2時30分に目を覚ます。「代表的日本人」 を読んで4時に起床する。眠りにつく前、翌早朝に目覚めたときにはあれこれと思いつくからそれは枕頭のメモに残す。そのメモを持って事務室へ降り、月末につきものの仕事をする。あるいはきのうの日記を作成するなどのよしなしごとをする。
6時30分に居間へ戻る。朝飯はメカブの酢の物、カキ菜の胡麻油炒め、味芳のジャコ、納豆、メシ、ワカメと三つ葉の味噌汁。これらの画像を見てみると皿小鉢の中身はすべて緑色か茶色だから 「オレもジジイになったなぁ」 と思う。若い人たちの食卓には、なにより暖色を持つものが多い。
先般の日光MGに参加をしてくださったウノヒロシさんが朝からお見えになる。ウノさんは今月15日から室蘭を皮切りに三浦海岸、名古屋、長野、ふたたび名古屋、東京と経めぐって本日が出張の最終日だという。「オレもそういう旅がしてみてぇなぁ、ただし遊びで」 と思う。
昼に家内も誘い3人で蕎麦の 「報徳庵」 へ行く。盛り蕎麦5合、天ぷら、なめこおろしを注文し、これを食べる。しょうじからあわいひかりのさしこむへやで、とここまで打ち込んで変換キーを押すと 「修飾語の連続」 とワードプロセッサに叱られるが、果たしてこれは文法的に誤った文節なのだろうか、とにかく障子から淡い光の差し込む部屋ですごす冬のひとときが僕は好きだ。
ウノさんと話をしながら次々に訪れる来客の相手もし、またあちらこちらへ出かけもしたから夕刻には少し疲れていた。終業後はきのうに引き続き、次男の勉強机にてウイスキーのお湯割りを飲みながらアボットの写真集を見る。揚げ茄子、マカロニサラダ、コロッケ、豚のヒレカツ、刻みキャベツによる晩飯に臨んでも、"Macallan 12 Years old" のお湯割りを飲む。
入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。
3時30分に目を覚ます。「代表的日本人」 を読んで5時に起床する。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動して後はいつものよしなしごとをする。
7時に居間へ戻る。朝飯はメカブの酢の物、ほうれん草のおひたし、タクアン、納豆、メシ、ワカメと三つ葉の味噌汁。
オヤジの百ヶ日の法要とお墓の開眼式を行うため、オフクロと家内との3人にて10時前に如来寺へ行く。開眼式の準備は、須藤石材の社長が朝8時すぎより万端整えてくれていた。きのうは雨だったが今日は風は強いものの空は晴れて暖かい。住職のクワカドシューコーさんが墓地にて念仏を上げ、これにてオヤジが死去して以来の一区切りが着く。
初更、次男の勉強机にて "10 Years old" よりもはるかに美味い "Macallan 12 Years old" のお湯割りを飲みつつ "Berenice Abbott" の写真集 "Changing New York" を見る。どのペイジもまったく悪くない。この、1930年代の主にマンハッタンを撮り歩いた写真集には当時の地図と共に個々の写真の撮影場所も記録されているから、特にニューヨーク好きには堪えられないものだと思う。
廊下の陰にバキュバンで栓をした "Chablis BILLAUD-SIMON 2004" を見つけたため、これを食卓へ運んでグラスへ注ぐ。トマトとレタスのサラダ、鰤のオリーヴオイル焼きバルサミコソース、サヤエンドウとエリンギ添えを酒肴としてこれを飲む。これだけでは腹が満たないため、ジャコと梅干にてメシ1杯半を食べる。イチゴとスィートポテトにて締める。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
4時40分に目を覚まして 「代表的日本人」 を読み、5時に起床して製造現場へ降りる。小一時間ほどの作業に従って後は事務室へ移動していつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯はソーセージと野菜のスープ、納豆、ほうれん草の油炒め、丸赤の極辛塩鮭、メシ、豆腐とワカメと万能葱の味噌汁。
中古で購入してから11ヶ月のあいだ使った "Minolta DiMAGE X21" が息の根を止めたことは今月22日の日記に書いた。ポケットに入る小さなデジタルカメラは欠かせないから新たに買う必要がある。昨年9月の日記に 「祭りは終わった、リコーの "GR" は銀塩だけがあれば良い」 と書きながら、しかし後継機は "RICOH GRD" をおいて他に考えづらい。
折良く "Map Camera" より 「新品リコー『GR DIGITAL【SD512MB付】』¥66,600」 という表題のメイルマガジンが21日に届いていた。そしてこれを発注したのがきのう25日。受注確認書には 「明日の便で商品を発送いたします」 とあったが、現物は今朝9時前にヤマト運輸により配達された。
レンズカヴァーが開いたままで閉まらなくなった "Minolta DiMAGE X21" とこの "GRD" とを並べてみる。純正のストラップは僕の手に長すぎるため、頃合いのそれを事務机から探し出す。外部ファインダーを買うつもりはない。"GRD" のレンズは35ミリ換算で28ミリだから、"Voigtlander" の "Snapshot-Skoper 25mm" 用のものでも充分に通用するだろう。
僕は生来のマニュアル嫌いだが、このカメラのそれは大変に分かりやすく、124ペイジまではサクサクと理解しながら進んで125ペイジで頓挫する。後はあちらこちらのサイトを覗いて研究すれば良いだろう。
初更、ほうれん草と海苔のおひたし、メカブの酢の物、銀鱈の粕漬、肉豆腐を酒肴として芋焼酎 「さつま島美人」 のお湯割りを飲む。粕漬が馬鹿に美味いので、訊けばこれは 「丸赤」 の安い切り落としだという。
入浴して牛乳を250CCほども飲み、9時30分に就寝する。
目を覚ましてしばらく、あるいは数十分経って時計を見ると5時前だった。5時に起床して製造現場へ降り、小一時間ほどの作業に従う。事務室へ移動してからはいつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯はきのうのカレー南蛮鍋を利用したうどんと焼きおにぎり。
9時に次男を丸山公園のテニスコートへ送った後、とり急ぎ帰宅してネクタイを締めブレザーを着る。9時30分に瀧尾神社の社務所へ行き、本日行われる春季小祭の打ち合わせに入る。瀧尾神社の祭礼は季節ごとにいくつかあるが、それに際して自分がお神輿かつぎや屋台押しなどをしているころには、この時期にこのようなお祭りがあることは知らなかった。
10時に参集した全町内の区長が鳥居をくぐり神殿へ進んでも、当方は喪中のため社務所にて待機をしている。その社務所では婦人会の人たちによって料理の準備が着々と進んでいく。初会議のものとくらべればずいぶんと簡素な本日のメニュは水かけ菜と大根のおひたし、里芋とこんにゃくの田楽、稲荷鮨と海苔巻きの折詰めだった。
全員が神殿より社務所へ戻ったところでタナカキヨシ宮司の挨拶、イワモトミツヒロ春日町一丁目区長の挨拶、他にも何人かの挨拶があり、早くも10時30分より直会になる。我が町内の役員のほとんどはすこし離れた席に集まり、先ほどのおひたしや田楽の、しかし小皿に取り分けたものではなく大鉢によるそれを肴に飲酒となる。酒は神事には欠かせないものにて、だから祭礼に臨んでは朝からこれを飲んでも誰に後ろ指を指されるものでもないが、僕は本日を2月最後の断酒日にすべく、自分のグラスにはウーロン茶を注ぐ。
けんちん汁をいただいたところで時刻を確認すると11時30分になっている。本日はふたりいる事務係のうちコマバカナエさんが休みで、家内は長男の父母会のため自由学園へ行った。当番町の役員はすべての客が帰るまで社務所に残るべきだが、僕は事情を話して昼前に帰社する。
初更、生のトマト、ソーセージと野菜のスープをおかずに炊きたてのメシ1杯を食べ、7時10分前に家を出る。明日こそはウイスキーを飲みながら "Berenice-Abbott" の写真集を見ようと思う。春日町一丁目の公民館へ行き、育成会の会議に加わる。
8時前に帰宅して入浴し、牛乳を200CCほども飲んで9時30分に就寝する。
1時30分、3時30分、5時とそれぞれ目を覚ましてはまた眠り、ということを繰り返して6時30分に起床する。事務室へ降りても外の新聞を取り込むくらいのことしかできず、またここ数日は暖房のスイッチをつい入れ忘れるから、春はやはり徐々に近づいているのだろう。
朝飯はタクアン、海老とブロッコリーのオリーヴオイル炒め、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とワカメと三つ葉の味噌汁。
今回はホテルを使用せず、出張者のすべてが甘木庵に寝泊まりをしたことなどもあって、日本橋高島屋の 「老舗名店の味特選会」 における損益分岐比率は昨年よりもすいぶんと低いものになった。品別の粗利やその総額、経費一覧なども添えて印刷し、これはきのうのうちに社員用通路の掲示板に貼付をした。出社や退社の折にこの表を見てあれやこれやと僕に質問をする社員がいる。逐一それに答えているうち、当方にも新しい発見があったりする。
午後1時に今市小学校へ出向き、学年別懇談会に引き続き次男の授業参観をする。次男と共に帰宅して3時30分より仕事に復帰する。
夕刻から行ったスイミングスクールで次男が昇級試験に合格したとのことにて、晩飯は本人が希望したカレー南蛮鍋となった。椎茸やエノキダケや厚揚げ豆腐を煮込んだ、いわゆるカレー南蛮蕎麦の鍋に、ほうれん草や豚の薄切り肉を投入する。今月の断酒ノルマはまだ2日も残っているから飲酒は為さず、のびのび胡瓜のニンニク和えやタクアンにてメシ2杯を食べる。
入浴して牛乳を飲もうとするが、今夜は満腹にて150CCがせいぜいだった。9時30分に就寝する。
4時に目を覚ます。「代表的日本人」 を読んだり血圧を測ったり、あるいは灯りを消して休んだりなどして5時に起床する。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動していつものよしなしごとをする。
7時に居間へ戻る。朝飯は目玉焼き、炒めたハム、タクアン、納豆、メシ、こともあろうにコーンスープ。次男は家内が作った味噌汁よりもよほどインスタントによるスープが好きで、その嗜好については何とかしなければいけないと考えるが、あるいは生涯、ハンバーガーやチキンナゲットを好み続けるかも知れない。
チャコールグレイのネクタイを締め黒いスーツを着て1時すぎに事務室へ降りると、居合わせた包装係のサイトウヨシコさんが驚いたように 「お葬式ですか?」 と言う。エレヴェイターに乗って4階へ戻り、ネクタイを黒と銀の細かい格子模様のものに替えてふたたび事務室へ戻る。当番町として臨む初会議に、喪服と見間違えられるような服装で参るのはいかにもまずい。
1時30分に社務所へおもむき、春日町1丁目の役員とあれこれ打ち合わせをする。全町内の区長が参集しての会議は、ふすまをぶち抜いての40畳の広間にて2時より始まった。司会はカトーサダオさんで議長はイワモトミツトシ区長。役員の紹介などがあって、僕は今年度の予算案につき発表をする。
諸事がとどこおりなく完了して3時より宴会となる。コップ1杯のビールと約2合の日本酒をこなして4時30分に帰社する。
鮪とイカと甘海老の刺身、かまぼこと卵焼き、プティトマトやブロッコリーやキャベツのサラダ、モロの煮付け、エビフライと茹でた海老、湯波や高野豆腐などの炊き物、鶏の唐揚げ、メロンとオレンジなど、宴会から持ち帰ったいわゆる 「お膳」 を晩飯のおかずとして芋焼酎 「さつま島美人」 のお湯割りを飲む。
入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。
4時に目を覚まして起床し、居間のコンピュータにてきのうの日記を書く。会社の無線LANはここまでは届かないから事務室へ降りてそれをサーヴァーへ転送し、またウェブショップへの注文などを確認してふたたび居間へ戻る。ここ数日は寒暖の差が激しいが、テレビのニュースによれば今日の東京は3月下旬の気温になるという。
朝飯は白菜キムチ、焼き海苔、丸赤の極辛塩鮭、味芳のジャコ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
日本橋高島屋の 「老舗名店の味特選会」 はきのうが最終日だった。打ち上げの場所を目指して八重洲を徒歩で移動中との連絡が家内から入ったのは、昨夜の9時だった。閉店の8時から1時間もかからずの撤収は、これまでの最短記録である。
下今市駅9:02発の上り特急スペーシアに乗るべく、開店前に持ち物を準備する。昨年に3月に香港で大酔いして紛失した "Minolta DiMAGE X" の後継として中古で購入した "Minolta DiMAGE X21" のスイッチを入れると、レンズカヴァーは開くがディスプレイには横線が1本あらわれるのみにて次の操作へ進むことができない。スイッチを切ってもレンズカヴァーは閉まらず、これは今月14日に東京へ持参した際にも見られた現象だ。
「良品。多少のキズスレはあるが、それ以外はまったく問題なし。価格は9,975円。説明書、CD-ROM、USBケーブルは附属。元箱、ストラップなし、保証なし。購入後2週間以内の初期不良は返品可能」 と説明のあるこれを 「マップカメラ」 で購入したのは昨年3月15日のことだった。購入11ヶ月後の故障だが東京へ行くときのみの使用だったから、撮影枚数はいくらでもなかっただろう。いずれにしてもこのカメラは今後、永い眠りにつくことになる。
今日の荷物にはエムニがあるから、これに普段使いの大きな "Olympus CAMEDIA C-5060 Wide Zoom" を加える気はしない。日記用のデジタルカメラは持たずに会社を出て11時前に日本橋高島屋へ達し、先ずは担当者の方にこの1週間の御礼を述べる。
オヤジが11月20日に死ぬとは家族さえ予想しなかったことだから、お歳暮をくださったオヤジの友人知人も少なくはなく、こういう方々へのお返しをお送りするため、待ち受けた家内と共に高島屋の地下1階から7階までの諸方を回って送付先名簿を手渡す。これがひとしきり落ち着いてから店内のどこかで待機していた販売係のトチギチカさんとハセガワタツヤ君を呼び出し、地下1階の食堂へ行く。家内とトチギさんとハセガワ君は850キロカロリーの天丼を食べ、僕はカロリー300台のヘルシー定食を食べる。
ハセガワ君の運転する三菱デリカに乗って帰社する。荷台から降ろしたあれこれは社員たちが手分けをし、社内の定められた場所へと運んでいく。その最中に電車組の家内とトチギさんが帰ってくる。
7時30分に、第153回本酒会の開かれる 「やぶ定」 へ行く。喜久水酒造の 「一時」 を始めとして9本の日本酒を飲み、9時すぎに帰宅する。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、10時前に就寝する。
目を覚ましてしばらく、あるいは数十分かも知れないが、それだけの時間が経ってから暗闇に携帯電話のディスプレイを開くといまだ3時前だった。「代表的日本人」 をすこし読んで起床する。きのう酒を抜いたにもかかわらず、すこしばかり度を超して飲酒を為したときのような感触がからだにあるのはなぜだろう。あるいは、酒を飲み過ぎたためとばかり思っていた、言葉では表すことのできないある感じは実は、別の要因によるものなのだろう。
居間のコンピュータを起動してきのうの日記を書き、5時に事務室へ降りてそれをサーヴァーへ転送する。製造現場へ移動して小一時間ほどの作業に従った後に外へ出て新聞を取り込む。昨夜の雪は停めてあったクルマの上にこそ残っているが、地面のそれはあらかた消え失せていたから良かった。
エレヴェイターを上がり、家内が留守になって以来しているあれこれをする。朝飯はほうれん草と海苔の酢の物、塩鮭、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
夕刻6時前、日本橋高島屋の現場にいる家内より 「らっきょうの売り切れまで、おそらくあと30分」 との電話が入ったから 「ウッゲー」 と思う。高島屋の閉店まではいまだ90分もある。僕のコンピュータの数字によればらっきょうにおいては、今朝の開店時の在庫は一昨年の同日よりも150袋、昨年より100袋多く保たれていたから、よもや欠品は起きないと考えていた。
こういう事態を避けるため在庫は多めに持つべき、との意見も社内にはあるが、なにより新鮮な商品を無駄なく売っていくための、針の穴を通すような予想をしないことには僕の気が済まない。「きのう、もうすこし多く送っときゃ良かった」 と考えても後の祭りだが、このことは来年の販売に生かされるだろう。
事務机の右手にある防湿庫を開く。最も好きな組み合わせは "?c" に フォクトレンダーの "SNAPSHOT-SKOPAR" だが、このレンズは開放でF4だからいささか暗い。エムロクには光線漏れの疑いがあって、昨年から修理に出したいと考えつつ果たせないでいる。しばし考えてエムニに "Summicron" の35ミリを着け、これをあした使うカメラとする。
松前漬け、ほうれん草の胡麻和え、湯豆腐、レタスとブロッコリーを添えた豚の生姜焼き、タクアンにて芋焼酎 「さつま島美人」 のお湯割りを飲む。メシを食べたく思うが腹が出るので止めておく。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
隣の居間からオモチャが断続する電子音を発して目を覚ます。スイッチを切るべく寝室を出てそれを手に取るが、どのボタンを押しても音は消えない。しばらくしてみずから静かになったところで寝室へ戻り、二度寝に入る。
数時間前に聞いた音でふたたび目を覚ます。数時間前と同じことをして音はまた止まない。時計を見ると4時40分になっているから服を着て居間のコンピュータを起動する。事務室からここまでは直線距離で20メートルもないだろうがあいだにはコンクリートの壁があるためもちろん、LANの無線は通じない。きのうの日記を作成して5時30分にエレヴェイターを降りる。
製造現場で小一時間ほどの作業に従って後に居間へ戻ってきのうと同じく、あちらこちらのカーテンを開けたりあちらこちらに水を上げたり、あるいは昨晩のうちに洗っておいた店舗用の布巾を乾燥機から取り出したりする。
朝飯はウドの炒りつけ、クリームシチュー、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
オヤジの仏前に線香を上げるためわざわざ東京からいらしてくださる方があるため、白いシャツにチャコールグレイのネクタイを締め、紺のブレザーを着て待機する。先方はスーツだろうから僕が作業着ではいかにもまずい。お客様とは昼食を共にしてふたたび仕事へ復帰する。
我が町の大沢地区で小学1年生の女の子が誘拐され殺されるという事件があって以来、小学生の登下校時には先生や親が交代で通学路に立つようになった。月曜日はウチが当番のため今朝は7時40分から春日町一丁目の会所前に立った。午後は3時10分より同じ場所に黄色い旗を持って子供の行列を待ち受け、3時30分に次男と帰宅する。
初更、芋がらの炊き物、大根と水菜とハムのサラダ、クリームシチューをおかずとしてメシ1杯を食べ、飲酒は避ける。
夕刻に市街地から少し離れたところまでクルマを乗り出したとき、フロントウインドウに落ちる雨滴がシャーベット状なのに気づいた。それはみぞれのまま止んでしまうかと思われたが、入浴後に窓を開けてみればあたりは白く覆われて、暗い空からはなお牡丹雪が絶えない。「ついこないだは汗が出るほど暖ったかかったのに」 と思いつつ窓を閉めて牛乳を250CCほども飲む。
僕が中学1年だった1969年4月には開花した桜に雪が積もった。当方は既にして春の気分だが、今夜の雪を 「春の雪」 とはいまだ呼ぶことはできないだろうか。9時30分に就寝する。
3時30分に目を覚まし、枕頭の活字をあさって4時に起床する。昨夕のうちに事務室から居間へ運んでおいたコンピュータを起動し、きのうの日記を書くなどのよしなしごとをして後 「代表的日本人」 を読む。5時30分に製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、あたりが薄明るくなってよりは自宅4階にて仏壇その他に水や花を供えるなどのことをする。
朝飯はタクアン、マカロニサラダ、松前漬け、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
オンラインショップについて、靴の好きな人にとっては靴屋さんが、中古カメラの好きな人にとっては中古カメラ屋さんが、ワインの好きな人にとってはワイン屋さんが自分の机上にあるようなものだから、みずからの物欲によるとはいえあれこれやたらに買い込んで始末が悪い、という意見がある。
現物を手に取りしげしげと眺めればあるいは買わずに済ませていたものを、通信販売ではつい注文してしまうとは、どのような心の綾によるものだろう。ここ数日のあいだに届いた本が何冊だったかは覚えていない。「そんなに買って読めるのか?」 と問われれば 「いずれ」 と答えて黙するばかりだ。
終業後、6時すこし前に春日町一丁目の公民館へ行く。瀧尾神社のお祭にかかわる係や役員が集合し、全町内の区長を集めて23日に行われる初会議の内容および役割分担の確認をする。またそれについての質疑応答を行う。いよいよ大仕事の始まりである。
話し合いは7時すぎに終わった。出席者は洋食の 「金長」 へと移動して晩飯になる。この寒空に 「とりあえず生ビール」 という人が意外に多い。イワモトミツトシ区長の 「お銚子、とりあえず三つ」 のオーダーを、取り次ぎの僕は勝手に 「六つ」 と変換して厨房へと伝える。家内が留守のため、他の人に先んじてカツライスを食べる。
8時すぎに帰宅する。入浴して牛乳を250CCほども飲み、9時30分に就寝する。
目を覚まして携帯電話のディスプレイを開くと時刻は4時50分だった。5時に起床して製造現場へ降り、小一時間ほどの作業に従って後に居間へ戻る。昨夕のうちに事務室から運んでおいたコンピュータを起動し、きのうの日記を書くなどのよしなしごとをする。
6時30分にホットカーペットから腰を上げる。おばあちゃんの居間のカーテンを開いてあたりを明るくし、おじいちゃんや家内の母の写真に水を上げ、仏壇に水やお茶や花や線香を供えるまでに一体どれくらいの時間がかかるかと今朝は測ってみた。果たしてこれだけのことに12分を要することが判明したが、だからどうしたと言われれば別段、どうということもない。
大鍋に作り置いた豚汁もさすがに今朝で底が尽きそうだ。芋がらの炊き物ときのうの晩飯のあまりらしいマカロニサラダを皿へ取り分け、朝飯の準備が整う。家内が東京へ出張してからは朝飯のおかずが減り、それに従って皿小鉢の面積も減ったから、画面一杯にこれを収めようとすればカメラはいきおいお膳に近づくことになる。そしてそれらを撮ったものはなぜか常にボケている。だからここ3日間の日記に朝飯の画像はない。
今朝は 「コノヤロー」 と思って合焦モードをマクロにしたら近くのメシや豚汁にではなく、より遠くにあるマカロニサラダと芋がらにピントが合ってしまったのはいかなる理由によるものか。
日本橋高島屋で行われている 「老舗名店の味特選会」 へ出張した社員のうちの前半組はきのうの晩に帰宅して今朝から会社へ復帰した。彼らには現場の様子を確認し、また今回はじめて参加をした新人には普段と違った環境での仕事の感想を訊く。
初更、オフクロと次男とサイトウトシコさんとの4人でフランス料理屋 "Finbec Naoto" へ行く。ニラのキッシュ、ホタテ貝とヤシオマスのタルタル、春野菜と魚貝類のブレゼ、トリップと白インゲン豆の煮込みグラタン風、リンゴのパイ、エスプレッソ、白のグラスワインを3杯。これらの画像がないのも、一応撮りはしたがピントの甘いその上がり具合による。
銀塩写真はすっかりデジタルに駆逐されてしまった。しかし光さえあれば写真は、デジタルよりも銀塩マニュアルカメラによる方が撮影はよほど楽だ、という僕の意見は特殊なものだろうか。
帰宅して入浴し、うかうかするうち9時30分になったため、慌てて次男をせき立て自分も同時刻に就寝する。
「アンザイさんの小屋に5時ね」 とイワモトミツトシ区長から告げられたのは数日前のことだった。夕刻5時といえばいまだ営業時間中だから数人の社員に後を頼んで定刻の10分前に会社を出る。「アンザイさんの小屋」 と呼び習わされる我が春日町一丁目の迎賓館には以前も来たことはあったが道を2度も間違え、3度目に足を踏み入れた家と家との隙間の先にようやくそれを見つける。あたりには既にして薪の燃える匂いが漂っていた。
この小屋はアンザイ畳屋のオヤジさんが自作をしたもので内部の広さは変形の8畳、台所は外にあり、その先にはこれまたアンザイさんが丹精した畑が広がっている。挨拶をして中に入ると窓の外にはおりしも、日光へ向けて緩やかな坂を登っていく東武日光線の車両が見えた。
大谷石で囲った1畳の囲炉裏には赤く炭が燃え、そのまわりには鹿や鶏の肉を刺した串が立てられている。僕は命じられるままアルミ製の器に日本酒を入れ、囲炉裏に下がった鉄瓶へそれを差し込んで温める。やがて瀧尾神社の宮司、前年度当番町の区長、次年度当番町の区長が顔を出し、最後に神社世話人のカトーサダオさんが引き戸を開けて、これで今夜の人員が揃ったことになる。
囲炉裏端にはタクアンとしもつかりを盛った各自の器があり、ここへ外の台所で揚げたばかりの田芹の天ぷらをアンザイさんが手づかみで分けていく。アンザイさんは果たして、小便をした後に手を洗う人だろうか。「カワゼリはさほどじゃねぇが、タゼリは美味めぇよ」 という声がどこからともなく上がる。
串の肉がまんべんなく焼けるよう、その位置を変えようとして串の根元を掴もうとするが熱くて叶わない。「アンザイさん、軍手、持ってくりゃ良かった、熱くて触れねぇ」 と訴えると 「バカオメー、串は先っぽ持つんだー」 と注意をされる。なるほど串の根元はさておきその先端は火から1尺5寸ほども離れているから熱は帯びていない。
「もっとも悲しい人は、教養のない人です」 とは自由学園の高等科に通っているころ、英語のアカギヒデヤ先生がおっしゃったことだ。「炭火のまわりに立てた串を移動させるときには先ずその先端を持ち、引き抜いた後には灰に埋まっていた部分を握れば粗相の可能性が低い」 とは教養に属することだろうか、または作法に類するものだろうか、あるいはただの生活の知恵だろうか。それはさておき教養のある人とはつまり、無知の知を知っている人のことを指すのだと僕は考える。
仲町のヤマザキ区長にもらった落花生はウインドブレイカーの左のポケットにある。これをときおり取り出し割って食べる。表面がカリッと焼けた鹿肉を口に入れて噛むと歯がズブズブとその繊維を断ち切り、肉汁が舌を覆う。擂り胡麻を加えたタレもアンザイさんの手製なのだろう。立て付けの悪い窓から冬の風が吹き込んで、燃えた落花生の殻の煙を反対側の窓の外へと運んでいく。
宝石、高級車、ブランドものの数々、人気の料理屋、あるいは有名無名の人々、いちいち挙げていけばきりはないが、そういうものたちが持っている価値にはかなりの幻想が含まれている。しかし 「アンザイさんの小屋」 で触れるあれこれの価値に幻想はない。そこには目にしみる煙、冬の風、鹿肉をぶつ切りにした刺身、真面目な会話、あるいは与太話、あぶな絵に材を得た瀬戸の置物などがあるばかりにて、だから潔い。
出席者の血中アルコール濃度がひとしく上がったところでアンザイさんが席を立つ。しばらくして外へ出てみると、アンザイさんはこれまた自前の蕎麦を茹でているところだった。やがて冷水で締めた蕎麦が席へ運ばれる。囲炉裏の炭火に埋め込むようにして置かれた鍋の蕎麦つゆには、その底の方に歯ごたえのある鶏肉が沈んでいるから意地汚くも葱と共にこれを自分のお椀へたっぷりと取る。そこへ更に大量の蕎麦を盛る。これが美味くないわけがない。
カラオケの機械から流れる井沢八郎の 「ああ上野駅」 が外の鶏小屋に生き残った2羽の声をかき消すころ、今夜の不思議な飲み会はお開きになった。
帰宅して入浴し、9時に就寝する。
国道121号線を走るクルマのタイヤが水を切る音で目を覚ます。携帯電話のディスプレイを見るといまだ1時30分だった。
1時間ほど後に二度寝に入り、5時に起床する。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従って後、事務室のコンピュータを持ってエレヴェイターを上がる。
4階の諸処に水を上げ、仏壇にお茶、花、線香を供える。コンクリートで囲まれシャッターの閉まった事務室とは異なり、居間では薄明の涼しさに鳥の啼く声が聞こえる。今朝の雨は既にして冬の氷雨ではない。それは春の香りのする柔らかい雨だ。
朝飯は丸赤の極辛塩鮭、白菜キムチ、味芳のじゃこ、はれまの野菜、メシ、豚汁。画像がないのはその見た目が惨めったらしいからではなく、どうもピントが合わないことによる。デジタルカメラを合焦させる方法は機種によって様々に異なる。画面を分割してその任意の部分でピントを合わせる、というような機能もいま使っているカメラにはあるが、そこまでマニュアルを読み込む気はしない。
きのう早くも高島屋の売場へ行ってくださったお客様より、あなたが来ないのは社長が亡くなったことによると社員の方から聞いた、このたびはご愁傷様でした、との電話が入る。「有り難いなぁ」 と感謝してそのまま話を続けていると、ところで先代の社長はあなたの奥さんのお父さんでしょうとおっしゃるので、いえ先代は私の父でございますと、ご説明をする。何十年来のお客様でさえ僕を婿養子と勘違いするとは、なにも今回に限ったことではない。
歌舞伎役者に着物が似合うのは、子供のころから着物を着ていることによる。それでは商家に生まれた者がいかにも商人の風を帯びるかといえば、そうとも限らない。勤め人の家に育った家内の方が、僕よりもよほどお客様とのやりとりに長けているのは、生来の才能によるのだろう。昨年65歳で退職したオオシマヒサコさんが僕に残したことばは 「お客様と喧嘩をしたらお終いですからね」 というものだった。つまり僕は、社員にそのような忠告を受ける性質の人間である。
薬効に過ぎないが、のどの痛みはとりあえず去った。だから初更には芋がらの炊き物、松前漬け、きのうの天ぷらのあまりを甘辛く炊いたものにて芋焼酎 「さつま島美人」 のお湯割りを飲む。茶碗のメシにカレーのルーをかけ、タクアンを薬味として1杯と半分だけこれを食べる。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時前に就寝する。
3時前に目を覚まして二度寝をし、5時20分に起床する。携帯電話に昨夜10時30分に入った伝言があるのでスイッチを押してみれば、高島屋の店舗準備を終え、これから甘木庵へ引き上げるところだとの家内の声が聞こえた。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従って後、事務室でのよしなしごとはせずにコンピュータを持って居間へ上がる。
鍋を弱火にかけてからきのうの日記の途中までを作成する。朝飯はきのう余ったオクラのおひたし、茄子の炒め煮びたし、メシ、30分をかけてゆっくり温めた豚汁。
ノドの痛みはきのう三菱デリカで甘木庵へ達するころから感じ始めていた。うがいをしてもアスピリンを飲んでもその不快感が去らないため、9時すぎにセキネ耳鼻科へ行く。その足で用事のあるところを巡回する。
あれこれすべきことはあるが、急な来客が重なったりして仕事の能率が上がらない。あれやこれやと歩き回りときには走り回って夕刻にいたる。
終業後、次男の漢字練習の督励をする。ちと目を離したすきに間違えた漢字を1行にわたって連ねてしまったから、その書き直しを要請する。いまだノドが痛いから飲酒は為さないこととし、熱い日本茶を飲む。
このあたりで生の蕎麦の買えるところはないかと先日、お客様に訊かれたことがあった。どこもかしこもというわけにはいかないが、打ち立ての蕎麦を箱に入れて分けてくれる蕎麦屋は我が町に少なくない。ただしそのお客様は午後3時ころのご来店で、このあたりの蕎麦屋のほとんどは昼のみの営業だから、お客様の望みは叶えられなかった。
家の涼しいところには 「糸屋」 の生蕎麦があり、箱には 「十割、二十秒」 との紙が差し込んである。初更、サイトウトシコさんにこれをマニュアル通り20秒のみ茹でて水で締めてもらう。イカと玉葱と三つ葉の天ぷらがなかなか美味い。十割の蕎麦は噛みしめるほどに甘く、その香りが鼻から外へと抜けていく。薬味として刻み葱も用意されたが、僕はこれは使わなかった。昨夜のおかずの余りもあったため、別途これにて炊きたてのメシ1杯を食べる。
入浴して牛乳を250CCほども飲み、9時に就寝する。
3時前に目を覚ましたが体力の温存を図って本は読まない。「半睡半醒」 という四字熟語をワードプロセッサは変換してくれないが、たしかこのような言葉はあったと思う。とにかく 「あさきゆめみし」 の時を過ごして5時に起床する。
製造現場へ行き、小一時間ほどの作業に従って後は事務室へ来ていつものよしなしごとをする。7時に居間へ戻る。朝飯は白菜キムチ、丸赤の極辛塩鮭、納豆、メシ、シジミと万能葱の味噌汁。ひと切れの塩鮭のうち食べたのはもちろん3グラムほどのものにて、残りはほぐして瓶に保存をする。
「高島屋」 で出張販売をする際の荷物は、宅急便で送る分を除いても三菱デリカが満載になるくらいはある。この準備は昨年まで僕がしてきたが、きのうは神社での話し合い、今朝は9時すぎから第二小学校の会社見学を案内する仕事があり、だからそのすべてを今回は社員に任せた。
販売係サイトウシンイチ君の運転にて11時すぎに三菱デリカを出発させる。東北自動車道の佐野サービスエリアで昼飯を食べ、蓮田サービスエリアで運転を代わる。扇大橋で首都高速道を降り、尾久橋通りから不忍通りを経て無縁坂を上がる。社員たちの荷物を甘木庵へ運び入れ、休む間もなく本郷通りから聖橋を渡る。
それにしても暑い。クルマの中は冷房さえ欲しい温度になっている。中央通りを神田駅前まで来たところでサイトウ君が 「半袖でも良いくらいですよね」 と、分厚いコートを着て歩く人たちを見て言う。日本には古来より衣替えの文化があり、だから気候によってではなく暦によって着るものを決める習慣がいまだに残っている。
室町へ達したところで連絡を入れておいたため、屋上の駐車場には食料品部のハヤシさんが待機していてくださった。本日の朝に包装したばかりの一部商品を台車へ載せ、冷蔵庫への格納をお願いする。
当方は顧客用のエレヴェイターで地下1階まで降り、今夜から準備にかかる売場の下見をする。電車で来る後発組を甘木庵で待ち受けるため、サイトウ君は銀座線に乗るべく地下鉄口へと向かった。僕はあれこれと調べごとをし、明日からウチが出る場所の正面にある総菜屋で何点かの買物をする。
7時前に帰宅する。オクラのおひたし、茄子の炒め煮びたし、鶏手羽の素揚げ、鰤の照焼きにて芋焼酎 「さつま島美人」 のお湯割りを飲む。
入浴して牛乳を250CCほども飲み、9時30分に就寝する。
5時に目を覚まして起床し、1階へ降りて会社の施錠を外す。事務室から製造現場へ移動して小一時間ほどの作業に従い、事務室へ戻ってからは届いているファクシミリの仕分けやウェブショップの受注確認、きのうの日記作成などのよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は味芳のジャコ、はれまの野菜、しもつかり、豆腐の柳川風、ワカメの鰹節かけ、メシ、大根と万能葱の味噌汁。
「瀧尾神社」 の1年間の諸行事に責任を持つ当番町を、仲町から我が春日町一丁目へ引き継ぐ会議が開かれるため、午後3時30分に社務所へ行ってみれば、既にして仲町、春日町一丁目の役員、ほか各町内の区長は既にしてずらりと揃っていた。そのほぼ全員がネクタイを締め背広を着ている。僕は仕事場から駆けつけたから "patagonia" のセーターと作業ズボンで 「これはしくじったか」 と考えても、もう遅い。神社に代々受け継がれてきた帳面に春日町一丁目の役員が署名捺印をして、会議はほどなく終了した。
仲町が準備した懇親会場 「あさの」 へ送迎バスにて運ばれ4時すぎより懇親会となる。夕闇が迫るころにこんどは春日町一丁目が設営した二次会場 「ピザのさわい」 へ移動し、役員や区長の歌う 「かくれこきりこ」 「誰か故郷を想わざる」「旅姿三人男」 などのカラオケを鑑賞する。
予想したよりもはるかに早く、7時30分に帰宅する。しばらくして後に入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
5時すこし前に目を覚まし、5時ちょうどに起床する。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ来てはいつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は味芳のジャコ、千枚漬ではなく聖護院蕪をただ薄塩で漬けたもの、白菜漬けの中華風炒め、はれまの野菜、肉味噌によるお茶漬け。
次男の属する 「今市ソフトテニスクラブ」 が今日は 「6年生を送る会」 を催すため、9時前に次男と今市小学校の体育館へ行く。僕の役割はリクリエイションで行うドッヂボールのルール説明と聞いていたので、体育館履きとしてはサンダルを持参したが、ゲイムには僕も参加をするのだという。
「ルール説明」 とはいえドッヂボールからは40年ちかくも離れているから、その細部までは覚えていない。あるいはルールにもいろいろな種類があるとか、新ルールというようなものもできているかも知れない。したがって、お母さん方が用意してくれたルール表をただ大きな声で読んでいく。「ガイヤは」 とカタカナで記された文字があったため何のことやら分からず "gaia" と同じイントネイションで読み上げたが、よく考えればこれは 「外野」 のことだろう。
サンダル履きにもかかわらず、僕と次男が属したティームは優勝し、ふたり分の賞品としてティッシュペイパー10箱を得たのは嬉しかった。優勝したからというわけではないが、僕はやはり、自分がするスポーツとしてはドッヂボールが最も好きだ。本日の午前中のみにて、1年分の運動をしたような気がする。
昼前に 「今市総合会館」 へ移動し、送ることば、感謝のことば、感想などなど、様々なことばの往復がある。ビンゴゲイムがあり、ハンバーガーによる昼食があり、予定よりも1時間早い2時に会はお開きとなった。会場の掃除をして2時30分に帰社する。
初更、春雨サラダ、松前漬け、しもつかり、大根餅、焼売にて 「長島研醸」 の芋焼酎 「さつま島美人」 のお湯割りを飲む。
入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。
きのうと同じく闇の中で目を覚ます。そのまま横になっていたきのうとは異なって枕頭の灯りを点け、昨年の暮からすこしずつペイジをこなしてきた 「四百字のデッサン」 を読み終える。5時に起床して先ず事務室へ行き、次に製造現場へ移動して小一時間ほどの作業に従う。事務室へ戻ってからはいつものよしなしごとをし、7時にエレヴェイターを上がる。
山は晴れている。朝飯はしもつかり、スクランブルドエッグ、タクアン、納豆、白菜漬けの中華風炒め、メシ、豆腐とワカメと三つ葉の味噌汁。
開催される日はいろいろと変わったが、我が町にはいまの時期に 「花市」 と呼ばれる市が立つ。万年筆工場の焼け跡から掘り出された新品同様の格安万年筆とか賭け将棋、見せ物小屋には間に合わなかったが、ガマの脂や子供だましのルーレット、また何色もの絵の具を盛った太い筆を微妙に動かしながら龍の絵を完成させる絵描きなどのことは覚えている。
口上を述べながら物を売るいわゆる啖呵バイは40年ほども前、つまり僕が10歳くらいのときを境として徐々に姿を消し、以降は食べ物屋が増えたような気がする。「金はいらねぇから練習してみろ」 と言われ、そのときには大当たりを引くが、意気込んで臨んだ本番では必ず外れるルーレット屋のオヤジに10円をもぎ取られたのも、今となっては良い思い出である。
この歳になってみれば、目と鼻の先で開かれている縁日にさえ行く気もないが、「花市」 の写真があれば後々の研究の資料になるだろうと学校で言われた、という次男のことばを聞き、日の傾きつつある日光街道に遅まきながら出てみる。露店の出る通りは年によって変遷し、しかし今年は大昔に戻って幅の広い日光街道がその場所となったから、行き交う人たちにも余裕がある。
写真を撮りながら小倉町までの500メートルを歩き、「かみじょうカメラ」 にその焼き付けを頼んで帰社する。
どこかのドイツ料理屋が出した露店で次男が昼に買ったというソーセージを使ったピーマンとの炒め物、銀鱈の西京焼き、鶏の唐揚げとレタスとトマトのサラダ、なにやら知れない黒い煮豆、しもつかり、イチゴを晩飯として飲酒は避ける。
2日つづいて酒を飲まないのは良いこと、とひとことで片付けるのは早計だ。それは酒を欲する元気がない、ということでもある。「酒や煙草をしねぇってのは、それをするだけの体力がねぇってことだ」 といつか誰かが言っていたが、案外この説は当たっているかも知れない。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、10時前に就寝する。
個人が用いるコンピュータの仕事は検索と並べ替えおよび計算を含む自動処理の3点と、20年前には教わった。現在のコンピュータは我々が見ての通りだが、これからどうなっていくのかは想像の他である。もちろん巨大な、あるいは小さなチップに組み込まれた類のコンピュータは除く。そして僕は、20年前のコンピュータにも可能だった機能を用いて、きのうの日記から数行を本日の日記の冒頭へと複写し、その一部のみを変更する。
目を覚ましてしばらく、あるいは数十分かも知れないが、闇の中で過ごしてから携帯電話のディスプレイを見るといまだ4時にもなっていない。そのまま静かに横たわって5時に起床する。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動して後はいつものよしなしごとをして7時にエレヴェイターを上がる。
朝飯はタクアン、近所のハガさんからいただいたしもつかり、納豆、白菜漬けの中華風炒め、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。
腰を中心としてだるさが体中に広がっている。風邪の初期だろうかと考えつつ所用にて宇都宮へ行く。帰途、高血圧や高脂血症を監視するために通っているオカムラ医院で診察を受け、これこれで足りるでしょうかと所持金の額を述べる。不如意の元は、ここへ来る途中の酒屋で焼酎4本とウイスキー2本を買ってしまったことによると、言わなくても良いことを受付の人に言う。
終業後、今月15日からの出張に備え、関係する社員を事務室へ集めて1時間の打ち合わせを行う。その後に家族で 「魚登久」 へ行き、風邪の気を払うため肝焼き、肝煮、それに鰻丼を食べて飲酒は避ける。
帰宅して入浴は避け、牛乳を150CCほども飲んで9時30分に就寝する。
目を覚ましてしばらく、あるいは数十分かも知れないが、闇の中で過ごしてから携帯電話のディスプレイを見るといまだ5時前だった。きのうの新聞など枕頭の活字をあさって6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯はソーセージとピーマンの油炒め、納豆、ヒジキの炊き物、白菜漬けの中華風炒め、メシ、シジミと万能葱の味噌汁。
下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗る。池袋から徒歩にて自由学園明日館へ行く。ホームページ研究室のゴールドロベルト会員がパワーポイントにて作った資料を同学会本部委員会に先立ち、イリヤノブオ広報室長がメイリングリストから取り出しプリントアウトする。僕は今夜中に帰る必要があるから会議は8時に中座した。
山手線を西日暮里で降りて千代田線に乗り換える。どこまで行くのかは知らないが、オジサンふたりが大きな声で話している。
「キコさんのご懐妊、おらぁ素直に嬉しかったね、経済効果が450億だって。それにしてもマサコさんはいろいろ気の毒だよな、アメリカのエリザベスなんて離婚しまくりだろ」
エリザベス女王はイギリス人で、離婚はしてねぇだろうと思うが黙っている。
「関東と関西が戦争したら大変だよ、イエヤス対ヒデヨシ対イエヤスの戦いだから」
家康が重複しているのはどのような理由によるものか、訊いてみたくもあるが黙っている。
北千住で下車して21:11発の下り特急スペーシアに乗る。11時前に帰宅して入浴し、牛乳を300CCほども飲んで11時30分に就寝する。
2時に目を覚ましたがしばらくして二度寝に入り、5時に起床する。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動して後はウェブショップの受注確認やきのうの日記作成などのよしなしごとをして7時にエレヴェイターを上がる。
洗面所の窓を開けると霧降高原に朝日を反射する、これまで見たことのない大きなものがある。それが何であるかを確かめようとして目をこらすが、手元に望遠鏡はないからその特定はできない。朝飯はほうれん草の油炒め、ハムエッグ、梅干し、納豆、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。
昼前に今市小学校の4年生数名が教師やお母さん方と共に 「学区内のバリアや危険な場所、福祉施設の場所などを確認する」 という目的の見学に来る。店舗のドアや顧客用の通路、またトイレの内部などを子供たちには見せ、しかしいわゆるハードも必要だが大切なのは惻隠の情であると、自分の考えを述べる。もちろん相手は小学4年生だから 「ソクイン」 などという言葉は使わない。
この見学には家内も付き添ったから昼飯を作る時間はなく、だからホンダフィットにて日光宇都宮道路を走り、御用邸脇の蕎麦屋 「たくみ庵」 へ行く。日光には個人的にお客さんを案内する機会も少なくないから、あちらこちらの食べ物屋を知っておく必要もある。鴨せいろの大盛りを頼んだら、蕎麦は小さな蒸籠に三段重ねで運ばれた。脂をたっぷり含んだつゆは美味いがその量も多く、「すべて飲んだらマズイだろう」 と考えつつ蕎麦湯で割り、結局はぜんぶ飲んでしまう。家内の天せいろも美味そうだった。
御用邸のあるあたりは国道からひとすじ外れると古くて大きな家が多く、観光客は訪れないが、歩いて本当に面白いのは、実はこういう一角である。
「糸屋」 のオヤジさんが亡くなったため、そのお通夜が行われる 「菊屋ホール」 へ夕刻に行く。「糸屋」 では子供のころよりしばしば蕎麦を食べているが、それよりもオヤジさんとは飲み屋での思い出が多い。
僕は活字を欠いてはひとりでの飲酒喫飯はできないから、新渡戸稲造や内村鑑三、いやそんなに立派なものではないが、飲み屋へおもむく際にはかならず本を持参する。ところがたとえば 「和光」 の戸を開け、カウンターに 「糸屋」 のオヤジさんの姿を認めると 「あぁ、今日は本は読めねぇや」 と観念をする。オヤジさんは僕を一瞥すると自分のとなりの椅子をスッと引き、それを指す。
本は読めなくても、長く生きてきた人の話、それもちと洒落あるいや与太の効いた話を聴くことは大好きだから、夏であれば焼酎のオンザロックス、冬であれば同じく焼酎のお湯割りを飲みながら、オヤジさんにはずいぶんといろいろなことを教えてもらった。享年85歳。組内の方によれば、文字通りの大往生だったという。
きのうと同じく6時前に帰社して本日の売上げを伝票に記入し、またコンピュータに入力する。
4階へ上がって芋焼酎 「小鶴」 のお湯割りを作る。白菜漬けの中華風炒め、松前漬け、ヒジキの炊き物、鮪のぶつ切り、春菊の胡麻和え、鰹のたたきを酒肴としてそれを飲む。
入浴して牛乳を250CCほども飲み、9時30分に就寝する。
目を覚ましてしばらく、あるいは数十分経ってから枕頭の携帯電話を開いて時間を確かめるといまだ5時には至っていなかった。枕頭の灯りを点け、あたりの活字をあさって6時前に起床する。クルマのタイヤが水を切って走る音が、外の国道121号線から聞こえてくる。「雪の予報だったが、さてはそれが雨に変わったか」 と考えつつ事務室へ降りる。
いつものよしなしごとをして7時前にシャッターを上げ、新聞を取ろうとすると、国道以外の、クルマに踏みしめられていないところにはいまだ雪があった。その厚みは2.5センチほどだから、ホウキで掃くくらいで綺麗になるだろう。
朝飯はジャコ、ほうれん草の油炒め、ポテトサラダ、納豆、タクアン、メシ、シジミと長葱の味噌汁。
あちらこちらへ向けて、あれこれと手紙を書く。何も考えず手癖口癖のように文章が紡ぎだせればこういう仕事に時間はかからないのだが、生憎とそのような 「癖」 はないからひとつずつ時間をかけてこなしていく。
初更、小学校の同級生ヨシハラノリコさんのお父さんのお通夜へ行く。夕刻から気温が上がったか、小百地区の葬祭ホールへ行く山道には霧が立ちこめていた。お通夜は始まる時間が早かったから終わるのも早かった。6時前に帰社して本日の売上げを伝票に記入し、またコンピュータに入力する。
4階へ上がって、これは喪服というのだろうか、しかしネクタイを替えれば結婚式にも着ていけるのだから喪服でもないのか、多分、着用していく先により呼称の異なるスーツを脱ぐ。なにやらウイスキーが飲みたい気分のため、"Macallan 10 Years old" をお湯割りにする。
「松前漬けと梅干でウイスキーのお湯割り飲むなんて、まるで田舎のスナックへ来たみたいだ」 と思いながら、その組み合わせにて飲酒を為す。白菜と豚肉の団子と春雨によるコンソメ味の鍋が美味い。ずっとウイスキーのお湯割りを飲む。
入浴して牛乳を250CCほども飲み、9時30分に就寝する。
目を覚ましてしばらく、あるいは数十分経ってから枕頭の携帯電話を開いて時間を確かめると4時15分だった。「四百字のデッサン」 を読んで5時に起床する。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動して後はいつものよしなしごとをする。
7時に居間へ戻る。朝飯は牡蠣フライを載せた玉子雑炊、はれまの野菜、山田屋の富貴豆、丸赤の極辛塩鮭、味芳のジャコ、ヨーコさんのタクアン。
2月6日とはいえ旧暦では新年9日だからいまだ春の予兆がないのは当然としても、みな寒い寒いと言い過ぎではないか。もっともこれは僕の、皮膚の感覚が鈍いために感じることなのかも知れない。
同じ癖を持つのが販売係のハセガワタツヤ君で、彼などは東京へ行けば2月でも半袖のシャツ1枚である。温度計を見なければ暑いのか寒いのか分からない、というのは大げさとしても、店舗前に置いた花はここ数年には見られなかったことだがいくら取り替えても枯れてしまうから、やはり今年の気温は度を外れて低いのだろう。
終業後に 「第152回本酒会報」 のウェブペイジ版を作成し、サーヴァーへ転送する。またその元となったものを印刷して綴じてタックシールを貼った封筒に収め、郵便版も完成させる。
初更、松前漬け、水菜とトマトのサラダ、肉豆腐、茄子の炒りつけにて芋焼酎 「小鶴」 のお湯割りを飲む。
入浴して廊下に置いたマッカランのボトルをチラリと眺め、しかし冷たいお茶を150CCほども飲んで9時30分に就寝する。
4時前に目を覚まし、床に立てかけた 「四百字のデッサン」 を読む。
野見山暁治がボラボラ島で2枚34フランのシャツを30フランに値切り、しかしシャツ屋のオヤジは18フランと16フランを足せば34フランだから、2枚で30フランと言い張る野見山を見て 「この人は足し算ができないのだろうか」 と、やるせない顔をしていたという。野見山はオヤジの了承を得ないまま30フランだけ置いて店を出てきてしまったというから僕は 「しょうがねぇな、このオッサンも」 と落胆した。
しかしその文章が終わりに近づいたところで野見山は、自分がまたボラボラへ行くことがあれば、不足の4フランを支払いたい、あの島の住民はマケルという言葉を知らなかったのだ、あの地では、神々の恋と争いの伝説の中で、いまだ自然と人間とが結びついていたのに、と書いている。僕は安心して 「よし、いますぐにボラボラへ行け」 と腹の中で言った。
事務室へ降りていつものよしなしごとをする。7時に居間へ戻る。朝飯はベーコンエッグ、大根の麹漬け、ジャコ、梅干し、納豆、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁。
瀧尾神社の大祭について、今月13日にある会議の二次会から出席してくれるよう、またその会場の予約をしてくれるよう頼んだ 「頭」 のオノグチショーちゃんが来て、段取りはすべて済んだ旨を述べる。
昨年の夏から集め始めた町内の寄付などによる軍資金はすべて当座預金に入っている。これからお金の出し入れが忙しくなってくれば、いちいち小切手を切っているヒマはないだろう。「お祭りが始まっちゃったらゲンナマを、それもかなり大量に持ち歩く必要があるわな」 と思う。ここまでは良いのだが、それに引き続いて 「つまらねぇショルダーバッグを持つのはイヤだな、なにか買うようかな」 と考えるところが僕のダメなところで、つい散財をしてしまうのだ。
初更、ハムとレタスとポテトとトウモロコシのサラダ、牡蠣フライ、刻みキャベツ、薄味で炊いたバイ貝、ヨーコさんのタクアンにてメシ2杯を食べる。生牡蠣は好きだがメシのおかずとしてはどうだろう。今夜は飲酒を為さないためこれはオフクロへと譲る。
1980年8月のある夜のことを思い出す。ラグナセカのクラシックカーレースを見に行ったとき、一夕を西海岸の小さく美しい街カーメルで過ごした。料理屋のメニュに生牡蠣を見つけた僕はすかさずこれを注文し、しかし同じテイブルのチャーリー・ターキーは 「君、いまは真夏やぞ」 と言った。「客が腹をこわすようなもん、店は出さないでしょう」 と僕は半ダースのうち5個を食い、残りの1個をチャーリーに譲った。チャーリーはその晩、下痢のため5回も便所へ駆け込んだという。5個をこなした僕はどうということもなく安眠した。腹下しとは、気分に左右されるところが多分にあるのではないか。
「山田屋」 の富貴豆をいく粒かつまんでメシを終える。
入浴して牛乳を200CCほども飲む。ベッドで眠りかけたところにウェブショップから受注の知らせが携帯電話に転送され、ふたたび目を覚ます。メイルの着信音をゼロにし、9時50分に就寝する。
5時に起床して製造現場へ降りる。小一時間ほどの作業に従ってのち事務室へ移動し、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は 「はれま」 の 「やさい」、「味芳」 のじゃこ、大根の麹漬け、梅干し、玉子の雑炊。
「今日はこれこれのことをすべき」 というメモは毎朝、あるいはことあるごとに書き換えられる。「すべき」 とあってもしていないことが溜まっていけば当然、小さなメモ用紙1枚では足りなくなって、それよりも大きな紙に転記をすることになる。「先月の本酒会報も作ってねぇや」 と思い出す。本酒会報はこのところ、当日の日記のコピーを用いることが多くなったような気がする。
「瀧尾神社」 の祭礼につき、その当番町を仲町から我が春日町一丁目に引き継ぐ会議が今月13日にある。お祭りでは 「頭」 を務めるオノグチショーちゃんの家へ行き、その会議の二次会への出席を求める。同じ当番町関係の会議は21日にもある。春へ向けて徐々に忙しくなってくる。僕は会計係だからボンヤリしていると取り返しのつかないことになるだろう。気をつけなくてはいけない。
本日は若干の二日酔いで、これは絶好の断酒日和ではあるけれど、晩飯が河豚鍋となればそういうわけにもいかない。皿に並べられた薄い身には箸を伸ばさず、鍋の中で煮えている骨付きの肉ばかりを拾って食べる。少なくとも僕は、こちらの方が好きだ。
薄味で炊いたバイ貝を鍋の合間の酒肴として芋焼酎 「小鶴」 のお湯割りを飲む。今夜の鍋のセットは、そこに付いてきたウドンまでもがかなり美味かった。最後に富貴豆をつまむ。
入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。
深夜1時前に目を覚ます。「路上観察で歩くパリ」 を眺めたり 「四百字のデッサン」 を読んだりして2時間ほども過ごすが眠気は一向に訪れないため、3時前に起床して事務室へ降りる。
日本橋高島屋で今月の15日から21日まで開かれる 「老舗名店の味特選会」 では、昨年にくらべて持参する商品の種類がふたつ増える。これに伴いコンピュータの納品販売管理表も改造する必要があり、しかしそれに手を着けないまま初日は10日後に迫った。
事務机に着いて先ずこの仕事に取りかかるが、マイツールではオートと呼ぶマクロを書く仕事は大好きで、これに熱中するときのうの日記を作成する時間の無くなる恐れがある。時系列を勘案すれば日記の方が優先されるべきと考え、約600文字を 「秀丸」 へと打ち込む。
ふたたび先ほどのマクロ書きに戻り、一応は完成させるが、長い命令の途中に不備がある。それを見つけるため、本来であればコンピュータが一瞬のうちに行うことを手動でひとつずつ確認していく行為は、好きなこととはいえ神経の疲れるものだ。6時40分にこの作業を中断して居間へ上がり、熱いお茶を飲む。朝飯はメカブの酢の物、大根の麹漬け、納豆、キャベツのおひたし、ジャコ、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。
8時より三たびコンピュータの前に座り、ようやく30分後にバグを発見する。
下今市駅10:36発の上り特急スペーシアに乗る。日比谷線と銀座線とを乗り継いで京橋で降り、"JUNGHANS" の電波時計を取り扱っている 「ヒルマ時計宝飾店」 へ行く。
かねてより僕が欲しかったモデルについて話すと、店主はこれを懸命に検索してくれるがなかなか見つからない。インターネット上ではなく、カタログに差し込まれた古いコピーにこの型番を探し当てるまでには相当の時間がかかった。訊けばこれは既にして輸入の途絶えたもので、しかも九州局からの電波しか受信しないから、東京のビルの谷間などでは動作が不安定になる可能性もあるという。結局は以前に使っていたと同じものを買うこととし、しかし今日のところは在庫がないから後日、ウェブショップから申し込むことを約して店を出る。
外堀通りを横断し、広い道を往くよりはビルの中や路地を突っ切る方が好きだから銀座インズに入る。20人ほどが行列を作るスパゲティ屋 「じゃぽね」 を横目にふたたび外へ出て、今度は有楽町の高架下へ向かう。「ラーメン谷」 のある狭い通路を抜ければ東京国際フォーラムは目の前だ。案内の女の人に教えてもらった5階の会議室へ行き、"Computer Lib" のホリカオルさんに受講料を支払いコーヒーをもらう。
この会社が継続しているカンファレンスの第6回目は昨年の夏に行われたが、その 「検索エンジン対策実例とアクセスログ解析入門」 とは僕が非常に興味を持つところで、しかし諸般の事情によりそれへの出席を諦めた経緯があった。今回は、前回と同じ講師も出席しての 「中小企業ホームページはSEOで勝利する!」 という、いわば第二弾だからぜひ聴きたいと思っていた。一番前の席へ着き、なにより "SEO" については知らない用語もたくさんあるところから、開会までの30分間で資料に目を通す。
「アイオイクス」 の滝日伴則社長による 「サーチエンジン対策SEO」 は、外注SEのカトーノさんがウチのウェブショップの暫定版を1998年の秋に、またその決定版を1999年の初春に作る過程で僕に説明したものとほとんど同じ内容で、だから 「検索エンジン対策に便法はないんだなぁ、それにしてもカトーノさんは、そんなことを今から7、8年も前から言っていたんだから凄いなぁ」 と思う。もちろん 「アイオイクス」 は優れた企業だから大規模に、あるいは深いところまで微細な仕事をほどこしていくのだろう。
質疑応答の際に、かねてより僕が考えていたことにつき滝日さんに訊き、その答えから経費のかけどころと節約のしどころが判明したのは大収穫だった。"Computer Lib" が求める、このカンファレンスへの参加費は安すぎるのではないか。
「いなかどっとコム」 の石井研二社長による 「この数字があればホームページは生まれ変わる」 とワークショップ 「SEOとホームページ改善の実務」 は、一般を対象とした現在における普遍的な話と、またウチのような "Computer Lib" の顧客と思われる11社のアクセス解析を診断するもので、聴くだけでもためになったがまたまた質疑応答の際には、これまで自分が持っていた疑問について質問をし、明快な答えを得た。
このカンファレンスは、カンファレンスとはいえ本当は勉強会で、その終了時間は常に延びる。終了後の会場には交流会のための食べ物や飲み物が準備され、「飲んでってくださいよー」 マヒマヒ社長は言ってくれたが当方はできるだけ早く帰りたい。風の強い内堀通りへ出て地下鉄千代田線に乗る。しかしながら北千住の東武日光線プラットフォームへ着いてみれば、19:11発の下り特急スペーシアは満席だった。
「加賀屋」 というチェーン店は好みでないが北千住の店だけは例外である。ここでポテトサラダやレヴァ刺しを肴に酎ハイや泡盛を飲んで時間の調整を行う。今夜も大繁盛にて僕はカウンターでオジサンとお爺さんとに挟まれ、その狭さに文庫本を読むこともできなかった。
20:11発の下り特急スペーシアに乗って10時前に帰宅する。入浴してなにも飲まず、10時30分に就寝する。
きのうと同じく4時前に目を覚ましたが、製造現場での仕事は今朝は無いから二度寝をして6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ上がる。男体山の上空とはいえ実際にはかなりその手前にあるのだろうが、大きめの雲が見える。それ以外のところはおおむね晴れて、気温も低くはない。ここから寒くなることは、もはやないのではないか。
朝飯は大根の麹漬け、納豆、ほうれん草のおひたし、メシ、豚汁。おひたしにはいつもの例に漏れず酢をかけて酢の物とする。
僕に21年おくれて自由学園を卒業したコバヤシシンヤ君が昼前に訪ねてきたので世間話を少々した後、家内との3人で蕎麦の 「報徳庵」 へおもむき、五合蕎麦を1枚、なめこおろしを2鉢、天ぷらを1ザル注文する。かなり冷たい水で洗っているのか、盛られた蕎麦は清冽に、いや 「清冽」 などという気障たらしい熟語は使いたくないが、とにかく引き締まって口の中に心地良い。
午後、オヤジの事務机に取りつき、その上に出ているもの、引き出しに格納してあるもののほとんどを捨てる。プラスは黒文字で、マイナスは赤文字でプリントされる大型の計算器は処分するのも面倒なため、ビニール袋に入れて倉庫の棚へ置く。この机を外へ運び出し、水で丸洗いしたら気持ちよかろうと思うが 「まぁ、もうすこし暖かくなってからにしよう」 と考え直す。
初更、お多福豆、コンニャクのピリ辛煮、バルサミコを使ったメカブの酢の物、豚汁にてメシ1杯を食べ、飲酒は避ける。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。
4時前に目を覚まし、5時前に起床する。製造現場にて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動して後はいつものよしなしごとをする。7時に居間へ戻る。朝飯は 「はれま」 の 「野菜」、ジャコ、「丸赤」 の 「極辛塩鮭」、焼いたたらこ、大根の麹漬けによるお茶漬け。
神保町の "Computer Lib" へ9時に行くとき、下今市駅7時四十何分発だかの特急スペーシアに乗るとちょうど良い。この 「四十何分」 のひと桁台をうろ覚えのまま駅へおもむき、窓口にて特急券を求めると駅員が 「もう間に合わない、、、」 と言う。「だったらいいや」 とそれを買わずに持参した回数券のみを自動改札機へ突っ込み階段を上がり、当方はいまだ余裕があると信じているから跨線橋を渡るときにも走ることはしない。
階段を降りていくといきなり 「ファンファンファン」 と発車を知らせるブザーに重なって 「ピピッ」 と笛の音が聞こえる。ここではじめて 「ダダダダッ」 と足を速めてプラットフォームへ駆け込むと車掌が 「乗りますか?」 と訊くので 「乗ります」 と答え、車内に足を踏み入れたとたんに 「プッシューッ」 と背後でドアが閉まった。「時刻表の確認もそうだけど、電波時計も買わなきゃなぁ」 と思う。僕はメシを食ったり電車のボックスシートに収まったりするときにはほとんど時計を外す。何年も使った電波時計をいつどこで失くしたかの記憶はない。
そういうわけで "Computer Lib" へは予定どおり9時に着いた。ウェブショップの模様替えについて、その指示書を書いた僕でさえ頭が痛くなるような内容の作業を 「大丈夫です」 と、社員のマハルジャン・プラニッシュさんは淡々とこなす。新商品を載せ、今後は販売しない商品を外す。そのほか新たな思いつき、新たな試みをシステムに組み込んでいく。
11時を30分ほど過ぎたあたりでナカジママヒマヒ社長が昼飯を一緒に食べようと言うので、先日ゴールド・ロベルト君を同伴した際にハンカチを置き忘れてきた連雀町の "La Testa Dura" へ行く。あらかじめ電話で伝えてあったため、僕の名札のあるテイブルには既にしてその赤いハンカチが置かれてあった。
「ナカジマさん、ワイン飲むのはマズイですか? 少しだけならヘーキ?」
「マズくないっすよー、たくさん飲めますよー」
訊けば午後からはお客さんに会うのではなく、自分が客の立場になるところへ寄って、その後は自宅へ直帰なのだという。「了解しました」 と言って店の人にスプマンテ1本を注文する。最初の料理を3品、パスタはそれぞれ1品ずつ、最後の料理は僕がクロムツの焼いたのでマヒマヒ社長は羊のロースト。結局はスプマンテ2本とグラスワイン1杯をこなして店を出る。昼の酒量としては立派なものだ。
「いやぁ楽しかった、1日からこういうことがあると嬉しいっすね」 とマヒマヒ社長は雨の中を神田駅へ向かった。僕は神保町へ戻ってマハルジャンさんの質問を受け、マハルジャンさんは僕の説明に応えて最後の仕上げにかかる。
都営新宿線、千代田線と2本の地下鉄を乗り継いで北千住へ向かう。その車内には、日本橋高島屋で本日から14日までのあいだ行われる催し "Amour du Chocolat" の広告があった。これが終わればいよいよウチの出番である。
下今市駅から家内の運転するホンダフィットに乗り、7時に帰宅する。北千住でまたまた飲んでしまったから、晩飯を食べる余裕は僕の腹にはもはや無い。ほうれん草の胡麻和えとコンニャクのピリ辛煮にて芋焼酎 「小鶴」 のお湯割りを飲む。熱い豚汁にて締める。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。