夕刻、閉店後の仕事を急いで済ませて洋食の「金長」へ行く。今月はじめに行われた役員旅行の今回は反省会で、会計係の僕は先ず、出席者の全員に決算報告書を配る。
忘年会、新年会、反省会。いずれによらず更に酒の欲しい人は自らの空の猪口、グラス、ジョッキを会計係の眼前にかざして「無くなっちゃった」とか「まだ飲めっかな」などと遠回しに酒を要求する。
町内の会計係は酒の飲めない人の務めるのが理想だ。酒の飲めない人は大抵、酒飲みを馬鹿にしているから「そんなに飲むこたぁねぇだろうが」と恫喝したり「予算終了」と素っ気なく答えて区切りを付ける。
そしてそういう区切りが僕には付けられない。本日も「はい、大丈夫です」などと良い顔をしていた。そうしたところ請求額は案の定、財布の中身を大きく超えたから「すいませんねー、あした集金に来てください」と店主の奧さんに言う。
自由学園中等科2年に通う次男の今年度最後の父母会に出席をするため午後、学校の正門を入る。空は曇ってあたりはまるで夕刻のように暗かったが紅梅と白梅が満開にちかく咲き、その暗さを幾分か慰めている。
父母会は午後から夕食を挟んで小半日以上も続く。できれば最後までその場にいたかったが東武日光線の最終電車は割合に早い。よって19時40分に教室を去る。
北千住駅21:12発の下り特急スペーシアが走り出した途端、武里駅で事故発生の車内アナウンスがある。停車と徐行による遅れは結局1時間18分に及んだ。そのあいだに本日、羽仁吉一記念講堂前で最高学部の学生から買った「自由人」の最初から最後までを読んでしまう。
午前0時をすぎてようやく帰宅する。
「身の上相談をする人は、既にして自分なりの結論を出してから来ている。だからその結論と同じことを言ってあげれば安心するし、より良い提案と思われることでも相手の結論と異なっていれば相手はいつまでも納得しない」とは、むかしその手のテレビ番組によく出ていた美輪明宏がどこかに書いていたことだ。
宇都宮は「ジャズと餃子とカクテルの街」ということになっている。ウチでも「宇都宮の美味しい餃子屋さん、教えてください」と、お客様にたびたび訊かれる。そのようなとき、如才のない人であれば宇都宮の有名どころを教えるだろう、相手も自分なりの結論は出してきているのだ。
しかしいわゆる「如才の無さ」の中にはかなりの不誠実の含まれることを僕は看過しない。
今のような便利な時代に大した下調べもせず、旅先で泥縄的に美味い店はどこかと訊くような人はすなわち、本当にそれを食べたいとの情熱に薄い人ではないか。そのような人に有名どころつまり行列の店を教え、よしんばその人がその店に行き着いたとしても、長い行列をひと目見ればもともと情熱に薄いのだから「もう、どこのお店でも良いよね」となるのではないか。
僕はいわゆる如才のない人ではないから「宇都宮の美味しい餃子屋さん、教えてください」と訊かれると「なにも宇都宮までいらっしゃらなくても。このちかくにも美味しいお店はありますよ」と答えて相手の不興を買う。相手はとにかく「宇都宮の餃子」を求めているのだ。
四半世紀前には2台分しかない駐車場にすんなりクルマを停められすぐに餃子の食べられた宇都宮の餃子屋さんが今では有名店になり60分、90分待ちの行列、そして味は「フツー」という場合、そのお店をお客様にお勧めする如才の無さを僕は持ち合わせていない。
先日、ウチから歩いて数分の「ふじや」に餃子を買いに行き、通常は1人前270円のところ夕刻5時を過ぎると2人前以上の注文に限って1人前が190円になることを知った。そしてオヤジさんに「こんなに美味いのに、なんでそこまで安くするんですか」と訊いたらオヤジさんはニコニコしながら「こういうご時世だし。大丈夫です、これでも利益は出ますから」という返事が戻ったけれども、どうにも申し訳がない。
そして申し訳ないと思いながら今夕も「ふじや」へ行って、1人前190円の餃子をちゃっかり買って帰った。皮から手作りするモチモチの餃子が、そして行列の有名店よりも明らかに美味い餃子が夕刻5時以降は1人前190円で手に入るのだ。
「人の行く、裏に道あり、花の山」の「花の山」なのだ、「ふじや」の餃子は。
子供が探求心のあまり指でも突っ込むのか、店の奥に置いたあんどんの和紙に穴が目立ってきた。よってこの修理を1週間ほども前に経師屋のタカハシカンちゃんに頼んだ。和紙は内側から竹の桟で固定され、僕などはどう知恵を絞っても、これを取り外す算段を思いつかない。
カンちゃんは旧い和紙をより丈夫なもの張り替え、きのうこれを持ってきてくれた。「ぜんぶ取っぱずすのに3時間かかったよ」というから知恵の輪のようなものだったのだろう。これを今朝、元の場所へ戻す。
責任役員として春季小祭に出席すべく午前9時50分に瀧尾神社へ行く。祝詞に「黄金波打つ麗しの田と成し」とあるように、これは五穀豊穣を祈る祭りである。神事や直会に付きものお酒は遠慮をして昼前に帰社する。
午後は所用にてホンダフィットを140キロばかり走らせる。終業後に帰社して即、着替えて同級生のお母さんのお通夜へ行く。
5年前の秋の終わり、オヤジの通夜の会場に耳慣れた歌が流れたので訊くと、それはオヤジの事務机にあったCDを長男が葬儀場に持ち込んだものだった。「なかなか気が利いたな」と感心すると同時に「惜しかったな」とも感じた。オヤジの生前に僕がプレゼントしたその「ひばりジャズを歌う」は、僕の感覚からすればゲテモノだったからだ。
ジャズの歌ものはなにより粋でなくてはならない。美空ひばりは天才ではあっても粋な歌手ではなかった。美空ひばりは何を歌っても美空ひばり以外の何ものにもなり得ない。そして僕は「ここに青江三奈の"THE SHADOW OF LOVE"があれば」と悔やんだが、通夜葬式の忙しい最中に「家の中のどこかにはある」としか分からないCDを探せる道理がない。
このところ毎年のように自分の同級生や、自分より若い人が死んでいく。今月に亡くなった同級生は、43年前はとても活発な子供だった。「君が死んで、オレが生きているというのは、ちとおかしいな」と不思議な思いにとらわれた。
そして「オレが死んだとき、もしメシ会のようなものがあったとしたら、どんな歌を流してもらいだろうか」と考えて真っ先に浮かんだのは柳ジョージの"GOOD TIMES"だ。僕はこのアルバムをLPの時代に買い、しかし後にどこかへしまい忘れた。
ところがそのCD版を昨年の暮にYahoo!オークションで見つけた。懸命に落札して届いたそれを聴いてみればアレンジは古く、当時は気づかなかったが英語も下手だ。しかし歌とはそれだけで価値を落とすものでもない。特に10曲目の"Danny Boy"は泣ける。
「米、1合くらい使ってますか?」と訊きたくなるほど大きなオムライスを昼に「大貫屋」で軽く平らげられたため「こと容量に関しては、オレの胃は復旧したかなぁ」と考える。
そして夕刻には「それでも飲み屋へは行く気が起きないのだから、何なんだろう、オレは軽い引きこもりか?」と考える。
4階の居間と1階の事務室は棟が異なる上、双方のあいだにはコンクリートの分厚い壁が何層もある。距離も直線で20メートルくらいは離れているだろう。このことにより、居間から事務室の無線LANにアクセスすることはできない。
そのため事務室にいるあいだにウェブ上の長い旅行記などを"ThinkPad"のキャッシュに溜め込み、それを居間で読みながらお酒を飲むことがここ数日の夜の愉しみである。
居間にいてブラウザを開くと、以前はなかったことだが最近はご近所のワイヤレスネットワークを拾いまくる。その名前からして「あ、これは○○さんちの電波だ」と分かるものもあれば、不明のものもある。
そのことを数日前に外注SEのシバタサトシさんに相談したところ、先方のコンピュータに記録も残るし、そうでなくてもアクセスすべきではないと教えられた。しかしセキュリティで保護されていないものについては故意に操作しなくても繋がってしまう。
よって予想されるご近所さんには数日中にでも「ウチのコンピュータからのアクセスログがあっても、他意はありませんからねー」と言いに行こうと考えている。
この5日間の1日あたりの平均食費は日に3食を食べて824円だ。それほど金を遣わないならさぞかし貯まるだろうと考えるのは早計で、実はこの1ヶ月のあいだに安くない靴を2足も買ってしまった。
日によって膝に面白くない痛みを感じる。何年か前に脱ぎ履きの簡便さを求めて底の薄いドライヴィングシューズを1年に亘って使ったことが、その原因のほとんどと考えている。
この膝の症状を持つ者がコンクリートやアスファルトの上を長く歩くとき、"WHITE'S"の革底のブーツはちと辛い。よって先日はこれを長男にやってしまおうと考え、しかし手に取ってみればあまりの姿の良さに「譲るのはもうすこし後にしよう」と翻意した。
そしてこの古典的なブーツをとりあえず脇へ置き、新規に購入した2足とは"Alden"と"trippen"の、それぞれクレープソールとラバーソールのブーツだ。散財に際しての言い訳は「健康は上質の靴から」である。
夕刻に浅草から帰宅しようとしているとき駅前でドーナツを買い、それを特急スペーシアの中で食べて晩飯代わりにするとか、家内のいない夕刻に「ほっかほっか亭」で弁当を買ってこれを晩飯にするとか、そういう質素あるいは真面目なことをしていたのは四半世紀も前のことだ。以降の四半世紀においては、ひとりのときはとにかく飲み屋である。
ところが先週なかばからのひとり暮らしでは外で飲みたい気持ちがまったく起きず、この間の飲食費は計4,121円だから1日あたりの平均は824円に留まっている。僕の「あれが食べたい、これも食べたい」は果たして復活の日を迎えることができるのだろうか。
そして今夕の欲求も「チューハイが飲みてぇな」くらいのところにて、朝飯用に買い置いたパンを肴に缶チューハイを飲む。
「つべこべ言わずにやれ」と言語能力の低い人に命令されてできなくても、その行為が必要とされる根拠を示してくれる人には気持ち良く従える、ということは少なくない。
クルマを速く安全に走らせる技術の根拠を示して一頭地を抜いているのがポール・フレールの「ハイスピードドライビング」なら、冬山を安全に登って降りてくる技術の根拠を示して秀逸なのがイヴォン・シュイナードの「アイスクライミング」だ。
この「アイスクライミング」の中でシュイナードは低気温下における帽子の大切さを、科学的な数字を挙げて丁寧に説明している。
と、前置きに7行も使ってしまったが、ここ数日、寝るときに帽子をかぶると至極気分の良いことを知った。特に朝などはこの帽子のお陰でからだ中、それこそつま先まで温かい。そういえばむかしアメリカの漫画に、帽子をかぶって眠るキャラクターを良く目にした。彼らもその帽子によって夜の寒さを凌いでいたのだろうか。
当番町朝日町の初会議に呼ばれて午後、瀧尾神社へ行く。来週には春季小祭もある。雪が降っても氷が溶けなくても春の行事は「待ったなし」で、それに連れて気温も上がってくることだろう。そうでなくては困るのだ。
朝、いまだ開く前の店にいて、鉢植えの蘭の、暖房の良く当たるあたりのひと花の落ちていることに気づく。それを拾い上げ、しげしげと眺めて落花とは、しばしば咲いている花よりも魅力的なことを知る。
きのうの集まりのお酒を呼び水として、胃の調子の戻ってきたような気がする。夕刻に空腹を覚えてホットミルク2合ほどを飲み、小さなチョコレートひとつを食べたらその空腹は途端に消え失せたが、今夜はなんとなく飲みたい気分だ。
しかし本日が飲酒欲勃興のとっかかりとすればこれから数日はリハビリ中のようなもので、飲み屋へ行くことは遠慮したい。というわけでラーメンの「ふじや」を訪ない、焼き餃子と焼き鳥を買って帰る。この店の餃子は味に比しての価格が低すぎて、なにやら申し訳ないようだ。
そして「酒場放浪記」の録画を見ながらひとり気楽なときを過ごす。
オヤジの、正月に亡くなった同級生の「お別れの会」へ出席をするため午前のうちに東京タワー直下のホテルへ行く。会場に入ると、いまだ早すぎたのか、あるいは出席者がすくないのか前から2番目の席に案内をされた。
ふと「ここに谷垣党からも小沢党からも誰も来ていねぇということがあれば、それはちと冷てぇわな」と考え視線を横にはこぶ。と、そこに谷垣党の政治家がひとり、目立たずひっそりと座っていたから「よしっ、君はワンランクアップだ」と腹の中で言う。もっとも僕に評価をされたからといって、その政治家の得るものは何ひとつ無い。
献花を終えてふり返ると、いつの間に集まったのか、会場には立錐の余地なく、というか多くの人が外まであふれていた。
夕刻に帰社して残された仕事を片付ける。19時20分、ふたたび外へ出て「第201回本酒会」の開かれる「やぶ定」へ向かう。
「言うまいと 思えど今朝の 暑さかな」の頭を"You might"として、それが英語なのか日本語なのか分からなくしたふざけた文章を知っている人がいたら、それはかなりの年配に限られるのではないか。なぜこの「言うまいと」を思い出したかといえば「言うまいと、思えど今朝も、雪かきじゃー」だからだ。
昼どき用事のため外へ出て、ついでに「ふじや」の前まで行って「しかしここのラーメンを納める容量は、いまのオレの胃袋にはねぇな」と、そのまま引き返す。そして今度はホンダフィットを運転して「大貫屋」へ行く。とにかく食べ始めてしまえば何でも美味いのだが食べる直前まで食欲はまったく無く、また食べられる量も減っている。
夜、まるでダイエット食のようなメシを食べながら「今日で9日連続の断酒だ、オレのからだの諸々の数値は、先月とくらべてずいぶん良くなっているに違いない、健康をあらわす数値は、不健康によって得られるものなんだな」と考える。
当選者のいない場合、その賞金が次の当選者に上積みされる"carry over"という仕組みのくじがある。僕の断酒ノルマは月に8日で、今月は既にして3日も"carry over"している。来月に体調が復旧すれば、しばらくは飲み放題である。
自分のウェブペイジ「清閑PERSONAL」を開いたのは1997年12月のことだ。「清閑」は僕のパソコン通信時代のハンドルネームである。
1日のアクセス数はひと桁、という状態が長く続いたため「日記、始めようかと思って」と、当時の外注SEマエザワマコトさんに相談したら「男の日記なんて誰も読みませんよ」と言われた。それでも2000年の9月からこの「清閑日記」を書き始めたらアクセス数は急に伸びた。
しばらくして、これを単独で置いておくのはつまらないと、会社のホームペイジから日記へリンクを張る案をやはりマエザワさんに伝えたら「それは公私混同でしょう」と反対されたが実行した。ただし「清閑日記」では違和感があるだろうと、リンク用のボタンには「社長のごはん日記」と表記した。
またまた何年も経って"Search engine optimization"をなりわいとしている人に、今度は「清閑日記」から会社のホームペイジへ逆にリンクを張るよう勧められた。"tamarizuke.co.jp"の中で圧倒的にアクセス数の多いのは「清閑日記」であり、そこへ来た人を店に誘導するのは当たり前、との、これは考えによる。僕ははじめ強く反対をした。理由は「カッコ悪いから」である。
しかし人は徐々にだらしなくなる。「ま、そこまで言うなら」と軟化して従ってみると、果たして売上金額は変わらない。つまりこの日記を読む人と、ウチの品を買ってくださる方はほとんど重複していないのだ。
ところで今月6日から食欲のない状態が続き、日本国内にいるかぎり米のメシでなければ気の済まない朝飯もパンで一向に不自由はない。「食欲減退とは、食べると却って有害なときに身体が発する信号、という説もあるしな」と本日は昼食を抜き、夜はコンビニエンスストアで買ったパンとホットミルクで、これではまるでニートの食卓である。
そして「だったら『社長のごはん日記』のボタンも『社長の粗食日記』に替えた方が良さそうだ」と考える。
インターネット上で食品を買って失敗したことはない。よしんばそれが不味くても、食べてしまえば、あるいは飲んでしまえば後には何も残らないから後悔もない。
本を買って、いざ読んでみたら自分には面白く感じられなかった、とは一般の書店でもしばしば経験することだから、ウェブショッピングに特有の失敗とは言えない。
インターネット上で服、特にズボンを買って失敗することはある。靴もそうだが服についてもサイズは、数字はおなじでもメーカーにより「恣意的」と言いたくなるほどの差があり、ウェストのサイズが合わなければどうしようもない。
ウェブショッピングで僕が懲りずに失敗を繰り返すのはバッグのたぐいである。「大は小を兼ねる」で、いつでも大きなバッグひとつで済ませられれば良いのだが、僕はそれを我慢できない。いろいろな状況を考えて大小様々のバッグやザックを買い、しかし手にとって、あるいは使って初めて分かる不具合に気づけば以降は見向きもしない。
見向きをしなくなっても死蔵は勿体ないからたまにはそれらを放出する。本日も計5点のバッグやザックを社内のホワイトボードに掲示し、その脇に「欲しい人がいたら申し出てください」の文字を添える。そしてまた、あたらしいバッグをネットショップに注文する。
ホンダフィットの屋根の雪が流れ落ち、それがボディの下の方でつららになっている。これが今日の日中に溶けるかどうかは分からない。
数日前の朝、雪かきをしながら製造係のフクダナオブミさんが「胃の具合、どうですか」と訊くので「まだ駄目だね、酒を飲む気にもならなくて、火曜日からずっと飲んでないよ」と答えたら「そんなに酒、抜いたら却ってからだに悪いんじゃねぇかな」と心配をしてくれた。
僕は毎日の血圧と共にいわゆる休肝日も記録していて、これを過去に遡って調べると、2006年9月に6日続けて酒を飲まない日があった。そこでそのあたりの日記を読んでみれば、このとき不調だったのは胃ではなくノドや気管支で、つまり風邪だったらしい。
今夜も飲もうと思えば飲めるが別段、酒を欲する気持ちもないのできのうに引き続きカレーライスを食べて飲酒は避ける。いまγGTPを調べれば、恐らくは絶好調の筈である。
胃の不調により今週月曜日に病院へ行ったら3種類の薬を処方された。そのうちのひとつは精神安定剤で、「朝夕の食後」と指定されたこれを飲むと、昼はラーメン屋で自分の食べ終えたドンブリが片付けられたことにも気づかず寝てしまい、また夜から朝にかけては9時間も寝てしまう。だから「こんな薬は却って不便だ」と、今は残りのふたつだけを飲んでいる。
そうしたところきのうの就寝22時に対して今朝は2時30分に目が覚め、以降はまったく眠くない。よって早々に事務室へ降り、ことしに入っていまだ更新していなかった「社長のしごと日記」を書く。またYahoo!ショップの顧客へ向けてのメイルマガジンを作成する。
きのうに引き続いて朝、社員たちと雪かきをする。
午後、店舗駐車場を見まわりながら、客用ベンチの下に小さな雪だるまのあることに気づく。これが14時30分ころのことだっただろうか。その時間からにわかに客足が増え、30分後にヒマになったのでふたたび外へ出ると、そこに雪だるまの姿は無かった。
そして「あの雪だるまは、ことによると神様だったのかも知れない」と、いまだ精霊信仰をしていた時代の日本人とおなじようなことを考える。
先週の土曜日は、早くも桜の咲く伊豆を移動しながら「朝から大量の雪が降っている」との、多く困惑を含んだ連絡を家内より受けた。それから1週間もしないうちに、また雪である。
朝飯を食べ終えた7時20分ごろ、製造係のマキシマトモカズ君より「もう会社の前に来ている」との電話が入る。そろそろ仕事場へ降りようとしていた当方は慌ててエレベーターに乗り、何ヶ所かの鍵を開けるのももどかしく事務室に達してシャッターを上げた。スズキ製の四輪駆動車に乗る販売係のハセガワタツヤ君が、自転車通勤のマキシマ君を、今朝は自宅まで迎えに行ったのだという。
そういうわけで彼らと店舗前の雪かきを始め、徐々に出勤してきた社員がそこに加わる。今朝の雪は今冬のもっとも多いもので、駐車場のそれをあらかた片付けるまでには1時間20分を要した。
気象庁の見立てでは、今年は暖冬とのことではなかったか。テレビの天気予報はこのところ「暖冬でも雪が多くなることはある」というようなことを言っている。「結果を語らせて日本一」なら井崎脩五郎の勝ち馬予想と何ら変わらない。そして雪は今夜も降るらしい。
自分の性格が外向的なのか内向的なのかが分からない。「集団行動は苦手」とは言わない、しかしひとりでいることも嫌いではない。「元気な人こそ困りもの」という認識はないが、海外の空港などで、団体旅行の参加者でありながら大声で一行を仕切っている人を見るとなぜか「クスリ」と笑ってしまったりする。
自分が商品を注文する、人に仕事を頼む、つまりこちらではなく先方にお金の入る商取引を持ちかけるときでさえ相手に遠慮の気持ちを感じるのは僕が内気なせいだろうか。そういう依頼を本日は複数おこない、そうしたら夕刻になって「今日は仕事をしたなぁ」という気分を強く感じた。
仕事を依頼したうちのひとりは僕がメイルを送ってから22分後に「いまバンクーバーにいる、来月4日に帰国するので、細部についてはそれから詰めよう」という旨の返信をよこした。いまどき何をしにバンクーバーくんだりまで行ったのか、焼きそばでも食べに行ったのかも知れない。
歴史の淘汰を経ていない、つまりきのう今日できた新興のものについては知らないが、永年にわたって生きながらえてきた宗教の言うことには「それに従えば人はホントに楽になれるよなー」と理解できることが多くある。
「狭い門から入れ」というのは、そうした方が楽だからだ。「欲を去れ」というのも、そうした方が楽だからだ。しかしあまり無欲になりすぎて「配偶者も子供もいらねぇよ」となれば人口の減少に伴って自らの勢力範囲を狭めることになるから、そのあたりについては各宗教とも慎重に対処をしている。
現在、去ったきり戻ってこないのが僕の食欲で、食欲がなければ「あれが食べたい、それにはこの酒が合う、酒が途中で切れては情けないからダース単位で買っておけ」という、経済的逼迫に直結する行動は取らずに済むから「なるほど、いにしえの教祖の言ったことに外れはねぇわな」と納得をする。
食欲のないときには、食べ物はいわば生存のためにのみ腹へ入れるわけだから、それこそ味は問わない。
とはいえ1982年のグライドゥー島にたった一軒だけあった雑貨屋兼食堂"Chez Muhammad"のカレーライスだけは勘弁してもらいたい。この店のカレーを口へ入れるなりスウェーデン人のKnud-Pedersenは「腐ってるからヤメロ」と言った。そして僕は「臭せぇのは分かってるけど、現地人が食ってる限りヘーキだよ」と答えてそれから1週間、このクソのような匂いのカレーライスを食べ続けた。別のものを欲しても、"Chez Muhammad"にはこれ以外の何も無かったのだ。
そして今夜もパンとホットミルクとヨーグルトを胃に収める。
むかしある病院を訪ねて残尿感を訴えたところ、数種類の薬を処方された。インターネットで調べてみると、そのうちのひとつは精神安定剤だった。「神経の薬なんていらねぇよ」とばかりにそれだけはすぐに捨て、残りについても2、3日後には飲まなくなった。残尿感はまるで毒気に当てられでもしたかのように綺麗さっぱり消えた。
むかしと違って今は処方と同時にその薬の名や性質についての説明書が付いてくる。これによるときのう手渡された薬3種のうちのひとつがやはり精神安定剤だったから「精神安定剤の時代」という、「いかにも」といった惹句が僕の頭には浮かんだ。
以前はすぐに捨てた精神安定剤だが今回は「折角だから」と、処方箋のとおりに飲んでみた。するとこれが眠れて眠れて仕方がない。目覚まし時計などよほどのことでもない限り使わない僕が、そしておとといは就寝の4時間30分後に目覚めた僕が、きのうから今朝にかけては夢を見ることもなく9時間も眠り続けた。
食欲は相変わらずまったくない。人間、欲がないほど強いことはない。食欲がなければ「あれが食べたい、これも食べたい、おまけに酒も飲みたい」という気は起きない。よって夜も朝飯とほとんどおなじものを胃に収め、例の薬を飲んですぐに就寝する。
8年か10年ぶりと思われる胃の不具合が現在、自分の身を訪れている。その症状は、ただただ食欲がなく、だからメシを抜いても一向に焦燥しない、しかし何かしら食べてみればそれはいつものように美味く、そしていくらでも胃に納めることができる、という不思議なものだ。
この、久しぶりの症状が始まったのはおととい土曜日のことで、しかし腹の空かない以外は何の不自由もないから、そのまま旅行を続けた。
この異常事態は、1週間もすれば自然に治ることを僕はみずからの経験により知っている。しかし本日はそう放っておけない事情もあるため、市内にあって強力無比な薬の処方で知られる病院を訪ねて3種の錠剤1週間分をもらってくる。
夕刻に銀座へ出て家内と待ち合わせ、8丁目の「鮨よしき」へ行く。ホワイトアスパラガスの淡味煮から始まって握り鮨までをずっとおなじ燗酒にて愉しみ、下り最終スペーシアに乗ってひとりで帰宅する。
外に激しく波の音が聞こえる。「4時は過ぎただろうか」と、枕頭の携帯電話を見るとディスプレイには"0:44"の数字があって愕然とする。そうするうち畳屋のアンザイさんが起きて風呂へ行き、戻ると家から持参したエシャロットの浅漬けでビールを飲み始めた。暗闇にいても耳を澄ませていれば大概のことは分かる。
僕も風呂へ行き、入浴ののち脱衣所の無料のあんま機に座って2時15分から4時まで本を読む。1泊で300ページの本1冊を読み切ることのできるあたりがバス旅行の有り難さである。
部屋に戻って以降は布団の中で6時までじっと我慢をし、やがてイケダさんがテレビをつけると同時にほぼ全員が起床する。
「旅館の朝メシはたいてい3杯も食っちゃうから、昼メシが入んないんすよね」と言うと線香屋のタケダさんが「だったら2杯にしときゃいいじゃん」と教えてくれたが結局は鰹茶漬けと米飯2杯の計3杯を食べてしまう。
07:50 ロビー集合
07:55 「海辺のかくれ湯・清流」を出発
08:00 「堂ヶ島らんの里」見学
08:35 「堂ヶ島らんの里」の吊り橋をわざと揺らして渡る
09:45 「岩科学校」見学
「地球の歩き方の歩き方」 山口さやか、山口誠著 新潮社 \1,680
を、きのうの出発時からずっと読んでいる。稀代のロングかつベストセラーの黎明期から今日までを、主に関係者への聞き書きにより構成したこの本は、まるでスティーヴン・レビーの「ハッカーズ」のように面白い。高城剛の「サバイバル時代の海外旅行術」と併せて読めば、その興味深さは倍加するだろう。
11:30 「おか田」で昼食
13:45 「いろり海産」でお土産タイム 試食の干物を酒の肴にしている人が多数いる。
14:15 「磐梯ドライブイン」でお土産タイム 道路沿いには閉鎖したペンション、閉鎖した観光施設が目立つ。
今回のバス旅行の名は「伊豆半島を一周! 西伊豆堂ヶ島温泉と豪快伊勢海老料理」だが、伊豆半島東岸を北上する国道135号線が渋滞しているため帰りの遅くなる恐れがある、皆さんの賛同さえ得られれば伊豆スカイラインに上りたいがどうか、との提案が添乗員からあり、賛成多数にて路線の変更が決まる。
結果から言うと、この選択が良かった。濃く青い空には雲ひとつなく、伊豆半島の高嶺から右に相模湾、左に駿河湾を同時に見るという体験を、僕は初めてした。
15:50 十国峠で休憩
17:20 海老名サービスエリア着 きのう今日と雪かきをしてくれた社員にお土産を買う。
18:15 用賀から首都高速道路に入る
19:00 川口から東北道に入る
21:15 日光市「市縁ひろば」着
本日は断酒日のため、帰宅して"KIRIN FREE"の350cc缶を飲む。そして入浴して23時に就寝する。
春日町1丁目の役員は、年1回の親睦旅行のために毎月お金を積み立てている。バス会社が募集するこのツアーは、ある一定人数以上の申し込みがないと流れてしまう。また、自分の用事と重なって参加できない年もある。今年はどうにか行ける見通しが立った。そしてその出発は今日である。
というわけで足下はサンダル、服は外掃除をするときに着るジャンパーという、いわばどうでも良い格好をして朝6時25分に町内の「市縁ひろば」へ行く。
06:30 日光市「市縁ひろば」を出発
07:00 宇都宮インターより東北道に乗る
08:20 川口パーキングエリア着
09:55 海老名パーキングエリア着
10:25 御殿場インターで東名高速を降りる。バスの窓から外を見て、30年ほども前、さかんに"FISCO"へ来ていたときのことを思い出す。
10:30 日光では7時ころより強く雪が降り始めた旨の電話が家内より入る。よって人力による雪かきが不能なほど積もったときの対策を伝える。
10:45 「わさびの里」でお土産タイム
11:15 御殿場インターより東名高速に乗る
11:35 沼津インターで東名高速を降りる
12:35 「かつらぎ山パノラマパーク」で昼食
13:15 ロープウェイで葛城山の頂上に登る。「富士の山、甲斐で見るより駿河良い」の句もあるが、ここから見る富士山は左右対称ではなく、西側の斜面がそげ落ちている。
14:30 修善寺散策。この土地には友人のタケシトーセーさんがいるが団体旅行だから「ちょっと顔を見に行ってくる」ということはできない。
16:30 堂ヶ島温泉の旅館「海辺のかくれ湯・清流」に到着。本日は風と波が非常に強いため、波打ち際の露天風呂へは行かない方が無難との注意を添乗員より受ける。
16:45 浴衣に着替え、ひとり露天風呂へ行こうとするが、海からの風圧でドアがビクともしない。全体重をあずけてこれを開き、細い道を辿って露天風呂に達する。強風に肌が叩かれ寒い。お湯の噴き出すところに背中を当てて暖まる。
18:00 宴会
19:30 部屋に戻ると布団が敷いてあり、早くも寝ようとするメンバーがいる。
20:00 5人部屋のおおかたが眠る姿勢であるため、僕も就寝する。
午前は神保町、昼は南青山、そして午後の早い時間にまた神保町へ戻る。
おとといきのうと飲み歩き、財布の中身はほとんど残っていない。そして明日あさっては伊豆に旅行である。自分の中では今朝からにわかに金銭の価値が上昇し、昼飯は220円のおむすびだった。
夕刻、この2日間の仕事として予定していたうちのおおむねを済ませて靖国通りを歩く。現在、社運を賭けた仕事をお願いしているハットリヒロシさんが「サイゼリアで、1,200円の予算で飲みませんか」と誘ってくれたが生憎と今日は時間がない。
にわかにその価値が上昇し、つまりお金は使いづらくなったが、そして時間もないが街は寒く、いまだ都内に地下鉄を乗り継いでいる身としては、飲まずに帰る気にはならない。よって北千住で駅の外へ出る。
「加賀屋」のオニーチャンに「日本酒、お燗でください」と伝えて壁のテレビに目を遣る。「あ、朝青龍、引退したのか」と、きのうの出来事をようやく知って、折しも出てきた徳利のお酒を猪口に注ぐ。
地面は濡れているが雪は残っていない。空は青く晴れている。7時41分に甘木庵を出る。昨夕の道を今朝は逆に、つまり本郷から神保町までの道を、写真を撮りながら歩く。"Computer Lib"には8時6分に着いた。
夕刻、仕事仲間たちと四谷に移動してしんみち通りを西へ進む。冬のフランス料理屋のメニュに「生牡蠣」の文字を見つければ、僕はこれを頼まないわけにはいかない。しかし立春にもかかわらず今年一番の冷え込みとなった本日はとにかく燗酒である。
牡蠣と日本酒の店「酒徒庵」にて牡蠣料理と燗酒を楽しみ、また現在、社運を賭けた仕事をお願いしているハットリヒロシさんには特に、メニュから厳選した上出来の日本酒も吟味していただく。
晴れただけに本日の気温は雪のきのうよりも更に低い。その寒さを愉しみながら飯田橋まで歩き、大江戸線に乗って10時に甘木庵に帰着する。
居間より見える南西の山にはきのうの雪が残り、その枯れ木の茶と雪の白に朝日が映えて美しい。1月に入れた本日の予定について、後に「その日は節分じゃねぇか」という理由から延期した経緯があった。節分の日には豆まきをしなくてはならない。
20代のはじめに亡くなった叔父が高等学校の文集に寄せた随筆は、自分の好きなことを4つほど並べたものだった。昭和20年代に書かれたそれを一読するなり「文章でこの人を超えることは、オレには無理だ」と思い知らされた。とにかくそこにある「好きなこと」のひとつが豆まきで、それを読むと当時ウチでは夜に「オニハソト、フクハウチ」をしていたらしい。しかし諸事忙しい時代にて、本日は午後一番に店舗、店舗駐車場、包装部門、製造部門、隠居、自宅とまわって豆まきをする。
夕刻に神保町へ出る。僕の知る限り今この界隈でここを凌ぐ酒亭は無いと考えている「嘉門」で長男と数十分を過ごす。
僕は地元でははしご酒をしないがよその土地では2軒目で締めることが多い。神保町交差点ちかくの"BAR PLAT"は休みだったから、そのままビルの谷間へ分け入って金華坂を上がり、裏口から「山の上ホテル」の"Mont Cave"に入る。そしてシャンペン1本を飲む。
「嘉門」を出たとき細かい雨と感じたものは、実はアラレだった。"Mont Cave"のやはり裏口から暗い道に出ると、そのアラレは雪に変わっていた。お茶の水駅前から本郷を目指すうちその雪はどんどん強くなり、僕のマウンテンパーカに積もったそれが街の灯りを映してキラキラと光る。
9時に甘木庵に帰着し、入浴して10時に就寝する。
先日、あるスーパーマーケットの経営者との話の中で、積雪に対しては自社に除雪車を備えているのかと訊ねたところ、土木建築会社と契約しているとのことだった。ウチではよほど大雪のときこそブルドーザーを呼んだことはあるが、通常は社員がスコップなどで雪かきをする。
きのう午後の天気予報は、東京にもすくなくない雪の降るようなことを言っていた。よって久しぶりに建機を予約すべきか、あるいはいつものように人力で除雪をするか迷った。
昨夕、雪の降るなか店舗駐車場に塩化カリウムを撒いた。こうしておけば、翌朝の雪かきが人力によるものとなったとき、すこしでも作業が楽になるだろうと考えてのことだ。そして夜、インターネットにより局地的な降雪量を調べて、ブルドーザーは必要なかろうと結論した。そして日光市今市地区の雪は20時すぎに止んだ。
今朝は開店前から最多時で15名が雪かきに参加をし、おおむねその開始から45分後には駐車場の雪は排除された。雪が降って嬉しかったのは子供のとき、そしていま雪が降って嬉しいのは旅先で無責任に遊んでいるときくらいのものだ。
本日は断酒を決めたため生憎と雪見酒とはいかず、鯖の味噌煮をメシのおかずにする。この、鯖の味噌煮が常軌を逸して美味い。鯖はきのう魚市場の氷の中から選んだもっとも優れた個体であり、味噌はウチの「梅太郎赤味噌」であることを考えれば、それもむべなるかな、である。
目を覚まして枕頭の携帯電話を手さぐりし、ディスプレイを見ると時刻は4時20分だった。耳のちかくに波の音が聞こえる。そのまま静かにしているとやがて空が白み始め、更に明るくなってきたところで外の写真を撮る。
朝飯を済ませて朝風呂に入り、朝刊2紙を読む。宿からひたちなか市の魚市場まではクルマで10分ほどの距離だった。
網ではなく釣って獲ったという綺麗なキンキ2尾が氷の上にある。それをオニーチャンに包んでもらいながら鮑の生け簀の前へ行き、大きなものの値段を訊くと「5,000円くらいかな」とのことだったのでそれは諦める。そしてこれまた綺麗な鯖1尾を買う。
終業後に事務室にいると「煮物用の酒をくれ」と家内より館内電話がかかる。おととし7月に本酒会のくじ引きで当てた飲みさしの酒がいつまでもワイン蔵にあって気になっていた。いくらワイン蔵とはいえ日本酒を1年半も放置すればとても飲めた代物ではなくなっているだろうから、これを今夜の料理酒として提供する。
そしてまぁ、とても飲めた代物ではないだろうけれど、いまだ一升瓶に半分ほどは残っているそれを寸胴の酒器へ満たし、恐る恐る口を付けてみると驚くべきことにこれが非常に美味い。よって先日"Finbec Naoto"で「美酒の設計」の飲めなかったカタキを取るようにして、おなじ蔵によるこのホントに佳い酒を2合ほども干す。