朝5時に起床する。外へ出ると、ここ1週間以上も花をつけずにいたアサガオの蔓に、夏の名残のような1輪が開いている。
ウェブショップ のチェックをし、数行で済むメイルのみを書いて送る。きのうの日記を作成し、会社の外回り、隠居の敷地内にある作業場の点検をする。
来週、日光MGのためにいらっしゃる西hinano順一郎先生が、その前日に戦場ヶ原の散策をしたいとおっしゃるため、今日はその下見へ行くことにしていた。あいにくと、山は曇っている。
7時40分に会社前を三菱シャリオにて出発する。およそ20分でいろは坂に達する。山が晴れてくる。
8時10分に中禅寺湖畔を過ぎ、10分後に赤沼茶屋の駐車場へクルマを停める。アディダスのスニーカーをメレルのトレッキングブーツに履き替える。お茶と食料の入った古いカリマーのザックを背負い、8時30分に戦場ヶ原へ入る。
気温は20℃ほどだろうか。半袖と半ズボンがちょうど良い。低木から張り出した枝に首をすくめながら、湿地帯の木道を歩く。
湯滝から落ち、竜頭滝へ注ぐ湯川は、この20年でその透明度を著しく失っていた。フライフィッシングをしている人が目立つ。「こんな汚い川で、よくも魚など釣るものだ」 と、感心をする。
9時に青木橋を渡る。開けた場所に木製の大きな椅子と机が設置してある。ここで朝飯を食べる。
やがて木道はそれまでの平坦さを離れ、何頭もの馬の背を越えていくような上り下りを繰り返すようになる。周囲の景色は湿地と疎林のミックスから、徐々に森の様相を帯びてくる。
ドクダミでもない、しかし湯ノ湖のイオウでもない、皮膚から引きはがしたカサブタのような匂いを感じ始める。湯滝が近づくにつれて、湯川には湯元の街の生活排水なのだろうか、東京の川によく見られるような黄色い泡が目立ってくる。
「左、湯滝まで1Km」 「右、湯滝まで0.4Km」 などという標識が現れるたびに、遠い道を選んで歩く。
10時に湯滝へ達する。その左の斜面をジグザグに登っていく。10分後に 湯ノ湖へ達する。ここでも、湯元の街へは遠回りとなる、湯ノ湖を右に巻いていくコースをとる。
10時40分にアスファルトの道へ出る。バスの停留所を見つける。次の発車は11時22分と、時刻表に書いてある。ふと思いついて、ちかくの 「観光センター」 という名の古い店を訪ねる。500円を支払い、裏手にある 「はるにれ乃湯」 と看板のある掘っ建て小屋へ入る。
脱衣所の床は傾いている。洗い場も湯船も天然石をコンクリートでつないだもので、湯船の底は平坦でない。ひとりの男が底の穴に足を取られて 「おぉっ」 と声を上げる。お湯は白濁し、あたりはすべて黄色いイオウで覆われている。
温泉の成分によって色の変わった風呂場が、僕は好きでない。茶色い小便カスのこびりついた便器を想像させて、なんとも気味が悪い。しかしここでの暇つぶししか思いつかなかったため、我慢をして湯に浸かり続ける。
風呂を出てもまだ時間が余っている。売店でアイスクリームを買って食べる。
湯元から赤沼茶屋までは、バスでわずか10分ほどの距離だった。男体山は朝よりも更にくっきりとして、青い空を背景に木々の緑を際だたせている。
中禅寺の目立たない場所に、まるで木こり小屋のように小さな、しかし優れたパン屋がある。ここで 玉子のタルトとリンゴのパイを4個ずつ買う。
昼の12時30分に会社へ帰着する。中禅寺で購入したタルトとパイ、それに牛乳の昼食を済ませる。
今日は2時間弱で、湿地の木道とアップダウンを繰り返す森の小径を約8Kmは歩いただろうか。気の短い僕は歩行速度も高い。西hinano順一郎先生をご案内する3日後には、もう少し端折ったコースを選択した方が良いかも知れないと考える。
カスピ海ヨーグルトとモモの晩飯を食べる。入浴をしても、肌にしみ込んだイオウの匂いがとれない。ディープな温泉ファンになら、「はるにれ乃湯」 も喜ばれるだろう。
10時前に就寝する。
朝5時に起床する。およそ8時間ほども眠ったことになる。
事務室へ降りて ウェブショップ のチェックをし、顧客からの問い合わせと会社のpatioに、返信を書いて送る。きのうの日記を作成すると、6時30分になった。
「素足に雪駄ばきだと、足を蚊に刺されるだろうなぁ」 と思いつつ隠居へ行く。カンダさんは更に、草刈りの範囲を大きく広げていた。
「高いとこ以外ならはぁー、オラでも植木の手入れぐれぇはできっけどが」
と、シダレザクラやモモやサルスベリを指して、カンダさんが言う。ことによるとカンダさんには、せせらぎの縁だけではなく、隠居全体の草刈りや低木の手入れを任せるようになるかも知れない。
「もっとも避けたい労働は何か」 と問われれば、「カブの間引きとスイバの根堀り」 と、僕は答えるだろう。6時間も草を刈り続けて飽きないカンダさんは、僕にとって畏敬すべき対象だ。
朝飯は、卵のおじや、コンブの佃煮、シメジと牛肉の佃煮、ニンニクのたまり漬、キュウリの浅漬け、ジャコ。
現在、ウェブショップにご注文を下さった顧客には、その直後にCGIによる 「受注確認書」 が自動送付される。その後、社員の伝票作成を待って、僕が納期、請求金額、ヤマト運輸伝票ナンバーなどを記した 「ご注文御礼」 をお送りする。
この2番目の詳細な 「ご注文御礼」 が、より簡便に作成できて、しかもメイラーからではなくブラウザから誰もが送信できるようなシステムを作るべく、「代引き着払い」 「カード決済」 「銀行振り込み」 の3種のテンプレイトを眺め検討し、文章の組み立てを改造してみる。
初更7時30分より、本酒会 へ出席をするため、会場の 「やぶ定」 へおもむく。僕は茨城、山形、京都のお酒に、それぞれ1位から3位の投票をする。
手すさびにヤギサワカツミ会員の写真を撮り、それを周囲に回覧する。カトーノマコト会員が、「食糧の配給を受けて喜ぶピョンヤン市民ですね」 などと、危ないことを言う。
「やぶ定」 のワガツマカズヨシさんが、ラーメンか冷やし中華か温かい山菜たぬき蕎麦から、希望のものを選ぶよう、注文を取りにくる。
僕が 「ラーメン」 と自分の希望を伝えると、イチモトケンイチ会長が 「蕎麦屋に来たら蕎麦を食えよ、あ、オレは冷やし中華ね」 と言う。
蕎麦屋のラーメンを食べ、9時30分に帰宅する。入浴してオールドパーを生でほんの少しだけ飲む。11時ちかくに就寝する。
朝2時に起床する。事務室へ降りて ウェブショップ のチェックをし、きのうの日記を作成する。
6時30分に隠居へ行く。通用口を入ると、カンダさんの赤い自転車が停まっている。建物の脇を通って庭へ出る。場所によっては人の胸ほどの高さにまで伸びていた雑草が、せせらぎの縁からかなりの余裕を持って、綺麗に刈り取られている。
カンダさんの姿が見えないので声をかける。カンダさんは、せせらぎの中ほどにある藤棚の奥から歩いてきた。ひとしきり話をする。
「いやぁ、きのうは店の前でせ、おら2時間も待ってたんせ」
「5時半に来たんじゃなかったんですか?」
「いや、はやーくから来てたよー」
「真っ暗い中で、草刈りなんて、できるんですか?」
「できるせー、人影の見える明るさがあれば、草は刈れるよ」
5時半にさかのぼること2時間といえば、3時半だ。草刈りは、4時から始める約束だった。「2時間も待ってたって? そりゃねぇだろう」 と思うが、口には出さない。
それにしても、カンダさんは律儀にも、草刈りの現場へは直行せず、事務室に顔を出してから仕事を始めようとしたのだろうか? だとすれば、もっと早くにシャッターを上げるべきだった。
朝飯は、紫タマネギのスライスとカツオブシ、赤ピーマンと緑ピーマンとモヤシの油炒め、ニシンのサンショウ漬け、キュウリのひしおマヨネーズ和え、ジャコ、ナスとトウガラシの浅漬け、メシ、豆腐とワカメと万能ネギの味噌汁。
午前9時ごろから、急に気温が上がり始める。「こんにちはぁ」 の代わりに 「暑いですねぇ」 という挨拶を述べる人が、2週間ぶりに復活する。僕は 「そうですね」 と、返礼をする。
実のところ僕は、普通の暑さや寒さでは、「暑い」 だの 「寒い」 だのとは言わない。粋がってそうしているわけではない。どこかが鈍いのだろう。
午後、6歳の次男が 「今日は焼肉の日だから、焼肉屋へ行こう!」 と言う。どこで知ったのかと訊くと、テレビだと答える。こういう調子の良さは、2番目以降の子どもに特有のものだ。夕刻、「板門店」 へ行く。
帰宅して入浴し、ゴードンのジンを生ですこし飲む。何年も前に読んだ
朝3時30分に起床する。街灯を頼りに隠居まで歩く。通用門の鍵を開けて事務室に戻る。
4時前に事務室のシャッターを上げる。外の風景は、いまだ夜のものだ。
草刈りについて 「2時からでもかまわないが、それが早すぎるなら4時から作業を始める」 と言ったカンダさんは、結局、5時30分になって姿を現した。空の明るさを考えれば、妥当なところだろう。
朝飯は、ニラのおひたし、焼いた厚揚げ豆腐と大根おろし、ナスの浅漬け、温泉玉子、納豆、メシ、ロブスターの殻と万能ネギの味噌汁。
自由学園 の最高学部生が編集運営をしている季刊誌 「自由人」 について 5月12日の日記に書いたところ、即、この日記の巡回者から 「興味がある」 とのメイルをいただいた。しかしこれが季刊誌だということ、僕が数ヶ月に1度しか自由学園に行けないことなどから、これをずっと送れずにいた。
きのう移動した事務机の右手にある本棚に、僕が寄稿した1997年夏の 「自由人」 4冊を発見する。早速、日記の巡回者にこれを送る旨のメイルをしたため、1冊を封筒に入れる。
本棚にはそれ以外にも、どこへしまったか分からなくなっていた本の一部が納められていた。カルティエ・ブレッソンの分厚い写真集、種村季弘の 「異界幻想」、ドイツ語による古いフィアットの解説書 などなど。
夕刻、「明神水産」 の 「藁焼きたたき」 に、ポン酢、ミョウガ、エシャロット、玉ネギ、ニンニクのたまり漬のみじん切りをかけまわし、これを酒肴として 焼酎 「紅乙女」 のオンザロックスを飲む。
カツオのたたきの残骸は、冷や奴の薬味とする。
入浴し、9時前に就寝する。
暗闇の中で目を覚ます。しばらくのあいだ、横になったままでいる。起きて時計を見ると2時30分だった。
事務室へ降り、Becky!を回す。顧客からの連絡や質問に返信を書く。
本酒会 のデイタベイスには マイツール を使っているが、数日前、全ペイジにわたってこのフォーマットが乱れていることを発見した。カトーノさんに質問のメイルを送ると、
「ウワサワさんのマシンは、OS が "XP" になり、"IE" のヴァージョンも上がった。条件が変われば、ペイジの見え方も違う。まして巡回者のブラウジング環境は多岐にわたる。現在の自分のコンピュータでドット単位のデザインをしても空しい。デザインには多少の余裕を持たせてやらないと、今回のようなことは以降も発生するだろう」
との返事があった。これを受けて、本酒会の88ペイジを、小一時間ほどもかかって書き直す。
朝飯は、塩鮭、コンブの佃煮、ナスとトウガラシの浅漬け、もみ海苔、サンショウの佃煮によるお茶漬け。
午前中、市会議員のナガシマトウコさんが来る。隠居の庭には井戸から水を引いた、長さ25メートルばかりの 「せせらぎ」 がある。トウコさんが調べると、ホタルもカワニナも、放流したところから10メートルほど遡上していることが分かった。
「隠居の草刈りは、植木屋に任せているのか?」 と訊かれたため 「そうだ」 と答える。
「せせらぎ」 に刈った草が倒れると、ここにカワニナがしがみつく。その草を捨てれば、カワニナも一緒に捨てられてしまう。それでは泣いても泣ききれないと、トウコさんは言う。
「せせらぎの周りだけでも、手で草を刈ってもらえないか? 人は紹介する」 と提案をされ、同意する。
午後、ナガシマトウコさんが、草の刈り手として、朝日町のカンダさんを連れてきて僕に紹介する。
「いつから刈りますか?」
「早い方がよかんべぇ。明日からでも来るよ」
「何時ごろから?」
「2時だって、かまわねぇきっとが」
「朝の2時ですか?」
「うん、おらぁ平気だー」
「うーん、2時じゃちょっと、オレも鍵を開ける自信が無いですね」
「ふんじゃ、4時ごろからにすっけ?」
「そうですね」
ということで、明朝4時からの草刈りが決まる。第一、2時では真っ暗でなにも見えないだろう。8月も上旬を過ぎれば、4時になっても空はいまだ濃い青を保ち、草むらに自分の足下は見えない。
数日後から事務室の人員がひとり増えるため、机もひとつ増やす。新規のものは僕が使うこととし、机上に電話と "ThinkPad s30" と加算式計算機を置く。
晩飯は、モモとカスピ海ヨーグルト。
9時前に就寝する。
朝1時に目が覚める。起き出すにはさすがに早すぎる。枕元の明かりをつけ、島津法樹の 「骨董ハンター南方見聞録」 を読み終える。
タイの寒村で、障害のある兄と幼い妹から、スコータイ仏やビルマ産のルビーを言い値の5倍で買った著者が、後に宝石のビッグディーラーとなった兄妹に再会する話と、カンボジアの寂れた寺院の地下に黄金仏を発見した盗掘者が、残酷な仕掛けの落とし穴にふたりの部下を奪われて気をおかしくする話のふたつが、特に印象に残る。
「文化財の海外散逸を嘆く意見もあるが、今までうち捨てられていたものに価値を与え、多くの人の目に触れさせる行為は、むしろ称揚されるべきではないか?」 とする著者の意見には、うなずかざるを得ないところもある。
それにしても骨董の世界では、盗掘はドロボウとは見なされないらしい。著者も美術品が 「発見」 されたときの経緯にはこだわらず、もっぱらその歴史と美しさと価値にのみ注意を向け、感動し、興奮する。
2時30分に起床し、事務室に降りる。前夜に届いたファクシミリを整え、eメイルで問い合わせをくださった顧客へ返信を書いて送る。きのうの日記を作成し、諸方のpatioを読む。
朝飯は、カブとキュウリのぬか漬け、温泉玉子、ナスの浅漬け、イワシの梅香煮、納豆、メシ、油麩とミョウガの味噌汁。
昼前にイチモトケンイチ本酒会長が、義理堅くも 「今半」 の佃煮を 「甘木庵に泊めてもらったお礼だ」 と、持参する。僕と別れた後、ふたりは浅草のウインズへ行き、そこでコバヤシハルオ会員は230倍の馬券を当てたという。
この僥倖が1日はやく訪れていれば、「味泉」 の飲みしろは、コバヤシハルオ会員が支払っていただろう。
夕刻、家内が、「お中元にいただいた冷凍のロブスターは、どのようにして食べたいか?」 と訊く。「ポアレにしてくれ」 と答える。
ズッキーニ、トマト、ピーマン、セロリ、エリンギをオリーヴオイルでソテーし、ロブスターのぶつ切りを投入して白ワインを注ぐ。フタをしてしばらく置く。できあがった料理はセロリの香りが香菜に似て、上品な広東料理のようだ。尖沙咀の 「凱悦軒」 で飯を食っているような気分になる。
トマトとニンニクとベイジルのスパゲティも美味く、できることなら腹が満たされず、ずっと食い続けられれば嬉しいのにと思う。
これらを肴に、"Chablis Premier Cru Les Vaillons" BILLAUD-SIMON 1999 を飲む。
9時前に就寝する。
朝5時30分に起床する。東京大学の巨大なイチョウから、セミの声がにぎやかに聞こえる。ここではいまだ、夏は終わっていない。
ウェブショップ のチェックをし、短くて済むメイルのみ書く。きのうの日記を途中まで作成し、イチモトケンイチ本酒会長とコバヤシハルオ会員を起こす。彼らは昨夜、僕が寝入ってから2時間ほども、外に敷いた段ボールに座って話し込んでいたという。
僕とコバヤシハルオ会員の好きな 根津の 「鷹匠」 へ電話をすると、オカミがいつもの優しい調子で、8月27日までは夏休みである旨を述べる。イチモトケンイチ会長の好きな、マクドナルドへ行くことにする。
僕とは正反対に人なつこい性格のイチモトケンイチ会長が、女店員の名札をじっと見ている。
「ケンちゃん、注文以外は、何も言わなくて良いですからね」
「ハハハハハ」
3人で本郷三丁目からタクシーに乗る。「もう少し甘木庵でゆっくりしたい」 というふたりのみが、本富士警察署前で降りる。僕はそのまま上野広小路まで行く。
浅草駅10:00発の下り特急スペーシアは混み合い、僕は喫煙車両の座席指定券しか買えなかった。昼前に帰宅し、昼食の後、小さな仕事を片づける。
長男はテニス部の合宿へ参加するため、下今市駅14:36発の上り特急スペーシアにて東京へ向かった。次の帰宅は12月の末になるだろう。
4日のあいだ飲酒を続けたため、晩飯はカスピ海ヨーグルトのみとする。
9時前に就寝する。
朝4時に起床する。
ウェブショップ のチェックをし、会社のpatioに受注する際の注意事項を書く。顧客からの資料請求メイルに返信を送る。きのうの日記を作成し、サーヴァーに転送する。
6時になって外を見る。道は夜来の雨に濡れているが、ウォーキングの人たちは、傘を差していない。
7時20分に長男を起こす。8時に甘木庵を出て湯島の切り通し坂を下る。8時30分から浅草の地下街で朝飯を食べ、9:00発の下り特急スペーシアに乗る。
今日は夏休み最後の週末なのだろうか、車内は混み合い、我々には車両最前部の、ダルマの修行には最適な、そしてそれ以外のことについてはすべて不適切な、壁に面した狭い席があてがわれる。この席に当たった乗客には、座席指定券を半額にして欲しい。
帰宅した長男のザックから出てきた現地購入品は、杏仁豆腐の粉末1箱、麦芽アメ2缶、中国将棋1セットのみだった。最後の2日間を同級生のゴウダサトシ君宅でお世話になったこともあり、重慶大厦の宿泊費を除けば、長男が香港での5日間に使ったお金は、日本円で5,000円に満たないという。
僕もかつては長男と同じような経済活動を送り、それゆえキャッシュは豊富に抱えていた。現在の僕の預金残高は、学生のころのそれよりも低い。
午後、加藤床屋へ行き、帰って着替えて3時45分に下今市駅へ行く。本日2度目のスペーシアに乗る。同乗しているのは、本酒会のイチモトケンイチ会長と、コバヤシハルオ会員だ。今年の 「本酒会夏のツアー」 参加者は、会員各自に諸々の予定が重なり、参加者は3名にとどまった。
上り特急スペーシアは、16:02にプラットフォームを離れた。座席をぐるりと回し、4人用のボックス席を作る。そこに日光での仕事を終えた、我々と同年輩の男の人が来る。
「あの、席、回しちゃったですけれど、いいですか?」
「はい、大丈夫です」
それから90分のあいだ、この見ず知らずの男の人は、イチモトケンイチ会長のヨタ話に笑い続けることになる。
北千住駅のプラットフォームにて、その男の人と握手をして分かれる。
「ケンちゃん、あの人、ホントはひとりで本でも読みながら帰りたかったんですよね、多分」
「ハハハハハ」
日比谷線と有楽町線を乗り継いで、月島駅には6時15分に着いた。商店街にはマンションや建設中のショッピングモールが目立ち、20年前に仕事で通っていたときの面影は、ほとんど失われている。
既にして 「味泉」 では、僕が予約をした席以外のすべてが満たされていた。女の人が、調理には時間がかかるため、できれば一気にオーダーして欲しいと言う。矢継ぎ早に大量の注文を伝える。
僕の1発目は 「菊姫にごり酒」 とホヤの塩辛。ルイベのようにシャリシャリ凍ったホヤの上出来さに驚く。この珍味が好きな人は、1度はこれを食べてみるべきだ。
2発目は 「菊姫樽酒」 と煮アナゴ。3発目は 「舟渡純米吟醸」 と夏野菜の炊きあわせ。色とりどりの野菜は、その種類ごとに異なるダシで炊かれている。
僕の4発目は 「阿桜雪の音」。その他、キヌカツギ、エダマメ、サンマの刺身、生ウニ、シメサバ、クジラベーコン、アナゴの天ぷら、厚焼き玉子、ジャガイモのグラタンなどが、次々にテイブルへ運ばれ、次々に我々の口の中へ消えていく。
例のごとく、僕とは正反対に人なつこいイチモトケンイチ会長が、隣のテイブルの若い二人連れに声をかける。談笑は2時間ほども続く。僕は箸袋に 本酒会のURLを書き、彼らへ手渡す。
大いに満足をして9時に店を出る。タクシーにて銀座8丁目へ至る。「味泉」 のさんざめきにくらべれば、土曜日の並木通りはどこもかしこも静かだった。
丸の内線に乗る。本郷三丁目駅で誰かに起こされる。10時30分に甘木庵へ帰着し、シャワーを浴びて11時すぎに就寝する。
朝4時に起床する。事務室へ降り、明るくなるのを待って外へ出る。次男のアサガオは、もう花をつけないらしい。空気はすっかり秋のものとなった。セミの声は、もう聞かれない。
朝飯は、ホウレンソウのおひたし、ピーマン、ニンジン、ダイコン、正体不明のイモ、油揚げのマリネ、カブとキュウリのぬか漬け、イワシの梅香煮、温泉玉子、ヒジキ、切り干し大根、大豆の酢の物、納豆、メシ、豆腐とミツバの味噌汁。
昼前からオヤジが、長男に持たせた衛星携帯電話に連絡を始める。旅先から、最長では2ヶ月ほども自宅に電話をしなかった僕とは、正反対の性格だ。
香港時間で2時30分に、オヤジは4回目の電話をした。
「メシ食ってる? なにやってんの、3時5分に出発だよ。ボーディングゲートに行かなきゃ」
5回目の電話は、香港時間で3時になされた。
「乗れた? 走ってる? 早くしなくちゃダメだよ」
10分後に キャセイパシフィック航空のウェブペイジへアクセスをする。CX500は、定刻の3:05に先立つこと6分の、2:59に離陸している。この情報が本当なら、息子は帰りの飛行機に乗りそこねたことになる。
家内が 「どうしよう」 と言う。僕はニヤニヤしながら 「死にゃぁしねぇよ」 と答える。
3時10分に、オヤジは本日7度目の電話をする。「電源が切れてる。乗ったな」 と、苦笑いをしている。
終業後、家内と次男と3人で、例幣使街道入り口にある、追分地蔵尊の二十三夜祭へ行く。
子供の名前と年齢を記した色紙に手形を押し、ポラロイド写真を貼って800円というサーヴィスは、小倉町青年部の優れた発明品だ。一旦これを始めると、なぜか毎年の恒例となり、止めることができない。1年ごとに送金するシェアウェアに似ている。
イチモト本酒会長にもらった福引き券で、次男は5枚のくじを引いた。その中の1枚に、なんと1等賞の表示があった。次男は ディズニーランドのパスポートを獲得した。父親とは正反対の、くじ運の強さだ。
綿アメを買ったところで家族と別れ、下今市駅へ向かう。18:52発の、上り特急スペーシアに乗る。Tシャツも分厚いパンツも、雨に濡れて湿っている。車内にて、諸方のpatioに12通の返信を書く。
北千住を過ぎたあたりで家内から電話が入り、長男が成田に着いたことを知らされる。
地下鉄銀座線の上野駅構内から、ほとんど人の通らない通路を抜けて、昭和通りの向こう側に出る。長男から電話があったため、晩飯を食うパワーがあるかと訊くと、午後に2食をこなしたため、腹は減っていないと言う。
ニンニクの匂いが漂う裏通りへ向かう。いつも満員の「京城苑」 を避けて、いつも空いている 「馬山館」 に入る。真露の小瓶と氷、それに蒸しコブクロと焼きハチノスを注文する。
この店の水キムチは、なかなかの出来だ。バンコックのシャブシャブ屋 「可口飯店」 のタレに似た透明の汁に、野菜の種類が特定できないキムチをディップし、焼酎の肴にする。
「馬山館」 での飲み食いには、35分しか要さなかった。アメ横の雑踏を横切り、西郷さんの山の下にある京成電鉄上野駅への短い階段を下りる。ほどなく、"Gregory" のザックを背負った長男が、改札口に現れる。
長男がCX500の搭乗口に達したとき、既にボーイング777のエンジンは回っていたという。長男が機内に入ると同時に、安全の手引きが上映され始めたという。
6年前、尖沙咀から啓徳空港へのローカルバスを、僕と長男は乗り過ごした。迷ったあげく、駐車場から職員用エレヴェイターでロビーに上がり、"closed" と札の出ているカウンターで係員とチェックインの交渉をしたことを思い出す。10歳だった長男はそのとき、「こういう旅もおもしろいね」 と言った。
湯島の繁華街を抜け、切り通し坂を上がる。10時すぎに甘木庵へ入り、入浴して11時に就寝する。
今朝こそは、3時に目が覚めた。
事務室へ降り、
朝5時に起床する。4時間の睡眠で目が覚めるとは上出来だ。
僕が目覚まし時計によって目を覚ますことは、ほとんど無い。機械に眠りを管理されるとは、いかにも異常だ。クルマが来ないにもかかわらず、歩行者用の赤信号に足止めを食うことがある。これも、人が機械に管理されている一例だ。
きのうの日記の出だし部分は、コンピュータの交換作業を見越して、きのうの朝のうちに書いておいた。これを途中まで作成し、短くて済むeメイルのみを書いて送る。
朝飯は、トマトとレタスとツナのサラダ、ホウレンソウの油炒め、ナスの浅漬け、納豆、温泉玉子、ジャコ、メシ、タマネギとわかめと万能ネギの味噌汁。
日中は何かと気ぜわしく、思うことがなかなかできない。2、3のソフトを、巨大なPDドライヴを経由して古いマシーンから新しいマシーンにコピーする。コジマ電機に、ディスケットドライヴとテンキーを1台ずつ発注する。きのうの日記を完成させ、サーヴァーに転送する。
僕は、メモや画像がないと、次々と物を忘れていくたちの人間だ。昼飯に上出来の漬け物を食べたことは思い出せるが、ほかに何を摂取したかの記憶はない。
終業後、「市之蔵」 へ行く。店へ入るなり福島屋製麺所のヨッチャンが 「チタケ、食ってくれるぅ? オレ1個食っただけだからさ、汚いもんじゃぁないから」 と、四角い皿を差し出す。
「あー、それは、キノコの記念写真を撮らなくてはいけませんね」 と、ありがたくそれを受け取る。
入店して5分も経ないうちに、目の前の空間は頼まなくても出てきたもので満たされた。他に、頼まなくても出てきたものは、牛肉のタタキ と コンニャクの甘辛煮。
注文した 新サンマの塩焼き は、まるでスフレのように柔らかい。揚げ出し豆腐にて締める。
この店では勘定の際に、言われたままに支払う客、「高い」 と文句をつけて負けさせる客、「そりゃぁ安すぎる」 と驚いて多めにおいて帰る客の、3種類が見受けられる。
「安すぎる」 と、店主の言い値より多く支払って帰る客が、心理的にはもっとも得をしているのではないか?
8時30分に帰宅し、9時に就寝する。
朝5時に起床する。雨の音はしない。湿度については分からない。気温はきのうと同じく高くない。
事務室へ降り、シャッターを開ける。間もなく、町並みの向こうに朝日が現れる。高空には強い風が吹いているのだろうか、いろいろな種類の雲が、青を背景に混在している。
きのうの日記を作成し、顧客その他にeメイルを書いて送る。「○日、空いてねぇか?」 などという遊びの相談については、後から返信をすべく、メイラーを閉じる。紙の手紙をくれた友達に、紙の手紙を返す。
台風一過の山は晴れた。山頂から数十キロ離れた下界まで、強い風が吹き下ろしている。
朝飯は、ホウレンソウの油炒め、トマトとレタスとキュウリのサラダ、納豆、なめこのたまり漬、煮玉子と茹でたオクラ、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
午後、カトーノさんが来社する。5月のはじめに "Computer Lib" より購入してあった新しい ThinkPad s30 に、いま使っている ThinkPad s30 の中身を移築する。ほぼ11ヶ月のあいだ使った古いマシーンは、事務係のコマバカナエさんが使うことになる。
僕のコンピュータで、もっともその移動に時間を要するのは、7年分のeメイルがpatioにギッチリ詰まったNiftermだ。無線LANの設定では、「いつか使う日も来るだろう」 と買っておいた、i-comのワイヤレスLANカードが大いに役に立つ。
閉店時を過ぎて、日常使っているソフトのひとつがうまく作動しないことが分かった。これを旧に復すべく、カトーノさんは静かに奮闘する。僕はといえばその横で、駄文を弄して無責任野郎を決め込んでいる。
「カトーノさん、晩飯、どうします?」
「家で用意していますから」
「お菓子か何か、食べますか?」
「いえ、結構です」
結局、作業は0時すこし前まで続いた。時計の短針が10回まわるあいだに僕は、金谷ホテルのロックケイキ2個と、コーフィー2杯を胃に収めた。カトーノさんは何も食べなかった。
"Windows XP" は "2000" にくらべてどうにも動作が遅く、簡単に落ちる。それでも仕立て下ろしは、OSにしてもスーツにしても、慣れるまではしばらくの時間がかかる。11ヶ月ぶりの新しいコンピュータを使って、僕はこれから何をしようとしているのだろう。何ものかを創り出すことはできるだろうか?
通用口からカトーノさんを送り出す。自宅へ戻り、入浴して枕元の本を読む。1時に就寝する。
朝5時30分に起床する。雨が降っている。そういえば、台風が近づいているらしい。
事務室へ降りても、この起床時間ではいかほどのこともできない。ウェブショップのコンテンツのひとつ 「四季のお味噌汁」 を、秋のヴァージョンに更新する。
Becky! を回すと、ゴウダタカシ君からeメイルが届いている。昨夕の、尖沙咀の海鮮料理屋における食事の画像が貼付されている。長男は、さすがに襟付きのシャツを着ている、オヤジは、いつもと同じ恰好をしている。
香港は、僕が経験した中で最もエキゾティックな場所だ。エキゾティシズムを感じるには、日常とのほどの良い差異が必要だ。カルカッタにエキゾティシズムを憶えないのは、この差異が激しすぎるためだろう。
朝飯は、コンブの佃煮、もみ海苔、今市市塩野室地区のエツコさんが農協へ出しているナスの浅漬け、ハクサイキムチ、塩鮭、ジャコによるお茶漬け。
雨が降り続いてはいるが、いまだお盆休みの余韻が残っているのだろうか、道を走るクルマの数は多く、客足も少なくはない。有り難いことだと思う。
それにしても、ここ数日の涼しさには困惑を覚える。行く先々で 「暑いですねぇ」 などと挨拶を交わしていたのは、つい1週間ほど前のことではなかったか。僕は1年がすべて夏でも、一向にかまわない。
終業後も、ずっと事務室へ残る。ファクシミリや電話やeメイルにより、顧客とやりとりをする。
7時30分ごろ自宅へ戻る。カメラの持ち帰りを忘れる。大きめの片口に、冷蔵庫から取り出したカスピ海ヨーグルトを満たす。半分ほど食べ進んだところで、家内が皮をむいたモモを皿に盛ってくる。
モモをヨーグルトに入れて食べると、とても美味い。スリランカのウナワトゥナ村で民家に逗留していたとき、朝、牛に背負わせて売りに来る壺入りヨーグルトへ、庭に自生するパパイヤを混ぜて食べたことを思い出す。
それと同時に、並木通り6丁目の "KEYAKI-BAR" にて、この時期になると、モモのジュースにスパークリングワインを注いだ 「桃太郎」 というカクテルが準備されたことも、記憶のどこかからはい出してくる。
入浴して横になるが、睡眠が足りているためか、なかなか眠れない。枕元に散乱する複数の本を、いたずらに読む。推定で、10時30分ごろに就寝する。
秋眠不覚暁、昨夜は9時に就寝したにもかかわらず、今朝は5時になってようやく目を覚ました。事務室へ降り、ウェブショップ への注文件数を確認した後、顧客その他にeメイルを書いて送る。
スケデュール管理を見ると、8月15日になったら、「四季のお味噌汁・夏」 を、秋のヴァージョンに更新せよとある。明日以降の仕事として、これを先延ばしにする。
朝飯は、煮玉子、刻みオクラ、ハクサイキムチ、ジャコ、厚揚げ豆腐の焼いたもの、ワカメと玉ネギのカツオブシかけ、納豆、メシ、ダイコンと万能ネギの味噌汁。
オヤジと長男を乗せて香港へ向かった飛行機が無事に離陸したかどうかを調べるため、キャセイパシフィック航空のウェブペイジへアクセスする。CX501便は、定刻に3分遅れて出発していた。
先日、ウェブペイジを見てウチを知った東京のあるお母さんから、子供の夏休みの宿題のために、会社見学をさせて欲しいとの電話が入った。午後、その家族がご来店になる。小学生の女の子ふたりのみを連れて、蔵の最深奥部へ入る。
低温熟成でも、発酵中の味噌は盛んに呼吸を繰り返す。その音を、小さな見学者に聴かせる。「落ちたら死ぬぞ」 と注意をしながら、高いところでは醤油の発酵タンクの上から、低いところでは廃水処理の曝気槽まで案内する。
最近、ウェブペイジの効果によって、この手の見学要請が多くなった。このまま増え続けると、業務に支障を来すこともあるだろう。今後は少しずつ、心ならずもお断りの方向へ持っていくべきか? などと考える。
3時42分に、オヤジが衛星携帯電話を使って、香港へ無事に着いたとの連絡を入れてくる。電話フリークのオヤジは、出先から1日に何度でも電話をしてくる。出たら出たっぱなしの僕とは大違いだ。
6時より春日町1丁目公民館にて、交通災害共済の申込書を番地に従って区分けする。その後、役員8人で洋食屋の 「金長」 へおもむき、カツライスを肴に燗酒を飲む。
アンザイ畳屋のオヤジが、「今年はチタケ、700本は獲ったかんな」 と言う。それを受けてカミムラヒロシさんが、「オレはきのう、50本獲ったよ」 と返す。
「カミナリの多い年には、チタケが豊作なんだ」
「夕立が降っちゃぁ、翌朝にはガッチリ生えるかんな」
「その代わり、夕立が多いと、ミョウガは不作だわなぁ」
「んだ」
僕は、こういう山についての教養を、からきし持ち合わせない。だったらどのような教養を身につけているかといえば、何も思いつかない。
8時30分に帰宅する。
オヤジからは夕刻以降、何度も電話があったという。こともあろうにオヤジは、自由学園で29学年も後輩のゴウダタカシ君から、漢口道の海鮮料理屋にて晩飯をご馳走になったらしい。
折しも香港には台風が接近し、天気概況によれば、九龍半島は激しい雨に見舞われている。台風の日には二階建てバスの窓を開け放って運行するのが決まりだと、20年以上も前に、山口文憲の 「香港・旅の雑学ノート」 で読んだことがある。いまでもその法律は、彼の地に残っているのだろうか?
9時すぎに就寝する。
朝4時に起床する。昨夜、同級生のノザワチンペイ君のボトルから注いだウイスキーが、いまだ濃く体に沈殿している。
地面がうっすらと濡れている。ここ数日、次男のアサガオには水をやっていない。お盆のあいだ、空がカラリと晴れることは無かったのではないだろうか。きのうの日記を作成し、eメイルの送受信をする。
それにしても、きのう "Finbec Naoto" で食べたものは、「エスカベージュ」 だったのだろうか、それとも 「エスカベーシュ」 だったのだろうか。
"google" にその双方を入れて回すと、「エスカベージュ」 では258件がヒットし、「エスカベーシュ」 では237件がヒットした。ここでは、「エスカベージュ」 が21ポイントの優勢だ。
朝4時30分に起床する。
短文にて済むeメイルのみを書いて送る。一昨日の日記が、いまだサーヴァーに転送できていない。それはそれとして、きのうの日記を作成する。
朝飯は、ジャコと大根おろし、冷や奴、チタケとナスの炒め煮、ニラのおひたし、塩鮭、納豆、メシ、ダイコンとミツバの味噌汁。
開店前に、包装部門のサイトウヨシコさんが、「ガスの給湯器が稼働しない」 と言ってくる。「夏だし、お湯は必要ないでしょう」 と答えると、「これが動かないと、店舗の給茶器にお湯が行かない」 と返される。
日光街道をはさんで向かい側の芳賀燃料店へ行き、ハガエイスケさんに助けを求める。店の給茶器には当面、事務室からヤカンでお湯を運ぶことにする。
"Computer Lib" の中島マヒマヒ社長から、eメイルが届く。
「サーヴァーへウェブペイジのファイルが転送できないのは、OCNが栃木県のユーザーに対して割り当てた新しいIPアドレスが、セキュリティのためサーヴァーに設けられたIP制限を通過できなかったことが原因だった。新しいIPアドレスを許可したので、接続できるかどうか確認してくれ」
という連絡を受けて、"NextFTP" を回す。その後、マヒマヒ社長との1往復のeメイルのやりとりを経て、おとといの日記は無事、サーヴァーに転送された。
午後、"Paloma" のサーヴィスマンが到着する。基盤に問題のあった給湯器が復旧する。お盆にもかかわらず、迅速に行動してくれたハガエイスケさんとメイカーのサーヴィスマンに、感謝をする。
時間は忘れたが、長男と次男が玄関前の川の上で仏壇の飾りを焼き、送り火とする。
今日は僕の誕生日にて、閉店後の仕事を済ませた後、家族5人で "Finbec Naoto" へ行く。
僕の胃は、魚と肉の双方が食べられるほどには、若くなくなってしまった。トウモロコシの冷たいポタージュ、キスのエスカベージュ、ナスとタラバガニのグラタン、塩で締めた豚頬肉のシチュー、クレームブリュレのアイスクリーム載せ、エスプレッソの、3,500円のコースを頼む。
オフクロがメニュのカタカナを読んで、「エスカベージュ? エスカベーシュじゃないの?」 と訊くが、もとより僕は、そのようなことについては何も知らない。
ワインは自重をして、白のグラス2杯に留める。グラスワインとはいえ、今日は赤も白も "Louis Jadot" のものが用意してあった。この店はメシもワインも安くて、しかも上出来だ。
"Finbec Naoto" からの帰途、僕だけが如来寺の前でクルマを降りる。フグとスッポンの店 「幸楽」 で行われている今市中学校の同窓会に合流する。僕が到着すると同時に、同じ同級生ヨシハラノリコさんの店 "Candle" へ移動する。
「明朝3時に起きて、会津駒ヶ岳に登る」 というシバタミノル君が9時30分に中座した後、同窓会は11時30分ころまで続いた。
0時前に帰宅し、即、就寝する。
朝4時30分に起床する。
雨の降った気配がする。通用門を開けて外を見ると、霧が地面を濡らしていた。
紙の手紙をくれたふたりの友人に、紙の手紙を書く。
きのうの日記を作成するが、ファイル転送ソフトの "NextFTP" を回しても、サーヴァーにアクセスをすることができない。"Computer Lib" の中島マヒマヒ社長へeメイルを送り、サーヴァーの具合を調べるよう要請する。
朝飯は、ハクサイキムチ、チタケとナスの炒め煮、ホウレンソウのおひたし、ピーマンの油炒め黒酢がけ、納豆、メシ、シジミと万能ネギの味噌汁。
朝のうちこそ駐車場も閑散としていたが、客足はその後、徐々に伸び、お盆らしい繁忙になって安心をする。
製造現場が休んでいるこの3日間は、出勤する社員が希望するお店から、昼食を調達することができる。
きのうは 「金長」 のハンバーグ弁当かメンチカツ弁当が、その選択肢だった。今日は、レストラン・コスモスの、エビグラタンかハンバーグランチのどちらかから、選ぶことになっている。
明日は、レストラン・ウッディベルの、オムライスかベイコンチーズハンバーグが、予定されている。
そしてお盆の初日から、3日間を通じて自分はハンバーグを選ぶと、早くも決めていた社員もいるという。
僕も彼らにちかい年齢のときには、ハンバーグステーキをおかずにして、大量のメシを食うことが好きだったことを思い出す。
長男が、次男の習字の面倒を見ている。なにかの書道展に出すための習字だという。長男は 「字もろくに書けないのに、どうしてそのようなものに応募をするのか?」 と、笑っている。
僕はすべからく、手本に従ってものを作ったり行動することが苦手だったし、その傾向はいまでも変わらない。ピアノもスキーも習字も、手本を示されるととたんに、体の動きがギクシャクとしてしまう。基本を反復することが上達への最も短い道と分かっていながら、なかなかそれが、ままならない。
次男は、「と」 の最初の斜めの線を、短く留めることができない。一番まともと思われる1枚を選び、本日の宿題を終了する。
「どうしても、今日中に出してくれ」 という商品の荷造りをする。フォークリフトで、製造現場から包装部門に仕掛品を運ぶ。明朝から袋詰めをする商品の手入れをする。
店を閉め、自室へ戻る。雨を伴わない雷が盛んに鳴り、少し長めの停電が発生する。
やがて灯りも復旧したため、"Chablis Premier Cru Les Vaillons" BILLAUD-SIMON 1999 を、長崎で売っている 「ぽっぺん」 のように薄いガラスの器へ注ぐ。
トマトとモツァレラチーズのカプレーゼ、マグロとピーマン、トマトとキュウリのたたき、タイの蒸し焼きバルサミコソース。
金谷ホテルのフランスパンを軽くあぶり、そこに マスカルポーネと "St.Dalfour"の FourFruits を塗ると、お菓子もいらない美味さだ。これを肴に、更にシャブリを飲み進む。
推定で、9時前に就寝する。
朝4時に起床して、外の音に耳を澄ませる。今日からお盆の繁忙が始まる。雨にたたられては堪らない。幸いにも、濡れたアスファルトの上をクルマが過ぎる音はしない。
事務室へ降りる。「なめこのたまり漬」 と 「ふきのとうのたまり漬」 の在庫が僅少になった。ウェブショップの注文ペイジに、品切れの表示を出して更新する。
きのうの日記を作成し、諸方のpatioに少しの返信を書く。
朝飯は、ジャコ、焼いた厚揚げ豆腐、刻みオクラのカツオブシかけ、納豆、ナスとシシトウの油炒め黒酢がけ、メシ、ワカメと万能ネギと桜エビの味噌汁。
本日から3日間、製造現場はお盆休みに入る。出勤するのは包装係、販売係、事務係の3部門のみだ。
「お盆に配るので、なにがなんでも今日、出荷せよ」
「商売に使うので、なにがなんでも今日、出荷せよ」
「帰省した子供に渡すので、なにがなんでも今日、出荷せよ」
というお客様の分のみ、僕が荷造りをする。
お盆中でも、携帯電話には頻繁に、ウェブショップ への注文が転送されてくる。中に、ひときわ大きな発送依頼がある。40個まで注文できるプルダウン表示が足りず、同じアイテムを2度も、買物かごに入れている。しかも、注文品は複数種にわたっている。
いたずらかと思って調べたが、まっとうなご注文だった。すかさず事務係のコマバカナエさんが発送伝票を作成し、顧客の希望する到着日を記入する。
お盆の3日間に出勤する社員には、昼食が支給される。近所にある 「金長」 のお婆さんと小学生の孫ふたりが、風呂敷に包んだメンチカツ弁当を、社員の休憩時間に合わせて何度も運んでくる。
お盆は客足が途切れないため、通常の閉店時間は守られない。定時を過ぎても店を開け続ける。
ようやくキャッシュレジスターの精算を済ませ、長男と次男をクルマに乗せて、町はずれの "TSUTAYA" へ行く。次男はきのう町内から、遅ればせながら小学校の入学祝いに、2,000円分の図書券をいただいた。次男は、もらったお菓子はすぐに食べたいし、もらったお金はすぐに使いたい性分だ。
僕が誰かからもらい、しまい忘れていた5,000円分の図書券も足して、「シャーマンキング」 というマンガ全20巻を購入する。次男がどうしてこのマンガを欲しいと思うに至ったのか、その理由は知らない。
今日は僕の断酒日だと思いこんだ家内が、今夜のメシを僕の好まない 「お好み焼き」 と決めたらしい。準備した12種の中身から各自が好むものを選び、自分だけのお好み焼きを作る。僕は3本のビンにそれぞれ少しずつ余ったワインを、すべて飲む。
シャワーは夕刻に済ませていた。9時に就寝する。
朝2時30分に起床する。電話が鳴り始める時間になったらできないことをする。このところ、仕事でキーボードを打ち続けることが多い。朝になれば腕の疲れも幾分かは回復するが、長いメイルは後回しにし、短くて済む連絡事項のみ、書いて送る。
朝飯は、ホウレンソウの油炒め、レタスとキュウリのバルサミコかけ、ワカメと玉ネギのカツオブシかけ、目玉焼き、納豆、メシ、シジミと長ネギの味噌汁。
事務係のタカハシアツコさんが 「きのう父が山で採ってきました」 と言って、大量のチタケをくれる。チタケは昔こそ十把ひとからげの駄キノコだったそうだが、今では収穫量も落ち、時によってはマツタケよりも高値をつけるほどになってしまった。これをとりあえず、塩水を張った洗面台にて休ませる。
「ヒグラシが鳴き始めるころ、山にチタケが出る」 とは、製造現場のアオキフミオさんによる、詩情ある名言だ。
9時前から家族4人でお墓掃除に行く。ウチにはお墓がたくさんある。それらのおおかたに花や線香を上げ、蒸し暑さの中に短くない時を過ごす。
先日来、「階段室の本を、なんとかしろ」 と、オヤジに言われていた。午前中、ウチからもっとも近いところにある古書店のあるじが、僕の本の品定めに来る。
「ほとんどが、買える本です」 と、あるじは本棚や床や階段に散乱した本に目を近づけて言った。
しかしながら
何時かは分からないが、夜半に目を覚ますと二日酔いだった。再び寝入り、再び覚醒すると、今度は幾分、まともな気分になっている。起床して時計を見る。5時になっている。
事務室へ降り、諸方のpatioに、ごく少ない数の返信をポツリポツリと書く。顧客からの問い合わせに対して説明文を送付し、きのうの日記を作成する。
いまだ薄暗い通路に明かりを点けつつ、製造現場へおもむく。上縁までギッチリ 「本日指定出荷」 の発送伝票が積み重なったプラスティックの箱を、所定の場所へ置く。
朝飯は、セロリとレタスのサラダ、ナスとシシトウの油炒め、納豆、塩鮭、ジャコ、メシ、お麩と青ネギの味噌汁。
「丸赤」 の極辛塩鮭は塩分濃度が高いため、1度に箸の先ほどの量しか食べられない。味はもちろん上出来だから、売場で一見すると高価だが、結果としては、とても安い買物になる。
法律の定めるところにより、本日も事務室ではひとりが休みを取っている。処理すべきメモ、処理すべき伝票が、机の上に溜まっていく。電話の鳴りが一段落をしたところで、溜まった仕事を片付けていく。
午後、高島屋東京店のリカーショップから電話が入る。マネイジャーのハヤミケイシンさんに、本酒会 8月例会のためのお酒の、配達希望日を伝える。
すべての伝票を処理しきらないまま、終業時間に至る。店舗のキャッシュレジスターを精算し、自宅へ戻る。
家族の晩飯は、エダマメ、レタスとキュウリのサラダ、お中元で戴いた串揚げ。僕の晩飯は、シフォンケイキとカスピ海ヨーグルト500CC。
飲酒を為さない晩は、メシ前に入浴をすることが多い。9時に就寝する。
目を覚ましたのは4時だが、なにやら昨日の疲れが身中に沈殿しているような気がする。5時までベッドの上で静かにしている。
事務室へ降り、メイラーを回す。質問をし、回答をいただかないうちは商品をお送りできない顧客に、eメイルを送付する。複数アドレスを持つ友人がいる。どのアドレスにeメイルを送っても返事がない。すべてのアドレスに、同報メイルにて連絡事項を送る。
次男は、アサガオの開花数を記録するなどという宿題についてはすっかり忘れて、毎朝、子ども向けのテレビ番組を見ている。「今朝はいくつ咲いたかな」 と、これを点検するクセが、いつの間にか僕についてしまっている。
そのお陰にて、アサガオは細い竹にこそ巻きつくが、ある程度の太さ以上のものには、その周辺を右往左往して、美しくなく固まるばかりであることを知る。
朝飯は、スペイン風の目玉焼き、シシトウの油炒め黒酢かけ、モロヘイヤを叩いたもの、キュウリのぬか漬け、納豆、メシ、ナスと万能ネギの味噌汁。
9時より春日町1丁目の公民館へ行き、納涼祭の準備を始める。春日町公園に大きなテントを張り、ガスボンベ、コンロ、机、大量の椅子、子どものプール、川からそこへ水を引くポンプ、焼きそば、キャベツ、ソース、ダシ、かき氷の機械、氷、シロップ、食器などを、適宜配置する。
炎天の下、大量の汗を発しつつするこれらの作業には、そろそろ別れを告げたい気分だ。
10時30分にかかった事務係のタカハシアツコさんからの電話によって、会社へ呼び戻される。昼からの作業に必要な段取りを整える。
ことし初盆を迎える叔母の家族が、東京から来ている。彼らを如来寺の墓地に迎え、きのう予約を済ませておいた 「報徳庵」 へ行く。10人で、一升蕎麦を2枚、天ぷらを5人前、なめこおろし、コンニャクの味噌田楽、山菜の盛り合わせをそれぞれ2皿ずつ平らげる。
会社へ戻り、午後1番に行わなくてはいけない仕事を済ませる。
春日町公園へ戻ると、すでに子どもたちは炭火で焼いたラムチョップなどの食事を済ませ、てんでんばらばらに遊んでいた。大人たちは焼きそばや枝豆にて生ビールを飲み、椅子に座って立ち上がる気配もない。
先ほどの驟雨に濡れたテントは今日は片付けず、今夜の直会にて、それを公民館の倉庫へ格納する日時を決めることとする。
3時30分に、ふたたび事務係のタカハシアツコさんの電話によって、会社へ戻る。夕刻の仕事を済ませ、シャワーを浴びて着替えをする。
閉店後、販売の社員たちと、アイテム別週間粗利総額対前年度比表を検討する。それが終わるころ、店舗の電話が鳴る。出てみると、それは長男の同級生オノグチタッちゃんからのものだった。
「遊亀君いますか? 大人の人が、市之蔵へ集まるよう言ってます」
長男を伴い、日光街道を下る。「市之蔵」 の引き戸を開ける。折しも、お祭り好きのオッチョコチョイが、小さな町内の御輿と瀧尾神社の大御輿の担ぎ方の違いについて、皆にレクテュアをしているところだった。
それほどカロリーの高くない肴を食べつつ、焼酎のオンザロックスを3杯あるいは4杯ほども飲む。
8時30分にお開きとなったため、長男と日光街道を上がる。店まで戻ると、駐車場の長椅子に人影が見える。
「あー、誰か座ってる」
「うん」
「前衛彫刻じゃねぇだろうな」
「ハハッ」
近づいてみるとそれは、ヘベレケに酔って我々より1時間も前に 「市之蔵」 を辞去したカミムラヒロシさんだった。足早に近づいて声をかける。
「カミムラさん、大丈夫ですか? 誰かに迎えに来てもらいますから、家の電話番号、言ってください」
「ウチに電話は無い」
「そんなこと、ないでしょう」
というわけで、カミムラヒロシさんを自宅まで送り届ける。奥さんが 「傘、差して帰ってください」 と、傘を差し出す。雨が降り始めていたことにも、気がつかなかった。
地面をすべて濡らす前に止んでしまうたちの雨だと見当をつけ、その傘を断る。
9時前に帰宅し、入浴して10時に就寝する。
朝3時に起床する。
事務室へ降り、eメイルのチェックをする。顧客からの質問など、急ぎのものへのみ返信をつける。きのうは繁忙にて、前日の日記を書くことができなかった。今日からすればおとといの日記を作成し、サーヴァーに転送する。
朝飯は、モロヘイヤを叩いたもの、塩鮭、キュウリのぬか漬け、チタケとナスの炒り煮、納豆、トマトサラダ、メシ、ジャガイモと万能ネギの味噌汁。
9時に岡村医院へ行き、内科医の診察を受ける。今月5日にした血液検査の結果を受け取る。肝臓の数値も脂肪の数値も、すべて基準範囲に収まっているとは、何年ぶりのことだろうか。
すべては、健康的な朝飯と、週に2度の断酒と夕食抜きの結果だろう。
始める前は、断酒も半断食も自分には難しく思えたが、いざしてみると、これが割合に心地よい。断食フリークの気持ちも理解できるようになった。
ただし、マラソンフリーク、苦行フリークの気持ちは、いまだに分からない。
長男はクルマの免許が取れる年には達していず、次男の自転車の腕前は、一般道を走れるものではない。10時に、長男と次男を3Km離れた市営プールまで送る。プールのある瀬尾地区は、午後になると雷と夕立に見舞われることが多い。水遊びは午前中に終わらせるのが得策だ。
12時30分に、再び市営プールへ行く。次男に、昼飯には何が食べたいかを訊く。
「おにぎり」
「はぁ? おにぎりぃ? どこかさ、店に行こうぜ」
「お店? どんなお店?」
「ラーメンとかさ、お蕎麦とかさ」
「あー、ラーメン、ラーメン。そう、ラーメン」
というわけで、帰り道に 「ラーメンふじや」 へ寄る。僕は、汁そばでもなく勞麺でもない不思議な形態の野菜麺。長男は味噌ラーメン、次男は子ども味噌ラーメン。
帰宅すると、家内が次男に質問をする。
「お昼ご飯は、何を食べたの?」
「ラーメン」
「どこで食べたの?」
「海の中」
次男の言うことには、いつもなにかしら、ワケの分からないところがある。
終業後の1時間を居残って、ウェブショップ から注文をくださった顧客に 「ご注文御礼」 を、お送りする。最後のころには腕が疲れ果て、左手のみでキーボードを打つ。
今夜は我が町の盆踊り大会のため、家族はスパゲティにて軽い夕食を済ます。僕の晩飯は更に軽い。先日、同級生のホウジョウノリコさんからもらった種による、ガラス鉢に1杯のカスピ海ヨーグルトを食べる。
「体に良い」 「美容に良い」 などという理由をつけられ、人から人へ種が伝播していく食品には、なにやら紅茶キノコに似た胡散臭さを禁じ得ない。しかし考えてみれば、すべての食品は、そのような経路を辿って広まり、歴史の淘汰に耐えたものだけが後世に残るのではないか?
生まれて初めて食べたカスピ海ヨーグルトは、とても美味かった。良く熟したカマンベールチーズの中心部と同じコクを、舌の奥に感じる。これから週に2度は、このヨーグルトを晩飯にしようと考える。
家内と長男と次男は、日光街道を閉鎖して行われる盆踊り大会の見物に出かけた。僕は入浴し、ベッドの上で 「モハメド・アリ その闘いのすべて」 を読み終える。
そのままうつらうつらし、9時ごろに就寝する。
朝5時30分に起床する。事務室へ降りてeメイルのチェックをし、必要なものには返信を書く。
ウェブショップ への注文が、夜中ではなく日中に多く入るのが、このところの傾向だ。顧客からのeメイルも届いてはいない。ショッピングペイジの細かい部分を更新し、サーヴァーに転送する。
朝飯は、ジャコ、トマトとレタスとポテトのサラダ、納豆、チタケとナスの炒り煮、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
法律で決められた労働時間を守ると、2日に約1回の割で、事務室にひとりの欠員が出る。繁忙期には、このひとりの欠員が、かなりの目まぐるしさを生む。
来客と面談し、受注をこなし、出荷伝票を整え、製造現場を回り、店舗のキャッシュレジスターを調べ、再び製造現場へ行く。忙しいということは、決して褒められたことではない。
日中に処理できなかったウェブショップの注文を、終業後にこなす。いつもの帰宅時間を大きく回ったため、家内が不審に思って館内電話で僕を呼ぶ。
10日以上も前から着日指定にて注文しておいた羊の肉が、今朝、「羊肉のなみかた」から届いた。この美しい肉を、完熟トマトを潰し入れたコンソメスープにて シャブシャブにする。
「ウマイッ!」 などと言いながら、家族4人で500gほどの肉を平らげる。僕は合いの手に キャベツとキュウリのサラダを食べ、焼酎 「紅乙女」 のオンザロックスを飲む。
いつ買ったのか憶えてもいない 「サッポロ一番味噌ラーメン」 が、ひとつだけ残っているという。それを鍋に投入し、親子3人で分ける。
更に、冷蔵庫に冷や飯があるという。これを温め、ラーメン混じりのスープをぶっかける。長男が窓辺の植木鉢からベイジルを2、3葉ちぎり、散らしてくれる。これも美味い。
飲み物をオールドパーの生に換える。モモを食べ、先日、アダチユキコさんからもらった "BISCUITS des PYRENEES" にて締める。
入浴して9時30分に就寝する。
甘木庵にて、朝3時30分に起床する。暑さから、夜中に1度、目が覚めたらしい。寝室の窓が薄く開いて、風にカーテンが揺れている。東京大学には、いまだ明かりの灯った部屋がいくつも見える。
眠っているあいだに携帯電話へ転送されてきた、ウェブショップ への注文数を確認する。諸方のpatioに13通の返信をする。短くて済むeメイルのみを書く。きのうの日記を作成し、再びベッドの上で 「モハメド・アリ その闘いのすべて」 を読む。
今日は、四半世紀以上も前の洗濯機が、新しいものに交換される。昨夕、携帯電話に 「○時から○時のあいだにお届けします」 という伝言メモが入っていたが、声が小さくて聞き取れなかった。9時を回ったら、運搬業者に電話をしてみようと考える。
8時もちかくなったため、朝飯をとりに 「たつみ屋」 へ行く。「本日の定食」 にすれば420円で済むところを、トロロ、生のトマト、冷や奴、小盛りのメシ、コマツナと油揚げと長ネギの味噌汁を選んで、820円を支払う。
「今日のメシは、ヤケに高けぇな」 と考えつつ、熱いほうじ茶を飲む。
帰りにコンビニエンスストアへ寄り、350CCのお茶を2本、購う。
確認の結果、洗濯機は11時30分から1時30分のあいだに届くということを知らされる。シャワーを浴びる。窓を開け玄関も開け、風が通り抜けるようにして、ベッドの上で 「モハメド・アリ その闘いのすべて」 を読む。
やがて昼時になる。ちかくの蕎麦屋 「小松庵」 にて、おろし蕎麦を食べる。この店は僕の学生時代とはガラリと業態を変えた。席数や品数を増やして昼食の客を多く受け入れると同時に、近隣にチラシを配って出前の需要も大きく取り込もうとしている。
本当は 「池之端藪」 へ行きたいところだが、なにしろ今日の昼飯はそそくさと済ませる必要がある。無縁坂の上り下りをしている場合ではない。
甘木庵の手前まで戻ったところで、ちょうど携帯電話が鳴る。「あと10分ほどで到着します」 との、配達業者からの連絡だった。
二人組の配達業者は、かなり丁寧な仕事ぶりを見せた。いままで使っていた鉄パイプによる台を新しい洗濯機のサイズに調整し、上水と下水のパイプを繋ぎ、試運転をして異常の有無を確認する。
僕は書類にサインをし、朝方に買った冷たい2本のお茶を手渡す。外では巨大なイチョウの木陰に太陽の直射を避けた大量のセミが、飽きることなく鳴いている。
三浦海岸での 「ジュニアMG」 へ参加をしていた長男から、電話が入る。いま参加者のみなと品川まで移動したところで、これから昼飯を食べるという。できるだけゆっくりして、解散をするときにまた連絡を入れるよう言う。
長男とは、3時30分に有楽町で落ち合った。国際ビル2階の 香港政府観光局へ行き、中環からゴーダタカシ君が住む浅水湾までの、バスの時刻表をコピーする。
途中で水分の補給をし、地下鉄銀座線にて浅草へ向かう。
六区裏の焼肉屋 「大亀」、浅草駅裏の串揚げ屋 「光家」、馬道2丁目のモツ焼屋 「うまいち」 のうちどこへ行きたいかと訊くと、長男は 「うまいち」 と答える。「うまいち」 へ電話をして5時の開店を確かめ、馬道通りを北上する。
いまだ5時15分前にもかかわらず、オヤジは椅子に乗ってノレンを軒下に固定していた。「悪いね、早くから」 と詫びつつ店に入る。
僕の注文は、テッポウとレヴァ刺し、それに冷やしトマトとモヤシ。長男の注文も、同じくテッポウとレヴァ刺し、それに冷やしトマトとモヤシ。
焼酎のオンザロックスを注文すると、普通はオールドファッションドグラスほどの容量にて供されることが多い。しかしこの店では容赦なく、大きな酎ハイグラスに、少量の梅酒で割った濃い焼酎がなみなみと注がれる。
それを口に運びつつ、レヴァ刺しをサクサクと食べ、テッポウの脂を楽しむ。
はじめてこの店に連れてきたとき、長男はいまだ10歳に満たなかったのではないか。「なにしろテッポウは、1頭からこれっきゃ取れねぇからさぁ」 と、オヤジも饒舌だ。
「前に手伝ってた女の人、上品だったよねぇ」
「あぁ、シズエか。あいつぁ世田谷に住んでっから、なかなか来らんなくてさ」
「エッ、夫婦じゃなかったの?」
「10年ばっか一緒に住んでたけど、結婚はしてない」
オヤジがシズエさんの写真を出して見せてくれる。
「この横にいる、いい男は誰?」
「オレだよ」
「いやっ、若いなぁ。これ、ゴールドコーストに行ったときの写真?」
「そう。コチ釣ってっとき」
長男はシロ焼きを注文する。僕は コブクロ刺し を頼む。「刺し」 とはいえ、この店では入念に茹でたものを、ごま油と醤油のタレで食べさせる。
長男の締めは テッポウ刺し。テッポウ焼き、シロ焼き、テッポウ刺しと、長男は腸ばかりで統一したことになる。
僕は大きなグラスで計3杯の焼酎を飲んだ。浅草駅まで辿った道の記憶は、ほどんど無い。いつ上り特急スペーシアが隅田川を渡ったのかも知らない。気がつくと、「間もなく下今市」 とのアナウンスが聞こえる。
改札口を出ると、家内と次男がクルマで迎えに来ている。
「これからどこへ行くの?」 と訊くと、家内が 「家に決まってるでしょ」 と答える。次男は鎌倉で過ごした数日間で真っ黒に日焼けし、とても可愛い。
9時前に帰宅し、入浴して10時に就寝する。
甘木庵にて、朝5時30分に起床する。
昨夜は寝入るまで、東京大学の巨木からセミの声が途切れなかった。今朝も早くから、複数種のセミがうるさく鳴いている。
メイラーを回し、会社のpatioに必要事項をアップする。きのう上り特急スペーシアの中で途中まで書いた日記を完成させ、数行にて済むeメイルにのみ返信を送る。
7時を回ったため、定食の 「たつみ屋」 へ行く。ナノハナの辛子和え、ハムとキャベツ、イワシの梅香煮、メシ、コマツナと長ネギと油揚げの味噌汁 による朝食をとる。
8時45分に甘木庵を出て、春日通りにタクシーを停める。運転手に 「神保町まで」 と伝えると、「まっすぐ春日町まで降りていいですか?」 と訊く。了承して涼しい車内から窓の外を眺める。
後楽園では、新しい絶叫マシンが建設中だった。この手の乗り物に比べれば、パラシュートを背負って飛行機から飛び降りるなど、そう恐ろしい行為でもない。
"Computer Lib" ではいつも、自分のコンピュータをサーヴァーに繋いで作業をする。しかし今日に限っては、なぜかLANカードが正常に作動しない。中島マヒマヒ社長が諸方に連絡をしながら、およそ2時間ほども設定作業に冷や汗を垂らす。
最後にマヒマヒ社長は、不調の原因を、LANケイブルを差し込むハブのハード的な不具合ではないかと考えた。コネクターを 「隣の穴」 に差し込むと、案の定、僕のThinkPadはサクサクと、サーヴァーに連結された。
「すること、たくさんありますよ。中島さん、今夜は何時までここにいるんですか?」
「大丈夫っすよ、終わりますよ」
人は常に、直面した問題によって、悲観主義者にもなれば楽観主義者にもなる。
僕があらかじめeメイルにて送付しておいた、ウェブショップ の書き換えるべき文言やその個所、顧客に自動送付される受注確認書の新しいデザインについての説明などが、印刷されて大テイブルに運ばれる。
バグを潰すように、それらのひとつひとつを処理し、赤ペンで "OK" の文字を入れながら、高い速度で更新作業を進めていく。
昼時、ちかくの気楽なイタリア料理屋にて、洗面器のように大きな器に盛られたレタスのサラダと、これまた少なくない量の、トマトとベイジルの冷たいスパゲティを食べる。早めに戻って仕事を再開する。
夕刻、ようやく目論見通りの作業を終える。池に配置された飛び石を、対岸と足下を同時に見ながら急いで走り抜けたときのような疲労感を、全身に感じる。
きのうよりも幾分かは低い、それでも35℃くらいはありそうな外気の中を、神保町の駅まで歩く。地下鉄半蔵門線を銀座線に乗り換えて、日本橋に至る。
高島屋の地下を巡回し、知った顔に頭を下げる。地下道を伝って丸善へ移動し、6歳の次男に、粘土の中から恐竜の骨を発掘して組み立てる、ある種のキットを買う。そろそろ飲酒の時刻だが、昼に食べた野菜と麺にて、腹はいまだふくれたままだ。
銀座線にて上野広小路まで移動し、暮れつつあるが、いくらも涼しくならない切り通し坂を上がる。セミはここでも、クルマの音を圧して鳴き続けている。
甘木庵へ帰着し、シャワーを浴びる。冷たいお茶を飲みつつ、およそ3時間ほども 「モハメド・アリ その闘いのすべて」 を読む。
若いころホーボーだったジャック・ロンドンは、後にニューヨーク・ヘラルド・トリビューンのボクシング担当記者となった。自称 「労働者の味方の急進論者」 だった彼も、ジャック・ジョンソンについては、人種的偏見を隠さず記事にしていたことが、この本では明らかにされている。
晩飯をとりに外へ出る気力はないし、第一、それほどの空腹もおぼえない。再びシャワーを浴び、今度は冷蔵庫から350CCの缶ビールを取り出して飲む。11時に就寝する。
昨夜は8時30分に就寝したが、10時すぎに、長男の同級生アイカベタクト君からの電話に起こされた。
長男はいま母親の実家にいると説明し、そちらの電話番号と、長男が帰省時にのみ心ならずも持たされる携帯電話の番号を伝える。
アイカベタクト君は長男と共に、明日から三浦海岸で開かれる、10歳から18歳までを対象とした 「ジュニアMG」 へ参加をする。きっと、どこかで待ち合わせるための連絡だろう。
寝入って再び目を覚ますと、2時30分になっている。起床して事務室へ降りる。
きのう伝票化できなかった地方発送のメモが、机上にごっそりと残されている。6月に "Computer Lib" による新しいシステムが動き始めて以来、ウェブショップ からの受注はコマバカナエさんが処理することになっているが、今朝は僕がこれを肩代わりする。
始業直後から、メモの山を片付けていく。ところが9時を過ぎるたあたりから、「先週土曜日の日経新聞を読んだのだが」 という電話が、普段の注文と綾を為すように入り始める。
結局、昼になっても、メモの山は少なくならなかった。
自室へ戻り、買ったばかりの "LL Bean" の半ズボンを探すが見つからない。今年はさすがに身につける気にならなかった、 "Patagonia" の裾のすり切れた半ズボンを履き、女物の青い麻のシャツを着る。このどうでもよい恰好に "Gregory" の四角いザックを背負い、会社を後にする。
下今市駅13:05発の、上り特急スペーシアに乗る。途中でいくつもの注文が、ウェブショップ から僕の携帯電話に転送されてくる。タカハシアツコさんに電話をして、その処理と僕への報告を依頼する。
北千住から秋葉原へ抜け、神田和泉町の取引先を訪なう。今秋から手をつける仕事について、小一時間ほど話し合いを持つ。
山手線にて御徒町へ移動し、4月のバンコックとほぼ同じ気温の中を歩いて甘木庵へ至る。シャワーを浴び、eメイルのチェックをする。
パリに住む友達のアダチユキコさんが半年ほど前に、「私が学生のころにあった浅草の "ARIZONA" は、今どうなっているのか?」 と訊くので、「長い休みを経て再開したから、今年の夏に行こう」 と、約束をした経緯があった。
燈刻、浅草にて待ち合わせ、"ARIZONA" へ行く。ホタテガイとキウイの刺身、南仏風のサラダ、レヴァーペイストと甘いクルミパンを肴に、シャルドネイによる発泡ワインを飲む。
空が暗くなりきったころに店を出て、吾妻橋を渡る。ちょうど上げ潮にて、海の匂いが濃厚に感じられる。新大橋やかちどき橋のあたりでならいざ知らず、浅草に潮の香りを聞くと、少しく不思議の念に打たれる。
向島まで歩くことは、とてもかなわない。適当なところまで行き、再び吾妻橋を今度は東から西へ辿る。船に乗って隅田川を南下する。
日の出桟橋から銀座までは目と鼻の先だ。8丁目でタクシーを降り、2次会について協議をする。僕が 「遊びとは、小人閑居して不善を為すこと」 と述べるが、彼女は 「誰かがいそうな "Y's Bar" へ行きたい」 と言う。
資生堂の角を曲がって "Y's Bar" への階段を降りる。それぞれが、シーヴァスリーガルの水割りと、I.W.ハーパーの生を飲む。はじめはふたりだけの店内に、やがて案の定、自由学園で僕よりも1学年上の人たちが集団で入ってくる。
大勢で飲酒を為していると、否、ふたり以上で酒を飲んでいると、時の経過を忘れることがある。適当なところで切り上げ、幾分かは凌ぎやすくなった外気の中を、アダチユキコさんと5丁目まで下る。
丸の内線に乗り、僕は本郷三丁目で降りる。彼女は池袋まで行くのだろう。夏の宵の遊びは楽しかった。
11時すぎに甘木庵へ帰着する。Niftermを回すと、会社のpatioにタカハシアツコさんからの業務報告がアップされている。それを確認し、シャワーを浴びて、0時前に就寝する。
朝1時30分に起床する。事務室へ降りて、なにを最初にすべきかを考える。
数日前に ウェブショップ から注文をくださった顧客に、紙の手紙を書く。確認したい点についてeメイルを送るも返事はなく、電話をしても常にお留守で連絡が取れない。この場合、残された手段は電報か紙の手紙をお送りするのみだ。
手紙と計算書を封筒に収め、切手を貼る。
不明の部分を顧客へ問い合わせ、その返事が戻るまでは出荷できない注文が、ウェブショップではおよそ10%は発生する。
きのうの日記を作成し、数行で済むeメイルのみ書いて送る。先延ばしにしていた アナログ版本酒会報の作成を済ませ、投函できる形にする。
朝飯には何を食べようかと考え、今日は血液検査があったことに気づく。岡村医院がくれた案内書には、「当日の朝食はとらずに来てください」 との文字が見える。
居間へ戻り、開高健の 「玉、砕ける」 を読む。僕は小説は、読むそばから忘れる。忘れるから、何度読んでも新鮮で飽きない。しかし、読み返したくなるほどの文章には、そう出会うことはない。
「太った中年の看護婦さんがいればいいな、あの人は静脈注射が上手だからな」 などと考えつつ、9時に岡村医院へ行く。太った中年の看護婦さんはいなかった。それよりも15歳ほど若い看護婦さんが、僕の右腕から採血をする。この人も、今日の注射は上手に決まった。
先週末の日本経済新聞に載ったウチの記事は、その効果がいまもなお続いている。本日の地方発送は、作業の始まりである伝票作成がボトルネックになって、その先の能率が上がらない。
電話で受注し、メモから発送伝票を作成する前に、次の電話が鳴る。メモを取って電話を切ると、次の電話が鳴る。注文だけではなく、他の電話も多くかかってくる。メモだけが、乱れ籠に積み重ねられていく。
夕刻、残った仕事は明朝に繰り越すこととして、事務室を締める。
「モハメド・アリ その闘いのすべて」 を自転車のバスケットに入れて、飲み屋の 「和光」 へ行く。常連のアキモッチャンとスーサンが、早くも飲み始めている。本を読むため、彼らとは離れてカウンターの端に座る。このあたりが、僕の愛嬌のないところだ。
棚から僕の吉四六を下ろしてもらうと、ほとんど8分の1ほどしか残りがない。即ボトルを注文し、ハナッから2本体制にて飲酒に臨む。
突きだしとして、マグロとアオヤギのぬたが出る。僕は味噌屋で育ったくせに、生やコロイド状の味噌が苦手だ。しかし 「食べられません」 とは言えない。我慢をして口に入れると、これがなかなか悪くない。むしろ楽しみつつ、少なくないぬたを平らげる。
カツオの刺身には、充分な脂が乗っている。既にして、戻り鰹の季節なのだろうか。
中休みに、タラバガニと胡瓜の酢の物が出る。僕は速読や斜め読みができないため、ペイジを繰る手は遅々として進まない。活字の上に味噌やら酢が垂れて、本の貫禄のみが増していく。
ヤナギガレイの干物 にて締め、オカミに勘定を頼むと、5,700円だと言う。サイフには5,000円少々しか無い。「あ、足りねぇや」 と答えると、オカミは 「いいわよ」 と言うが、そういうわけにはいかない。
自転車で家に戻り、1000円札を1枚握って 「和光」 へ戻る。オカミが 「いいって言ったのに」 と、申し訳なさそうな顔をする。アキモッチャンの口から 「律儀だねぇ」 という言葉が発せられる。「アキモッチャンも、オンナには律儀でしょ?」 などと混ぜ返す。
むかし青山の "Chez Pierre" で、有り金の3倍に達する飲食をしてしまった夜のことを思い出す。
再度の帰宅をし、シャワーを浴びて8時30分に就寝する。
朝3時30分に起床する。
事務室へ降りる。昨晩、8時40分まで受注し続けた地方発送のメモが、隣のタカハシアツコさんの机上に山を為している。「この処理だけに、半日はかかるだろうなぁ」 と思いつつ、きのうの日記を作成する。
夜1時に目が覚める。ベッドの上に素っ裸で寝ている。隣の部屋の灯りが見える。点けっぱなしになったテレビから、「ジャパネットたかた」 の高田社長の声が聞こえる。「うーん」 と声を延ばしておいてから、おもむろに早口で 「キュウマン ハッセン ハッピャクエン!」 などと言っている。
酔っぱらって入浴をしたあげく、パジャマも着ずに眠ったらしい。
隣室の灯りとテレビを消し、枕元の読書灯をつける。「モハメド・アリ その闘いのすべて」 を眠くなるまで読んでから、すべての灯りを落とす。
次に目を覚ますと、6時になっていた。およそ11時間ほども眠ったことになる。やはり僕の睡眠は、長い日と短い日が交互に訪れるようだ。
事務室へ降り、きのうの日記を作成する。7時ちかくになって外へ出る。次男のアサガオがいくつ開花したかを数える。快晴だった日光の山は、30分ほどで雲に覆われた。
先日、「ルミエール」 のワタナベアサミさんからeメイルが届いた。ワインヴィネガーとトニックウォーターのカクテルと 「らっきょうのたまり漬」 についての相性を述べたペイジから、ウチの ウェブショップ へリンクを張った旨の報せだった。僕は早速そのペイジを確認し、白と赤のワインヴィネガーを750CCずつ注文した。
午前中に配達されたその箱を開けると、ワインヴィネガーを用いたノンアルコールの飲み物が、白赤とりまぜて計4本もサーヴィスで入っている。早速、白の方を店の手水鉢に沈め、30分後にこれを飲む。
醸造酢のいかにも体に良さそうな香りが、口から鼻へ抜けていく。事務室の面取りガラスから外の熱く乾いたアスファルトを眺めながら、5分間の静かな時を過ごす。
午後、今市中学校の同級生ホウジョウノリコさんが、買物のついでにカスピ海ヨーグルトを持ってきてくれる。作り方を詳細に述べたウェブペイジのプリントアウトも数枚、添えられている。僕が下手にいじくり回して腐らせてもいけない。長男が帰宅したら調製してもらうこととし、これを大切に冷蔵庫へ格納する。
本日、日本経済新聞の夕刊第6面に、「味の取り寄せ便」 として、ウチの 「らっきょうのたまり漬」 が紹介された。午後4時ころから、問い合わせの電話が鳴り始める。送り先と注文個数のメモが、机の上に重なっていく。
午後5時30分の終業を以て留守番電話に切り換えることは、お客様に対して申し訳がない。本日は酒と晩飯を抜く日でもあり、そのまま事務室に居残って電話番をする。
一時は受話器を置くと即、次の呼び出し音が鳴るほどの混みようだったが、7時を過ぎると、さすがにその回数も減ってくる。ウェブショップの 「弊店が紹介されました」 のペイジに、本日の日本経済新聞を追加する。
8時40分にお受けしたご注文を最後に、そろそろ仕事から上がることにする。
居間へ戻り、牛乳を300CCほど飲んで入浴する。「モハメド・アリ その闘いのすべて」 を眠くなるまで読み、10時に就寝する。
昨夜は、ゴードンとノイリープラットによるドライマーティニと焼酎 「紅乙女」 のオンザロックスに酔ったまま、居間の床で寝てしまった。朝というか、夜の1時に、同じ場所にて目を覚ます。
温い風呂へ入り、冷たいシャワーで体を洗う。そのまま起きて事務室へ降りる。
7月の本酒会を ウェブペイジにし、別途、メイルマガジンも作成して会員にBCCで送る手はずを整える。きのうの日記を作成し、短くて済むメイルのみを書く。
朝飯は、昆布の佃煮、ジャコ、塩鮭、もみ海苔によるお茶漬け。
長男がVaioに電話線を繋げ、Niftermを回す。きのうeメイルにて、8月18日に "high quality single" をひとつ追加するようリクエストをした重慶大厦の旅社から
「あなたの confirm に感謝する。追加の部屋については、もちろん no problem だ」
との返事が届いている。わずか9部屋の旅社に、それほど空き部屋があるのだろうか。
それにしても、20年以上も前に半島酒店から啓徳空港までロールスロイスによる迎車を頼んだこともあるオヤジが、酔狂にも齢70を過ぎて、今度は重慶大厦に泊まるという。
上ばかりでもなく下ばかりでもなく、まんべんなく見ると、物事は俄然、その面白さを増してくるものだ。
家内、長男、次男の3人は、午前中、鎌倉にある家内の実家へ向かった。僕は晩飯代わりの飲酒を為すべく、「市之蔵」 へ向かう。
預けてある吉四六の瓶をカウンターに運んでもらい、カンパチの刺身を注文する。
同じカウンターに、ふたりの顔見知りがいる。「○町の某のチンポはデカイ」 などという話に巻き込まれる。無視をすれば良さそうなものだが、気がつけばいつしか、自ら率先して話に加わっている。持ち込んだ 「モハメド・アリ その闘いのすべて」 が、いっこうにはかどらない。
本日の 「頼まなくても出てくるもの」 は、タチウオの西京焼き、牛肉とマイタケとシシトウのソテー、サケハラスのパリパリ焼き。
吉四六の瓶を新規に購入して勘定を頼むと、5,000円だと言われる。安すぎるようにも思われたが、言われたとおりに5,000円を支払い、弱い雨の中に傘を差して家路を辿る。
日光街道を如来寺の参道入り口まで歩くと、釣り道具屋 "Surface" の店内に、冬用のキャスケットやディアストーカーに混じって、"Barbour" の帽子が見える。中へ入って手に取ると、この会社特有の、油による防水処理は施されていない。
店主に訊くと、新しい素材による製品だという。僕は "Barbour" のジャケットや帽子のデザインは好きだが、あのニチャニチャとした油の手触りにだけは、どうしても慣れることができなかった。
長男はこれからしばらくのあいだ、毎年のように南方への旅行を繰り返すだろう。天頂からの日差しに、生地の薄い帽子は役立たない。大枚6,426円を投じて、英国製の頑丈な帽子を手に入れる。
7時30分に帰宅し、8時に就寝する。
朝5時に起きる。きのうは1時30分に目を覚ました。前夜の短い眠りを次の日に取り戻すような睡眠の
型ができあがってしまっている。
きのうの日記を作成し、毎月1日に更新する文章を仕上げる。一銭の得にならないものを律儀に書き続ける自分に感心し、かつ呆れる。荷風が軽い軽蔑と共にあこがれた、落魄した戯作者のようなものだ。
ウスイベンゾウさんにもらった "spirit of ecstasy" を外へ持ち出し、草むらへ置く。これを、8月1日更新分の文章に貼付する画像とする。
朝飯は、モロヘイヤのタタキ、トマトのスクランブルドエッグとハム、シシトウの油炒め鶏挽肉ソース、ジャコ、ショウガのたまり漬、納豆、メシ、豆腐と長ネギの味噌汁。
仕事をしていると、16歳の長男が館内電話をしてくる。きのうファクシミリを送った重慶大厦の、わずか9部屋の旅社から、eメイルによる返事が届いているという。取り急ぎ、彼のVaioを事務室へ持ってこさせる。
「お出でをお待ちする。エアポートエクスプレスの九龍駅にて、Mr.Tong があなたの名前を書いたカードを持って出迎える。心配であれば、彼の顔写真をeメイルに貼付して送る」
という意味の英文が認められる。署名はオーナーらしき、Mrs.Lam という人のものだった。早速オヤジにも、それを見せる。
オヤジは 「重慶大厦ったって、ちゃんとしてんだな。オレもそこに1泊するか」 などと言い出し、ついには 「8月18日に "high quality single" をひとつ追加するよう、旅社にメイルを送れ」 などと、長男に要請する。
その後オヤジは、郊外の "JUSCO" にある旅行代理店を訪ね、自分が乗る予定のキャセイ航空に長男の席も確保し、別途 "HIS" へ電話をして、長男が買った日本エアシステムの航空券をキャンセルする。
「長男がひとりで香港へ旅行し、その宿は重慶大厦の一角とする」
という当初の計画が
「長男の乗る日本エアシステムの5分後に着くキャセイ航空にてオヤジも香港入りし、1泊目はまともなホテルに同宿しつつ、長男が飛び込みで重慶大厦に宿を求める」
と変更され、更には
「香港のイミグレイションで遭遇できない危険を回避するため、オヤジと長男は同じ飛行機に乗り、1泊目からふたりで重慶大厦に宿泊する。翌朝、オヤジは台北か上海へ飛び、長男は単独行動を開始する」
という形に落ち着く。
「16歳の子どもを、歌舞伎町と新大久保をミックスしたような尖沙咀の、それも売人、不法入国者、バックパッカーの蝟集する重慶大厦にひとりで滞在させるなど狂気の沙汰だ」
と心配をしてくれた、長男の同級生の親にして僕の3つ下級生のゴウダタカシ君にも、不承不承ながら納得していただける内容の旅行プランが、出来上がったのではないだろうか。
ゴウダタカシ君はチューリッヒの現在の住まいを引き払い、8月3日に旧レパルスベイホテルの真裏に建つ風水マンションへ居を移す。レパルスベイといえば、「慕情」 でウイリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズが逢瀬を重ねた白砂青松の海岸ではないか。
長男は旅の最終日、尖沙咀とは別世界にあるこの家に、泊めていただくことになっている。
夕刻、小さなシェイカーにジンとベルモットを適宜入れ、それを冷凍庫へ納める。その後、今夜のメシがカツオのタタキであることを聞き、このドライマーティニを飲もうか飲むまいか考える。飲むことにする。
「明神水産」 の 「藁焼きたたき」 に、ポン酢、ミョウガ、博多ネギ、玉ネギ、大葉、ニンニクのたまり漬のみじん切りをかけまわす。これが、料理屋で食べるカツオのたたきよりも美味いので始末に困る。
とりあえず、冷や奴を肴に焼酎 「紅乙女」 のオンザロックスを飲む。カボチャの煮付けに少し箸を伸ばす。
あらかた食べ終えたカツオのタタキの大皿に 湯がいた豚の薄切り肉を投入し、グチャグチャに混ぜると、これがまた美味い。
ドライマーティニと焼酎のオンザロックスに酔う。薄く開けた窓から、花火大会の音が聞こえてくる。家内と6歳の次男は、窓から花火を見物する。家内が僕に、「花火は見ないの?」 と訊く。
「花火ってのは、音だけ聴くのが粋なんだ」 と、答える。「なにいい加減なことを言ってるの」 と、叱られる。
そのまま竹製のマットの上で眠ってしまう。就寝時間は多分、8時前のことだっただろう。