6時に起床する。いつもはひとりだが、今日は家族もいるため、いきなり居間を明るくしてコンピュータを起動するわけにはいかない。「台湾鉄路千公里」 は、昨夜の就寝前に読み終えてしまった。仕方なしに、これのあとがきや解説のあたりを2度読みする。
7時に、ほとんど完成していたきのうの日記を整え、サーヴァーに転送する。
サクラの花びらを炊き込んだおこわと豚汁の朝食を取る。次男のおこわはタケノコだった。
8時10分に、7歳の次男とふたりで甘木庵を出る。本郷三丁目から地下鉄丸の内線で東京駅に至る。延々と長い通路を歩いて京葉線に乗る。木場付近の水路に、サクラが満開になっている。空は晴れている。舞浜で下車する。
以前はここから歩いた東京ディズニーランドまで、モノレイルに乗って行く。つい最近始められた荷物検査を受け、入場券売場までの長い列の最後尾に立つ。
次男は昨年、夏祭りの福引きで、ディズニーランドの入場券を当てた。これは僕が使うこととし、次男には、今日と明日の2デイパスポートを買う。
10時に、ようやく園内へ入る。サクラが咲いている。モクレンも咲いている。良く手入れされた花壇に、チューリップやスミレが咲いている。これほど花の綺麗なディズニーランドは初めてだ。
次男の希望を聞き、トゥーンタウンのカートゥーンスピンの列に並ぶ。待ち時間は35分と表示されている。これに乗って外へ出ると、既にして空腹を覚えている。列を作る必要のない船や小公園で遊び、ウエスタンランドを目指す。
春休み、好天、そして何よりも、たくさん用意された開業20周年の催しのため、園内はどこを見回しても人だらけだ。
山口瞳は、「新幹線の食堂車で、ステーキを食べる人間が嫌いだ」 と言った。僕もこのようなところでは、凝ったメシは食べたくない。いつも行くカレー屋に近づくと、人混みの向こうにロープがあり、店内へ達するまで2、30分は待ってもらう必要があると、係の説明がある。
それでも15分ほどで、席に着くことができた。食券売り場を指し、「これからカレーを買ってくるから、心配しないで待っててね」 と、次男に言い聞かす。
今からすれば3年前に、次男の身長が足りずに優先券だけをもらって帰ったアトラクションがふたつある。そのうちのひとつ、ビッグサンダーマウンテンに近づく。係に券を見せると、すかさず次男の手の甲に、赤いスタンプが押される。
100分以上の待ち時間が掲示された列の脇をすり抜け、5分で乗り場に達する。スタンプを押してくれた係の薦めに従い、最前列に乗ることを場内係に所望する。
怖さ半分、嬉しさ半分の次男を抱くようにして、この乗り物を楽しむ。
それ以降、次男が興味を示すアトラクションは、幸いにもそれほど長い待ち時間を要さないものばかりだった。それら4種に、次々と乗る。
暑くもなく、寒くもなく、風もなく、湿度も低い。今日ほど絶好のディズニーランド日和は、かつて経験をしたことがない。
最後に、優待券のあるもうひとつのアトラクション、スペースマウンテンの建物に近づく。こちらも待ち時間は100分以上だったが、やはり長い列の脇を抜け、5分で乗り場に達する。係に最前列の席を要求し、暗闇の中を疾走する。
4つの駅を持つ環状のモノレイルに半周以上乗り、イクスピアリの中を歩いて舞浜駅へ達する。東京駅の長い通路は歩きたくないため、八丁堀で降りて地下鉄日比谷線に乗り換える。
仲御徒町駅から地上へ出る。自分ひとりなら歩く距離をタクシーで甘木庵に戻る。5時になっている。次男とシャワーを浴びて着替え、ひと休みする。この2日間の僕の眼目は、次男を元気な状態で遊ばせることにて、体のためには、このようなリフレッシュメントも必要だ。
6時に甘木庵を出る。銀座までは、本郷三丁目から地下鉄丸の内線を使うのが最速最短だが、やはり次男を疲れさせないため、普段は歩く上野広小路までの道をタクシーに乗り、地下鉄銀座線にて銀座へ出る。
5丁目の路地裏にある 「鳥ぎん」 には、既にして家内と長男、鎌倉から来た家内の兄夫婦の娘ふたりが待っていた。大量の焼き鳥を何回もお代わりし、3種の釜飯にて締める。僕は小さなグラスの生ビール1杯と、コップの日本酒2杯を飲んだ。
続いて、6丁目のコージーコーナーへ回る。家内と女の子ふたりは、「これを食べたら、10キロ走ってもそのカロリーは費消できないだろう」 と思われるような、果物とクリームの固まりを食べる。長男は紅茶、次男はアイスクリーム、僕は赤ワインを取る。
地下鉄丸の内線を使い、8時30分に甘木庵へ帰着する。「夕方シャワーを浴びたんだから、もういいじゃない?」 と提案をするが、次男は風呂に入りたいと言って聞かない。ふたりで入浴をし、9時に就寝する。
他の者が、何時に寝たかは知らない。
閉店後、本日出勤したほとんどすべての社員と共に、対前年度週間粗利ミックス表の検討をする。それを終え、2日分の着替えとコンピュータなどの入ったザックを持って、外へ出る。日光街道を下り、「下り」 というのはこのあたりの言葉で東京方面を意味するが、きのう 「じゃぁ、また来るね」 と伝えた小料理屋の 「和光」 へ行く。
預けてある 「吉四六」 のボトルを出してもらう。オンザロックスにして飲み過ぎてはいけないと、これをお湯割りにする。突き出しは、切り干し大根とニンジンと油揚げの煮しめだった。このような総菜は栃木県の郷土食 「しもつかり」 と同じく、冷えているほど美味い。
「オレ、今日はゆっくり飲んでいられないんだよ、6時52分の電車に乗るから」
「だいじょぶでしょ」
という会話があって、ホタルイカを注文する。「これ、辛いけど」 と、タコのワサビ和えが添えられる。
この季節、銀座の 「おぐ羅」 でホタルイカを注文すると、それは生で供される。それほど高い価格を顧客に要求しない店では、ホタルイカは茹でた状態で鉢に盛られる。僕は、ホタルイカは、どちらかといえば、茹でた、つまり安いものの方が好きだ。
オンザロックスにして飲み過ぎてはいけないと、お湯で薄めた焼酎をきのうに続いて飲んでいるが、多くの場合、2倍に薄めた酒は2倍の速度で飲まれるため、小賢しい節酒の計画は、ほとんど破綻することになっている。
すこし離れたところにある、「本日のおすすめ」 のような黒板を見に行く。細かく書かれたチョークの白文字を入念に眺めていると、調理場のオカミから 「ウワサワさん、これ、よかったら飲んで」 と、声がかかる。
席へ戻ると、そこにはトマトと玉子のお吸い物があった。シャキシャキとした歯ごたえのミツバも、具に加えられている。
1991年の春、カトマンドゥで扁桃腺を腫らし高熱を発した僕は、「なにか食わなかったら、ますます病状は悪化する」 と恐れ、泊まっているホテルの、食堂が工事中のため、屋上に調理場を仮設したレストランへ行った。そのとき、僕がメニュから選んだものは、"tomato egg drop soup" だった。
以来、トマトと玉子を使った料理は、僕の好物のひとつになった。
腕から外してカウンターに置いた電波時計が、店に滞在できる時間の、ちょうど真ん中を示している。いまだ余裕はあるが、時間を限って旅行や飲酒を為すとき、「あと半分」 の時間は、まるでつるべ落としの夕日のように、素早く過ぎていく。
ふたたび 「今日のおすすめ」 のような黒板の前に行く。この日記を格好良く収束させようとすれば、注文すべきはマカロニサラダだろう。しかし僕の目は、またしても 「イカ」 に引きつけられる。
本来のワサビをカラシに変更してもらったイカ納豆を、入念に攪拌する。「入念に」 とはいえ、ある種の麻薬で正体を喪失した人間のような執拗さで、数十分間もかき回しているわけではない。
6時40分に、勘定を頼む。勘定を終えて外に出ると、6時42分になっている。
下今市駅18:52発の、上り特急スペーシアに乗る。明朝の繁忙を勘案し、車内で今日の日記のあらかたを作成する。北千住から地下鉄千代線を経由して湯島へ至る。
9時すぎに、家内と長男と次男が、鎌倉の家内の実家から甘木庵へ到着する。入浴してビールを350CC飲み、10時30分に就寝する。
目を覚ますと、既にして部屋の中は薄明るくなっている。そのまましばらく過ごして起床する。居間へ行くと、電波時計の針が6時を示している。
事務室へ降り、朝のよしなしごとをする。7時30分に、家内と長男と次男を下今市駅へ送る。彼らはこれからの春休みを、東京や鎌倉にて過ごす。
帰宅して、おにぎりによる朝食を取る。
開店前の外掃除をしていると、包装係のサイトウヨシコさんが新入社員のサイトウシンイチ君に、客用トイレの掃除について指導をしている。新人はいま、追い立てられるようにして仕事を覚えている最中だが、この追い立てられるような感じは、1年は続くだろう。
仕事の合間に、階段室の本の山をかき分ける。本をかき分けて、何の足しになるだろうか? 少しは、整理整頓の一助になるかも知れない。
何時かは知らないが、とにかく暗闇の中で目が覚める。起きて本を読むには、少し眠気が強いような気もする。そのままかなり長い時間を何もせずに過ごし、いつの間にか二度寝に入る。何度か眠ることと起きることを繰り返した後、起床すると6時30分になっている。
事務室へ降り、ウェブショップの受注確認と、きのう撮った画像の処理という、30分で済む作業をする。
日光の山は晴れているが、真冬のような、透明に澄んだ晴れ具合ではない。日光街道に沿って植えられた杉並木からはとんでもない量の花粉が放射されているはずだが、僕の体は幸いにも、それを感知しない。
朝飯は、タクアンの油炒めパプリカ風味、ジャコ、レタスとポテトのサラダ、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、納豆、メシ、アサリと万能ネギの味噌汁。
今朝の味噌汁にはなぜか、西京味噌が使われている。25年ほども前に家内の実家で初めてこの味噌汁を飲んだときには、その甘さに仰天したが、今ではそのようなこともない。むしろ、貝と甘い味噌の組み合わせに、春らしい好もしさを感じる。
長男が暮らす自由学園の東天寮では、3年に1度、私物をすべて家に送り返す。これは、持ち物がいたずらに増えることを防ぎ、また、卒業生が残していった物をこの機会に整理するような目的があるのだろう。
家に届いたいくつもの段ボール箱の中から、長男が
何時かは分からないが、周囲のものの形が認識できる薄明かりの中で目覚める。枕頭の灯りを点け、「椰子が笑う 汽車は行く」 を読み終える。
この本を読むのは多分、3度目のことだが、僕は文章を読んでもすぐに忘れるため、3度目も、とても面白く読むことができた。末尾の解説は、丸谷才一、木村尚三郎、山崎正和の鼎談という豪華さだが、その中の
「どうやら鉄道ものの小説、随筆は、自動車と飛行機の発達によって、鉄道が衰えようとするときに生まれたようです。その意味で、永井荷風の花柳小説が、芸者が滅びようとするときに書かれたことと軌を一にしているわけです」
という丸谷才一の言葉には、「うめぇこと言うな」 と感心をする一方で、「それはちょっと、論理的におかしくねぇか?」 という考えも、大いに浮かぶ。
着替えて事務室へ降り、ウェブショップの受注確認をする。きのう撮った画像をカメラからコンピュータに移し、外へ出て今日の天気を予想する。
朝飯は、厚揚げ豆腐と豆モヤシの炒め煮びたし、カマスの干物、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、納豆、メシ、ナメコと豆腐と万能ネギの味噌汁。
午後からの健康診断に備え、昼食は軽くしようと考えていたが、ウチまで出張する診療機関から、「到着が1時間30分早くなる」 との連絡を受け、昼食は抜くこととする。
健康診断は、3時すぎに終わった。1年前とくらべて、血圧は正常値に戻り、体重は4.7キロ減った。これは、昨年の5月から始めた、酒と晩飯を1週間に2度ずつ抜く行為が、大いに影響しているものと思われる。
終業後、今夜から読む本を探すため、棚に納められた数以上の本が床に散乱する階段室へ行く。なかなか読みたい本が見つからないまま、階段に積み重ねられた本の背表紙を目で追っていくうち
6時30分に目が覚める。即、起床して事務室へ降りる。ウェブショップの受注確認と、きのう撮った画像の処理をする。
朝飯は、ジャコ、カキの佃煮、蕗のとうのたまり漬、メンタイコのお茶漬け。
子どものころはアトピー性皮膚炎に悩まされ、また走ると、気管支が苦しくなった。友達には走って苦しくなる者はいず、これを不思議に思った。皮膚炎も走ったときの胸の苦しさも、大人になるころにはきれいに無くなった。
いま、僕よりもはるかに頑健と思われる人に、アレルギーが多い。今月の21日に社員となったサイトウシンイチ君もハセガワタツヤ君も、身長は180センチ、胴回りは90センチを超える堂々とした体格だが、ふたりとも花粉症だという。多分、社員の半数以上は花粉症ではないだろうか。
肉体も精神も、鈍い方が、生きるのは易しい。
きのうの夜、17歳の長男と7歳の次男が相談をして、本日の晩飯を餃子と定めた。僕は明日の健康診断に備えて、カスピ海ヨーグルトとイチゴを摂取することとしていたが、これに、次男の作った水餃子を1個だけ加える。
この水餃子がめっぽう美味い。3口でそれを食べ終えるまでに、「美味い!」 という言葉を3回発する
次男は9時前に就寝した。僕は9時30分にベッドへ横になった。長男が自分のVaioをテレビにつなぎ、家内に学校生活の画像を見せている気配がする。浅く眠りながら、いくつかの夢を見る。
目覚めると長男が、「携帯電話の便利さは認めるが、自らの矜持が、それを持つことを許さない」 という話をしている。要は、「貧乏くさいことはしたくない」 ということだろう。家内がなにやら意見を言っている。それをまた、浅く眠りながら聴く。
なにやら幻を耳にしているような気分で、いつのまにか本当に眠る。
甘木庵で、6時30分に起床する。コンピュータを起動し、メイラーを回して ウェブショップの受注を確認する。
シャワーを浴びた後、床暖房のスイッチを切り、湯沸かしの電源を落としたことを確認して、7時15分に玄関を出る。
雨が落ちてきそうな曇り空の下を歩く。岩崎の屋敷の高い塀に沿って歩き、切り通し坂の途中へ出る。上野広小路まで下って地下鉄銀座線の駅へ潜る。浅草へ至り、8:00発の下り特急スペーシアに乗る。
席へ座り、"Minolta DiMAGE X" からSDを引き抜く。それをThinkPad s30へ入れて画像を転送する。間もなく発車する旨のアナウンスがあったため、カメラを持って連結部分に行く。東武日光線が隅田川を渡る鉄橋のトラスは風光に配慮して低く設計されたため、写真撮影のじゃまにはならない。
一昨日よりもはるかにほころんだ墨堤の桜へカメラを向け、シャッターボタンを押す。ディスプレイに、「カードが入っていません」 のエラーメッセイジが出る。列車はそのまま走り続け、桜は背後に去っていく。
10時前に帰社する。昼すぎ、自由学園の寮で暮らす長男から、「浅草駅13:20発の下り特急スペーシアで帰宅する」 旨の電話が入る。春休みとはいえ、長男が家で過ごすのは、僅々4日ほどのものだ。
燈刻、マグロのヅケにて、焼酎 「千夜の夢」 を飲む。
昆布のダシに 「共働学舎」 のベイコンを投入した鍋で、エノキダケ、タシロケンボウんちのお徳用湯波、糸こんにゃく、ミズナなどを炊き、豚シャブをする。更に、「千夜の夢」 を飲み進む。
7歳の次男が眠った後、家内と長男との3人で、なにやかやと話をする。
本は読まず、10時30分に就寝する。
目を覚ますと、部屋の中の諸々がどうにか視認できるほどの薄闇だった。今ごろの日の出は、当方の予想を超える速度で早まっていく。「敵中漂流」 を読み終える。
事務室へ降り、ウェブショップの受注確認と、きのう撮った画像の処理をする。
朝飯は、蕗のとうのたまり漬、生玉子、焼き海苔、メシ、ダイコンと豚肉と万能ネギの味噌汁。
下今市駅10:36発の、上り特急スペーシアに乗る。車内にて
甘木庵で、6時30分に起床する。コンピュータを起動し、メイラーを回して ウェブショップの受注確認をする。
7時15分に玄関を出る。晴れた空の下を、岩崎の屋敷裏から切り通し坂へ抜け、上野広小路へ至る。8:00発の、下り特急スペーシアに乗る。
墨堤の桜は木によって、いまだ蕾が紅く染まり始めただけのものもあれば、既にして三分咲きのものもある。
10時前に帰社し、事務室、店舗、包装部門、製造現場を回って、通常の業務に当たる。終業後、包装係と販売係が事務室へ集まり、対前年度週間粗利ミックス表の検討をする。
燈刻、ノイリープラットを飲みながら、いよいよ階段室の本を整理しなくてはならないと考える。
本を残せば、それらは僕の子どもたちによって読まれるだろうか? と考える。その次に、自分が家に代々残された本を、どれほど読んだろうか? と考える。結局、人は自分が購った本以外は、ほとんど読まないということを認識する。
自分が購った本しか読まないということと、自分が購ったネクタイしか締めないということとは、よく似ているような気がする。もちろん、たまには例外もある。
4種の野菜とエビの天ぷらにて、焼酎 「千夜の夢」 を飲む。おこわと、そうめんにて締める。
8時30分に入浴し、「敵中漂流」 を読んで、10時30分に就寝する。
暗闇の中で目覚め、しばらくじっとしている。本を読んでも眠くはならないだろうかと、それほど明晰でない頭で考える。灯りを点け、「アステア ザ・ダンサー」 を読む。窓の外が薄明るくなるころに、これを読み終える。
6時に起床して事務室へ降り、ウェブショップの受注確認や、きのう撮った画像の加工などを行う。
朝飯は、ジャコ、キノコの生醤油煮、アスパラガスの油炒め、肉じゃが、納豆、メシ、ベイコンとタマネギとセロリとニンジンと万能ネギの味噌汁。
新社員の仕事が軌道に乗るまでは、何かと気を遣う。いつもより10分早い、7時30分に事務室へ降りる。
午後、外出時に使う "Minolta DiMAGE X" を、「丑や」 の皮ケイスに納める 。大きな荷物を嫌う僕にとって、ネオプレイン製のケイスはあまり有り難くない。「丑や」 の製品は大抵スマートで、ザックのポケットをいたずらにふくらませることもない。
下今市駅15:03の、上り特急スペーシアに乗る。
常人なら決して目覚めない早い時間に起床して事務室へ降り、よしなしごとをする行動から外れ、朝6時までベッドの中にいる生活を始めてから、今日で1週間になる。
夜、寝る前にベッドで本を読み、未明に起きてまた本を読む。日記の完成する時間は遅れるが、そして世間の人々が活動を始める前に日記が書き上がっていたときよりもペイジのアクセス数は落ちるだろうが、しかし、この方が健康的な生活であることには、間違いがない。あるいは、間違いがないかも知れない。
6時すぎに着替えて事務室へ降りる。メイラーを回して、ウェブショップの受注を確認する。きのう撮った画像をコンピュータへ取り込み、日記用に加工する。
朝飯は、ニラタマ、タラのフリットとホウレンソウの油炒め、納豆、タクアン、メシ、豆腐とセロリの葉の味噌汁。
僕が中学校のころまで、店にはカワカミウサヤンという爺様がいた。その後の30年あまりは、女の人のみが販売の係に就いてきた。今日は 「初」 を頭に付けても良いくらい久方ぶりに、男の販売係が入社する。
いつもより早めに事務室へ降り、シャッターを開ける。
7時45分に、新入社員のサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君が来る。準備した制服その他を渡す。責任者のオオシマヒサコさんが、ふたりをロッカーへ案内する。
始業時間の8時15分にほとんど全社員が揃い、皆が相対して自己紹介を行う。昨年の初夏から求人票を作成し、炎暑のさなかにいくつもの学校を訪問し、情報を集め、何人もの人と会い、選考試験をし、東京や日光で研修をし、ようやくこの時を迎えて、僕は初めてホッと一息をつく。
5日も連続して晩飯を食べ飲酒を為していると、リーヴァイス501XXの腹がきつくなってくる。昨夕に続いて今日も断酒をすることとし、カスピ海ヨーグルトとイチゴ、それにハナマメを摂取する。
8時30分に入浴し、9時に寝室へ入る。「アステア ザ・ダンサー」 を読んで、推定で9時30分に
就寝する。
いつものように暗闇の中で目を覚ます。「もう少し眠れるだろうか?」 と考えているうちに、二度寝に入る。ふたたび目を開けると、いまだ室内は暗い。枕頭の灯りを点け、「アステア ザ・ダンサー」 を読む。
6時に起床し、事務室へ降りる。メイラーを回して、ウェブショップの受注を確認する。きのう撮った画像をコンピュータへ取り込み、スマートメディアをカメラに戻してすべての画像を消去する。
朝飯は、タクアン、キノコの生醤油煮、ニラのおひたし、ホウレンソウの油炒め、納豆、メシ、きのう残した肝吸い。
雪が降ると、道路の凍結を防ぐために、塩化カリウムが撒かれる。また、交差点でのスリップ事故を防ぐため、砂も撒かれる。春先になると、車道の両脇に堆積するこの砂の量が、尋常なものではなくなる。
毎朝、この砂を細々と掃除していたが、ひとりが短時間に処理できる仕事ではない。始業後、4人の社員が1時間をかけて、会社の敷地に沿って250メートルほども、国道の砂掃除をする。
段ボール箱にいくつもの砂が取れるが、これを市役所がゴミとして持っていってくれることはない。何年分もの砂は、隠居の庭へ運ばれて山になっている。厳密に言えば、これも廃棄物処理法違反かも知れない。
僕の 「アステア ザ・ダンサー」 は確か1989年の初版本だが、今でも "amazon" で買えるのだろうかと調べてみると、同じ "amazon" の古本市場に、これを6,000円で売りに出している人がいる。自分が読み終えたら、5,990円で出品してやろうかと考える。
5日連続で飲酒を為しているため、今日は酒を抜くこととして、カスピ海ヨーグルトとイチゴを摂取する。
8時30分に入浴し、9時に就寝する。
暗い中で目を覚ます。相変わらず、何時なのかは明かでない。しばらくそのまま静かにしたのち、枕元の灯りを点ける。床の 「アステア ザ・ダンサー」 に手を伸ばし、これを読み始める。
本を読みながら、何度も眠ってしまう。その眠りの最中にも、活字を追っている意識は途切れない。自分の頭の中で勝手に文章を作り、それを夢の中で読み続けている。
ふと気づいて実際のペイジに目を落とすと、これは当たり前のことだが、今まで自分が夢の中で読んでいたものとは異なる文章が、そこにはある。
このようなことを何度か繰り返した後に、いよいよ諦めて灯りのスイッチを切り、どのくらいの時間かは知らないが、少し眠る。そしてふたたび目を覚まし、また本を読み始める。
6時に起床し、事務室へ降りる。コンピュータを起動し、メイラーを回して、ウェブショップの受注を確認する。きのう撮った画像をコンピュータに取り込んで、日記用に加工する。
朝飯は、メンタイコ、チーズとホウレンソウのオムレツ、ハムとピーマンの油炒め、キノコの生醤油煮と大根おろし、焼き海苔、メシ、シュンギクと豆腐の味噌汁。
友人のオザワテツヤさんから、郵便物が届く。開封すると、そこには僕が1982年にカトマンドゥで知り合った陶芸家、イシカワアキラさんとハミさんを紹介する本が入っていた。
オザワテツヤさんが名古屋から福岡へ転勤をする際、僕は彼と気の合いそうな彼の地の友人を何人か紹介した。雲仙に住むイシカワさん夫妻の名も、その中には含まれていた。
文中の写真には、イシカワさん夫妻が昨年、自ら作ったというスコータイ式の窯の姿があった。この窯からは今後、どのような作品が生まれるのだろう? 僕は、ジム・トンプソンの家まで行きながら 小銭しか持ち合わせず、"Thai ceramics" という本を買い逃した、1991年の春のことを思い出した。
それぞれ異なる病院へ検査におもむいていたオヤジとオフクロが、夕刻に戻る。どちらにも、悪い結果は出ていない。きのうから絶食していたオフクロに何が食べたいかと訊くと、ウナギだと答える。オヤジは、昼飯にステーキを食ったので、晩にウナギではしつこすぎると言う。
とりあえず家内が 「魚登久」 へ電話でウナギの注文をし、数十分後にそれをクルマで取り行く。
鰻重を肴に、焼酎 「千夜の夢」 を飲む。
8時30分に入浴し、「アステア ザ・ダンサー」 を読んで、推定で9時30分に就寝する。
暗い中で目を覚ます。相変わらず、今が何時かは分からない。
「東京裏路地<懐>食紀行」 を、わずか1日で読み終える。
5,800円の 「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 は、読了までにおよそ4ヶ月かかった。従って1日あたりの娯楽料は、48円となる。それに対して、「東京裏路地<懐>食紀行」 の1日あたりの娯楽料は、1,600円だ。
そう考えてみれば、「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 は、非常に対費用効果の高い本だった。
6時30分に起床し、事務室へ降りてメイラーを回す。ウェブショップの受注を確認をし、きのう撮った日記用の画像をコンピュータへ取り込んで加工する。
朝飯は、しもつかり、シュンギクと油揚げの炊き物、納豆、キノコの生醤油煮と大根おろし、焼き海苔、メシ、アサリとミツバの味噌汁。
きのうからNiftermが動かない件につき、外注SEのカトーノさんが来てくれる。いろいろと協議した結果、このシェアウェアを作ったデイタイム氏に助けを仰ぐこととし、14:47に、そのメイルを発信する。
カトーノさんが事務室へいるあいだに、小林製材所の経営者にて 本酒会員の、コバヤシハルオさんが来社する。これは、店舗に飾ってあるいくつかの壺の敷物がかなり傷んでいるため、その代用になるものを木で作って欲しいとの、ウチのオヤジの依頼を受けてのことだ。
デイタイム氏からは、16:56に返信が戻った。そしてNiftermは、無事に復旧した。失われた設定については、再設定を行った。デイタイム氏の、迅速な行動に感謝をする。
燈刻、"COSSENTINO" Cadi alcamo bianco classico 2001 を抜き、ハムとレタスとダイコンのサラダを食べる。むかし、コセンティーノという名のブローカーと富士スピードウェイに行った思い出があるが、ここには詳述しない。
ホウレンソウのグラタンと、ミートソースのスパゲティにて、更にイタリアの白ワインを飲み進む。
8時30分に入浴する。8時45分より、いままで10年以上も本棚に眠っていた
暗い中で目を覚ます。今が何時かは分からない。
ベッドから手を伸ばせば届く場所に置いた
枕元に時計は無く、壁の時計は止まっていて、ヴィデオのデジタル時計は遠くて、寝たままでは見えない。とにかく暗い中で目を覚ます。
枕元の明かりを点けて、「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を読む。そして遂に、昨年の11月14日、シンガポールへ向かう全日空機の中で読み始めた、2段組み全786ペイジの、この本を読了する。
6時に起床して事務室へ降りる。メイラーを回し、ウェブショップの受注を確認する。きのうの日記を書く時間は無い。
朝飯は、「小松屋のカキの佃煮」 「はれまのジャコ」 「上澤梅太郎商店の蕗のとうのたまり漬」 と、ダイコンと豚肉の雑炊。
日曜日の店は、午前10時まではおおむね静かだ。この時間を過ぎると、急に客足が延びる。ウチは、商品の作り置きはしない。袋詰め部門から店に運ばれる商品の数を調べながら、「良いぞ、良いぞ」 と思うが、結局は面白いことに、昨年同月同曜日の売上げを290円のみ超えて閉店する。
燈刻、昆布のダシを張った鍋に、「共働学舎」 のベイコンをぶつ切りにして投入する。このベイコンは、「スタインベックの朝食に出てくるベイコンってのは、こんなやつだったんじゃねぇか?」 と思わせるような、塩分も薫蒸も強い古典的なものだ。
その鍋で、豆腐、ミズナ、シイタケ、エノキダケなどを炊き、薄切りの豚肉をシャブシャブにする。
すっかり成分がダシに溶け出てしまったのではないかと思われるベイコンの固まりを口へ入れ、咀嚼する。驚くほどの豚の美味さが舌を包み、良い煙の香りが鼻へ抜ける。
ミズナを食べ、豆腐を食べ、エノキダケを食べて、シイタケを食べる。焼酎 「鬼火」 を飲む。
8時30分に入浴し、9時に就寝する。
朝6時に起床する。
家内の作った、「上澤梅太郎商店の蕗のとうのたまり漬」 「はれまのジャコ」 「小松屋のノリの佃煮」 の3つのオニギリを下げて、6時45分に家を出る。下今市駅7:03発の、上り特急スペーシアに乗る。
ここしばらく行方不明になっていた内田百閒の 「立腹帖」 がエディバウアーのザックから発見されたため、これを読みながらオニギリを食べる。朝食の後、コンピュータを起動して、きのうの日記を作成する。
北千住、西日暮里、池袋と経由して、9時30分に西武池袋線ひばりヶ丘駅へ着く。
傘を差さなくても歩けるほどの雨が降っている。いまだ自由学園の成績報告会には間があるため、駅前のドトールコーヒーでコーフィーを飲みながら、ふたたび 「立腹帖」 を読む。
雨が強くなりつつある。ドトールコーヒーの裏口から西友へ入り、買いたくもない傘を買う。
自由学園 に通信簿は無い。その代わり学期ごとに、成績報告会というものが設けられている。10時すぎに正門を入り、男子部へ向かう砂利道を歩く。冬の木立を透かして、普段は望めない女子部の校舎が見える。
高等科1年の部が延びたため、高等科2年の部は30分遅れで始まった。生徒が体操館に集まり、それぞれの学科の担当教師が次々に、クラスを鷲づかみにしたおおまかな感想や、あるいはひとりひとりの生徒に対しての、細やかな報告が為される。
成績報告会は1時間ほどで終了した。今月1日の父母会までに編集が間に合わなかったスキー合宿のヴィデオが、ようやく出来上がってくる。"Adobe premiere" によるファイルがようやく読み込まれて、ディスプレイの中の更に狭いウインドウに、雪の情景が映し出される。
クラスの中の上級者がフォーメイションを組んで吹雪の中を滑り降りてくるクライマックスのBGMは
甘木庵で6時に起床する。
コンピュータの無い朝は、時間に余裕があって仕方がない。そう多くもない持ち物を整える。きのうの夜はここへの帰り道に寒さを覚えた。シェラデザインのマウンテンパーカをハンガーにかけ、替わりにハンガーからバーブアのコートを取る。
6時40分に甘木庵を出る。岩崎の屋敷裏にある小公園の向こうから、朝日が上がろうとしている。
湯島天神の梅を見るため、切り通し坂を横断する。空の明るさはいまだ少なく、開花の具合はよく分からなかった。
下り特急スペーシアの始発を7時20分とばかり思い込んでいたが、駅の電光掲示板を見ると、7:30発との表示がある。おにぎり弁当とお茶を買って、これに乗る。
越谷駅の手前で、車両がよじれるほどの急ブレイキがかかる。プラットフォームからの飛び込みかと思ったが、何ごともなかったらしい。それでも下今市駅への到着は、定刻から10分ほども遅れた。
旅行から戻った社員たちが、出かける前の月曜日と変わりなく仕事をしている。事務係が、机上に溜まった3日分の受注メモを、せっせと片づけていく。
午後、今月末に控えた仕事についての段取りをする。都合により、今夜の飲酒はできなくなったというメイルを、同級生のコモトリケイ君に送付する。
今週は既にして3日も断酒日を設けたが、本日も酒は抜くこととして、カスピ海ヨーグルトとブンタンを摂取する。
このような食事は、体には良いのだろうけれど、これから死ぬまでに食べることのできるだろう晩飯のメニュは、非常に少ないものになる。あるいは、体に良い食生活をしただけ長生きをして、晩飯の数は収支とんとんになるのだろうか。
どうしても憶えることのできなかった六本木のバーの名前は "CINQUANTA e CINQUANTA" で、その意味は "fifty fifty " だとは、つい数日前に、コモトリケイ君から教えられたことだ。
入浴し、日付が替わってから就寝する。
朝5時に起床する。事務室へ降り、ウェブショップの受注確認、メイルの送受信、patioへの発言、きのうの日記の作成など、ひととおりのことをする。
朝飯は、キノコの生醤油煮と大根おろし、温泉玉子、納豆、焼いた厚揚げ豆腐とミツバ、しもつかり、メンタイコ、ホウレンソウの油炒め、メシ、ダイコンとミツバの味噌汁。
今日は社員旅行の最終日だが、きのうや一昨日のように、外から誰かが来て何かをするという予定は無い。事務室のシャッターのみを上げ、事務仕事をする。
昼ちかくになって家内が、割と離れたところにある蕎麦屋 「小代行川庵」 へ行ってみたいと言う。それを受けて、ホンダフィットにて例弊使街道を南東に下る。
途中で人に道を訊き、12キロほども走って、ようやく、旧家を改築して開いた、この蕎麦屋の長屋門が見えてくる。
客席として、3つの座敷が使われている。そのうちの最も大きな部屋へ入り、空いた席に着く。隣の夫婦が食べている蕎麦を見て、「それは3合ですか?」 と訊くと、「これは5合。ウチは大食いだから」 との返事が戻る。
注文を取りに来たオバサンに、3合蕎麦と天ぷらの盛り合わせを頼むと、「季節の天ぷらもありますよ」 と言う。その言葉を受けて、通常の天ぷらを季節の天ぷらに変える。メニュを見ると、普通の天ぷらが400円なのに対して、季節の天ぷらは200円だった。
売上高に拘泥せず、旬の商品を薦める姿勢に、好感を持つ。
やがて届けられた3合蕎麦は、現代の標準からすると太く、しかしなめらかで、とても冷たい。噛むと弾力があって、歯がググッと食い込む。これは美味い蕎麦だ。
包装係のツカグチミツエさんのお母さんが、この蕎麦屋で働いているということは、同じく包装係のアオキマチコさんに聞いて知っていた。季節の天ぷら を薦めてくれた女の人に、「ツカグチさんのお母さんでいらっしゃいますか? たまり漬のウワサワです」 と話しかけると、「あらまぁまぁ、娘がお世話になっています」 と、ナスの煮びたしを持ってきてくれる。
3合の蕎麦は、僕と家内の腹には、ちょうど良かった。飲食する速度の高い僕たちがサッと席を立つと、ツカグチミツエさんのお母さんが、「あら、もうお帰りで? ちょっと待ってください」 と言う。
勘定を済ませ玄関に立っていると、お母さんが調理場から走り出てきて、打ち立ての綺麗な蕎麦を、たくさん下さる。「自己紹介は、帰る間際にするのが鉄則だったな」 と、反省をする。
メモに従って、本日の仕事をすべて完了させる。
下今市駅16:03発の、上り特急スペーシアに乗る。地下鉄千代田線と山手線を経由して、6時に池袋駅のプラットフォームへ立つ。そのまま歩いて、自由学園の明日館へ行く。
同学会の、本部委員会に出席する。会は10時前に、ようやく終了した。
オヤヂ系の飲み屋は、そろそろ閉店の時刻だろう。僕は池袋のバーには通暁していない。甘木庵の最寄り駅は丸の内線の本郷三丁目だが、山手線で御徒町へ出る。湯島の "ARIES" へ入り、マッカランの12年物を2杯、オンザロックスにて飲む。
僕はメシの食べどきを外すと、それほどにも食欲を感じなくなる。晩飯は抜いて、切り通し坂を上がる。
11時30分に甘木庵へ帰着する。熱いシャワーを浴びて冷たいお茶を飲み、0時30分に就寝する。
朝4時に起床して、事務室へ降りる。
夜中にウェブショップへ入った注文を受け、顧客その他から届いたメイルに返信をする。きのうの日記を作成し、今日の仕事の段取りをすこし考える。
朝飯は、ジャコ、キノコの生醤油煮、しもつかり、目玉焼きとブロッコリーの油炒め、納豆、メシ、アサリと万能ネギの味噌汁。
2階倉庫の片づけは8時30分から始まる予定だったが、8時には、早くも出入りの柴田鉄鋼が来る。先ずサッシ屋が、1枚の窓を枠ごと外す。その窓へ向けて、昨年のうちにシバタ鉄鋼が作り置いた鉄製のカゴを、クレーンで吊り上げる。
何人もの仕事師が、2階の倉庫へ上がる。頭の中の見取り図に従って、「これは捨てます」、「これは捨てません」 と、仕事師たちに伝える。
柳行李をふくれあがらせている古着を捨てる。どのタンスから引き抜いたものか、引き出しだけが積み重ねられている。それらを中身ごと捨てる。本屋から定期購読を勧められながら、1度も読むことのなかったいくつもの全集を捨てる。
家を建て替える前に使っていた、そして30年ちかくも倉庫のスペイスを占領し続けた台所の調理台や洗濯槽を捨てる。毛布を捨てる。絨毯を何巻きも捨てる。藤の家具も捨てる。
30年以上も前に妹が亡くなったとき、諸方からたくさんの盆提灯を戴いた。翌年これを捨てようと提案して、オフクロに却下された。その提灯を捨てる。有名なリゾートホテルのレッテルが貼られた、昭和57年製のマーマレイドを何本も捨てる。
オヤジが小学生のころの通信簿が出てくる。これは捨てない。僕が小学生のころの通信簿が出てくる。これも捨てない。明治43年に三省堂から出版された "Encyclopedia Japonica" の全10巻セットは明かにゴミだが、これも捨てずに置く。シアトルやヴァンクーヴァーのラゲッジレイベルが貼られた革のトランクは、誰が使ったものだろうか、これもとりあえずは残す。
「産業報国会・上澤梅太郎商店」 などという旗が出てくる。これもゴミだが、考えた末、今回は捨てないことにする。大量の屋号入り番傘を処分しようとするが、仕事師に 「こんなの、もう作る人、いねぇぜ」 と言われ、それを思いとどまる。
長男が室内で使っていたふたり乗りのブランコは新品同様だが、これも捨てる。長男が幼稚園から小学校にかけて作成した夏休みの工作や作文、絵のたぐいもすべて捨てる。おもちゃを取り置けば次男が使うだろうけれど、それでもいずれはゴミになる。割り切って、ほとんどすべてを捨てる。
かなり質の良さそうなちゃぶ台が幾脚もある。これもどんどん捨てる。おじいちゃんが旅先で購った、大したこともない、しかし巨大な船の模型や写真、銃刀類も、すべて捨てる。同じくおじいちゃんが、僕の希望に従ってナイロビで買い求めた象の足が、虫に食われてほとんど砂のように崩れている。もちろんこれも捨てる。
モノを捨てるときには、あれこれ悩んでいては、仕事は進まない。仕事師にどんどん捨てるものを指示し、どんどん窓の外のカゴへ入れ、どんどんそれを、待機しているトラックの荷台へ降ろす。
昼休みになったので、事務室で電話番をしていた家内とホンダフィットに乗り、東武日光駅前のカレー屋 "Asian Garden" へ行く。店内に、有線放送の 「インドパキスタン映画音楽」 が流れている。僕が有線放送の番組中で、最も好きなものだ。
これで、外の道にホコリと2サイクルエンジンの排気ガスと牛糞燃料の匂い、店内にマサラと石油コンロとギー油の匂いがあって、更に、店の壁が空色かうす緑色に塗られていれば言うことはないが、それは贅沢というものだろう。
マネイジャーもコックも南の国の人だが、どの国の出身かは分からない。
家内は日替わりセット、僕は 羊とタマネギのカレーとライスを取る。カレーは、何種類もの香辛料が形のまま舌に触る本格的なもので美味いが、インドやネパールで食うものよりは、かなり日本人向けの味に変えられている。
マサラティーには1本のスティックシュガーが添えられたが、インドで飲む甘さには到底、届かない。更に2本の砂糖を追加するが、それでも現地で飲む甘さには遠く及ばない。
しかしまぁ、特に家内は満足をして、カレーパン4個をおみやげとして購う。
午後の2時間を以て、本日予定していたゴミの処理を、すべて終える。しかしまだ、子細に調べれば、捨てられるものはたくさん出てくるだろう。掃き清められた、いくらかはスペイスの広がった倉庫を眺め、これからは、不要のものはできるだけ早期に見定めて捨てようと考える。
倉庫の整理と平行して、店舗内外では、近代ビル管理社による清掃が行われた。磨き上げられたばかりの犬走りが、鏡のように光っている。
夕刻近くに、"Computer Lib" のナカジママヒマヒ社長から、「上澤梅太郎商店のウェブショップを、業界紙へ出す自社の宣伝に使っても良いか?」 との電話が入る。これに承諾し、広告の校正刷りを、ファクシミリにて送ってもらう。
僕は断酒3日目にて、チェリーボブのヨーグルトとイチゴを摂取する。カスピ海ヨーグルトは遂に、僕の食べる速度に、熟成する能率が追いつかなくなった。
8時30分に入浴する。
誰かの言った、「掃除とはゴミの移動だ」 という言葉を思い出す。僕が不要としたものは、今は柴田鉄鋼の広大な敷地に積み上げられていることだろう。これらは明日以降に仕分けされ、求める人があれば、その人の元へ移動する。もらい手のないものについては、ゴミ処理場へ移動する。それから先には、またそれぞれの移動すべき場所があるのだろう。
ゴミは永遠に無くならない。何十年ものサイクルを以て、次の場所へ移動していくのみだ。
9時に就寝する。
朝4時に起床し、事務室へ降りる。
普段、ウェブショップの注文は、事務係のタカハシアツコさんかコマバカナエさんが受けているが、ふたりは成田のホテルで、いまだ眠っているだろう。今朝は僕が、ほとんど何ヶ月ぶりかの受注作業をする。
数日前に家内が、学校の寮で生活をしている17歳の長男へ電話をしたところ、留守だった。翌朝、折り返し、「春休みは、3月25日に帰宅する」 との連絡があったため、春の外出の計画を立て始める。
朝飯は、タクアン、豆モヤシと豚挽肉の油炒め、しもつかり、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、メンタイコ、納豆、薄いオムレツ、メシ、豚肉とハクサイと万能ネギの味噌汁。
今春に入社する新卒者の研修が9時30分から社内であるため、9時すぎに郵便局へ行こうと外へ出ると、頭を丸めたハセガワタツヤ君が、国道121号に沿った白壁の前に立っている。事務室へ入って待機するよう伝える。
しばらく行くと、サイトウシンイチ君が、どこから駐車場へ入ったらよいのか分からず、隠居前の路上にクルマを停めて歩いて来る。こちらにも、店舗前にクルマを乗り入れて、事務室で待つよう伝える。
予定の時刻より、これまでの2度の研修とは異なる、仕事に対してより具体性の高い説明や質疑応答を、ふたりに対して行う。これは主に家内の仕事にて、僕はほとんど、電話番をしている。
制服や書類などを渡し、最後の研修を昼前に無事、終了する。
家内と 蕎麦屋 「報徳庵」 へ出かけ、僕は 天ぷら蕎麦と、サトイモの田楽を食べる。
午後、社員たちと台北に着いたオヤジから電話が入る。若い者は、今朝の4時30分まで、飲酒などをして起きていたという。それを聞いて家内が、「そういうのが、イヤなのよ」 と言う。僕は、「若けぇんだから、しょうがねぇじゃねぇか」 くらいのことしか、思いつかない。
「若けぇんだから」 とはいえ、僕は若いときから今へ至るまで、夜から朝まで飲み続けたということは、ただの1度しか無い。酒を飲んで気持ちが良くなるという経験も、この半生においては、その、朝まで飲んだときの、ただ1度限りだ。
「どうしても、すぐに商品が欲しい」 という注文を受けて、ヤマト運輸の日光営業所へ、クルマで3往復する。
夕刻、次男の宿題を督励する。
僕が酒を抜く日は、家族の晩飯も、簡素なものになる。家族は何とも感じていないらしいが、僕からすれば、どうにも申し訳のない気分になる。
「みんなは今ごろ、『鼎泰豊』 で小籠包を食っているんだろうなぁ、『鳥ぎん』 で砂肝を6本食った販売係のサイトウエリコさんは、何個の小籠包を食うのかなぁ」 などと考えながら、カスピ海ヨーグルトとイチゴを摂取する。
8時30分に入浴し、9時に就寝する。
暗い中で目を覚まし、暗い中で服を着て廊下へ出る。飾り椅子の上に置いた携帯電話のディスプレイを見る。朝の3時30分だった。春眠の日々から、ようやく本来の起床時間を確保した思いだ。
事務室へ降り、「早く起きられた日に処理しよう」 と考えていた、先月26日に行われた本酒会の会報を書く。
先ずはこれを、メイルマガジンの形にて、メイルアドレスを持つ会員各位に送付する。次に、そのウェブペイジ版を作成して、サーヴァーへ転送する。最後に、紙の会報を作成する。紙の会報作りだけは、いつもなぜか面倒に感じる。
先月22日に友人のツツミチエコさんから戴いた
目を覚ますと、おととい、社員が出勤する前に行った雪かきのせいか、筋肉のそこここが痛い。じっとしているうちに、窓の外が藍色から薄い青に変わっていく。起床して時計を見ると、6時30分だった。
事務室へ降りて、ほんの少しの仕事をする。7時に自宅へ戻って窓を開けると、日光の山は、おおむね晴れている。
朝飯は、タクアン、メンタイコ、納豆、キャベツのおひたし、カブの葉と油揚げの炒め煮、しもつかり、メシ、ハクサイと万能ネギの味噌汁。
「啓蟄」 は春の季語だが、何月のものかは記憶にない。「ホトトギス季寄せ」 を開き、それが3月に用いられるものと知る。お客様と虫とを同列に論じては失礼だが、今日は、観光で見えたらしいお客様が多い。
むかし、春先の表参道を歩いていて、街に、急激に人の増える日があることを知った。冬は嫌いな季節ではないが、早くそういう、暖かい日が訪れて欲しいと思う。
初更6時30分より、春日町一丁目公民館にて、ことし種々のお祭りに労力を提供する組長への、仕事の割り振りをする。
瀧尾神社で4月に行われる春の例大祭、日光東照宮で5月に行われる弥生祭、瀧尾神社で7月に行われる八坂祭への出向者を、アミダクジにて選出する。僕は区長ではないが、役員として早速、春の例大祭における渡御頭の役を、区長のイワモトミツトシさんから言い渡される。
渡御頭は、グラスに口開けのワインを注いだソムリエに軽くうなずき、「お願いします」 と言えるだけの社会性さえあれば、馬鹿にでもつとまる役だ。
区長たちが引き上げた後は、役員だけが隣の町内にある洋食屋 「金長」 へ移動し、「旅行の反省会」 を行う。旅行とは春日町一丁目の役員が毎年2月、親睦のために行うもので、僕はいつも高島屋のイヴェントが重なるため、参加をしたことはない。
この旅行は別段、反省を必要とするようなものではない。要は 「反省会」 と銘打って、みなで飲酒を為すだけのことだ。
いまの季節、どこへ行ってもホタルイカが出てくるのは嬉しい。アンザイ畳屋のオヤジの隣席で燗酒をどんどん飲み進み、ロースカツ定食にて締める。
8時30分に帰宅し、入浴して、9時に就寝する。
JR日光線に列車の走る音がする。外はいまだ暗い。多分その音は、日光駅5:15発の上り始発だろうと考える。間もなく列車は静かになり、やがて今市駅からの発車を告げる、プラットフォームの電子音が耳へ届く。
直線距離にして500メートルほど離れた駅の様子が目に浮かぶ。列車は日光から40.5営業キロ数をこなして、5:55に、終点の宇都宮駅へ到着するはずだ。
5時30分に起床する。
初午は今月10日だが、本来この日に行われるべきお稲荷さんへの祈祷が、なぜか今日に繰り上がるという。7時前に、家内がきのうから煮続けた 「しもつかり」 を、お稲荷さんへお供えする。同時に、神主が踏みそうな位置にある石の雪を払う。
朝飯は、山菜おこわ、キュウリの古漬け、タクアン、カブの葉と油揚げの炒め煮、しもつかり、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯葉と豆腐と万能ネギの味噌汁。
「しもつかり」 とは、鬼おろしでおろしたダイコンとニンジン、サケの頭と節分に余ったダイズを煮て酒粕で味を調えたものにて、栃木県の貧しさが産んだような郷土食だ。
僕はそのネコの吐瀉物のような見た目から、ずっとこれについては食わず嫌いを通してきたが、27歳のとき、「並木蕎麦」 のオヤジから無理に皿へ盛られ、仕方なく食べたところ非常に美味かったため、それ以降は毎年、この時期を楽しみにするようになった。
午前10時ごろ、お祭りと神事の好きなウエシチオトートが来て、お稲荷さんの幣束を整える。
正月に瀧尾神社へ昇殿すると、「祝詞奏上の際の写真撮影はご遠慮下さい」 との注意書きがあるため、タナカキヨシ宮司にその旨を確認すると、「あれは神事の妨げになるほどヴィデオや写真を撮る人のためのものであって、そうでない場合には、別段、禁止はしていない」 とのことにて、祝詞奏上中の写真を撮る。
1年に1度のお稲荷さんのお祭りを終え、きのう届いたふたつのグローブに、保革油をスプレイする。この作業については、内部まで油が吹き込まないよう、チラシにてマスキングをすることが肝要だ。
僕は別段、子煩悩でもないし、子どもへの愛情は一般にくらべて薄い方かも知れないが、しかし、この程度のことはする。
昼ちかくに、定期的に血圧や体脂肪についての指導を受けている、岡村整形外科へ行く。入口にて、僕が聖ヨゼフ幼稚園でお世話になったオータ先生をお見かけする。
「オータ先生でいらっしゃいますか? 僕、ウワサワです」
「ウワサワさんって、あのたまり漬の?」
「はい、そうです。月日が経っても、お顔は忘れないものですね」
僕がオータ先生にお会いしたのは、多分、10歳のころが最後だろう。数えてみれば、それから既にして37年もの星霜が流れたことになる。
「すっかりご立派になって、どなたか分かりませんでした。お声をかけてくださって、有り難うございます」
すっかりご立派になど、なってはいない。特に僕の品行は、幼稚園のときから今へ至るまで、一貫して、良くない。
終業後、カメラを持参するほどでもない会合へ出席する。9時に帰宅し、「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 などを読んで、11時に就寝する。
春眠暁不覚、朝6時30分に起床する。
事務室へ降り、コンピュータを起動する。メイラーを回して、ウェブショップの受注を確認する。きのう撮った画像をコンピュータに取り込んで、日記用に加工する。
聞こえてくる音から、天気はてっきり雨かと思っていたが、シャッターを上げて外へ出ると、暗うつな雪景色がある。晴れた疎林に降ったアスピリンスノウはいつまでもまぶしく軽やかだが、目の前のそれは大量の水分を含んで、いかにも重い。
7時に居間へ戻る。日光の山は、曇って見えない。
昨朝はたくさんのおかずにて、3杯のメシを食べた。今朝は自重をして、小松屋のノリの佃煮、福太郎のメンタイコ、ふきのとうのたまり漬、アサリと万能ネギの味噌汁にて、2杯のメシを食う。
郵便局から届いた諸々の中に
朝4時に起床する。
事務室へ降り、コンピュータを起動する。ウェブショップの受注を確認するため、メイラーを回す。会社のアドレスに、「おたくの 『ふきのとうのたまり漬』 が、しょっぱすぎて食べられない」 とのクレイムが届いている。きのうの日記を作成し、サーヴァーに転送する。
朝飯は、ふきのとうのたまり漬、タシロケンボウんちのお徳用湯波とコマツナの炊き物、納豆、メンタイコ、ウドの薄味キンピラ風、ジャコ、キャベツのおひたし、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とシイタケとミツバの味噌汁。
「ふきのとうのたまり漬」 は、刻んでたまりを絞れば、「しょっぱすぎて食べられない」 という塩気は、僕はまったく感じない。
ビンづめの 「ふきのとうのたまり漬」 には、「たまりを絞り、刻んでお召し上がりください」 と書いた紙が添えられる。袋入りにも同じような注意書きを印刷すべきだろうと、判断をする。
クレイムに対する返信の文面を、頭の中へ思い描く。
始業後、昨年の初夏に販売係から事務係に異動をしたコマバカナエさんに、patioの使い方を指導する。何ヶ月も前にアドレスを取得しながら、今日までその教育を引き延ばしたのは、ひとえに僕の責任だ。若いということは素晴らしい。わずか1時間の手ほどきで、マイツール による自分のスケデュールを、patioへアップできるまでになる。
午後、朝から保存して何度か書き換えたクレイム処理のメイルを発信する。
夜、今日はオヤジとオフクロの結婚記念日とかで、"Fin Bec Naoto" へ行く。
裏ごしをしたサラミソーセージのシュー仕立て、ホタルイカとクスクスのタブレ、ホワイトアスパラガスと芝エビのソテー。
このホワイトアスパラガスを使ったカレー風味のひと品は、香港の 「凱悦軒」 やシンガポールの 「萬豪軒」 に置けば、即、中華料理としても通用のするものだろう。とはいえ、僕のあまり好まない、いわゆるエスニック料理とは、全くそのニュアンスを異にする。
サーモンのポアレ と チーズにて、サンセールのボトルの最後の1杯を飲む。イチゴのシャーベットとチョコレイトケイキ、エスプレッソで締める。
広い窓から地面が濡れていることは見ていたが、外へ出てみると、細かな雪が風に舞っている。
8時に帰宅し、入浴して9時に床へ着く。「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を2ペイジほど読んで就寝する。
朝5時30分に起床する。
廊下に出て飾り椅子に置いた携帯電話のディスプレイを見れば、ウェブショップに注文の届いていることは分かる。事務室へ降り、コンピュータを起動して、メイラーを回す。受注の内容を確認し、きのうの日記を作成する。
日の出からしばらくして外へ出てみると、昨夜ちらついた雪がホンダフィットを薄く覆っている。
朝飯は、ヒジキとダイズの炊き物、タシロケンボウんちのお徳用湯波とミズナの炊き物、アジの干物、納豆、メンタイコ、メシ、厚揚げ豆腐とミツバの味噌汁。
午前中、「厳冬期特別仕込み・漬け上がり感謝プレゼント」 の当選者10名を抽選し、昼前にトップペイジで発表する。同時に、その10名様へ当選のお知らせと、賞品の送付先を問うメイルをお送りする。
終業後、次男に出された漢字練習の宿題を督励する。
今夜は酒を抜こうとしたが、晩飯の内容を聞いて、それを断念する。タシロケンボウんちの刺身湯波、キャベツとシイタケのゴマ和え、アゴの丸干し、カキの佃煮、豚ヒレ肉のつけ焼きとコマツナの中華風炒め、ウドの薄味キンピラ風 にて、焼酎 「鬼火」 を飲む。
8時前に入浴し、オールドパーを生で2杯飲んで、8時30分に就寝する。
と、ここまで書いて、「ウェブ日記は、このくらい短い方が、読みやすいんだろうなぁ、あるいは、これでも長すぎかなぁ」 と、考える。僕も人のウェブ日記は読まないでもないが、長いものは、読まない。
朝4時に起床する。
洗面をして、居間というかキッチンというかメシを食べる場所というか、とにかくそのような部屋の丸テイブルに置いたThinkPadを起動する。
ウェブショップの受注確認は ブラウザにパスワードを打ち込んでもできるが、メイラーを回して、uwasawa@tamarizuke.co.jp 宛に転送されているものを見た方が話は早い。
きのうの日中に完成させながらサーヴァーへ転送することを忘れていた一昨日の日記を、サーヴァーに転送する。きのうの日記も書き上げ、これも同じくサーヴァーへ転送する。
甘木庵から高島屋へ通っていた社員によれば、僕が愛用していた本郷2丁目の定食屋 「たつみ屋」 の開店時間が、朝7時から10時へ後退してしまったという。大いに痛手だが、店が経常利益を勘案して行ったことに、文句は言えない。
弥生町のお得意から戴いた大きな荷物を持って、8時20分に甘木庵を出る。空は晴れている。湯島の切り通し坂を降りて、上野広小路から地下鉄銀座線にて浅草へ至る。大きな荷物とエディバウアーのザックをコインロッカーへ納める。必要なもののみを、"Eagle Creek" の靴入れ袋に入れて持つ。
同じ地下鉄を逆行し、新橋にて地上へ出る。立ち食い蕎麦屋の 「ポンヌッフ」 にて大盛りのカレーライスを食べ、これを遅い朝飯とする。
9時25分ごろ、「ゆりかもめ」 に乗車する。1年に何度か行く種々の展示会のときにくらべて、車内は至極空いている。10時すこし前に 東京ビッグサイトへ着く。
"RETAILTECH JAPAN 2003" は今日が初日のため、また開場直前のため、受付には長い列ができている。
動く歩道に乗って 会場へ入る。調べようと考え定めていたものを調べる。また、新しいものごとを発見する。このような場所へ来れば、それは当たり前のことだが、もうひとつは、多くの会社のブースからブースへ渡り歩いているあいだに何ごとかを思いつく、ということもある。
あらかじめ訪ねようと考えていた会社の人に名刺を渡し、後日の訪問を頼む。いくつかのブースで資料を要求する。次々に手渡される不要の資料を、ときどき会場の外へ出てはゴミ箱に捨てる。思いついたことを、メモに残す。
午後3時ちかくに会場を去る。終点近くまで走った 「ゆりかもめ」 の窓から、世界貿易センタービルが見える。僕が中学生のころには、これが東洋一高いビルだった。
新橋から地下鉄で銀座へ出る。松屋銀座7階のデザインコレクションへ行く。ことし小学校へ入学した次男に勉強用の照明を買ってやろうとして、ついにそれを果たしていない。結局、"BIOLITE PRO" に添えられた 「最高機種」 「プロ仕様」 のふたつの語句に惹かれ、これを購うことにする。
数年前、遠方に住む年少の友人が亡くなった。僕はこのとき、香典と共に、お葬式のお手伝いの人が食べられるよう、若干のたまり漬を送った。友人の家からはほどなくして、商品券による香典返しが届いた。
この商品券では、嗜好品やこまごまとした形に残らないものは買うべきではないと、そのとき僕は思った。そして今日、ようやくこれを使うことができた。足りない分についてはもちろん、僕が補填をした。
ひと仕事を終えたところで、先ほど見た世界貿易センタービルのことを思い出す。世界貿易センタービルは浜松町にある。浜松町には 「秋田屋」 がある。時はあたかも4時になりかかるところにて、ちょうどあんばいが良い。
有楽町から2駅を移動して、浜松町に降りる。
4時開店の 「秋田屋」 は、既にして8分の入りだった。もちろん先客との相席にて、燗酒を頼む。ホタルイカとメカブも頼む。僕は品書きにホタルイカの文字を見ると、これを注文せずにはいられない。
百閒が八代の 「松浜軒」 で6時間も飲酒を続け、翌日は昼ちかくまで眠り続けるくだりを 「立腹帖」 に読みながら、テッポウとコブクロのタレ焼きを食べる。
1時間を経過して、店内はようやく、オヤヂの群れにて汗牛充棟のありさまを呈してきた。勘定を頼み、支払いをし、開け放たれた引き戸の溝をまたいで通りへ出る。
大門駅から浅草までは都営浅草線にて30分ほどかかることを予想したが、案に相違して15分で窓外に 「浅草」 の駅名を確認する。地上へ出て神谷バーの前を抜け、東武日光線浅草駅の大階段、正確にはその脇のエレヴェイターを上がる。
コインロッカーから大荷物を引き出し、18:00発の、下り特急スペーシアに乗る。
7時30分すぎに下今市駅へ着く。雪がちらついている。帰宅して、次男の宿題が終えるまで、ソファで 「立腹帖」 を読む。
9時すぎに入浴し、オールドパーを生で2杯飲む。枕元に置いた 「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を数ペイジ読み、10時に就寝する。
朝6時に起床する。事務室へ降りて、よしなしごとをする。これだけ寝過ごすと、きのうの日記の完成は望めない。
朝飯は、ダイコンのサラダ、なんだか知らない魚の干物、セリの辛子和え、豆モヤシの油炒め、納豆、メンタイコ、メシ、ワカメとタマネギの味噌汁。
高島屋でのイヴェントの会期中、多分、9日前の土曜日あたりに、左のスネの腫れに気づいた。翌日、その腫れは土踏まずのあたりまで広がり、付近は紫色に染まった。
どこで何に足をぶつけたかの記憶はないし、スネを触らない限り痛みも感じないため放置したが、さすがにこれだけの期間を置いても完治しないとなれば、病院へ行こうとする意識も働く。
岡村整形外科を訪ね、レントゲンを2枚撮る。医師の所見によれば 「99.9パーセント、どこかで知らないあいだに打撲をしたものにて、病気ではない」 とのことだった。
腫れ止めの飲み薬を断ったところ、湿布くらいはした方が良いと、盛大にも30枚の貼り薬をもらって帰る。
本郷弥生町のお得意様に用事があるため、下今市駅14:56発の、上り特急スペーシアに乗る。北千住で地下鉄千代田線に乗り換え、根津にて降りる。霧雨と小糠雨との違いは、どのあたりにあるのだろう、とにかく、そのような雨が降っている。
シェラデザインのマウンテンパーカのボタンを上まで留め、フードをかぶる。これは本当に便利な服だ。
不忍通りと言問通りが交わる見慣れた交差点から、弥生坂を上がる。妙極院の前を過ぎると、左手に東京大学の工学部が見えてくる。
朝7時に起床する。7時20分に甘木庵の玄関を出る。湯島の切り通し坂を下り、上野広小路から地下鉄銀座線にて浅草へ出る。8:00発の、下り特急スペーシアに乗る。
いまだ桜の気配さえ見えない土手を越え、隅田川を渡る。空が、どんよりと曇っている。
10時前に帰社する。日光地方は快晴にて、強い風がある。これは、いわゆる春一番だろうか。
この日記が置いてある 「清閑PERSONAL」 では、カウントが1万更新されるたびに、区切りの良い数字を当てた人へ、ワインが送られる。今回は、京都からその知らせがあった。"Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1999" が希望とのことにて、その飲み方を記した紙を作成する。
このチリの赤は、フランスの有名な蔵や、ロバート・B・パーカーが褒めたワインのみを美味いと思っている俗物に、その正体を隠して飲ませてやりたい逸品だ。
これを、先日、能代市の天洋酒店から 「一時」 が送られてきたときの外箱へ納め、製造現場の機械にてヒモをかける。
終業後、販売の社員たちと、対前年度比週間ミックス表の検討をする。高島屋から持ち帰ったトイスチャーのチョコレイトをひとり1個ずつ食べて解散する。
燈刻、自由学園の集まりより戻った家内と次男をクルマへ乗せたところで、"Casa Lingo" へ電話を入れる。今夜は貸し切りとのことにて、少し遠い 「菜もん」 に席を予約する。
凝りに凝った2枚の扉を開けてテイブルへ案内をされると、隣には同じ町内のシバザキトシカズさんの一家がいた。
調理場脇の黒板から何品かを選び、安いシャルドネイのボトルと共に注文をする。僕はしばしば節約をもくろんで、グラスワインを頼む。ところが、お代わりが4回ほども重なると、かえってボトルで取った方が安くなることが多い。
シバザキトシカズさんに2杯だけ助けてもらいつつ、スモークトサーモンのサラダなどを肴に、それを空ける。
8時すぎに帰宅して入浴し、9時に就寝する。
朝6時に起床する。
事務室へ降り、ウェブショップのトップから、懸賞ペイジへのリンクを外す。この懸賞の当選発表は、3日5日に予定されている。メイラーを回し、きのうの日記を途中まで作成する。
9時30分まで、町内役員への連絡など、仕事以外のことに忙殺される。下今市駅10:06発の上り特急スペーシアに、走り込むようにして乗る。
12時の約束よりも5分早く、池袋にて家内と落ち合う。食事をし、先月12日に山手線内に置き忘れ紛失したものと同じシャツを、東武百貨店5階第6区のシャツ屋にて購う。
2時すこし前に、自由学園の正門を入る。紅白の梅が、冷たい雨に濡れている。
男子部女子部合同父母会の途中、男子部においてはこの後、東天寮の見学がある旨を伝えられる。現在の東天寮は、僕がその終焉に間に合った初代の建物から数えて3番目のものになる。
玄関で待ち受けた係のタケダダイチ君より、高等科2年生の長男の部屋を教わる。つい数年前まで使っていた2番目の東天寮からすれば、ずっとこぢんまりした印象の食堂を抜け、3階へ上がる。
大きな音楽が漏れてくる扉をノックする。自己紹介をしつつ、幾人かは室員の残っている部屋へ入る。長男は、過日に行われたスキー合宿のヴィデオをどこかで編集中の由にて不在だった。
上級生らしい同室者に長男の机の場所を確かめ、その書棚を撮影する。頭上には、僕が何ごとか書いて送った武相荘の絵ハガキが、画鋲で留められている。
羽仁吉一記念ホールにおける男子部6学年合同の父母会に続いて、学年ごとの父母会が、各教室で始まる。雨のせいもあって、あたりはもうすっかり暗い。
晩のお弁当の時間に観る予定だったスキー合宿のヴィデオは、ついに間に合わなかった。長男は級友と、今朝からこの編集に当たっていたという。好きなことに対して人間は、飽きず、疲れず、無責任にはならない。このような学校で学ぶことのできる長男は幸せだ。
父母会は、夜8時30分に散会した。
池袋から飯田橋へ移動し、神楽坂の雑ぱくなバーにて、僕は4杯、家内は2杯の飲酒を為す。
タクシーで甘木庵へ帰り、シャワーを浴びて0時すぎに就寝する。