永年にわたって磨き粉で擦られたためその厚さの随分と減じた白木のカウンターに着く。そして「今日のおすすめ」というような黒板に目を遣れば「衣かつぎ」の文字がある。とすれば僕はこれを頼まないわけにはいかない。
気楽な洋食屋のメニュに「ニース風サラダ」があっても僕はこれを頼まないわけにはいかず、また焼鳥屋の品書きに「キンカン」と呼ばれる内臓卵を見れば、これのタレ焼きを頼まずにはいられない。
フランス料理屋のメニュに牛肉と羊肉があれば、おしなべて羊の方を選ぶ。肉と共に内臓の料理があり、その内臓も心臓と肝臓と腎臓があれば、まず間違いなく腎臓を選ぶ。
冬になれば豚カツ屋が牡蠣フライを出すことも多く、そうすれば豚カツには目もくれず牡蠣フライを頼む。釜飯屋でも冬なら牡蠣釜飯を頼む。
「キンカン」のたれ焼きなどは食べてもそう美味いものではないが「品書きにあれば頼まないわけにはいかない」という食べ物は僕の場合少なくなく、しかしそれらのすべては、そう値の張るものではない。
「松茸土瓶蒸し」とか「河豚白子網焼き」というようなものにさほど食指の伸びないのは、やはり根がケチのためだろう。そしてその割に、他のところではどんどん金が逃げていくのだ。
「暑さ寒さも彼岸まで、なんていうけど、いまだに随分と暑いじゃねぇか」と感じたのが先週の土曜日で、しかし今週はじめからはぐっと涼しくなった。素肌に半袖のシャツ1枚ではそろそろ寒かろうと、今朝はその上に着る長袖のTシャツを用意したが、朝飯を食べたら体温が上がったらしく、結局は今日も半袖1枚で仕事に臨む。
昼に蕎麦の「糸屋」へ行く。黒板の「ごぼう天せいろ」の文字を見ながら、さすがに冷たい蕎麦は食べる気がしない。よってお運びのオネーサンに「ごぼう天で温かい蕎麦、できないかな」と訊くと、調理場は当方の希望を容れてくれた。
「ごぼう天」といえば、田舎の荒っぽいオバサンでもせいぜい太さ1センチくらいには納めて材料を刻む。ところが「糸屋」のごぼう天は幅2.5センチのそぎ切りで、しかしここまで野趣を残せば却って洒落て見えるから不思議だ。
30年ほども前の初秋、雨の晩に新橋の小さな飲み屋で燗酒を頼んだら「もうそんな季節になっちゃったね」とオヤジが言った。そのオヤジはこの秋に69歳で亡くなったと風の便りに聞いた。
ワインやビールや焼酎を飲んで人のことを想う、ということはあまりないような気がする。「やっぱり燗酒だわなぁ」と考えて、しかし自分が最後に燗酒の徳利を握ったのはいつのことだっただろうかと頭を巡らせても、その記憶はあやふやである。
電話で自分の要求を伝えることが苦手である。相手がどこの誰と分かっている場合にはどうということもないが、メシ屋の予約は少々苦痛で、ホテルの予約はメシ屋のそれより更に苦痛である。
当方が予約の電話を入れたとき、そのメシ屋やホテルが既にして満杯であれば、相手は当方の希望を断らねばならない。相手に「断る」という嫌な仕事をさせる可能性のある点において、僕は予約の電話が苦痛なのだ。
苦痛だから先へ先へと延ばし、するとホテルの部屋はそのあいだにも埋まっていくから、いざ電話をすると既にして満室で「あぁ、だから電話なんかするんじゃなかった」ということになる。
しかしながら多くのホテルはこの7、8年でインターネットによる予約ができるようになった。よって僕は楽で楽で仕方がない。それでは料理屋の方はどうか。
店のウェブペイジのフォームに「ご予約は3日前までにお願いします」というような但し書きがあると、なんだかコンピュータの向こうには料理屋の人ではなくシステムエンジニアが座っているような気がして何だか面白くない。
料理屋の予約においては少し人間くさく、コンピュータあるいは携帯電話のメイルで店主と直接やりとりするのが僕は好きだ。
そして「ホテルには無機的な関係を求めるくせに、なぜ料理屋との連絡には"man to man"の気遣い息づかいを求めるか」と訊かれれば「よく分からない」としか答えようは無い。
マニュアルというか取扱説明書というか、その手のものが大の苦手である。だからコンピュータで行うあれこれについては、自分に理解できる言葉を自分の手で書いたノートを作っている。3冊目も残り少なくなったこのノートの1冊目1ページを見ると、そこには"1998.0821"の日付があった。
この日は松坂大輔が明徳義塾との試合において救援の登板をし、それを僕はインターネットの甲子園速報で15分おきくらいに見ていた。テレビのない場所にいたのだ。
それから11年のあいだに身につけた、あるいは身についていないからそのつど追う文字の集積が既にしてノートに3冊分とは感慨深い。
そしてあと1ヶ月もすれば、そろそろ4冊目のノートをおろす日が来るだろう。
甘木庵から朝帰りをするとき、朝飯の場所として好きだったのは浅草駅地下街の「会津」だ。しかしここは随分と前に無くなった。ホカホカのメシが食えないとなれば、下りの東武日光線に乗るのに浅草へ行くことはない、所要時間の合理性を考えれば北千住の方が有利だ。
しかし北千住にもこれといった朝飯の店はなく、だから西口の"Denny's"を何度か使ったが、ここは店に入ってすぐのところを喫煙席にしているところが気に入らない。赤ん坊を連れた若いお母さんが奥の薄暗いところに追いやられ、場外馬券場でよく見かける風体の人たちが窓に面した明るいところで堂々と煙草を吸っているのはどう考えてもおかしい。
以降はおなじ西口の「吉野家」で朝飯を食べる。ここが"Denny's"よりも僕の好みに合致している点があったことは覚えているが、その内容については忘れた。そして今朝、ハムエッグ朝食を頼んでみれば、お盆の上にマヨネーズの器が載せられてきたから「そうそう、デニーズのベーコンエッグ朝食には、マヨネーズは付かなかったよなぁ」と気づく。
そうして7:41発の始発に乗るべく切符売り場へ行ってみると満席の表示が出ていた。よって時間つぶしのためひとつ下のフロアの本屋へ行く。
僕が100冊の本を買ううちの98冊はインターネット上で買う。残り2冊のうちの1冊は神保町の古本屋で買い、最後の1冊は本屋で買う。「インターネット上」のほとんどは"amazon"で、そのまたほとんどは古書で買う。"amazon"の古書が便利すぎて、今や本は定価で買う気がしない。
ところが本日の「東武ブックス」には
「たまりませんな」 伊集院静著 西原理恵子絵 角川文庫 \780
があって、これなら僕は定価でも喜んで買う。そして8:11発の下り特急スペーシアに乗る。
祝儀、不祝儀、寄付、メシ、酒というような、目の前から消え失せてしまうことに使うお金については僕は無頓着だ。それにくらべてモノを買うときには、すこしは慎重な気もするし妥協もしないし待つことも厭わない。
紫や緑や灰色は残っていたが黒は早々に売り切れていたから、ふたたび黒が出てくるまで1年を待った、そうして手に入れた"Patagonia"のテックベルトが見当たらない。よくよく思い出してみれば先月27日にバンコクのホテルで帰国のための荷造りをしたとき、そのベルトは綺麗に巻いて"PUMA"のゴム製スリッポンの中に入れた。ではそのスリッポンはどこに行ったか。
「杳として知れない」という慣用句が頭に浮かぶ。そして数日あちらこちらを探したがスリッポンも、だからベルトも見つからなかった。
そして本日、なかばあきらめつつ玄関でブーツを履こうとしたら"PUMA"のスリッポンはそのブーツの傍らにあり、"Patagonia"のベルトはそのスリッポンのつま先の方に押し込まれていた。見つからないときにはいくら捜索をしても見つからないものである。
11時30分に水道橋の駅を出る。本日の気温は9月末としてはかなり高い。白山通りを南下し、日陰を選んで歩きながら「松翁」を探す。この蕎麦屋は行こうとするたびに見つからない。しかし本日はいちど迷ったのみにて白い暖簾を発見し、昼前の空いた席に着く。
ここに自分のための覚え書きをすれば「松翁」への道は
1.神保町の交差点から水道橋に向かって白山通りの右側を歩く。
2ひとつめの信号右の"CAFE GLOBE"と"BAR RuSSET"のあいだの路地を入る。
3.まっすぐ歩き続けて交差点をふたつ過ぎると「三和電子」に突き当たる。
4.その丁字路を左つまり北に折れると右側に「松翁」が見える。
夜は魚粉と青海苔をかける式のおでんを肴に焼酎を飲む。
車道の水を路肩の暗渠へ逃がすための四角い穴がある。大抵の場合、この穴には砂が溜まりタバコの捨て場となって、本来の用は為していない。
朝、国道121号線の掃除をしていると、そのような穴のひとつから盛大に草が葉を伸ばしている。見た目が良くないためこれを鷲づかみにして引き抜こうとすると、その根は意外に深いらしい。よって穴を覆う鉄製の格子を開き、細根が捉えて離さない土もろとも引き上げる。
すると、それまで気づかなかったがこの草が盛大な芳香を放っている。僕は植物には詳しくないから草の名を特定することはできないが、いわゆるハーブに違いないと、これを店舗駐車場の紅葉の下に移植する。
槍烏賊を湯がいて魚醤とライムの絞り汁と刻み唐辛子を振り、最後にこの葉を散らせばそのままタイ料理のヤムプラームックではないか、いや、白身魚の清蒸に使っても良さそうだと考える。
夜、「第196回本酒会」のため外へ出ると、イチモトケンイチ本酒会長がちょうど来たところだったので共に隠居へ行き、門を開け明かりを点け、そのまま留守番してくれるよう頼む。僕は事務室へとって返し、冷蔵庫から出したお酒を後から来たふたりの会員に託す。
「オヤヂギャグ」という言葉がある。あれはギャグでも何でもない、ただの駄洒落である。ところで僕は駄洒落に疎く「この鶏肉は取りにくい」程度のものでも解説がなければ気づかない。
そして今夜の本酒会には駄洒落の途切れないふたりがたまたま僕の横に並んだから、その口から発せられるあれこれはほとんど理解できなかった。そして「こういう素人のオヤヂをテレビに出すのも面白いんじゃねぇかなぁ」と思った。
「面白くない無残さが面白い」とは僕の作った言葉だが、世の中には確かに、その手の面白さが存在するのだ。
20代はじめのころにラジオ付きの時計を持っていた。これで何を聴くかといえば相撲中継を聴いた。小さな時計にイヤフォンのジャックを差し込めば、東京であればビルの谷間にいても音声は明瞭だった。
ビルの谷間とは多く銀座5丁目の「鳥ぎん本店」だった。そのころこの店はいまだ木造の三階建てで、店に入ると左側で職人たちが競馬の話などをしながら鶏のレヴァやつくねを焼いていた。
それほど熱心に追いかけていた相撲だが、今は「全勝の朝青龍を1敗の白鵬が追う展開です」というようなテレビのニュースを見てはじめて「あぁ、相撲、やってたのか」というくらいの認識しかない。
「深川の火消しが廃れたのは洲崎が無くなったから」と言った鳶の親方がいた。僕が相撲に興味を失ったのは、ことによると富士櫻が引退したからかも知れない。
富士櫻が引退して24年が経つ。とすれば僕はもう、24年も相撲とはふれ合っていないことになる。
ウェブショップのトップからリンクしている「社長のしごと日記」に掲載をするため、店舗入り口正面にかけた「年内無休」の看板を撮る。ウチには年に7日または8日の定休日がある。9月はじめの社内研修が終われば、あとは大晦日まで休むことはない。
「社長のしごと日記」のボタンには「随時更新」の文字がある。「随時」とは頻度をあらわす言葉ではないから1ヶ月にこれを何回書こうとは自分でも決めていない。「随時小酌」という使われ方からすれば「随時」は「いつでも」と解釈すべきか。とすれば現在の月に3、4回からもうすこし多く更新すべきかも知れない。
本日の売上金額から推すと、この連休中の人出はきのうの月曜日がもっとも多くなりそうだ。明日は日光地方も潮が引くように静かになるだろう。
24日と25日は続けての飲酒となる。明日は断酒をしようと考えて、今夜はとりあえず白ワインを飲む。
土曜日に帰ってきたとき次男は先ず晩飯の内容を訊き、次いで「今日ラグビーやってて歯が取れちゃったよ」と言った。抜け落ちたのは乳歯で問題はないらしい。ポジションは右のプロップということだから、スクラムを組んでいるときにでもゆるんだのだろう。いずれにしても、歯が抜けるほど熱心に授業を受けるのは良いことだ。
連休中はずっと晴れて欲しいと考えていたが、生憎と今日の空は曇りになった。それでも店は混み合って有り難く思う。日中のかなりの時間を店舗での仕事に費やす。
今月10日に銀行から3万円をおろしたとき「とにかく連休が終わるまではこれで凌ごう」と考えた。その3万円からは健康を維持するための薬代や、痛めた腰の鍼灸代、あるいはすぐに飲むわけでもないのに買ったお酒の代金が支払われ、現在残高は14,620円になっている。
よって夜は「焼肉、食べに行くか」などは言わず、次男の好きなカレー南蛮鍋で焼酎を飲む。
連休の初日、土曜日も休みの人からすれば2日目だが、とにかく早朝より晴れて良かった。社員数名が出勤したところで家内と次男との3人で如来寺へ行き、墓参りをする。
テレビは道路の渋滞を伝え続けている。しかし午前の早い時間の日光街道は特に混み合っていない。その日光街道を所用にてホンダフィットで上がっていくと、日光市の旧市街に入ったところで急に視界が開けて山が綺麗に見える。
「快晴とはいえ今朝の山はこれまでにない鮮やかさだ、一体どうしたことだろう」とよくよく観察してみれば、松原町付近の電柱がすべて撤去されていた。電柱と電線が消えたことによって視野が広くなり、正面の山がより大きく、より美しく見えていたのだ。
そして「我が町で電線の地下埋設を最も熱心に説いていたのはナガシマトーコさんだったなぁ」と、数年前に亡くなった市会議員のことを思い出す。
自由学園の卒業生や在校生父母のあつかう商品を集めた「逸品カタログ」にこの秋、僕のひとつ後輩であるヤエガシホーレー君の会社「星山」の松茸が出た。よって10日ほど前に注文し、それが今日の午前に届いた。
18:45着の東武日光線下りに乗った次男を下今市駅に迎えると、その第一声は案の定「バンメシ、ナニ?」だったから「ヤエガシ君ちの松茸だよ」と答えたら「ヤッタ!!」とのことだった。
「松茸は山で採ったばかりのところを新聞紙に包み、落ち葉で蒸し焼きにするのが一番うまい」とはウチで長く事務係をしていたコイズミヨシオさんの言ったことだ。しかし僕には山の教養が皆無だから、松茸などは山を何年うろついたところで見つけることはできないだろう。
生前のオヤジは初秋の韓国から、当時はそう高くはなかった松茸をたくさん持って帰り、これはフライにして塩を振って食べた。そして今夜の松茸はごく普通に澄まし汁と松茸ごはんになった。
食後、洗面所に立ってまた居間へ戻ると、松茸の濃い香りに包まれてしばしクラクラする。松茸はいまだすこしは残っているからあしたも食べることができる。明日の松茸はどうやって食べるのだろう、まぁ、次男の食べたいようにしたら良い。
「ヤマハ4輪ユニット最高峰への軌跡」と白抜き文字のあるハガキが届く。名古屋の"auto gallerie LUCE"からのものだ。ここがいつから僕に案内を送ってくれるようになったかは忘れた。いつも良い企画のイヴェントを催し、前回の、小さなクルマばかりを集めた"ECO CAR"にも興味はあったが、いかんせん名古屋は遠い。
ところで「4輪エンジンに進出を始めた当時のヤマハが、これをテストする者として最も欲したドライヴァーが伊藤史朗だった」という文章をむかしどこかで読んだ記憶がある。しかしこれは書き手のノスタルジーやロマンティシズムによるものではなかったか。
それは小林信也の「伊藤史朗の幻」を読めば分かる、かも知れない。
「どんなに運動しても痩せられないというこの人は、次に日本食に目をつけ、今は運動よりも日本食を食べることにより体重の軽減を目指しています」と、焼き鳥をムシャムシャ食べる大男を何年か前にアメリカのテレビが紹介していた。
日本人はこのアメリカ人を嗤えるか。「中国人にデブはいない、それはウーロン茶を飲んでいるからだ」とか「韓国人にデブはいない、それは唐辛子のカプサイシン効果だ」などはウーロン茶や辛い食品を売る会社が流したプロパガンダだ。そういう流言飛語に安易に飛びついてしまうところが僕も含めた人間の悲しさである。中国にも韓国にもデブは大勢いる。
しかしながら「タイのメシを食べればデブは減る」とは僕も薄々と感じている。タイでは肉を食べても魚を食べてもそこには大量の生野菜の混ぜ込まれていることが多く、ほとんどすべての料理がサラダに見える。サラダばかりを食べていれば人はそう極端なデブにはならない。おまけにタイの人は一食の量が少ない。暑い国でドカ食いをしなければ、体内に取り込んだ熱量はすぐに費消されるだろう。
ところで朝飯の卓にセロリの葉の味噌汁が上がったのは今月10日のことだった。以来、どんな具の味噌汁を飲んでもセロリが香り、まるでトムヤムクンのような塩梅だった。これは味噌汁を作る鍋やそれを食べるためのお椀にセロリの匂いが染みついて取れなかったためだろう。それもようやく収まって、今朝は久しぶりに日本の香りのする味噌汁にありつく。
数年前の夏、僕と長男、次男に成人男女各1名を加えた計5名で御徒町のある店へ行き、飲み食いをした。そのうち生ビールを注文したひとりが中身をひと飲みして「チキショー、発泡酒だ」と言った。
夏の暑い盛りに仕事を終えて初更、生ビールとばかり思って口に含んだものが実はビールではなくインチキビールと分かった瞬間の無念はいかばかりか。
食品の製造者が産地偽装をすれば厳しく社会的制裁を受ける。しかし料理屋が発泡酒を生ビールとメニュに記載しても、一部のお客には叱られるかも知れないが、それでお終いである。
学生のころ、飲み屋でミネラルウォーターを頼むと席にはあらかじめ栓を抜いたものが届き、その水位はビンによってまちまち、ということがままあった。当方は学生だから見栄も外聞もない、以降は「水道の水をください」と言うようになった。
家で飲む酒の水割りやお湯割りはなぜ美味いか、それはひとえに日光の水、日光の水を湧かしたお湯で作っているから美味い。そして今夜は"Old Parr"のお湯割りを飲む。
先日、証券会社の人が訪ねてきて「今の円高を考えれば、そう時を経ないで2倍になる可能性もあります」と、あるヘッジファンドを僕に薦めた。だから「トレンドは円安ドル高の方向だって、おととし君はオレに言ったじゃん」と返すと「サブプライムを予測できた人なんて誰もいませんよ」と相手は弁解した。
誰も予測し得ない要因により暴落するかも知れないものに、命の次に大切なお金を張ることはできない、とここまで書いて、ある友人のことを思い出した。
その友人の会社にあるとき税務署の調査が入った。帳面のどこかに不備があったらしく「あなたは命の次に大切なお金について、どう考えているんですか」と税務署員に責められたところで友人にわかに激高し「命の次に大切なのは金ではなくロマンだ」と長広舌をふるった。辟易した税務署員は結局そのまま帰ってしまったという。
たかだか長広舌くらいで税務署員が矛を収めるか、と不思議に思われるがこの友人の長広舌とは1時間や2時間のことではない、へたをすれば夜を徹して翌朝に及ぶ。「よし、だったら自分もその真似をしてみよう」とは考えても無駄だ、一晩中屁理屈をこね続けるなど、そう誰にでもできるものではない、ひとつの天稟である。
本年5月における日本人の喫煙率はおよそ25パーセントだという。日本人のスナック菓子の常食率、というような資料は残念ながら目にしたことがない。なぜこのようなことを書くか。
会社の敷地に接する国道119号線と121号線を見回ると、毎朝タバコの吸い殻が数十本は落ちている。吸い殻だけでなくタバコの空き箱もある。それに比してお菓子の包み紙や箱はほとんど見られない。
日本人のスナック菓子の常食率は知らないが、スナック菓子を食べる人とタバコ吸う人の行儀の善し悪しをくらべれば、後者の方が圧倒的に劣っていると言われても仕方がない。
午前、所用にて県南へ行く。僕はクルマを運転することは嫌いでないが、いわゆるドライヴはしない。 クルマで営業活動をすることもないのでカーナヴィゲーションもない。そして地理には不案内だ。よって往路は地図を見ながらたとえ遠回りになっても大きな道ばかりを走り、しかし帰路は時間の制約がないから迷うことを恐れず近道をして随分と距離を短縮する。
冷たいお茶を買うため立ち寄った「セブンイレブン小山下河原田店」のナカジマさんは、本当に感じの良い人だった。
本州を縦断する可能性もあるといわれた台風は、太平洋沿岸部に近づきながら北東に去ったらしい。いま大雨だのそれに伴う堤防の決壊などがあれば秋野菜の収穫に大きな打撃を与える。お彼岸には稲の刈り入れもある。この時期にはできるだけ晴れて欲しい。
「オレが一番好きな酒はやっぱりワインだね」と言ったら年少の友人ウメツテンポー君は「僕はどうしても日本酒が好きですね」と答えた。テンポー君は日本酒の蔵元である。
「国産で好きなクルマはありますか」と訊かれて「ホンダとスバルです」と答えたことがある。質問を発した人は日産のモータースポーツ課長だった。
日本酒の蔵元に面と向かって「もっとも好きな酒はワイン」と言い、日産の課長に向かって「好きな国産車はホンダとスバル」と正直に答えてしまうのは僕の幼児性の表出で、これは明らかにオフクロからの遺伝である。
というわけで夜は白ワインを飲む。
きのうの夕刻、ワイン漬けのらっきょう"rubis d'or"を仕込んだ。作業に用いた麻の布巾にはことごとく赤ワインの大きなシミが付いたからこれを洗濯機に入れ、スイッチを入れるとどうしても途中で停まってしまう。洗濯物の重さを自動感知して水量を決める式の洗濯機だから、洗うものが少なすぎれば機械は作動しないのだろう。
「まったく全自動ってのは、どうしようもねぇな」と、そこで洗濯機の使用を諦める。
事務室に戻って「洗濯機、二層式、価格」で検索エンジンを回せば、あちらこちらのメーカーからいまだこの旧式の洗濯機の出ていることを知り「今の全自動が壊れたら、次は二層式だわな」と考える。
全自動の機械は手動のそれに比べて応用の利かないところ、人の工夫を受け付けないところが嫌いだ。だから僕はデジタルカメラでも"RICOH GR"という便利すぎないものを使い、またオートマティックのクルマを個人所有することは死ぬまでしないだろう。
しかし「そこまで工夫がしてぇならカメラはアジェと同じ暗箱にしろ、クルマは止めて象に乗れ」と言われれば、そこまでの根性は僕にもない。
チェンライ郊外の窯場「ドイディンデーン」は田んぼと養魚場に囲まれた高台に位置しながら、その一角のみまるで熱帯雨林のような湿気で、僕の履いたブーツはぬめりのある赤土によく滑った。
その赤土の丘には工房、展示室、店舗、喫茶店のほかに細長い屋根をかけた壺の置き場があり、そこで僕は気になる品を見つけた。よって女主人を呼び、船便で送るよう申し出ると、送料は意外にかかるしこの大きさであれば機内持ち込みもできるから自分で持って帰った方が得策だという。
荷物を減らすためなら歯ブラシの柄まで切断する人間が、ひと抱えもある荷物を手にチェンライからチェンマイ、チェンマイからバンコク、バンコクから東京、東京から日光へなど移動できるわけがない。しばし逡巡したのちその壺のことはきっぱり諦め、代わりに土瓶ひとつを求めた。
その土瓶で朝、プーアル茶を淹れる。熱湯は800ccほども入った。湯飲みは生憎とちかくに見当たらなかったため、どこかの菓子屋の水ようかんの器で代用した。800ccのプーアル茶は夕刻には飲み終えたが色はますます濃く、だから「あしたはもうすこし茶葉を減らそう」と考える。
これまでの住まいから数百キロも移動して、子供の住む寮のちかくに新しい家を構えてしまうようなお父さんがいる。市井で静かに仕事をしながらこういうことを成す人こそ男の中の男と思う。それにひきかえ僕などは有り金すべてを使い果たしてしまう性格だから、家どころかいつも素寒貧である。
今日も、血圧と血中脂肪濃度を観察するため通っている病院へ行くのに財布は空で、だから途中で銀行に寄る。10万円を降ろせば10万円を、20万円を降ろせば20万円すべてを使ってしまうことは明白だから今回は3万円のみを降ろす。
幸いにも今月はしその実の買い入れがあり茗荷の買い入れがあり、おまけに土曜日を入れれば5日も続く連休があり、そのあいだはずっと会社にいなくてはならない。会社にじっとしていればそう散財もしないだろうからとにかく連休が終わるまでは本日の3万円で凌ごうと考えている。
もっともじっとしていてもコンピュータには触れるわけで、たとえば"amazon"から海外の書店に大きな写真集でも発注すれば3万円などすぐに飛んでしまう。僕は5円10円にはケチだが万の単位になると途端に気前が良くなり、そういうところも素寒貧の原因と納得している。
「年齢性別などにより味の好みは異なる。よってカレーライスは家では食べず、あれこれ選べるカレー専門店へ行く家族が増えている」と、数ヶ月前の新聞で読んだ。新聞の書くことだからどこまで当たっているかは不明ながら、何となく分かる気はする。
いったん作るといつまでも残って何日も食べ続けることになるおかずの代表はカレー、おでん、けんちん汁ではないか。次男が学校の寮に入って以来、ウチではカレーはレトルトパックのそれを食べることが多くなった。これなら僕と家内がそれぞれ別のものをメシにかけることも可能である。
そして先日コンビニエンスストアに出かけた際には、レジの脇にあるおでんを見て「今後はこれもウチで作らず、こういうところで食べたいものだけ買うようになるかも知れねぇなぁ」と考えた。コンビニエンスストアのおでんも辛子に凝れば、我が家の味になるだろう。
マネジメントゲームでは、2日間の研修の最後に必ず感想文を書く。そして先般の「日光MG」の感想文が西研究所より郵送にて返却される。この感想文については、巧言令色を以て上手に書く人もいれば、誤字脱字だらけながら真剣に取り組んだ跡のうかがえる人もいれば、「日光MG」においてはいまだ見られないが、とりつく島のないものを書いて出す人もいる。
マネジメントゲームは参加者各自が個々の会社を持ち、つばぜり合いのような入札による売り買いをしながら決算書までを完成させるところから、経営あるいは経理計数の勉強と表面上は見えるし、かなりのヴェテランにおいてもそう認識している人がほとんどだ。まぁ、それも間違いではない。
ところが今回「日光MG」に参加をした自由学園の卒業生や高等科修了者による感想文を読んでみると、マネジメントゲームを商売の勉強と捉えている例は皆無で、そこにはシェアマインドの保ち方、より良い市場のあり方、自身への内省などが連ねてあった。
商行為とは額に汗をしようがしまいが労働に他ならない。その「労働」というものへの考え方が、自由学園の卒業生や高等科修了者においては世間一般のそれとまったく違う。自由学園の在学中には労働は貨幣と置換されるものではなく、それは自らを高めるためにある。その教育の果実がマネジメントゲームの感想文にも反映されたのだろう。
というわけで本日も、しその実の買い入れをする。
しその実の買い入れを本日より始める。近隣の農家から続々と若緑色のしその実が届く。しその実の穂はとても柔らかく、お米のように脱穀機で実を取るわけにはいかない、すべて人の手指による。
検品と計量を済ませたしその実はすぐ水にくぐらせ何度も洗い、そのまま塩漬けにする。この行程に遅滞を生じるとしその実は熱を持ち、黒変して使い物にならない。
初秋の作業場に朝から晩まで紫蘇の香りの満ちるのは、僕の子供のころから変わらない風物詩だ。
前述のようにしその実の収穫には膨大な手間を要する。毎年ウチにしその実を届けてくれる農家において、それは老人の仕事だ。いま中年以上の人が老人になったとき、先代の仕事を継いでくれるかどうか。
その収穫や処理に機械の使えない農産物や山野草の確保は今後、ますます難しくなっていくものと思われる。だから「しその実のたまり漬」は、店舗では目立たない、いちばん端に置いてあるのだ。
インドを旅しているとき「こちらの人間はワキガが匂う」と言ったヤツがいた。認識不足も甚だしい。それはワキガではなくクミンが香っているのだ。インドのメシ屋ではキャッシャーにフェンネルの実を置いているところがある。帰りがけに客はそれをひとつまみ口に入れ、噛む。
たとえば胸と尻が大きく、褐色の肌に白い目と白い歯の目立つ女の人がフェンネルの香りを口から漂わせていたらどうか。まるで夢の国である。
そういうわけで、ということもないが、朝飯の目玉焼きにはクミンを含むスパイスを振りかける。
関川夏央の「水のように笑う」は懐かしさと抒情性が錐のように胸を突き通して痛い。それとは何の関係もないが、3日も続けて断酒をしたわけだから夜はシャブリを水のように飲む。
3日は「日光MG」の西先生と参加者の方々を駅までお送りするため、4日は翌日に血液検査を控えていたため、そして今夕は町内役員の会議のため、3日連続の断酒をし、これで今月の断酒ノルマは一気に楽になった。
今夜の町内の会議とは10月18日に、朝から夕方まで旧市街の日光街道を閉鎖して行われる屋体祭りについてのもので、大まかなところは決定されているが、人の手配食事の手配その他諸々については、これから詰めていく必要がある。
我が町内の、江戸末期に建造された彫刻屋体の組み立ては10月11日に行われる。屋体祭りはその1週間後、そして屋体の解体は更にその1週間後で、そのあいだ屋体はウチの駐車場に安置される。この期間は折しも秋の紅葉シーズンに重なって、たくさんのお客様のいらっしゃることが予想される。
10月17日の宵祭りには屋体の上で、町内単独でのお囃子が演奏されるかも知れないから、屋体を駐車場の端に置いてはお囃子方に失礼だ。
よってウチの駐車場で屋体を2週間あずかる場所、期間中の移動についてはこれまた慎重に考えなくてはいけない。お祭りの準備と執行はコンピュータのコーディングに似ている。これから1ヶ月ですべてのバグを洗い出す。まぁ、適材適所で何とかなるだろう。
今年の1学期、次男はさかんに"i-pod"をねだっていた。ところが夏休みに入ると、自分があんなものを手に入れれば興味はそちらばかりに向いて勉強のおぼつかなくなること必定だ、というようなことを言い始めた。しかしそのかわりデジタルカメラは欲しいという。
よって2006年2月に購った"RICOH GR DIGITAL"を次男にやり、自分はおなじ"カメラの"?"に替えることを思いついた。僕の"GRD"は63,429円だった。いまインターネット上で最も安い"RICOH GR DIGITAL ?"は66,587円だ。"GRD"の値段は待ってもそうは下がらない。
次男にやる"GRD"にはマニュアルを付けなくてはならないが、これが見つからない。ありそうなところを漁っていると
"GR DIGITAL WORK SHOP" 田中長徳著 枻出版 \1,500
が出てきたから「これで代用してもらうしかねぇか」と考えているところにマニュアルも発見された。"GRD"は使う者に「三歩前へ」を強いるカメラだ。次男の性格なら、その点だけは大丈夫だろう。
「ヴィラデアグリ」の夜が明ける。レースのカーテン越しに、実をたくさん付けた栗の木が見える。畑も見える。朝日が差している。
マネジメントゲームの2日目は、前夜の利益感度分析を引き継いだ講義により始まることが最近の「日光MG」では多い。そしていよいよ第4期のゲームに入る。
期初の現金残高374は、会社を大型化する資金としては充分ながら、きのうの日記に書いた理由により、僕はあえて小さな会社を維持した。第4期を締めてみると、自己資本は対前年度比で9ポイントだけ上がっていた。そして第5期ではこれを一気に485まで上げる。
マネジメントゲームでは、第5期終了時に種々の条件を満たした上で高い自己資本を記録した者が表彰される。社員と共に受講する場合、この条件を意図的に満たさず社員に表彰状を譲る経営者もいるが、僕はそのようなことはしない。
結局、最終到達自己資本第1位の「最優秀経営者賞」は僕が、そして第2位は販売係のハセガワタツヤ君が、そして第3位は外部参加者のキリヤアキヒロさんが得た。この三者の自己資本を上から並べてみれば485、473、467だから、その差は実に「商品1個分」もない。つまりハセガワ君があと1個売っていれば、そしてキリヤさんがあと2個売っていれば僕を追い越していたことになる。これはなかなかコクのある結果だ。
そして売上金額を着々と増して、より競争の激しい上の市場へと移動していった「昇り竜」には製造係のイトーカズナリ君とタカハシメーヒコ君が名を連ねた。
実際のところ、マネジメントゲームでは別段、ゲーム運びの上手かった者が偉いわけではない。マネジメントゲームにおける勝者は多分、勝負に勝った者ではなく、自分や周囲を向上させ得た者だ。マネジメントゲームの表彰は「まぁ、そういうものもあったら面白かろう」という、いわば「付け足し」に過ぎない。
原稿用紙2枚分ほどの感想文を書いて「第18回日光MG」を終了する。
参加者の面々と夕食を摂り、JR今市駅でキリヤさんを、次いで東武日光線下今市駅で先生と自由学園の卒業生や高等科修了者を見送る。
各自が自分の会社を運営して決算書まで完成させる「自労自治」、市場を構成するひとりとして与えられる「責任」、参加者全員が最大の効果を目する「協力」が大きな柱になっている点において、マネジメントゲームは驚くほど自由学園の教育にちかい。
「自由学園の張り出し勉強でマネジメントゲームができたらなぁ」と思う。
社員に社会人や学生の外部参加者を加えて第18回日光MGが始まる。
MGつまりマネジメントゲームは各自がひとつの会社を持ち、2日間で5期分の経営を盤上に展開することで種々の局面を経験し、それぞれの場合における意志決定を学ぶ。ゲーム中はそれこそ1分間に数回の場面展開があり、だから「見る」「聞く」「予想する」「決める」「行う」という行為を2日のあいだに数百回は強いられる。
椅子に座ってただ講師の話を聞くだけの勉強では人は得てして退屈し眠気を覚えたびたび壁の時計に目を遣ったりする。ところがMGでは神経は研ぎ澄まされ肉体も沸騰して時は矢のように過ぎる。
「こうすれば自己資本は上がる」という法則がMGには無数にあるが、そういう定石に従ってゲームを進めることが僕は好きでなかった。法則に逆らうことが、僕の子供のころからのクセである。しかしここ数年のMGでは、定石に従うことが多くなった。
ただしいつのMGにおいても会社を大きくすることはほとんどしない。MGは自由自在だからいろいろな会社を作ってみれば良さそうなものだが「メルセデスとグランプリブガッティの、どちらを操縦したいですか?」「和民とシンスケの、どちらで酒が飲みたいですか?」「アメリカ式の2,000室のホテルと草葺きのリゾートの、どちらに泊まりたいですか?」と問われれば、僕の好みはどうしてもより小さな方へと向かう。
そしてその大きくなることを意図的に避けた会社にて第2期は344、第3期は360まで自己資本を積み上げる。
前述のとおりMGではまたたくまに時が過ぎる。「メーヒコ君はいくつですか? ほう27歳ですか、だったら27円貸してやる」などという先生とのやりとりをともなう第4期の経営計画を夜8時前に完了して、以降は部屋を移しての交流会に入る。
12を半分にすれば6ではあるが、自分には1年の真ん中は6月と7月のあいだではなく、なぜか9月を以て1年の後半に入るような気がする。多分、厳しい寒さが春にゆるみ、しかし春の暖かさでは物足りないから夏の暑さを求め、その暑さが収束するころになってふと我に返る、そして「もう9月か」と、年の残りを想うのだろう。
「関東直撃」などと言われた台風はどこかに去り、今朝は文字通り台風一過の青空が広がった。ところがそれをカメラに納めた途端、どこからともなく霧が舞ってきて、あたり一面を白くしてしまう。朝の雲や山は、いっときとして同じ色かたちであることはない。
明日から第18回日光MGが始まる。午後6時42分、西順一郎先生と外部参加者の学生3名を下今市駅のプラットフォームに迎える。