店舗に置いてあるマイツール専用機RICOH-LXN20のハードディスクが、どうもおかしい。リコーのサーヴィスに見せたところ
「修理にいくらかかるか、その見積もりのために料金がかかる」
ということだった。7年前のコンピュータに、それだけの経費はかけられない。あっさり諦めた。
僕が5年ちかく前に購入し、その後、長男に上げたThinkPad530がある。今年の夏からディスプレイが不調のため、長男は中身を移し替えた家内のVAIOを持って、学校の寮に帰った。VAIOは、あまりの使いづらさに根を上げた家内が、喜んで手放した。
宙に浮いたこのThinkPad530を、店舗に回すことにした。
僕はIBMの修理体制が好きだ。修理センター 0120-20-5550 に電話をし、機種とモデルとシリアルの計14個の英数文字を告げると、翌日ペリカン便がマシーンを引き上げに来る。ACコネクターなどは不要。本体のみを専用のコンテナにて持ち帰る。
修理の途中経過は、IBM Webサービスセンター にて確認が可能だ。
ThinkPad530は、思いのほかカシッとして戻ってきた。ディスプレイの交換には至らず、修理費用も安かった。早速この小さなノートを、店舗の目立たない棚に設置する。
明日からまた、商品の出入りは手書きの帳票にではなく、ディスプレイ上のフォーマットに入れることが出来る。「日常の小さな喜び」 とは、こういうことを指す言葉だろう。
午前中、香港生まれの中国人ロンさんがワインの営業に来た。彼が勤めるワイン屋とは、15年来のつきあいになる。
ロンさんは叩き上げのセイルスマンだけれど、目から鼻へ抜けるようなフォクシーさとは無縁の人だ。誠実で静かな会話、生来のものと思われる愛嬌あふれる態度、それに日本語の読み書き能力に優れるところが、彼のアドヴァンテイジだろう。
ロンさんが持参した3本のワインを試飲した。欲しい気持ちは起きなかった。でも相手はロンさんだ、何か買って上げたい気持ちは強い。在庫表を見せてもらった。"Les Forts De Latour" の1996年ものが存外に安い。
「ウチの手持ちは、どうだったか?」
ロンさんと一緒に僕のワイン蔵に入った。"Les Forts De Latour" は、1982年ものを4本残すのみだった。1996年もののそれを、6本買うことにした。
酒井邦恭は著書 「人間の基本 」 の中で
「人には好かれた方が良い。なぜなら、その方が楽だから」 と書いている。
僕に欠けているのは、まさにこの部分だ。
35歳のころから喫煙を始めた。朝、便所の窓を開けると、日光連山が西の端から東の端までまで見渡せる。これを眺めながらタバコを吸うことが好きだった。
冬の朝などは氷点下の空気の中で、パジャマ1枚でタバコを吸うことになる。だから同時に 「こんなことを続けていれば、いずれ俺は便所で死ぬ」 と考えていたことも確かだ。
ちょうど3年前、ある偶然からタバコをやめることに成功した。タバコを吸っていた期間は6年ほどで終結した。しかし未だに、タバコを吸いたいという気持ちは常にある。
今年吸ったタバコは2本。
1本は、3月に赤坂プリンスホテルのアーケードで買った葉巻ロミオ・イ・フリエッタ。店の人が20Cmほどもあろうかという長いマッチで、入念に火を付けてくれた。これを清水谷公園の上にあるイタリア料理屋へ戻りながら、40分間かけて吸った。初春の曇り空に、柔らかい煙が溶けて消えていった。
もう1本は紙巻きのジタン。6月に自由学園の同窓会が開かれたとき、池袋のバーで同級生にもらって吸った。フランスのタバコは、人に吸わせてその香りを愉しむと最高だ。しかしながら味の濃い両切りのタバコはもちろん、自分で吸ってもとても美味い。
「3月に1本、6月に1本ということは、9月に次の1本か?」 と思っていたが、その機会は無さそうだ。タバコという習慣性の高い危険物には、本当は決して近づかないことが肝要だろう。
GOURMET に載せる文章をひとつ書くため、開高健の短編 「玉、砕ける」 を読んだ。老舎が登場する。老舎は毛沢東の全盛期、北京の太平湖で入水自殺をした中国の作家だ。老舎の語る鍋料理屋の話が秀抜。ウイスキーのダブルをストレイトで2杯飲むうちに読み終えた。
僕は明らかに活字中毒だけれど、コンピュータのディスプレイに浮き上がる文字もまた、活字の範疇に入るだろう。eメイルを使うようになってからは、紙に印刷された文字を読むことが極端に少なくなった。
今ではほとんど電車に乗っているときと、単独での飲食の際にしか読書をしなくなった。だから持ち運びに不便なハードカヴァーは困る。バッグを持つことも厭う性格から、大抵は文庫本を尻のポケットに入れて移動する。
夕刻、尻のポケットに文庫本を入れて 「さぁ、今夜はどこで飲もうか」 と考えるときが、僕の最も好きな時間だ。
だから銀座の "KOOL" や "MOD" のような立ち飲みバーへは、ひとりでは行かない。立って飲みながら本を読んだこともあるが、1分も経たないうちに、本は尻のポケットへと収まってしまった。
今日は 本酒会 の日だ。本酒会とは月に1度ひらかれる利き酒の会。僕の仕事は書記。メンバーの数は30名弱。近くのソバ屋やぶ定の座敷に行く。今日の出席者は16名。
本酒会では毎回10本程度、量にして10リットルの日本酒が用意される。ランクは純米酒以上。お酒の取り寄せは、本酒会員の酒屋3名が持ち回りでつとめる。また年に数回、高島屋東京店のリカーショップからも直送される。
本日の得票第1位は、秋田県・沼館酒造の「舘の井大吟醸」 総合点15。第2位は岡山県・宮下酒造の「極聖大吟醸」 総合点11。第3位は富山県・銀盤酒造の「播州50純米大吟醸」 総合点10。
1度に多種類のお酒を飲むということは、どういうことか? それは単品を深く味わうよりも、それぞれの違いを比較する飲み方になる。高速度で過ぎ去る風景を、車窓から眺めるような飲み方になる。
ひとつのお酒が時間の経過と共に姿を変えていく様や、異なる料理によってその味わいがより増したりする妙味は、味わえない。
いわゆる 「試飲会」 と 「美味い酒を飲む行為」 とは、実は別物だ。美味いお酒は自宅で、あるいは落ち着いた環境で飲むに限る。
社員から 「年末ギフトのDM」 を作るよう、頼まれた。お中元が済むと、お歳暮の季節は実はすぐそこまでやって来ている。
ご案内のDMにこまごましたことを書いても、ほとんど読まないのではないだろうか? 文字数を抑え、目に優しいフォントを使い、レイアウトに工夫を凝らすことを、僕はDMの眼目にしている。
お中元やお歳暮のDMでは、つい文章が毎年、固定化される傾向にある。枝葉末節はとにかく、骨格の部分は変えようがない。その中で、今年はどのような変化をつけていくか?
今年の夏、ある方から快気祝いとして、数十件のご注文をいただいた。そのお客様はエクセルによる名簿を、メイルに添付したファイルでお送り下さった。当方はそれを マイツール に落とし込み、電話番号や商品種別でソート(並べ替え)した。
名簿を電話番号でソートすると、送付先の住所が日本列島の北から南へ順に並ぶ。こうすれば、行き先によって異なる送料の計算は楽だし、お客様も料金の確認がしやすくなる。
商品種別でソートすれば、名簿は商品別に区分けされてアウトプットされる。商品代金の計算は簡単で、かつ荷造りをする係の作業能率も向上する。あるいはまた、荷造りミスの確率も低くなる。
今年の 「年末ギフトのDM」 には、お送り先名簿を 「お客様のお手元にあるままの形」 にてお受けつけできる旨の一文も、入れようと考えた。
午前7時30分に起床。朝食を摂る気力も起きない二日酔い。部屋の冷蔵庫からミネラルウォーターとオレンジジュースを取り出し、双方とも飲み干す。
TVのスイッチを入れると、オリンピックの女子マラソンが映し出された。アナウンサーの声は聞こえるけれど、画面を眺めるという、ただそれだけの根気が湧かない。AKI’Sにて左右から何度も注がれた赤ワインが原因か、あるいはカラオケで注文したIWハーパーのダブル2杯が効きすぎたか。
9時25分にホテルを出て、隣のMG会場へ行く。本日のゲイム開始時間は9時30分。TVの画面も見られないほどの二日酔いながら、第4期にはしっかり経常利益を出す。
MGは瞬時の判断力やかけひきの妙が要求されるあたり、スポーツと非常に似ている。第4期の途中から、空腹を覚えてきた。
昼食をはさんで最終の第5期のゲイム開始。この期にも僕は経常利益を出した。ただし、第3期までの累積損を吸収するほどではない。
結局、第一期に300あった自己資本を、5期かかって増やすことは出来ず、最終到達自己資本は260に留まる。感想文を提出して、藤沢での2日間は終了した。
夕方5時30分過ぎに、MG仲間3人と東海道線に乗る。東武日光線浅草駅から、最終の特急スペーシアにて下今市へ。夜10時近くに帰宅。
朝6時30分に、時計のベルで目覚める。シャワーを浴び、昨日と同じ服装にて甘木庵を出る。同じ服装とは、僕が同じ服を何枚も持っているということだ。着替えをしないという意味ではない。
新橋駅の銀座口にあるドトール・コーヒーにて朝食。パンは小学校のころから苦手だったが、昨年あたりからは随分と食べるようになった。僕の味覚が変化したのか、日本のパンが美味くなったのか。
東海道線に乗る。午前9時に藤沢に着く。
今日は 湘南MG 。MGとは、マネジメントゲームの略。
ゲイムをしているうちに、自然に "intellectual worker" への道を歩むことになるこのMGを、僕は1991年の6月から続けている。
湘南には、たまたま 「人の利」 があったようだ。開発者の 西順一郎 自らがインストラクションをするMGは、普段は東京で開かれている。しかし湘南にこのMGを愛する者が何人か存在したことから、西研究所 のMGを年に1度、藤沢にて開催するようになった。
何かを得るつもりで来るのではなく、ただただゲイムに参加するだけだけれど、湘南MGからは毎回、いろいろなヒントを得て帰ることが数年、続いている。
第1期から第3期までのゲイムと決算を終え、午後7時30分に西順一郎の講義が終了する。会場から徒歩で5分ほどの場所にあるイタリア料理屋AKI’Sにて交流会。
二次会は、僕が人から誘われる以外は決して足を踏み入れないカラオケ。10代から50代までの男女20名ほどが、ひとつの個室にゴッチャリと詰め込まれて、歌、歌、歌。
行けば行ったで楽しいカラオケを出たのは、午前1時20分という恐るべき時間だった。普段なら既にして、起床をしているかも知れない時間だ。
今日は自由学園卒業生のメイリングリストPDN(Primary Dougakunotomo Network)のオフ。場所は東京都千代田区神保町。自由学園男子部1回生の矢野さん宅。
自由学園の 「回生」 は、普通の学校とは解釈が異なる。1回生とは、創立した最初の年に入学した生徒。2回生は2年目に入学した生徒。ちなみに僕は35回生、僕の長男は64回生だ。
オフを1時間後にひかえ、神田駿河台下、富士見坂の鶴八にて飲酒を為す。先ずは決まりの、竹筒に入ったシジミ汁。突き出しは鰹の白味噌煮トロロ芋たたき和え。お酒は菊正宗の樽。
僕の注文は、ホヤワタ(莫久来)、アナゴとナスの揚出し。菊正宗から切り替えた北雪を飲みきり、店を出る。鶴八における滞在時間は30分。僕は飲み食いのピッチが速く、飲み屋に長居をすることはない。
午後6時20分、靖国通りに面した矢野さん宅の4階へ行く。ここには Computer Lib という会社もあり、異常にコンピュータ密度の高い電脳フロアになっている。予定されていた4つの議題について意見の交換をし、また意義ある雑談を最後に、オフは無事に終了。
本郷三丁目にて軽く飲み直し、甘木庵に泊まる。
お隣のお年寄りが亡くなって3日目。今日がお葬式の日だ。朝8時30分に、お隣へ出かける。
例によって組内の女の人の手になる昼食を、午前10時にいただく。告別式が昼の12時から午後1時にかけて行われるための、非日常的措置だ。
おかずはナス、インゲン、ピーマンを油で焼いたものの上に、たっぷりの生姜醤油をかけまわしたもの。僕の大好物。自家製の味噌による味噌汁の具は、ワカメとジャガイモとネギ。これも美味い。
お隣は香典返しに、弊社の 「日光みそのたまり漬」 を使って下さる。僕の一存で、余らないように少しずつ納品することを提案する。
午前11時から如来寺に詰める。如来寺は江戸時代、日光街道上にあって日本橋から最も遠く、最も日光に近い宿場町 「今市」 の本陣にも指定されていた名刹だ。
香典返しは多くのお客様によって、予想通り不足する。如来寺と、数百メートル離れた弊社の間を、クルマにて2度往復。結局、香典返しは当初予想した数字の2倍に達した。
暑くもなく寒くもなく、照りもせず降りもせず。まずまず、良いお葬式だったと思う。
朝9時から、お隣へお葬式の手伝いに行く。昼食と夕食は、組内(くみうち)の女の人たちによる料理が振る舞われる。
家というものは、それぞれが独自の文化を持っている。食事は、その文化の最たるものだ。他家の料理を食べることは楽しい。それは異なる文化に触れるということだ。
昼食に出たサラダが不思議だった。キャベツ、キュウリ、ピーマン、ワラビが塩で揉まれ、あるいは湯がかれてしんなりしている。ここに塩漬けのシソノミが少々。これらの上には、輪切りになった大量のトマト。マヨネーズかグニグニグニとかけまわされている。
「サ、サラダにワラビぃ?」
しかし食べてみると、これが美味い。ワラビの、西洋の野菜があまり持たないノロノロヌメヌメとした食感を、マヨネーズと共に味わう。
夕食のメインはウドンだった。茹でて水で洗ったウドンが、ザルに上げられて光っている。手伝いの男たちには次々と、具のない熱い味噌汁が渡される。
「ウ、ウドンを味噌汁に入れて食うの?」
この味噌汁に揚げ玉と、そしてミョウガと青トウガラシのみじん切りを投入する。ここにウドンをディップして食べる。 「う、美味い」
冷たいウドンに熱を奪われて、味噌汁はどんどん冷たくなる。しかしウドンの水切りが良いせいか、決して薄くはならない。汁が冷たくなれば、それはそれでウドンも美味い。
お通夜が無事に終了したところで、出前のにぎり寿司が夜食として出された。ここでやっとアルコールにありつける。ウドンの食べ過ぎで、にぎり寿司にはあまり手が出なかった。
お隣のお年寄りが今朝亡くなったことを、区長の I さんが伝えに来る。とりあえず、海外にいる社長の携帯電話に連絡を入れる。
普段は持ち歩かない携帯電話とメモ一式を持って、お隣にかけつける。今夜はご家族だけで過ごし、明日からのみ隣組がお手伝いをすることに決まる。お線香を上げて会社に戻る。
こういうときに限って、ふたりの事務員のうちひとりは、前から予定されていた休みで不在。もうひとりは同じく、午後に有給休暇が入っている。
9月16日に行われた、就職選考試験の合否通知を作成する。普段よりも忙しくルーティン・ワークをこなしながら、慌ただしく文書をつくる。採用が決まった人よりも、むしろ不採用になった人にこそ、いち早く連絡がしたい。
本人たちと学校あての計17通の文書は、夕方5時15分前にようやく完成する。ただちに郵便局へ行く。17通のすべてを速達の書留にする。
閉店後に、自前のコンピュータを持つ社員5名へのコンピュータ教室を行う。特殊な用途に使うコンピュータ以外は、すべてモーバイル・コンピュータにすべしというのが僕の意見だ。これについて未だに理解できない人の存在が、僕には不思議でならない。
夕方までに頭を使いすぎたため、いささか酸欠気味だ。酸欠の薬はお酒。ウイスキーを生で飲みながら、講師を務める。
社員たちは放っておいても自分たちで助け合って課題をこなし、教え合っている。僕の出番は要所のみだ。社員のコンピュータから打ち出されたプリントアウトをホワイトボードに貼りだし、皆で眺めながら講評を加える。
コンピュータ教室は、午後8時すぎに終了した。今後もこのような自主的で民主的で楽しいコンピュータ教室を随時開いていこうと、僕は考えている。
ここ2日間ほどで、ホーキング青山の 「七転八転」 を読んだ。ホーキング青山は先天性多発性関節拘縮症により、生まれたときから四肢が動かない。車椅子に乗った寄席芸人だ。
デビューのとき、スポットライトを浴びた彼が、観客に向けて放った第一声は
「見世物小屋にようこそ!」
オトタケ君の 「五体不満足」 は、手に取ったこともない。ホーキング青山の本なら読む。これが僕のメンタリティだ。
巻末の解説は中森明夫。この中で彼は、以下のようなことを述べている。
quote-----------------------------------------------------------
もっとも書くのが難しい文章とは何だろう。人を泣かせて感動させる文章か。これは簡単だ。
笑わせる文章か。泣かせるよりは大変だがそれも違う。もっとも難しい文章・・・・・。
それは、正確な文章だ。
enquote---------------------------------------------------------
うん、なるほど。確かに正確な文章は、面白い創作よりも面白いことが、ままある。しかし自分が書くとなると、これはやはり難しいね。
東京の某所でKさんに会った。Kさんは僕の顔を見るなり 「4002ですよ、4002!」 と言った。 何のことか分からず訊くと、僕の個人ペイジ 清閑PERSONAL のアクセスカウンタのことだった。
1ヶ月ほど前から清閑PERSONALのトップには
「アクセスカウント4001をゲットした方には、ワインを1本差し上げます」
ということが明示してあった。
Kさんが数日前にアクセスをすると、たまたまカウンタは4000だった。そこで4001を取ろうとリロードしたら、なぜか数字は一足飛びに4002まで上がってしまったという。
それではアクセスカウント4001をゲットしたのは、誰?
というわけで What’s New 下部にもある通り、アクセスカウント5001ゲッターには 、以下のどちらか1本が進呈される。
・ Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1998 (Rouge)
このカベルネ・ソーヴィニョンは強力無比。抜栓1時間後のデカンタージュが必要。葉巻、カシス、鞍皮の香りと、ビロードの舌触り。炭火であぶった牛肉に、これほど似合いのワインは皆無。
・ Cablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1998 (Blanc)
金色のシャブリは、引き絞った鉄弓のようにパワフル。ブルゴーニュ中心部の白ワインを思わせる蜂蜜の香りは光輝燦然! これは実に不思議なシャブリ。口に含んだ瞬間から、驚くこと必定。
9時より、来年度就職希望者のための選考試験を行う。希望者は男女あわせて10名。
僕は就職試験というものを受けたことがない。他の会社でどのような入社試験が実施されているかも、調べたことはない。試験の問題はすべて、僕がつくる。
真面目な生徒は試験の始まる直前まで、就職試験の問題集を開いていた。役には立たないかも知れないが、そういう経験も良いだろう。
瞬発力の要求される問題、それとは逆の作文、あるはスピーチなどを織り交ぜた試験は、2時間30分で無事終了した。
1時間後、下今市駅発のスペーシアで東京へ向かう。今日は、長男が通う 自由学園 で父母会が開かれる日だ。
中学校1年生から高等学校3年生までの近況や、今後についてのことを報告する全体会には遅刻。しかしクラス別の懇談会には間に合う。夕食を伴いながらの父母と教師の会話は、午後8時過ぎまで続いた。
長男は、春夏冬の休みにしか帰宅しない。普段は1日24時間のすべてを、自由学園で過ごしている。父母会への出席は、お世話になってる親としての当然の義務だし、あるいは楽しい権利だ。
大口の注文を受け、宇都宮市内のホテルまで配達に行く。あるイヴェントのお土産として、弊社商品 「日光みそのたまり漬」 を使っていただけるとのことだ。ご注文主のお宅までご挨拶に伺うと、思いがけず現金にてお支払いをくださった。
同市内の たまき へ寄る。四季の器と工芸品を扱う、土蔵を改造した店舗。僕は店主である田巻さんに、よそで買った絵の額装から、陶器を入れる箱の制作、また篆刻までを依頼する。田巻さんのセンスをあてにし、親切さに甘えての行為だ。
僕が野外で重宝しているもののひとつに 「野点酒器」 がある。異なる二客の徳利と、まちまちな十客の酒杯を納めた箱で、これも田巻さんにお願いをしたものだ。真田紐を解いてフタを開くと、その内側に器と窯の名前が墨書してある。
たまき店舗奥の空間で出された 「そばぼうる」 とアメリカンコーフィーが美味しい。タンノイのスピーカーからは、僕の知らない音楽が低く流れていた。
田巻さんとの会話は、90パーセントがインターネット関連のもので、9パーセントが俳句についてのこと。そして残りの1パーセントが、仕事の打ち合わせ。弊社のノヴェルティとして、このお店の陶器を使っている。少しは仕事の話もしないとまずいだろう。
帰路、日光わんわんの森へ顔を出す。森と、秋の草花にかこまれ、素朴な遊戯施設が点在する素晴らしい環境。祭日のため、お客の入りはまぁまぁのようだ。売店に置いてある、弊社商品の在庫を調べた。
午前9時30分に、ミスター・カトーノ がウチへ仕事に来た。
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下らない仕事も多く見えるが、最後の 「懸賞サイトへの登録」 は、体力勝負であるとともに、細かい神経も必要な辛い作業だ。そしてこの登録作業こそが、懸賞企画における最も大切な仕事となる。
夜6時30分から8時までかかって、やっとこの作業を終える。やるべきことはやった。
今夜からの、法人サイト へのアクセス数の急上昇が楽しみだ。
書店を経営する15歳も年長の先輩が、「本の旅人」という角川書店の月刊誌を送って下さった。あるメイリングリストで僕が触れたアメリカ人作家へのインターヴュー記事が、ここに載っていたためだろう。
この本の中で僕がもっとも興味を惹かれた読み物は、大竹昭子という人による、ある種の紀行文だった。彼女がハワイ島にナナという友人を訪ねるところから、その短編は始まる。
ナナの家には、30畳ほどの大広間がある。その大広間の二面の壁には、腰から下の高さにぐるりと本棚が巡らせてある。そして二面の壁の接合部、つまり本棚が90度に交わった奥の暗がりから、大竹昭子はある本を発見する。
わざわざ人目を避けるように隠されたその本の著者は、谷譲次。他に林不忘、牧逸馬という、合計3つのペンネイムを、作品の種類によって使い分けた作家だ。本名は長谷川海太郎。1920年代のアメリカで、様々な職を転々としながら放浪した男。
「思いがけないところで、思いがけない名前に出会ったなぁ」 と、僕は感慨をおぼえた。
ウイスキーをひと口のどの奥へ流し込み、背中を反らせて溜息を一つついた。
僕の本棚には、室謙二による長谷川海太郎の評伝 「踊る地平線」 がある。15年ほど前に手に入れたものだ。未だに手を付けていない。既にして古本のような匂いを発している。
僕は 「踊る地平線」 を、次に読むべき本の筆頭に据えた。
東京ディズニーランド直営の アンバサダーホテル に泊まった。アールデコの意匠、アメリカのお菓子のような、鮮やかなブルーのストライプを持つ外壁。事実上の客室フロアは3階分しかない、こぢんまりとしたマイアミ風の外観を持つホテル。
ディズニーランドは、相変わらず人で一杯。しかし一昨日からの大雨注意報のためか、各パヴィリオンに長蛇の列は見あたらない。天気は曇り。9時に入場したが、昨日から暴風雨を懸念して掃いてきたガムシューが、くるぶしを痛め続けている。
10時30分、ひとりディズニーランドを抜け出した。イクスピアリの 「ジェオクルー」 という店で、メレルの靴を買った。古いガムシューは、捨ててもらうことにした。ジェオクルーは旅行用品の店ということだが、パタゴニアとメレルの品揃えが秀逸。
まるで雲の上を歩くような心地よさとともに、ディズニーランドへ戻る。フェーン現象のためか、高い不快指数。プラスティック製の腕時計が、内側から結露している。
毎回のことながら、ディズニーランドで遊ぶということは、労働あるいは登山に似ている。朝から汗で濡れたままの不快なシャツと、疲れたふくらはぎ。
帰りの特急スペーシアは小天国、風呂上がりの自宅の畳は中天国、ビールを飲んだ後のベッドは大天国だった。
家族3人で イクスピアリ に来た。千葉県浦安市にできた、ショップとレストラン、それに映画館からなるコンプレックスだ。
ノコギリの歯のようなギザギザと、いくつかの円筒が複合した建物。一部にスロープを持つ巻き貝のような構造。異なる階がそれぞれ道路や駅に直結した、グラウンド・フロアの曖昧さ。自分の現在位置の特定が、はなはだ難しい。
とはいえ、立体裁断のパンツが独特のディスプレイを見せる DIESEL、分厚い番手のデニムによるジャケットがしゃれた CLEANING STORE など、魅力のある店は多い。
夜の10時過ぎに、4階屋上を散歩する。ペントハウス形式のレストラン群。まるでカスバのような風景。海の匂いが押し寄せる。シガーバーのトルセドールは満員。そこからひとけのない階下に降りると、この建物が23時をもって閉鎖される旨の放送があった。
すぐ隣にあるアンバサダーホテルへの帰り方が分からない。運良く通りかかった電気工事の二人組に道を訊ね、やっとのことでこの薄暗い迷路を脱出した。
朝6時ちかく、涼しい湿気を保った戸外に出る。我が家から目の前の日光街道を遡上する。ほどなく道は江戸時代のものと現代のものとの二手に分かれる。
舗装のなされていない旧道に入り、樹高30mほどの杉並木の中を歩く。視界には濃い緑、鼻には堆積した落ち葉の湿った匂い、耳には道の両側を流れる小川の水音。
この杉並木は17世紀の初めから、勘定奉行の松平正綱が植え始めたことになっている。もちろんウソだろう。杉を植えたのは松平正綱ではなく、かり出された近在の百姓に違いない。
ピアノを弾く友人がいまだ20歳代のころ、自分の作った曲をスコアにして師匠に渡した。ほどなくしてその曲は、その師匠が作曲したものとして、レコードに納められた。
別の友人がやはり20歳代のころ、発表した論文の末尾には 「○○教授、以下スタッフ」 と記されていた。論文を書いた当人は、あくまでも 「以下スタッフ」
「江戸城を造ったのは誰?」 「太田道灌でしょ?」 「ブッブー、正解は大工さんです」
という、古いナゾナゾを思い出した。
老人と話をすることが好きだ。彼らが若かったころの仕事、学び、遊び、あるいは争い。時代を超えて共通する人間の感情と、今では決して再現できない当時の風俗習慣。列車の席や飲み屋のカウンターで、老人と隣り合わせて会話をすることは、おとぎ話を聞くここと同義だ。
ところで、老人達にほとんど共通する生活パターンのひとつが早寝早起きだろう。そして自分もこの点においては、しっかりと老人化していることを認識する。
僕の就寝時間は多く20時から21時のあいだ。従って起床は夜中の1時から2時。極端な早寝早起きによる昼夜の逆転。
3時くらいから自宅1階の仕事場でコンピュータをいじくり回す。eメイルのチェック、ウェブペイジの更新、あるいは電話という邪魔を避けて能率を上げるべき数々の仕事。明け方5時を過ぎて仕事場のシャッターを開けると、たまに友人が窓を叩く。
「どうぞ仕事を続けてください」 と言われても、そうはいかない。
友人にとっては散歩の途中の、一服のお茶。僕にとっては朝食前の、一服のお茶。
夏至を過ぎれば、漸く夜明けは遅くなる。夏至を過ぎた瞬間から、冬至を待ち望む自分がいる。
肉でも魚でも野菜でも、スーパーマーケットで買うよりは、個人営業の店で買いたい。この好みが、食べ物屋を選ぶ際にも現れるようだ。チェーン店やフランチャイズの食べ物屋へは、あまり行かない。
そんな僕の目から見ても、KIWAグループ による食べ物屋は悪くない。このグループの料理は、チェーン店特有の 「練り上げられた結果の平準」 を、なぜか感じさせることがない。
麻布十番の「喜虎」は、日本料理屋というよりは飯屋の色合いが濃い。そのため良質の日本酒を用意してある割に、酒肴となるものは少ない。しかし茄子の煮浸しなどは本当に美味く、また上出来のおひたしを盛った朝鮮風の三方茶碗は、求めて購入したくなるほどの姿の良さだ。
そこからほど近い 「胡同三辣居」 で、湯波と青菜の炒めを肴に透明の強い中国酒を飲むことは、なかなかに楽しい夜遊びだ。北京ダックを皮だけではなく、肉の部分まで厚めにスライスして出すアイディアも嬉しい。
新橋の路地裏にある 「大連紅虎餃子楼」 の伊風麺は 「こんなのメニュに載せて、リピートするヤツいるのか?」 と思われるほど、日本人の好みからはかけ離れて広東風だ。しかし、こういうものをあえて試してみる姿勢が面白い。
KIWAグループによる中華料理屋の数少ない欠点のひとつは、コンクリート打ち放しの床。足跡による消しがたい黒い帯が、入り口から店の奥まで続いている。薄汚さの、意図的な演出?
雲の中にほとんど姿を隠した浅間山のふもとを通過する。軽井沢へ抜けようとするそのとき、強い雨が降り始めた。台風の影響だろうか。中軽井沢、旧軽井沢と移動するうちに、雨は収束した。
このあたりをクルマで通ることが、かつては多くあった。20年以上も前のことだ。
当時、東京から長野県最北部に位置する野尻湖へ行こうとすると、そのほとんどは 「したみち」 を辿るしかなかった。関越自動車道は埼玉県の東松山でスッパリと切れていた。東京から軽井沢へ至ってやっと、野尻湖まで半分の行程を消化した感じだった。
その時分、軽井沢でクルマを停めることは殆どなかった。深夜や明け方の国道18号線を、ただ野尻湖へ向けて真っ直ぐに走るだけだった。
プリンスホテル系の、巨大なショッピングモールへ行った。想像もつかないほど広大な敷地、2500台以上もの容量を持つ駐車場、平日にも関わらず通路にあふれる人々。しかし僕のような、滅多に購買意欲が頭をもたげない人間にとっては、猫に小判の施設。
山のことは、山が教えてくれる。山にひぐらしが鳴き始め、山百合が咲き始めると、乳茸(ちたけ)の季節だ。
乳茸を割ると、白い液体がにじみ出る。このキノコの名前の由来だ。歯触りがポキポキ、モソモソするため、あまり美味いキノコとは言い難い。30年ほど前までは、キノコ狩りの人たちが蹴飛ばして歩いたほどの駄キノコだった。
こんな駄キノコが、現在では初ものにおいて、松茸に近い値をつけることもある。
僕の最も好きな乳茸の食べ方は、これを乱暴にも生醤油で煮て、それを炊き立ての飯に混ぜ、握り飯にすることだ。
今朝はこの握り飯を肴に、鹿児島の「ちびちび」という芋焼酎を飲みながら日光を越え、足尾を越え、群馬県の四万温泉に来た。
夜、新湯川の川面に近い露天風呂に入っていたら、川の中に20Cmほどの魚が数尾、見えた。薄茶銀色のボディに、墨を一筆サッと掃いたようなラインを持つ魚。
暗い、しかし澄んだ水中に魚影を探す遊びは、いざ始めてみるとなかなか面白かった。そして自分としては随分と長い時間、お湯に浸かっていることになった。
朝方、氷詰めのサンマをもらった。
夜、これを三枚におろし、フライパンのオリーヴ・オイルで焼いた。そして熱した大きめの皿に並べ、トマトとルッコラのスパゲティとエリンギのソテをつけ合わせた。サンマを塩焼きにせず、油で焼いたのは、ムスカデが飲みたかったからだ。
昨年からワインはほとんど、インターネット経由の通信販売で購入するようになった。オンラインのワイン屋さんは、15000バイトほどのメイルマガジンを、1週間に2度あるいは3度も送ってくる。膨大な文字情報。
彼らは購買欲をそそる、酒飲みにとってはとても魅力的な文章を書く。
自分の納得した商品を薦めるとき、その筆は更になめらかに進む。そしてあまり自信の持てないものを宣伝するときには、そのワインの本質に触れない、周辺情報を綺羅星のように並べる。
今夜飲んだムスカデは、樹齢60年以上のブドウを使い、オーク樽で1年間、熟成させたものだという。ムスカデとしては異例の、真剣のような鋭さと、強い苦み。
サンマは際限もなく食べ続けられそうな錯覚を抱かせるほど、美味かった。
自宅から歩いて1分の床屋へ行く。
20歳のときから伸ばし続けている髭と、極端に短い髪型。このスタイルは、僕の生活から面倒なものごとを省くひとつの手段だ。毎朝、髭を剃る必要もなく、寝癖の発生する元もない。
髭と短髪というのは、ある種のデフォールトだ。
公共交通機関を利用する際に、切符を買わずプリペイド・カードを使うこともまた、デフォールトだろう。目的地までの運賃を知る手間は不要となり、券売機の列に並ぶ義務からも解放される。
デフォールトとは人を怠け者にするシステムではなく、体力気力知力時間を、より創造的なことへ使うための優れた方便だ。
おととい自由学園の下級生が同窓会のメイリングリストに、済州島の壮大な暴風を伝えていた。会議で彼の地を訪れていたという。東シナ海を通過した台風の影響だ。
その台風も過ぎて、今朝の東京上空は凱風快晴。上空から街へ吹き下ろす熱風が心地よい。
浅草からひとり、東武日光線の特急スペーシアに乗る。午前中に我が町へ帰着する。乾燥した高地の空気は、東京のそれよりも更に、あるいは遙かに爽やかだ。
今日現在を、何月何日か知らない人がいたとする。その人は今日いまの空気を、初秋のものと知るだろうか、あるいは初夏のものと認めるだろうか。
初秋と初夏は、その断片だけを切り取ったとき、驚くほど皮膚に共通のものを感じさせる。
本日は 本酒会(ほんしゅかい) が年に2度行う酒飲み旅行の夏の部。昨年は8月に行われたが、今年は9月にずれ込んだ。参加者は6名。
飲み場所は、日本酒フリークSさん@niftyに紹介された串銀座三丁目店。会の始まりは18時30分。料理は全員が 「おまかせ」 に統一し、お酒のみ、各自が好みのものを選択した。以下。
市本賢一 黒龍・石田屋、八咫烏・亀ノ尾
大橋和彦 黒龍・石田屋
小林晴雄 黒龍・仁左衛門、十四代・七垂二十貫、雑賀・純無濾過
芝崎俊一 菊姫・菊理姫、帰山・純米大吟醸、八海山・純米吟醸、久保田・萬壽、〆張鶴・純米吟醸
八木沢勝美 福寿・七年秘蔵、黒木本店・百年の孤独
上澤卓哉 菊姫・黒吟、十四代・蘭引、大石・二十五年
料理は、始めの 「ハモとオクラの煮こごり」 から 「鳥の串物」 を経て最後の 「卵雑炊」 まで一貫して美味しく、誠実な仕事。価格も安い。居心地も良く、21時まで長居をする。
本酒会は純粋に、酒を飲むだけの集まりだ。串銀座の外で自由解散。二次会は無い。皆で雑魚寝をする文京区の甘木庵には、結局ふたりのメンバーが朝まで戻らなかった。
僕は「夏の匂い」を感じることができる。最後にそれを聞いたのは8月26日土曜日、街を自転車で流していたときのことだ。
京都の友人から送られた、枝豆と甘唐辛子と芋茎を食べた。夏のなごり。
枝豆は茹でてサヤから取り出しペンネと和えて、オリーヴオイル、バルサミコ、塩と胡椒で味を整えた。甘唐辛子は火であぶって、これまたオリーブオイルをかけまわし、南半球のどこかにあるという塩湖の塩を振った。どちらもしみじみと美味い。
芋茎はコンソメで煮びたしにした。えもいわれぬ歯ごたえ。サンセールの白を飲んだ。
夕食を終えてから、稲畑汀子編「ホトトギス季寄せ」を調べた。枝豆も唐辛子も芋茎も、秋九月の季語だった。
暦上、秋に入って久しい今は、昼の残暑よりむしろ朝の涼しさが疎ましい。そしてできることなら、夏しか季節を持たない場所で暮らしたいと考える。