4時に目を覚まし、床の活字をあさって5時前に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、納豆、ほうれん草の油炒め、鯵の干物、隼人瓜のぬか漬、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と大根と万能ネギの味噌汁。
日中はまぁ、仕事はしているわけだが、特筆するようなことはない。
燈刻に生の "Pisco Carel"" を小さなガラスの猪口で1杯のみ飲んでから2階のワイン蔵へ行き、いまだ残のある一昨年のボジョレヌーヴォーを棚から引き抜く。長男が酒の飲める年になったら先ずこういうものから片付けていき、徐々に80年代のコートドオルやボルドーのシャトー物に手を着けていこうと考える。
タコとトマトとベビーリーフのサラダ、サヤインゲン、マッシュルーム、エリンギのオリーヴオイル炒め、ふかしジャガイモ、ジャガイモ用のバター、にんにくのたまり漬のスライス、ニンニクのたまり。今夜のステーキのサーロインは、カタログから自分で選ぶ式のいただき物によるもので、これは高級すぎるから "JUSCO" で買ったオーストラリア産のヒレ肉と半々にして食べる。
脂肪が網の目のように入った高級な牛肉は、それほど量を食べないうちに 「もう充分」 という命令が脳から発せられるあたりが面白くないといえば面白くない。外国産のヒレ肉をチェイサーとした今夜の作戦は成功だった。
豆とキノコを炒めたオリーヴオイルの残る鉢にメシを盛る。ここへにんにくのたまり漬を投入して箸で攪拌し、最後の酒肴とする。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
夜の8時に寝てしまうから午前0時に目が覚めてしまうのである。「いくらなんでも早すぎるわな」 と二度寝に入り、3時にふたたび目を覚まして 「悩ましき買物」 を読む。
2000年1月、大阪駅で見ず知らずの人のショルダーバッグに惹かれて 「それ、メチャクチャカッコイイですね、どこのメーカーのものですか?」 と声をかけ、帰宅後、検索エンジンで追跡してようやく手に入れた "Mafia Design" のバッグ、その大阪で購入した "LUNOR" のメガネ、同級生のカゲヤマカズノリ君が明日館へ持参するたびに目をつけていた "Felisi" のバッグ、そして今朝まで知らなかった 「須田帆布」 という会社のバッグ。既に所有しているものについては問題ないが、それにしても、こういう物欲を刺激する本は自身の過剰流動性を減殺するという点において危ない。
赤瀬川原平のねちっこさとは正反対に、モノを語ってとても涼やかなのが開高健の「生物としての静物」 だ。僕がウェブペイジのコンテンツに "My Favorite" を加えたのは、この本に刺激を受けてのものだった。
4時に起床して事務室へ降りる。定期的に行う顧客名簿の更新は細密な手順を必要とするため、電話や不意の来客のある日中には行えない。今朝の作業は昨夕の準備もあって、いつもよりもかなり早くに完了した。きのうの日記をサーヴァーへ送付したところで 「あとなにか、やることねぇかな」 と考え、「本酒会」 の紙の会報を作らなくてはいけなかったことを思い出す。
45分かかってこの作業を終え、シャッターを上げると空は晴れていた。あと2日で春卯月だが、「ホトトギス季寄せ」 によれば卯月は5月の季語で、陰暦3月をあらわす弥生が4月の季語なのだからややこしい。
初更に莫久来、ほうれん草の胡麻和え、白花豆にて焼酎 「無月」 のお湯割りを飲む。麻婆豆腐、茶碗蒸し、鮪の刺身も酒肴として米のメシは食べない。
テレビがサッカーの対バーレーン戦を中継している。「オレが見てると絶対に日本は点を入れられねぇんだよな」 と言うと家内が 「だったら早くお風呂に入ってきてよ」 と急かせるため風呂場へ行く。湯船に体を沈めたところで廊下の向こうから 「入った!」 という声が聞こえる。
体を拭いて牛乳を400CCほども飲み、9時30分に就寝する。
きのうと同じ午前3時に目を覚ます。起床して血圧を測ったり服を着たりしているうちに30分も経ってしまうのはどういうことだろう。
事務室へ降り、きのう書いた本酒会報からそのウェブペイジ版を作成する。いつものよしなしごとをするうち、コンピュータの左にある電話の受話器が軽く雑音を発し始める。これは、その側に置いた携帯電話に間もなく着信があるという印である。携帯電話に送られてきたのはサーヴァーからの 「いましがたウェブショップに注文が入ったよ」 という知らせだった。時刻は4時43分。「オレと同じような早起きの人がいるんだなぁ、あるいは、極端な夜更かしの人かも知れない」 と考えつつメイラーを回して注文内容を見る。その中にいささか気になるところがあったため、ご依頼主に確認のメイルを送付する。時刻は4時51分。
以前、朝の4時ごろにメイルマガジンを発行したところ顧客のおひとりから 「いま何時だと思ってるんだ」 というお叱りをいただいたことがある。当方は思わず 「キョトン」 だったが、訊けばそのお客様へのメイルは電話と一体になった端末が受け、着信と同時に呼び出し音が鳴るのだという。
「いま何時だと思ってるんだ」 と訊かれて 「4時です」 と答える同級生を僕は少なくともふたり知っているが、まさかそのような返事をお客様にするわけにはいかない。
日中、きのう作成した1枚のリポートを拡大複写して現場をまわり、「これについては、こうしたほうが良いよねぇ」 というようなことを言う。また、それぞれの現場より智恵を集めて諸々の決めごとをする。
明日の早朝にそなえて終業後にすこし仕事をし、6時30分に自転車で日光街道を下る。「今日は市之蔵は休みだから」 と考え、砂利の路地を抜けて自転車を停める。「和光」 の磨りガラスにはカウンターに座る客の姿が淡く浮かんでいるが空席はあるだろうと戸を引くと、空いているのは小上がりのテイブルのみだった。4人用の卓でひとり酒を飲むのは気が進まない。開けたばかりの戸を閉め 「どこ行こうかなぁ」 と思案をする。
フランス料理屋 "Finbec Naoto" への坂を降りつついつも気になっていた飲み屋があって、そのどこが気になったかというと、まず 「陶」 というその店名が気になった。もうひとつは 「おにぎり」 というひらがな4文字である。昨年の何月だったか、せっかくここで本酒会が開かれたにもかかわらず、僕はその日なにかの都合により欠席をした。初めての店へ入るという行為にはなにかしらの不安が伴うものだが 「まぁ、行ってみよう」 と、既にして星と月の見え始めた空の下をうすらうすらと移動する。
その 「陶」 は結局のところ、良い店だった。まず鮪と鮭とイカのマリネ、たたき納豆の油揚げ包み焼き、蟹味噌にて 「末廣」 の燗を飲み進む。マリネの量がずいぶんとあったため、いまだ早いけれども締めに入ろうとメニュを開き、梅干しとかつお節という2種のおにぎりを注文する。僕は梅干しは好きだが梅干しのおにぎりは好まない。しかしなぜか今夜はそれを頼んでみようという気になった。火だすきの目立つ備前の二合徳利を空にして冷やの 「美少年」 を追加すると、こちらはまるで黄瀬戸のような質感の、しかし形は先ほどのものに似た丸い徳利が運ばれた。
「陶って、スエとも読みますよね?」 と訊くと、女主人は別のお客に 「陶はスエとも読みましたっけ?」 と声をかける。「むかし厳島で毛利元就にやられちゃったのが陶の○○だから、はい、陶はスエとも読みます」 と、その髭を生やした僕よりも少し若そうな男の人が答える。客層も悪くない。ここは、ヤギサワカツミ本酒会員とエロ話を展開するような店ではないのである。「陶の○○」 の○○については失念した。
強い風の中を帰宅する。居間の違い棚にある電波時計はいまだ7時20分になりかかるところだった。入浴して牛乳を300CCほども飲み、8時に就寝する。
いつものように暗闇の中で目を覚まし、枕頭の灯りを点けると3時だった。きのう "amazon" から届いた
とにかくこのマンガの最終ペイジまで至り、そうすると原作者の久住昌之による 「あとがきにかえて」 というある種の紀行文があって、これは面白い。いつかどこかで読んだ、"Leica ?f" を買おうとして日暮里の 「フォトメンテナンスヤスダ」 を訪ねた赤瀬川原平の、オドオドビクビクする自分の心理を細密に、あるいはしつこく描写した文章に、この 「あとがき」 はとても雰囲気が似ている。
あちらこちらの飲み屋を訪ね、その店や客について 「いかにも久住昌之」 という調子で書いたペイジがその親ペイジから削除されたことを、つくづく残念に思う。「どこかに残ってないですか?」 と本人にメイルで訊く手もあるけれど、とりあえずは遠慮をしておく。
二度寝をして6時30分に起床し、事務室へ降りていつものよしなしごとをする。地面に落ちた花粉を洗い流すように、静かな雨が降っている。7時に居間へ戻る。朝飯は、きのう食べ残したカルビ丼、白菜キムチ、ほうれん草とモヤシのナムル、わかめと万能ネギのスープ。
鎌倉の伯母を訪ねる家内と長男、次男を朝方に下今市駅まで送る。日中、コンピュータが得意とする類の仕事をし、1枚のリポートを作成する。終業後、先週25日に行われた 「本酒会」 の会報を書き、メイルアドレスを持つ会員、義理のある酒蔵、酒屋に送付する。
久住昌之の文章に誘発されるようにして本棚から
子供のころからせいぜい学生のころまで、僕の欲望は質素なものだった。それほどモノは欲しがらず、もらった小遣いはほとんど貯金した。トンと金が貯まらなくなったのは自分で金を稼ぐようになってからで、これは世間の逆を行く現象だろうか。そして、そういう自分の性癖を振り返りつつ 「悩ましき買物」 を読むと、これはもう本当に、赤瀬川原平の気持ちがよく分かる。
「まずはニコンEM(中古)を買って満足していた。でもあれこれ考えるうち、スペックの上でオールマイティのFGが欲しくなった。でもいらない、いやいる、と悩んだ末に買ったのだけれど、それを包んでもらいながら、早くも、別に買うことはなかったと後悔していた」
「なんだ、オレと同じじゃねぇか」 と思う。自分ではモノを買わず、このような本を読んで作者を嗤っていれば金も貯まるのだろうが、そう上手い具合にいくものではない。
キムチ鍋と水ダコの刺身を注文する。刺身にはツマもワサビも要らないと、ひとこと断りを入れる。水ダコは、キムチ鍋で煮て食べてしまうためのものである。焼酎のお湯割りを4杯消化し、目の前の瓶にあるニンニクの醤油漬けを1粒だけ口へ入れて勘定を頼む。
7時30分に帰宅する。入浴して牛乳を300CCほども飲み、8時すぎに就寝する。
3時に目を覚まし、田中長徳の 「使うバルナックライカ」 を読んで5時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。3月も末になっての雪に、日光の山はその白さを新しくした。休日の朝が好天に恵まれることを素直に嬉しく思う。
朝飯は、蓮根のきんぴら、ベイコン、スクランブルドエッグ、ブロッコリーの油炒め、メカブの酢の物、納豆、メシ、大根と万能ネギの味噌汁。
いまだ9時30分をすぎたばかりのころ、ご来店になったお客様が 「いまそこで蕎麦を食って来たよ」 と言う。地元の情報に疎いとは商売人にとって大きな失点だが、訊けば町内の 「市縁ひろば」 にて蕎麦の早食い大会が開かれているという。徒歩でたかだか3分ほどの距離だから出かけてみれば、そこには大きなテントが幾張りもあって、「報道」 の腕章をつけた人たちも見える。
控えのテントにはこの大会の出場者が大勢いて、とてもではないがすべての勝負を見ている時間はない。我が町の基準では3人前、室町 「砂場」 の基準では6人前ほどの盛り蕎麦を、早い人は1分30秒ほどで平らげていた。市観光協会のヌマオケンジさんがマイクを握って飛び入りの参加者を募る。しかしメシ2杯を食っていまだ3時間も経たない僕に3人前の蕎麦は、とてもではないが呑み込めるものではない。
スパゲティナポリタン、野菜スープの昼飯を済ませて一息ついていると、次男が 「ともだちが遊びに来る前に勉強しても良い?」 と訊く。勉強をしても良いかと子供に訊かれてダメだと答える親など世の中にいないはずだと考えるのは大間違いだが、僕は 「もちろんです、すごいねー」 と大いに感心して言う。
予報によれば天気は下り坂とのことだったが、とりあえず夕刻までに雨の落ちてくることはなかった。
夜7時より春日町1丁目の組長を集めての臨時総会があるとのことにて初更、取り急ぎカルビ丼、ほうれん草とモヤシのナムル、白菜キムチ、豆腐と玉子と長ネギのスープを腹へ収めようとするが、定刻の5分前が迫ったためこれらを残して席を立つ。
その臨時総会は案に相違して20分で終了し、仕出しの刺身やら鮨、燗酒やビールによる慰労会が始まった。「なんだ、これならメシ、食ってくることなかったじゃん」 と思いつつ刺身2切れと鮨9個を平らげ、しかし飲酒は為さずに缶入りの冷たいお茶を飲む。これで今月の断酒ノルマ8回は完了したことになる。
8時30分に役員たちと食器や灰皿の後かたづけをし、9時前に帰宅する。入浴して牛乳を400CCほども飲み、10時に就寝する。
3時に目を覚まし、田中長徳の 「使うバルナックライカ」 を読んで4時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、きのうの鍋の残り汁を使ったクッパ。
穏やかに晴れているのは空のみにて、地表ちかくでは風が強い。針葉樹の深い色を背景にするとことに目に付きやすいが、薄黄色の花粉が大量に飛んでいる。いまだ年齢はひと桁歳とおぼしき子供の、マスクをした姿が今年は目立つようだが気のせいだろうか。「小さいうちから可哀想になぁ」 と思う。誰も彼もがゴーギャンのように、南の島へ転地できるわけではない。
昼に、「好到底」 の幅広麺による撈麺に小松菜の油炒めを添えて食べる。「いくらなんでも60玉は買いすぎだったか」 と一時は反省した乾麺の在庫も、鍋に入れたり油と和えて撈麺にしたりで、既に半分ほどになってしまったのではないか。
次男は春休みに入ってのんびりしている。子供はのんびりと遊ぶに限る。おとなの中にはときどき、他人に手帳を示しながら時間のなさに顔をしかめてみせる人がいる。本当に 「そろそろオレものんびりしたい」 と嘆いているのか、あるいは実は自分の忙しさを自慢しているのか、そこのところは分からない。
燈刻、バキュバンで栓をしておいた "Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1999" を飲む。この週末には長男が帰っているため、フォンデュのチーズを、これまたバキュバンで栓をしておいた "Mouton Cadet Blanc Baron Philippe Rothschild 2002" で溶くというような作業は彼がする。
野菜のスープ、生ハム、茹でたブロッコリーと生のトマト。茹でただけのブロッコリーとカリフラワーについて、生まれてこのかたこれを美味いと感じたことはない。そのブロッコリーに溶けたチーズを絡めれば、こちらの美味さは理解できる。鮪のサラダがあるため、2階のワイン蔵から新規の "Mouton Cadet" を持ち来て抜栓する。そしてまたチーズフォンデュを食べ、イチゴにて締める。
なぜかは知らないが、晩飯にワインを飲むとその場で眠ってしまうことが多い。本日も同じ塩梅にて1時間後に目を覚ます。入浴して牛乳を400CCほども飲み、10時前に就寝する。
深夜1時30分に目を覚ます。「鬼六の将棋十八番勝負」 を3時30に読み終えて起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをしつつ5時に社員通用口から外へ出ると風花のような雪が舞っている。6時にシャッターを上げて新聞受けから新聞2紙を取り出す。雪の勢いは街の景色を霞ませるほどに強くなっている。
7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、納豆、しもつかり、生のトマト、ほうれん草の油炒め、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と長ネギの味噌汁。
僕はいわゆる営業活動というものをしないから、スーツを着ることも好まなければ名刺を持ち歩く習慣も無い。人から名刺をいただくたびに 「スミマセン、今日は生憎と持ち合わせなくて」 と言い訳をするが、正確には 「今日は」 ではなく 「いつも」 である。22日の晩、皇居を見おろすラウンジで名刺を下さった方々にそれぞれ文面の異なる手紙を書き、名刺を添えて投函する。
「名刺を持った方が、後々の労力は軽減できるわなぁ」 と思い、しかし次の外出時にはやはり名刺を持たないのだから始末に負えない。そしてまた、名刺を添えた詫び状を懲りずに書くのである。
朝のうちから 「晩飯にはキムチ鍋が食べたい」 などと言ったが、午後になって今夜はふたつの集まりが控えていたことを思い出す。しかしながら目の前に現れた鍋は魅力的で、だからこれを取り急ぎ食う。また焼酎 「無月」 のお湯割りを雲仙焼きのカップに2杯と半分のみ飲む。そして最後に投入された 「好到底」 の細麺を、加減しながらすこしだけ食べる。
7時に春日町1丁目公民館へ行き、青年会の、役員改選の話し合いに加わる。25分後にその席を中座して自転車で日光街道を下り、更に会津西街道を下る。
川原町の 「和加奈」 には既にして本日出席予定の本酒会員がほとんど集まっていた。ここは良い店だが僕は通い慣れていないため、ひとりで来ることはない。グラタン皿へ盛ったところが愛嬌の、土佐酢で食べる初っぱなの鰹たたきが美味い。「あぁ、春の鰹だ」 とそれを咀嚼し、口の中になにもなくなったところで喜久水の 「一時」 を飲む。
隣席のヤギサワカツミ会員の膝元に、数時間の動画も見られるらしい新しい携帯電話が安置してある。ヤギサワ会員はおよそ春夏秋冬の各季節に1台くらいずつは電話を買い換えているのではないか。イチモトケンイチ会長より手渡されたメモには、今月上旬に結婚したサイトウマサヒロ会員の新住所があった。
菊花に見立てた玉状の風呂吹き大根を箸で割ると肉団子が現れる。この味が新宿 「アカシア」 のロールキャベツの中身とそっくりで面白い。鰻の蒲焼きをはじめあれやこれやが出た後に河豚の刺身が運ばれて、何が何だか分からないがこの店の 「おまかせ」 には妙な 「得した感」 がある。
小さなポーションの冷やし中華で締め、一同に先駆けて店を出る。行きは7秒で下った坂を今度はペダルを踏んで43秒で上がり、10時前に帰宅する。入浴して牛乳を飲んでいるうちサッカーの対イラン戦を中継しようとするテレビ番組が始まる。11時前に就寝する。
深夜2時30分に目を覚まし、所用にて事務室へ降りた後、戻って 「鬼六の将棋十八番勝負」 を読む。やがて二度寝に入り6時30分に起床する。ふたたび事務室でいつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、しもつかり、蓮根のきんぴら、メカブの酢の物、鯖の南蛮漬け、納豆、メシ、ほうれん草と豚肉の味噌汁。
寝室に20年近くも置いたカメラの防湿庫を昼に玄関まで降ろす。更にこれを外へ出してホコリを払い、濡れた布巾で綺麗に拭く。手持ちのカメラがこの防湿庫と事務机の引き出しに分散して保管されているこのところのだらしない状況から抜け出そうとしての一念発起である。まるで新品と見まがうばかりになった防湿庫を事務机右の壁のへこみへ安置し、中身を収めていく。
最上段にエムサン、エムニ、?の3台の、そして2段目にエムロク、Icの2台のライカを、3段目にはリコーのGR1vとフォクトレンダーのレンズと露出計を置く。4段目にオリンパスのOM-1、露出計の壊れたミノックス35GL、バッテリーを入れればすぐに使えるローライ35を、5段目にはニコンのフォトミックファインダー、フラッシュユニットカプラー、何枚かのフィルターを、そして最下段にはリヴァーサルのマウント、ホイヤーのモンテカルロ、セイコーの液晶ストップウォッチを並べる。
これで当面の整理は済んだわけだが、仕事机の脇に遊び道具がある状況といはいかがなものか、という気もしないではない。
終業後に社員たちと 「とんかつあづま」 へ参集し、新入社員のアキザワアツシ君、カメダヒトミさん、キクチユキさんの歓迎会を催す。この歓迎会は同時に永年勤続者の表彰式も兼ねる。今年は製造係のマキシマトモカズ君が勤続10年を迎え、表彰状と記念の旅行券が贈呈される。「マキシマ君を面接したあの秋からもう10年かぁ」 と思えば感慨も深い。
7時30分に帰宅する。入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。
目を覚まし、障子を透かして届く夜明けの薄青い光の中で枕頭の時計を見ると5時30分だった。家の中に人の気配がないため、昨晩、長男は帰宅しなかったに違いないと考えつつ玄関へ行くと、そこには僕が眠っている間に脱がれた長男の靴があった。
冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、これをカップに満たして電子レンジへ入れる。今朝の新聞はいまだ届いていないため、きのうの日本経済新聞を拾い読みする。やがて長男が起きだしてリンゴの皮を剥く。6時30分になったため靴を履き、裏道を辿って春日通りへと出る。湯島天神の梅の木には、名残の白い花びらがあった。
上野広小路から銀座線にて浅草へ至り、いまだのれんの出ていない地下道の豚かつ屋 「会津」 へ入って納豆とポテトサラダの朝飯を注文すると、ポテトサラダはこれから作るところだと言われ、目玉焼きにシラスおろしを追加した定食に変更する。朝の定食に含まれる袋入りの海苔は食べないからいつも返却をする。そのかわり、目玉焼きに添えられた刻みキャベツにマヨネーズを所望する。
東武日光線浅草駅の内外が、マンガ 「こちら葛飾区亀有公園前派出所」 の 「単行本1億3千万部突破」 の宣伝であふれている。この大がかりな宣伝活動がいつまで続くのかは知らないが、この割を食った形の既存広告は、まったく目立たくなってしまった。
下り特急スペーシアが隅田川の鉄橋を渡る。墨堤の桜は、気の早い数本のみが二分咲きか三分咲きの花を付けていた。9時すぎに帰社して仕事へ復帰する。
燈刻に生のトマトとしもつかりを見れば今夜も飲みたくなるが、ぐっと我慢をする。なにしろ僕の血圧や血液の分析をしている医師は 「1週間に7日も酒を飲むなんて、あなた立派なアル中ですよ」 と言う人である。蓮根のきんぴら、モヤシとニラの油炒め、「にんにくのたまり漬」 と 「しょうがのたまり漬」 を用いた豚の生姜焼き。これらにて焼酎のお湯割りではなくメシ2杯を食べ、アサリと長ネギの味噌汁を飲む。
入浴してこんどは牛乳を400CCほども飲み、9時前に就寝する。
目を覚まして枕頭の灯りを点けると4時になりかかるところだった。「M型ライカの買い方・使い方」 を開いて間もなくこれを読み終え、眠くもないので起床する。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、ほうれん草の油炒め、しもつかり、メカブの酢の物、今朝でおしまいになる煮こごり、納豆、メシ、わかめと長ネギの味噌汁。
夕刻に広尾の駅から南部坂を上がる。それまでの、顔に感じるか感じないかの霧雨がやにわに強くなったため、ショルダーバッグから傘を出してこれを差す。山の上のテニスコートには早くも夜間照明が点された。「天真寺」 へ至り、寺務所にて火の付いた線香2束を購う。家内の母の墓に参じ、彼岸の入りに生けられたらしいいまだ元気な花に幾分かの水を足す。
"Leica Ic" のシャッターを押しながら山を下る。
カルティエ・ブレッソンの弟子リブーが木村伊兵衛を外へ連れ出すときには決まって 「ルミエールが良いから撮影に行こう」 と誘ったという。僕が写真を撮るときのルミエールは大抵、良くない。しかも僕の "Ic" のレンズのF値は4である。元麻布の山上から麻布十番へ至るまでに、絞り開放のシャッタースピード40分の1秒で約25枚の写真を撮る。
十番商店街を桜田通りへ向かって行くと左手にスターバックスコーヒーがあり、その正面には煮込みの 「あべちゃん」 が見える。空は群青色に暮れかかり、通りを流すタクシーはそのライトを補助灯からヘッドライトに切り替えつつある。そういう時刻に、まっとうな人間なら一体どちらの店を選ぶか、という二者択一の問題がある。別段、どちらも選ばず地下鉄へのエスカレイターを降りてもかまわないわけだが、まぁ 「あべちゃん」 でしょう、やっぱり。
壁の天井近くに据えられたテレビが相撲中継を映している。白木のカウンターには団鬼六と職業棋士たちとの駒落ち棋戦を集めた 「鬼六の将棋十八番勝負」 が読みさしのペイジを開いたまま伏せてあり、またその横には 「いも神」 のお湯割りと冷やしトマトがある。追っつけ注文したシロ2本とナンコツ2本の、シロの先端にはほとんどテッポウの領域と思われる分厚い肉片があり、またその根元には長ネギやシシトウがあって大いに悪くない。お湯割りを1回だけお代わりして席を立つ。
地下鉄で竹橋へ移動し、パレスサイドビルの最上階にある 「アラスカ」 へ行く。受付の手伝い、とはいえそこには既にして充分な人員が配置されていた。やがて、きのう自由学園の最高学部を卒業したばかりの面々を同学会へ招き入れる 「新卒業生歓迎会」 が始まる。眼下には皇居の黒い森があり、また乾門から千鳥ヶ淵へと抜けるクルマの、赤いテイルランプの帯がある。
銀盆から取り分けたオードブルを食べつつ泡のある白ワインを飲む。そのワインを赤に替えて、今度はローストビーフを食べる。「ここのヴァイキングには素麺がつくから好きなんだ」 と思い出しつつその場所へ行くと、今夜は冷たい讃岐うどんが用意してあった。「ぶっかけかぁ、いいじゃん」 とその冷たい感触を口の中に予測しつつ名刺交換などするうち、いつの間にかうどんのボウルは空になっていた。その代替として桜エビと菜の花のスパゲティを皿へ盛る。
竹橋の駅で地下鉄の路線図を見ていると、1年後輩のホリウチヒョースケ君が 「ウワサワ君、日光まで帰るんですか?」 と声をかけてきたので 「いや、本郷三丁目だよ。神楽坂経由の大江戸線だな」 と答えると 「本郷三丁目? 僕と一緒じゃないですか、神楽坂なんか行ったら高くつきますよ、大手町乗り換えです」 と、やけに明晰なことを言う。
僕は合理性を尊ぶが、大手町乗り換えとはいかにも合理性だけではないか。それでもホリウチ君とその経路を辿って本郷三丁目へ至り、本富士警察前の交差点まで共に歩く。
甘木庵に、長男はいまだ帰っていなかった。入浴して冷たいお茶を飲み、「鬼六の将棋十八番勝負」 を読みつつ11時すぎに就寝する。
目を覚ますと、戸の隙間から隣室の灯りと共に家内の叩く10キーの音が漏れてくる。会社が活動しているあいだに終わらない仕事を抱えたとき、僕は 「それを次の日の未明にする派」 だが、家内は 「それを本日の深夜にする派」 である。「M型ライカの買い方・使い方」 を読みつついつの間にか二度寝に入る。
6時30分に起床する。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。本日も晴天だが、日光の山には新たな雪がある。朝飯は、まだある煮魚とその煮こごり、茄子のクサヤ醤炒め、メシ、豆腐とほうれん草の味噌汁。
戦後に書かれた食べ物本の傑作3点は邱永漢の 「食は広州に在り」、壇一雄の 「壇流クッキング」、もう1冊は忘れたが、そのようなことを書いていた人がいた。これら2冊を読んでなお僕にとっての最高峰は池波正太郎の 「食卓の情景」 で、これは何度読み返したか知れない。この中に少年時代の著者が煮こごりを買い食いする場面があって、そのころ学生だった僕は 「なにを好きこのんで煮こごりなど」 と思ったが、今になれば、たとえば谷中の 「川むら」 で 「穴子煮こごり」 などという文字を目にすると、吸い寄せられるようにしてこれを注文してしまう。そして今朝の煮こごりも大いに悪くない。
むかし長男に 「干物の価値は骨湯で分かる」 という意見を開陳したことがある。「いくら身が美味くても、その骨に熱湯を注いだつゆがいまひとつのとき、その干物は実は、大したことはねぇんじゃねぇか?」 という、これはまぁ、そんなことを考えても一向に世の益にはならない無駄な推理に導き出された戯れ言だが、試みに、この何日も食べ続けている煮魚の骨を縁の欠けた染め付けの器に落とし、熱い湯で満たしてみる。
塩を一振りして味見をしてみれば、思わず 「いいねぇ」 という声が漏れて、寒い晩に上出来の芋焼酎をお湯割りにして飲むとき、自分が同じことばを吐いていたことを思い出す。などと能書きを垂れているが、いまどき骨湯とは、貧乏くさいといえば貧乏くさい。
始業30分前から、今日が初出勤となる新入社員3名が顔を見せ始める。昨年の秋から今年にかけての人手が足りなくなる時期に彼らは幾分かの実務を経験しているから、初動の諸々にとまどうことはないだろう。それでも初めて社員として迎え入れる日にあたり、朝一番に本日出勤のすべての社員が集まり、自己紹介を交わす。
「きのうと同じくらい売れれば良いなぁ」 と考えていたが、商売とは、そう上手くいくものではない。それでも、3月から4月へと暖かさを増すにつれ、会社が繁忙になることを望む。
「好到底」 の鶏卵を練り込んだ幅広麺による撈麺を昼飯とする。麺と同じ棚で売られていた 「金装蝦子」 とニンニクチップを振りかけたそれは、使う油と上に載せるものとを変えれば、無国籍というよりは "global" に美味い食べ物になること必定である。
遊びに来ていた友達が去った夕刻に事務室へ降りてきた次男が 「ふたりはプリキュア・ビジュアルファンブック」 を買ってくれと言う。早速に "amazon" でこれを検索し、「1冊だけ送らせるのも何だから」 と、かねてよりウィッシュリストに入れておいた鹿島茂の 「怪帝ナポレオン3世」 をクリックすると、いまだ 「ユーズド」 には出品が無い。
"amazon" では古書店、素人を問わず本を売ることのできる仕組みがあり、これを利用するうち、どうも本は定価で買う気がしなくなった。「うーん、プリキュア、どうしよう」 と考え 「とりあえず今日のところは注文しないでおこう」 と、ブラウザを閉じる。
初更、教科書のある場所を丸写しにするという次男の宿題を督励する。
明日の22日は会合、24日は新入社員歓迎会、25日は本酒会、28日と29日はひとりメシ、30日は鮪、31日はステーキを食べることになっている。ひとりメシのときに断酒をするか飲み屋へ行くかは未定だが、いずれにしても本日を含めた合間の6日間で3回の断酒をする必要がある。昼に海老の卵を振りかけた幅広麺を食べたばかりにもかかわらず、次男が晩飯に所望したのはたらこのスパゲティだった。白ワインを飲みたいのはやまやまだが、「だったら3回の断酒のうち1回は今夜にしよう」 と決める。
水菜とトマトとベイコンのサラダ、たらこのスパゲティにて牛乳を400CCほども飲む。食後は 「小川軒」 のレーズンウィッチとミルクティ。数日前に家でミルクティを飲んだらこれがひどく美味く、「ことによるとオレがミルクティを飲むのは22年ぶりになるのではないか」 と考えたひとときがあった。ミルクティの味はそのまま、インドの寒い明け方に直結している。
入浴して更に牛乳を400CCほども飲み、10時前に就寝する。
5時に目を覚ます。「M型ライカの買い方・使い方」 を読んで6時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。お彼岸の空は晴れ渡って、とりあえずは安心をする。
朝飯は、しもつかり、すぐき、金曜日の晩から食べている煮魚とその煮こごり、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の味噌汁。
始業前に店舗駐車場の掃除をする。特に犬走りの下の黒タイルに黄色い花粉が目立つ。それはモップで拭き取るにしても、駐車場の花粉については水を撒いてこれを洗い流す。排水孔には黄色く泡だった水がゴボゴボと飲み込まれていった。
きのうから急に客単価の上昇した感がある。そして本日の店舗には好天も手伝って、大いに賑わうひとときがあった。「啓蟄」 という春3月の季語を思い出す。アスファルトに虫の這い出る隙のない都会にも突然どっと人の繰り出す週末があって、それは大抵、桜の咲くこの季節のことである。
夕刻まで仕事に追われた家内に代わり、次男と晩飯の買い出しへ行く。買い出しとはいえ凝ったものを選ぶわけではない。最も安い牛乳に更に10パーセント引きのシールのあるもの3リットル、トマト1袋、アボカド1個、イチゴ1パックを買う。あれもいらないこれもいらない、ただ肉が食べたいという次男をなだめて会計を済ませ、潔くも焼き餃子と水餃子以外のメニュを持たない 「正嗣」 にて焼き餃子5人前をテイクアウトにする。
交通事故で亡くなったヨシザキニャンニャンちゃんを含むMG仲間がうち揃って霧降高原の貸別荘へ来たとき、僕はこの店で生餃子15人前を買って差し入れた。腕に覚えのあるニャンニャンちゃんはその餃子で5種類の料理を作り、テイブルに並べてくれた。2泊の後、宇都宮の有名店へ立ち寄った一行の中のショージ君が帰宅後によこしたメイルには 「あの店の餃子よりも、ニャンニャンちゃんが作ったそれの方が美味かった」 とあった。あれから一体、どれほどの歳月が経っただろう。
エレヴェイターの扉が開くと、廊下には強く南方中華街の匂いがあった。その匂いの元である茄子のクサヤ醤炒め、トマトとアボカドのサラダ、「正嗣」 の焼き餃子にて焼酎 "ZIPAMG" のお湯割りを飲むが、これが切れたため2階のワイン蔵へ行く。櫻の郷酒造の芋焼酎 「無月」 の壺を抱えて戻り、同じくお湯割りにする。イチゴにて締める。
入浴して牛乳を400CCほども飲み、9時30分に就寝する。
2時30分に目を覚まし
音楽教室の前で楽器の入ったケイスを手に提げ、しかしどうしても最後の一歩を踏み出せず、母親に 「やってみなければ分からないでしょう」 などと叱咤されている子供を見ることがある。そのような風景に接して 「可哀想になぁ」 との感情を禁じ得ないのは、僕もかつてはその子供と同じく、嫌々ながら楽器を習うひとりだったからだ。
たまにピアノを弾くと 「いやぁ羨ましい、私も楽器ができたらと思いますよ」 などと言われることがある。「だったらタイムマシンで子供のころに戻って、一から楽器を習ってみるべきですよ」 と、そういう人には返したい。僕の腹には 「楽器をこなせる」 という充足はない。「あれだけ苦労してこれしかできねぇ」 という情けなさがあるばかりだ。こどものころは、炎天下に汗まみれで遊んでいるヤツこそが羨ましかった。
嫌々ながらしているわけではないから 「あれだけ苦労して」 とは思わないが、しかし最近の僕の写真は歩留まりが悪い。"WORKS" の 「侘助たちの午後」 「南口から」 「エルマーの秋」 まではほとんど36枚撮りのフィルム1本にてひとつのアルバムを作れていたが、「サンダル」 のあたりから徐々に苦しくなりはじめ、「すみだ川」 に至ってはほとんど100枚からようやく12枚を絞り出すほどの抵効率になった。
「ライカの写真術」 に内田ユキオは 「フィルムは奇跡に対して払う代償」 と書いているが、下手な鉄砲はいくら数を撃っても、そうそう当たるものではない。香港で撮った185枚の写真のうち "WORKS" に使えるものが、果たしてどれほどあるだろう。
玉ネギをみじん切りにして炒め、ここに豚挽肉を投入し、その鍋に水を差して顆粒状のだし、酒、みりん、醤油を加えて味を調える。更に「九龍醤園」 で購った 「百徳食品公司」 の辣椒油を滴下し、もみ海苔を散らす。このつゆで食べる釜揚げうどんをウチでは炊き炊きうどんと呼ぶ。きのうの昼飯がチャーハンでちと気落ちをした麺類好きの次男は翌日の昼飯としてこれを所望した。そして大量のうどんは鍋の底まで食い尽くされた。
JR今市駅から日光街道への道はここ数年のあいだに再開発が進み、ずいぶんと広くまた綺麗になった。このちかくに用事のある次男を送りがてら道を歩いていくと 「にぎわいのあるまちづくり研究会」 という会の主催する 「六斎市」 というお祭りのテントが見え、その中心部では餅つきなどもしている。露天商ではなく、市民が自ら手作りした食品や雑貨を売るこの市にて次男に求められるままリンゴ飴を買う。
更に行くうち、そう広くない会場の一角に、メンチカツを揚げる 「金長」 のカネコ君を見つける。サイフの中には700円があったため、1個200円のこれを3個のみ購う。「今夜はメンチでメシ食って、酒は抜くから」 と言うとカネコ君は 「オレなんか365んち、飲みっぱなしだわー」 と笑った。僕も本来であれば、そうしたいのである。
燈刻、教科書のある場所を丸写しにするという次男の宿題を督励する。
胡瓜のニンニク油漬けと水菜の胡麻和え、まだある 「鳥近」 の卵焼き、トマトのオリーブオイル和え、まだあるきのうの煮魚、カネコ君ちのメンチカツ、刻みキャベツをおかずにしてメシ1杯を食べる。5粒のイチゴ、「小川軒」 のレーズンウィッチで牛乳を400CCほども飲む。
入浴して更に200CCほどの牛乳を飲み、「M型ライカの買い方・使い方」 をすこし読んで10時前に就寝する。
ウインドウズ・コンピュータのデスクトップにいくつものアイコンが整列している様に似たタッチパネルの前に立っている。その中の 「胃液を吐逆」 というパネルに手で触れると、とたんに胃液が熱くのどを刺激しつつ口中ににじみ出し 「晩飯、食い過ぎたかな?」 と考えたところで目が覚める。時計を見ると0時20分で、隣室からはいまだテレビの音が聞こえる。床の活字を拾い読みし、2時30分に二度寝に入る。
6時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとの一部をして7時に居間へ戻る。朝飯は、ほうれん草のおひたし、しもつかり、鯖の南蛮漬け、すぐき、納豆、メシ、お麩と長ネギの味噌汁。
ウチの店は国道119号線と同121号線との角にあり、会社の敷地は特に121号線に長く接している。雪が降るとスリップ防止のため、官からの要請を受けた土建会社のトラックがここに砂を撒いていく。春になるとこの砂が車道の両脇に堆積し、ウチでは社員がこれを片付けるが、その量はミカン箱にして10箱ほどにもなる。
市民はこの砂を各自の裁量によって処分しているものと思われるが、厳密に言えば、否、厳密に言わなくても、路上の砂という産業廃棄物を自ら処理するとは明らかな法律違反ではないか? 撒いた砂をふたたび集めてどこかへ置いておけば、来年の降雪時にもこれを使うことができるのだから幾分かは無駄も省けると思うがどうだろう。あるいは、砂の価格よりも路上の砂を集める経費の方が嵩むのかも知れない。
おばあちゃんの部屋の窓から南西の方角を見ていたら、黄色い花粉が広い膜状になって山からしずしずと降りてきたとは、本日9時30分に家内が言ったことだ。そのような環境であるため、本日の砂掃除は後日に延期とする。
燈刻、次男の算数の宿題を督励する。きのうの漢字練習とは異なり、本日の次男は義務以外の範囲まで問題を解いてこれを完遂した。
すぐき、芹の辛子和え、ホヤの塩辛を卓上に見たとき、人は飲酒への欲求を押しとどめることができるだろうか? 僕は断酒の数を 「1ヶ月に8回」 と言っているがこれは修辞のたぐいにて、本当は1週間に2回の断酒が医者に言い渡された義務である。カレンダーを見ると昨週の金曜日から飲み続けているようだが、とりあえず今夜は飲むことにする。
いまだある卵焼き、胡瓜の塩もみ。1ヶ月に1度、北陸のどこかの港から届く魚の本日分は鯛の一種なのだろうが、黒くて少々丸見を帯びたその固有名は知らない。これを塩焼きにすると、パリパリとした皮と脂を含んだ白身の塩梅がとても良い。そしてその煮魚版が、これまたとても美味い。この煮こごりを明朝のおかずにしようと考えつつ炊きたてのメシにすぐきをのせ、1杯のみ食べる。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、10時に就寝する。
4時30分に目を覚まして 「ウランバーナの森」 を開き、6時にこれを読み終えて起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、しもつかり、ほうれん草のクサヤ醤炒め、納豆、胡瓜のニンニク油漬け、メシ、シジミと長ネギの味噌汁。
9時を過ぎて家内と墓参りに行く。ウチのお墓はちと特殊な造作にて草と土の部分が広い。その居心地の良さに惹かれて散歩中の犬が小休止をするらしく、乾燥したクソ、いまだ湿気を保ったクソがあたりに点々としている。家へ戻ってホウキとちり取りを取ってこようかと考えたが、新聞紙や線香を入れるに用いたビニール袋で手を覆いそれらを拾う。
日中、商売はヒマながら他のことでなにかと気ぜわしい。あちらこちらと電話で話し、取引先を迎え、頻繁に外出し、調べものをする。
燈刻に居間へ戻ると、たまたま帰宅をしていた長男が次男の漢字練習を督励していた。僕ははじめその場にいなかったから知らないが、練習する義務のない漢字まで書かせようとしたところ、次男はそれにあらがって大泣きをしたらしい。次男は結局、長男が求めるすべての漢字をノートに書き写して後に机から開放された。
所用にて東京へ行っていた家内が買って帰った総菜が今夜のおかずとなる。
「アールエフ」 なんとかと、いつまでも名前の覚えられない総菜屋によるタケノコの天ぷら、「菊乃井」 の鯖の南蛮漬け、同じく穴子鮨、同じくすぐき。「菊乃井」 の品物はおしなべて美味いが、特にすぐきはあざといほどに美味い。「伊勢廣」 と 「鶏近」 の焼き鳥、同じく 「鶏近」 の卵焼き。この卵焼きの玉子の香りの濃厚さに驚く。「米八」 のおこわは次男の好物だ 。
「1年間、こういう総菜ばっかりで暮らせるかなぁ」 と言うと長男が 「僕は大丈夫だね」 と答える。「オレはどうかなぁ」 と自らを振り返る。買ってきた総菜だけで1年を暮らすのはちと辛いが、外食ばかりで365日を過ごすということであれば、これには耐えられそうである。
ここまで各種総菜を肴に焼酎 "ZIPANG" のお湯割りを飲み続けたが、広尾の何とかという店のエクレアにては、牛乳を400CCほども飲む。
入浴してまたまた牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
暗闇の中で目を覚ます。枕頭の灯りを点けると、中で外れていた電池を元通りにした時計は2時30分を指していた。「ウランバーナの森」 を4時30分まで読み、二度寝に入って6時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
香港の添乗員・張美霞さんが 「浜崎あゆみが買い占めて帰国した」 などと業界の裏話をするものだからつい購入したクリーム 「麗雪牌・人参黒真珠膏」 の美白効果と、これは僕が本で知った 「排毒美顔寶」 の 「何だか効いてるっぽい効果」 は驚くほどのものだと家内が言う。使い始めてからわずか数日にして、そんなことがあるのだろうか。「排毒美顔寶」 を検索エンジンに入れてみると、これを現地価格の倍ほどで売っているオンラインの薬屋がいくつか見つかった。
朝飯は、明太子、メカブの酢の物、ほうれん草のクサヤ醤炒め、納豆、メシ、お麩と長ネギの味噌汁。そして次男の朝飯は味噌汁と、炊きたてのメシにバターを混ぜ込んで醤油を差し、「好到底」 のニンニクチップを振りかけたもの。
きのうの午前9時50分にマップカメラへ注文した中古の "Minolta DiMAGE X21" が、早くも午前中に配達される。大量の緩衝材に包まれた本体を取り出してみれば、やはりデザインは簡素だった初期型に遠く及ばないが、マニュアルを読んでいくと、ストロボ発光禁止など 「撮影メニュの記憶」 や 「画像ファイル番号の連番化」 など 「あったら便利なのになぁ」 とつねづね考えていた機能を備えている。
「今回の買物は間に合わせ」 などと書いたが、これは案外、長期の使用に耐える愛機になるかも知れない。あとは、既に持っている銀塩カメラ "RICOH GR1v" のデジタル版を待つばかりである。
新しいディマージュは問題なく動いているようだが 「保証なし。購入後2週間以内の初期不良は返品可能」 という条件下にあるから、これで昼飯のシンガポール風チャーハンを撮影し、念のためコンピュータに取り込んで異常のないことを確かめる。
午後、イチモトケンイチ本酒会長がフラリと遊びに来たため、ホンハムの路上で 「いらないよ、第一オレ、タバコ吸わないし」 と断っているうち最初の1,500円が200円になってしまったため購入したライター1台、インフルエンザやコレラにも効くという万能薬 「百合油」 1本、そしてインドネシア風シャブシャブの元1パックを香港土産として手渡す。
燈刻、次男の算数の宿題を督励する。
イチモト会長に手渡したシャブシャブの元の別ヴァージョン 「猪骨火鍋上湯」 による鍋を晩飯と決め、これを熱湯に溶かす。別途、同じくスーパーマーケット 「惠康超級市場」 で購入したチキンパウダーも加え、塩とコショウで味を調える。この鍋にてタシロケンボウんちのお徳用湯波とエノキダケを煮る。そこへ豚肉、水菜を投入する。
アサヒの蕎麦焼酎 「玄庵」 のお湯割りを飲む。合いの手に胡瓜のニンニク油漬けを食べる。家内はシャブシャブの味つけに 「九龍醤園」 の海鮮醤を用いたが、これは甘いため僕は豆板醤のみを使う。鍋の中身をすべて平らげ、いよいよ 「好到底」 の細麺をそこへ投入する。「美味いねぇ、B級の味だけど」 と思わずひとりごとを言う。
ワンチャイの 「好到底」 は小さな店で、店員の背後一面には作りつけの棚がある。「金装蝦子」 という名の海老の卵は、その棚の中心に置かれていた。これを家内がスープの中の麺に振りかけて 「美味しい」 と言う。僕はそのうちに食べる撈麺に備え、今夜は味見だけに留めておく。
入浴してビールを700CCほども飲み、9時30分に就寝する。
深夜、何時か分からないが目を覚まし、枕頭の灯りを点けて 「ウランバーナの森」 を読む。何十分後か何時間後かは知らないが、二度寝をして6時30分に起床する。
事務室へ降りてたいしたこともできず、7時に居間へ戻る。朝飯は、納豆、ジャコ、しもつかり、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の味噌汁。
おととい日曜日の画像は甘木庵で長男に借りた "Canon IXY DIGITAL Li" にて撮った。しかしこのカメラは長男に返却をしなければいけない。自分の携帯用デジタルカメラは先週、ハッピーヴァレイ競馬場南のバーで大酔して紛失をしたから、新規に入手する必要がある。
新しいカメラはやはり、失くしたものと同じく "Minolta DiMAGE X" がよろしいと考え、Yahoo!オークションを覗くとこの出物はない。更に 「マップカメラ」 の中古品ペイジで検索をかければ、ここに "Minolta DiMAGE X21" を見つけることができた。
「良品。多少のキズスレはあるが、それ以外はまったく問題なし。価格は9,975円。説明書、CD-ROM、USBケイブルは附属。元箱、ストラップなし、保証なし。購入後2週間以内の初期不良は返品可能」
という説明をざっと読んで注文確定ボタンをクリックする。
モデルチェンジを繰り返すたびにゴテゴテと悪趣味になっていった1970年代の国産車と同じく、"Minolta DiMAGE X" シリーズは初期型こそ簡素なデザインだったが、その後のモデルはおしなべてそのボディに格好の悪い出っ張りが増えている。この点については 「ま、今回の買物は間に合わせだしな」 と割り切ることにする。なにより光学10倍ズームの "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" をコンピュータと共に持ち歩く気はしない。
「マップカメラ」 からはほどなくして返信があり、商品は数日のうちに到着するらしい。
月に8回と決めた断酒義務の、3月は早くも10日にその半ばを達成して余裕の気分でいたが、安心をしているうちに今日は15日である。しかし僕は常に飲酒を為したい人間だから、とりあえず今夜は飲むことにする。
大根と人参と鶏肉の筑前煮風、レタスとセロリの棒々鶏ソース、ほうれん草の胡麻和えにて宝酒造の焼酎 "ZIPANG" のお湯割りを飲む。秋刀魚の開きと大根おろしの、大根おろしが特に美味い。 大学芋、"LE PATISSIER TAKAGI" のフルーツケイキときた後、明太子と焼き海苔にてメシ1杯を食べる。
菓子の後でメシを食っては、"Casa Lingo" で席へ着くなり 「オレ、パンナコッタね」 と注文してウェイトレスの苦笑を誘うイチモトケンイチ本酒会長を嗤うことはできない。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
6時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとを半端のまま残して7時に居間へ戻る。朝飯は、納豆、目玉焼き、メカブの酢の物、しもつかり、メシ、茄子と長ネギの味噌汁。次男への香港土産はワンチャイの 「好到底」 で購入したニンニクチップで、今朝の次男はこれをソーセージに振りかけた。
香港へ着くなり現地ガイドの張美霞さんに教えてもらったのは 「写真を撮っても良いですか?」 の広東語訳で、これは 「我可以影相(口馬)」 というそうだが、今回は覚えきれず試す機会はなかった。ちなみにネパール語では同じ意味のことを 「ポトキチェパニフンチャ?」 といい、これは1980年、カトマンドゥ在住のビモラ・ピャクルエルさんが口伝えにしてくれたものをすぐ頭に叩き込んだ。1980年には文字も見ずに覚えられたことがその25年後に不可能なのは、ひとえに脳の劣化によるものだろう。
初更、鮪の刺身とお多福豆にて泡盛 「宮の華」 のお湯割りを飲む。舞茸、鶏肉、タシロケンボウんちのお徳用湯波、糸こんにゃくなどを煮込んだ鍋に、根付きの芹、きりたんぽを投入する。計400CCほどのお湯割りを飲み、僕としては珍しく食後のイチゴを食べる。
入浴の後、尖沙咀の 「裕華」 で購入した 「痩せて痩せてしょうがねぇし体の脂も抜ける」 という 「排毒美顔寶」 2粒を冷たい牛乳200CCと共に飲んで9時30分に就寝する。
部屋の中は既にして明るいことを知りつつ目覚めてはまた眠り、眠ってはまた目覚めることを繰り返す。しかしながら幾分かは冷静になって 「いまの時間が9時、などということだとシャレにならない」 と考えダイニングキッチンへ行くと、壁の時計はいまだ6時15分だった。
お湯を沸かし、コンピュータを起動して熱いポウレイ茶を飲む。途中までしか書いていなかったおとといの日記と、まるで書いていなかったきのうの日記を立て続けに完成させ、しかしいまのところこの家からサーヴァーへのダイヤルアップ接続は不能だから、そのまま電源を落とす。
長男が起き、次男が起き、長男が電機鍋で煮込んおいたカレーによるカレーライスを朝飯とする。きのうは杉の大木が何キロメートルにもわたって続く並木の下に2時間もいて何ともなかったが、今朝は目が痒い。すべては東京という環境が悪いのだろう。健康と便利さを引き替えにしているのが都会という場所である。
9時に玄関を出て3人で切通坂を下る。天神下より教育上はあまり好もしくない湯島の繁華街へ入ると、ネイティヴ専用の感のある焼肉屋の看板にプルコギの写真を見つけた次男がそれを指さし 「これ、食べたい!」 と笑う。仲町通りから中央通りへ出て右へ曲がると、「鈴本」 の前には人だかりと多くのテレビカメラがあった。今日が、林家こぶ平が正蔵を襲名する、その披露の日だったことを思い出す。
ここから出発して浅草演芸場を終点とするパレードの次第を見物する長男と別れ、次男とふたりで地下鉄銀座線に乗り神田へ至る。あれだけおちゃらけていた三平が 「いつの日か正蔵の名を奪還せん」 と紙に書き念じていたのは知る人ぞ知ることだ。
1921年、鍛冶橋の高架下に開館した 「鉄道博物館」 は1936年に旧万世橋駅跡地へと移り、1948年にその名を 「交通博物館」 と改めた。この博物館が2007年の秋ごろに大宮へ移転するとは、つい10日ほど前に届いた日本クラシックカークラブからの手紙により初めて知ったことだ。本日はそのクラブの主催により、ここで見学会が催される。
交通博物館に足を踏み入れ左手に歩くと、アルミニウムの桟に平ガラスをはめ込んだ階段部分にはアールデコのなごりが強くある。その階段を3階まで上がり、映画ホールにて先ずオクハラテツシ学芸員の説明を聴く。
日本クラシックカークラブの僕の会員番号は129番で、そのイヴェントに頻繁に参加をしていたのは25年も前のことだ。いっしょにマカオグランプリへ行ったオータローさんを見かけて挨拶をすると 「いやー、ご無沙汰してます、あなたとはよく船橋に行ったねぇ」 とおっしゃるので 「そうですね」 と返事をしてしまうところが僕の大きな短所である。若き日の浮谷東次郎と生沢徹が船橋サーキットで激しいレイスを展開したとき、僕はいまだ次男と同じ小学3年生だった。
この博物館の沿革が概ね語られた後、その映画ホールの非常口を開けると目の前には秋葉原の電気街が開け、旧万世橋駅のプラットフォームが指呼の先に見える。一同から 「おぉ」 と感嘆の声が漏れる。御茶ノ水駅から神田駅のあいだにあるこの駆逐艦の甲板のような草むらには、これまで気づくことがなかった。
次は1階へ降り、展示場の片隅から 「関係者以外お断り」 の文字のある木の扉を開くと、その先にはレンガの壁を持つ狭い通路が伸び、突き当たりを右に折れると広い階段があった。オクハラ学芸員が 「先日の雨で水たまりがありますが、皆さん、どうされますか?」 と訊くので真っ先に僕が 「行きたいですよ」 と答える。雨よけの屋根のかかった薄暗い階段を上り詰めた先のにじり口を開くと、そこには中央線の軌道と旧万世橋駅のプラットフォームが見えた。この探検を鉄道オタクに開放したら、一体どれだけの希望者が集まるだろうか。
今日のこの見学会は、クラブの古い会計係カタオカヒデユキさんがオクハラ学芸員と知り合いだったところから実現したものだが、古いクルマの好きな者はまた他の乗物についても興味の度合いは高く、本日の企画は出色のものと思う。
こだま号の食堂車を再現した4階のレストラン 「こだま」 でカレーライスを食べたがる次男に 「お蕎麦屋さんへ行こう」 と言うと 「ラーメンがいい」 と答える。神田の 「まつや」 は日曜日が定休で、しかし 「藪」 なら営業しているからの 「お蕎麦屋さんへ行こう」 だったが、朝昼連続のカレーライスを諦めた次男の意見は尊重しなくてはいけない。
浅草で最も好きなラーメン屋は 「はせ川」 で、2番手は 「与ろゐ屋」 だ。しかし次男は 「天道門がいい」 と言い、だから松屋デパートの前から横断歩道を渡ると店には 「休業」 の札があった。およそ商売をする店が再開の期限を明示せず休業の札を出すとき、それは多く廃業を意味するのではないか。「繁盛しているように見えたけどなぁ」 と考えつつ来た道を戻って 「はせ川」 を覗くとこれが満員。仕方なく 「与ろゐ屋」 まで歩くとこれが行列。またまた引き返すとちょうど 「はせ川」 に空席ができたためここへ入る。
歩いている最中には味噌ラーメンを食べようとしていた次男が卓上のメニュを検分して 「ワンタンメン」 と、当初の予定を改める。「渋いねぇ、ここでいちばん美味いのがワンタンメンなんだよ」 と答えつつ自分が何を頼むかといえば焼き豚と燗酒なのだから、そもそも言っていることとしていることが一致していない。しかし最後にはつじつまを合わせ、ワンタンにて締める。
浅草寺上空には、東京としては季節はずれの雪が舞った。そして下り特急スペーシアの発車時刻にはいまだ7分の余裕がある。たかだか7分の空き時間で本屋へ行く馬鹿があるかと家内には叱られそうだが、僕は何ごとにもギリギリを好む。松屋デパート5階の本屋へ行き、次男に 「ケロロ軍曹」 の第2巻を買う。
発車1分前にスペーシアの敷居を跨ぐ。隅田川には、先ほどの雪が夢の中のことのように思われる青空が映っていた。
3時間ほど仕事をして後の初更、家の近くの鰻屋 「魚登久」 を訪ない、先ずは 「コップ生酒」 を注文する。家内が選んだ 「Aセット」 の肝焼きをすこしもらい、また蟹の酢の物にて口の中を涼しくする。特上、上、並の3ランクのうち真ん中の鰻丼をちびちびと酒肴にしつつ、更に1合のコップ酒を飲む。
帰宅して入浴し、冷たいお茶を飲んで9時30分に就寝する。
6時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯はしもつかり、九龍城の 「粗菜館」 にて購った計4本の油や調味料のうちハムユイというクサヤの細片を混ぜ込んだ醤で炒めた茄子、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の味噌汁。
昼前、古河市にある 「ナガツカ」 の社長・長塚孝之さんとその勉強仲間が計9名でウチの見学に見える。先ず工場内を案内し、次に事務室の対前年度粗利ミックス表の前でかなり長いあいだ利益感度などにつき説明をする。
1時がちかくなったためクルマ3台に分乗して蕎麦の 「報徳庵」 へ行くとこれが大行列にて小一時間ほどは待たされる。もっともここは日光街道の杉並木直下にあってあたりは公園だから、待ちくたびれる環境でもない。ようやく店内に座を占め、僕も含めた10名で2升5合の盛り蕎麦を食べる。
帰社して今度は僕のマイツールの使い方を、いつもの仕事を実際にディスプレイに出していろいろと実演する。本日の4時間ちかいレクチャーが、古河市の若い方にとって少しでも役に立つことを祈るばかりだ。
次男と下今市駅16:33発の上り特急スペーシアに乗る。晩飯は何が良いかと訊くとお定まりのように 「回転鮨」 と答える。僕は回る鮨は好きではない。駿河台坂の 「魚がし日本一」 は回転型ではない安価な鮨屋で、しかも広くて綺麗な店だったと記憶していたから、北千住から地下鉄千代田線で新御茶ノ水へ移動して駿河台上から左の歩道を降りていく。
ところがいつになってもその鮨屋が見えない。「そういえば」 と考える。2月のある朝にここを歩いた際、明治大学正面の建物がかなり大規模に消えて、その跡地が広大な駐車場になったことを知った。「ことによるとあの鮨屋のあったビルそのものが消えてしまったのではないか?」 と考える。
駿河台下で向かい側の歩道へ移動し、こんどは坂を上がりながら 「知ってるお鮨屋さん、なくなっちゃったみたい。こうなったら回転鮨しかないね」 と言うと、手を繋いで歩いている隣の坊主頭が大いに喜ぶ。駿河台上の 「ひまわり寿司」 で次男は鮪ばかり7皿を平らげた。僕はあれこれと9皿をこなし、菊正宗の樽酒ワンカップ2本を飲んで3,440円を支払う。
丸ノ内線にて本郷三丁目まで移動し、甘木庵へ至る。次男が入浴を済ませ布団へ入ったところに長男が帰宅する。ハッピーヴァレイ競馬場南の "COENER BAR" で、ゴーダ君がすごく面白かったとナプキンにその書名と著者をメモしてくれた奥田英朗の 「ウランバーナの森」 を読んで10時すぎに就寝する。
6時30分に目を覚まして即、起床する。事務室へ降りてコンピュータを起動する。きのうの日記を書くための第1番に何をするかといえば、それはマイツールのある場所に入力した1行の覚え書きを見ることだ。覚え書きとはいえ全角で50文字のそのスペイスにはほとんど、起床時間しか記録していない。日記の手がかりのもうひとつはデジタルカメラの画像だが、そのカメラは9日から10日の未明にかけて紛失をした。あとは自分の記憶が頼りだが、脳に保存した記録ほどあてにならないものはない。
そのマイツールの1行メモに 「ミッドナイト?/沢木耕太郎」 「心は孤独な数学者/藤原正彦」 というふたつの書き込みがある。前者については今週の火曜日に成田空港の書店で 「深夜特急」 のすべてを1冊にまとめた、しかし題名はうろおぼえの本を帰国後に購入しようとしてのものである。後者をいつ書き込んだかは失念したが、たしか赤瀬川原平がどこかでこの本の紹介をしたものを、やはり後に買おうとしての記録だろう。
いずれにしても、コンピュータに残しておかなければとうに忘れ去っていたものだ。沢木耕太郎の 「深夜特急」 は、そのすべてを通読した記憶は明瞭に無いが、しかしどこまで読んだかの記憶は不明瞭だ。僕にはこの何冊にも及ぶ紀行文を、年を経ながら重複して手に入れ無駄にしてきた歴史がある。
7時に居間へ上がる。朝飯は、メカブの酢の物、納豆、しもつかり、ほうれん草の油炒め、メシ、アサリと長ネギの味噌汁。
本日は旧暦の初午にあたる。9時に瀧尾神社の宮司を迎え、お稲荷さんに祝詞を奏上してもらう。しもつかりはこの行事に先立ち、自分が食べる前にお稲荷さんへお供えをした。しもつかりは下野地方に特有の食べ物だから、初午、これを神様へ供するのも栃木県のみの風習と思われる。
ウェブショップに何件のご注文が溜まっているかは、きのう成田空港に到着した際、携帯電話に転送されてきたそれを見て知ることができた。その後は 「3日間の休みも終わるころだからボチボチ注文しようか」 という意志によるものだろうか、有り難いことに更に何件ものご注文が入った。それらを受注するという、僕なら何時間かかるか分からない作業を事務係のコマバカナエさんがサラリと終える。他の社員たちも、昨夜遅くの帰宅にもかかわらず、今朝はいつもどおりの作業を滞りなく進めている。
閉店から15分後、"Mouton Cadet Blanc Baron Philippe Rothschild 2002" を急いで飲む。家内が急いで作ったタラコスパゲティを急いで食べる。
家から徒歩10分ほどのところにあるホールへ家内と次男との3人で行く。6時開場、6時30分開演の東京スカパラダイスオーケストラのコンサートは6時50分に始まった。前席の大きなオネーチャンは紹興酒に放り込んだクルマエビほども跳ねる人にて、次男はステイジの様子を何も見ることができず、そのうちシートへ丸まって眠ってしまった。大音響の中では案外と心が安らぐもので、僕もむかしマイケル・ブレッカーのテナーサックスから2メートルの距離で睡眠したことがある。
9時前に帰宅する。入浴して冷たい牛乳を飲み、10時すぎに就寝する。
7時30分に目を覚ましてバスルームへ行くと風呂のお湯が出しっぱなしで、床1面は水浸しになっていた。その床の一角には首尾良く排水孔があって、これは僕のような酔っぱらいが粗相をしても下の階に被害を及ぼさないためのものなのだろう。水を吸って3倍ほどの厚さになったバスマットをバスタブの中へ収め、濡れた床をバスタオルで拭く。香港の貴重な水を、果たして僕は何リットル無駄にしたのだろう。
空豆のような楕円形にガラスを切り抜いた部屋のデスクにはあちらこちらのレシートや地図のコピーが無造作に重ねてあって、その真ん中に香港での手提げ代わりにしている 「九龍醤園」 のビニール袋が横たわっている。ふとその中を見てみると、昨夜 「凱悦軒」 やオープントップバスや "CORNER BAR" でさんざん写真を撮った "Minolta DiMAGE X" の姿がなく、それに関係するものとしては、京都で優れた皮革製品を売る 「丑や」 によるディマージュ用ケイスの、その一部だけが本体からちぎれたようにしてある。これはたしか昨夜、競馬場南の "CORNER BAR" でゴーダ君が 「これ、ウワサワ君のですよね?」 と手渡してくれたものだ。
「デジカメ紛失!」 という、新聞の大見出しのようなゴシック文字が頭に浮かぶ。そして 「まぁ、あんだけ酔っちゃ、しゃぁねぇわな」 と思う。それにしても、同じ袋に入れておいた銀塩カメラ "RICOH GR1v" の姿が見えなくなっていたら、僕の落胆はディマージュをなくしたときの数十倍は大きかっただろう。
というわけで、昨夕の 「凱悦軒」 以降の画像はすべてカメラと共に失われた。「今回、香港で撮した中で、あのカメラに入っていた絵がいちばん面白かったんじゃねぇか?」 と考える。しかしまぁ、デジカメ紛失も思い出のうちである。
粥または麺の朝飯を食べたいという社員がきのうに続いてあらわれたため、今朝はその双方を商う漢口道の知った店へ計7人で出かける。こちらの味はきのうの厚福街の粥専門店にくらべればかなり落ちるが、しかし僕の粥に沈んだ豚の大きな腎臓は悪くなかった。
本日もなかなかに忙しい。荷物をまとめ9時30分にロビーへ集合する。旅行社のバスで廣東道に沿った免税店へ行き、ここで1時間の自由時間が与えられる。僕は急ぎ足で東へ移動し、スーパーマーケット 「惠康超級市場」 で調味料など30点以上を求める。次にお菓子屋 「許留山」 で月餅など25個を購う。最後に中国百貨店 「裕華」 で塗り薬など7点を調達してようやく落ち着く。これだけ買物をしても、なにしろその対象が麺や醤油、菓子、薬のたぐいばかりだから2万円分の香港ドルはなかなか減るものではない。
免税店へ戻る途中、辟易するほどレイトの悪い両替屋の前に、大陸からの旅行者と思われる人たちが集まっている。「せっかく稼いだ人民元が、もったいないよなぁ」 と思う。
昼飯は 「糖朝」 での蝦雲呑麺、油菜、マンゴープリンのメニュだった。小さくない楕円形の皿に山盛りの油菜はひとりに1皿ずつあり、到底、食べられる量ではない。残すのもシャクなので十代、二十代の男子社員の席へこれを運べば、彼らは四苦八苦しながらしかしそれらのすべてを胃へ収めてしまった。客席で食事風景を撮影されていたひと組の美男美女は、こちらの電影スターだろうか。
折良く迎えに来たバスにて空港へ行き、僕はスターバックスコーヒーで溜まりに溜まった日記に取りかかる。なにしろ香港に到着した日のそれさえいまだ完成していないのだ。香港時間で午後3時45分に離陸したJAL732便の中でも日記を書き続け、2時間後からは前席バックレストの液晶で "Ray" を見る。これは良い映画だ。
成田から乗った送迎バスが会社の前に着いたのは11時20分のころだっただろうか。迎えに出た家内と共にすべての社員を見送り玄関へ入る。居間へ上げたトランクを開き、買ったものを取り出して講釈をしているうちに1時が近くなる。入浴して牛乳を200CCほども飲み、1時すぎに就寝する。
6時30分に目を覚ましてすぐに起床する。コンピュータを起動してきのうの日記を完成させようとするが、旅先では普段よりもすることが多く、それがままならない。社員の一部に朝粥を食べたいとの希望があったため 「厚福街へ行けば美味い店がありそうだ」 と踏み、先ずはひとりでホテルを出る。カーナヴォンロードは左へ大きく曲がるところで複雑な交差点になっているからここで道を間違えないよう注意しつつ歩く。
初めて香港へ来たのはいまだ学生だった1978年で、そのころにくらべると街の匂い、これは雰囲気というものではなく物理的な匂いだが、それがとても薄くなっているところがどうにも面白くない。そういうことを考えつつ厚福街へ入る。「桂記雲呑麺」 はシャッターの下数十センチを開けただけで仕込みの最中だったが、その2、3軒先に粥屋があって、既に激しいコンロの音を道へ吐き出しつつ営業中だった。
それを確かめホテルへ戻り、イシオカミワさんとクロサワセイコさんの部屋に電話を入れる。なぜ片道700メートルの道を歩いて下調べに行ったかといえば、それは社員連れで朝飯にあぶれたくないためだ。計7名で、こんどはいくらか近い道を辿る。店には幸いふたつの空き卓があった。各自が自分の好みに沿った注文をし、僕は皮蛋痩肉粥を頼む。そしてそのお粥も油条もたいそう美味かった。「この店はアタリだった」 と満足をする。ただし 「オレとしたことが」 と思うがその粥屋の名前は記憶していない。
9時に全員がロビーへ集合し、迎えに来た現地ガイドの張美霞さんと地下鉄の尖沙咀駅まで歩く。アドミラリティ駅で乗り換えワンチャイ駅で地上へ出る。こんどは2階建てのトラムでセントラルまで移動し、ブランド物の殿堂ランドマークビルに入る。待ち合わせの時間を確認してからアオキフミオさん、フクダナオブミさんとの3人でふたたびトラムに乗り、たかだか300メートルほどで降りる。グラハムストリートは狭い坂道で、その両側には八百屋、肉屋、魚屋などの食料品屋が露店も含めて立ち並んでいる。我々はこの一角にある 「九龍醤園」 でいくつかの買物をし、僕は56ドルを支払った。
セントラルからはスターフェリーで海峡を渡る。香港へ着いてすぐに配られた八達通を改札へかざして入った通路は2階席に通じていた。10年ほど前まで1階は2等席で、2階の1等席よりもいくぶん安かったように記憶するが、今回は埠頭のどこにも1等2等の説明はなかった。乗物はおしなべて、1等席よりも2等席の方が面白い。
九龍半島側の船着き場ちかくにあるマキシマグループの 「映月樓」 が今日の昼飯の場所だ。ここで供される点心はセントラルキッチンで作られたものを温めるだけだから厨房に厨師はいないと、どこかの点心屋の社長が自社のウェブペイジに書いていた。本当かどうかは知らない。
ホテルに荷物を置いた後、皆は張さんと一緒にクーロントンのショッピングセンターへ行くという。僕はひとりで重慶大厦の両替屋 "PACIFIC" を訪ね、1万円札2枚を1,484香港ドルに換金した。
その重慶大厦はす向かいの停留所から "1A" のバスに乗り2階の最前席へ座る。ネイザンロードからいきなり太子道西に入るかと思われたバスが旺角でいきなり左折をして僕を心配させる。以降、手提げ代わりのビニール袋から1996年版の 「香港街道地方指南」 を出し、バスの行く道をそれに照らし合わせ続ける。香港への飛行機がいまだ啓徳空港に着陸した時代には、僕はいつもこのバスで街へ出ていた。最も乗り慣れた路線の "1A" は、かつてこれほど脇道に逸れただろうか。
そうしてたどり着いた九龍城の街は、九龍半島の尖端にくらべれば歩く人も幾分かのんびりしているように思われる。何本もの道を散歩していると突然、臓物料理が美味いらしい料理屋 「粗菜館」 が目の前にあらわれたため、ここで計4本の油や調味料を買う。価格は157ドルだった。ふたたび太子道西へ戻る途中、荒物屋の店先に香港の古いアパートの階段下によく並んでいるブリキ製の郵便受けを見つけ 「あ、これ、欲しい」 と思う。そしてその直後に冷静になる。「こんなもん買っても、どうせ何に使うってこともねぇだろう、第一かさばるし」 と考え直して先へ進む。
またまた "1A" のバスに乗ってホテルへ戻り、荷物を置いてまたまた地下鉄で海峡を渡る。ワンチャイへ至って優れた乾麺屋 「好到底」 を訪ない、鶏卵を練り込んだ細麺と幅広麺をそれぞれ30玉ずつ購う。今日の最高気温は22度とのこどだったが、ホテルへ帰るころにはかなりの汗をかいていた。
シャワーを浴びてシャツを着替え、初更6時15分に全員がロビーへ集合する。目と鼻の先のホテル・ハイヤットリージェンシーの階段を上がり、「凱悦軒」 の個室に収まる。ここの料理については 「行きすぎたヌーヴェル・シノワーズ」 とか 「総料理長の周中氏も引退してしまった」 と否定的な意見もあるが 「そう固てぇことは言うな」 である。コースメニュは5年前の社員旅行でここへ来たときとまったく同じものだった。僕は今夜の予定を考慮して酒量が多くならないよう、紹興酒とポウレイ茶を交互に飲む。
デザートのマンゴープリンを食べ終えるころ、現在の総料理長・廬貴渓氏が部屋へ挨拶に来る。名刺をもらい、みなで記念写真を撮って外へ出る。
悪くない酔い心地にて8時15分にペニンシュラホテルの裏へ行と、そこには屋根のない2階建てバスが手配されていた。これも5年前の社員旅行と同じ企画だ。後尾の螺旋階段を上り木製の席に座る。二の腕ほどの高さから上にはなにもない古いバスは頭上に大きく看板の張り出したネイザンロードへ出てスピードを上げる。酒に酔った若い者が街宣車の屋根よりも高いところに立ち、そのクルマがギラギラと光るネオンの下で疾走を始めたらどうなるか? その解答が僕の目の前にはある。バスは香港島の夜景を望む海沿いの道にしばらく停まった後、その頭を女人街へ向けた。
無数の露店が放つ裸電球の灯りと色とりどりの商品がまぶしい女人街の散策を始めた社員たちと別れ、油麻地より地下鉄ツェンワン線に乗ってアドミラリティ、ここでアイランド線に乗り換えコーズウェイベイへ至る。自由学園で3年後輩のゴーダタカシ君が数日前にメイルで送付してくれた手書きの地図に従い、ハッピーヴァレイ行きのトラムに乗る。黄泥涌道の終点で降りると指定の "CORNER BAR" はすぐに見つかった。
小学生のころには瀧尾神社の境内で缶蹴りをしていると 「遊んでるなぁ」 という実感があった。いまは酒を飲み、上出来の音楽を聴いていると 「遊んでるなぁ」 という実感がある。"Hennessy" の黒い前掛けをした女の人の勧める 「138ドルで何本飲んでもかまわない」 ジョニーウォーカーの黒ラヴェルを、スイスの保険会社で "CPCU" を勤め香港に住む、そして今日の午後便で出張先の東京から戻ったばかりのゴーダ君が注文する。
「このジョニーウォーカーでロブロイ、作れるかな、でもそんな面倒くせぇことを言っても通じねぇだろう」 と考え、これまた女のバーテンダーにゴーダ君がスイートヴェルモットがあるかどうかを訊く。彼女は 「ライウイスキーとスイートヴェルモットでマンハッタン、ベイスをスコッチにすればロブロイ。そのくらい知ってるわよ」 というような言葉を返した。「オンザロックスにしてレッドチェリーを1発」 と、僕は自分の好みを伝える。
同じく自由学園の9年後輩で、東洋警備香港有限公司の業務部長ナガオツヨシ君もやがて席に加わる。白いシャツの襟を立てて粋ななりをしたハゲアタマの美男子が歌うジャズのスタンダードナンバーがとても良い。窓の外にはいまだ競馬場の夜間照明がある。平日の夜にもかかわらず店は満員で、その熱気がクーラーの効きを弱くする。オジサンに代わってアヒル口の女の子がステイジに立つ。こちらもすばらしく上手なポップスを歌う。夜が徐々に更けていく。
気がつくとシェラトンホテルの外に停車したタクシーの中にいた。後輩と酒を飲みながらその代金も支払わず、タクシー代を持たせ、お土産までもらい、しかし当方は日本からなにも持参していない。まったくもって不肖の先輩である。そしてその後の記憶は何もない。
3時に目を覚ます。
ウチのウェブショップが本格稼働して以降、サーヴァーは神保町矢野ビル4階にある "Computer Lib" のものを利用している。このサーヴァーが、当方のプロバイダ "OCN" のIPアドレスが変わっただけで接続を拒絶するような厳しいセキュリティのため、海外はおろか国内でも、普段いる場所以外からのダイヤルアップによる接続はできない。可能なのはウェブペイジのブラウジングとniftyのメイルの送受信、ただこれのみだ。よってこれから3日間の日記は今週の金曜日まで更新されないことになる。
6時間を経てようやくデフラグの完了したコンピュータにて本日の日記のさわりを書く。今日は長い1日になるはずだから、3時の目覚めはいささか早すぎた。往路の飛行機では眠ることができるだろうか。
5時45分にモーニングコールが鳴る。3時から起きている僕にはどうということもないが、放っておけばいつまでも眠り続けることのできる若い者には辛い時刻だ。まるで温泉旅館で迎えた朝のように風呂へ入り、6時25分に製造係のアオキフミオさん、フクダナオブミさんと各々のトランクを持ってフロントへ行く。
レストランの入口にて製造係のマキシマトモカズ君に行き会う。どうにも元気がないので病気ではまずいと声をかければ、今朝の3時半まで飲んでいたための二日酔いだという。僕の朝飯は、納豆、生卵、オカヒジキ、冷や奴、ホッケの塩焼き、ベイコン、レタスとポテトのサラダ、メシ2杯半、お麩と長ネギの味噌汁。そしてそのマキシマ君の朝飯は、味噌汁と梅干し2個とミルク1杯だった。せっかく金を払っているのだから、こういうものは意地汚く大量に食べなくてはいけない。
そしてダメなのは、6時30分のフロント集合に遅れてきたイトウ、タカハシ、サイトウ、ハセガワの男4人である。いずれも睡眠時間はたかだか2時間そこそこなのだろう。高島屋への出張中、毎朝カツ丼と盛り蕎麦のセットを食べ続けたサイトウシンイチ君は今朝、1皿のシリアルをようやく平らげた。
ホテル前7:30発のバスで空港へ行き、なにやかやして9:50発のJAL731便に搭乗する。10時30分に客室乗務員より飲みものを選ぶよう言われ、トマトジュースを頼む。それぞれビールとワインを注文したアオキさんとフクダさんは大したものである。その30分後に昼飯はビーフシチューと鶏の竜田揚げのどちらが良いかと訊かれ、牛よりもカロリーの低そうな鶏を頼む。こちらについては 「せっかく金を払っているのだから」 とはいえ、そうは食べられない。
きのう事務室でトランクを閉じる際、さんざん迷って最後に選んだ本は結局、読むたびに紛失をして常に版の新しい 「ロマネ・コンティ・一九三五年」 だった。そしてこの本の、初めからふたつめの短編 「飽満の種子」 を読み始める。どうして香港を舞台にした筆頭の 「玉、砕ける」 から読まないか? これはもう折に触れて読んで読んで、小説は読むそばから忘れていく僕にさえペイジのそこここに鮮明な記憶があるから今回はそれを割愛した。
と、ここまでの筆の運びが馬鹿に悠長なのは、東シナ海上空を飛ぶヒマを慰撫しての結果である。
香港時間14:50に飛行機はチェックラップ空港に着いた。張美霞という若い女の現地添乗員と落ち合い、迎えのバスに乗って、先ずはおつきあいのシルク屋へ行く。人間を 「土産を買う人」 と 「買わない人」 とに二分すれば、僕は明らかに後者に属するが、しかし事情によりこの旅行に参加できなかった社員に対しての土産を買うことは義務だから、これを果たすまではどうも心が落ち着かない。そして案内されたシルク屋で早くも絹のパジャマを自分の分も含めて6着購入し、ひと安心する。
と、ここまで書いて、これほど文字数が多いといつまで経っても日記が終わらない。シェラトンホテル15階の部屋は、尖沙咀としては贅沢なハーバーヴューだった、といきなり速度を上げる。
「珍寶の宴会料理は作り置きをしているから出てきたときには冷たいし、ウェイトレスも皿を投げ出すようにして置く」 と言う人があるが、僕はここで冷たいものを食べたことはないし、お運びの人のサーヴィスも香港にいることを思えばそれは標準的なものだ。香港島の深湾に浮かんだこのけばけばしい料理屋をひとめ見るなり 「おー、すげぇじゃん」 と呆れて歓声を上げるのも旅の楽しみのうちに違いない。
夕刻5時30分にこの水上楼閣へ上がったときにはいまだわずかだった客も徐々にその数を増し、大食堂の中にざわめきが満ちてくる。それにしても、23年前に家内とこの湾の入口まで来たときには海上はるか遠くにレストランが見え、その背後には緑の山があり、そして岸辺には 「あの料理屋まで渡してやる」 とサンパンを寄せてくる水上居留民がいてそれはのどかなものだったが、今や湾内のほとんどはヨットハーバーになり、そして山には粘土に突き刺したマッチ棒のように高層マンションが林立するに至った。
また文字数が多くなった。更に文章を端折る。
我々を 「ジャンボ」 ちかくの船着き場まで運んでくれた現地旅行社のバスにて食後ヴィクトリアピークへ上がり、いわゆる100万ドルの夜景を眺め、ピークトラムで山を下り、地下鉄でホテルのある尖沙咀へと戻る。ロビーで人数を確認したのち3組に分かれて街へ出る。僕はサイトウヨシコさん、ヤマダカオリさん、トチギチカさんと地下鉄にて佐敦へ移動し廟街を歩く。
油麻地まで行ってネイザンロードを戻る途中、徒歩でこの道を遡上してきた男子社員の一部と会う。その中のサイトウシンイチ君と女子社員3人にはマッサージの予約があるためバスで帰るよう言い、僕はマキシマトモカズ君、イトウカズナリ君、タカハシアキヒコ君、ハセガワタツヤ君との5人にて油麻地から旺角まで歩いて途中、路上のメシ屋でアサリとシャコの油炒め、鍋のまま炊くポーチャイファンを食べる。飲みものは先ほどセブンイレブンで安いビールを2.5リットルほど買ってあった。
子供ではないが、香港でバスに乗ったら必ず2階へ上がり、そして最前列に座る。そうしてホテルへ戻り、さすがに水が飲みたくなって製造係フクダナオブミさんの部屋へ行くと 「まぁまぁ」 と水割りを差し出されて余計に酔いが回る。
自室へ戻り、入浴して午前1時に就寝する。
枕頭の止まった時計にはいつになっても電池の入れられる気配はなく、今朝もその針はありえない角度に留まっている。ベッドの下に手を伸ばして適当な活字を拾い上げ、それを読んだり、また灯りを落として休んだりしているうち、障子から差し込む薄闇が朝の気配を帯びてくる。
起床して事務室に降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。洗面所から見える北西の景色はきのうと変わらず、「先週は何度も雪を降らせたくせに、社員旅行のある週を待っていたように晴れることもねぇだろう」 と、すこし恨めしく思う。朝飯は、3種のおにぎり。
クロックの高いCPUができると、それに依存するようにして重いアプリケイションが開発されるから、結局のところコンピュータはスペックを上げ続けざるを得ないというイタチごっこがある。そして車輪の付いたトランクと荷物の関係も、その終わりのないゲイムによく似ている。
25年前に長い旅行をしたとき、荷物は "SALEWA" のサブアタックザック1個で、僕は荷物を計量化するため歯ブラシの柄を半分に切ることさえした。背負う荷物はせいぜい5キロが身軽の範囲で、これが10キロを超えたりしたら、それこそ走り出したバスを追いかけこれに飛び乗るなどなどは到底できなくなる。
その、かつては歯ブラシの柄を半分に切ったほどの人間が車輪付きのトランクを使うようになったとたん、3泊4日の短い旅行に長袖のシャツ6枚を持つほどの堕落をするのである。
夕刻、勤務のシフトにより本日は休みだった社員たちが思い思いの格好で集まり始める。定刻の5時30分にすこし遅れて店を閉め、社員に続いてあわただしく "REMOWA" の大きなトランクを迎えのバスの胴体に格納する。
「皆さま今晩は、お食事の前に申し訳ございませんが、とりあえずこれより、ご出発からお帰りになるまでのご説明をいたします。しばらくのあいだご辛抱ください」 とは、酒が入れば何も聴きはしない一部あるいは半数ほどの社員たちへ少しでも注意事項を詰め込もうとする添乗員トバヤシヒロタカさんの慇懃な第一声である。
早晩この世から無くなるに違いないと僕が思い続け、しかしいつまでも存在するのがパチンコとカラオケと添乗員の付き添う団体旅行だ。パチンコやカラオケは廃れるどころかますます盛んそうに見受けられる。そして旅行は、明らかに自分であれこれを調べて歩く方が面白いと思うが
「香港では昼間、何するんですか?」
「スケデュール表、ずいぶん前に配ったろ、読んでねぇのか?」
「あ、はい」
という、僕と販売係ハセガワタツヤ君の会話があらわすように、旅行には行きたいけれど、しかし自分の泊まるホテルさえ知らないという人が存在する以上、添乗員がいなくてはどうにもならない現状がある。経営者が添乗員の役を務めればいいじゃねぇかと言われれば、僕にもいろいろと都合があるからそれは困る。
そしてバスは異例の早さを以て8時40分にホリデイ・イン東武成田ホテルへ到着した。
しばらくして落ち着いた後、数人の社員たちと一室に集まって飲酒を為す。しかし僕はきのうに続いて断酒をすべく冷たいお茶を飲む。酒を飲んで愉快にしている人たちの中でひとりお茶を飲んでいると、自分も徐々に酔った気分になってくるから不思議といえば不思議だし、有り難いといえば有り難い。
その飲み会を中座して入浴し、"Think Pad" にデフラグをかけて10時に就寝する。
「いまだ枕頭の時計は止まったままだから」 と書き続けて何日が過ぎたかは知らない。今朝も未明というよりは真夜中に目を覚まし、「エレンディラ」 は既にして読み終えているから床の活字を拾い読みして起床する。事務室へ降りて壁の時計を見ると4時30分だった。
いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。洗面所の窓を開けると空には西から東へと延びる細く長い雲のみがあって日差しは強く、家々の屋根に残った雪が目にまぶしい。朝飯は、メカブの酢の物、ツナと三つ葉のサラダ、明太子、黒豆納豆、メシ、大根と万能ネギの味噌汁。
全部で70項目からなる旅行用荷物のリストから先ず事務机の中にあるもののみを選び出し、空いた机の上へ並べていく。70項目というと大げさのようだが 「胃薬」 「目薬」 「アスピリン」 「総合ビタミン剤」 「バンドエイド」 「リップクリーム」 「うがい薬」 と挙げれば、これだけでその1割が埋まってしまうのだから驚くようなものでもない。
初更、今日の断酒を決めて食卓に着く。サツマイモの甘煮、鮪の味噌煮とシシトウ、大根とハムと三つ葉のサラダ、モヤシとニラの炒め物、そして豚肉とニンニクの芽の炒め物。これらをおかずにして食べる米のメシがいと美味い。
ところで僕は食べ物の美味さをあらわすときには多く 「美味い」 という言葉しか使わない。「美食評論家じゃあんめぇし」 という思いの、これは表出だろう。飲食の行為については 「食べる」 「食う」 「飲む」 という言葉しか使わない。鮨を 「つまむ」 とか 蕎麦を 「たぐる」 という他動詞は、僕にはやや酢豆腐に感じられる。逆に 「かっ込む」 となると、これは野蛮性の衒いに思われていやらしい。
「こっくりと炊いたお豆さん」 などという表現も好きではない。一体全体 「こっくり」 とは、どのような状態を指すのか? 僕の好みは常に "Straight, No Chaser" である。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時に就寝する。
いまだ枕頭の時計は止まったままだから目を覚ました時間は分からない。部屋の闇が水族館の地下1階ほどの青みを帯びるまで待って起床する。洗面所の窓から外を見ると、昨夜から今朝にかけての雪はせいぜい数ミリほどの厚さで地面を覆うのみだった。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。日光の山は雪雲に隠れて見えないが、その上には薄く青い空が見えている。「なんとか晴れねぇか」 と思う。朝飯は、黒豆の納豆、カンパチのつけ焼きと大根おろし、カボチャとツナと三つ葉のサラダ、ほうれん草の油炒めと茹でたソーセージ、メシ、アサリと万能ネギの味噌汁。
「昨夜から今朝にかけての雪はせいぜい数ミリほどの厚さで地面を覆うのみだった」 とはいえ、店舗前の歩道に張り付き凍った雪を、販売係のサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君が土建屋の使う鋼鉄製のスコップで削り取る。国道121号線を隔てた店舗向かい側の駐車場では、初動の仕事を終えた包装係のサイトウヨシコさんとアオキマチコさんとツカグチミツエさんがその入口の雪を掃除する。
僕はといえば、本業以外に抱え込んだ雑務もあって、1年で1番ヒマなこの時期にもなにかと気ぜわしい。このようなことはできるだけ早朝のよしなしごとのあいだに処理したいと思うが、電話も必要とする作業を朝4時に行うわけにはいかない。
親父とお袋が結婚して50年がちかいとは、数日前に知らされたことだ。その記念の晩飯を食べるため、初更7時より家族6人にて "Finbec Naoto" を訪なう。
ジャガイモの熱いスープ・カレー風味、エビとアスパラガスのマリネ。僕は世の中全般について詳しくないが、同じく植物生物についても詳しくないため、このエビが何エビなのかは分からない。ホタテ貝の胡麻風味ウフブルイエ添え、ホウボウのポアレ。どれもこれも美味い。
3種のチーズ、フワフワの熱いパイに上下を挟まれた焼きリンゴとバニラアイスクリーム、エスプレッソにて締める。ワインは "Rully LOUIS JADOT 1998" で通した。お開きの前に次男が50本のバラを抱え、オフクロに 「はい、高級花」 と言葉を添えつつこれを渡す。人にやるものについて高級花とは言い得て妙である。
帰宅して入浴し、牛乳を300CCほども飲んで10時前に就寝する。
きのうに続いて時計は止まったままだから目を覚ました時間は分からない。そのまま横になり、来週月曜日からの旅行にはどんな本を持っていこうかと考える。
アンソニー・ボーディンの 「キッチン・コンフィデンシャル」 はここ数年のうちに読んだ中で最も面白い本だった。次作の 「世界を食いつくせ」 にも期待をし、一気に読むのは勿体ないからとこれを少しずつこなせば、企画は良いものの惜しいかな本文からはそれほどの熱狂や興奮が感じられない。開高健の 「ロマネ・コンティ・一九三五年」 は読むたびに紛失し、また買って読むからいつも新しい。同じく開高の 「ベトナム戦記」 は未読のまま15年も本棚へ置くうち長男が甘木庵へ持って行ってしまった。
マルセル・ムルージの 「エンリコ」 はいま読む雰囲気ではない。二上達也の 「棋士」、金子光晴の 「西ひがし」、あるいは古今亭志ん生の 「なめくじ艦隊」 は? と、頭に浮かぶあれこれの傾向はメチャクチャである。
6時30分に起床して事務室へ降りる。「3日連続で大雪の降る恐れ」 などとテレビの天気予報が言っていたためシャッターを上げて外へ出るてみると、雪の深さはそれほどでもなかった。雪かきの道具をその置き場から外へ出し、居間へ戻る。
朝飯は、きのうのマカロニサラダ、ジャコ、メカブの酢の物、納豆、ほうれん草の油炒め、メシ、豚汁。
普段よりも大人数で臨んだ雪かきの能率は高く、顧客駐車場の主なところは30分ほどで綺麗になった。しかし朝方より勢いを増した雪のため、昼前に2度目の雪かきをする。午後、更に3度目の雪かきをしている最中にようやく雪が止む。駐車場の北東には大きな雪の山ができた。そしてサイトウシンイチ君はここに穴を穿ちかまくらを作った。
初更、食卓にほうれん草の胡麻和え、お多福豆、ホヤの塩辛を並べて日本酒を探すが、ワイン蔵にはこの肴にて飲みたくなる日本酒はなかった。泡盛 「宮の華」 をお湯割りにする。
「天ぷらにしようとしたら柔らかくなりすぎちゃった カボチャ、カンパチ、鯛、ヤリイカ、甘エビ、ウスバハギの刺身、4種の天ぷら、盛り蕎麦にて更に泡盛のお湯割りを飲み進む。
僕はナッツ類を好まない。頼みもしないのにこれがバーで出てくると、取られるお金のもったいなさに仕方なくすべてを平らげようとしていつも頓挫する。しかしながら先般の高島屋のイヴェントで隣に店を張った 「谷松」 というお菓子屋の、煎りピーナッツを水飴でつないで平たく延ばしたお菓子は美味い。どれくらい美味いかというと、ピーナッツ嫌いの僕が皿の上のこれについてはすべてひとりで食べ尽くしてしまうほど美味い。そしてもはや残りはほとんど無くなってしまった。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
暗闇の中で目を覚まし、枕頭の灯りを点けて時計を見ると7時35分を指しているからこれは狂った時間だろうと思い、秒針を見ると止まっているから、つまりこれは狂った時計ではなく止まった時計ということになる。高島屋店頭にてツナシマショウゾウ君からもらった 「東京風」 の写真はきのうまでに全ペイジを見ていたが、そのところどころに挿入された文章はいまだ読んでいなかった。この4分の3ほどを読み終えて二度寝に入る。
次に目を覚ますと7時だった。エレヴェイターを降り、事務室を解錠して灯りや暖房のスイッチは入れるが、いつものよしなしごとをする余裕はない。7時20分に居間へ戻る。朝飯は、「鳥近」 の手羽先焼と長ネギの雑炊、ジャコ、塩らっきょう、「はれま」 の 「やさい」。上出来の手羽先焼が余ったとき、これを刻んで雑炊の具にするとすこぶる美味い。
高島屋へ出張した8泊9日実働7日間の決算書は昨夕に作成をした。昼にその損益分岐比率の部分を赤ペンで囲み、社員用通路の掲示板に貼る。そしてこの9日間の残務整理をひととおり終える。
燈刻、本日は断酒をすべしと決めて、初っぱなにカレー風味のポテトフライが出てくる。これはビールに合いそうだが僕はビールはほとんど飲まないから、この一皿に精神が錯乱することはない。モヤシナムルは次男の好物で、きのう高島屋の地下1階で買ってきた。ポケモン関係のイヴェントにつきあって子供と何時間も行列をすることはしないが、子供の好きな食べものを買って帰るくらいのことはする。
次のマカロニサラダは困る。マカロニサラダは燗酒にも泡盛にも白ワインにも合う食べ物だから、断酒の晩にこれが出てきては困る。更に牛肉団子のトマトソース煮。こういうメシに合うおかずは酒にも合うことになっていて、だから当方は 「あーあ、安いカヴェルネソービニョン、まだワイン蔵にあったよな」 ということをつい考えて、また困る。そういう困った食べ物にて炊きたてのメシ2杯を食べる。
ワイン畑の価値は、しばしば小径を1本へだてただけで激変する。そして農家は大抵、自分の土地の中でも特別に美味い米を産する場所を知っている。いつもしつこく言うが、サイトウトシコさんちの田んぼのうち特に泥の柔らかいところで収穫された米のメシは、酒よりもよほど美味い。杏仁豆腐にて締める。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
昨夜はしっかりしていたはずだが、ベッドの中で目覚めてみれば着の身着のままである。ヘッドボードに仕込まれたデジタル時計が青く5と07を示している。起きてバスルームの扉を開くと、バスタブには数時間前に張ったとおぼしき冷えたお湯がある。コンピュータを起動しブラウザを開くと、会社のホームペイジに設置した高島屋関係のリンクは既にして無かった。
既に日付の過ぎている事柄について、これを更新せず 「開催予定です」 だの 「開催中です」 だのと放置したままのウェブペイジを見るにつけ 「このくそったれ」 と僕は感じるが、高島屋でのイヴェント最終日を終えたきのうの晩、律儀にもその情報をホームペイジから削除して更新した後、バスタブにお湯が溜まるまでのつかの間ベッドへ横になるつもりが、そのまま朝になってしまったというのが真相だろうか。
冷えたお湯を抜き熱いお湯を溜め入浴をする。いつものよしなしごとをして8時30分を迎えても本日はもはや帰社するだけである。9時に荷物をまとめ始め、それをホテルのフロントに預けてチェックアウトする。
10時すこし前にハセガワタツヤ君と日本橋へ達し、「小諸蕎麦」 にて僕はトロロご飯とかけそばのセット、ハセガワ君はたぬきうどんをそれぞれ遅い朝飯とする。高島屋地下1階 「味百選」 売り場を訪ねてこの1週間のお礼を言い、メモを見ながら個人の買物をする。どんどん大きくなる荷物をハセガワ君に持ってもらう。
屋上駐車場から三菱デリカを降ろし、高島屋脇の狭い道から中央通りへと出る。一方通行だらけの新橋の裏道で迷走しないよう、あらかじめ日比谷を迂回してホテルへ戻る。先ほどフロントに預けた荷物を積み、銀座の7丁目と8丁目のあいだで中央通りに戻って日本橋、神田、秋葉原と来て甘木庵へ達する。待ち受けたイシオカミワさんとクロサワセイコさんがここに宿泊した出張者たちの荷物を積む。
往路はサイトウシンイチ君が会社から蓮田のパーキングエリアまで運転をし、その後は僕が引き受けた。帰路は僕が浦和インターチェンジまで運転をし、その先はハセガワタツヤ君に任せた。そして2時50分に帰社する。
初更、ホヤの塩辛にて泡盛 「宮の華」 を飲む。今夜のメシをタシロケンボウんちの湯波鍋にしてくれとは、帰りの高速道路を走りながら家内に電話で頼んだことだ。そこに芹、水菜、豚の薄切り肉を投入して食べる。別途、高島屋で買った人形町 「鳥近」 によるレヴァの串焼きも食べる。「伊勢廣と鳥近のどちらの鶏レヴァが美味いか?」 とは無用の比較にて、どちらもそれぞれに美味い。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
何時に目を覚ましたのかは知らないが、それほど長く闇の中に横たわっていることなく起床して時計を見ると5時をすこし過ぎていた。冷気が忍び込まないようカーテンを閉じているから外の明るさについは不明だ。大寒のころにくらべたら、日の出はずいぶんと早くなったに違いない。冷蔵庫の水を飲み、水道の水で顔を洗い、コンピュータを起動していつものよしなしごとをする。
きのうの閉店前に差し入れとしていただいた、我々のブースはす向かいのお寿司屋さんの折り詰めを朝飯とする。インスタントの煎茶を飲みつつ食べる焼き鯖の鮨や野沢菜の巻物は美味い。
ハセガワタツヤ君と共に9時に売り場へ到着する。甘木庵組も来る。食料品部のサスガケンイチロウさんと共に8階へ上がり、仮設の冷蔵庫より当座必要なもののみを運び出して地下1階へ降りる。7日間の出張販売も、いよいよその最終日を迎えた。1階の商品搬入口にて着荷を確認しつつ裏の通りへ出てみれば、青い空には多めの白い雲があって、これからの曇天が予測される。
午前中、同級生のツナシマショウゾウ君が来て、買物の前に荒木経惟の写真集 「東京風」 をくれる。ツナシマ君は仕事の関係から白夜書房とつきあいが深く、もらったアラーキーの写真集はこれで2冊目になる。地下鉄口へ向かって足早に去るツナシマ君に追いつきなにか土産を買って手渡そうとするが、本日は繁忙にてあちらこちらを慌ただしく歩き回ることもあり、そのようなものは不要だという。修辞ではなく、日常において接する近しい人のすべてが、僕には自分よりも偉く見える。
午後2時ちかくに 「丸善」 のあるブロックの、中央通りを背にして右の道を歩き、2本目だか3本目の路地を入って 「魚がし日本一」 へ行く。16カンの鮨を食べて1,200円を支払う。
年少の友人テシマヨーちゃんとは彼が数年のあいだインドネシアに赴任したため疎遠になっていたが、先週の何曜日だったか朝の出勤途中に烏森神社の参道でばったり出くわし、「なに?」 と訊くので高島屋のことを話すと 「ほな行くわ」 と言った。そのヨーちゃんが閉店の30分前に来てくれ買物をしてくれ、おまけにインドネシア産のコーフィーまでくれる。
ヨーちゃんはまた今秋の日光MGにも参加したい旨も述べるため、必要な資料や写真については、要請があればいくらでも送るからそのときには遠慮せずに言って欲しいと伝える。日曜日の夜に帰って今朝また会場入りした家内は、ヨーちゃんのお嬢ちゃんへと雛祭りのお菓子を上げた。
そして本日の売上金額は昨年よりも12,550円の増だった。ハセガワタツヤ君にこれを伝えれば 「ビミョーな金額ですね」 と言うだろう。しかしハセガワ君は、これが12万5千5百円でも 「ビミョーな金額ですね」 と言うに違いない。
閉店後の片づけは、明日からの催しに参加する他のお店が我々の目の前までコンビネットに満載した荷物を運び入れ 「はやく出てくんねぇなかな」 という無言の圧力をかけ続ける中で行われる。昨年の記録によれば、搬出完了時間は8時40分となっている。ということは営業時間が30分延長をされた今年においては、9時10分にすべての仕事から解放される計算になるが、高島屋職員の方々の手際は昨年よりも更に良く、帰りの荷物を満載した屋上駐車場の三菱デリカは9時ちょうどに施錠された。
午後9時5分に 「丸善」 のあるブロックの、中央通りを背にして右の道を歩き、2本目だか3本目の路地を入って 「紅とん」 へ行く。飲んで食べているうち、いつの間にか11時がちかくなった。クロサワセイコさんは麦とろごはんで、イシオカミワさんは焼きおにぎりで、そしてハセガワタツヤ君は刻んだ豚肉の焼き飯にて締める。マニュアルによるサーヴィスや、不味くもないが美味くもない料理といった、いわゆるチェーン店の持つある種の 「臭み」 を客に感じさせないよう工夫したところに、この店の成功要因のひとつはあるように思う。
後半4日間の疲れとウーロンハイの酔いにより 「早くベッドにぶっ倒れたい」 状態のハセガワタツヤ君を冷たく激励しつつホテルへ戻る。そしてその後の記憶は、僕も定かではない。