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戀する者と酒飲みは地獄に行くという 根も葉もないたわごとに過ぎぬ
戀する者と酒飲みが地獄に墜ちたら 天國は人影もなくさびれよう
Omar Khayyam

 2006.0131(火) いかにも薄い層

4時前に目を覚まし、枕頭の活字をあさって5時前に起床する。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動してからはいつものよしなしごとの前に、タックシール印刷のための準備をする。

7時に居間へ戻る。朝飯は、小さくて可愛いおばあさんが食べると似合いそうなフワフワのジャコ、納豆、ワカメの鰹節かけ、生のトマト、大根の麹漬け、メシ、椎茸と万能葱の味噌汁

社員が出社しはじめるころから今月4回目のメイルマガジンを発行する。これに30分ほど費やした後にこんどは、来月上旬に投函するダイレクトメイルのためのタックシールを印刷する。

あちらこちらの会社から重複して宣伝広告の封筒が届くとは、誰しも経験のあることだろう。印刷から上がったタックシールを1枚ずつ読み、そしてその元となったデイタを1件ずつコンピュータのディスプレイに確認しながら、事務係のコマバカナエさんが最後のふるい落としにかかる。

1.異なるご住所から発注されている同姓同名の方は同一人物なのかどうなのか?
2.同じご住所でありながらお名前と電話番号が異なるのは二世帯住宅らしいから双方のデイタを生かすべきか?
3.ご住所と電話番号が同じでもお名前が異なるときにはどうしよう?
4.同じ会社の、しかしそのつど異なる方がご注文をくださっているデイタについては、どう取り扱うか?

重複するデイタには様々な状況、家ごとの、個人ごとの事情があるから、その取り扱いは一筋縄、一網打尽というわけにはいかない。

初更、雲仙焼のコップに8分目のお湯を注ぎ、そこに芋焼酎 「小鶴」 を足してお湯割りとする。牛肉、キムチ、油揚げ、椎茸、エノキダケ、ニラ、長葱などの鍋にてこれを飲むその中身が少なくなってきたところにラーメン2玉を投入する食後にイチゴ3個を食べる

今夜の酒量はなにしろ、口径8センチほどの裾すぼまりのコップの上面から2.5センチほどのところまでお湯を入れ、つまり焼酎の層はこの大きくもない器の上から2.5センチほどの厚みしかなく、これを2杯こなしただけだからいかほどでもない。それを理由に入浴の後にはビールを350CCほども飲んで、9時30分に就寝する。


 2006.0130(月) そんなに好きか?

5時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ上がる。朝飯は大根の麹漬、キャベツの油炒め、納豆、鮭の頭と酒粕の炊き物、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と長葱の味噌汁

この1月は特に、蔵出しされる漬物が多い。それに従って、ウェブショップの顧客へ送付するメイルマガジンの回数も増えている。今月4通目のメイルマガジンを作成してメイラーに保存する。イワモトミツトシ区長の訪問を受け、春の例大祭へ向けて持たれる会議のうち、2月の中旬と下旬にあるものにつき説明を受け、またその段取りを頼まれる。日本橋高島屋にて来月の15日から21日まで開かれる 「老舗名店の味特選会」 に先立ち、ダイレクトメイルの送り先に最後のふるいをかける。

そのようなことをしているうちに夕刻になる。終業後、晩飯の内容を確かめに行くと鶏の唐揚げがちらりと見えたため、今夜は断酒をすることとする。

発泡スチロールの器に温かいごはんやおかずを詰め合わせてくれる弁当屋のメニュには、鶏の唐揚げを含むものが極端に多い。そういうお店の折り込みチラシを見るたび 「世の中には唐揚げの好きな人がたくさんいるんだなぁ」 と思う。

日本橋のとある路地にある 「南ばん」 は中華料理屋にもかかわらず、昼どきに行けば僕以外のすべては唐揚げを注文したのではないかと錯覚するほどの、唐揚げ繁盛店である。この店の唐揚げはおとなの握りこぶしほどもあり、これの 「4ヶ定食」 などというものを食べている人を見るにつけ 「君、大丈夫か?」 と訊きたくなるが、何が言いたいかといえば、僕はそれほど鶏の唐揚げは食べない。

レタスとトマトと胡瓜と春雨のサラダ、餃子、三つ葉を多めに振った鶏の唐揚げ南蛮漬け風大根の麹漬。それにしても、サイトウトシコさんちのお米による炊きたてのメシは美味い。そして鶏の唐揚げも美味かった。

飲酒を為していなければこそ、食後には "?c" へのフィルム装填というようなこともできる。入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0129(日) 得体が知れないため

5時前に目を覚ます。製造現場にて小一時間ほどの作業に従ったのち、事務室へ移動していつものよしなしごとをする。7時にエレヴェイターを上がって洗面所の窓を開けると、このところの数日と変わりなく北西の空は晴れていた。

朝飯はきのうのほうれん草のナムル、きのうのムースーロー、白菜の漬物、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁

日本橋高島屋にて来月の15日から21日まで開かれる 「老舗名店の味特選会」 へ向けて、これまで整えた資料のうち必要なものをプリントし、メモなども添えて包装係のサイトウヨシコさんに手渡す。包装係と販売係にとっては、この催しの最中およびその準備期間が冬季の山となる。製造係にとっての山は各種の仕込みで、いずれにしてもこの山を越えなくては春は来ない。

終業後、先日の雪の日にお茶の水から連雀町、あるいは錦町、神保町を歩いて撮った写真のうち自分好みのものを事務机に並べる。それら5枚には永島慎二のマンガを彷彿させる湿った抒情性があったと、誰も言わないから自分で言う。もっともこのペイジの "WORKS" には1回分で12枚の写真が必要だから、2月1日の更新には間に合わない。

初更、ヨッチんちでもらってきた河豚の鰭を 「新政」 のお燗に浮かべてヒレ酒とする。そしてこれを飲みつつ 「路上観察で歩くパリ」 を読む。レタスとセロリとトマトのサラダ、炊いた茶福豆湯豆腐、得体が知れないため "rouget" とただ呼んでいる安い魚の粕漬は僕の好物だピーマンと牛肉の中華風炒め大根の麹漬けと白菜漬けリンゴ

入浴して牛乳を250CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0128(土) ムースーロー

4時前に目を覚ます。上出来の文章は上出来のスフレと同じく、がさつに頬張るようなことはできない。だから野見山暁治の 「四百字のデッサン」 はベッド脇の小さなテイブルの足許へ置き、他の活字ばかりをあさることがこのところは続いている。

「路上観察で歩くパリ」  稲葉宏爾著  角川書店  \930

を読んで5時前に起床する。製造現場での作業を終えて居間へ上がると6時20分だった。おにぎり3個、シジミと万能葱の味噌汁による朝飯を大急ぎで済ませ、次男と共に事務室へ降りる。6時30分の予定に10分遅れてホンダフィットを国道121号線に乗り出す。今日は次男のテニスの試合がある。

日光宇都宮道路を南下する我々の左ななめ前方に巨大な朝日が昇り始める。1時間はかかるだろうと思われた行程は朝の閑散さに助けられ、出発から僅々35分にて宇都宮の総合運動公園へ達する。駐車場から短くない距離を歩き、テニスコート脇の赤松林に昼飯の場所を確保する

次男とフルハシ君のペアは開会式直後の初戦で惜しくも敗退した。次の対戦相手はインフルエンザで欠場とのことだから、次男はこれから午後まで、特段の用事はないことになる。先輩の試合を見て勉強するとか応援するとか、そういうことをしても良いのではないかとも思うがいかんせん、そこまでの意欲は見受けられない。

日の差す観覧席へ座り、持参した日本経済新聞のほとんどすべてを読み終えてもいまだ昼にはほど遠い。ときおり近づく次男が僕の手からその新聞を取り上げ、ちょうど開いていた9面の、「モバイルスイカ」 の記事を丹念に読んでいく。興味がなければいわゆる優良図書でさえ避けて通る次男でも、自分が得たいと望む情報に対しては貪欲である。

おにぎりを食べ、ガスコンロで沸かしたお湯による味噌汁代わりのカップ麺も食べ、ポットのお茶はほとんど飲み、やがて3時すぎに表彰式と閉会式が終わる。

初更、ほうれん草のナムル、薩摩芋の甘煮、鮭の頭と酒粕の炊き物にて芋焼酎 「小鶴」 のお湯割りを飲むレタスとトマトのサラダ揚げ春巻きムースーローと進む

1970年代に相次いで出版された山下洋輔の本は、紀行文も含めて抱腹絶倒の楽しさだった。そこに頻繁に出てきたのが新宿 「石の家」 のムースーローで、僕もこの中華料理屋のムースーローは好きだったから 「へー、ヤマシタヨースケもなぁ」 と驚いた記憶がある。

これまで生きてきた中で最も満腹感を覚えたのは、この 「石の家」 での昼飯によるものだ。「ムースーローとライスと野菜スープ」 と注文したら、ムースーローの量だけは知っていたがメシはドンブリに盛られ、スープはなんと普通のラーメン丼にあふれるほどあって、食い物を残すのは嫌いな性分だからすべてを胃に送り込んだら苦しくて直立できなくなった。

満腹した人についてマンガなどでは、腹をせり出させた男が上を向き、楊枝で歯をせせりつつゲップをするような絵が多く用いられるが、本当に腹が苦しくなると人は上など向けるものではなく、うつむいてトボトボと歩くのみと知ったのはこのときだ。僕はすぐちかくの 「後楽園アドホック」 の裏手にあるベンチへ横になり、ようやく人心地ついたのは30分ほども後のことだったことを思い出す。

白菜の漬物にてメシを1杯のみ食べる。入浴して牛乳がないから冷たいお茶を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0127(金) 「どぶ」 と 「一時」

4時前に目を覚ます。枕頭の活字をあさったり、はたまた灯りを落として休んだりということを繰り返して5時前に起床する。

製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動してからは、きのう書いてコンピュータに保存した給与辞令およびそれに添付する手紙を印刷コピーしてホッチキスで留める。また、それに署名を入れて給料袋の大きさにあわせて折る。新年27日目にしてようやく、日記の画像名に用いる西暦を "2005" ではなく "2006" と迷わず打ち込めるようになった。

7時に居間へ上がる。朝飯は納豆、生のトマト、ワカメの鰹節かけ、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁

それから12時間とすこし後の7時20分に、第152回 「本酒会」 の行われる蕎麦屋 「やぶ定」 へ行く。能代市の小さな酒屋が 「喜久水酒造」 の社長と杜氏に無理矢理たのんで作ってもらったといういわれのある活性原酒 「一時」 が今夜の1本目で、イチモトケンイチ会長は右手の親指に力を込めてだましつつ、強烈な勢いで飛び出そうとする栓をようやく20分後に取り外した。僕が毎年しつこく 「宮中晩餐会の食前酒に使われても不思議ではない上出来のお酒」 と言い続けるこれをひとくち味わってみたいというむきは、その 「天洋酒店」 にメイルで発注すると良い。第2ロット以降はいまだ余裕があるのではないか

2本目はやはり同じ 「天洋酒店」 から取り寄せた 「山本合名」 の濁り酒 「どぶ」 で、こちらは噴出のリスクを軽減するため、一升瓶ではあるけれど、その内容量は1,600CCに抑えてある。「本酒会」 では昨年のうちより 「一時」 も 「どぶ」 も第1ロットから第4ロットまでのすべてを予約した。時々刻々と味わいを変えていく一期一会の面白さを、だから我々はこれからまだ3回は味わえる勘定になる。

計8本のお酒を飲み、今夜の 「お食事」 なめこおろし蕎麦を食べる

帰宅して入浴し、その後のことはよく覚えていない。


 2006.0126(木) ようやく腹を決め

4時30分に起床して事務室へ降りる。1月には昇給があるから、新しい給与を記した給与辞令、またそれに添える手紙を書いて保存する。他にもきのうの日記を書くとかウェブショップの受注を確認するとか、はたまたファクシミリで届いている書類を各事務係の机上へ割り振って置くなどのよしなしごとをして7時に居間へ上がる。

食卓に飛竜頭の炊き物と納豆を運んだ家内が本日の健康診断に気づき、朝飯は中止となる。採血の直前にメシを食べると血糖値が上がるため、特に僕などはこれを避けなくてはいけない。

7時35分に事務室のシャッターを上げると、会社の健康診断を請け負う病院のバスは、既にして駐車場に入っていた。暖房の効いた屋内にレントゲン技師や看護婦さんを招き入れ、心電図を測るのはどこそこの部屋、身長や体重の測定は社内のどのあたり、医師の診察は事務室奥の小部屋などとお教えをする。彼らはてきぱきと機材の搬入を始めた。

「針さされた後に仕事なんてできませんよ」 と本日は休暇を取り、健康診断のためだけに出社したハセガワタツヤ君は自分の番が来ても採血には応じず、しかし10人ほどを追い越させた後にようやく腹を決め看護婦さんに腕を差し出した。周囲からは 「最初にチクッとするだけだんべよ」 などと声が飛ぶが、僕にはハセガワ君の気持ちがよく分かる。痛みなどは、どうということもない。血管にプスリと針が入っていく、その不気味さに怯えるのである。

終業後に小倉町の 「和光」 へ集合し、「日光MGの反省会」 という名目の飲み会を行う。1990年当時は新宿で行われていた "MG"(マネジメントゲーム)に初めて出席したとき、僕の決算速度は参加者63名のうちの62位だった。成績表を見ると、63位の人は2日間の研修の、その第1日目に逃げ出していたことが分かる。その僕でさえその数年後には同じ人数の中で決算速度第1位を得るまでになるのだから、人というものは分からない。

"MG" で表彰をされるのは第5期の到達自己資本の高い順から3名のみで、決算速度がいくら高くても、せいぜいが名前を読み上げられるくらいで何ももらえない。だからこの反省会ではひとえに僕の思い入れから、第5期の決算速度第1位を表彰し、賞品を手渡すことにしている。今回の該当者は事務係のイリエチヒロさんで、賞品は彼女が希望した、蜷川幸雄による 「ロミオとジュリエット」 のDVDだった

8時前に帰宅し、入浴して牛乳を300CCほども飲む。眠さに引きずられるようにして寝室へ行き、9時前に就寝する。


 2006.0125(水) 「いつっつも?」

4時前に起床して事務室へ降りる。

自由学園の同学会新年総会は先週土曜日の開催だったが、それからずいぶんと長い時間が経ったように感じて 「ウェブペイジ、早く更新しなくちゃなぁ」 と考える。自分の画像を目に見えるところに、同級生アカギシンジ君による画像を大きなサイズで文中に埋め込み、サーヴァーへ転送する

明け方に書いたメモをコンピュータにデイタベイス化する、きのうの日記を作成する、顧客からの問い合わせに返信を送付するなどをして7時前に居間へ上がる。

朝飯は、きのう 「魚登久」 から持ち帰った折詰めの鰻重によるお茶漬け。もちろんこれ1杯では足りないから、塩鮭、焼きたらこ、柴漬けなどにて2杯目も食べておく。

社員が出勤する前に事務室の奥の部屋で一服をする。一服とはいえ煙草を吸うわけではなく、ただソファに座っているだけのことだ。そして、辰巳の方角から上がる朝日が灯籠を照らし、それによって障子にできた、まるで林家正楽が作る切り紙のような影を見る

「販促品」 と呼ばれるものが世の中にはあって、これはワードプロセッサも変換してくれるから人口に膾炙しているのだろう。しかしその多くは販売の促進にではなく、商品を買ってくださったお客様に差し上げるノヴェルティとしての役にしか、実際には立っていない。

経費節減の折から年末にカレンダーを配る会社は極端に減っているらしく、しかしウチでは年末に大小3種を用意するから需要はいや増すばかりだ。そしてここ数年はご来店になり、しかし商品は購入されないまま

「いつも買ってんだけどカレンダーくれる? お宅の、書き込めっから便利なんだよね。あ、ひとっつじゃなくていつっつね」

というような方が増えて、その対応に苦慮している。

それはさておき、来年になっても覚えておくべき行動はコンピュータのスケデュール管理に記録をするとして、しかし毎日の細かい用事についてはこれまで机上にメモを残し、ことが済めばすぐにゴミ箱へ捨てていた。また、それほど重要ではない集まりで次の日程を知らされれたときにはそれを記憶し、忘れてしまえば覚えていそうな人に電話をして教えてもらう、というようなことを繰り返してきた。

昨年の暮からはさすがにそれではまずかろうと考え、「便利なんだよね」 と人から言われるウチのカレンダーを、メモや記憶の代わりに使うこととした。これはバインダーに固定して事務机の右側に立てかけてあるから、顧客や取引先から電話があったときにも一目瞭然で悪くない。「ペイジをめくらなければいけない」 という点において、またかさばるという点において、僕には手帳は不便に感じられる。会合へ出席する際にはこのカレンダーの今月分と来月分のみをコピーして折りたたみ、ポケットへ入れることとした。

初更、早々に断酒を決めて食卓に着く。キャベツのおひたし三杯酢、煮奴、眺めるだけで食べない梅干し銀鱈の粕漬これまた眺めるだけの薩摩芋の甘煮にてメシ2杯を食べる。また、大きなイチゴ1個も食べる。

入浴して牛乳を飲もうとするとこれがない。仕方なしに冷たいお茶を飲んで9時30分に就寝する。


 2006.0124(火) 旅に出たわけでもないのに

大いに寝過ごして6時30分に起床する。エレヴェイターを降りてもいつものよしなしごとができるわけではなく、会社の施錠を外し、暖房のスイッチを入れ、外から新聞を取り込むくらいのことをしてエレヴェイターを上がる。4階の廊下には湯波を煮る香りが満ちていた。

朝飯は納豆、梅干、ワカメの鰹節かけ、柴漬け、ほぐした塩鮭、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁

梅干しは 「和光」 の箱に入った高級品で家内は美味いと言うが、なにやら葡萄のような香りがするから、これみよがしの吟醸香をのせた日本酒と同じく僕の好みではない。なお 「和光」 とは我が町にあって僕のボトルが入っている飲み屋の方ではなく、銀座の真ん中に時計台を構える 「和光」 である。

年長の友人カネコマスオさんのお母さんが95歳で大往生を遂げたため、10時よりそのお葬式が行われている 「菊屋ホール」 へ行く。直前まで事務室にて銀行の人とあれこれ話をしていたため着替えが遅れ、ホールへ着いたときには既にしてロビーにはみ出して置かれた椅子にしか空きはなかった。つまり、お葬式はそれほど多くの出席者を集めて盛会だった。

閉店の直前に税理士事務所より帰社し、筆記用具だけを持ってすぐ外へ出る。鰻の 「魚登久」 へ凍った道を急ぎ、引き戸を開けて2階への階段を上がっていくと、廊下にいた店主のアイガテルジ君が座敷へ向かって 「あ、見えました」 と声をかける。「瀧尾神社」 の当番町を仲町から春日町一丁目へ引き継ぐ集まりには、今夜の13人中最年少にもかかわらず、僕が最後の到着となった。

支出証拠書つまり領収書の綴りと収支決算書をあらため、イワモトミツトシ区長が監査のハンコを押す。次年度の会計係として僕が前任者に2、3の質問をし、後は食事となる。旅に出たわけでもないのに、今夜で実に4日連続の外食である。

8時30分に帰宅して入浴をする。牛乳を200CCほども飲んで10時に就寝する。


 2006.0123(月) 便利な状況

雪が降って喜ぶのは子供とスキー場の人だけと思っていたが、雪が多すぎて休業したスキー場が今年はあったと聞く。おとといは里雪にて東京に降雪があり、しかし日光地方はふつうの曇り空だった。そのしっぺ返しでもないだろうが、今朝カーテンを開けると屋根も地面も白いもので覆われている。

雪の朝の静かさが好きだ。そういう静かさを聴きながらエレヴェイターを降り、事務室にていつものよしなしごとをする。シャッターを上げて店舗駐車場の雪に指を差し入れてみると、その深さは7、8センチほどもあっただろうか。

7時に居間へ上がる。朝飯は柴漬け、ベーコンとピーマンの油炒め、鮭の頭と酒粕の炊き物、納豆、メシ、芹の味噌汁

日光地方は太平洋側と日本海側とを隔てる分水嶺よりはかなり南にあるため、寒さの割りに雪は少ない。今朝の降雪は、ブルドーザーを呼ぶほどではないが販売係の数人のみで片付けるにはちと多く思われた。そのため製造係にも手伝ってもらい、お陰で9時までには何とか商売の準備が整う

夕刻よりホンダフィットに乗り、宇都宮の 「グランドホテル」 へ行く。正面入口前の駐車場は満杯だったため、東の坂下へ移動してクルマを停める。この優れたホテルの裏口を入ると廊下の左右はレンガの壁で、その先の右側にはドアを開け放して、居心地の良さそうなバーがある。広い庭を眺めながら階段で3階へ上がり、「栃木県味噌工業協同組合」 の新年総会へ出席をする。オヤジがいなくなれば、こういうことも僕の仕事に含まれてくる。

1階の 「北京」 から運ばれる中華料理は美味かった。僕は紹興酒ではなく冷たいウーロン茶や氷水などを飲み、総会から引き継がれた新年会は7時30分にお開きになった。

飲酒を為していないとはすこぶる便利な状況にて、自分でクルマを運転して8時15分に帰宅する。入浴して牛乳を300CCほども飲み、10時に就寝する。


 2006.0122(日) 久しぶりの集まり

下今市駅15:04発の上り特急スペーシアに乗る。きのうは東京に降雪とのことにて、2足ある 「ドロミテ」 のうち3シーズン用の 「クリスタロ」 を履き、カメラは "?c" を持った。今日は 「雪ももう、大したことはないだろう」 と考えて靴は 「トリッペン」、カメラは夜間の室内撮りに備えてズミタール付き "?c" にした。

神保町の凍った雪を踏みしめ 「学士会館」 の階段を上がる。クロークにコートを預け "CCCJ"(Classic Car Club of Japan)の新年総会が開かれる3階の特別会議室へ行く。時刻は5時1分だった。ことしで創立50周年を迎えるこの由緒あるクラブで僕が盛んに活動をしたのは学生のころに限られる。仕事をするようになってからは長く無沙汰をしてきたが、オヤジの葬儀に際してはずいぶんとご列席またご厚志をいただいたため、そのお礼を述べたいと考え今夜の出席を決めた。

受付を済ませるとその先のロビーにスズキユキオさんの姿があったため、近づいて挨拶をする。スズキさんにはクルマの修復のほか、共にずいぶんとあちらこちらのサーキットへ出かけた。年齢を訊けば88歳とのことにて、僕と会話をした30分のあいだだけでも3本のタバコを吸ったのは立派だった。コバヤシショータロー会長には特に、会報へ書いていただいたオヤジへの追悼文につきお礼を言う。

首から "?c" をかけていると、いろいろな方から声をかけられる。「落語好きのジャズ好き」 とか 「カメラ好きのオーディオ好き」 というように、Aというものを好む人が同時にBというものを好む一定の法則はたしかにあって、クラッシックカー好きにクラシックカメラ好きは多く、また同時にオーディオが好きで、あるいはレシプロエンジンを持つ飛行機も好きで、またまた鉄道模型も好きと、そういう人たちの 「日本クラッシックカークラブ」 は集合体である。

「ライカも良いんですが私はこういう方面で」 とモリワキ会員がコートのポケットから取り出したカメラはイタリアの名品 "Ducati Songo" だったから、これが竹橋ではなく日光地方にいたなら僕は思わず方言による 「いやっ、どうも」 という感嘆詞を発していただろう。

年頭の挨拶でコバヤシ会長が 「クラシックカーの楽しみは5つあります」 と言うので 「5つは披露しきれないだろう、こういうときにはせいぜい3つが限度。4つ目、5つ目はスピーチの最中に頭から消し飛んでしまうか、あるいは時間切れになるはずだ」 と思いつつ聴く。

クラシックカーの楽しみとは 「操縦する楽しみ」、「修復する楽しみ」、「文献をあたって勉強する楽しみ」、「同好の士が集まってするクラブ活動の楽しみ」 と、ここまでは聴いたがやはり僕の予想通り 「5つ目」 は遂に出てこなかった。次にコバヤシさんに会ったときには、ぜひとも教えていただきたい。

ストラップ用の釣り金具を持たないライカの "?" について、ブガッティのリヴェットにヒントを得てこれを取り付けたという文章を以前、田中長徳がどこかに書いていた。そのときには 「へー、チョートクの知り合いにはブガッティ使いがいるのか」 と軽く流したが、そういえば昨年だかおととし、蔵前通りを本郷の方から南下してきた "Bugatti Tipo13 Brescia" が右折して聖橋へ向かうところを目撃し、だから 「ことによると両者は同じ人物ではないか」 とそれらしい方に声をかけると僕の予想は正解で、いただいた名刺には 「瀬木工房」 の名があった

ラジエターグリルにランチアのバッジを付けた、しかし実際には日産のワンボックスカーに乗って8時30分に竹橋を去る。1978年のマカオグランプリでオヤジのベントレーを操縦したサイトウユーさんが運転、メカニックのタシロさんが助手席、後席にはウスイベンゾーさんと僕。

帰宅には2時間を要しなかった。入浴して牛乳を300CCほども飲み、11時30分に就寝する。


 2006.0121(土) 連雀町の雪

4時に目を覚まし、枕頭の活字をあさったり、あるいは灯りを落として休んだりして5時に起床する。製造現場へ降りてきのうより幾分か長めの時間を過ごし、その後は事務室へ移動する。2月に日本橋高島屋で行われる催事に際して送付するダイレクトメールの数の予測など、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。

朝飯はジャコ、ツナとレタスのサラダ、納豆、メシ、芹と油揚げの味噌汁

自由学園同学会のホームページは前年度に完成し、以降は僕の手により更新をされてきたが、予備の人員が誰もいない体制をいつまでも続けることは危険だ。というわけでホームページ運営室のゴールドロベルト君が段取りをし、今日は新しい体制を模索すべく、ひとつの話し合いを持つことになった。

それに先立つ昼飯については、今年度に獅子奮迅の活躍をしてくれたことへのお礼として僕がその代金を負担するとのメイルを送付した。昼飯の場所はお茶の水だから学生相手のメシ屋はいくらでもあるだろう。ところがゴールド君からの返信には 「パワーランチに要する時間は食前酒から計算をしても」 という一節があったから 「しょ、食前酒?」 と僕は当初の考えを変更し、待ち合わせの場所も同じくお茶の水から淡路町へと変更した経緯があった。

上り特急スペーシアの指定された座席は 「あ、ちょうどニゴロだ、って、何がちょうどなんだよ」 と外注SEのカトーノさんがずいぶんと前に自分でボケて自分で突っ込んだことのある256番だった。関東の北部は曇り、南部は雪という妙な天気予報のとおり、列車が南下するにつれあたりは渺茫とした白の景色に変わっていく。

北千住から新御茶ノ水駅までは千代田線で、そこから御茶ノ水駅前までは徒歩で移動し、"Leica ?c" のシャッターを切りながら駿河台を下っていく。ISO400のフィルムでシャッター速度は200分の1秒、絞りは5.6だから、冬という季節を勘案しても空は暗いカメラの軍艦部は雪に濡れ、巻き上げノブを回す指はかじかんで痛い。

昼飯の場所を 「まつや」 ではなくその先の "La Testa Dura" にしたのは、中年の男ふたりが昼から蕎麦屋へ入った後の情景がやすやすと想像できたからで、なにより 「まつや」 は昼酒を飲むオヤヂには非常に甘い店である。

「スプマンテ、ボトルで頼みますか?」 と問われて 「エ、エェッ?」 という答えは 「飲みます」 と同義だろう、スプマンテをボトルで注文する。僕は牛と豚のパテ、ゴールド君は白身魚のカルパッチオ。パスタは同じくアサリと乾燥トマトのリングイネで3番目の皿は僕のメカジキの網焼きに対してゴールド君は羊の香草焼きを選んだから、既にして空になったスプマンテのボトルにチラリと目を遣ったのち 「赤ワイン、グラスで頼みましょうか?」 と訊くと、またまた 「エ、エェッ?」 という答えが戻ったためこれを注文し、僕は白のグラスワインを同時に頼む。

ここのエスプレッソは 「これでもか」 という量があったから嬉しかった。首を斜め上にねじ曲げ窓から狭い空を見上げると、雪の勢いはますます強い。「グラッパ、飲みますか?」 と訊くと 「いえ、すこし弱めのものを」 と、先の2回とは異なる返事があった。そしてゴールド君は、席に運ばれたアマーレットをひとくち含んで 「これでもヤバイです」 と言った

おのれをもっと良く知っていれば蕎麦屋だろうがイタリア料理屋だろうが、どのみち飲んでしまうということは予測ができただろう。うすうすと認識をしながらついやらかしてさほどの反省もしない、これを談志は 「業の肯定」 と呼ぶ。

目指すビルの裏口は、「博報堂」の 旧社屋と狭い道を挟んで向かい合うところにあった。このビル2階の "CNET" を訪ね、自由学園では14歳下になる社長のダイニチケン君、その同級生で "Sofia" の副社長ヒロタタクヤ君と行った話し合いは、およそ2時間半ほども続いた。ゴールド君の脳と舌はアマーレットにより快調に回転したから、隣の僕は 「椿三十郎」 で伊藤雄之助が演じた城代家老のように 「ウム」 などと生返事をしているだけでコトは済んだ

今日の東京の雪は年に1度などというものではなく、数年に1度の量ではないか。錦町から駿河台上までタクシーに乗り、丸の内線にて池袋へ至る。同学会新年総会の準備はゴールド君に任せることとし、僕はホテル・メトロポリタンの喫茶店で行われている "pdn"(Primary Dougakunotomo Network)の運営者会議に出席をする

2006年の同学会新年総会は自由学園明日館講堂において、ヤノヤスヒロ先生による礼拝から始まった。本日、還暦のお祝いを受ける24回生のおひとりが遅れてお見えになり、クロークの前に立っていた僕に 「新年会をひとつこなしてきました。すこし飲んでいますが不謹慎で済みません」 と、おっしゃる。「とんでもございません」 と、ことさらに語気を強めてお答えをする。当方はとにかく、連雀町に降りしきる牡丹雪を眺めながらグラッパを飲んでいたのである。

8時に懇親会を中座する。池袋、西日暮里、北千住と移動して21:11発の下り特急スペーシアに乗る。11時前に帰宅して入浴し、牛乳を300CCほども飲んで0時ちかくに就寝する。


 2006.0120(金) 癖の矯正

からだは疲れているはずなのに3時30分に目を覚ます。「四百字のデッサン」 を読んだりまた眠ったりして5時に起床する。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、その後は事務室へ移動していつものよしなしごとをする。

7時に居間へ戻る。朝飯は白菜漬、焼きタラコ、鮭の頭と酒粕の炊き物、「丸赤」 の 「極辛塩鮭」、蕗味噌によるお茶漬け

9時前に瀧尾神社へ行き、タナカキヨシ宮司を三菱シャリオに乗せて帰社する。毎年この時期に行う水神祭については、当方は喪中だから供物の準備をするだけに留め、祝詞の奏上に連なるなどの神事はすべて社員に任せる。

午後はあれこれの書類を作成するため、90分ほどかけて市内の数ヶ所を回る。クルマを乗り降りするたび静電気が指先を襲うが徒歩で移動できる距離ではなく、また歩けば歩いたで静電気は他のところで発生するだろう。

この90分のあいだに、僕を訪ねて来社した人が 「それではひと回りしてきます」 と言って、しばらく後にまた来たという。「どうして電話で確認してから行動できねぇかなぁ」 と思うが死ぬまで遅刻癖の治らない人と同じく、これは生まれつきの性分だからどうにもならないのだろう。

初更、鶏肉団子、油揚げ、蛸入りかまぼこ、舞茸、エノキダケ、白滝、長ネギなどの鍋にて根付きの芹、団子状のきりたんぽを煮る。これを肴に芋焼酎 「小鶴」 のお湯割りを飲む。食後にイチゴ5個を食べる。

入浴して牛乳を180CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0119(木) 日光MG・2日目

目を覚ましてヘッドボードにある緑色の数字を見ると6時になっている。風邪などによる倦怠ではなく、筋肉の疲れなのだろうが、バネを仕掛けた人形のようにいきなりベッドから立ち上がることができない。それでもきのうより30分おくれで起床し、あたりを整理してからコンピュータを起動する。

きのうの日記を書き終えないうちに日が昇りだす。きのうと同じくコンピュータを持って7時すぎに三菱シャリオに乗る。山を駆け降り13分後に会社へ戻る。きのうと同じ仕事をすべく事務机に向かうがきのうはなかった用件がメイルにて入っていたため手間を食い、きのうよりも20分遅れて会社を出る。その間、次男は元気に手を振って学校へ向かった。

MGの2日目は通常9時30分から始まる。しかし 「日光MG」 は全員が会場に泊まり込んでいるから9時の開始が常態になっている。「果たしてそれまでにメシを食い終えることができるだろうか」 と心配しつつ8時30分に 「メルモンテ日光」 へ着く。朝飯はスクランブルドエッグ、秋刀魚の干物、大根おろし、焼いたベーコン、数種類の野菜による浅漬け、納豆、レタスとトマトとポテトと大根と人参のサラダ、お麩とワカメと三つ葉の味噌汁、ミネストローネ、ほうじ茶、メシは時間切れにて2杯

9時より第11回 「日光MG」 の2日目が始まる。孫正義が自ら参加したMGにヒントを得て創案したMQ達成グラフの解説が朝1番の講義で、これはいつ聴いても面白い。引き続き、きのうの夜遅くに来たテシマヨーちゃんによる短いスピーチがある。ヨーちゃんの主催によるシンガポールMGに参加をしたのは2002年11月だったが、ずいぶんとむかしのことのように思われる

マネジメントゲームの第4期は、昼までにその決算までをすべての参加者が完了した。第4期の中間決算において、既にして年間経費を超える粗利総額を稼ぎ出してしまった製造係のイトウカズナリ君は、なにやら悠揚迫らない雰囲気である

「オレ、やっぱり馬鹿なんじゃねぇかな」 と思うほどMGの下手な僕にしては、かなり上出来の布陣にて第5期を迎える。そして結果はどうだったか。

種々の条件を満たした上で自己資本を475まで積み上げた販売係サイトウシンイチ君に、「あなたは次から次へと舞い込むラッキーカードに助けられ、、、そうでもないか」 と、表彰状をわざと読み違える西先生より最優秀経営者賞が授与される。2位の 「優秀経営者賞」 は、第4期には下から2番目のC卓にいた伏兵のウノヒロシさんが自己資本414を上げて表彰された。3位は自己資本394の家内が得て、夕刻4時より最後の講義に入る。

全員が原稿用紙に数枚分の感想文を書き終え、僕が締めのスピーチをして第11回 「日光MG」 は無事に終了した。研修に使った諸々を運ぶ社員は三菱デリカで、その他の社員はバスで、西順一郎先生と外部からの参加者は僕が運転する三菱シャリオで山を降りる。

日光市内の蕎麦屋 「魚要」 にて小さな打ち上げをする。先生、オカノトミエさん、テシマヨーさんは東武日光駅18:43発の上りで、またウノヒロシさんはJR日光駅19:04発の同じく上りにて帰宅の途についた。それを見送り家内と日光街道を下って7時15分に帰社する。

入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0118(水) 日光MG・1日目

5時30分に起床する。

僕のコンピュータで、携帯電話やデジタル公衆電話からのダイヤルアップ接続が不能になったとは、昨年9月の日光MGで 「メルモンテ日光」 に来ていたときに判明したことだ。のど元過ぎれば熱さ忘れるでその後の対策はなにもしていなかったから今朝もやはり、外部との通信は不能だった。きのうの日記を作成するうち徐々に夜が明けてくる

コンピュータを持って7時すぎに三菱シャリオに乗る。山を駆け降り14分後に会社へ戻る。ウェブショップに注文が入っていることは携帯電話にも転送されて分かっているから、これらのお客様に、正式の受注確認書は金曜日に発行する旨の返信をお送りする。また 「清閑日記」 をサーヴァーへ転送する。折しも学校へ行こうとしている次男を見送り、山を駆け上がって今度は19分後に 「メルモンテ日光」 に到着する。

朝飯は鯵の干物、焼いたベーコン、唐辛子の佃煮、レタスとトマトとポテトのサラダ、温泉玉子、納豆、お麩とワカメと三つ葉の味噌汁、ミネストローネ、野菜ジュース、メシが3杯

第11回目の日光MGが10時より始まる

「自分にはどうも、学習障害の気味があるのではないか」 とは折に触れ感じることだ。そのひとつの例がマネジメントゲームにおける 「原価計算フローシート」 と 「対外報告書」 の作成で、上は52歳から下は19歳までのすべての社員がこれを提出し終えても、僕はなおシャープペンシルをうろうろとさせて数字が定まらない。

「オレ、これ、全然できねぇんだよ」
「難しいところはないでしょう、写すだけなんだから」

「写すだけってのは対外報告書で、原価計算には引き算があるだろう」
「引き算って、小学1年生の引き算よ」

「そうだけど、何から何を引くのかが分かんねぇんだよ」

という家内とのやりとりを経てようやくこれを完成させる

マネジメントゲームではすべての参加者が個々の会社を持ち、2日間で5期分の経営をする。その過程にはおよそ1,000回ほどの意志決定があるけれど、ときには頭を働かせすぎて脳の酸素濃度が著しく低くなることがある。あるいは市場が白熱し、自分の会社が急速に利益を上げているときに限って便意をもよおしたりもする。

2期を経て3期となり、その決算を全員が完了しても時刻はいまだ5時だったから、晩飯は予定よりも30分はやく出してくれるよう係に伝える。昨年の3月に勉強仲間とウチを見学に来てくれた古河市のナガツカさんがクルマでわざわざ会場を訪ね、去り際には社員たちに激励の言葉をかけてくれる。感謝、である。

晩飯を終えて6時20分より、マネジメントゲームに用いるマトリックス会計表に普段の会計業務をそのまま収め、当然のことながら様々な局面に使うことのできるソフトの説明を、今朝から参加された山形市のウノヒロシさんがパワーポイントで解説するひとときがある。短い説明を聞いただけでも、これが非常に興味深いシステムだということは容易に想像できた

その後に西順一郎先生による "strategy accounting" の講義と第4期の経営計画作りがあって、7時30分に研修室を出る。

男子社員6名が宿泊する部屋へ8時に全員が集まって交流会が始まる。そのスピーチで最もみなの興味を惹いたのは、個々人の貯金の多寡についてのものだった。人間には体質というものがある。家計においてお金の貯まる人というのは多く、お金を使う欲求の少ない人で、それはあくまでもそういう体質に生まれついただけのことだから別段、人に褒められるようなところのものではない。と、お金があればすべて使ってしまう体質の僕は悔しいから言う。

夜10時をまわったころ、虎ノ門の仕事先からテシマヨーさんが来てくれる。訊けばテシマさんが日光MGへ参加をするのは5年ぶりのことだという。「こんなに夜遅くに、しかも仕事先からとは申し訳ないなぁ」 と思う。

交流会場を11時に辞去して屋上の露天風呂へ行く。お湯につかっている限り体は温かいが風は強く、首から上はその吹きさらしの中にあるわけだからとても寒い。部屋へ戻って熱いお茶を飲み、この施設の図書室から借りてきた 「地球はグラスのふちを回る」 を読む。0時に就寝する。


 2006.0117(火) 自粛

4時45分に目を覚まして5時に起床する。エレヴェイターを降り製造現場へ行って、小一時間ほどの作業に従う。事務室へ移動してからはいつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。

朝飯はレタスとトマトのサラダチョリソーのホットドッグ3本、コーヒー。

「ラーメンふじや」 で味噌ラーメンやタンメンを注文するたび、本当ならその品名の後に 「バター」 というひとことを追加したい。ところが血圧や高脂血症を監視するため3週間に1度くらいの頻度で通うオカムラ外科の医師には、血液検査のたびに 「標準の範囲内ですけどねぇ、血圧の高い人は、ここから更に下げていかないと」 と、血中の脂肪濃度につき言われるから、数年前からバターを載せたラーメンは自粛している。

ところが朝飯がパン食の場合はどうしてもバターを摂取しやすく、食後には体がまるで白人のような匂いを発するところからも 「今朝はずいぶんとバター、食っちゃったな」 と分かる。なによりラーメン屋で我慢をしているバターを、パン食はやすやすと要求するところも面白くない。その点、ホットドッグはバターを使わないから、次の血液検査で 「また悪玉コレステロールが増えてますね」 と指摘をされる原因にはなりにくいだろうか。

美味いものほど、それを摂取した後の血液検査に不穏な数字をもたらす。もっとも朝飯には常にパンを食べる家内は血液中の脂肪濃度に何の問題もなく、とすればここに、食事に制限を加えても数字の上では不健康であり、好きなものを食べても数字の上では健康であるという、個人による運不運が窺える。

閉店間際に東武日光線下今市駅へ行く。そのプラットフォームに 「西研究所」 の西先生、はるばる倉吉市から来てくれたオカノトミエさんをお迎えする。日光街道を北上して30分後に霧降高原の 「メルモンテ日光」 へ到着する。除雪して以降は雪が降らなかったらしく、山道には根雪も凍結もなかったから良かった。既に着いていた社員たちが手分けをして荷物を下ろしてくれる。

西先生、オカノトミエさんに社員を含めた夕食は6時40分に始まった。8時からは場所を移し、各自のスピーチを織り込んだ交流会を行う。

屋上の露天風呂に入って自室へ戻り、灯りを消すと枕頭の青い数字が0時3分を指している。「もう、こんな時間だったのか」 と驚きつつその1分後に就寝する。


 2006.0116(月) やらかす

京都へ直行する夜行バスに乗り遅れたからとりあえず東京へ向かう、という電話をオフクロからもらったのは、きのうの夜10時15分のことだった。寝入ってから1時間15分の後に鳴った電話だから僕の頭もサクサクとは動かず、あれこれと対策を思いつかないまま受話器を置いた。オフクロは携帯電話を持っていないから、折り返しこちらから連絡をすることはできない。

とりあえずエレヴェイターを降りて会社の施錠を外し、事務室のコンピュータを起動して東北新幹線の時刻表を調べると、これからの上りは22:37発、22:53発の2本があることが分かった。宇都宮駅22:37発の新幹線が上野駅に到着するのは23:22で、コトが間違いなく運べば0時前には甘木庵へ入ることができる。

心配はふたつあって、京都からは新幹線で戻って東京で1泊する予定のオフクロが、しかしながら甘木庵の鍵を持参していなかったらどうするか、ということがひとつ。もうひとつは、甘木庵にいる長男が眠りこけ、あるいは勉強に熱中して、鍵を持っていないオフクロが今夜半に玄関のチャイムを鳴らしても気づかなかったらどうするか、ということだ。

早速に家内が長男に電話をし、玄関の鍵はかけても、内側のかんぬきは外しておくよう指示する。

深夜にベルを鳴らすことに気が進まず、また何かあれば向こうから連絡があるだろうと考え、0時が過ぎても甘木庵に電話はしなかった。以降、日付が変わった今朝の2時30分まで眠れないから、いっそのこと起きてしまおうかと思い始めたころに眠気が訪れ二度寝に入る。

5時に起床して製造現場へ行き、小一時間ほどの作業に従ってのち事務室にていつものよしなしごとをする。7時に居間へ戻る。朝飯は韓国海苔、焼きタラコ、しその実のたまり漬、「丸赤」 の極辛塩鮭を載せた雑炊

家内によれば、オバーサンが甘木庵へ到着したことには気づかなかったが、今朝はその寝室より、もうすこし寝てから京都へ行くと声が聞こえたと、学校へ向かう途中の長男は携帯電話で述べたという。

もしも僕が今回の仕事を請け負ったとすれば、その手順は

1.身の回りのものは宅急便で宿へ送り、携帯するのは主として遺骨のみとする。
2.甘木庵に前泊し、翌朝の新幹線に乗る。
3.京都駅からタクシーで知恩院へ直行し、永代供養の申し込みは午前中に済ませる。
4.「しる幸」 で塩ウニを肴に燗酒1本を飲み、利休弁当にて更に2本の燗酒を飲む。

というところだろう。しかしまぁ、夜行バスに乗り遅れたことに端を発する今回の騒動も、長男の口を借りれば 「そういう旅も、面白いよね」 ということになる。僕にしても長男にしても、今回オフクロがやらかしたようなことは、同じくみずからも方々でやらかしているのである。

いま祇園のとっかかりに着いた、という電話がオフクロから入ったのは、夕刻もちかいころだっただろうか。京都駅から祇園までは路線バスを使ったという。「駅の上り下りが大変だから、乗り換えのない夜行バスが1番、楽なんだよ」 と言った人間が、重い荷物を持ちながらタクシーも使わず路線バスでの移動とは、ちとその言行に矛盾がありはしないか。

初更、次男の算数の宿題を督励する。引き続いて漢字の練習も督励する。督励とはいえ僕はその横で野見山暁治の 「四百字のデッサン」 を読んでいるだけのことだ。それにしても、この優れた文章の残りペイジを一気に消化してしまうのは勿体ないから早々に脇へ置き、代わりに朝日新聞を読む

「今日の晩飯、なに?」 と訊いて 「あるもの」 との答えが戻るとガッカリする。しかしながらコーンビーフとレタスのサラダ、豚肉とピーマンとモヤシの中華風炒め白菜漬とべったら漬、炊きたてのメシ、大根と長葱と鮭の粕汁による晩飯は美味かった。食後にイチゴ3個を食べる。

入浴して牛乳を150CCほども飲み、8時30分に就寝する。


 2006.0115(日) 受話器

目を覚ましたのは夜中の1時30分だったが、起き出すにはいかにも早い。二度寝をして次に気がつくと、今度は寝過ごして6時になっている。「なかなか上手くいかねぇな」 と思いつつ起床して事務室へ降りる。

首尾良く早起きができたら顧客名簿の更新をしようとは、ここ数日のあいだ考えていたことだ。この作業は途中で間違えると振り出しに戻って再開しなくてはいけない種類のものだから、電話や来客がひっきりなしにある日中にはできない。朝飯までの時間は1時間弱で、これまでの経験からすればちと危険と思ったが、いざ始めてみれば、それはあっさりと7時に完了した

朝飯は韓国海苔、「丸赤」 の極辛塩鮭、べったら漬、しその実のたまり漬、焼きタラコによるお茶漬け。

京都へ行きたい、との望みを果たせないままオヤジの弟が21歳で亡くなったのは1959年のことだ。以来ウチでは家族がみまかるたび、菩提寺の総本山である知恩院へ分骨をしてきた。オヤジの遺骨の一部もこの慣例に従って京都へ運ぶこととなり、これに僕も付き添うかと提案をしたが、ひとりで大丈夫だとオフクロは単独行を決めた。

だったら荷物は宅急便で送り、お骨のみをショルダーバッグへ入れて新幹線に乗ると良いと言ったところ、乗り換えのたびに駅の構内を歩かずに済む分、宇都宮から京都へ直行する夜行バスが最も楽だとオフクロは言う。しかしその内部で少なくとも数十メートルの歩行が可能な列車や大型旅客機ならいざ知らず、身動きのほとんどとれないバスでの9時間は辛い。僕はいちど、この夜行バスで京都まで行って辟易したことがある。

しかしながら人が 「自分には楽だ」 と主張するものを当方が覆すのも問題と考え、終業後にオフクロと家内と次男との4人でホンダフィットに乗り、宇都宮へ向かう。

世界中のステーキ屋を食べ歩いたわけではないからこれは統計的客観的な意見ではないが、自分の母親のミネストローネが世界で1番美味いとするイタリア男の文法を用いれば、僕が最も美味いと感じるステーキは宇都宮にある 「グリル富士」 のそれである。熱によりその体積を増した肉汁のためカリッと焼けた表面が丸く膨らんだステーキを口へ運びつつ今夜も 「やっぱ美味いよ」 と何度も言う。

晩飯を済ませ、夜行バスの発着所にある 「ちさんホテル」 へオフクロを送る。バスの待合室はホテルのロビーと繋がっているからそのドアを開けると、ベンチに背もたれはなく空気はたばこ臭い。だからホテルのロビーへ戻り、オフクロにはここで発車までの1時間30分を過ごすよう言う。

8時30分に帰宅し、入浴して牛乳を180CCほども飲む。9時に就寝する。

電話の音に目を覚まされたときには必ず、ハゲアタマに冷や汗をかいている。受話器を取れば相手はオフクロで 「まだかまだかと思っているうち、バスが出ちゃったらしいんだよ」 と言う。時計に目を走らせると時刻は10時15分だった。オフクロはこれから車輪の付いたトランクを引きずって東京へ行くという。「果たしてこの時間まで、上りの新幹線があるのだろうか」 と考えつつ受話器を置く。


 2006.0114(土) 断酒の撤回

首尾良く5時15分前に目が覚めたから5時に起床して製造現場へ行く。小一時間ほどの作業に従ってのちに事務室へ移動し、きのうの日記を書くなどのよしなしごとをして7時に居間へ戻る。

朝飯の内容は、不注意により画像を紛失したから分からない。前日、前々日、あるいは数日前まで遡って日記を書く際には数行のメモをその元とする、というのが年少の友人ナカヤカツヒコさんで、しかし僕はメモよりも画像をアテにする。これを紛失した場合、きのうのメシの内容も思い出すことはできない。

昨年の秋以来、気にかけながらできなかったウェブショップの改造について、必要なことを箇条書きにしていく。何ヶ月もウェブショップに載せられないでいた 「赤だしのアイス」 は、その画像を撮影すべく "Olympus CAMEDIA C-5060 Wide Zoom" を三脚に固定してシャッターボタンを数十回押すが、それだけ試行錯誤を重ねて1枚も上手く撮れないのは、僕がマニュアルを読まないことにその原因がある。ふと思いついてカメラを "Minolta DiMAGE X21" に替えたら、こんどは何の苦労もなく難のない画像を得ることができた。

家内には朝のうちに今夜の断酒を伝えたが、初更に食卓を眺めてみれば、そこには胡瓜と鶏ささみ肉のサラダカレー風味、炊いた茶福豆、松前漬があって、これだけならまだしも 「奥井海生堂」 の刻み昆布を土鍋に投入した湯豆腐、「明神水産」 の鰹のたたきに刻んだ万能葱、にんにくのたまり漬やしょうがのたまり漬をかけ回した大皿が出てきたから断酒は早々に撤回し、芋焼酎 「小鶴」 のお湯割りを飲む。また、べったら漬にてメシ1杯を食べる

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0113(金) 本体以外が美味い。

6時30分に起床して事務室へ降り、しかしこの時間からでは大したことはできない。暖房のスイッチを入れたり、ファクシミリで届いている書類をその内容に従って事務係の机に置いたり、あるいは外の新聞を中に取り込んだりして7時に居間へ戻る。

若干の二日酔いである。朝飯は納豆、べったら漬、白菜漬、メシ、シジミと三つ葉の味噌汁。メシ1杯をこなしたところで、次は生玉子のぶっかけ飯を食べたいと思うがやめておく。

会社を1日留守にしただけで、事務机の上にはいろいろな書類が重なり、またメイルも多く届いている。そういうものの処理に追われているうち昼になる。昼飯の準備をする時間もないため、家内と蕎麦屋 「報徳庵」 へ出かける

雪は降っていないが気温は充分に低い。もっとも長野県の諏訪地方には 「雪のあしたの裸の洗濯」 という言葉もあるように、降雪の日は晴天の日ほど寒くはない。余談はさておき家内は天ぷら蕎麦を注文し、僕はその大盛りを注文する。その蕎麦の前に、色の濃い味噌を塗って焼いた芋串を食べる。

「きのうの砂場、どうだった?」 と家内が訊くので生返事をしていると 「東京のお蕎麦屋さんって、お蕎麦以外のものが美味しいよね」 と言う。駿河台の崖下にある 「松翁」 のように、蕎麦もつゆも山葵も美味い、という店もないではないが、一方、家内の意見を裏付ける名店が東京に多いことも事実だ。もっとも当方は蕎麦よりも、焼き海苔やら穴子の煮こごりやら鱧のかまぼこで飲酒を為す方にこそ興味があるのだから別段 「お蕎麦以外のものが美味し」 くても、それはむしろ望むところだ。

東京の名店を食べ歩いてあれこれ評論をしている人は是非、我が町へ蕎麦を食べに来て欲しい。もっとも蕎麦つゆについては、藪や更科や砂場のお運びのオバサンの目を盗んでかっぱらうのも貧乏くさいから、自分好みのものを買うなり作るなりして持参した方が良いかも知れない。山葵は現地調達が可能だから、鮫皮だけを準備すればよい。

我が町の人たちが美味い蕎麦をごく当たり前に食べているのは、農民が美味い米を、漁師が美味い魚をごく当たり前に食べていることに似ている。優れた蕎麦粉、優れた技術なら東京にもある。美味い蕎麦を作るにはもうひとつ、美味い水が必要である。

「松前漬」 というくらいだから元々は北海道のものなのだろう、ただし我が町の人たちは冬になるとこれをよく作る。しかしウチでは作らないから人に作ってもらわなければ食べることができない。初更、サイトウトシコさんに作ってもらった松前漬を肴に「福光屋」 の 「豪華」 を飲む

舞茸、大正海老と同じ大きさではあるがなんという名前かは知らない海老、かき揚げ、大葉、最近は真冬でもスーパーマーケットにある茗荷による5種の天ぷら、「報徳庵」 から持ち帰った生蕎麦を茹でたものが晩飯だから、「天ぷら蕎麦」 という文字にしてしまえばこれは昼飯と何ら変わるところはない。その盛り蕎麦を食べて 「やっぱりこのあたりの蕎麦は美味いよ」 とみなで口々に言う。「今朝、収穫した」 というイチゴ3個をデザートとする

入浴してなにも飲まず、10時前に就寝する。


 2006.0112(木) 2本と4杯

6時に目を覚まして起床する。事務室へ降り、きのうのうちに書いておいたきのうの日記をサーヴァーへ転送する、ウェブショップの受注を確認するなどのよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は納豆、白菜漬、「正法院」 の 「うなぎごぼう茶漬」、メシ、ワカメと油揚げの味噌汁

家から東武日光線下今市駅までは徒歩で8分の記録を持っている。しかし過去の記録を参考にするのは危険である。今朝は11分の余裕をみて玄関を出たが、跨線橋からプラットフォームへ達したのは7時45分で、これは上り特急スペーシアが発車する1分前だった。そのスペーシアが北千住と鐘ヶ淵のあいだで停電により停まってしまったから 「しまった、北千住で降りれば良かった」 と考えたが、浅草には定刻の僅々3分遅れで到着した。

10時すこし前に日本橋高島屋の地下鉄口へ行く。2月の半ばより1週間だけ出店する催しにつき、地下2階にある、まるで潜水艦の内部のような事務室にて担当者と詳細な打ち合わせをする。それを済ませて後に1階と2階へ行き、すこしばかりの用を足す。

午後に室町へ移動し、「砂場」 の引き戸を開けると多くのオヤヂたちが酒を飲んでいる。「君たちは見たところ、先ずご隠居ではあるまい。隠居でないばかりか三つ揃いを着用しているあたり、いまだ仕事の途中と思われる。それでいて真っ昼間から酒に顔を赤くしているとはどのような了見によるものか」 とただしたくなるところをぐっと我慢する。僕については既にして仕事を終えているため板わさ、酢の物、盛り蕎麦にて燗酒2本を飲む

末広町でこれまたすこしばかりの用を足し、6時より集まりのある池袋へ、その45分前に着いてしまう。街なかを歩いて写真を撮るという遊びは、今日はカメラを持っていないからできかねる。「男体山」 でシラスおろしとモツ焼き5本を肴に焼酎のお湯割り2杯を飲む。

今夜中に帰宅の必要があるため 「明日館」 での会合は7時を以て辞去する。7時からは僕と入れ替わる形にて、おなじホームページ運営室のヤマダジュンジ君が会議に出てくれるから不安はない。山手線と千代田線を使って北千住へ達すると、下り特急スペーシアが発車する20時11分までにはいまだ50分もある。駅の西側にある細い道を入り、「天七」 にて串揚げ12本を肴に中ジョッキのチューハイ2杯を飲む

10時前に帰宅し、入浴して牛乳を300CCほども飲む。11時に就寝する。


 2006.0111(水) しもつかり

きのうと同じく2時前に目を覚ます。「いくらなんでも早すぎるわな」 と考えつつ、しかし 「写真美術館へようこそ」 を読む。それにしても、本を読むため布団から出した腕や手が寒い。枕頭の灯りを落としてふたたび眠ろうとしたり、あるいはまた灯りを点けたりして3時、いつのまにか二度寝をして4時、そして5時に起床する。

事務室から製造現場へ移動し、小一時間ほどの作業に従う。事務室へ戻ってはいつものよしなしごとをして7時にエレヴェイターを上がる。

朝飯はベーコン、スクランブルドエッグ、しもつかり、「正法院」 の 「うなぎごぼう茶漬」、納豆、白菜漬、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁。猫の吐瀉物のような外観を持つ郷土料理 「しもつかり」 は物心がついて以来の食わず嫌いだったから、初めてこれを口にしたのは27歳のときだった。これが美味いか不味いかといえば、それは美味い。

年少の友人オサタイスケさんは髪に寝癖ができると、それを時期的指標として床屋へ行き坊主にしていた。そのはなしを聞いて僕も同じく、鏡で寝癖を発見すると加藤床屋へ行き、バリカンによる処理はオヤジさんが 「まだ早かんべぇ」 と言うから今のところはハサミで坊主にしてもらっている。

その加藤床屋から戻って今年の昇給の最後のところについて考え、昼過ぎに結論を出す。夕刻に2通の見積書を検討し、そのふたつの工事を行うことをほぼ決める。

酒を飲む気がしないのは二日酔いの日のせいぜい昼までで、あたりが暗くなればほとんど常に酒は飲みたい。しかし、今夜は飲まないと決めてしまえばどうということもない。初更、ルッコラや南瓜のサラダ、人参のグラッセ、ほうれん草の油炒め、ハンバーグステーキにてメシ1杯を食べ、飲酒は避ける。

あしたの朝は忙しくなるから入浴後に牛乳をおよそ600CCほども飲みつつ本日の日記を本日のうちに作成し、毛足の長いホットカーペットの上ですこし休んで11時に就寝する。


 2006.0110(火) これは解けねぇわ。

目を覚ましてしばらく後に部屋の中を見まわし、何となく 「4時ごろだろうか」 と考え携帯電話を開くと、ディスプレイにはいまだ2時前の数字があった。「写真美術館へようこそ」 を読んだり二度寝をしたりして5時に起床する。

製造現場で小一時間ほどの作業に従ってから事務室へ移動してコンピュータを起動する。「清閑PERSONAL」 のアクセスカウンタが30万を超えている。"300,001" を当てた人には僕の普段飲みながら赤白どちらかのワインをプレゼントするとトップペイジに明示しているが、今回は該当者がいなかったらしい。

「秀丸」 に "HTML" によるテキストを一文字ずつ打ち込む式のこのペイジを開いたのが1999年の3月だったから、それからおよそ7年が経ったことになる。ウェブログへ移行すれば諸々ははるかに楽になるのだろう。しかし家の引っ越しと同じく、ウェブペイジのフォーマットをまるごと替える面倒を思えばそれも気が進まない。そういえば僕はスケデュール管理もコンピュータで行い、後発で勢力を伸ばした 「ザウルス」 などの電子手帳には遂に、興味を覚えなかった。

それを殺してしまえば良いだけのことだが、ウェブログにはトラックバックやコメントの機能があり、しかし "NIFTY" の "HomeParty" から始めたオンラインの会議室に数万件の書き込みをしてきた僕には 「オンの交流は、もういいや」 との思いがあるから、ウェブログからはますます足が遠のくことになる。

またある人の日記について、それがストロングスタイルの原始的な体裁のときには面白く感じたものが、ウェブログになってからは文体が変わったわけでもないのにどうも読む気がしなくなり、これはどのあたりにその要因があるのかは知らないが、改装した途端に客を減らす店を見るごとく不思議の念を禁じ得ない。もっともこれは特殊な例で、興味深いウェブログはもちろん星の数ほどもある。

"neu frank" のコーンビーフをお粥の具にしたらさぞかし美味かろうとは前々から思っていたことだ。だしで晩飯の残り飯とほぐしたコーンビーフを炊き、そこへバターと生クリームを加え、最後に万能葱のみじん切りを散らしたものが今朝のメシで、感想は 「やっぱり美味ぇや」 のひとことである。

新学期を迎えた次男が早速もらってきた宿題を初更に督励する。クロスワードパズルを解きながら漢字や熟語を覚えていく国語の問題だったが、大人のパズルとくらべてマスの数が少ないからそれだけヒントも減る勘定になり、僕が考えてもどうにも解けない。「これはね、答えを見なかったら先生でもできない問題だぜ」 と言って家内に叱られるが、しかし本当のことである。お父さんも分かりませんでしたと、このまま提出するよう次男に促したから次男は一気に肩の荷を下ろして 「さぁ、メシだ」 ということになる。

しもつかり、銀鱈の西京焼き、炊いた里芋の胡麻和え、ハクサイとニンジンと豚挽肉の中華風にて芋焼酎 「小鶴」 のお湯割りを飲む。また、白菜漬にてメシ1杯を食べる

入浴して牛乳を350CCほども飲み、9時すぎに就寝する。


 2006.0109(月) 2杯目をあきらめて

6時30分に起床して事務室へ行き、本日すべきことのメモをつけるなどして7時に居間へ戻る。日光の山は、その渓や崖崩れの部分には厚く雪が溜まり、それ以外のところにはパウダーシュガーのような同じく雪が薄く乗ってきのうよりも白く、あるいは朝日を浴びて紅く染まっている

朝飯は 「進々堂」 のパン、バター、らっきょうのたまり漬とツナとマヨネーズを混ぜたもの、ミルクティー、サラダ菜とトマトのサラダマヨネーズ入りスクランブルドエッグ。ミルクティーの香りを聞いてインドを思い出すのは、今朝の茶葉が彼の地の路上喫茶店で使用しているそれと、共通するものを持っているからだろう。「進々堂」 のパンは美味いから次々に焼いて次々と食べる。

あれやこれやとして夕刻にいたる。終業後、会社の新年会にて豚かつ 「あづま」 へ行く。酒飲みは先ず大根や胡瓜の浅漬け、レタスと玉葱のサラダにて焼酎やビールを飲むが、我が社には腹っぺらしも多く、豚かつで2杯、刻みキャベツで1杯、漬物で1杯とお代わりを重ねる者も6名ほどはいる。

昨年の12月にオヤジの事務机から宝くじがちょうど100枚、出てきた。調べてみると中には当たり券も含まれていた。というわけで新年会の余興は 「宝くじのくじ引き」 としたろころ、5千円3枚はサイトウヨシコさん、フクダナオブミさん、サイトウシンイチ君が、また1万円1枚はセオヨーコさんが引き当てた。この4人には今年1年、大晦日まで運がついて回るのではないか。

「あづま」 の豚汁は、豚肉と長ネギのみという簡素な具が却って美味さを引き立てている。よほどお代わりをしようとしたが、あまり栄養を取りすぎるのも問題かと、それを諦め7時30分に帰宅する。

入浴して牛乳を350CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0108(日) こういう新年会も悪くない。

5時に起床して事務室へ行き、少々の後に製造現場へ入って小一時間ほどの作業に従う。事務室へ戻ってからはいつものよしなしごとをし、7時に居間へ上がる。

外国へ行けば何ヶ月でも現地食のみで暮らせるが、日本にいるかぎり朝飯にはほとんど米のメシしか食べない。家内は僕とは逆に、朝飯はパンでなくては気が済まないからウチの朝の食卓には和洋がいつも混在する。今朝は例外として家内につきあい 「進々堂」 のパン、バター、らっきょうのたまり漬とツナとマヨネーズを混ぜたものミルクティーサラダ菜とレタスとトマトのサラダ、ベーコンエッグ、グリーンアスパラガスの油炒めを食べる

12時をまわったころ、ことし成人式を迎えた事務係のイリエチヒロさんが晴れ着を着て来社する。以前にも書いたが20歳の1月15日に僕はタウンパーカを着て渋谷で昼酒を飲んでいた。僕以外のすべての人は、僕よりもおおむね真面目である

閉店後、町内の新年会が開かれる春日町一丁目公民館へ出かける。畳の上1メートルの高さに広がる目に見えない平面には日本酒と、誰かの背中に貼られたトクホンが香っていた。鮪の刺身、出前の鮨、タケダミッチャン手作りの漬物や煮物や松前漬で燗酒を飲み、昨年の災いや本年の展望につき長老たちと話し込む。

8時に帰宅して入浴し、牛乳を350CCほども飲んで9時30分に就寝する。


 2006.0107(土) 飲酒のコスト

5時に目を覚まして起床し、製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従う。外の国道を走るクルマもこの季節、この時間にはごく少ないから、味噌や漬物の立てる音がいちいち耳に届くのも面白い。事務室へ戻ってよりは、社員の顔を思い浮かべながら本日してもらうことをメモにしたり、あるいはきのうの日記を作成するなどのよしなしごとをする。

7時にエレヴェイターを上がる。洗面所の窓の外には晴れた空、雪をかぶった山、霜の降りた家々の屋根という冬の景色がある朝飯は穴子や玉子やお稲荷さんといった甘い系の鮨、べったら漬、豆腐と三つ葉の味噌汁。この味噌汁が美味くて、1杯目に口を付けた2分後にお代わりをする。

始業前に、店舗に沿った国道121号線を掃除していて、真っ直ぐに歩けないというか、ホウキを持つ右手が不如意というか、そういう時間を数分だが経験する。「軽い脳梗塞だろうか」 とか 「この寒さのために血圧が急に上がったのだろうか」 とか 「そんなに大げさなものではなく、目深にかぶった帽子による視野狭窄がもたらしたいたずらだろうか」 などと考えるがもちろん、その原因は分からない。15分後に居間へ戻り、血圧を測ると上は144の下が72だったから、上がちと高いことを除けばしごく正常である。

親を亡くした疲れは四十九日ごろにその頂点を迎えるから気を付けろという、下級生のウメツテンポー君がくれた丁重な手紙を思い出す。その四十九日の墓参りには、家内と次男とで9時すぎに出かけた。お墓に置いた仮位牌、十二仏、六角棒を如来寺の寺務所へ戻し、次に控えているのは百ヶ日、そしてお墓の開眼となる。

午後、次男が所属するテニス部の会合へ出かけ、その帰り道に晩飯の買物を済ませる。

初更、黒豆を肴に芋焼酎 「白金之露・黒」 のお湯割りを飲みつつ 「写真美術館へようこそ」 を読む。「白金之露・黒」 の一升瓶はこの1杯にて空となったが、過去の日記を見ればこれを飲み始めたのが昨月の1日だから、およそ40日ちかくは楽しめたことになる。家で飲む酒は安い。

材料費に換算すればひとりあたり300円ほどの鍋の内容は豚肉、椎茸、エノキダケ、タシロケンボウんちのお徳用湯波、厚揚げ豆腐、水菜で、これを食べながら今度は芋焼酎 「小鶴」 のお湯割りを飲む。

入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0106(金) やっぱりこの冬は寒いんだね。

目を覚まして枕頭の灯りを点け、時計を見ようとするがその角度が当方に対して斜めのためよく確認できない。仕方なしに携帯電話を開くと5時30分だった。「ちょうどいいや」 と起床して製造現場へ行き、小一時間ほどの作業に従う。事務室へ移動してからは、きのう送付したメイルマガジンのバウンズした分の処理、日記の作成など、いつものよしなしごとをする。

昨年末の月平均気温が戦後の最低を記録したとか、年が明けてからは東北や北陸の豪雪で交通が遮断されたとか家かつぶれたとか、昨年の酷暑の揺り戻しのような天気が続いている。我が町は天然の災害のほとんどないところだからテレビや新聞でそのようなニュースに触れるたび、なにやら申し訳のない気分になる。

ただし、そういう厳冬の中でこそ味わいを増す醸造品は多い。正月休みが過ぎて製造の社員が出てきてからは、蔵出しされるばかりのあれこれが僕の目の前を行き交って、それは本当に良い風景だ。

日中、年始回りの取引先が次々と訪れる。そのうちの2社には 「あぁ、そうだ」 と仕事を発注したから、年始の挨拶というものは、しないよりもした方が良いのだろう。僕がかつて年賀のタオルやカレンダーを持って得意先を歩いていたときにも、毎年この仕事は正月6日に行うものと決めていたことを思い出す。

初更、往復1キロ強の道のりを年寄りが歩ける気温ではないため、オフクロをホンダフィットに乗せて大谷橋南詰めの鮨屋 「みとや」 へ行く。お決まりのにぎり鮨をお茶で食べ、7時30分に帰宅する。

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0105(木) 心配の理由

目を覚ましてしばらく後に携帯電話を開くと、ディスプレイの数字は3時30分を指していた。静かな暗闇に携帯電話をカチャリと閉じる音は多分、僕がもっとも好まない音のひとつで、だったらもっとも感興を覚える音は何かといえばそれは、電話線を用いてコンピュータを外部に繋ぐときの、これはどのような状況においても聞こえるわけではないが 「ヴォーッ」 というそれである。

「写真美術館へようこそ」 は予想以上に面白い本にて、これを読んだり、また二度寝をしたりして5時に起床する。本日は製造現場での仕事は予定していないから長男には声をかけず、事務室へ降りていつものよしなしごとをする。

7時に居間へ戻る。朝飯はメカブの酢の物、ほうれん草の油炒め、納豆、「正法院」 の 「うなぎごぼう茶漬」、メシ、三つ葉の味噌汁

9時前、鎌倉の実家へ行く家内と、長男、次男の3人をホンダフィットにて東武日光線下今市駅へ送る。帰路はできるだけ合理的にあちらこちらを回って用を足そうと考えるが、いまだ正月休みの店などもあって、朝の計画は早々に頓挫する。

夕刻に店舗へ行くと、日本橋高島屋での2月の販売に社長は行くのかと販売係のトチギチカさんが訊くので、自分は留守番にまわるから、それにともなう人員の不足はアルバイトでまかなう予定だと答える。しかし話をするうちトチギさんの心配は人の配置などではなく、だったら夜の酒飲みの音頭は誰が取るのか、というところにあったことを知る。そのあたりについては、僕がいなくても家内がいれば大丈夫だろう。

初更、"Macallan 10 Years old" のお湯割りを飲みつつ鹿肉のカレーライスを食べる。入浴して今度はビールを300CCほども飲み、10時に就寝する。


 2006.0104(水) このアップルパイは美味いぜ。

今月の2日以来かわらず5時に目を覚まして起床し、「5時半に事務室で待ってる」 と長男に声をかけてエレヴェイターを降りる。製造現場へ行き、長男と数十分の作業に従って事務室へ戻る。インターネットへの接続は相変わらず不能だった。きのうの日記を書いてサーヴァーへは転送できず、7時に居間へ戻る。

きのうの夕刻に販売係のサイトーシンイチ君が塩化カルシウムを撒いておいたためか、さきほどシャッターを上げて確認した店舗駐車場に雪はほとんど付着していなかった。しかし家々の屋根はやはり白い。朝飯はメカブの酢の物、ツナとレタスのサラダ、つがる漬、納豆、メシ、厚揚げ豆腐とほうれん草の味噌汁

8時前より、本日が初出勤となる製造係の社員たちが事務室へ入ってくるたび新年の挨拶を交わす。やがて外注SEのシバタサトシさんが来社して、きのう次男が任天堂のゲイム機を接続したため設定が壊れてしまった無線LANを復旧させる。作業を心配そうに見守っていた次男はシバタさんに対し 「有り難うございました」 と神妙に礼を述べた。

フランス料理の "Finbec Naoto" では市場が仕事始めとなるまでの数日間、カレーライスやハヤシライスをメインディッシュとする気楽なコースを出すと聞き、これは昨年も同じことをどこかで耳にして出かけた記憶もあるが、今年もそのようなわけで終業後に家族5人でホンダフィットに乗り、凍った道を行く。

次男が 「死ぬほど美味めぇ」 と言ったトリップと白インゲン豆の煮込みチーズ5種の盛り合わせジャガイモとレタスのサラダ、オニオングラタンスープにてムスカデ1本を空にする。酒は飲むクセをしてヘンなところでケチだからシーフードのカレーライスや牛の頬肉入りハヤシライスは避け、「普通のカレーライス」 を僕は注文する下手をすると硬口蓋を火傷しそうなほどに熱い焼きたてのアップルパイ焙煎の強いコーヒーにて締める

帰宅してウイスキーを飲もうとしたが、二日酔いになってもいけないと思い直して入浴する。ウイスキーの代わりに牛乳を350CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0103(火) 軽々に遊ぶと危ないね。

5時に目を覚まして20分後に起床する。きのうの午後一杯を横になって過ごしたことが効いたらしく、体調は完璧に回復している。5時30分から長男と製造現場へ入って数十分ほどの作業に従い、事務室へ戻って後はいつものよしなしごとをする。7時に居間へ戻る。朝飯は3日つづきのお雑煮

昨年は2日よりも3日の売上金額の方が高かったが、今年はどうもその逆になるらしいことは昼前から何となく予想された。午後より雪が降り始め、それが断続して夕方まで続く

先月20日に行われた第151回本酒会の会報を終業後にようやく書き、そのメイルマガジン版を会員各位に送付する。次にウェブペイジ版を作成してサーヴァーへ転送する。最後にヤマトメイル便版をプリントして綴じ、折って封筒へ詰めて宛先シールを貼付する。

その最中に次男が事務室へ来て 「任天堂DS」 を "BUFFALO" のエアステイションに繋いだ。続いて次男は世界中から 「いま対戦できる人」 を検索して "Karl"、"Rock"、「ふうちん」 という名の国籍不明者と 「マリオカート」 を始めた。そのかたわらにいる僕は初めて電灯を見た明治の人と同じく目を丸くして 「ヘーッ」 と感心するばかりである。

ただし、次男がそのゲイムを終了した直後から事務室の無線LANが接続不能となったため、僕は外注SEのシバタサトシさんへ電話をし、明朝の復旧作業を要請する羽目になる。

4階へ戻って次男に 「風呂の掃除をしろ」 と命ずると、きのうは 「ちべたいんだよ」 とそれを拒否したにもかかわらず、本日は自らが引き起こしたらしい "LAN" の故障に気がとがめたか素直に裾まくりをし、残り湯を抜いた湯船に入ってそれを磨き始めた。「ちべたいんだよ」 とはいえ本人は鼻歌まじりだから、そう辛いものでもないらしい

蛸とホタテ貝とレタスとトマトのサラダ、イチジクを干して様々な香辛料を加え平たくしたものと食べる "neu frank" の生ハム、3種のキノコのスパゲティにて "Veuve Clicquot Ponsardin Brut" を飲む

入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。


 2006.0102(月) 性分

5時に目を覚まして起床し、5時30分から長男と製造現場へ入って初売りの準備の一部をする。数十分後に事務室へ戻り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。

朝飯の雑煮の塩鰤が、元旦のそれよりも塩分を増している。この、九州北部と広島県の海沿い地方の "idiom" を折衷した雑煮はいわゆる関東地方のものよりも僕の好みに合っているが、酒肴としても優れているところから、仕事のある日の食べ物としてはそぐわない

出勤する社員ひとりひとりと新年の挨拶をする。開店の数十分前にいらっしゃったお客様は店舗ではなくその脇の事務室より請じ入れ、お買い物のあとは本年最初のお客様として 「片山酒造」 の優れたカストリ焼酎 「粕華」 を進呈する。雪は降っていないが日光の山の半分ほどは雪雲に覆われ、正月らしい青空は見えない。その天気を反映してかどうか、客足が繁くなったのはようやく10時をすぎてからだった。

販売係と包装係は本日より出てきているが、製造係は4日からの出勤となる。そのため初荷も4日としているが、どうしてもあした必要だからという急なご注文に応えてひと気も火の気もない製造現場でかなり複雑な荷造りをこなしているうち悪寒を覚え、間もなく倦怠感が腰から全身へと広がってくる。昼飯のカツサンドを無理に食べて後は遂に耐えきれず、寝室で横になる。オヤジが生きていれば 「だからそういう注文は断れといつも言ってるだろ」 と、ウンザリした顔をされるところだが、人にはそれぞれ性分というものがある。

「長生きの秘訣は不義理をすること」 とは岸信介晩年のことばだ。しかし同じ不義理をしてオヤジは75歳で死んだから、このあたりも飲酒喫煙は命を縮めるという通説と同じくあてにはならない。

夜勤前の看護婦さんが飲むという、効くのか効かないのか不明のサプリメントを家内からもらい、それを飲む。そのうち胃が痛くなってきたのと、どうも熱の出てきた感じがするため新三共胃腸薬とアスピリンとを牛乳と共に飲む。野見山暁治の 「四百字のデッサン」 はいかにも文章が素晴らしく、なにも知らない人がシャトーディケムを一気飲みするような塩梅でこれを片付けては勿体ないため一旦これを閉じ、

「写真美術館へようこそ」  飯沢耕太郎著  講談社現代新書  ¥798

を読み始める。

手本に近ければ近いほど、あるいはこれが格好の良い字だとされるものに似ていれば似ているほど評価されるという点において、僕は子供のころから書き初めが嫌いだった。次男の書き初めの宿題を僕が督励すれば、練習なしにいきなり書いた最初の1枚で 「良いじゃないですか」 と、それ以上は望まないこと必定だが、次男にとっての不幸は長男が家にいることにて、長男は本日この件につき、のべ5時間にわたり次男の指導に当たった。

初更、レタスとトマトと胡瓜のサラダ、玉子のグラタン、鹿肉のカレーライスを晩飯とし、もちろん飲酒は避ける。食後に牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。


 2006.0101(日) お正月

目を覚まして携帯電話を開くと黄色く光るディスプレイは2時30分を示していた。元旦とはいえこの時間がら起き出すのはいかにも早すぎる。「写真とことば 写真家二十五人、かく語りき」 を読んだりまた眠ったりを繰り返しているうちに不覚を取り、気が付くと6時40分になっているので即、起床する。

普段であれば神棚、仏壇、稲荷、水神、地神の5ヶ所に精進のお雑煮を供えるところだが今年は喪中のためそれは控え、ウチにいる総勢5人にて先ず墓参りに出かける。今にも雪の降り出しそうな曇り空はいかにも寒々しく、地面は固く凍りついていた

この正月にはおせち料理が準備されなかったが、普段からそれを好まない僕にはなんの痛痒もない。「鎌田屋商店」 のつがる漬「雪華堂」 の黒豆「久埜」 の栗きんとん、それにお雑煮さえあれば、これで正月の朝飯は充分である、と書いたが 「福光屋」 の純米吟醸 「豪華」 も180CCほどは飲んだ。

どこかへ出かけるらしい家内と長男と次男の3人を見送り、11時から3時間ほど昼寝をする。午後は事務室へ降りてきのうの日記を作成し、また毎月1日に更新している文章を仕上げてサーヴァーへ転送する。

「今年はゴマメが無かった」 「オレ、釘煮とかごゴマメはどこが美味いのか分かんないからどうってことないわ、オイルサーディンでも食っときゃいいよ」 ということでオイルサーディントマトのおろし玉葱ドレッシング、鹿の刺身、おなじく鹿肉のオリーヴオイル焼きバルサミコソース、今朝の食卓に上ったあれこれ、餅の素焼きにて初更より芋焼酎 「白金之露・黒」 のお湯割りを飲む

入浴して今度は "Macallan 10 Years old" を生で60CCほども飲む。続いて牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。