朝3時に起床する。事務室へ降り、数通のeメイルと、自分の patio に4通の返信を書く。昨日の日記を作成し、現場へ行って準備の必要な諸々を調べる。
朝飯は、ポテトサラダ、炒りカキのウースターソース味、目玉焼き、豚肉のそぼろ煮、メシ、豆腐とミズナの味噌汁。
「優れた飲み屋はポテトサラダが美味い」 と、誰かが言っていた。ウチの今回のポテトサラダも、とても美味い。ポテトサラダにトンカツソースをかけて飯のおかずにすると美味そうだが、そういうことは、僕はしない。
本酒会 のイチモトケンイチ会長が、先日、甘木庵に泊めてくれたお礼だと、浅草の松屋デパートで購入した、柿安の牛肉の佃煮を持参してくれる。気遣いは無用にして欲しいと伝える。
夏の東京ツアーでは、どの店へ行こうかと考える。
手のかからない遊びについての予定は、早くから立てることができる。手のかかる仕事についての予定は、それを実行する困難を先ず考えてしまうために、決めることが億劫でつい逃げ腰になる。
こういうときに便利な性格は3通りある。蛮勇をふるうことが好きな性格、謎解きやゲイムの好きな性格、それに、物事すべてを脳天気に考える性格だ。
残念ながら僕は、上記のいずれにも当てはまらない。
昼前に、「日本容器包装リサイクル協会」 へ提出する 「平成14年度 再商品化委託申込用紙」 を、日光地区商工会議所へ持参する。
同級生のホシノタカシ君が、コンピュータのディスプレイを見ながら会員の相談を受けている。同級生のアキモッチャンも、前夜、飲み過ぎた証拠の腫れた目をして、書類を作成している。少なくとも仕事中においては、ふたりともしごく真面目に見える。
終業後に 「大昌園」 へ行き、モヤシのナムルにて田苑のオンザロックスを飲む。
オバサンが 「狂牛病の次は雪印だろ、もうたまんないよー」 と、大いに愚痴る。今夜の客は、僕だけかも知れない。
適宜、肉を食い、テグタンラーメンにて締める。
帰宅し、9時に就寝する。
4時に起床する。ウェブショップ からの受注をこなし、会社の patio にアップする。数通のeメイルを書き、昨日の日記を作成する。
朝飯は、豚肉のそぼろ煮、コールスロー、炒りカキのウースターソース味、温泉玉子、メシ、タシロケン坊んちのお徳用湯波とミズナの味噌汁。
生ガキをフライパンで炒ってウースターソースを絡めた総菜が、とても美味い。これのみにて食事を終わることもできるが、他にもおかずがあるため、諸方に箸を伸ばす。
"Gregory" のウェイストポーチに "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" と制約理論の本を入れ、10時すぎのJRにて宇都宮へ出る。
見知った弁当屋にて、富貴堂の茶飯弁当を600円で購入する。僕は宇都宮駅で、これ以外の弁当を買ったことがない。
僕は素朴な弁当を好む。これまでで最も嬉しかった弁当は、阿里山森林鉄道の霧深い小さな駅にて手に入れたものだ。メシの上に火腿と青菜炒め、それに目玉焼きが載っていた。赤青黄色のおかずからメシに油が浸みて、それは美味かった。
「志る幸」 の利休弁当も大好きだが、こちらも豪華とは言い難い色彩の中に、滋味がたくさん詰まっている。
大船行きの上り列車に乗って、茶飯弁当 を食べる。昨年よりも、おかずの数が増えているように思われる。錯覚だろうか。
自治医大病院にて所用を済ませると、既にして外は暗くなっていた。
駅前、あるいは駅周辺半径500メートル以内で最も栄えている飲み屋 「笑顔亭」 にて、ツブ貝のワサビ醤油漬け、串焼き などを肴に燗酒を飲む。締めに 盛り蕎麦 を頼む。
帰りの車内にて、枕のように厚い制約理論の本を読み終える。
9時40分に帰宅する。オールドパーを生で1杯飲み、11時に就寝する。
朝5時30分に起床する。朝の仕事をさらりと片づける。
初春の懸賞企画 は、順調にその応募者数を伸ばしている。奇しくものこの時期に "清閑PERSONAL" のカウンタが25,000を超え、25,001を押し当てた人からeメイルによる連絡が入る。早速に、賞品のワインを送る手はずを整える。
朝飯は、キュウリの塩もみ、温泉玉子、タシロケン坊んちのお徳用湯波とミズナの炊きもの、納豆、ソーセージ炒め、メシ、豆腐と長ネギの味噌汁。
「日本容器包装リサイクル協会」 へ提出する数字を、マイツール のマクロを回して算出する。マクロとは便利なものだが、これに慣れて気を抜いた仕事をしていると、とんだ勘違いから大きな落とし穴へはまりこむこともある。
昨日、JR宇都宮線の車内にて受け取った電話についての答えを、高島屋東京店のオカダシゲキさんへ向けて送信する。売り場づくりの参考にする資料写真については、ファイルをひとつ作って集め、オカダさんにはそのURLを指定する。
デイタベイスをサーヴァーに置き、ウェブペイジからそれを適時適宜に引き出すという方法が、今後は更に多く用いられていくものと僕は考える。
晩飯は、名前を知らないカニの脚、タシロケン坊んちのお徳用湯波とミズナの炊きもの、3種のサラダ。
カキフライを塩とレモンで食べながら、"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1998" を飲む。
オールドパーを生で1杯飲み、10時30分に就寝する。
甘木庵にて朝5時に起床する。熱い中国茶を飲みながら、アナログポートによる通信を始める。ウェブショップ からの受注をこなし、数通のeメイルを書き、昨日の日記を書く。
本酒会 で甘木庵に泊まるときには、大抵イチモトケンイチ会長が朝風呂に入り、そのついでに風呂掃除も済ませる。ところが今朝は、イチモト会長は風呂に入らないと言う。
しかたなしに僕が風呂の掃除をしていると、居間で鳴ったらしい携帯電話を誰かが運んでくる。僕が今朝、会社の patio に転載した顧客への請求金額が、本来の10倍に書かれているという、高橋savon君からの連絡だった。
早朝から営業している根津の蕎麦屋 「鷹匠」 は、月曜日が定休だ。残念だが仕方がない。10時ちかくになってから本郷三丁目のスターバックスコーヒーへ行き、4人で朝飯を食べる。
丸の内線にて池袋まで移動をする。本酒会の3人とは、そこで別れた。恵比寿で簡単な用事を済ませ、ウェスティンホテルの籐いすで、自分の patio に6通の返信を書く。
新宿から池袋へと移動をする。午後3時にミカド劇場ちかくの 「ミンミン」 にて細切り肉玉子炒め定食を食べていると、ミスターカトーノ から着信がある。
「ウワサワさん、昨日の文字 は長楽無極ですよ」
「チョウラクムキョク?」
「えぇ、楽しみは長く終わることはない、という」
「その四文字の組み合わせを、カトーノさんは前から知ってたんですか?」
「正月の中華街を歩けば、あちらこちらで見かけますから」
「へぇ・・・」
自らの浅学に深く恥じ入るばかりだが、それではどうして紅虎の中国人たちは、揃いも揃ってこの文字を読むことができなかったのだろう? いくらここ数十年で中国の漢字が簡略化されているとはいえ、それは理由にならないと、僕は思う。
普段とは異なり、池袋から宇都宮を経由して、夜9時前に帰宅する。
目を覚まし、居間へ行く。時計はいまだ2時になりかかるところだった。4時間も眠ってはいない。構わず服を着て事務室へ降りる。
ウェブショップ の注文をこなし、eメイルの送受信をする。自分が運営するpatioに8通の返信を書く。
3時にシャッターを開けて、外の様子をうかがう。積雪は4.5Cmにて止まったようだ。みぞれが降っている。
昨日の日記を更新しても、いまだ朝飯までには数時間の余裕がある。大音響にて、大野雄二のビッグバンドを聴く。
6時に外へ出る。みぞれは雨に変わっていた。開店前に、すべての雪が解けてしまうことを願う。
朝飯は、トマトとモツァレラチーズのオムレツ、ほうれん草のオリーヴオイル炒め、メシ、豆腐と長ネギの味噌汁。前の晩の残り物をオムレツの具にして食べることが、僕はしばしばある。残り物によるオムレツは、だいたいにおいて美味くなることに決まっている。
開店から45分ほどもかけて、出社したほとんどの社員と一緒に雪かきをする。果たしてこんな日にお客様がいらしてくださるのかと心配をしたが、10時を回ると徐々に客足も伸び、胸をなで下ろす。
いまだ氷雨の残る中で、栃木県都市対抗駅伝競走大会が開かれる、聞くところによれば昨年の1月第4日曜日には今日よりも多くの雪が降り、駅伝は中止されたそうだ。
栃木県庁前を午前9時にスタートした駅伝は、我が町の旧市街を抜ける第6区が、折り返し前の最後の区間になる。白い息を吐きながら日光への上り勾配を行く走者に、街の住民や観光客から惜しみない拍手と喝采が送られる。
3時45分に下今市駅へ行く。3人の本酒会員と、16:03発の上り特急スペーシアに乗る。大きなまんじゅうを肴に、ウィスキーの水割りを飲む者がいる。信じがたい嗜好だ。
本酒会 では毎年1月に2泊の親睦旅行を行っているが、今年はイチモト会長の転居がこの月に重なるため、遠くへの旅行をごく短い東京ツアーに代えたいきさつがある。
銀座へは、夕刻の6時15分に着いた。近藤書店の脇から西五番街を南西に下る。赤い提灯が目印の古いビルに入り、古いエレヴェイターにて3階へ上がる。
「三平酒寮 舟甚」 の、三畳弱の小上がりに座を占める。
僕の1杯目は、「黒龍 純米吟醸」 \600。2杯目は 「獺祭 にごり酒」 \600、3杯目は焼酎の 「それから」 \450。
この店の安さ、ちょっとした肴の美味さ、気楽さは 特筆に値する。ワサビを粉から生に変え、トイレをリフォームして相田みつをの日めくりカレンダーを外せば、ほかに言うことのない店になるだろう。
二次会として、三越ちかくの 「紅虎餃子房 銀座店」 へ行く。味では同じKIWAグループの小規模な店に及ばないが、なによりもここのウリは、"007" に出てくる敵の秘密基地のような、その空間にある。
鉄鍋餃子、春雨サラダ、肉付きの北京ダック にて、「女児紅」 のオンザロックスを飲む。
コバヤシハルオ会員が中国人の店員を呼び止め、壁に書かれた文字 の3番目の読み方を訊ねる。店員はそれが読めず、他の仲間に確認をする。大勢いるうちの、誰もそれを読むことができない。
そのうちに多くの店員たちが、その壁に近づいては文字のメモを始めた。問題の解決を人任せにせず、自分でも考えてみようという姿勢に、僕は大いに感心をした。
10時すぎに会計をする。他にもあれこれとのみ食いをしてひとり3,000円とは、驚異のコストパフォーマンスだ。
11時に甘木庵へ帰着する。今朝2時起床の僕は眠くてたまらず、真っ先にシャワーを浴びて0時前に就寝する。
首尾よく3時前に目が覚める。ウェブショップ からの受注をこなし、数通のeメイルを書く。日記を更新する。
朝飯は、ベイコンエッグ、納豆、メシ、チンゲンサイと厚揚げ豆腐と長ネギの味噌汁。
本酒会 の、手書きによる間違いだらけの金銭出納帳と、コンピュータのマクロによって訂正されたアウトプットを持って、いまだ仕込みも始まる前の 「やぶ定」 に、会計係のワガツマカズヨシ会員を訪ねる。
「ワガツマさん、お店の帳面は大丈夫なんですか?」
「あぁ、それは計理士がいるから大丈夫だ」
小さな計算ミスと大きな勘違いが訂正された決算書は、これからオオハシカズヒコ会計監査の手に渡り、めくら判が押されることになる。
夕刻、所用にて出かけた宇都宮からJR今市駅へ着き、プラットフォームの階段を上がっていくと、栃木県で最も偏差値の高い高等学校の制服を着た青年が話しかけてくる。
「こんにちは、ご無沙汰しています」
「あ、こんにちは」
「僕のこと、わかりますか?」
「いや、誰だったっけ?」
「ワタナベです。双子の」
ワタナベナオアキ、ノリアキ兄弟は、今市小学校野球部で投手と捕手をかわるがわる務める、優秀な兄弟だった。父親でさえふたりの見分けがつかないほどの相似形で、みなからはそれぞれの名前の頭を取って 「ナーノー」 と、ワンセットで呼ばれていた。
「ナーノー」 は、背番号さえなければ、いつ投手と捕手が交代をしても敵に見破られないという、まるで水島新司のマンガに出てきそうなバッテリーだった。
ローファーのかかとをつぶし、腰まで下げたズボンをはいてだらしなく歩くおおかたの高校生に混じって、「ナーノー」 のひとりは、まるで掃きだめに舞い降りた鶴のようだった。
「いま何年生?」
「2年です」
「そろそろ大変だね、受験」
「そうですね。それじゃ、失礼します」
僕は何年も前の、陽炎の立つ夏の野球場を思い出した。
晩飯は、トマトとモツァレラチーズのサラダ、カニとレタスとキュウリのサラダ、エビとマッシュルームのグラタン、ナンとキーマカレー。
これにて、"Beaujolais Nouveau 2001 Jean Saint Honore" を飲む。
9時をすぎて窓を開けると、雪が降り始めている。あまり多く積もらないことを願う。
10時に就寝する。
5時に起床する。最近、起きる時間が遅れ気味だ。
本酒会 の会計をつとめるワガツマカズヨシ会員による、昨年度の金銭出納帳を マイツール に入れ、マクロを回す。小さな計算ミスと大きな勘違いにより、実際の次期繰越金が12,100円も不足している。
毎年のことだが、ワガツマカズヨシ会員が経営をする蕎麦屋 「やぶ定」 の帳面は大丈夫なのかと、心配になる。
本酒会の会計監査はオオハシカズヒコ会員だが、花粉症のため1年中詰まっている鼻から妙な声でヨタ話を放つのみで、実際はなにもしない。本酒会の本当の会計監査は、コンピュータがつとめている。
朝飯は、玉子と長ネギの雑炊、ダイコンのビール漬け、揚げ湯波とホウレンソウの炊きもの、イワシの味噌煮。
きのう自由学園の寮で暮らす遊亀@長男から、珍しく電話があった。「今週の土曜日に学校で餅つきをするので、たまり漬を送って欲しい」 というのが、会話の内容だった。
短い手紙をつけ、諸々を明日の午前中必着にて送付する。
僕が自由学園へ通っているときにも、1月には餅つきがあった。学部何年の餅つきの朝のことか、僕が持参をしたタコブツを食べながら、みなで飲酒を為したことを思い出す。
同級生のクロダヒロユキ君がひどく酔い、しかし 「オレは酔っていない」 と威張った。そこでやはり同級生のアリカワケンタロウ君が 「だったらこの問題を解いてみろ」 と、黒板に数式を書いた。
クロダヒロユキ君はしばらく考えたが、考えたことによってよけいに酔いが回ったのか、教室の床にゲロを吐いたあげく、寮へ帰ってしまった。
いま、日本で1番かっこいい女は akiko だ。そして、いま1番かっこいいCDは
4時に起床する。朝の仕事をこなし、諸方にeメイルを書く。昨日の日記を作成し、事務室のシャッターを開けて東の空を眺める。
朝飯は、チンゲンサイとシイタケと厚揚げの炊きもの、大根とツナのサラダ、納豆、イワシの味噌煮、メシ、お麩とホウレンソウと長ネギの味噌汁。
今日から、ウェブショップ で春の懸賞企画を始める。それにともない、2月下旬に行われる 高島屋東京店におけるイヴェント の情報も、トップに掲載する。
夕刻6時30分ころに、オールドパーを生で1杯、飲む。仕事を残したまま飲酒を為す人間を、世間ではアル中と呼ぶ。
ちょうどスパゲティが茹で上がるというときに、携帯電話が鳴る。外注SEのカトーノさんが、会社の前まで達しているという連絡だった。カトーノさんを事務室へ請じ入れ、2台のコンピュータに電源を入れる。
ふたたび自室へ戻り、湯気を上げている タマネギ、ベイコン、ツナペイスト、トマト、モツァレラチーズのスパゲティを食べる。カトーノさんは夕食を不要と言ったが、自分だけでこの濃厚なソースを味わうことに罪悪感を覚える。カトーノさんの分も事務室へ運ぶ。
スパゲティを口へ運びながら、"Beaujolais Nouveau 2001 Jean Saint Honore" を大急ぎでグラスに3杯ほども飲む。
ようやく事務室へ降り、懸賞企画を35の懸賞ペイジに掲載する作業を始める。
カトーノさんが僕の背後から声をかける。
「ウワサワさん、その白いセルに必要事項を入れるだけでいいんです」
「あ、はい」
「ウワサワさん、メガネをかけないと、文字が見えないんじゃないんですか?」
「あ、いえ、寝てるんです」
というわけで、残り3分の2ほどの作業は、すべてカトーノさんが代行をする。
20年ほど前に、我が町の大沢地区にある精神科の病院で、アル中の定義というものを聞いたことがある。
「酒を飲むことによって人に迷惑をかける人がアル中。いくら飲んでも人に迷惑をかけなければ、それはアル中とは呼ばない」
というのが、自身も酒を好む院長の意見だった。
ウイスキーとワインを食らって、懸賞企画の登録作業に支障を来し、カトーノさんに残りの仕事を肩代わりしてもらっている僕は、やはりアル中なのだろうか? しかしカトーノさんがそれを迷惑と感じなければ、僕はアル中ではないことになる。
僕に話をしてくれた精神科の医者の意見が本当だとすれば、アル中の定義は 「発酵と腐敗の定義」 と同じく、しごく曖昧だ。
コンピュータを前にした作業は、9時すぎに終了した。急に目が冴えてくる。銀座5丁目の 「三平酒寮 舟甚」 に電話をし、日曜日に行われる 「本酒会・東京ツアー」 のために、座敷の予約をする。
こういう段取りだけは、僕はしっかりと行う。段取りの不備は時間と経費の無駄を招き、人間を快楽から遠ざける。
自室へ戻り、更に1杯のオールドパーを生で飲む。10時30分に就寝する。
起床して時計を見ると、既にして5時になっている。僕にとって、起き出す時間は3時がちょうどよく、4時では少し遅く、5時だと仕事に遅刻をした気分になる。
朝飯は、イワシの味噌煮、ケチャップのスパゲティとグリーンアスパラガスのオリーヴオイル焼き、納豆、大根おろし、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。
我が町の旧市街には、東武日光線の下今市駅とJR日光線の今市駅という、ふたつの駅がある。東武日光線は1年に数十回も使うが、JR日光線は数年に1度ほどしか乗ることはない。
所用にて、JR今市駅13:32発の宇都宮行きに乗る。1番前の車両から、運転席を通して前方の景色を眺める。右に牧場が見え、左に竹林が現れる。線路は長い直線を進むことが多いけれど、ときおりは丘を迂回して大きくS字を描くこともある。
鹿沼から乗ってきた女子高生が 僕のスウェットシャツ を見て、「たまり漬だぁ」 と笑う。スウェットを脱いでも良いのだが、その下のシャツ にもウチのロゴがある。身分を隠すことはできない。
そのシャツを脱げば、さすがにどこの誰とも分からなくなる。そのかわり上半身が裸になるため、駅員に捕まる恐れもある。
全部で550ペイジほどもある制約理論の本を、半分以上のところまで読み進む。
夕刻6時すぎに帰宅する。
晩飯は、ウズラ豆、トマトサラダ、大根とツナのサラダ、タシロケン坊の家の揚げ湯波、チンゲンサイとシイタケと厚揚げの炊きもの、ギンムツの粕漬け。これにて紅乙女のオンザロックスを2杯飲む。
9時に就寝する。
家から南西の方角にある山が、霧の上に頭を出して、朝日を浴びている。写真でしか見たことのない、モーレア島の山を思い出す。
僕が見てみたいものの筆頭は、ボラボラ島の山と、小笠原の海から突き立っている 「そう婦岩」 だ。高等学校のころ、初めて 「そう婦岩」 の写真を目にした僕の頭には、なぜか John-Coltrane の "Infinity" が鳴り響いた。
朝飯は、ダイコンのビール漬け、生のトマト、イワシの味噌煮、納豆、大根おろし、メシ、ハクサイの味噌汁。
1日に3食ともこういう飯を食べていれば、長生きをしそうな気もするが、世の中はそう単純なものでもない。
日中、何度も携帯電話に、高島屋東京店のオカダシゲキさんから電話が入る。1ヶ月後に控えたイヴェントにて雇用する学生アルバイトの件だった。
携帯電話を持って仕事をするということは、インカムをつけて仕事をしていることと同じだ。まるで、流行のレストランの店員になって、忙しく立ち働いている気分になる。
オカダシゲキさんには 「細かい打ち合わせについては、再度、そちらへうかがってもかまいませんよ」 と、お伝えをする。
7時30分から、「やぶ定」 の座敷を会場とする 本酒会 へ行く。
奇しくも今朝、秋田県能代市の 「天洋酒店」 から届いたばかりの 「喜久水酒造・一時」を、コバヤシハルオ会員が慎重に抜栓する。
「一時」 は、いわば発酵途中のモロミをそのまま汲み上げたお酒で、杜氏の反対をむりに説き伏せての商品化だったという。
「一時」 は、能代市にある酒屋のオヤジのアイディアが生んだ、優れた日本の食前酒だ。天洋酒店からはロットをかえながら、春までに合計3本の 「一時」 が届けられることになっている。
9本のお酒を飲み終え、蕎麦を食べるオヤヂたちをしりめに、「蕎麦屋のラーメン」 を食べる。「やぶ定」 のラーメンは、なかなかに捨てがたい。
カトーノマコト会員の Libretto から、自作の "Day dream believer" を、携帯電話の着信音としてもらう。
9時すぎに帰宅し、10時に就寝する。
おととい 「ポポラマーマ」 で、同級生のハセガワヒデオ君が 「マイルスの自叙伝ってのがさぁ、バツグンに面白いんだよ」 と言っていたが、今朝は親切にも、出版社の住所や電話番号を、eメイルで知らせてきてくれた。
"amazon" にて、教わったJICC出版局の 「マイルス・デイビス自叙伝」 を検索すると品切れのサインが出たが、幸いにも宝島社から全2巻で文庫化されていた。
これとともに、昭文社の 「シティマップル 全東京10,000道路地図」 を注文する。1998年に1度購入し、その後に紛失していたものだ。この地図には様々な工夫が凝らされているが、繁華街の立体CGは、特に優れている。
朝飯は、ダイコンのビール漬け、ホウレンソウの油炒め、ししゃも、温泉玉子、納豆、メシ、シイタケと豆腐と長ネギの味噌汁。
ホウレンソウの油炒めには、醤油と 鎮江香醋 を振りかける。この鎮江香醋は、横浜の 「萬順行」 にて購入をしたものだ。
醸造という行為は、原材料からは想像もできない味と芳香を作り出す。この鎮江香醋も、酢でありながら干したブドウの香りを強く発している。
終業後5時40分から、「市之蔵」 にて日光MGの打ち上げを行う。ひとりひとことずつ、感想と今後の目標について述べあう。
MGの5期が終了すると、自己資本の高い順に3名が表彰を受ける。決算速度については、これがいくら優れていても、口で褒められるだけで表彰状はもらえない。
というわけで、第5期の決算第1位のトチギチカさんには、市之蔵の座敷にて 特別表彰をし、賞品の西酒造 「ちびちび」 を渡す。
中村理科 のナカヤJOKERカツヒコさんが 「5.5期」 と名付けたMGの打ち上げは、8時前に終了した。
帰宅して入浴し、9時に就寝する。
朝7時に甘木庵を出る。いまの季節は、蔵前の方角から朝日の昇ることを知る。
今朝はあまり、カラスの姿を見かけない。湯島の混沌のゴミバケツも、それほどには荒らされていない。13分ほども歩いて、地下鉄銀座線の上野広小路駅へ達する。
浅草駅8:00発の下り特急スペーシアに乗り、晴れた隅田川を渡る。
うつらうつらと眠りながら、制約理論の本を読む。難しいものではないが、さすがに居眠りをしながらでは理解の難しいところにさしかかる。
10時前に会社へ戻る。
僕が東京で2泊を過ごしているあいだに、寒中見舞いの大きな注文が入っている。ウチでは商品の作り置きはしない。食べごろを精密に見計らって顧客の手にお渡しをする。現場へ行ってこの大口注文について訊ねると、明日に箱詰めの予定との返事が戻る。
今週の、前年同週比の成績が馬鹿に良すぎる。社員にその疑問をただすと、昨年のこの時期には降雪があったと答える。日記を1年前までさかのぼると、果たしてその時期には、日本のあちらこちらで雪による混乱があったことを記してある。
今年の成績が良いのではなく、昨年の成績が悪すぎたということだ。
夕刻、ガラス製のぐい飲みに 即席のドライマーティニを作って飲む。その後に タラ鍋を食べる。
タラの送付を頼んでいる北陸の魚屋には、以前から内臓を多く入れるよう頼んできた。ここしばらくはその希望もかなえられてきたが、今日のタラに内臓は無かった。頭とヒレちかくの、ベロベロの部分のみを選んで食べる。
キリン一番搾りを135cc飲み、10時に就寝する。
朝3時30分に起床する。お定まりの 「朝飯前の仕事」 をこなす。
朝飯は、ナメコのたまり漬、目玉焼き、納豆、サケの昆布巻き、メシ、豆腐と湯波とワカメと長ネギの味噌汁。
9時前に、クルマで1時間離れた県央の自治医大病院へ向けて出発をする。所用を済ませ、午後、自治医大駅からJR線にて赤羽駅へ至る。ちょっとした小旅行の気分だ。
夕刻の赤羽駅頭へ立って第一にすべきは、隣の東十条駅まで速やかに移動をすることだろう。
東十条駅の東口からS時型の坂を下り、「埼玉屋」 の引き戸を開けると、狭い店内は汗牛充棟の濃い空気に満たされていた。歩いて30秒の 「新潟屋」 へ入ると、こちらも混雑はしているが、店が広い分だけ、カウンターにほんの少しの空席が見える。
そのうちのひとつに腰をおろし、極上のレヴァ刺を注文する。飲み物には、メニュにない焼酎のオンザロックスを頼む。飲み物の、デフォールト以外の注文に対応する親切さにおいては、埼玉屋よりも新潟屋の方が優れている。
冷やしトマトと、子袋とチレの塩焼き が運ばれる。
僕の左隣に、チェックのネルシャツの上に青緑色のダウンベスト、その上にこれまたチェックのジャケットを着たオヤジが座る。オヤジは、シャツともジャケットとも異なるチェックのズボンをはいている。
新しい客が来るたびに、カウンターにへばりついている男たちは、いじらしくもテキパキと席を譲り合う。客のヒジとヒジはぶつかり合い、とでもではないが、自治医大駅前の本屋にて購った制約理論についての本を読む環境ではない。
モツ煮を食べ終え、2杯目の焼酎を干しところで切り上げる。勘定は2100円だった。
京浜東北線にて神田へ出る。西口の賑やかな通りを歩きながら、「違法エステを追放しよう」 という横断幕を何度もくぐる。
この商店街の人たちは、スケベなエステの違法性に正義感を以て反対をしているわけではない。外国人経営者のアナーキズムを嫌い、またこの手の店に頻発する強盗や放火を恐れているだけだ。
違法が悪ければ、神田に何軒か存在するソープランドをも、追放しなくてはいけない理屈になる。
西口商店街を抜けたところでタクシーを止め、専大前の交差点で降りる。矢野ビル4階にて、自由学園卒業生のメイリングリスト "PDN"(Primary Dougakunotomo Network)の運営者会議に出席をする。
同じ場所にある "Computer Lib" の床からモデュラーケイブルを拾い上げ、eメイルの送受信をする。僕は "Computer Lib" の会員だが、特典には 「神保町オフィスのモデュラー使い放題」 という一項も、含まれていたように思う。
9時30分に甘木庵へ帰着する。諸方にeメイルを書き、今日の日記を仕上げる。0時に就寝する。
目覚めて暗闇の中、ベッドサイドの時計を見ると、5:30という緑色の数字が光っている。そのまま起きだし、コンピュータのスイッチを入れる。洗顔してポットのお湯を沸かす。
顧客も含めて数通のeメイルを送り、昨日の日記を作成する。8時に屋上の露天風呂へ行き、8時30分に1階のレストランへ降りる。
朝飯は、野菜サラダ、ベイコン、スクランブルドエッグ、ズッキーニのグラタン、ジャコと大根おろし、メシ、ナメコとワカメとミツバの味噌汁。
9時から、日光MGの第2日目が始まる。MGはひとつの市場が5、6人の卓で構成される。市場では、第1期から5期までのあいだ、売上の高い順に席の入れ替えがある。
先日、成人式を迎えたばかりの社員がやる気を見せるB卓にて、僕の第4期が始まる。
この期中に僕は、当座必要のない原材料を大量に購入する という、誤った意志決定をしてしまった。そしてこのたった1回の悪手は、粗利総額の目標未達成と資金ショートを発生させた。
4期末に必要なキャッシュを確保するために、僕は資本金と同額の短期借り入れを起こした。今の日本に多く存在する債務超過の会社が、ここにもひとつ出現をする。
決算の後、酸欠の脳へ外気を送り込むため、今朝の雪が残る雑木林を散策する。
日光MGも第5期を迎え、いよいよ佳境に入る。
4期において最も売上金額の高かった6人が集まるA卓に移動をする。自己資本においてはいまだ破綻をしていないが、資金の枯渇した僕の会社に対して、120円の特別融資が与えられる。
A卓は競争の激しい市場だが、資金や商品の回転もまたとても速い。僕はここで必死の追撃を試みた。わずかな経常利益を確保したが、期中に引き当てた特別損失によって、税引き前当期利益は結局、マイナスに終わった。
自己資本第1位の 「最優秀経営者賞」 は、春日部市から参加のイトウタカシさんの頭上に輝いた。
次点の 「優秀経営者賞」 は、anne@家内が獲得をした。第3位の表彰状は、静かなゲイム運びながら堅実に利益を確保し続けた 静岡のクボタショウケイさん に手渡された。
やがて雪空は晴れた。第3回目の日光MGは、無事に終了した。外部からの出席者、参加した社員へ、感謝を込めた短いスピーチを送る。
凍り始めた山道を、日光市街へ向かって慎重に下る。西順一郎先生や鳥取県から見えたオカノトミちゃんたち計6名で、軽い夕食をとる。東武日光駅まで、一行をお送りする。
8時すぎに、MG仲間のYOちゃんがジャカルタから電話をしてくる。「日光MGはどうだったか?、無事に済んだか?」 という内容のものだった。その気配り心配りに驚倒する。
彼が準備を整えつつある今秋のバリMGにはぜひ出席をしたく考えているが、どうなるだろうか。
オールドパーを生で2杯飲み、10時30分に就寝する。
メルモンテ日光霧降 にて、朝3時30分に起床する。ウェブショップ からの受注をこなす。明日の商品到着を指定している顧客へは、納期が遅れる旨の詫び状を送る。
7時ごろ、雪の少ない霧降スキー場を間近にして 露天風呂に入る。今朝もまた、気温はそれほどにも低くはない。
ヴァイキング形式の朝飯は、野菜サラダ、ベイコン、スクランブルドエッグ、セロリのコンソメ煮、塩鮭、ほうれん草のおひたし、メシ、ワカメとミツバの味噌汁。
後輩のサカモトイクロウ君は、「サトイモのためなら原理主義者になっても良い」 と言った。僕は、お米のためならファシストになることも厭わない。
9時30分から、第3回目の 「日光MG」 が始まる。今回は外部からのお客様も含めて、27名の参加を得た。
霧の降る雑木林に向かい 西順一郎先生は通信に余念がない。今回のルール説明は先生からの指名を受け、大阪から今朝着いたばかりの 浪花ろばた八角 社長、ヨシダゲンちゃんが勤める。
目に見えるMGは、経理計数経営の研修だ。しかしMGの神髄は、人間を向上させるところにある。社内の部署を横断し、遠方から参加されたマレビトたちとの接触を通して、みなが進化をしていく。
いま日本にMGをする人が何千人いるか知らないが、僕は四天王ではなく 「四弱」 と呼ばれている。
第2期には経常利益▲82円、累積利益▲99円と、成績はいつもの下降線をたどったが、第3期に 販売能力に特化した会社を作り上げ、期末には累積損を一掃して、創業時よりも自己資本を増やすことができた。
夕食をとり、第4期の経営計画を作成したところで、今日の机の上の勉強を終了する。
MGでは、紙にペンを走らせる以外の時間にも、参加者同士がオンやオフで長く接触を保つ。そしてこのときに得るものは、とても多い。
交流会は、8時から0時すぎまで続いた。
屋上の露天風呂へ行き、午前1時ごろに就寝する。
朝4時ごろに目を覚ます。このところ、目覚めて後に即起床をするという習慣が、維持されなくなっている。4時30分に服を着て事務室へ降りる。朝の仕事をこなす。
朝飯は、スペイン風目玉焼き、グリーンアスパラガスのオリーヴオイル炒め、メシ、野菜スープ。
7時30分に 水神祭の準備を整える。9時に瀧尾神社へ宮司を迎えに行き、9時30分から 水神祭がとりおこなわれる。
我が町は日光を扇の要にした扇状地にあるが、日光連山の豊富な伏流水のためか、醸造をなりわいとする家が少なくない。
ウチ以外の酒屋や味噌屋にも水神を祭っているところはあるだろうが、宮司の話によれば、わざわざ水神祭を持つ家は、いまや旧市街ではウチ一軒になってしまったそうだ。
夕刻、西順一郎先生以下、遠方より日光MGへ参加してくださる方々を、下今市駅のプラットフォームに出迎える。前泊をする社員たちは別途、バスにて会場へ向かう。
僕たち一行は少し遠回りをして東照宮の山内を一周し、6時30分に霧降スキー場直下の メルモンテ日光霧降 へ入った。社員たちは既に、荷物整理を済ませていた。
みなで夕食をとる。広い窓ガラスの外には、暗い広葉樹の疎林ごしに、日光の街の灯りが見える。
氷点下ではあろうけれど、それほど厳しくは感じない外気の中で、露天風呂に入る。明日の天気は雨か雪の予報が出ているらしい。空に星は見えない。
浴衣姿にて、準備されたメゾネットへおもむく。先生や、大阪からいらっしゃったキシダタカアキさん、静岡からいらっしゃったクボタショウケイさん、社員たちと、交流のひとときを持つ。
ここにいるみなにとって、これからの2日間が有意義なものであるよう、主催者として、等しく学ぶ者として、願わずにはいられない。
11時30分に就寝する。
1月から春眠でもないだろうけれど、5時30分とは、僕にとっていかにも遅い起床だ。事務室へ降り、朝の仕事をこなす。
朝飯は、湯葉と玉子とミツバの雑炊、なめこのたまり漬、ダイコンのビール漬、サケの昆布巻き。
昼ごろ、ことし成人を迎えた5人の社員が、正装をして会社へ挨拶に来る。たいしたものだと心から思う。
僕が彼らと同じ年齢のとき、成人式を済ませた後に会社へ挨拶に行くなどという発想は、頭の中のどこにも無かった。
1977年の1月15日、僕は文京区が主催する成人式には見向きもせず、リーヴァイス501と紺色のダウンパーカを身につけて、渋谷で昼酒を飲んでいた。
僕以外のほとんどすべての人は、僕よりもはるかにまっとうな人間だ。
昨日に引き続き、今日も沢又地区に用事で出かける。昨日に引き続き今夜も 「菜もん」 でメシを食べたいが、多すぎる外食には罪悪感がともなう。
帰宅し、湯波とミズナの炊きもの、大根おろし、焼き鳥、冷やしトマト という飲み屋メニュにて、生の紅乙女を270ccほども飲む。
9時30分に就寝する。
目が覚めてから起床までの1時間ほどをじっと過ごして、時間を無駄にする。事務室へ降り、4人の顧客にeメイルを送付する。昨日の日記を作成する。
朝飯は、イワシの味噌煮、チンゲンサイのカキ油炒め、納豆、サケの昆布巻き、メシ、アサリと長ネギの味噌汁。
1月の店舗は6日の日曜日を過ぎて後、すっかり閑散として冬模様となった。それでも今日は日曜日のため、ときおり混雑をする。
商売とは、経理的な利益はもちろんだが、混雑の維持にも注意を向ける必要がある。
閉店後、今市市沢又地区に用事で出かける。帰途、大沢地区の 「菜もん」 へ行く。
ここではイタリア風の無国籍料理が供されるが、我が町の繁盛店のひとつだろう。米飯と日本酒も置いてあることから、オジサン、オバサンの客も多い。
また、主人の実家が山持ちのため、大木や古木をふんだんに使った店内は、デザイナーズレストランのような趣を備えている。
物静かな主人と勢いのある若い接客係、偏奇なインテリアと僕からすれば焦点の絞りづらいメニュが絶妙にバランスをして、現在の人気に繋がっているのだろう。
360cc瓶のシャブリを飲みながら、パルマ産生ハムと大根のサラダ、ロールキャベツとトマトのグラタン、雛鳥のローストバルサミコソース を食べる。
「10人なんですけど」 と、フリの客が入り口を開く。残念ながら、10人をまとめて収容する空席はない。25人ほどで満員になる料理屋に、よくもまぁ10人で予約もなしに来るものだと、感心をする。
そういう僕も、料理屋の予約ならするけれど、他のことについては大抵、行き当たりバッタリを決め込むだらしない人間だ。
カウンターの端にある諸々の強い酒について、主人に 「これは売り物か?」 と訊くと 「料理の材料だ」 と答える。
「また来るから、そのときには強い酒もメニュに載せておいて欲しい」 と言うと、主人は 「了承した」 と答える。
帰宅して入浴し、ジンを生ですこし飲む。10時30分に就寝する。
甘木庵にて朝4時30分に起床する。ウェブショップ の注文を処理して会社の "patio" に転送する。顧客からの問い合わせに返信をする。きのうの日記を途中まで作成する。
7時に甘木庵を出る。岩崎の屋敷の杜のカラス を見上げつつ、本郷の丘から山裾の湯島へ向かって歩く。
浅草8:00発の下り特急スペーシアに乗る。なかば眠りながら、書きかけの日記を完成させる。10時前に会社へ帰着する。
昼過ぎ、春日町1丁目青年会のアイザワヒロシさんとユザワツネオさんが、町内の餅つき大会でつきあげたお餅を届けてくれる。お返しに 「しその実のたまり漬」 3袋を手渡す。つきたての餅に 「しその実のたまり漬」 をからめると、とても美味い。
午後、町内のタシロマナブ君の店で、「お徳用湯波」 2袋を買う。これは製造過程で出た型くずれ品なのかも知れないが、僕は最も高い刺身湯波よりも、こちらの方が好きだ。
2袋のうちひとつは、たまり漬の注文をくれた同級生の荷物に同梱して発送する。
晩飯は、お徳用湯波、絹ごし豆腐、骨付き鶏肉、エノキダケ、ミズナ の鍋。今夜はポン酢を使ったが、ダシに塩味をつけて具をそのまま食べた方が、僕は美味いと思う。
紅乙女をオンザロックスにて2杯飲む。キリン一番搾りを135cc飲む。
10時に就寝する。
4時30分に、甘木庵にて起床する。ウェブショップ からの注文をこなし、数通のeメイルを書く。きのうの日記を作成する。
今朝の天気は上々だ。枯れ枝と青空の向こうに、東京ドームホテルが霞んでいる。
同じ内容の3冊のファイルを持ち、10時03分に高島屋東京店へ入る。開店と同時に百貨店へ入ると、居並ぶ社員たちに深々と頭を下げられる。僕は、人から深々と頭を下げられるような種類の人間ではない。
1度、うっかりここの正面玄関から、10時ちょうどに入店をしてしまったことがある。
地下1階にある目的の場所までたどり着くあいだに、店長以下数十名から頭を下げられ、僕もそれに応えてヘコヘコと頭を下げ続けた。指を折って数えてみたら、僕のヘコヘコは30数回にも及んでいた。
地下1階の事務室にて、2冊のファイルを2人の担当者へ手渡す。残りの1冊を自分の前へ置き、2月のイヴェントについての打ち合わせを90分ほども持つ。
徒歩にて東京駅の八重洲口へ至る。入場券を買って構内に入る。東海道線の着くコンコースへ進み、案内の女の人に 「出雲が入るホームは何番線か?」 と質問をする。
来週の日光MGに鳥取県の倉吉市から参加をしてくれるオカノトミちゃんが、たった7分の間に出雲を降りて東北新幹線に乗ることができるかどうかの調査をする。
1.東京駅に出雲が近づいたら。5号車まであらかじめ移動をしておく。
2.目の前の階段を降りる。
3.正面に見える新幹線の絵を目指して、8、9段の湾曲した階段を上がる。
ここまでが、ゆっくり歩いて1分30秒。
4.新幹線の切符を自動改札機に入れる。
5.正面の案内板を身ながら、22番ホームへのエスカレイターを昇る。
ここまでが、ゆっくり歩いて1分30秒。
つまりオカノトミちゃんは、寝台特急出雲が遅れたり、自身が経路に迷ったりしない限り、7分間で無事に乗り換えをすることが可能ということだ。
夕刻、銀座1丁目の 「三州屋銀座一丁目店」 へ行く。近くの 「ひょうたん屋」 と同じく、白木の机と壁と窓枠が、長年の磨き込みによってすり減っている。
並木通り2丁目の 「三州屋本店」 も悪くはないが、1丁目の支店の方が古き良き銀座を思い起こさせて、僕にはより好ましい。
燗酒を注文する。突きだしは菜の花のおひたしだった。たらこ酢に引き続き、カキフライを食べる。ハマグリ鍋にて締める。
銀座から日本橋を経由して竹橋へ移動する。毎日新聞社ビルの地下からエレヴェイターにて9階まで上がる。自由学園同学会新年総会の開かれる 「アラスカ」 へ入る。
夕刻から酒気を帯びた僕は、いつの間にか寝入ってしまう。珍しいことではない。「賛成の方は拍手を以て」 などという声と拍手が聞こえてくる。なにかの決を採っているのだろう。再び眠りに引きずり込まれる。
遠くでかすかな音が聞こえる。音が徐々に近づいてくる。多くの人が僕を注視している気配を感じる。うっすらと目を開ける。自由学園の校歌である賛美歌380番が、僕のブレイザーの右ポケットから最大音量にて放たれている。
いまだ総会は続いている。部屋を突っ切り廊下へ出て、友人とごく短い会話を交わす。すっかり目を覚まして総会の会場へ戻る。
立食にて、アラスカの上出来なメシを食べる。昨年は夕刻に銀座の "MOD" で飲んだ3杯のホットバタードラムに阻まれて、グラスに2杯のワインしか飲めなかった。今日はその3倍ほどは、飲めたように思う。
9時すぎにアラスカを退出し、日本橋を経由して上野広小路から甘木庵へ戻る。
10時30分に就寝する。
1時30分に起床する。
きのうの夜、LANによる通信が不能になった。"icom" のワイヤレスアクセスポイント "AP-110B" に差し込んである無線LANカードの小さなランプが、いつもの小刻みな点滅をしていない。
仕事も終わっていたため、不具合はそのままにして事務室を出たが、今朝ふと思いついて "AP-110B" の電源を切り、ふたたび入れたら、あっけなくアクセスポイントは復旧した。不思議なこともあるものだ。
世田谷の "Sartoria" にて、半年以上を要して仕立てた紺色のブレイザーと、黒と白の千鳥格子のパンツを身につけ、オールデンのUティップを履いて家を出る。下今市駅発14:36の特急スペーシアに乗る。
浅草へ着くまでに、13通の年賀状を書く。浅草駅前のポストに、それを投函する。
銀座の松屋にて、"STONE ISLAND" のヴェンタイルコートの在庫を訊ねる。ややあって女店員が、国内には2点のLサイズを残すのみだと答える。Lサイズでは、僕には大きすぎる。今年また入荷があったら買うことにして、松屋を出る。
僕はお酒や食べ物など、消えてなくなるものに対しては、割と平気でお金を使う。しかしながら衣料の購入については、すこぶるケチだ。コートの在庫が無くて、少し安心をしたところもある。
伊東屋にて、ボールペンとサインペンを1本ずつ買う。
銀座線にて上野広小路まで移動し、湯島の雑踏に足を踏み入れる。"Pen" にてネグロニを飲みながら
3時前に起床する。ウェブショップ に、多めの注文が入っている。早い時間に目覚めたことを、誰にともなく感謝する。
日中はゆるゆると仕事をする。ゆるゆると仕事をしていても、処理すべきものは順を追って、きちんと片づいていく。
終業間近になって、ふたたび ウェブショップ にまとまった注文が入ってくる。明日の早朝に受注作業を繰り越すことは気が進まない。一気に受注作業を済ませる。
今日も 「和光」 にて飲酒を為したい気分のため、7時ころに外へ出る。日光街道から舗装されていない路地へ足を踏み入れる。
@niftyに勤める日本酒の好きな知り合いが、2度、我が町を訪れたことがある。1度は 「市之蔵」 へ、もう1度は 「和光」 へ案内をした。ふたつの店とも、日光街道から路地に分け入ると、その奥にあんどんのような看板が地味に浮かび上がっている。
知人は歩きながら、「演歌の花道みたいですね、わくわくしますね」 と言った。
僕が 「1日のうちで、もっとも好きな時間はいつか?」 と問われれば、迷うことなく 「尻のポケットに文庫本を入れて、今日はどこで飲もうかと歩いているとき」 と答える。
ふと、銀座5丁目の三原小路にあるイタリア料理屋のことを思い出す。同時に、この路地にあるラーメン屋とフグ屋と焼肉屋を思い出す。昭和30年代のまま取り残されたようなバーのことも、思い出す。
今日も、燗酒を大徳利で頼む。友達からもらった
1時30分に目を覚ます。そのまま起きだし、事務室へ降りる。
夜中に起きている友人たちのメイルがメイリングリストへ送られるたびに、Becky! が音を発してそれを知らせる。彼らは夜中に起きている。僕も夜中に起きている。異なるのは、彼らがこれから眠るのに対して、僕はこれから活動を始めるということだ。
anne@家内と長男@16歳と次男@6歳は、きのうからanneの実家へ行った。あした帰寮する長男の荷物に、上級生から注文を受けたというたまり漬を入れ、梱包する。
荷物の中には、僕が 「これは良い本です」 と渡した、北杜夫の 「白きたおやかな峰」 が入っていた。僕が 「これは面白い本です」 と渡した、昭和30年代に出版され、いまやボロボロになった小田実の 「何でも見てやろう」 は、入っていなかった。
「白きたおやかな峰」 は、すでに亡くなった教師が所有していたとおぼしきフランス語の辞書と、段ボール箱の中で重なり合っていた。
僕はその教師が、フランスのどこかの草の上にフンコロガシを追ううち、ヌーディストビーチへ迷い込んだ話を思い出した。
午後7時まで仕事をする。「和光」 へ電話をする。自分の座る席の有無を訊ねる。「充分です」 という答えが返る。朝鮮民主主義人民共和国製のダウンコートを着て外へ出る。
さすがに吉四六のオンザロックスを飲む気にはならない。燗酒を大徳利で頼む。大きくて分厚いぐい飲みを出されたため、厨房までこれを取り替えに行く。
「オレ、その白いのがいいな」
「これはアキモッチャンのなんだよ」
「あ、じゃぁダメだ。ビョーキが染っちゃう」
「ハハハ、どんなビョーキ?」
「オレも、そこまでは言えねぇよ」
薄手の、ごく普通の杯を選ぶ。突きだしは、鶏肉とダイコンの和風ポトフだった。
常連客のひとりが僕に声をかける。
「ウワサワさんは、朝3時に起きるんですよね。凄いなぁ」
「9時に寝てるんですから、どうってことはないんです」
「いやぁ、それでも凄いわ」
「夜中に小便に起きる、前立腺肥大のジジイと同じ生活リズムですね」
「そういやぁ前立腺ってのは、尻の穴を1日30回、締めると絶対に大丈夫だってね」
常連客は、他のお客が連れた女の人に対しても、「オンナの人も、尻の穴を締めるといいんだと」 などと、親切に教えてあげている。
3時前に起床する。事務室へ降り、朝の仕事をこなす。
7時に居間へ戻り、日光の山を眺める。日光の山は、この冬1番の綺麗さではないだろうか。アンナプルナのそれに似た稜線の一部を撮影する。
朝飯は、おにぎり5個。
午後3時から、会社が昨年のお盆と暮にいただいたギフトを袋に小分けして、社員の福引き大会を行う。中身は、お酒と食用油が圧倒的に多い。
ワインとタオルケットの組み合わせを引き当てたシミズサチエさんが 「ウチはワインは飲まないから」 と、1976年の日本製 "Cabernet" をくれる。四半世紀も前のワインなど、会社のどこから発見されたのだろう。
終業後、1時間30分ほど仕事を続ける。
年が明けてから、寒さがにわかに厳しくなった。オフクロが遊亀@長男にくれた、スーパーマーケットにて8,000円で買った朝鮮民主主義人民共和国製のダウンコートを着て外へ出る。まるで首から下をこたつへ突っ込んだように暖かい。
「市之蔵」 へ行く。
いつもオンザロックスにて飲む紅乙女を、今日はお湯割りにする。本日の 「頼まなくても出てくるもの」 は、菜の花のヌタ、豚の角煮とポーチトエッグ、アサリの酒蒸し だった。
客が頼みもしない突きだしを供して金を取るというシステムは、西洋にもあるのだろうか。突きだしについては、以下のうちのいずれかにしてもらいたいと、いつも考えている。
1.無料にする。
2.有料ならば、おざなりの既製品ではなく、美味いものを出す。
3.突きだしは出さない。
ちなみに市之蔵の 「頼まなくても出てくるもの」 は無料のことが多く、しかも美味だ。
2品を注文し、飲み終わって勘定を訊ねる。店主のナガモリユミコさんが、僕の満足度よりも低い額を提示する。少し多めに置いて店を出る。
朝鮮民主主義人民共和国製のダウンコートを着て帰宅し、10時に就寝する。
目を覚ますと、部屋の中は既にして薄く明るかった。起きようと思うが、二日酔いでそれがままならない。7時前になって、ようやく服を着る。
牛乳と冷たいお茶を飲む。朝飯を食べる気分ではない。そのまま事務室へ降り、シャッターを開ける。
「昼間からお酒なんて飲んで」 という叱責の言葉がある。「人が仕事をしている時間には、享楽的な行為は控えよ」 ということなのだろう。
しかしながら東京湾にちかい山手線の駅では、夜通し仕事をして朝酒に酔った人を、多く見ることができる。
人により仕事をする時間はいろいろだ。だから酒を飲む時間も、特に定めることはない。
休日のない僕は、社員が仕事をしている時間に床屋へ行く。店が閉まってから床屋へ行けば良いではないかという考えも頭をよぎるが、そこまで禁欲的になることもないだろう。
8時15分から加藤床屋へ行く。
「どうせハゲなんだからさ、バリカンで坊主にしちゃおうか。頭もバリカン、ヒゲもバリカンならさぁ、手間かかんねぇじゃん」
と提案をするが、オヤジさんは 「まだ早かんべぇ」 と、僕の提案を却下する。
昼が近づく。気分は悪いが腹は空いている。
天ぷら入りのお雑煮を食べる。澄まし汁に焼いた餅を沈め、エビの天ぷらを載せる。その上から大根おろしと なめこのたまり漬 をふりかけ、最後にミツバを散らす。
気分の悪さには関係なく、美味いものは美味い。
夕刻にしか資料が届かず、それを元にした書類を数時間のうちに作らなければいけないという仕事が、以前から予定されていた。そのため、今日の春日町1丁目の組長新年会には、欠席することを早くから決めていた。
夜8時に、ようやくその仕事を終える。
新年3日、"Casa Lingo" にて飲み物をごちそうしてもらった返礼に、焼肉の大昌園へ行く。家族4人がそろう食事は、この冬でこれが最後のものになる。
9時すぎに帰宅し、10時すぎに就寝する。
闇の中で目を覚ます。居間へ行って時計を見ると、いまだ1時だ。さすがにこの時間から起きるのはまずいと考える。
1時間ほど横になるが眠れない。起床して服を着て事務室へ降りる。
ウェブショップ からの受注をこなし、会社の patio にアップする。顧客その他にeメイルを書き、昨日の日記を作成する。
外の国道から、チェインをつけたタイヤの音がゴトゴトと聞こえる。さては雪が降ったかとあわててシャッターを開けると、凍った地面が見えるばかりで積雪はなかった。
朝飯は、めんたいこ、津軽漬け、温泉玉子、刺身湯波、ダイコンのビール漬け、鯵の開き、メシ、ミズナとダイコンの味噌汁。
ダイコンのビール漬けは、我が町の原宿地区に住むアオキマチコさんからもらった。どのようにして漬けるものかは知らない。
店舗はいまだ、正月のにぎわいを残している。国道121号線をはさんで相対するふたつの駐車場が、満杯になる場面もあった。
夕刻、同級生のホウジョウノリコさんから電話が入る。受話器の向こうの相手はまもなく、ホシノタカシ君に変わった。
今市中学校3年2組の同窓会が、如来寺ちかくの 「幸楽」 にて開かれているという。僕が在籍したのは3年1組だが、ここ数年はなぜか、3年2組の同窓会から声がかかる。その理由についてはよく分からないし、僕はそういうことを深く考える質でもない。
5時30分すぎに 「幸楽」 へ行くと、昼の1時30分から飲み続けている 「長丁場の利く人たち」 が迎えてくれた。
取り急ぎ、僕専用のフグ刺し を肴に、ひれ酒を5杯ほども飲む。ひれ酒は、飲んでも飲んでも、あまり酔うことがない。熱するときにアルコール分が飛んでしまうのだと、ノザワチンペイ君が言う。
二次会には、いにしえに僕の "CAMUS XO" を何年も取り置き続けてくれたヨシハラノリコさん@信用できる人の店 "candle" へ行く。
昨年のお盆から預けておいた I.W.Harper の他にビールなども飲んだらしいことは、デジタルカメラだけが憶えていた。
何時かは知らないが、タクシーにて帰宅する。その後については、何も記憶していない。
2000年の9月に、この 「清閑日記」 は始まった。そのころの僕は、"Olympus Camedia 800L" という古いデジタルカメラを持つのみだった。
日記への画像の貼付は、スマートメディアを備える "Fuji FinePix4500" を手に入れた同年の12月30日に始まり、2001年の1月下旬から、急にその数を増していく。
いま、画像が多くなる以前の日記を読み返してみると、俄然、そのころの文章の方が面白く、余韻や陰影に富んでいたことが分かる。
現在の日記は、時の経過に沿って忠実に並ぶ画像に付け加えられた、ただの説明になり果てている。
時代に逆行はするが、この日記からしばらく、画像の数を減らしてみようと考えている。
朝日に染まる日光の山 を眺めつつ、お茶の用意をする。南に面しているため、人口降雪機に頼ることの多い霧降スキー場に、今朝はべったりと自然の雪が載っている。
朝食は、お雑煮。
午後、これまでに僕の名前で届いた20数通の年賀状に、お返しの年賀状を書く。僕は表にタックシールを貼り、裏は印刷物のみという、どこにも直筆のない年賀状は書かない。
1月1日、泥縄式に "JUSCO" で買った黒いインキを万年筆にセットする。相手の住所を手で書き、遊亀@長男の手になる馬の版画のある裏面に、数行のコメントを連ねる。
明日には、すべての返信を書き終えることができるだろう。
夕刻、今日から出勤した製造現場の社員も含めて、「みとや寿司」 にて新年会を開く。ワインや商品券を主な景品とする大アミダクジ大会を催す。
短い業務連絡を含む新年会は、8時に散会した。帰宅して入浴し、9時に就寝する。
朝4時に起床する。事務室へ降りる。相変わらず "Messiah" を聴く。
6時ちょうどに電話が鳴る。常識はずれの時間に鳴る電話は楽しい。相手はいったいどんな人だろうかと、受話器を取る前から心が笑う。
「あー、たまり漬さん?」
「はい、そうです」
「今日、やってる?」
「はい、8時15分に開店いたします。夕方5時半までの営業です」
「そう、どうも」
7時前に新聞をとるため事務室のシャッターを開ける。いつの間にか雪が積もっている。昨夕にやんだ雪が、深夜にふたたび降ったのだろう。春日町の交差点は、いまだ静かに薄暗い。
7時30分、杉並木に日が差し始める。葉の上の雪が白く紅く、朝日に映える。
朝飯は お雑煮。今日はさすがに、朝酒はやめておく。
8時15分から30分ほどをかけて、社員と一緒に雪かきをする。たかだか2Cmほどの積雪に、胸をなで下ろす。
昼ごろには通常の路面状態となり、客足も伸びる。今日の売上金額は、昨日とほぼ同じものになった。
夜7時30分に、普段よりも多い人数にて "Casa Lingo" へ行く。
飲酒を為す者は僕しかいないため、最も安いスプマンテの小瓶をとる。
サツマイモのチップスが載ったサラダ、トマトとモツァレラチーズ、ヤシオマスのカルパッツィオ。
ハムのピッツァ、アンチョビのピッツァ。
ニンニクと唐辛子のスパゲティ、ワタリガニのスパゲティ。
次男@6歳のために、ジャガイモのハーブ焼きを頼む。
僕は、オヤジが取った 地鶏のハーブ焼きの一部を切り分けてもらう。長男@16歳は豚腸の窯焼きを注文したが、これが今日は無かったため、骨付き羊のローストを選ぶ。
締めに、1杯のグラッパを飲む。
ソムリエールのオネーサンが近づいてきて 「こちらのお飲み物は、あちらの方がお支払うになるそうです」 と言いながら、カウンターで飲酒を為す人を手で示す。 カウンターには、焼肉 「大昌園」 のオジサンとオバサンが座っている。
僕は仕事についてのこと、身の回りのことについては、どんなに大切なことでも3歩を歩けば忘れる。しかしながら、ごちそうをしてくれた人のことを忘れることは無い。
帰り際、大昌園のオジサンとオバサンに礼を述べ 「数日のうちに、絶対行きますから」と、確約をする。
9時すぎに帰宅し、10時に就寝する。
4時に起床する。事務室へ降りる。"Messiah" のCDをかける。
ウェブショップ の注文を処理する。
正月には、家の中で退屈をもてあました人が買い物へ出かけたり、ボウリングをしたりする。我が町の木村屋ホテルにおける宿泊客は、元旦の "JUSCO" で仕事に従事する応援の人たちと聞いた。
今後はウェブショッピングも、人々の娯楽のひとつとして定着をするだろう。そしてそれは、諸方に様々な効果をもたらす有り難いことだ。
腹が空いたので居間へ戻る。西の空にはいまだ月が出ている。
anne@家内が 「カワムラ先生がみえる時間でしょ」 と言う。僕はどんなに大切なことでも、三歩を歩けば忘れてしまう。「あぁ、そうだった」 と答えて店に戻る。
生け花のカワムラコウセン先生が、正月用の花に最後の手を入れる。生け花の完成と時を同じくして、社員が次々に出勤する。新年の挨拶を交わす。
居間へ戻り、広島と博多の "idiom" が混交したお雑煮を肴に 「清泉」 を飲む。
酒気帯びにて初売りに就く。おおかたは事務室にて過ごすが、客足の繁くなったときとき、社員の交代時のみ、店舗に出る。
午後、それまで晴れていた空が急に暗くなり、雪の降る一時があった。夕刻にはそれも上がり、安心をする。正月早々の厚い積雪は、大いに迷惑だ。
タコのマリネ、魚と湯波のパテ、カリフラワーのムース、ダイコンのピクルス、エビのゼリー寄せ、ポトフ などにて "Rosso del Veneto Duca Bortini di Montebello 2000" を飲む。
9時30分に就寝する。
朝3時30分に起床する。事務室へ降りる。
新年一発目のCDは、やはり自由学園50周年記念音楽会の "Messiah" だろう。「ひとりの嬰児、我らのために生まれたり」 と 「受難、贖罪」 の 「ハレルヤ、全能の主すべたまえり」 を、繰り返し聴く。
早くも元旦から、ウェブショップ に注文が入っている。「ご注文御礼」 を送付する。
夜が明ける前に、明日の初売りを伝える看板を出す。
7時30分に屋上へ上がる。南東の空から朝日が昇る。北東の空も、南西の空も、北西の山も、おしなべて今朝は穏やかだ。
肉や魚の入らない精進のお雑煮を、神棚、お稲荷さん、水神、地神 に供える。我々が食べるものと同じお雑煮を、仏壇に供える。
我が家に宗教はない。あるのはアミニズムのみだ。朝飯の前に、墓参りに行く。
黒豆、栗きんとん、津軽漬け、ニシンの昆布巻き にて、久須美酒造の 「清泉」 を飲む。
お雑煮を食べる。アゴでだしをとった、塩ブリなども入るanne@家内の作るお雑煮は、子どものころから食べ続けた関東風のそれよりも、遥かに僕の舌を喜ばせる。
昼前、旧市街の南端にある追分地蔵尊へ初詣に行く。次に、旧市街の北端にある瀧尾神社へ初詣に行く。
瀧尾神社では昇殿をする。祈祷のあいだずっと眠り続け、おまけに後ろへ倒れて知らない人に抱きとめられる。帰り際、タナカキヨシ宮司に 「だいぶ寝不足だね」 と言われる。
僕は諸方で恥をまき散らしている。あるいはどこか、世間体の外で生きている。
夕刻、遊亀@長男と、あしたの袋詰めを待つ、いまだ仕込み桶に入った漬け物の手入れをする。
夜、タシロケン坊の家の湯波 にて "Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1998" を飲む。
黒豆と栗きんとんと野菜のマリネ にて "Rosso del Veneto Duca Bortini di Montebello 2000" を飲む。
豚レヴァのパテ、エビのコンソメジュレ、ハーブチキン、ローストビーフ、スモークトサーモン、フォアグラ、赤ピーマンのピクルス などを食べる。
9時30分に就寝する。