイチさんのトラックの助手席に収まって、「ツインリンクもてぎ」に付属の"HOTEL TWINRING"に夕刻4時40分に着く。
紫色のTシャツを、襟の固い白いシャツに着替えて墨色のネクタイを締め、バーへ行く。そしてバーテンダーにジンを指定してジンアンドトニックを作ってもらう。なにより午後7時からは「阪納誠一メモリアル走行会」の前夜祭が控えているため、強いお酒を飲むわけにはいかない。
ところがジンアンドトニックには、喩えて言えばショートストロークのエンジンを5速1,500回転から加速していくような焦燥感があり、やはり僕の趣味には合わない。よって「大丈夫か、オマエ、実はオマエ、アル中じゃねぇのか」というもうひとりの自分の声を充分に認識しつつ、2杯目はドライマーティニにする。
午後7時前に、地下1階にある前夜祭会場へ行く。しっかりした人、あれやこれやにだらしない人、諸々を集めたパーティは9時30分にお開きとなった。
二次会には参加をせず、部屋へ戻って入浴の後、すぐに就寝する。
午後、次男の同級生タケシマシュースケ君が下今市駅に着く。夕刻、長男が下今市駅に着く。初更、僕を加えた4人で茶臼山のふもとの温泉「長久の湯」へ行く。きのうの雪が残っていれば露天風呂の風情も格別と思われたが、その雪はとうに融けたらしい。
本日は次男の13回目の誕生日にて、晩飯は本人が好物とするカレー南蛮鍋だった。僕と長男は与那国島の泡盛「どなん」をお湯割にして飲む。
長男の23回目の誕生日は今月の12日だった。よって"amazon"に店を出している古本屋より購入しておいた「10年目のセンチメンタルな旅」の初版を進呈する。
大宮駅東口の「いづみや」が銀座の「三州屋」ほどの清潔さを持ち合わせたら、それが僕の理想の飲み屋だ。そしてその「いづみや」を忍びつつ今夜は飲酒を為そうと考え、食べたいものを紙に書いて家内に渡した。
「いづみや」は驚くほど低価格の酒と肴を以て店を維持するだけの利益を出す必要があり、原価もそれ相応にせざるを得ない。しかし自宅のメシは別段、その原価に厳しい制限を加える必要もない。よって「いづみやを忍びつつ」とはいえ料理についてはあれこれ好き勝手をする。
東京の、ある程度の歴史があり、ある一定水準以上の飲み屋には、焼酎を置かない例が多く見受けられる。むかしの日本には「焼酎は車夫馬丁の酒」といった認識があったのではないか。そして泡盛については焼酎以下の扱いを受けたとおぼしきふしがある。
「いづみや」ではたしか、泡盛は焼酎よりも1杯あたり10円安かった。だから僕は、この店ではもっぱら泡盛を飲む。そして今夜も"neu frank"の沖縄アグー豚のベーコンを用い、オリーヴオイルで焼いたベーコンエッグにディジョネーズソースを添え、あるいは沖縄のクーブイリチーを小鉢に盛り、これを酒肴として泡盛を飲む。
朝5時に次男がむっくりと起き上がったから「便所か」と訊くと「いや、プレゼント」と答えて廊下に出て行った。やがて次男の「来てたよ」という声が聞こえ、何やら包みを開ける気配が居間から伝わってきた。
任天堂のゲーム機と何かのソフトにはサンタクロースの手紙が添えられてあり、そこには「君も間もなく13歳だ。世界にはまだまだたくさんの子供たちがいて、自分はとても忙しい。だからこれは君への最後のプレゼントとさせてくれ」というような文章が書かれていたという。
午後、頼みつけの植木屋さんが門松を持ってきたため、近くにあったカレンダーを確かめたら、本日の六曜は友引だった。
「いちもとサイクル」のイチモトさんからは、いまだ冬休みに入る前から次男にバーベキューの誘いがあり、僕はこのことを、寮にいる次男へハガキで知らせておいた。そのバーベキューが行われるのは本日で、午後4時に次男を日光市瀬尾地区の「いちもとサイクル」まで送る。
今月の日記を遡上し、今夜で月の断酒ノルマの8日が達成されることを知る。明日から大晦日まで飲み続けても問題なしとは大いに頼もしい。
夜9時すぎに「いちもとサイクル」へ行くと、子供たちはいまや消え入る寸前の火で、しかしいまだ肉を焼いて食べていた。その姿を見て「こういうことこそ愉しくて、そして記憶に残るんだよね」と、経験者として確信する。
所用にて朝から八重洲へ行く。東武日光線が遅れ、日比谷線も遅れ、このところ東京に出るとかならず電車の遅延に見舞われ、折角の電波時計も役に立たない。
夕刻に帰社して、メイルで注文をくださったお客様の受注作業をする。事務係のコマバカナエさんとイトーチヒロさんは他の業務で手一杯だ。きのうに引き続き今日も残業しようとするふたりに「あなたたち、いいから帰りなさい」と家内が言って、すべての社員は定時で帰宅した。
夜にメシを食べながら「温ったかい飯が食えて、暖ったかい布団で寝られるだけで幸せだな」と思う。もちろん今夜のメシは温ったかいだけではなく至極美味い。"Billaud Simon"のシャブリももちろん、美味い。
"Diana Ross & Supremes"のクリスマスソング12曲を納めたアルバム、シチリア島ラパニ渓谷で手摘みされたオリーヴをコールドプレスしたエクストラヴァージンオイル、モデナ産の、皿に文字の書けるほど濃厚なバルサミコ酢、シチリア島のシャッカ港で水揚げされた片口鰯によるアンチョビ、日光市所野で女性のパン職人イシヅカミドリさんが焼くフワフワのフォカッチャと香ばしいミニパン、日光市桜木町でアカバネトシヒロさんが作る、甘くて薫り高いフルーツケーキ、僕の開発した、栃木県産の粒よりらっきょうを上出来のカベルネソービニョンで漬けた"Rubis d'or"、そして"Rubis d'or"の原材料のひとつ、チリの赤ワイン"Cono Sur 2007"の750cc瓶を1本まるごと。
この「クリスマスはいつも家で愉しむ派、のための佳品七選」が、製造係のアオキフミオさんとフクダナオブミさんにより梱包され、次々とパレットに積まれていく。これにはフルーツケーキとフォカッチャ、ミニパンという柔らかい品物が入っているため、その荷造りは想像以上に難しく、僕はひと箱を組み立てただけで戦線から離脱した。まぁ、餅屋は餅屋である。
そして来年も行うこの企画のため、僕は新たに2種のCD計100枚を確保した。クリスマスソングのアルバムはクリスマスの時期にしか手当てできないとは、僕が齢52にして初めて学んだことだ。
2種のCDの内容は、来年の初冬まで秘密とさせていただきたい。歌っている人の顔は、今年に引き続いて黒い。
「かさねとは八重撫子の名成るべし」とは、栃木県の黒羽ちかくで曾良の詠んだ句だ。そして僕はきのう入浴をしながら「柚風呂の柚はひとつで足りるべし」と、つくづく感じた。
ウチでは、柚風呂の柚は5、6個がさらしの袋に入っている年もあれば、同じほどの数が丸ごとお湯に浮いている年もある。柚のエキスを濃く抽出すればそれだけ体に良かろうと、袋に入っている年にはその袋を絞り、丸ごとの年には丸ごと握ってスクイーズする。
するととたんに皮膚の柔らかいところにピリピリと刺激が走り、それはやがて痛みに変わる。そして「そうだった、去年も柚を搾って失敗したんだった」と思い出すが既にして遅い。
そして来年の冬至の日にも、僕はまた同じ失敗を繰り返すのだ。
昼飯には何が食べたいかと、事務室の大テーブルで冬休みの宿題をしている次男に訊くと「うーん、フジヤのラーメンかヤブサダの蕎麦。今日は蕎麦かな」とのことだったので、ふたりで1時すぎに「やぶ定」へ行く。
「蕎麦のまち日光でいちばん美味い蕎麦屋はヤブサダ」とは、何年も前から次男の主張するところのもので、これはかなりファンキーな意見だ。「やぶ定」の蕎麦は茶そばのため、蕎麦の舌触りや香りを得意としない人でもこれを食べることができる。しかし次男は別段、蕎麦を苦手としているわけではない。
そうして昼飯を食べ、午後はいつの間にか繁忙に巻き込まれて夕刻、事務室と店舗と包装部門を三角形に行ったり来たりしていると「マハルジャンさん」と僕を呼ぶ家内の声がする。「電話?」と訊くと「いらしてます」と言うので店舗に移動する。
「ネットでヤブテーのラーメンが話題になってるので、友だちと食べに来たんですよー」というのが、マハルジャンさんの日光市来訪の理由だった。しかし「ヤブテー」というラーメン屋を僕は知らない。よってそのことを伝えると、マハルジャンさんは自分の携帯電話を見せてくれた。ディスプレイには
「日光の隠れたラーメン店? その名もやぶ定」「そば屋なんですけど、ここのラーメンが美味しいんです!」の文字があった。この書き込みをした人も、かなりファンキーだ。そして僕は「恐るべし、やぶ定」と、大いに感心をする。
ちなみに長男は「やぶ定の盛り蕎麦を、やぶ定のラーメンのスープで食べると美味いよ」と言う。蕎麦の楽しみ方も、色々である。
池袋駅17:41発のスペーシアきぬがわ7号は19:17に下今市駅に着く。これに乗るから迎えに来てくれと次男から電話があったのは夕刻のことだった。
当該の時刻に家内と駅へ行くと、列車は間もなく到着して乗客は降り、日光駅への連絡列車も去った。ところがいつまで待っても次男の姿が見えない。大体の想像はついたから駅員に「入場券はあとで買う」と言うなり改札口を抜け、跨線橋を駆け上がり駆け下り、プラットフォームを走りながら車内を確認していく。
4両目に差しかかったところで紺色の制服を着た坊主頭のガキが丸まるようにして眠っている。顔は見えないが次男に違いない。窓ガラスをガンガン叩いても目を覚ます気配はない。プラットフォームにいた別の駅員が「車内に入ってください」と叫ぶ。既にして発車の時刻は過ぎている。
他の乗客が次々と振り向く中、客席のあいだの通路を走り、紺色の制服を着た坊主頭のガキの肩を揺すって「もう着いてるんだよ」と大きな声で呼ぶ。次男が状況を察するまでに数秒は要した。脱いであった制帽を次男にかぶせ、テニスラケットの入った手提げ袋と重いザックは僕が持ち、ようやく車外に出る。駅員に詫びを述べると同時に列車のドアは閉まった。
ホンダフィットの中で聞いたところによれば、次男は今朝0時に起き、冬休みのあいだ無人になる寮を綺麗にすべく、同級生のタケシマシュースケ君と渡り廊下のワックスがけをしたという。ワックスがけは32分間で完了したとのことなので、どうせなら起床時間の30分前に起きても良かったのではないかと質すと、それで寝過ごしたら取り返しがつかないから0時に起きたのだという。
若いとは、それだけでひとつの財産である。もっとも12歳とあれば、いまだ若いの手前の子供だが。
きのう物置で発見した器を事務室奥の研究開発室に持ち込む。
1個の白菜を漬けるに必要な塩の量は僕の手でひとつかみだ。原材料の個体重量を計るでもなく、塩もただ「ひとつかみ」という大ざっぱさを以ても白菜漬けは上手に完成するが、化学実験にも通じる面白さは味わえない。
よって本日は白菜の重さを量り、塩の重さを量り、重石の重さを量りして白菜を漬ける。
白菜と白菜の隙間にはきのうアオキマチコさんからもらった小さな胡瓜が挟み込んである。異なる素材を生の状態から同じ器で漬けるとは、いい加減といえばいい加減だが、いい加減から上物が生まれることも、たまにはある。
「第187回本酒会」に出席をするため、夜7時30分に洋食の「金長」へ行く。
夕刻、シバタヒロシさんが自分の畑から白菜を持ってきてくれた。白菜といえば僕は妹尾河童が「河童のスケッチブック」で紹介していた白菜料理「ピェンロー」が食べたい。しかしウチではなぜかこの料理が食卓に上ることはない。
僕はどうということのない白菜漬けも好きだ。しかしこれもウチでは作らない。いつも人からいただく。くださる人となかなか会うことができないときには白菜漬けが食べられない。
よって今回は自分で漬けることとし、そのための適当な器がないかと夜になってから倉庫へ行く。しばらく探し回ると何やら良さそうな深鉢があった。何十年分かのホコリが積もっているので風呂場へ持ち込み洗ってみると、これはますます良い器だ。
というわけでこの器をタオルに伏せ、明日の漬け込みに備える。
所用にて代官山へ行く。仕事を終えて地下のスタジオから階段を上がると、あたりは既にして暗くなっていた。折からの風が傘を差す手に雨滴を振りかけて寒い。恵比寿から日比谷線で銀座に出る。そのまま燗酒を求めて2丁目まで歩く。
飲酒ののち4丁目の交差点に近づきながら、三愛ビルの上にある"RING CUBE"で森山大道の写真展が開かれていたことを思い出す。よってエレベータに乗り、8階でこれを見てから9階への螺旋階段を上がっていくと、目の前に田中長徳がいた。
「東京ニコン日記」は手放すことのできない大切な写真集だが「チョートクさん、僕の3番目に好きな写真集が、チョートクさんの『東京ニコン日記』なんですよ」と、声をかけるようなことはしない。向こうもいろいろと忙しいだろうし、「なんだ、オレのは3番目か」などと皮肉な笑顔を向けられてもややこしい。そのまま下りのエレベータに乗り、帰路に就く。
事務室の壁に取り付けた、進物用商品の対前年度ミックス表がたびたび落ちそうになる。それは吊り具に不備があるからで、しかし不備なまま数年をだましだまし使ってきた。ところが今回という今回はその状況から抜けだそうと、金物を扱う山城屋へ行く。
山城屋さんへは先日、クリスマスの飾りを壁に取り付けるための極細の針金を買いに行き、しかし僕が求めるほどの細さのものは通常の商品になく、棚の底の方で何十年も眠っていたとおぼしい、テグスのようなものをタダで貰った。
そして今日は今日で、僕の求める大きさのフックはやはり通常の商品にはないと、なにか代替品のようなものをタダで貰った。
だから、というわけではないが、目に付いた"NICHIDO"の、決して安くはないLEDの懐中電灯2本を買った。懐中電灯は当初、検索エンジンで見つけたあるウェブショップで買おうとしていた。ではなぜそこで買わなかったか。
画像を使ってとても親切に各商品の性能を説明してくれているそのウェブショップでは、懐中電灯を買うと、それをジュラルミンのケースに入れてくれるという。ページには「ケースをもれなくサービスします」とある。しかしいくらサービスと言われても、僕は懐中電灯をジュラルミンのケースに入れて保管したいとは思わない。
「サービスが無ければ注文したのになぁ」ということが、僕には度々ある。具の数の入りすぎたスパゲティ、タネの大きすぎる鮨などにも、僕はしばしば同じ感想を持つ。
午前はおばあちゃんの応接間にいて、入れ替わり立ち替わり来る社員のひとりひとりと話をし、賞与を手渡す。各自の仕事の都合で社員の来訪が途切れたときには「みんな、神さまをつれてやってきた」を読み、そして読み終える。これは、いちいち頭に浮かぶたくさんの人たちに進呈したい本だ。
夕刻に下今市駅を出て2時間後に市ヶ谷に着く。掘り割りがあって橋があって土手があってネオンもある。市ヶ谷から飯田橋にかけての風景は目に愉しい。
駅から数分を歩いて西研究所の忘年会に出席し、古くから知る人たちと、あるいは今年知り合った人たちと歓談を為す。西研究所の集まりでは、その集まりそのものについては当たり前のこと、二次会に出ればここでもかならず良いことがある。自分のコンピュータにソフトはあっても長くその使い方を知らなかったことにつきササキタガシさんの指導を仰ぎ、その使用法を伝授される。
飯田橋から南北線に乗り、東大前で地上に出る。およそ30分を歩いて11時すぎに甘木庵に帰着する。
夕刻の終業間際に、なにがきっかけだったか「オレは社員とは毎晩でもメシ、一緒に食いたいね」と言うと「いいですねぇ、やりましょう」と販売係のトチギチカさんが同意をしたので「だけど女房がイヤだっつうから」と返すと、トチギさんは家内の方へ向いて「なんでぇ」と訊いた。
「だって、そうしたら毎晩みんなのゴハン、作らなくちゃいけないじゃないの」
「だったら毎日全員じゃなくて、何人か代わり番こで」
「それでも毎晩毎晩、みんなのゴハン作りでしょう」
そうすると今度はトチギさんと同じ販売係のヤマダカオリさんが「だったら1ヶ月に1回とか」と提案をした。
終業時間になると店の駐車場に1台の屋台が現れる。屋台は日によってモツを焼いたり上海風の大皿料理を並べたりスペインのバルのように小さなコロッケやシャンピニョンのオリーヴオイル焼きを売ったりする。そこで仕事を終えた社員たちとあれやこれや食べ、焼酎を飲んだりワインを飲んだりする。どうにかしてそんな環境が整わないかと、夢のようなことを考える。
今年の2月にチバヒトシさんと八重洲でお酒を飲んだとき、ある宿題を出された。チバさんは優れた経営者だから人を見る。「ダグラス・マグレガーの『企業の人間的側面』を読んで50枚のレポートを提出せよ」というようなことは僕には言わない。チバさんは僕に、吉田類の「酒場放浪記」を視て、その感想をメイルで送るよう言った。そしてそれから10ヶ月のあいだ、それについては僕は何もしなかった。
この番組はテレビで放映しているそうだが僕はテレビには詳しくない。そして明日はチバさんに会う。よって泥縄ながらこのDVD2枚をきのう"amazon"に発注し、それは今日の昼に届いた。
夜7時から「吉田類の酒場放浪記 其の壱」を見始め、3時間後にこれを見終える。視ながら僕はただただ、飲み屋に集う人たちが羨ましかった。
夕方6時30分すぎに自宅へ戻ると家内がテレビを視ていた。番組は「題名のない音楽会」の再放送で、谷川賢作と谷川俊太郎が出ている。そうするうち画面にいきなり知った顔が現れて、無意識のうちに「あ、ツヅキ」と声が出る。ツヅキチカラ君は自由学園で僕の2年下級生だった。タニガワケンサクさんは次男の同級生の父親である。
そういうテレビをちらちら視ながら
「みんな、神さまをつれてやってきた」 宮嶋望著 地湧社 \1,995
を読む。ミヤジマノゾム君は自由学園で僕の5年上級生だ。
「今夜は図らずも自由学園ナイトだ」と考えながら白ワインを飲む。
同じ年の同じワインを2ダースほども飲めば、たとえビン詰めからそれほどの時を経ていなくても、1本くらいは他と異なる風味のものが混じっている。これが10年20年と経過したワインであればビンごとに熟成を遂げて、24分の1どころの確率ではない、1本1本がまったくの別物になる。
先月30日に飲んだと同じ"Chevalier-Montrachet Les Demoiselles Louis Jadot 1987"を飲みながら「そういう意味からすれば、ワインも人間も似てるわなぁ」と思う。
朝、店舗駐車場の面する国道に吸い殻がひとつ落ちていたため、それを手で拾う。するとすぐちかくにまた吸い殻が見えたため、これも手で拾う。そうするうち吸い殻の数は手で拾えるだけの数でないことが分かり、箒とちり取りを持ち出す。
落ちていたのは"KOOL"と「ピース」の2種類のみで、それが国道121号線沿いの100メートルほどにわたって散乱していた。多分、"KOOL"と「ピース」を吸う二人組の乗ったクルマが、窓から灰皿を逆さにして走り去ったのだろう。
タバコについてのマナー教育を、「日本たばこ」がテレビや活字媒体で盛んに行っている。しかし相手は所詮ニコチンジャンキーだ、その教えを咀嚼吸収する能力があるとは到底、思えない。
「悪いことは言わねぇ、タバコはオレみてぇに1年に4本までにしておけ、だったらジャンキーにならずに済む」と言いたい。
15分や20分では尽きないほど太くて長い葉巻を、空気の綺麗な夜に歩きながら吸うことを僕は好む。しかしこのところのマナー教育は、歩きタバコはとんでもない非常識と伝えている。「ということはオレもそろそろトンデモ人間の仲間入りか」と考える。
新聞に入る折込広告はハナから見ず、朝一番で会社の資源ゴミ置き場へ持って行く。
そういう自動ゴミ捨て装置のような行動を普段はとりながら、しかし今朝の下野新聞にはウチが「改正時刻表」を入れた。これは、自分の行く飲み屋や商店でたびたび頂戴する「もうあの時刻表は入れないの? あれ、かさばらないし見やすいんだよ」という要望を受けてのもので、これを発行するのは何年ぶりのことになるだろうか。
下野新聞といえば、きのうの朝刊第17面の「辺見庸連載エッセー水の透視画法」を読んでいて、著者がアルジェリアのオランについて「実際、近くまで行ったものの結局はいきはぐったいきさつが、おもえばあった」と書いたところに目が引っかかった。「し損なった」を「はぐった」と表現するのはこれまで、栃木県の方言とばかり考えていた。
小学6年生のとき「水たまりにつっぱいはぐった」と東京の子供に言って、怪訝な顔をされた経験が僕にはある。「つっぱいる」とは「突き入る」のことだろう。辺見庸の出身は宮城県とのことだから、「はぐった」はあるいは、北関東から東北地方に広く分布する言葉なのかも知れない。
それはさておき「もの食う人びと」を読めば、辺見庸という人間を信用せざるを得ない。この人に連載を依頼した下野新聞の趣味はなかなかのもの、と書きたいところだが、「水の透視画法」は共同通信が全国の加盟紙に配信しているものである。
辰巳の方角を向いた店舗に強く朝日が差す。空は深く青く、その青さにポインセチアの鮮やかな紅色さえ暗く沈む。この青い光も数分のうちには失われ、後にはただ穏やかな暖かさだけが残った。
我が町の、僕がむかしから知っている美味しい味を集めた「日光の美味七選・年越しセット」の写真撮りのため、朝から何軒かのお店をまわる。
江戸文政期の糸屋孫左エ衛門から連綿と続く「糸屋」の蕎麦、「松葉屋」の刺身湯波、「晃麓わさび園」の生わさび、「久埜」の栗と砂糖しか使わない栗きんとん、紅茶や珈琲よりもむしろ強いお酒に合わせたい"Chez Akabane"のチョコレート、洋食屋「金長」のカネコトモヤス君が1日にわずか10本ずつ作るステーキソースなどなど。
日光市から12月30日に出荷し、大晦日に配達できる範囲のみにお届けするこのセットは限定40。作り手は今から皆、張り切っている。有り難い。
店舗は混み合っていないのに、どこを手伝え、ちょっと来てくれ、誰それから電話だ、来客だからすぐ事務室へ戻れなど、あれやこれ忙しない。このせわしなさは師走特有のもので、会社の現金残高に貢献するたぐいのことだから、喜んで受け入れなくてはならない。
そんな最中にウスイベンゾーさんから2台のミニカーをいただく。1台は"Fiat 500L"で、もう1台は"Lancia Fulvia HF Barchetta"だった。フィアット500のミニカーはウチにはひとつもなく、ランチアフルヴィアについては屋根付きのラリー仕様のものしかなかったから嬉しかった。
午後、"EB-Engineering"のタシロジュンイチさんに電話をし、ブガッティのエンジンはかかったかと訊くと、きのう試運転をしたと言うので、午後の中ごろにタシロさんの工房へ行く。
昨年暮の走行会以来、このクルマの不具合な箇所を直し続けてきたタシロさんがフレンチブルーの塗料をこってり塗られた"BUGATTI 35 T"に近づき、そのクランクを力強くしゃくり上げると、直列8気筒2300ccのエンジンはいきなり目覚めた。
サーキットに持ち込んだところでエンジンがかからない、などということがあれば一年間の努力も水泡に帰す。安心した僕はタシロさんにエンジンを止めるよう言い、最後に残された、バックミラーの調整について意見を述べ、帰社する。
"BUGATTI 35"のエンジンの音を自宅にいて聴きたい人があれば、マルコ・フェレーリ監督の映画「最後の晩餐」を見ていただきたい。青いレーシングカーにマルチェロ・マストロヤンニが女を押しつけ、上からのしかかるシーンでいきなり起動するエンジンの音は、まさしくグランプリ・ブガッティの、8気筒エンジンのそれに他ならない。
朝、店舗駐車場の掃除をしていると、サラサラーッと走っていく小鳥がいる。小鳥はやがて煎餅か何かのかけらを見つけ、それをついばみ始めていつまで飛び立つ気配がない。よって事務室へカメラを取りに行き、とって返してその小鳥を撮る。小鳥の名前は知らない。
鳥獣や植物について、僕は何も知らない。「だったら何については知っているというのか」と問われれば答えに窮するが、たとえばアメリカ産の大豆と北海道産の大豆が5メートル離れたところに1粒ずつ落ちていたとして、そのどちらがアメリカ産でどちらが北海道産か、ということなら分かる。ま、味噌屋なら分かって当たり前である。
夜、静かに泡盛を飲む。
「クリスマスはいつも家で愉しむ派、のための佳品七選」を構成するひとつ"Merry Christmas by Diana Ross & Supremes"のCDは「ミュージックマートエンタテインメント」のイワハシソインツーさんに頼んで集めてもらった。このイワハシさんが、僕の今回の企画について朝日新聞・和歌山版のコラムに載せたとメイルをくれたため、すぐにその飛び先へ行く。
一読して「有り難いなぁ、そうだ、良い機会だから来年の同じ企画の、しかし今年とは違うCDの注文もこの際、してしまおうか」と考える。
きのう販売係のハセガワタツヤ君に「マライヤ・キャリーにしておけば、もっと早く売り切れたんじゃないですか」と言われて「そういう本線をわざと外して、だから数を売れねぇのがオレのダメなところなんだよ」と答えたいきさつがあった。本線をわざと外すのは子供のころからの性格で、これはどうにもならない。
ところできのうはインフルエンザの予防注射をした日にお酒を飲んでもワクチンの効力が落ちることはないとの言質を医師から得、だから夜には飲酒を為そうと決めていた。しかし夕刻になって「待てよ、断酒を3回つづければ、残る12月のノルマは5回に減るじゃねぇか」と考え直し、「とんかつあづま」では熱い煎茶と番茶を飲んだ。
よって「よし、今夜こそ白ワインだ」と意気込んだところで本日は午後6時より町内役員会の忘年会があったことを思い出す。
朝、血液検査のためオカムラ外科へ行く。その代金を支払うときになって、本日はインフルエンザの予防注射を受け付けている旨の小さな案内に気づき、一発これを打っていくことにする。
心配なのは今夜の飲酒を禁じられることで、なにしろ当方は本日の採血に備えて2日も酒を抜いているのだ。そのことを受付の人に訊くと、中で医師に確認してくれという。
「本日の入浴は避けてくださいね」
「あの、お酒はどうでしょう」
「お酒を飲むと、注射を打ったところが痛くなります」
「注射の効き目が弱くなったりは、しませんか」
「それはありません」
「先生、自分が酒好きだから、そんなこと言ってるんじゃないですか」
「いえ、違います」
というわけで「今日の晩飯はなにかなぁ」と考えつつ診察室を出る。
帰り道に"UNIQLO"へ寄ると、質感もデザインも"Patagonia"の"Classic Retro-X Vest"そっくりの商品が本家本元の20分の1、つまり990円で売っている。
安すぎる価格で利益を出そうとすれば、膨大な数を売らなくてはならない。膨大な数を売ろうとすれば、お客がそれを買おうとする要素を多くその商品に盛り込む必要がある。その要素のひとつが"Patagonia"から剽窃したデザインだとしたら、"UNIQLO"の社員たちは気持ちよく仕事ができているのだろうか。
安すぎる品物を人は大切にしない。安すぎる品物は偽装を生む。安すぎる品物は決して人を幸福にしない。200万円のクルマによく似た10万円のクルマが世に出れば、山や谷は使い捨てにされたクルマの残骸で埋まるだろう。
「バカ言ってんじゃないよ、モノは安い方がいいに決まってるじゃねぇか」という意見を持つ人は、鶴見良行の「バナナと日本人」くらいは読んでも良いかも知れない。
金融危機に端を発する本業低迷を理由にホンダが"F1"から撤退するという。本田のオヤジが現役の時代に今回の状況が発生していたら、一体全体どのような意志決定をしただろうか。多分、血の小便を垂れてもレースは止めなかったのではないか。
「これまでのソニーのお株を、キャノンが奪ってしまったよねー」とは、ソニーで井深大や盛田昭夫の秘書を務めた西順一郎先生が何年か前におっしゃったことだ。そのキャノンが非正規労働者の契約解除を始めた。財界で「なんでございます」などと言っている御手洗冨士夫が親分を務める会社だ、痩せがまんをしてでも雇用を確保すべきではないのか。
コレステロールやγGTPを知るための血液検査を翌日に控え、町内の宴会に参加しながらウーロン茶を飲んでいた僕に「バカヤロー、普段どおりサケ飲んでなきゃ、ちゃんとした数字が出なかんびゃー」 と言ったのはアンザイ畳屋のオヤジだ。しかし悪い数値を理由に薬を増やされてもいけない。
というわけで晩飯には大豆由来の、いかにもお婆さんが好みそうなタンパク質を摂取して飲酒は避ける。
家内がどこかから僕に、来年の卓上カレンダーを買ってきてくれた。「最強金運カレンダー」とは、さすが女房だけあって僕に欠けているものをよく知っている。
これに目を近づけてみれば「金運の上がる方向は西です。方位磁針で確認して置いてください」の注意書きがある。僕の机は事務室の西の角に、東を向けてあり、だからここから更に西となれば、カレンダーは自分の左背後に置かなくてはならない。
そうするとカレンダーを見ることはできなくなるからまぁ、事務室の西の角の僕の机上にあればいいやな、ということにする。
午後、「クリスマスはいつも家で愉しむ派、のための佳品七選」を構成するうちのひとつであるフォカッチャとミニパンの完成見本を持って、「ぱんいしづか」のイシヅカミドリさんが来社した。
よって早速そのフワフワのところをザルに載せ、商品説明ページに掲載するための画像を撮る。そして画像を撮りながら、その芳香にクラクラする。
土曜日は血液検査があるため今夜は飲酒を控えようとしていたが、そういうときにこのようなものが届くのは非常に心理的負担が大きい。それでも白ワインは我慢をし、「土曜日の夜は何を飲もうか」と考える。
お客様が自由に触れるよう店舗に置いた"Dell XPS One"には現在、「クリスマスはいつも家で愉しむ派、のための佳品七選」がデフォールトで表示されている。デフォールトで表示されてはいるものの、これに目を留めるお客様は皆無と言って良く、多くは「日光鬼怒川の美味しいもの屋さん」あたりを閲覧すべくマウスを操作される。
ところが本日は「漬物屋がこんなの普通、売るか?」というこの商品について質問をされたお客様があり、だから僕はあれこれとご説明をした。
----------------------------------------------------------
"Diana Ross & Supremes"のクリスマスソング12曲を納めたアルバムは、"My Favorite Things"の1曲だけでも聴く価値はある。
"Marracco"のエクストラヴァージン・オリーブオイルは「リストランテの夜、じゃないけど、これで卵焼き、焼いてみて。ぜーんぜん違うよ」と言いたい。
"Lodovico Campari"のバルサミコは、その卵焼きの上に文字が書けるほどの濃厚さで、酢でありながら酸味はほとんど無く、まるで干しぶどうを噛むように甘い。
"Agostino Recca"のアンチョビは、マカロニでもジャガイモでも、とにかく茹でで、これをクルクルッと混ぜてやるだけで「オーッ」と声を上げたくなるほど香りが立つ。
日光市所野で女性のパン職人イシヅカミドリさんが焼くフォカッチャとミニパンは「お米のためならファシストになることさえ辞さない」と冗談で言うほど米の好きな僕でさえ、これをひと口かじれば途中で止まらなくなる。
日光市桜木町でアカバネトシヒロさんが作る、まるで宝石のようなフルーツをちりばめたケーキの香りと甘さは紅茶にもコーヒーにも合うが、またコニャックやアルマニャックやマールにも良く似合う。
僕の開発した、栃木県産の粒よりらっきょうを上出来のカベルネソービニョンで漬けた"Rubis d'or"は妖しげな光を放って人を酔わす。
番外はこの"Rubis d'or"の原材料のひとつ、チリの赤ワイン"Cono Sur 2007"の750cc瓶を1本まるごと。
----------------------------------------------------------
ここまで書いて考えるに、この商品は、僕のすることを面白いと感じてくださる方は興味を持ってくださるし、そうでない方の目にはハナから留まらない、そういうたぐいのものだ。そしてダイアナ・ロスの"My Favorite Things"は、僕は20年のあいだ聴き続けても飽きない。そして聴くたび「こんなに派手でかっこいいドラムス、一体どこのどいつだ?」と思う。
新聞に「今年の新語・流行語大賞」という見出しがあって、読むと「トップテン年間大賞」という最高の賞には「グ~!」と「アラフォー」のふたつがあった。「アラフォー」とは初耳だったため更に読み進むと、これはテレビドラマの題名で、40歳前後の女性を指すものだという。
「流行語、特に特殊な購買層をあらわす言葉も知らずによく商売ができるものだ」と、どこかから叱られそうな気もするが、自分としては「例外がいてもいいじゃねぇか」と思う。
「女房を欠いて選挙戦が戦えるか」と、後援会から口うるさく言われ続けた小泉純一郎は独身のまま総理大臣になった。「客や目上の者の前では身なりを整えろ」と年配者から言われ続けたブランソンはセーターを着たまま航空会社の社長になった。
「宰相や大起業家を引き合いに出して自己弁護をするな」と言われればグウの音も出ないが、審査員特別賞の「上野の413球」も僕は知らなかった。僕が世間から著しく乖離している、というこれは証拠なのだろうか。
朝、会社の資源ゴミ置き場へきのうの日本経済新聞を持って行こうとして、その一部「クリスマス彩り添えるおすすめ取り寄せディナー」に目がとまる。
専門家、その専門家とはどこの誰かは知らないが、とにかく専門家からもっとも多くの票を得たと書かれているのは、七面鳥の脚2本、ウインナーソーセージ4本、ベーコン100グラム、ザワークラウト、クリのポタージュ2パック、小振りのシュトーレン1個を組み合わせて7,350円の「ポールボキューズ・クリスマススペシャルセット」だった。
僕は2005年、2006年、2007年と、クリスマスの時期には毎年、国立市の"neu frank"からロールキャベツを取り寄せている。「美味い」「でかい」「安い」「これを食べながら辛口の白ワインを大量に飲めるのは嬉しい」と4拍子揃った逸品だから今年も忘れず、早めに注文をしようと考えている。