きのうの夕刻には、僕を含めれば5人がホンダフィットに充満し、登り下り、あるいは屈曲した暗い田舎道を走った。その結果「事故など起こしては全員の人生が台無しになる」と考えて、本日の入浴場所は日光の「やしおの湯」にした。ここなら往復のほとんどは高速道路だから危険は少ない。
谷あいにひっそりとある「やしおの湯」でクルマを降りると、次男の先輩のひとりが「ここは涼しくて良いなぁ」とつぶやく。確かに、ウチから西北西に15分を走ったのみにもかかわらず、そこには下界とは異なる空気があった。そして僕はといえば「まさか夏が終わりゃしねぇだろうな、1週間後には立秋だしよ」と、にわかに心配になる。
脱衣所からいきなり露天風呂へ行って湯に浸かり、上がってしばし戸外で涼む。あたりに蠅たたきの数本が用意してあるのは、夜に羽虫でも迷い込むためだろうか。
きのうと同じく高校生たちと晩飯の卓を共にし、これまたきのうと同じく早々に寝る。夜になれば下界も充分に涼しい。
高校2年生の次男の、ひとつ先輩3人が夕刻より遊びに来るとのことだったが、当方は閉店後のミーティングがあるためクルマは出せない。そういう次第にて、JR今市駅には次男に迎えにいってもらう。
夏休みのあいだ次男には僕のiPhoneを貸し出してある。そのiPhoneに連絡を入れ、駅から隠居に着いて待機していた彼等をホンダフィットに乗せる。そして「東照温泉」に向かう。
夕刻から夜にちかづきつつある、木々に覆われた露天風呂に浸かっていると、ヒグラシの声が頭上から降ってくる。僕はからだはほとんど洗わないが、高校生はそのあたりは真面目らしく、しかし無論、女の風呂ほどは長くない。
晩飯の席では先ず、次男が上級生たちのグラスにお茶を満たす。開け放った窓から廊下へと風は抜けるが冷房をかけない部屋はいささか暑いかも知れない。そういうところで煮立つ鍋の中のあれこれを食べ、早々に寝る。
会社の坪庭に朝顔の蔓がグングン伸びて、竹垣の先で行き場を失っている。それに気づきながら1日2日をやり過ごしてしまった。今日になってようやく、屋内の片隅でほこりを被っていた6尺の竹を洗い、これを竹垣に付け足す。
事務室に戻って席に着くと、首のあたりでカサコソと動くものがある。そのあたりに手を触れると、机の上に小さな蜘蛛が落ちた。朝顔を助けたばかりとあっては、いくら蜘蛛でも殺しがたい。そしてこれを軽く手に握り、先ほどの坪庭に放つ。
シュバイツァーは、部屋に迷い込んだ昆虫はかならずガラス瓶などに捉えて外へ逃がしたという。シュバイツァーは殺生を嫌うあまり、抗生物質さえ使うことを躊躇ったというが本当だろうか。
きのうは昼に栄養を摂りすぎたか、夜はサラダしか食べる気がしなかった。今日は特段、昼に食べ過ぎた覚えもないが、やはり夜のメシは軽くても満足をする。
夜に早く寝れば翌朝は早くに目が覚める。5時前からテレビのスイッチを入れる。そしてロンドンオリンピックの開会式を観る。「退屈だから」と書けば何やら自分の鑑賞能力不足を露呈するようなものだが、5分で飽きてスイッチを切る。
6時20分にふたたびスイッチを入れると、開会式の出しものはまだ続いている。競技場の奥で入場を待つ選手たちの疲れはいかばかりかと思う。
「アマチュアの大会としては最後のオリンピック」と表現される東京オリンピックのころには、その入場式は少年野球の大会などとおなじく、いきなり選手入場から始められたのではなかったか。あるいは1984年のロサンゼルス大会が大きな収益の獲得に成功してから、入場式の形が大きく変わったのかも知れない。
「30品目以上の食材を用いた1日の献立を立て、そのうちの1品を自分で作ること」という宿題を本日おこなう次男を伴い、朝、「JAかみつが今市農産物直売所」へ行く。そして次男は何種類かの野菜を選んだ。
昼にその、次男の手になる脂肪燃焼スープを飲む。何しろ自分で献立を決められるわけだから次男の夜のおかずはステーキだった。皿一杯に広がる大きな牛肉を横目で見ながら僕は所用のため外へ出る。
本日、ウチの商売に関係する役所から封書が届く。開けて中身を調べると、それはある講座の案内だった。申し込み先として記載されている"go.jp"を含むURLをブラウザに打ち込むと、その省のウェブサイトには行き着くものの「ご指定のページは見つかりませんでした」と表示が出る。
「そうであれば」と"google"にいくつかの語句を入れると、当該のページはすぐに見つかった。実際のURLは、封書で届いた案内のものとはもちろん違う。
ところでその、検索エンジンからたどり着いた申し込みページを下へスクロールしながら紙の案内にあった、ウチの最寄りの講座会場を探す。しかしどうしても見つからない。ことここに至って遂に、その省に電話を入れる。
「ここだけ会場がなかなか決まらなくて、それでページの作成に間に合わなかったんですねー」というのが係官の説明だったので「あぁ、そうですか」と答えて受話器を置く。
「額に汗して」は「働く」にかかる慣用句だろう。しかし今夜は夕食後にシャワーを浴び、額に汗して寝る。
朝、日光の山々の稜線が久方ぶりに明らかになる。ここしばらくは霧がかかったり雨が降ったりと、山の見えない日が続いていた。雨は夜にのみ降り、明け方から初更にかけては晴れて欲しいものだと思う。
日中はじりじりと気温が上がり、僕にとっては嬉しい夏日となる。
7月の小遣い帳は、赤字がほぼ必至となった。経営者によっては会社の経費で落とすようなことに僕は自腹を切る。そういうことに加えて今月末にはオフクロの誕生日がある。
JR西日暮里駅の山手線内回りプラットフォームのキヨスクが数年前に無くなった。そしてそこに飲みものと文庫本の自動販売機ができた。その自動販売機では「お金がなくても平気なフランス人、お金があっても不安な日本人」という本が、随分と長いあいだ売られていた。
その本を読んだことはないけれど、多分「日本人はフランス人に見習え」というようなことが書いてあるのだろう。第一、そのような内容でなければ日本では売れない。「しかし金が無かったら、どうにもならねぇよなぁ」と思う。
「よし、来月こそは」と心に期したところで、8月は毎月、小遣いの半分ほどを寄付に充てなくてはならなかったことを思い出す。
日光の朝採れ地野菜を「日光味噌のたまり」で浅漬けにする「たまり浅漬け」の材料を選ぶため、今朝もJAしもつが今市農産物直売所へ行く。ここ一週間ほど気になっていたことだが、売り場の梁にツバメが巣を作り、ここに親からかしましくエサをもらう雛が4羽があらわれた。
「雛は今朝もうるさくしているだろうか」と今日はカメラを持参した。そして当該の場所を見上げてみれば、雛の数は2羽に減っていた。他の2羽はさすがに巣立ったのかも知れない。
それにしても、早い個体ではもうひと月も前から下手ながらもフワフワと空を飛び始めている。「今ごろ親からエサをもらうとは、いくらなんでも」と考えつつ帰社してこの画像を"Facebook"に載せる。その結果、ツバメはつがいにより卵を産む時期にズレのあることを知る。
夜は日本酒に特化した飲み会「本酒会」に出席すべく「玄蕎麦河童」へ行く。「開栓注意」の札が付けられた生酒の、抜栓係を決めるクジを引くときはいつも緊張をする。そして運の良いことに僕はその仕事を免れ、気楽に飲酒活動をする。
11時前より如来寺の本堂へ上がる。そしてクワカドシューコー住職を導師として、おばあちゃんの四十九日の法要を営む。2本の卒塔婆は次男が携え、本堂からお墓へと移動をする。そしてこちらでも読経と焼香があり、おばあちゃんの四十九日は無事に完了した。次は初盆、である。
法要の参列者は身内のみのため、ごく少ない。その少ない人数にて"Finbec Naoto"へ行く。ひと品目のトマトと赤ピーマンのムースの席に運ばれたところで「しまったー、カメラ、忘れたー」と思う。
夏の日のじりじりと照りつけることもなく、フレスコ地のスーツを着た僕は暑さを感じない。そして13時すぎに帰社して仕事に復帰する。
夜は「いや、こういう質素なメシ、オレ、嫌いじゃねぇなぁ」という3品を肴に生の古酒を飲み、早々に寝る。
文藝春秋の八月号で「この人の月間日記」を書いているのは西村賢太で、これがなかなか面白い。「どこがどう面白いのか」と問われると、僕は文芸評論家ではないから整然と述べることはできない。そして何ヶ月か前に「苦役列車は面白いよ」と、長男の言っていたことを思い出す。
涼しいベッドに横になり、寝る前の、あまり明瞭ではない頭で文藝春秋のページを更に繰る。大阪大学の医学部教授と紹介のある仲野徹の「新刊を読む」にサラリと目を通すはずが、そこに紹介されている「世にも奇妙な人体実験の歴史」という本について読むと、眠かったはずの脳が冴え冴えとしてくる。
遂には起き出しコンピュータを起動する。そして「世にも奇妙な人体実験の歴史」に登場する人物のひとり「ジョン・ハンター」の名を"amazon"で検索しながら「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯」という、表紙からして禍々しい本にたどり着く。
僕は一体に悪趣味な本が好きで、その証拠にマルタン・モネスティエの著書などを買ってしまうわけだが、ふと思いついて、これまた悪趣味極まりない、そして僕には珍しく繰り返し2度も読んだ「 魔窟・大観園の解剖」を検索すると、こちらは現在、古書としてしか手に入れることはできず、それもかなり高い値が付いている。
それを見ながら「だったら今夜、知ったばかりの本、2冊とも買っちまうか」と考える。小遣いの残高を減らし、且つ家の中に物を増やすことになる書評などには近づくべきではないと知りつつ、どうにもならない。
最も好きな名前を持つ日本酒は齋彌酒造の「聴雪」に違いない。「それでは最も好きな題名の小説は何か」と問われれば、それは「つゆのあとさき」しかないだろう。「文章は文体こそすべて」と考えるところが僕にはある。内容などはどうでも良いのだ。「つゆのあとさき」についても、その筋については覚えていない。
「つゆのあとさき」といえば一体全体、3日前からの寒さと霧雨は何だ。傘を差すほどでもなく、しかしその場に立ち尽くせばシャツの見る間に重くなるような雨がここ数日のあいだ、すこし絶えてはまたぶり返して決して上がらない。梅雨が開けたとは本当なのか。
雨が降ると鳥はほとんど飛ばない。啼きもしない。虫も騒がず、朝顔の蔓は竹垣に水平に絡んで空を目指さない。そしてテレビの天気予報は来週の猛暑を伝えている。
夜に夏の野菜の油焼きをサクサクと食べつつ泡の立つワインを飲む。葡萄の酒は湿度の低い地域で生まれた。その出自のせいか、空気の湿気た環境ではからだが量を受けつけない。そしてボトルに4分の1ほどのそれを飲み、早々に寝る。
日光の夏の夜は素っ裸で、盛夏ともなればその上、窓を開け部屋の戸も開け風の抜けるようにして寝れば冷房はまったく必要ない。そして一昨日の夜からは大変な涼しさあるいは寒さにて、冷房が必要ないどころかからだを毛布に包むようにして寝た。雨も断続的に降り、まるで梅雨に逆戻りしたような塩梅である。
その天気は昼になっても変わらず、それでも店は有り難いことに忙しく、張り合いがある。これから盆明けまでは、カッと暑い日が続くことを希望している。そして豊作の夏になって欲しい。
ところで人に預けてある焼酎について。18日の晩に「徳萬殿」のボトルを飲み切り、きのうは「大昌園」のボトルを空けた。僕のボトルの入っている店は、これで小倉町の「和光」と「ユタ」、そして銀座の「力」の3本に減った。
「ユタ」の残りは底から1センチほどだから、近々行ってこちらも…否、残り1センチであれば1杯にも足りず、また次のボトルを入れてしまうだろう。昼は忙しく働いて、夜は寛いで焼酎を飲む。そういう夏にしたい。
東武鉄道は数年前、特急券を買わずに済ませようとする客には大層、不便なダイヤを組んだ。次男は先月、おばあちゃんの死に際してうっかり普通列車を使い、途中駅で乗り換えながら帰宅をした。そういう次第にて夏休みもまた鈍行で帰るという次男に僕はきのう「昔の快速はもうねぇんだ、スペーシアにしろ」と教えた。
その次男より北千住駅16:12発の下り特急スペーシアに乗ったと連絡がある。次男はその際「今夜は焼肉が食べたい気分だ」と家内に言い添えたという。
今月3日の日記に僕は以下を記している。
「6月の小遣い帳は大赤字になった。しかし今月には希望が持てる。夏のギフトの繁忙により、第2週まではどこにも出かけないのだ。…中略… 今月の小遣い帳は、どのあたりまで黒字額を積み重ねることができるだろう」
しかし7月のいまだ第3週にあって、僕は予算の、既にして87パーセントを使ってしまっている。そして家内と僕と、帰宅した次男との3人で終業後に焼肉を食べに出かけ、更に残高を減らす。
こうなれば8月に期待をする他はない。8月は商売の繁忙とおばあちゃんの初盆が重なるため、出かけることはほとんどない。20日からのタイ行きについても航空券は4月に購入済み、バーツに至っては昨年9月に購入済みだから日本にいるよりお金は使わない。8月の小遣い帳は、どのあたりまで黒字額を積み重ねることができるだろう。
おとといの晩もきのうの晩も、甘木庵に冷房は入れていない。次男も僕も部屋の窓を開け、そして玄関の戸も開け、昼の最高気温34℃の余韻の残る夜に、自然の風に何とか助けられて眠っている。
きのうに続いて今朝も早くに目が覚めたため、東京大学の三四郎池まで散歩をする。剣道場の脇の丘から池の縁までの階段を下らないのは、そうすれば蚊の猛襲を受けることを知っているからだ。来たときとおなじく東大病院の脇を抜け、甘木庵に戻る。
丸ノ内線の本郷三丁目駅へ次男と向かう途中、春日通りを本郷三丁目の交差点まで歩いてふと振り返ると、上野広小路の遙か先に東京スカイツリーが見える。その意外な大きさに驚くと共に「高台から眺めれば、スカイツリーもそれほど高くは感じないんだわなぁ」と一瞬、我を忘れてその景色に見入る。
きのうとおなじく神保町で仕事をし、店の造作も経営者も"funky"な店でヒラダテマサヤさんと昼食を摂る。夜は池袋で次男と待ち合わせ、天井近くのコンセントからみずからのスマートフォンに電力を供給する、こちらは"funky"な客のいる店で夕食を摂る。
下り最終スペーシアを下今市駅で降りると霧雨が降っていた。その霧雨でほてった体を冷ましつつ23時すこし前に帰宅する。
1学期の終業式の直後より、オープンキャンパスで寮に体験宿泊をする小学生たちの、次男は室長をしていた。そしてそれが完了したところで今度は学校でのブラスバンドの練習に参加をするため、次男は寮を出て甘木庵に滞在をしている。
その時期がたまたま僕の出張に重なったため「だったらメシくらい一緒に食おうぜ」ということになった。きのうの鮨が「メシくらい一緒に」の皮切りである。
朝飯を済ませ、学校へ向かう次男と別れて僕は本郷三丁目からお茶の水に移動をする。そして山の上ホテルの裏の坂を下り、神保町に達する。自社ショップの改造更新については自由自在だが、よそのモールにおけるそれは、そう簡単なものではない。
それはさておき先月、神保町の中華料理屋「徳萬殿」に入れたボトルの期限がどれほどあるか、それが気にかかっていた。よって昼食にはその「徳萬殿」へ出かけ、ボトルの期限は3ヶ月と聞いて安心してふたたび"ComputerLib"に戻る。
作業に集中するあまり「いまだ16時くらいだろう」と考えていたところに次男から電話が入る。壁の時計を見ると17時30分がちかい。池袋にいるという次男には巣鴨経由で神保町まで来るよう言う。
何を好きこのんでか、ヒラダテマサヤさんと次男との3人で、昼と同じ「徳萬殿」へ行く。そして僕とヒラダテさんとでボトルを空にする。ヒラダテさんは神保町から地下鉄に乗った。僕は次男と連れだって駿河台坂、御茶ノ水駅前、サッカー通りとたどり、20時30分に甘木庵に帰着する。
「きれいな夜明けだった。今日も暑うなるぞ」とは言うまでもなく、小津安二郎の「東京物語」における笠智衆の有名なセリフだ。朝4時30分に東の空を見ると、見事な朝焼けが広がっている。朝焼けの翌日は雨、というようなことを聞いたことがあるけれども真偽については知らない。
所用にて下今市駅09:02発の上り特急スペーシアに乗る。空は快晴にして窓の外は緑一色。裸足の足もとは涼しく、電話はどこからもかかってこない。笑うとか騒ぐというようなことを伴わなくても充分に楽しい、僕がそういう気持ちになるのは、飛行機や列車やバスに密閉されて運ばれている最中であることが多い。
山手線の、いまだ設備の整っていない小さな駅の跨線橋は太陽の直射にさらされ、素晴らしい熱気をはらんでいる。プラットフォームに降りれば、今度は熱風が頬をなでる。「関東は今日から梅雨明けだってさ」と、スマートフォンのニュースで知ったらしいことを友人に教える人がいる。
「夕刻」と呼んでも差し支えない明るさの午後7時に銀座で次男と待ち合わす。そして8丁目まで歩いて夕食を摂る。街はただ暑いばかりで湿気は感じない。素晴らしい夏の夜、である。
「海の日って、海無し県でも祭日になるんですか」という、「海の日」が法で定められてから何十万回発せられたか知れない問いかけを、今朝は"twitter"で見かけた。これほど祭日を乱発するなら政府はいっそ「海の日」の翌日を「山の日」としたらどうか。そういうことはさておいても、祭日により店の忙しくなることは嬉しい。
尖った商品だけに、それほど数の出るものではない「本物のワインで漬けた、本物のワインらっきょう"rubis d'or"」が、今朝は大人買いのお客様により一瞬、店舗の冷蔵ショーケースより消える。即、事務室奥の冷蔵庫から次の部分を取り出し、家内が箱詰めをする。"rubis d'or"には現在、夏のリボンをおかけしている。
贈り物として使われる商品のうち最も人気の高い「たまてばこ」は通常、赤か白か紺か緑の小風呂敷で包まれる。しかし現在の店舗では、夏を感じさせるそれでお包みをしている。無論、普段の4色も揃っている。
土曜日を入れれば三連休の、今日がいちばん忙しくなった。その繁忙の最中に社員ひとりひとりと面談をしながら夏の賞与を手渡す。
夕刻、西北西の空に雲が沸き立つ。夕陽がオレンジ色に発光している。店舗の大屋根にはツバメが群れて遊んでいる。「なにか良いことの兆しだろうか」と都合の良いことを考えながら息を吸う。
居間のヴェランダに蔓性の植物が育ってきた。植物の名は知らない。店の坪庭にはここ何年か咲き続けてきた野生の百合が、今年も茎の緑を濃くしている。その脇には一昨年、包装係アオキマチコさんの植えた朝顔が、これまた蔓を伸ばしつつある。
坪庭から数メートルを隔てた紅葉の根元には、古い紅葉を新しい紅葉に植え替えた際、根こそぎ失われたとばかり思っていた山椒が復活している。あるいは復活ではなく、新たに実生から育ったのかも知れない。
山椒の脇には桔梗が盛んに咲いている。オフクロの植えたバラが、そのすぐちかくで紅いつぼみをほころばせている。
本日、今年初めての冷房を店に入れる。その冷房の効きを少しでも良くしようと、工場用の扇風機2台を最弱の回転数で回す。
それほど遠くない林の中で蝉が鳴いている。カナカナというヒグラシではなく、盛夏を感じさせるミーンミン、あるいはジージーというその声を聞きつつ「夏惜しむ、なんて季語があっただろうか」と考える。
日光の地野菜を日光みそのたまりで朝のうちにあっさり漬ける「たまり浅漬け」の材料を選びに、今朝も「JAかみつが今市農産物直売所」へ行く。そして「キャベツ安いなー、安いきっとも1個買うとはー、食いきんねーんだよ」というようなオバチャンたちの会話を聞くともなく聞きながら、立派な葉を付けた大根と、実の棘が手に痛いほどの胡瓜を買う。
数日前からの予約、あるいは今朝いきなり入った注文に応え、午前も早いうちから日光市の旧市街まで出かける。本日は総鎮守「瀧尾神社」八坂祭の渡御の日でもあり、途中その一行とすれ違う。朝の雨の上がったことは幸運だった。
1軒目の配達先から東照宮の杜の下を抜け、日光街道とは別の道を迂回して2軒目の配達も済ませる。帰り道にある「パンいしづか」はいまだ開店前だったが、既に焼き上がっていたごく少ないパンの中からいくつかを選んで買う。
夕刻、我が春日町1丁目の青年御輿と子供御輿が店に寄ってくれる。八坂祭が終われば当番町は一気に楽になる。そして夏休みの始まり、である。
中学2年生のとき病気で亡くなった妹の今日は祥月命日にて、朝のうちに家内と墓参りをする。その最中に二宮神社の杜でヒグラシが鳴く。「ヒグラシとは夏の終わりに鳴くものではなかったか」と一瞬、考えたが、あるいは僕の記憶違いかも知れない。
本日はまた、先月の23日に亡くなったおばあちゃんに、7日ごとに卒塔婆を上げる日でもある。よって仕事の合間を縫ってふたたび、しかし今度はひとりで如来寺へ行く。そして寺務所で卒塔婆を受け取り、それをおばあちゃんのお墓の後ろに立てる。
googleに「今年の梅雨明け」と入れて回すと、その最上段に気象庁のページがヒットした。それによれば関東甲信の梅雨明けは昨年が「7月9日ごろ」とあるのに対して今年は「7月21日ごろ」と予想されている。昨年の梅雨明けはそれほど早かったのだろうか。そして今年の梅雨は、そのただ中にあっても関東地方は雨の少ないせいか梅雨という感じがしない。
雨こそ少ないが、湿度はそれなりに高い。夜、洋食のコスモスで生ビールを注文すると「ビ、ビールですか」と息子さんが目を丸くする。そのうち調理場からオヤジさんが出てきて、やはり同じように「今日はビールですか」と、珍しそうな顔をする。
僕はビールはほとんど飲まない。しかし今夜ばかりは冷えたそれが欲しかった。梅雨明けまであと8日。今月の9日に「梅雨明けまで1週間」と言ったのは、どこの誰だっただろう。今となってはまったく、思い出すことはできない。
来社したい旨の連絡を先週、保健所から受けたときには「工場の調査でもするのだろうか」と先ず考えた。しかし先方の係官は「禁煙について高い見識をお持ちのようですので、いちどお話を伺いたいと思いまして」と続けた。
頭を巡らせてみれば数ヶ月前に簡単なアンケートが保健所から届いたため、そこに「栃木県内の、食べもの飲みものを供するすべての店を禁煙にすることはできないだろうか」と言葉を添えて返送したことを思い出した。
サヨリの刺身や雲丹のゼリー寄せ、冬瓜のスープ、蕪の浅漬けによるお茶漬け、五目ラーメン、海老春巻き、鮎の一夜干しの炙り焼き、豆腐と水菜のあんかけ、盛り蕎麦、カレー南蛮うどん、鶏の香草焼き、はたまた焼酎のお湯割りからドライマーティニまで。およそ、そういう食べもの飲みものを口に運んでいる最中の受動喫煙ほど忌々しいものもない。
食べもの飲みものをみずからの口へ運ぼうとしているそのとき、ドキュンオヤヂのヤニで染まった歯の間から吐き出された煙や、はたまたドキュンババーのヤニだらけの鼻毛を通り過ぎた煙が、その食べもの飲みものの香りや味を台無しにする。そういうときのオヤヂやババーの喫煙行為は迷惑などというものではない、それはもはや立派な犯罪ではないか。
そういう次第にて本日午前より事務室にて保健所の係官と喫煙に付いての意見交換をする。そして「とちぎ健康21協力店(禁煙)」のシールを手渡され「今年もよろしくお願いします」と言われる。
終業後すべての社員が会社から退出をすると、僕もすぐに会社を離れる、ということもあればまた、しばらくは社内でよしなしごとをすることもある。きのうの夕刻は1時間ほど事務室に居残った。そうしたところ、社員用通用口の扉を外から叩く音がする。
「誰か忘れ物でもしたのだろうか、あるいは何かの理由で閉店時間に間に合わなかったお客様だろうか」と、事務室から走ってその扉を開けると、そこにはヤマト運輸のイケガミさんが"amazon"の箱を持って立っていた。
その日の朝、僕はステンレス製のコップを"amazon"に発注していた。それを早くも当日のうちにヤマト運輸は届けに来た、というわけだ。そしてイケガミさんには「amazonからの荷物は別段、僕は今日のうちに欲しいわけではないですから、今後は翌日にまわしていただいていいですよ」と伝える。
"amazon"の当日配達は、お節介な母親の手出し口出しのようなもので、僕はまったく必要としていない。顧客にとって必要のないサービスのためにヤマト運輸のドライバーが過重な勤務を強いられているとしたら、それは気の毒なことだ。
社会が豊かになり、あるいは成熟をすれば、昔の王侯の暮らしを庶民も享受できるようになる。しかしそのためには王侯の暮らしを支える人もまた必要になる。「オレは別段、王侯の暮らしなんて要らねぇけどなぁ」と思う。
「貧乏な家ほど物で溢れている」と、ウェブログに書いた人がいる。まぁ、そうなのかも知れない。
目についたものをすぐに欲しくなり、買って、すぐに飽きて、それを繰り返すうち家に物が溢れてくる。あるいは「酒はこの世の憂さの捨てどころ」ではないが、やるせない生活を送る人々の中には「買い物はこの世の憂さの捨てどころ」とばかりに、つまらない買い物を繰り返す例が少なくないのかも知れない。
「断捨離」とか「環境整備」とか言って自社はまるで大病院の手術室並みに整理整頓をし、しかし「買い物はこの世の憂さの捨てどころ」という、物で溢れた部屋に住む人たちに自社の商品を買ってもらって利益を得ている会社も相当にあるだろう。
「ワゴン車1台分の服を捨てたら、最後にカシミアのセーター1枚が残った」という、南佳孝の文章をむかし読んだことがある。
この春から初夏にかけての、僕が東京などへ出る際の服は、靴だけはおろそかにできないから"TRIPPEN"を履いているものの、上半身は京都の岸本っちゃんとこの690円のTシャツにユニクロの1,290円のセーター、下半身は同じくユニクロのズボンと靴下で済んでしまっていた。人ひとり分の服など実は、ベビー箪笥ひと竿分ほどの数量で充分なのだ、多分。
僕に憂さはない。しかし買い物は気分転換になるから魔の差すこともある。よって現在は、家にできるだけ物を増やさないよう、ネット上に気になるシャツやジャケットや帽子があっても、買い物ボタンを押さないよう自制をしている。そして服についてこそ自制をしているものの、今朝は古書2冊と、旅先で強い酒を生で飲むためのステンレス製のコップを"amazon"に発注してしまった。
図書館を利用すれば家に本は増えない。しかし僕の欲しくなるような本は、街の図書館には無いに違いない。また返却期限に追われながらページを繰る気もしない。コップについてはこれまで、バンコクからチェンライに飛ぶ飛行機の、スナックに付属のものを使い捨ててきた。しかし「かっちりしたものをひとつ持ちたい」という欲求には勝てなかった。これでまた家に物が増える。
早朝、居間に残されたきのうの新聞を開き、畳に腹ばいになってそれを読む。週末の新聞には書評が多い。そのうちの興味を惹かれた本につき、"amazon"に発注すべく腹ばいのままメモを探す。しかし思い当たる場所にそれはなかったから、本の著者名、題名を頭に刻む。
頭に刻んでもいずれ数分で忘れる。それでちょうど良い。僕の本棚には、書評を読むなどして取り寄せ、しかしいまだ読んでいない本が大量にあるのだ。
エアコンディショナーを使わないまま事務室をできるだけ涼しくするため、事務室と社員用通路のあいだのドアを開け放つ。そしてそこにノレンを提げる。店舗には数日前より、強力な扇風機2台を設置した。これが強力すぎて、チラシや伝票の類いも吹き飛ばしてしまう。よってそこここに重石を置く。
本物のワインで漬けた本物のワインらっきょう"rubis d'or"のリボンを、普段の深紅から夏向きの紗に替える。ギフト用の「たまてばこ」の風呂敷も同様、涼しげなもので統一をする。
夏休みに入り、次男の同級生あるいは上下級生が泊まりに来れば、家の風呂場は狭いからちかくの温泉で入浴してもらうことになる。最も近かった「長久の湯」が昨年3月11日以降、営業を止めてしまったことは痛い。そして今夜は日光市七里の「日光温泉」に行ってみる。
帰宅して飲酒は避け、早々に寝る。
今年の5月に楊逸の「おいしい中国―「酸甜苦辣」の大陸」を読んだ。楊逸の書く日本語はおかしい。大人になってから日本に来たのだから、おかしくて当たり前だ。恥じることはない。しかしその楊逸が芥川賞作家であることについては違和感がある。
数ヶ月前に長男と晩飯を食べていて、たまたま楊逸の話題が出た。楊逸の書く日本語は少しく特殊であるというようなことを長男が言ったため「いや、特殊というよりおかしいよ」と僕が答えたら「確かにおかしい」と長男は首肯した。
長男によれば、楊逸の小説「時が滲む朝」が芥川賞の候補になったときには「日本語の新しい可能性を拓くもの」という評価と「賞に値する日本語ではない」という意見がぶつかり合ったという。否定的な意見を述べたのは石原慎太郎だったらしい。
そして僕も、楊逸の書く日本語が日本の代表的な文学賞にふさわしくないという点においては石原慎太郎と同意見である。
「息つく間の妙」という文章を、今朝の日本経済新聞に楊逸が寄せている。これを読むとやはり楊逸の日本語はおかしい。テニヲハからしておかしい。
ここまで「おかしい、おかしい」と言い続けるくらいだから僕が楊逸を嫌っているかといえばそうではない。楊逸のどこか好きか問われれば僕は「顔が好きだ」と答える。楊逸の顔は"mijoter"にしたらいかにも美味そうだ。そしてその肉厚の顔の中にあって、笑いながら光っている大きな目もまた好きだ。
社会人になりたてのころ自分のお金で買った"HEUER"の腕時計が、随分と前から動かなくなっていた。よって昨年だか一昨年に銀座の"TAG HEUER"に持ち込んだところ、"TAG HEUER"が"HEUER"の時代の時計を修理をすることはできないと言われた。だから1985年ごろは僕の左手首にあって輝いていた"HEUER"の腕時計は、今は茶箪笥の中で死んでいる。
しかしてその"HEUER"より5年ほども前に手に入れたセイコーのダイバーウォッチは、オーバーホールにも、ましてや修理にも出すことなく今でも使えている。
自動車運転免許証を取得して以降、指折り数えてみれば僕は8台の、主に中古車を乗り継いだ。そのうちの2台はドイツ車で、残りの6台はイタリア車だ。そして「クルマはイタリア物が好きだけれど、時計はやっぱりセイコーじゃねぇか」というようなことを考える。
その「時計はやっぱりセイコーじゃねぇか」から一歩を進めて「だったらセイコーの時計、ひとつ買うか」と、いきなり考える。しかし時計は、何ヶ月か前に池袋から本郷三丁目までのあいだに"swatch"1台を紛失したとはいえ、茶箪笥の中にはいまだ何台もの「換え」がある。
そして今夜のところはそれらの「換え」の中から数年あるいは10年以上も動かしていない3台を選び出し、そのうちのどれが24時間後まで支障なく動くかを試すべくゼンマイを巻く。
「これ、どこそこの畑で採れた今年のにんにく、どこそこで干しといたんですけど」と、製造部長のフクダナオちゃんが出勤しながら僕に、乾燥充分のにんにくをくれた。ナオちゃんが僕の目の前ににんにくを差し出した瞬間から僕の目はその現物に注がれ、だからナオちゃんの話の中にあった「どこそこ」の具体的な場所については覚えていない。
ウチはにんにくのたまり漬には、渤海湾ちかくの中国産と、青森県田子町のものを原材料として使っている。
我が日光でもにんにくは作られている。だから一時は僕も田子町産から離れ、日光産のにんにくを試そうとしたことがある。しかしよくよく調べていくと、その収量はとても少なく、だから今のところはまだ「栃木県日光産のにんにくです。」という商品は作れていない。
ところで九州地方は今年、梅雨の中ごろから大変な大雨に見舞われている。九州の特に南部は農業の盛んな土地柄である。しかし今年はその大雨により、あれこれの野菜の不作が伝えられている。何とか力強い野菜の、できるだけ例年に近い作柄のあることを祈らずにはいられない。
店舗入口の季節の書は、きのうまで「麦笛」だった。「麦笛」などは夏五月の季語であり、恥ずかしい限りだ。これを今朝は「萬緑」に掛けかえた。しかし「萬緑」でさえ夏六月の季語である。「だったらその次は」と言われても、用意のあるのは「鬼灯」で、いきなり秋九月に飛んでしまう。
夏七月の季語で、店舗の入口にふさわしいものと考えつつ探してみれば、中々に良いものが少なくない。書く係の家内の奮起をうながしたい。
「涼味在中」と大書した夏のノレンは「萬緑」に先立ち、朝はやくに僕が出した。この勢いに乗じ、販売係のハセガワタツヤ君が店舗の軒下に風鈴を提げる。また店舗内の、お客様がお休みになる場所には扇風機を置く。
毎朝のように行く「JAかみつが今市農産物直売所」には、いよいよ夏の野菜が増えてきた。「たまり浅漬け」の材料と共に、自分用の野菜をみつくろう。その野菜を夜に食べる。
それにしても夏七月の季語の中の「晩夏」や「秋ちかし」には、どうにも違和感を禁じ得ない。現在の7月は旧暦の5月から6月にあたる。とすれば「晩秋」や「秋ちかし」は余計におかしい。このあたりの「ズレ感」については、検索エンジンを回せばいくらでも出てくる。それを見て諦めたり納得したりするほかはないだろう。
子供のころから帽子が好きだ。しかし帽子には特に夏用のものに問題が多い。
パナマ系のものは折りたためず、だから旅行のときにはかさばって持参する気が失せる。折りたためるパナマ帽もあるが、頻繁にそれをすると特に頂部が傷む。布製のハットは汗が額を濡らして気分が悪い。それはキャップにしても同じで、しかもキャップは「つば」の部分がかさばる。
あれこれ考えると、夏の帽子としては頭に布を巻くことこそが最上と気づく。ただし日差しの厳しいところでは、手ぬぐいや薄いタオルは役立たない。またタオルは汗を吸うと濡れて不快感が増す。
そうして取捨選択を重ねれば、ベドウィンのターバンが最後に残る。しかしあれはアフリカ北部の砂漠には似合っても、それ以外の地域にはふさわしくない。下手をすれば当局に不当拘禁される恐れさえある。
そんなことを次々と頭に浮かべながら旅の持ち物を決めていくことは楽しい。そして夏の帽子についての問題はいつまでも解決しない。
朝に家内と雑談をするうち、何かのきっかけから「しまったー、おばあちゃんの爪の垢、もらっとくの忘れたー」という言葉が口を突いて出た。おばあちゃんの遺髪ならぬ遺爪をもらい受け、それを煮出して飲めば齢55歳の今からでも幾分は真っ当な人間に近づけたのではないか、と考えてももう遅い。おばあちゃんは6月26日に灰になってしまった。
齢55といえば、お金をあるだけ使っていると貯金ができない、ということに気づいたのも今年になってからのことだ。そして2006年6月から付け続けている小遣い帳の月初の部分に、この5月からは予算を入れることとした。
しかし予算を入力するだけではお金は貯まらない。予算を守ろうとして初めて貯金はできる。そして5月には、小遣いを予算内に収めるどころか、予算の25パーセントも貯金へ回すことができた。問題は6月である。
僕の小遣い帳は現金主義ではなく「みなし主義」による。先々のホテルの予約をインターネット上で行い、宿泊料をカード決済にした場合、その宿泊料は宿泊日でもカードの決済日でもなく、予約した日の小遣い帳に記帳される。もう一点「このメンツでメシ食ったらオレが払うしかねぇだろう」ということが6月にはたまたま重なった。
そのようなことにより6月の小遣い帳は大赤字になった。しかし今月には希望が持てる。夏のギフトの繁忙により、第2週まではどこにも出かけないのだ。田園に蟄居すれば予算の残高はそれほど減らないだろう。インターネットショッピングにおいても、本やCDを除けばいま欲しいものは何もない。
今月の小遣い帳は、どのあたりまで黒字額を積み重ねることができるだろう。懸念されるのは31日の、オフクロの誕生日くらいのところである。
僕にその趣味はないが、twitterやFacebookに、まるで自分に言い聞かせるかのようにして名言あるいは箴言めいた言葉を連ねる人がいる。そういう人のtwitterやFacebookの1年分をまとめれば、相田みつをの日めくりカレンダー風のものになるのだろう。
それはさておき今朝はそのような名言あるいは箴言の中に「机上の風景は所有者の脳内を顕現する」という意味のものを見つけ、僕も大いに反省し、そして事務机の上の、ことしの正月に届いて返事を書いていない、束になった年賀状を捨てる。
「大したもんですねー、十年以上も日記を書き続けて」と、褒めてくれる人がいる。しかし僕は、日記は書けても年賀状は書けない。僕からすれば、年賀状を書ける人こそ畏敬の対象である。
夏のギフトの注文が、今日から一気に増えてきた。注文の電話を受け、そのメモを事務係に手渡す前に次の電話が鳴る。そのような状況の中に人が訪ねてくる。そしてこれはいつものことだが、会社の利益には繋がらない性質の電話が、注文の電話の合間を縫うようにして何本もかかる。
受注処理のため残業した事務係と共に、20時ちかくまで事務室にいる。社員に恒常的に残業させる会社とは異なり、社員が定時から2時間ちかく会社に居残ることは、ウチとしては珍しい。
シンガポールから帰国したころ65キロに増えていた体重は、脂肪燃焼スープが効いたか63キロまで落ちた。あと1キロほどは減量したい。
「8時半ごろ行くから」と、きのう予約をくださったお客様が、7時55分にいらっしゃる。商品は既に販売係のハセガワタツヤ君が調えていたから慌てることはなかった。他にもうひとりのお客様がお見えになり、今朝は開店の20分前から23,700円の売上げを得ることができた。素直に有り難いと思う。
日中は店舗で販売の応援をしながら頻繁に製造現場へ行き、製造係マキシマトモカズ君の、作業の進捗状況を見る。今日は7月の初日とあって、ギフト一番人気「たまてばこ」の、手間のかかる荷造りが多い。2日前からの段取りが功を奏し、夕刻、マキシマ君は余裕を以て荷造り業務を完了した。
閉店後、おばあちゃんの通夜、告別式を手伝っていただいた組内の方々と"Finbec Naoto"へ行く。そしてお礼の食事会を催す。テーブルの話題は僕の知らない懐かしい時代のことばかりだが、すべては歴史の教科書に残すような重大事ではない。そして「重大事ではないからこその"Oral History"じゃねぇかなぁ」というようなことを、酔った頭で考える。
霧雨の中に迎えのタクシーのヘッドライトの浮かんだところで今夜の会をお開きにする。これでおばあちゃんの葬儀一式に、ひとつの区切りのついたような気持ちになる。