午前10時45分から午後5時まで、ずっと荷造り。先週の日曜日の晩には、ひとりでウナギを食べに行ったが、今日もウナギが食べたい。
僕は10年ほど前、3日間にわたってウナギを合計9食、食べ続けたことがある。夜、ウナギの出前をとり、その余りを翌朝、うな茶にして食べる。昼にウナギ屋へ行き、夜はまた出前をとる。その余りを次の朝は雑炊にして、という繰り返しだった。
ウナギに含まれる何かの成分を、僕の体が求めていたためだろう。というわけで、ウナギが食べたくなったときには、素直にその欲求に従うべきだ。
近所の魚登久(うおとく)へ行く。オヤジから息子の代になって味を落とす料理屋は多い。魚登久はその逆。息子の代になってから、味が良くなった。
冷酒と肝焼き、それに殻つきの生ガキを頼む。5歳の次男は肝焼きよりも生ガキを好む。珍味入れの美味いイカの塩辛が残り少なくなったころに、うな丼が届く。
僕は上。家内は特上を次男と分ける。特上は飯へ載せるだけではなく、飯の中にもウナギを混ぜ込んだ 「間蒸し」 のような構造。フワフワトロトロのウナギを食べながら、固めに炊きあげた飯を口に入れ、冷酒を飲む。
うな丼に付属してくる味噌汁は、ダシの取り方が不真面目だ。これをパスして肝吸いを注文する。
満足して帰宅。オールドパーのストレイトをダブルで飲み、9時前に寝る。
午前中はコンピュータを使った仕事。あるいは紙の上の仕事。
昼近くになって、事務のsavon君が 「蔵で荷造りの応援を頼みたいと言っています」 と、僕に伝える。我が社では工場のことを蔵と呼ぶ。古い醸造業者に特有のものだろうか。
午後1時30分から、蔵へ入る。
「荷造りの能率よりも、事務所から届く発送伝票の方が多くて、やってもやっても伝票が箱の底から湧いてくるんですよ」 と、直ちゃん。
「一時はどうなることかと思いました」 と、得意のフレイズを繰り出す平野さん。
「ハハハ」 と笑いながら、僕も荷造りに参加する。今日の荷造りが異常に多いのは 「11月30日に到着させよ」 という期日指定のお客様が多いためだ。
到着日指定をされるお客様の多くは 「1日」 「10日」 「20日」 「30日」 という期日を求める。さしたる理由はない。言いやすいためだろう。しかし当方は、カレンダーをしっかり確認する必要がある。
「お客様、ご指定の12月10日は日曜日ですが、会社は開いていらっしゃいますか?」
「えぇ? 日曜? あ、そうか、じゃぁ11日までに届けて」
と、こういうパターンはとても多い。
午後5時、本日の午後3時までに受けた注文はすべて荷造りが完了する。5時30分に、パレットごとフォークリフトでヤマト運輸のトラックに荷物を載せる。
その日の受注をその日に出荷できるのだから、まだまだ繁忙は序の口だ。受注から商品到着までの納期は、12月のピーク時でも最長で5日以内に抑えたい。
「相反する矛盾の、出来るだけ高次元での妥結」 という、難しくて面白い仕事が待っている。
甘木庵にて朝6時すこし過ぎに起床。
メイルの送受信を行う。既にしてウェブペイジからの注文が3件、入っている。
温かいお茶を飲み、外へ出て湯島の切通し坂を下りる。7時40分に東武日光線浅草駅へ着く。
北上する特急スペーシアの中で、ウェブショップからの3件の受注を処理する。顧客の注文内容に当方からの挨拶を加え、商品の到着日や請求金額を記入する。顧客と会社の電子会議室へこれを送付すべく、メイラーの送信箱へ入れる。
10時前に帰社。地方発送受注金額は徐々にせり上がって来ていたが、今日から急激に伸びる勢いを見せている。注文の電話を受け、受話器を置くと即、また次の注文の電話が鳴る。
ウェブショップからの顧客に確認を兼ねた 「ご注文御礼」 を送付すると、それと入れ替わりに新規の注文が届く。それに対して 「ご注文御礼」 を出すと、再び新たな注文が入る。
企業において、最も金を稼ぐ行為はコミュニケイションだ。忙しくなればなるほど、横の連絡は欠かせない。1日に何度も各部署に出かけては、小さな打ち合わせや確認を繰り返す。
今日のウェブショップの売り上げは55,500円。このペイスでいけば月商150万円超だが、今日の数字はあくまでも瞬間最大風速だろう。コトはそう上手くは運ばない。
西研究所のIT研究会へ出席するため、夜6時30分ころ、京浜東北線の大井町へ行く。飯田橋、神保町と場所はそのときどきで変わる。今日のテーマはスケデュール管理。
メンバーはHINANO先生、そのそのさん、milkteaさん、僕、LittleTreeさん、JOKERさん、YOさん、TAHITIさん。
最初にHINANO先生が自身のThinkPad240Xをプロジェクタに繋ぎ、マイツールによるスケデュール管理のフォーマットを示しながら、説明を加える。要諦は以下。
懸賞企画の当選者へお送りする賞品を荷造りする。数は8個。
当選者は10名だったが、そのうちのお一人は、当選のメイルを送付しても応答がないために失格。もうお一人は11月30日の配達を希望しているため、今日は作らない。
日曜日のため、人気のない現場の大テイブルで、「斉藤さんちのコシヒカリ」 を5合ずつ、紙の米袋からビニール袋へ小分けにしていく。段ボールの箱に5合のコシヒカリを入れ、1Kgの日光味噌を入れ、2袋のたまり漬を納める。
岡野富ちゃんちの 「ようこそ箸」 をその上に載せ、僕が企画した今市市の地図と、我が社のパンフレット、そして 「新米の炊き方」 などを記したコピーを同封する。当選者の方々が、米や味噌や漬物を美味しく召し上がってくだされば幸いだ。
1時間ほどで荷造りを終え、店に出る。市内で渋滞を起こすほどではないが、クルマの数は多い。今日が秋の行楽の最終日だろうか。
造営されてから350年のあいだ一般には公開されなかった家光の墓 「大猷院廟奥の院」 は今年、多くの見学者を集めた。しかしそれも、11月30日にはふたたび封印される。
日光の街は、これから連日の売り切れが続く湯波屋を除いて、長い冬の季節に入ろうとしている。
本日も飲み屋で夕食。僕は昔の職人がそうであったように、早くに飲み始めて早くに上がる。夜6時前に日光街道の商店街から路地を入った奥の 「和光」 へ行く。
突きだしは冬瓜と鳥挽肉のスープ炊き。まるでコンソメのような感じなのでオカミに訊ねると、コンソメキューブは入れていないと言う。
飲み屋によっては1年中、同じ突きだしを用いる店もある。しかし僕はやはり、行くたびに異なるものを出してくれる飲み屋が好きだ。本日の突きだしは最高。
預けてある焼酎のボトルと、鋭く割った氷が用意される。イカ納豆を頼む。いかにもゲテな食べ物だが、厚いモンゴウイカに飾り包丁を入れたこの店のイカ納豆は美味い。
僕はこの店に来るといつも、8人分のカウンターの最も入り口寄りに座る。カウンターには僕のみ。他の客はみな奥の入れ込みで飲んでいる。落ち着いて本が読める。
柳カレイの一夜干し。ここのオヤジの魚を焼く技術は高い。モミジおろしとポン酢も添えられるが、レモンの汁をかけまわしただけの方がずっと味は良い。縁側のこってりした部分を口に入れて咀嚼する。冷えた焼酎でその脂を洗う。
ここでヒレカツを食べたいところだが、脂肪分の多い僕の肝臓のことを考え、思いとどまる。次は何にするか? ここで無謀にも、あるいは野暮にも 「えー、カッコ悪い注文ですがー」 と言い訳をしつつ、マグロ納豆を注文する。今夜はダブル納豆だ。
この店ではイカ納豆には和辛子が、そしてマグロ納豆にはワサビが用いられる。ことによると、マグロ納豆も和辛子で食べた方が美味いかも知れない。
とどめの一発はニンニク揚げ。低温の油でじっくりと揚げるのだろうか、歯ごたえ舌触り香りともに良い。
7時過ぎに帰宅。入浴の後に冷えたお茶を飲み、9時前に就寝する。
僕は家内が不在の夜だけ、飲み屋へ行く。夜6時、日光街道の商店街から路地を入った奥の 「市之蔵」 へ行く。
NiftyのSさんをこの飲み屋へ案内したときには 「演歌の花道みたいですね」 と喜ばれた。「雑踏の社会学」 という本にもあるが、日本人は伝統的に広場の使い方が下手だ。日本人は広場ではなく、路地を好む。
行政はとかく広場を作りたがるが、むしろ路地の演出をした方が良い。
市之蔵へ入ると、犬の散歩の途次に立ち寄った先客がいる。マルチーズが僕に 「ワンッ」 と一声、吠える。僕が 「はーい」 と答えると、とたんに静かになる。僕はいつも、犬のウケがよい。
犬連れの客が帰ったので、本を取りだして開く。
僕の前には、注文した鯛の刺身と焼酎のオンザロックス。注文しないのにどんどん出てくる無料の 「今日の料理」 は、蓮根のキンピラとこんにゃくの甘辛煮、それにアサリの酒蒸し。
頃合いを見計らって豆腐のチゲ味噌鍋を注文し、焼酎を瓶ごとお代わりする。
次の客が入ってくる。最初から耳障りな話ぶりだ。店の女の子に閉店後の銀行へ電話をさせ、残業中の行員を電話口まで呼び出している。
「芝居がかったオヤジだな」
このオヤジの話し声が気になって、本の中身が頭へ入らない。飲み屋には、ヨタ話とエロ話こそがふさわしい。飲み屋には、飲み屋のオキテがあるものだ。
終業後、夕方5時45分から会社ちかくの洋食屋 「金長」 でガンバロウ会。
我が社には夏と年末に、大きなふたつの繁忙期がある。お中元は6月下旬から8月上旬までだらだらと続くので、まだしも楽だ。問題は年末。製造限界上限での作業が1ヶ月間、集中して続く。
ガンバロウ会とは、この夏と年末の繁忙を前にして、会社の皆と飲み食いをする会だ。
乾杯し少し落ち着いたところで、昨年11月末から12月一杯のデイタと、新年1月から4月までの主な予定を記したプリントを全員に配る。
昨年暮のデイタとは、宅急便発送数量と売り上げのグラフ。お歳暮のピーク時には、閑散期と較べて20倍ほどの商品が出荷される。売り上げのグラフは、クリスマスまではコマネズミのように仕事をしなくてはいけないことを示している。
皆に 「風呂上がりに裸でフラフラして、風邪などひかないように」 と注意をすると 「それは自分のことでしょ」 と茶々が入る。まさしくその通り。
来年の予定表には、1月17日から2日間の日光MG、2月15日から1週間の高島屋東京店でのイヴェント、3月6日から3日間の社員旅行、4月18日から2日間の日光MG。その各々について、細部を口頭にて伝達する。
ガンバロウ会は午後7時30分に散会する。若い社員が増えて、飲み会の時間は大いに短縮された。
夜、宇都宮のユニクロへ行き、現場の作業着としてハイネックのシャツを45着と、裏起毛のスウェットシャツを30着を注文する。75着を注文して消費税込み149,625円。
次に環状線を隔ててはす向かいの"XEBIO"へ行き、会社のロゴである図案化した陽明門をシルクスクリーンにするよう頼む。
夕食をとるため、環状線沿いのファミリーレストラン"FLYING GARDEN"へ行く。
500CCで480円の赤ワインは、なかなか悪くない味だ。380円のシーザースサラダは、生のマッシュルームが香り高い。980円のステーキは、この値段ではこんなものかなというレヴェルのものだろう。
680円の和風スパゲティは、チェーン店のラーメンによくある匂いがする。
消費税込み2,646円というのは、このお店にとっては高い客単価だろう。ファミリーレストランはあまり好まないが、気楽さと清潔さと低価格、そして腹の立たないサーヴィスには魅力を感じる。ここは裏を返しても良い気分になる店だ。
帰途、帝京大学近くにあるショッピングセンター"MUSEO"の中にあるマツモトキヨシへ行く。
ユニクロ、"XEBIO"、"FLYING GARDEN"、マツモトキヨシと、ロウプライスのお店を巡った夜だった。
僕には書くべき文章が多すぎる。niftyのいくつものパティオ、いくつものメイリングリスト、個人メイル、顧客への手紙、社内外への広報。毎日毎日レンガを積むように、文章を書き続ける。
午後7時30分から 本酒会(ほんしゅかい)。この会報も、数日以内に書き上げる必要がある。本酒会の会報を書くのは簡単だ。会であったことを書けばよい。あるいはそのとき感じたことを書けば良い。
今夜の本酒会で、ある会員が 「今夜の酒はどれを飲んでも美味い。1位から3位までを特定することはできない。こういうときには投票をしなくても良いか?」 という発言をした。それを受けて本酒会長が 「それでも良い」 と答えた。しかしそれでは、採点をする意味がないのではないか?
本酒会のデイタベイスを見た人から 「ウチの女房の実家は造り酒屋で、その蔵の評価が本酒会では低いようだが」 というメイルをもらった。僕は 「あ、あれは客観性に欠ける数字ですので、気にしないでください」 と答えた。相手は寛容な人で、叱られることはなかった。
本酒会のウェブペイジで最もアクセスが多いのは、1995年以来飲み続けたお酒のデイタベイスだ。「どれも美味いので、投票はできない」 となると、美味いお酒ほど点を減らすということになる。
「世の中に、真に客観的な数字など存在しない」 と居直ってしまえばそれまでだが、居直りきれないところに、評価の難しさがある。
毎日、夜9時ごろに寝て、朝3時ごろに起きる。
明け方から雨が降っている。11月の下旬にしては気温が高い。店の駐車場のモミジが雨に打たれて、アスファルトに散乱している。
あと10日を経ずに、怒濤のお歳暮発送と、鳴りまくる電話への応対が始まる。それを感じさせない、空洞のように静かな1日。
寮で暮らす長男に、セーターとシェラデザインのマウンテンパーカを送る。マウンテンパーカは僕が雨のサーキットで1日着続け、自宅の洗濯機で洗ったら縮んでしまったもの。僕は自分用として、新たに同じものを購入した。冬のコートとして、これ以上の品物を僕は知らない。
Ella Fitzgerald の CD "The Complete Ella in Berlin" も一緒に送ってやろうと思いついたのは、既に荷物が宅急便のトラックに積まれた後のことだった。
夜は会食。鯛の雛寿司、八丁味噌とクルミを含んだしんじょのお椀、牡蠣の茶碗蒸し、いろいろなキノコと生麩の煮物など。日本酒を冷やで3合ばかり。それと焼酎の濃い水割りを1杯。
帰宅して入浴。ビールを飲みかけたが、250CCの缶を飲み干すことなく9時に就寝した。
日光地方の紅葉も、そろそろ終わりに近づいてきたようだ。山には薄く雪が載り、市中の紅葉も水分を失って乾いてきた。日光街道の渋滞も収束の方向にあり、これから忘年会のシーズンまで、街は静かになる。
我が社のウェブペイジが本格稼働して2周年。9月3日から記念の懸賞企画を始めた。
当選の発表は11月20日だ。今日はその抽選を行う。ウェブペイジの懸賞企画はこれで3度目だ。抽選の方法はそのときごとに異なる。
今回はどのような方法で当選者を選ぶか、しばし考えた。応募者総数は2ヶ月強で3295人。サーヴァーから応募があると、Becky!の、それ専用のフォルダに自動で振り分けられていく。
3295の応募を、行数の多い順にソートしてみる。応募者の名前、ふりがな、都道府県名までの住所、eメイルアドレスの最低入力事項以外に、なんらかのコメントを添えた人が、メイラーの上の方へ集まる。
数千人の応募だけに、ワケの分からないコメントも目立つ。それをまずデリートし、残った中から、おざなりでない 「なぜ自分は、このプレゼントが欲しいのか?」 という文章の書き手10名を選ぶ。次にはその10名に、都道府県名以下の住所と電話番号、賞品到着希望日を訊ねるeメイルを送る。
このとき、誤ったeメイルアドレスを入力したために、メイルがバウンスしてしまう当選者もいる。「めいる変換ドン」で、自分のeメイルアドレスを辞書登録していない人だろう。
当選のお知らせをしても、何の反応も無い当選者もいる。応募した後にコンピュータが壊れたのか、あるいはごく短期間の使用で、既にコンピュータに飽きたのか。
ウェブペイジのトップに10名の当選者を掲載した。あとは明朝、サーヴァーにファイルを転送するばかりだ。
家内と次男と3人で、自由学園の美術工芸展へ行く。この催しは4年に1度ひらかれる。僕の在学中にも開催されたはずだが、その記憶は無い。
西武池袋線ひばりヶ丘駅から、自由学園の正門通りを歩く。最初に幼児生活団のこども達による、これでもかというほど元気な色彩が右手に見えてくる。
サッカー場のフェンスには、1960年代後期のドウモト・ヒサオを思わせる、円の一部と直線を使ったポスター。あるいはジグソーパズルのピースを連続させた意匠の、コンピュータを用いたポスター。
正門を入り受付けを済ませて、男子部中等部3年生の長男と合流する。記念講堂における最高学部の諸々の作品。ネパールでの植林活動の際に撮影されたとおぼしき、素晴らしい写真と出会う。
起伏に富んだ敷地の斜面を降りると、大芝生に、男子部高等科3年生の手になる木製の遊具が現れる。彼らはこれらの作成のために、ほとんど1週間、替わり番にて徹夜をしたらしい。三角形を組み合わせた家は、このまま薄く畳んで格納ができるという。
この遊具がこども達には大人気で、次男もここを動こうとしない。安全対策のために、作り手である高等科3年生のグループは、常に注意の目をこども達からそらさない。
やっとのことで次男をこの遊具から引き離し、女子部体操館の工芸研究所の作品を手に取り、フランクロイド・ライト設計の、明日館の解体ヴィデオを購入する。また女子部講堂にて、初等部の児童による、闊達で豊かな色彩と造形に触れる。
僕が最も楽しみとするのは、やはり男子部高等科中等科による作品だ。男子部体操館前の芝生に広がる、男子部生徒による一連の作品。
「パンドラの箱」 と題された彫刻が秀抜。1辺が190Cmほどのアルミニウムの立方体ながら、入り口から迷路を通り抜けて箱の上に出られる構造は、なかなかにシュールレアリスティックだった。
それぞれの品を作った生徒達との会話も楽しい。寝具もない教室に泊まり込んで作品を仕上げた生徒達は、誇りと喜びをもって、当方の質問に答えてくれる。
ふたたび大芝生の遊具に戻った次男を諄々と説得し、午後4時近くに、初冬の夕日が陰りゆく自由学園を後にした。何年に1度あるやなしやの、満ち足りて高尚な週末だった。
夜9時30分に本郷の丘から切り通し坂を下り、湯島へ酒を飲みに行く。湯島天神下のシンスケは夜10時までの営業。入店は諦める。僕はこの店以外、湯島でこれといった飲み屋を知らない。
初見の飲み屋へ入るのは、不安なものだ。本郷を背にして春日通りの右側と左側を探索した後、仲町通りの 「玄海」 という魚料理の店に入る。
白木と花崗岩のカウンター、投げ込みの大きな花、客がトイレから出るたびに、トイレットペイパーの端を三角形に折りに行く作務衣の店員。いかにも 「入念なマーケティングの結果」 という店づくり。
備前の片口になみなみと注がれた酔仙の純米酒は550円で、とても得をした気分になる。ひょうたん型の2段重ねの突き出しは、上に和風クネルのマヨネーズ和え、下にオカラ。マヨネーズもオカラも、飲み屋で口にしたくなるものではない。
クラッシュトアイスの上のカツオのたたき。わさびは粉。生姜は予めおろしてビン詰めで売っているもの。洒落た盛りつけと、細部の原価ダウン。
うーん、もう少し早くに甘木庵を出て、シンスケへ行けば良かった。
同じく仲町通りのバー "Pen" は、相変わらず居心地の良い空間。レッドアイを1杯と、オールドパーベイスのロブロイを1杯。
11時20分ころ、湯島天神下の蕎麦屋 「みよし」 にて焼酎の蕎麦湯割り。これがなかなかに美味い。鴨せいろと、それだけでは飽きたらず、無謀にも素麺を食べる。
今夜の湯島の3軒では、それぞれ2000円台の飲食。まぁまぁの夜遊びだったかも知れない。甘木庵に帰着したのは、夜12時すこし前のことだった。
こどものころ、家の誰かがお祝いの席に招かれると、かならず木の箱に入った料理を持ち帰ってきた。中には鯛の塩焼きや、表面に鶴や亀をあしらったピンク色の羊羹、黒豆などが入っていた。
僕の母はこども時代、こういうお土産の到来がとても嬉しかったそうだが、僕は苦手だった。焼いてカチカチになった鯛に箸を突き立て、身をほじくり出して食べても、何も美味くない。後にこの手の鯛は、ダシとして使い、これで素麺などを食べるとまぁまぁ使えるということを知った。
さて昨夜の恵比寿講に飾った生の鯛だが、どのような方法によって食べるべきか? あまり食欲を喚起する食べ物ではない。
僕は家内に、これをオリーヴオイルで焼き、バルサミコをかけるよう頼んだ。つけあわせはほうれん草のバター炒め。他に、エリンギとブラウンマッシュルームのスパゲティ。
結果として、この晩飯は上出来だった。
鯛は昨日、床の間でロウソクの炎にさらされていたとは思えないイタリアっぽさ。スパゲティは邪道にもバターを大量に使ったため、あまりに美味くてガサッと大量に口に入れるのが勿体ない。ムスカデで舌を洗いながら少しずつ口に入れ、またムスカデを飲む。
貧乏くさくチビチビと、時間をかけて楽しむスパゲティもまた、悪くない。
午前10時ころ、子供と一緒に家内と3人で、町内の神社へ行く。子供の着物は、近年の七五三の衣装に較べれば、しごく地味なものだ。僕の父のおふる。65年前の着物だ。
昇殿して祝詞を上げてもらい、お守りやお札、千歳飴などをいただく。境内の大きな銀杏は半分ほどが落葉して、地面を黄色くしていた。
これまた町内のミヤギ写真館にて、写真撮影。子供の視線や姿勢が定まらず、やきもきする。写真館のおばあさんによれば、これでもおとなしい方らしい。
帰宅し、久埜の和菓子を社員に内祝いとして配る。これにて七五三の行事はおしまい。
夕方からは恵比寿講。これは商家のお祭りで、床の間に恵比寿と大黒の掛け軸を飾り、同じく恵比寿と大黒の彫刻を置く。そこに鯛の尾頭付き、鏡餅、煮魚、おひたし、なます、けんちん汁をお供えして商売繁盛を祈る。
僕は憶えていないが、小さいころ、僕はこの恵比寿講のロウソクをいたずらして、幣束(へいそく)だか鏡餅を載せた紙だかを燃やしたらしい。
それを見た祖父は 「縁起が良い、もっとやれ!」 と喜び、祖母は 「子供の火遊びに対して、とんでもないことを言う」 と激怒したらしい。
いずれにしても、家の中のお祭りを守るということは、良いことだ。
何年前のことかは忘れたが、晴海通りに面した銀座4丁目の靴屋で、オールデンの黒い革靴を買った。値段は5万円台だった。僕にとってはとても高価な靴で、これより高いものは、ドロミテの登山靴を持つのみだ。
今年の夏、現在では8万円台に高騰したこの黒い革靴にカビが生えた。カビは皮を栄養にして生きているのだろうか? だとしたら早く手入れをしなくてはいけないと思いつつ、数ヶ月が過ぎた。
いつかネットサーフィンの途中で、靴オタクのウェブペイジに行き当たったこどがある。自分の所有する多くの靴、その手入れの方法と道具、これから欲しい靴、靴のウンチク、靴オタクたちが集まる掲示板。頭がクラクラするほどの靴の情報。
このウェブマスターからすれば、カビた靴を何ヶ月も放っておく僕は、犯罪者のようなものだろう。
明日は七五三のため、今年5歳になる長男と写真を撮る必要がある。ここまで追いつめられて、やっと靴の掃除に取りかかる。
風呂場へ行き、シャワーを弱く出す。歯ブラシをシャワーでぬらし、コバのカビを取っていく。ときおり歯ブラシを水洗いすると、黒い汚れが流れていく。カビを歯ブラシでこすっても、縫い目に食い込んだカビが、白く目立つ。歯ブラシに練り歯磨きをつけ、更にこする。
靴オタクなら、顔をしかめるような手入れの方法だろうか? しかしコバをみっちりと覆っていたカビは、この作業によってすべて無くなった。
乾いた布で靴全体を磨き、内部に強く息を吹き込んでホコリを飛ばす。オールデンの靴は、ふたたび見違えるように綺麗になった。
昨日、浅草駅の地下通路にある古本屋で文庫本を1冊、買った。
「ジャッカルの日」 フレデリック・フォーサイス 角川文庫
ハードカヴァーを持ちながら文庫本を買うということが、僕にはしばしばある。
新書版を買って、しかし未だ読む前にその存在を忘れ、文庫化されてからまた買ってしまうパターン。もうひとつは、新書版にて既に読んだことを知っていて、しかし後に、文庫化されたものをわざわざ買うパターン。今日の 「ジャッカルの日」 は、後者にあたる。
新書版を読んだときには何とも思わなかったが、1971年に書かれた冒頭の 「日本語版に寄せて」 というフォーサイスの文章の日本語訳は、ひどく古めかしい。
「はるか以前より私は日本に好奇心をもち、日本に魅せられていましたので、このたびはからずも拙著 『ジャッカルの日』 の日本語版が出版されることになり、ふつつかながら序文を寄せる機会をえまして、欣快にたえません」
わずか30年前の翻訳だが、いまの日本語に比べると、なにやらピジョン・イングリッシュの趣さえある。古くさい礼服を着て、田舎の結婚式で祝辞を述べている爺様の日本語を思い出す。
とことん古くなってしまった言葉や文章は、蒼然として良いものだ。ただし 「ちょっと前」 の言葉や文章には 「ちょっとしたおかしみ」 を禁じ得ない。服の流行や街の様子も同じだろう。
MGの2日目。MGは2日間で合計5期の経営をゲイム上に展開する。1日目は第1期から3期まで。2日目は第4期から5期まで。
僕の第4期はリスクの嵐だった。最も多い人が45回の経営活動をするところ、僕は20数回しか自らの意志を資金繰り表の上に反映できなかった。風向きの悪いときには、悪あがきをしてもダメだ。できるだけ頭を低くして強風をやり過ごし、来期の体制を整える。
第4期にて大きく下降した自己資本は、第5期に至ってV字型に急上昇した。しかし創業時の自己資本300には、戻せなかった。感想文を書いて夕方5時30分ごろ、大崎のMG会場を出る。
浅草には6時に着く。浅草駅近くの中華料理屋 「天道門」 に入る。マージン率(粗利÷価格)のかなり高い店という感じをいつも受けるが、しかしいつも満員の不思議な店。
この店には、焼酎をオンザロックスや生で飲ませるメニュが無い。毎度、中国人の女の子に苦労して 「いつも頼んでいるんだ」 ということを伝え、焼酎のオンザロックスを飲む。卓上に酢のないことも、この店の短所だ。餃子を頼んで 「酢をくれ」 というと 「卓上の餃子のタレを使え」 と言う。
飲み物や調味料のデフォールト化は、お店にとっては便利なシステムだろう。しかし客にとっては大いに不親切だ。と文句を言いつつ、また何ヶ月かすれば 「天道門」 へ行ってしまう。このあたりが客の不思議であり、またお店の不思議だろう。
今日はMG(マネジメントゲーム)。朝8時に甘木庵を出て、大崎のMG会場へ向かう。
コンピュータを揃え、研究開発、教育研修、宣伝広告を充実させ、原材料から製品にする完成投入能力を整備し、また販売能力を高めることがMGの定石だろう。
しかしMGは将棋のような1対1の勝負ではなく、通常6名をひとつの市場として戦うゲイムだ。定石から大きく外れながらも、力に依ったり、知恵に依ったり、機転に依ったりして高い自己資本を獲得することが可能だ。
今日の第2期、新潟から来た田中さんが、いきなり大型機械を購入し、セイルスマンを期初の1人から一挙4人に増やす荒技を見せた。こういうおきて破りの展開も、自らの脳力を高めることには大きく寄与するだろう。
夜9時にMG会場を出て、仲間4人で大崎から有楽町へ向かう。
「予約しようよ」 「土曜日だから、空いてるよ」 予約をせずに行った銀座5丁目のオデン屋 「おぐ羅」 には 「土曜日は夜9時にて閉店」 の表示があった。頭の中からオデンを消し去りがたい。西銀座から外堀通りを横断し、同じく5丁目の 「やす幸」 へ行く。
ほやわた×1、しめ鯖×2、くさや×1、わたりがに×2、ぎんなん×1、鴨焼き×1、酒およそコップで15杯、オデンが4人でめいめい適当量、茶飯×1。これで4万円弱。
僕の行きつけのバー"GOOD TIMES"で2次会。昨夜のオペレッタ見物の仲間は、今夜のMG仲間に重複する。いつもは低くジャズの流れるこの店が、今日は不思議なことにクラッシックで満たされていた。僕はグラッパ2杯と、上出来のレッドアイ2杯を飲んだ。
ずいぶんと以前から友人に誘われていたオペレッタ見物の日。出し物は"Die Lustige Witwe" 邦題は 「メリー・ウイドウ」。作曲はレハール。演奏と出演は、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団、ウィーン国立歌劇場バレエ団。
会場が東京文化会館のため、上野駅の公園口にて午後4時30分に友人4人と待ち合わせ。僕は甘木庵でシャワーを浴びていて5分の遅刻。文化会館内のレストランに入り、シャンペンを飲みながら軽食を済ませる。
席は4階C席R1列12番。舞台に向かって右側の張り出し最前列で、オーケストラピットと舞台が手に取るように俯瞰できる。
やがてオーケストラが軽く演奏を始める。「あー、これは凄い、これは凄い、これは凄い」
入念に設計され、入念に削られ、入念に接合され、入念にニスを塗られた薄い木の板が発する、生まれて初めて耳にする音。
どうして木の音がこんなにちょうど良い厚みをもって、数十メートル離れた僕の耳まで届くのかと、よく考える。
シンバルだ。シンバルの奏者が異常に上手い。もちろん、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の全員が、素晴らしい演奏者なのだろう。ただ、4階5階の張り出し席まで届く弦楽器のうす茶色の帯を、明確な、しかし嫌味のない金色のステッチで縁取っていたのは、極上のシンバルだった。
「ホルン、うめぇな、何の心配もいらねぇよ」 「極上のアマーロみてぇな音を出す第一ヴァイオリン、すげぇな」 「横たわったあの姿勢から、天井桟敷まで声を飛ばすあのソプラノすげぇな」
ほとんどの観客が退場するまで、僕たち5人は4階の張り出しにいた。僕が、今日の見物を企画した吉田ゲンチャンに 「このオーケストラが、オーケストラの標準と思っちゃイケマセンよね?」 と訊くと、ゲンチャンは 「当たり前です。今日のオーケストラは世界一です」 と答える。
甘い甘い夢のようなオペレッタの終演後は、みなで上野の山を降りて、湯島の繁華街にて飲み会。途中からアマテュアのホルン奏者2名と、北海道からの若い友人も加えて、計8名の飲み会となる。
午前1時ころ、湯島から本郷の丘を上がって甘木庵に帰着。なんとなく不思議な夜だった。
ルノアのメガネについて、よく思い出してみる。これを最後に使ったのは、先日、藤沢へ行ったときのことだ。
キーボードから"JJ"と打ち込み 「藤沢」 と入れてみる。たちどころに、9月23日と24日の日付が現れた。
"JJ"とは、僕のスケデュール管理ソフトから過去の行動を検索するコマンドだ。
藤沢から帰宅したのは9月24日だ。浅草からは、20:00発のスペーシアに乗った。このスペーシアが怪しい。東武日光線下今市駅へ行き、当日の浅草20:00発のスペーシアにメガネの忘れ物がなかったかどうかを訊ねる。
終点の日光駅で、黒いケイスに入ったメガネがひとつ、発見されたらしい。現在は保管1ヶ月以上を経過し、日光警察署に移されているという。
日光の市中に紅葉見物による渋滞はなかったが、観光客の数は多い。日光警察の遺失物係へ行くと、メガネの外観をできるだけ詳細を記すようにと、用紙をくれる。記入が済むと、それを読んだ係官が、メガネのメイカー名を訊ねる。
「ルノアです」 と答えると、間髪を入れず 「はい」 と手渡されたそれは、まさに僕がこの1ヶ月以上も触れることのなかった、古色蒼然としたデザインのルノアのメガネだった。
「メガネ」 「時計」 「指輪」 「ボールペン」 「ノート」 「携帯電話」 などと品名札を縫いつけたメッシュの袋を用意しようかと、真剣に考えている。そんなものを作っても、僕の紛失癖は治らないか?
普段、事務机の左最上段の引き出しに入れているメガネのひとつが見あたらない。ドイツ製Lunor社のメガネ。他の場所にも無い。また紛失物の発生か?
ある雑誌で、いぶし銀の枠と黒い耳つるを持ったメガネを目にして 「これは渋い」 と、思った。できれば欲しいと感じた。 「南海高野線堺東駅より徒歩15分」 という店の場所を見て諦めた。大阪まで、メガネを買いに出かけるほどの酔狂さは持ち合わせていない。
ところが数ヶ月後、本酒会の旅行 の行き先が大阪と神戸に決まった。本酒会の旅行には自由時間が多い。梅田から御堂筋線でなんばへ。なんばから南海高野線で堺東へ。そこからタクシーで目指すメガネ屋さんのアムズオクロスへ。
若い店主は僕の顔にルノアのメガネを差し込み 「うわっ、めっちゃ似合うわ、ちょっと来てみー」 と、めっちゃ可愛い彼の奥さんを、奥から呼んだ。めっちゃ似合うかどうかは別として、僕はそのルノアのメガネが気に入った。
メガネはレンズを調製した後に、宅急便にて届けてもらうことにした。堺東駅には、店主の奥さんがワゴン車で送ってくれた。
これまでして手に入れたメガネだ。ルノアのメガネは、どこにでも売っているものではない。このまま諦めるわけにはいかない。更に家の中を探すことにした。
熱は下がったが、ときおり発汗する。体力の温存をはかり、仕事は休む。
朝から 「踊る地平線」 室謙二 晶文社 を読む。林不忘、牧逸馬、谷譲次の3つのペンネイムと、それにしたがって3つの文体を使い分けた異才、長谷川海太郎の評伝だ。
林不忘の名前で書いたものが、有名な 「丹下左膳」。牧逸馬の名前で書いたものは、モダンな家庭小説。そして谷譲次の名前で書いたのが、自身のアメリカ放浪時代の経験を元にした 「めりけんじゃっぷ」 もの。
最も売れたのは牧逸馬名による通俗小説だったそうだが、僕の目には、谷譲次名による 「めりけんじゃっぷ」 ものが1番面白い。
「さのぱがん! で何か仕事(ジョブ)はないでしょうかねえ。 I'll do most anything 」
「そうさね、執事(バトラア)の口が一つあったと思うが、どうだね、行く気はないかね」
「執事(バトラア)? 地獄(ヘル)、No! みい・のう・らいき・はうす・うおいき」
「あはあん - well then, てえと、いまはちょっとねえね」
大正時代に、このアナーキーな文体は、ちょっと凄い。
ちなみに 「さのぱがん」 は "sun of a gun"。今でもこのスラング、アメリカにはあるのだろうか?
発熱のため、朝すこし仕事をした後に寝る。熱が上がってアスピリンを飲み、熱が下がって食事をし、また熱が上がってアスピリンという繰り返し。
子供のころ熱を出すと、昼間に眠るため、夜おそくまで起きていられるのが嬉しかった。ビートルズの武道館コンサートも、小学校のある熱を出した晩に、テレビで見た記憶がある。
昼までは起きあがる気力もなかったが、午後になり、親戚の耳鼻咽喉科へ行く。この病院は強い薬を好まない。特に頼んで、抗生物質の注射をしてもらう。口内炎を2種類の薬で焼き、のどに数種類の薬を塗る。
夕方にかけて、また熱が上がる。夕食を済ませるまでは、病院からもらった消炎剤と抗生剤が飲めない。じっとガマンをしながら本を読む。600ペイジ近くある 「鎮魂歌」 馳星周 角川文庫 を、1日で読了する。
部屋には既に読む本が無くなった。しかし別室の本棚から読むべき本を探し出しているうちに、風邪が悪化してもいけない。
「熱が38℃以上あるときにだけ飲め」 と言われた解熱剤がよく効き、夜はよく眠れた。
僕のストレスは、口内炎になってあらわれる。口内炎とは高等学校のときからのつきあいだ。この長い経験から、僕の口内炎の治療には、ヴィタミンB2、B6、B12を大量に飲むことがもっとも効果的なことを知っている。
先週の中ごろから発生した口内炎のために、この種のヴィタミンを規定の倍量、飲み始める。
口内炎ができているときには、体内でこれらのヴィタミン群が大量に費消されているらしい。そのため、尿の黄変は見られない。何日か規定の倍のヴィタミンを飲み続けると、次第に尿の色は黄色くなる。これは体が、それほどヴィタミンを必要としなくなった現れではないかと思う。
そのころには不快だった口内炎も、人に触れられたイソギンチャクのように小振りになっている。
午後から発熱。深夜の苦しいときで、39℃近くまで体温が上がる。週刊朝日、週刊文春、週刊新潮をすべて読んでも、夜半まで目が冴える。やっと眠りについたのは、朝5時ころのことだった。
昨日の午後に汗をかき、半袖のTシャツ1枚で街を歩いていたのが、いけなかったかも知れない。
本日、自宅に置き忘れてきたものは3点。「甘木庵の鍵」 「めがね」 「本」。僕は本がないと、ひとりで過ごせない。銀座5丁目の近藤書店にて 「風の男 白洲次郎」 青柳恵介 新潮文庫 を買う。
夜9時すこし過ぎ、散歩をするため地下鉄に乗った。表参道を明治神宮へ向かって、右側の歩道を歩く。同潤会アパートの少し手前から斜め右に、裏道へと入る。
建物のあいだからときどき、表参道の雑踏が見える。ただし僕が歩いている路地に、人の気配はない。小さな竹やぶを眺め、静かな民家の石垣に目を移し、あるいは夜なのに明るい空と白い雲を見上げながら歩く。
突き当たりを右へ進み、適当なところで左に曲がる。そのうち明治通りに出るだろう。
数年前、あるクルマの集まりで昼食が用意されたカフェに入る。戸外に並べられたテイブル、床のタイル、濃い赤のベンチシートが、夜10時のさんざめきによく似合う。
赤ワインをグラスで。オードブルの盛り合わせを注文する。レンズ豆のサラダ。これはこの店の定番だ。薫り高い豚のテリーヌ、ビーツに似た不思議な食感の野菜、それにルッコラ。あとは、何だったろう?
銀座で既に2軒、飲み歩いていた。お代わりをしたワインは、少し残してしまった。エスプレッソを飲んで席を立った。
地下鉄銀座線の車内でふと気がつくと既に浅草駅へ着いていた。まだ日付は変わっていなかった。フィリップ・スタルクの巨大なオブジェを見上げながら地上に出た。原宿の空よりも浅草の空の方が少し暗かった。
今日は杉並木祭り。
今市市は、日光街道、例弊使(れいへいし)街道、会津西街道が交わる交差点だ。この三街道には江戸時代より大規模な杉並木が整備されている。杉並木祭りは1984年から始まった、割合に新しいお祭りだ。
現在の日光街道つまり国道119号線に、大名行列が再現される。江戸時代に作られた彫刻屋台や神輿(みこし)が繰り出す。近在に伝わる獅子舞が披露される。
各種の学校や団体のパレイド、ブラスバンドが、にぎやかに観客を楽しませる。旧日光街道に隣接した公園では、流鏑馬(やぶさめ)が行われる。
僕の欠点は、いわゆる 「見物」 に興味を持たないことだ。野次馬根性も皆無。この杉並木祭りをひととおり見て回ったことは、この17年間で皆無だ。
お祭りの日が楽しみでなくなったのは、何歳くらいからのことだろうか。
甘木庵にて、フィリップス社製オイルヒーターのたてる金属音で目覚めた。
冷蔵庫のウーロン茶を電子レンジにて暖めようとした。食器乾燥機の中にある陶製のカップを取り出した。と、そこに10月17日に紛失したものとばかり思っていた指輪があった。
指輪をどうして食器乾燥機へ入れたのか? 酔っぱらいの行動は、通常の脳の働きを無視したところにある。
というわけで、10月17日に見失った4点 「ゆりかもめの切符」 「ボールペン」 「手帳」 「指輪」 のうち、「ゆりかもめの切符」 以外の3つまでは戻ったことになる。
朝9時30分から池袋で、パンフレットの最終校正。その後、西武百貨店にて新しい眼鏡を作る。左目の近視が進んでいた。以前、眼科医に言われたことだが、僕は遠くを右目で、そしてコンピュータのディスプレイなどは左目で見るクセがあるらしい。
音楽教室の前で、4歳ほどの女の子が泣いている。母親が 「やってみなくちゃ、わからないでしょう」 と言っている。楽器の習得は陰気で孤独な作業だ。子供は気楽に遊ばせてやった方が良い。
地下鉄の構内を歩きながら、小学校1年生ほどの女の子が、盛んに母親に話しかけている。母親は 「あなた、お願いだから、話はもう少し簡単にしてくれない?」 と、きつい口調で注文をする。
たとえ前置きが長かろうが、論理に飛躍があろうが、話し始めと結末に齟齬を生じようが、小さな子供の口から出る言葉はすべて、大人にとっての清涼剤ではないか? 僕はそう思う。
台東区湯島の仲通りを歩く。夜11時ちかい。早上がりの僕が、この時間に街を歩くことは珍しい。
ビルのエレヴェイターを最上階まで上る。エレヴェイターの扉が開くと、霧雨に濡れたヴェランダだった。外気を胸に吸い込みながら歩く。 "Pen" というバー。さびた鉄の扉を押す。
三角形の空間。土壁を思わせる窯変したタイルの床。店内を斜めに横切る木のカウンター。ちいさな蝋燭のぼんぼり。BGMは 「リメンヴァー クリフォード」
「お待ち合わせですか?」 バーテンダーが訊く。ひとりで飲むことを伝える。
数十メートル先のビルの壁には、各階にひとつずつ、大きな窓が縦に並んでいる。エレヴェイターホールに設けられた窓。ピンヒールの靴を履いた、均整のとれた体の女の人、細い肩紐の長いドレスを着た肉感的な女の人、スーツ姿の酔っぱらい、白衣の出前持ち。
まるでヒッチコックの 「裏窓」 のように、様々な人が現れては、影絵のように消えていく。マッカランの12年物を小さな切り子のグラスで、生で所望する。
「リメンヴァー クリフォード」 のトランペットの音は、クリフォード・ブラウンが出す、暖かく柔らかなそれによく似ている。しかし早世したクリフォード・ブラウンを惜しんで作られたこの曲を、彼自身が演奏するはずはない。
3杯を飲んだところで店を出る。湯島の混沌に良い店を見つけた。雨の粒が大きくなった。傘をさして、湯島天神横の切り通し坂を上がった。吐く息は白かったが、寒さは感じなかった。