目を覚まして時計を見ると5時30分になっている。「8時間半も寝ちゃったぜ」 と感心しながら起床して事務室へ降り、壁の時計に目をやるといまだ5時になっていない。夜明けが早くなったため、時計を1時間、見間違えたらしい。
いつものよしなしごとをして外へ出てると、薄く雲はかかっているが山は晴れ空気も澄んでいる。自転車に乗り車庫へ行き木の扉を開く。先日までアルファロメオのあった場所にはタイヤのないフィアット500が架台に載せられ、高窓からの朝日を受けて鈍く光っていた。大衆車とはいえむかしのクルマの外皮は厚い。鼻先、フロントピラー、尻のカーヴを撫でて帰宅する。
朝飯は、納豆、しらすの釜揚げ、茄子の油炒め、プティトマトとツナとレタスのサラダ、ほうれん草のおひたし、メシ、ナメコと長ネギの味噌汁。家内が僕の朝飯を見おろして 「タンパク質が足りない」 と言う。「そんなことねぇよ」 と返す。
朝から風が強い。梅雨前の日差しはこれからの高い気温を想像させてあまりある。販売係は店内にあるほとんどの植物を外へ出し水をやり、また駐車場にくまなく散水をした。
午後、落雷を伴う驟雨があったが、それから1時間ほどするとコンピュータが外部と繋がらなくなった。雷によりルーターが破壊されたことを疑い、コンピュータについての諸々を頼んでいる "FSE" へ電話を入れる。社長のシバタサトシさんに 「いますこし様子を見てください」 言われ、1時間後の連絡を約する。
閉店時になっても、インターネットへのアクセスは復旧しなかった。シバタさんにその旨を伝えると 「いま宇都宮ですので、この仕事が終わり次第、そちらへ向かいます」 と言う。「いや、明日で構いません。夜は仕事しない方がいいですよ」 と答えで受話器を置く。
居間へ戻ると、次男が浮かない顔をしている。家内に訳を訊くと、宿題以外の勉強をうながされたことに対して得心がいかないようだという。その算数の計算を督励し、答え合わせをする。勉強を終えたとたんに次男が元気を取り戻すのは、いつものことだから分かっている。
かに玉風のものを作ろうとしてもんじゃ焼きのようになってしまった物件、ニラと豚肉の油炒め、数日前、大量に作ってまだ残っているタケノコと椎茸と牛肉の春雨炒めにて、瓶の底に残った焼酎 「島の泉」 を飲む。また、同じく別の瓶の底に残った焼酎 「そばのかおり」 を飲む。
更に焼酎を飲みたい気分だが、ここへ至って新しい瓶の栓を抜くのはなにやら勿体ない気がする。酒蔵からビールの大瓶を取って戻り、これを食後酒とする。世の中のおおかたの人は飲酒を為すとき、弱い酒から始めて強い酒にいたる。僕は最初に強い酒を飲み、夜更けて弱い酒へ移行することが多い。
入浴して冷たいプーアル茶を飲み、9時30分に就寝する。
3時に目を覚まして 「私の釣魚大全」 を読むが、2行進んでは眠り、気づいてまた2行読んでは眠り、と一向に先へ進まない。眠ると、直前の2行に続く部分が夢の中にあらわれそれを読んでいくが、目覚めて実際のペイジを見ると、当たり前のことながら夢の中のものとは異なる行が目の前にはある。
そのようなことを繰り返して5時に至る。きのうの予報は本日の天気を雨と伝えていたが、窓の外、北西の方角には薄く晴れた空があり、湿った空気によるものか、日光街道の杉並木がいつもより色濃く際だって見える。
事務室へ降りて朝のよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、トマトサラダ、タケノコと椎茸と牛肉の春雨炒め、納豆、メカブの酢の物、胡瓜のぬか漬、メシ、豆腐とナメコと長ネギの味噌汁。
好天のせいか5月連休の遊び疲れが一服したせいか、10時ころから客足は順調に伸び始めた。販売の合間を縫って、「たまり漬を使ったメニュ」 のペイジの画像を更新すべく、家内に所望してあった 「熱いお味噌汁で食べる麺」 を食べ、かつこの写真を撮る。
そそくさと昼飯を終え事務室へ降りると、ガラスの格子戸から見える店舗は大勢のお客様でごったがえしていた。社員たちはメモだけでは足りず、そのあたりの紙に注文の内容を走り書きして商品を整えている有様にて、即、自分もその騒乱に飛び込み手伝いをする。
終業後、本日出勤の社員たちと対前年度週間粗利ミックス表の検討をする。数字は悪くない。
むかし、荻窪の売れないラーメン屋に食味評論家やマーケッターが寄り集まって知恵を授け繁盛店にする、という試みがテレビで流れたことがある。繁盛店をいきなり売れない店に変えることは簡単だ。売れない店を繁盛店に変えることについても、その条件式は整っている。
しかしてなにも変化のないところにいきなり訪れる、例えばことし2月に行われた高島屋東京店での前半3日間、あるいは今月の連休5日間に見られたような、狂い咲きとしか思えないような売れっぷりはどのような素因によるものか、それが分かれば苦労はないところだが、皆目想像がつかない。
晩飯の食卓に、胡瓜のぬか漬と温泉玉子とほうれん草のゴマ和えがある。酒の肴にも充分になるこれらを酒肴としてではなく、ただ食べる。昼にうどんを食べたばかりの次男が夕刻、晩飯にはカレーうどんが食べたいと言った。その言を受けて、この蒸し暑い夜に熱いカレーうどんを食べる。
7時より春日町1丁目公民館へ行き、町内の総会へ出席する。8時前に帰って入浴し、断酒でもしていなければ決して飲まない甘い炭酸飲料を飲んで9時前に就寝する。
5時30分に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ上がる。朝飯は、納豆、メカブの酢の物、胡瓜のぬか漬、ふきのとうのたまり漬、生玉子、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
いつもは見向きもしない日本経済新聞の 「私の履歴書」 に何気なく目をやりこれを読み始めると、野見山暁治の文章がすこぶる面白い。「いまだ始まったばかりだろうか?」 と現在の連載回数を見ると既にして 「28」 とある。古新聞は事務係が処分をしたばかりで、だからこれを第1回目まで遡上して読むことは能わない。
およそ新聞、週刊誌の連載小説というものを読んだことがない。決まった文字数の文章を、毎日毎週ぶつ切りにして読んでいくのは性に合わない。同じ理由から 「私の履歴書」 についても、これを読むことはなかった。「今回は惜しいことをしたな」 と思う。「本にならねぇかな?」 とも考えるが、それはないだろう。
毎月20日を過ぎると、事務係のコマバカナエさんに作成を頼まれるフォーマットがある。これまでは逐一手で作っていたがその手間も馬鹿ばかしいため一念発起をして、締め日から締め日までの2ヶ月にわたるフォーマットの自動作成マクロを組む。一念発起をした割にそのマクロは作り始めから数分で試験走行をこなし、20分後には完成した。
終業後、数分の距離にしても歩く気力はないため、自転車に乗って "Johnny's Cafe" へ行く。小さなグラスの生ビールを1杯だけ飲んで帰宅する。ビールと共に供されたナッツは 「これからメシを食うのでいりません」 と返したが、これは多分、飲み屋においてはルールに反する行為だろう。内儀で同級生のイトウキョウコさんは、請求からナッツの代金を引いてくれた。
1983年のちょうど今ごろの季節に家内とシンガポールへ行った。このとき海沿いのホーカーズでホタルイカの素揚げを食べた。珍しかったし美味かった。おととし11月にシンガポールを再訪し、海鮮屋台で同じものを所望したところ、店のオニーチャンは 「季節はずれでね」 と申し訳なさそうな顔をした。
「もう、ホタルイカの素揚げを食うこともねぇかなぁ」 と思っていたが、それが今夜の食卓に突然出てきた。これを肴に芋焼酎 「島の泉」 を飲む。トマトと豆腐のサラダ、タケノコと椎茸と牛肉の春雨炒め、白片肉にて、更にその焼酎を飲み進む。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時に就寝する。
ここ数日の、この季節には似つかわしくないどんよりとしたすこし高めの気温のせいか、夕刻になればどことなく疲れているし、また目を覚ましたときにも特に膝から下がだるい。
目を開けるといまだ部屋は暗い。枕頭の灯りを点けて時計を見ると3時50分だった。その灯りを落とし、闇の中でじっとしている。疲れがふくらはぎを下って足の底から空中へ放散されていくような感触がある。それはそれで悪い気分ではないが、起床しようとする気には一向ならない。
5時30分にようやく起き出して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、納豆、ピーマンの油炒め、豆モヤシの酢油和え、胡瓜のぬか漬、鶏レヴァの薄味煮、ゆで玉子、メシ、なめこと長ネギの味噌汁。
あれやこれやとして午前と午後が過ぎる。
ここ数日、厳密に言えばおとといからの疲れとは、夕刻に生ビールを小さな器で1杯飲みたくなるたぐいの疲れにて、となれば歩いて数分の "Johnny's Cafe" へ、ビロードのような泡のトンネルを抜けて口へ殺到するギネスビールを飲みに行けばよい。しかしながらきのう次男に頼まれた、バトルビーダマンへの烈紅龍アーマーの取り付けはいまだ完了していず、ビールよりもこちらを優先する必要がある。
自宅へ戻り、きのう飲み残した "Corton Charlemagne OLIVIER-LEFLAIVE FRERES 1986" の瓶を洗面器の冷たい水に横たえる。次男の勉強机に着き灯りを点け 「いろんなアタッチメントで金を儲けようとするんだ、オモチャ屋はなぁ」 と、側に寄ってきた次男に話しかけつつ、この、ビー玉を発射して勝ち負けを決するためのプラスティックの人形を完成させる。
「ビー玉なぞ、指ではじいたらいいじゃねぇか」 とも思うが、この考えを突き詰めていくと、ややこしいことになる。
ルフレーヴの白は、普通のワイングラスに1杯と半分にて無くなった。サツマイモの素揚げ、ポテトチップと人参チップ、トマトと胡瓜とレタスのサラダを食べつつ、これも残りものの "CHATEAU D'ARVIGNY HAUT-MEDOC 1998" を飲む。昔風のハンバーグステーキを見て、同じ皿に米のメシを盛ってもらう。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時に就寝する。
3時30分には目を覚ましていたが、4時に至ってようやく起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。4月より次男の登校班の集合時間がこれまでよりも5分早くなったため、それを意識してメシを食う必要がある。その朝飯は、茄子とピーマンの油炒め黒酢がけ、メカブの酢の物、塩鮭、納豆、鶏レヴァの薄味煮、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。
モズクは好まないがメカブは好きだ。茎ワカメとなると更に好きだが、この場合の好き嫌いとは主に、それらの太さサイズが生む食感の違いによるものだろう。知り合いに、目玉焼きも炒めたハムも好きだがハムエッグは嫌いだ、という人がいて、この嗜好についてはどうも理解し難いところがある。
自分に置き換えてみれば、僕は米のメシも油揚げも好きだがいなり寿司は好まず、しかしこれは前述のハムエッグ嫌いとは明瞭に区別されて、いなり寿司は甘いから好きではない。
午後おそくワイン屋から、"Vosne-Romanee Cros-Parantoux Henri-Jayer 1997" を売り込むファクシミリが入る。先着順に24本の販売で、1本あたりの価格は336,000円だという。いくらアンリ・ジャイエが醸造の神様とはいえ、また引退後に細々と造り続けている小さな畑からの希少品とはいえ、この価格は強すぎる。否、「この価格は強すぎる」 という言葉には 「僕にとって」 との前置きを付けるべきだろう。このブルゴーニュの赤は早晩、売りきれるに違いない。
初更ワイン蔵へ行くと、「清閑PERSONAL」 で区切りの良いアクセスカウントを当てた人に送付している赤白2種のうち "Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1999" の残が3本になっている。これは優れたシャブリのため、もうすこし温存しようと考える。棚をふたつ手前に移動したところで "Corton Charlemagne OLIVIER-LEFLAIVE FRERES 1986" に目が留まる。こちらはいまだ8本もある。1本を抜き取って居間へ上がる。
食卓で計算問題をしていた次男が、今日入手した改造部品をビーダマンに取り付けてくれと言う。不器用なため子どものころからプラモデルはほとんど人に組み立ててもらい、かつ最近は近視乱視遠視が入り交じって、手先だけではなく目の方も心許ない。しかしながら勉強をしている子どもの頼みとあっては、ないがしろにするわけにもいかない。
事務室へ降りニッパーやピンセットを道具箱より出して居間へ戻る。ルフレーヴの白を抜栓し風船グラスへ注いでみれば、「これほど素晴らしいワインの金色は見たことがない」 というほどの酒が白熱灯の下で揺れている。この液体を口へ含みつつ、次男のための細かい作業に取り組む。
1990年代の最後期、上野 「鈴本」にて開かれた橘家円蔵独演会での、円蔵と談志の対談を思い出す。円蔵はこのとき 「芸人が芸を語ってはいけないと思う」 と言った。それに対して人一倍芸を語って飽きない談志はニヤッと笑って 「(そもそもオマエが)語れねぇんじゃねぇか?」 と返した。
芸については知らないが、作り手以外の者が食べ物を語るとき、そこには必ずある種の下品さがつきまとう。我々シロートが下品になることを避けつつ食べ物や飲み物を評価するときには、ただ 「美味い」 とだけ言えばよいのではないか? そしてこのたぐい希な美しさを持つ18年前のルフレーヴは頭がクラクラするほどに強く、そして美味い。
レタスとピーマンとゆで玉子のサラダの中からピーマンだけをつまみ出して次男に与える。次男がこれを食べる。僕は 「おー、すげぇ、タンジ君よりお利口だ」 と褒める。友人のタンジ君は齢40を超えてなお 「ピーマンを食うヤツは人とは思えない」 と言う。僕はピーマンを食べるといつも 「ピーマンほど美味い野菜はない」 と思う。もっともジャガイモを食べても 「ジャガイモほど美味い野菜はない」 と思うのだからいい加減なものである。
税理士のトール先生からもらったプティトマトが、どこの農家が作ったものかは知らないがとても美味い。このトマトにて家内が、本職なら到底つくりそうもない造作のスパゲティをこしらえる。もちろん美味い。ホタテ貝のバター焼き、イワシの塩焼きバルサミコかけエリンギ添えにて今夜の白ワインを残り少なくする。
入浴して冷たいプーアル茶を飲み、9時に就寝する。
4時に目を覚ますがグズグズしているうちに5時になる。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、メカブの酢の物、蕪と胡瓜のぬか漬、納豆、コールスローとツナとプティトマトのサラダ、ほうれん草のゴマ和え、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
きのうインドネシアから届いたお盆の箱に、干し草を小さくリボンで束ねた不思議なものが入っていた。着荷の報告と共にこの草についての質問を書き送ると、半日ほどして戻った返事には、これがベチパーというイネ科の植物の根であること、インドネシア語では 「アカールワンギ」と呼ばれること、虫除けや除菌に効果のあることなどが記されていた。「ハゲが帽子の中に入れておいたら毛が生えてくるとか、そういう効果はないのだろうか?」 と考える。
日中、新しくできる本の取材が電話にてある。どのような内容のものを作るつもりなのかファクシミリで送るよう要請する。しばらく後に届いたそれを確かめてから取材に応じる。
阿久津眼科のアクツ先生が来訪する。今夏、このちかくにホームステイするフランス人を遊びに来させても良いか? との相談を受け、即了承する。先生は赤い革のブーツ、紺色の細いパンツ、ピンク色のTシャツという、イタリアかフランスのクルマに似合いそうな格好をしていたが、ドイツ製の四輪駆動車にて去った。
午後、下野新聞社のサカモトユウイチさんが、ウェブペイジの取材で来社する。文化面に載るのか経済面になるのかは今のところ不明だが、もちろん記事にならない可能性もある。
燈刻、次男の漢字練習を督励する。
先週、ネパールの若い人と話す機会があったとき、ネパール語の母音の数について質問をしたところ、13ありますとの答えが戻った。母音が13もあっては、僕のネパール語が通じないのも無理はない。
1991年の春、ドゥリケルの林産試験場からカトマンドゥへ戻る際、かなり大きなバスターミナルのある街の食堂で、どのような動物のものかは知らないが大腸のカレー煮を食べて美味かった。店の人にその料理の名を訊くと 「ブンダー」 と教えてくれたため、その後、あちらこちらの食堂でこのブンダーを注文したが、すべての店員はこれを理解しなかった。
その著しく発音の難しい料理を思い出し 「また食いてぇな」 と感じたのは先週末のことだった。スーパーマーケット 「かましん」 にてかなり大きなパックの豚ホルモンを買い求め、家内にこの調理を頼んだところ、きのうの夕刻には鍋の中で豚の腸がグツグツと煮えていたが、思わずこれをつまみ食いしたところ、そのペロペロシコシコとした食感と、カレーの香りではマスキングしきれない臓物の匂いに箸が止まらず、十数片も胃へ収めてしまった。
その後、僕は本酒会へ出かけ、いよいよ今夜になってその残量を家内に訊ねたところ 「もう小鉢の底にすこししかないよ」 と言う。次男がこれを飯に載せお代わりをした他に自分もかなり食べたから少なくなってしまったのだという。今夜は断酒をするが、しかし酒の肴にすべくこれを明日まで取り置こうとすれば、僕が食べる前に無くなってしまうだろう。
やむなくそのブンダーは今夜、メシのおかずにすることとする。豆モヤシの酢油和え、鶏レヴァの薄味煮、豚肉と春雨と白菜とシイタケの中華風スープという、「紹興酒でも高粱酒でも持ってこい」 と言いたくなる諸々にて米のメシ2杯を食べる。
入浴して冷たいプーアル茶を飲み、9時前に就寝する。
今朝もカッコウの声が聞こえる。夜中に鳴く鳥がいる。日が昇ると同時に鳴き出す鳥もいる。カッコウが1日の中でいつからいつまで鳴くのかは知らない。洗面所へ行き窓を開けるとカッコウはどこにもいず、カラスばかりが見えた。
5時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻ると 「丸赤」 の極辛塩鮭が焼き上がっている。湯島天神下に本店を持つこの高級魚屋のプライシングにはギョッとさせられることが少なくないが、これだけは例外だ。あまりに塩気が強いため一度に指先ほどの量しか食べることのできない630円の塩鮭は2、3数週間ほどもその極上の味を楽しめて、だからとても安い。
朝飯は、その塩鮭、茄子の炒りつけ、木更津漁協のアサリの佃煮、胡瓜のぬか漬、白菜キムチによるお茶漬け。
いまだ午前中の早いとき、インドネシアに発注をしておいた、店舗で使うためのお盆20枚が届く。現地からは21日に 「本日、出荷しました」 とのメイルがあったから、僅々4日後の到着だ。商品の入った段ボール箱はナイロン製の布で包まれ、更に中身が露出しないよう、布の接合部は太いヒモによって縫い合わされている。その荷姿を見て、僕は彼の地の人的資源につき遠く思いを馳せる。早速に箱を開け、大合格点の中身を確認して 「いま届きました」 のメイルを出荷元へ送付する。
昼、町内の布団屋・塚田屋さんの奥さんが趣味で作る蕎麦を 「納豆と胡麻の盛り」 にして食べる。当然のことながら美味い。
夕刻にいたり、漢字練習の宿題を終えた次男の、こんどは計算問題の宿題を督励する。
7時25分、晩飯に手をつけ始めた次男の顔を見てから外へ出る。3分ほど歩いて "Johnney's Cafe 634"" へ行く。本酒会の会員は、もうそのほとんどが集まっていた。中心の大きなテイブルには非喫煙者が、そしてそれに背を向けてアンタッチャブルである喫煙者がカウンターに座る。
広告や出版物のデザイナーだったイトウさんがコツコツと手作りで立ち上げたこの店は、1脚ごとに異なる不揃いな椅子のうち、今夜僕に当たったのがどっしりとした木製のものだったという理由もあるかも知れないが、気分の落ち着く良いところだ。
ひと通りの利き酒が終われば、あとはその中のどのお酒をどれだけ飲もうが構わない。シミズキミヒト会員が大テイブルへ近づき 「菊水の純米吟醸くれない? あれ1番最初に出てきたから1番高いべ?」 と言う。月に1度の本酒会において、その飲み順を決めるのは僕だ。確かに1合あたりの価格が高い順にそれを設定することもあるが、また 「日本列島を北から南へ」 とか 「価格の安い順に」 とか、そのソートの方法は日によって異なる。
今日のお酒は有機農法によって作られたお米によるものが9本中の5本を占めた。僕は先ずこの有機のお酒を高い順に並べ、次に一般のお酒を高い順に並べた。菊水の純米吟醸は、今夜の出品の中で最も高いお酒ではなかった。
温泉玉子が添えられ、らっきょうのたまり漬2個がトッピングされたキーマカレーにて締める。最後に自費を投入して、我が町で最も美味いと思われる生ビール "GUINNESS" のハーフ&ハーフを飲む。
帰宅して入浴し、10時30分に就寝する。
カッコウの鳴く声がする。20年以上も前に立木を整理し芝を植えたため、ウチの隠居にいまや鬱蒼とした茂みはない。カッコウの声は、カミムラヒロシさんがその隣に住まいながら 「ジャングル」 と呼び習わし嫌っている、旧市街の中心には珍しい小規模な森からのものかも知れない。
5時30分に起床して事務室へ降りる。ファクシミリから吐き出されている注文その他をざっと見て、早くから対応することが望ましいものについてはこれを自分の机へ運び処理する。メイルを読み、あるいはスパムのたぐいを削除し、きのうの日記を作成する。
7時に居間へ上がる。朝飯は、胡瓜のぬか漬、納豆、一夜を経てマリネになった生ハムとレタスのサラダ、プティトマトのバター焼き、ほうれん草の油炒め、メシ、なめこと玉ネギの味噌汁。
ここ数日は霧雨や弱い雨が降り続いたが、週が開けたところでようやく空に晴れ間が見える。あちらこちらに電話をし、ファクシミリを流し、人の訪問を受け、メイルを送付する。
8日前の日曜日に空洞となった奥歯に新しい詰め物を装填するため、午後3時に歯医者へ行く。治療台へ横になると、恐怖を逸らすためのものか患者の目前にセットされたテレビが、いま売れているお花の先生の家を、シロウトのオバサンが訪問する番組を映している。やがて治療台は頭に血が上るほどに深く倒され、それと同時にロココ調の応接間は僕の視界から消えた。
それから45分後、「お釣りの方、140円になります。治療の方、今日で終わりになりますね」 と歯科助手兼事務係の若い女の人に言われて歯医者を出る。
メシに合うものは同時に酒にも合うから始末に負えないが、月に8度の断酒を達成するには、今週のうちにもう3度、酒を抜く必要がある。初更、噛み合わせ上々の歯にて、茄子の炒りつけ針茗荷のせ、サツマイモの甘煮、ほうれん草のゴマ和え、冷や奴、鯖の味噌煮をおかずにメシを食べる。
入浴して本は読まず、9時30分に就寝する。
目を覚ますと部屋の中は既にして薄明るい。時計を見ると5時だった。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。
きのう上半身にはシャツ1枚のみを着て出かけたが、山手線に乗るべく西日暮里のプラットフォームへ上がってみれば肌寒い霧雨の天気にて、極端な人に及んではコートさえ着ている。どうして僕がシャツを1枚しか着ていないかといえば、それは汗をかくことが嫌いな上に、生来、薄着で育てられたことによる。
「薄着の方が健康に良いから」 という理由により薄着で育てられた人は、暑さ寒さに関係なく常に薄着でいることが多い。反対に 「風邪などひいたら大変だ」 などという理由により厚着で育てられた人は、暑さ寒さに関係なく常に厚着でいることが多い。結局、薄着も厚着も健康に良いことはない。ちょうど良いのがちょうど良いのだが、そのちょうど良いということの実行が、なかなかに難しい。
昨年5月の記録では、最終の週末はずいぶんと繁忙だったことが伺われる。しかしここ数日のあいだ降ったり止んだりの雨のせいか、開店から2時間を過ぎても店は静かだ。午後のいっときのみすこし忙しくなるが、結局は穏やかな日曜日として1日が終わる。人間は穏やかに越したことはないが、商売となると、そういうわけにもいかない。
きのうの夜から甘木庵に泊まり、今日は鎌倉の実家を訪ねていた家内と次男を、夕刻6時40分に下今市駅へ迎えに行く。これより3時間ほど前に家内から 「何が食べたい?」 と電話があったため 「今夜は酒、飲まないよ」 返すと 「どうして?」 といぶかしがられたため、やはり飲むことにする。
イカのフライ、生ハムとレタスのサラダ、マカロニと海老のグラタンという、家内が日本橋の高島屋から買って帰った 「デリカもん」 はすべて白ワイン向きだが、数週間も前に暗がりで間違えて抜きバキュバンで栓をして保存しておいた "CHATEAU D'ARVIGNY HAUT-MEDOC 1998" がいまだ残っている。したがって、今夜はこのボルドーの赤ワインを飲む。
イカのフライには、インドでメシを食べたときに感じる、その種類を特定することはできないが、ある香辛料が使われていた。その香辛料には、腋臭に含まれるうちのひとつの香りが聞きようによってはある。そしてその香りが好きか嫌いかと問われれば、僕は決して嫌いではない。
入浴してスミルノフを生で1杯だけ飲み、9時に就寝する。
4時前に目を覚まし、起床して4時20分に事務室へ降りる。
今日は事務係のコマバカナエさんが休みのため、きのうの終業後から今朝にかけて入ったウェブショップの注文をすべて伝票化し、「ご注文御礼」 という表題の受注確認書を送付する。きのうの日記を作成し、またコンピュータの中のあれこれの数字を加工してなにやかやと考える。
7時に居間へ上がる。朝飯は、胡瓜のぬか漬、納豆、ふきのとうのたまり漬、ジャコ、生玉子、メシ、茄子と茗荷の味噌汁。
「田舎暮らしの本」 というような題名の本をよく見かける。都会を脱し田舎で新しい暮らしを始めた人たちの生活が写真入りで説明されているものだ。登場する人の多くは、暖炉の石を組んだり、素晴らしい家具を作ったり、あるいは畑に丹精を凝らしたりする。
僕も石をコンクリートでつないだり板に釘を打つくらいのことはできるだろうが、実際にそういう創作活動をするかといえば、それは絶対にしない。なぜなら、手先が不器用なくせに、仕事の出来映えについては職人が仕上げたほどの端正精密さがなければ我慢がならないからだ。だから僕は、壁に釘を1本打つだけのことにも本職を呼ぶ。だから僕には、前述の本に出てくるような人の暮らしはできない。
8時に手塚工房のテヅカナオちゃんが来て、店に入って左側の柱にフックをねじ込む。ここへ、多分90年ほど前のものと思われるが、僕が蔵の奥で見つけた 「上都賀郡醤油醸造組合」 とある看板を下げる。また、今月と来月のカレンダーを貼り付けるための焦げ茶色に塗装した板を白壁にビス留めする。
一方、これまでいろいろと不具合のあった、冷蔵ショウケイスの前縁にあって試食器を載せる台については、手塚工房の紹介によるステンレス屋さんがこれを新調し、きっちりとショウケイスにはめ込む。
古い看板、カレンダー取り付け板、またヘアライン仕上げを施したステンレス製の台が一分の隙無くあるべき場所へと収まって僕を安心させる。
下今市駅9:02発の上り特急スペーシアに乗って昼前に自由学園へ達する。学部へ入り、同学会の委員たちと本日ここで開かれるクラス委員会と定期総会の準備をする。つかの間、完成したばかりの学部校舎4階へ上がれば、眼下の木々はいよいよその緑を濃くして砂利の小径を覆っている。
クラス委員会は予定通りに終了した。定期総会は議事においては粛々と進行したが報告事項が多く、予定を30分過ぎて終了した。
夜10時前に帰宅する、入浴して本は読まず、11時に就寝する。
早く目の覚めることがあれば、顧客名簿の整理と、夏のDMの送り先抽出というふたつの仕事をしようと考えていた。僕の場合、数日に1度は常識はずれの時間から起き出すため、時計にアラームをセットするなど格別の準備はいらない。
今朝、暗闇の中で目を開け、しばらくしてから灯りを点け時計を見ると3時だった。そのまま起床して事務室へ降りる。コンピュータ上で名簿を扱う仕事は特に、電話や来客のある日中にはデイタを重複させたり、あるいは必要なデイタを欠落させたりと、誤操作の可能性が高くなる。雨の降る音を聴きながら、6時までかけてこのふたつの仕事を完了する。
きのうの日記を作成するなどいつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、ジャコ、ワカメと玉ネギのかつお節かけ、胡瓜のぬか漬、スパムとエノキダケのソテー、納豆、トマト入りスクランブルドエッグ、メシ、豆腐となめこと三つ葉の味噌汁。味噌汁があまりに美味く、他のものに箸をつける前にこれを空にしてしまう。
始業後、デイタベイスから選び出したばかりの夏のDM送り先リストを、事務係のコマバカナエさんがディスプレイに出して1度目の洗い直しをする。「この法人へはDM、必要なんですか?」 とか 「こちらとこちらは、住所は違いますけれど同じ方ではないですか?」 などというやりとりを繰り返しつつ、徐々にデイタが整っていく。
それにより打ち出されたタックシールを、プリンターにからまないようイリエチヒロさんがつづらに折っていく。コマバカナエさんは数時間前にディスプレイ上でしたと同じく、しかし今度はタックシールそのものを最初から最後まで目でたどり、2度目の洗い直しをする。
DMの投函は来週なかば過ぎのことになるだろう。それまでにはメイルマガジンの文案も完成させなくてはいけない。
17日に今月5度目の断酒をしたため 「今回の、月に8日の断酒は余裕だな」 と考えていたが、6度目の断酒をしないまま本日20日を迎えた。「今日こそ酒は抜きだ」 と決めたとき、思いがけず北陸のどこかの港から魚が届く。発泡スティロールの中身は知らないが、今夜の断酒は中止としなければいけない。
山が暮れていく。燈刻、次男の算数ドリルの宿題を督励する。次男はこのドリルを学校へ置き忘れ、サイトウトシコさんと教室まで取りに戻ったのだという。続いて漢字を書く自習も督励する。
鯵の辛し醤油ヅケにて、芋焼酎 「島乃泉」 のお湯割りを飲む。冷や奴、ふろふき大根の鯵そぼろあんかけ、ヒラマサの塩焼きにても、もちろんそのお湯割りを飲む。
長男の同級生タグチゲンちゃんのお父さんは八丈島で、毎日暗くなるまで海に潜っているという。そのお父さんによれば、三宅島が噴火して以来、それまで大量に群れていたヒラマサがほとんど見られなくなったという。魚の数そのものが減ったのか、あるいはどこか他の場所へ移動したのかは知らない。
入浴して冷たいプーアル茶を飲み、9時に就寝する。
3時に目を覚まして 「私の釣魚大全」 を4時まで読む。二度寝に入って6時に起床する。事務室へ降りて朝のよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、胡瓜のぬか漬、キャベツの油炒め、ジャコ、茄子とピーマンの炒りつけ、納豆、メカブの酢の物、メシ、大根と三つ葉と揚げ玉の味噌汁。揚げ湯葉、揚げ玉、豚肉など、味噌汁にあぶら気があるとなにやら得をした気がするのはなぜだろう。
宇都宮のマンションに武器を持った男が44時間にわたって籠城した事件が解決したと、下野新聞社のサカモトユウイチさんが号外を持ってくる。記事が記事だけにお客様へは手渡さず、店のいろりばたへ重ね置くこととする。その号外は次々とお客様がお持ち帰りになり、すぐに無くなった。
午後、5月末に発行するメイルマガジンの文章を考える。1時間ほどで完成したそれは盛りだくさんで、全文を読む人はほとんどいないだろう。これからの数日間で、大胆な削ぎ落としをしていこうと考える。
名刺を交換し座って話をするような来客が何組かある。顧客用設備を修理した職人と共に、そのできばえを見る。パンフレットの内容を少し変えて、新たに印刷屋へ発注をかける。
燈刻、次男の漢字練習を督励する。
晩飯の内容からすれば白ワインを抜くところだが、4日前に飲み残したものがある。 "Blagny 1er Cru Sous Le Dos d'Ane Domaine Leflaive 1994" のバキュバンを外す。トマトと胡瓜とレタスのサラダ、ヤリイカとそのワタのオリーヴオイル焼き、スパムとエノキダケのソテー、たらこ子スパゲティにて、色は薄れてもタンニンはいまだ強い10年前のブルゴーニュを飲む。
もう数週間も前に、てっきり白とばかり思って暗がりで抜いたワインが実は赤だった、ということがあった。それは即、バキュバンにて栓をし保管したが、ルフレーヴのブラニーが空になったため、この "CHATEAU D'ARVIGNY HAUT-MEDOC 1998" を取り出しすこしだけ飲む。
入浴して冷たいプーアル茶を飲み、9時30分に就寝する。
目を覚ますと既にして外は明るかった。窓の隙間から冷たく湿った、しかし決して不快ではない外気が室内に流れ込み玄関へと抜けていく。長男が自室の戸を開け出てくる。時計の針は5時30分を1分だけ回っている。
6時をすこし過ぎて甘木庵を出る。大江戸線の本郷三丁目駅にて築地市場への切符を2枚買う。小さな車両は走り出して20分後に目的の駅へ着いた。プラットフォームには、既にして魚の匂いが漂っている。長男がニヤリと笑う。
場内へと足を踏み入れつつ右手で軽く帽子を取る昔気質のオヤジがいる。警備員詰め所の拾得物の看板に 「厚焼き玉子」 の文字が見える。遊園地の豆自動車のようなエンジン音を発しながらあらゆる隙間に入り込もうとするターレット・トラックを避けつつ歩く。かつて数え切れないほどあった子車は、ずいぶんとその数を減らしている。
8号館の 「高はし」 へ入る。カウンターに先客はふたりのみだった。僕は赤ムツの煮付け定食、長男はキンメダイの煮付け定食を注文する。
まず胡瓜のぬか漬と、牛肉と玉葱と糸こんにゃくの鉢物が置かれる。メニュには 「小鉢」 とあるが、その鉢のサイズに 「小」 の文字は似合わない。うっかりすると舌を火傷しかねないほど熱い汁は、甘くもなく辛くもなくすっきり澄んで上品だ。良く煮えた玉葱は舌の上へ載せると同時にのどの奥へと消えていく。余分な脂を持たない牛肉は汁と玉葱に自分のうま味を差し出し恬淡としている。
先に運ばれたキンメダイの一片を口へ運んだ長男が 「美味い!」 と言う。間もなく僕の目の前に赤ムツの煮付けが到着する。この店の煮汁は先ほどの小鉢のスープと同じく澄んでさっぱりとしている。赤ムツの味つけはあくまでも上品で、飯よりも酒が欲しい。いまだほとんど残るメシを平らげるため、僕は納豆を追加した。味噌汁と差し替えた魚汁のお椀は、そのほとんどをキンメダイの頭に占領されている。それを見て長男が小さく 「おぉっ!」 と言う。これで値段は僅々100円だ。
誰でも知っているうどんすき屋の仕入責任者が、背広姿でシラスおろしをおかずにメシを食べている。後から入ってくるプロたちもみな 「実力ある者の物憂さ」 を漂わせてスポーツ新聞を読んだり、あるいはビールを飲んだりしている。
学校へ向かう長男とは築地市場駅のプラットフォームで別れた。蔵前から乗り換えた地下鉄が浅草に達しても、時計の針はいまだ7時40分をすこし回ったばかりだ。8:00発の下り特急スペーシアに乗り、10時前に帰社する。
あれやこれやとして夕刻に至る。霧のような雨に、南西の山の重なりは谷を越えるごとに一段ずつその色を淡くして煙っている。授業中に終えることのできなかった計算を宿題として持ち帰った次男が、そのプリントをなんとか完了させるまで督励する。
茄子とピーマンの炒りつけ、焼いた厚揚げ豆腐、胡瓜のぬか漬にて、焼酎 「島の泉」 を飲む。ふきのとうのたまり漬入り厚焼き玉子、煮豆、サツマイモの甘煮、キャベツと人参と鶏挽肉のスープにて、更に焼酎を飲み進む。
入浴して冷たいプーアル茶を飲み、9時に就寝する。
おととい階段室の本棚をあさって、これから読む本を探した。開高健のものに未読はないと思っていたが、
今朝、目覚めると4時だった。早速にこれを床から拾い上げ、5時まで読んで起床する。事務室に降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、胡瓜と蕪のぬか漬、メカブの酢の物、納豆、水菜と油揚げの炊き物、ジャコ、きのうの夜の春雨炒め、メシ、アサリと万能ネギの味噌汁。
下今市駅10:06発の上り特急スペーシアに乗る。この1ヶ月間にウェブショップへ注文を下さった顧客のメイルアドレスをメイラーへ登録するという単純な作業を、春日部までの70分を使ってようやく終える。1ヶ月分の処理に70分だから、毎日行えば2分強で済むことだが、ペイジの作成やアクセス解析にくらべてどうにも地味なこの仕事に指は向きづらい。
昼に神保町へ至る。胃に大量の諸々を詰め込んで脳が鈍くなることを懸念し、昼飯は軽くサンドウィッチにて 済ます。午後、"Computer Lib" での用事を終え、秋葉原から甘木庵へと至る。
甘木庵の本棚には大量の本があったが、数年前にここをリフォームする際、それらは業者がすべて段ボール箱へ入れてくれた。そこから長男が自分の読もうとするものだけ本棚へ戻し、だからいまだ段ボール箱にはちり紙交換のトラックの荷台を見るように、あれこれと本が残っている。これをいくらかは整理するが、完全にどうにかしようとすると僕の今夜の寝場所が無くなる。適当なところで切り上げ、この家へ入るなり脱いだシャツとズボンを身につける。
7時15分前に自由学園明日館へ達する。同学会の委員長が企画した勉強会の部屋へ入るなり、かなり年長の先輩より 「なかなか良いメールを書くな」 と褒められる。委員会のメイリングリストへアップしたそれと思い当たるメイルについては、きのう別の委員から 「ああいうメールはいかがなものか?」 と苦言を呈されたばかりだ。世の中の森羅万象あらゆることに、まちまちな評価がある。
集まりは9時を過ぎて終わった。山手線にて御徒町へ移動し、春日通りを西へ歩く。
湯島の崖下にある小さな洋食屋へ入る。スモークトサーモン、空豆のおろし生姜和え、チーズとバゲット、鰹のたたき、煮こごりにてトスカーナ産の辛い白ワインを飲む。口の中で溶ける煮こごりが、意外やワインに合うことを知る。ペンネと海老のグラタンにて、更にその白ワインを飲み進む。
天神祭が近い。白梅商店街の家々には提灯が飾られた。急な傾斜に加えて一段一段の幅が異なる男坂は避け、素直に切り通し坂を上がって甘木庵へ帰着する。
シャワーを浴びて冷たいお茶を飲む。本は読まず0時に就寝する。
夜中に目を覚まし、枕頭の灯りを点けて枕元の活字をあさる。1時間ほどして二度寝に入り、次に目を覚ますと6時だった。
事務室へ降りてコンピュータを起動し、カメラから画像を取り込む。朝飯の画像は冬よりも夏のものの方が出来が良い気がする。それはとりもなおさず光量の多寡によるものだろう。きのうの朝飯の鮮やかな画像を見て、また 「上澤写真館」 の中の、本職がマグネシウムを焚いて撮ったと思われる50年前の1枚を見て 「写真はやっぱり光だなぁ」 と思う。
きのうの日記を完成させると、現在のブラウザで13行になった。これくらいの短さが理想だが、現実にはなかなか難しい。
事務室のシャッターは上げてあるため窓から光は差し込んでいるが、僕の事務机は外を望めない場所にある。大きなトラックのものと思われるディーゼルエンジンの音と共にバックをする際の警報が聞こえてきたため立って窓の近くまで行くと、トヨタのトレイラーが停まっている。修理を終えて届けられたフォークリフトを工場内に請じ入れ、いつもよりすこし遅れて居間へ戻る。
朝飯は、大根の味噌漬け、ジャコ、納豆、蕪と胡瓜のぬか漬、赤と緑2種のピーマンの油炒め、茄子の油炒め、メシ、油揚げと水菜の味噌汁。
昨夕、ガーリックトーストを食べている最中に奥歯の詰め物が外れたため、午後3時より歯医者に行く。ついでに、1ヶ月ほど前より固いものを食べると痛みを感じていた別の奥歯についても調べてもらう。医者の見立てでは、別段そう悪いところは見あたらない。なまじ歯が良いために、固いものを常人よりも強く噛むクセがあるのではないか? とのことだった。
燈刻、次男の漢字練習、それに計算の宿題を督励する。
湯がいたモヤシの酢油和え、トマトとレタスとキュウリのサラダ、次男が作ったものも混じる揚げ餃子、春雨、椎茸、タケノコ、人参、豚肉の炒め物にて、紹興酒ではなく白飯を食べる。飲酒をあきらめ炊きたての米のメシを食べていつも思うことは、メシは酒よりも美味いということだ。それでもなお酒を飲むとは、アルコールに脳がヤラレているということなのだろう。
自由学園高等科で生物を教えてくれた講師のオカヤマ先生は、たとえどんなに立派な人間でも、その人が酒やタバコをたしなむ限り自分は尊敬しないと言った。中毒性を持つ嗜好品の習慣性に囚われている人間が尊敬に値しないとは、酒好きの僕にさえ首肯できることだ。
「サクランボにて締める」 と書きたいところだが、僕は食べなかった。嫌いというわけではなく、この手のものにはあまり興味がない。
入浴して冷たいプーアル茶を飲み、9時に就寝する。
3時に目を覚まし、「雑談にっぽん色里誌」 を開いて4時にこれを読み終える。うっかり二度寝をしたら7時まで目が開かなかった。1階へ降りて事務室へのシャッターを解錠し、ふたたび4階へ戻ると廊下に強くレタスとトマトの香りがある。
朝飯は、メカブの酢の物、レタスとトマトとツナのサラダ、温泉玉子、納豆、蕪と胡瓜のぬか漬、メシ、茄子と油揚げと万能ネギの味噌汁。
日曜日にもかかわらず雨が降っている。きのう、ほぼ日曜日並みの売上げを記録したため気は楽だが、それでも店が賑わうに越したことはない。10時ごろより客足は増え始め、昼に至って大いに繁忙になる。しかしどのような職業においても、忙しさと売上金額とが比例するとは限らない。定時をすこし過ぎて閉店する。
燈刻、2階のワイン蔵へ行き "Blagny 1er Cru Sous Le Dos d'Ane Domaine Leflaive 1994" を取って戻る。これを抜栓してグラスへ注ぎ灯りへ透かしてみると、若かったころの濃いルビー色は薄れて代わりに褐色の度合いが増している。飲めばしかしタンニンはいまだ充分に強くて、だからこのビンについてはコルクを外して後にすこし静置した方が良かった。
茄子、レタス、赤ピーマン、サツマイモの素揚げ、コリアンダーのサラダ、イサキとグリーンアスパラガスのオリーヴオイル焼きバルサミコソース。ガーリックトーストにはマスカルポーネを載せる。ルフレーヴのワインをビンに半分ほども飲む。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時に就寝する。
朝5時30分に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、メカブの酢の物、ハムとピーマンの油炒め、トマト入りスクランブルドエッグ、納豆、白菜キムチ、メシ、豆腐と水菜の味噌汁。
あれやこれやとして昼になる。焼きうどんを食べる。
きのう、スタッフの技術不足にてスキャニングに失敗した画像は、本日の昼までに 「代済み」 にて仕上げると言われていた。午後、写真屋でこれを受け取りコンピュータへ取り込んで、今月10日より下準備を始めた 「上澤写真館」 が、いよいよ完成する。
八百屋、魚屋、果物屋。花屋、料理屋、本屋などは次々と季節の商品が出るからメイルマガジンのネタには困らない。ところが当方の売る物は味噌醤油それに長期熟成の漬物とあって、目まぐるしく商品の構成が変わる、というわけではない。しかしウェブショップの成績を上げるためにメイルマガジンの送付は少なからず武器になる。
「上澤写真館」 は、夏のギフトを前にして発行するメイルマガジンのネタのひとつとして温存するから、トップペイジへコンテンツのひとつとして設けるのは5月末のことになるだろう。
連休のときと同じく定刻を過ぎても客足が途切れない。客足が途切れないとき、ウチでは 「もうおしまいです」 と、お客様の鼻先で店を閉じることはしない。いつもの30分遅れで店を閉める。着替えて更に30分後、ホンダフィットに家内と次男を乗せ、宇都宮へと向かう。
事務係だったタカハシアツコさんが数日前に男児を出産したため、7時にその産院へ着いてお祝いをする。赤ん坊は百合根のような顔をしていた。その百合根のようなものがポーッと伸びたり、クシャリと縮んだり、あるいはしきりに目を開こうとしたり歯のない口を開いたりする。子供を産む、子供が生まれるとはとにかく一大事にて、タカハシアツコさんのこれが無事に済んで良かったと思う。
今夕、家内が販売係の誰かから 「オムライスが美味しい」 と教わった店の前まで行くと、そこには4軒の飲食店が並んでいた。その中の1軒から東南アジア風の良い匂いが漂い出ている。オムライス屋からその中華料理屋 "dairin" へ、晩飯の場所を変更する。
ピータン豆腐には、小さなフカヒレの姿煮が2枚載っていた。太刀魚の清蒸には、細切りの豚肉とタケノコが載っていた。ピータン豆腐からフカヒレを省き、清蒸から豚肉とタケノコを省いた方が料理は僕好みのものになるが、料理人としては、それでは面白くないのだろうか。次男の選んだサーロインのステーキは、昔の洋食屋を思わせるセロリの香り高いソースが良かった。これらを肴にカラフの紹興酒645CCを飲む。
9時すぎに帰宅する。入浴して冷たいプーアル茶を飲み、10時に就寝する。
田舎の夜の音は 「いま家の横を通り過ぎようとしているクルマの音」 だとか 「遠い田んぼで鳴くカエルの声」 だとか 「JR日光線を行く始発列車の音」 だとか、そのいちいちを特定することができる。ところが甘木庵の薄く開かれた窓から侵入してくるのは、昆虫の羽音のような、遠い山間の滝を落ちる水の音のような、あるいは夢の中で聞こえてくるラジオの雑音のようなものの複合にて、その元を突き止めることはできない。
十分に眠った気分にて目を覚まし、居間へ行って時計を見るといまだ午前2時30分だった。そのままコンピュータを起動し、きのうの日記を作成する。また、明日館での会議の結果をふまえて4通のメイルを書く。戸外は既にして薄明るい。東京大学のイチョウの若葉を眺めつつ布団へ戻り 「世界を食いつくせ!」 を読む。30分ほどして枕頭の灯りを落とし二度寝に入ろうとするが、浅い夢をいくつも見るばかりで深く眠ることはできなかった。
6時に長男が起床する。それに合わせて僕も起きる。長男に、僕の朝飯は不要の旨を伝える。長男は前夜の食事の残り物らしい肉じゃが、マカロニグラタン、大根のたまり漬による朝食を整え食べた。
7時すこし前に甘木庵を出る。岩崎の屋敷裏から切り通し坂を下り、天神下から湯島の歓楽街へと入る。歩きながら野良猫やカラスの姿を撮影していると、折しも通りかかった朝帰りの集団のうちひとりの男が、持っていたカバンで顔を隠す。夜通し飲むとは大した体力と感心をするが、このけばけばしい一角にはよくある風景だ。
東武日光線浅草駅の臭い地下道にあるトンカツ屋 「会津」 にて、オムレツの定食に納豆を追加して朝飯とする。8:00発の下り特急スペーシアに乗る。隅田川の上空にはバンコックの朝によく見られるような、靄を透かしてようやく地上に届く弱々しい日の光があった。
コンピュータを起動して今日の日記を書き始める。途中、ジャマになって腕時計を外し靴下を脱ぐ。こういうことをするからいざ降りる駅が近づいたときにあわてることになる。分かっていながら改まらないクセを悪癖という。
列車が隅田川を渡ったところまで今日の日記を書いたところでコンピュータの電源を落とし、本を取り出す。アンソニー・ボーディンの食べ物を巡る旅は、ポルトガルの農村からボルドーの海沿いの街を経て、遂にサイゴンへと入った。現在、全376ペイジ中の86ペイジ。早々にペイジを繰るなど勿体なくてできるものではない。
10時前に帰社する。隅田川上空の太陽に元気はなかったが、こちらへ帰ってみれば空は青くまるで初夏のような日差しが青葉に照りつけている。昼飯には、冷たい汁に麺を沈め胡瓜と茗荷の千切りを盛った冷やしうどんを食べる。
午後、納戸で新しく発見された昭和26年ごろのものと思われる大きな写真を写真屋へ持ち込み、スキャニングを頼んだが、今日のスタッフは技術不足にて、どうにもこれを処理しきれないらしい。そのままこれをあずけ、明日の昼までに仕上げてくれるよう頼む。
初更、焼いた厚揚げ豆腐、蕪のぬか漬、昆布巻きにて、種子島にある四元酒造の芋焼酎 「島乃泉」 を飲む。これは例によって18年前から2階の倉庫にあった酒だが、ひとくち含めばまるでインドの雑踏を歩いているように、いくつものスパイスの香りを感じる。長年の放置がこのような香りを作ったのか、あるいは元からあるものなのかは知らない。
湯島天神下の 「丸赤」 で売っている粕漬けのうち切り落としの安い方、椎茸と水菜のおひたし、グリーンアスパラガスの豚肉巻きにて更にこの焼酎を飲み進む。いつもはコップに3杯飲める生の焼酎が、今夜に限っては2杯しか胃に入らない。今朝の寝不足のせいだろうか。
入浴して本は読まず、9時に就寝する。
3時に目を覚まし、「雑談にっぽん色里誌」 をしばらく読んで二度寝に入る。いつもよりもずいぶんと遅い6時45分に起床する。4階から1階へ降りて事務室の鍵を開け、要所の灯りを点けたのみにて居間へ戻る。
朝飯は、ほうれん草の油炒め、冷や奴、昆布巻き、納豆、水菜の炊き物、蕪のぬか漬、メシ、お麩と長ネギの味噌汁。
店舗駐車場と国道121号線沿いの掃除を済ませ加藤床屋へ行く。帰途、きのう写真とスマートメディアをあずけた写真屋に寄って、できたものを受け取る。帰社して 「上澤写真館」 に4枚の画像とその説明を加える。あるいは、既に作成した一部分により良い画像を差し込む。こういう作業をしている最中にまた新たな、このペイジに使えそうな写真が納戸から発見される。
なにやかやと忙しく過ごし、下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗って2時間後に池袋へ着く。南口から目白へ向かって細い道を歩き、自由学園明日館に達する。
同学会の本部委員会は 「もうそろそろ閉館の時間です」 という職員の督促を2度受けつつ、9時20分に至ってようやく終了した。芝生に大谷石を配した前庭に出ると、まるで台風のような強い風が吹き、密度は低いが、しかし大粒の雨がパラパラと落ちている。足早に駅へ向かう。地下鉄丸ノ内線を本郷三丁目で降りて、ここでも足早に歩いて甘木庵に帰着する。
早寝早起きの長男は、そろそろ寝ようとしているところだった。冷蔵庫の冷たいプーアル茶を飲んでも、蒸し暑さから額に汗が浮かぶ。入浴して、ふたたび冷たいお茶を飲む。
楽しみを引き延ばすため普段は読まずに温存してあるアンソニー・ボーディンの紀行文 「世界を食いつくせ!」 をザックから取り出し、枕頭の灯りを点けてこれを読む。寝室の窓から心地良い夜気が、薄く開いた玄関の扉へと抜けていく。
11時30分に就寝する。
いまだ12日にならない夜の11時になにかの物音で目を覚ます。しばらくそのまま横になっていたが眠れそうにないため、服を着て居間の卓へ向かう。
11時30分よりコンピュータを起動し、会社の古い画像をスマートメディアから取り込む。各々の画像は異なる時代に撮られたものにて、紙焼きのサイズや縦横の比率は様々だ。それら1枚1枚の大きさを整え 「上澤写真館」 のテンプレイトに当てはめる。また説明文も打ち込んでいく。
2時30分に至ってようやく13枚の画像とその説明を仕上げ、「上澤写真館」 が完成する。このペイジは以降、興味深い写真が家中のどこかから見つかるたびに充実させていくが、次回のメイルマガジンにて顧客にそのでき上がりを知らせることとし、当座、ウェブショップのトップからはリンクを付けずにおこうと考える。
3時に二度寝に入り6時30分に起床する。
次男は今朝もカレーライスを食べるのだという。次男は給食を除けば4回連続でカレーライスを食べている。僕は水菜の炊き物、なめこのたまり漬、塩鮭によるお茶漬けを朝飯とする。
日中、更に 「上澤写真館」 で使えそうな写真が納戸のあちらこちらから次々に発見される。それを近所の写真屋へ持ち込み 「1度に持ってくりゃいいのに悪いねー」 と、そのスキャニングを頼む。
夕刻、ホンダフィットに乗り、東武日光線下今市駅へ家内を迎えに行く。
初更、コゴミのゴマ和え、昆布巻きにて焼酎 「南泉」 を飲む。ポテトサラダ、イワシ、蓮、カボチャなどの南蛮漬け、レヴァカツにて更に焼酎を飲み進む。
入浴して冷たいプーアル茶を飲み、9時に就寝する。
目を覚まし、枕頭の灯りを点けて時計を見ると3時だった。昨晩の就寝が8時だったからつまり7時間ずっと眠り続けたことになる。「順当」 という言葉が頭に浮かぶ。5時30分まで 「雑談にっぽん色里誌」 を読む。
思春期に人はどのような本を読むべきか? 橋本左内の 「啓発録」、内村鑑三の 「後世への最大遺物」、こういうものに触れていれば間違いはないと思うが残念ながら僕はその範疇にない。中学高校のころより永六輔の櫻川ぴん助へのインターヴュー、小沢昭一による女相撲の考察などに親しんでいては、ろくな大人になるわけがない。
そしてこの 「雑談にっぽん色里誌」 は、そういう僕の下らない読書歴の延長にあるものだ。ダグラス・マグレガーの 「企業の人間的側面」 などという本を読んでいる人には、だから僕は絶対にかなわない。
家内が留守のため、次男がいつ起き出しても良いよう、いつものよしなしごとは居間で行う。
朝飯は次男の希望により昨夕に続いてカレーとなる。「器だけは」 と、きのうの磁器皿を木の椀に変える。
始業後、古い写真で会社の歴史をたどるペイジ 「上澤写真館」 を作り始める。テイブルの中で小さな画像をクリックすると大きな画像にリンクするテンプレートまでを完成させる。
このところ車庫で僕のクルマのメインテナンスをしてくれているオオエナガシさんを、昼前に訪ねる。オオエさんは2台のランチアの整備を終え、数日前からアルファロメオの "Giulia Sprint GT" に取りかかった。古い車の細部を見るにつけ 「もう欲しいクルマはねぇよ」 と思う気持ちに嘘はない。
午後おそくに、今月の本酒会を開く "Johnny's Cafe 638" の主人イトウさんが事務室に顔を出す。会における酒肴の出し方や器について質問を受け、それに答える。この旧市街の中心にあるカフェは、おそらく我が町で最も上出来のビールを出す店だ。強烈に、この店のビールが飲みたくなる。しかし甘木庵にいる家内は都合によりもう1泊することになった。それならば僕も、きのうに引き続き断酒をしようと考える。ビロードのような泡を持つギネスビールを、今夕ばかりは諦める。
燈刻、次男の教科書音読の宿題を督励する。
今夜もカレーライスを食べるのだと次男は言う。僕は冷蔵庫をあさり、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の炊き物、塩鮭、冷や奴を整え、これを炊きたてのメシのおかずとする。毎日こういうものを食べていれば、僕の血中の脂肪分は低くなるのだろうか? しかし水を飲んでも太る人はいる。同じものを食べても、脂肪をよけいに体内に留めてしまう体の質が、僕にはあるのだと思う。
入浴して8時にベッドへ入る。「雑談にっぽん色里誌 芸人編」 は読み終えた。続いて 「雑談にっぽん色里誌 仕掛け人編」 を開く。8時30分に就寝する。
夜中の2時に目を覚まし、「新入社員諸君、これが礼儀作法だ!」 を開いて5時30分にこれを読み終える。いつまでも読んでいたい気分だが、本を読み始めれば、それがよほど自分の生理に合わない限り、いずれ最後のペイジへ至るのは仕方がない。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、水菜の炊き物、きのうの朝市で買った焼きソーセージとほうれん草の油炒め、胡瓜のぬか漬、なめこのたまり漬入りスクランブルドエッグ、納豆、メシ、お麩と長ネギの味噌汁。
外注SEのカトーノさんにいまだヒマのあった1998年からの1年間、僕は彼の指導を仰いでウェブペイジの作成に力を注いだ。それまで 「ウワサワさん、ホームページ作んない?」 という誘いはいくつか受けたが、カトーノさん以外の人に仕事を依頼しなかったことが、諸々の点で現在のウェブショップの成功に繋がっている。
カトーノさんはまた、教えることの上手な人だ。当時はウチの会社も年中無休ではなく月曜日が定休だったため、僕は毎週この日にカトーノさんを呼び、自費で授業料を支払いながらのべ何ヶ月ものあいだウェブペイジの作り方を学んだ。
当時、カトーノさんが僕に、熱心にその作成を勧めたペイジのひとつが、会社の歴史を示す写真集だった。僕はそのペイジ名を 「上澤写真館」 と定めながらも、資料つまり古い写真の収集を面倒がり、ついに着手するまでには至らなかった。
ところがそれから6年後のここへきて、にわかにこのペイジを作ってみようとする気持ちが強くなった。これは、先月19日に事務机を取り囲む本棚を整理した際に出てきた古い写真アルバムに、なかなか面白い写真を発見したことが、そのきっかけになっているように思われる。
ついでに納戸も捜索し、また事務室のロッカーもあさって、使えそうな十数葉の写真を選び出す。新たに良い写真が見つかったときには、それを加えて更にペイジを充実させていけば良い。アルバム1冊と、アルバムのペイジに挟まれていただけの写真を霧雨に濡れないようビニール袋へ入れ、近所の写真屋へ行く。
僕はスキャナーを持たない。もちろん、デジタルカメラの画像を自分で紙焼きにするプリンターも持たない。これは大げさに言えば、別荘を持たないことと同じ考えによる。
別荘では掃除からベッドを整えることまで自分でしなくてはいけない。メシも自分で作らなければいけない。ことによると草刈りから立木の枝落としまで自分でしなくてはいけない。ペンションに泊まれば、それら一切の労働から解放される。1千万円の別荘を買った人がいたとする。別荘を持たない人が1泊1万円のペンションに泊まったとする。一生のうちペンションにのべ1千泊をする人が果たして何人いるか?
近所の写真屋へ行き、紙焼きの写真をデジタル化してメディアに入れてもらって1枚あたり105円の手間だ。別荘を持たない理屈と同じく、だから僕はスキャナーや写真のプリンターは持たない。
写真屋のオネーサンには、この仕事を急ぐ必要はないことを伝えた。
家内は昼過ぎより甘木庵へ行った。家内のいない晩に断酒をするとは、まことに都合がよい。次男とふたりで次男の好きなカレーライスを食べれば、後は風呂へ入って寝るだけのことだ。英語の教室へ行き頭が疲れたせいか、7時すぎには眠そうな顔をしている次男と入浴し、7時30分にベッドへ入る。
朝4時に目を覚まし 「新入社員諸君、これが礼儀作法だ!」 を読んで5時30分に起床する。今日に限って事務所へ降りず居間にいると、6時に花火が上がる。多分、日光街道沿いに開かれる朝市を知らせるものだろう。起き出した次男が 「朝市に行く」 と言い、ややあってしかし 「やっぱり行かない」 と前言をひるがえす。朝市と縁日とを間違えたらしい。「いや、きっと欲しいものはあるよ」 と誘って外へ出る。
1970年代の最後期に始まったこの朝市は、はじめ月に2回ひらかれたが、現在では1回に減ったらしい。数ヶ月前にこの朝市へ出かけたら、かつてとはくらべものにならないほど寂れていた。しかし今日は、また店の数も客の数も増えている。季節のせいだろうか。
生花、鉢植え、食べるための野菜、畑に植えるための野菜、味噌、佃煮、お茶、温かいコーフィー、七味唐辛子、パン、お菓子、乾麺、缶詰などの露店をひととおり見て次男が興味を示したのは焼きソーセージだった。これを2本求め、パンは2軒の店からそれぞれ少しずつ買って帰宅する。
朝飯は、メカブ酢の物、納豆、水菜の炊き物、メシ、玉ネギの味噌汁。この他におかずがもう2品はあったはずだが、画像を紛失したため思い出せない。
日曜日にあいにくの雨で、また連休疲れということもあるのだろう、店舗は混み合ったかと思うと閑散とし、また混み合って、しかしその客足は持続せずまたヒマになる。
毎週日曜日の終業後に行っているミーティングで、対前年度週間粗利ミックス表の検討をする。今週は前年の同じ週に比して販売個数で40%、粗利で78%の増を記録した。しかしこれはまぁ、間違えて吹いた神風のようなものだ。
燈刻にワイン蔵の棚から "Demoiselle" というあまりぞっとしない名の1本を抜き取り、居間へ持参して抜栓する。トマトのスパゲティ、朝市で買ったフォカッチャ、蕪とインゲンとハムのサラダ、鶏の炙り焼きバルサミコソースにて、このブラックチェリーの香り濃いシャンペンを空ける。
入浴してジンを生で1杯、更に冷たいお茶を1杯飲んで、9時30分に就寝する。
朝4時に目を覚まし 「新入社員諸君、これが礼儀作法だ!」 を読んで5時30分に起床する。
事務室へ降りてコンピュータを起動しメイラーを回す。僕でも知っている雑誌の編集者から、ある季刊誌 の懸賞企画に商品を提供してくれないか? とのメイルが届いている。懸賞とはいえ、見た人が買いたくなるようなペイジの構成になっていると、差出人の文章にはある。
「このたび我が町でシニアのための卓球大会が開かれることになったんですが、つきましては参加者名簿に広告をお願いできないかと思いまして」 などという寄付につきあうよりは、いまだリターンが多そうな気もするが、とりあえず断りの返事を送る。
「戦略的広告」 と 「戦術的広告」 など、いわゆる広告というものを分類する方法がどれほどあるのかは知らないが、「利益を増大させるために打つ広告」 と 「義理で仕方なく(税金減らしのために)つきあう広告」 という二分法は確かにある。地方紙や業界紙などの広告は、ほとんどがこの 「義理で仕方なくつきあう広告」 ではないか? そういう広告を集めて回る営業部員の苦労はいかばかりかと同情を禁じ得ない。
「義理で仕方なくつきあう広告」 をすべて切り、その分を社員の福利厚生費にあてたらどれだけ気分がすっきりするだろうか? と考える。
朝飯は、メカブの酢の物、ブロッコリーの油炒め、白菜キムチ、胡瓜と蕪のぬか漬、納豆、メシ、厚揚げ豆腐と長ネギの味噌汁。味噌汁の中の厚揚げ豆腐の油が何とも美味い。
12時より如来寺にて、二十数年前に、三十数年前に、あるいは四十数年前に亡くなった先祖の法事を行う。本堂での読経を終え晴れた墓地へ移動をする。僧侶が念仏の最後に 「それでは南無阿弥陀仏をお唱えします」 と言ったところで目の前のアジサイの葉に、非常に細い水色の胴を持つ翅の短いトンボが留まる。そのトンボの写真を撮る。周りからブツブツと、口の中に籠もって明瞭ではない 「南無阿弥陀仏」 が聞こえている。
大谷川河畔を望む 「みとや寿司」 にて、午後1時前より食事会がある。次男の席にはマグロの握り1人前が届けられた。大人たちがせいぜい献杯をし珍味盆を食べ終えるころ、次男は早くも自分の鮨桶を空にした。
飲酒を控えたにもかかわらず、酔ったような気分があるのはどういうわけだろうか。そのような気分のまま夕刻まで仕事を続ける。
燈刻、次男が午後に書き上げた宿題の日記を、僕が朗読する。
「八日は、ひいおじいちゃんと、お父さんの妹のほうじをしました」 という出だしの部分だけ読んで先が続かない。それでも次男に朗読をすると言った手前、そこで止めるわけにはいかない。小さな声で文字を追う。日記は 「それからみんなでみとやずしへ行きました。ぼくはマグロを八こ食べました。おいしかったです」 と締められていた。
人間は早死にをしてはいけない。好きなマグロの握りを八千個でも八万個でも食べられるほど長生きをしなくてはいけない。早死には可哀想だ。
トマトサラダ、ブロッコリーの胡麻マヨネーズ和え、冷や奴、カトーノさんのお母さんが届けてくれた水菜による炊き物、蒸し焼売にて焼酎 「南泉」 を飲む。法事のあった晩のことにて、胡瓜と蕪のぬか漬と共に白おこわを食べる。
入浴して冷たいお茶を飲み、「新入社員諸君、これが礼儀作法だ!」 をすこし読んで9時30分に就寝する。
朝4時から5時まで 「新入社員諸君、これが礼儀作法だ!」 を読んで過ごす。いろいろな人が山口瞳について、あるいは山口瞳のために、いろいろなことを書いている。また山口瞳がいろいろな人と対談をしている。それらひとつひとつを読みながら僕は 「この文章が(対談が)ずっと終わらず続けばよいのに」 と思う。しかしそれらにはいずれ終わりが来る。そして次のペイジを繰り読み始めると、そこでまた同じことを思う。
この880円の 「小説新潮四月臨時増刊 山口瞳特集号」 は、僕にとって定価の10倍もの価値ある安い買物だった。
事務室へ降りていつものよしなしごとをする。ウェブショップの受注状況を確かめ、顧客のメイルに返信を書く。店舗へ行き灯りを点けてあれこれと考える。きのうの日記を作成する。
朝飯は、メカブの酢の物、ソーセージとピーマンの油炒め、納豆、ジャコ、蕪と胡瓜の浅漬け、メシ、お麩と長ネギの味噌汁。車麩の炊き物や麩をあしらった古色蒼然としたラーメンは好きだが、お麩の味噌汁はどうも面白くない。面白くはなくてもこれは次男の好物だから、たまにはつきあう必要がある。
店舗駐車場や会社の敷地に沿った歩道や車道を掃除するのは僕の日課だが、アスファルトの切れ目にずいぶんとタンポポが目立ってきた。これらは1度、4月の始めに社員たちによって引き抜かれたが、その第二弾が育って大きくなりつつある。タンポポと聞けばのどかな感じがするが、その繁殖力は非常に強い。また社員を動員し、これを片端から抜いていかなければならない。
タンポポが一面に繁茂した100ヘクタールほどの丘があれば、それは素晴らしい景観を以て名所となるだろう。しかしながらアスファルトの隙間を割るようにして増殖したタンポポは、雑草として容赦なく引き抜かれ日干しにされて捨てられる。置かれた状況により有り難がられたり迷惑がられたりする。生かされたり殺されたりする。
都会のタンポポが自分の種を春の風に乗せ、遠い田舎の山へ飛ばして子どもだけは幸せにする。そんな童話があったような気もするが、あるいは無かったかも知れない。
本酒会報のメイルマガジン版はきのう各会員へ送付した。終業後、そのウェブペイジ版を作成してサーヴァーへ転送する。また、郵便局が配達をする紙の会報も整える。
本日は断酒をすることとして、茹でたブロッコリー、レタス、ベビーリーフ、胡瓜、トマト、ツナのサラダ、小さなオムレツ、ナン、キーマカレーを摂取する。
入浴して冷たいお茶を飲み、「新入社員諸君、これが礼儀作法だ!」 をすこし読んで9時30分に就寝する。
何時に目を覚ましたのかは知らないが、起床して居間の電波時計を見ると5時だった。
事務室へ降りてコンピュータを起動しメイラーを回すと、顧客から 「以前、アドレスの変更を依頼したが、その後、メイルマガジンなどの案内が途絶えたのはどういうわけか?」 との問い合わせが届いている。こういうメイルへの返信ももちろん、僕の朝のよしなしごとのひとつだ。
既読のフォルダに検索をかけると、果たしてこの顧客のアドレスは依頼されて即、更新が済んでいる。試みに更新されたアドレスへ最新のメイルマガジンを送付すると、先方のホストから "unknown user" の返事が戻る。顧客からの問い合わせメイルのヘッダには 「更新してくれ」 と言われたものとは別のアドレスがある。ここへ向けてメイルにて、その事実をお知らせする。また郵便局が配達をする封筒にても、念のため同じ説明を送付する。
朝飯は、メカブの酢の物、ほうれん草の油炒め黒酢がけ、ヒジキと人参と油揚げの炊き物、白菜キムチ、なめこのたまり漬、納豆、メシ、豆腐と水菜の味噌汁。
毎日毎日いろいろなものを書く。飛んできた球を打ち返すようにただ物理的な動作だけで作れる文書もあれば、頭を働かして書くものもある。雑談をしながらでも真面目な文章がいつのまにかでき上がるときもあれば、なんということもない手紙がいつまでも完成しなかったりする。
先月の 「本酒会」 は23日に行われた。この会報が2週間後の今日まで書けていない。こういう際には当日の日記を参考にすればよい。4月23日の日記中、本酒会について書かれた部分をほとんど引用し 「第131回本酒会報」 とする。このメイルマガジン版を会員へ向けて一斉送付する。
燈刻、次男の算数の宿題を督励する。勉強机はヤマギワのバイオライトを備えるが、次男はもっぱら食卓ですべてのことをしたがる。天井の灯りが頭や手にさえぎられ手元に影ができて目に悪いこと甚だしい。しかし僕も学生のころ甘木庵では、勉強はキッチンのテイブルでし、本はベッドに寝て読んでいた。そして長男も同じく甘木庵で、新品のバイオライトは箱から出しもせずキッチンで勉強をしている。
住む人の関係や個人の好みにより、家の中での様々な作業をどこでどのように行うかの形は様々だろう。ウチの場合には、子どもの勉強机などハナッから必要なかったのではないか? ということに遅ればせながら気づく。
サツマイモの甘煮、ほうれん草のゴマ和え、マグロとタコの刺身、アサリの酒蒸し、湯豆腐にて、焼酎 「南泉」 を飲む。湯豆腐を食うたびに 「どうしてこんなものが、こんなに美味いのか?」 と思う。
入浴して冷たいお茶を飲み、「新入社員諸君、これが礼儀作法だ!」 をすこし読んで9時30分に就寝する。
4時30分に起床して事務室へ降りる。シャッターの外から雨の音が聞こえる。あと2時間もすれば止むだろうと考えつつ、いつものよしなしごとをする。
朝飯は、ほうれん草のゴマ和え、ジャコ、ヒジキと人参と油揚げの炊き物、胡瓜のぬか漬、鰻の蒲焼き、なめこのたまり漬のスクランブルドエッグ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とワケギの味噌汁。「美味いねー、実に」 と思う。
開店時になっても雨は止まなかった。この連休の売上げは毎日、昨年のそれを大きく超え続けているが、今日の天気によりその勢いも止まるだろう。そうそう良いことばかりは続かない。
ところで、この連休中の商売の好調は、どのような理由によるものだろうか? 「休日が分散せずにまとまって大型連休になり、しかも天気が良かった」 からか? しかし同じ条件下で売上げが悪ければ 「みんな海外に遊びに行っちゃったんだよ、きっと」 ということになるだろう。「景気が上を向いてきたから」 だろうか? しかしもしも売上げが悪ければ 「とはいえいまだ一般の財布のひもは堅い」 ということになる。
結局、好調の理由は分からない。いわゆるコンサルタントがウチの駐車場に落下傘降下をしたとして、その人に同じ質問をしても答えは不明だろう。彼らは競馬の評論家と等しく、大抵の予想は外しつつ結果を語る点においてはみな饒舌だ。
おととしより "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" の大きさに辟易し、外出時には "Minolta DiMAGE X" を用いてきたが、今般、接写能力の高さよりそれを "Canon IXY DIGITAL LI" に換えた。これは僕にとって5代目のデジタルカメラとなる。無駄のないデザインが好きだったミノルタは、現在、"Fuji FinePix4500" を使っている長男に譲った。
その長男は下今市駅9:36発の上り特急スペーシアにて甘木庵へ帰った。
雨脚は強まらず、あるいは降ったり止んだりして夕刻を迎える。いつもは日曜日の閉店後にする1週間の反省ミーティングが、今月2日には客足が定時を過ぎても途切れず後日へ延期した。その振り替え分を本日に行う。
燈刻、次男の教科書音読の宿題を督励する。
晩飯は、トマトとベビーリーフのサラダ、タラコとなめこのたまり漬のスパゲティ、3種のキノコのピッツァ、イチゴ。メシは美味いが、これをワインなしでやっつけるのだから、断酒とは味気のない、あるいは非文化的な行為だ。
菖蒲湯から上がって冷たいお茶を飲み
開高健のある紀行文にも、アマゾン川の支流に浮かべた小舟の上で著者がサントリー・オールドをラッパ飲みする写真があり、どうも寿屋出身の作家には、自分の趣味嗜好よりもかつて勤めた会社の都合を優先するところが目立ち、読者としては当惑することがしばしばあった。第一、美味いもん食いの開高健にあの不味いウイスキーは似合わない。
それはさておきこの 「新入社員諸君、これが礼儀作法だ!」 は上出来のオムニバスでとても面白い。著しく早い時間に目の覚めた朝などには、これを少しずつ読んでいこうと思う。
9時30分に就寝する。
暗闇の中で目を覚ます。そのうちまた眠れるだろうと考えて1時間ほどもじっとしているが眠れない。枕頭の灯りを点けると2時30分だった。灯りを落とし更に1時間ほどが経過してようやく二度寝に入る。
どこかの市場にいて、商品ごとに区分けされたステインレスの冷蔵ショウケイスを見下ろしている。5センチほどに切ったイカの足、ツブ貝、シッタカ貝、下茹でした子袋、砂肝など、噛めばシコシココリコリするようなものばかりを売っている。すこし視線を移すと、通路の向かい側にはオデンの屋台があって、のぞき込むとやはりしきりのあるステインレスの鍋の中で、イカの足、ツブ貝、シッタカ貝、下茹でした子袋、砂肝などが澄んだ汁の中で煮えている。
屋台にはひとりの客がいて燗酒を飲んでいる。「最高じゃねぇかここのオデン」 と驚きつつそれとなく客に注意を向けると、朝っぱらから顔を赤くしているのは年長の友人ニッポンカトーだった。
6時に起床して事務室へ降りる。シャッターを上げて外へ出ると、夜半の雨は上がり地面には夏の匂いがあった。ウェブショップはさすがにこの連休中、注文数を減らしているが、まったく無いわけではない。きのうの閉店後から今朝までにあった受注の数と金額をざっと見る。
朝飯は、胡瓜と京人参のぬか漬、納豆、スパムとキャベツの油炒め、ヒジキと人参と油揚げの炊き物、タケノコの炊き物、メシ、シジミとワケギの味噌汁。
1日の忙しさが予想される朝には特に、店舗の冷蔵ショウケイスには多くの品出しをする。今朝もそうしたいのは山々だが、30分の早出をした袋詰め係は、いまだまとまった数の包装を終えていない。他の商品の並べ替えや備品の掃除などをして開店を迎える。
店舗の奥に、いくつかの壺や生け花を飾った棚がある。ここの壁面から川上澄生の版画を外し、同じ作者による、黒い光沢のある薄紙を用いた版画の、刷り上がった後に筆で絵の具を盛った珍しい作品を掛けてみる。そして、これまではこの壁面に1枚だけだった版画を、近いうち2枚に増やすことを決める。
こういうことをしつつ頭に浮かぶ言葉は 「売り家と唐様で書く三代目」 だ。
今日も客足は繁く、ゆっくりと昼飯を食べている時間は無い。家内の用意した豚挽肉と玉葱のみじん切りによる甘辛い汁のうどんを、皆は釜揚げにして既に食べ終えていたが、僕は湯がいた麺を水で洗い 「ヒヤアツ」 にしてみると、これが予想以上に美味かった。
今朝から鶏の塩焼きを塩とワサビで食べたいと思っていた。長男が次男を連れ徒歩で日光へ向かう。旧日光街道の杉並木をずっと歩いていけば、そのうち 「晃麓わさび園」 というワサビ屋に行き当たる。やがて長男から、到着までに1時間を要したため、帰宅が遅くなるといけないので迎えに来て欲しいとの電話が入る。家内が渋滞している国道121号線へホンダフィットを乗り入れ、日光街道に左折してこれを北上する。
初夏というよりも梅雨時を思わせる湿気があって、半袖ポロシャツの上に印半纏を着た僕は汗をかく。客数は今日も多く、夕刻が近づくにつれ、脳なのか神経なのか体なのかの区別はつかないが、とにかくずいぶんと疲れてくる。アイスホッケーの選手がリンクから引き上げまたリンクへ出て行くときのようなごく短い休憩を取って、ふたたび店舗へと戻る。
初更、胡瓜と京人参のぬか漬、グリーンアスパラガスの胡麻マヨネーズ和え、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の炊き物にて、種子島の芋焼酎 「南泉」 を飲む。鶏胸肉の塩焼きワサビのせ、「魚登久」 の鰻の蒲焼きにて、更に焼酎を飲み進む。
入浴して冷たいスポーツ飲料を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
4時にいったん目を覚まして二度寝に入る。5発の花火に気づいてふたたび目を覚ます。花火の余韻がいまだ空から消える前に、琴平山の頂上からお祭りのお囃子が聞こえ始める。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、スパムのソテー、キャベツのおひたし、京人参と胡瓜のぬか漬、納豆、茄子と豚肉の味噌炒め、ジャコ、マヨネーズ入り炒り卵、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。
1996年当時niftyを利用したパソコン通信によるオンラインショップを運営していたとき、店長を対象とした年に1度のカンファレンスで "Spam" と呼ばれる迷惑メイルの存在を初めて耳にした。以来、いかにも不味そうなこの肉の加工品には興味を持っていたが、おととい次男を連れて "JUSCO" へ行ったとき、沖縄の物産を売る臨時の出店にスパムがあり、思わずそのアメリカ製の缶詰に手を伸ばした。
今朝、これを食べてみると意外にも美味い。不特定多数へ向けて大量に送りつけられるメイルに "Spam" という名の付いた理由がこの食品の味によるものではないことを、本日、検索エンジンを回してようやく理解する。
長男は琴平山のお祭りに、次男を同伴して徒歩で出かけた。帰宅してお祭りにて購った焼そばによる昼食を済ませ、今度は郊外の "TSUTAYA" へ、長男はふたたび次男を伴って徒歩で出かけた。次男は今日1日で8キロほどは歩いたかも知れない。
「明日は何時に開きますか?」 夕刻になって、包装係のサイトウヨシコさんが事務室へ来て訊く。
「ヨッコちゃんが朝5時に来ると言えば5時に開けます」 僕は力を込めて返事をした。
「まーた」
「まーたじゃないよ、ホントだよ、オレは何時にだって起きられるんだから」
本日の客足は予想以上に繁く、本日と明朝の分として袋詰めした商品のうち 「らっきょうのたまり漬」 が今しがたすべて店に出てしまったため、あした早めに出勤をして追加の袋詰めをしないと開店直後に一時売り切れの可能性がある、というのがサイトウヨシコさんの懸念だった。結局、包装係は明朝、定時よりも30分はやくから作業を始めることになった。
きのうは定時を30分すぎての閉店だったが、本日はそれよりも更に15分遅れてシャッターを降ろす。
燈刻、タケノコの炊き物、ヒジキと人参と油揚げの炊き物にて、分厚いグラスに満たした芋焼酎 「しま甘露」 を飲み始める。ブデチゲの鍋にて、豚肉をしゃぶしゃぶにする。すべての具を食べ終えて後、中華麺を投入して締めとする。
入浴して牛乳を200CCほども飲んで9時に就寝する。
5時に起床して事務室へ降りる。いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、ブロッコリーの油炒め、豆モヤシの酢油和え、塩鮭、胡瓜のぬか漬、納豆、メシ、甘エビの頭とワケギの味噌汁。
バンノウセイイチさん亡き後、ウチのクルマの面倒を見てくれているオオエナガシさんから先日、僕のホンダTLR200を譲ってくれないか? という話があった。このオートバイは山へ出かけるとき、アプローチの辛いアルバイトを避けるため20数年ほど前に購入したものだが、その使い道からして走行距離はいまだ800キロに達していない。
年式からすれば値段のつけられるようなシロモノではなく、しかしその内外にほとんど傷みはない。オートバイを知らない人生はつまらない人生だと僕は考えるが、長男は別段、こういうものは欲しくないらしい。仲間内のオノグチショウちゃんに相談をすると 「タダでもらっても気がひけるだろうから、そうすると1万か2万かなぁ。それから息子ってのは、オヤジのやってることには絶対に興味は示さないかんね」 と言う。
オオエさんには結局 「どうぞ持っていって、保険だけはしっかりかけて乗ってください。それで乗れない年齢になったら、ウチの車庫へ戻してください」 と伝えた。
「そういえばオノグチショウちゃんはむかし、高価な "Belstaff" のジャケットを2着も持っていたな、あれは今でも木綿にワックスをコーティングしたネチョネチョの防水服を作っているのだろうか?」 と検索エンジンを回すと、果たしてその日本版のペイジへ行き当たった。ここをあれこれと見ていく途中、"VINTAGE COLLECTION" という場所に "Che Guevara Replica Jacket" というものを発見する。解説の小さな文字を凝視すると、その一部に 「Emest Che Guevaraによる伝説の南米横断バイク旅行の時に着用されました」 という説明がある。
「何と、ゲバラが 『南米モーターサイクル旅行記』 を書いたときに着ていた服はベルスタッフだったのか」 と深い感慨を憶える。取り急ぎこの本を探しに階段室へ行くが見あたらない。その隣に置いたガルシア・マルケスの 「戒厳令下チリ潜入記」 も無い。双方とも長男にやったのかも知れないが、あの、ゲバラがいまだ医学生だったときの日記を紛失するわけにはいかない。どうにかしてその所在を特定しようと考える。
客足に波はあるものの、店舗はおおむね忙しかった。夕刻、定時に30分おくれてようやく閉店する。家内が買物がてら、下今市駅へ長男を迎えに行く。長男が5月の連休に帰宅をするのは、自由学園に入学した年以来6年ぶりのことだという。
食前にスミルノフを生で1杯だけ飲む。"Bourgogne Blanc Domaine Leflaive 1998" の、きのう栓をしておいたバキュバンを抜く。金谷ホテルのバゲット、蕪と胡瓜とレタスのサラダ、ジャガイモとニンジンと玉ネギのバター炒め、チヌのワイン蒸し。豚の足と臓物とトマトのスープは、僕が古いリースリングを1本丸ごと投入したため、いささか酸っぱくなった。
人間は 「博打をする人」 「しない人」、「選挙に熱狂する人」 「共産党に投票し続けるノンポリの人」、「同性と寝る人」 「寝ない人」 など様々な条件により二分される。「土産を買う人」「買わない人」 という分類においては、僕は明らかに 「買わない人」 に属する。長男もすこし前まではこちらの側にいたが、最近は土産を買うようになった。
その、長男が上野駅のどこかで購ったシフォンケイキにて、生のスミルノフを更に1杯だけ飲む。
入浴して9時30分に就寝する。
2時20分に目を覚まし、枕頭の活字を拾い読みして3時に起床する。事務室へ降り、きのう眠る前に思いついたことを記したメモや今朝になって走り書きした覚え書きを机上に広げる。店舗へ行きショウケイスの商品の一部並べ替えをし、また取引先へファクシミリで送る図案入りの提案書を作る。
ウェブショップで使用できるカードは一部が他社と統合されて減ったり、また新たな会社が参入して増えたりする。それに合わせ、お支払い方法のクレジットカード払いの部分を書き換える。またウェブショップのトップに連休中の受注と出荷の状況説明を入れ、両者をサーヴァーへ転送する。
きのうの日記は作成できたが、先月23日に "Casa Lingo" で行った 「本酒会」 の会報はいまだ書けていない。シャッターを上げ、本日の好天を確認する。
朝飯は、タケノコの炊き物と山椒の佃煮、ゆで玉子、納豆、胡瓜のぬか漬、煮奴と水菜の炊き物、さらし玉ネギのかつお節かけ、ジャコ、メシ、大根とワケギの味噌汁。
始業後、事務係のコマバカナエさんに4月のウェブショップの実績を出してもらう。結果は前年4月にくらべて5割以上の伸びだった。お客様にはただ感謝するのみだ。昨年とは異なり4月にはメイルマガジンを発行したから、この数字は当然なのかも知れない。しかし限界効用は驚くほど速く逓減する。「だったら来年の同月はどうする?」 と考えて答えは出ない。
次男は長い休みの初日に際して床屋へ行った。帰って今度は社員休憩所にゲームボーイアドバンスを持ち込んで遊んでいる。商売家の子どもの休みの過ごし方とは、まぁこんなものだ。
午後、手が空いたので次男を連れホンダフィットで "JUSCO" へ行く。食料品をあれやこれや選んでいく途中に 「ドライシェリーの肴にしたら美味そうだ」 とドリアンの品定めをして指に怪我をする。ドリアンは買わずに帰る。
初更、"Bourgogne Blanc Domaine Leflaive 1998" を抜栓する。いまだ試したことはないが、パリの立ち飲みバーの亜鉛製カウンターで見かけそうな僕の風船グラスは、その気になればワイン1本を丸々呑み込んでしまうほどに大きい。
レタスとミズナとブロッコリーのサラダ、ホタテマヨネーズソース、「パパン」 のパン、ヤリイカと甘エビとトマトのスパゲティにて、このブルゴーニュの白を飲み進む。
僕のような高脂血といわれる者が病院でもらう小冊子には 「イカにはコレステロールが多く含まれるからあまり食うな」 と注意書きがある。しかし最近では 「タウリンがコレステロールの蓄積を抑え、また中性脂肪を減らすため、イカを食うことはかえって体に良い」 という説もあるらしい。あちらこちらから 「体に悪い」 だの 「良い」 だの 「食うな」 だの 「食え」 だの言われて、医者も患者も右往左往するばかりだ。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。