起きて事務室へ降り、シャッターを上げて外を見る。一瞬、「誰が駐車場に水を撒いたのだろう?」 といぶかしんだが、もとより社員が出勤する時間ではない。地面を薄く濡らしていたのは、音を立てずに降る雨だった。
朝飯は、黒豆、ゴボウ天と大根おろし、サケの昆布巻き、チンゲンサイの油炒め、納豆、胡瓜のぬか漬けとハクサイキムチ、メシ、豆腐とミズナの味噌汁。
「居酒屋ジャンキー」 というウェブペイジの中の 「埼玉屋」 への訪問記から、「清閑PERSONAL」 がリンクされていることを知る。
多くの人は、検索エンジンを経由して、自分の興味に合致するペイジへ達する。そのペイジはほとんどの場合、トップではない。人は、そのペイジから更に情報を得ようと、indexやトップへ遡上することをもくろむが、そのためのリンクを設けていないペイジが、実に多い。
アドレスバーのURLを尻からデリートしていくとか、あるいは途中までデリートした後に "index.htm" を打ち込んで、何とか階層を遡ろうとするが、それすら叶わないペイジも多い。
ウェブペイジを作るときには、事前に綿密な計画を立てなくてはいけない。
「居酒屋ジャンキー」 の運営者に、「埼玉屋の記事は、僕の日記の中では、『 2001.1030(火) 本郷、神保町、東十条 』 にもありますよ」 とのメイルを送る。
終業後、知人の結婚式へ出かけていた家内と次男を伴い、あるいは伴われてかも知れないが、"Casa Lingo" へ行く。
グラッパから始める。汁物の好きな次男に、ソラマメのスープを注文する。
魚介類のサラダ、日光唐辛子のチョリソー。グラッパを、カラフの白ワインに替える。
黒板に、「エビとチンゲンサイのトマトソーススパゲティ」 との文字が見える。チンゲンサイは、店主のヨシハラさんの家の畑で採れたものだという。エビとトマトソースを省き、ニンニクとトウガラシとチンゲンサイのスパゲティに仕立ててもらう。
きのうからステーキが食べたいと言っていた次男のために、ステーキを注文する。僕と家内が、数片ずつこれを手伝う。
チョコレイトのタルトにて締める。
帰宅して入浴し、9時に就寝する。
6時前に起床して事務室へ降りる。メイルマガジン版、ウェブペイジ版と来て、最後に紙の本酒会報を作成する。
真冬や真夏の雨上がりほど澄んではいないが、とにかく、山は晴れた。朝飯は、3種のおにぎり。
夏のギフトのダイレクトメイルは、きのう投函された。その効果が、早くも現れ始める。注文の電話をお受けし、メモを取って受話器を置くと、すかさず次の電話が鳴ることもあった。このような密度の高い日々が、できるだけ長く続くことを願う。
2、3日のうちには、トップペイジへも、夏のギフトのご案内を出そうと考える。
終業後、いまだ空の明るいうちに、「市之蔵」 へ出かける。僕に先立って、背広姿の男たちが、大量に店へ入っていく。
「凄いね、予約のお客さん?」
「そう。でも、ほんの今しがたの電話で」
その日、閑古鳥が鳴くか、あるいは千客万来となるか、こういう商売では特に、サイコロを振るまで分からないところがある。
それほど暑くはないが、湿度は幾分、高いだろうか。僕としては珍しく、生ビールから始める。突き出しは、クラゲのごま油和えだった。2杯目からは、焼酎 「無双」 のオンザロックスに切り替える。
「肴は適当でいいや」 と、店主のナガモリユミコさんに伝える。
タケノコと身欠きニシンの炊き物とマグロの刺身、ミツバ入りの厚焼き卵が、手際よく目の前に並ぶ。
野菜のスティックを注文し、これを半分ほど食べたところで、「オレ、このあたりで良いわ」 と言うと、「これも作っちゃったから」 と、「刻みヤマイモの鉄板ぺったちバター焼き」 とでも呼ぶべきものを、カウンター越しに渡される。これもまた、悪くはない。
すっかり暗さの増した、しかし夜にはなりきっていない空の下を帰宅する。
8時すぎに入浴し、9時前に就寝する。
普段よりも幾分遅く、6時前に起床する。事務室へ降り、ウェブショップの受注を確認する。Becky!とNiftermを回してメイルを取り込み、きのうの日記を途中まで作成する。
朝飯は、ソーセージとグリーンアスパラガスの油炒め、胡瓜のぬか漬け、ナスの炒りつけ、サケの昆布巻き、納豆、ツナとトマトのファルシーサラダ、メシ、ニラと卵の味噌汁。
ペルシャ語はファルシー語とも呼ばれるが、料理における 「ファルシー」 は、フランス語の "farci" (詰めものをした)から来ているといわれる。しかしひょっとして 「ペルシャ風」 との意味もあるのではないか? というのが、僕の長年の想像だ。
日中、自分のスケデュール管理をコンピュータのディスプレイに見ていて、今月の26日が、節酒1周年にあたることを発見する。
ここ数年、健康診断のたびに、高脂血や高血圧や肝臓の不具合などを指摘され続けてきた。昨年の春にこの検査結果を持って病院を訪ねたところ、担当の医師は、「1週間に7日も酒を飲むなんてのは、立派なアル中ですね」 と、吐き捨てた。
僕は、「多分この人は生来、酒が飲めずに、悔しい思いをしているに違いない。あるいは、アル中の父親を持って、惨めな幼少時代を送ったのかも知れない」 と、想像をした。
しかしながら、その医師の追いかけるようにしての 「10年後には、あなたの体はボロボロになってますよ」 という言葉によって、僕は節酒を決めた。
酒を飲む理由はいろいろとあるが、そのうちの有力なひとつは、「美味い食べ物を、より美味くするため」 ということだ。だったら先ず、その食べ物を食べなければ良い。
1日に3食のメシを食べれば、1週間に21食のメシを食べることになる。そのうち晩飯を2回抜く。そうすれば、1週間に2度の断酒と2度の断食が成立する。21食のうち2度の断食ということは、これまでのメシの回数を1割減らすということだ。
「それに伴って、余分な栄養や脂肪の摂取も、特に晩飯を抜くということからして、1割以上は減らせるだろう」 というのが、僕のもくろみだった。
果たして、節酒を始めて10ヶ月後の健康診断において、前回、異常を示した数値はすべて、正常の範囲に収束した。
「だましだまし飲めば一生飲めたのに、好きなだけ飲むから、40歳代で打ち止めじゃねぇか」 という人を、僕は知っている。現在、50歳代なかばのその人は、まぁ、廃人のようなものだ。
今夜は、今月に入って8度目の断酒をすることとする。
ずいぶんと日が延びたため燈刻とは言い難いが、とにかく終業後、次男の算数の宿題を督励する。引き続き、国語の宿題も督励する。
国語の宿題は、教科書の中の、あるひとつの物語の感想文を書くというものだった。自分が表したいことを頭の中で文章化できず、また考えているうちに書くべきセンテンスが長くなって、収拾のつかなくなった次男が、泣き始める。僕が次男の頭の中にあることを口に出して言い、それを次男が書き取ればことは簡単だが、それでは勉強にならないだろう。
教育は、教えすぎてもいけないし、放置してもいけない。そこのところが難しい。
西の空の雲の穴から、夕日がオレンジ色の光の筒を地上へ降ろしている。
次男は家内に乞うて、大好物のタラコスパゲティを作ってもらった。僕はそのかたわらで、「チェリーボブ」 のヨーグルトと、種別不明のメロンを摂取する。
8時すぎに入浴し、「合衆国崩壊(4)」 を少し読んで、9時に就寝する。
本酒会報のメイルマガジン版は、きのうのうちに書いて会員へ送付した。今朝はその内容を、ウェブペイジにする。作業を終えて後、検索エンジンをいじっていて、このペイジが、「千福」 のウェブペイジからリンクされていることを知る。
広島県の呉市に住んでいた家内のおじいちゃんが、我々の結婚式のときに、「千福」 の四斗樽を送ってくれたことを思い出す。その四斗樽の中身は、我が町の 「片山酒造」 へ頼み、一升瓶に詰め替えてもらった。その一升瓶は社員や友人達に配ったが、10本ほどは手元に残し、大切に飲んだ。
「あの千福は、美味かったなぁ」 と、いまさらながらに思い出す。
朝飯は、ハクサイキムチ、キャベツのおひたし、納豆、豆腐の卵とじ、塩鮭、ナスの炒りつけ、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。薄めに仕上げた味噌汁が、しみじみと美味い。
朝8時30分から、業務上の来客がある。昼前に仕事が一段落したため、杉並木公園内の 「報徳庵」 へ案内する。縁側にて、とろろ蕎麦を食べる。
来客より宿題を与えられたため、それを明日の仕事としてメモに残す。今日中にやってやれないことはないが、このあたりが、実に僕のダメなところだ。
燈刻、ナスの炒りつけ、トマトとグリーンアスパラガスのサラダ、冷や奴、シイタケにしその実のたまり漬とマヨネーズを載せて焼いたもの、サトイモとニンジンと豚肉の炊き物にて、焼酎 「鬼火」 を飲む。
次男が友人に手紙を書いている。僕はいつの間にか、うたた寝をする。
9時前に入浴し、9時すぎに就寝する。
このところの習性で、夜中に起きて本を読み、本を読みながらうつらうつらし、二度寝をして、6時前に起床する。
朝飯は、キュウリのぬか漬け、塩鮭、トマトとツナとブロッコリーのサラダ、ナスとシシトウの油炒めと大根おろし、納豆、タシロケンボウんちのお徳用湯波と豆モヤシの炒め煮びたし、メシ、豆腐とミツバの味噌汁。
日記を書き上げるが、サーヴァーへのファイル転送が利かない。メイルの送受信やブラウジングは可能なのに、不思議なことだと思う。「サーヴァーを管理している "Computer Lib" が開く時間になったら、どうにかなるだろうか?」 と考える。
きのう机上のメモに残した仕事を行う。シェアだけは高い、しかしデイタの加工性に優れないソフトではどれだけの時間がかかるか想像もつかない作業を、マイツール にてさらりと終える。
サーヴァーは午後になって、ようやく、僕のファイルを受け入れた。
燈刻、次男の算数の宿題を督励する。家内は 「ラーメンが食べたい」 と言っていた次男のために、マルタイラーメンを用意した。
マグロのカマの塩焼きにて、焼酎 「鬼火」 を飲む。カマの奥の肉が、ブリブリと強い歯ごたえを示してすこぶる美味い。「ありきたりの土地へ行くよりも、辺境への旅が面白いことに似ているなぁ」 と、少し酔った頭で考える。
「こんなにたくさん、食えるかな?」 と心配をしたブデチゲは、すんなりと腹へ収まった。
空になった鍋に、マルタイラーメンを投入して煮る。今度こそ、「こんなに食ったら、からだに悪いぞ」 と思われるほどの満腹になる。
8時すぎに入浴し、牛乳を飲んで、9時に就寝する。
夜中に起きて本を読み、二度寝をして、5時30分に起床する。
事務室へ降り、ウェブショップの注文を確認する。受注ペイジにすこし手を加えて更新し、きのうの日記を作成する。
朝飯は、生のトマト、キュウリのぬか漬け、塩鮭、納豆、ナスの炒りつけとシシトウの油炒め、目玉焼きとブロッコリーの油炒め、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
午前中、Niftermが、先月の22日に続いて3度目の故障を起こす。故障と書いたが、ほとんど自爆に近い。巡回している大半のpatioが失われている。ユーザ情報、アクセスポイント、自動巡回などの設定が、イニシャライズされている。
前回、Niftermの不具合は、1996年からため込んだ膨大な負荷によるものではないか? と考え、昨年12月までのログは別途保存したが、どうやら原因は、他のところにありそうだ。
次回の自爆に備えて、登録番号、アクセスポイントの設定方法、各patioのIDやパスワードを、ノートに書き記す。
昼過ぎ、会社の利益に役立つのか立たないのかは不明ながら、諸々のことについて考える。そして、あしたすべき仕事をひとつメモにして、机上に残す。
燈刻、次男の国語の宿題を督励する。小学2年生にして、早くも 「主語とじゅつ語」 などという文字が教科書に見え、大いに驚く、僕の時代には、いつごろからこの手のカリキュラムが、国語の授業に登場しただろうか?
確かに、文法をしっかり身につけた人の文章に、破綻は無い。ただし、その文章が面白いか否かは、また別の問題だ。
ここで、大きな地震がある。次男を勉強用の椅子から引っ張り上げ、テレビの前へ連れて行く。NHKのニュースが、岩手県沖に震度6の地震が発生したことを知らせている。おばあちゃんの部屋へ行き、やはりテレビのスイッチをつけて、安心をさせる。オヤジとオフクロのところへも行き、すこし世間話をして、居間へ戻る。
次男が、餃子を包み始める。僕も手伝うが、2個で飽きる。次男はひとりで、22個の餃子を完成させた。
僕はしばしば、「自分以外のすべての人は、自分よりも優れている」 と、確信をすることがある。
春雨サラダを食べる。タシロケンボウんちのお徳用湯波と豆モヤシの炒め煮びたしを食べる。
刺身湯波、巻き湯波、揚げ湯波、干し湯波などの普通の湯波を使った場合、できた料理は、本来の型にはまった保守的なものになることが多い。ところがタシロケンボウんちの、こう言っては何だがクズ湯波を用いると、まるで香港の上海料理屋のホウロウ引きバットにてんこ盛りにされているような美味いものが、次々と目の前に現れる。
マグロのトロが赤身よりもはるかに高くなってしまったように、以前はタダでもらうことのできたサケの頭が今では売り物になっているように、動物の臓物がどんどん値を上げているように、そのうちこのお徳用湯波も、刺身湯波より高値を付けるようになるだろうか?
次男が包んだ餃子は、水餃子になった
「梅割焼酎」 というものがあるなら、焼酎のノイリープラット割りはどうだろうかと、それを作ってみる。別段、面白くも何ともない結果を得る。
8時に入浴し、すこし仕事をし、9時すぎに就寝する。
いつのもように、夜中に目を覚ます。闇の中で小一時間ほども横になっているが、再び眠れる気配はない。枕頭の灯りを点け、「合衆国崩壊(3)」 を開く。
何十分も眠れなかったにもかかわらず、目が活字を追い始めると、とたんに眠くなる。1行を読んでは眠りに落ちて、記憶に残らない短い夢を見る。また1行を読んでは、今度はその読んだ一節に連なるべき次の場面を、自ら勝手に予想して、これを夢に見る。
遂に本を閉じ、灯りを落として二度寝に入る。5時30分に起床して事務室へ降り、朝のよしなしごとをする。
朝飯は、ゴボウとニンジンのキンピラ、キュウリのぬか漬け、塩鮭、刻み昆布の薄味炊き、納豆、ホウレンソウの油炒め、メシ、豆腐とミツバの味噌汁。
通常、月の最後の日曜日は、それほど忙しくはならない。ところがこの週末には自家用車もバスも多く、外へ出てそれらのクルマを誘導する機会が増える。月初めの連休には交通整理の警備員を用意したが、そのときよりもむしろこの2日間に、その必要を感じた。
昼食後、次男の漢字練習の宿題を督励する。
事務室、店舗、包装現場、製造現場と歩き、やがて閉店の時間になる。本日出勤したほとんどの社員と、対前年度粗利ミックス表の検討をし、短い打ち合わせをする。
次男が学校で、虫歯予防のポスター描きを引き受けてきたため、これの色塗りにつきあう。下描きはきのうのうちに、既に済ませてあった。「目指せ、入選!」 などと、本人は言っている。脳天気さは、子供が持つ貴重な財産のひとつだ。
家内と次男は、晩飯にエビフライを食べた。僕はひとりで、カスピ海ヨーグルトとマスクメロンを摂取する。
「今日こそは遅れないぞ」 と、7時25分に、町内の公民館へ行く。7時30分から開かれるとばかり思っていた春日町1丁目通常総会は、どうも7時から始められていたようだ。
8時すこし過ぎに帰宅する。入浴して、9時前に就寝する。
午前3時に目が覚めたため、起床して事務室へ降りる。
顧客名簿から、ある条件に従って、夏のギフトのダイレクトメイルの送付先を抽出する。
この作業は、電話がかかってきたり、社員から呼び出されたり、あるいは、「近くまで参りましたので、お寄りしました」 などという営業マンによって思考を中断されると、必ず間違いが発生するたぐいのものだ。よって、何からもわずらわされることのない、深夜や早朝に行う必要がある。
1時間30分ほどで、第一段階の作業を終える。CDを聴いたり、きのうの日記を作成したりする。根を詰めた仕事を何時間も通して行えるほど、僕の神経は太くはない。
朝飯は、キュウリのぬか漬け、小エビとトマトとアボカドのサラダ、刻み昆布の薄味炊き、納豆、ナスとシシトウの油炒めと大根おろし、ゴボウとニンジンのキンピラ、ホウレンソウのゴマ和え、メシ、ダイコンと万能ネギの味噌汁。
始業後、
「同じ住所ではあるけれど、電話番号が違う」
「同じ電話番号ではあるけれど、住所が違う」
「住所も電話番号も同じではあるけれど、顧客名が違う」
というような、いわばコンピュータが 「別人」 と認識してしまう重複したデイタを、ディスプレイを凝視しながら削除していく。
タックシールの印刷が済んだら、事務係のタカハシアツコさんがそのひとりひとりを目で追い、「まだ、重複しているよ」 とか、「ここへお知らせをお送りしても、効果はないだろう」 と思われるものを、台紙から剥がしていく。
来週の前半には、夏のギフトのダイレクトメイルが投函できるだろう。
昼前に、次男と市本サイクルへ出かける。長男が使い、年少のいとこの家へ渡り、つい先日、長男よりも10歳年下の次男に戻ってきた一輪車を整備してもらう。代金は無料だった。
「イチモトさん、スイマセンね、儲かんねぇ仕事ばっかりで」
「いや、オレはそもそも、儲かんねぇ仕事しかしてねぇから」
燈刻、次男の描く絵を見ながら、ノイリープラットを飲む。続いて、"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1999" を抜栓する。
ブルスケッタ、パセリとベイジルのスパゲティ にて、それを飲む。
家内に特に頼んでおいた、マグロのカルパッチオと、鶏レヴァのオリーヴオイル焼きを食べる。
上質の鶏レヴァを流水にさらし、それをオリーヴオイルで血がにじむくらいまで軽くソテーしながら塩とタイムを振り、バルサミコにて仕上げたこの簡素な料理は、あらゆる鶏レバ料理の中でも最も美味いものと、僕は確信する。
8時すぎに入浴し、本は読まず、9時前に就寝する。
いつものように夜中に目覚め、小一時間ほど本を読んで眠り、空が明るくなったころに起床する。
事務室で携帯電話を開くと、サーヴァーから転送されてきたウェブショップの注文に混じって、本酒会のヤギサワカツミ会員からのメイルがある。
5/22 20:22 「納品終わって会社に向かっているので9時チョット過ぎますね」
5/22 20:55 「お酒残しておいてくださいね お願いします。M(..)M」
メイルを送った相手が悪かった。僕は殆どの時間において、携帯電話はマナーモードにしてある。その結果、9時30分に 「やぶ定」 へ到着したヤギサワカツミ会員は、「あっ、もうカラッポの酒がある!」 ということになった。
「彼には、詫びのメイルを入れておかなければならないな」 と、考える。
朝飯は、ゴボウとニンジンのキンピラ、塩鮭、刻み昆布の薄味炊き、カブとキュウリのぬか漬け、油揚げとコマツナの炊き物、納豆、ソーセージとピーマンの油炒め、メシ、アサリとネギの味噌汁。
ついこの前までは冬の寒々しい風情を見せていた店舗駐車場のサンショウが、ずいぶんと枝を伸ばし、葉の数を増やしている。この実生のサンショウについて、町内のコンノシチシロウさんに、「将来、どのような姿にしたいかを考えて剪定せよ」 と言われたのは、昨年の今ごろのことだっただろうか。
明日あたり、ひまを見つけて、というか、いつもそれほどは忙しくないのだから、枝振りを綺麗にしようと考える。
午後、次男が学校帰りに、近所のユザワヨウちゃんを伴って帰宅する。「今日は、何かないの?」 と訊くと、次男は笑って 「プールがある。でも、ズル休みする」 と答える。
僕は子供のころ、学校帰りに友人を伴って帰宅し、そのまま遊ぶということを禁じられていた。「帰宅して手を洗ってうがいをし、宿題を済ませた後に、ようやく友達と遊べ」 と、僕は命じられていた。
更に、習い事をズル休みするなどということは、決して許してもらえなかった。
今日の次男の行いについては、どのように対処しようかと考える。厳格に育てられた僕が、現在、どのような大人になっているかを振り返ってみれば、厳格な教育に、万能の価値があるとも思えない。
「次のプールの日には、ちゃんと行くんだよ」 と言って、今日のところはそのまま遊ばせることにする。第一、遊ぼうとしている機先を制せられるのは、おとなにとっても悲しいものだ。
燈刻、居間のテイブルに、マグロの乗った丸い皿と、小エビとアボカドの乗った四角い皿が運ばれる。家内と次男は、それを手巻き鮨にして食べる。
僕の前には、カスピ海ヨーグルトとマスクメロンのガラス鉢が運ばれる。腹さえ減っていれば、このようなものを見ても、口中にはヨダレが湧いてくる。人間の生理とは、不思議なものだ。
今週2度目の断酒をし、8時すぎに入浴する。「合衆国崩壊(3)」 をすこし読み、9時に就寝する。
夜中に目が覚めて、「合衆国崩壊(3)」 を読む。1時間ほど後に二度寝に入り、6時ちかくに起床する。
朝飯は、キュウリのぬか漬け、「丸赤」 の極辛塩鮭、納豆、ナスとシシトウの油炒め、油揚げとコマツナの炊き物、刻み昆布の薄味炊き、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
午前中、"Computer Lib" から、社外報の 「やさしくデジタル」 が届く。今号で最も紙数が割かれているのは、僕が今年の1月に、東京国際フォーラムの 「CPLユーザーカンファレンス2003」 で話したことの講演録だが、文章の上手なナカジママヒマヒ社長が出張先で出会った人と美味いものについて書いた、「加太の鯛と呼子の烏賊」 も面白い。
午後、給与計算システムをより合理的にするため、そのマクロを書き換える。自分のするあらゆる仕事の中で、マクロを書くほど好きなことはない。好きな仕事の難点といえば、それをいくらしても、「自分は仕事をした」 という充実感を得られないところだろうか。
終業後、次男の国語と算数の宿題を督励する。何十もの漢字を書く、何十もの計算を解く。学校の週休2日制に伴って、宿題の量も増えているのだろうか。次男は計算問題の一部を、夕食後の仕事として持ち越した。
7時30分より 「本酒会」 の5月例会のため、会場の 「やぶ定」 へ行く。
口開けの一本は、鳥取県倉吉市にある中井酒造の 「野添純米吟醸生原酒」 だった。僕は5日前に、この蔵の製造部長ナカイタケヒロさんと、倉吉でMGをしてきたばかりだ。
本酒会の毎月のお酒を送って来る高島屋東京店は、僕の行動を知るよしもない。何人もの人と時間の組み合わせが、面白い偶然を作り出したことになる。
合計で、9本のお酒を飲む。締めのラーメンに、途中で出たエビの天ぷらを載せる。
9時30分になってようやく来たヤギサワカツミ会員が、「あっ、もうカラッポの酒がある!」 と、怒っている。イチモトケンイチ会長が、「この時間に来て、ワケのわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ」 と、返す。
10時前に帰宅し、入浴して10時30分に就寝する。
夜中に目覚めたため、「合衆国崩壊(3)」 を読み始める。これは分厚い文庫本4冊組の小説だが、細部を丹念に削っていけば、かなり短くすることができると思う。もっともトム・クランシーのファンなら、この作者の文章を、できるだけ長く読んでいたいというものだろうか。
明け方、外の音に耳を澄ませる。夜来の雨は上がったらしい。今日は次男の遠足にて、一安心をする。
事務室へ降りてメイラーを回すと、"清閑PERSONAL" のカウンタ70001を当てた方から、メイルが届いている。僕の日記は、どうも、東京の東側にお住まいの方に多く読まれているような気がするけれど、もちろんこれは、ただの想像に過ぎない。早速
"Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva" SAN-PEDRO 1999
"Chablis Premier Cru Les Vaillons" BILLAUD-SIMON 1999
のうち、どちらを記念品としてお送りしましょうか? という返信を送付する。
朝飯は、キュウリのぬか漬け、グリーンアスパラガスとソーセージの油炒め、納豆、ホウレンソウの胡麻よごし、なめこのたまり漬、厚焼き卵、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
午後、自由学園 の同級生から、真面目な内容の同報メイルが届く。それに対して真面目な返信を書き、これを送付する。
僕が書記をつとめる 「本酒会」では、毎年お盆過ぎに、1泊で東京ツアーを行っている。2ヶ月ほど前に、これへの参加を表明したイチモトケンイチ会長、クワカドシュウコウ会員、コバヤシハルオ会員の計4名が、7時より 「市之蔵」 へ参集する。
良く冷えた 「笹の川・大吟醸新酒」 を抜栓する。
本日は予約のため、お任せにて、ジャコ揚げ、小芋の炒りつけ、イカとオクラの山かけ、ゲソのバター焼き、セロリと貝割れダイコンのロースハム巻き が、次々と運ばれる。
すっきりと綺麗な 「笹の川・大吟醸新酒」 が、舌の上からノドの奥へ、すいすいと消えていく。
イチモトケンイチ会長がメニュを見て、「蔵コロッケというコロッケがあるなら、これをおかずにメシが食いたい」 と言う。早速、僕がアルバイトの女の子に、「どんぶり飯の上に刻みキャベツを敷いて、そこへコロッケを載せて欲しい」 と、特別注文をする。
やがてその、コロッケ丼が運ばれる。
更にイチモトケンイチ会長はメニュを確かめ、「豆腐ステーキが食べたい」 と言う。僕は面白くなって、更に女の子に、「その横に、ご飯をつけてください」 と頼む。
やがてその、豆腐ステーキライスが運ばれる。
1999年夏の本酒会ツアーのとき、イチモトケンイチ会長は湯島天神下の 「シンスケ」 にて、初っぱなに 「にゅーめん」 を注文したことを、僕は忘れない。
イチモトケンイチ会長は、利き酒会の会長ではあるが、酒はほとんど飲まない。本酒会でおよそ10本のお酒を試飲するとして、彼はその1本1本において、およそ10CCほどしか口に入れていないのではないか? つまり10本を飲んで、しかし胃に入れる酒量は、わずか5勺ほどのものと思われる。
カツオの刺身、蔵お好み焼き、野菜スティック を注文する。この店の淡い色彩の野菜スティックが、僕は大好きだ。
最後にイワシの素揚げが出たところで時計を見ると、10時がちかくなっている。これを平らげ、4人で店を後にする。
帰宅して入浴し、10時30分に就寝する。
暗闇の中で目が覚める。なるべく音を立てないように歩いてヴィデオデッキに近づくと、そのデジタル時計は午前0時を示していた。枕元に時計を置けば便利だけれど思いつつ、いつまでもそれができない。
灯りを点け、「合衆国崩壊(2)」を読む。1時間ほどで、最後から数ペイジのところまで達する。灯りを消して二度寝に入る。
朝飯は、ホウレンソウのおひたし、ウナギの山椒煮、納豆、ジャガイモのスクランブルドエッグ、ダイコンのぬか漬け、グリーンアスパラガスとセロリのサラダ、メシ、豆腐とミツバの味噌汁。
事務室へ降りたとたん、家内から毎日飲むよう言われているサプリメントを、自宅の廊下へ置き忘れたことに気づく。自宅へ戻り、小便をする。再び事務室へ降りて、自宅へ戻ったのは、サプリメントを取ってくるためだったことを思い出す。
再び自宅へ戻り、サプリメントをポケットに入れて事務室へ戻る。そして、そのサプリメントを飲む。
「自分は、意義のある仕事をしている」 と思いながら、実は意義のない仕事をしている人がいる。「自分は、意義のない仕事をしている」 と思いながら、実は意義のある仕事をしている人がいる。
「自分は、意義のある仕事をしている」 と思いつつ、本当に意義のある仕事をしている人がいる。「自分は、意義のない仕事をしている」 と思いつつ、本当に意義のない仕事をしている人がいる。
自分は、その中のどれにあたるのだろうか? と考える。多分、仕事をしている人のほとんどは、この4つのあいだを、時と場合によって、行ったり来たりしているのではないか? と考える。
終業後、次男の算数の宿題を督励する。引き続き、国語の教科書の音読を、そばにいて聴く。
アサリのオリーヴオイル炒め、豆モヤシの油炒め、名前の分からないイカとピーマンの豆板醤焼き、胡瓜のぬか漬け、鶏挽肉とおからのハンバーグ大根おろしかけ、冷や奴にて、焼酎 「鬼火」 を飲む。
8時すぎに入浴し、9時に就寝する。
寝過ごしを警戒して、目覚まし時計を6時にセットしておいたが、4時に目が覚める。しかし3時間30分の睡眠は、いかにも短い。5時すこし前まで、はっきりしない頭のまま、横になっている。
起きて、昨晩のうちにほとんど書き上げてあった日記を完成させ、サーヴァーに転送する。窓の外を見ると、目に見えるか見えないかの、細い雨が降っている。
先日は東武日光線浅草駅に7時前に着いたところ、切符売り場にはシャッターが降りていた。ちょうど良い頃合いを見計らったつもりで、6時30分に傘を差して甘木庵を出る。しかしながら今日も7時前に浅草へ達し、切符売り場が機能するまでの5分ほどを、立ったままで待つ。
背負った "ZERO POINT"のサブアタックザックには、"ThinkPad s30" やその周辺機器、あるいは梅津天宝君に戴いた純米酒 「天宝」 などが入って、その重さは10Kgちかくになっているだろうか。むかし読んだバックパックの本に、「行動を制限しない荷物の限界は10Kg以下」 との記述があったことを思い出す。
いまだノレンも出ず、電飾看板にて入口のふさがれた地下道のとんかつ屋 「会津」 へ強引に入り、目玉焼き定食ウインナーソーセージ添えを食べる。
プラットフォームへのエスカレイターを登り切ると、こちらに向けて強い光が当てられている。旅のテレビ番組なのか、おばあさんの芸能人ふたりが自動改札口へ向かうところの撮影をしている。僕の姿も多分、写されたのだろう、迷惑千万なことだ。
9時30分に帰社する。間もなく、八王子市の小学生から、社会科教室における質問の電話が入る。やがてファクシミリにて、より詳しい質問が送られてくる。これに返答を書き、パンフレットを添えて、学校経由本人宛に郵便で送る。
夕刻、小学2年生の次男が、あさっての遠足に持参するお菓子を買いに行きたいと言う。宿題の有無を訊ね、「宿題が終わってからね」 と答える。
終業後、次男の漢字練習の督励をする。教科書の音読を1回し、これにて宿題を終える。外へ出て、ふたりで手をつなぎ、スーパーマーケット 「かましん」 まで歩く。次男は50円から100円ほどのお菓子を3点選んだ。
カスピ海ヨーグルトとトマトとハニーデューを摂取し、入浴して9時前に就寝する。
枕元のアラームは7時にセットしてあったが、6時30分に目が覚める。即、起床して、きのうの日記を作成する。
2月に高島屋東京店での出張販売をした際、ホテルのモデュラーから外部へアクセスしようとすると、「発信音が確認できません」 のエラーが出て、遂に部屋からの通信は成就しなかった。
このホテルからも同じことを試みるが、やはり同じエラーが出る。仕方なく携帯電話からOCNのアクセスポイントへダイヤルし、Becky!とNiftermのみを回す。
サーヴァーへの日記の転送は、画像の負荷が高すぎるらしく、DOCOMOのDATA/FAX CARD 9600は役に立たない。きのうと一昨日の2日分の日記は、今夜、甘木庵からサーヴァーへ送ることとする。
荷物を整理して、8時に1階のレストランへ降りる、既に食事を始めている倉吉MGの出席者たちと、朝食のひとときを持つ。
西順一郎先生はデハラマサキさんのキャデラックで、僕はボンゴ君のゴルフで会場入りし、サトウマサヒデさんの講義 「デイタ加工の考え方」 を、45分ほど聴く。
MGの第4期は、10時30分に始まった。ゲイム展開の下手な僕としては上出来の、損益分岐比率85%、税引き前当期利益61の成績を残して、次期のA卓入りが確定する。窓の外には今日も、まぶしいばかりの初夏の緑がある。
昼食をはさんで、A卓6人による第5期が始まる。周りを見回せば、競合他社は入札に勝つことを目的とした、たくさんの研究開発チップで武装している。「どうしようかなぁ」 と迷ったが、結局、周囲と同じ道は歩まず、経費を絞って、時宜を得た隙間産業に徹することを決める。
第5期の結論は、同じ戦術を用いる数社が血みどろのたたき合いを演じたあげく、3社が浮上し、3社が水面下に沈んだ。僕はたたき合いの中には入らなかったが、それでも自己資本を大きく減らした。
最も楽な市場とは、競合する各々が、まったく異なる戦術を採用して、それぞれが好成績を収める市場だが、本日の第5期は、そうはならなかった。
最優秀経営者賞は、自己資本419を達成したマツモトヤスアキさんが、優秀経営者賞は、同407のアズマヨシアキさんと、同393のタナカイチロウさんが獲得した。
4時より西順一郎先生の講義 「マウイ島のインターコンティネンタルホテル」 があり、5月の倉吉MGは、無事に閉会した。
「梅津酒造」 の梅津天宝君に、純米酒 「天宝」 を戴いてしまう。これを "ZERO POINT"のサブアタックザックに入れ、主催者のオカノミノルさん他、地元の方々に挨拶をして、「伯耆しあわせの郷」 を去る。
ボンゴ君のゴルフにて、鳥取空港を目指す。途中、その名は忘れたが、海を見下ろす景色の良い崖の上でひと休みする。
6時25分に、鳥取市のレストラン 「かるだもん」 に入る。ボンゴ君はキーマカレーを食べたが、僕は鶏のナッツ揚げを肴に2杯のテキーラを飲んだ。そしてその料金は、ボンゴ君が払ってくれた。
全日空機は、定刻より15分も早く、夜9時前に羽田空港へ着陸した。浜松町を経由して御徒町へ至り、普段は歩いてしまう1.5Kmの道をタクシーに乗って、10時に甘木庵へ入る。
一昨日ときのうの日記を、まとめてサーヴァーへ転送する。本日の日記も、あらかた完成させる。
シャワーを浴びて冷たいお茶を大量に飲み、「合衆国崩壊(2)」 を少し読む。0時30分に就寝する。
大きな窓から、朝の光がまぶしく差し込んでいる。その窓の外から、クンクンと鳴く犬の声がする。枕元の時計を見ると、6時30分だった。
居間にあるボンゴ君の大きな机に、都合の良いことに、IBMの電源コードが見えている。これを借りて、自分の "ThinkPad s30" に電気を供給する。きのうの日記を作成する。ISDNの端末がUSBのため、この日記のサーヴァーへの転送は、今夜、ホテルへ行ってからの仕事とする。
レタス、ハム入りのスクランブルドエッグ、フランスパン、コーフィー、牛乳、グレイプフルーツによる朝食を、ご馳走になる。
8時30分に、奥さんの桃ちゃんにお礼を述べて、ボンゴ君のゴルフに乗る。中国山脈の分水嶺をかすめるように走り、10時に倉吉の 「伯耆しあわせの郷」 に着く。眼下に広い川を望むこの会場は、全国のMG会場の中でも屈指のものと思う。
倉吉MGは、3卓18人を以て始まった。第1期の練習を経て、第2期に入る。良くも悪くもない陣容にて、期末を迎える。窓外の新緑が、穏やかな風に揺れている。
競合他社よりも高い販売能力を利して、少数の商品を高値で売る体勢を整える。これにて1期と2期の累積損を一掃する71の経常利益を上げ、自己資本を1期開始時の300に戻す。
MG(マネジメントゲーム) は脳が酸素欠乏を起こすほど集中し、熱中して行う研修だ。そのため、時間の過ぎるのがとても早い。気がつくと、夕刻の4時30分になっている。
MGは、最終的には自己資本の高い者が表彰されるが、ゲイム中の市場分けは、売上金額の多寡によってされる。僕は自己資本は上げたが、18名の中では最も低いC卓に移動して、明日の第4期を迎える。
少数の初心者と多くのヴェテランによる今回の倉吉MGはカリキュラムの進捗が速く、西順一郎先生のstrategy accountingの講義は、5時前から始めることができた。その後、先生のご指名をお受けして、やはりstrategy accountingや、あるいは検索エンジンを経由して西研究所にもたらされた大きな仕事についての話を、20分ほどする。
いまだ空は明るい。そういう時間に交流会へ移ることができるのは嬉しい。倉吉市内のイタリア料理屋 「パドリーノ」 にて、2時間30分ほどの楽しく有意義な時を過ごす。
散会して、ナカニシショウイチロウさん、ボンゴ米井君、梅津天宝君との4人にて、三朝温泉へタクシーを飛ばす。川沿いの温泉にてゆっくりと温まり、11時過ぎに、倉吉駅前のホテルへ戻る。
念のため翌朝の7時に目覚まし時計をセットし、11時30分に就寝する。
朝、山に良いあんばいの雲がかかっている。それを写真に撮ろうと、廊下へカメラを取りに行く。再び窓辺へ戻ると、急速にわき上がる雲は、数十秒前にはほとんど見えていた山を、覆い隠していた。
午後、いかにもスーパーマーケットからの帰り道のような、しかしコンピュータなども入っている重いVパックを下げて、会社を出る。羽田空港から夕刻に発つ飛行機に乗って、夕日と共に飛ぶ。70分後に、いきなりガツンと、鳥取空港に着陸する。
僕は、ガツンと滑走路へ落ちるよりも、いつ地上に触れたのか分からないほどの、静かな着陸が好きだ。
しかし、ガツンと落ちた方が安全で、フワリと降りたときには、それなりのリスクもあるのだということを、むかし、富士重工でアエロスバルの室内艤装を設計していた知人から聞いたことがある。その理由については、日記が長くなるので書かない。
ちなみに、ガツンと落ちるかフワリと降りるかは、操縦する者の技量によるものではなく、ひとえに、その美意識によるものらしい。
空港に、自由学園 の同級生ボンゴ米井君の出迎えを受けて、智頭町の彼の家へ行く。母家の玄関で、お父さんとお母さんに挨拶をする。道を隔ててあるボンゴ君の自宅へ上がる。僕の貸した本が、ずいぶんと残る本棚を見る。
奥さんの桃ちゃんによる夕食をご馳走になる。タケノコとフキの炊き物と、山の走り水で作る濃厚な豆腐が美味い。自由学園で3年後輩の、梅津天宝君が経営する会社 「梅津酒造」 の長芋焼酎も美味い。
豚肉や鳥団子やミズナの鍋から、ボンゴ君自製のレンゲにて、諸々を引き上げて食べる。昨年の秋に、一緒にシンガポールへ行ったナカニシショウイチロウさんが加わり、歓談を為す。
「もう、そろそろ寝ようか」 と言われ、入浴する。僕が来るからと、ボンゴ君がペンキを塗ってくれたトイレで小便をする。僕が来るからと、ボンゴ君がペンキを塗ってくれた部屋のベッドに横になる。
時計を見ると、既にして午前1時になっていた。「合衆国崩壊(2)」 を少し読んで就寝する。
明け方に数時間、本を読んで、5時30分に起床する。
朝飯は、3種のおにぎりと大根のたまり漬。
午前中、所用にて、雨の中をクルマで近場まで出かける。
裏道から大谷川河畔のバイパスに出ようとすると、広い道の向かい側に、信号機の無い横断歩道を渡ろうとしている老人がいる。すべてのクルマは、その老人を無視して、速度も落とさず、通り過ぎる。
あるクルマのはね飛ばした水しぶきが、老人の服を濡らす。すると老人はやおら、そこに立てかけてあった黄色い籏を持ち、それを振り回し大声を発しながら、速度を落とさず近づく何台ものクルマを無視して、横断歩道を渡り始めた。
「殺すなら殺せ」 という勢いだ。
バイパスの真ん中に老人の姿を認めても、自分がその鼻先をすり抜けられると判断をした何台ものクルマは、依然、速度を落とさずに近づいてくる。
老人は更に激しく旗を振りながら、強く何ごとか罵詈雑言を発した。そこでようやく、2台のクルマが停まった。
こういう風景が日本中で見られるものかどうかは知らないが、少なくとも我が町では、信号機の無い横断歩道に、子供が黄色い籏を持って立っていても、停まるクルマはほとんど無い。
彼らは、赤信号に 「停まれ」 と命令されない限り、たとえ人の姿を認めても、クルマを停めることはしないだろう。
僕が、片側2車線以上の広い道で、信号機のない横断歩道に人の姿を見かけたとき、チラリと考えるのは
「自分のクルマだけが停まって歩行者を通して上げようとするとき、もしも、自分のクルマの横をすり抜けるクルマがあったら、そのクルマに歩行者は轢かれてしまうだろう」
ということだ。自分が交通マナーを守った結果、人が死ぬのは困る。
「信号機」 というのはひとつの 「決まり」 だが、世の中に決まりが増えるに連れて、人は次第に、自分の頭で物事を考えなくなっていく。
終業後、次男の、国語の宿題を督励する。宿題はこれだけでおしまいかと思っていたところ、連絡帳にメモをすることを厭う次男の口から、それ以外のものも、ぞろぞろと出てくる。それらのすべてを、終わらせる。
西の空が暮れる前に、「市之蔵」 へ行く。あずけてある焼酎 「無双」 を、生で飲む。突き出しは、ポテトサラダと、ホタテとダイコンの炊き物だった。
ジャコ揚げが、頼まなくても出てくる。これは、焼酎に打ってつけの肴だ。タコブツ、小振りで非常に脂の乗ったシシャモ の2点を注文し、これをこなして今夜の飲酒を締める。
8時30分に帰宅し、入浴して、9時すぎに就寝する。
0時30分に目が覚める。そのまま灯りを点けて、トム・クランシーの 「合衆国崩壊(2)」 を読む。2時間ほどのあいだに、100ペイジをこなす。
そのうち、2、3行読むあいだに突然、眠って、夢を見る。気がついて2、3行を読み、また眠って、夢を見るようになる。思い切って寝てしまおうと考え、灯りを落とす。
コンニャクが次々とベルトコンベアで運ばれくるような、記憶に残らないぶつ切りの短い夢を、際限なく見る。「これは、夢を見ているということで、眠っているわけではない」 と眠りの中で考え、目を開く。
ふたたび灯りを点けて、本を読む。ふたたび眠って、5時30分に起床する。
ウェブショップに注文があるたびに、それは僕の携帯電話に転送される。事務室へ降りながら携帯電話のディスプレイを確かめることは、僕の小さな楽しみのひとつだ。今朝も、夜中のうちに、いくつかの受注があったことを確認する。
朝飯は、揚げ湯波とミズナの炊き物、ナスとピーマンの油炒り、納豆、ダイコンのぬか漬け、ウズラ豆、温泉卵、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
午前中、机の引き出しに入れた携帯電話から、幾度となく "I've got mail" の声がする。それらすべては、ウェブショップから転送された注文だった。
夕刻に至り、本日受けた地方発送の集計をする。インターネット経由の受注としては、大量の名簿がメイルに貼付して送られてきたたぐいの日を除いて、これまでの最高金額を記録する。
終業後、事務室にて、次男の算数と国語の宿題を督励する。本日 "amazon" から届いたばかりの、「ポケットモンスターTV主題歌パーフェクトベスト」 を、BGMにする。
宿題は70分ほどもかかって、ようやく終了した。次男に、「えらかったねー、すごいねー」 と、声をかける。おとなでさえ、机に向かって1時間以上も計算問題や漢字の練習をさせられたら、大抵は嫌気が差すというものだ。
家内と次男の、ニンニクのたまり漬を載せたステーキ、トマトとブロッコリーのサラダ、ポテトとニンジンとエリンギのオリーヴオイル焼き から、ステーキを抜いて、カスピ海ヨーグルトを加えたメニュを、僕は摂取する。
それにしても、ヨーグルトとわずかばかりのサラダと野菜のソテーにて満腹になる自分には、今更ながら驚く。しかし、「だったら一生、そういう生活を続けろ」 と言われれば、それも困る。
8時すぎに入浴し、9時に就寝する。
朝飯は、コンニャクの炒り煮、温泉卵、サンショウの佃煮、イワシのショウガ炊き、キュウリのぬか漬け、ホウレンソウの油炒め、タケノコご飯、タケノコとミツバの味噌汁。
先日、自由学園にて購った
夜中、弱くない地震に目を覚ます。地震は怖い。地震の最中にはいつも、「これはどこまで強くなるのか? 一瞬の後には、家が倒れるほどの大きな揺れが来るのではないか?」 との思いが浮かぶ。
地震は2度続いて収まった。いつの間にか眠る。
朝飯は、ミズナの炊き物、なめこのたまり漬、ピーマンの油炒め、キュウリのぬか漬け、焼いたメンタイコ、イワシの生姜炊き、メシ、豆腐とミツバの味噌汁。
今日は1982年に亡くなったおじいちゃんの祥月命日のため、オフクロと家内との3人で、如来寺に墓参りをする。雨の中で持参した紙を燃やし、線香に火を点ける。紙と線香の煙に、手が燻される。
帰途、オフクロを希望の場所で降ろし、長男の同級生オノサトシ君の家が経営する旅館 「熱海館」 へ寄る。
JR今市駅と東武下今市駅とを結ぶ道路が、拡幅されつつある。そのため 「熱海館」 も、これまでの位置から後退を余儀なくされ、新しく建て替えられた。この建物が、外から眺めただけでも、なかなかに良い。
今月末に来社する知人にはここへ泊まってもらおうと考え、その予約をするため、初めて玄関の引き戸を開ける。オノサトシ君のお母さんに来意を告げると、「ちょっと見ていってください」 と言う。外へ出て、クルマの中にいる家内を手招きする。
館内は、焦げ茶色の木と漆喰の白からなる、同じ旅館でも、温泉旅館の華美さからは遠く離れた、簡素で清潔な印象のものだった。廊下、食堂、主だった部屋、浴室、1階と2階の廊下など、ほとんどの部分を見せていただく。
設計者を訊ねると、「降幡建築設計事務所」 との答えが返ってきた。「いままでの建物から、できるだけ多くの材料を使いたい」 という申し出に対して、最も親切に対応してくれたのが、この事務所だったという。
思わず 「なるほどなぁ」 とつぶやいて、ロビー部分の太い木組みを見上げる。
燈刻、ホウレンソウと海苔のおひたし、コンニャクの煎り煮、ダイコンのたまり漬、キュウリのぬか漬け、トマトのオリーヴオイル和え、ギンダラの西京焼き、クジラベーコンと冷や奴にて、焼酎 「黒七夕」 を飲む。
朝方、紙と線香の煙に燻された手が、薫製のような良い匂いを発している。
8時すぎに入浴し、9時前に就寝する。
事務室、店舗、包装部門、製造部門と歩いて、終業時刻になる。お陰様にて客足が途切れないため、閉店が定時よりもすこし遅れる。本日出勤の社員たちと、対前年度粗利ミックス表の検討をする。
夕刻から降り始めた雨が、弱くなった。傘は差さず、薄いウインドブレイカーを着て、外へ出る。日光街道を下り、「市之蔵」 へ入る。
あずけてある焼酎 「吉四六」 を、お湯割りにする。突き出しは、トマトのオリーヴオイル和えとソラマメ。
この店ではうかうかしていると、頼まないものがどんどん出てきて、つまり自己を主張しないままに酔っぱらってしまう。そういう 「お任せ」 も悪くはないが、今日は早めに、メニュにはないマグロの山かけを注文する。
ふかし小ジャガイモの油炒め、ネギとナスの炒りつけカツオブシかけと、頼まないものが続く。
いつかこの日記に、「酒肴として最も優れるのは朝食のおかずだとは、慶應大学独文科の教授だった高橋義孝の言葉だ」 と書いたところ、ある方が
「それは、高橋義孝が自著の中で、池田弥三郎の言葉として引用したものではないか?」
というメイルを下さったことがある。そういうことがありながら、なお僕は、「酒肴として最も優れるのは朝食のおかずだ」 と言ったのが誰だったかをしっかり記憶せず、これを文章にするたびに、メイラーに、教えてくださった方の数行を探すことになる。
何が言いたかったかといえば、とにかく、この 「ネギとナスの炒りつけカツオブシかけ」 は、朝食のおかずとしても、うってつけのものだということが、言いたかった。
そうこうするうちに、セロリ、キュウリ、エシャロット、谷中ショウガのいわばスティックが、目の前に運ばれる。京都市東山区のバー 「ガスライト京都」 のブラッディマリーと同じく、僕はこれを、綺麗な料理として賞嘆する。
「吉四六」 が尽きそうになったため、次にあずけるための焼酎を考える。黒糖と芋の2種を味見し、芋の 「無双」 を選ぶ。
手羽先焼きを注文するが、新規の客が複数で入れ込みに入ったため、「ちょっとこれ、食べててね」 と、おかみが 豚シャブとレタスとミズナのサラダをくれる。
やがて届いた手羽先焼きにて、焼酎 「無双」 を生で飲む。
夜の街を下り歩いて、下今市駅へ行く。鎌倉の実家から戻った家内と次男を、改札口に迎える。タクシーにて帰宅し、入浴して、9時に就寝する。
自由学園 の父母会があるため、上京して午後2時すぎに正門を入る。2時30分に、中等科1年生から高等科3年生までの父母を集めた全体会が始まる。
高等科3年生の長男は、今年、全寮制の男子部において、新入生である中等科1年生の室長を務める中のひとりとなった。その奮励ぶりが、中等科1年生の担任ナカガワリュウ先生から報告される。
夕刻より各学年に別れて、クラスごとの懇談に移る。今年の高等科3年生は幸いなことに人数も多く、まとまりもあるため、自治を重んじるこの学校において、いまのところは、良い学校運営、寮の運営が行われているという。
担任のスズキコウヘイ先生から
「きのう、ウワサワ君が、男子部の芝生を刈ってくれました。芝刈り機の入れない角のところはハサミで刈り、剥げているところには、密度の高い部分から芝を移植してくれました。注文以上の仕事です」
とのお言葉をいただく。
長男と同じ年のころ、僕は食料部前のタイサンボクを剪定して、ほとんど丸裸にしてしまったことがある。あれは、注文以上の仕事だったのか、どうなのか。
濃い木立に囲まれた自由学園に、やがて夜が訪れる。父母会は続いているが、7時30分に退席をする。
ひばりヶ丘、池袋、西日暮里、北千住と移動し、21:11発の、下り特急スペーシアに乗る。
11時ちかくに帰宅し、シャワーを浴びて、0時に就寝する。
薄暗い部屋で目を覚まし、一瞬、「いま自分はどこにいるのだろう?」 と考えた。自分は、甘木庵にいた。枕元の時計が、5時30分を指している。
6時30分に甘木庵を出て、岩崎の屋敷裏から湯島天神の近くへ抜ける。カラスが食い散らかした飲食店のゴミを踏まないようにして、上野広小路へ至る。地下鉄に乗って浅草へ着いてみれば、まだ7時5分前だった。
切符売り場に、シャッターが降りたままになっている。僕はここにシャッターが降りることを、初めて知った。7時に上がり始めたシャッターをくぐり、7:30発の下り特急スペーシアの特急券を買う。
と、こういうことを書いているから、また日記が長くなる。
きのうに引き続き、自分の話した内容を校正するという仕事を、車内にてする。東京の空は曇っていたが、日光へ近づくにつれて、強く朝の光が差してくる。沿線のツツジがその光を浴びて、次々と後ろへ飛び去っていく。
終業後、トム・クランシーの 「合衆国崩壊(1)」 をポケットに入れて、外へ出る。
同じ主人公を持った大河小説は、順を追って読んでいかないと、その後の作品に、理解できないところが出てくる。「合衆国崩壊」 にも同じことを感じたため、同じシリーズの前作 「日米開戦」 を本棚に改めると、これは1996年に読んで、しかしその内容は、すっかり忘れていることが分かった。
と、こういうことを書いているから、またまた日記が長くなる。
いまだ明るい中を自転車に乗って、日光街道を下る。自分が一番乗りだろうと考えつつ 「和光」 へ入ると、同級生のアキモト君が、椅子が7脚並んだカウンターの左端に座って、既に飲み始めている。僕はそのカウンターの、右端へ座る。
アキモト君はアキモト君で、勝手にしたいだろう。僕は僕で、本が読みたい。飲み屋には、いわゆる社交とは正反対の、自分勝手にしていられる心地よさがある。
あずけてある焼酎 「吉四六」 を、お湯割りにする。突き出しは、ミズナと油揚げの炒め煮だった。思わずおかみに 「大好物!」 と、伝える。岩ガキの後に、ツボダイの干物を注文する。焼き上がるまで少し待っていてくれと、タラノメのゴマ和えをもらってしまう。
グループ客から突然、今夜の予約が入る。忙しいことは良いことだ。
ツボダイの後は、ナスの生姜焼きで締めようと考える。しかしながらここで、ワラビとシドミのおひたしをもらってしまう。焼酎のお湯割りを、更に1杯飲む。
そのような折に、携帯電話が鳴る。春日町1丁目に住むシバザキトシカズさんからの電話は、「これから町内のめぼしい家を回って、夏の御神輿の担ぎ手を勧誘するから、つきあってくれ」 というものだった。
帰宅して自転車を置き、公民館へ行く。総勢5人、場所によっては6人にて、シバザキトシカズさんが作ったチラシを持って、高校生から30歳代くらいまでの男のいる家を、次々と訪問する。
それほど詳しくない家については、その近所の人に情報を得て、暗い路地の奥まで巡って歩く。どの家の反応も、お陰様にて悪いものではなかった。
洋食の 「金長」 がまだ開いていくことを確認して、慰労会のようなことをする。皆は生ビールを頼んだが、僕は予期しなかったこの夜の仕事中に寒さを覚えていたため、燗酒にする。
訪ねた家を紙に書き出すと、21軒にも上っていた。「やれば、やっただけのことはあるじゃん」 と、シバザキトシカズさんが言う。皆が首肯する。町内会の維持も、工夫なしには成就しない。
10時すぎに解散する。帰宅して入浴し、11時ころに就寝する。
きのうまでに、「川島雄三、サヨナラだけが人生だ」 の残りペイジが少なくなった。そのため寝る前には、次に読む本として
僕が読みにいくウェブ日記はみな、文章の短いものだ。少し長くても、改行がしっかり為されていれば、まだしも読める。内容の好き嫌いを言葉で表すのは難しいため、ここには書かない。画像は、無いよりはあった方が楽しい。
そう考えて自分の日記を振り返ると、ずいぶんと文章が長い。短くしようとしても、持ち前のくどい性格から、説明の細かくなる嫌いがある。僕がこれを他人の日記として読んだ場合、1日分を最後まで読み通すかどうかは疑問だ。
僕の記念すべき最初のウェブ日記 「夏の匂い」は、今の日記からすると、ずいぶんと短い。それでも、これを400字詰めの原稿用紙に書き写せば、1枚を超える。
今日からは、できるだけ短い日記になるよう、工夫をしてみたい。
その工夫の第1は、「何時に起きて、何時に寝たかの記述をやめることだ」 と考えるが、しかし日記において、起床と就寝の時間は、それぞれが便せんの1番上と1番下にひときわ太く引かれている線と同じく、おろそかにできない気がする。
文章のセンテンスを短くするとか、優先順位の低いことは書かないとか、そのようなところから、日記の短文化を進めようと思う。
笠啓一の 「歌がうまれる」 は、1編が600文字からなる随筆集で、この長さは本当に読みやすい。600文字以上は書けないエディタを準備して日記を書こうかとも考えるが、そこまで枷をはめる必要もないだろう。
と、今日の日記も、ここまでで既にして600文字を超えている。
朝飯は、鶏レヴァの薄味煮、キュウリのひしおマヨネーズ和え、納豆、ワカメとタマネギのカツオブシかけ、焼いたメンタイコ、ホウレンソウのおひたし、メシ、タマネギとミツバの味噌汁。
きのうから気管支が狭くなったような苦しさを感じているため、午後、関根耳鼻科へ行く。先生はどこかの学校の検診へ行ったらしく、診察室へ入るまでに1時間以上も待つ。以前、出してもらって効いた薬の袋を見せ、同じ処方箋を書いてくれるよう頼む。
燈刻、家内と次男が、タケノコの炊き物やサンショウの佃煮、サツマイモとタケノコの天ぷら、タケノコご飯などのタケノコづくしを食べている横で、カスピ海ヨーグルトと、アボカドとトマトのサラダを摂取する。
8時30分に入浴し、「川島雄三、サヨナラだけが人生だ」 を少し読んで、9時すぎに就寝する。
きのうの晩、「おとなしいアメリカ人」 を明朝に読み終えた際の準備として、枕頭に
目を覚ましてヴィデオデッキのデジタル時計に目を凝らすと、いまだ2時だった。枕頭の灯りを点けて、ベッドの下から 「おとなしいアメリカ人」 を拾い上げる。
ペイジの残りが少ないため、これを読み終えた後、階段室に新しい本を探しに行かなくてはならなくなるだろうと思ったが、数ペイジをこなしたのみにて眠気を覚え、二度寝に入る。
次に目を覚ましたのは、4時ころのことだろうか。僕はよほどの遅読なのだろう、5時まで 「おとなしいアメリカ人」 を読み続けて、いまだ数ペイジが残った。
5時に起床して事務室へ降りる。朝のよしなしごとをして、7時すぎに居間へ戻る。
床の間に五月人形が飾られたのは、4月何日のことだっただろうか。ウチには鯉のぼりがないため、その代わりの、柚木沙弥郎の鯉のぼりの染め絵が、柱にかけてある。
朝飯は、鶏レヴァの薄味煮、小判揚げ、キュウリのひしおマヨネーズ和え、ホウレンソウの油炒め、トマトのオリーヴオイルがけ、スグキ、納豆、メシ、ナスとミョウガの味噌汁。
11時に次男と、ホンダフィットで大谷川公園へ行く。今日、ここで開かれる 「ちびっこマスつり大会」 に対して若干の寄付をしたため、手元に10枚の景品引換券がある。これを握りしめて芝の上を歩き、会場へ近づくと、景品を求める長蛇の列がある。その最後尾に並ぶ。
次男が僕の同級生タカハシカズヒト君一家の露店にて、かき氷を購う。すぐに次男の舌が、メロンシロップにより真緑に変わる。行列が徐々に短くなる。やがて今市釣魚組合のオジサンたちから、ノートやお菓子やアイスクリームや牛乳をもらう。
大谷川のこちら側からあちら側まで、鯉のぼりが横断している。3日続いた好天も、そろそろ崩れつつあるような空模様だ。
朝、破竹の勢いで商品を売った時間もあったが、午後2時を過ぎて、客足は急にまばらになった。高速道路の渋滞がひどくなる前に帰宅しようとは、多くの観光客が考えることだろう。
夕刻が近くなって、昼過ぎからずっと、事務室や店舗のちかくで過ごしてきた次男が、買い物に行きたいやらなにやらと、むずかり始める。ふと、昼間、大谷川公園の芝の斜面を、段ボールに乗って滑っていた子供達を思い出す。
荷造り場にて、味噌箱のしきりに使う段ボールに、カッターで取っ手の穴を開ける。その穴の周囲をガムテイプで補強する。これを持って、次男と大谷川公園へ行く。子煩悩でない僕にも、これくらいのことなら易々とできる。
次男は急で長い芝の斜面で、ずいぶんと、このソリ遊びを楽しんだ。
晴れた空を泳いでいた鯉のぼりが、薄暗くなりかけた光の中を、徐々に回収されていく。
「こどもの日」 ということもあり、次男の希望を容れて、晩飯は、焼肉の 「大昌園」 へ行く。10種類の肉や野菜を注文し、テグタンラーメンにて締める。
8時に入浴する。大ビン1本のビールを飲み、9時に就寝する。
きのう日記を書いてから、表題にもした「福蘭の餃子」 を検索エンジンに入れて回すと、場所は変わっているが、同じ青山で店は存続しているらしい。
「だったら訪ねてみるか?」 と問われれば、それは難しい。僕のように普段、東京の東側で飲み食いをしている人間にとって、青山は何となく遠い。浅草から地下鉄に乗って、せいぜい新橋までが、僕の守備範囲だ。
虎ノ門まで行くと、どうも 「違うところへ来ちゃったな」 という気がするし、渋谷は既にして異界だ。更に下北沢などというと、ワケが分からなくなる。
朝飯は、ナメコのたまり漬、ウナギの山椒煮、ふきのたまり漬、スグキ、コンブとハスとゴボウの佃煮、ジャコ、焼いたメンタイコ、メシ、お茶漬けの薬味としての万能ネギとミョウガ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
空は晴れ上がって、日なたでは初夏というよりも夏の気温になる。次男に乞われて、松原公園へ行く。途中、イチモトケンイチ本酒会長の市本サイクルへ寄り、次男の自転車のサドル位置を上げる。イチモトケンイチ会長からは、「これ以上、身長が伸びたら、より大きな自転車にしなくてはいけない」 と言われる。
次男はイチモトケンイチ会長から、グリコと、そのオマケをもらった。
松原公園では最初、次男は自転車に乗った。そのあいだ僕は、木陰で 「おとなしいアメリカ人」 を数ペイジ読んだ。遊具で少し遊び、野球場へ移動して、芝生の上でキャッチボールを20球ほどこなす。
帰宅して、盛り蕎麦による昼食を食べる。
食後、朝日の朝刊をめくっていくと、旅行書の専門店 「のまど」 での週間ベストテンの中に、タイについての本が5冊も入っている。僕が東アジアや南アジアで汗にまみれていた1980年代のはじめ、同年輩が選ぶ旅行先のほとんどは、アメリカ西海岸だった。
僕の好みと社会の最大公約数の好みとが同調することは、昔も今も無い。幼稚園に通っているころから現在へ至るまで、常に僕は、自分が社会の周辺部にいるような気がしてならない。
午後、ウェブショップの更新履歴を最下行から調べていくと、今は使っていない注文ペイジにリンクの繋がってしまうところがある。受注のトラブルは、どのようなところから発生するか分からない。これらのリンクすべてを、現在の受注ペイジへ振り向ける。
ただし、より高い安全性を採るならば、使われて困るペイジは、サーヴァーから一掃すべきだろう。
昼飯が少量の盛り蕎麦だったため、夕刻にいたって空腹感が増す。5月の連休にはよくあることだが、有り難いことに客足が途切れず、定時よりも45分遅れてようやく閉店する。その間に空腹を忘れる。
本日は断酒を決めたため、晩飯の代わりにカスピ海ヨーグルトとハニーデューを摂取する。
8時前に入浴をする。パジャマを着てベッドの上で 「おとなしいアメリカ人」 を読むが、汗が引かない。パジャマを脱いで素っ裸になる。1枚のバスタオルをシーツへ敷いて横になり、もう1枚のバスタオルを体の上にかける。
1時間ほどして就寝する。
朝5時すぎに起床する。事務室へ降りてコンピュータを起動する。
メイラーを回してウェブショップの受注を確認する。ひとりの顧客から、「ウェブショップで、必要事項を入力しながらあるところまで進むと、そこから先のペイジが開かない。埒があかないのでテキストで注文する」 旨のメイルが届いている。
OSとブラウザ、そのブラウザのヴァージョン、それに加えて個々のブラウザの設定という四者の組み合わせによるものか、数百件に1件の割合で、ウェブショップに種々の不具合が発生する。その原因については、ウチのウェブショップの設計者も、突き止めることができないでいるのはもどかしい。
その顧客へ、「ご注文御礼」 という名の受注確認書に、不調についての少しの説明を貼付して、送付する。
居間の正面に見える 琴平山 から、早くもお祭りのお囃子が聞こえてくる。空は晴れ上がって、今にもヒバリが鳴き出しそうな風情がある。
朝飯は、ウナギの山椒煮、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、納豆、焼いた小判揚げと大根おろし、山椒の佃煮、キュウリとワカメの酢の物、メシ、ダイコンと万能ネギの味噌汁。
国道121号線には、ようやく5月の連休らしく、鬼怒川方面へ向かう渋滞の列ができた。
10時を過ぎて、次男と琴平山へ向かって歩き出す。自宅からわずか1キロメートルほどで、石の蔵と木の蔵の双方を門に使った、大きな農家に出くわす。ほんのわずかのところに異なる文化の存する土地が、僕は好きだ。
琴平山の細くて急な参道を上がる。5分ほどで達した頂上は、既にして、食べ物の売店、見物人、礼服を着た招待客、獅子舞の集団などで賑わっていた。
家を出るときには、「欲しいものがあっても我慢する」 と言っていた7歳の次男が、かき氷を所望する。獅子舞が奉納される間、次男は人混みを避けた木の切り株に座り、イチゴ味のかき氷を食べていた。
もう少しで景品の 「がら撒き」 があるというのに、次男は早くも山を降りたがる。別の参道を下り、柔らかな日の差す田園地帯を歩いて帰宅する。
昼食の後、今度は自転車を押した次男を連れて、ちかくの原町公園へ行く。次男はこの公園で知り合った、この公園だけでつきあう友達と自転車を乗り回す。僕は木陰のベンチに腰を下ろし、本を持ってこなかったことを後悔した。
次男と20球のキャッチボールをして、帰宅する。商家の子供は多く、休みの日には家族でどこかへ出かけるものだという文化を知らずに成長する。別段、それがとりたてて不幸ということも、ないだろう。
夕刻、店を閉めて居間へ戻ると、次男が餃子を作っている。それを見て、今夜の断酒の予定を反故にする。キャッチボールは10球で飽きてしまう次男が、遂に、18個の餃子を完成させる。
むかし、青山三丁目の交差点から北西へ向かった右側に、「福蘭」 という上出来の餃子屋があった。そんな餃子屋を作ってくれねぇかなと思って、「ねぇ、大きくなったら、餃子屋さんになってよ」 と言うと、次男は 「やだぁ」 と答える。
春雨サラダ、焼き餃子にて、焼酎 「黒七夕」 を飲む。
8時30分に入浴し、「おとなしいアメリカ人」 を読んで、9時30分に就寝する。
目が覚めると、部屋の中が黒でもなく濃紺でもなく、青く見えるほどに薄明るくなっている。グレアム・グリーンの 「コンゴ・ヴェトナム日記」 を読み終えた余勢を駆って、
推定で0時ころに目を覚ます。「コンゴ・ヴェトナム日記」 を数ペイジ読んで寝る。次は、推定で3時ころに目を覚ます。再び、「コンゴ・ヴェトナム日記」 を数ペイジ読んで寝る。5時に起床する。
事務室へ折り、ウェブショップの受注を確認する。きのうの日記を作成し、巡回している数ヶ所のpatioを読む。
県が設置した、「路面凍結・スリップ注意」 の立て看板が、5月に入ってなお、そのままになっている。この 「そのままになっている」 現状を言葉にすれば、それは 「放置されている」 と言っても間違いではないだろう。
ウチの敷地に沿って立てられたこの看板2枚を、勝手に撤去する。法を厳格に適用するならば、僕は何らかの横領を働いたことになるやも知れない。
朝飯は、ホウレンソウと海苔のおひたし、トマトのオリーヴオイル和え、納豆、ブロッコリーの油炒め、焼いたメンタイコ、ウナギの山椒煮、オニオンスライスとワカメのカツオブシかけ、メシ、ワタリガニの味噌汁。
店舗犬走りの屋根を支える柱の最下部に、銅板が巻いてある。この銅板が緑青を吹いているため、これをどうにかすることにする。試行錯誤の結果、酢をつけて、金だわしでこすることが、最も効果的なことが分かった。結果、錆びていた銅は、光が過ぎるほどに磨き上げられた。
今日も1日が終わる。夕焼けが、明日の好天を約している。
燈刻、冷や奴にて、焼酎 「黒七夕」 を飲む。ホタルイカの釜揚げを、酢醤油にて食べる。キャベツと豚肉の胡麻風味煮込みは、明日以降に美味さが増すような気もする。
8時すぎに入浴し、9時に就寝する。