5時に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、タケノコの炊き物、山椒の佃煮、納豆、豆モヤシの酢油和え、焼きピーマンのかつお節かけ、トマト入りスクランブルドエッグ、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。今朝の味噌汁は特に美味い。
連休の天気は幸いにも良好らしい。商売でどれだけの結果が出せるか今から楽しみだ。明日から5月5日までは交通整理の警備員も来ることになっている。店舗へ行き、冷蔵ショウケイス前に落ちた試食のゴミをこまめに拾い、売れるそばから商品をケイスへ補充する。今日は事務係が新人のイリエチヒロさんのみのため、事務の仕事も手伝いつつ12時になる。
家内に頼んで、今日の昼飯は弁当にしてもらった。僕にとって最も思い出深い弁当は、阿里山鉄道で台湾中部の高地へ上る途中の駅で買ったものだ。鬱蒼とした森の中に停車した小さな客車へ近づいてきたオバチャンから中身も確かめずに買ったそれは、メシの上に火腿の油炒め、名も知らない青菜の油炒め、それに目玉焼きの載ったもので、この3種のおかずの油が飯に染みて、それはそれは美味かった。
以来、おかずと飯とを分けて入れる式のものよりも、メシの上に油っ気の強いおかずを載せた雑ぱくな弁当を僕は好むようになった。今日の弁当も、メシの上にソーセージとピーマンの油炒め、茄子と豚肉の味噌炒め、タケノコの炊き物、山椒の佃煮、ジャコが載せてある。「美味いなぁ」 と思いつつこれを事務机にて食べる。
昼過ぎにハセガワヒデオ君の追悼文集 "THE GK WHO LOVED JAZZ" が届く。早速、編集委員にねぎらいのメイルを送る。本を作る課程にはいろいろな手間や思惑、苦労や楽しさがあるが、できてしまえば以外やあっけないものだ。あるいは、できあがったものを手に取って見ただけでは途中の諸々を知ることはなくて、だから面白さも中くらい、という気がしてならない。先月、同級生のアカギシンジ君よりゲラを受け取り最後の校正につきあえて良かったと思う。
燈刻、居間のソファでテレビのアニメイションを見ている次男に 「あしたの用意は?」 と訊くと 「あしたは休みだよ」 と言う。「明日は」 どころか、子どもにとっては明日から5日間の連休が始まることに気づく。「あぁ、そうか」 と答える。
今月はいまだ7日のみしか断酒をしていず、月に8回のノルマからすれば、今日こそ最後の断酒をしなくてはいけない。次男に 「今夜は何が食べたいの?」 と訊くと 「もうグラタンに決まっているんだよ」 と言う。「グ、グラタン? グラタンを前にして断酒かよ」 と思うが仕方がない。
半熟玉子とハムと3種の野菜のサラダ、海老とマカロニのグラタンを、白ワイン抜きで食べる。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。
いまだ薄暗いころに目覚めて二度寝に入る。6時に起きて冷たいお茶を飲みコンピュータを起動する。いつものよしなしごとをするうち6時30分に長男が起床する。
きのうの夕方、長男が 「あしたの朝ごはんは築地で食べたい」 と言うので 「祭日は市場が休みだからどこも開いてないよ、蕎麦、食いに行こうぜ」 と答えた。甘木庵から徒歩で行ける 「鷹匠」 は朝7時30分の開店だ。早くに食べ終えて北千住で長く9:10発の下り特急スペーシアを待つことのないよう、時間調整をして7時15分に玄関を出る。
岩崎の屋敷裏から無縁坂を下る。不忍通りを北上し、上野水族館の先から裏道へ入る。和風住宅の玄関脇に1間のみの洋館を持つ文化住宅の典型・松田邸、昭和初期にはさぞかしモダンなアパートだったと思われる、いまは廃屋の曙ハウス、飲み屋 「根津の甚八」 などを過ぎて千駄木へと至る。夕焼けだんだん坂下の商店街まで達したところで、少し行きすぎたことに気づく。
不忍通りを団子坂下まで戻り、「鷹匠」 へ電話を入れると店はもっと上野寄りだという。千代田線でほとんどひと駅を歩きつつ不安になって、遂にザックからコンピュータを取り出し起動する。この店について自分が書いたペイジを開き、ようやくこの店が千駄木ではなく根津にあったことを確認する。
文京区が歩道に設置した地図を長男が見る。「たしか鷹匠は紺屋町にあるんだよ」 と言うと長男が 「この近くに藍染保育園ってのがあるよ」 と答える。「そうだ、紺屋町じゃなくて藍染町だった」 とその地図を確認し、今度は自信を持って根津神社入り口の交差点を東へ入る。
甘木庵から行きつ戻りつ3キロ以上を歩いてようやく到達した 「鷹匠」 の入り口には、しかし 「ただいま満席です」 の立て札があった。ここへ来る途中にあったおにぎり屋で長男におにぎりを買い与え甘木庵へ帰そうかとも考えたが、念のため引き戸を開け案内を請うと 「お電話を下さった方ですか?」 とお運びの女の人が訊く。
「そうです。でも予約の電話じゃないですよ、道を訊ねる電話でした」 と答えると 「どうぞ、奥の席へ」 と、無事に入店を果たす。熱い蕎麦茶で一服し、せいろ2枚とお代わり2枚を頼む。客の数は僕たちを入れて16人だった。いまだ空席はあるが、注文に対して調理が間に合わないための満席の表示だったのだろう。
僕の前の席には若い6人組がいて、そのうちの男女ひとりずつが頭を垂れ目を閉じている。そのうち女の方が遂に隣の男の膝元へ倒れ込み本格的に寝入ってしまう。「こういう店をジョナサン代わりに使ってほしくねぇなぁ」 と長男に言う。床は白木のオンドル、テイブルは広葉樹の1枚板。高い窓から朝日が差し込み漆喰の壁は空の色を映して薄青い。そういう清潔で爽やかなところに、夜通し遊んだ人間のよどんだ空気を持ち込まれるのは迷惑だ。
客の顔を見てから材料をさばく鰻屋ほどの待ち時間が過ぎる。奥の席からは見えない蕎麦打ち台から蕎麦を切る包丁の規則正しい音が聞こえてくる。「いま蕎麦を打っているのか」 と長男が言う。僕は 「あぁ」 と答える。
お運びの女の人が1枚目のせいろを運んでくる。麺は太くもなく細くもなく、水切りは完璧でザルの下には1滴の漏れもない。辛味大根と薄切りのネギをとりあえずはそのままにして蕎麦を汁へつけ、これを勢いよくすすり込む。その清らかさ、冷たさ、歯ごたえは他に例を見ない。この店は井戸を備えるているのだろうか。
お代わりは先ほどのザルではなく、曲げわっぱの蒸籠に盛られてきた。この表面に辛味大根を薄く広げ、こちらもまたたく間に平らげて 「3枚はいけるな」 と長男に言い、更に 「それにしても、この蕎麦が非常に心地よい食べ物だということは充分に認識できるけど、これが美味いか? と考えると、そこんとこはオレには分かんねぇんだよ」 と続ける。
「不味い蕎麦を食べると、美味い蕎麦がどういうものか分かるよ」 と意表をつく形で答えた長男に 「そうか、蕎麦の美味さってのは空気や水の美味さと同じってわけか」 と問うと 「そうだね」 と言う。だとすれば 「鷹匠」 の蕎麦は、僕にとって第一級に美味い蕎麦ということになる。
やがて我々以外の客はすべて去った。店主兼料理長の女の人はようやく仕事の手を休め、店を入ってすぐの場所にある切り株のベンチへ腰かける。そして今しがた来た常連客の持ち込んだ写真集を眺め、世間話を始めた。「これ全部、刃物の道具なんです、凄いでしょう?」 と店主は支払いをしようと靴を履いた僕にその写真集を差し出して見せた。日本刀のような波紋を浮かべる鑿や鉋の刃があることを、僕は生まれて初めて知った。
根津の駅まで来て長男に一駅だけ地下鉄に乗るかと訊くと、財布を持っていないから歩いて帰ると言う。長男が先日、新聞だか何かの本で 「散歩をしたい東京の街ベスト10」 とかいう企画を読んだら、甘木庵の近辺がその上位に目白押しだったという。そういう街を休日の晴れた朝に歩くことは気分の悪いものではないだろう。 僕はもちろん財布も地下鉄の回数券も持っていたが 「そうか」 とだけ答えて地下への階段を降りる。
今朝は 「鷹匠で早くに蕎麦を食べ終え北千住で長く列車を待つようなことになってはいけない」 などと時間調整をして出てきたが、何のことはない道に迷い客の顔を見てから打つ蕎麦を待つうちに時計の針は大きく進んだ。計画に30分遅れて北千住へ至る。9:40発の下り特急スペーシアに乗り、11時すぎに帰社する。
あれこれとして夕刻になる。
冷やしトマトと胡瓜のぬか漬けにて、高崎酒造の芋焼酎 「しま甘露」 を飲む。瓶のレッテルに60617という数字がパンチで打ち抜かれている。多分これは昭和60年6月17日という製造年月日をあらわすものだろう。そのころには現在18歳の長男もいまだ生まれてはいなかった。百貨店の頒布会につきあって申し込み、しかし誰にも飲まれないまま倉庫にしまい込まれていたものだが、蒸留酒のため腐敗変敗はなく充分に飲むことができる。
タケノコの炊き物、茄子と豚肉の味噌炒め、豆モヤシの酢油和え、次男がどこで知恵をつけられたのか 「29日はニクの日なんだから肉を焼いてよ」 と家内に頼んだ牛カルビ焼きにて、更にこの焼酎を飲み進む。
入浴して冷たいお茶を飲む。枕頭の活字をすこしあさり9時30分に就寝する。
朝5時に起きて事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、茹でたグリーンアスパラガス、茄子の油炒め、納豆、蕪と胡瓜のぬか漬け、ジャコ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とワケギの味噌汁。
9時すぎに春雷と驟雨がある。
下今市駅11:36発の上り特急スペーシアに乗る。湯島へ向かう地下鉄千代田線の中で 「大喜に行列がなかったら大喜で、行列があったらデリーで昼飯を食べよう」 と決める。 果たして湯島天神下の 「大喜」 に行列はなかった。1時15分になっている。いつの間にか注文の方法が、店の外に置かれた券売機で食券を買うシステムに変わっている。盛りラーメンを食べる。
朝7時にこの店の前を通ると、店主は必ず既にしてスープの仕込みを始めている。心底からいまの自分の仕事が好きなのに違いない。ただしここのラーメンを食べていつも僕は 「大騒ぎするほどのことはねぇよなぁ」 と思う。 それは、馬生の噺を聴いて別段、面白くもないと感じた僕に落語を聴く耳がなかったことと同じく、この店のラーメンを味わうだけの舌が僕にないせいだろう。
甘木庵へ入って即、着ているものをすべて脱ぐ。バスタオルを腰に巻いてコンピュータを起動する。裸でいるほど気持ちの良いことはない。ややあって "Computer Lib" のイノウエタケシさんが来る。今しがた脱いだばかりの服を着る。イノウエさんは長男がこれから使う "ThinkPad T41" を携えている。
やがて長男が学校から戻る。5時までかかって新しいコンピュータの初期設定を行い、本日、上手くいかなかった部分については今週の土曜日に長男が "Computer Lib" を訪ね、引き続き作業してもらうことにする。
長男に、晩飯は何が食べたいかと訊く。しばらく考えて長男は 「うーん、焼き肉」 と答えた。
「行くか、昔のタカラホテルの裏まで」
「上野の?」
「そう。歩くぞ、2キロくらい」
「それは大丈夫だけど、2キロもないでしょう」
切り通し坂を下り湯島の風俗街を縦断する。アメ横を突っ切り山手線のガードをくぐり昭和通りを横断する。 「京城苑」 の入り口でタバコを吸っている白衣の男に近づき 「ふたり」 と伝えると 「ヨヤク?」 と訊くので 「それはしていない」 と答えると 「キョウハムリ」 と言う。数軒隣の 「馬山屋」 へ行く。
韓国産の焼酎の小瓶を取り、オイキムチとハチノスの蒸し物を注文する。いかにもソウルフードといったおもむきのそのハチノスをひとくち食べるなり、長男は 「うーまいっ」 と言った。同じものを僕は水っぽいと感じたが、長男が美味いと思えばそれで良い。
僕の背後に、ワッペン付きの紺色のブレザーを着た、会話の内容からすれば柔道関係者らしいオッサンたちが6人ほどもいて、賑やかに飲んでいる。そのうち、その中のひとりが自分の親戚の行状につき激高して語り始めた。男の口からは 「鬼畜」 という言葉が盛んに吐き出されている。やがて男の感情はある一線を超え、その怒鳴り声は泣き声に変わった。長男が 「おや?」 という顔をして箸を持つ手を止める。僕は長男を見てニヤリと笑う。
我々の右の小上がりには、ブレザーの集団とは対照的に、ひとりひっそりとメシを食うオッサンがいる。その脱いだ靴に、陶器などを包むプチプチの緩衝材が幾重にも折りたたんで敷き詰められていることを発見する。長男に 「見てみろ、あの靴、ちょっとファンキーだぜ」 と教えてやる。長男は小上がりとは逆の方へ顔を向けて笑いを噛み殺した。
タン塩はまるでナタでぶった切ったように分厚い。コブクロはよくあるヒョロヒョロと細いものではなく、ムッチリと太い。
長男の同級生のヒロセ君は、自分はおとなになっても酒の席には近づかないだろうと、今から宣言をしているという。「ヒロセがいまここにいたら、どうだろうな?」 と長男に訊いてみる。「ヒロセはそもそも、昭和通りからこっち側へは来ないよ」 と長男が答える。
「馬山屋」 の払いは予想よりも安かった。上野広小路から裏道へ踏み込み、レンガの倉庫を改造したバーに入る。僕はI.W.HARPERを生で飲む。長男はジンジャーエールを飲み、懐かしい舟形のグラタン皿で焼かれたラヴィオリを食べる。
急な坂を上がって湯島天神の参道へ出る。近道をしようとして却って遠回りをしながら甘木庵に帰着する。長男が入れてくれた風呂に入り、冷たいお茶を飲んで就寝する。就寝した時間は知らない。
深夜1時に目を覚まし、枕頭の活字をあさって2時に二度寝に入る。4時30分に起床して事務室へ降りる。外から雨の音が聞こえる。いつものよしなしごとをし、店舗の灯りを点けて何ごとか考え、店舗駐車場に出てゴミを拾い、7時に居間へ戻る。
朝飯は、ふきのとうのたまり漬、ジャコ、納豆、タシロケンボウんちのお徳用湯波と菜の花の炊き物、ほうれん草のゴマ和え、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。
始業直後にメイラーを回すと、ハセガワヒデオ君の追悼文集を作成している乗松印刷のノリマツヒサト君よりメイルが入っている。そこには、いよいよ文集が完成したこと、なかなか良い出来だということ、今月29日にハセガワのお母さんにこれをお届けした後、サカイマサキ君の事務所にて発送作業に入る旨に続いて 「いやぁ、○○ちゃんの文章にまだ直しがあってね」 と、この期に及んでまだ僕がノリマツ君に校正を依頼してきた夢を見たと記してあった。
読みながら声を上げて笑うメイルを受け取ったのは久しぶりのことだ。
何ごとかをし、しなければならないと考えつつ手をつけないでいることを今日もそのままやり過ごし、急に思いついたことを実行し、試すべきことをためして夕刻に至る。
初更、次男の漢字練習の宿題を督励する。書くべき文字の数が今日はことのほか多く、7時30分を過ぎてようやくノートは閉じられた。きのう 「明日の用意はゴハンの後で良いでしょ?」 と言って結局は翌朝まで学校の準備を整えられなかったことを本人も認識をし、本日は即、あした使う教科書やノートをランドセルへ詰め次男は食卓へ戻った。
砂肝のカラアゲ、蕪と胡瓜のぬか漬けにて焼酎 「久耀」 のお湯割りを飲む。春雨サラダ、大量のタケノコを含む芙蓉蟹にて更に焼酎を飲み進む。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。
1週間ほど前に長男が家内へメイルにて、甘木庵にぬか床が欲しいと言ってきたらしい。これがきのうの夜に完成して居間の外の廊下へ置かれた。今朝は5時に起床して階段室へ行く。スーパーマーケットの買い物カゴにふたつ分のCD、本棚から取り出した
それにぬか床を事務室へ運び、荷造りのための仕分けをしながら 「そうだ、辺見庸の 『もの食う人びと』 も入れてやろう」 と考え階段室へ戻るがどうしてもそれが見つからない。代わりに
の3枚が残りさえすれば良い。 いつものよしなしごとをし、きのうの日記を作成して7時に居間へ戻る。朝飯は、タケノコの炊き物、ブロッコリーの油炒め、胡瓜のぬか漬け、納豆、鰻の佃煮、大根のたまり漬、メシ、豆腐とワケギの味噌汁。
東に頼み事があれば人を紹介し、西に困ったウェブペイジがあれば 「みっともないから早く直せ」 と管理者へメイルを送り、南に納期遅れの取引先があれば 「まだですか?」 と電話をし、北にワケの分からない人がいれば 「利益感度分析くらい知っていてくれなきゃ話が通じねぇよ」 と腹の中で思いつつ夕刻に至る。
初更、"Bourgogne Blanc Domaine Leflaive 1998" を抜栓する。「これ、べらぼうに安かったんだけど本物かな?」 と、つい数日前に台北から帰ったオヤジのくれたカラスミを大根おろし器で盛大におろす。これを茹でてオリーヴオイルをからめたスパゲティにこんもりと盛る。
次男がこのカラスミのスパゲティを恐る恐る口へ運んで 「おいしいけど慣れてないから食べたくない」 と言う。
フォアグラのソースを絡めた牛のフィレ肉を 「美味い美味い」 と頬張りつつ 「これ、何?」 と訊くので 「ステーキにガチョウの肝を混ぜたんです」 と答えたとたん 「やめた!」 とフォークをテイブルクロスに転がす人がいる。「この鶏肉、ヤケに美味いな」 と感心するので 「それ、スッポンだよ」 と教えたとたん 「早く言えよ!」 と怒る人がいる。「この煮こごり、いいじゃん」 と褒めるので 「豚足を刻んで入れたからね」 とその内容を述べたとたん 「ダメだ」 と箸を置く人がいる。
これらの人々はみな、穴の中でイモばかりを食っている原始人と同じだ。本当は 「サルと同じだ」 と書きたいところだが叱られるとイヤなので原始人くらいにしておく。次男がサルと同じになってはいけないので、叱咤して今夜のスパゲティを無理に食べさせる。
鶏肉のクリームソースは家でよく食べるが、今夜のそれはことに美味い。付け合わせの菜の花のソテーも美味い。焼いたフランスパンにマスカルポーネを塗り、余ったクリームソースをここへ載せて食べる。巨大な風船グラスを用いると、どうも普段よりも酒を飲む能率が上がるらしい。開けたばかりのブルゴーニュの白がほとんど空になる。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時に就寝する。
繁忙から10日も日記を書けずにいても必ず力業で復活してくる友人のJOKER氏と昨年の夏に御徒町で飲酒を為したとき、その心根を称えたところ、彼は 「1日に数行の覚え書きを残しておくから追いつけるんですよ」 と秘訣を語った。1日あたり何個かのキーワードをコンピュータに記録はするが、それよりもむしろカメラに残した画像を頼りに僕は日記を書いている。
この4月25日の日記は翌26日の早朝に作成しているが、うっかり画像をコンピュータへ移す前にスマートメディアをフォーマットしてしまった。僕にはなんでもかんでもすぐにイニシャライズする悪癖がある。
きのうの朝飯は何だっただろう? 多分、タケノコの炊き物、ほうれん草の油炒め黒酢がけ、メカブの酢の物、蕪と胡瓜のぬか漬け、温泉玉子、納豆、ジャコ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁だったのではないかと記憶するが曖昧だ。
始業後、1ヶ月前に入社した事務係のイリエチヒロさんに、コンピュータでのスケデュール管理を教える。中年以上の頭脳明晰な人と普通の知能を持った若い人とをくらべたとき、後者の方が新しいことを吸収する能力は格段に優れている。スケデュール管理教室は僅々70分で終わった。
今朝は3時に目覚めて4時まで枕頭の活字を拾い読みし、二度寝に入って起きたのは6時だった。起床の時間は遅く、イリエさんへの指導があり、また天気も良いことから店舗も忙しく、日曜日には普段、製造係が行っている仕事の一部も僕が肩代わりをするため、きのうの日記を書けないまま昼になる。
普段は家内の作る昼飯を食べるが、今日に限っては出前の弁当を事務机にて食べる。
午後、小学校3年生の次男が、昼前から遊びに来ていた5年生のイトウナオキ君と駄菓子屋 「まんきん」 へ行くと言う。
長男が高等学校へ進んでからは、ヒッチハイクで大阪へ行こうが香港の重慶マンションにひとりで滞在しようが、僕は常に事前の相談に対して 「あぁ、いいよ」 と答えてきた。しかし彼がいまだ小学校の低学年のころにはかなり注意を注ぎ、近くの床屋へひとりで行かせたのも4年生になってからのことだった。
次男が事故に遭うなどしてもいけないため、僕も 「まんきん」 につきあう。途中、蕎麦屋 「やぶ定」 の長男で5年生のワガツマ君に会う。ワガツマ君も一緒に帰宅して居間の客は計3人になった。
そのうちふたりの5年生は外で遊びたいと言い始めた。彼らに付いて僕も外へ出る。裏道から細長い杉並木公園に入り北上する。その途中で5年生のタチバナ君が加わる。イトウ君とワガツマ君が次男のキックボードを交互に使いながらどんどん進んでいく。その後ろを次男は 「返してー、返してー」 と泣きながら追いかけていく。上級生にひとり混じって遊ぶとは、そういうことだ。
彼らは柵を乗り越え深い川の縁の滑りやすい斜面を横断していく。次男もそれに倣い柵を乗り越え川の向こう岸に飛び降りる。イトウ君とワガツマ君が直径4メートルほどもある動かない水車に体重をかけてむりやり回そうとする。回り始めた水車に次男が手を伸ばす。そこで初めて僕は 「触るな」 と注意をする。
帰り道ではまた、イトウ君が次男のキックボードに乗りスイスイと遊歩道を南下していく。その後ろを次男が先ほどと同じく 「返してー、返してー」 と叫びながら追いかけていく。子どもだけで遊ばせれば体力もつき社会性も涵養されるが、死の危険もまた身近にある。僕は幼稚園のころから子どもだけで河原へ行って遊んでいたが、いまの常識に照らせば考えられないことだ。
本日は断酒をすることとし、豚の生姜焼きとメシによる晩飯を摂取する。食後に家内が 「シュークリーム、食べる?」 と訊く。カスタードクリームと生クリームが混じり合ってすこし不思議な色合いの中身を持つ、しかしとても美味い "Chez Akabane" のシュークリームを食べつつ牛乳を200CCほども飲む。せっかくメシを1杯にとどめたにもかかわらず、こういう伏兵のためにますます腹が出ることになる。
入浴してすぐには眠らず、家内の月末の仕事を手伝う。10時に就寝する。
なにかの物音で0時に目を覚まし、しかしすぐ二度寝に入る。2時にふたたび目を覚まし5時まで枕頭の活字を拾い読みして起床する。
事務室へ降りてコンピュータを起動しメイラーを回すと、楽天市場から 「ポイント明細のお知らせ」 というメイルが届いている。現在の獲得ポイント数や、あといくら買えば会員としてのステイタスが一段上がるとか、現在のキャンペイン中に買物をすれば通常獲得ポイントが2倍3倍4倍5倍になるなどの文字を斜め読みするが、およそ僕にはこういうことへの興味がない。クレジットカードのポイントによる特典も、20数年のあいだ流し続けている。
自分の興味ではなく、市場の興味を研究し行動することがマーケティングだとすれば、僕はそのあたりにはまったく弱い。
週末の空は晴れた。朝飯は、蕪と胡瓜のぬか漬け、ほうれん草のゴマ和え、納豆、メカブの酢の物、薩摩揚げの炊き物、鰻の佃煮、メシ、シジミと水菜の味噌汁。
昼前、コロコロコミックの表紙裏に宣伝のあった 「ロックマンエクゼアクセス・バトルチップゲート」 を買いに "JUSCO" のオモチャ売り場へ行ったサイトウトシコさんと次男が帰宅する。本日分の3台は売り切れ、次の入荷の目処も立たないため予約も受け付けない、と店員に言われたという。
「タカラ」 の売り方はスキミング・プライスを需給関係に置き換えたものだろう。次男には 「すこし待てば買えるから」 と言って聞かせるが、子どもはおろかおとなでさえ 「宣伝だけしといて品物がねぇとは何ごとか?」 と、こういうことについて理解のできない人はたくさんいる。もちろん次男もそのうちのひとりだ。次男がおとなしくなるには、しばらく日数がかかるだろう。
空は晴れたまま徐々に光を失い、やがて夜の色が濃くなる。
「飲み屋に行きてぇなぁ」 という気分には、いろいろな種類がある。それらいろいろが、時に応じて異なる配合で混じり合う。
「あの店の、これこれの肴が食べたい」 ということもあれば 「あのオヤジの作るロブロイが飲みてぇんだ」 ということもある。「あの店の細い階段を上がった狭いバルコニーで本が読みたいね」 ということもあれば 「知らない人間の中にひとりでいたい」 ということもある。
「飲み屋っぽい食べ物があれば、ウチで酒を飲んでももちろん良いんだよね」 とは、僕が夕刻にしばしば感じることだ。大宮の 「いづみや」 を思って家内に頼んだ蕪と胡瓜のぬか漬け、冷や奴、ポテトサラダ、ハムエッグは、本家のそれよりもずいぶんと上品な姿になった。これを肴に焼酎 「久耀」 を飲む。「凄いだろう?」 と誰にともなく言いたくなる。「ソーミンチャンプルーもあるぞ、うらやましいだろう?」 と、もったいをつけたくなる。
自分が凄いともうらやましいとも感じていないことがらについて、人に 「うらやましいだろう」 と威張られたときほど、どういう顔をして良いものか困ることはない。それは 「オレ、年よりも若く見られるんだよ、いくつだと思う?」 と訊かれたときと同じくらい困る。
今夜のソーミンチャンプルーは、素麺がなかったため正確にあらわせば稲庭うどんチャンプルーだった。ハムエッグにはもちろん、塩胡椒でも醤油でもなくトンカツソースをかける。これについて 「分かるよね?」 と言って 「そうっすね」 と答えてくれるのは、多分100人にひとりくらいのものだろうか。
サイトウトシコさんにもらったタケノコの炊き物、東京オリンピックの翌年から1993年までウチの蔵に勤めたヨシダトミコさんが店を訪ねて置いていってくれた焼き餃子にて、更に焼酎を飲み進む。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。
オリンピックの競技場に、フルマラソンのゴールを目指して選手たちが走り込んでくる。その先頭は髪の毛の薄い長身痩躯の白人で、その腕や脚の動きには、42キロの長距離をこなしてなお余りある力が感じられる。その後ろに続く数人はしかしみな疲弊し、ある者はいままさに走ることを止め歩こうとして速度をゆるめ、またある者は朦朧とする意識の中でうなだれ直進することすらできなくなっている。
熱狂する観客の声援以外なにも聞こえないその状況の中で、突然、先頭の走者が立ち止まりそしてきびすを返してトラックを逆走し始めた。彼は立ち止まろうとしている2番手を励まし、更に意識を失いかけている3番手に行く手を指さしゴールの場所を教えている。
「えぇっと、誰だったっけ、ちょっと頭のおかしな、でも走ることの得意な人の映画、たしか主演はトム・ハンクスだったけれど」 と考えているところで目が覚める。部屋は既にして薄明るい。時間は5時30分だった。思えば昨夜はなにかの物音で0時に目を覚まし、それから3時までは枕頭の活字を拾い読みして過ごした。どうもこのところ、眠りが断続していけない。
事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。きのう北西の空に夕焼けが見えたにもかかわらず、今朝の天気はあまりはかばかしいものではない。
朝飯は、ジャコ、蕪と胡瓜のぬか漬け、鰻の佃煮、塩鮭、ふきのとうのたまり漬、玉子と三つ葉の雑炊。家内はなぜか季節が秋になるとぬか漬けを止め、夏になるとまたそれを始める。1年中ぬか漬けの食べたい僕は遂にしびれを切らし、数日前に蕪と胡瓜を買ってきた。それが今朝より食卓に出る。
昼前、書いても別段、経常利益が上がるでもない手紙を5通、作成する。また、送っても別段、これまた利益が上がるでもないメイルを2本、送付する。午後、まるで真夏を思わせるような夕立がある。
6時45分、家内の運転するホンダフィットにて、本日 「本酒会」 が行われる "Casa Lingo" まで送ってもらう。店内にあるイタリアに関係する雑誌を読むうち人が集まり始め、やがて上座は非喫煙者、下座は喫煙者と、カースト順に着席をする。
パン、イタリア風の八寸、タケノコと山椒の葉の冷たいカペリーニ、シソの葉入りカルツォーネ、ペンネアラビアータ、サワラのパン粉焼き。本日のメニュのうちカルツォーネとサワラは、この店の石釜で焼かれたものだろう。
ブラッドオレンジのゼリー、生のオレンジとパパイヤ、チョコレイトケイキの盛り合わせ、コーフィーにて締める。
むかし文楽の桐竹紋十郎はヨーロッパでの巡業を終えて、イタリーはミラノで公演をしたけれど、この国の観客は帰宅して後に舞台を思い出して余韻を楽しむあたり、その気質には日本人と同じものがある、と言った。今日のこの店の料理には本酒会の意図に沿うよう工夫は加えられていたが、それにしても日本酒にはとても合って、だから僕は先の紋十郎の言葉を思い出した。
カトーノマコト会員の携帯電話が音を発し、そのディスプレイには 「鹿沼行き最終電車まであと30分」 との表示が出る。他の会員に先立ちふたりで例弊使街道を上り僕は更に日光街道を上って帰宅する。この1.5キロの道のりを歩いても、燃えるカロリーはチョコレイトケイキひとかけらほどのものだろう。
ジンを生で1杯だけ飲み、入浴して11時30分に就寝する。
なにかの物音で0時前に目を覚ます。枕頭の活字を拾い読みして2時間を過ごす。2度寝に入って5時30分に起床する。事務室へ降りいつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、ソーセージの油炒め、ワカメと薩摩揚げの煮びたし、納豆、ジャコ、温泉玉子、メシ、豚汁。
上の前歯1本がいまにも外れそうだと、奥歯以外ほとんどの歯が抜け落ちている次男がメシを食べつつ言う。隣の同級生ユザワヨーちゃんの家は歯医者のため 「だったら学校へ行く途中で見てもらおう」 と答え、次男の心配を脇へそらす。
ヨーちゃんの家へ行くと、ちょうどお母さんが3人の子どもを伴って玄関を出てくるところだった。ヨーちゃんのお母さんは次男の口の中をのぞき込み 「あぁ、大丈夫だよ」 と言う。歯茎から入った細菌が脳に回り、大きな開頭手術を受けた者が僕の同級生にはいる。湯沢歯科医院の脇を歩きながら 「学校で抜けたとして、ばい菌とか、入りませんかね?」 と訊くと、お母さんは上を見上げた。
僕もつられて上を見ると、ヴェランダでタバコを吸いながら、お父さんが登校する子どもたちを見送っている。お母さんが 「グラグラしてるんだって、上顎のA」 と大きな声を発する。お父さんは次男を見下ろし 「ヘーキ。指で押してみな」 と指導をする。次男はようやく納得をしてみなと学校へ向かった。
きのうウチの車庫の前に住むシバタサトシさんから近所に軒並み泥棒の入ったことを聞いたため、自転車に乗って様子を見に行くが、車庫の中で特に変わったところはなかった。
そこから郵便局へ回ろうと、今市小学校裏から坂を上がっていくと、二宮金次郎が起居していた報徳役所に真新しい蔵が見える。その屋根に載る瓦は柳宗悦が激賞して止まなかった大谷石によるものだが、それにしても突如あらわれたように見覚えのない建物だ。敷地内に入ってその由来の書かれた札を読むと、安政6年製のこの書庫は明治5年以後各地を転々とし、最後は栃木市の小江沼家に買い取られたが、「百年祭を機にここに復元した」 とある。
その 「百年祭」 とは、いつから100年の後に行われたものなのだろうか? 金次郎の没年は安政3年1956年だからその100年後とすれば僕の生年の1956年だが、ならば僕は本日、いきなりこの蔵の存在に気づくはずはない。あるいはこれは47年前からここにあったことはあったが、つい最近までは木々に囲まれ見えなかったのだろうか。
僕の周囲に歴史オタクは存在しないが、唯一 「本酒会」 のアベマナブ会員は高等学校の歴史の教師だ。あしたの例会で行き会うことがあれば今回の僕の疑問をただそうと考えるが、そのときにはそのときで、僕は酔っぱらってこのことを忘れているかも知れない。
仕事を終え居間へ戻ると、コロコロコミックの表紙裏にデジタル系のオモチャを見つけた次男が、これを買ってもよいかと訊く。次男が1週間に100円の小遣いを貯めている貯金箱を調べると、そのオモチャの価格を超える残高があるので 「いいよ」 と答える。
次男はやがて買物から帰った家内にも同じことを訊く。家内は僕とは異なり 「そんなに欲しいものばかり買ってどうするの? お誕生日でもクリスマスでもないんだよ」 と次男を諭す。ややあって僕が 「オレは買ってもいいって答えたんだよ」 と言うと家内は 「あぁ、だったらかまわないわ」 と次男を見やった。家内に反対をされた直後から青菜に塩の状態だった次男が、失っていた喜色を瞬時に取り戻す。
「子どもをこう育てたら、こういうおとなができる」 という教義、教条、定説は限りなくある。僕はそういうテーゼに、ことごとく反しておとなになった。欲しいオモチャを数ヶ月にひとつの割合で手に入れたとしても、だから次男が経済観念において破綻したおとなになるとは限らない。
男体山の向こうに日が沈む。次男は1年ほども続けている小遣い帳の記帳を始めた。
きのうのスープの残りを皿に2杯、牛乳をグラスで1杯、オフクロがどこかから買ってきた、フランス語で 「ロビションのアトリエ」 とある袋に入っていたフランスパンを大量に摂取し、今週2度目の断酒を行う。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時に就寝する。
5時に目を覚ます。
アンソニー・ボーディンの紀行文は、ポルトガルの農家で巨大な豚を屠殺し、集まってきた人たちと様々な調理法にてこれを堪能した。一頭をバラして捨てた部分は200グラム以下だった。という最初の旅の場面を読んで以降は、次のペイジを開いたまま床に伏せてある。こういう本は長く楽しまなければいけない。代わりの本をベッドの下から拾い上げ、5時30分まで拾い読みする。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。南西の窓から見る隠居の桜は、いつの間にか3本とも花を落とし葉のみになっていた。すべての花弁を散らしたのは一昨日の強風に違いない。季節はすこしずつ夏に近づいている。
朝飯は、ワカメとさらし玉ネギのかつお節かけ、納豆、メシ、豚汁。
きのう今日と、壊れた家内のコンピュータを修復するため "FSE" のシバタサトシさんが会社に通っている。作業をしつつシバタさんが思い出したように 「そういえば今朝、ウチに泥棒が入ったんですよ、ウチだけじゃなく近所が軒並み」 と言う。僕のクルマやオートバイが入った車庫はシバタさんの家の真ん前にある。「被害がないか、調べに行かなくちゃいけねぇな」 と思いつつ生来の無精にて腰が上がらない。
初更、次男の漢字練習の宿題を督励する。
晩飯の内容を聞いてワイン蔵へ行く。はじめブルゴーニュの白を飲もうと考え適当なものを探していると、その左隣の棚なかほどに昨年と一昨年のボジョレ・ヌーヴォーが各6本ずつあることに気づく。「義理で買ったワインは結局、こうして残っちゃうんだよな」 と思いつつ一昨年のものを1本抜き取る。
グリーンアスパラガスとタコのサラダ、ニンニクと唐辛子のスパゲティ、トマト、セロリ、ニンジン、空豆、生ハムの皮のスープを前にして、家内が 「なんだかぜんぶ 『1番目のお皿』 みたいだね」 と言うので 「日本のメシはすべてそんなもんだろう」 と答える。
「そんなことないでしょう、日本にも天ぷらとか焼き魚とかあるし」 と家内は返したが、天ぷらなどは 「1番目の皿」 以前の 「メシの前につまむもの」 という感じがする。そしてそんなことを考えながら 「あしたは青魚の塩焼きにオリーヴオイルをかけたやつが食いてぇな」 と思う。
"KAYSER" という名からてっきりドイツのパン屋かと思いその袋を見ると店はパリとメジェーヴと東京にあるのだからフランスのパン屋なのだろう、ここの甘い2種のパンを食べるとこれが美味くて手が止まらない。ブルゴーニュの軽い赤と甘いものはよく似合う。結局、一昨年の新酒は巨大な風船グラスに何度も注がれてほとんど空になった。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。
5時30分に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。洗面所の窓を開けると、晴れた北西の空は初夏の色をしていた。
朝飯は、塩鮭、にんにくのたまり漬、昆布の薄味煮、納豆、生卵、メシ、ワカメと玉ネギの味噌汁。
午後、食料新聞社の編集長と記者が来社する。新聞や雑誌の取材に応じることは、原稿を自分で校正できないという点において嫌いだ。この新聞社にはむかし自社の商品について 「愚直なほどに丁寧な漬け込み」 と語り、しかし上がってきた紙面には 「従業員は愚直」 とあって仰天したことがある。それでも 「記事にするんですか? するなら話しません」 というのも大人げないため、いくつかの質問に答え写真を撮られる。
燈刻、次男の漢字練習の宿題を督励する。
今夜こそ断酒をすることとし、まず蕪と水菜のサラダに箸を伸ばすと、これがメシのおかずにとても合いそうな味にて、ということは酒肴にもなるということだ。上からオリーヴオイルがかけまわしてある割にはワインより日本酒向きのその味を不思議に思い家内に訊ねると、やはり酢には鮨用のそれが用いられていた。
タケノコとカボチャの炊き物、衣にスウィートベイジルを刻み込んだ海老のフリット、メシと豚汁。
酒を飲まない日に炊きたてのメシを食べていつも思うことは 「酒よりも米のメシの方が断然、美味い」 ということだ。それでも飲酒を止められないのは、酒の美味さというものが 「具体的に追い切れない何か」 を帯びているせいだろう。
食後、無性にタバコが吸いたくなったため、2階のワイン蔵から "Davidoff" のミニシガリロの木箱を取り出す。1階へ降り靴を履き店舗駐車場のベンチにてこれを吸う。僕は年に1、2本のタバコを吸う。昨年は吸わなかったが一昨年は1本、さきおととしはたしか2本のタバコを吸った。
南の国で1年間マリファナを吸い続けた人が帰国して禁断症状を起こすかといえば、そのようなことはない。ところが日に4、5本のタバコを1週間も続ければ、その人間はほぼ確実にニコチン中毒になる。タバコの習慣性はそれほどに恐ろしい。
年に1、2本の量に留める限り、ワイン蔵に保管するダヴィドフの細い葉巻は僕が死ぬまで在庫切れは起こさないはずだ。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。
何時に目を覚ましたかは知らないが、家具の輪郭が分かるほどに部屋が明るくなってきたため 「この光の具合は4時半くらいだろう」 と予想しつつ枕頭の灯りを点け時計を見たら本当に4時30分だった。
事務室へ降りていつものよしなしごとをする。6日前に 「ふきのとうのたまり漬」 の漬け上がりを報せたメイルマガジンの余韻はいまだあり、きのうの終業後から今朝にかけてのすべてのご注文に 「ふきのとう」 が含まれている。何本かのメイルに返信を書き、きのうの日記を作成する。
朝飯は、焼き海苔、塩鮭、昆布の薄味煮、にんにくのたまり漬、ベイコンとほうれん草の油炒め黒酢がけ、納豆、メシ、豆腐とワカメの味噌汁。今日の納豆には長ネギやワケギではなく、刻みタマネギが載っている。十代の前半に出奔し、小説になるほどおもしろい修業時代を日本橋の西洋料理屋で過ごした母方の祖父の作るラーメンのスープには、やはり長ネギではなく刻みタマネギが浮いていた。本来その薬味として長ネギを用いるものに刻みタマネギを代用すると、それはそれでまた美味いものができあがる。
本日は事務係のコマバカナエさんが休暇を取り、残るのは入社してちょうど1ヶ月を迎えるイリエチヒロさんのみだ。ウェブショップからの注文は僕が処理し、彼女にはこの1ヶ月で覚えた仕事のみをしてもらう。
午後おそく、なんでもかんでもとりあえずは突っ込んておく事務机の右から背後を取り囲む本棚に、京都の飲み屋についての本を探すが見つからない。「それもこれも、この本棚に読まない本、使わない資料、ただ取り置いてあるだけの小冊子、古い地図やパンフレットが多いせいだ」 と、イリエチヒロさんに手伝ってもらい、これらを100キロほど処分する。
京都の飲み屋を集めた本は、その片づけの途中で無事に見つかった。
燈刻、断酒をすべく決めてエレヴェイターに乗る。家内が晩飯をこしらえているところへ行くと、若竹煮や筍飯ができあがろうとしている。3月、僕がおでん屋や小料理屋に行ってそれをメニュに見つけると頼まずにはいられない若竹煮があって断酒をするわけにはいかない。
食卓に着き、焼酎 「そばの香り」 をお湯割りにする。若竹煮、厚揚げ豆腐と鶏肉と長ネギの炊き物、グリーンアスパラガスのからし胡麻マヨネーズ和え、ふきのとうのたまり漬にて、その焼酎を飲む。おこげのあるタケノコご飯にて締める。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時前に就寝する。
5時30分に起床し、事務室へ降りていつものよしなしごとをする。シャッターを上げて初めて今日の空の青いことを知る。新聞受けから新聞を取り7時に居間へ戻る。
朝飯は、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、たらの芽とコゴミの天ぷら、イカ入り薩摩揚げの炊きもの、昆布の薄味煮、納豆、メシ、茄子とワケギの味噌汁。
日中、店舗の忙しさに従って店に出、ショウケイスに商品を補充する時宜を計り、給茶器にお湯を補給し、床のゴミを拾う。冷蔵庫へ入って在庫を確認し、急ぎの注文の荷造りをし、あした売る商品の準備を手伝う。
終業後、"amazon" からきのうのうちに届いていたらしい本を抱えエレヴェイターに乗る。初更、次男の教科書音読の宿題を督励する。アンソニー・ボーディンの紀行文はもったいなくて一気に読むことができない。よって、他の本と平行して少しずつ読み進むことにする。
春雨サラダ、モヤシとニラの油炒め、豚肉のみを包んだ小さな餃子、ホタテ貝を仕込んだ大きな焼売にて、焼酎 「久耀」 のお湯割りを飲む。
むかし焼酎や泡盛が一般には貧乏人の飲み物と認識されていた時代を引きずり、今もこれを置かないところが自分の好きな飲み屋の中にもあることを残念に思う。反面、壁の棚一面これみよがしに焼酎のボトルを並べたバーについても 「ちょっと違うんじゃねぇか?」 との感想を僕は持つ。
それぞれに米、麦、芋、泡盛と書かれた大きな甕から、ひしゃくを持った店主が客の求めに応じてその器に酒を盛る。黒光りしたカウンターには5種類ほどの大鉢料理。そして長椅子は黒田辰秋、とまでは言わないが 「そういう簡素な店が、どこかにねぇかなぁ」 と思う。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時に就寝する。
目を覚ますと部屋は薄明るかった。居間へ行き壁の時計を見ると5時だった。洗面して冷たい水を飲み、コンピュータを起動する。いつものよしなしごとをしつつ30分を経たところで、長男の部屋から携帯電話にセットした目覚ましの音が鳴る。その音はやがて消え、また鳴り、そして消えてまた鳴り始めた。
6時を過ぎて起床した長男が、昆布とかつお節でダシを取り味噌汁を作る。きのうのうちにセットしておいたのだろう、炊飯器がフタの中央にある数条の隙間から湯気を吹き始める。僕が先日の懸賞企画の当選者に賞品の到着時期を知らせるメイルを書くあいだに長男はトマトとほうれん草を炒め卵を焼き、自分の朝飯を完成させた。
僕は本日の昼過ぎから行われる自由学園の 「新学園長就任ご挨拶の会」 へ参ずるが、裏方としての仕事が何かと予想される。早めに学校へ行くことを考えれば昼飯を食べる時間の捻出は難しい。自分は朝飯は抜き、早めの昼飯を取ることとする。
僕が買って遂に使うことのなかったカリマー社製ピナクルーの復刻版に教科書やパタゴニアのボロボロのズボンを突っ込み、それを背負ってスーツを着た長男は7時すぎに玄関を出た。僕のウエストが28インチだったころに履いたその古いズボンは、土曜日に2単位ある日本画の授業のためのものだ。毎週、必修で美術の授業があるのは、とても良いことだと思う。
本日の午前中はなにしろ時間がたっぷりとある。2月に入手したがもったいなくて手をつけず、きのうようやく読み始めた
この 「世界を食いつくせ!」 は、出世作が大ベストセラーとなり、それにより金と名を得た料理人の著者が、こんどは世界を巡りあれやこれやと食って歩いた紀行文で、この著者の、俗物性とは正反対の極みにある興味嗜好考え方を知れば、これは僕にとってまたまた数年に1度行き当たるかどうか知れない面白い本であるに違いない。
きのう 「家康本陣」 で焼酎が3杯目を超えて後に読んだ部分を、牛が胃の内容物を口へ戻してふたたび咀嚼するように読み返してから新しいペイジへ進む。
「鮨は素早く食うから美味いのだ」 と、これをほとんど噛まずに呑み込む人がいる。ろくに噛まずノドを通過させることを奨励される食べ物の代表は蕎麦だろう。しかし僕は 「蕎麦は噛んで食った方が美味めぇんだ」 と言う、優れた蕎麦を打つ蕎麦屋のオヤジを知っている。面白い本はゆっくりと読むに限る。僕のような遅読の人が面白い本に行き当たったときの幸福感は大きい。反面、読みづらい本に当たったときの悲惨さもまた小さくはない。
長男に3時間30分遅れて甘木庵を出る。本郷3丁目駅前の 「おむすび権米衛」 にて、山菜、ジャコ玄米、鮭イクラの3個のおにぎりとあさりの味噌汁を注文し、これを朝昼兼用のメシとする。価格はこの組み合わせで710円だから、吉野家に牛丼が健在ならば実にその倍以上のメシ代ということになる。
自由学園の大きく育った木々は既にして新しい緑を満々とたたえ目にまぶしかった。1時30分より羽仁吉一記念講堂にて 「新学園長就任ご挨拶の会」 が始まる。およそ2時間の後、参加者のほぼ全員がけやき坂を下り、大芝生にてお茶の会が催される。ウインドオーケストラが 「かかげよ旗を」 を演奏し、本日の式典は午後4時に予定通り終了した。
西武池袋線ひばりヶ丘から池袋、西日暮里、北千住を経由して8時ちかくに帰宅する。入浴して9時30分に就寝する。
朝2時45分に目を覚ます。枕頭の活字をあさり、そしてこれを読み5時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをしながら壁の時計に注意を向ける。
5時55分に春日町1丁目公民館へ行くと、イワモトミツトシ区長は既にして、会所の屏風や棚の上の供物などを片づけ始めていた。タケダ会計は65歳を優に超えているだろうが、酒は飲まず早起きもせずまるで高校生のようだ。区長がタケダ会計の家へ、ウワサワに作業の指導をせよと、遠回しにその朝寝を難じる電話をする。
日光街道に沿った各戸の前に張られた縄飾りを単独で外していくのは手間のかかることだが、とりあえずはひとりで仕事を始める。やがて起き出したタケダ会計が、路上に何百メートルもとぐろを巻いている荒縄を端から片づけていく。
お祭りの期間だけ会所と呼ばれる公民館へ戻る。現金や清酒を寄進してくれた家へ配る瀧尾神社のお札と、鄙には希な上出来の和菓子屋 「久埜」 の最中をあずかり、7時に帰宅する。
朝飯は、昆布の佃煮、梅干、ジャコ、塩鮭、椎茸と玉子とワケギの雑炊。
おととい送付したメイルマガジンの余韻はいまだあり、いつもよりもずっと多い注文がウェブショップから入っている。それを処理し終えないまま郵便局へ行った事務係のコマバカナエさんが戻ると、その手には法人による大口受注の入った厚紙の封筒があった。
昼飯は、タイラガイ、エリンギ、シメジ、オクラのスパゲティだった。このような物件を目にすれば自ずとワインが欲しくなる。しかし今日あすと留守にしようとしているとき新規の瓶を開ける気はしない。代わりにノイリープラットを飲む。
3時を過ぎて、着たくはないスーツを着る。自分はどうしてスーツが嫌いなのか? それは、これが裸から遠く隔たった服だからだ。バンコック中華街の貧乏宿にあって裸同然の姿でベッドに寝ころんでいるときと、糊の利いたシャツにネクタイを締めスーツを着て何かの式で背中を直立させているときのどちらが楽か? 世の中にはスーツをまるで皮膚のようにまとってまったく苦にしない人も多いが、残念ながら僕はその範疇にない。
下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗る。北千住と新御茶ノ水を経由して6時5分に神保町へ達する。会議の始まりは25分の後に迫っているから、うかうかしているわけにはいかない。白山通りから脇道へ入り 「家康本陣」 の引き戸を開ける。計14本の串焼きと3杯の芋焼酎、それに生ビール1杯を取り急ぎ摂取し、靖国通りを西へ歩く。
岩波ビルは1階を大きなスーツ屋に貸し、いったい何屋のビルなのか判別できなくなっている。「咸亨飯店」 の並びには、いつのまにかセブンイレブンができている。カレーショップ 「ボーイズ」 はいつもと変わりない。そのカレー屋が間借りするビルの4階を会場とする "pdn"(Primary Dougakunotomo Network)のオフ会議は順調に議題をこなし、9時40分に終了した。
錦華通りから屈曲した坂を上がる裏道ではなく、富士見坂から御茶ノ水を目指す駿河台の表通りを歩き、本郷へ至る。
甘木庵に帰着すると、長男は勉強の手を休め居間の安っぽいソファで眠っていた。僕も甘木庵に暮らしたころは決して自室の机では勉強せず、すべての読み書きを居間の丸テイブルにて行っていたことを思い出す。長男を起こし、僕はスペーシアの中で書き始めた今日の日記を完成に近づける。
シャワーを浴び、居間の灯りを気にせず0時に就寝する。
目を覚ますと既にして部屋の中は薄明るかった。枕頭の灯りを点け時計を見ると5時になっている。すぐに起床して事務室へ降りる。顧客からのメイルによる問い合わせに返事を書くなど、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、ブロッコリーとベイコンの油炒め、納豆、トマトサラダ、茄子の油炒め黒酢がけ、メシ、ナメコとワケギの味噌汁。
昼前、お祭りのお囃子が聞こえてくるので外へ出てみると、平町の花屋台が瀧尾神社を目指して日光街道を北上していくところだった。屋台の先導を務める頭は頼まなかったらしく、その任には代わりに、日本橋の有名な老舗よりもよほど上等なメンチカツを供する 「金長」 のカネコ君が当たっていた。春の例大祭は本日、終了する。
昼過ぎ、自由学園の同学会委員長ウチダヒトシ君にメイルを送ると、即 「電話の方が意思の疎通が手早くできる」 との、電話番号入りの返信が戻る。この番号を呼び出して、予想を外れた長話になる。その後、明晩に出席する、自由学園卒業生有志のメイリングリスト "pdn"(Primary Dougakunotomo Network)のオフ会議へ向けて資料を作成する。
初更、バキュバンで栓をしてあった "CHATEAU MAGNEAU 2000" をグラスに注ぐ。ホタルイカとベビーリーフのサラダ、カレイのオリーヴオイル焼きバルサミコソースを、その肴とする。家内が 「お店の名前はまだ憶えていない」 と言う新しいパン屋による3種のパンが美味い。仕上げにスミルノフのウォッカを生で1杯だけ飲む。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時に就寝する。
暗闇の中で目を覚ます。しばらくしてから枕頭の灯りを点けると2時50分だった。3時に起床して事務室へ降りる。
きのう5度6度と書き直したメイルマガジンを、更に2度ほど手直しする。既存のマニュアルや他人の手になる説明書きはまったく理解できない性質の脳を僕は持つため、自分が作成した手順書に従って慎重にコンピュータを操作し、ウェブショップの顧客にメイルマガジンを発送する。
その後、夏のギフトのダイレクトメイルを事務室内で回覧するために印刷し、きのうの日記を作成する。
朝飯は、煮奴、チンゲンサイの油炒め、納豆、茄子の油炒め胡麻味噌和え、塩鮭、メシ、大根と三つ葉の味噌汁。
9時すぎに郵便局より戻った事務係のイリエチヒロさんが、僕の机上に1枚のハガキを置いた。それは聖ヨゼフ幼稚園以来の同級生で、現在は下野新聞社に勤めるイトウカツユキ君からのものだった。ハガキには 「このたび編集局東京報道部長を命じられ、過日着任しました」 とある。
「これは栄転なのだろうか?」 と考え、ややあって 「多分、栄転なのだろう」 と納得をした。イトウ君のこれまでの苦労を思い、そして僕は嬉しくなり、即、お祝いの返事を書いた。年賀状の返事はなかなか書けないが、こういう返事ならサクサク書ける。
イトウ君の新住所は谷中にあって、最寄りの駅は千代田線の根津だ。イトウ君は毎日、根津と国会議事堂前を往復しながら、甘木庵の最寄り駅のひとつ湯島を通過することになる。「いつかどこかで飲むことができるだろうか?」 と考える。新聞記者は24時間勤務のようなところがあるから、あるいはイトウ君は飲んでいる最中に連絡を受け、どこかへ消えるかも知れない。
燈刻、次男の教科書音読の宿題を督励する。
「焼酎のお湯割りは土で飲もうね」 と、雲仙焼きのビアカップにて芋焼酎 「久耀」 のお湯割りを飲む。 生のトマトと茹でたブロッコリー、豆モヤシと厚揚げ豆腐の炒め煮びたし、中華風ハンバーグ、チンゲンサイの油炒めを、その肴とする。食後にゴードンのジンを生で1杯だけ飲む。
入浴してウーロン茶を飲み、9時に就寝する。
朝2時に目覚め、3時まで枕頭の活字を拾い読みして過ごす。その後 「あさきゆめみし」 という状態がながくあって6時に起床する。事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、ふきのとうのたまり漬、納豆、茄子の油炒め黒酢がけ、グリーンアスパラガスの胡麻マヨネーズ和え、塩鮭、メシ、なめこと三つ葉の味噌汁。
マイツールのスケデュール管理を見て、昨年の今ごろは既にして、夏のギフトのダイレクトメイルが作られつつあったことを知る。今年のための文章を整え、とりあえずはディスケットに保存する。製造現場より、できあがったばかりの 「ふきのとうのたまり漬」 が店舗へ運ばれる。このことを知らせるメイルマガジンの文章を、5度6度と書き直してメイラーに保存する。
昼飯は、グリーンアスパラガスとエリンギとベイコンのスパゲティだった。食卓に出てきたそれを見て思わず画像に残したく感じたが、オリーヴオイルを表面にまんべんなく帯びて盛んに湯気を立てているパスタを放置し、事務室へカメラを取りに行くわけにはいかない。「あと5割増しの量があればなぁ、白ワインも飲みてぇけど、そうはいかねぇ」 などと考えながらこれを食べる。
僕は間食をしないため、朝の4時には、また昼前の11時には、そして午後4時には早くもひどく腹が減っている。初更、「ポテトサラダには焼酎だよなぁ。追加の肴はハムエッグ。あと塩らっきょうがあれば、北千住か赤羽の飲み屋にいる気分だ。でも今日も断酒しよう」 と考えつつ居間で次男の宿題を督励していたら、ひとり分としてはかなり量の多いポテトサラダを家内が食卓へ運んできた。
「あぁ、これはマズイ」 と思う。「今日は酒、飲んじゃうか」 と考える。「でもなぁ、15日までに4回酒を抜かないと、後のスケデュールが苦しくなるからな」 と、その誘惑を退け、おとなしくポテトサラダとカレーライスを食べる。
入浴して牛乳は飲まず、というのも牛乳は本来、僕があまり摂取してはいけないもののリストに含まれているため、同じ小冊子で推奨されているウーロン茶を飲む。子どものころには 「栄養があるんだから飲めー、飲めー」 と言われた牛乳も、この年になってみれば 「からだの脂肪が増えるんだからやめろー、やめろー」 と言われる。そのことが、頭では分かっているつもりで、しかしどこか腑に落ちない。
9時に就寝する。
朝2時から3時までと、4時から5時までの2時間を、ハセガワヒデオ君の追悼文集 "THE GK WHO LOVED JAZZ" を読み直すことに費やす。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、ピーマンとソーセージの油炒め、トマト入りスクランブルドエッグ、梅干、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とワケギの味噌汁。
開店直後、販売係のヤマダカオリさんとトチギチカさんが店舗前へお祭りの提灯を掲げ、軒先の縄飾りから幣束を垂らす。軒を支える柱は6本ある。したがって柱と柱のあいだは5ヶ所ということになる。その5ヶ所に1軒分4枚の幣束を垂らしていくと、その総数は20枚になる。 「卓ちゃんちは2軒分だからヘイソクは8枚ね」 というわけにはいかない。
昼の空いた時間に "THE GK WHO LOVED JAZZ" 最終校正版の読み直しを終える。
本多勝一は、場合により句読点は文字よりも大切だと言った。「ここに読点を打つと意味が誤解されて伝わっちゃうよ」 という一節を見つけたが、句読点の誤用は文化人も大新聞もよくやらかすことにて、これはそのまま放置することにする。
長く海外に住む人たちの日本語は多くおかしな部分を含むが、これもそのまま置くことにする。ちと変わった助詞の使い方を見つけるが、書いた本人は凝った修辞のつもりかも知れないので、これも直さずにおく。自分よりも文章力の劣る人間に自分の文章を修正されることほど腑に落ちないことはない。
結局、明らかなテニヲハの間違いと脱字の部分だけを、今日は編集員のサカイマサキ君と印刷製本係のノリマツヒサト君に同報メイルにて知らせる。メイルの表題は 「最後の校正」 とした。
燈刻、本日の断酒に伴い、次男と同じカレーライスを食べる。ハセガワヒデオ君のお母さんに長徳寺にて手渡されたお菓子 「黒松」 を食べつつ牛乳を飲む。
入浴し、次男が痛みを訴えるふくらはぎに 「これは香港の魔法のクスリ」 と、何年か前の社員旅行で買わされた 「百合油」 を塗り、長いあいだマッサージする。
9時に就寝する。
4時に目を覚まし、5時までに 「キャパ その青春」 を読み終える。この文庫本を池袋の書店で買うときすこし心配をしたように、やはり僕は、1988年に刊行されたそのハードカヴァー 「キャパ その青春」 「キャパ その死」 の2冊を本棚に未読として置いてあった。しかも訳者の沢木耕太郎はハードカヴァーにさえ多かった原注、訳注、雑記の量を更に増し、文庫版は 「キャパ その青春」 「キャパ その戦い」 「キャパ その死」 の3冊組になるという。
いつ最終ペイジに至るとも知れない膨大な数の参考文献を巻末に発見した場合、僕はそれを読まないが、しかし訳注のたぐいは嫌いではないし、本文よりも興味深いあれこれがそこに隠れていることも少なくはない。十数年前に買ったこの本のハードカヴァーはそのままに、僕は新しい文庫版を更に買うことになるのだろう。よくあることだ。
事務室へ降り、朝のよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、焼そば、イチゴ、緑ピーマンと赤ピーマンの油炒め、納豆、ハクサイの油炒め黒酢がけ、メシ、豆腐とワケギの味噌汁。
ハセガワヒデオ君の納骨式において、その控え室でちかくに座ったヤハタジュンイチ君に、追悼文集 "THE GK WHO LOVED JAZZ" の最終校正版に、まだ訂正を必要とする個所が残っていることを伝えた。編集責任者のヤハタ君はその部分を教えてくれるよう言い、僕は承諾をした。
今朝ヤハタ君に、僕が見つけた部分についてのメイルを送り、その後も注意しつつ全文を読んでいくと、校正の必要な個所は他にもいくつか見つかった。ヤハタ君はメイルで 「忙しい日曜日に君の手を煩わせるわけにもいきません。連絡いただいた文章の修正をもって校正完了とします」 と言ってきたが、その後で見つけた脱字を、今度は電話にて知らせる。「よくよく読んだつもりだったんだけどなぁ」 とは、そのときにヤハタが漏らした言葉だ。
「本日にて校正完了」 とのことだから、夜にでもまた読み返していない部分を調べ、おかしなところがあったらまた知らせようと考えてこの文集を閉じる。
隠居の庭に春の気配が満ちてきたため、家内が弁当を持ち、隠居の縁側にてサイトウトシコさんと次男との4人でこれを食べる。その後、庭をひと通り歩き、知っているすこしの花と、知らない多くの花を見て回る。
朝、コマバカナエさんが倉庫の2階から降ろしたパンフレットを事務室の棚へ収めているときに腰を痛め、いまにもギックリ腰になりそうな状況の下で、瀧尾神社のお祭りのための町内の飾り付けに、午後3時より出かける。
各戸の軒下に縄を張っていく作業を始めてから何年になるかは忘れたが、「この家のひさしの下にはクギが何本も出ているから、うっかり触ると怪我をする」 とか 「町内会には入っていても、この会社はクルマの出入りが激しいから、その妨げになる縄飾りはいらない」 などということは、とうの昔に憶えてしまった。
その後、春日町1丁目公民館にて長老たちと、自分が担当する地域に幣束を配布すべく、その数を数え仕分けをしていく。タケダ会計には 「卓ちゃんちは2軒分だからヘイソクは8枚ね」 と言われて 「はい」 と返事はしたが、「どうせ余るんだから、かまやしねぇ」 と、自分の家には5軒分の20枚を確保した。
高島屋へ出張した最終日に打ち上げをした八重洲の 「昌月苑」 にて山ほど化学調味料の入った胡麻油に幻惑され、以降、焼肉屋へ近づくことを避けていたが、本日次男が 「脂のたっぷり入った肉が食べたい」 とのことにて、初更 「大昌苑」 へ行く。
窓際に並んだ焼酎のボトルに自分のものを探すが見つからない。オカミに訊くと 「ながいあいだ来なかったから流れちゃったんだよ」 と言う。しかしこの店はそれほどすぐにボトルを流しはしない。端から見ていく中に記名のない 「田苑」 を1本見つけたが、前回ボトルを入れた際に自分の名は書き入れなかった気がする。折良くオカミが 「そのボトルは?」 と訊くので 「この前オレ、名前書かなかったんだよ」 と答えると、「じゃぁそれじゃないの?」 と事態は落着した。
なにやらいい加減な気もするが、間違いなく僕の焼酎だろう。これをオンザロックにし、オイキムチとモヤシナムルにて飲酒を始める。レヴァ刺し、タンシオ、コブクロ、ホルモンと進む。カルビに至って 「ハセガワは1日にトロの握りを2個しか食えない勘定だったが、とすればこのカルビは2枚でおしまいだったんだな」 と考える。
テグタンラーメンにて締め、今夜新たに入れたボトルにはしっかりと自分の名を書く。
帰宅して入浴し、"THE GK WHO LOVED JAZZ" を読む。「更に校正すべき個所があれば、ヤハタジュンイチ君に今夜中に電話で知らせよう」 と思いつつ、いつのまにか就寝する。
4時に目を覚まし 「キャパ その青春」 を5時まで読んで起床する。
事務室へ降りてきのうの画像をコンピュータへ取り込みつつ、その中に、甘木庵の居間というかダイニングキッチンというか、そのテイブル上にあったチラシも撮っていたことを思い出す。このチラシにあるURLをアドレスバーに打ち込んでクリックすると、それは果たして、僕がかつてその近くの八百屋や酒屋へ通いつつ、しかしそこへはただの1度も足を踏み入れたことのないちょっと高級なスーパーマーケット "KAGAYA" が現れた。
よく見てみれば、甘木庵のある地域には電話やコンピュータにより注文した品を、日曜祝日を除く毎日、配達してくれると書いてある。「へぇ、凄いじゃん」 と思う。
いつものよしなしごとをし、きのうの日記を仕上げて7時に居間へ戻る。朝飯は、緑ピーマンと赤ピーマンの油炒め、肉じゃが、納豆、牡蠣の佃煮、メシ、シジミとワケギの味噌汁。
下今市駅7:46発の上り特急スペーシアに乗る。「同級生は式の始まる30分前の10時30分までに来いよ」 と言われていた板橋区本蓮沼の長徳寺には、北千住から巣鴨を経由して10時に着いてしまった。こぢんまりとはしているけれどとても施設の充実した境内に入り、声のする方へ向かうと、そこには山の手によく見かけるような、斜面に作られた墓地があった。
階段を上がり黒い服を着た人たちに近づくと、それはハセガワヒデオ君のご家族ご親戚だった。僧侶と石屋らしい人がいて、まさに今、ハセガワ君の遺骨をお墓に納めようとしているところだった。「これは親族のみが参列して行う式なんだろうな」 と考えつつ、ひとりでフラフラしているのもはばかられ、それが終わるまではずっとそのちかくに僕は立っていた。
「もうアキヒコ君が来てるわよ」 というハセガワ君のお母さんに案内をされて寺内の控え室へ行くと、既にして数人の同級生がいた。11時までにはほとんどの同級生が来て、本堂にて納骨の読経を聞き焼香をする。ふたたびお墓の前へ行き、ひとりひとりが線香を手向け墓石に水をかける。
境内には10本ほどの桜の木がある。ハセガワ君のお墓の上に張り出す枝には他よりも多くの花が残っている。そこから晴れた空を背にして、止むことなくその花びらが右へ左へと揺れながら落ちてくる。気温は上着を脱ぎ捨てたくなるほどに高い。
ふたたび控え室に戻ると、ビールとお酒と、そして大きなすし桶がたくさん用意されていた。ハセガワ君が亡くなった後、お母さんの口からは 「ヒデオが食べたがっていたなにがし」 とか 「ヒデオが好きだったなにがし」 という言葉が多く聞かれる。
そして鮨を前にしては、ヒデオはちかくの富久鮨のトロが好きだったけれど、亡くなる1年前からの食事療法では、このトロの握りをふたつ食べると、もうそれだけで1日の摂取カロリーが満たされてしまうので、こういうものは食べられなくなった、というようなことをおっしゃった。
ハセガワの遺影の前に置かれた小判型の重箱を振り向きつつ 「あの中にも鮨があるんだろうな」 と考えていたら、隣席のヤマシタアキヒコ君が気がついて、そこにビールをお供えした。相手が年寄りなら 「どうせもう長くはねぇんだ、好きなもん飲み食いさせてやれ」 ということにもなるが、若い病人に対してはそうもいかない。ハセガワ君は好きなビールも、最後の1年間は飲むことができなかった。
同級生たちの歓談は長く続いたが、そのうち誰かが 「このままじゃぁ夜になっちゃうぞ」 と言いだし、始まってから2時間30分ほど後にお開きとなった。
ハセガワ君のお母さんから 「これ、ヒデオが好きだったの」 と手渡された紙袋には 「北区東十条駅南口下角 黒松本舗・草月」 との筆文字があった。「東十条? 南口下角? モツ焼きの埼玉屋へ行く途中、オレはその角を曲がっているはずだよなぁ」 と考えつつ思い出せない。そのお菓子の袋を下げつつまたまた皆でお墓への石段を登り、散会する。
来た道を戻って北千住駅16:11発の下り特急スペーシアに乗る。車中より家内に、きのうの昼飯のナポリタンにウースターソースを加えたヤツを食べたい、と電話を入れる。
初更、"CHATEAU MAGNEAU 2000" を抜栓する。トマトとベビーリーフのサラダ、スクーターでの配達によるピッツァ、帰宅途中の列車内から注文をしたスパゲティ・ナポリタンにて、その白ワインを飲み進む。このスパゲティは確かに日本人の発明になるインチキだが、インチキでも美味いものは美味い。これを食べて思い出すのは、映画 「リストランテの夜」 で、アメリカ人好みのスパゲティ・ミートボールを売って繁盛していたイタリア料理屋 「パスカルズ」 のことだ。イチゴにて締める。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時に就寝する。
畳に敷いた布団の上で目を覚ます。枕を向けて寝た障子を透かして朝の光が部屋に差し込んでいる。そばに置いた腕時計を見ると5時30分だった。起床してコンピュータを起動し、熱いお茶を飲む。今朝の忙しさを勘案して、きのうの日記はきのうの夕刻までに半分は書いてあった。残りのほとんどを書き加え、6時に長男を起こす。
長男がコーヒーの豆を挽き、デロンギのオーヴンでパンを焼き、あらかじめ作って冷凍保存をしておいたミネストローネを電子レンジにて解凍する。そのメシを食べる。
長男は本日、自由学園最高学部の1年生に上がる。始業式にはスーツを着て臨む必要があるが、シャツのカフスを留めたり慣れないネクタイを締めたりするには時間がかかるだろう。食後の食器洗いは僕がする。
長男は結局、ネクタイは学校へ行ってから締めると、これを "Patagonia" のショルダーバッグに格納して7時すぎに玄関を出た。僕もそれから10分ほどして外に出る。春日通りの湯島付近にはカラスが多い。ところがむかしの待合い、飲食店や風俗営業の店が密集する繁華街の中を歩くと、ここにはカラスよりもネコが多い。たくさんのネコがじゃれ合う無人の繁華街を抜け、上野広小路から地下鉄銀座線にて浅草へ達する。
8:00発の下り特急スペーシアが暗いプラットフォームから出て隅田川の鉄橋を渡り始めると、左右の視界は急に開ける。墨堤の桜はほとんどその花弁を落とし、残った花芯の濃い紅色と葉の緑が遠目には細かい水玉模様を作っていた。
帰宅して昼、きのう池袋の中華料理屋でアカギシンジ君からもらった、ハセガワヒデオ君の追悼文集 "THE GK WHO LOVED JAZZ" の最終校正版を読む。「あいつ、在学中からこんなに上手だったっけ?」 と感心をさせられる文章に多く行き当たる。その中の随一は、亡くなったハセガワ君が自由学園初等部のときに書いた作文だろう。写真も多い。奥付には 「2004年5月1日発行」 とある。きっと立派な文集になると思う。
家内が昼飯用に作ったスパゲティ・ナポリタンは美味かった。ここにケチャップと共にウースターソースも加えて炒めればもっと美味くなるように感じる。「この倍の量は食いてぇな」 と考えつつ皿を空にする。
閉店後、結婚をして子どもができたため、本日を以て退職をするタカハシアツコさんが後輩たちに祝ってもらっている。タカハシアツコさんは後輩の事務係コマバカナエさんに、否、他の部署の人たちにも、自分が身につけたこと知っていることはすべて教えてくれた。出し惜しみをする人とすべてを与える人とのどちらが多くのものを得るか? ということが知りたければ、タカハシアツコさんの日常を見れば良い。
燈刻、茄子と蕗のとうの味噌炒りつけ、冷や奴、胡瓜のひしおマヨネーズ和え、里芋による肉じゃが、春菊の胡麻和えにて、焼酎 「久耀」 のお湯割りを飲む。更に、メシの上に肉じゃがの肉、塩鮭、味噌で炒った茄子を載せ、これも酒肴とする。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
夕刻の空の下、建設中のビルはようやく外壁の工事を終え、先ほど足場が外された。その、もう手を加える必要のない外壁に、クレーンで吊ったコンクリートパネルを必死で貼り付けようと僕はしている。クレーンのオペレイターの技術が低いのか、あるいはコンクリートパネルと壁の双方の面が一致しないのか、収まるべきものは一向に所定の場所に収まらず、空中に揺れている。上手く運ばない作業にいらだつように、クレーン車がその巨大な図体には似合わないビープ音を発している。パネルはいつまでも壁に収まらない。そして虫の羽音のようなビープ音も途切れることなく続いている。
パジャマの胸元で携帯電話が鳴っている。開いてディスプレイを見ると、そこには 「ウチダヒトシ」 という発信者が表示されていた。
僕は普段、携帯電話はその着信音を消して机の引き出しに入れておく。ときどき取り出して、着信記録があれば先方に電話をする。つまり、ひと昔前のパソコン通信のように、時間をずらしつつ情報のやりとりをする僕の携帯電話に同時性はない。夜はこれを事務机に入れたまま自室へ引き上げるから、応答するまでの時間は更に長いものになる。
ただし4月7日の夜だけは、携帯電話を抱いて寝なくてはならないような野暮用が発生した。僕はウチダ君の後にも2度、別の人からの電話を受け、0時30分をすぎて熟睡に入った。
今朝5時30分に目を覚ましたときには、だからいつもは感じない寝不足の気分があった。雨の音を聴きながら 「キャパ その青春」 を読み、7時ちかくに起床する。1階まで降り、事務室へ通じる通路の鍵を外したのみにて居間へ戻る。
朝飯は、春菊の胡麻和え、冷や奴、塩鮭、納豆、茄子と蕗のとうの味噌炒りつけ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とワケギの味噌汁。
今日から小学校3年生になる次男を、集団登校のための集合場所が見えるところまで送る。夜半の雨は止み、空はうららかに晴れた。桜は今、早いもので五分咲き、遅いもので二部咲きといったところだろうか。
夕刻にはいまだ早いころ、きのう整えた 「同学会ホームページ」 の予算見積書25部をザックへ入れる。他の委員会はいずれパワーポイントで書類を作成してくると予想し、自分の委員会はより目立って所定の予算を獲得しやすいよう随所に筆書きを入れてみた。下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗る。北千住と西日暮里を経由して池袋に達する。
同学会本部委員会は毎月第2木曜日に明日館で開かれているが、今夜は生憎とその全室がふさがっているため、会議の場所はちかくの勤労福祉会館へと移された。会場のつごうで開始時間も30分遅れるため、西口にいまだ30年前の雰囲気を残す一角の琉球飲み屋 「おもろ」 へ行く。
薄暗い店内のベンチに腰かけ生の泡盛を注文する。突き出しはワカメとタコの炒め煮浸しだった。悪くない。「キャパ その青春」 を読む。肉豆腐とソーミンチャンプルーを肴に2本目の泡盛を飲んでいるところに電話が鳴る。ディスプレイには同じホームページ研究室のモリタヨウジ君の名があった。
「ウワサワさん、今日の会議の場所、変わったんですよね?」
「うん、勤労福祉会館」
「僕、もう来てるんですけど誰もいなくて、会議室のドアも開かないんですよ。いま、どちらにいらっしゃるんですか?」
「近くにいるんだけどさ、酒を飲んでいるんだよ」
「えっ!?」
「7時開始だぜ。メイルでも流したろ? 読まなかった?」
「おもろ」 を出ると、はす向かいの飲み屋 「ふくろ」 の前に救急車が停まり、ストレッチャーに男が寝かされている。いずれ急性のアルコール中毒だろう。「ふくろ」 の入り口には 「本日、鍋物とお酒は半額です」 の張り紙がある。「だからって、ムキになって飲んじゃぁマズイわなぁ」 と、偉そうに思う。
同学会本部委員による内容の濃い話し合いは9時30分まで続いた。そして我が 「ホームページ研究室」 へ予算を獲得するためのプレゼンテイションは上手く行った。
少し遅れて会場を出ると、路上にはいまだたくさんの同学会員がいて集団で駅へ向かいつつある。こういう際の僕はとかく単独行動に移りがちだが、今夜は同級生のうち帰宅を急がない3人につきあい、西口の中華料理屋で小さな同窓会を持つ。
甘木庵に帰着したのは11時45分だった。いまやここに住む長男に玄関を開けてもらう。入浴して冷たいお茶を飲み、1時ちかくに就寝する。
4時に目を覚まし、5時まで 「キャパ その青春」 を読む。二度寝に入って6時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、茄子の油炒め、ほうれん草の油炒め黒酢がけ、納豆、ジャコ、メシ、大根と茗荷の味噌汁。茄子は盛夏の、茗荷は晩夏から初秋にかけての野菜と認識をしているが、いつの間にか春にも秋にも食べられるようになり、今では通年、食べることができるようになった。
先日、相互リンクをしてくれとメイルのあった 「高知春野農業協同組合」 のペイジには、フルーツトマトの旬が2月から5月とある。2月にトマトを食べるとは、これまでの僕の常識からすればとても不思議なことだ。そういえば先日、どこかの飲み屋の品書きに 「サンマ塩焼き」 の文字があったが、たとえそれが冷凍のものであっても、僕はサンマは初秋に食べたい。
まぁ、そうは言いつつも、大根と茗荷の味噌汁は美味かった。
5時を過ぎたころ、家内が 「あら、まぁ」 と声を上げる。コンピュータのディスプレイから顔を上げると、自由学園のツジムラユウ君とホッタマサノブ君が、店舗と事務室とをつなぐ扉を開けて入ってくるところだった。彼らはきのうの夜遅くに那須の農場へ行き、これから帰宅をするところだという。わざわざ遠回りをして立ち寄ってくれたことを有り難く思う。
「パンくらい買って渡せば良かったな」 と思ったのは、学生にありがちな資金不足のため、高速道路は通らず一般道にて東京西部の家まで走り抜くという彼らが去った後のことだった。
燈刻、茄子と蕗のとうの味噌炒りつけにて、焼酎 「久耀」 のお湯割りを飲む。蕗のとうの香りの強烈に立つこの酒肴が大変に美味い。タシロケンボウんちのお徳用湯波とマイタケの鍋に、ミズナ、豚肉を投入して食べる。
食後、「アンジェリーナ」 のモンブランを肴にスミルノフを飲む。このモンブランの、中心部のほとんどを占める生クリームが非常に美味い。栗のペイストとメレンゲとそのクリームとを同時に口へ含み、それらを舌と硬口蓋とのあいだですりつぶし、すべてが溶けて胃へ落ちていくまでを味わい尽くす。スミルノフで舌を洗っては、またフォークで切り取ったモンブランを口へ運ぶ。
蕎麦屋に入って盛りを頼み、出てきたうちの1本をつまみこれを咀嚼しながら天井付近を凝視しているヤツがいる。そのとき蕎麦は、彼に玄妙というものを味わわせているのだろうか? 僕にツユなし蕎麦の美味さは分からない。それに比してのこのモンブランの美味さは、とても分かりやすい美味さだ。あるいは、あざとい美味さだ。僕はこれを食べてなぜか、白いモヘアの半袖セーターを着たモニカ・ルインスキーを思い出した。
入浴して9時に就寝する。
4時に目を覚まし、5時まで 「キャパ その青春」 を読む。二度寝に入って6時30分に起床する。
風邪のためかだるかった体は復調した。昨年の今ごろ関根耳鼻科から処方され机の引き出しにしまっておいた花粉症用の目薬も、考えてみれば必要としたのはこの数日以内、つまり風邪の時期のみだった。数年前のある強風の日に杉林の中で数時間を過ごして発症した僕の花粉症も、以来毎年、数日間の涙と鼻水のみで収まってくれるのは有り難い。
事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。昨夜は気持ちが悪くなるほどに色々と食べたため、朝飯は抜くこととする。いまや3人にひとりは朝飯を食べない我が国にあって、僕がこれを抜くことはかなり珍しい。
長男が自由学園の最高学部へ進んで使うコンピュータについてはここ数日、長男と "Computer Lib" との三者で情報のやりとりをしてきたが、ようやくその機種を ThinkPad T41(2373-3PJ) と決め、増設するメモリも含めた金額を "Computer Lib" の口座へと振り込む。
「ワインを知るには、安いワインを数多く飲むことだ」 とは、ある有名な料理評論家の言ったことだが、これは間違っている。ワインを知るには、上質の(だからその多くは安くない)ワインを数多く飲むことが肝要だ。
「コンピュータは、ロウエンドに近い機種を頻繁に買い換えることだ。なぜならコンピュータは日々その性能を高くしていくから」 とは、あるコンピュータの専門家が言ったことだが、これも間違っている。コンピュータは、自分がしようとしている仕事に対して充分以上に高いスペックのものを頻繁に買い換えていくとストレスがない。
今月2度目の断酒をすべく、きのう食べ残した3種のパンをオーヴンにて炙り、温めた皿に盛る。そして、これと冷たい牛乳による晩飯を摂取する。
酒を抜いたお陰で、下り特急スペーシアにて19:42に下今市駅へ帰着する家内と次男を、ホンダフィットを運転して迎えに行くことができる。
帰宅して入浴し、9時に就寝する。
5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に自宅へ上がる。南西の窓から望まれる隠居の桜が、ずいぶんと色づいている。満開になって散るまでに、あと10日ほどは保つだろうか。
益子の皿に熱湯をかけて温める。きのう 「塚田屋」 で買った金谷ホテルのパンを複数、オーヴンにて炙る。朝飯はその皿に盛ったパンと、冷たいままの牛乳。
ウェブショップを運営していく中でもっとも単調な仕事は、顧客のメイルアドレスをアドレス帳へ登録していくものだ。僕はこの仕事を1月24日より中断していた。およそ10週間分の注文を古い順にたどり、そのメイルアドレスを住所録へ当てはめていく。
ウェブショップのお客様には、僕がお名前を覚えているリピーターも数多くいらっしゃる。ただしそのメイルアドレスには、常に変更されている可能性がある。知ったお名前のお客様であっても、メイルアドレスについては毎回のご注文ごとに調べ、前回と異なるものであれば更新していかなければならない。そしてこの仕事に、およそ90分を費やす。
1月下旬より開始した 「厳冬期特別仕込み・漬け上がり感謝」 プレゼントの当選者は、先月末日の締め切りを過ぎて後、厳正に選んでおいた。この10名をウェブショップのトップへ発表すると共に、各々へ向けて当選のお知らせをメイルにて送付する。 来週の前半には、各当選者に賞品が行き渡ることと思う。
今夜は自炊をしようとして、午後 「塚田屋」 にてパンを買っておいた。ところが閉店後6時を迎えたところで、急にそれが面倒になる。自転車で日光街道を下り砂利の路地に入ると 「和光」 の電飾看板が見えてくる。カウンターに着き、吉四六のボトルを注文する。
久しぶりに飲む吉四六のお湯割りが美味い。突き出しは空豆だった。続いてホタルイカを注文する。別途、半月切りにしたレモンを所望し、これを醤油で割って付け汁とする。
カウンターの左側には、この店へ来るたびに遭遇する同級生のアキモッチャンがいる。そして右側には、僕と同じ年ごろと思われる、しかし見知らない顔の男がいる。アキモッチャンが 「タバコ、吸っても良かったかな?」 と訊く。そんな遠慮はしないで勝手にしてくれれば良いと答える。右の男はどうも独り身で、出身地から離れて暮らしているらしい。
右側の孤独な男がしきりに僕へ話しかけてくる。その後1時間ほどのあいだに両者が交わした会話をここへ開陳すれば抱腹絶倒の気味もあるが、なによりそのほとんどを忘失しているため開陳はできない。
マカロニサラダを注文する。右側の男もそれに倣って同じものを注文する。男はこの、大振りのトマトと太いグリーンアスパラガスの奥に本体の隠れたサラダに山椒粉を振りかけ、僕にもそうするよう駄洒落を交えながら命令をする。僕はほとんど駄洒落のたぐいは理解をすることのできない人間だ。そうではあっても、言われたままにマカロニへ山椒粉を振りかける。
かなり大きな鯵の塩焼きを肴として今夜の飲酒を締める。右側の男は既にして3キロ離れた住みかへと自転車にて去った。アキモッチャンはいまだ飲んでいる。
自宅の前まで来て手提げ袋を探ると、自宅の鍵がない。携帯電話にてオフクロを呼び出し玄関を開けてもらう。予備の鍵を持ちふたたび自転車にて日光街道を下る。「和光」 へ入りオカミと共にカウンターの下を探すが何も見つからない。ふたたび日光街道を上がって事務室へ入り、机の引き出しを開けると鍵はそこにあった。
最初からここを調べていれば夜の日光街道を行ったり来たりすることはなかったのだが、なにしろ酔っぱらっているのだから仕方がない。鍵は無事に見つかった旨を電話にて 「和光」 へ知らせる。
風呂に湯を溜めながら買い置いた金谷ホテルのパンを3個も食べ、すこし気分が悪くなる。普通、食べ過ぎで気分が悪くなるとは 「腹がきつくて苦しい」 とか 「いまにも吐きそう」 というようなものだろう。ところが今夜の気分の悪さは、酔いも手伝ってのものらしい。
そうこうするうちに数分間ほども眠ってしまう。気がついて風呂場へ行くと湯船から湯があふれている。その湯を受けてすっかり温まったタイルの床に座って髪の毛を洗う。
ベッドへ横になって 「東天寮だより」 のバックナンバーを読む。5分ほどで眠りに落ちる。
目を覚ますと上はハイネックのシャツ、下はパンツ1枚の姿だった。昨晩、風呂のお湯が溜まるまでのつもりでベッドへ潜り込み、そのまま眠ってしまったことを思い出す。夕食後に飲むはずだった風邪薬も飲んではいない。わざわざ起きてそれを飲むのも面倒に感じる。そのまま二度寝に入って6時に起床する。
事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。
仕事についての、僕から見れば詳細な日記をウェブ上に公開している人がいる。「偉いなぁ」 と思う。仕事を公開していることが偉いのではなく、仕事についてそれほど書くことがある、ということについて 「偉いなぁ」 と感じる。僕など仕事については 「あれやこれや」 としか書くことはない。特に、外へ出ることもなかった日の日記は短くなる。そのためきのうの日記も僕のブラウザではわずか14行にて終わった。これを7時前にサーヴァーへ転送する。
朝飯は、塩鮭とジャコによる2種のおにぎり、大根と三つ葉の味噌汁。
日中、3月21日に入社した事務係のイリエチヒロさんにマイツール教室をほどこす。日曜日の会社は忙しく、僕はあちらこちらへと自らを配置転換するため、教室はとぎれとぎれのものになったが、それでも11時には午前中の課題をこなし、2時30分には感想文を書いて終了した。
イリエチヒロさんはあしたから、より程度の高い仕事をこなしていくことになる。
家内と長男と次男は本日9:36発の上り特急スペーシアにて東京へ行った。彼らは家内の親戚による 「いとこ会」 へ出席し、明日以降は長男は甘木庵を片づけ、家内と次男はディズニーランドで遊ぶ。僕は昨年まで、家内のいない晩には多く飲み屋で読書を為したが、今年からはできるだけ、そのような夜は断酒に充てようと考えている。
初更、オーヴンで炙った金谷ホテルのパン3種と牛乳による晩飯を済ませる。「酒のないメシってのは、ありゃぁエサだね」 とは、年長の友人マルトクさんが1年間の断酒を終えて言ったことだ。マルトクさんによる 「エサ」 とは 「一瞬にして食べ終えてしまう」 という意味によるものだった。
それにしても朝飯や昼飯については、酒を伴わなくてもエサという感じはしない。否、朝飯にも昼飯にも酒を飲むようになれば、いきなりそこから酒が省かれたときにはそれをエサと感じるようになるのだろう。
僕も断酒中のマルトクさんと同じく5分ほどにて晩飯を終え、入浴して7時30分にベッドへ入る。自由学園の高等科3年生が編集する 「東天寮だより」 を読み、8時に就寝する。
夜中か明け方かは知らないが、3時30分に目を覚ます。昨夜、風邪の薬を飲み忘れて眠ったことを思い出す。洗面所にてこれを飲んでから二度寝に入り、6時に起床する。事務室へ降りて朝のよしなしごとをし、7時に居間へ上がる。
朝飯は、メカブの酢の物、ほうれん草の油炒め黒酢がけ、きのうの牛鍋の残り、塩鮭、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
日中は、あれやこれやと仕事をする。
閉店後6時を過ぎて、本日、長男や次男が赤ん坊のころから面倒を見てくれているサイトウトシコさんの次女の結婚式に列席をしていた、家内と長男と次男が帰宅する。午後からの披露宴だったため家内に 「メシ、食う気しねぇだろう?」 と訊きつつゴードンのジンをストレイトで1杯だけ飲む。家内の答えは 「少しなら食べられる。でも外に行きたい」 というものだった。
家内の運転するホンダフィットにて "Casa Lingo" へ行く。タコやチーズに留まらず厚揚げ豆腐まで入ったサラダ、ニンニクと唐辛子のスパゲティ、鰹のカルパッチョ、唐辛子入りソーセージ、自家製平打ち麺のミートソース、豚のチーズ載せ焼きにて、カラフの赤ワイン500CCを空にする。
エスプレッソの入った "illy" のカップは、その丸くて鈍重な姿のゆえにヨーロッパの立ち飲みバーを思い出させて余りある。「1客、欲しいなぁ」 と、店主兼料理長のヨシハラさんへ言い出しそうになる自分を押しとどめて席を立つ。
帰宅して、風呂にお湯が溜まるまでのつもりでベッドへ潜り込む。そのあとの記憶は無い。
家内と子どもたちはきのうの夜、僕が就寝をした後にサイパンから帰宅した。僕はそのとき目を覚まして居間へ行ったが、ごく短い時間をそこで過ごしたのち二度寝に入り、今朝は5時に起床した。
事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。体調は良くない。体温計を脇の下に挟んだ結果は平熱だったが、週末になる前に関根耳鼻科へ行っておこうと考える。
朝飯は、塩鮭のおにぎり、大根と万能ネギの味噌汁。
この日記では人の名前は大抵カタカナで書いている。理由はふたつあって、ひとつはそれが検索エンジンに拾われ思わぬところで迷惑を引き起こさないため。もうひとつは日記からできるだけ漢字を減らして読みやすくするためだ。これについては今後も維持していく。
なおここ数年、魚や動植物の名もほとんどはカタカナで表記していて、これは文中の漢字を減らすと同時に、漢字を読むことが不得手な人へ配慮するものだった。しかし今日からはすこしその規制をゆるめていく。「鯒」 のような一般には読めそうもない魚の名は 「コチ」 と書いても 「タイ」 は 「鯛」 と表して、つまりこの日記の文章をいくらか世間並みに近づけようと思う。
他に、たとえば僕は 「ベトナム」 を 「ヴィエトナム」 と書き、「スケジュール」 は 「スケデュール」 と書くが、これらのカタカナ表記をどれだけ世間並みに近づけるか? という点については現在も明確な答えを持たない。カタカナの表記は大きな媒体においても年々変わるし、第一 「メインバンク」 を 「メーンバンク」 などとは、気味が悪くて僕には決して書くことができない。これら外来語の表記については、いましばらく現行のままで行く。
僕へのサイパンのおみやげはポリネシアの土着神ティキだった。ティキには様々な形があり、それぞれが異なることを司る。僕がもらったものはその裏側に 「自由」 とあり、更に詳しく 「あなた自身があなたの自由を奪ってはいませんか? 真の自由を求めているあなたへ」 と説明されている。「真理は汝らに自由を得さすべし」 とは聖書にある言葉だが、このようなものをもらって、僕は何となく叱られているような気分になる。
初更、マグロの刺身と茹でたホタルイカにて、焼酎 「久耀」 のお湯割りを飲む。すき焼きというよりは牛鍋のようなものにて、更に焼酎を飲み進む。食後にイチゴを食べる。
体内に炎症があるときには飲酒を避けるべきだが、また一方、からだのだるさが酒の酔いによってまぎらわされるという、人として避けるべき効果を得ることもできる。
本日、関根耳鼻科にもらった薬は飲み忘れることのないよう、わざわざ食卓の傍らに置いたが、酔いのためこれを飲み忘れる。入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。
目覚めて数十分ほどを布団の中で過ごし 「もう4時にはなったかな?」 と枕頭の灯りを点けるといまだ1時30分だった。今朝はなにかと忙しい。即、服を着て事務室へ降りる。
3月末日が締め切りの懸賞企画 「厳冬期特別仕込み・漬け上がり感謝プレゼント」 への入り口を、ウェブショップのトップペイジから外す。きのうの日記を作成し、また 「清閑PERSONAL」 のトップペイジ他を4月のものに更新する。本酒会報を書き、このメイルマガジン版を会員に向けて送付する。またこのウェブペイジ版も作成し、すべてをまとめてサーヴァーへ転送する。
7時に居間へ戻る。朝飯は、オーヴンで炙ってオリーヴオイルをかけまわしたフランスパン、インチキコンソメスープ。
ところで先月29日の日記に僕は
パリの路地の奥深く、人形劇を見ながら酒を飲ませる店で北欧の特派員と知り合った開高健は、そこを出て彼女と臓物の煮込みを食べに行く。あんこう煮がどのように美味いかを知るには、開高のその文章を読めば良い。文章の題名は忘れた。
と書いた。
今朝、なんでもかんでもとりあえずは突っ込んでおく事務机右側の棚を探ると、開高健の文庫本 「ロマネ・コンティ・一九三五年」 が出てきた。そして上記の内容が、この短編小説の中にあったことを知る。ただし、開高がスウェーデン人のジャーナリストと出会ったのは 「人形劇を見ながら酒を飲ませる店」 ではなく学生街のキャフェであったし、またこの夜、彼女と行った店で食べたものは 「臓物の煮込み」 ではなくブーダン・ノワールだった。
僕はなにをどこで混同したのか? それについてはこの 「ロマネ・コンティ・一九三五年」 のペイジを繰りある語句を見て得心したが、またまた日記が長くなるのでこれ以上は省略する。
ずいぶんと日は延びたが、いまだ肌寒い夕刻の空気にウインドブレイカーを着て自転車に乗る。「市之蔵」 へ行く。ずいぶんと久しぶりのため 「オレのボトル、あるかな?」 と誰にともなく言いつつカウンター背後の棚を見ると、果たしてそこには残り3分の1ほどになった僕の 「無双」 があった。これをお湯割りにする。
頼まなくても出てくるものの第1弾は、アサリのバター焼きだった。第2弾はスキヤキ。
「坂本九の 『上を向いて歩こう』 はアメリカじゃぁ "SUKIYAKI" だったけど、ハーブオオタが弾いた 『鈴かけの径』 は確か "SUSHI" だったよなぁ」 などと、知っていても何の得にもならないことを思い出す。
マグロ納豆を注文する。頼まないのにマナガツオの西京焼きが運ばれる。ふと横を見ると、上出来のフランス料理屋 "Finbec Naoto" の主人兼料理長の父親が、ホタルイカの煎り煮とオクラの納豆和えを前に燗酒を飲んでいる。すかさず店主のナガモリさんに 「ホタルイカとオクラ、オレだって好きなんだけど」 と自己主張をする。そして 「"We insist" ってのは確か、マックス・ローチのアルバムだったよな」 などと、知っていても何の得にもならないことを思い出す。
間もなく目の前に、ホタルイカの煎り煮と刻みオクラのかつお節かけが運ばれる。最後はグラスに4分の1ほどの焼酎のお湯割りを作り、これにて今夜は終了とする。勘定を訊くとナガモリさんは 「2千円です」 と言う。黙ってその金額を支払った後に 「やっぱ、そりゃねぇだろう」 と、千円札1枚を出す。そしてこすっからくも 「500円、お釣りちょうだい」 と頼む。
マナガツオの西京焼きは美味かった。帰宅して入浴し、8時に就寝する。