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戀する者と酒飲みは地獄に行くという  根も葉もないたわごとに過ぎぬ
戀する者と酒飲みが地獄に墜ちたら  天國は人影もなくさびれよう
Omar Khayyam

 2001.0731(火) 親の齢

目を覚ますと、いまだ午前0時にもなっていない。とりあえず起床する。

事務室へ降りる。eメイルを書き、日記を更新する。オンラインショップ のトップペイジを書き換え、サーヴァーに転送する。

4時に至ってさすがに眠気を覚えたため、自室へ戻って二度寝をする。

朝飯は、カブの葉と油揚げの炒め煮、トビウオの塩焼き、マグロとタケノコの煎り煮、キュウリのぬか漬け、メシ、ナスとミョウガの味噌汁

所用にて宇都宮へ行くと、大曽2丁目の交差点で、警察が何かをしている。周囲にレイダーを探すが、そのようなものは見つからなかった。

ここ数日、僕のThinkPad240Xに、CPUが極端に遅くなったような現象が起きている。

帰途、「日光わんわんの森」 へ、カトーノさんを訪ねる。夏休みとあって、お客の数も少なくない

カトーノさんの見立て では、ハードディスクに若干の不具合があったようだ。ハードディスクをざっと洗い、95%がたは復旧する。

今日は オフクロの誕生日 だという。夕刻より "Fin Bec Naoto" へ行く。テイブルの上には、ほおずき が飾られていた。

飲み物は、"Pouilly Fume Claude Michot 1999"

乾杯をしながらオフクロに 「で、何歳になったの?」 と、訊ねる。僕は親の年齢も誕生日も知らない。

カボチャの冷たいポタージュパンナスとエビのマリネソラマメとイタヤ貝のポアレ

プイイフュメは、スズキのフリット に合わせたものだ。

モモのシャーベットと果物のカクテルエスプレッソ

親には元気で長生きをしてほしい。その方が、当方にとってはなにかと便利だ。

外へ出ると、闇はすっかり濃くなっていた

9時前に帰宅し、10時前に就寝する。


 2001.0730(月) 渡曾本店の純米古酒

朝5時に起床する。5時の起床では、多くの仕事をこなすことはできない。

朝飯は、ベイコンエッグ、グリーンアスパラガスの油炒め、納豆、塩鮭、キュウリのぬか漬け、メシ、がんもどきとミョウガの味噌汁

午前中、本酒会 会長のイチモトさんが 「いやぁ、先週の金曜日は、残念だったね」 と言いながら、参加者による採点表 を持ってきた。

「残念だったね」 とは、僕が欠席をした7月の本酒会に、美味い酒が出品されたことに対する言葉だ。

「貴醸酒・純米古酒」 渡曾本店  山形県鶴岡市大山2-2-8 TEL.0235-33-3262 \3,150/720CC

が、その美味い酒だが、たとえロマネコンティの1985が出品されたとしても、僕は遊亀@長男とふたりで焼き鳥を食べる晩を、選ぶだろう。

数日前に、長崎屋の倒産以降、空き家になっていた旧市街のビルに かましん というスーパーマーケットがようやく開店をした。これで、3Kmも離れたジャスコへクルマで買い物に行く面倒も、ほとんど無くなるはずだ。

飲酒を為しに、市之蔵へ行く。

突きだしは、毛ガニ だった。画像を撮影する前に食べ始め、気がついたときには、残り少なくなっていた。

カツオの刺身タコブツ牛のタタキ豆腐ステーキ

となりで飲んでいる糸屋そば屋のオヤジさんが、僕の注文内容を聞いて 「オレも豆腐ステーキ」 と、追加で注文をする。それがいざ自分の前に置かれたら、連れに 「おめぇが食え」 と、言っている。

僕はニヤニヤしながら 「ダメですよー、自分が食べなきゃー」 と、注意をする。

締めは、つけ麺

僕の麺がカウンターに運ばれると、またも糸屋のオヤジさんが 「オレも、それ」 と、先ほどと同じことを言う。僕はしつこく 「ほら、またー、食べるなら、同時に注文しなきゃー」 と、他人に言いたいことを言っている。

僕の酒は、いつも早上がりだ。7時すぎに帰宅し、8時すぎに就寝する。


 2001.0729(日) 睡眠中の会議

朝5時に起床する。

春日町1丁目のラジオ体操は、本日にて終了となる。子供たちは町内の育成会長から、プレゼントを受け取る

僕が小学校のときには、このラジオ体操は小学校の校庭にて行われていた。正面の壇上で体操をするのは、体育のエダタダシ先生だった。僕はある夏、このラジオ体操に3日しか参加をせず、叱られた憶えがある。

朝飯は、蒸し鶏とキュウリとレタスのサラダ、厚揚げ豆腐とコマツナの煮びたし、納豆、アナゴの山椒煮、めんたいこ、キュウリとオクラのぬか漬け、メシ、ワカメとタマネギとお麩の味噌汁

日中は、店と事務室と製造現場を、行ったり来たりして過ごす。

晩飯は、トマトとモツァレラチーズのサラダ鯛系の魚のオリーヴオイル焼きバルサミコソースサザエの壺焼きオリーヴオイルかけパン

飲み物は、"Muscadet Les Hautes Noelles 1998"

7時30分の開始時間に30分ほど遅れて、春日町1丁目の青年会、育成会の会議に出席をする。議題は 「納涼祭とリクリエイションについて」。

畳に腹這いになり、机にあごを載せて眠る。目を覚ますと9時20分になっている。普段なら、とうに寝ている時間だ。僕はリクリエイションに使う、バスの手配を頼まれた。おやすいご用だ。

帰宅して入浴し、10時30分に就寝する。


 2001.0728(土) MG学会

甘木庵にて、朝5時に起床する。昨日の日記を書く。

"清閑PERSONAL" は昨年の5月から、毎月1日に更新をしている。8月1日に "GOURMET" へ載せる文章を、2行書いてはベッドでうつらうつらし、また2行書いては横になる、ということを繰り返す。

8時30分に、遊亀@長男と玄関を出る。途中で朝食を済ませ、新橋駅前の金券ショップにて、夏休み中の東京ドームのティケットを検分する。

9時40分に、大崎の 「MG学会」 会場へ入る。MG学会とは、西研究所 で学ぶ仲間の中から毎年数人が、自分の勉強とその成果について発表をする会だ。

トップは八王子の八百屋 「関根和三郎商店」 の 関根Qちゃん

Qちゃんは1997年に22歳でMGを始め、23歳で社長就任。またたくまにテナントも含む自社のスーパーマーケットを、強固な利益集団へ作り替えることに成功した、優れた人間だ。

3年間の自分の仕事を説明する簡素な語り口と、"Strategy Accounting" による日次粗利総額を示しながらの結果解説は、とても分かりやすく、参加者の興味を強く惹いた。

2番手は、博多で 「河合製氷冷蔵」 を営む 河合喜文さん

河合さんは、1985年に父親から薦められた マイツール を経由して、1991年6月に MG と出会った。それからわずか7ヶ月後の翌1月には、早くもMGとマイツールの勉強会 「博多シーガルクラブ」 を立ち上げ、現在に至っている。

数々のリスクをものともせず 「今があるのはMGのおかげ」 と言い切る河合喜文さんの言葉は、自信に満ちたものだった。

昼食をはさんでの3番手は、桑名マイツールユーザー会長の 福田正道さん

福田さんは、いまや社会のインフラとなった "Excel" "Word" "Access" などとマイツールのあいだを、自在にデイタ移動させる 「となり道ツール」 の開発者だ。

マイツールについての観念的な話から 「となり道ツール」 使用事例の実演まで、思い入れたっぷりの熱演に、午後の3時間はあっという間に過ぎた。

夕刻5時から、会場にて交流会に入る6時45分からは、近くの居酒屋へ席を移す。僕は8時発スペーシアで帰宅するため、焼酎のオンザロックスを1杯飲んだのみで、この2次会からは早退をする。

週末の夜にもかかわらず、銀座線新橋駅のホームに、混雑整理係の姿が見える。隅田川の花火大会が本日おこなわれていたことを思い出す。

銀座線浅草駅のホームから混雑を縫って地上へ出ると、江戸通りには人が溢れ、警官の姿も多く目立つ。

長男が 「8時まで、あと4分しか無い」 と言う。座席指定券は買わず、正面の階段を駆け上がり、手持ちの回数券にてスペーシアに乗り込む。

屋形船でにぎわう隅田川の面ちかくには、今を盛りと、花火が打ち上げられていた

10時前に帰宅し、11時に就寝する。


 2001.0727(金) 「鳥しづ」ふたたび

朝3時すぎに起床する。朝飯前の仕事を済ませ、次男とのラジオ体操に復帰する

朝飯は、ホウレンソウの胡麻和え、ナスの油炒め、刻みオクラのカツオブシかけ、納豆、塩鮭、めんたいこ、キュウリとナスのぬか漬け、メシ、厚揚げ豆腐とミョウガの味噌汁

午前中、所用にて、自分勝手に 「宇都宮のビバリーヒルズ」 と呼んでいる場所へ行く。

午後4時すぎ、遊亀@長男と東武日光線スペーシアに乗る。6時すぎに 神楽坂へ至る

拡声器が、本日はお祭りのため、歩道に出した看板その他を撤去するよう、伝えている。数日前に兵庫県のある花火大会で、10人が圧死をした。それもあっての勧告だろう。

人混みを避け、本多横町から更に路地へ分け入る。「鳥しづ」 の看板 には、既にして明かりが灯っている。

「給料日直後」 「金曜日」 「お祭り」 と三拍子が揃っているのに、定員7名の店内に先客の姿はなかった。お祭りの見物に忙しく、未だここまで達しないのだろう。

砂肝とレヴァの刺身 から始め、十数本の焼き鳥を食べる。

本多横町まで、お祭りの列が入ってくる。店の中まで、鉦や太鼓の音が押し寄せる。外国人を同伴していたなら、さぞかし喜ぶことだろうと考える。

客が満ち始めた 「鳥しづ」 を辞去し、神楽坂を飯田橋方向へ歩いていくと、坂下から阿波踊りの集団が上がってくる。酔っているためか、シロウトの打ち鳴らす太鼓の音にも、いたく心を揺さぶられる。

大きな広葉樹を多用した普請の喫茶店 にてダッチコーフィーを飲む。路地を伝って外堀通りちかくまで坂を下る。

ギンレイホール の横をすり抜け、地下へ潜る。大江戸線のお陰で、飯田橋と本郷三丁目のあいだは、僅々2駅の距離になった。

8時30分に甘木庵へ帰着し、9時に就寝する。


 2001.0726(木) 銀座・おぐ羅

朝5時に起き、オンラインショップ の受注をこなし、昨日の日記を書く。

本郷三丁目のスターバックスコーヒー前まで行って、サイフを持っていないことに気づく。甘木庵まで戻る。しかし再度、本郷三丁目まで歩く気はしない。ちかくの蕎麦屋にて、朝食を済ます。

月曜日から使い続けた衣類や書類、コンピュータ用具などを荷造りする。ヤマト運輸の湯島営業所は時間管理がルーズなため、朝は何かと待たされる。近所のコンビニエンスストアから、自宅あてに荷物を送る。

王子の飛鳥山の裾に、さくら新道という飲屋街が張り付いている。大いに僕の興味を惹く風景だが、10年間も眺めるばかりで、いまだにここで飲酒を為したことはない。

東京の気温は24日をピークにして、徐々に下がり始めているらしい。ハンカチでは噴き出す汗に抗しきれないため、ここ2日間は、手ぬぐいを尻のポケットに入れている。今日は曇り空で、これを取り出す機会も、そう多くはない。

カリキュラムを終え、音無橋の上の横断歩道を渡り、王子渓谷脇の坂を下る。

「かの悪名高き十九世紀パリ怪人伝」  鹿島茂著  小学館文庫 \533

を読みながら、京浜東北線にて有楽町に出る。

旭屋書店を経由して、数寄屋通りの 「おぐ羅」 へ行く。枝豆と莫久来 から始め、オデンのダイコンとフクロで締める。

浅草発19時ちょうどの東武日光線スペーシアに乗る。9時前に帰宅し、11時ちかくに就寝する。


 2001.0725(水) 神楽坂・鳥しづ

7時に目覚まし時計の音に起こされる。胃が重い。二日酔いの感じがする。そのまま寝入る。30分後に携帯電話が鳴って、再度、目を覚ます。胃薬を飲む。

王子の日本醸造協会へは、9時30分までに着いている必要がある。8時20分に甘木庵を出る。

二日酔いのときには、いつも困ったことが起きる。頭が痛いのに腹が減る、胃が重いのに腹が減る。こういう現象も、絶対矛盾的自己撞着と呼ぶのだろうか。

湯島天神下の 「すき家」 にて、牛丼に玉子をぶっかけるセット を食べる。

新聞が、昨日、日本中で10人のひとが熱中症によって死んだことを伝えている。僕は暑さ寒さの、あまり気にならないたちだ。こういう記事を読んではじめて、「あぁ、昨日は暑かったのか」 と、認識をする。

日本醸造協会が置かれている土地の造成は、1864年、大砲鋳造のための反射炉を設けようと、江戸幕府が王子村の名主から、これを買い上げたことに始まる。

反射炉の工事は、戊辰戦争によって頓挫をする。時代が明治に移り、土地は大蔵省印刷局王子抄紙部付属工場に充てられるが、大蔵省醸造試験所の設立に際して、これが移譲された。

昨年まで存在した、誰も住まない大蔵省の官舎がきれいに取り払われて、公園になっている。いまでは 重厚な発酵棟のみが残されて、夏草の繁る中に無人の姿をさらしている。

昼食のため、飛鳥山から荒川線に乗り、大塚へ出る

わざわざ大塚へ出た割には、"PRONTO" の冷やしトマトスパゲティ などという、どこにでもあるものを食べる。しかしこの夏季限定のスパゲティは、なかなかに美味かった。

王子渓谷にネオンがともり始めるころ、カリキュラムを終えて山を下る。先ほどまでの夕立は運良く、ナタで雲を断ち切ったように収まった。

今日の講義にて、三越銀座店から味噌売場が消えたことを聞いた。もちろん、対面積粗利効率のゆえだろう。王子から神田を経由し、銀座線にて日本橋へ至る。

高島屋東京店にて、食料品売場を歩く。ここの味噌売場は、いたずらにアイテム数を増やすことをしない。各地の銘醸品のみを、効率よく置いてある。このコーナーが数年以内に無くなることは、すこし考えづらい。

高島屋の食料品売場でいつも不思議に思うのは、梅干し、ジャコ、ウニのビン詰めの各売場が、大きな面積を占有していることだ。これらは、それほど需要のある食べ物なのだろうか、僕には分からない。

東西線にて飯田橋へ移動し、神楽坂を上る

本多横町から更に1本、奥に入った 「鳥しづ」 にて、フォアグラの串焼き を肴に 焼酎のオンザロックス を飲む。

素足にローファーを履いた、ラルフローレンのコマーシャルから抜け出てきたような男が、僕の隣でクチャクチャと焼き鳥を食べている。どう唇と歯と舌の動きを工夫したら、このような音が出せるのか、訊ねてみたい気もする。

この男が、短髪で良く日焼けをした、白い歯の目立つ、目の垂れた魅力的な女の人を同伴している。女の人はスティールブルーの麻のシャツを着て、黒いパンツを履いている。

男の会話には、イタリア語の単語が目立つ。芸能人の名前を出して 「あいつとはマブだぜ」 などと言っている。シャルドネイをボトルで注文し、グラスをクルクル回しながら、女の人にワインの講釈を垂れている。

僕はひとりで楽しく食べ、焼酎のシングルを1杯とダブルを3杯、最後に生ビールを300ccほど飲んだ。明後日夕方の予約を入れ、店を出る。

大江戸線にて本郷三丁目へ戻る。9時前に甘木庵へ帰着する。今日は胃薬もアスピリンも飲まず、10時すぎに就寝する。


 2001.0724(火) 有楽町・ミルクワンタン

昨夜、遅くに就寝したにもかかわらず、5時に目が覚める。昨日の日記を書く。

8時に遊亀@長男と、朝飯を食べに外へ出る。ホントは吉野家にて並盛りに生玉子をぶっかけたいところだが、カッコをつけて スターバックスコーヒー へ行く。

甘木庵へ戻る長男と別れ、僕は京浜東北線にて王子へ出る。王子渓谷 を抜け、日本醸造協会 に至る。今日から3日間の日程で、「醸造調味食品セミナー」 が始まる。

本日の講義でもっとも興味深かったのは、電通の吉川良一さんによる 「味噌の市場調査と商品展開」 だろう。

食品の選択肢が多く、のっぺりと平準化された食生活の中で、どのように商品を売っていくかという講義は、多くの示唆に富むものだった。

夕刻4時40分に、本日の全カリキュラムを修了する。今日は夕刻6時に、10何歳か年少の友人チョーヤさんと、有楽町にて待ち合わせをしている。コンピュータ入りのカバンを甘木庵へ戻そうかどうしようか迷ったが、結局はそれを持ったまま、有楽町へ至る。

有楽町マリオンの1階通路を見下ろす喫茶店にて、1時間、自分のpatioに返信をつける。6時少し前に、マリオンの裏手でチョーヤさんと行き会う。

彼が、どうしても自力では発見できなかったという 「ミルクワンタン」 へ行く。言うまでもなく、「頼まなくてもどんどん出てくるメニュのない店」 だ。

この店では、客は飲み物のみを指定する。チョーヤさん はビール、 は急須入りの冷酒を注文する。冷酒とはいえ、冷えているわけではない。

キュウリの一夜漬け鳥スープ、枝豆、冷や奴キンピラゴボウ

アジの開き鳥皮焼きポトフの具の部分トマトとレタスとキュウリとタマネギのサラダ

納豆 はチョーヤさんが苦手とする食品のため、僕が2人前を食べる。

トロロジャコを振ったワンタン

ここまで食べて苦しくなり、ストップをかけて、締めのミルクワンタンを頼む。

ストップをかけても、なかなか出てくるものは止まらない。ダイコンとナスの漬物と梅干しギンナンと梅干し

既にして腹がふくれているため、オレンジ はチョーヤさんに上げる。

お茶ミルクワンタン。ここで安心をしていたら、とどめの 焼き飯と、ポトフのスープの部分 が目の前に差し出される。

「いやー、もうストップですから」 と言うと、オバチャン は 「もう少し、食べられそうな顔をしていたから」 と、いつもの言葉を繰り出してくる。

腹が一杯で、非常に苦しい。酒には酔っていないが、フラフラになって店を出る。これだけの満腹感を味わったのは、前回この店を訪れて以来のことではないだろうか。

ミルクワンタンのある丸の内から有楽町を経由せず、まっすぐ北西に歩いて、銀座1丁目に至る。

浪花ろばた八角 川崎店長をつとめるチョーヤさんのために、いま大流行の "Nelson's Bar"の前を通りかかると、間の悪いことに、お客はふたりしか入っていなかった。

昨日も歩いた 「さか田」 「ひょうたん屋」 の前を抜け、それぞれの店での僕の経験を元にした笑い話を披瀝する。

3丁目の行きつけの店 "MOD" にて、何とか腹に隙間を作ろうとアルマニャックを頼むと、無いという。銘柄を指定せずに、コニャックを頼む。チョーヤさんはジントニックに続き、僕の知らないスコッチウイスキーのオンザロックスを注文していた。

僕の2杯目は ダイキリ

結局、チョーヤさんは計3杯、僕は計2杯を飲んで、今夜のクルージングは終了とする。ふたりで新橋まで散歩をし、そこで解散をする。

甘木庵へ戻り、胃薬とアスピリンを飲み、0時過ぎに就寝する。


 2001.0723(月) IT研究会

朝2時に起床する。朝の仕事をしているうちに、6時を過ぎる。6時30分から、長男、次男と共に ラジオ体操に参加する

朝飯は、納豆、カブの葉と油揚げの煮びたし、キュウリとナスのぬか漬け、めんたいこ、塩鮭、アナゴの山椒煮、シシトウの油炒め、メシ、タマネギとワカメとミョウガとミツバの味噌汁

9時すぎから銀行へ行く。数軒にお中元を配る。帰社すると、11時ちかくになっている。本日の仕事量は、ほとんど皆無だ。

午後1時すぎに長男と東武日光線スペーシアに乗り、北千住から千代田線を経由して、甘木庵へ着く。荷物を置き、お茶を飲み、ふたたび湯島の切り通し坂を降りる。

千代田線にて新御茶ノ水へ移動する。新しくできた小川町の "patagonia" へ行く。古い建物を黄色く塗った意匠 は悪くない。働いている女の人もレイチェル・カーソンのような、いわゆる "patagonia" っぽい人だ。

残念ながら、"Stand Up Shorts" は、売り切れだった。来年まで、少しすり切れた現在のものを、はき続けることにする。

「スタンダップショーツは、アメリカでも品薄らしいんです」
「もっと作れば良いのにね、どうせ売れちゃうんだから」
「そうですねー」

今日、僕が着ているパタゴニアのアロハシャツ "Pataloha" のLサイズが、現在のMサイズに相当することを女の人と確かめ、淡路町から丸の内線に乗る。

銀座にて降りる。ずっと地下通路を歩けば涼しいものを、それも面白くないので、数寄屋橋から地上に出る

2丁目の "ABC-MART" にて、ゴムゾウリ姿の長男に靴を買う。係はムラヤマアカネさん。長男はなぜか僕と同じく、先鋭的なデザインの靴を好まない。

「並木座の跡地」 「三州屋」 「さか田」 「ひょうたん屋」 「ものほし」 を見ながら京橋まで歩き、銀座線に乗って新橋で降りる。盛夏以外なら歩く距離だが、噴き出す汗が "LL Bean" のインチキパナマ帽の内側を濡らして、運動意欲を減退させる。

8丁目のイワキメガネにて、長男のメガネを新調する。ここで作るメガネは3つ目になる。僕は検眼のあいだ隣の民芸品屋へ行き、また8月の下旬に同窓会をする、"Y's Bar" の場所を確認する。

新橋から 京浜東北線 にて大井町まで移動をする。

三菱鉛筆本社ちかくの 「のりや」 にて、本来はトッピング用の 味付け玉子を別注し、ビールの肴にする。同じく別注したつもりのモヤシは、トッピングにしか使えないと言う。

結果、普通のラーメンを注文した長男が、モヤシラーメン を食べるハメになる。

本日のIT研究会は、リコーの飯塚皓さんによる 「マイツールの誕生からフリーウェア化までの歴史」

モチヅキ、ハセガワというふたりの天才によって誕生した マイツール をリコーが買い取り、破竹の進撃を続けるが、社内のセクショナリズムによって徐々にその収益性を落とし、ついにフリーウェア化へ至るまでの道程が、淡々と語られた。

今日の2番手は、西hinano順一郎先生により、まじゅろさん の "Macintosh de MyTool" が求められる。

「愛と動機と感動」 のMacでマイツールを使うまじゅろさんは、7分間の自作movieにて、熱い思いを伝えてくれる。いつもの楽しく示唆に富んだプレゼンテイションだった。

IT研究会は9時30分前に、中締めとなった。近くの料理屋へ移動し、2次会が開かれる。出席者は、アキオちゃん、飯塚さん、西hinano順一郎先生、まじゅろさん、tahitiちゃん、まーいけるJさん、長男@遊亀、金子そのそのさん、僕

帰途、いつも使っている大井町駅西口ではなく、東口へ回ると、とたんに、駅前に広大な空き地のあった時代を思い出した。

街が綺麗になるということは、街から面白いものが無くなるということと、同義のところがある。かつてメシを食ったり酒を飲んだりしたことのある路地を確認する

11時30分すぎに甘木庵へ帰着する。二日酔い防止剤としてアスピリンを飲み、0時30分に就寝する。


 2001.0722(日) 東天寮便り

朝2時に起床する。朝飯の5時間前に起きていれば、散歩などいくらでも健康的な行為はできそうなものの、それのできないところに、人の妙味はある。

6時25分に次男と外へ出る。ラジオ体操をする。体操カードにハンコを押す

朝飯は、ジャコの大根おろし和え、ソーセージとピーマンの油炒め、納豆、めんたいこ、塩鮭、キュウリとカブのぬか漬け、メシ、厚揚げ豆腐と三つ葉とミョウガの味噌汁

梅雨明け後2週間に、もっとも夏らしい天気は続くという。毎朝、太陽が照りつける。店舗駐車場への散水は、必須の仕事だ

午前中に、次男@5歳のための9冊の本と、僕のための1冊の本が、"amazon" から届く。読書などというものは、とりたてて高級な趣味でもないが、本嫌いよりは本好きに育った方が、なにかと良いだろう。

夕刻、長男@15歳が、斑尾でのブラスバンドの合宿から帰宅する。6月16、17日と取材を受けた 「東天寮便り」 を2冊、持ち帰ってきた。そのうちの1冊を受け取る。

「総力特集:卒業生」 には、自由学園 男子部30回生から58回生までの7人が、名を連ねていた。人の歴史、人の仕事をかいま見ることは、楽しい行為だ。僕へのインターヴューも、楽しく読まれることを希望する。

晩飯は、博多の鍋料理屋 「いずみ田」 から取り寄せた慶州味噌で 豚シャブ を作る。飲み物は紅乙女のオンザロックス。

キリン一番絞りを135cc飲み、9時前に就寝する。


 2001.0721(土) "patagonia" の "Stand Up Shorts"

朝3時に起床する。3日連休のさなかのためか、オンラインショップ からの注文が途切れる。昨日の日記を書き、現場にてギフトの伝票を整える。

6時25分、次男@5歳と共に外へ出る。ラジオ体操をする。ラジオ体操は、これから10日ほども続くようだ。

朝飯は、ジャコの大根おろし和え、厚揚げ豆腐焼き、ナスの油炒め、納豆、めんたいこ、ワカメとタマネギのカツオブシかけ、キュウリとカブのぬか漬け、メシ、ダイコンとミツバの味噌汁

いつの間にかメイル便にて、"patagonia" からカタログが届いている。表紙は、ゴンパの前の急流をカヤックで下る という、いかにも "patagonia" っぽいものだ。

僕は真冬、真夏、春秋と、1年のあいだに計3種類の格好しかしない。

真夏はずっと、半ズボンで過ごす。半ズボンは、"patagonia" の "Stand Up Shorts" しかはかない。6年ほどもはき続けたこの半ズボンの裾が、さすがに見苦しくなってきた。そろそろ新しいものを、買う必要がある。

届いた "patagonia" のカタログを開くと、"Stand Up Shorts" は、商品の第1番目に紹介されていた。

晩飯は、ナスの甘辛炒め、ハモの皮、ソーセージとピーマンの油炒め、ジャガイモとキュウリとハムのサラダ、サワラの西京焼き、冷や奴

飲み物は、紅乙女 のオンザロックス。

9時前に就寝する。


 2001.0720(金) ラジオ体操

朝3時に起床する。6時ころに強めの地震がある。日光宇都宮道路の電光掲示板が、全線の不通を知らせている。崖崩れでも、あったのだろうか。

6時20分に次男@5歳を連れて外へ出る。ウチの駐車場に三々五々、20人ほどの子供とおとなが集まり、6時30分から 夏休みのラジオ体操が始まる

ふたつのラジオ体操が済むと、子供たちはみな 首から下げた出席カードにハンコを押し、朝食の待つ各々の家へ戻る。

朝飯は、鬼おろしによる大根おろしとジャコ、ナスとシシトウの油炒め、納豆、シシャモ、キュウリとカブのぬか漬け、メシ、厚揚げ豆腐とミツバの味噌汁

今日は祭日だが、何の祭日か分からない。カレンダーを見ると 「海の日」 と、ある。店もしばし混み合う。

17日に終業式を迎えたはずの遊亀@長男は、今日まで苗場でブラスバンドの合宿に参加をしている。帰宅するのがいつになるのかは、分からない。携帯電話という利器を持たないため、連絡もつかない。

多くの道具と同じく、携帯電話もまた 「昔」 と 「今」 のあいだに線を引く、ひとつの産物だろう。携帯電話には 「しかたなしに持つ貧乏くさい道具」 という一面もある。

昼飯は、特に頼んで カレーうどん にしてもらう。

午後は事務室と現場を往復する。ギフトの受注高は日により突出することもあるが、移動平均線は、緩やかに下降してきた。

晩飯は、鳥笹身とキュウリとトマトのサラダ3種の香草をかけたポテトフライタマネギのオムレツ

ハムとモツァレラチーズを載せてオーヴンで焼いたマフィン が、とても美味い。飲み物は "Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1999"

9時に就寝する。


 2001.0719(木) 省脳省時間

朝4時に起床する。朝飯前の仕事をこなす。7月の オンラインショップ からの受注を累計したら、どれほどの額になるだろう、楽しみになってきた。

朝飯は、ジャコの大根おろし和え、ナスとシシトウの油炒め、納豆、めんたいこ、ハモの皮、キュウリとカブのぬか漬け、メシ、豆腐とワカメとミョウガの味噌汁

髪の毛は短く刈り、ヒゲは伸ばす。僕の、20年以上も変わらない形だ。朝起きたときに髪の寝癖はなく、ヒゲを剃る手間もいらない。脳の無駄な労働を省き、時間を省くスタイル。

その割に、僕はボンヤリさせたら日本一だ。

短い髪型は、頻繁な床屋行きを要求する。8時すぎに加藤床屋へ電話を入れる。空席があることを確認する。

「髪の毛が短けぇと、どうしても床屋に来る回数が増えるね」
「いいことだねぇ」

「でも、こういう商売が、1番いいね。ドカンといかねぇかわりに、倒産もないでしょ?」
「そうでもねぇよ、最近はデフレスパイラルで、床屋も価格破壊が多くてさ」

「少なくともオレは、そういう店には行かねぇなぁ」

パラノイヤのように丁寧な最後の剪定も済み、無料のコーフィー を飲んで、外へ出る。

未だ繁忙が続いているため、夕食はサボりメニュになる。

買ってきた焼き鳥買ってきたポテトフライ生キュウリトマトサラダオニギリと紅乙女のオンザロックス

むかし、アサヒグラフの巻末に 「我が家の夕飯」 という、写真ペイジがあった。有名人の家を訪ね、夕飯の取材をする企画だった。僕はこのペイジを、ほとんど25年ほども見続けた。

僕が見続けた千数百人の中で、最も美味そうな晩飯を食べていたのは、読売新聞大阪本社社会部長の、黒田清だった。黒田清は半ズボンに白いランニングシャツを着て、オニギリを食べ、酒を飲んでいた。

こういう人間は、信用ができる。


 2001.0718(水) 鬼怒川音頭

朝4時に起床する。いつもの、朝飯前の仕事をこなす。

朝飯は、湯波、アナゴの皮、モロヘイヤ、めんたいこ、納豆、キュウリとナスのぬか漬け、メシ、ダイコンとミツバの味噌汁

狭いマットの上で皿をあれこれ配置しているうちに、メシと味噌汁の配置が、仏壇のものと同じになる。

鬼怒川音頭という歌がある。鬼怒川温泉と川治温泉のお座敷でしか、歌われることのない歌だ。この歌詞に 「きのう鬼怒川、今夜は川治」 という一節がある。

きのうは鬼怒川の 松や旅館 に、そして今夜は川治の 伝七旅館 へお泊まりになるお客様から、5000円の詰め合わせ50個という、大きなご注文をお受けしている。

3人の社員が朝8時30分から1時間をかけて、商品を整える。納入時間は、午後1時すぎのご指定だ。

11時ころ、「オレ、今日は昼飯、抜くからさ」 と言ったら、社員のオオシマヒサコさんが、自分の弁当から 焼きオニギリを2個 くれた。

オオシマヒサコさんを三菱デリカの助手席に乗せ、12時20分に会社を出る。我が社から北東へ15Km走ると鬼怒川温泉、25Km走ると川治温泉だ。

川治温泉の手前には、知らないうちに長いトンネルができていた。大いに走行時間を短縮する。振り返ってみれば、この地を訪れるのは、およそ8年ぶりのことだ。

伝七 は温泉旅館としては小ぢんまりとした、素晴らしい設備と環境を持つ旅館だった。

エントランスが玉砂利の階段のため、台車による納品ができない。支配人と相談をし、裏手の通用門から会議室まで商品を運び入れることにする。

2階の会議室外に商品を納め、フロントまで報告に行くと、商品を予約された幹事の方が 「やはり6階の私室まで運んでくれないか」 と、おっしゃる。

おやすいご用だ。なにしろ25万円の注文だ。

汗だくになって通用門から辞去する。オオシマヒサコさんが自動販売機にて、僕にお茶を買ってくれる。炎天下、赤いボタンを押している。ゴトンと、350ccのお茶が落ちる。

「それ、ホットだぜ」 「やだー」

ということで、こんどはアイスコーフィーに切り替える。結局オオシマヒサコさんは、計4本もの缶入り飲料を買うハメになった。

次男@5歳が幼稚園のお泊まり勉強で不在のため、ヨシハラさんの店 "Casa Lingo" にて、anne@家内にご馳走をしてもらうことにする。

飲み物は、スプマンテ "Prosecco di Conegliano" の小瓶。

ガーリックパントマトとモツァレラチーズのサラダ牛肉のカルパッツィオ

アンチョビのアラビアータ風グラタン白エビとルッコラとトマトの熱いスパゲティ生ワカメとトマトとオクラの冷たいスパゲティ

チョコレートケイキアボカドプラムのシャーベットミントのアイスクリーム

腹が膨れてグラッパが飲めない。

帰宅し、それでもタンカレイを生で1杯飲み、9時に就寝する。


 2001.0717(火) 朝の散歩

あるメイリングリストにて

夜が明けて 虫になりたる 螢かな

という秀句に出会った。阿青という人のものだそうだ。この阿青を検索エンジンに打ち込んでも、それらしい人物はヒットしない。

「我が町をホタルでいっぱいにしよう」 という単純な政策をかかげて市議会選挙に立候補しつづけたナガシマトウコさんは、当選するまでに、いったい幾度の落選をくりかえしたことだろう。

彼が市議会議員になってからは、我が町のホタルについての施設も、ずいぶんと充実をしてきた。

河川敷を整備した、広大な 大谷川公園 まで、クルマにて散歩に出かける。

ふたつの池がある。大きな池 では、鯉をはじめ複数の魚が音を立てて跳ねている。こちらにホタルはいない。ホタルはまるで湿地のような、小さい池 に棲息をしているそうだ。

ホタルは夜7時30分ころになると、盛んに発光するらしい。そして9時ころになると、生殖活動をはじめるため、光りは少なくなるという。

夜の7時30分には、僕は飲酒を為している。9時には、既にして眠っていることが多い。怠惰な僕には、虫かごの中のホタルしか、見ることはできない。

クルマによる朝の散歩は、10分間にて終了した。

朝飯は、ナスの油炒め、カブの葉と油揚げの炒め煮、2種のたらこ、納豆、刻みオクラのかつおぶしかけ、キュウリとカブのぬか漬け、メシ、豆腐とワカメとミョウガの味噌汁

今日の日中は割合と気分にも余裕があり、patioとメイリングリストに、計20通ほどのeメイルをアップする。

晩飯は、エリンギとマッシュルーム、グリーンアスパラガスのオリーヴオイル炒めと、トマトサラダふかしたジャガイモ牛タン

Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1999 を、札幌の港に近い工房で購ったガラスの徳利にて、デカンタージュする。

部位不明の安い牛肉を焼き、金長のステーキだれを添えて食べる。我が家のステーキは、もっぱらこの安い肉が定番になった。

キリン一番絞りを135cc飲み、9時に就寝する。


 2001.0716(月) 気息奄々

朝5時に起床する。朝食前の仕事を済ませる。今朝になって、昨夕6時からの、春日町1丁目役員会の八坂祭直会に出席し忘れたことに気づく。

朝飯は、刻みオクラのカツオブシかけ、温泉玉子、魚久のベニザケとギンダラ、めんたいこ、納豆、キュウリとナスとカブのぬか漬け、メシ、ジャガイモとミツバの味噌汁

1日中、オンラインショップからの受注、電話での受注、店舗からの受注と、ギフトの受注に取り組む。1日中、座ったままでこういう仕事ばかりをしていると、さすがに気息奄々としてくる。

繁盛しているオンラインショップの受付係などは、かなり気骨の折れる仕事ではないかと想像する。そういえばどこかのワイン屋の受注係が、椅子だけは高価なものを支給されている例を見たことがある。

patioやメイリングリストへの、仕事以外のeメイルが、なかなか書けない。僕の場合、盆暮れにはよくあることだ。これは時間が無くて書けないのではなく、ひとえに、気力の問題に帰結する。

夕刻5時に、ご来店のお客様から、大量のギフト注文が舞い込む。3冊の名簿から送付先を抜き出していくうちに、閉店の5時30分になる。ひとことお断りをして、店のシャッターを降ろす。

お客様が 「明日までに発送伝票が整えば良い。支払いは、そのときにする」 と、おっしゃって下さったため、受注作業は一旦、打ち切りとする。

お客様は、再び開かれたシャッターが上がりきる前に、腰をかがめてお帰りになった。

夕食を済ませ、タンカレイを生で1杯と、キリン一番絞りを135cc飲む。10時に就寝する。


 2001.0715(日) 宴のあと

朝4時30分に起床する。朝飯前の仕事を済ませ、きのうの日記を書く。6時30分に、大したこともない用事のため、ホンダシティに乗って日光方面を目指す。

走り出してすぐ、春日町1丁目の会所前で作業をする、役員たちの姿が目に入った。今朝6時から、会所と子供みこしを撤去する予定のあったことを思い出す。

無視を決め込むこともできず、7時30分まで、仕事に参加をする

会社を開けなくてはいけないため、他の役員よりも早く会所を出る。

朝飯は、カブの葉と油揚げのおひたし、トマトとキャベツのコールスロー、温泉玉子、タラコの甘辛煮、キュウリとナスのぬか漬け、メシ、ナスとお麩と万能ネギの味噌汁

10時より、湯澤歯科医院駐車場にて 春日町1丁目青年会みこしの後かたづけ を行う。ウチからトラックを出し、それを町内の倉庫まで運ぶ

倉庫が狭いため、多くの品物をパズルのように組み合わせて収納する。炎天下の作業に、汗が止まらない。

作業に参加した人へのご褒美は、金長のカツライスと生ビール

きのう今日と続いたお祭りの日程に、いささかゲンナリしつつ、夕刻を迎える。本日着替えたシャツは3枚、使ったタオルも3枚。

晩飯は、もずく、カブの葉と油揚げのおひたし、冷や奴、豚モヤシ炒め、魚久の粕漬け3種。飲み物は、紅乙女のオンザロックス

入浴後、タンカレイを生で1杯飲み、9時に就寝する。


 2001.0714(土) 人の良い繁忙者

昨夜11時に帰宅すると、anne@家内が

「9時ごろ、東天寮便りの原稿がファクシミリで届いているって、編集員のマルノ君から電話があったのよ。はやく事務室に行って、取ってきて」

と言う。先月の16、17両日の取材が、いよいよ活字になったのだろう。

A4の紙6枚にわたる原稿は、録音テイプからそのまま起こした、ほとんどが直接話法による文章だった。夜も遅いため、僕はそれを細かく読むこともなく、そのまま就寝した。

今朝6時に起きてゲラをよくあらためると、少数の誤字のほかに、第三者には理解しがたい部分が多く含まれている。校正をすべく事務室に降りる。

メイラーを回すと オンラインショップ から注文が3件、入っている。自動的に、校正は後回しにされる。

朝飯は、ハモの皮、めんたいこ、薄塩のサケ、ナスの油炒め、納豆、キュウリのぬか漬け、メシ、豆腐とワカメとミョウガの味噌汁

7時30分にふたたび事務室へ降り、校正すべき場所に数字を振っていく。秀丸にて、その数字を頭につけた新しい文章を、箇条書きにしていく。校正は17個所に及んだ。

8時すぎ、これに注意書きを添えて、自由学園男子部にファクシミリにて送信する。

今朝は特に忙しい。1ヶ月以上も前から、瀧尾神社の八坂祭には、白張りとして参加することを、イワモト春日町1丁目区長から要請されていた。

「卓ちゃんしかいねぇんだよ」 そう言われると僕も弱いが、他にヒマな人は、たくさんいる。なにかと理由をつけて、繁忙を装っているだけだ。あるいは、社会性の欠如。

白張りとは、白い袴と白い直垂(ひたたれ)を身につけた、いわばお祭りの人足だ。8時30分に瀧尾神社へ集合し、装束を改める。9時に全員が、神社前に集合 する。

9時すこし過ぎに、炎天に花火が上がる。台車に乗せられた大みこしを引いて、神社を出発する。

春日町、住吉町、相生町。各町内の会所にて、冷たいお茶、冷酒、ビール、漬物などが供される。

朝日町川原町 と通過して、大谷橋を渡る。川原町までは青空も見えていたが、意外な早さで雲が空を覆い始める。

大谷向の会所 からふたたび大谷橋を戻って坂を上がり、清住町へ至ったところで、夕立のような雨が降り出す。

東郷町小倉町3丁目小倉町東部

旧市街では各々の町内が接近しているため、歩いている時間よりも、会所で休憩をしている時間の方がむしろ長い。雨宿りにて、その休憩時間が更に延びる。

東町 から 小倉町5丁目 を経て、例弊使街道の並木を抜け出す

日光街道と例弊使街道を分ける追分地蔵尊にて、植木屋の植七がみこしを竹と荒縄で飾り、祝詞(のりと)が上げられる

木村家ホテルでの昼食を挟んで、ふたたび雨の中を出発する。

桜木町仲町 を経て、山車は無事に瀧尾神社へ戻った。全行程は7.2キロメートル、所要時間は、ほぼ予定取りの6時間にて収まった。

重さ数トンのみこしを古代エジプト人と同じ原始的な手法にて蔵へ納め、午後3時に、白張りは無事に撤収した

社務所に白張りを接待する席が設けられていると言われたが、早く風呂に入りたく、そのまま自転車にて帰社する。

事務室の机に着くなり、東天寮便り編集員のサトウ君より、電話がかかる。

「あのー、校正された文章はとても分かりやすいのですが、僕としては、できるだけインターヴューの雰囲気を残したいんですけれど」

彼の意向を尊重し、誤字や構文の誤り以外は、そのままの状態で活字にすることを了承する。

4時、シャワーを浴びていると、anne@家内が 「自由学園のオノさんがみえた」 と、僕を呼びに来る。「大至急よ!」

オノさんは僕よりも7つ年長の先輩だ。今夜から明朝8時まで奥日光でラリーの審査員をし、そのまま成田空港へ直行して、仕事でアメリカへ行くという。ここにもまた、頼まれると断れない繁忙者がひとりいる。

4時30分、春日町1丁目青年会のみこしが、店の前に来る。ひとしきりみこしを揉んだ後に、休憩となる。僕は慌てて、お供え係のカミムラさんがクビからかけている賽銭箱に、5千円札を1枚、投げ入れる。

5時からは、子供みこしの先導 をつとめる。途中で夕立に見舞われたため、ソウトメ君の家の車庫に一時みこしを預け、雨の中、子供たちを連れて会所へ戻る。

終業後の、ひと気のない事務室へ帰る。僕の事務机の上には、本日の地方発送受注高のメモが置いてあった。7月初めからの累計で、昨年より7%も高い数字を、マイツール のディスプレイは示している。

本当は、白張りどころではないのだ。

夕食はとらず、事務室にて昨日の日記を仕上げる。

9時に至り、おみこしを担いだ春日町1丁目青年会が直会をしている市之蔵へ行く。

オヤヂたち中学生や高校生 も加わり、春日町1丁目の若い衆も、なかなかに充実をしてきた。

10時すぎに帰宅し、10時30分に就寝する。


 2001.0713(金) 朝顔とブルスケッタ

居間の窓枠に、朝顔のツル が巻きついている。

「朝がほに つるべとられて もらひ水」 という句を、僕はずっと、樋口一葉のものと思っていた。先ごろあるパティオでそのことを書いたら、年下の友人ヨシダゲンちゃんに 「それは加賀の千代女でしょう」 と、訂正を受けた。

検索エンジンで調べると、なるほどその通りだ。また、出だしの「朝がほに」 も僕の記憶違いで、本当は 「朝がほや」 だということも、同時に知った。

7月13日は、僕の妹の祥月命日だ。オフクロは朝飯の前に、墓参りから帰ってきた。掃除をして線香を上げたのみで、花は生けてこなかったと言う。

午後、僕は花屋でワケも分からず 「お供えの花」 と言って花を買った。お墓には、既にして僕が買ったものと同じ花が生けてあった。妹の命日を知る人からのものだろう。

細いステインレスの花入れに、僕が持参した分も、むりやり一緒に押し込む。

妹は13歳で死んだ。僕は44歳まで生きて、ゴボウを裏ごししたソースにカリッと焼いたヒラメを浮舟のように配した一皿を肴に、シャンペンを飲んだりしている。

墓参りをするということと免罪符を買うということは、とてもよく似た行為だ。

午後4時発の特急スペーシアに乗り、神保町へおもむく。自由学園卒業生のためのメイリングリスト "PDN"(Primary Dougakunotomo Network) の、オフのためだ。

会社を出てすぐに、デジタルカメラをザックへ入れ忘れたことに気づく。もう遅い。

地下鉄神保町駅からいつもとは異なる階段を上がると、オフの開かれる矢野ビルとは靖国通りを隔てて 反対側にいることが分かった。横断歩道を渡る。

ホントは松翁あたりでアナゴの天ぷらを食べたいところだが、時刻は6時10分。オフが始まるまでは、20分の余裕しかない。

表通りよりも路地の好きな僕が、靖国通りに面する矢野ビルに裏側からアプローチをしようと歩いていると、見慣れないバーがあった。道路に置かれたメニュをチラリと見ると、軽い料理も作れるらしい。すばやく時間を計算し、バーへの階段を降りる。

店に入ると、左側に8人がけくらいの幅広のカウンターがある。各々の椅子の前は、天井からのライトで丸く照らされている。僕はドライマーティニを頼み、追っつけブルスケッタを注文する。

「こんなの、どこで探してきたの?」 と訊きたくなるような古風で大ぶりのカクテルグラスには、タンカレイベイスのドライマーティニが、レモンピールの霧による波紋を浮かべている。

「このマティーニ、ちょっと量、少ねぇんじゃねぇか?」 と思ったが、それは酒飲みの卑しさによるものだろう。

僕の目の前に届けられたブルスケッタは、案に相違して4個という物量作戦で、2杯目の酒を要求する。

僕は、ほどの良いドライマーティニを夕刻の乾きからさっさと飲み干す。次はビールと決め、"Patagonia Lager" を選ぶ。

それにしてもこのブルスケッタ、僕が今までに食べたあらゆるブルスケッタの中では、1番に美味い。

うっすらとこげ目のついた柔らかめのパンには、画布の上にパレットナイフでそっけなく置かれた赤桃色の絵の具のように、ややぞんざいな加減で、少なめのトマトが載っている。

そしてこのトマトが、強いオリーヴオイルの香りを、僕に向かって照射している。4個のブルスケッタは瞬く間に、ムシャリムシャリと僕の口で咀嚼され、目の前から消えた。

6時30分ちょうどに "Patagonia Lager" を飲み干す。バーテンダーを呼んで勘定をし、「鶴八」 の前を通って矢野ビルの階段を上がる。

普段なら、オフの日には甘木庵に宿泊をする。ところが明日は朝から用事があって、今夜のうちに帰らなくてはいけない。

話し合いも佳境に入った8時に矢野ビルを出て浅草へ戻る、新しくできた9時発の最終スペーシアに乗る。

11時に帰宅し、0時30分に就寝する。


 2001.0712(木) こどもの注文

朝2時前に起床する。

携帯電話を見ると、オンラインショップ から転送された注文が8件、入っている。数分のうちに相次いで入った注文は、初心者による注文ボタン連打の可能性が高い。

事務室へ降り、メイラーの Becky! を回す。8件の注文のうち1件は、自宅への送付を依頼するものだった。残りの7件は、ひとりの顧客による7軒への贈り物だった。

複数の注文なら、エクセルなどのファイルかeメイルを当方へ送付した方が楽だと僕なら考えるが、人それぞれに、慣れた方法があるのだろう。

朝飯は、赤ピーマン、緑ピーマン、ナス、エリンギのオリーヴオイル炒め、刻みオクラのカツオブシかけ、納豆、湯波、キュウリとナスのぬか漬け、メシ、イナダのアラとミョウガの味噌汁

事務室と現場を往復しながら1日を過ごす。夏のギフトのピークは7月の上旬だろうが、これから旧盆までは、高原状態の繁忙が続く。

ギフトの発送が多ければ、長期不在、転居先不明などで行き場を失った荷物の問い合わせも増える。ご依頼主に連絡をし、正しい届け先をひとつひとつ特定していく。

夕刻6時すぎに、次男@5歳と 子供みこしの集団 に合流する。

むかしは子供の世話やお祭りの好きな与太郎が、各町内にひとりくらいはいたものだ。いまのプータローは自宅に引きこもって、なかなか出てこない。

帰宅してシャワーを浴びる。今夜はanne@家内が留守のため、次男とゴム草履を履いて 市之蔵 へ行く。

突きだしは、アサリの深川煮とナメコおろし。飲み物は吉四六のオンザロックス。

次男は マグロの刺身、僕は 揚げナス新サンマ を注文する。

家内は、僕が飲み屋へ子供を伴うことを嫌う。飲み屋の客はおおむね、のんびりと解放されている。気分良く談笑をしている。男と女の二人組が、静かに酒肴を分け合っている。

つまり飲み屋とは、仮想の幸せな空間だ。その空気になじむうちに、子供の酒に対する警戒心が無くなってしまうというのが、家内の、僕が飲み屋へ子供を連れていく行為を嫌う理由になっている。

カウンターで、特注の 「鶏の唐揚げ定食」 を食べている若い人がいる。皿の上には、唐揚げがテンコ盛りになっている。次男がそれを見て 「カラアゲが食べたい」 と言う。

僕は、飲み屋でカラアゲを注文する趣味を持ち合わせない。「カラアゲは取らない」 と答えると、すかさず厨房から、盛りつけに漏れた 大部分が皮のカラアゲ が出てくる。

カラアゲは、皮の部分がもっとも美味い。次男は揚げたてのそれに素早くむしゃぶりつき、サクサクと短時間で食べ終える。

更に次男は ポテトフライ などという子供じみた注文をし、これが今夜の締めになった。僕は 2片のオレンジ を食べ、勘定を頼む。

8時に帰宅し、8時30分に、次男と一緒に就寝する。


 2001.0711(水) 遠い町での買い物

朝3時に起床する。このあたりが、僕には最も適切な起床時間だ。

僕と同じような早起きの人なのか、あるいは遅寝の人なのか、オンラインショップ からの注文が2件、立て続けに入る。参加しているメイリングリストからも、ときおり発言が飛び込んでくる。

朝飯は、トマト、キャベツの油炒め、湯波、納豆、キュウリとナスのぬか漬け、メシ、ダイコンと油揚げと貝割れダイコンの味噌汁

我が町の"JUSCO" にある "Right-on" は、なんだかおかしい。

「このチャンピオンのパーカ、Lサイズを取り寄せてくれますか?」
「それでは、取り寄せができるかどうか調べて、ご連絡します」

何日待っても電話がないので、店まで出向いたら

「お取り寄せはできないんですねー。ご来店したときにLサイズがあれば、そのときお買いあげください」

昨日、 「リーヴァイスの白い501、ありますか?」 と訊くと
「明日にならないと、お取り寄せできるかどうか、わかりません」

というわけで、"Right-on" については 「もうあなたには頼まない」 ということにした。

そして今朝、僕は検索エンジンを働かせて、遠い町の "JOE" という店に、ジーンズを発注した。

昼飯は、トビウオの塩焼き、湯波、ピーマンとナスの油炒め、しその実のたまり漬、メシ、お茶

午後、八王子で商売をしている八百屋のQちゃんから電話が入る。

「ウインドウズMEにヴァージョン1.13の マイツール を入れたら、ディスケットの読み込みが不能になっちゃったんですよー。どうすれば良いですかねー?」

そういう件ならば、"computerlib" のマヒマヒ氏に電話をすべきだと答えたら、先ほど携帯電話に連絡をしたが、繋がらなかったとい言う。

ウチのウインドウズMEのマシンで正常に動いているマイツールは、彼のものよりも少し新しいヴァージョン1.11aだ。

とりあえず "computerlib" の他のスタッフに助けてもらうよう助言をするが、僕自身も、識者の常駐するパティオに、解決策を請うメイルを載せることにする。

夕刻6時に、次男@5歳を春日町1丁目の会所へ連れていく。子供みこしの町内巡行は、今日から14日まで、毎日行われる。会所へは、イワモト区長を除くと、大人の男は僕しか来ていない。

町内に、ヒマな男がふたりしかいないというわけでもないだろうが、行きがかり上、子供みこしの先導を勤める ことになる。

晩飯は、エリンギとイカのオリーヴオイル炒め。飲み物は、"Saint Morillon" の "Cabernet Sauvignon 1995"。 トマトとオクラとモツァレラチーズの冷たいスパゲティ

スパゲティは特に美味いため、惜しんでチビチビと食べる。

イナダのバターソテーバルサミコソース と、締めは ホイップクリームを載せた "Le Notre" のパウンドケイキ

9時に就寝する。


 2001.0710(火) 石の瓦

朝5時に起床する。現場へ足を運び、ギフト発送の進み具合を調べ、指定出荷日ごとに仕訳された発送伝票に誤りがないか、点検をする。

朝飯は、納豆、ベイコンエッグ、ナスとオクラの油炒めと大根おろし、甘塩のサケ、キュウリのぬか漬け、メシ、キャベツとオクラの味噌汁

クルマにて宇都宮へ出かける。社会保険労務士の事務所、栃木県味噌工業協同組合にて、小さな用事を済ます。

小さいながらも重厚な門を持つ成高寺 を横目に市内を走り、老舗の鰻屋に届け物をする。鰻屋の立地として、河畔 ほど似合いの場所も、ないだろう。

宇都宮から日光街道を北上すると、大谷石の瓦を持つ門 が今も残って散見される。柳宗悦はこれを 「日本民藝紀行」 の中で称揚し、日本民藝館 の一部にも、これを用いている。

しかしながら僕には、その良さは分からない

午前中に帰社して、ギフトの受注をこなす。注文が入るそばから、次の注文が入る。ファクシミリやeメイルによる注文なら作業を中断させることもないが、電話がかかれば、黙っているわけにもいかない。

夕刻までずっと、ひとつの発送伝票が仕上がる前に、次の注文が入って、中途半端な伝票が山になるという、ギフト時期にありがちな展開となる。

終業後1時間を経て、すべての仕事が完結しないまま、今日の作業はお終いにする。

焼き肉の大昌園へ行き、残り少なくなった焼酎のボトルを新規のものに換える。レヴァ刺し、タンシオ、カルビ、コブクロ、ホルモン、豆モヤシ、オイキムチを食らう。

締めは テグタンラーメン。フランス料理屋のチーズと同じく、勢い込んで食べ始めたため、途中で気づいて半端な画像を撮る。

帰宅し、タンカレイのジンをストレイトで60ccほども飲み、9時に就寝する。


 2001.709(月) 荷札書きソフト

朝4時30分に起床する。事務室へ降り、朝の仕事に就く。

オンラインショップ の支払い方法に銀行振込を追加したら、今朝だけで3件の、振込による注文が届いている。

「顧客の発注方法や支払方法には、できるだけ多くの選択肢を準備せよ」

ということなのだろう。

朝飯は、甘塩のサケ、温泉玉子、納豆、シシトウとナスの油炒め、刻みオクラのカツオブシかけ、メシ、ワカメと豆腐とミョウガの味噌汁

「田舎には住みたくない。田舎に住んで美味いものは、野菜くらいのものだろう」 と言った人がいる。

家の中の仕事を頼んでいる農家のサイトウさんが持参する野菜は、本当に美味い。特にシシトウなどは、どうしてこんなに美味いのかと、いつもまじまじと凝視する。

夏の野菜ほど、僕に季節を知らせてくれるものは無い。

日中は、ギフトの受付と発送伝票の作成、ヤマト運輸の荷札書きに忙殺される。

荷札書きについては、5年ほど前のある夏、池袋の喫茶店にて組んだ マイツール のマクロと、電話番号から顧客の住所を検索する 「一発変換」 によって、劇的に楽になった。

楽にはなったが、この仕掛けによって荷札書きの外注は無くしたため、相変わらずこの時期の仕事量は多い。

親指大のトンカツ、キャベツとジャガイモのサラダ、ナスの油炒め、生キュウリのひしおマヨネーズ、牛スジのシチュー という飲み屋のようなメニュにて、紅乙女のオンザロックスを4杯ほども飲む。

入浴後、キリン一番絞りを135cc飲み、9時に就寝する。


 2001.0708(日) 奉仕の楽しみ

就寝が遅いと起床も遅くなる。7時ちかくになってようやく目を覚ます。

昨年は日光の社寺が世界遺産に登録されたことと、NHKのドラマの影響もあって、我が町を通過する観光客も多かった。今年はその揺り戻しがきているが、晴天の週末にはさすがに道も込み合い、来店客も多い

11時に、クルマにて次男@5歳の通う 聖ヨゼフ幼稚園のバザー へ出向く。焼きそばを30人前 と、ソーセージを10本、購入する。

帰社して、社員に買ってきたものを分ける。昼食の代わりにする人もあるだろうし、夜の酒の肴にする人もいるだろう。

anne@家内は、教育の場で酒を売ることに強い嫌悪感を憶えているが、経済は常に、正論に優先する。夏の空の下、生ビールは実に70リットルを売り上げたそうだ。

午後4時からは、春日町1丁目の役員による、八坂祭子供みこしの組立がある。僕はその時間、ちょうど社内に仕事があるため、30分ほども遅刻をしていく。

子供みこしは、あらかた完成 していた。雨に備えて会所の提灯台に、会社から持参した特大のビニール袋をかぶせる。

子供みこしのテントの入り口をキッチリとヒモで閉じ、作業は終了する。

ふたたび会社へ戻り、最後の仕事にあたってから、洋食屋の金長へ向かう。

本日の作業の報酬は、清酒1升 と、金長における酒と晩飯だった。オヤヂ連中が集まり、くだらないオダを上げて楽しむ。もちろん、真面目な話も少しは混じる。

帰宅し、9時に就寝する。


 2001.0707(土) 父母会

2時30分に目を覚ます。3時前に起床する。朝の仕事をこなす。

朝飯は、シシャモ、納豆、温泉玉子、刻みオクラのカツオブシかけ、キュウリのぬか漬け、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁

下今市駅9時36分発の特急スペーシアに乗る。今日は遊亀@長男の父母会の日だ。自由学園 へは、午後1時すぎに着いた。

既にして深い夏の緑の中、1万数千円の赤字となっている長男の学生金庫に、3万円の入金をする。

「紳士たる者、決して、当座貸し越しにはしないものです」 という、ジェフリー・アーチャーの小説の一節を思い出す。

解散間際の男子部 へ移動する。高等科1年生の手になる藍染め が風に揺れる様を眺めながら、記念ホールの席に着く。

父母会は、午後2時から8時30分まで続いた。

仙台行き最終の東北新幹線から日光行き最終のJR日光線へと乗り継ぎ、夜11時過ぎに帰宅する。

"maururu" の杯 にてタンカレイのジンをストレイトで2杯飲み、午前1時に就寝する。


 2001.0706(金) ワンタン鍋

朝3時に起床する。オンラインショップ からの受注をこなし、顧客、友人、niftyのpatioへ、30通ほどもeメイルを書く。

事務室と外とは、畳2枚分のガラス戸にて隔てられている。そして夜間には、そのガラス戸にシャッターが降りる。5時にこのシャッターを開け、朝の光を入れる。

朝飯は、キュウリとツナのサラダ、ニラタマ、納豆、フキの煮物、ショウガのたまり漬、キュウリのぬか漬け、メシ、厚揚げ豆腐と万能ネギの味噌汁

6月22日の 本酒会 に欠席をしたまま、ズルズルと会報を書かずにいる。書き始めれば10数分の作業だが、どうにも気が進まない。

自らの尻を叩き、採点表からデイタを マイツールのフォーマット に入力する。文章を書き、eメイルアドレスを持つ本酒会員に、同報にて送付する。

6月のペイジ を作り、デジタル関係の作業は終了する。

最も面倒なのは、eメイルアドレスを持たない会員も含めて郵便局から送る、紙の会報作りだ。この作業のみ、明日以降の予定に入れる。

ここ数日来、朝から夕方まで4名の社員が荷造りに専念をしている。そのため夏のギフトの受注残は、昼ごろになって、一時的な落ち着きをみせた。午後の2時間を他の仕事に充て、2名のみが、ふたたび荷造りに復帰する。

晩飯は特にリクエストをして、ワンタン鍋にしてもらう。このメニュは、僕が1970年代、暖房のない木造の自由学園東天寮の朝飯で食べた好物が、下敷きになっている。

インチキ鶏ガラスープとインチキカツオだしを仕込んだ鍋で、あらかじめ 豚の肉団子とエリンギを煮ておく

食卓に、キャベツ生玉子ワンタンの皮 を用意する。玉子を溶いて鍋に少しずつ流し込み、キャベツを投げ入れる。

玉子が柔らかくまとまり、キャベツが煮えたら、各自が ワンタンの皮を鍋に放り込む。あとは、ワンタンの皮を次々に投入しながら、一気呵成に食べる一手だ。

東天寮の寒い朝に白い息を吐きながら食べたワンタン鍋よりは、随分と手のかかった料理になっているが、いにしえを思いこれを食べることが、年に数回の、僕の楽しみだ。

飲み物は 紅乙女のオンザロックス

入浴後、タンカレイのジン をストレイトにて1杯飲み、9時に就寝する。


 2001.0705(木) フランス料理と蕎麦

朝5時に起床する。今日も空は辛うじて晴れた。

朝飯は、ベイコンエッグ、納豆、ブロッコリー炒め、メンタイコ、キュウリとカブのぬか漬け、飯、厚焼き豆腐と万能ネギの味噌汁

午後から、つたやホテルへ行く。2時30分から、雇用協会、商工会議所、公共職業安定所の主催する 「就職情報交換会」 へ出席する。会は、午後4時過ぎに終わった。

夕刻、6月に帯状疱疹にかかったオヤジの快気祝いにて、家族5人で "Fin Bec Naoto" へ行く。

シャンパンは Fleury の Blanc de Noir

冷たいポタージュエビとホタテ貝のマリネリードボーとフォアグラのポアレ

カリッと焼かれた金目鯛、オフクロから回ってきた 鴨のコンフィ

6種の中から自分でふたつ選んだチーズ は、出てくるなり食べてしまって、画像を撮れなかった。

果実のカクテルココナツのシャーベットチョコレートのムース

最後にエスプレッソ

デザートは2品もサーヴィスしてくれたし、鴨のコンフィはオフクロからの下がりものだが、それにしてもこのコースが3500円とは、いかにも安い。

いま高価な食事は何かと問われれば、僕はその筆頭に、蕎麦屋での酒食を挙げるかも知れない。

9時前に帰宅し、10時前に就寝する。


 2001.0704(水) 炎天下

朝4時30分に起床する。空は快晴だ。現場へ足を運び、ギフト発送の進捗状況を確認し、お届け伝票の整理をする。

朝飯は、生キュウリのマヨネーズひしお和え、メンタイコ、ホウレンソウ炒め、納豆、カブと油揚げの炒め煮、キュウリとカブのぬか漬け、飯、大根とジャガイモの味噌汁

ジャガイモの味噌汁は美味い。ジャガイモが美味いのではなく、味噌汁に浸出したジャガイモの香りがまことに良い。理想型は、風味のみを残してジャガイモを捨て去った味噌汁だ。しかしまさか、そんなこともできない。

ここ数年来、しっかりした生徒を紹介してくれている5つの高等学校を回るため、9時にクルマで会社を出る。各学校では、就職担当教師に求人票を渡し、意見の交換をする。

世間では猛暑と騒いでいるが、僕はそれほど暑さ寒さの気にならないたちだ。

ちょうど昼時に、鹿沼市へ至る。エプロンを縫いつけたノレン を持つ 古風なラーメン屋 「安喜亭」 に入る。

地味な昆布ダシの透明なスープに、ほとんどカンスイを使わない白く細い自家製麺を沈めた 豚そば を食べる。古色を帯びた豚肉とタマネギ、キャベツと青ネギのあんかけも面白い。

鹿沼市の高等学校には、午後1時前に到着した。昼時の面談は、先方の迷惑になる。炎天下、窓を開け、エンジンを切った車内にて、本を読んで過ごす。エンジンをかけたままで駐車することを、僕は好まない。

最後の学校訪問は、20分ほどで済んだ。ふたたび鹿沼市の旧市街へ出る。

この街には、古い建物 が多く動態保存されている。堂々とした 看板建築 も目立つ。

午後2時に帰社し、通常の仕事をこなす。

酒を飲まない人間は、便利なものだと思う。僕は不便な人間だ。晩飯の卓上には、夏の夕刻にふさわしい つつましやかな酒の肴 が配置される。

9時に就寝する。


 2001.0703(火) 湯飲みの冷酒

朝2時30分に起床する。事務室に降り、朝の仕事をこなす。5時に至って急に眠気をもよおし、自室に帰って二度寝をする。

朝飯は、ハムエッグ、トマトとレタスとキュウリのサラダ、めんたいこ、キュウリとオクラのぬか漬け、タラのえらのキムチ、カブと油揚げの炒め煮、メシ、カブと油揚げの味噌汁

株式を保有する複数の会社から配当金が届く。早晩、湯島天神下のエビ真如か、池之端の巣ごもりか、根津の串揚げに化けてしまう運命にあるお金だ。

所用にて、クルマで30Km離れた宇都宮市へ行く。帰途、たまき に寄る。

おりしも5日から10日まで開かれる 心地よい椅子たち 「木の仕事12人展」 のための搬入が、行われているところだった。

出品物のテイブルにて、社長の田巻さん とお茶を飲みながら歓談をする。

たまきの販売部で 蔵珍の湯飲み を手に取る。僕はこの手の小ぶりの器で冷酒を飲むことが好きだ。

湯飲みで飲む冷酒に似合いの食べ物は、焼き鳥だと思う。これは、利き酒に用いる蛇の目模様の器にて酒を供する伊勢廣で、いつの間にか刷り込まれたものかも知れない。

晩飯は、冷や奴チンゲンサイの炒めたもの春雨サラダ餃子。飲み物は 紅乙女のオンザロックス

9時に就寝する。


 2001.0702(月) シロウトの春巻き

朝5時30分に起床する。この程度の起床時間だと、朝飯前には大した仕事ができない。オンラインショップ からの受注をこなす。

「代引き着払い」 を選びながら、備考欄に 「JCB」 などと入力のある注文が届く。「クレジットカード払い」 を選びながら、「カード名」 「名義人」 「カード番号」 「有効期限」 が未入力の注文が届く。

緊急のときには顧客へ電話にて連絡をするが、日中は不在のことが多い。確認のメイルを送付する。こういう時間や手間のムダが、オンラインショップにはつきものだ。

朝飯は、納豆、油で炒めたシシトウと大根おろし、サケの頭の焼いたもの、白菜キムチ、生キュウリのひしお和え、ダイコンとオクラのぬか漬け、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁

7月の頭は、夏のギフトの天王山だ。事務室の仕事をこなしつつ、発送現場にもこまめに足を運ぶ。

朝8時30分から夕刻5時までのあいだに4人の社員が、7月2日出荷希望の商品、7月初め出荷希望の商品、本日12時までに受注した商品の出荷を完了する。

閑散期に比較して10倍ほどの荷物が、ヤマト運輸のトラックに積み込まれる。これから旧盆までは、高原状態でのギフト需要が続くだろう。

晩飯は、ヴィエトナム風の春巻きだった。中身の 茹で豚、モヤシ、トマト、大葉、キュウリ、レタス と、調味料として ポン酢、ひしお、ニンニクのたまり漬 を準備する。

飲み物は 紅乙女のオンザロックス

ライスペイパー に、好みの材料と島トウガラシ を載せる。

シロウトはどうしても具を入れすぎるため、巻きが太くなる。食べながら中身をポロポロと落とし、1本を平らげるごとに、手を洗うハメになる。

キリン一番絞りを135cc飲み、10時に就寝する。


 2001.0701(日)

夏のねむり暁をおぼえず、5時30分に起床する。7月の初日にふさわしい晴天になる

朝飯は、納豆、卵のクリームソースオーブン焼き、ホウレンソウ炒め、刻みオクラのカツオブシかけ、ダイコンとホタテ貝のサラダ、キュウリのぬか漬け、メシ、ダイコンと油揚げの味噌汁

自由学園からKO大学応援指導部に進んだ同級生、コモトリケイ君からメイルが入る。

湯島天神下のシンスケで閉店近くに飲みながら、湯島の名バー "EST" の場所をオヤジに訊ねたところ 「俺が連れてってやるよ」 と言われた。

シンスケの父子と3人で "EST" へ行くと、生憎と満員だった。「カクテルならもっと美味い店があるよ」 と言うオヤジに従って別の店へ回ったら、ここのサイドカーが絶品だった。

「だからこんど、一緒に湯島で遊ばないか?」 という内容だった。

湯島は僕の地元だが、7月はギフトの繁忙で、時間は作れそうにない。コモトリ君とのクルージングは、お盆過ぎになるかも知れない。

終業後、飲み屋の 「和光」 へ行く。あずけてある吉四六を、オンザロックス にする。

突きだしは、真竹のタケノコと油揚げを炊いたもの

普段、僕が食べることのない マグロの刺身 を同行者が注文し、あっという間に平らげる。僕はマグロについては、一手加えるか、刺身なら小さな切り身以外、好まない。

イカ納豆 はゲテな食べ物だが、この店のものは美味い。鯛の粕漬け を食べ、レヴァ焼き にて締める。

我が春日町1丁目のカワナゴ君が店の入り口を開け、僕の顔を見て 「青年会の集まり、今日ですよね」 と訊く。僕は知らない。カワナゴ君はとりあえず、奥の席に着く

引き続き、春日町1丁目青年会長のタノべ君 が、姿を現す。

僕が福岡へ行っているときにでも、今日の会議を知らせる回覧板が回ったのだろう。

夏のお祭りには、おみこしをかつぐ以外、何にでも協力することを伝える。話し合いには加わらず、そのまま店を出る。

いまだ明るい日光街道を遡上 して、家路をたどる。

倒産した長崎屋のビルには、ようやく 「かましん」 というスーパーマーケットが進出することになり、看板には 「K」 のデザイン文字も入った。

日常の食料品を買うためだけに、郊外の大型店までクルマで出かける不便な生活が、もうすぐ終わる。