起床して着替えて食堂に来て時計を見ると4時15分だった。おとといときのうの日記を書き、先ずはおとといの分のみサーバに転送する。
開店の準備が整ったところで次男とホンダフットに乗り、大谷橋のたもとから霧降大橋まで北上する。そこから橋を渡って山の中に入っていく。長い坂を数キロほども登り、予約した肉を「グルマンズ和牛」で受け取る。この日、望む人には軽い朝食が無料で振る舞われるから、当方も当然、それを有り難くいただく。
大晦日まで来てしまえば、年末の仕事も完了したことが多くなって、気分は落ち着いてくる。
きのう出荷した、大晦日必着の「日光の美味七選」については、お客様お一人お一人にお礼のメールをお送りし、且つ、商品が正しく届いているか否かをインターネットで追跡する。もっとも早かったのは東京に08:29着、いつまでも配達完了の表示が出ずヤキモキした荷物も、19:34に名古屋に着いた。
これにて今年の仕事を完了し、鴨鍋と蕎麦を肴に冷えた日本酒を飲む。そして21時ころには入浴して即、就寝する。
毎日、勝手な願い事ばかりしながら肝心なときに手入れを怠っては人でなしである。4時15分からの早朝の仕事に引き続き、5時30分より仏壇の掃除を始める。
仏壇の掃除は盆前の記憶により、30分で完了する見込みだった。しかし今朝はアルコールを噴霧した柔らかい紙で細かく狭いところまで拭くなどしたため、花と水とお茶と線香を上げるまでには56分を要した。
お稲荷さんはきのう僕が、同じく神棚は長男が掃除をした。製造現場の水神や地神は社員が清めたはずである。
義理も仲間関係も談合も無く、僕が普段から食べている地元の美味を大晦日にお届けする、「日光の美味七選」の荷造りに午後から入る。記録を見ればこれを始めたのは2007年だった。ということは今回で9回目。隨分と長く続いたものだ。現在はこれについての仕切りのほとんどを長男が行っているため、僕は楽で楽で仕方がない。
その荷造りの完了を待たずに店へ行く。鏡餅や幣束を社内や家の中の各所に置く係の家内が繁忙の店から離れられず、そわそわしている様子が覗えたからだ。その鏡餅は夕方のうちに、家内と次男により整った。
店が閉まるころ「もうすこし仕事をしていっても構わないか」と製造係のマキシマトモカズ君が訊きに来る。正月用の福袋を、今日のうちにすべて作り終えたいのだという。了承したことは言うまでもない。
そうして20時が近づくころ、ようよう夕食の席に着く。
サーキットに夜が明ける。これほど近いところにいながら、8時40分からのドライバーズミーティングには、いつも始まる直前に飛び込んでいる。それを反省して、今日は朝食を早めに切り上げる。そしてパドックに移動をし、車両がトランスポーターから降りたことを確認して即、トライバーズルームへと向かう。
僕の走る「Vintageクラス」には先ず、朝一番の9時からの20分間が与えられていたから、なかなか忙しい。"BUGATTI 35T"はメカニックのタシロジュンイチさんにより、既に暖機運転を済ませていた。よって酷使に耐えうる上質かつ重いオイルで満たされているにも拘わらず、そしてこれはいつもと変わらないことだけれど、エンジンはすぐにかかった。
クルマのイベントというものは多く、週末や連休、あるいは行楽シーズンに開かれる。しかしそのようなときこそウチは忙しい。僕がサーキットでクルマを走らせる機会は、年末のこの走行会をおいて他に無い。となれば時間は1分でも惜しい。コースには一番乗りで出て行く。コントロールライン上の時計によれば、最初の7分間、西コースを周回するのは贅沢にも僕ひとりきりだった。他の15台は一体全体、何をしているのだろう。
このサーキットのメインストレートでは通常、僕の"BUGATTI 35T"は4速で4,000回転を超え、なお回ろうとする。しかし今回は、その4,000回転に近づいたあたりで車体が激しく振動することが分かった。
時間が来たのでピットに戻り、タイヤの空気圧を現在の3キロから2キロまで、タシロさんに落としてもらう。そして10時20分からの20分間で、ふたたび4速4,000回転を試してみると、振動は先ほどより強くなった。3速4,000回転では何の問題も起こらないところからして、振動はやはり、エンジン由来のものではない。
11時20分からの20分間は、ふたたび3キロまで圧を高めたタイヤで走る。そしてホームストレート、バックストレートとも、4速での回転は3,500までに留めておく。
ホームストレートからの第1コーナーは半径が大きいから、コーナーまで100メートルの地点から強くブレーキを踏み、速度を3速の3,000回転まで落とせば肝を冷やすことはまったく無い。半円というよりもコの字状の複合コーナーを抜けるまでに3,500回転まで速度を上げ、バックストレートに入って行く。
西コース最大の難所はそのバックストレートから右に入るシケインで、コースの幅もいきなり狭くなる。その手前150メートルで制動をかけ、3速の2,500回転まで速度を落とさないと、その後の左コーナーで左のタイヤがコースを踏み外すから要注意だ。そのシケインの内側でキャノンの長いレンズを構えていたキッカワマサトシさんにいただいた写真では、いかにも流麗なさばきに見えるけれど実際には、ここで毎回おなじラインを辿ることは僕には難しい。
シケインの鋭い右コーナーを抜け、その先の左コーナーを無事に越えると、一気に拡がったコースの幅いっぱいに緩いS字を描きつつ、最終コーナーの大外を目指す。というよりも水が高いところから低いところに流れるように、自然、自然と車両がそちらに吸い寄せられていく。
最終コーナーは上りの逆バンクだ。足元は滑りやすく、且つ先の見えない恐怖と戦わなければならない。この出口で3速の3,500回転まで速度を上げていられれば最高だ。しかしここでまたキッカワマサトシさんの写真を引用してみれば、大抵は大事をとりすぎて、コースを狭く使ってしまうのだ。
ホームストレート入口の信号機を通過しつつようやく、直列8気筒は3速の3,500回転を取り戻す。アクセルはその数秒前から一気に踏み込まれている。エンジンが4,000回転に達したところで4速に上げる。ホームストレートのコントロールラインが近づけば、エンジンは4速の4,000回転を超えようとするけれど、今回はその直前で右足を緩める。
そうして今回も午前に60分、午後に70分の計130分間を、タシロジュンイチさんの試運転を除いてすべて走りきった。
左の足元で高速回転するクラッチ付近からの油が、冬の西日を受けたスカットルに、黒く点々と模様を付けている。エンジンカバーのルーバーから蒸発する別のオイルは、僕の顔をしっとりと湿らせている。ピットの椅子に腰かけ、モモイシンタローさんの淹れてくれたお茶とお菓子でひと息を着く。
2013年、2014年と軽快に走ったブガッティだったが、今回は車輪からの振動に悩まされた。エンジンが絶好調なだけに、こればかりは残念だった。トランスポーターに引き上げられていく車体を眺めつつ、来年の捲土重来を期す。
警察の遺失物係からハガキで知らされるまで、携帯電話を紛失したことに気づかなかったことがある。ことほど左様に僕は携帯電話を使わない。携帯電話だけではない、いわゆる黒電話さえ僕はあまり使わない。できれば人と関わらないままコトを済ませたいのだ。
特に気が進まないのが、食事の席やホテルの部屋を電話で予約することだ。理由はふたつある。
「今この電話の向こうで、先方は実はとても忙しくしているのではないか」と気にしてしまうことがひとつ。もうひとつは満席あるいは満室の場合、いかにも申し訳なさそうに先方がそのことについて詫び、当方は当方で相手を気遣いつつ電話を切る、そのあいだに流れる気まずい空気が何ともやりきれないからだ。
それらふたつを避けたいがために、いつまでグズグズするうち、空いていたかも知れない席や部屋を逃すこともしばしばだ。
サーキットに隣接するホテルに部屋を確保しなければならない。しかしインターネット上に現れる宿泊プランはおしなべて、年末年始の家族連れを対象としたもので安くない。当方は、寝られて朝食さえ摂れればそれで良いのだ。
宿泊日まで2日と迫ったおととい、さすがに尻に火が着いてホテルに電話を入れたところ、朝食のみのプランが実はあり、その宿泊費は存外に安かった。そして「こんなことなら来年も電話で予約しよう」と決めた。
タシロジュンイチさんの運転するトランスポーターの助手席に収まり、ホテルツインリンクの駐車場には18時50分に着いた。部屋に入り、纏足を連想させるような形の靴に紐を通す。夕食は途中のファミリーレストランで摂った。あとは風呂に入って寝るばかりである。
むかしいちどだけ経験した人間ドックには、医師と受診者とのあいだで昼休みに質疑応答の時間が設けられていた。
「酒を飲みながらタバコを吸うと、胃がムカムカするんですが…」という質問に対して医師は「酒とタバコ、止めてください」と答えた。
「朝、食欲が無いんですが…」と問うた受診者に医師は「食事の何時間前に起床しますか」と逆に問いかけた。「起きてすぐにメシです」との返事に医師は「朝食の2時間前に起きてください」と答えた。
それはまるで数式のようなやりとりだった。数式は常に明快である。
僕は多く、朝食の2時間前には起床をしているけれど、どうもこのところ食欲に優れない。それでも味噌汁を口に含めばそれが助走のようになって、時にはごはんをお替わりしたりする。
昼がちかづくとすこしは腹が空く。そのようなときには甘いものをすこしだけ口に入れる。ここ数日は、先輩のカンザワシンタロー君が送ってくれた羊羹の小さく包まれたそれを、ひとつずついただいている。
この日記を書き始めるはるか以前、多分、30年ちかく前のことと記憶する、赤坂、六本木、新橋と徒歩でめぐりつつひと晩に3杯のラーメンを食べた。それほどラーメンの好きな僕が、今月は2日のフジヤ、8日のききょう、12日の十文字食堂と、たった3杯しか食べていない。
それはとりもなおさず昼にお粥を食べることを覚えたからだ。今月はこれまで昼に7回もお粥を食べ、そして今日の昼もお粥である。ことによると胃が弱っていて、その胃がお粥を求めているのかも知れない。
そして現在のこの状態を訴えるたび「食欲の無い人が、それほどは食べない」と家内には言われる。
facebookで目に留まった宣伝バナーをクリックすると「これ、一体全体、始めから終わりまで読む人、いますか」と呆れるほど長い説明文を、ワイン1本1本に対して付けているショップにリンクした。そうして1週間か10日のあいだ、たびたびそのショップに出入りを繰り返すうち遂に、そこから4種、計12本のシャブリを買った。ことし10月のことだ。
その4種については安い方から飲み始め、おとといようやく、720ccで数千円ではあるけれど、もっとも高価なものにたどり着いた。
シャブリは長く"Billaud Simon"のものを飲んできた。それがこのところ、まったく手に入らなくなった。よって仕方なく取り寄せた今回の4種のうち3種は、次もまた欲しいとは思われないものだった。しかし最後の、つまりおととい飲んだものは気に入った。
翌24日の早朝、このワインの名と醸造年を検索エンジンに入れてみた。そうしたところ、僕がこれを買ったところより25パーセント以上も安く売る店が2軒、見つかった。片方の店の在庫は5本、そしてもう片方の店の在庫は10本。それらすべてを即、注文したことは言うまでもない。
今日はそのうちの10本が届いた。残り5本も明日には届くだろう。次の抜栓は多分、30日になるものと思われる。
ところでこのワインを初めに買った、他より25パーセントも高い店の価格は多分、200行にも及ぶ商品説明を含んだものに違いない。それもひとつの売る技術には違いないけれど、リピートする人はいるのだろうか。
夜、ベランダに出て、今年4本目の煙草を吸う。なぜ吸うか。
マリファナなど比較にならないほど習慣性の高いドラッグを、法治国家であるにも拘わらず官が民に許している、その絶対矛盾的自己同一性が面白いから吸う。
なぜ4本に限るか。アル中ポン中モヒ中のお友達にはなりたくないから年に4本と決めて、それ以上は吸わない。
「コカコーラというものがあるらしいけれど、その美味さとは、どのようなものだろう」と子供のころに疑問を覚え、インスタントコーヒーとサイダーを混ぜて飲んだことがある。しごく不味かった。
煙草の美味さとは畢竟、酒の美味さとおなじく、否、それ以上に抽象的なものだ。その美味さを知らずに一生を終えることは、自分としては勿体なく感じられてならない。
ことし最後の煙草は美味かった。また来年、である。
夜の雨が明け方に上がって日が昇る。その朝の景色はおしなべて心地の良いものだ。冬にはそれが更に美しくなる。そうして西側の窓を開けてみれば、山の高いところでは雨が雪に変わったらしく、6、7合目から上は、まるで砂糖でも振られたように白くなっている。
それでも、むかしスキー場のあった霧降高原には枯れ草の色しか見られない。寒くなったかと思えばすぐに気温の上がる、不思議な冬である。
昼前にお茶の水のニコライ堂のちかくまで行く。それから暗くなるまではそこにいて、あれやこれやする。教会の鐘が、盛んに鳴っている。また、金管と木管による「清しこの夜」も、どこからか聞こえている。
北千住まで移動をして、先ずは帰りの電車の切符を確保する。しかして後に階段を上り下りして路地に入っていく。どの店も満員とばかり考えていたけれど、オヤヂ相手の飲み屋は空いているようだった。そうしてそのような店のひとつに席を占め、すっかりくつろいでチューハイを飲む。
冬至のきのう、朝日はNTTの電波塔のすこし左、例幣使街道の杉並木のあいだから6時54分に姿をあらわした。だったら夏至のときはどうだっただろうかと、この日記を6月22日まで遡ってみる。するとそのあたりの数日は雨だったのか、2日後の24日、朝日は豊田か大渡か船生か、とにかくそちらの方にあると思われる山から4時29分に昇りはじめていた。
夏至と冬至に日の出る場所の差は、ウチから見る限り経度にして40度くらいだろうか。これより先の難しいことについては知らない。
開店して間もなく、同級生のタカハシカズヒト君が門松を届けてくれる。門松を納めるに適当な日として「20日がらみの日柄の良い日」と、先日タカハシ君は教えてくれた。とはいえ17日の大安や19日の先勝では「いかにも早すぎる」ということなのだろう。
「大晦日へ向けてラストスパート」などと言う人がいるけれど、僕にその意識は無い。年が改まった元日にも仕事はあり、2日は初売りなのだ。どこへ向かってラストスパートをかけたら良いのか、皆目、見当もつかない。
十数年前の元旦の新聞に掲載されたサントリーの広告で、のことだったと記憶する、「正月はなぜめでたいか」について高橋義孝が書いていた。詳しいことは避けるけれど、それは随分と洒落て、且つ多くの人を納得させ得る名文だった。
それより以前の多分、1980年ころの、年の瀬も迫ったある日、親戚の家で晩飯を食べるうち「クリスマスはなぜめでたいか」という話になった。
「長く暗い夜にいよいよ別れを告げ、明るさの増しはじめるこの時期を、キリストの産まれる遙か以前からヨーロッパの先住民たちは祝っていたに違いない。クリスマスとは、つまり冬至祭だ」というのが、複数の酔っ払いがそのとき下した結論だった。
今日はその冬至である。
燦然と輝く夏を控えているにもかかわらず、夏至には寂しさがつきまとう。それに対して冬至は厳しい冬の始まりにあるにもかかわらず、そこには希望が溢れている。
その冬至の日の出の写真を撮ろうと食堂のテーブルで東の空を眺めるうち、時間は刻々と過ぎていく。待てども待てども日は昇らない。このままではメシを食べる時間が無くなると危惧し始めた6時54分、太陽はようやく、例幣使街道の杉の並木のあいだから、針の先ほどのオレンジ色を発し始めた。
7時がちかいとなれば、もはや普通の朝食は望めない。冷や飯ときのうの鍋の残りを温め、双方をひとつの茶碗にあつめて取り急ぎ、これを口に流し込む。
1.木綿の半袖ポロシャツ
2.木綿の半袖ポロシャツ+木綿の長袖Tシャツ
3.ヒートテックの長袖シャツ+木綿の長袖Tシャツ
4.ヒートテックの長袖シャツ+フリースの長袖セーター
5.ヒートテックの長袖シャツ+フリースの長袖セーター+ダウンベスト
これが、初夏から真冬にかけての、僕が上半身に着る服の流れだ。真冬から初夏にかけては、上記の1から5を逆にたどる。
普段使いのチェストは1から4のあいだに3度ほど入れ替えをする。それが僕の衣替えである。ズボンは春夏秋冬おなじ木綿のもので、いくら寒くてもタイツは穿かない。
きのうまで僕の上半身には3.の服があった。今朝からは4.を飛び越して、いきなり5.になった。これから2月の下旬までの、こと屋内においては、このフル装備で過ごすことになるだろう。
自分の着るものを季節ごとに制服化すると、考えることがひとつ減って、その分、脳が楽になる。別の方面から考えてみれば、自分をマニュアルで制御することが、僕は存外、好きなのかも知れない。
今月の上旬まで、上半身には半袖のポロシャツと長袖のTシャツの2枚のみを着て充分に過ごせた。半袖のポロシャツをヒートテックの長袖に替えたのは、寒さのせいではなく、洗濯機が故障してポロシャツが洗えなくなったことによる。
おとといは東京で、上半身には長袖の2枚しか着ていないにもかかわらず、一時は汗をかいた。夏の汗は気にならないが、秋冬春のそれは大いに苦手である。
汗をかくよりは寒さに震えている方がよほどマシと考える僕が、しかし今日はさすがに「これまでの格好ではマズイ」と感じるほど、一気に気温が下がった。そしてこれが多分「平年並み」ということなのだろう。
夜、洋食の「コスモス」へ行く際には、"montbell"のダウンベストを木綿のTシャツの上に重ねる。往路はホンダフィットでも、復路は徒歩なのだ。
ところでドライシェリーは、シェリーグラスを備えた店よりも、そうでない店のそれのの方がよほど好きだ。ワイングラスに注がれ、飲み応え充分だからだ。そして日光街道を小倉町から春日町まで遡上し、20時前に帰宅する。
ウチでは師走が年間でもっとも忙しい。健康に留意し、体力を維持しつつ、その繁忙を乗り切らなくてはならない。よって忘年会の少なさが、しごく有り難い。あるいはそのような環境は、自分が無意識のうちに作り上げたものなのかも知れない。
今年の忘年会は、先ずは春日町1丁目役員のそれで、12月6日の夜にラーメンの「ふじや」で行われた。そして今夜は春日町1丁目青年会によるもので、居酒屋の「一葉亭」が青年会長により設定をされた。
約束の19時よりすこし早く店の引き戸を開けると、既にして3分の1ほどは集まっていた。卓上にはマカロニサラダと刺身の盛り合わせが用意をされている。各々が好きな酒を頼み、会が和やかに始まる。やがて鶏の唐揚げも届く。
以降の肴は各自がひと品ずつ選ぶよう、誰からともなく教えられて、僕はキムチ鍋を注文した。ひとりで食べられる量ではないけれど、周囲も手伝ってくれるだろうと考えてのことだ。
待てど暮らせど来ない人に電話を入れると、案の定、今夜の催しを失念して夕食を食べかけたところだった。すぐに来るよう伝えれば、町内と会場とは徒歩でも数分の距離だから、人数はすぐに増えて嬉しい。
今年の忘年会は、町内のふたつのみを以て完了した。後は粛々と、日々の務めを果たしていきたい。
「これまで師走とは思われない暖かさの続いてきた列島にも、いよいよ例年並みの寒さがやってくる、そして本日の東京の最高気温は10℃」とテレビの天気予報が伝えている。20℃なら半袖のシャツ1枚で凌げる気温とからだが記憶しているけれど、10℃となると、それがどのような感じのものなのかの見当が付かない。
東京の町を汗をかきつつ歩きたくはない。しかし朝晩に家と駅とを行き来する、その時間はさすがに冷えているのではないか。そう考えて素肌に極暖ヒートテックのシャツを着る。そこに"Patagonia"の薄いウィンドブレーカーを重ねる。最後に木綿のスモックを頭からかぶる。毛糸の帽子は過剰装備に違いないから木綿のものにしておく。
下今市07:04発の上り特急スペーシアを待つ、その目に上がったばかりの朝日が眩しく差す。それから2時間30分を経て着いた恵比寿でも、太陽はいまだ低いところに留まっている。
午後に目黒に移動して権之助坂を下る。小一時間ほどしてその坂を上がり、次は新橋へ行く。16時から日本橋であれやこれやするうち、街は夜へと大きく傾いた。
次男とは湯島の改札口で18時すぎに待ち合わせた。シンスケでは僕はタルヒヤを、そして次男は冷たい烏龍茶を飲む。次男はあと9日を待たないと、合法的には酒を口にすることができない。酒肴だけで腹は満ちないだろうと、次男には「神勢。」のラーメン代を手渡して別れた。
北千住の東武日光線下りプラットフォームで偶然、長男に声をかけられる。そして同じ19:13発のスペーシアに乗り、21時前に帰宅する。
最初期のことは覚えていない、資料で追跡できる範囲に限れば、日本酒に特化した飲み会「本酒会」で、僕は1995年4月24日から書記を務めている。19時30分、その「本酒会」のことし最後の例会に出席をすべく鰻の「魚登久」へ行く。
「本酒会」は20名ちかくの会員を数えた時期もあったけれど、現在、常に出てくるのは5、6名ほどに減った。しかしこの5、6名は、病気にでもならない限り、辞めたり休眠したりすることはないだろう。
「本酒会」では会に先立ち会費を払う。その際にくじ引きがある。
5、6名の参加者に対して出品される日本酒は四合瓶で3、4本だ。大酒を飲む会員はいないから四合瓶はいつも余る。その余ったお酒を持ち帰れるのは「当たり」のクジを引いた者だ。そして「外れ」を引いた者には、中身の吹き出す恐れのある生酒を、寒い戸外で抜栓する役が振られる。
「会長の癖を推し量る」という点において「本酒会」のくじは手本引にちかい。そしてその年の1月から11月までに最も高い勝率を上げた者には、12月の例会日に3,000円の賞金が会長より手渡される。
あろうことか今年の勝者は博才の無い、だから競輪、競馬、競艇、オートレース、パチンコから宝くじに至るまで賭け事には一切、興味の無い僕だという。
この3,000円は何に使おうか。そしてその3,000円を財布に収め、21時すぎに帰宅する。
「花一」のヤマサキジュンイチさんが秋口に持ってきてくれたカランコエは随分と長く保った。そしてヤマサキさんは今朝の開店前に、その6鉢のカランコエを、おなじく6鉢の、紅白の萬両に換えてくれた。これが店の犬走りに並ぶと、新年の近いことを、頭ではなく肌で実感することになる。
先日は同級生のタカハシカズヒト君が、門松や、鏡餅を飾るあれこれを確認しに来た。今年のカレンダーの12月のところに貼りつけておいた昨年の伝票を、僕はタカハシ君に見せた。伝統的な仕事に関わる他の業種にもしばしば見られることだけれど、タカハシ君は一切のメモをとらないまま「分かりました」と言って去った。
年末のギフトは、お中元にくらべれば短期決戦。とはいえ2週間や3週間で終わるものではない。現在の繁忙は、クリスマスのころまで続くだろう。そしてそれが過ぎたら過ぎたで、正月の準備が待ったなしに始まる。
師走の気分を削ぐものがあるとすれば、異様に高い気温ではないか。落ち葉の下から蕗のとうが顔を出しつつあるところもあると、きのうはお客様から教えられた。日光の山々にも、いまだ雪はほとんど見えない。
気づけばクリスマスが来週に迫っている。にわかには信じがたい、12月の時の流れの速さである。
ウチの会社はほぼ年中無休。社員はシフトを組んで休みを取っている。よってミーティングのときなどは、全体人数に対しての出勤人数の少なさに驚くことがある。今日もそんな日ではあるけれど、12月15日は冬の賞与の支給日と決まっているから、仕事に支障を生じさせないよう気を配りつつ、社員ひとりひとりと話をしながら賞与を手渡す必要がある。
そして夕刻に至ってようやく、その時間を作る。
夜は長男の焼いた、表面は良い塩梅に焦げて、しかし内側は紅く柔らかいステーキを口へ運びつつワインを飲む。ステーキには、たまり漬の「鬼おろしにんにく」と同量のディジョンの辛子、それにオリーヴオイルを加えて混ぜたものが、このところの僕の好みである。
食後の生のウィスキーが効き過ぎたか、風呂のお湯が溜まるまでのつもりでベッドへ潜り込み、そのままいつの間にか寝てしまう。
「忙しいんだから何でもひとりでやってよ」と家内が言うので、鶏か豚のスープを作ろうと考え、ちかくのスーパーマーケット「かましん」へ行く。そして肉の売り場を歩いていくと牛の、内側に大量の脂の付いた腸があった。それを目にしたとたん「鶏か豚の」という考えはどこかに消え失せ、その腸をひとつならず2パックも買う。
帰って鍋に水を張り、そこでセロリと牛の腸、そして不織布の袋に満杯に詰めた陳皮を煮始める。陳皮の大量投入は僕の、抑制の効かない、何ごとにも極端を好む性格による。
数時間の後に表面のアクと脂を取り去ると、陳皮から染み出た物質によりスープは茶色に染まっていた。味見をするとひどく苦くて、とてもではないけれど飲めた代物ではない。
よって別の鍋にスープを作り直し、煮えた牛の腸をすこしだけ移す。そこに刻んだ白菜を盛り上げ、蓋をして蒸す。そうしてできた、これはアツモノの類いなのだろうか、それを「美味しい、美味しい」と家内は食べている。
牛の腸とセロリは相変わらず苦い。「陳皮 薬効」と検索エンジンに入れて回せば良いことずくめのあれこれが出てくるけれど、この鍋を食べ尽くすには、数日を要すること必定である。
きのう"amazon"からメールで届いた案内に従って、プライム会員から離れるべくあれこれする。そしてページの中央に現れた「2015/12/14に終了する」のボタンをクリックする。
たとえば"kindle"を買う際になどはプライム会員でいた方が随分と有利なようだけれど、僕はキンドルは、いまだ必要としていない。
海外でしか出版されていない旅行のガイドブックに限っては、通信機能の付いたキンドルで読む方が圧倒的に便利と思う。しかしその利便性とキンドル1台の「荷物の増加」を秤にかければ、気持ちはやはり荷物の少ない方へと傾く。あるいは旅は、すこし不便くらいの方が面白い、ということもある。
ところで先日「一流の人は今すべきことをする。二流の人は今したいことをする」ということばを名言格言の愛好者だろうか、facebookでシェアしていた。
しかしそれを言うなら「一流の人は、したいことはせず、すべきことのみをする」が正解ではないか。あるいは「一流の人のしたいことは、すべからく、すべきこと」かも知れない。
別段、一流の人でなくくても「今すべきこと」はする。そして僕も「今すべき早朝の仕事」をするため、自宅の食堂を出て製造現場へと向かう。
新聞や文庫本を持たないままフラリと街の食堂に入ったときには、そこにあるのが日本と国交の無い国のグラフ雑誌だろうが飲食関係の業界紙だろうが、なにしろ活字中毒だから選り好みすることなく読む。
あるとき気軽な洋食屋に昼食を摂るため入って本の置き場から1冊を抜き出すと新興宗教の定期刊行物だった。適当なページを開いて読むうち思わず引き込まれ、しかし気づけばそれは時事問題を論じつつ、いつの間にかその宗教への勧誘へと内容は巧みにすり替わっていた。
自分がいつ"amazon"のプライム会員になったか知らない。気づいたときには会員になっていた。今日頼んだ品物が今日のうちに手に入らなければ気の済まないような殿様では自分はないにもかかわらず、プライム会員の会費を払わされるのは片腹痛い。期限の1年が巡ってくるまでに足を抜かなければならない。
そう考えてカレンダーの12月13日の余白に「プライム会員から抜けること」と書いたのは、昨年、いつの間にか自分が"amazon"のプライム会員になっていたと気づいた日のことだ。
その12月13日まで2日と迫ったきのうの23時31分に「Amazonプライムの会員資格がもうすぐ更新されます」という表題のメールが当の"amazon"から届いた。よってその内容をよく読み、会員資格が自動更新など決してされないよう、そのメールを受信箱の目に付くところに置く。
朝、着替えて食堂に来ると、いまの時期なら先ずは天井から温風の吹き出すエアコンディショナーのスイッチを入れる。ところが今朝は、食卓にコンピュータを起動して数十分ほどもあれやこれやしてからようやく、それをしていなかったことに気づく。寒さを感じなかったからだ。
寒さを感じないことについては、早朝の仕事をするため製造現場へ降りて後も変わらなかった。凌ぎやすいことは有り難いけれど、いかにも異常な感じもする。年が明ければ「なめこのたまりだき」や「日光味噌梅太郎」の仕込みが始まる。そのころには例年の寒さの戻っていることを期待したい。
朝食を終え、味噌蔵の甍の向こうの…とここまで書くと《「の」の連続》と"ATOK"に注意を喚起される。こういうことが起きるたび「だったら坂口安吾の『桜の森の満開の下』はどうなのか」と訊きたくなるけれど、とにかく味噌蔵の甍の向こうの山は雨紗の中に閉じ込められて、遠くのそれまでは望むことができない。
この時期の日中は忙しく、僕も労働の一端を担っている。よってほとんどの面談については「年明けにお願いします」と断らざるを得ない。そして夜はワインを飲みつつ「とちぎテレビ」で日本の歌を聴く。
使用説明書も読まず、必要な手入れを怠ってきたから責任は当方にある。おととしの今ごろに買った洗濯機が動かなくなった。よって説明書にある修理センターに電話を入れると、良くあることだけれど「ただいま回線が混み合っています。このままお待ちになるか…」のアナウンスが流れて人間はいつまでも出てこない。
よって本日、これを買ったコジマへおもむき「買って2年ですから保証は切れているでしょうけれど」と言いつつ書類を差し出すと、店員はそこにある情報と当方の電話番号を端末に打ち込んだ。
すると即、当該の洗濯機は長期保証に入っているから20数万円までの修理費は保証をされる、メーカーにはコジマから連絡をしておく、後はメーカーからの電話を待って欲しい旨の説明を受けた。
たとえば旅などにおいては、あれこれが上手く進みすぎると却って面白くない。しかし今回のようなことに限っては、ドミノ倒しのような手際の良さが、とても有り難かった。
コンピュータとはまったく以て素晴らしいものである。洗濯機は明日にでも、ふたたび動き始めるに違いない。
「引き算の美学」を自動車に顕現したブガッティの最高峰は"35"、それも過給器を備えない"T"と確信をしている。連戦連勝に陰りの出てきたその"35"にカムシャフト1本と過給器を追加した"51"には、だから興味はない。
「51、直したら良いじゃないですか」と気軽に言う文化人には、それに手を着けない理由を述べた。「51、直して良いですか」と訊いてきたタシロジュンイチさんには「あのクルマにお金を使う気にはならないんですよ」と答えた。
そうしたところ、"EB Engineering"の持ち主兼技術者のタシロさんは十数ヶ月をかけ、自分の趣味として、それを動くところまで修復してしまったという。
タシロさんの工房に顔を出すと、その弓張月のような鉄の塊は朝の逆光を受けて、静かにあった。
ふたたび命を吹き込まれた"51"は年末のサーキットで走らせることを決め、取り急ぎ会社に戻る。僕はもちろん"35"に専念をするつもりでいる。
「それほど混み合っていないにもかかわらず、販売係は常に忙しい」というのが師走の店の特徴で、それは今もむかしも変わらない。
混み合ってもいないのになぜ忙しいかといえば、この時期のお客様のご注文は細かく入り組み、あるいは量が多く、またその双方を併せたものも少なくないからだ。ご予約をいただければお待たせすることなく商品をお渡しすることができるけれど、決してそれをなさらない性分の方も多いゆえの忙しさである。
昼食を摂りに出たついでにパン屋の「いしづか」に寄る。そして目についたものをあれこれと買う。米食原理主義者の僕にも、この店のパンは不思議と、食べ始めたら止まらなくなるくらい食べられるのだ。
夜はそのパンを焼いてバターを塗り、そこに"neu frank"の、熱を加えて柔らかくしたコンビーフを広げる。それを左手に持ち、右手には赤ワインを満たしたグラスを持つ。溶けたバターがパンから左手にしたたり落ちる。右手は右手で忙しい。
「いしづか」のパンは充分以上にあったから、明日の夜も、また楽しむこととする。
明け方に目を覚まして寝室を出る。食堂に向かいつつ、途中の応接間で仏壇の扉を開く。空がいまだ暗かろうと思われる時間には、遮光カーテンは降ろしたままでおく。そうして食堂のかたわらに置いた花瓶の水を取り替え、それを仏壇に供える。湯沸かしのスイッチは、その前に入れてある。お湯が沸けば、それを湯飲みから湯飲みへと移しつつ冷まし、お茶を淹れる。
「そろそろ夜が明けそうだ」という時間は今なら5時台の最後のころだ。その10分ほど前を見計らってカーテンを上げる。
きのうもおとといも先おとといも、空は晴れていた。そして今朝もまた、雲の形こそきのうとは異なるものの、空は晴れている。
このところ朝の味噌汁は、自分で作ることが多くなってきた。小さな四角い器の中で固まっている絹ごし豆腐に菜箸を差し入れ、かき混ぜて、わざと崩す。その崩れた豆腐を、ダシを引いた鍋に落とす。汁はまるで呉汁のように濁るけれど、最近、その作り方を発明というか発見した、この乱暴な味噌汁が結構、美味い。
今日の朝食はおむすび、昼食はお粥と、質素ではあったけれど、しかし美味かった。夜はおでんでまたまた質素に締め、早々に寝る。
数十分ものあいだ沈黙していた電話が、いきなり、それも2台同時に鳴る。日光、鬼怒川、宇都宮、今市I.C.の四方から何台ものクルマが店の駐車場に乗り入れ、一気に忙しくなって、また一気に静かになる。
そういうことが日常、頻繁に起きる。そのたび「人はそうと気づかないまま、昆虫や動物とおなじく、天の運行のようなものに導かれるまま行動しているのではないか」という感を強くする。
月の満ち欠けと相場の関係を研究している人がいるという。僕からすればオカルトとしか思われないけれど、あるいはそうそう馬鹿にできないことなのかも知れない。
きのうの売上金額は、昨年同曜日のそれにくらべて随分と高かった。今日のそれは、そのあおりを食って低くなるのか、あるいはおなじ傾向を保ってやはり高くなるのか、それを予測することはできない。取りあえずは高くなる方に賭けて、朝、弁当を詰める。
弁当があれば、昼食は事務室で、店の様子をうかがいつつ数分で済ませることができるからだ。
腐敗変敗を避けるため寒い研究開発室に置いた弁当は、食べるころにはメシが冷たく固まっていたけれど、それでもなかなか美味かった。
夕刻は閉店を待たずに東郷町のラーメン屋「ふじや」へおもむく。そして春日町1丁目の役員忘年会にて会計係を務める。万事、緊縮の時勢ではあるけれど、質素な集まりは何やらしみじみとして、むしろ好きである。
電気炊飯器の内釜にメジャーカップで米を量り入れながら、ふとその横にダシパックのあることに気づく。特に急いでいるわけでもなかったから、その箱に印刷された「使い方」を読む。
うどんのダシには水500ccに対して1パック、味噌汁には水800ccに対して1パックと、そこには書いてある。僕と家内の飲む味噌汁の水の量は400ccだ。「だったらハサミで切って半分に」というわけには、ダシパックはいかない。パック式のダシは、便利なように思われて、しかし実は不便なものなのではないか。
その点、煮干しは水100ccに対して1尾だから「つぶし」が効く。
ダシパック屋もそのうち「水100ccに対して1パック」という小分け袋を売るようになるかも知れない。対重量比の価格は必然的に上がるだろう。ダシはやはり「原型」にちかい方が割安、且つ使いやすいような気がする。
検索エンジンに「煮干し、最高級」と入れてみる。そうしてあちらこちらの店を調べた上で、次に買うべき煮干しを決める。
日光の山々は、おしなべて雲に覆われている。そこから風に乗って、雪が吹き飛ばされてくる。標準語なら風花だけれど、このあたりの方言ではそれを「ふっかけ」と呼ぶ。
その「ふっかけ」の舞う街を、近場であれば、木綿の半袖シャツに長袖のTシャツを重ねた2枚のみで歩いて用を足す。薄着に育てられた人間は、暑さ寒さに関係なく、常に薄着でいたいのだ。
もうひとつ、僕は子供のころアトピー性皮膚炎に悩まされたことがあり、汗はできるだけかきたくない。汗をかくくらいなら寒さに震えている方がよほどマシである。
「ふっかけ」は、それが舞い始めたときには気づくけれど、止むのは「いつの間にか」だから気づかない。今日のふっかけも、いつの間にか止んでいた。そして16時を過ぎれば空は「早く家に帰れ」とばかりに暗くなっていく。
秋は好きでないけれど冬は好きだ。冬のどこが好きかと問われれば「暖かい感じがするから」と答えるかも知れない。今日の「ふっかけ」が冬の報せとすれば、とても嬉しい。
七転八倒するほどのものではないけれど、とにかく胃の痛さで目を覚ます。闇の中に横臥してその痛みに耐えるうち、汗が全身からにじみ出てくる。僕の苦しむ様子に気づいた家内が部屋のどこかから中山式快癒器を持ってきてくれる。胃の痛みは背筋の凝りに拠るところが多い、というのが家内の意見である。
「疲れているんだよ」と言い置き家内は出社していった。ウチは年中無休だから僕に休みはほとんど無いけれど、疲れるようなことは何ひとつしていない。
胃の痛みは徐々に去り、やがて綺麗さっぱり消えた。いつまで寝ているわけにはいかない。着替えて開店前の店に降りる。
注文の電話を受けて、その内容を専用の紙にメモする。そのメモを発送伝票にする間もなく次の電話が鳴る。それ以外の電話も容赦なく鳴り、また人も来る。ギフトの繁忙期に特有の風景である。
今朝の胃痛を境として、ここ1週間ほど続いた「肉、食べたい病」は治まった気がする。夜は肉以外のものを肴に芋焼酎のお湯割りを飲む。
「小人閑居して不善を為す」とは言い得て妙である。閑居とは僕のもっとも好む、あるいはもっとも得意とするところのものだ。
「ブルースに似合う食べ物は天ぷらだ」と原田芳雄は言ったらしい。閑居にもっとも似合いの肴はハムエッグと断言したい。
師走に入ると家内は忙しく、晩飯の支度のできない日が出てくる。きのうがそうだった。そして今日もまた、である。よって家内は事務室に残し、自分だけ自宅に戻って台所に入る。
閑居しているときのハムエッグのハムには、むかし日本橋の裏町にあった、名前は忘れたけれど中華料理屋の「ハム玉」に使われていたような、肉以外の混ぜ物の極端に多い安物が断然、似合う。しかしそのようなものの入手方法を、僕は寡聞にして知らない。
「できるだけイケていないハム」と頼んで買ってきてもらったそれを使ってハムエッグを作る。付け合わせは冷やしトマト以外には考えられない。それを肴に「キンミヤ」のチューハイを飲む。
まさかそれだけでは晩飯にならないからスパゲティを茹でる。長葱と唐辛子はオリーブオイルで炒める。その鍋に茹で上がったスパゲティを投入してグルグルと混ぜ、温めておいた皿に盛る。
炭水化物を腹いっぱい食べられる境遇を有り難く思う。そして会社の原料保管庫には、本年産の大豆「里のほほえみ」とコシヒカリが汗牛充棟の有様で積み上げられている。寒に向けての万全の備蓄である。
地域を限定して美味いもの屋を特集する雑誌がこのところ目につく。地元に住む人には、その「美味いもの屋」が、あるグループの仲間だったり、あるいは紹介者、編集者へのロビー活動による掲載であることが見えたりするらしい。
「日光の美味七選」は、義理も仲間も談合も無い、僕が普段から食べている地元の美味いものを集め、大晦日にお届けする限定40のセットだ。このショッピングページは先月からすこしずつ整えてきた。ふたつのメールマガジンはきのう作成した。
来客や電話で作業が中断されるこを避け、8時30分に事務室から自宅の食堂へと移動する。
先ずはひとつのメールマガジンを午前9時に配信予約する。9時がいよいよ近づいて来たところでショッピングページを「公開」にする。そして配信予約のできない、ボタンを押した瞬間に配信されてしまう方のメールマガジンを発行する。
メールマガジンをスマートフォンに転送していらっしゃるIT巧者、ご自宅を仕事場にしていらっしゃる方、ご隠居さんなどは間に合って、そうでない方は「今年も売り切れだった」と悔しがる、そのあたりの"divide"をどうにかしたいと考えているけれど、良い智恵はないものだろうか。