2時30分に目を覚まし、"Tokyo Generation" を読み終えて4時に起床する。
1995年以降、幾十万の発言を読み、幾千の発言をアップしてきたか知れない "nifty" の "patio" が本日、遂に終焉を迎える。仲間内の連絡や知識の共有、また社内の報告連絡相談に用いてきたこの便利なシステムが無くなるのも時代の趨勢だろう。しかしこれを残すことによって "nifty" にどれだけの負担がかかるというのか? 「別段、廃止することもねぇだろう」 とは思うが僕はニフティの人ではないから身勝手なことは言えない。
事務室へ降り、社内連絡用の新しい手段として同じく "nifty" のクローズドサークルを設定する。
自分が主催する "patio" 否そのときにはいまだ小規模の "home party" しかなかったが、これを作ったのが1996年のことで、以来、個人メイルはするが多対多の場所には決して出てこない引っ込み思案な人の1万年分くらいは発言をしただろう。その発言欲がめっきり衰え、あるいは社内連絡用以外の "patio" は開いて見ることさえ億劫になった時期を考えれば、これはウェブ日記を始めた2000年と明瞭に重なる。言いたいことを言う場所が移動したのだ。ただしそれだけではない。
"patio" で発言をするとは舞台に立って芝居をすることに似ている。自分と相手は常に繋がっている、大勢の目が自分を向いている、そして自分も相手を見ている、 "patio" では、そういうことを常に意識することができる。対してウェブペイジを運用しここに日記を書くとはテレビ局から見えない相手に電波を発する行為に似ている。そこには人と直に繋がることのない気楽さ無責任さがある。ウェブログへ移行しないのは、あるいはコメントやトラックバックの機能で人と繋がることを避けているせいかも知れない。
僕は小学6年生のときに行った臨海学校の記念写真に写っていない。砂浜で遊んでいると、遠くで6年4組が写真屋に指示され並んでいるのが見えた。「今さら自分が加わって、せっかく作った人垣を崩すのも迷惑だろう」 と、僕はそのままひとりで遊び続けた。あちらこちらの団体に属し、会議に出席をし、そこで仕事をすることの多い僕だが、その "the milk in the coconut" には孤独癖がある。
朝飯は、2種のおにぎりとプーアル茶。
終業後、階段室へ行ってあれこれと本をあさるうち、関川夏央の2冊を開いて目が離せなくなる。この人の本は1980年代の後半によく読み、しかし途中から興味を無くして2冊だけが未読のままに残っていた。活字は明らかに本棚の中で熟成する。階段室からそれらを持ち出し居間へ行く前に洗面所へ寄る。日光の山のうち頂上のとがったあれは何という山だろうか、その上になにやら知れない飛行物体が見えて、それはいつまでも動かずにあった。
晩飯は、月のノルマである8回目の断酒日にふさわしいクリームシチューのぶっかけメシと胡瓜のぬか漬。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、先ほど階段室から運び出したうちの
3時に目を覚まし、次は5時30分に目を覚まして起床する。事務室へ降りてコンピュータを起動し、メイラーを回すと昨夕に入札した写真集が2点とも僕に落ちている。早速、出品者のマニュアルに従って当方の情報や送金方法などを返信する。
7時に居間へ戻り煎茶を入れる。朝飯は、ほうれん草の油炒め、胡瓜のぬか漬、松前漬け、生のトマト、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と絹さやの味噌汁。
きのうの夕方から今朝にかけて付けたメモに従って仕事をこなす。以前に考えたことに基づいての仕事ももちろんする。そういうことをして夕刻にいたり、次男が畳へ腹這いになりテレビを見る横で "MACALLAN 12 YEARS OLD" のお湯割りを飲み、あたりにある活字をあさる。
松前漬け、カリフラワー、ツナ、胡瓜、レタスのサラダ、茄子とピーマンの炒りつけを肴に焼酎 「だんべえ」 のお湯割り1杯を飲んで、この20年ほど前から玄関の奥にあったビンを空にする。
子供のころ、オフクロに 「鶏肉は唐揚げが良い? 蒸し焼きが良い?」 と訊かれ、しかしその双方がどのような料理なのか理解できず、本当は唐揚げが好きなのに 「ムシ」 の音に惹かれていつも 「蒸し焼き」 と答えていた。いざそれが食卓へ運ばれてみれば自分が頭に思い浮かべたものとは異なり、そのたびに 「なんだ、これが蒸し焼きか」 と落胆をしたが、しかし次に唐揚げか蒸し焼きかと問われればまた 「蒸し焼き」 と答えて、それがどれほどのあいだ続いただろう。
その鶏の蒸し焼きを今日は久しぶりに見て懐かしく思う。この齢になれば、もはや唐揚げは食べない。
1980年代のいつごろだったか、同級生コバヤシヒロシ君の家が所有する野尻湖畔の別荘 「外人村23番」 で信濃毎日を開いたら、銀座で火事がありラーメン屋が燃えたとの記事があった。悪い予感がして東京へ戻って後、銀座の裏道を南下したらやはり、燃えたラーメン屋は 「東興園」 だった。
上品なスープの表面に薄く鶏油を載せた東興園のラーメンは、それは美味かった。ある夏の日中、ここにアヴェックが来て焼売とビールを注文したところ、店のおばあさんは 「お昼はお酒はお出ししないんですよ」 と言い、それを耳にした僕はどこ吹く風の顔つきながら 「良かったー、オレはビール、頼まなくて」 と腹の中で安堵した。
その東興園のラーメンを思い出しつつ鶏の蒸し焼きから流れ落ちた脂の煮こごりをメシに載せ、これを食べる。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
2時に目を覚まし、"Tokyo Generation" をしばらく読んで二度寝に入る。4時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。木更津で開かれる同窓会へ出席するオフクロを6時30分に下今市駅まで送り、7時に居間へ戻る。朝飯は、玉子、椎茸、タシロケンボウんちのお徳用湯波、万能ネギの雑炊、胡瓜のぬか漬、白菜キムチ。
8時45分に次男をホンダフィットに乗せ丸山公園のテニスコートへ送る。きのうの日記にはこの丸山公園を松原公園と書いたが、それはふたつの公園が境界線なしに接して、どこからどこまでが松原公園で、どこからどこまでが丸山公園なのかが僕には不明のためだ。30分後に帰社して仕事へ復帰する。
昼食を済ませて店舗へ降り、尾谷建具店のご家族のうち、きのうは見えなかった方々が、先祖の手になるタンスをまた見に来たと、家内より聞く。そしてタンスの裏に名のある尾谷幸次郎さんが、明治元年生まれだったことを知る。
終業後 「Yahoo!オークション」 の、既にしてブックマークしてある 「アート写真」 にアクセスし、写真集2冊に入札をかける。希少性の無いもの、人気の無いものの中に自分の興味を惹くものがあれば、絶版の写真集を求めるのにこれはなかなか有利な方法である。
出品されてから期限が切れる6日目までひとつの応札もなかったものに僕は狙いをつけるが、オークションの終了時刻は多く夜の遅い時間で、ここに僕の入札を契機として次々と競合する者が現れれば、僕は夜は寝るから競りには負ける。しかしそれはそれで仕方がない。
きのう飲んで美味かった "MACALLAN 12 YEARS OLD" のお湯割りを今日も初更より飲む。ウイスキーを飲みながらメシを食うなど野蛮人に等しい行いと思うところがこの28年ほどあったが、僕も遂に、その野蛮人の仲間入りをしてしまったのだろうか。
タシロケンボウんちのお徳用湯波とほうれん草のおひたし、冷や奴。今夜の豆腐はまるで羊の脳みそのように濃厚で美味い。パプリカ、茄子、椎茸、絹さや、鯖の素揚げカレー粉とバルサミコの風味、鶏肉とチーズの磯辺巻きのこれまた素揚げ、豚肉と生キクラゲの油炒め。
最も記憶に残る弁当は阿里山鉄道のある駅で求めたもので、メシの上に目玉焼き、青菜炒め、ハム炒めの3種があって、それぞれの油がメシに染み込んでいた。僕は弁当については利休弁当のような高級品も好きだが、またこのような洒落っ気のない質朴なものも嫌いではなく、だから食卓に運ばれた豚肉とキクラゲの炒めを見たときには 「これを弁当で食いてぇなぁ」 と感じた。
しかしながら僕が愛用していたアルマイト製のいわゆるドカ弁と呼ばれる弁当箱はいつの間にか失われたから、台湾の霧深い森の中で食べた弁当を思い出させる昼飯には最近、遭遇をしていない。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
5時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、松前漬け、目玉焼き、ブロッコリーの油炒め、納豆、生のトマト、蕗の醤油煮、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。季節からして長ネギのたぐいがいかにも不味くなってきたため、ウェブショップの自前による 「四季のお味噌汁・夏」 を見に行くと、ここでは薬味としてアサツキが多用されている。「そうかぁ、これからはアサツキかぁ」 と考える。
8時40分、今日より部活動を始める次男を三菱シャトルに乗せ、松原公園のテニスコートへ行く。付き添いのお母さんに熱いコーヒーをいただき、フェンスの外から小一時間ほど様子を見て帰社する。
僕のいないあいだに尾谷建具店のご家族が店に来て、きのう置いたタンスを調べ、写真に撮っていったことを販売係のオオシマヒサコさんから聞く。タンスの裏に名のある尾谷幸次郎とは、ことし86歳になるおばあちゃんの祖父だという。明治37年に現役だったわけだから、ことによると幸次郎さんの生まれは江戸時代かも知れない。
歴史は過去から現在を経て未来へ繋がっている。道はここから出発してどこかを経てその先へ通じている。この歴史と道というものについて、僕は常に強いロマンティシズムを感じないわけにはいかない。
初更、 次男の勉強机で "MACALLAN 12 YEARS OLD" のお湯割りを飲みながら
エリンギ、キヌサヤ、粉ふきいもを付け合わせたステーキはオージービーフだけれどもサイズが大きいから嬉しい。トマトと胡瓜とレタスのサラダを合いの手にして、ここぞとばかりに脂身の部分もすべて食い尽くす。そして先日バキュバンで栓をしておいた去年のボジョレヌーヴォーを空にする。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
5時に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをしつつ外から新聞を取り込もうと5時30分すぎにシャッターを開くと、既にして太陽は東の空に上がっていた。7時に居間へ戻る。朝飯は、ほうれん草の油炒め、松前漬け、蕗の醤油煮、納豆、胡瓜のぬか漬、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
きのう2階の倉庫で見つけたタンスを外へ出し、販売係のアキザワアツシ君にから拭きをしてもらう。これを店舗へ運び、その天板にこれまた古い風呂敷を載せてクロスとする。タンスの裏に 「建具師尾谷幸次郎」 とある件については日光街道を遡上して尾谷建具店へ行き、奥さんにことの次第を説明する。尾谷さんの奥さんは 「嬉しいお知らせを、どうも有り難うございます」 と言ってくれた。
初更7時より春日町1丁目の公民館へ行き、夏のお祭りについての話し合いに参加をする。すべてのメンバーが揃いきらない7時15分にこれを中座し、第144回本酒会の開かれる "Casa Lingo" までタクシーにて移動をする。空にはときおり稲妻が走るが雨は降っていない。
茹でた蛍烏賊のバルサミコソース、生ハム、ローストビーフ、ムール貝のパン粉焼き、鰹のカルパッチョという付き出しを見て 「オレは好きだなぁ、こういうの」 と一気にこれを平らげる。チーズとソーセージと赤ピーマンのカルツォーニ、ウニのソースのペンネ、オクラとジュンサイの冷たいスパゲティ。
新潟県豊栄市の 「小黒酒造」 による 「越乃梅里」 を飲みながらシミズキミヒト会員が 「ウメサトっちゅーと水戸黄門、思い出すなぁ、バイリは水戸光圀の号だべ?」 と言う。僕は浅学非才にして 「いえ、知りません」 と答える。
「コーモン様が書状にサラサラっとサインすてー、それをユミカオルが相手に渡すべー」
「いや、僕、テレビ見てないから」
「なにー、水戸黄門、見てねー?」
「そんな非国民みたいな言い方、しないでください」
「コーモンさま見てねぇのは、そらー非国民だわ」
と、とんだところで非国民扱いである。
鯛のワイン蒸しも悪くない。3種のデザート、エスプレッソコーヒーが出たところで9時40分になり、2キロほどあろうかという暗い道のりを歩いて17分で帰宅する。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、10時30分に就寝する。
深夜1時に目を覚まし、2時に至ってようやく二度寝に入る。5時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。空は晴れて空気は爽涼だが日中の気温については不明のため、テレビの天気予報を見ると暑くなるとのことだった。だから今日は半ズボンを穿いて学校へ行く、という次男の希望に反対はしなかった。
朝飯は、きのうサイトウトシコさんが作った松前漬け、胡瓜のぬか漬、メカブの酢の物、蕗の醤油煮、納豆、メシ、大根と油揚げと万能ネギの味噌汁。
電話機や花器を置く台が店舗で必要になり、しかし松本民芸家具などを購入しては高くつく。宇都宮の 「中村装備」 ではインドネシアの家具を扱っているからちょっと電話で訊いてみようかと考え、「しかし2階の倉庫になにか適当なものがあれば、それにこしたことはねぇが」 と思いついてエレヴェイターを上がる。
あれやこれやと積み重なった古物の森林に視線を走らせつつ携帯電話で家内を呼ぶ。そのうち僕と家内のどちらともなく適当な高さのタンスに気づき、これを引っ張り出せば、その表のかなりの面積には黒い鉄と鋲があって、まるで舟箪笥のようだ。裏側を見ると 「明治三拾七年 上澤商店 建具師尾谷幸次郎」 の墨書がある。明治37年は西暦1904年だからこれは101年前の物件となり、尾谷幸次郎とは春日町2丁目でいまも建具店を営む尾谷さんの何代か前の人に違いない。
しっかり閉まらない引き出しは狂いのせいだろうかとこれを引き抜けば、奥に丸まった紙くずがいくつかあって、これを取り出したところ、今度はしっかりと納まった。「良いものを見つけたものだ」 とその幅を測ると61センチだからちょうど2尺で、店舗へ行きこの置き場所の幅を測ると奇しくも同じ2尺だった。「あした晴れたら外で誰かに拭いてもらおう」 と、今日のところはこれを社員通用口の内側に安置する。
事務室へ戻り、先ほどタンスの奥から拾い出した紙くずを開くと、それは大正時代の 「支拂票」 で、細い針金の付いたもうひとつは、上都賀郡落合村の谷野甚と読める家から大正5年1月19日生産検査の小麦15貫900匁つまり60キロを買った際の荷札だった。大きなドンゴロスの袋に入った大豆がやはり60キロで、だから15貫900匁の数字には裏付けがある。
初更、冷や奴と松前漬け、ほうれん草の胡麻和えと白花豆の炊き物、コロッケにてメシ2杯を食べて飲酒は為さない。これだけしつこく言えば 「それで酒を飲むお前は馬鹿か」 と嗤われそうだが、炊きたてのメシは本当に本当に酒よりもかなりかなり美味い。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
いまだ25日にはならない0時前に目を覚まし、「ボクの音楽武者修行」 を3時30分までかかって一気に読み終える。ことしの大晦日が来たとき、これは2005年に読んだうちの最高の本になるかも知れない。振り返ってみれば浮谷東次郎の 「がむしゃら1500キロ」、堀江謙一の 「太平洋ひとりぼっち」、植村直己の 「青春を山に賭けて」 と、若く無名の者による独行の記録に名著は多い。
それにしても、貨物船でヨーロッパへ渡った24歳の青年がその2年半後、ニューヨーク・フィルハーモニーの副指揮者としてレナード・バーンスタインと共に凱旋帰国するキャリアを 「とるに足らない」 とし、むしろ小澤の人間性にこそ深く感動する萩元晴彦の解説は異色だ。
二度寝をして6時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、玉子と万能ネギの雑炊、白菜キムチ、胡瓜のぬか漬、蕗の醤油煮。
いまいちど本の話に戻ってみれば、2004年に読んだ本の随一は小林紀晴の 「写真学生」 だった。ことしの随一が小澤征爾の 「ボクの音楽武者修行」 だとすれば、僕の読んだ本の年間ベスト1は2年続けてアマチュアの書いたもの、ということになる。
夕刻に次男の漢字練習の宿題を督励する。普通 「今日は酒を飲まない」 を朝に決めれば晩飯どきに至っても心は静かなものだが、今日だけはなぜが飲みたい気分がある。「東京ニコン日記」 のペイジを繰りつつ "MACALLAN 12 YEARS OLD" 2杯を生で飲む。
小津安二郎を意識する写真家としては 「東京物語」 の題名を自らの写真集に用いた荒木経惟が真っ先に思い浮かぶが、"No Drama"、"No Technic"、もうひとつの "No" は失念したけれども、とにかく3つの "No" を以てヨーロッパの批評家に激賞された小津の手法を強く感じさせる写真家は僕の場合 「東京ニコン日記」 の田中長徳で、この写真集は本当に見ていて飽きない。
きのうのお残りのラタトゥイユによるスパゲティ、ジャガイモのグラタン、タコとベビーリーフのサラダにてやはりきのうのお残りのボジョレヌーヴォーを飲む。
入浴してあまりの眠さに牛乳を飲む気力もなく、9時30分に就寝する。
0時30分に目を覚まし、「カポネ、大いに泣く」 を読み終えて3時に二度寝に入る。6時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、枝豆の天ぷら、水菜の炊き物、メカブの酢の物、白菜キムチ、納豆、メシ、油揚げと万能ネギの味噌汁。
次の車券が的中したら靴下を買おうと思う、と伊集院静がどこかに書いていた。つまりそれを書いたときの伊集院は博打に負けて靴下も買えない状態だった、ということになる。そして今の僕も、まともな靴下は持っていない。
カカトのアカギレは薬を塗った大きなバンドエイドを貼れば治るが、その後の皮膚はガサガサに角質化したままで、これに靴下が擦れて穴が開く。靴下の穴とは不思議なことに左右同時に開くことはなく、だから穴の開いた方の靴下を捨て、穴の開いていない方は温存される。黒や深緑や焦げ茶色の靴下が片方ずつ脱落していくに連れ、僕の靴下は右が黒で左が深緑とか、左がチャコールグレイで右がモスグリーンとか、そういう塩梅になっていくから、和室での会合や、あるいは洋室での会合であっても、靴を脱いで眠りこけるなどのときにはしごく見た目が悪い。
どうしてこういうことになるかといえば、僕がお金を使う際の優先順位においては本や焼酎やワインが優先され靴下が後回しになるためで、先日、日光駅までスペーシアを乗り越しタクシーで帰宅した際の2,180円を充てれば3足1,000円の靴下が6足買える勘定になるが、しかしこれは意味のない勘定である。
晴れたり曇ったりの天気は夕刻まで続き、西の空もまた雲のまにまに青空が見えるという曖昧さにて、しかしその風景には味わいがある。
ギターを担いで日の丸を貼り付けたスクーターに乗り、ヨーロッパの指揮コンクールにいきなり参加をして優勝してしまった小澤征爾の旅行記については中学校のころ、美術のクガタツオ先生にその話を聞いて以来ずっと読みたいと思っていた。よほどの僥倖がない限り古本屋でこれに出会うことはないだろうと考えていたが、今は検索エンジンという便利な武器がある。というわけでその
まだある昨年のボジョレヌーヴォーを抜栓する。ラタトゥイユ、鶏肉と2種の茸のクリーム煮キヌサヤ添え、パン、ブルーチーズをその酒肴とする。自由学園のクッキーを最後に食べる。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。
目を覚まして枕頭の灯りを点け、時計を見ると2時30分だった。数日前にこの時計が30分ほども進んでいることに気づき、しかしその修正はしていないから、正確には2時に目覚めた、ということになる。"TSUTAYA" で次男に乞われるまま1,680円の本を買い、その帰途、東町の古本屋にて100円で購った
自由学園同学会の広報手段は昨年まで紙の同学会報のみによっていたが、今年度よりはこれにウェブペイジが加わった。その速報性を生かし、おとといの定期総会の記事を載せようと広報室長のイリヤノブオ君にメイルでその原稿を頼むと、ややあって 「現在同学会報の印刷準備が忙しく、ホームページ用の原稿を書いている余裕がありません」 との返事が戻る。
「だったら自分で書いちゃえ」 と秀丸に250文字を連ね、イリヤ君より送られた画像と共にサーヴァーへ転送する。現代の世の標準からすれば当たり前のことだが、それでも、学窓を同じくした集まりの模様がその2日後にはウェブに載って、国外の卒業生まであまねく、かどうかは知らないが、これが行き渡るとはひとつの革命ではないか。
午後、下校した次男を伴いスポーツ用品店 「大黒屋」 を訪ない、先日の日記に 「テニス部に入部します」 と書いた次男のためにテニスラケットとボールを買う。なお帽子と靴については合うサイズがなかったため予約をして戻る。
夕刻、激しく雷を伴なった驟雨がある。「梅雨は雷に始まり雷に終わる」 というが、しかしいまだ梅雨には早いだろう。
きのう断酒をした事実の何が嬉しいかといえば 「今日こそは酒が飲める」 という気分に朝からなっているという、その余裕が嬉しい。玄関奥の暗がりから発掘された20年ほど前の焼酎の中でも、最後の 「だんべえ」 のお湯割りは殊に美味い。これを飲みつつ初更の肌寒さに似合いのキムチ鍋を食べる。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
疲労のため5時にようやく目を覚ます。6時に起床して事務室へ降りメイラーを回すと、きのうオープンした同学会ホームページにつき、諸方との連絡不行き届きにより発生した誤りから単純な変換ミスにいたるまで、これを修正してくれとのメイルが相次いで入っている。とりあえず、その指摘する場所をウェブ上に確認する。
朝飯は、ブロッコリーの油炒め、水菜の炊き物、昆布の炊き物、メカブの酢の物、納豆、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
同学会ホームページの、メイルで指摘されたいくつかの誤りを書き換えサーヴァーへ転送する。その後、修正を要請してきた相手に対し、鬼神が乗り移ったごとくと言えば大げさだが、次々と返信を書いて送る。その最中、日曜日の店舗では、現在の在庫だけでは足りない注文を得て、製造現場でこれを箱詰め包装するなどの仕事もする。
初更、トマトとレタスとキュウリのサラダ、ハム、ジャガイモのオムレツ、"PAUL" のパン、陶製の鉢に満たしたホットミルクを晩飯とする。
同級生のコバヤシヒロシ君は学生のころクロワッサンにバターを塗って、それ自体が完結した食品であるクロワッサンにバターを塗るのは噴飯ものと、お姉さんにたしなめられたという。お姉さんのそういう美意識は僕も大いに理解するが、きのう北千住の駅ビルにてその表面に薄くチョコレートを塗られたクロワッサンを見たら、やはりこれを買わずにはいられなかった。
7時より春日町一丁目公民館へ行き、次週の総会に備えて話し合いをする。8時に帰宅して入浴し、牛乳を200CCほども飲んで9時に就寝する。
目を覚まして 「4時ごろだろうか」 と考えつつ枕頭の灯りを点けると、時刻はいまだ2時30分だった。「文壇」 を読み終えて二度寝に入り、6時に起床する。
昨年の春よりホームページ研究室として想を練り、今年1月から制作に入った自由学園同学会のホームページは遂に本日、サーヴァーへ転送された。ここ数日は最後の追い上げで諸方とのやりとりに忙殺されたが、これからは更新頻度とその内容が問われていく。そして来年度はこれを徐々に僕の手から離し、次代に引き渡す体制を確立しなければいけない。まぁ、大丈夫だろう。
朝飯は、水菜の炊き物、ソーセージとキャベツの油炒め、昆布の炊き物、胡瓜のぬか漬、メシ、ワカメと茗荷の味噌汁。
下今市駅7:46発の上り特急スペーシアに乗る。シートの肘かけから読書用の小テイブルを引き出し、"LEICA ?c" にフィルムを入れる。本日は快晴のため、レンズは固定銅鏡のズミクロンではなくエルマーにした。なによりエルマーは小さくて軽いところが良い。
愛好家のウェブペイジではライカ製レンズの 「味わい」 について語りに語られ尽きることがない。そして決まってあらわれるのが 「作例写真」 というもので、しかし 「第1世代ズミクロンと第3世代ズミクロンとの明確な差」 など、ブラウザで見る限りなにがなんだか分かりゃぁしねぇのである。
そして僕にとって 「レンズの味わい」 などは、どうでもよいものだ。いま撮っている写真はどのみちフィルムスキャナで読み込み修正を加え、そしてそれを置く場所はウェブの上なのである。そういうわけで僕は、焦点距離と明るさと使い勝手によってのみ使うレンズを決める。
利根川を渡るあたりで同級生サカイマサキ君より電話が入り、同学会ホームページの出来の良さを褒められる。
11時より同級生アケミツシ君が社長を務めるスパゲティ屋 「ポポラマーマ」 のひばりが丘店にて同学会の広報室、ホームページ運営室、イベント企画室が話し合いを持つ。イベント企画室に割り振られた同学会のドメインを持つメイルアドレスにつき、ホームページ運営室のゴールドロベルト君が乞われてその設定を自身の "Vaio" より変える。
0時30分に自由学園の学部3階へ行き、1回生から61回生までの60学年を擁するクラス委員会へ出席する。そして2時、同級生イトウイクオ君を委員長とする2005年度の同学会総会は始まった。会場の一角には学部のエンドー先生に設置していただいた2台のコンピュータがあって、数時間前に生まれたばかりの同学会ホームページを出席者の閲覧に供している。
総会は無事に終了した。正門からむかしの埼玉銀行、今のりそな銀行へ歩いていく途中で下級生アシカガタカノブ君の "560SEL" に拾われる。昼前にも来た 「ポポラマーマ」 ひばりが丘店への階段を上がり、今度は "pdn"(Primary Dougakunotomo Network)の会議に出席をする。そして更に、2004年度の同学会本部委員会の慰労会が開かれている線路向こうの 「笑笑」 へ移動し、とりあえずは上級生タカハシケータ君が注いでくれたビールを飲む。
しかしながら、ここで数十人と共に飲んでいれば帰宅はいつになるか分からない。適当なところで中座し、池袋、西日暮里、北千住と移動して20:11発の下り特急スペーシアに乗る。
車掌に声をかけられて外を見れば、そこは日光駅のプラットフォームだった。改札口で190円の乗り越し料金を支払い、更にタクシー代2,180円をかけて帰宅する。入浴して牛乳を300CCほども飲み、11時前に就寝する。
きのうは早く寝たにもかかわらず、睡眠不足もあって4時すぎにようやく目を覚ます。「文壇」 を開いて数十分したところで活字から視線を外し、「そうだ、今朝は仕事があったんだ」 と気づいて飛び起きる。
事務室へ降り、きのう更新したばかりの顧客名簿から夏のギフトの送り先を選び出す作業に入る。これは今風に言えば 「ビミョー」 なコンピュータの操作を要するため、電話が鳴ったり人の都合で動くことになる日中にはできない。7時10分にようやく納得のいくリストを作り上げて居間へ戻る。
朝飯は、油揚げと小松菜の炊き物、胡瓜のぬか漬、ピーマンの油炒め黒酢がけ、ほうれん草のおひたし、昆布の炊き物、メシ、ワカメと万能ネギの味噌汁。窓を開ければ暖かい空気があり空にはツバメが飛んで、数ヶ月前の冬景色にくらべれば、まるで北欧からタヒティへ瞬間移動したように心地よい。
あしたオープンする自由学園同学会のホームページについて 「まだ間に合うならこれを掲載してくれ」 とか 「既に知らせてあった情報の一部を変更して欲しい」 というようなメイルが相次いで入る。そしてこれを受ける僕でさえ、自分が書いたものは最後までこねくり回して修正を重ねるから、結局このホームページは夜半まで、あるいは明朝まで更新され続けるような気がする。
繁忙にて昼飯を作る時間の取れない家内と同じ町内にある観光施設 「市縁ひろば」 へ行き、敷地内の料理屋 「かたくり亭」 にて定食を食べる。広場に流れる有線放送が島津ゆたかの 「ホテル」 から敏いとうとハッピーアンドブルーの 「星降る街角」 へと続いていくのは誰の趣味によるものだろうか。それにしてもここの蕎麦は美味い。
このところ日が延びて、いまだ空が明るいうちから晩飯の時間になる。焼酎 「だんべえ」 をお湯割りにし、食卓で 「文壇」 を読む。
昼間、外注SEカトーノさんのお母さんが自分で摘み、調理できる直前の状態まで綺麗にして持ってきてくれた、野生の水菜による炊き物は大好物だ。そして温泉玉子。もしも湯島天神下の 「シンスケ」 の壁に 「温泉玉子」 と 「ゆば刺身」 の短冊が見えたらこの双方を注文し、オヤジの目を盗んでグジャマゼにして食べると美味い。三つ葉のおひたし、うずら豆。
先日、ある飲み屋で三つ葉のおひたしを注文して 「なるほどオレがおひたしを好むのは、これに酢や醤油を勝手にかけて、自分の味を作れるからなんだな」 と認識を新たにした。もっともすこし高級な店へ行くと、おひたしにはあらかじめその店のダシによる味が付いているから、これを酢の物にしてしまうという手は使えない。
それはさておき僕はできあいのドレッシングをあまり有り難がらず、しかし1980年代初期のスペインではまともな料理屋へ行ってもサラダにドレッシングは添えられなくて、卓上の酢と油と塩と胡椒を自分勝手に振りかけて食べる式が多かった。これをスペインの後進性として馬鹿にする人もいたけれど、僕はむしろこのパーソナルな方式を尊重する。
刺身は平目、鯛、平政、甘エビ、赤イカ。刺身といえば鮪しか食べられなかった次男が最近は可食の範囲を広げたのは良いけれど、今夜はやたらに平目ばかりを食べて、そうなればそうなったでなにやら迷惑な気もする。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
0時30分に目を覚まし、「文壇」 を開いてこれを5時30分まで続けて読む。野坂昭如の極端に改行の少ない、読み飛ばそうと思えばどこまでもそうすることのできる文体に対し、5時間でこなしたペイジが216ペイジだから、僕は確かに遅読の人である。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
このところ雲の多かった空は、快晴とまではいかないまでも、半分ほどは青い色を薄い雲間に覗かせている。朝飯は、茄子の味噌炒り、昆布の炊き物、油揚げと小松菜の炊き物、胡瓜のぬか漬、生のトマト、納豆、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。テレビでは天気予報の人が、今日は暖かい陽気なので出勤にコートはいらないでしょうと話している。僕の感覚からすれば、5月の東京に、いまだコートを着ている人のいることが不思議だ。
おとといの日記に寧楽共働学舎の火災を書いたばかりのところで今朝メイラーを回したら、ここのベーコンの予約を取る旨の報せが入ってきた。早速その注文フォーマットに必要事項を入力し、注文ボタンをクリックする。納品は6月中旬予定とのことにて、「20日に欲しいから19日に出荷しろ」 ではなく、この農場のように 「できたときが出荷のとき」 というのもまた、大いに悪くない。
今週末に自由学園同学会ホームページのオープンを控え、そのURLのみを印刷した名刺100枚を、東町の 「はんこSHOP今市」 にて注文する。名刺の内容がひどく単純なため、はじめできあがりまでに24時間と言った店主は 「だったら5分くらいで作れます」 と、その納期を23時間と55分ばかり短縮した。名刺ができあがるまで隣の古本屋へ入ってむかしの文庫本を眺めれば、「世間の人が働いている時間に古本あさりとはなぁ」 と、普段よりも余計に 「無能の人」 感がつのる。
初更、教科書音読の宿題を督励して後、今夜のおかずがハンバーグだと知った次男が 「ソースは金長のがいい」 と言う。これは生憎と切らしているため 「トンカツソースにケチャップを混ぜれば良いじゃないですか」 と返すと 「いやぁ、やっぱり」 などと口ごもるため、玄関まで降り外へ出て100メートルほどを南西へ歩く。
既にしてカウンターにふたりの酔客がいる洋食屋 「金長」 を訪ない、ステーキソースを買って戻る。北西の空を覆う雲には大きな穴があって、その奥に青空が見えている。明日は晴れるかも知れない。
トマトと胡瓜とレタスのサラダ、ポテトフライ、人参のグラッセ、ほうれん草の油炒めを添えたハンバーグステーキにて酒は飲まず、メシ1杯を食べる。
今朝は0時30分から起きているため非常に眠い。ベッドへ倒れ込む前に入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
2時30分に目を覚まし、「比較文化の目」 を1時間ほど読んで二度寝に入る。6時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、ほうれん草の胡麻和え、茄子の油炒め、メカブの酢の物、納豆、胡瓜のぬか漬、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
きのうの夕刻あるいは今朝のよしなしごとの時間に連ねたメモに従って仕事をこなす。自分だけで完結することには完了を示すチェックマークが早期に連なるが、相手のあることについては昼過ぎまでもちこされるものもある。その最中に同級生や上級生や下級生へ向けて個人メイルや同報メイルを発信し、届いた返信にまた返信を送る。このところ学校のことでなにやかやと忙しく、本日の朝から燈刻までに送信したメイルは50通を超えた。
初更、次男の算数と国語の宿題を督励する。「こんなこともわからねぇのか」 と焦燥することもあるが、そこで怒ると勉強嫌いの人間ができあがることは、自らを振り返れば簡単に認識ができる。「直径って、なに? だったら半径は?」 と、質問を交えながら辛抱強く勉強を見る。
焼酎 「だんべえ」 をお湯割りにする。うずら豆の器と並ぶ昆布の炊き物を示して 「これ、大好き。海草をたくさん食べるとジジイになってもハゲないんだよ」 と自分の頭を指すと、次男が視線を上に延ばして 「ハゲてるよ」 と言う。ウチで海藻の好きなオフクロは白髪、同じく僕はハゲ、そして海藻を食べないオヤジはいまだ黒髪がふさふさとして、だから僕は、これこれを食べるとなにがしに効くというような説は一切、信用しない。油揚げと小松菜の炊き物、鰈の煮付け、茄子の味噌炒りと胡瓜のぬか漬にてメシ1杯を食べる。
入浴して牛乳を300CCほども飲む。寝室へ引き上げて
のさわりだけを読み、10時に就寝する。
2時30分に目を覚まし、「比較文化の目」 を読んで3時30分に至る。部屋がすこし朝の光を帯びた気もするが、いくら夏至に近づいたとはいえ、これは気のせいだろう。二度寝をして6時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、水菜とツナのサラダ、ピーマンの油炒め、メカブの酢の物、白菜キムチ、納豆、メシ、豆腐と茗荷の味噌汁。
1975年だからサイゴンが陥落した年に僕は自由学園の学部1年で、夏休みには三重県尾鷲町にある学校の演習林へ行った。あのときにはたしか朝6時から山へ入り、檜の下草刈りをして12時に下山した後はすべて自由時間だったような覚えがある。朝飯は5時だか5時半からで、だから朝飯の当番は3時半ころには起きた。
晩飯当番のとき、僕は林道を4キロ下って材料を買い、ピーマンの肉詰めを作った。その夜の礼拝の司会は、当時の小屋番だった10歳年長のフクザワ君がしたのだっただろうか。礼拝については賛美歌の何番を歌い、聖書のどの個所を読んだかの記憶はないが、ただひとつ、礼拝の後にフクザワ君がオマル・ハイヤームのルバイヤートを読んでくれたことは覚えている。
「オマル・ハイヤーム」 も 「ルバイヤート」 も知らなかったけれど、そのときに聞いた一編の詩は強烈に身のうちに残った。鉛筆もメモ用紙も持たない僕は 「ル、バ、イ、ヤ、ア、ト」 という6音を頭に刻んだ。そして東京へ戻るなり池袋パルコの本屋へ直行し、岩波版のそれを手に入れた。
そういう思い出のあるフクザワ君が責任者を務める寧楽共働学舎が、今月の6日に家畜舎を除く3棟を全焼失したとは、自由学園卒業生有志のメイリングリスト "pdn"(Primary Dougakunotomo Network)で知ったことだ。この農場のベーコンは 「スタインベックの 『朝食』 に出てくるベーコンって、こんなんじゃねぇか?」 と想像をたくましくさせるような重量級で、僕は大好きだった。肉の加工場は燃えた宿泊棟とは離れていたから、これはもちろん無事だろう。早くまた、あのベーコンが食べたいものだと考える。
火災の数日後、フクザワ君が知人に宛てた現況報告はただちに "pdn" へ転送され、そこには今回の難に対しての 「感謝」 という言葉があった。フクザワ君のような人には、僕は一生かかってもかなわないのである。僕がフクザワ君に抱くのは、ただただ畏敬の念のみだ。
燈刻に昨年のボジョレヌーヴォーを抜栓する。レタスとセロリとイカのサラダ、マカロニと枝豆のサラダ、鯛のポアレとほうれん草のバルサミコソース、"PAPAN"のパン、残り少ないリンゴのジュレ。チーズがそろそろ痩せて僕好みの匂いを発しているためその表面をナイフでこそげ取り、残るすべてを平らげる。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、10時前に就寝する。
4時30分に目を覚ます。「比較文化の目」 を90分ほど読んで起床し、事務室へ降りる。いつものよしなしごとをしつつシャッターを上げると、これから曇るのか晴れるのか判別のつかない空が見える。熱いプーアル茶を飲みつつ開いた新聞には、モニカ・セッテルンドの焼死を伝える小さな記事があった。
7時に居間へ戻る。朝飯は、ワカメとオニオンスライスの鰹節かけ、胡瓜のぬか漬、まだある茄子と豚挽肉の中華風炒め、う巻き、メシ、ワカメと油揚げと万能ネギの味噌汁。
先週末に続いてきのうから今日にかけても日記の作成が1日おくれている。更に、ウェブペイジの新しい部分を納品するため、午後より外注SEのカトーノさんが僕の "ThinkPad" を持ち帰っている。作成を依頼したウェブペイジが僕の "ThinkPad" にすっきりと納まるあいだ、事務室内の他のコンピュータにディスケットを突っ込みきのうの日記を作成する。
半分ほどまで作業の進んだ "ThinkPad" は、夕刻になって届けられた。
いまだ乙類の焼酎など鼻について飲むことのできなかった20年ほど前に、オフクロが百貨店の頒布会で買った焼酎を玄関奥の防空壕のような場所で発見したのは一昨年のことだっただろうか、その最後の1本である秩父焼酎 「だんべえ」 をお湯割りにする。そして 「あぁ、酒の飲める日は良いなぁ」 とつくづく思う。
冷や奴、閉店前の2割引だか3割引で買った牛タンの塩焼き、同じく2割引だか3割引で買ったオージービーフによるカルビ、レタスとトマトとワカメと玉ネギの朝鮮風サラダ、否、日本人の好みに合わせて調製された、日本の焼肉屋で出てくるようなレタスとトマトとワカメと玉ネギの朝鮮風サラダ。胡瓜と茄子のぬか漬、白菜キムチにてメシ1杯を食べる。また、抹茶餡のどら焼き1個を最後の酒肴とする。
入浴して牛乳を400CCほども飲み、10時に就寝する。
深夜2時20分に目を覚まし、「東京ニコン日記」 を見るというか読むというかして90分後に最終736ペイジへ至る。僕の好きな写真集はこの 「東京ニコン日記」 にしても荒木経惟の 「東京は、秋」 や 「十年目のセンチメンタルな旅」 にしても、これが写真だけではなく結構な長さの文字も含むため、すべてのペイジをこなすのに短くない時間を要する、という共通の性質を持つ。
二度寝をして6時に起床する。日曜日の朝に雨が降っている、というところがどうも気に入らない。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、里芋と人参と鶏挽肉の煮転がし、茄子の油炒め黒酢がけ、胡瓜のぬか漬、納豆、メシ、ワカメと油揚げと万能ネギの味噌汁。
問題の雨は7時すぎに上がった。そして濡れた地面を乾かす太陽さえ、8時すぎには雲間よりあらわれた。
終業後、「東京ニコン日記」 へ逸れたしばらくのあいだ脇へ置いておいた「比較文化の目」を開き、これを読む。この本は、あちらこちらの国の報道機関が日本へ派遣した、ジャーナリストとは日本語でどういうのだろう、とにかくそういう人たちや、あるいは学者たちによる、自国と日本との 「飲食」 をその足がかりとして互いの文化の特長を述べた小論文集だ。
その中には優れて客観的だったり、あるいは一風変わった視点からの、目から鱗の落ちるようなものもあれば 「これが一体全体、とりあえずはインテリが就くものと世間に認識されている職業に属する者の展開する論理だろうか」 というものまであって、なかなか飽きない。
全16編のうち最も日本人受けのするものは、日本のこういうところがダメで、西洋のこういうところが優れていると、古色蒼然としたステレオタイプを開陳したものと考える。日本人はむかしから西洋人や、西洋の文化に身を置いたことのある日本人に批判されることを好む。
本日は朝から断酒を決めていた。トマトと水菜とハムのサラダ、茄子と豚挽肉の中華風炒め、蒸し焼売、うずら豆の煮物、胡瓜と茄子のぬか漬にてメシ1杯半を食べ、僕の分のイチゴは次男に渡す。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
夜中に目を覚ましてかなりのあいだ 「東京ニコン日記」 をはじめ枕頭の活字をあさる。二度寝に入って目を覚ますと既にして7時をすぎているため慌てて起床する。1階へ降りて事務室ほか諸方の鍵を外し、4階の居間へ戻る。
本日は社員クロサワセイコさんの結婚式に呼ばれているが、おととし作った礼服は最初から胴回りがきつい。だから今朝は腹の出をすこしでも押さえようと米を避け、クロワッサン1個、ヨーグルトとミルクティー、ハム、イチゴという、滅多にないパン食とする。
泥縄式に加藤床屋へ行き、昼前に家内と共にホンダフィットにて宇都宮へ向かう。披露宴は3時からだから、それまでにはいささか腹が減るだろう。それをみこして昼食と甘味も出す器屋 「たまき」 へ寄り、クリームあんみつを食べる。あんみつを食べるなどは、およそ40年ぶりのことではないか。「たまき」 のあんみつは美味かった。
西暦2000年の春に入社をしたクロサワセイコさんの結婚式は1時30分より始まり、その30分後にとどこおりなく完了した。問題は3時からの披露宴にて僕がスピーチをしなくてはいけないことで、これは池袋のモツ焼屋 「男体山」 でチューハイを飲みながら、赤いバンダナを細くねじったはちまきのオバサンにヨタ話を飛ばすこととはワケが違う。新郎側の主賓に続いて祝辞を済ませると、家内がハンカチを差し出して、とりあえず汗を拭けと言う。僕は不真面目な話は得意だが、真面目な話はそれほど得意ではない。
結婚式の招待客は新郎新婦の同級生が多く、最後まで賑やかだった。新婚旅行は明日から沖縄へ出かけるという。
空が暗くなりかかるころに帰宅し、"BACARDI" のホワイトラムを猪口で2杯だけ飲む。入浴してこんどは牛乳を300CCほども飲み、10時前に就寝する。
5時30分に目を覚ます。窓の外には既にして朝の光があるが、枕頭の灯りを点けて 「比較文化の目」 をすこし読み、6時前に起床する。お湯を沸かして熱いプーアル茶を飲んでいるところに長男が起きてきて、きのうのうちに粉をこねて焼いてあったパンによる朝飯を食べ始める。長男にフィルムは要るか? と訊くと要ると答えるので、きのうビックカメラで買った15本のうち3本を残置する。
6時30分をすぎて玄関を出る。岩崎の屋敷裏から切通公園の脇を抜け、切通坂に出る。春日通りではなく、カラスと猫が跋扈する湯島の繁華街をジグザグに辿って上野広小路へ至る。浅草駅で7:30発の下り特急スペーシアの座席指定券を確保した後、地下道の豚かつ屋 「会津」 へ入り、今日は動物性タンパク質を避けて納豆定食にシラスおろしを追加する。
目の前にある2本のビンのうち大きな方を取ってシラスおろしにかけ、それを食べると慣れない味がする。「あぁ、豚かつ屋だからデフォールトはソースだったか」 と、小さい方のビンにある 「丸大豆醤油」 の文字を見て思う。ソース味のシラスおろしと醤油味の納豆にて朝飯を済ませ、500円玉1枚をカウンターへ置く。
長男が使うカメラはニコンFとニコマートで、だから田中長徳の 「東京ニコン日記」 を以前、甘木庵へ送ったが、どうも長男はこれにさほどの興味を持たないらしく、だから今朝、僕はこの写真集を長男から受け取ってショルダーバッグへ入れた。その 「東京ニコン日記」 にある、短くない文章を読み終える前に特急スペーシアが下今市駅に着く。9時すぎに帰社して仕事に復帰する。
燈刻になって、東京での用事を済ませた家内を下今市駅へ迎えに行く。「今日は酒、飲まないよ」 と言うと 「えっ、今日はワインに合うお総菜、買ってきたのよ」 と驚いたように返すので、初志を翻して飲酒を為すことにする。
"PISCO CAPEL" を生で飲みつつ 「東京ニコン日記」 を見るというか読むというか、読むというか見る。ニッコール21ミリで撮った傷痍軍人の写真があって、場所は池袋の東口、撮影年は1969年とある。僕が高校1年だった1972年にも、同じ場所に傷痍軍人はいた。田中長徳の写真と僕の見た白衣の軍人とが同じ人物なのかどうかは知らない。
3種のサラダ、砂肝の薫製とニンニク風味の焼きジャガイモ、"PAUL" のパン。そのパンにレヴァーペイストとチーズを載せ、先月29日以来バキュバンで栓をしておいた昨年のボジョレヌーヴォーを飲む。"ANGELINA" のミニモンブランはあざといほどの美味さだが、僕はこれにはウイスキーを合わせたい。しかし今、家の酒蔵にウイスキーの在庫はない。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、またまた 「東京ニコン日記」 を読んだり見たりして10時に就寝する。
目覚めてより充分な時間をおいたつもりで枕頭の灯りを点け、時計を見るといまだ2時30分にもなっていなかった。「比較文化の目」 を読み、また闇に戻って休んだりするが眠気は訪れない。5時に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。空はよどんだように曇って日光の山は見えない。
朝飯は、納豆、筍の炊き物、胡瓜のぬか漬、なめこのたまり漬、大根おろし、メシ、シジミと長ネギの味噌汁。きょうのメシでは大根おろしが特に美味い。納豆は、この大根おろしで食べるのが、自分の好みからすれば最上である。
本日は僕のおじいちゃんの祥月命日にあたるため、家内と墓参りに行く。半袖のポロシャツ1枚で会社を出た僕に、長袖のカーディガンを着た家内が 「寒くないの?」 と訊く。寒いことは寒い。しかし薄着で育てられた人間は、寒くても厚着はできない。雪の戸外にいる犬に向かって 「あなた、裸で寒くないの?」 と訊いても犬は生来、裸だから 「そんなことを言われても」 と、大いに困るだろう。僕も犬と同じである。
如来寺にあるウチのお墓の裏側では、石材店が新しいお墓を作る工事をしていた。キャタピラ走行式のクレーン車が、そのお墓の中で最も大きな石をつり上げ台座へ降ろそうとしているそのとき、クレーン車が丸ごと傾いて、ふたりの職人は素早く飛び退いた。石の重さに対してクレーンのビームを延ばしすぎたのだろう。大きな石は隣のお墓に落ちてそれを傷つけたから、これから面倒なことになるかも知れない。
「職人ひとりに馬鹿8人」 という言葉がある。職人の仕事は素人からすればとても面白く、それを眺めようとして8人のひま人が口を開け集まっている風景をこの言葉は説明しているわけだが、今日の事故を見て 「8人の馬鹿のうちのひとりになっちゃぁいけねぇな」 と心に刻む。石材店の若い人は事後処理の方策を求めて、誰かと電話で話し始めた。
16:03発の上り特急スペーシアに乗り、北千住と西日暮里を経て池袋に至る。ビックカメラでコダックの "T-MAX400" 15本を買い、そこから裏側の雑踏に踏み込もうとして、ミカド劇場のまわり一帯が駐車場になってしまったことを知る。一帯このあたりには何年のあいだ近づかなかっただろう。
池袋駅の北から南まで縦断して明日館に至る。同学会本部委員会の、2005年度の最後の会議に出席をする。僕に5分間が割り当てられた1回目の発言を1分間で済ます。会議の終了近くに2度目の発言を求められて、ここでは早く話を終われと、タカハシケータ副委員長が身振りで示す。
9時を過ぎて駅へ向かう途中の中華料理屋 「楼蘭」 へ寄り、これはなかば恒例になっているが、皆で晩飯兼会議の続きを行う。
6月に発行される同学会報の第2号に僕は文章を求められた。それを先日、次期広報室長のイリヤノブオ君に送ったところ、折り返し 「あと200文字増やせ」 と要請をされ、1時間後に所定の長さにして再送した。それが早くも現物の体裁を整えて僕に手渡される。2段ちょうどに組まれたその紙面を確認し、これからもう1個所にだけ手直しを加えようと考える。
11時に甘木庵へ帰着すると、CDプレイヤーからのポルトガル語の歌が低く流れていて、長男は既にして寝ていた。入浴して牛乳を400CCほども飲む。「比較文化の目」 をすこし読んで0時30分に就寝する。
僕は義務感によって本を読むことができない。仮に 「猿でも分かる試算表の作り方」 という本があったとして、これを僕が読めるかといえばそれは読めない。つまり 「猿でも分かる」 という表題を持つ本であってもこれを義務感から読もうとすれば、最初の数ペイジあるいは数十ペイジで頓挫をするだろう。その点で僕は猿にも劣る存在である。
コンピュータのハードやソフト、ヴィデオやデジタルカメラのマニュアルも、義務感を以てこれにあたるから読めない。だから僕はコンピュータやデジタルカメラの使い方はすべて人から口伝えにその使用法を教わり、自分に理解のできる言葉で大学ノートを埋めて、これを自分専用のマニュアルとする。
羽仁翹の 「よく生きる人を育てる 偏差値ではなく人間値」 という真面目な本を遅読の僕が僅々2日で読み終えたとは、ここに率直な目で観察をした興味深い内容と簡潔な文体があったからだ。というわけで 「こういうちゃんとした本の直後に野坂昭如の 『文壇』 を読むのはマズイだろうなぁ、ワンクッション置かねぇと」 と考える。
5時に目を覚まして枕頭の活字をあさり、6時前に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、山椒の佃煮、納豆、大根と茄子と胡瓜のぬか漬、メシ、きのうの天ぷらと三つ葉の味噌汁。二杯目のメシはタケノコご飯。
始業直後、この数日をかけ第4稿まで推敲したメイルマガジンを発行する。送付ソフトがいまだお客様へ向けてメイルを放射し続けているそのあいだに、50音順で上位にあるお客様より早速の注文が入る。素直に有り難く思う。
おととい90歳で亡くなった親戚のお婆さんを差出人とするお茶が、94歳の僕のおばあちゃんを宛先として午前に届く。90歳のお婆さんは死の直前に、毎年この時期と決めている諸方への贈り物を手配したらしい。大したものである。僕には多分、そういう芸当はできないだろう。いや、芸当などと言っては叱られるか。
燈刻、本日は飲酒を避けるからいきなり食卓へは着かず、階段室へ行って本を物色する。
シソの葉としょうがのたまり漬を載せた冷や奴、春雨サラダ、タケノコの炊き物、次男が包んだ餃子による水餃子、胡瓜と大根と茄子のぬか漬、メシ2杯、豆の甘煮を食べて飲酒は避ける。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、「比較文化の目」 を読んで10時に就寝する。
4時に目を覚まし、「よく生きる人を育てる 偏差値ではなく人間値」 を読んで5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。暑くなく、寒くなく、風もなく、とうに散った桜の木には若葉だけが見える。
朝飯は、目玉焼き、茹でたソーセージ、茄子の油炒め黒酢がけ、なめこのたまり漬、納豆、生のトマト、大根のぬか漬、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁。
ライカの?c用として、先日 「平井製作所」 にメイルでストラップを注文したが、数日を経ても返信がないためきのう電話をしたところ、ヒライさんは 「黒の100センチですね、今から作ります」 と言った。今朝それが早速に届き、包みを開くとそこには 「日本海海戦の折、旗艦・三笠の艦橋に立つ東郷平八郎の首からカール・ツァイス社製の双眼鏡をつり下げていたストラップとは、こんなやつじゃぁなかったか?」 と思わせるドイツ革の無骨な品があった。
「これは小さな?cにはごつすぎる」 と考え、エムロクから "ARTISAN & ARTIST" のコードバン製ストラップを外してこれを?cに付ける。エムロクはもともと 「平井製作所」 の速写ケイスに収まっているから、これに同じ会社のストラップを付ければ似合いだろう、そう考えてエムロクに合わせてみれば 「矢でも鉄砲でも持ってこい」 と言いたくなるほどの頑健さをその姿は示した。
「たすき掛けにすべきは?cではなくてエムロクだったんだな、よしっ!」 と、僕にしては珍しく都合の良い解釈をする。M型ライカと 「平井製作所」 の速写ケイスおよびストラップの外観的整合性はそれほどにも高い、ということだ。
燈刻、甘納豆を肴に焼酎 「無月」 のお湯割りを飲む。ほうれん草の胡麻和え、山椒の佃煮、茶碗蒸し、手羽先の大葉巻き、舞茸、エビと長ネギの天ぷら、タケノコご飯。
入浴して牛乳を200CCほども飲む。「よく生きる人を育てる 偏差値ではなく人間値」 を開いて11時にこれを読み終え、その30分後に就寝する。
0時30分に目を覚まし、枕頭の活字を拾い読みしてしばらく後に二度寝に入る。明け方に起床するがその時間は確かめなかった。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、ふきのとうのたまり漬、なめこのたまり漬、ジャコ、牛肉とエノキダケの甘辛煮、山椒の佃煮によるお茶漬け。
先日、ニコンの古いストラップを進呈したお客様より礼状が届く。愛用のニコマートからキャノンのストラップを外し、早速にシボ皮の純正品を取り付けた旨の文章を読む。「やっぱり差し上げて良かった」 と嬉しく思う。書画骨董はともかくとして、ストラップなど死蔵するものではない。
プラスティックの封筒から1枚のディスケットを取り出して 「ここへ品物を送ってください」 というお客様がご来店になる。即、そこからコマバカナエさんのコンピュータにエクセルのファイルを移し、ディスケットはお返しをする。面倒なご注文も好きだが、こういう話の早いご注文も嫌いではない。そのファイルには見た瞬間 「いいじゃん」 とつぶやくほど多くの送付先があった。
僕としては珍しく、ウッギャーと言いたくなるほど忙しい時がしばらくのあいだ続く。
夜7時30分より、次男が通う小学校の親が集まっての作業が家であるため、ポテトと胡瓜とレタスのサラダ、豚のクリームシチュー、金谷ホテルの田舎パン、チーズや安いワインにて簡単に晩飯を済ます。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、
その日の何時に目覚めて何時に起床したかについては朝、記憶のあるうちにメモへ残すが、この日に限ってはなにも書き込みがなく、だからいつ目覚めていつ起床したのかは知らない。とにかく事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、大根のぬか漬、納豆、生のトマト、メカブの酢の物、三つ葉のおひたし胡麻かけ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
朝の外掃除の折、ホウキとちり取りを脇へ置いて雑草を抜き、隠居の桜からまだ落ち続けている紅色の花心については、これを社員に掃除してもらおうと頭の片隅へ残す。事務室へ戻っては、ウェブショップ用の新しいボタンの作成と画像の加工を、北の方へ遊びに行っているらしい外注SEのカトーノさんにメイルで注文する。
連休に保養地へ繰り出した人々のほとんどは、日光地方では5日に収束したらしく、本日はそれほど繁忙でない日曜日になった。店舗駐車場に点在する木々の、特に繁りすぎた葉や伸びすぎた枝を眺めて 「植木屋を呼ぶようだろうか」 と考える。
燈刻、残り少なくなった焼酎 「無月」 の甕から茶碗に、竹のひしゃくでその中身を注ぐ。これは先日、ワインよりも蒸留酒にこを似合うと感じた脂身のみの生ハムを食卓上に見てのことだ。トマトのオリーヴオイル和え、茹でたブロッコリー、強く香るバター、田舎パン。4日に子供が掘ってきたタケノコの残りとチンゲンサイによるスパゲティでは、バキュバンで栓をしておいた "Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1999" を飲む。
それにしても、鎌倉の三留商店より取り寄せたハムの濃い味には芋焼酎さえ負けてしまう。からだを90度ほど右にねじって背後に置いた高粱酒のビンを掴み、最後の1杯にはこれを飲む。その1杯が1杯では終わらず2杯になる。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、「優柔不断読本」 を読み終えて10時に就寝する。
3時に目を覚まして 「優柔不断読本」 をずいぶんと読み進み、5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、生のトマト、納豆、メカブの酢の物、キャベツの油炒め黒酢がけ、メシ、たらの芽の天ぷらと豆腐と長ネギの味噌汁。
酒を飲み過ぎていないか、脂肪を摂りすぎていないかを客観的に追跡するため1ヶ月に2度は行くオカムラ外科から帰社すると、さきほどらっきょうの材料を探している人から電話があったと事務係のイリエチヒロさんが言う。ウチはらっきょうのたまり漬は売るが、畑から収穫したばかりのらっきょうは売らない。イリエさんが 「それを説明してもなかなか諦めてくださらなくて」 と、問い合わせをしてきた人の携帯電話番号を差し出す。
ここでその番号を回すのが僕の親切なところで、オヤジなら絶対にそういうことはしないだろう。電話の向こうにいる人は
知り合いが5月の中旬に4日間だけ退院を許される。そのあいだに、元気なころ趣味にしていたらっきょう漬けをさせてやりたい。らっきょうは日本国産の天然物に限る。しかしながらそれは九州の市場にもいまだ出回っていない。なんとかならないか?
というようなことを言った。僕は短気かつ右脳しか働かさない割に理屈を好む。つまりこれは 「5月5日のこどもの日の正午に自然分娩で出産をしたい」 と言っているようなものである。「矛盾してますよねぇ」 と思わず口に出すと先方も熱い血を持つ者らしく、一瞬沸騰した感じで 「それは分かってます、分かっているからこそ何とかならないか、と言っているんじゃないですか」 と返した。とにかく無理なものは無理で、話はそこで打ち切られた。
昼の直前、はたと思いついてまた同じ番号をプッシュし、沖縄の島らっきょうであれば既にして収穫が始まっている旨を述べる。相手は、島らっきょうももちろん考えたが、しかし島らっきょうでは、この病人がいつも漬けていたらっきょうではないのでそれは考慮の他である、というようなことを答えた。残された道は、らっきょう畑へ行って、いまだ育ちきっていないそれを引き抜いてくることだ。しかし果たして未熟なうちに収穫された作物を 「天然物」 と呼ぶことができるだろうか。
僕と先方の共通点は、互いに 「妥協をしない」 ところだろう。ただし 「妥協はせず、あくまでも唯一絶対を求め続ける」 のが先方なら、「妥協ができないのであれば、すべてを諦める他はない」 と考えるのが僕で、そこのところは違う。
"JUSCO" のリフォーム店に頼んでおいた、牧童や墓掘り人夫が着るようなウェールズ製のスモックのつぎあてが午後に仕上がった。それを袋から出して広げ、「なんだ、新品のときよりもカッコイイじゃねぇか」 と思う。そして 「つぎあてってのは、妥協の産物だわなぁ、それで新品よりもカッコ良くなるってこともあるんだなぁ、そういえば人間も、あちらこちらにつぎあてのあるようなヤツの方がカッコイイってことが、ままあるわなぁ」 と考える。
夕暮れどきに日光の山は見えない。明日は晴れるのか曇るのか。豚のクリームシチューと山椒の佃煮をおかずにメシを食べ、飲酒は避ける。豚のクリームシチューは大好物だ。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時前に就寝する。
目を覚ましたのはいまだ深夜1時のころだっただろうか。「優柔不断読本」 を読んで3時に二度寝に入り、5時30分から同じ本をまた1時間だけ読む。
これまで知らなかったことだが尾辻克彦つまり赤瀬川原平は30代の終わりに5歳の娘を連れて家を出た。早朝に弁当を作り、雨の運動会では風邪気味の娘を案じながら自分は傘の下でその姿を見守っている、そういう時代の文章はとても切ない。「トマソン」 「ライカ同盟」 「老人力」 と、前衛芸術家が成熟しつつもいまだ先鋭的な思考の下、しかしバカバカしい行動を連発していく以前には、そういう、静かでうっすらとかなしい時期もあったんだなぁと考えつつ起床する。
事務室へ降り、いつものよしなしごとをするまでもなく7時に居間へ戻る。本日の試験に備え、次男の漢字練習を督励する。朝飯は、山椒の佃煮、胡瓜と蕪のぬか漬、タケノコの炊き物、玉ネギとワカメの鰹節かけ、メシ、大根と三つ葉の味噌汁。
9時にならないうちにヤマト運輸が来て、横浜のカメラ屋からの荷物を置いていく。これは数日前に検索エンジンで見つけた50ミリのズミクロンで、1999年9月から翌年3月までのあいだに限定生産された、最新設計の現行品をスクリューマウント化したものだ。かなりの安値に思われたが、珍品にしては人気がないということなのだろうか。
僕が写真を撮るのはほとんど夕刻から朝までのあいだで、その場合、今あるエルマーの3.5はすこしく暗い。1.4のズミルックスは大きく機動性に欠けるし、また沈胴のズミクロンはMマウントのものが既にある。それからこれは杞憂に過ぎないだろうけれども、沈胴のレンズは僕からするとその構造上、精密さや頑丈さに欠ける気がする。
「ライカの?cに取り付けるレンズはこれがベストだ」 と判断をして手に入れた、マウントの形式だけが古い最新型のズミクロンは、横浜のカメラ屋によれば新品同様とのことだった。早速に元箱を開けてみれば、日本シーベルヘグナー社の保証書には有楽町にある有名店の社判が押してあり、そこには今年の1月29日に販売をした記録がある。前オーナーはこの希少レンズを手に入れて3ヶ月後には、早くもこれを放出をしたことになる。買って、手にとって、眺めたらもう気は済んでしまったのだろう。まぁ、そういう人は珍しくない。
銅鏡の指紋をセーム皮で拭き取ると、このレンズは本当の "in mint condition" にあった。?cに取り付けてみるとことさらにその大きさが目立つが、高性能で明るいレンズにある程度のサイズは仕方のないことだ。これを肩から斜めがけできるよう、平井製作所に長さ100センチのストラップを発注する。
さてこの1951年製ボディと1999年製レンズという、婚期の早い家にあっては祖父母と孫ほども年齢差のある組み合わせにて何を撮るか? 多分、動いていないものを静かにフィルムへ定着させることが多くなるのではないか、という気がする。
初更、たらの芽の天ぷら、玉ネギと三つ葉とにんにくのたまり漬の天ぷら、すき焼きにて焼酎 「無月」 のお湯割りを飲む。蕪と胡瓜のぬか漬でメシ1杯を食べる。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
夜中に1時間ほど 「優柔不断読本」 を読んで二度寝に入り、5時30分に起床する。事務室へ降りてウェブショップの 「店舗内外のご案内」 を更新するなどのよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、キャベツの油炒め、胡瓜と蕪のぬか漬、山椒の佃煮、トマトとアボカドのサラダ、納豆、メシ、タケノコと万能ネギの味噌汁。
きのう素晴らしい状態のニコマートをお持ちのお客様が外のベンチにいらっしゃったためそれを褒めると、しかし残念ながらストラップはキヤノン製なのだとおっしゃるので事務室へとって返し、書棚にニコンのストラップを探したが見つからなかった、という話を今朝になってオヤジから聞いた。ストラップは棚の上段にあったため目に付かなかったのだろう。
「ワタクシ、こういう者です」 と、そのお客様は名刺をお残しになったため、いにしえのニコンのストラップに僕の一筆を添えメイル便にて送付する。長男のニコマートにはフォクトレンダーのストラップが取り付けてあるからシボ革の純正品は必要としていない。なお 「Yahoo!オークションに出せば数千円にはなったんじゃねぇか?」 などとは考えない。いずれ稼いでも、そういうお金は即、どこかへ消えてしまうものである。
昼飯にタケノコご飯やタケノコの煮物を食べながら家内が 「美味しい、やっぱり掘ってすぐに茹でたからだね」 と言うと、長男が 「この味は並だよ」 と返す。東京から帰省した者が田舎のタケノコに対して 「並だ」 と言うから訊ねれば、自由学園の豚舎裏に10人が散って1時間も精を出せば100キロのタケノコが収穫できるというので 「あぁ、そういう生活をしてりゃぁなぁ」 と納得をする。
5月の連休は8日の日曜日まで続くが今日がひとつの区切りになるだろう。普段よりも1時間延長した閉店時間に5分遅れて最後のお客様が店を出る。
長男は今夜のスペーシアで甘木庵に帰るから、閉店後に家内の作る晩飯を食べていては間に合わない。そのため閉店の30分前に次男を伴い、2キロ離れた 「大昌園」 へ徒歩で向かったが、僕と家内がクルマで到着すると、既にしてモヤシナムル、レヴァ刺し、タン塩、カルビをそれぞれ1皿ずつ消化していた。
ボトル置き場から自分の焼酎 「田苑」 を取り、これをオンザロックスにする。オイキムチ、レヴァ刺し、カルビ、子袋、ホルモンを適宜、追加する。石焼きビビンバ、テグタンラーメン、塩ラーメンにて締める。
家内の運転により長男を下今市駅まで送って帰宅する。"Pisco Capel Especial" を生で飲み、入浴して今度は牛乳を300CCほども飲む。 「優柔不断読本」 をすこし読んで10時に就寝する。
3時に目を覚まし、なんとか二度寝をしようと試みるが4時になっても眠れない。そのまま起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをしてもいまだ数時間も余裕があるため、「たまり漬を使ったメニュ」 にある鰹のたたきの画像をきのうのものに更新したり、釣り銭を整えたり、あるいは店舗の流し台をブラシで掃除したりと、こまごまとした仕事をこなす。
蔵の冷蔵庫へ行き、大樽の縁に身を乗り出して、ごく少量の赤味噌をすくい取る。これを台所へ持ち込み、七味唐辛子や酒を加えてよく練る。昨年だったか倉庫で見つけた、おそらく数十年前のノヴェルティなのだろう、焼き味噌を作るための猪口にこれを塗りつけガスの火で炙る。
朝飯は、納豆、メカブの酢の物、ソーセージとピーマンの油炒め、胡瓜のぬか漬、きのうのたらの芽の天ぷら、先ほどの焼き味噌、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。焼き味噌にはどうやら味醂を加えた方が美味そうだ。そしてたらの芽の天ぷらは味噌汁の鍋に投入して煮て食べた。冷たい天ぷらを味噌汁の具にするとはなにやら貧乏くさいが、これはなかなかに美味い食べ方である。
開店前に店舗へ行くと販売係のオオシマヒサコさんが、市会議員のナガシマトーコさんが井戸の中で死んでいたことを知っているか? と訊く。トーコさんはうちの隠居のせせらぎにホタルの幼虫を放流するなど、接する機会はたびたびあった。自殺と事故の両面から捜査中と新聞にはあったそうだが、あのトーコさんが自分で自分を殺すとは考えづらい。井戸端で足でも滑らせたのだろうか。いずれにしても、我が町は惜しい人材を失ったと思う。
本日も店は賑わい、定刻を25分すぎてようやく閉店した。
いよいよ残り2本になってしまった "Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1999" を抜栓する。トマトとアボカドのサラダ、「報徳庵」 の先のウチの地所から長男と次男が掘ってきたタケノコによるスパゲティ、3種の生ハム。この中の、特に脂身だけのひとつを食べて次男が 「考えられない美味さだ」 と言う。口の中で融けてしまうこれは、ワインよりもむしろ蒸留酒に似合う気がする。
鰹と鮪とエリンギのオリーヴオイル焼きバルサミコソース、軽く炙ったフランスパン。このフランスパンに、先日オフクロがフランスから持ち帰った洋梨のジュレを載せて食べる。長男に聞いて初めて知ったことだが、このジュレを作ってオフクロに手渡してくれたのは、昨年、ノルマンディにある知り合いの家に野菜を持ってきてくれた際に、長男がその写真を撮ってあげた老夫婦だという。チーズを載せたパンにも、更にそのジュレを塗る。"Cantuccini" を最後の酒肴とする。
入浴して牛乳を200CCほども飲む。「優柔不断読本」 はいくらも読めず、10時前に就寝する。
3時に目を覚ます。「優柔不断読本」 のうち何編かの随筆を読んで二度寝に入り、5時30分に起床して事務室へ降りる。
シャッターを上げると店舗駐車場に1台のクルマが停まっている。予定よりも早く着きすぎてしまったお客様であれば、いまだ開店までかなりの時間があるため、脇から店へ請じ入れて品物をお売りした方が親切だ。そう考え運転席に近づいて 「お買い物ですか?」 と訊くと、ドライヴァーはムッとした顔をしつつ窓を降ろして 「ここにいたら、なにかまずいことでもあるんですか?」 と返す。こういう物言いしかできない人間にも自動車免許証は取得できるのである。「いえ、かまいません」 と答えて事務室へ戻る。
ウチは日光街道と旧会津街道との交差点という分かりやすい場所にあるため、待ち合わせのためにとか、コンビニエンスストアで買ったおにぎりを食べるためにとか、そういう理由で明け方に停車しているクルマも多い。
いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、胡瓜のぬか漬、納豆、トマト入りスクランブルドエッグ、メカブの酢の物、ふきのとうのたまり漬、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。
居間の窓から南西に視線を延ばすとその先には琴平山があって、今朝は早くから祭礼のお囃子が聞こえてきていた。この時間になると白い2本の幟も立って、いよいよお祭りも始動、というところなのだろう。
開店の直前は品出しなどにて販売係の手が薄くなるため、駐車場の水まきは事務係のイリエチヒロさんに頼んだ。塀から張り出した隠居のソメイヨシノが盛大に紅色の花心を歩道に落としている。この掃除にはサイトウシンイチ君とアキザワアツシ君が向かう。この3連休の天気はずっと良いらしい。お陰様にてお客様の出足も早い。
家内がホンダフィットに次男を乗せて、帰省する長男を下今市駅まで迎えに行く。長男と次男は駅から琴平山のふもとまで送られ、頂上で焼きそばなどを食べて昼過ぎに帰宅するのだという。僕は家内の作った、なんだかひどく塩気の薄いチャーハンを昼飯にする。
店は夕刻6時30分まで賑わった。事務室にて残務を整理し、居間へ戻る。
舞茸と厚揚げ豆腐とタシロケンボウんちのお徳用湯波を炊いた鍋があって、ここに豚肉、水菜を投入する。鰹のたたきには、玉ネギと大葉の他にしょうがのたまり漬とにんにくのたまり漬を薄切りも散らす。たらの芽の天ぷらも美味い。これらにて焼酎 「無月」 のお湯割りを飲む。
入浴し、先日町内の会議で支給された350CCの缶ビールを飲む。「優柔不断読本」 をすこし読んで10時前に就寝する。
4時に目を覚まし、これ幸いと起床する。先日、自由学園同学会の次期広報室長イリヤノブオ君から複写でもらった1975年の同学会報 「羽仁吉一先生ご逝去二十年・男子部創立四十周年記念座談会 ミスタ羽仁を語る」 を読む。B5版とはいえ全22面の文字数は多く、1時間を要して最終面に至る。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、また店舗奥の飾り棚に花入れなどの場所替えをする。
7時に居間へ戻り、古い飲茶屋で常連の年寄りが使う蓋椀の、しかし磁器ではなくガラスのそれでポウレイ茶を飲む。朝飯は、ピーマンの油炒め、メカブの酢の物、胡瓜のぬか漬、オニオンスライスの鰹節、納豆、メシ、ワカメと三つ葉の味噌汁。
きのう僕が寝た後に長男の同級生より電話で漬物の注文があった。それを報告しようと甘木庵に電話をすると留守のため、携帯電話を鳴らすと長男は上級生といっしょに新大久保で犬鍋を食べているところだったとは、朝飯の最中に家内から聞いたことだ。犬の肉を食べた人間に犬は決して近づかないと、僕のオフクロはつねづね言っていたが、その説が本当か嘘か試す機会が遂に来た、というわけである。
「連休の月曜日は雨」 との天気予報がくつがえされて、得をした気分になる。郵便局に行って戻った事務係のイリエチヒロさんが僕への郵便物を手渡してくれる。中身は古書店 「家族の本棚」 へ注文した2冊の本だった。
そのうちの1冊で荒木経惟の 「東京慕情」 は、まさしく僕好みの写真の集積だ。見慣れたものが多いため頭の中を探り、それが小林信彦による 「私説東京繁昌記」 に多く用いられていたものだったと思い出す。それでも1枚1枚の写真は 「私説東京繁昌記」 のものよりももちろん大きく、巻末には荒木経惟の作品解説もあって、これは良い買物をした。
もう1冊は池田弥三郎の 「私の食物誌」 で、元旦から大晦日までの日付を振った366編に8編の余話を加えた目次を目で追ううち 「これは家で読むのは勿体ねぇな」 と考える。こういう物件を尻のポケットに入れて飲み屋へ歩く時間には格別の味わいがある。本日を逃すと郵便局から送金ができるのは4日の後になってしまう。イリエチヒロさんが戻った道を今度は自分が自転車で辿り、京都市の西方にあるらしい古本屋に代金を振り込む。
日が暮れていく山の景色を見れば、明日も晴天なのだろう。飲酒を避け、ポーチトエッグを載せたカレーライス、豆腐のサラダを晩飯とする。
1980年代から荒木経惟の写真集を買っている僕が、その第1等に挙げるのは 「東京物語」 で、第2等は 「十年目のセンチメンタルな旅」 だ。両者に共通するのはこれが荒木経惟と荒木陽子との共作であることだろう。その後者がこのところ目につかないため 「まさか紛失したわけじゃねぇだろうな」 と階段室をあさると、それはしっかりと本棚に収まっていた。その最中に見つけたのが
現代の生活環境からすればいまだ深夜にも至っていない0時30分に目を覚ます。いったんは眠ったが1時30分にも隣室の明かりに気づき、ふすまを開ければ家内が本を読んでいる。早く寝るように言って三度目の就寝に入る。4時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとや店舗内外の点検をして7時に居間へ戻る。
朝飯は、納豆、三つ葉の辛子和え、胡瓜と蕪のぬか漬、生のトマト、メカブの酢の物、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能ネギの味噌汁。
日中、店に立っていると、若い女のお客様に 「ホームページで売ってるトートバッグ、ありますか?」 と声をかけられる。戸棚から出して包装を解きお見せすると 「あ、良いですね、ひとつください」 と、これが売れる。3分ほど後に更に若い、今度は男のお客様が 「さっき言ってたトートバッグ、見せてもらえますか?」 とおっしゃり、またお見せすると 「ふたつください」 と、またたく間にこれが3つも売れる。
そのお客様が店をお出になるのを見定めてより、販売係のオオシマヒサコさんが 「センム、あれ!」 と、社員用通路の先を指さす。手塚工房で作ってはみたが広告効果がないため引っ込めていたアクリル製の陳列板をふたたび店に出し、そこにトートバッグを張り付ける。
トートバッグはコンピュータ用のウェブショップではなく、i-modeのウェブショップで販売をしているもので、ここはセキュリティの厳重さが現在のi-modeの通信速度に追いつかない非常に遅いペイジだから訪れる人はほとんどいない。「普通のウェブショップでもトートバッグ、売ろう」 と考える。
次男は朝からサイトウトシコさんの家に預かってもらっていたが、夕刻が近くなって 「田植えを手伝ってくれました」 というメイルと共に、空と雲と杉の木がその面に映る田んぼで田植機に乗る次男の画像が送られてくる。文化、習俗、言語の異なる家に遊びに行くことは旅に似て、自分の子供時代を振り返っても大いなる喜びに違いない。
終業後、帰宅した次男を連れて "Casa Lingo" に行く。カウンターへ近づくなりバーテンダーに "booze" とひとこと発する芝居に似合う役者は誰だろう。イスに腰かけて即 「なにか酒、ありますか?」 と訊いて透明のグラッパにありつく。付き出しは、タラの芽のフリット、パンチェッタとなんとかの2点盛り。
ゴルゴンゾーラチーズのニョッキを過ぎて、飲みものをカラフの白ワインに替える。鰹のカルパッチョ、煮穴子のバルサミコソース、蝦とイカのフライ、春野菜の生パスタ。
家内はデザート2皿を注文したが、僕はチーズの盛り合わせにしておく。締めとして経営者兼料理長のヨシハラさんが、ココアとクリームで割った濃厚なグラッパをくれる。「今度からオレのデザートはこれにしよう」 と決める。
帰宅して入浴し、9時30分に就寝する。