朝6時20分に長男と次男との3人でホンダフィットに乗り、霧降高原のステーキ屋「グルマンズ和牛」へ行く。この店は、秋に予約を受けたすき焼き肉を大晦日の早朝に販売することを何年も続けている。肉を受け取りに来た客は別室に通され軽食が振る舞われる。外のテントで手渡されるすき焼き肉には鶏肉や豚肉などのオマケがたくさん添えられている。
社員さんたちは寒い中、笑みを絶やさず接客をしている。オヤジさんは客のあいだをまわり「今年の肉には割り下を付けました」などと声をかけている。「この不景気な時期に」「リーズナブルではあるが絶対値としては安くない品物を」「冬の早朝に大勢の客が買いに来る」秘密が、この店にはあるのだ。
ウチの製造現場は本日から正月3日まで休みになる。しかし製造係の中からひとりずつ係が出て仕掛品の手入れや地方発送の任に就く。そのマキシマトモカズ君や販売係、包装係の面々と年末の挨拶を交わし、彼らの帰宅を見送る。
晩飯を済ませて9時に事務室へ降りる。「日光の美味七選」がすべてのお客様に配達されたことを確認し、これにて本年の仕事を納める。
ウチはいくら繁忙でも商品の作り置きはしない。したがって毎日、品切れギリギリの線を狙って生産をする。そのギリギリが上手くいけば行くほど翌朝一番で品物を店に出す作業が忙しくなる。そのような、なかば殺気だった空気の中を三菱シャリオに乗って外へ出る。
「日光の美味七選」を構成する品物については、それを作るお店がウチまで配達してくれる例もあれば、僕が取りに行くものもある。今年は限定数が売り切れた後で「そこを何とか」という割り込みがあり、それも関係して先ず造り酒屋の「片山酒造」へ行く。その足で「晃麓わさび園」へ寄り、発泡スチロールの箱ひとつ分の、平均80グラムの生わさびを受け取って帰社する。
店は店で大層忙しく、その応援に忙殺される。そうするうち時刻は1時30分をすぎ、本日は昼飯を摂ることを諦める。
午後2時を大きく回ったころようやく「日光の美味七選」の荷造りをするための環境が整う。「クリスマスはいつも家で愉しむ派、のための佳品八選」と同じく製造係のアオキフミオさんに応援をたのみ、5時までかかってようやくすべてをヤマトに引き渡す。
店舗をはじめとする社内各所には鏡餅や幣束が正しく飾られた。お客様用、社員用の別なくトイレは本日、特に入念に清掃された。今年最後のミーティングをしてから僕は明日の準備をするため製造現場へ移動する。
サーキットに併設のホテルに泊まっていると、つい時間の管理が甘くなる。コントロールタワー下の会議室へ入るのは、いつも決まって定刻の5分前だ。そして本日ツインリクもてぎの西コースを走るにあたっての諸注意を受け、パドックへ移動する。
"BUGATTI 35T"を、およそ四半世紀ぶりに走らせた2006年12月には、4速3000回転以上で激しくなる車体の振動が問題だった。2007年にタイヤを新品に交換すると、その振動は嘘のように消えた。そのかわりエンジンの咳き込みが気になり始めた。
"EB Engineering"のタシロジュンイチさんはガソリンの供給不足を疑い、2008年に燃料タンクの錆び取りと内部コーティング、そして燃料パイプの清掃を行った。エンジンとは関係ないがボディも全塗装した。
そうして臨んだ2008年12月の走行においてもエンジンの咳き込みは直らなかった。シリンダーごとにムラのあるプラグの焼け具合、ペダルを床まで踏み込んだときではなく、その1センチほど上でしか切れないクラッチも、滑らかな操縦の妨げになった。
2009年にタシロさんは、英国から取り寄せた新品にクラッチを交換した。また、黄色地に赤い模様のクラシカルなハイテンションコードを最新のものに換え、プラグとの接続をこれまでのネジ留めではなく"NGK"のキャップに改めた。それに合わせてキャブレターの調整もした。
そのような、3年にわたる整備を経たこのクルマを9時25分にサーキットへ放つ。いまだ暖まっていないエンジンとタイヤを慮って最初の1周は2500まで、2周目は3000までに回転を抑え、3周目にはもうすこし上げてみる。そして2年目までは決して好転しなかったエンジンの咳き込みがすっかり解消していることを確信する。
このクルマのスカットルには「直線3700、コーナー2500」のメモ書きがある。これはツインリンクもてぎ西コースの各場所において保つべき回転数を表している。直線は4速、コーナーは3速による数字だ。しかしバックストレッチから入るシケインはともかく、第1コーナーでのこの数字は安心の余地が充分すぎる。
よって午前の2度目の走行においては、直線の4速3700回転からコーナー手前で強く制動をかけると同時にギヤを3速へ落とし、回転を3000に保ったまま第1コーナーをふたつの複合コーナーのようにして、すこし大きめのラインを採ってみる。そして、エンジンの調子が良いと、タイヤを滑らせながらコーナーを回っていくときの不安が著しく軽減されることを知る。
"Vintage Class"が出ることのできる、午前における3度目の走行では同乗が許されるから毎年ここに来るモモイシンタローさん、長男、次男、レーサーのツカゴシコーダイ君を次々と助手席へ乗せて思い切り走る。
本日の走行会には"Vintage Class"に23台、"50-60th"に23台、"50-60th Racing"に12台の参加があり、自分に出番のないときにはパドックを散策してそれらを見る。「クルマのデザインは年々、悪くなる」と言う長男がおととしこの場所で「あれ、良いね」と目で示したから「それは高けぇんだ」と答えた"Alfa Romeo TZ2"は今年も来ていた。
午後の2回目の走行において、ガソリンがエンジンに供給されづらいような兆候が見えたため、ピットに入る。オーエナガシさんがタンクに棒を差し込み残量を計ると、ガソリンは底から2センチのところまで減っていた。走り始める前には40リットルはあったはず、というタシロさんの意見から推せば、およそ1.6キロを走るあいだに1リットルのガソリンを費消したことになる。
念のため持参したガソリン20リットルをタシロさんがタンクに追加し、ふたたびコースへ出ていく。我が"BUGATTI 35T"は本日、ツインリンクもてぎの西コース1.6キロを65秒で走っている。それより40年ちかく後のクルマ"Jaguar E Type Racing"のタイムが52秒ということを考えれば、これはずいぶん立派な速度ではないか。
助手席に人を乗せられる同乗走行も含めれば、各カテゴリーの参加者には今日1日で計130分の走行が許されている。しかしあたりの気温が急激に下がるころ、パドックにクルマはほとんど残っていなかった。そして冬の夕日が長い影をつくるコースを周回するのは、いまやカワモトノブヒコさんの"Lagonda Rapier"と"BUGATTI 35T"の2台だけだ。そのラゴンダもやがてピットに入り、最後の1台となった僕もチェッカーフラッグの13秒前にピットロードの入り口に達する。
昔日の性能を取り戻した1926年製のクルマは今後、細部の修正のみを小まめに受けつつ生きながらえていくだろう。
4時すぎにパドックを出て6時前に帰宅する。
コイズミヨシオさんの亡くなったことを、朝刊のお悔やみ欄を読んだ家内に知らされる。僕のコンピュータのデータによれば、コイズミさんは1922年に生まれて1959年にウチへ入社し、1983年に退社をしている。1960年代の中ごろ、僕はさかんにコイズミさんの家に泊めてもらった。コイズミさんには3人の男児がいて、その中で過ごすことが僕にはひどく楽しく嬉しかったからだ。
コイズミさんの家で食べる平たい卵焼き、魚肉ソーセージ炒めのソースかけ、ラーメンどんぶりで玉子と混ぜ合わせる大量の納豆、菜っ葉の味噌汁はいつも美味かった。晩飯の鯨ステーキも美味かった。羽釜で炊いたホカホカのメシは美味かった。おろ抜きジャガイモの茹でたのに塩をつけて食べるおやつも美味かった。
コイズミさんの家には少年マガジン、少年サンデー、少年キングが大量にあった。それらを読んでいると「この子は静かで大したもんだ」と周囲の大人たちに褒められた。漫画を読んで褒められるのだから、当方の居心地は至極良かった。
コイズミさんが亡くなれば当然、お通夜とお葬式に出なければならない。しかし生憎と僕はそのとき我が町にいない。よって花屋を営むヤマサキジュンイチ本酒会員に電話を入れ、朝のうちに枕花を調えてくれるよう頼む。
そしてそれを持ってコイズミさんの家へ行き、コイズミさんの、いつも美味いメシを作ってくれた奧さん、大いに遊んでもらった長男さん、次男さんにお悔やみを述べ、お茶をいただいて帰社する。
夕刻4時すぎに長男、次男との3人で三菱シャリオに乗り、90分後に"HOTEL TWIN RING"に着く。生憎と仕事用の靴で来てしまったため、それをレーシングシューズに履き替えて7時より「阪納誠一メモリアル走行会」の前夜祭に出席をする。
会場には8人用の丸テーブルが8脚あった。僕は自らの提供できる話題の方向性を勘案し、ジャケットを着用した人たちの席は避ける。そして、爆乳のフルヌードに身につけているものはテンガロンハットひとつ、拳銃の代わりにガソリンの注入ノズルを構えている白人女のカレンダーを工場の壁に飾っていそうなクルマ屋さんの仲間に入れていただき歓談をし、10時に部屋へ戻る。
次男の誕生日にはいつも、次男の同級生タカマツヨッチの家に河豚を食べに行く。北九州でも東京でも河豚は食べたが、海のない栃木県の日光市、如来寺はす向かいにあるヨッチの家の河豚が僕には一番美味い。なぜ山の中で食べる河豚が一番美味いか、それは、ヨッチの父親が「いいとこ」を仕入れてくれるからに違いない。
そうして出てきたふぐ刺しには「好きな人が食べたらいいんだ」と言って、僕はほとんど箸を伸ばさない。鍋に至った際の、フグの鼻先のブルブルしたところとか、唐揚げにされた骨のまわりのリロリロしたところこそ僕の目的である。
そのブルブルとかリロリロを肴にひれ酒4杯を飲み、「で、何歳んなったの」と訊けば「14歳」という答えが次男からは戻ったから「もうそんなに大きくなったのか」と、いまだ小さかったころの次男を思い出して感慨を深くする。
60年前の12月26日、朝8時すぎに我が町有史以来の災害と言っても過言ではない今市地震は発生した。
「ちょうど通信簿もらいに行く日だったんせ、玄関から出っ気んなったらいきなりガラガラガラーっときて、もうどうにもなんねぇよ、きのうのお湯がまだ入ったまんまの風呂桶が直角に動いちったんだかんな、寒みぃけどしゃーねぇや、ウチが崩れちゃ死んちまーから夜は外に布団敷いて寝たんせ」とは、当時小学生だった人に聞いたことだ。
その今市地震の発生した日、発生した時間に合わせた「天地災害鎮めの祭」に参列をするため朝8時前に瀧尾神社へ行く。「魚登久」のアイガテルジ君が自身の寄付したナマズを境内の川に逃がしたら、その水勢にもかかわらず遡上しようとする生命力には驚かされた。
火事なら消防車が来てくれるが地震だけはどうにもならない。玉串を奉奠するワタナベマモルさんに合わせて二拝二拍手をし、9時前に帰社する。
夜、日本経済新聞の"PLUS1"を何気なく眺めると「一度は食べたいお雑煮1位、アゴだしのブリ雑煮」という記事があったから「それはウチの雑煮だよ」と、続きの記事を読む。その雑煮を神棚に供える日は6日後のことである。
メイルに添付する形でお客様が、ご自宅に届いた「クリスマスはいつも家で愉しむ派、のための佳品八選」の画像を送ってきてくださった。
紫の炎を垣間みせる薪ストーヴを背景にして、シチリア産のスパゲティ、オリーヴオイル、アンチョビ、モデナ産のバルサミコ、チリ産のワイン、クリスマスソングのCD、日光産のライ麦パン、フルーツケーキ、そして僕の作るワインらっきょう"rubis d'or"が丁寧に配置されている。
この「八選」は、僕の極私的な嗜好品にお金を出していただく企画で、つまり「これ、美味しいでしょう、これ、良いでしょう」という、いわばお節介のようなものだから、買ってくださった方々には衷心からお礼を申し上げたい。
そして今回、このお客様は、僕が用意した3枚のCDつまり"Merry Christmas by Diana Ross & The Supremes"、"Someday at Christmas by Stevie Wonder"、"Soulful Christmas by Aaron Neville"の中から最後のアーロン・ネヴィルを選んでくださっていることが画像から分かる。1曲目の"Please Cone Home For Christmas"からクラクラする、これは最高のCDだ。
「クリスマスはいつも家で愉しむ派、のための佳品八選」でもっとも僕の個性の出せるところはこのCDで、僕はクリスマスソングのCDは数十枚を手に入れすべての曲を聴き、しかし今回のこれら3枚と肩を並べるものは他に見つからなかった。
エグザイル、マライヤ・キャリー、あるいは山下達郎などのクリスマスソングも悪くはない。しかしそれらをセットに組んでも、それは僕の目指すところではない。そして買っても買っても今回の3枚を超えて僕の耳と心に響くCDが見つからない限り、このクリスマスの企画は今回が最後のものになる。
昨年と今年にかけて用意したこれらのCDはいまだ在庫充分だから、あるいはウェブショップに単体で出品するかも知れない。漬物屋がCDを売ったら、それは会社の定款に違反することになるのだろうか。
晩飯に酒は飲まず、「いちもとサイクルバーベキュー部」に参加をしていた次男を夜10時前にホンダフィットで迎えに行く。そして帰宅してすぐに入浴して寝る。
10本あるうちの7本にアカギレのためのバンドエイドが巻いてある、そういうミッキーマウスのような手できのうは「クリスマスはいつも家で愉しむ派、のための佳品八選」の荷造りにかかり、当然のことながら能率はまったく上がらなかった。よって製造係のアオキフミオさんに応援を頼み、夕刻になってはしまったが、とにかくそれらすべては無事ヤマトのトラックに納められた。
晩飯の前にシャブリの栓を抜きながら、もしも酔って眠りそうになったら起こしてくれと次男に頼む。そしてその数十分後に案の定、次男に声をかけられる。
クリスマスのための企画商品が12月の24日に届かないようなことが発生してはいけない。おおかたのお得意様については夕刻のうちにその配達を確認していたが、夜のお届け指定の方や、あるいはヤマトが一旦配達した際にはお留守だった方についてはいまだ確認していない。
よって21時すぎに事務室へ降り、すべての着荷を確認してからふたたび自宅へ戻ってすぐに就寝する。
朝日町の「片山酒造」の先代社長は、珍しいものを見つけてきては店のワゴンに並べ、売れるも良し、売れないも、、、いやこちらの方は良しとしたかどうかは知らないが、とにかく面白いものがいろいろとあった。
四半世紀ほども前のこと、ここにアルコール分の皆無というビールがあり、その缶の胴腹にはイスラム文字が躍っていた。古いことで詳細は記憶していないが、恐らく僕はそれを買ったのではなく貰って帰り、夜になってから飲んでみた。そしてこのビールが薩摩芋のような匂いを持つことを知った。
きのう寮から帰った次男が、晩飯にはすき焼きが食べたいという。師走とはいえ断酒のノルマは守る必要があり、しかも明日はクリスマスイヴである。そういう状況にありながら晩飯がすき焼きであれば酒類を避けるのは辛い。
よって仕事を終えてからスーパーマーケットの「かましん」へ行き、キリンのノンアルコールビール"FREE"の350cc缶を2缶だけ買って帰る。
晩飯の卓に着いてこれの味見をしたところ、上手に弱めてはあるが、四半世紀前のイスラム教徒用のビールにも通じる、焼き芋あるいは干し芋のような匂いがあって、どうしても飲みたくなるたぐいのものではない。
しかしとにかく本日の2缶はすべて飲み干してしまったわけで、これから断酒の日には「どうしても飲みたくなるたぐいのものではない」と言いながら、またこの"FREE"を買ってしまうかも知れない。
そしてこのビール風飲料を飲みながらメシも食べ「すき焼きってのは、酒よりもむしろメシに合うなぁ」と感じた。
あるタレントが東北地方の日本海岸沿いを旅して歩く番組を何年か前に見た。季節は冬で、海岸で鱈鍋を作る漁師にタレントは出会う。「実際の漁師がわざわざ寒い海岸でメシなど食べるか」という疑問についてはテレビのことだからまぁ、どうでも良い。僕が「なにー?」と画面に引き寄せられたのは「内臓は駄目なので普通のところをください」とタレントが漁師に頼んだからだ。
"the milk in the coconuts"とは「核心」や「要点」をあらわす英語の俗語だという。鱈の頬肉や目玉やえらの奥にあるシコシコのところやヒレの付け根や内臓は、鱈鍋における核心なのだろうか、あるいは周辺部なのだろうか。多分、僕にとってはそれは核心で、テレビに出ていたタレントにとっては周辺部あるいは「捨てるべき部位」なのかも知れない。
朝、鱈の内臓の煮たのを包装係のアオキマチコさんにもらった。晩飯のとき、これを食べるかと、家内や夕刻に帰宅した次男に訊けば「いらない」と言うので僕は大喜びをしてこれを焼酎の肴にした。
ブリブリネチネチとしたそれは見るからに食べるからに栄養の固まりのように感じられ「こんなに食ったら却ってからだに悪いんじゃねぇか」と考えながら、しかしそのすべてを食べつくす。
朝のテレビが、新型インフルエンザの感染者数が1,400万人を超えたと報せている。その確率からすれば、ウチの会社の誰ひとりとしてこの病に罹っていないのが不思議である。2週間ほど前のミーティングで「ひょっとしたら、みんな味噌汁を飲んでるのが効いてるんじゃねぇか」という意見も出たが無論、真偽の程は分からない。
今年もまだまだ日にちがあると余裕綽々でいるうち、気づいてみればクリスマスの週に来ている。明日からはいよいよ「これは良いよ、ホントに」と僕が心底から感じたクリスマスソングのCD、シチリア産の食材、日光産の美味いケーキやパン、ウチのワインらっきょう"rubis d'or"などを詰め合わせた「クリスマスはいつも家で愉しむ派、のための佳品八選」の荷造りが始まる。来週30日には「日光の美味七選」を一気に出荷する。そのあいだにもいろいろとすることはあり、毎日が忙しい。
夜、事務室で仕事をするうち、普段の晩飯の時間を過ぎてしまう。よって家内と洋食の「コスモス」へ行く。からだの弱っているときの酒が風邪の原因になるとは、自分の経験上よく知っている。しかし当方は、味噌汁のお陰かどうかは知らないがすこぶる元気である。よって今月13日と同じく食前にドライマーティニを頼み、メシを終えるまでに3度のお代わりをする。
今朝の朝日新聞の日曜版に川上未映子が随筆を書いている。それを読むうち「何気にさらりと」というところに行き当たって「イヤな日本語だねぇ、そこは『さりげなく』と書くのが順当じゃねぇか」と思うが言葉は世につれて変わる。僕ひとりが嫌がったところでどうなるものでもない。
今朝の日本経済新聞16面から17面の「小磯良平が描いた人々」に「何より、小磯は作品に寓意や思想を込める画家ではない」とあって「良いねぇ、思想なんてものは、腕の悪い画家に任せておけ」と思う。
「日光の美味七選」は、僕が日々の生活の中で食べたり使ったりして「これは美味いなぁ、これは凄いなぁ」と感じている日光の食品や食材を、その店主の許しを得て詰め合わせ、大晦日必着にてお届けする企画商品だ。
ここに含まれる蕎麦を今年はどのようなものにしようかと「糸屋」のアクツタカシさんが2種の蕎麦を提供してくれた。よってこれを夜に試食する。北海道産と茨城産の蕎麦粉を調合した色の白い蕎麦、日光産の色の黒い蕎麦を食べくらべ、あれこれと考えを巡らす。
金曜日の夜は遅くなることが予想されたため、翌朝の座席指定券はいつもより遅いものを買っておいた。6時30分に起床して熱いお茶を飲み、オフクロや長男と軽く話をして外へ出る。空は快晴でも東京だけに気温はそう低くなく、吸い込んだ途端に気管支を直撃するような空気の冷たさもない。
岩崎の屋敷裏から切通公園の脇を鉤の手に抜け、湯島の切通坂へ出る。坂を下り地下鉄千代田線に乗り北千住駅8:11発の下り特急スペーシアに乗る。列車は晴れ渡った関東平野を北上する。窓外の景色は至極のどかだ。
帰社すれば、それは師走のことだからなかなか忙しい。閉店時間よりも前にネクタイを締めジャケットを着て、おそらく今年最後のものとなるだろう忘年会に出席をする。
むかし8丁目のバーで飲んでいたら、そこに女の人が入ってきて、着ていた黄色いダッフルコートを脱がないままカウンターのスツールに座った。コートを着たままの客がいては見栄えが悪いから「そちら、お預かりします」とバーテンダーは言った。すると女の人は「コートの中がせっかく暖かいのに、それを脱いだらもったいないじゃないですか」と答え、しばらくは黄色いぬいぐるみのような姿でニコニコしていた。
下今市駅16:04発の上り特急スペーシアに乗って急に、その女の人のことを思い出した。プラットフォームで列車を待ったのはたかだか数分間のことだったが、あたりの空気は「ここはシベリヤか」というほど冷え切っていて、暖房の強く効いた車内に入っても、マウンテンパーカと毛糸の帽子を脱ぐ気には到底ならなかったのだ。
そうして大井町へ至り、駅前の「きゅりあん」にて「西研究所」の忘年会に出席をする。「二次会から顔を出すので場所が決まったら連絡を頼む」と、今年の2月と7月に一緒に酒飲みをしたオータヒデカズさんから言われていたため早期退却をするわけにもいかず、23時30分まで大井町の「和民」にいる。
そして0時30分ごろ甘木庵に帰着する。
目を覚ましたときには地面も乾いていたが、しばらくするとあたりは急に暗くなり、開店の準備をするころにはすっかり雪模様になった。
小学何年生のときのことかは忘れたが、オフクロに、ゴーギャンの展覧会へ連れて行ってもらった。絵の展覧会の出口では多く、画集や複製画を売っている。その売店で僕は、ゴーギャンがいまだタヒティへ渡る前の、暗く寂れた雪の日の絵を買ってもらった。
売り場では多分、"D'ou venonsnous? Que sommes-nous? Ou allons-nous?"や"Mahana no atua"などの有名どころが売れていたのだと思う。しかしいまだ子供だったから計算ずくではない、僕は本心からそのヨーロッパの暗鬱な街の絵が気に入って、それをオフクロにねだった。
売れ筋には気づきもせず、人気薄のものばかりに惹かれる性向は生来のもので、それがそのまま僕の商売下手に繋がっている。そして雪が降るたび僕は、とうに失くしてしまった、あのゴーギャンの暗い絵を思い出すのだ。
今月12日、検索エンジンで探した2軒の酒屋に計12本のワインを発注した。ウェブショップに注文をすれば、まぁ、よほど古いシステムを使っている店でない限り受注を報せる自動送信メイルが瞬時に届く。ところが今回は2つの店からそろいも揃ってそれが届かなかった。
何しろインターネットの大海から探し出した店だ。しかもその店の残り少ない当該のワインはすべて僕が買ってしまった。改めて検索しても売り切れの店がぞろぞろと出てくるだけで、僕の記憶力の弱いところもあるが、一体全体どの店で買ったのかの特定はもはや出来ない。
そうしたところ翌13日に早くもひとつの店から4本が届けられ、もうひとつの店からも本日8本が届いた。伝票を調べればひとつはYahoo!の店、もうひとつは楽天の店で、僕のメイルアドレスは双方に登録済みだから受注確認メイルが届かないのは腑に落ちない。
大昔、ある国家試験を受けた際に「郵便は1,000通に1通の割合で紛失する。だから受験の希望はかならず書留で送れ」と、予備校のようなことをしている業者に言われたことがある。インターネットについても我々は「100パーセント確実な道具ではない」と認識して使う必要がある。
夜、ことし最後の「本酒会」に先立ち「長久温泉」へ行く。冬の露天風呂とは、お湯が適温であればいくら長く浸かっていてものぼせない優れたものだが、本も読めなければまわりはオジサンばかりだから至極退屈である。よって早々に上がり、今月の本酒会場「玄蕎麦河童」へ行く。
21時15分に外へ出ると、雨ではない、小さな氷のようなものが時おり空から落ちてきている。大谷川には風が吹いていなかったから橋を渡るときにも寒くなくて助かった。そして20分後に帰宅する。
街の中に、あるいは近郊にホンダフィットを走らせながら
"Joy to the World" Faith HILL WB511500-2
を聴いて「音程がいいねぇ、まるで春日八郎みたい」と感心をする。春日八郎の音程がそれほど確かなら美空ひばりについてはどうか。美空ひばりの場合はアメリカやアフリカにいる顔の黒い歌手の一部とおなじく半音のそのまた半分まで出してくるから油断がならない。
残業をする社員もいる中を、夕刻5時30分に会社を出て取引先のお通夜へ行く。お通夜の日には断酒をすることと決めてからもう何年も経つ。イタリア料理屋やフランス料理屋、中華料理屋や会席料理屋、あるいは大衆食堂などへ行っては断酒が辛いからカレー屋に寄って8時すぎに帰宅する。
何年か前の雑誌の四コマ漫画で忘れられないものがある。
ある会社の仲間が居酒屋でネクタイをゆるめ「次の首相には誰がふさわしいか」と議論をしている。あれは駄目これも駄目と方向の定まらないところに、ちかくに座ったひとりのオジサンが「やっぱり長嶋じゃねぇか」と真顔で口を出すと、ホワイトカラーたちも「なるほど、そう言われてみれば長嶋しかいませんね」と納得してしまうところがオチで、僕は大いに笑った。
この漫画は当然、長嶋茂雄が病を得てからだの不自由になる前のものものだっただろう。
11月23日、アメリカや英国の中古CD屋に計6枚のCDを注文した。そのうちの1枚がいまだ届かないため「クレームをつけても『確かに送った、国際郵便の事故までは補償できない』なんて言われてお終いかなぁ」と考えていたところ、本日になってようやく当該の商品が配達された。
というわけで昼飯を食べながら
"The Best of Louis Armstrong" Louis Armstrong & Friends
を聴いて「やっぱりサッチモしかいねぇな」と、つくづく思う。
朝7時20分に仕事場へ入り、午後7時30分までは仕事場にいる。しかしそのくらいで「長時間労働」と決めつけるわけにはいかない。もとより自分に休日はないが、職住一体であれば通勤による消耗もない。
年に一度くらいは夜の街で思いがけず帰宅の遅くなることがある。そのようなとき、駅までの道を、終電に間に合おうと走り行く人たちを見るたび気の毒になる。彼らは明日の朝また早起きをして電車に乗るのだ。身も心も随分と疲れるに違いない。
夜8時もちかくなってから日光街道を下り、洋食の「コスモス」に行く。この店の分厚いメニュに一体どれほどの料理が並んでいるかは数えたこともないが、僕はいつも、ほぼ同じものしか頼まない。そして目の前に運ばれたドライマーティニをひと口だけ飲んで「ジンとベルモットは6対1くらいですか?」と訊けば「大体そうですね」の答えがあった。
ドライマーティニはドライなほど格好いいような風潮が長く続いているけれど、このカクテルの、僕にとってのジンとベルモット黄金比は6対1である。この比率であれば「アパートの鍵貸します」のジャック・レモン並みとは言わないまでも、何杯かはこの強いカクテルを飲むことができる。
そして家に帰ってからのことは、良く覚えていない。
明け方、いまだ夜の明ける前に洗面所から北東の方角へ目を向けると、霧降高原の「メルモンテ日光」あらため「大江戸温泉物語」の明かりは星のように光っていても、その高原を山麓の一部としている女峰山は望めなかった。よって「視界はせいぜい直線で8,000メートル、その先は雲の中だろう」と想像した。
ところが日が昇るころに先ほどと同じ窓を開けてみれば、闇に溶け込んでいたはずの山肌は朝日を浴びて紅く染まっている。あのあたり、つまりウチから北北西に8,000メートルから10,000メートル離れた標高の高いところでは、特に朝方の気候の変化が激しいらしい。
ワイン蔵に残った白ワインうちのまともなところはすべて先月末に払底した。僕はシャブリなら"Billaud Simon"の蔵が好きだ。しかしこれを買える店はなぜか少ない。検索エンジンに当たって2つの酒屋から4本を手当てし、ついでに他の白ワインも何本か注文をする。
その2つの店からそろいも揃って受注確認書の自動送信されなかったのは、いかなる理由によるものだろう。僕は自分のメイルアドレスはすべて辞書に登録してあるから、これを誤って入力する可能性は無いはずなのだ。
冬至はまだ来ないのだろうか、今日は雨だったせいもあるけれど、午後の3時台からあたりは暗く、まるでヨーロッパの北の街にいるような気がした。
事務室から社員用通路に出ると、そこにはしばらく前から何個かの南瓜と柚が無造作に置いてある。冬至に南瓜を食べて柚風呂に入ると風邪をひかないという。これらの南瓜と柚が果たして冬至まで保つかどうか、あるいはそれまでに食べ、あるいは風呂のお湯に浮かべてしまった方が良いかも知れない。
今週は随分と酒を飲み続けた気がしてコンピュータの断酒日程を見れば、しかしそれはたかだか4日の連続に過ぎなかった。4日の連続に過ぎなくても来週は7日間のうちの3日間に飲酒の予定がある。予定のない日でも晩飯に酒のあると無いとではあった方が嬉しい。よって「そろそろノルマを積むころだ」と考え、夜は米のメシを食べて飲酒は避ける。
メシを食べてもすぐに腹が空く。本日はその傾向を特に強く感じた。昼前に腹を空かせて牛丼を食べ、夕刻が近づいてきたころにまた腹を減らせて「ソースで煮込んだ肉が食いてぇなぁ」と思う。
ソースで煮込んだ肉を家で急に作れるわけがない。"Finbec Naoto"の牛頬肉の煮込みは美味いが作業服を着替える気はしない。よって20時もちかくなってからホンダフィットに乗って"COCO'S"へ行く。
アルミフォイルの中で煮込んだハンバーグにメシを足してグジャグジャに混ぜ、これを赤ワインの肴にする。ハンバーグの脇にはどこの部位とも特定できない牛肉の小さな固まりがあり、これがまぁ、どこの部位とも特定できないだけに歯ごたえ舌触りが玄妙で得をした気分になる。
それはさておきこの店の赤ワインはいつもキンキンに冷えているから量が飲めない。残したワインを料理屋から持ち帰るのは野暮とのことだが何しろ店は"COCO'S"である。よって頑張っても400ccほどしか飲めなかったボトルを上着のポケットに入れて9時前に帰宅する。
あれこれ忙しく、ハーハーとため息をつきながら仕事をする。その忙しさとは、自分の限界を超える速度で単純な作業をこなしていくような種類のものではなく、ひとつのことをしている最中に別の義務が発生し、そのふたつを抱えているところにまたまた異なる急ぎの用事が闖入してくるといったたぐいのものだ。
そのようなめまぐるしい状況は朝から夕刻まで続いたが、18時30分にようやく解放されて外へ出る。
数日前の明け方、ベッドの中で
「道楽三昧」 小沢昭一語り 神崎宣武聞き手 岩波新書 \819
を読み始めたところ、これがたいそう面白かったから「寝ながら読むのは勿体ねぇ、これは飲み屋で読む本だ」と、すぐに閉じて床へ置いた経緯があった。
今夕の飲み屋のカウンターでは"ISKA"の信玄袋からこれを取り出し、小沢が幼少の頃に熱中した、昆虫を相手の遊びのところから読むことを再開する。小沢昭一の女郎買いが岩波の本に納められるとは、森繁久彌が勲章をもらうことと似た雰囲気がある。
それはそうと岩波の本で昔から欲しくて手に入らなかった、可児弘明の「香港の水上居民」が先日は"amazon"に190円で出ていたから即、注文をした。岩波では他に吉井良三の「洞穴学ことはじめ」やE.J.H.コーナーの「思い出の昭南博物館」なども面白い。「南の国へ脱出して、朝から晩まで本を読んでいてぇなぁ」と、つくづく思う。
僕が書記を務める利き酒会「本酒会」の、紙による会報は今月分を以て最後となった。「本酒会」のウェブペイジで確認をしたところ、この会報を僕はこれまで実に175回も書いている。会報は、来年からはメイルにより配信をされる。よって僕はいくつかの面倒から解放されることになる。
いくつかの面倒とは、たとえば紙の会報に余白があっては見た目が悪いから自ずと決められた文字数を埋めなくてはならないことがひとつ。紙はコピーして綴じて折って封筒に入れなくてはならず、これがことのほか手間を食う。郵便の時代であれば封筒の束を郵便局まで持参し、今でもまぁ、バーコードを貼ってヤマトの運転手に手渡さなければならない。
これがメイルに替われば文章の長短はどうでも良くなり、紙は存在せず、自分の席に座ってキーボードを叩くだけで会報は津々浦々に配信される。1通あたり80円かかっていた通信費は無料となり、浮いた分は酒代に補填される。つまり良いことずくめである。
そんなふうに安心していたところにタイから金の象の浮き出たカードが届き、開くと「来タイの際は色々とお世話になりました。非常に楽しく元気をいただきました」の文字があった。メシをご馳走になるなどお世話になったのは僕の方であって、またあの湿熱の国へ行きたい気持ちは山々である。
そして「自分の出す会報はメイルの方が良いけれど、自分がもらう年末状はやっぱり紙の方が良いなぁ」と、はなはだ勝手なことを考える。
何年か前に"FREITAG"のウェブショップで買い物をした。それ以来チューリッヒから英語とドイツ語によるメイルマガジンが届く。今回のそれは"iPHONE"のサックが商品に加わったことを報せるものだった。画像を一見して「いいねぇ」と思うが残念ながら僕に"iPHONE"を買う予定は無い。
日中、酒屋のウスイベンゾーさんからデッドストックのサントリー角瓶2本をいただく。"dead stock"を日本語にすれば文字通りの「死蔵」で、この言葉は明らかに、英語で表記した方が印象は良い。
ところでいただいた2本の角瓶はかなりの年代を隔てたものか、ラベルのデザイン、キャップの色ともに著しく異なっている。中身の色合いも違えば黄色いラベルの"86proof"に対して白いラベルの方は"80proof"と、度数さえ同じではない。
そこで"SUNTORY"のウェブペイジへ飛び、角瓶の歴史について調べるも、このあたりについての説明は無かった。本社のウェブペイジにも書かれていないことであれば、石川さゆりや小雪に訊いても分かりはしないだろう。
「この2本、マニアにとっちゃ垂涎の物件なんじゃねぇか?」と考えつつ、とりあえずはウチのワイン蔵に格納する。
と、ここまで書いていまいちど"SUNTORY"のウェブペイジへ戻り、商品情報を調べたところ、角瓶には黄色いラベルの他に白ラベルや黒ラベルの別種があった。僕はウィスキーについては、ぜんぜん詳しくないのだ。
昨夕の強い雨も初更にはその勢いを減じ、しかし止むことはなく朝まで降り続いたらしい。
起きて窓の外を見ると、国道121号線の路面は濃い灰色に濡れている。そこで家の中を移動して別の窓から日光の山々を眺めると、こちらはきのうとは比べものにならないほどの雪をのせて冬の趣を強くしていた。それでも朝食の後に製造現場へ降りてみれば、温度計は10度ちかくを指している。
「地球温暖化でも何でも、冬は暖ったけぇ方が有り難てぇや」とは先日、あるところでタオルの鉢巻きを締めて昼酒を飲んでいたオジサンの言ったことだ。いつまで生きられるか分からない齢に達し、しかも夜まで待てない酒好きとあれば、そのような感想を漏らしても周囲の人は眉をひそめるでもなく恬淡としたものだった。
現在、僕の着ている2枚の長袖シャツは両方とも木綿だから特に保温性の高いものではない。それでも昼前後の客足の多い時間には頭から背中まで汗をかく。
これから年末までに決まっている忘年会はあと2回のみでも、ほかに飲酒の機会は多々あり、今月はできるだけ早くに断酒のノルマを達成しておく必要がある。よって今夜は昨夕とは大違いの環境にて静かにメシを食べ、飲酒は避ける。
「まとまった人数で行くから、たまり漬というものについて説明してくれ」というような予約が夕刻にあって、しかしおなじ夕刻には会計係として町内役員の忘年会に先乗りをしなくてはならない。そんなところにまた別の用件が発生して、あれこれ服を着替えつつ雨の中を行ったり来たりする。
その、世の中のほとんどの人が忙しいと思われる師走に結婚式を挙げるカップルもいる。彼らに限っては12月が特に暇な時期なのかも知れないし、あるいは12月は結婚式場の空いている月なのかも知れない。
ともあれそういうふたりが結婚式の引き出物のひとつにウチのフリーズドライ味噌汁"with LOVE"を注文してくださったのは嬉しかった。商品名といい赤いハートのデザインといい、そういえばこれは結婚式のお土産には好適の品で、迂闊と言えば迂闊だが僕はそのことに今日まで気づかなかった。
そして「平井堅や槇原敬之のコンサートのお土産にも、この"with LOVE"は似合うんじゃないの?」というようなことを考える。あるいはCDのオマケにこれを付けるとか。
このところの繁忙により前日の日記を書くのはすべての仕事の終了した後になる。その時刻には「そろそろ晩飯だ」「そろそろ酒飲みだ」と次の予定があるから勢い、日記の文字数は激減する。きのうおとといの日記はそれぞれ267文字と276文字で、しかし読む方にとってはこれくらいの方が楽だろう。
第二次世界大戦中、本来の仕事の「場」が無くなると同時に工場に動員された芸人がいる。芸人の名は忘れたが「肉体労働をしてなにがイヤかって、指の太くなるのがイヤでしたね」と戦後になってからこの人は語った。指の太さを気にするのであれば話芸ではなく踊りの方の人だったかも知れない。
この日記の初めの4行を書いてなぜか、むかし読んだ本にあった、みずからの太くなった指を忌み嫌った芸人の話を思い出した。そして「日記は短けぇ方が粋なんだろうなぁ、やっぱ」と思う。
忙しい一日を終えて夕刻より事務室にて社員たちと晩飯を食べる。鰻の「魚登久」へは販売係のハセガワタツヤ君が皆の注文したものを取りに行ってくれた。鰻の食べられない人はステーキ重にした。
そして皆が着席したところで本日の夕刻に作成した資料を配り、僕がすこし話をする。話が終われば酒を飲む人、本日は自重をしてお茶にする人など入り交じって宴会もどきになる。鰻重やステーキ重をきっちり半分だけ食べ、会社で炊いたメシをそこへ大盛りに取る者も複数いる。
7時をすぎたころに皆で片付けをし、今年最後の食事会を終える。大晦日まで、残すところあと4週間である。
事務室にいても、コマバカナエさんやカワタユキさんたち事務係のするような仕事を僕はしない。しかし本日だけは彼女たちの仕事を手伝う。年末ギフトの電話注文をお受けし、お客様とお話をしながらその内容をメモに残し、電話を切るとすぐ次の電話が鳴る、という数時間があったからだ。
そういう最中にアメリカから続々とCDが続く。会社の中にいて、あるいは家の中にいてずっと仕事をしていると、メシを食うことかウェブショッピングをするくらいしか息抜きはないのだ。
そして届いたCDを晩飯の後に聴こうとしても、気づけばソファで寝ている今日この頃である。外には12月の雨が静かに降っている。
20年ほど前に"HAROLD'S GEAR"の、腹の部分がほとんどむき出しになるほど短い革ジャンパーを買った。ゲームジャケットのデザインを流用したらしいこのジャンパーは、当方の胴回りが太くなったこともあって、最近はまったく着ていなかった。
ずっしりと重いこれを長男へ送るべく社内の資源ゴミ置き場から大きな段ボール箱を拾ってくる。ジャンパーだけでは送料が勿体ない。今年の2月に"BUTTERO"のオイルスウェードのブーツを買ったが僕にはすこし大きすぎた。よってこれも箱に収めて紐をかける。
インターネットによる買い物は机に座ったまますべてが完了するから便利きわまりなく、ついこれに頼る。食べ物の購入について失敗をしたことはないが、きのうの日記に書いたカメラのケース、あるいは服や靴など、サイズが合わなくては困る品物の購入については無駄金を使うことも再々ある。
靴屋によっては「サイズ違いの2足を送る。気に入った方を選び、気に入らない方は送料差出人払いで返品してくれ」ということもしてくれるが、すべての店がそういうわけにはいかない。
よって来年からは、靴はやはり実店舗で試着してから買おうと思う。そして新たに購う靴は、できることなら"TRIPPEN"と"ALDEN"に絞りたい。上質の靴は履き心地が良い、履き心地が良ければ使用頻度は極端に上がり、値段は高くても、結局は安い買い物になるのだ。