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一壺の紅の酒 一巻の歌さえあれば それにただ命をつなぐ糧さえあれば
君とともにたとえ荒屋に住もうとも 心は王侯の榮華にまさるたのしさ
Omar Khayyam

 2012.1031(水) ある地図のはなし

いつか嵐の晩に甘木庵で寝ていると、東は上野の方から、西は小石川の方から、耳とほぼ同じ高さで雷鳴が聞こえ、驚いたことがある。雷雲が僕の鼻先まで垂れ込め、上野、小石川という低地に向けて垂直に稲妻を発している様を想像しながら、しかし外を窺うことはしなかった。

本郷は北から南へ延びた舌状の台地で、順天堂大学や東京医科歯科大学のあるあたりが舌の先になる。そこから東へ下れば秋葉原、西に下れば後楽園、神田川を渡って南下すれば駿河台下に行き当たる。

年代時代を現す数字を指先でタップするのか、あるいは西暦の明記されたスクロールバーを上げ下げするのかは知らないが、とにかく過去に遡上することのできる地図を何年か前に見たことがある。

そのアプリケーションで本郷を過去に辿れば、春日通り以南は焼け野原だった第二次世界大戦直後から、鴎外漱石の東京大学裏あたりを繁く歩いたころ、そして「かねやす」以北は民家もまばらになった江戸時代、更に遡れば雑木の山になるのだろうか。

「へぇ、面白そうなものがあるんだな」と思っただけで買うまでには至らなかった地図のことを考えつつ江戸城とほぼ同じ標高にある神保町に至り、あれやこれやして午後に帰社する。


朝飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦ワカメトッピング、ライス

昼飯 カツサンド

晩飯 トマトのポタージュ、マカロニサラダ、煮込みハンバーグステーキ、じゃがいも焼酎「段酌」(お湯割り)


 2012.1030(火) 丸い鏡

1969年製の"FIAT500L"を買ったのは、1982年ころのことだったと記憶している。このクルマの作られた当時、イタリアの法律はクルマにサイドミラーの設置を義務づけていなかった。

ウチに来たオレンジ色の"FIAT500L"には、日本の法律を満たすためのサイドミラーが取り付けられていて、しかしそのデザインがどうにも僕は気に入らなかった。そうしてどこかで古い形のサイドミラーを手に入れ、仕舞い込んで30年が経った。

「クルマのデザインは1960年代で終わった」と言う長男に先月、この"FIAT500L"を譲った。以降この、イタリアの小さなクルマは「EBエンヂニアリング」のタシロジュンイチさんによる修復作業を受け、見事によみがえった。しかしサイドミラーはいまだ黒く四角い、ダンテ・ジアコーサの曲線に馴染まないもののままだ。

いつのまにか行方不明になっていたサイドミラーを発見したのはきのうのことだ。事務室の奥、社員用通路の棚の最下部に、ビニールの袋に入れられ、それはひっそりとあった。

本日午前に「EBエンヂニアリング」を訪ね、発掘したばかりの、丸いクロームのサイドミラーをボディに添えてみる。大いに悪くない。しかしこのフィアットは今や長男のものだ。サイドミラーを交換するかどうかは、現在ナポリのプロチダ島にいるらしい長男が日本に帰ってから決めることになるだろう。


朝飯 明太子、薩摩揚げの網焼き、ピーマンと茄子のソテー、メシ、豆腐と油揚げと万能葱の味噌汁

昼飯 「玄蕎麦河童」のきのこおろし蕎麦

晩飯 「鮨よしき」のあれやこれや、「常山酒造」の「純米超辛秋熟成ひやおろし」(冷や)


 2012.1029(月) 3本目のタバコ

きのうは週末にもかかわらず生憎の雨だった。今朝はいまだ暗いうちに雲は去り、そして西の空には月が煌々と冴えていた。夜に降った雨が明け方に上がる、という天気が僕は好きだ。青い空は明るく、しかし地面はしっとりと濡れている

「今日の来店客は多くなるに違いない」と考え、日光の朝採れ地野菜を「日光味噌のたまり」で浅漬けにする「たまり浅漬け」の生産量を、きのうよりも多くする。一般の商品についてはもちろん、10月上旬より高原状態の完成投入が続いている。

現在の繁忙がいつまで続くかについては、良く分からない。過去の数字を持ってはいても、この10月の数字は昨年のそれと連動しない。もっとも多少の凸凹はあっても、クリスマスのころまでは、種類は違っても、仕事の上では次々と忙しいことが訪れることと思う。

午後に税理士のスズキトール先生が来社をする。そして今初秋に締めた決算の結果を聴く。すると何やらホッとして、今年3本目の煙草を吸いたい気分になる。僕は1年の4本の煙草を吸うことにしている。煙草は空気の綺麗なところで吸ってこそ美味い。しかし夜の外気は既にして冷たい。

そういう次第にて今年3本目の煙草は、今日のところは見送っておく。


朝飯 壬生菜の古漬け、ほぐし塩鮭、昆布と蓮根と牛蒡の佃煮、明太子、メシ、豆腐とワカメと三つ葉の味噌汁

昼飯 ほうれん草のソテー、ロールキャベツ、明太子、メシ

晩飯 「コスモス」のトマトとモツァレラチーズのサラダ、グリルドチキンのデミグラスソースかけ、ホットバタードラム、"TIO PEPE"


 2012.1028(日) 今年のもみじ

「東京の人は東京タワーを観ない」という言葉が昔はあった。それでは東京スカイツリーについてはどうか。「墨東」といえば東京に住む人たちにもいささかエキゾティックな響きがあり、以て平成のタワーは東京人も見物するものになっているかも知れない。

「日光の人は夏にはニッコウキスゲを観ず、秋には紅葉狩りをしない」かどうかは知らない。朝5時にクルマで家を出れば6時には中禅寺湖の更に向こうまで行ける。戦場ヶ原で踵を返し、いろは坂を駆け下れば7時には家に着く。そういう観測行為であれば僕にもできるが今年はいまだしていない。

今年は夏が長かっただけに紅葉が遅れ気味だという。牡蠣の出荷も日本各地で遅れているという。思い返してみれば、今年は料理屋の品書きに、夏が過ぎても夏の魚のいつまでも目立っていたような気がする。そして店舗の客足はようやく繁くなってきた

今は亡きバノーセーイチさんにもらったものだったか、あるいは「島田洋書」でみずから購ったものだったか、とにかく湿気た場所に長く置いた、イタリアのクルマについてのドイツ語の解説書をアルコールで清め、清潔な場所に保管する


朝飯 白粥、昆布と蓮根と牛蒡の佃煮、壬生菜の古漬け、ほぐし塩鮭、梅干し

昼飯 鍋焼きうどん

晩飯 白菜キムチ、焼きししゃも、冷や奴、肉団子の煮込み、じゃがいも焼酎「段酌」(お湯割り)


 2012.1027(土) 嘘っぱちと本物

荒木経惟が最初期の写真集「センチメンタルな旅」に添えた序文「私写真家宣言」には「もう我慢できません。…中略… こうでてくる顔、でてくる裸、でてくる私生活、でてくる風景が嘘っぱちじゃ、我慢できません」という下りがある。

目にうるさく感じられることを覚悟しながら「本物のワインで漬けた本物のワインらっきょう」と、わざわざその頭に付け加えることを常としている商品"rubis d'or"を作ろうと決めたとき、僕の気持ちの中にはアラーキーの「…嘘っぱちじゃ、我慢できません」と変わらないものがあった。

その"rubis d'or"が今朝はテレビで紹介をされた。その直後から電話は鳴り続け、自社ショップ、Yahoo!ショップ、"amazon"には注文が入り続け、すぐに蔵出しできる状態にまで熟成したロットは数時間で払底した。

次のロットが蔵出しされるのは来春になる。来春のいつになるかは「ワインとらっきょうに訊きながら」だから、現在においては「来春」としか僕は言えない。


朝飯 5種のおむすび、フリーズドライのイベリコ豚汁"!Gracias pata negra!"

昼飯 鶏そぼろごはん

晩飯 和光の突き出しのポテトサラダおしんこ盛り合わせ串カツ頼まないでも出てきたキノコ汁同アボカドと鶏笹身の山葵和え常連からもらった「二宮堂」の薯蕷饅頭と豆大福、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)


 2012.1026(金) 勸君更盡一杯酒

日光から東京へ出るときには、大抵は北千住で電車を降りる。秋葉原へは、北千住から日比谷線に乗ると早い。しかし目的地までどのような経路を辿りたいか、その道筋の好みもある。今朝は珍しく北千住では下車せず、浅草から末広町を経て秋葉原の路上に出る。

"RICOH"のカメラは銀座で修理を受けつけてくれるから便利だ。"Panasonic"は昔から秋葉原に修理工房を持っていて、利用者にとってはこれまた便利だ。インターネットで予約を入れておいたこの工房を早い時間に訪ね、"Let's note"の、購入から14ヶ月を経てすこしくたびれた部分に手を入れてもらう

夜は神保町と水道橋のあいだの中華料理屋にて、核酸系調味料のたっぷり利いたあれこれを肴に汾酒を飲む。10月の末とはいえ東京はいまだ暖かく、料理屋の戸は開けっ放しだが杯を重ねるほどに暑くなる。そうして上半身はTシャツ1枚になり、更に生の汾酒を飲む。


朝飯 5種のおむすび

昼飯 「ジョナサン」のBLTサンドイッチ、コーヒー

晩飯 「北京亭」のあれこれ、汾酒(生)


 2012.1025(木) 助っ人

長く感じる夢も、実際に見ている時間は実は短い、という話がある。今朝は明け方に長い夢を見た。その内容はなかなか面白いもので、夢の最中だったか、あるいは徐々に覚めつつあるときだったかは分からないが、夢うつつの中で「このことを日記に書こう」と考えた。

しかし目覚めたときにはその夢の内容はおろか、夢を見たことさえ忘れていた。そして朝のあれこれを務めながら30分ほどしてようやく、日記に書こうとまで考えた夢のことを思い出す。しかしその内容は雲散霧消してよみがえらなかった。

事務室に降りて「たまり漬を使ったメニュ」のちらしを見る。左上の目立つところに「おばあちゃんのふわふわ大根」と共に画像化されているのは、ウボンラチャタニーの古い料理屋"CHIO KEE"で今年8月19日に食べたヤムヌアとライスだ。

僕は海外に出れば現地のメシばかりを食べて不便は感じない。しかし今回は、会社のfacebookページが僕の旅行中に更新されないことを避けるため、現地のメシにたまり漬を添えてアップすることを考えた。

そうしてこれを実行してみると、これまで気づかなかったことが不覚に思われるほど「たまり漬」とは強烈に「和」を感じさせるものであることが分かった。これを現地のメシと共に口中に含むだけで、どれほどエキゾティックなメシでも和食になってしまうのだ。

こう言っては何だが、海外で現地の食べものに親しむ僕にとって、その現地食がカラリと和食に変わってしまうとは、どうにも面白くない。しかしいつでもどこでも食べものに「和」を求める人にとっては、たまり漬とは相当に強力な助っ人といえる

ウェブ上で誰かが面白いと感想を述べていたため録画しておいた「おんな酒場放浪記」を夜に観る。これが僕には一向にピンと来ないものにて「やっぱ吉田類だわなぁ」と感じる。なぎら健壱や久住昌之の「酒場放浪記」があれば、それは観てみたい気がする。


朝飯 鮭の昆布巻、ソーセージとほうれん草のソテー、壬生菜の古漬け、納豆、メシ、ナメコと揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 朝に食べきれなかった鮭の昆布巻、ソーセージとほうれん草のソテー、壬生菜の古漬け、納豆、メシ

晩飯 野蒜のキムチ、白菜キムチを載せた冷や奴、豚肉と玉子と椎茸のソテー、春雨サラダ、「媛囃子」のじゃがいも焼酎「段酌」(お湯割り)


 2012.1024(水) データベース

先日、上澤梅太郎を宛先として、寄付金を募る手紙が慶應義塾大学から届いた。1981年を最後としてごく少額の寄金をしていたことが、そこには記されていた。よって梅太郎は1982年に亡くなった旨をファクシミリにて送付した。

そうしたところ間髪を入れずふたたび慶應大学から封書が届いた。中を確かめると、そこには梅太郎の過去の実績への礼が述べてあった。見上げたものである。

ときおり大手の新聞に広告を出す、新宿に本拠を置く研修会社から、上澤一朗の名で案内の送られてきたことがあった。一朗は2005年に亡くなった旨をファクシミリで送付したが、意に介する風もなく、相変わらず同じ宛先を以てダイレクトメールを送ってくる。

よって遂に先方に電話をし「名簿の管理もできないところに誰が研修など頼むものか」と強硬に抗議をしたが、相変わらず上澤一朗に宛てて研修への誘いが届く。今ではあきれ果てて何も言わない。

地元選出の代議士の後援会事務所からも、やはり上澤一朗の名でA4大の封書が1年に2度ほど届く。こちらにも一朗は2005年に亡くなった旨をファクシミリで送付してあり、しかし宛名の改まる気配は何年も無い。「そうして金を無駄づかいするが良い」と、こちらについても、僕は今や何も言わない。

宣伝広告費のふんだんにあるらしい研修会社も、代議士の後援会事務所も、慶應義塾維持会を訪ね、事務のオネーサンだかオジサンの爪の垢をもらってきたらどうか。そして「やっぱり陸の王者だけのことはあるわな」と思う。


朝飯 トマトのスクランブルドエッグ、茄子とピーマンの炒りつけ、秋刀魚の昆布炊き、糸昆布の炊き物、豆腐と人参と大根葉の味噌汁

昼飯 ハンバーガー野菜スープ

晩飯 「玄蕎麦河童」の酒肴あれこれ、5種の日本酒(冷や)


 2012.1023(火) アイドル

今朝になってきのうの「日本経済新聞」朝刊第1面に目を遣ると「春秋」に円菊の名がある。よってその部分にスーッと視線が吸い寄せられる

むかし渋谷の「ジャンジャン」で円菊の噺を聴いた。「錦の袈裟」は品のそれほど良くない下りもあるため、第二次世界大戦中は落語会が寄席にかけることを自粛した歴史を持つ、まぁ、バレ噺といっても良いだろう。この噺と円菊の身振り口調が結びつけばその面白さは極めつきで、場内は爆笑また爆笑だった。

この「ジャンジャン」の寄席がいつごろのものだったかといえば、同じ日に林家三平は「親分のカーターが凝ったので、子分がモンデール」などとお馴染みのご機嫌伺いをしていた。そこから推せば、それは僕の20代前半と重なる。

色物の声色は片岡鶴八で、彼による十七代目勘三郎の形態模写など、今ではどこにも残っていないのではないか。

絵や音は記録できても人は死ぬ。だから生身による芸はできるだけ観ておくべし、なのだ。僕のアイドル3人のうちのふたり、林家三平と本田宗一郎にはその生身に接することに間に合った。残るは長嶋茂雄ただひとりである。


朝飯 白粥、梅干し、秋刀魚の昆布炊き、水茄子のぬか漬け

昼飯 海老の天ぷらのお雑煮

晩飯 糸昆布の炊き物、隠元豆と根菜類の胡麻和え「にんにくのたまり漬」と「しょうがのたまり漬」を薬味にしたカツオのたたき湯豆腐、芋焼酎「栗小金」(お湯割り)


 2012.1022(月) いにしへの山

「晩ごはん、松茸ごはんの良い人」とフネが訊くと、波平、サザエ、そしてマスオが手を挙げる。次に「カレーライスの良い人」と訊くと、ワカメが手を挙げ、そしてカツオは多数決に勝とうとして手と足を挙げる。細部に記憶違いがあるやも知れないが、これは僕の読んだことのある、大昔の「サザエさん」の、ある日の四コマである。

これが描かれたのは昭和30年代、あるいは20年代のことだったかも知れない。当時の日本には松茸が、今とは比べものにならないほど多く育ったものと思われる。

「松茸は、山で採りたてを新聞紙にくるんで落ち葉の中で蒸し焼きにするのが一番うまい」とは、むかしウチで事務を任されていたコイズミヨシオさんの言ったことだ。山の得意な人と山に入れば今でもそのような経験ができるかも知れない。しかしまぁ、僕にとっては実現性の低いことだ。

日光街道からいきなりその路地、というか家と家との隙間に自転車を乗り入れると、闇に目が慣れていないこともあって、穴でもあれば奈落の底まで落ちてしまう、そんな場所を抜けて「和光」のノレンをくぐる。

カウンターに着けば左右の顔見知りと話しをすることになり、だからいつものように本は持参しているけれど、それを読むことはできない。

そうしてしばらく飲み食いを続けていると「はい」と女将がカウンターの3人にアルミホイルの包みを手渡してくれた。それを開いてみれば、しばらく忘れていた松茸の香りが湯気と共に立ち上る。「松茸だっ」と叫ぶとそこに、オヤジさんはスダチを添えてくれた。

前回の松茸を、いつ、どこで食べたかの記憶はない。今夜の松茸は今年の初物である。そして「松茸は、山で採りたてを新聞紙にくるんで」の話を思い出しながらスダチをひと搾りした松茸を口へ運び、しばらくのあいだシコシコと、有り難く噛み続ける。


朝飯 3種のおむすび、けんちん汁

昼飯 「大貫屋」のキムチタンメン

晩飯 「和光」の突き出しのジャーマンポテト風帆立貝とクラゲの酢の物頼まなくても出てきた松茸のホイル焼き焼きししゃも、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)、日本酒(燗)


 2012.1021(日) ぶっつけ

お祭りに必要なものは何だろう。人、物、金… まぁ、それはそうかも知れないが、天気も肝心である。そして空はきのうに引き続いて晴れ上がり、めでたい限りだ

多くの警察官により交通規制の敷かれた日光街道を、我が春日町一丁目の屋台が下っていったのは昼すぎのことだった。それは店の特に混み合う時間帯にて、はす向かいの大橋油店側まで急ぎ足で横断し、その様子を写真に撮る。曳き綱の新調された屋台は、ただそれだけのことで以前より厳めしく、且つ立派に見えた

「今市屋台まつり」の華は何と言っても、十基の屋台が街の中心に集結して破風を接し、お囃子を手段として格闘する「ぶっつけ」の場面だと思う。

終業後、徒歩で日光街道を下っていくと、通りでは本日最後の「総ぶっつけ」が最高潮に達するところだった。電飾を施された屋台から各町の力の籠もったお囃子の放たれる様子は流石に迫力がある

町内公民館ではこれから直会が行われることになっている。しかし僕は会計の仕事だけをして現場には出ていない。そういう次第にて直会は遠慮し、個人的カウンター活動をするため更に日光街道を下る。


朝飯 納豆、つまみ湯波の三つ葉あんかけ、牛肉と糸こんにゃくと玉葱の炊き物、壬生菜の古漬け、大根と人参のなます、メシ、けんちん汁

昼飯 「つけ汁うどんあくつ」の相盛り(きのこ汁)やわらか黒糖プリン

晩飯 「和光」の突き出しのおでん牡蠣酢鮪の山かけ頼まなくても出てきた柿、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)


 2012.1020(土) 恵比須講

特に必要な仕事があって朝4時に起床する。製造現場へ降りて数十分後に居間へ戻る。そして更に数十分後に夜が明ける。

「秋晴れ」ということばもあれば「秋の長雨」という慣用句めいたものもある。このところは晴れが続き、週末ともなれば、その陽気は特に有り難い。そしてその空の青さと比例するように店舗は忙しくなり、閉店間際になってようやくひと息をつく

農家では五穀豊穣を、漁師の家では豊漁を、そして商家では商売繁盛を祈る恵比須講の日は毎年10月20日と決まっている。これを旧暦で行うか、あるいは新暦に従うかは家によってまちまちと思われる。年末に向けて忙しくなる我が家ではほとんど、新暦の10月20日にこれを行う。

終業後、拭き清めた床の間に恵比須と大黒の軸を提げ、事務室の神棚から降ろした恵比須と大黒の木像を飾る。しばらく前に瀧尾神社から届けられた幣束やお札を並べ、恵比須講のための料理をお供えする。ここに更に普段使いのコンピュータを添えるのは、まぁ、まじないのようなものだ。そして灯明を上げ、手を合わせてしばし頭を垂れる。

恵比須講の日の夜には恵比須講のお膳とおなじものを食べる。その、今の世にしてみれば質素なあれこれすべてがしみじみと美味い。更には「不許葷酒入山門」に抵触してしまうだろうか、しかし恵比須講は仏教とは関係ないから問題もないはずだ、などと考えつつらっきょうの塩漬けを肴に焼酎のお湯割りを飲む。


朝飯 茄子とピーマンのソテー、野菜スープ、納豆、壬生菜の古漬け、牛蒡と人参と蓮根のきんぴら、メシ、油揚げとほうれん草とエノキダケの味噌汁

昼飯 肉うどん

晩飯 メカジキの煮付け、つまみ湯波とほうれん草の淡味炊き、大根と人参のなます、けんちん汁、らっきょうの塩漬け、芋焼酎「栗小金」(お湯割り)


 2012.1019(金) 感心してばかり

小学校の時の見学の記憶はふたつある。醤油の「マルシチ」へ行ったのは2年生のときのことだったと思う。瓶詰めの自動化された様子を見て「凄いなぁ、ウチは遅れてるなぁ」と感じた。

もうひとつは養蚕農家を訪ねたときのもので、高い天井を持つ薄暗い屋内で農家の人の話を聴いた。僕は班長で、副班長はツジケンだった。ツジケンは副班長だったけれど、班長の僕より優秀だった。農家の人に向かって手を挙げたうちのひとりはツジケンではなかったか。気の利いた質問のできる同級生たちを眺めながら「みんなすごいなぁ」と、僕はただただ感心していた。

そういう思い出のあることも手伝って、地場産業を営む者としては、地元の小学校に限って見学を受け入れている。今日の午前中は今市小学校の2年生が6、7人のグループで次々と来店した。

彼等の持ち時間は各々が15分という短さだったから見学場所は店舗に限定し、皆には先ず自由に試食をしてもらった。そのひとときの中で、食べる味噌「ひしお」を好む児童の多かったことに僕は随分と驚かされた。「ひしお」などは大人の嗜好品とばかり考えていたが、実はそうでもないらしい。

ウチで販売するうちの最高級味噌「梅太郎」の白味噌と国産ほうれん草を用いたフリーズドライ味噌汁"with LOVE"と、おなじく「梅太郎」の赤味噌とイベリコ豚、それに多種の国産野菜を材料とした豚汁"!Gracias pata negra!"の2種を数十食のセットにしてウェブ上で売ることを、ここ何日か考えてきた。

そうして本日、頼みつけのカメラマンに電話を入れて打ち合わせをする。画像を使う先は"amazon"と伝えると「アマゾンの商品画像は正方形ですよね、とすればメインの画像は…」と、カメラマンはすぐに自分のアイディアを伝えてきたから「プロだね、プロは好きだよ」と、良い気持ちになる。


朝飯 鶏卵と三つ葉の雑炊、壬生菜の古漬け、梅干し、昆布と蓮根と牛蒡の佃煮

昼飯 "Parrot"のクラブハウスサンドイッチ、コーヒー

晩飯 厚揚げ豆腐の三つ葉あんかけ、牛肉と糸こんにゃくと玉葱の炊き物、甘鯛の味噌漬け、芋焼酎「栗小金」(お湯割り)


 2012.1018(木) 早朝の仕事

携帯電話のアラームは午前4時30分に設定しておいた。しかしそれよりも早くに目を覚ます。服を着るとか顔を洗うとは意外に時間をとるもので、事務室に降りると時刻は5時になっていた。

おとといふたりの事務係に頼まれた仕事、すなわち年末のギフトシーズンに向けてのダイレクトメールの送り先をデータベースから絞り出す、その仕事を自動で行うべくマクロを組んだこともあった。しかしきめの細かさに欠け、一度も使わず手動に戻した経緯があった。作業は細密を極め、電話や来客の頻繁にある日中にはできない。

ようよう6時すぎに目標を達し、データを固定する。洗面所の窓を開けると夜来の雨は止み、雲の切れ目から青空が見えている。激しく動く雲にその肌をなぶられる山々を眺めながら「いまあそこにいたら、あたりの景色はどのように見えるだろう」というようなことを考える。

朝はいまだ始まったばかりだ。そして食事をし、今度は普段の仕事に従うため、またまた仕事場に降りる


朝飯 2種のパン、セロリとレタスのサラダ、スクランブルドエッグ、野菜スープ

昼飯 きのこのスパゲティ

晩飯 鰯の山椒煮、おでん、芋焼酎「栗小金」(お湯割り)


 2012.1017(水) 郵便

ヨーロッパのすべての、ということはないだろうが、少なくともかなりの路線の鉄道切符は日本の代理店からインターネット経由で買うことができる。その切符は多くeチケットで、だから自宅で印刷できる。しかし長男の注文した路線は生憎とそれに対応していなかったのだろう、切符は佐川急便により届けられた。一方、長男はそのころ中国東方航空機に乗り込み、成田空港の滑走路で離陸を待っていた。

そういう次第にて半日ほどの間を置き長男に連絡をすると、パリの安宿の住所部屋番号と共に「EMSなら3日で届くはず」と長男はeメールに書き添えてきた。

日光市今市地区の、郵便局の本局は今や今市郵便局ではなく、市街地から遠く離れた日光東郵便局だ。ここから1,500円分の切手を貼った封筒を投函したのが13日の土曜日。そして今朝6時に長男から入ったeメイルは、当該の切符はきのう、つまり投函してからきっちり3日後に落手したことを知らせるものだった。

"EMS"については2007年のちょうど今ごろ、エジプトのカイロに味噌を送って2日後に届いた記録がある。何はともあれ「EMSバンザイ」と言いたい。


朝飯 スペイン風目玉焼き、大根おろしを添えたゴボウ天の甘辛煮、大根の鉈漬け、壬生菜の古漬けを薬味にした納豆、茄子とピーマンの炒りつけ、メシ、豆腐とワカメと三つ葉の味噌汁

昼飯 にんにくのたまり漬、壬生菜の古漬けを薬味にした納豆、らっきょうの塩漬けによるお茶漬け

晩飯 穴子鮨、芋焼酎「栗小金」(お湯割り)


 2012.1016(火) 紅葉

先月の20日までは店に冷房を効かせていた。冷えた空気を効率よく循環させるため扇風機も回していた。それでもお客様が出入りをされるたび店内には熱風が吹き込んだ。この日の最高気温は29℃だった。それからひと月も経たずに今は紅葉の季節である。そして紅葉見物の観光客が日光から去る前に年末のギフト需要が始まる。

事務係のマスブチサヤカさんとカワタユキさんには、彼女たちのコンピュータの中の記録を調べてもらい、この時期の、僕のすべき仕事のスケデュールを決めてもらう。その結果、明後日は早朝から事務室に降りることを決める。

夜、自転車に乗って日光街道を南下する。読むことのできる可能性はほとんど無いと分かっていながら"ISKA"の信玄袋には文庫本が入っている。そして「和光」のノレンをくぐるとカウンターには顔を見知った常連がいて、僕がスツールに座った直後にも、また別の常連が入ってくる。こうなれば本は袋の中に仕舞われたまま日の目を、否、電球の明かりを見ることはない。

本日のカウンターの話題はいつもより随分と高級なもので、「南洲翁遺訓」からきのう亡くなったシハヌークの生涯にまで及んだ。もっとも僕は焼酎の酔いによりその内容については曖昧で、覚えているのはそのとき店内に流れていた歌が佐川満男の「今は幸せかい」と金田たつえの「花街の母」だったことくらいのところである。


朝飯 カレーライス

昼飯 「ふじや」のタンメンバター

晩飯 「和光」の突き出しの鶏笹身と三つ葉の山葵和え鰹の刺身のたたき風牛スジ煮頼まなくても出てきた鯛の潮汁、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)


 2012.1015(月) 虫干し

営業車のホンダフィットは白いボディの、灰釉が垂直に垂れたような水垢を除けばキズもなく、しごく新しく見える。よって「これを買ったのは去年だっただろうか」と考えながら車検証を調べると、購入から丸2年が経とうとするところだった。雨を懸念していてはいつまでも水垢を取り去ることができない。よってこれを午前中に目の前のガソリンスタンド「大橋油店」へ持っていく。

「雨は降ってもせいぜい明後日の夜から」という、今朝の予報の記憶も新しいうちに気合いを入れ、4年半ほど湿気の多い場所に置き放ってきた大量の本を4階のベランダに運ぶ。4年半前から湿気とほこりの少ない場所に運んでおけば今回のような面倒はなかったわけだが、その時にはその時なりの事情があったのだ。

本の虫干しなら日なたに1冊ずつ平たく置くのが常道だろう。しかし空いた場所に比しての冊数が多すぎる。というわけでこれまでと同じく本は籠に重ねたまま外気に晒す。明後日以降はこれらのほこりを払い、濡れ布巾で拭くことに精を出さねばならない。

そして稲畑汀子編「ホトトギス季寄せ」を調べると「虫干し」は夏7月の季語だった


朝飯 3種のおむすび、フリーズドライ味噌汁"with LOVE"

昼飯 ジャコと明太子の弁当、フリーズドライ味噌汁"!Gracias pata negra!"

晩飯 「和光」の突き出しの大根とイカの煮物、湯波の淡味煮鮪納豆鮭の味噌漬けの網焼き頼まないでも出てきたしもつかり、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)


 2012.1014(日) 飲めずにいる理由

ワイン蔵に白ワインが払底している。チリの発泡ワインやフランスのシャンペンはあっても、泡の立たない白ワインは数本を数えるのみだ。

現在はパリにいて、恐らく来月はじめには上海へ飛び、中国大陸を南下しながら観光ビザの切れるころ他国へ出てまたまた中国に入ろうとしている長男には、もしもその「他国」がタイであった場合、僕のタイ行きに備えてバーツに両替するよう、まとまった金額の日本円を手渡してある。

その日本円をバーツではなく、フランスにいるあいだに白ワインに換えてもらおうか、というようなことも考えたがまぁ、僕の欲しいシャブリは、パリの大きな店でも揃えていないのではないかと思う。

この日記を検索にかけると、10年ほど前は"Billaud Simon"の、それも"1er cru"を僕は盛んに飲んでいる。あるいはこのウェブページ「清閑PERSONAL」で、キリの良いアクセスカウンタに行き当たった人にプレゼントしたりしている。あの上出来のシャブリをプレゼントとは、惜しいことをしたものである。

"Billaud Simon"の最もランクの低いものであれば、そしてアメリカのワイン屋の倍以上の金額を支払えば、それは日本でもすぐに買える。しかし「フランスの倍以上」ではなく「アメリカの倍以上」というところがどうも納得しがたい。そして"1er cru"ともなれば、いくら探しても日本でこれを在庫している店は無い。

旅行中の長男を煩わすことは憚られ、しかも預けた日本円を当初の目的と異なるものに費消することは、やはり避けるべきだろう。そして僕はいまだしばらくは、家では白ワインを飲めずにいるのだ、多分。


朝飯 トマトのスクランブルドエッグ、、ピーマンと糸こんにゃくのピリ辛炒り、大根の鉈漬け、鰯の山椒煮、メシ、ジョウケンボウとヤタラモダシと豆腐と三つ葉の味噌汁

昼飯 家ラーメン

晩飯 「コスモス」のトマトとモツァレラチーズのサラダマカロニグラタンダイキリ、"TIO PEPE"


 2012.1013(土) 新しい蔵をのぞきに行く

「会計係としてあちらこちらから資金をかき集め、それでも足りずに借りたお金が間違いなく振り込まれているか銀行へ出かけて通帳記入をし、業者との契約に従って支払いをする、それだけじゃ駄目だわな」と考えつつ春日町1丁目の、屋台蔵の建築現場に足を運ぶ。

破風の彫刻を屋台本体につなぎ留める鉄の棒には「安政六年未六月吉祥日」との、鑿で彫られた文字がある。とすれば以降154年のあいだ、我が春日町1丁目の屋台は毎年のように組み立てられては解体され、石蔵に仕舞われることを常としてきたはずだ。

古い彫刻は特に細工の細かい部分において壊れやすく、組立解体のたびにあちらこちらから木片が欠け落ちた。そういうことを防ぐためにも、屋台を組み立てたまま収めることのできる屋台庫の建設は町内の悲願であり、それがいよいよ実現しようとしている。

アンザイさんの畳工場のはす向かいにはこれまでの石蔵があり、その向こうに建築中の屋台庫が見える。近づいて中を覗き込めばその天井は異様に高く、これなら屋台の屋根に上がっての作業も蔵の中で楽にできる寸法である

道路から屋台の入口まではいまだ土のままだが、あれこれの予定を勘案すれば、この2週間以内に、その土を舗装する必要がある。それも屋台の重みに耐えうる舗装である。

職人の仕事を阿呆のように眺めるくらいしかできないにしても、これからは繁く屋台の新築現場に足を運びたい。「日光屋台まつり」は1週間後に迫った。


朝飯 鶏卵と九条葱の雑炊、秋刀魚の山椒煮、やたら漬け

昼飯 2種のおむすび、焼きそば

晩飯 刺身湯波のスープ仕立て、ピーマンと糸こんにゃくのピリ辛炒り、ジョウケンボウとヤタラモダシと豚三枚肉と豆腐の淡味炊き、銀鱈の粕漬け、芋焼酎「栗小金」(お湯割り)


 2012.1012(金) 穴子と蛤

四谷へ行き室町に寄り日本橋から本日何本目かの地下鉄に乗る。その合間に"facebook"を見て、ウチから歩いて数分のカヤタマさんが銀座の「松屋」に来ていること知る。僕も今夜はたまたま銀座の予定にて、18時すぎに「松屋」1階の案内カウンターへ行くと、大変な美人がいる。

その人がどれほど美人かといえば、美人にはからきし興味のない僕が「美人」と断定するくらいだから、それはとんでもない美人である。今日現在の銀座1丁目から8丁目に存在するであろう数万人の女の人の中でもっとも綺麗と思われるその人に「日光のお酒屋さんが来ているとフェイスブックで見たんですが」と声をかけると即、地下1階の酒売り場の場所を教えてくれた。

東京まで出張してきている片山さんのブースを訪ねただけで何も買わないわけにはいかない。しかし自宅至近の酒蔵のお酒をわざわざ銀座で買い、それを提げて歩き回るのも気が進まない。そういう次第にて、片山さんのお酒を浸ませたケーキひとつをいただき、ふたたび中央通りに出る。

むかしテレビの「笑点」で「馬鹿馬鹿しいこと」という題が出た。真っ先に手を挙げた噺家が誰だったかは忘れたが、その人の答えは「夏風邪」だった。僕なら「日本で乗る左ハンドルの英国車」と答えただろう。ドロドロという排気音を轟かせつつ新橋方面に去るそんなクルマを見送るうちいつの間にか8丁目に至る

ポール・フレールの「ハイスピード・ ドライビング」は、クルマを科学的に操縦することを説いた、自動車運転技術書の金字塔である。「前輪駆動車は上り坂に強い」というような非科学的なことをいまだに信じていたり「ひとたびコーナーに突入したら変速も減速もせずそのまま出口を目指すべし」と主張する教条主義者はこの本を読んで勉強し直した方が良い。

今年のいまだ寒いころ銀座の「鮨よしき」で穴子を食べたら美味くてびっくりした。「旬は夏じゃないんですか」と訊くと「どうも旬には表と裏があるように思います。つまりあるところが駄目なときには別のところですごく良い物が上がっているような」と店主のニシヅカさんは教えてくれた。今夜の蛤もその「裏」なのだろうか。教条主義はここでも改めなくてはならない。


朝飯 5種のおむすび

昼飯 「利休庵」の「大盛り」

晩飯 「鮨よしき」のあれこれ、「越の誉」の「雪の中にて寝かせたお酒」(冷や)


 2012.1011(木) 空の景色

朝に北の空を見る。僕の頭上には黒い雨雲がある。しかし霧降高原から日光市小百地区へ向かって緩やかに高度を下げる稜線の向こうには白く光る雲がたなびき、その向こうには青空がある

僕のかかとにアカギレの無いのは6月から8月までの3ヶ月のみ。9月から翌年の5月まではずっと、大判のバンドエイドをかかとに貼ることになる。ところが今年は10月の声を聞いてもかかとは無傷のままである。夏の長引いたことと、何か関係があるのかも知れない。

夕刻に南の空を見る。わずか十数分のうちに湧き上がった入道雲が太陽の光をはね返して朱色に染まっている

夏には夏の美味いものがある。しかし日本的な「ちょっとした美味い物」には、秋から冬にかけての方が、多く出会えるような気がする。夜にちょっとした美味いものを食べながら焼酎のお湯割りを飲む。そうして、ちょっとした美味い物を客に食べさせながら酒も飲ませてくれた、何年か前に廃業した店のことを思い出す。

テレビのニュースが、中禅寺湖からすこし上がったところにある竜頭の滝の風景を伝えている。紅葉してるのは全体の5分、残りの9割5分はいまだ緑の葉。ライトアップされた木々は、僕の目にはそのように見えた。秋が深まるのは、いつのころになるのだろう。


朝飯 カレーライス

昼飯 "Parrot"のクラブハウスサンドイッチ、コーヒー

晩飯 茄子の含め煮、ほうれん草とエリンギの胡麻和え、穴子鮨、焼き鳥あれこれ、芋焼酎「栗小金」(お湯割り)


 2012.1010(水) 思いつき

朝の味噌汁に5種類ほどの具が入っている。具の多い味噌汁は何やら田舎くさい。田舎くさいけれども僕は結構この手の味噌汁が嫌いではない。というかそのようなものが食卓に運ばれると何やら嬉しい。

京都の祇園ちかくに気に入った旅館があった。昨年だったか一昨年だったか、その旅館を長男が予約しようとしたところ、いささか歳をとりすぎたため以前のような朝食は作れない、パンとコーヒーで良ければ受けると女主人に言われ、長男は承諾をした。

「京都で食べる最も美味いものは、その旅館の朝食」と言っても過言ではなかった、それがパンとコーヒーになってしまったとはしごく残念なことで、その残念な気持ちは客よりもむしろ女主人にこそ強かっただろう。

京都にいるうちは、その旅館と川端通りとのあいだにあるバーに通うことが常だった。そのバーでは、席に着くと必ず1杯のコンソメスープが目の前に置かれた。「酒が先だろ」と考える人も少なくないかも知れないが、それほど多い量でなければ、僕は酒の前のスープや汁物は厭わない。あるいはむしろ好きだ。

多い量といえば数ヶ月前に銀座のあるバーでドライシェリーを飲みながら「2杯目は倍の量をいちどにください」と頼んだことがある。アルコール度数の低い酒を少量ずつ飲むとは、僕にとっては日光方面のことばで言うところの「いじのやける」ことなのだ。

そういえばこれまた数ヶ月前に神保町の洋食屋で頼んだドライシェリーはまるで猪口のような小さなグラスに入って600円もした。そして今そのことを書きながら「近々ティオペペを八勺グラスで飲んでみよう、肴は鶏の素揚げのトマト煮あたりが良いな」というようなことを思いつく。


朝飯 きのうオフクロが"Finbec Naoto"で食べきれなかった「牛ほほ肉の煮込み」、ほうれん草の胡麻和え、たまり漬「刻みザクザクしょうが」を薬味にした納豆、茄子とピーマンのソテー、メシ、人参と牛蒡とエノキダケと九条葱と揚げ湯波の味噌汁

昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン

晩飯 「和光」の突き出しの鶏モツ煮と鶏肉団子ワラビのおひたしサンマの塩焼き、麦焼酎「吉四六」(お湯割り)、生ビール


 2012.1009(火) アササム

半袖のポロシャツ1枚ではもはや朝の寒さは凌げない。そうして朝食を済ませ、仕事を始めると、今度はにわかに暑くなって、あるいは長袖のシャツが煩わしく、すぐにそれを脱いで半袖に戻る。店の前の季節の書はしばらく前に「鬼灯」から「秋惜」に替わった

店舗の駐車場から家に入る際、あるいは国道121号線から会社の駐車場にクルマを入れる際など、鉄製の扉に手を触れると静電気が盛んに飛ぶようになった。

右肩の奥のごく小さなところに痛みがあり、右腕を直立させること、あるいは右手で左肩を触ることができなかった。そこで様々な鉱石や植物性のエキスを含ませたというテープを右肩に貼ると、痛みは3日ほどでほぼ消えた。何やら魔法にかけられたような気がする。

長男は明日より上海を経由してパリへ行く。陸路でナポリまで南下し、ふたたびパリから上海へ戻る。以降は中国大陸を南下し、観光ビザの切れるころ他国へ出てまたまた中国に入り、12月の上旬に帰国の予定だという。

そういう次第にて夜は家族で街のフランス料理屋へ行く。ミラノのスパゲティボンゴレ、チェンマイのヤムタレーと同じく「日光で貝や海老かよ」と思われるかも知れないが「秋刀魚は目黒」とおなじく「ホタテはナオトだ」と次男などは言う。

帰宅して稲畑汀子編「ホトトギス季寄せ」を調べると「朝寒」は果たして秋10月の季語だった。


朝飯 トマトと茄子のソテー、厚焼き玉子、ツナと胡瓜のサラダ、山芋のすり下ろしと納豆、メシ、大根と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 鶏そぼろうどん

晩飯 "Finbec Naoto"の鶏白レヴァのムースライ麦パン帆立貝と海老のサラダフォアグラと鶏のラビオリきのこのナージュ仕立て牛のイチボのロースト洋梨の赤ワイン煮、コーヒー、VINYA MARTINA CAVA BRUT


 2012.1008(月) 今年の秋

紅葉狩りの入りばなの、しかも三連休の中日にもかかわらず、きのうの天気はぐずついて冴えなかった。それだけに、はやくから晴れ上がった今朝の空に対しては有り難さを禁じ得ない

日光の朝採れ地野菜を「日光味噌のたまり」で浅漬けにした「たまり浅漬け」の材料を手当てするため「JAかみつが今市農産物直売所」へ行く。この1週間ほどは出たり出なかったりしていた大根だが、いわゆる鶏頂大根がきのうから一気に並び始め、その白い肌が朝日を盛んにはね返している

facebookページに会社の情報を上げながら、戦場ヶ原に初霜が降り、初氷の張ったことを知る。1ヶ月と少し前には半袖シャツや半ズボンで歩いた戦場ヶ原は、早くも冬の入口にある。季節の経めぐりはひとときも休まず、時に人を驚かす

奥日光では、否、山を下った日光の街でも、ストーブの準備をする家が多くなりそうだ。そういえば今朝はダウンパーカを着た人を見ても、特に奇異に感じることはなかった。今年の秋は、ごく短く過ぎてしまうかも知れない。


朝飯 たまり漬「刻みザクザクしょうが」と大根おろしを添えた厚焼き玉子、ピーマンとシメジの炒りつけ鰹節かけ、生のトマト、松茸の佃煮の炊き込みごはん、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁

昼飯 「ユタの店」の醤油ラーメン

晩飯 「あづま」のレタスと玉葱のサラダ、串カツ、ごはん、大根と胡瓜のぬか漬け、豆腐とワカメの味噌汁、芋焼酎(お湯割り)


 2012.1007(日) 弁当ダブル

今月21日に開かれる「今市屋台まつり」の屋台の組立が、我が春日町1丁目では本日の朝8時30分から行われる。この仕事に僕が参加しなくなってから何年が経つだろう。このところは会計係としての仕事、あるいは婦人会によるカレーライスの昼食や、本番の日のおむすびに添える漬物を寄付するくらいで、労力の提供については他の人に任せきりにしてきた。

ところが今年は折良く家に長男がいる。よって長男には、婦人会のタケダミッちゃんの家にたまり漬を置きながら、屋台蔵の前で町内の人たちと合流するよう言う。

屋台の組み立てられている「市縁ひろば」へ11時すぎに行くと、屋台は台車に床が張られ、柱が立てられ、柱の上にはまぐさと梁が載せられていた

昼からは店にテレビの撮影があり、3時間ほどはそれにかかりきりで外へ出られなかった。そしてようよう16時45分にふたたび現場へ行くと、すべての彫刻の取り付けられた屋台には、屋根に覆いのかけられるところだった

18時に店を閉め、帰宅する社員を通用口から送り出して居間へ戻ったところで大膳のシバザキトシカズさんから電話が入る。午後から業界の集まりに出た長男は、従って屋台の組立には午前しか参加せず、僕は何もしなかったにもかかわらず、町内からの弁当をふたつもシバザキさんからもらってしまう。

昼は繁忙にて15時すぎに弁当を買い、夜は予期せず弁当をもらい、そういう次第にて本日は2度も弁当を食べることができた。竹輪の天ぷらなどの入った弁当が、僕は結構、嫌いではない。


朝飯 ほうれん草のソテー、きのうオーキトシヒコ君のお母さんにお裾分けしてもらった酢醤油肉団子、筑前煮、厚焼き玉子、湯波の淡味煮、メシ、豆腐と揚げ湯波とシメジと九条葱の味噌汁

昼飯 「セブンイレブン」の弁当

晩飯 「ほっかほっか大将」の弁当


 2012.1006(土) 体操会の日の日記

僕が自由学園に在学した1970年代には、体操会の練習も佳境に入る10月ともなれば、朝に吐く息はかならず白かった。それが今では早朝から半袖シャツ1枚で寒くない。無論、息など白くなりようもない。

「本日撮影した画像をウェブ上に載せることは遠慮していただきたい」という意味のアナウンスが聞こえる。面倒な世の中になったものだが兎に角、そのような決まりができて以降、体操会の日の日記を書くことに、僕は力が入らなくなった。

本日、嬉しかったのは、マーチを演奏するウィンドオーケストラに、次男がバスドラムでようやく出てきたことだ。いちど始めたことは尻を割ることなく愚直に続けて欲しい。

「本日撮影した画像はウェブ上にウンヌン」ではあるだろうが、在学中に体操でしごいてくださったハニジュン先生との2ショットであれば、どこからも文句は出ないだろう。立ち上がったひとりの右肩にもうひとりが右足1本で立ち、手は横に広げ左足は後ろに跳ね上げる組立の一演技は、説明されたときには到底実現不可能と思われたが、ジュン氏の指導を受ければ一発で成功し、あれは実に不思議な経験だった

そうして20時前に帰宅をする。


朝飯 3種のおむすび

昼飯 弁当其の一其の二其の三其の四オーキトシヒコ君が売店で買ってきてくれた豚汁

晩飯 「加賀屋北千住店」のあれこれチューハイ


 2012.1005(金) シズメモノ

9月の天気は、日光においてはかなり良かった。その好天が10月に入ってからも続いているのは有り難い

「定刻の9時に」と書きたいところだが、僕に用事の発生するときには「電話」「社員との緊急の打ち合わせ」「来客」の3つの重なることもあり、そうなると時間の約束などは到底、守っていられない。

定刻の9時に10分ほども遅れて町内の屋台庫建設地へ行くと「鎮めの式」は既に終わっていた。「鎮めの式」とは地鎮祭のとき瀧尾神社のタナカノリフミ宮司が残してくれた「鎮物」を建物の床下に埋めることだ。式は終わっていたものの、その「鎮物」はいまだコンクリートに覆われることなくあった。よって工事の人に遠慮しつつ鉄筋の上を歩き、その姿を画像に記録する

「2012年も4分の3が過ぎた」と考えればなにやら気ぜわしい。しかし「いまだ4分の1が残っている」と脳を切り替えれば、これからの3ヶ月は、そうは短くもない気もする。

「しまった、計画よりすこし後ろにずれてしまった」と、その開始日の遅れを反省した、10月末に投函を予定しているダイレクトメールの封筒詰めは、案に相違してそろそろ完了しそうな勢いで進んでいる。これから需要の高まる「本物のワインで漬けた本物のワインらっきょう"rubsis d'or"の瓶詰めは、きのう社員のサイトーエリコさん、ハセガワタツヤ君の助けを借りて行った

小さなことから大きなことまで十全の用意をして、これからの3ヶ月を乗り切っていきたい。


朝飯 納豆、油揚げの網焼き、大根と胡瓜としその実と和唐辛子のたまり浅漬け、トマトのソテーを添えた目玉焼き、茄子とピーマンの炒りつけ、メシ、豆腐と油揚げとほうれん草の味噌汁

昼飯 「麺屋ききょう」の塩麹つけ麺

晩飯 冷や奴、豚の生姜焼き丼、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、「白金酒造」の芋焼酎「栗小金」(お湯割り)


 2012.1004(木) 矛盾とか分からないこと

年に1本か2本は「森伊蔵」が手に入る。それらは飲まずに冷蔵庫に保管をする。これを一人で飲むことはない。「ひとくちで良いから飲ませてください」などと言う若い社員もいる席でのみ飲む。ところがこのところは買い置きの焼酎が枯渇し、保管中の「森伊蔵」に遂に手を出してしまった。自分のものであるにも関わらず、なぜか盗み酒をしている気分だ。

そういう次第にて本日、街へ芋焼酎を買いに行く。好みは特にない。レッテルの、できるだけつまらないものを買う。自社の商品の見た目は気にするくせに、よその品についてはデザインのできるだけそっけないものを買う。僕に巣くうたくさんの矛盾の中の、それはひとつである。

北海道を訪ねるたび、ある老人への土産として、特に臭いの強い焼酎を持参したことを「迷惑つかまつり候」に徳川義宣が書いている。焼酎を好きこのんで飲む人の珍しかった時代を知る人にしか通じ得ない、それは挿話だった。

焼酎の美味さより日本酒の美味さの方がよほど分かりやすい。更にはっきり言えば、日本酒の方が焼酎よりもよほど美味く僕には感じられる。それではなぜ家においては日本酒よりも焼酎を圧倒的に多く飲むか、そこのところが自分にも分からない。

今月21日に行われる「今市屋台まつり」の準備のため19時に町内の公民館へ行く。胸に提げる木札へのヒモ通しを完了すると、21時には眠くなってひとり中座をする。そして帰宅して即、就寝する。


朝飯 生のトマト、油揚げの網焼き、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、納豆、ほうれん草のソテー、メシ、茄子のソテーと万能葱の味噌汁

昼飯 「大貫屋」のオムライス

晩飯 カレーライス"Macallan 12 Years old"(お湯割り)


 2012.1003(水) イタリアの小さなクルマ

「クルマのデザインは1960年代まで」と言う長男に先月、僕の1969年製"FIAT500L"を譲った。30年ちかくも動かさずに置き放したそのフィアットは以降「EBエンヂニアリング」のタシロジュンイチさんによる修復作業を受けている。

本日タシロさんの工房を訪ねて、そのスカート部分に"FRP"による修理跡のあったことを知る。僕の購入年度が確か1982年。ということはイタリアの工場を出てからの13年間に、錆による腐食を食い止めるべく、前の持ち主、ことによれば更にその前の持ち主が努力をしていたことになる。

点火部分の電気系統を一新したにも関わらず、はかばかしく回らなかった空冷二気筒は、キャブレターのオーバーホールを受けてようやく生き返った。

クラッチを切った状態では、"FIAT500"のエンジンは素早く回転を落とす。そのためギアチェンジも素早く行う必要がある。極端に短いホイールベースにより回頭性能は非常に高い。"FIAT500"は大衆車であってもイタリアのクルマとなれば、運転する者にはそれなりの技量を要求する。

タシロさんによれば、このクルマは早ければ今週中には車検を通るという。そうしたら屈曲した山道にこれを持ち込み、30年前と同じように走るかどうか試したい。オレンジ色のボディは深い緑に良く似合う。上りのコーナーでパワーを与えると、外側の尻をグッと沈める癖がこのクルマにはある。そういうあれこれを、再び見たり感じたりしたいと思う。


朝飯 きのうの夜に残したオムレツ、茄子のソテー、ほうれん草のおひたし、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、たまり漬「刻みザクザクしょうが」の炊き込みごはん、ワカメと油揚げと三つ葉の味噌汁

昼飯 家ラーメン

晩飯 たまり漬「刻みザクザクしょうが」による豚の生姜焼き、春雨サラダ、餃子スープ、大根と胡瓜としその実と和唐辛子のたまり浅漬け、芋焼酎「森伊蔵」(お湯割り)


 2012.1002(火) 高原大根

日光の朝採れ地野菜を「日光味噌のたまり」で浅漬けにする「たまり浅漬け」の原材料を手当てするため、今朝も農協の直売所などを回る。胡瓜は盛夏にくらべて7割高で高止まりしている。量も少なくなった。今年はそろそろ終わりだろう。

胡瓜が細く尾を引くように去りつつあるころには、それと入れ替わるようにして高原大根が出始める。今朝の「たまり浅漬け」は、名残の胡瓜と走りの大根、それに「しその実のたまり漬」と和唐辛子にて調製された。秋もいよいよ本番である

その、秋もいよいよ本番というとき、いまだ青い葉をつけている生姜は珍しい。今朝はそんな生姜が高根沢町から届いた。そして「これは、どのように加工してみようか」と考える

しその実の買い入れは9月なかばに、そして茗荷の買い入れは数日前に完了した。後は各々の完成に向けて日々、地道な作業とたゆまない研究を続けるまでだ。

なお、こちらは研究ではなく遊びの方ではあるが、来年の2月末から3月頭にかけての、タイ北部行きの航空券を予約する。早くから日程を決めておけば、普通の旅行社に手配を頼んでも安いものが手に入る。今回のそれは成田とチェンライの往復で、価格は税や手数料を含んでも77,460円だった

ワインを飲むとすぐに眠くなる癖がある。あるいはワインは好物にて、つい飲み過ぎるのかも知れない。それでも今日はワインを飲みながら意識は明瞭にて、早い時間から入浴して即、就寝する。


朝飯 鶏卵雑炊、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、日光味噌「ひしお」、じゃこ

昼飯 家ラーメンメロン

晩飯 2種のパン、グリーンアスパラガスのソテーを添えたオムレツクラムチャウダー、"Cono Sur Merlot 2008"


 2012.1001(火) 屋台庫の建設

いまだ深夜といっても良い午前2時30分に洗面所の窓を開けると、西北西の雲は切れ、そこから月光に照らされた山々が見える。群馬県と栃木県の境つまり日光からそう遠くないところを縦断した台風17号は、既にして北へ去ったらしい。

太陽が昇り数時間が経ってようよう、今回の台風一過が、抜けるような青空よりも季節外れの蒸し暑さを置き去って行ったことに気づく。

「今市屋台まつり」が近づいている。我が春日町一丁目の、江戸期に作られた彫刻屋台は、毎年の組み立て分解のたび細部の破損を免れずにきた。そのため屋台を組み上げたまま収められる専用蔵の建設を、我々は強く望んできた。それがこの秋いよいよ実現する。

ところで僕は会計係として資金の出し入ればかりに関わり、繁忙を口実に地鎮祭にも出なかった。そのことを反省し、午後に建設現場を訪ねてみる。屋台庫は鉄骨部分が完成し、壁を貼られるばかりのところまで来ていた。

「今市屋台まつり」の屋台組み立て日は今月7日、宵祭りは20日、本番は21日、そして収納日は27日と決まっている。屋台庫がそれまでに完成すれば、屋台をそのまま収めることができる。間に合わなければ昨年同様、分解して古い蔵に仕舞うことになる。

建設を請け負った五月女鉄工所の社長ソートメヒサカズさんの奮起、それに加えて今後の好天に期待するばかりである


朝飯 しその実のたまり漬を薬味にした納豆、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、スペイン風目玉焼き、茄子とピーマンのソテー、メシ、豆腐と鶏挽肉と三つ葉の味噌汁

昼飯 「玄蕎麦河童」の盛り蕎麦(田舎の大盛り)

晩飯 スパゲティサラダ、きのう食べきれなかったビーフシチュー、同マッシュドポテト、メロン、芋焼酎「森伊蔵」(お湯割り)