5時に起床して事務室へ降りる。
メイラーを回せば、この12時間にウェブショップから十数件の注文が入っている。この受注の多さも、今夜0時を過ぎれば、しばらくは落ち着くだろう。
顧客からの問い合わせに返信を書き、また、いくつもの異なる注文を下さっている顧客には、「どの注文を採用すべきか?」 との質問を送り、誤ったメイルアドレスをフォームに打ち込んで、だから当方からの 「ご注文御礼」 がバウンスしてしまっている顧客には、「次回より正しいメイルアドレスをお知らせください」 との紙の手紙を書く。
「ウェブショップは諸経費が省ける分、店売りよりも商品の価格を低く設定せよ」 とのご意見を戴いたことがある。実はウェブショップの運営には、店売りよりもずっと高い販売経費がかかる。この経費の合計が、
朝飯は、上澤梅太郎商店の 「なめこのたまり漬」、柳橋小松屋の 「あさりの佃煮」 と 「アナゴの佃煮」、タシロケンボウんちのお徳用湯波と玉子の雑炊。
始業後、社員のだれかが、「販売係のサイトウシンイチ君が、今月26日の下野新聞に載っている」 と、言う。早速その新聞を探して紙面を繰ると、第8面県北版に、「清掃活動で地域貢献」 という記事が見つかった。
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地元高校の卒業生などでつくるボランティアグループ 「塩野室イケイケボーイズ」 は二十四日、塩野室町周辺の清掃活動を行った。同グループは、世話になった地元に少しでも貢献しようと五月から清掃活動に取り組んでおり、今回で三回目。
この日はメンバー約十五人が参加し、塩野室町から県道宇都宮-船生藤原線沿いの歩道約三キロを中心に、たばこの吸い殻や紙くずなどを拾い集めた。
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「若いみぎりより休みの日に清掃活動とは、偉いなぁ」 と、思う。僕などは、たとえ休みがあったとしたら、閑居して腹這いになり、ひねもす文庫本を読んでいることを望むような人間だ。「それにしても、イケイケボーイズという名前は、誰がつけたのかなぁ?」 などということも、考える。
きのうから家族で 「日光金谷ホテル」 に宿泊をしていた友人のモモイシンタロウさんが、昼前に来社する。
モモイシンタロウさんはこの10数年のあいだ頻繁にこのホテルへ泊まり、その記録をまとめたところ、それがとても優れたものだったため、今般はホテルから宿泊券を贈られての清遊となった。
モモイシンタロウさんの家族と、家内、次男と連れだって、昼食をとるべく "Finbec Naoto" へ行く。
南からの日の差し込む清潔なテイブルにて、僕は、炙ったイカと小エビのソテーのサラダ、カボチャの冷たいポタージュ、スズキの白ワインソースと進み、ラズベリーのシャーベットとプリン、コーフィーにて締める。他の人の選んだ羊の網焼きや牛の頬肉の煮込みも、いかにも美味そうだ。
何種類かの自家製パンが好きなだけ食べられて、これで2,000円という価格が凄い。
いつも書いていることだけれど、つくづく、「フランス料理は安いよなぁ、それにくらべて、蕎麦は高いよなぁ。室町の砂場でせいろの上にはらりと蕎麦の載ったざるを3枚食ったら、ほとんどこれと同じ値段だもんなぁ」 と、考える。
昼食を終えたモモイシンタロウさんの家族は、白いジャグアーで再び日光方面へ戻った。我々も白いホンダフィットにて帰宅する。
事務室、店舗、袋詰め部門、製造現場と歩き、急ぎの商品を荷造りして閉店時間を迎える。
初更、ジャージー牛乳のヨーグルトとブドウ、「フゥ・ド・ボワ」 のクルミパンなどを摂取する。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
5時に起きて事務室へ降りる。
メイラーを回すと、「ウェブショップ開設5周年感謝プレゼント」 への応募が、極端に増えている。どこか有力な懸賞サイトへ出された登録申請が、ようやく受け入れられたのかも知れない。ウェブショップへの注文も、相変わらず多い。
きのうの日記を作成し、居間へ戻る。山は辛うじて晴れたが、しかし長くは保たないような空模様だ。
朝飯は、キュウリのぬか漬け、納豆、揚げ湯波の炊きもの、コーンビーフ、ナスの胡麻汁煮、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とミツバの味噌汁。
9月に店舗の冷蔵庫をより小さく合理的なものに交換すべく準備をしてきたが、それに伴う、大きな棚の撤去と小さな棚の設置、旧来の作業場の解消と新しい作業台の設置、照明の位置変更など、より細かい部分の整備も進んできた。
店舗のバックヤード面積を増やし、それをもって顧客へのサーヴィス向上と利益の拡大をはかる計画の実行は、これからの半年間で、徐々に進んでいくだろう。
昼前、長男と次男、隠居で2泊を過ごした来客の計4名が、杉並木公園を歩きつつ、「報徳庵」 へ向かう。彼らからの到着の連絡を受けて、僕と家内はホンダフィットにて同じ場所へ移動する。
「一升は食えるだろう?」 との僕の提案だったが、朝食の遅かった子供たちや来客の意見を容れ、五合蕎麦に、天ぷらやなめこおろしを追加した注文とする。次男が来客から蕎麦ぜんざいを分けてもらい、何度もお代わりを所望しながら、甘えきって食べている。
自由学園の東天寮へ帰るべく、長男は午後の上り特急スペーシアに乗った。来客も、それぞれの家路を辿る。
製造現場では、月曜日の仕事が増えすぎないよう、本日中にできる限りの荷造りをしてしまおうと、地方発送の受注に対処している。ごく短い時間だが、僕もそれを手伝う。
終業後、28日に行われた、そして僕は欠席をした 「本酒会」 の会報を作成する。文章については、なにも書くべきことがないと思われた直後に、突然、スラスラと完成してしまうということが少なくない。メイルアドレスを持つ会員にそれをメイルマガジンの形で送付すると共に、そのウェブペイジ版も作成してサーヴァーへ転送する。
初更、夏野菜のスープ炊き冷製、揚げ湯波の炊きもの、刺身湯波、コーンビーフとクレソン、鶏の唐揚げ、自宅で蒸して作る豆腐など、昨夕や今朝のおかずにて、泡盛 「琉球」 を飲む。
入浴して、牛乳を200CCほどと "Pisco Carel" を生で1杯だけ飲み、9時に就寝する。
5時に起床して事務室へ降りる。朝のよしなしごとをして、7時に居間へ戻る。
朝飯は、納豆、昆布とアサリの佃煮、トウガンと豚肉のスープ炊き、刺身湯波とミヅナの炊き物、ブロッコリーの胡麻マヨネーズ和え、メシ、アサリと万能ネギの味噌汁。
昨日、隠居に泊まった来客ふたりは今日、長男が案内をして、戦場ヶ原を歩くことになっている。僕も含む計4名でホンダフィットに乗り、日光街道を北上する。
日光の石造りの教会の向かいに、大きなセブンイレブンができている。ここで飲み物を買い、いろは坂を上がる。雨の続いた冷夏の今年としては、記録に残るほどの上天気の下、男体山が濃い緑の中から現れては、また消える。
道路脇の灌木が夏の葉をいっぱいにつけて、そのため遠望の利かなくなっている戦場ヶ原の縦断道路を一旦は走り抜け、湯元にて帰りのバスの時刻を調べる。赤沼茶屋まで引き返し、3名を降ろして中禅寺湖へ下る。
ギャレイジを改造したような外観の、しかし優れたパン屋 「フゥ・ド・ボワ」 にて、僕としては大量の買物をする。いろは坂を下り、日光宇都宮道路に乗って帰社する。
夕刻、次男から、「バスにて神橋前を通過中」 との連絡を受ける。「今日は日光の温泉に行くので、そのまま東武日光駅前あたりで待っていてくれ」 との返事をする。
閉店後、次男をクルマに乗せ、出発して10分で日光市内に入る。長男と来客を拾って清滝の 「やしおの湯」 へ着けば、入道雲を背にして、無数のトンボが舞っている。
7時15分に帰宅する。
ズッキーニの天ぷらと鶏の唐揚げ、生キュウリのひしお添え、カツオのたたき、ナスの胡麻汁煮、揚げ湯波の炊きもの、夏野菜のスープ炊き冷製にて、新里酒造の泡盛 「琉球」 を飲む。葛きりにて締める。
来客も含め6名で、店舗駐車場へ降りる。何万年ぶりかで地球に大接近をしているという火星が、気のせいか大きく見える。花火を打ち上げる。
「あーあ、夏ももう、おしまいだなぁ」 と、寂しさを感じる。「1年中、夏だったら良いのになぁ」 と、思う。
入浴して、牛乳を200CCほども飲む。10時に就寝する。
4時30分に起床する。
繁忙なときには特に、気が急いてじっとしていられない。即、事務室へ降りて、コンピュータが起動する前に携帯電話の着信を調べる。案の定、きのうの終業時から今朝までのあいだに、たくさんの注文が届いている。
受注は主に事務係のコマバカナエさんが、そして彼女がお休みの日には、タカハシアツコさんが行う。そして僕は、彼女たちだけでは解決のつかない問題が発生したときのみ横から出ていって、最も適当と思われる手を打つ。
「楽になったなー」 と、心底から思う。「すべての仕事が、こんな風に楽になったらなー」 と思うが、世の中は、それほど甘いものでもない。
「○月○日の○時に着荷するとの連絡を受けたが、それを◎月◎日の◎時着に変更できるだろうか?」 というようなメイルでの問い合わせに、了解の返信を送付する。「ウェブショップ開設5周年感謝プレゼント」 への応募を確認し、添えられた応募者のコメントをひとつひとつ読んだ後に、きのうの日記を作成する。
朝飯は、昆布の佃煮、アナゴの佃煮、キュウリとナスのぬか漬け、なめこのたまり漬、塩鮭、アサリの佃煮によるお茶漬け。
「らっきょうのたまり漬が値上がりする前に買っておけ」 との需要は、さすがに落ち着いてきた。注文の電話を切ると、すぐに次の電話が鳴るというようなことも、少なくなってきた。しかし製造現場では、きのうまでの受注残に対して、朝1番から4名を荷造りに振り向けてきた。
大変な速度で、山盛りの発送伝票が消化されていく。
本日は 「本酒会」 の例会日だが、高島屋東京店から届き、ウチの酒蔵に保管してある日本酒を取りに来るはずのイチモトケンイチ会長からは、いくら待っても沙汰がない。電話をすると、調子が悪くて伏せっているという。
会長に代わり、8本の冷えた日本酒と採点表を、本日の会場 「レストラン・コスモス」 へ運ぶ。同時に、カトウノマコトとコバヤシハルオの両会員に、電話にて必要事項を伝達する。
来客があったため、長男と次男も含めた5人にて、クルマで20分ほどのところにある 「東照温泉」 へ行く。いまだ明るい露天風呂に、複数種のセミの声が降り落ちて止まない。泳いで岩陰へ隠れた次男が、再び姿を現して笑う。
帰宅して、酒蔵の棚から "Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1999" を取り出す。居間へ行き、これを抜栓する。いよいよ暗くなる窓の外に、弱い雨が降っている。
ペンネとエダマメのサラダ、ホタテ貝とグリーンアスパラガスとキュウリとレタスのサラダ、トマトのマリネ、ポテトグラタン、"neu frank" の焼きソーセージ、鶏レヴァのオリーヴオイル焼きバルサミコソース、フランスパンにて、この上出来の白ワインを飲む。焙煎の強いコーフィーと、何杯かの "Pisco Carel" にて締める。
入浴して、9時30分に就寝する。
朝3時30分に目を覚ます。
久しく会っていない友人のオンダツトムさんが以前、「不意に浮かんだアイディアを書き留めるため、枕元のメモ帳は必須だ」 と言っていたことを、しばしば思い出す。僕も、アイディア以前のものだが、「あれをしなくちゃ」 「これをしなくちゃ」 ということを、寝ているときに思い出すことはある。
ただし、僕の枕頭にメモ帳の用意はない。したがって朝になれば、「前夜、なにか為すべきことに気づきはしたが、しかしその中身については憶えていない」 ということが頻発することになる。
そして今朝も、前夜、メモに残したくて残せなかった内容を、綺麗さっぱり忘れている。無理に思い出そうとしても、なにか赤い箱のような映像が浮かぶばかりで、具体的なことは、ひとつも出てこない。
事務室へ降りると、やはり、プラスティック製のカゴには発送伝票が積み重なり、乱れ箱にはいまだ、地方発送を受け付けた未処理のメモがある。この、突然に降って湧いたような需要は、いつまで続くのだろうか? いずれにしても、この反動が9月の閑散さを生むことは必至と考えられる。
ウェブショップ の注文フォームに誤ったメイルアドレスの入力される確率が10パーセント、ときには20パーセントにも達するため、同じメイルアドレスを2度入力しないと次へ進めないようシステムを改めたのは、2ヶ月ほども前のことだっただろうか。
それでも、誤ったメイルアドレスが2度打ち込まれれば、システムはそれを受け入れ、当方からお送りした 「ご注文御礼」 はバウンスしてしまう。そのような顧客に、「次回より正しいメイルアドレスをお知らせください」 との紙の手紙を書く。
夜中に届いた注文のファクシミリ1枚1枚に目を通し、きのうの日記を作成する。
朝飯は、ジャコとサンショウの佃煮、キュウリとナスのぬか漬け、アナゴの佃煮、昆布の佃煮、塩鮭、玉子とニンジンの雑炊。
製造現場に転送された顧客からの電話を受け、その内容が、事務室でなにかを確認しなくては答えようのないようなものだった場合、「それではこれから事務室へ参りますので、15秒ほどお待ちください」 と言って、社内を全速力で走る。
走るのはなにも、商人道やらお客様第一主義やら道徳観やら、そのようなものに衝き動かされてのものではない。ただ、気が短いから走るだけのことだ。
昨夕のボウリング大会の写真を紙焼きにするため、近所の写真屋へ行く。信号が青に変わるまで待てないため、地下道の階段を走って降り、走って上がる。これも、早く会社へ戻って仕事に復帰しようと考えてのものではなく、ただ気が短いから、そうするだけのことだ。
高い気温の下で走れば、当然、汗をかく。僕は、「汗をかいて気持ちが良い」 という人の気が知れない。普通、汗をかけばそれは爽快なのではなく、不快なのではないか?
シャワーを浴びて、肌に張り付いていたシャツを、乾いたものに着替える。
昼に、"neu frank" のコーンビーフを、トマトのマリネ、スクランブルドエッグと共に、3種のパンに載せて食べる。"neu frank" のコーンビーフは、缶詰のそれとくらべれば、「何か他の美味いもの」 という感じのものだ。
終業時間を迎えて、今日も地方発送の受注メモは、一部、伝票化されないままに残った。
アナゴと昆布の佃煮、きのうのボウリング大会において、長男が 「子供でもなしおとなでもなし部門」 で準優勝をして得たタシロケンボウんちの刺身湯波、塩鮭、ブリの照り焼き、ツルムラサキの鶏挽肉あんかけにて、「〆張鶴しぼりたて生原酒」 を飲む。
ツルムラサキは、土の香りが濃く立つ野菜で、小さな子供にはなかなか食べづらいシロモノだ。それにしても、今夜はじめて使う、川又和子による球形の片口は、そのこぢんまりとした寸法にもかかわらず、かなりの量の酒を飲み込んでしまうらしい。
「明日ベロンベロンに酔ったら、1ヶ月、口きかないからね」 と、家内に言われる。「ベロンベロンってのは、メシ食いながら素っ裸になっちゃうとか、そういうことだろう?」 と、返す。長男が、「どうでもいいことだよ」 と、割って入る。
入浴して牛乳を300CCほど飲み、9時に就寝する。
5時に起床して事務室へ降りる。プラスティック製のカゴから溢れそうになっている発送伝票や、乱れ箱にまとめられた未処理のメモが、大量受注の激戦を伝えている。
仕事の優先順位はメモの処理だが、それはひとまず脇へ置いて、顧客から届いたメイルでの問い合わせに返信を送る。また、きのうの日記を作成する。
7時に居間へ戻り、熱いお茶を飲む。朝飯は、3種のおにぎり。
きのうの受注メモをすべて発送伝票に作り終え、事務机の左へ置いた箱に収めたのは、昼前のことだ。それとは別に、本日受注分のメモが、事務机の右へ置いた箱に積み上がっていく。ときおり荷造りの現場へ足を運び、作業の進捗状況を見る。
メモを伝票にする作業が辛かったり面倒だったりするときには、その作業そのものを楽にするよりも、どうしたら伝票を無くすことができるだろうか? と考えた方が洒落ている。この繁忙を乗り越えたら、すこしそのあたりについて、頭を使ってみようと思う。
「*****、 オトウサン、*****?」
「はっ? おとうさんですか?」
「*****、ウメタロウさん、*****」
「上澤梅太郎商店は会社の名前で、私はウメタロウではありませんが、ウワサワです」
「*****、 ラッキョウ、*****」
「らっきょうですか?」
「*******」
僕のほとんど理解できない言葉をお使いになる北陸のお客様から、「らっきょうのたまり漬15袋を送ってくれ」 とのご注文をいただく。日本の中に、自分の理解できない言葉がたくさんあるという事実はロマンティックで、「まるで外国へ来たみてぇじゃねぇか」 と、僕を嬉しくさせる。
"PERSONAL" とは、間違いなく良いことだ。
6時20分、残業を続けるタカハシアツコさんとコマバカナエさんに、きのうと同じく恐縮をしつつ、退社する。僕と長男と次男との3人で、小雨の振る中を、春日町1丁目のボウリング大会が開かれる東洋ボウルへ行く。
老若男女というほど幅広い年齢の人たちが集まったわけではないが、それでも、異なる世代がうち揃ってワーワーキャーキャーとゲイムに興じている風景は平和で、目に心地よい。
2ゲイムをこなして、全員が仲町のコミュニティセンターへ移動をする。仕出しの鮨やオードブルによる食事会があり、また、表彰式がある。
僕はおとなの部で準優勝となり、洗剤と、タケダミッちゃんちの線香を得た。
帰宅し、参加賞の小さなおもちゃで遊ぶ次男を急かせて入浴する。牛乳を300CCほども飲み、10時すぎに就寝する。
5時に起床して事務室へ降りる。
ウェブショップのトップには、今月12日に 「ウェブショップ開設5周年感謝プレゼント」 へのリンクを設けたが、これをいよいよサーヴァーへ転送する。それと同時に、懸賞情報サイトへの登録を代行する業者のペイジを開き、フォームに必要事項を打ち込んでいく。
昨年までの4年間は、この登録の仕事を、外注SEのカトーノさんに指導してもらいながら、夜間に数時間をかけて行っていた。しかし、いくつもの懸賞サイトに何度も同じことを打ち込む単調な作業にあきれ果て、ときには眠ってしまうこともあった。
「少しのお金で済むことなら」 と、この登録代行サーヴィスを利用するようになってから、秋と春に行うプレゼント企画に費やす労力は、極端に減った。
きのうの日記を作成し、居間へ戻る。
朝飯は、チタケとナスの炒り煮、ワカメと玉ねぎの鰹節かけ、ジャコとサンショウの佃煮、トマトサラダ、納豆、メシ、車麩と万能ネギの味噌汁。
あらためて食卓に目を向けた家内が、「なんだか今日は、おかず、少ないね」 と言う。しかし、これだけあれば充分だし、なにより、ワカメと玉ねぎの鰹節かけは、僕の好物だ。
9時前から、地方発送の注文電話が鳴り始める。ここ数日中で、最もその出足は早い。
ご注文をメモに残し、荷造りの現場へ回す発送伝票を1枚つくるあいだに、3件の注文が入る。つまり、メモばかりが目の前に山を成すことになる。その山も、僕と、事務係のタカハシアツコさんとコマバカナエさんの机上に、積み上がる。別途、社長の机上にも、小さな山ができる。
社員が交代でとる昼食の時間には特に忙しく、12時からの30分で、タカハシアツコさんは1枚の発送伝票も作成することはできなかったと言う、つまりは、電話が鳴りっぱなしだったということだ。
午後に入っても、その勢いは衰えない。そしてウェブショップもまた、例外ではない。
家内が社員に恐縮をしつつ、次男を連れて、「おどるポケモンひみつ基地」 「ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 七夜の願い星 ジラーチ」 という、次男にしか記憶のできない名の映画を観に出かける。
「らっきょうのたまり漬」 の価格改定のお知らせは、お客様に対する責任と義務を果たすためにお送りしたものだが、それが 「値上がり前に買っておけ」 という需要を喚起し、年末のギフトシーズンをはるかに超える注文をもたらしている。
終業時間まで必死に発送伝票を作成し、それでも未処理のメモは、いまだうずたかい。
残業をするタカハシアツコさんとコマバカナエさんに、僕も家内と同じく恐縮をしつつ、退社する。長男とホンダフィットに乗り、宇都宮を目指す。
県庁前のマロニエの並木道にて、映画館を出た家内と次男を迎える。そのまま来た道を引き返して、30分後、先日、"Casa Lingo" にて当方の昼飯代金を支払ってくれたオバサンへの義理を返すべく、「大昌園」 へ滑り込む。
モヤシナムル、オイキムチ、ハクサイキムチ、レヴァ刺し、タン塩、コブクロ、ホルモン、カルビにて、焼酎 「田苑」 を、オンザロックスにして飲む。コブクロ、ミノ、カルビをお代わりし、テグタンラーメンにて締める。
長男がひとり加わっただけで、僕と家内と次男の3人で来るときの倍近くになった支払いを済ませ、店を出る。
帰宅して入浴し、"GLEN ROSA" を生で1杯飲む。その後に牛乳をすこし飲み、9時30分に就寝する。
5時に起床する。
先週の木曜日に階段室から撤去したドラム缶半分ほどの本が、いまだ廊下の台車に乗ったままになっている。これをエレヴェイターで1階へ降ろし、別の台車に載せ替えて、荷造り場へ運ぶ。業務用結束機の電源を入れ、それが温まるまで、サイズ別に本をまとめる。
本にひもをかける作業は、30分ほどで終わった。束ねた本は廃棄物処理業者へ渡すこととして、専用の場所へ置く。事務室へ入り、ウェブショップ の受注を確認する。自分が運営するpatioにいくつかの返信を送り、きのうの日記を作成する。
自宅へ戻って洗面所の窓を開けると、入道雲が出ている。しかしながら空の青さは不十分で、季節感は薄い。7月の下旬、ウチの店舗駐車場で町内のラジオ体操が行われていたことが、いまではずいぶんと以前のことのように思われる。
朝飯は、キュウリのぬか漬け、ナスの油炒め鶏挽肉だしかけ、ユキナのおひたし、納豆、カレイの塩焼き、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁。
パリパリに焼けたカレイの皮を箸で開くと、フワフワの白い身から湯気が立つ。エンガワのところは背びれの骨ごと口へ入れて、バリバリとかみ砕く。その脂で舌を包み、メシと一緒に咀嚼する。味噌汁を飲み、キュウリのぬか漬けを食べる。
長男と次男は今日も、松原公園にある市営プールへ向かった。僕は 「らっきょうのたまり漬」 が値上げされる前の駆け込み需要による繁忙から、今年の夏は、泳ぐことなくやり過ごすことになりそうだ。
それだけ忙しくても、DMの作成と発送に費やした経費を、極端に利の薄い 「らっきょうのたまり漬」 の粗利を以て、8月中に取り返すことができるかどうかは疑問だ。
ヒグラシが鳴き始めるころ、山にはチタケが出る。昼、今市市沢又地区のサイトウトシコさんが持参してくれたチタケとナスにてつゆを作り、すり胡麻、キュウリとミョウガの千切りを用意して、冷たい稲庭うどんを食べる。この伝統的なつゆによるうどんはずいぶんと食べてきたが、今日のものが、第一等に美味い。
多分、こういう種類の美味さは、その道の名店へ行っても、味わえないものと思われる。以前も書いたことだが、外食とは、美味いものを食べるというよりも、僕にとっては、ピクニックとしての色合いが強い。家にいても、美味いものは食える。
5時ころから激しい夕立が降り始め、それが途切れながらも7時ちかくまで続く。夕刻、家族でちかくの温泉へ行こうとしていたが、家内も僕も仕事が長引いたため、その計画は取りやめにする。
7時から、春日町1丁目公民館へ、役員のちょっとした集まりのために行く。8時に帰宅して、カスピ海ヨーグルトとスイカを摂取する。
入浴して枕元に散らばる活字を拾い読みし、10時30分に就寝する。
何かの用事で、板橋まで行くことになった。板橋へ行く前に、目白へ寄った。両者の位置は、ヨセミテのエルキャピタンの頂上に目白があり、そのふもとに板橋がある、というような関係にあった。
僕は目白の、夏の光にさらされて白く乾いた駐車場からエレヴェイターに乗った。道草を食う悪癖から、行き先ボタンは 「2階」 を押した。扉が開くとそこは空中で、僕の眼下には、いまだ数百メートルの空間があった。「閉」 ボタンを押し、「1階」 ボタンを押す。
次に扉が開くと、ようやく僕は、板橋のどこかにあるマーケットにいた。トンネルのような通路に足を踏み入れると、素晴らしい飲屋街がある。大勢の酔っぱらいが安い酒を飲み、モツ焼や冷や奴やエダマメを食べている。彼らの話し声が、トンネルの中に反響している。
すかさず僕が "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" を取り出して電源を入れると、ズイーッとせり出したレンズを見て、ひとりの酔っぱらいが、「オレのこと、撮ってもいいよ」 と言った。
トンネルを抜けると、夜の街があった。弱い雨に濡れたアスファルトが、黒く光っている。大きな道の重なり具合から、いつのまにか自分が、市ヶ谷曙橋へ来てしまったことを知る。
夢は、そこで終わった。
事務室へ降り、朝のよしなしごとをして、1時間30分後に居間へ戻る。山は今日も晴れた。
朝飯は、ツナとトマトとキュウリのサラダ、キュウリのぬか漬け、納豆、焼き茄子の冷やしだしかけ、厚揚げ豆腐とオクラの煮びたし、メシ、ユキナの味噌汁。
2日間の代休を終えて出社した事務係のタカハシアツコさんに、仕事の優先順位を伝える。同じく事務係のコマバカナエさんは、「らっきょうのたまり漬」 の価格改定を知らせるDMの投函によってにわかに増えた、ウェブショップの注文処理に取りかかる。9時を過ぎれば電話が鳴り始めるため、それまでの1時間を、おろそかにすることはできない。
昼前、ホンダフィットに家内と乗り、松原公園の市営プールで、今朝10時から泳いでいた長男と次男を迎える。そのまま大谷川の右岸を走り、日光の ""Asian Garden" へおもむく。チャナマメと羊のカレー、ホウレンソウとジャガイモのカレー、玉子のカレー、巨大なナンなどを注文する。
僕のホウレンソウとジャガイモのカレーは舌にとてもなめらかで、1980年の2月、カルカッタのオベロイグランドにある料理屋の、まるでクリームシチューのようだったカレーを思い出す。まったく辛くはないのに、たちまち汗が噴き出して、首筋を伝う。
「インドのカレーって、やっぱ、辛いんすか?」 という質問は、「日本人って、みんな坊主頭で出っ歯でメガネをかけて、首からカメラ提げて歩いてんすか?」 という質問と同じくナンセンスだ。
夕刻から地方発送の注文電話はパタリと止まったが、受注高は今週の最高値を記録して終業時間を迎える。
先日、久世光彦がどこかに、「毎年、8月15日と11月3日は雲一つない晴天と相場が決まっているのに、氷雨の終戦記念日とは、今年はどうしたことだろう」 というようなことを書いていた。二十三夜祭が行われる8月23日には、毎年決まって激しい夕立に見舞われるが、今日の空はうんともすんとも言わず、昼と同じ蒸し暑さが続いている。
家族4人で、日光街道と 例弊使 街道との分岐点にある、追分地蔵尊へ行く。1束50円の線香を2束買い、次男にその半分を渡す。次男が巨大な地蔵に線香を供える。あたりには線香の煙が充満して、目も開けていられないほどに煙たい。
僕は次男に、「煙、頭に塗れ」 と、言う。それを受けて次男が、盛んに自分の頭へ、線香の煙をかき集める。
屋台の並ぶ、杉並木の街道へ入る。ビンゴの会場はまるで、昭和29年、力道山とシャープ兄弟の試合を街頭テレビに見物しようと群衆のおしかけた、新橋駅頭のような賑わいだ。
昨年はディズニーランドのパスポートを当てた福引きで、今年はトイレットペイパーばかりを引き当てる。
次男が、会場の最深部で行われている、サッカーゴールの所定の位置にボールを蹴りこむゲイムがしたいと言う。かなり長い時間を、順番待ちに費やす。あたりは今夜のこのゲイムについて、早くから聞き及んでいた中学生たちが、サッカーシューズを履いて参集している。
次男はまぁ、どうということもない、親からすれば、甘えがちとか飽き性とかわがままといった、ちと心配なところもある普通の小学2年生だが、この、だぶだぶのサッカーユニフォームを着て、手首や足首にたくさんのミサンガを巻き、携帯電話をチャカチャカいじっている集団に混じって、物怖じもせずゲイムに参加をするという無邪気さには、大いに感心をする。
「人間はその生涯中、オギャーと生まれた瞬間にこそ、最も優れている」 というのが僕の持論だ。人は齢を重ねるに従って、「失敗して恥をかいたらどうしよう」 とか、「メンツがつぶされたら腹立たしい」 などという情けない弱気が、得てしてアカのように身に張り付いてくる。
次男は結局、与えられた4発すべてを外し、残念賞のポカリスエット1本を得た。
帰宅して、屋台で買い求めた品を食卓へ並べる。ポテトフライ、焼きそば、焼き鳥、こればかりは自家製のキュウリのぬか漬けにて、焼酎 「白金乃露」 を飲む。小倉町婦人会によるオデンが存外に美味いため、また焼酎も底を突いたため、飲むものを 「〆張鶴しぼりたて生原酒」 に替える。
入浴して本は読まず、9時30分に就寝する。
5時30分に起床する。
きのう階段室から、捨てるべき本をドラム缶に半分ほども撤去した際、大量のCDが入ったカゴを発見した。その中から
僕は、いわゆる綺麗な音楽というものを好まない。綺麗な音楽とは、退屈な音楽だ。僕は、カッコイイ音楽が好きだ。歌舞伎でいえば 「三人吉三」 のような、あざとさが過ぎるほどの粋なリズムやフレイズが好きだ。
リー・モーガンの 「キャンディ」 は、高校のころ、新宿の "Disc union" で視聴して以来、好きになった曲だが、このアルバムを自分が持っていることは、すっかり失念をしていた。
「ピアノ、えれぇ渋いけど、誰だ?」 と思い、ジャケットを見ると、ソニー・クラークの名前があった。「クール・ストラッティンか」 と、回路がつながる。
ウェブショップの受注を確認し、きのうの日記を作成する。
山は晴れた。朝飯は、キュウリのぬか漬け、はれまのやさい、納豆、ソーセージとピーマンの油炒め、厚揚げ豆腐とオクラの煮びたし、塩鮭、メシ、ユキナの味噌汁。
「らっきょうのたまり漬」 の価格改定については、プリンターの故障により、お知らせのDMを何度かに分けて送付せざるを得なかった。しかし、それも今となっては怪我の功名にて、「今月中なら、いままでのお値段で買えるのね?」 という問い合わせの電話も、常時お話し中になるほどの混乱はなく、なめらかな受注が続いている。
昼飯は本日の暑さを受けて、僕の好きな、鶏挽肉の澄んだ冷スープによる稲庭うどんとする。
長男とサイトウトシコさんはきのうから、隠居の掃除に取りかかった。夏草は門から玄関まで裾を汚さずに達することができないほどに繁り、室内も、クモの巣やホコリがひどいという。
僕のようなグータラが陣中見舞いに行っても役に立つことはないが、とりあえず様子を見に行くと、室内ではバルサンが焚かれ、サイトウトシコさんは 「6時までやるから」 と、草刈りの鎌を休めない。長男は庭で小休止をしているところで、次男はサッカーのボールを蹴っていた。
夕刻、母屋に帰った長男に、家内が館内電話にて、「魚はどうするの?」 と、訊いている。「え? イタリア風?」 と、確認している家内の声を聞いて、安心をする。僕は魚はひとひねりしてある料理が好きで、だから刺身や塩焼きよりは、干したり発酵させたりソースで調理をしたものの方が有り難い。
パンを買いに行く係は僕が引き受けて、終業後、小倉町の道路拡張で移転した 「さわやパン屋」 が開いた新店 「パパン」 にて、クロワッサンを求める。
帰って、冷蔵庫から取り出した "Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1999 " を、のどの渇きに任せて水のように飲むと酔いすぎるため、我慢をして少しずつ口へ入れる。
ヤリイカのオリーヴオイル焼き、トマトのマリネ、軽くあぶったクロワッサンとニンニクパン、イナダのオリーヴオイル焼きバルサミコソース、ナスとピーマンの素焼き。
酔いが回ると、皿の上でいろいろな創作活動をしてみたりする。ヤリイカの腹にトマトのマリネを、なにかの中毒患者のような執拗さを以て詰め込む。ナイフで輪切りにして食べると、これがなかなかに美味い。
そのあたりで止めておけば良いものを、別の器にて、"Williams pear brandy" を、生で1杯のみ飲む。
いつの間にか眠ってしまった体をようやく起こし、入浴して、9時30分に就寝する。
朝5時に起きて事務室へ降りる。
きのう "neu frank" へ送った問い合わせへの返信が、「遅くなりまして申し訳ございません」 とのただし書きつきで届いている。「遅くなりまして」 などと、恐縮をすることはない。名刺にメイルアドレスを印刷し、だから当方はメイルにて問い合わせをして、しかしそれに対して返事を書くことは永久にないという輩が、世の中に掃いて捨てるほど存在する。
パンフレットの請求をウェブショップのフォームから送っていらっしゃった顧客に礼状を送り、会社のpatioにその投函をうながす文章を転載する。他の問い合わせにも、ご案内をお送りする。きのうの日記を作成し、居間へ戻る。
朝飯は、ハスとニンジンの炒りつけ胡麻風味、昆布の佃煮、キュウリのぬか漬け、納豆、トマトの炒り卵、ナスの炒りつけ、ホウレンソウのおひたし、メシ、豆腐とワカメとミツバの味噌汁。
午前中、8月17日にご来店の上、地方発送をお申し込みになったお客様から、「荷物は出してくれたのか?」 との電話が入る。一旦電話を切り、発送伝票の束を調べると、これは翌々日の19日に出荷されている。しかし、「間違いなく出ています」 だけでは、説明としては不十分だ。
ヤマト運輸の荷物追跡システムに荷札の番号を打ち込んでみると、「ただいま混み合っておりますので、しばらくしてもう一度お問い合わせ下さい」 との表示が出て、これが数時間を経ても復旧しない。
とりあえず顧客には、「間違いなく、19日に出荷されています」 とのお知らせをする。
午後、"neu frank" の 「おすすめ」 に従って、メイルで発注をする。30分以内に、手書きの受注確認書が送られてくる。「明神水産」 へは、ブラウザから発注をする。すかさずメイラーに、自動送信された確認書が届く。その4時間後に、はるばる高知から納期を知らせる電話が入る。
「みんな、まじめに商売やってんだなぁ」 と、感心をする。もっとも僕は、担当者の反応が素早いか、あるいはシステムが上手く動作するウェブショップからしか、物は買わない。
地面に、いままで見たことのない綺麗な蛾が休んでいる。クルマトンボがいる。その尻尾に鼻先を付けるようにして、アカトンボもいる。アカトンボの羽が、かなり傷んでいる。
「もう、秋なんだなぁ」 と思ったすぐ後に、怪しげな風が吹き始める。気温が急に低くなる。間もなく、雷が鳴り始める。ポツリポツリと、夕立の前触れが来る。長いあいだ慣れ親しんだ感覚が、ようやくの梅雨明けを僕に知らせている。
日没のころ、北西の山際に、夕焼けの淡い色が広がった。「明日はさすがに晴れるだろう」 と、予想をする。
何ヶ月も前から、家内は 「ウナギが食べたい、ウナギが食べたい」 と言い続けてきた。「今日こそは」 と思い立って、近所の鰻屋 「魚登久」 へ行く。
焼酎 「黒馬」 を、生で飲む。冷やし焼き茄子、うざく、ときて、鰻丼の上を食べつつ、更に焼酎を飲みすすむ。
この店では僕は、「上」 が限界だ。一度 「特上」 を注文して、ラーメン屋でも通用しそうなほどの大きな丼の、メシとメシのあいだに埋め込まれた、またメシの上に載せられた蒲焼きの量に、往生をしたことがある。
美味いウナギを食べ終え、靴を履きつつ店主のアイガ君に話しかける。
「看板、見たけど、『うなぎの寝床』 ってバー、始めたんだね」
「バーたって、ここのカウンターで、土日に夜12時までやるだけですから」
「いやぁ、だけど大したもんだよ」
「だってここの通りに1軒くらい、灯りが点いてなきゃ、寂しいでしょ?」
確かに夜の灯りほど、人の心を安心させるものはない。田舎や、あまり文明の届かない国、あるいは物騒な物陰をひとりで旅した人間は、特にそのことを理解する。
帰宅して入浴し、"GLEN ROSA" を生で1杯飲む。その後に牛乳を300CCほども飲み、10時に就寝する。
3時30分に起床して事務室へ降りる。なにやかやと気ぜわしい。
「らっきょうのたまり漬」 の価格改定については、顧客にハガキにでもそのお知らせをお送りするが、タックシールの印刷をするキャノンのバブルジェットプリンターが、数日前、50音順にソートされた顧客のカ行をプリントしている最中に突然、止まった。
このプリンターは、購入して10年ほどになる。数年前からスイッチを入れても起動しない不具合がたびたび発生したため、修理に出すと、「ご指摘の症状は認められませんでした」 とのただし書きつきで、戻されてきた。
ところがその後も相変わらず、電源はやはり、時によって入ったり入らなかったりを繰り返した。僕はそれをだましだましやり過ごしてきたが、今回ばかりは、何日放っておいても、揺らしても叩いても、復旧しない。
今朝も空しい試行錯誤をしてみたが、古いプリンターは、うんともすんとも言わない。価格改定は9月1日からのことにて、このままボンヤリしているわけにはいかない。こうなれば、きのうキャノンに要請をしたサーヴィスマンが、本日、奇跡を起こしてくれるのを待つのみだ。
ハガキは、とにかく名字がカ行のお客様のみには、数日前に投函された。そのため、「値上げ前にらっきょうのたまり漬を買っておこう」 との駆け込み需要が高くなっている。きのうは事務係のコマバカナエさんが残業をした。今朝も、ウェブショップへの注文は多い。
その受注は、事務係が出社してからの仕事として残し、顧客からメイルで送られた問い合わせにのみ、返信をつける。
きのうの日記を作成したところでシャッターを上げると、街には深い霧がある。配達されている新聞を開くと、「気象庁迷走、梅雨明けは無かった?」 との文字が見える。「だからオレが言ったじゃねぇか」 と、思う。
午前中、キャノンのサーヴィスマンが来る。彼がプリンターを裏返し、そしてまた表を出して机上へ置くと、電源は、あっけなく入った。「この時を逃すな!」 とばかりに、そそくさとコンピュータをつなぐ。店舗から販売係のクロサワセイコさんを呼び、印刷されるタックシールがもつれないよう取り出す作業を依頼する。
古いプリンターは遂に、ワ行最後のお客様までを印刷して止まった。
昼に家内と次男を伴って、"Casa Lingo" へ行く。おとなふたり分のランチセットと、次男のために鶏カレー風味の小さなピッツァを取る。サラダは内容が豊富で目に楽しい。スパゲティに載ったエビのフリットが美味い。
と、そこに、石釜を担当しているオニーチャンが来て、「カウンターで食事をされていた大昌園の奥さんが、こちらの代金はお支払いになりました」 と、言う。焼肉の大昌園は、このイタリア料理屋と道をはさんだはす向かいにある。
「7月の末以来、野外で2度の焼肉大会をしてはいるけれど、長男がいるうちに、つまり大量の肉が食えるうちに、一発、大昌園に行っとかなきゃいけねぇな」 と、思う。
夕刻、国立市の優れたソーセージ屋 "neu frank" に、現在のおすすめ品を訊ねるメイルを送る。「明神水産」 を偵察し、「早く注文しなきゃ」 と、思う。
本日は断酒をすることとして、ジャージー牛乳のヨーグルトとバナナを摂取する。
9時ちかくになって、ここ数日間を鎌倉や東京で過ごしていた長男が帰宅する。長男は、羽仁もと子の著作 「教育三十年」 を携えていた。「オレはその歳には、吉行淳之介だったけどなぁ」 と、思う。
9時30分に就寝する。
0時30分に目を覚ましたとき、「この時間に起きてするにふさわしい仕事はあるだろうか?」 と、考える。来月の1日から、原材料にらっきょうを用いたすべての商品を、2割ほど値上げする件に思いが至る。即、起床して事務室へ降りる。
ウェブペイジの制作や更新は、scratch & build を繰り返しながら成熟させていく。一発勝負に失敗したら最初からやり直し、というたぐいの作業ではない。そのため、雑事に忙しい日中でもできないことはない。しかし、せっかくの早い目覚めを僥倖として、価格改定の予告を、ウェブショップの5個所に設置する。
ここまで終わって、しかし時刻はいまだ2時を回ったに過ぎない。きのうの日記を作成し、顧客からの問い合わせに返信を送り、ここで3時になる。メイルをくれた友人知人への返信を、いくつも書きかけたままに保存して、ここで4時。
周囲が寝静まっている時刻にいかがなものか? とは思ったが、階段室の床に残る本の整理におもむく。
床の本を本棚へ納めるためには、床の本を選別し、また、床から本棚へ移す本のために、現在、本棚にある本の一部を、社員用の本棚へ移す必要がある。
「この作家の本は、すべて自分の本棚に残す」
「この作家の本は、これとこれを残して、あとは社員用の本棚に移す」
「この作家の本は、すべて社員用の本棚に移す」
「この作家の本、および雑誌は捨てる」
という4つの選択を以て、ようやく床が、綺麗になり始める。
そのような作業の最中に、僕が1985年秋、自由学園の 「男子部開学50周年記念の集い」 というものに参加したことを示す本や冊子を見つける。これを居間へ運び、最初に開いてみるのは、やはり最高学部の学生による季刊誌 「自由人」 だ。
現在、自由学園の優秀な教師のひとりが在学中に書いた文章の、ある映画に感動し、「すごい」 を連発して、女友達に 「それしか言わないのね」 と呆れられる一節などはいわゆる 「めっけもん」 だが、僕の目が吸い寄せられ、そして 「これはすげぇや」 と感心をしたのは、僕より7年後輩のワタナベヤスシという学生の書いた、「エイプリルフール」 という小品だった。
自分と姉とを中心とした情景が淡々と綴られていくこの文章は、静かで美しく、紗がかかったように懐かしい。 目の前にその風景が映像として浮かぶ優れた描写、直接話法の見事さと絶妙の改行、行間にただよう姉と弟との友情。狂言回しのように用いられるのは、Sam Cooke が歌う "Nothing Can Change This Love" だ。
ほとんど自由学園の生徒とその親、教師しか買わないような小さな媒体に埋もれさせておくには、いかにも惜しい文章に触れた僕は、「これはほとんど、小津じゃねぇか」 と、興奮した。
「これは第一級の文章だ。コイツ、今、なにやってんだ?」 と、卒業生名簿を開くと、そこには、日本経済新聞社という勤務先と、ニューヨークの住所があった。
夕刻、台車に乗せたドラム缶半分ほどの本を、社員用休憩室まで運ぶ。それを、販売係のヤマダカオリさんとケンモクマリさんが、本棚へ納める。ここへ至ってようやく、もう1本の新しい本棚が必要なことを認識する。
終業後、霧雨よりも弱い雨の中を自転車に乗って、「和光」 への道を辿る。
相変わらず同級生のアキモッチャンが、カウンターの左端で飲んでいる。普段であれば本を読むため僕は右端に離れて座るが、今日はそこに先客がいる。アキモッチャンの隣の椅子に腰を下ろし、ふたりで世間話を始める。
あずけてある焼酎 「吉四六」 を、オンザロックスにする。突き出しは、サトイモを含むオデンだった。
先に飲み始めていたアキモッチャンが店を出る。そろそろ読み終えそうな、「なんだか・おかしな・人たち」 を開く。この店の焼き物は丁寧に処理されるため、できあがるまでに時間がかかる。油揚げ焼きと、すぐにできるイカ納豆を、同時に頼む。
そのイカ納豆を食べながら、山本嘉次郎による 「徳川夢声アル中人生の泣き笑い」 を読む。続けて、その徳川夢声による 「獅子文六行状記」 を読む。
目の前に、油揚げ焼きが運ばれる。普通のものにくらべて厚さで2倍、面積で1.5倍というその大きさに圧倒されるが、しつこい味のものではないため、これをぺろりと平らげる。
オカミが奥の入れ込みのお客に、「よろしかったら、タバスコ、使ってください」 と言いつつ、何かを運んで行った。すこし経って、「あれ、ホタテのバター焼き?」 と訊くと、「そう」 との返事がある。
「オレもそれ」 と注文をすると、「ゴメン、今ので無くなっちゃったのよ」 と、申し訳なさそうにオカミは答え、代わりに、カブとキャベツとキュウリの漬物を出してくれた。
次の、高橋義孝による 「実説 百閒記」 までは読まずに、今夜の飲酒を切り上げる。飲み代はきのうの 「市之蔵」 と同じく2,000円だった。「そんなに安いの?」 と訊くと、「だって、今日はボトル、入れてないし」 と、言われる。
帰宅すると、いまだ7時30分だった。その後の記憶は無い。
3時30分に起床し、事務室へ降りる。
普段は真っ先にコンピュータを起動し、ウェブショップの受注を確認するところだが、今朝は先ず社員休憩所への階段を上がり、きのう、とりあえずはその大きさのみによって本棚へ仕分けした本を、著者別、内容別に並べ替える。作業は、30分ほどで終わった。
きのうの日記を作成した後にメイラーを回すと、「丑や」 のヤスダケンイチロウさんから、なめこおろしそばについての解説と、3枚の画像が届いている。早速にこれを 「たまり漬を使ったメニュ」 に掲載し、サーヴァーへ転送する。
ヤスダさんは別途、フォトアルバムの方でも、器や箸置きまでを新調をして、その作り方を紹介してくださっている。この見やすさは、凝り性ということもあるだろうが、商品の紹介の仕方を日ごろから心得ている者のみにできる技、という気がしないでもない。いずれにしても、有り難いことだ。
朝飯は、柳橋 「小松屋」 の昆布佃煮も加えた3種のおにぎり。
お盆の繁忙、とはいえ、今年は雨続きでそれほど忙しくもなかったが、これを過ぎて、販売係と事務係は一斉に夏休みを取り始めた。そのため今日は人員が不足し、あちらこちらの部署に呼ばれる。
午後、「どうも今日は、疲れるな」 と感じたのは、この、あちらへ行ったりこちらへ来たりに加えて、昼飯にラーメンふじやで、味噌スープに豆板醤を溶かし込んだ 「カミナリ」 を食べたことによる、胃部への血液の集中に伴う脳の酸素欠乏が重なってのものではないか? と、考える。
昼飯は、本来であれば軽くサンドウィッチをつまむ程度にしておいた方が体には良さそうだが、しかし午後3時以降の空腹を考えれば、それも気のすすまない選択だ。
夕刻にメイラーを回すと、12年ほどのつきあいになるオザワテツヤさんから、メイルが届いている。今般、自分のペイジが Yahoo! にカテゴリー登録されたとたん、あちらこちらで紹介をされ始めたらしく、いままで1日に100ほどだったアクセスが、きのうはその10倍、今日は20倍を越える勢いだと、その文章は伝えている。
オザワさんのペイジには、この清閑PERSONALからもリンクを張っているが、今回、Yahoo! に登録をされたのは、初めはそのペイジのコンテンツのひとつに過ぎなかった、「中古マンション+リフォームという選択」 の方だと思う。
このペイジを訪ねて、また、そのもっとも新しい 「テーブル物語」 という文章を読むにつけ、「ペイジの魅力は、実生活というアナログな部分の質の高さと経験の量によって、つくられるんだな」 ということを、強く感じる。
もちろん、技術と想像力のみによる優れたペイジもあるが、それはそれ、何ごとにも例外は存在する。
オザワさんのメイルは、「この嬉しさを伝えて理解してくれるのは、私の妻と清閑さん以外にはいないので、メールをさしあげる次第です」 と、結ばれている。「 『妻と清閑以外にはいない』 ってこたぁねぇだろう」 と、思う。
今日は夕刻より、ソーダで割った酒の飲みたい気分がしていた。終業後に 「市之蔵」 を訪ね、あずけてある泡盛 「瑞穂」 を、ソーダ割りにする。
「頼まなくても出てくるもの」 の初っぱなは、鶏肉、ウズラ玉子、ギンナン、タケノコ、マッシュルームの中華風と、キュウリとワカメの酢の物だった。キュウリは、カトウサダオさんが自家菜園から持ち込んだものだが、これがまるでゴーヤのように大きい。しかしこの皮を剥き、身を薄切りにすると、とても美味い。
近ごろは、年輩の女の人でも、食材に工夫を加えない例が、ずいぶんと増えたように感じる。固いと言っては捨て、酸っぱいと言っては捨て、泥が付いていると言っては捨て、さばくのが面倒だと言っては捨てる。工夫次第で目を見張るように美味くなる食材は、いくらでもある。それがゴミになるのは、情けないことだ。
「頼まなくても出てくるもの」 の二番手は、塩鮭の大根おろし和えと、マグロの山かけだった。泡盛を早期に生へ切り替えようとするが、ソーダ割りののどごしはしごく良く、これを止めることができない。
泡盛のソーダ割りを飲み続けつつ、「しかし、酒を水やソーダで割るってのは、不真面目だよな」 と、思う。もちろん、僕もハイボールの美味さは知っているし、ウイスキーを水で割れば、生のときより香りが際だつことも知っている。それにしても、どうにもお酒は、生で飲まないと卑怯なように、僕は感じる。
その卑怯さというものの説明を、僕の比喩に乗せてここに書くことはできる。しかしそれを頭の中で反芻してみれば、酒場の隅で男友達とひそひそ語るには適していても、ここに公開すれば世間に後ろ指を指されることになるやも知れず、やはり割愛をする。
サンマの塩焼きは、自ら注文をする。やはり自ら注文をした 梅肉キュウリにて締め、勘定を訊ねると、今日も2,000円だ。
「そりゃ、安すぎるだろう」 と思えば、3,000円を置けば良さそうなものだが、サイフの中には1万円札が1枚と、千円札がちょうと2枚しか無いということを無言の言い訳にして、言い値どおりの2,000円を支払う。
その代わりと言っては何だが、9月はじめに会社の宴会を予約する。
帰宅して入浴し、"GLEN ROSA" を生で1杯飲んでも、いまだ8時にはならない。枕元へ本を運び、しかしそれをほとんど読まないまま、多分、8時10分ころに就寝する。
5時30分に起床して事務室へ降りる。よしなしごとをして、7時に居間へ戻る。
朝飯は、ホウレンソウの油炒め、炒り豆腐、納豆、塩鮭、ナスのゴマ和え、キュウリのぬか漬け、豆腐の卵とじ、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
階段室に散乱する本については、ちょうど1年ほど前に古書店のあるじを呼んで見てもらったところ、「ほとんどが、買える本です」 と、言われた。しかしながら、古書店が買える本とは、僕が売りたくない本と、ほとんどイクォールに違いない。
そこで僕は、手放したくない本のみを残し、どうせ二束三文の値しかつかない本は捨ててしまおうと考えた。ところが、そのことを聞き及んだ販売係のヤマダカオリさんが、「捨てるくらいなら自分が読むから貸してくれ」 と、言いに来た。
僕は、社員休憩所のちかくに本棚をしつらえて、そこに大方の本を移すことを決めた。そしてきのう、販売係のサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君が、僕がホームセンターで買ってきた本棚を組み立てた。
朝、「散逸させたくない本」 「未読の本」 以外の本を、廊下に置いた台車に乗せる。自分で買った憶えは無く、しかし、「こんな本、社員用の本棚にも置く気はしねぇよ」 という本は捨てることとして、段ボール箱にまとめる。
小一時間を経て、台車の本の量は、ほとんどドラム缶からはみ出すほどのものになった。
「果たしてこれが、1本の本棚に収まるだろうか?」 と心配しつつ社員休憩所まで台車を押していくと、幸いなことに小さなスティールの棚が、物陰に忘れ去られたようにしてある。これを水洗いして雑巾で拭き、予備の本棚とする。
僕はカレーライスを、ほとんど食べない。理由は、これが酒に合わないからだ。だったら昼に食べれば良さそうなものだが、昼には麺類を食べることが多い。なぜか今日は朝飯の直後から無性にカレーライスが食べたくなったため、昼飯はこれにしてくれるよう、家内に頼んでおいた。
昼前に次男が、ナスや玉ねぎやトマトを炒めたらしい。ニンジンを炊き込んだメシに大量の野菜を含むルーをかけ、およそ半年ぶりのカレーライスを食べる。
商家の子供は得てして、週末や長い休みに行楽へ出かける勤め人の家族を見てうらやましがるものだとは、何十年も前から聞くことだが、次男はそういう比較のできる年齢に達していないからか、あるいは自らの環境の中で興味のおもむくままに過ごしているからか、ほとんど家のまわりでのみ夏休みを送りつつも、「楽しい、楽しい」 と、笑っている。
今日も、ふと気づくと、店舗裏の流し台を掃除する販売係のイシオカミワさんの隣で、指先からヒジまでを石けんの泡だらけにして遊んでいる。
国鉄今市駅でトラックの荷台に満載した荷物の上に、製造係のヒラノショウイチさんと腹這いになって、大声で騒ぎながら会社まで帰ってきたことが、振り返ってみれば、僕の子供のときの最も楽しい思い出だ。
次男がおとなになったら、やはり小学2年生の夏休みのあれこれを、その風景と共に、懐かしく追憶するのだろうか。
夕刻、販売係のヤマダカオリさんとトチギチカさんが、台車の本を本棚へ移す。今日のところは時間も無いことから、とりあえずは本の大きさによってのみ、仕分けをする。
綺麗に整った本棚を見てひと息つくが、しかし階段室には処理しなくてはいけない本が、まだまだたくさん残されている。
気が進まず延ばし延ばしにしてきた仕事は、勢いがついたところで、一気に片づけてしまうことが肝要だ。明日も、残す本、移す本、捨てる本を選別し、ごく早い時期に、階段室を歩行可能にしようと考える。
8月は断酒の計画が遅れている。今日を今月4度目の断酒日として、メロンと牛乳を摂取する。
入浴して 「なんだか・おかしな・人たち」 を読み、9時30分に就寝する。
午後、玄関前で線香を焚き、仏壇の飾りを焼いて、略式の送り火とする。
1974年の今日、僕は京都にいた。夜の空には、大文字の送り火があった。河原町通りは、ひどく渋滞をしていた。大垣まで帰る同級生の女の子を、なんとか電車に乗せなくてはならないところだったが、空車のタクシーは、1台も見つからなかった。
男の同級生の誰かが、当時、1学年上のツヅキハジメ君の家に、トラックを出してくれないか? と、電話をした。どうしてトラックかといえば、ツヅキハジメ君の家が、パン屋の進々堂だったからだ。返事は、「トラックはあっても、運転のできるものがいない」 というものだった。
そうこうするうちに、ようやく1台のタクシーが我々の前に停まった。何人かの女の子が、そのタクシーに収まった。同級生の男たちは、彼女たちを京都駅で見送るんだと、渋滞をノロノロ進むタクシーに平行して、河原町通りを南に走った。
僕は、京都駅までタクシーで行けることになった人間を見送るために、どうして、よりによって昼の熱気の残る街を走らなければならないのかが、分からなかった。そのころも今も、僕は不合理なことが好きではない。
彼らに背を向けた僕は北へ歩き、河原町通りを四条から上がって数本目の路地を東へ入ったラーメン屋でタンメンを食べ、 白乾児 を飲んだ。このラーメン屋の名前は忘れたが、そこを出て寄ったジャズ喫茶の名前は 「蝶類図鑑」 で、これはよく憶えている。
僕はその数日前から、同級生のフカミカズヒロ君の家にやっかいになっていた。フカミカズヒロ君の家の近くには 「南禅寺」 も 「瓢亭」 もあったが、ラヴホテルもあった。
深更、男の同級生たちと戻ってきたフカミカズヒロ君は、台所に大量の温かいかやく飯を発見した。この晩の、生玉子をぶっかけて食ったかやく飯の美味さを、僕は生涯、忘れることはないだろう。
きのうまで、ツヅキハジメ君の家にやっかいになっていた長男が、午後、およそ2週間半ぶりに帰宅した。ツヅキハジメ君の12歳の長男が今年、自由学園に入学したとき、寮の室長は、17歳の僕の長男が務めた。
1974年の夏から、29年のとしつきが流れた。今夜の京都は、晴れるだろうか?
8月16日は、僕の誕生日だ。僕が 「食いたい、食いたい」 と言っていたものが、晩飯の食卓に運ばれる。
マカロニとエダマメのサラダ、タコのバター炒め、マグロの薄切りオリーヴオイルとバルサミコかけ。
ガーリックトースト、トマトのマリネ。これで作ったブルスケッタは、僕がこれまで食べてきたブルスケッタの中で、第一等に美味かった。トマトは、どこかの農家からもらったものだろうか。
オリーヴオイルでフワフワにソテーし、バルサミコを振った鶏レヴァも、とても美味い。「簡単な料理なのになぁ、これを出してくれるイタリア料理屋って、ねぇかなぁ。でも、ウチで食えるんだから、まぁいいか」 と、思う。
今夜のメシはどれもこれも美味いが、難を言えば量が少ない。「もっと食いてぇなぁ」 と、思う。気がつけば、いつもはビンの半分ほどを飲めば充分な "Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1999" を、その1.5倍ほどもこなしている。
次男がテューブ入りのチョコレイトでアチャーモを描き、そして失敗したチーズケーキを有り難く食べ、長男が京都から持ち帰った 「村上開新堂」 のクッキーで締める。
入浴して "GLEN ROSA" を生で1杯だけ飲み、10時に就寝する。
ここ1週間ほど、雨は夜のみ降って朝方には止んでいたが、きのうは夕方まで降り続いていた。そして今朝は、更に強い雨が降っている。
天気など、自分の意のままにならないことに一喜一憂するのはナンセンスで、そういう環境には左右されずに、あるいはそういう環境を逆手に取って利益を得よ、という行動学がある。雨が続く中で儲けるにはどうするか? 雨が降った日だけ、傘屋に商売替えをしてしまおうか? まさか、そういうわけにもいかない。
5時に起床して事務室へ降りる。
荷物嫌いの僕が外出をするとき、ネオプレインのケイスに収まった "Minolta DiMAGE X" は、かさばらないよう 「丑や」 の皮ケイスへ納める。その 「丑や」 のヤスダケンイチロウさんが、ウチのなめこのたまり漬を買ってくださった上、それで蕎麦を作り、"Photo Highway Japan"のアルバムに、その画像まで載せてくださった。
「革ケイスを作るのが上手な人は、蕎麦を作るのも上手なんだな。要は、神経の問題なんだな」 と、思う。この 「なめこおろしそば」 はいずれ、ウェブショップの 「たまり漬を使ったメニュ」 に、掲載のお願いをすることになるだろう。
朝飯は、塩鮭、ウズラ豆、キュウリのぬか漬け、納豆、オクラとナスの胡麻和え、ラタトゥイユ、モロヘイヤのたたき、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁。
天気は相変わらず良くないが、10時を過ぎればお陰様にて、客足も繁くなる。ただ、お盆のために準備をした数千枚の地図入りウチワを配れないのは残念だ。寒ささえ感じる雨の日のウチワ配りは、炎天下にカイロを手渡すことと同じく、間抜けな行為だろう。
夕刻、グランテトラの水筒に焼酎 「白金乃露」 を満たす。1980年にカルカッタのバザールで購った、唇に怪我をしそうなほどに粗悪なホーローのコップを用意する。
終業後、先月末に続いて 「癒しのキムチ」 から届けられた計3キロの肉や内臓をホンダフィットに積み、たかだかクルマで3分の距離にある、大谷川オートキャンプ場へ行く。
赤松林に清流のせせらぎが聞こえる一角に、近所のユザワクニヒロさん一家は何日も前から泊まっている。ここに今夜は合流をし、晩飯を食べることにしていた。タープ張り、椅子や什器の準備、火おこしなど、面倒なことはすべて先方まかせで、当方は肉を持ち込むだけなのだから、楽で楽で仕方がない。
最も高級な折り畳み椅子を与えられた僕は、せめてもの恩返しとして、肉焼き係を務める。メンバーは、おとな5人に子供が4人だ。先ずは子供の腹を満たすべく、次から次へとタン塩を焼く。合いの手にバラを焼き、ツラミへ移り、やがてシマチョウを網に載せる。
同時に焼いた熱いサツマイモを食べるため、子供たちに子供用の軍手が渡される。それを子供たちは競って、それぞれの手にはめる。大きなことではなく、ちょっとしたことこそが、甘い夢のようにいつまでも思い出に残るものだということを、僕は知っている。
長男が京都から東京を目指して乗った鈍行は、熱海の手前まで来て、往路と同じく大雨の中で停車中らしい。「停車中」 ということは、「いつ動き出すか分からない」 ということだ。
子供たちがペグと小槌を使って、溝と穴を掘っている。雨水をテントまで誘導するのだという。それを聞いて僕は、「素晴らしいですねー」 と、言う。
8時30分に、ユザワクニヒロさん一家のタープを出て、家路を辿る。まばらな雨が降っている。それ以降の記憶は無い。
起きて5時30分に事務室へ降りる。これからの4日間で大いに品物を売ろうと考えているその初日に、雨が降っている。景気の悪さに拍車をかけるような、今夏の長梅雨だ。今月はじめの梅雨明け宣言などは、気象庁が便宜上、出したものではないか? 実際には、梅雨は明けていないように感じられる。
5時43分に電話が鳴る。常識はずれの時間に鳴る電話を不気味がる人もいるが、僕は、「こんな時間に電話をしてくる人って、どんな人?」 という興味から、留守番電話のテイプが回り始める前に、素早く受話器を取る。
「お店、何時からですか?」 遠慮も逡巡もない、晴朗な声が聞こえてくる。
「8時15分からでございます」
「あ、そうですか、ありがとうございます」
このお客様はことによると、留守番電話に開店時間が録音されているかも知れないと、5時43分にもかかわらず、電話を下さったのかも知れない。しかしそれにしては、僕の応答に驚く気配はなかった。いずれにしても、有り難いことだ。雨は徐々に、弱まりつつある。
朝飯は、ナスとシシトウの油炒め、ラタトゥイユ、茹でたオクラのかつおぶしかけ、納豆、キュウリとナスのぬか漬け、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
家内がメイルで知ったところによれば、長男は京都へ移動して、現在、賀茂川と高野川がYの字に合流する、つまり下鴨のあたりにいるという。「ずいぶんと良いところにいるなぁ、オレも京都で、酒を飲んで遊びてぇなぁ」 と、思う。
「飲み屋と本さえあれば、世界のどこへも行けなくていいや。あ、でも、バンコックの 中華街 で、近藤紘一の 『ヘッドライン』 は読みてぇな。そんときゃ肴は豚のコブクロの 鹵味 だろう。 米酒 は雑貨屋で買って、屋台へ持ち込めばいいや。仕上げはバミーヘンか、それともバミーナムか?」 と、あてのないことを考える。
「どこに泊まろう? まさか、"The Sukhothai" からゴム草履で出ていくわけにはいかねぇだろう、第一、ヤワラーまで歩いちゃ行けねぇし」 というところまで、妄想はふくらむ。
それから、「そういえば最近、ツバメの姿を見ただろうか? みんな、ホーチミンやバンコックやペナンに帰っちゃったんじゃねぇか?」 と、すこし現実に戻って考える。
8月の14、15、16日は、世間がお盆休みにもかかわらず仕事に来てくれる社員のために、昼食は会社が出前によっておふるまいをする。この昼食において、「どの店から」 「何を取り寄せるか」 は社員が決めるが、なにしろそのほとんどが20歳代のため、3日が3日とも洋食屋、そして3日が3日とも、そのメニュはハンバーグステーキになった。
「今日は 『金長』 のハンバーグかメンチカツ」 という選択肢に僕も便乗して、ハンバーグを選ぶ。そして、「やっぱり金長のハンバーグは美味ぇなぁ」 と、思う。
事務室、店舗、袋詰め部門、製造現場、店舗駐車場と、あちらこちらを回って終業時間を迎える。
燈刻、テレビから流れているアニメイションの主題歌をとらえた次男が、「『ブルーな気持ち、すぐ晴れる』 って、どういう意味?」 と、訊く。「イヤに思っていることが、頭の中からサーッと無くなることだよ」 と、答える。
「だいたい、分かった」 と、次男が言う。「そう、大体のところが分かっただけで、大したもんだよ。ことばなんてのは最初っから、大体のところしか分かんねぇようにできてるんだから」 と答えつつ、「いや、数字だろうが現物だろうが、人はそれから大体のことしか理解しないし、あるいはその理解の結果も、人の数だけ存在するんだわな」 と、腹の中で思う。
ナス、マイタケ、ミョウガ、エビの天ぷら、なめこのたまり漬、キュウリのぬか漬けにて、焼酎 「白金乃露」 を飲む。
入浴後、"GLEN ROSA" を生で1杯だけ飲む。「なんだか・おかしな・人たち」 をすこし読んで、9時に就寝する。
めでたく深夜に目を覚ますことができたら、顧客名簿の更新をしようと考えていたが、2時に目が開いたため、ゆっくりと身支度をして事務室へ降りる。
顧客名簿の更新とは、無論、コンピュータを使ってすることだが、頻繁に電話が鳴ったり、人が訪ねてきたり、あるいは社員が何かの指示を求めてくる昼間には行えない性質の、細密さの求められる仕事だ。
1時間をかけて作業を終えた後は、コンピュータが動くに任せ、やがて停まるのを待つだけの30分間を過ごす。そのあいだ、「なんだか・おかしな・人たち」 を読む。
この本は、21人の画家や作家、映画監督や学者が、他人からすればちと風変わりな自らを、あるいは近しい人を語ったものだが、あたかも章は、東郷青児が大正10年に25歳で渡欧した際に遭遇した、不思議な、時には不気味な体験を語った 「ヘソのない女」 にさしかかった。
僕は文章は読むそばから忘れてしまうが、シンガポールに上陸中の彼を襲う、茄子色の肌を持つ雲つくような大女については、初めてこの本を読んだ12年前から、ずっと憶えていた。
「僕の前に立ちはだかると、僕の顔が彼女のヘソを舐めることになる。膝の高さが僕の胸より高い、キリンといわれている滅亡一歩手前の種族なんだよ」 というくだりを読みながら、「んなこと、あるわけねぇじゃねぇか」 と思いつつも、しかしこの白髪三千丈式の昔話は興味深い。
これほど面白い本が絶版で、つまらないあれやこれやがベストセラーになるのだから、世の中は分からない。
しかし、ベストセラーを次々と読み、そのつど感動し、周囲に吹聴し意見し、そしてまた次の流行りものに触れて感心する人の方が、漱石の 「硝子戸の中」 などを、その古紙の匂いを楽しみながらいじくりまわしている人間よりも、ずっと金儲けが上手なことは確かだ。
きのうの日記を作成し、居間へ戻る。
朝飯は、豆モヤシとニンジンの油炒め、ハムとホウレンソウの油炒め、ツナとキュウリのサラダ、ナスとキュウリのぬか漬け、納豆、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁。
夕刻、壁に掛けるための輪をその裏側にしつらえられた木の箱から、提灯を取り出す。次男と手をつなぎ、如来寺へおもむく。小さな子供の手を引いて街を歩く気分には、格別のものがある。
道ばたで涼んでいる老人が、「大したもんだ。むかしはみんな、あぁやってお迎えに行ったもんだが」 と、独りごとを言う。
お墓へ達すれば、今朝、花入れに投げ込んだ花は、この涼しさもあって、まったくしおれてはいなかった。
ロウソクに灯をともす。そのロウソクの火を、提灯のロウソクへ移す。提灯を次男にあずけて、帰り道を辿る。途中で火を消したら、またお墓へ戻らなくてはいけない。気をつけつつ帰宅すれば、玄関の暗がりに提灯の明かりが浮かび上がる。
持ち帰った火を無事に仏壇のロウソクへ移し、今日の仕事を終える。線香の匂いの残る手で、カスピ海ヨーグルト、ガーリックトースト、モモを摂取する。
酒を飲んだわけでもないのに、今朝の早起きがたたってか、ひどく眠い。パンツ1枚でベッドへ潜り込んで眠ってしまう。僕と同じくパンツ1枚になった次男が笑い声を上げながら同じベッドへ入ってきて、遂に僕は目を覚ます。
入浴してなにも飲まず、8時30分に就寝する。
目を覚ますと、背中に違和感がある。手で探ると、そこに1冊の文庫本があった。灯りを点け、2時という現在時刻を確かめる。寝ぼけた頭で 「なんだか・おかしな・人たち」 読むのはもったいないため、そのあたりにある週刊誌を拾い読みする。
3時になっても眠気は訪れない。起床して事務室へ降りる。
すんなりとは受注できない性質のご注文をウェブショップから下さったお客様に、きのう問い合わせのメイルをお送りしたが、その返事が届いている。即、次の作業に入る。別のお客様から、質問のメイルが入っている。これに、ご返事をお送りする。
お盆を過ぎたら始める 「ウェブショップ開設5周年感謝プレゼント」 のペイジを整え、またトップにも、そこまでのリンクを設置する。もちろん、プレゼント企画の開始まで、このペイジをサーヴァーへ転送することはしない。
きのうの日記を作成しても、始業まではいまだ3時間の余裕がある。居間へ戻り、熱いお茶を飲みながら、 「なんだか・おかしな・人たち」 を読む。
午前中、柳橋小松屋の店主、アキモトオサムさんを差出人とする残暑見舞いが、僕あてに届く。箱の上に、「ふる里の、米で味わう江戸の旬」 という筆書きの川柳がある。古風な厚紙による箱のフタを開けると、一と口あなご、手むきあさり、しらす山椒、昆布佃煮が、粋な曲げ物に入ってあらわれた。
「佃煮などなくても、生きていくに困らない」 との僕の思いをくつがえしたのは、実にこの小松屋の佃煮だ。僕は3年前、「清閑PERSONAL」 のコンテンツのひとつ "GOURMET" に、その感激をしたためた。明晩は小松屋の佃煮を肴に、久しぶりに日本酒を飲もうと考える。
数日前、次男が観察をしているトウモロコシに、虫が発生した。アブラムシではなさそうだが、しかし害虫には違いない。仄聞するところによれば、この手の虫の駆除には、タバコのヤニが有効だという。早速、オヤジの灰皿から吸い殻を10本つまみ出し、これを空き缶に入れて水を満たす。
終業後、ゴム草履をはいて 「和光」 へおもむく。ひと雨来そうな涼しさに、入口の引き戸が開け放ってある。カウンターの四角い椅子に腰掛け、あずけてある焼酎 「吉四六」 を、オンザロックスにて飲み始める。
突き出しは、ちくわと糸こんにゃくのオデンだった。僕はオデン屋へ行って、しかしオデンを食わないことが多々ある。別段、オデンが嫌いなわけではない。キヌカツギやシメサバ、ミツバのおひたしやハマグリの天ぷらなどを食べているうちに、腹がきつくなってしまうだけのことだ。
鮨屋へ行って鮨を食わないことと同じく、これは少しく嫌みな行為だろうか? と、ここまで書いて僕は、蕎麦屋へ行って、やはり蕎麦を食わずに帰ることもあったことを思い出す。
マカロニサラダ、サーモンの粕漬けと続いて、今夕の飲酒を締める。
帰宅すると、時計はきのうと同じく7時50分を指している。入浴して、"GLEN ROSA" を生で1杯だけ飲む。
「なんだか・おかしな・人たち」 を少し読み、8時30分に就寝する。
これまで書いた1,074日分の日記中随一の涼やかな文章は、2000年9月1日の 「夏の匂い」 だ。初めて書いた文章がもっとも上手とは、面白おかしい。
美しい文章を書くための条件とは何か? そのひとつは、画像を廃することだ。画像があればそれに甘えて表現は甘くなり、また文字の数も増える。だったらこの日記から画像を無くしてしまえば良いかといえば、それも難しい。
長男は台風の日に広島入りし、めでたくふたりの同級生と待ち合わせて、一緒に晩飯を食べたという。翌日は、自由学園が夏休みに全国5ヶ所で開く教育説明会の、広島の部に出席をした。長男は7月に宇都宮でこのつとめを果たしたが、広島には広島の担当がいるため、今回は楽に過ごしたのではないだろうか。
その後、長男は呉に移動した。より早く 「第一阿房列車」 を見つけ、これも予備の路銀と共に送ることができれば良かったのにと、後悔をする。なによりこの本には、「鹿児島阿房列車 前章 尾ノ道 呉線 広島 博多」 の章がある。
午後、数日前に家内に渡した、「晩飯に、こういうものが食いたいんだよね」 という一覧表を、窓辺の籐椅子にて読み返す。8月に、この中のどれだけを、食べることができるだろう。
「なんだか・おかしな・人たち」 を12年ぶりに開こうとして、しかし、同じカウンターに座ったカトウサダオさんが、趣味で丹精をしている山や畑の冷夏における状況について話し、僕も、次男が夏休みに観察をしているトウモロコシが、この3週間でまったく育たないことなどを説明して、つまり、本を読むことはできない。
泡盛をオンザロックスから生に切り替え、メニュにはないマグロ納豆を所望する。目の前に出てきたそれをかき混ぜ口へ運べば、使われているマグロは上出来の中トロにて、なにやらもったいなく感じる。
締めとして頼んだ塩焼きのサンマは細身のもので、「いまの太く大きなサンマは、むかしのサンマを知る者にとってはサンマではない。これは一体、どこで捕れたものか?」 と、その姿を疎んだ、山本夏彦の随筆を思い出す。
「オレが学園の寮にいたときは晩飯にサンマの塩焼きが出たけど、今はどうなんだろう? 長男が夏休みのうちに、サンマの塩焼きを1回は、食わせてやらなきゃいけねぇなぁ」 と、考える。
勘定を頼むと、「2,000円です」 と、安い方にべらぼうな価格を告げられる。「2,000円?」 と、訊き直す。「そうよ」 と言われたため、2枚の千円札を置いて店を出る。
帰宅すると7時50分だった。シャワーを浴び、牛乳を360CC飲んで、8時15分に就寝する。
3時50分に目を覚まして洗面所へ行くと、北西の空が、山の稜線が見えるほどに明るくなっている。夏至からひと月半ほども過ぎた今の朝4時は夜と同じと思っていたが、晴れればそうでもないらしい。
嬉しくなって屋上へ上がると、東の空には既にして夜明けの気配があった。
6時すぎ、家内と次男との3人にて、お墓掃除に行く。7時すぎに自宅へ戻る。
朝飯は、キュウリのぬか漬け、塩鮭、茎ワカメの薄味煮、なめこのたまり漬のスクランブルドエッグ、ナスとシシトウの油炒め、納豆、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁。
日光の山は、すっかり夏の色を取り戻した。
夕刻、ポンポンと花火が上がって、今夜の盆踊り大会の開会を報せる。日光街道を閉鎖して行われるこのお祭りを、ここ数年は見に行っていなかった。今年は家族につきあうこととして、外へ出る。
いまだ空は暮れきらず、見物人もまばらだが、露店だけは、その準備を終えている。
ポテトフライの好きな次男が、レストラン 「コスモス」 前に出た店で、ガーリック味のポテトフライを買う。
たこ焼きの露店がある。僕は、美味いものを好む関西の人が、どうしてお好み焼きやたこ焼きのようなものに熱中するのかが分からない。そのまま通り過ぎようとして、バットのイイダコに目が留まる。
「なに? イイダコ?」 僕はおでん屋の鍋にイイダコやツブ貝を発見すると、これを頼まずにはいられない。「イイダコのたこ焼きなら、買うか。それにしても露天商も、研究開発だわなぁ」 と、思う。
鹿沼信用金庫脇に設けられたやぐらで、お囃子と歌の始まる気配がする。やがて、踊りの列がどっと繰り出す。どこからか来た集団が、盆踊りではない踊りを披露する。たちまち人垣ができて、なにも見えなくなる。
次男が、先端にポケットモンスターのキャラクターを付けた光る棒を欲しがる。キャラクターが異なるだけで、本体は10歳年長の長男がこの手のものを欲しがったむかしと、なにも変わってはいない。
どのキャラクターを買ってもらうべきか、次男は迷いに迷う。露天商のオヤジが、「ぜんぶ買ってもらっちゃいな」 などと、軽口を叩く。次男は結局、アチャーモを選んだ。
事務係のコマバカナエさんと、包装係のツカグチミツエさんに遭遇する。製造係のマキシマトモカズ君、販売係のサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君にも遭遇する。
焼きそばの露店がある。通り過ぎようとして、山盛りのキクラゲに目が留まる。僕は中華料理屋のメニュにキクラゲ炒めを発見すると、これを頼まずにはいられない。「キクラゲ入りの焼きそばなら、買うか。それにしても露天商も、研究開発だわなぁ」 と、思う。
社員用出入り口から社屋に入ると、ようやく着替えを終えたらしい販売係のイシオカミワさんとサイトウエリコさんが、休憩所から降りてくるところだった。
若くて盆踊りへ行く人は偉い。僕などはもっぱら、お囃子と歌を遠くに聞きながら、ひとりで酒を飲み、本を読んでいたものだ。
居間へ戻り、キクラゲ入りの焼きそばとイイダコのたこ焼き、ナスとキュウリのぬか漬けにて、焼酎 「白金乃露」 を飲む。スイカに手を伸ばした記憶のないまま、畳の上で寝てしまう。
瀬戸内海の小島には、この1年のあいだに亡くなった人の写真を背負って踊る盆踊りが、ほんの少し前までは残っていたという。娯楽よりも鎮魂に重きを置いた盆踊り。その話しを聞いたとき、僕はなぜか、香港の小島で行われた葬式に題を求めた、藤原新也の小品を思い出した。あの文章の題は、なんといっただろうか。
9時に目覚めて入浴し、牛乳を360CCほど飲んで就寝する。
5時に目を覚ますと、ザーザーと雨の降る音がする。「竜二 映画に賭けた33歳の生涯」 を読み終えたところで居間へ移動し、テレビの台風速報を見ると、いまだその中心部は、中部地方にあった。
事務室へ降りてよしなしごとを為し、1時間30分後に居間へ戻る。今日は自由学園の同学会の用事で明日館へ行くことにしていたが、中止をすることに決める。
朝飯は、なめこのたまり漬、モロヘイヤのたたき、キュウリのぬか漬け、ナスとピーマンの油炒め、トウガンと豚肉のスープ煮、塩鮭、納豆、メシ、アサリと万能ネギの味噌汁。
店舗駐車場の一角に、モミジの木がある。その枝が何本も折れて地面に散乱している。雨は止んだ。大きな枝は僕が片づけ、小さな枝や葉や樹皮は、販売係の数名に掃いてもらう。
ふたたび雨が強くなる。その一瞬後にはピタリと止んで、空が明るくなる。そしてまた、土砂降りがやってくる。
土曜日とあってか、このような天気でも、お陰様にてお客様の数は多い。特に雨足が強くなったときには、レインコートを着た販売係が傘を持ち、クルマからお降りになるお客様に、開いた傘をお渡しする。
夕刻、「日本クラシックカークラブ」 から届いた "CCCJ NEWS LETTER No.14 August 2003" を開く。文字は後からゆっくり読むこととして、「インタークラブヒストリックカーレース」 というペイジまで進むと、「20余年前の富士スピードウェイでの競技の記録をご覧ください」 という見出しが目に留まる。
順位表に、僕の名前を見つける。日付は1980年の3月30日。この日、僕は "RILEY GAMECOCK 1932" を操縦して、30分のあいだにサーキットを7周している。平均周回時間は3分5秒。平均時速は85キロ。
当時の "RILEY" は、オーヴァーヘッドではないものの、1100CC程度の直列4気筒に2本のカムシャフトを装備したエンジンを持つ、なかなか先進的なクルマだった。ボディは英国を絵に描いたような無骨さだったが、エンジンは強健で、僕が振り回す限り、破綻することはなかった。
今、このクルマは、お医者の奥さんの愛車として、日本のどこかのギャレイジに収まっているはずだ。
トウガンと豚肉のスープ煮、生のトマト、冷や奴にて、焼酎 「白金乃露」 を飲む。キュウリとハクサイのキムチ、カルビ、石焼きビビンバにて、更に焼酎を飲み進む。
焼かれる前に見たカルビは網目のような脂が細かく入った極上品だったが、上等すぎる牛肉はノドの奥にしつこさを感じて、僕はほんの少ししか食べることはできない。今夜はこの肉を、2枚だけ食べた。
階段室に、長男に上げたいと考えていた本を探す。なにしろ本が散乱というよりは堆肥のように積み重なっているため、なかなか目指すものが見つからない。ようやく、
堀田善衛は自著 「インドで考えたこと」 で、横尾忠則は同じく 「インドへ」 の中で、自らインドを訪ねながら、しかし現地のメシの食えないことを、恥ずかしげもなく書いている。「こういう人間は信用できない」 とまでは言わないが、僕からすれば、考えられない人たちだ。
その軟弱ぶりに比しての、辺見庸の肝の据わった取材ぶりはどうか? 彼はバングラデシュの残飯市場に臆せず足を運び、饐えた混ぜ飯を手づかみで食べる。野蛮性を伴う知性は、翼を持った虎と同じだ。
「日はまた昇る」 は文句なしにかっこいい小説で、読む者を陶然とさせる。鉄道紀行の書き手で僕が最も好きなのは宮脇俊三、2番目は内田百閒、そして3番目はいない。
「なんだか・おかしな・人たち」 は、木村義雄による佐藤垢石のゴシップから、大宅壮一の筆になる出口王仁三郎の行状記まで、おかしな人物21人が自ら語り、あるいは語られた本だが、この手のものを少年期に読むと、その後、人はまともに育たないということを、僕は身を以て知っている。
これだけは長男に渡さず、発掘できたことを僥倖として、自分がまた読もうと考える。
入浴して、アラン島のピュアモルト "GLEN ROSA" を生で1杯飲み、9時30分に就寝する。
朝5時30分に起床する。夜半に降り始めた雨は上がりつつあるが、霧はいまだ晴れない。
家内が、「長男がどこまで進んだか、電話をしてみようか?」 と言う。「そういう旅の気分を削ぐようなことは、止めた方が良い」 と、答える。「だったらメイルは?」 と訊くので、「メイルも同じだよ」 と、答える。
便利さと旅の楽しさとは、相反することが多い。だったら不便さと旅の楽しさは一致するのか? と訊かれれば、それも難しい。楽が過ぎればつまらなく、不便がつのれば辛い。それはさておき、僕はこの年になっても、安逸な旅行を馬鹿にするところがある。
朝飯は、茎ワカメの薄味煮、インゲンのバター炒め、塩鮭、トウガンと豚肉のスープ煮、焼いた厚揚げ豆腐とミツバ、キュウリのぬか漬け、メシ、ナスの天ぷらとミョウガの味噌汁。
「たまり漬を使ったメニュ」 のペイジに、お客様から寄せられた 「お味噌汁で食べる麺」 を掲載する。「たまり漬を使ったメニュ」 ではなく、「味噌を使ったメニュ」 だが、それほどこだわらないことにする。お客様に、お礼と共に、粗品のお送り先を伺うメイルを書く。
空は相変わらず晴れないが、気温だけは上がって、濡れた店舗駐車場が見る間に乾いていく。
次男が、学校から持ち帰ったトウモロコシとエダマメの観察日記をつけている。配布された記入用のプリントには 「大きくなったね」 との太ゴシックの文字があるが、夏休みに入って以来、トウモロコシの大きさはほとんど変わらず、エダマメに至っては、豆を失ったサヤが枯れて、茶色くねじれている。
梅雨は明けず、夏の青空と入道雲が輝く前に、既にして秋を思わせる大型の台風が発生した。
昼前、長男から家内の携帯電話にメイルが入る。本日の午前0時すぎに横浜駅を発った長男は、大雨のため静岡で7時間の足止めを食い、いまだ豊橋にいるという。友人と落ち合うことになっている広島には、今日中に到着しなくてはいけない。京都まではこのまま鈍行に乗り、そこから先は予定を変更して、新幹線を使うらしい。
「いくらかお金を送ろうか?」 という家内の返信に、長男は 「足りるとは思うが、だったら念のため、すこし頼む」 との答えを送ってくる。
「幾らくらい、送る?」 家内が僕に訊ねる。
「5千円くらい?」
「なに言ってんの、私なんて、5万円くらい送ってやろうかと思ったわよ」
「5万あれば、バンコックまで行けるよ」
寒空の下、ひとりの若い男が屋根づたいに走って、生家に火事を報せに来る。それは、火消しになりたくて勘当されたひとり息子だった。大店のおかみはその半纏1枚の姿を哀れんで、箪笥の引き出しごと着物を投げ与えようとする。この、圓生による 「火事息子」 の一場面を、僕は思い出す。実際に、家内が幾らの送金をするのかは知らない。
昼に熱い塩ラーメンを食べても、汗は一滴もかかない。もちろん、冷房もかけてはいない。
雲は夕刻まで、遂に切れ目を見せなかった。南西の山が霧によって、濃く薄く、その色を変えている。
1週間に2回、つまり1ヶ月に8回の断酒をするところ、7月には9回の断酒をした。「だから8月は、7回の断酒で済むだろうか?」 ということを考えないでもないが、とりあえず本日の断酒を決め、カスピ海ヨーグルトとバナナを摂取する。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
0時に目が覚める。すぐに寝入って次に気づくと、1時30分になっている。本を読もうとしたが、それほどの気力はない。闇の中で眠らず静かに横たわり、次に時計を見ると、1時間が経っていた。
一昨日、御茶ノ水のあるビルのウインドウで、ずっと探していたものを見つけた。僕はそれを頭に刻みつけたつもりで、例によってすぐに忘れた。そして珍しく今、ふたたび記憶の底からそのことが浮かび上がってきた。昨夕、酒を抜いたこととは、無関係だと思う。
「あれは使えるなぁ。あれをあそこへ持ち込んで、オレの口で説明をして。しかし彼は理解できるだろうか? 理解してくれたら、どこかで探してもらって、いくつかのモデルを作成してもらって、MOに保存してもらって・・・」
と、既にはっきりと目覚めた頭で、作業の順を追う。「もらって」 「もらって」 と重ねると、いかにも人に依存しているように見えるが、僕に頼まれたことをするのが相手の仕事なのだから、どうということもない。
昨夜の就寝が8時30分だったことを考えれば、いま起床をしても、睡眠は十分に足りている。即、着替えて事務室へ降りる。検索エンジンを回し、今朝の思いつきを形にするための情報を集める。それに目鼻がついて後、きのうの日記を作成する。
7時を回って自宅へ戻り、はじめて街に霧が深いことを知る。「しょうがねぇな、いつまでも」 と、思う。ひどく腹が減っている。
朝飯は、茎ワカメの薄味煮、塩鮭、水ナスのぬか漬け、ホウレンソウのおひたし、ナスの炒りつけ、オクラの炊き物、納豆、メシ、豆腐とワカメとミツバの味噌汁。
家内と共に事務室へ降りてきた次男を伴い、社内にある石油タンクを見に行く。石油が漏れだしたときの安全策として設けられた予備槽に水が溜まり、ボウフラが湧いている。「これが蚊の子どもなんだ」 と教え、水面に油を張ると、尻からの呼吸ができなくなって死ぬことを伝える。
次に、顧客用駐車場とはいえ、ほとんど一般のクルマは近づかない一角にいつの間にかできた、蜂の巣を見に行く。ミツバチの子は栄養が豊富と聞くが、ここにうごめいているのは黒く細身の蜂で、ミツバチではない。
長男はこの3日間、三浦海岸でのマネジメントゲームに参加をしていた。燈刻、家内の携帯電話に長男から、「湯島天神下の 『大喜』 にて夕食を済ませ、いま甘木庵に帰着した」 旨のメイルが入る。
長男は今夜おそくに横浜へ移動し、0時すぎの列車にて広島を目指す。持っている切符は青春18切符だが、インドで35時間の鉄道旅行をした僕でさえ、直角の座席で15時間を過ごすことは、高校生のときにも避けたに違いない。
銀座の 「ルパン」 でオイルサーディンを注文すると、器には盛らず、缶のフタを開けた状態のまま目の前に置かれる。そのことを思い出して、先日、缶入りのサーディンをひとつ買い求めた。
ルパンスタイルのオイルサーディンを肴に、焼酎 「白金乃露」 を飲む。
イカのつけ焼き、イサキの塩焼き、ナスとインゲンとサツマイモの天ぷら、生のトマトと茹でたオクラ、キュウリのぬか漬け、トウガンと豚肉のスープ煮にて、更に焼酎を飲み進む。
サーディンを食べ終えた缶に満ちている油を見て、「このまま捨てるのは、もったいねぇな」 と、考える。その油にトマトを沈め、オクラを載せて塩を振ってみると、これがなかなかに美味い。
カツオのたたきを食べ終えた、しかしいまだポン酢と薬味のたっぷり残る皿に豆腐のおでんを投入して食べさせるのが 「おぐ羅」 の流儀だが、食べ終えたオイルサーディンの缶に野菜をディップして食べるもの、これに似て優れた廃物利用だ。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
朝3時30分に、家内に起こされる。今朝は4時から5時のあいだに、会社に電気を取り込んでいる電柱の工事がある。1時間の停電の後、ふたたび通電の際には、これに立ち会う義務がある。
事務室へ降り、外へ出る。工事用車両は既にして、ゴンドラを安定させるための補助脚を地面に広げ、子どもが好む合体おもちゃのように、闇の中にうずくまっていた。
電波時計とは異なってあてにはならない携帯電話のディスプレイが、3時58分を示している。ギリギリを好み、つまらない博打や冒険をするのが、僕の悪い癖だ。途中で停電をしたら1時間、中に閉じこめられることになるエレヴェイターに乗って、自室へ戻る。
その1分後から、停電に入る。
5時すこし前に現場へ戻ると、工事用車両はその任務を終え、ゴンドラを無音で下げつつあるところだった。関電工の人が、社内にある高圧変電施設の動作を確認する。頭も神経も体も使わず、ただ早起きをしさえすれば良いという、僕の今朝一番の仕事を終える。
きのうの日記を作成し、メイルによる顧客からの問い合わせに、返信を書いて送る。
朝飯は、インゲンのゴマ和え、トマトとツナのサラダ、ナスの油炒め、水ナスのぬか漬け、ハクサイキムチ、五目おこわ、ダイコンの味噌汁。
登校日を迎えた次男は七夕の飾りを持って、普段と同じ時間に小学校へ向かった。
どうもいまひとつ、暑さに覇気がない。米は不作を喧伝されているが、兼業農家の社員に訊ねれば、「そう心配はしていない」 との返事が戻る。しかしながら、たまり漬の原材料になる夏野菜のできはどうなのだろう? 一体に、地下にできる作物は気候の影響を受けづらいが、地上に成るものは、割合に敏感なものだ。
昼前に、次男が帰宅する。「癒しのキムチ」 から取り寄せた冷麺のスープにて、冷たい素麺を作る。
刻みキュウリと焼豚の他に、「なめこのたまり漬を載せたらどうか?」 と、家内が言う。「もったいないからいいよ」 と答えると、「もったいない、もったいないって、食べない方がもっともったいないでしょう」 と、家内が焼豚の上にそれを載せる。
まぁ、載せると載せないでは、載せた方が美味い。ただし 「なめこのたまり漬」 は、鳥挽肉で取った、もっと淡泊な味わいのスープにこそ似合うだろう。
1時前に、次男の同級生サユリちゃんが遊びに来る。サユリちゃんが、「今日は4時半までしかいられない」 と言う。「4時半までなら、3時間半も遊べるよ」 と、僕は答える。
時計の読み方がいまひとつおぼつかない次男にサユリちゃんは、5分の刻みと1分の刻みについて教えてくれた。しかし早く遊びたい次男は気もそぞろで、説明に対する相づちも途切れがちだ。
火曜日としては多めの売上げを上げて、終業時間を迎える。多めと思った売上げも、昨年の記録を見れば、それで当たり前だということが分かる。お盆には、なんとか快晴の暑い日が来てくれることを望む。
今朝5時前の停電時に、停まったエレヴェイター脇の階段を降りつつ3階まで達すると、オフクロの本棚に、僕の本棚から持ち出された本が数冊あった。「困るねぇ」 と思いつつその周辺を見回すと、
断酒を決めた日には、「あぁ、もうすぐ酒が飲める」 と思う夕刻の楽しみも無い。「竜二 映画に賭けた33歳の生涯」 のペイジを途中から開き、2、3行を拾い読みしたりする。僕がこのノンフィクションの主人公、金子正次の原作主演による映画 「竜二」 や、また、金子正次原作、陣内孝則主演による 「ちょうちん」 を観たのは、いつのことだっただろうか。
チェリーボブのヨーグルトとモモを摂取する。入浴して本は読まず、8時30分に就寝する。
昨夜は、甘木庵のすべての窓と玄関の戸を薄く開けて眠った。目覚めてみれば、布団もかけず素っ裸の体に、空気がとても気持ち良い。暑くもなく寒くもなく、しかしながら温かくもなく涼しくもなく、それはちょうど良いとしか言いようのない、気持ちの良さだった。
何十分か1時間かを、そのままうっとりとして過ごす。いよいよ起きて居間へ行き、時計を見ると4時だった。冷たいお茶を飲んでメイラーを回す。
きのう、「振込先は携帯電話にメイルで知らせてくれ」 とのご注文をくださった顧客から、「商品をこれこれに変更したい。ついては新しい料金を知らせてくれ」 との携帯メイルが入っている。
いま返信を送ると、ここから50キロ離れた午前4時15分の暗闇で、先方の携帯電話がけたたましく鳴る可能性がある。返信を草稿のフォルダに納め、途中まで書いたきのうの日記を完成させる。
気がつくと、東京大学の構内で大量のセミが鳴いている。4時30分になっている。鳥も虫も1日の初めには、個々に鳴くということをしない。みな一斉に鳴き始める。窓辺へ寄ると、イチョウの大木から垂れた枝葉が、薄明にルソーの絵を思い出させて不気味だ。空は晴れるらしい。
7時前に玄関を出て、旧町名でいえば春木町や金助町を含むブロックを、1周半ほど散歩する。本郷通りへ出れば、道向こうのビルにはほとんど、「御茶ノ水」 の文字が伺える。
知らない串焼き屋がある、油そばが専門らしいラーメン屋ができている、むかしビールを配達してもらっていた酒屋が、いつの間にかコンビニエンスストアに替わっている。八百屋はマンションの1階に収まった。軒先に火鍋の写真を掲げたタイ料理屋では、夏でもタイシャブが食べられるのだろうか?
帰ってシャワーを浴びる。ぬぐってもぬぐっても、顔や頭から汗が噴き出してくる。
大衆食堂の「たつみ屋」が、その開店時間を7時から11時に遅らせたことは痛手だ。朝飯を食べないまま、湿熱の春日通りを歩く。
甘木庵から神保町の "Computer Lib" まで、大江戸線と三田線を乗り継いで行ってみることにする。結果は、本郷三丁目駅での5分の待ちがひびき、徒歩と変わらない30分の所要時間だった。
9時から、「ホントに今日1日で終わるのか?」 と思われる量の、ウェブショップの修正が始まる。
あちらこちらに散らばった文言の不一致、エラーメッセイジの理解しづらい文章、人間工学的に優れない受注画面、他とは異なるヘッダを持つペイジ、顧客から誤ったメイルアドレスが送られてきやすい発注システム、顧客からの情報が新しいサーヴァーへ飛ぶよう書き直されていないソースなどなど。
これらのひとつひとつを、僕のマシンにはペイジを、ナカジママヒマヒ社長のマシンにはそのソースを呼び出して、逐一、修正と確認を繰り返していく。
もっとも時間を要したのは、事務係が発送伝票を整える際に使う受注画面の見直しだった。デザインについて妥協したくない僕の細かい希望を、ナカジママヒマヒ社長が形にしていく。いったん作成し、しかし 「いや、これじゃだめだな」 というような試行錯誤も多々あり、どんどん時間が過ぎていく。
それでもようやく、「これならなんとか」 と思える受注画面が完成する。本日の午後以降は、事務係の仕事も今までよりはずっと楽になるだろう。
そのまま続けて仕事をすれば良いものを、面倒な作業が一段落すると、すぐに雑談が始まる。
「ナカジマさん、見てよ、2000年、2001年、2002年と、ウチのウェブショップ、毎年、倍、倍、倍の成長なんだよ」
「どれどれ? ウワサワさん、すげぇじゃん、このデータ、どこにあんの?」
「ウェブショップのファイル。でもさぁ、今年の7月は前年度比で150パーセント。2倍は無理だったわ」
「えぇっと、去年のデータと今年のデータ、比較できる?」
「できるよ reed back すれば」
「やってよ」
「今年のデイタ、何番コラムが欲しい? 10番コラム?」
「いや、9番と10番。insert column back してよ」
「何番コラムの前に入れる?」
「ドンでへーき」
マイツールを知らない者にとっては、暗号のような会話が続く。別段、自慢をしているわけではない。ただ、「無理してお仕着せのデイタベイスや表計算ソフトを使わされている人は、大変だよなぁ」 と、思うだけだ。
「ウワサワさんさぁ、成功の理由は何?」
「それは、先人の知恵、僕の努力、社員の正確な操作、の三位一体じゃないですか?」
「あのさぁ、売れねぇウェブショップがあるんだよ、成功の秘訣って、なにかなぁ」
「いやぁ、セオリーは、あってねぇようなもんだから。それにウチだって、まだ目標には全然、達してねぇし」
と、こういう話を延々と続けていては、仕事はいつまで経っても終わらない。済んだ作業に赤ペンで印をつけつつ、12時を迎える。
「ナカジマさん、ダメだ。メシ食わねぇで続けよう」
「そうだな」
ようやく一段落をしたため、ひとりで外へ出て岩波ビルの角を曲がり、小学館の地下へ降りる。レストラン 「七條」 にて、グラスの白ワインと鶏ソテーのクリームソースを注文する。
ここの白はシャルドネイだろうか、大いに悪くないし量もある。もちろん、料理も美味い。行儀が悪くて構わなければ、鶏と野菜を肴にワインを飲んだ後、ソースとトロトロのポテトピューレをメシへぶっかけて食うところだ。
5分も歩かず、"Computer Lib" へ戻る。残された作業をこなし、できないことは宿題にする。別途、先日メイルにて頼んでおいた新しい仕事の見積もりを受け取り、本日の仕事を終える。
客先に出向くこの会社の3人と、ふたたび靖国通りへ降りる。
「暑いっ! たまんねぇなぁ」
「ナカジマさん、こんなのどうってことねぇよ。去年はそこの交差点が、まるで風呂みたいな感じだったもん」
地下鉄の駅に消える彼らと別れ、錦華小学校の脇から山の上ホテルの裏手に上がる。"digital Hollywood" を横目にしつつ、御茶ノ水橋を渡る。地下鉄を使うよりも早く、徒歩で甘木庵に帰着する。
本日2度目のシャワーを浴びる。また汗が際限なく噴き出してはたまらないと、仕上げに水を浴びる。
今年の1月に着たまましまいっぱなしにしたブレイザーとスラックスを、ダイニングの隠し扉から取り出す。これをクリーニングに出さなければいけないと思いつつ、何ヶ月もそのままにしていた。「いつも行くチェインのクリーニング屋ではなく、夫婦が自宅でやってるクリーニング屋に持っていこう」 と、考える。
仕立屋 "Sartoria" のオヤジはいまだ亡くなってはいないが、しかし僕にとって、このブレイザーはオヤジの最後の仕事になるはずだ。できるだけ良い店で洗濯をしてもらいたい。
いまにも夕立の来そうな空にもかかわらず、僕の悪い癖にて、傘を持たずに外へ出る。
本郷から御茶ノ水へ抜ける、ゆるやかに上り下りする道を歩いていく。自転車屋のオヤジが、僕が学生のときからちょうど25歳だけ年をとって、いまだ自転車の修理をしている。八百屋のオヤジも健在だ。
クリーニング屋のドアを開ける。オヤジは25年前の顔はそのままに、髪の毛だけが白くなって、移動式ハンガーの奥から姿を現した。髪の色こそ変わったが、その律儀な態度は、むかしも今も変わらない。
「3日後のお渡しになります」
「多分、来られるのは盆過ぎになります」
というやりとりがあって、外へ出る。そのとたん、ポツリと、最初の雨が落ちてくる。次の雨粒はポツリではなく、ボトリというほどに大きかった。そしてそれが一瞬の後には、歩く気も無くすような強い雨に変わった。
荷物嫌いの人間は、荷物を持つことを厭わない人間にくらべて、一生でどれだけの無駄金を使うだろうか? ちかくのコンビニエンスストアでビニール傘を買う。雲の早い移動によって一瞬、弱くなった雨の下を歩き、湯島の切り通し坂を下って上野広小路に達する。
家内と次男は僕よりも早く、浅草に着いていた。厨房の通用口を開ければ、その向こうは隅田川という、中華料理の 「天道門」 に入る。
メニュが見直されている。全般に値段が下がっている。汁そばは、普通の器と小さな器の2種類から選べるようになった。
時間はたっぷりあるため、1度に料理が届かないよう、幾種類かずつに分けて注文をする。以前あった料理を取り寄せると、味はそのままに、量だけが減っている。
「値段は高いのに、なぜかいつも満員なんだよなぁ」 と不思議に思っていたこの店だが、やはり今の時世にあわせて、いろいろと工夫をしているらしい。
ホウレンソウを前にした次男はまったく優秀ではないが、餃子については僕の分まで欲しがって、見違えるほどに優秀だ。多くの野菜と少しの肉と麺を食べ、僕は焼酎のオンザロックスを3杯飲む。
19:00発の、下り特急スペーシアに乗る。帰宅して入浴し、9時30分に就寝する。
2時に目が覚める。昨夜は気温が高かったため窓を大きく開いて寝たが、標高400メートルの夜気は、素っ裸の僕を充分に冷やしていた。1時間ほどを、枕元の活字を拾い読みしたり、また、うつらうつらして過ごす。
3時に事務室へ降りてメイラーを回す。ウェブショップに、「振込先は、携帯電話にメイルで知らせてくれ」 と書き込まれたご注文が入っている。いま返信を送ると、ここから150キロ離れた午前3時30分の暗闇で、先方の携帯電話がけたたましく鳴る可能性がある。返信を草稿のフォルダに納め、きのうの日記を作成する。
4時ごろ、外でゴトゴトと物音がする。社員通用口から出てみると、主婦がよく使うとされる自転車にまたがった男女ふたりが、店舗駐車場から去っていくところだった。旅行中という姿でもないが、健康のための早朝サイクリングという風情でもない。何がなんだか分からない。
きのうの日記を作成する。一昨日、きのうと、2日分の日記がサーヴァーへ転送できずに、僕のコンピュータに留まっている。時間もあることにて、今日の日記を途中まで作成する。
昼過ぎ、あちらこちらの手を煩わせて、ようやくサーヴァーが、僕のファイル転送プロトコルを受け入れる。原因は予想通り、自然に変更された僕のIPアドレスを、"Computer Lib" のサーヴァーが拒絶しているところにあった。善後策を、ナカジママヒマヒ社長と講じる。
昼過ぎ、リーヴァイスの黒い501、銀座の鶴屋であつらえた白麻の開襟シャツ、"HAROLD'S GEAR" の黒い馬革のベルト、"Trippen" の黒い革靴を身につける。できるだけ裸で過ごしたい僕がここまで着込むとは、僕にとってこの格好がフォーマルだということを示している。
下今市駅14:36発の、上り特急スペーシアに乗る。鎌倉にある家内の実家にて、家内や長男や次男と合流をする。
「きのう、由比ヶ浜の鰻屋さんに行ったんだって?」
「どうして知ってるの?」
「お母さんに聞いた」
「今日、海に行ったんだって?」
「どうして知ってるの?」
「お母さんに聞いた」
「それから今日のお昼、ととやの回転鮨に行ったんだって?」
「どうして知ってるの?」
「お母さんに聞いた」
小さな子どもとの会話は、たとえそれが他愛のないものでも、あるいは他愛がないゆえに、心を和ませる。
「トウガン、トウガンって騒ぐから、作っといたわよ」 と家内が、よく冷えたトウガンと豚肉のスープ煮を食卓へ運ぶ。「トウガンってのは美味めぇな」 と最初に感じたのは、ロスアンジェルスの、気楽な中華料理屋でのことだった。
子ども達は別のテイブルにて、手巻き鮨を食べている。次男は中学生のいとこに、海苔巻きではなく、マグロの握りを作ってもらっている。
炒めナスの胡麻汁煮が濃厚な味わいで、ウイスキーの水割りによく似合う。ヒラメ、タイ、マグロ、アジ、タコなどの刺身を少し食べて、海に近い場所での夕食を終える。
9時30分ごろ、大船駅から上りの東海道線に乗る。御徒町駅から湯島の切り通し坂を上がる気はしない。新橋で山手線に乗り換え、有楽町で下車する。10時30分ちかくの数寄屋橋は、人通りもまばらだった。
飲酒を為すには腹が満ちすぎている。それに酔ってもいる。酔って後の酒は美味くない。僕がなぜ夕刻の酒を好むかといえば、それが第一等に美味いからだ。
大手町、淡路町、御茶ノ水と、半ば眠りながら駅名を追う。めでたくも乗り過ごすことなく、本郷三丁目で地上へ出る。
甘木庵に帰着してシャワーを浴びる。冷たいお茶を飲み、0時前に就寝する。
窓の隙間から外気が抜けるよう、部屋の戸は開け放ってある。そこから、消し忘れた廊下の灯りがあたりを薄く照らしている。この場合 「薄く」 ではなく、「ほのかに」 と書いた方が意味は伝わりやすいだろう。しかし、ここで 「ほのかに」 という言葉を使いたくないのだから仕方がない。
自分の使いたくない言葉を多用している人の文章からは、どうしても遠ざかることになる。僕の使いたくない言葉が、人にくらべて多いのか少ないのかは知らない。
時計を見ると、1時45分だった。ベッドの下にちらかった活字を拾い読みし、3時に起床する。
洗濯場へ行き、7月の下旬に買った洗濯機の操作パネルを見る。そこにある簡単な文字に導かれて、適量と思われる洗剤を投入し、洗濯物を入れる。即、洗濯槽に水が供給され始める。洗濯場と廊下の灯りを落とし、事務室へ降りる。
同級生のヨネイテツロウ君から、携帯電話によるメイルが届いている。いま返信を送ると、ここから千キロ離れた午前3時30分の暗闇で、先方の携帯電話がけたたましく鳴る可能性がある。返信を草稿のフォルダに納め、きのうの日記を作成する。
朝4時に、オートバイの音が聞こえる。これは、朝日新聞を配達しに来た人のものだ。僕の事務机と厚いコンクリートの壁でへだてられた外の水場に、石を踏む音がする。これは、米を炊く水を汲みに来た人のものだ。
きのうの日記をサーヴァーへ転送しようとして、それが果たせない。プロバイダのocnがIPアドレスを変更し、それが "Computer Lib" の排他制限に阻まれているものと思われる。今日は日曜日のため、復旧は明日になるだろう。
5時をどれだけ過ぎたころかは忘れたが、シャッターを上げて外へ出る。薄ぼけた太陽が、東の空に昇る。「きれいな夜明けじゃった、今日も暑うなるぞ」 という日は、いつ来るのだろう。
ようやく本酒会の紙の会報を整え、封筒に詰める。会報を書くこと、それをメイルマガジンにして会員に送ること、また、それをウェブペイジにすることは面倒でなくて、どうして紙の会報作りだけは面倒なのか? それはこの作業に、「創る」 という部分がまったく無いためと思われる。
6時に自宅へ戻り、洗濯機を覗くと、見事に仕事は完了していた。脱水された洗濯物を乾燥機に入れ、スイッチを入れる。
9時10分に、春日町1丁目公民館へおもむく。今日は青年会と育成会が合同で行う、納涼祭が開かれる。ウチの子どもはふたりとも参加をしないが、だからといって、まったく手伝いをしないのもはばかられる。
倉庫からテイブルや椅子、テントや鍋釜などを出し、それを育成会長を務めるシバザキトシカズさんのトラックに積む。近くの公園でそれを降ろし、各々を決まった場所に配置していく。
準備は続いているが、10時10分に自宅へ戻る。シャワーを浴びて着替えをし、事務室へ降りる。
朝、事務係のコマバカナエさんに頼んでおいた、7月のウェブショップにおける注文数と売上げ金額が、机上に届いている。数字は前年同月のそれにくらべ、注文件数で45%、売上げ金額で49%の伸びを示していた。思わず 「すげぇじゃん」 という言葉が漏れるが、その反面、胸の中に、「うーん、倍はいかなかったかぁ」 という思いも、無かったわけではない。
12時30分、春日町1丁目青年会会計係のユザワクニヒロさんに電話を入れ、「まだ肉、ありますか?」 と訊くと、「いまソーセージを焼き始めたところで、肉はこれから」 という返事が戻る。
「肉ってのは、羊だな。とすればメルローだ。メルローならポムロールだ」 と考えつつ、ワイン蔵へ行く。しかし、ポムロールに割り当てられた棚に、紙コップで飲むような気楽なものは無い。別の棚へ進み、シチリア産の赤ワイン "Rosso di Bisaccia COSSENTINO 2001" を選ぶ。
「そういえばむかし、コセンティーノというイタリア人の自動車ブローカーがいて」、などと思い出話を連ねると、長い日記が余計に長くなるので割愛する。
朝の様子とは異なり、納涼祭の会場はすっかり整って、既にして子ども達の遊びも佳境に入っていた。
この納涼祭には一方、育成会の活動資金を捻出する目的もある。町内の商家、いつも来てくれる人、他町内の青年会長などに招待状を渡し、受け付けに待機した者が、ご祝儀を受け取る。招待客は緑陰のテントに案内をされ、生ビールやおつまみ、焼きそばなどの接待を受ける。
「オレ、これね」 などと特定の骨付き肉を指し、高校3年のオノグチタッちゃんに、身の厚いところを良いあんばいに焼いてもらう。炎天下、炭火に張り付く焼き係は、なかなかに辛い。
肉にかぶりつくと、中はちょうど良いピンク色だった。軽めの赤ワインが、すいすいとのどを通る。次の肉が焼き上がるまでは、焼きそばと生ビールに切り替える。
いつでも勝手に自分で作ることのできるかき氷は魅力だ。カレー粉入りのポップコーンが、良い香りを発している。いかにも本物らしい手順をもって作られたカレーよりも、カレー南蛮蕎麦やできあいのカレー粉に、より強くインドの雑踏を感じるのは僕だけだろうか?
子ども達の水遊びは、いつになっても終える気配が無い。ここへ至ってようやく、今日こそが、今年初めての 「今日も暑うなるぞ」 の日だったことに気づく。
小一時間ほどして帰宅し、シャワーを浴びて着替える。3時まで仕事をして、後かたづけのためふたたび公園へ行く。しかしながらいまだ子ども達は遊びの最中で、酒の入ったおとな達ものんびりとしている。そのまま帰社して仕事に当たる。
一段落をして4時30分にまたまた公園へ行くと、今度はほとんど、片づけは終わっていた。最後のところをすこし手伝い、またまた帰宅してシャワーを浴び、着替えて店に出る。
客足が途切れないため、閉店時間の後も、販売を続ける。事務室から、呼び出し音の鳴る僕の携帯電話を、事務係のコマバカナエさんが店に持ってくる。社員用通路にて電話を受けると、ユザワクニヒロさんが、「もう直会、市之蔵でやってますよ」 と、教えてくれる。
日曜日の閉店後には、出勤した社員達との、対前年度アイテム別週間粗利ミックス表の検討もある。これをこなし、本日の売上計算書を作成し、ようやく自転車で日光街道を下る。
直会は、始まって1時間以上を経過していたにもかかわらず、まったく乱れてはいなかった。小さなグラスの生ビールを1杯飲んだ後は、あずけてある泡盛 「瑞穂」 に切り替える。きのう、宇都宮のお祭りで大みこしを担いだオノグチショウイチさんが、その楽しさを語りつつ、腫れて擦りむけた肩を見せてくれる。
7時すぎに直会を終える。まっすぐ帰宅しようとする僕を、町内の誰かが呼び止める。今日は商店会の夕涼み市にて、そこへ寄っていこうと言う。「山七」 の中古車展示場には、大勢の人がいた。
「へぇ、蕎麦があるじゃん」 と、早速400円の盛り蕎麦を注文し、これを食べる。ウナギ釣りがある。その横には都合良く、蒲焼きの テントもある。「ウナギは家族が帰宅してから、みんなで食べに行こう」 と思う。
福引きがある、雑貨を売る屋台がある、ゲイムがある、ジャグラーが芸をしている。総じて今年の夕涼み市は、良い企画がたくさんの人を集めたように見られた。
帰宅して、本日4度目のシャワーを浴びる。牛乳が底をついたため、冷たいお茶を大量に飲んで、8時30分に就寝する。
闇の中で目を覚ます。
昨夜10時45分に、「知人の1951年製ベントレーが、重大な故障を抱えたまま使えずにいる。だれか優秀なメカニックを知らないか?」 という電話でたたき起こされたことを思い出す。酔って受けた電話に明瞭な言葉で答え、しかしその直後には、電話があったことさえ忘れてしまうという癖が、僕にはある。
取り急ぎ枕頭の灯りを点け、要点をメモに残す。時計が2時30分を示している。30分ほど 「カストラート」 を読み、二度寝に入る。
5時30分に起床して事務室へ降りるが、先月30日にメイルマガジンとウェブペイジの作成を済ませた 「本酒会報」 の、紙の会報を作る気力は湧かない。顧客からの質問メイルに返信を書き、きのうの日記を作成するうちに、社員が出勤する時間になる。
花火の翌朝としては、店舗駐車場にも道路にも、ゴミは少なかった。今年の3月にディズニーランドへ行った際、ゴミを散らす客の割合が以前よりも高くなったように感じたが、我が町の民度は、少しずつ向上しているように思われる。
それでも、金魚すくいのビニール袋を路上に落とし、そのままうち捨てていった人がいるらしく、その名残の、干からびた金魚を路上に発見する。死んだ魚と鳥は土に埋めず、川へ流してやるのがよろしいとは、どこで読んだことだっただろうか。
目を見開いたまま干からびた金魚を、すぐそばの川へポトリと落とす。空は今日も曇ったままだ。
午前中、オヤジに、動かないベントレーについて話す。「案外、簡単に直るだろう」 と、オヤジは何人かの知り合いに電話をし、数日中にも、その持ち主とメカニックが連絡しあえるよう、手はずを整える。
シャーシーやボディ、エンジンがぐさぐさに腐っている以外、否、たとえそうだとしても、直らないクルマは無い。近しい人が死ぬといつも、「クルマなら直るのになぁ」 と、僕は慨嘆する。
午後、「どうしても夜にならないと、明日の予約品が決まらない」 という顧客に、携帯電話の番号をお教えする。電話は酔ってしまう前にいただきたいし、また、眠ってしまった後にはいただきたくない。
百貨店やホテルのおせち料理の仕出し担当が、不測の事態に備えて、元旦も電話の子機を机上に載せ、酒も飲まずにいることを思い出す。顧客からの電話は幸いなことに、閉店の直後にいただくことができた。
自転車に乗って日光街道を南下し、飲み屋の 「和光」 へ行く。磨りガラスの向こうに、先客の姿が見える。その先客は、同級生のアキモッチャンだった。相手が同級生でも遠く離れて座るのは、本を読むためだ。
突き出しは、好物のトウガンのスープだった。あずけてある焼酎 「吉四六」 を、オンザロックスにて飲む。
ペイジを繰る合間にアキモッチャンと、ふたことみことの会話を交わす。
僕が今朝の街のゴミに触れて、「我が町の民度は向上しつつある」 と言ったところ、商工会議所に勤め、昨晩の花火の後、現場の片づけに立ち会ったアキモッチャンは、「いや、ひどいところは本当にひどい。露店の出ているあたりはゴミだらけだった」 と、答える。
「そうだったのか」 と、花火見物の最前線まで近づかなかった僕は、相づちを打つ。
店内の黒板に発見した 「ツナとオクラ」 が、なかなかに美味い。どうも僕は、ぬるぬる関係が好きらしい。冒険をして、ホヤの刺身を注文する。塩とレモンで食べるこれは、まったく悪くなかった。
空になったボトルを新しいものに替え、サバの塩焼きにて締める。
帰宅して時計を見ると、いまだ8時を回っていない。シャワーを浴び、大量の牛乳を飲んで、即、就寝する。
5時30分に起床して事務室へ降りる。「街のおいしいもの屋さん」 に、「ばん」 の情報を追加する。他にもよしなしごとをして、7時10分に居間へ戻る。
朝飯は、なめこのたまり漬、塩鮭、キュウリのぬか漬け、納豆、ホウレンソウのおひたし、ナスの油炒め、酢キャベツ、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。
長男は先月27日の、宇都宮における教育説明会を終えた後、今度は、8月1日と2日に銀座教会で行われる 「キリスト教学校フェア」 で、自由学園を紹介する原稿をまとめてきた。
きのうは自由学園へおもむき、担当の教師、同級生のキノシタタカオ君と共にこれをパワーポイントに起こし、夜はキノシタ君と、甘木庵に泊まった。
長男の報告を聴く家内と次男を、下今市駅へ送る。もっとも次男の眼中には、日本橋のポケモンセンターで何かを買ってもらうこと以外の何もない。
重要な仕事と、そうでもない仕事をいくつかして、夕刻を迎える。家内から、長男の発表が首尾良く終えたとの報告が入る。
きのうの暑熱から一転して、今日の空は、また梅雨模様に逆戻りをした。ヒグラシが鳴いている。ヒグラシの声そのものは悪くないが、秋の訪れを告げているようで、僕はあまり好まない。
今年は梅雨が明けないまま、秋になるのだろうか?
タシロケンボウんちのお徳用湯波と、泡盛 「瑞穂」 の一升瓶を持って、「市之蔵」 へ行く。読みかけのまま紛失をした 「ガリレオ 庇護者たちの網の中で」 に代わって、階段室の本棚から選んだ
「市之蔵」 へ 「これからひとり、大丈夫?」 という電話を入れたとき、受話器からは集団のものと思われるざわめきが聞こえていた。ところが店に入ってみると、たったひとりのオバサンが、切れ目のない大音声で、ヨタ話をしているだけだということが分かった。
「これ、持ち込み料、取ってね」 と言いつつ、泡盛の一升瓶を開栓する。「これ、おみやげ」 と、店主にタシロケンボウんちのお徳用湯波を手渡す。目の前に、頼まなくても出てくるサケのマリネと煮イカが運ばれる。
大音声のオバサンが店を去ったあたりから、ようやく本を読む速度が上がり始める。タシロケンボウんちのお徳用湯波が、早くも調理を終えて小鉢に盛られる。
注文したシメサバは、銀座の 「やす幸」 で見られるような薄締めではなく、すこしく昔風の仕事だった。頼まなくても出てくるおでん風のダイコンと、更にスズキの煮つけにて、ちょど泡盛の量も限界に近づく。
酒を持ち込み、料理を6品こなして、請求は2000円という不可解なものだった。言い値どおりの2000円を支払い、外へ出る。遠くから花火の音が聞こえる。
「それだけ飲んで自転車は、危ねぇだろう」 とは、酔っている人間は決して思わない。東郷町から住吉町を抜け、鬼怒川へ向かう国道119号線を下る。住宅街へ紛れ込むと、間近に迫った花火によって目の前が急に明るくなり、そしてまた暗くなる。ドンッという音が、ひときわ腹に響く。
坂を上がって自宅へ近づくと、店舗の駐車場は、花火見物の人たちの駐車場になっていた。浴衣に着替えた社員のクロサワセイコさん、コイタバシミキコさん、トクラガワスミコさんの3名が、僕に挨拶をしつつ、花火会場へ向かおうとしている。
シャワーを浴びて、8時前からベッドへ横になる。「カストラート」 をすこし読み、8時すぎに就寝する。