ここしばらく、日中のわずかなあいだだけ雲の切れ目から日の差すことはあったが、朝からの晴れは望むべくもなかった。
今朝は、夜が明け初めるころこそ雲が多かったものの、その雲は次第に払われていった。そして空が藍色から青へ、更に水色へと変わりゆくに連れ、目に見える範囲のものは、杉の木立も、赤い山肌も、すべからく明瞭に浮き立ってきた。
鳥は夜明けと共に啼く。しかし不思議なことに雨の朝は啼かない。今朝は種類を異にするたくさんの鳥が早くから啼き交わして賑やかだった。
その、朝の穏やかな時間もいざ仕事が始まってみれば、ただ忙しさの中にたたき込まれ、時によっては席を外すこともままならず、「それも仕事のうち」と言われればそれまでだが、何をしたという具体的な形の実感できないまま夕刻を迎える。
夏至がちかくなれば19時を過ぎても、いまだあたりは明るい。そして山際は鳩の胸のような青灰色を深くし、山の端のオレンジ色は驚くほどの速度を以て、その鮮やかさを退かせていく。
朝、あれほど賑やかだった鳥たちは一体全体、どこへ去ったのか。あるいは去ることはせず、梢のどこかで早くも眠ろうとしているのかも知れない。
製造現場での早朝の仕事を終え、居間に戻る。そして先ほどまでいた味噌蔵の屋根を眺めつつ、ひと休みをする。関東地方はきのう梅雨入りをしたらしい。
カレンダーには「09:15」とメモをしておいたが、それよりも早い時間に瀧尾神社へ行く。そして責任役員として、宮司、当番町・小倉町五丁目の方々とバスに乗り、山見へと向かう。
山見とは社有林の視察を意味する。瀧尾神社は日光の小来川と和泉に山林を所有し、山見はその双方を対象としながら毎年、一方ずつを交互に訪れる。そして今年は小来川の番だ。
朝からの雨模様だったから、僕は傘を持ち、ポーチにはウインドブレイカーを収めた。僕より山の経験の深い年配者の中には、着替を持参した人もいた。そうして鍛冶屋沢の最下部より林道を登り始めると、しかし雨は、我々が山中にあるときのみ降り止んだ。そのお陰で山見は今年も特段の苦労なく、無事に完了をする。
神社の催しとなれば直会は必定で、当番町の用意した席にて昼から宴会を行う。そして午後は仕事を離れ、夕刻に床屋へ行く。
早寝早起きは多くの人により昔から推奨されるところのものだ。しかし僕のそれは、すこし大げさに言えば、人が寝るより先に起きる極端なもので、早寝早起きもここまで進むと世間との乖離を生む。
今朝もそのような時間に目を覚まし、仕方なしに本を読み、寝たままの本読みに疲れて起きだし、服を着て居間に移って一昨日の日記を書き終える。それでも時刻は4時台だ。
きのうは日中から風邪のような症状があった。連日、素っ裸で寝ていることがその原因と考え、夕刻になってその旨を長男に伝えると、体調の悪いのは長男も同じで、これは寝姿によるものではなく、一昨日の夜からきのうの朝にかけての、気温の低下が関係しているのではないかという。
そういう次第にて昨夕は外には出ずに、長男による晩飯を肴にシャンペンを飲んだ。体調が悪いとはいえ僕も長男も、シャンペンくらいは飲める。そしてそれに酔って早寝をし、その結果が今朝の早起きで、体調はすっかり旧に復していた。
この日記の冒頭に戻れば、寝ながら読んだ本は百田尚樹の「黄金のバンタムを破った男」で、ページはいよいよバーニー・ロスの紹介に至ったから、そのまま読み進むのはいかにも勿体なく、開いたまま伏せてベッドの下に置いた。
続きはまた、明日の早朝に読もうと思う。
ここしばらくは家内が留守にしているので、メシの用意と風呂の掃除は長男がしている。何もかも長男にさせては申し訳ないので、僕は洗濯を請け負うこととして払暁、いや、それほど早くてはコインランドリーも開いてはいない。
鄙にも希なフランス料理屋"Finbec Naoto"ちかくのコインランドリーを早朝に訪ね、ずらりと並ぶ機械の中からめぼしいものを選ぶ。操作パネルを見ると「ドラム洗浄」というボタンがあるので、先ずこれを押してみる。反応が無いので2度、3度と押してみるが、内部のドラムが水洗いされる気配は無い。
「先ずお金を入れないと、ドラム洗浄もしないのだろうか」と考え、洗ってすすいで乾燥までしてくれるというコースを選び1,000円を投入すると、丸いガラス窓の中にはいきなり石けん水が満ち、何やらドラムまで回り始めたから「何だよ、まだ洗濯物、入れてねぇんだよ」と、焼肉屋の網の間から上タン塩を下に落としてしまったときの数倍の脱力感に襲われた。
空のまま石けん水を攪拌しつづける洗濯機に見切りを付け、他に目を遣ると、同じようなコースで、しかしこちらはすこし洗濯時間が長いらしく1,300円という高めの機械があった。よって洗濯物はこちらに入れ、更に「ドラム洗浄」などというボタンは触れずに500円玉2枚と100円玉3枚を投入した。
そういう次第にて、最初の機械で失敗していなければ1,000円で済んでいたところ、計2,300円の洗濯代を今朝は使ってしまった。差額の1,300円は、いま手持ちのタイバーツで考えれば500バーツ超。現地のセブンイレブンならシンハビールの大瓶8本を買ってお釣りの来る金額である。
おととい"amazon"に2枚のCDを注文した。その直後に届いた"auto-confirm"には「この注文は一度に発送されます」と記されていたが、きのうになって「ご注文いただいた商品を少しでも早くお届けするため、本日、Amazon.co.jpが一部の商品を発送いたしました」の報せが入った。僕はそこまでのサービスは求めていないが、まぁ、"amazon"が勝手にしていることである。
そして今日の午後にふと新聞受けを見ると、別々に出荷された2枚のCDが、しかし同時に届いていた。
朝のコインランドリーといい、午後の"amazon"といい、1回で済むところに二度手間をかける、その馬鹿ばかしさはどうにかならないか。僕の脳力はどうにもならないにしても、"amazon"のシステムは、これからいくらでも改善できると思う。
「飛行機に乗るときの手荷物はトートバッグに決めてるんだよ。コンピュータ出せだの何だの面倒くさいからさ」と長男が言うので「オレはトートバッグだけはダメだわ、体の片側だけに重さがかかるし、両手は空かないし」と答えた。
2007年の初夏に敦煌の先の玉門関まで足を延ばしたとき、機内持込の手荷物は"PORTER"のショルダーバッグだった。"ThinkPad X60"と伊集院静の「美の旅人」、そこにデジタルカメラやあれこれを加えた重さが片方の肩ばかりにかかって楽でなく「ショルダーバッグってのは重いモノには不向きだな」との思いを強くした。
2009年の春彼岸前に、神保町の"ICI"で"Gregory"の"Day & Half"を買った。そしてこれを、その年の初秋のタイ行きに手荷物として使った。結果は大満足だった。
しかし手荷物検査の「コンピュータ出せだの何だの」は、言われてみれば確かにその通りで、この「確かにその通り」という思いが頭の中で反復されるうち、あれほど嫌っていたトートバッグについて「悪くないかも知れない」と、長年の戦略がグラついてきた。
悪いことは重なるもので、その翌日には「髙島屋」から月の案内が届き、そこに英国製の、しかし"GOYARD"などを見慣れた目には随分と安いトートバッグが紹介されていた。写真のトートバッグは鮮やかな青で、しかし僕は、旅行の際の貴重品入れは目立つよう赤で統一をしている。いっそのことトートバッグも赤にしてしまってはどうか。
よってそのバッグの"TUSTING"という名を検索エンジンに入れてみると、果たして赤もある。取っ手には青など他の色と共通の焦げ茶が使われていた。赤に焦げ茶は悪い組み合わせではないが、僕は好きでない。
"TUSTING"のブランド名はそのままに、しかし更に検索を続けると、果たして取っ手も含めてすべて赤、というものが出てきた。設計はより単純で、だから僕の好みに合っている。そして僕の目は益々、ディスプレイの中の、赤いトートバッグに吸い寄せられていく。
「いくら袋物が好きとはいえ、体の片側にのみ重さがかかり、且つ両手の空かないトートバッグだけは絶対に買わない」という僕の戦略は堅持されるのかどうなのか。
家にある、スーパーマーケットでもらったか何かした布製のトートバッグにコンピュータやら何やらを詰め込み「やはりトートバッグはダメだ」という信念を堅持すべきか、あるいは変更すべきかについては、次の外出時にでも検証したいと思う。
潔癖症ということは決してない。1991年にネパールで援農のまねごとをしたときには、牛糞に藁をまぶして発酵させた肥料を素手でほぐし、その手を水洗いしたのみで昼飯のダルバーツをこれまた素手で食べて平気だった。
1982年を最後として途絶えさせていたタイ行きを2009年に再開したときには、あれやこれやの薬品を持参して、結局は使わなかった。
しかし日本にいる限り、否、日本でも自社や自宅にいるときに限っては常に、手にアルコールを吹きかけ、可能な限り菌数を減らしている。
本日昼すぎに研究開発室に入り、いつものように手にアルコールを噴霧してからマッチを擦ってガスコンロに火を点けた。そうしたところ、右手が馬鹿に熱い。いまだ消えていないマッチの火が手を炙っているのだろうかと、右手でつまんだマッチ棒を見ると、火はとうに消えている。
しかしそれにしても右手に感じる熱さは尋常一通りのものではない。そしてようやく気づいたのは、手に残ったアルコールがマッチの火に引火し、手の表面を覆って紫色の炎を発している、ということだった。
よっておなじ室内にある蛇口の下に右手を持っていき、水をかけると火はただちに消えたが、手の皮膚はジンジンとしている。ジンジンとしてはいても急ぎの仕事があったから構わずガスコンロに向かい、数分が過ぎてからふたたび手に水をかけ、今度は入念に冷やした。
その甲斐あってかいまだ違和感はあるものの、右手に火傷の痕跡は一切、残らなかった。以後、火を使う直前の手の消毒には重々気をつけようと思う。
きのうからドリームウィーバが壊れて、ローカルのファイルを読みに行かない。その不具合によって何が起きるかといえば、日記は書けても、文字と画像の紐付けができない。よって一昨日の日記ついては取りあえず文章のみを書いて保存した。
「ウワサワさん、コンピュータなんて、いじってぶっ壊しても復旧できるんですから、どんどんいじってください」と、むかし外注SEのマエザワマコトさんに言われたことを思い出して、今朝はすこしいじってみた。しかしソフトの扱いを体系的に知っている人と異なり、僕の場合には「いじる」となると盲滅法の試行錯誤となるから危険なことこの上ない。
むかしあるホームページ製作会社でお茶を飲んでいるところに、その会社のお客から電話が入った。「ローカルとサーバの双方からデータを消してしまった。何とかならないか」というのが、その電話の内容だった。「何とかならないか」と言われても、他にバックアップがない限り、専門家にも対処のしようは無い。
そういう次第にて、今朝は早くから現在の外注SEシバタサトシさんに、facebook経由で助けを求めた。シバタさんの都合が付かなければ、恵比寿のヒラダテマサヤさんにコンピュータごと送って復旧してもらわねばならない。
そのシバタさんは9時すぎに来てくれた。そしてドリームウィーバのほか、マイツールの"HELP"の現れないところの修復、更には店のコンピュータの、マウスのバッテリーの交換方法まで教えてくれた。そしてようやく、一昨日の日記をサーバに上げる。
東武日光線下今市駅ちかくのカフェ「珈茶話」で市川秀男のライブが行われることを知ったのは1ヶ月以上も前のことだ。
市川秀男は亡くなった同級生ハセガワヒデオ君が高校生のときの、ピアノの先生である。そんなところから「市川秀男ってピアニストが珈茶話に来るんだよ」と長男に話したところ「えっ、あの市川秀男が? だったら僕も行くよ」と即座に答えた。
長男によれば、テレビで椎名林檎の何かを見ていたとき、バックのピアノがヤケにカッコ良い。そのうち椎名林檎などどうでも良くなって、そのピアノのオジサンばかりを見ていた。番組が終わるとすぐに検索エンジンを回し、そこで初めて、それが市川秀男というピアニストだったことを知ったという。
長男とは徒歩で日光街道を下り、ウチから1キロほども離れた「珈茶話」には、開演の19時より20分ほど早く着いた。そして市川秀男(Pf)、金岡宣男(Drs)、吉野弘志(B)、James.k(Vo)によるライブはやはり、良かった。前々から感じていたことだが、酒を飲みつつ生の音楽を聴いているときが一番、自分は遊んでいる気がする。
アンコールの曲が終わると、ドラムスの金岡さんが僕を市川さんに紹介してくれた。そのお陰で市川さんとは、ハセガワヒデオ君について親しく話をすることができた。そしてふたたび夜の街を歩き、22時前に帰宅する。
杉、更に杉、その奥も杉、そして居間の、南西に面した窓からどれほどの距離になるのか、いくつもの森の向こうに鶏鳴山が丸く高く盛り上がっている。あの山はどのようにしてできたのか、いつごろできたのか。そんなことを一瞬、考えて、しかし僕は学者ではないから、そんなことは分からない。ただ「緑が綺麗だなぁ」と眺めている。空気は乾いて暖かい。
エレベータで1階に降り、外へ出て新聞受けから新聞を出す。そしてそれを持ってまたエレベータで4階に上がる。
きのうの株式市場の大幅な下げについて、日本経済新聞は「急落」、そして朝日新聞は「暴落」と書いている。僕の感想としては「暴落」だが、朝日の紙面には、この暴落を楽しんでいるような風情が漂っている。
おとといウチに来た証券会社のオニーチャンの奨めていた銘柄が、きのうはストップ安だった。何だか面白い。あのオニーチャンは今日、どれほど苦情の電話を受けるのだろう。あるいはそのようなことは、もう慣れているに違いない。「いずれ上がります」とでも答えておけば、まぁ、いずれは上がるのだ。
午前の遅い時刻に、所用にて宇都宮まで出かける。そして午後の早い時間に帰社する。
朝は良い空模様だったが、夕刻に西の山を見る限りでは、好天は長続きしそうもない。そして夕刻と夜のあいだの匂いを感じつつ長男と日光街道を下り、行きつけの店にて飲酒活動をする。
子供のころからの活字中毒だから活字はのべつ幕なしに読んでいる。のべつ幕なしに読んではいても「あれは面白かったなー」と思い出す本はごく少ない。P.F.ドラッカーやE.M.ゴールドラット、はたまたD.マグレガーなどにはかすりもしないところを恥じつつ「特に」という3冊を挙げれば以下になる。
「夜光虫」 馳星周著 角川文庫 \900
「キッチンコンフィデンシャル」 Anthony Bourdain著 野中邦子訳 新潮社 \1,680
「くたばれハリウッド」 Robert Evans著 柴田京子訳 文春文庫 \1,260
いまこの日記を書きながら、その各々を"amazon"に当たってみると「夜光虫」には著者名のほかに「写真」として荒木経惟の名があった。「さてあの本にアラーキーの写真など添えられていただろうか」と考え、しかしそのようなものについては中上健次の「物語ソウル」しか記憶にない。
僕は本の保管に関しては、否、本の保管に限らない、大体がだらしない性格で、本は本棚からはみ出し床に積み上げられている。「夜光虫」も「キッチンコンフィデンシャル」もその中のどこかにはあるだろうが探し出す気はしない。「くたばれハリウッド」に至っては読み終えた途端、夜の街で紛失をした。
今のような世知辛い世の中になるまで、日本の百貨店には定休日があった。日本橋髙島屋の前には、毎週水曜日に古書の市が立った。そこで吉井良三の「洞窟学ことはじめ」を発見したときには静かに興奮した。インターネットのできる前は、よほどの僥倖に恵まれない限り、失った本を取り戻すことはできなかったのだ。
世知辛い世の中にはなったが便利な世の中にもなった。「洞窟学ことはじめ」は現在"amazon"に1円で出ている。
店舗に向かって右側の季節の書が「杉菜」から「麦笛」に変わったのはいつのことだっただろう。稲畑汀子編「ホトトギス季寄せ」によれば「麦笛」は夏五月の季語とされ、高濱年尾の「麦笛を静かに吹いて高音かな」と稲畑汀子の「麦笛や四十の恋の合図吹く」の二句が添えられている。
日光では朝晩に長袖の欲しくなるときもあるが、概ね半袖で過ごせるようになった。出張の際には駅まで自転車で行くことがある。夜の帰宅に備え、ウィンドブレーカーをザックに忍ばせたりもするが、それを使うことも少なくなった。
これで梅雨さえ来なければ言うことなしだが、そう上手くいくものでもない。また、梅雨がなければ穀物や野菜は育たない。梅雨の時期には、雨は願わくば、夜のみに降って欲しい。
初更にメバルの煮付けを食べる。メバルの喉の奥の、マカロニのような管の食感がしごく良い。肝臓の美味さにおいても、メバルには格別のものがある。メバルが季語のひとつに数えられているかどうかについては知らない。
夏が近づくに連れ、日光の山々は涼しげになっていく。その理由は知らない。
所用にて下今市07:05発の上り特急スペーシアに乗る。春日部で乗り換え大宮の先まで行く。商談というか研究開発というか、そのようなことをして大宮まで戻ると、しかし時刻は10時前で、駅ビルのシャッターさえいまだ上がっていない。
ここで埼京線に乗って東京へ出るか、あるいは来た道を引き返して早々に帰社するか、すこし迷う。そして結局のところは東武野田線の改札まで歩いて「春日部10時33分発の下りスペーシアには間に合いますか」と駅員に訊く。
その駅員と並んで立っていた女子駅員が時刻表を取りだし、指を鉤の手に動かしダイヤを探る。その指先に目を凝らすと、7分の余裕を以て下り特急に乗れることが分かった。それと同時に「間に合いますね」と駅員も言う。
朝のうちは予想もしなかった早い時間に会社に戻る。列車で100キロを超える移動をしながら喫茶店にも入らずペットボトルのお茶さえ飲まなかったのは、何年か前の夏の日に東京のどこかで葬儀に列して以来のことだ。午後は来客や電話を避けて居間に籠もる。そして写経のような仕事をしつつ夕刻を迎える。
僕が書記を務める、日本酒に特化した飲み会「本酒会」の例会に参加をするため「魚登久」を訪なう。あれこれを肴に5種の日本酒を飲めば気分はすぐに満ち足り、早々に辞去して帰宅をする。そして入浴して即、就寝する。
この日記のための画像を撮ることを主な目的として使っている"RICOH CX4"の挙動がおかしくなってきた。具体的には、電源を落としてもレンズがボディに収まりそうで収まらず、前後動を繰り返した挙げ句ようやく収まる、という症状が出てきた。
僕はウェブ上での買い物はすべてメイラーに記録を残してあり、それを検索するとこのカメラは2011年3月20日に20,916円で買っている。
デジタルカメラはここ何年ものあいだ…と、ここまで書いて過去の記録を調べてみると、2006年以降は"RICOH"の製品しか僕は買っていない。それはアナログカメラ"GR1v"を持っていた、その流れから"GRD"に移行したことに端を発している。
いま検索エンジンに当たってみれば"RICOH"の"CX"シリーズは"CX6"を以て生産が終了され、「価格.com」で調べる限りピンク色のものが、昨年末比で65パーセントほども高い27,800円で出ているのみだ。
現在の"CX4"が間もなく動かなくなるとすれば、僕の選択肢はいくつあるのか考えてみる。
1."CX4"を銀座のリコー修理センターに持ち込み、直しながら使う。
2.値段とボディカラーには我慢して、兎に角"CX6"が市場にあるうちに買っておく。
3.ゲージツ写真用の"GRD III"を普段にも使う。
"GXR"を新規に購入しても、A12(50mm F2.5 MACRO)はメシの画像を撮るには適していない。重くてかさばる一眼レフはハナから眼中に無い。とすれば"CX6"を予備機として買い置き、しかし当面は"CX4"を直しながら使う、という手がもっとも現実的かも知れない。
自分の服の好みは知っている。
先ず第一に素材は木綿または麻であること。これは子供のころアトピー性皮膚炎に悩まされた経験による。世に膾炙している「ジャージ」というものを僕は生まれてこのかた着たことがない。あの化学繊維による上下を、まるで制服のように押しつけられている今の小学生でなくて本当に良かった。
第二は頑丈なこと。道具は良い物を手に入れて長く使いたい。長く使うには頑丈でなくてはならない。三十代のころは、プールではラグビーパンツを穿いていた。スカーフはリトアニアの麻によるものが、これはスカーフとしての使い道ではないかも知れないが、汗を拭くには最高である。
第三は脱ぎ着が楽なこと。夏は半袖のTシャツ、冬はそこに長袖のTシャツを重ねて恬淡としている人を知っている。そしてその人について「Tシャツを好むとは、ボタンを嵌めたり外したりが面倒なのではないか」と、別のある人が推理した。なるほどそう言われてみればその気持ちは僕にもよく分かる。
とすれば服の購入については「木綿または麻」「頑丈」「簡素」のみを追求して数は追わない。そう決心してその気持ちは決して動かさない。さすれば部屋は片付き、銀行残高の限りなくゼロに近づくこともない。
しかしそうもいかないところが人間というもので、だから今日も複数のウェブショップであれこれ見ては背骨をぐらぐらさせている。
読みさしの分厚い本が終盤にさしかかったところで、それを持参して出張あるいは旅行に出なければならないときには、既に読んだところの重さまで負担する気にはならないから、ハードカバーであればナタで割り、文庫本であればカッターで、いまだ読んでいない部分のみ切り離す。
そして今朝はその、石原慎太郎による「わが人生の時の人々」を読んで最終ページに至る。2002年1月刊行のこれは、芥川賞の現役選考委員が書いたとは信じられないほどの耄碌した文章によるものだが、内容はしごく面白い。
午後から自由学園に入る。そして同学会の、2013年度の年次総会に出席をする。その会場ではまた、同級生ヨネイテツロー君の長男が、明日館を図案化した模様のトートバッグを売っていた。事務室と自宅のあいだでコンピュータを持ち運ぶ袋がちょうどすり切れていたこともあり、ふたつあるうちの小さい方を即、買う。
池袋駅の地下コンコースから北口に延びる通路左側の、小さな本屋が好きだ。僕はむかしここで小林紀晴を発見した。活字を欠いては一人で飲酒のできない性分だが、今日は運良く好みに合いそうな本にすぐ行き当たり、よってそれを求めてから山手線に乗る。
そして北千住で1時間弱のカウンター活動を行い、19:13発の下り特急スペーシアに乗る。
地下鉄銀座線の、降りたばかりの車両のドアが閉まると、サッと寒いほどの涼風が吹きつけたから「この節電のご時世に、誰だ、こんなにクーラー、効かしてるのは」と、風紀委員風の軽い憤りを感じつつ階段を上がっていくと、しかしその冷えた空気は人為によるものではなく、街全体を撫でる薫風だった。良い季節になったものである。
朝に日本橋、午前に神田、昼前に恵比寿、夕刻に新橋と移動をする。そして7丁目でのカウンター活動を終え、旧電通通りに出て丸ノ内線の銀座駅を目指す。それにしても東芝ビルの消えた数寄屋橋の風景には、いまだ馴染めない。
「東芝ビルって、オレが高校生のころからあるもんなぁ」と考えつつ甘木庵に戻り、コンピュータを起動して調べてみると竣工は1934年とあったから、つまりあの建物はラジオドラマ「君の名は」の20年ちかくも前に建てられ、空襲にも耐え抜いた、というわけだ。
東芝ビルは何年も前に、東芝から東急不動産に売却されていた。今度ここに建つ建物の施工は歌舞伎座とおなじ清水建設。銀座では松坂屋も今年から解体され、再開発されるらしいということまでも、コンピュータのディスプレイには現れた。
路地裏のしもた屋も、そのうちすべて失われてしまうのだろうか。それを惜しんでも「だったらおめぇが買え」と言われれば当方の買えるわけはなく、だから「惜しい」とは口先ばかりで、せいぜいむかしの本を読むくらいしかできないのだ。
「死ぬまでに行きたい世界の絶景」というようなページが"facebook"にはある。ページの名にふさわしい、この世のものとは思えない景色が、そのページには次々と紹介される。
その絶景ページに似て、しかしテーマを絞ったページを時々"Trip Adviser"がメールマガジンで知らせてくる。いま正確に思い出すことはできないが、たとえば「世界で最も美しいライスフィールド10選」とか「世界でもっともスリリングな空港10選」というようなものだ。
インターネットの海を泳ぎながらたまにそのようなページに行き当たり、するとまぁ、1、2分はそこに留まって、そこにある画像にしげしげと見入ったりする。
そんなことをしていたせいか、今朝は「世界の天狗岩10選」というようなところを旅して歩く夢を見た。その天狗岩がどのようなものかといえば、まぁ、ヨセミテのエルキャピタンから棒状の岩が水平に延びている、というようなものだ。
僕に備わるたくさんの短所のうちのひとつとして、そのような場所にたまたま行き当たり、しかも「自由にお入りください」とでも立て札があれば、もう、その先端まで行ってみなければ気が済まない、というものがある。
夢の中の僕も案の定、地上数百メートルの空間に突き出した、戻ろうとしてもクルリと回転はできないほど細い岩の上を四つん這いで進み、しかしその突端も近づいたあたりで突風に見舞われた。そして「あー、どうしよう」と恐怖に見舞われた瞬間「ウー、ウー」とうなされながら目を覚ます。時刻は午前2時20分。
それから夜明けまでは一睡もできず、起きて早朝の仕事に向かう。
商売をしている以上、銀行に現金を積み上げなければならない。なぜ現金を積み上げなければならないか。それは人を幸せにするために、また人に迷惑をかけないために必要だからである。
散らかった机と整理整頓された机では、整理整頓された机で仕事をした方が、お金は入ってきやすい。あるいは無駄なお金が出て行きづらい。そういう次第にて多分、昨年末以来となる「明窓浄机作戦」を実行する。戦術は2手のみ。
1.ゴミ箱を用意する。
2.机上の、電話機とコンピュータと計算機以外のすべてをゴミ箱に捨てる。
そして作戦は数分で完了した。捨てたものは以下。
1.そのうち読もうとしていた書類
2.そのうちコンピュータに入力しようとしていた名刺
3.そのうち返事を書こうとしていたハガキ
4.そのうち実行しようとしていた"to do"メモ
5.そのうち商品を頼もうとしていた店のパンフレット
6.あってもなくても自分の気持ちには何ら影響しない記念写真
7.持っていても役に立たない領収書
8.そこに無くても一向に困らない卓上カレンダー
ところで、ひとつひとつのものを、そのつど精査して処理していけば、机上は常に清浄に保たれるはずだ。今後は「明窓浄机作戦」など実行しなくても済むよう「即の処分」を心がけたい。
「人が来なくて良いですよ」とは、いささか不便な場所に社屋を構える経営者の、僕に言ったことだ。それにひきかえウチは、店舗と会社と家とが交通至便の同じ敷地にある。店舗には人のたくさん来ていただくことこそが嬉しいけれど、会社についてはその限りでもない。
日本の営業係の良く口にする言の葉のひとつに「近くに参りましたのでお寄りしました」というものがある。近くに来るのは勝手だが、人の勝手に付き合わされる当方は迷惑この上ない。
本日はいささか精密さを要する仕事があり、それは、不意の来客や電話に攪乱されて途中で間違えると、数十分を遡って最初からし直さなくてはならないようなものだ。よって朝の用事の片付くと同時に、味噌蔵のある庭のあずまやに身を隠す。そしてここで2時間ほどの作業に従う。
明日のあれこれを考えると、今日はできるだけ稠密に仕事をしておくべきだ。そう考えて夕刻より"rubis d'or"の、今年に入って6回目の漬け込みをする。
2月のカトマンドゥでは朝に霧が立ちこめる。その霧はやがて晴れ、日が昇るにつれ気温が上がる。いまだ肌寒いうちに、たとえば自転車で郊外へ出向いたりすると、先ずはウィンドブレーカーを脱いで腰に巻き、次はスウェットシャツを脱いで首に巻き、しかし素肌に着たTシャツまではまさか脱げないから、昼も近くなれば汗と土埃にまみれてなおペダルを漕ぐ羽目になる。
「マッチ擦る、つかの間海に、霧深し」の歌は夜の日本海にこそ似合うような気がする。だから1980年や82年のカトマンドゥで朝に霧を見ても、寺山修司によるこの31音を思い出すことはなかった。
今朝の日光にも霧が深かった。そしてその霧は2月のカトマンドゥのものとはいささか異なり、時が経つにつれ更に濃くなっていった。気温と湿度と地表の温度がどのような関係にあれば、今日のような現象は起きるのか。
街を朝日が強く照らしている。街を照らしているくらいだから、ウチから西北西に数百メートル離れた杉並木にもその光は照射され、普段は深緑の葉を、今朝はもうすこし明るい緑色にしている。
その緑色のはるか向こう、並木の入口から直線距離にして10キロは離れているだろう霧降高原にも陽光は降り注いでいる。しかし一方では今まさにその高原の頭上から、山の雲が襲いかかろうとしている。
そしてそういう朝の景色を眺めつつ「ゴールデンウィークが過ぎて、もう1週間も経つのか」というようなことを考えたりする。
今日はおじいちゃんんの祥月命日のため、朝のうちに墓参りに行く。その途中で東郷町の「ふじや」の前を通りかかったら「冷やし味噌ラーメン」のポップが店の入口に張り出してあった。
「ふじや」は毎年、ゴールデンウィークのころに気温が上がると「冷やし味噌ラーメン」を始める。しかし今年は4月も末に至ってなお雪の降る天候だったため、すこし遅れたのかも知れない。
昼がちかくなると山の雲は一掃され、気温もうなぎ登りになった。気温が高くなろうがなるまいが、今日の昼飯は「ふじや」の「冷やし味噌ラーメン」と決めていた。そしてその目論見に従って13時30分に「ふじや」に入る。
「九段下寿司政のしんこを食べないと、私の夏が終わらない」と山口瞳は言った。僕にしてみれば「日光ふじやの冷やし味噌ラーメンを食べないと、僕の夏は始まらない」のだ。
おととい木曜日の天気予報が土曜日午後からの雨を伝えていた。しかし予報はあくまでも予報でしかなく、よって傘を持参することはしなかった。
その予報は悪い方に外れ、雨はきのう金曜日の初更、カウンター活動を始めるころには早くも降り始めた。そしてその雨は傘を差すほどでもない量を保ったまま、今朝になっても降り続いている。
それでも「傘を差すほどでもない量」であれば、甘木庵の玄関に何本もある傘を手に取ることもせず、春日通りを本郷三丁目に向かう。
大井町に降る雨も「傘を差すほどでもない量」であれば、傘がなくてもどうということはない。しかしここでは歩く距離がいささか長い。いささか長いけれども"mont bell"の折りたたみ傘は自宅から持参せず、不意の雨を忌々しく感じながらコンビニエンスストアで求め、いつの間にか溜まってしまった甘木庵の傘も持ち出さず、だからここにきて新たに傘を買う気には一向にならない。
午後にひばりヶ丘まで来ると、雨の勢いは「傘を差すほどでもない量」よりもすこし増えていたが、前述の気持ちは変わらないから、ここでも傘は買わない。そしてそれまでは首に巻いていたインド製のスカーフを今度はインドの車夫馬丁のように肩に巻き直し、数百メートルを歩いて自由学園に入る。
今日の父母会は案に相違して19時前に完了した。雨は相変わらず降り続いているが、ここからは家内の小さな傘がある。そこから片方の肩をはみ出させつつひばりヶ丘の駅まで歩く。
そして「雲行きの怪しいときには、やっぱり傘は持参すべきだわなぁ」と、すこし反省をする。しかしこんな反省などは、いずれ忘れてしまうのだ。
就寝するにあたって目覚ましを設定することはほぼない。もっとも、寝過ごすことが許されない場合にはその限りでもない。今朝は4時45分にアラームを設定しておいた。目を覚ましたのは設定より6分早い4時39分だった。
晴れていることは間違いないものの、きのう今日の空は澄んで青くならず、まるで春先のそれのように白く霞んでいる。空気中の湿度が高いのだろうか、あるいは中国大陸の方から細かい塵でも飛んできているのだろうか。
東武日光線の上り始発に乗るべく下今市駅へ行くと、ウチの袋を提げていらっしゃる方がいる。よって近づいて「有り難うございます。その店の社長でございます」とお声がけをする。僕よりも少し年長らしいその方は「あぁ、ウワサワさん」と笑顔を返してくださった。
内気で人見知りな僕ではあるが、こういう挨拶であれば、たとえその場所が浅草であろうが羽田空港であろうが躊躇なくできる。
東京の空は晴れて風が強い。「恵比寿ガーデンプレイス」を望む「ベクトルエイチ」にてヒラダテマサヤさんと、ウェブショップのレシピページを充実させる作業に従う。50数点に上る画像はしばらく前に、画像のファイル名に料理名と調理法を添えたテキストはきのうのうちにメールで送っておいた。
9時45分から始めた作業が18時ちかくになっても終わらないことについては想定した通りだった。残りは明日までの宿題として、ヒラダテさんと山手線内回りに乗る。ヒラダテさんは次の仕事が御成門であると言って目黒で降りた。そして僕は新橋で下車し、8丁目にて少々のカウンター活動をする。
「とうやったら、その体型を維持できるんですか」と訊かれることがある。僕は節制をせず運動もせず、しかしまた太りもしない。
集団で居酒屋に行くと面白いことに気づく。太っている人はますます太るような、たとえば炒め物や肉類、あるいはその肉類を揚げたようなものばかりを注文する。一方、太っていない人はますます太りようのない、たとえば野菜、植物性蛋白質を用いた加工食品、動物性のものであればせいぜい刺身くらいのところを頼む。
太っていない人のうちのほとんどは多分、現在の太っていない体型を維持しようなどということは考えていない。節制も運動もしない。ただ、脂肪をからだに溜め込むような食べものを好まないだけなのだ、多分。
食べものを粗末にすると不道徳のそしりを受けたりする。「食べて溜め込んだ脂肪を運動によって燃やすこともまた食べものを捨てることと同じ」と言った人がいるらしい。「なるほど」と思う。
今日と明日の2日間は、いささか根を詰めた仕事をしようと、事務机脇のカレンダーにも、そのことについては前々から書き付けをしておいた。そしていざその仕事に取りかかろうとしているところに「今日、たまたまそちらの方へ伺うところなんですが、お寄りしてもよろしいでしょうか」という電話が入る。
「顔を出してもかまわないか」と問われても、当方はとにかく、骨の折れる仕事を何とかこの2日間で完了させてしまおうと前々から考えているわけで、そこに「たまたま」の、恐らくは大したこともないであろう用事をいきなり突っ込まれても困る。
「今日こちらにいらっしゃるということは、今朝にならないと分からなかったわけですか」と訊くと相手は「いやぁ」と答えるなり絶句した。相手を絶句させるほど困ったことを僕は言っているのだろうか。
そのような電話のやたらにかかる事務室にいてはどうにもならない。よってコンピュータを持って居間へ上がり、ようやく今日の仕事を開始する。
決めた仕事のどこまで進捗したかについては、脇に置いたレポート用紙にボールペンで記していく。今日のところは全体の4割ほどを解決したところで夕刻になってしまった。そして「残りの6割は明日か、ちょっときついな」と考えつつコンピュータの電源を落とす。
明け方からいくらも経たない山々の、その山の端から天頂までを眺めるたび「それにしても、青い色の種類として"horizon blue"とか"zenith blue"なんてのは、良くも名付けたもんだよなぁ」と感心をする。そしてそのような山の色を目にするたびなぜか、否、なぜかということはない、必然としてスタインベックの「朝食」の冒頭を僕は思い出す。
本日は、僕としては珍しく、昼もちかくなってから上り特急スペーシアに乗り、それを降りた北千住で1時間ほども仕事をする。その後ふたたび電車に乗り、何本の川を渡ったかは覚えていないが千葉県に入る。こちらのでの仕事は10分ほどで完了した。
先ほど辿った鉄路を逆行し、いくつかの乗り換えと徒歩を経て、今度は本郷三丁目に至る。予定していたあれこれを済ませると、時刻は16時をすこし回っていた。気温は随分と高い。よって木綿のセーターを脱ぎ、半袖のTシャツ1枚になって切り通し坂を下る。
夏が近づいている。夏の何が嬉しいかといえば、朝は早くから明るく、夕刻は遅くまで明るいということが嬉しい。またそれと同じほどの度合いを以て、吹く風が熱いということが嬉しい。
北千住の駅から外へ出ると、空の色は昼のそれを保っていた。そして横町から路地へと踏み込んだ先の飲み屋で「ナカ」4つをこなしても、空はいまだ青い。
夏が来ても「静かな尾瀬と遠い空」は思い出さない。しかし「明るいうちから飲める」ということは脳の記憶自働再生装置が思い出す。「夏は夜」と清少納言は言った。僕は夏は断然、早朝と夕刻だと思う。
ゴールデンウィークも10日目となれば、これを利用して遊んでいる人も、いささか飽きてくるころではないか。
僕と家内の昼飯は、すべての社員がこれを摂り終えた13時30分から始められる。しかしここ数日は何やら、その時間帯に限って店が混む。よって今日は昼前になって急遽、弁当を買いに行く。そして僕は早い時間に、家内は2時30分を過ぎてから、等しくそそくさと昼飯を済ます。
昼飯をそそくさと済ませると、夜くらいはゆっくりしたいという気分になる。よって終業後1時間ほどもしてからホンダフィットに乗り、それを北へと走らせる。
東京でお酒を飲んでいて「安いよなぁ」といつも感心するのが「加賀屋北千住店」だ。逆に「高けぇよなぁ」と辟易するのが、いわゆる老舗蕎麦屋である。
「安いよなぁ」とか「高けぇよなぁ」という気分は価格の絶対値には比例しない。価格の絶対値が高くても当方が満足をすれば、それがすなわち"reasonable"ということになる。つまり東京の老舗蕎麦屋の酒さかなには、どうも僕は満足や納得をしないということだ。
東京の老舗蕎麦屋では「高けぇよなぁ」だが、 我が町の「玄蕎麦河童」の酒さかなについては「大丈夫だろうか」と心配になるほど僕にとっては安い。今夜のひとりあたりの平均価格は2,266円だった。そして「明日も頑張ろう」と思う。
「暦の上では」は慣用句のひとつだろうか。「型」とは場合によってはしごく格好良く、また場合によってはしごく格好わるい。前者を代表するのが伝統芸能であれば、後者の代表は慣用的表現を多く含む文章ではないか。
その慣用的表現を敢えて使えば、今日は暦の上では立夏にあたる。その立夏の今朝はいつもより早く目を覚ますことができた。鳥の声に気づいて窓を開けると、時刻は午前4時10分にも拘わらず、外は既にして薄明るくなっている。
本日の午後に東京ドームで行われる国民栄誉賞の授賞式について、その実況中継の番組を、朝飯の後で長男に録画予約してもらう。そして連休で帰宅していた次男には、その予約がしっかり為されているかの確認をしてもらう。
「ノイフランク」のコーンビーフを熱いポテトグラタンの上に散らして柔らかくしつつ、それも含めた肴と共に夜、ワインを飲む。そしてその晩飯の、食後のケーキにさしかかるあたりで朝に設定した録画を再生する。
東京ドームにおける長嶋と松井には、当然のことながら非の打ち所はない。そして内閣総理大臣の安倍晋三については、僕は自由民主党の諸々に反目する者ではないけれども「3人が並んでの記念撮影なら、真ん中は長嶋で決まりだぞな」と強く思う。
初版で何枚印刷したかは覚えていない。お客様向けの名刺というかミニフライヤーというか、その在庫が少なくなりつつあったころに版を改め増刷をした。改版で変えたところは1個所のみ。"twitter"のアカウントを"facebook"のそれに差し替えた。
口角泡を飛ばすようにして僕に"twitter"を奨めた人たちのほとんどが、現在は自身の"twitter"アカウントを休眠させている。そして多くは"facebook"に移ってしまった。「鬼畜米英撃ちてし止まん」と意気込んでいた人たちが昭和20年8月15日を境に「拝啓マッカーサー元帥様」の方向に雪崩を打った、そんな印象を受けた僕だが、その僕にしても"twitter"よりは"facebook"の方がよほど使いやすい。
初版の名刺は本日の午後に至ってようやく使い切った。すかさず次の名刺を店に出す。これによって会社のfacebookページへのアクセスがどれだけ増えるかは知らない。先ずは試験、である。
よほどしくじれない用事でもない限り、携帯電話にアラームは設定しない。そして今日も世間一般よりは早かろうと思われる時刻に目を覚ます。先月30日から今月1日にかけての風邪はとうに去った。
ゴールデンウィークも後半となれば、売り場には前半にも増して工夫を凝らす。日光の朝採れ地野菜を「日光味噌のたまり」で浅漬けにする「たまり浅漬け」については、そうたくさんお作りできるものでもなく、よって大人買いのお客様が現れればすぐに売り切れる。その売り切れの時間を想定できないところが悩ましい。
そしてやがて夕刻を迎える。仕事が忙しく、外へ出られないときの楽しみは、家でのメシ、くらいのものである。
「コーンビーフとほうれん草のソテー」とか「コーンビーフとキャベツのスープ」などというものが僕は大好きだ。しかし国立の銘店「ノイフランク」のそれだけは、フライパンやスープ鍋には投入しない。今日は蒸した春キャベツにそれを包んで柔らかくし、少しずつ口に入れては入念に咀嚼をして、その味と脂を栄養として舌に与える。
食卓に置いた電熱器の上のフライパンでは同じ店のソーセージを焼き、そのソーセージの風味を含んだ油で、今度はジャガイモやマフィンを焼く。
"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 2008"については、どこかの店が「楽天スーパーセール」だかのときに安く放出していることに気づいて「残りカウンタ」がゼロになるまで注文し、今となっては細かいことは忘れたが備考欄に何かを書き込んだら「実はもっとありますよ」との報せを店主から受けたから今度は電話に切り替え、その店の在庫すべてを買った。
それでも長男と日常的に飲めば、あるいはウチの在庫は随分と早くに払底するかも知れない。
早朝、霧降高原の、元は「メルモンテ日光」、現在は「大江戸温泉物語」の巨大な建物が、朝の光をはね返してオレンジ色に光っている。「屋上の露天風呂からは筑波山も見える」と言ったのはウチの製造係アオキフミオさんだ。その露天風呂には僕も何度となく入ったが、筑波山については気づかなかった。
今年の大寒のころに撮った「たまり漬を使ったレシピ」の画像をチラシ…本日"facebook "で仕入れた知識によれば昨今はフライヤーと呼ぶそうだが、それにまとめる作業をいま行っている。
50点超の画像からA4の片面に都合良く収まるほどの数を選び、長男の書いた調理手順を配置するのは広告代理店の仕事だが、彼らが行うのは、たたき台の作成と最終仕上げの部分で、そのあいだのあれこれは僕と長男が担う。
「たまり漬を使ったレシピ其の八」は昨春に作って秋に増刷をした。その在庫が払底した今は次の版の待たれるばかりだが、人が来たり電話がかかったりする事務室では、どうにも作業がはかどらない。
そういう次第にて午後も後半に入ってからは自宅の居間へ逃げ、そこで先ほどの作業を再開する。「たまり漬を使ったレシピ其の九」は、今月なかばには印刷を完了し、店頭で配布できるだろう、多分。
酒に酔い、風呂から上がり、バスタオルを体に巻いた姿でソファに座ったまま寝てしまう。あるいは布団の上に倒れ込んで、なにも掛けずに寝てしまう。そして数時間後に目を覚まして「こんなことを続けながら、よくもまぁ、風邪をひかずに済むものだ」と自分の丈夫さに感心することしばしだが、やはりたまには調子を崩す。
きのうは夕刻から体がだるく、よって「あぁ、失敗した」と、夜のだらしない行動を後悔した。今朝の明け方に至ると熱っぽさも感じ始めたから、アスピリン1錠を飲んで二度寝をした。
それでも新しい月の第1日目とあれば、普段以上に元気でいなければならない。よって朝から午後の遅い時刻までは会社の内外で通常の仕事をする。そして夕刻からは居間に戻り、コンピュータを使った作業に専念をする。
「2011.0311の大震災以来、節電を目的としたクールビズの初日が1ヶ月前倒しされて5月1日になった。しかし今年の5月1日は気温が低く、クールビズどころではない」と、いささか揶揄の気味を帯びたニュースをテレビが伝えている。
いまだ気温の低いにも拘わらず夏服に着替えるとか、いまだ気温の高いにも拘わらず冬服に着替えるのが「ころもがへ」であって、だから今日の衣替えは揶揄するに当たらない。「更衣」は夏5月の季語である。