目を覚まして数十分のあいだはそのまま静かに横になっている。そして枕頭の時計を見ると5時だった。目を覚ましたのは多分、4時のころだっただろう。昨夜あるいは今朝の就寝が0時30分だったから睡眠時間は3時間30分ということになる。
いつものよしなしごとをしつつバスルームへ行く。きのうホテルに帰ってよりは、蔵から出荷する最後の商品の数量を決める仕事があったから、それほどの量の飲酒はしていない。当然、風呂にも入っている。しかしながら 「今朝は余裕の気分だなぁ、また風呂に入ろうかなぁ」 と考え、しかし余裕があるのは気分のみにて、時計を見ると入浴をしている時間はない。
カーテンを開けると目の前には隣のビルの壁があって興ざめだが、その上の空は深く青く晴れている。予約の際に禁煙のフロアを指定したらそれは7階で、しかしこのホテルの最上階は13階である。「来年は部屋が臭くても、もっと上の部屋が良いなぁ、13階なら見晴らしも利くだろう」 と考える。
8時40分にハセガワタツヤ君とホテルを出る。新橋駅銀座口のドトールコーヒーはほぼ満卓のため、そのまま日本橋へ至って昭和通り沿いのドトールコーヒーに入る。2種のハムを挟んだパンと 「普通のホットコーフィー、1番おっきいの」 を注文し、これを朝飯とする。
午前中の滑り出しは好調に思われた。社員や学生アルバイトが昼食より戻って後の1時35分、なぜか行ってしまう中華料理屋 「新華飯店」 を訪ない、ハム玉定食を注文する。小麦粉でも練り込んだような古くさいプレスハムと、玉子の相性が良い。なぜ自分がこの店を好むのか? 古色蒼然とした中華屋の料理に惹かれているのかも知れない。
これは初日からのことだが、そのお顔を存じ上げているお得意様が次々にご来店になる。お顔だけではなく即、お名前を呼んでご挨拶のできるお客様もいらっしゃる。そういう中のおひとりが午後お見えになり、当方のお薦めする商品について邪推なしにどんどんとお買い上げになる。これがご自宅用であれば配送ということもできるが 「三越前で人にあげちゃうの」 ということでいらっしゃるため、とりあえずは高島屋の1階正面までこれをお運びするよう、学生アルバイトに言う。
高島屋のイヴェントは1週間の短期決戦だから、その年ごとにアイテム別の売れ数量は極端にぶれることがある。午後に入り、ふたつの商品に売り切れが発生する。その片方は明朝に入荷をするが、もう一方についてはすっぱりと諦め明日の閉店時まで売り切れを通すことにする。
今夜は地下1階の冷蔵庫に点検が入るため、ウチの在庫は一晩だけだが8階の冷蔵庫へ移動させなくてはいけない。そのための段取りをハセガワタツヤ君やアルバイトの学生たちとしているうちに、いつもコンピュータを眺めるために使っている夕方5時からの時間がいつのまにか過ぎてしまう。いずれにしても、最後に出荷する商品の数量は今朝、事務係のコマバカナエさんに送付してしまった。いまからなにかを変更しようとしても、既にして賽は投げられている。
午後6時を回って高島屋裏の "VELOCE" へ行き、いつものフォーマットの代わりにエディタを立ち上げ今日の日記の3分の2ほどを作成する。
甘木庵へは、上野広小路から切通坂を上がるよりも最寄り駅の本郷三丁目から帰る方がよほど楽だ。日本橋より銀座で晩飯を食べる方が甘木庵組にとっては合理的、ということになる。地下鉄銀座線を銀座で降り、数寄屋橋から有楽町のガード下をくぐって中華料理の 「慶楽」 へ行く。
近づいてきた女店員に紹興酒の瓶を頼み、ついでに 「油菜×1」 「鹵水猪雑×2」 と書いた紙を渡す。この店は、メニュにあるものだけを食べていては面白くない。オカミが来て鹵味の中身を訊くので 「レヴァ以外の全部、ください」 と答える。
油菜の皿の底に残った醤油と油は魚の清蒸のそれと同じく、思わずメシにぶっかけて食べたくなるものだ。鹵味は僕の好物のひとつだが、イシオカミワさんは 「見ただけでダメ」 である。
海老が食べたいというクロサワセイコさんのために エビの 「粉」 を注文する。この幅広麺のシコシコとした食感が何とも言えない。ハセガワタツヤ君のリクエストはガウナムファンで、イシオカミワさんのそれはスープチャーハンだった。
メニュの中に 「バンミン」 というものがあって、これが何だか分からないと誰かが言う。「茹でた麺に肉と野菜のミックス」 という意味の英語の添え書きがあったためこれも頼んでみたら、野菜とミックスされていたのは肉ではなくイカとエビと豚の腎臓だった。肉よりも腎臓の方が希少価値はある。各々の注文品を皆で分け合って食べ、ポウレイ茶にて締める。
歩いてホテルへ戻り、コンピュータを立ち上げメイラーを回すと、27日の日記の中でドトールコーヒーが 「ドトールヒーヒー」 になっているとのメイルが製造係のマキシマトモカズ君より入っていた。了解した旨の返信を送付し、入浴して11時30分に就寝する。
ここ数日のあいだには皆無だったまともな姿にて目を覚ます。ベッドのヘッドボードに仕込まれたデジタル時計が4と37を示している。ふくらはぎの疲れを強く感じながらそのまま闇の中に横たわり、5時30分に起床する。いつものよしなしごとをしながら目の前のカーテンを開くと3日ぶりの晴天が望まれる。
8時40分にハセガワタツヤ君とホテルを出て新橋駅に達する。ここ数日の例に従い朝飯を食べ過ぎて昼に食欲がなくてもいけないと、銀座口のドトールコーヒーにてジャーマンドッグ1個と 「普通のホットコーフィー、1番おっきいの」 を注文する。ドトールコーヒーで朝飯など、何年ぶりのことだろうか。
9時10分に地下鉄銀座線の日本橋駅改札を出るとコンコースには親子連れの長い行列がある。きのうに続き、やはりポケモン関係のなにかイヴェントがあるのだろうか。
午前中の仕事をこなしつつ店内を歩いていると、地下の食料品売り場にイートインを持つ 「寿司岩」 の入口に 「貝づくし始めました」 の筆文字が見えた。古いクルマの好きな者に古いカメラを好む例が多いことと同じく、落語の好きな者にジャズを好む例が多いことと同じく、獣の内臓の好きな者には貝好きキノコ好きが多い。
ひとあし先に昼食を済ませたクロサワセイコさんとハセガワタツヤ君にその内容を訊ねると、同じく高島屋の食料品売り場が昨年のリニューアル時に新設をした 「今半」 のカウンターでステーキ丼を食べてきたという。社員にばかり美味いものを経験されては悔しいので 「寿司岩」 へ行き、貝ばかり8カンを揃えた貝づくしを食べる。
1日に10時間、11時間の立ち仕事をしたときの足の疲れは尋常なものではない。ずいぶんと以前にウチの催しを手伝っていただいていた、今は素材売り場にいらっしゃるイノウエマサユキさんに 「この足の底の痺れや痛みはみなさん、どうしていらっしゃるんですか?」 とお訊きしたところ 「1週間で慣れます」 とのことだったが、当方は1週間で帰るから、これは永久に慣れないことになる。
休憩時間にはできるだけその足を休めるべく、しかし寝転がる場所はないから喫茶店などに行き座って本を読むかコンピュータをいじることにしている。中央通りを渡り "TULLY'S" にてエスプレッソの1番大きなサイズを注文し、席について 「エレンディラ」 を開くと背後で 「ウチの大学ではねぇ、司法試験に現役で合格するヤツは数年にひとりかなぁ」 という、テノールに近い朗々とした声が聞こえる。その、髪の毛が薄く太って赤ら顔のメガネ男はその後もずっと、大きな声で女店員に法律についての話をし続けた。年の頃は僕と同じくらいだろうか。
商売人がお客に向かって 「あなただけが客ではない」 と言ったら大抵は叱られるが、しかし本当に 「あたただけが客ではない」 のである。女店員は他のお客の注文も受け、その注文品を作らなくてはいけないのである。男は更に 「このパンがあまったらどうするの? えー、捨てちゃうのー? だったら僕にちょうだい」 と、一向にその口を休めない。僕も空気の読めない人間ではあるが、このオッサンほどではないだろうと考えつつ、いまだ残りの時間はあるが売り場へと戻る。
午後3時30分から1時間以上も 「ウッギャー」 という忙しさが続く。この忙しさを説明すれば、計4メートル80センチの間口を持つ冷蔵ショウケイスの前にお客様による人垣ができ、そのお客様が入れ替わり立ち替わり注文をされて、しかもその人垣が崩れない状況、ということになる。夕刻までのアイテム別売れ数量を勘案し、あした蔵から出荷する商品の予想を立てたりする時間を僕は毎日5時より持つが、その5時が来てもいまだ繁忙のため 「この流れを逃してはいけない」 と、しばらくは売り場に立ち続ける。
「ウッギャー」 というほど忙しいときはしかし、お客様が一向に寄りつかないひまなときよりもよほど体は疲れないから不思議だ。繁忙が、なにか特殊なアドレナリンを体内に循環させるせいかも知れない。
日曜日の日本橋界隈に開いている店は少ないため、閉店後はワタミグループの 「ゴハン」 へ行く。シャルドネイを1本、その後は4人が各々1杯ずつの好きな飲みものを取り、注文した料理の皿数9点で代金は10,930円だった。この手の店では、とにかくその価格にだけはいつも感心をする。日曜日夜9時の 「ゴハン」 はほぼ満卓だった。
ホテルへ戻り、閉店前にハセガワタツヤ君が冷蔵庫へ籠もって数えた、また閉店後に売り場の皆が手分けをして数えたショウケイスの在庫をコンピュータに打ち込む。マクロを回せば一瞬にして本日のアイテム別売れ数量が出る。これを吟味精査して、あした蔵より出荷する商品の数を決定する。
デイタを吟味精査したからといって、最終日にすべての商品が目論見通りゼロに近づくとは楽観できない。それは、いくら競馬のデイタを吟味精査したからといって自分の勝ち馬投票券が当たるとは限らず、むしろほとんどの場合には外れるということと同じである。
入浴し、ホテルへ帰る道すがらに買った缶ビールを飲んで0時30分に就寝する。
服を着たままベッドカヴァーの上で寝ていることに気づいたのは真夜中のことだった。あわててパジャマに着替え布団へ潜り込み、その直後に二度寝に入る。次に目を覚まして時計を見ると6時だった。毎日おなじようなことをしていると、とにかく前日の文字をコピー&ペイストして細部を書き換えるだけだから楽といえば楽である。
着の身着のままで寝ていたということは風呂に入っていないということの明瞭な証左であるから入浴をする。バスマットがないことをいぶかしんでバスルームを出ると、空気清浄機の上にそれはあった。どのような考えがあって、バスマットを空気清浄機に載せたのか、そこのところはもちろん明らかではない。
着の身着のままで寝るほどだから、きのうの商売の結果は当然、コンピュータには入っていなかった。この入力作業やいつものよしなしごとをして8時30分にホテルを出る。ハセガワタツヤ君と新橋のガード下まで歩き、またまた昼に腹が減らないことを懸念して、立ち食い蕎麦屋 「ポンヌッフ」 のカレーライスは普通盛りにしておいた。カウンターに50円を出して 「スープ」 と頼む裏技についてはもちろん、これを実行する。このスープのために、僕はホテルのキャッシャーで100円玉を50円玉2枚に両替してもらっていたのだ。
約束の9時に高島屋地下1階の催し会場へ行くと、甘木庵組はほんの少し前に到着をしたところだった。「あしたはもうすこし早くホテルを出よう」 と考える。売り場の準備のうち力仕事を伴うものについては 「学生のアルバイトが来てからでいいじゃねぇか」 というのが僕の考えだが、家内はそれでは気が済まないらしく、冷蔵ショウケイスには開店の10分前には汗牛充棟の商品が並べられた。
週末にあって、都心の百貨店への顧客の出足は遅いという常識があるが、今日は寒い曇り日ながら入店客数はまずまずのように思われる。昼飯を食べようとして午後1時30分すぎに中央通りへ出ると、三菱信託銀行を一周する人の列があった。今日も 「ポケモンセンター」 では、なにかのイヴェントが行われているらしい。
「丸善」 裏の "VINO VITA" の席に着きメニュを開く。「今週のパスタ」 というところに 「なめこと小松菜と油揚げのスパゲティ」 という文字が見える。これにサラダや飲みものが付くセットを注文し、持参しながらまったく読めていない 「エレンディラ」 を開く。
夕刻4時からの地下1階は大いに賑わい、ウチの売り場の前にもたびたび人だかりができた。そして本日の成績は、一昨年の売上金額には勝ってしかし昨年のそれには及ばないものだった。昨年よりも30分長く営業をしているのだから数字もそれなりに伸びて欲しいとは思うが、そうそう上手く事が運ぶわけでもない。
8時15分に片づけを終え外へ出る。銀座へ移動して5丁目の 「鳥ぎん」 へ行く。5人のうち4人までがハーフ&ハーフのビールを飲む中で、ハセガワタツヤ君は今夜も隠忍自重してウーロン茶を注文した。47本の焼き鳥を食べ、3種の釜飯を食べ、僕はビールを常温の日本酒に替えて鳥スープにて締める。
甘いものを食べに行くという甘木庵組とは晴海通りへ出る前に別れた。そして並木通りを西へ歩く。首都高速会社線ができる前、ここに流れていた川の、土橋より1本南にあった橋の名はなんといっただろうか。その、今は地名として残るばかりになった橋のたもとより南を望み、速い流れの雲に見え隠れする月の写真を撮る。
本日こそ記憶の確かなままホテルの部屋へ戻ることができた。コンピュータを起動して規定の仕事をこなし、入浴して11時30分に就寝する。
腰にバスタオルを巻き、ホテルのパジャマを掛け布団のかわりにしてベッドカヴァーの上で寝ていることに 気づいたのは真夜中のことだった。あわてて布団に潜り込み、その直後に二度寝に入る。次に目を覚まして時計を見ると5時だった。
昨夜、部屋へ戻ってコンピュータを起動し、しかし数字を扱うには酔いが過ぎていると判断をした後の記憶がない。タオルを腰に巻いてはいても風呂に入った証明にはならないが、バスルームへ行くと下着が脱いであり、歯ブラシにも使った形跡があるから多分、入浴はしたのだろう。二日酔いの症状がないのは、どうも水とアスピリンをぬかりなく摂取したお陰らしい。ザックの中のアスピリンが1錠、少なくなっているのである。
というわけで風呂に入ることは止め、いつものよしなしごとをして8時45分にホテルを出る。地下鉄銀座線で日本橋へ至れば、きのうの深夜には都心にも降ったという雪の名残が冷たく歩道を濡らしている。きのうと同じく 「小諸蕎麦」 へ行き、山かけご飯とかき揚げ蕎麦のセットを朝飯とする。そして隣のサイトウシンイチ君はこの3日間、続けてカツ丼と盛り蕎麦のセットを食べている。
「昨日の残+今日の入荷-今日の残=今日の販売数量」 というマクロを今朝ホテルで回したら、売上金額と販売数量とのあいだに少なくない乖離があった。そこで高島屋の地下1階へ入ってすぐに冷蔵庫へ行き、在庫の再確認をするとやはり、きのうの棚卸しにはミスがあった。メモの数字を売り場でコンピュータに打ち込み、正しい数字をはじき出す。
午後1時30分の昼食時間になっても腹が減らないのは、朝飯を食べ過ぎているせいだろうか。しかし昼飯を軽くしすぎて晩飯までに飢えるといけない。「風月堂」 の角を曲がり 「日本橋食堂」 の引き戸を開ける。ガラスのショウケイスからポテトサラダと茄子の炒め煮浸しを取り席へ運び、店の女の人にご飯の中盛りと今日の味噌汁を注文する。
ダラダラッと汁の垂れる茄子の始末に困り、仕方なしにメシの上へ載せる。その、茄子の煮汁が染み込んだメシを淡々と口へ運んでいるところに売り場のトチギチカさんから電話が入り、僕の知り合いだという男のお客様が見えていらっしゃると言う。このお客様がいったい何の用事で僕を呼びつけるか? それはただ、僕と世間話のひとつふたつをするための用事に違いない。食後のコーフィーの時間であればそれを飲み干し現場へ駆けつけるところだが、生憎と現在は、茄子の煮汁が染み込んだメシを淡々と口へ運んでいるところである。
「よろしくお伝えをするように」 と言って電話を切る。
ズッキーニを串に刺し炭火で焼くと美味いとは神保町の 「家康本陣」 で知ったことだ。その、胡瓜のような野菜の名を思い出せずオヤジに訊くと、オヤジは答える代わりに女のお客に声をかけ 「分かります? 何しろ私は鬼畜米英の時代の人間だから」 と助けを求めた。鬼畜米英の時代にはさすがに生まれていないが、僕も米国渡来の喫茶店で壁の品書きを読み、ワケが分からないままに注文をすると、本当にワケの分からないものが出てきて驚くことがしばしばある。
「日本橋食堂」 から中央通りへ出て "TULLY'S" に入る。品書きに 「アイリッシュマグクリーム」 という文字があるので、アイリッシュウイスキーがたっぷり入ったカフェコンラッチェのようなものだろうかと想像して注文をしてみれば、それはなんだかコーヒーフロートのような物件だった。
パリでイカが食べたくなり、その絵を描いて給仕に手渡したら、頭からエラにかけてを鞍馬天狗の頭巾のように切り整えた巨大なドーバーソールが出てきて驚いたとは、誰が言ったことだっただろうか。そしてそれは本当の話だろうか? なにか上出来のヨタ話のような気もする。
1時間後に売り場へ戻る。昨年の高島屋のイヴェントにて116個しか売れなかった商品を、だから120個用意したら、それがいまだ3日目の今日にも売り切れそうな勢いにて不審に思う。そのことをみなに伝えると、ひとえに置き場所のせいだとヤマダカオリさんが言う。急遽、売れすぎの商品の売り切れを防ぐと共に在庫の豊かな商品を多く売るため、その両者の位置を交換する。
本日は前半の社員と後半の社員が閉店間近に交代をする日にて、すこしずつタイムスケデュールがずれた。僕は5時30分すぎに高島屋裏の "VEROCE" へ行き、コンピュータのディスプレイにあらわれた数字に検討を加える。
ふたたび現場へ戻ると、後半組の先発イシオカミワさんとハセガワタツヤ君は既にして売り場に入っていた。前半組のヤマダカオリさんとトチギチカさんとサイトウシンイチ君は、今夜の下り特急スペーシアに乗るべく社員通用門より去った。
後半組の後発クロサワセイコさんは家内と共に9時ごろ日本橋へ到着の予定にて、コレド日本橋4階の小さなバー 「キャトリエム」 で落ち合うことにした。30分ほどのあいだにスパークリングワイン3杯をこなす。イシオカミワさんは赤ワイン1杯、ハセガワタツヤ君は白ワインの後は隠忍自重してコカコーラを飲んでいる。そこに家内が到着して、どうして若い者にメシを食べさせないのかと詰問をする。僕には、自分の腹がそう減っていなければ、人もまた同じだろうと考えてしまうところがある。
甘木庵へ行く女の組と別れハセガワ君と地下鉄銀座線に乗る。ホテルへ帰り着替えをして即、外へ出る。立ち飲みの 「豚娘」 で僕はチューハイ、ハセガワ君はウーロンハイを頼むがこれがとても薄い。この配合で新橋のオヤジたちは満足をしているのだろうか? 2杯目からは芋焼酎 「富乃宝山」 に切り替えこれを2杯飲む。
この 「豚娘」 の店員は、客にとっては自分の娘のような年頃ばかりが揃って、そういう女の子に 「あれを飲め」 「これを食え」 と言われれば、ヴィエトナムにアメリカの兵隊がごっそりいた時分のサイゴンティーではないが、つい 「あぁ、いいよ」 ということになり、結局は立ち飲みにふさわしくない金の使い方をしてしまうのではないか。ハセガワ君はここで混ぜご飯のおにぎり3個をこなした。
ハセガワ君は3個のおにぎりはこなしたけれど、後々 「どうして若い者におにぎり3個しか食べさせないのか」 と叱られてもいけないと考え、ラーメンの 「博多天神」 へ行く。ハセガワ君はさすがに替え玉までは達しなかった。
そしてどうにも、ここからの記憶がない。
背中が寒くて目を覚ます。パンツ1枚の姿でベッドの上にいる。睡眠時にパンツは穿かないという自分の習慣から類推をすれば、昨夜は風呂に入らなかったらしい。枕頭のデジタル時計を見ると時刻は5時だった。起きて冷蔵庫の水を飲み、コンピュータを起動する。そのコンピュータの販売管理のファイルには、きのうホテルへ帰ってから入力したとおぼしき数字と、それを元に計算したイヴェント初日の成績があった。
「ウワサワタクヤハキオクヲナクスホドサケヲノンデモコンピュータノキーボードヲタタキツヅケ、ミズカラノシゴトヲカンスイシマシタ」
尋常小学校の読本も、こうしてディスプレイ上にあらわしてみると、妙にデジタライズされて見えるから不思議だ。
初日の成績は、一昨年のそれに比して 「どうしてこんなに売れたの?」 と驚いた昨年の数字よりも更に上がっていた。「結果を語らせたら日本一」 とは、競馬評論家の井崎脩五郎が自嘲して言ったことだっただろうか。売れた理由も売れなかった理由もすべては結果論で、その本質については僕は、いつも不明のままだ。
会場にお持ちいただいたDMの数も、昨年の初日のそれを19パーセント上回っている。顧客名簿からDMの送付先を選び出す条件式が、ことしはツボにはまったのだろうか? 否、ある失敗をして、今回はずいぶんと効率の悪い広告宣伝を行ってしまったことを、僕は知っている。繰り返しになるが評論とはすべて結果論で、事実をあらわすのは常に数字のみである。
入浴していつものよしなしごとをし、今日はのんびりと9時にホテルを出る。日本橋まで移動をし、「小諸蕎麦」 のかき揚げ蕎麦とゴハンのセットを朝飯とする。
売り場には社員3名、マネキン1名、学生アルバイト2名と僕の計7名がいて、つまりきのうは家内も含めて8名の人員がいたわけになるが 「そんなに人を揃えてどうするの?」 と問われれば 「これだけいないと間に合わないんです」 と答えるしかない。百貨店の営業時間が延びたため、学生アルバイトは早出でマネキンは遅出。その双方には1時間30分の、社員には2時間45分の休憩を与える必要がある。更に、昼飯で現場が手薄になるその時間帯に、顧客の数は最も上昇をする。
その人員が従うタイムテイブルは段取りの好きな僕が練りに練って作るわけだが、もちろんその日その日の状況や働く人の提言によって随時、書き換えられていく。
1時35分、中央通りと昭和通りとのあいだにある中華料理屋 「新華飯店」 へ行き、玉子とキクラゲ炒め定食を食べる。なぜ自分がこの店を好むのか、日本橋へ出張をするとなぜここに1週間のうちに何度も来てしまうのか、その理由が分からない。「自分の行動はどうも、不明の理由にて規定されることが普通の人よりも多いのではないか?」 というようなことを考える。
会場の冷蔵ショウケイスには随時、学生アルバイトや男子社員がバックヤードの冷蔵庫より品出しをする。夕刻になってふたつの商品につきこれを現場に運ぶよう言うと、冷蔵庫から戻ったアルバイトのマツモト君が 「もう在庫はありません」 と言う。顔には出さないが、2ちゃんねるの掲示板で 「グエッ」 という文字に添えられる顔文字が頭に浮かぶ。
本日の、会社からの追加発送は既にして無理な時間になっている。5時にコンピュータを持って高島屋正面の "TULLY'S" へ行き、明日の出荷予定にどれだけの数量増を加えるかの検討をする。
この出張中の晩飯について、社員たちの希望を容れつつ経費を削減しようとすれば、銀座では 「鳥ぎん」 か 「慶楽」 へ行けば良い。
「あしたは慶楽だな、でも慶楽に行くと 『ガード下、寄んないんですか?』 とか言われて、また金つかっちゃうんだよな」
「いや、最初からガード下で良いですよ」
「あ、じゃぁそうするか、いや、だったら最初から紅とん行っちゃった方が当たりじゃねぇか?」
「あぁ、そういえばそうですね」
という昨夜の会話で今日の晩飯の場所は決まった。閉店後に外へ出ると雨が降っている。ビルの電飾看板が濡れた歩道に色とりどりの模様を映している。「丸善」 に向かって右の道を東京駅方面に入り、2本目か3本目の路地の奥に 「紅とん」 はある。ここにはむかし 「六文銭」 とかいう安いメシ屋だったのではなかったか? カレーライスを頼んだら店員がいきなりカレーのレトルトパックを温めだして仰天した思い出がある。
その 「紅とん」 にて2時間ほども飲み食いをする。サイトウシンイチ君は飲酒を為さないがヤマダカオリさんとトチギチカさんはこれを好むから何度もお代わりをする。僕は燗酒2合、チューハイ中ジョッキ1杯、ホッピー1杯に 「ナカミ」 お代わり1杯で、やはり結構な酒量になる。しかしここではその 「ナカミ」 が150円だから、支払額はそう大したものでもない。
サイトウシンイチ君と共に地下鉄銀座線にて新橋へ到る。コンビニエンスストアでミネラルウォーターを買いホテルへ帰着する。コンピュータを起動して本日の成績を打ち込んでいる最中に、どうも自分が酔いすぎていることを認識する。そしてその直後からの記憶は、海沿いの草原に大男の持つ鉈が一閃してできた断崖のように、ばっさりと途切れている。
ヴァラナシの古いバンガローに泊まったとき、それが英国の標準なのか、あるいは植民地の暑熱から逃れるための方策なのか、床から4メートルにも達しそうな高い天井と、どれだけの厚みがあるのか想像もつかない頑丈な漆喰の壁に驚いたことがある。それにくらべれば現代日本のホテルなど、どれだけ高級さを謳ってあっても、その造作はひどく薄っぺらい。
昨夜あるいは今朝は0時30分という、僕の標準からすればかなり遅い就寝だったにもかかわらず、夜中に隣室の携帯電話が2度も大音響を発し、そのたびに目を覚ました。いま泊まっているホテルはもちろん特に高級なわけではなく、むしろ安い価格のところだから様々な音はそれだけ響きやすい。
そして早くも4時には目を覚まし、さすがに3時間30分の睡眠時間は短すぎると、5時30分まではベッドの上で静かにしていた。それ以降はいつものよしなしごとをして7時30分に到る。それにしても、コンピュータがLANで外に繋がる設備はありがたい。高い天井と厚い漆喰の壁が、このような環境と並列している安いホテルがどこかにないだろうか?
昨年暮に逆輸入の新品として "MAP CAMERA" で購入し、これまで一度も使わなかった "RICOH GR1v" にフィルムをセットする。3月はじめまでにこの小さな銀塩カメラの使い方に習熟しようと考え、これをマウンテンパーカのポケットに収める。
サイトウシンイチ君と共にホテルのエントランスを抜け、雑踏の中を新橋駅へと近づいていく。機関車裏の 「富士そば」 でカレーライスの食券を買い、その後に 「大盛り」 のボタンを券売機に探すが見つからない。店内のカウンターにてそのことを訊くと、ご飯物に大盛りは無いのだという。そのカレーライスを平らげて後、この1週間の自分の昼食が1時30分開始という遅い時間であることを勘案し、わかめ蕎麦を追加する。朝飯だけに730円を費消して 「それにしても、今日のオレは段取り悪りぃなぁ」 と考える。
9時前に社員用通用門より高島屋に入る。甘木庵組は我々よりも数分だけ早く到着したらしい。家内や社員たちがテキパキと売り場の準備を始める。僕はただ、そこいらへんでブラブラしているだけである。
午前中はすぐに過ぎた。数日前、高島屋の準備日には立ち食い鮨に行こうぜと社員に提案をしたところ 「中華が良い」 と、その考えを却下された経緯があった、それ以降 「スシ食いたい病」 を発症した僕は1時35分に 「丸善」 裏の路地奥にある 「魚がし日本一」 へ行く。お好みで鮨を食べるとき、僕はのど元までこれを詰め込んでしまう悪い癖がある。しかしそれほど食っては仕事にならない。慎重に計算しつつ腹八分目にて勘定を頼む。
高島屋裏の "VELOCE" でコーフィーを飲み売り場に復帰する。今年から場所を移った催し会場はお陰様で賑やかだが、ホテルへ帰ってコンピュータを回すまで、売上げの詳細が分かるわけではない。
夕刻5時に至ってシャツ1枚にオレンジ色のヴィエトナム製スカーフを巻き、コンピュータを持ってまたまた "VELOCE" に行く。今度はグレイプフルーツジュースを飲む。そして近くに座った、睫毛に黒い液体を塗る女の人の写真を "RICOH GR1v" で撮ったりもする。このカメラのフォーカス固定モードは便利だ。
社会の情勢を反映して、と聞けば様々な理由が頭に浮かぶが、日本橋高島屋の閉店時間は昨年の出店時にくらべて30分遅い8時になった。日ごとのアイテム別売れ数量を算出するため、ウチの売り場では毎日、棚卸しと同じくすべての在庫を数えて記録する。その、アイテム別の在庫を記したメモを持って社員通用門を出たのは閉店から25分後のことだった。
地下鉄銀座線にて銀座へ移動する。家内は浅草駅20:00発の下り特急スペーシアに乗るべく閉店前に帰ったからメンバーは4人になった。5丁目の焼鳥屋 「鳥ぎん」 へ行き、僕とヤマダカオリさんとトチギチカさんはハーフ&ハーフのビールで、酒の飲めないサイトウシンイチ君はウーロン茶で乾杯をする。
何十本かの焼き鳥を食べ、僕は飲みものを常温の日本酒に替え、牡蠣と五目のふたつの釜飯にて締めようとして、思い出したように鳥スープを注文する。
「アタシが子供んときはねぇ、お祭りの日に親から50銭ももらうと、これは大金だったねぇ」 などという思い出話を、むかしはよく年寄りから聞かされたものである。「このスープはねぇ、オレが学生んときは30円だったんだ」 と言おうとして、しかしそれを言うと僕も年寄りということになってしまうからやめておく。
「この前の小じゃれた飲み屋、まだあるんでしょうか?」 と、西五番街へ出ようとする路地でトチギチカさんが訊く。トチギさんと歩くとこの調子だから、何かと金を使うことになる。2丁目のビルとビルの間にストーブ付きのパラソルを並べたバーは、しかし無くなっていた。来た道を戻り、3丁目の立ち飲みバー "MOD" で皆はモスコーミュールを1杯ずつ、僕はホットバタードラムを2杯飲む。「皆は」 とはいえサイトウシンイチ君の分の大方はヤマダカオリさんが引き受ける。
活字を欠いてはひとりで飲み食いのできない僕が何十回も本を買った近藤書店は店子の証券会社が撤退したことを受けて店を閉めた。そしてその建物は "Dior" のビルに変わっていた。「三日見ぬ間の歌舞伎町」 という言葉があるが、銀座の表通りの変転も早い。地下鉄丸ノ内線にて甘木庵に帰る女子社員とは数寄屋橋の近くで別れ、サイトウシンイチ君と並木通りを歩く。
10分後に新橋へ達すると、サイトウ君は 「ちょっとコンビニ行ってきていいですか?」 と言った。そしてそのコンビニエンスストアの中でも僕は "RICOH GR1v" で写真を撮る。それ以降の記憶がないのは、どういうことだろう。
5時に目を覚まし、床から拾い上げた活字を拾い読みして30分後に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、ほうれん草のおひたし、ハムエッグ、ジャコ、梅干し、メシ、大根と三つ葉の味噌汁。
ウチは、お客様にできるだけ新鮮な商品をお召し上がりいただくため、作り置きはしない。それはよいとして、高島屋へ直送するらっきょうのたまり漬の袋詰めに朝から追われ、店舗の冷蔵ショウケイスが空になりかける。在庫のショートを防ごうとやりくり算段しているうちに、東京へ向けてトラックで出発する時間が過ぎてしまう。
予定より55分後の12時5分前に、販売係のサイトウシンイチ君が運転する三菱デリカの助手席に収まり会社を離れる。大谷パーキングエリアで簡単な昼飯を食べ、東北道を更に南下する。
高速道路を走って東京へ行くたびに 「クルマってのは、危ねぇ乗物だよなぁ」 と思う。手首を数センチ右か左へ動かしただけで、乗員は死んでしまうのである。あるいは雨中を突進するトラックの気流に進路を乱され、狼狽して急ブレーキを踏んだだけで、乗員は死んでしまうのである。
都内の道路に備え、蓮田パーキングエリアで運転を交代する。首都高速道路に入ったところで、既にして甘木庵に到着した家内より電話が入る。扇橋で一般道に降り、25分後に池之端から無縁坂を上がって甘木庵に到着する。ここで数日を過ごす人たちの荷物は、外に出てきたヤマダカオリさんとトチギチカさん、サイトウシンイチ君の3人が玄関に運び入れた。
ふたたびサイトウ君と車上の人となり、聖橋から神田橋、そのまま真っ直ぐ走って日比谷から新橋へ達する。一方通行の混雑した道に無理やりクルマを停め、少なくない荷物をホテルの部屋へ収める。また、貴重品をまとめてフロントに預ける。そのままきびすを返すように銀座から日本橋へ抜け、高島屋の屋上駐車場に三菱デリカを安置する。
地下1階の味百選売り場に挨拶をした後、外へ出るとサイトウ君はひとりでコレド日本橋方面に去った。僕は地下鉄銀座線にて新橋へ戻り、ホテルで借りた 「インターネット貸出セット」 にて部屋のLAN環境を整える。
家内、ヤマダカオリさん、トチギチカさん、サイトウシンイチ君、僕の5名は6時に高島屋の正面に集結した。八重洲の中華料理屋 「博雅」 で9,870円分の晩飯を食べ、スターバックスコーヒーでひと休みして7時30分、いよいよ社員通用門より高島屋に入る。
高島屋の職員サスガケンイチロウさんともうひとりの方の協力を得て、屋上のクルマからコンビネットふたつ分の荷物を出す。そのまま地下1階に下ると、おりしも8時の閉店を知らせる音楽が鳴り始めた。紆余曲折、試行錯誤、協力励行、話し合いなどなどがあって、10時20分にすべての準備が完了する。
「今月21日から3月1日まではとにかく飲み続けだ」 という意図が、つい先ほどまではあった。しかし10時30分を迎えてみれば、生ビールよりもむしろ冷たい牛乳が欲しい。
甘木庵組は家内のクセにより、地下鉄のチューブの上をタクシーで辿り帰宅をするのだろう。赤坂見附から浅草までタクシーに乗る僕のオヤジとか、浅草から新橋までタクシーに乗るナカジママヒマヒ社長の、家内は同類である。僕とサイトウシンイチ君は地下鉄銀座線にて新橋へ至り、コンビニエンスストアで牛乳を購う。
その牛乳は、部屋へ入るなり500CCを飲み干した。コンピュータを起動し、本日の日記のあらかたを作成する。入浴してこんどはペットボトルの水を飲み、0時30分に就寝する。
4時に目を覚まし、"ASIA ROAD" を読み終えて5時30分に起床する。小林紀晴の文章の白眉は 「写真学生」 と考えていたが、この "ASIA ROAD" はそれに迫るものだ。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、イベリコ豚のパンチェッタとほうれん草の油炒め、鰤の塩焼き、納豆、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
自由学園で5年後輩のハニトモハル君が明日館でコンサートを開いた先月22日の夜、講堂の外で同じく5年後輩のウサガワアツシ君に 「日記を見てますけど、あれだけ食べてよく糖尿病になりませんね」 と声をかけられた。画像ではいかにも食っていそうに見えるが、今朝の鰤も、実は食べる前にその3分の2ほどを別皿にとりわけ、これは後日のメシに回されるから、いまだ糖尿病にはならないと思う。
三菱デリカを店舗はす向かいの大橋油店へあずけ、古い社員のヤマコシさんに 「洗車、満タン、空気圧高め」 と伝える。今夕、その三菱デリカに積み込むことになっている、高島屋での販売に必要な品々に対して最後の確認をする。事務係のイリエチヒロさんは包装現場に数時間だけ配置転換をされたから、郵便局へは僕が行く。そしてまた、先頃お母さんを亡くされた元社員の家へ、お線香を上げに行く。
帰社すると、土足で歩く事務室の床に販売係のトチギチカさんが正座をして、高島屋へ持ち込む事務用品を箱に詰めていた。
「トチギ君、なーんだかさ、せわしなくない?」
「せわしなくないって、どういうことですか?」
「あれもしなくちゃいけない、これもしなくちゃいけないって、気分が落ち着かないこと」
「いえ、別にそれはないですね」
事務机に重なった "TO DO" のメモに目を落とす。僕の気分は大いに、せわしないのである。
本日の仕事は燈刻になってようやく一段落をした。終業後1時間を経て、家族など総勢5人の集団により次男の同級生ヨッチの家へ行く。ヨッチは昨年の晩秋にウチで段ボールによるヨッチハウスを作ったが、いまだ預かったままのこれを、いずれは返却しなければいけないと考えていた。
ヨッチの家はフグ屋の 「幸楽」 だから、ヨッチハウスを届けに行けば、当然フグを食べることになる。先ずはひれ酒を注文する。この家のひれ酒は美味く、僕は以前、同窓会のときにこれを5杯飲んだことがある。同窓会には2次会というものがあって、どこでその2次会を行ったかは忘れたが、僕は翌朝、国道121号線に沿った歩道を掃除しながら水路のグレッチングに新三共胃腸薬とアスピリンの混じった胃液を吐逆した。要は、ひれ酒5杯を飲んだら、その後はなにも飲まなければ良いだけのことだ。
外皮の湯引き、刺身、空揚げ。次男は店舗階上にあるヨッチの部屋で遊んでいるが、ときおりは降りてきて食事に加わる。見知らない食べ物には難色を示す次男が生まれて初めてのフグ刺しを何枚も食べ、空揚げを咀嚼して 「鳥の空揚げよりも美味い!」 と言う。
その次男は、シャブシャブについてもこれをムシャムシャと食べる。鍋は、はじめにダシとして投入をした、骨のまわりに肉の付いた部分が美味い。そして雑炊。「フグ鍋の戦略は、美味い雑炊を食べるところにある」 と言ったのは、和歌山市のSOINTUさんだっただろうか、あるいは村上市のtadさんだっただろうか。
次男が 「ヨッチんちじゃラーメンも食べられるんだよ」 と言うので 「フグ屋にラーメンはねぇだろう」 と返事をしつつ、念のため厨房に確認をすると 「できます」 とのことだった。ヨッチのお母さんの説明では、ヨッチのお父さんが趣味のようにして、粉から麺を作るところからはじまるラーメンを、数は少ないながら店で出しているという。
席へ運ばれたラーメンを自分の前へ引き寄せる際に、誤って丼の中に指を突っ込んでしまう。スープで濡れた指を舐めると、それだけで豚とかつお節による上出来の香りを強く感じる。そのラーメンを小鉢に分けて5人で食べる。
ヨッチんちのフグは、大昔に九州小倉の古い料亭で食べたそれよりもずっと美味かった。ラーメンももちろん美味かった。そしてひれ酒は今日も、とりあえずは5杯をこなしておいた。
帰宅して入浴し、牛乳を200CCほども飲んで9時30分に就寝する。
4時に目を覚まし、"ASIA ROAD" を読んで5時30分に起床する。目覚めと起床の時間が定まっていると、毎日の日記の第一節目はとにかくきのうのそれがまるごと使えるから便利といえば便利だ。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、玉子と万能ネギの雑炊、刻み塩昆布、ジャコ、ほぐし塩鮭。
今週水曜日からの、日本橋高島屋でのイヴェントに持参する諸々は品目数だけでも200を超えるが、その準備は先週から徐々に進めてきた。本日は、売り場やホテルへ持ち込む私物について、これを箱へ詰めていく。そして、リストの 「品名:本」 「数量:2」 というところで目が止まる。
昨年同時期の日記を見れば酒ばかり飲んでいるため 「本なんて、いらねぇか」 とはじめは考えたが、ひとりでメシを食う際には活字が必須であることを思い出し、いまだ読み終えないガルシア・マルケスの 「エレンディラ」 を手に取ったところで 「さすがに残りが少ねぇな」 と、本棚より団鬼六の 「将棋十八番勝負」 を選んで共に箱へ収める。一体全体世の中に、ガルシア・マルケスを読み終えた後、これに続けて団鬼六の将棋本などを開く人がいるだろうか。
「今月21日から3月1日まではとにかく飲み続けだ」 という意図が僕にはある。それに必要な条件は2月中に8回の断酒だが、1月における9回目の断酒を今月に繰り越した分を含め、そのノルマは今夜に達成される。
カボチャとセロリの葉のサラダ、チョリソーの網焼き、レタスとトマトとアボカドと鮪のサラダ、ラムチョップのステーキ。崩れたアボカドの果肉が付着した鮪に醤油をちょろりと垂らし、これを飯のおかずにすれば 「酒なんか飲んでる場合じゃねぇよ」 というほどに美味い。2杯目の飯は、鰤大根の鍋の残渣から拾い上げたワケの分からない部分にて食べる。
僕は普段、果物はあまり食べないが、生のイチゴに熱い飴を振りかけた今夜のそれにはつきあってみる。
入浴して牛乳を200CCほども飲み。9時30分に就寝する。
4時に目を覚まし、"ASIA ROAD" を読んで5時30分に起床する。事務室へ降りてシャッターを上げると、夜半の雪は駐車中のクルマを薄く覆ったのみにて、地面のそれは既にして融けていた。とここまで書いて 「雪がとける際の 『とける』 には、どの漢字を充てるのが適当なのかと考える。
「ゆきがとける」 変換で 「雪が溶ける」
「ゆきどけ」 変換で 「雪解け」
「ゆうせつ」 変換で 「融雪」
「ひとつの文章中に使う漢字は統一されなくてはいけない」 と、印刷物の校正をなりわいとしているある人は主張した。しかし同じ業種ながら 「その場その場で好きなままに変えて良いんだ」 という人もいる。僕はこういうことには几帳面だから 「とける」 についてもできれば統一をしたいのだが、一方、ワードプロセッサの変換こそが正解を言い当てているのではないか? という気もして、どうにも心が落ち着かない。
7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、刻み塩鮭、ほうれん草の胡麻和え、鰤大根の鍋から拾い上げたその一部、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能ネギの味噌汁。
8時30分より加藤床屋へ行く。9時45分ころに顔の半分までを剃ったところで携帯電話が鳴る。会社からの、コンピュータについての質問に長々と答えていると、オヤジさんが 「いいから行ってきな」 と言う。顔と首の石けんを蒸しタオルで拭くと、オヤジさんは僕の上半身を覆った布を外した。「悪いね、手間かけちゃって」 と言い置いてとりあえず帰社する。
コンピュータ問題が事務室で一段落しつつあるとき、店舗から販売係のオオシマヒサコさんが顔を出し 「シンガポールの団体さん!」 と叫んで即、またその顔を店舗に戻した。早足で歩きふたつの扉を経由して店舗へ移動し、販売の仕事を手伝う。そのシンガポールからのお客様は1980年代の日本人観光客と同じ買いっぷりを示し、大いに僕を喜ばせた。そして、自分も含めて 「頑張れニッポン」 と思う。
外へ出ると、頭のはげ上がる年齢にもかかわらず、中国系のお客様が紅葉の下に溜まった雪を丸めて同じツアーの客にぶつけふざけている。それを、別の仲間がデジタルカメラに収めている。南国からのお客様にとって、予期しない降雪は僥倖だったに違いない。
ふたたび加藤床屋へ戻り、顔の、剃り残した側を綺麗にしてもらう。
初更、トマトとモツァレラチーズのサラダ、ジャガイモのグラタン、エリンギとマッシュルームのオリーヴオイル焼き、ピザパン、ラムチョップの香草パン粉焼きをすこしずつ食べ、「こういうものを白いパンもワインも無しで食べる君たちは偉いですね」 と大いに称揚する。そう言った僕にもいろいろと意図があるからワインは飲まない。
それほど寒くない雨の戸外へ出て日光街道を徒歩で南下する。「市之蔵」 の、春日町青年会のために用意された入れ込みの座布団にあぐらをかく。オクラと山芋と納豆の小鉢、茹でたホタルイカ、鮪の山かけ、水ダコの刺身、ナッツ入りシーザーズサラダ、牛すじ入りキムチ鍋。そしてここでもお酒は飲まず、ホットウーロン茶を注文する。僕には、ある意図があるのである。
来期の青年会長、同会計係を決めるための根回しはすんなりと運び、そのふたつの重責については、それぞれ適任と思われる2名が快くこれを引き受けてくれた。育成会長の後任についても、誰かが収まってくれるだろう。2杯目のホットウーロン茶を飲む僕は、キムチ鍋の唐辛子のせいかどうかは知らないが、だんだんと酔った気分になってくる。
「今日は酒は飲まねぇって、腹ぁくくっちゃえばどうってこたぁねぇんだよ」 と、ビールの中ジョッキで焼酎のオンザロックスを飲む面々に言う。「いや、その、腹をくくるってことが、だいたいできねぇから」 と、先日の新年会において、浅草駅で特急スペーシアに乗り損ねたタノベタカオさんが言う。しかし僕は、あしたも腹をくくって断酒をしなくてはいけないのである。
「オレ、そろそろ眠る時間だから」 と挨拶をして、会議のような飲み会のような、あるいはおだ上げのような席を立つ。帰宅して入浴し、牛乳を300CCほども飲んで10時に就寝する。
目を覚まし、かなり時間が経ってから枕頭の灯りを点けると時刻は3時15分だった。"ASIA ROAD" を読んで5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、フライパンで軽く焼いたイベリコ豚のパンチェッタ、ほうれん草の油炒め、目玉焼き、白菜キムチ、ほぐし塩鮭、生のトマト、納豆、メシ、鰯のつみれと長ネギの味噌汁。熱を与えられたパンチェッタの、透明になった脂をサクサク噛みながら 「これ1枚でメシ1杯は食えるな」 と考える。
昼飯は、玉ネギと甘辛く煮た羊肉による羊丼。
来週に入るとなにかと忙しく、月が変わるまで帰宅できないこともあって、本酒会2月例会の会報を、終業後に早くも書き始める。30分を経て「あと2行を加えれば完成」 というところまでこぎつけ、居間へ戻る。
ほうれん草の胡麻和え、鰤大根、鶏肉と水菜のサラダカレー風味、鰤の照り焼きと大根おろし。この晩飯の、写真だけを撮って外へ出る。
第141回本酒会に参加するため、数分を歩いて "Johnny's Cafe 638" へ行く。本日の出品は4合瓶、1升瓶あわせて9本だが、全員がその9本をすこしずつ利き酒をした後は、各自が美味いと感じたお酒を好きなだけ飲むことができる。だからふと気がつくと、後で飲もうと計画をしていたお酒が他者によってあらかた飲み尽くされていたということも発生し、そうすると瓶を逆さに振って、瓶のキャップにでもよいからこれをあつめて飲もうと考える者も出てくる。
そういう最中に、携帯電話は新製品を追いかけて年に何度も買い換えるというヤギサワカツミ会員が、そのディスプレイにこの 「清閑日記」 を出して見せてくれる。画像にリンクする文字をクリックするとどうなるのかについては聞き忘れた。
「喜久水酒造の一時は宮中晩餐会の食前酒にしても良いお酒」 とは僕の言ったことで、その僕が本酒会においてはお酒の飲み順を決めるため、一時についてはいつも、会が始まって最初に飲むものと決めていた。しかしイチモトケンイチ本酒会長より 「だからいつも一時が総合点第1位になっちゃーんだ」 と、その飲み順による投票の不平等さに触れ、今夜はこれを最後の1本とした。
本酒会では普通、利き酒のための量はどの会員も1勺あるい多くても2勺くらいのものだが、この一時に限っては 「待ってました」 とばかりにグラスへなみなみと注ぐ者が多い。そして僕もまた、今夜は8本のお酒を試し飲みしてすこしは酔っていたが、これを自分のグラスになみなみと注ぐ。
喜久水酒造の 「一時」 は、その飲み順を最後にしたにもかかわらず、今夜もまた総合点第1位を獲得した。 菊姫の 「にごり酒」 も美味いが、この 「一時」 もまた美味い。
帰宅して入浴し、10時30分に就寝する。
4時に目を覚ます。"ASIA ROAD" を読んで6時に到る。目で見たものを文字にするとき、小林紀晴は陳腐な、あるいは紋切り型の形容をしない。「いいじゃん」 と感心しつつそういうところを何度も読み返す。だから遅読の僕がペイジを繰る速度はますます低くなる。これまで読んだ小林紀晴の本の中では 「写真学生」 が随一と思うが、この "ASIA ROAD" も大いに悪くない。
起床して洗面所へ行き窓を開けると、横に長く伸びた雲に日光の山はその頂上付近を遮られてはいるが、天頂に近づくほど空はさえざえと青く美しい。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、白菜キムチ、ほぐし塩鮭、納豆、生のトマト、メカブの酢の物、メシ、鰯のつみれと水菜の味噌汁。
「相互リンクのお願い」 というメイルがときどき届く。その多くはリンクを張るに気の進まない相手にて、先ずウチのリンクペイジのURLを知らせ、「弊サイトのリンクペイジは以下の8部門に分類をしていますが、貴サイトはそのどちらにも該当しないため、恐れながら相互リンクは遠慮させてください」 との返信を送付する。
今日はゴルフ会員権売買の会社から相互リンクの要請があり、もちそんその申し出はお断りしたが、しばし相手のサイトを見ていくと、1980年代の最後期には4,000万円の値を付けた、ウチからごく近いゴルフ場の会員権が、売り希望360万円の買い希望が285万円。そこからそう遠くはない、やはり同じ時期に800万円の値を付けた別のゴルフ場の会員権が、売り希望5万円の買い希望無し。
相場が暴落してからでなければ誰もその高値に違和感を持たない、違和感を持っていたとしてもババを掴むのは自分以外の人間に違いないと根拠を欠いて確信するとは、中世オランダに起きたチューリップバブルのころから変わらない、人間の悲しい性である。
燈刻、ジャガイモと水菜とハムのサラダにて泡盛 「宮の華」 を飲み始める。厚揚げ豆腐と椎茸とエノキダケをあらかじめ煮たカレー南蛮鍋には、ほうれん草と羊肉を投入する。そして更に 「宮の華」 を何杯か飲む。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
きのうと同じく目覚めてからもそのまま暗闇の中で横になり、しばらくして枕頭の灯りを点けると時計はきのうと同じ3時30分を指していた。 "ASIA ROAD" を1時間ほど読んだところで強めの地震がある。居間へ行ってテレビの地震情報を見ているうち5時30分になったため、そのまま起床する。
事務室へ降りてシャッターを上げる。家内は 「雨の音がする」 と言っていたが、外へ出てみればそれは雨ではなく雪だった。地面にはシュークリームの上のパウダーシュガーほどの降雪があってて、「これなら雪かきをするまでのことはねぇや」 と安心をする。
朝のよしなしごとにはウェブショップでの買物も含まれる。「羊肉のなみかた」 へ行き、しゃぶしゃぶ用の生ラムを1キロ買うと商品代金は2,100円で、「これだけのもんに送料を使うのは馬鹿ばかしいな」 と考える。ラムチョップステーキ16本も注文して先へ進むと 「あと300円お買い上げになると、送料が半分になります」 との表示があらわれる。「うめぇじゃん」 と思う。できるだけ300円にちかい商品を探し、イベリコ豚のパンチェッタ100グラム420円を買い物かごへ入れる。
朝飯は、玉子と椎茸と万能ネギの雑炊、ほぐし塩鮭、ジャコ、千枚漬。
地面を薄く覆っただけの朝方の雪に安心をして、店舗駐車場には販売係のサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君に融雪剤を撒いてもらうに留めたが、針の先ほど小さな雪の粒は徐々にその大きさを増し、また降る勢いも強めてきた。遂に10時30分をすぎて販売係と、仕事に一段落をつけた包装係が雪かきを始める。
午後になっても空からバラバラと落ちてくる牡丹雪の激しさは変わらない。数時間前の雪かきによって綺麗になりかけた駐車場は、ふたたび元の姿に戻ってしまった。またまた社員たちによる雪かきが始まり、そしてようやく雪は止んだ。そして店舗駐車場の北東の角には、高さ2メートルを超える雪だるまができた。
そういえば小学生のころある雪の日、明治元年に建てられた蔵も一部に残る社内の裏手空き地に行ったところ、大きな玉の上に裸婦を載せた雪のオブジェがあった。その時代の僕には破壊衝動があったから、即刻この裸婦の足首にロープを結わえつけこれを倒壊させた。引き上げつつある僕の耳に聞こえた 「あっ、倒れてる!」 という叫び声は、製造係のヒラノショウイチさんが発したものだった。その裸婦はヒラノさんの女の好みからすれば、ずいぶんとほっそりしていたような気がする。
夕刻にメイラーを回すと、「羊肉のみなかた」 からいくつかの案内が届いている。ここは、カード決済の与信は客に行わせ、また着荷の案内はヤマト運輸にさせるという、まことに自社の省力化が進んだウェブショップである。フォーマットの綺麗さは望めないが、学ぶところは多い。
燈刻、次男の算数の宿題を督励する。また、その合間を縫って東武日光線下今市駅へ行き、日本橋高島屋における出張販売の際に必要な切符一覧を窓口に差し出す。この一覧にある切符がすべて出てくるまでその場で待つことはしない。「あした、お金、持ってきますから」 と言って帰宅する。
新潟県村上市の工藤酒店が企画をし、大洋酒造が醸した 「道」 は美味いお酒だが、一升瓶の口を八勺グラスに添えて傾けると、残余はようやく5勺に届くほどしかなかった。これを、肴を欠いたままスッと飲む。
鮪の刺身、芹を投入したしょっつるの寄せ鍋、その鍋で煮るきりたんぽ。泡盛 「宮の華」 を飲む。なぜか食卓に白菜キムチがあったため、これでメシ1杯を食べる。
入浴して牛乳を400CCほども飲み、9時30分に就寝する。
暗闇の中で目を覚まし、しばらくそのまま数十分をすごした後、枕頭の灯りを点け時計を見ると3時30分だった。遅読の僕はいまだ "ASIA ROAD" の半分までをも読み終わってはいないが、そしてこの本が面白くないわけではないが、周辺にある地図やムック本のたぐいを眺めて5時30分に起床する。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、大根おろし、しもつかり、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の炊き物、納豆、千枚漬、メシ、やはりタシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の味噌汁。
業務について 「ここまで時期が迫ってからそれをやれったって大変だよなぁ」 という案件が持ち上がる。あちらこちらに電話をし、人に会いに行き、社内を回って説明や協力依頼をし、またその結果についてあちらこちらに連絡を入れる。限られた時間の中で問題を解決するとは、なにやらお祭りに参加をしているような気分にて、楽しいといえば楽しい。それに別段、時間が限られているとはいえ、人の命がかかっているようなことではないのである。
燈刻に断酒を決めて食卓にいると、ベビーリーフ、レタス、トマト、水菜にタコを加えたサラダが運ばれる。「これはマズイ」 と考える。チキンライス、続いてオムレツも運ばれる。「あぁ、ダメだ」 と考える。「オレやっぱ、白ワイン飲むわ。タコのサラダがあっちゃなぁ」 と伝えると家内は 「なに言ってるの、他の人はいつだって飲まないのよ」 と返してくる。
サラダを食べ、チキンライスにオムレツを載せて食べ、ときにはその皿にビーフシチューの汁の部分をかけまわして食べたりもする。築地の 「豊ちゃん」 を思い出す。
家内のお陰で今月6日目の断酒を達成する。それにしても、こういうことを書くたびに自分のアルコール中毒ぶりを周知しているような気分になる。
入浴して牛乳を400CCほども飲み、9時30分に就寝する。
午前3時には煌々とした星が見えていたが、6時の空は夜と朝とのはざまにあってそのコントラストを失い、晴れているのか曇っているのかの区別さえつかない。事務室へ降りていつものよしなしごとをする。
朝飯は、ほうれん草の油炒め黒酢がけ、ほぐし塩鮭、納豆、しもつかり、メシ、豆腐と長ネギの味噌汁。
先日 "Computer Lib" より 「ひしおの地方発送ができるようになりました」 というメイルマガジンをお客様にお送りして以来、この商品への注文が増えている。「ひしお」 の受注増加は、メイルマガジンを発行したからその理屈は分かる。分からないのは毎朝メイルで届くきのうの "Report of Web Requests" が、2001年5月の日記に対する異常なアクセスの集中を知らせていることについてだ。きのう多くの人によって検索エンジンに入力されたあるなにかの語句が、そのペイジに含まれでもしていたのだろうか。
燈刻、茹でたホタルイカ、しもつかり、梅花はんぺんにて日本酒 「道」 を飲み始める。タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の炊き物、だし巻き玉子、鶏のつけ焼きと炒めピーマンと大根おろし、五目おこわ、千枚漬にて更にそのお酒を八勺グラスで3回ほどお代わりする。
だし巻き玉子を食べて、京都の 「志る幸」 の、切り口が楕円形のだし巻き玉子を思い出す。そして鶏のつけ焼きを食べて、連雀町の 「まつや」 の焼き鳥を思い出す。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、10時前に就寝する。
5時30分に目を覚まし
このウェブペイジでは日記以外のコンテンツのうちどちらかを、1ヶ月に1度の割合で更新している。オープン当初の1998年には1ヶ月に7つもの短文を書いたこともあったが、外注SEのカトーノさんに
「ウワサワさん、最初は誰にでもネタはあるんです。でもそのうち更新が間遠になって、ついには1年も2年もそのまんま、というところが多いんですよ。今後のことを考えれば、短文の更新は1ヶ月1度にとどめるべきです」
と言われ、それに従ってからそろそろ5年になるだろうか。昨年の初秋には遂に文章をひとやすみして写真に転じたが、「ただ、そこにあるものを撮せば良いだけ」 と考えた写真は意外にむずかしく、ひとつのペイジを埋めるには、文章を書く何十倍もの時間が必要なことを知った。文章であれば自室にいて北極のことも書くことはできるが、写真の場合、北極へ行かなければ北極の写真は撮れないのである。
次回更新日3月1日も含めてこの近辺の9日間はホテルにいる。そこへフィルムスキャナを持ち込むのは大げさだし、それを使うヒマも捻出しづらい。更にここがもっとも肝要なところだが、今あるコンタクトプリントに使える12枚は揃っていないし、これからの1週間で使える写真が撮れる保証もない。
3月1日には、久しぶりに文章で更新をしようと考える。それはさておき、この1ヶ月に1度かならず来る締め切りをこなしても僕のふところには一銭のゼニも入らないのだから、めでたいといえばめでたい。
燈刻に飲酒を避けて、ビーフシチューのぶっかけメシを食べる。今月は21日までに、あと3日の断酒をする必要がある。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
5時30分に起床して事務室へ降り、よしなしごとのひとつとしてたわむれに "google" で 「愛の彼方の変わることなき死」 という数日前に読んだ物語の題名を検索してみると、清閑日記のこのペイジが最上段から2番目に表示されている。「いったいいまのロボット型検索エンジンは、どれくらいの頻度で文字や語句をさらいに来るのだろう?」 と、その速報性ぶりに大いに驚く。思いついて 「絹猿」 で同じことを繰り返すと、こんどは 「清閑PERSONAL」 の "WORKS" がその筆頭にあらわれた。
もっとも 「絹猿」 とか "Le Crezia" などというマイナーな語句で自分のペイジが検索エンジンのトップに表示をされても、「それがどうした?」 と言われれば、どうもしない。
7時に居間へ戻る。朝飯は、しもつかり、ほうれん草の胡麻和え、納豆、メシ、神奈川県の海沿いに住む人たちが朝、岩のあいだから摘み取って自家用にするという名称不明の海草と豆腐の味噌汁。
むかし勉強を教えていただいていたナガシマリサブロウ先生のお宅には 「一日不作、一日不食」 という張り紙があって、子供心に 「この家は厳しいなぁ」 と感じた。「なにも創造をし得なかった日はメシも食うな」 などと言われたら、僕などはたちまちのうちに餓死をするだろう。
それはさておき街に大書されたプロパガンダが左翼国家だけのものと考えるのは早計で、すこし視点を変えてみればこれは世界のあちらこちらで見ることができる。1983年の台湾で頻繁に目にしたのは 「スパイを見つけたら知らせましょう」 という意味のもので、そのスパイは 「萬悪的匪諜」 と書かれてあった。日本の街にあふれるプロパガンダには、上品に言えば経済を活性化させようとするたぐいのものが多い。
朝に近所のお蕎麦屋さんからいただいた蕎麦を昼飯にする。茹でた後、冷水で洗って洗って洗いきった蕎麦は上品に引き締まり、また蕎麦湯はまるでポタージュのように濃かった。子供のころからこういう蕎麦を食べていれば、僕は蕎麦嫌いにはならなかったに違いない。僕の蕎麦嫌いは10代の終わりごろに池之端 「藪」 の天ぷら蕎麦をひとくち食べた瞬間、幸いにも霧消した。
20年ちかく前に買ったゼロハリバートンの車輪は 「付いてりゃいいや」 といった小さなもので、実際にはほとんど役に立たない。そこで何年も前から大きな車輪の付いた "REMOWA" に目をつけていたが、先日たまたま検索エンジンで、この会社のトランクをほとんど6割引で売る店を発見した。
これまで使ってきたゼロハリバートンは実測で700×470×235mmといったところだが、この大きさでも時によっては上に載って無理やり施錠することが少なくない。「もっとでかくしなくちゃダメだ」 と考え、また 「トランクはなにも付属品のない、ただの箱が1番なんだよね」 という僕の好みから "CLASSIC FLIGHT 976.77 Jumbo Trolley" という種類を注文し、本日それが届いていてみれば、800×560×275mmというサイズはいかにも大きかった。
「あなた、このトランク一杯におみやげを詰め込んだら、絶対にひとりじゃ持ち上がらないわよ」 と言われれば、確かにその通りである。しかしながら僕は安心なことに、旅先では歩き回ったり本を読んだりメシを食べたりはするが、買物はそうはしない。「だったらどうしてこんなにでかいトランクを買ったんだ?」 と訊かれれば、確かにひとりでの旅行に、これは不必要かも知れない。
ところで20年ちかくもゼロハリバートンを使い続け、本日 "REMOWA" のトランクをいじくり回した僕の感想は 「重さと値段を我慢できるならゼロハリバートンを買え」 というものだ。質感、強度、機密性、デザインのどれをとっても、現在のゼロハリバートンは "REMOWA" を超えている。 "REMOWA" がゼロハリバートンに勝てるのは、ただ軽量性においてのみと思われる。それでも、新しいトランクの到着が嬉しくない、ということはない。
初更、居間の食卓にはお客様より差し入れにいただいた鱒鮨があったため、大洋酒造の 「道」 を準備した。ところがその後、ロールキャベツのクリームソース煮、トマトのオリーヴオイル和えが運ばれ、「となれば白ワインかなぁ」 とも思いかけるが、ここは日本酒で通すことにする。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、10時前に就寝する。
目を覚まして数秒のあいだは自分がどこにいるのか分からなかったが、ようやく甘木庵の一室にて寝ていたことを思い出す。周囲には濃い灰青色があって、「いまだ夜は明けていないのだろうか?」 とキッチンへ出て灯りを点けると時間は既に6時だった。ヤカンにお湯を沸かし、熱いプーアル茶を飲む。
6時35分を過ぎて玄関を出る。上野広小路の駅へ潜り込むと、プラットフォームのデジタル時計にはいつも大抵、6:51の表示がある。「あと5分はやく家を出れば、もう1本はやいやつに乗れるんだわなぁ」 と考えるが、その7時前に浅草へ達する地下鉄には、なぜかいつも間に合わない。
浅草で、いつも朝飯を食べる地下道の 「会津」 は休みだった。そのはす向かいのカレー屋 「ひぐち」 にてポークカレー大盛りとホットコーヒーのセットを注文する。
自動券売機で7:30発の下り特急スペーシアの切符を買おうとすると 「残席わずか」 の表示があるにもかかわらず、次には 「この切符は売り切れです」 の文字がディスプレイにあらわれたため、前売り券などを売る駅員に子細を訊くと、やはり始発は満席だった。その駅員の操作するパネルが、8:00発の残席もあと7枚しかないことを知らせている。取り急ぎ、その7席のうちのひとつを確保する。
時間をつぶそうと駅ちかくのスターバックスコーヒーへ行き、ショートサイズのアメリカーノを注文する。財布の残金は530円になった。2階席へ上がって 「奇跡の行商人、善人のブラカマン」 を読み始める。
8:00発の下り特急スペーシアに乗り、10時に仕事へ復帰する。夕刻までに資料を整え、終業後、社員たちと日本橋高島屋でのイヴェントにつきミーティングをする。
今日は 「花市」 という年に1度のお祭りにて、シバザキトシカズ本酒会員の家の前 「芝崎新道」 を含む500メートルほどに露店が出たが、僕は行かなかった。
その花市に家内がサイトウトシコさんや次男と出かけて買い集めた焼そば等々、ご近所からいただいたしもつかり、水菜とレタスと胡瓜とツナのサラダにて炊きたてのメシを食べ、飲酒は避ける。今月22日から来月1日までは社員との食事が続くため、それまでに8回の断酒を達成しておこうと考える。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
毎朝のことだが、目を覚ましてすぐに灯りを点けたり時計を見たりということはしない。暗闇の中で横たわったまま無為に過ごす時間は30分ほどにもなるのではないかと思われる。そして今朝も、そのような時を過ごして後に枕元に置いた携帯電話を見ると4時30分だった。
起床してヤカンにお湯を沸かし、熱いプーアル茶を飲む。コンピュータを起動してメイラーを回すと、niftyのアドレスにはメイルが入るけれども自社ドメインの方はすべて 「接続に失敗しました」 となる。きのうの日記を作成し、サーヴァーへ転送しようとしてこちらも失敗する。OCNのアクセスポイントを全国統一番号に変えたため、ダイヤルアップ接続に関しては "Computer Lib" のサーヴァーにアクセス制限を受けているのかも知れない。
人の文章を読むとき、そこに子や孫の記述があるとなぜか目にうるさい。他人の文章についてはそのような感想を持つにもかかわらず、きのうの僕の日記には 「長男」 という文字が10もある。「さぞかし他人の目にはうるさいことだろう」 と考える。その長男は6時に起床して炊きたての飯と味噌汁のみというおかずのない朝飯を食べ、7時すぎに学校へ向かった。
本日の夜に使う資料がA4で11枚の30人分だから合計330枚もある。エディバウアーのザックにこれとThinkPad X31 を入れ、エムロクを首から提げると 「うへぇ」 という気になる。その荷物を身につけ外へ出る。東京大学の大きな銀杏が何本も、太い枝を思い切り剪定されて黒く並んでいる。
本富士警察署に背を向けて歩き、本郷通りを横断して神田川沿いに出る。御茶ノ水から駿河台坂を下っていくと、明治大学ではちょうど入学試験が行われていた。その明治大学の真向かいがスポンと抜けて広い駐車場になっている。そうなってから 「いままでは何があったっけ」 と考えても思い出せるものではない。そういえばここは、昨年の秋には既にして空き地になっていたことを、記憶の奥からつまみ出す。
すずらん通りにおにぎり屋ができたとは、やはり昨年のはじめに神保町の 「家康本陣」 の客と店主が交わす会話にて知ったことだ。そこで朝飯を調達しようと考え、その通りの出口付近まで歩いてようやく 「おにぎりの小林」 を見つける。焼き鯖、刻み高菜、ゆかりの3個を買って "Computer Lib" を目指す。冬の空が気持ちよく晴れている。
"Computer Lib" ですべきことが昨年より蓄積してたくさんの数になっている。それらは逐一、きのうのうちにナカジママヒマヒ社長にメイルで送ってあるが、まず第一にすべきは、昨年の暮、今年の正月と2度にわたって無通信タイムアウトによる途中断裂を起こしたメイルマガジンの発行だ。
メイルマガジンの送付については、シマンテックのウィルスチェックという狭い網目に、まるでトコロテンの尻を押すようにして大量のメイルを通過させようとする風景を想像すると分かりやすい。その網目の手前でメイルがモタモタするうちに無通信の状態が起きることの解決策を得るため、とりあえずはわざと失敗を誘発させてみようと、あらかじめ準備した 「ひしおの地方発送ができるようになりました」 というメイルマガジンを数千の顧客へ向けて送ってみる。
案に相違して、大量のメイルは狭い網目の手前で最大300通ほども滞留するが、無通信タイムアウトで回線が切断されることもなく、30分ほどのあいだにそのすべては送られてしまった。失敗が起きなかったのは、前の2回と異なり、今回はLANを無線ではなく有線で繋いだためかも知れない。ここで熱いコーフィーを飲む。
朝、"Computer Lib" のある矢野ビルを目指して歩いているとき、昨年まであった鰻屋が、いつの間にか 「ラーメン二郎」 に変わっていることを知った。「二郎」 のラーメンは23年ほど前に慶應大学ちかくの三田本店で1度食べたきりだが、そのときには 「どうしてこのようなものがもてはやされるのか」 と不思議に感じた。マヒマヒ社長とイノウエタケシさんに訊くと 「いつも行列だから入ったことないっすよ」 とのことだった。検索エンジンで調べたところによれば待ち客の平均は15名、その最後尾についてからカウンターに達するまでの時間は30分ほどのようである。「行列がなくなったら来てみよう」 とは思うが、そういう日が来るかどうかは分からない。
昼時にはなったが9時すぎに食べたおにぎり3個の効力にて腹は満ちている。銀行へ行くというマヒマヒ社長と共に外へ出る。疲れた脳に酸素を送り込むべく、とりあえずは散歩をする。駿河台下の古書店に漱石全集の35冊揃いが24,000円で売っている。「安いんじゃねぇか?」 と思う。僕のオヤジはこの全集の初版を遊ぶ金ほしさに、しかしそれを買った自分の父親には露見しないよう、外箱は本棚に並べたまま中身だけを売ってしまったという話があるが、嘘か本当かは知らない。
僕の散歩が終わり、マヒマヒ社長が銀行から戻ったところで午後の作業を始める。これはウェブショップの、ある一部分に限り "RED" と指定されたフォントの色を他と統一して "CC0000" にするとか、顧客からより具体的な要望が届くよう、通信欄の脇に置いた例文をより親切あるいはくどくするとか、振込先に指定したふたつの銀行口座の並べ方とフォントを異なるペイジにおいても統一をするとかの化粧直し、とでもいうようなものだ。
僕は、汚いペイジは好きではない。もっともウェブショップの売上高が、ペイジの綺麗さと比例するということはまったくない。汚いペイジでも売っているところは売っているし、綺麗なペイジでも売っていないところは売っていない。
昼飯を食わないまま池袋へ移動し、同学会の本部委員会に出席をする。これを9時すぎに終え、ビックリガードちかくの中華料理屋にて残りの話し合いをする。地下鉄丸ノ内線にて本郷へ至り交差点を渡れば、「三原堂」 のショウウインドウには雛祭りの飾りつけがあった。
11時すぎに甘木庵へ帰着する。入浴してビールを飲み、0時ごろに就寝する。
「もうそろそろ5時にちかいだろうか」 と考え、枕頭の灯りを点けるといまだ3時だった。「アジア旅物語」 を読み、また他の活字も拾い読みするなどして6時に起床する。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、納豆、ほうれん草の油炒め黒酢がけ、茗荷のたまり漬、神奈川県の海沿いに住む人たちが朝、岩のあいだから摘み取って自家用にするという名称不明の海草を焼き、これに刻み長ネギとかつお節を振ったもの、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
ケンボウの家でもっとも高い湯波は生湯波だろうか。しかし、揚げ湯波を作る過程において出た規格はずれのお徳用湯波には鱈の内臓の一部や石斑魚の唇、あるいは豚の直腸のような食感があって、僕はこれが最も好きだ。お徳用湯波、牛すじ肉、ぶつ切りのベイコン、百合根、ムキタケなどをコンソメで煮込んだ料理があれば、これをぜひ1人前の蓋付きポットで食べてみたい。
下今市駅17:33発の上り特急スペーシアに乗る。「愛の彼方の変わることなき死」 を読み始めてすぐに眠くなる。新鹿沼に着いたとのアナウンスを聞いて 「ずいぶんと早えぇな、まだ浅草を出たばっかりじゃねぇか」 と驚くが、僕が出発をしたのは下今市で、浅草ではない。栃木に着いたとのアナウンスも眠りの中で耳にし、春日部が近づいてようやく目を覚ます。
ふたたび 「愛の彼方の変わることなき死」 を開くと、こんどは眠気は訪れず、それよりもまず文字から目が離せなくなる。6時50分にこの短編を読み終えて 「へぇ、いい物語だね」 と思う。書いたのはガルシア・マルケスだから、良くて当たり前かも知れない。
北千住から地下鉄日比谷線を経由して銀座に到る。7時35分に数寄屋橋で待ち合わせた長男は、既にしてそこにいた。「おぐ羅」 に電話を入れ、相手が誰かは知らないが 「ウワサワです、すぐに参ります」 と伝える。旧電通通りから 「かん」 や "HAJIME" のある路地を抜けて数奇屋通りへと出る。
引き戸を開けると即 、オヤジさんによる 「おふたりさん、カガミ」 の大音声がかかる。この店の特等席は 「鍋前」 かも知れないが、カウンター左奥の 「カガミ」 も僕は好きだ。
メイルで晩飯の約束をしたとき、何が食べたいかと訊くと 「翌日が試験なので、早く食べ終えるおでんはどうでしょう?」 という返事を長男はよこした。おでんとは、果たして素早く食べ終えることのできる食べ物なのだろうか? 素早く食べ終えることのできる食べ物の筆頭は、むしろ立ち食い鮨ではないか? 第一僕は、おでん屋でおでんは、そうは食べない。おでんに達するまでの道筋に、紆余曲折がある。
焼酎 「島美人」 のオンザロックスを頼むと、オヤジさんは僕の隣席を目で示して 「お連れさんも同じもの?」 と訊くので 「いえ、こちらは未成年ですので」 と答える。長男は 「温かいお茶」 を注文した。
付き出しの芹のおひたしが美味い。「かがみ」 の壁にあるべんがらの額と、それと向き合うかたちである梅原龍三郎の裸婦とのあいだの黒板に 「平貝刺身」 の文字を認めれば、これを頼まないわけにはいかない。しめ鯖は形が無くなるまで噛んで、口の中にその脂を行きわたらせる。筍の木の芽和えにすこしあったイカの種類はなんだろう?
「前半3分でイチゼロだそうです」 と、埼玉県の競技場で行われている日本と北朝鮮によるワールドカップ予選の経過をオヤジさんが伝える。僕はその顔つきから勝っているのは日本の方だろうと推測をしたが、背後のテイブルに座るオジサンは 「どっちが?」 と訊いた。僕は文化系で、そのオジサンは理科系の人に違いない。
その理科系の人が 「キヌカツギ」 と注文をしたので 「なんだ、黒板にはねぇけどあるのか」 と思い、そうなるとこれも頼まないわけにはいかない。
「ウワサワさん、ししゃもがいいですよ」 とオヤジさんに声をかけられる。ナポレオンは下士官以上の名はすべてそらんじていたと聞くが、個人名を呼ばれればこれは弱い。その、カペリンではなく本当のししゃもは焼き上がりの直前に刷毛で醤油を塗られ、いかにも美味そうな風情にて目の前に運ばれた。遠火で時間をかけ焼かれた魚が、一瞬にして我々の食道の奥に消える。
長男にうながされて鯨ベーコンをとる。この鯨ベーコンは、なかなか無くならないほどの量が1皿にあるから嬉しい。牡蠣フライは主に長男が食べる。
人とこの店に来てキンキの煮付け1尾を注文したら 「君には何かと世話になっているからボディの方をやるよ、オレはアタマでいいから、と言って美味い方を取れ」 と長男に教えるが、長男によれば、この皿の上で最も美味いのは出汁を吸い込んだ付け合わせのゴボウだという。2客の茶碗に軽く盛ったメシにその出汁をダラダラーッとかけ、ササササッと食べる。
そういう紆余曲折を経て長男は締めのオデンとして、豆腐と大根と海老芋を頼んだ。ワカメだけにしておけば良いようなものを、鱈の白子も食べるから僕の血中の脂肪濃度はますます上がるのではないか。
外へ出ると長男は腕時計を見て 「結局、9時半になっちゃったよ」 と言った。明日の試験はフランス語だという。
甘木庵に帰着して長男は眠気覚ましの日本茶を飲む。僕はシャワーを浴びてビールを飲み、枕元へ置いた本を読む余裕もなく即、就寝する。
枕頭の灯りを点けると3時だった。床から 「アジア旅物語」 を拾い上げ、これを開くが1、2行読んでは短い夢を見て目覚め、また1、2行読んでは同じことを繰り返す。あるいは他の活字をあさったり浅い夢を見たりしながら6時に起床する。
事務室へ降り、ウェブショップの受注を確認するとか、紙の手紙を書くとか、きのうの画像をカメラからコンピュータへ移して加工するなどのよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、納豆、茄子の油炒め、牡蠣の薄味煮、メシ、神奈川県の海沿いに住む人たちが朝、岩のあいだから摘み取って自家用にするという名称不明の海草と長ネギの味噌汁。
9時ごろから降り始めた雪は徐々に勢いを増し、昼過ぎには 「このまま積もってしまうのではないか?」 と懸念を抱かせたが夕刻には収束した。同じころ、大きめの地震がある。
燈刻、次男の算数の宿題を督励する。もっとも 「督励する」 とはいえ、次男の横で本を読んでいるだけのことである。
鮪の刺身、うずら豆と茶碗蒸し、牛肉と豆腐と椎茸と芹のすき焼き風をおかずにメシ1杯を食べる。大学芋は一切れのみつまむ。そして飲酒は為さない。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
今日の日記のここまでを400字詰めの原稿用紙へ引き写せば29行580文字となり、これは僕が考えるウェブ日記の理想の長さだが、毎日毎日そう上手い具合にはいくものではない。
いまだ日付が変わったばかりの0時すこし過ぎに目を覚ます。はじめは床に散らばった諸々に手を伸ばしてこれらを拾い読みしていたが、「いつまでもそればっかりじゃぁ、しょうがねぇだろう」 と、数日のあいだやはり床に置いたままにしておいた
朝飯は、メカブの酢の物、納豆、ほうれん草の油炒め、茗荷のたまり漬、温泉玉子、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
正確な時期は不明だが、およそ1960年代の後半から販売を始めた 「ひしお」 という商品がウチにはある。その性質上、発送部外品としていたが 「たまたまお宅で見つけで買って帰ったら美味しかったのよ。送れない品物? 日光まで行かなきゃ売ってくれないの?」 という電話は、これまで何百本受けたか知れない。
クール宅急便のなかった時代ならいざ知らず、今なら事故もなく先方にこれをお届けすることができるのではないかと、ヤマト運輸との話し合いを持ち、また数度の発送実験によりこれを地方発送可能の商品としたのは1月なかばのことだった。
ウェブショップの顧客にはこの 「新商品」 をメイルマガジンでお知らせをしなければいけないが、メイルを送付する際にシマンテックのウィルスチェックという網目の狭い濾過装置を経由させることにより、送付ソフトがたびたび停止する事態が最近になって発生し始めた。
「だったらとりあえず商品はウェブショップに載せておいて、メイルマガジンはその後、万全の体制のもとに発行しよう」 と考えていたところ、有り難いことに早くもこの 「ひしお」 をご注文になるお客様が複数あり、しかしそのどなたからも 「ひしおが買い物かごに入りませんが」 というクレイムを頂戴して、それはきのうもあった。
そこで今朝、"Computer Lib" のナカジママヒマヒ社長に事態をメイルで知らせたところ、彼としては異様に早く、10分後には、その原因と復旧のためにとった対策、そして既にその作業を終えているので動作試験をして欲しい旨の返信があり、試してみたところ、今度は無事に 「ひしお」 は買い物かごへ収まるようになった。
「メイルマガジンは、できるだけ早く送ろう」 と考え、その文章の仕上げをする。
初更 「酒、今夜は飲まないにしようかなぁ」 と考え、晩飯を作っている家内にその内容を訊くと、スモークトサーモンとジャガイモのグラタンだという。グラタンをおかずにメシを食うとは、大昔に自動車構造画のイノモトヨシヒロさんに大森海岸の洋食屋でごちそうになったことがあるが、しかしあれは昼間のことで、僕はそのちかくの日産自動車までクルマを運転して行っていたから、酒を飲まないのは当然である。
「やっぱり飲むしかねぇなぁ」 と2階のワイン蔵へ行き、"Mouton Cadet Blanc Baron Philippe Rothschild 2002" を取って戻る。水菜とツナのサラダ、スモークトサーモンとジャガイモのグラタン、茄子と2種のピーマンとミートボールの炒め煮にて、その普段飲みの白を飲む。なお、イチゴは眺めるのみにて食べない。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時に就寝する。
何時に目を覚まし、何時に枕頭の灯りを点けたかの記憶はないが、床に散らばった書籍冊子を拾い読みする。それに疲れ、灯りを落とし、しかし一向に眠気が訪れないため5時30分に起床する。
事務室へ降りていつものよしなしごとをする。この 「よしなしごと」 にはきのうの終業時より今朝までに入った顧客からのメイルによる質問その他への返信の送付、ゴミ捨て、日記の作成、店舗まわりの見回りなど様々なことが含まれるが、きのうの、日記をサーヴァーへ送付したら先方のファイルが雲散霧消してしまったという不具合について、ナカジママヒマヒ社長からの返信はいまだないから復旧はしていないだろうと思ったが、日記の最新版を試しに サーヴァーへ送ったらこれはスルリと受け入れられて、清閑日記はふたたびブラウザで読めるようになった。
ナカジママヒマヒ社長が当方に連絡をしないままサーヴァーに修理の手を加えたのか、あるいはなにもしないうちに自然治癒したのかについては不明だが、これらが週末の出来事だったことを勘案すれば後者の公算が高い。いったんはゼロに戻ったカウンターも、無事に元の数値を取り戻した。
朝飯は、目玉焼き、ハム、ソーセージ、水菜のサラダ、葡萄とクルミのパン、バナナのヨーグルト和え、チーズ、プーアル茶。
午前中、ずっしりと重たい封筒が届いて、それを開くとエアキャップに包まれ、四隅を段ボールで保護された分厚い本が現れた。田中長徳による大作 "WIEN MONOCHROME 70's" である。この写真家の日記からリンクする "MJ Booksellers" は、先行予約分の150部にはサイン入りのオリジナルプリントが付くと説明をしていたが、表紙の裏側からハラリと机に落ちたそれは昨年のクリスマスイヴにウイーンで撮影をされたカラー写真で、裏を返すと印画紙には "EPSON" の文字があった。
日本橋高島屋でのイヴェントを知らせるDMのタックシールは既にして印刷を終え、ふたりの事務係によりハガキへの貼付が始まる。僕はその元となったデイタをあれこれいじりながら 「来年は更に、諸々を効率よくできるはずだ」 という根拠のない、つまり実際にやってみなければ結果の知れないあやふやな確信を抱く。
初更、家内と次男とサイトウトシコさんとの4人でとんかつ 「あづま」 ちかくの中華料理屋へ行く。店名を記憶しようとメニュの表紙をデジタルカメラに収めたが、日記を書く前にその意図を忘れ、画像は消去してしまった。
とにかくそこでクラゲの冷製、エビ蒸し餃子、焼き餃子、イカの葱生姜油炒め、八珍豆腐、白菜の貝柱煮、エビとブロッコリーのポアレを食べ、茶碗に2杯の汾酒を飲む。メニュの 「ラーメンの部」 を精査した次男が 「牛肉ラーメン」 と言うのだから 「肉はいらねぇなぁ」 と思ってはいてもしかたがない。この牛肉ラーメンを空にして一息ついたところにサーヴィスの杏仁豆腐が届く。僕はこの甜品の香りをあまり得意としないが、ここのそれは美味かった。
帰宅して入浴し、牛乳を300CCほども飲んで9時に就寝する。
いつものように暗闇の中で目を覚まし、これまたいつものようにしばらくはそのまま横になっていたが、今月23日より日本橋高島屋にて始まるイヴェントを知らせるDMにつき、この送付先を特定する日として選んだのが今日だったことを思い出し、即起床する。
4時30分に事務室へ降りてコンピュータを起動する。さまざまな検索条件式を用い、顧客名簿よりDMの送付先を抽出する。この作業は10年ほど前に1度マクロ化したが、それではどうしても結果が粗くなるため、翌年からはまた元の手動に戻した経緯があった。この、実際に投函する数よりはすこし多めに選別したデイタから、日中は更に細かく 「送付不要」 のお客様をデリートしていくことになる。
7時に4階へ戻ると、空は晴れているにもかかわらず、日光の山のあらかたは雪雲に隠れて見えなかった。朝飯は、茗荷のたまり漬、メカブの酢の物、納豆、春菊の胡麻和え、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
店が開く前には大抵、店舗駐車場および蔵に沿った国道の歩道を掃除する。この掃除の最中に、なかば雪に埋もれまたびっしりと霜に覆われた携帯電話を発見する。「きのう社員の誰かが退社時に落としたものだろうか?」 と考えつつそれをポケットに入れ事務室へ戻る。
早朝のよしなしごとの最中に作成したきのうの日記をサーヴァーへ転送しようとして、それがかなわない。ファイル転送ソフトの "NextFTP" が正しく作動すればキョロリッという音と共に仕事は完了するが、どこかに齟齬があるとビビッというビープが鳴ってその失敗を知らせる。
"NextFTP" の操作画面を見ると、なぜかサーヴァーにある最新日記がすべて失われている。試みにローカルつまり僕のコンピュータにある昨月の日記を同じようにサーヴァーへ転送してみると、転送が失敗するだけに留まらず、やはりサーヴァー側の1月の日記がすべて失われる。「これは初めての経験だ、どういうわけだろう?」 と、とりあえずその現状を、サーヴァーの管理者である "Computer Lib" のナカジママヒマヒ社長にメイルで知らせる。
「もう死んでしまっただろう」 とばかり思っていた今朝の携帯電話は事務室の暖かい空気に溶かされ、そうすると消えていた液晶も濃く現れて、氷の中に固く閉ざされた金魚が、ふたたび水槽の中で泳ぎ回る風景を僕は思い浮かべた。蘇生した携帯電話がエアキャップに包まれ荷造りの現場へと運ばれる。それは社員ではなく、お客様が落とされたものだった。
燈刻 、晩飯の材料の中にトマトジュースを発見し 「なにか透明の、強えぇ酒はねぇか?」 と考える。透明の強い酒はいくらでもあるが、トマトジュースに混ぜて美味そうなものはない。消去法により "BACARDI" の "CARTA BLANCA" を選び、これをレッドアイもどきにして飲む。
水菜のサラダ、3種のキノコのオリーヴオイル焼きバルサミコソース、ジャガイモの空揚げ、薄いケチャップ味のスパゲティ、ミートボールのトマトソース。これらにて、何日前に抜栓したものか知れない昨年だかおととしのボジョレヌーヴォーを飲む。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
目を覚ましてしばらく後に枕頭の灯りを点けると3時30分だった。床に散らばる書籍冊子を5時30分まで拾い読みし、二度寝に入って6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
次男が起床時より腹痛を訴えたため朝飯は、玉子と万能ネギと黒コショウの雑炊、沢庵、牡蠣の薄味煮。
家内は次男を学校へ行かせようとし、僕は 「本人が、腹が痛てぇって言ってんだから」 と、1日くらいは休ませようとする。結局、次男の欠席届を担任の先生に渡してくれるよう、子供が登校班を同じくする近所の湯澤歯科へこれを持参する。
日中、"amazon" で捜し物をしていて、しかし本屋で捜し物をすればかならず関係のないところで引っかかるとは、本当の書店でも "amazon" でも変わることはない。この 「関係のないところで引っかかる」 という、現実の書店での人間の行動をウェブショップ上に実現したところにこそ "amazon" の卓抜さはある。
引っかかったのは「著者・森山大道」 のところで、僕が大昔に買った 「サン・ルウへの手紙」 が絶版になり、"amazon" からリンクしている 「湧書館」 という古書店がこれになんと38,000円の値を付けている。 「4,995円の写真集が38,000円? いくら森山がカリスマだといってもなぁ」 と感じ入るが、この 「サン・ルウへの手紙」 は先月、前と同じ河出書房新社から6,090円で復刻されたから、よほどの原理主義者でない限り、1990年の版を38,000円で買うことはしないだろう。
本日は7時30分より蕎麦屋の 「やぶ定」 で本酒会の役員会があるため、晩飯は食べずにいようと考えていたが、家内が 「オデン、食べてよ」 と言うので、いまだ残っているオデンのみを食べる。これにて腹はふさがったが、まさか 「やぶ定」 へ行って 「何もいりません」 というわけにはいかない。
7時25分に会の資料を持って 「やぶ定」 へ行き、「白身魚の天ぷら蕎麦とライスのセット」 というものを注文する。「炭水化物ほど人を太らせるものはない」 という説もあるが、やはり炭水化物は僕の好物なのだろう。もっとも 「ラーメンとカツ丼」 とか 「ラーメンと牛丼」 とか 「天ぷら蕎麦と天丼」 などという他の役員の注文品を見れば、僕のそれはしごくまっとうである。
10時に帰宅し、入浴して牛乳を200CCほども飲む。11時前に就寝する。
何時に目を覚ましたかは知らないが、枕頭の灯りを点けると3時だった。床から拾い上げた活字を読んだり二度寝をしているうち、6時を知らせる街のオルゴールが鳴る。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。降雪はきのうだけのことにて安心をする。
朝飯は、トマト入りスクランブルドエッグ、3種のパン、チーズ。飲みものはコーフィーと思ったが次男が 「プーアル茶」 と言うのでそれに従う。バナナは見るだけで食べない。
コロンボからスリランカの西海岸を南下するディーゼル列車に乗ると、100キロの行程を3時間かかってゴールに着く。途中の風光は限りなく明媚で、海岸線に敷かれた線路はときおり椰子の密林の中に入ってはまた日の光の中に出て行く。内陸部からの川にかかる鉄橋は小さく、街に近づけば赤い瓦屋根の民家をかすめるようにして列車は走り続けた。
そのスリランカ最南端にちかい街ゴールからバスですこし先へ進んだところにウナワトゥナという小さな漁村があり、僕は23年前、そこの民宿に10日ほど逗留をしていた。宗主国がイギリスだったころに名を改めたのか、その民宿の一家は英語の姓を名乗った。朝飯のメニュはいつも決まって焼いていない食パン1斤、熱い紅茶がヤカンに1杯、そしてバナナが1房だった。
1斤の食パンもヤカンの紅茶も、そして1房のバナナも、とてもではないが1度の食事で食べきれるものではない。そして僕は薄暗いその家の客間から出るといつも、椰子の林を抜けて海へ行った。2キロほどの弧状の砂浜では、泳ぐことと本を読むことしかすることはなかった。
あの民宿の庭の木からたたき落としたパパイヤを、牛に背負わせた素焼きの壺で売りに来るヨーグルトに混ぜて食ったあの味というものは、たとえ千金万金を積んだとしても再現はできないだろう。そして昨年の暮の大津波は多分、あの民宿をも呑み込んでしまったに違いない。
夕刻、次男と会社の中を廻りながら豆まきをする。そして初更、こんどは自宅の部屋や便所や風呂場、台所を歩きながら、やはり次男と豆を撒く。
節分の夜、その年の恵方を向いて鮨の太巻き1本を、誰とも口をきかないまま丸ごと食べると願いがかなうとは関西の風習らしく、僕は数年前までこれを知らなかった。ところが今夜はその 「恵方巻」 を家内がどこかから買ってきた。しかし鉄火巻や胡瓜巻ならいざ知らず、太巻き1本を腹へ収めることは僕には能わない。今年の恵方らしい西南西を向くことも忘れ、もとよりひと口で食べられるよう包丁で切ってしまったのだから縁起物としての意味を失った太巻きをいくつか食べる。
残り物のオデンはきのうよりも美味くなっていた。春雨サラダ、豚の薄切り肉と白菜の古漬け炒めにて大洋酒造の 「道」 を飲む。そして 「明日は酒は抜こう」 と考える。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
何時に目を覚ましたかは知らないが、枕頭の灯りを点けると4時だった。読みたい資料をきのう事務室から引き上げてくることを忘れたため、パジャマの上にフリースのセーターを着てエレヴェイターに乗る。その資料を5時30分まで読んで起床する。
国道を走るクルマの音がいつもとは違うと明け方より感じていたが、事務室のシャッターを上げ外へ出てみるとやはり雪だった。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、納豆、ほうれん草の油炒め、沢庵、メカブの酢の物、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
そのうち自分の朝飯を、米のメシ、味噌汁、時菜蠣油とか腐乳通菜などの野菜のおかず、という一汁一菜にしてしまおうかと考えることがある。これは開高健による膨大な文章のどこかにあった、ヴィエトナムの清廉な政治家の食事風景が 「美味そうじゃん」 という言葉に変換されて強烈に脳裏に残っているためだが、しかしおかずがたったの1品では、そのイメイジはとにかくとして実際は、そう面白いものでもないかも知れない。
僕も少しは手伝った社員たちの雪かきにより、店舗駐車場の雪は1時間と少々で片付けられた。
終業間際に "Computer Lib" のナカジママヒマヒ社長より電話が入り 「ひしおの件ですけどねー、準備できたんでサーヴァーにアップして良いですか?」 と訊くので了承をする。「ひしおの件」 とは、これまで何十年も発送部外品としてきた 「ひしお」 という商品を、種々の試験を経て今年より発送可能としたことにより、ウェブショップでもこれを取り扱えるようペイジの更新を依頼してあったことを指す。
この仕事を発注したのが先月の29日、完成が本日だからわずか3営業日での納品ということになり、これは、僕が横についてあれこれと指示を出しながらの作業でなかったことを考えれば、異様な早さだと思う。あるいは、僕がSEの横にへばりついて細かいことを言わなかったから短時間での納品が可能だった、という推理も成り立たないわけではない。
できあがったペイジを確認し、計4個所の修正につきメイルで説明する。その後、先方のSEと電話で話しながらブラウザのリロードボタンをクリックし、当方の要望がすべて満たされたことを確かめる。
それと前後して、新しいウェブペイジの作成を依頼した外注SEのカトーノさんより電話が入り、トップのメニュに使う複数の画像を送るよう言われる。サーヴァーの中から取り急ぎ、しかし手を抜くことなく必要な画像を選び出して、その置き場所をメイルにて送信する。
更にそれと前後して、次男が4階から館内電話で 「ご飯ができたよ」 と僕を呼ぶ。就業時間中よりもそれ以降の方がずっと忙しいとは、僕の仕事の環境では珍しいことである 。
サイトウトシコさんの真鶴の親戚が作ったという鰯の丸干し、お多福豆、ほうれん草と海苔のおひたしにて大洋酒造の 「道」 を飲む。きのう仕込んで一晩おいたオデンでも、同じお酒をゆるゆると飲む。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
目を覚ましたのが何時だったかは知らないが、3時30分から開いた "ASIAN JAPANESE 2" を4時30分に読み終え起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとよりもすこし長い仕事をし、7時に居間へ戻る。朝飯は、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の炊き物、納豆、千枚漬、牡蠣の薄味煮、メシ、けんちん汁。
今月23日より始まる日本橋高島屋のイヴェントにつき、そのペイジを整えてサーヴァーへ転送する。またそのイヴェントに際して送付するダイレクトメイルの、顧客名簿からの抽出方法をあらためて検討する。この1ヶ月以内に送付しようと考えている商用メイルマガジン2通のうちの1通を完成させてメイラーへ保存する。
広い部屋に何十台もの電話機があって、その何十個もの受話器に向かって何十人もの歩合制営業係が言葉を連射し続けている騒音を背景にかかってくる電話に、ろくなものはない。今日もそのような電話を受けたため、てっきり先物取引かNTTの代理店、あるいは特殊な書籍販売かと思ったところ、それは六本木ヒルズに本社を持つITヴェンチャーが展開するショッピングモールに入らないか? という案内だった。
僕はおよそ、ショッピングモールのトップから入って欲しい物を探したり、あるいはポータルサイトのトップから入って欲しい情報を得たりしたことがない。一体全体、インターネットで物を買ったり情報を集めたりする人の最大公約数はどのような動向にあるのだろう? 僕は、検索エンジンこそが最高のショッピングモールでありポータルサイトだと考えているから、将来については決めていないが、いまのところショッピングモールを経由して自社の商品を売るつもりはない。
終業後、第140回本酒会報の郵便版を作成する。このメイルマガジン版は既に発行し、そのウェブペイジ版もサーヴァーへ転送した。言うまでもないが、会報の中で最も手間と経費を要するのが、この郵便版である。
初更、次男の漢字練習を督励する。督励を始めてからは僅々1行をこなしたのみにて次男の勉強は終了した。
僕はお酒についてはほとんど、焼酎かワインばかりを飲む。そのワインを収めた冷蔵室へ行くと、日本酒は2年前に新潟県村上市の 「工藤酒店」 にて購った大洋酒造の 「道」 だけがあった。これを居間へ運び開栓し、蕎麦猪口へと注ぐ。「道」 と書いて 「あゆみ」 と読ませる趣味は自分の好みではないが、それにしてもこれは良いお酒だ。遠くジンの香りもする。1杯目をスルリと飲んで2杯目を注ぐ。
鮪とたこの刺身、お多福豆、茶碗蒸し、肉じゃがを肴にこの日本酒を飲み、白菜漬けと沢庵にてメシを食べる。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。