きのう浅草発下り最終スペーシアで隣り合わせた白人のオニーチャンは"Lonely Planet"の、白塗りのゲイシャを表紙にした"Japan"を熱心に読んでいた。"Lonely Planet"は「地球の歩き方」などよりもはるかに細密な旅行案内書だが、写真はほとんどない。よって地図と文字のみで現地のイメージを喚起する必要がある。
写真の豊富な旅行案内書は「そうそう、ここ、日本を出る前に本で見たとおり」となりがちなところが却って旅の感興を殺ぐ。
「アジェのパリ 大島洋著 みすず書房」を"amazon"で調べてみたところ、本日現在は古書でのみ買うことができる。Eugene Atgetによる100年前の写真を手に、それが撮られた現場へ行ってみるというこの本は、しかし親切すぎるガイドブックと新鮮さを欠く旅行の組み合わせとは異なり、非常にスリリングだ。
そして夜、自分の撮り溜めた画像をコンピュータの中に次から次へと見ていくうち「これ、何だかアジェっぽくねぇか?」と感じさせる1枚があった。念のため付け加えれば、これはただの冗談である。アジェは日々パンのために写真を撮っていたわけだし、カメラも大きな暗箱だった。重さ200グラムのデジタルカメラで好き勝手にパチパチやっている僕とは、文字通り月とすっぽんなのだ。
ヒラダテマサヤさんにはきのうのうちに、本日の休日出勤を要請しておいた。朝、東京大学構内のコンビニエンスストアでドリップ式のコーヒーをふたつ買い、そのまま神保町へ向かう。
電話はメイルと異なり「出もの腫れものところ嫌わず」だから、週日にヒラダテさんと作業をしていると、この電話に邪魔されて作業の進捗が著しく阻害される。しかし本日は"Computer Lib"にとっては休日で、電話は一切かかってこない。気分の良いことこの上ない。
唯一10時30分にハットリヒロシさんから着電があり、その内容は「栄児家庭料理で一緒に昼飯を食べよう」という気楽なものだったから、笑いながら同意をする。11時30分に作業を終え、5分後に靖国通りでタクシーを止め、その5分後に本郷の四川料理屋に着く。
昼の「栄児」では熱々の水餃子が食べ放題だ。よって僕は小鉢に取り分けたこれに麻婆豆腐をかけ、ゆっくりと食べる。
午後は自由学園にて同学会の総会へ出席をする。夕刻からは同級生たちと歓談をし、夜11時前に帰宅する。
「七條」はやっぱり美味い。皮をパリパリに仕上げた甘鯛のポアレをシャンペンに合わせながら、心底そう思った。
この店の料理の一部はごはんに合うよう塩を利かせている。料理長の修業先が「北島亭」ということも、強めの塩分には関係しているだろう。米のメシに合うということはまた、お酒にも合うということだ。メニュの「活け締め穴子のフライ」を目にして「もう夏が近いんだなぁ」というようなことも考える。
そしてそういうことを考えつつまた、今週火曜日の日記「戦略と戦術」に書いた、デジタル一眼レフのことも気になって仕方がない。
8歳から17歳くらいまでのあいだ、僕はカメラ小僧だった。「もっとも速射性に優れたカメラは?」と訊かれたら今日の今でも躊躇することなく「"Snapshot Scoper 25mm F4"を装備した"LEICA Ic"」と答える。ということは今でも僕はカメラ小僧、いやカメラオヤジかも知れない。
そして「七條」を出て地上に上がり、ふたたび地下へ降りて都営三田線に乗り、有楽町のビックカメラへ行く。
"Ricoh"の"GRD"と"R8"を使っている僕は、食べ物の近接撮影と街でのスナップ撮影にもう一段上の人智を注ぎ込むため、デジタル一眼レフを買おうとしている。その目的に最も沿った選択と思われるのが、"OLYMPUS E620"に"25mm F2.8"のいわゆるパンケーキと"35mm F3.5 Macro"の組み合わせだ。しかし何よりオリンパスのカメラは伝統的にデザインが悪い。そしてこのデザインの悪さゆえに僕は当初の目的から外れ、現在は心棒のない状態に陥っている。
そしてビックカメラ有楽町本店地下2階カメラ売り場を歩いての結論。
1.ニコンのカメラでデザインに満足できるのは上から"D3X"、"D3"、"D700"まで。 しかし"D3X"、"D3"とも自分には高価すぎ、"D700"は自分の使用目的に対しては大きく重すぎる。
2.キャノンのカメラでデザインに満足できるのは上から"EOS-1Ds"と"EOS-1D"のみ。 しかし双方とも自分には高価すぎ、また自分の使用目的に対しては大きく重すぎる。
3.当初の冷静な計画を遵守して、低価格、小型軽量、レンズの優秀さから"OLYMPUS E620"とレンズ2本を選ぶ。デザインの悪さについては忸怩たる思いを常に感じながらも我慢をする。
4.しかしきのうの朝飯「梅干しと山椒のおむすび」ほどの画像が撮れるなら、これからも"Ricoh"の"GRD"と"R8"の組み合わせで充分じゃねぇか。
というわけで僕は当分のあいだ、デジタル一眼レフは買わない。いや「当分」でもないか、とりあえずは来月15日に行われる、"OLYMPUS"の"Micro Four Thirds System"の発表を待とう。
利き酒の会「本酒会」の第192回例会に出席をするため、夜7時30分に「魚登久」へ行く。
これまでの長い経験により「本酒会」には、「飲む前から不味いと分かるお酒の判別法」というものがある。それは以下だ。
1.桐などいかにも金のかかっていそうな箱に入っている。
2.「○○賞受賞」と、過去あるいは直近の受賞歴をレッテルに謳っている。
3.レッテルの絵や墨書に「○○画伯」や「書家○○先生」の名が添えてある。
今夕のために準備したお酒の4番目を抜栓しようとしたイチモトケンイチ会長が「限定600本のうちの465番目? こんなこと書いてるようじゃ、この酒もなんだか不味そうだな」と言った。そして普段はそういう発言を耳にしてヘラヘラしている僕も、今夜だけは背筋が伸びた。「付加価値」というものについて、深く考えさせられる話である。
異なる会社による、ふたつの食品を棚に並べて置く。中身の原価は双方とも1,000円で、しかし包材については片方が10円であるのに対して、もう片方のそれには100円がかかっている。初めこそ美麗な包材の品が売れるがその傾向は数ヶ月を経れば逆転する、お客様の舌と目は驚くほど正確だ、とは、ある百貨店で営業本部長まで務めた人の話だ。
それではこの法則を他の商品に当てはめたらどうなるか。服は、靴は、時計は、クルマは、書画骨董は、ホテルなどでサービスを提供するたとえばコンシェルジュなどでは、と考えていくと中々面白い。
念のため付け加えれば、前述の「飲む前から不味いと分かるお酒の判別法」により「これは外れかな」と予想されたお酒の中にももちろん、驚くほど良いお酒はある。
9時21分に「魚登久」を出て9時25分に帰宅する。
アルミのチューブに入った"Romeo y Julieta"のうち最も太くて長いものを存分に愉しみ、その葉巻の味は目覚めたときにも明瞭に覚えていた。こういう夢も珍しい。そして起床しながら「それはさておき太いと長いは英語の場合、どちらを先に言うべきか」と、どうでもよいことを考えた。
日本語では「太くて長い」でも「長くて太い」でも格別の違和感はない。だったら英語においてはどうなのか、案外「どうでもよい」ことでもないのかも知れない。
英語で表現をするには「大きくて赤いクルマ」と「赤くて大きなクルマ」のどちらが正しいか、すくなくとも僕は「そのようなときには "big and red car"の順序で行け」と英国人に教わった。もう30年も前のことだ。
しかし僕にそのようなことを教えた英国人も、仲間うちの会話では"some"と"any"に区別は付けなかった。彼らはすべて"some"で通した。
"these"を知らず、すべての場合において"this"しか使わない英国人がいるという。本当だろうか。中国人の留学生に「ガ行鼻濁音について教えてください」と頼まれてキョトンとしている日本人がいるのだから、"these"を知らない英国人がいても不思議はないのかも知れない。
本題に戻れば、形容詞の並び順にこだわった英語教師は、仲間うちの会話においてもそのことに留意をしているのかどうなのか、そこいらへんについては聞き漏らした。
生まれて初めて持ったカメラは"KODAK INSTAMATIC 104"だった。次は"OLYMPUS-PEN EE"で、次は今でもその思想性が高く評価されている"OLYMPUS-PEN F"、その次は先進的な機能を多く盛り込んだ"OLYMPUS M-1"だった。この型番は発売開始直後にライカからクレームを受けて直ぐ"OM-1"に変更された。だからこの"M-1"を持っている人は、そうはいない。
"M-1"は後に貴重品となるが、家の誰かが、この誰かとはオヤジだろうけれど、銀梨地の"M-1"をいつの間にか処分して、黒いボディの"OM-1"を買った。この"OM"シリーズは優秀で、非常に解像度の高いレンズ"ZUIKO"が当時の世界最小最軽量のボディに取り付けられていた。
一方、僕はこの"OM-1"と平行して、オヤジの"Nikon F"、そのペンタプリズムに露出計機能を持たせた"Nikon F Photomic FTN"、露出計連動型の"Nikomat FT"も使った。黒いボディを持つこれらの"Nikon"には主に43-86mmのズームを取り付け、また時にはパンケーキも使った。この後オヤジは集積回路を積んだ"Nikomat EL"も2台買ったが、このカメラには僕はほとんど興味を持たなかった。
"Nikon F"は一眼レフにもかかわらず、そのボディのデザインは同じ"Nikon"のレンジファインダー機である"S"のそれを踏襲したものだ。そしてその"S"のボディは"CONTAX"によるレンジファインダー機の剽窃である。剽窃は僕のもっとも嫌うところだがそれを無視すれば、"Nikon F"や"Nikomat"のデザインは21世紀の現在から振り返っても悪いものではない。
それに比しての"OM-1"は何とも格好が悪く、しかし僕は"ZUIKO"の高度な性能を得るため、ボディとレンズのデザインの悪さには目をつぶりながらこれを使った。
長い前置きを終わる。
ここ数年のあいだ、デジタルカメラは"Ricoh"の"GRD"と"R8"を使っている。その使用感や性能に不満はないが、写真にあれこれの人智を注ぎ込もうとすれば、やはり一眼レフが欲しい。僕がデジタルカメラで撮ろうとするものは主に食べ物と街のスナップで、それはカメラが一眼レフになっても変わらない。
僕は"OLYMPUS E620"と、35ミリ換算で焦点距離が50ミリになるパンケーキ"ZUIKO DIGITAL 25mm 2.8"に対象を絞り、調査に入った。そしてここで引っかかったのが「小さなボディと優秀なレンズを持ちながら感心しないデザイン」という、オリンパスの伝統あるいは宿痾だった。
自分がデジタル一眼レフに求める「食べ物の近接撮影と街でのスナップ撮影」とは、いわゆる戦略である。その戦略に沿った戦術が"OLYMPUS E620"とパンケーキの組み合わせだった。しかしそのデザインの悪さには何とも我慢がならない。なぜボディ各部のダイヤルやレンズの周囲にいちいち真っ青な線を入れるか。クロームの質感も安っぽい。
"CANON"のカメラは正面から見たときの有機的な曲線がしごく魅力的だ。しかしむかしから僕は"CANON"をほとんど経験していない。
そういうわけで「カカクドットコム」に「ニコン」「ボディ」のふたつのキーワードを入れ、価格の高い順にソートすると上から"D3X"、"D3"、"D700"、"D300"、"D90"、そして出たばかりの"D5000"と並び、それを見て「D700なら買えるじゃねぇか」と思ったところで「しかしお前の戦略は何だったっけ?」と我に返る。
"D700"に"Ai AF Nikkor 35mm F2D"を取り付けるとその重さは1,300グラムを超える。"OLYMPUS E620"とパンケーキの組み合わせなら質量は僅々600グラムだ。
「戦術は無限、しかし戦略は変えるな」とは多くの知者が数千年も前から口を酸っぱくして言い続けた金科玉条である。デザインが気に食わないだけの理由から倍以上も重いカメラを持つことはできない。
それにしても、企業の生み出す商品の性格が、40年ちかくを経てもまったく変わらない、その不思議を僕はこの数日間に身をもって感じた。
小型軽量のボディと優秀なレンズを持ち、クラクラするようなデザインの一眼レフがどこかにないか、あれば駆けつけてぜひ眺めてみたい。
夜の9時台に寝れば朝は3時台に目が覚める。今日あたりは4時前から空が明るくなり始めた。夜の雲はいまだ去らず空の半分を覆っているが、やがて東から日が昇り、味噌蔵の壁を紅く染める。
鶯が啼いている、ホトトギスが啼いている、雀が啼いている、郭公が啼いている、鳩も啼いている。
冬のあいだは週に1日しか作らなかった商品を春先からは2日に増やし、今日からは週に3日つくることにした。お盆のころには毎日つくるに違いない。
夜に降った雨が明け方と同時に止み、日中は30度ほどまで気温が上がる。1年中そういう気候の場所があれば住んでみたい。あるいは、すぐに飽きてしまうだろうか。
販売係ヤマダカオリさんの"Thinkpad"で計算された対前年度週間粗利比較を、同じ販売係のハセガワタツヤ君が事務室のホワイトボードに書いていく。
その、いわばミックス表の最初の商品は「らっきょうのたまり漬」で、この販売数量が昨年のおなじ週よりも3ポイント上がっていたため「オッ」とハセガワ君が声を出す。
「オッ、じゃねぇよ、ハセガワ君の給料を年ごとに上げていこうとすれば、その数字も上げていかなくちゃしょうがねぇだろう」と、たまたま横にいた僕は言う。
前年度のこの時期には売り切れだった「ふきのとうのたまり漬」が今年はいまだ売り切れず、だから今週のミックス表では「らっきょう」と同じく3ポイント上がっている。これは、昨年の2月に八重洲でお酒を飲んだお陰だ。
2月のその日、僕は仲間うちの集まりから帰るため京浜急行久里浜線の三浦海岸駅にいた。自閉癖があるわけではないが、いや、実はあるのかも知れないが、ひとりで好き勝手に行動することが好きだから、僕はそのとき仲間の群れから離脱することを考えていた。
そうしたところが新潟から来たシミズノブヒロさんに見つかり「今夜は我々と一緒に飲むんですよ」と言われた。そして行き着いた先が八重洲の焼鳥屋で、しかしシミズさんの横で焼酎のお湯割りを飲むうち「そうか、そうすればふきのとうは売り切れずに済むのか」と、ある方法を悟った。
シミズさんとは別段、仕事の話をしていたわけではない。「ただ飲んでいただけ」である。ただ飲んでいるだけで、何ごとかが天から降りてくることがある。しかしそのようなことは1000回お酒を飲むうちの1回ほどだから、確率からすれば、次に何かが降りてくるのは再来年になるだろう。
僕より10歳以上は年長と思われる未知の男の人に「あなたの日記で面白いのは本の紹介と、自分の行ったことのない食べ物屋を知ること」と言われた。もう6、7年ほども前のことだ。
ところが振り返ってみれば昨年の5月以降、本のことはほとんどこの日記に書いていない。そのころより仕事についての本ばかりを読むようになったからだ。「自醸要訣醤油味噌 久田精之助著 明文社」などというものをここに載せて誰が面白がるか。
しかし読む本の傾向はまた突然に変わったりする。以前のように毒にも薬もならないような本を読み始めれば、ふたたびそれらをここへ載せることになるだろう。
太めのソーセージの戴きものがあったため「ペパロニライス、作って」と家内に頼むと「何、それ」と言う。「ペパロニライスは新宿のアカシアの定番じゃねぇか」と思ったが、食べたことのない人には分からない。
縦に割った太めのソーセージを炒め、刻みキャベツと目玉焼きと、茹でて炒めただけの白いスパゲティを添えたものがいわゆる「ペパロニ」で、これにメシを同時注文すると「ペパロニライス」になる。
検索エンジンに「アカシア」「ペパロニ」と入れると上手い具合に画像付きのペイジがヒットした。それを家内に見せて「これだよ、これ、作って」と言うと「やだよ」とのことだった。
検索エンジンに探り出されたペイジを次々に見ていくと、自著である「動物の人達」に献辞まで添えて赤ん坊時代の長男に贈ってくれた、あの久住昌之までもがこれを激賞、いや激賞かどうかは知らないが、とりあえず褒めている。
僕が「ペパロニライス」を最後に食べたのは「手塚治虫展」を見るため長男と新宿伊勢丹へ行ったときのことで、以来十数年も、僕は「ペパロニ」の顔を拝んでいない。
というわけで晩飯は「ペパロニライス」よりも内容豊富なものになってしまった。「これじゃ久住昌之は、褒めてくれねぇだろうなぁ」と考えながらその、本家本元よりも具の多いワンプレートの晩飯を食べる。
これまた本日どこかのペイジで知ったことだが、現在「アカシヤ」のメニュに「ペパロニ」はないという。地味ではあるが忘れられない老噺家を亡くした気分だ。
商売に関する最新の動画を自分の携帯電話で撮影し、サーヴァーへ転送する。そのサイトへは、商品の包材やパンフレットに印刷したQRコードから、お客様の携帯電話によりアクセスをしていただく。簡単に説明すればそのようなシステムの契約を、昨年の春ごろに業者と結んだ。
ところがこの動画撮影が、いつになってもできない。なぜできないか、それはひとえに、そういうものへの興味を僕が持てないからできない。だったらなぜそのような契約をしてしまったか、情にほだされるのが僕の駄目なところだ。
「そういうことであれば我々が毎月1回、無料で動画を撮りに行きますよ」と業者は言ってくれた。しかし撮影の対象となるものは当方が準備せざるを得ず、そもそも動画を配信することに興味がないのだから、それもできない。
動画については僕は何もできない。ただし日記であればいくらでも書ける。
ところでこの「清閑日記」に仕事のことはほとんど書かない。書こうとしても書けない。なぜ書けないか、この日記は、商売に繋げようとして始めたものではないから書けない。
それではなぜこの日記の直下に自社ショップとYahoo!ショップへのリンクがあるか、これはウェブコンサルタントとでも呼ぶべき人に言われて嫌々ながら設置したもので、僕の予想したとおり、このリンクをたどって自社ショップやYahoo!ショップへ行く人はほとんどいない。
それはさておき既に作ってしまったQRコードはどうするか。僕は今、このQRコードから飛ぶことのできる、商売のことに特化した日記を書こうと考えている。そのような意図を以て始めた日記であれば、心理的な負担なしでいくらでも商売についてのことが書ける。
よって動画サイトの業者には明日にでも電話をして「人間、興味のあることしかできない、だから契約は解除する、いくら払えば手を切れるか」と訊こうと思う。
電話よりも間違いが少ないに違いないと、むしろ先方に気を遣って、ファクシミリで宅配ピザの注文をしたことがある。しかし待てど暮らせどピザは届かない。電話で確認をすると、果たして当方の注文は通っていなかった。
宅配ピザというビジネスでは電話で受注するシステムが出来上がっているため、ファクシミリでの発注は却って危ないのだ、というのが先方の弁明だった。
"Virgin Records"のブランソンは電話による交渉ごとの天才と、むかし本で読んだことがある。僕はブランソンとは逆で、見えない相手に電話で何か頼むことを厭う。
あれこれの予約を電話でしなくてはならないとき、それを一日延ばしにするうち、たとえばホテルの部屋なら満室になってしまったり、コンサートの切符であれば売り切れてしまうということが、以前はたびたびあった。
ここ8、9年前からの嬉しいことのひとつは、そういうものの予約にはむしろインターネットを用いることが、主に先方の都合により進められたことで、これはとても有り難い。
料理屋の予約においては、インターネット経由というのはいまだ発達していないが、これが一般化すれば僕の気分はますます楽になる。そして今日は来月1日の晩飯をインターネット経由で予約した。店主からはすぐに了解した旨のメイルがあった。楽で楽で仕方がない。
日なたは暑く、日陰は涼しい。青い空に雲雀が啼きながら一直線に上がっていき、また降りてくる。ここまでなら本日の僕が肌や目や耳で感じられたものだ。そういう気持ちの良いひとときを得て、また仕事に戻る。
これが、日の暖かさや緑陰の涼しさ、啼きかわす鳥はそのままに、雑草に置いた竹の寝台、適度に興味深い本、ジャックフルーツの落ち葉が散らばる乾いた小径、その先に光って揺れるラグーン、そして死ぬまで続く自由な時間が加わったら楽しいだろうか、と考える。
楽しいときとは不思議なことに、それがしばらく続くとその楽しさもほどほどになり、予想したより早く退屈さを覚えるようになる。だから楽しさとは、アイスクリームにおけるウェハース程度の割合を以て日常に挟み込まれるのがちょうど良い、のかどうなのか。
退屈は退屈で、これまた悪いものではない。鉢に野生の香り野菜を盛っただけで簡素な食卓が俄然、輝き出すように、おだやかなスパイスひとつを加えただけで元の楽しさを取り戻すあたりに、退屈さの美質さはある。
きのうとはうってかわった晴天に恵まれ、らっきょうの契約農家へ行くことを朝8時すぎに取り急ぎ決める。
一般道を通れば料金もかからないが、できるだけ現地に早く達するため東北道、次いで北関東自動車道を走って壬生インターチェンジで降りる。
熱く乾いた空気の中、種々の作物を育てて広い耕作地を持つカワシマアキラさんと「クロボク」と呼ばれる黒い土の上を歩き、いくつかの畑を見て回る。カワシマさんによれば今年のらっきょうは豊作型にて、収穫時期は6月下旬から7月なかばの予定だという。上出来の堆肥により良く肥えた土の中には、幾種類かの甲虫が盛んに遊んでいた。
昼は農家の営む蕎麦屋にて、その農家の畑で獲れた蕎麦と野菜による天ぷら蕎麦を食べ、濃い緑の中にふたたびホンダフィットを走らせて午後に帰社する。
折角の週末に雨が降ると、いささか落胆する。本日は東照宮で流鏑馬がある。それを見ようとして日光へ来る人も大勢いるだろう。「五月晴れ」ということばはあっても無論、5月のすべてが晴れるわけではない。
春日町1丁目の会計係として夕刻、町内の公民館へ行く。昨年度の決算書と共に支出証拠書の綴りを会計監査に手渡し、無事ハンコをもらう。
戸数は年々減り、町内の運営費も年ごとに緊縮せざるを得ない。老人の数は増して、しかし子供は見る見るうちに減る。香典の予算は増やして育成会の予算は削る。町内は国家を映す鏡である。
目を覚まし、枕頭に置いた携帯電話のディスプレイを見ると、時刻は午前3時57分だった。
朝は緑茶が飲みたいから、先ず仏壇に花や水と共にお茶を供える。窓の外は夜の闇から海の底のような群青色に移りつつある。4時すぎから明るさの感じられる季節になったことを有り難く思う。
父母会に出席をするため午後、自由学園へ行く。礼拝の賛美歌は326番だった。
「土うすき石地に落ちし種あり、土深からぬによりて、速やかに萌え出でたれど、日出てやけ、根なき故に枯る」という一節がマルコによる福音書にある。急がず休まず真面目に生活をしてくれれば、次男には他に言うことはない。
午後、取引先のお宅へ線香を上げに行く。仏壇にある写真の人は、僕より20歳は若いはずだ。
先月には僕より10歳ほども若い人が亡くなり、そのお宅へも線香を上げに行かなくてはならないが、いまだご遺族には連絡をしていない。そして5日前には、仲間うちで特に元気の良かった人が「まだ死ぬ歳じゃねぇだろう」という年齢で亡くなった。
4月に亡くなった、僕より10歳は若いと思われた人とは差し向かいで飲むことがここ数年のあいだに何度かあった。
ふたりで飲んでいるところにボワーンと現れた仙人のような爺さんから「あんたらふたりのうちのひとりは数ヶ月以内に死ぬ。どちらが死ぬかは教えられない」などと言われたらさぞかし怖いだろうなぁと、漠然と考えた。そして先日このことを長男に伝えたところ「それとそっくりな話が星新一の小説にあるよ」とのことだった。
誰かと一緒にメシを食べている、誰かと一緒に酒を飲んでいる。その「一緒」のうちの誰かがそれから間もなく死んでしまう、その「誰か」は自分かも知れない。そういうことを、僕はいつも考えている。
なぜこんなに金が無いかといつも思う。なぜ金が無いかといえば、あるだけ使ってしまうから無い。
僕は一体に、消えて無くなってしまうお金には頓着しない。消えて無くなってしまうお金とは飲み食い、祝儀不祝儀、寄付のたぐいだ。
ほかに思い当たるところといえば、たとえばザックなどは大は小を兼ねるで、大きなものひとつを備え、荷物の多いときも少ないときもこれを使えばこと足りるところ、それではイヤだから寸刻みにたくさんの種類を備える。備えて後「これは使いづらい」というものが出てくれば人にやってしまう。
気に入ったシャツやズボンは同じ色、あるいは違う色で複数購入するクセがあり、しかしネットショップで買ったものでサイズが合わないとなれば、複数の社員にこれをやってしまう。
「あといくら買えば送料がタダになる」という通信販売の場合には、送料をタダにするためつい余計なものまで買ってしまう。余計なものは文字通り余計なもので、これもやはり人にやってしまう。堅実な人ほど「送料無料」には見向きもしない。
普段、腕時計には電波時計を使っている。国内でも遠くへ行くときには、この電波時計は役立たない。海外では全く使い物にならない。長年にわたって持ち続けた機械式時計の多くはこのところ不調で、危なっかしくて使えない。
そういうこともあって"Sinn 656S"という時計が欲しくて仕方がない。昨年この現物を手に取って見る機会があった。非常にちゃちな外観で欲しい気持ちがいくらかは減退した。しかし今年になってみればやはり欲しい。
ところで「欲しい」という気持ちの無いほど強いこともない。
南の国を歩いていると、いろいろな物売りがどこまでも付いてくる、ということがある。当方は容量20リットルのデイパックひとつで旅をしているから、何かを買ってもそれを収納する場所がない。僕は大きな荷物を嫌う。よって何も欲しくない。「要らない」と答えると、物売りが売ろうとしている物の値段は瞬く間に間に落ちていく。いくら安くなっても当方は要らないのだからしまいに価格はタダ同然のところまで落ちて、しかしそこまでいっても当方は要らない。
「要らない」という理由が見つかれば、それを買わなくて済む。"Sinn 656S"を買わずに済む理由がどこかにないか、実はある。
自社製でないエンジンを積んだクルマには、僕は興味がない。"GINETTA G4"はクラクラするほど格好の良いクルマだがエンジンは"FORD"社製のものだから別段、欲しくはない。トヨタのエンジンを積んだ"LOTUS Elise"にも興味がなければ"FIAT"を改造した"ABARTH"にも興味はない。
時計もおなじく自社製の機械を用いないものには興味が無く、"Sinn 656S"の中身も実は"ETA2824-2"という、あまたの時計会社に供給されているムーブメントだ。だからこれを理由に"Sinn 656S"を欲しいという気持ちを無理矢理おさめようとしている昨今である。
こんなものを買ったら、また金が無くなるのだ。
数寄屋橋のソニービルはこのたび、その全館がホテルに改装された。
1階奥の、これまで"PUB CARDINAL"のあった場所には、シャンペンをメインの飲み物とするカジュアルなフランス料理屋ができた。昼にここでモエエシャンドンをボトルで頼むと、退店時にその空き瓶とコルク栓をウェイターが手渡してくれる。
これは宿泊者のみに許された特典だが、夜、その空き瓶をこの店に持参すると、生ビールのサーヴァーのようなところから係が"Moet et Chandon Brut Imperial"を無料で満たし、特殊な道具で栓をしてくれる。
「だからといって、さも当然のような顔をしてタダ酒をもらいに行くのは、いかにもみっともねぇよなぁ」と考えながらも750ccのモエの誘惑には勝てず、だから緑色のボトルを抱えて店へ入ろうとしたところで目が覚める。
夢のような夢を見ていて、今朝はつい寝過ごした。
朝6時前に目を覚ます。本日はおじいちゃんの祥月命日だが、お墓にはおとといの朝に家内と次男との3人でお参りをした。
8時をすこし過ぎたころに外へ出て東京大学の塀沿いを歩いていくと、銀杏の若葉は今が伸び盛りにて、夏の濃い緑を思わせるばかりに、その隙間から覗く空を狭くしている。半袖のTシャツ1枚で暑くもなく寒くもない。そのまま駿河台の坂を下り、神保町へ行く。
夕刻、"Computer Lib"のヒラダテマサヤさんを誘ってすずらん通りの飲み屋へ入り、ウーロンハイが僕には薄いので焼酎を倍量入れてくれと店の人に頼み、そして地下鉄半蔵門線に乗ったら寝ているうちに西新井まで行ってしまった。
計算では北千住20:11発の下りに間に合うはずだったが、そういう次第にて1時間後の最終に乗り、11時前に帰宅する。
この日記の前半200文字ほどは"mixi"にも載せている。この日記が更新されれば"mixi"の方も更新される。"mixi"では、自分の日記を読みに来た人を「足あと」で特定することができる。
あるとき、その「足あと」をたどると、食べ物のことをいろいろ書いている人の日記があった。その日記からは更に、銀座で鮨屋を営む人の日記に飛ぶことができた。
それを読むと若いにもかかわらずなかなか真面目そうな人にて、横倒しのままの、携帯電話で撮ったらしい種箱の中身も大いに気持ちをそそる。よってこの人には"mixi"の「メッセージを送る」を使って本日夕刻の予約を入れた。
コムズ銀座と銀座国際ホテルのあいだ、つまり西五番街を4丁目方向へ歩き、左手に酒のディスカウンター「信濃屋」が見えたら、そのはす向かいに「鮨よしき」はひっそりとある。およそ鮨屋のものとは思えない洋風のドアを開くと、靴を脱いで上がる式の、カウンター7席ほどの、全体の印象としては白木色の明るい店内が覗えた。
すべてに入念な仕事をほどこすこの店の鮨の中で今夜、特に印象に残ったのは、噛んでいくうち、海のエキスのようなものがプッチューと口の中に飛び散るスミイカだった。特殊なスミイカなのか、あるいは包丁の入れ方に優れているのか、おそらくその双方によるものだろう。
「平日はほとんど仮眠のみですね」と言う店主の西塚良希さんには、この優れた店を何とか維持して欲しい。
酒肴からお終いのところまですべておまかせにして楽しいひとときを過ごした後は8丁目から3丁目へ移動し、同級生ウエキコータ君の経営する"da Luciano"のシャーベットが食べられる"WHISKEY-S"で生のウイスキーを2杯だけ飲む。
その"WHISKEY-S"の階段を上がると、目の前の"MOD"の若い方のバーテンダーと目が合った。当方の姿を相手が認識したとなれば、こちらにも寄らないわけにはいかない。
そして地下鉄丸ノ内線にて甘木庵へ向かう。
新型インフルエンザに感染した疑いのある高校生が横浜で発見されたことを受け、自由学園は今月2日から臨時休校になった。2日と3日だけ帰宅して4日には帰寮する計画を立てていた次男は、学校からの通達により11日まで家に留まるよう要請された。
新型インフルエンザについてはその後、成田空港の検疫により正真正銘の感染者が出たが、今般のウイルスは弱毒性のものであり、感染してもその症状は季節性インフルエンザと同程度ということが他国の例からも判明したため、休校は11日にて終了との決定が学校のウェブペイジにより知らされた。
予期しない事態により長く家にいることとなった次男には、憶良の「瓜食めば」ではないが「何でも食べたいものを言え」などとそそのかし、連休中はちと外食の機会が多すぎた。そこへきて本日は母の日だという。
よってきのうのサンダルを革靴に履き替え、初更7時に街のフランス料理屋へ行く。
今は随分と少なくなったが、むかしは多く酒屋で味噌を売っていた。そのような酒屋はまた店の中にカウンターを備え、いわゆる角打ちの客を相手にする例が多く見られた。「角打ち」は「カクウチ」と読み、そういう酒屋で立ち飲みすることを指す。
ロッテオリオンズの本拠地が川崎にあったころ、その川崎に味噌を配達することがよくあった。ある猛暑の日、大汗をかきながら20キロの味噌箱を担いで一軒の酒屋へ入っていくと、「ご苦労さん、大変だね」と、ひとりのオジサンに声をかけられた。オジサンはいわゆる角打ちの客で、カウンターには生の焼酎とビールの大瓶があった。
このオジサンは"Boiler Maker"というカクテルの存在を知っていただろうか。あるいは太陽が中天に差しかかる暑さの中で冷えたビールを所望し、しかし血中のアルコール濃度を一気に高めたいため併せて焼酎を注文しただけだったのかも知れない。
僕はビールはほとんど飲まない。しかし本日は夏を思わせる高い気温の中、終業後も製造現場に残って仕事をしたため、いささかのどが渇いた。よって晩飯の席では四半世紀前に川崎で遭遇したオジサンを思い出しつつ生の焼酎と併せて生ビールを飲む。
スケデュールの管理方法には多くの種類がある。多くの種類があるところにもってきて、新しい手法、新しい道具が次々とあらわれ、それ関係の本も次々と出てくる。これが何に似ているかといえば、ダイエットに似ている。
多くの種類があって、新しい手法や新しい道具が次々とあらわれてくるのは、つまりどれをとっても決め手に欠ける、ということだ。自分のスケデュールを管理しようとしてもできない、自分の体重を管理しようとしてもできない人がそれだけ多い、ということだ。
「この時期になるとこういう人がこういうことを言ってくるぞ」「この時期になったらこういいうことをしろ」「この日が来たらどこそこへ何を持っていけ」という、いわば必要なことは僕のコンピュータにあって日々更新される。
ところがこのような必須のことではなく、後に「あんときはどうだったっけ」という「ちょっと知りたいこと」は特に記録はしていない。そういうときに役立つのがこの日記だ。
データベースとして用いられる以外の、更新されないウェブペイジを見るたび「だったら止めちゃえ」と思う。更新されないウェブログであればなおさらのことだ。情報の元として頼りになるウェブログの最大の条件は、毎日きっちり更新されることだ。
ところで毎日きっちり更新されるウェブログの書き手が、同時にきっちりした性格の持ち主であるとは限らない。日常の生活においてはかなりきっちりしているにもかかわらず、ウェブログは数日、数週間、数ヶ月でお終い、という例は少なくない。何ごとにも向き不向きは、ある。
きのうのカレー南蛮鍋の残りをメシにぶっかけ、それを朝飯としながら、1991年の春、同級生のヤマモトタカアキ君とネパールへ行ったときのことを思い出す。
往路の中継地バンコックに1泊した朝、ホテルの朝食は高いからと外へ出て、軒先の崩れ落ちそうなメシ屋に入った。店のオヤジは僕が注文した、豚だか牛の臓物煮をぶっかけたメシと共に手塩皿を机上へ置いた。
この小さな皿は、ここで客が調味料を自分好みに混ぜ合わせ、そこに、メシの上に転がった豚だか牛の胃袋やら大腸やらをちょっと付けて食べるためのものだ。一見して荒っぽい商売と感じられるものにも、小さな心遣いは存在する。
そうしてホテルへ戻り、宿泊代を精算すると、明細書には「朝食を含む」という意味の英文があったから、僕とヤマモト君は思わずハッと顔を見合わせた。ハッと顔を見合わせはしたが、しかし我々の朝飯は、ホテルのそれよりもずっと美味かったはずだ。第一、そう考えなくては腹の虫が治まらない。
カトマンドゥには幸い、タイ人の経営するぶっかけメシ屋はなかったから、我々は翌日からずっと、朝飯はホテルで食べ続けた。
連休のあいだはいつもより長い時間、店頭に立っていた。よって僕がひとりで行う種類の仕事には遅れが生じていた。今朝は幸い3時30分に目が覚めたため、すぐに事務室へ降りて、その遅れを一気に取り戻す。
それにしても、ゴールデンウィークも最終日となれば、当方も随分と疲れてきた。仕事をし続けている当方が疲れているのだから、遠くへ遊びに行った人などはよほど疲れているだろう。
ところで日曜祭日に高速道路の料金を"ETC"で支払うクルマは、どこまで行っても1,000円との暫定的な決まりは、減収分のツケがどこに回されるかを無視する限り、なかなか良いのではないか。
よその国の人のことは知らないが、日本人の特性からして旅行においては、制約の中で可能な限り遠くへ行き、可能な限り多くの場所に立ち寄ろうとする。これまで観光客のそれほど訪れなかった場所にも、経済の花が咲くやも知れない。環境保全の面からすれば、負の効果だろうが。
事務室で朝、何気なく壁のカレンダーを見ていて、本日が二十四季節の立夏であることを知る。立夏とはいえ連休の晴天は昨日までにて、本日は小雨を予感させる雲が空を覆っている。
ラーメンの「ふじや」は毎年この連休のあたりで「冷やし味噌ラーメン」を出してくる。ことしは今月3日がその初日だったが、これを境として気温が下がってきたのだから皮肉なものだ。しかしいずれ猛暑の日々はやってくる。「ふじや」が東京の繁華な場所にあって、何かのきっかけさえあれば、この「冷やし味噌ラーメン」を求めて人は行列を作るだろう。
多くの食べ物屋を紹介してウェブの世界では大権威のペイジに「東京で三指に入る」と紹介されている牡蠣フライよりも、我が町の「とんかつあづま」の牡蠣フライの方がよほど美味い。
日本橋の有名な老舗のメンチカツよりも、ウチの味噌蔵から道路1本へだてたところにある「洋食金長」のそれの方がよほど美味い。「魚登久」の鰻丼よりも美味い鰻丼を、僕は東京では食べたことがない。会席の「ばん」がもしも西麻布にあれば、食べ歩き系の雑誌は多くこの店を得意げに紹介するだろう。
"Finbec Naoto"に通う限り、僕はよそでフランス料理を食べたい欲求にはそうかられない。"Chez Akabane"の杏仁豆腐は、僕が考える「甘くて美味いもの」のひとつの究極だ。「ぱんいしづか」の天然酵母パンは、なぜかは知らないが、ひとくち食べると目の前にあるすべてを食い尽くすまで止まらなくなる。
奥日光の木々が若緑一色になる初夏のころに来て、腹ごなしの散歩以外は日帰り温泉で腹ばいになって本を読み、そうしてメシの時間になると上に挙げたような店に出かけてあれこれを食べ、お酒を飲む。渋滞のひどいゴールデンウィークにではなく、後日、有給休暇を取って「日光美味いものツアー」をする。
そういう旅行のしたい人は、僕に連絡してください。社交的な性格ではないので同席はできかねますが、情報だけは提供できます。
朝の薄明の中、自分のCD入れの、何百枚あるか数えたこともないその一番手前の1枚を引き出すと、それは忌野清志郎の"THE TIMERS"だった。"Daydream Believer"1曲のために、僕はこのCDを買った。
Ella Fitzgeraldがベルリンで歌った"Mack the knife"を聴いて僕は泣く。僕を泣かせる歌は、それ以外には忌野清志郎の"Daydream Believer"しかない。
忌野清志郎がかつて政治的な主張を織り込んだ歌を歌ったことは、僕の個人的な気持ちからすれば残念だ。メッセージソングなどというものは、歌の下手な歌手に任せておけばよいのである。
おととい銀座の"Four Nines"に送った、ネジの2本外れたメガネは早くも修理を終え、本日午前に届いた。新品のメガネケース2個がオマケで入っていた。ひとつのメガネに対してケースが2個あっても意味はないように思われるが、有り難く戴いておく。
家内の作った「結庵」のおむすびが10分で売り切れるほどの今日は忙しさだったから、営業時間が終了したときには随分と疲れていた。晩飯は外で食べることとし、洋食の「コスモス」に電話をして席を確保する。
「コスモス」の、"BEEFEATER"と"NOILLY PRAT"によるドライマーティニは美味い。よって始めから終わりまでこれを飲みつつ、いかにもカロリーの高そうなあれこれを食べる。
自分がこれまでメガネを作ったメガネ屋は5店ある。そのうちもっとも丁寧に検眼し、もっとも懇切に対応してくれたのが銀座の"Four Nines"だ。その"Four Nines"で昨年1月にあつらえたメガネのネジ2本が相次いで外れた。
2本のうちの1本は気づいたときには既にして無く、もう1本は事務机の上に発見されたが自分の持つ精密ドライヴァーを以てしても、これをふたたび元の場所へ納めることはできない。
よってこの、使用できなくなったメガネをきのう銀座の店に送ったところ「あってはならないことを起こしてしまい、大変に申し訳ない、取り急ぎ修理の上、送料無料にて返送する」旨の電話が本日午前、担当者からあった。
「内閣総理大臣が宮中で素っ裸になってしまった」というようなことであればそれは「あってはならないこと」となるだろうが、メガネのネジが2本ばかり外れたことについて「あってはならないこと」とは、いかにも言葉が大げさすぎる。しかしその大げささはすなわち担当者の良心の表れなのだろう。
"Four Nines"のメガネはこれからも使い続ける。そして予備のメガネも早急に手配することを決める。
未知の新型インフルエンザについて、これに感染した者が国内にひとりでも発生したときには寮生全員を即日帰宅させるとし、その帰宅の順路などを問う調査票が自由学園の父母に送致されたのは昨年秋のことだった。このことひとつを見ても、自由学園の危機管理は大したものだと思う。
はじめ次男は2日土曜日の帰宅を予定し、そのための切符も送ってあったが、新型インフルエンザに感染した疑いのある男子高校生が横浜で発見されたことを受け、明日の休校が決まった。
よって次男は本日、夕刻5時30分まで寮の清掃などをし、浅草駅19:00発の下り特急スペーシアに乗ると電話をしてきた。
春休みの帰宅時には列車の中で眠りこけていたため、本日は念を入れてプラットフォームまで行ってみれば、半ズボンに長袖のフリースジャケットを着た次男は真っ先に降りてきて開口一番「晩飯、なに?」と言った。