所用で朝のうちに麹町へ行く。表通りにはあまり面白いものもないから務めて裏の道を歩く。そうするうち、むかしはもうすこし隼町寄りにあった「わたびき自動車」をイタリア料理屋"Elio Locanda"と同じ通りに発見して「きゃー、懐かしぃ」と一驚を喫する。
ここにいた中沖満さんには、オヤジは少なくとも2台のクルマを塗装してもらった。そのうちの1台はいま湘南にあり、もう1台の消息は知らない。湘南に行った"W108"について家内は今も惜しがるが、あの手のクルマを持つということは底なし沼に両足を突っ込んだとおなじで、人は、ホンダフィットに乗っているくらいがちょうど良いのだ。
中沖さんが書いた「ぼくのキラキラ星」と「力道山のロールスロイス」は、いまでも僕の心の名著だ。中沖さんはまた坂本正治による「北緯40度線探険隊」に頻繁に登場する。ただしこれは"Car Graphic"への連載が角川で単行本になる際に与謝野馨に触れる部分が大幅に削除されている。「原典」を読みたければ1970年代当時の"Car Graphic"をまとめて手に入れるしか方法はない。
中沖さんの家は千代田区富士見町にあった。初更、おなじ千代田区でも富士見町ではなく富士見坂のメシ屋で飲酒を為し、北千住21:12発の下り最終スペーシアに乗る。
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と、休憩時間を利用してここまで書いたのが本日の午後4時。しかし仕事は夜7時30分になっても終わらず、駿河台下富士見坂でメシなど食べている余裕はない。
おまけに地下鉄半蔵門線は人身事故の影響を受けて遅れに遅れ、乗り継いだ千代田線もその余波からドアもまともに閉まらない混雑ぶりだった。通常の倍の時間をかけて達した北千住で取り急ぎ泡盛を飲み、北千住21:12発の下り最終スペーシアに乗る。
2日つづけてシャツや腕に黄色い粉が付いていた。いつどこで付いたものかは分からない。そして今朝になってようやくその粉が、仏壇に供えられた百合の花粉だったことを知る。
朝はやくに湯島の天神下や根津あたりを歩いていると、ふと線香と味噌汁の混じった匂いに気づく。これは僕にとってはとても郷愁をそそるものだが、僕がいま味噌汁を飲む部屋は仏壇のある部屋とはドア2枚をへだてているため、それを聞くことはできない。
町内の夏のもよおしについての話し合いが夜にあり、春日町1丁目公民館へ行く。自分以外のほとんどの人たちの機嫌が良いのは、支給された缶ビールや缶チューハイによるものだと、会が始まってからしばらくしてようやく気づく。もよおしそのものについてはさておき、それに付随するいくつもの直会についてのみ決まったところで会議は時間切れとなった。
帰宅して早々に就寝する。
梅雨のあいだは湿気が絶えないように思われて、しかしまるで真夏のように照りつける日もある。事務室の奥にひっそりとある坪庭のような場所や、あるいはそこから目と鼻の先の紅葉の木、またその下の銭苔などに朝、水を撒く。
ホースで撒いた水が果たしてどれほどのあいだ土を潤しているのか、それは分からない。よって自分がいま行っている散水は焼け石に水のたぐいなのではないか、という気もする。
夕刻に西の空を見れば、今日に引きつづいて明日も暑くなりそうな色をしている。「これで冷夏っすかー」と日中、誰かが額の汗をぬぐいながら言っていた。しかし夏とは梅雨が明けてはじめて来るのではないか。「夏は暑い方が良いなぁ」と思う。
次男の父母会に出席をするため午後、自由学園へ行く。梅雨どきとはいえ陽炎の立つような乾いた暑さが地上には立ちこめている。
「ほどほど」というものがどのあたりにあるのかを判断することは難しい。そこへもってきて僕は「やりすぎ」とか「極端」の好きな性格である。
高等科のときだったか最高学部へ進んでからのことだったかは忘れたが、食料部前のタイサンボクを剪定することになり、学校中でもっとも大きな脚立を持ち出した僕はこれの枝葉のほとんどを落とした。そしてそれから「ここまでやったらさすがにこの木は枯れちまうのではないか」と心配になった。タイサンボクは創立者の羽仁吉一が最も好んだ木、と言う人もいる。
そのタイサンボクが今では当時の倍以上も幹を伸ばし、枝と葉の作る体積は7、8倍にもなっている。また、固く大きく緑濃い葉のあいだにはいくつものバニラホワイトの花が大きく開いていた。近づいてしげしげと観察したいのはやまやまだ。しかし僕はもうこの学校の生徒ではないからそのような行為は何かはばかられ、遠くから、ただ眺める。
浅草発21:00の下り最終スペーシアに乗り、11時前に帰宅する。
就寝が早ければそれだけ早く目が覚める。今朝は午前1時に起きて洗面所へ行く。窓を開けると、直線距離にしてウチから北に8キロ離れている霧降高原の、屈曲した道を走る車の灯りが見える。しかし空は一面の雲に覆われている。北西から暖かい風がすこし強めに吹いている。
事務室に降りてきのうの日記を書く。来月1日に更新する"WORKS"の最新ページを作成する。午前に来る予定の取引先のための資料を整える。
5時を前にしてようやく眠気が訪れたため二度寝をすべく4階に上がり、90分だけ睡眠を取る。
午前、加藤床屋から戻ると「おたくは社員が公道の草取りなどして感心だ、ぜひ自分の話を聞いて欲しいって、言って帰った人がいたわよ」と、家内に1枚の名刺を渡される。その団体名を見て「ここだけで、オレの嫌いなことばがふたつも入っている」と思わず独りごとを漏らして「またそんなこと言って」と叱られる。
団体名の前には「NPO法人」の文字があった。その法人名を検索エンジンに入れ、出てきたページを1分間ほど眺める。
これから旧盆までは忙しさが続く。終業後、社員や家内の作った食べ物を事務室の大テーブルに並べ、社員たちと食事会をする。どれもこれも美味い。そして満腹になる。
120分後にみなで手分けして片付けを行い、8時すぎに解散する。
視力の衰えによるものばかりではないのだろうが最近、とんと本を読む気がしない。仕事に必要な書類、新聞のところどころに目を通すことはあっても、特に小説のような作りものにはまったく興味が向かない。
それでも今朝は「これならなんとか」と思われる1冊を本棚に見つけ、その
「安南」 クリストフ・バタイユ著 辻邦生訳 集英社 \1,400
をザックに入れる。そして恵比寿へ出るまでのあいだにそのほとんどを読む。
本日の仕事は最高で2時間長引くことを想定していたが、実際の延長はその半分で済んだ。よって持っていた浅草駅17:00発の切符を16:00発に変更し、夕刻6時前に帰宅する。
郭公が啼いている。枕頭の携帯電話を見ると時刻は04時02分だった。夏至から2日が経っている。昨年の夏至のころにも書いたことだが、真夏が来るはるか以前に夏至を迎えてしまうことに、なにか違和感がある。「夏至は8月15日あたりが良いよなぁ」と、いつも思う。
そうこうするうち群青色だった室内が青色に近づいてくる。起きて洗面所へ行き、山の写真を撮る。郭公は、もう啼いていない。
本日の日中は随分と暑くなった。客用ベンチ脇の季節の文字は「麦笛」から「萬緑」に替わった。昼は梅雨の晴れ間の快晴の中を来客とクルマに乗って冷たい蕎麦を食べに行く。
明日から2日間は飲み続けになる。よって今夜は飲酒を避けて早々に就寝する。
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先に「梅雨の晴れ間の快晴の中」と書いたら《「の」の連続》とATOKに注意を受けた。安吾が今に生きて同じソフトを使っていれば「桜の森の満開の中」と書いて「君の文章には問題がある」と、やはりひとこと言われるわけだ。こういうときのATOKには「控えおろー」と一喝してやりたい。
今朝の日本経済新聞の第36面「美のよりしろ十選」に「電柱」の文字を見て「ようやくこれを論じる人が出てきたか」と感慨を深くした。書いているのは画家の山口晃だ。
僕はおよそ街中で気に入った電柱に行き当たるたび、それを写真に撮らなければ気が済まない。ときにそれは見上げる位置にあったり、あるいはビルの3階の窓のすぐ近くにあったりする。
電柱に変圧器や電線を取り付けるとき、その配置配列に美意識を以て当たっている電力会社の人はいるだろうか。いるに違いない。しかしその美は多分に彼らなりの合理を尽くしたところから生まれるものだろう。
僕は朝鮮や安南の古い器を愛でるような調子で電柱も見る。そういう者は他にいないか。案外、愛好者は少なくなさそうに思われる。
新聞やテレビなど大きな通信媒体で顔や名の売れた人が行きつけの食べ物屋について語るコーナーを、週刊誌などで見かけることがある。
「なにか元気になるものお願い、なんて頼むと、メニュにないものでもシェフは手早く作ってくれるんですよ」というようなひとことがそこにあると「キャー、この人、常連ぶっちゃってー」と、にわかに恥ずかしくなるわけだが、我が身を振り返ってみれば、当方も同じようなことをしていないでもないことに気づく。
それはたとえば「ふじや」の「タンメンにバター、入れてください」とか「大貫屋」の「オムライスにはケチャップ、かけないでください」というものだ。
初更、「コスモス」で試しに「マカロニグラタンって、エビのしか無いんですか」と訊くと「今日はチキンでもできます」とのことだったので、それを肴にしたらドライマーティニが4杯も飲めた。
「コスモス」のドライマーティニはマーティニとドライマーティニの中間くらいのドライさで何杯も飲め、値段も安いから僕は大いに気に入っている。
昨年1月に銀座の"999.9"で誂えた遠近両用メガネは、大きく湾曲したツルがバネのように働き、かけたり外したりがしごく楽だ。しかしその構造により大層かさばり、僕のような荷物を嫌う人間にとってはその一点のみが気に入らない。また、メガネがひとつだけでは仕事場からいちいちそれを自宅へ持ち帰らざるを得ず、それも面倒だ。
よって先日は"LINDBERG"の針金のようなフレームのメガネを池袋の「イワキ」で新調した。"999.9"ではそう高いレンズは入れなかったが、新しい方には店員の薦めるまま上から2番目に高いレンズを奢った。
そうして驚いたのは、これまでの遠近両用メガネは連続してかけていると目の奥に何とも表現しがたい疲れを覚え、それはこの手のメガネの副作用なのだろうと諦めていたが、今度のメガネではそのような違和感がまったく感じられない。やはり高いレンズにはそれだけのことがあるのだろうか。「だったらいっそのこと、いちばん高いレンズを入れておけば良かった」と後悔する。
それはさておき今月はメガネを新調し、白ワインを12本買い、本やCDを買い、若い人たちと飲み食いをし、だから結構なお金を遣ってしまったが、それでも銀行には幾ばくかの金額は残ると考えていた。
そうしたところ17日の水曜日にとんだ伏兵があらわれ、畳1枚ほどの大きさの絵を買ってしまった。こうして僕の貯金は今月も、小学校時代のそれより少ないところに落ち着く予定である。
朝、本郷側から駿河台方面へお茶の水橋を渡っていくと、全学連の水色のヘルメットをかぶった人たちが10人ほどもいて、演説をしたりビラを配ったりしていた。ここでこのヘルメットを見るのは1972年以来のことだ。
あのころ、水色のヘルメットをかぶっているのは学生たちだった。本日おなじヘルメットをかぶっている人たちはみな赤銅色に日焼けし、還暦を過ぎて公園に暮らしているオジサンたちによく似ていた。
初更、勘違いをして1時間もはやく同窓会の場所へ着いてしまう。仕方がないのでひとり、豚耳の鹵味を肴に焼酎のオンザロックスを飲む。そしてこの会がいよいよ佳境に入ってきた8時30分に退席をし、北千住21:12発の下り特急スペーシアにて帰宅する。
「男体山」の1階カウンターは焼き台の脇、つまり入り口から3席が空いているのみだった。僕がそこに座り、注文を伝えたところで中国人の男女が入ってきた。店の人は僕の右側に空いた残りの席を示したが、若いふたりは外で飲んでも構わないかと片言の日本語と身振りで示し、店の人はその旨を了解した。
彼らは豚の内臓の部位をあらわす日本語を知らず、よってガラス製の冷蔵ショーケースの外から「これ」とか「あれ」とかと指し、次に指をジャンケンのチョキの形にして「ニー」と、希望する本数を述べた。
おととしの6月、自分が西安のイスラム街で大量のカバブを食べたときには、果たしてどのような方法で注文をしたか、それを思い出そうとして思い出せない。その数日前に滞在した敦煌では、たまたま目についたカバブ屋にメニュがあったから、店の人とはそれを見ながら意思を疎通させることができた。
日本人は漢字を読むことができる。よって中国人の経営する店であれば大抵、世界のどこへ行っても料理の注文に不便を感じることはない。しかし中国人は意識して学ばない限り「ハツ」とか「ガツ」とか「シロ」の文字は読めず、だから「不便なこともたくさんあるだろうなぁ」と、すこし同情をする。
甘木庵への帰途、本郷三丁目角の「三原堂」のショーウィンドウにふと目を遣ると、蛙の練り切りがあった。「梅雨模様だから傘を忘れずに」という今朝の天気予報は外れ、1日、傘を持ち歩かずに済んだのは幸運だった。
「そんなユルい商売やってちゃダメじゃん、もうちょっと気合い入れて行かなきゃ」と、取引先に対して注意をすることがある。しかしユルい店には、そのようなユルさを好む客が付いているのかも知れず、キッチリしていれば良いというものでもないのかも知れない。
ことし入ったあるバーのバーテンダーは親会社の教育が行き届いているらしく「この店にいらっしゃったのであれば、ぜひこのお酒を飲んでください」とか「会員になっていただくと、このような特典が」と、とにかくそういう点ではキッチリしていた。しかし当方はユルい気分で好き勝手に酒を飲みたいわけだから、この手の熱心さは却って迷惑だ。
ユルい店が長続きして、進軍ラッパを吹き続けているような会社が突然、倒れたりする。「何が何やら分かりませんな」ということが、商売の世界には、ままある。
どのような理由によるものかは知らないが、"Olympus"のマイクロフォーサーズ機は当初の予定よりも1日遅れて本日、"PEN E-P1"の名で発表された。関係各ページにはアクセスが集中したらしく、はじめのうちはそれらのどこにも繋がらなかった。
そしてようやく信頼できるところでその姿を見れば、中国方面のサイトにいち早くリークされていたものとそれは同じだった。このデザインなら僕は買わない。なぜ軍艦部に左下がりの傾斜をつけるか、なぜ軍艦部右に等高線のような段差を設けて先細りにするか。2009年の新製品が、1963年に発表された"PEN-F"のつまらないところをそのまま踏襲している。
下手なデザインをするくらいなら、なにもしないほうがよほど良い。
「野の百合は如何にして育つかを思え、労せず、紡がざるなり。されど我なんじらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、そのよそおいこの花のひとつにも及かざりき」だ。野の花を見よ、Dante Giacosaの"FIAT 128"を見よ、だ。
というわけでカメラに遣うお金はまたまた温存された。いや、温存はされない、あればあっただけ使ってしまう性格である。
よほどしくじれない用事でもない限り目覚まし時計はかけない。今朝はいつもより早く目を覚ますことができたため、3時30分に事務室へ降りる。夏至も近ければ、4時前から明るくなる今の空を見ない手はない。
諸方に大量のメールを送り、またデータ便にて何枚もの重い画像を取引先に送る。「どこもかしこも返事が遅せぇんだよな」と思っていたところ、最初の返信は6時39分に届いた。相手は出勤の途中ででも、当方のメールを読んだのだろうか。
店舗の冷蔵ショーケースに覚え書きのメモを入れたり、忘れるわけにはいかない連絡事項をポストイットに書いて社員のタイムカードに貼ったりする。
そして朝飯を食べるため、6時45分に事務室を出る。
明け方に長い夢を見る。そして目を覚ませばその中身のすべてを忘れている。
夕刻、社員が帰宅するころになって強い雷雨がある。「夕方に雨があると、もう、その日の商売は諦めます」とは銀座でバーテンダーをしていた永島のオヤジが言ったことだ。「諦めちゃだめじゃねぇか」と、そのときには感じたが、きっと長い経験則によるものなのだろう。
「だったら今夜はナオトもヒマだろう」と考え、しかし一応は電話を入れてから"Finbec Naoto"へ行く。
初っぱなの「カリフラワーのムースのコンソメジュレ」をひとさじ食べただけで「みんな、金つかうなら、こういうとこで使えよ」と思う。"Finbec Naoto"は、非常に丁寧に作られた、すごーく美味いフランス料理を、ビストロと同じ値段で食べさせる店だ。
およそ90分後に帰宅してワイン蔵の最上段から小さな木の箱を取り、そこから"Davidoff Mini Cigarillos"を1本だけ抜き取る。そして外へ出て、およそ半年ぶりに喫煙をする。雨はすっかり上がり、星さえ見えそうな気がした。
ちょうど昼の時間に雷が鳴り、それと同時に強い雨が落ちてくる。それでも太陽は雲間から顔を出したままで、雷鳴はすぐに収まった。天気雨があると決まってカメラを取り出したくなるのは、この一瞬の空模様の変転を自分が好むためだろう。
「もう絶版だしな、ちょっと高くてもしょうがねぇだろう」と、初更に"amazon"で中古のCDを注文し、そのままYahoo!オークションに行って同じアルバム名を検索窓に入れると、先ほどの半額以下で出物がある。
そのYahoo!ショッピングで別のCDを首尾良く競り落とし、念のため同じアルバム名を検索窓に入れると、自分の落札額より数百円安い即決価格の出品があったことに気づく。そして「どうも今日はトンチンカンだ」と思う。
古書や中古のCDを買う場合には、ネットオークションと"amazon"とのあいだを往復して、その時々のもっとも安い物を買うべし、と自分に言い聞かせながら、忘れたころになってまた今日のようなヘマをやらかしてしまう。
それでも2時間後には同じYahoo!オークションで、夏のあいだの手荷物を少なくするための、ポケットのたくさん付いたベストを、しかしこちらは競争相手の入札額より50円だけ高い価格で落札し、良い方に気分が変わる。
そして「だけど釣り用のベストなんてものは山の中か、東京だったらせいぜい池袋くらいにしか着ていけねぇな」とも考える。
「ブルゴーニュの古い白はぜんぶ飲んじゃおうぜ作戦」により、ウチのワイン蔵からは白ワインがほとんど払底した。
よって自分の買い物履歴を検索し、当該の酒屋に出ていたすべての"Billaud Simon"、今回は普通のシャブリが9本とプルミエクリュが3本だったが、これを買い物カゴに入れて購入ボタンをクリックすると「この金額の場合、カードでのお支払いはできません」とエラーになった。
僕の持つカードは1枚だけで、これはゴールドでもプラチナでもブラックでもない、"amazon"で作った庶民カードだ。それにしても、今回の購入金額がその限度額を超えているとは思えない。ふと気づいて12本を2回に分けて購入すると、今度はすんなり決済が完了した。
だいたいの想像はついたからすぐにこのワイン屋へ電話をし「Yahoo!に店を出しているのであればカードの決済はすべてネットラストが代行する、不正なカード使用があったとしても出店者に被害は及ばない、よってカードの使用上限額を店側が設定することはないではないか」という意味のことを言った。
そうしたところお店の人も「実は今日あたり、その上限額を10万円に引き上げようとしていたんですよ」とのことだったので「そうですよねー」と答えて電話を切った後で「果たしてウチのYahoo!ショップでは、そんな設定、していたかなぁ」と考えても記憶にない。
初更、日光街道を自転車で下って「和光」へ行くと、僕の見知っている7、8人のうちの4人がカウンターに肩を並べていたから「いやぁ、皆さん、勤勉ですねぇ」と思わず口に出る。水滴がカウンターを濡らさないよう、グラスの下におしぼりを敷くのがここの常連の慣わしで、そういうことをしない僕は、だから「まだまだ」なのである。
数ヶ月に1度は血中のあれこれを調べるための採血をし、数週間に1度は病院へ血圧の推移を提出したり、医師による、採血の結果の解析や血圧に対する意見を聞いたりする。
「お酒を飲んだ翌朝の血圧は大抵、高い」というのが医師の見解だが、本日の朝にプリントアウトし、昼前に提出した紙には、2日つづけて飲酒を避けた翌朝つまり今月6日朝の血圧がひときわ高く示されている。「酒を飲むと血圧が高くなり、酒を抜くと血圧が低くなる」という因果関係を、僕の直近1ヶ月の記録はまったく実証していない。
「雨が降ったから今日はお客さんが少ない」「天気が良すぎるから今日はお客さんが少ない」「ワールドカップをテレビで見ている人が多いから今日はお客さんが少ない」「ヤワラちゃんのメダルのかかった試合があるから今日はお客さんが少ない」
そのときそのときのもっともらしい因果関係を引っぱり出しては、ヒマな商売の言い訳をする人がいる。しかしたとえ土砂降りでも客足の途切れない日がないわけではない。
日経平均株価はつるべ落としのように下げていき、それと反比例するようにガソリン価格は高騰していった昨年の秋だが、日光を訪れる観光客は多かった。人が遊びに出る理由はどこにもないにもかかわらず、そういう現象があった。
これについては「景気が悪いから外国へ行かず、国内旅行に切り替えたんでしょう」という意見がもっぱらだった。結果を語ることなら占い師にも競馬評論家にも経済アナリストにもできる。
「こういうときには必ずこうなる」という因果関係が明らかになれば、我々は相当、楽になるだろう。「世の中はデータベースで動いている」とはいえ、新しいデータ、新しい条件式が次々に現れる時代になれば、それもいささか怪しい昨今である。
夕刻、明日の天気を予測しがたい、太陽を背にした雲が北西の空に広がる。
総鎮守瀧尾神社は日光市内にふたつの山を持つ。そのうちのひとつは小来川地区に、もうひとつは和泉地区にある。そして当番町と責任役員は宮司と共に、この双方を1年ごとに交互に視察する。今年は小来川の山を見る巡りにて、朝8時45分にバスで神社を出発する。
照らず降らずちょうど良い気温の中を、オオルリの声を聞きながら砕石の道を登る。森は深閑として崩れた崖には猪が山芋を食べた跡がある。社有林に行き着いたところで小休止し、宮司の説明を聞いてから来た道を戻る。
山見が小来川のときには帰りに古峯神社を参拝する。大きな鳥居をくぐり石段を上がって本殿前へ出ると、そこにたくさんの絵馬のかかった一角があった。近づけばその絵馬の重なりの中に「楽して金がもうかりますように」とフェルトペンで書かれた1枚があって、それにじっと見入る。
「楽して金もうけ」の答えは簡単で、勉学を続け、修養を積み、小さなこともないがしろにせず日々、努力することを好きになればよい。そして「なんだ、この絵馬を書いた人に行き会っていれば、オレが教えてやったのになぁ」と考える。
もっともその簡単なことのできないのが、僕も含めた大部分の人間、というものである。
これまでオオタさんが出した膨大なレコードやCDのすべてを聴いたわけではもちろんないが、「オレにとってのオータさんの最高傑作はこれだ」と確信するCDがある。"cool,tropical ukulele"だ。
僕はこれについて「オオタさんのウクレレ」というペイジまで書いた。しかし書いていくらも経たないある日、そのころ2歳だった次男がこのCDを、オモチャの自動車のトランクに無理やり収めようとして割った。
次男より10歳年長の長男は、このCDのことを時おり記憶によみがえらせてはどうにか手に入れようとして果たせなかった。以来苦節十年、と言えばいささか大げさになるが本年春、長男はお茶の水のCDレンタル屋で遂にこれを発見し、自身のコンピュータに取り込んだ。そしてそれをCDに焼いたものが現在、ウチの居間にある。11年ぶりに聴いて、これはいまだ僕にとってのオータさんの最高傑作、と言う他はない。
と、ここまで書いて"cool,tropical ukulele"と検索エンジンに入れてみれば、アメリカの"amazon"に89.99ドルの新品と31.89ドルの"used"があり、また日本のYahoo!オークションには手ごろな中古があった。よってこちらには即、出品者の希望価格を入れて落札した。
昨年の12月、僕はウチの"rubis d'or"、自分の知っている美味いものと共に、気に入って長く聴いてきたクリスマスソングのCDを含むセットを組み、ウェブショップで販売をした。このとき知ったことだがCDの市場は意外に狭く、100枚程度まとまれば廃盤のものでも再プレスしてくれることを知った。
この"cool,tropical ukulele"も再プレスが可能だろうか、しかしこれを100枚も揃えてさばくアテがあるのかと訊かれれば、それは無い。無いけれどもこれは非常に素晴らしいCDだ。というわけで、またまた悪い虫が騒いできた。無駄金使い、要注意である。
「熊さんか、よく来たな、うん、そこぃお座り、むかしから大家といえば親も同然だ」と、古典落語を鑑賞するまでもなく、店子の方が客にもかかわらず、むかしから大家は店子に対して「上から目線」でものを言う。
ショッピングモールと出店者の関係も同様で、Yahoo!ショッピングもこの例に漏れず、つい先日までは出店者のホームページ最上段に「薬のネット販売継続に賛成の意を表せ」というようなプロパガンダを勝手に載せていた。
ホームページの最上段になにやら入れられると、ショップの本体部分はそれだけ下に追いやられてしまう。「この野郎、人の店になにしやがる、やるなら自分のところだけでやれ」と文句を付けてもこちらが負ける契約になっているのだろうから何を言っても無駄だ。
よってその対抗策として当方は、Yahoo!ショップのヘッダ部分を以前よりも上下に狭くし、お客様がスクロールバーを操作しなくても、ある程度は下の方までご覧いただけるよう改造をした。
何ヶ月かに1度の割で交代するYahoo!ショッピングの担当者は、その替わりばなにこそ連絡をしてくるが、きまって僕にあれこれ叱られるから、次の担当者に替わるまで二度と電話はしてこない。
ショッピングモールのやり方が気にくわなければ、自社ショップのみを運営すれば良い。しかし「Yahoo!ショッピングで買い物がしたい」という声もお客様の中にはあり、そうもいかないところがあった。
「楽天」は先日のインフルエンザ騒ぎに便乗し、マスクを買い占めるよう示唆するメイルを出店者に向けて一斉に送信していた。そこには「マスクの品薄状態が続く今が売り上げアップのチャンス、たとえ在庫が無くても注文は取りまくれ」という内容も含まれていたという。「いくら客を待たせても構わねぇから、とにかく受注残を作れ」ということだ。
「だから」というわけでもないが「楽天にも店、出してよ」というご要望については、ご勘弁をいただこうと考えている。「楽天」にくらべればYahoo!ショッピングの方がいくらかは、商業道徳の面においてはマシである。
「勝った」という家内の声に目を覚まし、寝室から居間へ出ていくと、テレビではサッカーの日本代表がウズベキスタンを1対0で下したところだった。時刻は午前1時30分のころだったと思う。
日本の選手ひとりが後半44分で退場処分を受け、ひとり少ない陣容による、胃の痛くなるようなロスタイムだったと家内が言うので「最後は8人だったの?」と訊くと「サッカーは11人でするんだから、ひとり退場したら10人でしょ、そんなことも知らないの?」と返答がえしをする。
20歳のころ、自由学園の正門通りで50ccのオートバイに乗っていたところ、授業を終えて帰宅される途中の、西洋史のヒライマサキ先生が「君、それ、ナナハン?」と、ご下問になった。
50ccのオートバイに対して「ナナハン?」とは「そんなことも知らない」最たるところのもので、しかし僕はそのようなヒライ先生を、腹の中でさえ嗤うことはしなかった。
「そんなことも知らない」とは超俗という点において「突出して洒落ている」と同義ではないか。フランス革命の専門家がオートバイの排気量について何らの知識を有していなかったとしても、大した問題ではない。
「何でも知っている」人より「そんなことも知らない」人の方が、しばしば洗練されているとは、すこし落ち着いて世の中を見回せば、割と頻繁に気づくことである。
年に何度かの割でブツ欲の波がやってくる。
今年の春には"Patagonia Rain Shadow Jacket"の前期型が欲しかった。最新型ではなく前期型というところが問題で、しかしこれは"Patagonia"が軍の注文に応えて別誂えをした、"Patagonia"のマークがどこにも付いていないモスグリーンの新品をYahoo!オークションで手に入れた。
つい先日は"Sinn 656S"へのブツ欲を、これのムーブメントが"Sinn"の自社製ではなく"ETA2824-2"だということを理由に無理矢理押さえ込んだ。そして今は"DOMKE F3-X"が欲しい。
「戦略の略とは、いい加減、ということです」とは西順一郎の言ったことだ。「いい加減」とは西一流の言い回しで、解釈としては「大胆に」とか「鷲づかみに」ということだろう。「戦略」などということばをここで持ち出せば大げさになるが、内部の細かく区切られたカバンやバッグは戦略的でないと僕は思う。「ただの箱」「ただの袋」というカバンやバッグこそ自由度が高く、つまり戦略的だ。
それからすると"DOMKE F3-X"はカメラバッグだけに中には仕切りがあるから上記の「戦略的」からは外れ、しかも僕が常用するカメラは"RICOH"の"GRD"と"R8"で、こんなものはシャツの胸ポケットにも入ってしまう。
それではなぜ"DOMKE F3-X"が欲しいか。これの、使い古されて色落ちし、フニャフニャになった姿が至極かっこいいから欲しい。それではお前がこのショルダーバッグを買ったとして、果たしてそこまで使い込むか、と自問自答をすれば、買っても大して使うことはないだろう。だったらなぜ欲しいか、そこがブツ欲というものの厄介なところだ。
「パラシュートクロス製の軽いバッグなんてのは、カミソリで簡単に切れるぞ。治安の悪い地域を旅するなら、頑丈なバッグを持たなくてはいけない、だったら"DOMKE"だ」と、自分の中に自分をそそのかす声がある。
この、安い店であれば1万円台の前半で買うことのできるバッグへのブツ欲をどう押さえ込むか、それがこのところの僕の、軽い悩みである。
おととい「和光」で飲酒を為しているとき、常連のアキモッちゃんが、ウチの味噌のうちの最高峰「梅太郎」について、周りの人たちに話をしてくれた。そうしたところ僕の隣にいたオジサンが興味を示し、「梅太郎」に白味噌と赤味噌があるなら、赤の方をこの店に届けておいてくれと、1,200円をくれた。
「味噌は色の白いよりも赤い方が香りは強い」とか「まったく同じ材料、同じ製法で造っても寝かせる場所が違えば違った味噌ができる」と言うあたり、このオジサンは味噌のことをよく知っている。
商売のことだから預かった1,200円のことは忘れなかったが「まさか2日続けて同じ店には行くまい」と、きのうは配達をせず、今夜も「まさか3日に2回も同じ店には行くまい」と勝手に解釈をした。
ところが晩飯を食べ終えたあたりから「あるいは、まだ届かねぇ、などと焦燥しているのではないか」と心配になってきた。よって3ヶ所の鍵を外しながら照明を落とした店舗に入って当該の味噌を冷蔵庫に手探りし、外へ出て自転車のカゴにこれを載せる。
「和光」の引き戸を開ければ左手のカウンターには1週間に6日はこの店に来ているだろう面々が並び、しかし「梅太郎」を注文してくれたオジサンはいなかった。
「仕事ですか」などと訊く常連客には「あした血液検査だから、今夜は飲めないんですよ」と本当のことを言い、「梅太郎」は店の冷蔵庫に預かってもらう。
先ほど下ったばかりの日光街道を遡上して10分後に帰宅する。
夜が明けると同時に雨が止み、日中は晴れて30度ほどまで気温が上がる。空は青く、緑は目に眩しい。一年中そんな気候の場所がどこかにあるだろうか、もしもあるなら飽きるまでそこに住んでみたい。
豚インフルエンザの騒ぎがなければ、今ごろ僕はシェムリアップにいた。この呼吸器系の病気がテレビのワイドショウや新聞の第一面を賑わせ、街やウェブショップからマスクが払底したころ、この旅行はキャンセルされた。
それから1ヶ月を経た今、マツモヨキヨシの店頭には大量のマスクがぶら下がっている。豚インフルエンザの日本における感染者は400人超、カンボジアのそれはゼロ人だ。
「だったら行けてたじゃねぇか」と考えるのは早計で、カンボジアの感染者がゼロ人というのは検査が行き渡っていないせいだろう。"WHO"の上部はきのう、豚インフルエンザについては世界的大流行の兆しがあると言い始めた。病気そのものが怖いわけではない、罹るとまるでむかしの結核患者のように、世間から忌避されるところが怖いのだ。
恐怖の原因には早々と消えていただき、木綿のシャツ3枚にテニスパンツ、分厚い靴下2足にブーツとゴム草履。大きな麻布が1枚に帽子、そして文庫本。これくらいの持ち物を携え、そのうち南の国でゆっくりしたい。
昼食当番をしていて、僕が男子部の卒業生であることを知ると、たとえば一緒に野菜を刻んでいるときになど、いろいろと質問をしてくるお母さんがいる。きのうの質問は、子供を最高学部へ進学させても大丈夫か、フツーの大学に行かせなくても大丈夫か、というものだった。
そもそも自分の子供を自由学園に来させたのは、いわゆるフツーの学校教育に疑問や物足りなさを感じたからではなかったのか。めでたく自由学園の男子部に入学できたのであれば、そして弁護士や医者など高度な専門職に就く予定でもない限り、高等科の次には迷わず最高学部へ進むべし、というのが僕の意見だ。
するとそのお母さんは「今まではそれでも良かったでしょうけれど、これからは」と言う。
自由学園の最高学部について「これからの世に役に立つのか」などという議論は僕の、男子部9回生だったオヤジの在学中から現在まで60年以上ものあいだ、一部に繰り返されてきた念仏のようなものだ。
そこでそのお母さんには、最高学部を卒業した同級生の名をアカギ、アクタ、アケ、アリカワ、イトー、イリヤ、ウィルソン、ウエキ、オギノ、カゲヤマと出席番号順に挙げ、それぞれが卒業以来なにをしてきたか、そして現在は何をしているかを説明し「だから心配することはない」と説明すると、「でもその方々には、それなりの実力がおありになったんでしょう」と言う。
自由学園には「すべての子供が良くできうる子供である」という言葉のあることを、このお母さんは知らないのだろうか。
「それなりの実力のある人間であれば、フツーの大学ではなく自由学園の最高学部に進んでも、モノになるだろう。しかし自分の息子については心配だ」ということであれば、このお母さんは自分の息子と自由学園の双方を信用していない、ということになる。だったら一体全体なぜ、自分の息子を自由学園に入れたのか。
「すべての子供がよく出来得る子供である」は、羽仁もと子の著作集「教育三十年」の120ページあたりにある。「これを読んで、すっきりしちゃってください」と、そのお母さんには言いたい。
3時台に目を覚まし、原稿用紙6枚分ほどの、仕事に使う文章を書く。長男が整えた朝飯を6時30分に食べて7時に甘木庵を出る。そして8時に自由学園へ達する。
自由学園男子部の昼食は基本的には親が作る。本日の人員は栄養士ひとり、生徒の母が5人、父つまり僕のことだがこれが1人、兄が1人の計8人だった。僕の割り当てられた仕事は以下の通り。
ジャガイモの芽取り、ジャガイモのくし形切り、玉葱のくし形切り、フードプロセッサーによる玉葱のみじん切り、キャベツの千切り、玉子に混ぜる牛乳と片栗粉の攪拌、鶏肉と玉葱のケチャップ煮への米飯の投入と攪拌、天板にくし形切りしたジャガイモを並べての塩胡椒とバターソースのかけまわし、そのジャガイモをオーヴンに入れてのベイクドポテト作り、計量して銘々皿に盛られたチキンライスの整形、そのチキンライスを玉子焼きで包むこと、それらの作業にて出た洗い物。
本日、もっとも美味いチキンライスとベイクドポテトを食べたのは、それらの味見をした僕だと思う。
高等科は伊豆ヶ岳へ遠足の足慣らしにに出かけたから中等科の生徒のみが12時30分に調理室へ入ってくるなり配膳棚のオムライスを見て「ウヮー」と声を上げる。「これ、どうやって分けるんですか?」と訊く生徒がいる。「ひとりひと皿よ」と言われてまたまた喜ぶ子供がいる。ひと皿のオムライスに感動できる子供はまた、感受性の豊かな人間でもある。
僕もその上出来のオムライスやサラダを食べ、反省会の後は男子用トイレを掃除して2時すぎに正門を出る。
初更に「よしき」の戸を開けると奥に、着物を着て髪を結い上げた女の人3人が見えた。「粋筋か、珍しいな」と考えながら店に上がると、先客は男4人と女3人の7人組で、しかし女と見えた着物姿のうちのふたりは男だった。
「上出来の青柳は山菜の匂いがするね」と、貝づくしの肴を食べながら長男が言う。一昨年の「鮨政」では、青柳から筍のような匂いが盛んにしたという。むろんこれは褒め言葉だ。
そうするうち、キッチンペーパーに堅く包まれた鮑を店主が取り出すのを見て「おぉ」と長男が声を出す。「あれはウチの予約だよ」と、僕は答える。
鮑の肝を叩き、ごく少量の醤油を加える。それで鮑の刺身を食べる。鮑がなくなった小鉢にはスミイカが足される。スミイカがなくなっても鮑の肝はいまだ残っている。小鉢には最後に鮨飯が置かれた。それをまたグジャグジャと混ぜて酒肴にする。
「3時間もいたら根っこが生えちゃったわ」
「あんた、自分の、畳にぶっ刺してんじゃないの?」
「そうよ、見たい?」
「そんなの見たいわけないじゃない」
同じカウンターで食事をする人たちの、そんな会話に触れながら我々は「新聞は嘘ばかりを書く」と言った新聞人の話などをする。そして更に「三千盛」のお燗を飲む。
8丁目から西五番街を歩いて晴海通りを越え、3丁目の"MOD"へ行く。僕は"Macallan 10 Years old"のお湯割りと小さな生ビール、長男はドライマーティニ1杯を飲む。
明日はちとしくじれない仕事があるため、飲酒はそこまでに留めて甘木庵へ向かう。