「レストランのメニュに鶏肉の料理があったら、それは決して注文するな」とはアンソニー・ボーディンの言ったことだ。理由は忘れた。知りたければ彼の書いた「キッチン・コンフィデンシャル」を読めば分かる。ヘイウッド・グールドの「カクテル」に匹敵する傑作だから買って損はない。
ところでいくらアンソニー・ボーディンが鶏肉をけなしても、マカロニグラタンの具については、僕はなんといっても鶏肉が好きだ。海老マカロニグラタンのどこが好きでないのかとよくよく考えれてみれば、 そのありがた迷惑なところが自分はイヤなのだと思い至った。
本日の日記の冒頭に戻れば、小説の「カクテル」は傑作でも、これを原作とし、トム・クルーズが主演をした同名の映画はいただけない。ヘイウッド・グールドの気分はいかばかりのものだっただろう、あるいは原作料を受け取ってしまえば、後は野となれ山となれ、だったかも知れない。
南佳孝がワゴン車1台分の服を捨てたとき、残ったのは英国製のカシミアのセーター1枚だったという。カシミアのセーター1枚では人は暮らせないから、これは多分に言葉の綾と思われるが、なかなか面白い話だ。
前述の例を自分に当てはめれば、僕に残るのは"Patagonia"のシンチラセーターと"trippen"の靴であることは間違いない。
長男がある同級生の家について「見事に何も無い家」と言ったことがある。もちろん褒め言葉である。簡素に暮らそうとしても、何やかやと買い込んで家の中を散らかしてしまう悪癖に踏ん切りを付けようとして、しかし僕はいつまでもそれができないでいる。
午後、街うちの複数の場所へ行くため会社からホンダフィットを乗り出すと、歩道に降りしきった隠居の紅葉を、おとなりのトヨダさんが掃除してくださっていた。そうなる前に、こちらがしっかりしておかなくてはいけないのだ。遅ればせながら帰社してすぐに現場へ行き、90リットルのゴミ袋1杯の落ち葉を集める。
目を覚ますと布団の中は暖かく、窓の外には雨の気配があった。いまだ暗い冬の朝に少しだけ雨の残る風情には名状しがたいものがある。その微雨もあたりが明るくなるにつれて上がり、昼前には小さく丸い雲が青空にちらばる晴天になった。
どこかで小耳にはさんだことの中身は覚えていても、それがいつ、どこで、誰の言ったことかについてはまったく覚えていない。どこかで読んで覚えたことがあって、しかしそれがいつ、どこにあった文字だったかの記憶はまったくない。そういうことが、僕には度々ある。
「体のことを考えれば、あんたは泡盛を飲めって、医者に言われたんだよ」という一節もこの数日以内に自分の耳に入ってきた言葉だが、それがいつ、どこで、誰の言ったことかについてはまったく覚えていない。
それでも今夜は、泡盛のお湯割りを飲もうと思う。
11月もなかばを過ぎたころから、街や道路はめっきり静かになった。このまま年の瀬まで、いや来年の春のお彼岸あたりまで、日光は山の上も下界も眠ったようになる。
「眠ったように」といえば、雪に閉ざされた森の中でするキャンプはことのほか楽しい。人はテントと羽毛服に守られているが、動物たちの一部は夜も起きて活動をしている、そういう気配を感じながら飲む燗酒はしごく美味い。この、冬のキャンプをしなくなってから、一体どれほどの月日が経つだろうか。
「この一年間を振り返り、来年の活動にそれを活かすための忌憚のないご意見を会員各位より頂戴すべく」というような、随分と大げさな回覧板により周知された春日町1丁目青年会の忘年会が、今夕は催される。よって事務机の内外から3,200円をかき集めて洋食の「金長」へ行けば、会費は500円だったら大いに助かった。
10時前に帰宅して11時前に就寝する。
日に日に寒さが増していく。日光の山の、積もってはその日のうちに解けていた雪も、いよいよ根雪になるだろう。
バッテリーが息の根を止めた"Motorola M1000"から"NOKIA 705i"に携帯電話を替えたのは今年4月22日のことだ。新しいノキアの重量は、電話の発信にもスタイラスペンを要したモトローラの半分しかなかった。しかしこれは軽いだけに華奢な機械で、ある日コンクリートの上に落としたことにより、カメラが不用意に起動するようになった。
知らないうちにカメラのスイッチが入っている、知らないうちに何枚もの画像が撮れている、バッテリーは見る間に消耗していく。修理に出せばそのあいだは携帯電話が使えない。携帯電話は通話のためよりも、ウェブショップへの注文を知らせるためにある。その機能はコンピュータでも代行できるから別段、携帯電話がなくても今の時期に困ることはない。
それでも本日、"NOKIA 706i"を買う。1年以内の機種交換には余分の費用がかかるとdocomoショップのオネーサンには言われたが、修理により機械が元通りになる保証はない。携帯電話を7ヶ月で交換したのはこれまでの新記録だ。
夜、会席の「ばん」へ行く。僕が座るべき席の前にはたまたま、この店で僕の最も好きなサカヅキがあった。
きのうの夜半から降り始めたらしい氷雨は、ウチからそれほど遠くない山では雪だった、そのことに朝、洗面所の窓を開けて初めて気づく。
9時30分から瀧尾神社へ行き、秋季小祭に列する。お祭りの後には直会がある。お清めは猪口の縁を唇に当てる程度にして、その中身を飲むことはしない。
先日の社内食事会の折、製造係のフクダナオブミさんが、ある事情により10日ほど断酒をしたところ、体は楽だわ夜はよく眠れるわで「いや、ホントに調子よかったですね」と言っていた。しかしその後また飲んでいるのは、いかなる理由によるものだろう、それほど断酒が快適なら、死ぬまで酒を断っても良さそうなものだ。
夜、雨の中を「ふじや」へ行き、味噌ラーメンを食べる。晩飯にカレーライスや餃子定食やラーメンを食べるのは、ひとえに酒を抜くためだ。今月の断酒日は今日で7日目になった。明日は「ばん」で、あさっては「金長」で酒飲みである。
この「清閑PERSONAL」でもっとも更新の困難なコンテンツは"GOURMET"だ。 1990年代には「食べログ」などもちろん無く、多くの人に知られていない、れんげ草のような店をウェブに載せる面白さもあった。しかしこう食べ物屋の情報があふれる世になってみれば「なにもオレが書かなくても」との思いが募り、現在はいまひとつ更新意欲が湧かない。
ところで意識してそうしたわけではないが、この"GOURMET"に書いた全20店の4分の1にあたる5店は浅草にある。その5店のうち僕の知る限り3店は既にして無い。地理的に目立たない場所にある、個人営業の、それほど混み合うことのない店が僕の好みだから、店主が何かの事情によって疲れ果てたりすれば、いきおい閉店ということになるのだろう。
勿体ないとは思うが、それぞれの経営者にはそれぞれの事情があるのだから、ときどき記憶の底から取り出して愛惜することしか僕にはできないのだ。
「やっぱり上タン塩は美味しいね」という子供の声が隣の個室から聞こえてきて次男は「むかつくなぁ」と言った。数ヶ月前の、焼肉「大昌園」での出来事だ。我々のテーブルにはそのとき、並のタン塩があった。
次男は2学期から寮の委員を務めていた。主な仕事は風呂沸かし、バスマット洗い、鍵締め、各部屋への新聞配りだったという。学校があってテニスがあってブラスバンドがあって自分の服の洗濯があって食事の配膳と後片付けがあってもちろん勉強もある中で、要領の悪い次男が寮運営の一角を担うに当たっては随分と苦労があったと想像される。
その委員の任期を終えてひと息つきたかったのだろう、今日は夏休み以来の帰宅を次男がした。10日ほど前に寄こしたハガキには焼き肉が食べたいと書いてあったため午後7時に「大昌園」へ行き、「今日は上タン塩、食え」と言う。
「栃木県の食生活を紹介するにあたり、貴ホームページに掲載の画像を使用させていただきたい、ついては元データを提供していただけないだろうか」というファクシミリが、ある出版社から届いた。
「清閑日記」を調べてみるとそれは2004年2月9日、しもつかりをお稲荷さんにお供えしたときの1枚だった。当時のそれほど高くもない通信速度に合わせて画像は横幅256ピクセル、高さ192ピクセルに縮小され、元データは残っていない。編集者は社内の専門部署にその旨を伝え、結局、この画像を出版物に使用するのは無理と結論された。
「だったら来年の初午の日にまた撮っておきますよ」と僕は言い添えたが、 「そのころにはもう、本は出てしまっていますから」と相手は笑って答えた。
夕刻、事務室に社員一同を集め、今年の決算報告、昨年の年末繁忙期の状況報告の後に宴会を開く。会の始めに先ず新商品の試食を行い、それ以降は「まぁ、なんでもかまわねぇから適当にやれ」という流れになる。
前回6月26日の宴会では肉が不足したとの報告を受けていたため、本日はその倍の量の焼き肉用原材料、それ以外のあれこれ、社員からの差し入れなど、賑やかなテーブルを囲んで一夕の愉しみとする。
飲み屋でもないのに事務室前に代行車が横付けされるに至り、宴会は8時30分にお開きとなった。当方は10時に就寝する。
本日はオヤジの祥月命日にて朝、数人の社員が出勤した頃合いを見て家内と如来寺へ行き、墓参りをする。1910年生まれのおばあちゃんが元気なのだからその息子であるオヤジも当然、90歳台まで生きるとばかり思っていたが、75歳で亡くなったのは番狂わせだった。
5年前までに入社した社員はオヤジと旅行をしたことがあり、だからそういう人たちには「台北の夜市とかソウルのポジャンマチャにオヤジと行けて良かったよなぁ」などと、恩着せがましいことを言ったりする。
昼前に線香を上げに来て「先代の社長にはお世話になった」と泣く人がいる。オヤジがその人を可愛がったのは、その人が自らの優れた資質を惜しみなく発揮したからだと思う。
いよいよ寒くなってきたため、クーリングタワーの水が凍らないうち、冷暖房の切り替えをボイラー室にて行う。ふと思い立って開いた「ホトトギス季寄せ」には、「初氷」は冬12月の季語としてあった。
社内の手洗い台のひとつがパイプ詰まりを起こしていることをきのう販売係の社員が発見し、手を尽くしたが素人の手ではいかんともしがたかった。よって今朝は本職を呼び、彼らの修理の過程を見ていたところ、強力なポンプで圧力をかけた反動でパイプの中身が勢いよく逆流し、それを僕は全身に浴びた。
瞬間、手ひどく日焼けをしたような痛みが顔に走ったため、急いでぬるま湯で洗ったが、ヒリヒリ感はいつまでも去らなかった。「マイケル・ジャクソンみてぇな顔になっちゃったりして」と心配しながら鏡に顔を映すと、液体を浴びたところがまだら状に赤くなっている。
作業をしている現場に戻って本職が使ったパイプ洗浄剤を確かめるとそれはアルカリ性のもので、目や皮膚に付着したときには水洗いの上、医師の診断を仰げと器に書いてある。
「職人ひとりに馬鹿八人」という言葉がある。本職の仕事は使う道具や動かす手足の様子が素人にとっては目新しく、だからその周囲にはヒマな馬鹿が集まって呆けたようにそれに見入っている、という、まるで与太郎噺を彷彿させる風景描写だが、今朝はまんまと自分がその馬鹿になってしまった。
病院へ行く時間などない。下今市駅10:04発の上り特急スペーシアに乗り、日本中から出品された味噌の鑑評会が開かれている、中央区新川の全国味噌会館へ行く。
我々のような味噌に関わる者は、目で見ただけでその味をだいたい知ることができる。「だいたい」の先まで知ろうとして初めて匂いをかいだり舐めてみたりする。本日の鑑評会で、僕は自分の好み真ん真ん中ひとつのみ香りを聞き、舌に載せた。
永代橋からの川風には海の匂いがする。その風を背に受けながら西へ歩く。むかし「橋のない川」という小説があった。東京のこのあたりには、川のない橋がそこここにある。盛岡、新潟、京都、博多。川と盛り場のある街は総じて色っぽい。ということは、川を失った街は色気を失った街、ということになる。
浅草まで戻ると時刻は2時59分だったから15:00発の下りにはすんでのところで間に合わなかった。浅草の、ひと気のないところ、またひと気の多いところを散歩し、16:00発の下り特急スペーシアで帰宅する。
中心は忘れて周辺のみ覚えている、とは僕の持つ多くの悪癖のひとつだ。
学生のころ、日本映画のみ300本を観た年があった。そのうちの1本が大島渚の「青春残酷物語」だ。内容はすべて忘れた。覚えているのは配役一覧の「パッカードの紳士」という表現だ。今この映画を"Google"で検索してみると「マーキュリーの紳士」という役もあり、他に「シボレーの男」と「フォードの男」のふたりがいる。
昭和30年代の前半までは「紳士」と、ただ「男」と呼び捨てにされる者の乗るクルマは違っていた、ということだ。車体を低めた日産シーマに乗っているオニーチャンが、次のクルマの候補としてメルセデスを挙げる現在とは時代が違う。
僕のオヤジの年代まで「パッカード」という車名には、他のクルマとは異なる響きがあったと思う。それを失わせた責任者のひとりは作詞家の星野哲郎ではないだろうか、歌った小林旭にも責任の一端はある。
ところで「クアラルンプールの旭日大兄」を読まなければ、小林旭の「自動車ショー歌」を語る資格は無い。この、いささか眉唾物の、しかし洒落ているといえば極めて洒落ている文章を含む本は景山民夫の「普通の生活」で、今ならたったの1円で"amazon"に山ほどの出品がある。
きのうの朝のテレビが、日光の紅葉は東照宮の近辺が見ごろと伝えていた。本日は所用があり、午前、ホンダフィットの助手席に収まって、その東照宮の近辺に出かける。
遊びには、直接それに触れている時間は短くても、裏側には膨大な労力の集積が存在する、というものがままある。海外の高所登山などは、その代表だろう。競馬においても馬が走るのは1、2分のものだが、その何百倍もかけて予想に取り組む人は少なくない。
来年のいまだ寒いうちに京都へ遊びに行こうと仲間数人と言い交わし、しかしなかなか具体的なことが決まらない。遊びには入念な下準備が必要である。そうしたところ先週のなかばごろになって「週末に大穴、当てたら京都、行くよ」と言う人が出てきた。
いまだ音沙汰のないところをみれば、大穴は取り損ねたのだろう。京都も日光も、人のまばらな冬に行ってこそ、メシもお酒も美味いのだが。
この友人には引き続き有馬記念まで頑張って欲しい。
首長の仕事は、極論すれば集めた税金の配分を決めることだ。ところで「組織の現金残高を維持し、民の納める税を可能な限り少なくするための最上の方法は何か」と問われて、世の9割の人は「経費削減」と答えるのではないか。よって新人が選挙で現職に勝とうとすれば、経費削減を訴えることが戦術の柱になる。
事情通によれば、今般の知事選挙が無投票に終わらず、共産党から候補者が出馬したことによって、9億円の費用が使われるのだという。「普段は経費節減を言い立てるくせに、勝ち目のない選挙に候補者など立てるな」とは民主主義の否定だから言えない。しかし「9億円の血税に見合った候補を出せ」とは言っても良いのではないか。
初めから結果の分かっている選挙に、それでも投票率を上げるべく、今市小学校に設けられた投票所へ終業後に行く。
「蕎麦は挽き立て打ち立て茹で立てが美味い」とはまぁ、逆らいようのない事実である。だったらカクテルにおいてはどうか、こちらもできたてを素早く飲まなければ何やらバーテンダーに叱られそうである。ところが僕が自分で作り自分で飲むカクテルは大抵、混ぜてから数時間を経ている。
家庭では先ず、バーで使うような氷は手に入りづらい。よし手に入っても冷凍庫で保管するうち不味くなる。良い氷も手に入らずミキシンググラスで液体を冷やす技術もないとなれば、どのような方法でお酒を冷やすか。
僕の場合、午後の空いた時間に食器棚から小さなシェイカーを取り出し、経験から割り出した最上の割合で、あるいはそのときの気分で複数のお酒をこのシェイカーに入れ、冷凍庫へ収める。
これを初更に取り出せば、シェイカーの外壁は霜が降りたように白くなっている。この底を親指で、キャップを中指ではさみ、何度か静かに天地してから中身をグラスに注ぐ。
今夜のレシピはジン90ccにヴァンムスー45ccという、「そんなレシピ、一体全体どこのカクテルブックにあるのか」と訊かれても僕にすら分からないもので、しかしこれを飲んでみれば"BEEFEATER"の香りにシャルドネとアリゴテの酸味が際だってなかなか悪くない。
計135ccの、それほど弱くもないカクテルを飲みながら和風のおかずを食べれば気分は何やら楽しくて、外の雨音さえ美しく感じられる晩秋である。
事務室の大テーブルにまとまった人数で座り、あーでもないこーでもないと意見を出し合っているときにも通常の仕事は舞い込み、その中には「日光味噌の能書きを、全角60文字ほどで構わないからすぐに提出してくれ」というようなものもあるから、時間の面からも神経の面からも忙しい。
外に出る機会はない。よって飲みたいお酒は自宅で作ろうと考え、しかしジンはあってもノイリープラットがない。こういうときに限って晩飯のパスタの上にはオリーヴの実が載っている。いきおい精神はいい加減な方向へ走って「白ワインでかまわねぇ、あしたはそれをジンに混ぜちゃえ」と考える。
随分と以前の早朝に築地で鮨を食べていたとき、隣に座ったオヤジの盛り台に生ワサビのおろしたものが載せられているのを見てすこし驚いた。
鮨のワサビは通常、適当と思われる量をメシとタネの間に職人が配置し、客はおとなしくそれを食べる。ところが隣のオヤジはワサビの量を職人任せにせず、自分の好みに応じてタネの上に載せて食べていた。「お前ぇが勝手にやるな、オレの好きにさせろ」ということなのだろう。僕はそこまでワサビの量には拘らないが、しかしオヤジの気持ちは良く分かる。
夕刻に家内とスーパーマーケットの中を回遊していると、いつの間にかドレッシングの並んだ棚の前に出た。僕は、ドレッシングを買うことをしない。「酢と油と塩と胡椒の調合はお前ぇが勝手にやるな、オレの好きにさせろ」ということである。
もっとも「オレの好き」にさせてもらったドレッシングを人に勧めないかと問われれば「美味いから大いに使え」ということを言う。人の勝手は嫌いだが、自分の勝手は好きなのだ。
きのうの朝は妻恋坂下で時間調整のためエスプレッソ3杯を飲み、北千住でも同じく炒りのきついコーヒーを飲み、だからそのせいか昼になっても腹が空かず、午後2時になってようやく大貫屋のオムライスを食べた。
このオムライスが「米、一合以上、使ってるでしょ」と確信できる量の多さだから夕刻になっても腹は空かず、結局のところ晩飯は抜いた。
僕のお酒は常にメシあるいはそれなりの食べ物を伴うものだから、メシを抜けばお酒も飲まない。それだけに今夜は満を持しての白ワインで、豚のクリームシチューを肴にこれを思い切り飲む。
豚のクリームシチュー、大好き。マカロニグラタン、大好き。「つうことは、オレはベシャメルソースが好きだってことだわな」と家内に言うと「そんなの、誰でも好だ」との返事が戻ったが、世の中に「誰でも」とか「みんな」ということはあり得ない。たとえばあのニカウさんがホワイトソースを好んだという記録は"Wikipedia"にも見当たらないのだ。
土埃とオートリキシャの排気ガスと牛糞燃料の煙、という3種の混交はカトマンドゥの、僕が愛してやまない匂いだ。その香りを聞きながら散歩をしている晩に遠くから近づいてくるクルマは、ヘッドライトの明かりがホコリに溶け込み、まるで霧の中を進む大型客船のように感じられる。
そんなカトマンドゥの夜に、レンガの低い家並みの続く路地へ迷い込んでいくと、自分がまるでクレーの絵の中の小さなヒトガタになってしまったような幻想が浮かぶ。いくつもの辻を右へ左へ折れて行った先に洞穴のように見えるのは、標高1,350メートルの冷気をしのぐためのホットミルク屋だろう。
その店の中では、へっついにかけた浅い大鍋の中身を、目の大きな、内気そうな娘がひしゃくでかき混ぜていた。土間の小さな椅子に腰かけ1杯のミルクを所望すると、娘は先ず鍋の縁ちかくから掬ったミルクをガラスのコップに注ぎ、次いで鍋の中心に浮いた脂肪のかたまりをすこし足してくれた。
「数十人の友だちがいれば1軒の飲み屋を維持することができる」と言ったのは新潟のシミズノブさんだ。それを聞いて僕は「そんなにすくない顧客しかなくて、本当に経営が可能なのだろうか」といぶかしんだが、むかし浅草の外れにあった、倉庫におでんの屋台を引き込んだだけの店は、あるいはシミズメソッドの証明だったかも知れない。
神保町の路地裏にある「兵六」へ"Computer Lib"のマハルジャン・プラニッシュさんを初めて連れて行った昨夏、「ここ、カトマンドゥのホットミルク屋みたいでしょ」と、同意を求めたことがある。僕には閉所を好むところがあって、調理場や手洗いを除けばその面積がクルマ2台分の車庫にも満たない「兵六」は、まったくもって居心地が良い。
そして今朝の僕の上着にはいまだ、きのうの「兵六」の匂いが残っている。
深夜よりも遅く、早朝よりも早い朝2時30分に目を覚ます。4時まで本を読むが眠気は一向に訪れないため、そのまま起床して事務室へ降りる。
きのうの晩に作成した同日の日記をサーヴァーへ転送し、次にメイラーを回すと「申し訳ないんですが、一時を3本頼みたいんですが、どうしたらいいでしょうか?」という"no subject"のメイルが入っていたので思わず「一体全体、キミはどこのダレ?」と声に出して言う。
表題も署名もないメイルを送ってくるのは多くの場合、コンピュータではなく携帯電話で電子メイルを覚えた人だ。ヘッダのメイルアドレスをコピーしてアドレス帳を検索すると、そのメイルの送り主は本酒会員のひとりであることが判明した。
メイルの書き方も知らない彼を懲らしめるため「11月の末になったら能代の天洋酒店に僕が頼んで上げますよ」との返信を4時40分に送る。枕元で着信を知らせる音が鳴り、彼がウンザリした顔をして目を覚ませば僕の溜飲もいくらかは下がるというものだ。
所用にて朝のうちに秋葉原へ行き、昼からは神保町へ移動する。
念仏を唱えれば極楽浄土へ行けるなどは、とてもではないが信じられるものではない。人は死んだところですべてお終いで、霊魂も来世も無いものと信じている。それでもなお、仏壇にお茶を供えるときには、できるだけ美味しいお茶を淹れようと心がけている。
ドライマーティニに加えるビターが一滴だろうが半滴だろうが、大抵の客はその違いに気づかない。お客が気づかないとしても、ビターの一滴半滴をないがしろにしないのが真っ当なバーテンダーというものだ。
宗教を信じなくても仏壇にはできるだけ美味しいお茶を上げたいという気持ちは、僕の中の、数少ない真っ当さの表出である。
そして本日も、起床して15分後に仏壇の花と水を整え、お茶を上げる。
日光市で月に1度の集まりを持つ利き酒の会「本酒会」は、例会の1週間前までに出欠を決めなければならない。もしも欠席の表明がこれに遅れると、金銭的な罰則が適用される。
今月の例会は20日にあるから、そのことを知らせる会報を、書記である僕は各会員に遅くも13日までに届けなくてはいけない。しかしそれは計算上の期限であって、会報の送付は早いに越したことはない。
会報の内容が前回例会の利き酒の投票結果および次回例会の日時と場所のみであれば、前回例会の直後にこれを発行することも可能だ。それができないのは、余白の関係でここに1,200文字の文章を書かなければならないところにある。
そのようなわけでそろそろ尻に火が付いていたから今朝は午前2時に目の覚めたことを幸いとし、「ホントにみんな、読んでるのかよ」という程度の感触しか得ることのできない本酒会報を、約1時間かけて完成させる。
お客様からいただいたひとことをきっかけに新しい商品を思いついた。しかしそのときには「だったら作っちゃうか」と担当の社員に軽口を叩いたのみにて、あくまで冗談半分のものだった。
ところがそれから数ヶ月が経ってみれば、そう本気でもなかったことがすっかり現実味を帯びて、今朝は材料屋さんまで来るに至った。
「材料、まったく足りません。ホントに売れちゃったらどうするんですか」
「ヘーキです、僕の考える商品なんて、とても一般には訴求しませんから、どうせ売れやしません、安心してください」
という会話を交わしつつ「どうせ売れないんだから安心しろ」とは、我ながら面白いこを言うもんだなぁと感心をした次第である。
午前、所用にて宇都宮へ行く。予定より20分も早く現地へ着いたため、ホンダフィットの中で本を読む。1時間少々で用事を終え、宇都宮市内を抜けて日光宇都宮道路に入る。
紅葉を切り裂くようにして延びる道を西北西へ向かうと、遠くに見える青い山が次第にせり上がってくる。時速200キロで飛ばすクルマの助手席に収まってこの道を移動したこともあるが、そこまで速度を上げると景色を愉しむことはできない。
会社に至近の今市インターを過ぎ、日光インターで降りる。こちらも所用があって日光金谷ホテルを訪ね、午後に帰社する。
マネジメントゲームで頭を激しく動かしているときと同じく、夕刻にかけて脳が酸欠を起こしたような気分になる。血液が脳に動員されているのか夜になっても一向に腹が減らない。晩飯は抜いて早めに寝る。
「巨人大鵬卵焼き」ということばを多くの人が知っていたのは、大阪で万国博覧会の開かれたころまでのことだろうか。それから4年後に僕は高校3年生で、巨人と富士桜とマカロニグラタンが好きだった。
いまの読売巨人軍に知っている選手はほとんどいない。富士桜はとうのむかしに引退をした。しかしマカロニグラタンだけは相変わらず好きである。
日光市今市の旧市街に店を構える「レストランコスモス」のマカロニは長さが13センチほどもあって、夕刻になるとこれがヤケに食べたくなったため、電話で席を予約した上でここへ行く。
スプマンテを飲み干すうち時刻は随分と遅くなり、日本シリーズの第4戦が行われていることも忘れてしまう。どのみちナガシマのいない野球などに興味はないのだ。
個人としては、時の節目を祝うことに違和感がある。たとえばクリスマスや正月がめでたい、ということには大いに疑問があった。
クリスマスについては、これが冬至の時期にあたるところから、以降は徐々に日の伸びていくことを祝った原始宗教をキリスト教が受け継いだものではないか、という説がある。また正月については、元旦の新聞にむかしサントリーが出した広告だっただろうか、「正月はなぜめでたいか」ということについての、高橋義孝による論理的な考察が秀逸だった。
1年が経巡ってきただけの誕生日にめでたいことなどあるか、という僕の疑問に対して「また1年を生き延びた、という意味において誕生日はめでたい」と答えたオフクロの説は、それが娘を亡くした人の実感だけに腑に落ちた。
そして断酒日はなぜめでたいか、ということについては「明日こそはお酒が飲める」という希望の持てるゆえにめでたいのだと思う。
「女夫淵温泉までは、どうやって行ったらいいですかね」と、混み合って大混乱の店内でお客様に訊かれたため
「女夫淵温泉は鬼怒川の先にある川治の更に奥です。今日これからですと、とてもたどり着けません。お客様、どちらから? 東京? でしたら冬場に浅草から電車でいらっしゃるのがベストです、女夫淵の露天風呂で雪見酒なんて最高ですよ」
とお答えをしたら、そのお客様は苦笑いをされるばかりだった。
「これからでも間に合う」というよりも「客足の引くこれからの方が却って良いんだよ」という紅葉見物の方法を以下に伝授する。
1.「朝食のみ」のプランで日光市今市地区の旅館を予約しておく。
2.日光市今市地区の、好みの料理屋や飲み屋を予約しておく。
3.これからはひどい渋滞もないだろうから電車で来てもクルマで来ても構わない。
4.旅館に荷物を置いたら、家を出る前に調べておいた日帰り温泉へ行く。
5.日帰り温泉から帰ったら、予約しておいた料理屋や飲み屋へ行く。
6.翌朝は旅館で食事を済ませ次第、きのう行った日帰り温泉に裏を返す。
7.いつまでも遊んでいないで早めに帰宅し、自宅ちかくの料理屋や飲み屋へ行く。
※日帰り温泉の露天風呂から目前の山を眺め、これを紅葉見物とする。
美味なる果実とは得てして、人の目につかないところに実をつけるものである。
"MIXI"の自分のページについては特にブックマークはしていない。ここへ行くときには"Google"に"mixi"と入れて検索すると、すんなり自分のトップページへ行ける。先日ここに、日記が久しく更新されていない旨の表示が出ていたため調べると、どうやら1週間ほども間が空けば「早く更新しろ」と督促をされることが分かった。
この「清閑日記」は旅行にでも出ない限り毎日のように書き継ぐが、そこへのリンクに過ぎない"MIXI"の日記については「こんな内容の文章を、不特定多数の一体、誰が読むか」というときや、忙しくてそれどころではないときには特に触らずやり過ごす。
このところの紅葉にて家内も忙しいから、メシはごく短時間で作れるものしか食えない。しかしメシというものは、凝ったから美味いというものでもない。そして今夜のスパゲティもヤケに美味く、その余勢を駆ってウイスキーを飲む。
春夏秋冬に各1本ずつの煙草を吸うことにしている。煙草の数を年4本に抑えるのは、ひとえにニコチンの習慣性を恐れるためだ。
合法的にマリファナの吸える地域で派手にこれを愉しんだ人でも、帰国すれば多くの場合マリファナとの縁は切れる。ところが煙草となるとそうはいかない。1日に1本ずつ2週間も吸い続ければ、その人は確実に喫煙の常習者になる。喫煙の常習者とは、有り体に言えばニコ中である。ニコ中というのはアル中、ポン中、モヒ中のお友達である。
そうはなりたくないから僕は煙草の数を年4本に抑えている。それだけ少ない数しか煙草をたしなまないと、今年は何月何日にそれを吸ったということを明確に覚えている。今年1本目の煙草を吸ったのは4月10日のことで、以降は一切これを吸っていない。
春夏秋冬に各1本ずつ煙草を吸うことにしていると言いながら、なぜ今年はいまだ1本しか吸っていないか。それは、2本吸えば年内はあと2本しか吸うことができず、3本吸ってしまえば残りは1本となり、4本吸えば今年はもう煙草を吸うことができない。よってその残数に余裕を持たせるため、ぬばたまの夜にも久方の薄青い光がカーテンの隙間から差し込む朝にも我慢を重ねてきたのだ。
そしていよいよ11月を迎えた。これから大晦日までの61日間に3本の煙草を吸えるということは計算上、20日に1回の割合で紫色の煙を目で追えるということで、今はとても豪勢な気分にひたっているところである。