目を覚まして枕頭の携帯電話を手探りし、ディスプレイを開くと時刻は2時30分だった。そのままなにもせず3時に起床する。製造現場から事務室を歩いてあれやこれやする。
4階へ戻って仏壇を整え線香を上げ、居間の2個所に水を供えてから自分のお茶を淹れて飲む。朝飯は刻んだ長芋とオクラの鰹節かけ、茄子とピーマンの油炒め、蛸のキムチ、納豆、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁。
本日は小学校の夏休みの最終日にて、東京や神奈川で長男と過ごした8泊9日のことを、ここ数日のあいだで原稿用紙5枚にまとめた次男の作文を、午後も遅くなってから読む。ひとつの誤字と2個所の脱字を訂正させ、「作文、上手だねぇ」 とのみ言って細部に注文を付けることはしない。次男は僕が忘れたことも覚えていて 「そんなこともあったな」 と、既にして遠い記憶となった1ヶ月前のことを思う。
そういえば僕は本日、事務机にいながら左の靴下を紛失した。気がついたら左足だけが裸足で、数十分前までは穿いてたはずの靴下のありかを思い出すことができない。すべての持ち物に発信装置があり、端末から呼び出すと音を発して自らの位置を知らせる仕組みがあったら便利と思うが、その前に、すべての持ち物を端末に登録しなくてはいけないから、そこのところに限っては面倒だ。
初更、焼肉の 「大昌園」 に届け物があって、しかしそれを届けただけできびすを返すのではつまらない。家族そろってあれこれと食べ、僕は焼酎 「田苑」 のボトルの、4分の1よりは多く、3分の1よりは少ない量をオンザロックスにして飲む。
8時前に帰宅して入浴し、今夜はYahoo!オークションに欲しいものがあるから時間が来たら起こすよう家内に頼んで就寝する。間もなく声をかけられ、事務室へ降りて当該のペイジへ行くと、締め切りは1時間も後のことだから4階へ戻って寝る。1時間後にふたたび起こされ、ほとんど眠った状態のまま事務室へ降りてコンピュータを起動する。
欲しい品のひとつ伊万里の豆皿には競合相手がいず、すんなりと落札するが、もうひとつの平戸焼きの楕円皿には複数の入札者がいて、僕が値を入れると更に高値が付き、再入札をすると、こんどは締め切りが10分延長される。締め切りの直前に最高値で応札した途端に締め切り時間が延長される、このシステムにはいつも業を煮やされる。当方は早く落札して早く寝たいのである。
結局、事務室へ降りてからほぼ1時間後にそちらも落札し、ふたたび4階へ戻って11時前に就寝する。
目を覚ましてしばらくすると、携帯電話から3時を報せる電子音が鳴る。「文人悪食」 を読み、二度寝をして次に気がつくと7時も間近になっていたから着替えてそのまま事務室へ降り、社員の出勤に備える。
バーや料理屋や飲み屋で酒を飲むとき、いつから飲み始めたら酒が最も美味いかといえばそれは、その店の口開けから飲むのが美味い。それは店の空気がいまだ清浄さを保っていることが大きく関係している。あるいは外が明るいうちから飲むということにも、ある種のすがすがしさがある。
今夜はそのようにして飲みに出かけようと絵図を描いていたが、閉店時間の直前より店舗に照明の工事が入り、だから会社を抜け出すわけにはいかなくなった。
2時間ちかくかかった工事の終わったところで居間へ上がり、木綿の長ズボンから穿き替えたテニスパンツのポケットに 「文人悪食」 を入れる。女房子供のいない夏の夕刻があったとしたら、そのときには住吉町の "Johnny's Cafe 638" でギネスビールを飲み、次に東郷町の 「ラーメンふじや」 で冷やし味噌ラーメンを肴にウメ割り焼酎を飲もうと考えていたが、生憎とその冷やし味噌ラーメンを、僕はこの3日間に2度も食べている。
というわけでギネスビールとウメ割り焼酎は今夜の選択肢から外し、かつてはネオンの灯る歓楽街だったが今はすっかり真っ暗になってしまった東郷町の通りを自転車で南下して飲み屋の 「和光」 へ入る。カウンターには運良く数人分の空きがあった。
店の中ほどにある品書きの黒板を先ず見に行くと、その奥の入れ込みに同級生のムラカミトール君とコバヤシユキオ君、そしてムラカミ君の弟のマコト君がいたので軽く挨拶をする。トール君の名は漢字では 「孔」 と書き、これは孔子の 「孔」 でもあるが排水孔の 「孔」 とも同じだからトール君はむかし、ムラカミアナ坊と呼ばれていた。
棚にある自分の焼酎 「吉四六」 を自分で取り出し、これをオンザロックスにする。「文人暴食」 の小林秀雄の項を読む。ミル貝の刺身を食べる。トイレに立ったついでだったか、良かったら一緒に飲もうとトール君が言う。僕は 「うん」 と返事をして、そのまま本を読む。小林秀雄の項を過ぎて山本周五郎の項に入る。玉葱やニンニクや酢を利かせただしを大量に振りかけた、この店の鰹の刺身が僕は好きだ。
今度はムラカミ君の弟のマコト君が来て 「コバヤシさんもいらっしゃいますので、よろしかったらご一緒にどうですか」 と声をかけてくれる。マコト君の名は漢字では 「周」 と書き、これを 「アマネ」 と読むことは知っていても 「マコト」 とは思いつかない。いずれにしてもムラカミ兄弟の名前の表記は難しい。「有り難うございます、しかし僕は本を読むことも好きで」 と答えるとマコト君は恐縮して 「ハハッ、申し訳ございません」 と頭を下げたが別段、四十もなかばを過ぎた折り目正しい人に、このような場面で謝られるような人格者では僕はない。
あれだけ酒の好きだった志ん生は、しかし会合の酒を嫌ったという。「酒てぇもんは自分の飲みたいとき、勝手に飲むところにその美味さがあるわけで」 というところだろう。
3番目に運ばれた秋刀魚の塩焼きの、そこに添えられた大量の大根おろしを見て、金原亭伯楽がいまだ桂太と呼ばれていたころの 「目黒の秋刀魚」 を思い出す。焼けて破れた皮からブツブツと脂を吹き出している熱い秋刀魚に大根おろしを盛るとき、まるで土俵の上で塩を掴む相撲取りのような手つきを桂太はして見せたから僕は思わず 「うーん、秋刀魚が食いてぇ」 と、薄暗がりの客席で僕は身をよじった。あれはどこの寄席でのことだっただろうか。
「えっ、そんなに安くていいんですか?」 という代金を支払い、いまだ飲んでいる入れ込みの3人に挨拶をして店を出る。
帰宅してソファで休んでいるところに、東京に出かけていた家内と次男が帰ってくる。下今市駅のプラットフォームを降りたとたん高原の涼気に触れて、まるで生き返ったようだと家内が言うので 「東京は下界だったか」 と訊くと 「うん、東京は下界でこっちは天界」 と答えるから 「天界ってほどのもんでもねぇだろう」 と思う。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。
目を覚まして数分が経ったころ、携帯電話に設定した、午前3時を報せる音が鳴る。起床して仕事場へ降り、小一時間ほどの作業をする。いつもの事務室ではなく、今朝は居間へ戻ってきのうの日記を作成する。外が明るくなってからおばあちゃんの居間へ行き、仏壇の水や花を整えたり、あるいは居間の、亡くなった人の写真に水を上げたりする。
朝飯は、昨夕とは趣向を変えて碗に盛ったカレーライス、つけ合わせの胡瓜の塩もみ、そして生玉子。
漱石の 「硝子戸の中」 はどこへ行ったか。実際の本もコンピュータの中のデイタのように、たちどころに検索や並べ替えができれば良いのにと思う。あの小さな本は秋田市の歓楽街に近い古本屋で買ったものだった。キーボードに検索条件式を入力すると、ゲームセンターのクレーンゲームのようなアームが重なり合った本の山の上を動き、見つけたものを目の前にポトリと落としてくれる仕掛けがあれば有り難い。
あるいはエクセルのセルのように、詰め込めば詰め込んだだけ横に延びる本棚があったら便利だと思う。50音順に著者名を振った本棚の本がいくら増えても 「あ」 なら 「あ」 の棚が横に延びて、「い」 以下を次々と後方へ移動させる必要のない本棚ができたらずいぶんと売れるのではないか。
終業後にシャワーを浴びる。初更7時を過ぎたところで 「第159回本酒会」 へ出席するため外へ出てヘルメットをかぶる。四半世紀以上も使ってマジックテープの利かなくなった "Karrimor" のショルダーバッグに点滅型のテイルランプを取り付け、製造係のマキシマトモカズ君から買った台湾製のマウンテンバイクに乗って街を南下する。
旧市街を南へ進めば 「南下」の文字通り、800メートルを往くあいだに標高は30メートル下がる。2キロの道のりを5分かかって今夜の会場 「さらさ」 へ行く。この店には以前 「土佐」 という名のときにいちど来ただけだったが、今度の新しい店には焼酎や泡盛の一升瓶が並び、料理も僕好みのあれこれが安いから 「こんなところにこんな良い店があったのか」 と改めて気づく。そして2時間で計9本の日本酒を飲む。
旧市街を北へ進めば 「北上」の文字通り、800メートルを往くあいだに標高が30メートル上がる2キロの道のりを6分かかって帰宅する。ずいぶんと以前、東京ビッグサイトの展示会へ行ったとき、買った本のオマケとしてもらった紺地に赤と黄色で "WEB SITE" とプリントのあるTシャツを脱ぎ、汗ばんだ上半身を扇風機の風にさらして冷やす。
そのまま数十分も眠ってしまい、気づいてパジャマに着替えをする。冷たいお茶を飲んでから寝室へ行き、11時前に就寝する。
窓外下方から聞こえる1匹の虫の声に目を覚ます。「リ」 に濁点をつけたらこのような音になるのではないか、と思われるその声を強いて文字にすれば 「ビ」 となる。「ビ」 の音はひと鳴き短くて4回、長くて14回のあいだを不規則に行ったり来たりして途絶えない。いまだ虫の声を聞かずと日記に書いたのはおとといのことだった。枕頭の携帯電話を開くと3時までに10分を残している。
闇の中に起床して顔を洗い、エレヴェイターを降りて1階の通路を歩く。先ほどの 「ビ」 の音が今度は頭上から聞こえてくる。その音を発する虫の種類を特定することはできない。
製造現場で小一時間ほどの作業をし、事務室へ移動してからはいつものよしなしごとをして5時30分に居間へ戻る。仏壇の水やお茶や花を整え、居間に置いた、亡くなった人の写真に水を上げる。そして自分も熱いお茶を飲む。
朝飯は茄子の油炒め、豆腐、納豆、生のトマト、大根おろし、メシ、シジミと万能葱の味噌汁。
この1週間に2度も新聞の見開きを使って、新しいノートブック型コンピュータの宣伝を "Mac" がしている。そのデザインを見て 「ThinkPadもこんな風にしてくんねぇかなぁ、簡単だろ、定規でただ真っ直ぐな線を引きゃ良いんだからさぁ」 と思う。ダンテ・ジアコーサも、定規でただ真っ直ぐに線を引いたような、真横から見て左右対称なフィアットをデザインした。これらや、あるいはコルビジェのデザインは、"No Drama" や "No Technic" という点から小津安二郎の映画に通じるところがある。
初更、胡瓜の塩もみを箸休め、いやこの場合はスプーン休めというのだろうか、とにかくこれを添えたカレーライスを食べて飲酒は避ける。
8時すぎには早くも眠気を覚えたため、入浴して冷たいお茶を飲み、8時30分に寝室に入る。「文人悪食」 の江戸川乱歩の項を10分ほど読んで就寝する。
4時に起床して製造現場へ降り、小一時間ほどの作業に従ってから事務室へ移動する。なぜか2日の間をおいて、同じご注文をウェブから行っているお客様がいる。この注文は重複だから受注の必要はないとメモを書いて、イリエチヒロさんの机上へ置く。きのうの日記を作成し、6時に外へ出て新聞受けから新聞を取る。弱く雨が降っている。
エレヴェイターに乗って4階へ戻り、仏壇に水や花を上げてから自分のお茶を淹れる。窓の外を眺めながら、この雨も開店のころには止んでしまうだろうと、ここしばらくの経験から予測をする。朝飯は茄子の油炒め、刻みオクラの鰹節かけ、納豆、大根おろし、柴漬け、メシ、きのうの昼の天麩羅と万能葱の味噌汁。
雨はやはり朝のうちに上がった。数日前に 「蜂久保園」 が川砂利を敷いてくれた植え込みの掃除は販売係のキクチユキさんに任せ、本日売るための仕掛品を製造部門から包装部門へと運ぶことを僕は繰り返す。以降は繁忙の店舗に多くいて夕刻に至る。
「ブルゴーニュの古い白は早く飲んじゃおうぜ」 作戦により初更、"Puligny-Montrachet Les Folatieres Louis Jadot 1985" を抜栓する。ワイン蔵にある十数本の 「ルイ・ジャド」 はすべて1990年代の初頭、当時フランス中部の大学に留学していた知り合いの知り合いにお金を送って買ってもらったものだ。惜しんで飲まなかった古い白はこれまでほとんど 「何年か前までに飲んどきゃ良かったね」 というものだったが、今夜のこれに限ってはちょうど成熟の頂点にあって悪くない。そして 「残りの5本も、今年中に飲んじゃおう」 と考える。
タコとトマトのオリーヴオイル炒めスープ風、次男の好きなタラコのスパゲティ、隠元豆とエリンギのオリーヴオイル炒めを酒肴としてこの白ワインを空にする。美味いラーメンが食べても食べてもまだドンブリにあると何やら嬉しく感じるが、僕の皿に盛られた今夜のスパゲティは度を超えた大盛りにて、ラーメンがスパゲティに変わっても、その嬉しさに変わりがあるわけではない。
9時すぎに入浴し、冷たいお茶は底をついたから牛乳を150CCほども飲んで9時30分に就寝する。
3時に起床して仕事場へ降り、小一時間ほどの作業をしてから事務室へ移動する。こちらではメイルによる顧客からの問い合わせに返信を送付する、きのうの日記を書くなどのよしなしごとをして5時に寝室へ戻る。そして二度寝をして7時前に本日2度目の起床をする。
朝飯は生のトマト、焼いた万願寺唐辛子の鰹節かけ、柴漬け、茄子の油炒め、納豆、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。
テレビの天気予報では、東京でも秋の虫が鳴き始めたと言っているが、それは東京のどこでのことなのだろうか、西多摩郡檜原村も東京のうちである。家の近くでは、いまだ虫の声は聞かない。そういえば田中長徳が今朝の日記に 「気温が25度になると、蝉は相変わらず鳴いているけどその音が雑音に聞こえるのが面白い」 と書いていて、なるほどこの感覚は分かるような気がする。
社員のサイトーヨーコさんが 「辛ーい大根」 というものを出勤時にくれたため、昼飯はこれを薬味にして蕎麦を食べる。食卓にははからずもオクラ、ピーマン、茄子、茗荷、隠元豆の天麩羅があり、満腹になる。
「販促品」 と呼ばれるものがある。僕は言葉を略することが好きではないから販売促進品と言い直す。この販売促進品、字面から推せば、これを配ることによって商品の販売が促進されることになる。しかし何をきっかけにしてかは知らないが、やけに人心が世知辛くなってしまった昨今、このようなものを配っても商品の売れ行きにはまったく関係しない。
ただし自社の販売促進品に自分の趣味を注ぐことはなかなか楽しい仕事にて、だから僕はこれを無くすことはせず、ただ無定見に配ることだけを止めた。つまり、ある一定以上の金額のお買い物をしてくださったお客様にのみこれを差し上げることとして、今夏は45年前の手拭いを復刻した。
復刻とはいえ丸ごとの写しではつまらないから、取引先に紹介してもらった横文字の名前を持つ事務所に当方の意を伝えデザインをしてもらい、コンピュータから出力された実寸の図案を持って今度は染物屋を訪ね、文字部分のみを、型紙を刀で刳り抜くむかしの方法で仕上げてもらった。
きのう、ある病院の先生への地方発送を申し込んでくださったお客様にこの手拭いを差し上げたところ、帰宅してから包装を外されたのだろう、今日になって電話があり、送り先の先生は粋好みの人だから、同じ手拭いを荷物に入れて上げて欲しいとの要請を受けた。
以前このような 「おまけ」 のひとつに益子の片口を用いたところ、あるお客様から、片口なんてものは田舎者しか使わない、だからいらないと言われたことがある。今般の手拭いについては当方の意匠が洒落ていると褒められたわけだから、僕は喜んで発送伝票に 「手拭い同封」 と書き込み、それを荷造り部門へと運んだ。
初更、白花豆、蛸のキムチ、柴漬け、冷や奴、玉葱ピーマン舞茸を添えた牛焼肉丼を食べ、飲酒は避ける。
入浴して冷たいお茶を飲み、寝室に入って 「文人悪食」 を読む。10時すぎに就寝する。
気がつくと居間の、夏用の籐の敷物の上で寝ている。時刻は午前一時だった。弱った昆虫のようにノロノロとからだを持ち上げ風呂場へ行く。入浴の後、ベッドで 「文人悪食」 を読む。いつまでそうしているわけにもいかないからやがて枕頭の灯りを落とし、しかし眠気は訪れない。ようやくウツラウツラし始めたところに、携帯電話に仕込んだ目覚ましが鳴る。これは3時の合図にて、またまたノロノロと起き上がる。
仕事場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動してはきのうの日記を書くなどのよしなしごとをする。5時に寝室へ戻って二度寝をし、6時30分に起床する。
朝飯はおとといのオデン、柴漬け、納豆、きのう余ったトマトとアヴォカドのサラダ、ほうれん草の油炒め、これまたきのう余ったジャガイモのオムレツ、メシ、茗荷を薬味にした、炒めた茄子の味噌汁。油の浮いた味噌汁は好物のひとつだ。
キャンペーン期間中にレノボジャパンのウェブショップで買物をしてくれたからと、プレゼントのマウスが昼前に届く。プレゼントやポイントの類には一切の興味がないため、"ThinkPad X60" を注文する際にも、このような特典があるとは気づいていなかった。箱を開けて 「しかしマウスをもらってもなぁ」 と思う。
僕が10年以上も "ThinkPad" を使い続けているのは、キーボードの真ん中にあるトラックポイントが気に入っているからに他ならず、マウスを用いることは1年に1度もない。「だれか欲しい人がいたら上げるんだけどねー」 と考えるが、思い当たる知り合いはいない。
「泡盛や九州の焼酎においては、凝りすぎない、更に分かりやすく言えば、そのデザインを店主が町の印刷屋に 『テキトーに頼むわ』 と任せたようなレッテルを貼られたものこそ美味い」 という持論により選んだ 「石川酒造場」 の泡盛 「玉友」 を初更に抜栓する。茄子の油炒め酢醤油かけ、モロヘイヤのたたき、冷や奴、春雨の中華風にてこの泡盛の水割りを飲む。
「田舎に住んでも美味いのは野菜くらいで、だから自分は都会に住みたい」 と言った食通がいたが、水と穀物と野菜さえ美味ければ、僕に文句はない。
またまた食卓に着いたまま眠ってしまいそうなところを起こされ、入浴して冷たいお茶を飲む。「文人悪食」 を読もうとして酒酔いのためこれを読めず、推定で10時に就寝する。
大いに朝寝をして6時30分に起床する。事務室でのよしなしごとの時間は無いがエレヴェイターを降り、各方面の通路を解錠して居間に戻る。朝飯はなめこのたまり漬、塩鮭、梅干し、柴漬け、蛸のキムチによるお茶漬け。
数日前に次男が完成させた 「喫煙しません宣言ポスター」 に、「たばこをすうと死にますよ」 とのオレンジ色の鮮やかな文字がある。しかし人は、タバコを吸わなくてもいつかは死ぬ。あるいはタバコを吸っても死なない。
先日、店舗外の犬走りに老人がひとり "Asian squat" つまり和式の便所に座る格好で腰を下ろしていた。犬走りに敷かれた黒色のタイルは夏の日差しを吸収して相当に熱くなっているから、その老人のからだを心配して僕は店の中からときおり目を遣って注意をしていた。
と、そのとき、僕の視線に気づいた一人のやはり老人が 「あれはオレのオヤジなんだよ、91歳」 と説明をしてくださった。「お元気そうですね」 と僕は応じたが、息子とはいえ既にして充分に老人となったそのお客様は外へ出て自分のタバコにスパッと火を点け、91歳の父親にそれをくわえさせたから 「お元気どころじゃねぇ、大したもんだ」 と僕は深く感心をした。
タバコを吸っても死なない人は死なない。タバコには酒と同じく抽象的な美味さがあるし、気管支にドンと来るあの感触も悪くない。世の中にタバコがあった方が良いか、あるいはない方が良いかといえば、それはあった方が良い。ただし今の世の中では、タバコを吸うとその人の人格は実際よりも2、3等は低く見えるから、喫煙の習慣は持たないに越したことはない。
ほぼ中ほどまで飲みバキュバンで栓をしておいた "Bourgogne Pino Noir Alain Corcia 2004" だけではアルコールの摂取量に不足があると考え、ワイン蔵の床を見て歩くと "DRY SACK Williams & Hombert" がある。用意したグラスにこれを半分ほど入れ、居間へ戻ってここに氷を投入する。次男の勉強机にてこのシェリー酒を飲みつつ 「文人悪食」 を読む。
トマトとアヴォカドのサラダ、南瓜とキュウリのサラダ、ジャガイモのオムレツ、"NOA" のパン、2種のチーズにてバキュバンを外した赤ワインを飲む。
数日前に飲み残したワインだけでは酒精の量に不足があるなどとメシの前には考えたわけだが、メシを終えて以降の記憶はない。
5時30分に起床して事務室へ降り、製造現場を見回ってふたたび事務室に戻る。メイルにエクセルファイルを添付したご注文を紙に打ち出すとか、あるいはきのうの日記を作成するなどのことをして7時前に居間へ上がる。
朝飯はだんらんのたまり漬け、にんにくのたまり漬、梅干、「はれま」 の 「やさい」、大葉、白胡麻によるお茶漬け。
午後、外注SEのシバタサトシさんが来て、数週間前に買った "ThinkPad X60" に、僕がいま使っている "X30" の中身を移し始める。当方はなにかと忙しく、会社を出たり入ったりするが、設定はほぼ数時間後に完了し、試運転にかかる。指紋認証システムについては、冬のアカギレの指先を機械が認識しないと面倒なので、これを設定することはしなかった。
新しいコンピュータへの移行は必要に迫られてのものだが、そして他のメーカーのコンピュータについては知らないが、こと "ThinkPad" に限って言えば、1999年ころよりその質感は落ちるばかりだ。たとえば今般の "X60" の電源コードは本体の奥まで差し込めず、常にグラグラしている。
いまだ閉店前の5時すぎに追分地蔵尊の、小倉町が主催する 「二十三夜祭」 へ、オフクロと次男との3人で行く。彫刻屋台の屋根の上からあれこれプレゼントを放る 「がらまき」、くじ引き、屋台での買物などをして小一時間後に帰宅する。このくじ引きで次男は数年前にディズニーランドのパスポートを当てたが、今夕の収穫は4等の洗剤と5等の缶ジュースばかりだった。
南瓜の煮物、小倉町の婦人会によるおでんや鶏の蒸し焼き、同青年会による焼き鳥、長男が今市小学校野球部にいたときの後輩ニカイドーくんちの焼そばなどにより炊きたてのメシを食べ、飲酒は避ける。これで今月の断酒ノルマは残すところあと2回となった。
晩飯の後に座ったまま眠ってしまい、気がついて9時30分に入浴する。シラフではあったがこの後の記憶がどうにも曖昧で、僕には珍しく11時くらいまでは次男の勉強机で 「文人悪食」 を読んでいたような気もする。
3時に起床して仕事場へ降り、小一時間ほどの仕事をしてから事務室へ移る。いつものよしなしごとをして5時に外へ出ると夏の明るさは既にして無く、空気は冷ややかだった。「秋かぁ、やだなぁ」 と思いながら、購読しているうちの届いている新聞のみを新聞受けから取って屋内に戻る。
むかしある朝、友達の家を訪ねたら、友達は縁側でコーヒーを飲みながらボンヤリと庭を見ていた。「オレにはこういう時間がないんだな」 とそのときは思ったが、早起きをすれば、自分にもそのようなことは可能なのだということについ先日、気づいた。気づくまでにはおよそ20年を要したから、僕の頭はずいぶんとゆっくり回っていることになる。
朝飯はなめこのたまり漬、ほうれん草の油炒め、きのう次男が残したおろ抜き大根のおひたし、トマト入りスクランブルドエッグ、メシ、胡瓜の味噌汁。胡瓜の味噌汁など気味が悪いと思う人は、いちどこれを試してみると良い。これこそは夏の味覚だ。ただしこの味噌汁には育ちすぎた胡瓜が必要だから、家庭菜園をする人や農家と知り合いでないと、作ることはできない。
終業後、次男の勉強机で 「文人悪食」 を読む。この続きものに嵐山光三郎は、かなりの力を注いでいる。その痕跡はすべてのペイジに読み取れるし、第一非常に面白い。「種田山頭火―弁当行乞」 を過ぎて 「志賀直哉―金目のガマのつけ焼き」 に入る。一見ひ弱そうな白樺派は実は戦闘的且つ頑健で、自殺したり病に倒れた無頼派たとえば太宰治などの方がよほど弱かったという下りには、「なるほどそう言われてみれば」 と思うと共に、なんともいえないおかしみを感じる。
隠元豆のバター炒めを添えたビーフステーキ、トマトとレタスと胡瓜のサラダにて、バキュバンで栓をしておいた "VOLNAY 1re Cru SANTENOTS Viconte Bernard de Romanet 1985" を飲む。これは先日の残りにてすぐに干したから、遠い親戚の酒屋が 「値段の倍は美味い」 と言う "Bourgogne Pino Noir Alain Corcia 2004" を抜栓する。
言葉のとおり、これは確かに値段の倍は美味い。自分のワイン蔵に酒がなければ即、これを普段飲みのひとつとして採用するところだが、生憎と在庫はいまだ数百本もあり、だから新規にワインを購入すると、90年代の初めに買い溜めた80年代のそれらがいつまでも飲めなくなってしまう。あるいは自分は、断酒などしている場合ではないのだろうか。
皆が食べている炊きたてのメシを見て、僕も少しこれをもらう。そしてその上にバターを載せ、更ににんにくのたまり漬を載せる。これが美味いか美味くないかといえば、もちろん美味い。
西瓜を食べ入浴をし、冷たい麦茶を飲んで10時すぎに就寝する。
目を覚まして時間を確かめ、それが6時直前だったりすると寝過ごしの感を覚える。4時30分に覚醒すれば少なくとも1時間やそこいら本を読むことはできるから、やはり遅い目覚めはつまらない。6時に起床して事務室へ降り、大したこともないことをして7時前に居間へ上がる。
朝飯は焼いた万願寺唐辛子の鰹節かけ、茄子の炒りつけ、納豆、刻みオクラ、メシ、炒めた茄子と茗荷の味噌汁。
朝一番で諸方の取引先に電話を入れ、あれやこれやと一気に仕事の依頼をする。それから数時間のあいだにそれらの取引先が入れ替わり立ち替わりあらわれて、細かいところについての打ち合わせをする。
昼飯の後、畳に腹這いになって新聞を読む。その書評に興味を惹く本がいくつかあるが、このようなときにはメモを取らないのが常だから、午後に事務室へ降りるとその本のことはすっかり失念し、よって "amazon" に注文することもない。買って読まない本が多くあるのだから、書評は読み飛ばして記憶に留めないにこしたことはない。
初更、冷や奴とおろ抜き大根のおひたしにて泡盛 「常盤」 をオンザロックスで飲む。おろ抜き大根を旧今市市の一部では 「めぬき大根」 と呼ぶことを初めて知る。そして 「めぬき大根には特殊な栄養があって、これを食べるとからだに取り込まれて肉になる」 という俗説があることも知る。かつて八重洲にあったビヤホールの名店 「灘コロンビア」 で肴にして以来、おろ抜き大根からは実に20年ほども遠ざかっていたから、なにやら懐かしい気がする。
食卓に運ばれた秋刀魚の塩焼きを見て、思わずメシをもらう。脂の乗った秋の青魚で炊きたてのメシを食べると 「酒なんか飲んでる場合じゃねぇ」 という気持ちになる。しかし卓上には溶けた氷が軽く音を立てる泡盛のグラスがあるから、もちろんこれを飲まないわけではない。
9時30分をすぎて入浴し、「文人悪食」 をすこし読んで10時30分に就寝する。
本を綺麗に読む人がいる。今朝、目を覚ますと腹の下に 「文人悪食」 が開かれたまま潰れていて、これはきのう読みさしてそのまま眠ってしまったのだろう。僕の本の扱いはそのようなものだから、僕の本棚を見に来て 「ほとんど買える本ですね」 と言った古本屋もいたが、売れたとしてもその値は二束三文だろう。
起床して事務室へ降り、外から新聞を取り込むくらいのことをして7時前に居間へ戻る。朝飯は鰯の昆布巻き、茄子の炒りつけ、なめこのたまり漬、納豆、白菜キムチ、メシ、茄子と万能葱の味噌汁。
お客様にはできる限り新鮮な商品をお売りしたいと考え、日々売れる分だけを袋詰めして製品在庫は極力持たない。きのうはその理想を追求する度合いが強すぎて、「らっきょうのたまり漬」 は閉店の2時間前に売り切れた。
そのため本日の開店前の包装部門は大忙しで、しかも朝一番のお客様は開店前より駐車場でお待ちになっている。いつまでお待たせをするのも申し訳ないから店は定時よりも前に開け、しかし今朝の蔵出しの 「らっきょうのたまり漬」 はいまだ包装されていない。お客様には事情をご説明し、しばらくお茶を飲んでお待ちいただく。そうこうするうち包装現場より細々と商品が届き始め、ようやく開店直後の繁忙をやり過ごす。
しかし一服する間もなく次の繁忙が来てそれは波のように断えては続き、遂に午後も遅くなる。本日はオヤジの月命日にて、夕刻ともいえる時間になってより家内と墓参りに行き、戻って仕事に復帰する。
初更、カレーライス、らっきょうのたまり漬、だんらんのたまり漬、胡瓜の皮の酢の物を薬味としてカレーライスを食べ、飲酒は避ける。
9時に仕事場へ降り、10時前に戻ってテレビで 「林家三平ものがたり」 を見る。引き続いて 「熱闘甲子園」 を見て0時に就寝する。
居間の畳に敷いた、夏用の籐の敷物の上で目を覚ます。ようやく身を起こして違い棚の電波時計を見ると午前1時30分だった。晩飯を食べたあとそのまま眠ってしまったらしい。入浴してベッドに横になっても眠気は訪れず、「文人悪食」 を読む。60分後か90分後かは知らないが二度寝に入り、6時に起床する。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯はツナとレタスのサラダ、白菜キムチ、納豆、鰯の昆布巻き、とろろ、メシ、豆腐と豚肉と三つ葉の味噌汁。
早朝の仕事を夜に振り替えて以来、この日記を書いてサーヴァーへ転送する時間が大幅に遅れている。朝に仕事がないとなれば早起きもせずベッドで本を読み、いまだ夏の香りを残す朝の風を愉しんでいつまでも横になっているから、日記は昼の仕事の合間にすこしずつ書き進めることになり、完成すると夕刻が迫っている。
まさか日記の作成をするためだけに早起きをするのも馬鹿ばかしく、だったら夜に振り替えた仕事をもういちど早朝に戻そうかと考えて、それもなにやら本末転倒の気がする。
閉店も間近になって、タライの底を抜いたような夕立がある。店舗の屋根は大きく、しかし雨どいの幅や深さはそれほどでもないから、大量の水は容赦なくあふれて軒下に落ちる。その様子を見る僕のからだには、まるで滝壺に立ったかのような水しぶきが折からの強風に煽られて吹き付け、構えたデジタルカメラもしっとりと湿った。
初更、茄子の炒りつけとモロヘイヤのたたきにて泡盛 「常盤」 をオンザロックスで飲む。厚焼き玉子、茹でたグリーンアスパラガス、生のトマトにても同じものを飲む。
9時前に仕事場へ降りて10時前に居間へ戻る。入浴して冷たいお茶を飲み、10時30分に就寝する。
部屋の中が早朝の、まるで水族館のような青色を帯びるころに目を覚ます。枕頭の灯りをつけて 「文人悪食」 を読み、5時に起床する。日本列島の南西海上には複数の台風があるらしいが、さすがに日光地方まではその影響もなく、窓から吹き込む風は涼しい。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、なめこのたまり漬、メカブの酢の物、ピーマンの油炒めを添えた目玉焼き、柴漬け、納豆、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁。
オヤジの亡くなったのは昨年の11月20日で、その2日後にはお金の出入りを明確にするための銀行口座を開設した。仏教を採用する家で人が亡くなるとお通夜があり葬式があり、初七日の次には通常、四十九日がある。そしてやがて初盆が来る。
この初盆を無事に乗り切ったから、ここ1週間ほどのあいだ久しぶりにその行数を増やした金銭出納帳のマクロを回し、残高を出す。今朝、いくばくかの現金と共に銀行員に渡した通帳が午後に戻ると、その残高は金銭出納帳のそれと一致して、それは当たり前のことながら、なかなか悪くない気分のものだった。
店舗の軒先に下げたいくつもの風鈴が、いまだ僕好みの夏の風を受けて盛んに音を鳴らしている。午後5時、気温26度の空を、10日前にくらべれば格段にたくましくなった燕の子が飛んでいる。
初更、ポテトサラダと茶豆にて泡盛 「常盤」 をオンザロックスで飲む。茗荷の薄切りを山のように盛った、豚の冷やしシャブシャブにても、おなじものを飲む。
次男が夏休みについての作文を書くに当たり、長男と過ごした8泊9日の昼飯と晩飯について思い出そうとして、それがなかなかはかどらない。甘木庵の長男に電話をしても曖昧なところがあり、やはりこういうことはメモに残すべきである。
そしてその後の記憶はなにひとつ無い。
5時に目を覚まし、「日常茶飯事」 を読み終えて6時に起床する。昨日の午後から引き続いて雨が降っている。いったん雨が降るとまるで梅雨時のような湿気が家の中を覆い、素足で歩く廊下もべたついて気分が悪い。
オヤジの初盆のせいなのか長男が帰宅しているせいなのか、普段よりも多いゴミを外へ出す。しばらく途絶えていた大雨による水害が、またぞろ日本のあちらこちらで起き始めていることを新聞が伝えている。川の中洲で寝るなどは僕も過去によくしたが、初夏から初秋にかけてこれをするのは危ない。安全なのは厳冬期だが、その季節に川でテントを張る人は、そうはいない。
7時前に居間へ戻る。朝飯は柴漬け、白菜キムチ、茄子とピーマンの炒りつけ、冷や奴、なめこのたまり漬のスクランブルドエッグ、ワカメとさらし玉葱の鰹節かけ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁。
お盆の帰省ラッシュはきのうで収まったものとばかり思っていたが、きのうまでの余韻のようにして、店舗はいまだすこしは忙しい。20日の日曜日までは、このような流れでいくのだろうか。長男は午後3時すぎの上り特急スペーシアにて甘木庵へ戻った。終業後に製造現場へ行き、少々の作業をする。
記録を見てみれば、今月は7日に3度目の断酒をした後、8日よりきのうまで9日連続して飲酒を為した。そろそろ酒を断たないと月後半のスケデュールが苦しくなるからと、今夜の断酒を決める。
鮪の刺身、茄子とピーマンの油炒めアンダンスー和え、冷や奴、白菜キムチにてメシ1杯を食べる。「だったら酒を止めろ」 と言われそうだが、ウチの炊きたてのメシは酒よりもはるかに美味い。大学芋をデザート代わりに食べていたら、その後にメロンが出てくる。
「日常茶飯事」 の最終ペイジには今朝方に行き当たった。ふいに目覚めたときに読むものがないと大いに焦燥する。数週間前、電車の中で読むための活字を乞われて家内に貸した、そして次に電車に乗るときに続けて読むのだという
4時30分に目を覚まして 「日常茶飯事」 を読み、二度寝をして5時30分に起床する。事務室へ降りてシャッターを上げ、空を見れば、どうやらこのところの晴天は今日まで保ちそうに思われる。ウェブショップのトップを書き換えるなどのよしなしごとをして7時前に居間へ戻る。
朝飯は天つゆで煮込んだ天麩羅、キャベツとソーセージの油炒め、生のトマト、とろろ、柴漬け、メシ、シジミと万能葱の味噌汁。
仏壇の飾り付けに使った和紙を玄関の前で長男と次男が焼き、これを以て送り盆とする。オヤジの初盆の祭壇は家内と長男が片付け、昨年11月の葬式以来借りていた仏具や折りたたみ式の台などを長男がホンダフィットに載せて 「菊屋」 へ返しに行く。本日の僕は通常の業務のみをこなし、自宅に呼び返されることはない。
午後、弱い雨が降り始めたことに気づく。時計を見ると3時をすぎたところだった。数日前の帰省とは逆の方角へ向かうクルマは既にしてその数を減じている。店舗が徐々に静かになっていく。
本日は僕の50歳の誕生日にて、家内はどこかよそで晩飯を食べたかったらしいが、僕は今夜に限っては家で食べたい。その理由のひとつは数年前からワイン蔵にあるモエのマグナム2本のうちの1本を飲もうとしているからで、すると家内は、そのマグナムをしかるべきフランス料理屋へしかるべき手続きを経て持ち込み飲めば良いではないかと言う。しかししかるべきフランス料理屋に、風呂上がりの、腰にタオルを巻いた姿で行くわけにはいかない。
先ず2枚のバスタオルを用意する。シャワーを浴びたらこの1枚目を腰に巻き、2枚目はインドの人力車夫がスカーフをそうするように首から肩へと巻く。この格好で飲むシャンペンは、礼服を着用に及んで飲むそれよりもはるかに美味い。
ワイン蔵から出したばかりの、エティケットに汗を浮かべた "Moet & Chandon Brut Imperial" を抜栓する。トマトとアヴォカドのサラダ、ペンネと茶豆のオリーヴオイル和え、鶏レヴァのオリーヴオイル焼きバルサミコソース、鶏肉とトマトのソテー、パンドーロにてシャンペン1500CCを飲む。マグナムは、長男がいるときでなければ開けることはできない。
食卓からベッドへ直行したのかどうかはつまびらかではないが、多分、9時30分ごろに就寝する。
2時30分に目を覚まして4時まで 「日常茶飯事」 を読み、二度寝をして5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。今日の気温はきのうのそれよりも幾分かは下がるらしく、そのことを予告するように空は高く澄んでいる。
朝飯は、オヤジの初盆の祭壇に上げた天麩羅の一部、柴漬け、とろろ、茄子とピーマンの炒りつけ、煮くずれてまるできんとんのようになった南瓜、メシ、シジミと万能葱の味噌汁。
初盆にお線香を上げに来てくださる方の数は初彼岸の倍と予想してお返しを準備したが、どうもそれが足りなくなりそうな雲行きのため、鄙には希なお菓子屋 「久埜」 へ電話をして追加を頼む。9時すぎからは多く店舗にいるが、繁忙の合間を縫って会社の各現場を回る。そしてまた、お線香を上げに来てくださる方々の応対をする。
齢50を目前にして自分の数珠を持たない僕は、いにしえより先祖の誰かが使ったらしいものを必要に応じて黒い服のポケットに収めてきた。しかしいつまで借り物のそれを持ち歩くことも情けなく、ここ数ヶ月のあいだ、数珠の材料になるようなものをポツリポツリと買い集め、1ヶ月ほど前にこれを、自分の描いた図と共に知り合いの宝石屋へ手渡した。
この数珠が完成して届けられたのがきのうのことで、しげしげと眺めてみれば、ヤクの骨と山珊瑚、トルコ石とトクチャを組み合わせたこれはなにやら辺境の呪具のようにも見え、とでもではないが、まともな人の持つものとは思われない。いい年をして自分の数珠を持たないのはいけないと始めたことがこのような結果を以て収束するとは、いかにも僕のやらかしそうなことである。
まぁ仕方がない。本日が使い初めとなるこの数珠を左手首に巻き、おばあちゃんの初盆をことし迎えた、町内のシバザキトシカズさんの家を訪なう。お線香を上げ、涼しげな庭を眺めながらヨタ話をして6時すぎに帰社する。
初更、モロッコ隠元のバター炒め、生のトマトとポテトチップ、冷や奴、「味珍」 の豚の尻尾と足にて泡盛 「常盤」 をオンザロックスで飲む。
9時すぎにいちど製造現場へ降り、10時ちかくに戻って入浴をする。冷たいお茶を飲んで11時前に就寝する。
暗闇に目を覚まし、そのまま横になっていることにも飽きるころ携帯電話のディスプレイを開くと時刻は4時30分だった。「日常茶飯事」 を読んで5時30分に起床する。
事務室へ降り、コンピュータの電源を入れてメイラーを回すと、これがサーヴァーにアクセスしない。ウチのウェブペイジもブラウジングできないから、"Computer Lib" のサーヴァーが落ちているに違いない。「原因はやはり、きのうの朝の東京の大規模停電だろうか」 と考える。
朝飯は納豆、南瓜の炊き物、目玉焼き、茄子とピーマンの炒りつけ、メシ、シジミと万能葱の味噌汁。
ウチのウェブショップがいつまでもブラウザに現れないから "Computer Lib" の弊社担当マハルジャンさんに電話を入れる。あの会社に盆休みがあるのかないかは知らないが、続々と人の集まっている気配がある。午後1時ちかくになって、メイルサーヴァーの復旧と、サーヴァーへのファイル転送のみ可能になった旨の連絡を受け、きのうの日記を更新する。
お盆は来店客こそ多いがウェブショップからの注文は少なく、そのせいかウェブショップの顧客からの電話によるクレームはない。店舗の繁忙とオヤジの初盆に焼香に来てくださる方々の接待の双方を夕刻までこなす。
閉店後、製造現場で小一時間ほどの作業に従い、7時30分に家族4人で焼肉の 「大昌園」 へ行く。オイキムチ、モヤシナムル、レヴァ刺し、タン塩、カルビ、子袋、ホルモンにて焼酎 「田苑」 をオンザロックスで飲む。そのさなかの午後8時にまたまたマハルジャンさんから電話があり、ウェブサーヴァーが復旧したら電話連絡を入れましょうかとの提案に、自分は早く寝るからどうぞご心配なくと答える。石焼きビビンバ、テグタンラーメンと来てスイカにて締める。
帰宅して入浴し、ベッドの足下に置いた扇風機のスイッチを入れて9時30分に就寝する。
暗闇に目を覚まし、そのまま横になっていることにも飽きるころ携帯電話のディスプレイを開くと時刻は2時30分だった。「日常茶飯事」 を読み、また眠ることを繰り返して6時に起床する。
家内と長男、次男の4人にて墓参りに行く。お墓はオヤジの初盆を前に点検をしてくれた 「須藤石材」 ほかの人たちにより、とても綺麗になっていた。親戚のお墓、うちの昔のお墓にも花や水や線香を供えて帰宅する。
朝飯はとろろ、納豆、メカブの酢の物、トマト入りスクランブルドエッグ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁。
お墓への迎え火は今夕、長男と次男が行くことになっている。迎え火とは先祖の霊を墓地より自宅の仏壇に迎えることだろう。送り火とは自宅の仏壇から墓地へ先祖の霊を送っていくことだろう。だったらお盆以外の仏壇に先祖の霊は不在なのか、しかしお盆以外のときにも仏壇を拝むのはどのような理由によるものか。あるいは迎え火や送り火は宗教に付随しない、ただの風俗習慣に属するもので、だからそういうことはあまり真剣には考えない方が無難なのか。
次回の本酒会で 「如来寺」 のクワカドシュウコウ住職に会ったら、このあたりについて詳しく訊いてみようと思う。
昼飯は素麺、それだけでは寂しいから、つゆには茄子とピーマンの炒りつけを沈める。
普段の仕事、またオヤジの祭壇にお線香を上げに来てくださる方々のご案内の合間を縫ってテレビを見ると、同級生タカハシカオル君が野球部の監督を務める文星芸術大学附属高等学校は四国の今治西高等学校に、残念ながら大差を喫して敗れたところだった。甲子園の土を持ち帰る選手たちを、グラウンドに腹這いになった何人もの新聞社のカメラマンが至近距離から撮している。これにて紋切り型の写真の一丁上がりである。
初更に "VOLNAY 1re Cru SANTENOTS Viconte Bernard de Romanet 1985" を抜栓し、次男の勉強机でこれを飲みながら 「日常茶飯事」 を読む。ラタトゥイユ、トマトとアヴォカドのサラダ、唐辛子とにんにくのスパゲティにてもおなじお酒を飲む。
9時すぎにいちど製造現場へ降り、戻って10時前に就寝する。
5時に目を覚ます。ベッドのヘッドボードの上には見上げるようにして窓があり、しかしアルミサッシの内側の障子は閉まっているから明かりがなくては活字を追うことはできない。きのう床に置いて寝た
僕はこの本に、山本夏彦の妖術を見たような気がするがもちろん、本人にその意識は皆無だっただろう。
きのうと同じく長距離走に出かける長男と次男を事務室にて見送り、数十分後に迎え入れて共に居間へ上がる。朝飯は柴漬け、納豆、冷や奴、生のトマト、茄子の油炒め、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
日中は普段の仕事をしながら、オヤジの初盆に備えて3階にしつらえた祭壇周辺の片付けをする。
終業後、製造現場にて少々の仕事をし、本来であればシャワーを浴びたいところだがそのまま外へ出て家族ほか計6人で鰻の 「魚登久」 へ行く。イカ素麺、肝焼き、肝吸い、鰻丼にて 「片山酒造」 の焼酎 「粕華」 を飲む。
帰宅して入浴し、冷たいお茶を飲んで9時30分に就寝する。
次男が仕掛けた目覚まし時計の音で目を覚ます。時刻は6時だった。次男の夏休みも後半に入ってようやく朝の運動の自転車乗りが始まったが、お盆が終わるまではこれを長距離走に代え、伴走は長男が務めることになった。そして次男は僕が事務室にいるあいだに、フラフラになって戻ってきた。
朝飯は刻みオクラとメカブ、柴漬け、昆布の佃煮、ピーマンとソーセージの油炒め、納豆、メシ、シジミと万能葱の味噌汁。
メイルマガジンは大抵、夕刻に送信をする。しかし今回の内容はお盆中の営業についてのお知らせだから一刻も早くと、これを9時前に発行する。顧客の敬称を脱落させるなどの粗相は厳に戒めるべきことで、だからメイルマガジンの送信にはいつも神経を使う。
日本列島の北から舌状に張り出した高気圧に、まるでめり込むようにして近づいた台風はどこへ行ったのだろう。日光地方にはそれらしい雨も風もなく、薄曇りというか薄晴れというか、そのような空があるばかりだ。
初更、南瓜を煮たもの、モロヘイヤのたたき、茄子の炒りつけ、トウモロコシのバター炒め、秋刀魚の開きにて泡盛 「常盤」 をオンザロックスで飲む。カブトムシを生で食えなどと言われたら困るが、そういうことを除けば僕は何でも食べる。何でも食べはするが好きでないものはいくつかあって、その双璧は南瓜の煮物と酢味噌だ。しかし今夜の南瓜はさして甘くもなく、すんなりと口中から胃の腑へと消えた。
入浴して今度は缶ビールの栓を開け、この350CCすべてを飲んで10時すぎに就寝する。
6時前に起床する。これまで早朝にしてきた製造現場での仕事を数日前より夜に行うようにしたら、「一体全体オレはこれほど寝ていても良いのだろうか」 と危ぶまれるくらい朝寝ができるようになった。もっとも朝寝をすると、それまで早朝に行っていた事務系の仕事が始業後に持ち越され、これについては一考の要がある。
きのうと同じく次男と自転車に乗り、「日光だいや川公園オートキャンプ場」 のすこし上、つまり日光寄りのところまで行って引き返す。ウチから出だして日光方面へ25分走り、そこから戻ると帰り道は下り坂だから、同じ行程を15分でこなすことができる。自転車の走行40分では大した運動にはならないが、あまり遠くまで行くと朝飯の時間に間に合わない。
その朝飯は柚大根、胡瓜の古漬け、ほうれん草の油炒め、トマト入りスクランブルドエッグ、厚揚げ豆腐とオクラの炊き物、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
果たして自分はどれほど金を遣っているのだろうかと、6月から小遣い帳をつけ始めた。しかしこの帳面には甘木庵の固定資産税なども入っているから、月末に至ればそれは小遣いともいえない額になっている。仕分けの項目別にソートしてみると、お金の出る頻度においては、飲食にかかわるものが殆どだった。1ヶ月に8日しか断酒をしないにもかかわらず3ヶ月間の酒代がゼロなのは、4月に購入した1升瓶4本の泡盛がきのうまであったためだ。
今週末よりオヤジの初盆にて、8時前より 「加藤床屋」 へ行く。午前中に長男が帰宅する。高血圧や高脂血を予防するため定期的に通っている 「オカムラ外科」 に診察券を出し、近くの酒屋に泡盛を仕込みに行く。
首尾良く朝のうちに届いた 「味珍」 のタンやカシラや耳を大皿に並べ、これにて 「伊是名酒造所」 の泡盛 「常盤」 をオンザロックスで飲む。「味珍」については横浜のディープな飲み屋としか認識していなかったが、その通販部の応対は大変に丁寧なものだった。そして商品ももちろん美味い。特に 「耳」 は分厚いゼラチン部分を持つ極上品で、だれかれかまわず 「これを食わねぇのは損だぞ」 と言いたくなる味である。
「泡盛や九州の焼酎においては、凝りすぎないレッテルを貼られたものこそ可なり」 というのが僕の持論で、その基準により選んだ今夜の 「常盤」 も、もちろん大いに悪くなかった。
入浴して、しかしいつもとは異なりビールを飲みながら居間で長男と世間話をする。気づいて時計を見ると2時間も経っていたため寝室へ行き、11時すぎに就寝する。
5時に目を覚まし、「愚図の大いそがし」 を読み終えて5時30分に起床する。事務室へ降りてよしなしごとに手を着ける前に、次男が自転車用のヘルメットをかぶってやはり降りてくる。僕もヘルメットをかぶり、共に外へ出る。
それぞれの自転車に乗って日光街道を遡上し、やがて脇道へ逸れていくらもクルマの通らない、しかし良く整備されたアスファルトの道を北上する。小学生のとき、主要各国の道路の舗装率が社会科の教科書にあり、英国の 「100パーセント」 という数字を見て僕は驚愕した。しかしいまや日本でも、土の農道は見つけづらいだろう。
大谷川の遊歩道を、本日は雲に隠れて見えない日光連山の方向を目指して走り、狭くて長い橋を渡り、やがてテニスコートのある丸山公園へと至る。今や日光市となった旧今市市から旧日光市を目指して走ればすなわち坂を上ることになり、ここから引き返せばすなわち坂を下ることになる。本日の行程5キロのうちペダルを回さずに走った距離は1.5キロほどにもなっただろうか。
出発してから40分後、降り始めた雨の中を帰宅する。朝飯は柚大根、納豆、目玉焼き、ソーセージ、生のトマト、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
食卓に開いた下野新聞の第1面には、原油の1バレル100ドル時代への警鐘でもなく小泉首相の靖国神社参拝への懸念でもなく、きのう甲子園で1勝を挙げた文星芸術大学附属高等学校の写真が大きくあった。それは、強豪関西学院を相手に4点差を追いつき5点差を覆し、9回裏2アウトから掴んだ奇跡の勝利だった。「野球は終わるまで分からない」 「野球は2アウトから」 とは子供のころより耳にタコができるほど聞いてきたが実際には、終盤に5点差があれば誰しも敗色濃厚と感じるだろう。
3点を追う9回裏の攻撃が始まるとき、ベンチ前に選手を集めた監督は、6人目のキャプテンまで打席を回し、そして最後は彼にすべてを任せろと言ったという。監督のタカハシカオル君とは今市小学校の低学年で同じクラスだった。タカハシ君の性格からすれば、その言葉はいわゆる檄ではなく、静かに発せられたものと思う。この試合をテレビの中継で見られた人が羨ましい。
夏休みのため営業時間を延長した店舗の外で、夕刻の空を不器用に飛ぶ子燕の姿を追ってしばし愉しむ。26度の気温が快い。
初更、ほうれん草の胡麻和え、大豆と昆布の炊き物、厚揚げ豆腐とオクラの炊き物、銀鱈の粕漬にて泡盛 「春雨」 をオンザロックスで飲む。
入浴して冷たいお茶を150CCほども飲み、10時前に就寝する。
3時に目を覚まして二度寝をする。次に目を覚ましたのは4時30分だった。「愚図の大いそがし」 を読んで5時30分に起床する。洗面所の窓を開けると、素晴らしく晴れた空がある。ただし、ことし初めての夏らしい空を見られたのが立秋の朝とは皮肉である。
事務室のドアを開けて外へ出ると、店舗の大きなひさしから落ちたらしい、いまだ自由に飛ぶことのできない子燕が犬走りにうずくまっている。あと90分もすればこの場所は社員によってモップがけをされる。それまでにこの、羽のあいだから産毛を覗かせた小さな燕はどこかへ行ってくれるだろうか。事務室内に戻り、そのメイルマガジン版とウェブペイジ版はとうに作成してあった、「第158回本酒会報」 のメイル便版を作成する。
6時40分に居間へ戻る。朝飯はコールスローと炒り卵のサラダ、ほうれん草の油炒め、胡瓜の塩もみ、納豆、炒って鰹節と和えた唐辛子、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁。
10時前、店舗駐車場の焼けた地面に仰向けになり、薄紅色の脚を動かしているのは、今朝の子燕だろうか。拾い上げてちかくの手水鉢へ運び、その顔に水をかけると元気を取り戻す。子燕が、店舗の大きなひさしに並ぶどの巣から落ちたのかは知らない。当てずっぽうでいずれかの巣に戻しても、「燕は自分の子にしかエサは与えない」 と聞いたことがある。あるいは 「ひとたび人の匂いの付いた子燕は、巣に戻っても親から嫌われすぐに追い落とされる」 とも聞く。
いくらか元気になった子燕を、お稲荷さんのある茂みへと放つ。午後、またまた高所から落ちた別の子燕を、販売係のサイトウシンイチ君が屋根へ上げようとするから、こちらも同じくお稲荷さんの涼しげな茂みに放つ。やがて彼らは草の影に枕を並べ、蟻のエサになるだろう。
初更、茹でた茶豆、春雨サラダ、食卓のホットプレイトで焼く式の餃子にて泡盛 「春雨」 をオンザロックスで飲む。
入浴して冷たいお茶を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。
4時に目を覚まして 「愚図の大いそがし」 を読む。二度寝をして6時に起床し、事務室へ降りる。きのうの日記に用いる画像をカメラからコンピュータへ移したのみにて6時45分に居間へ戻る。
とここまで書いて、いつものことながら 「タカシ君に意志を伝える」 「タカシ君へ意志を伝える」 というときの 「に」 と 「へ」 の使い方、また 「B点に行く」 「B点へ行く」 というときの 「に」 と 「へ」 の使い方について僕は何も知らないから、せいぜい読んだときの感じができるだけおかしくならないよう両者を使い分けているに過ぎないということを認識する。
そしてこのことについて自身の意識を明瞭にするため、数ヶ月前に大野晋の 「日本語の文法を考える」 を買った。ところがこういう本は得てして買っても積んだままにして読まないから、とにかく 「に」 と 「へ」 の使い分けについてはいまだ不明瞭のままである。
朝飯は柴漬け、炒って鰹節と和えた唐辛子、胡瓜のひしお和え、メカブの酢の物、トマト入りスクランブルドエッグ、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁。
夏休みの宿題のうち、いまだ手を着けていないものについて問うと、次男はその筆頭に 「喫煙しない宣言」 ポスターの作成を挙げた。タバコを吸う群衆を一面に描き、そこにかぶせて 「馬鹿は死ななきゃなおらない」 と大書すればよいのではないか。もっとも誰かが横から出てきて 「生きているあいだにしていることの過半は体に悪い」 と言われれば、それはそうかも知れない。ただし、タバコほど体に悪いことも、そうはないような気がする。
初更、らっきょうのたまり漬を刻んだもの、胡瓜の塩もみ、炒り卵、トマトとコールスローのサラダを薬味としてカレーライスを食べる。これは酒を抜くには絶好のメニュだから、本日を今月3日目の断酒日とする。
入浴して冷たいお茶を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。
3時45分に目を覚まして 「愚図の大いそがし」 を読み、しばらく後に灯りを落とす。静かに横になっているだけでは飽きるから、外が明るくなってきたころにまた本を開いて5時15分に起床する。事務室へ降りてきのうの日記を書くなどのよしなしごとをし、6時30分に居間へ戻る。
朝飯はメカブの酢の物、塩鮭、柴漬け、納豆、生のトマト、茄子の油炒め、メシ、豆腐となめこの味噌汁。
およそ薬味という薬味のほとんどすべてを嫌う人がいて、こういう人がうっかり香り野菜を多用する地域へ行くと、街の匂いから食べ物からどれもこれもが鼻についたらしく、痩せて帰ってきたりする。薬味に限らず偏食な人を見て、そうでない人は 「なにも食べられず可哀想に」 と哀れむが、偏食家本人は、たとえば鮨屋で卵焼きと胡瓜巻きしか食べられなくても、嫌いなものを食べずに済むという点において、自身は幸福なのである。
なぜこのような脱線話になったかといえば、一時的にせよ、ウチの台所から万能葱も三つ葉も無くなってしまったからだ。
春日町1丁目の納涼祭の準備は朝9時からと回覧板にはあったが、当方は店の仕事をこなして10時に会場の 「春日公園」 へ行く。机や椅子や調理器具などを倉庫から運び出す、テントを張るといった力仕事は既にして済んでいたため、大きなバケツに缶ジュースと氷を投入するくらいの手伝いをし、いったん会社に戻る。
昼12時を過ぎてふたたび納涼祭の会場へ行く。タシロケンボウんちの刺身湯波、枝豆、焼そば、焼きイカ、焼きソーセージ、牛肉の炙り焼きなどは既に調理され、あるいは集まった大人も子供もこれを食べ始めていた。
4日の下ごしらえには生憎と参加できなかった牛肉の、炭火でカリカリに炙られた表面と、その内側の赤い部分をナイフでこそげて咀嚼する。肉の熱さと幾分硬めの焦げた部分が僕の上あごを痛めつけるが味はとても良い。持参した2001年製のイタリアワインを飲み干し、続いて1976年製の日本のワインを抜栓する。30年前のマンズワインは朱色を帯び、その熟れ具合は悪くなかったから 「これはウチでゆっくり飲むときに開ければ良かった」 と、いささか後悔をする。
イカは本体およびゲソとワタに仕分けをされ、そのゲソとワタは1パイ分ずつアルミフォイルにの上で焼かれている。これをフォールディングテイブルへと運び、赤ワインの酒肴とする。生ビールを際限なく飲みながらゲソワタには手を伸ばさない人が多いため、訊くとそれらの大部分は、自身の尿酸値に難があるという。最後の楽しみにとっておいたかき氷は結局、腹が満杯になって食べられなかった。
昼の疲れ、昼の飲酒、昼の肉が祟ったか初更になっても一向に食欲が湧かない。ようよう素麺のみを食べ、冷たいお茶を大量に飲む。
入浴してベッドへ横になり、足許の扇風機を回して10時前に就寝する。
3時に起きて仕事場へ降り、4時まで作業をして、普段ならそのまま事務室でよしなしごとをするところ、本日はそれをする気力に欠けたから寝室へ戻って二度寝をする。夏の涼しい朝にグズグズと寝ているのは気持ちの良いものにて、7時にようやく本日2度目の起床をする。
朝飯は塩鮭、柴漬け、まだある茄子とトマトのオリーヴオイル和え、メカブの酢の物、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁。
しなければいけないことがあれこれあるが、それがなかなかままならない。先ず、暑中見舞いをいただいた方に返事を書かなくてはいけない。日記は何十行でも書けるのに、時候の挨拶のようなものが僕には書けない。これをさらさらと書ける人には生まれつきの才能があるのだろう。あるいはある種のテンプレイトを身につけているのだ。
「入会します」 と、うっかり返事をしてしまった会だが、どうにも出席するに気が進まず、1度も出ないうちにここから抜けさせて欲しい旨を責任者に申し出る必要がある。しかしこれも延び延びになっている。今月の20日ほどまでは続きそうな商売の繁忙や、またオヤジの初盆が過ぎたら手を着けようとしていることもあるが、しかし忙しいからできないとしているものは、実はヒマになってもできないものである。
「讃岐うどん」 だっただろうか、それとも 「讃岐うどん風」 だっただろうか、きのう僕あてに友人から半生麺が届いていた。これを昼に茹でてもらい、茄子と乳茸のつゆで食べるととても美味い。「こんどは揚げ玉を入れた熱い味噌汁でも食べてみよう」 と思う。
「しなければいけない」 とここ数日、数週間、数ヶ月のあいだに思い続けてできなかったことは午後になっても依然としてできなかったが、1年ほど前から 「しなければいけない」 と考えていたひとつについては夕刻に解決する。
初更、卓上のホットプレイトで焼く式のジンギスカンを酒肴として泡盛 「春雨」 のお湯割り2杯を飲む。入浴後はビールを飲みたく感じるが、きのうのことを思い出して冷たいお茶に留めておく。
寝室に入って1時間ほど横になるうち汗を大量にかいてこれがなかなか去らないため、ベッドの足許に扇風機を運ぶ。そして10時30分ころに就寝する。
目を覚ましたとき現在時刻を6時と勘違いし、はっきりしない頭で 「これは忙しいな」 と思ったが、よくよく時計を見るといまだ5時だったから 「あぁ良かった」 と安堵する。おばあちゃんの居間の窓を開け、仏壇に水やお茶や花を上げる。昨夕に事務室から持ち帰ったコンピュータを起動し、すこし手を着けておいたきのうの日記を完成させる。
朝飯は塩鮭、柴漬け、唐辛子の油炒り、「はれま」 の 「やさい」 によるお茶漬け。
事務室へ降り、銀行に預けるあれこれの準備をしてから外へ出る。下今市駅7:04発の上り特急スペーシアに乗り、9時前に湯島へ達する。大木のあるところではアブラゼミの声を聞きながら、ビルとアスファルトが日ごとに吸収した熱気を放散するところでは日陰を選んで歩きつつ文京区内にてあれやこれやし、午後、浜松町に移動する。
"Computer Lib" による 「第8回ユーザーカンファレンス」 に出席をする。「ユーザーカンファレンス」 というくらいだから、参加者は同社の顧客に限られているのだろう。いわば会員制ともいえるこの勉強会からはいつも多くを得ることができ、今回も来られて良かったとつくづく思う。
付録ともいうべき6時からの説明会、その後の懇親会にも残りたいのはやまやまだが、長男と8泊9日を過ごした次男を今夕は家に連れて帰らなければならない。5時すぎに会場を出て、路面温度は40度とも思われる第一京浜を北上する。
「浜松町といえば桟橋と秋田屋」 とは、僕だけに為されたすり込みだろうか。その 「秋田屋」 は今年1月に更地となり、同じ場所に新店舗が完成したのは6月だった。大門通りとの交差点を右に折れると、「秋田屋」 は昔日の面影を残してビルになっていた。厨房が広くなったせいか席はずいぶんと減ったように見えるが、ここからあふれた客は、以前はなかった2階へ誘導されるのだろう。
浜松町から浅草までは、地下鉄を使えば僅々十数分の距離だ。次男の手を引いた長男とは無事、6時前に合流することができた。駅裏の串揚げ屋 「光家」 にて僕はレモンハイ、長男は生ビール、次男はウーロン茶と共に計数十本の串揚げを食べる。
いまだ甘木庵に残る長男と別れ、浅草駅19:00発の下り特急スペーシアに乗る。先ほどキヨスクで買った缶チューハイには、薄めた小便に除虫菊の粉を混ぜたような匂いがある。このような際には、僕は先ず 「敵」 を疑わず自らを疑う。「たまたまオレの体調が、そんなんかなぁ」 と思いつつ、その尋常一様とはとても思えない匂いのチューハイを我慢しながらすべて飲む。
9時前に帰宅して入浴し、よせば良いのに缶ビールの栓を開けて枕元へ運ぶ。「愚図の大いそがし」 を読みつつこれをいくらも飲めず、10時前に就寝する。
3時に目を覚まして 「本よみの虫干し」 を開き、5時30分にこれを読み終える。「あとがきにかえて」 として著者は 「書きたい作家、読み直すべき作品はつきないが、うるさがられる前の退場が至当と思う」 と認めているが 「もっと書いてくださいよー、セキカワ君」 と思う。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、食事の準備が整ったとの館内電話を6時40分に家内より受けて4階へ戻る。その朝飯は柴漬け、山かけ、メシ、豆腐となめこと万能葱の味噌汁。きのうは朝から胃が痛く、そのくせ晩にはワインとグラッパをあわせて700CCほども飲んだからか痛みは今朝になっても去らない。そのため今朝のメシは、なかば流動食のようにしてもらった。
梅雨が明けたとはいえきのうまではまるで梅雨の最中のような、はっきりしない天気が続いた。今日はようやく晴れる気配があったため、昨年の秋以降しまってあった風鈴を出し、犬走りの軒下に5つ提げる。風鈴の数助詞については知らない。
長雨が上がった途端、山には乳茸が出はじめたらしい。綺麗なこれをいただいたため、茄子と共につゆにし、昼に素麺を食べる。つゆは鍋にずいぶんとたくさんあったから、明日以降も初秋の味を楽しめるだろう。もっとも初秋とはいえ気温の上での盛夏はこれからである。
初更、レタスとツナのサラダ、目玉焼き、茄子とトマトのオリーヴオイル和え、カレーライスを晩飯として飲酒は避ける。カレーの薬味は刻んだ 「らっきょうのたまり漬」 だった。
仕事から戻ったとき汗だくだったため、シャワーはメシの前に浴びていた。6月のいつだったか、小川町から神保町へ歩く左側に見つけた古本屋の、歩道に置いた本棚から選んだ
3時に目を覚まして起床し、製造現場へ降りてきのうと同じく仕事をする。事務室へ移動してからは夜間にファクシミリで届いた注文書を事務係の机上へ置いたり、メイルに添付したファイルでいただいた注文を紙へ出力したり、あるいはきのうの日記を作成したりという、つまりいつものよしなしごとをする。6時前に4階へ戻って仏壇に水やお茶や花を上げ、また居間に置いた亡くなった人の写真に水を上げたりする。
この日記を書いている3日の早朝、きのうの朝飯の内容を並べようとして、しかしなぜかその画像はカメラには残っていないから記憶をたどれば、フライパンで炒めたソーセージ、納豆、メシまでは覚えているが、それ以外については味噌汁の具さえ思い浮かばない。ある人が言うには、人は物事を脳に格納することはなかなか得意で、しかしそれを検索してふたたび取り出すことは不得手らしい。
むかしある役人に 「3日前のことさえ覚えていないんですか」 と詰問され、「だったらあなたは3日前の朝飯の内容を記憶していますか」 と言い返そうとして止めたことがあった。その役人がフランス人であったなら、軽く肩をすくめて 「カフェオレとクロワッサン」 と答えたかも知れないが、生憎とその役人はフランス人ではなかった。
初更、家内とふたりでイタリア料理屋の "Casa Lingo" へ行く。蛸のマリネ、生ハム、胡瓜のピクルス、トマトのオリーヴオイル和え、ブルーチーズ、茹でたグリーンアスパラガスなどを酒肴としてカラフの白ワインを飲む。南瓜を皮ごと使ったコロッケ、冷たいスパゲティーニなどと食べつつ飲み続ける今夜の白ワインはやけにノドを通りやすい。このままではメシが終わる前に600CC強を干してしまうと、すこし早めにグラッパをもらう。白ワインとグラッパのグラスを交互に口へ運び、僕からすれば巨大なシフォンケーキ、エスプレッソにて締める。
帰宅して入浴し、9時30分に就寝する。
2時に目を覚まして 「本よみの虫干し」 を読む。3時前に血圧を測ると、昨夜のアスピリン2錠が効いているのか120の75という数字だった。起床して製造現場へ降り、小一時間ほども仕事をする。夏のギフトの注文は落ち着いたとはいえ、きのうの夕方などはかなり出荷業務が忙しかった。事務室へ移動してはこの 「清閑PERSONAL」 の、毎月1日に更新することにしているもののうち "WORKS" に12枚の写真をはめ込む。
限りなくライカを愛好しながら、種々のライツ製レンズで撮影した作例を自身のウェブペイジに並べて比較検討するような人を嗤うのが田中長徳で、それはそうだろう、ブラウザ上はおろか紙焼きを見ても、それを撮る際に用いられたレンズを特定することは、そのレンズの設計者にさえできない。そしてそういうことを充分に認識しながら、しかし今月の "WORKS" における9枚目の写真は紙焼きを瞥見する限り、まるでズミクロンによるそれのように見える。まぁ、落語の 「寝床」 のようなものである。
6時前に居間へ戻る。体調が整っていないからいつものような朝飯を食う気力がない。とはいえ雑炊というもの気が進まない。よって4種のおにぎりとすぐきを朝飯とする。
ファクシミリがいつごろ発明されたものかは知らないが、正確な情報が受け手に伝わらない確率の高い点において、僕はこの道具をいまだ発展途上のものと考えている。今朝も、書類のごく一部しか印刷されない注文書がファクシミリによって届き、しかし送り手を特定できる文字はなにひとつないから 「とうに注文してあるのに、一体どうなっているんですか」 というクレームの電話をいただかないうちは、なにひとつできない。送信側も受信側も紙を使わなくてはいけないというところに、ファクシミリの弱点のひとつはある。
体力の回復を図るため、本日の日中は多く寝ることとして、ベッドで 「本よみの虫干し」 を読む。これは関川夏央による、明治から昭和にかけての作家論あるいは作品論とでもいうもので、読むにつれ 「それは君の勝手な解釈だろう」 と言葉を差し挟みたくなるところが多々ある。しかし考えてみれば人によって書かれたものの多くは、著者の勝手な解釈の集積とも言える。そしてこの本がつまらないかといえば、大いに面白い。
仕事場へ呼び出されたり、また横になったりを繰り返して閉店時間に至る。
冷や奴、トマト入りスクランブルドエッグ、焼いたホッケ、胡瓜のぬか漬、茹でたグリーンアスパラガスにてメシ1杯を食べ、さすがに飲酒は避ける。先月は早々に断酒ノルマを達成し、だからきのうまでの1週間は酒を飲み続けていた。飲酒は明らかに、体力を消耗する行為である。
2日続けて入浴はせず、花火の音を聞きながら9時前に就寝する。