朝5時に起きて、しかし事務室へは降りず、居間にてきのうの日記を作成する。昨夕に印刷し綴じておいた紙の本酒会報を、三つ折りにして封筒へ詰める。空の色が時間を追って、藍色から群青、群青から濃いめの青へと変わっていく。山は晴れた。風が強い。
湯島丸赤の極辛塩鮭の皮を乗せた炊きたての飯を2杯、食べる。汁より具の多いけんちん汁も、おかずにする。
午前中、ちかく品川の原美術館で開かれる、「アートスコープの12年 アーティスト・イン・レジデンスを読み解く」 展の案内が届く。
DCFJ(Daimler Chrysler foundation Japan)は1991年から毎年ひとりずつ、計12人の日本人を、フランス南西部にある小さな町モンフランカンに派遣し、現地での創作活動を支援するプログラム 「アーティスト・イン・レジデンス」 を続けてきた。今回の展覧会は、その軌跡を検証し、今後を展望する催しらしい。
同封された紙には、「アーティストを囲んでのレセプションに出席するなら、ファクシミリで申込書を送付せよ」 との一節もある。どうしてこのような案内が届いたのかと説明書をよく読めば、僕が3年ほども前にその作品を買い求めた柏木弘が、その12人に含まれているためと知る。
耳の穴に100円玉を入れたオッサンと一緒にモツ焼を食うのは得意だが、芸術家と美術評論家と実業家とに混じってシャンパンを飲むのは、あまり得意ではない。だから、会期中にこっそりと品川へ足を運ぶことはあるかも知れないが、レセプションに出席することは、ないだろう。
「それにしても柏木弘も、『ほどのよい無名』 じゃぁ、なくなってきちゃったなぁ」 と、考える。
午後、ひさかたぶりに、隠居の庭へ行ってみる。藤棚から、ナタマメのようなさやがぶら下がっている。フジという植物は、ある時期、このようなものを枝から垂らすことがあるのだろうか、あるいは、他の植物が藤棚に寄生しているのだろうか。僕はいろいろなことに詳しくないが、ことに植物のことは、何も知らない。
今朝からの強風によるものだろうか、モモの木が中程からふたつに割れて、葉の多い一方が地面に倒れ落ちている。「これは、植木屋が来ても、再生不能だろうなぁ」 と、ボンヤリとそれを見ながら思う。
その強風が収まらないままに、山が暮れていく。
9月の初めに行った血液検査の結果について、医師からは、「まだまだ、悪いコレステロールが多いですねぇ」 と、注意を受けた。「夏の1ヶ月間には、癒しのキムチから取り寄せたものも含めて、3回は焼肉を食ったな、それも影響しているのだろうか?」 と、医師の手前、口には出さずに考えた。
しかしながら、9月に入ってからは、1度も焼き肉は食べていない。それを言い訳として、家内と次男との3人で、「大昌園」 へ出かける。
レヴァ刺し、タン塩、カルビ、コブクロ、ミノ、オイキムチ、ハクサイキムチ、モヤシナムルなどで、焼酎 「田苑」 のオンザロックスを飲む。テグタンラーメンにて締める。
外気が、急に冷たくなったように感じられる。帰宅して入浴し、9時に就寝する。
夜11時30分に目覚めて、手洗いに立つ。次は2時30分に目覚めて、やはり手洗いに立つ。先日 "amazon" から届いた本は枕元に積み重ねてあるが、その中のどれも、今は僕の欲を刺激しない。先日、床に大量に散らばった本の整理をしていて見つけた、自由学園最高学部の生徒が発行する 「自由人」 の、1985年の春号と夏号を読む。
当時の 「自由人」 はいまだ表紙が目次を兼ねていたが、考えてみればこのデザインは、現在のウェブペイジにも通じる先進的なものだ。
モンブランに続いてマッターホルンに登頂した後、ソルヴェイ小屋から3時間下った岩陰でビバークをした、ミカミマサヒロという生徒の文章が興味深い。イワサフミオという生徒のインド旅行記は原稿用紙にして56枚もの力作だが、この旅が終えようとするとき、この書き手の胸にわき上がる感謝の念については、かつて同じ方面に遊んだ僕には、よく理解できるものだ。
5時30分に、この6時間で3度目の手洗いを済ませて起床する。昨夜は断酒をしたために、酒を飲み過ぎたときに生じる脱水症状とは逆の、水分過多ともいえる症状が出たのだろうか。
事務室へ降りて、いつものよしなしごとをする。7時に居間へ戻れば、夏のような雲が山を隠している。朝飯は、3種のおにぎりとけんちん汁。
午前中、甘木庵の鍵とお土産を持って、イチモトケンイチ本酒会長が現れる。僕と別れ、甘木庵でくつろいだ後にタクシーで乗りつけた浅草場外馬券場での成績は、思わしいものではなかったという。
「あそこで、博打で身を持ち崩した人間に混じって馬券を買ってると、『仕事しよう!』 という責任感や義務感が湧いてくるよ」 という会長の言葉には、いつわりのない実感がある。しかし、「欲望を上手く調整して、だから、身を持ち崩すことのない自分は卑怯だ」 とは、思わないのだろうか?
山で死んでいった多くの登山家も、自分の欲望を調整できなかった人間の、ひとつの典型だ。世の中には分野を越えて、こういうたぐいの人間が多く存在する。そして、そういう人間の生き方を映画やテレビや本で擬似体験することによって、更に多くの人たちは、なにがしかの満足を得ている。
昨夜に続き、ヨーグルトとナシを摂取して、今月8度目の断酒を達成する。
入浴して、階段室の床にいまだ散らばる本の中から
気がつくと布団をかぶって素っ裸で寝ている。昨夜、入浴はしなかったらしい。涼しさが心地良い。ダイニングキッチンへ出て時計を見れば、4時30分だった。洗面をしてコンピュータを起動し、冷たいお茶を飲む。
ウェブショップにおいて、自分のメイルアドレスを間違えて入力される方が時によっては2割にも達するため、同じメイルアドレスを2度入力しないと、その先へ進めないようシステムを改めた。ところが、この新しい方式においても、間違えた同じメイルアドレスを2度入力すれば、システムはそれを受け入れてしまう。
今朝もそういう顧客がひとりいらっしゃるため、本日の受注を受け持つタカハシアツコさんに向けて、この顧客については、詳細を電話でお知らせするよう、ウェブショップ専用に設けたpatioへアップする。
僕は、自分のメイルアドレスについては、いちいちキーを叩くのも面倒なため、辞書登録をしている。
きのうの日記を作成するうち、別室で寝ていたイチモトケンイチ本酒会長が起きてくる。そして、昨夕、月島のコンビニエンスストアで買い求めた 「1馬」 を広げ、紅いフェルトペンを持って、競馬の予想に入る。僕はシャワーを浴びる。
会長によれば、昨夜、本郷三丁目まで乗るはずの大江戸線を、ひと駅手前の上野御徒町にて 「ここで降ります!」 と立ち上がったのは、僕だったという。会長に起こされて下車を促されたとは、酔っぱらいの思いこみらしい。
7時になって、コバヤシハルオ会員も起きてくる。僕は根津の 「鷹匠」 へ行きたいところだが、イチモト会長の 「近場で済ませたい」 との要望を容れ、本郷三丁目方面へ歩く。
どこまでも会長の意見にうなずいていると、朝飯は必ず、マクドナルドになる。それをどうにか覆して、昔でいえば真砂町にちかい、丼とうどんの 「なか卯」 へ入る。
「コバヤシさん、きのうあんだけ飲みながら、なおここでビール頼んだら偉いですよ」 と冗談を言ったところ、彼は素直にビールを注文した。内装から箸置きに至るまで 「吉野家」 よりもすこし高級に差別化を図ったこの店にて、僕は牛丼の並盛りと生卵と味噌汁の朝食をとる。
店の前の春日通りでタクシーを拾う。本富士警察の先でイチモト会長とコバヤシ会員のみが降り、甘木庵へ向かう。僕はそのまま上野広小路まで進み、地下鉄銀座線に乗る。浅草発9:00発の下り特急スペーシアにて、11時前に帰社する。
事務室、店舗、包装部門、製造部門と回って1日が終わる。
今月は、今日も含めた3日間に、2度の断酒をしなくてはいけない。家内と次男がカレイの煮付けなどで食事をするかたわらにて、ヨーグルトとナシを摂取する。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
朝3時から5時30分まで、「将棋の子」 を読む。起床して窓のカーテンを開けば、きのうまで数日のあいだ続いた雨は上がり、空は晴れている。それを確かめた後に事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。
ピーマンの油炒め、揚げ餃子、厚焼き玉子、筑前煮を、次男の運動会の弁当からつまみ出して皿へ載せる。そのほか、納豆、メシ、ダイコンの葉の味噌汁にて、朝飯とする。
次男はカレーパンと冷たいココアを朝飯にしている。家内はミルクティーを飲んでいる。「みんな、こんなに美味めぇ味噌汁を、どうして食わねぇんだ?」 と、思う。
焼きそばを焼く係の家内をクルマで小学校へ送ると共に、弁当や机や椅子を校庭へ運ぶ。帰社して、プログラムを見ながら、次男の出番が来そうになると、自転車で小学校へかけつける。「かけつける」 とはいえ、小学校は会社や自宅と同じ町内にあるため、どうということもない。
11時30分に家内から電話があり、既にして昼食の時間だと言う。雲で太陽が遮られると、思わずホッとするような強い日差しの中を、ふたたび学校へ走り、サクラの木陰で弁当を食べる。
12時30分に帰社して、1時30分にまた、障害物競走に出る次男を見に行く。次男はピンポン玉を運ぶ道具として、強く念じていたお椀を引き当て、だからシャベルなどでこれを運ぶ同級生を追い抜いて、5着を獲得する。
3時すぎに机や椅子をクルマで引き取りに行き、それらを片づけてから、下今市駅へ行く。今夕には、本酒会の東京ツアーがある。コバヤシハルオ会員から、集合にすこし遅れる旨の電話がある。
やがて現れたコバヤシ会員の電話に、「今日は行けねぇ!」 という、イチモトケンイチ会長からの連絡が入る。上り特急スペーシアの発車まであと8分というのに、いまだ3キロも離れたところをクルマで移動中だという。コバヤシ会員は平静を装って、「大丈夫ですよ、イチモトさん」 と、返事をする。
イチモトケンイチ本酒会長が下今市駅へ達したのは、発車の2分前だった。何かの事情から大慌てで家を出てきた彼は、競輪場ちかくのもっきり酒場で見かけそうなサンダル履きの格好だ。この姿で月島まで行こうというのだから、頭が下がる。
「味泉」 は、今日も満員だった。「菊姫の樽酒」 を注文する。それを口に含む。舌の両側に涼しい辛みが、そして舌の上にポッテリとした甘みが広がる。「うめぇなぁ」 と、思う。突き出しのサトイモと油揚げの炊き物も美味い。
冷やしトマト、厚焼き玉子、アナゴ刺身、アナゴ天ぷら、シメサバ、ウニ、岩牡蠣、焼きナス、野菜のグラタンなどを、矢継ぎ早に注文する。最初に大量の注文をしておかないと、それがいつ席に届くやも知れない調理速度の低さは、この店に唯一の欠点だ。
コバヤシハルオ会員は 「開春亀五郎」 に続いて、「豊盃生しぼり生原酒」 へと進んだ。僕は 「刈穂陸羽132号」 を注文する。これも悪くない。
届く料理のすべてが美味い。当方は巧言を尽くす食べ物の評論家ではない。「うめぇなぁ」 「うめぇなぁ」 と、そればかりを発しつつ酒を飲み、肴を食べる。刺身のつまも美味い。神は細部に宿る。
凍ったままで届く赤ホヤの塩辛にスダチを搾る。氷の溶けた汁さえ美味い。クジラベーコンは充分に咀嚼し、その脂を口の中一杯に行き渡らせる。それを刈穂で洗い流して、また次の一片へ箸を伸ばす。
イチモト会長は、普段でも1ヶ月に1度、本酒会の日にしか飲酒は為さない。今日も 「黒龍」 を注文し、それをグラスの縁から1センチほど飲んだところで、隣席の若い人に上げてしまった。もっとも、こういう下戸に近い人ほど、酒の味にはうるさい。
豊盃の濁り酒 「雪燈籠」 は喜久水酒造の 「一時」 と同じく激しく発泡するため、丸ごとの4合ビンで席に届く。これを店の女の人が慎重に抜栓する。「うめぇなぁ」 と、馬鹿のひとつ覚えのように繰り返す。
時計を持っていないため、何時に飲食を終えたのかは知らない。いくらの支払いだったのかも、覚えてはいない。イチモトケンイチ会長に起こされて大江戸線を降りる。地上へ出てみれば、見知らない街と通りがある。振り向くと、はるか遠くに御徒町駅のガードらしいものが見える。
「あっ、ひとつ手前で降りちゃったか、タクシー、乗りましょう」 と、タクシーを拾う。
「本富士警察の手前を右折してください」 「東大に入る感じですか?」 「そうです」 という運転手とのやりとりがあって以降の記憶は、ほとんど無い。
暗い中で目覚める。前夜に飲酒を為せば、子供のころのような爽やかな寝覚めは無い。しばらくじっとして、ある程度の気力が満ちるのを待つ。おもむろに枕頭の明かりを点け、「将棋の子」 を読む。
布団が、かすかに横揺れをしているような気がする。居間へ行ってテレビのスイッチを入れると、ニュース速報が北海道の大きな地震を報せている。ベッドへ戻って床に伏せた本を取り上げ、5時30分までそれを読む。
事務室へ降りて、ウェブショップの受注を確認する。
虫が穴から這い出す啓蟄のように、人間にも、本能に突き動かされるようにして街へ繰り出す 「ある春の1日」 がある。この 「春の1日」 が今年はいつになるのか? ということを予想することはできない。しかしその日は毎年、確実に訪れる。
ウェブショップの注文も、ある日、何日分もの注文が殺到し、それからしばらくは、またいつもの状態に戻るということが繰り返される。この 「ある日」 についても、予測をすることはできない。
遊びにおいても買物においても、人々が 「ある1日」 に殺到するとき、それは、説明のつかない本能の衝動よるものなのではないか? という気がしてならない。
7時に居間へ戻る。
子供のころの1番の楽しみは、当時の事務係コイズミヨシオさんの家へ泊まりに行くことだった。コイズミさんの家には、僕よりもそれぞれ2歳と4歳と6歳年長の、男の子供がいた。コイズミさんの家という異文化に触れることが、僕には楽しくてしかたがなかった。また、この家の5人家族に混じって食べるメシが、それはそれは美味かった。
小学生と中学生の子供の食欲に対応するため、コイズミ家の朝の納豆は、ラーメンの丼で大量にかき混ぜられた。これを大きなスプーンで、各自が自分のメシの上にかけて、何ごとかを賑やかに話しながら食べるのも、僕にとってはわくわくする体験だった。
納豆の他には、魚肉ソーセージと平たい卵焼きの添えられることが多かった。味噌汁の具がやけに美味いので訊ねれば 「菜っぱ」 いう返事があり、僕は 「菜っぱ」 という種類の野菜があるものと勘違いをした。米の飯は薪の火で炊かれた柔らかめのもので、これも美味かった。
今朝のメシは家内に頼んで、それと同じものを作ってもらった。「菜っぱ」 が何だったのかは40年後の今日も不明のことにて、きのうサイトウトシコさんにもらったダイコンの葉を味噌汁の具とする。これを食べて分かったのは、40年前の味は、もう決して戻ることはないという、しごく当たり前のことだった。それでもまぁ、この朝飯は悪くない。
魚肉ソーセージを口へ入れた次男が、「オエッ」 という声を発して、それを吐きそうになる。次男は未開人と同じく、食べられるものの範囲が狭い。
夜7時30分より 「本酒会」 の例会のため、「レストランコスモス」 へ行く。
サイトウマサキ会員が、「ダメだ、この酒、捨ててくれ」 と、自分の杯を人に渡す。その、 「ダメだ」 と言われたお酒を、シミズキミト会員は 「あ、これいいな、オレ、気に入った」 と、手元に引き寄せてレッテルに見入る。味の好みは、人それぞれに存在するからこそ面白い。
全員が8本のお酒を飲み終えたところで、即、採点表を回す。一巡したそれを折り畳んで "ISUKA" の袋へ入れ、皆に先駆けて帰宅する。
入浴して本は読まず、10時に就寝する。
夜中に目を覚ましたが何もせず二度寝に入る。5時前から 「将棋の子」 を読み、5時30分に起床する。
事務室へ降りて、きのう、お客様からのレシピを元に作ったタコのニンニクバター炒めの画像を使い、「たまり漬を使ったメニュ」 を更新する。
朝飯は、ハクサイキムチ、塩鮭、油揚げとコマツナの炊き物、サケの中骨とピーマンのマヨネーズ和え、納豆、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。
午後、家内が自由学園の寮で暮らす長男に、冬の制服を送ると言う。同じ送料なら何か本を入れてやろうと、4階の階段室へ行く。あれこれ探して、ずいぶんと以前に読んだ2冊を選び出す。
ハッカーとは、コンピュータの操作がメシより好きなプログラマーや設計者のことだ。
「ハッカー」 という名称は、社会のはみだし者でもなければ、非標準的プログラムを書く人のことでもない。実は冒険家、空想家、大胆な行動家、芸術家であり、コンピュータがなぜ革命的な道具なのかを一番はっきり知っているのがハッカーだった。
彼らは皆、ハッカー的思考様式である深い集中状態に没入することで、どれほどの可能性が拓けるのかを知っていた。
ぼくは、なぜ真のハッカーがその名称を蔑称ではなく名誉の称号と考えるのか、わかるようになった。
ハーバード・ビジネススクールは湾岸戦争に何を見たのか!!
55万余の将兵と700万トンの物資をアラブの砂漠に配備した史上最大のロジティクス・システム!
その全貌を作戦司令官パゴニス中尉自らがドキュメンタリータッチで詳細に語る。
双方とも翻訳物のハードカヴァーによくある分厚さだが、「面白く、すぐに読み終えます」 と、メモに書く。勝手に送りつけておいて何だが、「貴重品ですので、なくさないでください」 と、付け加える。もっとも、この2冊は幸いなことに版を重ねて、いまだ絶版にはなっていない。
どこかの港から、サンマが届く。家内がそれを、オフクロやおばあちゃんや、長男が小さいときから子供の世話をしてくれているサイトウトシコさんに分ける。オフクロの持つ皿の上のサンマは、すんなりとしてとても綺麗だ。今日の断酒は、このサンマの到着によって、後日に延期となった。
サンマの酢じめにて、「〆張鶴しぼりたて生原酒」 を飲む。茄子の塩水漬けは大きくプリプリとして黒光りし、まるで栄養の行き届いた甲虫の背中を見るようだ。
ダイコンとニンジンと豚肉の炊き物、サンマの塩焼き、湯豆腐にて、〆張鶴を更に飲む。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
夜中に目を覚まし、しばらくのあいだ、じっとしている。二度寝に入り、5時30分に起床する。
事務室へ降りてメイラーを回せば、いつもにくらべて何倍かの注文が、ウェブショップに届いている。それらを一巡し、2時間後に受注作業をするコマバカナエさんへ、2、3のメモを残す。
"amazon" にて、宮脇修著 「愛国少年漂流記」 を検索すると、本来の価格1,500円と並んで、大阪の天牛書店から、この古本が880円で出品されている。送料を入れても、こちらの方が安いだろう。迷わずその横にある注文ボタンをクリックする。
オフクロは古本を、「どのような人間が読んだかも知れず、気味が悪い」 と嫌うが、僕は中身が同じなら、常に安い方を選ぶ。
例えばワインにおいても、エティケットと呼ばれるラべルが汚れたり破れたりしているために、完璧なそれを持つ同じものよりも安い値の付いた出物が、しばしばある。このようなとき、自家消費にもかかわらず、外観の綺麗な、だから高い方を買う人の神経が、僕には理解できない。
「それにしても、天牛書店か」 と、懐かしさを覚える。僕が大阪天神橋のこの店で本田靖春の 「警察(サツ)回り」 を買ったのは、1986年1月のことだった。「あんときゃ大阪で、いろんなものを食ったなぁ」 と、17年前の正月を思い出す。
7時に居間へ戻る。朝飯は、油揚げとコマツナの炊き物、カボチャと鶏挽肉のあんかけ、ハクサイキムチ、ホウレンソウのおひたし、納豆、メシ、シジミと長ネギの味噌汁。
午前中の早い時間、今週末にある運動会の振り替え休日にて家にいた次男と、松原公園へ行く。長男が小学校の高学年で乗った自転車を、いまだ2年生の次男が乗れるよう改造したものを、三菱シャリオから引っ張り出す。
ヘルメットをかぶり、ヒジ当て、膝当てをした次男は何度も転びながら、大きな自転車に慣れていく。考えてみればむかしは多く、自分の体に合わない大きな自転車で、これに乗る練習をしたものだ。僕も、事務係のコイズミヨシオさんの家の少年用自転車を、練習でほとんどボロボロにしてしまったことを思い出す。
昼前から雨が降り出す。そのまま夕刻まで、静かな1日が続く。何ごともない静かさは大切だが、お客様が少ないという静かさは困る。
彼岸を過ぎれば、すこし前に過ぎていった夏の日々とは比較にならいくらい、日は短くなる。照明ばかりが目立つ犬走りに立って、その暗さを確かめる。
"Bourgogne Blanc Domaine Leflaive 1998" を抜栓する。トマトとミズナのサラダ、ナスとトマトのグラタン、タコのニンニクバター炒め、鶏肉のオリーヴオイル焼きバルサミコソース、「進々堂」 のコンコンブルにて、この上出来の白ワインを飲む。
タコのニンニクバター炒めは、今朝、お客様がウェブショップの 「たまり漬を使ったメニュ」 へ投稿してくださったレシピによるものだ。「こういう肴を出してくれる飲み屋があったら、通うんだけどな」 と、家内に言う。
入浴して、牛乳を200CCほども飲む。本は読まず、9時に就寝する。
夜中に1時間30分ほど 「将棋の子」 を読んでいたこともあって、いつもよりも遅い6時に起床する。
洗面所の窓を開ければ、空はおおむね晴れて、ほんの少しの雲に覆われた日光の山は、木の1本1本が粒のように浮き立って緑色を帯びている。事務室にて、短いよしなしごとをする。
朝飯は、ハクサイキムチ、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、納豆、メシ、ダイコンの葉の味噌汁、塩鮭。
イチモトケンイチ本酒会長に、きのう 「味泉」 の席が取れたことを電話にて知らせる。同時に、次男が乗れるよう、長男が使った古い自転車を整備して欲しいと伝える。
11時前に次男とふたりで市本サイクルへ行き、長男の自転車に次男をまたがらせて、フォークや前輪など、交換すべき部品を決める。目と鼻の先にある松原公園へ行き、ドッヂボール投げをする。帰って昼飯のカレーライスを食べる。カレーライスを食べながら、今夜のメシのおかずを白片肉と決める。
終業後、何年か前に相互リンクをした、デザイン良し内容良しのペイジ 「酔わせて下町」 を、久しぶりに訪ねる。あちらこちらを眺めつつリンクペイジへ進めば、「清閑PERSONAL」 の紹介文がすこし変わり、「紹介する居酒屋は数こそ少ないけど厳選、こうでなくてはいけません」 との一節が、加えられている。
「厳選、厳選、厳選」 と、その言葉を反芻する。
たとえば僕が、上野広小路から湯島にかけての地域で飲酒を為すとする。ちょっと良さそうな店を開拓して飲んでみる。そして、「やっぱりシンスケにしときゃ良かったな」 という感想を持つ。これを何回か繰り返せば、行く店は自ずと限られてくる。
「シンスケか、いま行けば、シメサバだな。その後に煮奴鍋。ギンナンの素揚げでひと休みして、土瓶蒸し・・・いや、土瓶蒸しは贅沢だ。だったらどうしよう?」
と、意識は即、天神下の暗がりへと飛んでいく。
晩飯は、春雨とミズナとキュウリとモヤシのサラダ、カボチャとサツマイモのサラダ、そして、昼に決めた白片肉。カボチャもサツマイモも得意ではないが、ドレッシングにヨーグルトを用いた今夜のひと皿は美味い。
泡盛 「琉球」 が底をついたため、先日、沖縄へ行ったサイトウトシコさんのお土産にして、池袋の沖縄料理屋と同じ名を持つ瑞泉酒造の泡盛 「十年熟成古酒おもろ」 を開栓する。
素朴な土の器にこれを注いで飲んでみれば、43度という強さにて、何年も前に那覇で琉球の古舞踊を観ながら愉しんだ、やはり長く寝かせた酒を思い出す。
入浴して、牛乳を300CCほども飲む。本は読まず、9時に就寝する。
夜中に起きて 「将棋の子」 を読み、二度寝をして5時に起床する。
事務室へ降りて、CDプレイヤーに
8月の 「らっきょう値上げ前の特需」 を過ぎて以降、調整を続けている静かなウェブショップの受注を確認する。資料請求のメイルを下さった顧客に確認書を送付し、きのうの日記を作成する。
朝飯は、塩鮭、サツマイモの天ぷら、ホウレンソウの辛子和え、ソーセージとピーマンの油炒め、納豆、メシ、アサリと万能ネギの味噌汁。
つい数日前までクーラーを使っていたにもかかわらず、気がつけば暖房のスイッチに指が伸びている。考えてみればこれは、僕がこの季節が巡ってくるたびに繰り返している行為だ。つまり今朝は、きのうから急転して気温が低い。
八丈島のあたりを台風が北上中だという。普通、台風は暖かい空気を連れてくるものなのではないか? 外へ出てみれば北からの風が強く、雨まで降っている。ちかくの交差点まで、登校する7歳の次男を送る。
天候は昼から回復して、青い空と白い雲が、空一面に広がった。
午後おそく、月島の 「味泉」 に、今週土曜日の予約を入れる。電話に出たのは、野球評論家の玉木正之に似たオヤジだろう。このオヤジが滅法、感じが良い。飲んでも飲まなくてもだらしのない僕とは異なり、イチモトケンイチ本酒会長とコバヤシハルオ会員は、昨年8月、店を出る我々に、厨房から深々と頭を下げるこのオヤジの姿を目撃している。
「味泉に行ったら、先ずは赤ホヤの塩辛とクジラベーコンだな。これは誰にもやらねぇぞ」 と、心に決める。
燈刻、豚の薄切り肉とホタテ貝、ニラネギとうどんが、食卓に運ばれる。それを、ハクサイキムチ、モヤシ、エノキダケ、厚揚げ豆腐があらかじめ調理された鍋に投入する。
ハワイのセシリオ&カポーノが歌った "We're all alone" の歌詞 "Close the window calm the light And it will be alright" を、同級生のコバヤシヒロシ君は、「窓を閉めて灯りを落とせば、すべてはOKさ」 と、訳した。今夜の僕は、キムチ鍋が煮えてそこに泡盛があれば、すべてはOKだ。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
5時30分に起床して、事務室へ降りる。
よしなしごとのついでに、あるクルマについて知ろうと、検索エンジンを回す。予期せず、"auto ASCII" というペイジに、「フランクフルトショー2003速報 名車ふたたび、ランチアフルビア」 という一節を見つける。早速にリンクを辿れば、
「オールドファンには懐かしい名称の復活」
「ランチアのワークスマシンとしてラリーを戦ったコンパクトクーペの復活」
「スポーツカー古来の操作感を表現するために、ABS以外の電子制御アシストは装備せず」
などの、心躍る惹句が並んでいる。小さな画像をクリックして拡大する。「これが、クルマってもんだよ」 と、思う。「右ハンドルが出たら、買ってもいいな」 と、思う。「だけど、金がねぇんだよな」 とも、思う。
もっとも、搭載される1.8リットル直4DOHCエンジンはランチア独自のものではないから、「買ってもいいな」 というのは、ただの戯れ言だ。フィアットやフェラーリのエンジンを積んだランチアは、ランチアという名のフェイクに過ぎない。
それにしてもこのマシン、そのベイスとなった "Lancia Rallye" をデザインの点ではほとんど忠実になぞって、強烈に1960年代の香りを放っている。「エンジンまで含めて、ランチアの設計を復活させてくれればなぁ」 と、思う。
朝飯は、ピーマンの油炒め、納豆、ナスの炒りつけ、メシ、ダイコンと万能ネギの味噌汁、筑前煮。そして夜は、ジャージー乳業のヨーグルトとナシとブドウを摂取する。
入浴して 「将棋の子」 を読み、9時30分に就寝する。
深更1時30分に目を覚ます。廊下の長椅子には、"amazon" から届いたばかりの本が何冊かあるが、つい無精をして手近の雑誌に手を出し、これを数時間、読む。
二度寝に入って5時30分に起床する。事務室へ降りて、いつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、ホウレンソウの油炒め、イワシの生姜煮、納豆、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁、筑前煮。
「自由学園80周年記念寄付のためのコンサート」 へ行くため、家内と、11:36発の上り特急スペーシアに乗る。車内にて、新しい仕事についてのスケッチを描く。竹の塚の手前まで来たところで、列車が急停車する。アナウンスが、大きな地震のあったことを伝える。
すこし前の週刊朝日に、今週の関東地方における大きな地震を予言した、あるアマテュアの記事が載っていた。今日の地震でそのアマテュアは自説を裏付け、そして権威は、「いまの日本では、どこに大きな地震があっても不思議ではない」 と、そのアマテュアの仕事を無視しようとするだろう。
北千住から池袋を経由して練馬に至る。列車の遅れに家内は遅刻を懸念したが、駅からの立体歩道が完成していたため、開演5分前に、練馬文化会館へ滑り込む。
当初は出足が鈍く心配されたこのコンサートだが、1階席に着いて周囲を見回してみれば、ほぼ99パーセントの入りに安心をする。羽田健太郎のステイジは顧客満足度に優れた、良いものだった。
池袋、上野と辿って、5時10分に浅草へ至る。19:00発の、下り特急スペーシアの切符を買う。
新仲店から仲店と歩き、路地に入って "Au vieux Paris" の扉の前に立つ。暗い店内に声をかけると、サッカーのヴィデオを見ていたフランス人の店主が、「開店5分前だけど、雨、降ってるし、どうぞ」 と、請じ入れられる。
スモークを利かせた野菜やクリなどのテリーヌにて、グラスのシャンパンを飲む。温かいヤギのチーズのサラダからは、飲み物をカラフの白ワインに替える。サーモンとズワイガニのサラダも注文する。
家内の前に運ばれた牛頬肉の煮込みは美味いけれど、付け合わせのポテトグラタンの量が、ほとんど独立したひと皿ほどもある。そのため、この半分ほどを手伝って食べる。僕は別途、ローストポークのマスタードソースを頼んでいたが、これも大変な大盛りにて、遂に半分ほどを残してしまう。
この店のメイン料理は、ふたりでひと品を取るのがちょうど良いかも知れない。
9時前に帰宅し、入浴して、
0時30分に目覚めて、「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」 を読む。1時30分に、この本を読み終える。二度寝に入り、5時30分に起床する。
事務室へ降りて、いつものよしなしごとを7時までする。
朝飯は、キュウリのぬか漬け、イワシの生姜煮、納豆、ホウレンソウのゴマ和え、メシ、ダイコンと万能ネギの味噌汁。
数日前に、販売係のオオシマヒサコさんから、「お店の前に、花が欲しいね」 と、言われていたことを思い出す。午後、大昔にウチで製造と配送の仕事をしていた、ユミテマサミさんの農園を訪ねる。
「店の前に置きたいんだけど、保ちの良い花、あるかな?」
「だったらベゴニアかな。ベゴニアったって、これは並のベゴニアとは違うよ」
「じゃぁ、それにすっか。色は赤一色かな」
「いやぁ、何たって黄色せぇ。それから、このオレンジは曇りの日にも映えるよ」
ユミテマサミさんが広大なガラス小屋の中で指し示したそれは、オレンジと呼ばれながらも朱色の、大げさに言えば蛍光色を帯びて、周囲から浮き立って見えた。
鉢の形状、大きさ、色などについても希望を述べると、早くも2時間後には届けてくれると言う。店舗の犬走りにある柱の数に合わせて、6鉢を注文する。
ユミテマサミさんが尻のポケットから種の袋を取り出して、僕に示す。
「これ、食べられるホオズキなんだけどせぇ、この裏っかわ、訳してくんねぇかな? 専門用語ばっかりで」
「専門用語なら、そっちが専門でしょう?」
「いや、それが分かんねぇんだよ」
縁側の外の鋳物のテイブルで冷たいお茶をご馳走になり、ホンダフィットに乗って、今ではすっかり住宅に取り囲まれた農園を後にする。
赤と黄色のベゴニアは、約束通り夕刻に届けられた。そしてそれらは、予想よりもはるかに高級そうな鉢に植えられていた。早速にこれを、6本の柱の前に置く。その瞬間から、店の印象が明るくなる。
「花ってのは、大したもんだなぁ」 ということに、生まれて47年も経って、ようやく気づく。
僕も約束通り、"CAPE GOOSEBERRY" という名の、食べられるホオズキの育て方を訳して、ユミテマサミさんの家にファクシミリで送信する。種は英国のもので、価格は1ポンド29ペンスだった。
燈刻、ちょっとした集まりのため、「市之蔵」 へ行く。
焼酎 「いいちこ」 をオンザロックスにし、並べられているあれこれから、脂分の少なそうなものを選って自分の前に置く。サトイモのアボカドまぶし、カツオのたたき、イワシのフライ、そして、きのうに続いて納豆の油揚げ包み焼きを食べ、今夜の飲酒を締める。
8時前に帰宅し、入浴して、8時30分に就寝する。
2時30分に目覚めて、「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」 を、読み始める。
ヘレン・ケラーという奇蹟の人は、サリバンとヘレン・ケラーというふたりの天才の、希有な邂逅が作り上げたものに他ならない。この偶然と偶然の重なり合いを書いた本が、だから一般の人間にとってはまったく意味を為さないものかといえば、そのようなことはない。
それまで、盲人や聾唖者に対して常識とされていた教育法とは離反することとなっても、みずからの信じるところに従って小さな教え子に向かっていった、サリバンの深い思想性と強い意志に接すれば、思わず心は静かになる。
あるいは、ほとんど6歳まで本能のおもむくままに成長してきたヘレンが、サリバンと出会ってわずか1年の後には、いわゆる健常者をはるかに超える学力を有してしまう、その知性や素直さにも、驚きを隠すことはできない。
およそ70分ほどをこの本を読むことに費やし、二度寝に入る。5時45分に起床し、事務室へ降りる。今日も空は晴れている。ウェブショップ の受注を確認し、きのうの日記を作成する。
朝飯は、3種のおにぎり。
店舗駐車場の一角、岩の隙間に、小さなクモの群がっているのを見つける。登校前の次男をそこへ導き、手で巣を破らせる。瞬間、クモの子は細かい足を素早く蠕動させて、四方八方へ逃げる。
「これが、『クモの子を散らす』 ということだよ」 と、教える。
外の掃除をしていると、白いマルチーズが首輪もつけずに遊んでいる。クルマに轢かれでもしたら大変だとは思うが、あるいは戸外に慣れた愛犬を飼い主が一時、遊ばせているのかも知れないと、そのままにしておく。
午前中、かねてよりの懸案をひとつ処理し、あとは印刷物の校正などをして過ごす。
昼前、近くのユザワ歯科の奥さんが、事務室を訪ねてくる。
「あのー、白い犬、隣のカトーさんの犬ですよね? 患者さんのクルマが轢いちゃいそうで、怖くて」
「いやー、『危ないから、ちょっと見ててよ』 って、ウチの社員も、お客様に注意されたらしいんですよ」
「カトーさん、鍵がかかってて、お留守みたいなんですよね」
「さっき見に行ったんですけど、犬は1階の開いた窓の、網戸を押し倒して出てきたみたいですよ」
僕も社員から 「この犬、どうにかしてください」 と、言われていたが、逃げた犬が車道へ飛び出して、他のクルマに轢かれてもいけないと、放っておいたいきさつがある。
「犬は平気ですか?」
「私は大丈夫ですけれど」
「じゃぁ、はさみうちにしましょうか」
カトーさんの家の前まで行くと、白いマルチーズは舌を出して休んでいた。そばに、ウチの社員の置いた飲み水がある。
僕が声をかけながら近づいていくと、マルチーズは歯を剥き出して激しく吠え始めた。「キャーッ」 と、ユザワ歯科の奥さんが悲鳴を上げる。「大丈夫じゃないじゃん!」
それでも、脱げ道をふさがれた犬の胴体をすかさず掴めば、いくら呻り、身をくねらせて暴れても、もう僕の手の中から飛び出すことはできない。そのまま外れた網戸の横から室内に犬を入れ、窓の隙間を細くする。
カトーさんは、一体いつごろ戻るのだろうか。
終業後しばらくしてから、「市之蔵」 へ出かける。カウンターに、カトウサダオさんの山で採れた天然のクリが飾られている。「いつの間にか、そんな季節か」 と、感慨を覚える。
アサリの酒蒸し、牛スジ煮込み、ハスのキンピラ、茹でカボチャの鶏肉まぶしという、いわゆる 「頼まなくても出てくる物」 にて、焼酎 「いいちこ」 のオンザロックスを飲む。ナスとミョウガの浅漬けで、小休止をする。
「牛スジ煮込みで、体脂肪がちょっと、上がっただろうなぁ」 と、考える。
ここではカロリーの高低によって、品書きが二分されている。そのカロリーの低い方から、冷やしトマトと納豆の油揚げ包み焼きを選んで注文する。いまだ腹はすこし物足りないが、ここで今夜の飲酒を締める。
帰宅して入浴し、9時に就寝する。
むかし流行った、いや、いまでも広く使われているのだろうが、自分好みのフォーマットを差し替える式のスケデュール手帳がある。「その手帳のような日記は、どうかなぁ」 と考え、この文章を書きはじめる前に試作してみたが、対外的には面白そうにない。
対外的にはともかく、自分にとっては、時系列に従って、いくつかの単語を並べただけの日記でも面白いのか? と問われれば、それは面白い。ちょうど決算書や楽譜や将棋の棋譜が楽しい読み物であることと同じで、これについては何年か前、このウェブペイジにも書いたことがある。
というわけで、自分だけが面白い形式は廃して、これまで通りの文章にて、これからもこの日記を書くことにする。
今朝のメシも、やはり一汁一菜ではなかった。ホウレンソウの油炒め、海草とさらしタマネギの鰹節かけ、ダイコンとニンジンの炊き物、キュウリの古漬け、納豆、メシ、ジャガイモとタマネギと万能ネギの味噌汁。
これまでの醤油ラーメンから味噌バターラーメンに目覚めた次男は、味噌汁にバターを落として食べている。
午後、この1年間の在庫、原材料、仕掛品、製品の総額を算出する。算出するとはいえ、製造現場のヒラノショイチさんが何枚もの紙にエンピツで記入し、事務係のタカハシアツコさんとコマバカナエさんがマイツールに打ち込んだ数字を、僕は点検してマクロを回すだけにて、つまり最も楽をしているのは僕だ。
いくら野菜と穀物のみの朝飯をとり、動物性タンパク質を極力廃した晩飯をとっても、その量が過ぎれば、また酒も飲み続ければ、体が内側から膨満したように感じる。今夕もそれを覚えるが、しかし断酒は2日前にしたばかりだ。
それを言い訳にして、ナスの炒りつけ、ダイコンとタラバガニとホタテ貝のサラダ、ギンダラの西京漬け、ニンニクの梅酢漬け、ホウレンソウのゴマ和え、冷や奴にて、泡盛 「琉球」 を飲む。
入浴して 「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」 をすこし読み、9時30分に就寝する。
目を覚ますと3時30分だった。夏至の前後であれば夜明けとも呼べるだろうが、9月も半ばを過ぎれば、まだまだ夜中と感じられる時刻だ。
夕べの酒が残って気分がすっきりしないときには、枕頭の灯りを点けて本を読むこともない。ところが今朝は、窓を開けていないにもかかわらず涼しさが心地よく、そうすると、また別の気分にて、本を読む気は起こらない。 そのままじっとしているうちに二度寝に入り、5時30分に起床する。
事務室へ降りて、朝のよしなしごとをする。雨の多かった夏の終わりからは一転して、空は今日も晴れている。
朝飯はしばらく一汁一菜にするよう家内に頼んだつもりだったが、7時に居間へ上がれば、食卓にはモヤシナムル、キュウリとカブのぬか漬け、茹でたオクラの鰹節かけ、納豆、キュウリの古漬けがあり、次いで、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁 が、運ばれる。
ひとつが閉じればまた次と、何日にもわたって大きな花を開き続けた芙蓉が、遂に緑の葉を残したまま沈黙する。これをくれたユミテマサミさんは、「咲かなくなったら庭にでも植えて」 と言い残したが、隠居へ移しても、やがては雑草に埋もれるだろう。それでも、花を咲かせなくなったからといって、その植物をうち捨てるのは忍びない。
「サラサーテの盤を回しながら、ふとガラス瓶のフタを開けると、1匹のクモが踊るようにして這い出てきた。思い返してみれば、このビンを密閉したのは、数ヶ月前のことではなかっただろうか?」 というような文章を、むかし読んだ憶えがある。このクモのように、世話をしなくても長く生き続ける花はないものか? と、考える。
先週の土曜日に買った家庭画報に写真の載っているヨコタケイ君が、帰郷してお母さんと買物に来てくれる。
「大したもんだねぇ、オレ、あの本買って、いろんな人に見せたよ」 と、話しかけても、本人は曖昧に笑って、ヘコヘコと頭を下げながら後ずさりをするのみだ。本人が帰ってから、「こんど京都行ったら、瓢亭でメシ食うよ」 と、言っておけば良かったと後悔をする。
初更、ダイコンとニンジンの炊き物と茹でたオクラ、ホウレンソウのゴマ和え、モヤシナムル、"neu franc" のコーンビーフと羊のハム、サラダ菜とトマト、マグロのぶつ切り、サツマイモの甘煮、メカブの酢の物にて、焼酎 「琉球」 を飲む。
入浴して、"GLEN ROSA" を生で1杯だけ飲む。「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」 をすこし読んで、9時30分に就寝する。
5時30分に起床する。
事務室へ降りて、ウェブショップ の受注を確認する。毎日テキストで届く、0時0分から23時58分までのペイジ別アクセス数を、マイツールへ移して解析する。きのうの日記を作成し、7時に居間へ戻る。
3連休最後の今日も、空は首尾良く晴れる。
これから2週間ほどは、いわゆる 「ヴィエトナムの清廉な政治家風朝食」 をとろうとして、家内にもそれを伝えてあったと記憶するが、卓上にはいつものとおり、いくつもの皿が置かれていた。キュウリとカブのぬか漬け、ヒジキとニンジンの炊き物、納豆、ポテトサラダ、オクラと揚げ豆腐の炊き物、メカブの酢の物、メシ、豆腐とミツバの味噌汁 による朝食をとる。
始業15分前にシャッターを上げれば、南東からの朝日が差し込んで、店内は奥の壁までが明るく照らされる。冷蔵庫を小型化したため、これまでとはくらべようもないほどに広くなったバックヤードの写真を、記録のために何枚か撮る。
午前中は心配された客足も、昼を過ぎるころには繁くなった。このあたりにありがちな天候の急変も、今日は訪れそうにない。店舗で販売の手伝いをし、外へ出て駐車場の掃除をし、時には混雑するクルマの誘導をする。
次男が 「公園へ行きたい」 と、言う。3連休に、それくらいのささやかな願いしか申し出ないのは、商家に育ったゆえのことだろう。
午後、三菱シャリオに自転車とドッヂボールを積んで10分ほど走り、松原公園へ行く。いにしえに人が植えたものか、あるいは自然のものか、大谷川の左岸には、このあたりから日光まで、ずっと赤松の林が続く。
自転車に乗り、遊具で遊び、ドッヂボールの投げ合いを100球ほどもこなす。
次男はいまだ、グローブと軟球によるキャッチボールは難しいらしく、すぐに飽きてしまう。しばらくはドッヂボールによって、飛んでくるものを捕る訓練をしようと考える。
遠くに、「市本サイクル」 で仕事をする、イチモトケンイチ本酒会長の姿が見える。僕よりも水分を要する次男のために自動販売機でジュースを買い、この、明媚な風光の中に店を構える自転車屋へ移動する。
「市本サイクル」 の修理部は、マンガの宝庫だ。そして、珍しくはあるが、金銭には換えようもないジャンク物もあふれている。駄菓子屋から引き取った大昔の冷蔵庫、炭酸飲料のくじ引きつき王冠、テレビのアニメイションと連携して売られたシール、巨大なフィギュアなどに囲まれて、しばし休憩をする。
夕刻に帰社して、店に復帰する。終業後にレジを締めてみれば、この3日間の売上金額は、昨年の実績を越えてきた。しかし現在の経済は、ぬか喜びを許さない。明日からも、いろいろなことを考えようと思う。
今夜は断酒をすることとし、ジャージー乳業のヨーグルトとナシを摂取する。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
夜中に目覚め、「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」 を読んで、また寝る。次男が 「ノドが渇いた」 などと言うため、冷たいお茶を与えて、また寝る。なにかのことで、また目を覚ます。
とぎれとぎれの睡眠と、昨日の草むしりの疲れもあってか、次に気がつくと、6時20分になっていた。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。
山は晴れた。朝飯は、玉子とミツバの雑炊、キュウリの古漬け、イワシの味噌煮、焼きタラコ、キュウリとキャベツの浅漬け胡麻油風味。
朝1番にて、手塚工房のテヅカナオちゃんが、焦げ茶色のシールを一面に張ったホワイトボードを納入し、店舗内の所定の位置にビス留めする。
どうしてホワイトボードに焦げ茶色のシールを張るかといえば、ひとえに、社長が店内の色彩管理に神経質なためだ。 ボードはペンで何ごとかを記入するためではなく、磁石で書類を留めることのみに用いるられるため、表面にシールを張っても、何ら差し支えはない。
午前中、本酒会のイチモトケンイチ会長の訪問を受ける。今月末の、本酒会東京ツアーについての打ち合わせを、ごく短い時間で済ませる。
まるで夏を思わせるような入道雲が立ち上り、道路は混雑の度合いを増す。客足は繁く、普段の日曜日よりはずっと長い時間を、店舗での販売作業に費やす。
終業後、社員たちと、対前年度アイテム別週間粗利ミックス表の検討をする。「昨年のデイタにも示されているように、明日も今日と同じくらい商品が売れたら良いなぁ」 と、思う。
「お疲れでしょう?」 ということで、晩飯は、何ヶ月か前に、市街地から鬼怒川方面へすこし行ったところにできた "Flying Garden" で、とることにする。"JUSCO" で買い物を済ませた後、この地中海風の赤い瓦を持つファミリーレストランへ着いてみれば、店の外まで人がはみ出して、待ち時間は20分と伝えられる。
家内と次男との3人であたりを散歩し、20分後に戻ると、いまだ順番は来ない。夜気が心地よいため、また、時が至れば外まで呼びに来てくれるとのことにて、戸外で時間をつぶす。
家内が、店の扉に貼付してあるクレジットカードのシールを見て、「JCBとAMEXしか使えないなんて。これ以外のカードを持っている人の方が、多いんじゃないの?」 と、言う。
「ダイナースがねぇなぁ。もっとも、ダイナースカードを持つような人は、ファミリーレストランには来ねぇか」 と、いささか的の外れた返事をする。
我々よりも遅く来た一団が先に案内をされたため係にただすと、「お呼びしましたが、いらっしゃらなくて」 と、弁解をする。当方は扉のすぐ外にて待っていたが、このときに限って、外までは確認に来なかったのだろう。
名簿の 「禁煙席」 という我々の希望に目を走らせた係が、「あのぅ、喫煙席でよろしければ、ご案内しますが」 と、言う。その近辺に喫煙者がいないことを確かめて、席に着く。
連休2日目の大混雑に、店員も混乱をしているのだろう。
"Flying Garden" は、天井の高さや白熱灯の明るさが他のファミリーレストランを圧倒して、まるで誘蛾灯のように、客を呼び寄せる。僕もまた、その明るさ賑やかさを求めたひとりだ。
レタスだけのサラダと、デキャンタの赤ワインを注文する。400円台という値段を勘案すれば、これは出色のワインだ。1979年の正月、トレドやグラナダで毎日飲んでいた、コップ1杯30円のワインを思い出す。
やがて、この店の代名詞にもなっている 「爆弾ハンバーグ」 が、熱い鉄板に載せられて席に届く。すかさず係はそれをナイフで半分に割り、内側の赤い生の部分を鉄板に押しつけて焼く。僕のズボンに油が飛び散って、大小いくつものシミを作る。
次男は7歳ながら、こういう好きものならば易々と一人前を平らげるまでになった。僕はサラダをお代わりし、家内はパフェを食べて晩飯を終える。
帰宅して入浴し、9時に就寝する。
深夜2時30分に目を覚まし、「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」 を読む。二度寝をして、いつもより遅い6時に起床する。
この時間から事務室へ降りても、それほどのことはできない。ウェブショップの受注を確認し、アクセス解析をし、外へ出て、大昔、ウチにつとめていたユミテマサミさんからいただいた大輪の芙蓉に水を補給する。
開高健の小説だったか、あるいは近藤紘一のルポルタージュだったかに、ヴィエトナムの清廉な政治家が、ひとり青菜炒めと吸い物とメシとの、つまり一汁一菜の朝食をとる場面があった。しばらくは僕もそのような朝飯を食べてみようと、昨夜からこれを家内に伝えておいた。
予定よりも一菜多い、キュウリとキャベツの浅漬け胡麻油風味、キュウリの古漬け、メシ、けんちん汁の朝食をとる。
8時すこし前、自転車に乗って、今市小学校へ行く。今日は親の勤労奉仕の日にて、次男のいる2年生の父母は、畑や校舎脇の草むしりをすることになっている。
僕の苦手な労働は、草むしりと引っ越しだ。
自由学園高等科1年生のとき、同級生のイリヤノブオ君は夏休みの最後に腕を骨折し、直後にクラス全員で行った那須農場では労働ができず、カブの間引きばかりを、朝から夕方まで数日のあいだ続けた。僕からすれば気の遠くなるようなこの仕事を全うしたイリヤノブオ君は、まぁ、偉いといえば偉い。
いくら草むしりが苦手とはいえ、「ウワサワ君のお父さんって、ダメな人ね」 などという評判が学校で立っては次男が気の毒なため、真面目に大量の草と向き合い、これを少しずつ鎌で刈り、あるいは根こそぎ土から引き抜く。ある場所が終わればまた他の場所へと移動し、気がつけば作業の開始から1時間15分が経過している。
土建業の父親がブルドーザーを持ち込んで、剪定された大きな枝などを、校庭の一角に集めている。それを見物しながらタバコを吸っている父親が、複数いる。「職人ひとりに馬鹿八人」 という言葉を思い出し、その人数を数えてみれば、格言にふたり足りない6人だった。
10時前に汗まみれで帰宅する。シャワーを浴びて、着ていたものをすべて洗濯機に入れて、スイッチを押す。
朝方、年長の友人ヨコタジュードーの次男ヨコタケイ君が家庭画報の10月号に出ていることを家内から聞いたため、昼過ぎ、人に頼んでこれを買ってきてもらう。
「どこか、どこか」 とペイジを繰ることしばし、96ペイジに、京都 「瓢亭」 の店主たちと写真に収まる彼の姿を発見する。「横田圭さん 入社4年目。盛り場担当」 との説明もある。
ヨコタケイ君は小学校に上がっても、父親の脇の下に顔を埋めて寝るような、甘えた子供だった。兄弟げんかの際には、握ったフォークで相手のキンタマを狙いに行く、マングースのような荒っぽさだった。
写真をじっと見る。「立派になって」 と、我がことのように誇らしく思う。
曇りがちではあるが蒸し暑い1日が、明日は晴れそうな気配の夕焼けと共に暮れていく。
「市之蔵」 へ行く。あらかじめ電話を入れておいたため、席には既にして、紫キャベツのサラダと、クラゲとキュウリの酢の物が用意してあった。ほどなくして、豆腐のバター焼きも届けられる。
冷夏が過ぎて秋になったとたん、真夏がぶり返したような天気が続いている。1年中が夏だったら良いとさえ思う僕には、しごく有り難い。邪道ながら、泡盛 「瑞穂」 を、ソーダ割りにする。
目の前の肴が途切れないよう、頃合いを見計らって、次の肴を注文する。梅胡瓜と炙ったカタクチイワシをかじりつつ、2杯目、3杯目の泡盛ソーダ割りを飲む。
マヨネーズと味噌を添えられた谷中生姜と山芋が、左手からスッと出てくる。拍子木に刻まれたヌルヌルの山芋が、意外なほど生の味噌に合うこを知る。
鶏手羽焼きにて、今夜の飲酒を締める。グラスも大きなことから、まさか4杯までは、飲んでいないだろう。
帰宅して入浴し、本は読まないまま、8時30分に就寝する。
3時30分に目覚めて、「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」 を読む。この本のおよそ3分の2以上は、ヘレンケラーの家庭教師サリバンが、かつて自らが学んだ盲学校の寮母ホプキンス婦人に宛てた手紙で構成されている。
その文体は論理的な話し言葉で貫かれ、またひとつの文章も長すぎないため、とても読みやすい。それだけに、手紙の冒頭に附された日付のひとつが、10年も未来に飛んで誤植されているのは惜しい。初版から何十年も、これが看過されてきたとは信じがたい。きっと、2002年の改版時に犯したミスだろう。
文庫本には殆ど見られない誤植がハードカヴァーに多いのは、歴史の淘汰を経ていないせいだろうか。
5時30分に起床して事務室へ降り、朝のよしなしごとをして、7時に居間へ戻る。
朝飯は、キュウリとカブのぬか漬け、ピーマンとナスの油炒め、納豆、ホウレンソウのゴマ和え、ヒジキとニンジンの炊き物、メカブの酢の物、メシ、けんちん汁。
8時40分より、またまた玉掛技能講習を受けるため、市の生涯学習センターへ出かける。本日は実技の試験にて、午前中一杯を炎天にさらされ、重量物を、ある地点から別の地点へクレーンを用いて移動する際の、責任者と従者の役割を、26名の参加者すべてが経験する。
きのうと同じく蕎麦屋の 「ねもと」 へ行き、僕は、ちたけ蕎麦を注文する。目の前に運ばれてみればそれは熱い汁の盛り蕎麦にて、大いに僕の好みだ。普通盛りにもかかわらず蕎麦の量は、室町砂場の4倍はあっただろうか。
午後、ふたたび太陽の熱とクレーン車のディーゼル排気ガスをたっぷりと浴びつつ、ようやく試験に合格して、製造係のイトウカズナリ君、タカハシアキヒコ君と共に、修了証書を受け取る。
汗にまみれて帰社した僕は、終業後、次男のテレビゲイムを止めさせて、ふたりで入浴をする。
日本人が料理屋や飲み屋において 「とりあえずビール」 と言う不思議な性癖については、ずいぶんとむかしの本酒会報に1度、書いたことがある。僕は生まれて以来、「とりあえずビール」 とは、1度も言ったことがない。
ワイン蔵からバキュバンで栓をした "Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1999" を食卓へ運び、これをすこしだけ口に運ぶ。メシが出る前に能率を上げては、ベッドへたどり着く前に眠ってしまうだろう。
"neu franc" のコーンビーフと羊のハム、サラダ菜とトマト、3種のキノコのオリーヴオイル炒めバルサミコソース、タラバガニのスパゲティ、ポテトグラタン、マグロとルッコラとベビーリーフのサラダ にて、ビンに半分以上あった白ワインを空にする。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」 を読みつつ、9時30分に就寝する。
闇の中で目を覚ますと1時30分だった。はっきりとは分からないが、およそ2時間ほどを、枕元に散らばった活字を読んで過ごす。二度寝をして、5時30分に起床する。
事務室へ降りてシャッターを上げると、どこかへ団体旅行に出かけるらしい人たちが、店舗向かい側の駐車場に集まっている。やがて大型バスが来て彼らを乗せ、日光宇都宮道路の今市インターチェインジ方向に走り去る。
メイルでのご注文を、ウェブショップ受注用に使っている社内patioに転送する。別途、顧客からの問い合わせに返信をお送りする。きのうの日記を作成して、7時に居間へ戻る。
朝飯は、ヒジキとニンジンの炊き物、メカブの酢の物、納豆、ピーマンの油炒め、なめこのたまり漬、ほうれん草のゴマ和え、メシ、豆腐とミツバの味噌汁。
8時40分より、きのうに続いて玉掛技能講習を受けるため、市の生涯学習センターへ出かける。途中、サイフを忘れたことに気づき、三菱シャリオを会社へUターンさせる。会場の所定の机に着いたところで、教科書を忘れたことに気づき、ふたたび会社に引き返す。
きのうと今日は座学だが、1時間あたり10分の休み時間がある。これを利用して、ウェブショップに新しく装備する機能につき、思いつく限りのことを、箇条書きにしていく。好きなことに対しては次から次へと考えが湧き、そうでもないことに対しては、まったく頭が停止してしまうのは、脳のどういう構造によるものだろうか。
きのうの昼飯はファミリーレストランの "Parrot" へ行ったが、ここには油を使った焼き物や揚げ物ばかりが目立ったため、今日はその向かい側にある蕎麦屋の 「ねもと」 へ行く。
演出された田舎風の店もあるが、ここは本当の田舎の店だ。実際の密林とハリウッドのスタジオに作られた密林とのどちらが本物らしいかといえば、それは作り物の方が本物らしい。というわけで、本物らしくない本物の田舎の店は、いつも地元の客で賑わっている。
イトウカズナリ君とタカハシアキヒコ君は、温かいうどんを食べようとして、「天ぷら田舎うどん大盛り」 を注文した。ややあって彼らの前に運ばれたのは、予想に反して盛りうどんだった。
僕は脂分を避けようとして、メニュには 「ミックス」 とある、いわゆる合い盛りを注文した。ややあって僕の前に運ばれた合い盛りには、予想に反してかき揚げが載せられていた。
それでもここのうどんは、店の名刺に 「田舎手打うどん、そば」 と、うどんが先行して書かれるだけあって、その色、太さ、歯ごたえの三位がすべて野趣に富むもので、しかもつゆは胡麻よりも味噌の香りが強く立つ、これまた、とうの昔に忘れ去られたような懐かしさだ。
30分後に講習会場へ戻り、首尾よく学科試験を通過して、3人そろって3時30分に帰社する。
終業後、雷の鳴る暗い空の下を自転車に乗り、車庫へ出かける。有刺鉄線を乗り越えて、JR日光線の線路際に立つ。むかしから生えているススキを5本、小さな剪定ばさみで切り取り、帰宅して窓際に飾る。
夕食前に、次男の算数の宿題を督励する。
「月見の団子には、ススキの箸を添える」 とは、僕が本日、生まれて初めてサイトウトシコさんから耳にしたことだ。そのサイトウトシコさんの作ったけんちん汁と共に、団子をお供えする。月見の団子とけんちん汁が対のものであることすら、僕は今の今まで知らないでいた。
「このお団子って、何に対してお供えするの? やっぱり、月に供えるの?」 と、家内が訊く。「さぁ、やっぱりどこかで、月と死んだ人が繋がっているんじゃねぇか?」 と、僕は答える。
「月見酒」 という言葉はあるが、今夜はカスピ海ヨーグルトとナシを摂取する。外には霧雨に煙って、雲はおろか、ちかくの山さえ見えない。
入浴して、本日、"amazon" から届いた、
9時30分に就寝する。
目を覚まして起きあがり、遠くのヴィデオデッキに目をやると、いまだ夜中の1時台だ。
枕元に散らばった新聞や雑誌やミニコミにて眠れない時間をやり過ごすが、このようなときのためにも、まるで聖書のように厚い、たとえば 「新聞王 ウィリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 のような本は、やはり常に用意しておくべきだと考える。
どうせ読み飛ばすなら雑誌でも良さそうなものだが、なにより雑誌は、読んだ後に、なんとも時間を無駄にしたような悪い味が残っていけない。
およそ2時間後に二度寝に入り、5時30分に起床する。
僕が幼稚園のころまで、ウチでは1斗樽による醤油の出荷を行っていた。樽の上面に開けられた穴から醤油を入れ、回りにギザギザの付いた金属のフタを小槌で打ち込んで密閉する。使い手は樽の側面下部に差し込まれた木の棒を微妙にゆるめつつ、ここから醤油を片口などに落とし、厨房や食卓に運んだはずだ。
この金属のフタが40数年の時を経て、いまだ倉庫に数千枚も眠っている。昨夕はここから2枚を抜き取り、ギザギザを金槌で丸めておいた。
今朝は、コーフィーの空き缶2本に、それぞれ異なる大きさの砂利を適宜入れ、この醤油のフタで上面を押さえて、手作りのマラカスを完成させる。1缶ずつ異なる大きさの砂利を入れたのは、双方が同じ音を発してはつまらないだろうとの、僕の工夫によるものだ。次男はこれを、音楽の授業に用いるらしい。
朝飯は、タシロケンボウんちのお徳用湯波の炊き物、サケの昆布巻き、ホウレンソウの油炒め、納豆、茹でたオクラの鰹節かけ、焼いたタラコ、メシ、アサリと万能ネギの味噌汁。
8時30分より、製造係のイトウカズナリ君、タカハシアキヒコ君と連れだって、玉掛技能講習を受けるため、歩いても行ける市の生涯学習センターへ出かける。昼食をはさんで夕方4時すぎまで講義を受け、帰社する。
先日の日光MGの写真が、社員用の通路に張り出されている。
本を読んだ後に感想文を書く。これから感想文を書こうと思えば、文字をおろそかに読み飛ばすことはできない。講義を聴いた後に感想文を書く。これから感想文を書こうと思えば、講義をおろそかに聞き飛ばすことはできない。感想文を書くということは、その経験を自分の中に定着させる以前に、対象に真剣に向き合うことを要求する。
研修の写真を張り出すことも、その経験を自分の中に定着させる役には立つだろう。それ以上に、より真剣に学ぶということについても、この写真が役立つことを、僕は願う。
初更、ヒジキとニンジンの炊き物、"neu franc" のコーンビーフとサラダ菜、生キュウリのひしおマヨネーズ和え、メカブの酢の物にて、泡盛 「琉球」 を飲む。「こういう飲み屋みてぇなメニュ、好きだなー」 と、思う。
明神水産から取り寄せた藁焼きカツオに、ポン酢と、細かく刻んだタマネギ、ミョウガ、万能ネギ、にんにくのたまり漬、ショウガのたまり漬をかけ回して食べれば、これが銀座のあちらこちらで食べるカツオのたたきよりも美味くて、始末に困る。
どう始末に困るかといえば、「ここで高けぇ金出して食うよりも、ウチで食った方がよっぽど美味めぇじゃねぇか」 という感想を、銀座の料理屋で持ってしまうという、そのあたりが始末に困る。
「だったら、よそでカツオのたたきなんか、食わなきゃいいじゃねぇか」 と言われても仕方のないところだが、秋口、料理屋のメニュにカツオのたたきを見れば、それはそれで食べたくなるのだから仕方がない。
入浴して、牛乳を200CCほども飲む。"PISCO CAPEL" をガラスの猪口に1杯注いで枕頭へ置けば、その芳香に、まるで中米か南米にあるらしい、ラムレイズンの工場に足を踏み入れたような感を覚える。
その、マスカットによるブランデーを飲みつつ、9時に就寝する。
就寝して3時間も経たない、いまだ8日の夜11時40分に目を覚ます。複数の男によるくぐもった声が聞こえている。居間へ行くと、家内の観るテレビには首相と、自民党総裁選の3候補の顔があって、互いの意見を述べている。
顔を洗い口をすすいで、牛乳を200CCほども飲む。ベッドへ戻って枕頭の灯りを点け、籐の丸机から適当な活字を捜して拾い読みするが、2時になっても眠れない。
自然の目覚めなら、いくら睡眠時間が短くても、翌日の夜までは無理なく過ごすことができる。しかしながら、音や光、あるいは人為によって睡眠を遮られた場合には、その限りではない。
「困ったな」 と焦燥して30分後、ようやく二度寝に入る。
5時30分に起床する。事務室を降りてシャッターを上げると、ウォーキングをしている人の姿が目立つ。
9月はじめの血液検査では、「2ヶ月前のものよりも、いわゆる悪玉コレステロールの数値が上がっている」 との注意を受けた。医師には、このペイジのURLを渡して、「それほどコレステロールが高くなるような食事もしていませんが」 と伝えたが、コレステロール値を落とすには、確かに運動も必要なのだろう。
「でも、ウォーキングなんて、する気しねぇよなぁ。第一、退屈じゃねぇか」 と、思う。「どこそこへ行く」 という目的があれば僕も歩くことはできるが、「ただ歩き回る」 というのは、気のすすまない行為だ。
「自分の体を機械に縛りつけて、その機械が勝手に当方の体を動かしてくれて、いつの間にか運動をしたことになるようなシステムはねぇかなぁ」 とは、10年も前から考えていることだ。
朝飯は、茹でたオクラの鰹節かけ、ナスとシシトウの炒りつけ、アサリの佃煮、かまぼこ、五目おこわ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能ネギの味噌汁。
「これから2週間は肉を断って、その代わりに湯波ばかりを食べて凌ごうか」 というようなことも、考える。
2001年、2002年と、ウェブショップ の売上高は、2年連続で200%の増を示した。「今年も同じく200%増となったら、それこそねずみ算だが、それほど調子よくはいかないだろう」 と予想をしたが、1月から8月までの累計を見る限り、前年度比はここでも200%増となっている。
しかしここに、9月以降12月までの今後3ヶ月間を加えれば、200%増には達しないと思う。なにより8月に発生した需要のほとんどは、らっきょうのたまり漬の価格改定を知らせるDMによってもたらされたもので、本来の数字と比較するには無理がある。
ただ、たとえそうだとしても、これから3ヶ月間の、ウェブショップの成績を見ることが楽しみでないということはない。
午前中、"Computer Lib" から、対外紙の 「やさしくデジタル」 が届く。記事の柱は、僕もパネラーを務めた、7月25日に行われた 「成功事例発表 第2回CPLユーザーカンファレンス」 だが、それに埋もれるようにして、中島マヒマヒ社長のウェブログ "mahimahi's weblog" のURLが記載されている。
早速にそれをアドレスバーへ打ち込んでみれば、これは、カテゴリー別の目次やサイト内検索システム、掲示板やリンクを設けた次世代のウェブ日記とでもいうようなもので、とても興味深い。「オレの日記も、即、これに乗り換えよう」 とは思わないが、早速、巡回先のひとつに加える。
"Alexa" のTraffic Rankは便利だが、より手っ取り早いのは "Google Toolbar" だ。しかし初めにインストールした日本語版では、Page Rankがバーの長さで示されるだけで、はっきりした数字は出ない。
諸方から情報を集め、これの英語版に換えてみる。すると、情報通りにこちらでは、Page Rankの文字にカーソルを合わせるだけで、ウチのウェブショップにも、またこの日記の置いてある 「清閑PERSONAL」 にも、「3」の数字が表示される。
とりあえずは満足をして、いつもの仕事に戻る。
晩飯は、次男の希望により、ワンタン入りの煮込みラーメンとなる。これにて、泡盛 「琉球」 を飲む。
入浴して、"GLEN ROSA" を生で1杯飲む。牛乳を200CCばかり飲み、9時に就寝する。
3時台に目が覚める。4時前に起床して事務室へ降りる。
「これこれの条件が満たせるならば、そちらが提示する価格で、そちらが開発する商品を買う用意がある」 というメイルを昨夕、取引先へ送ったところ、今朝になって、「条件はすべて満たすから、正式の発注書を出してくれ」 という返信が届いている。
僕は大きな会社に勤めた経験が無いため、企画書も発注書も稟議書も、とにかく尻に 「書」 とつくものについては、契約書以外、何も知らない。「発注書はそちらで作って、ファクシミリで送ってくれ」 と、これまたメイルにて要請をする。
5時前、新しい空気を吸いに外へ出ると、今日もまた霧が深い。きのうの霧雨に、モモイシンタロウさんから、「こういう雨は、このあたりに特有のものでしょうか?」 との質問を受けたが、たしかに言われてみれば、霧雨も霧も、日光地方には多い。
事務机に戻ったところで、「我が町の歴史民俗資料館が市政50周年を記念して出す本のために、むかしの建造物の写真を必要としているが、お宅に何かないか?」 との、数日前のイワモトミツトシ区長の言葉を思い出す。頭の中に、あれやこれやと、セピア色の写真を選び出す。
朝飯は、3種のおにぎり。
月曜は平日の中でもお客様の多い曜日にて、早く霧が晴れるよう気を揉むことが、関ヶ原における徳川家康ほどではないにしても、僕にはしばしばある。
いまだ夏休みを消化中の社員が販売係や事務係にいるため、店舗や事務室が広く見える。製造係においては、フォークリフトとクレーンの講習で、この9日間に、計5名の社員がのべ7日間の出席を義務づけられているため、こちらも現場に人影はまばらだ。
残された者同士がなんとかやりくりをして、日常の業務をこなしていく。
「秋の夕日はつるべ落とし」 とは、よく聞く言葉だが、「鉈を落とすように秋の夕日が山際に消えると」 という珍しい表現を、この数日以内にどこかで目にした記憶がある。ただし、あちらこちらで活字を拾い読みしているため、その出所を特定できないのは、いつものことだ。
鉈を落とすほどではないにしても、6月のころからすれば、ずいぶんと早くなった夕暮れに、寂しさを禁じ得ない。
夕刻の酒は、明るいうちに飲むと、その美味さが倍加する。それでは秋から冬にかけての酒は美味くないかと言えば、寒さが温かい酒の美味さを倍加するので、これはこれで美味い。
それとは別に、開高健の 「黄昏の一杯」 となれば、これはいつも明るいうちから飲んでいるわけだから、また不味かろうはずはない。
終業後、「市之蔵」 へ出かける。
おととい、日光MGの打ち上げで訪ねた際には、この店の黒板にメカブ酢と牛スジオデンがあり、店主のナガモリユミコさんに、「この前もそうだったけど、オレが宴会のときに限って、単品に好物があるもんなぁ」 と、嘆いてみせたが、本日の黒板には、牛スジオデンはあっても、メカブ酢の文字は見えない。
泡盛 「瑞穂」 を、オンザロックスにする。本日の頼まなくても出てくるものは、スズキのムニエルと、エシャロットとニンジンと昆布と胡麻の和え物。この、簡単に作れるらしい和え物が、とても美味い。
マグロでは当たり前で面白くないので、カツオによる山かけを頼んでみたが、さして面白い味にはならなかった。こんど自宅で、カツオの刺身をニンニクとショウガにまぶして、グチャグチャと手でこねてしまう野蛮なヅケを作ってみようと考える。
生のエシャロット、サンマの塩焼きときて、牛スジ煮込み入りオデンにて締める。
日光街道を徒歩で北上すれば、3日前のものからは想像もつかないほど正円に近づいた月が、なぜか紅く染まって、中天にかかっている。
帰宅して入浴し、9時に就寝する。
5時に起床して事務室へ降りる。
9月は、夏のギフトと秋の行楽シーズンとの谷間にあって、ウチとしては割合に閑散な時期のため、これまで懸案になっていたことがらを解決するには良い月だが、持ち前の怠惰さから、なかなか腰が上がらない。
自分の怠惰さを棚に上げて、長いつきあいの取引先が、当方の 「プリンターが何台か欲しいので、キャノンのセイルスマンを同伴して来社するように」 との要請を受けてから1週間も無沙汰を続けていることについては、「まったくこの不景気に、商売したくねぇのかなぁ」 と、不思議に思う。
朝飯は、なめこのたまり漬、シシトウの油炒め鰹節かけ、茹でたオクラの胡麻和え、ナスとシイタケの炒りつけ、かまぼこ、納豆、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
午前中、清流のある赤松林にキャンピングカーを配置した 「今市オートキャンプ場」 にて快適な夜と朝を過ごしたらしい、モモイシンタロウさんとフランス車のお仲間6名が来店する。僕はきのうと同じくクロダアキラさんの青いクルマに乗り、一行をウチの車庫へ案内する。
小一時間ほどをそこで過ごし、店へ戻る。彼らはずいぶんと買物をしてくださった後、昼食場所の "Casa Lingo" へ向かった。霧雨が、降ったり止んだりしている。
終業前、今夕の短いミーティングで社員たちに手渡す 「らっきょうのたまり漬」 の利益感度分析を、コピー用紙にフェルトペンで書く。僕が 「らっきょうのたまり漬」 の値上げについて社長に具申したのは、もう10年も前のことだ。
「この低い利益率で、よくもやってきたものだ」 と、思う。「しかし商品の利益率など、お客様にとっては、何の関係もないことだ」 とも思う。「もっとも、キャッシュが無くなって倒産すれば、お客様はもう、このらっきょうのたまり漬をお買い求めにはなれないわけだ」 とも考える。
終業後、社員たちと、対前年度アイテム別週間粗利ミックス表の検討をする。この1週間は昨年よりも商品が多く売れた上、1日からのらっきょうのたまり漬の値上げも重なって、とても良い数字がホワイトボードに並んでいく。
夕食前に、次男の国語の教科書の音読を督励する。次男はある場所を2度繰り返して読んだ後、2学期を迎えて枚数の増えた音読カードに、自らの名を記入する。
カスピ海ヨーグルトと、事務係のコマバカナエさんの家でできたブドウを摂取する。このブドウの厚い皮と実のあいだには、とても甘い層がある。これを口の中で押しつぶし、果汁を絞り出す。種はそのまま、バリバリと噛んで食べる。
入浴して、9時に就寝する。
ベッドの上に起きあがり、遠くにあるヴィデオデッキのデジタル時計に目を凝らすと、いまだ3時前だった。そのまま二度寝に入り、4時30分に起床する。
事務室の机上左側に、整理されていない書類が散らばっている。これが左肩のこりの原因だということは充分に認識しているが、それでも自分のだらしなさから、いつまでも片づけられないでいる。
その書類を一時、他の場所へ移し、メイルにて届いているいくつかの仕事や見積もりについて検討をする。きのうの日記を作成し、居間へ戻る。
朝飯は、茹でたオクラの鰹節かけ、筑前煮、納豆、ホウレンソウの油炒め、蕗のとうのたまり漬、ナスとシシトウの油炒め胡麻かけ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能ネギの味噌汁。
先日、家族と日光へ来たばかりのモモイシンタロウさんが、昼前、フランス車に乗るお仲間と計6名で訪ねてくれる。3台の中の、僕はクロダアキラさんが操縦する "ALPINE RENAULT berlinette 1600sx" の助手席に乗り、旧日光街道を北上する。
最近、蕎麦の報徳庵には観光バスの団体も入るようになり、以前の混みようが、更に増している。店内の名簿に名前と人数を記入する。8月よりもむしろ蒸し暑い屋外を避け、杉並木公園内に移築された江戸時代の庄屋の座敷にて小休止する。
いよいよ我々の名が呼ばれて、一升蕎麦、天ぷら、なめこおろし、蕎麦ぜんざいなどにて、本日の昼食とする。
ふたたび地を這うような青いクルマに乗せられて帰社する。クロダアキラさんに 「東照温泉」 のパンフレットを手渡す。彼らは、今夜泊まる予定の 「今市オートキャンプ場」 を目指して走り去った。
終業後、日光MGの打ち上げとして、「市之蔵」へ行く。せいぜいが10名用の座敷に20名を無理に詰め込んで、乾杯をする。
MGでは、最終到達自己資本の高い順に3名ほどが表彰されるが、それ以外に優れた者は、「ことがら表彰」 と書かれた紙に名が載るのみにて、特に何かをもらえるということはない。そこで、計数力第1位の者には特別に、この打ち上げで賞品を渡してきた。ところが今回の該当者は僕のため、社員の表彰はない。
それに代わって、2日間に5期の経営をするMGに20回出席した、つまり、今回の日光MGにて100期分の経営を達成した事務係のタカハシアツコさんに、記念品が贈呈される。
打ち上げは7時30分に完了した。帰宅して入浴し、9時に就寝する。
4時30分に起床する。
事務室へ降り、きのうの夕刻、翌日するべきこととして残したメモに従って、あちらこちらへメイルを書いたり、ファクシミリで送るための書き付けを整える。きのうの日記を作成し、7時に居間へ戻る。
朝飯は、揚げ湯波の炊き物、ナスとシシトウと赤ピーマンの油炒め、ツナサラダ、ホウレンソウのおひたし、納豆、メシ、アサリと万能ネギの味噌汁。
新しい、合理的で小さな冷蔵庫の入った店舗へ行く。視界は明るく広々とし、販売係の立ち働くバックヤードは導線に優れないこれまでのものからいきなり拡大し、買い物をする人の気持ちも、より楽になる空間ができあがった。
冷蔵庫と販売係の働くスペイスについてのアイディアを僕の頭に浮かばせたのは、友人の家の醤油差しとオペラ座の平面図だが、これについて述べれば文字数は増え、キーを打つ手も疲れるため、割愛をする。
ただひとつ、僕は仕事のアイディアというものを、仕事に役立てようとして読む本から得ることはない。というよりも、僕は、仕事に役立てようとして本を読むことはできない。僕の本読みは、花鳥風月を愛でたり、歌舞音曲にふけることと同じく、非生産的な行為だ。
当方から電話をして来訪を乞うた人の訪問があったり、先日、何ごとかの相談を受け、そのままにしておいた人からの電話があったりして、終業時間に至る。
週に2度の断酒を実行していると、その褒美と体が考えるのか、残り5日間の酒量は、どうしても増える。"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1999" を抜栓する。
サンマのオリーヴオイル焼きバルサミコソースと、茹でた赤ピーマンとオクラ、エリンギとエノキダケのスパゲティにて、ワイン蔵にその残量も少なくなった、この白ワインを飲む。
「そういえばきのう日光で、3つの国を行ったり来たりしながら、1日をかけて滑り降りるスキーのポイントがヨーロッパにあると耳にしたが、その3つの国とは、フランスとイタリアと、もうひとつはオーストリアだろうか?」
というようなことを、考える。考えるだけで、もちろん、自分が行こうとは夢想することもない。
入浴の後、"PISCO CAPEL" を、生で1杯だけ飲む。窓を開け、ソファにもたれて、"Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" のレンズを、限度一杯の10倍に伸ばす。それを月へ向けて、2分の1秒のスピードでシャッターを切る。
9時に就寝する。
目覚めて何十分かは闇の中でじっとしているが、それにしても何時だろうかと、枕頭に緑色の光を発するデジタル時計を見ると3時だった。起きてコンピュータを起動し、きのうの日記を書きはじめる。
いまだ脳は平常の働きに達していないため、すぐ文章につまり、キーボードを叩く手が止まる。ベッドへ行って横になり、ふたたび机へ戻ることを繰り返して、ようやくこれを完成させる。
4時すぎから二度寝に入る。東の窓のまぶしさに目を覚ますと、6時になっている。
OSを Windows2000からXPに換えたときから、7年間も使い続けたDATA/FAX CARDでは、なぜかサーヴァーへの画像転送が不可能になった。1階へ降り、公衆電話から日記を更新する。
屋上の露天風呂に行くと空は晴れているが、「霧降」 の地名にふさわしく、足下からも頭上からも雲が迫り、やがてこの一帯もそれに飲み込まれそうな気配がある。もっともここでは、薄日の差す中に細い雨の降る風景も美しい。
ヴァイキングによる朝飯は、サンマの干物、ハクサイの浅漬け、ベイコン、ポテトサラダ、温泉玉子、レタスとダイコンとニンジンとプティトマトのサラダ、オレンジ、刺身湯波と冷や奴、メシ、油揚げとミツバの味噌汁。社員たちは、あちらこちらにのテイブルに三々五々あつまり、その各々が、静かに朝食をとっている。
9時から、第6回日光MGの2日目が始まる。僕は26歳のマキシマトモカズ君から300円の大借金をし、これからの第5期に備える。そういえばおととし、僕は社員旅行先のサイパンにてスカイダイヴィングなどに現金を使い果たし、持参したカードは期限切れという体たらくにて、同じくマキシマトモカズ君から、18ドルを借りたことを思い出す。
やがて40分間の白熱したゲイムが終了し、静かな決算に入る。
12時を迎えて、机上には、昼食のハムとトマトのサンドウィッチが運ばれる。隣のケンモクマリさんに、「昼飯はのどを通るか?」 と、訊くと、「トマトのサンドウィッチが食べられない」 と、言う。僕のハムサンドウィッチと彼女のトマトサンドウィッチを交換する。
これにて、僕はトマトのサンドウィッチのみを食べることになり、彼女はハムのサンドウィッチのみを食べることになる。肉が食えなくてもそれほどの問題はないが、野菜が食えないというのは、ちと問題ではないか? しかしながら、大の偏食家が長生きをし、バランスの良い食事を心がけて早死にをする例もある。世の中に不条理の種は尽きない。
そのケンモクマリさんが最終到達自己資本440を記録して、最優秀経営者賞に輝く。2位には自己資本427のタカハシアツコさんが、そして3位には、今春の入社ながら自己資本を378まで積み上げた、サイトウシンイチ君が食い込んだ。
僕はようやく、計数力で1位を得る。それにしても、3期以降、次期の6期まで、最も売上高の高いA卓に位置づけられながら、自己資本では2歳年長のサイトウヨシコさんにも劣る僕の経営は、いつものことながら、いかにも効率が悪い。
参加者ひとりひとりから質問を募り、それに逐一答えていく形の講義が90分ほどあり、感想文を提出して、第6回目の日光MGが、無事に終了する。今朝からフォークリフトの技能講習に移動した3名を除く全員にて、記念写真を撮る。
今回は、社員たちの習熟度が増して決算の速度が上がり、また参加者中の3名が2日目から抜けることを勘案して、1日目に通常よりも1期多い第4期までのゲイムをこなしてしまった。そのため3時30分という 、とても早い時間に解散になる。
バスと自家用車にて山を降りる社員たちを見送り、僕と家内と先生はホンダフィットにて、「日光金谷ホテル」 へ移動をする。コーフィーショップへ入り、家内はチョコレイトパフェ、僕はポットのホットコーフィー、そして西hinano順一郎先生は、チョコレイトケイキとバニラアイスクリームとホットコーフィーを注文する。
「先生、医者から砂糖を禁じられるとか、そういうことは、ありませんか?」
「えぇ、幸いにして、そのようなことはありません」
窓外の苔むした中庭に、午後の柔らかな光が満ちている。1時間ほどをゆっくりとした歓談に費やし、日光街道を下って、先生を下今市駅へお送りする。
5時すぎに帰社すると、きのう行った店舗の冷蔵庫交換に伴う床の塗り替えが続いていた。僕はそのまま事務室へ居残り、この2日間に入ったウェブショップの受注を処理し、「ご注文御礼」 を送付する。
次男が、「晩飯は "COCO'S" へ行きたい」 と言う。2泊2日のあいだ留守をした僕は、その申し出を了承すると同時に、本日の断酒を決める。
「プラスティックのボウルに盛られたサラダのみを食べて席を立つとは、まるでアメリカ西海岸の健康オタクみてぇじゃねぇか」 と考えつつ、晩飯を終える。
帰宅して入浴し、いまだ読み終えない 「なんだか・おかしな・人たち」 の、高橋義孝による師への愛情溢れる 「実説百閒記」 を読んで、10時前に就寝する。
暗闇の中で目を覚ます。現在時刻を確認する気もないまま、数十分を静かに過ごす。しばらくして枕頭のデジタル時計を見ると、4時だった。
本は持参せず、きのうの日記は、デジタルカメラを会社に置き忘れたため取り込めていない画像を除いて完成している。
フロントには何時ごろ、新聞が準備されるのだろうか? と、考える。1階の図書館には扉がなかったから、勝手に灯りを点けて読書をすることも可能ではないか? というようなことも、考える。
手持ちぶさたのため、コンピュータを起動し、熱いお茶を飲みながら、今日の日記を書きはじめる。
むかし、「自分は日記をつけるけれど、それはきのうや今日の日記ではなく、明日の日記だ」 と、言った人がいた。僕はそれほど未来のことではなく、これから数時間のあいだに、確実にありそうなことを書く。
5時を過ぎて東の大きな窓に目をやると、既にして空は薄青い。綿を細長くちぎったような雲の上半分は青灰色だが、下半分はピンクとオレンジに光っている。
6時に、屋上の露天風呂へ行く。体重計に乗れば、昨夜の60.35キロが、59.75キロになっている。ひと晩眠っただけで、体重が600グラムも減るものだろうか。腹がひどく空いている。
朝飯は、レタスとダイコンとニンジンのサラダ、春雨サラダ、スクランブルドエッグ、ベイコン、サンマの干物、刺身湯波と冷や奴、コマツナのおひたしとハクサイの浅漬け、メシ、油揚げとミツバの味噌汁。
8時30分、経験を積んだ社員の手によって、手際よく会場の準備が整えられていく。9時15分に、第6回目の日光MGが始まる。
MGとは、ひとりひとりが2日間に5期分の経営を盤上に展開して、会社の仕組み、経営、経理を学ぶ勉強だ。各期は、ゲイムが40分、うまくすれば決算も同じ時間にて完了し、つまりこれは、大学の1単位に1期分がちょうど収まることになるが、それにしても激しく頭を使う勉強にて、その1日目には、1期から3期までの経営をすることと決まっている。
ところが今回は、ほぼすべての参加者が、ゲイムから決算までを遅滞なくこなしているため、早くからスケデュールの組み替えを考え始める。外では驟雨があり、また晴れ間があらわれたりと、山の天気はめまぐるしく変わる。会場に差し込む緑を含んだ外光が、ときに目にまぶしい。
結局のところ本日は夕方までに異例の第4期までをこなし、夕食をはさんで、全員がその決算を完了する。7時から8時までは西先生の、" strategy accounting" の講義がある。利益感度をこれほど簡明に分析して人に伝えるものを、僕は知らない。
ここには泊まらず、自宅から通いで日光MGに参加をしている家内に届けてもらった "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" のお陰で、無事にきのうの日記を画像入りでサーヴァーへ転送する。
入浴の後、広い畳の宴会場にて、各人のスピーチを中心にした、ささやかな交流会が行われる。その後はいくつかの部屋に別れて、更に交流の夜は続く。
僕は11時すぎに自室へ戻り、即、就寝する。
夜半に1度目を覚ましたが、不覚にも二度寝に入り、気づけば朝6時になっている。取り急ぎ起床し、事務室へ降りる。
メイラーを回すと、顧客から、「トップペイジの一部分が見えない」 とのメイルが届いている。具体的な説明まで付記してあるが、僕には解析不能のことにて、外注SEのカトーノさんに、助けを求めるメイルを送る。
きのうの日記を作成し、サーヴァーに転送する。午前中、血中の脂肪分を調べるための採血があるため、朝飯は抜く。
9時すぎ、岡村医院にて血を採られた後、帰社して、今度は下今市駅のプラットフォームに、西順一郎先生をお迎えする。
ホンダフィットに乗って日光の街を抜け、いろは坂を上がる。本来の藍色に青空を映して群青色に染まる中禅寺湖を眺めつつ竜頭ノ滝を過ぎ、赤沼茶屋の駐車場に入る。そのまま、先日、長男がふたりの来客を案内した戦場ヶ原に足を踏み入れる。
昨年の今ごろも、西先生をここにご案内した。前回はメレルのトレッキングシューズを履いたが、先日の来客は、エスパドリーユよりも華奢な靴にて、この行程を歩き通した。それを聞いて僕も、今日はメレルのデザートブーツに、靴を軽量化した。
晴れ上がった空に秋の薄い雲が大きな弧を描いて、日差しは強すぎない。良く整備された木道を歩き、名を忘れた橋を渡ったところで休憩する。
弁当の中身は、卵焼き、ホウレンソウの辛子和え、湯波の炊き物、揚げシュウマイ、筑前煮、エダマメ、シシトウと赤ピーマンの油炒め、3種のおにぎり。
「先生、このあたりが、終点までの真ん中あたりでしょうか?」
「もうそんなに、来たでしょうかねぇ」
この遊歩道は、前半こそ平らな木道のみを歩いて快適だが、後半に至れば、木の根が露出した土の細道を上下することになり、疲労の度は急速に増す。湯滝へのアプローチを、昨年の左回りから、より近い右回りに変える。樹間眼下に初めて見る滝を認めつつ、クマザサの森を抜ける。
湯滝の左岸に沿ったつづら折りを登り、遂に湯滝の落水点に着く。ここより先は、湯ノ湖を右巻きにする昨年たどった近道ではなく、左を巻くより遠い道を歩いて、湯元の中心部へ至る。多分、6キロメートルほどは歩いただろう。
いまだバスの出発には25分の余裕があるため、「はるにれの湯」 というマニアックな温泉を持つ、これまたマニアックな造作の 「湯元観光センター」 にて、紙コップに注がれた牛乳を飲む。
ホンダフィットを停めた赤沼茶屋までバスで戻り、シラカバ林の中を中禅寺湖畔へ降りる、数日前にも訪れたパン屋 「フゥ・ド・ボヮ」 にて、6、7個のパイやクロワッサンを購う。西先生は、より剛健なクルミパンをお求めになった。
いろは坂を下り、西順一郎先生を 「日光MG」 の会場 「メルモンテ日光」 へ送り届け、更に山を下って4時30分に帰社する。
あれやこれやと忙しく立ち働き、自分の行き届かない点については人任せにし、5時45分に、今度は家内をホンダフィットに乗せて、ふたたび 「メルモンテ日光」 へ向かう。会場に前泊をする社員たちは、会場から差し回されたバスや自家用車にて、同じ道をたどる。
6時30分より、食堂の1番奥に設けられた席にて、夕食が始まる。この食事はヴァイキング形式によるが、「君、大丈夫か?」 と、思わず問いたくなる若い者の食欲も頼もしい。その皿の画像を撮ろうとして、デジタルカメラを、本日、戦場ヶ原の縦断に際して背負ったザックの中に置き忘れたことを思い出す。
食事の後は、宿泊用の最も大きな部屋に集まり、前夜祭を為す。本日、26歳を迎えたマキシマトモカズ君のために、ローソクを灯したケイキが運ばれる。
僕は10時30分に中座をした。この宴会部屋が何時まで賑わったか、それは知らない。自分のために用意された部屋へ戻り、本日の日記を作成する。
屋上の風呂へ行く。昨年の冬、露天風呂へ出る際に扉を壊し、しばし酷寒の屋外に締め出されたことを思い出す。女峰山の斜面を下る今夜の風は、いまだ夏の余韻を残して、僕を嬉しい気持ちにさせた。
部屋へ戻り、読むべき本も無く、11時30分に就寝する。
いまだ8月31日の夜11時50分、家内に起こされる。寝室から居間へ行くと、テレビではパリで行われている陸上大会で、日本人が女子マラソンの2位と3位になったことを伝えている。
着替えて事務室へ降りる。10分後、「らっきょうのたまり漬」 と、それを含む商品 「片口」 の自動計算システムに、値上げ後の数字を打ち込む。トップペイジにある 「9月1日より、価格を改定させていただきます」 の文言を、「9月1日より、価格を改定させていただきました」 と更新して、サーヴァーへ転送する。
二度寝から覚めると、5時になっている。即、起床する。メイラーを回してみれば、今朝0時を過ぎての注文は無い。本日、学校へ返却する次男の通信簿に、親の講評を書く。これは長男が小学1年生のときからの僕の仕事にて、できるだけたくさんの文字を盛り込めるよう、コンピュータに打ち込んだものを印刷して貼り付けるのも、この11年間の習わしだ。
きのうの日記を作成し、居間へ戻る。
朝飯は、厚揚げ豆腐と豆モヤシの炒め煮びたし、ジャコの佃煮、タシロケンボウんちのお徳用湯波とミズナの炊き物、ナスの油炒め、ウズラ豆、ハムとクレソンのサラダ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とワカメの味噌汁。
夏休みのあいだ、長男が書き物をしていたライティングビューローの上に、既にして読み終えたものか、2冊の文庫本がある。1冊は、三島由紀夫の 「金閣寺」 だった。「ミシマなら、甘木庵のオレの部屋にゴマンとあるのになぁ、金出して買っちゃったのか」 と、残念に感じつつ、もう1冊の表紙を見ると、吉田健一の 「三文紳士」 だった。「渋いなぁ」 と、思う。
吉田健一の著作については、その文体から、すこぶる読みづらいものもあるが、この 「三文紳士」 はスラスラと読み進むことができる上に、上質のユーモアと辛辣とが、まるでマスタードを溶かし込んだグレイビーソースのように、匂い立っている。
「これ、こんど飲み屋で読もうっと」 と、思う。「このような本を読むからには、長男には金春通りの 『よし田』 で、菊正宗の燗を飲ませてやらなくちゃいけねぇな」 とも考える。「だけれど長男はいま17歳だから、あと2、3年は、待たなくちゃいけねぇな」 と、思い直す。
午後、更にウェブショップの手直しをする。「四季のおみそ汁」 は遅ればせながら、デフォールトで 「秋」 が表示されるよう更新する。「秋かぁ、戻りガツオだよな、キヌカツギだよな、タチウオだよな、秋ナスだよな、数寄屋通りの 『おぐ羅』、行けねぇかなぁ」 と、思う。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。