目が覚めると6時だった。ダイニングキッチンへ行き、熱いお茶を飲む。家内に問われるまま 「浅草発7:30の始発に乗るには、朝食を取る時間も含めて、玄関を6時30分には出る必要がある」 と答えると、「だったら8:00発のにする」 との声が戻る。
コンピュータを起動する。きのうの画像をSDより取り込み、メイラーを回して電話線からメイルを取り込む。
7時すこし前に甘木庵を出る。岩崎の屋敷裏から切り通し坂の途中へ抜ける。白梅のみの湯島天神の梅は、遠目にはまるでポップコーンのように見えて、だから別段、そう美しいものではない。
春日通りは天神下から繁華街に入って、そうすると急に、それまでは清潔だった歩道に、いきなり食べ残しや紙くずが散乱し始める。これは、膨大な数の飲食店の出すゴミ袋を、早朝からカラスが突っつき回すためで、まぁ、東京の盛り場ではどこでも見ることのできる風景だ。
僕は、ハツカネズミが輪の中を走るような、働いても働いても前へ進まないような不合理な行為が好きではない。
飲食店が雇った清掃人たちは毎朝、これらの残飯を片づけ、地面にこびりついて乾きつつある臭い汁をデッキブラシで洗い流し、そして20数時間を経ると、また同じ行為を繰り返す。
カラスによって荒らされないポリバケツでのゴミ出しが、どうして許可されないのだろう? この、賽の河原に石を積むような朝の光景と、上野公園に浮浪者たちが作り上げたブルーシートの集落は、東京で僕が見ることのできるふたつの大きな不思議だ。
地下鉄銀座線で浅草に着いてみるといまだ7時22分で、家内は東武鉄道の電光掲示板を見上げて 「7時30分に乗れるじゃない」 と言う。僕は炊きたてのメシとベイコンエッグスと熱い味噌汁を諦め、キヨスクにて3個のおにぎりと温かいお茶を買う。
9時すぎに帰社すると、販売係のオオシマヒサコさんが 「ケンモクさんが一昨日の夜から8度の熱で大変なんだよ。きのうは病院で点滴したらしいけど」 と、店舗と事務室を繋ぐドアを開けて言う。
高島屋へ出張した前半組では、実はクロサワセイコさんが最終日の午後から体調を崩して職場を離れ、涙目で帰宅した経緯があった。病名は急性胃腸炎だった。クロサワさんと同じ前半組のケンモクさんがここへきて発熱し、また本日、出勤はしているが、ハセガワタツヤ君も微熱があるという。
ケンモクマリさんには数日後に控えたサイパンへの社員旅行において、ぜひグラム単位ではなくポンド単位で肉を食べて欲しい。家内が本人に電話をして病状を訊き、僕は親戚の関根耳鼻科へ電話をして、休日の無理な診察を依頼する。
ホンダフィットにてケンモク母子を先導し案内した関根耳鼻科のセキネケイイチ医師の診断は、こちらもやはり急性胃腸炎とのことだった。ケンモクさんは今日も点滴を受けた。
クロサワセイコさんは、既にして回復をしている。ハセガワタツヤ君には 「あしたも熱が下がらなかったら、関根耳鼻科に頼んで強烈な注射をしてもらう」 と伝える。ハセガワ君が、急に怯えた顔をする。「別に、背骨に打つわけじゃぁねぇんだから」 と、僕はニヤニヤ笑う。
それにしても僕は今回、8泊9日の出張をし、10代から20代の社員よりも長い労働時間、社員の3分の2の睡眠時間、服のまま眠ってしまうような酒量を連日こなしてなお、元気でいる。家内は家内で会期中は今市と東京を3度も往復し、給与計算などの仕事をして元気でいる。「みんな、ちょっとばかし軟弱じゃねぇか?」 と思う。
燈刻、メンタイコ、ウズラ豆、カキの佃煮にて、焼酎 「燃ゆる想ひ」 を飲む。出汁を張りタシロケンボウんちのお徳用湯波を煮た鍋に、豚肉とミズナを投入する。そしてそれらを豆板醤にて食べる。
僕はテレビはほとんど見ないが、今夜はNHKの大河ドラマ 「新選組!」 に、20分ほどつきあう。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。
朝5時30分に起床する。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、昨夜の鍋の牛肉にホウレンソウを加え卵とじにしたものを載せた丼、アサリとミツバの味噌汁。
バンコックの中華街にある楽宮旅社1階の北京飯店で煮貝を注文すると、見た目は赤貝、大きさはアサリほどの貝を沸騰する湯へ投入し、殻が開くか開かないうちにザルへ上げ皿に盛ってくれる。それを小さな器の赤く辛いタレにつけて口へ運ぶと、その肉はいまだ半分は生の状態でヌメリを帯びている。
これは貝を最も美味く食べる方法のひとつだが、なにしろ冷蔵設備を持たない食堂の、それも熱帯シャム湾のどこで獲れたのかも知れない貝を生煮えで胃へ収めるわけだから、ときどきはこれを食した翌朝、自分の体のそこいら中に紫の斑紋を発見して仰天する者も出る。
そして今朝の味噌汁のアサリは、その北京飯店の煮貝を思い出させるような、絶妙の火通しだった。
下今市発9:02発の上り特急スペーシアに、家内とふたりで乗る。西池袋の 「JMショップ」 へ行き、家内が少々の贈り物を買う。その足で東武百貨店1階にある伝統工芸品の店へ移動し、店で試食を載せるための布を選んで購う。
昼食を済ませて西武池袋線に乗り、ひばりヶ丘へ達する。自由学園の庭には紅白の梅が満開だった。完成の間近い最高学部の校舎を左に眺めつつ羽仁吉一記念ホールへ入り、男子部、女子部、最高学部の教師と父母による、三部合同の父母会に出席をする。
遅い午後に男子部へ移り、男子部の教師と父母による父母会に出席をする。夕食を伴うその父母会は、夜8時を過ぎて終わった。東武日光線の最終に間に合う時間ではなく、しかし宇都宮での乗り換えを伴う、高い運賃と長い所要時間を持つJRでの帰宅は避けたい。
池袋から地下鉄丸ノ内線にて本郷三丁目へ至る。甘木庵に帰着して床暖房のスイッチを入れ、また天井から温風の吹き出す暖房にもスイッチを入れて、本日の日記のあらかたを書く。
0時すぎにミネラルウォーターを300CCほども飲み、0時30分に就寝する。
目覚めても灯りは点けず、薄暗がりの中で着替えて事務室へ降りると4時だった。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、アナゴの佃煮、納豆、焼いた油揚げとホウレンソウのおひたし、エノキダケとマイタケとブロッコリーの卵とじ、しもつかり、メシ、ダイコンとミツバの味噌汁。
改装後の店舗に用いるストゥールを注文してある長野県美麻村の 「柏木工房」 から、納期を打ち合わせるメイルが入る。「3月4日が理想」 と返信をすると、「その日は非常勤講師を務める高等学校の卒業式があり、そちらまでクルマを走らせることは、ほぼ不能」 とのメイルが戻る。「であれば3日でも当方は問題ない」 と書いて送信ボタンをクリックする。
移動する殺菌灯につき、その新しい設置場所の条件を、契約している衛生会社に電話で訊く。これまた場所を移すホワイトボードの新しい行き先を決める。その周囲の用度品は社員旅行の出発日までに片づけるよう、販売係のオオシマヒサコさんに伝える。
スパイク付きスノウタイヤが禁止されて何年も経つのに、冬場にはいまだ路肩に大量の砂が溜まる。雪が降るたびに、行政から注文を受けた業者が路上へ砂を撒くせいだろうか。この撤去も社員旅行前にしようと考え、その準備をする。
家内がスイミングスクールに送った次男を、燈刻、今度は僕が迎えに行く。ついでに明朝9:02発の、上り特急スペーシアの切符も買う。
帰宅し、マグロの刺身、ウズラ豆、ブロッコリーの胡麻マヨネーズソース和えにて、焼酎 「燃ゆる想ひ」 を飲む。牛肉、長ネギ、シュンギク、厚揚げ豆腐による牛鍋のようなものを食べる。「小松屋」 のカキの佃煮を追加して、更に西郷隆盛の有名な歌をその酒名とした焼酎を飲む。
それにしてもこの酒瓶にある、販売元 「竹岡酒店」 店主のイマムラモキチさんによる 「燃ゆる想いの由来」 の文章が凄い。
どこか凄いかといえば、句点無しに延々と続く200文字の 「てにをは」 が滅茶苦茶で、まるでテレビドラマ 「ムー一族」 でチンピラを、映画 「未亡人下宿」 で警察官を演じたタコ八郎のセリフのようにワケの分からないところが凄い。また、このお酒の本当の名は 「燃ゆる想ひ」 と旧仮名遣いだが、こちらの表題には 「燃ゆる想い」 とあって、このコダワリのなさも凄い。
製造元 「相良酒造」 当主のサガラエイジさんは、こんな紹介文を自分の蔵の酒に貼られて一向に動じないのだから、こちらの人物の大きさもまた凄い。
入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時に就寝する。
5時30分ころには目を覚ましたのだろうか。着替えをして事務室へ降りる。
いまだ完成していない一昨日の日記を書き上げてサーヴァーへ転送する。メイルの数は相変わらず多いが、表題だけを見て、後に必要となりそうなものは片端からフォルダへ納め、不要のものはやはり片端から削除していく。
朝飯は、ナメコの醤油煮、メンタイコ、トマト入りスクランブルドエッグ、ソーセージとピーマンの油炒め、しもつかり、メシ、なめこと豆腐と万能ネギの味噌汁。
留守のあいだに溜まった郵便物が、事務机に積まれている。それをずっと掘り下げていくと、昨年に受け取ったハガキでいまだ返信をしていないようなものまでが見つかる。どうにも返事の書きようのない手紙やメイルというものがあるもので、不義理をしてしまえば楽になるのだろうが、それを捨てても数ヶ月は記憶に残る。
「記憶に残るならば、捨てても仕方がない」 と、それらの手紙やメイルは、更に机上やメイラーに蓄積をされることになる。
「日本クラシックカークラブ」 事務局のカタオカヒデユキさんから 「会報に載せるので、愛車の状況や現在、熱を入れていること、また将来の目標などを3月5日までに知らせよ」 との手紙が届いている。今月24日に行われた本酒会の会報も書く必要がある。
ここしばらく読み飛ばしていた自由学園同学会のメイリングリストをチェックしていくと、「2月21日に行った顔合わせ会における議事録を、各室長はエクセルかワードのファイルにて担当者へ送付せよ」 というものが見つかる。「オレのコンピュータにワードなんて入っていたかな?」 と探すと首尾良く見つかったため、これに当日の走り書きと記憶を頼りに議事録を作成して指定のアドレスへ送る。
日本クラシックカークラブ(CCCJ)への文章は、3月に入ってから書いても充分に間に合うだろう。とりあえず手紙を受け取ったということだけは、電話でカタオカさんに知らせておこうと思う。それにしてもこれを書きながら "CCCJ" のウェブペイジを訪ねてみたら、最終更新日はこともあろうに1年前で、"under construction" のコンテンツがふたつもある。
こういうペイジを目にするたびに僕は、「だったら止めちゃえ」 と思う。もう少し丁寧な言い方をすれば、「何のためのウェブペイジですか? これでは恥さらしですよ。一刻も早くサーヴァーから削除すべきではないですか?」 ということになる。
夕刻、国際携帯電話レンタルサービス の"GLOBAL CELL" のペイジから、来週に迫った社員旅行に同行する家内のために、サイパン用の携帯電話レンタルを申し込む。
終業後に居間へ行くと、次男は今日も作文の宿題をしていた。そのノートに目をやると、きのうにくらべれば、ずいぶんと長く文章を連ねることができるようになっている。きっと、「作文とは、無駄なことをダラダラと書いていけば、いくらでも長くなる」 ということに気づいたに違いない。
どこの大学かは知らないが、むかし西洋史の試験に 「フランス革命について述べよ」 という問題があり、これに短歌で答えて80点を獲った者がいるという。80点の31文字と90点の10,000文字とでは、どちらが上出来の回答だろう? 無論、効率からすれば、前者が図抜けて優れていることになる。
「バスティーユの」 という字余りで始まるその短歌の全文は、残念ながら憶えていない。
燈刻、まな板の上にタイの切り身があることを、またオリーヴオイルの用意があることを見て、ワイン蔵へ行く。「白くて辛けりゃなんでもいいや」 と、誰が買ったのかは知らないが、輸入業者の覧に 「成城石井」 の名のあるヴァン・ムスー "Brut Pierre Legendre" を棚から引き抜いて戻る。
その発泡酒を抜栓する。トマトとブロッコリーのサラダ、エノキダケとマイタケのオリーヴオイル炒め、鯛のオリーヴオイル焼きバルサミコソースにて、この白ワインを飲む。
「日光金谷ホテル」 のフランスパンを焼き、"Atelier de fromage" のウォッシュタイプのチーズをここへ載せて、いくつもお代わりをする。このチーズには濃厚な赤ワインが似合いだが、白ワイン1本の後に、更に赤ワインを追加することは、残念ながら僕の酒量では無理だ。
入浴して牛乳を飲み、9時に就寝する。
気が付くとベッドカヴァーの上に、シャツから靴下までを身につけ、つまり靴だけを脱いだ姿で眠っていた。部屋の灯りも点いたままで、枕元の時計は午前3時20分を示している。自分では手早くしているつもりだが実際にはノロノロと着ているものを脱ぎ、パジャマに着替えてベッドへ潜り込む。もちろん部屋の灯りもすべて落とす。
次に目が覚めると6時30分だった。入浴して歯を磨く。コンピュータを起動してメイラーを回すと、顧客、取引先、所属しているメイリングリスト、仲間内の同報メイルなどおよそ数十通のメイルがサーヴァーから降りてくる。顧客と取引先のメイルを読み返信をするのみにて、その他はすべて未読のままメイラーを閉じる。
きのうの日記を完成させないまま、部屋中の引き出しに仕分けした諸々をジュラルミンのケイスへ納める。チェックアウトをして荷物をフロントへあずけ、サイトウシンイチ君と地下鉄にて日本橋へ至る。既にして11時を過ぎている。
なぜか通ってしまう裏町のうらぶれた中華料理屋 「新華飯店」 は、早くも店を開けていた。サイトウシンイチ君は湯麺とチャーハンのセット、僕は 「本日のランチ」 の中からベーコン玉子とメシとスープのC定食を注文する。
昼前に高島屋の地下1階を訪ね、味百選売り場にてこの1週間の御礼を述べる。サイトウシンイチ君を荷物持ちにして、オリーヴオイル、焼酎、「丸赤」 の極辛塩鮭、「伊勢廣」 の焼き鳥を買う。
7階に上がって風船型のワイングラスを求め、支払いをしているところを 「たくみ」 のフシミさんに見つかる。フシミさんはウチが地下1階に出店をすると、必ず買物をしてくれる。
「あーら、見つけた、やっぱり縁があるのね、売り場、改装したから来てください、すぐそこだから」
「見るだけだよ」
「うん、見るだけで良いから」
銀座の 「たくみ」 の階段を上がって右に折れたところのショウケイスに樽型のぐい飲みを見かけ、「おっ、いいじゃん」 と思って作者の名を見たら船木研児とあった。おととい、この高島屋7階の 「たくみ」 のショウケイスにあって僕の視線を捉えた筒型のぐい飲みには、やはり同じ名があった。
包装の終えた2客のグラスを持って 「たくみ」 を訪ねる。
「船木さん?」
「うん」
「いいでしょ?」
「オレ、好きなんだよ」
「分かるわ、それから、この小鹿田のピッチャー、どう?」
「欲しいよー、それにこの濱田の茶碗もいいしさぁ。でも今日はお金がないの」
幸いなことにフシミさんは他のお客の精算に忙しかった。「また来るよ」 と言って屋上へのエレヴェイターに乗る。園芸店や釣り堀や遊具などが配置された屋上の地理には、ここで数日間、パンや弁当による昼飯を食べていたサイトウ君の方がよほど詳しくなっていた。
三菱デリカに乗ったままエレヴェイターで地上へ降りる。
銀座の中央通りを4丁目で右折し、新橋へ戻ってホテルにあずけた荷物を積む。次は内幸町から日比谷通りへ入り、甘木庵を目指す。お堀端のヤナギが、若い芽を吹き始めている。
聖橋を渡って本郷に至る。数百メートル先に湯島天神を望んで左折し、更に右折して春日通りへ出る。既にして誰もいなくなった甘木庵から、この1週間にここで暮らしたのべ7名の荷物を撤収し、三菱デリカに積む。
午後3時30分に帰社する。待機した社員たちの手で次々と荷物が降ろされ、それぞれの場所に運ばれる。僕は会社の各部署を回って手短な報告をし、事務室へ戻る。
この1週間のミックス表から粗利合計を導き出す。経費を算出する。今回のイヴェントの損益分岐比率は79パーセントだった。経費のかさむ出張販売においてこれほど良い数字が出ることは、今後、ないような気もする。
6時30分に居間へ戻ると、算数のプリントを前にした次男が浮かない顔をしている。訊けば 「ここの計算が分かんないんだよ」 と言う。ヒントを与え、先ずその1枚を完成させる。次は、過日に行った体力テストの感想文を書くのだという。その文章は書き始めてから2行で終わっている。僕も小学1年から2年のころには、作文はせいぜい2行しか書けなかった。
小学3年生のとき、同じクラスだったと記憶するがサイトウタカオ君の作文を読んで、「作文とは、無駄なことをダラダラと書いていけば、いくらでも長くなる」 ということに気づいた。サイトウタカオ君がいなければ、この日記も世には存在していなかったことになる。
次男は僕の指導により無駄なことを書き連ねてノルマの200文字を超え、300文字付近でようやく鉛筆を置いて満足そうに笑った。
シュンギクのゴマ和え、厚焼き玉子、ウズラ豆、「福太郎」 のめんたいこ、「小松屋」 のアナゴの佃煮、なめこおろし、「伊勢廣」 の手羽先とはさみ焼きとレヴァ、同じく砂肝とつくねにて、やはり本日、高島屋の酒売り場で求めた相良酒造の芋焼酎 「燃ゆる想ひ」 を飲む。
入浴して生のジンを1杯飲み、9時15分に就寝する。
先週のある日、上半身は裸、下半身はズボンを履いたままの姿で僕は目を覚ました。今朝、気が付いてみると、上半身にはきのうの朝から身につけているシャツがあって、そのボタンは1番上まできっちりとはまったままだ。そして下半身にはパンツのみがある。
5時45分に起床してバスタブにお湯を張る。「ホテルの価値はバス、ベッド、ブレックファストの3Bで決まる」 とは慣用句のように聞き飽きた世間知だが、そして僕は、ただ寝るだけのホテルに高いお金を払う気はしないが、それにしてもこの部屋のバスタブは、まるで旧英国植民地の古いホテルにあるそれのように巨大だ。
その大きな風呂に、まるで湯灌をされる死体のように横たわって歯を磨く。
会社への報告をpatioにアップし、顧客からのメイルによる問い合わせに何通もの返事を書いたため、きのうの日記を完成させる時間は無くなる。メイラー回すと、既にして今朝、コマバカナエさんがウェブショップの顧客へ送付した 「ご注文御礼」 がいくつも転送されてきた。
新橋駅銀座口ちかくの立ち食い蕎麦屋 「ポンヌッフ」 へ行き、僕はカレーライス、サイトウシンイチ君はその大盛りの食券を買う。カウンターに100円玉を出し、オバサンに 「スープふたつ」 と告げる。
開店前、3人の女子社員はてきぱきと試食の準備をし、サイトウシンイチ君とふたりのアルバイトは荷受け場や冷蔵庫へ散ってそれぞれの仕事をこなす。そうして万全の体制で10時を迎えたが、なぜか今日は週末よりもお客の出足が遅い。
そういうところに、きのう一緒に飲酒の為せなかった 「リバーストン」 のヨシダ松陰ゲンゾウ社長が来てくれる。そして、会社で使うらしい 「らっきょうのたまり漬」 その他の注文を、大量にくれる。
今朝、家を出て先ほど現場へ到着した家内が 「小松屋」 のブースへ走り、アナゴの佃煮を買ってそれをヨシダ社長に手渡す。
「これ、オレの1番好きな佃煮。今年のアナゴは上出来らしいんだよ」
「えっ? オナゴの佃煮?」
ヨシダ社長が発する言葉のうち少なくとも5割は、セクシャルハラスメント系の駄洒落ではないだろうか。
1時30分を回って外へ出る。「丸善」 屋上の、まるで秘密の花園のような洋食屋へ行く。この店はずっと 「スナック」 と呼び習わされてきたが、エレヴェイターの張り紙には 「丸善食堂」 とあって、だから誰かが 「名無しじゃまずいだろう」 という提案をしたものと思われる。
コーンポタージュと、料理屋へ入っては1年に1度も注文することはない海老フライを、今日はなぜか昼食とする。
"Starbucks" の店内に流れる音楽はCDになっていて、客はこれを買うことができると以前、耳にしたことがある。別段、"Starbucks" のBGMに惹かれるものはないが、1950年代から60年代にかけてのモダンジャズやハードバップの、それも目立たない名曲を集めた "TULLY'S" のBGMがCDにまとめられれば、僕はそれを欲しいと思う。
その "TULLY'S" でショートイタリアーノを飲みながら、きのうの日記をほぼ完成させる。そろそろ帰ろうとして、マナーモードのままネオプレイン製のコンピュータケイスに突っ込んでおいた携帯電話を取り出しディスプレイを見ると、そこに家内からの不在着信がある。
発信ボタンを押すと、すぐに電話に出た家内から、「なにやってんのよ? いまどこなの? どうして電話に出ないの?」 と、矢継ぎ早の質問を受ける。僕にはいまだに、「携帯電話は、ウェブショップへの受注をリアルタイムで知るための道具」 としか認識をしていないところがある。
「西先生がお見えになったのよ。丸善で買物をされるっておっしゃったけれど、もう30分も前のことだから、もうお帰りになったかも知れない。なにやってんのよー」 と言われて即、西hinano順一郎先生に電話を入れる。
「先生ですか? 先ほどは失礼しました。僕はいま丸善の前にいますが」
「あー、先ほど丸善で本を買いよってですな、現在は高島屋の食堂におります。そちらへ伺うのは、食事を済ませてからでもよろしいでしょうか?」
「モチロンデス!」 とお答えして電話を切る。
「ジャック・ディジョネットがセイビアンのシンバルを扱うように」 とまでは言わないが、僕の指がキーボードの上を走り回って利益をつむぎ出したり、あるいは社員が和気あいあいと仕事に取り組めるような環境を整えることができたその根っこのところにいらっしゃるのが、この西順一郎というオジサンだ。
「丸善」 にて一体何冊の本をお買いになったのかは知らないが、先生のザックは異常に重かった。もっとも先生は不要の物を多く携帯する癖もお持ちのため、その荷物は常に大きく、そして重い。そのザックがウチでのお買い上げ品によって、更に重くなる。
西先生がお帰りになった直後に、自由学園で13年後輩のシゲマツユウ君が来てくれる。訊けば "Apple Store Ginza" へ行った帰り道だという。
「マックも、ティファニーやカルティエと同じような形で勝負に出たなぁ」
「えぇ、完全なブランド戦略です」
「追って即、MACは上海にも同じような店を作るだろうな」 と、僕は考える。
家内は留守をあずかる社員たちへの土産を整え、6時すぎに売り場を離れた。それにしても今日は、こと販売数量においては苦しい1日だった。朝のお客の出足は遅く、昼から夕方までも店内の客数は少なく、夕方にすこし賑わったのみにて閉店の7時30分を迎える。
こういうイヴェント会場の、準備と撤収のどちらが好きかと問われれば、僕は 「準備」 と答える。準備には時間がかかるが、周囲から急かされない気楽さがある。一方撤収は大人数で一気に行われるため時間は要しないが、その代わり、次にこの場所を使う業者が早くも我々を取り囲み、無言の 「早く出てよ」 の視線を送って圧力をかける。
その撤収は、可能な限り早く焼肉にありつきたいサイトウエリコさんの段取りにより、素晴らしい速度で進んでいく。屋上駐車場の三菱デリカへすべての荷物を積み込み、隣にいたヤマダカオリさんに時間を訊くと、いまだ8時42分だった。これは、昨年にくらべて30分以上も早い新記録だ。
屋上からの人荷用エレヴェイターが1階に達したところで、マネイジャーのサスガケンイチロウさん、担当のオカダシゲキさんに挨拶をして、社員通用門から外へ出る。
八重洲の、既にして人の少なくなり始めた道を歩き、焼肉の 「昌月苑」 に入る。「カルビ5、タンシオ2、牛すじ1、コブクロ2、レヴァ刺し2、キムチ2、オイキムチ2、ハツ元やセンマイ、ナンコツの五目焼き2 、トマトサラダ、それに真露1本」 と、矢継ぎ早の注文をする。偏食傾向の強いイシオカミワさんは、自分のためのテグタン麺とワカメサラダを係りに伝える。
焼いて食べるためのセンマイとコブクロをレヴァ刺しのゴマ油に浸してどんどん食べ進む。「大丈夫か? >自分」 という、メイリングリストなどでよく見かける文字が一瞬、脳裏に明滅して消える。それにしてもこの店のゴマ油は 「調合、間違えたんじゃねぇか?」 と訊きたくなるほど大量の化学調味料を含んで、僕の口内の粘膜を混乱させる。
「肉食獣が獲物を捕らえると、まず腹を食いちぎって内臓から食べる」 とは、これまた慣用句のように聞き飽きた世間知だが、今夜のメンバーもまたその肉食獣と同じくゾーモツばかりを焼き網へ載せて、カルビは後回しにされた。
きのうに続いてサイトウシンイチ君が腰のベルトをゆるめ、イシオカミワさんが食べきれなかったテグタン麺を一気に胃の腑へと納める。
甘木庵組とは、どこで別れたのだろう? 新橋のコンビニエンスストアでミネラルウォーター1リットルを買ったことまでは記憶にあるが、その後のことは何も憶えていない。
およそ4時間30分の睡眠を経て5時45分に目を覚ます。すぐに起床してコンピュータを立ち上げる。部屋を出る8時45分までにはかなりのことができると踏んだが、会社への連絡や顧客からのメイルへの返信書きなどに追われ、ようやくきのうの日記を完成させる。
きのうと同じく烏森口の 「松屋」 へ行き、味噌汁付きの豚丼に白菜の浅漬けを追加して、これを朝飯とする。サイトウシンイチ君は、きのうの僕と同じくハムエッグ定食を食べた。
昨年の同じ月曜日、日本橋の上空にはミゾレが降った。この日の日記を読み返すと、そこには
外では氷雨やミゾレが断続する中を、尺取り虫が100メートルの道を行くような努力を続け、夕刻までに少しずつ売上げを伸ばす。しかしこれは苦しい戦いにて、きのうの6割程度の数字を上げたところで閉店の時間を迎える。
と、ある。だったら、うららかな青空が広がる今日の対前年度成績は楽勝か? およそ予想、予測に対する最も的確な答えは 「分からない」 というものだ。
いつも通り、いつ売り場が混み合っても良いよう、商品や試食や用度品を充分に準備する。否、昨年のデイタにくらべて売れすぎた 「しいたけのたまり漬」 と 「しその実のたまり漬」 は本日、在庫のショートを起こすかも知れない。
案の定、「しいたけ」 は開店後30分にて売り切れた。これから納品をしても1ロットの50本を無理なく1日で売り切ることは不可能のため、製造現場への追加注文はしない。
午前中、同級生のサカイマサキ君が汐留での仕事の帰りに寄ってくれる。
1時30分をすぎて、つい足を運んでしまう裏町のうらぶれた中華料理屋 「新華飯店」 へ行くと、黒板のC定食に 「ハム玉」 の文字がある。ハム玉とは、低級なプレスハムをフワフワの玉子で包んだ僕の好物だが、昼前から頭はジャージャー麺に向いていた。黒板から目をそらし、オネーサンに 「ジャージャーメン」 と告げる。
食後、"TULLY'S" で一服しているところに、売り場のヤマダカオリさんから電話が入る。「ウワサワはいねぇのか?」 というお客様からの指名だ。これはなにも、何かの手違いから 「責任者を呼べ!」 という事態を招いたわけではない。僕の顔を見て、ただヨタ話がしたい、とお思いになるお客様がいらっしゃる、ということだ。
「分かった、3分で戻る」 と答えて席を立つ。
売上金額は午後3時45分に、昨年の同じ月曜日の数字を超えてきた。"Computer Lib" のナカジママヒマヒ社長が、神保町の会社から売り場を訪ねてくれる。その注文品を手渡すサイトウエリコさんとマヒマヒ社長は、「異常なほどのゾーモツ好き」 という点で一致している。
夕刻、同級生のコモトリケイ君が、会社の帰りに寄ってくれる。
「なめこ、買うかな」
「その2本で売り切れなんだよ」
「あした、また入るんだろ?」
「いや、あした1日じゃぁ1ロットの50本は売れねぇから、これでおしまいだな」
「そう言われると、なおさら欲しくなるなぁ」
「2本、買っちゃえよ」
というわけで、「しいたけのたまり漬」 に続いて 「なめこのたまり漬」 も売り切れる。
売上金額において39パーセント、売上げ個数においては20パーセントの対前年度比増が、本日の閉店時における成績だった。
「シンイチ君、去年よりも20万のアップだよ」
「それは良かったですね」
「だけどそうなると、来年が容易じゃねぇんだよ」
「なるほど」
何が何でも経済的な成長を続けようとする考えには僕は与しないが、世の中の大勢は 「もっともっと」 と欲張り続ける。その先にあるものは何だろう?
「暑い夏、アリは冬に備えて、汗水たらして働きました。そうしてキリギリスは涼しい木陰で、歌を歌って遊んでいました。冬が来ました。アリは夏の仕事の蓄えで、何も困ることなく暮らしています。そのころキリギリスは、ハワイで遊んでいました」
とは、僕が今まで聴いた中で最も優れた落語の枕だ。
晩飯の予算を最終日の焼肉に繰り越すべく、今夜のメシは低予算にて済まそうとして考えた行き先が、有楽町の 「慶楽」 だ。「慶楽だって充分に贅沢じゃねぇか?」 と思われるかも知れないが、社員も幾分かの自己負担はするため、今夜の出費はそこそこに納まるのではないか? というのが僕の都合の良い、あるいはあてにならない予想だった。
途中、ナカジママヒマヒ社長から 「いま、『おぐ羅』 にいるんすよー。松陰さんも一緒ぉ」 という連絡が入って突然、プツリと切れる。
マヒマヒ社長の携帯電話ではなく、「おぐ羅」 の番号をダイヤルする。即 「オグラデゴザイマスッ!」 というオヤジの大音声が僕の右耳を直撃する。「ウワサワと申しますが、カウンターにいるナカジマさんを、お願いいたします」 と、呼び出しを頼む。
「オレ、目と鼻の先の 『慶楽』 でこれからメシなんだけどさ、社員と一緒だから、行けないんだよ」 と、彼らの飲み会には合流できない旨を述べると、「まぁ一応、連絡は入れましたってことで。ヨロシクオネガイシマッス!」 と言って、絶好調らしいマヒマヒ社長は電話を切った。
「おぐ羅」とは首都高速会社線を隔てて、直線距離にすれば数十メートルの距離にある 「慶楽」 の階段を上がって2階の丸テイブルに着く。
サイトウエリコさんとマヒマヒ社長について 「異常なほどのゾーモツ好き」 などとからかったが、実は僕も、人のことをと言えた義理ではない。あらかじめ 「鹵味」 と書いて胸のポケットに入れておいた紙をオネーサンに見せる。ほどなくして席に、豚の舌、胃袋、子袋、肝臓による鹵味が届く。
割合と偏食傾向の強いイシオカミワさんに 「イシオカ君は、こういうの、食える?」 と訊くと、「とてもではありませんが、無理です」 と言う。彼女のために 「チャーハンランチ」 を注文する。夜になってもランチを出してくれるのが、ここの良いところだ。あるいはメニュの文字から 「ランチ」 を外して 「定食」 とすれば、もっと売上げも上がりそうだが、この店は、そういうことはしない。
メニュに野菜の項目が無いため、オネーサンに 「野菜、ある?」 と訊く。この場合の野菜とは、たとえば 「時菜蠣油」 とでもいうものだ。オネーサンが台湾マッサージの小姐に似た発音で、「クゥシンサイ、チンゲンサイ、コマツナー」 と言う。クウシンサイを頼む。
「美味いじゃん、いいじゃん、最高じゃん」 と言葉を発しつつ、僕とヤマダカオリさんはビール、他の3人はお茶を飲みながら、回転テイブルの上の皿へ箸を伸ばす。
サイトウシンイチ君が牛バラ肉のトロトロ煮を食べながら感に堪えたように 「これ、カレーみたいな匂いがして美味いっす」 と言う。いまだ身長が伸び続けているような年齢の彼のために、パイファンを取ってあげる。
この店の五目焼そばには、香港の中華系百貨店の地下食料品売り場のくぐもった香りがある。そして僕はその香りが大好きだ。野菜と鶏唐揚げの河粉が来たところで、辛抱が利かずに紹興酒を注文する。「これでまた、パンツ1枚で寝ちゃったりしてな」 と言って、みなに笑われる。それがイタリアのものであろうと日本のものであろうと中国のものであろうと、幅の広い麺は僕の好物のひとつだ。
締めのスープチャーハンは、既にして腹のふくれた4人によって、ようやくその半分までが食べ進められた。残りの半分を与えられたサイトウシンイチ君はベルトをゆるめ、「マジ、ヤバイっす」 と言いつつ、それをぺろりと平らげた。
甘木庵組とは 「慶楽」 の前で別れた。勘定は、先週水曜日の夕食以来、もっとも低いものだった。そのまま山手線の高架に沿って新橋まで歩き、ホテルに帰着する。サイトウチンイチ君は今夜、友達とどこかで遊ぶという。部屋に入るなり携帯電話が鳴る。相手はコモトリ君からのものだった。
「オレいま湯島で飲んでるんだけどさ、これから新橋でちょっと飲もうぜ。浜松町寄りの改札口でな」 と、電話は待ち合わせの時間も告げずに切れた。石けんで手を洗っている最中に、また携帯電話が鳴る。今度はマヒマヒ社長からのものだった。
「ウワサワさーん? いま 『おぐ羅』 を出ましたー。松陰さんが会いたがってんのー」
「体がふたつ欲しい」 とは、こういうときにこそ発すべき言葉だろうか。
今日の風は夜になって急にその温度を低くした。緑色のベレー帽と赤いマフラーに黒いマウンテンパーカを着て外へ出る。新橋駅の烏森口に達しようとしているとき、コモトリ君から 「オマエ、どこで待ってんだよ?」 という電話が入る。
山手線の高架下を浜松町の方角にかなり歩き、左に折れたところの飲み屋に入る。テイブルとカウンターを合わせて40席ほどの店内は、壁と天井にはほとんどお金をかけていない代わり、土間には足首まで埋まりそうな砂が敷いてあった。まるで一昔前の海の家のようなその店で、なめろうとレヴァ刺しを肴に生の焼酎を飲む。
90分ほどを過ごして勘定を頼むと、店員から8,000円という料金を知らされた。
「オレが3,000円出すから、コモトリは5,000円払え」
「なんでオレが5,000円で、ウワサワが3,000円なんだよ?」
「さっき自分の名前でボトル、入れたろ」
「そのボトルの酒を飲んだのは、おめぇじゃねぇか」
というやりとりはあったが、僕の当初の提案どおり、僕は尻のポケットのマネイクリップから3,000円を引き抜き、コモトリ君は5,000円を内ポケットのサイフから取り出した。
コモトリ君と、どこで別れたかの記憶はない。僕が烏森口ちかくの 「麺Bar」 で 「普通のラーメン」 を食べたことも、実は翌日、デジタルカメラからコンピュータへ画像を移して初めて思い出したことだ。
部屋へ戻ってからのことはもちろん、なにも憶えてはいない。
パジャマを身につけた模範的な姿で6時30分に目を覚ます。顔を洗ってコンピュータを起動する。メイルを受信し、必要なものには返信を書く。本日、製造現場から高島屋への商品の出荷はない。出荷はないが、「予定通り、出荷はない」 とのメイルを会社のpatioにアップする。きのうの日記をなんとか作成してサーヴァーへ転送する。
ふと、ここ3週間、ずっと調子の悪かった腰が、すっかり良くなっていることに気づく。おとといまでは椅子から立ち上がろうとすると、いつガックンとギックリ腰になるやも知れない嫌な感触が腰にあったが、それが雲のように散り霧のように消えている。と、ここまで書いて、「漱石枕流」 を考えれば、本当は 「霧のように散り雲のように消えている」 とするべきなのだろうか? と考える。
それはともかく、雑居ビルの階段を上がり、深夜まで営業する見ず知らずの怪しげな鍼灸院にて据えたお灸が、当方の予想を大きく裏切って絶妙の効果を発揮したのだろうか? 何が効いたのかは知らないが、有り難いことに変わりはない。
8時45分にホテルを出て新橋駅への道を歩く。「松屋」 にて、僕はハムエッグ定食、サイトウシンイチ君は豚キムチ定食を食べる。ここのハムエッグ定食は、注文があってから目玉焼き焼き始めるため、また入念に咀嚼をしないと飲み込めないサラダなどもあって、食べ終えるまでに時間のかかるところが難点だ。
「日曜日には、お客の出足が遅い」 とは客商売の常識だが、今日の地下1階は割合と早くから賑わっている。
売り場が急に混み合い、しかしそのときの人員は昼食休憩などで薄く、そこへ大代表を経由しての電話が入り、いくつもの送り先を持つ発送のご注文があり、ショウケイスの商品は減るばかりだが冷蔵庫からの品だしまでは手が回らない、という、百貨店でのイヴェントに付きもののパニックを回避するため、朝のうちから充分な量の商品を現場に用意する。
1時30分に昼食のため外へ出る。「たいめいけんでメンチカツでも食うかな」 と、中央通りと昭和通りとのあいだの裏道を歩く。折からの強風以外に、東急百貨店の跡地にできたメリルリンチの巨大なビルのためか、地上には "Monroe effect" と呼ばれる突風が発生している。
最近、街に目立つアイリッシュバーが、この界隈にもいくつかできつつある。「たいめいけん」 の前には、少なくない人数の行列があった。その前の 「ますたにラーメン」 にも、待ち客の姿がある。
「昼飯を求めて漂流する難民にはなりたくねぇなぁ」 と中央通りまで出て、日本橋交差点の南東角にある 「味太助分店」 へ入る。素肌にシャツ1枚を着ただけの上半身が、今日の高気温のためうっすらと汗ばんでいる。
昼の定食の、ミディアムレアに焼かれた分厚い牛タンは確かに美味い。美味いけれど、とろろ芋を追加して1,400円の昼飯代は、気楽に出せるものではない。
この季節には珍しい暖かさにもかかわらず、本日の成績は、売上金額において9パーセント、売上げ個数においては22パーセントの対前年度比減となった。その理由は何だろう? 初日と2日目の好調の理由も不明ならば、本日の不調の理由も不明だ。
競馬評論家もエコノミストも結果を語っては立て板に水のごとくだが、外れない未来予測や正しい状況分析をし続けることのできた例は皆無だ。商売も、悪い条件下にあって好成績を上げることもあれば、順風にもかかわらず上手くいかないこともある。
早く晩飯にありつきたい一心にて売り場の後かたづけは更に効率が良くなり、閉店の20分後には社員通用門から外へ出る。サイトウシンイチ君は地下鉄銀座線の椅子に座るなり靴を浅く脱ぎ、足裏を地面に触れさせないようそっと上げた。1日中、狭いブースに立ち続ける辛さは、経験をした者でなくては理解のできないものだ。
有楽町の気楽なイタリア料理屋 "VINO VITA" にてスプマンテを頼んだら在庫切れと言われ、代わりにムスカデを飲む。「酒は飲めない、というよりも、むしろ嫌いです」 と言うサイトウシンイチ君には水を摂取してもらう。
僕について、「周囲に驚くほど気を配るマメな人間」 と言う人もあれば、「鈍感で気の回らない人間」 と言う人もあって、それはおそらく、どちらも本当のことなのだろう。僕は料理屋へ入ると注文を取りに来た人を待たせてはいけないという気持ちから、メニュの端から端までを吟味することなくあれこれと頼んでしまう。
そうして、席にはヤリイカのブロッコリーソースや、あるいは羊のグリル、イワシのマリネやミズナのサラダなどがちまちまと届くが、すこし落ち着いたところでメニュを再検分すると、3、4人のためのパーティポーションがいくつもあって、「この中から5種を選んで8,000円」 との説明がある。
隣席のヤマダカオリさんに 「これ取ってれば、もうちょっと安く上がったな」 とそのペイジを見せると彼女は 「はーい」 と答えつつ、「明日は安く上げて、明後日の焼き肉にその分を回しましょう」 との意見を提出し、他の3人がうなずく。ここ数年、最終日の片づけが済んで後は、八重洲の 「昌月苑」 で打ち上げをすることになっている。
「よしっ、明日は中華にしよう」 と決めて、近所の 「慶楽」 の赤い外壁を頭に浮かべる。
「今からでも遅くはない」 と、そのパーティポーションからシーザースサラダ、ソーセージの盛り合わせ、「本日のスパゲティ」 を選び、同時にピノノワールも1本、注文する。大皿に盛られたスパゲティには、イカとナノハナがあった。
はじめはビルの屋上にある水冷のラディエイターから空中に水が散っているのかとばかり思っていたが、どうやら雨が降り始めたらしい。空を見上げると驚くほどの速さで雲が芝浦から本郷の方へと流れていく。日中の高い気温は、この南風によるものだったのだろうか。甘木庵組とは数寄屋橋にて別れた。
雨粒を避けるため、ひとけのない山手線高架下の通路をたどり、新橋へ至る。まるで台風のような風に、路上に置かれた自転車や看板が、あちらこちらで倒れている。
「まだちょっとはいけるな」 と考え、「博多天神」 にて 「普通のラーメン」 を食べる。ハセガワタツヤ君のことばを借りれば 「いつもがっついている」 サイトウシンイチ君も、今夜は2人前のスパゲティをこなしたため、さすがに替え玉まではしなかった。
高島屋への出張中、最も頭とコンピュータを酷使するのが日曜の晩だ。この日ばかりは夜遊びをしている余裕はない。最終日の火曜に売り切れの機会損失を出さず、かつ多くの余りも発生させずにイヴェントを収束させるためには、月曜日の納品数量が鍵になる。
そういう状況にもかかわらずワインによる酔いもあって、「いざとなったら明日の朝にやればいいや」 と、入浴してベッドに潜り込んでしまう。運良く11時30分に目を覚ます。2001年からの3年分のデイタや明日の天気予報などを参考にしつつ、1時までかかってようやく最終の出荷数量を決める。それを会社のpatioへアップする。
ふたたびベッドへ横になり、5分ほどの後に就寝する。
昨夜あるいは今朝の就寝時間が遅かったため、7時30分になってようやく目が覚める。
コンピュータを起動する。本日、製造現場から出荷する商品の数量を決め、その発注書を作成する。また売上高とアイテム別販売数の対前年度比を整え、その双方を会社のpatioへアップする。きのうの日記をこの時間から書き始めて完成させることはできない。カメラからコンピュータへ画像を移したのみにて身支度をする。
後半組の男子社員サイトウシンイチ君と共にホテルを出る。地下鉄銀座線に3駅乗って日本橋へ至る。地上へ出て 「小諸蕎麦」 へ入り、「あったかいかき揚げ蕎麦とゴハンのセット」 と食べる。サイトウ君の注文品は親子丼だった。
後半の布陣は前半と同じく、社員4名、アルバイト2名、それに僕の計7名だが、今日と明日はそこへ家内が加わって最強のものになる。
郊外へ向かう鉄道のターミナル駅周辺にある百貨店は週末に忙しくなるが、高島屋のようなオフィス街の百貨店は定休日の翌日が最も賑わうという常識が、これまではあった。売上高のグラフも、イヴェントの初日が最も高く、週末へ向けて漸減し、週明けから上り始めて最終日へ至る形を毎年決まって見せた。
ところがここ数年は百貨店がほとんど定休日を持たなくなったため、曜日による売り上げの推移はまったく規則性を持たないものになり、従って新鮮な商品を、売り切れを出さず、かつ過剰在庫も起こさず毎日、高島屋へ向けて送り出し続けるための数量予測は極端に難しくなった。
以前ならお客様の出足の遅いはずの土曜日にもかかわらず、午前中から大いに忙しくなる。
どのような理由によるものかは不明だが、つい足を運んでしまう店がある。中央通りと昭和通りとのあいだの裏町にあるうらぶれた中華料理屋 「新華飯店」 も、そのうちのひとつだ。1時30分にここを訪ねて、小チャーハンと味噌ラーメンのセットを食べる。
買い物客が一気に集中して大混乱の売り場を4時すぎに離れる。地下鉄東西線と丸ノ内線を乗り継いで池袋へ至る。自由学園明日館における 「2004年度同学会本部委員会・初顔合わせ会」 に出席をする。僕に与えられた役割は 「ホームページ研究室長」 というものだった。
ウチダヒトシ同学会委員長の所信表明の後、いくつもの説明や連絡、継続委員の挨拶などがあって、懇親会に入る。記念写真の撮影を済ませて即、外へ出る。家内に電話をして訊いた本日の売上高は、昨年のそれを何パーセントまでかは知らないが、確実に超えるものだった。
丸ノ内線の中で、一向に書き上がらないきのうの日記に文字を加える。数寄屋橋で地上へ出て5丁目の路地を目指す。
「鳥ぎん」 に入って男の店員に 「オネーチャンが5人くらいで食べてるテイブルが、あると思うんだけれど」 と言うと、「あぁ、あそこかな?」 と答えつつ壁やパーテイションで仕切られた店内を先導して、みなの席まで案内をしてくれる。ハーフ&ハーフを注文し、家内から手渡された今日の成績を確認する。
みなが注文をしていたささみさび焼きとウズラベーコンが届く。「いいもん食ってんじゃねぇか」 と、ついよけいなことを口に出す。僕は手羽先とレヴァとシシトウの串焼きにて、2杯目として頼んだ常温の日本酒を飲む。カキ釜飯にて締める。
昨年に続いて砂肝だけで6本も食べたサイトウエリコさんが、この1時間少々のあいだに机上の竹筒へ立てられた串の数を数える。その数は59本だった。
甘木庵組はタクシーにて、僕とサイトウシンイチ君は徒歩にてそれぞれの帰り道をたどる。
部屋へ戻り、メイラーを回す。携帯電話からの受注にご注文御礼を送付する。売上金額において22パーセント、売上げ個数においては19パーセントの対前年度比増を示した本日の成績を会社のpatioへアップする。いまだ書き上がっていないきのうの日記が完成したのは、0時30分だった。
これをサーヴァーへ転送し、入浴して1時30分に就寝する。
「こういうときこそ気を引き締めていこう」 と考えたにも関わらず、パンツ1枚の姿で目を覚ます。パジャマを着ていないのだから、風呂にも入ってはいないのだろう。デスクのコンピュータに、緑色の三日月ランプが点灯している。コンピュータを使いつつ一休みするつもりでベッドへもぐり込み、そのまま朝を迎えたらしい。時計は5時30分を示している。
バスタブに湯を満たし、脚を伸ばして寝るような格好で歯を磨く。
顧客からのメイルへの返答に時間を割き、きのうの日記は途中まで作成して切り上げる。
大理石の床と大きなガラスで構築された、と書けば高級そうに思われるが実際にはそうでもないホテルのエントランスから新橋の雑踏に紛れ込む。ハセガワタツヤ君に 「朝飯はカレーが良い? それとも蕎麦が良い?」 と訊くと 「カレーですね」 と答える。銀座口の立ち食い蕎麦屋 「ポンヌッフ」 の自動券売機に3個の100円玉を落とし込んでカレーライスのボタンを押し、別途、1個の50円玉をサイフから取り出す。
食券と50円をカウンターに置いて 「スープ」 と、ひとこと言う。オバサンは手慣れ様子で僕の前にカレーライスと、蕎麦つゆをどうにかして加工したスープを並べた。先ほど 「朝飯はカレー」 と答えたハセガワ君はなぜか、かけうどんを食べている。
昼飯のため 「日本橋食堂」 へ行く。ガラスのショウケイスから豆腐ハンバーグと、キュウリとシラウオとワカメの酢の物を取ってトレイに載せる。席について、近づいてきたオネーサンに小盛りのメシと味噌汁を注文する。
ふとショウケイスの隣を見ると、2台の電子レンジがある。別のオネーサンに 「これ、何秒くらいかな?」 と、手に持ったハンバーグの皿を示すと 「20秒ですかね」 と答えて彼女はカウンターの内側へと消えた。言われたとおりにスイッチを押し、20秒後にその皿を取り出して席へ運ぶ。
その豆腐ハンバーグは、まぁまぁ美味かった。ただし味については同じ定食屋でも、本郷の 「たつみ屋」 の諸々を僕はより好む。
今日はこれまでの2日間にくらべて、暇な時間が多いように感じる。夕刻6時を過ぎて、このイヴェントの後半を担当するイシオカミワさん、サイトウエリコさん、サイトウシンイチ君が来る。前半組のトチギチカさん、クロサワセイコさん、ケンモクマリさん、ハセガワタツヤ君は、浅草駅19:00発の下り特急スペーシアに乗るべく現場を離れる。
後半組は数十分のみ仕事をして閉店の7時30分を迎える。前年度比3割4割増の狂い咲きは初日と二日目にて早くも収束し、本日の成績は、売上金額において23パーセント、売上げ個数においては6パーセントの対前年度比減を示した。
「前半組は自腹で弁当を買って帰ったんだから、後半組も今夜は自腹で飯を食おうぜ」 と提案し、みなで 「日本橋食堂」 に行く。僕は昼飯の時間が遅いこともあり、いつも晩飯時にはそう腹を減らしていない。ショウケイスからハムサラダと若竹煮を取り出し、席に着いてオネーサンに中ジョッキの生ビールを注文する。
隣席のサイトウシンイチ君は、中華風の鶏の唐揚げ、すき焼き、イカの刺身にて、中盛りの飯を食べている。
イシオカミワさんとサイトウエリコさんは、遅れて会社を出発した家内とヤマダカオリさんとの待ち合わせ場所、後楽園の 「ラクーア」 へと向かった。僕はサイトウシンイチ君と地下鉄銀座線にて新橋へ移動し、ホテルに入る。
長い出張の最中にギックリ腰が出てはいけないと、1月末から2月にかけて4度も鍼に通ったが、腰の調子は相変わらず良くない。ホテルへ歩く途中で見かけた、路上に立てかけた宣伝板からすれば良さそうな、しかし実際には何が何だか分からない鍼灸院に電話を入れた、ここを訪ねる。
見ず知らずの治療院で鍼の治療を受ける気は起きない。お灸のコースを選択する。そのお灸は、肌を焦がす直前にもみ消すスタイルのもので、脂汗を垂らすほどに辛いものではなかった。体の裏側の数十個所に灸を据えられ、その後はかなり長いあいだ、腰に赤外線を照射される。
治療を終えてすぐに部屋へ戻れば良さそうなものを、そのまま歩いて、シロウトが友達と手作業で作ったような、鉄骨を丸太と大きな布で隠した内装のバーへ入る。その店の主がひっきりなしに差し替えるCDの傾向をひとことで現すことはできないが、それは僕の嫌いなものではなかった。
「サム・クックのライヴだったらさぁ、オレは黒人だらけのハーレムスクエアのやつよりも、コパカバーナで白人相手に歌ったやつの方が、ずっと好きだなぁ」
「どうしてですか?」
「なんだかサム・クックって人間が、より濃く出てる感じがするんだよ」
などという会話を店主と交わすうち、帰る時機を失する。
推定で午前2時に部屋へ戻り、入浴をしてコンピュータを起動する。起動はしたが、これから仕事をする気力はなく、そのまま電源を落とす。おそらくは3時前に就寝する。
ベッドの中で目を覚ます。少なくとも上半身は裸だということを認識する。胸から腹をなでるように手を下ろしていくとズボンは履いたままで、革のベルトはゆるめていない。さすがに靴下は脱いである。枕頭のデジタル時計を見ると3時35分だった。即、起床して風呂に入る。
コンピュータを起動してマイツールを開くと、「前日の残」 + 「本日の入荷」 - 「本日の残」 = 「本日のアイテム別販売数量」 の計算を一瞬にして行うマクロが、既にして昨日の実績を算出している。
「風呂には入らず、上半身は裸、下半身はズボンを履いたままで寝るような大酔っぱらい状態で、オレはここまで仕事をしたのか、偉いじゃん」 と自らを賛嘆して検算をすると、そもそも入力した 「本日の残」 が間違いだらけのため、フォーマットの全体が狂った数字を示している。
声は立てず静かに笑う。今度は正しい答えを導き出す。また、きのうの日記を完成させ、それをダイヤルアップ接続にてサーヴァーへ転送する。同時にメイルの受信もする。
たとえダイヤルアップによる接続でも、高島屋の地下2階まで降り、公衆電話を使ってサーヴァーに繋がったり繋がらなかったりの状態で日記を更新していた昨年にくらべれば、部屋のデスクに着いたまますべてを行える今年の状況は天国のようなものだ。
フロントのセイフティーボックスに預けた現金の一部を出し、「とにかく今年は楽勝」 と気分良くエレヴェイターに乗ってふと正面を見ると、「高速インターネット無料接続のご案内」 という張り紙がある。「エェッ? 知らなかったよー」 と驚き、フロントに戻る。
プラスティックの箱に入った接続キットを受け取り、早速これを部屋にセットする。説明書に従ってブラウザを立ち上げ、「ブロードバンド インターネット接続」 という文字をクリックすると、僕のThinkPad X31は、あっけなく外部と繋がった。
「キェー、今朝まで電話代、損したなぁ。それにしても、インターネット接続が可能なホテルはたくさんあるけれど、ここのシステムはなんて簡単なんだろう、すっげーや」 と、大いに感心をする。おとといの日記に僕は 「このホテルにはインターネットへの無料接続という重要な一点が欠けている」 と書いたが、それは撤回しなければいけない。
8時40分、ハセガワタツヤ君と共にホテルを出る。地下鉄銀座線で日本橋へ出て中央通りの 「小諸蕎麦」 に入ると、店内はいつの間にかリフォームをされて、これまでの立ち食いカウンターは椅子付きの低いものにその姿を変えていた。
「素晴らしいじゃん」 と思う。僕は蕎麦にうるさい者ではない。立ち食いの 「小諸蕎麦」 に椅子があってメニュに酒が加わり、少々の肴を揃えてくれれば、それが僕にとっての理想の蕎麦屋となる。僕は蕎麦に、高い金を使う気はしない。
9時15分に地下1階の販売現場へ入ると、既にして甘木庵組は試食の準備を始めていた。9時30分にアルバイトの2名が来ると、ハセガワタツヤ君は彼らと共に1階の荷受け場へ上がる。そして、宅急便によって届けられた大量の商品を検品し、コンビネットに載せて地下1階の冷蔵庫へ入れる。
スペイスに限りのある百貨店の冷蔵庫では、常に場所取りゲイムが行われている。だからきのうの夕刻に空いた、本来は我々にあてがわれた場所に置かれた他店の商品をどかすことから、朝の仕事は開始される。
何日か前に長男から家内の携帯電話へ向けて、「日曜日は高島屋へ行く」 とのメイルが入ったという。家内は当然、長男に昼飯を食べさせることになるだろう。その下見として、午後1時30分すぎに高島屋裏の 「吉野鮨」 へ行く。
カウンターの隣には、イタリア男の二人組がいた、その片方の携帯電話が鳴る。意外や男はそれまでのイタリア語を英国風の英語に切り替えて話し始めた。「昼のおきまりの高い方の小さい方」 を注文する。
吉野鮨の鮨をひとことで現せば、それは 「綺麗な鮨」 ということになる。僕は2,100円を支払い、きわめて満足をして店を出る。生憎と吉野鮨は 「日曜祭日は、お休みなんですよ」 とのことだった。
午後、自由学園で5年先輩のフカザワタモンさんが来てくださる。奇しくも時を同じくして、同級生のアクタアキオ君も出張の帰りに寄ってくれる。そのアクタアキオ君と、記念の写真を撮る。
閉店の7時30分を過ぎて、レジ係のサイトウさんから本日の集計を手渡されたトチギチカさんとケンモクマリさんが 「エーッ? あと150円!」 と、小さな悲鳴を上げる。見るとそのレシートには、あと150円で7桁の大台に乗る数字があった。僕は自腹を切って、ウチの商品の中で最も高い 「なめこのたまり漬」 をひとつ買う。
本日の集計は昨年の同日比において、売上金額で39パーセント、売上げ個数で27パーセントの増加を示した。このイヴェントに臨んで、昨年と異なることは何もしていない。きのう今日の好成績は、ただの狂い咲きと思われる。「こういうときこそ気を引き締めていこう」 と考える。
きのうよりも更に早い7時55分に社員通用門を出る。その20分後には有楽町の 「刀削麺荘 」 にいた。ゴーヤ炒め、ジャガイモとニンジンの細切りサラダ、トマトと香菜のサラダ、エビのマヨネーズ和え、スズキと野菜の炒め、白モツの鉄板焼きに続いて、麻辣鍋を食べる。メシ代は今夜も予算を超えた。
きのうに続いてトチギチカさんが 「2軒目、あるんですか?」 と訊く。とぼけるわけにはいかない。ガード下の 「登運とん」 には幸か不幸か空いた1卓があった。数種類のヤキトンと生野菜にて各人がジョッキ1杯ずつのホッピーを飲み、解散をする。
ハセガワタツヤ君と数寄屋通りを南下し、やがて右へ曲がって首都高速会社線をくぐる。山手線の高架下を歩いて新橋に達する。
今風の外観を持つ焼鳥屋 「文蔵」 の前を過ぎ、ヒョイと顔を左へ向けると、そこには典型的な大衆酒場 「羅生門」 がある。 「どっちが好みだ?」 と訊くと、「羅生門」 に散らばる白衣と背広のオヤヂたちを見てハセガワ君は迷うことなく 「そりゃぁ、こっちの方です」 と答えて笑った。
「栴檀は双葉より芳し」 という言葉を思い出す。もっとも虎ノ門から築地方面へ向かうタクシーのヘッドランプに照らし出されたハセガワ君の容顔に、栴檀の二文字はあまり似合わない。
烏森神社の入り口には、大きなパチスロ屋ができていた。このビルに土地を明け渡したお茶漬けの名店 「鹿火矢」 は、鳥居の先の路地にその場所を変えて健在だった。
ホテルに帰着して後の記憶はない。
家にいるときは目覚めて小一時間ほどもそのまま横になっていることがままあるが、出張先では、そのような時間の無駄はしない。出張先では家とは異なり夜9時に就寝するなどということがないため夜中の3時に目を覚ますこともなく、だから即、起床しないとその後の時間管理に支障を来す、というのが、その理由かも知れない。
ベッドの中では足下付近が特に暖かく、だから30年前の僕だったら、なお数時間は惰眠をむさぼっただろう。ヘッドボードのデジタル時計を見ると6時だった。5時間の睡眠は上出来だ。起床して、まるで3人は寝ることのできそうな車椅子対応の広いバスルームにて顔を洗う。
スケデュールが混み合っているときには、寸暇を惜しんで為すべきことがいくつも発生する。日記の作成も、またそのひとつだ。今日の日記の80パーセントほどを書き上げる。天変地異や事故が起きない限り、これから15時間以内の行動は、あらかじめ予想済みのことだ。
メイラーを回してウェブショップの受注を確認し、懸賞企画 「厳冬期特別仕込み・漬け上がり感謝プレゼント」 への、この24時間の応募者数を知る。
8時30分に販売係のハセガワタツヤ君とホテルを出る。山手線高架下の牛飯屋を見てハセガワ君が 「自分、こういう庶民的なところが好きです」 と言う。庶民が庶民的な店を好むのは当たり前のことで、面白くも何ともない。
アメリカの狂牛病騒ぎにより 「吉野家」 のメニュから牛丼が消えたのは、つい数日前のことだ。ハセガワ君好みのこの庶民的な牛飯屋にて、並盛りと味噌汁の朝食を取る。
日本橋の朝8時58分には、いまだ早朝の雰囲気がある。9時に 「地下1階レモン前」 の我々の売り場に達する。その数分後に甘木庵組が合流する。
開店直後の出足には心配されるものがあったが、いつの間にか客足は延びた。イヴェントの初日にはおひとりで 「らっきょう、23袋ね」 などと、百貨店には珍しいまとめ買いのお客様も多くいらっしゃるが、2名のアルバイトを加えた総勢8名の体制により、恐慌を来すことはない。
昼食や休憩の最後のシフトにいるのが僕だ。顔見知りの来訪により15分遅れて、午後1時45分に売り場を離れる。「日本橋食堂」 にて、ポテトサラダ、アジフライ、メシ、ダイコンの味噌汁による昼飯を食べる。
この食堂チェーンは、浅草にあれば 「浅草食堂」、上野にあれば 「上野食堂」 とその場所によって名を変え、だから店名によるブランドの浸透を無視しているところが興味深い。
知らないあいだに売上げが上昇し、午後3時には早くも昨年同曜日の実績を超えた。家内はその数字に驚き喜び、帰宅の途につく。
閉店後の集計は、売上金額において47パーセント、売上げ個数においては32パーセントの対前年度比増を示した。金額と個数のパーセンテイジの差は 「らっきょうのたまり漬」 の値上げによるものだが、それにしてもこの好成績の理由は不明だ。今日の天気が快晴で気温も高かったから? いや、土砂降りで売れる日もあれば、晴れて売れない日もある。
「凄いじゃないですか、ウワサワさん」 と、味百選売り場のイノウエシズカさんが眉を上げ目をいっぱいに開いて笑う。「こういうときはデスネ、後半でドカンと落ちて、結局は帳尻が合うんです」 と悲観的な見解を示すと、イノウエさんは 「またまたー」 と、今度は三日月のように目を細めた。
8時に社員通用門から外へ出る。その15分後には銀座5丁目の 「鳥ぎん」 にいた。
20歳のころはこの店へ来て焼き鳥を食べられず、いつも釜飯と鳥スープのみを注文した。金が無かったというよりは、当時の金銭感覚からして、とてもではないが酒や焼き鳥を頼む気が起きなかった。初めての給料をもらった晩、僕はいまだ木造3階建てだったここで鶏のキンタマを食った。鳥のキンタマはタマにしかない貴重品で、それからしばらくしてメニュから消えた。
きのう 「まんまる鮨」 にてウニとイクラからスタートし、炙りトロ、大トロ、しゃり多めの玉子、ネギトロ巻きの連続技を見せた、そしてその前後にも結構な量の鮨を平らげたケンモクマリさんに 「ケンモクは焼き鳥を食う前に釜飯を2個食え」 と言うと、「釜飯は無しで、焼き鳥だけで良いです」 と答える。
「焼き鳥? だったら手羽先なんて高けぇのは食うな、皮にしろ」 と、「ハーフ&ハーフかな? それとも最初から常温の日本酒で行くか」 と考えつつ口にすると、「あー、ワタシ手羽先が好きなんです。でも、皮も好きです」 と、彼女は突き出た唇をせわしなく動かしつつじっとメニュを見る。
クルマに少し詳しい人なら、"Vanden Plas Princess" が "Poorman's Rolls Royce" と呼ばれることを知っている。「鳥皮焼き」 はその味わいからして 「プアマンズ手羽」 だと、僕は27年前から認識をしていた。近づいてきたオニーチャンに飲み物のオーダーをし、焼き物のスタートとして 「皮6本、砂肝6本、シシトウ6本」 と伝える。
そして社員4名の方へ向き直り、「今日の焼き鳥は150円以下のやつに限定しようぜ」 と宣言をする。
気がつくと、僕が食べるはずの鳥皮焼きが皿の上に無い。ひとり2本あての串を、ケンモクマリさんとハセガワタツヤ君が3本ずつ食べてしまったらしい。僕のための鳥皮焼きを含めて、追加の注文をする。また、カキと五目の釜飯もひとつずつ頼む。
ケンモクマリさんは、お新香やサラダや釜飯の類は食べない。肉、肉、肉の一辺倒だ。2週間後に行くサイパンでの晩飯は、彼女の独擅場だろう。5人で計44本の焼き鳥をこなして外へ出る。
トチギチカさんが 「どこか2軒目、行くんですか?」 と訊く。そう言われて 「えぇっと、どうなんでしょうかー」 とはぐらかすわけにはいかない。2丁目の野天にしつらえられたバーへ行く。テイブルの下には石油ストーヴがあって、これが股火鉢のように熱い。僕はホットワイン、他の面々はブルドッグを注文する。
クロサワセイコさんとケンモクマリさんは頼んだ品物がとどく間に、目と鼻の先にある2階建ての洒落たお菓子屋へ買い物に行った。
各々が1杯ずつお代わりをして、このキャッシュ・オン・デリヴァリーの気楽な店を出る。晴海通りにて甘木庵組と別れ、僕とハセガワタツヤ君は並木通りを南下する。
花椿通りまで来ると、仲間内の情報から今はもう無いとばかり思っていた "Y's bar" の看板に灯りがともっている。ジャズクラブ "CYGNUS" の前の歩道に立てかけてある出演者表を見て、思わず 「あ、フタムラキイっちゃん」 と、ひとりごとを言う。ピアニストの二村希一は、昨年は2、3度一緒に飲んだ僕の好きなドラマー原田俊太郎の友達だ。
家内と共に行動する者はやたらとタクシーに乗れるが、僕と共に行動する者はやたらと歩くことができる。新橋駅前まで来てビルの2階にあるアイリッシュバーへ入り、僕はホットバタードラム、ハセガワ君には勝手に "KILKENNY" と "GUINNES" のハーフ&ハーフを注文する。僕も2杯目には、その色の濃いビールを飲む。
ネオンの洪水の中を泳ぐ熱帯魚のようにして部屋へ戻る。ザックからコンピュータを取り出し、電源とモデュラーのケイブルを繋いでスイッチを入れる。その後の記憶はない。
朝3時に目を覚ますが、枕元にこれといった本はない。あれこれを拾い読みしつつ5時30分に起床する。事務室へ降り、いつものよしなしごとをして、7時すぎに居間へ上がる。
朝飯は、トマトとレタスのサラダ、しもつかり、ホウレンソウのゴマ和え、マヨネーズ入りスクランブルドエッグ、納豆、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
11時15分に、販売係のハセガワタツヤ君と三菱デリカにて会社を出る。家内と、同じく販売係のトチギチカさん、クロサワセイコさん、ケンモクマリさんは、下今市駅11:36発の上り特急スペーシアに乗る。三菱デリカが甘木庵へ到着した10分後の1時30分に、電車組から 「いま湯島の切り通し坂を上がっている」 旨の連絡が入る。
総勢6名にて、女子社員の荷物をクルマから甘木庵に運び入れる。三菱デリカは御茶ノ水、霞ヶ関、内幸町、新橋と過ぎて僕と先発のハセガワ君、後発のサイトウシンイチ君が宿泊するホテルに我々の荷物を運び入れる。
ふたたびクルマに乗って新橋、京橋、日本橋と移動し、高島屋東京店の担当者サスガケンイチロウさんとオカダシゲキさんの出迎えを受ける。三菱デリカを屋上の駐車場へ上げ、地下1階の味百選売り場にて、今夜の準備について軽い打ち合わせをする。
今度は地下鉄銀座線にて新橋へ戻り、ホテルにチェックインをする。部屋のデスクからテレビや 「宿泊の手引き」 などを一掃し、コンピュータを設置するなどして自分好みの環境を作る。
昨年はこのホテルの部屋のモデュラージャックから外部へのダイヤルアップが不調だったため、日記の更新やメイルの送受信はほとんど高島屋の公衆電話に頼らざるを得ず、少なくない神経と時間を費消した。今年もやや諦め加減にて接続試験を行ったが、昨年は考えつかなかった小さな工夫を加えたところ、ダイヤル音に続いて 「ヴォーッ」 という、僕がこの世で最も好きな音が聞こえて、当方の電子信号はサーヴァーに受け入れられた。
このホテルは 「交通至便」 「安い」 「綺麗」 「館内にファミリーレストランを備える」 など多くの美質を持ち合わせるが、「インターネットへの無料接続」 という重要な一点が欠けている。
歩いて新橋から土橋、コリドー街、首都高速会社線下、山手線高架下を経て銀座へ達する。5時に四丁目の三愛前にて甘木庵組と落ち合い、7丁目の 「まんまる鮨」 へ行く。
後に仕事が控えているため、飲み物はお茶にせざるを得ない。僕のスタートはイワシとカツオだった。
「炙りトロと大トロ、玉子はしゃり多めで」 と来て 「ネギトロ巻き」 とは、ケンモクマリさんのオーダーだ。玉子による合いの手は良いとしても、炙りトロ、大トロ、ネギトロ巻きの連続は、どのような趣味によるものだろうか。
「いいじゃねぇか、準備の日は忙しいんだから、ラーメンだって何だって」 と言った僕に対して 「それじゃぁ可哀想よ」 と返したのは家内だ。
10代から20代はじめの男女が遠慮会釈なく鮨を食えば、その払いは大体、想像がつくというものだ。まんまる鮨は安価な鮨屋だが、それでも今夜の支払いは予算の2.3倍に達した。8日間の食費の予算を守ろうとすれば、どこかで誰かが可哀想な思いを味わって帳尻を合わせることになる。
異常な高速度で鮨を食べたため、仕事に入るまでにはまだまだ時間がある。7丁目から5丁目まで歩き、「千疋屋」 でストロベリーパフェなどデブの元を食べる。この店以降は家内のおごりにて、経費にはいささかの影響もない。デブの元も、たったの5分で食べ終えてしまった。更に日本橋へ移動し、"TULLY'S" でコーフィーを飲む。
ようやく7時30分を過ぎて、高島屋東京店に入る。航空母艦の内部のように複雑な館内を、2台のコンビネットを押して数百メートルも歩く。屋上に停めた三菱デリカから殆どのものを降ろして、一気に地下へ下る。
残業をして手伝って下さった高島屋の社員さん、またウチの社員の手際の良い動きによって、昨年よりも15分早い10時ちょうどに、本日為すべきすべての仕事を終える。
歩くことの嫌いな家内は甘木庵組と共にタクシーにて中央通りを北へ向けて去った。僕とハセガワ君は地下鉄で新橋へ移動し、もちろん歩いてホテルへ戻る。
本日の日記を仕上げ、入浴してミネラルウォーターを飲む。これにて3日連続、今月に入って7日目の断酒を達成する。
午前1時に就寝する。
空を巻いて突進する強い風の音に目を覚ます。それはこれまで経験したことのない勢いであちらこちらの戸の隙間や換気扇から進入し、家の中のあれこれを振るわせる。「いま火事があったら、町中が燃えちゃうだろうな」 というその強風は、明け方になってようやく治まった。5時30分に起床する。
これだけの風が吹いたのだから、さぞかし目に痛い快晴に恵まれているだろうと洗面所の窓を開けると、日光の山には雪雲があって何も見えなかった。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時すぎに居間へ戻る。
朝飯は、ホウレンソウの海苔入りおひたし、しもつかり、納豆、豆腐の卵とじ、野沢菜、メシ、モヤシと豚挽肉と万能ネギの味噌汁。
メシを終えて口をゆすごうと洗面所へ行き、ふたたび窓を開けると、2時間前とは打って変わった晴天がそこにはあった。
下今市駅9:11発の東武日光線上り快速に乗って新栃木へ行く。「滋養堂治療院」 にて腰と膝の裏に鍼を打ち、10個所の電極から低周波を流す。
僕がギックリ腰を経験したのは、1回目が多分1996年7月、2回目は確かな記憶があって1998年1月のことだった。そのころ慈養堂に3回も通えば快癒していたものが、今回はギックリ腰でもなく、ただ 「やべぇぞ」 という不安が腰にあるだけの症状にもかかわらず、4度も鍼を刺されて一向に良くならない。
20分間の鍼打ち、25分間の電気流し、15分間の入念なマッサージを受けて、昼に帰社する。
午後、明日からの8泊9日の出張に備えて、3枚のチェックシートを確認しつつ、ゼロハリバートンの大きなトランクに荷物を詰める。
夕刻、大橋ガソリンスタンドによって届けられた洗車したての三菱デリカに、やはり3枚のチェックシートを確認しつつ、販売係のハセガワタツヤ君と共に、宅急便で送ることが不適当な商品、用度品、写真パネル、会場設備の一部、ノヴェルティなどを積み込む。三菱デリカはこれら諸々を満載し、ルームミラーでの後方確認が利かなくなった。
燈刻、今月6回目の断酒のため、ヨーグルトとイチゴを摂取する。
入浴して枕元の活字を拾い読みしつつ、9時30分に就寝する。
目覚めてからどれほどの時間が経ったかは知らないが、枕頭の灯りを点けると4時30分だった。「ガンジス河でバタフライ」 を読み、5時30分に起床する。
ベッドへ横になっているとき、外を走るクルマのタイヤと地面のたてる音を聞いて 「今日は雨か」 と思ったが、洗面所の窓を開けると目の前には灰白色の未明があり、大きな牡丹雪が屋内の灯りを反射しつつ激しく落ちていく。「げー、雪かよ、今日の売上げは目論見の半分だな」 と悲観する。
事務室へ降りて店舗駐車場に出てみると、雪はシュークリームの上のパウダーシュガーよりもずっと深く、始業時からかなりの人数で雪かきをしなくてはいけない量だった。
いつものよしなしごとをして居間へ戻る。朝飯は、タクアン、しもつかり、野沢菜、アサリの佃煮、玉子とシイタケと万能ネギの雑炊。
駐車場の雪は始業の8時15分からの30分にて、ほぼそのすべてが歩道沿いの暗渠に落とされた。「オレ、腰が痛くてさぁ」 というわけにもいかないため、僕も雪かきを手伝う。なお30分をかけて細かいところを綺麗にし、日中の凍結が予想される場所には塩化カリウムを撒く。
9時を過ぎるころから太陽が雲間に現れ、やがてその雲もどこかへ去った。幸いにも客足は伸び続け、終業時の売上金額は昨年同曜日のそれを超えた。
終業後のしばらくを使って 「あしたすべきこと」 のメモを整える。
数日前に町内のウチヤマトオル君より、
「小学校5、6年生のときの同級生セトグチタカシ君が37年ぶりのクラス会を催すべく奔走している。ついては連絡先不明の者につき追跡調査を施すため、15日の夜6時30分より、やはり同級生ヨシハラノリコさんの店 "Candle" へ集合するように」
との電話連絡があった。6時30分にタクシーで "Candle" の前に達すると、看板に灯りはなくシャッターも降りている。運転手さんが 「メーターは止めとくから、お客さん、ちょっと行って見てきたら?」 と言うので、シャッターを叩いて 「今晩、集まりがあるんです、ウワサワです」 と声をかけると、中から 「今日は裏口なんだわー」 という声が聞こえる。
タクシー代を支払い裏手に回ると、ちょうどヨシハラノリコさんが通用扉を開けて出てくるところだった。
絞られた照明のため店の中はほの暗かった。本日は定休日だという。34年ぶりくらいに見るセトグチタカシ君はオジサンになっていた。その横に知らないオバサンがいたが、この人は我々の同級生ではなく、ヨシハラノリコさんの大人になってからの友人と思い、視線を合わせないでいた。
しばらくよりは長い時間が経って後、そのオバサンがアカサワチアキさんだということに気づく。ヨシオカズヒコ君、サイトウトモヒサ君が遅れて次々に来る。
ヨシハラノリコさんの店は洒落た飲み屋のため、てっきりチョリソーを肴にI.W.ハーパーを飲む晩になるかとばかり考えていたが、聞こえてきたのはコーフィーメイカーの音だった。今夜は酒など飲まず、しっかりと同級生の行方を捜す会にする、ということなのだろう。ちょうど良い機会のため、本日の断酒を決める。
質疑応答の他、こういう機会にはつきものの思い出話やゴシップの開陳などが続く。「そんなことを、よりによって小学生のオレがやらかしたのか? 自分じゃぁぜんぜん憶えてねぇよ」 というひどいいたずらの数々が、同級生の口から紡ぎ出される。
サイトウトモヒサ君がふと外を見て驚いたように 「また雪だよ!」 と声を上げる。郊外の住宅街はいつの間にか真っ白になっていた。それを機に、我々は次の邂逅を期して店を出る。
セトグチ君の四輪駆動車に送られて、10時30分に帰宅する。入浴して 「ガンジス河でバタフライ」 を読み、0時に就寝する。
朝5時30分に起床して事務室へ降りる。
サム・クックはただ者ではないが、しかし大きな音が聞こえていると、僕はメイルも日記も書くことができない。今度は音量を絞り、静かにリピートボタンを押す。
朝飯は、マヨネーズ入りスクランブルドエッグ、しもつかり、ホウレンソウのゴマ和え、納豆、アサリの佃煮、メシ、豆腐とミツバの味噌汁。
日中、家内とホンダフィットに乗って郊外へ出かけ、ホームセンターやスーパーマーケットを回る。高島屋へ出張中している1週間に使う消耗品や、社員から 「こういうものがあったら便利」 と指摘された諸々を買う。
夜、会合をひとつこなして9時30分に帰宅する。入浴してジンをストレイトで1杯だけ飲み、本は読まず10時に就寝する。
毎日の日記をこれくらいの長さに納められれば言うことはないが、実際には、そう簡単なことではない。あるいは簡単なのかも知れないが、自らの饒舌さが、それを阻んでいるのだろう。
冬の甘木庵に1泊すると、明け方に至って床暖房の熱がベッドマットを透過し、僕の全身を心地よくする。そういう心地よさの中で理由は知らないが、僅々3時間強しか眠ることができない。4時に起床してコンピュータの電源を入れる。
きのうの日記を完成させサーヴァーへ転送するとか、ウェブショップの受注を確認するとか、顧客からのメイルに返信を送付したりとか、そういういつものよしなしごとを済ませても、いまだ時間は余っている。
いつもよりも早い6時30分に玄関を出る。カラスが電線の高いところに並んでいる岩崎の屋敷裏を抜け、湯島の切り通し坂へ出る。晴れた冬には毎度のことながら、遠く御徒町駅の彼方から朝日が上がる。
東武日光線浅草駅には7時前に着いた。切符売り場にはいまだシャッターが降りている。それを見て久方ぶりに、特急スペーシアの自動発券機は、7時を過ぎないと稼働しなかったことを思い出す。
浅草の裏町を散歩して駅に戻る。7:30発の下り特急スペーシアの切符を買い、いつもながら 「管理会社、しっかり整備しろよ」 と言いたくなる汚い地下街へ入り込み、とんかつ屋の 「会津」 でベーコンエッグ定食を食べる。
裏町の散歩により、少々、時間の計算を誤り、朝飯の最後のころは、流し込むような早食いになる。発車の1分前に、スペーシアの車内に入る。
特急を栃木で降り、普通列車に3分乗って新栃木にて駅の外へ出る。8分かそこいら歩いて 「慈養堂治療院」 に達したとき、いまだ時計は9時前を指していた。 今年に入って3度目の鍼治療を受け、全身の10個所に電極を繋いで低周波を流す。
帰社して、人に会ったり、紙の手紙を書いたり、僕の不在中に社員のした仕事について礼を述べたり、あるいは "amazon" から届いた荷物の包装を解いたりする。
初更、"Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1999" を抜栓する。このワインは明らかに、デキャンタをした方が美味い。コルクを引き抜いてから30分後に、小さなガラスのカラフにグラス2杯分の紅い液体を静かに移す。
「寧楽共働学舎」 のベイコンとジャガイモのソテー、「手塚工房」 のテヅカナオちゃんからもらったヤマメとギンザケの薫製、アンチョビで塩味をつけたホウレンソウの油炒めに、今夜の重いワインは似合いではない。このワインはただ、"Atelier de fromage" のマツオカヨウコさんから届いた 「冬限定チーズ」 のために準備した。
ウォッシュタイプのチーズは、僕の大好物だ。固く充実し手にみっしりと重いチーズにナイフを当て、 力を込めて薄切りにする。これを口へ入れ、歯で噛み、軟口蓋と硬口蓋とのあいだですりつぶして口の中のあちらこちらへと移動させる。呑み込んで、鼻から息を吐く。そうして、チリ産のポッテリとしたワインを飲む。すべてが美味い。
食後のイチゴを食べる前に、座ったまま眠ってしまう。
8時30分に目覚め、入浴をする。次から次へと本を読んでいくと、直前に読み終えた本と似たようなものをまた読もうとする、ある種、慣性のようなものが発生する。1日で読み終えてしまった 「アジア裏旅行」 と同じく紀行文の
たかのてるこの文章は諧謔と含羞に満ちて、なかなかに悪くない。
9時30分に就寝する。
暗闇の中で目を覚ます。時間の無駄になるとは知っていながら、筋肉の疲れがサイダーの泡のように空中へ放射されていく感覚を味わいつつ、そのままの姿勢で数十分を過ごす。
枕頭の灯りを点けると2時15分だった。3時に 「キッチン・コンフィデンシャル」 を読み終える。そのまま二度寝に入って6時に起床する。
今日は神保町の "Computer Lib" へ行くため、7:03発の上り特急スペーシアに乗る必要がある。事務室へ降りても、きのうの日記を書くヒマはない。メイラーを回してウェブショップの受注を確認し、シャッターを上げて外へ出る。
店の駐車場で昨夜、若い者が酒盛りをしたらしい。酒盛りをしたのがどうして若者かといえば、2月の晴れた晩に外でビールを飲む老人はいないし、また、野天にしゃがみ込んで飲酒を為すような老人がワインを好む筈はないからだ。
これらの残骸を見て、掃除をしない人や義務感から掃除をする人は 「出勤した社員がこれを片づければ良い」 と考えるだろう。しかし僕は即、これらを目の前から消し去らなくては気が済まない。缶やら瓶やらプラスティックの皿などを取り急ぎ集め、分別してゴミ箱へ入れる。
居間へ戻ってお茶を入れていると、家内が 「そんなことをしている余裕はあるのか?」 と訊く。「6時50分に玄関の外へ足を一歩踏み出せば余裕だ」 と答えつつテレビの時刻表示を見ると6時48分だった。
実際に外へ足を一歩踏み出したのは6時52分だった。歩いて下今市駅へ至り、時計を見ると7時ちょうどになっている。切符を買い跨線橋の階段を上り始めたところで、上り特急スペーシアがップラットフォームに進入して停まる。
こういうギリギリの時間管理を好む僕に、日本標準時と寸分違わない時刻を表示する電波時計は必須のものだ。
車内にて、牛乳の2リットルパックを改造した弁当箱に並ぶ5個のおにぎりを食べ、きのうの日記を作成する。
春日部から満席になった車内で更にコンピュータのキーボードを叩き続けるうち、「間もなく北千住」 とのアナウンスが聞こえてくる。列車がいつ目的の駅に着くとも考えずにコンピュータの電源を落とさないのは、僕の悪癖のひとつだ。
地下鉄千代田線と新宿線を乗り継いで、9時すぎに神保町の "Computer Lib" へ達する。
この会社を最後に訪ねたのは、昨年11月中旬のことだ、以来2ヶ月以上のあいだ、「次に "CPL" へ行ったら解決すべき問題」 という箇条書きを、自分のノートに書き連ねておいた。アボリョウコさんの入れたコーフィーを飲むのももどかしく、早速、そのノートに従って、諸々の作業を開始する。
おおかたの支持を得ると予想して始めたことが、案に相違してまったく認められなかったりする。
「ナカジマさん、オレ、これ、絶対にイケると思ったんだけどさ」
「あのさー、この前ぇ、ある新聞記者にそのこと確かめたんだけどー、『既存のところは売れてる』 って言うんだよ。
「オレさぁ、新聞に書いてあることなんて、ほとんど信じねぇんだよ。純情な記者がソースの提供者に騙されてるのか、それともウソと分かってて記事にするのかは知らねぇけど、いい加減な情報が多いでしょ?」
「まぁ、そういうことはあるわな」
「オレのもくろみが、世間よりも進みすぎてんのかなぁ?」
「そうかもなぁ」
「だけど、『我々のコンセプトが時代を先取りしすぎていたために上手くいきませんでした』 なんてのは、つぶれた雑誌の編集長がよく言うことで、だけどそれって、ただの言い訳だからな」
「まぁ、そうだな」
などなど、ただの物理的作業から今後のウェブショップの進むべき方向の予測までを、お互いがタイプミスの続出する速度でキーボードを叩きつつ、しかし口も休めずに、あれやこれやとブレインストーミングのような調子で午後1時まで続ける。
ナカジママヒマヒ社長は 「これから九州へ行く」 と言って長い階段を降りていった。僕はきのうの日記を完成させ、これをサーヴァーへ転送してから、同じく細い階段を降りて靖国通りへと出る。
徳大寺有恒が身につけて似合わず、しかし僕がかぶると抜群に格好の良い、赤いボンボンの付いたネイヴィーブルーのベレー帽がある。家内はこれについて 「絶対に、家の中のどこかにはある」 と言うが、しかし、どこかにはあっても、どこにあるのかは分からない。別途、気に入っていたシープスキンの黒い帽子も何年か前に紛失し、僕のハゲた頭は寒いままだ。
神保町から駿河台下まで歩き、「田村帽子店」 へ入る。いくつかのベレー帽を見た後、老店主に 「中に仕込まれたプラスティックの薄板が気に入らないけれど、これの無いものはあるだろうか?」 と訊くと、英国 "KANGOL" 社製の、その品札もすすけた上出来の物件を取り出して僕に見せた。「これは最高だ」 しかしかぶってみると、僕の頭には小さすぎる。
「これの、もうすこし大きなものはありませんか?」 と注文をつけると、店主はふたたび奥へと姿を消し、今度はそれよりもひとサイズ上の、しかし色形は同じでも、白いカンガルーマークの付いた新しいものを僕に示して 「あとは、これだけになりますね」 と告げた。
背中に "ARMANI" と刺繍の入ったアルマーニのスーツがあったとして、こんなものを着たい人間がいるだろうか? 多分、たくさんいるだろう。でも僕はイヤだ。しかしイヤでも、小さな帽子を頭頂部への血流を犠牲にしてかぶり続けることはできない。カンガルーのマークは気に入らないが、このちょうど良いサイズのモスグリーンのベレー帽を深くかぶり代金を支払って、駿河台の坂道を上がる。
思うところあって、御茶ノ水から浅草橋へ達する。江戸通りを歩きながら左右に視線を走らせる。ワタアメの袋を露天商に売る店で、いま流行のアニメイションに出てくるキャラクターのゴム人形100体を買う。
浅草橋から蔵前は目と鼻の先だ。僕は歩きつつ、このあたりの歴史を説明する、区の設置した看板の文字を読む。「蔵前とは鳥越の山を崩して埋め立てた人工の土地で、かつては江戸幕府の米貯蔵庫が並んでいた」 と、その説明は述べていた。
「ひとつ利口になっちゃったねー」 と考えつつ蔵前から地下鉄大江戸線に乗って本郷三丁目へ至り、甘木庵にて今日の日記の前半を書き上げる。
6時前に甘木庵を出て春日通りを歩き始める。「三原堂」 のショウウィンドウには早くも雛祭りの飾り付けがあるが、本郷三丁目の交差点にて信号待ちをする人々の着衣はいまだ真冬のものだ。
自由学園明日館には、約束の時間よりも早い6時すぎに着いた。やがて、毎月の第2木曜日に開かれる、同学会の本部委員会が始まる。
委員長ヨシダジン君の "VAIO" には、"Hewlett & Packard" 社のマウスが繋げられている。広報委員ササガワタダシ君の "Prius" も、大きなネズミを引きずっている。
これほど使いづらいマウスパッドというシロモノを、あちらこちらのコンピュータ会社はいつまで採用し続けるつもりだろう? そしてどうして、わざわざマウスも同時に持ち歩かなければ仕事にならないようなコンピュータを、人々は買い続けるのだろう? トラックポイントを装備した "ThinkPad" を手に入れれば、デジタルカメラ1台分の荷物は確実に減る。
携帯電話という文明の利器のお陰もあって、今月の本部委員会は閉会の9時は過ぎたけれど、いくつもの懸案事項を解決して終了した。
僕は外の芝生に出て、ひとつ気がかりなことをクラス委員のサカイマサキ君に電話で伝える。僕が池袋西口まで歩くたった5分のあいだに数名の同級生と相談をしたらしいサカイ君から折り返し着信があり、来週の土曜日までにはその問題も解決するだろうとの返事を得る。
サイフの残金は1万円を切っているから、いつかのように 「おぐ羅」 へ行く余裕はない。「豊田屋」 にて冷やしトマトを肴に麦焼酎のオンザロックスを飲む。また、ニラタマで中ジョッキの生ビールを飲む。
11時すぎに甘木庵へ帰着しメイラーを回すと、「振り込み依頼者のところに自分の名前ではなく、上澤梅太郎商店と入力して送金をしてしまった」 というメイルと、ウェブショップからは本日17:45の発注にもかかわらず、その備考欄に 「明日必着」 との但し書きのある注文が届く。
これらについての情報を事務係りのコマバカナエさん宛てとして、会社のpatioにアップする。
入浴して冷たいお茶を飲み、
0時30分に就寝する。
4時に目を覚まして 「キッチン・コンフィデンシャル」 を読む。5時に至って、1990年代の最後期、著者のアンソニー・ボーディンが、勤務するニューヨークのフランス料理屋 「レアール」 から、その東京店へテコ入れのため来日する章に入る。一気に読んでしまうのはもったいないため、ここで起床して事務室へ降りる。
ハセガワヒデオ君の追悼文集には続々と原稿が集まりつつあるが、編集委員は遅筆の人にも配慮をして、その締め切りを2週間、延長した経緯がある。
メイラーを回すと、その遅筆のひとりで下級生のハニヨシトモ君からのメイルが届いて、そこには 「8日、校正係りのヤハタジュンイチ君に原稿を送ったが返事がない。ヤハタ君の同級生として、どうか確認をしてくれないか?」 とある。 早速に承諾の返信を送付すると、4分後の5時57分に、「よろしくお願いします」 という返信の返信が戻る。
ハニヨシトモ君の職業はハセガワヒデオ君のそれと同じくジャズ系のピアニストだ。そういう音楽関係者が朝の6時前から起きていることを不思議に思うが、「まぁ、きのうの夜から寝ていねぇんだろうな」 と、考え直す。
朝飯は、トマト入りのスクランブルドエッグ、カブと昆布の浅漬け、納豆、しもつかり、メシ、豆腐と豚肉とミツバの味噌汁。
今朝から納豆を食べる練習を始める次男のために、皿に一粒の納豆が置かれる。次男はこれをメシに包んで口へ入れ、しかし嗚咽するような音と共にこれを太ももの上に吐き出した。「出しても食えよ」 と僕が言う。次男は涙目になって、今しがた吐き出したものを口に突っ込み、間髪を入れず味噌汁と共に呑み込む。
偏食の多い人には、僕のように何でも食う人間が、著しく鈍感なヤツに見えるかも知れない。中には、何でも食う人間を忌まわしい目で眺め、野蛮人、あるいはガツガツと食べ物をあさる飢えた動物にたとえる人もいる。
しかし僕からすればそういう人は、歩いて行ける狭い範囲内のみでの食物採集を強いられ、従って食べられる食品の点数も著しく制限されざるを得なかった原始人に見える。そう、僕からすれば偏食の激しい人は、原始人あるいは非文明人だ。
わざわざ厨房から出てきてくれた料理長の口から、ラビオリにフォアグラが入っていることを知らされて 「気持ちわりー」 とこれを食べない人は、僕からすれば明らかに、教養のない人だ。(しかし良いのかね、ウェブショップからもリンクされている日記にこんなことを書いて)
午後、次男と手を繋いで花市の雑踏へ紛れ込む。花市とは大昔から、その開かれる日は時代によって頻繁に変えられたが、おおむね正月から2月にかけてのある日に行われる、縁日というよりは 「市」 だ。
僕は、「火事に見舞われた工場の地下から奇跡的に発見された無傷の万年筆」 とか街頭賭け将棋には間に合わなかったが、ガマの油売りや子供だましのルーレット賭博には、小学生のころに間に合った。
現在では、伝統的なダルマや縁起物の他は、お面や風船などを売る以外、ほとんどの露店がワタアメや焼きそばなどの食べ物屋になっているが、今回は近所の洋食屋 「金長」 も店を出すということにて、そのテントを訪ねる。
1本200円の串メンチを5本注文したところで、次男が食べ物と同時に売られている、合羽橋で外人観光客が買うような食材のキーフォルダーに興味を示す。「あーあ」 と思うが、1年に1回のお祭りとあって、次男が選んだイチゴのキーフォルダーに大枚700円を投じる。
終業後、来週の火曜日からの9日間に高島屋東京店へ出張する社員を集め、資料を配って打ち合わせをする。また、より多くの商品を売るため、よりコストを切りつめるため、より楽に労働を行うための質疑応答が交わされる。
初更、次男の音読の宿題を督励する。
僕は家では多く、おでんは和辛子ではなく豆板醤にて食べる。エビ天もゴボウ天もダイコンもがんも厚揚げ豆腐も、ことごとく美味い。
次男が僕とではなく、家内と午前中に出かけた花市にて購った砂糖をまぶしたサツマイモの素揚げ、トマトサラダ、また 「金長」 の串メンチにて、焼酎 「だんべい」 を飲む。
入浴して牛乳を飲み、9時30分に就寝する。
朝の3時から4時まで 「キッチン・コンフィデンシャル」 を読む。二度寝に入って5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時すぎに居間へ戻る。
朝飯は、しもつかり、野沢菜、シュンギクのゴマ和え、牛肉とタマネギの甘辛煮、納豆、メシ、ダイコンとミツバの味噌汁。
次男が 「今日は給食に納豆が出るから、学校へは行きたくない」 と泣く。それを家内が 「そんな理由で学校を休む人はいない」 と諫めている。給食に出る嫌いなものを食べたくなかったり、集団で食事をすることになじめず学校へ行かない子どもが、実際には結構いるらしい。
僕は幼稚園のころまで体が大きく、しかし小学校へ上がると同時に成長の速度が落ちたと聞く。僕は密かに、「それは、不味いを通り越して、まるで動物のエサのような給食を無理に食べさせられたせいではないか?」 と考えることがある。
「集団での食事になじめない」 という子どもの気持ちも、僕はよく理解をすることができる。集団で念仏を唱えながら踊る、選挙の総決起集会に動員される、集団でデモ行進をする、集団で結婚式を挙げる。どれもこれも、あまり楽しそうなものではない。
僕は、家族や社員や友人とメシを食うことは好きだ。しかしそれは身内と一緒に食うメシで、集団でメシを食うということではない。巨大なビヤホールのざわめきの中でサイコロステーキを肴にハーフ&ハーフを飲むときも、別段、集団で飲み食いをしているわけではない。まわりの人数には関係なく、このとき僕は、たったひとりで飲み食いをしている。そして静かに楽しい。
世の中の最大公約数に合致している人は安楽だ。そして、世の大勢にくらべて過敏な人は気の毒だ。毛のセーターが手首に触れただけでアトピー性皮膚炎を起こす人、蕎麦を食べて呼吸困難を起こす人と、集団で食事をすることのできない子どもは、「普通の人にくらべて過敏」 という点で一致する。
そういう過敏な人からすれば普通の人は、「著しく鈍感なヤツ」 ということになる。
何でも食べてしまう僕のような人間も、偏食のある人からすれば 「著しく鈍感なヤツ」 に分類をされるかも知れない。というわけで明朝よりは次男を少々鈍感にすべく、納豆を食べる練習を始めさせようと思う。
初更、ヨーグルトとイチゴを摂取して、自らに課した義務よりも5日早く、月に8回の断酒の4回目を達成する。
入浴して 「キッチン・コンフィデンシャル」 を読み、9時30分に就寝する。
僕にとっては深夜、家内にとっては 「そろそろ寝る時間」 の0時30分に目を覚ます。2時まで 「キッチン・コンフィデンシャル」 読んで二度寝に入る。次に目を覚ましたのは5時50分だった。鈍い頭をゆっくりと回して、今朝はメイルマガジンを発行するため、早起きをしなくてはいけなかったことに気づく。
早起きはしたものの、0時30分では早すぎたため、結局のところはベッドを抜け出すのが6時になった。即、事務室へ降り、メイルマガジンを送付するための自作マニュアルを、事務机右側の本棚から取り出して開く。
予想よりも早く、6時20分にメイルマガジンの発射ボタンをクリックする。以降16分何十秒かのあいだ、"ThinkPad X31" は 「なめこのたまり漬」 の蔵出しをお知らせする案内を送り続けた。
7時前に、お稲荷さんへしもつかりをお供えする。「しもつかり」 は初午に作る郷土食だが、この日は同時に、お稲荷さんをお祭りする日でもある。ウチは通常、旧暦に従って年間の行事をこなすが、今年の初午は生憎と、高島屋への出張と重なる。大切なことは、その担い手のいるときに行わなくてはいけない。
朝飯は、できあがったばかりのしもつかり、野沢菜、アサリの佃煮、牛肉とタマネギの甘辛煮、塩鮭、玉子とミツバの雑炊。
9時に、無理を言って新暦に合わせてもらった瀧尾神社のタナカキヨシ宮司がクルマに乗って来社する。お稲荷さんへの祝詞の奏上があり、後は事務室での雑談となる。そろそろ社員への赤飯も届くころだろう。
下今市発10:11発の、東武日光線上り快速に乗る。
今にもギックリ腰になりそうなあんばいを恐れて栃木市の 「慈養堂治療院」 へ行ったのは、先月の31日だった。そのときには 「やべぇぞ」 という自覚症状が何とか落ち着いたため、以降、ここを訪ねることはしなかったが、先週の金曜日あたりから、またまた腰にイヤな感触を憶えるようになった。
現在、かがんで顔を洗うことはできず、立ったまま靴下を履くなどは、とてもではないが恐ろしくてできない。
「慈養堂治療院」 にて、腰の周辺と膝の裏に鍼を打ち、そこに電線を繋いで低周波の電気を流し、入念なマッサージを受けて、新栃木発12:44発の下り快速に乗る。
帰社すると、事務係のコマバカナエさんのために用意した作業のうち、既に終えているだろうと予想していたものに、いまだ手が着いていない。日頃のタフな仕事ぶりを知っているためいぶかしく思って彼女が開いているコンピュータのディスプレイを見ると、ウェブショップの受注ペイジが開いている。
僕は一瞬にして、今朝6時20分に発行したメイルマガジンによる注文が殺到していることを悟る。
「寧楽共働学舎」 のベイコンをぶつ切りにする。これを鍋に投入してしばらく煮込み、別途、キャベツとトマトとソーセージを加える。この鍋にて、豚のしゃぶしゃぶも作る。豚肉にはポン酢のようなたれはつけないからとても薄味だが、これはこれで美味い。
すべてを食べ終えた鍋に、ベイコンのみが残る。ベイコンはスープにあらかたうま味を取られて固く小さくなっている。
内田百閒はかつて 「ちらし鮨は上の魚のみを食べて、酢飯は残すのが作法だ」 と言ったらしい。それを聞いた誰かが 「しかしそれはちと、もったいのない食べ方ではないですか?」 と疑問を呈した。すると百鬼園はすまして 「だから酢飯は、後で隠れて食べる」 と答えたという。
そういうことを思い出しつつ、固く小さくなったベイコン1切れを次男に与え、残りのすべては僕が食べてしまう。
その面積の単位をどう言い表すかは知らないが、小さく切る前の、大学ノートほどの大きさの海苔がある。これを左手に広げ、炊飯器から結構な量のメシをここへ載せる。そこに地中海のどこかでとれたという塩を振り、野沢菜を置く。左の手の平は既にして、我慢ができかねるほどの熱さを感じている。
これを、新聞紙でリンゴをくるむようにクシャクシャクシャと丸め、不細工で巨大なおにぎりとする。そして、食べる。悪くない。
他に何かないかと部屋を出てあれこれ探しているうちに、白イチジクを乾燥させたものを見つける。包装紙をむいて中身を取り出し鼻を近づけると、汗ばんだ尻の割れ目のような匂いがする。否、汗ばんだ尻の割れ目の匂いを嗅いだことはないので、「汗ばんだ尻の割れ目を思わせる匂いがする」 と、言い換えるべきだろう。
これを口へ入れ咀嚼すると、皮の感触、果実の柔らかさと甘さ、プチプチと歯に当たる種のあんばいがことさらに良い。汗のような酸っぱい匂いとことさらに良い味を持つこの乾燥イチジクは、匂いを嗅がず、ただ食べるべきものだと思う。そう思いつつ、ついクンクンと、犬のようにその匂いを嗅ぐ。
一昨年のボジョレ・ヌーヴォーは、結局、丸ごと1本を飲んでしまった。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
枕頭の灯りを点けて時計を見ると4時50分だった。本を読む時間はほとんど無い。即 「キッチン・コンフィデンシャル」 を床から取り上げ、きのう読んだ最後のペイジを開く。
木村義雄第十四世名人による 「ある勝負師の生涯」 を2度目に読んだのは、1995年の秋だった。「2度読んで、これほど面白れぇ本は、そうはねぇだろう」 と感心しつつ、僕はこれを、地下鉄銀座線が渋谷駅へ到着したとき、その車内に置き忘れた。そのときには 「また買えばいいや」 と考えたが、どこかの本屋にこれを注文したら、既にして絶版だった。
それからしばらく後に我が町の "TSUTAYA" を訪ね、「どこかに在庫はないか?」 と訊いたところ、当時いた出来の良い店長は 「文春文庫の絶版はアテになりませんから」 と端末を叩き、「あぁ、お取り寄せできます」 と答えた。
僕はこの本を、1、2冊紛失しても痛くも痒くもないよう、10冊まとめて注文した。いま自分の本棚を見ると、いまだ5冊の在庫がある。「キッチン・コンフィデンシャル」 は 「ある勝負師の生涯」 と同じく10冊ほども注文をして、もらって喜びそうな人に配って歩きたいくらい面白い本だ。
5時30分に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時すぎに居間へ戻る。
朝飯は、アサリの佃煮、厚揚げ豆腐と小判揚げの煮付け、納豆、塩鮭、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
この日記は大抵、翌日に書いているが、メモも画像もないと、自分が前日に何をしたのかが、ほとんど思い出されない。翌日に何をすべきかのメモは毎日つけるが、それも翌日、すべきことをしたと同時にゴミ箱へ捨てられるから、次の日までは残らない。
昼に 「ラーメンふじや」 へ行き、「野菜麺」 を食べたことについては、カメラに画像が残っているからここに書くことができる。野菜麺とは、浅い皿に茹でた麺を盛り、炒めたキャベツ、モヤシ、ニンジン、豚肉、キクラゲを載せ、醤油味のスープを注いだもので、スープの量が少ないため、あまり腹をふくらせたくないときには重宝なメニュだ。
オープンキッチンの台湾料理屋へ行くと、大きな店では助手が、小さな店ではオヤジ自身が、注文が入ると同時にアルマイトや陶器の皿にその材料を必要なだけ準備し、調理に備えるところを見ることができる。僕も同じようにして、明日、事務係のコマバカナエさんにしてもらう仕事の下ごしらえをする。
燈刻、家内が包丁を使っている場所へ行くと、ちょうど赤ピーマンのヘタが、スッパリと切り落とされたところだった。僕はそのあまりの綺麗さにうっとりとし、捨てられようとしているそれを持って居間へ行く。茶箪笥から古い皿を取り出し、その赤と緑のヘタを伏せて置く。
数日前に飲み残したボジョレ・ヌーヴォーのバキュバンを外し、この野菜の端切れを肴にして飲み始める。
トマトとベビーリーフのサラダを、フランスパンに載せて食べたりする。3種のハムの中ではパルマ産の生ハムが1番高いのかも知れないが、人に先んじてフォークを突き刺したいのは、噛むと脂のツブツブが口の中に溶け出すミラノサラミだ。
クロダイのオリーヴオイル焼きバルサミコソースを、あっという間に平らげる。「骨を取ってくれ」 と言う次男の皿へナイフとフォークを向け、素早くタイの身をほぐして、その上に細かく刻んだハムを載せてやる。次男は普段と異なりほとんど無駄口を叩かずに、これを黙々と食べる。
田舎風のパンにマスカルポーネを塗り、生ハムを載せる。さぞかし美味かろうと思ったが、柔らかいチーズが舌を包んでハムの風味を感じない。家内にそのことを伝えると、「だったらハムを追加して載せるべきだ」 と答えるが、僕はむしろ、パンの上からハムを引きはがして、パンはパン、ハムはハムで食べた方が良いのではないか? と考える。
考えはするが、面倒は避けて、そのまま生ハムの載った田舎風のパンを食べ進む。一昨年のボジョレ・ヌーヴォーを飲む。
入浴して 「キッチン・コンフィデンシャル」 を読み、9時30分に就寝する。
明け方というにはいまだ早い3時から4時まで 「キッチン・コンフィデンシャル」 を読む。灯りを消して30分だけ休み、4時30分からふたたび本を開く。5時30分に起床する。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時を回って居間へ戻る。
朝飯は、納豆、ときどき無性に食べたくなる生卵ぶっかけメシのための玉子、タクアンの油炒め、メシ、焼いた油揚げとシュンギクの味噌汁。焼いた油揚げを味噌汁に用いるのはアイディアだが、僕はやはり、熱湯で油抜きをしたのみの、フワフワのそれが好きだ。
8時15分より住吉町の加藤床屋へ行き、指でつまめないほどに髪を短く刈る。僕が髪の毛を短くし、しかしひげを残しているのは、朝、髪の寝癖を直す必要もなければ、ひげを剃る必要もないからだ。
普段は化粧の濃い女の人の家を朝早くに訪ねると、そこには誰だか判別のつかない人がいて、「あらいやだ」 などと、ほとんど毛のない眉をしかめてみせたりすることがある。自分の顔にそれほどあれこれを塗らない女の人の家を朝早くに訪ねても、それほどの違和感はない。
旅先に愛用のヘアブラシやドライヤーを持参する男や、朝、30分も鏡に向かって筆やプラスティックの棒を操っているらしい女の存在を知るにつけ、「荷物は軽い方が楽だし、そんなことより朝飯をゆっくり食った方が良いだろう」 と思う。しかし、人が1000人いれば1000通りの常識があることくらい僕でも知っているから本人には何も言わない。
そろそろ 「なめこのたまり漬」 の新物が店に出る。ウェブショップの 「たまり漬を使ったメニュ」 については季節柄、この上出来の商品を使った料理をペイジの上に集め、あるものについては画像を撮り直してサーヴァーへ転送した。ここにもう1品を加えたい。
町なかのスーパーマーケット 「かましん」 へ、その材料となるエビを買いに行くが、冷蔵ショウケイスには甘エビの刺身と鮨用にボイルしたエビしか無かった。ジョシュア・レッドマンの退屈なCDを聴きながら、今度はホンダフィットにて郊外の "JUSCO" へ出かける。ブラックタイガーにくらべて3倍ほども高い、しかしその種類は不明のエビと切り餅を手に入れて帰宅する。
1.器に、焼きたてのおもちと揚げたてのエビの天ぷらを置く。
2.その上に大根おろしを載せ、熱い出汁をかけまわす。
3.「なめこのたまり漬」 とミツバを散らし、好みにより七味唐辛子を振る。
という手順によるお雑煮を家内に作ってもらい、上からじっと眺める、なめこをできるだけ格好良く配置したいと考え箸を使うが、これがキョロリキョロリと滑って意のままにならない。ミツバは生のピンとした姿を失い、柔らかくなっている。あれこれしているうちにこれが冷めたら、僕の昼飯は惨めなことになる。いい加減のところで妥協し、その画像をカメラへ納める。
辛口の日本酒があれば、このお雑煮は更に美味くなるだろうが、仕事中ともあれば、そういうわけにもいかない。
午後、事務係のタカハシアツコさんに手伝ってもらい、今月17日から日本橋の高島屋へ出張する者のための、12ペイジにわたる資料10名分を作成する。また、持参する用度品の一覧表をA4の紙8枚にプリントする。
次男は本日の午前中までに、すべての宿題を終えた。昼過ぎからは余裕の表情でゲームボーイアドバンスSPを操作し、またなにかの攻略本を熱心に読んでいる。
小さなころから読み聞かせなどにはハナから興味を示さなかった次男においては、「たとえそれがどのようなものでも、本を読んでくれさえすれば御の字だ」 と思う反面、読書好きにして社会の落伍者もいれば、活字をまったく読まない善良な働き者もいる現実を振り返って、「ま、どーでもいいか」 と、考え直したりもする。
初更、ヨーグルトとイチゴを摂取する。今月はいまだ7日にして、既にして3回の断酒を済ませた。「この勢いで一気に断酒日を増やして、後半はずっと飲み続けようか」 と考えないでもないが、それでは断酒の意味がないかも知れない。
入浴して 「キッチン・コンフィデンシャル」 を読み、10時すぎに就寝する。
目覚めてしばらく後に枕頭の灯りを点けると1時だった。3時ならともかく1時とはずいぶんと早すぎる。「キッチン・コンフィデンシャル」 を2時まで読み、灯りを消して30分だけ休む。これを数回繰り返して5時30分に起床する。
事務室へ降りて、いつものよしなしごとをする。7時に居間へ戻る。
朝飯は、昆布とハスとジャコの佃煮、梅干し、タクアンの油炒め、カキの薄味煮、塩鮭によるお茶漬け。
一昨年に亡くなった叔母の三回忌法要のため、如来寺へ行く。控え室から本堂へ至る廊下は底冷えがした。窓の外には数日前の雪が残り、反り返った屋根ごしに青い空が見える。
焼香を終えて外へ出る。日なたの泥は春の近いことを感じさせ、しかし日陰の雪はいまだ当分、冬の寒さの続くことを知らせている。本酒会員でもあるクワカドシュウコウ住職の読経の中、凍った足下に注意しつつ墓前に線香を手向け、11時50分、無事に本日のつとめを果たす。
"Finbec Naoto" へ移動をする。 冬のものとは思われないほどに強い光が、南側の大きな窓から差し込んでいる。店の女の人は、レイスのカーテンを降ろした。
「ワカサギのエスカベーシュ」 はベビーリーフに覆われているが、底の方にはクスクスとラタトゥイユが仕込まれている。その緑の葉とオレンジのクスクスとのあいだをナイフで探ると、小振りのエビや軽く炙ったアオリイカなど個別に味つけをされた諸々が次々とあふれ出て僕を喜ばす。ムスカデを飲む。
エビあるいはカニの脳みそで味つけされたサトイモのリゾットの上に黒鯛のパン粉焼きを載せた一皿は、今年の大晦日に1年を振り返ったとき、ことによると 「この1年に食った中で最も美味かったのは、あんときの黒鯛だわなー、やっぱ」 と、思い出すかも知れない。
豚ロース肉のマスタードソース、ポテトとベイコンのグラタン添え。
アップルパイとイチゴのシャーベットは、イチゴのシャーベットも美味いが、なによりアップルパイは上出来の菓子屋のそれよりも更に美味い。
エスプレッソを飲みながら、「やーっぱりここは、良い料理屋だよ」 と思う。
15人分の支払いは、僅々54,020円だった。東京で鳴り物入りのフランス料理を食べて、京都の古い街で会席料理を食べて、しかし我が町の "Finbec Naoto" や 「ばん」 で食うあれこれと比較をすると、僕は 「なんだかなぁ」 の感を憶えないわけにはいかない。
2時すぎに帰社し、仕事に復帰する。
夕刻、 "Finbec Naoto" のオオイデナオトさんに電話を入れ、「リゾットの味つけには、ワカサギのエスカベーシュに使ったエビの脳みそを用いたのか?」 と質問をする。「全く別の、あるカニとあるエビの双方を用いたものだ」 との答えが返る。僕は大いに感心をして礼を言う。そのカニとエビの詳細については、オオイデさんの迷惑になるやも知れないので書かない。
燈刻、次男の漢字練習の宿題を督励する。
今夜は断酒してヨーグルトを摂取しようとしたが、考えてみれば昼にムスカデを飲んだため、夜に断酒をしても今日が断酒日になるわけではない。タクアンの油炒め、生のトマト、シュンギクのゴマ和え、カキの薄味煮、厚揚げ豆腐と小判揚げの煮付け、法要のおみやげの豆御飯にて、焼酎 「だんべい」 を飲む。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
目を覚まし、しばらくして枕頭の灯りを点けると3時だった。4時ならまぁまぁ、5時ならちと寝過ごし、今日の3時は 「ゆっくり本の読める目覚めの時間」 という感じで悪くない。「キッチン・コンフィデンシャル」 を読み始める。
私の態度は決まっている。私はなんでも食べる。 -中略- うさんくさそうに見える相手の料理がとびきり美味ということもあるのだ。 -中略- たった一度、内臓も含めた本格的なフグ料理を味わうチャンスがあったらどうする? その板前とは面識がなく、なじみのない極東の奇妙な都市にいる。そして、明日の飛行機で帰国する予定だったら? 私なら食べる。一生に一度なのだから。
こう断言するアンソニー・ボーディンが次に東京へ来たら、日本の友人はどこへ彼を連れて行くべきか? それは、立石の 「宇ち多」 で決まりだろう。
5時30分に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして、7時に居間へ戻る。
朝飯は、カキの薄味煮、グリーンアスパラガスとソーセージの油炒め、タクワンの油炒め、ポテトサラダ、千枚漬、納豆、メシ、お麩とミツバの味噌汁。
夕刻、店が閉まるときには大抵、僕は客用スペイスの黒い石の床に立って、閉店間際に駆け込んでくるお客様の鼻先でシャッターを降ろしてしまうことがないよう、暗い外へ注意を払っている。やがてシャッターが閉まり、すべての灯りが落とされる。
普段であればここで事務室へきびすを返すところ、今日だけはなぜか、それとは反対の、客だまりの方へと歩いていった。そしてふと右手を見ると、壁が床と接するあたり、顧客用ベンチの下に、古ぼけたコンセントがある。
その瞬間、「そうだ、店舗改装後の配線に頭を悩ませていた照明付きのショウケイスは、ここへ持ってくれば良かったんじゃねぇか」 という考えがひらめいた。
大げさに言えば、頭の中の雲が一掃されるような感じがした。後は、高橋家具と小島電気を呼んで詳細を詰めるだけだ。これまで25年以上もショウケイスの裏側にあって多分、変色をしているだろう木の壁は、稲葉塗装にその処理を任せれば安心だ。ショウケイスが移動することにより現在のスペイスを失った木製のベンチは、手塚建築に切り詰めてもらえば良い。
たかだか照明付きショウケイスの移動についてのことだが、閉店時、いつもなら行かない場所になぜかフラフラと歩き、薄暗がりにあるコンセントに気づき、それが、このことによって今後、幾らの利益を稼ぎ出してくれるかは知らないが、今では少々お荷物になっていたショウケイスの最も合理的な置き場所の発見につながるとは、不思議なこともあるものだ。
居間へ戻り、次男の算数の宿題を督励する。
シュンギクのゴマ和え、茹でダコ、莫久来、大学芋、千枚漬にて、「真澄」 のあらばしりを飲む。湯豆腐にてももちろん、「真澄」 を飲む。茹でたキャベツの添えられたサバの味噌煮に箸を入れてしまってから、「あぁ、まだ画像、撮ってねぇや」 と、カメラを構える。
食後のイチゴは僕の気のつかないうちに、そのすべてを次男が食べた。
入浴して牛乳を150CCほども飲む。本は読まず、9時に就寝する。
その音が目覚まし時計のアラームだと気づくまでに、数十秒あるいは1分以上の空白があったようだ。半身を起こして薄闇に手を振り回し、天井の灯りから下がるヒモを引いて部屋を明るくする。
居間へ移動し、コンピュータを起動する。メイラーを回すと、取り込まれたのはウェブショップの注文と懸賞企画への申し込みだけで、メイリングリストへの発言や私信はなかった。
熱いお茶を飲み、荷造りをし、着替えて6時45分に甘木庵の玄関を出る。湯島天神の白梅は木によって、既にして八分咲きの花を付けているものもあれば、いまだ冬枯れの枝を青い空に突き刺したままのものもあった。御徒町駅のガードの向こうから、朝日が上がろうとしている。
浅草駅7:30発の下り特急スペーシアが、晴れた隅田川を渡る。
普段は下今市駅から約8分間の道のりを徒歩にて帰るが、今朝は家内が運転するホンダフィットの迎えを受ける。会社の健康診断が、8時30分から始まっている。9時15分に帰社して、その健康診断に加わる。
と、日記のここまでをスペーシアの車内にて書いて下車し、下今市駅の改札口を出ると、家内が運転するホンダフィットの姿はなかった。駅まで迎えに来るよう連絡をしなかったのだから、これは当たり前のことだ。
昨夕より降り始めたという雪の凍りついた道を歩いて帰社し、事務室へ入ると、男女の看護師さんが10名ちかくもいて、カウンターの上には血圧計やら聴力測定器やら視力測定器やらが整然と並べられていた。家内が採血をされた肘の内側を押さえながら 「みんな、もう終わりました」 と言う。
僕の健康診断も、9時35分には完了した。
"amazon" や、ここを介して発注をした日本中あちらこちらの古本屋から本が届き始める。今回、注文した本は11冊だが、そのうち9冊は日本人によって、残りの2冊はアメリカ人によって書かれたものだ。
今朝の下り特急スペーシアの中で読み終えたロバート・エヴァンズの 「くたばれ! ハリウッド」 による慣性のような 「アメリカ人による小説以外の文章を読もうとする勢い」 が止まらない。昼飯どきから
作者が自分の目で見たものごと、あるいは自分の頭の中にあるイメイジを読み手に伝えようとするあまり、微に入り細をうがってその様子を描写し、しかし無駄と思われる表現、ペイジを覆う黒々とした活字の密度に辟易として、斜め読みや飛ばし読みをしたあげく、ついには消化試合のように、ただ字面だけを眺めて最終ペイジへ達するということが、本なしにはひとりで飲み食いのできないような活字好きの僕にも、少なからずある。
アンソニー・ボーディンという料理人の描く、自身の、たとえば9歳の夏、漁師がボルドーの海から引き上げたばかりの生ガキを食べたときの衝撃とか、あるいは大学時代にアルバイトをして暮らしたプロヴィンスタウンの熱狂は、涼やかな形容詞と生きた会話が推敲を尽くした散文のように配置されて美しい。
また、その時々の風景や自分の気分を、まるで7月の昼下がりの影絵のように読み手の眼前に提出する大胆かつ細心な筆の運びが、僕の目をペイジへ釘付けにする。
「くたばれ! ハリウッド」 に続いて、またまた僕を大いに楽しませる本を、世にあふれる何千何万の中から拾い上げることができた幸運を、どう現せばよいだろう? この 「キッチン・コンフィデンシャル」 については、その続編も取り寄せてあるから、ぬかりはない。
燈刻、次男の算数の宿題を督励する。
バキュバンで栓をしておいた "Bourgogne Blanc Domaine Leflaive 1998" をグラスに満たす。トマトとアボカドのサラダを食べ、フランスパンにバターを載せて、ジャクリと噛みつく。
昨年、ハセガワヒデオ君が亡くなって後、本人が最後まで 「隣に迷惑をかけるといけない」 と気にしていた木を同級生たちが伐採した。ウエキコウタ君が打ち落とされた枝の中から月桂樹をより分け、その葉を蒸して乾燥させたものが、きのう、ハセガワ君の家で皆に配られた。
そのローリエを用いたビーフシチューができあがったことを聞き、僕は4階の居間から2階のワイン蔵へ降り、ふたたび居間へ戻る。
本日の午後に届いたシャトー・ラギオールのソムリエナイフは、その柄に水牛の角やカーボン・ファイバーやローズウッド、あるいは白蝶貝を埋め込んだ洒落たモデルではない。無骨なオール・ステインレスの、ずっしりと手に重たいものだ。これにて "Chateau Mouton-Rothschild 1986" を、と言いたいところだが、一昨年のボジョレ・ヌーヴォーを抜栓する。
2001年に、2002年に、そして2003年に知り合いから義理でボジョレ・ヌーヴォーを買い、しかしそれは棚に置いたまま他のワインばかりを飲むため、このフランスの新酒は溜まる一方だ。今年はさすがに 「他の何かを買うから、ヌーヴォーはカンベンして」 とでも言うべきだろうか? と考える。
ビーフシュチューの皿には牛肉のかたまりとニンジンとグリーンアスパラガスがあって、その上に、昨年12月まではハセガワヒデオ君の家の庭に揺れていた月桂樹の葉が飾られている。
ワインを口へ含み、ニンジンを食べ、「美味いじゃん」 と言い、そしてまたワインを飲んで、しかしこういうところが僕の冷たい性格のあらわれだが、神経は飲み食いにのみ注がれて、故人に思いを馳せるなどということは、すっかり忘れている。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
目を覚ましてからしばらくして枕頭の灯りを点けると5時すこし前だった。「これからじゃぁ、ろくすっぽ本も読めねぇや」 と、いつもよりも遅い目覚めを恨めしく思いつつ 「くたばれ! ハリウッド」 の残りを数ペイジだけ少なくし、5時30分に起床する。
事務室へ降りてコンピュータを立ち上げたとき、ふと、高島屋東京店における 「老舗の味を集めて・特選会」 を知らせるダイレクトメイルの送付先を、今朝は顧客名簿から抽出しなければいけなかったことに気づく。
左手の親指で "Alt" を、中指で "Tab" を押さえてマイツールのスケデュール管理を開いてみれば、果たして本日の午前4時よりその仕事をするよう、ディスプレイの文字は伝えている。
この作業は、他者との接触を断った静かな環境で行う必要がある、朝飯までの1時間少々ですべてが完結するかどうかの保証はないが、即、キーを叩き始める。
結局、この想像力と複雑な操作を必要とする仕事は、午前7時までには終わらなかった。どこまで進んだかのメモを残して居間へ上がる。
朝飯は、ホウレンソウのゴマ和え、なめこのたまり漬のスクランブルドエッグ、塩鮭、納豆、カキの薄味煮、メシ、シジミと長ネギの味噌汁。
ふたたび事務室へ降り、コンピュータを起動する。早出の社員が開店の準備を始め、あるいは顧客用のトイレを掃除するため外へ出て行く。店舗駐車場の点検をしているところに、お客様のものと思われるクルマが車道から鼻先を上げつつ勢いよく入ってくる。店が開くまでお待ちいただくのも申し訳ないため、脇から請じ入れてお買い物をしていただく。
事務机に復帰してから1時間の後、ようやく今朝6時前からの仕事に区切りをつけて、タックシールの印刷を開始する。またまた1時間の後に、アイザワアイコさんからワタナベワタルさんまでの、すべてのタックシールがプリンターから吐き出される。
そのタックシールを肉眼で追いながら、「このおふたりは、どう考えても同一人物じゃぁないですか?」 とか、「この方にDMをお送りしても、多分、高島屋さんへはお見えにならないと思います」 と、無駄になりそうな宛先を台紙から取り除いていく最後の仕事は、事務係のコマバカナエさんに任せる。
昼過ぎ、同級生のノリマツヒサト君から 「ハセガワんちに持ってきてくれ」 と頼まれた漬物を家内に袋詰めしてもらいつつ、何気なく 「そうだ、ハセガワのお袋さんに、湯波でも持ってってあげようかな?」 と言うと、「そうよ、私なら山ほど持って行くわよ」 と、家内が答える。
「山ほど」 と家内は言うが、「そんなにたくさんあっても、先方は却って迷惑だろう」 と考えるのが、僕のメンタリティだ。
家内の伯母が広島から京都へ嫁に行ったとき、初めての正月に雑煮の具の少なさを知って 「情けない」 と泣いたという。京都人には京都人の言い分もあるだろう。「山ほど」 が良いのか 「ほどほど」 が良いのかについては、それに関係する人間や状況によって一定しない。
タシロケンボウんちへ行き、「つまみ湯波大10個入り」 というものを買って帰る。
下今市駅14:36発の、上り特急スペーシアに乗る。午後4時すぎに北千住へ達する。地下鉄千代田線のプラットフォームへ行く途中の通路にあった売店やミスターミニットが無くなり、代わりにネイルサロンと美容院ができている。
山手線と地下鉄三田線を乗り継いで、4時30分すぎに板橋本町から地上へ出る。ハセガワヒデオ君の家には、それから10分を経ずして到着した。ハセガワ君の弟の奥さんに案内をされて、ハセガワ君の部屋へ入る。まだ誰も来ていない。箱に入ったまま静置してあった2本の "Chateau Margaux 1956" を取り出し、ハセガワ君のグランドピアノの上にそれを並べる。
ピアノの上にはツェルニーの教則本があって、その3番と4番とのあいだにしおりが挟んである。ハセガワ君の義妹が僕に、「最後に開いてあったのが、そのペイジだったんですよ」 と教えてくれる。
「何十年もピアノで稼ぎ続けてきた人間が最後に開いたまま世を去った、その楽譜がツェルニーだった」、ということろに、ハセガワヒデオという人間を、僕は見たように思う。
ようようにして10数人の同級生が集まった。そろそろワインを抜く頃合いになった。僕は床のカーペットにマルゴーのビンを置き、その口の鉛を切る。シャトー・ラギオールは間に合わなかった。普段使いのソムリエナイフのスクリューを出し、その先端を静かにコルクの中心へ当て、ねじ込んでいく。
アカギシンジ君が、僕の手元がぶれないよう、ビンの胴の部分を両手で押さえてくれる。コルクは十分に湿って柔らかかく、易々とスクリューを呑み込んでいった。乾燥したコルクの処理も難しいが、古さが柔らかさにあらわれたコルクもまた、これを完璧に取り出すことは難しい。
コルクの一部は途中でちぎれたが、残りの部分にスクリューを差して、再度、同じことを繰り返す。芯まで濃い葡萄色に変色をしたコルクのすべてを、宇宙の彼方に去った人工衛星を地球へ帰還させるような細心さを以て、ビンのクビから引きずり出す。
アカギ君が 「ウワサワ、デキャンタしねぇと、飲めねぇだろう?」 と訊く。僕は逆に、ただでさえ良くないヴィンテイジの、それも47年も経たワインを空気に長く触れさせたら、既にして酢になっている中身が、よけいに劣化をするのではないかと危ぶんだ。そして、今夜、この場にあるグラスの中でも最も大きなものを選び、直接、その縁にビンの口を近づけ傾けた。
ルビーから薄いガーネットに色を変えつつある液体を注ぎ終えたとき、僕はまるで本能に突き動かされた動物のようにしてグラスの中へと鼻を突っ込み、その香りを確かめた。それからささやくように、しかし勢いとしては叫ぶ感じで 「アカギ、間違いない、これは、マルゴーだよ!」 と告げた。
14年前にクリスティーズのオークションで手に入れた "Chateau Margaux 1956" は、死んでいないばかりか、堂々とシャトー・マルゴーという出自を主張してそこにあった。僕は先ほどとは打って変わり自信を持って、入念にデカンタージュを始める。
そのとき室内にいた皆に、我々と同じ年齢のワインの入ったグラスを行き渡らせる。乾杯をする。もちろん、僕が真っ先に鼻を突っ込んだ最も大きなグラスは、ハセガワヒデオ君の遺影の前にある。徐々に、徐々に、徐々に、ワインの酔いが満ちてくる。それは僕が今夜、誰よりも多くのシャトー・マルゴーを飲んでいるからだ。
遅れてきた何人かのために2本目を抜栓する。これだけ古いワインになればビンによる個体差も大きいが、しかしやはり2本目も、間違いなく生きたシャトー・マルゴーだった。僕はハセガワヒデオ君の遺影の前にあるたっぷりと中身の入ったグラスをひったくるようにして取り、この中身もすべて飲み干す。
そして、今や紙コップのビールを飲む者もいる今夜の、同窓会だかハセガワヒデオ君のお母さんを慰める会だか何だか分からない集まりにおける、何度目かの乾杯をする。
地下鉄の三田線と大江戸線を乗り継いで、11時30分に甘木庵へ帰着する。今日の日記のあらかたを書き、シャワーを浴びて冷たいお茶を飲む。「くたばれ! ハリウッド」 をすこし読んで、午前1時30分に就寝する。
なんとも時間の無駄とは認識をしているが、目覚めてしばらくはそのまま横になっている。ようやく枕頭の灯りを点けると3時30分だった。「くたばれ! ハリウッド」 を読んで5時30分に起床する。
事務室へ降りて、いつものよしなしごとをする。きのうの日記はきのうの夕刻までにそのほとんどを書き終えていたため、今朝はごく短時間のうちに仕上げてサーヴァーへ転送する。
朝飯は、ホウレンソウの油炒め、しもつかり、鶏肉とピーマンの付け焼き、カキの薄味煮、納豆、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
昨年の12月7日に亡くなったハセガワヒデオ君の家へ19名の同級生が集まる日は明日だ。ここで僕は2本の "Chateau Margaux 1956" を抜栓しなくてはいけない。ハセガワ君の家へ送ったワインの箱には、普段使いのソムリエナイフ1丁を納めた。
当時のシャトー・マルゴーがビン詰めの前にどれだけの期間、発酵槽や樽の中でワインを寝かせたのかは知らないが、いずれにしてもそのコルクは、ビンに打ち込まれてから少なくとも44年は経っているはずだ。
そのため 「この仕事は、いつものソムリエナイフには荷の重い仕事だろうか? シャトー・ラギオールを1丁、買おうか?」 と考えたが、実はあのナイフに付いている蜂のレリーフが、僕は好きではない。「商品に自社の象徴を飾りたいなら、なにもコストや体積や重量を増やすレリーフではなく、ただ打刻で入れれば良いじゃねぇか」 というのが僕の趣味だ。
「でもな、ハセガワんちで、コルクがボロボロになっちゃぁ、格好つかねぇしな」 と考え、「プロの道具屋さん」 をブラウザへ呼び出す。シャトー・ラギオールのラインナップの中から最も質実剛健なオール・ステインレスのモデルを選び、「明日の午前中に必着」 として注文を確定する。
1時間後に店の人から 「商品の到着は、どう急いでも明後日の午後になる」 との返事が届く。明日の夕刻、ハセガワの家では普段使いのソムリエナイフを使うしか道はなくなった。だったらこの、あしたのシャトー・マルゴーには間に合わなくなった今回の注文はどうするか?
「いつでも構いませんので、送ってください」 との返信を書いて送る。
きのうの、配達まで6週間もかかる赤瀬川原平の本をキャンセルし、2、3日以内に届くその古本を同時に発注した手並みは鮮やかだったが、今日のソムリエナイフについては、どうにもトンチンカンなことになってしまった。
燈刻、次男の算数の宿題を督励する。
昨年11月までは、断酒の日に酒が欲しくならないよう、メシの代わりにヨーグルトと果物を食べていた。ところが12月より、普通のメシを食べても平気で酒を飲まずにいられることを発見し、以降は断酒日においても、家族と同じメシを食べていた。
ところがどうもこの食生活のお陰で、ズボンの腹は徐々にきつくなり、測ってはいないが体重も2キロほどは増えたような気がする。
というわけで、3日連続の断酒を決めた今夜も、きのうに続いてヨーグルトとイチゴのみを摂取する。
入浴して 「くたばれ! ハリウッド」 を読み、10時ごろに就寝する。
目を覚まして枕頭の時計を見ると、既にして5時45分になっている。8時間以上も眠り続けたことになる。15分だけ 「くたばれ! ハリウッド」 を読み、6時に起床して事務室へ降りる。
11冊の本を "amazon" へ発注し、すべてを一括して送るよう指定して確定ボタンをクリックすると、折り返しメイルによる受注確認書が届いて、そこには配送予定日が 「3月2日~18日」 とある。再来月の配達ではいかにも困ると考え調べると、「24時間以内に発送」 とか 「2、3日以内に発送」 という本の中にあって、
即、数ヶ月前からウィッシュリストに登録しておいたこれをキャンセルし、ふたたびトップから同じ本を検索すると、現在は 「草古堂」 という古本屋から、これが1,200円で売りに出されている。340円の送料を支払っても、いまだ新品より安い。しかも納期は数日以内の模様だ。即、この古本を注文する。
同じ本が新品と中古とであった場合、僕は間違いなく中古の安い本を買う。古いワインを自分の納得できる価格にて買うとき、ワイン屋が 「エチケットがすこし汚れていますが、ご容赦いただけますでしょうか?」 などと言うことがある。僕が 「どうせ飲んじゃうんですから、レッテルなんてどうでも良いんです」 と答えると、ワイン屋は安心をしたように笑う。
僕は本の収集家ではなく、またワインの収集家でもない。もっとも僕は、読まない本を美麗な棚へ並べたり、飲まないワインを空調の効いたレンガの蔵へ納めたままにする人を、否定するものではない。そういう愉しみ方を、僕がしないだけのことだ。
朝飯は、納豆、しもつかり、グリーンアスパラガスの油炒め、ダイコンの浅漬けユズ風味、小判揚げ、メシ、ほうれん草とキャベツの味噌汁。
日中、うっかりすると延び延びになって、それを真面目に読む会員のみについてのことだが、「会報が届かないということは、オレが本酒会をクビになったということだろうか?」 と心配をさせることになる 「本酒会報」 を書き、そのメイルマガジン版を会員各位に送付する。
また、そのウェブペイジ版も作ってサーヴァーへ転送する。更には、郵便にて送付するアナログ版をも作成し、「料金別納郵便物差出表」 という書類を整える。
初更、きのうに続いて断酒をすることとし、ヨーグルトとイチゴを摂取する。その後、牛乳を200CCほども飲む。
入浴して 「くたばれ! ハリウッド」 を読み、10時ごろに就寝する。