ここしばらくは必要としなかった早朝の仕事を、きのう今日と2日つづけて行う。それを終えて自宅の食堂に戻り、テレビのスイッチを入れると、メジャーリーグのカージナルス対カブス戦が映し出された。
カブスのピッチャーはフェリックス・ドゥブロン。投げる玉のほとんどが、キャッチャーの構えたミットめがけて吸い込まれていく。普段からコントロールが良いのか、あるいは今日に限っての好調なのか、そのあたりについては知らない。
野球の試合を観つづけては時間が無くなる。よって適当なところでスイッチを切り、先ずは一昨日の日記を書く。週明けから一気に忙しくなることを考え、きのうの日記も書く。サーバに上げるのは、取りあえずは一昨日の分だけである。
来週の水曜日と木曜日は、ウチが主催する研修により会社は休みになる。その研修に参加する我が社の人員は19名。講師と外部からの参加者も同じ数だけいらっしゃる。とにかく9月4日の木曜日までは気が抜けない。
その翌週は月曜日からしその実の買い入れが始まる。既にして始まっている秋茗荷の買い入れは、あろうことかそのころがもっとも忙しくなる。「お盆を乗り切ってやれやれ」というような雰囲気は無い。社内のすべての部署が臨戦態勢である。
お盆を目前にしての台風から始まった悪天候は、日本列島では特に広島に集中豪雨と土砂崩れをもたらした。その荒れ模様もようやく収束しつつあるような、今朝の空である。
家の北東側から北西側に移動して窓を開くと、蜘蛛の巣に絡め取られて1匹の蚊が静かにしていた。どこに隠れたか蜘蛛の姿は見えない。窓の内枠に沿わせて四角く手を動かし、その蜘蛛の巣を取り払う。
朝の味噌汁の具は大根だった。一部を除いては、大根は秋から春にかけての野菜である。いまだ8月にもかかわらず、秋になってしまったのだろうか。
日光の地野菜を、その朝のうちに「日光味噌のたまり」で浅漬けにする「たまり浅漬け」の材料を求めて農協の直売所に行った家内が「胡瓜は1本も無かったんだよ」と、青葱を手に帰って来た。葱も本来であれば冬の野菜である。
ここでもまた「秋になってしまったのだろうか」と考える。そして「青葱のたまり浅漬け」は、店頭に出していくらも経たないうちに売り切れてしまった。
明日の農協に胡瓜は出るだろうか。そして夏のあいだ胡瓜の置かれていた台に大根が山積みされるのは、今年はいつになるだろう。
来週はまた、列島に摂氏30度の気温が戻ってくるという。すこしく楽しみである。
僕のおじいちゃんは夏になると、シアサッカーの生地で誂えた半袖の開襟シャツを着た。普通の開襟シャツと異なるのは、左の胸に加えて両前にもポケットのあったことだ。半袖のシャツジャケットと言えなくもない。
おじいちゃんが亡くなると、この開襟シャツはあちらこちらに形見分けされた。そのうちの1着を身につけ帰省した叔父によれば、年をとってからの夏の服として、これほど楽なものはないという。
そうと聞けば僕の興味もにわかに勃興し、しかし移動時にザックを背負うことの多い僕は、開襟シャツよりも前にボタンの無い服を好む。そうしてまたまた人には嗤われそうな考えが浮かぶ。
僕はツーでも洒落者でも有名ブランド愛好者でもなく、Tシャツは"United Athle"の化繊のものが快適な上に安くて好きだ。これの長袖を検索すると、ポリエステル100%のものが1,349円で"amazon"に見つかった。販売者は勉強仲間のゴトーテッペーちゃんが社長を務める"DAQ"。送料は「メール便にて無料」とある。
これにウェブ上の、同じくメール便で送ってくれる布屋から生地を取り寄せ、街のリフォーム屋「マジックミシン」で左胸と両前に計3つのポケットを付けてもらえば、僕にとっては最強の「海外往復用シャツ」ができるのではないか。半袖ではなく長袖にするのは、高度が1万メートルに近づくと飛行機の中が寒くなるからだ。
高校1年の夏の終わりに羽仁もと子の「教育三十年」が急に必要になった。街の本屋に注文していては間に合わない。このときにはおばあちゃんが僕を叱りつつ「婦人之友社」に電話をしてくれた。
そのことのあった1972年8月ほどは忙しくないけど、羽仁吉一の「雑司ヶ谷短信」を2学期に使うがどこにあるかと次男が言い出した。よって新旧ふたつの本棚を探すも見つからない。
昨年の秋から年末ちかくまで長男が生活していた隠居を訪ねると「雑司ヶ谷短信」上下巻のうちの上巻の函のみが小さな本棚にあった。帰って長男に訊くと「雑司ヶ谷短信」は以前より上巻にのみ函が欠けていた、それが昨秋の大片付けの際におばあちゃんの部屋から出てきたので保管しておいたとのことだった。
長男が使った「雑司ヶ谷短信」は、元々は僕のものだった。家に見つからなければ甘木庵が怪しい。今日はたまたま甘木庵に行くので調べてくると長男は僕に約束をした。
「雑司ヶ谷短信」が甘木庵にも見つからなければ"amazon"で買うしかない。そう考えて検索をすると、上下巻で3,024円の新品のほか古書でも幾組かあることを知った。
古書のうちの最安値1,457円のものには「中古品可。管理シール貼付あり。記名、書込み、押印等あり。全体的にヤケ、汚れ、傷みが強い」と説明がある。それを読んで「買うとしたらこれしかねぇんじゃねぇか、押印とはことによると、オレもその名を知る人の蔵書印かも知れねぇ」と、腹の中でにんまりする。
いつもは赤字傾向の小遣い帳が、今月に限っては結構な黒字である。年度末に予算を消化しようとする役所ではないけれど、僕の行きつけの鮨屋で鮨を食べてくるよう、お台場での仕事が急に入った長男に金を渡そうとすると「とてもではないけれど、そんな時間は無い」という。
「貯金に回せば良いではないか」と誰かに言われても、僕の貯金はいきなり膨らんだり、あるいはいきなり萎んだりするゴム製の袋のようなもので、だからこの袋に小遣い帳の黒字分を突っ込んでも、いつ雲散霧消するか知れたものではない。「だったら今の今、使っちまえ」という気持ちが僕にはある。
その小遣い帳の黒字と同じほどのポイントが「楽天」にある。「楽天スーパーセール」が8月31日の午前0時から始まることを本日、ウェブ上のどこかで知った。
それならこの機会にいつも飲んでいるワインを買い足そうか、というようなことが頭をよぎる。しかし一般には今年に入って知られたことだが「楽天スーパーセール」には、掛け値をした上で値下げをする「見せかけの安値」が氾濫している。「安く買えて得をした」とほくそ笑んで、しかし同じワイン屋のYahoo!店に行ってみたら普段からその値段で粛々と売っていた、ということを僕は経験している。だから「楽天スーパーセール」などに血眼になる必要は無い。
鮨やワインは腹に収めてしまえば残るのは記憶だけだから邪魔にならない。
さて今月の小遣いの黒字と「楽天」のポイントは何に使おうか。むかしアフリカの子供に贈るポリオワクチンのためにクレジットカードのポイントを使ったことがある。消えて無くなってしまうものにお金を使うことが、僕は結構、好きなたちである。
「寒いなぁ、イヤだなぁ」と、目を覚ますなり感じる。窓が開け放ってある。アスファルトを薄く覆った夜半からの雨を、クルマのタイヤが切り裂いて進む音がする。秋になってしまったのだろうか。
着替えて食堂に行く。そして数日前に栄養クリームを与えておいたベルトに、今朝は仕上げのクリームを塗る。ベルトは長男が中学校に上がるときに買ったものだ。ということは、今年で16年目になる計算である。上質の品に手を入れつつ長く使うことを僕は好む。
雨が降ったり止んだりして夜になる。一旦履いた"KEEN"のサンダルを、思い直して"Merrell"の"Jungle Moc"に履き替える。そして傘を差して仲町の鰻屋「魚登久」へ行く。
月に一度、日本酒のみを飲む「本酒会」で、僕がいまだ観たことのないテレビ番組の話が出る。「吉田類は嫌い」とか「孤独のグルメは雰囲気が暗い」という人が「酒とつまみと男と女」という番組に流れているのだという。
僕は吉田類のことはまったく嫌いではなく、むしろ好きだ。「孤独のグルメ」は、久住昌之の仕事としては、すこしく異色のものだと思う。「酒とつまみと男と女」については、帰省中の次男に録画予約をしてもらうことにしよう。
「1ヶ月に1度は行きたいんだよ。あんたの誕生日のお祝いも、まだしてないし」と言うオフクロに先導される形で19時にフランス料理の"Finbec Naoto"へ行く。
「今の季節ならこれでしょう、やっぱり」というデザートが"Finbec Naoto"にはある。冬はイチゴのパイ、夏は桃のコンポートだ。今夜は5人全員がそれを食べたく思い、しかし全員が右へ習えもつまらない。「だったらタルトか」と長男はつぶやき、僕もまた別の方面を探す。
日本における小口切りした葱とおなじほどの頻度で、タイでは料理にパクチーを使う。1980年の初訪タイではこのパクチーが鼻につき、屋台でクイティオを注文するたび「マイサイ、パクチー」を僕は繰り返した。
それが悔しくて帰国後は機会のあるごとにパクチーを大量に食べ、何年もかけて苦手を克服した。いつまでも克服できないのはココナツの油やミルクである。
コロンボの、1982年に泊まった"YMCA"の食堂にはココナツオイルの香りが染みついていた。朝飯の目玉焼きはココナツオイルで"fried"してあった。食べられないわけではないが、好きでない。
「世界三大スープ」と呼ばれるうちのひとつがタイのトムヤムクンだ。通常のトムヤムクンにはココナツミルクが加えられて、白とオレンジを混ぜたような色をしている。僕がこのスープを飲むとしたら「マイサイ、マプラーオ」と頼むところだけれど、海老を特に好むでもない僕は、タイへ行ってもトムヤムクンは食べない。
ところで"Finbec Naoto"の今夜のデザートには「ココナツのブラマンジェ、フルーツソースがけ」というものがあった。ココナツもお菓子であれば、僕は平気である。おまけに今夜のソースはマンゴーだという。まるでタイ風ではないか。
しかしやはり僕は桃のコンポートにした。長男もこれを選んで結局は、5人全員が桃のコンポートをデザートにする。
目を覚ますとポロシャツを着たままベッドカバーの上に寝ていた。
昨夜、風呂のお湯の溜めはじめに11分11秒に設定したタイマーは、酔っ払いが時間管理をする危険を避けるため次男に預けた。そこで安心して僕は着の身着のまま眠ってしまった、というわけだ。
僕のために流さず溜めてあった風呂に3時15分から入る。最新の風呂桶はお湯が冷めづらいから、この時間の入浴であっても熱いお湯を足す必要は無い。そして風呂を掃除して食堂に戻ると時刻は3時37分になっていた。
タイで使うホテルの予約を4時すぎから始める。今回のタイ行きでは、のべ5軒のホテルを渡り歩く。「どこの街ではどのホテル」と決めているから、それぞれ逐一「トリップアドバイザー」で検索しては、最安値を示しているサイトを選んで予約を入れていく。
結局のところ使った予約サイトは"Expedia"、"Agoda"、"Asia Web Direct"の3ヶ所だった。予約は数十分で完了した。
問題は、チェンライからコック川を1時間ほども舟で遡上し、そこから更に四輪駆動のピックアップで山道を分け入った先にある高床式の家である。そこばかりはインターネットを通じて予約、というわけにはいかない。
ところで僕には人見知り、あるいは人嫌いのところがあり、ひとりで勝手にするのが好きだ。
"facebook"にも広告を出している"airbnb"は自宅の空き部屋を旅行者に貸し出す仕組みで、いまや世界中の累計予約数が1000万泊という賑わいぶりだ。しかし僕はこの"airbnb"には興味がない。「人の自宅」と聞いただけで腰が引ける。「ホストとの交流」なども、僕にとっては気の重いことだ。
それではなぜ数年前に知り合ったカレン族のオヤジの家には泊まりたいか。
第1にメシが美味い。畑の野菜を採ってきて洗い、囲炉裏の強火で炒めて直ぐにおかずにするのだから不味いわけはない。
第2に僕を放っておいてくれる。「山に鳩を撃ちに行こう」とか「滝へ泳ぎに行こう」などと誘われても「いやぁ、オレはずっと本、読んでるわ」などと言えば、次の食事どきまでオヤジは僕に近づかない。
第3は、放っておいてくれながら気は遣ってくれる。夕刻になると「ビールが欲しければ峠の向こうの雑貨屋まで行くけど、どうする」などと訊いてくれる。夜中、便所に立つ物音を耳にしただけで「何かあったか」と飛んできてくれる。
だからタイの北の方で時間に余裕があれば、このオヤジの家にたとえ1泊でもしたい。問題はオヤジへの連絡である。携帯電話の番号は教わっている。しかしオヤジの住む村には電波が届かないのだ。
きのうのオフクロの検査は病院に指定された10時から20分遅れで始まった。帰社したのが11時10分。下今市駅から乗るべき上り特急は12時05分発だから時間に余裕がないわけではなかった。しかしコンピュータを起動してメーラーを回すことはしなかった。
夕刻に「オーディトリウム渋谷」を出ると、タイ行きの航空券を頼んだ旅行社から携帯電話に不在着信が入っていた。その場で折り返せば良いものを、北千住に着いてからかけ直したところ「予約の確認書をメールで送った。署名の上、本来であれば今日の夕方までにファクシミリで返送して欲しかった」旨を手配係のオネーサンに言われた。
今早朝にきのうの、そのオネーサンからのメールをダウンロードする。するとそこには僕の欲しい航空券の、バンコクからの帰国便が残席5であること、月曜日には残席がゼロになる可能性も否定できないと記してあった。冷や汗ものの事態である。
「ウワサワさん、航空券はインターネットで買った方が安いですよ」と親切に教えてくれる人がいれば「そうでもないんですよ」と僕は自信を持って答える。今回、宇都宮の旅行社が僕に提示した価格は多分、格安航空券を扱っている大手旅行社の、更にはそのウェブサイトで売られているものに比べても1割ちかくは安いと思う。
「それにしても、きのうの夕方で残席5はマズイぞ」と、メーラーから出力した予約確認書に署名の上、朝10時に旅行社宛に送付した。そうしたところいくらも経たないうちに「残席3でしたが無事お取りできましたのでご安心ください」との返信がオネーサンから届いた。
「良かったー」と腹の中で溜息を漏らす。これにて一件落着である。次は宿の予約が待っている。こちらはすべて、複数のウェブサイトから行うことになるだろう。
午前はオフクロの検査に付き添って鬼怒川温泉ちかくの病院へ行き、午後は下今市駅12:05発の上り特急スペーシアで次男と渋谷へ向かう。次男と映画を観るのは恐らく2001年12月の「ハリーポッター賢者の石」、2005年8月の「ハービー」、2007年8月の「トランスフォーマー」に続いて4回目のことと思われる。
「365日のシンプルライフ」は、映像にかかわる仕事をしている26歳のフィンランド人ペトリ・ルーッカイネンが脚本、監督、主演を務めた映画だ。ペトリはあるきっかけから、40?の自宅アパートに所有している、推定で5,000から20,000点のモノすべてを貸倉庫に預け、以下の決まりを自らに課す。
1.倉庫から自宅に戻せるモノは1日に1点限り。
2.それを1年のあいだ続ける。
3.そのあいだモノは一切、買わない。
この映画は以下のことを観る者に突きつける。
人は果たしてモノを買ったり持ったりすることで幸せになれるのか?
人に本当に必要なモノの点数とは実際のところいくつなのか?
生活とは一体全体、何で構成されているのか?
すべては観てのお楽しみである。
北千住の「大はし」では、オヤジもアニキも良い意味でおっとりしていない。すべては非常な高速でやりとりされる。席に着いて「チューハイ…」などとつぶやけば「はいよっ」と即、目の前に「金宮」の四合瓶が立てられる。
この店のボトルの期限は1ヶ月である。前に来た日が7月の何日だったかは忘れた。「20日あたりだと思うだけど」と、アニキより若いオニーチャンに告げると「1ヶ月じゃぁ、無くなってるかも知れない」と言いながら棚を探し、ほんの10秒ほどで僕のボトルを引き出した。レッテルに書かれた日付は7月22日。危ないところだった。
下今市駅のプラットフォームは雨に濡れていた。駐輪場の自転車は屋根の下に収めていたにも拘わらず、これまた雨に打たれて濡れている。夜に入ってからの強雨が上がったばかりなのかも知れない。気温は夏のものとは思えないほどに低い。
「僕は現在、自分のTシャツを頭に浮かべ、指を折りつつ8着と正確に答えることができる」と、いささか鼻の穴を膨らませつつきのうの日記には書いた。しかしTシャツが8着とは、いかにも持ちすぎである。そのうち常に着るのは"United Athle"の700円台のもの3着のみだ。
「だったら残りの5着は捨てちまえ」と言われれば、そのうちの2着は"Saint James"のものだから、捨てるにはいささか勿体ない。
"Saint James"を除く3着のうちの1着は、東京ビッグサイトで開かれたIT関係の見本市で「本1冊につきTシャツ1着プレゼント」というブースで手に入れたもので、紺地の胸に黄色い楕円。その中に赤で"website"とあるのがいかにもハッカーっぽくて気に入っている。
ピンク色の1着は2011年6月、神戸の「カネテツデリカフーズ」が主催する勉強会に参加をしたときプレゼントされたものだ。同社のキャラクター「てっちゃん」の顔が大きく染め抜かれたデザインには、市販品には求めがたい味がある。
最後の1着は群青色の地にアフリカ大陸の地図がモザイク模様で描かれ、それを横断するように、ひと文字ずつ異なる色で"MODIGLIANI"という文字が浮かんでいる。ボートネックの具合が洒落ていて、これまた処分しがたい。
常用している"United Athle"の3着以外を捨ててしまうのはいかにも惜しい。捨てるのが惜しければ人に譲ってはどうか。まぁ、その手はあるかも知れない。Tシャツは3枚あれば十分である。
「あたしも60を過ぎましてね、これからは家内とふたり、簡素に暮らそうと思って、3年着ていない服はすべて処分したんです」と、好きな先輩のひとりハズミさんが言うのを聞いたときには「オレには絶対に無理だ」と思った。
ところがそれから数年を経てウチも必要に迫られ、主に家内とサイトートシコさんの手によるが、昨秋に家の中を大片付けした。ウチの場合には「3年着ていない服」どころではない、「四半世紀も日の目を見ていない服」も含めて、しまいには期限に迫られタンスごと中身を捨ててしまう荒技まで展開した。
その結果どうなったかといえば、まさに天国である。
今朝もいつものように3時台に目を覚まし、本を読んだり日記を書いたりするのは結局はダイニングキッチンのテーブルだから、そこに来ると、床に油染みがある。よってその部分にアルコールを噴霧し、紙で拭く。
家の中が簡素清浄になってからはとにかく、その簡素清浄を維持しようという気持ちが強く働く。
「東司の掃除はとても勉強になることですから、これを新人にさせるのは勿体ない。ウチではある一定の修業を積んでようやく、東司の掃除ができるようになるんです」と、むかし訪ねたある禅寺で説明をされた。東司とは便所のことである。
その意味からすればまったく修業にならないことではあるが、最新の便器や浴室は汚れない。否、まったく汚れないといえば語弊があるから汚れづらいが適当かも知れないが、素材や形状や仕組みにより、とても汚れづらくなっている。
とはいえ新品の清潔さを保とうという気持ちはこれまた強く働いて、小便器の陶器製のトラップなどは、僕はたびたび素手でつまみ上げ、外へ持ち出してタワシや使い古しの歯ブラシで洗っている。
小まめな清掃と共に必要なのは、せっかく減った物をふたたび増やすことを厳に慎む気持ちである。僕は現在、自分のTシャツを頭に浮かべ、指を折りつつ「8着」と正確に答えることができる。「安い物を大量に売る店」も、いまや鬼門である。
1982年3月以降は夢のまた夢と考えていた、あるいは自粛をしていたタイへの旅を再開したのは、実に27年後の2009年8月のことだ。2010年は9月、2011年は8月と9月の2回、2012年は8月、2013年は2、3月と9、10月の2回。そして今年の秋はどうしようか、というのが現在の状況だ。
昨年は8月下旬の予定が1ヶ月以上も後ろにずれ込んだ経緯があった。今年は10月下旬と考えていたが、ここにきて1ヶ月ほど前倒しになりそうな雲行きである。
9月下旬から10月はじめにかけての、タイ航空による航空券の値段を調べてもらうべく、懇意にしている旅行社のオネーサンにメールを送ると65分後に返信が届いた。それによれば特にバンコクからの帰国便に混雑が見られ、日程によってこれだけの差があると、以下の数字を示された。
@ 37,000円+TAX(≒25,170円)+発券手数料4,320円≒ 66,490円
@125,000円+TAX(≒25,170円)+発券手数料4,320円≒154,490円
37,000円と125,000円なら、その開きは3.4倍である。
クーデターや戒厳令の影響を受けて空いているとの情報もあった日本タイ間の航空便だが、日本航空と全日本空輸は空いているものの、タイ航空においてはそのようなことはない。またタイ航空の予約状況は動きが速いため、早めの発券を勧めるとも、オネーサンのメールにはあった。
東京とバンコクを往復する日は比較的簡単に決められる。それでも航空券の手配に躊躇いがあるのは、タイ国内での移動に迷いがあるからだ。
「東京とバンコクのあいだのみ先に確保しておいて、タイ国内の分は後から決める、ということはできるでしょうか」との問いに対するオネーサンの答えは「国際線を抑えてから72時間以内に国内線の予定を決めていただければ可能です」というものだった。
「タイ国内は電車かバスを使えば良いんじゃないの、のーんびり」と長男は言う。確かにそれも一案ではある。「遅い、汚い、時間が不正確」の三重苦から、いまやタイ人にも人気の薄い鉄道が、しかし僕は好きだ。
羽田からの深夜便に乗ればスワンナプーム空港には4時50分に着く。エアポートレイルリンクの始発は6時だ。高架鉄道と地下鉄を乗り継いでファランポーン駅には7時30分の着。タイ各地への長距離列車の始発には充分に間に合う。しかしおととし使った東北本線は、終点のウボンラチャタニーに着くまでに、実に3時間の遅れを出した。行き先によっては深夜に着いて、しかも駅前には野犬の姿しか見えない、ということも考えられる。
日程は、これから数日以内には決めたい。9月下旬のタイは現在の日本より涼しいだろう、多分。
コンピュータを操作する技術の習得法を同級生に訊かれて「ぶっ壊れることを恐れないこと」と次男は答えたという。むかし僕も同じことを外注SEのマエザワマコトさんに言われた。しかしいざ壊れると自分では治せないから結局は果敢な挑戦を避けて詳しい人に頼ってしまうのだ。
今月5日に続いて今朝も"Dreamweaver"が壊れた。ローカルファイルが読み込めなくなる症状で、これには僕の経験に照らして2種の原因がある。今朝の不調はファイル転送プロトコルの異常によるもので、今月5日の故障と根はおなじだ。
5日はたまたま恵比寿の"Vector H"を訪ねていたため、社長のヒラダテマサヤさんに治してもらった。今回は現在の外注SEシバタサトシさんに"facebook"経由で助けを求めた。
15時に来社した柴田さんは「外国にいるときにこんなことが起きたら面倒ですよね」との僕の言葉を受けて、ハードコピー入りの復旧方法を"WORD"に残してくれた。念には念を入れて、その内容を紙にも出力しておく。
コンピュータに保管した旅行の持ち物リストを開くと104点の品があった。そして今日コピーした紙を105点目の装備として、そこに加える。
日光は霧が深い。ク―ラ―が必要ないくらいの、否、むしろ肌寒いほどの天気だ。
開店前に店の駐車場に出るとホンダフィットの、"hatch"という英語を使いたくなければ「跳ね上げ扉」とでも書くべきだろうか、とにかくそこに1匹の雲霞が留まっている。
夏休みには木更津にあるオフクロの実家に長く逗留をした。何年も経つうち遠浅の海は徐々に埋め立てられて、高い煙突の工場が増えていった。小学校も高学年になるころには、海で遊びたい気持ちは失せていた。
それでも夜にうっかり網戸を閉め忘れると、驚くほど多くの雲霞が畳や布団に飛び跳ね、網戸の締め忘れを深く後悔するほどの自然は残っていた。
今朝の雲霞は、そのときの雲霞にくらべれば随分と小さい。雲霞は山のものより海を控えた土地のものの方が大きいのだろうか。あるいは今朝の個体が飛び抜けて小さいだけなのだろうか。
「蝉の声が降るようにうるさい」と、東京の東寄りや千葉県の西寄りに住む人たちが"facebook"に書き込みをしている。日光とはいえ僕の家には蝉の声は届かない。むかしは賑やかだった蛙の声も、いつの間にか聞かなくなった。
お盆休みの最後の日であるにもかかわらず、雨が降ったり止んだりしている。「まさかこのまま秋になっちまうんじゃねぇだろうな」と心配をしながら事務室と店のあいだを往復する。
「インド行くとねー、カレー一瞬で作ってた。ひと煮たちで『はいどうぞ』って。そのカレーもりもり食ってたら、隣で40度の上天気屋根なしで、子供が99×99まで覚えてて、次はインドが世界を取る!!と確信」
とは、西原理恵子が自身の絵に添えた文章だ。
今朝のテレビのニュースでダッバーワーラーという、インドで弁当の配達に携わる人たちを紹介していた。コンピュータもバーコード読み取り機も使わずに誤配率が600万分の1とは、文字通りの神業である。
宅配便がインドに進出を図る際には、ダッバーワーラーと友達になるべきではないか。運ぶものが"amazon"に多い小口の荷物なら特に、彼らの知恵と技術は強烈な武器になる。
先日は千葉県にお住まいの客様から「商品が着かない」との連絡をいただいた。調べたところその荷物は日光から東京の羽田を経由して千葉へ向かっていた。コンピュータやバーコード読み取り機があって、これである。
それにしても誤配率600万分の1とは本当だろうか。99×99まで九九のできる人たち恐るべし、である。
「1,000円のお買い上げごとに1杯のかき氷」のサービスを、きのうは開店の8時15分から始めたところ、15時に氷が切れてしまった。よって今日はその開始時間を、客足の繁くなる10時からと決める。
折角のお盆休みではあるけれど、天気はあまりはっきりしない。しかし雨が降るほど悪くもない。午前のあいだはそれほど混まなかった店が、昼ちかくから忙しくなってくる。
むかしのウェブページではよく見かけたアクセスカウンタが、いつのころからか姿を消した。この「清閑PERSONAL」にも、むかしはそれが置いてあった。そしてキリの良い番号に行き当たった人にはワイン1本を進呈、というようなことをしていた。
1990年代からせいぜい2000年代のはじめにかけてのそのような時期に「袖振り合う」ほどの接触があり、しかし"off"では昨年末まで接触することのなかったホッピー先輩が午後、ご家族と来店してくださる。
ホッピー先輩の今回の旅は、街の旅館に朝食のみの条件で泊まり、夜は街の飲み屋で食事を摂り、風呂は日帰り温泉の露天風呂を使うという、国内旅行における僕の理想に等しいものだった。ホッピー先輩ご一家には東照宮から戦場ヶ原のトレッキングまで楽しんでいただけたようで、僕も嬉しい限りだ。
「オレ、疲れちったよ」と夕方、包装係のヤマダカオリさんに嘆息して「なに言ってるんですか、お盆はまだ2日目ですよ」と発破をかけられる。午前2時台の目覚めや事務机で昼飯を掻き込みすぐに立つような繁忙が疲れの元になっているのだ、多分。
極端な早寝早起きを矯正するため晩飯のあとも食卓を動かずにいて、座ったまま眠ってしまう。そうするうち家内に起こされ、タイマーを手に風呂のお湯を溜めに行く。そのタイマーは通常11分11秒に設定をする。しかしあまりの眠さにそれを怠ったまま、今度は応接間のソファで眠ってしまう。
ふと気づいた家内が風呂場に行くとお湯が溢れていたという。さすがに僕も覚醒して入浴し、その後はベッドに倒れ込むようにして就寝する。
20時台に就寝して2時台に目を覚ます昼夜逆転は、いまだに矯正できていない。今朝も、まぁ、午前2時が朝と定義されるとしてだけれど、やはり2時台に目を覚まして3時台の頭に起床する。
仏間兼応接間はまったくの暗闇であってもカーテンを開き、水とお茶と花と線香を、お盆の飾り付けのされた仏壇にお供えする。そして一昨日ときのうの日記を書く。サーバに上げるのは、とりあえずは一昨日の分のみだ。
朝食を済ませて家内と三菱デリカに乗り、「三ツ星氷室」を訪ねて天然氷を仕入れる。かき氷の機械も借りる。即、帰社してその氷を冷凍庫に収める。機械を載せる台、かき氷を受け渡す台、またシロップの案内は、既にして長男が用意していた。
開店の8時15分と同時に「1,000円のお買い上げごとに1杯のかき氷」の提供を始める。天然氷はここ数年で需要がうなぎ登りになり、ウチも昨年と同じ量は確保できない。そして本日分の氷は15時ちょうどに無くなった。
店にお出しする商品は昨年の記録を元に生産計画を立てている。しかしすべてが予想どおりに運ぶとは限らない。今日は浅漬けらっきょうの「浅太郎」が閉店の1時間前に売り切れてしまった。そして明日は多めにご用意することを、包装係のヤマダカオリさんに確認する。
人出の多い日は大抵、店は定時に閉まらない。そしてようやく4階の自宅へ戻ると、山は暮れかかるところだった。列島がふたたび暑さを取り戻すのは、お盆過ぎになるらしい。
4時30分に北東の空を見て「これなら半日は晴れるだろうか」と、今日の天気を予測する。
明日明後日明明後日弥明後日。漢字にすると判じ物めいて読めなくなるから今風に書けば、明日の14日から17日までの4日間は、1,000円のお買い上げごとに1杯のかき氷を、お客様に進呈する。氷は「三ッ星氷室」製の天然氷である。
シロップは「日光みそのたまり漬」を売る店としては、先ずは「日光味噌梅太郎白味噌」のたまりを使った甘露、社名の「上澤梅太郎商店」にちなんで自家製の梅ジャム、そして「本物のワインで漬けた本物のワインらっきょうリュビドオル」の漬け液そのままの「ワイン」の3種類。
しかしこれだけでは、内村鑑三ではないけれど「代表的日本人」の共感は得られない。よって既製品の「イチゴ」と「ブルーハワイ」も用意する。
「たまり」と梅ジャムは透明のシロップで割る。4日間の提供とあれば、このシロップもなまなかな量では済まない。きのうは12.5リットルを調整し、今日もまた同じ量を作った。これを「たまり」や梅ジャムと合わせるのは長男の役目である。
「九段下寿司政のシンコを食べないと、私の夏が終わらない」と山口瞳は書いた。「お盆の繁忙を乗り越えないと、僕の夏が終わらない」と僕なら書きたいところだが、実際のところは、夏にはいつまでも終わってほしくない。
夕刻に店が混み合ったため、予定を後ろにずらして閉店後に提灯を持って外へ出る。そして如来寺の墓前に灯明を上げ、その火を提灯の蝋燭に移して帰宅する。そしてその火を仏壇の蝋燭に移して「お迎え」を無事に完了させる。
オフクロを病院の定期検診に連れて行くのは1ヶ月に1度ほどだが、このところはその日程が少しく密である。
前回の精算時に自動精算機から出力された次回の予約表に、たとえば9時30分とあっても、それより数十分ほども早くに入ると、指定の時刻よりもだいぶ早く診てもらえることを先日、知った。
そういう次第にて今日も病院へは早めに入り、早めに出て、ふたつめの病院に回ってそちらも早々に出る。
ところで受付、検査、診察から処方箋の発行、そして支払いまでがオンライン化された病院は、ほとんどが水の流れるように処理されて滞ることがない。非常に気分が良いけれど、同じ仕組みを持つ複数の病院を巡ってみると、受付と支払い、つまり"IN"と"OUT"は同じでも、そのあいだの部分が異なっている。その病院ごとの差異に戸惑う、ということは多いにあることだ。
そうして昼に帰社して午後は通常の業務に戻る。
「興味が無い」とは、時に人生の大きな助けになる。僕は高級車と高級時計に興味が無くて良かった。ただし物を運ぶための容れ物には大いに興味がある。
先日、恵比寿のスカイウォークで前に立った女の子が年齢相応に、衣紋の抜けたようにだらしなく背負ったザックに目が引き寄せられた。不審に思われないほどの距離まで近づき、何しろ当方は近視に遠視に乱視の裸眼だから、そこに取り付けられたバッジに目を凝らすと"TECH"と読めた。そのブランドは知らない。
帰宅してその"TECH"を検索エンジンに入れると、それは"TUMI"の一部門と知れた。そして更に詳しく調べてみる。
僕は先ず、バックパックは山の道具屋の作ったものしか買わない。それ以外のメーカーによる品物は、詳述は避けるが詰めが甘い。それに加えて内部の細かく仕切られているものは、機能満載の電化製品と等しく好きでない。
恵比寿で気になったバックパックは、山の道具屋による物ではなく、またその内部には細かい仕切りがある。しかし欲しいとなれば、その気持ちを抑えることはできない。
アメリカでも品薄らしいそれをこれまた検索エンジンで探すと、"amazon"に並行輸入品が見つかった。詐欺サイトの法外に安い品は無視して"amazon"から購入する。そして2日後の本日午前に届いたそれを、昼休みにあれこれ検分する。
外側左下に縫い付けられた"TUMI"のゴム製の商標は、邪魔な上に縫い目が曲がっている。背面の目立つところに留められた、金属だかプラスティックのバッジも目にうるさい。同じく背面下部のゴム製の2本棒は、その存在自体がナゾである。また背負い帯の上部を横断する取っ手は、常に頸椎を圧迫する。
内側に設けられたキーフォルダーやペンフォルダーやカード入れなどは、これを使う人が果たしているのだろうか。おまけにキーフォルダーは、蝶つがいが固すぎて開かない。
同じほどの大きさの、"Eddie Bauer"のスリーウェイパックと比べてみると、"Eddie Bauer"の495グラムに対して"TECK"は698グラムと、4割も重い。
しかし後者にはコンピュータ用の、クッションを備えたポケットがあるため、いまコンピュータの持ち運びに使っている、171グラムのカバーは要らなくなる。とすれば両者の重さの差は32グラムと、誤差の範囲まで縮まる。おまけにそのポケットには、僕の"Let's note CF-N10"が横向きに隙なく収まる。
僕は自分の使う品には完璧を求める。そしてそれが空しい望みであることには、小学生のころから気づいている。
ともあれフルネームでは"Tumi T-Tech Empire Smith Laptop Briefpack"と呼ばれるらしいこのバックパックは、細かいところに目をつぶれば中々に使いやすそうだ。お盆が過ぎたら早速、1泊程度の出張に使ってみたい。
早寝早起きということばには何やら勤勉の響きがあるように思われる。それは果たして真実だろうか。
このところ朝というにはいまだ早すぎる午前0時から2時に目が覚める。そのためナルコレプシーでもあるまいに、昼の日中に一瞬、眠りに落ちることがある。早すぎる目覚めの原因は、20時台の就寝にある。
極端な早寝早起きによる昼夜逆転は、お盆の繁忙週間までに、何とか矯正しなければならない。
ところで列島は、きのうから大型の台風11号に襲われている。場所によっては平年8月の3倍量の雨が一気に降っている。自由学園の、三重県尾鷲市にある演習林は無事だろうか。
僕の住む日光市今市地区は、昭和24年の今市地震を除けば災害にはそれほど縁の無い土地だ。13時30分には雨も上がったため、これからは晴れに向かう一方と予測して"facebook"にその画像を上げる。
ところが小一時間ほどもすると、午前に増して強い雨風が戻ってきた。よってその、風雨にさらされているノレンを事務室に収め、また犬走りの前縁に置かれた花は店の入口まで後退させる。軒先に吊された5個の風鈴は1個が風に飛ばされた。その1個を拾い上げ、他の4個と共に事務室内に取り込む。
風雨も収まった20時30分に風呂へ向かおうとすると「まだ寝ちゃだめ」と家内に言われる。しかし午前1時に目覚めた者の20時30分は、午前6時に目覚めた人の午前1時30分に等しく、眠くて当然である。そして今日も21時前に就寝をする。
"docomo"が"iPhone"の発売を開始した初日の朝に、僕は"iPhone"を手に入れた。"i-mode"との絡みから、当初はドコモメールが使えなかった。それが使える時期になっても僕は4桁のピンコードを記憶していなかったため、必要な設定ができなかった。
きのう"SIM"の異常を復旧させるべく訪ねたドコモショップでオネーサンにそのことを訴え、ピンコードを初期化してもらった。そして帰社して当該のウェブページから自分のログインIDとパスワードを使って設定画面に入って行くと、しかし先へ進むことが躊躇われるたぐいの質問が現れて「はい」をタップすることができない。
「ウワサワさん、コンピュータなんて、ぶっ壊れたって治せるんですから、怖がらずにいじってください」とは、むかし外注SEのマエザワマコトさんに言われたことだ。しかしそれを真に受けるとヤケドすることを、素人の僕は良く知っている。
よって本日、次男にその設定を頼み、僕のドコモメールは昨年の9月20日以来、実に323日ぶりに復活した。
きのう"SIM"の異常から復旧し、今日はドコモメールの復活した"iPhone"は、ケースもバンパーも持たないため擦り傷だらけだ。その傷だらけの"iPhone"が、今日ばかりは新品に見える。とても嬉しい。
ここ1週間ほど"iPhone"に"SIM"の異常が現れている。そのたび電源を切り、再立ち上げをすることで対処してきた。ところが今朝はその方法を用いても「SIMなし」から復旧しない。よって以降はコンピュータから離れて本を読む。
むかしは本を読めば必ず、裏表紙の内側に読み始めと読み終わりの日を記した。この日記を書くようになってからは、読んでいる本の名を文中に上げた。今はそのどちらもしていない。しかし本を読むことは止めていない。
活字を追うことに疲れて洗面所へ行く。そして窓を開ければ、晴れてはいるけれど、今日一日の天気を予想することは難しそうな空が見える。そういえばきのうは立秋だった。
お盆の繁忙を控えて心配だったことを箇条書きしたメモを元に、あちらこちらに電話を入れる。保険の外務員が来て、銀行員が来る。ひとつの仕事をしている最中に、また別の複数の用件が発生する。外出は一度で済まそうと、これまた箇条書きしたメモを手に三菱デリカに乗る。
いつものように混み合っているかと恐る恐る訪ねたドコモショップは、今日は空いていた。そして待ち時間無しで対応してくれたオネーサンがSIMカードを交換すると、"iPhone"はこともなげに復旧した。
きのうから贈答品の熨斗は「暑中見舞い」から「残暑見舞い」に変わった。残暑には、できるだけ長く続いて欲しい。
夏になると、蛇口から出る水は暖かい。食器洗い用のかなり大きな小型のたらい、大きな小型、というのもおかしな言い方だが、とにかく8リットルほどの容量を持つそれに満ちるほど出しっ放しにしてようやく水は冷たくなる。
ところが現在そのたらいは使っていない。冷水を得ようとすれば8リットルを無駄に流す必要がある。それでは勿体ないこと甚だしい。しかし仏壇に生暖かい水を上げることは憚られる。よって今朝からは、仏壇用の茶碗には先ず冷蔵庫の角氷を入れてから水を注ぐようにした。
テレビのドラマなどで見かけるところの、位牌に話しかけるお婆さんには違和感を覚える僕も、お婆さんと等しくホトケを擬人化しているのだ。
ところできのうの、58.95キロまで落ちた体重とメシの関係を考えてみる。
集団で飲み屋へ行ったときなどに各自の注文を見ていると、太っている人は余計に太りそうなものばかりを頼み、痩せている人は今後も太れそうにないものばかりを頼む。
今日のメシを振り返ってみれば、やはり太りそうなものは含まれていない。僕のからだは無意識のうちに、小排気量低燃費の方向に舵を切ったのだろうか。
僕の体重は昨年まで長く63キロを保っていた。これが64キロに増えれば少しく狼狽して何とか元に戻そうとし、62キロまで落ちれば「少ない分には、まぁ良いか」と気楽にしていた。
ところが今年に入ってのそれを遡ってみれば、1月30日に61.5キロ、2月13日に60.5キロ、3月11日に60.1キロ、4月26日には60.0キロまで漸減をしてきた。そして今朝、久しぶりに体重計に乗ってみると、58.95キロと、またまた減っている。食事制限や運動などは特にしていない。
心配してくれる人がいて2月27日には胃カメラによる検査を受けたが異常は見つからなかった。もっとも4月26日から今日までの100日間で1.05キロの減なら誤差の範囲かも知れない。体重など日に1キロくらいは上下するのだ。
それはさておき、この数ヶ月ほどは腹が減って仕方がない。朝の7時にかなりの量を食べても11時には空腹に耐えかねている。13時45分は昼食の時間としては遅い。しかし夕刻にはもう腹が減っている。齢57から急に基礎代謝率が高くなるとは考えにくい。体重の減少は、実に不思議である。
午前10時に青山のビルの上の方へ行く。そして8時間ばかりはそのビルにいる。
きのうと同じ熱風の吹くなかを北千住まで戻ってみれば、僕の行きつけの飲み屋はどこもかしこも混んでいる。よって、そういうときにばかり使う、いつまで経っても名前の覚えられない店に入り、若干のカンター活動をする。
所用にて恵比寿へ行く。このところの外出着は、ネパール製と思えば1,600円という"amazon"での値段が片腹痛い木綿の帽子、"United Athle"の790円の化繊のTシャツ、そしてリトアニア製の麻のバスタオルを首に巻いて変えることがない。おしゃれも何もあったものではないが、これ以上の組み合わせは考えられないのだ。
今日の東京の気温は今年最高の36℃と、"iPhone"の天気予報が伝えている。九州と朝鮮半島のあいだを北上中の台風の影響でもないだろうが、乾いた風が強く吹いている。まるで砂漠の熱風である。とても気持ちが良い。
夕刻に仕事を終え、山手線に乗る。窓の外に見える空は、これ以上ないほどに晴れている。真冬であればとうに暗くなっているはずの時刻にも、景色の明るさは真昼のままだ。
新橋で小酌ののち有楽町に移動して、デンパサールでカメラと共に紛失したケースを買い直す。熱い空気と熱風は、この時間になっても収まらない。とても気持ちが良い。
「ハンバーガー1個の牛肉のために、これだけの環境破壊が行われている」というようなことを書いた本がむかし大いに売れた。これを読んで「ハンバーガーは、もう食べない」とウェブ上で宣言をした人がいる。その人は現在、何もなかったように、また大手チェーン店でハンバーガーを食べている。
「それほど好きなら宣言なんかしないで、ずっとハンバーガー、食ってりゃいいじゃねぇか」と思う。
朝、店の戸にバッタが留まっている。「チェンライに行ったら食ってやるから待ってろ」と、そのバッタに向かって腹の中で言う。その直後に「いや、オレが食うのはコオロギだったか。バッタはタイでも食わなかったわな」と、これまた腹の中で言う。
人の食える大きさに育つまでの効率において、昆虫は、牛のような大型の動物にくらべると異常に優れているという。とはいえ昆虫食について複数の著作のある内山昭一でさえ、昆虫のみを動物性蛋白質源として生きてはいないだろう。人はあれこれ食べたいのだ。
ともあれ「チェンライに行ったら食ってやるから待ってろ」だ。チェンライでは「シークラン」の皮付き豚三枚肉とキャベツの煮込みも食べたい。人はあれこれ食べたいのだ。
伸び縮みする棒の先に"iPhone"を取り付け、自分たちを撮ろうとしている人たちを「朝日新聞」の"GLOVE"第1面に見て「あ、インドネシアでよく見かけた道具だ」と、2ヶ月前のことを思い出す。”google"に「iphone 自分撮り」と入れると、それに「棒」の文字を加えた候補が現れた。これが日本でも買えるとは知らなかった。
「イスラム的アジアを行く」の見出しが"GLOVE"にはある。自分撮りをしているのはインドネシアの人たちだ。みずからの写真を好き好んで撮るとは、イスラム教徒としては異端ではないのか。あるいは僕の知るイスラム教徒は、いわゆる原理主義者なのだろうか。
快晴の気持ちの良い天気だ。気温は開店のころには28度、それが瞬く間に33度まで上がる。白麻のノレンが微風をはらんで膨らんでいる。32、3度という気温は「暖かくて気持ちが良い」と感じさせ、そこに風でも吹けば「涼しくて気持ちが良い」と嬉しくさせる、夏好きの僕にはうっとりするほど塩梅の良いものだ。
昼がちかづくころ「そうだ、今日は町内の納涼祭だったんだ」と気づく。「忘れなくて良かったー」と考えつつ幾ばくかを収めた祝儀袋を持って町内の公民館へおもむく。そして天然氷によるかき氷3杯をセルフサービスし、店にとんぼ返りする。
夕暮れどきの空が綺麗だ。明日の気温も32、3度というところだろうか。「ずっと夏のままなら良いよなぁ」と思う。
ここ数日は午前3時台の前半に目の覚めることが多い。3時台に目が覚めれば夜は8時台に眠くなる。悪循環である。朝はせめて4時台までは寝ていたい。
夜明けの遅くなったことが、僕のような夏好き且つ早起きの人間には惜しまれてならない。夏至のころは朝は3時台から明るくなったが、現在それは望めない。4時25分の東の空を眺めつつ製造現場へ降り、朝の仕事に従う。
朝日新聞の土曜版"be"に、日本の弁当箱を海外に売って成功しているフランス人の記事がある。「年間の売上げ個数は3万個以上。1日に海外へ発送する件数は、ネット通販大手、楽天の海外販売をしのぐ勢いだという」の部分を読んで「楽天の海外販売がそれほど売れてねぇって、ホントかよ」と疑問に思う。
そしてこの会社"Bento & co"のウェブショップへ行ってみる。「水平を無視した写真撮りには何か意図するものがあるのだろうか」と考える。更に進んで商品説明を読み「これがそれほど売れるページだろうか」と考える。実店舗にしてもウェブショップにしても、繁盛店には僕の想像の及ばない成功の理由があるのだ。
それはさておき僕の思い出に最も残る弁当は、1983年に阿里山森林鉄路のどこかの駅で買ったそれだ。米飯の上に目玉焼きと中華ハムと青菜炒めの押しつぶされたその弁当の美味さはいまだに忘れられない。
アルマイト製のいわゆる「ドカベン」と呼ばれる弁当箱を持っていた。しかしここ10年ほどは目にしていない。家の中に発見される可能性が薄いなら、その「ドカベン」を買い直して是非、あの台湾山中の、個人営業のオバサンの作った弁当を再現してみたい。そしてそれを毎日の昼飯としたい。見果てぬ夢である。
19時から大谷川河畔で「日光夏の花火」が始まる。僕は花火は屋内で、その音のみを聞いて過ごすことが好きだ。そしてあれこれのおかずを肴に冷たい日本酒を飲む。
このところ朝は犬走りのニューギニアインパチェンスに水をやると同時に、店の駐車場に打ち水をする。どちらも水源は手水に溜まった水で、水道料金はかからない。
打ち水といえば風情から「エコ」から何からひっくるめて良いことのように思われるが、日のそれほど差さない坪庭や、あるいは古い家並みの路地にこそ似合うことではないか、更に言えば、陽光の直射するコンクリートやアスファルトの広い場所にそれを行っても、文字通りの焼け石に水ではないか、という気がする。
朝に打った水は15分もしないうちに乾き上がった。そして昼前に本日2度目の打ち水をする。
午後になると、待ち望んだ雷雨がやってきた。雨は数十分ほども続いたが、晴れ上がっていくらもしないうちに、もう駐車場の地面は白く乾きはじめている。激しい雨さえすぐに干上がるのだ。柄杓や如雨露による打ち水など、ただの自己満足に過ぎない。
しかし僕は明日も店の駐車場に打ち水をするだろう、自己満足のために。