午後、上り特急スペーシアに乗る。今の季節、そして本日のような良く晴れた日は特に、窓外の景色はほとんど緑、また緑だ。「萬緑」は6月の季語だったかも知れないが、日光の里山は既にして萬緑である。
所用にて神保町の"Computer Lib"を訪ね、ここで3時間ほどの作業を行う。寒かったきのうから一転して、今日は日光でもシャツ1枚で過ごせる陽気だった。東京へ来ればその気温は更に上がる。
午後6時すぎ、いまだ暮れる気配のない白山通りを若い人たちと北へ歩き、今や建物だけとなった「研数学館」ちかくの中華料理屋「北京亭」に入る。メニュでは1杯数百円の白酒をボトルで頼んだら幾らになるかと中国人のオネーサンに訊けば、おなじく中国人の料理人たちと鳩首して電卓をたたき、5,000円台の数字を出してきたから即、注文をする。
初夏の宵は気分が良い。そして北千住駅20:11発の下り特急スペーシアに乗り、10時前に帰宅する。
午前、3日後に迫ったシェムリアップ行きの、持参すべきものをコンピュータから出力する。
谷口正彦の「冒険準備学入門」は愛蔵の1冊だ。東南アジアの遺跡の街へひと飛びすることは冒険でも何でもない。しかしそのような旅においても、事前の準備はもっとも楽しめるところとだろう。それが毎日の繁忙に追われてままならないのだ。
春日町1丁目の会計係として平成21年度の決算報告を行うべく、初更、各組長の集まる公民館へ行く。1時間後にその総会を無事に終え、事務室に戻って夕刻の仕事の続きをする。
おとといから酒を断った結果、月に8回の断酒ノルマを今月は9回も達成してしまった。昨月も同じく9回の断酒をした。この計2回を次月に繰り越せば、6月の断酒は6回で済む。
初鰹、空豆、蛍烏賊の季節は過ぎた。次に控えているのはじゅんさい、煮穴子、生雲丹あたりだろうか。来月、その手でぬる燗の飲める日が僕に訪れるかどうかは知らない。
"twitter"の大海を逍遙していたら、あの大監督、いや大監督といえば小津や黒澤か、とにかく川島透のアカウントに行き当たって「へぇー」と、しばし見入った。しかしフォロワーが200人台に留まっているところからすれば川島は、今や忘れられつつある人なのかも知れない。
何年か前に新潟駅構内のワゴンセールで「竜二」のVHSが売られていた。「竜二」と「チンピラ」は僕の記憶にいつまでも残る映画だ。しかし荷物の大きくなることを嫌う僕はそれを横目で見ただけで通り過ぎた。そしてどこ行きだったかは忘れたが、電車に乗ったところで後悔の念がフツフツと湧いてきた。
「竜二」が出世作となってしまったことが、川島透の不幸だったのだろうか。現在はこのDVDを"amazon"で買うことができる。
きのう、おとといと引きつづき、また今月を通算すれば洋食の「金長」には3度も足を運んでしまった。「金長」はウチから国道121号線を横断したところに大昔からあり、きのうの本酒会を別とすれば、何かと町内の用事に使われるからだ。
おとといは会計報告や剰余金の使い途、また夏の八坂祭の打合せのため町内青年会がこの店に集まった。「齢53歳のお前が青年会か」と嗤う人もあるだろう。しかし農村部へ行けば還暦を過ぎた若妻会会員もいる。嗤う人は早々に結婚して子供を作り、その子供を地域から流出させずにこれらの会へ入れていただきたい。
それはさておき、おとといのこの集まりには酒を控える必要のある人がいた。その人は飲み物としてノンアルコールビールを注文した。店主のカネコトモヤス君は気を利かせ、冷凍庫で凍らせた、霜の降りたジョッキにこれを注いだ。するとそのノンアルコールビールは本物の酒よりもよほど美味そうな液体に姿を変えた。
僕ははしご酒を好まない。店を移るにしても大抵は1次会と2次会の、せいぜい2軒で留めようとする。2次会の最後はレッドアイで締めることが多い。酔って以降に強い酒をあてがわれると、炎天下の校庭に水道水を飲むように歯止めが利かず、翌朝が辛くなるからだ。
そして夕刻ふと、ノンアルコールビールでレッドアイを作ることを思い立ち、夜9時にそれを実行する。そして「今後の2次会の締めは、これが良いなぁ」と考える。怖いオヤジのいるバーでは、とてもではない、頼む気にはならないけれど。
怪我を負って国道に迷い出た子鹿がいた。たまたまクルマで通りかかった人がその子鹿を助けた。そしてそれが美談として新聞に載った。何年も前のことだ。
このニュースを聞いた年長の友人ヨコタジュードーは「弱った動物の後ろには、それを追う肉食の小型獣がかならずいる。子鹿を助けたら、小型獣の餌はそこでパーだ。美談でも何でもねぇ」と言った。
日中、駐車場に雀の子が落ちていたらしく、それをお客様が「なんとかしてやって」と、販売係のタナカアオイさんに手渡した。柔らかい紙に包まれたその小雀を手に載せて僕のところに来たタナカさんは「どうしたらいいでしょう」と困惑している。
僕は駐車場の片隅にある坪庭の、日の当たらないところにそれを置くよう言った。巣から墜ちた小鳥は大抵、助からない。しばらくすると「まだ生きてるのに、もう蟻が来た」と、販売係の誰かの悲鳴が聞こえてきた。人間社会にいれば出世間違いなしの蟻である。
蟻の中には伝令係がいる。伝令は地下の巣に戻って「ご馳走があるぞ」と仲間に報せる。すると巣からは無数の蟻が這い出てくる。小雀は間もなくびっしりと蟻の集団に覆われるだろう。小雀が明日の朝までその姿を留めているかどうかは分からない。
このところ何かと気ぜわしく、いや、せわしいのは気だけではなく体も忙しく、日記の更新が遅れがちだ。
これまでウェブログを維持していた人が、まとまった文章を書くことに倦んできたころ、ツイッターを知る。ツイッターであれば表題を考える必要もなく、短いつぶやきをインターネットの大海に放り投げることができる。そして、その簡便性に慣れて、遂にウェブログには戻って来なくなる。
しかし自身のつぶやきはタイムラインという川に押し流され、目の前から素早く消える。それも寂しいものだと考えた人はツイログを設定し、これを以てウェブログの代替とする。
そんなことを書いていると「お前も忙しいだの何だのと言うなら、ここはひとつその、ツイログてぇものに移ったらいいじゃないか」と円生の声が聞こえてきそうだ。しかし僕はまだ今の形の日記が書ける、あるいはツイッターを日記の替わりにすることはない。
そして今夜もまた、酒は控え目にしてツイッターへと向かうのだ。
朝、所用で東武日光線の下今市駅へ行く。駅前には新聞の自動販売機がある。その最上段に設置された新聞に「日本崩壊」の大きな文字があったから、いよいよ日本が破産したのかと肝を潰す。
そしてなお近づいて小さな文字を読んでみれば、ワールドカップを目前にした昨夜、日本のサッカーティームが韓国のティームに負けたという記事だったから「なんだ、そのくれぇのことで大げさな」と、呆れる。
夜は栄養調製のためメシは食べず、フルーツケーキを肴に白ワインを飲む。しかしこのケーキ、案外、多量のバターを含んでいるかも知れない。
数年前、甘木庵にマイルス・デイヴィスの、見慣れないCDがあった。ライナーノートを見れば、マイルスの晩年にちかいころのものだった。僕は凡人であるから"Bitches Brew"以降のマイルスは受け付けない。だから「これもダメだろう」と考えつつプレイヤーに入れたところ、これがまるで1960年代に先祖返りしたような演奏で大いに驚いた。CDは長男が買ったものらしい。
本日は早朝から高能率で仕事を進め、すると11時ごろに脳が酸素欠乏を起こした。飲む打つ買うは短時間でリフレッシュできる遊びだが、最近は「飲む」以外は事務机に座ったままインターネット経由で行える。
そして"amazon"を逍遙するうち「マイルス・デイヴィスの墓には"Time After Time"のメロディが彫られている」との一節に行き当たって「嘘だろ」と眼を疑った。そしてそのままその挿話がカスタマーレビューにあるCD"You're Under Arrest"をカートに入れる。
朝、のれんを出そうとして脚立に上がると、軒の裏に大きなうす緑色の蛾が羽を休めていた。蛾とはあまり気持ちの良い昆虫ではない。しかし今朝のそれは薄い羽が空の光を透かせて至極美しい。
長男から届いたメイルによれば、次男はきのうの夕刻に長男と雑司が谷で待ち合わせ、長男の同級生たちと唐十郎の「百人町」を観たという。芝居がはねて後は同じメンバーで池袋に移動し、共に晩飯を食べたという。何とも羨ましい中学3年生である。芝居よりもメシよりもなお、10歳も年長の、しかしいまだ大人になりかけていない人たちと中学生が共に一夕を過ごした、というところに価値がある。
僕は今月の中ごろより忙しく、ウェブショップのトップペイジからリンクしている「社長のしごと日記」が書けていなかった。そして午後、思い切って2日分の日記をそこに載せる。
終業後は外へ出て晩飯を食べ、ふたたび事務室に戻る。"twitter"をフォローしてくれた人たちに御礼メールを送るなどのことを1時間ほどしてから居間へ戻る。
同学会の定期総会に出席をするため、午後1時30分に自由学園に行く。本日は同時に男子部でオープンキャンパスが開かれている。そこで先ずこちらの方へ申し込みをし、係の生徒から資料を受け取る。
スケデュール表を見ると、サッカー、バスケットボール、パン作り、アイスクリームとパンの販売、スタンプラリー、喫茶、釣り、藍染め、数学、うちわ制作、鋳造、転回など、参加者の体験できることは盛りだくさんだ。
そのうち僕は先ず次男も関わってる、体操館脇の「釣り」の場所へ行く。産業の授業で育てている鱒を見学者に釣ってもらい、生徒がその内臓を抜き串を打ち炭火で焼いて1尾が400円というものだが、僕に釣りをしている時間は無い。総会の時間も迫っていたため、最高学部の食堂に移動をする。
午後3時を前にして、ふたたび男子部へ戻る。ホールで行われるブラスバンドの演奏を聴くためだ。次男は「Bブラス」と呼ばれる、いわば二軍で太鼓をたたいている。バンドやオーケストラの一員に加わるとは、大勢の人と共にひとつのことを創り上げていくということだ。次男には尻を割らずに頑張って欲しい。
またまた学部食堂へ戻り、総会の最後のところに間に合う。そして少々のお茶を飲んで早めに正門を出る。
他に用事のないわけではなかったが、北千住駅19:11発の下り特急スペーシアに乗り、夜9時前に帰宅する。
朝、事務室に降りたところから即、顧客にメイルを送る必要が生じ、そこから五月雨式に、というか何というか連続して気を抜く閑なく仕事が連続する。
あちらから電話を受け、こちらにメイルを送る。取引先からファクシミリを受け取って折り返し電話をする。新商品の包装資材を決めて製造現場で社員に説明をする。檜枝岐の奥地からは雪解けと同時に採取された蕗のとうが届く。ワインらっきょう"rubis d'or"の原材料も届く。終業後には製造現場で明日の準備をする。
1日が短ければ、はみ出た仕事は夜には行いたくないから朝に回す。普段は使うことのない目覚まし時計を明朝5時に設定する。
明日、上り特急スペーシアに乗ってしまえば、とにかく90分間は安楽に過ごせるのだ。そして23時に就寝する。
きのうカンボジアのヴィザが届いた。シェムリアップには来月2日に入る。往路はバンコクのスワンナプーム空港で乗り換え、復路はバンコクに1泊の予定だった。
3月の中旬からバンコクで反政府集会を開き続けてきたタクシン派の「反独裁民主戦線」通称「赤シャツ組」は今月19日、軍の強制排除を受け投降した。しかしその後、首都はそれ以前とは比べものにならないほどの混乱に陥った。その詳細は各種報道に譲る。
この数ヶ月に及んだ騒乱の危険性について、おおかたの評価、見解は「タイの政治はお祭り。放っておけばそのうち収まる」「首都圏は普通に機能している」というあたりから「危険地域に立ち入らなければ安全」と、すこし後退し、「赤シャツ組は所詮、金で雇われた烏合の衆」というような楽観論から「完全に軍に平定された」で一気に収束の方向かと思われたが「一部暴徒が銃を乱射、また首都中心部複数個所に放火」という事態に至り、先の見込みはまったく立たなくなった。
15年ほど前に受けた心理試験において、僕の情動性は「最高」を記録した。情動性とは危機に臨んで慌てないことだそうだが、裏を返せば危機感の欠如に通じる。シェムリアップからの帰路については予定を変更する必要があるやも知れない。
ところで自らの支持者が陽炎立つ灼熱の砦で軍と対峙し、篭城している最中の18日、当のタクシンは何をしていたかというと、パリで落ち合った家族たちとルイヴィトンで買い物をしていた。「恐るべし、ルイヴィトン」である。
夏のギフトシーズンの前には、お得意様にダイレクトメールをお送りする。その送付先を選ぶため、顧客名簿を様々に加工する。その手順、並べ替えや検索の条件式は練り上げられている。しかし故意によりそれらすべては自動化していない。僕がコンピュータを操作して行う。
この作業には細心の注意を要し、大抵は早朝の事務室で行う。しかしきのうは夜遅くまで"twitter"をいじくり回し、今朝は6時まで寝てしまった。
送付先の名簿は今朝のうちに事務係のコマバカナエさんに手渡すことになっている。よって始業後の事務室で取り急ぎこの作業を始めるが、気づくとどこかでミスをしている。「近くまで参りましたので、お寄りしました」というような邪魔の入るところでは気が散っていけない。
数分後、コンピュータとメモ用紙と色違いのペンを手提げ袋に入れて居間へ移動する。そして数十分をかけて今夏のダイレクトメールの送付先を特定する。
特許事務所からの封筒を開けると、そこには「本物のワインで漬けた本物のワインらっきょう"rubis d'or"」の商標登録証が入っていた。宇都宮の弁理士に登録の依頼をかけたのは、いつごろのことだっただろうか。そして出願から登録まではほぼ1年を要したことが、書類には記録してあった。
「商品説明に本物ということばをふたつも並べれば、却って嘘くさくなる」と言う人もあったが、これは荒木経惟の「センチメンタルな旅」の「前略、もう我慢できません」で始まる「私写真家宣言」に刺激されてのことだった。
「本物のワインで漬けた本物のワインらっきょう"rubis d'or"」の最新ロットは、今週の金曜日から漬けはじめる予定である。
なかなか忙しい一日だった。天気は良く、従って気温は上がり、夕方がちかくなるとからだはすこし疲れていた。よってワイン蔵へ行き、適当の1本を居間に運んで栓を抜いておく。
5月の晴れた夕刻ほど気持ちの良いひとときも珍しい。紺にグレーを混ぜたような色の空には細い月が出ている。その月の右斜め下に輝いているのは金星だろうか。
ステーキを食べるときには近所の洋食屋「金長」へ行く。ドアを開けるとカウンターの中に、コック服よりも祭半纏の似合いそうなオヤジがいるから「ステーキのタレ、ある?」と訊く。僕は醤油とワインは合わないと信じているが「金長」のステーキソースだけは別だ。
抜栓後2時間を経過したチリのカベルネソービニョンは濃く、そして爽やかだ。空の色は紺から藍に変わり、月は先ほどよりも一層、細くなったように感じられた。
きのうの夜、近所の洋食屋「金長」でカツライスを食べているところに年少の友人テシマヨーちゃんが電話をしてきて「セーカンさん、タイ、いつ行くん?」と訊いた。「清閑」は僕のパソコン通信時代のハンドルで、いまだにこの名で呼ぶ人がいる。
そのテシマヨーちゃんは今月25日にバンコク入りをするという。「危ないから行くなって、会社は言ってくれないの?」と訊くと「向こうの駐在がヘーキだ、と言ってる限り、会社は止めませんよ」とのことだった。
一方、僕の同級生でバンコク駐在のコモトリケー君からはこのところ立て続けに電話が入り、現地の情報を伝えてくれている。
タイの学校の夏休みは3月から5月中旬までで、だから「新学期の始まる17日を目処に事態は沈静化」と予想する向きもあった。しかしその新学期を直前にして騒乱はなおも激しさを募らせている。
コモトリ君の会社や住まいに至る道は治安維持部隊により封鎖され、検問に阻まれてクルマでの自由な行き来はできない。よって会社は臨時休業、本人はこの週末をペントハウスに蟄居して過ごしたという。
僕は近藤紘一による一連の著作を思い出し「まるで1960年代のサイゴンみてぇじゃねぇか」と問えば「それほどのこともねぇよ、花火の音と銃声はするけどな」と携帯電話の向こうからは聞こえてきたが「その花火とは、本当に花火なのだろうか」というのが僕の疑問だった。
そして「前線も、時によってはのどからしいからな」と、今度は開高健がどこかに書いていたことを思い出す。
自由学園の正門を入ると正面には濃い緑がある。そして左斜め前の大きな松の枝振りを見る。事務室を左にして食糧部の前から道なりに進むと、右手に大きな泰山木のあることに気づく。
17歳だか18歳の労働の時間に、僕はこの泰山木を剪定したことがある。剪定とは中々面白い仕事にて、始めるとなかなか止まらない。本職の植木屋のように、ときおりハシゴを降りて仕事の進捗度合いを量るということを僕はしなかったから、労働の時間の終わるころには、この泰山木は、バリカンで丸裸にされたプードルのようになっていた。
「ここまでやったら枯れちゃうんじゃねぇか」とも考えたが、当方はある種の図々しさを持ち合わせた人間だから「枯れたらそれまでのことだ」と、気にすることはなかった。
このウェブ日記を書き始めて間もないころ、随分と年少の下級生から近づきになりたいと連絡を受け、銀座で一夕を過ごしたことがあった。そのときこの剪定の話を持ち出すと「泰山木は多分、ミスタ羽仁が最も好んだ樹だと思いますよ」と、その下級生は言った。
当方はメシ屋でのシャンペンの後、今はもう無い"GOOD TIMES"というバーで、3つか5つのブラックチェリーを沈めたパーロブロイを2杯ほど飲んでいた。よってその「創立者のもっとも好んだ樹は泰山木だったらしい」という話の出どころを確認するほどの明晰さを脳は残していなかった。
いまこの泰山木は、僕が剪定したときの倍以上に背を伸ばし、その深緑色の分厚い葉は5月の陽光にしたたかな生命力をギラギラと放射している。そして僕は「だから剪定なんてもんは、テキトーにバンバンやっちゃえばいいんだ」と、無責任なことを考える。
父母会の行われている教室を19時45分に辞去し、下り最終スペーシアに乗って23時前に帰宅する。
今月6日に"iPhone"を手に入れた。"Soft Bank"でこの契約をしつつ、しかし「自分はほとんど会社にいて、目の前にはコンピュータがある、そういう人間が"twitter"へのつぶやきを目的にこんなものを手に入れても、いずれコンピュータのみを使って"iPhone"はただのお飾りになるだろう」と考えていた。
何ごとか新しい技術を身に付けるとき、僕はマニュアルはほとんど見ない。勘どころを掴むに優れた人間であれば、それでも充分にやっていける。しかし僕は、飲み込みは遅いわマニュアルは読みたくないわで、だからお話にならない。
よって"Computer Lib"における3日目の午後は"iPhone"を使えるようになるための、同社ヒラダテマサヤさんによる授業とした。そして数時間後には早くも「あー、これはもう、決して手放せない道具だ」と、この小さなデバイスを手の平に載せてしげしげと見る。
夜は"Computer Lib"の中島マヒマヒ社長によるセミナー「twitterとUSTREAMがもらたすWeb2.0の世界」に参加をする。机上に持ち込まれた5台のコンピュータのうち、いまや3台が"Mac"である。
セミナー後の交流会においても話は弾み、23時に至ってようやくお開きになる。一昨日、きのうと同じく2,000メートルを歩いて甘木庵に帰着する。
昨夏、チェンマイのワロッロ市場でたしか100バーツで手に入れた、まるでガーゼのように薄いカットソーでは寒い今朝の気温だ。
春日通りからサッカー通りを抜けて神田川を渡る。山の上ホテルの裏から金華坂を下り、猿楽町から神保町の路地に足を踏み入れると、ビルの3階にある"Computer Lib"の窓から中島マヒマヒ社長の大音声がこだましてきたので「随分と気合いの入った朝礼だなぁ」と、大いに感心をする。
夕刻になれば脳はかなり疲れているが、空はいまだ快晴を保ち、湿度は低い。晴れた5月の夕刻は、四季の移り変わりのなかでも最高のひとときではないか。そしてその爽やかな空気を感じながら仕事仲間たちと飲食を共にする。
朝の9時すこし過ぎに"Computer Lib"に着く。コンピュータを起動して早速「千代田区神保町なう」とつぶやいたら「ウワサワさん、ツイッターで『なう』を使うのは、今やオヤヂだけらしいですよ」と若い人に言われて思わず「えー、ホントですかー」と返す。
「宮崎県都城産のしょうがです。」と「青森県田子町産のにんにくです。」のふたつの新商品をウェブショップに載せる。本物のワインで作った本物のワインらっきょう"Rubis D'or"の器が変わったから、その画像を更新する。その他諸々。これが本日の仕事だ。
おととい、加藤敏明さんとノブ横地さんによるセミナーが錦町で開かれることを知った。参加資格は先着30名とあったから「到底無理」と考えながら申し込んだら、ややあって受け入れ可能の返事があった。神保町と錦町は徒歩数分の距離である。
必要と思われることのすべてをヒラダテマサヤさんに伝えて14時すぎに"Computer Lib"を離れる。そして錦町におけるセミナーは「オレは間に合って幸運だった」と心底感じさせる内容のものだった。
雨、低気温、強風、晴れ、高気温とめまぐるしく変わった今日の天気だったが、交流会を終えて20時すぎに外へ出ると、半袖シャツ1枚では耐えがたい寒さだった。その寒さの中を半袖シャツ1枚のまま2,000メートル歩いて甘木庵に帰着する。そして入浴して23時に就寝する。
明日から土曜日まで東京に居続ける。「幕末太陽伝」ではないから居続けるのは品川ではなく、最寄り駅は本郷三丁目の甘木庵だ。そのあいだに、おじいちゃんの祥月命日がある。よって朝のうちに「如来寺」へお墓参りに行く。
「牡丹といえば、おじいちゃんのいた隠居のイメージだよなー」と、お供えするための花を見て言うと「これ、牡丹じゃないわよ」と家内が返す。僕は「じゃ、芍薬か」と言い直す。僕は牡丹と芍薬の違いも分からない。アネモネとアドニスの判別もつきがたい。
国産と中国産の大豆を蒸煮し、各々ひと粒ずつを5メートル先に置く。そしてパッと目隠しを外して「どちらが国産で、どちらが中国産か」と問われれば、それについては間違いなく言い当てることができる。そして「餅屋は餅屋」と居直って、自らの無知さ加減を放置するのが僕の悪い癖である。
「珈茶話」はその前を通るたび、いろいろな点で感心せざるを得ない優れたカフェだ。そこで今夜は「珈茶話塾」という勉強会の第1回目が開かれる。本日のテーマは"twitter"で、講師はこれまた優れたウェブショップ"グルメミートワールド"のタムラサチオさんだ。というわけでこの勉強会に19時から参加し、23時すぎに帰宅する。
「蕎麦のまち日光」に住んでいるにもかかわらず、外で昼飯を食べるときには蕎麦よりもラーメンを選ぶことが圧倒的に多い。蕎麦の美味さは僕にとって難しい。蕎麦を女に喩えれば篠田桃紅、というのが僕の見立てだ。それに対してラーメンのイメージは小池栄子だ。ラーメンの美味さは分かりやすい。
ところが今日の昼は何となく蕎麦の食べたい気分になり、大谷川を越えた先の「玄蕎麦河童」へ行く。
午後、"twitter"を眺めていると"Computer Lib"の中島マヒマヒ社長が「日本橋髙島屋に行きます」とつぶやいていた。「これは時間勝負だ」と考え、リプライではなく電話で「春帆楼のポン酢を買ってください」と頼む。
ウチの「にんにくのたまり漬」と「しょうがのたまり漬」を細かく刻んでポン酢に混ぜ、さらにあれこれ投入すると最高の「鰹のたたきのたれ」が完成する。今週の金曜日は"Computer Lib"で鰹のたたきを食べる予定である。
ところでマヒマヒ社長は当方の望みに応えて「春帆楼」のポン酢を買ってくれた。僕が"twitter"で「ウチのたまり漬を買ってください」といくら頼んでも、そうそう買っていただけるものではない。しかし"twitter"が今回のように、第三者的な立場で経済を活性化する、ということは大いにあると僕は確信している。
日曜日の日本経済新聞は、瀬戸内寂聴の「奇縁まんだら」があることにより、僕にとっては平日のものよりも「お得感」がある。また本日の文化面には黒川博行の「骨董買い」という文章があり、これが毒にも薬にもならないものだったから「これぞ優れた随筆の見本だよなぁ」と大いに感心をする。
午前、きのうの自転車青年ナガクボさんが事務室に顔を出す。夕方6時に間に合えば泊まるところを提供できると彼には伝えてあったが、昨夜から今朝にかけてはどこかの公園にテントを立てて寝たという。今日は矢板から那須を抜けて福島県に入る予定のナガクボさんの旅は、飛行機を使うそれよりも遙かに贅沢だ。
夜、"COCO'S"名物のキンキンに冷えた赤ワインを飲んでいると、そこにヤマコシシンヤ本酒会員が入ってきて偶然、僕の隣の席に案内された。「すべて食ったら苦しいだろうな」と考えつつ注文したスパゲティは、そういうわけでヤマコシさんの皿におすそわけして事なきを得る。
午前、知り合いからの注文に徳用湯波をオマケに入れるべく、町内の松葉屋へ行こうとして外へ出る。すると、少年といっても良い年齢の青年がデジタルカメラのディスプレイをこちらに向けながら近づいてきた。そして「ユーキ君には東京で良くしていただいて」と言った。カメラのディスプレイには、青年と長男の画像があった。
そのナガクボ青年の脇には、それほど大きくないバッグを取り付けた"SPECIALIZED"のマウンテンバイクが立てかけてあった。ナガクボさんはこれから本州を北上して北海道の北端を目指し、今度は一転、沖縄まで列島と諸島を南下していくという。
僕は小学生のころからスピード狂で自転車も好きだったが、それで日本を一周しようというようなことは夢想だにしなかった。ナガクボさんはウチのフリーズドライ味噌汁"with LOVE"を買ってくれた。それだけの数では少なすぎるだろうと、当方は更に何食かの味噌汁と、できたばかりのおむすびを進呈した。おむすびにはウチのたまり漬が混ぜ込んである。
「アルバイトと世界放浪は男の子の必須科目」と、西原理恵子は「この世でいちばん大事なカネの話」の中で書いている。世界放浪も楽ではないだろうが自転車による日本一周も大した修行ではないかと、5月とは思えない炎天の中に自転車をこぎ出したナガクボさんの背中を見て思う。
あるとき男ふたり女ひとりの陣容で「シンスケ」へ行った。席は奧に進んだ右側で、つまり春日通りに面した窓のあるあたりだ。女の人は壁を背にして座り、僕は入り口に背を向けて通路側に座った。
「シンスケ」の、特にカウンターは開店と同時にほぼ満席になる。ふと振り返るとそのカウンターで本を読みながら酒を飲んでいる人がいた。その姿はひとりで飲むときの僕のそれに重なった。そして「本を読みながら酒を飲むってのは、あまり景気の良い景色じゃねぇな」と感じた。
「本を読みながら酒を飲むとは、他者から見てあまり景気の良い景色ではない」と気づいても、今更その癖を自分の中から消し去ることは無理だ。僕はかれこれ30年以上も、そうして酒を飲んできた。
四半世紀ほども前に東京大学ちかくの飲み屋で「文藝春秋」を読みながら酒を飲んでいる人がいた。「文藝春秋」は、飲み屋で読むにはちと厚すぎるような気がした。
いまだ木造三階建てだったころの「鳥ぎん本店」には、入った左側に短いカウンターがあった。やはり四半世紀ほども前の夏にこのカウンターの右端でビールを飲んでいると、僕の左隣にグレーのスーツを着たオバチャンが座った。オバチャンはビールを頼むなり株式新聞を広げた。飲み屋に本は似合わないが新聞は悪くない。
フィッシュアンドチップスは、それを包む新聞によって味が変わる、という冗談が英国にはある。その冗談によれば"The Sun"が最もフィッシュアンドチップスを美味くするらしい。
飲み屋に株式新聞はかなり似合う。スポーツ新聞も悪くない。「それでは赤旗はどうか、聖教新聞はどうか」と考えてみたが、僕の長い飲酒歴においても、この二紙だけは飲み屋で目にした記憶がない。理由は不明である。
携帯電話は20年ちかく前からずっと"docomo"と契約して他者に乗り換えることはしていない。しかしハードについては"P"だの"D"だの"N"だのと、落として壊したりバッテリーが死んだりするたび異なる会社のものに替えた。使い勝手や機能ではなく主にバッテリーの保ち時間を重視しての、これは選択だった。
3年ほど前にハードをモトローラの"M1000"にしたのは異なるメイルアドレスを管理できる機能に目を着けてのことだった。現在はノキアの"NM706i"で、これはとにかく体積と重量の小さなものを探した結果だ。
ところでこの"NM706i"の電話帳を見ると、"M1000"から受け継いだ電話番号には受話器や携帯電話のアイコンが付いているのに対して"NM706i"にしてから登録した電話番号にはそのアイコンが一切、付かない。かねてよりそのことを気持ち悪く感じていたから遅ればせながら今朝は"docomo"を訪ねた。
"docomo"のオネーサンはあちらこちらに電話をかけて調べてくれたが結局、理由は不明だった。何年か前に関係者の口から漏れたことだが、"docomo"は外国製のハードを売りながら、その存在をすこしく迷惑に感じている節が窓口の人たちにはあるようだ。
何年も使った"NM706i"の電話帳について、なぜ今更じたばたするか、それは本日"iPhone"を契約しようと決めていたからだ。電話帳のコピーに齟齬を来してはならない。そしてその電話帳の問題にカタのつかないまま三菱シャリオを運転して"docomo"から"SoftBank"へ移動する。
"iPhone"の契約を済ませて後、"NM706i"の電話帳の"iPhone"へのコピーを頼んだらオネーサンはすぐ専用の機械に"NM706i"をセットした。そしてややあってから「スミマセン、対象外の仕様のようです」と、僕の方を振り向いて言った。
日光市、とひとくちに言ってもその面積は随分と広い。よってその端ともう一方の端とでは気候もかなり違うだろう。それにしてもこの日光の今市地区つまりウチのあるところの本日の最高気温は、僕が計った限りでは27℃あった。そして午後はほとんどプールに浸かりたいような気分だった。
そういう日の夕刻に仕事を終えれば何やらジンフィズが飲みたい。しかしそうもいかない事情もある。
「ニセビール、なう」と書いたら「ここはツイッターじゃねぇだろうが」と頭を叩かれるだろうか。どういうわけか、家で飲むときに限っては、普通のビールよりもこのニセビールの方が気に入ってしまった。何より酔わないところが良い。
先日お酒のディスカウンターに行ったら、いつもの"KIRIN FREE"は売り切れだった。よってその代わりに"KIRIN 休む日のAlc.0.00"を買ってきた。
"KIRIN FREE"にはある種の不味さがあるけれども、またゴクゴクと勢いよく飲むことを強いる力がある。そこへいくと"KIRIN 休む日のAlc.0.00"は、語彙の少ないコピーライターが「まろやか」と表現しそうなまったり感があって、どうもそこが気に入らない。
たとえそうであってもノドを苦く刺激してしかも酔わない液体はウチにはこれ以外ないから、結局はこの350cc缶を今日は3本も飲んでしまう。
むかしイスラム圏で売られていたノンアルコールビールは、あまり飲む気のしない代物だった。それにくらべればこのところのキリンの作品は大分マシである。「キリンは確かに、新しい市場を創ったなぁ」と思う。
ソファでうたた寝、というような不健康な形ではなく、入浴してすぐ布団に入るという健康な形で早寝をすると、夜と朝の狭間のあたりで目を覚ますことができる。本日はそのような朝の典型で、午前5時すぎに事務室へ降り、春日町交差点の東方に上がる朝日を見る。
7時30分、顧客向けの"twitter"に今朝の状況を報せるため外の日陰に寒暖計を置くと、気温は早くも20℃まで上がっている。外出の際にはフリースの帽子をかぶっていた先月下旬が、ひどく以前のことのように思い出される。
ウチのある日光街道と会津西街道の交差点付近は、きのうと今日がこの連休中もっとも渋滞している。
きのうは宇都宮の足利銀行本店から日光市今市まで3時間かかった、というお客様がいらっしゃった。普段であれば40分の距離である。今日は日光市豊岡地区まで行く裏道を教えて欲しいというお客様がいらっしゃったため、一般道から裏道へ達するまで、裏道から一般道へ戻って後は渋滞に閉じ込められる旨をご説明する。また別のお客様によれば、裏道にもべったりクルマが並んでいるとのことだった。
夜は先日の腐乳とおなじ便で唐来した辣椒醤にて鶏の唐揚げを食べ、焼酎のお湯割りを飲む。
朝、現在研究開発中のフリーズドライ味噌汁を試飲して一驚を喫する。「なんじゃこりゃー」という新食感、そしてある種の美味さ。
「ある種の美味さ」と書いたのは、その味が万人向きのものかどうかが今のところは不明のためだ。しかしある特別の嗜好を持つ人にはこれは堪らない風味のものだろう。また厳しい条件下で飲めばその有り難さは更に際立つような気がする。
これから幾人かの人と会い、会話を重ね、更に試行錯誤し、そして数ヶ月後には、このフリーズドライ味噌汁は非常に面白い商品になるに違いない。そして「常識外れのことをするために自分は生きている」という、自由律俳句めいたことばが頭に浮かぶ。
桜の花びらに雪の積もった4月とは打って変わり、この連休は晴天と高気温が続いて有り難い。ウェブショップに設けた「社長のツィッター」につぶやくため朝一番で外に寒暖計を置くと、その赤い液体は17℃を示した。
この連休中は営業時間を延長し、朝8:15~夕方18:30まで、お客様をお待ちしている。今日の夕方は客足が途切れず、延長した営業時間を更に数十分過ぎてようやくシャッターを降ろす。
次男は帰宅に先立って「すき焼きが食べたいです」と書いたハガキを寄こした。すき焼きの他には鰻が食べたいとのことにて、夜は家族でちかくの「魚登久」へ行き、各自が好きなものを頼む。鰻には生の焼酎がよく似合う。
ヒロポンで満たした一升瓶を楽屋に置いて「で、おまいさんは何合、欲しいんだい」と柳家三亀松は、まるで酒屋のようなことを言ったという。
三亀松はヒロポンを溜め込んだが当方は充分と思われる釣り銭を用意してこの連休に臨んだ。何しろ銀行は本日より来週の水曜日まで休みである。願わくばこの釣り銭が払底するくらい、お客様に来ていただきたいものだと思う。そして本日のところ、いまだ店は静かだ。
夕刻、東武日光線下今市駅に次男を迎えに行く。そしてまた仕事に戻る。
次男は数日前に「すき焼きが食べたいです」というハガキを寄こした。よって今夜のおかずはすき焼きになった。そのすき焼きで生の焼酎を飲んだらすっかり酩酊してすぐに寝る。