朝5時に起床する。
「このような饒舌をいつまで続けて、一体何になるのか?」 という疑問から、ついには心理的な負担を覚えるに至ったpatio "BANYAN BAR" に 「撤退宣言」 をアップしたのは、今月14日のことだ。
その後、数ヶ月もシステムオペレイターの発言の無いpatioの巡回を切らずにいてくださった方々から温かい言葉をいただいたり、 あるいは、「辞める」 と言ってしまった後の開放感から、やはり僕は、この7年間続いたpatioを継続すべく、数日前に今度は、「オオカミ少年宣言」 をアップした。
ウェブショップの受注を確認し、そのpatioに数本の返信を書き、また、きのうの日記を作成する。
朝飯は、ウナギの山椒煮、キュウリとショウガの一夜漬け、納豆、ホウレンソウの胡麻よごし、焼いたメンタイコ、スグキ、ナスの煮びたし、メシ、シジミと長ネギの味噌汁。
朝の天気予報を見ると、九州から北海道まで、恐竜の背骨のような前線が1本、貫通している。今日の天気は悪くても、週末に向けては、徐々に回復して欲しいと思う。
「謎の新型肺炎 "SARS" を警戒して海外旅行が減り、その分、国内旅行の需要が高まった」 などというのは、もっともらしいデマに過ぎない。今年のゴールデンウィークは休日が飛び飛びになっているせいもあるが、道路は至極空いている。
定時に店が閉められるということは、遅くまで遊んでいる人も多くはない、ということだろうか。これは、5月の連休時には珍しい現象だ。あるは、今週末からの3連休で、ようやくいつもの傾向が現れてくるのかも知れない。
山が暮れていく。次男の漢字練習の宿題を督励し、明日の用意を見守る。
きのう、次男は 「ソラマメが食べたい」 と言った。それを受けて、今夜のサラダは、ソラマメ、プティトマト、セロリ、ピーマンを使ったものになる。
バキュバンで栓をし、冷蔵庫に入れたおいた、"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1998" を飲む。
鶏肉のオリーヴオイル焼きトマトソース、ブロッコリーとエリンギ、ニンニクのたまり漬のスパゲティ を愉しむ。
8時すぎに入浴し、9時前に就寝する。
推定で2時ころに目を覚ます。「コンゴ・ヴェトナム日記」 を数ペイジ読んで寝る。次は、推定で4時ころに目を覚ます。再び、「コンゴ・ヴェトナム日記」 を数ペイジ読んで寝る。5時に起床する。
事務室へ降りてコンピュータを起動する。いまだ朝は肌寒いため暖房を入れ、湯沸かしポットのスイッチを押してティーバッグを投入する。
ウェブショップの受注確認をして外へ出る。顧客用駐車場のモミジが日ごとに増やしていく若葉の量に、圧倒される。
25年以上も前の同じ季節、僕は甘木庵の窓から東京大学のイチョウの若葉を見上げて、「こんな葉っぱさえ、毎日驚くほどの早さで成長している。それにくらべてオレは」 との感懐を、毎日のように覚えていた。そして25年後の今日も、僕は同じことを考えている。
事務室へ戻り、きのうの日記を作成する。
今朝早くに読んだ 「コンゴ・ヴェトナム日記」 の中に、ちと引っかかるセンテンスを発見した。
「プリムローズ色のパラシュートが、まるで風の強い日の野生の植物の種子が舞うように、ふわりふわりと空から降ってくる」
というその部分を読みながら、「これをワードプロセッサで書けば、きっと叱られるに違いない」 と思った。試みに、この部分を実際にワードプロセッサで変換してみると、果たして、《修飾語の連続・ 「の」 の連続》 とのエラーメッセイジが現れる。
この種の、ワードプロセッサが書き手に対して 「それはおかしな日本語だぜ」 と発する警告は、僕も数日に1度は受けることだが、上記のパラシュートについての説明は、著者のグレアム・グリーンの英語が悪いのか、翻訳した田中西二郎の日本語が悪いのか、あるいはワードプロセッサがお節介なのか?
大野晋や丸谷才一が、近所の飲み屋でエヘラエヘラと無駄な時を過ごしているような僥倖に恵まれれば質問もできるだろうが、それはほとんど、叶うことのない望みだろう。
しかしながら、大体の想像はつく。このふたりの意見は、「それは、ワードプロセッサがおかしい」 というところへ落ち着くに相違ない。
朝飯は、焼いたメンタイコ、スグキ、ウナギの山椒煮、納豆、ホウレンソウのおひたし、ナスの油炒めと大根おろし、シイタケの素焼き、メシ、アサリと長ネギの味噌汁。
午前中、次男を伴って、大谷川向こうの松原公園へ行く。連休中の晴天とあって、駐車場からクルマが溢れている。すこし離れた野球場の駐車場へ行くと、こちらには空きがあった。
次男は、僕が昨年暮の本酒会のビンゴで引き当てたキックボードに乗って、遊具のある方へ走っていく。それを僕は、徒歩で追いかける。やがて次男は混み始めた遊具から離れ、スケートボード場で遊び、野球場脇の芝生へ戻る。
小百ライオンズと今二ブルーソックスの試合を見ながら、自動販売機で購った冷たい飲み物を飲む。その後、キャッチボールを20球ほどこなして帰宅する。
昼飯は、僕の夏の大好物、冷やし汁そうめんだった。
午後の仕事をこなし、夕刻になり、やがて終業時刻を迎える。
きのうから 「お鮨が食べたい」 と言っていた次男のために、家内が酢飯を作り、マグロの鮨を握る。また、海苔巻きも作る。家内と次男がそれを食べる横で僕は、カスピ海ヨーグルトとグレイプフルーツとウズラ豆を摂取する。
8時すぎに入浴し、9時に就寝する。9時30分に目を覚まし、「コンゴ・ヴェトナム日記」 を数ペイジ読む。10時に、2度目の就寝をする。
推定で0時ころに目を覚ます。「コンゴ・ヴェトナム日記」 を数ペイジ読んで寝る。次は、推定で4時ころに目を覚ます。再び、「コンゴ・ヴェトナム日記」 を数ペイジ読んで寝る。5時に起床する。
事務室へ降り、朝のよしなしごとをする。
朝飯は、スグキ、ウナギの山椒煮、納豆、ナスの油炒めと大根おろし、フキノトウのたまり漬、キュウリの塩もみ、メシ、甘エビの殻と長ネギの味噌汁。
このウナギの山椒煮がべらぼうに美味いので、家内に訊ねると、小倉にある 「田舎庵」 という店の、「鰻茶漬け」 という商品だという。美味いものはバクバク食べたいと主張する人もいるが、僕は美味いものは、極力、チビチビと食いたい。
結局、3杯のメシを食って、朝飯を終える。
店舗向かい側の駐車場にあった廃屋は、きれいに撤去された。日光街道側に立つと、この南北に細長い土地が、異様に広く見える。我が町がマレー半島と同じ気候を持つならば、わずかな年月にて、ここに魅力的な緑陰を作ることができるだろう。しかしもちろんここは、マレー半島ではない。
終業後、隣地の地主と、境界のブロック塀を修理する件につき、短い話し合いをする。
居間へ戻り、"NOILLY PRAT" を飲みながら、「コンゴ・ヴェトナム日記」 を読む。
きのうから次男は、「ラーメンが食べたい」 と言っていた。晩飯として丼に入ったラーメンを食べるのも気の進まないことにて、ブデチゲを作る。ニラや豆モヤシやソーセージや鶏手羽をあらかた食べ終えたところに、インスタントラーメンを投入する。
焼酎 「黒七夕」 を飲む。
8時すぎに入浴し、9時に就寝する。
朝5時に起床する。
事務室へ降り、ウェブショップの受注確認と、きのうの日記作成を済ませ、外へ出る。
店舗向かい側の廃屋は、プレファブの車庫を除いて、すべて取り壊された。後は、廃材や家具を片づけるばかりだ。
朝飯は、スグキ、焼いたタラコ、ヒジキとニンジンと鶏肉の炊き物、納豆、タケノコの土佐煮、ナスの油炒めと大根おろし、ピーマンの油炒め、メシ、大根と長ネギの味噌汁。
天気は上々とまではいかないが、気温はどんどん上がりつつある。ただし、10時までは、店もそれほど忙しくはならないだろう。始業時の諸作業をあわただしく行った後、加藤床屋へ行く。
廃屋の撤去作業は、日曜日の今日も続く。大型の作業機械や廃材運搬用のダンプカーが、顧客の乗用車の間を縫って現場へ出入りする。それを、繁忙期用に頼んだ交通整理のガードマンが誘導する。
午後、7歳の次男と手をつないで、今市小学校の体育館へ行く。市会議員選挙の投票を済ませる。次男は立会人を務める春日町1丁目区長のイワモトミツヒロさんに声をかけられ、それに何ごとか答えている。
まぁまぁの成績を残して、1週間の業務が終了する。社員たちと対前年度週間粗利ミックス表を検討する。その後、本酒会の紙の会報を作成して、封筒に詰める。
甘エビとヤリイカの刺身、オリーヴオイルで焼いたヤリイカのサラダ、チヌの酒蒸しにて、〆張鶴しぼりたて生酒原酒を飲む。
チヌの上下に置いた昆布から、長期熟成したたまり醤油のような、グルタミン酸の香りがガンガン立ち上っている。この昆布を皿へ敷き、そこへほぐしたチヌの身を載せて口へ運ぶ。昆布の旨味を、一層強く感じる。
昆布の出所を家内に訊くと、奥井海生堂の、ただしそれほどにも高くないものだと言う。
1978年、僕はマカオの中華料理屋で、スープ鉢の中の鶏を丸ごと食べて、同行のイノモトヨシヒロさんに、「タクヤさん、ダシの元までは、食べないものです」 と、注意をされたことがある。それを思い出しながら、ダシの昆布を食べる。
「ワインに最も似合いの肴はブドウだ」 と言った女の人がいる。僕はときおり、日本酒に最も似合いの肴は米ではないか? と考えることがある。スグキを載せたメシにて、蕎麦猪口で3杯目の〆張鶴しぼりたて生酒原酒を飲む。
8時すぎに入浴し、9時に就寝する。
深夜2時に目を覚ます。「コンゴ・ヴェトナム日記」 を数ペイジ読むうちに眠くなったため、灯りを落とす。次に気がつくと5時になっている。即、起床して事務室へ降りる。
ウェブショップの受注を確認し、きのう書いた本酒会のメイルマガジンを元に、本酒会のペイジを作成する。このペイジの中で最もアクセスが多いのは、言うまでもなく デイタベイスだ。ここまでを整え、またきのうの日記を完成させて、すべてをサーヴァーに転送する。
駐車場の廃屋は、5分の4ほどが、取り壊された。
本日は、ゴールデンウイークの初日と言えなくもないが、国道は空いているし、顧客の数も、そう多くはない。今年は祝日がとびとびに来るため、長い休みは取りづらいとの見方もあるが、子どものころのことを思い出せば、僕は長い連休よりも、楽しみが長続きする分、飛び石連休の方が好きだった。
夕刻まで、ゆるゆると仕事をする。不合理な方法に苦労をしながら仕事を完成させたとき、人は充実感を感じるものだろうか? 合理的な方法で楽に仕事を仕上げたとき、なんだかあっけないような感想を抱くのは、僕だけだろうか?
午後遅く、西の空に、夕日を覆い隠すようにして、高く雲が立ち上る。
ユニクロのファーストリテイリングから派生したエフアール・フーズの八百屋 "SKIP" の評判が、なかなか良い。ここから取り寄せた、ピーマンとトマトを生で食べてみる。時刻も時刻ゆえ、刻んだスグキや焼酎 「黒七夕」 も、その脇へ配置する。
この上なく肉厚のピーマンに歯を立てると、噴出する水分が心地良い。トマトを噛むと、なんとイチゴの香りが鼻へ抜けていく。次男にも試させると、「ホントだ、イチゴの匂いだ」 と、驚いたように言う。
これらの野菜の値段と味が、ウチの経済に比して釣り合いが取れているのかどうかは知らないが、美味いことは確かだ。
腑に落ちないのは、ウェブショップを経営しながら、よそのウェブショップでは決して買物をしない人の存在だ。自店以外で買物をすることほど、勉強になることはない。
シラウオのフリットとタケノコの土佐煮、餃子、クジラの百尋とクジラベーコンにて、更に焼酎を飲み進む。クジラベーコンの美味さを堪能するには、いつまでも咀嚼し続け、口中にその脂を行き渡らせることが肝要だ。
8時に入浴し、本酒会のイチモトケンイチ会長からもらった、期限切れの外国製缶ビールを枕元へ運ぶ。これを飲みつつ 「コンゴ・ヴェトナム日記」 を読もうともくろんだが、プルトップを開く前に、眠りに落ちる。
朝5時に起床する。
事務室へ降りてメイラーを回すと、毎週、味噌醤油関係のペイジのアクセス数を知らせてくれる 「太田屋醸造」 のカネコカズアキさんから、いつものメイルが届いている。そこにはトピックスのようにして、謎の新型肺炎により、ご友人のマスク屋さんが、取材に追われて仕事の現場へ入ることもできず、売るべき商品も払底している様子が紹介されていた。
ウェブショップの受注を確認し、きのうの日記を作成する。
春の弱い雨が降っている。隠居のサクラは今週はじめに吹いた強い風にて、おおかたの花びらを落とした。
朝飯は、3種のおにぎり。
駐車場の廃屋は、きのうの雨の中、裏側から壊され始めた。工事を請け負った会社によれば、完全に片づくのは、28日の月曜日あたりになるだろうとのことだった。1日も早く、さっぱりと更地になった姿を見たいと思う。
午前中の早い時間に、本酒会 のイチモトケンイチ会長が、きのうの本酒会の投票結果を持って来社する。そこにある数字をメイルマガジンにし、会員へ送付する。
日中、諸方の協力により、業務がとても楽になる有用な情報を入手する。これを元に、早速、近い将来の利益を幾分かでも増やす仕事にとりかかる。
終業後、自宅にてこまごまとしたことをした後、外へ出ると、止んだと思われた雨が、また降り始めている。傘を差して日光街道を下り、「市之蔵」 へ行く。
預けてある焼酎 「吉四六」 を、オンザロックスにする。本日の 「頼まなくても出てくるもの第1番」 は、タケノコと身欠きニシンの炊き物、エシャロットとニンジンと塩昆布のぐりぐり混ぜだった。
タケノコの煮物は好物だが、それにも増して、もうひとつの小鉢が素晴らしい。店主のナガモリユミコさんに訊けば、エシャロットは葉の部分のみを湯通しして刻み、生のニンジンと細切り塩昆布を混ぜただけの、簡単な料理だという。
「これ、大ヒットじゃないですか」 と言いつつ、グレアム・グリーンの 「コンゴ・ヴェトナム日記」 を読む。
カツオの刺身を注文する。これを醤油ではなく、差し入れとして持ち込んだ、「しょうがのたまり漬」 と 「にんにくのたまり漬」 の、双方のたまりを混ぜたものにて食べる。
「頼まなくても出てくるもの第2番」 の、コゴミのマヨネーズ和えを経て、イワシの丸干しを焼いてもらう。
丸干しにマヨネーズを添えるスタイルは、アタリメからの流用だろうか。オヤヂ達の中にも、マヨネーズ好きが増えつつあるらしい。ここで僕は、浜松町の 「秋田屋」 で、クサヤをテイブルへ運んできたオバサンに、「マヨネーズ、無いの?」 と言って、「お客さん、これはアタリメじゃないのよ」 と、逆に叱られていたオヤヂを思い出す。
店主に 「ハム、ある?」 「タマネギ、ある?」 と立て続けの質問をし、ハムとタマネギのオムレツを作ってもらう。
これを今夜の締めとして店を出ると、雨は止んでいた。
焼酎をたっぷり飲んだにもかかわらず、仕上げにビールが飲みたい。酒用冷蔵庫を開くが、ビールはただの1本も、見あたらなかった。仕方なしに、次男が昨年の夏祭りに参加して得た景品のコカコーラを持って、居間へ戻る。
入浴後、「ビールとコカコーラは、どちらがより体には悪いのだろうか?」 と考えながら、コカコーラを飲む。
推定で、9時に就寝する。
目が覚めて、遠くにあるヴィデオデッキのデジタル時計に目を凝らすと、4時を過ぎている。灯りを点けて、「思考のレッスン」 を読む。5時を過ぎてこれを読み終え、起床する。解説は、鹿島茂だった。
僕はこの本を、1年に1度ほどは、繰り返し読もうと考える。もっとも、これから10日も経てば、そのようなことは、きれいさっぱり忘れているかも知れない。
事務室へ降り、朝のよしなしごとをする。
朝飯は、ハクサイキムチ、甘塩鮭、ヒジキとニンジンと鶏肉の炊き物、オニオンスライス、納豆、茹でたグリーンアスパラガスのゴマ和え、メシ、豆腐とミツバの味噌汁。
学生のころ、同級生のヤマシタヨシマサ君が、飲み屋で壁の品書きを読み、「オニオンライス」 と、頼んだ。オヤジが怪訝な顔をしているため、ヤマシタヨシマサ君はもう1度、同じ言葉を繰り返し、そしてオヤジはようやく得心した。ヤマシタヨシマサ君はその酔眼により、「オニオンスライス」 を 「オニオンライス」 と読み違えていた。
しかし、飲み屋に 「オニオンライス」 というメニュがあれば、確かに、食べてみたくなる気持ちも、分からないではない。
ウチの土地の一角にある廃屋には、きのう足場が組まれ、仮囲いが為された。本日は先ず、内部に残された家具などを外へ運び出す作業が行われるらしい。「むかしここに、こういう建物があった」 という記録のために、写真を撮る。
"Computer Lib" からは、毎日0時すぎに、ペイジごとのアクセス数が送られてくる。このフォーマットが、改良のためなのか、数ヶ月に1度、その形を変える。僕はこれを マイツール へ取り込み、解析に適した形にするが、フォーマットが更新されれば、そのためのマクロにも、書き換えの必要が生じる。
午前中の数分を使って、その作業をする。
燈刻、カスピ海ヨーグルトとイチゴを摂取する。8時すぎに入浴し、1時間ほど、月末に必要な仕事をする。
僕は活字を欠いては、ひとりで飲食を為すことができない。普段、昼食は家で取るが、たまには外へも出かける。そのようなとき、ここ数ヶ月の間は、一編が600文字からなる随筆集
何時に目が覚めたのかは知らないが、しばらくは暗い中でじっとしている。外がようやく白みはじめたころに枕頭の灯りを点け、「思考のレッスン」 を読む。
5時すぎに起床して事務室へ降り、コンピュータの電源を入れる。起動を待たず、神棚の塩を持って国道121号線向かいの店舗駐車場へ向かう。
この土地の一角に、1988年まで、今市交通というタクシー会社があった。この建物がいよいよ廃屋のおもむきを呈し始め、このところは崩落の危険さえ出てきた。そのためこれを撤去することとし、今日がその工事の初日となる。
建物の周囲と内部に念入りに塩を撒き、これを清める。
事務室へ降りて ウェブショップの受注を確認し、きのうの日記を作成する。
朝飯は、ハクサイキムチ、甘塩鮭、ヒジキとニンジンと鶏肉の炊き物、ハムとブロッコリーの油炒め、納豆、茹でたホウレンソウのだしかけ、メシ、シジミとバンノウネギの味噌汁。
今日の仕事は、それほど忙しくもならないだろうと予測をしていたが、その思惑は外れ、特に午後に入ってからは、頭と手を活発に動かし、あちらこちらに電話をかけ、諸方に足を運ぶ。
しかしこの繁忙は、僕の基準による繁忙であって、世間の相場からすれば、眠っているようなものかも知れない。
昨月、ある集まりの帰途において、年長の友人クスヤマモッちゃんから、「清閑さん、こんど、荻窪に飲みに行きましょう」 と誘われた。
モッちゃんの家は舞浜、甘木庵は本郷三丁目のため、これまではいつも、銀座で飲んでいた。それが荻窪とは地理的合理性を欠くため、数日前に僕のpatio上で荻窪の店の名を訊くと、それは 「カッパ」 だという。
夕刻、僕の好きなサイト 「居酒屋礼賛」 で 「カッパ」 の訪問記を読んでいるうちに、臓物関係がたまらなく食べたくなってきた。スーパーマーケット 「かましん」 へ行き、それらしき材料を買い込んでくる。
銀座の 「ささもと」 で 「ぶどう」 と頼むと、生の焼酎にチョロリと甘い赤ワインを垂らした、薄ピンク色の飲み物が運ばれる。それをまねて、燈刻、バキュバンで栓のしてある "Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1999 " を少しグラスへ注ぎ、焼酎 「黒七夕」 にて満たす。
自分で作った 「ぶどう」 は、「ささもと」 のそれを遙かに超えて、紅く染まった。
豚のタン、豚のレヴァ、「テッポウと袋には表示されていたけれど、でも直腸じゃぁねぇだろう」 という感じの豚の腸 を肴に 「ぶどう」 を飲み、合いの手に、キュウリとレタスと半茹でポテトのサラダ、ハクサイキムチ、生のピーマンを食べる。
やけに酒のはかの行く晩にて、仕上げに大瓶1本のビールを飲む。
8時すぎに入浴し、9時に就寝する。
朝4時ころに目を覚ます。
目覚める前に、いくつもの夢を見る。コンピュータをコンピュータらしく使う以前、1990年ころまでは、暮の繁忙期になるといつも、毎日のように、仕事に失敗する夢を見た。今朝の夢は、それらとは異なり、仕事で成功するものばかりだった。
成功とはいえ、別段、大儲けをして引退して、地中海で巨大なヨットに乗っているような、そのような夢ではない。お客様に褒められたとか、お客様に喜んでいただいたとか、そういう、日常の小さな成功の夢だ。
5時に起床して事務室へ降り、ウェブショップの受注を確認する。また、きのうの日記を作成する。
自宅へ戻って洗面所の窓を開けると、目と鼻の先まで、濃い霧が迫っている。「マッチ擦るつかの間海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや」 に限りなく似た短歌を、寺山修司よりも先に詠んだ人物は誰だっただろうか? と考えても、思い出すことはできない。
朝飯は、「はれま」 の 「やさい」、生のトマト、納豆、ホウレンソウの油炒め、シイタケの素焼き、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
一昨年の夏より、自分が運営するpatioへの返信が、滞るようになってきた。会社のpatioで業務について話し合うことは楽にできても、個人のpatioにおいて、四方山話をすることは苦しくなってきた。その理由の最たるところは、「このような饒舌をいつまで続けて、一体何になるのか?」 という疑問によるものだということは、分かっている。
今年の1月からは、自分が運営するpatioにもかかわらず、それを開くことにさえ心理的な苦痛を覚えるようになった。そして遂に、今月の14日、patio "BANYAN BAR" に 「撤退宣言」 をアップした。
有り難いことに、4ヶ月以上もシテムオペレイーターが発言をしないpatioを、いまだに巡回から外していない方がたくさんいらっしゃって、「撤退宣言」 には、たくさんのレスポンスがついた。
その多くのレスポンスには、なぜか気楽に、素早く返信を書くことができている。4月一杯でpatioを閉鎖する決定をしたことが、僕の気分を楽にしたのだろうか。
夕刻から、とても腹が減っている。家内に、「今夜はステーキが食べたい」 旨を伝える。
燈刻、"Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1999 " を抜栓し、小さなガラス器でデキャンティングをする。
同じ年の同じワインを何十本も飲んでみると、それぞれのボトルが、明らかに異なる風味を持っていることが分かる。その中の1本は更に、飲み進むに連れ、あるいはそのとき食べているものに連れて、味を変えていく。
同じ箱のタバコの1本1本が、更には1本のタバコが一服ごとに異なる味わいを持つことを考えれば、同じ年の同じワインの個体差など、あって当然だ。
今夜の "Castillo de Molina" は、少々の粉っぽさを瑕僅として許すならば、甘く重くポッテリとして、ことのほかに美味い。
サラダ菜とトマトとアボカドのサラダ、エリンギとシイタケのオリーヴオイル焼き、ふかしポテトの細切りニンジン和え、ステーキ。
8時30分に入浴し、微量のオールドパーを生で飲む。9時に就寝する。
朝5時に起床する。東の空にはかろうじて朝日が昇ったが、西の空には厚い雲があって、日光の山は見えない。
事務室へ降りてコンピュータを起動する。ウェブショップの受注を確認し、きのうの日記を作成する。いつの間にか、雨が降り出している。
朝飯は、ダイズとヒジキとコンニャクの炊き物、サラダ菜とポテトとトマトとハムのサラダ、「はれま」 の 「やさい」、納豆、シイタケの素焼き、ニンジンの細切り油炒め、メシ、カブと万能ネギの味噌汁。
午前中、大口の配達をひとつこなす。雨にもかかわらず、日光や鬼怒川温泉にお泊まりになった方や、休日の予定をあらかじめお決めになっていらっしゃった方々なのか、客足は多い。
西研究所 のニシヨシエ先生がご親戚やご家族と、きのうから 「メルモンテ日光霧降」 へお泊まりになっている。本日は昼食をご一緒することとし、家内が霧降高原まで先生をお迎えに上がる。
家内の運転する三菱シャリオが12時に店舗前へ到着したため、ここからは僕が運転席に座る。雨足は弱くなった。20分ほど走って、小代行川庵 に到着する。
子ども3名を含む計7名で、天ぷらの盛り合わせを2皿と、1升1合の盛り蕎麦を平らげる。
ここの蕎麦は昔風に太いが、しかし僕が子どものころの蕎麦に顕著だったボソボソ感、ザラザラ感は無い。モッチリ、シコシコとして舌触りが良く、しかし柔らかくはないので、「さぁ、噛んで食うぞ」 と意気込んで口へ入れるたぐいの蕎麦だ。
蕎麦くず湯にて締める。蕎麦くず湯は、我々の卓にて売り切れになった。
それにしても、我が町の農村部に次々とできた、本職によるものではなく、農家のオジサンや主婦による蕎麦屋の繁盛ぶりは凄い。これこそ、アマテュアリズムの精華というものではないか。
ニシヨシエ先生ご一行は、下今市駅14:36発の上り特急スペーシアにて帰京された。
事務室、店舗、包装部門、製造部門を歩き、やがて閉店時間に至る。本日出勤した社員たちと、対前年度週間粗利ミックス表を検討する。
蕎麦は消化の良い食べ物とされるが、僕はそれを信じない。僕が蕎麦を食べると、長く満腹状態が続く。ウドとシメジとコンニャクの煎り煮、ホウレンソウの胡麻よごし、豚タン塩焼き、釜揚げホタルイカ、薄切りタクアンにて、焼酎 「千夜の夢」 を飲む。
8時すぎに入浴し、9時に就寝する。
昨夜は朝6時に目覚まし時計をセットして寝たが、今朝は早くも5時に目を覚ます。起床してコンピュータを起動する。
きのうのように外出をする日、カメラは、家にいるあいだは "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" を使い、家を出てからは、小さな "Minolta DiMAGE X" を用いる。だから、移動日の日記の画像は、多く、ふたつのカメラによるものが混在することになる。
"Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" による画像は、既にしてきのうの外出前に、コンピュータへ取り込んでおいた。今朝は "Minolta DiMAGE X" の画像をコンピュータへ移し、双方を同時に加工する。
ウェブショップの受注を確認し、きのうの日記を幾分か完成に近づける。冷たいお茶を飲み、6時30分に甘木庵を出る。
ひっそりと静かな湯島の住宅街に、ヤエザクラが満開になっている。公園の木々は、早くも新緑を芽吹かせている。僕は半袖のTシャツを着てインド製のスカーフを巻き、切り通し坂を降りていく。
浅草駅には、7時前に着いた。7:30発の、下り特急スペーシア始発の切符を買う。
地下道にあるトンカツ屋 「会津」 に明かりは灯っているが、ノレンは出ていない。おまけに店の入口は、看板によってふさがれている。「やっぱり開店は、7時30分なんだな」 と思いつつ中を覗くと、何人もの客が朝の定食を食べている。
「なしくずし」 という形で僕も店に入り、ベイコンエッグ定食を注文する。
隅田川右岸の公園に、馬に乗った流鏑馬姿が目立つ。お祭りだろうか。墨堤のサクラは、すっかり葉だけになった。
帰社して即、営業車で大口注文の配達に出かける。いまだ深い緑の中を走り、1時間後に帰社する。
昼どき、近所のユサワさん宅から子どもが3人遊びに来て、隠居でピクニックのような昼飯を食べる。「子どもがたくさんいるって、楽しいなぁ。大勢でメシを食うのは、楽しいなぁ」 と思う。
子どもが4人いると、それぞれの話に満遍なく相づちを打つだけでも一仕事だ。家内が準備した弁当は、あらかた綺麗に食べ尽くされた。
子ども達はその後、せせらぎでカエルの卵を採るなどして、しばらく遊んだようだ。僕は一足先に、会社へ復帰する。
何日も飲酒を続けたり、夜に必要以上のメシを食べたりすると、体が内側から膨張しているような感触を強く覚える。本当は、今週の木曜日に断酒と晩飯抜きを断行しようとしたが、当夜のメニュがスパゲティと聞いて、その考えを中止した。
今夜こそ酒と晩飯を抜くこととし、「チェリーボブ」 のヨーグルトとカスピ海ヨーグルトのミックス、ブンタンを摂取する。
8時すぎに入浴し、丸谷才一の 「男もの女もの」 を読み終える。この本の解説は川上弘美だった。9時に就寝する。
巨大な体育館の天井付近から、壁に沿った細い階段を降りて行く。ふと足元を見て、尻込みをする。階段が途中で途切れ、眼下20メートルほどのところに、ワックス拭きをされた床が見える。
ここから先はハシゴで降りるのだろうかと、最下段の階段から懸垂をして、ハシゴを探す。見つからない。徐々に腕が疲れ、やがて体力の限界が訪れる。
こういうとき、僕は薄ボンヤリと、「オレは今、夢を見ているんだな」 と気づくことがある。恐怖から逃れるために無理矢理まぶたを開き、目を覚ます。
起きあがって、ヴィデオデッキのデジタル時計に目を凝らす。5時が近い。遠くに、JR日光線の上り始発の走る音がする。5時を過ぎて起床する。
事務室へ降り、朝の仕事をする。きのうの日記の、最後の1行付近までを作成する。
朝飯は、ダイズとヒジキとコンニャクの炊き物、揚げ茄子と大根おろし、納豆、ホウレンソウのおひたし、カブとキュウリとショウガの浅漬け、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
始業前から販売係のサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君を伴い、味噌蔵と隣家とのあいだのガラクタを片づけに行く。僕が薄暗い隙間へ入り、何やら分からない木枠やゴムホース、誰が残置したか不明の缶や瓶を、塀越しにふたりへ渡す。
発泡スティロールの箱が、3つも4つも重なっている。それらのフタを次々に開いていくと、その中のひとつに、カエルの卵がみっちり入っている。そのまま箱を隠居のせせらぎへ運び、中身をドボドボと水中に投入する。
じめじめした地面のビニールを引きはがすと、そこでは何匹もの大きなカエルが、交尾をしている最中だった。
それにしても、フタの閉まった箱の中に、カエルはどのようにして卵を産んだのだろうか。
9時にクルマで会社を出る。40分後に宇都宮へ着く。栃木県味噌工業協同組合での仕事を済ませ、「たまき」 へ行く。
知人の孫の初節句に贈る品物を注文する。奥の部屋にて茶菓をご馳走になる。店主のタマキヒデキさんと、しばしの歓談を為す。
タマキヒデキさんがサラリーマンを辞めて今の店を立ち上げたのは、27歳のときのことだったという。そしてタマキさんの長男は父親と同じほどの年齢で、一部上場企業のトップセイルスマンから、いきなり鮨屋の見習いになった。
跡継ぎと起業のどちらが難しいかを議論するのは空しいことだが、それにしても、タマキさん父子は凄い。
2月に壊れたベルトを修理してもらうため、"HAROLD'S GEAR" へ行く。僕はここ10年ちかく、ジーンズやコットンパンツには、この店のベルトしか用いない。
サクラ吹雪の日光街道を北上し、「日光わんわんの森」 へ行く。納品を終えたところで、社員のホサカカズエさんが、「シイタケ、持ってってください」 と言う。
林間の、シイタケの繁殖地へ連れて行かれる。そして、ザルとハサミを手渡される。さもしくも、傘の開ききっていない大ぶりのものばかりを、大量に採取する。
「それだけで、良いんですか?」 と、ホサカカズエさんに訊かれる。これだけあれば十分だ。今夕から僕は、東京へ行く。今夜これを食べることのできない我が身を、恨めしく思う。
社員用コンピュータの10キーが、ひとつダメになった。これを買うために、"Plug City" を目指す。近道をしようとして、今まで走ったことのない道へ入る。大室、針谷と来て、道が鬼怒川温泉へ向かっていることを知る。
窓外には、満開のサクラとナノハナがあり、青い空には鯉のぼりが盛大に泳いでいる。渡った川は、大谷川だろうか。太陽の位置のみを頼りに脇道へ入り、ついに、見慣れた風景の場所まで戻る。10キーを買って帰社する。
下今市駅16:03発の、上り特急スペーシアに乗る。北千住と新御茶ノ水を経由し、6時すぎに神保町へ達する。
今日の昼、店の前に置いた温度計が、26℃を記録したという。岩波ビルから地上へ出ると、海抜400メートルの今市よりも東京の方が涼しい。
矢野ビルの階段を4階まで上がり、会議室へ入る。自由学園卒業生のメイリングリスト "pdn"(Primary Dougakunotomo Network)の、システムオペレイター会議に出席をする。12歳年長の、ミウラヒロシさんの隣に座る。
"Computer Lib" の回線を無断借用し、メイルの送受信を行う。"Computer Lib" はつまり、自由学園男子部1回生の、ヤノナオシさんの家にあるということだ。
会議は3つの議題に結論を出し、9時30分ちかくに終わった。
3分ほど歩いて裏道へ入り、「家康本陣」 の引き戸を開ける。すかさずオヤジが 「いらっしゃいっ」 と大声で言い、天井から吊された太鼓をドンドンと叩く。
「お飲物は、何になさいますか?」
「芋焼酎を、オンザロックスでお願いします」
「山形のフキノトウがあります。お付けしますか?」
「お願いします」
このオヤジに叱られて、泣いて帰った客もあるという話を耳にしたことがある。しかし、オヤジと僕との相性は、しごく良い。
通常の、酢をかけたキャベツとスモークトタンの突き出しに、フキノトウの炒り煮が添えられる。
カウンターに沿って巡らされた冷蔵ショウケイスをのぞき込むと、すかさずオヤジから声がかかる。
「バラとタンとレヴァあたり、行っときましょうか?」
「お願いします」
酢をかけたキャベツの上に、いきなり串焼きをサーヴするのが、この店の流儀だ。
オヤジが合いの手に、西洋キュウリに薄い豚バラ肉を巻いた串を出してくれる。
「オヤジさん、これ、美味いじゃないですか」
「美味いでしょ? お客さんがね、ニガウリの無い時期には、コレをやったらいいんじゃないか? って、教えてくれて」
「美味いなぁ、なんつったっけ、これ、キューカンバーじゃねぇし」
「うーん、何だっけ、何だったかな」
オヤジが、女のお客に声をかける。「分かります? 何しろ私は、鬼畜米英の時代の人間だから」 訊かれた女性が、ひとこと 「ズッキーニ」 と答える。「あぁ、そうそう」 と、オヤジと僕は揃って納得をする。
ズッキーニの豚バラ肉巻きをお代わりし、つくねにて締める。14本の串焼き、4杯の焼酎、小さなグラス1杯の生ビールをこなして、勘定を頼む。
ドンドンという太鼓の音に送られて、店を出る。
神保町から甘木庵の最寄り駅、本郷三丁目までは、地下鉄を使っていくつかの帰り方がある。しかし、さしたる苦労もなく歩ける距離を、わざわざ地下鉄に乗る気はしない。否、坂道や階段、川や橋のある2.5キロほどのこの道のりが、僕は好きなのだろう。
11時を過ぎて甘木庵へ帰着する。シャワーを浴び、冷たいお茶飲んで、0時すぎに就寝する。
5時に起床して事務室へ降りる。
ウェブショップでの注文に際して、メイルアドレスやキャッシュカード番号の入力間違いをされる方の確率は、およそ10%だ。
キャッシュカードが与信を通らなければ、商品をお送りすることはできない。このような場合には即、ご注文主にメイルにて、正しいカード情報をいま一度入力して下さるよう、お願いをする。
ところが世の中には、自分が発信をするときにしかメイラーを立ち上げない人が、非常に多い。一昨日、間違ったキャッシュカード番号を入力されたお客様からも、いまだ返信は届かない。日中、電話にてご連絡をすることにする。
きのうの日記を作成し、居間へ戻る。
朝飯は、ハクサイキムチ、鶏レヴァ煮、ヒジキとニンジンの炊き物、ブロッコリーの油炒め、焼いた厚揚げ豆腐と大根おろし、納豆、メシ、アサリと万能ネギの味噌汁。
隠居には、3本のサクラがある。サクラはこの数日で急に開花し、明日にでも散り始める風情だ。その前に見ておこうと、隠居へ足を踏み入れる。
紅いシダレザクラの奥に、大きなソメイヨシノがある。せせらぎには、既にしてオタマジャクシが泳いでいる。どこの追分けにあったものか、「左 阿いつ 右 大たはら」 との石柱を眺めつつ、会社へ戻る。
早い時刻より気温は上がり、顧客用駐車場の草木も水分を欲しているようだ。販売係のサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君に、駐車場への水の撒き方を教える。打ち水は即、呼び水となって、お客様のクルマが数台、駐車場へ入ってくる。
夕刻、店へ出ると、ひとりの若い女性が、「私、この 『なめこ』 ってのに興味あるのよ」 と、おっしゃる。すかさず、「なめこは少し高いんですけれど、すっごく美味しいんです」 と、お答えをする。
「じゃぁ、私、買おう」 とサイフを開きつつその女性は、3人のやはり若い男友達に、「あなたも買う? あなたは?」 とこれを薦め、瞬く間に4本の 「なめこのたまり漬」 が売れる。
僕は嬉しくなって、思わずこの女性に、ノヴェルティの買物袋を差し上げる。これは、1996年にホンコンのセブンイレブンで販売をしていた、環境保護袋をモデルにしたものだ。
午後の予想を超える売上げ金額を上げて、閉店する。
初更、"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1998" を抜栓する。
トマトとクリームチーズのサラダ。クリームチーズは、モッツァレラチーズよりも、美味さが分かりやすい。コチのフリットは、ポッテリモチモチとした身に脂が乗って最高だ。
ホタルイカとソラマメを満載したスパゲティは、およそ洗練からは遠く離れているが、いつまでも食べ続けていたいと思わせるほどに、僕の口を悦ばせる。
「イタリア男はことあるごとに、母の味を絶賛して止まない」 と聞くが、すべてのイタリアのオフクロが、料理が上手いとは限らないだろう。ただし僕は、「やっぱりウチのメシはうめぇなぁ」 と思う。この1ブロック、文法的におかしなところが、あるだろうか?
8時に入浴し、微量のオールドパーを生で飲む。丸谷才一の 「男もの女もの」 を少し読んで、9時に就寝する。
朝5時に起床する。
事務室へ降りて、ウェブショップの受注を確認する。きのう撮った画像をコンピュータへ取り込み、きのうの日記を少し書く。
6時に外へ出ると、武田線香店のタケダショウジさんの姿が見える。声をかけ、ふたりで、日光街道沿いに出された赤柱から、しめ縄を外す作業をする。
6時30分に公民館へ行き、僕が組内へ配る瀧尾神社のお札9枚を受け取る。このとき、お札を数える際の数助詞が 「体」 であることを初めて知る。
言葉は時を経て、徐々に簡略化される。数助詞などは、その最たるものではないか。そのうち人間さえも、「ひとりふたり」 ではなく、「1個2個」 と数える世の中が来るに違いない。
朝飯は、シイタケと糸こんにゃくの煎り煮、ハクサイキムチ、納豆、ホウレンソウのおひたし、ヒジキとニンジンの炊き物、薩摩揚げの甘辛煮と大根おろし、メシ、豆腐とノビルの味噌汁。
8時に、手塚工房のテヅカナオちゃんが、塗り直した顧客用トイレの案内板を取り付けに来る。同時に、小学生が災難に際して駆け込める施設を示す 「ひなんの家」 の看板も、綺麗になって店の白壁に掛けられる。
今日は天気も良く、気温も上がって、客足は繁くなった。
夕刻、"JUSCO" の中にある旅行代理店へ行き、5月に使う航空券を購入する。係に年齢を訊かれたため、47歳と答える。帰社して、机上にある 「健康診断個人報告書」 を何気なく見ると、僕の年齢が46歳と印刷されている。「なんだ、オレはまだ46歳だったのか」 と、認識をする。
終業後、6時30分より、春日町1丁目公民館にて、お祭の直会が催される。イワモトミツトシ区長は、直会のことを 「傘抜き」 と呼ぶ。これは、お祭りの打ち上げについてのみ用いられる呼称だろうか。
スーパーマーケット 「かましん」 にて購われた鮨などを肴に、祭壇に上がった酒をヤカンで燗付けして飲む。いつものことながら、武田線香店のタケダミッちゃんが、漬物や果物、フキノトウの天ぷらなどを、差し入れてくれる。それらに箸を伸ばしつつ、更に燗酒を飲み進む。
傘抜きは、2時間ほどでお開きになった。酔って足もとのおぼつかないふたりのオヤヂが、感心にも自ら食器を洗う。
帰宅して入浴し、9時すぎに就寝する。
最近の睡眠パターンと同じく、夜中に目を覚まし、それから深く眠って、5時15分に起床する。
事務室へ降り、シャッターを上げる。この時間から外が明るいのは有り難い。ぽつりぽつりと雨が降っている。ウェブショップの受注を確認し、きのうの日記を作成する。
朝飯は、ハクサイキムチ、ダイズとヒジキとコンニャクの炊きもの、納豆、鶏レヴァ煮、スペイン風目玉焼き、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、メシ、シジミとノビルの味噌汁。
始業から間もなくして、電話による問い合わせがある。「ウェブショップの地図に、ふたつの異なる番地が記されているが、どちらが本当なのか?」 というのが、その内容だった。
「まさか、どこかの誰かが作った、地元案内のペイジではないか?」 といぶかしく思いながらそのURLを訊ねると、確かにウチのペイジだ。受話器を持ちながら問題のペイジへ行くと、確かに、フッタの番地は "487" で正しいが、その上の枠内にある番地は "478" となっている。
取り急ぎお詫びとお礼を述べ、正しい方の番地をお知らせして、受話器を置く。
他に誤った番地の掲載は無いかと、すべてのペイジを調べる。番地の間違いは無かったが、ペイジによって最下部のボタンが、「商品のご説明」 だったり、あるいは 「ご注文受付」 だったり、あるいはそのどちらも設置していなかったりと、昨年5月以前のウェブショップを引きずっている部分がいくつも見つかった。
これらのペイジのボタンをすべて、現在の 「ご注文受付」 にリンクさせる。書き換えは数十ペイジに及んだが、大した手間はかからなかった。
夕刻、例大祭用の赤柱を、製造係のイトウカズナリ君とタカハシアキヒコ君、販売係のサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君が片づける。土台の石が非常に重いため、これは屈強の若い者に任せるべき仕事のひとつだ。
夜、家内と次男が、グリーンアスパラガスの豚三枚肉巻き、シイタケと糸こんにゃくの煎り煮、ヒジキとニンジンの炊き物、薩摩揚げの甘辛煮と大根おろし による夕食を取る。
僕は断酒日にて、「チェリーボブ」 のヨーグルトとイチゴを摂取する。
8時すぎに入浴する。丸谷才一の「男もの女もの」 を読み、9時に就寝する。
夜中に目を覚ます。枕頭の灯りを点けて本を読むほどの、はっきりした覚醒ではない。そのまましばらくするうちまた眠りに入り、今度こそ深く睡眠して気がつくと、5時を過ぎていた。
5時30分に起きて、「自由学園の東天寮でも、今が起床だな」 と思う。
東天寮では、中等科1年生から高等科3年生までの男子が自治による生活をしている。舎監はいない。高等科3年生の長男は、中等科3年生の副室長と共に、4月12日の入学式の日から、中等科の新入生5名を含む部屋の室長をしている。
少なくとも新入生が帰宅を許される5月の連休までは、長男の労苦を思いやって、僕も5時30分の起床を守ろうと思う。もっとも、早寝早起きの得意な僕がいくら早起きをしても、それほど意味のあることではない。
事務室へ降り、朝のよしなしごとをする。
朝飯は、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、ナスの油炒めと大根おろし、カブの葉と油揚げの炒め煮、温泉玉子、納豆、メシ、カブとナノハナの味噌汁。
次男は今春から小学2年生になったため、登校班の集合場所まで送ることは止めた。しかしいまだ少しの心配はあるため、交差点や駐車場の出入口でいちいち左右確認をする次男が集合場所へ達するまで、歩道に立って見送る。
本日は、例大祭の行列が自分の住む町内に入って出るまで先導をする、渡御頭の仕事がある。9時30分に春日町1丁目の北端で待機すれば良いと考えていたところ、イワモトミツトシ区長が 「大事を取って、9時から立ってくれ」 と言う。
そのため、会所で頭の半纏を身につけ、金棒を持って、9時に所定の位置へ着く。そのまま30分が経過する。しかしながら、数百メートル日光寄りにある瀧尾神社から、祭礼の一行が出発する気配は無い。
市縁ひろばの前の歩道で、更に30分の時を過ごす。10時すぎ、杉並木の下に、ようやく白張りの姿が見える。春日町1丁目の会所前に行列が達するまでには、更に15分の時を要した。
住吉町の入口まで一行を先導し、とりあえず午前中の役割を終える。それにしても、路上にて無為に過ごした1時間と数十分が惜しまれる。
渡御頭と町内の顧問には、会所にて昼食が振る舞われた。僕は長老の口から出る、懐古調のヨタ話が大好きだ。できればそれをそのまま記憶をして、帰宅してから食卓で家族に開陳したいくらいに面白い。もっとも、面白がっているのは、僕だけなのかも知れない。
今朝、当番町の役員である加藤床屋のオヤジに見せてもらった行程表によれば、僕が午後の渡御頭を務める時間は、2時45分と推定された。その時間が近づいたため、半纏を着て金棒をたずさえ、芝崎米屋の前に行く。
やはり、行列の現れる気配は無い。仲町の会所まで行き、携帯電話を持つ洋食屋金長のオヤジに、30分ほどの遅れを知らされる。そのまま帰社し、30分後にふたたび芝崎米屋へ戻る。
桜木町から日光方面へ北上する行列が、ようやく見えてくる。今朝10時の出発から、およそ10キロも歩きづめのアンザイ畳屋のオヤジが、春日町1丁目に入ったとたん、路上へへたり込む。僕でさえ、例大祭の全行程を歩かされれば、げっそりするだろう。
午前中と同じく、一行を先導する。下校途中の次男が、「あ、お父さん」 と笑って、僕に手を振る。やがて春日町1丁目の北端に達する。これにて、春の例大祭における僕の仕事が終わるかといえば、そうでもない。
帰社して、通常の業務に復帰する。
今日は酒を抜こうとしていたが、朝、よそからノビルを戴いたため、その考えを捨てる。ハムとキュウリとカブのマリネ、鶏レヴァ煮、ノビル、肉じゃが、マグロのヅケとタコの刺身、生味噌にて、焼酎 「千夜の夢」 を飲む。
8時すぎに入浴し、微量のオールドパーを生で飲む。9時に就寝する。
5時30分に起床する。きのうの雨にもかかわらず今朝は快晴にて、一安心をする。
事務室へ降り、ウェブショップの受注を確認する。きのうの日記は画像も多く、文章も長くなって、早々には完成しなかった。
朝飯は、しその実のたまり漬、納豆、海苔の佃煮、ホウレンソウの油炒め、生のトマト、温泉玉子、メシ、豆腐と油揚げとフキノトウの味噌汁。
店舗の犬走りに立てた2本の赤柱に、例大祭用の 「奉祝」 の提灯を下げる。また、しめ縄から計20枚の幣束を垂らす。
これに伴って、僕が組内へ配る幣束が不足する。竹田線香屋へ追加の幣束を貰いに行き、その理由として 「店に20枚を使ってしまったから」 と述べて、タケダショウジさんに苦笑いをされる。
10時、子供用の自転車を三菱シャリオに積み、次男と松原公園へ出かける。次男はいまだ空中を飛ぶ球を捕らえることはできないため、ゴロによるキャッチボールを芝生の上で行う。その後、数々の遊具にて、1時間ほど遊ぶ。
公園のサクラの蕾は、いまだ固い。当然のことながら、帰路にある大谷川河川敷のサクラも、開花には至っていない。
夕刻、仕事の合間を縫って、今市小学校の体育館へ行く。県会議員選挙の投票を済ませる。
終業後、国語の教科書2ペイジを書写するという、次男の宿題を督励する。
晩飯前に、"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1998" を抜栓して、これを飲む。「あぁ、美味めぇなぁ、ウチで飲む酒が、いちばん美味ぇや」 と思う。もっとも、「だったら外で飲むのはやめろ」 と言われれば、それも困る。
生ハムとナノハナのスパゲティ、サンマのオリーヴオイル焼きバルサミコソースにて、上出来のシャブリを400CCほど飲む。
8時30分に入浴し、微量のオールドパーを生で飲んで、9時に就寝する。
真夜中、4時、5時と目を覚ます。3度目の目覚めで起床し、事務室へ降りる。
ウェブショップの受注を確認する。uwasawa@tamarizuke.co.jp 宛のメイルでご注文をくださり、しかし肝心の品名を記していらっしゃらない顧客へ向けて、質問のメイルを送付する。それに引き続いて、きのうの日記を作成する。
いくつかの仕事を頼んでおいた手塚工房のテヅカナオちゃんが、年度替わりの繁忙期を終えて、ようやく来てくれる。今日は、オイルステインの色が薄くなり、金具も錆びてきた 客用トイレの看板を取り外す。この修復に、4日ほどは要するという。
10時から、瀧尾神社の春の例大祭に向けて、会所の飾り付けをする。また、春日町1丁目の路地以外の道に、しめ縄を張って歩く。ウチの店にはもちろん、僕自身が縄を張る。
昼近くに、お祭りの期間中だけは会所と呼ばれる春日町1丁目の公民館へ戻る。組長が各戸に配る、幣束の数を数える。僕は、あさって着ることになる頭の半纏を、念のため体に合わせてみたりする。
例大祭の準備をした役員が揃って、「びしゃもん」 へ行く。
「オレ、焼きうどんカレーライスセット」
「オレも」
「オレはその大盛りね」
長老達の食欲は旺盛だ。
「オレは、焼肉カレーライス焼きうどんセット」 と、シバザキトシカズさんが言う。「そんなの、ありませんよ」 と、僕が注意を促す。「ちょっと言ってみたかっただけ」 と、シバザキトシカズさんが返す。
僕は一体に、冗談の通じない人間だ。ダジャレのたぐいも、なかなか理解することができない。僕はナポリタンを肴にビールを飲んだ。
雨が降ってくる。お祭りの準備が終えて後の雨は、どうということもない。
燈刻、居間へ戻ったところへ、自由学園の新入生父母歓迎会の手伝いに行っていた家内から、「少し遅くなる」 旨の電話が入る。
次男の意向を容れ、日光街道沿いの洋食屋 「コスモス」 へ行く。この店は最近、よそで修行をしていた長男と次男が戻って店を建て替えた。
「大通りがシャッター通りなんて言われるようじゃ寂しいから、みんなでがんばろうと思って」 というオカミの意気が良い。
ドライマーティニから始める。「お料理が来るまで、こちらをつまんでいてください」 と、少なくない量のポップコーンがカウンターから届く。次男とは、先日行った、ディズニーランドとディズニーシーの話をする。次男も既に、僕と二人だけで会話の成立する年になった。
魚介類のマリネが運ばれる。鶏の唐揚げサラダも運ばれる。カラフの白ワインを頼む。
この店のメニュには、アラカルトが少ない。ほとんどがセットメニュばかりだ。僕はプリフィクスを除いては、セットメニュとかコースメニュというものを好まない。「セットの方が得じゃねぇか」 という意見もあるが、僕にしてみれば、「食いたくねぇもんまで食いかねぇよ」 ということだ。
マカロニグラタンセットのマカロニグラタンだけを単品で頼めないかとオカミみ訊き、オカミがそれを厨房に伝える。やがて単品のマカロニグラタンが席へ届く。それを次男と分けて食べる。
やおら現れたイチモトケンイチ本酒会長を、僕たちのテイブルへ招く。「自転車屋のオジチャンが来て、良かったね」 と、次男に言う。イチモトケンイチさんは、子どもの気持ちの分かる人だ。
イチモトケンイチさんが、卓上のポップコーンに目を留める。「なに、これ?」 「おつまみらしいですよ」
「サキ、じゃんけんで勝った方が、これ、食えるんだかんな」 早速という感じで、イチモトケンイチ会長と次男のサキがじゃんけんを始める。勝ったり負けたりするたびに、次男は一喜一憂をして大はしゃぎをする。ポップコーンを食べるだけのことをゲイムにしてしまうような才能は、僕には無い。
「サキ、これから汚いオジチャンと、1日にひとりずつ子供を作って、いま子どもが55人いる鉄屋のオジチャンが来っかんな」
10分ほどすると、果たして 「やぶ定」 のワガツマカズヨシさんと、「稲葉屋鉄工」 のオオハシカズヒコさんが来る。オオハシカズヒコさんの家に、55人もの子どもはいない。せいぜい4人か5人くらいのものだろう。
やがて3人は、明日の競馬について、新聞を開いて相談をし始めた。僕は次男と傘を差して、弱い雨の中を帰宅する。
8時に入浴し、次男は8時30分に就寝する。僕は微量のオールドパーを生で飲み、9時に就寝する。
昨夜は飲酒も為さず夜の9時に就寝して、今朝は5時30分に起床する。計算すれば8時間30分の睡眠になるが、もちろん、ずっと眠り続けているわけではない。
事務室へ降りて朝のよしなしごとを済ませ、7時10分に居間へ戻る。
朝飯は、「加島屋」 の塩鮭、「小松屋の海苔の佃煮」、「上澤梅太郎商店」 のしその実のたまり漬による3種のおにぎり。
天気も良いため、また今週半ばにひとつの大きな仕事も終えたため、販売係と包装係の大多数が出て、国道121号線脇の排水溝や客用トイレの外壁掃除、また駐車場の草むしりなどをする。
僕は、客用トイレの外壁掃除を手伝い、その後、夏の繁忙期へ向けての事務的な仕込みの仕事をする。
あさっての日曜日から、東照宮の弥生祭が始まる。また日を同じくして我が町では、瀧尾神社の春の例大祭が始まる。なんとか好天に恵まれて欲しいところだが、予報の結果は、あまり芳しいものではない。
終業後、「市之蔵」 へ行く。預けてある 「吉四六」 を、お湯割りにする。本日最初の 「頼まなくても出てくるもの」 は、ホタルイカだった。思わず 「あー、ホタルイカ」 との言葉が、口をついて出る。
1983年、僕はシンガポールの屋外料理屋でホタルイカの素揚げを食べ、その珍しさと美味さに感動をした。昨年、同地のホーカーズでこれを食べたいと調理場のオニーチャンに言ったところ 「それには、いまだ季節が尚早だ」 との説明を受けた。僕はいつでもどこでも、ホタルイカを食べたい。
ヒラメの刺身とカツオのたたきを、盛り合わせにしてもらう。カツオのたたきを食べ、次にヒラメの刺身に箸をつけながら、「どちらかといえば、ヒラメから食べるべきだったか?」 と、考える。
「志ん生、文楽」 という言葉を思い出す。これは、このふたりの大看板を同じ日に聴く機会があれば、志ん生、それから文楽の順にその至芸に触れれば、味わいは更に深くなる、ということを指している。
志ん生と文楽を今夕の刺身にたとえれば、当然、志ん生はカツオのたたきで、文楽がヒラメということになる。とすれば、「志ん生、文楽」 という言葉は、「先ず、カツオのたたきから食べよ」 と、示唆していることになる。
酔っぱらいの考える難しいこととは、まぁ、この程度のものだ。
春野菜の素揚げだしかけ、ジャコとゴマ入りカラシナのおひたし、ヒメタケノコとホタテ貝のバター焼き、カブの葉と油揚げの炒め煮 が、頼まなくても次々と出てくる。
丸谷才一の 「低空飛行」 は、水曜日に東京のどこかで紛失をした。いまだ読み始めたばかりだった。この本は既にして絶版にて、惜しいことをしたと思う。同日、神保町にて、同じ著者による
6時に起床して窓を開けると、ツバメが飛んでいる。ことし初めてツバメを目にしたのは、一昨日のことだったろうか。
ツバメといえば夏の鳥というイメイジを持っていたが、サクラの咲く前からそれが飛び始めるとは、47年も生きてきてようやく知ったことだ。ちなみに
目を覚ますと、室内が幾分か薄明かりを帯びている。「すこし寝過ごしたか?」 と懸念をしてヴィデオデッキのデジタル時計に目を凝らす。
3月末にあった会社の健康診断では、僕の視力は右が1.2の左が1.0と判定されたが、これは視力検査のときの勘が当たっただけで、実際はもっと近眼だと自分では思う。とにかくその近眼らしい目で遠いデジタル時計を見ると、いまだ4時台だった。
5時になる前から空が明るくなり始める事実に、ちょっとした感動を覚える。つい先日までは、6時がちかくなっても空は夜のままではなかっただろうか。
静かに横たわり、枕元の本を読むともなくパラパラとめくり、また他の本を手にとって同じことをしながら、時を過ごす。5時30分に起床する。
事務室へ降り、ウェブショップ の受注を確認する。都合により出席できなくなった明日の会合について、その断りを、数人の関係者にメイルにて送る。また、きのう撮った画像を、カメラからコンピュータに移す。
居間へ戻り、熱いお茶を飲む。家内の作った3個のおにぎりを持ち、ザックを背負って外へ出る。
7:03発の上り特急スペーシアに乗るべく、下今市駅まで歩く。跨線橋の床が水浸しになっている。ここの壁と床のあいだには、所沢の西武球場やバンコックのルンピニーステディアムと同じような隙間がある。このわずかの隙間から、昨夜は大量のヒョウが横殴りに舞い込んだのだろう。
車内にて、きのうの日記を書きはじめる。手元に本があるということは良いような悪いようなで、つい丸谷才一の 「低空飛行」 も開いたりするから、日記はいつまでも完成しない。
僕は、何かを食べれば 「美味かった」、本を読めば 「○○を読み終える」 としか書けない人間だが、この、ひとつの話が4,000文字ほどで完結する丸谷才一の高級ヨタ話にだけは、そのそれぞれに、短いけれども感想を述べることができる。ただし、それがどのような感想かは、日記が長くなるので書かない。
北千住から新御茶ノ水を経由して神保町へ至る。靖国通りに面したビルのドアを開け、"Computer Lib" への階段を上がる。
今年は1月9日にウェブショップのメインテナンスを行ったが、そのとき 「更新にはある程度の時間を要する」 と宿題になっていたことが解決したかの確認と、その後の3ヶ月で僕が発見をした 「改良すべき個所」 の手直しをする。
この作業の準備のために、きのうはパターンを変えたテスト発注を何十回か行った。今日も、ソースやコーディングを書き換えるたびに、テスト発注を繰り返す。
作業は、宿題をひとつだけ残して、3時前に終了した。靖国通りを東へ歩く。「咸享酒店」 の柳は早くも青々として、目にとても心地よい。
地下鉄半蔵門線と東西線を乗り継いで、日本橋へおもむく。高島屋の地下1階にて、「伊勢廣」 の焼き鳥と "PECK" の生ハムを買う。銀座線で浅草へ達し、16:00発の、下り特急スペーシアに乗る。
墨堤の桜は、花が7割、葉が3割の葉桜になっていた。車内で今日の日記を途中まで書き、6時前に帰宅する。
ちょうど晩飯前にて、次男の、小学校2年生として初めての宿題の督励をする。宿題は、国語の教科書にある 「ふきのとう」 という文章の音読だった。ちょうど台所にあったフキノトウを手渡し、その雪の下からの顔の出し方を教える。
山が暮れていく。
マカロニとグリーンアスパラガスのサラダ、フキノトウとウドの天ぷら、「伊勢廣」 の焼き鳥 にて、焼酎 「千夜の夢」 を飲む。
8時に入浴し、9時に就寝する。
目が覚める。いつものことながら、室内は真っ暗だ。ベッドの上に起きあがって少し離れたところにあるヴィデオデッキのデジタル時計を見ると、2時だった。
この時間から起き出すことは憚られるし、第一、いまだ少しは眠気が残っている。横になり、そのまま浅い眠りに入っていく。いくつもの夢を見るが、それらの夢は、いつまでも覚えているようなたぐいのものではない。
そのような夢が、地震によって中断される。ふたたびうつらうつらとしながらまた夢を見る。そしてまた、それを2度目の地震によって破られる。そのようなことを繰り返しつつ、6時に起床する。
事務室へ降り、メイラーを回して ウェブショップ の受注を確認する。きのう撮った画像をの日記を作成する。西研究所が運営するpatioに、いくつかの発言をアップする。
朝飯は、ウドの煎り煮、ブタ挽肉とタマネギのオムレツ、塩鮭、納豆、メシ、ダイコンと油揚げと何とかブロッコリーという名のアルファルファのような野菜の味噌汁。
始業前から、店舗入口の梁を、販売係のサイトウシンイチ君に拭いてもらう。助手として、サイトウエリコさんが、雑巾の洗い係をする。
その後、同じく販売係の何人かが、格子戸のガラス磨きをする。このガラスは明日すべて交換されることになっているが、捨てる直前のガラスを磨くのも、悪いことではない。
「二宮翁夜話」 の、「たとえあした食べるものが無くても、今夜使った食器は今夜のうちに洗え」 という説話を思い出す。この本を読んだのは、否、読まされたのは23年もむかしのことだが、なぜかこのくだりだけは憶えている。
終業後、階段室に散乱した本の中から
6時に起床する。即、事務室へ降りて、ウェブショップの受注確認など、朝のよしなしごとをする。
朝飯は、小判揚げと大根おろし、温泉玉子、ナスとピーマンの油炒め、ミツバのおひたし、塩鮭、メシ、アサリと長ネギの味噌汁。
先日、10キーにコーフィーを数滴こぼしたら、これが正確に動かなくなった。その不正確さに法則はなく、その都度、いろいろとおかしな数字がコンピュータに送られる。ネジを回して裏ブタを外す構造でもないため、新品をコジマデンキに注文したが、それが今日、届いた。
2年6ヶ月ぶりに新しくなった10キーは、そのタッチからして気持ち良い。飲み物をこぼすことについては、これから十分に気をつけようと思う。
終業後、階段室に散乱する本の中から、これから読むべき本を、まるで芋掘りをするようにして探す。
しばらく前まで、本には、読み始めた日と読み終えた日を記入していた。そのため、読んだ記憶のない本でも、裏表紙を開いてそこに日付があれば、それは既にして読んだ本だということが分かる。
「これはイヤに綺麗だな、未読に違いない」 と思って確かめると、実は既読だったという本がずいぶんと多い。そのような日付の多くは1980年代のもので、しかし、そのころに限って行儀良く本を読んでいた記憶はない。
というのも、1980年代のある夏の宵に、銀座の "Lupin" でドライマーティニを2杯飲みつつ本を読み、続いてそこから数十メートルの距離にある、いまだ木造3階建てだった 「鳥ぎん」 にて、同じ本のペイジに大量のビールをこぼした憶えがあるからだ。
これから読むべき本は、今日のところは目にとまらなかった。
晩飯は、冷や奴、トマトとダイコンとハムのサラダ、ウドの煎り煮、焼いた小判揚げとエリンギの油炒めと大根おろし、茹でたホタルイカ、マグロのヅケという、素晴らしい飲み屋メニュだった。これにて、焼酎 「千夜の夢」 を飲む。
入浴して、極く微量のオールドパーを生で飲む。本は読まず、9時に就寝する。
朝5時に起床する。
事務室へ降り、ウェブショップの受注を確認する。きのうの日記にある、1ヶ月も1ヶ月半も経ってようやく気がついた友人知人からの注文については、「その節は、有り難うございました」 との礼状を、改めて送る。
きのうはほぼ1日中雨が降り続いたが、今日は一転して晴れる。
「天気が悪いから売上げが少ないなどという愚痴をこぼす前に、天気が悪くても売れる商売を考えろ」
という話がある。それはもっともなことだが、やはり天気は、晴れに越したことはない。
昼前、事務室に、緑色のマウンテンパーカを着た7歳の次男の坊主頭が見える。家内がそれに続く。思わず、「いやぁ、早かったねぇ」 という言葉が口をついて出る。
午後1時まで本を読みながら休んだ次男を連れて、「ラーメンフジヤ」 へ行く。僕は野菜麺、次男は子ども醤油ラーメンを食べる。
きのうの売上げの不調を今日の好天が何とか挽回して、1日が終わる。日光の山が暮れていく。
ルッコラなどの上にマグロを散らし、オリーブオイルとバルサミコ酢をかけ回したサラダ、トマトサラダ、鶏肉のクリームソース、知人から戴いたグラハムパンとライ麦パン。
パンはきのうひとりで食べたときとは異なり、今夕は焼いてあるため、ひときわ美味い。"Bourgogne Blanc" DOMAINE LEFLAIVE 1998 を飲む。
入浴後、オールドパーを生で極く微量飲み、10時に就寝する。
目覚まし時計をセットせずに眠ることができるのは、幸運にも僕が持ち合わせる特技のひとつだ。最初の目覚めは2時30分だった。そのままじっとしているうち3時になる。枕元の本を何冊か拾い読みし、4時30分に起床する。
着替えて事務室へ降りる。電話や来客のある昼にはできない顧客名簿の整理更新を、1時間かかって済ませる。
週末なのに、雨が降っている。来店客の多い週末の雨は疎ましい。社員が出勤する7時30分に先駆けて、店舗外の灯りを点ける。
ウェブショップの受注は、事務係のコマバカナエさんが受け持つ。彼女が休みの日には、タカハシアツコさんが受け持つ。顧客のメイルアドレスだけは、僕のコンピュータに蓄積する。
本日、およそ2ヶ月ぶりに、顧客のメイルアドレスを、所定の位置へ納める作業をする。この作業は単調なだけに、本当は2週間おきくらいにしないと、途中でゲッソリとしてくる。仕事をため込んだのは自分の責任なので、致し方がない。
2月注文分のメイルアドレスを入力していて、昨年4月に、"清閑PERSONAL" でカウント30001を当てて賞品のワインを得た方が、注文を下さっていたことに気づく。3月には、勉強仲間からの注文があったことに気づく。
「この24時間以内にどのような注文が何件あって、個々の顧客へ確認メイルは着実に送付されているか?」 ということ以外にも、もっと目を凝らしていかなくてはいけない情報が、メイラーの中にはある。今後は更に気を付けて注文内容を見ていこうと、反省をする。
きのうに引き続いて、今日も酒と晩飯を抜く日だ。晩飯抜きとはいえ、ヨーグルトなど、低カロリーのものは口にする。知人から戴いた手製のパンと冷蔵庫の牛乳を、本日最後の食事とする。
長男は明日、自由学園の東天寮に帰る。そのためか、下級生らしい人物から電話が入る。その家の電話番号を訊き、長男に連絡を入れる。長男はいまだ、鎌倉の家内の実家にいた。
入浴をしてベッドへ入り、枕元の本を拾い読みして眠る。
電話の音で目を覚ます。灯りを点けて時計を見ると、9時40分だった。やはり長男の下級生らしく、長男の携帯電話番号を知らせて、電話を切る。
これによって眠れなくなることを懸念したが、ベッドへ横になった瞬間、二度寝に入る。
暗闇の中で目を覚ます。ベッド下の床暖房のため、布団は春の日だまり以上に暖かく、このままじっとしていたい欲望に拍車をかける。その心地よさを振り切って枕元の時計を見ると、4時だった。
コンピュータを起動して、きのうの日記を書く気力はない。これは、イタリア料理屋の赤ワインに続いて、帰宅入浴後に飲んだ缶チューハイが影響してのことだろう。
甘木庵は数年前の夏にリフォームをしたが、その際、僕の本棚にあった本はすべて、段ボール箱に収められた。この本をふたたび本棚に並べると、ホコリを積もらせることになる。だから、これらはいまだにいくつかの段ボール箱に入って、床へ重ねられている。
なぜか、その箱に入りきらなかった本が、少しある。その中から何冊かを取り出して、拾い読みをする。
6時に起床し、コンピュータを起動して、ウェブショップの受注確認をする。熱いお茶を飲み、荷物をまとめる。
オフクロも起き出して、浅草駅8:00の下り特急スペーシアにて帰宅する僕に、自分も同行をすると言う。
眠っている長男はそのままに、7時に玄関を出る。春日通りへ達する前に、運良く東京大学の龍岡門から出てきたタクシーをつかまえる。僕ひとりなら徒歩と地下鉄による行程を、そのままタクシーで浅草までこなす。
東武日光線浅草駅には、7時20分過ぎに着いた。7:30発の列車にも乗れるタイミングだが、地下道へ降りて、トンカツの 「会津」 で朝定食を食べる。
墨堤のサクラはまさにほどける寸前にて、これでひと雨来れば、一気にその花びらをアスファルトに散乱させるだろう。
10時前に帰社すると、長男が1年間の勉強をまとめた 「まとめ」 が、学校の封筒に入って机上に届いている。
ある冬、僕は日光湯元のスキー場でコースを外れ、ナタで斜めに切った木の枝をすねに刺して、骨が見えるほどの怪我をした。スキー場で足を5針縫った僕は、「明日、寮へ帰ったら、病院へ行って消毒をしてもらうように」 と医師に言われたにもかかわらず、翌日は図書館で夕方まで、提出期限の迫った 「まとめ」 を書いていた。
病院へ行ったのは、それから1日2日後のことだっただろうか。そのためキズは化膿し、最後は縫い糸をすべて外して、治療のやり直しをするまでに悪化した。
僕の 「まとめ」 についての最も大きな思いでは、この怪我のことだろうか。
長男の 「まとめ」 を、最初から最後まで丁寧に読む。折々に書いた作文も、そこには挟み込んである。「体操会の感想文」 では、水晶の切片のような感受性がきらきら光って、読んでいる当方の胸が苦しくなる。
早速にこれを、家内のいる鎌倉の家へ向けて、明日午前中必着の宅急便として手配する。
この7日間、以下の通り、酒を飲み続けている。
暗闇の中で寒さを覚える。昨夜、ベッドの真下に位置する床暖房のスイッチを入れなかったことについて、後悔をする。ふと考え直して、ベッドの下に床暖房を埋め込んであるのは、甘木庵だったことを思い出す。今は自宅にいることをうっすらと認識しながら目を覚ます。
起きて部屋のヴィデオデッキのデジタル時計を見に行くと、3時をすこし過ぎたところだった。枕元の本を読み、再び眠り、次に起きると6時が近くなっている。即、起床する。
ウェブショップの受注確認をする。会社のアドレスに宛てたメイルでの注文は、僕のコンピュータに届く。その顧客に対してご注文御礼という表題の受注確認書を送付し、会社のpatioに注文内容を転送する。
今朝から、店内の客だまりの灰皿2台を撤去する。この場所には試食が置かれ、また長椅子には子どもも座る。灰皿は、店の外に1台あれば十分だろうと、勝手に解釈をする。
多くの場合、決断とは勝手な解釈によって為されるものだ。
どんなに信頼性の高そうな、あるいはいかにも客観的に見える裏付けに基づいて為された決断でも、それはやはり決断をする者の 「勝手な解釈」 あるいは 「ただの思いこみ」 によるものだ。
その決断が最大公約数あるいは少なくとも過半数に支持されれば少しは褒められ、その決断の結果が失敗と見なされれば叩かれる。
下今市駅14:36発の、下り特急スペーシアに乗る。北千住から西日暮里を経由して池袋へ至る。メトロポリタンホテルのロビーで、甘木庵から来るお袋と待ち合わす。
満開のサクラと曇り空との境界がはっきりしない花冷えの下を歩き、5時に、「婦人之友社建業100周年記念祝賀コンサート」 の開かれる、東京芸術劇場に入る。
3階バルコニーの所定の席に、オフクロを座らせる。僕は2階の、やはりバルコニーの指定席に着く。やがて隣に、鎌倉の実家から来た家内が座る。
巨大なジャンダルムのようなパイプオルガンの下に、明るいステイジがある。そこに、ウインドオーケストラのメンバーが入場する。クラリネットを担当する、長男の同級生タグチゲン君の靴が光っている。長男のトランペットは後方に位置するため、靴は見えない。そのかわり、春休みに加藤床屋でヴェリーショートにした坊主頭は良く見える。
金管楽器が光っている。ティンパニーも光っている。パーカッションのリムも光っている。客席は満員だ。「素晴らしいと思わねぇか?」 と、家内の耳元で言う。
薄暗いうちに目を覚まし、枕元の本を読みつつ6時を迎える。体が心地良く熱を帯びている。うっすらと汗さえかきそうだ。「正泰苑」 で食べた肉が、いまだ燃え続けているのだろうか。
起床して事務室へ降り、ウェブショップの受注確認や、きのうの画像の処理を行う。
開店と時を同じくして降り始めた雨は徐々にその密度を高くして、やがては、1日中降り続くような気配を示す。
今週月曜日のディズニーランドは、またとない行楽日和だったが、店でもこの日は忙しかった。今日はこの雨のために、来店客は少なくなるだろう。そのかわり、電話での注文は朝早くから途切れず、有り難く思う。
本日は会社のお花見にて、終業後は 「みとや寿司」に、ほとんどの社員が集まる。今日が休暇日に当たった社員は、この催しだけのために家を出てくる。
お花見とはいえ、花は見ない。もっとも見ようとしても、東京では満開のサクラが、こちらではいまだ、蕾さえ紅くはなっていない。暮れていく大谷川の河畔に、広重の絵に出てくるような、斜めに走る雨が降っている。
お花見という名目ではあるが、春のこの会では、新入社員がいる場合には、その歓迎会。永年勤続者がいる場合には、その表彰式がある。今回は、1982年5月1日に製造係として入社したフクダナオブミさんの、勤続20周年の表彰があった。
記念の表彰状と旅行券を渡し、長年の働きに感謝をする。
やがて会も佳境に入った。フクダナオブミさんは今日の記念に、歌を歌った。曲は、長渕剛の 「とんぼ」 だった。
お花見は8時すぎに散会した。包装係のサイトウヨシコさんのクルマに同乗して帰宅する。
入浴し、何も飲まず、9時に就寝する。
目を覚ます。カーテンの隙間からは、いまだ外の光は漏れていない。枕元の時計を見ると、朝の4時だった。意識がはっきりするまで待ってから、静かに玄関脇の洗面所へ行って顔を洗う。
他の部屋では5人が就寝中のため、いつものように居間ではなく、自室にてコンピュータを起動する。数十分をかけて、きのうの日記を作成する。
コンピュータの電源を落とし、灯りを消すと、幸いにも眠気が訪れる。6時すぎまで就寝する。
起床する者も出てきたため、居間へ移動する。コンピュータを電話線に繋ぎ、ウェブショップの受注を確認したり、きのうの日記をサーヴァーに転送したりする。
長男は、あさって開かれる、「婦人之友社建業100周年記念祝賀コンサート」 の練習が学校であるため、朝食を済ませて、7時30分に玄関を出た。
僕はきのうに引き続き、山菜おこわと豚汁の朝食を取り、子どもたちもサンドウィッチなどを食べる。
8時すぎに、7歳の次男と、家内の兄の12歳と15歳の娘ふたりを連れて、春日通りへ出る。空車のタクシーが来ないまま、湯島天神の大鳥居まで歩く。ようやくタクシーを停め、昭和通りとの交差点で降りる。
地下鉄日比谷線にて八丁堀へ至り、京葉線に乗り換えて、舞浜に行く。きのうと同じくディズニーランドを周回するモノレイルに乗って、ディズニーシーへ行く。今日も空は晴れている。
きのうのディズニーランドの混みようとは裏腹に、入場券売場に行列は無かった。巨大な青い地球儀の前を通り過ぎ、中世イタリア風の家並みの向こうに火山が見えてくると、おとなの僕でさえわくわくしてくる。
今年からそれぞれ高等学校と中学校に進む女の子ふたりには、1番奥にあるインディジョーンズのファストパスを、走って取りに行くよう伝える。
ディズニーシーに初めて来た女の子ふたりは、間違えて海底2万マイルのファストパスを手に入れてきた。このアトラクションは、それほどスリルに満ちたものではないが、1日を楽しく遊ぶことができれば、文句はない。
80分待ちの表示があるインディジョーンズには、30分ほど待っただけで乗ることができた。その後、それほど待ち時間の長くないいくつかのアトラクションに乗り、ポートディスカバリーちかくのレストランにて、昼食を取る。
午後、ファストパスを持って、海底2万マイルの構内に入る。我々が列のほぼ先頭に達したころに、「システム障害のため、そのまま少し待って欲しい」 とのアナウンスが流れる。すかさず僕は係員に、「待って時間を無駄にするより、早くここから出たい」 旨の要請をする。
結局、システム障害は復旧せず、列に並んだすべての客が広範囲に使えるファストパスを渡され、非常口から外へ出る。驚いたことに、2時間ちかく待ち続けた人たちの間からも、不平の声は聞かれない。
日本人は、役人と、白人の作ったシステムには、盲従するクセがある。前者は江戸時代の士農工商の名残り、後者は浦賀に現れた黒船による刷り込みだ。
それでも、海底2万マイルの故障は、僕たちにとっては幸運だった。このファストパスを使って、センターオブジアースを楽しむ。7歳の次男と12歳の女の子の怯えようも面白い。
結局のところ、まずまず効率よくいくつものアトラクションを楽しみ、大いに歩き、誰も不機嫌にならず疲れもせず、4時40分に園外へ出てモノレイルに乗る。
舞浜から東京駅を経由して、浜松町で降りる。少しの屈託を持ちつつ携帯電話を手に入れた17歳の長男に連絡をすると、偶然にも彼は、我々と数十メートルの雑踏にいた。オーケストラの練習は、思いの外に早く終わったらしい。
4人で 「秋田屋」 の前を歩き、芝大明神ちかくの 「正泰苑」 に入る。10分後に、鎌倉へ行っていた家内も合流し、6人用のテイブルが人で満ちる。
1時間30分ほどの間に、必要にして十分以上の量の肉や野菜を食べる。
今夜も甘木庵に泊まる家族や親戚の子ども達と別れ、僕はすぐ近くの大門駅から都営浅草線に乗る。浅草駅20:00発の、下り特急スペーシアに乗る。
10時前に帰宅する。入浴して牛乳を300CCほど飲み、11時ちかくに就寝する。