夜中に目を覚まし、枕頭の活字をしばらくあさって二度寝に入る。次に気がつくと6時になっていた。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、刻みオクラの鰹節かけ、玉子入りスクランブルドエッグ、納豆、茄子の塩水漬け、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁。
7時ごろから雨が降り始め、空は明るいからこれは天気雨と思ったが、テニス部の回し電話があって、今日の練習は中止と決まった。そして雨はやはり8時前には止み、やがて雲も切れて青空さえ見え始める。
下今市駅13:36発の上り特急スペーシアに次男とふたりで乗る。北千住から地下鉄日比谷線で日比谷へ至り、ディズニーの映画 "HERBIE" を見る。アメリカ映画の馬鹿ばかしさをくさす人は多い。しかし作り手の苦労を考えればそうそう悪く言えるものではない。そしてまた、絵に描いたようなアメリカ映画が僕は嫌いではない。
長男はきのう釜山より下関へ移動し、旅行を共にした倉敷の下級生宅に一泊した後、鈍行と快速を乗り継いで夕刻に東京へ着くと聞いていた。その長男と後楽園駅のプラットフォームにて待ち合わせ、春日町交差点ちかくの路地裏にあるジンギスカン屋 「幾寅」 へ行く。肉を取り混ぜて8人前、野菜1人前、豆腐やサラダなどを取り、お酒については泡盛と生ビールをボイラーメイカーのようにして飲む。代金は1万円とすこしだった。
真砂坂を徒歩で上がり、本郷三丁目を越えて甘木庵へ帰る。日本では在庫が払底して手に入らないバンダイの 「たまごっち」 を長男がソウルのスーパーマーケットで手に入れ、これを次男への土産とした。次男は大喜びだがマニュアルはハングル、ディスプレイの文字は英語だから、手際よく使いこなせるかどうかは不明である。
入浴して缶ビールを350CCほども飲み、「雑司ヶ谷短信」 をすこし読んで10時に就寝する。
5時30分に目を覚まし、「雑司ヶ谷短信」 を読んで6時に起床する。牛乳を400CCほども飲み、6時30分すぎに甘木庵を出る。きのう晩飯を抜いたが腹は減っていない。それでも浅草へ至り、地下道の豚かつ屋 「会津」 にて納豆定食に冷や奴を追加してこれを朝飯とする。柔らかく炊かれた米飯が苦手でなければ、僕の朝帰りにおけるメシの随一は、やはりこの店である。
7:30発の下り特急スペーシアに乗り、9時すぎに帰社して仕事へ復帰する。
夏時間により1時間だけ延長した営業を6時30分に終えたところで家内が 「ピザの出前をとろうか、それとも "Casa Lingo" へ行こうか」 と訊く。「ピザの方が安上がりだけどなぁ」 と口では答えつつ "Casa Lingo" を選ぶ。
サーヴィスの、豚薄切り肉の胡麻ソース和えが運ばれたところでカラフの白ワインを頼む。おまかせのおつまみ、冷やしトマト、ハムとメカブの冷たいカペリーニ、穴子の柔らか煮。唐辛子入りソーセージ、夏野菜のピッツァ、ベーコンと唐辛子のスパゲティ。
ハムとメカブの冷たいカペリーニは、僕のようなうつけ者が因果を含まされ目隠しをされ蕎麦屋で食べたなら 「へぇ、ずいぶんと工夫しましたね、蕎麦というよりは、まるでカペリーニみたい」 と答えてしまいそうなほど和風に近く、これはこれで悪くない。というか、夏の昼飯として数日に1度は食べたい美味さだ。
アイスクリーム、そして桃のタルトは人任せにして僕はカラフを空にする。
帰宅して入浴し、9時に就寝する。
3時30分に目を覚まし、枕頭の活字をあさって5時に起床する。事務室へ降りて顧客からのメイル3通に返信を書く、"amazon" へ本を発注するなどのよしなしごとをするうち次男が来てラジオ体操のため外へ出て行く。
"amazon" は実際にある本屋と同じくここへ足を踏み入れるのははなはだ危険な行為にて、ふらふらとするうちつい目を惹くものに行き当たって購入ボタンをクリックしてしまう。今朝、佐藤嘉尚による 「面白半分 快人列伝」 を購入すると 「この本を買った人はこんな本も買っています」 のところに吉行淳之介の 「酒中日記」 があり、だから 「オレは吉行淳之介の本はほとんど読んだけれど、これはどうだったかなぁ」 と考え詳細を見たら 「吉行淳之介著」 ではなく 「吉行淳之介編」 だったから 「あぁ、買わなくて良かった」 と思った。
実店舗の本屋よりも劣る点が "amazon" にあるとすれば、それは立ち読みのできないところだろう。「酒中日記」 も立ち読みをすれば、そそくさとキャッシャーにこれを運び 「あ、カヴァーはいりません」 などと言って即、尻のポケットにねじ込むかも知れない。
朝飯は、焼いた万願寺唐辛子の鰹節かけ、オクラのぬか漬、冬瓜と豚肉の炊き物、納豆、とろろ芋、メカブの酢の物、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。朝飯を食べないと脳の糖分が不足して頭が働かないなどと言う人もいるが、僕ほど朝飯を食べると腹が膨れてこれまた頭は働かない。
14:36発の上り特急スペーシアに乗る。北千住にて地下鉄千代田線に乗り換え根津で下りる。買物をひとつこなして再び千代田線に乗り、新御茶ノ水で都営新宿線に乗り換える。新宿を過ぎて以降は急行になるそれを桜上水で乗り換え遂に八幡山駅頭に立つ。
同級生のアカギシンジ君、ノリマツヒサト君、ヤハタジュンイチ君、僕との4人がサカイマサキ君の会社に集結し、5時15分よりちょっとした話し合いを行う。当初、この話し合いは8時には終わるとメイルにて伝えられ、しかしこれが始まろうとしているときに 「9時ごろだろうな、終わるのは」 と言い直され、しかし実際の解散は10時を過ぎた。
8時に話し合いを終え9時に有楽町へ移動し、すこし調べものをした後に銀座で晩飯を食べるという計画を当初は立てていたが、そのようなものはとうの昔に雲散霧消した。同じ方向へ帰るヤハタジュンイチ君と京王線の車内に入ったとき 「晩飯を食わなければ酒も飲まずに済む。そうすれば今月の断酒は9回になってノルマの8回を上回る。結果8月は通常よりも1日多く飲めるな」 という智恵が湧き、新宿線に乗り入れた車両を神保町にて下りる。
富士見坂の途中を左へ折れ、明治大学脇の路地を辿って駿河台へ出る。御茶ノ水橋を渡り、ときどき立ち止まっては写真を撮りつつ本郷へ至り、遂に甘木庵の扉を開く。
入浴して牛乳を400CCほども飲み、長男の本棚より羽仁吉一の 「雑司ヶ谷短信」 を取り出しこれを読む。「長男の本棚より」 と書いたがこの上下巻は1972年の夏に僕がおばあちゃんに買ってもらったものである。
0時30分に就寝する。
5時30分に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをするうち次男が来てラジオ体操のため外へ出て行く。すこし遅れてその後を追うと、地面や店舗の外壁にたくさんのトンボがいてじっと動かない。新聞受けの新聞にもそれは留まっていて、だからしばらくはこれに手を伸ばさずにいる。
ある時代劇俳優による 「伊勢海老に湯船とられてトルコ風呂」 という句を思い出す。地方へ仕事に出かけた共演者が伊勢エビを買って帰り、自宅マンションのバスタブへ放ったところいまだ生きてザラザラと動いている。それを見るうち食べるに忍びなくなり、風呂も使えないので 「一緒にトルコ風呂へ行こう」 と電話をしてきた一件を披露しつつこれは詠んだもので、僕にも 「かちむしに新聞とられてみのもんた」 との五七五が浮かぶが到底、本歌の馬鹿ばかしさには敵わない。
その本歌の更に本歌を検索エンジンで調べてみると 「朝がほに」 というはじめの5文字が後によみかえられて 「朝がほや」 になったとは知らなかった。
朝飯は、ほうれん草の油炒め、冬瓜と豚肉の炊き物、高菜漬け、納豆、メカブの酢の物、メシ、ジャガイモとオクラの味噌汁。
昼飯が素麺だったため、午後も遅くなれば大いに腹が減る。僕はほとんど間食をしないが今日ばかりはアイスクリーム2個を食べる。
西の空に夕日が沈むころ、床がストンと真下へ落ちるような小さくない地震がある。そのときソファへ腹這いになっていた次男は声も出さず動かない。これは落ち着いているのではなく、次に来る揺れに備えて身を固くしているのである。東京に震度5の地震があったのは、何日前のことだっただろうか。
隠元とエリンギのオリーヴオイル炒め、人参のグラッセ、ふかしたジャガイモを添えたステーキに、薄くスライスしたにんにくのたまり漬と 「金長」 のステーキのたれをふりかけて食べる。胡瓜とレタスとトマトのサラダを口へ運んでは次の肉の一切れに取りかかる。ステーキを肴に飲むワインよりも、ステーキをおかずに食べる炊きたてのメシの方がはるかに美味い。これから 「好きな食べ物は何ですか?」 と訊かれたら 「米のメシです」 と答えようと考えつつ食後に牛乳300CCを飲む。
入浴して牛乳を今度は200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
3時30分に目を覚ますと、それほど強くない雨の音と、クルマのタイヤが路上の水を切る音が聞こえる。自分たちの居間ではなくおばあちゃんの居間へ行きテレビのスイッチを入れる。台風は千葉県と茨城県をかすめて現在は福島県沖にあることを、その静止画像は伝えていた。そのまま眠らず5時30分に起床する。
我が町に発生した火事が旧市街へ近ければ4回、遠ければ3回のサイレンが鳴る。今朝は4回のサイレンがあったため屋上へ上がるが四囲に火や煙の気配はなく、いつの間にか雨の止んだ東の空に淡い光があるばかりだった。
6時におにぎり5個と高菜漬けの朝飯を食べていると次男が起きてきて、どうしていまごろメシを食べているのかと訊く。今日は東京へ行くのだと答えると、自分が出場する水泳大会の応援には来ないのかとまた訊く。予定通りきのうの開催であれば行けたが、これが今日に延期されたので残念ながら無理になったのだと説明をする。
下今市駅7:03発の上り特急スペーシアに乗る。コンピュータが起動したところで眠りに落ちる。数十分後に目を覚ますと列車は利根川の鉄橋を渡っているところで、頭上には台風一過の空がまぶしく広がり、眼下には大量の濁流があった。
9時すぎに神保町の "Computer Lib" へ着き、担当のマハルジャン・プラニッシュさんにかねてより依頼しておいたウェブショップの変更個所につき確認をする。また、書き直して欲しい部分が新たにあることを伝える。別途、同社のイノウエタケシさんにはこのところ考えていることについての見積を頼む。午後4時をまわり、書き換えの済んだ部分をサーヴァーから僕の "ThinkPad" へと複写する。
都営新宿線と東京メトロ千代田線を乗り継ぎ北千住へ至る。プラットフォームから綾瀬寄りの階段を上がり、すぐ左側の改札を出たところの駅ビル食料品売り場を歩いて野菜の安さにびっくりする。ただしいくら辛味大根が1本78円でもこれを蕎麦の薬味に使おうとすれば、使い切らないうちに萎びさせてしまうだろう。ここでは万願寺唐辛子のみを、そして同じ階の "PAUL" でパンを買い、17:11発の下り特急スペーシアに乗る。
7時前に帰宅して焼酎 「無月」 を水で割る。夏の井戸水はそれのみを飲んでも美味いが上出来の焼酎を混ぜれば更に美味い。焼いた万願寺唐辛子の鰹節かけを肴にその焼酎を飲む。冷や奴、春雨サラダ、2種の餃子などを食べる。次男によれば水泳大会の結果は 「惜しくもビリ」 だったという。そして 「帰りに飲みものくれたから来年も出場する」 のだという。「スゴイですねー」 とその安直な性格を褒める。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
3時に目を覚ます。デジタルカメラで撮った各々の写真を前に森山大道と荒木経惟が対談をしている2002年発行のムック本は、"amazon" に出品をしている古書店だか個人から買った。これを読みつつ4時30分に至る。眠くて眠れず、湿熱の空港からダウンタウンの安宿へ着いた異国の明け方を思い出す。
起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをするうち6時2分に電話が鳴る。留守番電話の録音が作動する前に素早く受話器を取るとそれは今市小学校からの、次男が出場する水泳大会の延期を伝えるものだった。紀州沖から台風が接近しつつある雨模様にて、おとな3名こども4名の僅々計7名にてラジオ体操を行う。
厚焼き玉子、ピーマンとソーセージの油炒め、かまぼこの炊き物2種、メカブの酢の物、刻みオクラの鰹節かけ、納豆、高菜漬け、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁。朝飯のおかずがいつもより多いのは、プールで食べる弁当のそれがこちらへ回ってきたためである。
今夏は7月の第3土曜日より営業時間を1時間だけ延長している。台風がどこにいるのかはテレビを見ないから不明だが、本日はその1時間のあいだにたったひとりのお客様もなかった。そのお陰で、ということもないが、店舗にある冷蔵ショウケイス3基のうちの1基を清掃し、最後はアルコールで拭き上げると、これが新品のようになった。
自分で粉や液体を混ぜ合わせて作る式の悪趣味な駄菓子を好む次男でさえも 「これは無理」 という酢漬けイカは、八坂祭の子供御輿を担いでもらったものだ。「お父さんが食べてやるよ」 と初更に引き受け、だったら飲みものもそれにふさわしくと、焼酎 「無月」 を20年ほど前から階段室の裏にあるキリンレモンで割る。
20年前の清涼飲料に変味はないが、これをひとくち含めばやはり上出来の芋焼酎が勿体ない。2杯目からは普通のお湯割りに換え、隠元の胡麻和え、生のトマト、蒸した焼売、銀鱈の粕漬をその肴とする。そして酢漬けイカには手を着けず、これは今日も残ってふたたび違い棚の上へ戻された。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
5時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、トマト入りのスクランブルドエッグ、ピーマンの油炒め、メカブの酢の物、納豆、茄子のぬか漬、メシ、茄子と玉ネギと万能ネギの味噌汁。
きのう同学会のゴルフコンペに、ゴルフをするためではなく取材をするのみの目的で参加したアカギシンジ君からは、早くも夜のうちにウェブペイジ用の報告文と画像が届いていた。更にはシゲマツアキラ君からも別途リポートが入り、両者の 「いいとこ取り」 をして同学会ホームページを更新する。
夕刻、ウェブショップの受注をしらせるメイルが携帯電話に入る。僕は即、コンピュータの方でも同じ注文を確認する。もしも通信欄に特殊な要望があれば、それについての返信をすぐに書かなくてはいけない。しかしながら18:01着信のそれはお客様からのものではなく、"Computer Lib" のマハルジャン・プラニッシュさんが当方の要望にて行っている動作試験だった。
終業後、先週22日に行われた 「第146回本酒会」 の会報を書き、そのメイルマガジン版を発行する。また余勢を駆ってウェブペイジ版も作成し、サーヴァーへ転送する。
初更、「櫻の郷酒造」 の芋焼酎 「無月」 をお湯割りにする。これがいかにも美味い。きのうのモヤシナムル、高菜漬け、麻婆豆腐、肉じゃが、グリーンアスパラガスの胡麻マヨネーズ和えを、その肴とする。
メシの画像は撮るには撮っているのだが、その道具がコンパクトデジタルカメラのため、明るさが足りないと特に手ぶれを生じてまともなものが得られない。なぜ性能の良いカメラを入手しないか? その理由は先月の日記に 「"RICOH GR" のデジタル版が出るという噂のある中で、それ以外のカメラはいかにも買いづらい」 と書いた。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
3時ごろに目を覚まし、枕頭の活字をあさるなどの後に起床する。事務室へ降りて時計を見たら4時だった。いつものよしなしごとをするうち6時15分に次男が来てラジオ体操のため外へ出て行く。6時30分より僕もその集団に加わる。
朝飯は、トマト入りスクランブルドエッグ、胡瓜のぬか漬、メカブの酢の物、2種のかまぼこ、納豆、メシ、ワカメと万能ネギの味噌汁。
このところずっと、ボロボロのポロシャツを着ている。数ヶ月前に購入した "Patagonia" のポロシャツ4着を交互に着回して、どうしてこれほどの短い期間にそれらが相そろって襤褸のごときになるか。その原因は多分、節水をするようプログラミングされた新しい洗濯機に求められるのではないか、水が少ないから衣類は洗濯機のあちらこちらに擦れて、またたく間にちぎれてしまうのではないか。これでは節水で稼いだ水道代よりも頻繁に買い換えなくてはいけなくなった服の代金の方がはるかにかさみそうである。
このようなシャツを着た人物を、場末の大衆食堂にすら僕は見かけたことはない。それではなぜ新しいポロシャツか、あるいは更に新しい洗濯機を買わないか? 前者については僕が、本やお酒には惜しまないお金を服には惜しむからである。後者については、誰でも1年のあいだに洗濯機を2度も買い換える気はしないだろう。
初更、白菜のキムチを肴に、しその葉ジュースを滴下した泡盛 「時雨」 を飲む。生のトマト 、茄子とシシトウの炒りつけ、モヤシのナムル、2種のたれで食べるカルビ、それを包むサンチュ。細かくサシの入ったカルビは上出来すぎて、僕にはその脂がしつこく大量には食べられない。胡瓜のぬか漬で口の中を涼しくする。
入浴の後、家内に早く寝るよう言われ、それを早く風呂へ入れと言われたものと勘違いをし、シャワーを浴びている最中に 「あれ、風呂にはもう入ったんじゃねぇか?」 と気づく。
牛乳を200CCほども飲み、10時に就寝する。
6時にようやく目覚めて起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、6時30分より町内のラジオ体操に参加をする。店舗の犬走りに雨を避けることができるため、春日町1丁目のラジオ体操に雨天中止はない。
朝飯は、かまぼこの炊き物、メカブの酢の物、キャベツの油炒め、茄子のぬか漬、納豆、メシ、ワカメと万能ネギの味噌汁。
この日記を書き始めた西暦2000年にくらべれば、家庭、会社、学校などにおけるインターネットの通信速度は格段に向上した。文字をクリックしてようやく画像が見られる仕組み、ホットリンクをクリックしたとき別のウインドウを開かない仕組みは 「遅い」 環境下にある訪問者に配慮をした外注SEカトーノさんの助言によるものだった。しかし現在の 「速さ」 を鑑みれば、この仕組みには一考を加えても良い。
画像についてはこれを表に置くことは避けても、そのサイズを現在の 256dot x 192dot からより大きなものにすることは考えられる。ただしホットリンクにおいて複数のウインドウを開かないことについては、過去の日記を遡って見る人のことを考慮してこのまま継続したい。
もうひとつ考えていることはカタカナの表記で、たとえば新聞が "main bank" を 「メーンバンク」 と記す決まりはどうにも気持ちが悪いけれど、しかし外国語の発音をできるだけ正確にカタカナへ反映させようとする、たとえば中山蛙による 「コムプァシャッター」 「スクルゥマウント」 などという文字を目にすると、どうにもそこから先へ読み進む気力が萎える。外国語のカタカナ表記についてはいろいろな人が縷々述べているが、いわゆる "standard" が見えないから難しい。自分としてはどうするか? それがはっきり決められれば苦労はない。
晩飯にカレーライスを食べて飲酒は避ける。これで今月は6回の断酒をしたことになるから残る義務はあと2回で、これを3回に増やして8月の断酒日をひとつ減らそうかと絵図を描く。
入浴してなにも飲まず、9時30分に就寝する。
昨夕、次男が甘木庵にいる長男へ電話を入れ、秋葉原で 「たまごっち」 は買ってくれたかと、ここ数週間の懸案を述べた。長男がその問に対しどのような返事をしたかは知らないが、途中から僕が電話を替わると、長男は数時間後に品川より夜行列車へ乗り、下関から船で釜山へ渡るという。韓国からの帰路がどのような交通になるのかは訊かなかった。
朝のラジオ体操の後、監督のカミムラヒロシさんが次男に 「どうしたいアンチャンは、いま合宿か?」 と質問を発したため、僕が気を利かせて 「長男は、今日か明日にはカミムラさんの好きな国へ行きます」 と答えるとカミムラさんは間髪を入れず 「イギリスぅ?」 と返し、失礼ながら僕は大笑いをする。
朝飯は、胡瓜のぬか漬、納豆、茄子とピーマンの油炒め、生のトマト、メカブの酢の物、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁。
よその学校との水泳大会に次男が自ら進んで選手への名乗りを上げたとは、担任の先生の手紙で知った。家内による次男評のひとつに 「できないくせにできると思い込んでいる」 というものがある。この性格は少なくとも 「できるくせにできないと思い込んでいる」 人よりは何ごとかを為しそうに感じるがどうだろう。
昼の焼きそばを取り急ぎ食べ、その練習風景を今市小学校のプールへ見に行き、数分後に帰社して仕事へ戻る。
曇天の下、7時30分に 「第146回本酒会」 の開かれる 「金長」 へ行く。この1ヶ月の僕の 「金長」 濃度は高い。北は秋田から西は広島までの8本のお酒を飲み、締めに冷たいスパゲティを食べる。これを正式のメニュにすれば、特に夏場は好んでこれを注文する人が多いだろう。小雨降る中をオチアイマナブ、ワガツマカズヨシ両会員と連れだって 「宇都宮ねぎにら餃子今市店」 へ行き、僕は390円の醤油ラーメンを頼んだから、これが本日3度目の麺ということになる。
帰宅して入浴し、牛乳を200CCほども飲んで11時30分に就寝する。
4時30分に目を覚まし、5時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをするうち次男が来て、6時30分からのラジオ体操に備えて外へ出て行く。気の早い子供はずいぶんと時間に余裕を持って、もう顧客用のベンチで本を読んだりしている。
本日のラジオ体操の監督はカミムラヒロシさんだった。子供がこれに出席した証明として押すハンコはシバザキトシカズ育成会長の家にあり、しかし今朝は電話が繋がらなかったとのことにて急遽、ウチが宅急便の受け取りなどに使うハンコを代用する。
そのシバザキトシカズ育成会長は6時45分ごろに事務室へフラリと来て 「もう終わっちゃったんだね」 と言う。「まぁどうぞ」 とお茶を出して、しばし世間話をする。僕が早朝の来客を好むのは、どのような理由によるものだろうか。
朝飯は、ほうれん草の油炒め、納豆、メカブの酢の物、かまぼこの炊き物、刻みオクラの鰹節かけ、胡瓜のぬか漬、きのう次男が残した鮭の粕漬、メシ、ワカメと茗荷と万能ネギの味噌汁。
そして昼飯は、鶏挽肉と茗荷と長ネギの熱いつゆによる冷たい稲庭うどん。夏の昼飯には、やはり冷たい麺が一番である。
「たまり漬のアイス」 「粒みそのアイス」 を売り出したところ、これを店内でお召し上がりになるお客様が多く、ところがそれに用いることのできる施設は囲炉裏を囲むベンチしかない。お客様はいきおいそこからあふれて地方発送受注台の、柏木圭によるストゥールも時には占領されるようになった。これは喜ぶべきことだが、しかし地方発送をお申し込みのお客様は、どこへ移動すればよいのか?
というわけでなにかテイブルになるものはないか考え、しかしこういうご時世だから経費はなるべく抑えたい。販売係のオオシマヒサコさんと倉庫へ行き、そのオオシマさんが格好の大火鉢を発見する。そばには上手い具合にガラスを丸く切った板もある。これを火鉢へ載せれば偶然にも囲炉裏と同じ高さのテイブルになるから、アイスクリームはここで食べていただけば良い。
というわけで夕刻に手の空いた販売係のサイトウシンイチ君を倉庫へ伴い、先ずは火鉢の灰をスコップで空き樽へ移してもらう。火鉢の直径は1メートルもあるから携帯電話で家内と販売係のトチギチカさんを呼び、段ボールを敷いたエレヴェイターでようやくこれを1階へ降ろし、外へ出して水洗いする。問題はこのテイブルのまわりに置くべきストゥールで、これだけはどこかで買わなければいけないだろうか。
今夜のメシはステーキと聞いて "Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 1999" は、あらかじめワイン蔵から出して栓を抜いておいた。仲町の洋食屋 「金長」 を訪なうと春日町のカトウサダオさんがいて 「ひとりけ?」 と訊く。「いえ、ステーキのタレ、買いに」 と答えると 「ウーン、タレカコキョウヲオモワザル」 と言うので 「ハハハ、そうですね」 と相づちを打つ。
相づちは打つが、自分でも何が 「そうですね」 なのかは分からない。別段、それで構わないのである。「相手の話を理解しているにもかかわらず返事をしない人」 よりは 「相手の話を理解していなくても相づちだけは打つ人」 の方が、社会ではより愛される。
いまや残り3本になったチリのカベルネソーヴィニョンを飲む。人参のグラッセ、サヤインゲンのバター炒め、ふかしジャガイモを添えたステーキに、にんにくのたまり漬の薄切りと 「金長」 のタレを振りかける。薄いためウェルダンになってしまった肉の合間にレタスとトマトのサラダを食べる。
食卓の上に垂れた直径2センチほどの油を拭き取るにはティッシュペイパーが必要だが、テレビの上にあるこれを家内に取りに行かせるのは子供の教育上よくないと考え、自ら立って食卓に蹴つまづく。その衝撃でワインの瓶は倒れ中身はこぼれ、グラスも倒れてこちらは割れる。卓上の散乱を片付けた後はすかさず食器棚より別のワイングラスを出し、これに次のワインを注ぎ足す。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。
2時に目を覚まし、「花火屋の大将」 を読んで3時に二度寝に入る。洗面所の窓からの星がうっすらとしか見えないのは、空にすこし雲がかかっているせいだろうか。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、ほうれん草のおひたし、茄子の炒りつけ、メカブの酢の物、青ネギと人参を練り込んだかまぼこ、納豆、メシ、シジミと長ネギの味噌汁。
浅草のある中華料理屋で餃子を注文し、それが届いてふと卓上の調味料に目をやるとお酢がない。店員に訊ねれば 「餃子のたれ」 と書いた瓶があるからそれを使ってくれと言う。「ホームコンピュータ革命」 を書いた "Ted-Nelson" がその場にいたら多分 「料理人という名の司祭の言いなりになるのはイヤだ」 と答えただろう。スペインの大方の料理屋がドレッシングの配合を客に任せることと同じく、餃子のたれは自分で作りたい。
その点、池袋ビックカメラ本店裏の飲み屋 「男体山」 には客が自由に使うことのできる酢や油の用意があり、だからレヴァ刺しでもおひたしでもパーソナルな味で食べることができて好きだ。何が言いたいか、つまり今朝のほうれん草のおひたしも、僕はこれを酢の物として食べたのである。
今月16日に新発売の 「しょうがのたまり漬アイス」 は僅々2日で売り切れたが本日、それに 「しその実のたまり漬アイス」 と 「粒みそのアイス」 を加えた全3種が揃い、これからはお客様のお好みに合わせた販売ができるから嬉しい。
10日に撮影した八坂祭の写真のうち 「これぞライカによる "candid photograph" の典型」 と言ったら自画自賛になるけれど、撮した72枚中の随一を 「かみじょうカメラ」 でプリントし額へ納め、これを当番町仲町青年会長タカラギサケテンさんと春日町一丁目青年会長ユザワクニヒロさんの家へ届ける。ズミクロン35ミリによる男ぶりの立派さは、川治と鬼怒川との中間地点にあるひなびた温泉宿で、浴衣の帯を蝶ネクタイに見立ててカラオケを歌っている人とは遠く隔たったものがある。
次男は学校から通信簿をもらって帰り、夏の長い休みに入った。燈刻、万能ネギと茗荷を薬味にした焼き厚揚げ、茄子の炒りつけ、ワカメとさらし玉ネギの鰹節かけ、かまぼことオクラの炊き物、「魚久」 の銀鱈と鮭にて泡盛 「時雨」 のお湯割りを飲む。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、10時に就寝する。
いまだ隣室には灯りのある時刻に目を覚ます。いつの間にか二度寝に入って3時にふたたび目を覚ます。「花火屋の大将」 を読み、また寝てまた目を覚まして5時30分に起床する。
事務室へ降りて夜中に届いたファクシミリを検分し、それが必要なものには注意書きを添えて事務係イリエチヒロさんの机上へ置く。ご相談のメイルをお送りしてあったウェブショップのお客様より戻った返信をメモにして、こちらは同じく事務係コマバカナエさんの机上へ置く。そのようないつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、メカブの酢の物、鯵の干物、大根のたまり漬、ふきのたまり漬、キャベツの油炒め、納豆、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。おとといに続いて鯵の干物はその頭から尻尾までのすべてを食べる。
昼前に、どうということのない用事、いまやその用件さえも忘れてしまったが、イチモトケンイチ本酒会長がふらりと来て自衛隊の戦闘糧食である缶詰2個を置いていく。そのカーキ色の一方には 「たくあん漬」、もう一方には 「ます野菜煮」 の文字がある。イチモト会長によれば 「美味い」 とのことだがどうなのか。僕は食わず嫌いのクセを持つ人を疎んじる。しかしながらこれについてはどうも、誰かに食わせてその反応を見た方が楽しそうだ。
事務室のカウンターでお茶を飲むイチモト会長に、このたび 「たまり漬アイス」 というものを売り出し、本来であればここで試食をして欲しいところだが生憎と日曜日から売り切れている旨を話すと商品名について訊かれ、だから 「たまり漬アイス」 と答えれば、それはダメだ、人が 「なんだそれ?」 と、思わず興味を持つようなネイミングを考えないといけないと示唆を受ける。
「卓ちゃんアイスとかさぁ、イチローアイスとか梅ちゃんアイスとか」 とイチモト会長は僕やオヤジやおじいちゃんの名に 「アイス」 を連結する例を挙げ、そういえば勉強仲間のイツジエースケさんが作り売っているアイスは 「栄ちゃんアイス」 だからこのイチモト理論に合致している。そのイチモト理論に従えばものは売れるのだろう。しかし残念ながらそれは僕の趣味ではないし、また 「涼味在中」 などと格好を付けるのが僕の悪いところでもある。
その 「たまり漬アイス」 のパッケイジを決めたのは販売係のサイトウシンイチ君で、250円の価格を決めたのは同じく販売係のヤマダカオリさんだ。どうしてそういう重要なことを若い社員に決めさせるかといえば、それはひとえに僕が、みずからの商売下手を知っているからに他ならない。
そして 「たまり漬のアイス、15個ください。えっ? 売り切れ?」 という声を店舗で耳にするたび、本日も 「申し訳ございません」 と頭を下げる。
西の山が暮れていく。月8回のノルマの6回目を達成しようと断酒を決め食卓に着く。「7月のうちに9回の断酒をすれば、8月の断酒は7回でも良いだろうか」 と考える。
ほうれん草のおひたしには大量の酢をかけて酢の物にする。茄子の炒りつけ、しょうがのたまり漬を使った豚の生姜焼きとモヤシ炒め、胡瓜とにんにくの胡麻油和えにてメシ1杯半をこなす。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、10時ちかくに就寝する。
いまだ隣室には灯りのある時刻に目を覚ます。牛乳を300CCほども飲んで二度寝に入る。4時30分にふたたび目を覚まして5時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、鮭の昆布巻きの残骸、茄子の塩水漬け、胡瓜のぬか漬、サイトウトシコさんにもらった赤飯、ワカメと玉ネギの味噌汁。
普段はホットドッグばかりを朝飯にする次男も今朝は赤飯を食べた。そしてその次男を今日は豊岡地区のテニスコートへ送る。空は青く、気温は既にして30度を超えているのではないか。しかし 「たまり漬アイス」 は発売2日目にして早くも売り切れてしまったのである。
昼に4階へ上がり、 "Stolichnaya" の残量を調べるとこれがダブル1杯には足りない。小さなシェイカーにすべてを注ぎ入れ、そこへ "BACARDI" の 「白札」 を加える。ウォッカ1とホワイトラム3のカクテルがあったかどうかは知らない。そのシェイカーを冷凍庫へ収めて仕事に復帰する。
忙しく立ち働く合間にクルマでアイスクリーム屋 「シャトレーゼ」 へ行き、千円弱の買物をする。バナナアイスを薄くチョコレートでコーティングしたチープな味の一品が僕は好きで、これはいつも買物カゴへ入れる。
「アメリカングラフィティの中で、ウルフマン・ジャックが手をベタベタにしながら食べていたのはバナナのアイスクリームに違いない」 とは、いつのころからそう思うようになったのだろうか。それを確かめようと検索エンジンを回すと、あのときのアイスは英語で "Popsicle" と呼ばれるところの、いわゆる日本のアイスキャンディだったことを知る。
このあたりでは夏の晴れた日には大抵、夕刻を前にして激しい雷雨がある。大量の水を15分間ほども地面にぶちまければカラリと上がってしまうたぐいの雨でも、そのあいだにご来店になる、あるいはお帰りになるお客様にしてみればクルマからお出になることも、あるいはクルマへお入りになることもできない。そのようなお客様のために販売係のサイトウシンイチ君とハセガワタツヤ君が犬走りの下に傘を持ち待機をする。雨は予想した通り、ちょうど15分で納まった。
終業後に4階へ上がって冷凍庫を開くと、バナナチョコアイスは次男と、遊びに来た友達に1包み6本のすべてを食べ尽くされていた。食後のアイスはあきらめ、オリーヴの実と "Casa Lingo" でもらった胡瓜のピクルスを肴に冷えてトロリとしたウォッカとラムの混合物を飲む。大いに悪くない。
人が昆虫を食おうと牛の尻の穴を食おうとそれをゲテモノ食いとは思わない。僕なりのゲテモノはたとえばカレー南蛮の蕎麦うどんで、カレーと蕎麦を合わせるという発想がどうにも気に入らない。ところがある日、意を決して、いや、意を決するほどの大問題ではないけれど、これを食べたらとても美味くて驚いた。以降、蕎麦屋における僕の真夏の定番は 「カレー南蛮に生玉子、落としてください」 になった。
しかしいまだゲテモノと考えている食べ物はあって、そのひとつは 「鶏手羽のメンタイコはさみ揚げ」 という代物である。単体でも食べることのできる食材の内部にメンタイコを封入するという発想が気に入らない。ところがきのう、いかにもエンゲル係数の高そうなお客様より鰯の腹にメンタイコを詰め込んだ品をいただき、なによりお客様からのいただきものであれば、これを試して感想を述べないわけにはいかない。
鰯とメンタイコの組み合わせなら明らかに和食の総菜だろうが、今夜は生憎とスパゲティを食べることにしていて、だから鰯は網焼きにし、皿へ並べてオリーヴオイルをかけ回した後にイタリアンパセリを飾った。そしてこれを口へ運んでみると鰯の上質さもあってとても美味い。これにて僕の頭の中から、またもゲテモノと考えていた食べ物がひとつ減ったことになる。
エリンギとグリーンアスパラガスのオリーヴオイル炒め、トマトのスパゲティ。オリーヴの実が残ってしかしウォッカとラムの混ぜ物は無くなったため、最後に泡盛 「時雨」 をすこしだけオンザロックスにして飲む。
入浴して牛乳を500CCほども飲み、9時30分に就寝する。
何時に起きたかの記録は大抵コンピュータに入っているが、この日に限ってはその数字がない。とにかく起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、茄子の塩水漬け、胡瓜のぬか漬、鯵の干物、メカブの酢の物、納豆、メシ、豆腐となめこと長ネギの味噌汁。
1980年代の初期、山手線の内側にただ1軒のこった味噌蔵 「田中味噌醸造所」 に勤めて昼飯どき、届いた弁当箱のフタを開いて 「あっ、天ぷらだ」 と叫んだら 「みっともねぇから、そのくらいのことで喜ぶな」 と、配達係のイトーさんに叱られた記憶がある。今朝の味噌汁を見て 「あっ、ナメコだ」 と喜悦の声を漏らしたら、やはり家内に 「なによ」 と言われた。
もしも人の脳に感激中枢というものがあるとしたら、僕のそれは世間一般でいうところの大きなものごとには反応しない。「五目焼そばにウズラの卵がふたつ載っていた」 とか 「定食屋で頼んだあら汁に金目鯛の頭が入っていた」 そういうつまらない事実にのみ刺激を受けてその結果、常に周囲の失笑を買う羽目になる。
朝9時前に自転車を押しつつ徒歩の次男を今市小学校のテニスコートまで送る。帰り道は下り坂だから何もしなくても自転車は前に進む。それでも汗が噴き出し、帰社後はしばし頭にタオルを巻いておく。
きのう新発売をした 「たまり漬アイス」 が早くも午後3時に売り切れる。本人のことばを借りれば 「社長をつくる学校ですから」 という宇都宮商業高校出身の販売係サイトウシンイチ君に家内は 「強気だった割りに、準備した数は弱気だったじゃないですか」 と責められたという。次のロットはいつ上がるのだろう。
初更6時より、だから僕は会社を早退してちかくの洋食屋 「金長」 へおもむく。春日町1丁目のイワモトミツヒロ区長、タケダショウジ大膳、ハガカツオ平成6年度当番町神社会計の計4人が集まり、平成18年度当番町神社会計を命ぜられた僕への引継ぎを行う。当番町とは旧市街の氏神 「瀧尾神社」 の春の例大祭と夏の八坂祭の責任を持つ町内で、12年で一巡する。
8時30分に帰宅して入浴し、牛乳を300CCほども飲んで9時30分に就寝する。
6時すこし前に目を覚ますと二日酔いである。きのうの酒量は公民館の直会で日本酒常温を2合、消防小屋2階でビールを350CC、帰宅してウォッカをダブルだからそう大したものではない。とにかく起床し、いまだ着替えないうちに電話が鳴る。
その電話の相手は手塚工房のテヅカナオちゃんで、いま店の前まで来ているという。慌てて服を着て3個所の鍵を開けつつ事務室へ走りシャッターを上げる。本日午前8時までに店舗の外壁へ全紙の書を貼る仕事を承知していたナオちゃんは現場の寸法を測り、6時40分に工房へ戻った。
39度の熱があってもメシは食うのだから二日酔いくらいで朝飯は抜かない。胡瓜のぬか漬、茄子の塩水漬け、鮭の昆布巻き、納豆、メカブの酢の物、枝豆入り天ぷらの炊き物、メシ、ワカメと玉ネギと三つ葉の味噌汁のうち、特に味噌汁が美味い。
手塚工房の緑のトラックが7時45分にふたたび来る。宇都宮の器屋 「たまき」 のタマキヒデキさんを無理やり口説いて書いてもらった 「涼味在中」 の筆文字が店舗の正面右側に掲げられる。「暑さ寒さも彼岸まで」 ならば、これから2ヶ月以上はこの文字が店の前にあることになる。店内に掲示した商品一覧に 「しょうがのたまり漬のアイス」 の木札を加え、開店の準備に入る。
この新商品は実のところ、「7月16日より販売いたします」 の張り紙をご覧になったお客様の 「いまあるなら売ってくれませんか?」 との注文に端を発して 「あら、じゃぁ私も」 という連鎖があり、準備したうちの2割ほどはきのうのうちにはけてしまった。後続が上がる前に売り切れを出してしまうのではないか、というのが僕の目下の心配である。
本日より夏時間と決めて営業を1時間延長した。この体制をいつまで続けるかは定めていない。午後6時30分に店を閉め、いまだ残る二日酔いの気分を確かめる。夕刻に至ればどうしても飲酒を為したくなる気持ちをこの二日酔いは減衰してくれるから、有り難いといえば有り難い。
そういえば八坂祭の最中に、誰か酒の飲めない人が酒を飲める人について 「羨ましい」 と言い、しかし酒の飲める人はそれに対して 「酒の飲めない人が羨ましい」 と言い合い、その双方に冗談を述べている風はなかったから、それはどちらにとっても本音だったのだろう。僕からしても、酒を飲まない人は煙草を吸わない人と同じく便利だとは思う。
生のトマトにパセリと塩胡椒とオリーヴオイルをかけまわしただけのもの、ツナとレタスのサラダ、"Atelier de Fromage" のブルーチーズのピザ、同じくエリンギのピザ。晩飯に先立ち、切れていたタバスコを買いに走ったが、ブルーチーズの方をひと囓りして 「タバスコを振っちゃぁもったいねぇ」 と、これをそのまま食べる。
"L'ATELIER de Joel Robuchon" のパン、とここまで書いて 「おぉ、チーズもパンもアトリエかぁ」 と気づく。そしてワインは抜かず、水で割ったマスカットジュースを飲む。
入浴して牛乳を500CCほども飲み、10時に就寝する。
無縁坂下から本富士警察前に抜けようとするトラックの轟音に目を覚ます。「この時間に近道することねぇじゃねぇか」 と思いつつ枕頭の時計を見ると3時55分だった。「花火屋の大将」 をすこし読み、起きて温かい牛乳を200CCほども飲む。
5時30分に長男の部屋で目覚まし時計が鳴る。本人の起きてくる気配はない。5時35分に甘木庵を出て湯島の切通坂を下り、千代田線にひと駅のみ乗って根津へ至る。ちと気になった調べものをしつつ不忍通りを北西にたどり、千駄木から西日暮里へと達する。ユンハンスがOEMで生産したマルマンの電波時計は数ヶ月前に紛失をした。だから携帯電話を取り出し時刻を見ると6時40分になっている。たかだか65分の歩行で結構な旅をした気分になる。
地下鉄千代田線で北千住へ移動してもいまだ7時にならない。東武駅構内にある回転鮨 「海鮮三崎港」 が開くと同時に入って鮭の朝定食を注文する。客に東武鉄道の職員が目立つということは、このあたりではここの朝飯が最良の選択、ということになるのだろうか。
北千住駅7:40発の下り特急スペーシアに乗る。帰社してシャワーを浴び、着替えて9時30分より夏の賞与を支給する。
初更7時に春日町1丁目の公民館へおもむき、八坂祭の直会に参加をする。この1週間に、いったいいくつの直会に出たかは覚えていない。雷の音、強い雨の音が近づいてきたのをしおに片づけを始め、15分後に外へ出る。
数メートルを歩いてこんどは今市市消防団第一分団第一部の消防小屋2階へ上がり、春日町1丁目育成会の、納涼祭の話し合いに加わる。8月4日の朝6時、瀬川にあるウチの土地へカワナゴヨシノリさんと共に行き、流し素麺に適当と思われる孟宗竹の採取に立ち会うのが僕の役目と知らされる。
帰宅して "Stolichnaya" のオンザロックスを1杯のみ飲む。入浴して10時に就寝する。
1時に目を覚まし、枕頭の活字をあさって2時に二度寝に入る。5時30分に事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。夜半からの雨が明け方に弱まり、それにかわった霧雨が数時間後に上がるというこのところの天気は今朝も変わらない。
胡瓜のぬか漬、鮭の昆布巻き、メカブの酢の物、納豆、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。
この朝飯を食卓へ運びながら家内が 「海草ばっかり」 と言うので 「こういうものを食べているとね、人間はハゲませんよ」 と答えると 「ハゲてます」 と返される。実際に僕は、同級生の中ではヤマシタヨシマサ君の次くらいにハゲている。海草を好んで何十年も食べ続けてしかもハゲとか、飲み屋へ行けばレヴァ刺しばかりを食べてしかし強度の近視なんてのは世の中にゴロゴロいる。「あれを食べると髪に良い」 とか 「これを食べると視力が増す」 とか、そういうまるで呪術師の託宣のように確約のない常識については、僕は子供のころからこれを好まなかった。
9時に瀧尾神社へ行くと、八坂祭の大御輿が台車へ乗せられ、白張りに曳かれて渡御へ出るばかりになっていた。見れば御輿の前には春日町1丁目の役員たちが宮司の振る榊に頭を垂れている。「ホントなら、オレもあそこにいなくちゃいけなかったんだわな」 と気づくが時は既にして遅い。
大御輿が出立した後に残った御仮舎を、本職が手際よく解体していく。来年の当番町に備え、僕は部品のいちいちにその位置を材木用のクレヨンで記していく。御仮舎は数十分で跡形もなくなった。社務所での直会に誘われたが、午前10時を前にして飲酒を為すほど本日の業務は少なくない。もちろん、酒を飲まず折箱の鮨のみを食べれば問題はない。しかしそういうわけにもいかないだろう。
帰社してしばらく後に、イワモトミツヒロ区長がその折箱の鮨と缶ビール、おつまみの乾きものとなぜか缶入りのコカコーラを届けてくれる。またこれとは別に、春日町1丁目公民館に昼飯を用意するから来てくれと言われ、了承をする。12時ちょうどに公民館へ行くと、出前で届いた昼飯は 「魚登久」 の鰻重だった。「お清めね」 とグラスに1フィンガーほど注がれた日本酒でちびちびと舌を湿しながら、これまた鰻とメシを惜しみつつちびちびと食べる。
下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗る。復路においてもいまだ残りのペイジはあるだろうと考え持参した写文集
降るのか晴れるのか予想のつかない空の下を本郷三丁目まで戻ると、「三原堂」 のショウウインドウには朝顔の飾りつけがあった。そのまま歩いて9時20分に甘木庵へ帰着する。
シャワーを浴び冷たい牛乳を飲んで寝入ったころに長男が帰宅をする。玄関の戸を薄く開いて風を通すよう言い、またすぐに眠る。
はじめ3時に目を覚まし、次いで6時に目を覚ます。起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、生玉子、白菜キムチ、納豆、胡瓜のぬか漬、メシ、豆腐とナメコと三つ葉の味噌汁。
サイゴン陥落の3年前に14歳で亡くなった妹の今日は命日のため、本酒会員クワカドシューコーさんが住職を務める如来寺のお墓に参る。骨を埋める土饅頭の上に犬だか猫の、既にして乾燥したクソがある。「しょうがねぇなぁ」 と言いつつ手袋も何もないためこれを素手で拾って墓の外へ出す。
ウチのお墓には芝や砂があって居心地が良いせいか、野良犬や野良猫がここで用を足す。あるいは飼い主が黙認をする目の前でクソを垂れる飼い犬も、あるいはいるかも知れない。
午前中、外に編み笠をかぶった修行僧の姿がちらりと見え、やがて経を唱える声が聞こえ始める。それと同時に店舗と事務室をつなぐドアが開いて販売係のオオシマヒサコさんが困ったような顔を出し 「この前と同じ人。千円ほどいただきたいって」 と言う。
僕はかなりの無礼に対して屁とも思わないところもあるが、ときとしてはカッと頭に血の上ることもある。店舗へ行き、みっちりと日焼けをした、だから見開いた目が余計に目立つその坊さんだかただの金集めに向かって 「千円とは何ですか?」 と訊くと 「私の欲望かな」 と答えるので 「知りません」 と返すと男は素早くその場を去った。
門口に立ち三味線をかき鳴らす高橋竹山が金を渡され追い払われる場面が、新藤兼人の 「竹山ひとり旅」 にはある。子供のころ、カスタネットを打ちながら歌い踊る物もらいが家に来たことを僕は覚えている。サーランギというヴァイオリンに似た楽器を弾くネパールの漂泊者に対し、人はその音楽を聴く対価としてではなく 「早くどこかへいなくなれ」 というニュアンスで金を与える。
実のところ僕は本日、滅び行く貴重な古典芸能を見たのかも知れない。
夕刻6時より、子供御輿の町内巡行について歩く。僕の家があるのは春日町1丁目の 「ニシ」、日光街道を隔てた向かい側は 「ヒガシ」 と呼ばれる。子供御輿が出る4日間の最終日にあたる明日は、この東西が共に全町内を歩くから集合時間はこれまでよりも1時間はやい5時と決まり、次男と共に帰宅する。
母親が作るそれよりも、ジャガイモや人参が形のまま入ったサイトウトシコさんのカレーを次男は好む。そのカレーライスと胡瓜のぬか漬を晩飯として飲酒は避ける。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
2時15分に目を覚まし、「新対局日誌 第一集 二人の天才棋士」 を読みおえて3時15分に起床する。きのう受注して到着希望日別に仕分けされた発送伝票を事務室から荷造り場へ運び、更にこれを、僕の荷造りイディオムに従って個別に並べ替える。
夏でもいまだ暗い3時30分から仕事とはいかにも勤勉に思われるが、夜はいつも9時すぎに寝ているのだから、これは勤勉でも何でもない。見ていて気の毒なのは深夜、最終電車に間に合うべくターミナル駅の構内を走っている人たちで、彼らは翌早朝にはまた仕事場への一歩を踏み出すのだろう。これにくらべれば僕の早起きなど、椰子の葉陰で金子光晴の紀行文を読むようなものである。
いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、茄子の炒りつけ、キャベツとピーマンの油炒め、胡瓜のぬか漬、納豆、メシ、茄子と三つ葉の味噌汁。
どちらかというと武闘派に属する同級生より大量のギフト注文がファクシミリにて届く。手書きの名簿をコンピュータに吸い上げ、クール宅急便の発送伝票を作成する。その伝票を荷造りの現場へ回しつつこんどは、できるだけ先方の役に立つと思われる条件式にて名簿をソートする。
数年前より新興飲食店の責任者や、あるいはやんちゃ系の会社からいただく手紙には墨による手書きのものが目立つようになった。だからというわけではないが、出力した名簿をファイルへ収め、その表紙に 「2005年夏 ギフトお名簿」 と墨書して片山酒造のカストリ焼酎 「粕華」 と共に同級生の会社へ発送する。このお酒はいわば、僕から同級生への感謝のしるしである。
それにしてもウチの会社の能率はかなり高いのではないか? いや、よその会社のことは知らないから、これは客観性のある意見ではない。
初更6時すぎより子供御輿に付いて町内をまわる。子供たちは歴史の深い駄菓子屋 「萬金」 のオバサンが "assort" したお菓子の袋と缶入りの飲みものをもらってそれぞれの家路を辿る。霧雨模様の空にツバメの姿は少ない。
次男と帰宅して "Stolichnaya" をオンザロックスにする。ベビーリーフとトマトとスモークトタンのサラダ、イカとタラコのスパゲティをその肴とする。
お祭りの会所よりもらって帰ったお菓子の袋を長男は半年も開かずにいたが、次男はその日のうちにすべてを食べる。ところが本日の袋に入っていたいわゆるカツは次男の悪趣味な舌にも苦しいらしく、残してもかまわないかと訊く。食べ物を粗末にすることは好まないけれども今回の問に対しては 「まぁ、しょうがないね」 と答える。駄菓子屋で売っているこの 「カツ」 1枚を持参し 「お父さん、これ、美味いんですよ、食べてください」 と、僕のオヤジに差し出したのが本酒会のイチモトケンイチ会長である。
入浴してビールを300CCほども飲み、9時30分に就寝する。
3時に目を覚まし、「新対局日誌 第一集 二人の天才棋士」 を読んで5時30分に起床する。
自分の用事のあるときにしかメイラーを回さないという人が、世の中には意外と多い。ウェブショップへの注文のうち、通信欄に齟齬矛盾のある書き込みがあったとき、当方はそれについてメイルで確認をとるが、いつまでもご返事がなければ、今度は電話で問い合わせることになる。日中にご不在であれば夜になってから電話を入れる。しかしそれでもお留守のときには、まさか常識はずれの時間にベルを鳴らすこともはばかられ、とすれば最後の手段は紙の手紙、ということになる。そして今朝も、そのような顧客への質問をワードプロセッサで打ち、印刷して封筒へ詰め宛名を書く。
そういう 「いつものよしなしごと」 をして7時に居間へ上がる。朝飯は、納豆、胡瓜のオリーヴオイル漬け、メカブの酢の物、モロッコ隠元のオリーヴオイル炒め、メシ、大根と三つ葉の味噌汁。
午前にかみじょうカメラへ行き、きのう撮った2本のフィルムを預ける。いつものベタ焼きのほか、フィルムの内容を高い画質でCDへ焼いてくれるよう頼む。このCDは記録として町内に保存をされるが、プリントの必要が生じたときにはもちろん、フィルムの方を用いることになるだろう。
昼飯は、胡瓜と茗荷を薬味にした盛りラーメン。
夕刻6時より子供御輿の町内巡行に付き添う。「戀する者と酒飲みが地獄に墜ちたら、天國は人影もなくさびれよう」 とオマル・ハイヤームは詠んだ。子供がいなくなったら地球が人影もなくさびれるのは明白で、だから子供の声のこだましない街というのはダメである。次男とともに6時45分に帰宅する。
本日は昼のうちから "Stolichnaya" を小さなシェイカーに満たし、冷凍庫へ入れてあった。これをウイスキーのショットグラスへ注ぎ、"Casa Lingo" でもらった胡瓜のピクルスをその肴とする。「美味いなぁ、こういう酒とこういう肴のあるバーがあったらオレ、毎日でも行くのになぁ」 と思うが実際にはそのようなバーはなかなか存在しないから、結局は家で飲む酒がいちばん美味い。
胡瓜とワカメの酢の物、茄子の炒りつけ、うずら豆にていまだある "Stolichnaya" を飲む。マナガツオの西京漬け、胡瓜のぬか漬にてメシを軽く1杯のみ食べる。
入浴して牛乳を400CCほども飲み、9時30分に就寝する。
2時に目を覚まし、「新対局日誌 第一集 二人の天才棋士」 を30分だけ読んで二度寝をする。5時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
右手の親指の付け根がヒリヒリと痛むのは、風呂の蛇口から落ちる熱湯により火傷をしたためで、どうして火傷をしたかといえば、普段は熱いものに触って即 「アチッ」 と手を引っ込めるところ、昨夜は家でのウォッカと 「金長」 の燗酒に酔い、反射神経がいささか鈍っていたのだろう。その右手にはまた小さなトゲも刺さっていて、こちらの原因については記憶がない。
八坂祭の本番ともいえる本日は朝から雨との予報が出ていたが、明けてみれば晴れ間も見え、ひと安心をする。朝飯は、オムレツ、茄子の油炒め、メカブの酢の物、納豆、胡瓜のぬか漬、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
8時45分にユザワクニヒロ青年会長の車庫前へ行き、ここから町内を巡行する御神輿について歩く。僕は御神輿担ぎは数年前に引退をし、以降はその周辺の仕事に従事しているが、2年ほど前からは撮影担当となった。来年の当番町に備えての記録はデジタルカメラによるが、集合写真は町内の公民館へ飾ることもあり、ここ一番というものについては銀塩で撮ることとして "Kodak T-MAX400" を詰めたエムロクを携行する。
町内御輿の巡幸は9時に始まった。町内のほとんどの道を歩こうとすれば時間もかかる。ところどころで休憩をしながら、また人の庭先へ御神輿を突っ込み 「ご祝儀・・・。 額? 区長クラスで1万円かなぁ、あ、息子さんの所帯、留守だったんで、そっちの立て替えもお願いします」 などとゆすりたかりに類する行為を繰り返しつつ昼前に 「市縁広場」 へ到着する。
タケダミッちゃん婦人会長以下数名のオバサンたちが作ってくれた昼飯は美味く、僕はここで赤飯、白米とりまぜ6個のおにぎりを食べた。
各町内が自らの御神輿を担いで参集する12時20分に瀧尾神社へ行き、鯉口シャツや半纏を身につけた春日町1丁目青年会の記念写真3枚を、大御輿を背景に撮影する。オノグチショーイチ頭の膝に巻かれた細い真田紐については、はじめ新手の学術理論に基づくテイピングと考えたが、訊いてみれば 「これ? だたのカッコ付け」 とのことだった。そしてその足許には "NIKE" ばりのエアー足袋がある。
いったん帰社して仕事をし、2時前に神社へ戻る。宮出し、日光街道下り、春日町交差点、芝崎前、ふたたび春日町交差点、日光街道上りと、大御輿が市内を巡行する。ズミクロン35ミリのピント位置1.2メートル、絞りはF11、シャッタースピード250分の1秒にて72枚の写真を撮り、本日の役を終える。
御神輿を担いでもいない者が直会の席へ真っ先に駆けつけては恥ずかしいと事務室にいたところ、ユザワクニヒロ青年会長より呼び出しの電話がかかる。自転車を飛ばして3分後に小倉町の 「和光」 へ達し、なんとか乾杯に間に合う。空豆、枝豆、冷や奴、鰹の刺身にて焼酎2合を飲む。
8時に帰宅して入浴し、牛乳を400CCほども飲んで9時30分に就寝する。
3時に目を覚まし、「新対局日誌 第一集 二人の天才棋士」 を読んだり二度寝をしたりして5時に起床する。事務室へ降りていつもよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、松前漬け、スペイン風の目玉焼き、茄子の炒りつけ、胡瓜のぬか漬、メシ、茄子と茗荷の味噌汁。
午後一番で春日町1丁目公民館へ行き、11日より町内を巡行する子供御輿のテントを役員たちと張る。その中で御輿を組み立てている最中に携帯電話が鳴る。役員のほとんどは隠居あるいは週末が休みの会社員だから 「ここまで仕上がればヘーキだ、会社に戻っても」 と気を遣ってくれる。
夏のギフトの繁忙と八坂祭はいつも同時進行で、僕はこのようなことを、もう20年も続けていることになる。
終業後に居間の窓際へ行き、先日 "Casa Lingo" から貰って帰った胡瓜のピクルスにて冷たい "Stolichnaya" をガラスの馬上杯でふたつ飲む。「うまいねぇ、実に」 と感嘆の声を上げる。「どうでもいいから早くオミコシの用意、行きなさいよ」 と家内に言われ、外へ出る。
春日町1丁目の公民館へ近づくと、たくさんの若い人たちの姿が見えた。カワナゴヨシノリ前青年会長のトラックにて町内神輿を湯澤歯科医院へ運び、ユザワクニヒロ青年会長の "Porsche Cayenne S" を出した車庫にこれを入れる。
「ヒボの巻き方はこーけー?」 カミムラヒロシさんが訊く。「ちがー、貸してみー」 とオノグチショーイチ頭がカケヤをテコにして紐を締め上げるワザを見せる。
「いやっどうも、オミコシの組み立てにも作法があるんですね」
「そーせー」
「いっそのこと家元んなったら?」
「だったら名前はオノグチ幻舟だな」
充分の人数が手際よく協力し、しかし御神輿の組み立てには90分を要した。弱い雨の中を仲町の洋食屋 「金長」 へ移動し、「オミコシ組み立ての直会」 を行う。みながジョッキの生ビールをお代わりするなかでカミムラヒロシさんと僕だけは燗酒を飲み続け、デミグラスソースのハンバーグとメシを食べる。
9時を過ぎて眠くなったため、会の途中ではあるが帰宅をする。入浴してその途中でしばらく眠り、居間へ戻って牛乳を200CCほども飲む。10時に就寝する。
3時に目を覚ます。今朝の夢は、まるで映画を見るか本を読むかしているように面白かった。
アメリカ軍から借り受けたC130輸送機で、同級生のみなが中東の紛争地域へ飛んでいる。パイロットはアカギシンジ君でコパイロットはウエキコータ君。イトウイクオ君は日本のセンターにいて、我々が向かいつつあるところの情報を刻々と伝えている。クラスの大半がそうして空にいるとき僕は既に地上にいて、右手は砂漠、左手は枯れた灌木の疎林という場所の、RPG7対戦車ロケットで破壊されたバスにひとり潜み、グランテトラの水筒から日本酒をラッパ飲みしている。
とにかく夢の中においても僕は、はぐれものである。この 「はぐれもの」 は "Untouchable" と訳しても良いかも知れない。
6時に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをして7時に居間へ戻る。朝飯は、茄子の炒りつけ、納豆、炒めたソーセージ、生のトマト、メカブの酢の物、メシ、胡瓜と茗荷の味噌汁。
午前中に宇都宮へ行く。所用ののち器屋の 「たまき」 へ寄る。日光街道を北上する帰途、進む方向の空がみるみるうちに暗くなり、やがて三菱シャリオは土砂降りの巨大な空間にスポリとその鼻先を突入させた。
午後、蕎麦屋 「やぶ定」 のワガツマカズヨシさんが 「今市料理飲食店組合」 の名簿への寄付を取りに来る。名簿は早くもできあがっていて、その末尾にある宣伝つまり寄付をした会社の羅列を斜め読みするうちかなり目立つURLが見えて、それは朝日町の厨房用品屋 「柳屋」 のウェブショップだった。早速にアクセスしてみるとこれが実に充実したペイジで、僕が遠くのウェブショップから送料をかけて取り寄せようとしていた鉄器などもある。
「なんだ、自転車で1分の店で、あれもこれも買えるんじゃねぇか」 と、すこし得をした気分になる。しばらくしたら柳屋さんへ行き、あれやこれや買おうと考える。
きのうの断酒は心構えのできていなかったものだが、本日の断酒はあらかじめ決めていた。ハヤシライスと胡瓜のぬか漬を晩飯とし、カップ1杯のコーヒーと大量のチーズケーキにて締める。
入浴はしたけれど、夕刻に牛乳を買うことを忘れたためなにも飲まず、「新対局日誌 第一集 二人の天才棋士」 をすこし読んで10時に就寝する。
3時に目を覚ます。「新対局日誌 第一集 二人の天才棋士」 を読み、4時に起床する。事務室へ降りて紙の本酒会報を印刷して封筒へ詰め、その後にこれのウェブペイジ版を作成してサーヴァーへ転送する。きのうし残した仕事のうち、本来であれば事務係のコマバカナエさんがする分を片付ける。コマバさんには出勤して即、他にして欲しいことがある。
7時に居間へ戻る。朝飯は、揚げ茄子、茹でハムと揚げピーマン、松前漬け、納豆、メカブの酢の物、胡瓜のぬか漬、メシ、大根とピーマンの味噌汁。
来年の3月20日に周囲の市町村と合併をし、我が今市市は日光市になる。ここで困るのが、包装資材に表示してある住所についてである。
1年に2,000個しか売れない商品の包装資材がここへ来て底をつきつつある。この資材を注文する際の最低ロットは10,000だからその在庫は5年分ということになる。ところが来年の3月に製造者の住所は今市市から日光市に変わる。だったらいまのうちに 「栃木県日光市今市」 の新住所でこれを作ってしまえというのが僕の考えで、そろそろ実行に移そうとしていた。
念のため保健所に問い合わせると、食品衛生法では 「合併の日よりすみやかに新しい住所の表示に移行すること」 と定められているという。「合併の前から新しい住所を表示したらどうなるんですか?」 と訊くと 「それは想定外です」 と係官は応えるので僕は安心をして 「想定外ということであれば、これはやっても違反にはならないんですね?」 と言うと 「いえ、それはつきつめればやはり、違反になると思いますよ」 との答えが返った。
質問を変えて 「合併の日よりすみやかにのすみやかとは、具体的にどれくらいの期間を指すんですか?」 と訊くと 「その決まりがないので、我々としてはできるだけすみやかに新住所で表示をするよう、指導をしていかなくてはいけなくなると思います」 という。
いまから商品の表示に 「栃木県日光市今市」 の新住所を用いたら、誰かがそれをつきつめ僕を捕まえに来るのだろうか? そして 「すみやかに」 とは1週間なのか1ヶ月なのか1年なのかそれとも2、3年なのか。あやふやな条文のために保健所の係官も気の毒なことだが、またそのあやふやさは、たとえればクルマのハンドルの遊びのようなものなのだろう。
「来年は、使い物にならなくなった袋や箱を、ゴッソリ捨てるようになるわなぁ」 と考え、しかしどうしようもない。すくなくとも印刷と廃棄物処理の会社はすこしばかり賑わい、そしてあたりの空気や水は、またすこしばかりその汚れ具合を増すのだろう。
きのう "Casa Lingo" で胡瓜のピクルスを褒めたら、お土産にこれをくれたので僕は大いに喜んだ。「ピクルスにはウォッカだわなぁ」 と決めつけ、しかしウチにその買い置きはない。だからウォッカを買いに行こうとして繁忙にそれを阻まれた。燈刻、泡盛 「時雨」 をお湯割りにし、このピクルスをケチくさくもチビチビと咀嚼すれば、この組み合わせも悪くはない。
「?」 のいしる漬けで更に泡盛を飲み進み、7時から始まっている春日町1丁目青年会の会議に1時間も遅れて行く。なに、とにかく顔さえ出せば良いのである。
と、ここまで書き進んだのが7日の午後7時で、それより居間へ戻ると実際の食卓にピクルスはなく、また泡盛もなくて、メシに合いそうないくつかのおかずと共に熱い煎茶が淹れてある。「なんだ、お茶って?」 「だってこれから会議でしょ、お酒のにおいさせて会議に行って、まわりにどう思われると思うの?」
とにかく茄子の炒りつけ、冷や奴、いしるに漬けて干物にした鯛と鯵、やはりいしるに漬けて干したイカ、胡瓜の胡麻油和えにてメシを食う。炊きたてのメシの方が酒よりも明らかに美味いと認識をしているにもかかわらず、できれば毎日飲酒を為したいと考えるのは、アル中の父親にさんざん虐待を受けた幼児体験を持つ精神科医でなくても 「だから、それがアルコール中毒というものなんです」 と診断をするだろう。
7時30分に春日町1丁目の公民館へ行ってみれば、なんのことはない、みな缶ビールを飲みながら話し合いをしていた。会議は10日より始まる八坂祭の重要部分についてのもので、その中には、「超々肥満」 というサイズの、つまりウエスト150センチの鯉口シャツを普通の人が着たらどれほど余裕があるか、というような実験も含まれていた。
「直会の初っぱなにみんなが生ビール頼むとマズイよ、1杯注ぐのに30秒かかったとして、30人いたらそれだけで15分だかんな。オレは焼酎だからいいけど」 という意見を僕は提出し、眠くなったので9時にその場を辞去する。
帰宅して入浴し、牛乳を350CCほども飲んで10時に就寝する。
このところ、ただの偶然なのだろうが目を覚まして時計を見ると3時30分、ということが多い。今朝も同じ時刻に目を覚まし、しかしすぐに二度寝に入って6時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、茄子の煮びたし、マヨネーズ入りスクランブルドエッグ、胡瓜のぬか漬、玉ネギとにんにくのたまり漬の天ぷら、納豆、メシ、大根と万能ネギの味噌汁。
"Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" はファインダーを覗く式のデジタルカメラで、だから撮影時には安定してシャッタースピード2分の1秒でも手ぶれはなかった。しかしそれが壊れたいま、手持ちのデジタルカメラは "Minolta DiMAGE X21" のみである。それによる今朝のメシの画像は失敗だから捨てて使わない。
春日町1丁目は当番町を来年に控え、今年の当番町が行う諸々を手伝う義務がある。本来であれば8時30分に瀧尾神社へ行かなければならないところが、メイルによる複数の注文を受け、顧客に確認書を送ってからでなくては会社を出られない。そのようなわけで神社に御仮舎を作る作業にはすこし遅れていく。御仮舎とはお祭りの期間中に御神輿を安置する即席の場所を指す。
人員は当番町の仲町と春日町1丁目を合わせて20人ほどが集まっていた。試行錯誤しながら御仮舎の骨組みができ、次は蔵から大御輿を台車へ載せてここまで運ばなくてはいけない。その手順を細かく書けば数千文字になるからここでは端折るが、大苦労をして神社の最深部にある蔵より大御輿を引き出し、それをようやく台車へ載せて、今度は鳥居前、つまり神社の入り口まで運ぶ。
鳳凰をはめ込んだ御輿の屋根より四方に白いしめ縄を垂らし、それを固定する。御仮舎の正面に 「八坂神社」 の扁額を滑車で吊り上げ、ようやく本日の作業を終える。
気が付けば雨合羽の中でポロシャツが蒸れてびしょ濡れになっている。支給された弁当と缶ビールを自転車のカゴへ入れ、鉄の脚立を左肩に担いで日光街道を下る。町内の倉庫へその脚立を収めて帰社すると11時30分だった。昼に居間へ戻り 「金長」 の豚かつ弁当を食べる。ビールは眺めるだけで飲まない。
ギフト受注の仕事は大いに忙しく、事務室では3名が残業をした。今夜の家内にはメシを作る時間が無い。次男は 「びしゃもん」 の焼きうどんが食べたいと言うが、ここは新築と同時に禁酒禁煙の店になった。禁煙は有り難いが禁酒は困る。方向を転じて "Casa Lingo" へ行く。
「人の頭のてっぺんからつま先まで一瞬で観察して皮肉めいたことを言うところが父親にそっくり」 とは家内が長男を評して述べたことだが別段、当方は皮肉を言っているわけではない。「アラマタカッちゃんのお父さんがパチンコ屋の前に立ってたけど、なんだか女物のサンダル履いてた」 とか 「きのうパーティでセキジマ先生の奥さん見かけた、アイシャドー、ラメ入りだった」 というようなことは正岡子規の俳句と同じく、見たままを言っているだけのことである。
それに、よく考えてみれば当方は頭のてっぺんからつま先までのすべてを観察しているのではなく、気になるただ一点に視線が向かうだけのことではないか。だから "Casa Lingo" の禁煙部屋へ入ったとき、僕はそこに置かれたワイン用冷蔵庫の最下段右端にある "Billaud-Simon" のシャブリにはすぐに気が付いた。訊けばこれはお客さんからの預かりものだという。「目利きはどこにでもいるんだねぇ」 と感心をする。
カラフの白ワインは0.5リットルの表示線をはるかに超えて盛りが良い。そしてこのつけ合わせの胡瓜のピクルスが素晴らしかった。店主兼料理長のヨシハラさんは農家だから、これに使うハーブのたぐいも自分で作っているのだろう。「たぶんこの味は、二度とないんだろうなぁ」 と思う。しかしその一期一会の寂しさに食べ物の悲しさはあって、その悲しさを慈しむこともメシを楽しむうちのひとつである。
おまかせの酒肴3点、シーザースサラダ、穴子の柔らか煮バルサミコソース、唐辛子のソーセージ、鯛のカルパッチオ、茸とベイコンのピッツァ、唐辛子とニンニクのスパゲティ、ラザニア。
次男はアップルタイザー、ほかにメロンのシャーベット、バナナのシフォンケーキを取り、エスプレッソにて締める。これだけ料理の写真を連ねても翌日にアクセスログを調べれば、ホットリンク付きの文字をクリックしてその画像を見た人は10人のうちひとりの割合ということが分かるのだから、まったくの骨折り損である。
普段であればそろそろ寝るころの9時20分に帰宅する。入浴して牛乳を200CCほども飲み、10時に就寝する。
4時30分に起床して洗面所へ行く。空には西南西から東北東へ延びる雲があり、その雲と日光の山とのあいだに薄紅色が見える。西にあっても空が紅ければ、それは朝焼けと呼ぶのだろうか。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、納豆、松前漬け、目玉焼き、フライパンで焼くのではなくお湯で煮たハム、モロッコ隠元のバター炒め、茄子とシシトウの炒りつけ、胡瓜のぬか漬、メシ、ジャガイモと万能ネギの味噌汁。
ある葬式のお清めの席で 「オレよー、貧乏だからよー、凝るっつったら調味料くらいにしか凝れねぇんだよ」 と言った1歳年長の先輩がいた。その隣で飲酒を為しつつ僕は 「高けぇ時計はめて高けぇスーツ着てるヤツよりよほど洒落てるぜ」 と腹の中で思った。「調味料くらいにしか凝れねぇんだよ」 というその言葉には、物事をないがしろにしない気概のようなものが感じられた。そしてまた、美食という陳腐なドブ泥に足を突っ込んでいない粋さがあった。
調味料に凝ると聞いて僕はそのとき、台東区にある 「サフランソース」 という会社の 「プリンス」 という品物を思い浮かべた。皇太子時代の今上天皇がことのほか好んだことにその商品名の由来があるとは、25年も前にこの会社のしおりか何かで目にしたことだ。「あれはセロリの香りが濃厚なんだよな」 と、四半世紀も前にすこしだけ使ったことのあるソースの味を思い出す。
味噌も醤油も小さな設備で作れないことはないが、原材料の倉庫や熟成のための蔵が必要なためか、その醸造元にはある程度以上の面積を持つところが多い。これにくらべてソースの製造会社は、数は減ったとはいえいまだ東京のあちらこちらに小規模で群雄割拠して興味深い。それらを訪問調査するなどは 「散歩の達人」 あたりが目をつけそうなところだけれど、そのような特集は過去にあったのだろうか。
初更、次男の勉強机にて泡盛 「時雨」 のお湯割りを飲みながら 「新対局日誌 第一集 二人の天才棋士」 を読む。
茄子の煮びたし胡麻和え、鶏の唐揚げとベビーリーフとトマトのサラダ、天ぷらとにんにくのたまり漬の天ぷら、鰤の素揚げカレー風味とピーマンとエリンギのバルサミコかけ、鶏レヴァとサヤインゲンと人参のフライ。「乃木希典三十五歳初老のみぎり」 の初老を13歳も上回る老人としてみれば、こういう揚げ物だらけのおかずは辛い。
油落としにビールを350CCほども飲み、入浴してこんどは牛乳を200CCほども飲み、10時に就寝する。
闇のなかで起床し、事務室へ降りて時計を見ると3時30分だった。メイルマガジンの文案を考えるとか、自由学園同学会のウェブペイジを更新するとかということも、いつものよしなしごとの範疇である。
7時に居間へ戻り 「メシは?」 と訊くと 「なに言ってんのよ、血液検査だから朝ごはんはいらないって、きのう言ったでしょ」 と家内に返される。これは大げさな言い回しではなく、僕は本当に、3歩も歩けば物忘れをする。仕方なしに煎茶を淹れテレビのスイッチを押すと、長い病の療養中にきのう東京ドームへ現れた長嶋茂雄の姿をニュースが伝えている。
不自由な右手を麻の上着のポケットへ入れ、左手を上げて観客の歓呼に応えるナガシマを見るたび、きのうから家内は涙を流している。「かたじけなさに涙こぼるるってか?」 とからかって 「自分だって泣いてるじゃないの」 と指摘をされる。人はなぜ、すこしは元気になったナガシマを見て泣くか?
僕は赤ん坊を見るとつくづく 「大したもんだなぁ」 と思う。あるいはその思いを声に出して言う。自らはメシを食うこともできず、糞小便は垂れ流す、その赤ん坊のどこが大したものか? それは、ただ生きているだけで接する者を感動させる、その存在だけで既にして赤ん坊は大したものなのだ、そしてこれはナガシマも同じなのだと思う、だから人は、いくらワケの分からない采配をしても、頓珍漢な言動をしても、ナガシマを見て感動するのだろう。
僕はここで 「野の花を見よ」 というマタイ伝の一節を思い出す。何もしなくてもナガシマは、ソロモンの栄華も及ばない野の花なのである。そしてまたこうも思う、テレビに映ったナガシマを見て泣いている僕や家内は、大して頭の良い人間ではない。
2度の推敲を経て午後6時にメイルマガジンを発行する。シマンテック社のウィルスチェックを透過させるとき大量のメイルは、まるで細かい網目から無理やり押し出されようとしている固いコンニャクのように滞留する。しかしながら最後の1通が顧客へ送付されるまで席を離れるわけにはいかない。コンピュータのディスプレイ上に明滅するウイルスチェックのアイコンへときおり目を遣りながら田中長徳の写真集 「ウィーンとライカの日々」 のペイジを繰る。これは良い写真集だ。
7時に居間へ戻り、茄子とシシトウの炒りつけ、次男が朝から食べたいと言っていたキムチ鍋、胡瓜のぬか漬にて泡盛 「時雨」 のお湯割りを飲む。このキムチ鍋がすこぶる美味い。その鍋に投入したラーメンにて締める。
入浴して牛乳を400CCほども飲み、9時30分に就寝する。
2時に目を覚ます。いつの間にか二度寝に入って5時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。朝飯は、松前漬け、揚げた茄子とピーマン、納豆、メカブの酢の物、メシ、胡瓜の味噌汁。
8時45分に次男を丸山公園のテニスコートへ送ると、自宅付近にはなかった霧雨が降っている。ウインドブレイカーを取って戻り、既にして準備運動をしていた次男をフェンスの外へ呼んでそれを着せる。
「病気で倒れる日程まで会社に管理されている」 と冗談を言ったのは、いまだツービート時代の北野武だった。仕事が忙しいときには僕も、社員には 「ヒマになってから休んでくれ」 と言いたいが、それはままならない。日々延びていく地方発送の納期については、会社のホームページにこれを掲示し、変化があるたびに更新しようと考え実行する。
ギフトの繁忙期に特有の、お客様からの、あるいはヤマト運輸からの問い合わせが相次いで、通常の受注業務がたびたび中断される。これは心から有り難いことにて、そのお陰で社員も経営者も生きていけるのである。そして日中にお受けした注文は今日もまた、その何割かは処理しきれず明日への持ち越しとなる。
次男が書き上げた宿題の作文は、きのうのテニス大会のことだった。これを初更に読み、おかしなところを書き直させる。タコ、シシトウ、茄子、しどき、豚肉、モロッコ隠元、サツマイモ、舞茸、大葉の天ぷらにて飲酒は為さず、メシ1杯を食べる。
僕は野菜は食べるが果物にはほとんど手を出さない。ただし今夜は気が向いてサクランボを口へ入れると、これが止まらなくなる。
入浴して牛乳を400CCほども飲み、9時30分に就寝する。
本日に限ったことではないが、日記には結構、言いたいことを書き散らす。ところがそのような文字を連ねた後にだれかれの顔が浮かび、あるいはあちらこちらからの影響を考え、しばしばその一節あるいは数行をコメントアウトタグでくくり読めなくする。ところがこのウェブペイジの構造では、ソースを表示させればそれらは簡単に読めてしまう。よって本日の "HTML" からも、結局は200文字ほどを削除する。
5時に起床して事務室へは降りず、居間の卓にてきのうの日記を作成する。5時45分に自ら仕掛けた目覚まし時計により次男が目を覚ます。朝飯は、ホットドック2本とホットコーヒー、おにぎり2個、煎茶。
20年ほども前、"Time Transfer" という、これが正しい英語なのかどうかは知らないが、そういう名前のオートバイのティームに僕は属していた。次男がテニス部に入ってみれば、この "Time Transfer" のメンバーだったタンジコウイチ君が監督をつとめていたから大いに心強い。そのタンジ君が7月2日の試合に出てみないかと次男に言ったのは、いまだ本人がテニスを始めて2週間目のことだったから、僕はずいぶんと乱暴な話だなとは思ったが、監督が薦めるなら沿ってみるかと、「ムリムリ」 という次男を 「そんなことは言うな」 と納得させて、黒磯市の総合グランドで開かれる大会への参加を決めた。
ホンダフィットに乗って6時30分に今市小学校へ集合し、イザベラ・バードについては知らないが、芭蕉と楚良については明らかにここを歩いたと思われる道を辿って1時間15分後に試合会場へ達する。
横に長く連なるテニスコートは12面もあった。ここで次男は上級生に手取り足取り指導されつつ夕方までに4つのゲイムに出場し、3回のサーヴ、5回のレシーヴに成功した。親からすれば計8回もの成功だが、客観的に見れば4つのゲイムにおいて、所定の範囲へ玉を打ち込めた回数が僅々8回ということだから、いくらダブルスの後衛をつとめる6年生が頑張っても、すべての試合は負けである。それでも 「試合に出ないのは損だよ」 という次男のひとことに本日の成果は見て取れる。まわりの皆さんには本当に感謝である。
既にして5時を過ぎたため、表彰式に出る一団を残して我々のみは帰宅することとする。弁当の残りをつまみつつ冷たいうどんを晩飯にすれば酒を飲まなくても済むと電話で家内に言うと、暑いところに1日あった弁当など危険きわまりない、それよりも今日は、ずっと鰻が食べたいと思いつつ仕事をしてきたのだと返す。
庶民の美味を御上にも味わわせたいと考えた入江相政が、その昼食にどんぶり物を出したところ、初めてそれを見た天皇は 「これだけか」 と下問をしたという。僕が晩飯にあまり鰻丼を食べる気がしないのは、昭和天皇と同じくと言っては畏れ多いがやはり 「これだけか」 という思いがあるからだ。別段、高級なものが食べたいわけではない、いくつもの皿小鉢がないと、どうも晩飯の気分が出ない。
「だったら鰻屋で、鰻丼と共にあれやこれやを注文すれば良いではないか」 と言われれば、それはどうも、鰻丼の本線からは外れるような気がする。僕は鰻丼はむしろ、これのみを昼に食べたい。もちろん鰻と酒を切り離すことはできず、とすれば昼酒の飲める環境が整わない限り鰻丼は食べられないことになる。そうして家内は何ヶ月ものあいだ鰻が食べたいと言い続け、しかし僕が 「鰻? どうもな」 と、その希望に同意せず数ヶ月が経った。
黒磯市の総合グランドを出て1時間15分後に帰宅する。入浴して7時30分にちかくの鰻屋 「魚登久」 へ行く。片山酒造のカストリ焼酎 「粕華」 をオンザロックスにし、肝焼き、うざくと順を追う。そうして迎えた鰻丼が、実に美味い。 想像上の国とか想像上の動物という言葉がある。酔った頭で考えてのことだから馬鹿ばかしく聞こえるかも知れないが、この店の鰻丼は 「想像上の食い物」 と表現するのがふさわしく、それが2千円と少々の代金で食えるのだから高くない。
本日の謎は入れ込みの壁に貼られた 「春夏限定 金魚あります 473円」 の品書きで、いったいぜんたいこれは何だろう?
「金魚が鮒の雀焼きみたいになってるのかな?」
「金魚なんて生臭くて食えねぇぜ」
「だったらキンキのこと?」
「キンキが473円で食えるわけねぇだろう」
というわけでこの 「金魚」 は次に来るまでの課題となった。
帰宅して入浴はせず、ビールを300CCほども飲んで10時に就寝する。
3時30分に目を覚まし、「新対局日誌 第一集 二人の天才棋士」 をすこし読んで4時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、居間へ戻る前に外へ出て新聞受けから新聞を取る。日本経済新聞の第1面に 「携帯ネット速度10倍」 の大見出しがある。「頼むぜホント」 と思う。
ウチはi-modeのペイジでも買い物をすることができるが、セキュリティを厳重にした結果、現在の通信速度では、とてもではないが流れるような動きは望めず、よほど根性のあるお客様か、あるいは自分の勉強のため、よそのi-modeショップを試してみようという人くらいしか利用しない。かといってセキュリティのランクを落とすことはしたくなく、だからいまのところ、このペイジを作るために "Computer Lib" へ支払った経費は埋物コストになっている。「頼むぜホント」 と、あらためて思う。
7時に居間へ戻る。本日の漢字のテストに備え、次男の漢字練習を督励する。朝飯は、ほうれん草のおひたし、ラタトゥイユ、納豆、メカブの酢の物、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁。
午前中、所用にて宇都宮へ行く。途中、南洋家具の店 "SOMA" の駐車場に良い感じの椅子が目に付く。空模様を眺め 「雨でも降ってきたらまずいじゃねぇか」 と思う。用事を済ませて後にその駐車場へ戻ると、椅子はひさしの下に引き込んであった。店内へ入り訊くと、椅子はウォーターヒヤシンスという水草で編まれたものだという。中村社長は今後、この家具を大々的に輸入すると意気軒昂だった。
驟雨沛然どころの騒ぎではない土砂降りの中を帰宅する。ウチには珍しい突貫のしごとのため、雨の上がった夕刻に印刷会社を訪ね、オペレイターが操作するコンピュータの後ろで新しいレッテルの詳細を詰める。
「ここの縁の線、きもち太くしてください、はい、それで結構です。これで何ミリですか?」
「0.5ミリですね」
「1ミリにしてみましょうか」
「これで1ミリです」
「やっぱり太すぎますね、0.5ミリに戻しましょう」
というような作業は、画像をメイルに載せて双方を往復させながら電話で話し合う、というような方法では、とてもではないが、このあたりの方言でいえば 「いじがやけて」 どうしようもない。30分ほどで最終のデザインを決め、三菱シャリオにて帰社する。
月の第1日目から断酒をすれば、これは将棋の第一手に2六歩とか7六歩とするような感覚がある。だから今日は、そういう静かな心持ちにて夕食が始まるかと考えていたところ予期していなかった岩牡蠣が届き、そうすればやはり飲酒を為さないわけにはいかない。
その岩牡蠣、山かけと刻みオクラと温泉玉子のひと盛り、ほうれん草の胡麻和え、鶏もも肉のつけ焼き、松前漬けにて日本酒 「白神の鼓動」 を飲む。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時30分に就寝する。