朝4時30分に起床する。
ウェブショップ の受注作業をし、不明の点については顧客にeメイルを送る。熱い中国茶を飲みながら、昨日の日記を書く。サーヴァーにそれを転送する。
甘木庵を出ると、雨ともいえない雨、ときおりしか落ちてこない雨が降っている。無縁坂を下り、不忍通りを横断する。砂利の道を大きく左へ回りながら歩く。上野公園が中央通りと接するあたりで樹木の帯を抜け、上野広小路から地下鉄銀座線に乗る。
新橋駅から 「ゆりかもめ」 に乗り、国際展示場正門にて降りる。ビジネスガイド社 主催の、東京ビッグサイトにおける 「ギフトショー」 会場へ入る。
今後、習慣化されたギフトは徐々にすたれていくと、僕は考える。人間を取り巻く世界は個人化への速度を高くし、人々は自らの好むときに、自ら好むものを、自ら好む人のみに送るような贈答のスタイルができあがっていくと、僕は予想する。
「ギフトショー」 は、モノを売る店とアイディアを売る店が大量のブースを並べ、そのすべてがとは言えないまでも、自らの経済活動に余念なく動いている。
今回は僕の興味をひく出店が多く、"Clarks" の柔らかい靴を履いていたにもかかわらず、足の指に2個のマメを作ってしまうほど、ながく会場を歩いた。
夕刻、新橋から日本橋へ至る。高島屋東京店にて、二三の用事を済ませる。
6時すぎに浅草へ着き、高いけれどもなぜか通ってしまう台湾料理屋 「天道門」 にて、春雨のサラダやニラタマを肴に紹興酒のオンザロックスを飲む。
浅草駅19:00発の下り特急スペーシアに乗る。9時前に帰宅し、10時に就寝する。
朝6時30分に目を覚ます。部屋の電気は点灯したままで、ベッドの中の僕は素っ裸だ。この1週間に、こういう朝を少なくとも3回は迎えただろうか。
バスルームに行くと、床がドロで汚れている。バスタブは濡れているが、シャワーの温度調節バルブは最低の 「水」 に合わされている。タオルを使った形跡はない。
酔っぱらいの行動は常に、謎に包まれている。
ウェブショップ の受注作業をし、昨日の日記を作成する。連日の繁忙と夜遊びによって、返信の書けないeメイルが溜まっていく。
部屋の洋服棚や引き出しから多種多様の品物を取りだし、ジュラルミン製のケイスに収める。10時すぎに部屋を出る。会計を済ませ、フロントに荷物を預けて外へ出る。
地下鉄に乗って高島屋東京店へ至り、地下1階の味百選売場にて、この1週間のお礼を述べる。イノウエシズカさんに、昨日の売上金額をレジから打ちだしてもらう。
いくつかの店で食料品を買い、屋上駐車場から三菱デリカに乗ってエレヴェイターで地上に降りる。
鍛冶橋、馬場先門、西新橋とたどってホテルへ戻る。先ほど預けた荷物をクルマに乗せ、銀座、京橋、日本橋、神田、上野広小路を経由して、湯島の切り通し坂を上がる。
甘木庵の玄関を開け、出張者8人分の荷物をクルマに運ぶ。
2時10分に東北自動車道の宇都宮インターを降りたところで、anne@家内に荷物を降ろす準備をするよう、連絡を入れる。
2時25分に無事、帰社をする。何人もの社員によって大量の荷物がクルマから降ろされ、各々の行くべき場所へ運ばれる。僕は会社の各部署を回り、その責任者と、この1週間についての短い会話を交わす。
着替えをし、下今市駅16:03発の上り特急スペーシアに乗るべく、日光街道を下る。カメラを事務机の上に置き忘れてきたことを知るが、引き返している時間は無い。
北千住から秋葉原を経由して、飯田橋へ至る。神楽坂を上がり、本多横町の 「鳥しづ」 にてシャルドネイによる小酌を為す。路地をたどって東京理科大の裏手にある "K's Bar" へ行き、ロブロイのオンザロックスを3杯飲む。
午後も遅い時間、高島屋東京店の地下1階を歩き回る。好きなもの欲しいものを買い、あるいは予約をする。
"Lumiere" のワタナベアサミさんから、メルロ系のワインを3本、カベルネソービニョン系のワインを2本、それから1985年物の白を1本買う。
「小松屋」 のオヤジさんが、「カキの佃煮、もうこれだけになりましたが、お取り置きをしますか?」 と、声をかけてくれる。諸方へ配るため、カキ以外のものもとりまぜて買う。
1週間の奮闘を記録するレジの合計金額は、夕刻の6時に目標の数字を超えた。7時の閉店と同時に、撤収作業が始まる。
担当のオカダシゲキさん、学生アルバイト、社員たちと、屋上駐車場まで2台のコンビネットを運び上げる。停めてある三菱デリカに、そのすべてを積み込む。
次週の準備が始まったばかりの8階催事場まで降りたところで、同級生のコモトリケイ君から電話が入る。
「いま "Nuts" で飲んでんだよ。きのうおめぇのワインを抜いた女のいるカウンターのある店、知ってんだろ? 来ねぇか?」 と、聞こえる。きのうワインを飲んだ憶えはない。ことによると、僕の聞き違いかも知れない。
「今日は社員と焼肉を食うから、銀座には行けねぇんだよ」 と答えて、電話を切る。
八重洲の街へ出て時計を見ると、8時30分になっている。「昌月苑」 にて 大量の焼肉を食らい、かつ飲み、10時30分に店を出る。
anne@家内と社員たちは、丸善の前からタクシーにて甘木庵へ向かった。思い立って、コモトリケイ君に電話を入れる。
「きのう蕎麦を食った店があるだろ? いまそこに移動中」
「了解。日本橋から直行するよ」
路地裏の名店 「ふく留」 にて、コモトリケイ君の部下の方たちと若干の飲酒を為す。きのうと同じく、盛り蕎麦にて締める。
コリドー街を横断して山手線のガードをくぐると、新橋の上空に淡い雲をすかして月が見える。いまだ2月とはいえ、夜の風は既にして暖かい。
ネオンの消えかけた路地をたどり、午前1時30分にホテルへ帰着する。その後の記憶は、なにも無い。
朝5時30分に起床する。ウェブショップ からの受注をこなし、昨日の日記を作成する。自分の運営するpatioに、2通のレスポンスをつける。自由学園 卒業生のためのメイリングリスト "PDN"(Primary Dougakunotomo Network)に、1通のeメイルを書く。
通常、百貨店の催しは、最終日の前日が最もヒマになる。
「今日は売り場に客足を引きつけるための努力が必要になる1日だろう」 と思っていたが、その予想は外れた。繁忙なひとときが、波のように引いてはまた押し寄せる。
買い物客の数が多いと、すべての人員はその対応にかかりきりになる。冷蔵庫からの品だしは滞り、また製造現場への連絡もできなくなる。今日の出荷を増やさないと、明日の売り切れは目に見えている。大いに焦燥する。
午後も遅い時間になって、ようやく売場から抜け出す。社員通用門を出て、製造現場へ電話を入れる。本日の出荷分において、間に合うものについては増量を要請し、間に合わないものについてはこれを諦める。
客足の引いた少し楽な時間に、同級生のサカイマサキ君が買い物に来てくれる。その義理堅さをありがたく思う。サカイマサキ君を伴い "Peck" へ行く。お嬢ちゃんへと、パルマの生ハムを進呈する。
ふたたび会社へ連絡をすべく外へ出て、携帯電話を取り出す。ディスプレイが、同級生のコモトリケイ君からの頻繁な着信を知らせている。メッセイジを録音すること数度にして、ようやく電話が繋がる。本日夜の飲酒を約束する。
売場へ戻ると、高島屋社員のイノウエシズカさんが 「今日の売り上げも凄いですよ」 と、言う。その要因についてはいくつか思い当たるところもあるが、ここには記さない。
夜の8時に新橋駅の機関車前にて、コモトリケイ君と会う。部下のフジサキアキラさんも一緒だった。フジサキアキラさんは、僕の遠縁にあたる。
会社のコンピュータで清閑日記を読むコモトリケイ君に、フジサキアキラさんが 「それ、僕の親戚です」 と言ったときから、コモトリケイ君と飲酒を為すときには、フジサキアキラさんも、多く同伴をするようになった。
烏森口から少し西に入った魚料理屋へ行く。プリプリしたホウボウの一夜干しなどにて、コモトリケイ君のボトルによる焼酎のオンザロックスを飲む。
この3人のあいだに、ヨタ話は発生しない。あるのはただ、スケベ話ばかりだ。
銀座8丁目の小体なバーへ移動する。コモトリケイ君のボトルによる、ジャックダニエルのオンザロックスを飲む。
僕の携帯電話が、賛美歌380番を鳴らす。話し始めても、誰からの電話なのかが分からない。anne@家内かと思い 「アン?」 と訊いたところで、ようやくその相手が、今日の夕刻、丸善にて久方ぶりに邂逅した友人と判明する。
僕は小さな音を聞く能力は高いものの、どうも耳の解像度においては、人より劣るような気がする。外国人の家でメシを食わせてもらっても、"How is this taste?" が "How is distaste?" に聞こえたりするから、始末に悪い。
旧電通通りを横断し、並木通り8丁目のビルに入る。コモトリケイ君とフジサキアキラさんは、女のいる店を好む。仕方のない夜が続く。
僕も仕方なく、おつきあいをする。
時は深更に及ぶ。銀座8丁目を、旧電通通りをはさんで行ったり来たりする。むかし 「東興園」 という上出来のラーメン屋があった小路にて、これまた上出来の蕎麦屋に入る。冷たい吟醸酒を飲みながらいくつかの肴を食べ、盛り蕎麦にて締める。
フジサキアキラさんは、途中で帰宅をしたらしい。コモトリケイ君とは、どこで別れたかの記憶がない。
ホテルへ帰り、入浴をして1時に就寝する。
就寝時間が今朝の午前1時だったにもかかわらず、早くも3時に目を覚ます。困ったことだとは思うが、いたしかたがない。数通のeメイルを書いて送り、昨日の日記を作成し、会社のpatioにいくつもの報告発言をアップする。
再び眠ろうとするがままらなない。烏森の電線にとまったカラスが鳴いている。銀座8丁目のカラスよりは、よほど静かだ。
JR新橋駅銀座口の角の立ち食い蕎麦屋 「ポンヌッフ」 の中を見ると、いつものオバサンがいる。自動販売機にてカレーライスの食券を450円で買い、店内に入ってオバサンにおつりの50円玉を渡して 「スープ」 と、言ってみる。
スープにはワカメと刻み長ネギとともに、昨日よりも少ない1枚のナルトが入っていた。50円玉は昨日と異なり、オバサンによって無事に回収をされた。
開店1時間前の午前9時に、高島屋東京店の北口社員通用門を入る。社員や学生アルバイトと共に1時間をかけて、用度品の準備、食器洗い、試食並べ、冷蔵庫からの品だしを行う。
その後、2名の学生アルバイトは販売現場から1階の入荷所へ向かい、到着している大量の商品を、地下1階の冷蔵庫へ納める。
日曜日の百貨店は、朝の客足が鈍い。しばらくは 余裕の表情にて作業待機を行うが、昼近くからは、いつもの繁忙に見舞われる。
高島屋裏手の中華料理屋 「南天玉」 へ、昼飯を食べに行く。まな板から飛び散った刻み長ネギの浮く冷たいお茶を飲みながら、中国人のおかみから借りた 「華人週報」 を読む。日本の新聞にはとても載せられないような、日本の有名人の醜聞が書かれている。
おかみが 「すごいねー、よく読めるねー」 と、言う。
「面白いよ、これ」 と、答える。
夕刻、高島屋社員のイノウエシズカさんから、現在の売り上げ金額が、前年同日のそれを超えたことを知らされる。嬉しいことは嬉しいが、しかしながら、なにがなんでも前年度の売り上げを超えなくてはいけないとする日本の常識には、少なからず疑問を感じる。
終業後、日本橋から新橋へ移動し、銀座8丁目の 「台湾海鮮」 へ行く。
「八珍豆腐」 「カキと青ネギのオイスターソース」 「豚耳の煮こごり」 からスタートする。僕は 「季節の青菜炒め」 を肴に、紹興酒をオンザロックスにて飲む。
若い社員たちの食欲は、とどまるところを知らない。青菜炒めの皿の底に溜まった、ピーナッツオイルの香り立つ水分までをも 「美味い、美味い」 と、飲み干してしまう。
大飯を食らう若い人たちと同じテイブルへ着き、彼らを眺めながら静かに独酌をする。「我既にして老境に入りたるを憶ゆ」 というところだろう。
社員たちとは、9時に博品館の前にて別れた。銀座と新橋の境界線を歩く。
ホテルへ戻り、コンピュータに本日閉店時の在庫を打ち込む。眠気に負けて、以降2日間のアイテム別売れ数量の予測ができない。明朝の仕事として、これを持ち越すことに決める。
入浴し、10時に就寝する。
朝5時に起床する。ウェブショップ からの受注をこなし、昨日の日記を作成する。自分のpatioに、滞っていた8通の返信を書く。顧客その他に数通のeメイルを書く。
机に向かいながらベッドサイドのデジタル時計を見過ごすと危ないと思い、手元に腕時計を上向きに置く。
8時40分にホテルを出て、新橋駅銀座口の立ち食い蕎麦屋 「ポンヌッフ」 へ行く。自動販売機で450円のカレーライスの食券を買った後、店のオバサンに50円を渡して 「スープ」 と言うのが、僕の裏技だ。
するとオバサンは、お椀にワカメと刻んだ長ネギを入れ、それをウドンのつゆにて満たしてくれる。
今日は、いままで見たことのないオジサンが、カウンターの中で作業をしていた。50円を渡して 「スープ」 と言うと、オジサンは普段の内容に2枚のナルトを足した上、その50円を 「これはいらない」 と、返してよこした。
日本橋などのビジネス街にある百貨店は、週末に客数を落とす。今日はヒマだろうと踏んでいたが、閉店後の在庫を入力したコンピュータは、昨日よりも3袋だけ多い売り上げ個数を示していた。
前半を担当した4名の社員は、弁当を持って20:00浅草発の下り特急スペーシアにて帰宅する。後半を受け持つ3名の社員は夕食を済ませ、18:50下今市発の上り特急スペーシアにて上京し、甘木庵へ直行する。
anne@家内と、日本橋から溜池山王経由にて目黒へ至る。家内が白金三光坂上へ越してきた小学生のころ、既に出ていた地下鉄建設の計画が、その後30年を経てようやく実現したことになる。
権之助坂を下る。目黒新橋を渡ったところで左に折れ、柳通りを進む。鮨の 「仁平」 の引き戸を開ける。
磨き込まれた白木のカウンターにて燗酒を飲む。「やっぱり燗酒はうめぇな」 と思う。ナマコのポン酢、莫久来、タラバガニの内子などにて、そのまま燗酒を飲み進む。
酒肴から 「サヨリ」 「ミルガイ」 の握りに移ったあたりで、家内の友達のモモイシンタロウさん が到着する。
モモイシンタロウさんは若いころ、シンガポールのラッフルズホテルに1泊、バンコックのオリエンタルホテルに1泊、香港のペニンシュラホテルに1泊という、奇想天外な3泊4日の旅行をしたことがある。
そしてその資金は、牛乳配達のアルバイトで稼いだという。気骨と洒落心の双方を持ち合わせてこそ、できることだ。バンコックにおいて、長い廊下の両端に女郎部屋を持つ木賃宿に泊まることを常としていた僕とは、そもそも人間の出来が違う。
僕としては最大限にヨタ話とスケベ話を抑えつつ、春も間近い夜を過ごす。
店主の仁平さんに頼み、持ち込んだ 「ナメコのたまり漬」 にて ナメタマゴマ軍艦 を作ってもらう。これは僕の発明品だが、僕は職人ではないため、実際に作ることはできない。
このナメタマゴマ軍艦が異常に美味い。銀座8丁目の久兵衛君に教えてあげたいほどの美味さだ。
同じく持ち込んだ 「ひしお」 による キュウリ巻き にて、本日の締めとする。
3人で目黒新橋を渡り、権之助坂を上がる。白金台へ帰るモモイシンタロウさんと甘木庵へ帰る家内とは、南北線目黒駅の前で別れた。僕は山手線に乗り、新橋にて降りる。
11時ちかくにホテルへ帰着してコンピュータに外部情報を落とし込むと、またまたウェブペイジから少なくない数の注文が入っている。なかば朦朧としながら処理作業をし、会社のpatioに月曜日の出荷を要請する。
入浴して本は読まず、1時に就寝する。
朝5時に起床する。きのうの日記を作成し、数通のeメイルを書く。
8時40分にホテルを出て、烏森口ちかくの吉野家に入る。街頭宣伝車の要員とみられる男たちの隣へ座る。牛丼の並み盛りと生玉子、けんちん汁をとる。
1970年代の中ごろ、同級生のヨネイテツロウ君が牛丼に生玉子をかけて食べるのを見て驚き、思わず
「牛丼に玉子かけて食うのか?」 と、訊いたことがある。ヨネイテツロウ君から戻った答えは 「だって、スキヤキは玉子に入れて食うだろ?」 という、しごく筋の通ったものだった。
筋の通った理屈には一も二もなく賛同して、それに盲従するところが僕にはある。生玉子を溶き入れた牛丼はコクを増して、とても美味い。
そういえば同じく同級生のフカミカズヒロ君は、やはり1970年代の中ごろ、五目ご飯に生玉子を混ぜて食べていた。南禅寺と瓢亭のあいだにあるフカミカズヒロ君の家で深夜、大きな炊飯器の五目ご飯を、すべて食べ尽くしてしまった日のことを思い出す。
高島屋での販売に際しては、この18年間、幅6尺の冷蔵ケイス2本にて臨んできた。ところがきのうの昼ごろ、マネイジャーのエノモトトシヤスさんが部内にて、「売り場の向かって左にあるスペイスを、何とか有効利用できないものか?」 との意見を得たという。
「商品を綺麗に並べて宣伝広告を為すか、あるいは第3の冷蔵庫を置くか、どちらが良いと思うか?」 との質問を受けて、僕は「やるなら冷蔵庫の方でしょう」 と、答えた。
きのうの夜のうちに現場へ設置された4尺の冷蔵庫を、「らっきょうのたまり漬」 にて満たす。これで 「最も売れる商品のストックスペイスを確保し」 かつ 「売れ筋商品をより多くの人の目に触れさせる」 という、一挙両得が完成する。
夜7時の閉店時まで、忙しく立ち働く。給与計算のため、遅れて今日の夕刻より現場に参加をしたanne@家内も含めた計6名にて、きのうと同じ7時33分に、北側の社員通用門を出る。
晴海通りから近藤書店の角を曲がり、西五番街に入る。"Talbots" の赤い看板から細い路地をたどり、「鳥ぎん本店」 へ至る。
金曜日の夜ということもあり、客溜まりには10名以上の待ち客があった。僕たちの後から来る人の中には、その行列を見てきびすを返す人たちも少なくない。10分も待たずに席へ着けるものを、何をフラフラしているのかと思う。
今夜は他の店も、同じく多くの客で満たされているに違いない。彼らは流浪の一時を過ごし 「もうどこでもいいや」 などと、美味くもないものにて食欲のみを満たす運命にある。
6名にて、31本の焼き鳥と4種の釜飯、その他諸々を食す。
僕はひとりで1合のメシは食べられない。「誰かカキの釜飯、一緒に食わねぇか?」 と訊くと、ことし成人式を迎えたクロサワセイコさんが 「ワタシ、食べます」 と、手を挙げる。
冬の釜飯は、やはりカキ釜飯に、そのとどめを刺すべきだろう。
僕が人に誇れるただひとつは、釜飯の米を、一粒残らず食べられることだ。釜飯が席に届けられた直後の初動を誤ると、メシは釜の内壁にこびりつき、上出来のお焦げを食することが不可能になる。
また、せっかくこの世に生まれてきた米を、無駄死にさせることになる。
同級生のコモトリケイ君は、ベッドマナーの悪い女を嫌う。僕は、釜飯を食う手順に通暁しない女を厭う。
尾張町と数寄屋橋のあいだにて、家内や社員たちと別れる。並木通りを南西に下る。街には モンドリアン風の 造形が目立つ。
リンデンの並木道から5分も歩くと、通りの風景は一変する。数年前、夏の一夕をモツ焼の 「くら島」 に遊んだ晩、"Computer Lib" を立ち上げたばかりのナカジママヒマヒさんが 「すいません、眠らなくても済むクスリ、ありますか?」 と訊いた 薬屋の前を通り過ぎる。
「起業するってのは、大変なことなんだな」 と、脳天気な僕はそのとき初めて思った。
9時20分にホテルへ帰着する。
閉店後のすべての在庫を、ThinkPad s30 の マイツール へ打ち込む。本日のアイテム別売れ数量が、たちどころに現れる。マクロを回すと、過去4年間の曜日別アイテム別売れ数量に、今年のそれがインサートラインされていく。
本日の冷蔵庫増設が効果を発したか、昨年の金曜日よりも 「らっきょうのたまり漬」 の売れ数量が15%も増している。
このまま当初の予定数量のみを製造現場から送り続けると、月曜日の閉店時には 「らっきょうのたまり漬」 が40袋しか残らないことを、ディスプレイは伝えている。
事務員のシミズサチエさんへ向けて、明日の 「らっきょうのたまり漬」 の出荷を増やすよう、会社のpatioにメイルをアップする。
自作のマクロを使ったこの仕事は面白すぎて、夜遊びに出る気力を著しく殺ぐ。入浴して、ベッドで 「荷風と東京 断腸亭日乗私註」 の 「補註」 を1ペイジだけ読む。
0時に就寝する。
昨夜9時前に就寝したこともあるが、2時30分という早すぎる時刻に目を覚めす。こんなに早い起床で今日の長い一日が乗り越えられるものだろうかと、困惑をする。
数通のeメイルを書き、きのうの日記を作成する。すぐに終わったため、「荷風と東京 断腸亭日乗私註」 の巻末にある 「補註」 を読み始めるが、どうも調子が出ない。僕は乗り物の中と飲み屋でしか、本に集中をすることのできないたちだ。
泊まっているホテルの2階には、ファミリーレストランがある。営業時間は朝6時から翌朝の午前3時までと、便利この上ない。
7時30分にレストランへ降りる。ファミリーレストランなら当然、和食のメニュもあると考えていたところ、パンの用意しかできないことを知る。お米のためならファシストになってもかまわないとさえ考える僕は、本日2回目の困惑を覚える。
目玉焼き、ソーセージ、サラダ、厚焼きパン、コーフィーの朝食をとる。僕は不味い米飯と美味いパンなら、不味い米飯の方がよほど好きだ。
美味い不味いと好き嫌いとは、また別種のものだろう。
9時前にホテルを出て、新橋から地下鉄銀座線に乗る。浅草へ向かう車内は通勤時間を外れているためか、予想以上に空いていた。
日本橋にて下車し、地上へ出る。日本橋の空は晴れた。今日から1週間、ここでの面白い仕事が始まる。
社員4名、アルバイトの大学生3名、それに僕の計8名で臨んだ初日は11時以降、逃げ出したくなるような繁忙が続いた。
お客様が多いと、現場の商品は売れて少なくなる。アルバイトの大学生は販売にかかりきりになり、バックヤードの冷蔵庫から現場へ商品を運ぶことができなくなる。商品はますます売れて、現場から払底する。僕は大いに焦燥する。
夕刻6時まではこの繰り返しで、僕はコンピュータを開くことはおろか、会社へ電話連絡を入れることすらままならなかった。
7時の閉店後、冷蔵庫と現場にあるすべての商品の数量を出す。これを ThinkPad s30 へ打ち込むことによって、「毎日新鮮な商品を現場へ送り続け」 かつ 「売り切れも大量の返品も出さない」 ことが可能になる。
7時33分に、北側の社員通用門を出る。予想よりも3分の遅刻だ。地下鉄にて銀座へ移動し、川のない三原橋のたもとへ至る。"Taverna Quale" には、きのう伝えてあった7時45分ちょうどに入ることができた。
春豆と生ハムのサラダ にて、シャルドネイを飲む。体から力が抜けていく。ヒラメのカルパッツィオ、アンチョビのピッツァ、ホタルイカとホウレンソウのスパゲティと進む。
料理屋のメニュにホタルイカの文字を見つけると、どうにも注文せずにはいられない。
この店は冴えない内装と冴えない便所を持つが、しかし大変な繁盛店だ。今日のウチの高島屋における商売と同じく、客足の途切れることがない。すべてのテイブルとすべてのカウンターが、いつもお客によってぎっしりと埋まっている。
「料理のできあがりが遅れて申し訳ない」 と、店からトマトのピッツァとチーズの盛り合わせがサーヴィスされる。ワインをモンテプルチアーノに切り替える。少ない料理を前にチリチリと時を過ごすのも、また悪くはない。
1羽を丸ごとローストした鶏を軽く平らげ、デザートの盛り合わせを注文する。
「グラッパを1杯。あまり高いものでなくて結構です」 と頼んだ僕の前に、店のおにーちゃんは 「
シャルドネイのグラッパです」 と、ニコニコしながら 大きめのグラスを置いた。
2時間前、我々がシャルドネイのワインから出発したことを、満員の客をあしらいつつも、憶えていたのだろう。
10時に店を出る。尾張町と数寄屋橋のあいだにて、甘木庵へ帰る社員たちと別れる。僕は並木通りを南西へ進み、新橋へ至る。ことさらに路地ばかりを選んで歩く。
10時20分にホテルへ帰着する。高島屋の売り場にて得意客から回収したハガキの束を、机の引き出しへしまう。
入浴して、ベッドで 「荷風と東京 断腸亭日乗私註」 の 「補註」 を1ペイジだけ読む。
11時に就寝する。
朝3時30分に起床する。ウェブショップ の受注作業、eメイルの送受信、日記の作成を行っても、いまだ5時に至らない。ジュラルミン製のケイスにコンピュータ周りの諸々を詰め、出張の最終準備を完了する。
朝飯は、イカのめんたいこ和え、オデン、ハクサイの漬物、納豆、自分の家で蒸して固める豆腐、メシ、シジミとバンノウネギの味噌汁。
8時44分に、荷物を満載した三菱デリカにて会社を出る。東北道の館林付近にて、横風が強いため四輪駆動に切り替える。10時37分に首都高速道路を扇橋にて降り、田端、日暮里、千駄木、根津と走る。
池之端から無縁坂を上がり、11時ちょうどに甘木庵の前へクルマを停める。5分ほど待つうちに、9:01下今市発の特急スペーシアに乗った4名の社員が到着する。
クルマから社員の私物や生活用品を降ろす。彼女たちは部屋の掃除にかかる。僕はそのまま退出をする。
お茶の水、駿河台下、小川町、淡路町、須田町、神田と抜ける。川のない今川橋を通過し、川のない日本橋を渡り、川のない京橋を過ぎる。
川のない新橋の手前で銀座通りを右折し、川のない難波橋を左に見て川のない土橋を左折する。
新橋駅西側の雑踏へ入る。折しも昼食時にて、おびただしい人の群れをかき分けて進む。ホテルにケイスとコンピュータを預け、ふたたびクルマに乗る。
日比谷通りをお堀端から八重洲へ向かって右折し、川のない鍛冶橋を左折する。東京駅前を右折して昭和通りを左折し、高島屋東京店の裏手に停車する。
準備の開始される午後1時が迫っている。昼飯を食べる時間は確保できなかった。
担当のオダシゲキさんに電話をし、現在の位置を知らせる。甘木庵から日本橋へ達しているはずの社員にも電話をし、そのまま北側通用門の前にて待機をするよう伝える。
表から見れば静かな定休日の高島屋も、裏へ回れば二重駐車をした業者のクルマが、外堀のように建物を取り巻いている。
昭和通りから台車にて荷物を運ぼうとするオカダシゲキさんは、僕よりも生き方の下手な育ちの良い人間だ。僕は業者が作ったクルマの生け垣に、強引に三菱デリカの鼻先を突っ込む。折良く搬入を終えて出るクルマとすれ違うようにして、無事、構内へ入る。
3時30分までかかって、「老舗の味を集めて・特選会」 の会場設営を終える。クルマを壺中居ちかくの高島屋南駐車場へ置く。北側の通用門前で社員たちと別れる。
空きっ腹を抱えて有楽町を歩く。「客家」 という名の中華料理屋を見つける。1982年、香港で遊んだ許さんとの日々を思い出す。許さんは、知り合いの会社で働くマネイジャーだった。
あるとき許さんは、昼下がりのキャバレーに僕を案内した。客は、僕と許さんのふたりだけだった。ステイジでは、かけ出しの歌手が練習をしていた。
許さんは狆のような顔をした肉感的な女を横抱きにして、ソファへ倒れ込んで笑った。僕は当惑しつつ、きつい顔の美人と、李小龍の死因について話をした。
許さんは別れ際に、油麻地にある通りと料理屋の名を記した紙を、僕へ渡した。夜、できたばかりの地下鉄に乗ってその料理屋へ行くと、ふたりの女を伴った許さんが、僕を待っていた。
そのとき僕は、生まれて初めて客家料理というものを食べた。
銀座5丁目の喫茶店 にて社員と落ちあい、4丁目の 「紅虎餃子房」 へ行く。味よりも雰囲気の店だが、人気店の見学と思えば、自分への説明もつく。
アヒルのロースト を含めて6皿の料理を食べる。1円の営業利益も上げないうちに、2万数千円の経費を使う。
服部の時計が 7時40分を指している。いまだ夜は浅い。しかしながら数杯の汾酒にて、僕は充分に酔っている。丸の内線の乗り場にて、甘木庵へ戻る社員たちと別れる。
新橋のホテルへ帰着し、入浴をして9時前に就寝する。
朝3時に起床する。ウェブショップ の受注作業、eメイルの送受信、日記の作成を行う。
朝飯は、納豆、ホウレンソウとソーセージの油炒め、ハクサイの漬物、ジャコと大根おろし、温泉玉子、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。
ウチのはす向かいにある大橋油店へ、三菱デリカを乗り入れる。燃料を満杯にすること、洗車、タイヤの空気圧調整を頼み、徒歩にて会社へ戻る。
昨年の夏、足の指の間に、赤く皮膚のむける現象が見られた。「今まで知らなかったが、これが水虫というものか」 と思いながら、そのまま放置し、いつの間にか痒みも忘れた。
秋に収束したその症状が、このところまた現れてきた。これから1週間は革靴をはく機会も多いため、今市市大桑地区の荒井腎クリニックへ行く。
組織を顕微鏡で検査したところ、水虫のカビは発見されなかった。湿疹の一種と診断され、薬をもらって帰る。
午後、工場内に三菱デリカを入れ、「老舗の味を集めて・特選会」 のための荷物を積む。用度品、写真パネル、宅急便で送るには不適当な商品を載せると、荷台のほぼ4分の3が埋まった。残りのスペイスは、僕と社員の私物にて満たされる。
家族と共に夕食をとる。僕は春雨サラダと春巻き1本に留める。本酒会 へ出席をするため、数時間だけ冷凍庫に保管した喜久水酒造の 「一時」 を携えて家を出る。
本日の本酒会出席者は少なく、会場は住吉町の 「やぶ定」 1階に設定されていた。
コバヤシハルオ会員が、「一時」 を慎重に抜栓する。本酒会に出品される複数のお酒の飲み順は、殆どの場合、僕が決める。今日の1本目は、もちろん 「一時」 だ。
1999年1月、秋田県能代市の喜久水酒造を訪ねたとき、社長のコンピュータにはスクリーンセイヴァーがかかっていた。僕がそっとマウスを動かすと、就業時間中にもかかわらず、ディスプレイにはカードゲイムが現れた。
社長は苦笑いをしながら 「触って欲しくないなぁ」 と言った。
宮中晩餐会の食前酒に出しても恥ずかしくない 「一時」 という極上の濁り酒 は、こいうい社長が代表を務める蔵から産される。
「一時」 は仕込みを変えて、1年に3度、醸される。今日の 「一時」 は、1月に飲んだそれよりも、はるかに美味かった。
世の中には、食べ物や飲み物に対して、1年中、同じ味を求める人がいる。しかしながら僕にとっては、季節と共に移ろう味こそ面白い。
サイトウマサキ会員が、「一時」 の最後の1滴を得るべく、一升瓶を力ずくで絞る。イチモトケンイチ会長が、そこから更に、瓶の内壁に残る分を、自分の専用瓶に滴下させる。
いじきたない人間たちの夜は、更に続く。僕はいつもと同じく早めに腰を上げ、9時に帰宅する。
入浴してキリン一番搾りを135CC飲み、10時に就寝する。
朝5時30分に起床する。夜中のうちに ウェブショップ へ入った注文が多い。なんとか朝飯前に作業を終わらせようと、気を散らさずに仕事をする。
ウェブショップへの注文で多いのが、eメイルアドレスの入力間違い、クレジットカードの名義人や番号、有効期限の入力間違いだ。
カード情報を誤入力して、かつeメイルアドレスも誤入力となると、距離にかかわらず電話にて顧客へ連絡をとらなくてはいけない。これで昼間も留守、夜も留守、留守番電話に用件を録音しても返事がないという場合には、手紙による連絡となる。
「ウェブショップは経費を低く抑えられる分、製品単価を落とせ」
との意見もあるが、ウェブショップの維持は実際の対面販売にくらべて、多くの手間を管理者に要求する。
ある繁盛店の経営者が、受注担当者にイタリア製の高価な椅子を与えたと、どこかで読んだことがある。僕は至極妥当な措置と、大いに感心をした。
朝飯は、野沢菜、イカのめんたいこ和え、納豆、薩摩揚げの煮物、温泉玉子、ジャガイモの細切りサラダ、メシ、ダイコンとミツバの味噌汁。
これだけおかずの数が多いと、それだけメシをお代わりすることになる。しかしながら僕の胃の容量にも限度はある。一部のおかずは、昼飯用に取り置くことにする。
午後、明後日から1週間以上も続くホテル暮らしに備えて、持ち物の準備をする。衣服からコンピュータ周り、文房具までを含めると、その種類は100以上、総数は200以上にもなる。プリントアウトしたチェックリストは、不可欠のものだ。
出発間際まで使うものを除き、そのほとんどを ケイスに詰めて、事務室へ置く。
晩飯は、ホウレンソウの胡麻よごし、豚肉と豆モヤシとグリーンアスパラガスの油炒め、オデン。お酒は、「山田錦大吟醸 大津屋 三割五分精米」。
オデンは子どものころ、タイラガイの刺身と並んで、得心のいかないおかずの双璧だった。いま思えば、これらは米の飯にではなく、酒に似合いの食べ物なのだろう。
そういえばタイラガイは安価なホタテガイに席巻されて、現在ではほとんど、鮨屋にもその姿を認められなくなってしまった。
タイラガイの、ホタテガイよりも複雑な香りとノドの奥に感じるコクを、懐かしく思い出す。
入浴後、キリン一番搾りを135CC飲み、9時に就寝する。
朝6時に起床する。三浦の海は薄く晴れているが、房総の山を望むまでには至らない。
ウェブショップ からの注文を処理し、きのうの日記を作成する。出先においては、こういうコンピュータを使った諸々が、僕の朝の出動を遅らせる。
朝食の後に、別館の勉強部屋へ移動をする。「MGフェスティヴァル」 とは、いわば 西研究所 のお祭りで、1日目はマネジメントゲーム、2日目は講演というスケデュールが組み立てられている。
最初の講演は、ストロウズ経営研究所代表の鶴田公寛さんによる、「S社の経営革命」。
次は、西研究所の西順一郎先生による、「TOCとSTRAC?」。
午後のほとんどの時間を使った、MSI の小林英三さんによる 「TOC経営」。
4時から30分ほどもかけて1000文字のリポートを作成し提出したため、ここに勉強の内容は書かない。
5時30分ころ、品川駅より八重洲地下街の中華料理屋 「華月」 へ予約の電話を入れる。その20分後に、総勢20人ほどにて、打ち上げを始める。
僕は クマキマルトクさんご夫妻の正面、たらちゃんの左、ももちゃんの右 に位置して、焼酎のオンザロックスを2杯、小ジョッキにて飲む。
西研究所の集団は、盛大に飲みかつ食べる。この日の華月園は、数日分の売り上げを、たった数時間にて達成したのではないだろうか。
7時15分ころ、僕ひとりで皆にいとまを告げる。八重洲の地下街を北東の角まで歩き、外へ出る。丸善からふたたび地下へ潜り、地下鉄銀座線のプラットフォームへ達する。
浅草駅20:00発の下り特急スペーシアに乗り、10時前に帰宅する。
入浴してキリン一番搾りを135CC飲み、11時に就寝する。
朝6時に起床する。ウェブショップ の受注処理、eメイルの送受信、日記の作成という、朝の三点セットをこなす。
京王線の柴崎へ11時に至るには、9時に甘木庵を出ればよいと昨夜のうちに計算をしておいたが、遅い起床時間が響き、30分ほども遅れて玄関の扉を開ける。
本郷三丁目からお茶の水、お茶の水から新宿と移動し、10時すぎに下りの急行に乗る。調布まで行き、普通列車で3駅を戻って柴崎へ着く。このやりくりにより、5分ほども移動時間を短縮する。
叔母の葬儀は11時に始まった。多摩の火葬場へ行き、ふたたび戻って初七日を済ます。親戚を集めた食事を終えると、午後4時になっていた。
遊亀@長男と柴崎から普通列車に乗り、明大前にて快速に乗り換える。
僕は列車に乗るとき、ことさらに番線や行き先を確かめることをしない。なんとなくプラットフォームに立ち、なんとなく来た列車に乗る。通過する駅名なども見ず、そろそろかなと思ったところで初めて、自分の現在位置を知るべく、本から顔を上げる。
ふと気づくと、列車は地下鉄新宿線に乗り入れ、市ヶ谷まで達している。寝ている長男を起こし、向かい側のプラットフォームへ移動して新宿まで戻る。
長男とは、新宿にて別れた。僕は品川から京浜急行の特別快速へ、1時間とすこし乗る。6時30分すぎに、今朝からMGフェスティヴァルが開かれている三浦海岸へ達する。
駅前の明るい場所から暗い坂を上って、会場のマホロバマインズに入る。折良く 西研究所 のお手伝いをしていらっしゃるカネコケンジさんに出くわす。僕の分の資料と、部屋番号や食事券の入ったフォルダをいただく。
数十人の参加者による食事会は、7時に始まった。9時まで歓談を為す。その後は 宿泊用の広い一室に集まり、制約理論の机上実験をするグループ と、ヨタ話をするグループ とに別れて時を過ごす。
ヨタ話の卓へ行き、実験グループの方を見やって 「あちらが勝ち組、こちらが負け組ですか?」 と訊くと、三光堂印刷のカワカミアキヒサ社長 から
「バカヤロー、俺たちは昼のうちに、実験は済ませているんだよ。オメェは遅刻してきたから、なんにも分かんねぇだろう」 と言われる。
そのままヨタ話を続け、ふと隣の人の腕時計を見ると、時刻は既にして0時までに30分を残すのみとなっていた。自室へ戻り、タオルを持って大浴場へ向かうと、風呂上がりのキムラテクニクスさんが、「風呂はもうおしまいですよ」 と、教えてくれる。
部屋のシャワーを浴び、「荷風と東京 断腸亭日乗私註」 を488ペイジまで読み進む。
0時30分に就寝する。
朝3時すぎに起床する。ウェブショップ の注文を処理し、きのうの日記を作成する。数通のeメイルを書き終えても、いまだ5時には至らない。余裕とは良いものだ。
朝飯は、温泉玉子、野沢菜、炒めたソーセージとホウレンソウ、納豆、肉とジャガイモの煮物、薩摩揚げの煮物、メシ、ハクサイとワカメの味噌汁。
午前中、日本通運によって、1ヶ月ほど前に "amazon" へ発注しておいた本が届けられる。"amazon" の送料は、 「5000円以上の購入で無料」 から 「国内無料」 を経て 「1500円以上の購入で無料」 に落ち着いた。そしてその梱包は、大きく簡略化された。
午後、叔母の通夜に出席をするため、渺茫とした冬の利根川を渡り、浅草へ出る。神田から新宿までは、意外なことに快速にて僅々10分の距離だった。
京王線の柴崎駅にて下車すると、自由学園の制服の上にシェラデザインのマウンテンパーカを着、制帽をかぶった遊亀@長男も、ちょうど同じ列車から降りたところだった。
良い年をして喪服を持たない僕は、靴こそ "Alden" の黒いVチップを履いているものの、パンツはリーヴァイスの黒い501だし、上半身は "Old England" の黒いセーターに、真冬にもかかわらず黒い麻のコートを着て、黒いスカーフを巻いている。
友人のムロハシタダシさんは、「アイツのやらかすことじゃ、しょうがねぇと、人から思われるようになったら、人間もおしまいだ」 と言った。僕が考えるに、「アイツのやらかすことじゃ、しょうがねぇ」 と、人から思われるようになったら、これはしめたものだ。
僕の葬式に臨む恰好も、「アイツのやらかすことじゃ、しょうがねぇ」 の、ひとつの例だ。
お通夜の場には、Natalie Cole の "Unforgettable" が流れていた。僕は、亡くなった人の顔を見ることを好まない。会場には、女っぷりの良い叔母の写真が幾葉も飾られていた。僕にはそれで充分だ。
8時すぎに外へ出る。長男は甘木庵へ泊まるものとばかり思っていたが、今週は寮の当番のため帰寮をするという。新宿にて別れる。
下りの総武線に乗る。まっすぐに帰れば良いようなものを、飯田橋にて下車する。路地を歩き、東京理科大学裏の小さなホテルへ入る。
バーにてオールドパーベイスのロブロイを3杯飲むうちに、「荷風と東京 断腸亭日乗私註」 を、30数ペイジほども読む。
路地を抜け、神楽坂を横断し、ふたたび路地をたどって軽子坂へ抜ける。大きく左へ曲がった道を上り、牛込神楽坂の駅から大江戸線にて本郷三丁目へ至る。
0時ちかくに甘木庵へ帰着する。
通夜や葬式で渡される 「ご会葬御礼」 という封筒に入った塩を、僕は使ったことがない。取り置いてポケットに入れておくと、塩味の薄いフランス料理屋などにて重宝をする。
入浴し、0時30分に就寝する。
朝4時に起床する。事務室へ降り、ウェブショップ からの受注を処理する。顧客からのeメイルに返信をする。きのうの日記を作成する。
日は差さず、気温は低い。日光の山は、はっきりと見渡せたときから30分後には、もう雲の中に隠れている。
朝飯は、野沢菜、アジの干物、納豆、昆布とたらこの佃煮、ダイコンとホタテ貝のサラダ、厚揚げ豆腐とマメモヤシの煮浸し、メシ、豆腐とミツバの味噌汁。
前夜の残り物にしても、朝飯の皿数が多いことは嬉しい。
テヅカナオちゃんの手塚工房へ行き、地方発送の納期を知らせる看板の修理と共に、「老舗の味を集めて・特選会」 にて使う長細い板を1枚、注文する。
テヅカナオちゃんは、小学生のころから手先が器用だった。図画工作の時間に、僕が自分でも目を背けたくなるような穴だらけの魚の壁掛けを作ったとき、テヅカナオちゃんは何百個ものウロコを精密に配置して彫り込んだ、シーラカンスの壁掛けを作った。
指物師や経師の家に生まれなかったことを、僕はつくづく幸福に思う。
夕刻は諸々に忙しく、晩飯の時間が遅れたため、家族のうち計4名にて "Casa Lingo" を訪なう。
ワカサギのサラダ、タコのサラダ、ヤシオマスのカルパッツィオ。
5種のチーズのペンネ、なんとかというハムのピッツァ、カラスミのスパゲティ。
このなんとかというハムはイタリア産の、いわくのあるものだろうが、子どものころに食べたハムの、安っぽい味に似ている。とても美味い。
地鶏の香草焼き。
チーズケーキを肴に、白いハウスワイン500CCを飲みきる。
帰宅し、ウイスキーもビールも飲まず、9時に就寝する。
朝4時に起床する。朝の仕事をひととおりこなし、きのうの日記を作成する。数通のeメイルを書いて送った後に外へ出ると、晴れた天頂に薄い雲が出ている。
朝飯は、昆布とたらこの佃煮、アジの干物、薩摩揚げと菜の花の煮物、大根おろし、メシ、タシロケン坊んちのお徳用湯波とダイコンとミツバの味噌汁。
「老舗の味を集めて・特選会」 へ持参する細々とした品のリストを、A4の紙5枚に印刷する。これは全部で、170点ほどにもなるだろうか。
イヴェントのDMは、その到着が早すぎるとうち捨てあるいは紛失され、遅すぎると顧客の予定が立たないところから、初日の1週間前に配達されることが適当とされている。
昨日の夕刻までにタックシールの貼付を済ませた数千枚のハガキが午前、郵便局へ運ばれる。
数日前に、広島県呉市駅前にあるホテルをオンラインにて予約したところ、決定ボタンをクリックしても、確認画面にリンクしなかった。信号が達しているか確かめるようフロント係にeメイルを送ったが、その返事が48時間後の今日になって、ようやく届く。
零細のオンラインショップでも、気の利いたところは注文から時を置かずして礼状が送られてくる。インターネットで受ける仕事には、マメな人間と優れたシステムのうち、少なくともどちらかひとつが必要だ。
呉からの帰りに寄る京都市東山区新門前通りの旅館は、電話にて予約を完了させる。
晩方、肉とジャガイモの煮物、ダイコンとホタテ貝のサラダ、厚揚げ豆腐とマメモヤシの煮浸し、湯豆腐、薩摩揚げの煮物 にて、お燗をした久須美酒造の 「清泉」 を飲む。
食後にお酒がすこし余ったため、瓢亭に勤めるヨコタケイ君からもらった 鶉煎餅 を、そのおつまみにする。
入浴後、キリン一番搾りを135CC飲み、9時に就寝する。
春眠でもないだろうが、5時30分に目を覚ます。この時間の起床は、僕にとっては遅いものだ。事務室へ降り、ウェブショップ の受注を処理する。きのうの日記を途中まで書き、居間へ戻る。
「春眠不覚暁」 とはことによると、「冬と同じ時間に目を覚ましているのに、日の出は暦につれて早くなるため、起きたときには既に外は明るかった」 ということなのではないか? などと考える。
朝飯は、野沢菜、きのうのタイの煮物の残り、大根おろし、納豆、メシ、豆腐となめことミツバの味噌汁。
ウチの商品は食べごろの味を保つため、作り置きをしない。毎日売れる分だけを細密に計算して、袋詰めをする。それにしても昨日は、閉店時に残った らっきょう がたった2個という危うさだった。
今朝の開店と同時に売り切れを出すわけにはいかない。始業前から 「今朝上がり」 のらっきょうを、現場が袋に詰め始める。
年初から春の彼岸までは、暮の喧噪が嘘のように、店は静かになる。僕もそれに甘えて、ゆるゆると仕事をする。
終業後、「和光」 へおもむく。大きな徳利の燗酒を頼む。
突きだしは、オカラとタラの煮物。僕はオカラと白和えを好まない。理由は甘いから。京都で食べるオカラと白和えは好きだ。理由は、甘くないから。
和光のオカラは甘くなく、混ぜ込んだ野菜と共に、その塩梅は悪くなかった。
〆サンマ、マカロニサラダ と進んだところで、日光地区のどこかで産したというイノブタの、心臓と肝臓の付け焼き が出る。プリプリとした肝臓の食感が、ことに良い。
体も温まり、店を出ると、空には星が多かった。明朝の気温は低くなるだろう。
帰宅後、よせばいいのにオールドパーを生で1杯と、キリン一番搾りを135CC飲む。9時に就寝する。
朝4時30分に起床する。メシ前の仕事をこなす。eメイルの送受信をし、きのうの日記を作成する。
朝飯は、ホウレンソウの油炒め、サバの干物、今市市沢又地区のサイトウトシコさんによる 「しもつかり」、納豆、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。
我が町では毎年2月11日に、花市という縁日が催される。その起源は知らない。
僕が子どものころには日光街道を閉鎖して行われていたが、交通量の増加に伴って、それと平行して走る 芝崎新道に場所を移された。その延長は、1000メートルほどにもなるだろうか。
JR今市駅に、東京から広島、広島から京都を経由して東京へ戻る新幹線の料金を確認に行く途中、この花市の中を歩いていく。
お好み焼きのソースや、何に用いているのか甘酸っぱいアンズジャムの匂いに混じって、懐かしい香りが僕の嗅覚を喜ばせる。冬らしく黒っぽい服装の人が行き交うアスファルトの道が、まるでカルカッタの雑踏のように錯覚される。
やがて僕が向かう先に、3人のインド人が立ち働く、インドの食べ物とチャイを売る露店が見えてくる。「初雪や インド人だけ目立ってる」 という、インド大使館からクレイムを食らいそうな落語の枕を思い出す。
香りはその土地その土地の、懐かしい思い出をよみがえらせる。僕は辛抱できずに、薄い揚げパンにジャガイモと鶏肉のカレーをはさんだ物件を、400円にて購入した。
JR今市駅での用事を済ませ、帰社して後に、その懐かしい香りを発する食べ物 にかぶりつく。日本人に遠慮をしているのか、スパイスの香りはインドで食べるそれよりも抑えられ、鶏肉は保存しすぎたコンフィのような匂いを発している。
それでもこの予定外の買い食いは、僕につかの間の楽しみを与えてくれた。
夕刻、タシロケン坊んちのお徳用湯波とミズナの炊きもの、マグロの刺身 にて、「山田錦大吟醸 大津屋 三割五分精米」 を飲む。大皿には、タイの煮物と菜の花が盛られている。小さくない切り身をひとつ取り分け、これを食べる。
入浴後、キリン一番搾りの135CC缶を2本飲み、9時に就寝する。
朝4時に起床する。直近2週間の諸々について、資料を作成する。
朝飯は、ジャコ、サバの干物、しもつかり、ハクサイキムチによるお茶漬け。
きのう "EASY" に発注した 4枚のTシャツ が、早くも午前中に届く。
以前、ここの社長キシモッチャンは自ら売る5.5ozのTシャツについて
「このシャツに出会ってから、私はそれまで持っていたすべてのシャツを捨てました。それほどにも、この5.5ozのシャツは素晴らしい」
と書いていた。僕はそれを読んで 「調子の良いことを言うものだ」 と、内心で嗤った。
ところがいざこの5.5ozのTシャツを取り寄せて着てみると、キシモッチャンの言うとおりに素晴らしい。本当に、それまで持っていたTシャツは、着たくなくなる着心地だった。
僕はこの5.5ozのTシャツを数年のあいだ愛用してきたが、さすがに薄汚れたり穴が開いたりして、交換の時期が来た。新しい7ozのシャツも、大いに期待のできるものだろう。
閉店後、「老舗の味を集めて・特選会」 へ出張する社員を集め、ミーティングを持つ。
7時ちかくになって、「市之蔵」 へ出かける。
タラ、白子、たらこ、ユリネ、カノシタの煮物の突きだしにて、ひれ酒を飲む。
アサリの酒蒸し、マグロとヒラメの刺身、ホウレンソウのゴマ和えと、2杯目のひれ酒。チゲ味噌キュウリ、納豆の包み焼き。
ひれ酒の難点は、美味くてつい飲み過ぎてしまうところにある。紅乙女のオンザロックスに切り替え、チゲ鍋にて締める。
7時には、この店の客は僕のみだった。アルバイトの女の子はヒマを見越して帰宅した。ところがまるでそれを合図のように客足は急に繁くなり、8時にはほぼ満席の賑わいになった。
客商売における人員配置の難しさには、誰しも頭を悩ませることだろう。
帰宅してオールドパーを生で1杯飲み、9時に就寝する。
きのう朝2時すぎに起きた代償としてか、今朝は6時30分になって、ようやく目を覚ます。僕は早起きではあるけれど、極めて不規則な睡眠の形を維持し続けている。
事務室へ降りてメイルのチェックをし、即、居間へ戻る。
朝飯は、ジャコ、ハクサイキムチ、今市市沢又地区のサイトウトシコさんによる 「しもつかり」、シメジの佃煮、納豆、メシ、ダイコンとミツバの味噌汁。
「老舗の味を集めて・特選会」 のDMに用いるタックシールを打ち出す。送付先が予想をはるかに超えたため、成文社印刷にはきのう、ハガキの増刷を頼んだ。増刷分が納品されるのは、投函をする前日の夕方になる。
今日の晩飯には日本酒が適当だろうと、酒蔵へ探しに行く。桐箱に入った高級そうな物件を見つける。酒蔵に日本酒は、これ1本のみがあるばかりだった。
取り出すと、金色のラヴェルには 「山田錦大吟醸 大津屋 三割五分精米」 という文字が見える。どうしてこのようなものがあるのか、過去を振り返って、よく考えてみる。
本酒会 の 1999年6月の例会 において、ダイヤ菊の 「わがまま」 が総合点第1位を獲得した。そしてそれを読んだ ダイヤ菊酒造 の代表ミヤサカサダヒロさんが、2001年の5月、僕にeメイルを送ってきた。その内容は
「1998年2月に火入れをし、1升瓶で貯蔵倉に囲っておいた山田錦35%の大吟醸原酒が良い出来なので、本酒会で試飲をして欲しい」
というものだった。
僕が代引き着払いにて2本送って欲しい旨の返信をすると、それでは1本は代金をいただくが、もう1本は本酒会に寄贈をすると、今度は電話にて知らせがあった。
本酒会では即、これを その月の例会 にて試飲し、結果は 「わがまま」 と同じく、総合点第1位を得た。
「あのときの1本だったのかぁ」 と感慨深いものを感じながら、既にして古酒らしく、黄金色に近づきつつある、少し甘めで雄渾な味を楽しむ。
酒肴は、今市市沢又地区のサイトウトシコさんによる 「しもつかり」、ホウレンソウのゴマ和え、タコとキュウリのバルサミコによる酢の物、そしに肴としては大きすぎる、脂の乗ったサバの干物。
サバは半身のみを食べ、残りは明朝の食事のために取り置く。
オールドパーを生で1杯飲み、9時30分に就寝する。
ここ1日2日のあいだに、「老舗の味を集めて・特選会」 のDM送付先を特定する必要があった。これは、ミスをすると振り出しに戻って作業をし直さなくてはいけない、細心の注意を要する仕事で、日中に行うことはできない。
具合の良いことに、朝2時すぎに目が覚める。2時30分に起床し、事務室へ降りる。
先ず、顧客名簿を2年前まで遡上し、その郵便番号から、高島屋東京店の最寄り駅へ1時間で来ることのできる顧客を特定する。
次に、過去2年間の高島屋東京店へのリピーター、およびこのイヴェントのDM希望者を、そこへ連結する。
3番目に、種々の条件から重複抽出されたデイタがあれば、最新のもののみを残す。
最後はマクロに作業を任せず、画面をスクロールしながら、DMを送っても無駄になる顧客を目で探し、デリートする。
「DMを送っても無駄になる顧客」 とは、この2年以内に転居をした人、入院中に病室へ商品の取り寄せをした人、盆暮のギフト需要しか望めない法人などだ。
3時から5時までの2時間を使って、ようやく作業を終える。
朝飯は、今市市沢又地区のサイトウトシコさんによる 「しもつかり」、豚肉の赤ワイン煮、昆布の佃煮、玉子とミツバの雑炊。
「しもつかり」 とは、「しもつかれ」 とも表記される、栃木県の郷土料理だ。
海を持たない県の食の貧しさを象徴するような、塩鮭の頭、ダイコン、ニンジン、油揚げ、大豆、酒粕などの材料を長時間煮て冷ましたもので、その猫の吐瀉物のような外観から、僕は長く食べず嫌いを通してきた。
これを初めて口にしたのは27歳のときのことで、よその家で 「こんなに美味くて滋養のあるものを食べないとは何ごとか」 と、無理強いをされたことが、そのきっかけだった。結果としてこの田舎臭い無理強いは、僕にひとつの幸福をもたらした。
サイトウトシコさんの非常に上品で美味な 「しもつかり」 が、どれほど冷蔵庫に残っているのか、気になって仕方がない。
午後より電車にて宇都宮方面へ出かける。「荷風と東京 断腸亭日乗私註」 を、268ペイジまで読み進む。
夕刻6時前に帰宅する。
「しもつかり」 を肴に、紅乙女のオンザロックスを飲む。本来ならば、ぬる燗の日本酒の方がより合うだろう。
水餃子、中華風の春雨サラダ。
anne@家内に 「サラダのドレッシング、黒酢使ったの? うめぇじゃん」 と訊くと 「ホッホッホ、バルサミコよ」 と得意げに答える。僕の味覚とは所詮、その程度のものだ。
オールドパーを生で1杯飲み、10時に就寝する。
朝4時30分に起床する。きのうの商談打ち合わせの結果を元に、新しい資料や道具を作る。道具とはいえナイフやネジ回しのたぐいではなく、コンピュータ上にて使うものだ。
朝飯は、鶏とキャベツのサラダ、白菜キムチ、ジャコと大根おろし、シメジの佃煮、ホウレンソウの油炒め、メシ、ナメコとミツバの味噌汁。
甘木庵にて朝2時30分に起床する。諸方にeメイルを書き、自分のpatioに6通の返信をつける。きのうの日記を作成し終えても、いまだ夜は明けない。
午前、身支度を整えて玄関を出る。岩崎の屋敷へ沿って裏道を歩き、切り通し坂の上に出る。湯島天神下から上野広小路を抜け、御徒町へ至る。
"ThinkPad s30" と "Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" それに 「断腸亭日乗私註」 を入れた "Eddie Bauer" のザックを、10年前にA4ノートをモーバイルした "Chouinard" のそれよりもはるかに重く感じる。
御徒町から京浜東北線に1駅を乗り、秋葉原にて下車する。
神田松下町の取引先を訪ない、懸案の事項について確認をする。商談につきものの情報交換をかねた雑談をし、2時間ほどで目的を果たす。
昭和通り沿いの、 昨年から1度は入ってみたくてしかたのない、薄汚れたラーメン屋 の脇を歩く。日本橋へは山手線よりも銀座線を使って行きたいところだが、現在の位置から末広町の駅は近くない。ふたたび秋葉原駅へ戻り、東京まで2駅を移動する。
電話の気象情報は今日の天気を雨と伝えていたが、八重洲の上空には、青い空と太陽が現れ始めた。
電車の格安切符を売る 自動販売機の横を折れ、1960年代の東京を思わせる、好もしくもモダンなデザインのパチンコ屋を過ぎる。
僕はポストモダンには興味を持たなかったが、それ以前のモダンについては、大いに目が引きつけられる。カフェの "PRONTO" や大江戸線の駅など、街にはふたたびモダンなデザインが復活しつつある。
5分ほども歩いて、高島屋東京店へ至る。今月の21日から開かれる 「老舗の味を集めて・特選会」 の、最終打ち合わせをする。
高島屋東京店のイヴェントに呼ばれるようになってから、今年で18年目を迎える。今回はその中でも、最も入念な下準備を行っている。これはひとえに、担当者のやる気と細やかな神経のゆえだろう。
夕刻に 浅草へ達し、19:00発の下り特急スペーシアに乗る。
9時前に帰宅し、10時30分に就寝する。
朝4時30分に起床する。7時間30分も眠った勘定になる。事務室へ降り、朝の仕事をこなす。返信の滞っていた2、3の友人へ、eメイルを送る。
3日に知人よりいただいた甘酒を鮨屋の茶碗に入れ、やかんにて湯煎をする。麹室の香りを強く感じる。とても美味い。熱さに驚いて茶碗を倒さないよう、注意をしながら飲む。
4時30分ころの起床だと、僕の朝の行動には少し時間が足りない。anne@家内から、食事の時間を知らせる電話が入る。
朝飯は、納豆、ゴボウの天ぷら、牛肉目玉焼き、4種のナムル、ジャコと大根おろし、野沢菜、メシ、マイタケとワカメの味噌汁。
午後、所用にて東武日光線に乗り、新栃木へ至る。用事を済ませ、上り列車の時間にあわせて、出先で時間調整をする。
新栃木駅へ行くと、不思議なことに僕が使おうとしていた上りの快速が、直近2本の列車を知らせる電光掲示板に示されていない。仕方なしに、隣の栃木駅から特急スペーシアに乗り換える切符を買うべく、駅員に希望を伝える。
新栃木駅には、コンピュータによるオンラインの発券システムが無い。駅員はどこかへ電話をし、空席番号を厚い切符にボールペンで記入している。この20年で手書きの切符を目撃したのは、南インド鉄道マドラス駅において以来のことだ。
安楽なスペーシアのシートに座り、ティロリアンジャケットの内ポケットから時刻表のコピーを取り出す。
入念に考え、これが最良と決めた上り快速の出発時間を、実際よりも13分遅く記憶していたことに気づく。コピーに蛍光マーカーで印をつけてまで、僕はこういう土壇場でのミスを犯す。子どものころから多く経験をしてきたことだ。
浅草から銀座へ移動し、"ThinkPad s30" の入ったザックをロッカーへ収める。「断腸亭日乗私註」 のみを手に持ち、オフクロがエアフランスの客室乗務員からもらった赤いブランケットを首に巻いて地上へ出る。
すずらん通りを南西へ下る。ブラックコンテンポラリーを流す風変わりで小さな店を見つける。この手の店はつい最近、"Lupin" のとなり 「近藤」 のはす向かいにもできていた。面白そうではあるけれど、扉を押すまでには至らない。
8丁目まで歩き、「一寸桜」 を訪なう。ここはカウンター5席、2人用のテイブルが2客という小さな店だ。飲みたい酒を伝えれば、料理はお任せで次々と供される。
出てくる小皿の料理はみな美味く、原材料の質の高さを感じさせる。この店は原価主義を採らない。そのかわり、あるていどの支払いを顧客に要求する。
三千盛のぬる燗を小さな徳利で2本、屋久島の芋焼酎をオンザロックスにて2杯飲むあいだに、10種ちかくの肴を食べる。最後にジャコのおにぎりかウドンが出ることになっているが、腹も満ちたため、そちらは遠慮をする。
僕は高速度で飲み食いを為す。およそ1時間で店を出る。丸の内線にて本郷三丁目へ至る。弱い雨が降っている。ザックの中から傘を出して開くのも面倒なため、そのまま濡れて歩く。
8時30分に甘木庵へ帰着する。9時に就寝する。
4時に起床する。昨日の雪は幸いなことに、今朝まで持ち越すことはなかった。山はその胸のあたりに薄い雲を漂わせて、白く光っている。
朝飯は、トマトとポテトのサラダ、野沢菜、大根おろし、ゴボウの天ぷら、納豆、メシ、ダイコンとミツバの味噌汁。
宇都宮方面に用事があるため、午後1時5分にJR今市駅へおもむく。上り列車は13:13に出ると記憶していたが、その時間に来るのは下りの日光行きで、上り宇都宮行きの発車は13:42と、時刻表に書いてある。
どこで30分という時間をつぶそうかとしばし考えた結果、とりあえず宇都宮には背を向けて、日光まで行ってみることにする。
7Km先の日光駅を目指して、列車は冬枯れたたんぼから、雪の残る針葉樹の並木に入っていく。
我が今市市から日光へは、鉄路にて二通りの行き方がある。ひとつは東武日光線を使う方法。もうひとつはJR日光線を使う方法だ。
二つの線路は7Kmのあいだ平行し、あるいは二匹の蛇のように交差しながら、ほとんど同じ所要時間、ほとんど同じ料金にて終点の日光へ至る。
しかして僕は、JR日光線にて日光へ行くのは、45年の半生において、これが初めてのことになる。平行する2本の鉄道のうち、なぜ東武日光線ばかりを使ったかという理由については、考えても分からない。
7分後に到着したJR日光駅のプラットフォームは、往時の繁栄を物語るように広く、そして長かった。
列車はふたたび日光駅を出発し、今市を経由して、41分後に宇都宮へ到着した。
移動中はずっと 「断腸亭日乗私註」 を読む。読みながら、元号による年代の表記が出るたびに、文字を追う目が滞留する。
断腸亭日乗の原本はもちろん年代の表記として元号を用いているし、著者の川本三郎は時代の相をあらわにしようと、また文中に元号を使っているのだろう。しかしながら僕は、その時代その時代の荷風の年齢が知りたい。
明治12年の生年から、昭和30年現在の荷風の年齢を即時算出する能力は、残念ながら僕にはない。
帰宅して後、明治大正昭和の年号と西暦、それに荷風の年齢を並列させた紙を作る。今後はこれを、しおりとして使うことにする。
晩飯には、ブデチゲ を食べる。ブデチゲの 「ブデ」 とは 「部隊」 のことで、兵隊がソーセージからラーメンからなんでもぶち込んでしまった野蛮な鍋料理のことをいう。
この野蛮な鍋が、滅法に美味い。豆腐や水菜、豚の薄切りやほどよく煮えた生ソーセージを食べるうち、ラーメンの投入 がはばかられるほどの腹具合になった。
これ以上胴回りが太くなっても困るため、ラーメンは後日に取り置くこととする。
9時に就寝する。
朝4時に起床する。朝の決められた仕事をする。
週末は、顧客からのeメイルによる問い合わせも少ない。昨日の日記は同日の夕刻に、酔いながらもそのほとんどを書き終えていた。今朝はそれに、画像を貼付したのみだ。
6時になるとすることもなく、外を眺めたりする。雪はいまだ降ってはいない。
朝飯は、納豆、ポテトサラダ、スペイン風目玉焼き、野沢菜、豚肉の赤ワイン煮、メシ、豆腐とワカメと長ネギの味噌汁。
先日、町うちのスーパーマーケットで買い物をしているときに、瀧尾神社の宮司と会った。宮司は2月3日の12時に神社へ来て欲しいと、僕に言った。節分の日に昇殿をしたことはこれまでなかったが、承諾の返事をした。
降り始めた牡丹雪の中を12時5分前に神社へ行くと、既にして本殿は 着ぶくれたオジサンやオバサンによって膨張しているように見えた。いにしえのアメリカの学生の、1台のクルマにどれだけの人間が乗れるかというゲイムを思い出した。
結局僕は昇殿をせず、たき火にて暖をとる人の輪に加わった。本殿にいる人たちが社会の中心とすれば、たき火にあたっている数人は、いわば周辺に生きるマイノリティだ。
動物の群れにおいては、周辺部に生きる 「不適合者」 から先ず外敵に食われていくという、動物写真家ヨコタジュウドウの話を思い出す。
本殿のスピーカーから祝詞が聞こえてくる。受付にて昇殿券を出した氏子の名前が読み上げられていく。ウチの名前は尻から10番目くらいになって、ようやく耳に届いた。
本殿脇のハシゴを上がり、親切な人が欄干越しに差し出す、ウチの名入りの升と縁起物を受け取る。
境内のテントにて、福引きが行われている。豆を入れた袋の中の紙片を取り出すと、そこには 「たまり漬」 と書いてある。自分の家の品物を賞品としてもらうのも滑稽なことと、手ぶらでその場を離れる。
帰って即、次男@6歳とふたりで社内と家の中にくまなく 豆まきをする。
雪は相変わらず止まないが、量が少ないためか、地面に落ちるそばから消えていく。
所用にて宇都宮方面へ出かけていた家内と次男を、終業後、JR今市駅に迎える。冷たそうに黒く光る道を、"Casa Lingo" へ向かう。
ワカサギのサラダ、タコのサラダ、タケノコとワラビのスパゲティ。
ソーセージの盛り合わせ と、石釜で焼いた豚腸のグラタン。
カラフの赤ワインを飲み終えた僕に、主のヨシハラさんがブルネロのグラッパを注いでくれる。こういうメシのあとに、強い酒は有り難い。
飲み屋のオヤジが、分厚いコップに泡盛を注ぐ。泡盛はコップの縁から盛り上がり、やがて受け皿に落ちる。しかし一升瓶は、なおも傾けられたままだ。いよいよ受け皿からも透明の濃い液体がこぼれる直前になって、オヤジはようやくグイッと瓶を直立させる。
"Casa Lingo" の 丸くふくれたグラッパのグラスは、大衆飲み屋におけるコップの受け皿と同じく、こすっからい酒飲みに愛されてやまない逸品だ。
グラッパに気を取られ、チーズの盛り合わせについてはその半分を食べ進むまで、写真に撮ることを忘れていた。
8時30分に帰宅し、9時に就寝する。
朝2時に起床する。お定まりの朝の仕事をする。4時には一段落してしまう。
他にすべきことがないわけでもないが、大きな仕事もできない。ウェブショップのトップペイジ を少し書き換え、個人ペイジ の 自己紹介画像を更新する。
朝飯は、昆布、シメジの佃煮、豚肉の赤ワイン煮、梅干しと野沢菜によるお茶漬け。
やむを得ない場合を除いて、単行本は買わない。持ち運びに適さないからだ。ほとんど電車の中と飲み屋でしか本を読まない僕は、文庫本を好む。
朝3時30分に起床する。ウェブショップ からの受注をこなし、数通のeメイルを書き、昨日の日記を作成しても、いまだ6時にならない。大いに得をした気分になる。
毎月1日にひとつずつ更新する文章を、サーヴァーに転送する。
本酒会の1月会報は、既にしてメイルマガジンの形で、eメイルアドレスを持つ会員に送付をした。ただし全員に送る紙の会報については、いまだ手つかずだ。この種のアナログ仕事には、どうにもやる気が起きない。
朝飯は、納豆、ポテトサラダ、豚肉のそぼろ煮、昆布の佃煮、ホウレンソウのオリーヴオイル炒め、メシ、タシロケン坊んちのお徳用湯波とミツバの味噌汁。
僕は白くて上品な刺身湯波よりも、安くて分厚くて油っこくて雑ぱくなお徳用湯波の方が、よほど好きだ。
戸倉川すだち君 の ThinkPad1124 が、立ち上げの時に大きなビープ音と共にスタックするというので、調べてみる。
メッセイジに従っていくつかのキーを操作していけば起動するが、それにしても、このまま放っておくわけにはいかない。IBMの修理センターに電話をし、日通による明日の引き取りを頼む。
晩飯どきに、飲みかけになっている2本のワインの口から、バキュバンの栓を抜く。1本は "Beaujolais Nouveau 2001 Jean Saint Honore"、もう1本は Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1998 だ。
カニのグラタン、ナンとキーマカレー、クリームコロッケとマカロニサラダ を食べながら、紅白のワインを交互に飲む。
8時に就寝する。