何時に目を覚ましたのかは知らないが、暗闇の中で小一時間ほどを静かに過ごして枕頭の灯りを点けると4時30分だった。
朝飯は、ジャコ、ダイコンの麹漬け、塩鮭、昆布とハスとゴボウの佃煮、玉子とミツバの雑炊。
始業前、店舗の地方発送受付台の上に 「初荷は1月5日となります」 との札を下げる。もちろん、本日ご来店になって 「正月に食べるんだから、なんとかせーや」 とおっしゃるお客様については、元旦着にてそのご注文をお受けすることになる。
販売係のハセガワタツヤ君に頼み、9月3、4日に行われた日光MGの後に店前へ下げた 「年内無休」 の木彫看板を取り外し 「営業時間は8時15分から17時30分」 という看板に掛け替えてもらう。また販売係のサイトウシンイチ君には、11月4日以降、店前に張り出してある全紙の墨書 「新らっきょう」 を丁寧に剥がしてもらう。
1月1日に店前へ掲示する 「賀正 二日より営業いたします」 の看板を、販売係の誰かが倉庫へ取りに行く。
店舗の石の床を誰かが水モップで拭いたらしく、それは黒く濡れて光っている。ケンモクマリさんが、試食の用意をする専用スペイスの掃除をしている。社内各所にある換気扇は、数日前に掃除が済んでいる。徐々に正月の準備が整っていく。
僕は2日の朝にすべきことをメモにし、1日に何度も上がり下がりするエレヴェイターの行き先ボタンの脇に貼る。
イチモトケンイチ本酒会長は自転車屋のオーナーで、長男は子供のころから自転車の乗り方を教わったり、遠方までサイクリングに連れて行ってもらったり、あるいは山中でのトライアルレイスに何年も続けて参加させてもらったりしていた。そのため年末には赤坂 「雪華堂」 の黒豆を届けてきたが、こういうことは、長男が成長したからといって、すぐにやめられるものではない。
午後、長男と次男をホンダフィットに乗せ、郊外の 「いちもとサイクル」 を訪ねる。門を隔ててイチモトさんに黒豆の箱を渡すと 「上がっていってくれ」 と言う。玄関まで達したところで、仕事場から出て我々を追いかけてきたらしいイチモトさんのお父さんが長男に声をかける。
「頭の形からして、ユーキ君かい、いやぁ、大きくなって」 と感慨深そうに大音声を上げる。長男は頭をかいて 「あー、はー」 などと言っている。人の家の子に6年も会わなければ、その変わりようなまるで別人を見ることと同じなのだろう。このオヤジさんにも、長男は大いにお世話になった。
2階のリヴィングには、天井まで届く棚にも入りきらない映画のヴィデオがある。次男がその数に賛嘆する。長男はイチモトさんと映画の話をしている。次男はおみやげとして、「当時は感心したけど、いま見ると馬鹿ばかしい」 という、まぁイチモトさんが処分に困っているたぐいのヴィデオを7本ももらって大喜びをした。
製造係は既にしてきのうから休みに入っている。終業時、退社する販売係と包装係に年末の挨拶をし、店舗と事務室を施錠する。
初更、とろろ、ナスの生姜焼き、ハクサイ漬け、タシロケンボウんちの刺身湯波、マグロの刺身にて、泡盛 「珊瑚礁」 を飲む。鰤大根にても、泡盛を飲む。きのう茹でずに取り置いた 「やぶ定」 の茶蕎麦は、酒肴のとろろを加えて山かけとする。
長男は、自由学園の寮から香港島レパルスベイの家へ帰った同級生ゴーダサトシ君のために、「曙 vs. ボブ・サップ」 の試合中継を録画すべく準備を始めた。僕は入浴して9時に就寝する。
起床して事務室へ降り、本日中に出荷する必要のある発送伝票を整理する。
現在のような景気の低迷する年末にあって、お客様には季節のギフトを送るか送らないか、あるいは自家用の品についても、それを買おうか買うまいかについて、最後の最後まで結論を延ばす傾向が見られた。そして 「やっぱり送っておこう」 「やっぱり食べたいよね」 という需要が、例年はヒマになるクリスマス以降に発生したようだ。
そのため、荷造り現場へ回す専用の箱には、いまだゴッソリと発送伝票がある。有り難いことだと思う。
顧客からの問い合わせに返信を送付し、ウェブショップの受注を確認し、スキー場のカフェテリアで途中まで書いた昨日の日記を完成させてから、長男が 「これもいらない、あれもいらない」 と袋にまとめた大量のゴミを、長男と共に収集業者の来る会社裏口へ出す。
朝飯は、シュンギクのゴマ和え、トマト入りスクランブルドエッグ、納豆、メシ、豆腐とシイタケと長ネギの味噌汁、タシロケンボウんちのお徳用湯波とミツバのおひたし。
僕は普段、納豆には刻んだ長ネギとカラシしか入れないが、今朝のそれにはかつお節が入っている。このスタイルは家内のもので、僕の好みではない。ところがこれを食べたところ、非常に美味い。そのことを家内に伝えると 「そうよ、だからいつも、納豆にはかつお節を入れた方が美味しいって言ってるでしょう」 と返される。
今日は会社や家の中に正月飾りをする日にて、朝から気がせいている。既にして届けられていたお飾りを、販売係のハセガワタツヤ君にその方法を教えながら、神棚や店舗、事務室に設置していく。「謹賀新年」 と墨書された大きな額を店舗の太い柱から下げ、その位置を同じく販売係のオオシマヒサコさんが微調整する。
28日の掃除の際に取り出し、洗ったりほこりを払ったりしたお稲荷さんの中身を、その社に納める。ずいぶんと以前に瀧尾神社から届いていた幣束の、神棚に飾った残りを社内の各部署に分ける。輪飾りも社内のあちらこちらに行き渡り、顧客用のトイレをはじめ諸処に下げられる。
午後に至って鏡餅の準備が整う。それが神棚、お稲荷さん、水神、地神、あるいは玄関や社内の各所に飾られる。正月用の生け花はシラカバと竹によるその基礎までが組み上げられて、後の作業は例年通り、正月2日の早朝に持ち越された。
12月初めの顧客宛メイルマガジンに掲載した 「店長が考え得る最高の年越し蕎麦プレゼント」 に用いる 「二宮金次郎ゆかりの報徳庵の蕎麦」 は、往復で3キロまではないと思われる道を、長男が次男の手を引き歩いて受け取りに行く。「今市市の旧市街に明治44年から続くやぶ定のつゆ」 は 「やぶ定」 店主のワガツマカズヨシさんが、みずから配達をしてくれる。
もちろん、「報徳庵」 から蕎麦だけを求め、「やぶ定」 から蕎麦つゆのみを届けてもらうわけにはいかないため、双方から蕎麦と蕎麦つゆを入手し、ウチは年越し蕎麦の当選者とは逆に、「やぶ定」 の蕎麦と 「報徳庵」 の蕎麦つゆにて年越し蕎麦とすることになる。
「日光街道の杉並木に沿った清流に店を構える晃麓わさび園の生わさび」 は、僕がホンダフィットに乗って買いに行く。
帰社して 「やぶ定」 から届いた蕎麦をよく見ると、6人前と注文をしたはずだが、2人前のパックが6個ある。「これはひょっとして12人前なのだろうか?」 と考えたが分からない。とりあえず今夜と明晩にて、これを食べることとする。
初更、フナの甘露煮、タシロケンボウんちの刺身湯波にて、泡盛 「珊瑚礁」 を飲む。その後、鴨鍋に移行する。鴨肉のつくねやゴボウや長ネギの煮える鍋にて、しかし次男は先日のお残りの豚肉をしゃぶしゃぶにしている。
やがて 「やぶ定」 の茶蕎麦4パック推定8人前が、ザルに盛られて食卓へ運ばれる。「報徳庵」 の蕎麦つゆに鴨肉や長ネギ、鴨鍋の出汁を入れて鴨汁とし、これにて口に涼しい蕎麦を食べる。
入浴して牛乳を300ccほども飲み、9時30分に就寝する。
5時に目を覚ましたが起床は6時になった。事務室へ降り、いまだ大量にある発送伝票を、その到着希望日別に仕分けして現場へ運ぶ。コンピュータを起動し、ウェブショップに届いている複数の 「何とか年内に間に合わせよ」 という注文を確認する。7時に居間へ戻る。
朝飯は、ダイコンの麹漬け、昆布とハスとゴボウの佃煮、一昨日の晩に残した餃子とハクサイ、エノキダケによるスープ、メシ。
一昨日、長男がスキーへ行くことを希望している旨のことを家内から聞いた。社員が交代で取る休みやこの時期の仕事の内容を考えれば、僕と家内の双方が会社を空けることは能わない。そしていつの間にか、スキー場へは僕が行くことになった。
店舗前の掃除を済ませた後、長男と次男をホンダフィットに乗せ8時20分に家を出る。1時間で30数キロを走り、昔の鶏頂山スキー場、現在のエーデルワイススキーリゾートに着く。
僕は小学校のころからスキーが大好きだったから、当然、自分のスキーは持っていた。ところが長男はスキーよりも他に好きなことがたくさんあったらしく、自分の道具は持ち合わせない。長男と次男のスキーを借りるべくレンタルのプレファブ小屋へ近づくと、「自動車免許証、健康保険証、身分証明書などのいずれかをご用意ください」 と書いた看板がある。それらのいずれも、僕は持ち合わせていない。
小屋へ入り、受付カウンターでオネエサンにそのことを伝えると、「それでは銀行のカードなどはお持ちでないでしょうか?」 と訊かれる。銀行のカードは銀行へ行くときには持参をするがスキー場へは持ってこない。「いやぁ、それも無いんですよ」 と答えると、「じゃぁ、次回よりお持ちくださいね」 との返事があって、事なきを得る。
次男はスキーの経験はあるがほとんど初心者のため、きめ細かく年齢別のコースを設けたスキー学校へあずける。長男はそれを見届けてからどこかへ去った。老いさらばえた僕はスキー場にあってスキーはせず、暖房の効いた、まるで体育館のように大きなカフェテリアへ入り、きのうの日記を書く。
小学校のころ、霧降スキー場へ僕を連れて行ったオヤジは革のジャンパーに手を突っ込み毛糸の帽子をかぶって、吹雪の中、寒そうに背中を縮めて立っていた。僕はそれを見て、「どうしてスキー場まで来ながら、こんなに楽しいスキー遊びををしないのか?」 と怪しんだ。
同じく小学生のころ、同級生のスズキノリユキ君の家族と湯元スキー場へ行った。当時、銀行の支店長だったスズキ君のお父さんは、駐車場に停めたクルマの中で書類の点検をしていた。それを見て僕は、「どうしてスキー場まで来ながら仕事なんかしているんだろう?」 と不思議に感じた。
今では僕が、オヤジやスズキ君のお父さんと同じことをしている。しかしこれは、そう悲観するほどのことでもないかも知れない。周囲を見回してみれば、僕と同じく窓際の席に座って年賀状を書く人や、あるいはなぜか携帯電話で自分の顔写真を撮り続けている人もいる。
およそ500席ほどもあるカフェテリアに昼食を求める客が徐々に集まり始め、瞬く間に空席を埋め尽くしていく。12時すこし前に長男がゲレンデから戻る。次男も12時に修了証を受け取ってスキー学校から解放される。僕が取り置いた席にて、ディズニーランドのそれよりも高い昼飯を食べる。
食後、長男が次男のスキーを小脇に抱え、ふたり用のリフトに次男と乗って山の上を目指していく。18歳の長男は笑っている。8歳の次男は不安そうな顔をしている。僕はそれを見送ってカフェテリアに戻る。
高所からの1本を終えて 「もうスキーは上がりたい」 と言う次男を長男から引き取り、ゲレンデの一角を区切った子供用の遊び場へ行く。ここの100メートルほどの長さを持つ斜面で90分も連続してそり遊びをし、3時に長男と落ち合って帰り支度をする。
もみじラインを10キロほど下って今朝、初めて使った有料道路の竜王峡ラインに乗る。即、トンネルへ入り、それを抜けるともう鬼怒川温泉の旅館の林立が目に飛び込んでくる。屈曲した山間の道を上り下りしていた以前からすれば、まるで夢のようなスピードだ。
夕食のための買物をして5時すこし前に帰宅する。メイルによる注文などをこなして7時に居間へ戻る。
先日の飲み残し "Rully Blanc Appellation Rully Controlee 1986" のバキュバンのゴム栓を外す。ブンタンの皮を剥き、その上に生ハムを敷き詰めるくらいの手伝いなら僕にもできる。
カキのオリーヴオイル炒めは当たり前のことだが、カキとオリーヴオイルの香りの混じり合ったところが至極良い。生ハムの分厚い皮、ホールトマト、ナス、タマネギなどを煮込んだスープは、その材料こそ貧乏くさいものの、みんなで 「これは美味めぇや」 と言いつつぺろりと平らげる。当然、白ワインの消費量は増す。
軽くあぶったフランスパンの上にバターを置きマスカルポーネをフワリと載せ栗のペイストをサッと引くと、「お菓子なんかいらない」 とつぶやきたくなるほどの得手物ができあがる。バターとチーズの固まりなどそう摂取しない方が良いのだが、手が止まらずに4切れも食べる。更に白ワインを飲み進む。
入浴して本は読まず、9時30分に就寝する。
闇の中でかなり長いあいだ、じっとしている。しかし、いつまでそうしているわけにもいかず、枕頭の灯りを点けると3時だった。新年用にウェブショップの一部を更新する必要があり、ただし大晦日の0時直前にその作業ができるとは限らない。即、起床して事務室へ降りる。
顧客からの問い合わせに返信を書く。知り合いからの注文に対する、テンプレイトによらない第二の礼状を書く。新年用にトップペイジを書き換えて保存し、また、現在、注文フォーマットの 「ラッキョウのたまり漬」 につけてある (新物) の表示が容易に外せることを確認する。
きのうの日記を作成し、サーヴァーへ転送したところで7時になる。
朝飯は、ジャコ、ハクサイとダイコンの漬物、塩鮭、昆布とハスとゴボウの佃煮によるお茶漬け。
開店前に、植木屋の 「日光園」 が門松を設置していく。昨年までは僕が行ってきた神棚とお稲荷さんの掃除を販売係のサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君と共に作業しつつ教え、90分ほどで完了する。
長男と次男は家内の運転するホンダフィットに乗って、市内沢又地区にあるサイトウトシコさんの家へ餅つきに行く。家内だけが会社にとんぼ返りをする。
午後1番にて、店舗改装後に使う什器を注文してあった 「たまき」 のタマキヒデキさんが、僕のスケッチによる特注品3点が完成したと、これらを持ってくる。
狭い試食台に安定して乗せられるよう設計した幅195ミリ奥行き100ミリ高さ80ミリの細長い角鉢は、らっきょうの色が映えるよう黒釉としたが、その出来映えにほぼ満足をする。難点は肉の厚すぎるところだが、これは制作がとても難しく、10点を窯へ入れたうち割れずに完成したのは3点のみだったという。
楊枝捨ては直径100ミリ高さ95ミリの筒鉢で、底から30ミリほどのところから微妙な裾広がりになってモダンだ。
タマキさんはこの鉢につき、益子の窯元に 「勝手にこのデザインを使わないように」 と注意をしたそうだが、僕には 「これ、良いですよねぇ、ウチで売ってもかまいませんか?」 と訊く。「いいですよ」 と答える。
楊枝入れは直径62ミリ高さ53ミリの小さなもので、もとよりスケッチの段階からこのような半端な数字を指定したわけではないが、できあがってみれば厚く載った釉がポッテリとした味を出して悪くない。
角鉢3点、楊枝捨て23点、楊枝入れ26点の入った段ボール箱はしまい忘れのないよう、タマキさんにその置き場所を確認し、支払いを済ませる。
3時を過ぎて、ふたたび家内がサイトウトシコさんの家へ行き、餅つきを終えた長男と次男を連れ帰る。
先日、自分でその内容の選べるお歳暮をいただいた。僕はそこから豚のしゃぶしゃぶ肉を選んだが、それが今日、届いた。
これをどのような鍋にすべきかという話になる。僕と次男はコンソメスープの中に熟したトマトをつぶし入れた洋風のものを希望したが長男は和風が良いと言う。家内は普段、寮にいて家のメシの食えない長男の意見を容れて、これを和風のしゃぶしゃぶとすることを決めた。
ずいぶんと長さのある三枚肉、脂の多いロース、脂の少ないロース、絹ごしと厚揚げの2種の豆腐、ホウレンソウ、ミズナ、ハクサイ、長ネギ、エノキダケ、シイタケ、マイタケを、利尻か羅臼かその採れた場所は知らないが、大きな昆布の入った鍋で煮て食べる。
体のためには脂の少ない肉を食べた方が良いのだろうが、どうしてもロースより三枚肉の方が美味い。泡盛 「珊瑚礁」 を飲む。
オヤジやオフクロも含めて鍋を囲んだ6人のすべてが締めのウドンへ達する以前に満腹になったため、鉢へ盛られたこれは、明日以降に食べることとする。ルッコラとカボスの一部も、明日以降への次期繰り越しとなる。
入浴して本は読まず、9時30分に就寝する。
5時30分に起床して事務室へ降り、7時までいつものよしなしごとをする。自宅へ戻って窓を開けると、家々は薄く雪に覆われているが、山は晴れている。もっとも、この季節に朝の陽気が夕刻まで保つことはほとんどない。
朝飯は、ジャコ、塩鮭、タシロケンボウんちのお徳用湯波とコマツナの炊き物、ワカメとタマネギのかつお節かけ、ダイコンの麹漬け、メシ、お麩とミツバの味噌汁。
始業前の掃除で事務所脇の坪庭まで来ると、カワムラコウセンさんが置いたらしい正月用生け花の材料が置いてある。見ればそれはシラカバで、今回はどのようなものができあがるか楽しみだ。
12月の地方発送受注高は昨年同月の記録に対して抜いたり抜かれたりだから、「こんなに押し迫ってからでも、年内に届けていただけるでしょうか?」 という遠慮がちなお客様からのご注文も、「今日たのめば明日着くでしょ?」 という耳慣れたご注文も、どちらも大歓迎だ。
注文を断らざるを得ない状況にあると、金は入らないわお客様は不快になるわで、良いところはひとつもない。逆に 「もちろん大丈夫です」 とお答えをすることができれば、金は入るわお客様は喜ぶわの良いことずくめとなる。
昼、「みとや寿司」 から鮨が届く。これは、今日が誕生日の次男に朝方、「夜は何が食べたい?」 と訊いたところ 「ぎょうざ。自分で作る」 とのことにて、「誕生日に自作の餃子かよ、だったら昼に鮨でも食べよう」 と、決まったことだ。
次男には好物のマグロづくしが、そしておとなにはそれなりの鮨が割り当てられる。酒を伴わない鮨は自分にとってちと物足りないため飲酒を為すことも考えたが、今月はあと1日の断酒をする必要があるため、今日をその日に充てることとし、ワカメと万能ネギの吸い物のみを飲む。
午後、販売係のオオシマヒサコさんが、「片口の在庫が少なくなってきたので、そろそろ注文してください」 と言いに来る。「片口は特注品で、ひと窯まとめて焼くから、すぐには届かないんだよ」 と答えると、オオシマさんは 「エェッ?」 と声を発するなり絶句した。
店頭の展示、パンフレット、あるいはウェブ上での宣伝の、それぞれがどれだけの割合で効果を発揮したのかは知るすべもないが、少なくとも11月初めのメイルマガジンでこの商品の説明をしてから今日までに、ウェブショップには19回の 「片口」 の発注があった。もちろん、19回だから19個の販売、ということではない。実売はその何倍にもなる。
片口の納入先 「たまき」 に電話をし、次回はひと窯ではなく倍のふた窯を焼いてくれるよう注文をする。
夕刻も近いころ、製造現場から事務室へ戻ろうとして家内に呼び止められる。「きのう次男は工事の関係で就寝時間が遅れたので、今日は早くに寝かせなくてはいけない。そのためには夕食を早く終える必要があり、それには誕生日のケイキを今のうちに食べておくことが肝要だ」 というようなことを言われ、共に居間へ行く。
この1週間で、一体どれほどの甘いものを摂取しただろうか。そして今日も、煎りの強いコーフィーと共に、プティシューとイチゴの載った "Chez Akabane" のチョコレイトケイキを食べる。
初更、長男と次男が餃子を包んでいる。次男はかたわらに、買ってもらったばかりのオモチャを大切そうに置いている。そうして作られた餃子はやがて、盆の上へ大量に並べられた。
春雨サラダと共に、この餃子を水餃子にして食べる。食後に牛乳を150ccほども飲む。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
目を覚ますと家内と次男はいまだ起きている。多分、0時は過ぎているのだろう。そのまま二度寝に入り、次の目覚めをしおに枕頭の灯りを点ける。自由学園の男子部生徒が編集し、年に5、6冊ほども発行される部外報 「東天寮だより」 のすべてのペイジを読んで、5時に起床する。
事務室にて朝のよしなしごとを終え居間へ戻ると、次男は早くも着替えてテレビへ向かい、きのうサンタクロースにもらったというゲイム 「ポケモンコロシアム」 で遊んでいる。テレビの脇にはサンタクロースが書いたという英語の手紙が貼ってある。
「手紙には、なんて書いてあるの?」
「・・・・・」
「目が疲れるから、30分以上はするなって書いてないの?」
「・・・・・」
「もうごはんだから、ゲイムはやめてください」
ようやくその声に気づいた次男が不承不承ゲイムのスイッチを切る。と、今度は自分の机からゲームボーイアドバンスを取り上げ、そのスイッチを入れる。
「しょうがねぇな、そっちもゲイムでしょう」 と苦笑いをすると、サンタクロースの書いたという英文を読んで長男が、「だけどこの文面だと、『自分がプレゼントをしたゲイムに限っては、1日に30分以内のプレイに留めよ』 とも解釈できるよ」 と言う。
もとより次男に、当方の会話は届いていない。
朝飯は、ツナサラダ、トマト入りスクランブルドエッグとブロッコリーの油炒め、ハクサイ漬け、塩鮭、ジャコ、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とミツバの味噌汁。
テレビでは、いま伸び盛りの経営者に対するインターヴューが行われている。その経営者の口から 「トレンド」 とか 「ウォンツ」 とか 「マインド」 という言葉が出るたびに長男は、テレビを振り向いてムッとした顔をする。僕はムッとはしないがニヤニヤと笑うことはする。
「ああいう言葉を連発することのできる人ほど成功をする、ということだよ。そういう意味において、オレや君のような人間は、金儲けには向いていないことになる」 と言って、「今からそういうことを決めつけないでよ」 と家内に叱られる。
午前中、宇都宮の栃木県味噌工業協同組合を訪ねる。この建物への地図が少なくなったため新規に作成をすべく、事務係のカジヅカさんにこれまでの地図を見せて変更する個所の検討をする。
なんと、これまでの地図にあった上野百貨店、第一勧業銀行、ヤマダ電機、大三紳士服といったランドマークのあらかたが無くなっている。まさか第一勧銀の去った後に 「空き地」 などと印刷をするわけにもいかず、どうしたものかと頭を悩ませつつ昼前に帰社する。
数週間も続いた、壁に埋め込まれた水道管をすべて露出配管にする工事は、今日、ようやく終わる予定だ。その古い水道管から新しい水道管への切り替えは、業務に支障を来さないよう、閉店後から深夜にかけて行われることになっているが、その間は台所もトイレも風呂も使えない。
いまだ地方発送の注文が多いため1時間30分の残業をした後、家内と子供ふたりとの4人でクルマに乗り、家から最も近い温泉 「長久の湯」 へ行く。
内湯で温まってから次男と外へ出る。突然、降り始めた激しい牡丹雪に茶臼山の広葉樹が煙って、まるで幻想のように美しい。露天風呂の縁に頭を乗せて空を見上げると、無数の雪が次々に顔へ落ちてくる。しばらくはそのままゆっくりとしようとして、しかし次男に 「早く出よう」 と言われ、この素晴らしい世界から去ることにする。
むかし "Time Transfer" というオートバイに乗る集まりがあった。僕はそこの会員ではなかったと思うが、なぜか会合にはよく呼ばれた。"Time Transfer" はいくらかの離合集散があって、"CEP" という山遊びの会に変わった。その会にあって、魚屋のくせに自分が釣った魚はすべてリリースしていたのがウオスエさんだ。
そのウオスエさんが手打ち蕎麦も食べさせる居酒屋を作ったというので、温泉の駐車場から予約の電話を入れる。
小上がりのこたつに入り、冷えた黒龍を飲みながら生牡蠣を食べる。別途、イカのわた焼き、ホタテのマリネ、揚げ出し豆腐、プティトマト串焼きなど、いちいち覚えていられないほどの皿を取り寄せ、モチモチとした色の黒い蕎麦にて締める。この蕎麦の量が池之端藪の2倍、室町砂場の3倍ほどもあって、満足をする。
10時に帰宅をして裏玄関のドアを開くと、いまだ工事の人たちの靴が大量に散らばっている。僕は孤独癖のある人間だが、一方、家の中にたくさんの人のいる状況もまた嫌いではない。
11時30分まで工事の終了を待つが、いまだ家のあちらこちらに白熱灯の光が交錯し、人の声がこだましている。早く寝る習慣を持たない家内や長男に後を託して就寝する。
午前1時40分から3時40分までの2時間で、「モハメド・アリ その生と時代」 の最終部分を読み終える。着替えて4時に事務室へ降りる。4時37分に外でオートバイの停まる音がする。新聞受けにコトリと落とされたのは朝日新聞だろう。日本経済新聞は、いつもこれより90分ほども後に配達をされる。
問い合わせに対して何通ものメイルを書き、それを送付する。知り合いから注文があれば、始業後、係のコマバカナエさんが入力する通常の礼状の他に、僕もなにがしかを書いて送る。
メイルマガジン版とウェブペイジ版は数日前に送付され、あるいはサーヴァーに転送された本酒会報のアナログ版をプリントしコピーし、ホッチキスで留めて折って封筒に詰める。またタックシールを打ち出し、これを貼付する。そのうち高島屋の和洋酒売場マネイジャーへ宛てたものには、1月下旬に届けてもらう日本酒の本数と容量、それに予算を記したメモを入れる。
きのうの日記を作成し、返信の書ききれなかったメイルを残して居間へ戻ると、いつもこの時間にはソファの上で着替えをしている次男がすっかり服を着て、テレビゲイムで遊んでいる。
「それ、どうしたの?」
「サンタクロースにもらったんだよ」
「へぇ、面白い?」
「うん、面白いよ」
「サンタクロースの手紙は入ってた?」 と訊いて、しかし次男はふたたびゲイムに没入して返事はない。キリの良いところでその電源を切らせ、卓上を綺麗にする。
朝飯は、3種のおにぎり、キュウリのぬか漬けと、シジミとミツバの味噌汁。
午後、次男が学校から帰宅をする。今市小学校は今日が2学期の終業式だった。家内が 「通信簿、見たいなぁ」 と言うと次男は大きな声で 「えーっと、『もうすこしがんばりましょう』 がいくつあったっけな」 と返す。
「もうすこしがんばりましょう」 とは、現在の3段階評価では最もランクの低いものだ。僕と家内は同時に 「ハハハハハ」 と笑う。笑いながら、「成績のことで親に叱られない子供は幸せだなぁ」 と思う。
間もなく次男の友達が遊びに来はじめ、その数は6人になった。あちらこちらから時間の差を置いて集まる子供たちをそのつど事務室から自宅へ連れて行く家内によれば、居間は7人の小学生によってかなりの騒がしさだが、その中で長男はフランス語の読み書きをしているという。
数年前、「日はまた昇る」 の、熱狂が長い尾を引いて次第に醒めていく素晴らしい最後の1ペイジを読みながら、次男が振り回すオモチャのガーガーピーピーという音を聞いていたことを思い出す。
「まぁ、そういうのも、悪くはないよねぇ」 と思う。
初更、ハクサイの漬け物にて、泡盛 「珊瑚礁」 を飲み始める。
蕎麦の出汁にカレーのルーを加えた、いわゆるカレー南蛮蕎麦のつゆと同じものを鍋に温める。羊の薄切り肉、長ネギ、ルッコラを準備する。カレー南蛮しゃぶしゃぶは、今年、僕が家内に頼んで作ってもらった料理の白眉かも知れない。僕は今ではほとんど調理をしないが、「これとこれを組み合わせたら美味いだろうな」 と考えることは得意だ。
4人で750グラムの羊肉を平らげる。次男と僕は最後、メシにこのカレー汁をぶっかけて食う。
家内のいとこから届いた白金 "Erica" のブッシュドノエル型チョコレイトを食べる。これが指先の低い体温にても容易に溶けて、ツルツルとどこかへ逃げようとする。みみっちくも少しずつかじりつつ、「もう一切れくれ」 と家内に言う。
家内と長男へ飲ませるため、次男が煎りの強いコーフィー豆をミルへ入れて挽く。僕はそれを横目に、更に泡盛を飲み進む。
入浴して本は読まず、9時30分に就寝する。
「4時に事務室へ降りても溜めおいた諸々を処理し終えないのだから、明日はもっと早くに起床しよう」 と考えつつ今朝の起床は5時30分になった。事務室へ降り、CDプレイヤーを店舗の飾り棚に置く。これで今日はクリスマスの曲をかける。コンピュータを起動してできる限りのことをし、きのうの日記を作成して7時になる。
朝飯は、3種のおにぎり計6個と、ワカメとタマネギとミツバの味噌汁。
甘い物の好きだった先代は、クリスマスが来ると社員にケイキを配った。その習慣がいまだにあって、昼前、「金谷ホテル」 ベイカリー部門の代理店をする町内の塚田屋さんが、小さなケイキを配達に来る。塚田屋さんの奥さんはまた蕎麦打ちの名人で、打ち立ての綺麗な蕎麦3パックをいただく。
それを茹でて昼飯にする。もっちりとした1本1本を咀嚼しつつ 「美味めぇものは評論を峻拒するな」 と思った。美味いものや今までに見たこともない風光、もう2度と作ることの能わないような造形や、あるいは優れた人物に相対したときほど、それらを表現しようとする巧言について馬鹿ばかしく感じることはない。
植木屋の 「日光園」 が門松の相談に来たため、今年は28日に持ってきてくれるよう頼む。先日の雪に打たれて勢いを失ったポインセチアは、その鉢を 「弓手農園」 に返却し、次の花を準備してもらっているところだ。生け花のカワムラコウセンさんは30日に来る。
そういえば鄙には希な和菓子屋 「久埜」 への鏡餅の手配は、いまだ済んでいなかっただろうか。
正月の用意は他にもいろいろとある。大晦日の夕刻に行う顧客用トイレの掃除は、昨年まで経験をしている社員が、更に若い社員に引き継ぎをしている。これまで僕がしてきた神棚とお稲荷さんの掃除は、今年から販売係のサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君にその方法を教えようと考える。気がつかないうちに、今年も残すところ1週間となった。
燈刻、次男の算数の宿題を督励する。
一昨日に飲み、バキュバンで栓をした "Rully Blanc Appellation Rully Controlee 1986" を冷蔵庫より出す。その残量を見てワイン蔵へ同じ物を取りに行き、居間の卓上へ並べて2本体制とする。
トマトとクレソンのサラダ、サツマイモのマヨネーズ和え、マグロのカルパッチョにて、そのワインを飲み進む。
朝のうちから今夜のメニュは鶏肉と決まっていた。その鶏肉をどう調理して欲しいか次男に訊いたところ 「レモンソース!」 などと生意気なことを言う。どこでそのようなものを覚えたのかと更に訊くと 「給食!」 と答える。
鶏肉をオリーヴオイルにて焼き、ニンジンのグラッセとブロッコリーのオリーヴオイル焼きを添える。肉の上からオリーヴオイルと少しのバターと多めのレモン汁を加えたソースをかけまわし、次男の納得のいく料理ができあがる。次男はこれまで嫌っていたブロッコリーを自ら口へ運び、夕刻に学校の寮から帰宅した長男にその様子を見せ自慢げな顔をする。
"Chez Akabane" のラスクと 「進々堂」 のシュトーレンは、既に抜栓されてあった2本目のワインの肴になる。シュトーレンの表面に振られた砂糖の結晶のあんばいが何とも良い。
"Chez Akabane" のイチゴのショートケイキにて、今夜のメシを締める。
入浴して 「モハメド・アリ その生と時代」 をすこし読み、9時30分に就寝する。
3時に目を覚まして 「モハメド・アリ その生と時代」 を読む。4時に起床して事務室へ降りる。
5時30分の起床は、顧客からのメイルに返信をしたり、あるいは紙の手紙を書いたり、必要な書類を整えたり、あるいはきのうの日記を作成したりするには遅すぎる。そのため今日は4時に起きたが、それでも6時に至っていまだこれらの作業が終わらない。日中には日中の仕事があるため、明日からはもう少し起床の時間を早めようと考える。
自宅へ戻って窓を開けると、日光の山はようやく真冬の姿を現してきた。北西から静かに風が吹いている。20年ちかく前の数年間は、いつも暮の30日に奥日光の湖畔や疎林や雪原にてキャンプを張った。そのとき吹いていた風の音を思い出す。
朝飯は、キュウリのぬか漬け、3種のキノコのオリーヴオイル炒め、キュウリとワカメの酢の物、納豆、塩鮭、昆布とフキの佃煮、メシ、豆腐とワカメとミツバの味噌汁。
昨月21日、社員を集めての夕食会において 「クリスマスまでは忙しいからがんばってください」 と、資料を示しながら要請をしたが、いよいよその日も近づいてきた。製造現場は淡々と仕事をこなし、包装係は売り切れが出ないよう完成投入をし、事務係は伝票化しきれないメモを残して終業時間を迎える。販売係は今のところ、そう忙しくはない。
社員用通路に、来春の健康診断の張り紙がある。その大腸ガン検診の項目を見ながら製造係のタカハシアキヒコ君が 「これって、四つんばいになってケツの穴に指、突っ込まれるんですよね?」 と訊く。「ちがーよ」 と答える。
ポスターを指し示しながら 「ここに採便だけで済むって書いてあるでしょ?」 と説明をする。説明をしながら 「もっとも向こうも商売だから、タカハシ君のケツ見てもなんとも思わねぇし、こっちだって別段、恥ずかしがるこたぁねぇけどさ」 と続ける。
タカハシアキヒコ君や他の若い人たちが、大腸ガン検診の申込書にサインをして退社する。
これからの1週間は飲む酒の量が増えるだろうと予測をする。これはなにも宴会をいくつもこなすということではない。長男が冬休みに帰宅をすれば、良い気持ちになっていつもより多くの酒を飲んでしまうということだ。
それに備えて今夜は、ヨーグルトとバナナのみを摂取する。
入浴して 「モハメド・アリ その生と時代」 を読み、10時に就寝する。
4時に目を覚まして 「モハメド・アリ その生と時代」 を、なかばうとうととしながら読む。
5時30分に起床して事務室へ降り、コンピュータを起動してメイラーを回すと、やけに重たいメイルが何通も届いている。すべてがフォルダへ格納されるのを待って読んでみれば、それはきのうハセガワヒデオ君の家に同級生が集まって行った、彼が亡くなる直前まで気にしていた、いわゆる伸びすぎた木の伐採を画像と共に伝えるものだった。
自由学園の植林の指導者とはいえ、ヤマモトタカアキ君が2階の屋根よりも高くほとんど枝のない木の頂上で活躍をする様子は、画像を見るだけで尻がこそばゆくなる。
高等科1年の夏に腕を骨折し、8月末の那須農場においてはひとりカブの間引きばかりをさせられたイリヤノブオ君は、積年の恨みを晴らすようにハーネスまで着けてそのヤマモト君に協力をする。
他のメンバーは木の下に待機してノコギリとナタで裁断作業を担当したが、処理した裏庭のイチョウとビワ、玄関脇のウメ、駐車場奥のツバキとゲッケイジュの量は、大きなゴミ袋に20個ほどにもなったという。
これを見れば 「次の集まりに "Chateau Margaux 1956" の1本くらいは、しょうがねぇわな」 と、納得もできる。それにしても在学中、これほど嬉しそうな顔をして労働に従事した同級生がどれほどいただろうか。いたとすれば、それはヤマモトタカアキ君ただひとりだけではなかったか。
自宅へ戻って洗面所の窓を開けると、霧降のスキー場に刷毛ではいたような雪が載っている。もっともここは南東向きの斜面のため、少し晴れればまた草が顔を出すだろう。
朝飯は、京都の漬物数種、レタスとツナとキュウリのサラダ、納豆、ジャコ、塩鮭、昆布とフキの佃煮、メシ、薬味として山椒粉を振ったシジミの味噌汁。
1階から4階まである会社兼自宅の壁に埋め込まれた水道パイプを、すべて露出配管にする工事はいまだ続いている。職人の仕事は通常朝の8時から始まる。
「掃除をするよう頼まれた」 という室内装備屋が3人で来る。「まだ工事中なのに、もう掃除なの?」 と訊くと 「とにかく上からの指示で」 と言う。続いてタイル屋が3人で来たため現場へ案内をすると、「コンパネ屋の仕事が終わってねぇから、タイルは貼れねぇや」 と苦笑いをする。
職人の仕事始めは8時だが、会社員の仕事始めは9時だ。大手建設会社の現場監督に電話を入れ 「今の時期に掃除屋が来るのはおかしいんじゃないの? タイル屋も来ちゃったよ」 と問うと驚いた様子で、「とにかく今、そちらへ向かっていますから」 と答えるのみだ。
「スケデュール管理は大切だよねぇ」 と思う。「それにしても、職人が無駄足を踏んだ分まで請求されるのはイヤだよねぇ」 と考える。
年末の駆け込み需要が多い。今日も事務係のタカハシアツコさんは1時間の残業をしてなお明朝に仕事を残した。
初更、"Rully Blanc Appellation Rully Controlee 1986" を抜栓する。砂糖をまぶしたパンとワッフルは脇へ置き、3種のキノコのオリーヴオイル炒めを自分の皿へ取る。
そのキノコは、パセリを振っただけの上出来のスパゲティへ載せたりもする。17年前の辛口の白ワインを飲む。骨付き豚肉とニンジンとタマネギとセロリのポトフを食べる。ブロッコリーやカリフラワーを嫌う次男だが、セロリは喜んで口へ入れる。
砂糖をまぶしたパンにカマンベールチーズを載せ、これを肴にして更にワインを飲み進む。
柚子湯に入って本は読まず、9時に就寝する。
朝4時に目を覚ます。きのうの雪が夜半を過ぎても降り続いたとすれば、今朝は建設会社に要請をしてブルドーザーを呼ばなくてはいけないかも知れない。部屋を出て洗面所へ行き、窓を開けると雪は止んでその深さはせいぜい10Cmほどのものだった。
着替えて事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。7時ちかくになって外へ出ると、日光街道に除雪車が出動している。その除雪車は雪を除くというよりは、既にして氷になった圧雪をバリバリと剥がして路肩に寄せつつ、強大な力を以て日光方面へと上がって行った。
朝飯は、塩鮭、すぐき、納豆、メカブの酢の物、厚揚げ豆腐とコマツナの炊きもの、ブロッコリー入りスクランブルドエッグ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とコマツナの味噌汁。
社員たちは開店前から雪かきを始めた。僕も少しはそれを手伝う。きのうの閉店前に販売係のサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君が塩化カリウムを広範囲に撒いたせいか、その部分に限っては雪の厚みが少ない。
9時30分、店舗駐車場の雪はようやくスコップや一輪車によりその北端にまで追いやられ、側溝の穴へと消えた。
日光宇都宮道路は昼を過ぎてなお宇都宮の徳次郎から日光の清滝まで、つまりその全面が閉鎖になっているが、幸いにして晴天のため一般道の雪は溶け始め、客足も心配したほどには少なくない。
店舗前の駐車場は雪かきをしたが、国道121号線を隔てた駐車場にはいまだ踏み荒らされていない雪がある。そこで雪合戦をしていらっしゃったお客様が結婚指輪を紛失してしまったらしい。販売係のトチギチカさんが 「もしも雪が溶けて見つかったら電話を下さいとのことです」 と、そのお客様の電話番号をメモして持ってくる。
結婚の後、何らかの理由によりゆるくなった指輪が、雪玉を投げる勢いと共に飛んでいってしまったのだろうか。「今では指輪もまわるほど」 という歌詞の、渡哲也による音程の定まらない歌を思い出す。
それにしても、旅先で結婚指輪を無くされるとは気の毒だ。
年末を控えて、1ヶ月8回の断酒ノルマを早いうちに達成してしまおうと考える。
生わさびと焼き海苔を準備する。厚焼き卵と、朝飯の残りの厚揚げ豆腐とコマツナの炊きものが運ばれる。千枚漬やすぐきもある。そして目の前に漬け丼の大きな木椀が置かれる。
一片のマグロの脇から箸を差し入れ、メシとマグロをすくい上げる。これを口へ入れて咀嚼する。思わず 「美味い」 という言葉が漏れる。醤油と共に使ったみりんは初桜酒造のものだという。マグロの上にはトロロが載っている。たまに顔を出す正体不明の夫婦から押し売りをされたジネンジョによるものだが、もちろん美味い。
厚焼き卵を見て銀座 「よし田」 の菊正宗の燗を思い出す。わさびを載せればマグロの色はいよいよ紅い。こういうものを食べつつ酒を飲まない自分が偉いかといえば、そのようなことはない。世の中には饅頭を肴にサイダーを飲んで恬淡としている人もいる。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
「無能の人」 という映画があった。僕は2時45分から5時15分までの2時間30分をかけて 「モハメド・アリ その生と時代」 を85ペイジしか読むことのできない 「遅読の人」 だ。計算をしてみるとこの速度は1ペイジを読むのに1分45分を要したということだが、そう考えれば、それほど目で活字を追う能力に劣っているわけでもないだろうか。
5時30分に事務室へ降りて、いつものよしなしごとをする。
自宅へ戻って洗面所の窓を開けると、霧降高原の大規模な宿泊施設 「メルモンテ日光」 の直上にある霧降スキー場には雪があり、その周囲は雲に覆われている。
朝飯は、「湯島丸赤」 の極辛塩鮭、「はれま」 のジャコと 「野菜」 という名の佃煮、「加藤順」 の漬物各種、「木更津漁業協同組合」 のアサリの佃煮によるお茶漬け。
こう俗物的に店の名前を挙げていくといかにも高級な食材を取り寄せているように思われるが、特に丸赤の塩鮭はその味の強さから1度に5円分ほどしか食べることはできず、だから結局は安価な食品ということになる。
昼前から雪が降り始める。「雪はいつでも有り難くないけれど、特に週末の雪は困るな」 と思う。日曜日が暗く雪の降り続ける1日になれば、その売上げ金額は快晴時の半分になるだろう。
反面、雪には大いにロマンティックな景色を作り出し、だから商売を離れれば、僕は雪の日が大好きだ。
雪が降るたびに思い出すのは、タヒティに渡る以前のゴーギャンが描いた暗鬱な雪の風景とホットミルク、そして 「木馬」 という店内にバルコニーのような2階部分を持つ古い造作の喫茶店だ。
僕は大勢で遊ぶのも好きだが、ひとりで静かにしているのも好きだ。高等学校のころ、露出計もない古いカメラを持って雪の日光を歩き回り、ようやくたどり着いて熱いミルクにありついたのが 「木馬」 だった。
夕刻に向かって雪の勢いはますます強くなる。会社にはプラスティック製の壊れかけたスコップがあるけれど、どうもこの手の、つまり軽い代わりに長保ちのしない道具は好きでない。ホンダフィットにて荒物の 「山城屋」 へ行き、炭素鋼を用いた金象印のスコップ4本を購って帰る。
夕刻、スイミングスクールへ次男を迎えに行くと、「同じクラスの出席者は自分だけだった」 と言う。「来て良かったじゃない」 と答えつつ戸外へ出る。次男は本日、「どうしてこのような雪の日にプールへ行かなくてはいけないのか?」 と難色を示した。それに対して僕は 「中は暖ったけぇんだから行け」 と強制をしたいきさつがある。
初更より仲間内の集まりへ出かけ、9時30分に戻る。入浴して牛乳を150ccほども飲み、10時に就寝する。
目を覚ますと心なしか室内が薄明るい。「もう冬至は過ぎたのだろうか?」 と考えて枕頭の灯りを点ける。時計を見ると5時になっている。「モハメド・アリ その生と時代」 を読んで5時30分に起床する。
事務室へ降りて本日、書留にて送付する書類2葉を作成する。それを封筒へ収め、切手や印紙を入れた引き出しを開けると作家らしい男の顔の80円切手がある。「真面目な書類なんだから島崎藤村の切手じゃイヤだな」 と顔を近づけると小さな文字で 「斎藤茂吉」 とある。「茂吉なら大丈夫だ」 と、これを封筒に貼る。
ウェブショップの受注をざっと確認し、フォームからではなくメイルにて届いているものについては、始業後すぐに処理すべくメモを残す。きのうの日記を完成させる。
朝飯は、メカブの酢の物、焼き海苔、納豆、メシ、シジミと長ネギの味噌汁、そして千枚漬。
午前中は所用にて宇都宮へおもむく。昼前に帰宅してレタスやトマトやエノキダケの入った焼きめしを食べる。
午後、自由学園男子部35回生の同報メイルに、「亡くなったハセガワヒデオ君の家にきのう、同級生4人がおじゃまをし、この1年のあいだ腎臓を病んで苛烈な療養食ばかりを摂取してきたハセガワヒデオ君が、ずっと食べたがっていたお母さんのカレーライスをごちそうになってきた」 というノリマツヒサト君の文章を見つける。
ノリマツ君は続けて、「お母さんは、『今度、皆が集まるときには、これもヒデオが食べたいと言っていたピッツァをたくさん焼いてあげる』 とおっしゃった」 と書いている。
「あぁ、あの四角いピッツァか」 と、25年ほど前に僕もごちそうになったその姿と味と香りを思い出す。そして 「そうだ、その際にはオレは、"Chateau Margaux" の1956年物を持参しよう。12本持ってるけど、まぁ、みんなにガバガバ飲まれてもシャクだから、今回は1本だけ持って行こう」 と考えた。
同級生の多くが生まれた1956年は、20世紀中で最もボルドーに気候的被害の出た年ではなかったか。だからこのマルゴーは不味いに決まっているし、気の抜けた酢になっている可能性すらある。寝かせた瓶の底には厚い澱があるから、あるいは先にこれを送付し、ハセガワヒデオ君のグランドピアノの上に立てて置いてもらった方が良いかも知れないとも考える。
いずれにしても、僕のワイン蔵に眠り続けた1956年物のシャトーマルゴーが、いよいよ日の目を見るというわけだ。同級生にソムリエがいれば抜栓を頼むところだが、あいにくとそのような人物はいない。果たしてコルクはいまだ湿り気を帯びているだろうか。
地方発送の受注はいよいよ少なくなってきたが、それでも事務係のふたりが残業をしなければいけないほどの量はある。
初更、次男が算数の宿題をしている。「100ますのかけ算をし、出た答えの中から特定の数字を塗りつぶしていくとある絵が現れる」 という問題は子供の興味を惹いて、だから今日ばかりは親が机に向かう子を励まし元気づける必要は無い。
家内が今夜のおかずについて考えあぐねている。それでも「鍋が食べたい気分だ」 と言う。僕はそろそろスパゲティで白ワインが飲みたい。作る側の意見を容れ、簡単な鍋を作ることにする。
僕が自由学園へ入学したときにはいまだ、オヤジも暮らした木造の東天寮が残っていた。ここには暖房が無く、僕は初めてしもやけというものを知った。冬の朝には暖を取るため、食事当番でもないのに厨房へ行って朝飯作りの手伝いをした。
このような季節に最も人気の高かったメニュがワンタンスープだ。大鍋に湯を沸かし、そこに塩と顆粒のコンソメの元、そして少しの醤油を入れる。別途、塩こしょうをして炒めた豚肉を投入し、ざく切りのハクサイも入れる。大量の溶き卵を放ち、最後に、鍋の周りに蝟集した当番でもない我々がワンタンの皮をポイポイと数百枚も投げ込むことによって、これは完成する。
その東天寮のスープに肉厚のシイタケを加えた鍋に 対して、生玉子、ハクサイの葉の部分、ワンタンの皮を準備する。後から投入したものが煮えるまでの少しの時間を、千枚漬と泡盛 「珊瑚礁」 にてつなぐ。小一時間の後、メシにスープの残りをぶっかけ千枚漬のミブナを載せて締めとする。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
4時30分に目を覚まして 「モハメド・アリ その生と時代」 を読む。枕のように分厚いこの本も、ようやく半ばを過ぎた。6時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に自宅へ戻る。
洗面所の窓を開けると、今月何日かの天気と同じく朝日は差しているのに日光の山は雪雲に隠れて見えない。
家内が自動炊飯器のスイッチを入れ忘れたということで、朝飯は様々なパンと、茹でたブロッコリー、ツナサラダ、スクランブルドエッグ、オニオンスライス、ソーセージ、リンゴというおかず、インスタントのコンソメスープになった。
僕は外国へ行けばすべて現地食にて困らない。極端にメシの不味い地域でも現地食にて我慢をする。ただし日本では、特に朝飯には米のメシが食いたい。日本にいてパンの朝飯を食べるときには必ず 「代用食」 という言葉が頭に浮かぶ。
昨年までのデイタを証明する形にて、今日はずいぶんとギフトを注文する電話の数が少ない。その受注金額はこのまま漸減の傾向を示しつつ年末へ向かうのだろうか。
12月3日のメイルマガジンで 「自分が考え得る最高の年越し蕎麦をプレゼント」 などとぶち上げたのは良いけれど、ぎりぎりまで手配せずに品切れになってもいけないと考え、家内と昼飯を兼ねて郊外の 「報徳庵」 へ行く。
数百年前の百姓家の、春から初秋にかけて開け放たれる縁側の涼しさは心地良いものだが、晩秋から早春にかけての障子を閉め切った暖かい風情もまた悪くない。
「おらぁ、蕎麦は盛り、スパゲティはアーリオオーリオペペロンチーノしか食わねぇよ」 という人もいるが、家内は温かい天ぷら蕎麦、僕はマイタケの天ぷらと何かのキノコ、それにトロロと山菜の載った暖かい蕎麦を食べる。別途、芋串も食べる。
パッと食べてパッと帰り、業務に復する。
ある医者が僕のオヤジに 「タバコを止めても伸びる寿命はせいぜい2、3年なんだから、無理して止めることはないですよ」 と言ったという。それを聞いて僕はオヤジに 「2、3年はデカイよ」 と答えた。人生を75年とすれば、3年はその4パーセントにあたる。神様に10億円をもらったとして、そのうちの4パーセントつまり4000万円をドブに捨てられるか?
だから僕は、できるだけ長く飲酒が成せるよう、1ヶ月に8日の断酒をする。もっとも世の中とは不公平にできているもので、毎日飲み続けている人間のかたわらで、規則正しく断酒をしている人間が頓死するようなことも、また無いわけではない。あるいは、よくあることだ。
それでも今夜は断酒をすることとする。折良く寒い廊下には、年長の友人ヨコタジュウドウの次男ケイ君が仕事先から鴨川の左岸を南下し、二条大橋にほど近い漬物屋 「加藤順」 にて手配してくれた千枚漬がある。晩飯には、これとメシのみを食おうと考える。
メシと千枚漬と生わさびを準備する。メシの上にわさびをのせ、これを千枚漬で巻いて食べる。「美味めぇなぁ」 と思う。食おうと思えば際限なく食えるが腹が出てもいけないため、メシは2杯に留める。
入浴して牛乳を飲む。「モハメド・アリ その生と時代」 を読んで9時30分に就寝する。
初更、自宅へ戻り、次男の音読の宿題を督励する。
これは予定通りに、「加藤順」 の千枚漬が準備される。千枚漬とメシだけではちと寂しい気がしたため、予定をすこし逸脱し、塩鮭と焼き海苔をそこへ加える。
これにてメシを始めようとした矢先、食卓へレタスとトマトとタコのサラダが運ばれる。「アレッ?」 と思う間もなく、皿の周囲に茹でたブロッコリーとカリフラワーの飾られた豚のショウガ焼きが運ばれる。
魚介類をあしらったサラダは好物だから、つい1時間ほど前に仕上げた日記に逆らうことになっても、これへ手を伸ばさないわけにはいかない。豚の生姜焼きについてはかねてより酒に合わない困ったおかずと考えてきたが、これとメシを同時に口へ含んで咀嚼すると、すこぶる美味い。
メシだけは既に書き上げた日記の通りに2杯で留め、食事を終えようとしたところに、本日、東京12チャンネルで放映する 「テレビチャンピオン」 の 「ケーキ職人選手権」 を見れば必ずケーキが食べたくなると、家内が "Chez Akabane" にて求めたそれを深い青色の皿へ並べ、僕にも食べろと言う。
僕は色とりどりの4個のケイキの中から最も地味なロール状のチーズケイキを選び、牛乳と共にこれを食べる。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
朝5時30分に起床して社員用通路に降りる。
来年の社員旅行は "SARS" を避けてサイパンへ行く。これを決めたのは数日前のことだ。僕は社員用通路にあるホワイトボードにその旨を張り出し、マニャガハ島へ渡るバナナボートや椰子の木陰のバーベキュー、また砂浜でくつろぐ観光客などの写真を旅行用のパンフレットから切り抜いて貼った。
その写真の中のミクロネシアの踊り子を指して 「こういう女の人がいっぱいいるんですか?」 と訊いた若い者は誰だっただろう。僕は反射神経を以て 「うん、いっぱいいる」 と答えたが、実際のところは知らない。
その社員旅行のお知らせの横には、来年1月14日から15日までの2日にわたって行われる 「日光MG」 の案内がある。それらの掲示物を見ながら事務室へ入る。
顧客からの問い合わせに対する返信、様々な名簿をメイルに添付して届く注文の整理など、この季節には特に増える仕事をし、きのうの日記を途中まで作成する。
朝飯は、厚焼き卵、生わさび、納豆、ちくわ、塩鮭、焼き海苔、メシ、豆腐と長ネギの味噌汁。
きのうと同じ繁忙を経て夜になる。
7時20分、自転車に乗って日光街道を南下する。「市之蔵」 へ寄る。この店は宴会の予約をノートではなく、ウチのカレンダーに書き込んでいる。来年のカレンダーを店主に手渡し、「日光MG」 の打ち上げを予約する。また、日程はいまだ決まっていないが新年の本酒会もここで行う旨を約束する。
横町からふたたび日光街道へ出て更に南下する。「レストランコスモス」 の洒落た店内に入る。
7時30分より第127回本酒会が始まる。2時間あまりで、会員からの寄贈も含めて14リットル金額にして95,000円余の日本酒を抜栓する。毎年12月の本酒会には年初からの剰余金が充てられるため、個人では手が出ないような高い酒を飲むことができるが、僕にとっては不必要な品ばかりだ。
高い酒が美味い酒とは限らない。また、美味い酒と好きな酒とは違う。不味い酒は困るが、その味が普通なら僕には何の文句も無い。もっともこれは僕の日本酒についての考えで、対象がワインとなれば話はまた別になる。
すべての出品酒が一巡し、各々が好みの酒をあれこれ選んで飲むことにも一段落をしたころ、サイトウマサキ会員が新店舗を立ち上げて疲れ気味のカネコマスオ会員に心霊治療を施す。しかしもう7、8年も前にサイトウマサキ会員の手かざしをそのハゲ頭に受けたフジタさんの頭皮には、いまだ毛の生える気配がない。
帰宅して入浴し、10時すぎに就寝する。
朝5時に起床する。
いつものよしなしごとをしているいまだ6時前に、家内が事務室の扉を開く。戸外はそれほどにも寒くはない。ホンダフィットにて家内をJR今市駅まで送り、帰宅してきのうの日記を作成する。雲と山が朝日を受けて、気味の悪いほどに赤く染まっている。
朝飯は、カレーライスとイチゴ。これは、次男が放っておいてもサクサク食べるメニュだ。
9時を過ぎて相変わらず、電話で受注した送り先と商品のメモを伝票化する前に次の電話が鳴る。
「以前、ウェブショップから注文をしたが、そのクレジットカードの内容はいまだそちらにあるか?」
「先ほどからファクシミリで書類を送っているけれど、送信されないのは、そちらの機械がおかしいせいではないか?」
「自分が過去にギフトを贈った先の名簿はすべて揃っているか?」
「今日、自分の家に届くはずの荷物の到着指定時間を忘れたので教えて欲しい」
「お歳暮を送った先方から挨拶が無いが、本当に手配してくれたのか?」
「本日出荷で商品を頼んであるけれど、更にそこへ追加がしたい」
いろいろな電話が交錯して、ひとつひとつの仕事がいっこうに終わらない。そこに銀行員が来る、水道工事の職人が来る、大口のお客様が見える。
数日前に商品の質問もかねてメイルで注文をしたある肉屋のウェブショップから、ようやく返信が届く。そこには 「非常に申し訳ないが作業が追いつかない。メイルではなくフォームから注文してくれないか?」 とあって、質問への返事はない。
「メイルに返信ができないほどの繁忙であれば人を雇え」 と言ってやりたいが、先方にはきっと 「少ない人数で会社を回しているからこそ、良質の肉を安い価格で売れるんじゃねぇか」 との言い分があるだろう。僕はあまりクレイムをつける人間ではない。イヤならその店とのつきあいを止めるまでのことだ。
「フォームから注文してくれ」 とのメイルに 「了解した」 との返信を送り、素直にフォームから注文を為す。注文確定ボタンをクリックすると、「あと475円お買い上げいただければ代引き手数料が無料になります」 との文字がポップアップする。良くできたシステムだ。パルマの生ハム500円を追加して、本当の注文確定とする。
事務係のタカハシアツコさんとコマバカナエさんは発送伝票作成のため、1時間30分の残業をした。僕は家内を東武日光線下今市駅へ迎えに行き、そして帰宅する。
タケノコ煮、千枚漬、「丸赤」 の極辛塩鮭、タシロケンボウんちのお徳用湯波とコマツナの炊きものにて泡盛 「珊瑚礁」 を飲む。「伊勢廣」 の鶏ももとレヴァと砂肝、同じく手羽先とつくねにて、更に泡盛を飲み進む。「扇屋」 の厚焼き卵ですこし休み、千枚漬を塩鮭と炊いたコマツナを載せたメシにて、いましばらく泡盛を飲む。
7歳の次男には 「サンタクロースも忙しいんだから、欲しいものがあったら今のうちにそれを書いて窓へ貼っておけ」 と言って、既に2週間が過ぎた。「クリスマスの晩、何も届かなくても知らねぇぞ」 と言葉を重ねて、ようやく次男は窓に所望するゲイムソフトの名を書いたメモを貼った。
入浴の後、本日、家内が自由学園の羽仁吉一記念講堂にて撮影をしてきた音楽会のヴィデオを見る。そしてそのヴィデオを見ながら推定で9時30分に就寝する。
5時30分に起床して事務室へ降りる。
「ウェブショップの12月の売り上げ実績はどのあたりまで達しただろうか?」 と考えて、それを検索することのできるコンピュータに目を遣るが、「その前にすべき仕事がある」 と自らに言い聞かせて自分のコンピュータを起動する。
ウェブショップの注文フォーマットからの受注が多いということは、それに比例してメイルや、あるいはメイルに "Excel" や "Word" によるギフト名簿を添付した注文も増えるということだ。メイラーを回し、今日も届いているそれらを様々な方法によって合理的な形に整えプリントアウトして事務係の机上へ置く。
きのうの日記を途中まで書いて7時すぎに居間へ戻ると、何キロも離れた南西側の山が深緑や臙脂色を重ねて青い空から押し絵のように浮き上がっている。
まぁまぁ自分のペイスで仕事ができるのは、毎日せいぜい始業から9時までのあいだに限られる。以降は電話や来客への応対によって机上の仕事は寸断される。メイルやファクシミリによる問い合わせも、放っておくわけにはいかない。反応の早さは顧客の好感を生む。
初更、事務係のコマバカナエさんが1時間30分の残業をしても、なお本日の受注メモが多く伝票化されないまま乱れ箱に重なっている。こういう事務系業務の遅れが取り戻せるのは、僕のデイタベイスによれば今週の木曜日だが、その予測が当たるかどうかは不明だ。
家内も残業をするため、この時期の晩飯は普段よりも30分ほど遅れて始まる。
千枚漬、タシロケンボウんちのお徳用湯波とコマツナの炊きものにて泡盛 「どなん」 を飲む。3種のかまぼこに、先般のメイルマガジンに画像を載せるため購入し、いまだ余る生わさびを用いて食べる。
なぜかタシロケンボウんちでくれたという豆腐による湯豆腐が異常に美味い。「この昆布、あそこの昆布?」 と訊くと家内が 「そう、あそこの昆布」 と答える。あそことは 「奥井海生堂」 のことだ。
たかだか土鍋に水を張り、昆布と豆腐を入れて熱しただけの食べ物が、どうしてこれほど美味いのか不思議だ。その豆腐を 「清閑」 と名の入った 「有次」 の豆腐掬いにて次々と小鉢へ取って食べる。
ここで晩飯を終えては上品にすぎるため、空になった 「どなん」 の一升瓶を脇へずらし、ぬかりなく近くに準備した山川酒造の泡盛 「珊瑚礁」 をグラスに注ぐ。そして串カツをその肴とする。
"Au Bon Vieux Temps" のカヌレを食べつつ、更に 「珊瑚礁」 を飲み進む。
明日、自由学園の音楽会へ行く家内には昼のうちから 「甘木庵へ前泊をすべきだ」 と言ってきたが、「当日の朝、早くに家を出れば間に合う」 と、聞き入れなかった。どうしてこうも真面目なのかと思う。「切り通し坂の下にはシンスケもあるじゃねぇか」 と思う。「そういえばそろそろシンスケでは客におみやげの酒粕をくれるころだろうか?」 というようなことも考える。
入浴して 「モハメド・アリ その生と時代」 を1ペイジだけ読み、9時30分に就寝する。
朝5時に起床する。隣室へ移動してコンピュータの電源を入れる。洗面をして冷たいお茶を飲む。
メイルによる注文を分かりやすい形に清書して会社のpatioへアップし、また顧客からの問い合わせに返信を書く。きのうの日記を作成し、それをサーヴァーへ転送する。
今朝5時から寮でトランペットの練習をしていたという長男が、8時20分に甘木庵へ来る。きのう家内が日本橋の高島屋で買い求めた 「赤トンボ」 のサンドウィッチを朝飯にする。
タクシーに乗って9時25分に仙台坂上へ達する。 「天真寺」 の表札を見て長男が 「これはちょっと下手だね」 と言う。禅宗には拙を重んずるところがある。「こういうのもありなんじゃねぇか?」 と答えつつ僕は、"Chateau Figeac" のオレンジ色のロゴを思い出す。
墓地へ行くと良く晴れた空の下にて腰の低い石屋さんが、入念に家内の実家のお墓を洗っていた。「よろしくお願いします」 と挨拶をしてお寺の建物へ戻る途中、次男が六本木ヒルズを望む鐘楼へ上がり鐘を撞く。家内がそれを叱る。僕は笑いながら 「もっと力を入れて鳴らせ」 と言う。
寂しさが心地よい冬の庭を歩き、日当たりの良い寺内の控え室にてお茶を飲む。やがて親戚一同が参集する。本堂にて読経と焼香そして説教がある。みなで墓前へ移動し納骨を見守る。短い読経がある。焼香をする。これにて無事に四十九日の法要が済む。
49日前、僕の黒い麻のジャケットを見て家内に 「何とかしなさいよ、女房が嗤われるのよ」 と注意を与えた家内の父の姉が、今日が初おろしとなった僕の黒いスーツに触れて、「良いものができたわね。あなた、学者ならともかく商売人なんだから、身なりはきちんとしなければだめよ」 と言う。
付近に学者の姿はないかと、そっと後ろを振り返る。
「四十九日には麻布十番の 『登龍』 でラーメンを食べよう」 とは僕の提案だったが、はじめ考えたよりもその出席者が多くなったため、午餐の場所は東京プリンスホテルの 「満楼日園」 になった。
30人ほどで賑やかにメシを食い、他のお客の 「あの集団はうるさいね」 というクレイムを受けたためか半開きだった個室の戸をウェイターに閉められるなどのひとときもあって、お開きになる。
日本橋へ移動をする。次男はここまで同行した家内のいとこに、ポケモンセンターでちゃっかりとかねがね欲しかったものを買ってもらう。僕は高島屋地下の味百選売り場へ行き、来年2月のイヴェントにつき不明の部分をイノウエシズカさんに確認する。
長男は学校の寮へ去った。僕と家内と次男は地下鉄銀座線で浅草へ移動し、18:00発の下り特急スペーシアに乗る。
遅い昼食をたっぷりと食べたため夕刻までは 「晩飯は食えねぇな」 と考えていたが、やはり少し腹が減る。入浴の後、千枚漬、笹かまぼこ、五目おこわにて、泡盛 「どなん」 を飲む。
歯を磨いて本は読まず、10時に就寝する。
6時に目を覚ます。きのうはコンピュータの付属品を多く準備したため、まるで枕のように分厚い 「モハメド・アリ その生と時代」 は持参しなかった。読む本も無いため起床し、コンピュータを起動してメイラーを回す。
6時45分に甘木庵を出て、岩崎の屋敷裏から春日通りへ抜ける。湯島天神を過ぎると御徒町駅のはるか彼方、隅田川の方角が朝日に染まって赤い。
浅草まで来て、地下街の 「会津屋」 で朝飯を食う時間はないためキヨスクで弁当を買う。駅で弁当を買うたびに、料理屋の暖かいメシよりも冷たい弁当の方がよほど高いことをいつも不思議に思う。
7:30に駅を発った下り特急スペーシアがその面に青空を映す隅田川を渡る。車内にて、きのうの日記をほとんど書き上げる。北上する関東平野は晴れ上がって左手はるかかなたに富士山が見える。やがてその富士山と交代をするように、今度は日光の山々が現れる。
9時すぎに帰社し、9時30分からの1時間を使って社員のひとりひとりに賞与を手渡す。その後、息をつく間もない繁忙が続く。
きのうサイトウトシコさんの家に泊まった次男が2時すぎに帰宅し、用意してあった黒い服に着替える。僕が着替えを終えて事務室の外へ出たのは3時10分前だった。サイトウトシコさんのクルマで下今市まで送ってもらい、次男とふたりで15:03発の上り特急スペーシアに乗る。
走り出して15分もすれば 「浅草はまだ?」 と訊いた次男もずいぶんと育って、今ではマンガを読んでおとなしくしている。長男は乗り物の中で本を読むと必ず酔って吐いた。吐いてはしかしマンガの魅力には勝てずにまた読んだ。それに対して次男は決して、乗り物酔いをすることはない。
ずいぶんと早く訪れる夕刻の空の下を走って北千住へ至る。地下鉄日比谷線に乗り換え、5時すぎに六本木へ達する。
駅の構内にいるとき、練馬から大江戸線に乗ってきた長男から着信がある。地上で長男と落ち合うなり次男が 「お誕生日おめでとう」 と言う。母親から言い含められていたのだろうか、長男はきのう18歳になった。そのまま年末の土曜日としてもいかにも人の多い道を西へ歩く。
以前の麻布トンネルのところまで来ると、歩道がぷっつりと途切れている。エスカレイターを上り、六本木ヒルズの前庭のようなところを歩いて、またエスカレイターを下る。西麻布の交差点で "Ken's Bar" が20メートルほどの行列を作っている。焼き肉 「十々」 を過ぎ、日石三菱のガソリンスタンドを左折して急な坂を上る。
"Al Porto" の前まで来て長男に、いかにもこの店には不釣り合いな "Patagonia" の真っ青なジャケットを脱ぐよう言う。長男がそれを上級生からもらった黒いザックに丸めて入れているところに、地下からウェイターが我々を出迎えに来る。
案内をされた席にてなにごとか話しながら6時まで過ごす。僕は "TIO PEPE" を飲む。やがて家内が、それにすこし遅れて家内の叔母やいとこが来る。明日は家内の母の四十九日がある。
"Ca' del Bosco" のスプマンテではなくソーヴィニョン・ブランによる白ワインを注文する。大人の料理はお任せにしたが、次男にはメニュを渡す。次男はそこからミネストローネとトマトソースのスパゲティを選んだ。
前菜の三点盛り、マグロとアボカドのたたき、貝とエビのマリネ、ニンジンのムース、タラコのカナッペ、ホタテ貝のオーヴン焼きと料理は続く。自分の前に皿が運ばれるたびに、その少量を小さくちぎった暖かいパンに乗せて次男の皿へ置く。
何種類もの甲殻類を包丁で限界まで小さく刻んだソースのスパゲティが出てくる。それを口へ入れれば舌はノドに 「飲み込むな、飲み込むな」 と伝え、また歯には 「噛め、噛め、もっと噛め」 と命じる。網焼きの小さな牛フィレ肉と温野菜の付け合わせを食べ終えたところで、僕はグラッパを所望した。
給仕長によって並べられた6本の中から濃い褐色をした1本を選ぶ。ブドウから造られた酒にもかかわらずアプリコットの香りが強い。また他にバーボンのような匂いもあって面白い。
カシスのアイスクリーム、マンゴーのアイスクリーム、果物のシロップ漬け、イチゴのタルト、ティラミスの盛り合わせとエスプレッソにて締める。
裏道をたどって六本木通りへと出る。六本木ヒルズの地下から、それぞれがそれぞれの帰り道をたどる。長男は来週火曜日に迫った音楽会へ向けてトランペットの練習をするため帰寮すると言って大江戸線の方面へ向かった。僕と家内と次男は地下鉄日比谷線に乗る。
9時30分に甘木庵へ帰着する。次男と入浴をして10時に就寝する。
3時30分に目を覚ます。枕頭の灯りを点けて 「モハメド・アリ その生と時代」 を読んだり、あるいはまた元の暗闇に戻って休んだりしているうち4時30分になる。ふたたび本を読み、ふたたび休んで5時30分に起床する。
事務室へ降りてシャッターを上げると、夜半の雨はいまだ上がらず道を濡らしている。いつものよしなしごとをして7時すぎに居間へ戻る。
朝飯は、サツマイモの生クリーム和え、笹かまぼことレタスの千切り、生わさび、煮やっこ、ワカメとタマネギのかつお節かけ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とミツバの味噌汁。
始業前からあちらこちらの机にメモを置いたり、ある条件によって仕分けされた発送伝票を現場へ運んだり、あるいは既に出社している販売係に何ごとかを頼んだりする。三菱デリカを運転して宇都宮へ行く。所用を済ませて10時30分に帰社する。
「ウワサワ、パソコン持ってくる? お通夜の様子、メイルでも何でもいいから流してくれねぇかなぁ、海外のヤツとかもいるし」 自由学園男子部35回生のサカイマサキ君から電話が入る。「いいよ、どうせコンピュータは持ち歩いているから」 と了承をする。
昼過ぎ、いつもの "Eddy Bauer" ではなく、それよりも大きな "Gregory" のザックに、普段は持たない電源ケイブルや通信用カード、万一のことを考えてモデュラーケイブルや携帯電話の充電器などを詰め込む。
先日2度目の仮縫いをしたブラックスーツは明日、甘木庵に届けられる。いつも不祝儀のときに着る麻のマオカラージャケットはあるが、コートを着なくてはいかにも寒いだろう。しかし黒いマウンテンパーカは甘木庵にあり、また黒い麻のコートはデザイン取りのため "Sartoria" にあずけてある。
「黒い服、黒い服」 と考えて、家内にハイネックの黒い木綿のセーターを出してもらう。リーヴァイスの黒い501を穿き、"Harold's Gear" のベルトを締める。同じく "Harold's Gear" の、裸に着たらヘソが見えるほど短い革のジャンパーを着て、"LL Bean" の子供用の黒い帽子をかぶる。最後に "Trippen" の黒い革靴を履く。
「マルコムXの葬儀で警備に当たる不良」 というような風体ができあがる。家内に 「私が嗤われるのよ」 と叱られる。しかし黒い服は他にないのだから仕方がない。「今夕6時から始まるお通夜の主人公ハセガワヒデオ君が黒いタキシードに赤い靴下なんだから、オレが革ジャンでもいいじゃねぇか」 とも考える。
西武池袋線に乗って江古田斎場へ着くと、既にして何人かの同級生が詰め、受付の準備も整っていた。アリカワケンタロウ君の手になるこの2日間に歌う歌の楽譜はとても良い出来で、僕が送付した画像の下には 「綱町三井倶楽部にて」 のキャプションまである。「この写真がウチのアルバムにあって良かったなぁ」 と思う。
僕は死んだ人の顔を見るのがイヤだ。それらは常に怖くて不気味だ。南の国にいて路上で死んでいる人や川のほとりで焼かれている人を見るのは平気だが、布団に寝かされあるいは棺に収まっている遺体の顔を見るのはイヤだ。しかし同級生のあいだを行き交ったメイルによれば、ハセガワヒデオ君はただ寝ているだけのような顔をしているとのことだった。
式場に、お母さんが座っている。思わず足早に近づいて 「このたびは残念なことです」 と、お悔やみを述べる。「こんな結果になってごめんなさい」 と、お母さんが謝る。お母さんが息子の同級生に何を詫びるというのか。僕は深く頭を下げ 「とんでもないことです」 と答える。
ごく少ない種類を大量に集めた、だから簡素ではあるけれどとても綺麗な花に囲まれたハセガワヒデオ君の棺に近づく。Keith-Haringの絵のあるTシャツを着ているのだから季節は夏だったのだろう、場所は不明だが、どこかのステイジでピアノを弾くハセガワヒデオ君の、とても良い写真が棺の上に飾られている。
恐る恐るハセガワヒデオ君の顔をのぞき込む。「なんだ」 と思った。「寝てるみてぇじゃねぇか」 と、亡くなった日から今日までハセガワヒデオ君に会いに行った多くの同級生と同じことを僕も感じる。「早く起きろバカヤロー」 と声をかけたくなるほどの、それは生きているときと同じ顔だった。
6時、アリカワケンタロウ君のフルートに合わせて、自由学園卒業生による 「自由をめざして」 の合唱が始まる。皆が着席をしたところで、ハセガワ君の弟で喪主のノブタカ君による挨拶がある。挨拶とはいえそれはハセガワヒデオ君がかつて自己紹介用に準備した自分の略歴だった。これが良かった。
ハセガワヒデオ君の仕事仲間による、彼が名古屋駅頭にて倒れたときの説明があって、我々はその最後の姿を知る。自由学園の幼児生活団からの同級生ウエキコウタ君による弔辞がある。中等科2年からジャズのバンドを組んだイリヤノブオ君による弔辞がある。我々はむかしのことを思い、そして今のことを思う。
最後に、お母さんの挨拶がある。むかし板橋のハセガワヒデオ君の家でごちそうになった、お母さんが大きなオーヴンで焼いた四角いピッツァの味を思い出す。マイクの前に立ったお母さんの声は静かだったが、その話の内容はしっかりしたものだった。
お通夜が始まったころには空席もあったが、一段落をして後ろを振り返れば立錐の余地無く黒い服の弔問客があって、故人を思う人の多さを改めて知る。献花の列は長く途切れることがなかった。
一般の人たちが別室へ移った後、3年先輩のアカシタカヒト君の声がけにより、ミヤジマシンイチロウ先生を中心に卒業生が集まって、我々が暮らした東天寮の歌 「休道他郷多苦辛」 を歌う。
「修行に来ている他郷に苦辛が多いと嘆くのは止めよう。寒ければ服を貸してくれる友達もいるではないか」 という歌を歌いつつハセガワヒデオ君のことを考える。
人はこの世に修行に来ているのだと言う人がいる。ハセガワヒデオ君はその修行を早くも終えてどこかへ行った。その行った先では修行などする必要はないのだろう。美味いものを食べてただのんべんだらりんと暮らしたら良いと思う。
10時がちかくなって、いよいよ別室にて食事をする人の姿も少なくなってきた。僕はいまのいままでここへ泊まることとしていたが、明日の仕事のことを考え、やはり浅草に近い甘木庵へ行くことにする。僕が抜けた穴は、代わりにツナシマショウゾウ君が埋めてくれることになった。
地下鉄丸ノ内線を御茶ノ水まで乗り過ごし、本郷三丁目に戻って甘木庵へ至る。甘木庵には明朝、用事で自由学園へ行く家内がいた。彼女にお通夜の様子を報告し、入浴して冷たい水を飲む。0時に就寝する。
0時30分に、隣室で家内が見ているらしいテレビの音で目が覚める。この時間の目覚めはちと厄介で、以前はなにがなんでも起床していたが、今はなりゆきに任せることが多い。「モハメド・アリ その生と時代」 を開いて読み出し、疲れると灯りを落として闇の中でじっとし、あるいは眠り、また起きて本を読む。
5時に目覚めて 「いま起きるとちょうど良いな」 と考えつつまた眠り、6時にようやく起床して事務室へ降りる。
モツ焼き屋には 「レヴァとシロ」 などと注文し、店員に 「タレ? 塩?」 と訊かれて 「任す!」 と直截に言い放つお客もいれば、「レヴァ生お酢かけて、シロは若焼き素焼き味噌」 と、決してデフォールトでは満足しないお客もいる。そしてウチにも、そういうお客様はいらっしゃる。
きのうの閉店後から今朝までに入ったウェブショップの注文にそういうものを見つけては逐一メモを書き、受注係コマバカナエさんの机上に置く。きのうの日記を作成して居間へ戻る。
朝飯は、ホウレンソウのわさび和え、納豆、昆布とフキの佃煮、メカブの酢の物、にんにくのたまり漬、メシ、アサリと長ネギの味噌汁。
製造係の社員が出社する前に、様々な仕分けの手を加えた膨大な量の発送伝票をいくつもの箱に入れて現場へ運ぶ。今日のところ納期は受注後3、4日だが、金曜日以降にはこれをすこし延ばす必要が出てくるかも知れない。
9時を過ぎて、またきのうと同じく、受注メモを伝票化する前に次の電話が鳴るという1日が始まる。そういう仕事の合間にもメイラーを回し、あちらこちらのフォルダを開いて回る。
ハセガワヒデオ君のお母さんは息子の葬儀について 「英郎が一番大切にしていて、1番好きだった自由学園の友達がやりたいようにしてほしい」 と、言ってくださっているという。そこで葬儀委員長には35回生のノリマツヒサト君、副委員長には同じくヤハタジュンイチ君が選ばれた。同級生たちがあれやこれやと動き回り、いろいろなことをしている。
亡くなって名古屋から板橋の自宅へ戻ってきたハセガワヒデオ君の無精ひげをイトウイクオ君が電気シェイヴァーで剃ってやったが、いくら充電を繰り返しても止まってしまい、やはり専門家に任せることにしたということをクラスの同報メイルで読んだときには 「イトウも社長を務める人間にしては馬鹿だなぁ」 と思った。「まるで落語の 『らくだ』 じゃねぇか」 と思った。
「馬鹿だなぁ」 と思いながら 「凄いなぁ」 とも思った。僕にはそのようなことは、とてもではないが恐ろしくてできるものではない。
午後、サカイマサキ君から 「葬儀で歌う歌の楽譜をアリカワが100部作ることになったけれど、そこに画像が欲しいと言っている。そちらに使えるものがあったら送ってくれないか」 との電話が入る。
家内は僕たちの結婚アルバムにハセガワヒデオ君がピアノを弾いている写真があることを覚えていた。そしてこれをきのう、近くの写真屋に持ち込みデジタル処理の上、紙焼きにした。サカイマサキ君には 「あるよ」 と答えて電話を切り、その紙焼きを持ってふたたびきのうの写真屋へ行く。
僕はスキャナを持っていない。300円の手数料にてその写真を僕のSDカードへ移し、持ち帰ってアリカワケンタロウ君へのメイルに添付して送る。折り返しアリカワ君より 「これなら問題なく使える」 との返事が届く。
このところ、風呂に入っている間にいろいろと良い思いつきをする。先日は、店にクリスマスツリーを置き、ここにお菓子を飾って来店する子供たちにひとつずつ取らせたら喜ぶだろうと考えた。そして今日、それを実行に移す。この綺麗なツリーを画像に残しつつ、「相手が子供なら良いけれど、オバサンや酔っぱらいにゴッソリ持って行かれたら片腹痛いなぁ」 と考える。
事務係は今日も残業をした。仕事の合間にメイラーを回し、アリカワケンタロウ君がこの夕刻に 『男子部賛歌』 や 『寮歌』 や 『掲げよ旗を』、また 『自由をめざして』 を含む楽譜300部を完成させたことを知る。
初更、次男の国語の宿題を督励する。
きのうに続いて腹をへこませるべく家内にヨーグルトを所望すると、「今夜はシチューよ、それもクリームシチュー」 と言う。新宿の 「アカシヤ」 へ行ったときの僕の大いなる悩みは、「ロールキャベツを食うかそれともクリームシチューにするか」 というほど僕はクリームシチューが好きだが家内はあまりこれを作らない。
レタス、キュウリ、カブ、プティトマト、ツナのサラダをかなり大量に食べ、白ワインは抜きにして、クリームシチューを口へ運ぶ。
「昆虫を生で食え」 とか 「丸ごと雪に埋めて発酵させた鳥の内臓をその肛門から吸え」 などと言われない限り僕はほとんど何でも食べるが、しかし茹でたカリフラワーを美味いと思ったことは生まれてこのかた皆無だった。ところが今夜、クリームシチューの中で煮込まれたそれに限ってはとても美味いものだということを知る。
「ウェブショップ開設5周年感謝プレゼント」 にて使ったサイトウトシコさんの田んぼの一角にある非常に泥の深いところで収穫された米を、ウチでは今夜、初めて炊いた。「いかにももったいない」 とは思いつつ、クラクラするような良い香りを放つこの炊きたてのメシに2杯目のクリームシチューをぶっかけて食う。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
3時30分に目が覚める。「モハメド・アリ その生と時代」 を4時まで読んで起床し、事務室へ降りる。
きのう本酒会報のデジタル版は作成したは、アナログ版はいまだできていない。計3ペイジから成るこれをプリントし、コピーし、ホッチキスで留め、三つ折りにして封筒へ詰める。その中の高島屋東京店日本酒売り場のマネイジャーへ送るものについては、「16日までに10本10リットル送料込み8万円にてお酒を送ってください」 とのメモを入れる。
普段は 「8本8リットル2万4千円」 だが、イチモトケンイチ本酒会長の提案にて、12月は贅沢にいくことになった。「これだけ高けぇ酒なら、集団ではなくひとりで、洒落た八寸を肴に飲みてぇなぁ」 と思う。集団で飲む酒は雰囲気が美味いだけで、味が美味いわけではない。
北西の山の上に満月を少しすぎた月が上がっている。47年も見慣れたこの山の名前を僕は知らない。團伊玖磨は自身の随筆の中で 「名もない草花とは書きたくないから自分は草花の名前をすべて覚えようとする」 と言ったが、僕はそういうことについては、端から諦めているところがある。
朝飯は、アサリの佃煮、昆布とフキの佃煮、生わさび、にんにくのたまり漬、ニンジンとミツバの雑炊。
12月のウェブショップの売上げは9日までを以て、昨年12月実績の半分に達した。しかしここまでの数字は、年末ギフトの集中や、あるいは3日に発行したメイルマガジンに助けられてのものだろう。
昨年の暮、メイルに大量の送付先を添付して送ってくださった顧客からは、いまだ申し込みが無い。いま無ければ今年はもう無いだろう。そういう大口の法人需要を埋めてなお余る個人の需要を喚起する方法とは何か? それは星の数ほどあるだろう。その中のひとつでもふたつでも見つけていく義務が僕にはある。
製造現場では朝から荷造りをしている。販売係の数名は毎日、包装現場へ応援に行く。事務係は今日も残業をして、しかし今日の受注すべてを伝票化することはかなわなかった。
次男の宿題が多いため、7時30分までその督励をする。8時ちかくになって、ヨーグルトとイチゴを摂取する。
入浴して 「モハメド・アリ その生と時代」 を読み、9時30分に就寝する。
何時に目覚めたかは知らない。暗闇の中でしばらく過ごし、ややあって枕頭の灯りを点けると2時50分だった。一昨日の日記が書けていない。11月の本酒会から10日以上を経ていまだ会報が作れていない。即、起床して3時に事務室へ降りる。
第126回本酒会報を書き、それを元にこのウェブペイジ版を作成する。メイルマガジン版も作るが、これは大抵の人間が目を覚ますと思われる時間まで送信箱に保存をする必要がある。会報の送り先として携帯メイルのアドレスを登録している会員もあり、だから明け方にこれを送付すると、どこかの家の暗闇に着信音が鳴り響くことになる。
一昨日の日記を作成してサーヴァーへ転送する。きのうの日記も作成し、しかしこれについては昼ごろまでローカルのコンピュータに温存することとする。
今月7日に急性循環器不全のため名古屋駅頭で倒れ、そのまま亡くなったハセガワヒデオ君については、同級生のメイリングリストへ次々と、いまだハセガワ君のいる自宅へ参じた者の感想、7日の夜から故人につきそっている者の感想、葬儀へ向けての実務を担当する者からの連絡、海外にいて葬儀に参加できない者の詫び状などが送られてきている。
その中に、アカギシンジ君とサカイマサキ君それにツナシマショウゾウ君がきのうの午後、専門家による 清拭の後、ハセガワヒデオ君にタキシードを着せ赤い靴下を履かせてあげたとの記述がある。「フン、黒いタキシードに赤い靴下か、悪くねぇじゃねぇか」 と、すこし笑う。
自分はお通夜には出られるが葬儀には諸事情により欠席せざるを得ないこと、また、お通夜の晩には斎場に宿泊する旨のメイルをアップする。
東の空には太陽が昇りつつあるが、西の山には一面の雪雲があって何も見えない。
朝飯は、ニンジンと玉子の雑炊、カブのぬか漬け、昆布とフキの佃煮、アサリの佃煮
9時すぎから早くも、受注メモを伝票化する前に次の注文が入り、それを処理しないまま次の電話に出ると 「12日着って伝えたけど、それを13日着にしてくれないかしら」 という電話が入り、既にして現場へ回っているその伝票を探し出して事務室へ戻ると 「オレが送ってる先のリスト、何年も前の分からそっちのコンピュータに残ってるかな?」 という電話が入る。
ファクシミリにて走り書きの送付先リストが届き、それを追いかけるようにして 「料金を教えてね」 という電話がある。郵便番号などの間違いを修正しつつそれをコンピュータに整理し、商品別、電話番号順に並べ替えて合理的なリストに作り替える。
顧客にそのリストと振り込み依頼書をファクシミリで送信している最中に、「いまご来店のお客様から大量の受注があったが、それを本日の便に乗せることはできないだろうか?」 との相談が店舗からある。
この時期には、きちんと段取りをしなければ事が運ばないのではなく、きちんと段取りをしても事は上手く運んでくれず、だから人はこの季節に様々な実力を試されることになる。
午後、何かの催しのために作ったリヴァーサルつまりスライドの中からハセガワヒデオ君が写っているものを抜き取り、近くの写真屋へ持ち込む。学生時代の写真だからそのおおかたは下らないもので、たとえばそれは1975年、東京に大雪が降ったときの雪合戦だったり、あるいは1974年、遠足のとき前穂高岳の頂上でおどけているものだったりする。
この下らない写真を、ハセガワヒデオ君の葬儀が行われる会場に、ベタベタと貼って上げようと考える。
初更、ハセガワヒデオ君のお通夜に備えて腹をへこませるべく家内にヨーグルトと果物による晩飯を申し出ると 「今夜はすき焼きよ」 と言われる。それを肴に泡盛 「どなん」 を飲む。
入浴して牛乳を150ccほども飲み、9時に就寝する。
3時45分に目が覚める。「モハメド・アリ その生と時代」 を15分だけ読んで起床し、事務室へ降りる。
きのう受けて発送伝票にすることのできなかったメモが乱れかごに重なっている。単純なものなら1枚3分、普通のもので1枚4分という処理速度については先日確認をしたが、当方も機械ではないので、ずっとその能率を保って仕事が続けられるわけではない。
電話やファクシミリによる受注メモを片づけつつ、その合間に、メイルで届いた注文の、更に質問が必要なものについて返信を書いたり、あるいはきのう撮った画像を処理して日記のフォルダへ納めたりする。
7時に至ってようやく、きのう残したすべての受注メモを伝票化する。
朝飯は、アサリの佃煮、トマトのオリーヴオイル和え、ダイコンのぬか漬け、メカブの酢の物、ホウレンソウのゴマ和え、納豆、メシ、お麩と長ネギの味噌汁。
昼に至って、本日の営業成績が昨年の同じ日にくらべてずいぶんと良いことを知る。その後、1年前の今日は雪に閉ざされ電話も終日ほとんど鳴らなかったことを日記に発見し、めでたさも中くらいだと考える。
ハセガワヒデオ君の家には何人もの同級生が、入れ替わり立ち替わり詰めてくれているらしい。ノリマツヒサト君から電話があり、式次第が決まったからファクシミリで送るが、これを自由学園卒業生のメイリングリスト "pdn"(Primary Dougakunotomo Network)にも載せるよう頼まれ了承する。
ハセガワヒデオ君の死に対しては多くの同級生が次々と名乗りを上げ、様々な仕事を進んで請け負っている。これは皆の、同級生で1番に亡くなったハセガワヒデオ君への同情もあるだろうが、また故人の遺徳によるところも大きい。
上級生のキノシタテルオ君がいつか「自由学園男子部の卒業生が久方ぶりに再会したときに交わす第一声は 『お母さん、元気?』 というものだ」 と言ったことがある。考えてみればこれはその通りで、つまり在学中、我々はあちらこちらのお母さんの世話になり、家へ上がり込みメシを食わせてもらったということだ。
今日はアカギシンジ君、ウエキコウタ君、サカイマサキ君がハセガワ君の家に長くいて、お母さんの話し相手をさせていただいたと聞く。
終業時間を過ぎて、事務係のコマバカナエさんと、夕刻までに処理できなかった受注メモの伝票化を行う。僕はあるいはまた、ウェブショップの顧客とメイルのやりとりをしたりする。
7時より春日町1丁目役員会の忘年会のため、自転車で日光街道を南下して 「市之蔵」 へ行く。月見とろろ、イワシの岩石揚げ、納豆の油揚げ包み焼き、マグロと水ダコと馬肉の刺身、コンニャクの炒り煮などにて、大徳利の燗酒を飲む。
この席上、足利銀行の破綻が、会社ぐるみでこの銀行を支えるため優先株を買わされた県内優良企業の若い社員などにも影響を及ぼしていることを知る。株式投資をするということはバクチをするということと同義だが、この場合の社員は気の毒だ。
あるいは足利銀行から 「5000万円を融資するから、そのうちの3000万円で優先株を買ってくれ」 と言われ、剰余の2000万円を資金繰りに充てようとこの話に乗ったところ、株券は紙くずになって後には借金のみが残ったという例もあることを知る。
ここ数年のあいだに足利銀行が行ってきたことは、まぁ、詐欺と言われても仕方のないことだ。
店の女の人が、中身の少なくなった寄せ鍋に豆腐を追加する。カトウサダオさんはすかさず 「それ、ヤッコにすっからそのままくんな」 と声をかける。馬刺しの脂が溶け出した醤油で食べる冷や奴は、いかにも美味そうだ。
8時30分に帰宅をすると、郊外の洋食屋で行われている小さなコンサートへ出かけた家内と次男は、いまだ帰っていなかった。その次男の帰宅を待って一緒に入浴をしようと考え、素っ裸で布団に潜り込んでそのまま眠ってしまう。
昨夜、浅草から家内が事務室へ電話を入れたところ、事務係のタカハシアツコさんとコマバカナエさんは残業をして受注伝票と格闘中だった。今朝は運良く3時に目が覚めたため、できることは始業前に片づけてしまおうと、即、起床して事務室へ降りる。
いつもは明け方に前日の日記を作成するが、このところの繁忙でそれに1日分の遅れが出ている。しかしそれよりも優先すべきは本来の仕事だろう。
ウェブショップの注文の中で、フォームから入力されたブラウザにて受注できるものについては社員でも対応ができる。それらはとりあえず横へ置き、メイルや、またメイルに添付して送られてきたエクセル方式のフォーマットによる注文を片端から処理していく。
やがて7時になる。自宅へ戻り、洗面所の窓を開けて本日の天気を予想する。雲はあるが夕刻まで崩れることはないだろう。
朝飯は、納豆、ダイコンのぬか漬け、メカブの酢の物、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、叩きゴボウ、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。こういうメシを食いながら血中コレステロールが高いと医者に叱られるのだからワケが分からない。
昼過ぎにオフクロが居間へ来て、「自由学園のヤマモト先生から3階に電話があったけれど、『本人はこちらにいないから事務室へ電話をしてください』 と言って切ったところ、事務室ではオヤジが 『いま息子は食事中です』 と、それを居間へ転送せずにまた切った」 と説明をして怒っている。オヤジには割合と、"rough" というか "nonchalant" なところがある。
自由学園の教師から家に電話があった場合、先ず考えるのは長男の死のことだ。僕は15歳のときに13歳の妹を病で亡くし、その報せを自由学園の教師室で受け取っているから、この手のことには敏感だ。あるいは長男が大けがでもしたか? とも考える。
これが子供の死や怪我ではなくてただの不祥事であれば、教師に対しては大変に申し訳のないことだが、「あぁ、とにかく体は無事だったか」 と、むしろ安心をする。
それにしても教師からの電話とは、ただごとではない。心中に不穏な雲が立ち上る。オヤジがメモに残したヤマモト先生の携帯電話を呼び出すと、話の内容は子供の事故や不祥事ではなく、自由学園男子部35回生つまり僕やヤマモト先生の同級生ハセガワヒデオ君が仕事先の名古屋で倒れたというものだった。彼の心臓は既にして動いていないという。
30分後に同じくヤマモト先生より 「ハセガワ君の死亡が確認された」 との電話がある。正確な情報が入るたびに同級生へ同報メイルにてそれを報せるよう依頼を受け、これを了承する。
ハセガワヒデオ君は昨年暮より腎臓の不調により虎ノ門の慈恵医大に入院をした。僕は彼を今年1月9日に見舞ったが、その月のうちには退院をして仕事を始めたと聞いた。それから1年を経ることなく彼を襲った突然の発作とは何だったのだろう。
安城市に住む同級生のホシノナオトシ君がハセガワ君のいる赤十字病院へ急行し、彼を東京まで連れてくる寝台車を手配しているという。ハセガワヒデオ君の弟は名古屋へ向かった。ハセガワヒデオ君と幼児生活団のときからずっと同級生だったノリマツヒサト君は、家でひとりになったハセガワ君のお母さんに付き添っている。
「ハセガワ君は私たちの結婚式でピアノを弾いてくれたのよ。覚えてる?」 と、家内が泣きながら言う。ハセガワ君は自由学園の最高学部にいるころから、既にして月に数十万円を稼ぐほどのピアノの上手だった。ハセガワ君が僕たちの結婚式で弾いてくれた曲は "Someday My Prince Will Come" だった。
僕は携帯電話とコンピュータを前にして情報を得、それを各方面に報せているだけだが、いろいろな同級生があちらこちらでハセガワ君のために体を動かしている。1週間に1度はハセガワ君に健康伺いの連絡をしていたサカイマサキ君から電話が入る。「1番いいやつが1番先に死んだ、情けねぇよ」 と、うめくような声で言う。
今しがた仕事先の博多で新幹線に飛び乗ったというヨネイテツロウ君から 「このまま名古屋へ行こうか」 という電話が入る。「名古屋へ着いたらハセガワはいなかった、ということになってもいけないから、追って詳しい連絡を入れる」 と言ったところで新幹線はトンネルに入ったらしく電波が途切れる。
ずっと連絡のとれなかったコモトリケイ君から電話が入る。「ハセガワが死んだって? なんなんだよぉ」 と、今にも泣き出しそうな声で言う。
初更、シュンギクの春巻き、チーズとトマトとレタスとキュウリのサラダ、ダイコンのぬか漬け、煮豆、次男が作った餃子にて、飲酒は為さずに米のメシを食べる。
「ハセガワヒデオ君はいまごろ東名高速のどのあたりにいるのだろうか?」 と考えつつ入浴し、9時に就寝する。
目覚めてしばらくはじっとしている。ややあって灯りを点けると5時だった。「モハメド・アリ その生と時代」 を読んで、5時30分に居間へ移る。
コンピュータの電源を入れ、メイラーを回して顧客からの問い合わせに返信を書く。きのうここへ来る途中に作りかけた日記を完成させてサーヴァーへ転送する。
8時前に甘木庵を出る。9時をすこし過ぎて自由学園の正門を抜け、少し歩いて羽仁吉一記念講堂に入る。この1年に学んだ中から主題を決めて生徒が発表を行う学業報告会の会場には、既にしてたくさんの父母や、来年の入学を希望する親子が集まっていた。
午前の部を終え、参加者はすべて男子部の羽仁吉一記念ホールへ移動をする。
昼食が始まる。5年生は朝からずっとここの厨房にいて、490名分の食事を作っていた。そのメニュは昨年のそれとほとんど変わらず、キャベツとレタスとプティトマトのサラダ、ビーフシチュー、歯ごたえのあるパンとクロワッサン、プリン、お茶だった。僕はテイブルマスターのワタナベケイ君にシチューのお代わりを所望し、昨夜、見るだけで食べることのできなかった 「おぐ羅」 のまかないの恨みを果たした。
食事作りのリーダーが今日の料理のコストやカロリー計算などについての詳細な報告をして昼食を終える。
学業報告会の午後の部が始まる。
最後に男子部の生徒全員がステイジの上下に並び男子部賛歌を歌って、これが最後のプログラムとなる。
僕は展示室に、キノシタタカオ君、ヒロセノゾム君、そして長男が教室に泊まり込みで作成し、そして遂に今日の催しまでには完成させられなかったホイヘンスのサイクロイド振り子時計を見に上がる。
多くの知った顔に挨拶をしつつ、学園の庭を去る。
池袋へ出てホテルメトロポリタンへ行く。"Sartoria" の若主人と落ち合って、先月23日に仮縫いをしたブラックスーツの、2度目の仮縫いをする。来週の土曜日にこれを送付してもらう甘木庵の住所を教え、家内と3人で冬の雑踏に出る。
上野駅のプラットフォームから浅草の 「弁天美家古」 に予約の電話を入れる。6時30分を過ぎればふたり分の椅子が空くという返事を得て地下鉄銀座線に乗る。
「弁天美家古」 にはフランス料理のようなコースがいくつもあって気が楽だ。僕が1番量の多いコース、家内がその次のコースを注文する。常温のお酒をもらう。
コースの初っぱなはヒラメと昆布締めのタイだった。不味いわけがない。握りが出てくるなり僕と家内は間髪を入れずこれをつまみ口へ入れ咀嚼して飲み込む。次の握りが出てくれば、また僕と家内は間髪を入れずこれをつまみ口へ入れ咀嚼して飲み込む。
僕たちよりも前に入店をした左のアヴェックは、男がサイマキエビ、女がタイラガイを前に置いて話し込んでいる。僕たちよりも後に入店をした右のアヴェックは、女がタイの昆布締めを残したままビールを飲んでいる。僕と家内だけは、鮨が目の前にポンと出るなりそれを口へ放り込んでいく。
中盤をすこし過ぎたあたりで、目の前にマグロのヅケと中トロが並べられる。「鮨は好きなものから食えば良い」 とは言われるが、落語を聴くにも志ん生文楽という並び順がある。この場面では中トロから先に手を伸ばす。
ウイスキーにはウイスキーの、トマトにはトマトの、オムレツにはオムレツの、炊きたてのメシには炊きたてのメシの、それぞれ口中に含んだときの味わい方というものがある。
脂を多く含んだ魚は長く舌のまわりに滞留させると美味いが、この店の中トロとヅケは舌のまわりにねっとりと絡みつき、少々の咀嚼ではのどの奥に送り込まれない。僕の舌は固めの米粒と上出来の脂に覆われて、1分も2分も喜んだままでいる。
7時に至り、早くも店の入り口には 「本日は閉店しました」 の札が下げられる。僕は店内にいて飲み物をお茶に換え、火でパチパチとあぶる式のサバにて締める。そのサバをつまんで裏返した人差し指と中指のあいだを脂がくぐり抜けてカウンターにポタリと落ちる。「あぁっ、もったいない」 とは思ったが人目もあるため、その脂をチューチューと吸うことはしなかった。
「コニャック飲ます店、近くにねぇかな、ねぇな。そうだ、フェイクなリキュールを飲ます店に行こう」 と、もう歩けないと言う家内の手を引いて 「神谷バー」 へ入る。僕はデンキブランのアルコール度数の高いヴァージョン 「オールド」 を注文し、家内は何か軽いものを頼んだ。魚と酢飯の香りが口の中から消えていく。
10時前に帰宅する。入浴して本は読まず、しかし牛乳は飲んで、11時すこし前に就寝する。
4時に目を覚まして4時30分まで 「モハメド・アリ その生と時代」 を読む。
事務室に降りてメイラーを回す。ウェブショップからの受注が多く入っている。有り難いことだ。即、受注作業に入る。きのうは繁忙の隙間を縫って賞与の算定をした。今日も忙しい1日になるだろうか? なってくれれば良いと思う。
ブラウザの文字の集積を1枚の発送伝票にするまで5分はかかると踏んだが、調子が良ければ3分、平均して4分でこの作業をこなせることを知る。それでも機械のように同じ能率で仕事を続けられるわけではない。また、メイルや電話で確認を取るまでは完成させられない注文もある。あれこれと寄り道をしながら作業を続ける。
きのうの日記を書けないまま7時になる。新聞を取るためシャッターを上げると空は晴れている。もうすっかり季節は冬だ。ただしいまだ寒さはそれほどのこともない。気の早いことに 「寒いですねー、いやんなっちゃいますねー」 という挨拶をする人がいるけれど、そういう人たちは、1月2月の寒さを予感できないのだろうか。
朝飯は、アサリの佃煮、昆布と牛肉の佃煮、ダイコンのぬか漬け、ダイコンとニンジンの雑炊。
今日は事務係のタカハシアツコさんが休暇を取っている。家内はいつもよりも早く事務室へ降りた。きのう受けた大口の注文を販売係のオオシマヒサコさんに伝える。この注文品をすべて整えるには、数人の手を数時間は必要とするだろう。
あちらこちらをあたふたと駆け回り、社員のだれそれに必要事項を伝え、本来であれば9時には出発しなくてはいけないところ、9時25分になってようやく三菱シャリオに乗り込む。
10時10分にようやく宇都宮の栃木県味噌工業協同組合に着く。用を足して後、「片口」 の納品を頼んでいる器屋 「たまき」 に寄って、いくらかの仕事話とそれよりも多い世間話をしながらコーフィーをごちそうになる。
昼前に帰社し、午後もずっと机にかじりついて仕事をする。4時になって今朝、数名の社員が数時間かけて作った予約品を、お客様が取りに見える。お客様はその品物の外観を子細に点検し、小さすぎると感じたものについてはこれの、もっと大きな商品への変更を求める。その商品を数名の社員がお客様の西ドイツ製、否、ドイツ製の乗用車へ満載にする。
「なーんだかせわしなくなってきたね」
「でもさ、これを乗り越えないと、お正月が来ないんだよ」
「これが無くっちゃメシ食えねぇしな」
「そうだよー、ありがたいよー、このご時世にさー」
オオシマヒサコさんとほんの短い会話を交わして、また机上の仕事に戻る。
東武日光線下今市駅に電話をして初更のダイヤを訊ねると、上りの特急スペーシアは17:33発と18:59発になると言う。家内は既にして東京へ移動をしている。9時ごろに晩飯を食べるのはイヤだ。ひとりで残業をするというコマバカナエさんを事務室へ残し、5時20分に会社を出る。
日光街道を南下しながら足元を見ると、服は着替えているが靴は仕事用のままだ。今さら会社に引き返して靴を履き替える時間は無い。そのまま駅へ至り、スペーシアの禁煙車に収まる。
顧客へ向けて必要なメイルを書き、またきのうの日記を作成する。残業中の事務係コマバカナエさんから質問の電話が入る。頭の中にコンピュータのディスプレイを思い浮かべながら返事をする。新鹿沼、栃木、春日部、北千住と過ぎて浅草に着く。銀座線で銀座へ至れば、家内は既にして4丁目の待ち合わせ場所に立っていた。傘を差すほどでもない雨が降っている。
ビルとビルの谷間、古い木造建築と緑色の断面を際だたせたガラスの建物の隙間を抜けて数寄屋通りに出る。冬の宵の雨は心地よい。雑居ビルの階段を下りて 「おぐ羅」 のノレンをくぐる。
金曜日の夜とあって店はとても混んでいた。詰め込めば10人ほどは座れそうな奥の目立たない席へとりあえず案内をされる。突き出しは油揚げとミツバのおひたしだった。「いつもの海苔の酢の物よりもこっちの方が断然、好きだなぁ」 と思う。焼酎 「島美人」 をストレイトで注文する。
ほどなくしてカウンターに2席が空いたため、そちらへ移動をする。
「やす幸」 よりもすこし強く、しかし 「弁天美家古」 のそれよりはずいぶんと浅く酢締めされたサバを入念に咀嚼し、できるだけ長いあいだ舌のまわりに滞留させる。
カニ味噌和えには潮の香りが強い。グラスの焼酎はとうに切れた。カウンターの1番奥に座った僕はオカミや若いおねーさんを呼ぶのももどかしく、すぐそばで洗い上がった食器を整理しているオニーチャンに声をかける。
「島美人、おかわり。さっきの量じゃすぐ無くなっちゃってダメだ。その分ゼニ払うからドーンとちょうだい」
「じゃ、お客さんがストップというところまでお注ぎします」
「そんなこと言ったら、いつまでもストップかけないよ」
オニーチャンは笑いながら、グラスの縁まで1センチほどのところまで島美人を注いだ。働く人すべてが楽しそうに仕事をしている店は、間違いなく良い店だ。鯨ベーコンを以て、そのなみなみと注がれた焼酎を飲む。
メカブの酢の物が口の中を涼しくする。シュンギクの胡麻和えは、胡麻の黒がシュンギクの緑を一層深くしている。その舌触りもコクもいかにも濃い。この胡麻をすり鉢であたったのは誰だろう? と白衣の面々を見わたす。
エビのしんじょを頼むと、その直前に同じものを注文した人がいて材料が無くなったという。息子がこちらを見て申し訳なさそうに頭を下げる。
目の前の2、3の皿がそろそろ綺麗になりつつある。「じゃぁ何にしようかなぁ」 と考えつつ壁の黒板や手元の品書きを見る。すると、先ほどから揚げ物の鍋に張り付いていたメガネの調理係が、「これ、内緒ね」 と、エビのしんじょを手渡してくれた。それは、ほんのすこし残ったすり身で作った規定の量には足りない、しかし間違いなくこの店のエビしんじょだった。
「内緒ね」 という言葉には甘い響きがある。「秘密結社」 とか 「魔窟」 とまでは言わないが、「隠れ家」 とか 「路地裏」 などいう言葉に似た色合いがある。その内緒の、丸く上品な、きつね色よりも少し強めに上がったそれにスダチを搾り、家内とふたりで 「アチチ、アチチ」 と言いつつ食べる。
息子がおでんの鍋に箸を差し込みつつ僕に、「白子、どうなさいます?」 と声をかける。「いただきます」 と返事をする。やがて運ばれたそれのひとつながりを口へ入れ、やけどをしないように注意をしながら、舌と硬口蓋のあいだでつぶして中身のトロトロと出汁の絡まったあんばいを味わう。ビールの小瓶を注文する。
ふと分厚い鋳鉄製のコンロに目をやると、大鍋にビーフシチューのようなものがグツグツと煮えている。僕の横にいてグラスにたっぷりと焼酎を注いでくれたオニーチャンに声をかける。
「あれ、なにかのシチュー? ビールに合いそうだな、黒板に書いてあった?」
「いえいえ、あれはお客さんに食べさせられるようなシロモンじゃぁありません」
「まかない?」
「まぁ、そのようなもんで」
「1番うめぇもん食ってんのは店の人だって、よく言うじゃん、あれ、美味そうだよー」
「お客さん、とんでもありません、あれはコイツが作ったんですから」 と、先ほどエビのしんじょをくれたメガネのオジサンが、現在のところは食器片づけくらいしか任されていないオニーチャンを目で示して笑う。
家内は締めにおでん鍋の中から、がんも、しいたけ、つくね、ゴボウの鴨肉印籠を選んだ。僕はそこからつくねひとつだけをもらって食べる。ユズの香りがさわやかだ。グラスに半分だけ残ったビールを飲み干して席を立つ。
数寄屋橋のソニービルに、"CHANEL" の大きなクリスマスツリーができている。そういえば昨年もこの時期には、同じ場所にシャネルの飾り付けがあったことを思い出す。
近藤書店の並びにある 「千疋屋」 が夜の10時30分まで営業時間を延長したことを目ざとく見つけた家内が、「ちょっと寄っていこう」 と言う。家内は何かパフェのようなものを注文した。僕はイチゴのショートケイキとコーフィーを選び、大きなこれをまるで女のようにぺろりと平らげる。「サバの脂も美味めぇけど、生クリームも美味めぇなぁ」 と感心をする。
甘木庵に帰着したのは何時ごろのことだっただろう。入浴して冷たいお茶を飲む。本日の画像を加工して日記のテンプレイトにはめ込み、何時かは知らないが家内に先んじて就寝する。
3時に目を覚まして4時まで 「モハメド・アリ その生と時代」 を読む。
きのうの初更にメイルマガジンを発行した。その結果の確認やバウンスメイルの解析をするため、いつもより1時間30分はやく起床する。ルゴールの原液でうがいをしてから事務室へ降りる。
メイラーを回し、バウンスメイルを新しいフォルダに納める。「メイルマガジン不要」 の返事をよこした顧客のメイルアドレスを、それまでのフォルダから別のフォルダに移す。注文の数はもちろん多い。
対応不可能な到着希望時間を備考欄に打ち込んだ注文に対して 「それは無理です」 と返信を送れば、その分の売上げは立たない。代案をメモに残し、通常の人間が活動を始める時間になったら電話を入れることとする。
いくら忙しくても、社員は規定の休日を消化しなくてはいけない。本日は事務係のコマバカナエさんが休みのため、夜が明ける前からウェブショップの受注を伝票化していく。きのうの日記を書く時間は無い。
朝飯は、海苔、生わさび、カブとキュウリのぬか漬け、メシ、鴨と長ネギの味噌汁。
山口瞳がむかし、銀座の小笹寿司で悪態をつきながら、しかし金はないため、わさびの海苔巻きばかりを食べていたとは、自身の著書 「行きつけの店」 にあることだ。
それを真似るわけではないが、生わさびを鮫皮のおろしで擂り、メシへ載せて海苔で巻く。少量の醤油をこれにつけて口へ運べば、わさびは驚くほどの効きっぷりを示して当方の鼻腔を直撃する。合いの手にカブやキュウリのぬか漬けをボリボリと噛み、また海苔巻きを食べて、今度はその表面に決して薄くない鴨の脂を浮かべた味噌汁を飲む。
始業以降も、明け方から始めたウェブショップの受注を続ける。それもようやく落ち着いて、そうすると今度は、頻繁に鳴る電話を相手の仕事が始まり、あるいは店舗や製造現場や荷造り場、また包装現場などを回って社員と話をする。
終業時間から1時間30分ちかくを過ぎて、いまだ未処理の受注メモが乱れ箱に積み重なっている。残業をしている事務係のタカハシアツコさんに 「今夜はこのあたりにしよう」 と言って、カワナゴヨシノリ春日町1丁目青年会長に電話を入れる。
「あぁ、カワナゴさん? 青年会の忘年会、今日だよね、何時からだったっけ」 すると青年会長はいかにもおかしそうに笑って 「いま、始まるところです」 と答えた。
分厚いフリースでできた "LL Bean" の子供用帽子をかぶり、自転車に乗って日光街道を南下する。「子供用だから」 と最も大きなサイズを選んだら、これが大きすぎて、深く下ろすと目を覆って何も見えない。「アメリカのガキの頭はでけぇのかなぁ、でも日本にも、オレより頭のでけぇガキはいるなぁ」 と、見知った何人かの子供の顔を思い浮かべる。
「市之蔵」 での忘年会は、始まったばかりだった。乾杯のやり直しをし、僕はそれを画像に納める。
ボタンエビ、マグロ、水ダコの刺身、馬刺し、ししゃもの焼いたの、エダマメなどが、目に鮮やかだ。焼酎のお湯割りを飲みつつユリネのタラの子和えを食べる。「正月のおせちは高コレステロールのものばかりと聞いたが、酒の肴もそれに劣らねぇわなぁ」 と今さらのように考えながら、自分の前の皿をきれいにしていく。
サイトウカツボウが八寸皿の鶏の唐揚げをすべて平らげたため、よそに残ったいまだ山盛りの別皿を手渡すと、ニッコリと笑う。カツボウは2皿目の唐揚げをも平らげるべく、ふたたび箸を動かし始めた。社会も会社も町内会も、若い人がいなければ先行きは怪しい。カツボウは春日町1丁目にとっての貴重な人材だ。
鍋に豚足を入れて煮ると美味いとは、カミムラヒロシさんの言ったことだ。そしてこの主張は本当のことだ。どちらかといえば上品な鶏のつくねと白菜の鍋に日本では決して上品とは思われていない豚足を投入し、これをグツグツと煮る。豚足の香りは、処理をしすぎていない豚の子袋や大腸の匂いに似ている。口に含んでそのゼラチン質を堪能する。美味い。
タシロケンボウのオヤジのタシロマナブ君は酔った勢いもあってか、この豚足をかなり平らげた。寮で暮らす長男が冬休みに帰宅したら、家でもこの豚足鍋を食べようと思う。なにしろ長男は学校で飼育した豚を屠殺場へ送る際、業者に枝肉と共に豚足も戻すよう頼んだほどの "abats" 好きだ。
余談だが、僕の同級生コモトリケイ君はやはり自由学園中等科のとき屠殺業者から豚足ではなく腎臓をもらった。彼はこれを家へ持ち帰って母親に調理を頼んだが、お母さんはこれを気味悪がって捨ててしまったという。更に余談だが、そのときコモトリケイ君はこの腎臓を金玉と思いこんでいたフシがある。
エシャロットとセロリの味噌マヨネーズにて口の中を涼しくする。
10時すこし前に帰宅し、入浴して10時30分に就寝する。
暗闇の中で目を覚ますとひどくのどが痛い。きのう親戚のセキネ耳鼻咽喉科にてのどを消毒し、気管支に良いという煙を吸い、薬を処方してもらった。唾を飲み込むこともためらわせるほどののどの痛みは、寝る前に飲んだ薬の効果が切れたせいだろうか。
これまた処方してもらったイソジンうがい薬は事務室に置いたままだ。ヨロヨロと洗面所まで歩き、10年ほど前までは頻繁に使っていたルゴールを少量コップに取り、乱暴にもこの原液にてうがいをする。
横になっていると、それでもずいぶんとのどの痛みは和らいだ。枕頭の灯りを点けて 「モハメド・アリ その生と時代」 を読む。時間を確かめないまま二度寝に入り、4時に起床する。
事務室へ降り、きのう作成した文章を以てメイルマガジンを送る準備をする。今年10月末に "Computer Lib" で作成した自分専用のマニュアルを開き、その通りに作業を進めるが、そもそもメイルを一括して送付するソフトがコンピュータから失われていることに気づく。とりあえず、いつものよしなしごとをして居間へ戻る。
朝飯は、揚げ出し豆腐、キュウリのぬか漬け、納豆、春雨サラダ、叩きゴボウ、モズクの酢の物、魚肉ソーセージとニンニクのたまり漬の油炒め、メシ、お麩と長ネギの味噌汁。魚肉ソーセージに添えられたニンニクのたまり漬は本日、学校での持久走大会を控えた次男の要望によるものだ。
何の略かは知らないが "FSE" という会社の社長シバタサトシさんの携帯電話を呼ぶが、音ばかりが鳴って誰も出ない。自宅の電話番号を調べてそちらへかけるとお母さんが出て、「仕事先から明け方に帰宅したが、午後1時には目を覚ますだろう」 と言う。起きたら連絡をしてくれるよう頼んで受話器を置く。
午前、日光市野口地区の 「晃麓わさび園」 を訪ね、生わさびを買ってそれを隠居へ持ち込む。庭に蛇行してゆっくりと流れるせせらぎの苔むした岩にそれを配し、写真を撮る。メイルマガジンの送付が遅れた怪我の功名にて、この画像へのリンクをその文中に設置する。
昼過ぎにシバタサトシさんが来社する。ThinkPad s30から中身を移す際に取り残されたらしい、大量のメイルを一括して送付するソフトをThinkPad X31へインストールしてもらい、とりあえずの心配は去る。
この暮に入って最高の数字をギフトの受注が記録したところで終業時間を迎える。
ひとつ間違えば多くの人に誤った情報を流してしまうという点において、メイルマガジンの送付には細心の注意が求められる。そのため僕はこの作業を、日中には行わない。
すべての社員が帰宅した静かな会社にて、本日の明け方に中断した作業を開始する。ところが最後の最後にきて送信ができない。「明日で良いから」 というつもりでとりあえずシバタサトシさんに連絡をすると 「あぁ、大丈夫です、これから行きますよ」 との返事があり、非常なありがたさを感じる。
館内電話で家内を呼び、先に晩飯を始めているよう言う。
不調は通信設定にあるたった1個所のラジオをクリックするだけで復旧した。シバタサトシさんはそこで帰宅しても良さそうなところを、その設定方法を僕に教授し、すべてのメイルの送信が終わるまで事務室に滞在してくれた。
ようやく居間へ戻り、何年も使っていなかった、駒場東大前の日本民藝館で求めたグラスを茶箪笥から取り出す。このグラスにて、マグロのヅケを肴に泡盛 「どなん」 のお湯割りを飲む。
鴨鍋にても 「どなん」 を飲み、「とんかつあづま」 のオヤジさんにもらった名前も知らない豆の煮物に進んでもなお、性懲りもなく 「どなん」 を飲む。
入浴して牛乳を300ccほども飲み、それと共にセキネ耳鼻咽喉科から処方してもらったクスリも飲み、9時に就寝する。
4時に目を覚まして 「モハメド・アリ その生と時代」 を読む。外を走るクルマの音に降雨を感じたが、5時30分に起床して洗面所の窓から地面を見ると、湿った感じはするが濡れてはいない。
事務室へ降りて、いつものよしなしごとをする。「毎日、日記を書き続けるってのは、すっごいですよね」 と言う人がいる。どうということはない。好きでしていることに苦労は伴わない。日記に費やす時間を散歩に充てろと言われたら、むしろその方が難しい、というか、僕に散歩は無理だ。
未明の心配にもかかわらず、空は晴れ上がった。朝飯は、梅花はんぺん、ワカメとタマネギのかつお節かけ、納豆、ホウレンソウのゴマ和え、塩鮭、ダイコンのぬか漬け、メシ、エビの頭と長ネギの味噌汁。
きのう、"Computer Lib" のナカジママヒマヒ社長から何度か電話が入ったらしいが、すれ違いにてそれを受けることができなかった。今朝も1度、僕が製造現場へ行っているときに連絡があったらしく、2度目の電話にてようやくつながる。
「ウワサワさーん? あのさぁ、トップからi-shopにリンクしてないじゃん、どうして? なんか気に入んないとこありますか?」 マヒマヒ社長が不安そうな声で僕に質問をする。
「えっ? もう完成したの? 完成したんだったらトップからリンクさせるよ。お客さんの携帯電話にアドレスを自動送信するポップアップもコメントアウト外すから」
「うーん、そうしてー、もう大丈夫だからー」
「あ、それからさー、11月のウェブショップの売上げ、見せてもらったよ。すげーじゃん」
「そうかな、でも去年の倍までは売れてねぇぜ」 僕はウェブショップの売上げについて、少しの増分ではまったく満足しない。
「それでもさー、すごいよー。あのさー、ウワサワさんさー、もっと売れるよー、進み過ぎちゃってんだよウワサワさん。半歩戻ってよ、半歩戻ればもっと売れますよー、進み過ぎはだめー、ウワサワさんならできますよー」
普段ならナカジママヒマヒ社長の話も理解できるが、今般のものだけは長嶋茂雄の打撃指南のようでワケが分からない。「年が明けたらまた勉強会でもやりましょう」 と言って電話を切る。
きのうおとといと、入浴中にひとつずつ考えが浮かんだ。きのうのアイディアは、トップからはリンクさせず、その要のある人にのみURLを教えるペイジをひとつ作るというもので、その詳細についてはデジタルノートに書き留めた。
おとといの方はもっと簡単で、ウェブショップの顧客に対象を絞ったプレゼント企画を行い、その賞品は年越し蕎麦のセットにするというものだ。このセットは、「蕎麦は○○庵」 「蕎麦つゆは□□屋」 「わさびは△△商店」 という風に、僕好みのものを組み合わせて完成させる。
顧客の射幸心を煽るかたちの商売は好まないが、これは僕の 「自分が美味いと感じるものを、お客様にお裾分けしたい」 という単純な気持ちから生まれたもので、金も無いのに人にメシを振る舞って喜ぶ僕の趣味嗜好に矛盾しない。
午後、早速にも旧市街中心部にある 「やぶ定」 を訪ね、取材活動のようなことをする。
田舎には、「たしかに蕎麦は美味いけれど、つゆについてはカラッキシ」 という蕎麦屋が少なくない。僕は 「やぶ定」 の濃い味のつゆが好きだ。この店の蕎麦つゆについて、秘密にしておきたいところ以外の概要を店主のワガツマカズヨシさんから聞き出し、それを頭に入れる。
夕刻までに、この企画を顧客へ知らせるメイルマガジンを作成する。
酒の肴になりようもないものを摂取することによって断酒を成就させようとしなくても、普通のメシを酒なしにて食べてもまったく問題はないということに先日気づいた。そのため今夜は断酒を決めたが、家内や次男と同じものを食べることにする。
春雨サラダ、叩きゴボウ、カリフラワーとコーンビーフのマヨネーズ和え、焼売、ダイコンとキュウリのぬか漬け。
これらのおかずで食べる米のメシが、もう本当に美味い。ほとんど歯の抜け落ちた内田百閒が刺身用のタイで作ったタイの天ぷらをムシャリムシャリと食べるように、この米を入念に咀嚼する。
ハムと春雨とゆで卵の白身のあんばい、ゴボウの2、3本、カラシを混ぜたらしいマヨネーズの風味、焼売の脂、ぬか漬け、これらと一緒に酒ではなく米のメシを味わったとき僕は、「みんな、普段からこんなに美味いもの食っていたのか」 と、感心をしないわけにはいかなかった。
だったら一生、酒など飲まなければ良いわけだが、そうもいかないのは、どのような理由によるものだろうか。
入浴して牛乳を300ccほども飲む。「モハメド・アリ その生と時代」 を読んで、9時30分に就寝する。
東名高速道路を西から東へと急ぐクルマがある。運転をしているのはどうも精神に変調を来した若い男らしい。男はどこかの政府機関へ無線にて、「これから自分は重要な任務を帯びて中国へ向かう。行路、不便の無いよう保護を願う。なお現地へは手みやげとしてたまり漬を持参する」 というようなことを伝えている。
とりあえず検問が張られるが、男はたくみにこれをすり抜け、首都高速道路へと入る。一方、僕にはやはりどこかの政府機関から、「男がどのような隠し球を以てこのわけの分からない要求を国へ突きつけているのかは今のところ不明だが、念のため手みやげのたまり漬を用意し、土橋ランプから徒歩にて首都高速会社線へ上がってくれ」 との要請がある。
僕が化粧箱にラッキョウ、大根胡瓜茄子、ニンニク、ショウガという4種のたまり漬を詰め合わせてリクルートビルを見上げる土橋の急カーヴに立つと、「問題の男はある引き込み線の袋小路にてクルマごと保護された」 との情報が入る。ちょうど来合わせたパトカーに乗ってその場所までおもむくと、数え切れないほどの警察車両が赤色灯を点滅させ、ひとりの男を取り囲んでいた。
ここでどういう交渉が為されたのかは知らないが、僕はひとりの警察官から、「とりあえずこの男に付き従って、今度は西へ向かってくれ」 と言われる。キチガイの操縦するクルマに同乗するほど気味の悪いことはない。しかしなぜか僕はこの頼みを断ることができず、男の車に乗り込む。
往路、このクルマはあちらこちらの側壁に当たって、グラスファイバー製のスポイラーやらフェンダーやらをまき散らしていた。その破片を避けながら西へ走り続けると、後ろから先ほどの警察車両がイナゴの群れのように追いかけてくる。しかしトヨタだかニッサンのいわゆるVIPカーにアメリカ製の巨大なV型8気筒のエンジンを積んだこのクルマの速度にはかなわない。
やがてすべての赤色灯ははるか後方に去って、夕闇の迫るまっすぐな道路上には、キチガイの運転する強力無比なクルマとそこに乗る僕だけが、非常な高速度で移動をしながら取り残された。僕の恐怖は増すばかりだ。
そこで場面はまるで鈴木清順による映画のようにガラリと変わって、20世紀初頭の中国に自分はいる。先ほどまで僕を連れ回した男の姿は見えない。まるでテーマパークにあるような、いかにもといった感じの異国の路地に足を踏み入れ、紅い灯りのともる大きな建物の回転ドアを抜ける。と、そこには古典的な中国服を着た初老の男が立っていた。
たまり漬は、いまだ僕の手の上にあった。「これ、美味いです」 と、相手にそれを渡す。よく見るとその男は孫文だった。「これから辛亥革命すか?」 と訊こうとして、やはりやめておく。
夢から覚めると朝の5時だった。横になったまま30分ほど休んで起床する。
事務室へ降りて更に外へ出ると、雨上がりの街はいまだ薄暗いが暖かい。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、塩鮭、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、モズクの酢の物、小判揚げと大根おろし、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とシュンギクの味噌汁。
町うちの大口ギフト顧客へ請求書を届けたりして戻ると、机上に包装係のサイトウヨシコさんが書いた、取り寄せて欲しいもののメモがある。それを注文すべくある会社に電話をする。応対をした女の人が 「忘れちゃうといけないので、ファックスで注文していただけますか?」 と、丁寧な口調ながら面白いことを言う。
とりあえず 「はい、分かりました」 と返事をしておいて、別の会社に同じ商品を注文する。こちらは簡単に、「かしこまりました、有り難うございます」 で受注が完了する。
今般の注文品は171,000円の品物だった。最初の会社は 「忘れちゃうといけないので」 のひとことで、171,000円の売上げを逃したことになる。否、今後のことも計算に入れれば、いったん入りかけてスルリと逃げた現金は数百万円になるだろう。
いくら不景気とはいえ、こういうダメな会社はいまだ枚挙にいとまのないほど多く存在する。
ギフトの受注はこの暮で最も高い数字を記録した。事務係のコマバカナエさんが残業を終えて帰宅する。僕は家内に頼まれた買い物を済ませ、帰宅して冷蔵庫にバキュバンで栓をした白ワインを探す。
ほどよく残った "Rully Blanc Appellation Rully Controlee 1986" をグラスに注ぐ。それを飲みながら、次男のかけ算九九の暗唱を督励する。
吉田松陰は漢文の素読をしながら顔を掻いただけで、教師役の叔父玉木文之進に殴り倒されたという。既にして食卓に運ばれたポテトフライに手を伸ばす次男にしかし僕は、「あぁ、それ食べながらやってもいいよ」 と言う。
ポテトフライと並んでオニオンスライスがあるけれど、これは何のためにあるのだろう。
今朝、宜野湾から届いたクルマエビは活きが良く、大いにとびはねて次男をおびえさせたらしい。その説明書には 「水槽で飼うこともできます」 ともあるが、僕にエビを飼育する趣味はない。それほど大きくはないがしかしブリブリのエビフライを噛みしめて、思わず 「うめぇじゃん」 と、声に出して言う。
飲んだ酒はワインだったが、最後はエビの頭入り味噌汁で締める。ここでようやく、大振りのお椀にオニオンスライスを投入して薬味とする。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。