5日前の日記にも書いたことだけれど、お茶はここ何十年も、おなじ店から1年分を買っている。1年分とはいえ年により買う量は変わる。買い足りなくて早くに切れたり、あるいはその反動から次の年は買いすぎて長く保ったりするからだ。
急須に入れる茶葉の量を計ったことはない。いつも目分量である。そういう風にいい加減だから年ごとに足りなかったり余ったりするのだと反省をし、今朝は1回あたりの茶葉の量を計ってみた。ちょうど10グラムだった。日に2回のお茶を淹れれば20グラム、それが365日なら計7.3キロのお茶が必要ということになる。
この7.3キロをいつも買うお茶の単価に掛けてみると、結構な金額になって肝を潰した。しかしてまた、毎朝かならずペットボトルのお茶を買う人に成り代わってみれば、150円×365本=57,750円で、こちらも中々の金額である。
そして「だったら今年のお茶は、その57,750円の範囲内で買ってみようか」というようなことを漠然と決める。
食堂にいて鳥の啼く声に気づいたのは4時20分のことだった。晴れていさえすれば、今はこの時間の空が一番、綺麗だ。製造現場に降りて朝の仕事に従い、ふたたび食堂に戻る。
今年は最長で10日間というゴールデンウィークの、今日は端緒を切る日だ。人の遊んでいるときに働くことは嫌いではない、というよりも、むしろ好きだ。これは若いころから今に至るまで変わることのない気持ちである。
店の入口に掲げた季節の書は「春燐」で、これは掛けかえる時機を逸していた。今の季節なら「杉菜」か「麦笛」だろう。「麦笛は早すぎる」と家内は言ったけれど、今回は「杉菜」を飛び越え「麦笛」に決める。そうして販売係のハセガワタツヤ君と早速、それを「春燐」と交代させる。
ゴールデンウィークの初日はまた、日光の地野菜を日光味噌のたまりに漬けた「たまり浅漬け」を店に出し始める日でもある。材料は何年もの経験により、春から夏にかけては胡瓜、秋から冬にかけては大根が最良ということを知った。今朝の材料ももちろん胡瓜で、ウチではこれに「しその実のたまり漬」と和唐辛子を加える。
その「たまり浅漬け」が売り切れたと、販売係のサイトーエリコさんから知らされたのは15時のころだった。明日は今日の5割増し、明後日は倍の数を作る必要があるのではないか。
そして夜に飲んだ赤ワインは美味かった。
三河湾に面した旅館に泊まった4日前とおなじく、午前2時よりも前に目を覚ます。闇の中に仰向けになっているのも退屈なため、コンセントに繋いだiPhoneを読書灯代わりにして本を読む。しかしうつぶせでそれをすれば必ず腰が痛む。4日前のようにラーメンコーナーから椅子を借りてくることもできない。輾転反側するうち朝が来る。
雨が降っている。しかし空はそれほど暗いわけでもない。ベランダに出て外の景色を眺め、ふたたび窓を閉めて、また本読みに戻ったりする。チェックアウトの際には意図して客用の通路を外れる。そして鴎外旧宅の門をくぐり、フロントまでは庭を通り抜けて行く。
10時前に長男と駒込で落ち合い、そのまま昼すぎまで仕事をする。西日暮里を経由して北千住に至ると時刻は14時07分だった。昼食は摂らず、また弁当も買わず、14:12発の下り特急スペーシアに飛び乗って16時前に会社に戻る。
夜は月に一度の、日本酒に特化した飲み会「本酒会」に出席をするため、"montbell"のダウンベストに"Patagonia"のウィンドブレーカーを重ねて自転車に乗る。そうして霧雨のなかペダルを踏んで大谷向の料理屋へおもむく。
自由学園の男子部では、卒業をして、あるいは卒業はしていなくても、卒業生の会「同学会」の会員になっていれば、新年総会の席で還暦を祝ってもらえる。還暦など遠い先のことと考えていたけれど、今年は遂に、ひとつ上の34回生が当該の学年になった。来年はいよいよ我々35回生の番である。
歴代の回生は、例外も少なくないこととは思われるけれど、新年総会の前日には旅館などに同宿をして前夜祭をする。1月中ごろの金曜日と予想されるその晩の宿については熱海や箱根という提案のあった中で、僕は東京を主張した。総会が東京で開かれるなら、東京に泊まるのがいちばん楽だからだ。
僕の意見は過半あるいは大多数の賛同を得た。となれば僕も引っ込みがつかないから場所を探す必要がある。
そして今夜はその候補のひとつを検分すべく、きのうの夜から甘木庵でオフクロの部屋を片づけていた家内と湯島で待ち合わせ、目と鼻の先の根津の、更にはそこから徒歩5分のところにある森鴎外の旧宅を目指す。
下半身に穿くものは年中かわらず"UNIQLO"のトラディッショナルチノパンツだ。しかし上半身に着るものは、春夏秋冬がひとまわりするあいだに少なくとも9回は変わる。
盛夏:半袖ポロシャツ
初秋:半袖ポロシャツ+木綿の長袖Tシャツ
晩秋:"UNIQLO"の長袖ヒートテックシャツ+木綿の長袖Tシャツ
初冬:"UNIQLO"の長袖ヒートテックシャツ+同フリースセーター
厳冬:上記+"montbell"のダウンベスト
「9回」とは、春、晩春、初夏、盛夏と気温が上がるにつれ、上記の5回とは逆の順で半袖ポロシャツに戻ることによる。
街にツバメの飛ぶ姿を見るようになって2週間ほどが経つ。ということは、染井吉野の散るころツバメは日本に来る、ということだ。
"montbell"のダウンベストは、先週の土曜日、朝5時集合の街へ出て行くときに着て、バスに乗るなり脱いだ。そろそろクリーニングに出す時期かも知れない。そして今朝からは、フリースのセーターを木綿の長袖Tシャツに替えた。
チェストの中には冬物の普段着が収められている。これらの大部分は、数日のうちにも夏物へと入れ替わるだろう。
砂糖は小さじに1杯、酒と醤油は大さじ各1杯、それをカップ1杯のダシに加えて…と徹頭徹尾、レシピに従わなければ料理のできない人を知っている。それとは対照的に僕は万事いい加減で、だから朝、仏壇に上げるお茶についても、湯飲みで冷ましたお湯を茶葉の入った急須に注ぎ入れた後、どれほどの時間を置くかについては、日により大きな開きがあった。
しかしおととい立ち寄ったお茶の「グリーンピア牧之原」の掲示物により、煎茶に使うお湯の適温は70から80度、適切な抽出時間は90秒と知った。
温度計で湯温を測るのは面倒だ。しかし時間についてはキッチンタイマーがあるから簡単に制御をすることができる。今朝の仏壇および僕のお茶は、だから90秒の抽出時間を以て淹れた。その風味が以前にくらべて格段に向上したか否かについてはよく分からない。
それはさておき今は新茶の時期の真ん真ん中にある。お茶はここ何十年も、おなじ店から1年分を買っている。今年もパンフレットと申込書が届いたけれど、その手書きによる宛名は「今市」を「今立」と書き間違えてグジャグジャと消してあり、また「上澤卓哉」が「上澤卓成」になっている。「なにやってんだ」と呆れる気持ちはあるけれど、今年もお茶はこの店で買うことになるのだろう、多分。
北青山の一角に野天の飲食スペースがある。野天とはいえ青山だけのことはあって、調理場には洒落たレタリングの赤文字でイタリア語の店名がある。
テーブルに届けられるのはイタリア料理だけれど、客席のあちらこちらでは「コップンカー」の声が上がっている。そのたび僕は、その言葉を発した日本人の男女に近づき「ホントの発音は、そうじゃねぇんだ」と、奥のテーブルでニコニコと笑っている、髪の長い、すんなりした体つきのタイ人のオネーサンのところへそのつど彼らを連れて行く。そして「ホントのタイ語を聞かせてやってくれねぇかな」とオネーサンに頼むことを繰り返している。
そんな夢から覚めて、しかし目はつぶったままだから、まぶたの裏には赤味を帯びた光がある。「やった、朝だ」と目を開くと、しかし光の元は天井と床の間の灯りで、部屋には男3人が寝息を立てていた。
充電中のiPhoneを手に取るため立って鏡台の脇まで行き、時刻を確かめると1時54分だった。「いま何時?」と僕の気配に目を覚ましらしいシバザキトシカズさんが小声で訊く。「まだ2時前です」と苦笑いをしながら伝えると、シバザキさんはうんざりしたような顔つきでふたたび目を閉じた。
二度寝をするにしても直ぐには眠れないだろう。そう考えて先ずは喉の渇きを抑えるべく、2階にあるという自動販売機を目指して6階からエレベーターに乗る。その2階にはラーメンコーナーがあって、当然のことながらテーブルも椅子も並んでいた。ちかくにはコンセントもあった。すぐに部屋にとって返し、コンピュータやiPhoneを持ってふたたび2階に降りる。そしてそのラーメンコーナーのテーブルでコンピュータを起動する。
しかしそのあたりには非常灯と自動販売機の灯りしか届かず、コンピュータのディスプレイを見つづければ目が異常に疲れそうだ。守衛が僕に気づけば驚くだろう。そう考えてコンピュータを閉じ、周辺機器をまとめる。それらを右手に持ち、左手にはラーメンコーナーの椅子ひとつを提げて部屋に戻る。
その椅子を洗面所に置いて、コンピュータの使える環境を整える。そしておとといの、きのうの、更には今日の日記の前半、つまり現在のこの部分までを書く。時刻は4時46分。朝が近づいている。
06:00 ラーメンコーナーに椅子を戻す。
06:05 屋上の露天風呂から三河湾に浮かぶ梶島を眺める。
07:00 朝食。
07:57 吉良温泉「竜宮ホテル」を出発。
08:21 「山本水産」着、買い物。
2014年3月、2泊3日の日程で伊勢神宮を参拝した。バスに乗っているあいだはほとんど本を読んでいた。本は左手に持ち、右手でページを繰る。そのときの席は進行方向右側の窓際で、だから本を支える左腕は宙に浮いていた。このことを原因とする肩こりに以降、1年以上も悩まされ続けた。
しかし今回の席は、おなじ進行方向右側でも通路側だから、左腕はひじ掛けに置くことができる。肩こりは免れるだろうとの、希望的観測である。
09:33 八丁味噌の「角久」着、見学、2種の味噌汁の試飲、買い物。
10:08 岡崎城着、天守閣に登る。
12:06 「蒲郡オレンジパーク」着、昼食。
13:08 「えびせんべいとちくわの共和国」着、買い物。
13:29 音羽蒲郡ICから東名高速道路に上がる。
13:50 車内ビンゴ大会のあいだは終始、うつらうつらしている。
14:40 静岡SA着。
15:33 駿河湾沼津SA着。
16:42 東名高速道路伊勢原付近で渋滞にはまる。
17:05 東名高速道路海老名付近で渋滞を脱する。
18:07 圏央道菖蒲PA着。
19:21 JR小山駅前着。
19:56 関東自動車石橋営業所着。
20:36 JR宇都宮駅着。
20:53 関東自動車宇都宮営業所着。
そしてきのうの朝と同じく、10名が2台のクルマに分乗して帰途につく。
目を覚ましていくらもしないうち枕の下のiPhoneが、きのう設定したおいた午前4時のアラームを鳴らす。
起きて花と水とお茶を仏壇に供え、自分もお茶を飲む。それから店に降りて今日の釣り銭を整える。持ち物は昨日のうちに揃えてあったけれど、今朝にならなければ入れられないものもある。それらを確かめるうち5時がちかくなる。町内役員の親睦旅行においては僕は毎年、遅刻はしないものの、待ち合わせの場所にはもっとも遅く着くことを繰り返している。
04:56 家を出る。
04:59 市縁ひろば集合、即、10名が2台のクルマに分乗して出発。
05:34 関東自動車宇都宮営業所着。
05:54 同所を出発。
06:34 関東自動車石橋営業所着。
07:06 JR小山駅前にて最後の旅客を乗せる。
07:20 道の駅思川着。
07:54 佐野藤岡ICから東北道に乗る。
09:31 圏央道厚木PA着。
11:12 東名高速道路富士川SA着。
12:04 「石原水産マリンステーション」着、昼食。
13:18 「グリーンピア牧之原」着、お茶の製造工程の見学、買い物。
14:40 東名高速道路浜名湖付近を通過。
15:02 豊川稲荷着、参拝、散策。
17:06 吉良温泉「竜宮ホテル」着。
17:45 入浴。
18:30 宴会開始。
20:30 宴会終了
21:00 就寝。
文京区役所での用事は意外や早く済んだ。外へ出ると、茗荷谷方面から富坂を下ってくる都バスが見えた。停留所は春日通りを隔てた向こう側で、歩行者用の信号機は赤だ。「あれには間に合わねぇわな」と傍観をしていたけれど、時間調整のためかバスは発車の気配を見せない。お陰で悠々と間に合ってそれに乗り込み、いちばん後ろの席に座る。
錦糸町駅前行きのバスは春日町の交差点を過ぎると東富坂を上がって本郷三丁目、更に直進して今度は切り通し坂を下る。湯島三丁目つまり天神下ちかく、湯島ハイタウンの前で下車して湯島から地下鉄千代田線に乗る。
昼になる前に帰社して事務机に着くと、どこそこから電話があったから折り返し電話をせよとのメモがある。それ以外にも次々と電話がかかる。頼んだことが正しく伝わっていなかった取引先に電話を入れる。何人もの人が来る。そんなことをしているうち閉店の時間になる。
きのうは本当のところはベーコンエッグ、それが叶えられないならハムエッグで焼酎が飲みたかった。しかし目指す店は月に2回の不定休に当たっていた。「段取りの好きなお前にしては珍しいではないか」と問われれば、その店は電話番号を公開していないから休みの確かめようがないのだ。
その恨みを晴らすべく今夜は冷蔵庫をあさってハムと玉子とクレソンを取り出す。そしてそれらを調理して念願の通り、焼酎の肴とする。
午前中から昼にかけては青山の、国道246号線の北側や南側で仕事をする。先方から指定された場所は、僕が大好きなメシ屋に至近のところだった。今していることが完成の日を迎えたら、打ち上げはそのメシ屋でしたい気持ちが募った。
午後はあちらこちらをまわり、日が暮れるころは上野広小路にいる。
湯島天神下から大塚駅前行きの都バスに乗ると、そのまま切り通し坂を上がって次の停留所が甘木庵とは目と鼻の先になる。よって今夜は天神下よりひとつ手前の停留所から、おなじ大塚駅前行きのバスに乗る。
そうしたところバスは天神下の交差点を直進することなく右折し、不忍池畔の暗がりにその頭を向けた。僕は日本人で、日本語が読める。今いる場所は日本で、だからこのままどこかに連れて行かれても進退の窮まるようなことはないだろう。
そう考えて落ち着き払っていると、バスは根津駅前から弥生坂を上がり始めた。そして本郷通りを突っ切ると、今度は知らない坂を下り、白山通りへと出て左折、そして春日町の交差点を右折して文京区役所前で停まった。
このあたりで降りないと、今夜のねぐらからは離れるばかりだ。よって、バスに乗ったときには考えもしなかった場所で下車し、傘を差さなくても済むほどの雨の中を、嘉納治五郎の銅像の写真を撮ったりしつつ、丸ノ内線の後楽園駅を目指して歩いて行く。
今週は明日の木曜日からあさっての金曜日まで出張をする。金曜日の用事はそれほど長引かないだろうから上手くすれば午前中には会社に戻れるだろう。
事務机の左手に提げてあるカレンダーにふと目を遣れば、しあさっての土曜日には町内役員による1泊2日のバス旅行が控えていた。集合は朝の5時だったと記憶しているけれど定かではない。
町内の会計係である僕は、この旅行においてもまた会計係を務めることになっている。粗相があってはならない。よってイワモトミツトシ前自治会長に連絡をすると、イワモトさんはすぐに来てくれた。そしてあれこれについての確認をする。
データベース"MyTool"の町内会計のファイルを開き、その、役員の親睦会についての部分に今回の旅行の必要経費を入力して計算させると手持ちの現金では足りないことが一目瞭然だった。
前述のように明日は元よりあさっても半分は地元にいない。即、席を立って銀行へ行き、町内役員親睦会の通帳から全額を引き落とす。そそくさと戻って会計係として必要なあれこれを整え、ジップロックの袋にまとめて入れる。
そして前自治会長がいまだ現役の自治会長だった数週間前に手渡された封筒の中身を改めて見る。そこでようやく、今回の行き先が東海地方だったことを知る。否、行き先はこれまで何度も知らされてきた筈だ。しかし団体旅行は何も考えなくても行って帰って来ることができる。そういうときには僕の脳は、徹底的に休眠をする癖があるのだ。
バスによる団体旅行はずっと本を読んでいられるところが魅力である。どこへ行って何をするかなどは大した問題ではない。
5時前から空に明るみの差す季節になった。今朝、鳥の啼き始めた時刻は4時27分だった。
熊本県を中心とする大地震が先週の木曜日に起きて以来、会社のfacebookページには何も上げないで来た。どのようなことを書くべきか、何を書くべきか、分からなかったからだ。
いつものように水と花と線香を仏壇にお供えし、窓の遮光カーテンを巻き上げ、家の四辺の窓からそれぞれ外の景色を撮す。そのうち4時45分に撮った日光の山の画像を今朝はようやく、会社のfacebookページに上げる。
「熊本のある学校で教員が炊き出しを行っている。その教員が今もっとも必要としているのは何よりも味噌と、本人が言っている。可能であるなら日光味噌を寄付して欲しい」とのメールをお客様から受け取ったのは、おととい朝のことだった。
地震の発生から3日目のその日はいまだ流通の途が絶たれたままで、ヤマト、佐川、ゆうぱっくの各社を調べても送致の目処は立たなかった。しかしそのお客様とのやり取りは以降も続け、本日ようやく、福岡の慈善団体を経由すれば物資の届くことを知らされた。念のため当該の教員の携帯電話を鳴らし、そのことを確認すると、情報に間違いは無いという。
ヤマトの集荷に来る時間が迫っていたため製造現場に走り、本日の出荷業務を担っているうちのマキシマトモカズ君に先ずは荷造りを頼む。それから事務室に駆け戻ってタカハシカナエさんに荷札を印刷してもらう。
味噌は明後日の21日には福岡に入る。送った味噌は毎朝、僕の味噌汁の元になっている「日光味噌粒味噌」である。
福祉学科を持つその学校は高齢者や障害者の支援も行っているという。教員には今後もしばらくは続くであろう混乱の中で、味噌をできるだけ迅速に確保する方法についても伝えるつもりでいる。
「お金が煙になって消えちゃうんだから、タバコってのはつまらないものだよ」とは、オフクロが生前よく口にしていたことだ。
僕はタバコについては「お金を時間に置換する装置」と考えている。1箱460円のタバコなら、1本あたり23円で3分の時間を買う勘定である。ただしその場合には、タバコは誰にも邪魔をされない環境で吸う必要がある。
下今市09:35発の上り特急スペーシアに乗る。車内では読みたい本を脇へ置き、おとといときのうの日記を書く。
北千住、湯島、本郷三丁目、丸の内と移動をする。東京、西日暮里、北千住と来て13:42発の下り特急スペーシアに乗る。帰路には往路で我慢をした本を開き、これを読んだり、あるいは居眠りをしたりする。
タバコが「お金を時間に置換する装置」なら、移動もまた同じである。その最中には電話は鳴らず、人も訪ねては来ない。それが僕には大変な癒やしになるのだ。
そうして15時すぎに帰社して日常に復帰する。
冬時間の17時ならとにかく、現在の閉店は18時だから、19時に始まる町内の会議を前にして夕食を摂ることは難しい。最中ひとつとお茶を用意し、それを口に入れてから公民館へと向かう。
新しく造成をされた、新しい住民の多い地域では、町内の係は年ごとに順番で回す例が多いらしい。しかし旧市街や農村部では、長くひとつの役に留まることが少なくないように思われる。
僕も2009年から春日町1丁目の会計に任命をされ、以降、8年ものあいだこの仕事を続けている。前述の新興地域や人の入れ替わりの激しい都市部では、中々ないことと思われる。
町内の自治会長は激務で、嫌々これに取り組む人は精神に異常を来すかも知れない。イワモトミツトシ自治会長においては四半世紀もその任に当たってくれた。感謝をしなければならない。そして今年度からはイワモトさんの後任として、ウカジシンイチさんが自治会長の職を引き受けてくれた。その責任感、奉仕の気持ちもまた感謝に堪えない。
今日はその第1回目の役員会にて、僕もいくつかの質問をされ、またいくつかの報告をした。そして自宅へ戻り、徒歩を自転車に替えて日光街道を下ったけれど、目指す店は休みだった。
こういうときにはなぜか、気分の切り替えが利きづらい。街の真ん中をグルリと一周するようにして帰宅し、スパゲティを茹でる。
啓蟄とは説明をするまでもなく土中の虫が地上へと一斉に這い出てくることを例とした二十四節気のひとつであり、また春の季語でもある。虫はあたかも天の運行に支配をされるようにして、いきなり一気に集団で行動を起こす。
実は人間もおなじなのではないか。事務室の、1時間も沈黙を続けた電話が2台同時に鳴ることは珍しくない。数百キロも離れたところに住む他人どうしが互いに、電波時計の秒針が最上部に達したところを見計らって受話器のボタンを押したとしか思えない鳴り方である。
店にいらっしゃるお客様もそれに似て、大型バスの団体様ではなく、何の関係もない個々人様がそれぞれの自家用車で来店をされるにも関わらず、ヒマなときは1時間も2時間もヒマで、しかし混み合うときにはほんの10分、15分に集中して大混乱になる。
今日も午前にそのようなことが、そして午後にもまたあり、その混雑の中で夢中で接客をするうち、いつの間にか15時30分になっていた。
今年度当番町の平町、次年度当番町の仲町、そこに瀧尾神社の宮司や責任役員が加わって、今日は旅館「竹美荘」にて16時より傘抜きが行われる。昨年はこの場に、約束の時刻の5分前に着こうとして歩いている最中に「皆さん、もうお集まりです」と督促の電話が入った。よって今年は15時30分には宴会場に達していようと予定をしながら店舗の混乱に巻き込まれて我を忘れた。
そういう次第にて慌てて4階の自室に入り、普段着を脱いで白いシャツを着る。ネクタイを締め、それなりのズボンとジャケットを身につけ、黒い革靴を履いて外へと飛び出す。
今年は幸いにも僕の遅参を心配する電話はかからず、会場には開会の10分前に着いた。そして先般の春の大祭においては渡御行列の先頭を進みつつ、神の使いとして拍子木や金棒を鳴らして神の来訪を告げた子供たちの傘を脱がし、以て神から人間へと戻す儀式に立ち会う。
「4/15日光商品価値創造懇談会&桜のBBQパーティー」という長い名前の、仕事と研修と商品撮影と懇親会を兼ねた催しが隠居の庭で開かれる。段取りは何週間も前から長男やその仲間により進められてきた。
僕は昼もちかづくころ、すっかり準備のできた現場にようやく出かけ、家内の手によるメシを食べ、後はまぁ、物見遊山のようなことをしている。
この集まりにおける僕の唯一の仕事は味噌汁作ることだ。その準備はきのうの夜から始めていた。そして14時がちかづくころ、ダシを満たした鍋を持ち、母屋の台所から隠居の庭へと運ぶ。
そのダシは撮影に用いるための、南部鉄製の鍋に移し、炭火にかけた。そして沸騰しないよう気をつけつつ、僕がこのところ愛用をしている「日光味噌つぶ味噌」を溶かし入れる。そこに家内と長男が下ごしらえをしておいた筍、生若布、根三つ葉を、次々と加えていく。
「味噌が薄い」との声も聞かれたけれど、ダシを利かせ、味噌を少なめにするのが僕の流儀だ。余るかに思われた味噌汁は、お替わりをする人が何人も出て、結局は鍋の底の見えるあたりまで飲んでいただけた。
終業後はふたたび隠居に出かけ、屋内に席を移しての交流会にて楽しく歓談をする。
鳥とは夜明けの気配を察して啼き始めるものとばかり思っていた。
今朝は食堂にいて雀のかしましい声に気づき、時計に目を遣れば時刻はいまだ4時30分だった。窓の遮光幕を巻き上げてみるも、外には夜の暗さがあるばかりだ。「鳥は夜明けの気配を察して啼き始める」とは、誤った認識だったのだろうか。
母屋から隠居に料理を運ぶ必要のある花見に対して「今日の天気は不安定」と、朝の予報は伝えていた。よって社員との花見については、その場所を隠居から母屋に変更をした。そして社員たちは終業後すみやかに、4階の応接間に集まった。
会社の花見は毎年、新入社員の歓迎会、そして永年勤続者の表彰式を兼ねる。今年の新入社員は事務係のツブクユキさん。良い人が来てくれて助かった。そして包装係のヤマダカオリさんは勤続20年の表彰を受ける。ヤマダさんは今後も包装部門の長を務めつつ、会社の全体最適にも力を注いでくれるに違いない。
花見は社員たちの助けもあって、20時30分には綺麗に片付いた。明日の花見は予定通り庭で行えるだろう、多分。
「スミマセン、ことばの通じないお客様がいらっしゃっているので、お願いしても良いですか、『アロイ』とかおっしゃっているんですけど」と販売係のサイトーエリコさんが僕を事務室に呼びに来る。「アロイ」ならタイ人に違いない、即、急ぎ足で店に向かい、そのお客様と話を始める。
男性1名、女性5名によるそのグループの、特にウチの商品を買おうとしてくださっている若い女性によれば、らっきょうのたまり漬をタイまで持って帰りたいけれど、2、3日はクルマで移動をするから、そのあいだは冷蔵庫に入れられないらしい。
らっきょうのたまり漬は温度の変化に弱い。しかし他の品であればそれほど深刻になる必要はないとご説明をするも、友だちに土産にしたいのはらっきょうだという。結局のところその若い女性は「なめこのたまりだき」を買ってくださった。これなら瓶詰めだから、常温で置いても心配は無い。
女性は更に、このあたりで工場見学はできるだろうか、お酒なら特に有り難いとおっしゃるので朝日町の片山酒造に電話を入れた上で、ホンダフィットで彼らのクルマを先導し、ご案内をする。
野菜と漬け液を真空パックにしてお湯の中で煮れば一丁上がりの現在の大部分の漬物とは異なり、ウチの品は伝統的な製法を経て生のまま袋詰めをされる。よって常温で何日も持ち運ぶことはできない。「アロイ」とおっしゃっていただきながら申し訳ない気持ちで一杯である。あるいはまた、生だからこその「アロイ」でもある。
彼らがバンコクの中心部にお住まいであれば、後日、僕が「らっきょうのたまり漬」を保冷箱に入れ配達をすることも可能だけれど、まさか本気にはなさらないだろうから、そこまでお訊きすることはしなかった。
きのうの日記にも書いたけれど、今週は水、木、金と連続して、隠居の庭に花見客が訪れる。「客」とはいえ水曜日は家内の友人、木曜日は社員、金曜日は勉強仲間で、だからそのいずれも難しい間柄の面々ではない。しかし「来客があるなら床の間には掛け軸が欲しい」と長男は言う。
ふと思いついて、2011年3月の大震災の直後に、僕を元気づけるため今井アレクサンドルが描いてくれた「ガーベラ」を本宅から運ぶ。そして当該の床の間に掛けてみる。
古い建物の座敷には幽玄の気味がある。そこに今井アレクサンドルの絵は意外や自然に収まった。
今井アレクサンドルは絵に"technic"を持ち込まない。思想、想念、想いというようなものも持ち込まない。今井アレクサンドルの絵のどこが好きかと問われれば、野の花がただ咲いているような、空の鳥がただ啼いているようなところが好きだ。
ところでガーベラの花言葉を調べると「希望」「常に前進」と出る。それを知っていて、今井アレクサンドルは僕にこの絵を贈ってくれたのだろうか。そんなことを考えつつ畳の上に正座をして、あらためて、床の間の様子に見入る。
「あした食べる米の無い恐怖から逃れるためなら大抵のことはできる」と語る人の言葉をインターネット上で読んだことがある。昨晩の僕はおなじ状況にあった。もっとも米は無かったものの、うどんはあった。よって今朝は味噌汁を作り、それでうどんを仕立ててメシとした。
味噌蔵のある庭の桜は、今月6日に写真に収めはしたけれど、以降は自宅の4階から眺めるばかりで近づくことはしなかった。今週は水、木、金と連続して、ここで花見が開かれる。移りゆく桜の様子を確かめもしないのは無責任と、午後になってようやく、その場所に足を踏み入れる。
染井吉野は満開と思われるけれど、今日の冷たい強風にも花弁を散らすことはしない。山桜は若葉が増え、花はほとんど目立たなくなった。もっとも遅く咲き始め、またもっとも長く咲き続ける枝垂れ桜は、花を開き始めはしたものの、その数はまだまだ少ない。
この枝垂れ桜は不思議なことに暖冬も何も関係なく、毎年4月15日に最盛期を迎える。ことしも恐らくはそのころ満開になるのではないか。
夕刻を過ぎて暗くなりかかるころ渋谷に出る。駅前のスクランブル交差点ではiPhoneを頭上に掲げ、動画を撮りつつ道を渡る外国人が目立つ。そうして「nagomix渋谷」でひとときを過ごし、銀座まで戻って飲酒活動に従う。
総鎮守瀧尾神社の春季大祭に当たり、町内に注連縄を張り巡らすことは、町内役員、また各組長により、今月2日に行われた。そして本日は15時より、おなじ顔ぶれが、その注連縄を外して歩く。
注連縄を張るにはおよそ90分を要したけれど、それを外すにおいては30分もかからなかった。この、外した荒縄を家に持ち帰り、花壇や菜園の肥料にする人がいる。多くの日本人が忘れてしまった智恵、また美質のひとつとして、いつも感心を禁じ得ない。
ところでウチの店の犬走りに渡した注連縄については、お客様のいらっしゃる時間に縄のささくれを散らすことを避け、またせっかくの飾りであれば、今日のところは閉店までこのままで置くこととする。
18時からは町内役員が公民館に集まり、大祭の無事終えたことに感謝と安心をしつつ直会をする。
来週の土曜日には、この大祭の渡御の先頭に立ち、金棒を曳いた子供の傘を脱がせる儀式「傘抜き」が行われる。そしてその場には僕も神社の責任役員として、お呼ばれをしている。再来週の土曜日には、町内役員による1泊2日のバス旅行が控えている。それらの合間を縫うようにして、花見、研修、出張などが日程を埋めている。
直会がはじまって1時間ほどで睡魔に襲われる。その30分後に中締めとなる。ここから飲み屋に流れる人たちもいるけれど、僕は早々に帰宅し、入浴をし、即、就寝する。
総鎮守瀧尾神社の春季大祭は9時に始まる。よって事務机の左側に提げたカレンダーの今日のところには「8:45 神社」と、昨月のうちから覚え書きをしておいた。
8時40分に会社を出て徒歩で神社に達したのは計算通り、その5分後だった。しかして神主をはじめ当番町原町の重鎮、各町内の自治会総代、神社総代、神社世話人、そして責任役員はすべて手水を使い終えて、二の鳥居と拝殿のあいだに集まっていた。来年は、8時30分には神社に着いている必要があるやも知れない。
「宮司一拝」から始まり「閉扉」で完了する神事は4人の宮司、3人の楽士、当番町イシダさんの司会、拝殿に汗牛充棟の有様で詰めかけた参加者一同により、1時間ほどで無事に完了した。
神主と当番町の行列が渡御に出発をした10時からは、社務所にて直会が開かれる。例年であれば、我々責任役員の半数は渡御の行列に加わり、日光市今市地区の旧市街を、およそ8キロに亘って歩く。しかし今年は当番町原町の自治会長キタムラさんの希望により、責任役員の全員は社務所に残り、来賓の接待に当たることとなった。
接待とはいえ来賓の歴々に三々五々酒を注いでまわれば後は自分の、あるいは座ったまま酌のできる範囲に気を配るのみにて、気分は至極ゆったりとしている。そして昼前に帰社して以降は普段の仕事に専念をする。
今日は19時台に入浴をし、20時をすこしまわったころに寝てしまった。なぜそうなったかといえば、17時台から人と晩飯を共にし、そこで飲酒をしたからだ。
しかし、それだけでは20時を過ぎてすぐの就寝には結びつかない。今日は早朝から製造現場で仕事があり、そのため早くに起床した。また午前から夕刻にかけて根を詰めて仕事をし、その仕事の合間には少なくない量の昼飯を食べた。
いつもより早くに起き、日中は脳を激しく動かし、その脳に栄養を送る役に立ったかどうかは不明ながら普段より多くのメシを食べ、いつもより早い時間から酒を飲み始めた、それらの複合が、夜の早寝に繋がったのだ。
僕が夜の会合に積極的にならないのは、そしてその二次会などには更に冷淡になるのは、今日のような特殊な事情がなくても、世間に比すれば早寝早起きという、自分の生活上の癖が強いことによる。
夜に寝ずに済む特質がみずからにあれば、自分の世界も、もうすこしは拡がるものと思われるけれど、こればかりはどうにもならない。
ロングステイ財団という法人によれば、海外でのロングステイを希望する日本人にもっとも人気の国は、2006年から今に至るまでマレーシアなのだという。
「それにしても、この街のメシのまずさには驚きました」と、今年2月、ナラティワートの旅社で知り合ったアシダキンゴさんに伝えたところ「いや、マレーシアから上がってくると、それでも美味しく感じるんですよ」と、アシダさんは日に焼けた顔をほころばせた。マレーシアのメシは、それほど不味いものなのだろうか。
ビザを持たずに入国した日本人旅行者に、タイは30日間の滞在を許している。それを超えて居残りたいときには、いくつかの方法がある。しかし陸軍総司令官のプラユットがクーデターにより首相になって2年を経た現在、この国のビザの延長や取得は極端に面倒になったという。
それに比してマレーシアでは、おなじ条件で入国した日本人が、タイの3倍の90日間も滞在できる。マレーシアが長期旅行者たちの人気を集め続けているについては、このような事情も関係しているに違いない。
事前にビザを取得しなくても、マレーシアで90日間、タイで30日間の、計120日間は東南アジアで勝手気ままにしていることが、理屈の上では、あるいは法の上では可能である。だったら自分に自由な時間ができたらそれを実行するかと自らに問えば、どうも食指が動かない。
マレーシアの案内本や、あちらこちらのウェブページによれば、マレーシアのメシは実は美味いらしい。それはさておいて、いまタイで使えているタイ語とおなじほどのマレーシア語を新規に覚えなければならないことに気の重さを感じるのだ。
あと何年かしたら、30日間で構わないからタイであれこれしてみたい。あれこれの中にはタイ語の会話を習うことも含まれる。バンコクから遠く離れても、外国人向けの、しかも優秀な学校はあるだろうか。その前に、自分が優秀な生徒になれるか否かが問題とは思う。
今月1日の朝、食堂の窓から眺めた、隠居の庭に咲く染井吉野のつぼみには、いくらか紅味が差していた。それが5日を経て今朝になると、黒い枝の先の紅色は、いまだ若い風情ながらも薄紅色にほどけてきた。
先日は"RICOH CX6"で上手くいかなかったから今朝は防湿庫から"NIKON D610"を持ち出し、ストラップを首に掛けて隠居の柴折り戸、と書きたいところだけれど、アルミニウム製の戸を開け、その敷地に入る。
コンクリート製の塀を越え国道121号線に張り出そうとしている、先ほど食堂の窓から眺めた染井吉野には、数日ほども暖かい日が続けばすぐにでも満開になってしまいそうな柔らかさがある。
高いところに太い枝を広げ、巨大になってしまった山桜は、本居宣長には申し訳のないことながら、数年前に思い切って枝を落とした。しかしその清潔な美しさは変わらない。何年か経てば、また枝も伸びることだろう。
味噌蔵を背にして庭の中央にある枝垂れ桜は、この庭においては染井吉野、山桜に遅れて最後に咲く。そして長く咲く。それだけに、今はまだつぼみも固い。
実生から芽を出し、しかし既存の松の邪魔をするように育ってしまった桜、あるいはやはり実生から育ってありがたくないところで大きくなり過ぎた桜は、山桜の枝を落としたときだっただろうか、やはり数年前に、こちらは根こそぎ伐ってしまった。
今は染井吉野、山桜、枝垂れ桜の3本が、それぞれの場所を得て春の来たことを報せつつある。この3本以外の桜はすべて伐って、今では良かったと感じている。
取引先との約束は11時で、いまだ隨分と間がある。よって青山通りと表参道との交差点にほどちかい喫茶店で、今日の仕事につきあれこれ話をしながら時間を調整することとした。
「それにしても、あと50分か」と手首の時計に視線を落としつつ言うと「いや、もうそろそろだよ」と、長男は自分の腕時計を僕の目の前に差し出した。どうやら僕の時計は数十分も遅れているらしい。そして「そういえば」と先月、おなじ指摘を家内からも受けたことを思い出す。
普段は時計は持たない。日光を離れるときのみ"MONDAINE"のそれを左腕に巻く。その電池はたしか昨年の、それほど寒くない時期に池袋のビックカメラで交換をしたはずだ。いまだ消尽する時期ではないだろう。
故障とすれば、丸善の丸の内本店へこれを持参する必要があるけれど、日本橋から丸の内側へと東京駅を横断するのが面倒だ。ほかに動く時計としてはセイコーのダイバーウォッチがある。しかしこちらは分厚すぎて、長袖のシャツを着たときには使いづらい。スーツやジャケットにも似合わない。
30年ほど前に買った"HEUER"は、いつだったか銀座の"TAG HEUER"に持ち込んだところ、ホイヤーとタグホイヤーは別の組織で、だからホイヤーの時計のオーバーホールは受けられないと、断られた経緯があった。
ほかには"OMEGA"の地味で洒落たものを、同じ形で金色と銀色の各1台を、40年ほど前にオフクロからもらって持っている。しかしこちらもオーバーホールをしなければならず、経費は万の単位で2桁になるだろう。
今から新規に時計を買うなら、数十年を経ても修理が可能という点において、国産の2針か3針が僕にとっての最上の選択だ。しかしこちらも気に入ったものを手に入れようとすれば出費は馬鹿にならない。
そして「だったらやっぱり現在のモンディーンを修理しようか」という結論に達する。
団体によるツアーではなく、個人で移動し、個人で宿を決める僕のような旅行者が航空券を最も安く手に入れようとすれば、それは航空券とホテルを組み合わせた、いわば簡易ツアーのようなものを自分で組んでインターネット上で予約をすることが最上と、あるウェブページには書いてあった。
よって早速、そのページにあったURLから当該のサイトに飛び、仮想のツアーを組み立ててみる。
最安値の航空券は成田から北京を経由してバンコクまで10時間25分もかかるから話にならない。いつものようにタイ航空の、往路は羽田を深夜に発って、復路はバンコクを夜遅くに発つ便を選ぶと、なるほど選ぶホテルによっては驚くほど安くなる。しかしてまた、選ぶホテルによっては僕がいつもそうしているように、航空券は宇都宮のなじみの旅行社に頼み、ホテルは自分で予約をする料金と変わらない。
そんな知識を仕入れつつその予約サイトから飛んだ、チャオプラヤ川に面したホテルの宿泊者レビューを読んでいく。すると「バーカ」というつぶやきが自然と、それも何度も口を突いて出てきたから思わず腹の中で苦笑いをした。
「従業員が日本語を理解しません。工夫のしどころだと思います」という意見がある。「だったら外国には行くな、バーカ」と言わざるを得ない。
「川に面したオープンエアの朝食会場では暑さを感じました」という意見がある。「だったら南の国には行くな、バーカ」と言わざるを得ない。
「旧館は階段が多くて考えてしまいます」という意見がある。「それが旧館の良いところじゃねぇか、バーカ」と言わざるを得ない。
人はなぜそれほど我が儘なのか。しかし、その我が儘に応えようとすることで文明は発達してきた。そしてその結果が人間にとっての快適な環境であり、あるいはまた原子力発電所の爆発である。
「我が儘もほどほどにしておけや」と僕は言いたい。
総鎮守瀧尾神社の春季大祭を来週末に控え、町内の各戸は路上に赤い祭柱を出した。そしてきのうは15時より町内役員、また各組長が公民館に集まり、荒縄を幾巻きも持って、自分たちの地区の祭柱にその荒縄を張った。
僕もその役員のひとりにて、東、西、中央の各地区の、日光街道に沿った「中央」に、数百メートルにわたって縄を張った。ウチの方では、この縄に提げる紙の幣を「カキダレ」と呼ぶ。そのカキダレは明日にも組長から届くだろう。
提灯は大祭の2日間のみ飾るものだろうけれど、社員がせっかく立てた柱、オノグチショーイチ頭がせっかく張ってくれた注連縄があるなら2日間だけでは勿体ない。「奉祝」の提灯は、今朝の開店前からその柱に鉄の鉤を介して提げた。
事務室に戻って席に着き、左手のカレンダーに目を遣れば、赤と黒のボールペン、赤と青のフェルトペン、黄色とピンクの蛍光ペンで、あれこれ予定が埋まっている。忙しさを衒うわけではない、なにか始まった感じが良いのだ。
「亭主が味噌汁飲みたいっつーけど面倒だろ、お茶飲みなって言ってやるんだよ」とは、1980年代の初め、山手線の内側には既にして稀少になっていた味噌の醸造元で働いていたとき、配達先の、品川のマーケットの女主人の口から出た言葉だ。
味噌汁は実際には、呆気ないほど簡単に、しかも短い時間で作ることができる。
鍋は「タケコシ」という会社のミルクパンが便利だ。ふたりまでなら800cc、3、4人なら1000ccのものがちょうど良い。"amazon"に注文すればすぐに届く。
ダシには煮干しを使う。扱いが楽だからだ。煮干しは「煮干し 最高級」と検索エンジンに入れて、ヒットした店で買えば良い。「最高級」とはいえカップやフリーズドライのインスタント味噌汁からすればタダのようなものである。
夜、寝る前に、ふたり分なら400ccの水をミルクパンに入れ、そこに煮干し5尾を浮かべる。煮干しは頭と内臓を取り除くのが原則でも「最高級」のものならその必要は無い。翌朝、このミルクパンを火にかけ、水が沸騰しはじめたら即、火を落とす。そして煮干しを取り出す。
今朝の具は揚げ湯波で、これは柔らかくする必要があるからダシの中で弱火で煮る。その鍋に注意を払いつつほうれん草を刻む。そして火の通りにくい茎の部分のみ鍋に入れる。
次に、味噌を掬ったおたまを鍋にすこし沈め、そのおたまの上で味噌とダシを菜箸でかき混ぜつつ溶かす。味噌の量は「こんなに少なくて大丈夫だろうか」くらいのところに留めておく。ダシがしっかり引かれてさえいれば、そして味噌が上質でありさえすれば、薄味でも舌は十分に満足をする。
それからおもむろに、熱の通りやすい野菜、あるいはほとんど生のまま食べたい野菜、今朝ならほうれん草の葉の部分を鍋に入れ、加熱する。
薬味を欠いた汁はむかしから「坊主汁」と呼ばれて馬鹿にされてきたけれど、今朝のように、湯波とほうれん草の風味を楽しみたいときには、僕は敢えて薬味は使わない。そうして味噌汁が最高に熱い状態でお椀に盛って食卓に出す。
ここまでの所要時間はおよそ5分。それでも女房が「面倒」と言うなら亭主は自分で作れば良い。上記さえ守れば驚くほど美味い味噌汁が完成する。誰でもできることだ。
朝、4階の食堂から隠居の、塀から国道121号線に張り出そうとしている染井吉野を眺めると、そのつぼみがいくらか紅味を帯びてきている。よって店を開けてから"RICOH CX6"を持ち、その下まで行ってみると、やはり、きのうまでとは様子がまったく変わっている。
普段は"+3"に設定している露出を"+7"に上げてシャッターを切り、ディスプレイで確認すると、何しろ空を背景にしているから枝は黒く陰になり、つぼみの色の具合も分からない。更に露出を上げようとしたそのとき、ちかくに住むらしい人に話しかけられた。
生返事をしながら撮影を続けることは相手に対して失礼なのではないか、そう考えて、今日のところは桜の写真を撮ることを諦めた。
僕は真冬には"UNIQLO"の襟の高いヒートテックに、これまた"UNIQLO"の襟の高いフリースのセーターを重ね、"montbell"のダウンベストを着る。今日もまたおなじ格好をしているけれど、ダウンベストはそろそろ脱いでも良さそうだ。
"SIERRA DESIGNS"のマウンテンパーカも、また"MESCALITO"のダウンパーカも、この冬は遂に着ることはなかった。それだけ暖かい冬だったのだろう。
もうひと月も経てば初夏5月である。いろいろと忙しくなる予感がしている。