いつ目を覚ましていつ起床したかについては毎日、コンピュータに確保した半角100文字の場所に記録をしている。しかし5月最終日のそこは早くから別の情報で満たされていたため、つまりこの日の朝の行動については不明の点が多い。とにかく5時すぎに仕事場へ降り、7時前に居間へ上がったことは確かだ。
朝飯については画像があるからその内容は不明ではない。胡瓜のぬか漬、納豆、生のトマト、キャベツの油炒め、メシ、ジュンサイと三つ葉の味噌汁。
色川武大だか阿佐田哲也が自分の好物は胡麻であると、どこかに書いていた。それを読んで 「ひと粒ずつ噛みつぶしてこそ味も香りも感じるけれど、その大方はただ飲み込まれてしまうあんなものが好きなのか」 と不思議に感じた。しかし好きな食べ物が 「キクラゲとジュンサイです」 という僕の嗜好は、反芻してみれば胡麻を好むより奇妙かも知れない。
ところでむかし、皇居の有効な利用法を問われて 「お堀でのジュンサイの栽培」 と答えた左翼は誰だったろう。
雨模様の続いたこのところには珍しく、夕刻に西の空が紅くなる。
初更、ほうれん草と海苔のおひたし、穴子入りの厚焼き玉子、青梗菜の古漬けの胡麻油炒め、牛肉と糸こんにゃくの薄味炊き、銀鱈の粕漬にて泡盛 「春雨」 のお湯割りを飲む。
入浴して何も飲まず、10時前に就寝する。
2時30分に目を覚まして 「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読み、5時に起床する。仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。雲は低く湿度は高く、しかし雨の降る気配はない。
朝飯は胡瓜の塩もみ、ほうれん草の油炒め、能代市の 「天洋酒店」 より、お酒のワンカップに満杯で届いたウニのスクランブルドエッグ、そのウニと共に届いたジュンサイの三杯酢、納豆、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁。
そこが駐車違反の区域であれば、黄色の段だらで塗られたコンクリートのブロックが歩道の端にはある。ウチの店舗から醸造蔵を経由して隠居まで続くそのブロックと歩道のアスファルトの間には、なぜか一寸ほどの隙間が開いていて、4月を過ぎると毎年ここから雑草が吹き出してくる。始業からしばらくして、仕事に都合をつけた社員たちがその雑草を刈る、というよりは土からほじくり出す。皮肉なものでその草取りが始まったとたんに雲間からは太陽があらわれ、蒸し暑さが増してくる。
微生物活動の結果が人に役立てばそれは発酵、人のむしろ害になればそれは腐敗ということになる。アルプスのガレ場を踏んで高度を増していくとき、這い松の隙間に小さくけなげな花を見たとき、人はそれを貴重な高山植物として愛でる。しかしもしも同じ植物が歩道の隙間から大量に萌え出で、まがまがしいほどに繁殖したら、これはやはり雑草ということになるのではないか。人も適所を得れば周囲の賞賛を得ることができるが、時と場所を間違えれば罪人にもなる。
初更、かなり激しい雨が、夕立よりも長いあいだ降り続ける。朝から雷が鳴ったのは、おととい日曜日のことだっただろうか。胡瓜のぬか漬、カレーライスを晩飯として飲酒は避ける。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読んで10時30分に就寝する。
4時15分に目を覚まして 「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読み、5時に起床する。仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。朝飯は、叔父の作った梅干を含む5種のあれこれによるお茶漬け。
「イギリスでは、その道の本職よりも優れた仕事をする素人を指して "amateur" と呼ぶ」 とは長男が言ったことだ。それに照らせば、叔父の梅干は完全に "amateur" の作品ということになる。専門家が専門家ゆえの常識から抜け出せず、だから突き抜けた仕事ができないとは、確かにありそうなことだ。
イギリスついでに、同級生のスズキノリユキ君はむかし 「イギリスで "The Sports" といえば、それはF1レースとハンティング、それに厳しい高所登山の三者のみをあらわす」 と言ったが本当だろうか。クルマと銃器、それにガストン・レビュファの名著 「雪と岩」 が好きなだけなんじゃねぇか、という気もする。
初更、能代市の 「天洋酒店」 より、お酒のワンカップに満杯で届いたウニを底に仕込んだ茶碗蒸し、ウニと共に届いたジュンサイの三杯酢、同じくジュンサイの味噌汁、胡瓜の塩もみを酒肴として泡盛 「春雨」 のお湯割りを飲む。その後はガラリと趣向を変えて、というわけではなく、たまたまいただき物をしたに過ぎないわけだが、その餃子にてもおなじお酒を飲む。餃子の皮には、まるでライスペイパーのようなおもむきがあって面白かった。
入浴して牛乳は飲まず、ビールを300CCほども飲んで9時30分に就寝する。
2時30分に目を覚まして 「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読み、二度寝をして5時に起床する。仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。朝飯は細切り昆布の薄味煮、ほうれん草の油炒め、トマト入りスクランブルドエッグ、納豆、メシ、大根と万能葱の味噌汁。
"amazon" からどんどん本が届く。"amazon" に商品を出している古書販売業の人たちからもどんどん本が届く。すべてを読み終えて後に次の本を注文することにしないと、未読のそれらは更に積み上がるばかりだ。それが分かっていながらまた本を注文する。
ところで "amazon" で古書を売っている中には会社を構えていない個人もそうとうにいる。個人が個人との相対で得たお金は、どれくらいの額に達すると課税の対象になるのか。インターネットのオークションともなれば、そこで得られるお金は古書など問題にならないほど大きなものになることもあるだろう。個人がインターネット上の商行為により儲けたお金に対する課税については、これは事実上の野放しと思われる。
「1980年代の白は早々に飲んじゃおうぜ作戦」 により初更、"Chassagne Montrachet 1Cru Les Caillerets Olivier Leflaive Freres 1987" を抜栓する。トマトとモツァレラチーズのカプレーゼ、エリンギとグリーンアスパラガスのオリーヴオイル炒め、ジャガイモと大根と人参のグラタン、能代市の 「天洋酒店」 より、お酒のワンカップに満杯で届いたウニによるスパゲティ、数時間前に湯西川の渓流で釣れたばかりの岩魚のオリーヴオイル焼きバルサミコソースを肴として 「20世紀のうちに飲んじゃえば良かったな」 と強烈に思われる白ワインを飲む。
入浴して気が付くと、からだに2枚のバスタオルを巻き居間の絨毯の上で寝ていた。起きて寝室へ移動し、推定で10時30分に就寝する。
4時45分に目を覚まして5時に起床する。仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。朝飯は細切り昆布の薄味煮、納豆、ハムエッグ、生のトマト、メシ、シジミと万能葱の味噌汁。
下今市を出て北千住、西日暮里を経由していけば、特急スペーシアを使っても池袋までは3,030円で行く。ところが本日は時間の都合にて、池袋へ直行する新しい経路でのスペーシアにやむなく乗る。「やむなく」 とはこの料金が3,690円もするためで、しかし所要時間は従来のものよりも20分ほどは短縮される。
とにかくその 「きぬがわ2号」 を使って池袋へ着く。これまでは東武日光線でしか運行していなかった特急スペーシアが池袋駅に停車している風景には、鉄道オタクでもない僕をしても 「とりあえず写真、撮っとこう」 という気にさせる目新しさがある。
西武池袋線の急行をひばりが丘で降りる。雨が降っているけれどもそれはあまり強くないため、傘を買うことはしない。パルコ4階の本屋にてホームページ運営室員のゴールドロベルトと落ち合う。室長の僕が退いて以降も 「同学会ホームページ」 を問題なく維持していく方法につき、この数ヶ月のあいだにとりまとめたことを中心として、ちかくの喫茶店で情報交換をする。
掲載すべき情報が発生するたび几帳面にウェブペイジを更新し続ける作業は、技術と事務能力さえあれば誰にでもできる。この2年間における僕の最大の仕事は、次代を任すことのできる、12年後輩のゴールド君を同学会へ引き入れたことだ。「後はひとつよろしく」 である。
同学会の会合は1時からのクラス委員会、2時からの総会を経てお茶の会になった。先日お世話になることのあったミヤジマシンイチロウ先生がいらっしゃっていたため、その側へしゃがみ込み、耳元へ口を近づけご挨拶をする。先生は7年後輩にあたるオヤジのちと早かった死を悼み、僕にはその職責を全うするよう握手と共に励ましてくださった。僕は大いに恐縮して 「ハイッ」 と返事をする。
本日を以て退任する2005年度の委員をねぎらう納会が駅の近くで行われることは知っていたが、夜の7時8時まで飲み、そのあげく下り特急スペーシアで日光駅まで乗り過ごしてもいけない。不義理ではあるが早めに帰宅することとして、雨の合間を見て 「自由学園」 の学部食堂を去る。
日本将棋連盟が出版するある種の本では、棋士達の麻雀について、それを麻雀とは書かず 「室内競技」 とする。僕の飲酒にもこのような抽象的表現があれば、この日記も幾分かは上品になるのではないか。
浅草を17:00に発つ下りに乗らないと、家の者と晩飯を食うことは能わなくなる。西武池袋線の急行が池袋に近づきつつあったときの時刻が4時。山手線を日暮里まで乗り越して 「しまった、これで5分の損だ」 と考えつつ西日暮里へ戻り、地下鉄千代田線で北千住に至る。ほとんど雨の上がった駅前ロータリーへ出て数十歩を歩き、僅々十数分の、室内競技ならぬ 「カウンター競技」 を経て駅へ戻る。
11分前に浅草を出た下り特急スペーシアに乗り、6時45分に下今市へ着く。家内の運転するホンダフィットに乗って焼肉屋 「板門店」 へ行き、諸々の肉や野菜を酒肴として、預けてあった焼酎のボトルを空にする。
帰宅して入浴し、「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読んで10時に就寝する。
3時30分に目を覚まして 「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読み、二度寝をして5時に起床する。仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。
朝飯は納豆、メカブの酢の物、ジャガイモのグラタン、生のトマト、メシ、豆腐と水菜の味噌汁。水菜が歯に硬いのは、水菜の組成のせいだろうか、あるいは僕の歯が老化したせいだろうか。
調子よく使っていた "RICOH GR DIGITAL" は今月5日、日比谷の路上にて、電源を切ってもレンズがボディに格納されなくなった。購入してから2ヶ月と少々が経とうとしているところだった。僕の思うところでは、このカメラは複雑な交配を重ねて開発された、美しいけれども病害虫にはひどく弱い花、といったおもむきのもので、ウェブ上でその愛好者によるウェブログなどを読むと、昨秋の購入以来4回の交換、つまりいま使っているのは5台目、というような人も中にはいる。
ちょうど日比谷にいるときの故障だったが当日は祭日だったため、三原橋にあるリコーのサービスセンターは休業だろうと判断し、その翌日、これを購入した新宿西口の 「マップカメラ」 へ持参した。その "GRD" がようやく修理を終えて午前中、ヤマト運輸にて配達される。送料は当然のことながら先方持ちだった。箱を開け、修理伝票を出して読む。
「取扱いには充分ご注意くださいたってなぁ、オレのモノの扱いは、たいていの人よりも丁寧だろうが」と思う。
田中長徳はこのカメラをジーンズの尻ポケットへ入れるというが、子供のころ、同じところに太陽観測用の黒いガラスを入れ、そのままかがんでこれを割った経験のある僕は、そのサイズがいくら小さくても、ズボンの尻ポケットにカメラを入れるようなことはしない。"GRD" 用のネオプレインの袋や、街で撮影をするときにカメラを収める上着のポケットが、ことさらにホコリだらけということもないだろう。とりあえずはこれで、ライカの出番がふたたび遠のくことにはなった。
どうしようもなく不器用だから 「手塚工房」 のテヅカナオちゃんのところへ行く。そして、このカメラが故障した日に有楽町の 「ビックカメラ」 で購入した保護シートをディスプレイに貼ってもらう。僕は家の壁に釘1本を打つにしても、ナオちゃんに頼るようなところがある。
初更、茄子と豚肉の炒り物、白花豆、グリーンアスパラガスの胡麻和え、細切り昆布の薄味煮、2種の鮪と蛍烏賊の刺身にて泡盛 「春雨」 のお湯割りを飲む。
入浴して牛乳を飲み、今夜はテレビをすこし見て11時に就寝する。
目を覚まして1時間くらいは、そのまま横になっていただろうか。洗面所へ起きて時計を見たらいまだ午前1時でゲンナリする。眠くはないが本を読むほど覚醒はしていない、というよくある状態のまま長く過ごしてようやく二度寝に入り、5時に起床する。
仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。朝飯は鰊の山椒煮、茄子の油炒め、納豆、メカブの酢の物、メシ、アサリと万能葱の味噌汁。今朝のアサリは美味い。
学生のころ湯島の鮨屋で 「貝、ぜんぶ」 と注文をしたことがある。そういう貝好きにとっては、日本橋高島屋の地下1階にある鮨屋 「寿司岩」 の 「貝づくし」 は格好のメニュだ。僕が仕事中と知っていながら冷酒を勧めた親方のヤマちゃんは元気だろうか。
終業30分前になって、きのう完成させた文章によるメイルマガジンを顧客へ向けて一斉に送付する。繁盛店は多く月曜の朝にこれを発行するという説があるが、僕はそれに与しない。「ワイナリー和泉屋」 がこの7年のあいだ僕に送り続けたメイルマガジンの発行頻度は2日に1通の割合で、つまりウェブショップの繁盛店というのは、のべつまくなしにメイルマガジンを出しているものである。
初更、3種の茸と厚揚げ豆腐を煮た鍋にほうれん草、水菜、豚肉を投入し、これをおかずとしてメシ2杯を食べる。「これで酒、飲まねぇなんて馬鹿みたい」 という気もするが、その酒をメシに替えてしまえば、それはそれで違和感もない。
入浴して枕頭の活字をすこしあさり、10時前に就寝する。
3時30分に目を覚まして 「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読み、二度寝をして5時に起床する。仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。
朝飯は昆布の佃煮、焼きたらこ、塩鮭、梅干し、じゃこ、鰊の山椒煮、玉子と三つ葉の雑炊。
農産物や海産物など季節性の高い商品を売る店、あるいはワインや靴など仕入れたものを売る店に比較をすると、ウチのような、一部を除いては年間を通じて同じ品物をお売りしている店は、お客様へお知らせする季節の情報が限られる。そのようななかでメイルマガジンを定期的に発行していこうとすれば、その頻度を高くすることはなかなかできない。
それでも月に1度はお得意様へこれをお送りしようと決め、しかし今年の1月などは4回も発行してしまったから、その後の 「はなしの種」 はますます見つけづらくなった。夕刻にいたってようやく明日発行のメイルマガジンを整え、これをメイラーに保存する。
5月の 「本酒会」 には日時の都合がつかず欠席をしたが、この採点結果がイチモトケンイチ本酒会長より届いたため、終業後それを元に会報のウェブペイジ版を作成してサーヴァーへ転送し、同時にメイルマガジン版を会員へ送付する。
臨海学校から帰宅した次男の、晩飯に食べたいものが 「ステーキ」 とのことにて、ステーキはつい数日前にも食べたばかりだが、自転車に乗って買い物に行く。帰り道の突然の雨は、今夕に東京で降っているほどの雷雨ではなく、それほど濡れないまま家に着く。
"VOLNAY 1re Cru SANTENOTS 1985" は、1990年ころの記憶では大したこともなかったが、それから15、6年を過ぎたいま飲んでみれば、これがなかなか悪くない。ワイン蔵にはいまだ5本の在庫があったから、これから肉を食うときには、これを立て続けに飲んでしまおうと考える。オージービーフのステーキ、エノキダケとマッシュルームのオリーヴオイル炒め、生のトマトを肴にこの1本を空にする。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
目を覚ましたのが何時かは知らない。そのまま長く横になっているのも時間の無駄と、枕頭の灯りを点け携帯電話のディスプレイを見ると2時30分だった。「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読んだり二度寝をしたりして5時に起床する。
仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。朝飯はほうれん草のおひたし、メカブの酢の物、納豆、鰊の山椒煮、トマトのオリーヴオイル和え、温泉玉子、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。
今月21日に次男と行ったテニスコートで日に焼けた腕と顔の具合はいまだ旧に復さず、顔はまだしも腕などは、だらりと下げているだけでも心臓の鼓動に合わせてズキズキと痛む。何かをかがんで取ろうとしようものならその痛みは極端に増幅して、「日焼けどころか、まるで怪我じゃねぇか」 と思う。
日焼けについては数年前の夏、肩に手ひどいそれを負って、だから学習能力がないと言われればその通りである。しかし僕よりもはるかに頭の良い人でも酒や博打について学習能力のない人はたくさんいるから、人に嗤われてもどうということはない。
ウェブショップに変更の個所があるため、外注SEのマエザワさんから送られた画像を添付しつつ、日本で生まれ育った僕が読んでさえややこしい仕様書を "Computer Lib" のマハルジャンさんに送付する。以降、夕刻までの数時間に僕とマハルジャンさんのあいだを往復したメイルは18通に上った。
荷風はよく 「初更」 という言葉を使った。斷腸亭の文章には 「深更」 という文字もまた多く散見されるが、初更と深更との分水嶺付近については、これを何と呼ぶのだろう。そして初更とは、太陰暦を用いていた時代と同じく、季節によりその時間は変動するように思われる。
5月23日の午後7時が初更かどうかは知らないが、とにかく7時に家を出て日光街道を下り、飲み屋の 「陶」 へ行く。いつ預けたかも覚えていない自分のボトルについて問うと、お店の人は壁の棚とノートの双方を調べて 「はい、あります」 と、ただちにそれを取り出してくれた。客のボトルをノートで管理している店は、そうはないだろう。大いに感心して、その残量を底から1センチほどにする。
それにしても、この店のあるじが自宅の庭で採取した山椒の実を使い、僕の目の前で作ったジャコのから煎りは、相当に有名な専門店のそれよりもずいぶんと美味かった。
首から提げた "Olympus CAMEDIA C-5060 Wide Zoom" のシャッターを適当に切りながら帰宅したらしく、コンパクトフラッシュにはワケの分からないものが写っていた。入浴して何も飲まず、10時に就寝する。
4時すぎに目を覚まして 「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読み、5時に起床する。仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、6時30分に居間へ戻る。テレビの天気予報は今日これからの晴れを伝えているが、日光地方の空はそれがとても信じられないような塩梅にて、小糠雨さえ降っている。
朝飯は4種のおにぎり。コンビニエンスストアのショウケイスには 「オムライスおにぎり」 など奇想天外なものも目立ち、やがてそれらは旧日本植民地に根付いた海苔巻きのような進化を続けるものと思われる。その影響は家庭にも忍びより、今朝のおにぎりのひとつには炒り卵が入っていた。しかしこれも食べてみればなかなか美味い。
昼前から所用にて宇都宮へ行く。日光宇都宮道路の宇都宮側出口から、あれは何という名前なのか、まるで高速道路のようなバイパスができて以降、日光から宇都宮市内へのアクセスは格段に便利になった。2時に帰宅して通常の業務に復帰する。
湯島の数寄屋町つまり上野広小路の現在は 「仲町通り」 と大書したアーケイドのあたりが中学校への通学路だった木村伊兵衛の、卒業後の第一志望は箱屋だった。「ったくしょうがねぇなぁ」 という子供だが、その木村が長じてパリへ行く。ブレッソンやドアノーとの撮影のかたわら酒を飲んだ寄席でジュリエット・グレコのステイジに行き当たり、しかし歌の感想ではなく 「もう、いい女なんですよ」 と、ここでも木村の興味はそちら方面へ向く。栴檀は双葉よりも芳し。そのグレコの 「詩人の魂」 を終業後に聴く。「古いパリの岸辺に」 から 「ラメール」 へと至るところなどはほとんど圧巻である。
初更に "Casa Lingo" へ行ってそのカウンターに着き、カラフの白ワインとサラダ、おつまみ、パスタの類を適宜、注文する。山羊の乳や羊の乳によるチーズ、干しぶどうやナッツをたくさん練り込んだ、これは褒め言葉だが野蛮な風合いのパンを石釜で焼いたものなどが次々に出てくるから、カラフの残量は見る間に心許なくなっていく。シフォンケイキとグラッパ、エスプレッソにて締める。
帰宅して入浴し、冷たいお茶を飲んで9時30分に就寝する。
4時すぎに目を覚まして 「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読み、5時に起床する。仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、6時30分に居間へ戻る。朝飯は3種のおにぎり。
テニスの練習試合に参加する次男をホンダフィットに乗せ、他の家族と共に列を作って7時30分に郊外の集合場所から出発する。数十分後に河内町の鬼怒川河川敷にあるテニスコートへ着く。あたりはケシの群生地にて、快晴の空ではヒバリが鳴いている。地元のテニスクラブと挨拶を交わし、子供達が準備運動を済ませたあたりで僕はコートを離れ、芝生に置いた椅子で新聞を開く。
与謝野経済財政・金融担当相は 「現在の景気拡大局面は、戦後最長のいざなぎ景気(57ヶ月)を軽く超えると思っている」 と述べ、また外国人投資家は 「戦後最長をうかがう景気拡大と高水準の内閣支持率(2面)」 を維持している小泉政権のどこに辞める理由があるのかと疑問を呈する一方、福井俊彦日本銀行総裁は 「物価下落と景気後退が同時進行するデフレに陥るのを避けるため、緊急避難的に導入した(28面)」 ゼロ金利政策を、1999年2月の実施以来、数ヶ月の空白は置いたがいまだ解除しないとは、一体全体いまの日本の経済状況は良いのか、それとも悪いのか。
日本経済新聞社に勤める先輩同級生後輩に 「4年も5年も景気が良くて、同じ時期にデフレの回避を一生懸命してるって、何が何だか分かんないんすけど」 と言ったら、だれか僕の疑問に答えてくれるだろうか、そして日本銀行のゼロ金利政策はデフレイションへの懸念などによるものではなく、実は他のことを理由にしたものではないか。
炎天下で新聞など読んでいるから太陽の光は紙面を反射して顔を直撃し、午後に至って顔と腕はうんざりするほど日焼けをした。井戸水を引いているのか、とても冷たい水を公園の蛇口から腕へほとばしらせ冷やそうとするが、文字通りの焼け石に水である。
夕刻に帰宅して入浴し、トマトのオリーヴオイル和え、ほうれん草とエリンギの油炒めを添えたオージービーフのステーキをおかずにそそくさとメシを食う。
7時より春日町1丁目公民館にて町内の会議へ出席し、8時すぎに帰宅する。牛乳を250CCほども飲んで9時30分に就寝する。
4時すぎに目を覚まし、5時に起床する。国道121号線を走るクルマが水を切って進む音がする。洗面所の窓を開けると、あたりは霧に霞んでいた。事務室に降りてシャッターを上げ、地面を見てようやく雨が降っていることを知る。
いつものよしなしごとをして7時前に居間へ戻る。朝飯は刻みオクラの鰹節かけ、トマト入りスクランブルドエッグ、メカブの酢の物、辛味大根おろし、納豆、メシ、きのうの晩とさして変わらない、タシロケンボウんちのお徳用湯波とモヤシと万能葱の味噌汁。
テニスクラブの飲み物当番を家内がしている丸山公園へ行き、その役目を交代する。交代とはいえフォールディングテイブルの上にあった氷入りのお茶を飲んであたりをフラフラしていると、コーチの 「あら、私のお茶は」 とか、よそのお母さんの 「おかしいですね、ここにご用意しておいたのに」 という声が聞こえ、「オレがさっき飲んじゃったお茶はコーチのだったか」 と改めて気づいているくらいだから、僕などはいない方がよほどマシである。
次男と 「ラーメンふじや」 へ寄って今年はじめての冷やし味噌ラーメンを食べ、帰宅してシャワーを浴びる。ひどく蒸し暑い本日はオヤジの月命日にて夕刻、いかにも驟雨の来そうな中を家内と急いでお墓へ行きお参りをする。
終業して6時より 「JAかみつが森友ホール」 へ行き、町内の友人シバザキトシカズさんの家のおばあさんのお通夜に列席をする。帰宅して着替えて今度は次男がお世話になっている 「今市ソフトテニスクラブ」 の年度初めの懇親会場 「奴寿司」 へ行く。
帰宅して入浴し、牛乳を200CCほども飲んで10時に就寝する。
4時前に目を覚まして 「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読み、5時前に起床して仕事場へ降りる。いつもとは異なり居間へ残置したコンピュータの前に戻ってきのうの日記を作成したり、また仕事場へ行ったりする。
小学生のころ静岡県の親戚の家に泊まった翌朝、駅へクルマで送ってもらう途中だったか、立ち食いのカレー屋に人が群がっていた。そのとき一緒にいた、僕とはどのような血の繋がりにあるのかは知らないオバサンがその光景を見て 「よく朝からカレーなんて食べられるわね」 と、まるでランドローヴァーでサファリを行く自然監視員のような様子で言った。しかし僕もおとなになれば、朝からカレーライスを食べる。
というわけで朝飯は、飯茶碗に盛ったカレーライスと胡瓜のぬか漬。
希代の荷物嫌いだから本来であればハンカチも持ちたくはない。しかし子供でもないのにズボンで手を拭くのもみっともないから嫌々ポケットに入れたハンカチだが、夏に汗など拭くと、あのサイズではすぐに湿って乾かない。ハンドタオルはハンカチよりもかさばるからハナから持つ気はしない。
そのようなことを考えつつ数ヶ月前に会社の倉庫を歩いていて、昭和30年代から40年代にかけてのものだろう、取引先から年賀などにもらったらしい手拭いを大量に発見した。その意匠は見るにつけ、古拙というかキッチュというか非常に面白い。結局は大きな段ボール箱に満杯のすべてを検分した。
そしてふいに 「ハンカチよりも手拭いの方が道具としちゃはるかに上なんじゃねぇか、料亭の手洗い所にある四角くて小さいやつじゃなく、もちろんフルサイズのやつだ」 と思いついた。思いついたならその辺にある手拭いをハンカチの代わりに持てば良いわけだが、僕の場合にはそうはならない。
先ず筆ペンで便箋にラフなスケッチを描いた。それを商業デザインの会社に持ち込み、どうにか見られる形にしてもらった。洗練されすぎているところは故意に拙くしてくれるよう頼み、一方コンピュータから出力された漢字のフォントは気に入らないため、これは数年前にウチの半纏を復刻した際の職人に手書きの筆文字を頼んだ。染めの型は版下をなぞって柿渋紙のようなものを刳り抜いて作るが、これはウチの前の岩本京染店を窓口として、それ専門の職人に話を通した。
それにしても 「役立たずのハンカチなんて持つ気もしねぇ」 と感じたその瞬間と、手拭い数千本を発注する瞬間の、そのあいだの思考がすっぽり抜け落ちているあたりが、いかにも僕のやらかしそうなことだ。手拭いは果たして、夏になる前に納品されるだろうか。
初更、タシロケンボウんちのお徳用湯波とモヤシの味噌汁、生のトマト、温泉玉子、新摘菜のおひたしにて泡盛 「春雨」 を飲む。味噌汁を酒肴にするとは、まるで神楽坂の 「伊勢藤」 のようだ。
入浴して牛乳を150CCほども飲み、10時前に就寝する。
3時前に目を覚まして 「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読み、4時前に起床する。きのうのうちに居間へ持ち込んだコンピュータにて顧客名簿の更新をし、また夏のギフトシーズンに備えて、ダイレクトメイルの送付先を抽出する。
朝飯は叔父の作った梅干、昆布の佃煮、山椒の佃煮、「丸赤」 の 「極辛塩鮭」、練りウニによるお茶漬け。
風で飛んできた種によるものと思われるが、何年ものあいだ元気に育ち続けている、店舗駐車場の山椒を午前中に剪定する。伐った枝が土の上にずいぶんと積もったところにクルマが停まり、降りてきたお客様が 「あらこんなに伐りよって」 と、文字で書いても明らかに西の方の言葉でおっしゃる。その連れの方は 「そんなに丸坊主にしたら枯れてしまうよ」 と、これは文字で書けば目に違和感はないが、やはり大井川よりも数百キロは西のものと思われる言葉でおっしゃった。
しかしこの山椒は楓の古木の根元がよほど気に入っている様子にて、放っておけばまたたく間に葉を茂らせ、その脇をボンヤリと通り過ぎようとする人に鋭い棘で怪我を負わせ兼ねない。それに 「清閑」 と銘のある 「有次」 の剪定鋏を使うのも、なにやら趣味人になったような気分が良い。
山椒の枝と葉を持ち帰りたいとおっしゃるそのお客様のために、90リットルのビニール袋を準備する。お客様は大きく膨らんだその袋を日産サニーのトランクへ収め、次の目的地へと去った。
終業直後に外で話し声がするため社員通用口から出てみると、「日光江戸村でゆっくりしちゃって」 という、クルマ3台に分乗したお客様だった。これだけの人数になると、そのご注文品を逐一メモにして店内へ戻り、準備してまた外へお持ちするということは困難だ。降ろしたばかりのシャッターを上げてお客様を請じ入れ、10分間で2万円を売り上げる。
初更、胡瓜のぬか漬、練りウニと 「百徳食品公司」 の豆板醤を合わせたもの、山葵漬けにて泡盛 「春雨」 を飲む。本日の夕方になって思いついた練りウニと豆板醤を混ぜ合わせるという酒肴はひどく美味いが、からだには悪そうである。ところでこの豆板醤がいよいよ底をつきつつある。誰か香港島の嘉咸街へ、ひとっ走り行ってくれる人はいないだろうか。
カレーライスを食べて牛乳を飲む。入浴して 「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読み、10時に就寝する。
目を覚ますと部屋の中はいまだ闇が濃く、「いったい何時になったんだろう」 と思いながら枕元の携帯電話を開くと、いまだ3時前だった。風邪によるような不健康なものではなく、たとえば運動をした翌日に感じるような疲れがからだにあるが、しかし思い当たることはない。「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 を読んで4時から二度寝をし、5時に起床する。
仕事場へ降りていつものよしなしごとをする。事務室のシャッターを上げ空を見ると、天気ははかばかしくない。新聞受けには、下野新聞を挟み込んだ朝日新聞が届いている。日本経済新聞が届くのは6時前になるだろうか。
家内が新聞のどこに先ず目を通すかといえばそれは訃報欄で、しかし僕はそれが第何面にあるのかも知らない。毎日のお悔やみ情報を 「下野新聞社」 がメイルで送るサーヴィスを始めたら、人は月に幾らまでならその料金を許容するだろうかと考える。「ある新聞の、この情報だけが欲しい」 という需要は結構あるのではないか。それを切り売りしようとする新聞社はないだろうか。
7時前に居間へ戻る。朝飯は細切り昆布の薄味煮、「味芳」 のじゃこ、みょうがのたまり漬、生のトマト、ハムエッグ、新摘菜のおひたし、納豆、メシ、豆腐とワカメと万能葱の味噌汁。
「アサヒグラフ」 の巻末に著名人の食卓を訪ねた 「我が家の夕めし」 というグラビアペイジがあり、僕はこれを小学生のころから30年ちかく読み続けた。1,500を越える晩飯の中で僕がもっとも美味そうだと感じたのは、読売新聞大阪本社の社会部長・黒田清の家のものだった。黒田はパンツとランニングシャツの姿で酒を飲み、おにぎりを食べていた。
その黒田清の本4冊をきのう、 "amazon" に出品している古書店あるいは個人に注文して、そのすべては本日の夕方までに配達された。"amazon" 以外には何の繋がりもない4者が揃いも揃ってこれだけの迅速な行動を取ることはきわめて珍しい。
初更、マグロ丼を晩飯として飲酒を避ける。
入浴して牛乳を250CCほども飲み、「最後の錬金術師カリオストロ伯爵」 をすこし読んで9時30分に就寝する。
5時に起床して仕事場へ降り、いつものよしなしごとをして7時前に居間へ戻る。窓の外を眺めて、日光へ行った、いやこの表現はおかしい、我が今市市は3月に5つの市町村が合併して日光市となったから、つまり僕が 「日光へ行った」 と書くと今や 「日光から日光へ行った」 という、おかしなことになる。
とここまで書いて、ギリシャの人がたとえばフランスへ行くときには 「ヨーロッパへ行く」 と言うらしく、ヒマラヤの深い皺の中に点在する小村の人がカトマンドゥを訪なうときには 「ネパールへ行く」 と言うらしく、そしてこれは 「らしく」 ではなく僕が実際に経験をしたことだが、荻窪にお住まいのあるお得意様と日本橋で立ち話をしたとき、そのおばあさんは確かに 「今日は久しぶりで東京に出てきたから」 とおっしゃった。そしてこれは井伏鱒二の 「荻窪風土記」 の内容に矛盾しない。脱線ついでに書けば、僕は小学生のころ井伏鱒二を 「イブセタルジ」 と読んでいた。
何が言いたいか、ゴールデンウィークの中禅寺湖あるいは戦場ヶ原付近がいまだ冬景色であることは以前より知っていて、しかしほぼ同じ時期の今月10日に行った日光の旧市街では早くも新緑を見ることができて驚いた、ということを、日光の旧市街から5キロ下ったウチの窓からちかくの新緑を見て思い出した、ということを書こうとして無駄話が521文字に及んだ。
朝飯は刻み昆布の薄味煮、「味芳」 のじゃこ、辛味大根おろし、茄子の油炒め、刻みオクラの鰹節かけ、納豆、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁。そして 「こういうおかずは夜に出してくんねぇかなぁ、こういうもんで酒が飲みてぇんだよ」 と思う。
始業から45分後を経て、ウェブショップにかかわる契約書3通にハンコを押す。それから90分を経て、流通業から金融業に仕事替えをした、旧知の人の営業活動を受ける。その後は事務室にいたり店舗に立ったり製造現場を訪ねたり倉庫で特定の用度品の在庫を数えたりする。
初更、新摘菜のおひたし、湯豆腐にて泡盛 「春雨」 を生で飲む。学校の視力検査で近眼と診断された次男に 「目にはレヴァーが効くんだぜ」 と講釈しつつ準備した鶏肝によるレヴァニラ炒め、大学芋にてもおなじお酒を飲む。
入浴して牛乳を150CCほども飲み、
4時に目を覚まして枕頭の灯りを点け、床から田中長徳の 「さらば、ライカ」 を拾い上げて読む。この本の発行は昨年の夏だが、巻末ちかくにあるデジタルカメラのバイヤーズガイドには、その半年後にはカメラ事業全般から撤退することになるコニカミノルタの製品も選ばれていて、つまりそのあたりのペイジは、本の発行から僅々10ヶ月を経たのみの本日においても、既にして古代国家の遺跡のように見える。
デジタルカメラの製品寿命の短さを勘案すれば、そのバイヤーズガイドはウェブ上にのみ置いた方が無難で、これを活字に、それもチラシの類ではなく本などにしようものなら、たちまちのうちに陳腐化するということを、田中が知らないわけはない。深読みをすればチョートクは、2005年夏そのときのデジタルカメラのベストバイ17を敢えて自著に載せることによって、現在のデジタルカメラの何たるかを世に知らしめようとしたのではないか。
最後のペイジまで至って5時に起床する。仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、7時前に居間へ戻る。朝飯は椎茸と玉子と三つ葉の雑炊、みょうがのたまり漬、鰊の山椒煮、「丸赤」 の 「極辛塩鮭」、山椒の佃煮、昆布の佃煮。
昼どきに店に立っていると、1年のあいだにたびたび来てくださっているらしいお客様から 「お店の人、男だけにしたの?」 とご質問を受ける。「たまたま昼食の交代があって、男だけになりました」 とお答えをするが、見まわしてみれば確かに、本日の12時30分から1時までの店舗には僕を除けば若い男の販売係のみが立っているから、まるで鮨屋のような塩梅である。
初更に茶碗蒸し、柿の葉寿司、次男のために用意した鶏の唐揚げとフレンチフライにて泡盛 「春雨」 のお湯割りを飲む。食後にイチゴを食べる。
入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。
深夜にどちらかより電話があってから眠れず、しかし灯りをつけて本を読み始めるとこんどは眠い。ふたたび眠ろうとして眠れず、また本を開いてこれも読めずといったことを繰り返す。ようやく二度寝に入ったのが何時かは知らない。5時に起床して仕事場へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は梅干、細切り昆布の薄味煮、茄子の炒りつけ、辛味大根おろし、生のトマト、納豆、メシ、シジミと万能葱の味噌汁。
先日、廊下に置いたクッキーの缶から3冊の預金通帳が出てきた。それらすべてはずいぶんと以前のものにて、残高はそれぞれ数百円から数万円のあいだにあった。そのうちの2冊は地元のおなじ銀行のものだったから早速に担当の行員を呼び、これを確認してもらうと、コンピュータで検索の結果、その銀行には僕の名義で更にもうひとつの口座があるという。
ひとつの銀行に3つの口座と言われて合点がいったが、これは知り合いの息子さんなどがその銀行へ就職し、上司に尻を叩かれてかどうかは知らないが、預金獲得のため街へ出る。僕の最もしたくない仕事は飛び込みの営業で、だからそういう業務に就いている人については気の毒で仕方がない。同情した結果がひとつの銀行に3つの口座、というわけである。
数十年を経た預金は 「雑益」 と呼ばれる財産に分類されて本部にあるから、それを顧客へ引き渡すまでにはしばらくの日数が必要との説明を受け、なぜ長く出し入れのない預金の存在を通帳の名義人に銀行は連絡しないのかと問えば 「それはまぁ、いろいろと差し障りもございますので」 とのことだった。この 「雑益」 で大いに潤ったのが第二次世界大戦終結時のスイス銀行と聞くが、僕の預金残高を勘案すれば、あまり威張れた筋合いのものでもない。
コンピュータで検索したから見つかった、既にして通帳などはどこにあるか分からない口座の残高は数百円で、これを取り戻すには通帳の再発行が必要だという。しかしそれには1,050円の経費が必要で、ということは差し引きすれば損になるから僕はその数百円の預金を放棄した。ここで学ぶべきは、銀行の口座など義理で作るものではない、ということだ。
最近、銀行のパンフレットやウェブペイジに 「勧誘方針」 という個所をよく見かけ、同時に銀行員の預金獲得のための営業活動も受けなくなった。「失われた十年」 以降の銀行はずいぶんとおとなしくなったな、というのが僕の印象だ。
クッキーの缶から見つかった通帳には 「富士銀行本郷支店」 のものもあり、しかし富士銀行など今は無いから検索エンジンで調べてみると、これがあちらこちらの銀行と合併を重ねて現在は 「みずほ銀行」 になっている。通帳の残高は1989年11月2日の日付で60,226円だ。
長嶋茂雄は50万円の監督賞を出すにあたり、選手に 「50万あれば、メシぐらい食えるだろう」 と言ったという。50万でメシぐらいとはいかにもナガシマだが、僕だって6万あれば 「はち巻岡田」 に若い人の2、3人は招待できる。そういうわけで後日、漱石の 「坊ちゃん」 にも出てくる菓子屋 「三原堂」 から歩いて数十秒の 「みずほ銀行本郷支店」 を勇躍して訪ねたところ、60,226円の残高はその後に僕が "ATM" からカードで引き落としたらしく、本部の雑益から戻ったお金は236円だった。これでは 「100円マック」 でもわずかに2品を購えるのみである。
夕刻に洗面所の窓を開けると空は相変わらず厚い雲で覆われていたが、それをナイフで断ち切ったように、北西の空には朱金の夕焼けがあった。
ポテトとキュウリとハムのサラダ、2種のキノコのオリーヴオイル炒め、大根おろしで食べるハンバーグステーキ、鰊の山椒煮にてメシ2杯を食べ、飲酒は避ける。それにしてもハンバーグの、いくらモードを変えて撮っても本体ではなくその下に敷いた大葉にピントが合ってしまうとは、オートフォーカスのカメラはいかにも難しい。クルマも同じく変速機においては、オートマティックよりもマニュアルの方がはるかに運転は楽である。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
4時に目を覚まして 「さらば、ライカ」 を読み、5時に起床する。仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。きのうの夜から弱い雨が降り続いている。南西に重なる山々の色は、遠ざかるにつれて薄い。その最も手前の中腹に雲とも霧とも知れないものが層を作り、南へゆっくりと流れていく。
朝飯は納豆、山椒の佃煮、メカブの酢の物、大根おろし、トマト入りのスクランブルドエッグ、鰊の山椒煮、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁。
メシを食うと急に腹が膨れ、ズボンの胴回りが苦しくなる。そのため必要以上にサイズの大きなズボンを買い、するとこのズボンが空腹のときにはずり下がって、何のことはない、子供のころの記憶にある、見苦しい大人と同じ格好である。ずり下がるズボンはベルトで抑えれば良いようなもの、このベルトも満腹時に合わせて用意したものだから、最も手前の穴を使っても、いまだそのサイズは大きすぎる。
年老い筋肉はそげ落ち、しかし腹だけは出ている人はズボンのウエストを胸の下まで引き上げ、しかし尻の肉は痩せているから、ズボンの前ボタンこそ上方にあるが後ろのポケットは尻からだらしなくぶら下がっている、そこまでのみっともなさではないにしても 「オレのズボン、やっぱりでかすぎるのかなぁ」 と先日 "UNIQLO" にて現在のものよりも胴回りが3センチ短いズボンを買ったらこれでもなお緩いから、つまり自分はこれまで、よほどからだに合わないズボンを穿いていたことになる。
まわりを見まわせば僕のような男はそこここにいて、彼らはつまり、自らの外観よりも飲み食いの欲望を優先し、食ったものの栄養が蓄積されやすい体質で、かつ服飾に金をかける気はさらさらないという人たちなのだろう。
太っているくせに、より太って見える服を好んで着る女の人の数は異常なほどに多いが、あれはどのような理由によるものだろう。それにくらべ、腹の出ている男が、より腹が出てしまうような食べ物を好んで食べることについては、それほどの不思議さは覚えない。食べ物の好みは、服装の趣味よりもよほど制御しづらいものだと思う。
アブラナ科の植物らしい、というところまでしか分からなかった野菜は新摘菜と判明した。厚揚げ豆腐とこの新摘菜の炊き物、茄子の炒りつけ、細切り昆布の薄味煮、白花豆、真鯛、カンパチ、赤イカ、甘海老の刺身にて泡盛 「春雨」 のお湯割り2杯を飲む。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
明朝は6時に起きても時間の余裕は充分にあると、きのう寝るときには考えたが、いつもの習慣にて5時に目を覚ます。薄く窓を開けると、湿気を含んだ朝の涼しい空気が目に見えるような重さで部屋に入り込んでくる。熱いお茶を飲み、コンピュータは持参していないからいつものように日記は書けず、「ぜんぜん大丈夫」 を読み終えてしまうと北千住からの車中に困る。なにもしないのも退屈で、ポストに入っていた 「東京ガス」 の振込金受領書をひと文字ずつ読んだりする。
6時50分に甘木庵を出て岩崎の屋敷裏から切通坂を下る。天神下から地下鉄千代田線に乗り、北千住へ至る。コンコースの、「スターバックスコーヒー」 の隣の本屋が既にして開店していたため、店内を一巡して伊集院静と西原理恵子による 「ぜんぜん大丈夫」 と同じシリーズのもの1冊と、ちかぢか東シナ海を南下する予定はないが 「タイの屋台ゴハン」 という本を購入する。
下今市駅へ迎えに来ていた家内の運転するホンダフィットにて 「如来寺」 へ行く。今日は僕のおじいちゃんの祥月命日だからお墓の草むしりを少々し、花と水と線香を供える。「ねがはくは花の下にて春死なむ」 とは聞くけれど、「花寒」 という季語はなかったか。桜の季節よりも5月に死ぬ方が弔問客の気分は良さそうだ。
帰社してみればたった1日の留守にもかかわらずいろいろと仕事はあり、また訪ねてくる人も少なくはない。
初更、春雨サラダ、餃子、麻婆豆腐、豚足の煮込みにて泡盛 「春雨」 を生で1合6勺ほども飲む。「カリー」 の付かないこのお酒は同じ蔵の 「春雨カリー」 よりも味わいが淡い。「そういうことをするから腹が出る」 と思いながらも茶碗へ軽く盛ったメシに麻婆豆腐の残りをかけて食べる。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
5時に起床して仕事場へ降り、いつものよしなしごとをして6時30分に居間へ戻る。じゃこ、梅干、塩昆布、山椒の佃煮、塩鮭にてお茶漬け2杯を食べ、家を出る。
下今市駅7:05発の上り特急スペーシアに乗る。利根川を越えてから洗面所へ行き、ネクタイを締めて席に戻る。春日部駅のプラットフォームで母親とローカル線を待つ男の子が僕に手を振る。これを無視できる性格ではないため手を振り返す。この駅に限って2つしか開かれない乗降口から少なくない乗客が乗り降りをするため、春日部でのスペーシアの停車時間は他の駅にくらべて長い。その間、ずっとガラスの向こうの子供に手を振り続けているのも馬鹿ばかしいが、乗りかかった舟というもので、今さら止めるわけにもいかない。
日本橋を振り出しにあちらこちらをまわって3時に本郷三丁目へ至り、書類で重くなったザックを甘木庵に残置する。文庫本1冊とボールペン1本、それに若干のお金のみをポケットに入れて池袋へ行き、「ビックカメラ」 にて "RICOH GR DIGITAL" および "Leica M6" のバッテリーを買う。赤羽、東十条と移動して南口から坂を下り、同級生ハセガワヒデオ君の一周忌にお母さんがお土産にくださったどら焼きの店 「黒松」 のすこし先を右に折れる。
「ご注文は」 と息子に訊かれて 「生ホッピー」 と答える。「ショーチュー2発入れて」 とは今日は言わない。やがてオヤジが白い前かけのヒモを結びながら出てきて15席のカウンターに満杯の客それぞれへ目を配り、「さー、今日も行こうかー」 と気合いを入れる。
「最初はレバでいいね」 「うん」
「ミディアムレア? ベリーレア?」 「ベリーレア」 「決まってるよな、オレも余計なこと言っちゃったよ」
とにかくこの店では本など読んでいるヒマはない。飲んで、食って、オヤジの質問に答えて、また食っての繰り返しだけで充分に楽しい。次の串が焼き上がるまでのあいだに箸を休ませるクレソンは、なかば必須の注文品だ。
「オレ、ここんとこ 『史記』、読んでてさ」 と、オヤジの口から珍しい言葉が出る。「司馬遷の司馬ってのは歴史家に共通の呼び名らしいね」 と言われても、当方にそちら方面の教養はない。隣席の若い男が 「じゃぁ司馬遼太郎ってのも、そのあたりから取った名前?」 と話に加わるので、「司馬遼太郎の筆名は、いまだ司馬遷にはるか及ばずって意味らしいですよ」 と僕は答えつつ 「もうすこし下らない話しましょうよー、モツ焼き食ってんだしさー」 と腹の中で言う。
アブラのタレ焼きを潮に飲むものを赤ワインにかえる。「そうだな、アブラにはワインがバッチリだ。次はチレでいいな」 「はい、お願いします」
ブツブツと四角く切ったチレを丁寧に焼き、そこにオヤジがガーリックバターを載せる。カリカリの表面を噛み切ると、柔らかい中身がプチュリと口の中ではねる。どこか遠い国の香りが聞こえてくる。「どう、カンペキだろ?」 「なんかさ、どっか外国の知らねぇ街で、ひとりで美味めぇもん食ってる気分だよ」 「なーるほどね」
ワケの分からない、いわゆる 「付加価値」 というものを削ぎ落として削ぎ落として、最後に残った 「ブツ」 とでも呼ぶべきものを客へ供する店が東十条の 「埼玉屋」 と立石の 「宇ち多」 で、子供が20歳を過ぎたなら、連れて行くべきは先ずこういうところではないか。
長い商店街を足の向くまま歩いていくと、埼京線の十条駅に着いた。同学会ホームページ運営室長としての最後の会議に出席をするため、暗くなってから自由学園明日館へ行く。次年度のメンバーには優れた後輩が控えている。期初にこそ少々の試行錯誤はあっても、まぁ後顧の憂いはないだろう。
甘木庵には9時30分に戻った。本郷消防署はす向かいのコンビニエンスストアで求めたライム風味の発泡酒をシャワーの後に飲み干し、冷蔵庫にあった、長男がフィンランド帰りの上級生からもらったというウォッカも空にする。「ぜんぜん大丈夫」 のペイジをかなりこなすが、読み終えてしまうのが惜しい。
11時30分に就寝する。
目を覚ますとソファから脚をはみ出させて横になり、からだには毛布が掛けられている。居間に隣接する窓際の一部にのみ明かりが灯され、つまり部屋の中は薄暗い。きのう飲んだ泡盛は八勺グラスで2杯のつもりでいたが、7分目まで注いだ3杯目も、ことによるとこなしたような気がする。しばらくそのままの姿勢でいたがやがてゆっくりと起きあがり、洗面所へ歯を磨きに行く。時刻は3時だった。ベッドへ移動して「さらば、ライカ」 を読む。
4時より二度寝をして5時前に起床する。仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ上がる。朝飯は山椒の佃煮、メカブの酢の物、どうもアブラナ科の植物らしい、というところまでしか僕には分からない野菜のおひたし、なめこのたまり漬のスクランブルドエッグ、茄子とツナの油炒め、筍飯、筍とワカメの味噌汁。
「おかずが多すぎて食えねぇなぁ」 と言うと、すかさず家内に 「だっておなか空いたって言ってたじゃない」 と返されて、今朝5時の自分の言動を思い出す。間食をしないこともあり、まるで餓鬼のように腹を減らせている時間が僕には多い。
午前、その家内と所用にて日光へ行き、ちょうど昼どきになったため、名前は忘れたが以前にもいちど来たことのある蕎麦屋で鶏の熱い汁による盛り蕎麦と山椒飯を食べる。
それから数時間後にこんどは販売係ハセガワタツヤ君の運転する三菱シャリオに乗り、やはり日光の 「二荒山神社」 へ行く。ここで行われる報醸祭へウチがいつ頃から商品の寄進をし続けているかは知らないが、とにかく味噌醤油漬物を社務所へ届けて早い夕刻に帰社する。
初更、トマトのオリーヴオイル和え、「金長」 のたれをかけたオージービーフのステーキ、どうもアブラナ科の植物らしい、というところまでしか僕には分からない野菜と筍の油炒め、にんにくのたまり漬にて炊きたてのメシ2杯を食べ、オフクロには 「ステーキには酒よりもやっぱりゴハンだね」 と言う。ステーキと共に食べるメシはペトリュースの "1975" などよりもよほど美味いのではないか、しかしそのペトリュースを僕は飲んだことがないのだから本当のところは分からない。
「瀧尾神社」 の八坂祭に大御輿を渡御させる準備会議のため7時に春日町1丁目公民館へ行き、眠気のため正体不明の時間は多々あったが10時前に帰宅する。
入浴して牛乳を240CCほども飲み、10時30分に就寝する。
4時に目を覚まして枕頭の灯りを点け、「さらば、ライカ」 を読む。
田中長徳の本は出版社に関係なく一体に誤植が多く、これはワードプロセッサによる原稿の変換違いを完全に拾いきれていないからだろう。その責任はゲラを読む著者にあるのだろうか、あるいは編集者にあるのだろうか。それでも銀塩カメラとデジタルカメラを比較して論ずる田中の視線は科学的で、錯覚や思い込みあるいはロマンティシズムを廃した筆の明晰さは心地良い。
なおこの本の 「さらば」 には、たとえば 「武器よさらば」 の 「さらば」 と同時に 「さすれば」 の意味もある。僕の "RICOH GR DIGITAL" は購入して2ヶ月と少々で壊れた。それに比してのライカは数十年を経てビクともせず、だから早々 「さらば、ライカ」 というわけにはいかないのである。
5時に起床して仕事場へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。東京に霧が深くなると、きのう夕刻の天気予報は伝えていたが当方も同じ状況にて、日光街道に沿った旧市街の北端を示す、直線距離にして400メートルほど先の杉並木は、その先端を明らかにしていない。
朝飯は叔父の作った梅干、「丸赤」 の 「極辛塩鮭」、納豆、「味芳」 のじゃこ、ほうれん草とツナの油炒め、ヨシコさんにもらった山椒の佃煮、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁。
所用にて午後1番で宇都宮へ行き、4時前に戻る。夕刻より弱い雨が降り始める。
初更、どうもアブラナ科の植物らしい、というところまでしか僕には分からない、トシコさんにもらった野菜のおひたし、若竹煮、茶碗蒸し、昆布に巻いた鯛の酒蒸し、筍飯、山椒の佃煮にて泡盛 「春雨カリー」 を2合ほども飲み、その後のことはよく覚えていない。
いつもより1時間も遅い6時に起床したから仕事場へ降りてもほとんど何もせず、7時に居間へ戻る。朝飯は筍煮、ほうれん草の油炒め、納豆、なめこのたまり漬の辛味大根おろし和え、みょうがのたまり漬、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁。
先日イワモトミツトシ春日町1丁目区長に乞われて、我が町内が12年前に当番町を務めた際の支出証拠書つまり領収書の綴りを保管場所から出した。この綴りは当時の当番町会計ハガカツオさんが作成したもので、区長と見ていくうち、12年を経てほとんど上がっていない、むしろ安くなっているものの代表が飲食費、それとは対照的に高騰の目立つものが、たとえば着物の仕立て代など特殊技能者の手間賃と知る。
フランス料理の値段を思い出してみれば、僕が学生のころには料理2品と安いワイン半本で1万円はしていた。しかし現在、同程度の店で同程度の食事をしても、せいぜいその代金は5千円程度ではないか。とにかく30年前にくらべれば、フランス料理はずいぶんと安くなった。
僕の事務机の背後からちなみに1981年の小遣い帳を取り出し開いてみると、四半世紀を経てほとんど値段の変わっていないのがラーメンと焼肉。それに比してほぼ倍になったのが蕎麦で、1980年代後半の狂乱経済を経ての2倍であればそれほどの値上がりでもないだろうが、フランス料理が安くなっただけに、いま蕎麦屋で飲む酒は高く感じられる。これはまた、蕎麦屋の酒肴が焼き海苔、練りウニ、だし巻き卵など家庭でも簡単に食べられるものによる割高感でもあるだろう。
なお鮨についてはこの四半世紀に高級店と大衆店との二極分化が起きたから単純な比較はできないが、こと大衆店においては明確に、鮨の値段は下落した。またステーキの大衆店においては、商品の価格はほとんど変動していない。
初更、レタスとトマトのサラダ、クリームシチューにて飲酒を避ければよいものを、"FORTANT Cabernet Sauvignon 2003" を飲む。そして今後は、このような中途半端なワインは買うまいと思う。本日はウェブショップで "Les Forts De Latour 2003" 6本を購入した。
入浴して何も飲まず、9時すぎに就寝する。
いつもより遅く6時前に起床して廊下へ出ると、普段は店舗駐車場の掃除に用いるちり取りと箒が目につく。中を覗き込むと割れたワイングラスがあって 「そういえばきのうの晩、このあたりでグラスをぶち割ったんだったな」 と記憶が戻る。深更、いくつもの鍵を外しながら会社の掃除用具置き場へ行き、割れたグラスをみずから掃除したのだった。そういえば、いちど風呂に入ったことを忘れて二度も入浴したと昨晩、家内に嗤われたことも思い出す。
仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は水菜の炊き物、じゃこ、みょうがのたまり漬、レタスとツナのサラダ、なめこのたまり漬のスクランブルドエッグ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁。
きのう北千住から乗った下り特急スペーシアは、乗車率2割5分くらいのものだっただろうか。つまり連休もここまで押し詰まれば遊びに来る人もなく、また本日の店舗の状況を見れば、ほとんどの行楽客はきのうのうちに帰宅してしまったものと思われる。これから夏の繁忙期までのしばらくは、少なくとも数字の上では静かな日々が続くだろう。
4月29日から始めた営業時間の延長も本日で終了となり、「いやぁ、バテた」 と焼肉の 「大昌園」 へ行く。オイキムチ、モヤシナムル、レヴァ刺し、タン塩、ミノ、ハツ、カルビにて焼酎 「田苑」 のオンザロックスを飲み、テグタンラーメンにて締める。
帰宅して入浴し、牛乳を200CCほども飲んで10時前に就寝する。
することがなくてもとりあえず5時には目を覚ます。電車の中で読む分が無くなってはいけないから 「酒食生活」 はすこしだけ読んで15分後に起床する。熱い牛乳を飲み、ウェブショップからの受注を確認し、自分が買物をして 「これはちと不親切、あるいは仕事に身が入ってねぇわな」 と思われるウェブショップにクレイムのメイルを送り、そしてきのうの日記をサーヴァーへ転送する。
オフクロと9時すぎに甘木庵を出る。叔父の告別式の始まる1時間ほど前に荻窪の 「長明寺」 に達する。棺に花を入れるとき2冊の本が目について、そのうちの1冊は鬼平犯科帳の副読本、もうひとつは島岡達三による焼き物の案内だった。叔父に、焼き物の趣味があったことを初めて知る。
火葬場へ行くオフクロと別れてひとり地下鉄丸の内線に乗り、新宿で降りて、きのう故障した "RICOH GR DIGITAL" を、購入した 「マップカメラ」 へ持参する。"GRD" は、カメラや写真に少しばかりうるせぇ奴らに好んで使われるところのもので、だから余計なのだろう、熱心な愛用者による故障報告が、ウェブ上には多く散見される。複雑な交配を重ねて開発された、美しいけれども病害虫にはひどく弱い花、といったおもむきの "GRD" はカメラだ。
きのう求めた下り特急スペーシアの切符は北千住駅15:11発のものだったが、その北千住には2時前に着いてしまったため1時間早い切符に乗車変更をし、ここまで来る途中に最後のペイジへ至ってしまった「酒食生活」 の代わりの本を探しに駅構内の本屋へ行く。駅の中にある本屋をひとことで言い表せば、それは 「内田康夫は売っていても内田百閒は決して売っていない本屋」 ということになる。
そのようなわけだから欲しい本はなかなか見つからず、しかし列車の時間は刻々と迫っていささか焦れてくる。日陰のような場所にようやく
4時前に帰社して仕事に復帰する。連休中は営業時間を延長し、閉店して後も留守中の残務整理があったから、町内の役員会議には欠席をする。
「80年代の白ワインは長男がいるうちに飲んじゃおうぜ作戦」 により、トマトとモツァレラチーズのカプレーゼ、蛸と玉葱とピーマンのマリネ、ポトフ、空豆とフジッリのオリーヴオイル和えを酒肴として先ず "Corton Charlemagne Olivier-Leflaive 1986" を飲み、次には古いものではないが "Chablis BILLAUD-SIMON 2004" を飲む。
入浴して牛乳を200CCほども飲む。本日はいささか遅くなって11時30分に就寝する。
目を覚まして 「しばらく」 よりもよほど長い時間を闇の中で過ごし、ようやく携帯電話のディスプレイを開くと時刻は2時30分だった。ふたたびベッドへ横になったまま時を送り、またまた時刻を確かめると50分が経過している。
製造現場へ降りて長男と小一時間ほどの作業に従い、次に事務室へ移動してシャッターを上げれば、今日も良い天気で安心をする。駐車場に停めたクルマの中でコンピュータをいじっている方がいらしたため、声をおかけする。これから行くところのある方に、長くお待ちいただくわけにはいかない。脇の入口から店舗へ請じ入れ、開店80分前にお買い物をしていただく。
7時に居間へ戻る。朝飯はメカブの酢の物、ほうれん草の油炒め、納豆、胡瓜の塩もみ、ソーセージとピーマンの油炒め、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
お袋の弟つまり僕の叔父がおととい亡くなって今夕にお通夜が行われるため、下今市駅13:35発の上り特急スペーシアに乗る。本当は2時半発でも3時発でも間に合うのだが、連休中のためほとんどの上りはきのうのうちから満席だった。
あまり早く着きすぎても意味はないため、銀座のカメラ屋へ寄っていこうと日比谷から地上への階段を昇る。その踊り場で "RICOH GR DIGITAL" のモードを白黒の縦横比2:3にし、写真を3枚撮ったところで電源を切ってもレンズがボディに格納されなくなる。電源ボタンをもう1度押すと、今度はディスプレイに文字情報こそ現れるものの、その他の部分は真っ暗のままだから 「2ヶ月と少々で早くもぶっ壊れたか」 と、いささかゲンナリする。
とりあえず有楽町の 「ビックカメラ」 へ行き、この故障したカメラが修理から上がった暁には使うための液晶プロテクターを買う。銀座にあるリコーのショウルームへカメラを持ち込むことも考えたが、保証書は家にあるため、本日のところはなにもしないでおくことにする。レンズがボディから突き出たままのカメラをザックへ収めて持ち歩けば、そのレンズの部分にストレスがかかるだろうが、「他に不具合が発生しても、それも含めて治すのだから」 と、割り切ることにする。
古いビルのエントランスから突き出た巨大な日章旗が、折からの強風に煽られ強くはためいている。真っ直ぐに進むことができないほどの群衆が舗道にあふれている。ぶっ壊れたカメラを持って歩く街は、いつでもその風景を記録することのできるまともなカメラを持って歩く街よりもはるかに魅力的だ。
荻窪の 「長明寺」 には、定刻の1時間前に到着した。65歳まで中学校の教諭を務めた叔父の生活は、真面目で慎ましいものだった。滞りなく進んだお通夜の後は座敷でお鮨やサンドウィッチをご馳走になり、先に駆けつけていたオフクロと共に地下鉄丸の内線にて甘木庵へ戻る。「1日くらいは僕も斎戒沐浴をいたします」 と、お寺でお酒は飲まなかった。
入浴して牛乳を400CCほども飲み、本日の日記を作成して0時前に就寝する。
5時に起床して仕事場へ降り、いつものよしなしごとをする。ウェブペイジのアクセスログは、ショップについても個人の 「清閑PERSONAL」 についても毎日これを記録するが、こと個人ペイジにおいては会社から閲覧をする人が3分の1ほどもいるらしく、だから今週においては月曜日と火曜日のそれが突出して高い。
そのアクセスログと共に、「楽天」 に店を出しているワイン屋からメイルマガジンが届いている。いつもそれしか見ないタイトルに 「ルフレーヴ」 の文字があるので今回は本文を開き、すると "Chablis 1er Cru Mont de Milieu Olivier-Leflaive 2002" が残り11本と表示されている。「ルフレーヴ」 の 「2002」 がそこそこの値段であれば、これは買いである。注文数量の窓に 「11」 と打ち込んで購入ボタンをクリックすると、当たり前のことだが即 「売り切れ」 の表示が出た。
「朝飯はけんちんと、他にはなにかなぁ」 と考えつつエレヴェイターを上がり、居間へ戻ると食卓には箸も飯茶碗も見あたらず、その代わりパンを焼く香ばしい匂いが廊下にはあった。僕は朝は米のメシと決めているから当てが外れた感じにてとりあえず座布団に座る。その朝飯はハムエッグ、パン、イチゴとバナナのヨーグルト和え、コーヒー。いささか肩すかしを食ったけれども "NOA" のパンは美味い。
昼前に先ほどのワイン屋のサイトへ行くと、なぜか売り切れたはずのルフレーヴの数量表示がまた以前の 「11」 に戻っている。「在庫表示の計算装置がぶっ壊れているのだろうか、それとも希少感を演出するための戦術だろうか」 と考えつつ先ほどの11本にきりの良いところでもう1本を追加し、1ダースをまとめて送るよう通信欄に記入する。以降、ルフレーヴの残数は夕刻まで 「11」 のままだった。
2階のワイン蔵には汗牛充棟の品々があって、そのうち1980年代の白ワインは早く飲む必要がある。早く飲む必要はあるのだが、ケチな性分が災いして今朝のように新しいワインを買っては80年代の品物を温存するから、20年ちかくを経たワインは更に古くなる。「長男がいるうちできるだけ飲んじゃえ」 と、そのうちの1本 "Chassagne Montracht 1er Cru Le Caillerets Olivier-Leflaive 1987" を居間へ運んで抜栓する。
トマトとモツァレラチーズのカプレーゼ、生ハム、秋刀魚と4種の野菜のオリーヴオイル焼きバルサミコソース、 "NOA" のパンにてこの白ワイン1本を空にする。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
目を覚まして暫く後に携帯電話のディスプレイを開くと時刻は3時30分だった。先日、神田や本郷の近辺で仕事のあったとき、ハードカヴァーの 「チェ・ゲバラ伝」 は持つ気がしなかったため代わりにカバンへ入れた
を読む。この本は買ってから知ったことだが 山口瞳の書いたあれこれをあちらこちらから寄せ集めたもので、山口瞳についてはいまだ学生のころから30代のなかばまでに集中して読んだ僕には既知のものが多い。
この手の企画の困ったところは短い随筆が時代を飛んでモザイクのように置いてあるため、各々の文章にある時代感覚あるいは時代背景もあちらこちらへ飛ぶことになり、読み手を多く混乱させるところにある。著者の嗜好や思想信条も時代により大きく変わり、しかしそれらが同じ本の中に混在しているから当方としては 「さっきはこの食いもんのこと貶してたくせに、こんどはそれが名物の店に喜んで行ってらぁ」 というようなこともある。
「こういう本を作っちゃいけねぇだろう」 と後悔をしたが、買ってしまったものは読まないわけにいかない。もっとも読んで忘れていた文章もないではないから、まるきり損をしたわけではない。それにしても 「グルメ」 とは既にして死語なのではないか。しかし陳腐さはモノが売れるときの条件のひとつだから、「グルメ文庫」 とは目利きの命名に違いない。
朝飯は納豆、きのうの残りの豆モヤシとほうれん草のナムル、メカブの酢の物、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。
連休のあいだだけ閉店時間を延長して1時間ながく営業をしている。本日はその1時間がすぎても客足が途切れず、7時が近づいてようやく店舗の灯りを落とす。
長男が自由学園に入学し、5月の連休に初めて帰宅する際に何が食べたいかと訊いたら 「オバチャンのけんちん」 と答えた。「オバチャン」 とはサイトウトシコさんのことで、以来8年が経過しているが、サイトウさんは本日帰宅する長男のため、午後よりけんちん作りに入った。
初更、そのけんちん汁、胡瓜の塩もみ、炊いた白花豆、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の炊き物、チーズと大葉の豚肉巻きにて泡盛 「春雨カリー」 を生で2合ほども飲む。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
4時に目を覚まして 「チェ・ゲバラ伝」 の巻末にある年表を読み終える。5時に起床して事務室へ降り、小切手を切るなどのよしなしごと、いや小切手を切ることはよしなしごとではないかも知れないが、しかし明らかにこれは労働ではない。とにかくそのようなことをして7時に居間へ戻る。
朝飯はきのう残った薩摩芋とハムとキャベツのサラダ、納豆、大根おろし、じゃこ、メシ、シジミと万能葱の味噌汁。
日中、家内に頼まれて簡単なマクロを書く。その計算の答えが、家内がいちいちキーボードからコマンドを打ち込んで出した結果と違っていないかを念のために訊く。「頭の数字が170になってるから大丈夫」 とは家内の答えだが、1の位まで確かめないとまずいのではないか。
豆モヤシとほうれん草のナムル、鯛と鮪と卵焼き、それから豚の甘辛い付け焼きによる手巻き鮨という統一性に欠けた晩飯は次男の要望による。焼いた豚肉を酢飯と共に食べるのは回転鮨によってつちかわれた次男の趣味によるが、僕にはこれが、日本の旧植民地で見かける不思議な 「スシ」 と同じく思われる。
その手巻き鮨とナムルにて 「春雨カリー」 のお湯割りを3杯ほども飲む。「カリー」 とかは漢字では 「嘉例」 と書かれ、めでたきこと、佳きこと、喜ばしきことを表すという。僕はこの泡盛を飲むと、むかし那覇で宮廷舞踊を見たときのことを思い出す。ゆっくりとした音楽に乗る優雅な舞いを見つめるうち、僕は酔ったような気になってきた。そのとき僕は黒い馬上杯でクースーを飲んでいたから、あるいは 「バカヤロー、おめぇは踊りに酔ったんじゃねぇよ、酒に酔っただけじゃねぇか」 ということなのかも知れない。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
2時30分に目を覚まして 「チェ・ゲバラ伝」 を読み、二度寝をして5時に起床する。仕事場へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、きのうのキムチ鍋の残り汁によるぶっかけ飯。
ぶっかけ飯といえば1991年、同級生のヤマモトタカアキ君とカトマンドゥへ行く途中、飛行機の乗り換えのためバンコックに一晩だけ滞在したときのことを思い出す。
我々が宿泊したのは1泊3,000円ほどの中級ホテルだった。この程度のホテルでもバンコックのことだから白服のドアボーイはいる。翌朝 「ここの朝飯は高けぇだろうから」 と僕はヤマモト君を誘い、その白服が開けてくれた扉から雑踏へ出た。トタン屋根の一膳飯屋で食べた豚モツのぶっかけ飯は非常に美味かったが、ホテルをチェックアウトする際に受けとった明細書を見たら朝飯が "included" となっていたから僕は 「ケチのやらかすことは、まぁ、こんなところだわな」 と腹の中で苦笑いをした。
そのヤマモトタカアキ君は今日からバンコックへ行くはずで、だから3月末よりこの町へ赴任したコモトリケイ君にそのことを伝えようと電話をすると、回線は先方が出て数秒で切れてしまった。その数秒のあいだにはコモトリ君と現地スタッフらしき人との会話が聞こえ、コモトリ君は既にしてタイ語で話をしていた。果たしてヤマモト君は彼の地で同級生に遭遇することができるだろうか。
午後、ノヴェルティのデザインを頼んでいるデザイナーを訪ねて宇都宮へ行く。「昭和通りとシュトコーはイナカモンしか使わねぇ」 とは、1980年代に山手線の内側に唯一残存した作り味噌屋 「田中味噌醸造所」 の配達係イトーさんの言ったことだ。「イナカモンしか使わねぇ」 かどうかは知らないが、宇都宮の環状線は時速70キロほどで流れているから単位時間あたりに稼ぐ距離は長い。しかし市内を直線で抜けることにくらべて、目的地により早く達することができるかどうかは疑問だ。
環状線を10数キロも走ってようやく住宅街へ入る。電柱の住居表示を見ながらホンダフィットをゆっくり走らせていくと、わざと崩して鉄筋をむき出しにした意匠の塀の内側に、1階入口から2階の屋根近くまでの吹き抜けをガラスで覆った建物が見えてきた。「あぁ、デザイナーの事務所はここに違いない」 と、看板を見ることもなくその駐車場にクルマを入れる。
美や造形にかかわる人は、その職業に見合った仕事場や住まいを持つべきだと僕は思っている。客の注文においては奇抜な実験を繰り返し、しかし自身はなんの変哲もないマンションに住んでいる建築家はうさんくさい。
吹き抜けの天井では大きな扇風機が回っている。その真下にいる僕からは見えないところにあるコンピュータから出力された、いまだ途中経過を示すのみのデザインをクルマに積む。帰りは市内を直線で横切り、往路よりもかなり短い走行距離を以て帰社する。
初更、茹でたブロッコリー、うずら豆の炊き物とほうれん草の胡麻和え、薩摩芋とハムとキャベツのサラダ、ガラスの器にまるでラザニアのようにして作ったハンバーグをおかずにメシ2杯を食べ、飲酒は避ける。
入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。