目が覚めるとのどが痛いしからだもだるい。きのうは断酒をしたため素っ裸で寝て冷えたということもない。枕頭の灯りを点け時計を見ると5時30分だった。優れない気分のまま1時間をベッドの上で過ごし、ようやく起床する。
事務室へ降りていつものよしなしごとをし、しかしきのうの日記はまったく書けずに居間へ戻る。きのうの夜は止みそうもない雨が降っていたが、今朝の空は気持ちよく晴れた。
朝飯は、厚切りにしたバゲット3枚、顆粒のインチキコンソメスープ2杯。
今週の月曜日、長男のために新しく調達するコンピュータの見積もりを "Computer Lib" のイノウエタケシさんに依頼したが、それが整ってメイルにより届く。Think Pad X40に1GBのメモリを追加し、他にも種々の装備を盛り込んだ小さな、しかしマッチョなコンピュータの価格は50万円を超えていた。「だーめだ、こんなの買えねぇ」 と、メモリの増設は諦める。
昨年5月の日付のある、関根耳鼻科の処方による薬と、別の日にもらった別の薬とをあわせて朝食後に飲んだせいか、からだの具合がみるみるうちに快方へ向かう。その反面、きのうまではそれほどのこともなかった花粉を、今日はより過敏に感じるようになっている。
10時40分、花屋の 「花市」 に、家内が予約をしておいたふたつの花束を取りに行く。これを持って今市小学校へ回る。この仕事については家内から10回以上も、手違いのないよう念を押されていた。今日は今年度を以てこの小学校を去る教師を送る離任式が行われている。花束はそのためのものだ。
顔を見知ったお母さんに花束を渡す。家内には先生のお見送りをするのだと言われていたが、11時を過ぎても式の終わる気配はない。ちかくにいたPTAのお母さんに 「帰っても大丈夫ですよね?」 と訊くと 「ウワサワさんは今年で退職をされる校長先生に花束を渡す係です」 と居残りを命じられる。
そのまま校庭に立つこと45分、ようやく生徒の持つ造花のアーケードを抜けていらっしゃった校長先生に花束をお渡しし、ホンダフィットにて帰社する。
ウチの会社には花見の行事があるが、実際に花を見ることはない。皆で寄り合い酒食を共にし、その年に新入社員がいれば、その歓迎会も兼ねるというのがウチの花見だ。閉店後、どうしても都合のつかない者を除くほぼ全社員が、とんかつ 「あづま」 に集合する。
乾杯に先立ち 「今日の午前中、オタクで買物をしたんだけれど、お金は払ったけど品物を受け取ってないのよ」 という電話でのクレイムに 「商品は確かにお渡ししました。お買い物のあと、いろり端でお茶をお飲みになったお客様でいらっしゃいますよね?」 とハード・ネゴシエイションを展開したヤマダカオリさんをねぎらい、そのグラスに焼酎 「真露」 を注ぐ。
僕は、この店のメニュでは最も安い串カツを肴に真露のオンザロックスを2杯飲み、朝鮮風の三方茶碗に盛られた飯2杯と味噌汁1杯にて締める。もうすこし飲んでいくらしい社員たちを残して7時30分に席を立つ。
帰宅して入浴し、8時30分に就寝する。
朝5時に目を覚まして、「キャパ その青春」 を読む。5時30分に起床して事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。7時に居間へ戻るが、いかにもきのうは食べ過ぎた。朝飯は牛乳300CCのみとし、ふたたび店へ降りる。
2月の長い出張中に寄稿を依頼され、今月上旬に送付した文章を掲載した "CCCJ(Classic Car Club of Japan) NEWS LETTER" が届く。早速に自分の書いた 「隠者の悦楽」 のあるペイジを開く。編集者がいかにも訂正したくなる助詞が、そのまま直されず活字になっている。「ちゃんとしてるじゃん」 と思う。
自由学園の男子部高等科3年生有志が編集し、年に6、7号ほども出す 「東天寮だより」 の本年度最終号に、長男は記名無記名あわせて数編の文章を書いている。それらを読んで僕が感じるのは懐かしい叙情性だ。そしてその抒情性は、永島慎二のマンガを読んだときの気持ちとよく似ている。"amazon"に永島慎二の復刻版2冊を注文する。もちろんこれは、永島慎二など知らない長男へあげるためのものだ。
3月は1日から4日まで連続して飲酒を避け、ここで月8回と決めている断酒ノルマの半分を達成してしまった。その後は安心して普段よりも多く酒を飲んだため、この月末へ来てもいまだ1日、断酒をすべき日が残っている。町内で金谷ホテルのパンを売る 「塚田屋」 へ行き、バゲットを1本買って帰る。
染め付けの鉢へ "LAUDEMIO" のオリーヴオイルを差し、地中海のどこかでとれるという塩を振る。 輪切りにしたままの、火で炙らないフランスパンをこの油に浸けて食べる。「うめぇじゃん」 と、これが止まらなくなり、さして小さくもないバゲットの3分の2を一気に食べてしまう。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、10時に就寝する。
5時20分に目を覚ます。弱い光に寒々とした朝を予想したが、障子を開けると東京大学の銀杏の枝に切り取られた空は青く晴れていた。起床して熱いお茶を飲み、いつもと変わらないよしなしごとをする。
7時30分に甘木庵を出る。本郷三丁目から大江戸線に乗り築地市場で降りる。大阪鶴橋のプラットフォームで真っ先に感じるのは高架下に並ぶ朝鮮料理屋からのニンニクの香りだ。香港の啓徳空港には、銘柄は知らないが沖縄以南でよく使われる、僕の大好きな消毒液の臭気があった。築地市場駅で明白に感じられるのは魚の匂いだ。
場内に足を踏み入れる。9号館で探しものをする。8号館の脇を歩いて 「高はし」 の前まで来ると、その日のお薦めを書いた黒板に、そろそろ季節の終わるあんこう煮は本日30食だけ用意できたとの説明がある。引き戸を開け店に入り、そのあんこう煮を定食にして注文する。
かなりの調理時間を経て、あんこう煮、メシ、魚のアラでダシを取ったネギの味噌汁、里芋と切り干し大根の煮付け、漬物が運ばれる。あんこう煮はもちろん美味い。
パリの路地の奥深く、人形劇を見ながら酒を飲ませる店で北欧の特派員と知り合った開高健は、そこを出て彼女と臓物の煮込みを食べに行く。あんこう煮がどのように美味いかを知るには、開高のその文章を読めば良い。文章の題名は忘れた。
それにしても 「高はし」 の味噌汁の熱さは特筆ものだ。柔らかめに炊かれたメシもまた美味い。
波除神社の前から場内と場外を隔てる道を歩き新大橋通りへ出る。築地4丁目の角から晴海通りを横断しているところに、そろそろ飛行機に乗るという家内から電話が入る。家内の携帯電話が家内の父に手渡されたところで立ち止まる。目上の人と電話で話をするのに歩きながらでは失礼だ。
地下鉄日比谷線と三田線を乗り継いで神保町へ移動する。"Computer Lib" にて、きのうふたりの後輩と共に話し合った結果によるウェブペイジの見積もりをしてもらう。また、4月に新調する長男のコンピュータについても、数日以内に見積もりを送るよう頼む。
小学館地下の 「七條」 で、イサキのポアレによる昼飯を食べる。白のグラスワインは1杯のみに留めた。
"Computer Lib" へ戻り、先ほどの見積もりを、どう同学会の予算管理室に伝えるか、頭を使い言葉を選びつつその文書を作成する。
「乗り換え案内」 にて神保町から五反田までの行き方を調べると、半蔵門線を使い渋谷を経由する経路が最も短時間だと案内される。普段、東京の東側で活動をしている僕のような者にとって、新宿や渋谷はひどく遠い。渋谷へ出るのは気の進まないことだが、コンピュータに指示された通りの方法にて五反田へ移動する。
野村證券前から無料の送迎バスに乗り "TOC" へ入る。ここの8階と9階をくまなく歩き、朝の築地に続いて探しものをする。目をつけためぼしい会社では、相手があまり答えたくないような質問もする。
五反田からの山手線を上野で地下鉄銀座線に乗り換えさっさと浅草へ行けばよいようなものを、御徒町で降りて春日通りを歩く。開店直後の 「シンスケ」 に入り、新酒の季節から春までしかメニュにのらない 「タルヒヤ」 を飲む。春セリごま和え、若竹煮、アナゴの白焼きをその肴にする。
シンスケのカウンターはやがて空きなく男たちで埋まった。1階に入れず2階へ回される新規の客もあらわれはじめた。勘定を済ませて外へ出ると、不忍池から飛ばされてきたらしいサクラの花びらがある。その花びらに誘われて、というのは明白な言い訳だが、池之端の 「藪」 へ行く。炭火を仕込んだ箱で供される焼き海苔にて、菊正宗の樽酒を常温で飲む。玉子とじ蕎麦にて締める。
湯島から地下鉄千代田線にて北千住へ移動し、19:11発の下り特急スペーシアに乗る。下今市へ着いて、本日は小倉町の 「魚末」 で開かれている本酒会に遅れて参加をする。ここでもまた、蕎麦を肴に日本酒を飲む。
11時ちかくに帰宅し、入浴して0時に就寝する。
目覚めたのは3時30分だった。4時を待って起床し、事務室へ降りる。
いつものよしなしごとに加え、今夕に開かれる同学会本部委員会 「HP研究室」 の話し合いに使う資料を人数分つくる。先日、高島屋から届いて社員通用口に置いた、第130回本酒会のためのお酒の箱から発送伝票を引きはがし、その内容をコンピュータにデイタベイス化する。
7時に居間へ戻る。朝飯は、2種のおにぎり、焼きおにぎり、ユキナの味噌汁。
先週は桜の開花と同時に雪が降るなど不順な天候が続いたが、今朝の空は晴れ上がって、ようやく安心をする。販売係のサイトウエリコさんに頼んで、店舗駐車場へ水を撒いてもらう。9時すぎから客足は増え続け、午後2時30分に至っては、昨年同日の販売実績を超える商品も出てきた。
今夕成田空港ちかくのホテルに泊まる家内と長男と次男の3人を下今市駅へ送る。それから50分後、自分は歩いて下今市駅に行く。いつもの特急スペーシアではなく、時間の関係から急行南会津のキップを買う。
急行は快速と同じ車両に座席指定のみが付きすべて禁煙車のはずと、何も注文をつけずに切符を買ったが、プラットフォームに入ってきたその姿は初めて見るもので、僕の席のある4号車は喫煙車両だった。明朝の繁忙を勘案し、今日の日記をその半ばまで書き進む。
北千住から西日暮里を経由し、5時30分に池袋へ着く。約束の時間まではあと15分ある。地下の中央コンコースから北口へ延びる通路にある 「東武ブックス」 は、僕が池袋で最も頻繁に入る本屋だ。「ここしばらく小説は読んでいねぇな、小説じゃねぇんだ、なにか他のものが読みてぇんだ」 と、カニのように本棚の前を横歩きし、ようやく
待ち合わせの2分前に指定の場所へ行くと、自由学園で10年後輩のスズキケンジ君と、16年後輩のワキサカキビ君のふたりは既にしてそこへ立っていた。年長のスズキ君に酒は飲むかと訊くと、普段は飲むが、今日はまだ自宅で仕事をするため酔うわけにはいかないと答える。目と鼻の先の喫茶店に入り、「予算さえつけば、こいつは楽だぜ」 というものと、「それにくらべてこっちの方は、ちと気が重いわなぁ」 というふたつの仕事につき、今朝準備した資料を元に話し合いを持つ。
ふたりとは、日曜日の夜としてはかなりの人の量と思われる駅前の雑踏にて別れた。「腹へったなぁ、酒も飲まなくちゃ」 と、別段、飲酒を義務づけられているわけではないが思う。しかし僕が池袋で行く店は軒並み、今日はお休みだろう。
地下通路を北口まで歩いて地上へ出る。そのまま歩き慣れた、しかしいつもよりはネオンの数の少ない繁華街を歩き、知らない店に入る。焼酎 「鉄幹」 のオンザロックスと共にいくつかの肴を注文し、買ったばかりの本を読む。
地下鉄丸ノ内線にて本郷三丁目へ移動し、よせば良いのにここでもまた飲酒を為す。
9時40分ごろ甘木庵に帰着する。シャワーを浴び冷たいお茶を飲み、本日の画像を加工してコンピュータへ納める。和室に敷いた布団の上では 「キャパ その青春」 ではなく、テイブルの上に残置してあった、自由学園最高学部の生徒が編集する季刊誌 「自由人」 を読む。
推定で11時ごろに就寝する。
6時に起きて事務室へ降り、顧客からの、返信に長考を要するような問い合わせがあった場合、その後のスケデュールに混乱が生じることは今月25日の日記に書いたとおりだ。だから4時に起床する。
事務室へ降りて朝のよしなしごとをする。あした開かれる町内の総会には欠席をするが、必要な書類だけは仕上げ、役員と組長の頭数だけコピーを取る。7時に居間へ戻る。
朝飯は、塩鮭、ブロッコリーと魚肉ソーセージの油炒め、納豆、ジャコ、メカブの酢の物、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とミツバの味噌汁。この味噌汁がすこぶる美味い。「おぐ羅でケンボウんちのお徳用湯波のオデンを出したら、凄い人気になるぜ、きっと」 と思う。
なめこのたまり漬をある鮨屋へ持ち込み、「軍艦にこれとウズラの卵の黄身を盛って、仕上げに白ごまを振ると、すごく美味いですよ」 と作り方を教え、その場で上出来のひと品ができあがったにもかかわらず、以降この鮨屋からの連絡はない。ある関西のうまいもん食いがある和食屋に 「メシにウワサワのしその実のたまり漬をサックリと混ぜ込んでおにぎりにしたら、これは評判になるぜ」 と教えたにもかかわらず、料理屋はそれを試そうともしなかった。
この場合、鮨を作るにもおにぎりを作るにも、客がその作り方を教えてくれているわけだから研究開発に要する時間はゼロ分だ。鮨は1カン250円、おにぎりは小振りのもの3個で500円の値付けが可能だろう。原価率も、そう大したものではない。「どうしてみんな、やらねぇかなぁ?」 と不思議に思う。
朝飯前に作った書類をイワモトミツトシ区長宅へ届ける。あれやこれやと細かい仕事をする。ときどきは店にも顔を出す。終業後、お袋の提案により予約の為された "Finbec Naoto" へ行く。
ケシの実の振られたパンを口へ運びつつ、プティシャブリを飲む。丸ごと茹でたクルマエビのサラダ仕立て、カリッと焼いたアナゴとエスカルゴのバルサミコソース を肴に、更にシャブリを飲み進む。今年のアナゴは確かに、柳橋 「小松屋」 のあるじも言うように、この時期から脂がのっている。
クロダイのポアレは、メシが欲しくなるような洋食屋風の味つけだった。いずれにしても、ここの料理は美味い。 2種のチーズ、イチゴとグレイプフルーツのブラマンジェ、エスプレッソにて締める。
外へ出ると、我々を見送るため、裏の勝手口から回った若い主人兼料理長がポーチに立っている。「こんな寒いところで、律儀に待ってることないのに」 と思う。
帰宅して入浴し、10時に就寝する。
これまで甘木庵で使ってきた部屋は長男へ譲ったため、僕はそのとなりの和室で寝た。目を覚ますと長男の部屋からの灯りであたりは薄明るい。立ってその部屋へ行き、天井の蛍光灯のスイッチを切る。時間は4時だった。きのうの朝の起床の遅さと繁忙によりいまだ書けていなかった一昨日の日記と共に、きのうの日記も一気に完成させてサーヴァーへ転送する。
8時に長男を起こしてしばらく後に玄関を出る。1ヶ月ほど前、本郷三丁目駅前に見つけて以来気になっていた 「おむすび権米衛」 へ行く。それほど大きくない店の奥には5人もの人がいて 「いらっしゃいませ」 と元気な声を出しつつ、型は使わず手でおにぎりを握っている。販売に割り当てられているのは3人で、店の規模からすれば人の数がとても多い。
ショウケイスの中を見ると、普段、コンビニエンスストアの棚で見慣れているおにぎりよりもかなり厚みのある大きなおにぎりが並んでいる。「これはでけぇや」 と思いつつ、普段、セブンイレブンのおにぎりを食べるときには1度に3個まとめて買う習慣にあらがえず、「おかか」 「岩のりわさび」 「日高昆布」 の3個と豚汁を注文する。長男は 「塩」 「岩のりわさび」 「金山寺味噌」 の3個とやはり豚汁を選んだ。
店内には計10脚の椅子があるが、ほとんどのお客はテイクアウトをしていく。仕事が始まる前のオフィスででも食べるのだろうか。当方は席へ着き大きなおにぎりにかぶりついて、その瞬間、これまで経験したことのないフワフワの食感に驚く。米と米の粒のあいだにたくさんの空気を含ませることによって、この感じを出しているのだろう。だから大きくは見えるが、この店のおにぎりには、恐れるほどに多くの米は使われていない。
手の中でホロホロと崩れていくおにぎりを3個食べ、その合間に豚汁を飲む。それにしても、この店独特の握り方を習得するには、かなりの訓練が必要と思われる。「次に来たら、こんどはどのおにぎりを食べようかなぁ」 と考えつつ店を出る。
本郷通りまでの30メートルほどを歩きながら 「コーフィー、飲みてぇな」 と感じて左を見れば、評判の良いフランス料理屋 "AUX DELICES DE HONGO" がある。ここの1階角のバーにて、僕はエスプレッソ、長男は紅茶を注文する。飲んだエスプレッソにはまるでアプリコット・ブランデーのような香りがあって、いわゆるチェイン系のコーフィー屋のそれとはくらべものにならないほどに美味い。ただしこの場所を任されたオネーチャンが、仕事の合間に携帯メイルの送受信をしているのはマズイ。
昼までの3時間をきのうに引き続き部屋の掃除に充て、甘木庵はようやく「元の散らかり具合」に戻った。これはどういうことかといえば、捨てた不要品と、長男の運び入れた諸々の量が均衡して、なんとなく一昨日以前の状況を取り戻した、ということだ。また、キッチンや風呂場の脱衣所はこれまでよりもずっと綺麗になった。それは、長男の異常ともいえる簡素好きによる。
長男は、キッチンと風呂場に掃除用のバケツがひとつずつあるのが気に入らない。「どうしてバケツがふたつも必要なのか?」 と問う。そしてどちらか一方を捨てようとする。長男はまた、食器棚にコーフィーカップが20客とか茶碗が20客とか、小鉢が20客とか皿が20枚とかあるのが気に入らない。「食器棚ごと捨てたい気分だ」 と言い、実際に、いまだ包装も解かれていない諸々を捨てようとするので、さすがにそれを押しとどめる。
この小さな家に計何十客もの食器や十何個もの鍋、食べきれないほどの缶詰や使い切れないほどの石けんを持ち込んだのは僕のオフクロだ。長男は物のあふれる状態を嫌い、オフクロは物のない状況を嫌う。長男が一切を処分しても、空いた場所にはオフクロがまた大量の物を運びあるいは購入して突っ込むだろう。だから結局のところ、オフクロが死ぬまで甘木庵には物のあふれた状況が続く。
長男がオフクロの6畳ほどの部屋を覗いて、そこに3つの壁時計や2枚の大鏡、和箪笥や洋ダンス、また、洋ダンスを跨がなくては行くことのできないベッド向こうのサイドボードにあふれる装飾品などを見て 「なに、これ?」 と言う。「なにこれったって、見てのとおりだよ」 と答える。
長男が、居間のテレビの脇にある電話台を見て 「どうしてこんなもん買うんだろう? 電話はテレビの上に乗せときゃいいのに。そういえばテレビもいらないなぁ」 と言う。僕もそう思う。甘木庵にテレビほど不要のものはない。僕がここでテレビの電源を入れたのは、多分この1年間にただの1回だけだ。僕は正しい時刻を知るために、この1年で1回だけテレビを使った。
流し台の下の扉を開け 「ここに入ってる20年も前に賞味期限の切れた缶詰も捨てねぇ方がいいぞ。捨てればまた、一生食わねぇ新しい缶詰がゴッソリ突っ込まれるだけから、どっちみちきりがねぇんだよ」 とも、長男には注意を与えておく。
家へ持ち帰るもの、家で捨てるものを三菱デリカに積み込み、日本橋へ向かう。高島屋の新館駐車場へ入るクルマの列が長く昭和通りにはみ出している。どうしてそれほどまでに新館の駐車場へクルマを停めたいのか? 僕はその行列を追い越して花売り場の横からクルマをエレヴェイターに乗せ、屋上駐車場へと一気に上がる。
地上へ降りて丸善の側に中央通りを渡る。 ポケモンセンターの入り口までは、今日も三菱信託銀行をぐるりと一周する人のかたまりがあった。
"Suit Company" で、シングルブレストにもかかわらずベンツはダブルという不思議なデザインのスーツを長男のために買う。店員によれば、長く続いたノーベントのデザインはそろそろ廃れ、サイドベンツが復調してきたのだという。ここで家内から預かったお金が底をつきマイナスに転じる。引き続き高島屋の6階へ上がり、長男の叔母がお金を出してくれると言ってくれたため、"J.PRESS" の紺色のブレイザーを買う。
家内から預かったお金は底をついたが、僕のお金はまだある。壺中居の角から東へ進んで 「吉野鮨」 の引き戸を開け、入ってすぐ左手のカウンターに座る。先客はカウンターにふたり、小上がりにふたりのみだったが、2階で何かの集まりをしているらしく、4人の板前が黙って静かに大量の鮨をこしらえている。
先月、高島屋の会期中に来たときは昼のメニュのうちどれを頼んだのかが思い出せない。「上の大」 を二人前注文する。いつもよりもすこし時間がかかって目の前に置かれた盛り台には、右からエビ、タイ、カツオ、ヒラメ、マグロ赤身、マグロトロ、イカ、イクラ、それにキュウリと鉄火とトロの3つの巻物があった。これを食べ進んで鮨と鮨とのあいだに幾分かの隙間ができると、そこにタイラガイ、穴子、玉子の握りが置かれる。ここへきてようやく、今日の 「上の大」 は2月に食べたものよりも量の多い 「おきまり」 だということに気づく。
中央通りを走り、不忍池のほとりに出る。ここのサクラは五分咲き、といったところだろうか。途中、埼玉県から群馬県にかけての平野部で横風が強く、ほとんど四輪駆動にして東北道を走り抜ける。5時30分に帰宅する。
持ち帰った荷物を玄関へ運び入れ、この2日間に溜まった仕事を処理して居間へ上がる。種子島酒造の芋焼酎 「久耀」 を飲む。新得農場のベイコンをダシとした鍋にマイタケ、春雨、豆腐、タシロケンボウんちのお徳用湯波を入れて煮る。これを食卓へ運び、豚肉、ホウレンソウを投入して食べる。
食後に家内が、大切に取り置いている乾燥イチジクを長男へ渡す。これを初めて食べる長男に僕は 「女流ピアニストの汗ばんだ脇の下の匂いがしますよ」 と教えてやる。「嗅いだことあるの?」 と家内が返す。「いいえ、ありません」 と答える。次男が 「あのね、知らないことを言っちゃぁダメなんだよ」 と、プレイステーションSPの画面に目を落としたまま訓戒を垂れる 。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、10時に就寝する。
3時30分に目を覚まして3時まであれこれと本を読む。二度寝に入って6時に起床する。
事務室へ降りてコンピュータを起動しメイラーを回すと、顧客からの、短い時間では返信が書けそうもない問い合わせが入っている。「やっぱりオレは、もっと早くに起きなきゃだめだぁ」 と、つくづく思う。きのうの日記は作成できないまま居間へ戻る。
朝飯は、ブロッコリーの油炒め、メカブの酢の物、メンタイコ、ジャコ、納豆、メシ、豆腐とワケギの味噌汁。
きのうの閉店後に残したメモから、店舗へ行って28日に配達する予定の品につき、その包装形態を販売係のオオシマヒサコさんに伝える。事務室へ戻り、やはりきのうの閉店後に作成した書類3組を、それぞれの宛先にメイル便で送るようタカハシアツコさんに頼む。
注文フォーマットに、どうにも正しいそれを想像することのできない、全角のアンダーバーが2つも入ったメイルアドレスを打ち込まれたお客様について、納期や金額などをお知らせする 「ご注文御礼」 はメイルではなく手紙で送付するよう、コマバカナエさんに言う。
三菱デリカに乗って8時40分に会社を出る。東北道から外環状線に入り、10時30分に大泉インターへ至る。長男に電話をしても応答がないため、家内に連絡をして、11時すぎには自由学園に着くと伝えるよう頼む。
自由学園の東天寮には、11時5分に着いた。隣の 「食事研究グループ」 にて、手頃な大きさのクッキー2缶を求める。きのう甘木庵に泊まった長男がなかなか姿を見せないため、目的もなく男子部の方へ歩いてみたり、あるいはグラウンドで行われているサッカーの試合を眺めたりしてひまをつぶす。
30分ほどもして、ようやく長男が走って現れる。そのまま彼は寮へ入り、6年前の授業で自作した椅子や脇箱、いくつもの段ボール箱、物干し用クリップや布団などを、更に30分ほどかけて玄関まで運んだ。長男はこの6年間で、段取りということについては、あまり学んでこなかったらしい。それらすべてを三菱デリカに載せた後、長男は教師室と事務室を往復して、春から必要になる書類を整えた。教室では、いまだ3学期の勉強を終えない同級生がふたり、その仕上げをしていたという。
正門を出て、数百メートル進んで路地に入る。できるだけ住民の癇に触らないような場所へクルマを停める。蕎麦の 「たなか」 にて、長男は盛り2枚、僕は盛り1枚とかけ1杯を注文した。盛りを1分半ほどで平らげる。かけは熱いため、それよりも2分ほど多くかかって平らげる。「行こうぜ」 と長男に声をかけ、ふたりが立ち上がったところにお茶が出る。
「あの、もしもお急ぎでなかったら」 と、女の人が手に持ったお盆を目で示す。席に戻ってお茶を飲む。蕎麦屋と鮨屋では、どうもせっかちになっていけない。
目白通りをひたすら東へ走り、やがて春日通りに入る。茗荷谷から春日町の谷へ下り、本郷の丘へ上がる。東久留米市の自由学園から甘木庵までは、1時間30分ほどで到着した。
クルマの荷台から荷物を降ろし、それを、これからは長男の部屋になる現在の僕の部屋へ運び入れようとして、それがその手前のキッチンに山積みになる。とりあえずそのままにして、近所の家2軒に自由学園のクッキーを持ち、引っ越しの挨拶に行く。
僕の部屋の衣類をほとんど捨てる。本棚の膨大な本は段ボール箱へ収めてあったが、これの取捨選択は後日の長男の仕事として残す。僕の勉強机の中身を、長男とふたりで次々にゴミ袋へ入れていく。30年ちかく前に同級生などからもらった大量の手紙も捨てる。25年以上も前に家内からもらった手紙については、捨てても残しても何か言われそうなため、2通だけ残してあとは捨てる。
30年以上も前に借りたらしい自由学園のスプーンが出てくる。これを長男に、学校の食堂へ戻すよう頼む。「チャタレイ夫人の恋人」 などという本も出てくる。その背表紙に、自由学園の図書館の印がある。「こんな本を、果たして学校の図書館が置くだろうか?」 と疑問に思ったが、しかし印は本物だ。これを長男に、図書館へ返却するよう頼む。
池袋文芸座が発行していた、1週間ごとの上映予定表が山のように出てくる。マニアに譲ったら泣いて喜びそうなこの30年前の紙の束を思い切って捨てる。そうして出たゴミは70リットルの袋7個にも及んだが、不要のものがすべて片づけられたわけではない。8ミリフィルムの上映機やジュラルミン製のカメラケイスなどを廊下へ運び出す。
3時間ほど体を動かして、いまだ部屋もキッチンも廊下も混乱の極みにある。窓の外は既にして暗い。腹も減った。長男に何が食べたいかと問うと、ややあって 「和食かな、オデンとか」 と言うので、「だったら着替えなくちゃいけねぇ」 と答えて、アメリカ製のジーンズを履きイタリア製のシャツを着、日本製の麻のコートを羽織りフランス製のスカーフを首に巻き、ドイツ製の靴を履いて外へ出る。と、こう書くと大した格好のようだが、実はそれほどのものでもない。
地下鉄丸ノ内線にて銀座へ行く。地上へ出て目と鼻の先の数寄屋通りへと入る。家内から長男に電話が入る。いまだ晩飯を食べていないとのことばに対して家内は、初日から完璧に片づける必要はないと答えたらしい。電話を切った長男が僕の方を向き 「完璧も何も、まだメチャクチャだよ」 と言う。
「おぐ羅」 への階段を降りて、目の高さより上だけが透けたガラスの引き戸を開ける。運良く 「鍋前」 からカウンターを奥へ進んだ 「板前」 の席が空いていた。「今日は吉四六で行こうかなぁ」 と考えつつストゥールに座ると、この店でもっとも多く酒を注いでくれるオニーチャンが 「島美人、ストレートで?」 と言う。せっかくなので 「うん、お願いします」 と返事をする。
家を出るとき、家内からは長男のスーツを買うお金を預かってきた。「たなか」 の蕎麦代は、その中から支払った。そしてこの店にも、スーツのためのお金を入れた封筒を持ち込んでいる。「ぜんぶ食っちゃえ」 と思う。
鰹のたたき、「刺身」 と黒板にはあるが茹でたホタルイカ、タイラガイの刺身、小肌酢ときて、オニーチャンに 「焼酎お代わり。こんどは2杯分、入れて」 と注文をする。すぐ空になる酒の量では忙しくていけない。自己主張はしてみるもので、届いたオールドファッションドグラスには、先ほどの倍以上の 「島美人」 があった。この店の息子が 「2杯以上、入ってます」 と笑う。もちろん僕も笑う。
鰹のたたきを食べ、いまだポン酢と薬味の残る皿にはオデン鍋から厚揚げ豆腐を入れるよう頼んだが、普通の豆腐が盛られて手渡される。黙ってそれをこなし、再度、厚揚げ豆腐を注文する。豆腐も厚揚げ豆腐も、四つ割のうち3つは長男が食べ、残りのひとつを僕が食べる。
鯨ベーコンを2切れ3切れほどつまみ、生まれてこの方これを食べたことがないという長男に皿を渡すと、すべてを食べきってしまいそうな勢いのため、これを取り返す。その代わりと言っては何だが、長男に 「煮魚、食わない? キンキとナメタガレイ、どっちがいい?」 と訊く。
そのナメタガレイを食べ進んだ長男が、卵の部分を残して僕の前へとその皿を置く。「魚の卵は、オレが最も食ってはならないものです」 と、肉のかけらをひとつまみしたのみにて差し戻す。長男はカレイの残りを綺麗に食べ、もらったメシにその煮汁をぶっかける。「いやぁ、ここまで食べていただければ」 と、オニーチャンが笑う。
「そろそろオデン、行くか」 と、長男に声をかける。僕は先日に続き、エビイモとワカメをもらう。長男はダイコンとジャガイモと餅袋を選んだ。僕は更に、ダイコンとがんもを追加する。 長男も更に、ハンペンとキャベツ巻きを追加する。
そうして締めた勘定は、6年前の夏、長男とふたりで来たときに支払った金額とほとんど変わらなかった。「安い方に間違えたんじゃねぇか?」 という気がしたが、なにより当方は酔っているし、計算をした店の人はしらふだから、僕よりも頭は確かだろう。スーツに充てる資金はギリギリで残った。ただしシャツを買う余裕はない。
「どっかでコーフィー、飲みてぇな」 という気持ちを抑えて、9時30分に甘木庵へ帰着する。
入浴して冷たいお茶を飲み、10時30分に就寝する。
3時30分に目を覚ます。ベッド下に散乱した活字を拾い読みしているうちに1時間が過ぎる。すこし休んで二度寝に入り、5時30分に気がついて起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、生のトマト、納豆、キャベツの油炒め黒酢がけ、きのう余った魚肉ソーセージの油炒め、メンタイコ、メシ、ユキナの味噌汁。人からいただいたため、このところ毎朝のように食べているメンタイコは、医者からもらったパンフレットに 「あなたのような人はねぇ、やめといた方がいいよ」 と書かれている食品のひとつだ。
今月28日の総会にて承認を得るべく、来年度の予算案を持って春日町1丁目の会計係タケタショウジさんが来る。僕の仕事は手書きのこれを清書することだ。清書はコンピュータで行う。清書するついでにキーを3つばかり叩いて検算をしてみる。2個所に間違いがある。
その間違いにつきタケダさんの家を2度、訪問する。タケダさんの奥さんが 「わりーね、ウチのおとーちゃん、そろそろボケてっから面倒みてちょうだい」 と言う。タケダさんがボケているわけではない。電卓で何十行もの計算をすれば、誰でもひとつやふたつの計算違いはするだろう。コンピュータは至極、人間的な道具だが、電卓についてはそうともいえない。
初更、エレヴェイターから降りて真っ先に聞こえてきたのはニンニクの香りだった。「いいじゃん」 と思う。廊下に置いた "Domaine de Florian VIN DE PAYS D'OC 1997" の口からバキュバンの栓を外して巨大な風船グラスにその中身を注ぎ、ほんの少しだけすすってメシのできあがりを待つ。
茹でたブロッコリーを家内はそのまま食べるが、これを美味いと思う人が、世の中には一体どれほどいるだろうか? 茹でたままのブロッコリーやカリフラワーのどこが美味いのか? という子どものころからの疑問は、それから40数年を経てもいまだ解決することなく自分の中にある。そのとなりの皿にあるツナとレタスとトマトのサラダについては、そのような疑問を持つことはない。
先日、自由学園の昼飯当番で作ったマカロニメキシカンは、調理手順を間違えてもなお美味かった。家内がこれをリガトーニにて再現する。家内には 「豚肉よりも牛肉にした方が絶対、美味いぜ」 と言っておいた。できあがったものは、もちろん美味かった。2種のパンを食べ、"Atelier de Fromage" のウォッシュブルーで締める。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時に就寝する。
目を覚ましたのは4時だったが、ベッド下に散乱した本をあれこれと読んでいるうちに6時30分になる。起床して事務室へ降り、わずかばかりのことをして居間へ戻る。
1960年代、週末に事務係のコイズミヨシオさんの家へ泊まりに行くことが、いまだ小学校3、4年生だった僕には大層な楽しみだった。コイズミさんの家には小学生から中学生の男の子3人がいた。この家で経験することはすべて楽しかった。そしてメシも美味かった。
コイズミさんの家の朝飯で今でも忘れられないメニュは、魚肉ソーセージの油炒め、フライパンで返さずそのまま皿へ載せる平たい卵焼き、そして納豆の組み合わせだ。醤油と刻みネギと玉子を投入して泡立つまで混ぜたラーメンどんぶりの納豆を、各自がスプーンで自分のメシの上へ載せて食べるその美味さは、たとえようもなかった。味噌汁の具は 「菜っ葉」 であることが多かった。
僕はときどき無性に、この朝飯が食べたくなる。そして今朝は、家内にこれを頼んで作ってもらった。しかし、コイズミさんの家の朝飯は、はるか40年ちかくも前のもので、それは風雪を経て美化された幻想でもある。むかしの味は物理的にも、また心理の面からすればよけいに忠実な再現は困難だ。その幻想の朝飯に、昨夕の余りの天ぷらとメンタイコとを加えて本日の朝飯とする。
4月から学校の寮を出て甘木庵へ移ることになった長男が、菓子を焼くためのオーヴンが欲しいと家内に注文をしたらしい。これを受けて僕は先週の後半、多くの人が知っている有名な電気店のウェブショップを訊ね、用意されたフォーマットからデロンギのオーヴンについての質問を送った。
今日までその返事が戻らないため電話をすると、担当者は 「ご質問へのお答えは、先週のうちにお送りしました」 と明言する。インターネットを介するメイルがどこかへ消えてしまう可能性は、皆無とはいえない。当方に返信が届かなかったことは水に流し、更に訊くと 「当方では分かりかねますので、デロンギ・ジャパンにお問い合わせください」 というのが、僕の質問に対する返答だったという。
「しかし、自分の店で売っている商品の説明ができないってのは、おかしいなぁ」 と言うと、「そうですね、申し訳ございません」 とのことだったが、急速に拡大した会社、急速に拡大した部門に、こういうことは珍しくない。
デロンギ・ジャパンに電話をしてその商品への質問をすると納得のいく答えが戻ったため、ふたたび 「自分の店で売っている商品の説明ができないウェブショップ」 へ戻って、そのオーヴンを発注する。
数ヶ月前まで、家内が用事で出かけた晩には、多く次男を連れて外食をしていた。しかしそれも過ぎれば、教育上あまり良くないのではないかと考え、以降はほとんど家で過ごすようになった。家内が作り置いたカレーライスを食べ、またイチゴを食べる。
入浴して牛乳を500CCほども飲み、眠ろうとするが、何かの物音にそれを阻まれる。焦燥するうちに家内が帰宅する。僕としては珍しく、11時を過ぎてようやく就寝する。
目を覚ましてしばらく後に居間へ行き、壁の時計は壊れているから机上の腕時計を見ると2時50分だった。そのまま起床してコンピュータを起動し、ウェブショップの受注を確認する。あちらこちらからのメイルを読み、それらに返信を書く。きのうの日記を完成させてサーヴァーへ転送する。
テレビの天気予報が、本日の東京に雪の降る可能性を伝えている。準備した半袖のTシャツと木綿の長袖シャツのみでは凍えてしまうだろう。いつだれが買ったのか、あるいはもらったのか不明のマクレガーの革ジャンパーをTシャツの上にはおり、6時40分ちかくに甘木庵を出る。
「この前できたばかりのおにぎり屋は、まだ開いてねぇだろうな」 と考えつつ、本郷通り沿いの 「松屋」 にてハムエッグ定食を食べる。
2時50分から起きていたにもかかわらず、自由学園には昼食当番の打ち合わせが始まる8時直前に到着した。調理の先生1名と生徒の父母6名の計7名にて、8時20分より昼食の準備を始める。
既にして皮のむいてあったタマネギを半割にして芯を取る。そのタマネギをサラダ用に薄くスライスする。ニンジンを洗い、縦の四つ割りにする。生で食べるレタスを1度洗って芯を抜き、更に2度洗いする。デザートのヨーグルトに入れるバナナをこれまた3度洗いする。
大鍋に油を敷いて、こちらは手ではなくスライサーにて厚めに刻んだタマネギとニンジンを炒める。追って豚肉のこま切れも投入する。肉に生の部分が見えなくなるまで炒めて次は水を差すところ、手順を間違えて先に、茹で上がったマカロニを投入する。
「豚肉とタマネギにひたひたの水を加える」 という調理案内は事前にファクシミリで送られていたが、お母さん方の命令によって動けばよいと考えている僕は、もとより読んでいない。鍋の縁ちかくまで積み上げられたマカロニにひたひたの水を入れる。
なんとか味と形を整えたマカロニ・メキシカンを11時に完成させる。鍋の余熱を利用して、盛りつけの時間までこれが冷めないようにする。サラダや具だくさんのヨーグルトも完成し、配膳係の生徒を待つばかりになる。
12時を過ぎて、昼食当番や寮母さんたちの席へ着く。キュウリとキャベツとレタスのサラダ、マカロニメキシカン、果物やマシュマロの入ったヨーグルト、2種のパン、紅茶、牛乳による昼食を、有り難く食べる。なお本日は3学期最後の昼食となり、我々高等科3年生の親はもう昼食作りに参加をすることはない。その全員が壇上へ上がり、短い感想を述べる。
羽仁吉一記念ホールの男子トイレを掃除し、2時20分ごろに正門を出る。いまにも雪に変わりそうな冷たい雨が降っている。浅草駅16:00発の下り特急スペーシアに乗る。鹿沼の低い山は霧に覆われていたが、それから10分を経て今市へ至ると牡丹雪が降っていた。家内の運転するホンダフィットにて帰宅する。
日常に戻り、次男の教科書音読の宿題を督励する。
トロロ、メンタイコおろし、昆布巻きにて、網手の湯飲みに注いだ 「真澄」 のあらばしりを飲む。田ゼリ、ナス、赤ピーマン、マイタケ、エビの天ぷらにて、更にその酒を飲み進む。田ゼリはその細根も 含めて天ぷらにすることを、僕は今日はじめて知った。
入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時に就寝する。
このところ、目覚めて 「もう4時30分くらいにはなるのだろうか?」 と考えつつ枕頭の灯りを点け時計を見ると、いまだ2時をすこし回ったところだった、ということが続いている。今朝も2時10分に目を覚まし、3時20分までベッド下に散乱する活字をあさって二度寝に入った。5時に起床する。
事務室へ降り、いつものよしなしごとをする。店舗の灯りをすべて点け、あれやこれやと考える。「あれやこれや」 とはいえ、その内容は大したものではない。
朝飯は、2種のオニギリと、昨夕に食べ残したキンメダイのダシによる味噌汁。
きのうの牡丹雪は首都圏にも及んだということだったが、今朝の空は一転して晴れ上がった。
7時35分に、本日が初出勤になる事務係のイリエチヒロさんを迎える。間もなく出社したコマバカナエさんに、彼女をロッカールームへ案内してもらう。やがて揃った本日出勤のすべての社員たちと新入社員とが自己紹介の交換をする。イリエさんを今度は家内がロッカールームへ連れて行き、みなと同じカーディガンと前掛けと三角巾を身につけさせて事務室に戻る。制服は3ヶ月の後に発注をする。
イリエさんの朝の掃除などの日程は、販売係のヤマダカオリさんにより既にして会社のpatioへアップしてあった。入社直後の日中の仕事については、事務係のタカハシアツコさんとコマバカナエさんが適宜教えていくだろう。
下今市駅9:02発の上り特急スペーシアに乗る。コンピュータを起動して日計表を整える仕事をする。10分後にそれを終えて眠りに落ち、気がつくと45分が経っていた。
竹橋の 「アラスカ」 における自由学園同学会・新会員歓迎会では、役員として10時30分の集合が要請されていた。しかし本日が休日のおおかたとは異なり、僕には新入社員を会社へ迎える仕事があった。数十分の遅刻にて、ひとけのない毎日新聞社ビルの地下から9階のフロアへエレヴェイターで運ばれる。
会議は既にして終わりつつあるところだった。最初からこれへ出席した同級生のヤマシタヨシマサ君より、その内容につき重要な部分のみレクテュアを受ける。
やがて、きのう自由学園最高学部を卒業した面々を、卒業生の組織である同学会へ迎える会が始まる。新会員の自己紹介の後、同学会本部委員会の更迭式が行われる。昨年度のヨシダヒトシ委員長が退任の挨拶をし、今年度のウチダヒトシ委員長が就任の挨拶をする。
昼をずいぶんと過ぎて懇親会が始まる。僕は水割りでもビールでもなく白ワインを飲む。きのう、ある計測機器会社への就職を希望する学部3年生への情報を求める、就職委員で1年先輩のアンドウリョウジ君には、僕が知りうる限りのことをメイルにて送った。そのアンドウ君が僕に気づき 「ああいう素早いレスポンスは、ホントに助かるんだよ」 と褒めてくれる。
3年後輩のムラヤマムツミ君が 「ハセガワ君の追悼文集への寄稿、まだ間に合いますかね?」 と訊く。「バカヤロー、今ごろんなって」 と叱り、既にしてペイジ割りに入っている同級生のノリマツヒサト君へ電話を入れる。ムラヤマ君を窓辺へと呼び、その携帯電話番号を教えて 「後はノリマツと相談しろ」 と言う。皇居の深い緑の中では、何か大規模な工事が行われていた。
快晴だった空がいかにも春らしい薄曇りにかわるころ、地下鉄東西線と日比谷線を乗り継いで広尾へ出る。麻布の山を徒歩で上がり 「天真寺」 へ行く。初彼岸を迎えた家内の母に、線香を供える。
野球場のある仙台坂上から北へ歩く。マンションの元麻布ヒルズは上へ行くほど太くなって、香港やシンガポールにある高層ビルのデザインを思い起こさせる。一本松坂に続いて大黒坂を下り、更に、鬱蒼と木の茂る崖下の道を折れて麻布十番商店街へ出る。
親子4人で行き僕が水割りを2杯も飲めば即1万円ほどは使ってしまう高級ラーメン屋 「登龍」 に行列ができている。「豆源」 にも行列ができている。モツ焼の 「あべちゃん」 は昼からの営業だが、いまだワインの酔いが残るため、というかそうそう飲んでもいられないため、その入り口を眺めたのみにて歩き続ける。
長男はことしの春より自由学園の最高学部へ進むが、必要となるスーツについて 「サルトリアでレインコート地のスーツ、作ってやるよ」 と言ったところ 「いやぁ、安いやつでいいよ」 とのことにて、まことに張り合いがない。"Suit Company" へ行き、適当と思われるものを見つくろって、女店員にその商品番号をメモしてもらう。
別途、家内の叔母が長男にブレイザーを買ってやりたいと言ってくれていて、それについてはいまだ改装の続く高島屋6階の紳士服売り場にて、いろいろと見たり店員に質問をしたりする。また、地下1階へ降りて顔見知りの職員に挨拶をする。
甘木庵へ戻って荷物を置き、晩飯について考える。日曜日にも営業をする店はそこここにあるが、今日の僕には蕎麦屋しか思い当たらない。池之端の 「藪」 は良い店だが、あそこには焼き海苔、板わさ、ヌキくらいしか酒肴は無かったのではないか? 蕎麦を中華の固焼そば風に調理した巣ごもりにてビールを飲むという裏技はあるが、僕はビールは殆ど飲まない。鴨鍋はあるだろうが、ひとりでこれを注文しては大げさになる。
「とすれば、谷中の 『川むら』 か」 と、ふたたび靴を履く。
むかし禅寺で 「禅とは山を降りること」 と聞いたことがある。更にむかし、カトマンドゥでマジックマッシュルームに蜂蜜をつけて食べていた、世田谷のある大学の山岳部員アキモトさんは 「これを食べると、山を降りていくときの気分がするんです。分からない? そう、だからこういうことは説明してもしょうがないんです」 と言った。そして僕はいま、本郷の丘を下る。
湯島から乗った地下鉄千代田線を千駄木で降り東へ歩く。夕焼けだんだん坂を上がってしばらく行くと、「川むら」 はようやくその看板に灯りをともしたところだった。
この店は上出来の酒を35種ほども揃えるが、今は燗酒が飲みたい。「本酒会」 にて千本を超える酒を飲みながら燗にして美味い酒を知らないのは、僕が日本酒を利いてあれこれと批評することに興味を持たないためだろう。もしもここにコバヤシハルオ本酒会員がいれば 「コバヤシさん、燗で飲むとしたら、どれだろうね?」 と訊くところだが、今夜の僕はひとりきりだ。
尻のかなり低いところで細いジーンズを履いた女の子に 「お酒、お燗で」 と注文をする。壁に貼られた20種ほどの酒肴から、菜の花辛子和えと鱧板わさを頼む。燗酒はビンのままで供される 「東薫」 だった。
いまだ風は冷たいけれど、今日の皇居のお堀端には七分咲きのサクラがあった。そういう春の初更において燗酒を飲む気分には格別のものがある。ガラスをはめた格子戸の向こうには藍色の空が見えて、いるかどうかは知らない。この店のガラスは磨りガラスだ。
ここで酒を切り上げれば粋なのかも知れないが、サーヴァーから注がれる 「喜楽長」 の生酒を注文する。品書きには生ウニ卵焼きなどもあるが、蕎麦屋でそのように豪華なものを頼んでは罰が当たりそうな気がする。煮こごりを頼む。
煮こごりを口の中で噛むと、それは先ずふたつに分かれ、やがて4つに分かれて徐々に小さくなるが、その噛み切られた縁はいまだ冬の尾根の雪庇のように鋭い。ここで安直に呑み込んでは、煮こごりに対して申し訳が立たないような気がする。更にその切れはしを咀嚼していくと、透き通ったゼラチンはそれ以上細かくなる前に溶けてのどの奥へと消えていった。
いよいよ蕎麦で締めようとする。「やっぱ盛りかなぁ、でもオレは、粋な客じゃぁねぇんだよ」 とばかりにカレー南蛮蕎麦を注文する。ややあって家内から電話が入る。それは、今週の販売成績を告げるものだった。
この店が汁蕎麦に用いる器は香港の粥麺専科の丼とほぼ同じ大きさで、普通の蕎麦屋のそれよりも幾分か小振りだ。だからいくつかの酒肴にて腹がほぼ落ち着いた後にも、無理なく胃へ収めることができる。
店を出て右の千駄木へは向かわず、左へ歩いて日暮里から上野へ移動する。よせば良いのに、ここでも飲酒を為す。そして更によせば良いのに、湯島の 「デリー」 でカシミールカレーを食う。「馬鹿じゃねぇか?」 と思う。でも、すこしは遊んだ気分になった。
更に気温を下げた春日通りを歩き、既にして花を散らせた梅の木が並ぶ湯島天神の脇を上がっていく。9時30分に甘木庵へ帰着する。入浴して冷たいお茶を飲み、10時30分に就寝する。
普段は朝飯前に、コンピュータへその日の起床時間ほかを記録するが、この日については何も残してはいなかった。そのため目を覚ましてからの数時間に何をしていたかの記憶は曖昧で、だからここへ書くこともできない。もっとも、ウェブショップの受注確認ときのうの日記の作成をしたことだけは確かだ。
今日の朝飯は、これはしっかり画像に収まっているから日記にその内容を並べることができる。玉子とミツバの雑炊、ヒジキの炊きもの、昆布の佃煮、タクアンの油炒め、塩鮭、カキの佃煮。
お彼岸の連休1日目という、うららかな気候ならかなりの成績が商売に見込めるその日の昼前から、こともあろうに盛大に雪が降り始める。大きな牡丹雪のため積もることはないが、それにしてもサクラの芽も紅くなり始めたころの雪は有り難くない。この悪い環境下にあって、できるだけ売り損じのないよう、普段よりも長い時間を店舗にて過ごす。
夕刻、薄暗くなるまでに雪は止んだが、地面は冷え切り、来店されるお客様の服には、まるで真冬に戻ったような分厚いコートが目立った。
初更、分厚いグラスを焼酎 「そばのかおり」 で満たす。ハクサイのごま油風味、3種の薬味による湯豆腐、エビイモを用いた筑前煮、キンメダイの干物にて、その焼酎を飲む。ウォッシュタイプのブルーチーズなどというシロモノは、我が家では僕しか口にしない。これを最後の酒肴として、今夜のメシを締める。
入浴して牛乳を250CCほども飲み、9時に就寝する。
と、ここまで来て 「このくらいの長さが、自分の書くウェブ日記としては適当だよなぁ」 と考える。
深夜2時30分に目を覚ます。1時間だけベッド下に散乱する活字を拾い読みし、3時30分に起床する。3時30分に起床はしても、暗闇にて服を着たり洗面をしたりしているうちに4時がちかくなる。
事務室へ降り、コンピュータを起動する。ウェブショップの受注を確認する。届いている資料請求に返信を書く。昨日の日記を作成する。また小学2年生の次男の担任へあてて、連絡事項を記した手紙を書く。
なにかの理由により朝飯の画像を紛失した。画像なしに朝飯の内容を思い出してここへ列挙することは能わない。
昼前、町内で日光金谷ホテルの上出来なパンを売る塚田屋さんより、なぜか大量の山菜おこわをいただいてしまう。僕は早めの昼食を済ませて後に出かけようとしていたため渡りに船と、器の端にタクアンの油炒めとヒジキの煮付けというおかずまで備えたこのおこわによる昼飯を事務室にて取る。おこわも美味いがヒジキも美味い。このヒジキに漂うそこはかとない魚の香りは、共に炊かれた薩摩揚げからのものだろうか。
きのうの日記に書いた 「面倒な仕事をするときには、それについて詳しい人と同じ机で作業をする」 ということをするために、ホンダフィットにて宇都宮へ行く。CDプレイヤーに
電話と手紙をやりとりしつつだったら数日は要しただろう書類の作成を10分ほどで終る。かつては宇都宮城に勤める武士の住宅地だった、細い道が鉤の手に続く地域を微速で抜け、平成通りの洋菓子屋 「王様のお菓子屋」 へ行く。ここへ寄ったのは家内に 「すごく美味しいらしいから、なんでも良いから買ってきて」 と2,000円を手渡されたためだ。
赤い引き戸を開け小さな店内に入ると、目の前にこれまた小さなショウケイスが迫っている。真ん中にあるイチゴを使ったケイキが、その置き場所からして今の時期のお薦めらしい。そしてその値段は周囲を圧して高い。そのケイキと他の品との価格をXとYとに代入して、頭の中に連立方程式を組み立てる。2,000円に七百数十円を足して6個のケイキを買う。
3時前に帰社する。
店舗の天井からつり下げられた品名板を照らす灯りを、閉店直後より小島電気が取り付け始める。むかし長い直線を決めるのに人は墨壺を用いたが、現在では多くレイザー光線が使われる。梁に照射された赤い光線に沿って華奢な蛍光灯が並べて固定され、配線が終了すると7時になっていた 。
バキュバンで栓をした "Bourgogne Blanc Domaine Leflaive 1998" と "Domaine de Florian VIN DE PAYS D'OC 1997" の2本を僕の席の右へ置く。オイルサーディンのチーズ焼き、タコとベビーリーフのサラダ を肴に先ず 「白い方」 を空にする。
リガトーニは 「重いソースにこそ合う」 という意見が、どうやら料理の先生のあいだでは通説らしい。しかし僕と次男は対象がどのような種類のものであっても、パスタは茹で上げた後に、ニンニクとトウガラシの風味付けをしたオリーヴオイルをかけ回して食べる方法を好む。
僕の提案によりニンニクとトウガラシと共に油へ投入されたナスを小さく切り、次男に 「食べられなかったらオレが食ってやる」 と、その皿へ載せる。次男はこれを口へ入れ、そして 「ペーッ」 と吐き出した。それを僕はフォークに差して、今度は自分の口へ運ぶ。別途用意したミートソースを家内はリガトーニにかけたらしいが、「白い方」 に続き 「赤い方」 を数杯も飲み進んだ僕はよく覚えていない。
最後に、「王様のお菓子屋」 のケイキのうち、僕はアーモンドの香りのするイチゴのケイキとプリンとのふたつを食べる。「これらにはいわゆる香料がまったく使われていないようだ」 と家内が言う。プリンは艶々と透き通って、玉子の柔らかい香りが軟口蓋の奥を直撃し鼻腔へと抜けていく。「これは、ただのお菓子屋によるもんじゃぁねぇよ」 と家内に言う。
入浴してなにも飲まず、9時に就寝する。
いまだ深夜というのだろうか、2時に目を覚ます。大きめのマグにたっぷりの牛乳を飲み、すこし休んで3時前に起床する。この時間から起き出したのは、そろそろ顧客名簿の整理をしようと考えたからだ。
事務室へ降りて1時間の後には、社内各所のコンピュータへ新しい顧客デイタが供給されるばかりになっていた。続いてきのうの日記を完成させ、いつもなら 「メイルマガジン」 「ウェブペイジ」 「紙の会報」 の手順で進む 「本酒会報」 のウェブペイジ版を、紙の会報に1週間遅れで作成する。
朝飯は、ゴボウやイカの入った辛い薩摩揚げを煮たもの、納豆、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、メンタイコ、カキの佃煮、メシ、豆腐とミツバの味噌汁。僕の目の前にある家内の朝飯は、デニッシュやクロワッサンなどのパン。
書類を1通、作成しなくてはいけない。当方のコンピュータにある自作のフォーマットに文字や数字を当てはめていく式の書類なら、いくら作ってもそれほど疲れはしない。ただしそうでないものについてはいつも面倒な思いがつのる。こういう際の僕の常套手段は、それについて詳しい人と同じ机で作業をするというものだ。
書類の提出先に電話を入れ 「そちらの仕事場でこれを完成させてもかまわないか?」 と訊く。相手はその書類が自社の利益につながることだから二つ返事で快諾をする。これにて僕の仕事はほとんど、資料と道具をそろえるだけになった。
血液検査を明日にひかえ、というか病院に指定された採血日は来週はじめだが、「早めにやっちまえ」 とばかりに今夜の飲酒を避ける。
冷やしトマトとは、飲み屋のメニュにあって普通は使われない料理名だ。これと豆モヤシは飲酒の初っぱなにあって格好の肴となるが、今日ばかりはこれにてメシを食う。ムッチリとした水餃子が美味い。中国のどこかで食べる鍋貼のようにポッテリと丸い焼き餃子も、また美味い。メシは1回だけお代わりをした。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時に就寝する。
と、ここまで書き終えて行数を数えると、僕のブラウザでは18行となった。これくらいの文字量を目安に日記を書きたく思うが、そうするとほとんどメシの記述だけで終始することになる。あるいはメシを 「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜」 と限定をしてしまえば、多少は他のことも書ける勘定になる。いずれにしても、日記は短くしていきたい。
5時に起床する。
この日記を現在の僕のブラウザで見ると、1行に56文字がある。600文字を56で割ると四捨五入して11行。行の中には短いものも含まれるため、その11行を50パーセント増しにして17行。毎日の日記をこのサイズに納めることが僕の無意識の目標だが、今日の分についてはどうなるだろうか。
事務室にて朝のよしなしごとをして7時に居間へ戻る。
朝飯は、焼きおにぎりと塩鮭のおにぎり、それにシジミと万能ネギの味噌汁だった。「おにぎりは2個食えよ」 と言ったところ、次男は塩鮭の方には手を出さず、焼きおにぎり2個を食べて味噌汁を飲み席を離れた。これまで次男がもっとも好きなおにぎりの中身は塩鮭とばかり思っていたが、醤油だけの焼きおにぎりがそれに並列したときには後者を採るということを初めて知る。
麻布の天真寺に、家内は実家の墓参りに行った。オヤジもどこかへ出かけた。本日出勤の事務係はコマバカナエさんひとりで、おまけに今日は休暇を取っている販売係が多い。12時30分から1時30分まで店に出るよう、販売係のオオシマヒサコさんに頼まれる。
コマバカナエさんが昼食のため社員休憩所へ去った後、オオシマヒサコさんは自分の昼飯として用意した 「大根のたまり漬」 を刻み入れたおにぎり2個を僕にくれた。オオシマヒサコさんに 「それでは自分の昼飯はどうするのか?」 と訊くと 「セブンイレブンのおにぎりを買ってくる」 と言う。熱いお茶と共に、この小振りのおにぎり2個をまたたく間に平らげる。
先週購入した佐藤和次の大鉢が花器として用いられ始め、店舗奥の飾り棚は更にその雰囲気を良くした。ここにはつい商品広告の写真などを置きたくなるが、しかしそうすると、現在のいわゆる 「良い感じ」 は大きく減殺されることになる。「ここはできるだけ、このままにしておこう」 と決める。
終業後に家内を下今市駅までむかえに行き、帰宅して居間へ上がると次男は算数の宿題を終えるところだった。次男が 「今日は 『スーホの白い馬』 は何回読むの?」 と訊く。「宿題では何回なの?」 と問い返すと 「3回」 との返事が戻る。「だったら3回でしょう」 と答える。
フニャフニャと力を抜いて音読をする次男を叱咤激励する。1回目はなかば涙声で、2回目はほぼ普通に、3回目は元気いっぱいに声を出して音読を終える。次男は宿題の最中にはいつもくたびれた顔や泣き顔を見せるが、それから解放されれば即、鼻歌まじりでゲームボーイなどのスイッチを入れる。次男の気分の切り替えは常に早い。
シュンギクのゴマ和えを見て、今日は焼酎ではなく猪口に 「真澄」 のあらばしりを注ぐ。若竹煮、水ナスの塩漬け、アナゴの押し寿司、海老入りクネルの揚げ春巻き、生のキュウリとノビルとひしほ味噌、と酒の肴が続いて、ウズラ豆とワラビ餅にて締める。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時に就寝する。
目を覚ますと夜中の2時30分だった。起き出すにはいまだ早すぎる。ベッドの下に散らばる印刷物を拾い読みしているうちに眠気を憶え、3時30分に二度寝に入る。5時に起床する。
事務室へ降りシャッターを上げると、空はほんの1ヶ月前のそれとは比較にならないほど夜の気配を薄めている。
自由学園の学部寮が建設されたのは、多分1960年代の初めだった。僕はその十数年後にここで1年を暮らしたが、そのころには既にして充分に古く感じる施設だった。そして今年よりこの学部寮は、住む学生を限界まで減らした状態で改装に入るという。長男はこの工事の終わる来春まで、とりあえずは甘木庵から学校へ通うことになった。
現在いる東天寮から甘木庵への引っ越しについて、それから今般の店舗改装についての長男への手紙を、1時間ほどかけて書く。突っ込みすぎたメシを口からあふれさせ苦労している次男の写真と共に、これを封筒へ入れる。
朝飯は、トマト入りスクランブルドエッグ、キャベツの油炒め、塩鮭、ホウレンソウのゴマ和え、納豆、ゴボウやイカの入った辛い薩摩揚げを煮たもの、メシ、ダイコンとミツバの味噌汁。
比較的しずかな日中を過ごして夕刻に至る。
燈刻、次男の算数の宿題を督励する。本日あそびに来た同級生のダイゾー君が5分で終えた100マス計算に46分を費消する。そのため 「今日は3回」 と義務づけられた 「スーホの白い馬」 の音読は1回しかできずにメシの時間となる。
"Domaine de Florian VIN DE PAYS D'OC 1997" を抜栓する。見た目は旧式で、しかし味は新しいレタスとトマトとキュウリのサラダを食べる。
洋食の店にはさすがに見あたらないが、和食の場合には、かなり高級と思われる店でもできあいのドレッシングを使うところがある。たとえ携わるのは和食でも、料理人ならドレッシングを作ることくらいできるだろう。既製品のドレッシングは、美味くしようと目論んであれやこれやと調合し、かえってそれが裏目に出ている例が少なくない。
スペインの料理屋では、卓上の塩と胡椒と酢と油を客が勝手にサラダへ振りかける光景を多く目にした。そしてできあいのドレッシングよりは、素人の手になるこちらの方が味はずっと良い。
「何が言いたいか?」 といえば、オリーヴオイルとバルサミコ酢と塩がぞんざいに振りかけられた今夜のサラダは美味かった、ということが言いたかった。
グリーンアスパラガスとコーンのバター炒め、煮込みハンバーグときて、「このハンバーグには、やっぱりメシだよな」 と思う。
僕は鮨屋で 「アワビのワタと醤油を混ぜたやつ。それと、アワビと赤貝をすこし」 などとお願いをすることはあっても、「えぇっと、初っぱなにお造り、お願いします」 などというお願いをしたことはない。ただ切った生の魚よりも、僕はメシと一体になった鮨の方が断然好きだ。そして煮込みハンバーグも、これを単体で食べるよりはメシと一緒に食った方が数等美味い。
その煮込みハンバーグライスにて、更にグラスのワインを飲む。「そうそう」 と気づいて冷蔵庫から "Atelier de Fromage" のウォッシュブルーを出す。そして今夜最後の1杯を飲む。
入浴して9時に就寝する。
朝5時に起床する。事務室へ降りていつものよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
朝飯は、塩鮭、目玉焼き、ホウレンソウのゴマ和え、ナスの油炒め、納豆、メンタイコ、メシ、豆腐とワケギの味噌汁。
店舗改装に際して導入した最も大きな設備は3基の冷蔵ショウケイスだ。これには顧客への素早い対応を可能にする、また当方の労働量を軽減し作業能率を高めるための様々な工夫が凝らされている。ところが納品の際、その工夫の一部を不能にする不適切な個所を発見した。
これについては直ちに修理が為されることになったが、1度目は 「3月12日に参ります」 と連絡を受け、しかし 「その日は会社にいる時間が極端に制限されるので、他の日にしてください」 と変更を求めた経緯があった。
そうしたところ、今朝になって 「急で申し訳ないんですが、これから東京を出ます」 との、冷蔵庫会社からの電話が入った。今日も僕がいなかったら、どうするつもりだったのだろう? 僕はこういう、いきなりの連絡を嫌う。ちなみに日本の営業マンが頻繁にやらかす 「すぐ近くまで参りましたので、お寄りしました」 といういきなりの訪問も嫌いだ。
昼前に到着した冷蔵庫会社の技術者は、僕の聞いていなかった方法にて修理を実行しようと、3枚の細長いステインレス板を持ち込んだ。「こちらは決められた代金を決められた期日に支払うことを約束しているのに、せっかく特注した商品の仕上げにミスがあって、しかも当方が考えた機能とデザインを損なうような修理をされては困るんです。今日はいったん、東京に帰りますか?」 と、僕はその技術者に言った。同時に同社の営業担当者へクレイムの電話を入れる。
結局のところ、車に積んであった工作用機械にて、技術者は当方の要請通り、持参した長さ180センチ、幅8.5センチの長大なステインレス板3枚のうちの1枚から、長さ8センチ、幅3センチの小さな板3枚を切り出し、目立たないように補修を完了した。
また別の個所については、取り付けるステーにネジ穴があるにもかかわらず、「両面テープで強度は充分です」 と技術者は言う。「何年も使うものなんですから、しっかり固定してください」 と主張し、ようやくブラインド・リヴェットを打ち込んでもらう。
僕はメシの時間はきっちりと守りたい人間だが、今日のような場合には下手なことをされたくないため、いくらでも我慢は利く。2時30分になってようやく、家内がどこかで調達してきたサンドウィッチにありつく。
燈刻、「喜久水酒造」 の蕎麦焼酎 「そばのかおり」 を抜栓して、料理ができあがるのを待つ。豚肉の団子、厚揚げ豆腐、ハクサイ、シイタケ、春雨の鍋にて、その焼酎を2合あるいは2合半ほども飲む。僕は今夜のような、鍋とお酒のみという食事が割合に好きだ。第一、簡素な料理は山へ入った夜を思い起こさせて気分が良い。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時に就寝する。
6時に起床して事務室へ降り、ウェブショップの受注を確認する。きのう撮った画像を加工して日記のフォルダへ納め、本文のテンプレイトをソースに貼り付ける。
朝飯は、ゴボウやイカの入った辛い薩摩揚げを煮たものと大根おろし、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、納豆、塩鮭、ハクサイキムチ、メシ、ダイコンとワカメとワケギの味噌汁。
以前にも書いたことだが、改装後の店舗は、販売に当たる者が多く手や足、口や耳を働かせて接客をする仕組みになっている。この形態を考えた僕が、事務室からその繁忙を眺めているわけにはいかない。店舗にて長い時間を過ごし、包装部門へ行き、製造部門へ行き、駐車場に出て案内をしたりして夕刻に至る。
自身のコンピュータを用いて、販売係のサイトウエリコさんが対前年度週間ミックス表を作成する。昨年の社員旅行は3月の第2週に、今年のそれは第1週に行われた。前年と今年の数字を平等に比較するため、今回は2週間分のデイタを集積してみた。それを見ると、今年の数字は前年度のそれを超えてはいるが、僕の予想には達していない。
「2週間のうち3月1日は、いまだ旧体制で販売をしていたから、その分の数字が上がっていないのだ」 という言い訳も成り立つが、またいろいろと工夫をして、次の週に臨もうと考える。
燈刻、"Bourgogne Blanc Domaine Leflaive 1998" を抜栓する。ホタテとタコとベビーリーフのサラダ、ズワイガニとトマトのスパゲティにて、この金色のワインを飲む。
「ラスト・サムライ」 のような、その内容よりも出演者の顔ぶれで勝負する映画のことを "Star vehicle" と呼ぶ。それはさておき、この撮影で京都にいたトム・クルーズが、あるとき 「チョコレイトの入ったクロワッサンが食べたい」 と言ったという。相手はアメリカの映画スターだから 「クロワッサンは既にして完成された食べ物です。これには何も足してはいけませんし、また何も引くことはできません」 などと、英国じみた説教をすることは不可能だ。
映画の関係者は 「進々堂」 を訪ねた。そして作られたチョコレイト入りのクロワッサンが、詳細は省くが今夕、家に1個だけあった。これを食べつつ、またまたワインを飲む。「美味いパンと不味い米なら、不味い米の方が好き」 という僕が食べても、このパンはとても美味い。更にひとつ欲しく思うが、もう追加は利かない。
パウダー・シュガーとアーモンド・チップのあるその景色を思い出しつつ 「こんどはリチャード・ギアあたりが京都で 『チョコレイトとカスタード・クリームの入ったクロワッサンが食べたい気分だ』 とでも言ってくれねぇかなぁ」 と思う。
牛乳を200CCほども飲み、9時に就寝する。
目を覚まして居間へ行って灯りを点けても、壁にかけられた時計の電池は切れているらしく現在の時刻は分からない。携帯電話のディスプレイにて午前5時を確認する。
コンピュータを起動し、ウェブショップの受注を確認する。学校へ提出すべき文章の不備なところを、どのように満たすべきか起きてきた家内に質問し、それを整えて教師宛に送信する。
自由学園男子部中等科・高等科の昼食は、1週間のうちの5日分を父母が作る。家内は今日がその当番にあたり、朝食を済ませて6時30分に玄関を出た。昨年 "Sartoria" であつらえた礼服の胴回りがすこしきつい。朝飯は抜くこととして、きのうの日記を完成させる。
家内に3時間おくれて玄関を出る。池袋のエクセルシオール・カフェにて時間調整をする。店員に 「喫煙席でよろしければ、空きがございます」 と案内をされる。禁煙のエリアから喫煙のエリアへ移動をすると客層が一気に落ちる。そしてこの定理は、喫茶店でもファミリーレストランでも新幹線でも変わることはない。
11時より、自由学園最高学部における新校舎落成式に出席をする。100坪を超える食堂の床は、三重県海山と埼玉県名栗の演習林より切り出されたヒノキによるもの2割、両地の森林組合に提供を受けたヒノキによるもの8割から成り、その1寸5分の厚みを持つ床材すべては、学生と卒業生の手により14,000本の木ねじにて2月下旬に敷設されたばかりだ。
式典は1時間ほどで終わった。これから学生による新校舎の案内に続き、お茶の会が催されるという。長男はこの新校舎に入る最初の学生となるため、見学の機会は後にもあるだろう。朝飯を抜いたため昼飯くらいは食べなくてはいけない。お茶の会には遠慮をして正門を出る。
住宅街にある蕎麦屋 「たなか」 を訪ね、野菜の天ぷら、せいろ、かけの3点を注文し、これを瞬く間に平らげる。この店の瑕僅は、知った顔に多く会ってしまうところだ。本日も店の内外で、7人の人たちと挨拶を交わす。
ふたたび正門を入って、1時より男子部高等科3年生の成績報告会へ出席をする。これは、通信簿を持たない自由学園において、各教科の教師が前へ出て個々の生徒についての評価を述べるものだ。
2時よりは、長男のいる高等科3年生の壮行会に出席をする。44名のそれぞれが入学以来の自分の来た道を振り返り、 今後の展望を語り、教師と親がそれを真剣に聴いて夕刻に至る。
「あなたの卒業式には、この服を着ていくわ」
「オフクロ、自由学園の高等科に卒業式はないんだよ」
とは、自由学園から慶應大学へ進んだコモトリケイ君の家であった、当時の会話だ。この壮行会は、6年ほど前から始められたものだと聞く。ありきたりの卒業式よりも、ずっと良いものだと思う。
教師と生徒たちは記念撮影を済ませて会場を去った。壮行会の中休みにみながお茶を飲んだ茶碗を、その去り際に教師たちが奥の厨房で洗ってくださったとは後に知ったことだ。6時30分より父母のみによる夕食のひとときを持つ。
浅草駅21:00発の下り特急スペーシアに乗り、11時前に帰宅する。入浴して牛乳を200CCほども飲み、0時に就寝する。
目を覚ますと部屋の灯りが点けたままになっている。寝室と居間とを隔てる戸が開いていて、その向こうつまり居間の天井の温風暖房機も、普段は眠る前にスイッチを切るはずが、今朝は動いている。時計を見ると4時だった。
起きて居間のテイブルにあるコンピュータを起動し、冷たいお茶を飲む。きのうの日記が書けるほどには覚醒していない。ふたたび寝室に戻って本を読もうとし、懲りずにまた明るい部屋で眠ってしまう。
次に気がつくと6時になっている。起床して服を着て洗面をする。メイラーを回してウェブショップの注文を確認してから帰宅の準備をする。
あまり早くに浅草へ着いては、切符売り場のシャッターも開いてはいない。時間を見計らって甘木庵を出る。いまだヘッドライトを点けたクルマも走る切り通し坂を下り、家内がこの上なく嫌う湯島の歓楽街を縦断して上野広小路へ至る。浅草には7時1分に着いた。
地下街の食堂 「会津屋」 ではいつもベーコンエッグ定食を食べるが、今朝は普通の目玉焼き定食に納豆を追加した。袋に入った焼き海苔も出てきたが、「これはいりません」 と、若い店主に返却をする。どうもこの幅の狭い海苔には、食べる気が起こらない。それはさておき、この店の納豆は大粒の美味いものだった。
わざわざ小粒であることを謳う納豆が売られるようになったのは、25年ほども前のことになるだろうか。当時は 「どうして原価率の低い原材料をわざわざ誇るのだろう?」 と不思議に思ったが、大粒の豆が口の中でゴロゴロするのは気持ち悪いと感じる人向きにこの商品が開発されたのだと最近どこかで耳にして、ようやく得心した。
それにしても、原価の低い商品を開発したら、それが売れに売れたのだから、開発者は大いに鼻を高くしたことだろう。
発車5分前に自動券売機の前へ行き、7:30発下り特急スペーシアの切符を買おうとしたとき、顔は日本人だが英語しか話せない女の人に 「キップ、ドウヤッテカイマスカ?」 と訊かれる。僕は自分の切符を後回しにして、その人が立つ、隣の券売機を操作し始めた。
「7ジ30プンのデンシャナンデスカ?」
「ソウ、オレコモレニノルカラモンダイナイヨ。デ、ノースモーキングダヨネ?」
「ハァ」
「アレ? ニセンエンジャァタリナイゾ」
「アー、ワタシハ、トッキュウデハナク、ヤスイフツウデイキタイノデス」
「エェッ? ダッタラキカイハベツノトコダヨ」
「オー、ドウゾアナタ、ジブンノキップヲサキニカッテクダサイ」
と、ここまでで約2分を費消する。僕はあわてて自分の前の券売機にお金を入れ、感度の悪いタッチパネルに苦戦をしながら自分が買うべき切符を指定し始める。折良くそこに、女の駅員があらわれる。
「日光までですか?」
「そう」
「何時発の日光行きですか?」
「それがさ、特急じゃなくて快速なんだって」
駅員はその女の人を伴って、普通乗車券を売る機械の方へと歩き去った。僕は階段を走って上がることなくエスカレイターを使い、「間もなくドアが閉まります」 とのアナウンスがこだまするプラットフォームでもまた走らず、めでたく車内にたどり着く。だから、と続けるのは乱暴かも知れないが、1秒の狂いもない電波時計が僕には欠かせない。
きのうの日記を完成させたり、またあれこれと考えごとをしているうちに、日光の白い山が近づいてくる。コンピュータをしまおうとしてふとザックの中を覗くと、そこには本日の夕刻、礼服にてふたたび上京する際の荷物をすこしでも減らそうと、きのう持って家を出たコップを甘木庵に置くことなく、そのまま持ち帰ってきてしまったことを知る。僕が気を利かせてする段取りは、得てしてこういう結果を見ることが多い。
ちなみにこのコップは土曜日の午後に行われる、自由学園男子部での集まりに使うためのものだった。
帰社して、今朝、スペーシアの車中で受けたタカハシアツコさんからの電話により頼まれた仕事をする。改装からいまだ1週間を経たばかりの店舗から頻繁にもたらされる相談にはほとんど、自ら考えたとおりにするよう許可を与える。
事務机の上に、日曜日に予約をし月曜日に送金をした 「黒テント版 三文オペラ」 のティケットが届いている。入場順を示す整理番号は14番と15番だった。いくら会場が池上本門寺に張ったテントとはいえ、これならほとんど最前列ではないか? 「黒テント、集客は大丈夫か?」 と、いらない心配をする。
3時30分に礼服を着て事務室へ降りる。タカハシアツコさんに 「スーツって、珍しいですね」 と言われる。「うん、お祝いがあってさ」 と答える。白いシャツの襟はヘンリー型で、だからネクタイはない。黒いスカーフを首に巻く。これでは葬式に行く格好と変わらない。
浅草から乗った地下鉄銀座線が日本橋に達したとき、ふと高島屋の 「たくみ」 に注文してあった品物のことを思い出し、閉まる寸前のドアから外へ飛び出す。地下1階から高島屋へ入り、エレヴェイターで7階の 「たくみ」 へ行く。フシミさん、それからカサハラマサル部長と数分の会話をする。
鎌倉の実家へ顔を出していた家内とは、6時30分に銀座の4丁目で落ち合った。"Swing City" にて、堤智恵子のライヴをワンステイジのみ聴く。みゆき通りを歩いてバー 「煙事」 に入る。バーテンダーは僕の知らないスコッチと知らないベルモットを使い、綺麗なロブロイを作った。
家内は、水の中ではほとんどどこまでも泳いでいくことができるが、歩くことは苦手だ。家内のおごりにて、タクシーで甘木庵に帰着する。
入浴して冷たいお茶を飲み、10時に就寝する。
0時に目が覚める。暗闇の中で静かにしているうち、2時ごろになってようやく二度寝に入る。次に目を覚ますと5時だった。即、起床して事務室へ降りる。
同学会におけるホームページ研究室長として、僕の頭の中身を整理して室員に伝え、また研究への協力を要請するメイルについては、ここ何週間か気にかけつつ手をつけてこなかった。きのうの終業後、遂にこの過半を書き上げ、今朝はその最終部分を完成させて、必要なファイルを貼付する。
これは大切なものにて即、送付することはせず、後で見直すために送信箱へ保存する。きのうの日記を完成させて7時を迎える。
朝飯は、ブロッコリーの油炒め、マヨネーズ入りスクランブルドエッグ、納豆、ハクサイキムチ、塩鮭、メカブの酢の物、メシ、豆腐とワケギの味噌汁。
気がつくと、きのうハセガワタツヤ君と2階の倉庫から降ろした不要品の山が、綺麗になくなっている。僕の知らない間に、収集業者が持って行ってくれたのだろう。「これから何十年置いたとしても使いそうにないものは、片端から処分をして空間を確保すべきだ」 と、モノよりも空間の好きな僕は考える。
午後一番で、器屋のタマキヒデキさんが来社をする。タマキさんには、店舗奥の棚に飾る生け花の器を注文してあった。「カタログのAの1番をひとつ」 などという注文ではない。タマキさんに現場を見ていただき、その場所にふさわしく思われるものを選んで持参してほしい、という注文だ。
結局のところ、今日は佐藤和次の織部の大鉢をひとつ購入した。また、手桶を模した器を鼠志野にて同じ作家に作ってもらうよう、大きさや釉の種類も指定して依頼をする。花器が4点あれば、これを1週間にひとつずつ用いて1ヶ月の周期で使い回しができる。「残りの2点はどのようなものにしようか?」 と考える。これは仕事の範疇に入ることなのだろうが、僕にとっては楽しい遊びだ。
江戸期の農家を解体した際に出た格子戸は、その1枚を店舗のパーテイションとして利用したが、更に1枚を今週の月曜日に稲葉塗装が持ち帰り、2枚の衝立にすることを約した。それが早くもできあがって、稲葉塗装の息子の方が、特殊な排気管を装備した、そしてステインレスの光る板で装飾を施したトラックで納品に来る。
その2枚を、とここまで書いて、衝立を数える数助詞はなんというのだろうか? と考える。とにかくその2枚を、何日か前の早朝に店へ行って考えた場所に設置する。
下今市駅16:03発の、上り特急スペーシアに乗る。地下鉄千代田線と山手線を経由して、普段であればちょうど2時間後に池袋へ到着をするところ、今日はどういうわけかそれよりも8分も早く、池袋駅のプラットフォームに靴底を押し当てる。
琉球料理屋の 「おもろ」 と 飲み屋の「ふくろ」 のある路地を抜け、夕刻の藍色の空にケヤキが枯れ枝を広げる、盛り場には珍しい景色を目の端に感じつつ西へ歩く。自由学園明日館へ入り、同学会の3月度本部委員会に出席をする。
会議を終え廊下へ出たところで、1年年長のタカハシケータ君が 「ウワサワ君」 と、声をかけてくる。ケータ君は在学中、「折らなかった骨は背骨だけ」 という暴れん坊だった。「後輩を呼ぶのに 『君』 なんて、つけることないのに」 と思いつつ返事をすると、ケータ君が 「うちの息子が君の息子さんの部屋でお世話になってます」 と言う。
長男は高等科3年生だが、中等科2年生のケータ君の息子が、東天寮で長男が室長を務める部屋の室員だったとは知らなかった。特にいまだ学年の低い息子の部屋を受け持つ室長に、親が 「よろしくお願いします」 と頼む気持ちは、僕もこれまで経験をしてきたことだからよく分かる。
「あぁ、そうだったんですか、いえ、そういうことは長男は何も話さないものですから」 と、答える。何かと問題を起こしがちな中等科の2年生を、ケータ君の息子が無事に終えようとしているのは慶賀の至りだ。
場所を変えてこれから更に会議を重ねる人や帰宅する人たちと別れ、池袋駅の地下コンコースを歩いていく。「なにか、春っぽいものが食いてぇな」 と考える。今日はまるでフェーン現象の最中のような暖かさで、僕は家を出るときから "Saint James" の長袖シャツ1枚を着るのみだ。
地下鉄有楽町線にて有楽町へ移動をする。数寄屋通りを南西に歩いて 「おぐ羅」 への階段を降りる。
「鍋前」 からひとつ奥へ寄った席に着く。芋焼酎 「島美人」 をオンザロックスにて注文する。突き出しは、サイコロ状に刻んだ山芋にナメタケを載せたものだった。「ナメタケの代わりにウチのなめこのたまり漬を使えば100倍は美味くなるだろうな、こんど家で試してみよう」 と考える。
料理屋さんに営業をかけても、ウチの漬物を継続して買っていただける確率はとても低い。お店が考える原材料費がウチの商品価格と折り合わないからだ。それでも、なおウチの商品を長年にわたり使って下さっているお店が、銀座には何軒かある。なぜ使えるのか? それは、高い材料を使った料理をより高い価格で売るための工夫があるからだ。
黒板には 「ホタルイカ刺身」 とあるが、僕はホタルイカは生のものよりも茹でたものの方が数等好きだ。ふと隣のアヴェックの前を見ると、茹でたホタルイカがある。「ホタルイカ刺身ってのは、あれですか?」 とオヤジさんに訊き、「そうでございます」 との返事を待って、これを注文する。
秋のものほど美味くはないが、ここへ来て鰹のたたきを頼むのは、まぁ、デフォールトというものだ。それを食べ終えた、いまだ薬味がグジャグジャのまま残る小鉢に、オデン鍋の中から厚揚げ豆腐を投入してもらう。鯨ベーコンも注文する。今夜のそれは、脂身のところばかりだった。「最高じゃん」 と、これに溶きがらしを付けて入念に咀嚼する。
黒板に 「鯵フライ」 の文字も見える。「そういえば、いま築地に上がっているアジは、なかなか良いらしいな」 と、どこかのウェブペイジで目にしたことを思い出す。そしてこれを注文する。
「ハマグリの天ぷらがねぇなぁ」 と黒板を眺めつつ、4杯目の島美人をすべて飲む。「そろそろオデンで締めるかぁ」 と、カウンター越しにその鍋を瞥見し、10時すぎに上がるオヤジに代わって鍋の前へ立った息子に 「海老芋、あと、ワカメください」 と言う。その、海老芋とワカメだけがある自分の皿を見て 「上品じゃん」 と思う。
3杯目からはストレイトに換えた島美人の5杯目を持ってきたオニーチャンに、「今回のが1番、量が多いよ」 と話しかける。オニーチャンは目を三日月の形に細め、「サービスしときました」 と笑い返す。この愛想の良いオニーチャンが、酒を注ぐ際にはこの店の中で最も長くビンを傾けていることを、僕は知っている。
海老芋には生クリームを練り込んだような、なんともいえないこくがあった。
数寄屋公園から地下へ潜り込めば、地下鉄丸ノ内線の乗り場は目と鼻の先にある。"De Longhi" のトートバッグを肩から提げたオネーチャンが僕の横を通り過ぎようとしていたため、すかさずその写真を撮る。「ロゴの色が上品だ。でもデザインは、ウチのトートバッグの方が良さそうだぞ。あれ、500円で売れるかなぁ?」 と考える。
本郷三丁目交差点の 「三原堂」 には、ホワイトデーのお返しのためのディスプレイがあった。そういえば池袋の地下道にも、「果たしてそんなに売れるものか?」 と心配になるほどたくさんの、ホワイトデー用のお菓子を売るワゴンがあったことを、ここへ来て思い出す。
ルソーの絵によく描かれているような、表と裏で色の異なる葉を密生させた街路樹を見上げつつ、11時30分に甘木庵へ帰着する。入浴する気が起きないため顔だけを洗い、冷たいお茶を飲んで0時に就寝する。
4時に起床して事務室へ降りる。
ディスケットに保存してあった 「第129回本酒会報の元」 から紙の会報を作成する。きのうに続いて首尾良く前日の日記を作成し、サーヴァーへ転送する。
朝飯は、ヒジキとニンジンと大豆の炊き物、パストラミとレタスのサラダ、ほうれん草の油炒め黒酢がけ、ハクサイキムチ、メカブの酢の物、メンタイコ、メシ、シジミとワケギの味噌汁。
店舗改装に際して不要となった設備はとりあえず2階の倉庫へと収めたが、これが予想外にかさばって、段ボール箱や紙袋など、従来よりここを置き場所としている用度品の搬入排出に支障を来すほどになってしまった。9時すぎに販売係のハセガワタツヤ君と貨物用のエレヴェイターを何度も往復させ、これらのすべてを1階の裏口へ移す。
昼に居間でピラフを食べていると、事務係のタカハシアツコさんより館内電話にて、「試食用の楊枝入れを譲って欲しい、とおっしゃるお客様が店にいらっしゃる」 との呼び出しがかかる。
メシ時の呼び出しで最も悲惨なものは、ラーメンを食べ始めた直後のそれだ。この際のラーメンは確実にのびきって、箸を付ける前に廃棄を余儀なくされる。今日はピラフなので、それほどの問題は無い。
お客様が所望されたのは楊枝入れではなく、そのとなりに置いた楊枝捨てだった。冷蔵ショウケイスの概要が決まったとき、僕は器屋のタマキヒデキさんにサイズを書き込んだスケッチを渡し、楊枝入れ、楊枝捨て、らっきょう用の試食入れの3点を特別注文した。
そしてタマキさんは特にこの楊枝捨てについて、益子の窯元に 「勝手にこのデザインを使わないように」 と注意をしたそうだが、僕には 「これ、良いですよねぇ、ウチで売ってもかまいませんか?」 と訊いた。そして僕は別段、工業デザインでメシを食う者でもないため 「いいですよ」 と答えた経緯があった。
楊枝捨ては予備も含めていくつ作ってあっただろうか? 棚を見るとみかん箱に2つ分の在庫があったため、お客様のご希望に応じてこれをお売りすることにする。タマキヒデキさんはこの楊枝捨てを、「自分の店では1,800円で売りたい」 と確か言っていた。この価格をお客様に訊ねられ、僕は 「2,000円です」 と答えた。
更にお客様が、「だったら、こちらの楊枝入れは、いくらかしら?」 と、お訊きになる。「1,000円です」 と、答えてみる。
「この、らっきょうの入った器は、譲ってくださらないの?」 とも訊かれる。こちらは10個を窯に入れて無事に出てきたのがわずか3個という、歩留まりの悪い、つまり職人泣かせのデザインだ。予備の無いことを理由に、これについてはお断りをする。
その代わりと言っては何だが、ショウケイスの前にお客様をご案内し、「この片口は、いかがですか?」 と言ってみる。
結局のところ器屋でもない僕はごく短い時間に、4個の楊枝入れと4個の楊枝捨て、それに2個の片口を売りさばいた。なお、このお客様は、益子の雑器と共にある佐藤和次の織部には、ただの一瞥もくれることはなかった。「オレなら、益子よりも織部だけどなぁ」 と、思う。
居間へ戻って乾き気味のピラフを食べ終えたところに、ふたたび呼び出しの電話が鳴る。事務室へ降り、自由学園で2年後輩の、現在は 「PCA生命保険」 に勤務するイトウヨシロウ君と、1時間強の面談をする。
初更、次男の教科書音読の宿題を督励する。次男は本日、初めて 「スーホの白い馬」 を3回、読むことができた。
きのうの晩飯がB級だったため、今夜もB級でいこうと、家内には魚肉ソーセージのフライを頼んであった。冷や奴にて焼酎 「燃ゆる想ひ」 を飲みつつ待機をする。
ポテトとレタスとブロッコリーとトマトのサラダ、魚肉ソーセージとホタテのフライ、普通のソーセージとシイタケのフライと続くラインは、魚肉ソーセージを除いては至極、上品なものだった。
魚肉ソーセージを口へ入れた次男が、「残りの二切れは残してもかまわないか?」 と訊く。「だめだ、ぜんぶ食え」 と、命令をする。少量の極辛塩鮭を載せた飯にて締める。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時に就寝する。
4時に起床して事務室へ降りる。
昨月の 「本酒会」 は僕がいまだ高島屋へ出張中の24日に行われた。自分が出席をしなかったからといって、その月の会報は作成しなくても良い、というわけにはいかない。
ここ10日ほどずっと、なにやかやと文章を書いてきた。そして、いまだ書かなくてはいけないメイルも山積している。そのような中で、ようやく 「第129回本酒会報の元」 を完成させ、ディスケットに保存する。また、今朝は首尾良くきのうの日記も書き上げ、これをサーヴァーへ転送する。
朝飯は、ハムとホウレンソウの油炒め、塩鮭、メカブの酢の物、昆布巻き、納豆、ヒジキとニンジンと大豆の炊き物、メシ、豆腐と万能ネギの味噌汁。
今日は割合と時間に余裕があり、ここ数日のあいだ懸案だった仕事の能率が上がる。ただしこの日記を書いている3月10日の朝になってみれば、どのような仕事をしたかの記憶はない。
午後おそく、スパゲティ・チェーン 「ポポラマーマ」 の社長で同級生のアケミツシ君が、会社の人たちとゴルフの帰りに寄ってくれる。ゴルフとはいえ彼らのそれは、なかば芝生の上での会議のようなものかも知れない。来月、ハセガワヒデオ君の納骨式にてまた会うことを約し、別れる。
初更、次男の算数の宿題を督励する。引き続いて、「スーホの白い馬」 の音読も督励する。
莫久来を肴に、焼酎 「燃ゆる想ひ」 を飲む。
家内から、晩飯の内容がお好み焼きであることを告げられる。むかしある野球選手の夕食風景がテレビに映し出された。その家族は晩飯に、お好み焼きを食べていた。僕はそれを見て 「晩飯にお好み焼き?」 と、驚いた。訊けば家内は僕のいない晩には、よくお好み焼きによる晩飯をするらしい。
卓上に、ニラ、あらかじめ熱を通した豚肉、タコ、揚げ玉、かつお節、刻んだワケギ、刻みキャベツ、イカ、シイタケ、ピーマン、エリンギ、ハクサイキムチ、それから、山芋を混ぜ込んだ小麦粉のトロトロと焼そばのための麺が運ばれる。
僕は粉を練って焼いた、たとえばパンやピッツァやナンなどよりも、それを麺にした、たとえば河粉やリガトーニや素麺などの方がよほど好きだ。お好み焼きやホットケイキは前者に属して、だから僕は、そういうものにはあまり近づかない。鉄板の隅にオリーヴオイルを敷き、ここにタコやエリンギやピーマンを載せて焼く。
ただし、それだけを口へ運んでも腹はふくれない。家内が僕に、お好み焼きを作ってくれる。かねてから僕はお好み焼きについて、「あの食べ物にうるさい大阪の人が、どうしてこんなものを喜んで食べるのか?」 と、不思議に思ってきた。そして、ニラと豚肉と揚げ玉とかつお節とキャベツと白菜キムチの入ったお好み焼きを食べてみれば、これはこれで、まぁまぁ美味い。
入浴して牛乳を200CCほども飲み、9時に就寝する。
4時に起床して事務室へ降りる。
コンピュータは開かず先ず店へ行って、今後のあれこれを考える。きのうは販売係りのオオシマヒサコさんに 「味噌の試食が朝から夕方まで乾かないようなフタ付きの器が欲しい」 と言われた。ネット上を徘徊して、「これ以上のモンは、そうそうはねぇぜ」 と思われる米国製の物件を見つけ、注文する。きのうの日記を書き終わらないまま7時に居間へ戻る。
朝飯は、カキの佃煮、塩鮭、なめこのたまり漬、メンタイコ、玉子とミツバの雑炊。
オヤジが8時に稲葉塗装へ電話をし、「いまだ何枚も残る格子戸の1枚を上下に切り、2枚のついたてを作って欲しい」 旨の相談をする。稲葉塗装は良い建具屋を知っている。それから30分もしないうちに、事務係のコマバカナエさんが製造現場にいた僕を呼びに来る。早くも稲葉塗装が建具屋を連れて店に現れたという。稲葉塗装と建具屋は短い打ち合わせの後、格子戸を1枚、トラックへ載せて去った。
9時すぎにホンダフィットへ乗り、"Sam Cooke at the Copa" を聴きつつ宇都宮へ行く。インドネシアの家具を扱う 「杣」 を訪ね、そこから 「たまき」 へ移動する。
これも社員に頼まれた試食用の器を絵に描いて、それをタマキさんに手渡す。店の奥では、「垣内榮衣展」 が開かれていた。芭蕉布、対馬麻、小千谷縮を用いたシャツやスモックやワンピースが、薄暗い店内に多く掛けられている。僕はフランスのワインやイタリアのクルマも好きだが、天然の素材を用いた素朴な意匠の服も、また強烈に好きだ。
週刊朝日に連載中の林真理子の対談に、中村うさぎがゲストとして呼ばれたことがある。「『自分はブランド物には興味を持たない』 とする内心、自らの趣味の良さを鼻にかけている人の好む服装は、どのようなものだろう?」 との問いかけに、ややあって中村は 「草木染め系ではないでしょうか?」 と返した。
今日の 「たまき」 の店内にある着物は草木染めによるものではないが、傾向としては似ていなくもない。いま僕が目にしている涼やかな布を後にまとうことになる女の人が、自らの趣味の良さを鼻にかけるだろうか? 「そりゃぁ、ねぇだろう」 と思う。
夕刻になって重い腰を上げ、土曜日に 「魚登久」 へ置き忘れた自転車を取りに行く。戻って閉店を迎え、6時をすぎてようやく、きのうの日記を完成させる。
自宅へ戻ると次男はいくつかの宿題を終え、あとは国語の教科書の音読を残すばかりになっていた。次男が 「スーホの白い馬」 を読む。僕は漫才の相方のように、読点ごとに 「フム」 とか 「ほう」 とか 「それで?」 と、合いの手を入れる。
莫久来にて、秩父焼酎の最後の残りを飲む。昆布巻きとペンネのサラダにては、焼酎 「燃ゆる想ひ」 を飲む。別皿の豚の生姜焼きは、酒よりも米のメシに合う。晩飯にもかかわらず、2杯のメシを食う。
入浴してなにも飲まず、9時に就寝する。
4時30分に起床して事務室へ降りる。
きのう店に片口の器があることを見て、販売係りのオオシマヒサコさんに 「あれっ、片口の器、できてきたの?」 と訊くと 「旅行の2、3日前に届いてたよー」 と言う。昨年の暮にこれが売り切れた際、「2月いっぱいには納めます」 と答えた 「たまき」 のタマキヒデキさんは、しっかりと納期を守ったということだ。
それに伴い、ウェブショップの 「片口」 の注文フォーマットから、「ただ今品切れ中」 の赤文字を外す。雑務が多く、きのうの日記は途中でその作成を切り上げ、居間へ戻る。
朝飯は、目玉焼き、シュンギクのゴマ和え、ヒジキとニンジンと大豆の炊き物、塩鮭、納豆、メンタイコ、メシ、ダイコンとミツバの味噌汁。
開店時間のかなり前から店舗にいて、諸準備の監督をする。万端が整った後、「日本クラシックカークラブ」 の会報へ寄せる文章に完璧を期すため車庫へ行く。ファインダーの中は真っ暗、という少ない光量の中で、カメラを三脚に固定する。2分の1秒の速度でシャッターを押すたびにディスプレイで結果を確認をしつつ、"Rallye 1.3HF" という車名が水平に納まるまで撮影を繰り返す。
9時30分、外注SEのカトーノさんが、3月21日が初出勤となるイリエチヒロさん用のコンピュータをセットアップしに来る。イリエさんには入社前に、2日間ほどコンピュータ教室を施す必要があるだろう。
数日前に長男が家内に 「新しいトランペットが欲しいけれど、それは自分の貯金で購う」 とのメイルを寄越した。家内は 「そういうものに金を出すのは親のつとめだ」 と、それなりの送金をした。長男はオーケストラの先生とどこかの楽器屋へ出かけ、店主がズラリと並べたラッパの中から最もしっくりとくる1台を自分のものにした。
きのう、長男が電話で 「月曜日から那須農場へ行くので、味噌と醤油と漬物を日曜日必着にて送って欲しい」 と言ってきた。僕は了承し、「トランペットは "Buch" ?」 と訊いた。長男は 「そう、バック」 と答え、このラッパを手に入れて以来、何十回目かの礼を言った。もっとも何十回のうち僕に言ったのはこの1回で、残りのすべては家内に対して発したものだ。
それはさておき昼前に那須農場のウブカタエイジロウ先生より、味噌や醤油が届いた旨の電話をいただく。長男は先発隊としで既に農場へ到着し、現在は先生のとなりにいるらしい。「息子さん、電話にお出ししますか?」 とおっしゃる先生に 「いえ、結構です」 と返事をする。先生は電話の向こうで苦笑いをしつつ受話器を置かれた。
今般の店舗改装が吉と出るか凶と出るかは、少なくとも1ヶ月、欲を言えば3ヶ月のデイタの蓄積が必要だ。それは別として、新しい店は売り手が多く手足口耳を働かすことによって販売をこなしていく仕組みになっている。各自の負担が増える分、その補充として僕も店へかり出されることになった。
この店での労働により、早朝に前日の日記を完成させられなかった場合、そのアップは早くて終業後に持ち越されることが、遅ればせながら分かった。というわけで、晩飯前の6時30分に、ようやくきのうの日記をサーヴァーへ転送する。また、「黒テント」 による 「三文オペラ」 のティケットを2枚、長男のために予約する。
莫久来にて、焼酎 「燃ゆる想ひ」 を飲む。鴨鍋の材料と、共働学舎新得農場と近くの農家が作った 「みんなのそば」 を準備する。鴨鍋を食べ、自分で作る式の鴨南蛮蕎麦も食べる。もちろん、焼酎も飲む。
入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時に就寝する。
何時に目を覚ましたかは忘れたが、とにかく5時に起床する。事務室へ降りて朝のよしなしごとをし、7時に居間へ戻る。
事務室ではシャッターを降ろしたまま仕事をしていたため気づかなかったが、屋根にはいつの間にか3センチほどの積雪があり、なお細雨のような雪が降り続いている。「よりによって週末に雪、降るなよ」 と、げんなりする。いま雪が降って嬉しいのは、旅先にあって無責任に遊んでいるときに限られる。
「ごめん、ホットドッグでいい? ご飯のスイッチ入れるの忘れちゃった」 と、家内が訊く。自分が美味いパンよりも不味い米をむしろ好むことは、マルディヴのグライドゥー島でクソの匂いのする米を1週間、食べ続けたときに初めて、認識をしたことだ。
「いい?」 と訊かれて 「イヤだ」 と答えたからといって、湯気を立てる白いメシや香しい味噌汁が出るわけではない。それでも、小さなバターロールのようなパンにソーセージをはさんだホットドックは美味かったし、トマトとレタスのサラダ、スクランブルドエッグ、コーフィーも悪くはなかった。
社員が出てくるよりも先に、雪かきの道具を事務室の前へ出す。そして僕はほうきを持って、店から客用トイレへと続く犬走りへ吹き込んだ雪を駐車場へ掃き出す。
新装した店舗は、これまでの、カウンターが販売係とお客とを結界のように隔てるものではなく、並んだ冷蔵ショウケイスのあいだに設けた通路から自由に、どこへでも行くことができる。そのため係はショウケイスの在庫を調べたり、試食を補充したり、あるいは店内の隅々へ目を配りやすくなった。
今朝、サイトウエリコさんが同僚との雑談の中で 「今までより時間の経つのが早いよ」 と言うのを耳にしたが、これはつまり、それだけ多く、仕事中に体を動かしている、ということなのだろう。
1年に1回だけお見えになったそのときには、1日の売上げの3分の1ほどもお買い上げになるお客様が、ご来店になる。そのお客様が、「柏木工房」 のストゥールにお座りになる。オオシマヒサコさんがすかさず、熱いお茶とお茶うけの 「らっきょうのたまり漬」 を、赤松のカウンターへお出しする。そのとたん、本来の地方発送受注台は、たとえば黒川温泉にある小さな、しかし上質の温泉旅館のロビーのような雰囲気に変わる。
夕刻、家内が 「今日はなんだか頭痛がするから、ウナギを食べに行く」 と言う。ウナギが頭痛に効くとは初耳だが、ごちそうされる立場の僕に異存はない。
終業後、次男が 「スーホの白い馬」 を1回、音読するのを見届け、鰻屋の 「魚登久」 へ出かける。
靴を脱いで入れ込みへ上がると、いつもの座卓がこたつに変わっている。「あっ、コタツだ!」 と言うとすかさず店主のアイガテルジ君が 「なんちゃってコタツですよ」 と返す。
そのコタツの上に、コピーではあるけれど筆文字の品書きが散らしてある。「やるじゃんさー、アイガくーん」 と、腹の中で言う。「これは、売上げ倍増作戦だな」 と、思う。およそ酒飲みが、「菜の花からし和え」 だの 「白魚わさび和え」 だの 「冷やしよせとうふ」 などという文字を見て、これを頼まずにいることは非常な苦痛だろう。この品書きを、角を揃えておくのではなく、卓の上へ散らしておく、というのも優れた演出だ。
アイガ君は金色のヴォルヴォに乗っている。自分の才覚で稼いだ金は、自分の好きなようにどんどん使ったら良い。
ついこの前まで焼酎においては 「黒馬」 しか選べなかった酒の品書きが、その内容を急に増している。そしてそこに片山酒造の 「粕華」 というカストリ焼酎を見つける。アイガ君が 「それ、香りにクセがありますよ。ダメって人は、絶対にダメです」 と、当方を思いやっての助言をする。「いいよ、それ、いこう。生でいいよ、氷も水もいらない」 と、注文をする。
チーズも酒も、クセのないものはつまらない。僕は食べ物は、多くクセの強いものを好む。好まないのは、クセの強い人間だけだ。
酢だこのぶつ切りと共に運ばれたその焼酎はアイガ君の心配とは裏腹に、とても飲みやすいものだった。ソムリエが 「濡れた犬の尻尾」 というような表現をワインの香りに対してするたびに 「ホントに濡れた犬の尻尾の匂いなんて、嗅いだことがあるのか?」 と訊きたくなるが、この焼酎には明瞭に、「乾いた砂地を歩いてきた犬の肉球の香り」 がする。
そしてそのことを家内に伝えグラスを渡すと、ひとくち含んで 「うん、分かる」 と言った。ということは彼女も、犬の肉球の匂いを嗅いだことがある、ということだ。
キモ焼きの上部と下部が持つ異なる歯ごたえ、コッテリとした脂と酢のあんばいが何とも言えない鰻ざくにて、この焼酎を飲み進む。
やがて鰻丼が運ばれる。まるでスフレのように柔らかく、ミルクのようにコクのある鰻を咀嚼する。これを早々に呑み込んでは勿体ない。口内に充分、脂を行き渡らせた後にようやくこれを嚥下し、こんどはメシを含んで、先ほどまでの脂の余韻を楽しむ。あるいは鰻とメシとを同時に口へ入れ、しかし双方を混ぜて噛むことはせず、ウナギは舌の奥の両側に置いて充分にその脂を感じられるようにし、メシは別途、舌の中央から前歯に送り込んで、脂とは別に味わえるよう工夫をする。
2杯目の 「粕華」 を少しずつ飲みつつ、1杯の鰻丼を、大切に大切に食べる。次男はそういう父親を尻目にして、メシの上のウナギのみをぺろりと平らげた。
「メシも全部、食えよ」 と、目の前の次男に言う。
帰宅して入浴し、9時に就寝する。
昨晩、物音に気づいて居間へ行くと、家内は既にして帰宅していた。ふたことみことを交わした後、寝室へ戻って二度寝に入る。ここ数日の睡眠不足を取り戻すように長く眠って6時30分に起床する。
この時間から、いつものよしなしごとをする余裕はない。居間の違い棚や茶箪笥の上にある、おじいちゃんや家内の母の写真にそれぞれ水を上げ、熱いお茶を飲む。
朝飯は、塩鮭、カキの佃煮、サンショウの佃煮、メンタイコによるお茶漬け。
次男を小学校へ送り出して後、普段は外の掃除へ向かうが、今日ばかりは改装を終えたばかりのがらんどうの店へ入る。店内を歩きながら、開店までの30分、開店から店が忙しくなるまでの60分のあいだに為すべきことを考える。そして、次々と出社する社員に作業を割り振り、定刻の直前にようやくシャッターを上げる。
新装開店の売り場にあって、社員も僕も、顔にはそれほどあらわさないが、心はわくわくしている。この新しい店でどれだけの成績を上げることができるか? ということよりも、自分たちの工夫でどれだけ良い接客ができるか? ということに、社員の気持ちは向いているように感じられる。そしてそれは、悪いことではない。
場所を移したガラスのショウケイスへ、試行錯誤しつつ商品見本を入れていく。手塚工房のテヅカナオちゃんが来る。今回の改装に伴ういくつかの注文は、あらかじめ今週のはじめにその内容を伝えてあった。ナオちゃんはてきぱきと手と指を動かし、1時間後に仕事を終えた。
それでも、「これまでの26年間にできあがったシステムから、どれを残してどれを捨てるか?」 とか、「これまでの26年間にため込んだ道具やら雑品の、どれを残してどれを捨てるか?」 の決定に対しては、数日のあいだ試行錯誤を続けることになるだろう。
空間があれば、それを物で埋め尽くそうとする人がいる。空間があれば、それを空間のまま残そうとする人がいる。僕は両者のうちの明らかな後者だ。
「そーんなに 『物を置くな』 ったってね、綺麗すぎてお客さんが入らないってことだって、あるんだよ」 と、販売係のオオシマヒサコさんが意見を提出する。彼女の言い分は良く分かる。上出来の料理を供する清潔な店に閑古鳥の鳴く例は珍しくない。どう考えても美味くないメシを出す小汚い店が、連日満員の活況を呈する例も、また世によく見られるところのものだ。
いずれにしても1週間もすれば、今は不便に思われるあれこれも、使う者の知恵が補って収まるところにおさまるだろう。
午後1時30分になって、ようやくコンピュータを起動しメイラーを回す。今日はそれだけ忙しい半日を過ごしてきたということだ。今までよりも頻繁に店へ行き、なにやかやと考え、また社員との質疑応答を繰り返す。
夕刻になっても、きのうの日記が完成しない。友人のJOKER氏は忙しいと1週間分も日記を溜めるが、しかしたまさかの休日を利用して一気に遅れを取り戻し、ゾンビのようによみがえってくる。その方法を訊ねたところ、「1日あたり数行のメモを残すようにしている」 との答えが返った。日記のためいくつかの言葉を残すことは僕も毎日しているが、しかし5日も6日も日記を書かずにいたら、僕の場合、復旧はかなり難しいだろう。
閉店後、6時30分までかかって、ようやく昨日の日記をサーヴァーへ転送する。
居間へ戻り、"COSSENTINO CADI 1997" を抜栓する。トマトとアボカドとホタルイカのサラダ、ペンネとミートソース、エリンギと黄ピーマンとマグロのソテーなどというものが晩飯の卓にあった場合、「春日町1丁目育成会・平成16年度役員改選の件」 などという集まりには、1時間ほど遅れて行っても構わないように思われる。
シバザキトシカズ育成会長に電話を入れ、「遅れますが、必ず参ります」 と伝える。
ガラス鉢のイチゴをすこしつまみ、友人のモモイシンタロウさんが高島屋のブースに差し入れてくれたレーズンウィッチにて締める。モモイさんは僕が不在にしているときに見えたため、その後、御礼の電話を入れ続けたが、携帯電話には知らない女の人が出て 「違います」 と言い、自宅の電話はいくら鳴らしても応答がない。なんとかして新しい連絡先を探さなくてはいけない。
8時に春日町1丁目公民館へ行くと、役員の改選は終わり、みなは昨年7月に行われた八坂祭のヴィデオを見ていた。僕はカワナゴヨシノリ青年会長より手渡された缶ビール350CCを飲み、早々に眠る。
誰かに肩を叩かれ目を覚まして壁の時計を見ると9時30分だった。帰宅して入浴し、10時30分に就寝する。
深夜0時20分に目覚め、2時30分まで枕頭の活字を拾い読みする。二度寝に入って6時に起床する。外を走るクルマの音から降雨を信じたが、窓を開けて目の前にあったのは、屋根に薄く積もった雪だった。
家内が社員旅行へ出かけて以来、次男を夜中や明け方に部屋へひとりで置くわけにはいかず、だから朝のよしなしごとは居間にて行ってきたが、今朝はその時間もない。きのうの画像をカメラからコンピュータへ取り込んだのみにて、朝飯の準備にかかる。また、きのう着た服などを洗濯機へ入れ、これを回す。
次男には毎朝、選択肢は少ないものの、一応は何が食べたいかを訊ねる。そうすると決まって 「カレー」 という答えが返る。次男にはカレーライスときのうの味噌汁の残りを温めて出し、僕は、アナゴの佃煮、塩鮭、その塩鮭の皮、カキの佃煮、メンタイコによるお茶漬けを食べる。
日中には通じにくくなるだろうと、7時30分にサイパンの家内へ電話をする。家内は社員たちと朝食の最中だった。朝の雨が上がり、雲が切れて強い日差しが照りつけつつあるという。まわりの社員数人が、電話口に出る。今回の社員旅行は、3年前のやはりサイパンを訪ねた旅行とは比較にならない楽しさだという。「前の経験を元に、今回はいろいろと企画をしたからね」 と笑って電話を切る。
今日は、小島電気ひとりと掃除会社の人ふたりのみが店舗に入る。ウェブショップの注文も、また電話やファクシミリによる注文も、そう多くはない。静かな午前中を過ごす。
きのうに続き 「ラーメンふじや」 で昼飯を食べようと自転車を走らせると、外のショウケイスにトタン板の覆いがかけられ、「定休日」 の札が下がっている。そのまま走り続けて 中華屋の 「たきた」 へ入る。肉野菜炒め定食を注文し、本棚にある、中華鍋からの油の霧により表紙と表紙がくっついてひとかたまりになっている 「サラリーマン金太郎」 の全巻から、16巻と17巻を引きはがしてカウンターに着く。
自分の知能を説明する際にはいつも、「サラリーマン金太郎を読んで泣くような人間ですからね」 と、僕は言うことにしている。
午後、「会報、あったらもらっていくけど」 と、イチモトケンイチ本酒会長がフラリと訪れる。2月の本酒会は当方が高島屋へ出張中の24日に行われたが、それからきのうまでは、一銭にもならないが書かなくてはいけない文章が山積していて、本酒会どころではなかった。数日以内に会報を作成して送付することを約束する。
そのイチモトケンイチさんが、事務室から店の中をのぞき込む。
「なにやったんでぇ?」
「改装です」
「だいぶ大がかりじゃねぇけ? まるっきり変わっちった」
「オレの目論見ですから、これで売れない場合、オレが腹を切ることになるんです」
イチモトさんは上を向いて 「カカカカ」 と笑い、「そう言って、実際に腹を切ったヤツはいねぇよ」 と答えて去った。
6時ちかくになってようやく、長野県北安曇郡美麻村の 「柏木工房」 より、カシワギケイさんがワゴン車に乗って到着をする。座板にニレ、脚にカエデを用いたストゥール6脚は、そのワゴン車の荷室に毛布に包まれてあった。早速にそれを店内へ運び入れ、赤松のカウンターに設置する。
これでようやく、店舗を新築して26年目の大改装が終了した。明日は一体、どのような1日になるだろうか。
居間へ戻ると、次男は国語の教科書の書き写しをしていた。その後、「スーホの白い馬」 を1回、音読する。「白馬」 の読みを 「ハクバ」 と教えたら、学校では 「シロウマ」 と読ませるのだと、次男に指摘を受ける。「そうでしたか、それは失礼をしました」 と、とりあえずは謝っておく。
次男がサイトウトシコさんに所望したお麩の味噌汁とカレーライスを以て、今夜のメシとする。
このままカレーライスを食べ続ければ、僕は一生のあいだ、断酒ができるだろうか? とすればやはり、日本にいるよりはインドへ移住してしまった方が良い。「すべての」 とまでは言わないが、ヒンドゥー教徒はマリファナを容認して酒を嫌う。インドは断酒に適した場所だ。
しかしそうなれば、塩ウニで燗酒をやるとか、テッポウの塩焼きで焼酎をやるとか、サッと塩を振りオリーヴオイルをかけ回したヒラメの薄造りで白ワインをやるとか、小タマネギのマリネを添えた牛肉の炙り焼きで赤ワインをやるとか、ポッテリとしたスモークトサーモンで氷点下のウォッカをやるとか、開店直後のバーでストゥールに座るなりバーテンダーに 「バンブー、お願いします」 と告げるなどということとは一切、縁を切らなければならない。それも、辛いといえばつらい。
家内から、「いま成田空港をバスにて出発した」 との電話が入る。「みなが着くころには自分は寝ているので、どうぞよろしく」 と、返事をする。
鉢に盛られたイチゴを、次男と分け合って食べる。
入浴して牛乳を150CCほども飲み、9時に就寝する。
目覚めてかなり経ったと思われるころに枕頭の灯りを点けると2時30分だった。多分、1時間ほどはベッドの中で静かにしていたのだろう。起きて居間へ移動し、コンピュータの電源ボタンを押す。
ダイヤルアップ接続にてメイルを取り込む。昨日、社員旅行中の納期をご希望のお客様に 「その1日遅れではいかがか?」 とのメイルをお送りしたが、「それで構わない」 という返信が届いている。即、御礼のメイルを書き、しかしこれを送付するのは夜が明けてから、事務室のADSL回線により行うこととする。
きのうの日記を完成させる。「日本クラシックカークラブ」 会報のための文章は、相変わらず字数が不明だが、なにしろ締め切りは3月5日と決められている。きのう書いた冒頭の部分を捨てて新しく書き始めたら、これがことのほかはかどって、秀丸に700文字ほどを保存する。
6時から朝飯の準備や洗濯を始める。6時50分に次男に声をかけ目覚めさせる。空は晴れた。
朝飯は、サンショウの佃煮、梅干、にんにくのたまり漬、メンタイコ、カキの佃煮、イカの塩辛、なめこのたまり漬によるお茶漬け。
8時30分より、きのうに続いて職人が入り始める。昨年の暮までは店の外でベンチとして使われていた、分厚い赤松を加工したカウンターが、高橋家具により設置される。予定よりも30分早く、3台の冷蔵ショウケイスが届く。
2台の作業台のうち西側のものには、床下から2本の電話線を立ち上げることとしていたが、僕はそのうちの1本についてしか、小島電気に対して説明をしていなかったようだ。床にビス留めをした巨大な作業台を撤去し、床下のレイルに新たな電話線を引くことは、それにかかる手間以外に、完成した仕事を覆して初めからやり直すという心理的な負担の上からも、今からではほとんど不可能だ。
落ち度のあった自分にウンザリしながら一応、小島電気にそのことを伝えると、「施設した電話線は8芯のものだから、ビジネスフォン1台分の余裕は十分にある」 の答えが戻る。
「やっぱり余裕は持っとくもんですねぇ」 と、小島電気が笑う。「そうですねぇ」 と僕は、ホッと息をつく。
昼に 「ラーメンふじや」 へ行き、味噌ラーメンを食べて戻る。
ウェブショップからの受注がことのほか多い。平行して、電話やファクシミリなどによる注文もしばしば入る。これらを処理する合間に、「日本クラシックカークラブ」 会報のための文章を完成させる。
本日、出入りをした技術者7人うち最後のふたりが、夕刻4時30分に現場を離れる。
きのう 「電話番号が不明にて訊きたいこともきけない」 とハガキにて書き送った日本クラシックカークラブ事務局のカタオカヒデユキさんより連絡が入る。400字詰め原稿用紙にして3枚強の文章が上がったことを伝えると、カタオカさんは 「それは有り難いですなー」 と笑った。
燈刻、居間へ戻ると、次男は算数のプリントを終え、国語の教科書の書き写しを済ませつつあった。本人によれば 「残る宿題は 『スーホの白い馬』 を3回読むことだ」 とのことにて、「今日も1回でいいよ。きのうと今日に読めなかった4回分は、大人になったら読むんだよ」 と言う。
今夜もまた 「まいんちカレーばっかりじゃ可哀想だ」 というサイトウトシコさんによるモヤシの味噌汁とカレーライスの晩飯を取る。僕の断酒も今月1日から連続して3回目となった。
入浴して牛乳を150CCほども飲み、8時30分に就寝する。
いまだ3月1日の夜11時30分に目を覚ます。そのまま闇の中にいて眠ろうとするが、2時間を経ても眠れない。服を着て居間へ行き、きのうの日記を完成させる。それでも時間は使い切れないほどにある。勢いに乗じて本日の日記も作成し始めるが、あまり先まで書き進んで現実と乖離しすぎると、後に書き直すことになるから面倒だ。
時間があるなら読んだまま置きっぱなしのメイルに返事を書けば良さそうなものだが、返信の付けづらいメイルとはあるもので、それにはどうも手が出ない。
先日、「日本クラシックカークラブ」 のカタオカヒデユキさんから依頼された会報のための文章は、その文字数の指定が無く、またその依頼書にはカタオカさんの電話番号も無い。NTTの番号案内に問い合わせると 「ご登録はありません」 と言われ、仕方なくカーグラフィックの編集部へ電話をして教えてもらった番号は 「現在、使われておりません」 とのことだった。
「とりあえず、書き始めてみようか」 と、秀丸を開く。すこし疲れて3時30分にベッドへ戻り、二度寝に入る。
6時に起床し、洗濯機に洗濯物を投入する。「二宮翁夜話」 で二宮金次郎は 「たとえあした食べるものがなくても、今日使った食器は今日のうちに洗っておけ」 と言っている。きのうの晩に洗った食器を食器棚へしまう。朝飯を整え、熱いお茶を飲む。
と、ここまで書いて、ならば、きのう出た洗濯物も昨晩のうちに洗い乾かし畳んでタンスへ収めるべきだっただろうか? と、チラリと思う。江戸期の農民が夜間の洗濯をするには、ちと無理がある。二宮金次郎に僕の疑問をただしたらどうなるだろう? 「つまらぬ屁理屈を申すな」 と、叱責を受けるだろうか。
朝飯は、サンショウ、アナゴ、カキ、昆布とハスとゴボウの各佃煮、なめこのたまり漬、塩鮭、メンタイコのお茶漬け。
8時30分に稲葉塗装が来る。稲葉塗装の本業ではないが、店内にブルーシートを敷き詰め、ホコリが付着しては困る個所に養生を施す。またホワイトボートの移動や、壁を這う不要の電線の撤去などをする。同時に柴田鉄鋼が来る。柴田鉄鋼の本業ではないが、店舗の古い設備の搬出をし、また床の補修に備えて、痛んだ床板をバールで引きはがす。
新築以来、四半世紀以上も使い続けた販売カウンターを撤去した後の床を、柴田鉄鋼の下働きが磨き上げる。そのカウンターの下からは大量のホコリと共に、住所も電話番号も、もちろんeメイルアドレスもURLもない大昔の紙袋1枚と、2枚の100玉が出てきた。
高橋家具のタカハシマサユキさんが、持ち帰り手直しをしていたショウケイスを新しい場所へ設置し、それにより狭まった顧客休憩用の空間に合わせて、木製のベンチを短く切り整える。ショウケイスの照明に、小島電気が配線をする。
人の手と職人のわざとは大したもので、瞬く間に店舗はがらんどうになり、また新しい設備が作りつけられる。
今市市根室地区にて 「太郎」 と呼ばれていた赤松を加工した地方発送用のカウンターと、商品の搬入口を隔てるためのパーテイションには、昨年、車庫から数十年ぶりに持ち出した江戸期の格子戸が充てられる。倒れた日光の杉並木を製材したいわゆる並木杉の柱を立て、そこにこの格子戸を固定する仕事は、手塚建築が行う。
店舗の2階では同時に、給湯器の修理が行われている。できるだけ早く仕事を終えたいサーヴィスの人は12時になっても手を休めず、ようやく12時30分に作業報告書へのハンコをもらいに来た。職人が出入りをする事務室のシャッターを降ろす。手塚工房のテヅカナオちゃんが 「タンメンは、はたやだ」 と断言をする 「はたや」 へ行き、そのタンメンを食べる。
急いで帰社し、事務室のシャッターを上げる。温かい汁麺を食べた後にはいつも、顔に塩気を帯びた湯気が付着し、それが乾いて薄い皮膜になった印象を皮膚に憶える。洗面所にて顔を洗い口をゆすいで事務室へ戻る。
2時前に、社員たちとサイパンへ到着した家内から電話が入る。いまだ入国審査のあたりにいて、外の様子は分からないらしい。
普段通りに鳴る注文の電話を受けメモに起こし、どんどん乱れ箱へ入れていく。タカハシアツコさんとコマバカナエさんは3月5日にこれを処理する。処理するのは大変だが、メモを取るだけの仕事は楽なものだ。ウェブショップの受注については 「ご注文御礼」 を送付する関係上、メモだけではなく荷札に至るまで作成する。社員旅行中の納期を希望のお客様には、電話やメイルにて 「3月6日の必着ではいかがか?」 とのご連絡をお入れする。
高橋家具が大きな作業台2台を搬入する。床に溝を切って設けた金属のレイルから作業台上面の隠し扉まで電線や電話線を延ばして固定するのは、小島電気の仕事だ。僕が最初の図面を引いたこの作業台へのレジの設置は、諸々が落ち着いた明日の午後に行おうと考える。
入れ替わり立ち替わり出入りをした10人以上の技術者たちは、夕刻を待たずに今日の予定をこなして帰った。僕は普段の営業時間を超えて電話番をし、自宅へ戻る。
6時30分に居間へ戻ると、長男が2歳のときから来てくれているサイトウトシコさんが、次男の宿題の面倒を見ていた。次男は算数と国語の宿題を終え、これから 「スーホの白い馬」 を3回、音読するという。しかしこの最後の宿題にきのうと同じ80分をかけては、晩飯を始める時間が7時50分になってしまう。
「勉強よりもメシ、仕事よりもメシ、何よりもメシ」 という考えが、僕にはある。だから僕は、冷や飯に冷たい味噌汁をぶっかけ5分で食事を終えて仕事へ復帰するような人には、永遠に勝つことができない。担任の先生へ宛てて 「小学2年生の晩飯を8時ちかくに始めるのは忍びないため、音読は1回のみとしました」 との手紙を書く。
吉田松陰の叔父は、素読の最中に顔を掻いた松陰に対し 「勉強という公に顔を掻くという私を持ち込むとは何ごとか」 と、この甥を激しく打擲したという。それにくらべれば何とも甘い僕の行為だが、厳しく育てられ、しかしまともな大人になれなかった例は、僕も含めて世に枚挙のいとまもない。
「まいんちカレーばっかりじゃ可哀想だよー」 と、サイトウトシコさんが、次男の好きなモヤシの味噌汁を作る。別途サイトウさんは、やはり次男が好物とするイチゴを洗って皿へ盛った。
それらとカレーライスの晩飯を食べ、僕は今日も断酒をする。
入浴して牛乳を300CCほども飲み、8時30分に就寝する。20分後に家内からの電話で起こされる。
「丘の上にある料理屋 "Coffee Care" で上出来の晩飯を食べ、今しがたホテルへ戻ったところだが、店のオカミが日本人で漬物が大好きなため、『ホームページで欲しいものを選んでメールで注文してくれれば、今月末に配達して上げる』 と、約束をしてきた」
というのが、その電話の主な内容だった。家内は今月末にもサイパンへ行く。結婚以来20年、海外への旅行など考えず働きづめだった家内が、ここへきて1ヶ月に2度サイパンを訪ねても、それをとがめることのできる人はいない。
二度寝に入ってしばらくすると、今度は同じ階に住むおばあちゃんの訪問を受けて、ふたたび目を覚ます。10時30分に、何とか三度寝に入る。
深夜あるいはいまだそこへ至らない午前0時に目を覚ます。2時までベッドの下に置いた雑誌を拾い読みし、二度寝に入る。5時30分に起床する。
事務室へ降りていつものよしなしごとをしつつ、晴れたら撮ろうとしていた画像のための準備を事務室奥の応接室にて始めるが、どうも光量が足りない。障子を開けると、外にはどんよりとした曇り空があった。7時に居間へ戻る。
朝飯は、塩鮭、納豆、メンタイコ、キャベツの油炒め、アサリの佃煮、アナゴの佃煮、なめこのたまり漬入りスクランブルドエッグ、メシ、タシロケンボウんちのお徳用湯波とミツバの味噌汁。
これだけおかずがあると、腹が満たされているにもかかわらず、小さくない飯茶碗にて山盛り1杯のお代わりをすることになり、それが体には良くない気がする。しかし、早死にをする健康マニアがいることを考えれば、別段、心配には及ばない気もする。
開店直後にケンモクマリさんより、腹の調子が回復しない上、体温も上がったり下がったりを繰り返して安定しないため、社員旅行へは到底、行けない旨の電話がある。年に1度の社員旅行に時を合わせて大きな体調不良を起こすとは、同情して余りある。時間を見計らって栃木旅行開発のトバヤシヒロタカさんへ1名キャンセルの連絡を入れる。
先月28日、自由学園の父母会でどなたか先生のお話を聴いている最中に、不謹慎といえば不謹慎だが、改装後の店舗に設置する試食入れが足りないことに気づいた。うかつといえば迂闊だった。即、空き時間に外へ出て宇都宮の器屋 「たまき」 に連絡をし、適当なものを探すよう依頼をした。
本日 「たまき」 のタマキヒデキさんから電話があり、その薦めに従って、佐藤和次の織部と鼠志野の蕎麦猪口をあわせて15客、注文する。長野県美麻村の 「柏木工房」 へ特別注文したストゥールについてもそうだが、新橋駅前の立ち食い蕎麦屋 「ポンヌッフ」 で50円の 「スープ」 を飲んでいる割に、こういうところでは金を遣ってしまう。
会社の敷地に沿って車道に溜まった、掃き集めれば数十キロの重さになる砂の掃除を本日は予定していたが、0℃ちかい気温のため、社員の健康を考慮し中止とした。その代わり、明朝から始まる改装工事に備えて、店舗の商品や用度品を必要最小限の数にまで減らし、各種備品、ノヴェルティや地図パンフレットの類と、またそれを置く台、電話機、コンピュータなどを一時の保管場所へ移動する。
また、これからは不要となる棚をふたつ、筋力のあるトチギチカさんとサイトウシンイチ君に頼んで、社員休憩所のある2階へ運び上げてもらう。サイトウシンイチ君は先月25日に東京出張から戻った後、なんと新潟県までスノーボードをしに出かけていたという。これで子どものころには3日連続してぜんそくの発作を抑える点滴を受けたこともあるというのだから、人間というのは分からない。
外では雪が降り始めた。
夕刻5時15分に、成田のホテルまで社員を送り届けるバスが来る。僕は店舗の工事に立ち会うため、今回の旅行には家内が同行する。ここ20年ほどのあいだに人々は個人主義の度を強め、世間では社員旅行を取りやめる例が増えているらしい。ウチでも旅行への参加者は減る傾向にあったが、2000年の3月からは、ほぼ全員が行くようになった。
その理由はいくつかあるが、日記が長くなるため、ここには書かない。
バスを見送り、駐車場の鎖を上げて居間へ戻る。テレビゲイムをしていた次男をうながして、教科書音読の宿題に向かわせる。「スーホの白い馬」 はとても長い物語で、読み終えるまでに25分を要した。3回読んで80分が経過する。
家内が作り置いたカレーをメシにかけ、これを晩飯とする。「これから家内が帰宅をする木曜日の晩までこれを食べ続ければ、1ヶ月に8回の断酒のうち4回は、早くも月の第1週に達成できるな」 と、算段をする。
宿題を済ませメシも終えた次男は長椅子にくつろいで、ゲイムの攻略本を読んでいる。すこしはゆっくりさせてやろうと、僕は彼をそのままにしてコンピュータを開き、今日の日記を書き始める。
その30分後に入浴し、牛乳を300CCほど飲んで、9時30分に就寝する。