齢による肉体の衰えはどこに現れるか、僕の場合は皮膚である。その不調は一昨年から昨年にかけて一気に押し寄せた感がある。
朝、起きたときに口角が切れている。そのままメシを食べようとすると、その切れ目は更に大きく裂けて痛みが走る。よって当該の部分にはメシに先立ちリップクリームを分厚く塗って凌いできた。
その症状がこの10日ほどのあいだにひどくなり、もはやリップクリームごときでは糊塗できない。口の周囲の荒れにはビタミンDが効くと、小学生のころ何かで読んだ記憶があった。よって「口角、荒れ、ビタミンD」と検索エンジンに入れてみると、しかし今はビタミンB9という、僕にとっては未知の物質の効くらしいことが分かった。
朝から思うさまメシが食えなくては困るから即、そのビタミン9を豊富に含むという錠剤をインターネット経由で取り寄せた。届いたのは今月23日のことである。
そうしてそのビタミン9を、ビンに貼られた説明のとおり1日に1錠ずつ飲み始めたところ、朝に口角の裂けることは3、4日のうちに止んで、その効き目に驚いた。同じ症状で悩む人があれば、どうぞ試していただきたい。
鹿の子織りの白いシャツに赤と緑の縞のネクタイを締め、三季用の紺色のジャケットを着る。冬用のブレザーでは暑すぎるだろうと考えてのことだ。紺色のパンツには黒い革靴を履き、朝の上り特急スペーシアに乗る。
今日の持ち物は財布、携帯電話、パスモ、電車の切符、メガネ、ペン、文庫本のみにて、それらは"PORTER"の小さなショルダーバッグに納まっている。コンピュータやその周辺機器を持たない外出はしごく楽だ。
そうして北千住、西日暮里、池袋、ひばりヶ丘と移動をし、おなじ道を辿って15時前に帰社する。
毎週水曜日の夜にデータベース"My Tool"の勉強会が開かれているデザイン会社"DD-DUCK"に19時におもむき、北千住で買った、そして家を出る直前にオーブンで炙った2種のパンを肴にシェリー酒を飲む。
僕はこの席では、ただ酒を飲んで座っている。そして何かを訊かれれば、知っている範囲で知識を共有する。役に立ちそうな資料があれば、家から持参する。そうするうち多分、驚くほど高い速度で後進が育ち、すると今度は僕が教えてもらえるようになるのだ。楽が一番、である。
「痩せるんだ、痩せるんだ、今度こそ痩せるんだ」と10年、20年、30年と言い続けて飽かない人を僕は密かに「ヤセンダさん」と、どこかラテンの響きを感じさせる名で呼んでいる。「ヤセンダ」なら"Amanda"や"Miranda"に似て女性名詞に聞こえるけれど、僕の場合には男も含めて「ヤセンダさん」である。
「痩せようと思ってゴルフ、始めたんですよ」と言いながら、地下鉄の階段の上り下りを厭って浅草から上野までタクシーに乗る人がいる。痩せるためジムに通いつつ、酒を飲んだ後にはかならずラーメンを食べる人がいる。「痩せなくちゃいけないんですよねぇ」が口癖にもかかわらず居酒屋に入るたび「鶏の唐揚げ、フライの盛り合わせ、あとサイコロステーキね」などと判で押したように、決まっていわゆる油物を注文する人がいる。
「だったら痩せるなんて最初から言わなきゃいいじゃねぇか」などと口にしようものなら「いえ、このまえ読んだダイエットの本には『口に出して意識することが大切』なんて書いてありまして」などと悪びれないから、当方はますます焦燥の度を強めるばかりだ。
ところで今日の昼のカツ丼は、昨夕の会食の場から持ち帰った豚カツによる。当たり前のことだけれど、食べきれない揚げ物は翌日に回した方が確実に美味い。そして今日のカツ丼も美味かった。
昨師走から今初春までは暖かい冬だった。それが彼岸の前後から列島は気温を下げ、先週のなかばには雪さえ降った。そのためこの時期に合わせるようにして花を開いた桜は例年より長く咲き続ける、というのがこのところの気象庁の予想である。
そのようなことをテレビのニュースで何度も聞かされれば、当方も隠居の桜が気にかかる。来月の13日には家内の友人の、14日には社内の、そして15日には勉強仲間を集めた花見が開かれる。
そういう次第にて朝、店を開けてから味噌蔵のある庭に足を踏み入れてみれば、梅が満開を過ぎたくらいのところにて、桜はいまだ、そのつぼみを紅くしてもいなかった。それを認めた僕の気持ちをひとことで表せば「安心」である。花見の前に桜が散ってしまっては元も子もないではないか。
そうしてその根元に水仙を咲かせている、隠居の庭ではもっとも開花の遅い枝垂れ桜の枝をくぐって店に戻る。
僕の住む4階のフロアは、和室を除いては廊下も含めてすべて同じ床材、壁材、照明を用いている。設計士によっては各々の部屋にメリハリを求め、施主の意見を無視して自分の好みを押しつける例があるけれど、先おととしのリフォームにおいては、従順な人で助かった。
窓の遮光スクリーンはすべておなじ白に見えるけれど、これは部屋ごとに素材を変えている。僕の寝室は北東に面しているため、冬の寒気を避けようとして断熱用のそれが充てられている。その分厚い布を通してさえ、今は5時30分を過ぎれば空の明るくなり始めたことが分かる。
その明るさに目を覚まし、製造現場での早朝の仕事に向かう。そこから食堂に戻り、味噌汁を作る準備を整えつつ「そうだ」と気づいて食器棚に近づき「夜、チャーシューと白髪ねぎのプリックシーユー和え」と、メモ用紙にボールペンを走らせる。
そうしてふと我に返って「一体全体、オマエには食うことしか無いのか」と、自問自答をする。
お相撲さんが使う明け荷ほどの大きさの段ボール箱が、倉庫には長くあった。販売に当たる男子の社員は、ここから前掛けを出し、それが破れたり、あるいはその紐が切れると、ふたたびこの箱から新しいそれを取り出し、使ってきた。
その前掛けの、いずれ枯渇してしまうことを心配した家内のひと声により、同じもの50枚を、ウチの目の前の岩本京染店に注文した。今年の正月が開けてすぐのころだったと思う。
それができあがってきたからこれまでのものと並べて検品の後、社内で最も湿度の低い倉庫に置く。古い前掛けは残り13枚になっていた。よってこれらは即、半纏やノレンの入った茶箱に収める。
いよいよ空になった、荒縄で縛り固められた段ボール箱を解体すべく、先ずはその底に敷かれていた新聞紙を取り出すと、それらはすべて昭和43年2月の朝日新聞東海版だった。その紙面のほとんどはベトナム戦争の記事で埋められてる。そしてその内容は十分以上の不気味さに満ちてる。とても興味深い資料ではあるけれど、いずれゴミとして処分せざるを得ないだろう。
夜は春日町1丁目の公民館へ出向く。そして町内の会計係として今年度の決算を報告し、出席者の承認を得る。
「自分はほとんどメシの写真しか撮らない。マクロは焦点距離が長いから椅子から立たねばならず面倒だ。しかし焦点距離を短くすると、今度は遠近感が強く出すぎて不自然になる。最適なレンズの焦点距離は何ミリだろう」と、きのう銀座に出たついでにニコンサロンを訪ね、係のオネーサンやオニーサンに訊いてみた。
購入はウェブショップでと決めている。しかし肝心なことについては人と接触して情報を得る必要がある。ニコンサロンのオニーサンには35ミリを勧められた。本職には盲従する癖が僕にはある。そして"AF-S NIKKOR 35mm f/1.8G ED"を買うことを決める。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われながら、おとといからきのうにかけては雪が降った。「雪のあしたの裸の洗濯」ということばもあるけれど、彼岸を過ぎての雪には、実際の温度に関係なく、格別の寒さを感じるものだ。
その寒さのなか、夜は大谷向の玄蕎麦河童を訪ね、日本酒に特化した飲み会「本酒会」に出席をする。
東京へ行く前に宇都宮でふたつの仕事をする。JRや新幹線は高く、東武は安い。しかし日光まで戻って東武日光線に乗るのはバカバカしい。よって宇都宮からJRのローカル線を乗り継ぎ上野に出る。
1.人と接触することなく済ませることができる。
2.家から出ることなく済ませることができる。
3.買った品を自分で運ぶことなく済ませることができる。
という3つの点から、買い物は実店舗よりウェブショップでする方が好きだ。しかし実物に触れないまま注文せざるを得ないウェブショッッピングでは失敗も多い。
「着てみたら、履いてみたら、サイズが全然、合わないので人に譲り、改めて別のサイズを注文した」という再購入を、僕はまるで、賽の河原に石を積むように繰り返している。
2013年に買ったセーターはサイズが大きすぎた。よってそれは長男に譲り、ひとサイズ小さなものを再購入した。2014年に別のセーターを買い、それが届いてみれば、またまたサイズが大きすぎた。まさか2年連続の「再購入」は憚られる。
よってその2014年のセーターは大きすぎるものを我慢しながら着続け、しかし本日、その実店舗を上野に訪ねて、同じ品を倉庫から出してきてもらう。そして自分にちょうど良いサイズを知るため試着をする。しかしこの試着は結局のところ「再購入」を想定してのものなのだから、まぁ、人に嗤われても仕方のない行為である。
上野広小路から新橋に移動して次男と落ち合う。銀座まで歩いて蛍烏賊を肴に冷えた日本酒を飲む。そこから浅草に戻って21:00発の下り特急スペーシアに乗る。
「ブルーカラーはホワイトカーよりも平均的には長生きをする」という記事を小学生のころ何かで読んだことがある。その傾向は50年ちかくを経た今も変わらないのだろうか。
これまでの経験からひとつだけ言えることは、ブルーカラーは職場での不必要な居残りをしない。時間から時間まで働けば、即、仕事から上がる。ウチなども終業時間を15分も過ぎれば社内には誰もいない。
学校を出て以来、そのような環境しか僕は知らないから「夜は酒を飲むもの」と決めている。否、決めているというよりも、頭とからだがそのようにできあがっている。よって夜の、特に食事の出る会合は苦手である。メシと酒くらい自分の好きにしたい。
ウチからほど近いビルにあるデザイン会社"DD-DUCK"ではここ数ヶ月、毎週水曜日の夜にデータベース"My Tool"の勉強会が開かれている。特定の講師などはいない、いわば教え合いの場である。"MG"と、だから"My Tool"を地元に広めたいと長年おもいつづけてきた僕などはこの場に真っ先に駆けつけなければいけないところ、前述の「夜は酒を飲むもの」という自身の常識から、これまで1度も足を運ぶことはしなかった。
長男と家内に尻を叩かれたこともあり、今夜は遂に、その教室への階段を上がる。そして最初は持参したおむすびを肴に日本酒を飲んでいたけれど、そのうち参加者から訊かれるままその疑問に答えたり、あるいは別の参加者のコンピュータで、想定される仕事においての実演をしてみせたりする。
「マイツールを好きになる人が増えるよう、微力を尽くしていきたい」と今月15日の日記に書いた僕であれば、"DD-DUCK"の教室には足繁く通わなければならないのだ。そして来週の弁当と酒は何にしようかと考える。
"CX6"を最後として「CXシリーズ」の後継機をリコーは出してこない。現在のこれが壊れて修理も不能になったら、光学ズームはほとんど使わないのだから、おなじリコーの"GRD"を防湿庫から取り出し、こちらを普段使いにするしかないだろう。
それはさておき、その"CX6"からSDカードを引き抜きコンピュータに差し込むと、きのう朝食を摂りながら撮った、寝台特急「カシオペア」の引退を伝えるテレビニュースの一場面が出てきた。
「キハ」や「モハ」はおろか、日本の寝台列車の過去も現在も知らない僕が鉄道ヲタクでないことは確かだ。しかし列車の狭いベッドに寝転び長旅をすることは好きだ。過去に乗ったのは、出雲、北斗星、それから名前は何といったか、東京から博多までのそれの3回だ。夜中に碓氷峠を越えた夜行列車には8トラックのカラオケを備えてた個室があったけれど、寝台の有無については忘れた。
「日本から寝台列車が消えたら、今度は外国に行けばいいじゃねぇか」という僕の考えは、しかし「カシオペア」の最期を見届けようと上野や札幌のプラットフォームに群れを成した鉄道ファンの同意は得られないだろう、人はそれぞれである。
そしていまや南の国でさえ、鉄道による長距離移動は市民の支持を失いつつある。「見るなら、撮るなら、乗るなら今のうち」かも知れない。
データベース"My Tool"を検索すると、それは1995年9月19日のことと知れた。その日僕は横浜の、元町と山手のあいだを流れる川の畔に建った、まるでバラックのような造りの服屋で黒い木綿の、襟の高いセーターを買った。
メーカーや洗濯の方法を示すタグなどどこにも見あたらないこのセーターを僕は隨分と気に入り、以来21年のあいだ大切に着てきた。それだけ使えば特に袖口にはささくれが目立ち、だったら内側に折って縫えば更に着続けられるような気もしたけれど、袖が短くなれば全体の調和を欠いて、以降は着る気を失うかも知れない。
一方、先日、ウェブ上に見て興味を惹かれたバックパックを実際に調べるべく池袋に赴いたところ、当該の品については即、自分の好みでないことを理解したものの、おなじ店に置いてあるTシャツの、枯れて寂びた具合を気に入ってしまった。
家に帰るなりそのブランドについて調べると、3点ほど欲しいものが出てきた。しかし一気の購入は「モノを増やす」という意味において危険である。たまたま安売りに供されていた、襟の高い紺のTシャツ1点のみを取りあえず注文した。
そうしてそれが届いて、しかしタンスの中身は増やしたくない。よって1995年以来21年のあいだ着続けた黒いセーターを惜しみつつ、そっとゴミ箱に入れる。
2013年秋、家内と手伝いのサイトートシコさんのふたりが獅子奮迅の働きをして、タンスも戸棚も中身ごと捨ててしまうような、家の大整理をした。そしてそこにこれまた大規模なリフォームを施したところ、生活の水準は一気に向上した。生活の質は、モノの多いより少ない方が確実に高くなる。
とはいえ家のすべてが片付いたわけではない。
おととい、いまだモノの、異常なほど詰まった空間を家内と叔母が整理をしながら、古くは131年前まで遡れる帳面を多数、見つけた。131年前とは、そこから更に18年を遡上すれば、いまだ江戸に将軍のいた時代である。
「歴史の勉強は未来の予測」という教訓めいたことばを持ち出すまでもなく、あるいはまた、モノはあるより無い方が生活の質は上がるとはいえ、捨てるわけにはいかない「遺産」も実は少なくない。
そして今朝は製造現場での仕事に引き続き、それらの帳面を種類ごとに分け、箱に詰めて、社内で最も乾燥した場所に置き改める。
起きて食堂へ行くと、灯りのスイッチのところに「朝の仕事、看板かけかえ」という、昨夕に書いたメモがセロテープで留めてあった。
「朝8時15分から夕方17時までの冬時間から脱し、今日からはいよいよ18時までの営業になるから、その看板の設置については絶対にこれを忘れるな」という防備のメモであれば、貼りつける場所も、かならず目に付くところを選んだわけだ。
そしていまだ6時になる前に店頭から冬時間を示した看板を外し、それを倉庫へ収めると共に、同じ場所から今度は通常の営業時間のある看板を抜き出し、店舗入口の中心に提げた。
開店して間もなく、その看板の写真を撮る。それを説明文と共に、facebookに上げる。これを以てようやく、冬から脱した気分になる。
来月はいよいよ、瀧尾神社の例大祭がある。「オレがやる」と同級生に宣言をしてしまった仕事もある。町内役員の親睦旅行もある。仕事なのか研修なのか息抜きなのか判別の難しい催しもある。あれやこれやが一気に始まる気配がする。
きのうの研修においては、当方は事務局として、会場を出たり入ったりした。夕刻、講義の最後の良いところを抜け出し会社に戻ると、楽天から封筒が届いていた。開封をしてみると案の定、中からは楽天プレミアムカードが出てきた。
今月12日の夕刻、1分38秒の審査を以て発行されたカードは1週間ほどで届くと、ウェブ上の説明にはあった。そしてそれは「1週間ほど」の範囲内である6日目に配達をされた、ということだ。何とはなしに、浮き立つ気持ちを感じる。
そうしてその裏面に万年筆で署名をしつつ「このインクは何日も乾かねぇ。だから油断をすると、うっかり触ったりして、汚くなってしまうんだよな」と、何年か前、楽天の普通のカードを受け取ったときのことを思い出す。
空港の、一般は入れないラウンジのソファに深々と納まり、選民気分を味わう趣味はないけれど、他で何かの役に立つかも知れず、よって楽天プレミアムカードの持ち主であれば持つことのできる、プライオリティパスの申し込みもする。こちらについては、届くまでに10日ほどはかかるらしい。
今日は彼岸の入りにて、いつもより早くに朝食を済ませ、家内と墓参りをする。そして帰社して開店準備を整えるも、時間に追われ、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場に在庫を確かめに行くことはできなかった。よってその仕事については販売係のハセガワタツヤ君に頼んでホンダフィットに乗る。
新築されたばかりの「ホテル村上」でサトーマサヒデさんをフィットにお乗せし、東武日光線の下今市駅では東京から参加のウエノさんを出迎える。中央公民館の駐車場には8時28分にすべり込んだ。
「日光マサヒデ塾 超・初心者が初心者になるための8時間」という名の教室には地元から、埼玉から、東京から計15名が集った。「超・初心者が初心者になるための」とはいえその内容は、僕には中級の水準と感じられた。しかし「これまでのモヤモヤが晴れた」と、昨秋からマイツールを始めたカワタオサムさんの顔はほころび、他にも「超楽しかった」の声が打ち上げの席では聞かれた。
好きになってしまいさえすれば、頑張らなくても技術は上がる。今後はこの教室を随時開催すると共に、マイツールを好きになる人が増えるよう、微力を尽くしていきたい。
午前の仕事を終え、駒込の、山手線に沿った道を長男と歩いていると、家内から電話が入った。あれこれの事情により可能な限り早く帰社して欲しいというのが、その内容だった。
駒込から西日暮里を経由して北千住に12時38分に着き、12:42発の下り特急スペーシアに乗る。そして下今市から会社に戻る途中でおむすびを買い、それを昼食とする。
「日光マサヒデ塾 超・初心者が初心者になるための8時間」の講師サトーマサヒデさんを長男は16時07分にJR今市駅頭にお迎えし、そのまま自宅4階へご案内した。僕はそのまま会社にいて、仕事を終えた社員全員が通用口から出るまで事務室に残る。
明日の研修の参加者で、前夜祭にも出席をするとの意思を示してた人たちすべてが集まったのは19時だった。そして食事をしつつ、奇特なことに今夜のためにのみ古河から来てくださったユージさんの、マイツールの使用事例を見せていただく。
交流会は21時30分にお開きになった。「超・初心者が初心者になるための8時間」と銘打たれたマイツールの教室は、明朝8時30分から開始をされる。
角丸商店の最上部、キリンビールの看板の右手から朝日が昇る。これから夏至にかけては、その日の出の位置は徐々に左手つまり北側に移っていく。それにしても、晴れて青い空は久しぶりに見た気がする。
午後は恵比寿にいて、ウェブショップについての仕事をする。そこからある会社のバックパックを調べるべく池袋に移動する。僕はバックパックやショルダーバッグの類いが好きで、必要以上に持っている。買ってはみたものの気に入らず、人にくれてしまうことも、また繰り返している。それに懲りず更に手に入れようとするのだから、一部からは嗤われるわけである。
当該のバックパックは、ひと目見るなり自分の好みではなかったから安心をする。「散財をせずに済んで良かった」という安心である。しかし悪いことに、おなじ店に置いてあるTシャツの、生地の肌合いと染めの具合を気に入ってしまった。こちらについては後で詳しく調べるべく、そのブランドの名をiPhoneのメモ帳に残す。
そうするうち日も落ちたため、おなじ池袋の北口ちかくでカウンター活動に入る。
「日本では何でも食べるけれど、味噌汁だけは生臭くて飲めない」というイタリア人の話を耳にしたことがある。「生臭くて飲めないというので、味噌汁は鶏のダシで作っている」という、外国人向けゲストハウスの女将がいる。「日本の空港に着いて最初に感じるのは魚の生臭さだ」と言う外国人は少なくないらしい。
冷蔵庫に余った大根と人参をぬか漬けにしようと、きのう、ぬか床に触ると、いつ入れたものか思い出せないほど古い胡瓜が見つかった。よってこれを取り出し水で洗い、その水気はキッチンペーパーで吸い取ってサランラップに包んだ。
今朝のメシには、その胡瓜のぬか漬け、フクダナオブミ製造部長が社内消費用に漬けた大根の味噌漬け、そしてしもつかりが並んだ。中国からインドシナにかけての人には食べられても、欧米人にはハードルの高い内容かも知れない。
味噌汁のダシには煮干しを使う。ただ美味いばかりで生臭さは感じない。ブイヤーベースは食べられて、しかし味噌汁は食べられないと、フランス人あたりは感じるのだろうか。しかし僕の知るイタリア人は、そういえば平ヶ崎の「とんかつあづま」で、平気で味噌汁を飲んでいた。
カンボジアのトゥックトレイは、火を激しく使って調理すれば、元の強烈な匂いは霧消し、食欲をそそる料理が完成する。おなじくカンボジアのプラホックは、これと豚肉を混ぜ、バナナの葉に包んで炭火で炙ると、牛肉のしぐれ煮などは足元にも及ばないほど美味くなる。
「味噌汁は生臭くて飲めない」は本当なのだろうか。あるいはそれは、その味噌汁が不味かっただけのことではないのか。そういう外国人には「いちどウチに来てみたらどうかな、味噌汁はオレが作るから」と言ってみたい。
かねてより家内の煮てきた塩鮭の頭と炒り大豆を、今夕、長男が鬼おろしでおろした大根と人参に加え、初更より更に煮る。そうして栃木県の郷土食しもつかりが完成する。
瀧尾神社から派遣された若い宮司は、おととい11日に祝詞を上げに来てくれた。しかし旧暦の初午は今日だ。よって清酒に赤飯、そしてしもつかりを、これも神饌というのだろうか、お稲荷さんに上げる。
閉店直前、店の戸を開け放ち掃除をしていると、感じる気温は隨分と低い。真冬の5℃、6℃は大したこともないけれど、いったん暖かくなってから再び冷えると、おなじ温度でもたいそう寒く感じられるのだ。「暑さ寒さも彼岸まで」の、そのお彼岸は、1週間の後に迫っている。
稀代の、しかし知る人ぞ知る、あるいは決して人口に膾炙しないデータベースソフト"My Tool"が日光にも広がり始めた。それは地元からの「日光MG」への参加者が増えたこと、またその中に感度の高い人たちがいたからに他ならない。
この"My Tool"の勉強会を、このたび講師をお呼びして日光で開くことになった。企画と運営は長男で、僕は周辺の手伝いをするのみだ。遠方から参加の方もいらっしゃれば、打ち上げの席を用意した方が親切だ。
そして夜は家内と「ユタの店」へ出かけ、そのあたりにつき店の人に訊くと、当該の今月17日は生憎と休みに当たっていた。「なぜ勉強会の打ち上げがラーメン屋なのか」と問われれば、いろいろとワケがあるのだ。他を当たらなければならない。
1980年代から90年代にかけて、クレジットカードはアメリカンエクスプレスを使っていた。ゴールドカードの年会費は18,000円だった。貯まったポイントに応じて受け取れる品物は数々用意をされていたけれど、僕の興味を惹くものは皆無だった。カードに付帯するサービスも、僕の役に立つものは無かった。アフリカのどこかに寄付が送られる、というポイントの使い方が紹介されたのを機に、貯まったポイントはすべてそれに替え、退会をした。
そのころはまた、ある百貨店の人に頼まれ、その百貨店が提携する三井系のカードを作った。それを使えば三井系のホテルには驚くほど安く泊まれたけれど、銀行の再編だか合併が理由だったか、そのカードは数年で世から消えた。
amazonにポイントが貯まる、という年会費無料のカードを知って即、これに飛びついた。ところが1年が経つと、そのカードにも会費が発生する旨の案内が届いた。貯めたポイントをamazonで使うこともできなくなった。アメックスとおなじく持つ意味を失ったカードは、だからそれを限りとして解約をした。
以降は長く、楽天カードを使ってきた。ウェブ上での買い物以外にクレジットカードはほとんど用いない。そういう自分にはこれが最適と思われたことが、長期使用の理由である。
それはさておき今早朝に、隨分と親切な旅関係のウェブログを見つけた。数々の智恵の詰め込まれたそこに、旅先に持参すると便利なカードとして挙げられていたのが楽天プレミアムカードだ。
楽天プレミアムカードの年会費は10,800円。しかし必要にして十分な旅行保険が「利用付帯」ではなく「自動付帯」する。僕はこれまで海外へ出かけるたび、掛け金が14,000円を越える保険に入ってきた。だから年に1回でも海外へ行けば、年会費はそれだけでお釣りが来る。
思い立ったら行動は早い。楽天のサービスセンターに電話で疑問の点を質すなり、コンピュータに向かった。
「お申し込み受付のお知らせ」というメールは17時46分17秒に届いた。「カード切替手続き完了のお知らせ」というメールは17時47分55秒に届いた。審査に要した時間は僅々1分38秒。新しいカードは1週間で届くという。
2時台でも3時台でも、起床すれば間を置かず、花と水とお茶と線香を仏壇に上げる。冬などは特に、それはいまだ暗いうちにすることが多い。
友達が亡くなると、普段は2本の線香を3本にしたりする。いつかはチェンライの寺に線香ひと束を上げたことがあった。大きな線香立てが、僕の上げた線香で埋め尽くされて気分が良かった。昨年はおなじチェンライの、しかし山に分け入った無人寺で、やはり線香を上げた。このときは線香立ての灰が固まっていて線香がなかなか立たず、苦労をした。
僕の場合、線香は、亡くなった人に上げているのではない、免罪符を買うこととおなじく、自分のために上げているのだ、多分。
「ここから冬に逆戻りをすることは、もはやないのではないか」とこの日記に書いたのは5日前のことだ。そして今朝は、屋根に雪を載せた味噌蔵が、僕の目の前にある。
午前、瀧尾神社から依頼を受けた若い神主が、世話人のヤスダさんと共に来る。初午に先だって、お稲荷さんに祝詞を上げるためだ。旧暦の初午はあさっての日曜日だ。赤飯としもつかりは、ウチではその日の朝に上げることになると思う。
ハンドルに仕込まれたエアバッグが非常時に際して作動しない恐れがある、これについてはリコール扱いになるので連絡をして欲しい旨の手紙がホンダから届いたのは、今年に入って間もなくだったかも知れない。
繁忙だったわけではないけれど「そのうち」と一日延ばしにするうち2ヶ月ちかくが経ってしまった。そして先日、ようよう電話で予約を入れ、本日9時、森友地区のホンダにフィットを乗り入れる。
電話では「1時間ほど」と説明された修理に要する時間は、しかし今朝は「3、40分」と告げられた。そして出されたコーヒーを飲みつつ持ち込んだコンピュータできのうの日記を書く。
夜のおかずを水餃子にしてもらったことには訳がある。先月ジャルンクルン通りの古い食材屋でプリックナムプラーの小瓶2本を買った。そして帰国してそのうちの1本を製造部長のフクダナオブミさんに進呈した。シェムリアップ郊外の蔵で手に入れた、とんでもない匂いを発するトゥックトレイでさえ「馥郁と香って玄妙」と喜ぶ、彼は魚醤好きである。
フクダさんは翌朝、早速「きのう餃子に使ったらえらく美味かったですよ、唐辛子、生で入れちゃうんだわね、もっと大きいビン、無かったんかな」と激賞した。残念ながら大きなビンでは、それは売っていなかったのだ。
そうしていざ水餃子の鍋を前にして、そのプリックナムプラーの小瓶を卓上に置くと「これはナムプラーじゃなくて大豆醤油だよ」と、それを手に取りレッテルの文字を見た長男が言う。今や裸眼では小さな文字の読めない僕は「そうだったのか」と知ったたけれど、大した問題ではない。
その唐辛子醤油は塩分濃度の高い、切れ味の鋭いもので、なるほど美味かった。今秋、タイへ行ったら、今度こそは大きなビンのそれを見つけたい。そして更に言えば、料理屋の厨房に一升瓶を持ち込んで、その店のそれを分けてもらえれば最高である。
所用にて、今市14:26発のJR日光線に乗って15:01に宇都宮に着く。帰りは16:01発の下りを使おうと考えていたけれど、用事は案に相違してごく短い時間で終わった。よって宇都宮には僅々32分間の滞在にて、15:33発の下りに乗り、今市には定刻より3分遅れの16:10に着く。
JR日光線は単線のため、上りと下りの一方が遅れれば、もう一方もその影響を受ける。南の国の鉄道では、おなじ状況下で数時間の遅れを何度も経験している。3分などは、どうということもない。
ところでJR日光線の車両のドアは、むかしのパリの地下鉄とおなじく、乗客が自らの指により意思を示さないと開かない。それを知りつついちいち忘れ、今回も常に、痺れを切らせた後ろの人にボタンを押させてしまった。
JR今市の駅から会社へ戻る途中、降っているのが雨ではなくミゾレであることに気づく。そのミゾレはやがて雪に変わった。
先の日曜日の日記に「もう一度くらい雪の降ることを望んでいる自分がいる」と書いた。しかしてまた「もちろん家の近所に降っては迷惑だ」とも書いた。今日の雪は、その家の真上から降って、店の閉まるころには屋根を白く覆い始めた。
さて明日の朝はどうなるか。そして晩飯はしごく美味かった。
先日、新橋の中華料理屋で白酒を頼んだ。メニュには700円とあったので「どんなコップに注がれてくるのだろう」と待ち構えていたら、小さな猪口で出てきた。その値段と量では、おかわりはできない。
2杯目からはボトルにすべく、またまたメニュを見たら3,500円だった。こんな安酒が500ccのボトルで3,500円とは、ちと辛い。よって2杯目からはキンミヤの生に換えた。
そうして帰宅して、その「二鍋頭酒」を横浜の中華食材屋にインターネット経由で注文した。12本で8,688円だった。それが本日の午前に届いたので、裏玄関の奥の薄暗がりに置く。
中国からインドシナにかけてのメシ屋では、ウェイターやウェイトレスのいる水準のところであっても、自前の酒を勝手に持ち込むことができる。その気楽さには名状しがたいものがあって、旅の楽しさを何割も増してくれる。
ところでその新橋の中華料理屋の前日は、神田の「味坊」でやはり、おなじ酒を飲んでいた。「味坊」の値段であれば、僕は何の痛痒も感じない。
高い値段を付けて一発で荒利を稼ぐか、安くして再度の来店を促すか。酒代の掛け率については、料理屋も勝負どころだと思う。
しばらく社員に頼まれなかった早朝の仕事が、つい最近になって復活した。この仕事の頻度、そして始める時間は季節により異なる。早いときには4時台に製造現場に入る。しかし今は5時台で充分だ。
これまでとくらべて、朝は隨分を早くから明るくなるようになった。そして夕刻は隨分と遅くまで暗くならない。
雨の中、ホンダフィットは別の用事に使われているから三菱デリカで銀行を回る。真冬と同じく綿の入ったジャンパーを着ているけれど、これは雨を避けるためのもので、防寒によるものではない。
午後の遅い時間に瀧尾神社へ行き、宮司と責任役員とで話し合いの時間を持つ。それを終えて社務所の戸を開けると、外はいまだ昼のように明るかったから一瞬、戸惑いを覚える。多分、彼岸のちかいことに体が追いついていないのだ。
夜は時間をかけて、ノドグロの一夜干しを炙る。そして先ずはパリパリに焼けた頭にかぶりつく。そしてその骨や皮や肉と日本酒の、片方が口の中から消えると同時に、もう片方を口に入れ、それを幾度も繰り返す。
特急スペーシアの下り始発にはいまだ時間があったため、北千住の駅の中で喫茶店に入る。カウンターでコーヒーを受け取ったら、敢えて外の席に着く。それほど今朝は暖かい。ここから冬に逆戻りをすることは、もはやないのではないか。
しかし、そう予想をして雪かきの道具を仕舞ったとたん雪が降る、そのような皮肉も無いわけではないから油断はできない。
春の雪には何やら甘やかな匂いが感じられる。夕刻から夜にかけてのそれは殊に、だ。その雪が外を歩くうち服の皺や窪んだところに溜まり、街の灯りを受けてキラキラと輝く様はまこと、見ていてうっとりする。
いちばん好きな季節は夏だ。次に好きな季節は冬だ。その冬が行こうとしている。
もう一度くらい雪の降ることを望んでいる自分がいる。もちろん家の近所に降っては迷惑だ。出かけた先で、夕食を済ませて店を出ると、先ほどまでのみぞれが雪に変わっている、そんな状況に、春が来るまでに遭遇できれば最高である。
2003年の師走、同級生ハセガワヒデオ君が名古屋駅頭で斃れて帰らない人になったとき「一番良いヤツが一番先に死んだ」と僕への電話で絶句したサカイマサキ君が、亡くなった。大病から復活を果たす途上での死だった。
病を得てからもサカイ君はそれ以前と変わることなく会社を経営し、卒業した学校のために多くの時間を割き、知恵を絞り、行動した。我々同級生の中心として活躍し、またそれ以外のたくさんの人たちに気を配った。
サカイ君とのお別れは、できるだけ多くが集まれるお通夜の席と、ノリマツヒサト君により決められた。今夜、僕は会計係として町内の役員会に出ることになっていたけれど、その仕事は副会計のシバザキトシカズさんに代わってもらった。
東京の西郊にある斎場には16時40分に着いた。参列者にお手渡しする挨拶状は、サカイ君の奥さんとヤハタジュンイチ君の文章によるものだった。ノリマツ君の指示により僕は、献花を終えた参列者が出口で滞らないよう案内する係に就いた。他の同級生たちも、建物の外や内でそれぞれの配置に着いた。
19時00分、サカイ君のお通夜は無事に完了した。そしてウエキコータ君の用意した席に移動をし、サカイ君に多くを負っていた、そしてこれからも続けていかなくてはならないことにつき皆で話し合う。
商品の撮影に際しては、その当日に上がった品を、多くは自らの手でスタジオまで運び、できるかぎり現場に立ち会う。
当日に上がった品を用いるのは、商品を新鮮な状態で撮って欲しいからだ。撮影に立ち会うのは、カメラマンやコーディネーターにあれこれ指示をするためではない、意見を求められたとき、僕の知る過去の失敗例が、彼らへの助言として生きるからだ。
商品の撮影は、始まりの時間は決まっていても、終わる時間は読めない。本日も予定の倍以上の時間をかけて丁寧な仕事をしていただき、スタジオを出る。
そうしてJR神田の駅へ行くと、列車の運行状況を知らせる掲示板が激しく明滅している。どうやら京浜東北線と根岸線の一部が人身事故により不通になっているらしい。迂闊といえば迂闊だけれど、その人身事故は当の神田駅で発生していたことを、プラットフォームに上がって初めて知る。
京浜東北線を使わない僕に、痛痒はほとんどない。新宿へ回って用を足し、北千住でカウンター活動の後、早めに帰宅をする。
先月の7日、4階の食堂で昼食の用意をしているところに「駐車場の看板に大型バスが接触して壊してしまった」との電話が販売係のハセガワタツヤ君から入った。
あれこれ対策を考えつつエレベータで1階に降り、運転手さん、ガイドさん、添乗員さんと言葉を交わしてみれば、しかし心配は杞憂に過ぎず、後の面倒を予感させるようなことは皆無だっため、胸をなで下ろした経緯があった。
当日は日曜日で、僕はその晩のうちに羽田空港へ移動し、日が改まって直ぐの00:20にはタイ航空機でバンコクを目指す。そのようなことから、翌月曜日に採るべき対策については、家内に書き置きを残した。
それから3週間と少々を経たきのう、その看板を修復するための足場が整った。この仕事を頼んだイナバ塗装によれば傷は意外や深く、内部の鉄骨にまで及んでいることからの措置とのことだった。
これから3週間ほどの工期を経れば、看板はまた、元の姿を取り戻すだろう。春に向かって幸いなことだ。
ところで事故の翌早朝に使ったタイ航空のマイレージは、2013年の7月から貯め始めた。申し込みは、カトマンドゥ行きの便を待つあいだにスワンナプーム空港のwifiを使って行った。
持ち物は、たとえ紙の切れ端ひとつでも減らしたい自分の性格から、発行されたばかりのボーディングパスをすぐに捨てるなどして、得られたはずのマイルを失うことも何度かあった。それでも一般会員の持つ紫色のカードは届いても良いのではないか。
そう考えつつ入会から2年以上を経た昨秋、羽田空港でのチェックイン時に係に訊くと、有楽町にあるらしいタイ航空の電話番号を教えてくれた。よって帰国後に連絡をしてみれば、対応はしていないという。会員番号の記されたカードは仕方なく、ウェブ上からダウンロードして切り抜き、かみじょうカメラに頼んでパウチしてもらった。そして2月のタイ行きにはこの手製のカードを持参した。
本日、バンコクにあるタイ航空から封書が届いた。開けるとそこには「シルバー会員に格上げされた」旨の手紙にと共に銀色のカードが入っていた。より詳しく手紙を読めば、いくつかの特典が連ねてあり、そこには「通常より10キロまでなら荷物の重量超過を許容する」というものもあった。しかし僕のスーツケースはいつも、せいぜい8キロほどにしかならない。
いわゆる「ラウンジ」にも興味の無いところから、いくらマイレージ゙を積み重ねても、それほど多くの特典は、僕は使わないような気がしている。
長男の結婚式および日光と東京での披露宴、僕のタイ行き、高島屋東京店での出張販売、また厳冬期の仕込みが続くなどして、それらの直前つまり1月20日から21日にかけて行われた「日光MG」の打ち上げは後回しになっていた。それを本日の終業後、4階の応接間にてようやく催す。
相撲の三賞に倣って多いときは3名に与えられる表彰状だが、今回は2名に絞られた。
販売係のサイトーエリコさんは、第5期末自己資本371のA。戦略チップと在庫の次期繰越は双方ともにプラス。第2~5期までの決算速度は29名中のそれぞれ8、16、9、9位。売上金額の高い順に推移する卓の履歴はDDBC。累計の売上金額は2,466。この成績から敢闘賞を獲得した。
一方、包装係のヤマダカオリさんは、第5期末自己資本387のA。戦略チップと在庫の次期繰越は双方ともにプラス。第2~5期までの決算速度は29名中のそれぞれ3、3、3、1位。卓の履歴はACDC。累計の売上金額は2,380だった。
第5期の経営を終え、決算書の作成に取りかかって、これを誤りなく完成させた上、もっとも早く提出した者は「計数力1位」として会場にその名が示されるけれど、名誉と自己の満足だけで、西研究所のMGでは特に表彰はされない。
しかし 「計数力1位」は、僕にとっては非常に思い入れのあるもので、日光MGでは社長賞の対象になる。しかし社外から強者、手練れが続々と参加をしてくださるようになって以降、これを社員が獲ることは希になった。
今回は久しぶりの、社内からの「計数力1位」である。ヤマダさんの希望はワイン。よって僕のワイン蔵からは"Alain Brumont Madiran Chateau Montus 2003"と"Chablis 1er Cru Christian Moreau 2013"の2本を贈り、その栄誉を称えた。
次の日光MGは9月6日、7日の2日間。今から大いに楽しみである。
きのうの午後は恵比寿から日比谷線で日比谷まで出てあれやこれやし、おなじ日比谷から今度は千代田線に乗った。その車内で携帯電話の見あたらないことに気づいた。ちょうどさしかかりつつあった湯島でプラットフォームに降り、ベンチで念入りに調べても、携帯電話はどこにも無い。
取りあえずは駅の事務所を訪ね、ことの次第を駅員に告げる。駅員は即、どこかに電話をしつつ、僕にいくつかの質問をした。そしてそれらしいものが築地の駅に届いていることを教えてくれた。
当方が築地の駅まで行かなければならないことを駅員はしきりに詫びる。詫びる理由がどこにあるか。きびすを返して築地へ向かおうとする僕に、遺失物を受け取るには自動車運転免許証などの身分証明書が必要なことを駅員は口にした。
しかし僕は、そのようなものは持ち歩かない。築地には明日あらためて、免許証を持参の上で行くことを決めると、駅員はまたまた恐縮をして僕に詫びた。詫びる理由がどこにあるか。
そして今朝は下今市09:01発の上り特急スペーシアに乗り、日比谷線の築地には1時間56分の後に着いた。事務室で来意を告げると駅員はテキパキとした様子で、見慣れた"iPhone 5c"を保管庫から出してくれた。地下鉄の車両内でこれを拾ってくれた人、それを手渡されて即、安全な場所に運んでくれた恐らくは複数の駅員、またきのうの湯島の親切な駅員には、厚く御礼を申し上げたい。
午後は日暮里の古刹を訪ね、同級生ウエキコータ君の、むかし隨分と世話になったお母さんの告別式に臨む。