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戀する者と酒飲みは地獄に行くという  根も葉もないたわごとに過ぎぬ
戀する者と酒飲みが地獄に墜ちたら 天國は人影もなくさびれよう
Omar Khayyam

 2002.1031(木) ワンタンスープ

目が覚めると、かすかな光が部屋の中に感じられる。いつもよりもずいぶんと、長く眠ったようだ。朝5時に起床する。

事務室へ降り、ほとんど何もしないうちに、6時30分になる。きのうの日記を書き始める。7時前にシャッターを上げると、晴れた空が見える。新聞を取り、シャッターを降ろす。

朝飯は、ヒジキとニンジンと油揚げの炊きもの、チョリソーとホウレンソウの油炒め、タコが入ったオデン種の甘辛煮、納豆、オクラとダイコンとニンジンの薄味炊き、メシ、油揚げとミツバの味噌汁

8時30分より加藤床屋へ行き、10時に戻る。ここのオヤジの、パラノイアのような仕事ぶりが、僕は好きだ。

きのう、アネモネの画像を撮影はしたが、もっと良いものが撮れるのではないかと考える。店に置いてあったウェールズ製のビアジャグに投げ込んだ50本のアネモネを自宅へ持ち帰り、日の当たる窓際にて "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" のシャッターを30回ほども切る。

店舗の花を整えている川村晃仙さんが集金に来る。先ほどまで仕事をしていた川治温泉の先の湯西川では、15Cmの積雪があったと、教えてくれる。

遊びでどこかへ行く分には、雪も悪くない。というよりも、雪の中を歩いたり、列車に乗ったり、風呂に入ったり、飲酒を為したりすることは楽しい。それとは逆に、仕事に際して雪に見舞われると、これはあまり面白いことではない。

ほぼ定時に店を閉める。今日は酒が飲める日だと思うと、それだけで嬉しい。

ブロッコリーと小エビのサラダにて、焼酎 「紅乙女」 を飲む。

自由学園の東天寮で食べる冬の朝飯の中で、もっとも好きだったのがワンタンスープだ。これをすこし高級化したものを食べる。ワンタンは東天寮のレシピと同じく、肉を包まずに皮のままポイポイと鍋に投げ入れる。

昨晩は断酒をしても、すぐに眠ることができた。今夜は逆に、酒を飲んでいるにもかかわらず、なかなか眠ることができない。なんとか努力をして、10時30分にようやく就寝する。


 2002.1030(水) 最初の1枚

目が覚めたのは多分、朝2時ごろのことだった。体のどこかに疲れのあるせいか、あるいは気温が低いせいか、夏のようには早く起きられない。ようやく寝床を離れ、居間へ行って時計を見ると、2時40分になっている。3時に事務室へ降りる。

ウェブショップ の受注を点検する。メイラーを回し、短くて済むメイルにのみ返信を送る。きのうの日記を作成し、諸方のpatioに数本の書き込みをする。

朝飯は、玉子の雑炊、湯波の炊きもの、ダイコンとキュウリとトウガラシの塩漬け、キクのおひたし、ヒジキとニンジンと油揚げの炊きもの

ヒジキとニンジンと油揚げの炊きものを食べながら、「これはずいぶんと長いこと食べ続けているが、いったいどれほどの作り置きがあるのだろうか?」 と考える。

日光の山には、きのう降った雪が、いまだに残っている

午前中、ヤマサキジュンイチさんの店から届いたアネモネの写真を撮る。同じものを何十枚も撮影したあげく、後から調べたら最初の1枚が最も良かった、ということがよくある。今日の写真も、そのワケの分からない法則に沿ったものかも知れない。

手塚工房のテヅカナオちゃんに、先日 「たまき」 の田巻秀樹さんが全紙に書いた 「新らっきょう」 の掲示場所を、ファクシミリにて送る。凹凸のある壁面に平らなものを貼る僕のアイディアを、テヅカナオちゃんが電話にて補正してくれる。

店舗は、きのうほどには混み合わなかった。定時にシャッターを降ろす。

飲酒は為さず、大食らいもせず、カスピ海ヨーグルトとカキのみを胃に収める

10時に就寝する。


 2002.1029(火) ユキグモ

朝3時に起床する。

事務室へ降り、「たまり漬を使ったメニュ」 の更新やメイルの送受信など、よしなしごとに従う。

6時にシャッターを上げると、空は晴れている。自宅へ戻って日光の山を眺めると、晴れてはいるが、その頂から山腹までが、ユキグモに覆われている。「10月から、もう雪かよ」 と、すこし驚く。

朝飯は、おにぎり

今日もまた、有り難いことに、お客様の数は多い。11月4日の振り替え休日までは、この繁忙が続くだろう。

ふと、地面が濡れていることに気づく。外へ出て、我が町の上空まで飛ばされてきた山の雪が溶け、霧雨として降り注いでいることを知る。

終業後しばらくしてから、本酒会 のため会場の 「やぶ定」 へ行く。今日は遠くへ出かけた家内の帰宅が遅くなるため、6歳の次男を同伴した。

子どもの気持ちの良く分かるイチモトケンイチ本酒会長が、次男のウーロン茶の瓶に 「寄贈」 と飲み順を示す 「廿」 のタグを下げてくれる

次男は、急に欠席をしたカネコマスオ会員のエビの天ぷらを回してもらったりしながら、普段の倍ほどのメシを食べた。腹がふくれれば、カトーノマコト会員の小さなコンピュータでお絵かき。その次は、ヤギサワカツミ会員が、巨大なカマドウマの格好をして驚かせてくれる。

酔っぱらいから親切にされた子どもは、長じて酒好きの大人になるのだろうか?

「飲めるけれども、普段は飲まない」 というのが、酒については理想だろう。そういう便利な人に、僕はなりたい。


 2002.1028(月) 白露ふうき豆

朝2時に起床する。

事務室へ降り、数日前から気にかかっていたことにつき、コンピュータを動かす。しばらく働いても時刻は3時を過ぎず、時間の余裕を嬉しく思う。

5時ちかくにその仕事を終る。メイルをチェックして、きのうの日記を作成する。

あやふやな天気が昼ちかくになってようやく晴れたり、晴れていた空が急に雨模様になるなど、近頃の天気は、なかなか安定しない。ただし、今朝の日光の山は、夕刻までの晴天を予告しているような青さだった

朝飯は、タシロケンボウんちのお徳用湯波の炊きもの、ヒジキとニンジンと油揚げの炊きもの、温泉玉子、納豆、ホウレンソウの油炒め、メシ、ダイコンとミツバの味噌汁

9時を過ぎて、花屋のヤマサキジュンイチさんから電話が入る。

「きのうご注文いただいたアネモネですけど、届いたものをウチで確認して、それで間違いのない商品と分かれば、改めて同じものを、ウワサワさんの分として発注します」
「いや、そこまでしてくれなくても・・・」

「いや、やっぱりそこまでしないと、ウチとしては・・・」
「そうですか? だったらまぁ、お任せします」

電話代だけで儲けが飛んでしまうのではないかと、心配をする。

数日前、12月14日に行われる 「自由学園第27回音楽会」 のパンフレットに、広告の掲載を依頼する企画書が届いた。実行運営委員会として、長男よりも4学年上の生徒が名を連ねている。

「原稿を貴社に作成していただき、そのまま掲載する」
「版下作成費用は、貴社で負担してください」
「支給の形式は原稿でお願いします」

との箇条書きがある。

成文社印刷へ行き、社長の息子さんにパンフレットの見本を手渡す。それを読んだ息子さんが 「版下支給ですか?」 と笑う。「そうなんだよ。広告もらうのにさ、版下はテメェんとこで作れっつうんだよ」

「原稿は、どうしますか?」
「どうせ売上げにつながる広告じゃねぇんだから、ガツンとURLだけ載せようと思って」

「承知しました。社名だけ下に、小さく入れますか?」
「いえ、それもいりません」

その足で宇都宮へ向かう。25年前、アルファスッドが金切り声を上げて走った日光宇都宮道路を、ホンダフィットは静かに軽々と、同じ速度で進んでいく。

「夏の晩、すこしまともなところで酒を飲むためのズボンが欲しいな」 と、ここ数ヶ月の間、思っていた。今日、そのズボンを買おうとして、果たして今、夏物のズボンなど売っているのだろうか? と考え直す。

「葬式にだって、リーヴァイスの黒い501で行くんじゃねぇか、ズボンなんていらねぇよ」 と、その購入を思いとどまる。その代わり、"HAROLD'S GEAR" で黒い馬皮のベルトを買う

宇都宮の "HAROLD'S GEAR" はパルコから撤退して、どうにもクルマを乗り入れづらい、盛り場からも離れた目立たない物件に店を移した。

「こっちに来て、ヒマでしょ?」 と訊くと、男の店員は笑いながら 「はい、ヒマですね」 と答える。腹の中で 「ヒマじゃぁ、しょうがねぇじゃねぇか」 と思う。もちろん、口には出さない。

大通りを西へ進み、伝馬町から北に入る。かねてより頼んであった 「新らっきょう」 の文字を、「たまき」 へ受け取りに行く

奥の部屋に案内された僕は、全紙に大書された 「新らっきょう」 を見て、思わず 「田巻さん、凄いじゃないですか、素晴らしいですよ、良いなぁ、これ」 と言った。

勢いのある筆が所々に墨を飛ばし、それが何とも言えない味になっている

日比野克彦がむかし、子ども向けのテレビ番組で 「『 なんだ、こりゃぁ 』 と思われるようなものを作れ」 と言っていたことを思い出す。田巻秀樹さんによる 「新らっきょう」 の文字は、まさしくこの 「なんだ、こりゃぁ」 を彷彿するものだ。

帰社すると、午前中に頼んだ広告の校正が届いている。早速にこれを、ヤマトのメイル便にて音楽会の実行運営委員へ送付する。「なるべく目立つところに掲載してください」 との手紙も、念のため添える。

晩方、カスピ海ヨーグルト、カキ、山田家の 「白露ふうき豆」 による食事を済ます

入浴し、本は読まず、9時30分に就寝する。


 2002.1027(日) アネモネ100本

朝6時に起床する。

ウェブショップの注文をチェックし、メイラーを回す。きのう上越新幹線の中で完成させた一昨日の日記をサーヴァーへ転送し、同じく車内にて書いたpatioの返信をアップする。

朝飯は、ニラのおひたし、スペイン風の目玉焼き、納豆、ヒジキとニンジンと油揚げの炊きもの、タシロケンボウんちのお徳用湯波とホウレンソウの炊きもの、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁

アネモネの画像が必要なため、9時を過ぎてから、本酒会の元会員で花屋のヤマサキジュンイチさんに電話をする。

「アネモネ、ヤマサキさんとこで引けますか?」
「こっちの市場じゃ無理です。今晩、東京の市場を検索します。値段とかは、夜のうちにお知らせしましょうか?」

「いえ、明朝で構いません」
「承知しました」

「それほどたくさんは、いらないんですけど、最低ロットって、どのくらいですか?」
「1箱ですから、100本になります」

100本という数字に驚愕するが、ここで引き下がるわけにはいかない。僕はカッコツケの見栄っ張りだ。「それじゃ、よろしくお願いします」 と答えて電話を切る。

幸いにも空は晴れ上がった。紅葉の見物客も多い。製造現場、包装部門、店舗、店舗駐車場、事務室のあいだをぐるぐると回って1日が終わる。

自宅へ戻り、次男の宿題を監督する。その後、ノイリープラットにて口を洗う

大皿に盛られたカツオのたたきを食べるヒジキとニンジンと油揚げの炊きもの、肉じゃがにて、焼酎 「紅乙女」 を飲む。

今夜の肉じゃがの芋は、サトイモだった。ジャガイモによる肉じゃがは好きでない。しかし生まれて初めて食べたこのサトイモの肉じゃがは、非常に美味い。今後、家で作る肉じゃがはずっと、このサトイモの肉じゃがにして欲しいと思う。

カツオのたたきを食べ終えた小鉢に湯豆腐を入れ、「おぐ羅」 風の雑ぱく温豆腐にする。これがまた美味い。

入浴してウイスキーを生で1杯飲み、9時30分に就寝する。


 2002.1026(土) 「いづみや本店」

部屋が既に明るくなっていることを、なんとなく感じる。「ちょっと寝過ぎたな」 と考えつつ目を開けると、見慣れない天井がある。長岡へ来ていたことを思い出す。

温泉へ入り、歯を磨く。朝飯までの30分間を、温室のような、あるいは水槽のようなロビーにて、きのうの日記の作成とメイルのチェックに費やす。

板東秀行さんのクルマに乗せていただき、新産のセミナー会場へ入る。

8時50分から、2日目の講義が始まる。順を追って配られるテキストは、昼までに10枚を超えただろうか。短い演習をこなし、午前中のカリキュラムを終了する。

昼食は、「こぐまのキッチン」 の弁当だった。煮物、菊のおひたし、鶏の唐揚げ、酢豚。すべてが薄味で上品に調製され、とても美味い。弁当を配達してくれたイトウノムゾウさんに 「酒が欲しくなりますよね?」 と言って笑われる。

午後の最も大きな課題は、12名の参加者が二手に別れてのケイススタディだった。マンダラを活用した問題解決のためのグループディスカッションは、2時間にも及んだ。トンボ繊維カトウメグミさんが、発表役を務める

まとめの講義を受け、800字ほどのリポートを提出して、本年秋の 「脳力開発・戦略行動学セミナー」 は終了した。

空が暮れかけている。イトウノムゾウさんのクルマで、長岡駅まで送っていただく。

17:54発の上越新幹線に乗る。越後湯沢までは晴れていたが、高崎にさしかかるあたりで雨に見舞われる。車内にて、諸方のpatioに11本の返信を書く。

19:18に大宮駅へ着く。下り東北新幹線の発車時間をいくつかメモし、東口の階段を降りる。「いづみや本店」 へ行く

泡盛と冷やしトマトを注文する。今日も氷水は、あまり飲まない。

壁のテレビから、 「この日本シリーズは、清原のためにあるのかーっ!?」 というアナウンサーの絶叫が聞こえてくる。僕はなぜか 「ヘッ」 と笑いながら、日本シリーズの開幕を知る。メガネを忘れたため、東京ドームの詳細は不明だ。4対1で、ジャイアンツが勝っている。ライオンズの投手は松坂だった。

ゲソわさ、アジフライ、レバやき と進み、タンメンで締める。「我が町にも、こういう飲み屋が欲しいなぁ」 と思う。

20:46発の東北新幹線に乗り、21:15に宇都宮駅へ着く。ここでは乗り換えが悪く、JR日光線の発車は21:54だった。10時40分ころに帰宅する。

patioへ書きためた返信のアップや、きのうの日記のサーヴァーへの転送は、明朝に行うこととする。

入浴して牛乳を250ccほども飲み、11時30分に就寝する。


 2002.1025(金) 「酒小屋」

朝5時に起床する。実に、7時間30分も眠ったことになる。ここ数日の寝不足を、体が取り返しにいったのだろうか。

事務室へ降り、いつもの朝の決まりごとをする。日光の山は、とりあえずは晴れているが、今後の天気を予想することはできない。

朝飯は、玉子の雑炊とキンピラ、ダイコンのビール漬け、「はれま」 の 「やさい」

板東秀行さんの 「脳力開発・戦略行動学セミナー」 へ参加をするため、JR今市駅10:10発のローカル線に乗る。宇都宮駅11:09発の東北新幹線に乗り、11:34に大宮へ着く。

時刻表の詰めが甘かったせいか、あるいは乗り換えが上手くいったせいか、大宮で2時間以上も時間が余ることに気づく。危ない傾向だ。

東口の 「いづみや本店」 へ行く。ここは、昼酒の罪悪感をまったく感じさせることのない危険な店だ。午前中から飲酒を為しているオッサンが、たくさんいる。僕もその仲間に加わる。

白衣のオバサンに、泡盛とポテトサラダを頼む。ハムエッグ、ワカメ酢、カシラの塩焼きと進んでラーメンで締めるまでに、計3杯の泡盛を飲む。

オバサンが僕に近づき、「氷水はただなんだから、どんどん飲んでね。泡盛は強いから」 と言う。僕はウイスキーを生で飲むときにも、チェイサーにはほとんど手を出さない。「うん、どうも有り難う」 と答えて、氷水を少しだけ口に含む。

大宮駅14:06発の上越新幹線に乗り、青空に浮かぶまるで夏を思わせる雲を眺めながら、15:25に長岡へ到着する。セミナー会場へのバスが出るまでには、30分の余裕がある。駅前を散歩する。

長岡といえば 「酒小屋」 だが、ここまで来て酒を飲むわけにはいかない。駅前のターミナルからバスに乗り、新産という地区のセミナー会場へ入る。

12人の参加者による初日夜のカリキュラムは、7時に終了した。宿泊場所のアクアーレ長岡へ移動し、皆で夕食をとる。新潟の人が格別に大酒飲みというわけでもないだろうが、勧められるままに盃を干して、結構な酒量を稼ぐ。

温泉に入った後の 部屋での交流会では時を忘れ、諸々の話に興じるが、ふと隣の人に時間を訊くと、既にして0時を過ぎているという。

慌てて布団を敷き、一瞬の後、眠りに落ちた。


 2002.1024(木) "Queen" の生チョコ

朝というか夜というか、1時45分に起床する。

事務室へ降りる。2時に仕事場へ入れば、人の2倍は働けると考えるのは早計だ。

1週間ほど前に、年長の友人クスヤマモッチャンから届いたハガキを、右手の本棚から抜き出して読む。今月14日に書いた日記の題名 「思君君不見 琴酒誰為携」 を目にしての感想が書いてある。裏返すとそこには古い本の写真があって、「キーウエストにあるヘミングウェイの書棚」 との説明がついている。

画面の真ん中にストロボの光があるところからして、これはモッチャン手製の絵はがきだろう。とすれば、モッチャンはこのヘミングウェイの家へ行ったことがあるということだ。「遊び人は、ここまでしなくちゃなぁ」 と思う。

ストロボで見づらくなっている本の背表紙に目を凝らすと、"JAPAN OVER ASIA" というような文字が読みとれた

「さっぱりしたダイキリを一気に180cc、でけぇタンブラーで飲みてぇなぁ」 と思う。

ウェブショップの注文をチェックし、メイラーを回す。短くて済む返信のみを書いて送り、きのうの日記を作成する。諸方のpatioに数本の書き込みをする。

朝飯は、厚揚げ豆腐と豆モヤシの炒め煮びたし、生のトマト、目玉焼きとホウレンソウの油炒め、ダイコンのビール漬け、納豆、中華風の挽肉ナス炒め、メシ、けんちん汁

木曜日は1週間の中休みのような日で、今日もヒマかと思っていたが、案に相違してクルマの数は多い。「木曜日には、駐車場整備のガードマンは不要だったろうか?」 とも考えたが、いればいたで、便利なことはいくらでもある。

終業後、事務室にて大して金にならない作業をしているところへ、家内から館内電話がかかる。小学校1年生の次男が、僕と一緒に算数の宿題をすると言っているらしい。自宅へ戻り、宿題の監督をする

内容は、十の位に繰り上がりのある一桁の足し算だった。これをどう教えるべきかについては、僕自身もよく分からない。

たとえば5+8という計算がある。この計算を僕は小学校1年生のころ、多分、8を頭に置いて、指を5本折って13という答えを出していたように思われる。その後、指を使わずに計算するよう先生から言われ、人に見えないところで指を折るようになった。

2年生になってかけ算を習ってからは、5+8について、5×2+1+1+1という数式を頭に浮かべ、答えを算出するようになった。この計算方法は、46歳の今でも変わらない。あちらへ行きこちらへ戻りというスマートさに欠けるマクロを、大人の脳という、ある程度の速度を持つCPUで無理に回しているのが、僕の現在の足し算だ。

計算の速い子どもというのは、1+1から9+9までの、いわば足し算九九とでもいうべきものを、暗記しているのだろう。

両手の指から鉛筆までを動員して、次男はようやく宿題を終えた。

タシロケンボウんちのお徳用湯波の炊きものとニラのおひたしにて、焼酎 「紅乙女」 を飲む。ハスとニンジンのキンピラショウガのたまり漬を使った豚のショウガ焼きにて、更に紅乙女を飲み進む。

食後、何杯もの牛乳を飲みながら、"Queen" の生チョコを食べる

9時30分に就寝する。


 2002.1023(水) 栄養調整

目を覚ましてベッドから降り、ヴィデオデッキの時刻表示を見る。いまだ数字は、3時よりもかなり前を示している。隣の居間へ行って電波時計を見ると、こちらはちょうど3時になるところだった。家中の時計が電波時計になれば良いのにと思う。

事務室へ降りる。きのう印刷したタックシールの束を見て、一点だけ、修正すべきところを思いつく。DM1通あたりの収益率を上げるところに、デイタベイスを管理する僕の腕の見せ所がある。

きのうのタックシールはすべて廃棄し、今朝から新たに印刷すべく、顧客名簿の検索と並べ替えを繰り返す。始めてから1時間後に、この作業を終了する。

ここでようやく、CDプレイヤーのスイッチを入れる。ウェブショップの注文をチェックする。メイラーを回し、短くて済む返信のみを書いて送る。きのうの日記を作成し、諸方のpatioに数本の書き込みをする。

朝飯は、恵比寿講の際に取り寄せた、「久埜」 の鏡餅によるお雑煮とダイコンのビール漬け

始業直後より、きのうに続いて2度目のタックシール印刷をする。事務係のコマバカナエさんががプリンターの脇へ立って、紙詰まりの監視をする。同じく事務係のシミズサチエさんが、印刷されたすべてのタックシールを目で確認し、不要なもの、修正が必要なものに印を付けていく。

店舗はかなり賑わった。今月上旬の同じ曜日にくらべて、2.5倍ほどの売上げを記録しただろうか。僕も営業時間の多くを、店に立って過ごす。

閉店後1時間以上を経て通用門から外を見ると、塀の瓦とその横の笹を、弱い雨が濡らしている

自宅へ戻り、栄養調整と、自分がアルコール中毒者でないことを証明するため、カスピ海ヨーグルトとカキの夕食をとる

6歳の次男の漢字練習につきあい、入浴して8時30分に就寝する。


 2002.1022(火) "Soaring Feather"

「明日は3時前に起きたいものだ」 と念じつつ昨晩は寝た。今朝、目を覚まして少しのあいだをベッドの上で過ごし、居間へ行って時計を見ると、2時53分だった。

事務室へ降り、3時30分から2時間を要して、年末ギフトのご案内をお送りする顧客を、きのうまでの顧客名簿から抽出する。どのような検索条件式からDMの送付先を決めるべきかについては、いつも頭を悩ませるところだ。

この作業には細密な手順を要するため、「近くまで参りましたので、ちょっと顔をお出ししました」 などというセイルスマンの訪問や、やたらに電話での呼び出しがある日中には行えない。

2時間かかって、この作業を完了する。ハードディスクの2ヶ所とディスケット1枚に、DM送付先名簿を保存する。いまだ夜は明けていない。コーフィーを入れ

"Soaring Feather"  Chieko-Tsutsumi  CSNT-0001  \2,500

を聴く。それほど絞ってもいないのにスカスカになった僕の脳みそを、サンバのリズムとアルトサックスの丸い音が、ゆっくりと湿らせていく。

ウェブショップの注文をチェックし、メイラーを回す。短くて済む返信のみを書いて送り、きのうの日記を作成する。

朝飯は、中華風の挽肉ナス炒め、満願寺トウガラシの油炒め、納豆、イワシの甘露煮、ダイズと昆布の炊き合わせ、炒り卵、メシ、けんちん汁

ようやく雨は上がった。贅沢を言えば、週末に次いで客足の多い月曜日に晴れて欲しかった。

早朝に整えたDMのタックシールを印刷する。事務係のタカハシアツコさんがプリンターの脇へ立って、紙詰まりの監視をする。これさえ済ませば、今日の僕の仕事は、もう無い。否、仕事などは、探せばいくらでもある。「仕事が済んだ」 などという言葉は、本来はあり得ないものだ。

駐車場のゴミを拾ったり、お客様に頭を下げたりしているうちに、夕方になる。客足が途切れないため、閉店の時間を15分ほどすぎてから戸締まりをする。

2日ほど前に、6歳の次男が 「そういえば最近、テグタンラーメンを食べていない気がする」 と言っていたことを思い出す。焼肉 「大昌園」 へ行き、肉や野菜にて焼酎 「田苑」 を飲んだ後に、テグタンラーメンで締める。8日間で2度も、焼き肉を食べてしまった。

帰宅して入浴し、ウイスキーを生で1杯だけ飲む。9時に就寝する。


 2002.1021(月) コツジキ

きのうに続き、朝3時30分に目が覚める。起きるべきか眠るべきか考え、きのうに続き、二度寝をすることにする。きのうに続き、6時に起床する。

事務室へ降り、シャッターを上げる。いまにも雨が降り出しそうな空がある。ウェブショップの注文をチェックする。メイラーを回し、数行で済む返信のみ書いて送る。

朝飯は、ダイコン、キュウリ、ニンジンのぬか漬け、「はれま」 の 「やさい」、納豆、生のプティトマト、目玉焼きとブロッコリーの油炒め、塩鮭、メシ、けんちん汁

「ブロッコリーはバターで炒めてくれ」 と言って、家内に叱られる。体に悪いものこそ美味い。

もっとも、、完全食品ともてはやされ、その後、コレステロールの固まりと目の敵にされ、最近、また健康の保持に有効と復権した鶏卵のように、何が体に良くて何が体に悪いかという定説ほど、あてにならないものはない。

開店直後より雨になる。10月の下旬から文化の日の振り替え休日までは、天気がどうあろうと、店が混雑することは過去のデイタに照らしても明らかだ。駐車場の交通整理係は白い雨着を着て、手に赤い誘導棒を持った。

今まで僕が1日がかりで行ってきた、ギフト大口顧客の 「送付先名簿」 印刷を、事務係のタカハシアツコさんに任せてしまう。これで僕の仕事がひとつ減る。それでできた時間にて、いろいろなことを思い出し、あるいは思いつき、それを行動に移す。

来年のカレンダーが、宇都宮の 「明倫社」 から届く。

ウチのカレンダーは昔風の野暮ったいものだが、それだけに見やすく使いやすく、9月から 「カレンダーができたら、無くなる前に連絡してくれ」 との、お客様からの連絡が相次ぐ。このような要請には、できるだけ早く対応したいと考え、早めの納品となった。

昼、「ラーメンふじや」 へ行き、タンメンバターを食べる。先日、この店の中休み時間に、ウチのお客様11名を無理に入れていただいたことへの感謝を述べる。その11名のお客様は、こってりお召し上がりになった上、持ち帰り用の餃子まで買っていって下さったという。精算時にそのお礼だと、餃子のおみやげをいただいてしまう。

午後、同級生からの注文品に同梱しようと、タシロケンボウの家に、お徳用湯波を買いに行く。ケンボウのお母さんが、「ウワサワさんから湯波をいただいたという方から、今日、ご注文がありました」 と、布で絞った丸い豆腐を下さる。

あちらこちらで食べ物をいただき、コツジキの気分になる。

店は案の定、混み合った。雨は閉店時まで降り続いた。

タシロケンボウんちの丸い豆腐にて、焼酎 「紅乙女」 を飲む。ラーメンふじやの餃子と春雨サラダを食べる中華風の挽肉ナス炒めとアサリの酒蒸しにて、更に紅乙女を飲む。

入浴後、生のウイスキーを1杯だけ飲む。明朝は3時前に起きたいものだと念じつつ、9時に就寝する。


 2002.1020(日) 恵比寿講

朝3時30分に目が覚める。起きるべきか眠るべきか考え、二度寝をすることにする。6時に起床する。

事務室へ降り、メイラーや ウェブショップの注文をチェックしながら、きのうのコンサートで買った

"Tiny Pocket"  Chieko-Tsutsumi  CSNT-0003  \2,500

を聴く。1曲目の "Brazing Sun" から、大いに良い気分になる。

朝飯は、身欠きニシンの昆布巻き、目玉焼き、ブロッコリーとソーセージの油炒め、納豆、大根おろし、シュンギクのごま味噌和え、メシ、豆腐とミツバの味噌汁

店舗は紅葉の見物客にて混み合い、駐車場からは交通整理係の吹く笛の音がひっきりなしに聞こえてくる。事務室、店舗、製造現場、包装部門と、あちらこちらを行ったり来たりする。

世話係のサイトウトシコさんが、地元の運動会のため、今日は早々に来られない。その間、6歳の次男は事務室にて、どこかのサイトからプリントアウトしたキャラクターの絵に、筆立ての蛍光ペンで色を塗って遊んでいる

繁忙な1日が過ぎていく。

今日は、商家が商売繁盛を祈る恵比寿講の日だ。夜6時30分より、床の間に恵比寿大黒の掛け軸を下げ、灯明をともし、料理を上げて、お祝いをする

恵比寿講を終えて、自分たちの晩飯となる。ブロッコリーの油炒め、茄子の豆板醤焼き、ダイコンのビール漬け、シュンギクのオリーヴオイル和え、アジの開き、けんちん汁。これを肴に、焼酎 「紅乙女」 を飲む。

入浴して生のウイスキーを1杯だけ飲み、10時に就寝する。


 2002.1019(土) 原田俊太郎五重奏団を聴く

朝5時30分に起床する。

事務室へ降り、いつもの朝の用事を済ませる。

起き抜けに、今朝の飯はおかずを少なくして、その代わり生玉子と具の多い味噌汁は欲しいと、家内に言い置いてあった。納豆、生玉子、「はれま」 の 「やさい」、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とダイコンとニンジンとミツバの味噌汁 を食べる。

頭上、早々には雨に至りそうもない曇り空がある。日光の山は、いまだ霧の中に隠れてはいない。

数日前、自由学園 で12年後輩のハットリキョウコさんから、「友人のバンドが鬼怒川でコンサートをするが、聴きに来ないか?」 とのメイルが届いた。僕は 「行く」 と返事を送り、改めて、その詳細を知らせてもらった。

終業後、アディダスの黒いスタンスミス・コンフォートを、オールデンのUチップにはきかえる。ホンダフィットを10数分走らせて、ホテルハーヴェスト鬼怒川へ着く。会社を出るときには弱かった雨が、途中から、夕立と見まがうほどに強くなった。

ハットリキョウコさんの案内で、1番前の席に着く。気を利かせてビールを持ってきてくれたが、ふたたびクルマで帰宅しなければいけないし、また今日はもともと、酒と晩飯は抜くことにしていた。ビールを断り、コンサートの開始を待つ。

1曲目は "Blue Monk" だった。堤智恵子によるアルトサックスが第一発目に発した "D" の音を聴いただけで、「コイツはできる」 と思った。トロンボーンのマサ池田もピアノのあびる竜太もベイスの平石カツミも、もちろんドラムスの原田俊太郎も、高い技術に裏打ちされた素晴らしい音楽家だ。

「コイツは凄いバンドだ」 と驚いた。これほど驚いたのは、1970年代初期、大野俊三と山口真文の2ホーンを擁したジョージ大塚クインテットを、新宿のタローで聴いて以来のことだ。

生のブレッカーブラザーズを数メートルの距離で聴きながら眠ってしまう僕を驚かす音楽とは、一体、どのようなものなのだろうか? ただボーッと聴いているだけの僕に、そこまでのことは分からない。

コンサートは9時すぎに終わった。堤智恵子さんが 「打ち上げ、出ますよね?」 と訊く。このホテルに泊まってしまうという手もあったが、「今日はオレ、酒、飲めないんですよ」 と、お断りをする。

原田俊太郎さんやハットリキョウコさんに挨拶をし、小雨模様の暗い道を10数分クルマで走って帰宅する。

レーズンウィッチと牛乳の軽食を取る。「クーデターの政治学」 を読み終える。10時30分に就寝する。


 2002.1018(金) "orthodoxy"

朝4時30分に起床する。雨が降っている。携帯電話に転送された ウェブショップの注文をチェックし、自分のpatioへ11通の返信を書く。

今日は10時から、東京ビッグサイトでの "WPC EXPO 2002" へ行く予定にしている。荷物嫌いの僕としては、はじめ、浅草のコインロッカーへコンピュータを預け、必要な物だけを持って現地へ向かおうと考えていたが、きのうの日記を作成しているうちに、余分な時間も失われた。

ThinkPad s30 入りのショルダーバッグを下げ、大きめの傘を差して甘木庵を出る。上野広小路の "PRONTO" にて、2個のパンとエスプレッソの朝食をとる。御徒町から山手線で新橋へ移動し、満員のゆりかもめに詰め込まれて本も読めずに 国際展示場前駅へたどり着く

いまだ開場5分前だ。時間はたっぷりとある。招待券に名刺を貼付して受付に提出する。とりあえず、近くの西ホールへ入る。いまだ人影はまばらだ

研究は得意だが説明能力には優れない、という感じの技術系社員を配置しているブースがある。質問をしても、要領を得た答えが戻らない。同じ会社のステイジでは、アナウンス担当のコンパニオンが、100年も前から開発に携わっているような表情と口調にて、新製品の説明をしている。

あちらでもこちらでも、派手なプレゼンテイションが始まる。「Windows の更なる先には、タブレットPCがある」 という。「ホントかよ?」 と思う。

日経PCビギナーズの編集長と副編集長が、「みなさん、エクセルが表計算だけではなく、住所録などデータベースにも使えることは、ご存じでしたか?」 などと言っている。用のないブースはどんどん飛ばす。

コンピュータゲイムにも興味はないが、世の中を見回すと、売れているクリエイターやビジネスの成功者には、案外ゲイムフリークが多いことに気づく。

「若松通商」 前の 「詳しい人たち」 の群れをようやく通り抜け、徐々に混み合い始めた広い通路を歩く。

"IBM" の thinkpad 専用ブースにて、「究極のThinkPadはノートバッド」 という文字を見つける。ここでも 「ホントかよ?」 と思う。もちろん、アラン・ケイが思い描いたダイナブックも、キーボードを持たないものではあっただろうが。

ショルダーバッグを提げ、額からボタボタ汗を垂らすという、「若松通商」 に群がっていた 「詳しい人たち」 と大して違わない姿にて、小さなバタフライ "701C" を画像に納める

ThinkPad がB5ノートから撤退した今、日本ビクターの "New Interlink MP-XP7220/5220"は、モーバイル専用機として非常に魅力的だ。コンパニオンに重さと価格を訊く。880グラム、フル装備で22万円という答えが戻る。

午前中は主にハードを中心として足早に見て回ったが、午後はソフトやシステムを売るブースを、ゆっくりと歩く。

携帯端末への様々な情報提供を展示しているブースへは、こまめに立ち寄って長い時間を過ごす。また、その社員に諸々の質問をして説明を求める。

アンケートに答えてくれたら粗品を贈呈するなどという誘いはすべて断るが、 コジマデンキの小物入れだけは、自ら進んでオネーサンのところへ貰いに行く

3時すぎに会場を出る。4時20分に浅草駅へ達する。下りの特急は、16:40発もあれば、17:00発もある。まったく飲まないのも不真面目と考え、17:00発の切符を買う。

神谷バーへ行き、食券売り場にて、小ジョッキの生ビールとデンキブランを注文する。680円を支払って、真ん中にミシン穴の通った食券をもらう。

丸柱を巻く形の大テイブルへ座り、村上龍の 「ラッフルズホテル」 を、ショルダーバッグから出す。やがて僕の前に、注文した品が運ばれる。

腹が減っていないため、また時間も無いため、今回は飲み物のみの注文になった。「ツウ」 のメニュ、あるいはアル中のメニュという感じもするが、これはまた、金のない人のメニュにも見える

「失礼しますっ」 と、僕よりも5つか10ほども年長らしい、坊主頭のオジサンが隣に座る。職人風ではあるが、腰のホルスターに、まるで拳銃のように携帯電話をぶち込んでいる。

やがてオジサンの前に、僕のものよりも5割ちかくは高いデンキブランオールドが2杯、運ばれる。きっちり置かれたふたつのグラスが、マネジメントゲームの会社盤上に並べられた、2個のアタッチメント付き小型機械に見える。

ウェイターによってちぎられた食券の半分を見ると、オジサンが頼んだ肴は、「おしんこ」 と 「おでん」 だった。オジサンはおもむろに、「東京スポーツ」 の競馬欄を開く。「粋だなぁ」 と感心すると同時に、なぜか "orthodoxy" という言葉が頭に浮かぶ。

左腕にはめた電波時計の針が、4時45分を示す。皮肉なことに、いまになって腹が減り始める。僕は残りの生ビールとデンキブランを飲み干し、オジサンに 「お先に失礼します」 と声をかける。「はい、どうも」 と、オジサンからも返礼がある。

隅田川の上空が、徐々に暮れていく

6時50分に帰宅する。筑前煮を肴に、焼酎 「紅乙女」 を飲む湯豆腐を食べながら、更に紅乙女を飲む。「筑前煮のサトイモも湯豆腐の豆腐も、どっちもうめぇなぁ」 と思う。

入浴して、9時30分に就寝する。


 2002.1017(木) 「伊勢藤」 の燗酒

朝3時30分に起床する。いつもの決められた諸々をする。

7時に外へ出ようとして、いまだ降りたままのシャッターに近づくと、その鉄板が、盛んに暖かさを放射している。朝日でシャッターが温められていることを知り、嬉しくなる。シャッターを上げると、果たして朝の光が強く射し込んでくる

朝飯は、ハムとブロッコリーの油炒め、刻みオクラのカツオブシかけ、納豆、塩ラッキョウ、豆腐の卵とじ、メシ、アサリとミツバの味噌汁

10時より、県央の自治医大病院で定期検診を受けるオフクロにつきあって、会社を出る。昼前にレントゲン写真を撮り、歩いて駅近くのイタリア料理屋へ行く。

僕がスパゲティとサラダのセットでも取ろうと考えていると、オフクロが、オードブルからメインまでのコースが1番得だから、それを頼もうと言う。

ランチメニュというものは大抵、客を呼ぶ手段のひとつとして、その量を多く設定している。チェイン系の店になれば、その傾向は更に強くなる。

「そんなに頼んでも食えないよ」 と、オフクロの意見を押しとどめようとするが、どうしても納得しない。仕方がないので、ウェイトレスに、その最も高いランチメニュを2人前頼み、オフクロと僕の好みに従って、オードブルやパスタやメインを選択する。

オフクロは更に 「私はキールを飲むから、あなたもなにか頼みなさいよ」 と言う。診察の前に酒など飲んで良いのかと訊ねると、「勢いがつくから、却って良いんだよ」 と答える。僕も嫌いな方ではないので、つい白ワインを注文してしまう。

アラカルトで頼むものと同じ大きさのカルパッチョが2皿、テイブルに運ばれてくる。オフクロが 「うわー、多いねぇ」 と驚く。店の雰囲気からメニュの組み立てを読むという能力を、オフクロは70歳を超えても、いまだ身につけることができない。

若い人向きの居酒屋で出てきそうな、マヨネーズをかけ回したマグロのカルパッチョを肴に、白ワインを飲む。

アラカルトで頼むものと同じ大きさのスパゲティが2皿、テイブルに運ばれてくる。オフクロがまたも 「うわー、多いねぇ」 と驚く。ウエイトレスが苦笑いをして、なにか言い訳をする。

オフクロが 「少し食べない?」 と、自分の皿を僕に示す。僕はウンザリして、「だから、食べきれないって言ったでしょ?」 と答える。オフクロはスパゲティを残した。

アラカルトで頼むものと同じ大きさのメインが2皿、テイブルに運ばれてくる。オフクロが3度目の 「うわー、多いねぇ」 を発する。ウエイトレスは苦笑いをして、先ほどとは別の言い訳をする。

オフクロが 「分けてあげるよ」 と、自分の皿を僕に示す。僕はウンザリして、「だから、食べきれないって言ったでしょ? オレだって食えないよ」 と答える。

オフクロはメインの 「イトヨリのグラタン」 を残した。近くのテイブルに来たウェイトレスを呼んで、これを持ち帰ることはできないかと訊く。困惑したウエイトレスが、回りくどい説明で、オフクロの頼みを断っている。僕はウンザリして、「だから、食べきれないって、最初っから言ったでしょ?」 と言う。

元はといえば、オフクロの病気も、フランス料理の食い過ぎに端を発しているものなのだ。

オフクロの診察は夕方5時過ぎまでかかる予定だったが、医師の機転と親切さによって、数時間も早く切り上げることができた。3時30分に帰社する。

下今市駅発17:02発の、上り特急スペーシアに乗る。車内にて、自分のpatioに7通の返信を書く。

北千住駅で日比谷線に乗り換え、仲御徒町駅で降りる。そのまま通路を歩いて、上野御徒町駅から大江戸線に乗り、7時に牛込神楽坂駅のA2出口から外へ出る。

S字形の坂を上がり、袋町の静かな住宅街を歩く。牛込城趾を右に見て左カーヴの坂を下り始めると、ふたたび商売家の灯りが見えてくる

神楽坂上から鳥茶屋の角を左へ入り、「伊勢藤」 の低い軒をくぐる。7人がけのカウンターの、お燗番をする主人に正対する席へ案内される。

彼の父親は、ほぼ引退に近いだろう。いまでは42歳の息子が、端正な仕事ぶりを見せている。

「お燗で、よろしいですか?」
「はい、お願いします」

僕は、フランス人の友人を連れて行ってあげたら驚喜しそうな店を、たくさん知っている。ただし僕には、肝心の 「フランス人の友人」 がいない。まさか、「伊勢藤」 前のブルターニュ風クレープ屋から、強制的に引っこ抜いてくるわけにもいかない。

お決まりの5種の肴の初っぱなは、クラゲにノリの佃煮を和えたものだった。ほどよく燗のつけられた白鷹を静かに飲む。やがて若主人の奥さんらしい人によって、残りの肴が運ばれてくる。今夜のそれは、出汁巻き玉子、タコの塩辛、カマボコとハクサイとシイタケの煮物、豆腐とワカメの味噌汁だった。

2本目の燗酒を頼む。お決まりの肴が切れる頃合いを計って、クサヤと納豆を頼む。

はじめは大きな固まりのまま食べていたクサヤだが、少なくなるに連れて、こすっからくも小さく噛みちぎって口へ運ぶことになる。

3本目の燗酒を頼む。もんぺをはいたオバサンが、乾し納豆をサーヴィスで出してくれる。カビや酵母や様々な菌は、想像もつかない味と香りを原材料に与えて育て上げる。この乾し納豆にも、僕はミントの香りを感じた。

「伊勢藤」 の小振りな徳利でも、3本をこなせば酔いは回る。勘定を頼む。5千円は軽く超えるだろうと予想をしたが、告げられた金額は、意外なほどに安かった。

路地を出て賑やかな神楽坂を下る。坂下の交差点を飯田橋駅の側へ渡ると、公衆便所の奥に、掃き溜めに鶴のようにして、銀色の車が置いてある。近づくとそれは、幌を上げた "Jaguar XKR" だった

飯田橋駅横のビルへ入り、高速エレヴェイターで20階まで上がる。椿山荘の杜を望む 「摩天楼大飯店」 の窓際にて、扮酒を注文する。この強い酒を舐めながら、八珍湯麺にて今夜の仕上げとする。

ビルの地下から長い地下鉄の構内を歩き、飯田橋駅から大江戸線にて本郷三丁目へ至る。

上野黒門町にある 「中村理科」 の社長はかつて 「銀座線以外の地下鉄は、深くていけねぇ」 と言った。確かに銀座線は、良い地下鉄だ。しかし、都心の最深部を走る大江戸線にも、僕は強い魅力を感じる。

9時30分に甘木庵へ帰着する。シャワーを浴び、ウェブショップをチェックして、10時30分に就寝する。


 2002.1016(水) 「冒険準備学入門」

朝4時30分に起床する。事務室へ降り、いつもの決まったことをする。

7時にシャッターを上げて外へ出ると、ホンダフィットの屋根に朝露が降りている。と、ここまで書いて、「夜露」 とはよく耳にするが、「朝露」 などという言葉があっただろうかと怪しくなる。"goo" の国語辞典を調べると、果たしてこれが、秋の季語として説明されている。

朝飯は、モヤシとピーマンのカレー風味炒め、細切りニンジンとダイズのグラッセもどき、ナメコのたまり漬のスクランブルドエッグ、納豆、刻みオクラのカツオブシかけ、鶏レヴァの甘辛煮、メシ、タマネギとワカメと万能ネギの味噌汁

自由学園 の寮で暮らす16歳の長男に冬物の服を送ろうとして、そのベッドの近くに、紛失したとばかり思っていた

「冒険準備学入門」  谷口正彦著  時事通信社  \980

を発見する。大いに喜ぶ。

この本は、「冒険とは、その準備こそが最も面白い」 と、ニュージーランドアルプス、ラカンドン族の住むメキシコのジャングル、ネパール奥地での雪男探索、フンザ王国、ムスタン、太平洋横断ヨットレイス、サハラ砂漠などへ出かけるまでの、準備のみが詳細に綴ってある珍品だ。1976年の初版だが、もちろん今では絶版だろう。

これを本棚へ納めると同時に、あした甘木庵へ泊まる際に読む本を探す。はじめ

「川島雄三 サヨナラだけが人生だ」  藤本義一著  河出書房新社  \1,900

を手に取るが、外出時に持つカメラが "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" から "Minolta DiMAGE X" に替わったため、もともと荷物嫌いの僕の荷物は、極端に小さくなった。どうせなら吉田カバンのショルダーバッグに入る本にしようと、文庫本の山を漁る。

「ラッフルズホテル」  村上龍著  集英社文庫  \360

が見つかる。文庫本がいまだ安かった時代のもので、裏表紙を見ると、鉛筆で 「100」 と書いてある。長男が古本屋で買ったものだろう。これを選んで本棚のある階段室を出る。エレヴェイター前の木の長椅子に、それをとりあえず置く。

夕刻、自由学園の体操会で撮った紙焼き写真を受け取りに、小倉町のミヤギ写真へ行く。その場で、長男が2歳のときから面倒を見てもらっていたサイトウトシコさんと長男がふたりで写っている写真を引き延ばし、額へ入れてくれるよう頼む。

帰途、既にして日の暮れた日光街道を、そこが横断歩道でもないのに渡ろうとしている小学生を見かける。ヘッドランプを点灯したバスやトラックが、地面を揺らして往来している。

「おにーちゃん、そこで渡ったらダメだ」 と声をかけると、その子どもは僕の方を振り返って、驚いたように小さくうなずく。ジャージーの尻ポケットに縫いつけられた名札は、彼が今市小学校の2年生であることを示している。

「オレと一緒に横断歩道を渡ろう」 と言い、すこし離れた横断歩道の前まで一緒に歩く。やがて信号が赤から青に変わる。子どもは落ち着いて歩き、更に暗い枝道へ消えた。

子どもが死ぬほど、うんざりすることもない。せっかく生まれたからには、頭の地肌に醜いシミが浮き出るほど長生きをしてから死んで欲しい。

初更、冷や奴を肴に、焼酎 「紅乙女」 を飲むアサリの酒蒸し茹でたブロッコリー豚薄切り肉の竜田揚げとサツマイモのあんかけ を食べながら、さらに生の紅乙女を飲む。

入浴して、こんどはウイスキーを生で飲む。強い酒を生で飲むと食道を傷めるそうだが、強い酒は生で飲むのが一等美味いので仕方がない。

9時に就寝する。


 2002.1015(火) 「はじめての旅先通信2003」

朝3時30分に起きる。きのうに続き、まぁまぁの起床時間だ。

昨晩は、携帯電話に ウェブショップからの注文が頻繁に転送されて 、廊下でピリピリと、立て続けに呼び出し音が鳴っていた。事務室へ降り、受注ペイジにずらりと並んだ注文を確認する。

きのうの日記を作成し、シャッターを上げて天気を確認する。空は曇っている。きのうまでの連休が晴天だったことに感謝をする。これから11月4日までの紅葉時期には、できるだけ雨は降って欲しくない。

朝飯は、身欠きニシンの昆布巻き、目玉焼きとピーマンの油炒め、細切りニンジンとダイズのグラッセもどき、ホウレンソウの胡麻よごし、鶏肝の甘辛煮、納豆、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁

先月の26日に行われた第112回本酒会の、紙の会報を作成する

今月の本酒会は29日に行われる。「欠席に際しては、1週間前までに連絡せよ」 と規約にはあるため、いくら面倒でも、ある程度の余裕を持ってこれを送付しないわけにはいかない。

佐川急便が、なにかを届けに来る。包みを開くと、その中身は

「はじめての旅先通信2003」  旅先通信研究所  ソフトバンクバブリッシング  \1,980

だった。思い出して、メイラーに 「旅先」 で検索をかける。

果たして、「MODEMの使えるHOTEL」 についての情報をniftyのforumなどに寄せてくれた人へ、SOFTBANK社から謝礼として、この本を送付する旨のメイルが見つかる。僕の情報提供はかなり以前のことだったが、その律儀さに驚く。

なお、多くのモバイラーが討ち死にをしているらしいサイパンからのアクセスについては、僕の昨年3月7日の日記 「形だけのカモメ」 を参照して欲しい。

家内は終業後もなにかと忙しく、予定していた豚薄切り肉の竜田揚げを作る時間の余裕がない。焼肉を食べることとして、「板門店」 の電話番号を携帯電話に探すが、登録してあるのは、上野駅と昭和通りをはさんで反対側にある 「板門店」 のもののみだった。

電話帳にて我が町の 「板門店」 の番号を探し、予約の電話を入れる。

1週間に2度は夕食をカスピ海ヨーグルトにして、できるだけ栄養を摂取しないようにしている生活が無意味になるほどの諸々を食べ、かつ焼酎 「真露」 のオンザロックスを飲み、8時前に帰宅する。

入浴して生のウイスキーを少し飲み、9時に就寝する。


 2002.1014(月) 「思君君不見 琴酒誰為携」

朝4時30分に起きる。まぁまぁの起床時間だ。

事務室へ降り、メイルと ウェブショップ のチェックをし、きのうの日記を作成する。

朝飯は、ホウレンソウの胡麻よごし、ナメコのたまり漬のスクランブルドエッグ、塩ラッキョウ、納豆、ツナとタマネギとパセリのサラダ、メシ、ダイコンとワカメと万能ネギの味噌汁

出勤してくる社員に、それぞれの通勤路の渋滞状況について訊く。今朝の道路は、きのうほど渋くはないらしい。

道路の渋滞に比例して、店舗の繁忙も、きのうほどのことはない。しかし、今日も駐車場に警備員を配置して良かったと思われる場面は、たびたびあった。

静かだったウェブショップが、昼ごろから急に賑わい出す。その中には、アメリカ在住のお客様が日本国内の知人に贈り物をなさるという、珍しいものも含まれていた。

終業後、9月に行われた本酒会のウェブ会報を作成し、また同じ内容のメイルマガジンを、会員各位に送付する。今回は、「菊姫」 にメイルで問い合わせた、同社製品の外箱にある良寛の詩について書いた。

店舗や事務室と棟違いの、しかしエレヴェイターを使って1分ほどで移動できる自宅へ戻る。

ノイリープラットを、ガラスの猪口で1杯のみ飲む

ドライマーティニ用に買ったノイリープラットは、使い切るのに苦労をする。僕好みのドライマーティニに当てはめると、1本のノイリープラットに対して、ジンが9本は必要になる。ジンを一気に9本も買うようなアルコール中毒まがいの行為は、とてもではないが、恐ろしくてできるものではない。

冷や奴と焼いた満願寺トウガラシのカツオブシかけにて、焼酎 「紅乙女」 を飲む細切りニンジンとダイズのグラッセもどき豚レヴァとニラとモヤシの油炒めを食べる

入浴し、"maururu" の器にてウイスキーを飲む

「クーデターの政治学」 を読みながら、9時30分に就寝する。


 2002.1013(日) 紅葉見物

夜中の2時30分に目を覚ますが、さすがにいま起き出してはマズイだろうと考え、二度寝に入る。朝6時30分に起床する。事務室へ降り、メイルと ウェブショップ の注文のみチェックする。

朝飯は、ナメコのたまり漬、塩鮭、「はれま」 の 「やさい」 をトッピングにした玉子雑炊

昨年の10月下旬にはずいぶんとクルマが多く、店舗駐車場の出入りに、お客様がかなり混乱される場面もあった。そのため今年は、9月はじめから警備保障会社の営業係を呼び、紅葉見物による渋滞時期の交通整理を頼んでおいた。

警備員は昨日から配置されたが、僕は留守をしていたため、その仕事ぶりを見るのは、今日が初めてのことになる

午前中の一時期には、2名の人員でも足りない場面があった。ことによると、繁忙の最盛期にはひとりふやして3名の配置を行う必要があるやも知れない。

事務室、店舗、製造現場、包装部門と回りながら、閉店の時間を迎える。

きのうの日記へ用いる画像を処理する。数を数えると、35枚もある。画像のファイル名にはアルファベットを用いているが、AからZまでではとても足りない。Zの後は、Z1からZ11までの文字と数字の組み合わせとする。

ようやく日記を書き上げ、サーヴァーにこれを転送して、自宅へ戻る。

晩飯は、カスピ海ヨーグルト、カキ、チーズケイキ

入浴して 「クーデターの政治学」 を読む。眠くなったり目が冴えたりの繰り返しを経て、11時に就寝する。


 2002.1012(土) 自由学園の体操会

朝4時に起床する。メイルのチェックをし、昨晩のうちに作成した日記をサーヴァーへ転送する。

5時に炊飯器のスイッチが入る。6時30分に、家内の作ったオニギリを4個、食べる。7時30分に、ひとりで甘木庵を出る。池袋駅7:55発の、西武池袋線快速急行に乗る。8:14に、ひばりヶ丘駅へ至る。

8時30分の開門を待つ人たちが列を作っているはずの自由学園正門前まで来ると、意外やその姿が見えない。案内に立つ長男の同級生クロサワマサタカ君にそのわけを訊ねると、「超並んじゃったので、時間前に入っていただきました」 とのことだった。

僕は胸のポケットから生徒の父母が持つパスを出し、受付を済ます。

昨年の体操会や遠足の写真が貼付された掲示板を眺めながら事務室前まで歩くと、大昔の学園長宅から初等部へ向かう小径に、予定よりも早く学園内に迎え入れられた人たちの待つ姿があった

ようやくロープによる堰が生徒の手によって解かれ、けやき坂を降りる。体操会を応援する期間限定ペイジ 「体操会へ行こう!」 の作成メンバーと短い打ち合わせの時間を持った後、このペイジへ掲載する画像を撮るため、学園内を歩く。

男子部へ行く。僕よりも5年後輩のタカハシカズヤ先生が黒板に、「桂を上げる」 という習字を貼りだしていらっしゃる

先生によれば、本日の 「組み立て・俵」 で最上段へ上がる中等科1年生のカツラ君が、その重圧から2日前まで教師室に心配を訴え続けたところ、高等科3年のひとりが、この習字を書いて本人を励まし、またその退路を断ったという。

男子部は今年、「俵」 において前人未踏の7段に挑戦する。その成功を祈るばかりだ。

10時の開会式に先立ち、自宅のコンピュータで 「体操会へ行こう!」 ペイジを作成している13年後輩のシゲマツユウ君に、最初の画像9枚を送る。僕の隣では、3年先輩のアイカベアサコさんが音声ファイルを作成し、送信試験をする

大芝生裏手の女子部食堂前で、生徒が開会式への出を待っている

やがてブラスバンドを先頭に、入場行進が始まる。。"Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" の大きなレンズを最大限に伸ばし、よりよい画像を求めて、左目と右の人差し指に神経を集中させる。それと同時に、全体像も撮る

幼児生活団(幼稚園)の 「体操と競走」、初等部(小学校)の 「体操」 に続き、女子部高等科2、3年生による 「クラブ体操」 が始まる。僕は大芝生の北西角に、写真を撮るための良い場所を見つける

男子部の全員体操は、場所を移しつつ、多くの画像を撮影する

運動神経に優れる有志が出場する 「転回運動」 については、今年から女子も参加することになった。その女子が、メチャクチャにカッコイイ。どちらかといえば、女子の写真を多く撮る

初等部の 「家族リレー」、女子部中等科1、2年、高等科1年による 「メイポールダンス」、デンマークのオレロップ体操学校エリートティームによる 「特別演技」 のあいだに画像を加工し、本日2度目の送信をする。「体操会へ行こう!」 では既にして、アイカベアサコさんが採取した開会式の音楽も流れたらしい。

入場者なら誰でも参加できる生活体操の後、昼休みになる。

もみじ坂下の売店にてアイスクリームを買い男子部の芝生に弁当を広げる。長男は、「この後、オーケストラの演奏が控えているため、弁当は記念講堂で食べる」 と言って去ろうとする。それを家内が慌てて押しとどめ、長男が2歳のときから面倒を見てくれていたサイトウトシコさんとの記念撮影をする。

生徒によるゴミの収集もあったが、ここで捨てるのも憚られるため、紙と割り箸は、そのままトートバッグへしまう。

事務室の前で、婦人之友社に勤める5年後輩の山本修君が、自社の製品を販売している。僕はこの風景も 「体操会へ行こう!」 へ掲載すべく、撮影をする。最高学部は、僕が通っていた時代の建物が取り壊され、2年後に新築されることになっている。食堂跡地の縄文遺跡を見ながら記念講堂へ移動する。

オーケストラが演奏を続ける記念講堂にて、これまで撮りためた画像を選別し、加工してシゲマツユウ君に送ろうとするが、どうしてもうまくいかない。

とりあえず大芝生の観客席へ戻り、最高学部有志による 「体操」、初等部4、5、6年生による 「体操」のあいだにコンピュータを再起動して、今度は送信に成功する。忙しくて、体操会実況中継ペイジ 「体操会へ行こう!」 を見ることはできない。

女子部中等科2、3年生、高等科1年生による 「ボール体操」 の途中から、ふたたび椅子席を離れて撮影に出る。

女子部食堂前で、男子部が気合いを入れているやがて彼らが大芝生に躍り出る数々の演技があって、いよいよリーダーから 「俵用意!」 の声がかかる。正面最下段のパワーゾーンには、特に選ばれた屈強の生徒たちが集まる

「1段目用意!」 「2段目用意!」 「3段目用意!」。リーダーの、矢継ぎ早の号令が飛ぶ。

「4段目用意!」 「5段目用意!」 「6段目用意!」。1段目から3段目までの生徒の腕が震える。うめき声と気合いが交互に聞こえる。みな上目遣いにて、リーダーの次の号令を待っている。

「7段目上がれ!」 の声と共に、中等部1年生のカツラナオユキ君が、裏に控える数名の黒衣によって最上段へ担ぎ上げられる。一瞬の後、成功の喜びを味わう間もなく、最後の号令によって7段の俵は自ら崩れ落ちる。観客の拍手とどよめきが、西日を映した大芝生に広がっていく。

「組み立て」 の画像は、待っている人もひときわ多いだろう。これだけは、帰宅後の送付というわけにはいかない。オレロップ体操学校エリートティームによる午後の演技が行われる中、周囲にわき上がる歓声を聞きながら下を向き、ThinkPad s30 をいじくり回して、加工した画像をシゲマツユウ君に送る。

女子部の 「全員体操」 後半から 撮影に戻る男子部高等科の 「体操」最高学部の 「全員体操」 を経て、すべての出場者が再登場する フィナーレを迎える

自由学園の校旗とデンマーク国旗が退場して、2002年の体操会が終わる。入場者総数は昨年のそれを数百名上回って、3000名を超えた。

各々が各々の思いを抱きつつ、けやき坂を上がる

「体操会へ行こう!」 は、どのあたりまで更新が進んだだろうか? 地道な努力によって少しでも体操会の入場者数が増えるなら、来年以降もこの実況中継を続けていきたい。

浅草駅発19:00の下り特急スペーシアに乗る。9時前に帰宅し、最後の画像をシゲマツユウ君に送る。

入浴してウイスキーを2杯飲み、11時に就寝する。


 2002.1011(金) 「これからの日本を、よろしく頼む」

朝5時に起床する。

事務室へ降り、メイラーを回す。2、3通の返信を書き、諸方のpatioに7通のレスポンスをつける。きのうウェブショップから下さった3件の注文すべてが中途半端という顧客に送付した質問のメイルには、いまだ返事がない。

朝飯は、ニラタマ、ブロッコリーのバター炒め、鶏肝の甘辛煮、納豆、キュウリのひしおマヨネーズ和え、メシ、豚とミズナの味噌汁

数ヶ月前から、ウェブショップ の注文は、ことし販売係から事務係へ異動した18歳のコマバカナエさんが、受注からご注文確認書の送付までを、ひとりでこなせるようになった。僕はこのところ、ウェブショップについてはちとサボタージュ気味だったが、最近2週間分の受注デイタをチェックし、メイラーの住所録を整える。

質問メイルへの返事がいただけない顧客へは、メイルの内容を紙に印刷し、今度はお知らせの手段をファクシミリに替えて、再送付する。

自分の用事が済んだらメイラーは回さない。それどころか、コンピュータの電源すら入れないという人が、世の中には多く存在する。自分から電話をするとき以外、携帯電話はマナーモードにして引き出しへ入れっぱなしという僕も、とやかく言える筋合いのものではない。

午後、メイルをファクシミリに替えてご連絡をした顧客から、ようやく返信がある。即、商品を出荷する。

下今市駅14:58発の上り特急スペーシアに、家族で乗車する。5時ちかくに甘木庵へ到着する。近所の知り合いに短い訪問をした後、丸の内線にて銀座へ出る。

けやき通り7丁目のまんまる鮨にて冷酒を頼み、生牡蠣を肴にする。6歳の次男がマグロの握りを頼む。板前に、ひとつの握りを包丁で半割にしてくれるよう伝える。小さく色鮮やかなマグロ12個をひと盛りにした皿が、次男の前に置かれる。

カウンターの隣に座った酔っぱらいが、次男に声をかける。

「ボク、マグロが好きか?」
「うん」

「ボク、これからの日本を、よろしく頼むよ」
「うん」

酔っぱらいは板前に 「子どもの分は、オレにつけといて。大人の分までは、つけなくていいよ」 と言う。僕は大いに恐縮をして 「恐れ入ります、ごちそうさまです」 と、立って挨拶をする。

家内は帰り道に、西五番街5丁目のピエールマルコリーニにて、長男への土産を買う。丸の内線を本郷三丁目駅で降り、コンビニエンスストアで、米を炊くためのミネラルウォーターを購う。

8時に甘木庵へ帰着する。次男と入浴をし、ビールを飲む。急ぎのメイルに返信を書き、今日の日記を作成して、10時30分に就寝する。


 2002.1010(木) "Antonio's Song"

朝2時30分に起床する。

事務室へ降り、ウェブショップ の受注を確認する。3件の注文を下さり、しかしそのすべてが中途半端という顧客に、的確な指示が欲しい旨のメイルを送付する。

自由学園の体操会が近づいている。それを実況中継するためのペイジについて9通の提案を書き、その段取り用に設定されたメイリングリストへ送る。

諸方のpatioに17通の返信を書き、また2、3の個人メイルを書き、きのうの日記を作成する。

これらすべての行為は、2時30分に目を覚ますことのできた今朝の幸運によるものだ。

朝飯は、なめこおろし、塩鮭、塩ラッキョウ、「はれま」 の 「やさい」 によるお茶漬け

紙に短いメモを書き、友人に写真を送る。同じくメモではあるけれど、仕事についての指示や提案を、社員の机の上に置いて回る。

顧客は面倒なことを頼んで申し訳ないと思っているが、当方にとってはどうということもない注文を、電話にてお受けする。

ときどき忙しく、ときどきヒマな1日が終わる。マイケル・フランクスの "Antonio's Song" を聴く。

トマトとモツァレラチーズのカプレーゼ、グリーンアスパラガスとエリンギのオリーヴオイル炒め玉子のサラダキンメダイのオリーヴオイル焼きバルサミコソースアサリのワイン蒸しにて、"Domaine Leflaive Bourgogne Blanc 1998" を飲む。

入浴後、ウイスキーを生で飲み、9時30分に就寝する。


 2002.1009(水) ハゲとカツラ

朝6時に起床する。このところどうも早起きができない。早起きができないから就寝時間も遅くなり、結果、翌朝も早起きができなくなる悪循環だ。

6時すぎに事務室へ降りても、メイルと ウェブショップ の受注確認くらいしか仕事はできない。シャッターを上げて新聞を取る。日光の山が、濃い霧の中から、その頭のみを現しつつある。

朝飯は、塩ラッキョウ、生トマト、目玉焼き、ソーセージとピーマンの油炒め、ホウレンソウの胡麻よごし、納豆、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁

きのう、自由学園 の寮で暮らす16歳の長男が、だしに使うアゴを送ってきた。アメリカからの留学生が江戸時代の諸々を見たいと言ったため、一緒に上野の国立博物館へ行き、帰りにアメ横で買ったものだという。荷物には、10月12日に行われる体操会における、プログラムごとの自分の立ち位置を説明した図が同封されていた。

長男に、アゴについての礼状を書く。手紙だけでは面白くないので、なにかオマケはないかと考える。

事務机の上の、1葉の写真に目がとまる。そこには僕も含めて、10名ほどの人間が写っている。その中のひとりが、キューピーの頭に小さなこうもり傘を載せたようなカツラをかぶっている。僕の頭に矢印をつけて 「ハゲ」 と書き、カツラの人の頭に矢印をつけて 「カツラ」 と書く。

この写真を、長男への手紙に同封する。

夜、もずく酢と鶏肝の甘辛煮にて、焼酎 「紅乙女」 を生で飲む。タシロケンボウんちのお徳用湯葉、エノキダケ、マイタケの鍋に、豚肉とミズナを投入して鍋とする。家内と次男との計3名にて、「美味いっ!」 を連発しながらこれを食べる。

入浴して、先日ワイン蔵から発見したウイスキーを、やはり生で飲む。

9時30分に就寝する。


 2002.1008(火) "My Foolish Heart"

朝5時に起床する。

事務室へ降り、CDプレイヤーに

"YOUR SONGS"  Chie-Ayado  EWCD0006  \2,667

を落とし込む。スキップボタンを押し、8曲目の "My Foolish Heart" を選ぶ。僕は美術展でも、順路に従って見るということは、あまりしない。ずっと歩いていって、気になるものがあったら、そこで立ち止まるのみだ。そしてこのスロウバラッドから、ハードバップの手本のような "Seven Steps To Heaven" への急展開を楽しむ。

綾戸智絵はともすれば重く真面目に受け取られがちな歌手だが、僕はジャズヴォーカルにおいては、とにかく粋なものだけが好きだ。

佳品は、アルバムタイトルにもなっている "Your Song"、最も感情を込め、また制御して歌っているのが "Over The Rainbow"。僕は明日もまた、このCDを聴くだろう。

朝飯は、ハクサイキムチ、塩鮭、塩ラッキョウ、ニンニクのたまり漬、「はれま」 の 「やさい」 によるお茶漬け

午後、外注SEのカトーノさんが来社する。若い3名の社員が持つコンピュータに、Niftermを設定する。

会社のコンピュータ購入支援システムを利用すれば良いものを、自分勝手にコンピュータを買った結果が、この無様に大きく重い2台のFMVだ。机の上でしか使えないコンピュータは、舗装路しか走れないオフロードカーのようなものだ。我が社では存在する意味が薄い。

設定は、割合に早く終わった。僕は、9月25日以来紙焼きのできなかった、ネパールの友人たちとの夕食から一昨日の東京MGまでの画像をSDにまとめ、"JUSCO" にある写真屋へ持参する。フィルムを買わずに済む分だけ、普通のカメラよりもデジタルカメラの方が、いまやランニングコストは安い。

スナップ写真しか撮らない程度のカメラ使いは今後、急速にアナログカメラからデジタルカメラへ、その愛機を持ちかえていくだろう。

カスピ海ヨーグルトとカキによる晩飯をとる。僕は本来、果物をあまり好まないが、2品しかないうちの1品と思って食べれば、果物もまた味わい深い。

枕元の本を読みつつ、10時30分に就寝する。


 2002.1007(月) フランス料理屋の酒

朝6時に起床する。きのう浅草の 「天道門」 で、テレビの天気予報を見ていた高校生のひとりが 「あぁ、明日は雨か!」 と嘆息をしたが、予報の通りに雨が降っている。

事務室へ行き、僕が不在のあいだに届いた郵便物、ファクシミリ、伝言などを整理する。メイラーを回し、急ぎのものについてのみ返信を書く。

朝飯は、塩ラッキョウ、目玉焼きとホウレンソウの油炒め、納豆、焼いたサケをほぐしたもの、鶏レヴァの甘辛煮、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁

先月の27日に、「丑や」 主人のヤスダケンイチロウさんから 「"DiMAGE X" 専用ケイスと、たまり漬を物々交換しないか?」 という内容のメイルが届いた。これは、同月の22日に、僕がこのカメラケイスについて書いた日記に端を発したことだ。

ヤスダケンイチロウさんは、自社製品がどこかで話題になっている場合になど、突然の需要が発生して在庫がショートを起こしたりするため、ウェブショップのアクセスログを細かく解析し、その話題の出所を突き止め状況の把握に努めているという。僕の日記も、その作業中に発見したのだろう。

この "DiMAGE X" 専用ケイスも、僕の不在中に届いていたもののひとつだ。早速、使っていくうちにちょうど良いサイズになるよう調整された堅めの皮ケイスに、僕の "DiMAGE X" を納めてみる。

「裸の状態で高い操作性が得られるよう作られているものに、何かをかぶせてより使いやすくなるはずがない。だから丑やの製品は、デザイン優先でいく」

というヤスダケンイチロウさんの主張には、能書きを廃した潔さがある。そしてその主張は、「丑や」 が生み出す数々の作品に、見事に結実している

同時に送っていただいた "HAKUBA" の、エルゴスリムネックストラップの使い道を考えるのも楽しい。携帯電話のストラップにデジタルカメラをぶら下げている人は、こちらのストラップに乗り換えた方が、断然スマートだ。

家族の中に10月生まれの者が2名いるため、終業後、そのお祝いに "Finbec Naoto" へ行く。

キノコのポタージュアボカドのピューレとタラバガニのサラダアナゴとマイタケとインゲンのフリット豚首肉の煮込み洋ナシのコンポートとバニラアイスクリームエスプレッソ

この3,500円のコースを肴に、白のグラスワインを3杯、飲む。グラスワインは、ロワール産の力のあるものだった。

フランス料理屋で飲む酒が、僕には最も安く感じられる。これが蕎麦屋へ行くと、ミズナのおひたしとアナゴの天ぷらで気の利いた酒を2合飲み、鴨南蛮で締めて6,000円などと言われる。どうにも蕎麦屋の勘定には、納得のできかねるものがある。

帰宅してワイン蔵から "Davidoff" Mini Cigarillos を取り出し、ふたたび外へ出て1本吸う。美味いことは美味いが、タバコの習慣性は恐ろしい。先から2Cmほどのところまで吸って捨てる。これが、今年になって吸う初めてのタバコだ。

居間へ上がってウイスキーを生で飲む。入浴して11時30分に就寝する。


 2002.1006(日) 機械ころがし

朝4時30分に起床する。4時間の睡眠とはいかにも短いが、眠くなければ、横になっている理由もない。

自分では冴え冴えとしているつもりの、実はいまだ眠っている脳で、第4期のゲイムをいかように展開すべきか考えてみる。しかし、もとよりその考えは僕の脳から発するものにて、確実な像を結ばないままに雲散霧消する。

居間の明かりを点け、Becky!を開いて数通の返信を書く。ウェブショップ の受注を点検し、「清閑PERSONAL」 のトップペイジに、自由学園の体操会を中継するペイジ 「体操会へ行こう!」 へのリンクを設定する 。それを、きのうの日記と共にサーヴァーへ転送する。

高校生たちは、7時に起き出してきた。ゴミを片づけ布団をたたみ、8時に甘木庵を出る。彼らの希望により、彼らが呼ぶところの 「吉野家(よしぎゅう)」 にて、牛丼や温泉玉子、サラダ、味噌汁などを摂取する。

地下鉄をひと駅のみ乗って御茶ノ水へ至る。そこからJR線を辿り、9時10分前に大崎へ着く。

きのうの第3期において、売上高の高い順に選ばれた6人が、今朝から始まる第4期のA卓を形成する。金子そのそのさんに、記念の写真を撮っていただく

この第4期初、僕は期せずして、高機能の小型機械を安く手に入れた。この期には大型機械が必要と考えていたため、自らの機械を売りに出している競合他社の申し出に、一も二もなく従った。

この設備投資を実らせることができなかったのは、ひとえに僕の実力不足の故だ。期末には、製造能力と販売能力がバランスしない、利益効率の悪い会社が残された

期末の決算を終え、「マダム石島」 の弁当を食べる

MGでは、1日目の昼に 「なぜMGへ来たか?」、同日の夜に「今日は1日、どうだったか?」、そして2日目の昼には 「私とコンピューター」 という、3度のスピーチがある。僕は、きのうの成績がアップされた西研究所の電子会議室と、当日の模様を書いたこの日記についての話をする。

第5期へ入る前に、同卓の競合他社を眺める。既にして皆、高い価格競争力を有している。ゲイム中に高い製造能力と販売能力を獲得し、一気に勝ち上がろうとの作戦が見て取れる。

他社と真っ向から激突する消耗戦は避けたいところだ。僕は安値で手に入れた小型機械を高値で転売する。工場の人員を、引き取り手を捜して半分にする。現行の販売能力を少しだけ高め、比較的安い値段で中くらいの販売個数をこなす会社を作る。

案の定、僕はまるでアイドリングのように楽なゲイムを展開し、やがて終了する。

通常、固定資産売却損は特別損失になるが、僕は機械を転売して儲けたため、経常利益よりも税引き前当期利益が突出して高くなるという、いささか "tricky" な決算書が完成する。それでもなお、第4期までの累積損を減らすことはできなかった。

最優秀経営者賞は、466円の自己資本を打ち立てた 「小熊商店」イトウノムゾウさんが獲得した。イトウノムゾウさんの受賞は、9月の日光MGに続くものだ。自己資本2位のシガトモヒロさんは次期繰り越し資産の不足、3位のタジマシュンスケさんは第4期に低位市場へいたため、共に表彰対象外となった。

参加者ひとりひとりが紙に 「言いたいこと」 「訊きたいこと」 「知りたいこと」 を書いて提出し、それに答える形で進行する講義は、普段よりも長く5時20分まで続いた。感想文を提出し、先生やお世話になった方々に挨拶をして会場を出る。

きのうより 「帰りは浅草で焼肉、食おうぜ」 などと言っていたが、その時間は無くなった。ドアが閉まる寸前の山手線に乗って新橋へ。ドアが閉まる寸前の銀座線に乗って浅草へ至る。

あづま橋西詰めの中華料理屋 「天道門」 へ入るなり、餃子5人前と春雨サラダ3人前、それに飲み物を注文する。僕は時間短縮のため、生ビールと焼酎のオンザロックスを一緒に持ってくるよう、ウェイトレスに要請する。また、各自がそれぞれ食べたいものを、メニュから追加する。

7時5分前に、19:00発下り特急スペーシアが停車中のプラットフォームに上がる。9時前に下今市駅へ到着する。迎えに来ていた高校生の親ふたりに挨拶をし、家内の運転するクルマで帰宅する。

入浴してビール500ccを飲む。僕に発熱を促した風邪は、既にしてどこかへ去ったようだ。11時30分に就寝する。


 2002.1005(土) 夜の散歩

朝5時30分に起床する。ノドの痛みは相変わらず去らないが、きのうほどのものでもない。顔を洗い、とりあえず熱いお茶を飲む。メイルのチェックをし、2、3の返信を書く。

7時30分ごろに、隣室の高校生が起き出してくる。8時30分に甘木庵を出る。朝日を反射する湯島天神の緑色の屋根を見つつ切り通し坂を下り、御徒町の駅構内にて朝飯を済ませる。9時30分に大崎のMG会場へ入る。

10月の東京MGは、10時ちょうどに始まった。MG(マネジメントゲーム)は5人から6人がひとつの市場を形成し、2日間で5期分の経営を、自ら盤面に展開する。

あっという間にMG概論やルール説明を含んだ第1期が終わり、「マダム石島」 の弁当を食べる。

僕は第2期を無難に乗り切り、第3期に突入した。MGは制限時間を設けて戦うビジネスゲイムだが、大抵は終了の合図を恨めしく聞き、「時間さえあれば、なんとか自分の目標にも達することができたのに」 と、感じるものだ。

ところがこの第3期に不思議な経験をする。「まだか、まだか」 と思っているのに、なかなか上半期終了のアナウンスがない。かなりの売り上げを計上したところで、ようやく時を知らせる電子音が鳴る。

「優れた打者はボールが止まって見えるという。上げ潮の経営者は多くの仕事をこなしてなお、時間の余裕を感じるということだろうか?」 などと、考えてみる。

結局のところ僕はこの第3期において、トップの売上高を記録した。

ゲイムがあれば、決算がある。初心者にとってMGの決算はなかなかの難物だが、異なる市場に配置されたふたりの高校生には、それぞれヴェテランが付き添い丁寧に指導してくださるのも有り難い

夕食の後は、第4期の経営計画を練る。この期の市場規模やその傾向、経費の倍率などを決するサイコロ振りは、第3期に最高の売上高を計上した者の仕事だ。おっとりした僕にとっては100年に1度の椿事ゆえ、記念写真を撮る

西順一郎先生による、

「PQ(price×quantity)に目を奪われる者は愚かにして、G(gain)を上げようとするのは普通の人。最も優れた経営者こそが、MQ(margin×quantity)の最大化に腐心する」

との "strategy accounting" 講義を聴き、MGの第1日目が終了する。

会場における交流会を経て、希望者のみが集う2度目の交流会へ参加をする。甘木庵へは、11時30分に帰着した。

夜の散歩へ出かける高校生に玄関の鍵を渡し、シャワーを浴びて0時30分に就寝する。


 2002.1004(金) 強いのを1本

朝5時に目が覚める。目は覚めたが、起きる気力はない。気分は昨夜よりも幾分かはましだが、ノドは相変わらず痛み、体もだるい。

玉子雑炊の朝飯を食べ、きのうから数えて5粒目のアスピリンを飲む。

8時45分にようやく服を着て、9時にセキネ耳鼻科へ行く。痛みを感じるのはノドの左側のみだが、セキネケイイチ医師は左右共に腫れていることをカルテに図示する。

「先生、今夜から東京に2泊するんです。強い注射を1本、打ってください」
「エヘヘ、強い注射?」

「はい、お願いします」
「2泊って、何しに行くの?」

「就職が内定した高校生を、研修に連れて行くんです」
「研修の付き添い? そらぁ大変だなぁ」

僕は10年ほども前まで、2ヶ月に1度は高熱を発し、そのたびにここで抗生物質の静脈注射を受けていた。セキネケイイチ医師は強いクスリを嫌うが、僕の熱は、そうでもしなければ下がらなかった。

その後、僕はなぜか風邪をひかない頑健な体質になり、だからこそ、ここ数日の油断も出たのだろう。

むかしの静脈注射と同じ効力を持つという筋肉注射を左肩に受け、薬をもらって帰宅する。

注射のお陰で楽になる。そうするととたんに調子づき、2日分の遅れが出ていた日記を作成して、家内に叱られる。

昼飯には、生玉子のぶっかけメシと、きのうの夜にほとんど残した豆腐チゲ鍋を食べる。

階段室に、読むべき本を探しに行く。4、5冊ほど未読の本をあさった後、

「ヒジュラに会う」  大谷幸三著  ちくま文庫  \680

を選び出す。午後、ベッドの上で、一気にその4分の3を読む。

3時に起き、エディバウアーのザックに、リストに従って2泊分の着替えやMGの道具を入れる。4時15分に、家内の運転するクルマで下今市駅へ行く。ふたりの男子高校生は、既にして待合室のベンチに座っていた。

16:32発の、上り特急スペーシアに乗る。前向きの座席を反転させ、4人がけのボックスを作る。いましているアルバイトのこと、修学旅行のこと、スポーツのこと、運転免許証のことなど、会話が途切れることもなく浅草へ至る。

はじめは僕の体調も良くないことから、晩飯は浅草で簡単に済ませ、そのまま甘木庵へ直行しようと考えていた。しかし、北千住のプラットフォームに "am pm" を発見して 「すっげー」 と驚いている純情な高校生を見るにつけ、やはり銀座へ行こうと考え直す。

地下鉄の銀座駅から4丁目の交差点に出る。ひとりのときにはできるだけ路地を縫って目的の場所へ達しようと考えるが、今日ばかりは中央通りを歩く。

「焼き鳥、食おうぜ」 と言って、5丁目の 「鳥ぎん」 の階段を降りる。僕がこの店へ来て酒を飲まないのは、多分、学生のとき以来20数年ぶりのことだろう。数十本の焼き鳥に続き、三種の釜飯と、鳥スープにて締める。

地下鉄丸の内線に乗り、8時ちかくに甘木庵へ到着する。ふたりの高校生は、少し休んでから外出した。歩いて東京ドームでも見物に行くのだろうか。

明朝の繁忙を避けるため、今日の日記を完成させる。2、3のメイルを書き、「ヒジュラに会う」 を読んで10時に就寝する。


 2002.1003(木) 遊びすぎ

月曜日夜からの飲酒と街歩きにてよほど疲れたのか、6時30分になってようやく目が覚める。この時間の起床では、朝の仕事は何もできない。事務室の鍵のみを開け、居間へ戻る。

朝飯は、焼いたサケをほぐしたもの、塩ラッキョウ、ソーセージとホウレンソウの油炒め、キュウリのひしおマヨネーズ和え、納豆、昆布巻き、温泉玉子、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁

普段の朝飯ではご飯を2杯こなすが、今朝は1杯しか食べることができない。ノドの左側が痛い。口内炎ができているのか、あるいは扁桃腺が腫れているのかの区別が、自分ではつかない。

仕事を始め、9時を過ぎて、セキネ耳鼻科に電話を入れる。誰も出ない。木曜日は休みらしい。体はだるく、腰は痛く、寒気で腕に鳥肌が立つ。

「月曜日の晩、窓を開けて、布団を掛けずに寝たのが悪かったのだろうか? 翌日、強い風に煽られる細かい雨の中を歩いていたのが、まずかったのだろうか? それよりもなによりも、この3日間、すこし酒を飲み過ぎたのが、体力の消耗を招いたのだろうか?」

いろいろと考えるが、いよいよつらさが増してきたため、昼前からアスピリンを飲んで寝ることにする。

午後まで2時間ほども眠る。昼食として、どんぶり1杯の味噌煮込みウドンを平らげる。夕刻までに、ベッドで 「鯰 大倉喜八郎」 を読み終える。

夜がちかくなって熱が上がる。計ると38℃ある。家内が晩飯に豆腐チゲ鍋を作ってくれるが、吐き気がしてほんの少ししか食べられない。牛乳を飲み、本日3粒目のアスピリンを飲む。

枕元にあるたくさんの本を拾い読みしつつ、11時に就寝する。


 2002.1002(水) 自由学園の昼食当番

きのうとなりの部屋から運んだ布団のお陰で、ベッドの中はこたつのように暖かかった。朝5時に起床する。

ウェブショップ の受注を点検し、メイルのチェックをし、きのうの日記を途中まで書く。5時30分に目覚まし時計が鳴る。6時に、家内からの電話が入る。6時20分に、甘木庵を出る。

自由学園には、7時30分過ぎに着いた。男子部の生徒が、きのうの風にまき散らされた木の葉を掃き集めている

自由学園の男子部では、いつのころからかは知らないが、生徒の親が昼食を作る。普段は通学生の親がこの任に就くが、たまには僕も、お手伝いをする。僕が昼食当番に参加するのは、今年になって3度目のことだ。

僕は主菜の係とのことで、当番長から言い渡された仕事をする。まずサトイモをピーラーに入れて皮剥きをし、なお残った皮を、こんどは包丁で剥く。それを、乱切りにする。サトイモを扱うときには、酢を腕に付けておくと痒くならないということを、初めて知る。

ティルティングパンにて豚肉を炒め、そこに、他の係が刻んでくれたニンジン、ダイコン、湯通しを済ませたコンニャク、そしてサトイモを投入していく。

調理場では僕を含めて7人の親たちが、それぞれの分担に従って、手際よく自由学園那須農場の新米を炊き、ホウレンソウを茹で、ヒジキを刻む。

昼食当番は8時から12時まで通しの仕事だが、飽きもせず疲れもしない。気が付くと、調理場へ生徒がなだれこんでくる。彼らはキャスター付きの配膳棚に、1テイブル6名分ずつが盛りつけられた大皿を載せ、食堂へ運んでいく。

やがて昼食が始まる。なにか悪さをしたのか、壇上で詫びる生徒がいる。来週末に体操会を控え、その心構えについて述べる生徒がいる。学校へ遊具を持ち込んで遊ぶなと、委員が注意を促す。そのつど、大きすぎる声で返事をする生徒がいる。拍手をする生徒もいる。僕は、在学中の自分を思いだして苦笑いをする。

手を付ける前に撮影し忘れた、昼食の画像を撮る

昼食の後は、また当番長に割り振られた仕事をする。僕は、あした調理実習をする高等科2年生が使う材料の搬入手伝いと数の確認をし、前回よりもかなり早い時間に、仕事から解放される。

大芝生から号令が聞こえてくる。僕はまっすぐ正門へ向かうことを止め、紅葉坂から崖下の道へ降りていく。ボール体操の練習をする女子部の生徒をバックに、男子部の生徒が旗竿付近の水たまりを砂利で埋めている。大きな松の枝ごしに、台風一過の空が、青く乾いて広がっている。

浅草駅16:00発の、下り特急スペーシアに乗る。6時前に帰宅する。

ジャガイモのサラダ鶏もも肉のチーズ焼きにて、"Domaine Leflaive Bourgogne Blanc 1998" を飲む。

入浴し、9時に就寝する。


 2002.1001(火) 台風とオデン

昨晩は真夏と同じく、窓を開け、玄関の扉も薄く開いて、布団をかけずに寝た。午前3時に、特に足が寒くて目を覚ます。窓は開けたまま、隣の部屋から布団を運び、それに潜ってふたたび寝入る。

気がつくと、7時になっていた。

メイルのチェックをし、幾分かの返信を書く。きのうの日記を作成し、これと共に、毎月1日にアップする文章を、サーヴァーに転送する。

近くの洗濯屋へ、預けておいた洗濯物を取りに行って戻る。

雨は降っていないが、今日は台風が近づいているとのことで、177番に電話をして天気予報を聞く。夕刻から雷雨だという。本来は旅行用の靴入れだという "Eagle Creek" の手提げに、本やデジタルカメラと共に傘を入れる。

本郷三丁目から地下鉄大江戸線に20分と少し乗り、築地市場駅で降りる。捜し物があるため、場外の一角をほとんどくまなく2周ほどする。

浪除神社横の運河が、いつの間にか埋め立てられて、フェンスで囲われている。トーストとコーフィーの専門店だった 「さかえや」 は、まぐろ丼なども売り始めている。行列で有名なラーメンの 「井上」 は、隣の瀬戸物屋が置いた 「器屋の前に並ばないでください。必ず、そば屋さんの前に並んでください」 の看板と共に健在だ。

場内の 「豊ちゃん」 へ入る。

「カレーライスに目玉焼きを載せてください」
「あの、上にお載せしてよろしいんですか?」
「はい」

「キャベツも少し、お載せしましょうか?」
「そうですね」

「味噌汁、サーヴィスになりますが、お付けしますか?」
「お願いします」

オヤジの、けれん味のない言葉の丁寧さが心地よい。

「目玉のっけカレーキャベツ少し」 とでもいうようなものを、空きっ腹に運ぶ。隣では香港から来たというオバチャンが、カツライスを食べている。

腹も気持ちも満たされて晴海通りへ出ると、新橋へ行く 「業10」 のバスが、ちょうど発車するところだった。地下鉄銀座線の銀座駅まで歩く気力はない。タクシーを停め、新橋のゆりかもめ乗り場の近くまで行くよう頼む。

食品用機械の展示会をしている東京ビッグサイトへは、11時30分に着いた。取引先のブースを訪ね、かねてより探すよう頼んでいたものにつき情報を交換する。また、商品のパンフレットを受け取る。

同じ取引先に、あらかじめ見たいと伝えておいた会社の展示スペイスを案内してもらう。広い展示会を効率よく回るための、これは有効な手段だ。

遅い午後に日本橋まで戻り、高島屋にて少々の用を足す。それにしても、先週から地下の通路に展示してある "ETRO" のジャケットが、なんとも格好良い

遅い午後、強くなり始めた雨の中を上野広小路から歩き、甘木庵に帰る。2、3のメイルを書いて送り、少し休息する。

雨は少ないが、風が強く吹いている。夕刻、本郷三丁目からこんどは地下鉄丸の内線に乗り、銀座へ出る。帰宅を急ぐ人が、プラットフォームへ降りる階段を、ひとかたまりになって降りていく。

松屋銀座にて催されている 「白洲正子展」 を見る。数日前には大いににぎわったはずのこの展覧会だが、テレビの台風報道が行き渡っているせいか、観客は10人に満たなかった。お陰でゆっくり見て回ることができ、会場内に掲示された説明や年譜の、ほとんどすべての文字を読む。

8時も近くなるころ、松屋銀座を出る。売り場の店員が、所在なげに閉店時間を待っている。

中央通りは歩かず、路地を辿って晴海通りへ出る。「台風のため、閉店させていただきました」 との札を出す店も、ちらほら見える。

数寄屋橋へ向かう途中で、家内から電話が入る。

「いま、どこにいるの?」
「銀座」

「なにやってるのよ、早く帰りなさいよ、心配して電話をしてるのに、どうして出ないのよ?」
「白洲正子の展覧会を見ててさ、会場が、携帯電話禁止だったんだよ」

「雨、凄いでしょ? 戦後最大級の台風だってよ、こんなとき外を歩いてる馬鹿いないわよ」
「テレビは台風が楽しくて、はしゃぎすぎてんだろう。こっちは雨も降ってねぇぜ」

「とにかく帰りなさいよ、9時になったら甘木庵に、電話を入れて確かめるわよ」
「そういうわけにはいかねぇんだよ、メシ、まだだからさ」

旧電通通りの、見覚えのあるところからクランク型の路地へ入り、数寄屋通りから 「おぐ羅」 への階段を降りる。

「鍋前」 に2席の空きがある。オヤジがそこへ座るよう僕に合図をする。その直後に 「はい、おふたりさん」 との声が、どこからか上がる。僕は店の入り口を振り返り、鍋前という特等席を男女の二人組に譲るべく、オヤジに 「オレ、移動しようか?」 と訊く。オヤジは笑って 「大丈夫です、ガラガラですから」 と答える。

焼酎のオンザロックスとカツオのたたき、それにキヌカツギを頼む。酒と料理が整うまで、オヤジと軽く話をする。

「いま女房に、早く帰れと叱られましたよ。9時に帰れるわけねぇのに」
「今日は3件、キャンセルがありました。情報過多ですよねぇ」

「雨だって、ほとんど降ってないもんねぇ」
「損害賠償してもらいたいくらいです」

ぬたは本来、僕が苦手とするものだが、大トロを使った突き出しのこれは上出来だ。「したたかと 言われて久し 栗を剥く」 と詠んだのは、中曽根康弘だった。僕はただ落ち着いて、「やっぱりおぐ羅だよなぁ」 と、意味のないことをボンヤリ思いつつ、衣かつぎを剥く

カツオのたたきを食べ終えた皿に、オデンの豆腐が載せられる。クジラベーコンを追加する。子どものころは貧乏くさいと馬鹿にして口にしなかっピンク色の細片が、いまでは美味くて美味くて仕方がない。

ミディアムレアに揚げられたハマグリの天ぷら、莫久来(ばくらい)の後、フクロ、ダイコン、がんもの3種のオデンにて締める。

粒の大きな雨が、ときおりパラパラと落ちてくる。温かい風が、思い出したように吹いては去っていく。街には、滲むネオンと、それを映す濡れたアスファルトがあるばかりだ。道を往く人はほとんどいない。

ふたたび地下鉄に乗り、本郷三丁目へ戻る。バブル期の地上げに応じなかったラーメン屋 「ふな満ん」 の前に、大きな鉢が倒れている。街路樹からもぎ取られた太い枝が、逆さになってアパートの柵へ引っかかっている

10時前に甘木庵へ戻り、11時に就寝する。