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大空に月と日が姿を現してこのかた 紅の美酒にまさるものは無かった
腑に落ちないのは酒を売る人々のこと このよきものを売って何に替えようとか
Omar Khayyam

 2011.1130(水) 師走前夜

マンションは1階、5階、そして10階の部屋から先に売れていくのだろうか、そんなこともないと思う。

ところが中元歳暮となると「先様へは1日にお届けしてください」とか「5日に」とか「10日に」という依頼がなぜか多い。そしてその依頼に対して「1日着は混み合っていますので、2日着ではいかがでしょう」などとお願いして平準化していかないと、後にとんでもないことが起きる。

「とんでもない」というほどでもないが、しかし本日出荷、12月1日お届け指定の発送伝票は、人員を増やして梱包しても間に合わない量にて、僕もみずからを荷造り係として配置転換する。まぁ、この時期には、これくらいのことがないと却って寂しいわけで、だから僕も嬉しく作業をする

そして夜に至って「めっきり寒くなったよなぁ、やっぱり鍋だよなぁ」と考える。

今年のはじめごろ、深夜にテレフォンショッピングのテレビ番組を見ていて、電熱式の小鍋が欲しくなった。そしてそれを注文し、届いて2回ほど使ったらあっけなく壊れた。テレフォンショッピングで売っている、どこのブランドとも知れない電気製品だから、僕も「まぁ、こんなものか」と、腹も立たなかった。

夏が過ぎ、秋が深まるにつれ「また鍋が欲しいよなぁ」という気分が勃興し、しかしテレフォンショッピングの鍋は、もうこりごりである。よって近所のサンエームセンを訪ね「昔ながらの電熱コンロ、ありますか」と訊いたら1台だけ在庫があった。

ここ2ヶ月ほどは、その電熱コンロに普通の鍋を載せ、食卓で鍋料理を食べている。火力はカセットボンベ式のガスコンロの方がよほど強いが、それを室内で使うことについては何やら怖いいものを感じるのだ。

ところで僕は出来合いのドレッシングと同じく、出来合いのポン酢も好まない。適当な柑橘類のあるときには、それを搾って醤油と混ぜる。ただ、ユズやダイダイやスダチが家にあることは少ない。そのようなわけで本日も、渋々できあいのポン酢を小鉢に差しながら、しかしここにたまり漬の「刻みザクザクしょうが」と「鬼おろしにんにく」を加えてみたところ、これが非常に美味かった。

そして「今後はずっと、これでいこう」と決める


朝飯 玉子と万能葱の雑炊、胡瓜の古漬け、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、梅干し

昼飯 鍋焼きうどん

晩飯 豚と水菜のしゃぶしゃぶ、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)


 2011.1129(火) 吊尾根

「みせのちゅうしゃじょうのなんとうのかどに」と打ち込むと"ATOK"は生意気にも《「の」の連続》とアラートを発した。坂口安吾が現代に生きて「さくらのもりのまんかいのした」とキーボードを叩けば、やはり同じように叱られるわけだ。

とにかく、店の駐車場の南東の角にある紅葉が一斉に葉を落とし始めた。その葉は、いつ倒れても不思議ではないほどに枯れて空洞のできた先代の紅葉のそれよりも小さく可憐である。

「啓蟄の人間版」と思えるほど、街に一斉に人の出てくる日が春先にある。「今日は電話がすくねぇなぁ」などとボヤいているときに限って複数の電話機が同時に鳴ったりする。自然も人間も、抗しがたい不思議な力によって、その行動が制御されているような気がする

そして本日は、年末ギフトの注文が一気に電話やファクシミリで入り始めた。一般の書類に紛れないようオレンジ色の紙を使った受注メモが箱に重なっていく。ここしばらくが年末ギフトのヤマになるだろう。急に登って急に降りるような山ではなく、前穂高と奥穂高をつなぐ吊尾根のようなヤマになって欲しいと思う。


朝飯 大根おろし、納豆、胡瓜の古漬けとたまり漬「刻みザクザクしょうが」和え、ほうれん草のソテー、メシ、大根と油揚げと万能葱の味噌汁

昼飯 「麺屋ききょう」の塩ラーメン

晩飯 「大昌園」のあれこれ、麦焼酎「田苑」(お湯割り)


 2011.1128(月) 冬の薄着

10年以上も前のことになるだろうか、このところは装備の向上により、むかし高校生の登った山に、今では中学生が登れるようになったと、どこかで耳にした。自由学園の遠足は登山である。まさか中等科の生徒が槍ヶ岳を目指すことは、これからもしばらくはなさそうだ。とはいえ道具の向上に伴って、人がより高く、より遠いところまで自力で達することができるようになったことは間違いない。

僕は厚着を嫌う。ひとつこの冬は、自分がどれほどの薄着で無理なく行動できるか試してみようと、夕食後にウェブ上を徘徊し、あれこれの登山用品を検分する。「12月は外出の機会も少なければ、それほど金を使うこともあるまい」と予想していた。しかし先鋭的な衣類の購入により、その目論見の崩れる気配を早くも感じる。

深夜にふと目覚めて、またまたコンピュータを開く。そして「ウチのFacebookページは今後、どのように運営していくべきか」と考える。大げさなことを言えば「デザインは思想を表す」である。しばらくはコツコツと煉瓦を積み重ねていこう


朝飯 生のトマト、ポテトサラダ、目玉焼き、ベーコンのソテー、メシ、大根と大根の葉の味噌汁

昼飯 カレーライス、柿、リンゴ

晩飯 牡蠣のオリーヴオイル漬けラディッシュ添えトマトとベーコンのスパゲティカマンベールチーズ"Chez Akabane"のシュトーレン、"REMY Carte Blanche Brut"、"Macallan 12 Years old"(生)


 2011.1127(日) うなぎのねどこ

おとといの「自由学園創立90周年記念報告会」における、男子部中等科1年生から高等科3年生までの報告についての感想文は、きのうのうちに書き上げた。そしてこれを今朝一番で、次男の担任教師へ向けて投函する。

"twilog"を見れば、今日の僕のツイートは8時21分が最初のもの。そして2番目のそれは17時43分で、つまりそのあいだはツイートをする余裕がなかった、ということだ。もう2、3日もすれば、これまで以上の繁忙は必定である。

「お祝いとあらば」と花柄のアロハを着て、18時20分に「魚登久」の引き戸を開ける。別館「うなぎのねどこ」を増築したお祝いに招待を受けたのは、今月なかばのことだった。

椅子席に変わったこれまでの入れ込み、また玄関とのあいだに壁を加えられたカウンター席を眺めながら「うなぎのねどこ」へと案内をされる。当方は花柄のアロハだが、席に控えた面々は、おしなべて黒いジャケットを着用している。匂わんばかりの青畳にあぐらをかけば、チェンライの洗濯屋のオバチャンも洗いきれなかった、熱帯雨林の種がズボンに目立つ

それはさておき「先生はどこにでも」である。「魚登久」店主のアイガテルジ君は、僕の商売の先生でもある。市長の発声により始められた宴は、アイガ君の挨拶にて締められた。次の機会には、禁煙となったカウンター席で、ここの上出来の鰻重を食べたい


朝飯 玉子と万能葱の雑炊、じゃこ、すぐき

昼飯 サンドイッチ

晩飯 「魚登久」の酒肴あれこれ、鰻重、「片山酒造」のカストリ焼酎「粕華」(生)


 2011.1126(土) 最低値の更新

今週だけで、すくなくとも3人の人から「ウワサワさんって、健康そのもの、といった体型ですよね」とか「からだから精気がみなぎってる感じですよね」と言われたけれど、実際には、そのようなことはない。

診療を受けている歯医者から定期検診に通っているオカムラ外科へと、昼すぎに移動をする。

町内の新年会のときだったか、翌日に採血を控えて酒を飲まずにいると「それじゃ普段の数字が分かんなかんびゃー」と、畳屋のアンザイさんに叱られたことがある。それは分かるが、医者に渋い顔をされるのもイヤだ。

1週間に2度、1ヶ月に8度の断酒ノルマについては、昨夏からこれを履行していない。よって今回は念を入れて、採血の3日前から断酒をしてみた。そして本日オカムラ外科から受け取った血液検査の結果には、頭から尻尾まで良好な数字のみが並んでいた。γGTPに至っては49と、定期的に休肝日を設けていたときよりもよほど低い

検査の結果が良ければ却って気が緩んで暴飲暴食をしてしまうか、という問題について、こと僕においては、それほどの心配は無い。「カツ丼とラーメン、それに餃子ね」というような食事を摂るだけの体力と蛮勇が、そもそも僕には欠けているのだ。そして夜に柿を食べる。


朝飯 豆腐の卵とじ、納豆、すぐき、メシ、ワカメと炒めた青梗菜の味噌汁

昼飯 「大貫屋」のタンメン

晩飯 おでん、、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)


 2011.1125(金) 後日郵送

朝9時10分に自由学園の正門を入る。本日は「創立90周年記念報告会」の1日目にて、男子部体操館へ行く。プログラムは以下。

中等科1年生 英語 森の絵本で考える
中等科2年生 歴史 武蔵国と武士
中等科3年生 産業 豚が豚肉になるまで
高等科1年生 国語 74回生オリジナル脚本版「グスコードブドリの伝記」
高等科2年生 情報 社会をよくするための情報の取り扱い
高等科3年生 合唱 組曲「新しい歌」より

入り口で渡された、感想を書く紙は出口にて回収をされる。しかし会場で、各学年の発表を聴きながら膝の上で、では大したことは書けない。よってそれは白紙のままポケットに入れ、会場を去る。

僕は鉄道の直通運転や相互乗り入れを嫌う。その恩恵を受けることは自分の行動範囲の中ではほとんどなく、しかしその弊害はほぼ東京へ出るたび被っている。本日午後も地下鉄有楽町線の信号故障の影響が西武池袋線に及び、当初の計算より大幅に遅れて池袋に着く。

本郷三丁目、甘木庵、東大病院と、早足で歩いて為すべき事を済ませると時刻は13時52分。14時ちょうどには取引先との商談が淡路町で予定されているから気が気ではない。東京大学構内からタクシーに乗り「いま聖橋にさしかかるところです」と、自分はもう目と鼻の先まで来ていると、取引先にはちと大げさに伝える。

商談は15時に完了した。そして淡路町から神保町に移動して"Computer Lib"のあるビルの階段を上がる。暗くなるころ靖国通りから道1本入ったところの中華料理屋「徳萬殿」にて同社の若い人たちと小宴を催し、北千住21:11発の下り最終スペーシアで帰宅する。


朝飯 「上島珈琲店」の玉子とコールスローのサンドイッチ、コーヒー

昼飯 「はら時計」の2種のおむすび

晩飯 「徳萬殿」のあれこれ、「三和酒類」の麦焼酎「いいちこ」(お湯割り)


 2011.1124(木) 冷凍剥きエビの研究

自由学園男子部の昼食は伝統的に親が作る。当番は通学生の親にのみ回ってくるが、ウチは東京までそう遠くなく、だから通学生の親でなくても当番に含めていただいている。…とここに書いたのは先週の金曜日。あれこれあって本日も、僕はその昼食つくりに参加をした

自由学園に子供を寄こすような親であれば、ことに母親であれば大抵、料理下手ではないだろう。よってその各人は、料理については一家言の持ち主であることが推測される。

一家言あってもそれを口に出さない人もいれば、また堂々の論陣を張る例もある。そして昼食つくりの現場ではしばしば船頭の多い状況が発生する。傍観者の僕としては、そんな中に身を置くことが、なんだか楽しい。

それはさておき本日、そのまわりに氷がジャリジャリと付着している状態から冷凍剥きエビを解かすと、その体積は解凍前にくらべておよそ45パーセントになってしまうことを初めて知る。

昼食当番は片付けや翌日の準備も含めて13時40分に完了した。ひばりヶ丘、池袋本郷三丁目と移動し、甘木庵に本日つかった白衣などを置く。そして休む間もなく今度は切り通し坂を下って上野広小路まで歩き、地下鉄銀座線に乗る。

隅田川沿いに仮設された芝居小屋に着いたのが15時40分。僕の席は1階9列7番の桟敷。そして16時より「平成中村座十一月大歌舞伎」の幕が上がる

「猿若江戸の初櫓」は、いかにも中村屋といった明るく華やいだもので、大いに楽しい。そして舞台正面奥の壁がスルスルと開くと、その向こうには東京スカイツリーがドーンとそびえ立っている。一瞬「良くできたスクリーンだなぁ」と感じたそれは本物の風景で、この趣向には鳥肌が立った。風向きによっては当時の日本橋を彷彿させる、磯の香りさえ漂ってくるのではないか。

「伊賀越道中双六」の「沼津」の場は、勘三郎の、はじめはおどけた芝居が終末にちかづくにつれ悲劇へと暗転していく堂々の内容で、100分も長くは感じない。「弁天娘女男白浪」については説明の要もないだろう。そして勘太郎の豪放、七之助の美しさと怖さには、ことに目を見張るものがあった。まさに血筋と修練のたまものである。

真冬ほどのことはないが「やっぱりパーカ、着てきて良かったぁ」と安堵するほどには下がった気温の中を、明るいところまで早足で歩く。そして燗酒を飲み、地下鉄に乗り、坂を登って甘木庵に戻る。


朝飯 「権米衛」の高菜のおむすび、黒酢春雨サラダ、豚汁

昼飯 あんかけシーフード固焼きそば、即席ピクルス、ニンジン丸パン、紅茶、牛乳

晩飯 「神谷バー」のあれこれ、日本酒(燗)


 2011.1123(水) 飲み屋とラーメン屋の研究

天皇陛下のお見舞いに参じたわけではない、私的な用件にて夜の早い時間に東大病院の入院棟に2度も出入りをする。

無縁坂を登り切ったあたりに「鉄門」という名の、同病院の通用門のできていたことを本日はじめて知る。これを使えば甘木庵までは2分ほどの距離だから「2度」とはいえ大した手間ではない。ところで「鉄門」とは、いにしえには「龍岡門」の別称だったように記憶するが、どうだろう

用件を済ませ、しかし晩飯あるいは飲酒は済ませていない。無縁坂の上から岩崎の屋敷に添って下ればA級の「シンスケ」、坂を無視して本郷三丁目方面に出ればB級の「加賀屋」がある。「今日はB級の気分だ」と、傘を差すほどでもない雨の中を西へ歩く。

しかしその「加賀屋」がどうにも見つからない。その代わり、ある種のマニアなら喜びそうな店が、本郷通りから住宅街に延びている路地の中程にある。よってその「もつ焼きじんちゃん」の引き戸を開ける。

僕よりずっと若く、名前は「じんちゃん」に違いないオヤジは、カウンターに着いた僕に「食べ物は追加なしで」と告げながらメモを差し出した。よってそこに「チレ×2、テッポー×2、煮込み豆腐×1、大根酢×1」と僕は書き込む。そして壁の「飲み物は5杯まで」と書かれた品書きからチューハイを選ぶ。

持つ焼きは中々の味、豆腐の中心部にはいまだ温まりきれないところがあり、また100円という値段に比しての大根の多さに驚く。そして「いまだ中の冷たい湯豆腐について優れた文章を残したのが資生堂の宣伝部にいた…」と、何年か前に読んだ文章の書き手を思い出そうとして思い出せない。

隣の常連が僕の「チレ」を見て自分も食べたくなったか「オレもチレね」と追加注文をしている。初めての客と常連とのあいだには差別があるようだが、僕はこのようなことには腹を立てない。「四畳半襖の下張」にも「初見の客に気を遣るな」というところがある。

もっともその部分が本当に、荷風の筆になるものと伝えられる同文に含まれるものかどうかについては自信がない。神代辰巳監督、宮下順子主演による映画「四畳半襖の裏張り」に、そんな箴言めいたことばが出てくるのだ。

「もつ焼きじんちゃん」ではチューハイ1杯のほか梅割り焼酎2杯を飲んだ。この店の美質のひとつは8勺ではなく1合のグラスを使っているところで、さすがに飲み応えがある。そしで代金は1,900円だった

本郷三丁目の駅から本郷通りへ出る左側のフランス料理屋がなくなり、そこがいつの間にか「上島珈琲店」になっている。雨は上がり、あたりの空気はひんやりとしてきた。「腹が減ってるわけでもねぇのにラーメンなんか食っちゃぁ、からだに良いわけねぇわな」と分かっているのに「神勢。」に寄ってしまう。

神保町の、二玄社のあったあたりの七不思議のひとつは、あるラーメン屋にまいにち長蛇の列のできること。本郷の、本富士警察署ちかくの七不思議のひとつは「神勢。」に行列のできないことである。


朝飯 明太子、梅干し、じゃこ、すぐきによるお茶漬け

昼飯 「麺屋ききょう」の塩つけ麺

晩飯 「もつ焼きじんちゃん」のあれこれ、チューハイ、梅割り焼酎、「神勢。」の醤油ラーメン


 2011.1122(火) 商品の刺激性

北千住駅07:41発の、始発の下り特急スペーシアに乗る。線路の蛇行により右から、あるいは左から朝日が差し込み、コンピュータのディプレイを見づらくする。僕の乗る5号車の乗客に使われている3台のコンピュータが、今朝はすべて"Let's note"だ。

1995年から愛用し続けた"Think Pad"から僕が離れたのは、ハードの質の低下が著しかったからだ。ことしから"Let's note"に変えたもっとも大きな理由は「これだけたくさんの人が使っているんだ、どこか良いところがあるに違いない」というものだった。

僕がノートやボールペンを選ぶとき、そこに趣味性の入り込むスキは一分もない。コンピュータについても、それは同じである。そして僕が個人としてクルマを選ぶとき、そこに趣味性以外のものの入る余地は、これまたいささかも無い。否、クルマを主に機能性から選んだことが、かつて1度だけあった。結果として、そのクルマを操縦することはほとんどなく、数ヶ月後には手放してしまった。

"Let's note"に、バッテリーの残量のすくなくなった旨の表示が出る。コンピュータを"Let's note"に替えてから、1泊2日ほどの出張には電源コードを持たなくなった。そして「刺激的でない商品を作る会社のバッテリーは、なぜか優秀だよなぁ、パナソニックとか、トヨタとか」と考える。


朝飯 「東京カレー屋名店会」のダル豆のカレーライスのセット

昼飯 助六寿司、鍋焼きうどん

晩飯 冷や奴小松菜と油揚げの炊き合わせ卵焼き「田中平助商店」の小鯛笹漬けによる手鞠鮨、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)


 2011.1121(月) 符丁

血中のコレステロールなどを監視する目的の採血を、オカムラ外科にて8時45分に受ける。支払いを済ませると時間は8時52分。下今市駅09:35発の上り特急スペーシアの切符は既に買ってあったが「ことによると09:02発に間に合うかも」と考える。

病院へは家内に送ってもらっていた。そして駅には余裕綽々で到着し、予定を早めて09:02発に乗る。

その車内から本日の作業に必要な画像を"Computer Lib"のヒラダテマサヤさん宛に送る。画像の拡張子にちと心配があったため、それについてヒラダテさんに説明するため携帯電話を取り出そうとして、それを事務机の上に充電しながら置き忘れたことに気づく。

自分のサラリーマン時代には毎朝、忘備のため玄関で唱えたというひらがな5文字ほどの符丁について、山口瞳が随筆に書いていたような気がする。その符丁は名刺や煙草などの頭の1音を連ねてできていたように記憶するが、詳しくは覚えていない。

ぼくならさしずめサイフ、コンピュータ、通信端末、メガネ、携帯電話、PASMO、時計で、だったら「サコツメケパト」とでも覚えるべきか。しかしここにノートやボールペンや文庫本を含めれば、長くなりすぎてどうにもならない。

ウェブショップ関係の仕事をしていた神保町から夕刻、大井町に移動する。そして西研究所の研修に参加中の、カタヤマタカユキさんの様子を見に行く。2日間におよぶその研修の1日目は19時ちかくに終了した。そしてカタヤマさんと新橋へおもむき、夕食を共にする。


昼飯 「ドトールコーヒー」の煮込みハンバーグサンド、コーヒー

晩飯 「鮨よしき」のあれこれ


 2011.1120(日) 無茶な話

おとといまでは雨の予報だったが空は晴れた。秋の行楽シーズンのいまだ続いている週末にはやはり晴れて欲しい。「雨に濡れたら一発でダメになる」と、その配達を遅らせていたユミテマサミさんが、店舗犬走りに飾るポインセチアの鉢を、朝のうちに持ってきてくれる

「日光そばまつり」に行こうとしているクルマによるものか、目の前の国道121号線は混み合っている。会場である日光だいや川公園オートキャンプ場まではウチから数キロの距離があり、また繁忙もあって、僕がそこへ出かけていくことはできない。

昼ちかくに店の外を見回っていると、日光街道のシモ、つまり東照宮とは逆の方角からソースの匂いが流れてくる。それは「日光そばまつり」に合わせ街の中心部で催されている「日光"焼き"そばまつり」からのものだろう。

この「日光"焼き"そばまつり」であれば、近いところではウチからせいぜい100メートルほどのところに屋台があるから品物を買うことができる。そして本日の昼食には、この「もうひとつのそばまつり」における焼きそばを充てる

「バカ、おめぇ、それじゃ普段の数字が分かんなかんびゃー」とは町内のアンザイさんに言われたことだ。しかし僕にも見栄がある。日本酒の似合いそうな晩飯にも関わらず、明日の採血に備えて3日目となる断酒をする。

腹さえ決めてしまえば酒を欠いてメシを食うことは簡単だ。ただし「だったら一生、酒を断て」とからかう人がいたとすれば、それも無茶な話である。


朝飯 キャベツとソーセージのソテー、納豆、明太子、すぐき、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 「貫太郎」の焼きそば

晩飯 「田中平助商店」の小鯛笹漬け、きす笹漬け、さより笹漬けと、たまり漬「宮崎県都城産のしょうがです」によるちらし鮨、"Chez Akabane"のプリンアラモード


 2011.1119(土) 野蛮人の所行

シャキシャキとした食感の野菜を食べると、上の奥から2番目の歯がじんわり痛くなる症状が数週間前から続いていた。よって先週の土曜日に歯医者へ行くと、金属をかぶせたその奥で虫歯の範囲が広がっていると診断された。

医師はその場で金属を削り更に歯の侵食された部分を削り、そしてセメントを詰めて「これで様子を見て、なお痛むようだったら神経を抜きましょう」と言った。

それからの1週間は、うどんの熱いつゆや、うがいのための冷水が当該の歯に触れれば数分間は鈍い痛みが続いたから本日、またまた歯医者へ行き、それを伝えた。

僕のような食感オタクは、神経を殺して歯の感覚の失われることを恐れる。よってその件につき医師に訊ねると、細かいことは忘れたが、心配はないという。そして神経を抜いてもらい、ふたたびセメントを詰めてもらう。

それにしても現在の歯医者における、麻酔注射の無痛ぶりには驚くばかりだ。むかしの注射は医師が力ずくで歯茎に打ち込んで針の曲がることさえあった。当時の歯科治療風景を今の子供が見れば、野蛮人の所行として目を丸くするだろう。


朝飯 じゃこ、昆布と牛蒡と蓮根の佃煮、明太子、すぐきによるお茶漬け

昼飯 「ふじや」の味噌ラーメン

晩飯 穴子鮨鯖鮨


 2011.1118(金) 意義のあった1日

自由学園男子部の昼食は伝統的に親が作る。当番は通学生の親にのみ回ってくるが、ウチは東京までそう遠くなく、だから通学生の親でなくても当番に含めていただいている。

本日、僕のしたことは厨房設備の消毒、既に皮を剥かれたジャガイモの芽取り、その刻み、玉葱のスライサーによる刻み、大鍋での生姜と玉葱の炒め、更にニンジン、ジャガイモ、豚肉を加えての炒め、小麦粉とカレー粉の炒め煮の手伝い、ルーを大鍋に投入した後の攪拌、盛りつけの手伝い、使った調理器具洗いなどだった。そしてあっという間に昼を迎える。

生徒たちによる諸報告、毎日曜日に生徒の提出する習字の、教師による解説などを、カレーライスを食べながら聴く。男子トイレの掃除を含めた本日の食事当番は比較的はやく13時40分に完了した。

午後から夕刻にかけては神保町の"Computer Lib"にいて"Facebook"のページを作成する。その立ち上げに際し、ウェブ上で協力してくださった40数名の方々には厚く御礼を申し上げたい。

17時50分に北千住に着くと、18:12発の下り特急スペーシアは満席だった。普段であれば飲酒活動をしながら次を待つところだが、これから3日間は断酒の予定である。よって立ち席の特急券を頼むと、黄緑色の硬券を券売係は小窓に差し出してくれた。車掌の案内により栃木駅から座席に着くことができる。そして20時前に帰宅する。


朝飯 「権米衛」のじゃこと高菜のおむすび、豚汁

昼飯 カレーライス、ゆで卵、リンゴとパイナップルと干しぶどうのヨーグルト和え、お茶、牛乳

晩飯 ポテトサラダ、鶏もも肉のつけ焼き、すぐき、メシ、"KIRIN FREE"


 2011.1117(木) 終電とはギリギリだったね。

2005年11月20日に亡くなったオヤジの七回忌はいつ行うべきかについて、如来寺のクワカドシューコーさんに訊ねたのは、この日記を遡れば7月28日と知れる。そして「8月中でも大丈夫ですよ」というのが、そのときのクワカドさんの答えだった。

初冬に亡くなった人の法事を酷暑の時期にするについては、何だか現実味がなかった。またお墓の修理などもあって、当該の日は今日までずれ込んだ。

今早朝の北西の風は、その吹き来る方向にも関わらず冷たいものではなかった。日中の気温も随分と上がった。会食の場所として選んだ"Finbec Naoto"の大きな窓からはずっと、南西の日が差し込んでいた。

夜になってから銀座に出る。そして丸ノ内線の終電で本郷三丁目に移動し、甘木庵に入る。


朝飯 白菜キムチ、じゃこ、梅干、納豆、メシ、けんちん汁

昼飯 "Finbec Naoto"のトマトとカリフラワーのムース海の幸のサラダライ麦パンカボチャのスープイサキのポアレブラックチェリーのタルトとカシスのシャーベット、コーヒー

晩飯 「鮨よしき」のあれこれ、「中尾酒造場」の「誠鏡山田錦番外生詰原酒」(燗)


 2011.1116(水) 重慶大厦

メイルのフッタに"Sent from iPad"と入るのが、"ipad"のデフォールトの設定だ。その"Sent from iPad"の文字のある、"attglobal"のアドレスによるメイルが後輩のゴーダタカシ君から届いたのは4日前のことだ。メイルの表題は「重慶大厦」だった。

ゴーダ君は後輩だが、彼の長男と僕の長男は同級生だ。ふたりが高校生だったある夏、当時は香港に駐在していたゴーダ父親君の家を訪ねる計画を僕の長男は立てた。そして、香港でゴーダ長男君と行き会うまでの数日間の宿として長男の選んだのが重慶大厦だった。

それを知ったゴーダ父親君は「あんなところに子供を泊まらせるとは狂気の沙汰であり、すぐに宿替えをすべきだ」という内容の、強い調子のメイルをよこした。しかし僕は軽はずみな親である。「ヘーキだよ」と、取り合わなかった。

そのやり取りに割り込んできたのが、当時は存命中だった僕のオヤジだ。そして「しょうがねぇ、オレが付き合うか」と言った。

かつてはペニンシュラホテルから啓徳空港までロールスロイスで迎えに来させるような旅行をしていたオヤジの、あれが最後の香港行きだったかも知れない。とすれば重慶大厦での経験は、オヤジには良い死に土産になったことと思う。

オヤジは1泊をしたのみにて、2泊目はどこか別の都市へ行ってしまったように記憶するが、今となってはつまびらかではない。長男はその後も重慶大厦に残り、やがてゴーダ父親君の、レパルスベイに面する瀟洒なマンションにて更に数泊をさせてもらった。

重慶大厦の非常階段にある赤いシミを長男は血反吐と勘違いした。後に写真を確認したところ、それは僕には見慣れた、檳榔煙草を噛んだ際に大量に出る唾だった。いずれインド人の長期滞在者によるものだろう。

ゴーダ父親君からの今般のメイルは、重慶大厦が50周年を迎え、その祝賀会が今月11日に催されたことを報せるものだった。香港の一等地ともいえる尖沙咀の彌敦道に面して、奇跡のように存在し続ける雑居ビル重慶大厦。

僕はここには、日本円を香港ドルに両替するときにしか入ったことはない。レートの良い両替屋があるのだ。そして「さて、自分が重慶大厦に泊まる可能性は、これからあるだろうか」と考える。何とも言えないところ、である。


朝飯 "PAUL"のパンと"Feu de Bois"のアップルパイ

昼飯 鶏のそぼろ弁当

晩飯 「玄蕎麦河童」のあれこれ、6種の日本酒(冷や)


 2011.1115(火) マズい展開

家から東武日光線下今市駅までは徒歩で10分。自転車に乗ればこれが4分に短縮される。今朝は自転車を使って駅へ向かい、もっとも早い時間の上り特急スペーシアに乗る。

日光の店舗では昨月28日大安の日に新発売となった「刻みザクザクしょうが」と「鬼おろしにんにく」をウェブショップに載せるべく、その画像や商品説明は今月上旬のうちに"Computer Lib"へ送ってあった。本日は実装の作業日にて、9時15分より同社のヒラダテマサヤさんから数メートルの大テーブルに着く。

その大テーブルで僕はきのうの日記を書くことや、わけあって例月のようには更新できなかった"WORKS"の、10月1日分の組み写真をサーヴァへ上げたりする

「なんだ遊んでいると同じじゃねぇか」と言われれば、画像と商品説明を準備し、"Computer Lib"へ送達したところで僕の仕事は一旦、終わっているから、今日は勝手なことをしていても良いのだ。

そして「Yahoo!ショッピングのこの部分がテキストのバイト数オーバーです」などと指摘をされたときのみ「だったらこれこれこういう方法で」などと答えれば良いのだ。

すべての作業を完了した夕刻、ナカジママヒマヒ社長が部屋の片付けをしながら壁際のディスプレイの電源を入れる。と、そこにはサッカーのワールドカップアジア3次予選の日朝戦が中継されはじめたから「この展開はちとマズイな」と考える。

案の定、その試合の終了するまで"Computer Lib"の人たちや取引先と、その場にいる羽目になる。そして予定より1時間ほども遅れてヒラダテマサヤさん、キクチヤモリ君との3人で飲酒活動へと向かう。


朝飯 牛乳

昼飯 「野らぼー」の熱つあつ茄子天うどん

晩飯 「加賀廣神保町店」のあれこれ、「宮崎本店」の「キンミヤ焼酎」(お湯割り)


 2011.1114(月) "Cool design"

「あれが見つかれば、かなりの頻度で使えるのだが」というモリカゲシャツ製のシャツというかジャケットというか、それを寝室の片隅に探すうち、当該の物件は一向に現れないものの、思いがけず「自由人」の1997年夏号が発掘された。「自由人」とは自由学園最高学部の生徒が編集する季刊誌である。

この号に先輩のシンボーテツヤさんが書いている「卒業生講座の復活について」の卒業生講座とは、今で言う"SNS"とモバイルコンピューティングの組み合わせについて僕が話したものだ。そしてその要約を、僕は「自由への武器」と題してこの「自由人」に載せている。

1992年以来、僕はノート型のコンピュータしか使っていない。コンピュータを持ち歩くということは当時、一般にはあまり理解されなかった。海外からのアクセスに至っては、オタクかバカの所行と嗤われることさえあった。時代も変われば変わるものである。

ところで表紙を目次としている「自由人」の伝統的デザインを目の当たりにして何かを思い出さないか。僕にはこれがウェブページのトップに見えて仕方がない。創案は、当時でもかなり"cool"だった在学生によるものと思われる


朝飯 ほうれん草のソテー、納豆、目玉焼き、メシ、けんちん汁

昼飯 牛丼

晩飯 「ユタの店」のキムチ豆腐、ピータン、餃子、紫蘇餃子、汁なし担々麺、焼酎「鏡月」(お湯割り)


 2011.1113(日) 男体山の雪

現在の午前5時45分は夏の3時45分よりもよほど暗い。空は6時を過ぎてようやく明るくなる。満月から2日を経た月が男体山の真上に上がっている。その男体山はきのう、この冬はじめての雪を頂いた

包装係サイトーヨシコさんからもらった、5万ウォン紙幣を極大プリントした勝負パンツを穿く。晴天の予想される日曜日ともなれば、気合いを入れていかなければならない。

日光の紅葉はようやく里まで下りてきた。来週は「日光そばまつり」も開かれる。季節外れの暴風雨などに、この紅葉の吹き飛ばされないことを祈るばかりだ

そして結局のところ本日の売り上げ金額は、今秋2番目の数字を記録した。遠くは北海道四国九州から、ちかいところでは町内から来てくださったお客様には厚く御礼を申し上げたい。

町内といえば我が春日町1丁目の有志が来春の韓国旅行を計画しているという。僕の参加が叶うなら、そのときには本日の勝負パンツを6枚ほど買ってきたいと考えている。良妻賢母の鑑とうたわれる申思任堂を50000ウォン札のアイコンとし、それを下着にプリントしたのは韓国人による経済活動だ。日本人の僕が叱られることはないだろう。


朝飯 カレーライス

昼飯 きつねうどん

晩飯 「コスモス」のトマトとモツァレラチーズのサラダ牡蠣フライドライマーティニ、"TIO PEPE"、帰宅してからの"Chez Akabane"の「本日のお勧めのケーキ」、"Macallan 12 Years old"(生)


 2011.1112(土) 茗荷

学生のころ自動車の運転免許証を取るため宇都宮の教習所に通った。そこに強くなまった栃木弁を話す教官がいた。そしてその教官の講義を聴きながら「自分の家からたかだか20キロほどのところで理解できない言語に遭遇する。この事実に鑑みれば、外国語を習得するなど、とても無理な仕事だ」と感じた。

他の地方においても共通するところがあるかも知れないが、栃木弁では擬音を強調する場合、その第一母音は曖昧化し、直後に促音が入って次の音は長音化する。たとえば爆発を表す「ドカン」という擬音が栃木弁において強調されるとき、その発音を無理を承知で文字にすれば「d(ao)ッカーン」となる。

擬音の変化ひとつを採ってもこの有様である。何百何千とあるだろうことばの規則をひとつずつ覚えることなどできるだろうか。僕にはとても無理だ。

「どうせテーペーペーんなっちまうー」と今春、知り合いの農家の人が発言をしたとき「だから」ということもないが「ドイツ語ですか」などと突っ込むことはしなかった。「要は売れるモノを作れば良いだけのことだんべー」と、その人は言った。状況の説明は難しいが、このようなとき「だんべ」の「べ」はしばしば「b(ae)」となる。

話を急げば来年、ウチはその農家から茗荷を仕入れることとして値段の交渉も済んでいる。「どうせテーペーペーになっちまう、ガンガン行こうぜ」である。


朝飯 冷や奴、揚げ湯波と小松菜の淡味煮、明太子、納豆、スクランブルドエッグ、メシ、キャベツとニラの味噌汁(日光味噌梅太郎白の熟成度官能試験を兼ねる)

昼飯 3種のおむすび

晩飯 "Flying Garden"のシーザーズサラダチキンペッパーステーキカラフの白ワイン


 2011.1111(金) 障子と帽子の関係

僕のベッドは窓に頭を向けている。ガラス窓の内側には障子があり、これが冬における部屋の保温には馬鹿にならない効果を上げていた。ところが年を経るごとにこの障子の糊の部分が劣化したか、紙の一部が桟から剥がれ始めた。そしてその状態のまま僕は何年をやり過ごしただろう。

先日、経師のカンちゃんがこの障子を外したら、ベッドから遠い側の窓が1寸ほど開いていた。夏にはベッド側の窓を3寸ほど空かせていたが、反対側の1寸については関知していなかった。まさか何年ものあいだ、冬でもこの窓は開きっぱなしになっていたのだろうか。

親父の妹は学生のころ、いわゆる全集というものを馬鹿にしていた。自分から積極的に選びに行かなくても全集は毎回、本屋から届く。本に対しての関わり方が極めて受動的である、というところが叔母の、全集を買う人を軽んじる理由だった。

「少年少女世界名作文学」というような名の全集が、子供のころに毎月1冊ずつ本屋から届いた。むかしの本屋は御用聞きをした。この全集も、本屋の営業活動を受けてオフクロが僕のために契約してくれたものだったのだろう。そして僕はこの全集については1冊はおろか数行すら目を通すことはしなかった。活字中毒にも関わらず、である。

そのころに読んだ挿絵入りの「クリスマスキャロル」の中で、ボブ・クラチットが帽子をかぶってベッドに入る姿を不思議に感じた。西洋人はなぜ寝るとき帽子をかぶるか。

昨年から今年にかけての幾晩かにそのことを思いだし、帽子を被って寝たところ、これが予想を遙かに超えて快適なことを知って驚いた。障子紙の剥がれた隙から吹き込む寒さもなんのその、足の先までポカポカと暖かかった。

低気温下における帽子の有用性を理屈で知りたい人はイヴォン・シュイナードの「アイスクライミング」を読むべきだ。古本市場に少ないせいか、"amazon"にも安くは出ていないが。


朝飯 ベーコンと白菜のソテー、肉豆腐、納豆、メシ、豆腐と揚げ湯波と万能葱の味噌汁(日光味噌梅太郎白の熟成度官能試験を兼ねる)

昼飯 鍋焼きうどん

晩飯 水餃子煮込みラーメン、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)


 2011.1110(木) 手帳の季節ふたたび

"RICOH MY TOOL"をデータベース用のソフトとした1992年以来、手帳からは徐々に離れ、そのうちまったく使わなくなったとは、昨月17日の日記に書いたとおりだ。今年は十数年ぶりに手帳を買ってみて、しかし11月の現在に至っても、それは事務机の引き出しに突っ込まれたままになっている。

スケデュール管理はコンピュータに頼り、メモには"Campus"の5号ノートを使い、そしてデータベースに残すほどのこともない予定については卓上カレンダーを用いている。しかし卓上カレンダーの余白は、文字を書き込むには狭すぎる。

本日、ウチの販売促進用のカレンダーをバインダーに固定し、事務机左手の壁に提げてみる。外出に際しては、必要な部分をコピーして持参すれば事足りる。1枚の紙は手帳よりもかさばらない。

そして「よし、来年1年間は、これでやってみよう」と決める


朝飯 ベーコンエッグ、ジーマーミ豆腐、白菜とニンジンの浅漬け、納豆、明太子、メシ、白菜と揚げ湯波と万能葱の味噌汁(日光味噌梅太郎白の熟成度官能試験を兼ねる)

昼飯 牛丼

晩飯 おでんおでんのつゆによる雑炊、梨、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)、エクレア、"Macallan 12 Years old"(生)


 2011.1109(水) 弁の調整

外から見えるところでは回転計のオーバーホール、見えないところではブレーキランプの電源をバッテリーから乾電池に替えるなど、"BUGATTI 35T"の整備は相変わらず続いている。「エンジンを開けたから見に来て欲しい」との電話をきのうの午前にタシロジュンイチさんから受け、しかしこの時期は一旦、繁忙に見舞われると現場を離れることができない。

そしてようやくタシロさんの工房"EB-Engineering"に行くと、直列8気筒2300ccのエンジンはヘッドの部分が作業台に移され、カバーも外されていた。カムシャフトは作られてから何年が経つのだろう、カムの表面にはミクロン単位の摩耗が見られるが、これは致し方のないことかも知れない。

バルブクリアランスを調整するためのシムはタシロさんの手作業によりステンレス板からポンチで抜かれ、調整すべき間隔の、バルブ別に書かれた紙の上に規則正しく並べられている。バルブステムのどこにシムを挟んでクリアランスを調整するかについては正に「百聞は一見に如かず」で、文章で説明することは難しい

"ZENITH"の古いキャブレターの造形には、好事家の目を見張らせるものがある。これも調整を受け、やがてエンジンに組み付けられるのだ

"EB-Engineering"には数分を滞在したのみにて、すぐに会社に戻る。


朝飯 きのうのキムチ鍋のぶっかけメシ、白菜とニンジンの浅漬け

昼飯 鍋焼きうどん

晩飯 トマトとモツァレラチーズのサラダ明太子のスパゲティカマンベールチーズリンゴ"Comte Remy de Vallicourt Brut"


 2011.1108(火) 経師

東京の笑いの市場が関西の芸人に席巻されていく様を目の当たりにして危機感を募らせ、遂に東京の噺家たちは大阪弁の習得に雪崩を打っていく、という三遊亭円丈による落語を銀座の博品館で聴いたのは1981年1月15日のことだ。

"the right wing"にもいろいろな種類の人たちがいる。いわゆる「韓流」の店に日本人の殺到する新大久保の現状を見て「吐き気を催す」とウェブログに書く右方向の人がいる。吐き気を催そうがどうしようが、人は欲しい商品には吸い寄せられてしまうもので、どうにもならない。

日本でもっとも売れている漬物がキムチであることは、業界関係者以外にも知る人は多い。歌って踊る集団をテレビの中に眺めてみれば、日本よりも韓国のそれの方が完成度は随分と高い。東南アジアでは、見ることのできるテレビのチャンネル数も、芸能人の進出ぶりも、あるいはビジネスマンの辺境への浸透度も、日本は韓国の遙か後ろから、その塵の更に余韻を窺っているようなものと、どこかで耳にしたことがある。

僕の使っているワードプロセッサは「はんりゅう」変換ですぐに「韓流」が出る。「きょうじ」変換をしても日本の伝統的な技術である「経師」は出ない。こんなところも韓高和低ぶりは現れている。余談になるがきのう経師のカンちゃんに頼んだ障子の張り替えはその手際もよく、しかし請求金額は予想より低くて嬉しかった。

キムチを作る日本の漬物業者は、円丈の落語が30年の時を経て姿を変え現実化した一例だ。あのときあの落語がウケにウケたのは案外、それが人間の普遍的動向を写したものだったからかも知れない。

そういう僕はきのう鋳鉄の格子の上で朝鮮風に味付けされた肉を焼いた。そして今夜はキムチ鍋を食べている。


朝飯 冷や奴、マヨネーズ入りスクランブルドエッグ、白菜とニンジンの浅漬け、明太子、納豆、メシ、豆腐と白菜とベーコンの味噌汁(日光味噌梅太郎白の熟成度官能試験を兼ねる)

昼飯 「玄蕎麦河童」の「田舎せいろ」(大盛り)

晩飯 キムチ鍋、芋焼酎「紫尾の露」(お湯割り)


 2011.1107(月) 肉の回数

マッチ擦るつかのま海に、いや海ではないこちらは山であるが、それまで晴れていた朝の街を、かなりの速度で霧が隠していく。その景色を眺めながら「晴れてくれよ」と念じる

夜に気づいたり朝方に気づいたりした「すべきこと」は居間にいて小さな紙にメモをする。その紙に書かれたことを事務室に降りて、すこし大きな紙に箇条書きする。歯医者の予約は何日も気にしながらいまだにできていない。鎌倉での用事は家内に振ってしまおう。そして銀行を相手にしなくてはならないことは、向こうが何か言ってきてから動いても遅くはないと勝手に決める。

「ここしばらくは肉の食い過ぎだよなぁ」と反省しつつこの日記を振り返れば、実はそう大して食べてもいない。よって夜は少しばかり焼肉を摂取する。


朝飯 2種のパン、ホットミルク

昼飯 「ふじや」のタンメン

晩飯 「大昌園」のあれこれ、麦焼酎「田苑」(お湯割り)


 2011.1106(日) 今日の歩数

ローライズの細いジーンズに短めのホールター。ぷっくりと膨れた腹を上下10センチほども見せた中国人のオネーサン、というか女の子が昼前に来店をし、ウチの平均客単価の4倍ほどの買い物をしてくれた。

日本での案内役らしいオニーサンに彼女は、来週の火曜日に帰宅するようなことを英語で言っていた。よって「この商品は冷蔵庫に保管して、家に帰るときになってから、このジップロックに入れれば匂いは漏れないですよー」と伝える。すると「ちょっとこの人、英語を話すわよ」と、彼女は驚いたようにオニーサンの方を振り返った。

彼女の日本の旅は今日で何日目になるのか。その間、英語を話す日本人には絶えて遭遇しなかった、というのか。そして「売り手と買い手としてではなく、どこか別のところで遭遇したかったですねー」と、彼女の腹を見ながら思う。

メシの時間は投手のローテーションと同じく、すこし無理をしても正しく守らないと、やがて齟齬を来してどうにもならなくなる。今日の昼はあまりの繁忙にて決められた時間にメシを食えず、すると次から次へととあれこれが発生して余計に食えない。夕刻もちかくなったころようやく「食べ物を売る人間が、こんなものを食ってちゃいけねぇよなぁ」と、忸怩たる思いに駆られながらカップ麺にありつく。

ところで今朝は戯れに万歩計を付けてみた。会社の敷地から一歩も出ていないにも関わらず、18時の閉店時にはカウンターが13,200歩を記録していた。僕の歩幅を70センチとすれば9,240メートル。しかし社内でそれほど歩けるわけがない。すこしの動きにも振り子が反応してしまうのだろう。

「そういえば、テニスのビッグゲームにおいては、選手はあの狭いコートの中を平均して6,000メートルは走っているらしいな」と、むかしどこかで読んだ記事を思い出す。そして相変わらず万歩計を付けたまま夜の日光街道を下っていく。


朝飯 3種のパン、ホットミルク

昼飯 カップ麺

晩飯 「和光」の突き出しの烏賊の塩辛ポテトサラダししゃも、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)


 2011.1105(土) 菊と紅葉

毎年いくばくかの寄付をしている菊花会からは1週間ほど前に2鉢の菊が届き、お客様の目を愉しませている。きのうは同会のササキマサオさんが新たに、ウチのロゴを中心にあしらった、扇形に菊をちりばめたオブジェというか何というか、とにかくキャスター付きの大きなものを持ってきてくれた。

左右に大きく開いたそれは、出入りするお客様の導線を妨げそうな気もしたが、折角なので店舗の正面に置く

紅葉の帯は、いろは坂から東照宮のあたりまで降りてきたとのことで、きのうそのちかくに配達で赴いた販売係のハセガワタツヤ君は、危うく渋滞に巻き込まれるところだったと、帰ってから僕に報告をした。日光の紅葉の見ごろは、これから10日間ほどは続くだろう。

会社の戸締まりを事務係のテツカサヤカさんに頼み、閉店前から町内の公民館へ行く。そして年末から来春までの行事につき会議を持つ。


朝飯 カレーライス

昼飯 「麺屋ききょう」の塩つけ麺

晩飯 「金長」の牡蠣のベーコン巻き牡蠣フライカツライス、日本酒(燗)


 2011.1104(金) 暴発

閉店後、社員用通路のタイムカード打刻機そばにいると、「あのー、きのうの粒味噌、シャワリー」と、製造係のタカハシアキフコ君が遠慮がちに近づいて来た。「シャワリー?」と、僕はオウム返しにつぶやきながら、その言葉の意味を大急ぎで探った。

「フランス語だろうか、それとも英語だろうか、まさかヒンドゥー語ではあるまいな」と、永遠に下降していく螺旋階に閉じ込められたように僕の脳は空転して、手がかりは得られない。

1980年代最後期のことと記憶する。東京から乗った新幹線を新神戸で降り、プラットフォームから改札口へ向かおうとすると、下のコンコースから上がってくるエスカレーターに「このエスカは上りです」と張り紙があった。

エスカレーターを「エスカ」と略して表記する例に僕が出会ったのは、そのときが初めてだった。動いているエスカレーターが上りか下りかくらい、見れば分かることではないか。どうやらこの駅には、上りのエスカレーターを強引に駆け下りる人が少なくないらしい。腹に笑いをこらえる膜のようなものがあるとすれば、僕はその膜の底が抜けたように、予期せず暴発的に笑った。

きのうの夕方、タカハシ君に乞われて1キロ600円の粒味噌3袋を僕は売った。それが「シャワリー」とは、一部のワインの抜栓後に見られるような二次発酵を起こして、味噌がシャワシャワと発泡していたとでもいうのだろうか。

そしてようやく、「シャワリー」とは「社割」つまり社員割引きのここと、ちかくにいた別の社員の翻訳により僕は理解した。「きのう社長は自分に粒味噌を定価の600円で売ったが、社員割引きの適用を忘れてはいまいか」という意味のことをタカハシ君は言っていたのだ。

「社割」は略さず「社員割引き」と言うべし。「エスカ」は略さず「エスカレーター」と書くべし。暴発的な笑いは横隔膜を傷めるのだ。


朝飯 3種のおむすび、豆腐とワカメと長葱の味噌汁

昼飯 「大貫屋」の五目そば

晩飯 "Parrot"のサラダバークラブハウスサンドイッチ"La Vieille Ferme Rouge 2009"


 2011.1103(木) これから2ヶ月

「だんらん」は7種類の野菜を刻み合わせたたまり漬だ。これを製造している横を通りかかると、何か発言をするに際しての、多分、小学生のころからの癖なのだろう、サッと手を上げながらフクダナオブミさんが近づいて来て「今日、残業、やります」と言った。

「おばあちゃんのふわふわ大根」と「おばあちゃんのホロホロふりかけ」という2点の新商品を10月のはじめに出した。それから幾日も経たないある朝、目を覚ますと同時に「そうか、ふりかけの材料を流用して別の商品ができるな」と思いついた。商品名は販売係イトーチヒロさんの、これまた思いつきから「刻みザクザクしょうが」と決めた。

ほかに、これは加工機械の選定や性能試験などするはるか以前から「作ります、売ります」と社内に伝えてあった「鬼おろしにんにく」も同時に発売のめどが付き、販売係のシバタミツエさんには品名の鬼にちなんで鬼の顔を描いてもらった。

「刻みザクザクしょうが」と「鬼おろしにんにく」のレッテルについては、僕のデザイン案とシバタミツエさんの絵を添えてデザイナーに送付した。そのデザインは原案もあったところから数日という短い時間で完成した。

そして「刻みザクザクしょうが」と「鬼おろしにんにく」は、10月28日大安の日から販売をされはじめた。何が言いたいか。

10月中に2点の新商品を出しながら、製造係においては僕の思いつきもあって同じ月に更に2点の新商品を追加製造することになり、そして有り難いことにそれらは売れて、さすがに仕事が間に合わなくなってきた。その結果の「今日、残業、やります」である。

紅葉による来店客の増加、新商品4点の増産、日光産の大豆と日光産のコシヒカリを原材料にした味噌「梅太郎」のうたて返し、暮に向かってのギフト需要の高まりと、製造係には厳しい日々が続く。「これから2ヶ月は耐えてください」と頼むほかは無い。


朝飯 ハヤシライス

昼飯 「金谷ホテル」の3種のパン

晩飯 「和光」の突き出しの菊の花のおひたし常連の誰かから回ってきた銀杏の油炒り赤尾鯵の刺身三つ葉のおひたし、頼まなくても出てきた烏賊の塩辛、焼き鳥、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)


 2011.1102(水) スタイル

朝は起きてすぐにお茶が飲みたい。だから先ず仏壇に、いまだ暗いうちからお茶と水と花を供える。仏間というかおばあちゃんの応接間というか、その天井の明かりを消せば真っ暗な中に仏壇の豆電球と、線香の先の小さな火しか見えない。

「こんな時間からお供えなどしても良いのだろうか」と考え、しかしそのようなときにはいつも、延暦寺の灯明は寺の創建以来途絶えていないという話を思い出す。つまり「真っ暗な中に線香を上げても良いのだ」という、自分への弁明である。

このところの日光には紅葉見物のお客様が多い。その紅葉の収束を待たずに年末の贈答需要が高まっていく。気持ちもからだも一年のなかで最もせわしなくなるこの時期は特に、健康に留意をする必要がある。

健康のためには遊びが欠かせない。女物のサンダルを履き、耳には100円玉を入れ、まぁ、僕もその域までは達していないから、そのような場外馬券場スタイルは採らないものの、知る人のひとりもいないところにフラリと酒を飲みに出かけたい。しかし繁忙であれば、それもしづらい。

とにかく、しばらくは気を引き締めていこう。


朝飯 カレーライス

昼飯 「やぶ定」の海老天麩羅蕎麦、ライス

晩飯 「コスモス」の具だくさんのサラダひとくちステーキドライマーティニ、"TIO PEPE"


 2011.1101(火) 来年のカレンダー

日光はこのところ晴天に恵まれて有り難い。店舗は安定して忙しい。忙しくても商品を切らせてはいけない。僕の思いつきにより新製品を出し、それがことのほか売れてしまったりするから、製造の社員には気の毒なところもある。

あかぎれのできた手の指3本にきのう「山口製薬」の軟膏「ハクシン」を塗り、バンドエイドを巻いた。普通のバンドエイドをしてコンピュータを使うと、ともすればその一部がキーの端を引っかけキーボードが壊れそうになったりする。その点、同じバンドエイドでも「素肌フィット」は優秀である。

地方発送の荷物のうち、箱の大きさが一定以上になるものについては、今日から来年のカレンダーを入れ始める。田舎くさい、あるは古くさいカレンダーでも「絵とか写真ばっかり大きいようなやつと違って実用的だから」と、毎年これを楽しみにしてくださっているお客様は少なくない

夜、季節料理の「和光」へ出かけると、奥の座敷には早めの忘年会をする集団がいて店内は賑やかだった。カウンターも鈴なりだったため、そのまま店を出ようとすると、常連のアキモッチャンがカウンターの端に小さな隙を作ってくれた。よってその場所にて小酌を為し、20時20分に帰宅する。


朝飯 3種のおむすび、ナメコの味噌汁

昼飯 「ふじや」の広東麺

晩飯 「和光」の突き出しの鯛の子の淡味煮と糸こんにゃくの牛肉巻き烏賊納豆牛すじ煮、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)