きのう 「気温は上がってもぜいぜい20度というところではないか」 と書いたが丸山公園のテニスコートは日差しがきつく、日なたに居続けたらまたまた顔がどうにかなってしまいそうだと感じたため、11時すぎからはコートを見おろす芝生の上で、松の木陰にいる。
1時すぎに帰社するとお客様の入りはまずまずだった。4階へ上がってシャワーを浴び、今朝までの長袖のシャツから半袖のポロシャツに着替えて1階へ降りる、店舗前の日陰に温度計を置くと、ガラス管の赤いアルコールは24度のところで止まった。
夕刻、床屋へ行こうとしている次男を伴い国道121号線の横断歩道際に立つと、あたりには夏の香りが満ちている。今年の桜は妙な塩梅だったが、燕は昨年と同じく空を切り裂き盛んに飛んでいる。彼らはいつ、マレーや旧蘭印の方へ帰るのだろうか。
このところ4時台の起床が続いている。早く起きることに格別の苦労はない。もっとも取引先の、あるオヤジなどは夕刻6時ちょうどに酒を飲み始めて8時には寝てしまい、2時に起きてCDによる浪曲鑑賞、あるいはDVDによる漫談鑑賞、今の時期なら明るくなり始める4時30分に散歩へ出発するというから、僕などの及ぶところではない。
今月28日から来月6日までのいわゆる連休中は、普段よりも1時間長く、夕刻6時30分まで店を開けている。これは渋滞による顧客の到着遅延に配慮をしたものだが、今日はその6時30分を過ぎても客足が途切れず、暖簾をしまい格子戸を閉めたのは7時もちかくなってからのことだった。
明日は夏日になるという予報もあるがどうだろう、なによりこちらの海抜は400メートルだから、気温は上がってもぜいぜい20度というところではないか。
2時30分に目を覚まして 「絵具屋の女房」 を開く。丸谷才一のこの手の随筆集にしては、その前半部分を読む速度は上がらなかった。それが後半部分になるとにわかに面白さを増し、この面白さとは誰にでも共通のものではないだろうが、とにかくペイジがはかどってくる。
4時に本を閉じ、4時20分に事務室へ降りる。本酒会報のウェブペイジ版を作り、サーヴァーへ転送する。これのメイルマガジン版を会員へ送ろうとして時計を見ると5時20分だった。会員の中には、この本酒会報を携帯電話へ転送している人がいる。その人を週末の朝にたたき起こすようなことがあってはいけないと考え、もうすこし経ってから送信することにする。
いつもの週末と同じく次男を丸山公園のテニスコートへ送り、しかし10時前に帰社する。本日は 「結庵」 というおむすび屋を、現在の店舗内に入れ子のように開店する。その繁忙を、すこしでも手伝わなくてはいけない。「米にこだわり、水にこだわり、塩にこだわり、炊き方にこだわったおむすび」 は、10時の炊きあがりを前にして 「まだできないの?」 というお客様を複数お待たせすることになった。滑り出しはまずまずである。
おむすび用の米は土鍋で炊く。底に残ったおこげは売り物にならない。よってこれによるおむすびが昼時になって僕のところへとまわってくる。表面の固い、だから入念に咀嚼する必要のある、しかしなかなか美味いおこげのおむすびと、それを乗せた粗末な欠け茶碗を眺めるうち、何やら数百年前の雑兵にでもなった心地がしてくる。
終業後、売れたおむすびの数を家内に訊いて、その意外な多さに驚く。明日は更に売れるだろう。もっともその売上金額は微々たるものだが。
事務室でオヤジの着替えを手伝っている。オヤジがシャツを脱ぐと、肉の乗った上半身は肌の艶も良い。オヤジは何も言わずにただ立っている。そういう夢を見て目を覚まし、ずいぶんと時間が経ってから枕頭に置いた携帯電話を見ると、時刻はいまだ2時30分だった。床からきのうの朝日新聞朝刊を取り上げ、「昭和天皇最後の側近・卜部亮吾侍従日記」 に関わる部分を念入りに読む。
二度寝をして、またオヤジの夢を見る。同じ業界の人たちを案内しながら事務室の扉を開け、「今日の会議はウチですることにした、みんな来るから」 と伝えると、オヤジはいかにもウンザリした顔をして 「メンドクセェなぁ」 と言った。「メンドクセェ」 は、オヤジが盛んに使った言葉のひとつだ。
明日から天気は一時、崩れるという。しかし夕刻の空からは、その気配はうかがえなかった。
役所や郵便局や銀行に二度足を運ぶことが多い。ハンコや運転免許証を持参しないためにそのようなことが起きる。
役所でなにかの申請書を書く際、押捺欄があるからハンコを出そうとすると 「あ、そこは結構です」 と言われることがままある。だから次の機会に手ぶらで行くと、「こちらの書類には印鑑が必要なんですよねー」 なんてことになる。
身分証明書が必要になることを想定してパスポートを持参する。すると 「運転免許証か健康保険証はお持ちではないですか」 と訊かれ、「それじゃぁまた来ます」 ということもしょっちゅうある。「パスポートには官による所持者の現住所が記載されていないから身分証明書としては不完全なのか」 と考え健康保険証を検分すると、こちらにも所持者の現住所などは印刷されていない。
所持者の、現住所の記載はないが顔写真のあるパスポートは通用せず、現住所の記載も顔写真もない健康保険証の方が身分を証明するものとしては通用するのが日本の現実で、外務省とはそれほど信用のない役所なのだろうか。
だったらはじめから運転免許証を持参すれば良さそうなものだが、僕はむかしからこれをクルマに乗せたままとし、普段に携帯する習慣がないから、徒歩や自転車で役所や郵便局や銀行へ行く際には、ついその存在を忘れてしまうのだ。
「第167回本酒会」 の開かれる "Casa Lingo" へ、夜の7時30分に行く。
「本酒会」 では毎年1月から4月まで、「喜久水酒造」 の 「一時」 と 「山本合名」 の 「ど」 という2点の濁り酒を飲み続ける。僕以外の人は誰も言わないからしつこく繰り返すわけだが、「一時」 は宮中晩餐会の乾杯に使われても不思議ではないほどの優れたお酒で、シャンペンのように早く泡が消えない点においても宴会の儀礼用として適っている。
難点は抜栓時の暴発で、これを避けるには強烈な勢いで飛び出そうとする栓を強い力で押さえつけ、じわじわと時間をかけてなだめていかなくてはならないところだ。貼付の説明書には 「45分をかけて」 とあるが、本日はおよそ20分弱にて無事にその栓が開く。
「ど」 には数年前までは麹がそのままの形で混じり、飲むというよりは食べるお酒の感が強かった。しかし一般の好みに合わせたのだろう、今は米の粒は混じっていない。しかし濃度の高さは相変わらずで、飲む前には上澄みと沈殿物とを慎重に混ぜる必要がある。
"Casa Lingo" は日光市今市地区の旧市街から離れているため、ここで 「本酒会」 を開くと出席者が少なくなる。しかしイタリアのメシと日本酒の相性は至極良い。会員はタクシーを使ってでも来るべきである。本日は、カラスミの冷たいソブラカペリーニが美味くてもったいなくて、一気に食べることができない。「忠勇酒造」 の夢幻大吟醸を飲みながら、これを少しずつ口へ運ぶ。
たっぷりと飲んだ濁り酒2点により酩酊し、イチモトケンイチ本酒会長の奥さんが運転するクルマにて帰宅する。
家内が友人たちと花見をするというが薄ら寒い天気にて、自宅では使わなくなった電気ストーブを隠居に運ぶ。ここの庭にはソメイヨシノ、しだれ、山桜と3本の桜がある。しかし今年は花より団子を決め込むしか方図はないだろう、まぁまぁのしだれに比して、昨年はその花吹雪がご近所の迷惑になってはいけないと必死で掃除をしたソメイヨシノはいくらも花をつけず、山桜に至ってはただ一輪の花もない。
桜の咲かない春とは、齢50にして初めて経験することのような気がする。僕が子供のころ、出っ歯を 「山桜」 にたとえた人がいた。その心は 「鼻よりも歯が先に出る」 からだそうで、ということはウチの山桜も、新緑の葉が出そろったところで花が咲くのだろうか。いやしかし、この大木を見上げる限りそのような気配は毛頭ない。
そのうち太陽が西から昇るようなことになりはしないかと、僕はひとりで心配をしている。もっともガンディーのような生活をしているわけではないから、そう偉そうなことも言えないわけだが。
朝飯に塩のおむすびを8個も食べたら、昼になっても腹が減らない。メシは腹の減ったときに食べ、睡眠は眠くなったときにとるのが自然でからだには良いという話がある。ところが普通の社会においては、腹が減っていなくても時間が来れば食事をし、眠くないからといって夜通し遊んでいれば翌日に差し障るから、これまた時間が来れば無理にでも眠ろうとする。
本日の昼飯はカツ丼だった。きのう 「あづま」 で次男が食べきれずに残した、脂のコッテリと乗ったロースカツによるカツ丼は僕の大好物で、減っていない腹にもスルリと収まった。
昼飯を終えてすぐに 「晩には空豆とペンネのサラダが食いてぇな、ワインは何にしよう」 と考える。そう考えたものの実際の晩飯は日本の酒に合うものだった。軽く塩をして天日に干したノドグロも美味かったけれど、あしたは辛口の白ワインを飲みたく思う。そのメシの後にはカヌレを肴にウイスキーを飲むのだ。
と、食後のことまで勝手に決めて、しかし実際の晩飯が自分の思い通りになるとは限らない。
このところ早く目が覚める。否、早く目が覚めるのは常のことだが、これまでよりも早く起きるようになった。今朝も4時30分に起床して事務室へ降り、あれやこれやする。
次男とホンダフィットに乗り、9時前に所野運動公園へ行く。野球の大会があるらしく、駐車場は満杯だった。次男だけを降ろして自分でテニスコートへ行くよう言い、あたりを10分ほど周回するうちようやく場所を見付けてクルマを停める。霞ヶ浦から来たティームとの練習試合を観戦し、12時に昼飯を食べ終えるとサイトートシコさんが来たため、交代して12時30分に帰社する。
早くに晩飯を食って春日町1丁目臨時総会の席へ駆けつけようと考え、終業後に豚かつの 「あづま」 へ行くと、大繁盛にて早メシの目論見が外れる。下手な考え休むに似たり。串カツを食べもちろん飲酒は為さず、定刻より10分遅れて公民館へ行くと、玄関には刺身と出前の鮨があったから 「シマッタ、今夜はメシ付きだったか」 と気づいても遅い。
総会の後に鮪の刺身を2枚と鮨数個を食べ、ヤカンで燗をつけた日本酒はあったが冷たいお茶を飲む。8時30分に席を立ちゴミをまとめ食器を洗い、ぬれぶきんにて机を拭く。靴を履いて外へ出ると、先ほどまでの雨は上がってあたりには苔の香りが満ちていた。
マンガ専門古書店の奥にある "Bondy" できのう昼飯を食べながら、日記とは畢竟、同じことの繰り返しだ、ウェブ日記の続かなくなった人は要するに、以前に書いたことをまた書くことに耐えられなくなったのだ、という意味のことを聞いた。漱石の 「硝子戸の中」 をもういちど読んでみようか、しかし僕のは秋田の古本屋で買った半世紀以上も前のもので、その文字はひどく見づらい。
丸山公園のテニスコートに次男を送り、とここまで書いてこの一節はあしたも繰り返し書くことになるんだろうなと思う。そのテニスコートを10分かそこらで抜け出し、きのう電話をくれた人の事務所へ行ったり、あるいは帰社して仕事をしたりする。10時30分にふたたびテニスコートへ行き、12時すぎまで球拾いをする。
晩飯の卓には大きな鉢にメバルが2尾、煮られてあった。今夜はオフクロも長男もいないから競争相手はいない。ふたつの頭を胸元のところから折り取り自分のものにする。そしてトロリとした大振りの肝臓、スポイトのゴムのような形のコリコリの胃袋、その中のすこし苦いドロドロの液体、ザラザラした襞が幾重にも重なったエラ、プルプルした目玉などすべてを食べ尽くし、骨はチューチューと吸う。口のまわりはコラーゲンのようなものでベトベトになった。
目を覚ますと素っ裸だった。きのうの帰宅後、風呂の湯は満たすかあるいはシャワーにするかと長男に訊かれ、湯を溜めるよう頼んだまでは覚えているが、その後の記憶がない。風呂場へ行ってみると、湯船に僕の歯ブラシが浮いている。
5時50分に起きてきた長男に確かめると、僕は長男よりも先に風呂へ入ったという。使用後は消すことになっている電気温水器のスイッチが今朝まで入りっぱなしだったことについて訊くと、そのあたりについては自分もアヤフヤだという。
牛肉と牛蒡と人参のきんぴら風、トマトと共に焼いた卵、メシ、茄子と長葱の味噌汁による
神保町の "Computer Lib" では脳が酸素欠乏を起こすほど頭を使い、いや、この酸欠は二日酔いによるものだろう、キーボードを打つ指も、まるで病み上がりの老人のようにおぼつかない。そういう自身の状況に対して仕事は山ほどあるから要所要所で砂糖入りのコーヒーを飲む。昼食をはさんで4時過ぎまで休みなく働き、大手町、北千住と移動して下り特急スペーシアに乗る。
毎度言うのもはばかられるが、晩飯に食う米のメシが本当に美味い。それをこれまた倦むことなく食卓の人たちに伝え、「言うまいと思えど今朝の暑さかな」 という英語がらみのつまらない洒落を思い出す。「上出来の米のメシは明らかに酒より美味い」 とは僕と長男に共通する認識だが、それでもメシを食わず酒を飲む日が多いとは、酒の持つ不思議のひとつである。
朝はやく事務室にいるときには、クルマの水を切って走る音が外から聞こえていた。そのため天気は雨と思い込んでいたが、7時前にシャッターを上げると、濡れた地面には朝日が射している。4月に入ってから馬鹿に雨の多いようだが、そろそろ上がっても良いころではないか。
4階へ戻って洗面所の窓を開けると、標高400メートルの我が町に降った雨が、数キロ北の山では見事な雪になっている。「雪だみぞれだというのも、この春に限って言えばきのうでお終いではないだろうか」 と書いたのは今月5日のことだった。金精峠の開通はあしたの予定だそうだが、それがこの雪により覆されたりして。
夕刻より新橋に出て、待ち合わせた長男とメシを食う。烏森神社の参道と直角に交わる路地で我々がなにを食べたかといえば、生き物を食べた。より具体的にいえば生き物の血を食べた。これは褒め言葉である。銀座まで歩いて2軒目をこなし、丸の内線にて甘木庵へ帰る。
目覚めてどれほどそのまま横になっていたかは知らないが、新しい仕事のことを考えるにつけ気が急いて、4時30分に起床する。事務室へ降りてコンピュータとペンと計算器を使ううち、
数ヶ月前に興味を覚えてブックマークしたものの何かの拍子に消してしまい、しかしこのところ必要になった、あるウェブサイトを始業前に探す。記憶しているキーワードはごくわずかにて、これはまさしく浜の真砂から1粒の真珠を探すような行為と思われたがそこは "google" のこと、10分後には無事に目的を果たしてキーボードの "CTRL" と "D" を強く押す。
電話をかけて誰も出ず、「要至急連絡」 とファクシミリを送るとそれも入らない取引先がある。あるいは先週末にウェブショップへ発注し、自動返信メイルはあったものの、そこに記載の 「24時間内に受注確定のメールを配信させていただきます」 の、そのメイルが96時間を経過しても届かない店に 「一体どうした?」 のファクシミリを送る。だれも彼も、南の国で "extravaganza" の日々を送っているのだろうか。
晩飯の際、自分の皿のスパゲティを見てとても食べきれないと感じた次男が僕にその3分の1ほどをよこした。サラダを肴にワインを飲んでいた僕はいきなり増えたスパゲティにはじめは喜んだが、食べ進むうちさすがに腹がきつくなってくる。ようやくこれを片付け、しかし先日、大量に作ったビーフシチューの最後のところを小鉢に盛ったものに手をつけたところで満腹となる。
これを平らげることを遂に断念して 「残りは明日の朝に食べるよ」 と言うと 「朝からシチュー、食べるの? 夜にしたら?」 と家内が返すので 「唾液の付いたフォークを突っ込んじゃったからな、口の中はバイキンだらけだぜ、早いウチに食っちゃった方が良いんだ」 と答えた。
すると既にして食事を終えコロコロコミックを読んでいた次男がペイジからは目を離さないまま 「そういえばヨッチがね、ケツの穴より口の方が汚いって言ってたよ」 と合いの手を入れたから 「ということは、ケツの穴を舐めるよりキスした方が汚ねぇってことか」 と話をより具体的なところへ持っていくと、次男はこともなげに 「そうだよ」 と言った。
人が眠っているあいだに口の中で増殖する細菌の数は、目覚めたときには口がアングリ開いてしまうほど多い。しかし実際には、口から細菌があふれ出てくることはない。それは増殖した細菌が次々に死んでいくからだ、というようなことを高等学校のとき、生物のオカヤマ先生から聞いた覚えがある。
というわけでシチューの残りは明晩ではなく、やはり明朝に食べることとする。
隠居にある3本の桜が居間の窓から見える。既にして咲いているのはソメイヨシノで、しかし例年にくらべれば花の数がどうも少ないように思われる。しだれと山桜については一分咲きにも達していないが、こちらについてはどうなるだろうか。きのうテニスコートからの帰りに "UNIQLO" へ寄り、その際に見た大谷川沿い赤間々の土手にあった桜は見事に咲いていた。あと50年は保つと専門家の言ったウチのソメイヨシノが、あるいは年をとりすぎているのかも知れない。
「さくら祭」 と呼ばれる瀧尾神社春の例大祭を無事に終えたことから、春日町1丁目公民館に役員が集まり、夜の7時より直会が始まる。町内の 「明治屋」 で鮪の刺身を買い、鮨は出前を頼み、酒はお祭りに上がった一升瓶をヤカンで燗付けし、というまこと上品な飲み会に、タケダミッちゃんが漬物や果物を差し入れてくれる。
下戸ふたりを除いた7人が2升のお酒を飲んだから、ひとりあたりの平均酒量は3合弱で、僕もそのくらいは飲んだのだろうか。汗ばむほどだった土曜日の陽気が一転して今日はとても寒い。公民館にはストーブが点けられていた。
次男のテニスの練習のため、8時30分に家を出て所野運動公園へ行く。しばらく球拾いをしていたが、テニスクラブにおける僕の今年の係は書類のコピーにて、今月と来月にある試合についてのそれを頼まれて一旦、帰社する。
事務室にいると、遠くからお囃子の音が近づいてくる。それに連れて目の前の国道121号線が見る間に渋滞していく。外では今しも、瀧尾神社を出発した春日町2丁目の屋台が日光街道から鬼怒川方面へと折れていくところだった。当番町の春日町2丁目は休む間もなく、7月の大御輿巡行および八坂祭への準備を始めることになるだろう。
午後1時にテニスの練習を終えて次男と昼飯を食べ、帰宅してシャワーを浴びるとしばらくソファでうたた寝をしてしまう。「これではイカン」 と着替えてエレベーターを降り、仕事に復帰する。
普段はほとんど飲まないビールを今夜はなぜか飲みたく思う。しかし月の初めから中日までのあいだにはノルマで4回の断酒をしていなくてはならない。というわけで本日を今月4回目の断酒日とし、ビールに見立てた冷たいお茶をやたらに飲む。
きのうが宵祭りだったから、かきだれ、かきだれとは関東北部の方言らしいがしめ縄に下げる幣束については、きのうの朝に付けるべきだったかも知れない。ただし雨風にちぎれることを懸念し、本日の開店直前にようやくこれと提灯を飾る。空は晴れた。
先月、瀧尾神社の責任役員を拝命した。そのため朝から黒いスーツを着て神社へ行く。日光街道の杉並木の3分の2ほどの高さはあるからよほど巨大な幟は鉄舟山岡鉄太郎の書を写したもので、しかし何が書いてあるかは浅学にして知らない。「役員ならこのくらいは読めなきゃなぁ」 と思う。
神官が社の扉を開け神饌を上げ、祝詞を奏上し、参加者は玉串奉奠をし、神官が今度は神饌を下げ、社の扉を閉めと、そういう儀式の最中には正座した脚が痛く、畳に手をついてダンゴムシのように背中を丸めている。その姿を神官のひとりにして同級生のセトグチタカシ君は見ていたのだろう、30分後に靴を履いてホッとしているところに来て 「ああいうときはあぐらをかいてていいんだよ」 と言ってくれる。
旧市街の巡行に出かける渡御行列を参道にて見送り、役員や来賓は早くも社務所で直会ということになるが、春日町1丁目の会所で仕事のある僕はお清め1杯をいただいたのみにて神社を去る。
正午、その会所で町内長老と共に豚かつの弁当を食べ、ビールを飲む。まるで5月の高原にいるような真昼に、冷えた缶ビールはずいぶんと良く似合った。
現在の店舗は30年前に建った。その店舗と同じ屋根の下にある事務室で、いま僕が座っている背後には、やはり30年近くも窓を隠して床から天井までの本棚があった。出入りの柴田鉄工のオヤジさんによれば、ある晩、この窓から事務室の中をのぞき見ている男がいたことから僕のオヤジが気味悪がって、ここに本棚をはめ込んだという。
昨秋に計画してことし3月から事務室の改修を進め、その一環としてこの本棚を外したところ、部屋はずいぶんと明るくなった。しかし窓ガラスには30年分の汚れが染みつき、しかもその外側には鉄格子があるから洗うこともできない。そこでサッシ屋さんにこの窓を外してもらい、販売係のサイトウシンイチ君に水洗いをしてもらい、ふたたびサッシ屋さんに頼んでこれを入れてもらうと、外の坪庭は俄然その鮮やかさを際だたせて僕の気持ちはスッキリとした。
夏の夕方にはこの窓を開け、蚊取り線香を焚き、ジンアンドトニックを飲んだらずいぶん美味かろうと思う。
終業後、会社にひとり残ってあれこれしているところにお囃子の音が聞こえてくる。外へ出てみると、我が春日町1丁目の次の当番町・春日町2丁目の屋台が日光街道をゆっくりと遡上していくところだった。瀧尾神社の春の例大祭は明後日まで続く。日曜日の夜までは晴れの続くことを祈る。「祈る」 とはいえ別段、神仏に祈るわけではないが。
「グアム帰りの人間よりも黒いとはどういうことか」 と、僕の顔について会社の誰かが言ったらしい。4月上旬のテニスコートに22時間いただけで、しかもその半分は曇り空だったというのに春の紫外線は意外と強いものと思われる。
これまでで顔やからだがもっとも日焼けをしたのはスリランカのウナワトゥナ村に1週間、マルディヴのグライドゥー島に1週間と、あちらこちらを転々としながら海岸で寝ていた1982年のことで、あのときは椰子の葉陰にいることも多かったから、皮膚が剥けることはなかった。
山開き前の富士山に登った15歳の初夏には、9合目より上に残る雪に皮膚の露出部分が一気に焼けただれた。経験した者でなければ、あの辛さはとうてい理解できないだろう。下山して須走口から御殿場駅までの15キロを歩きながら、脚の疲れよりも顔をわざとしかめて確認するヒリヒリ感に神経が苛立った。
顔は夏の子供のように焼け、しかしいくつかの指先にはいまだ深いアカギレがある。いまの自分のからだには、異なる季節が並行して居座っている。
「宋の時代の天目茶碗を海から引き揚げて、それが2客で5万円ってんだけどどうかな」 と花見小路の公衆電話の受話器に声を送り込むと、電話線の先500キロにいるオヤジは笑って、この笑ってには幾分の 「嗤って」 も含まれてはいたが、「欲しいと思えば買ったら良い」 と言った。
帰宅後にこの茶碗でお茶を喫し、その使い勝手の悪さに辟易した。むかしの人はこれを、拙い技術によりこのようなものしか作れない自国の文化を恨みながら仕方なく用いていたのではないか。数年後、この2客の黒い茶碗の一方は縁が欠けたから金継ぎをした。
先月、新しいパンフレットのための写真撮影があった。ウチの商品中もっとも売れる 「らっきょう」 を、この茶碗に盛ってみた。完品の方ではなく、金継ぎをした、つまりつぎ当てのある方を選んで盛った。好きな器の金継ぎ部分とは、ビヨンセ・ノウルズの笑った口の奥に見える虫歯の修理痕のようなもので、これを英語でいえば "charm" ということになる。
パンフレットの写真には写っていないが、この茶碗の底には貝や珊瑚虫のようなものがいくつも貼りついている。つまり 「海揚」 においては本当だろう。それでは 「宋」 についてはどうか。欲しくて買ったものなのだから、まぁ、このあたりについてはどうでも良い。
9時に寝てしまうから普段は見ることのない 「開運なんでも鑑定団」 が、入浴後にグズグズしていると居間のテレビで始まっている。
趣味が高じて今や50人の生徒を持つ陶芸教室の先生がひとり目の依頼者で、中国を旅行中、結婚資金の足しにしたいという現地の人から宋代の白磁瓶を買ったという。ここまで聞いて僕は思わず 「いかにも危ねぇ話だ」 と漏らしたが、本人評価額の1千万円に対し、鑑定額は 「贋作」 との理由から1万円だった。
「北京オリンピックを控えて中国の財政は逼迫しています。そのため中国は現在、国の宝をどんどん海外に放出しています。これらは大変に良い物ばかりですので、どうぞ皆さんのお家で大切になさってください」 というような売り文句に惹かれ、上海のおみやげ屋に大枚を落としてきたのが僕のオフクロである。1ヶ月後に船便で届いた木箱を開けると予想した通り、中身はガラクタばかりだった。
「愛新覚羅」 「毓鶴」 を "google" に入れてみると、面白い話がいくつも出てくる。溥儀の甥にして人間国宝級の書家というふれこみの老人が、もっともらしい執事を従え故宮ちかくで書の実演販売をしている。そしてその一幅に数十万円を投じる日本人は後を絶たない。
人はどうしてそう騙されるのかと不思議に思うが 「自分だけは大丈夫」 と自信満々の人こそ危ないという。僕は6月に中国へ行く。「歴代皇帝の秘蔵してきた至高の豆板醤が、今なら1キロたったの100万円」 なんてのにコロリとやられたりして。もっともそんなお金もないけれど。
2週間か3週間にいちど訪ねる病院には朝昼晩と日に3度の血圧を記録するよう言われているが、昼はメシを食ってすぐに活字を読み始めるからそのようなことは忘れてしまい、夜は眠くてこれまた血圧計には目が行かない。辛うじて朝のみベッドに寝たまま血圧を計り、これをメモにする。
メモ用紙の裏表が一杯になったらこれを事務室へ持参して、その内容をコンピュータに入れる。僕にはその数値の安定よりもむしろ備考欄の 「断酒」 の文字が嬉しく、今月は8日にして既に3回の断酒を達成したから、ノルマに対する余裕は綽々である。
午後、店舗駐車場からホンダフィットで国道121号線に出ようとして、しかし赤信号で停車したクルマのうち1台が、信号が青に変わっても発進しない。見ると運転者はタバコに火を点けることに集中するあまり、自分の直前にいたクルマがいまや遠く去ってしまったことに気づかない。
原動機付き自転車に乗り、水たまりに差しかかったところでステップから足を上げたらそれを警察官に見とがめられ、安全運転義務違反の切符を切られた同級生がいる。その程度のことで叱られるなら、クルマを運転しながらの喫煙も同じく違反として取り締まるべきではないか。
そしてよしんばそういう法律ができたとしても、年に4本の葉巻しか吸わない僕に、困ることは何もないのである。
多分、3時前から目は醒ましていたものと思われる。しばらくして、きのう寝る前に用意した携帯用読書灯に手を伸ばし、これを点けて 「絵具屋の女房」 を読む。雨の音はしない。
5時に起床して身の回りの片づけをする。昨夜のシャワーは、ヒラノ君のお父さんが髪を洗い始めた途端、やはり水になったという。5時15分にふたりの子供を起こす。15分後にちかくのコテイジへ集合して遊歩道を一周し、メイン棟へ行く。子供たちに
7時30分には参加者全員がテニスコートに出て、やがて準備運動が始まる。休んだり昼食を食べたりする場所はアライ君のお父さんが今朝4時に起き、フォールディングテイブルなどを並べて確保してくれた。
次男は第1試合においてファイナルセットまで行く展開もあったがこれを落とし、2試合目も負けたから、残りの時間は審判をしたり、あるいは同じクラブの、いまだ勝ち続けるペアの見学をする。そして今日もテニスコートには11時間の滞在をした。
既にして日の落ちた6時30分、バスはようやく山の上の駐車場を出た。咲き始めた桜をすかして眼下には秩父市の明かりが一面に広がり、知らない国の知らない飛行場へ向けて降りていくような気分になる。
東北道佐野パーキングエリアで晩飯を食べたのが9時30分、そして今市小学校へ着いたのが10時30分。バスから三菱シャリオに荷物を積み替え、帰宅してすぐに入浴する。次男は即、僕は0時すこし前に就寝する。
目は既にして醒ましていた。枕頭に置いた電波式腕時計で3時を確認してから起床する。次男を3時30分に起こす。家内の作ったおむすびなどを持ち、3時50分に家を出る。今市ソフトテニスクラブの借り切ったバスが今市小学校を出発したのは4時11分だった。
バスは東北道のどこかから一般道路へ降りたが、僕はクルマで遠くへ行くことをしないから、どこをどう走っているのかは見当もつかない。道の駅で休憩をしたり、あるいはコンビニエンスストアで買物をしながら7時すぎに 「秩父ミューズパーク・スポーツの森」 に到着する。
「ルーセント杯全国選抜小学生ソフトテニス大会」 は、次男がことし経験する大会の中ではもっとも大きなものになるだろう。クレイコートが50面、ハードコートが6面という広大なテニスコートに11時間ちかくいて夕刻6時すぎにコテイジへ入る。
天井を見上げて 「ここは日光プリンスホテルのコテイジと同じだなぁ」 と言うとヒラノ君のお父さんが 「そうですか、ここも西武系ですからね」 と答えつつ缶ビールを手渡してくれたから、これを有り難く飲む。頭皮に鈍い痛みがあって、はじめは不思議に感じていたが、そのうち昨夏のプール遊びの情景が浮かび、「そうか、ハゲ頭が直射日光に焼かれたのか」 と、ようやくその原因に思い至る。
午後から降り始めた雨の中を、メイン棟での夕食を終えた子供達とコテイジへ帰ったのは8時ごろのことだっただろうか、しばらく後に、明日の打ち合わせの行われる大人専用のコテイジへ行く。話し合いの後は7、8人のお父さん方と飲酒を為し、10時すぎに解散する。
9時にいったん様子を見に戻った際、ウワサワ君がシャワーを浴びたら1分たらずで水になったから自分は浴びなかったと言うヒラノ君のために水温の設定を上げてあげたら、それでもやはり1分で水になってヒラノ君は叫びながらシャワー室から出てきた。そのため僕はクレイコートのホコリに晒されたからだのままパジャマを着てベッドに入る。
本は読まず、ヒラノ君のお父さんが 「じゃ、私も試しに浴びてみます」 とシャワー室へ消えた直後に眠りに落ちる。
10時前に帰社して "RICOH GRD" の中身をコンピュータへ移すと、きのう上野広小路から甘木庵までのあいだに撮った画像は77枚にも上っていた。中にはいつどこで撮ったか不明の数葉もあり、そういうものに限って良かったりするから何が何だか分からない。
終業後に鰻の 「魚登久」 へ社員たちと集まる。新入社員サカヌシノリアキ君の歓迎、および包装係アオキマチコさんの勤続30年のお祝いをする。この店のメシの盛り方は上品で、しかし蒲焼きが2段になった特上はギョッとするくらい大きくて食べられない。よって僕は 「上」 のメシのみを大盛りにしてもらった。若い社員は特上でもいけるだろうが、こちらはコストの関係上、僕と同じく 「上」 のメシのみ大盛りにする。なお、鰻の食べられない数人にはステーキ丼が行き渡る。
帰途、歩道から隠居の桜を見上げると、つぼみはいくらか紅くなったもののいまだ固く、すくなくとも数日以内に咲く気配はなかった。
きのうのみぞれはウチから数キロ北では雪だった模様にて、洗面所の窓を開けると霧降高原より上が冬景色に逆戻りしている。しかしまぁ、雪だみぞれだというのも、この春に限って言えばきのうでお終いではないだろうか。
午後、大手町まで出て用を足す。そこから歩いて東京駅北側のガードをくぐり、日本橋でも用を足す。用を足すとはいえ別段、小便をしているわけではない。日本橋からはタクシーで銀座へ移動し、2軒をこなす。ここから甘木庵への最良の移動方法は丸の内線によるが、あえて銀座線に乗る。
上野広小路から写真を撮りつつ湯島を経由して本郷の丘を登っていく。きのうとは打って変わって今日の気温は低くなく、上半身にはコートも含めて2枚しか着ていないが寒さは感じない。
甘木庵で風呂の湯を満たしたところに長男が帰着する。冷たいお茶はなかったから牛乳を飲んで何時に寝たかは記憶にない。
午前、長男と次男との3人で介護老人保健施設 「森の家」 へ行き、97歳のおばあちゃんに面会をする。おばあちゃんは大きなプリンを食べクッキー2枚を食べ、梅干1個を食べてお茶を飲んだ。おばあちゃんからすれば僕の長男や次男は曾孫になるが、その曾孫に子供が生まれるまでおばあちゃんには元気で長生きをして欲しい。
暖冬を引き継いでの春だがきのう今日と馬鹿に寒い。そう感じていたところ、午後も遅くなってから突然、みぞれが盛んに降って数十分後に止む。ブラウザにあらわれたニュースによれば、同じころ東京では雪が降ったという。4月の雪で思い出すのは僕が中学校に入った年のことで、あのときには満開の桜に雪が積もり、その重さに折れる枝もあった。
今週の後半は飲み続けになるため、まことに酒に合いそうな晩飯にもかかわらず、これにてメシを食べる。もっとも酒に合うものは大抵、メシにも合うものである。
酒を伴わないメシはすぐに終わってしまう。僕の左手にいて同じおかずを酒肴とし、生の芋焼酎を飲んでいる長男に 「まことに情けないことだけれど、酒を抜くとなにやら達成感があるな」 と言う。月に8回の断酒を敢行しての達成感とはまた、1日に100本吸っていた煙草を70本に減らした人の達成感と同じく、他人にしてみれば鼻で嗤うたぐいのことだろう。
篠山紀信の 「晴れた日」 と荒木経惟の 「食事」 がYahoo!オークションに出品されると、それを報せるメイルが当方に届く。「晴れた日」 は美品であれば10万円ちかくにもなる写真集だが、今回はそう状態の良くないものだったため、昨夜11時38分に24,000円で落札されていた。この値段なら僕にも買うことはできた。しかし惜しいかなYahoo!オークションの入札終了時間はほとんどが夜10時や11時だから、当方は既にして寝ている。
「食事」 はいつも3万円ほどまでは値が上がるがいつかは1万円で落札されていて、しかしそのときにも僕は眠っていた。こうして僕が、手に入れたい品物を逃すことは多い。もっとも 「ホントに欲しけりゃ徹夜してでも落札するだろうが」 と言われれば、それはその通りである。
春休みで長男が帰宅したため、その長男がおととしの夏休みにソウルで買い、ワイン蔵へ入れっぱなしで1年と8ヶ月が経過した、とうに賞味期限の切れたマッコリを開栓する。
長男は蕎麦屋では盛り蕎麦しか食べない。そういう基本線の好きな人間が、2005年の夏にはどう考えがぶれたものか、このマッコリは朝鮮人参エキス入りということだから、そもそも最初からそう美味いものではなかったのだろう。それが、冷蔵庫にくらべればずいぶんと温度の高いワイン蔵で長く放置されてその不味さを際だたせ、これはまるで出来の悪いシードルと同じである。
そのまったく美味くないマッコリは1時間後、僕と長男が500CCずつ飲んで無事に空になった。瓶を振って暴発させてもいけないと丁重に扱ったが、それが災いして飲み始めはレモンジュースのように薄く、しかし残り3分の2を過ぎてからは泥のように濃くなった。
食後、口直しに "Jose Cuervo Clasico" を生で飲む。不味いテキーラで不味いマッコリの記憶を消す、という作戦である。
日記以外の、毎月1日に更新するペイジについてはその作成に苦労することもあるが、今月分の "WORKS" は 「続物語ソウル」 として3月はじめにはできていた。だから気楽にしていたところ気楽が過ぎて、サーヴァーへ転送するだけになっていたそれを、きのうは更新し忘れた。
「今年ももう4月だということが、感覚としてどうにも納得しがたい」 と、きのうの日記に書いた。"WORKS" の更新も、そのようなわけで頭からすっかり抜け落ちていたのだろう。
7時もちかくなって飲み屋の 「和光」 へ行く。僕の好きな、カウンター左端の席は今しがた帰った人のものらしい空いた食器や灰皿があるばかりだったから 「良かった」 と思う。ただしそこへ座ると右隣には、1週間に4日の割でこの店に来るアキモッチャンがいる。ジェイムス・ジョイスの博識ぶりを、丸谷才一がこれまた自身の博識ぶりを散りばめつつ述べている 「絵具屋の女房」 の20ペイジ目は、そういうわけでまったくはかどらない。
「春は悩みの季節だ、その原因は、心と体が乖離してしまうところにある」 という意味のことを、酔いにより曖昧になった口調でアキモッチャンが言う。僕の 「感覚としてどうにも納得しがたい4月」 も、そのちなみは同じところにあるのかも知れない。
テニスクラブの練習のため次男を丸山公園へ送り、当方もコートへ入って球拾いをする。寒さに耐えかねウインドブレイカーを取りに帰ったきのうとはうらはらに今日はどうにも蒸し暑く、だからセーターを脱ぐがそれでも凌ぎがたい。遂に帰宅して素肌にTシャツを着る。テニスコートに戻って12時まで練習風景を見る。
午後、事務机右手に立てかけたカレンダーの3月をめくって4月を出す。今年ももう4月だということが、感覚としてどうにも納得しがたい。しかし昨年の初冬から1週間交代で着ている2枚のシンチラセーターは、そろそろ冬物の箱へ仕舞うべきだ。研究開発型企業の難点は優れた製品でも次々と生産ラインから外すことで、この "Patagonia" のセーターも、なじみ難いハイテックなデザインのものに、来年は買い換えなくてはならないかも知れない。
テニスクラブの総会のため、夕刻5時20分に 「今市コミュニティセンター」 へ行く。9時10分に話し合いを終え、小雨の中を帰宅する。普段にはないことだが、晩飯の後11時30分までテレビを見る。何を見たかは翌朝には覚えていない。