4時30分に起きて製造現場へ行き、なかば趣味のようなことをしてから事務室へ移る。ここでも同じく趣味のようなことをして6時30分に居間へ戻る。朝飯は米麹を混ぜ込んだ納豆、冷や奴、すぐき、ほうれん草の油炒め、メシ、きのうの鍋の残りに手を加えた味噌汁。
きのう寝る前に書き、早朝に事務室へ持ち来たメモが机上にある。これを清書して洗濯ばさみに挟む。
下今市駅9:02発の上り特急スペーシアに乗る。切符は大抵、前売りで買っておくが、今朝は手ぶらで駅へ行き、そうしたら切符の販売窓口が混み合っていたから乗車したのは発車の2分前だった。なんのことはない、前売りの切符を買って駅へ駆け込むいつもよりよほど余裕がある。
北千住から日比谷線にて日比谷へ直行し、有楽町から銀座へと歩いて写真を撮る。銀座線にて日本橋へ移動し、少々の用を足して今度は同じく銀座線で新橋へ行く。京浜東北線のプラットフォームに立つことしばし、来る列車は通過するばかりにて、駅のアナウンスを注意して聞くと、現在は快速運転中にて浜松町までは山手線で行けと言っている。
日本の公共交通に接してむかしから感じることは、外国人への不親切さだ。英語によるアナウンスはおろか、同じく英語による案内もひどく不足している。「だから隣のインド人家族も、ずっと待ちぼうけじゃねぇか」 と横に目を遣ると、彼らはとうに山手線に乗り換えていた。
大井町の 「きゅりあん」 で開かれる、西研究所の 「第10回東京OA大会」 に出席をする。夕刻からの交流会ではビールを避けて冷たいお茶を飲む。ほとんどが顔見知り、という出席者が行く二次会には時間の関係から遠慮をする。
大井町から京浜東北線に乗る。有楽町で降りて飲酒を為す選択肢もあったが動いているからだには慣性のようなものがある。西日暮里まで一気に移動し、千代田線に乗り換え北千住へ至る。21:12発の最終にはいまだ90分の余裕があるが、1本前の20:12発に乗ることとし、切符を買ったら残りの時間は20分しかない。西口のロータリーに出て幾枚かの写真を撮る。
10時前に帰宅して家内にサッポロ一番塩ラーメンを作ってもらう。今月23日未明以来のお酒となる泡盛 「玉友」 を猪口に1杯だけ生で飲む。
入浴して冷たいお茶をすこし飲み、11時前に就寝する。
4時30分に目を覚まして起床する。両の手の平に弱く痛みのあるのは、きのうちょっとした道具を作りながら長く錐を使っていたためだろう。製造現場へ降りてあれやこれやし、事務室に移動して後もあれやこれやして6時30分に居間へ上がる。
朝飯はハムエッグ、鯖の昆布巻き、米麹を混ぜ込んだ納豆、ザーサイ、メシ、シジミと三つ葉の味噌汁。
午前も早い時間、キノコ狩りを趣味にしている人からチョウゲンボウをいただく。チョウゲンボウとは猛禽類の名で知られているが、キノコにもチョウゲンボウというものがある。学名については知らない。キノコのような地域性の高い食べ物の中には、同じものであっても、この村では食べるが山を越えた向こうの村では食べないというようなことがしばしばある。呼び名も場所によってまちまちだったりするから、当方のような無知蒙昧な者は、もらったものをただ喜んで食べるだけのことである。
昼飯は、豚挽肉や数種のキノコをオリーヴオイルで炒め、そこに赤味噌と納豆を混ぜ込んだものをソースとする肉味噌スパゲティだった。味噌や醤油とワインは合わないから、これを食べながらワインを飲もうという気にはならない。
数日前にジャパンネット銀行から届いたトークンを箱から出し、添えられた説明書を読む。これまで同銀行で振り込みを行う際などには、乱数表によるパスワードを打ち込んできた。しかし今後はトークンに表示される数字がそれに替わるため、早速にこの設定をブラウザから行う。6桁のパスワードはサーヴァーと連動して60秒ごとに変わる。乱数表とくらべて安全性は格段に高まるが、打ち込みに手間取るとトークンには次のパスワードが表示されてしまうから忙しい。
初更、いただいたチョウゲンボウ、豆腐、鶏肉と鶏モツ、長葱を味噌味の鍋にする。これとすぐきにて炊きたてのメシ1杯と3分の1を食べる。葡萄にて締める。酒は飲む気がしないから飲まない。6日も続けて酒を遠ざけるとは、おとなになってからは、スリランカ最南端のウナワトゥナ村に1週間とか、マルディヴのグライドゥー島に1週間とか、マドラスに1週間とかというふうに、南の国を転々としていた1982年以来のことではないかと思う。
入浴して冷たいお茶を200CCほども飲み、症状はほとんど感じなくなったがのどや気管支の薬も飲んで9時30分に就寝する。
目を覚ましてしばらくのあいだは、そのまま暗闇の中で静かにしている。ようやく枕頭の携帯電話を開きディスプレイを見ると、時刻はいまだ1時30分だった。「google誕生」 を読んだり二度寝をしたりして4時30分に起床する。製造現場で小一時間、事務室でも同じ時間を過ごすと6時30分になったからエレヴェイターに乗って4階の居間へ行く。
朝飯は納豆、ザーサイ、きのうの残りのマカロニサラダ、ほうれん草の油炒め、メシ、豆腐とワカメと玉葱の万能葱の味噌汁。
次男が登校をするときには、自宅から1ブロックだけ送っていく。春日町の交差点ではいつも、イワモトミツトシ区長が小学生のために交通指導員を務めてくれているが、今朝は2名の警察官も立っている。その交差点に、日光宇都宮道路方面から日光方面へ速度を落とさず左折しようとしたクルマがあった。運転する若い男は交差点に警察官の姿を認めて、これをからかってやろうとしたのかも知れない。
尻をスライドさせながら交差点を抜けていこうとした灰色のスポーツカーは、しかしウチから芳賀燃料店へ渡る横断歩道上でスピンして停まった。あと2メートル滑れば、小学生の登校路である歩道に乗り上げ、子供たちをつぶしているところだった。警察官はと見ると、横断歩道上に停まったままのクルマから10歩と離れないところでボンヤリしているから、日光街道を隔てた反対側から
「なんで捕まえねぇんだよ」 と大声で怒鳴る。クルマは後輪を激しく空転させて、いまやこの場を去ろうとしている。警察官はなおも棒立ちでそのクルマを眺めるのみだから今度は 「なんでナンバー、覚えねぇんだよ」 と大声で怒鳴る。しかしこの期に及んでも、警察官は木偶のように立ちつくしたままだった。こんな愚図が、我が町の法の番人の中にはいるのである。無謀運転のクルマは悠々として日光方面へと去った。
昼前、血圧や血中の脂肪分を監視してもらっているオカムラ外科へ行くと、内科の医師から 「そろそろ血液検査、しておきましょうか、いつでも気の向いたときに採血にお出でください」 と言われたから 「シメタ」 と思い、「あの、いまから採っていただいてもよろしいですか」 と訊いて承諾を得る。なにより僕は、4日も酒を抜いている。これだけ飲酒を避けるとγGTPは一体どのあたりまで落ちるものか、知っておいても損はないだろう。
初更、米麹を混ぜ込んだ納豆、高野豆腐、クラゲと胡瓜の酢の物、ほうれん草と海苔のおひたし、銀鱈の粕漬という料理を並べて家内が 「これで飲まなかったら、精神がおかしくなったとしか思えない」 と言うので 「今日も飲まないよ」 と答えて炊きたてのメシ1杯と3分の1を食べる。5日も続けて酒を遠ざけるとは、おとなになってからは、同級生のヤマモトタカアキ君とカトマンドゥに同宿した1991年以来のことではないだろうか。葡萄にて締める。
入浴して冷たいお茶を200CCほども飲み、のどや気管支の薬も飲んで9時30分に就寝する。
4時30分に目を覚まして製造現場へ降り、そこから事務室へ移動してあれやこれやする。のどの痛みは去ったが、こんどは気管支に違和感を覚えて咳が多く出る。7時前に居間へ戻る。
朝飯はスペイン風目玉焼き、2種のキノコと牛蒡のサラダ、イカのマリネ、納豆、ザーサイ、メシ、ワカメと玉葱と万能葱の味噌汁。
午前中、日本経済新聞に大きな宣伝を出している会社の営業係と面談をする。堅い仕事にもかかわらず、その営業係の髪の毛はディップでハリネズミのように立ててある。最近は老舗の百貨店にも、ソフトモヒカンの正社員が目立つ。虎ノ門の古いホテルでは、社員の髪の色を上司が色見本に当てはめ、会社が定めた限度を超えていないか検査をする。顔見知りの石屋の社長が若い衆に 「半人前のクセして髪、赤くしてんじゃねぇよ」 と言ったら翌日は緑色に染めてきたとぼやいていた。なにより多様性の時代である。
面白いのは人間の外観よりもむしろ内側の多様性で、しかしその多様性はしばしば人に迷惑をかけるから、物わかりの良い顔をしてこれをやたらに容認していると、ときには自らの首を絞めることにもなりかねない。
初更、冷や奴、うずら豆、マカロニサラダ、コロッケ、キャベツ、マカロニサラダにてメシ1杯半を食べ飲酒は避ける。好物のマカロニサラダを目の前にして飲酒の欲が頭をもたげないとは、一体どのような理由によるものかと考える。ことによると、いま飲んでいる抗生物質に、酒への欲求を喪失させる何らかの作用があるのかも知れない。酒の飲めない体になったらどうしよう。「酒の飲めん男ほどつまらんものもありませんな」 とは、家内の父による箴言である。
とにかく日曜日から4日続けての断酒にて、あした血液検査をすれば、γGTPが適正の範囲に収まるのは確実だろう。今月は今日までにノルマの8回を超える10回の断酒をしてしまったから、この剰余分は来月に回そうと考える。
入浴を2回抜いたその翌日の入浴については 「2日ぶりの入浴」 というべきか、あるいは 「3日ぶりの入浴」 というべきか。とにかく入浴をして冷たいお茶を100CCほども飲み、9時30分に就寝する。
5時に目を覚まして 「google誕生」 を読み、6時に起床する。事務室へ降りても、外から新聞を取り込むくらいのことしかせずに居間へ戻る。
朝飯は玉子と万能葱の雑炊、柴漬け、ジャコ、椎茸の佃煮、「はれま」 の 「やさい」。柴漬けはただでさえ濃い紅色が気味悪いが、雑炊にこれを載せればその紅色は周囲に及び、そうすると余計に気味が悪いから、飯に載せた直後に努めて食べる。
1939年、我が町に 「ミヤギ写真館」 を創ったアベヨシミさんの写真集 「極光」 が本日の午後に納戸より発見され、これを初めて見る。ペイジを繰れば、大正期よりその時代時代の最先端の技術を使いながら、商業写真や趣味の風景写真、あるいは安井仲治を彷彿するようなモダンな抽象写真を撮り続けた歴史が一目瞭然となって、「ミヤギさんの数代前には凄い人がいたんだな」 と大いに驚きまた感心をする。この中にはまた、「しかしこれ、当時の機材でどうやって撮ったんでしょうね」 と訊きたくなる写真も多数ある。
「日本版限定3000冊」 と腰巻にある割には一向に売り切れない
を終業後に読む、あるいは見る。スティーブン・レビーの名著 「ハッカーズ」 に書かれている、パーソナルコンピュータの歴史を作った伝説のマシンがここには次々と大きな写真と共に解説されていて、まったく飽きない。その第1ペイジ目を飾るのはもちろん、エド・ロバートの "Altair" である。
初更、買ってきた総菜のあれこれにて炊きたてのメシ1杯半を食べ、本日も飲酒は避ける。飲酒を容易に遠ざけられるとは、それだけからだの調子が良くないということを意味しているが、食欲だけはある。
本日も入浴はせず、9時に就寝する。
目を覚まして間もなく、念のため設定した4時15分を報せる電子音が鳴って起床するのは、おとといの朝と同じである。先ずは製造現場へ降り、小一時間ほど後に事務室へ移動してすることは、いつもと変わらない。
6時30分に居間へ上がる。朝飯は納豆、鯖の昆布巻き、柴漬け、生卵、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とワカメと万能葱の味噌汁。
大きなキャンプファイヤーが一片の木ぎれになるまで起きて話をしていたキャンプでの不摂生が祟ったか、のどの痛みには、その不摂生の最中から気が付いていた。今日はそれにからだのだるさが加わり、またこれは花粉かなにかによるものかも知れないが、鼻はつまり涙が出る。というわけで他の用事の最中に 「セキネ耳鼻科」 へ寄って診察を受ける。
初更、仕事を終え居間に戻ると、ゴミ処理についての発表でもするのか、大きな模造紙に次男がなにやら調べたことを大書している。その内容が優れたものなのか、並のものなのか、あるいは並以下のものなのかは知らないが、とりあえずは 「すごいなぁ」 と褒めておく。
本日は店舗の冷蔵ショーケースを掃除するため、販売係と製造係の一部には残業をしてもらった。普段は家に帰り着くころいまだ会社にいれば腹も減るだろうと、彼らに家内は宅配ピザを取り寄せた。そのピザの残りと、レタスと胡瓜とトマトのサラダを晩飯として飲酒は避ける。
宅配のピザを陶磁器の大皿に載せることができれば気分も良いが、しかしそれをするとピザと皿との間に結露が生じて良くない。宅配のピザは現在のところ、紙の箱に入ったままで食べるのがいちばん美味い。この現状を打破するため、だれかピザと皿のあいだに敷くための素材を開発してくれないか。
もっとも簡便な方法は、ピザの大きさに合わせて紙箱の底を丸く切り抜き、それをそのまま、あらかじめ温めておいた大皿に載せることだろう。しかし宅配ピザにここまで手をかけるのも、絶対矛盾的自己撞着だろうか。
体調の不良により2日つづけて酒を避けたが、これにて今月8回の断酒は達成してしまった。果たして明日は飲酒を為すことができるだろうか。明日も断酒ということであれば、9回目の断酒ははみ出し分として来月のノルマに繰り入れ、すなわち来月は7回の断酒で済ませようか、というようなことも考える。
飲酒と共に入浴も避け、9時に寝室へ入る。「google誕生」 は100ペイジちかくまで進んだが、主人公サーゲイ・ブリンとラリー・ペイジというふたりの主人公の名がいまだに覚えられない。「サーゲイ・ブリン」 とはいささか変わった名前だし、「ペイジ」 とくればそのファーストネイムは 「ラリー」 ではなくどうしても 「ジミー」 が連想されてしまう。
9時30分に就寝する。
焚き火の前には結局、朝の4時までいた。きのう目を覚ましてから24時間も起き続けていたことになる。戸外の石に腰かけ2時間も眠っていたウチダヒトシ君と、夜になってから来たイダフミオ君のふたりには、昨夕コテイジに確保した布団1組を提供する。僕は寝袋に入って4時20分に就寝する。
搾乳の時間が来たとの声で目を覚ます。いまだ6時前かも知れない。いましばらく寝ていようと考えているところに窓が開いて 「ウワサワですけど、お父さんいますか」 と次男の大きな声がしたから飛び起きてすぐに着替え、靴を履く。次男は、僕とは別のコテイジに泊まっていた。
牛舎へ行く次男に三菱デリカから長靴を出してやり、僕は僕で調理場の前の水道で顔を洗う。すると中から 「あのー、食事の支度、手伝っていただけますか」 と声をかけられ顔を上げるとカトーヒロシ同学会長の奥さんが困惑あるいは苦笑のおももちでいる。調理場には、他にホリウチヒョースケ君がいるだけだった。たったふたりで100人を越す人たちの朝飯を整えるのは、確かに不安だろう。
「これこれを作れ」 と言われたら困るが、そこいらへんにある材料で適当に料理をするのは得意だから、胡瓜とトマトでサラダを、キャベツとトマトときのう余った肉などでスープを作ることを決め、ただちにキャベツを刻み始める。30分ほども仕事をするうち調理場の人員も増えてきたから、「後は任せた」 と僕は見物にまわる。
牛舎から薩摩芋畑へまわった子供達が、収穫した芋を洗い終えたところで朝飯になる。僕は汁よりも具の多いスープを2杯飲み、ロールパン1個を食べる。
ボンヤリさせたら自分は日本一だと思っていたが、普段やすみなく仕事をしているせいか、朝飯の後の数時間の空白にはしばしば間が持たず、「Google誕生」 のペイジがどんどん進む。日なたには半袖のシャツ1枚でも暑いくらいの陽光があり、だからタープの陰に椅子を移すと、先ほどの日差しの下では感じなかった涼風が肌を冷まして寒い。ここで長袖のシャツを重ね着する。
バター作り大会では、新鮮な牛乳をペットボトルに入れ、これを30分以上も振り続ける必要がある。僕は腕の疲れた次男からときおり預けられたペットボトルを振るくらいのことにて、自分専用のボトルは持たない。やがて完成したバターを茹で上がったばかりの薩摩芋に付けて食べれば、それはそれは美味い。
1時に那須農場を出て途中、高速道路のサーヴィスエリアで軽く昼飯を摂り、2時20分に帰社する。シャワーを浴びて仕事に復帰し、やがて夕刻となる。
初更、煮奴、胡瓜とワカメの酢の物、タシロケンボウんちのお徳用湯波と水菜の炊き物、「仏様へ」 と親戚が届けてくれたちらし鮨を晩飯として飲酒は避ける。酢の物はこのところなかった薄味にて美味く、鮨もまた美味かった。
睡眠不足でのども痛いから入浴はせず、8時30分に就寝する。
目を覚まして間もなく、念のため設定した4時15分を報せる電子音が鳴る。起床して製造現場と事務室をはしごし、6時30分に居間へ戻る。この週末は雨の予報だったが、西からの強風により台風が太平洋上へ押しやられ、まぶしいほどの晴天になった。
朝飯は冷や奴、昨夕にあまったサラダ、胡瓜の塩もみ、納豆、鯖の昆布巻き、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。
墓参りは彼岸の入りにしたが、今朝はすこしメンバーを変えて家内と次男との3人で如来寺へ行く。帰って即、今度はテニスの練習をする次男を所野運動公園へ送る。
テニスの練習から帰った次男とふたりで三菱デリカに乗り、1時すぎに会社を出る。日光宇都宮道路と東北道を使い、同学会が主催するキャンプ大会の開かれる自由学園那須農場には2時すぎに着いた。受付は12時からとのことだったが、トラクターの牽く荷台に人を乗せての農場探索が折しも始まるところにて、次男も鉄製の大きな荷台に収まり広大な牧草地へと向かう。
探索が終わればじゃんけん大会、火おこし大会と続き、しかしその合間の時間は充分にあるから僕はクルマから折りたたみ式の椅子を降ろして
たった1本のマッチからでも焚き火を作ることが可能とは、3年前のこのキャンプでみずから実践して知った。できることが分かったから今日の火起こしは人任せにする。その火をあたりが暗くなるまで維持してバーベキュー大会となる。
美味いバーベキューを食べるコツはひとえに、バーベキュー上手なオヤジの鉄板やグリルを回って、上出来の完成品をもらい歩くことだ。しかしシノトーマキト君の仕切りによる本日の出席者は大変に多く、人の焼いたあれこれをあてにすることはできなかった。6台のグリルのうち最も端の地味な場所へ腰を下ろし、秋刀魚と野菜とを大量に食べる。また、秋刀魚の脂と醤油とがみっちり浸みた大根おろしの残る皿に松茸ごはんを取り、これを酒肴として缶ビールを飲む。
イズミタニタカヒコ君の手作り楽器と指揮による音楽会が行われたのは、9時前のことだっただろうか。早寝早起きの僕としては非常に珍しく、その後もずっとワインなどを飲みつつ数十年来の知己たちと、いまや小さな焚き火になってしまったキャンプファイヤーの前で話をする。
4時10分に目を覚まして 「文人暴食」 の尾崎放哉、とここまで書いて、僕の "ATOK" が 「ホウサイ」 を変換しないことを知る。試みに 「ナカハラチュウヤ」 と入れるとこちらは 「中也」 と出たから 「頑張れホーサイ」 と思う。とにかく 「文人暴食」 の尾崎放哉の項を途中まで読んで4時30分に起床する。
製造現場と事務室を渡り歩いて6時30分に居間へ上がる。熱いお茶を飲みながら 「40年前の東京-昭和38年から昭和41年 春日昌昭のトウキョウ」 を見る、あるいは読む。朝飯は目玉焼き、きのうの残りの揚げた秋刀魚に大根おろしを載せて酢醤油をかけたもの、長芋の柚こぼし、納豆、メシ、小海老と豆腐と万能葱の味噌汁。
かれこれ10年ほども前のことになるだろうか、ある夏の日、国道121号線をはさんだ向かい側の駐車場で松の木の下に100リットルはあろうかと思われるザックを置き、そのかたわらに座ってウチの店を写生し始めた人がいた。痩躯蓬髪のおもむきはヒッピーというよりもルンペンで、僕はそのまま見守ったが数時間の後、ルンペンは道を渡って僕にその絵を手渡した。
紙の上にある線や色彩がマティスのもののようであれば僕は新しい天体を発見した天文マニアのように驚喜して、この漂泊の人をできるだけ身近に留めようとしただろう。しかしその絵の水準は失礼ながらどうというものでもなく、僕はただ礼を述べたのみにて冷たい飲み物も祝儀も渡さなかった。
俗気の抜けきった、まるで植物のようなその人は 「マツダイラです」 と名乗った。普通に発音をすれば 「マツダイラ」 は 「ダ」 が強調される。ところが目の前でおっとりと笑っている人の発する 「マツダイラ」 は 「マ」 にアクセントがあり、だから 「ひょっとしたらこの人は、第二次大戦後に爵位を剥奪されたたぐいの家の出かも知れない」 と想像した。
今年の初夏、これまで何十年も使い続けたしおりをすこし大きく、またこれまでの二つ折りから三つ折りにしようと決め、するとどうしても1ペイジが空白になってしまうから数日のあいだ考えて 「そうだ、マツダイラさんの絵を使おう」 と思いついた。本日ようやく納品されたそのしおりを見て、僕はある種の感慨にひたる。マツダイラさんには今からでも幾ばくかを送りたく思うが、当然のことながら行方知れずである。
初更、レタスと胡瓜と水菜とトマトとモツァレラチーズのサラダ、エリンギを添えたハムと玉葱のオムレツ、きのう残った豚肉と白花豆と玉葱と人参の煮込みにてメシ1杯半を食べ、飲酒は避ける。
入浴して冷たいお茶を100CCほども飲み、10時に就寝する。
6時に目を覚まして起床する。8時間は眠った計算になる。事務室へ降りても何をするという時間はないように思われるが、今日は朝から予定が立て込んでいるため、きのうの日記の作成だけはしてサーヴァーへ転送する。新聞を取りに外へ出ると空は晴れているが、きのうほどの青さはない。
7時前に居間へ戻る。朝飯は厚揚げ豆腐と三つ葉の炊き物、秋刀魚の塩焼き、メシ、玉葱とワカメと万能葱の味噌汁。
味噌汁といえば1980年の春から世話になっていた、港区三田の 「田中味噌醸造所」 の賄いのそれを思い出す。作ってくれるのはササオさんというオバサンで、味噌汁にはいつも最低で4種類ほどの具が入っていた。その具の組み合わせは僕の常識にないもので、ざっくばらんに言えば田舎っぽいわけだがしかしそれは常に美味かった。引き算で美味くなるものもあれば、ササオさんの味噌汁のように足し算で美味くなるものも食べ物にはある。
9時前に 「加藤床屋」 へ行き、その90分後に帰社する。オヤジの一周忌のお知らせを、いわゆる向こう三軒両隣の組内へ配る。日光街道と国道121号線の交差点に降り注ぐ陽光は、まるで5月のそれのように強い。
ドライカレーというよりもカレー風味のチャーハンを昼飯とし、1時にホンダフィットに乗って宇都宮へ行く。所用を済ませて3時に帰社する。
先日は "Cadi bianco alcamo classico Cossentino 2001" を飲みながら 「このワインの残り2本は早晩、豚肉と豆の煮込みにでも使ってしまおう」 と考えた。その煮込みを今朝から家内が作っているため、ワイン蔵から該当のワインを夕刻に持って上がる。煮込みにはジャガイモも入れてくれと家内に頼むと、豆とジャガイモを同時に使うような田舎くさいことはしたくないと言うので、田舎くせぇってことは美味めぇってことだと返す。
いまだある秋刀魚は酢締めにしてグレイプフルーツとサラダにしてくれと言うと、魚の酢締めは好きではないと答えるから、そういえばこの人は鮨屋でも小鰭などは食べなかっただろうかと考えて思い出せない。
初更、"Chablis 1er Cru Mont de Milieu Olivier Leflaive 2002" を抜栓する。揚げた秋刀魚や舞茸、それにグレイプフルーツと数種の野菜を加えたサラダ、豚肉と白花豆と玉葱と人参の煮込みにてこのワインを飲む。
すこし残した煮込みの汁にメシを投入して食べると美味いから真似をしてみろと、オフクロが次男に薦める。ところが次男は 「それは下品だから、しないことにしてるんだよ」 と従わない。ただのガキに過ぎない次男がなぜそのような美意識を持つに至ったか訊くと、給食に出たスープをメシにぶっかけている友達の姿を見て、それがあまり綺麗とは思われなかったから以降、自分は汁とメシとは混ぜないことにしたと言う。
スープやソースにメシを混ぜることのどこが下品かと反論するオフクロに、メシに味噌汁をかけるなどは食卓における最低の行為とむかし言っていたではないかと僕が指摘をすると、ごはんに味噌汁をかけることだけは論外だとオフクロは言う。
今度は次男に向かって、スープとメシを混ぜるのが下品であれば、カレーライスも下品ではないかと言ってみると、カレーは別だという。
要約をすれば、メシに何を混ぜるかが下品への分かれ道だとオフクロは言っているのであり、あらかじめ混ぜて供されたものは許容するが、別々に出てきたものを後から混ぜる行為は下品だと次男は断じている。「人間が100人いれば、100の常識がある」 と、常々僕の言うゆえんである。僕からすれば、モノを食うという行為はすべからく恥ずかしい。そして生きるとは恥ずかしさを脇へ追いやり、見て見ないふりをすることに他ならない。
入浴して冷たいお茶を150CCほども飲み、10時に就寝する。
4時に目を覚ましてその15分後に起床する。製造現場には小一時間、事務室にはそれよりもすこし長くいて7時前に居間へ戻る。便所のタイルの壁が結露し、それが床に落ちて水たまりができるほどの湿気をここ数日の雨はもたらしたが、今朝は一転して秋晴れの空となる。
朝飯は納豆、大根の千枚漬風、冷や奴、トマト入りスクランブルドエッグ、メシ、玉葱と水菜の味噌汁。
社員の出勤時間にあわせて事務室へ降りたところに、きのうクーデターのあったタイから同級生のコモトリケイ君が電話をしてくる。タイのクーデターなんてものは王様が出てくれば収束するが、たまさかの流れ弾に当たって死んだ新聞記者もいるから気を付けるよう言う。コモトリ君によれば、タクシン首相を金づると頼む有力な勢力は海外にもおよび、それらがタクシンを辞めさせなかった背景もあるらしい。
そして、そのような騒乱の最中にあって、ホワイトカラーの動きこそ鈍いが屋台のオバチャンたちは早朝から元気だというから、近藤紘一が産経新聞の特派員だった1960年代のバンコック、そして自分がチャイナタウンで汗まみれになり蚊に刺されていたころのバンコックを思い出す。
初更、次男の勉強机にて 「40年前の東京-昭和38年から昭和41年 春日昌昭のトウキョウ」 を読み終える。桑原甲子雄の再来のような写真を見て 「こんなのを、オレも撮りてぇなぁ」 と思う。巻末にある佐藤嘉尚の文章を読んでいて、金村修のアイドルが春日昌昭だったことを知り、「あぁ、そうか」 と思う。
どこか遠い港から午前中に上出来の秋刀魚が届いたが今夜は 「本酒会」 にて、僕がこれを食べることは能わない。
数分を歩いて鰻の 「魚登久」 へ行き、酒肴の鑑のような弁当にて8本の日本酒を飲む。9時前に帰宅して入浴し、冷たいお茶を飲んで10時前に就寝する。
3時45分に目を覚まして4時に起床する。製造現場と事務室にて仕事のような、あるいはよしなしごとのようなことをして6時30分に居間へ戻る。
朝飯は生玉子、柴漬け、大根の千枚漬風、きのうの晩に残った鰻の炊き込みごはん、豆腐と万能葱の味噌汁。かやく飯に生玉子をぶっかけて食うと美味いとは、高校3年の夏、南禅寺ちかくにあったフカミカズヒロ君ちの台所で深夜、知ったことだ。それはさておき、おかずや味噌汁の中に白いメシのある朝飯の画像はいつも、他との釣り合いにおいてメシだけが露光過多になって白く飛ぶ。ところが今朝のような混ぜ飯ではメシが白くないだけに露出が揃ってあんばいが良い。
初更、"Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 2003" を抜栓して空気に触れさせながら
41ペイジに、新宿駅南口から新宿御苑へ向かってだらだら坂を下っていくと左側に見えた、バラックによる飲食街の写真がある。この飲食街は、本来の地形に沿ったS字型の坂に立ち並んだもので、写真右端の 「新京」 は、僕が知ったころは 「花蓮」 という店になっていた。僕がここでラーメンを肴に白乾児だか紹興酒を飲んだのは、1980年代初頭のことだっただろうか。
坂下には 「ボニータ」 という、せいぜい3坪ほどのヌードスタジオがあった。「ボニータ」 の、白茶けた昼の外観は荒木経惟が撮って、これは写真集 「東京は、秋」 で見ることができる。僕が 「ボニータ」 のオバサンとふたことみことを交わしたのが、白乾児だか紹興酒を飲んだ晩のことだったかどうかは覚えていない。このバラック街の写真は僕も残して、今は "WORKS" に収めてある。
水菜とトマトのサラダ、ふかしたジャガイモ、グリーンアスパラガスを添えたビーフステーキにて1時間前に栓を抜いておいた "Castillo de Molina Cabernet Sauvignon Reserva SAN-PEDRO 2003" を飲む。
入浴して冷たいお茶を150CCほども飲み、9時すぎに就寝する。
目を覚まして枕頭から携帯電話を取り上げ、ディスプレイを見ると時刻は3時だった。その携帯電話に念のため設定した3時30分の電子音が鳴ったところで起床する。仕事場へ降りていつも通りのこと、あるいはいつもとは異なることをして事務室へ移動する。こちらでもいつも通りのこと、あるいはいつもとは異なることをして6時すぎに4階へ戻る。
朝飯は 野菜と昆布の佃煮、ジャコ、三種の漬物によるお茶漬け。
毎日の血圧を記録しているデイタベイスには同時にその日の飲酒の有無も残す。今週は20日と23日に集まりがあり、この日は間違いなく飲酒を為すことになるからデイタベイスの本日分のところには早くも朝のうちから 「断酒」 の文字を入れる。1週間に2日あるいは1ヶ月に8日の断酒ノルマが規則正しくこなされていないと、押し迫ってから飲み会でひとりお茶などを飲む羽目になり、これを僕はいままでに2度経験しているが、何とも妙なものである。
運動会後の2連休2日目の今日は雨で、テニスコートへの次男の送りはなかった。ここしばらく次男が食べたいと言い続けてきた、豚挽肉とみじん切りの玉葱とを具にしたつゆによる釜揚げうどんを昼食とする。
終業後に田中長徳のウェブ日記を読みに行くと、「ビックカメラ」 が "LEICA M8" に値付けをしたと、そのペイジにリンクが張ってある。"M8" はM型ライカのデジタル版で、測距はレンジファインダー、露出は絞り優先AEモード、ISO感度設定は160から2500までと性能表にはある。
測距が手動によるならば、そして露出が絞り優先のオートであるならば、光が充分にあるときのピント合わせは必要なくなり、つまりオートフォーカスのカメラよりも素早い撮影が可能になる。ノイズについては未知数だが、光が少ないときにはISO感度を上げれば良い。
即写性のみを考えた場合、光が充分にあるときには "LEICA ?c"、そうでないときには "RICOH GRD" の組み合わせが強いと、10日ほど前の日記には書いた。しかし今回発表された "M8" であれば、携行するカメラは1台で足りる。そしてなによりこのカメラでは、「ライカのファインダー」 を覗きながらの撮影ができるのである。
「こらヤベェわなぁ」 と思う。1954年の発表にしていまだ古びない "M3" に比して、今般の "M8" が一体どれほどのあいだ陳腐さに陥らずいられるものかとかねがね疑問を呈していた田中長徳でさえ、548,000円という価格を突きつけられてみれば 「これは買ってしまうかも知れないなあ」 と言うのである。そして僕はといえば 「オレはほとんど本と酒しか買わねぇしな、クルマなんて買わねぇんだし」 と、早くもみずからに対しての言い訳を始めている。エムハチ、恐るべし。
初更、ほうれん草の胡麻和え、南瓜の炊き物、鰻と人参と牛蒡の炊き込みごはん、冷や奴、大根の千枚漬風、鶏の唐揚げを晩飯として飲酒は避ける。
入浴して冷たいお茶を150CCほども飲む。本は読まず、9時すぎに就寝する。
目を覚まして時刻を確認するといまだ1時30分で驚く。きのう寝たのは9時30分だから、4時間の睡眠ではいかにも短い。その後、眠ろうとして眠れたのかどうかは不明ながら、寝ようとして寝られず焦燥した記憶はないからきっと眠れたのだろう。気づいてふたたび携帯電話のディスプレイを開き、液晶の黒い数字を見ると3時20分だった。
起床して製造現場へおもむき、小一時間ほどの作業に従う。その後は事務室へ移動する。標高400メートルを超えるこのあたりでは夏が過ぎれば初秋を通り越してすぐに秋が来る。肌寒さを覚えて暖房を22度に設定する。冷房の24度は涼しいのに暖房の22度が暖かいとはどのような理由によるものかとは、いつも不思議に思うことのひとつだ。よしなしごとをして6時に居間へ戻る。
朝飯は目玉焼き、ほうれん草の油炒め、胡瓜の古漬け、生のトマト、納豆、メシ、玉葱と万能葱の味噌汁。
胡瓜の古漬けを塩抜きして絞り、おろし生姜をまぶした漬物を食べられるようになったのは、いつからのことだろう。日光街道と高速道路を繋ぐパイパスがウチの蔵に沿ってできる以前、ここは寂しい路地だった。この路地のすこし奥まったところの井戸端である日、老婆が胡瓜の古漬けを刻んでいた。小学生だった僕は数メートルも離れたところまで届く不気味な臭気に辟易して、足早にその場を離れたことを覚えている。
とここまで書いて、おとなになるとは、不気味な事物をも平気で受け入れてしまうことではないか、というようなことを考える。
夕刻より雨が降り始める。終業後の6時すぎに家族など計4人で森友地区の 「かしわ」 へ行く。4人のうちお酒を飲むのは僕だけだから、店を気遣って芋焼酎のボトルを入れたりする。膨大なメニュの中から手始めは僕の鯨ベーコン、最後は次男の塩バターラーメンにて締める。
帰宅して入浴し、冷たいお茶を150CCほども飲んで9時すぎに就寝する。
4時前に目を覚まし、枕頭の灯りを点けて 「文人暴食」 の柳田国男の項を開くが、なぜか目が霞んで読めない。仕方なしに起床して仕事場へ降りる。小一時間ほどの作業の後に事務室へ移動し、顧客からのメイルによる問い合わせに返信を書いたり、あるいはきのうの日記を作成する。
次男が登校すると同じころに小学校へ行き、運動会の昼飯の場所を取るよう家内に頼まれていたことを思い出す。壁の時計を見ながら、なにも忙しい時間を更に忙しくすることもないと考える。折りたたみ式のテイブルや椅子をホンダフィットに積んで5時30分に今市小学校へ行く。いつもの場所にテイブルと椅子を置いて6時前に帰宅する。
朝飯は、きのうあまった茄子のオリーヴオイル炒め、ほうれん草の油炒め、冷や奴、納豆、メシ、茄子と長葱の味噌汁。
昼前に小学校へ行き、弁当を食べる。午後一番の、次男が参加している応援合戦を見て帰社する。
この10日ほど、一日延ばしにしてきた仕事を一気に片付けて夕刻に至る。事務机に置いたCDプレイヤーで
昼の弁当の残りにPTAによる焼そばを加え、これを晩飯として飲酒は避ける。
入浴して冷たいお茶を150CCほども飲む。嵐山光三郎の 「文人悪食」 では特に樋口一葉と志賀直哉に力が入っているように感じられたが、続編の 「文人暴食」 では、柳田国男に特に著者の思い入れが傾いているように思われる。この柳田国男の項を読んで9時30分に就寝する。
目を覚ましてよりしばらくして時刻を確かめると5時45分だった。きのう甘木庵に着くと、天神下の薬局で処方された薬がダイニングキッチンのテイブルにあり、長男が熱を出して寝ていることを知った。起きて洗面の後、ショルダーバッグに入れて持参したTシャツを着て春日通りまで歩き、長男のためにお茶2リットルと牛乳1リットル、それにクロワッサンを買って戻る。
6時30分に甘木庵を出て岩崎の屋敷裏から切通坂を通って天神下へ降りる。地下鉄千代田線にて北千住へ至り、駅前の 「吉野家」 でカレーライスの上にサラダと生玉子をぶちまけこれを食べる。
7:40発の下り特急スペーシアに乗って間もなく眠る。春日部は知らず栃木というアナウンスにうっすらと意識が戻り、ふたたび眠って新鹿沼で目を覚ます。
9時20分に帰社して自分の机に着くと、10時に取引先が来社とのメモがある。それよりも先に来るだろう銀行の人のために、手渡すべき小切手数枚を取り急ぎ切る。大した金額でもないがオヤジが出資していた先から、今年度分の賦課金を口座から引き落とすという知らせが届いているので早速に先方へ電話をかけ、本人は既に死亡してその口座ももはや無い、今後はどうしたものかと相談をする。
初更に "Cadi bianco alcamo classico Cossentino 2001" を抜栓し、次男の勉強机でこれを飲みながら 「文人暴食」 の高浜虚子の項を読む。そして 「このワインの残り2本は早晩、豚肉と豆の煮込みにでも使ってしまおう」 と考える。茄子と赤ピーマンのオリーヴオイル炒め、薩摩芋と隠元豆のサラダ、ロールキャベツにて先ほどからのワインを飲み切り、晩飯を終える。
入浴して冷たいお茶を150CCほども飲み、9時に就寝する。
目を覚ましてからしばらくのあいだは、そのまま暗闇に横たわっている。やがて枕頭の携帯電話に手を伸ばし、ディスプレイを見ると3時45分だった。4時に起床して半袖のTシャツを着る。廊下に出ると二の腕に寒さを感じて 「秋かぁ、やだなぁ」 と思う。製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従い、事務室へ移動してからは顧客からのメイルによる問い合わせに返信を書いたり、あるいはきのうの日記を作成したりする。
6時に居間へ戻り、熱いお茶を飲む。朝飯は柴漬け、シバタヒロシさんが山の中の畑で作っているほうれん草を炒めたもの、温泉玉子、納豆、刻み昆布の薄味煮、メシ、揚げかすとワカメと万能葱の味噌汁。二日酔いにもかかわらず、メシと味噌汁を1杯ずつお代わりする。
下今市駅9:02発の上り特急スペーシアに乗る。本を読む間もなく寝て次に目を開けると1時間が経過していたから利根川は過ぎた後だった。北千住で地下鉄千代田線に乗り換え、二重橋前で地上に出る。二三の用を足し、その後は10分ほど歩いて銀座教会堂ビル8Fの物欲の殿堂やら 「伊東屋」 やら 「教文館」 に行く。「教文館」 は店員も親切で良い本屋だが、僕としては5丁目から 「近藤書店」 の消えたことが寂しい。
いまだ明るい夕刻に池袋へ至る。数時間前に雨の上がった 「明日館」 の庭には虫の音が賑やかだった。
自由学園同学会本部委員会の会議を終え、本郷三丁目に住む、ひとつ下のクラスのホリウチヒョースケ君と春日通りを歩いて甘木庵に帰着する。
入浴して何も飲まず、「文人暴食」 の幸徳秋水の項を読んで0時前に就寝する。
3時に起床して製造現場へ降り、やがて事務室へ移動して顧客からの問い合わせに返信を送る、きのうの日記を作成するなど、きのうと同じ朝の時間を過ごす。外の新聞を取り込むためシャッターを上げるときのうに続いて天気は雨で、せっかく値を戻した野菜をふたたび高騰させそうな秋雨である。5時30分に寝室へ戻り、「文人暴食」 の国木田独歩の項を読んで30分後に居間へ行く。
朝飯はピーマンの油炒め、鯵の南蛮漬け、すぐき、納豆、だし巻き玉子、メシ、玉葱と揚げかすと万能葱の味噌汁。
午前、取引先の社長に世間話程度のことだが電話を入れると外出中とのことにて、だから電話があったことだけ伝えてくれるよう頼む。午後になってその社長から電話が入り、音声がおかしいから 「いまお出先ですか」 と訊くと 「えぇ、まぁ」 と口ごもって、実は海外にいるのだと言う。大いに恐縮しつつとり急ぎ世間話程度の話をする。
初更、「第12回日光MG反省会」 という名目にて、二宮神社奥の飲み屋 「陶」 に集合する。
MGは各自が盤上に会社を創り、2日間で5期の経営を行うから、20回計40日のMGに参加をすると期数は100期になる。別段その100期が一段落ということはないが、先日の日光MGにてこの100期を迎えた販売係のヤマダカオリさんに、お祝いのワイン8本を贈る。第5期の決算速度が最も高かった計数力1位は包装係のツカグチミツエさんで、"Pinky Girls" のバッグを、そして今回、進境いちじるしかった製造係のアオキフミオさんとフクダナオブミさんには努力賞として、僕のオヤジが 「これだけあれば死ぬまで間に合うだろう」 と買い溜めて使い切れなかった財布を贈る。
家内の運転するホンダフィットに収まって8時30分に帰宅する。入浴して冷たいお茶を150CCほども飲み、9時30分に就寝する。
3時に起床して仕事場へ降り、いつも通りのことをして事務室へ移動する。
なにか必要なものがあれば検索エンジンで探し出す。その探し出したものが近所のお店でも売っているものなら送料をかけるのも馬鹿ばかしいから、その近所のお店に注文をする。その近所のお店がメイルアドレスを持っていれば、僕は椅子から立つこともなく電話を使うこともなく欲しいものが手に入るのだから有り難い。僕は電話という道具をあまり好まない。
今朝もメイラーを回すと、おとといそうして問い合わせのメイルを送付した我が町の 「柳屋」 さんから取り寄せ可能との返信が入っていて、どうせ送料がかからないのだから僕が検索エンジンで探し出したどこかのウェブショップのものより高くなって構わないと書き送ったにもかかわらず、商品の価格は、そのどこかのショップと同じにしてくれていた。
きのうはきのうで "amazon" に本を10冊ほども注文した。僕はいまや、実店舗で買物をすることはほとんどない。
西暦2000年の3月に香港へ行って、そのとき泊まったホテルの朝飯で、中身を調理人に指定できるオムレツというものを初めて知った。その翌年に行ったサイパンでも、翌翌年に行ったシンガポールでも、ホテルの朝飯にはそのオムレツがあった。僕は 「コイツは良いや」 と、その時々の自分の欲するままオムレツの中身を調理人に伝えた。
ところが人間の行動様式、行動性癖、行動嗜好にはいろいろとあるもので、ヴァイキングスタイルの朝飯では、あらかじめ完成してそこに置いてあるものしか食べないという人が僕の知り合いにはいる。「少しばかり美味いものを食べるよりは、デフォールトに徹して面倒は避けたい」 のだとその人は言う。そして僕の、実店舗ではほとんど買物をしないという行動嗜好もまた、この 「面倒は避けたい」 と共通するものだと思う。
人には 「ホテル好き」 と 「旅館好き」 の別があって、客室係がいちいち部屋に来て世話を焼いてくれることをうるさく感じる人は 「放っておいてくれるホテルの方が気楽で良いね」 と言う。僕のウェブショップ好きは、この 「ホテル好き」 に重なるものである。
仏壇の水や花やお茶は、自分も早くお茶を飲みたいからいまだ暗いうちに整えた。朝4時30分の暗い部屋に線香の先だけが赤く光っているのも妙なため、仏間の明かりはつけたままにしておく。朝飯は、茄子の塩水漬けを添えたカレーライス。
9月に入っても扇風機を回す日々は続き、夏の好きな僕は大いに喜んでいたが、この2、3日は急に涼しくなった。うかうかしていると 「ラーメンふじや」 の冷やし味噌ラーメンが終わってしまうから、昼にはこれを食べに行く。
そして夜は、水茄子のぬか漬、大阪の小さな押し寿司、ポテトサラダなどにて泡盛 「玉友」 のお湯割りを飲む。
入浴して何も飲まず、「文人暴食」 の徳富蘆花の項を読んで9時30分に就寝する。
居間の、暑くなったら出して寒くなったら仕舞う籐の敷物の上で目を覚ます。首をめぐらし違い棚の電波時計を見ると、時刻は0時20分だった。なおこの一節はおとといの日記からコピーして1文字だけ変えた。寝不足とも酒の飲み過ぎとも、ましてや疲れすぎとも思わないが、このところは晩飯の席を立たないまま眠ってしまうことが多い。
入浴して寝室へ行き、ベッドで 「文人暴食」 を読む。2時に就寝して3時に目を覚ます。以前、自分が目覚まし時計の音で目を覚ますのは1年に1度か2度のことにて、残りの日はすべて自然に目を覚ますと書いたが、3時に起きようとすれば、さすがに携帯電話からの電子音に頼らざるを得ない。
製造現場へ降りて小一時間ほどの作業に従ってから事務室に移動する。ウチのウェブペイジのきのうのアクセス数を見てみると、この日記の含まれる 「清閑PERSONAL」 よりもウェブショップのそれの方が倍近くも多い。普段は商売のペイジより個人のペイジの方が倍近くもアクセス数が多いから 「どうしてだろう」 と考えてもちろん結論は出ない。
きのうの日記を作成するなどのよしなしごとをして6時に居間へ戻る。朝飯はトマト入りスクランブルドエッグ、冷や奴、刻み昆布の薄味煮、柴漬け、納豆、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波。
本日が提出期限の書類を本日になってようやく作成し、とり急ぎこれを送付するような人を僕は馬鹿にするが、その僕が、本日が提出期限の書類を本日になってようやく作成してファクシミリで送信する。それ以外にも "to do" のメモに従って仕事を進める。床屋にはいつも朝一番でかかるが本日はそれがかなわず、夕刻になって出だそうとしているところに取引先から連絡があって、これから行くというので床屋は諦める。
初更、次男の教科書音読の宿題を督励する。子供の宿題の面倒を見るなどは、ずいぶんと久方ぶりの気がする。
いただきものの蟹と穴子の鮨をオードブルとし、すぐきを添えたカレーライスをメインディッシュとして晩飯を食べる。これまたいただきもののロールケーキと葡萄をデザートとして飲酒は避ける。カレーライスなどのぶっかけ飯を1週間に2度の割合で食べればこれまた1週間に2度の断酒は楽だろうと考え、しかしまた、キャベツと豚挽肉による澄んだスープをメシにぶっかけたら白ワインが欲しくなるだろうからぶっかけ飯にも油断はならねぇな、と考え直す。
入浴して冷たいお茶を飲む。「文人暴食」 の伊藤左千夫の項を読んで9時30分に就寝する。
どうもこのごろは晩飯に引き続いて寝てしまい、深夜に起きて入浴し、ごく短い睡眠を取って3時に起床するという眠りについての傾向があって、これは良くない。前夜の睡眠時間の短さが影響して、晩飯の直後から寝てしまうのだろう、悪い循環である。そして今朝もまた3時に起床して仕事場へ降り、小一時間ほどの作業の後は事務室へ移動していつものよしなしごとをする。
朝飯は3種のおにぎり、茄子の塩水漬け、豆腐とワカメとおととい蕎麦の 「糸屋」 でもらってきた揚げかすの味噌汁。
次男が世話になっているテニスクラブで試合があるため、社員が出勤する前の7時15分にふたりで家を出て丸山公園へ行く。準備運動をする子供たちを横に見ながら芝にテイブルを置き椅子を置き、新聞を読む。今日は曇りの涼しい天気になるだろうと予想したが案に相違して太陽が照りつけ始め、およそ9月とは思えない暑さになる。
新聞を数行読んでは眠り、目覚めてまた数行を読むということを繰り返していると、兄か姉がテニスクラブにいるのだろう、小さな男の子供が寄ってきて、寝るなら寝ると決めて新聞など読むなと、テイブルに広げた新聞を畳んでくれる。子供や落語の与太郎が言うことにはいちいち正論が多い。
次男の試合だけはさすがにフェンスに近寄りこれを見る。次男のティームが敗退したところで完全に目が覚め、新聞は読み終えたから次は
初更、刻み昆布の薄味煮と冷や奴にて泡盛 「玉友」 をオンザロックスで飲む。大人に混じって次男も一緒に包んだ、バラバラまちまちの形の餃子を卓上で焼き、こちらも酒肴とする。余った餃子の中身がピーマンに詰められたり、あるいは肉団子のまま焼かれているその見た目はどうしようもないが、味は悪くない。柴漬けにて炊きたてのメシ1杯を食べる。
そして今日も、その後の記憶はない。
居間の畳の上で目を覚ます。そういえばきのうの晩飯の後、次男がひとり部屋を出て風呂場へ向かったような記憶がある。首をめぐらし違い棚の電波時計を見ると、時刻は0時30分だった。朦朧とした意識をはっきりとさせるため、ソファに座って背筋を伸ばす。家内の見ているテレビでは、国分太一が 「ほぼ日刊イトイ新聞」 について糸井重里にインターヴューをしている。インターネットの持つ 「みなで分ける」 「みなで創る」 という特性あるいは考え方について、ずいぶんと前から 「よく分かってるなぁ」 と僕の思っている人はふたりいて、そのうちのひとりは糸井重里、もうひとりは安田理央だ。
入浴して寝室へ行き、しかし眠くはない。「文人悪食」 を読み終えて3時に起床する。この本を読んで僕の嵐山光三郎への意識はずいぶんと変わった。「よくもこんな本が書けたものだ」 と深く感心をする。共に買った 「文人暴食」 へ進みたいところだが、これを取り置いて次は他の本を読むかも知れない。
仕事場へ降りていつものことをし、事務室へ移動してコンピュータを起動する。メイラーを回すと、きのう20,000円で札を入れた伊万里の鉢10客組には他に入札が無く、開始価格10,000円のままで僕に落ちている。出品者からのメイルも届いているので、当方の住所などを知らせるために返信を送る。
6時前に居間へ戻って仏壇その他のお茶や水を整える。朝飯は小松菜の油炒め、玉葱とワカメの鰹節かけ、納豆、生のトマト、茄子の塩水漬け、メシ、豆腐と三つ葉ときのう蕎麦の 「糸屋」 でもらってきた揚げかすの味噌汁。
エミール・ゾラの 「ボヌール・デ・ダム百貨店-デパートの誕生」 は、そう売れる本でもないのだろう、"amazon" に安い古書はなく、だから2,000円の品が出たら買うと入力してほぼ1年が経つ。そしてようやく本日その値段の出物があって、届いたメイルによれば、"amazon" は既にして僕のカードに代金を請求し、また出品者は12日までに商品を出荷することを約束しているという。買ってもどうせ本棚に寝かすのだから、これくらいの待ち時間は、僕にはどうということもない。
初更、ヘルメットをかぶり自転車に乗って、日光街道を500メートル南下したところのホテル 「つたや」 へ行く。町内のタノベタカオさんと 「八坂祭大御輿渡御反省会」 の受付を30分した後、2階の会議室へ移動して決算報告を行う。自分の仕事を済ませて寝ていると、ユザワクニヒロ青年会長が僕の耳元へ近づき、この場を去って受付に戻っても良いと小声で言うから1階の受付に戻る。
帰宅して家内と世間話をするうち眠ってしまい、11時30分に目を覚ます。入浴して0時前に就寝する。
3時に起床して仕事場へ降りる。いつものことをして事務室へ移動し、ここでもいつものことをして6時前に居間へ戻る。仏壇の水と花は既にして家内が上げていたため、僕はお茶と線香を供える。居間にある亡くなった人の写真に水を上げて後、自分のお茶を淹れて飲む。
朝飯は温泉玉子、納豆、ソーセージとピーマンの油炒め、冷や奴、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と三つ葉の味噌汁。朝飯のおかずにする冷や奴は美味い。
以前にレンズを2本ほど買ったことがあるため、"COSINA" からはたまに案内のハガキが届く。今日のそれはツァイスイコンからファインダーと距離計を除いた新製品を知らせるもので、早速この "SW" というモデルをインターネットで調べてみると、ライカの "MD" と比較している愛好者のサイトに行き当たった。しかしアクセサリーシューをふたつ装備しているところを見れば、コシナの設計者が意識したのはむしろ "?c" の方だろう。
平たい軍艦部からアクセサリーシューが盛り上がっている造形を僕は好まず、だから "?c" についてはその機動性を大いに愛するものの、デザインには目をつぶっているところがある。とここまで書いて 「今後しばらく、写真は明るいときは "?c"、暗いときは "GRD" で撮ろうかなぁ」 と考える。即写性のみを考えれば、この組み合わせはかなり強力である。
昼に蕎麦屋の 「糸屋」 へ行く。胡瓜の浅漬けを食べ、豚汁の盛り蕎麦を食べる。我が町の蕎麦を知ってから、家内は東京ではほとんど蕎麦を食べなくなった。僕が東京で蕎麦屋へ行くのは蕎麦を食べるためではなく、多く酒を飲むためである。
終業後、Yahoo!オークションに開始価格10,000円で出ている、いまだどこからも入札のない古伊万里の鉢10客組に20,000円の札を入れてコンピュータを閉じる。僕からすれば 「どうしてこれにみな無反応かなぁ」 と不思議に思うが一方、京都の骨董屋で常滑の山茶碗を買った僕に店のオヤジは 「そんなん買うんは千人にひとり」 と言って笑ったから、ことによると僕の好みが常人のそれとは異なっているのかも知れない。
初更、うずら豆、茄子の塩水漬け、冷や奴、たこぶつ、グリーンアスパラガスの豚肉巻きにて泡盛 「玉友」 のお湯割りを飲む。最後にメシが食べたくなったが腹が出るとズボンがきつくなるので止めておく。
そしてこの後の記憶は無い。
からだの上の布団に違和感がある。眠りの中で2度ほどこの位置を直し、やがて目を覚ます。違和感は、布団ではなくベッドカヴァーが床に半ば落ちて僕の半身を不自然に引っ張っていることによるものだった。レイスのカーテンの向こう、ようやく明るみを帯び始めた眼下には遠く日光市街があり、しかしそれは霧の中に沈んで明瞭ではない。
きのうの日記を完成させ、そのコンピュータを小脇に抱えて駐車場へ行く。6時4分に三菱シャリオを発進させ、同19分に帰社する。 事務室にて外部とアクセスをすると、きのうとは異なりメイルの送受信は可能になっている。日光MGの最中に入ったウェブショップの受注に対し、「正式の受注確認書はあしたお送りします」 という、かねてより準備したテンプレイトによる仮受注書を送付する。
4階の居間へ行って熱いお茶を飲み、ホットドッグの朝飯を食べている次男に声をかけてエレヴェイターを降りる。メルモンテ日光へ戻っての朝飯はトマトとレタスと大根とポテトのサラダ、炒めたベーコン、納豆、大根おろし、秋刀魚の干物、筑前煮、メシ、ワカメとお麩と三つ葉の味噌汁。
日光MGの2日目は、きのうの夕刻に続く "Strategy Accounting" の講義から始まった。講義の後は第4期のゲイム、そして決算、昼食を挟んで第5期のゲイム、そして決算。MGのゲイムは初心者でも見よう見まねで何とかこなせるが決算はなかなかの難物にて、これに手こずる者が得意な者に助けてもらう風景が会場のあちらこちらに見える。かたわらでは会場の後片付けが進むから、決算書に向かい目を血走らせる者は更に焦燥することになる。
5期終了時の自己資本が最も高かった 「最優秀経営者賞」 は家内に、2番目と3番目に高かった 「優秀経営者賞」 は僕と販売係のヤマダカオリさんに与えられた。社員と共にするMGにおいて、経営者は力を緩めてでも表彰状は社員に譲るべきと考えているが、今日はその調整が利かなかった。
最後の講義、感想文の提出が済んだところで僕が締めの言葉をのべる。相模ナンバーのクルマで参加してくれたイリエセイコさんとウラカミシヅコさんを駐車場に見送る。社員たちは用意されたバスや自家用車で次々と山を下る。僕と家内と西先生も同じ道を下り、「日光金谷ホテル」 の喫茶店でしばし休憩をする。
18:50発の上り特急スペーシアでお帰りになる西先生をプラットフォームまでお送りし、セブンイレブンに寄って帰宅する。そのセブンイレブンで買ったマカロニサラダ、イカの一夜干し、おでんにて泡盛 「玉友」 のお湯割りを飲む。
入浴して冷たいお茶を飲み、9時30分に就寝する。
枕が低いのでたびたび頭の位置を変える。家ではろくにかけない布団が珍しく体の上にあって重い。そのような違和感に目を覚ましてみれば、南東側に大きな窓のあるツインの部屋にひとりで寝ていたから 「あぁ、ここは家じゃねぇや」 とようやく気づく。ベッドのサイドボードに仕込まれたデジタル時計が4時30分を指している。
「日記を書かなくちゃいけねぇ」 と起床し、備え付けのポットで湧かしたお湯を、これまた備え付けの梅唐辛子茶の粉末に注いで飲む。きのうの戦場ヶ原の晴天はどこへ行ったか、すこし強めの雨が降っている。
自分のコンピュータも含めていくつかの問題の複合ではあるが、「メルモンテ日光」 からの外部へのアクセスはこのところ諦め加減でいるからThinkPadを持って駐車場へ行き、三菱シャリオで山を下る。
6時すぎに帰社して日記をサーヴァーへ転送しようとすると、1年に1度ほどしか経験しないトラブルがたまたま発生してファイル転送ソフトの "NextFTP" が機能しない。なぜか同時にメイルサーヴァーへのアクセスもできないから状況を紙に手書きし、"Computer Lib" の担当者マハルジャンさんにファクシミリで送る。居間へ行って熱いお茶を飲み、クルマへ戻ってふたたび山道を走る。
ヴァイキングスタイルの朝飯はトマトとレタスと大根とポテトのサラダ、炒めたベーコン、スクランブルドエッグ、鯵の干物、ひじきの煮物、納豆、メシ、ワカメと三つ葉の味噌汁。
午前10時に、第12回目の日光MGが始まる。MGは参加者の各自が2日間に5期分の経営を盤上に展開してあれこれを学ぶ。ゲイムの最中は頭を振り絞って 「息もつかせぬ」 といった時間を送り、ゲイムが終われば決算書の作成があって、慣れない者はここで脂汗を垂らす。昼を過ぎればまたたく間に夜になる。
"Strategy Accounting" の講義があり、明朝から始まる第4期の経営計画を立てて8時10分に全員が研究室を去る。間もなくきのうと同じメゾネットで交流会があり、僕はこの部屋に0時30分までいる。
屋上の露天風呂には雨が降っていた。岩のひとつを枕にして、雲の所在さえ確かではない漠とした空を見上げつつ体を伸ばす。20分後に部屋へ戻り、1時に就寝する。
目を覚ましてしばらく後に枕頭の携帯電話を開き、ディスプレイを見ると、塩梅の良いことにいまだ3時前だった。すぐに起床して1階へ降り、いつものよしなしごとをして6時前に居間へ戻る。そして仏壇にお茶や線香を上げたり、あるいは居間にある亡くなった人の写真に水を上げたり、自分のお茶を飲んだりする。
朝飯は納豆、南瓜のサラダ、「はれま」 の 「やさい」、ピーマンの油炒め、生のトマト、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁。
我が株式会社上澤梅太郎商店は明日から2日間にわたって 「日光MG」 を開催する。「日光MG」 は毎年1月と9月の2回おこなわれる。9月のこれについては前日に日光入りをされた西順一郎先生を自然の中へお連れする。諸般の事情を考えれば行き先は戦場ヶ原になることが多い。
浅草駅8:00発の下り特急スペーシアにお乗りになった先生を、家内が下今市駅へお迎えする。当方は午前の繁忙にて事務室を離れられなかったが、これ以降の時間は空けてある。弊社で一服の後ホンダフィットを走らせて日光宇都宮道路へ乗り、いろは坂を上り、中禅寺湖畔を経由して赤沼茶屋の駐車場に達する。空は晴れて深く青い。
湿原の木道を90分ほど歩き、青木橋のたもとで弁当を食べる。氷温に近いお茶がのどに快いが、一陣の風が駆け抜ければ、それは涼しさよりもむしろ少々の寒さを感じさせる。この涼感はテニスパンツに半袖のTシャツという、当方の服装にもよるだろう。気温は22度ほどと思われる。
踏みつぶされるまで動かない、あるいは動けないのだろうか、湿原の木道には秋のトンボが多く羽を休めている。その木道を更に歩き続け、ふたつあるうちの遠回りの道を選んで湯滝に達する。ここではじめて時刻を確認すると2時55分だった。空にはにわかに雲が増えている。
湯滝を左手に見ながら急なつづら折りの坂を上り、湯ノ湖に達する。この湖畔を巻いて温泉街の入口にある停留所でしばしバスを待つ。高等学校のころ、同級生のウィルソン君とスキーで下った道をバスに乗り、クルマを置いた赤沼茶屋に戻る。
下界へ駆け降りて西先生には、家内のコンピュータに今年の春より仕込んだ経理のシステムを見ていただく。そうこうするうち閉店の時間が迫ったからまたまた忙しく立ち働き、5時30分すぎにふたたび西先生と日光街道を遡上する。
霧降高原のメルモンテ日光には6時に着いた。フロントに訊ねると参加者のひとり、川崎市溝の口にある 「小川税務会計事務所」 のオガワユーゾー所長は既にしてご自分の部屋へお入りになっているという。6時40分より前泊の社員を含めた十数名で夕食をとり、その後は男子社員のうち5名が泊まる部屋にて交流会をする。
その交流会が10時すぎに中締めになったから僕は屋上の露天風呂へ行き、部屋に戻って10時30分に就寝する。
目を覚まして目を開くと、窓からの光には既にして早朝の青味はなかった。枕頭の携帯電話を開きディスプレイを見ると6時になっている。起床して洗面の後エレヴェイターを降り、外に出て本日の天気を確かめるやら新聞を取り込むやらする。
社員用通用口から屋内に入る途中、事務室の裏にあって辰巳の方角を向いたお稲荷さんに何気なく目を遣ると、見慣れないものがあるので砂利を踏んで近づくと、それは紙皿に載せられた大きな油揚げだった。永年の風雨にすり減った社の前には、数百円の賽銭も置かれている。油揚げはむき出しではなくスーパーマーケットで売られるような袋入りのため、裏を返して調べると、製造元の住所は江戸川区葛西だった。
日本人の気質がここ数年のあいだにずいぶんと変わってしまったと感じることはしばしばあって、そのしばしばのひとつとして、このお稲荷さんの賽銭が頻繁に盗まれることが挙げられる。町内の指物師カミヨシハラさんに作ってもらった賽銭箱が盗まれ、カミヨシハラさんはそのときはもう亡くなっていたから既製品を買ってこれも盗まれ、以降は賽銭箱の代わりに益子焼きの小鉢を置いたが、非常時の公衆電話代にでもなるだろうと僕がここに入れておく小銭も入れるそばから盗まれる。
そういうことをここ数年は繰り返してきたから、多分きのう誰かの手によって置かれたと思われる油揚げと賽銭は、僕の目に鮮やかだった。そしてこの賽銭は一体、何日後に盗まれるだろうか。
6時30分に居間へ戻る。朝飯は生のトマト、納豆、ジャコ、冷や奴、茄子の油炒め、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波と万能葱の味噌汁。
事務室の流し台の下から取り出した益子焼きの小鉢を洗い、お稲荷さんに置いて賽銭の中身をここに入れる。油揚げはいまだ処分せず、そのままにしておく。
終業後、メイルマガジンの発行に際してまたまた障害があったため、夕刻に来ていちど帰宅した外注SEのシバタサトシさんにもういちど来てもらい、遂にすべての問題を解決する。そして本来であれば8月28日に出していたはずのメイルマガジンをようやく一斉送付する。
晩飯の前から飲酒を為そうとしたが、居間に置いた小さな冷凍庫に氷が少ないので1階まで降りて大きな冷凍庫のドアを開けると、ここにも氷はなかった。居間へ戻ると次男が教科書の音読をするから監督をしてくれと言い、僕は一編の短い詩を聴く。そうこうするうち食卓には先ず湯波の炊き物と南瓜のサラダが運ばれ、次には冷やし豚しゃぶの大鉢が運ばれる。時刻は6時40分で、本日は7時より会合がある。
当方が枯れ木も山の賑わいとなる集まりであれば平気で遅刻をするが、今回は7月8日に行われた 「瀧尾神社大御輿渡御」 についての反省会で、会計係の僕はここで決算報告をしなくてはならない。メシは15分で食えるが酒は15分では飲めない。否、立ち飲みのもっきり酒場でなら15分での飲酒も可能だが、家でそれをするのはイヤだ。というわけで泡盛を急遽メシに切り替え、7時5分前に席を立つ。
春日町1丁目公民館からは9時30分に帰宅した。入浴して冷たいお茶をすこし飲み、「文人悪食」 の壇一雄の項を読んで10時30分に就寝する。
4時30分に起床していつものあれこれをし、7時前に居間へ戻る。数日前の天気予報では週末は晴れとのことだったが、空の様子はどうもはかばかしくない。
朝飯はブロッコリーのオリーヴオイル炒め、南瓜の煮物、温泉玉子、納豆、メシ、茄子の油炒めと三つ葉の味噌汁。
ウチの店舗は1年に8日だけ休業する。そしてそのうちの2日間が今月の6日と7日に迫っている。このことをウェブショップの顧客へ告知すべく原稿は8月下旬に用意した。同じころ、メイルマガジンの発行に使う自分のThinkPadを新しくし、そうすると、当座はなかなか気づかないものだがあれこれ設定の変わっているところがあり、それがまたメイルマガジンの発行に欠かせない部分だったりするから、つまり顧客へのメイルによる休業日のご案内はいまだできていない。
日中、今市中学校で同級生だったアカバネマサル君が、現在の拠点の郡山市から我が町を訪ねたついでに、ウチに立ち寄ってくれる。ぜんぜん変わらないというか、むしろ若いと僕の容顔に感心するから 「いや、アタマは禿げてんだぜ」 と販売に際しての制帽を脱いでみせると、アカバネ君は嬉しそうに笑った。
初更に棒々鶏、茄子の油炒めを蕎麦つゆに沈めて大根おろしとおろし生姜を盛ったもの、赤魚の粕漬、南瓜の煮物を酒肴として 泡盛 「玉友」 のお湯割りを飲む。
マダガスカルの東で泳いでいたものか、インドネシアの南で網にかかったものか、とにかく赤い魚の粕漬は、中学生のとき友達が弁当のおかずにしていたこれをもらってから好きになった。正体も知れない魚を好んで食べるなんてと家内が言うから 「これは、いわゆるルジェだ」 と答えておく。
入浴して冷たいお茶を150CCほども飲む。「文人悪食」 の坂口安吾と太宰治の項を読んで10時30分に就寝する。
3時に起床して1階へ降り、いつもの朝と同じことをして6時すぎに4階の居間へ戻る。仏壇を整え居間の2個所に水を上げて後、「文人悪食」 を読みながら熱いお茶を飲む。
朝飯は生のトマト、茄子の炒りつけ、ツナとピーマンとらっきょうのたまり漬のサラダ、グリーンアスパラガスのオリーヴオイル炒め、納豆、メシ、豆腐と油揚げと万能葱の味噌汁。
空はカラリと晴れ上がり、気温は高い。ただし湿度は8月の最終週から急に落ちてきたように感じる。昼飯は焼き茄子、刻んだ茗荷、万能葱を高く盛った冷やし中華。
午後、所用にて家内と霧降高原の 「山のレストラン」 へ行き、ダブルサイズのエスプレッソを飲む。いくつかあるヴェランダの、霧降の滝を見おろす特等席に空席はなかった。ここの滝壺まで降りたことはこれまでに3度ほどあって、しかしそれから数十年を経て4度目はもう無いかなぁと思う。
終業後にコンピュータのディスプレイに向かっていると、右の目で見ている範囲内に、シャボン玉の表面のように色を変えながらビカビカと光る帯が見え始めてこれがいつまでも消えないため、電源を落とし施錠をしてエレヴェイターを上がる。「こういうときには遠くを見るに限るのかも知れない」 と、洗面所の窓を開けて北西の空を眺める。
9月はきり良く3日の日曜日から30日の土曜日までに丸々4週があり、その1週につき2度の断酒をしていけば月8回の断酒ノルマを達成することができる。本日3日はカレンダー上では第1週の左端で、だからまだ酒を控える必要はないと考えていたが、いざ食卓に着き、エノキダケとエリンギとにんにくのたまり漬のオリーヴオイル炒め、茹でたブロッコリー、大根おろし、南瓜の煮物、豆腐を練り込んだハンバーグステーキを見てふいに、今夜はこれらを酒肴とせずメシを食おうと決める。
と、ここまで書いて 「ふいに決める」 の 「ふい」 にはやはり 「不意」 の漢字を充てるのだろうかと考える。続けて、クレーンを使った業務のことを 「玉かけ」 と呼ぶが、何年か前にこの資格の更新試験があり、そのとき、共同作業者への意思伝達の手段のひとつとして、教官が 「フイ」 と言ったことを思い出す。ただ 「フイ」 と言われても何のことかは分からない。しかしそのときの教官は小さなものを掴む手つきでそれを口に近づけて見せたから 「あぁ、笛か」 と理解できた。
ちなみに僕はこのような環境で育ったから、「えもんかけ」 とは正しくは 「エモンカケ」 なのか 「イモンカケ」 なのか、また自分の前言を取り消す際の 「もとい」 とは、正しくは 「モトイ」 なのか 「モトエ」 なのかが、この年になっても分からない。もっとも 「イドジダイ」 が正しくは 「江戸時代」 であることくらいはさすがに分かる。
入浴前にひと眠りしたせいかいつものような早寝はできず、「文人悪食」 を読んで0時ちかくに就寝する。
3時に起床して仕事場へ降りる。製造現場における、趣味のような仕事を終えて小一時間後に事務室へ移動する。
コンピュータを使った仕事で最も好きなのがマクロ書き、最も厭わしいのが、ウェブショップからご注文を下さった顧客のメイルアドレスを名簿に登録することで、これがなぜ厭わしいかといえば、ご注文のたびに異なるメイルアドレスをお使いになる、ひとつのメイルアドレスをご家族の何人もが使い回す例が世の中には想像以上に多く、常連のお客様であってもひとつずつ過去のデイタと照合してながら最新のものをポツリポツリと登録していかなくてはならない、その陰気な作業が神経を疲れさすから厭わしい。しかしこれをしなければメイルマガジンの発行はできない。
8月は繁忙を理由に今日まで3週間分もこの仕事をため込み、だからきのうの日記を書いた後は1時間ほどもみっちり、千人針をひとりで縫い上げていくような退屈な作業に従う。
7時前に居間へ上がる。朝飯は冷や奴、納豆、蛸のキムチ、茄子とピーマンの油炒め、メシ、シジミと万能葱の味噌汁。
ここ2ヶ月ほどホンダフィットにいわゆる 「前のアクスルが暴れる」 という状況があり、修理に出したところ、ミッションオイルとガスケットを交換されて戻ってきた。振動の原因は予想とは別のところにあって、とにかく安く済んで良かった。「男体自動車」 のメカニックは症状を話すとすぐに、不具合はミッションオイルにあると答えたから、同じ症状の出ている同型車は他にも結構あるものと思われる。
そのホンダフィットにて宇都宮へ行き、用事のある3軒をまわって昼前に帰社する。
初更、小松菜と油揚げのおひたし、茄子の炒りつけ、帆立貝と鮪の刺身、冷や奴にて泡盛 「玉友」 のお湯割りを飲む。
入浴を済ませて後、9時30分までは居間のテーブルで、毎月1日に更新する "WORKS" の作成をする。9時40分に "ThinkPad" を持って事務室へ降り、数日前から目をつけておいた、古伊万里の蓋物5客と、同じく古伊万里の八角深鉢のオークションに参入する。
締め切り時間の早い蓋物に新高値を付けると、オークション終了の5分前から終了までに入札があった場合、オークションが自動的に5分間延長される、買い手にとっては迷惑な、売り手にとっては有り難いシステムにより、当座の落札が見送られる。そうこうするうち八角深鉢の締め切りが迫り、結局こちらの方は落とすことができなかった。すぐに蓋物5客へ戻り、先ほどの教訓から小刻みではない余裕の価格で応札をすると、競合する者は十数人もいたが、結局それは僕の手に落ちた。
居間へ戻って冷たい牛乳をごく少量だけ飲み、「文人悪食」 の林芙美子の項を読んで11時前に就寝する。